あれやこれや 161〜170

あれやこれや 161〜170

161 自分史

 昨年の2月にこちらのサイトに来た。
 別サイトで投稿していたけど、あまり反応がないので。
 
『あれやこれや』は他サイトで、別タイトル、別ペンネームで2年前に投稿を始めた。
 最初の数話は、自分のブログに載せていた。自分の小説に出てきた音楽や詩、料理、犬……の補足みたいに。
 私の小説を読んだ方が、遊びに来てくれないかしら? 感想をくれないかしら? と。
 しかし、待てど暮らせど、だあれも来ない。

 そのうち、エッセイにして投稿しようと欲を持つようになった。
 他人の小説になったものの説明などを読む方がいるだろうか? 
 疑問だったが投稿してみればこれが1番pv数を稼いでくれた。全作品の半分。まあ、長い小説を読んでくださる方が少ないということ。
 pv数に気を良くして、小説の『材料』が尽きると『材料』になりそうなことを書いてみた。
 身の回りのこと、過去のこと、いくらでも思いつく。しかしそれが新しい小説にはつながらない。
 1作だけ。空き缶集めから短編ができたが。

 pv数に気をよくして、今度は音楽のチャットノベルを始めてみた。作品に登場した曲を載せて解説を付ける。
 作品の曲などすぐに尽きてしまい、興味を持っていたものを次々調べた。3大ギタリストやジミヘンなど、知らなかったアーティスト。

 そのサイトはYouTube画像を貼り付けられるのだ。見た目はかっこよくなる。YouTubeはものによっては削除されたりして、しばらくして見ると、真っ黒になっていて焦るが。

 同じことをこちらのサイトでもやってみた。文字とYouTubeのアドレスだけで味気ないが。
 読んで聴いてくださる方がいる。
 
 
 
 生まれてから、今に至るまでの出来事を用紙に書き出してみた。ここ10年くらいはメモのような日記を書いているのでわかるのだが、圧倒的に空白の年が多い。思い出そうとしても思い出せない。
 娘ふたりには、5年間日記帳をプレゼントしてある。毎日ひとことでもいいから記録しろ、と。同じ日付が5年分5段になっている。孫の成長記録にもなる。書いているかはわからないが。

 投稿していると思い出してくる。とうに忘れていたことを。
 友人と話した内容、異性にときめいたこと、連れ合いに嫌気がさしたこと、子どもたちを投げ捨てたくなったこと、父親を呪ったこと…… 匿名だからまあ、いいか。
 
 
 これはランダムな自分史。いつか、子どもに残そうか? 都合の悪いところは削除して。
 どんな顔をするだろう?

162 ポジティブ・シンキング

 6人目の孫ができたみたい。
 まだまだ、老け込んではいられないようだ。
 
 子どもが3人、孫がそれぞれふたりずつ。男女、女女、男?
 順調ね、と言われるんだけど。
 まあ、いろいろ心配事はあります。
 発達障害グレーゾーンとか、白斑とか、歯の数が少ないとか……血腫は手術で取った……

 自分の子は重い心臓病で、上ふたりいて大変だった。頼れる親はいなかったし、入院の付き添いの間は、幼稚園の友人が毎日送り迎えしてくれた。(感謝)
 
 今の時代、私だったら?
 産むだろうか?
 できちゃったら産むけど、作るだろうか?
 40年前は素直に喜んだけど。  
 給料は右肩上がり。
 真夏もまだエアコンなしで過ごせた。部屋の温度が最高で31度。おむつかぶれができて、日に何度も沐浴させたけど。
 
 地震はあった。奥尻島や秋田とか、まだ、人ごとだったけど。
 凶悪犯罪もたくさんあった。子どもを外で遊ばせるのが怖いくらい。忘れられない犯罪がたくさんあった。
 
 お嫁はふたり目ができなくて、やっとできたら死産、子宮外妊娠。
 もう、ひとりでいいじゃない、と密かに思った。それでも欲しくて頑張ってくれた。お産も大量出血で大変だった。コロナ禍で、立ち合いできず、あとから知らされたが。

 そんな話を施設のスタッフに話すと、よく生みましたね、と冷え冷え〜。
 彼女は、
「私、結婚しませんから。今の日本で子育てなんて考えられないです。親より生きればいいんです」
 
 異動していったけど、考えが変わるような相手には出会っていないだろうか?

 お嫁はもうひとり欲しいという。
 彼女は3姉妹。
 息子の給料は安い。
 国民年金だし。
 でもしっかりしている。質素だし。牛乳パックも洗って開いてる。(当たり前?)
 きっと老後のことも地球のことも考えている。
 
 
 人生100年時代。認知症のない長寿にはポジティブ・シンキングが良いそうだ。

 自分はポジティブにはなれない性格だった。
 ひとりが好き、孤独が好き、人間嫌い。
 夫にも子どもにも嫌気がさした。
 ひとりになりた〜い。

 しかしそれでは、いずれは認知症。
 施設にもいる。人と接しない。部屋から出てこない。食事も自室でひとり。
 あんな人たちと食べたくないの……
 こんなおかず、厨房はバカなんじゃないの?

