キカイなお嬢のヒビと恋➺D2前奏

キカイなお嬢のヒビと恋➺D2前奏

あたくしは決して、悪役令嬢なんかではなくてよ!
若くして天才マッドサイエンティストな華奈は、そんな己の素性に反し、常識的なヒロインとして振舞えるように幼少から庶民教育を受けて育つ。
しかしある日、「常識的なヒロイン生活」は終わりを告げて、天命トラブルメーカーや不穏な不良、青い雷雲が華奈のもとに訪れる。
update:2024.6.6

Dシリーズ 外伝 -キカイな世界-
星空文庫内関連作:キカイなわたしのキッカイな日々
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イントロ

 
玖堂(くどう)さん……俺と付き合って……――くれないかな……?」

 きらきらと星が舞い散り、視界がバラ色に染まるような、夢にまで見たこの瞬間。
 玖堂華奈(かな)はうっとりと、祈るように細い両手を胸の前で組む。
 恥ずかしそうな彼にゆっくりと、そして確実に、何度も練習していた応えを返した。

「……もう一度……聴かせて……」

 全てはこの日のために。この時のためだけに、今までのヒロイン生活は存在したのだ。
 決してしくじってはならない。焦らず良い雰囲気で可憐に決める。
 飽きるほど考え抜いた台詞を口にした後――若干十五歳である彼女の学生生活は、大きく変わりを告げることとなる。

➺AメロⅠ

 
 玖堂華奈は、何処から見ても正統派ヒロイン、至って真っ当で清楚な女子中学生だ。
 と、自分では自負して平穏な中学校生活を送っている。
「えええと……それは主観ですか、客観ですか? とにかく理解しかねます、お嬢様」
「うるさいわね。あなたにしかこんなこと話さないんだから、いちいちつっこまないでよ」
 傍らには常日頃から自分に付き従う、一見は同年代の眼鏡少女、通称召使がいる。華奈は他人には決して見せない、イラっとした顔を遠慮なく向けた。

「ところで、髪の毛変じゃない? 制服に乱れは? 他にもおかしな所はない?」
「いいえ、いつも通りのお嬢様です。至って真っ当で清楚な女子中学生です」
 白が基調のセーラー服の華奈は、鳩尾くらいまでのまっすぐな黒髪を、校則に反しないよう両サイドでお下げにしている。淡々とした召使に安心して息をついた。
 そして改めて、現状を確認する。
「ええっと……約束の場所は、確かにここよね……中庭の校舎裏……」

 華奈のスタイルはおそらく、ヒロインとしては生粋の昭和生まれだ。
 中高一貫ではあるが、庶民的な国立中学校の最上級生として、後輩の見本たるように品行方正、そして成績優秀に生活を送ってきた。
 しかしその実、天文学的と例えられるお金持ちな家の、生粋のお嬢様だ。

「人気のない所で、ということですよね。あちら様も、目立つのは困るのですね」
「もう、そんなのわかってるわよ! だから余計、ドキドキするんじゃない!」
「はい。お嬢様のこれまでの御苦労が無に帰さないよう、わたくしも祈るばかりです」

 その道では知らぬ人のない、多国籍企業を展開する、電気工学・IT産業、更には機械・化学製品を手掛ける複合企業体・玖堂家。当主の一人娘であり、後を継ぐことが既に定まった身の上の、正真正銘のセレブ。
 それでも同年代の間では浮き過ぎないよう、細心の注意を払って生活をしてきたのが玖堂華奈だった。
 ここまでセレブなお嬢となると、その方が挙動や言動に気を使わなければならない。成績優秀・品行方正、それでも謙虚で気さくなヒロイン像を頑と固め、華奈は何とか悪目立ちすることなく、小学校からやってこれていた。
 そしてそれは、一般庶民の出である父と、父が雇った華奈専属の初代召使の尽力にもよる。

「わたくしの前身のあの方の言い付け通り、お嬢様のため、常に全力を尽くします」
「テンプレ通り喋るんじゃなくてよ。でも少しは、複雑な物言いができてきたわね」
 華奈の口調は、あるスイッチで、真っ当なヒロイン中学生モードとお嬢様モードが入れ替わる。ついつい上から目線に戻った華奈は慌てて首をぶんぶんと振り、年齢相応の乙女へ改めて切り替えた。

「それにしても、ミカミ君てば、こんな所へ呼び出して……何の用なのかしら?」
 その名は華奈にとって、尋常でない心を呼び覚ます同級生のもの。はやる胸を押えて校舎裏を見回す。
「大切なお願いがあるので指定の場所へ来て下さい。玖堂さんにしか頼めません。とありますが」
「……私にしか頼めないって、どういうこと?」
 既にかなり、顔が熱くて恥ずかしい。じーっと何度も手紙を見つめる華奈に、召使と呼ぶ相手――同じ制服で地味な一つ括りの茶髪少女は、表情を変えずに華奈を見つめた。
「この学び舎で、ミカミ様に出会われてからずっと、貴方のためなら何でもします。貴方のことが大切です。という意思表示を継続されたお嬢様へ、何がしかの反応ではないかと愚考するのですが」
「もうちょっと砕けて喋ってよバカ! 何か私、超アピールしてるみたいじゃない!」
「申し訳ありません。しかし、何かとミカミ様の助けにならんと、それもミカミ様に気を使わせないよう秘密裏に尽力されてきたお嬢様に、ついに気付かれたのでは?」

 ああもう! と華奈は召使をこづく。
「私は別に、そんなつもりでしてたわけじゃないわ! ただ……」
 ただ、彼の役に立ちたかっただけよ、と。真っ赤になりながら、ヒロインらしい心を呟く。
「でも、もしもミカミ君が……ちょっとでも私のこと必要としてくれるなんてことがあったら……ううん、贅沢は言わないわ! 彼の重荷には絶対なりたくないもの!」
 何とか自身に言い聞かせるように、華奈は両手を握りしめてガッツポーズをとった。
「きっと何か、とても困ったことがあったのよ! ――告白なんて期待しちゃダメ! どんなことでもただ私は、見返りなんて期待せずに、彼の役に立ちたいの!」
「その言動は、ミカミ様からの告白を意識されているということではないですか?」
 うるさーい! と、乙女路線で真っ赤に暴れる華奈を、不可解なだけの顔で召使が宥める。
「万に一つの可能性でも、可能性がある以上は考慮しておかなきゃいけないでしょ! 変なこと答えてミカミ君に少しでも不快な思いをさせたらどうするのよ!」
「万に一つ、とは……思うにわたくしは、お嬢様は謙虚過ぎると愚考致します」
「……だって。私なんて所詮、ただのクラスメートの一人でしかないし……」

 ミカミ・ナオ。本名の漢字が読み難くて嫌いだといい、常に片仮名で名乗る男子中学生は、中学から華奈の前に現れていた。
 生来の整った容姿と穏やかさに、人好きのする爽やかな立ち振る舞いで、あっという間に軽音部や文化祭で大活躍している。なるべく大人しくしていた華奈とは対照的に、人一倍目立っている少年だった。
「ミカミ君は誰にでも優しいし、かっこいいし。ファンクラブだってあるくらいだし」
 彼は演劇が好きで、芸能界入りを目指して日夜活動中らしい。派手さの陰で地道に努力を続ける姿に、元々興味を持っていた華奈はあっさりと、深く(とりこ)になってしまった。

