騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第七章 芸術家の探求と一人の騎士の昔話
芸術家との戦いの続きです。
そしていよいよの『右腕』の前に、ちょっとした昔話です。
第七章 芸術家の探求と一人の騎士の昔話
彼女が生き物の体内に興味を持ったキッカケは食卓に並んだ魚だった。幼い頃、母親に教わりながら焼き魚の骨や内臓を取り除いた時、少女は生き物の身体には外見からは全く想像できないモノが詰まっている事を知り、興味を抱いた。
学校の図書館で「からだのしくみ」というようなタイトルの本を借りた少女は、自分の身体の中にいくつもの内臓が詰め込まれており、中には数メートルもあるモノが折りたたまれて入っている事などを知って驚いた。一体何がどうなれば自分の小さな身体にそれだけのモノが入るのか――本に描かれている絵を見ただけでは納得できない少女は実際に見てみたいと思ったが、小さな女の子が人体の内部を見る機会などそうそうなく、両親に「見たい」と言ったら気味悪がられた上でまだ早いと言われてしまった。
こうなったら自分で何とかするしかない。一番手っ取り早いのは自分の中身を見てみる事だが、それをするととても痛いという事をやろうとして理解した少女は、見せてくれそうな誰かを探し始める。
当然頭のおかしな子供と見られ、両親から叱られた少女は、ならとりあえず人間以外から始めようと考えた。魚の時もそうだったが、身体の中によくわからないモノが詰め込まれているのは他の動物も一緒――少女は近所の猫を捕まえ、工作用のハサミを思いっきり突き刺した。
死に物狂いで暴れる猫に身体中を引っかかれた少女だったが、お腹の中には内臓があるはずなのにその上こんなにたくさんの血も入っているなんてどういう事だろうかという好奇心が勝り、血の噴き出す穴からハサミを入れて切り進め、途中で息絶えた猫を見るも無残な状態にした時、彼女はかつてない感動を覚えていた。
この小さな身体のどこにこれだけの量が入っていたのかと思うほどに辺りと少女自身を真っ赤に染めた血。猫の可愛らしい外見からは想像もできないグロテスクな内臓の数々。そして一番奥には白い骨。この猫を形作っていた様々な要素を一つ一つ観察した少女は、生き物が見た目ではわからないほどたくさんの「何か」で出来ているのだという事をより深く理解した。
直後、少女の内にわき上がったのはこの感動を形にしたいという欲求。傷だらけな上に血塗れなな少女は大急ぎで家に帰り、両親からの質問や制止を振り切り、お絵かき用の画用紙に向かって一心不乱に絵を描いた。そうして出来上がった絵は少女のこれまでの人生の中で最上級に美しいモノとなり、少女はその絵を――狂気的な内容のそれを満面の笑みで抱きしめた。
後日、猫を惨殺した事とこれまでの奇怪な行動から少女は精神系の病院に入れられる事になったのだが、皮肉にもこの場所が少女の後の人生を決定づけてしまう。
何故ならその病院は一般の病院の隣に併設されており、大きな手術も行うそこは人体の中身を見るチャンスが豊富だったのだ。
隙を見て病室を抜け出し、手術の記録や医師が読む論文などに載っている写真を見て、時には手術室の天井裏に潜んで執刀を生で観察し、その度に少女は絵を描いた。
小さな女の子には不釣り合いな好奇心で動く少女は何度注意されてもやめる事はせず、少女の部屋は少女にとっての宝物、他の者からすれば狂気の産物で埋め尽くされていった。
そうして深刻な精神疾患であると結論づけられた少女は、治療の為にやって来た心に作用する魔法を使う医師との出会いで魔法というモノを知る。
狂気的なモノから魔法へ興味が移ったとし、これを少女を治療するキッカケと捉えた医師は魔法について色々な事を少女に教えた。勿論、何度も病室を抜け出す問題児である事を考慮してそういう事には使えない知識を教えていたのだが、医師は少女のイメージ力を甘く見ていた。
隔離された病室――言い換えればこれ以上ないほどに集中できる環境で教わった基礎から欲しい魔法へのイメージを積み上げ、練り上げ、洗練化させた少女はある日の夜、自身の病室がある階にいる患者や医師の腹部を切り開いた後、病院から出て行った。
適当な家に忍び込み、住人を皆殺しにして拠点とし、殺した住人をモデルに絵を描き、近所の者に怪しまれるようになったら別の家を探す。そんな事を繰り返す内に彫刻など他の表現方法も習得し、生み出した魔法も自然と磨かれ、最終的に周囲から怪しまれない形で適当な一家を乗っ取り、一人暮らしの学生さんとして何食わぬ顔で学校に通い始めた。
学校に通い出したのは乗っ取った家に引きこもるよりもそこで暮らしている人間の顔が周囲に分かる方が怪しまれる確率が下がるという経験から来るモノだったが、学校に行くようになって少女は学生という立場の利点に気がついた。
例えば誰かを尾行する場合、それをしているのが大人と子供とでは印象がまるで違う。追われている側が善良であるという前提があったとしたら、大人は間違いなく良からぬ事を企んでいると思われるが、子供であればせいぜいがいたずら程度に思われるだろう。学生は分類するならまだ子供側で、悪巧みしているとバレたとしても周囲が想像する悪行は高が知れるのである。
何より学生は制服を着ているだけでそうであると示すことができ、少女が題材とする人物を追いかけていようとも、いきなり騎士が飛んでくるという事はないのだ。
より思い通りに切る為にと編み出した「理想の彫刻刀」が空間を繋げるようになってから、少女は世界のあちこちで題材となる誰かを探すようになったのだが、その時には必ずその地域に合った制服を身につけるようにし、制服によって周囲の警戒が低くなった中で、放課後や休日に少女は日々芸術活動にいそしんだ。
しかし少女のこの作戦は早い段階で裏目に出る。というのも、少女が題材にした相手――即ち腹部を切り裂いて殺害してしまった誰かをそのままにして帰るモノだから、自然と「惨殺死体の近くにはいつも制服の少女が目撃されている」という情報が広まるようになったのだ。範囲が世界中とはいえ毎回同じ殺し方をしていた事で各国の騎士の情報交換により、気づけば少女は『シュナイデン』という二つ名の全世界指名手配の犯罪者となってしまっていた。
それでも少女は尽きない芸術の熱に押されて作品を創り続け、騎士に発見されるも身につけた魔法の異常さでこれを撃退、時に殺害し、遂にはS級犯罪者の仲間入りを果たしてしまった。
これまで戦闘の素人である少女を救ってくれたその異常な魔法も、追って来る相手が十二騎士などになってしまうと流石に厳しいものがある。どうしたものかと困っていた少女の前に、ある日『右腕』と名乗る人物が現れた。