 今は、なにもかもやってもらっている。
 介護保険たくさん使わせてもらって、文句ばかり。
 死にたい、と言っても死ねないのだ。

 先日、夫の叔父さんに40年ぶりに会いに行った。年賀状のやり取りだけの息子さんからハガキがきた。
 施設に入っているが、親戚に会いたがっている、と。
 車で2時間で行ったのは小規模なサービス付き高齢者施設。

 89歳の叔父さんは、忘れっぽいが、話すと夫のことを思い出した。ひょうきんな子どもだった、と。

 杖なしで歩き、食事も常食。ごはんに副菜も刻まず食べる。持っていった羊羹を喜んでいた。外出も外食もできる。貼り出してあった習字は力強く上手だった。

 88歳の奥さんは歩いて行ける距離の家にひとり暮らし。週一でデイサービス。庭で園芸をして、まだまだしっかりしていた。
 子どもは息子2人で、女の子が欲しかった、と。
 しかし、親孝行な従弟だ。遠くから新幹線で来て母を病院に連れて行き、父の施設に面会に。

 また会いに行きたい、と思いながら道の駅に寄り、フキを買って帰ってきた。
 初めて煮たきゃらぶきはとてもおいしくできた。を

163 O君とカリンさん

 最近の若い子は、ごはんのことを『コメ』と言う。ユニットの二十歳のO君。素直で優しいが、 
「コメ、よそって」
 何度も気になっていた。ずっと黙っていたが、ついに言ってしまった。
「炊いたらごはんという」

 男性職員泣かせの100歳のカリンさん。慣れてくれるまでに時間がかかる。スキンヘッドのMさんはかわいそうだった。
 トイレで怒鳴られ靴を振り上げられた。それでも慣れてもらわなければ困る。

 高校を卒業してバイトで入ったO君はカリンさんの洗礼を受けずに済んだ。
 まだ少年だった。ピュアだった。
 言葉使いは丁寧だが、たどたどしかった。
 動作も遅くてなかなか覚えなかった。
 できるのか? この子が? 

 仕事はさておき、O君は入居者にかわいがられた。偏屈なミモザさんまで、自分の甥と思い込み、坊や、坊や、と呼んだ。
 90歳過ぎた女性蔑視の男性には、若旦那と呼ばれた。

 仕事は……、徐々に覚えていけばいい。
 が、遅刻はダメだ。ダメな遅刻をひと月に3回した。
 夜更かしに慣れている若い子が、朝7時前に来ていなければならない。
 皆、この子は続かないだろうと思った。教えていた若いリーダーはイライラしていたが、
「育てなきゃ、ね」
 私の言葉をどう受け取っただろうか? そのリーダーは今はいない。

 見込み違い、嬉しい見込み違い。正社員になり、半年するとO君は独り立ちした。他の人より少し時間がかかったが、見事に皆の期待を裏切ってくれた。
 私はO君が声を荒げるのを聞いたことがない。O君はユニットに馴染んでいた。

 高校を卒業したばかりの男子が、高齢とはいえ、女性の排泄介助をするのだ。陰部洗浄もするのだ。
 逆もあるが。うら若き乙女が……。
 便秘が続けばマッサージをして出してあげる。恐れ入る。

 カリンさんのご主人が亡くなった。コロナ禍で面会もできなかった。それまでは毎日会いに来ていた。ご主人も相当なお年だろう。
 カリンさんの車椅子を補助車にして歩いてきた。寒い日も酷暑の日でも。
 歩いてたどり着けば疲れて奥様のベッドで横になる。奥様より先には逝けない、とおっしゃっていたのに。
 カリンさんはもはや旦那様だとは思っていない。
「かわいそうなおじいさんに部屋を貸してるの」

 長寿は残酷だ。共に生きた連れ合いを看取ることもできず、知らされもせず。なお生きる。
 妄想が悩ます。泥棒が全部持っていった。焼夷弾が足に刺さった。頭に塩酸をかけられた……。
 同じユニットの男性を旦那様と思い込み怒られる。部屋に入ろうとして怒鳴られる。バカヤロー、と。
 負けてはいない。100歳近いが口は達者だ。
「バカって言ったほうがバカなんだ」
 おっしゃるとおり。
 この方は適当に誤魔化せない。じっと目を覗き込んでくる。話を聞くと泣く。
「世話になるばかりで何もできない」
 声を出して泣く。感情失禁。

 寝ない。寝てくれない。廊下のずっと向こうに踏ん張り、てこでも動かない。
「死んでもいいの!」
 と叫ぶ。
 カリンさん次第だ。その日の仕事がたいへんかどうかは。
 朝、出勤すると廊下に出ている。
「警察署、行かなきゃ」
「学校、行かなきゃ」
「おかあさんが、死にそうなの」

 四六時中トイレへ行く。忙しい時にトイレに行く。出やしないのに。お年なのに自分で車椅子から移動しようとする。
 何度も尻餅をついている。だからトイレは苦心して工夫して、ナースコールが鳴るようにしてある。が、それをはずしてしまう。
 パートが休みの日、職員は10人をひとりでみているのだ。夜勤は20人を。なにかあっても、時の不運……、では済まないが。

 時々、『保護されるべきものではない』と思ってしまう。不謹慎だが、口には出さないが。
「カリンさん、どうしましたか?」
 O君は優しい。敬語を崩さない。
 なぜ、いやな顔をしない? 
 O君がここに来てから2年、担当だったリーダーは辞めた。助言してくれていたMさんも、次のリーダーも辞めていった。Uさんも今月いっぱい。
 そして、残ったのはこの私だけだ。
 O君は異動になった。

 ピュアな人ほど挫折する。
 優しくなければ続ける資格がない……

 コロナ禍にヘルプに来てくれたO君は、頼もしくなっていた。
 歳を取ったパートの私にも相変わらず優しかった。



【お題】 ピュアな文字列

『ついのすみか』から抜粋しました。

164 音の風景

『ピッ』
『ガチャリ』
「人物認証できません」
 そんなバカな……
「正常な体温です」
『ピッ』
「オハヨウゴザイマス」
 
 靴を履き替え、ロッカーで着替える。
 エレベーターでユニットへ。
 ドアを開ける前に深呼吸。1度死んでおく。
(これは長嶋一茂さんが言ってたな)

 起きている人数で誰が夜勤だかわかる。早い人、遅い人。
 早番も時間前に来て、もう動いてる人、ギリギリに来てパソコンを開く人。
 時間前に来い、というのはパワハラになるらしい。

 ネコヤナギさんはおかまいなしにわめく。
「おう、おうっ。バカヤロー」
 夜勤の対応に腹を立てているが、無視してスタッフルームへ。
 無視は虐待になるのだが、まだ時間前だ。