「『普段はただのいいヤツだけど、意識すると地雷を踏む天命トラブルメーカー』」
 まだ駆け出しではあるものの、既にタレント名鑑入りを果たしている彼のPR欄には、何故かそんな、謎の紹介文が記載されている。
――ただの、なんてとんでもない! 骨の髄から素敵ないい人なのに、何でこんな!?
 華奈をしてそう憤慨させるほど、人一倍目立っているわりには、誰からも敵視されない、嫌みのないイケメン少年こそがミカミ君だ。
 くりっとした短い黒髪で、自然な気品を感じさせる大きな目。誰からも好感を持たれることは無理もない話だと華奈も思う。
 華奈の憧れと信愛はひとえに、華奈とミカミ君の、初対面の思い出に起因していた。

――玖堂さん、どうしたの? 何処かしんどいの?

 出会いはそんな、たかが中学生にしてはあまりにスマートな気遣いだった。
 華奈は他の学生と同じように振舞うために、徒歩で通学している。たとえ体調が悪くても迎えは呼ばず、自分を陰ながら警護するSPにも頼らず、重苦しい足どりでトボトボと坂道を登っていたある日があった。
 ひょい、と。急に体が軽くなったと思ったら、それまで自分の背にあり、肩ひもで胸を締め付けていた制鞄が、ナオの手元に、どうやったのか自然に奪いとられていた。

――何だ、軽い軽いこんなの。玖堂さんの家、こっちでいいんだっけ?

 ポカンとした華奈が制止する隙もなく、それ以上何も言わずに彼は自宅まで付き添ってくれた。ただクラスが同じなだけで、それまで一度も話したことがなかった間柄にも関わらず。
 その時はお礼しか言えなかったあの日が、華奈には全ての始まりだった。

「本当はお金持ちの家の次男だって聞くのに……後は継がないからって、家の力には頼らずに、まだ中学生なのに一人で頑張ってるんですって。なかなかできることじゃないわ」
「お若いわりに、明確な方向性と気概をお持ちですね」
「そうよ! だから私、彼の努力に水を差さないよう、あくまで陰から応援したいの。そう思って、今日まで頑張ってきただけで……」
 なまじ、お金持ち過ぎる華奈は、彼からは敬遠されるのではないかと恐れていたこともある。話らしい話はできたことのないまま、気が付けば二年が経過していた。
「……私のことなんてどうでもいいの。あの優しくて素敵で、頑張り屋なミカミ君が何か困ってるなら、助けになってあげなきゃ」
 幼い頃から、玖堂家の後継ぎとして華奈は英才教育や帝王学を仕込まれ、冷静沈着を義務付けられてきた。これまで何事も全て理性で乗り越えてきた。
 だからこの件に関しても、ずっと理性で自身に言い聞かせてきたのだ。自分のため――感情でなく、誰かのため――理性を最優先に考え、迷惑にならないよう冷静に動け、と。

「お嬢様……こういう状態を、日本語ではいじらしいというのでしょうか」
「何よそれ、だからもう少し、恥ずかしくない言い方をしてってば!」
 とはいえ、告白されることを夢に見てしまうのは、それくらいは許してほしい。黙り込んだ華奈に、召使は童顔ながら心配そうな顔で、空気を読まずにあっさり口にした。
「お嬢様、それでもしも、告白されてしまったらどうなされますか?」
「何言ってるの、そんなことあるわけないわ! 真っ白になっちゃうわそんなの!」
「常日頃冷静なお嬢様を、そこまで前後不覚に陥れるとは……恋とは恐ろしいですね」
「そうよ、もう幸せ過ぎて死んでもいいくらい。何かの間違いだったらそれでも死んでしまうくらい!」
 華奈としても結局、そこまで自分を制御不能にしてしまうこの思いが怖く、無闇に自分から動いてこなかった経緯があった。
「期待する方が辛いんだから! もう何も言わないで!」
「わかりました。それではそろそろ約束の時間なので、わたくしは消えております」
 すっと、召使が両手を掲げて覆いのような物を広げる。突然保護色になったかのように、校舎の壁に溶けて消えていった。

「……うちの警備部もやるわね。まだ研究段階の迷彩様式じゃないの」
 玖堂家の次期後継者として、冷静さが戻る。華奈は改めて呼吸を整えた。
 そうして、両手を後ろに組んで優雅な待ち姿を作りつつ、校舎の陰に立って物憂げに俯き、絵になるその全身を潜ませるのだった。

 ひゅ~……と。昼間とはいえ、日の当たらない場所で長く待つには少々寒い晩秋だ。華奈は風にうたれながら、身動き一つせずに黙ってその場で立ち続けていた。
――ミカミ君、どうしたのかしら……もしかして、何かあったんじゃないかしら?
 携帯電話という便利な道具が、まさに出回り始めたばかりの昨今。マジメに学生をしている華奈は、たま○っちにもポケベルにも手を出さず、自家製の緊急用PHSだけ召使に持たせる程度だった。
 連絡先など知りようもないミカミ君とは、何かあっても通話できない。

 そして。約束の時間から、四十分が経過したところで。
「――ごめんね玖堂さん! 遅くなって!」
 人懐っこいハスキーな声で、息を切らしながら駆けてきた少年。体型も顔立ちも気さくに整う、黒い学ラン姿の同級生――
 ミカミ君のいつも通りの笑顔に、華奈はほっとしつつも、冷え切った体を簡単にはほぐせなかった。「ううん」と、うまく笑顔を作れたかも怪しい。

 ミカミ君もどこか焦った様子で、周囲を見回してからすぐに話し始めた。
「取り急ぎ本題に入るね。と言っても正直ちょっと、言い難いことではあるんだけど」
「う、うん……今日はどうしたの、ミカミ君?」
 私にできることなら、遠慮なく言ってね。と、いつも通りの顔で気さくに笑ってみせる。

 対して、いつになく(せわ)しないミカミ君はしばらく、恥ずかしそうな顔をしてかなり躊躇(ためら)った後……。
 思い切ったように、よし! と、両手を強く握りしめた。
 華奈の方をまっすぐに見て、真剣そのものな顔に、華奈の心拍が一瞬で最上級まで跳ね上がった。

「玖堂さん……俺と付き合ってるふり……してくれないかな……?」
「――……えっ?」
 あまりにドキドキしてしまったため、最初は内容が聞き取れなかった。
 落ち着け、心臓止めていいから落ち着け私。華奈は必死で自分に言い聞かせる。
「……もう一度……聴かせて?」
 確かに何か、付き合ってとか何とか、そんなバラ色の言葉が聞こえた気がする。
 そう思うのに、同時に胸に湧いた、不吉そのものの緊張感。首を傾げながら、ゆっくりそう尋ね返した華奈だった。