ある事に協力してくれるなら騎士に追われる状況をかなり緩和できるという話だったが、自分をS級犯罪者と知って近づいて来るような相手が信用できるはずもないと少女は誘いを断った。だがその日から丸一か月、一度も騎士に遭遇せずに創作できた後でもう一度やって来た『右腕』の再度の勧誘に、少女は首を縦に振った。
こうして、少女同様に趣味を楽しんでいるだけなのに騎士に追われる羽目になった仲間たちの内の一人が命名したS級犯罪者グループ――『満開の芸術と愛を右腕に宿した人形が振るう刀』の一員となった少女は、定期的に『右腕』に協力しながら芸術を存分に楽しみ始めたのだが、不意に別の問題が生じた。
それはスランプと呼ぶべきなのか、これまで数え切れない人間の腹の中を見てきて毎回異なるインスピレーションを得ていた少女だったが、唐突に何も思い浮かばなくなってしまった。街中で吟味しているだけでは巡り合えないような人材――『奴隷公』と呼ばれる者が扱う希少な者たちを切り裂く事でどうにか解消されたように思えたが、それも段々と効果を失ってきているのを少女は感じている。
次の何か。今までに見た事のない何者か。動物と人とでは後者の方が圧倒的に複雑で美しい感動を与えてくれるので魔法生物などを対象にしても意味はない。こうなっては最期の希望――おとぎ話だと世界中の大半の者が思っている存在、魔人族を探すしかないと少女は決意した。
S級犯罪者として裏の情報をそれなりに耳にしていた少女は魔人族が実在する事を知っており、スピエルドルフという魔人族の国がある事も突き止めた。やっとの思いでその場所までたどり着いたが真っ黒な壁に入国を阻まれた少女は、最終手段を取る事にした。
種族として人間よりも上位に位置する魔人族は基本的に人間に興味がない。自分たちを脅かし得る強者をそれなりに警戒する程度なのだが、それとは別にほんの一握りの人間とだけ彼らは友好的な関係を築いている。それが誰なのかは本人ぐらいしか知らないのだが、一人だけスピエルドルフとの繋がりを持っているという事が騎士の世界の上層部では有名な人物がいた。それが十二騎士の一人、《オウガスト》ことフィリウスである。
魔人族の国と繋がりを持ちたい国や組織は多く、フィリウスに接触してきた者も少なくない。だがそれら全てにフィリウスは同じ答えを返している。自分は魔人族らと仲良くしてもらっているだけで、影響力は持っていない。国交やら取引やらの話を自分が持っていたところで彼らが耳を傾けるわけではない。即ち、彼らの中における自分の価値はそれほど高くないというのだ。
交渉的な何かをしたい者たちからすればそれは良くない情報だが、少女にとってはどうでもいい事である。あの黒い壁を抜けられる権限を持っている、それだけで少女にとってのフィリウスの価値は破格のモノであるからだ。
しかし相手は十二騎士。前述の通り戦闘技術を大して持たない少女が暴力で従わせる事は現実的でなく、弱みを握るなどのからめ手も結局のところ相応の強さが無ければ強引に押し切られる可能性があるし、フィリウスという男は割とそういうタイプだ。再度壁にぶつかった少女だったが、ここで面白い事態が起きる。少女とその仲間たちの事実上のリーダーである『右腕』がフィリウスを倒すと言ったのだ。
少女が所属するこのチームが出来上がった理由――それぞれが趣味に没頭できるように融通を聞かせてくれるとある仕組みがフィリウスと仲の良い魔人族によって攻略される可能性が出てきてしまった故の仕方のない対応ではあったが、少女は内心ガッツポーズをしていた。少女以外の面々は戦闘能力がかなり高く、フィリウスを打倒できる可能性は充分ある。上手に状況を利用すればスピエルドルフへの案内を要求するチャンスもあるはず――そう考えた少女は機会を伺い、そして今、その時を目前にしていた。
「――ロイド・サードニクスをわたしにちょうだい。」
誰の目にも明らかなほど怒りを露わにしているフィリウスと、それ前にして笑顔でそう言った『シュナイデン』。人質となっているラァバからすると数十分ほどに感じた両者の短い沈黙を破ったのはフィリウスだった。
「何度も言っているんだが、俺様はスピエルドルフに要求できる立場にない。大将――ロイド・サードニクスが俺様の弟子であるならスピエルドルフとの繋がりを持っているだろうという推測が起きるのは自然な事だが、弟子が師匠の立場を超えるとでも?」
「残念だけどそれが嘘だってことは知ってるんだよね。ここ最近、ロイド・サードニクスが巻き込まれた事件には毎度魔人族からの助力がある。言うほどスピエルドルフにとって師匠と弟子の価値が低いとは思えないんだよね。さっき言ったようにそれがどれくらいのモノなのかはわからないけど、少なくともスピエルドルフのトップが動くレベルではあるんでしょう? 価値が上がったのか……もしくは弟子の価値だけが高いのか。」
「その情報をどこから得たのか知らないが、であればもう少し考えるべきだしそもそもが間違っている。」
「間違い?」
「相手にとって重要なモノを害されたくなければ言う通りにしろという脅しは相手に一切手出しできない状況を作って初めて成立するものだ。お前は人間を遥かに超える力を持つ連中から人質とした俺様の弟子をどうやって「守る」つもりなんだ? 例えお前にしか解除できない呪いやらお前から離れると起爆する爆弾やらを俺様の弟子に仕込んだとしても、その全てはお前の理解を超える力で無効化される。四六時中喉元に指を突き付けていようとも瞬きの間に奪還されるし、お前しか知らない場所に監禁しようとも瞬殺したお前の頭を開いて情報を抜き取る。どんな策を用意しようとその全てを上回ると断言するが、どうするつもりなんだ?」
「それは――」
フィリウスの仲間を人質にしてフィリウスに要求を飲ませる事はおそらくできる。自身の手元にロイド・サードニクスを置くところまでは実現できるだろう。
だがその後――ロイド・サードニクスを利用してスピエルドルフに芸術の為の題材を要求する事は可能なのか。それはさすがにと魔人族の力を警戒し、黒い壁の内側に入る手引きだけをロイド・サードニクスにしてもらったとしてもその後はどうか。
フィリウスが言っている事はおそらくハッタリではない。一人の魔人族によって世界屈指の騎士団が壊滅させられた事件も過去にはあるし、ロイド・サードニクスを手助けしたと思われる魔人族らにも相応の力があったからこそ、騎士の卵である学生が素晴らしい結果を残せている。
魔人族の強さ――何となくの認識だったそれが自身に向けられると理解した『シュナイデン』は――
「――言われてみればそうだね。どうしようかな。」
――と、間の抜けた答えを返した。一瞬場の空気も緩んだが、『シュナイデン』は再度笑顔を浮かべる。
「でもまぁ、それはあとで考えるよ。ロイド・サードニクスを手に入れたらいいアイデアが浮かぶかもしれないでしょう? そういうモノって思わぬところにあるモノだから。」
説得とも脅しともとれる状況説明にもさして動じない『シュナイデン』にピクリと眉を動かしたフィリウスが次の行動に移る前に――