「シチジデス」
 時間になればすさまじい。
 2ユニットの配膳、片付け、見守り、シーツ交換。掃除、洗濯。
『シュッシュッ』
とテーブルを消毒液のスプレーで拭く。
 茶と牛乳にとろみ剤を入れ、小さな泡立て器で掻き回す。
『カシャカシャカシャ』
 よく混ざらないと、むせて怖いからしつこく混ぜる。
『カシャカシャカシャ』
 おかずは刻む。ユニットでは職員が分けてハサミで刻むのだ。
『カチカチカチカチ』
 刻まずに、ごはんもお粥でない方は、今ではひとりだけだ。だから、えんえんと刻む。
『カチカチカチカチ』
 手が痛くなる。

 ユニットとは、本来は元気な入居者さんにも手伝ってもらいましょう……
 なのだが、もはやおかずを分けられる人はいない。
 自分で食べられる人も少ないのだから。
 
 職員はひとりで10人の世話をする。パートの私がいなければ、離床も配膳もひとりでやらなければならない。
 
 忙しいのに、帰宅願望のオリーブさん。車椅子から立ち上がる。
『ピーピーピー』
 離れるとセンサーが鳴る。誤魔化して座らせる。またすぐに
『ピーピーピー』
 止めるのは難しい。
 オリーブさんのために雑誌が置いてある。誤魔化しながら、それも耳が遠いので大声を張り上げる。テレビも大音量。

 コーヒー牛乳と甘い煎餅だけで生きてきたクスノキさん。90歳を過ぎているが元気な男性。杖をついて歩いてリビングに来る。
 食事は取らない。息子さんが買ってくるコーヒー牛乳と甘い煎餅だけしか食べない。
 それで、どこも悪いところはないという。
 話す言葉は
「煎餅、ちょうだい」
 それだけだった。
『ドンドンドン』
 リビングに誰もいないと、杖で床を叩く。それでも誰も来ないと、そこらじゅう叩く。
『ドンドンドンドン』
 職員が走ってくると
「煎餅ちょうだい」
 召し上がりコーヒー牛乳を飲み、戻られる。

 この方は独り暮らしをしていた。
ーー食べ物と、排泄物と、害虫……
 そういう人は多いらしい。
 ひいっ!

 ショートステイの風さんが頻繁にやって来た。音もなく
『スーイスイ』
「ごきげんよう」
 廊下を何分で自走して来るのやら。
 神出鬼没。
 出て行ったと思ったら、もうそこに。
「ごきげんよう」
 ひいっ!

 ショートステイは比較的しっかりした方が入っている。風さんには居心地が悪いのか? 
 この方は見かけは品がよく言葉も丁寧だが……
「私、泥棒なんかしません」

 風さんはゲッケイジュさんのカーディガンのボタンをはめたり、タオルをたたみ直したり世話を焼く。
 焼かれているゲッケイジュさんの反応はない。
 車椅子自走仲間のサカキさんとは頓珍漢な会話を。 
 そこにトネリコさんが
「うるさいね」
とひとこと。
 女性職員は黙っていない。
「ここは喋っていいところなんです。みんなの場所なんです。そういうことは言わないでください」 
 孤高のトネリコさんより怖い。さすがのトネリコさんも言い返さない。
 この職員には言い返さない。敵う相手ではないとわかっているのだ。  

 隣のユニットから、アズサさんのわめき声が。
「あああぁあああぁー」
 テーブルを叩く音が。
『ドンドンドンドン』
 手が痛いだろうに、もはや感じないのか? 止めればこっちの手を叩かれる。

 100歳のカリンさんの声がする。
「だれかー、たすけてー」
 ここは介護施設なのか? と思う。

 ようやく食べ終わると、ひとりずつ口腔ケアに排泄介助。
 順番があるのだが待てない。ポプラさんは95歳を過ぎているのに元気だ。待てないで騒ぐ。
「ご馳走様、ご馳走様」
と何度も言う。
 何度言われても、95歳でも元気なあなたの順番はまだなんですが。
 部屋に戻ればナースコール何十回も鳴らすでしょ?
『ジーッジーッジーッジーッジーッ』
「少しお待ちください」
と、職員に言われても
『ジーッジーッジーッジーッジーッジーッジーッジーッ』
 ピッチに出るまで鳴らし続ける。しまいには、
「上に言いつけてやる。金払ってんだから」
 そう、あなたのために年間いくらの介護保険が使われているか?  
 私のパートの収入よりもはるかに多い。職員の年収よりも、かも。
 莫大な金額が使われていく。それを何年? すでに5年。さらに……

 ナースコールは夜中には40回鳴るそうだ。
 夜勤はもうクタクタ。

 自走の得意なサカキさんは、早く車椅子に移って走りたいのだ。
「おねえさん、なんとかしてー」
 なんとかして欲しいのはこっちだ。
 オリーブさんがついに立ち上がり1歩出た。
 そういう時は手を取って歩かせてあげましょう、とユニット会議で決まっていた。
 歩かせて疲れさせる……
 はい、職員さんといってらっしゃい。残された方達はそのままね。
 
 イチイさんが時間をずらしてリビングに現れる。他人との交わりを嫌う。
 同じテーブルのコデマリさんの食べ方が汚いと嫌う。
『クチャクチャクチャクチャ』
 入れ歯だけど、沢庵まで噛めるそうだ。
『クチャクチャクチャクチャ』
 
 気難しいイチイさんは、職員からも敬遠されてしまう。
 いつもなら人の少ない時間なのに、オリーブさんを歩かせたために大幅に遅れた。
 おまけにショートステイの風さんと自走仲間のサカキさんがうるさい。
 向かい合って手を取り合っている。話して泣いている。感情失禁。
 うるさ〜い。

 イチイさんの食事はレンジで温める。
『ピーピーピーピー』
 温まっても、忙しいのですぐに取り出せない。
『ピーピーピーピー』
 そして電子レンジの中で冷えていく。
 イチイさんは文句を言いたそうだ。
 ごはんの柔らかさ、野菜の柔らかさ、茶のおいしくないこと……
 時間に来てくれたなら、一応ごはんは炊きたてなのだけれどもね。