「ほんっとに急にごめんね、驚くのも無理ないと思うんだけど」
 華奈の目を見ずに、心底気まずそうなミカミ君が話し始める。
「実は俺、今無理やり、両親に勝手に婚約させられそうになってて……高校に入って結婚できる年になれば、すぐにでも籍を入れて、相手の家を継げなんて言われててさ」
「――はい?」
「俺んち、ちょっとした家柄の血筋みたいなんだけど、プライドばかり高くて事業はあんまり上手くいってなくてさ」

 帝御(みかみ)那王(なお)。本名はなかなか中二な漢字を使うミカミ君の家は、皇族だったとか、少なくとも貴族の出ではあったなど、様々な噂が飛び交っていた。
「玖堂さん所ほどじゃないけど、製薬系の、某有名企業の家のお嬢様と結婚しろ、なんていきなり決められて……。どうしても両親を納得させようと思ったら、相手方以上の良縁を今すぐ用意しろなんて、無理難題押し付けられたんだ」
 だから、と。ミカミ君は、笑顔の硬直している華奈に、アハハなんて軽く笑った。
「それで俺、玖堂さんのこと思い出したんだ。まさに文句なしのお金持ちの玖堂さんがもしも、俺と付き合ってるってことにしてくれたら……凄い助かるなあって」

 ……華奈はただ、茫然自失と、ひたすら微笑む。
「あ、勿論俺が両親にそう言うだけで、玖堂さんは何もしてくれなくていいからさ! 万一うちの親が差し向けた探偵みたいなのが来たら、ええ、未来のパートナー候補の一人ですなんて口裏だけ合わせてくれたら、最終的に俺は振られましたって言えば、今後の筋も通るし!」
「……はい?」
 にこにこ……としたまま、華奈は必死に、持ち前の理性でヒロイン脳を回転させる。
「ええっと……要するに、こういうこと?」
 ミカミ君は今、両親に無理やり政略婚約させられそうになって、とても困っている。それなので、婚約相手以上の富豪である玖堂華奈を両親に紹介し、両親の納得の元、勝手な縁談を白紙に戻してもらおうと思っている。
「それもあくまで、フリだけだから、私は何もする必要はないってこと?」
「そうそう! いやー、やっぱり、さすがは玖堂さんだよ! 話が早い!」
「そんな、そんなことないよ、ミカミ君の説明がわかりやすいだけじゃないかな……」

 にこにこにこにこ。ひたすら微笑むしかなかった華奈の前で、ミカミ君は気を許しつつあるのか、思い出したように突如不機嫌さを浮かべた。
「それに引き換え、あのあいつときたら……何で親が気にいったかは知らないけど、何かもう有り得ないとしか言えないブスだし、陰険っつかすげー猫被りだし。俺絶対好きになんてなれないって言ってるのに、別に片思いでいいのよウフフなんて、何かひたすら気持ち悪いだけだし!」
 きっと余程、婚約予定相手が気に入らなかったのだろう。不快感をあらわにしながら罵倒する珍しいミカミ君に、気さくなヒロインを自負する華奈は返す言葉も見つけられなかった。

「……えーっと……」
 一通り婚約予定相手の話を終えると。ミカミ君は急に恥ずかしい、と思い出したように我に返り、華奈の様子を上目遣いに伺い始めた。
「ほんとに玖堂さん、大金持ちの家のお嬢様だし……こんな頼み事、物凄く無茶っていうのは、わかってるんだけど……」
 俺、恋愛とか結婚とかどうでもいいから、芝居続けたいんだよね……と、彼は細い声で言った。
「いつも応援してくれてた玖堂さんなら、この気持ち、わかってくれるかな……って」
 玖堂さん、いい人だしさ……? そう、信じている、という顔で笑う。
 華奈はそこで、やっと、すう……と息を吸った。

「――わかったわ。誰かに何かきかれたら、ええ、ミカミ君とお付き合いさせてもらってます、って、そう言えばいいんだよね?」
「……うん。さっすが、玖堂さん……ほんっとーに、有難う!」
 がしっと彼は、華奈の両手を強引に掴んだ。ぶんぶん振り回すような握手を交わす。
「もうほんっとー、とにかく絶対に内密にして、忘れたくらいに自然消滅って感じでお願いします! ごめんね玖堂さん、俺ちょっと凄く急いでてさ!」
 ――それじゃ! と。
 芝居とはいえ、「お付き合い」が始まったはずの恋人とは思えないようアッサリさで、ミカミ君が駆け去っていく。
 場に合わない爽やかさの後ろ姿。最後まで華奈は、当たり(さわ)りのない笑顔で、見られもしない手をひらひらと振ることしかできなかった。

 やがて、ミカミ君の姿が完全に見えなくなったところで。
「……取り、急ぎ……だったものね……」
 ふるふるふる、と……。
 心なしか、周囲の空気が揺らぐほどに、硬まっていたはずの華奈の全身に地核変動が起こりつつあった。
「急いでるから、って……大体そもそも……遅れてきたの、自分じゃないの、ねぇ?」
 ぶるぶるぶる……。
 パーの形で優しく振られていたはずの手は、気が付けば両手が共に、ぐーっと力の限りに握りしめられる。

 ほほほほほほ……。
 気さくなヒロイン像が最優先の学び舎では、決して口にすることのなかった笑声。お嬢様モード全開の微笑みを口元にたたえる。

「お嬢様。ミカミ様との関係のご進展、おめでとうございます」
「――ええ。とりあえずあの男、殺そうと思うわ」
 全く空気の読めない発言と共に、召使が再びその場に出現した直後に。
 華奈はただ、悪役令嬢としか言えない顔のまま、優雅にそう言い切っていた。

 冗談じゃない。そう思うのに、華奈の険しい表情は気さくなヒロインに戻ってくれない。
 家に帰り着くなり、まっすぐ車庫に向かった華奈の後を、ほとんど足音のしない妙な小走りで召使がついてきていた。
「お嬢様、今日は調整日ではありませんが? 何故にラボの方へ?」
「いいから、黙ってついてきなさい。あたくしは今まで、おまえをのんびりさせ過ぎたようね……平和ボケはここまでよ、召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプ」
 最早完全に、お嬢様モード。更には華奈は、学校の誰にも明かしたことがない、「玖堂家の奇跡の破壊博士」の異名を持っている。
 何台も外車の停まっている車庫の最奥、石の壁に偽装されたドアを開けて、地下に続く階段を速足でも優雅に一段ずつ下りていく。

 昭和な華奈の世代において、「悪役令嬢」なる概念は乏しい。あくまでこれはただ、気さくなヒロインのお茶目な側面だ、と華奈は自らに言い聞かせる。
「おまえは元々兵器なのだから、相応しい外装に戻してあげる、と言っているの」
 まるで地下に潜伏させた、核シェルターのような空間が開ける。内部に建てられた三戸のテラスハウスの前に、悠然と立ち止まった華奈だった。
 ちょこん、と、華奈の後ろで同じように立った召使が、不可解そうに華奈の背中を見つめる。
「兵器ではない、防壁であると。わたくしはそう自負するように設定されています」
「あら、生意気。さすがにあの、逃げ腰の自称常識主義がプログラムしただけあるわね」