「そこで諦めておけば良かったものを。」
大剣を抜いたフィリウス、人質のラァバ、脅しをかける『シュナイデン』の三人からほんの二メートルほどの距離に、腕組みをして立っている者がそう呟いた。
「余計な手間が増えるわ……」
仰々しい軍服に身を包む、声色からすると女性のようだが人間でない。鷹か鷲か、かなりカッコイイ部類の鳥の頭部に背中から生えた巨大な翼。田舎者の青年の恋人に言わせれば鳥人間――夜の国スピエルドルフがレギオンマスターの一人、ヒュブリス・グライフがそこにいた。
「ヒュブリス? なんでお前がここにいる。」
「強いて言えば偶然よ。」
――と、ヒュブリスが言うと同時に『シュナイデン』の姿が消えてかなり遠くにある建物の壁の一部が爆発した。
「少し前にフルトが外に出る用事があったのだけど、その時にあなたが結構面倒な状況になってるってわかったのよ。あなたさっき自分はスピエルドルフに対して影響力が無いみたいに言ってたけど、今となってはそうでもないのよ? 何せ「師匠」なのだから、初めて会った時よりは遥かに価値が高いわ。」
自分の首に押し当てられていた『シュナイデン』の指が無くなり、そもそも『シュナイデン』が自身の背後から消えていることにようやく気がついたラァバは、唐突に現れた鳥人間がしゃべり出してからフィリウスの殺気がおさまっている事にも気がつき、安堵すると共に何が起きたのかを把握しようと、とりあえず消えた『シュナイデン』を探す。
「そうか、大将に感謝だな!」
「まぁ、この前姫様が神の国に行った事がキッカケみたいだからっていうのもあるけど、それでもお祝いの準備で暇な時間が出来なければここに来る予定はあんまりなかったわよ。」
「お祝い?」
「スピエルドルフにおいて歴史的な事が起きたのよ。空き時間とは言え祭に遅れたくはないから早々に片付けたいんだけど、アレを壊せばいいのかしら?」
「壊す?」
フィリウスが眉をひそめる表現をしてヒュブリスが指差したのは小さな爆発が起きた建物。それを見たラァバは何が起きたのかを理解する。信じられない事ではあるが、状況から考えて……ヒュブリスは会話しながら何らかの方法で『シュナイデン』を遥か遠方のビルまでふっ飛ばしたのだ。風の魔法か、それとも手足やその大きな翼を使った攻撃か、何が行われたのか一切わからないがとんでもない威力の一撃が知らぬ間に放たれたのだ。
「だっはっは! まぁ、俺様が抱えている問題事の解決を手伝うというなら黒幕との一戦まで来て欲しいところだが、今だけと言うならその通りだ! 正直強力というか異常な魔法に困ってるところでな!」
「あなたの一撃なら壊せるわよ、あんなの。そもそも――」
「ああああああああああああああっ!」
叫び声――というよりは歓喜の雄叫びのようなモノが響き、全員の視線が声の主に向く。
「魔人族! 本物でしょ!? こんな事なら直接来るんだったよ! 一枚多い感覚越しじゃあちゃんと感じられないんだけど――でも、これをお預けなんてできない……!!」
いつの間にか、フィリウスたちから少し離れた場所に戻ってきていた『シュナイデン』に先ほどまでのニッコリとした笑顔はなく、欲しくてたまらないモノを目の前にした狂人の顔を見せていた。
「……なによこれ。」
「お前たちに興味津々な芸術家だ!」
フィリウスの紹介と同時に一般人の一般的な速さで走り出す『シュナイデン』。動きも完全な素人だが、あらゆる攻撃が通用しない上に指先に一撃必殺に近い斬れ味を宿している事でどうしようもない強敵として立ちはだかるそのS級犯罪者に対してヒュブリスは――
「ああ、こっちに戻って来る為に一回魔法を解除したのね。」
と言いながら蹴りを放つ姿勢に……なったと思ったら『シュナイデン』が真横にふっ飛んだ。
「え……?」
間近で、さっきとは違いかなり注意して見ていたラァバは、先ほど自分が全く認識できなかったヒュブリスの攻撃がなんだったのかを理解して驚愕した。
それはあまりに速い蹴り。蹴りの姿勢になった瞬間に『シュナイデン』が蹴り飛ばされたと思ったが、正しく言うとラァバが「蹴りの姿勢」と思ったそれは「蹴った後の姿勢」であり、攻撃の始まりと終わりが同時と思うほどの超高速。魔人族なのだからその通りだが、人間技ではない。
「すごいね! これを壊されたのは初めてだよ!」
十メートル近くふっ飛んで転がった後、まるでダメージが入っていないようにシュバッと立ち上がった『シュナイデン』だったが、割れた花瓶のように頭部の右側が欠け、本来であれば頭蓋骨や脳があるべき場所は何もない空洞となっていた。
「人間にしては……というか癪だけど、魔人族にだってそのレベルのイメージを魔法に付与できる者はそういないわ。人間の眼には本物にしか見えないでしょうし、その上破壊出来ないと思ってしまうほどの魔法強度。フィリウスの魔法みたいに仕組みを無視した強力な一撃じゃないとどうしようもない魔法ね。」
「たった今蹴りの一発で壊したみたいだがな!」
「人間なら、っていう話よ。魔人族の、わたしみたいに戦い慣れている者なら魔力の流れから脆い部分を見抜く事はできるわ。それでも最初の一発だけじゃヒビ一つ入れられなかったのだけど、飛ばされたあっちからこっちに戻る為に一回魔法を解いてその辺で再展開させたみたいで、魔法の仕上がりが少し荒くなったわ。それでご覧の通りよ。」
「だっはっは、流れを読まないとダメなタイプか! ベローズなら攻略できてたかもしれんが、まさか偽物だったとはな!」
「何をイメージしたのか知らないけど、「自分の身体」をもう一つ作ったというよりは「自分の姿」を忠実に再現したって感じね。何にせよ遠隔操作で本人はあっちの方にいるみたいだけど……さっき言ったようにあんまり時間をかけたくないから、手伝うのはあれの破壊までよ。」
「そいつは残念だが、それだけでも感謝だな!」
フィリウスから魔人族――スピエルドルフの者たちについてある程度聞いていたラァバではあったが、二人の会話からこの鳥人間の根本的な考え方を垣間見て息を飲む。
彼女がここに来たのは「たまたま知り合いのフィリウスがピンチだと知り」、そして今というタイミングに「たまたま時間があった」からに過ぎない。騎士たちのようにS級犯罪者を見逃せないわけではないし、戦いが始まってから今まで『シュナイデン』の攻撃で少なくない一般人が殺された事にも関心が無い。
何故ならフィリウスとの会話の最中、チラリと自身に向けられた視線にラァバは何も感じる事が出来なかった。人質となっていた身を案じるでも、フィリウスの仲間に対する興味でも、その独特な服装でも、視線を送るからには欠片でも興味があるはずなのだがそこには何もなかった。
どこかの綺麗な街並みを眺める時、全体的な美しさは眺めてもそこに並ぶ建物の一つ一つを注視する事はないように、風景の一部程度の認識しかない熱のない視線。話しかけても返事が返って来るとは到底思えないし、何なら魔人族でも難しいと評した魔法を使う『シュナイデン』の方に興味があるだろう。