 不味そうに食べる。ひとりだけのテーブル。大音量のテレビ。隣のユニットからわめき声が聞こえる。
「あああああああああぁ」
『ドンドンドンドン』
「だれかぁー。殺される〜」

 アズサさんは、テーブルを叩くだけでは気が済まないらしい。テーブルに車椅子で突進してくる。
『ドオーンドオーン』
 痛くないのか? もはや痛みも感じない?  
 職員が来ると、テーブルは離される。

『ガチャーン』
 カリンさんが缶を投げた。
 テーブルが低いので、お菓子の缶を置きその上にトレイを乗せるのだが、その缶を投げた。
 ひぃっ!
 誰にも当たらなくてよかったあ。

 コデマリさんが、
「眠れないからカロナールが欲しい」
と言う。
「カロナールは眠れない時の薬ではありません」と職員に言われて、頭痛を訴える。
 コデマリさんはかつて、薬を出してもらえないと騒いだ。
 職員は体を心配し出さなかったのだが、上を巻き込んでの大騒ぎ。
 職員は辞める辞めないの大騒ぎ。結局職員が謝った。
 コデマリさんは自慢した。
「謝ってくれたのよ」
と自慢した。 
 それ以来、偽薬が出される。中身はラムネだ。
 これはよく効くらしい。

 謝った職員はしばらくして辞めた。引っ越していったのだが。
 職員が辞めても入居者には言わない。
 入居者が亡くなっても不穏になるので伝えない。
 そして大勢いなくなった。
 シーン。


【お題】 擬音だらけの物語

165 皆愛しい

 施設の90歳を過ぎた女性。染めてないのに髪が真っ黒。髪だけ歳を取らない。


 入居して8年目の女性、色黒かと思っていたら白かったのね。
 紫外線を浴びないと、肌がきれいになる。


 ボリュームありすぎて、やまんばのような髪が、短くなっていた。
「髪切ったんですね?」
「切らないわよ」
「……」
 髪も染めるのをやめるとボリュームが出てくる。羨ましいくらいの方がいる。


「先生、トイレ行きたいんです」
「行ってきたばかりでしょ?」
「行ってないわよ」


「牛乳飲んでません」
 からのカップが置いてある。
「飲んだでしょ」
「飲んでないわよ。なんにももらってな〜い」
 隣の方が、
「私、泥棒なんかしません」


 ごはんはユニットで炊く。それを若い子は中高に盛る、ということを知らない。不味そうに盛る。
 前にいた女性の職員は、茶碗も汁椀も箸もおかずも、右も左も前後もおかまいなし。
 配られた認知症の年配者は無意識にだろうが位置を直す。


 入ったばかりの、専門の学校を出た女性が、においに耐えられず1日で辞めたそうだ。
 隣のユニットの若いお嬢さんは慌てて洗面台に走った。
「アーン、唾が付いた」
 このお嬢さんも辞めていった。


 私は最初、周辺業務で入った。
 朝食のあと、早番の職員さんが順番に排泄介助をする。ひとりで10人を。私はその間見守る。なにもできないが。
「おねえさん、うん○」
 男性は叫んだ。私には無理だ。
「おねえさん。もっちゃう」


 クスノキさんは90歳を過ぎているが、この方は食事を摂らない。食べるのは息子さんが買ってくるコーヒー牛乳と甘い煎餅。それ以外は食べない。
 食べたい時間に部屋から出てきて杖で床を叩く。
 私はコーヒー牛乳と煎餅を2枚出す。食べると杖をついて部屋に戻りベッドに横になる。
 朝食のパンはジャムをたくさん塗ると、ほんの少し召しあがるときもあった。
 おかずと味噌汁は手をつけない。それでいて悪いところはなかった。


 ツゲさんは髪の量が多い。前髪が伸びる。目に掛かる。目をふさぐ。素直な髪は分けても戻る。気になってしょうがない。職員に言えば、
「家族になにか持ってきてもらいましょうか」
 悠長に構えている。実行されない。家族は理美容も申し込まない。
 私は家にあったプラスチックの髪留めを持っていき、前髪を分けて留めた。
 普段は食事さえ人任せ、手を動かすこともないツゲさんが、翌日髪飾りを食べた。ガリガリと。 
 ツゲさんには自歯がある。職員が手袋をして、取れるだけ取ったが、見事に粉々に噛み砕かれていた。しばらくは便の観察だ。
 休み明けに知らされて驚いた。
 謝った。勝手に持ってきたことを。お咎めはなかったが。
 職員は家族にも電話を入れてくれ、ツゲさんの髪はカットされた。
 2度と、2度と余計なことはすまい。たとえ目が塞がろうが、なにがどうしようが……


 今日はスタッフの写真を撮る日。
 いつもより早く起きて、念入りに顔作らなきゃ。
 化粧水にクリームを多めに付け、髪を先にブローした。そして分け目にポンポンと粉の手軽な白髪染め。
 …‥そして口紅を紅筆で丁寧に。

 写真を撮る前に気が付いた。
 若見え〜のファンデーション塗ってくるの忘れた。顔が明るく見えるお粉も……アイメイクも。

 口紅以外すっぴんで写真を撮りました。


【お題】『噓でしょ?」から始まる物語

166 いいお客様なのよ

 勤めたブティックの店長はやり手だった。パートの店員から始まり、あっという間に店長になったという。伝説の女、とよばれていた。バブルの頃は飛ぶ鳥を落とす勢い……

 私が入った頃はもう斜陽。高価な服を買う客は減った。なのに……
 また、宝石のイベントか。
 ここはブティック。宝石屋ではないのに。
 売り上げを作るために宝石を売る。
 
 客にイベントのDMを出した。
『○○様のために特別にお取り寄せしました。ぜひ、いらしてください』
 果たして何人来るだろうか? 
 来るということは買うということだ。
 買わされる、ということだ。
 イベントのない日は毎日来て、何時間も喋っていくくせに。電話をしても用事があるから、と来やしない。