 そう、時はまだ平成初期なのだ。古き良き少女漫画を(たしな)んだ教育係には、悪役令嬢というものは大体当て馬だからやめろ、と華奈は教えられた。
 それがこの時代の常識。華奈はあえて、せめて破壊博士――理系女性(リケジョ)の笑みを意識すると、ゆっくり召使に振り返った。
「でもね、そんなのただの綺麗事なのよ? おまえの主人があたくしである以上は、おまえはあたくしに従い、兵器として機能するよう強制可能なのだから」
 そう言いつつも、ソフトではなくハードをいじる方の部屋に入る。
 まだそんな概念の存在しない「リケジョ」で、必死に自己像(キャラ)を再構築する華奈に、不可解そうに召使はまた後に続いてきた。

 玖堂家は、表向きは生活密着型の、電化製品や通信機器などの開発をメインとする企業複合体の統括をしている。その実一番力を入れており、そして世界から必要とされているのが軍需産業だった。
「生活密着型の自律防衛機器。でもどう考えたって、おまえは機動破壊兵器でしょう」
 玖堂家のシェアは、核シェルターや防衛・防空システム、警備ドローンや索敵レーダーなどの国家レベル商品だけでなく、丈夫な建物や公共物構築など多岐に渡る。基本的には「守り」を重視したシステムや製品の開発に、日夜社運をかけているのだった。あくまで一応。
「わたくしは一体だけの存在です。玖堂家の方針が防壁重視であることは変わりません」
 今や、制服を取り払って肌を露出した召使には、全て鉛色の地肌がのぞく。
 天井からのびるコードをあちこちに接続された姿の召使は、確かに見紛うことなき「ロボット」。肩関節には銃口がのぞき、他にも数多の武器が格納されているのを、製作者である華奈は把握している。
「そうね。おまえはあたくしが開発した、ほぼ完全な、奇跡の人型ロボットですもの」
 つまり華奈が、この年にして玖堂家の後継者として認められているのは、ひとえにこの召使の存在があるからだった。

 玖堂華奈という気さくなヒロインを語る時、最も突出した事項として認められるべきは、富豪の娘であることでも、類稀な美少女であることでもなかった。
 華奈は小学校半ばにして既に、放課後教育で機械工学の大学院を卒業した天才乙女だ。
 その後に電子工学と生物工学なども修得し、中学に進んだ頃にはその全霊をかけ、この目前の、服さえ着せればほぼ人間として通る少女ロボットを造り上げたのだ。

「いいえ、わたくしの製作者はお嬢様一人だけではありません。人格構築は全て……」
「言われなくてもそんなことはわかってるわ。もしあの教育係がいなければ、おまえはただの機械の塊で、自律機動なんて夢のまた夢……本当に恐ろしいのは、人工知能の開発を成功させてしまった、『杉浦』なんだってことはね」
 ふう、と。大がかりなコンピュータの複数のディスプレイを眺めながら、華奈の意識が理系の理性で落ち着いていく。
「あたくしは所詮、人間のように細かく身動きのできる機械を造り上げただけ。家のノウハウと財力があったからできたことだし……」
「この動体制御システムは、世界でトップランクの技術であることは明白です。更にはそこに、実際の人間の外装をしたことで、わたくしは正体を隠し通せています」
「それだって元々は、杉浦の発想――というか愚行よ。おかげでせっかくの歴史的な偉業だっていうのに、公表できなくなっちゃったんだから」

 いつもこうして、「杉浦」という人物について語る時は、知らず華奈のテンションは低下傾向となる。
 それもそのはず、その人間は華奈にとって、一言で語れる対象ではなかった。
「……杉浦さえ、帰ってきてくれたら……」
 じーっと、ディスプレイに映し出されるコンピュータ言語の羅列を眺める。
 やっぱり、この解読と書き換えは私には無理だわ、と。初めからいじる気はなかったソース画面を、華奈は黙って閉じたのだった。

 杉浦召使長。玖堂華奈の父から直々に雇われた教育係だ。
 華奈に専属で庶民感覚を教えるよう依頼されていた彼女の経歴は、元々心理研究員だったという。それ以上にコンピュータプログラミングマニアだったことは、後に周知の所となる。
 しかし彼女は様々な事情で、今のこの召使ロボットを完成させた後、暇をとってしまった。

「……ああもう。これじゃ、おまえの意志でミカミ君を亡き者にするようにするのは、到底無理じゃないのよ」
 また、悪役令嬢のようなことを口走ってしまった。けれどこれはあくまで、リケジョの発想、とぶんぶんと頭をふる。
 調整機器に繋がれたままの召使ロボットが、ぎぎ、と首を斜めに傾げる。
「その件ですが、お嬢様。わたくしは未だに理解しかねます」
 召使のあどけない少女顔には、眼鏡がかけられたままだ。その眼鏡には動画撮影と再生の機能を備えているので、何度もレンズに映される昼間の光景を検分しながら発言しているのだろう。
「いったいどうして、お嬢様は、ミカミ様を殺害されなければならないのですか?」

 召使は基本、無表情にしている。
 「人間の外装」の保存性の問題から、あまり細かく表情を動かすわけにいかない。それでも人格と身体制御のリンクシステムが秀逸なため、声色を変えて感情表現も行えるのが、ロボットに見えない要因の一つだった。
「お嬢様はミカミ様から助けを依頼されました。お嬢様はミカミ様の力になりたいと願われました。お嬢様はミカミ様の依頼を承諾されました。いったいこの流れの何処に、ミカミ様を殺害しなければいけない必然性があるのでしょうか?」
 そうした感じで、まさに不可解。という感情を、見事にもやもやした声色で表現してくる。華奈にまた、悪役――いや、リケジョヒロインの笑顔が浮かんだ。
「ほほほほ……そうよね。さすがにまだおまえの機械頭には、理解が難しくても当然のことだったわよね」
 リケジョらしく、両肩に揺れる知的な三つ編みを、一つ一つ片手でいじる。制服の上に白衣を羽織って足を組んで座る華奈は、あくまで冷静な破壊博士だ。

「いい、召使? あたくしがあの依頼を承諾したのは、あくまで空気を壊さないため。常日頃から気を使っているヒロイン像を優先しただけの話で、あたくしの真意は、あんな依頼はクソくらえでしてよ」
「何故ですか? お嬢様は、ミカミ様のお力になりたかったのでは?」
「そうよ……あたくしは、お金に頼らず、人に優しく真摯に頑張る、ミカミ君の力になりたかったのよ」
 ところがどう……と。華奈の口元が笑ったまま、ひきつって歪む。
「どうやらそれは、未熟なあたくしの妄想に過ぎなかったようだわ」
「と、仰いますと?」
「あの男は、口先ばかり達者で見た目がいいだけの、女の敵だったのよ。それなのにあたくしったら、あんな男に二年以上も心惹かれていただなんて……!」
 ここまで言っても、まだよくわからないらしい召使に、華奈は更にひきつって続ける。

