予約だよ

予約だよ

 熱は四十度から下がらない。インフルエンザだ。すべてのしんどさを超え、全身が痛い。ワンルームの部屋の布団で、もう三日。お茶すら淹れられないので水道水を啜っている。スマホだけはコードにつなぎ百%充電状態で手元にあったが、初日に職場へ「休みます」と電話して以来、他に連絡を取る気力もなかった。
 寝ていれば治るだろう。三日前からそれしか思わず、ほぼその通り過ごしている。ただ、定期的に重たい腕を上げ、動かない指でスマホの画面を操作し、気に入りのゲームアプリを開いて推しキャラを見つめる。死神モチーフの美青年はまたも「最後は僕と来て。約束だよ」と真剣な声で言った。味わって聞き、また微睡む。
 気付けば手に四角いICカードを握り、未来的な改札の中に立っていた。そんな場所にいながら、私の姿は寝巻きにスリッパ。それからなぜか、持っている中で一番大きい蝙蝠傘一本を小脇に携えている。
「こっちだよ、お姉さん!」
 少年の姿のロボットが眩い笑顔で私を呼び、手を振って駆けてくる。この子は、かなり前に大好きだったアニメのキャラクター? 彼は親しげに私を案内し、プラットホームから大きな車両へと一緒に乗り込んだ。洗練されたデザインで最先端にアップデートされたオリエント急行とか、そんな感じの高級列車だ。
「ここから直通だよ。みんな終点で待ってるからね」
 隣の座席で説明し、少年ロボットは手元にガラス板のようなモニターを展開した。ビデオ通話らしい画面へ、さっきまでスマホ越しに見ていた推しキャラの死神美青年が現れた。
「あ、無事に乗れました? それじゃ、揃って出迎えるよ。すぐ着くとは思うけど、なんなら食堂車とかも自由に利用してもらっていいんで」
 話す彼の背後にはチラチラと、私がこれまでハマったゲームやアニメ、お話などの好きな登場人物達、それからとうの昔に他界した祖父や恩師の顔も見える。みんな笑顔で手を振って、早く会いたいと言っていた。
 これは、いわゆる銀河鉄道に乗ってしまった感じなのだろうか。しかし悪くない気がする。少年ロボットが隣でニコニコして、モニター越しには今の推しも微笑んでいる。列車は広々とした明るい景色の中を高速で走っていた。テレビで見たヨーロッパの田園風景みたいだ。いい感じ。食堂車も見てみたい。そう思ったところでハッとした。
「ダメだ、ごめん、降ります。パン、頼んでたんだ」
 行きつけの小さい食料品店では、週一でこだわりのパンを販売していた。厳選国産材料を使いつつも本格的なヨーロッパ風のパンを作っている。その、ざっくりした食感や味が好きなのだ。来週も一個、予約している。
「ドアはもう開かないよ!」
 少年ロボットが驚いた声で止めてくるが、私は窓を開け、蝙蝠傘を差し出して開いた。すごい風圧で体ごと持っていかれる。車外へ飛び出し、空へ浮かぶ。童話のメアリー・ポピンズをお手本に、風に乗った。振り返ると列車は日差しに輝きながら、高く長い鉄橋を渡るところだ。雄大で美しい川が景色の奥までずうっと続いている。私はふわふわそれから遠ざかる。と、
「ちょっとちょっとー! 待ってよー! どうして来ないのさー!」
 かなり遠くに、鳥にしては大きすぎる影が現れ、叫んでいるのがかろうじて聞こえた。見れば死神青年が刈り取り鎌の柄にぶら下がり、やっとこさっとこの様子で飛行しながら追って来る。
「パン! 予約だからー! 黒パン!」
 大声で答えると「はぁ?」と途方に暮れた声が微かに返って来た。
 目を開けると変わらずワンルームの布団の中だ。スマホが頭の側に滑り落ちている。鈍い指でロック解除すると、開けっぱなしだったゲーム画面に死神青年が現れ「約束だよ」と薄く笑む。
「必ずね」
 破る心配はない約束だ、もう少し待って欲しい。動きづらい指を動かし、住所が最も近い友達の番号をタップする。
「インフルになっちまった……」
「うわ、すごい声だね! 病院は? 行ってない? ったく、あんたってヤツぁ! 調べて受診可能か聞いてあげる。その間に、外出の用意できるかやってみて!」
「すまねぇ、面倒かけちまうなー……」
「ほんとだよ! すぐまたかけるからね!」
 安堵して通話を終え、渾身の力を振り絞って起き上がった。ふらつくにも程があるが、治らねば。そして来週、予約のパンを取りに行くのだ。
(おわり)

予約だよ

予約だよ

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-23

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