ついさっきまでこの場にあった絶望的な状況を一瞬でひっくり返すほどの強者に一切興味を持たれていない――弱肉強食の世界で強者から捕食対象とされない事を喜ぶような、そんな奇妙な感情をラァバは覚えていた。
「あっはは、流石だよね。わたしのこれを見破られたのも初めてだよ。」
ラァバの攻撃が一切通らなかった無敵っぷりを二発の蹴りで覆された『シュナイデン』なのだがもはや彼女の思考はそこになく、狂気の混じった眼はただただヒュブリスの全身をなめるように見つめていた。
「いきなりの登場だから卑怯なもてなしもできないし、普通に挑んで勝てるわけもないんだけど、それでもせめて……血の一滴くらいは見せて欲しいかな!」
そう言った『シュナイデン』は、数多くの戦いを通して多種多様な使い手をたくさん見てきたフィリウスが「なんだありゃ」と思わず口にするような奇怪な動きで走り出した。
例えるなら、一歩進んだ『シュナイデン』の姿を写真に撮り、もう一歩進んだら再度写真を撮り、更に一歩、加えて一歩と撮影してできた写真の束をパラパラ漫画のように素早くめくった時に現れる動き。一歩と一歩の間の写真が無い事で動作と動作が微妙に繋がっておらず、奇妙なダンスを踊っているようにも見えるそれを実際に行いながら、しかし先ほどまでの一般人の一般的なダッシュを遥かに超える速度でヒュブリスに迫った『シュナイデン』は、「理想の彫刻刀」をまとった手をこれまた出来の悪いパラパラ漫画のような動きで、だがそれ故に超速で振り回す。
「変な使い方するのねぇ。」
そんな、見た目はコメディだが驚異的な反応速度が無ければ対応できない猛攻を、同等――もしくはそれ以上の速度で叩き、そらしていくヒュブリス。そんな両者を前にフィリウスは難しい顔をし、ラァバは押さえている傷口の痛みもどこかに言ってしまったかのようにポカンと口を開けていた。
「ど、どういう魔法なのかしら、あれは……時折見せていた素早い動きを連続で行っているという感じだけど、なんであんな――」
「気持ち悪い動きになってるんだって話だな! あんだけ動けるなら最初から最後まであの速度でいりゃあいいのに一つの動作の度に毎回止まる! あれが『シュナイデン』の偽物っつーか本体じゃないってところが関係してるんだろうが、ヘンテコなことこの上ない! 腕大丈夫か!」
「とりあえず痛みは殺してるわ……あれが『シュナイデン』の魔法で作られたというなら、本人が言っていた指先を美術道具に変身させるというのも小細工の一つで嘘なのかもしれないわね。そもそも絵の具の攻撃の時点で彼女は絵の具を生み出していたわけだし……」
「絵の具じゃなくて絵の具が入ってるチューブをイメージしてるのかもしれないぞ! 理想の絵の具チューブなら中身は無限だろうし、出てくる絵の具が『シュナイデン』の言ってた性質を持ってるのは当然だろう!」
「そういう応用はあるかもしれないけれど、それでもあの偽物はルールにおさまらないわ……正しくは変身じゃなくて生み出す魔法なんじゃないかしら。」
「理想の道具をポンポン生み出す魔法なんざ怖すぎるが、結局あの偽物も理想の美術道具の一つってわけだな!」
「ええ……さっきあの魔人族が言っていた「自分の身体」じゃなくて「自分の姿」っていう話……芸術家が自分の姿――いえ、もっと広く捉えて等身大の人型を欲しがるとしたらそれってつまり「モデル」なんじゃないかしら。」
「モデルか! なるほど、それはあるかもしれないな! 芸術家でなくてもモデルに求められる性質なんてのは有名な話で、それはずばり「動かないこと」だろうからな!」
「! そういえばそうね……誰かが絵のモデルをするとして、絵を描いてる間は指定されたポーズのまま動かない事が大事なはずで……モデルをする側からすれば「動かないこと」なんでしょうけど、絵を描く側が根本的に求めているのは……そう、「変化しないこと」だわ……!」
「「理想のモデル」は変化しない! 絵を描く側――即ち『シュナイデン』の意思でポーズを変える事はあっても本人が意図しない変化は否定する! お前の攻撃で髪の毛一本も動かなかったのはそういう事だったんだな!」
「間接的な影響で転んだりはするみたいだけどダメージだけは絶対に入らない。加えて今リーダーが言ったようにモデルはポーズを取るもの……つまりあの超速の動きはポーズを取ってたって事なのね。」
「「理想のモデル」なら指定されたポーズも一瞬でってか! あの気持ち悪い動きはポーズの連続だったわけ――」
ゾンッ!
フィリウスの言葉を遮る何かが削がれたような音で『シュナイデン』の魔法について考察していた二人の目線が戦闘の方へ戻る。『シュナイデン』――が魔法で生みだした「理想のモデル」と思しき身体は、頭部の右側に加えて上半身の左半分がゴッソリと消し飛んでいた。
「あっは、こっちの攻撃が一発も入らなかったよ。これでもそこそこ強い騎士とかを倒した事あったんだけどな。」
「いくら速くてもそんなに単調じゃ意味ないわよ。」
――というヒュブリスの言葉を最後に、『シュナイデン』の身体はいつの間にか突き出されたヒュブリスの脚によって完全に消し飛んだ。
「……ちなみにだけどリーダー、あの魔人族の方の魔法は一体……」
「ヒュブリスか? あんなデカい翼があるから風系の使い手かと思いきや、あいつは第三の光と第六の闇を合わせた魔法を使う! めちゃくちゃ重たくした脚をめちゃくちゃな速度で蹴り出す! 行っちまえば風を重くするエリンの上位互換だな!」
「超重量を超速で……それであの威力……」
そう言いながらヒュブリス――ではなく、突き出された足先の更に先へと視線を向けるラァバ。おそらく『シュナイデン』を消し飛ばした蹴りの余波なのだろうが……かなり離れたところにある後方のビルに、高出力のビームでも撃ち込まれたかのような綺麗な穴がぽっかりと空いていた。
「だっはっは! 周りの連中を避難させておいて良かった! 人がいたとしてもヒュブリスは攻撃を止めないだろうからな!」
笑いながらではあるがフィリウスが言った、おそらくその通りであろう事実にラァバは再度息を飲む。
「はぁ、終わった終わった。わたしはこれで帰るわよ……」
凶悪なS級犯罪者の撃退を雑事のように扱いながらググッと伸びをするヒュブリスに、フィリウスはニヤリとした笑みを向ける。
「ちなみにあいつ、大将に興味津々だったが本体を叩かなくていいのか!? 場所はわかっているんだろう!」
「無駄な煽りよ、フィリウス。決して実害が出るような事にはしないけど、だからって悪巧みしただけで消していたらキリがないわ。成長につながる機会を奪ってはいけないというのも姫様の考えよ。それに言ったでしょ、たまたまが重なって来ただけだって。人間にしては密度のある魔法だったし、本体から伸びてる魔力の流れにわたしの魔力を逆流させておいたからしばらく戦闘は無理なはず――最低限の手助けはしたわ。あとは十二騎士に仕事をして欲しいわね。」