「いいこと。彼は少なくとも、五つもの罪をあの時犯したのよ」
 一つ。口の端は上げても、どうしても笑えない目で先を続ける。
「あたくしがお金持ちだからという理由で、恋人役に選んだりしたこと」
「?」
「彼はずっと、家には頼らず頑張ることを信条としていたはず。それなのに家の意向に逆らえないどころか、玖堂家というお金の力で事を解決しようとしているの」
 はあ……と召使は、曖昧な声色で相槌を打つ。
「二つ。口裏だけ合わせろというのは、どういうことなのかしら。今日も飛ぶようにあの後帰ってしまったけど……中途半端過ぎないかしら? そんなにもあたくしを、彼女としてしばらくそばにおくのが、芝居でもできないほど苦痛?」
「はあ……はあ」
「三つ。二つ目を裏付けることでもあるけど、絶対内密に、と彼は釘を刺していった。つまり、あたくしが彼女だなんて、周囲に思われたくはないということよ。あたくしなんて彼に相応しくない、芸能界入りにも響くかもしれない、というところではないかしら」
「はあ……はあ?」

 四つ――と、華奈の笑顔がどす黒く染まるのを眼鏡に映す召使は、何と表現して良いかわからないらしかった。
「ミカミ君を慕っている婚約相手を、ブス、陰険、猫被りなんて罵って、片思いの女の子をバカにしてるとしか思えない態度。ひどい言葉づかい」
「はあ……確かにあの口調は、普段のミカミ様とは大分違いましたね」
「あれが彼の本性よ。あたくしも片思いがばれていたら、どんな罵倒をされていたものやら」
 特に、華奈の心を突き刺したのは、猫被りという一言だった。

――誰を相手にも、猫を被るのはとても大切なことなのですよ、お嬢様。

 それは華奈が大好きだった、教育係の言葉だ。
 猫を被るのは、見栄をはったり、悪く思われたくない自分のためでもあるが、何より相手を不快な思いにさせないため。その杉浦の言葉を信じて、だからこそ今のようなお嬢様口調も、学校では封印して生活してきたのだ。
 良かれ、と熱心に頑張っていたことが、否定されるのはとても辛い。
 気さくなヒロインとして頑張ってきた、華奈の全否定だ。最も不意打ちだったと言っていい。

「五つ。彼はこの依頼が終わる時を、自然消滅にしてくれなんて言っていたけど。どれだけ彼に都合のいい、虫のいい話なのかしら、それって」
 下手をすれば、ミカミ君はいつまでも、華奈が恋人であると両親に言い続けられる。勿論、華奈が結婚をすれば話は別だと思うが。
「自分に可愛い彼女ができた時は、あんなのウソウソ、どーでもいい女だよ、なんてあたくしを笑う様が、今から見えるような気がするわ……それでもあたくしは、依頼を承諾してしまった以上、この先ずっと文句を言うことはできないのよ!」
「はあ? ……はあ?」
 何故にそうなりますか? と召使がひたすら首を傾げる。
「彼が終わりを宣言しない限りは、依頼は続いているからよ! あたくしはそれを、協力すると約束させられたのよ! 約束した以上は果たさなければいけないのよ!」
「はあ……はあ……」
 華奈の勢いにようやく頷き始めた召使は、現状を再解釈したようだった。

「つまり……ミカミ様は、片思いの女の子を罵倒するような人間性の持ち主であり、お金には頼らない姿勢も嘘で、そばにいるのが苦痛なお嬢様でも、お金持ちだから利用するような方で。その上、彼の経歴に傷をつけないよう絶対内密との条件で自己本位な契約をとりつけ、ヒロイン像を守るお嬢様がNOと言えないことを利用し、更に期限はなしと、ご自身に都合良い条件を追加した悪どい方であるということですか?」
 淡々と、華奈の言ったことを全てまとめると、確かにそういうことになる。
「っ……! そんなにあっさりズケズケ言わないでよっ……!」
 自分で言っておきながら右手を振り上げた華奈は、ディスプレイを叩き割りそうな勢いで振り下ろした。

 しかし帝王学リケジョの意地で、ぴた、と、画面に手が当たる直前に、理性で全てをおし止めた。
「――そういうことよ。これでわかったかしら? あたくしがここまで憤った理由は」
「はあ……しかし、お嬢様、今のはあくまで……」
「とにかく、彼を生かしておく限りあの依頼は解消されないし……あたくしのように痛い目をする女の子が、きっと他にも出てくる。何しろ彼は、あたくしが騙されたほど、一見は人のいい、かっこよくて優しい素敵な人なんだから」
「……そうでしょうか?」
 それは――と何かを言いかけようとした召使に、これ以上聞く耳を持つ余裕はなかった。手元のキーボードに鮮やかに指示を打ち込む。
 かくん、と召使は、あっさりスリープモードに入っていった。

 その様子を見届けた後、またもカチャカチャと作業を始める。
「自発的には無理でも、おまえはあたくしの命令には逆らえないのだから……必ず、ミカミ君を亡き者にできるような不可避の自動制御を、何か考え出してみせるわ」
 華奈は玖堂家の跡取りなのだ。邪魔者は排除すると教育されているのは当たり前で、それはリケジョヒロインの範疇だ、そうに違いない。
「ロボット三原則か何か知らないけど、兵器のくせに殺傷が禁忌ってどういうこと?」
 まずは、既に装着されている武装の限定解除から。
 決して自分は悪役ではない。これは正当な裁きのためだ、と、華奈は様々な指示をてきぱき打ち込んでいくのだった。

 ――ふと。華奈以外の人間は立ち入り禁止にしてあるプライベート研究室に、隠しておいた紙の束が視界の隅に入った。
 華奈は顔をしかめながら、棚の端からごそっと束を全て手に取る。
「こんな物……明日にでも、召使に処分させなきゃ……」
 それは、ミカミ君が初めて載ったタレント名鑑で、ミカミ君のページのみならず同年代のライバルも研究するため、まるっと印刷しておいたものだった。

 ミカミ君のページには、年齢と出身地、誕生日とバイオグラフィが記載されている。
 他のライバル達のページを見ても、普通は略歴や活動歴を書くものだが、何故かミカミ君は自分のコメントで自己紹介文を掲載していた。

――こんにちは、ミカミナオです! 芝居が大好きでこの道に入りました。友達からは何故か、普段はただのいいヤツだけど、意識すると地雷を踏む天命トラブルメーカーとか言われます。大事な目標のため、精一杯頑張りますので宜しくお願いします!

「……」
 このページを初めて目にした時、華奈には、理由のわからないもやもや感があった。
 共感性羞恥というのだろうか。いわゆる、黒歴史というものを感じた気分だ。
「確かにこのbioの使い方は目立つと思うけれど……こんな悪目立ちしたって、ねぇ」
 冷静になれば、きっとミカミ君自身、PR欄をこういった他にない形で使ったことへの羞恥も芽生えるのではないだろうか。多分、真面目に考えてそうしたのだろうから、余計に。
「なるほどね……確かに、意識して何かやるとこういう結果になるのね、彼」

 まさに本日の彼の一挙一動も、華奈の地雷を踏みまくったものだった。
 その罪深さに気付きもしない、無邪気な笑顔を思い出すと、華奈の中で確実に何かに火がついていた。
「完全犯罪……どうやったらできるのかしら、完全犯罪……」
 地下深くの孤独な研究室で、これは天誅だ、と何度も何度も間違えてプログラム画面に打った。
 自分でも不可解に感じるほどの怒りを、どうしようもなく持て余すのだった。

➺BメロⅠ

 いつの間にか、薄暗く室温も低い研究室は、月の浮かぶ秋夜のテラスになっていた。
 明度と温度だけなら似てなくもないが、脈絡のなさに華奈は首を傾げる。

――お嬢様。どうされたんですか、お嬢様?