「お手紙、わざわざありがとう」
 それでも、嬉しそうにやってくるものがほんの少しいる。
「店長。100万までだよ」
……充分です。
 アパートを持っている地主様に宝石を売りつける。メーカーで何年も売れないで残っているものを。何点か。

 この女、どんなにいいものを着ても宝石を付けても似合わない。
 うちの店で買ったって言わないでほしい。
 恥ずかしい。あの頭……いつも帽子をかぶっているが、あの薄い髪……
(すべて、店長の言葉)

 閃いた。
 ウィッグを販売した。何年か前に面白いほど売れたのだ。
 女は歳をとるとどうしても髪が薄くなっていく。店長も若い頃から染めて染めて髪を痛めつけてきた。
 20万以上するウィッグを私たちスタッフもお願いされた。
「ひとり1個売ってね」

 恐ろしい。売れなければ自分で買う……スーパーのレジと変わらない時給なのに。こういう世界に入ると抜け出せない。
 娘は言う。
「おかあさん、行かなきゃいいじゃん」
 
 ウィッグは思ったほど売れなかった。△△様は髪が多く必要ない。
「毛深いんだ。亭主が、毛深いのがいいって言うんだ」
 下品すぎてさすがの店長も口には出せない。
「なに上品ぶってるの? ヒッヒッヒッ」
 金はあるが、義理で買ってくれる女ではない。 
 長い髪は美容院で手入れしているからきれいだ。

 髪の薄い地主様はすでにウィッグを持っていた。気にしているのだろう。買ったはいいが自分ではうまく付けられない。
 店長はおだてて2個売りつけた。
「ほら、簡単よ。私も買うから。被り方教えるから」
 嘘だ。安い給料で買ってなどいられない。いずれ必要になるかもしれないが。
 あとひとつ売れないと、スタッフの誰かが買わねば……

 そのとき初めての客が入ってきた。場違いの、汚い年寄り。恐れもせず寄ってきた。
 メーカーの者も、店長もあとひとつはどうしても売りたかった。
 私の口が動いていた。
「お試しになりませんか?」
 女は声をかけられ喜んだ。
 まさか、と思ったが、とんとん拍子だった。
 まさか、と思ったがバッグから通帳や年金手帳を出した。
 私はコーヒーを入れ菓子を出した。
 クレジットを組ませた。年金受給者は簡単に通ってしまった。
 女はコーヒーをお代わりし、ウィッグを被って喜んで帰って行った。

 とりあえず売り上げは出来たが、後味が悪かった。どんどんいやな女になっていく。
「返品しにこないですかね?」
 しばらくは恐怖だった。やがて忘れた。

 そして1年もした頃、その女は息子とやってきた。汚れたウィッグを持って。
 私は後悔した。とりあえずふたりを座らせた。
「ローンが払えないんです。なんとかしてください」
 息子が言った。
 なんとかしろったって、もうおたくと信販会社の問題。うちの店はもう関知しない。
 息子は物静かだ。余計怖かった。精神の病気で生活保護者。母親はヘラヘラ笑っていた。
 しっかりしなければ。後始末をしなければ……
 コーヒーを出し、社長に相談した。
「支払いが滞ってる。これ以上遅れるとやばいことになる」
 やばい? 
 丁寧に説明した。月々の支払額を減らし、期間を伸ばしてもらった。

 

 どこぞの社長夫人。愛人に負けずと宝石を買いまくっていた。太っているから入る服はない。
 たばこを吸う。
 宝石店の若い女のスタッフが後を追って入ってきた。
「お願い。買って、買って」
 露骨に宝石店の女が口にする。
 タバコがなくなった。私は買いに走った。
 タバコを渡すと社長夫人は恐縮し、バッグを買ってくれた。宝石店の女が私を睨んだ。
 領収証を切った。作業着代として……
 
 旦那に事故で死なれ保険金で遊ぶ女。
 なんと、うちに来ていた電気屋さんの奥さんだった。小柄で童顔だがかなりの年だろう。
 ホストと旅行してきた、と自慢した。
 若いメーカーの男が来ると喜ぶ。こちらも買ってもらうために必死だ。
 膝をついて裾上げする。褒めまくる。ホストみたいだ。行ったことはないが。
 いい客だ。旦那のことを話すと泣く。いい人だったと。
 働き者で愛してくれた……空っぽ頭の妻は、旦那の残してくれた保険金を湯水のように使い果たした。
 金がなくなると買わない。買えない。それでも来た。コーヒーは出さなくなった。
 さんざん金を使わせておいて、金がなくなれば用はない。居座られても迷惑だ。同じ話を何度もする。聞いてやる暇はない。暇だが……
 やがて奥さんは来なくなった。地主様が言った。
「金を使い果たされた息子は店を恨んでるよ……怖いわねえ」

 
 すぐそばのスーパーの経営者夫人。初めから不穏な雰囲気だった。いつも店長とこそこそ話していた。
 いつも行く食堂の奥さんの悪口を言っていた。痩せててなんの魅力もない……
 ある日、夫人が真っ青な顔で入ってきた。
「店長どうしよう? バレちゃった」
 ただごとではないらしい。
「バレた。娘にも言いつけるって」
「とりあえず、謝っちゃえば……」
「なんで謝らなければならないの?」
 コソコソコソ。

 不倫が相手の奥さんにバレた? 修羅場。相手の男は……? まさか、あの食堂の旦那? あの、年寄りのなんの魅力も感じない……

 奥さんは家を出て行った。3人の子供を残して。食堂の夫婦は元の鞘に収まった。店は繁盛している。
 仲のよい夫婦の店。スーパーも繁盛している。ただ、主人は私たちを見ると嫌な顔をする。まるで私たちが悪いように見る。
 派手な女たちが妻をそそのかしたのだと。もう、そのスーパーには行けなくなった。