「だっはっは! それを言われると痛いな!」
「というか……」
いつものように豪快に笑うフィリウスに不意に近づいたヒュブリスは、大男と表現していい体躯のフィリウスを超える長身からその鋭い眼光をフィリウスに降ろす。
「さっきの状況、わたしが来なかったらどうするつもりだったのかしら? さっきも言ったようにあなたの魔法ならあんな人形は破壊できたけど、そこの人質ごと消し飛ばす覚悟はあった? 同じような事がもう一度あった時、あんな有様を再演するなんてことはないわよね?」
それが自分に向けられていたら、果たして息が出来ていただろうかと思うほどの圧を含んだ視線にラァバは緊張した表情になったが、フィリウスは相変わらず笑っていた。
「だっはっは、問題ない! お前が来たおかげであっさり片が付いたが解決策はあった! それに今回の騒動は次が最後! 手間をかけることはないぞ!」
「それならいいわ。じゃああとはよろしく。」
パッと圧が解かれ、そんな言葉を最後にヒュブリスの姿が一瞬で消える。今のやり取りに頭がついていかないラァバが目をパチクリさせていると――
「……生きた心地がしなかったな……」
ラァバが人質になった辺りからフィリウスから離れて姿を消していたカルサイトがソロソロと現れる。
「おお、カルサイト! ヒュブリスにはああ言ったが実際上手くいきそうだったか!」
「……ああいう、イメージ全振りで理論理屈が欠片もない手合いの魔法は突拍子もないが入口さえ見極められれば筋が一本通っているからな……小難しい術者よりは楽だったが……それでもあと四、五分は必要だったな……『シュナイデン』はカンのいい方には見えなかったが、場合によっては危なかっただろう……」
「なるほど……さすがリーダー、カルサイトに『シュナイデン』の魔法の解析をさせて、その為の時間稼ぎをしていたわけね……」
「……どうしたラァバ、いつもの勢いがないな……まぁ、『シュナイデン』が赤子に見える怪物に気圧されるのはわかるがな……あの鳥人間……人間を行動の勘定に全く入れていないような者があんな常軌を逸した力を持っている……久しぶりに死の恐怖を感じたぞ……」
「だっはっは! 勘定に入れないからこそちょっかいも出さないってな! 上手な付き合いが大切だ!」
「……お前はあの鳥人間の魔法をキチンと理解していないからそんな風なのだ……第六で重さを増加させて第三で速度を出す……あれはそんな単純なモノじゃない……足先に集中させた超重力に光の性質を縫い込んで生み出した限定空間を――」
「何度も言うが、小難しい事を俺様に言っても五秒後には忘れるぞ! 滅茶苦茶速くてとんでもない威力! それだけわかっていれば問題ない!」
「……脳筋め……」
「それで……リーダー! 近く――なのかよくわからないけれど、『シュナイデン』の本体はどうするのかしら!」
「とっくに逃げてるだろうし、そもそもあの魔法効果範囲とヒュブリスの知覚範囲からして俺様たちが想像している距離の数倍遠方にいると思った方がいい! 追跡は無理だろう!」
「……鳥人間が言った……いや、随分あっさりと言ってくれたが、魔力を逆流させたというのが事実であれば『シュナイデン』が受けた魔法負荷はかなりのモノのはず……しばらくは身を隠す事に全力でそれが精いっぱいになるだろう……『右腕』率いるS級犯罪者軍団は一先ず全員戦闘不能にできた事になる……」
「おう! 残るはあいつだけだ!」
豪快な笑みを浮かべてそう言ったフィリウスだったが、どこか遠くを見るその目は一切笑っておらず、ラァバはこの短い間で何度目になるのかわからない息を飲んだ。
「いたたた……」
誰もいない部屋の真ん中、何もない空間に十字の切れ込みが入り、内側からお腹を押さえてよろよろと出てきた女――『シュナイデン』は部屋に設置されているベッドにそのまま倒れ込んだ。
「わたしのモデルが壊され時に何か……良くないエネルギーみたいのが流れ込んできて……うぅ、今度は脚が痛い……」
今にもトイレに駆け込みそうな顔でお腹を押さえていた『シュナイデン』は、今度は脚をツッた時のように片脚を抱えて痛みに耐える。
「何だか前にこんな技を使う騎士がいたような気がするなぁ……マナをいじって魔力を暴走させるとか何とか……あれに似てる――いたたた!」
今度は顔に痛みが来たのか、顔を押さえてジタバタする『シュナイデン』はベッドの上に置いてあった巨大なクマのぬいぐるみにそのまま顔をうずめた。
「――っ……でもこれでわたしたちはみんな負けちゃったんだよね……あとはダンディに勝ってもらわないとだけど、なんだかダメそうな気配がするよね……あの魔人族がもう一回出て来たりしたらそれでお終いだもん……」
次はどこが痛いのか、クマのぬいぐるみを羽交い絞めにしながら深呼吸を繰り返す『シュナイデン』は、ちらりと横を――もう一つあるベッドの方を見た。
「それでも欲しいモノは目の前に来てる……今までみたいに安全は得られなくなるかもだけど、上手に動けば手が届く……この痛みをどうにかさせてチャンスを待つ……我慢するんだよ、わたし……!」
むくりと起き上がった『シュナイデン』はクマのぬいぐるみを抱いたまま、苦しそうながらもニヤリと笑みを浮かべる。
「今が冬休みで良かったよー。」
「『シュナイデン』まで負けるとは……十二騎士の援軍はともかく魔人族の助っ人は反則だぞ、フィリウス……!」
フィリウスたちが『シュナイデン』と一戦を交えていた街からは国すらも違う遠方にあるとある屋敷の一室にて、天井に映し出された映像を床に寝転がって見ながら額に手を置いて「やれやれ」とため息をつきつつ、がっしりとしたたくましい身体を紳士的な服装で覆う整えられた金色の髭と髪が特徴的な男がそう呟いた。
「『好色狂』のパスチム・アカハとクレイン・アカハは『ムーンナイツ』の方は倒してたけど普通に戦って負けて、『パペッティア』のカルロ・チリエージャは《ディセンバ》と《エイプリル》の手助けが入って負けて、『無刃』の座衛門刀次郎正宗は『ムーンナイツ』との連携に負けて……結果だけ見ると綺麗に連敗しちゃったわね?」
男と同様に寝転がっているが広がるローブと胸の辺りに置いた三角帽子以外は何も身につけていない女が勝敗を羅列すると、男はむくりと上体を起こす。
「中身を見てもフィリウスにアレを使わせた『好色狂』の夫婦ぐらいしかいい仕事をしていないというのも想定外……数字はたまったがもう少し追い込んで欲しかったところだぞ……」
「いい友達を持ってるというか悪運というか、リグが出る事になるなんてあの男、色んな意味で強いわよね?」
男――S級犯罪者『右腕』ことリグ・アルムを名前で呼びながらフィリウスに対する感想を述べた女だったが、『正しくあれば「あの男」という呼称は使わないはず』という点に表現し難い顔を浮かべた『右腕』は、十二騎士の《オウガスト》ことフィリウスとの戦い――いや、決着を目前に、自然と昔の事を思い出していた。