 年のわりに声色が幼く、ゆったりした口調で喋っていた女性の声が急に響く。
 久々にはっきりときいたその声に、懐かしさが込み上げてきた。定番だった黒いカーディガンが華奈の脳裏に浮かんだ。

――何かとても、嫌な思いをされたのですか? あなたらしくありませんよ?

 テラスの柵を掴んでいると、肩までの鋭い黒髪を揺らしながら、女性が心配そうに後ろから華奈を覗きこんできた。ぷい、と露骨に顔を逸らしてやったのに、めげずに彼女は華奈の肩を優しく持った。
「うるさいっ……どうせみんな、カナのことなんてどうだっていいくせに……!」
 叫んで、その自分自身の声の幼さに、これは夢だ、とやっと気が付く。

――お嬢様……どうしてそんな、悪役の顔に戻られたのですか……?

 確かそれは、華奈が幼稚園の頃だっただろうか。
 その頃はまだ、華奈は庶民感覚の手ほどきなど受ける前であり、普通にワガママなお嬢様幼女だった。
 初代召使の杉浦はその頃から既に華奈の専属だった。それは華奈の父の、教育は信頼関係ができた後で。という方針の元、華奈が幼いみぎりから杉浦は華奈のそばについていたのだ。

――皆様のところに行かれないのですか? お嬢様を待っておられますよ?

「カナがどれだけ、喜んでたって……お父さまとお母さまがいなければ、みんな、カナと遊んでくれないんでしょ」
 所詮自分は、親の凄さで可愛がってもらえただけの我が侭お嬢。そう、深く傷ついた思い出があった。

 華奈の父も母も、共に役職について、日々仕事三昧の生活をしており、両親よりも杉浦といた時間の方が華奈は長かった。それでも別に、華奈は一人ぼっちだったことはない。友達も沢山いたし、希望すれば両親にも会いに連れていってもらうことができた。
 だから、五歳の誕生日に大きなパーティーをしてもらったあの日まで、華奈はその生活に疑問を持ったことはなかった。
 余程突飛なことでなければ、願えば大体叶えてもらえる。英才教育を施されていた華奈は、その分甘やかされて良いだろうと周囲が考えるほど、ワガママでも羽目は外さない賢い子供だった。それ以上は悪役令嬢になるからダメですよ、と杉浦も教えてくれていた。

 そんな華奈に、冷たい現実をつきつけた幼い少年がいた。

――おまえ、カネモチ以外、トモダチいないだろ!

 誰かは知らない。今でもその台詞を思い出すだけで、胸が痛む。パーティーに来ていた同年代の男の子のその一言で、華奈はなまじ頭が良かったばかりに、しっかり感じ取ってしまったのだ。
 ほとんどの子供も大人も、華奈を本当に祝いに来たのではない。社交辞令や義理という大人の事情で、そのパーティーに来てくれたのだということを。

――お嬢様……もうお友達のことはみんな、信じられないのですか?

 嬉しい笑顔になれなくなった華奈に、杉浦はそう、哀しそうに言った。パーティーの後からいっそうそれは酷くなった。
「うん。だって、カナが笑わなかったら遊びにきてくれないなんて、おかしいもの」
 その後、華奈の機嫌を損ねたのでないか、と友達だったはずの子供達は次々と遠慮させられた。それは子供達の親の圧力だが、孤立した華奈はますます、自分なんて好かれていない、という確信を固めてしまった。

 それから華奈は、盲目的に勉強に打ち込むようになった。その甲斐あって、希代の天才として、輝かしい経歴を踏んでいくことになる。
 同時に、「お金持ち以外の友達を作る」ために、気さくな庶民のヒロインになることを心に決めたのだ。

――お嬢様。普通のお友達を作りたいなら……普通を知らなければいけませんよ?

 しかし華奈は、ある不可解を思う。
 杉浦はただの一度も――普通になれ、とは言わなかった気がする。

 どうしてか、そんな感慨が不意に浮かびながら。
 やがて華奈の意識は、忍びよる寒さのせいか、夢の世界から現実へ引き戻されていった。
 研究室でディスプレイ前に突っ伏したまま、眠ってしまったらしい。
「……もう、ダメね、あたくしとしたことが」
 久しぶりに夢に見た相手の影を振り切るように、体を起こして調整台の前に立ち上がった。
「ここは、思い出が多過ぎるものね」

 目の前には一通り調整を終えて、スリープモードのままの召使。
 華奈は改めて胸に大きな鉛のような靄を感じながら、ふん、と息をつき、それはリケジョらしくない、と慌てて深呼吸をしたのだった。

「ところで、お嬢様……」
 陽がようやく昇り始めた早朝。まだほとんど誰も歩いていない通学路の途上で。
 今は警護をほとんど召使に任せているため、華奈はSPもいない状態で気楽に歩く。隣で不可解という声色の召使が、路上ミラーに映る召使自身を見ながら尋ねていた。
「何故に私は、眼鏡に色がつき、毛髪の色を変更されたのでしょうか?」

 昨日までの召使は、明るめの赤に近い茶髪だった。それを真っ黒に変え、透明だった眼鏡は動画の撮影・再生機能に支障をきたす状態になるにも関わらず、サングラスのような色を加えた。
「――ばかね。おまえの顔は、元々誰の顔?」
「はい。この外装は、お嬢様の胚細胞を元に造られたものです」
「そうよ。言わばおまえは、あたくしの生きた剥製(はくせい)なのよ。だからその状態にすれば、あたくしと瓜二つにもなれるわけでしょう」
 逆に元々、だから髪の色を変えて、大きな眼鏡をかけさせていたのだ。

 杉浦と共に召使を造っていた時のコンセプトは、華奈の影武者にもなれるロボット。というのが走りだった。
「でも流石に、全くそっくりの二人が並んで歩くわけにもいかないし……しばらくそれで、おまえは顔を隠しておくのよ」
「はい。承知しました」
 制服にはそぐわない薄いサングラス。華奈とは違う一つ括りの髪型で、昨日までとは別人になった召使を華奈の後に続かせた。

「しかし何故に、お嬢様と瓜二つに戻る方が良いのでしょうか?」
「ばかね。アリバイ工作のために決まってるでしょ」
 しれっと、まだ具体的に何かを思いついたわけではないにしても、普通に口にしてしまった。これは気さくなヒロイン像では確実にない。
 しかし最早華奈には、自分は悪役リケジョかもしれない、その現実がうっすらわかり始めていた。
「人道的・倫理的問題なんて、おまえを造った時からとっくに破綻しているし……」
 自分とそっくりな顔の召使ロボットと、それを完成させた直後、暇をとってしまった杉浦の最後の姿を思い出した。
 科学的探究心の名の元、華奈達はとっくに、人の道を踏み越えていたことを。