 
 売り上げはますます減る。
 今度は時計だ。
 以前はいくつも売っていた、メーカーの伝説の凄腕の店長は期待されたが……時代が違う。

 時計が5個売れた。社長は喜んだが店長はもうひとつ売りたかったようだ。
 クレジットを組んだひとりが癖のある客らしい。以前にもキャンセルをした。
 長い時間かけて考えていた。誰も勧めなかった。あとでキャンセルされるくらいなら。
 ところがその客は購入した。クレジットを組んだ。
 でもキャンセルが怖い……

 そのとき太った社長夫人が入ってきた。
 時計は店長からは勧めない。興味はあるはずだ。金も。
 社長夫人はコーヒーを飲むと立ち上がり時計を見た。メーカーの男性が勧める。さりげなく。
 腕にはめる。ロ○○○○をはずして。気に入ったようだ。
「店長、100万だよ。キャッシュだから。消費税なんて言わないでよ」
「社長にお願いしてみます」
 勿論OKだ。もっとまけても構わないのだ。
 社長夫人はバッグから封筒に入っている札束を出した。帯付きだ。
「確認して」
 私が数える。
 宝石店で使うつもりだったのだろう。あのスタッフに知られたら恨まれそうで怖い。

 翌日、案の定キャンセルの電話があった。予感していた店長は私に任せた。
 長い電話。
 主人がもっと安く手に入る、と。弁護士に相談する、とまで言い出した。
「2度と来るな。バカヤロー。DMも抹消して」 
 高額の商品をたやすく買えるわけがない。世のご亭主は知らないのだ。服や宝石の値段を。
 地主様は値札をすべて取らせ、わざわざスーパーの袋に入れて持ち帰る。

 
 あと、どんな客がいただろうか? 

 看護師の常連客。最初ワゴンを見ていたという。店長が声をかけると嬉しそうだった。
 冴えない、ブティックには似合わない女は毎日来るようになった。
 趣味もなく友人もいない。家では夫とも口を利かないと言う女は喋りまくる。夫のこと、嫁のこと、上司のこと。
 楽しい話ではない。聞くに耐えない悪口ばかりだ。機関銃のように吐き出していく。そしてその代償として高い服を買う。似合わないが。
 ワゴンの商品さえ躊躇していた女が、以前は座れなかった椅子に座り、ふんぞり返りコーヒーを飲む。『◯◯様』と呼ばれるのが嬉しくて服を買う。
 店長が取り寄せた1000円の菓子をもらい、高い宝石を買う。長いクレジットを組む。つけていく場所もないのに。

 
 学校給食の調理職員がいた。初めて見たときに着ていたコートは雑誌に載っていた。太った垢抜けない女が着ると同じものには見えないが。
 店長に褒められ気をよくした女は常連客になった。 
 ひとり暮らしの寂しい女はだんだん図々しくなっていった。
 花器を持ってきてカウンターに花を飾った。堂々と生ける。我が物顔にキッチンを使う。
 買ってくれれば文句はないが。
 その女は退職金の半分を2年で使い果たした。そして来なくなった。気が付いたのだろう。すべてを使い果たす前に。

 
 どこぞの女社長はワゴンの安いセーターを従業員にと、20枚ラッピングさせ箱代をサービスしろと言ってきた。
 ラッピングしている間にパチンコで5万円すってきた。
 2度と来るな、と思ったが営業用の笑顔はたいしたものだ。
 翌日女社長はまた来た。ラッピングに従業員が大喜びしたと。
「パチンコ行かないで服買ってくださいよォ」
 私の口から出た。宝石店の女がしたように甘えた。
 女社長はときどき顔を出すようになった。たいしていい客ではないが。

 
 店長がクレジットの明細を見て驚いていた。
 客に配ったお取り寄せの菓子。社長は経費を出さない。販促費が遅れている。
 賞与は君が1番多いのだ、と。
 売り上げがないと自分で買っていた。
 入金しておかなければ……やばいことになる。 
 おかあさんが残してくれた金に手を付けた……
 
 もうレジはゼロで締める。もうクローズだ。もう無理だ。

 給食調理の女が孤独死していた。地主様がどこからか聞いてきた。もうずいぶん経つ。去る者は追わず……ひどい女になってしまった。今にバチが当たる。同じように……

167 連れ合い

 小中学校の頃、片親の子はクラスでひとりかふたりだった。二十歳くらいのときにソ連の離婚率を聞き驚いた。3人にひとり。
 今や、日本でも35パーセント。上の階のご夫婦はふた組別れた。隣のご夫婦もふた組別れた。夫の兄弟は5人のうちふたりが別れている。離婚率は40パーセントだ。夫の親は亡くなったあとだった。

 祖父母の代では、子供ができないと離婚したり、されたりした。別のところに嫁いだら何人も産んだ、とか。
 豪快な美容師さんの旦那さんは離婚歴2回。カラッと話す。
「養育費やっと払い終わったのよ。1番目も2番目も」
 我が娘の旦那も離婚歴がある。
 打ち明けられた時はショックだった。
「この人じゃなきゃダメなの?」
 口にはしなかったが。
 夫は拍子抜けするくらい気にしなかった。 そんなのザラにいる……夫の会社にもザラにいる……子供5人いて離婚した男もいる。

 私には子供が3人、確率としてひとりは離婚するか? 
 それも仕方ない、とこの頃は思うようになった。我慢に我慢に我慢を重ねれば、いずれは情がわく。
 別れたら、この人どうなるの? 可哀想で別れられない……と、そうなるまで我慢しろとは言えない。
 ただ、実家には戻って来ないで。まあ、夫のいる間は戻らないだろう。
 産後すぐに、実家から自分の家にタクシー呼んで帰ったくらいだから。多分、旦那がどんなにいやになっても、おとうさんよりはまし……
 そう思ってくれたら、夫の価値もあるというもの。

 今の職場に働き始め、普通に話していたら、
「旦那さんとうまくやる秘訣はなんですか?」
と聞かれた。
 離婚した職員さんが多かった。
 帰る実家があったら、子供を養える稼ぎがあれば、別れていたわよ……そういう話はよく聞いた。