それは騎士を目指す者の間では珍しくもなく、しかして誰もがそれを望まない物語。
騎士の学校にあるトレーニング施設で知り合い、親しくなった若き騎士の卵たち。一人は同年代はおろか現役の騎士の中にもこれほどの筋肉の持ち主はいないだろうという筋骨隆々とした体躯が目立つ男子。持ち前のパワーでガンガンに攻めるタイプだったのだが友人の一言でスタイルを変更した結果、卒業を目前にした現在、名実ともに学校最強と言われている。
もう一人はそんな彼に助言をし、更なる高みへ導いた友人その人。フィリウスと比較してしまうと見劣りするが充分に仕上がった肉体を持ち、名のある家の出身なのか姿勢や所作が紳士のように優雅で金色の髪を美しく整えている男子。筋骨隆々とした男が圧倒的過ぎて目立ちはしないが、学生のレベルは既に超えた強さを持っているナンバーツー。
そして最後にもう一人、施設で汗を流す二人の男子を暑苦しそうに眺める女子。昔の魔女のように大きなローブと大きな三角帽子を見にまとい、コスプレかとささやかれるも学内ランキングを男女で分けたなら女子の頂点に立つ、身体能力はそこそこだが数十年に一人の逸材と言われるほどの魔法技術で唯一の魔術を操る天才。
筋骨隆々とした男子の名はフィリウス。紳士然とした金髪の男子の名はリグ・アルム。天才魔法使いである女子の名はアン・リーフ。その実力からそれぞれに軍や騎士団から声がかかっており、贅沢な悩みではあるがどこに所属するべきか、もしくはゼロから始めていくのか、そんな事を考えている頃だった。
先に断っておくと、男二人と女一人による三角関係は存在しない。フィリウスとリグがトレーニング施設で知り合う以前からリグとアンは恋仲にあり、フィリウスは女子にモテたいという願望はあっても特定の誰かと結ばれる事は考えていなかったからだ。
堂々と「俺様はモテる為に騎士になった!」と大声で話すフィリウスをアンは面白いバカと評し、リグを通して二人も親しくなった事でこの三人は「いつもの面子」となっていた。
卒業後の進路について、三人で騎士団を立ち上げるなどのアイデアも出ていた頃、多くの騎士学校が実施している卒業前のイベントが行われた。それはいわゆる「実戦」で、これまでの「訓練」にあったような現役の騎士と一緒に何かの任務をこなすのではなく、騎士団や軍に来ている様々な依頼から自分たちに合った任務を選んで自分たちだけでこなすというモノ。あまりに実力とかけ離れている任務を選ばない限りは学校側は何も言わず、表現を変えれば致命的な選択ミスだけを防いでくれる、初めての騎士としての仕事。
これはどの騎士学校も数値として包み隠さず出している事だが、卒業前に生徒が命を落とす確率が最も高いのがこの時である。学校側が実力に見合った任務であると判断しようと、実戦の中でその「実力」を発揮できるかはわからないからだ。
このイベントはほとんどを生徒任せにしている為、個人かチームかというのも自由である。当然ながら大多数の生徒は学内でも強者として有名な生徒を仲間に加えて挑みたいわけだが、フィリウスら三人は三人でチームを組んでしまい、多くの生徒をガッカリさせた。
しかし、周囲がさぞや高難易度の任務に行くのだろうと予想していた三人が選んだのはとある街へ迫る魔法生物の侵攻を他の多くの騎士団と共に迎え撃つという合同任務。前述したような生徒が仲間を得られなかった時に強い仲間を求めて受けるような部類だった。
「だっはっは! さすがの俺様もA級の悪党やAランクの魔法生物に勝てるとは思ってないが、Cランクの群れを相手にする任務を選ぶとはな!」
「我輩も、このメンバーならBぐらいは行けるだろうと思っているぞ? だがこのタイミングでこういう任務があるならこれ一択だぞ。」
「また小難しい事考えてるのね?」
「言うほどの事じゃないぞ。学校という施設の都合上、対人は数多く経験するが対魔法生物となると数えるほどしかないだろう? 加えて、我輩らの学校に限らず毎年この時期は騎士学校から新米一歩手前の騎士見習いが初めての実戦に赴くという事は周知。勿論面倒なお荷物だと思う者もいるだろうが、次代の騎士をキチンと育てなければと考えてくれる先達もいる。今回のように多くの騎士が参加する大規模な任務ならば、慣れない魔法生物との戦闘について……いや、それ以外にももっと多くの事を現役の騎士たちから学べるはずだぞ。」
リグの予想通り、Cランクとはいえ学校ではまず経験できない凄まじい数の相手との戦闘経験と、周りの騎士たちが見せる連携は三人に様々な気づきを与えてくれた。特に、自分たちを過大評価するわけでも驕るわけでもなく冷静に考えて、三人よりも弱いと判断できる騎士らが三人よりも遥かに大きな戦果を挙げている事を知り、自分たちが独り立ちするというのは時期尚早ではないかと考えるようになった。
多くの騎士が参加するという事は三人の実力が騎士たちに広がりやすいという事でもあり、騎士団からの勧誘が増えた中で、三人は「ここならば」と思える騎士団に巡り合った。
騎士団というと有名なのが六大騎士団で、これらは同じ系統の使い手が集まったチームであるわけだが、三人が目を付けた団は真逆のタイプ。個々人で出来る事がバラバラで、だがそれ故に様々な状況に対応する連携を持っている騎士団であり、受ける依頼も多岐にわたっていた。仲間との連携を学べる上に多くの経験を積める――三人はその騎士団への入団を決めた。
旅商人たちの護衛や小さな村の防衛。学校で教わるはずもない卑怯卑劣な手を使う悪党との戦闘。人間が使う魔法とはレベルが違う大魔法を連発してくる高ランクの魔法生物の討伐。修羅場と呼べる場面にも何度か遭遇するような濃密な騎士生活を送ること半年。めきめきと力をつけていく三人のもとに一つの知らせが届いた。
「学生狩りだぁ!?」
「正確に言うなら新人狩りなのだろうが、対象が騎士学校を卒業したばかりの新米ばかりだからそう呼ばれているそうだぞ。」
「あ、それ聞いた事あるわ。定期的にっていうか悪党側の気まぐれっていうか、卒業して頭角を現してきた騎士を成長し切る前に始末しようっていうあれでしょ?」
正義の味方の代名詞たる騎士たちが力をつけていくというのは悪党にとって面白くないどころか死活問題。既に存在してしまっている十二騎士のような厄介極まる騎士はともかくとして、将来そういう騎士の一人になるかもしれない有望な騎士は、今であれば倒す事ができる。いわゆる芽を摘むという行為が度々起こるのである。
「勿論悪党側も世界中の騎士学校を監視してるわけじゃないから、確率的にそういう騎士を見つけやすい任務をこっそり覗いて目星をつけるそうだぞ。」
「! まさか卒業前に参加した侵攻戦がそれだったってのか!」