 それなら別に、ここで悪役令嬢のポジションをとったところで、もう失うものなどないのかもしれない。
 いやいや、それでもあくまでリケジョヒロイン、と思い直す。悪役はやめろ、と、杉浦に言われたのだから。相変わらず鉛の入った胸の中でそう考えていた。

 機械の外見を、とことん人間のものに近付けるために、実際の人間の外皮組織だけを胚細胞から培養する原案は、小学生の華奈が思いついたものだった。
 そして玖堂家の優秀な生物工学部は、それを成功させてしまった。そのため召使は、華奈そっくりの皮をかぶることができた。しかしクローンじみた技術にまつわる倫理的な問題のため、召使の正体を公にするわけにはいかなくなった次第だった。
 そう。倫理という非効率な規範は、華奈の手を止めることはできないのだ。
「いつ、彼を亡き者にする良い方法が思い浮かぶかわからないんだから……おまえは常に、スタンバイ状態と思っていなさい」
「はあ。その場合、わたくしが手を下すのでしょうか?」
「当たり前じゃない。あたくしはアリバイ作りに全力を注ぐんだから」
「しかしそれはシステム上、様々な障壁を(はら)んでおりますが……」
 わかってるわよ。とふてくされる華奈に、どうも本格的な危機意識は持てない様子の召使でもあった。

「まずはとにかく、ミカミ君の隙を探さなくてはね」
 本音としては、顔を合わせることも全力で拒否したい。それくらい、華奈の内面には怒りが渦巻いている。学校では気さくなヒロインをしなければいけないというのに。
――……ほんと……今日からどんな顔をして、ミカミ君に会えばいいというの?
 今まで通りしていればいい、と理性ではわかっている。今までの自分、ミカミ君に好意をもって動くのが当然だった自分を、この泥沼の心で装い続けるのは何と滑稽。
 しばらく学校生活は相当の苦行になりそうだった。無理やりヒロインモードを思い出しながら、大きく溜め息をつく華奈だった。

 校門につくと、華奈はにこりと、爽やかな顔で召使に笑いかけた。
「それじゃ、また帰り、迎えにきてね。いつもありがとう」
「はあ。お嬢様の安全のため、全力を尽くさせていただく所存です」
 すっかり「はあ」が、条件反射になってしまった召使。何かと要領を得ない様子なので、校舎裏で放課後まで待機という指示を、忘れていないか少し心配になった。
「本当……大したものだわ、杉浦の奴……」
 製作者である自分ですらも、召使がロボットであることをたまに失念しそうになる。
 それくらいあの少女は、話していて飽きない様々な反応が出てくる。まずほとんど違和感がなく、会話が成立していること自体が奇跡と言えた。
「結局、私……そう言えば、特定の友達って、あんまりできていないものね」
 だからほとんど、日常会話はあのロボットとしている。その日常はお嬢様モードばかりだと、華奈は自覚する。

 同年代の間で、浮き過ぎない気さくなヒロイン像は成功したはずだ。
 誰とでも話せ、誰とも深い付き合いはしていないご令嬢。その暗黙の了解は、(くつがえ)す方がリスクが高い。労働者が簡単に雇用主の悪口を言うように、学力であれ財力であれ、力を持った側は慎重に振舞わなければいけない。
「だって、許される熱血タイプじゃないものね、私」
 せめて、「一生懸命です!」が、板につく健気な女子像なら良かった。いかんせん才女なので、何をしてもソツがなく、必死だと言っても説得力がない。
 ため息がこぼれた。全く人影のない、朝早い校庭を校舎に向かって歩く。

 中間テストの前であるため、部活の朝練もないしんとした校内で、体育館の隣を通ったその時だった。
 突然の場違いで、大胆なドラム。バスケットボールをドリブルしている時の、重いのに軽妙で景気の良い音が響き、一瞬びくっと驚いてしまった。
「キレイなリズム……誰だろう、こんな時間から」
 天から二物以上与えられ過ぎた華奈は、運動神経も人より良い方だ。
 特にバスケットボールは好きな球技で、家業がなければ部活にも入りたいくらいだった。

 ふらふらと、心地良いリズム感に誘われるように、自然と足が体育館の方へ向く。そこで、ある意味、運命の出会いを華奈はすることになる。

 華奈の通学するこの公立学校は、中高一貫で歴史が古く、高校ではブレザー、中学ではセーラー服と学ランを制服に採用している。
 なので、地味なベストとカッターシャツを着た美少女が、スリーポイントシュートを華麗に決めているのは、どう考えても他校の生徒だ。
「……わぁ……」
 美少女はとても洗練された動きで、返ってきたボールを再び綺麗にドリブルしている。
 しかも、動きが綺麗というだけではない。愛想のかけらもなく凛とした姿勢は、まるでナイフのような鋭さと美しさを併せ持っていた。
――何て、綺麗なコなんだろう……。

 美少女は華奈と同じような、まっすぐで長い黒髪の持ち主。自然のまま胸まで下ろされた髪は、これまた優雅で綺麗に見えた。
 それでいて髪が動作を全く邪魔しない、それほどの技量を持った美少女の実力が窺える。

――……ひょっとして、転校生、なのかな。
 そう思い至った瞬間、華奈の中に、ある焦りが唐突に生まれた。
「――ねえ。あなた、この学校の人じゃないよね?」
 ちょうど美少女が、体育館に入ってきた華奈に気付いた状態だったので、(とげ)のない口調を意識し、微笑みながら当然の疑問を投げかけた。

 美少女は華奈を一瞥(いちべつ)して、フン……とつまらなそうに、バスケットボールを籠に戻す。
「――あ、ちょ、ちょっと待って!」
 華奈の問いに答える様子はなく、体育館を出ていこうとする、無愛想な美少女。華奈はもう少し姿を近くで見たくなった。
「別にとがめるつもりじゃないの! ただ、何ていうか―――」
 唐突な興味の、真意は言えない。華奈自身戸惑いながら、美少女を引き止める上手い言葉がないか必死で探す。

 そう。華奈は本能で感じてしまったのだ。
 先日から悪役になりかけている自分の前に、このタイミングで現れた転校生。それこそ「ヒロイン」なる存在ではないのかと。
「…………」
 美少女は怪訝(けげん)な顔で、そんな華奈の方を見て黙り込んだ後、やはり(きびす)を返そうとした。
「待って! 何ていうか――その、私と勝負しない!?」
「……――は?」
 咄嗟に、バスケットボールの籠に駆け寄って華奈はそう叫んだ。
「スリーポイント、先に三回決めた方が勝ち! 他にはルールは全くなし!」
 何とか少しでも関わりを持つため、ボールをむずっと掴んで掲げる。美少女はしばらく、無表情ながらも茫然……としていたが。