 娘には言う。結婚したら片目をつぶれ!
「両目つぶってるよ」と言われるが。
 娘に帰る家はない。旦那が嫌でも父親よりはマシ……

 職場には、おひとり様も多い。新しい人が入るたびに口には気をつけるのだ。働き始めた頃、「お子さんは?」と聞いてしまい、機嫌を損ねてしまった。先日も、一緒に配膳をしていた方が速いので、
「主婦は手際がいいよね」
と言ってしまった。
「私、1度もお嫁にいってないんです」
と、柔らかく言われた。50歳を過ぎて女ひとり。すでにマンションも買っている。腰痛は当たり前。痛み止めを飲んで仕事をしている。
 大変だろうが羨ましくもある。

 いろいろあった。今でもいやなのは夜中のテレビ。寝る部屋は別だが、狭いマンション。音が気になる。頭にきて消せばすぐに付ける。フライパンでぶん殴りたくなる。
 これは、検索したら同じような方が大勢いた。
『もう、無理。別居したい』
 先日は夜中にネットで耳栓を頼んだ。でも付けたら耳が痒くなり使えない。 

168 連れ合い 2

 若い頃、保険会社で事務をしていた。最初の2年は本社勤務。母が亡くなり、家事をしなければならなくなったので、近くの営業所に移動させてもらった。歩いて通える距離。
 
 クリスマスに営業所の外交員さんに、喫茶店で行われるパーティーに参加してくれ、と頼まれた。お得意さんの店なのだろう。最初は断った。前日も飲んで二日酔い……髪も洗わないで出勤したのだ。しかし、しつこく誘われて断れず……
 髪も服も気に入らない。紹介された男は無口。何を言われてきたのだろう? こちらも頼まれて参加したのだろうか? 
 当たり障りのない会話。声だけは低音で素敵だった。出身は、秋田……そこから話が弾んでしまった。秋田は父の故郷。おまけに私は行ってきたばかり。女友達と恐山から十和田湖、奥入瀬、父の実家に泊めてもらい、田沢湖……
 酒が入れば話が弾む。結局、続けて二日酔い。電話番号を教えた。

 父は同郷の娘の彼氏を紹介され喜んだ。家に連れてくると故郷の話をする。酔って同じ話を何度も。そして、同郷の娘の彼氏の実家に付いてきた。そこで、彼の叔母が父の従兄弟と一緒になっていることがわかった。

 縁があった。結婚した。いろいろあった。イヤなことは思い出さないほうがいい。穏やかに暮らしたいから。

 夫とは趣味がことごとく違う。夫は本を読めば眠くなる。クラシックは雑音だし。映画は最後まで観る前にほとんど寝ている。テレビは大好き。いつも点けている。見ているわけではない。独り暮らしをしていたから、点いていないと寂しいのだとか。
 私は観るときは真剣に観る。ほとんどiPadで観る。

 適温が違う。夫は寒がりだ。温度を上げられると私は半袖になる。夏は冷やしすぎる。姉夫婦もそうだ。温度が違うから食事の時間をずらす。姉は寒いのに窓を開けられる。義兄は靴下も履かない。姉は指先が紫色になるほど冷え性だ。

 最近では寄り添ってくる。私のためにビデオを撮っておいてくれる。好きそうな映画、クラシック、園芸、紅茶の淹れ方、アップルパイの作り方……
 ありがたいけどね。映画はすでに観ています。でも悪いから一緒に見る。吹き替えのカットだらけの……夫は眠る。クラシックも一緒に聴く。ありがたい。聴きたいわ。でも、あとでゆっくり見るから、と言うと夫はほっとする。アランフェス以外は雑音。

 夫は記念日には花を買ってきてくれる。結婚当初は生活が大変だったのだ。暖かいマンションで生花は日持ちしない。切り詰めているのに、いくらしたの? それを顔に出さないにようにした。
 私がランに興味を持つと、誕生日に花屋から大きな胡蝶蘭が届いた。大きすぎるでしょう? 狭い部屋なのに。今のように手頃な値段では買えなかった。夫のひと月分の小遣いくらい。40周年の今年は、私の好きな小ぶりのランにアンスリウム、アイビーの寄せ鉢。ありがとう。長持ちさせます。また咲かせます。
 でもね、わかっています。給料日間近になると、金がない、と言うでしょ。金がない。家庭に還元してるから……
 コンビニに寄れば私の好きなフルーツサンドを買ってきてくれる。小遣いの範囲で間に合わせてくれるのなら感謝しますが……少しは貯金すればいいのに。
 お金のことは1番の喧嘩の原因だから、言わないけどね。

169 女友達その後

 娘の女友達が亡くなった。まだ40才前だ。
 娘が彼女に最後に会ったのは、昨年のクリスマス前だった。娘の子ども達にプレゼントを持ってきてくれた。

 その時、異様だったという。
 太っていた。
 目が飛び出ていた。
 聞くと、健康診断の数値が悪かった。

 彼女は2度離婚して、もう男は懲り懲りだと聞いていたが同棲していた。
 誰もいない時に亡くなっていたらしい。
 地方にいる娘さんから電話が来たそうだ。

 娘は会いに行ってきた。


 23話に投稿した女友達が亡くなりました。


✳︎

 娘が小学校高学年の時に、同じクラスになったカンナ。
 いろいろ話は聞いていた。姓はすでに2度変わっていた。日中は母親の彼氏が部屋に来ているので、カンナは千円渡され外に出される。
 夕方まで帰ってくるな、と。

 雨の日には滑り台の下で雨宿り。
 そのうち、寂しさからか、仲良くなった女友達とべったり。何人かいたらしい。
 その頃はまだ携帯電話はない。家に何度もかかってくる。親はカンナをよくは思わない。母親は近くの飲み屋のママ。自分たちよりかなり年配だ。
 カンナはひとりの少女を独り占めし、家に上がり込み、親に嫌われ友達を渡り歩いた。