「どうやらな。学校に関わらず、あれに参加した我輩たちと同期にあたる騎士たちが既に何人も命を奪われているようだぞ。」
「まじか! あ、いやちょっと待て、あれから半年経ってるんだぞ!? 言っちゃなんだが行動に移すのが遅すぎるだろ!」
「こういう事が起こるというのは騎士の間ではよく知られている事だから、新人を迎えた騎士団はかなり警戒する。思えば初めの頃は常に我輩たちの傍に団員の誰かがいたぞ。」
「言われてみればそうね。つまりそういう警戒が薄れてくるのが今の時期って事なのね?」
「さっき団長にも話したが経験した事あるような苦い顔をしていたぞ。他の団員たちとなるべく一緒にいるようにとも言われたぞ。」
「迷惑かけちまうな! ったく、悪党ってのはどうしてこう悪党なんだかな!」
卒業時点と比べると遥かに強くなっている三人だが卒業してからまだ一年も経っていない新米騎士。仲間の騎士たちと警戒を続ける日々の中……来なくても良かったその時が来てしまった。
「なるほど、私が呼ばれるわけだわ。」
とある任務の帰り道。既に暗くなっているのだが目と鼻の先に街があるのでそこまで行ってしまおうと馬車を走らせていた一行。荷台に座って他の団員たちと話していたはずのフィリウスらは次の瞬間、森の中にある倒れた木の上に腰かけていた。
「――!」
馬車も他の団員も消え、フィリウス、リグ、アンの三人しかその場にいないという状況に驚きつつも、しかしこれが警戒していた襲撃であると察した三人はすぐさま戦闘態勢をとって先ほど聞こえてきた声の方へと視線を向ける。
「国王軍で例えるならギリギリセラームに届かないスローンの一団というところだけどキミたちの実力はちょっと違うし、私のカンだとキミたち三人はエグいくらい強くなる。今回の依頼主は見る目があったわね。」
暗い森の中、木に寄り掛かってフィリウスらを眺めているのは一人の女。街の通りを歩いてそうな普通の格好で、髪形から容姿から良くも悪くも記憶に残りにくいどこにでもいそうな外見なのだが今の状況的には極めて異質であり、どう考えても見た目通りの人物ではない事を三人は確信する。
「……何をしたのか――今後の為にも教えてもらえると嬉しいぞ。」
「あはは、度胸も充分。そうね、希望を持たれると面倒だから教えておくわ。キミたちはついさっき一瞬で馬車の荷台から森の中に移動させられたと思っているかもしれないけど、実のところキミたちは馬車にすら乗っていない。ここはキミたちが今日こなした依頼の場所からほんの少し離れたところにある森よ。」
「幻術系の魔法ってわけね? そして団長たちにはわたしたちがちゃんと一緒にいるっていう幻術を見せてると?」
「正解。キミたちに使っていた魔法を解いたから向こうも解けてる頃だけど、あっちとこっちの間には絶望的な距離がある上キミたちの居場所もわからない。助けは来ないってことよ。」
「だっはっは! 団長たちじゃなくて俺様たちを狙うって事はお前が学生狩りなんだろうが、団長たちと充分距離があくまで森の中で話す俺様たちをそこで眺めていたって事か!? 幻術を見せながら首を狙えばいいものを!」
「学生狩り? ああ、そう呼ばれるべきは違う誰かだと思うわよ。私が受けたのはキミたちだけだし。そしてキミたちの幻術をわざわざ解いてこうして話している理由はムキムキのキミ以外の二人のせいよ。」
背中の大剣に手を添えながら自然な動きで前に出たフィリウスの後方でそれぞれの魔法の準備をしている二人を、女は指差した。
「知っているかしら? 魔法使いの中には死ぬ時に自身の命を代価として自分の死体を基に強力なマジックアイテムを生み出す変人がいるっていう話。凄腕の術者の場合は自分の意思でそれをするらしいけど、意図してないのにそういう事が起きるってパターンもあるのよ。特に、人とは違うオリジナル性溢れる魔法を使うそこの二人みたいなタイプでは起きやすいらしいわ。」
「なるほど、我輩たちの事は調査済みという事か。」
「当然でしょう? 予想外のマジックアイテムが誕生して殺した側が痛手を負うっていうのは多くはないけど無い話じゃないの。だからこうしてキチンと殺そうとしているのよ。」
「んん? 今の話だと俺様が殺されなかった理由がわからないな!」
「そうね、キミは殺せたかもしれないけど……三人中二人が爆弾っていうのは万が一を考慮したくなる状況よ。」
「だっはっは、慎重というか心配性というか、殺し屋とは思えないな!」
「だから殺し屋なのよ。」
ふふふとほほ笑んだ女がゆらりと両腕を広げると、十本の指の先から月光を受けてかすかに光る糸のようなモノがするりと伸びた。
「糸使い――行けるか、フィリウス。」
「ああいうのは空気の流れが読みづらいからな! 早めに加勢してくれると助かる!」
後にフィリウスの弟子となる田舎者の青年が見たら驚くだろうが、そう言ったフィリウスは大剣を抜いて普通に構えた。
「ふっ!」
短く息を吐きながら女が両腕をクロスさせると、それに合わせて指先の糸がフィリウスへと迫った。
「――っ!」
糸と糸の間を縫うように回避したフィリウスだったが、指揮者のように動く女の腕によって生きているかのような挙動をする糸の追撃を読み切る事ができず、大剣を盾のようにしてそれを防いだ。
「ムキムキのキミが敵の攻撃を抑えている間に後ろの二人――女の子の方が援護系の魔法を準備し、もう一人の男の子が一撃必殺の魔法をタメる。キミ自身もまた、攻撃を回避しながら一撃必殺のパワーをタメていくから、キミたち三人は戦闘開始からある程度時間が経つと強力な一撃を二発も用意した上で特殊極まる魔法でこっちの動きを止めてくる厄介なチームになる。」
通常の回避だけでは間に合わず、大剣を駆使しながら糸の猛攻に応戦しているフィリウスを、異常な速度で指と腕を動かしつつも何でもないような顔で眺める女は視線を後ろの二人に向けた。
「その時間が来るまでにキミを倒せばいいのだけど結構手間で、隙を見て後ろに攻撃を飛ばしても反応される……キミ本当に卒業したての新米? 国王軍の上級騎士と戦っているような気分になるわ。」
「嬉しい、評価だな! だが、そういうあんたも、相当な腕前だ! もしかしてS級犯罪者、の殺し屋だったり、するのか!?」
筋肉に覆われた体躯に反し、自身への攻撃はもちろんリグとアンへ向けられた攻撃も凄まじい反応速度で対処していくフィリウスがそう言うと、女は目をぱちくりさせた後に笑い出した。
「私が? S級の殺し屋? 『ウィルオウィスプ』みたいに? あっはは、過大評価が過ぎるわよ、いくらなんでも。実力は高くても世界の広さを知らない感じは確かに新米だわ。」
不意に糸の攻撃がピタリと止まり、少し驚きながらも長い間息を止めていたかのように大きな呼吸を挟むフィリウスの後方でアンが人差し指を杖のように振ると、攻撃を止めた女がその場から後方へ大きく跳躍するのと同時に一瞬前に立っていた場所が黒く歪んだ。
「解析完了ってところかしら。やっぱり間に合わなかったわね。」
