裏目にう
裏目にう
「何を頼みます?」
テーブル越しにメニューを挟み、後輩は上目遣いでこちらを見た。
「いや、ねぇ」
困惑して手元を眺める。お品書きは、象牙色をした手触りの良い厚手の紙に、すっきりとお洒落な字体で読みやすく書かれている。以下のように。
目にう。
古ー火ー。四百円。
愛scream。五百円。
ほっとけ駅。五百円。
ぎうちちに青き果実を沈めしもの。四百五十円。
まだ続く奇妙な言葉の行列に、変な店に来てしまった、と思う。でも店内は至って普通で、外には「きっさ」と書いた丸い木製プレートもかかっていたのだ。
「値段は『円』って書いてますよ。私の思ってる円と同じか、確信ないですけど」
後輩が囁く。
「コーヒー四百円、って意味なら、まぁ相場なのかな?」
「この『ほっとけ駅』って、置いてけ堀みたいな感じしません? 落語でしたっけ」
「ああ、怖い話の」
それならネット怪談の「きさらぎ駅」の方がそれっぽい感じもする。などとぼんやり思い、しかし何か他の手がかりはないものか、と何気なくメニューを裏返す。
「ぎゃっ」
私が心で思ったことを、後輩は口に出して小さく言った。裏側には、おどろおどろしい字体でデカデカと、
見たな。
と書かれていた。
「や、ヤバいっすヤバいっす」
後輩は素早く手を出し、メニューを表返す。
「待って待って」
私も手を出し、再び「見たな」の側へと紙を返した。
「料理の名前かも。ほら、ここに」
紙の端を指差す。「裏目にう」の文字を見て後輩は「えっ」と言い、さらなる情報を探し、紙面の空白を虚しく視線で撫でた。そこへアルバイト大学生かなという風情の店員が寄ってきた。
「お決まりですか?」
メニュー、いや「目にう」を表に戻すのが間に合わず、結果、三人で「見たな」の面を見下ろす。
「あー、この、『裏目にう』の『見たな』……ってのはできるんですか? 値段書いてないけど」
ヤケになったかという明るさで後輩が尋ねた。店員さんは驚いた顔で「えっ」と言ってから、
「あ、できます、えっと。値段は時価ですけど、えっと、お一人二千円か二千五百円……三千円はしないと思います」
と慌てたような早口で答えた。
「ご注文なさいますか?」
なんだろう。店員さんの目は妙にキラキラしているようだ。これは「怖いもの見たさ」みたいな顔か? と思っている間にも、後輩が「どうします?」と囁く。
「あ、じゃあそれ2つ」
言った直後、「えっマジすか」と後輩は驚いたけれども、じゃあ逆にどう言って欲しかったんだ。断ったとしてもやっぱり「マジすか」と言うんじゃないのか。ゆっくり考える暇もなかった。店員さんは「ハイ!」と返事したかと思うと、メモも取らずにカウンターのさらに奥、店の裏口かというあたりまで走る。扉を少し開け、向こうを見込み、ものすごく感情を込めた地鳴りの如き声で、
「見ぃーたぁーなぁー! ……を2つ、お願いします!」
とオーダーを通した。奥から「アイヨ!」と、男とも女とも、大人とも子どもとも年寄りともつかない声が答える。それから店中の電気がパチッと消えた。
「凄かったですね」
ラーメン屋のカウンターの端で、後輩が十度目くらいの同じセリフを初めてみたいに言う。私も「うん」と初めて聞いたように頷いた。「〆はラーメン」という謎の理論により、「きっさ」を出た後ここにいる。
「あんなの、他にはないんだろうな」
後輩は、これまた十度目くらいの同じセリフを呟く。ここのメニューには、ラーメンやチャーシューや餃子といった品名が見慣れた感じで並んでいた。少なくとも表向きはそう見えた。「うん」と答えながら、私はメニューに手を伸ばした。
裏目にう