 ついに私の娘と親しくなった。
 カンナは運動神経がいい。娘は体操教室に通っていた。カンナもあとから入った。あとから入ったのにすぐに娘を超えた。
 行き帰りは教室の送り迎えのバスで一緒。帰って来てからも電話責め。切れたと思うとまたすぐにかかってきた。私はイライラして娘を叱った。手紙も毎日もらってくる。小さく折ったものが箱にたくさん。

 家にもよく来た。外で遊んでカカトを切ってきた。私は応急処置をし、家に帰した。
 おかあさんに、病院に連れて行ってもらった方がいい、と。
 翌日カンナはまた遊びにきた。素足でカカトは切れたまま。病院へは行っていなかった。そのあと膿んだので、ようやく連れて行った。
 歯科検診では娘は褒められたが、カンナはすでに歯周炎だった。

 娘は様子がおかしくなっていった。髪型、服装がカンナと同じになる。家庭科で作るものもそっくり同じ。
 電話責め。出ないと家に来る。娘は具合が悪くなった。微熱が出る。
 学校を休んだ。不登校。
 私は担任に相談に行った。担任の対応が良かったのか、悪かったのか、カンナは今度は娘の悪口を言いだした。しかし離れて行った。
 娘も弱いだけではなかった。数日休み保健室登校。他の女子と遊ぶようになった。女子は言った。
 私もカンナは嫌い!

 そのことは尾を引いた。娘は皆とは違う中学へ。
 陸上部に入り頑張っていた。
 大会でカンナと再会した娘は、また時々会うようになった。娘も強くなっていた。

 カンナは17歳でママになった。近くに住んでいた。金髪のロングヘアーでベビーカーを押していた。
 引っ越しして行き、旦那のために尽くしているようだった。
 娘が高校を卒業してしばらくした頃、カンナは覚醒剤で捕まった。離婚し子どもは祖母が、飲み屋のママが引き取った。
 カンナはその後、また別の男との間に子ができて結婚した。しかし再犯。

 娘に連絡してきた。娘は拘置所に何度か面会に行った。やがて遠くの刑務所に。
 手紙がきた。私はかかわって欲しくはなかったが。
 刑務所を出たあともカンナは地方で暮らした。絶望して首を吊ったこともあるという。首が紫色に……
 そして地元に戻ってきた。
 娘は結婚していた。
 誕生日にはカンナからプレゼントが届く。真面目に働いているらしい。

 母親のことは大嫌いらしい。子どもを育ててもらったが。母親はカンナに金を無心する。
 その母親も亡くなった。もうひとりの子は父親が育てている。会わせてはもらえない。

 娘とは知り合って30年近く経っていた。

✳︎
 
 私は最初は同情したが関わりたくなかった。
 私がどうにかできるような少女ではなかった。
 小学生ですでに私以上の悲しみを経験していただろう。

170 私事ですが

 施設のユニットの若い男性職員が近くに来て言った。
「私事なのですが……」

 ああ、辞めるのか……
 
 私はこの施設がオープンした時から8年も働いている。その間に何人も辞めていった。
 最初の優しいリーダーも、
「突然ごめんね」
と、やめる間際に私に言った。上に口止めされていた、と。
 このリーダーさんは、通勤にものすごく時間がかかった。施設長に引き抜かれたらしく、素敵な方だったが、時間通り帰れるわけではない。勤務時間の後は事務仕事。
 次々と職員が辞めていく。欠けた分は超勤になる。補充されればまた別の職員が辞めていく。いつまでたっても超勤はなくならない。
 そしてこのリーダーも疲れきって辞めていった。
 
 人手不足解消のためなのか、新人には家賃の補助が4年間ある。
 二十歳の女性はそれでも1年で辞めていった。ようやく仕事を覚えたのに長い休暇を取り来なくなった。

 去年異動してきたピュアな男性は、体重が50キロもないという。ひとり暮らしの身には辛いだろう。超勤も多いし、体力も精神力もなさそう……

 あ〜あ、あなたもか? 仕事やりやすかったのに。

「この度、結婚いたしました」
「え?」

 めでたい話は滅多にない。若くして、できちゃった結婚で、育休取った男性も復帰してすぐに辞めていった。
 ふたりめの子が生まれて、妻のために育休取った主任も辞めていった。
 男女共、結婚しない主義の方も多い。

「おめでとう」
 いろいろ聞いてしまった。
 住居の関係でまだ別居婚。できちゃったからではないらしい。
 お祝いを……

 もう何年も、誰かが退職しようが、成人式も、親が亡くなっても、なにもない。以前は少しずつお金を集めてなにかあげたのに……
 辞める人が多すぎて、もう、そういうことはやらない。
 たかだか2時間のパートの私が言うことではないが。
 
 結婚か。
 あなたは新婦△△さんを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓いますか?

 認知症になっても?

 隣のユニットのゲッケイジュさんは施設がオープンしたときからいらした方だ。ご主人は別の階に入居していて、ずいぶん前に亡くなった。
 入居時はご主人と同じユニットになるのを、かたくなに拒否したという。
 旦那様が亡くなったことは、わかっていたのだろうか?
 

 ああ、また隣のユニットの職員が辞めると言う。数ヶ月前異動してきたばかりだ。異動する前のユニットの情報では、かき回す人だから、気をつけろ、と。
 長く続けてる人は芯が強い。かき混ぜられはしなかったようだ。もう私は2時間の勤務だから、よく見えない。
 この職員は不注意から、アズサさんをベッドから転落させひどいあざを負わせた。それも原因なのだろうか?

 新人職員が独り立ちし、ようやく人数が足りてきたら、また……
 いつもこの繰り返し。

あれやこれや 161〜170

あれやこれや 161〜170

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-09

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 161 自分史
  2. 162 ポジティブ・シンキング
  3. 163 O君とカリンさん
  4. 164 音の風景
  5. 165 皆愛しい
  6. 166 いいお客様なのよ
  7. 167 連れ合い
  8. 168 連れ合い 2
  9. 169 女友達その後
  10. 170 私事ですが