後方への跳躍でそのまま暗い森の中に消える女。先ほどまで響いていた、フィリウスの大剣が女の糸を弾く音が消えた事で森が本来の静けさに戻る。
「闇夜に紛れて攻撃って事かしら? 殺し屋っていうか暗殺者の本領発揮なところ悪いけどあんたが言った通り準備完了よ? 今から引きずり出してやるわ。」
そう言いながらアンが指先を夜空へと向けると電波が発信されるかのように指先を中心に波紋のようなモノが広がり――
「ぐ……」
――完全に気配を消していたはずの女が苦い顔でガサガサと物音を立てながら暗闇から戻って来た。
「これは想像以上だわ……頭では理解しているのに身体が欲する――いえ、欲しない……起きていたいのに眠気に抗えないアレをもっとひどくしたような感覚……怖い魔法だわ……」
「最初に避けられたのが当たっていればもっと深く入ったんだけど、難しそうね。でもリグの準備ができたみたいだし、そろそろ終わりかしらね?」
アンがそう言うのと同時に、大剣を構えるフィリウスの横に右腕に光をまとったリグが並び立った。
「待たせたぞ。」
「ぶっちゃけいっぱいいっぱいだ! 見えないところからの奇襲ってのは免れたがそれでもヤバイ使い手だからな! 気合入れろよ!」
「ヤバイ使い手ね……さっきも言ったけど世界は広いのよ。キミたちには私が遥か高みにいる実力者に見えるんでしょうけど、仮に私に犯罪者としての位がつくとして、A級は行くかもしれないけれど実際はその中でも下の方だと思うわよ。昔、意味の分からない技術で糸を使うS級犯罪者を見た事あるわ……糸使いというか人形使いだったけど、ああいう別格を真に使い手と言うんでしょうね。」
何かを思い出し、深くため息をついた女は準備の整ったフィリウスたちに、今まで向けていたある程度の余裕を含んだ表情ではなく、真っすぐな確固たる殺意を放つ冷徹な顔を見せる。
「私程度の悪党はざらなのよ、新米騎士。」
そこから先の数分間を、フィリウスはよく覚えている。あの時死なずに済んだのはリグの魔法のおかげであるが、それがあの女を――当時の自分たちが相手にするには実力と経験が不足していた敵を打倒できるレベルにまで強化されたのはあの時起きた悲劇によるモノでもある。
つまり、アンが殺された事によってリグの右腕の魔法が力を増し、女を倒したのだ。
騎士が実戦の中で仲間を失い、騎士の道から降りたり外れたりというのは残念ながら少なくない。新米であればなおの事、騎士団を抜けたリグはアンを生き返らせる方法を探し始めた。
死者を蘇らせる方法として真っ先に候補にあがるのは第五系統の土の魔法の奥義の一つ、『死者蘇生』。方法が確立されており、使用しても違法にならないという素晴らしい魔法なのだが、成功させる為にクリアしなければならない条件が非常に厳しい。
術者に求められるのは十二騎士クラスの魔法の技術、対象と二代以内の血縁関係、対象の愛用品の三つであり、これらの条件から基本的に『死者蘇生』は愛する家族を蘇らせる事にしか使えない。リグとアンは恋仲でいずれは結婚していたかもしれないが血縁関係は当然無く、リグは第五系統の使い手ではない。アンの両親は騎士でもなければ魔法の研究者でもなく、『死者蘇生』が使えるようになる可能性は無いと言っていい。
だからリグは探し求めた。歴史上多くの権力者が欲してきた事で誕生した「死者を蘇らせる」力があるとされる数々のマジックアイテムを。
当然、その全てにその通りの力が宿っているわけではない。死体を動かすだけや肉体に残った記憶を喋らせるだけという偽物がほとんどで、蘇らせる事ができる力があっても数千人の命を代償にして効果はほんの数分だったりという現実的ではない本物がたまにある程度。期待外れのマジックアイテムを手にする度、リグは『死者蘇生』という魔法が永続的な復活効果の代わりに厳しい条件を課している――というよりは必要としている理由を思い知った。
だがある時、リグは遭遇してしまった。自身の魔法と似た性質を持ち、しかして可能とする奇跡の範囲が桁違いな代物に。
それを使う為には特定の条件を満たす人物が数人必要であるという事を知ったリグは、騎士として倒す対象だった存在――悪党への道を歩み始めた。そして自身が条件を満たす一人目となった辺りから、自身と同様にその代物の力を必要とし、なおかつ条件を満たす者を勧誘して一つの集団を作る。
こうしてリグはS級犯罪者の『好色狂』、『パペッティア』、『無刃』、『シュナイデン』を彼らと同じくS級犯罪者の『右腕』として、まとめるわけではないが利害の一致で集まった犯罪者集団の中心に立った。
目標があるわけではなく、その代物の恩恵を得る為に時々集まり、しかしそれ故に騎士たちから捕まえにくいS級犯罪者のチームとして認識されるようになった頃、偶然が宿命か、リグは十二騎士の一角である《オウガスト》となったかつての戦友、フィリウスと再会した。
リグの傍らに立つアンの姿を見て、どうしてリグがS級犯罪者になったのかを察したフィリウスは、「アンの為に」自分たちの所へ来て欲しいと言うリグに、「アンの為に」と返してリグと相対した。
互いに一撃必殺のスタイルであるがゆえに時間にして二分ほど。しかしその場所の地図を書き換えなければならない程に崩壊させた一戦。決着はつかず「残念だぞ」と言い残したリグがアンと消えてから数年後、両者に再戦の機会が巡ってきた。
リグは進んで騎士らを攻撃したいわけではないし、かつての戦友であるフィリウスを倒す理由もフィリウス個人に対しては特にない。だがフィリウスは魔人族という規格外の存在と通じ、その力がリグにアンを戻してくれた代物の力をも凌駕する可能性が高いとわかってしまった。
そう……「アンの為に」という戦う理由が、リグに出来てしまったのだ。しかしこの事に対して悲観も後悔もリグには無い。ただ――
「愛する者の為に、これが全てだぞ、フィリウス。」
「その言葉を悪事の正当化に使うな、リグ。」
既に説得も妥協も両者にはない。二人の道が分かれたあの場所、あの時と同じ月明りだけの暗闇の中、フィリウスとリグは「騎士」と「悪党」として二度目の対峙をした。
騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第七章 芸術家の探求と一人の騎士の昔話
『シュナイデン』が『シュナイデン』になった経緯ですが、久しぶりに書いていて「いたたた……」と思いましたね。
彼女だけ名前が出ていませんが理由があります。遥か昔にちょろっと描写した事に気づいた人がいたら逆に驚きです。
フィリウスとリグの関係におけるキーパーソン、リグの妻ことアン。彼女を復活させた代物とはなんなのか。ついでにどうして素っ裸なのか……その辺が次回のメインになりそうですね。前述の通り二人の戦闘は一撃で終わる……と思うので。
ちなみにリグ・アルムとアン・リーフの名前の由来は「そのまま」です。