フリーズ113 ウパニシャッド哲学及び『ユリイカ』に見る真理の考究
目的
本論文の目的は、数々の思想的または科学的な文献や事実を援用しつつ、ポオが最晩年に書いた著書『ユリイカ』とウパニシャッド哲学を比較することで、真理とは何かを明らかにすることにある。
問題意識
真理とは何か。この問題は人類の歴史とともに永劫と受け継がれてきた命題である。数々の哲学者や科学者は真理を探し求め、その生涯をかけてきた。真理とは一種の麻薬に近いものなのかもしれないが、そもそもなぜ真理の解明が必要なのか。この問いに関しては単なる人間の好奇心だけで語ることはできない。死、生、神、魂及び愛。これらのまだ科学では解明されていないことをネオフィリアな人は知りたがる。これらの人生の謎を知らないまま死ぬのが怖いだけなのかもしれないが、それらの統合された先にあるものを真理と呼ぶのなら、その真理を知ることこそ私たち人の使命なのかもしれない。
つまるところ人生のその美妙な謎を解明することこそ我々ヒト科の本望であり、またレゾンデートルであり、また、その真理の先に万民の幸福、永遠の幸福があるとするならば、真理について考察する価値は、少なくとも盲目的に課された課題をこなすよりは十二分にあるだろう。
ここから私がなぜ物理学ではなく、ウパニシャッド哲学と『ユリイカ』を用いて真理の考究をするかについて論ずる。
物理学とは科学的に真理を探究する学問と言っても差し支えがないだろう。実際、人間はニュートンの古典力学を用いることで、ほとんどの地球上での物理現象を記述することが可能だ。だが、超重力場などの特殊な環境では既存の古典力学では説明がつかないこともわかり、それに伴って量子力学ができた。
何が言いたいのかというと、一昔前は真理だと思われていた古典力学が後に覆され、その理論を修正する必要に迫られたということであり、物理学での真理は井の中の蛙の浅知恵に過ぎないということだ。観測できる範囲でしか科学者は実証実験をすることができず、彼らの導く真理はその中にとどまる。ある時観測可能領域が広がると、以前の真理はたちまちその絶対性を失うだろう。もし観測不可能な領域に真理やその鍵があるとしたら、彼らのやり方では何年経とうと真理へとたどり着くことはできないことになる。
これが問題意識である。今の科学のやり方を否定するわけではないが、他にもっと冴えたやり方があるのではないだろうか。その冴えた方策を得るためには、過去に独自の方法で真理の探究をした書物を知り、そこに記されたものを理解することが大切である。
仮説
アインシュタインが導き出した世界で一番有名な式E=mc^2。
般若心経に出てくる二つの言葉『色即是空、空即是色』。
物理学と仏教という一見関係のなさそうなこれらの式と言葉には、真理への糸口があると考えられる。
水上勉『「般若心経」を読む』によると、『色即是空、空即是色』とは、あらゆる物質的存在は空に他ならないもので、本来は何もないということを言う。空とは実体のないもので、エネルギーも空だ。一方、色とはサンスクリット語のルーパが訳されたもので「かたち」「いろ」という意味だ。ここで先の式を見てみると、左辺のEは空であるエネルギーを意味し、右辺のmは物質量、c^2は定数なので、実質、空(エネルギー)は色(物質)となり、なんとこの式と『色即是空、空即是色』は同じことを語っているのである。
仏教思想と近代物理学が同じことを言っている。その仏教の大元をたどるとウパニシャッド哲学に行き着く。ならばウパニシャッド哲学に真理の手がかりがある可能性はある。
また、ポオの書いた『ユリイカ』にはそのタイトルの名の通り、彼なりの真理の考究がなされている。
この論文ではウパニシャッド哲学及び『ユリイカ』に真理への手がかりがあるとし、そのうえで真理とは『神になることで知ることのできる永遠なる絶対幸福の境地』であると考える。
参考文献
エドガー・アラン・ポー(八木敏雄訳)『ユリイカ』(岩波書店、2008年[原書1848年])
辻直史郎訳『リグ・ヴェーダ賛歌』(岩波書店、1970年)
水上勉『「般若心経」を読む』(ビジネス社、2005年)
フリーズ113 ウパニシャッド哲学及び『ユリイカ』に見る真理の考究