「……いいよ……――面白そう」
 ――ニヤリと。華奈の方を見て、綺麗な顔が勿体なく感じるような不敵な顔で笑った。
 あ、と少し落胆する。このコ多分、ヒロインというよりヤンキーだなぁ、とつい安堵していた。
 けれど、間近で正面から対峙した美少女の目は、一点の曇りもない青空のように気持ちよく綺麗でもあった。
 ずっと胸を占めていた鉛のような重苦しい心が、その時だけは消え去っていた。不覚にも気が付いたのは、この後、お昼休みのことだった。

 そして二人の勝負の結果は。
 華奈は、ただの一度もボールを奪えないまま、あっさりと三度のシュートを美少女に決められてしまっていた。
「あーあ、残念。私もけっこう、上手い方だと思ってたんだけどなぁ」
 あはは、と爽やかに華奈は美少女を賞賛する。

 ところが美少女は、不機嫌そうに言った。
「……本気じゃ、ないよね」
 不意を突かれ、華奈はびくっと体を固める。
「もっとほんとは動けるよね……何で動かないの?」
 華奈を見ずに、つまらなそうに、美少女が呟く。
「えー……そんなことない、けどな?」
 買い被りだよ~、と困った顔で何とか笑う。美少女はじーっと、貫くような視線を向けた。

――……綺麗な、青い目……まっすぐ、だなー……。

 美少女の目が華奈に訴える真意。華奈は後ろめたい思いを味わっていた。
「……」
 美少女は美少女で、何か思うところがあるのか、無表情にバスケットボールをくるくる(もてあそ)んでいる。
「別にいいけど……手抜きって、しんどくない?」
 ぽん、と、持っていたボールを予告もせずに華奈の方に投げ渡した。慌てて受け取った華奈を再び見ることはなく、さっさと体育館を後にして、消えてしまったのだった。

 少女が去ってから、華奈はボールを思わず握りしめていた。
「別に……手を抜いたつもりなんて、全然なかったのに……」
 正直、美少女に全く歯が立たなかったことは悔しかった。スポーツ系のヒロインだろうか、と見せつけられた気がして、そこでわざと負けるほど華奈はあざとい性格ではない。
「――って。でも私、こういうキャラじゃないよね……うん」
 ふつふつと、胸の奥に湧きつつあった微かな熱に、慌てて華奈はぶんぶんと頭を振る。
「忘れよ、忘れよ。どうせこの先、関わることなんてないだろーし」

 一学年に八クラスあるこの中学校で、たとえ美少女が転校生だったとしても、学年とクラスまで一致する確率なんてほとんど有り得ない。
 努めて気楽にそう考えると、今の十数分はなかったことにしよう、そう心を決めた。
 いくら、華奈がスポーツ万能で成績優秀な女子生徒であっても。全く見知らぬ美少女に勝負をふっかけて、しかも負けて悔しい、と歯を噛み締める熱苦しさは、玖堂華奈という、気さくなリケジョには縁のないヒロイン像だ。

「…………」
 ――だから。もう一度、会ってみたいなんて、今の自分が感じていることを、素直に認められるわけもなかった。
 再び鉛が入ったように重苦しくなってきた胸に、知らず、ふーっと大きな溜め息をついていたのだった。

 よくよく考えてみれば。
 黒髪でも目が青い少女というのは、日本人離れした珍しい人種だと、放課後になってやっと思い至った。
 朝はあの青い目のおかげで清々しかったのに、それからはずっと、毒々しいとしか言いようのない五時限の授業の日だった。
「おはよう、玖堂さん! 今日もいい天気だね!」
「う、うん……おはよう、ミカミ君」
 爽やかな笑顔で、昨日のことなどなかったかのように、声をかけてくる女殺しの少年。
 こんな風に朝から声をかけられることはなかったので、面食らってしまった。
「今日さ、うちのクラスに転校生がくるらしいよ? こんな時期に珍しいね」
「――え? そうなの?」
 まさか……と一瞬で背筋が冷え込む。詳細を問い返そうとした瞬間。

「あ、春日(かすが)―! 今日さー、うちのクラスにさー!」
 華奈の反応など興味ないかのごとく、がらっと教室に現れた男子生徒の元へ、ミカミ君はあっさり駆けていってしまった。

「……」
 要するに、これは……と。華奈は改めて、今起こった状況を分析する。
 ミカミ君は一応、ご両親向けの脳内設定で、私と付き合っているということになった。
 それならさすがに、朝も全く恋人の私に声をかけないのは、学校には隠している設定にしてもちょっと不自然。
 接点が全くなければご両親も疑いを持つだろうから、私への最低限の関わりだけは、面倒くさくとも今までよりは持たなくてはいけない。

 気だるそうな男子生徒と、楽しそうに話すミカミ君の無邪気な後ろ姿に、そんなところだろうとアタリをつける。
「ほほほほほ……」
 幸い、誰にもきかれることはなかったが、思わず呪詛のような笑いが零れてしまった。
――いい度胸ね、ミカミ君。この玖堂華奈を弄んだこと、いずれ後悔させてあげてよ?
 ちょっとお茶目なリケジョの、あくまで正義の鉄槌のはずだ。
 しかし傍からはどう見ても悪役で、不穏でどす黒い笑みを浮かべる華奈をよそに、がらっと教室の戸が開いた。そして、嫌な予感は的中する、と言いたげに、担任があの美少女を引き連れて入ってきていた。

「今日から編入することになった、転校生のタツキ君だ。みんな、仲良くするように」
 担任が大雑把な字で黒板に書いた、その転校生のフルネーム。やはりいかにも、ヒロインでありそうな変わった名前だったために。
 ぴかーん、と。華奈の頭には、妙案が閃くこととなったのだった。

➺サビⅠ

「だからね……あたくしもおまえも、直接手を下さずに、自然の力を借りればいいのよ」
「はあはあ……はあ?」
 放課後、帰り道の途中の公園のブランコで。華奈は立ちこぎ、召使は座りと、並んでゆらゆらしながらの悪の(くわだ)てだった。
「雷よ。雷雲が起きる日をひたすら待つのよ」
竜牙(たつき)雷夢(らいむ)。とても変わった転校生のフルネームのせいで、電磁気学にも覚えのある華奈の脳裏には、すぐさまその計画が浮かんでいた。
「回路は簡単、あらかじめ雷の影響を受けやすい場を作って、そこに彼を誘い込むの。そして雷雲が発生した時に、近くに落ちた雷をびりびりっと誘導してやる。おまえはただ、雷を誘導できるように電位差を作っておくだけでいいのよ」
 これなら自然に雷に打たれたかのように見えるわよね!? と、黒さも極まった目でぎらりと語る。

「お嬢様……今日一日、そうした殺害計画を学び舎で練られていたのでしょうか?」
「そんな残忍な言い方をしないで、天誅と言ってもらえるかしら?」
 ほほほほほほほ。最早、リケジョも関係ない黒い目つきで笑うしかない華奈に、召使は色のついた眼鏡の下で困ったような顔を作る。
「それで、後はひたすら、雷雲の発生する日取りを待つということでしょうか?」
 ただ淡々と、華奈の凶行を後押しも止めもせず、役目の確認だけをする。
 その様子に、華奈はうぐ、と。華奈が幼い頃の、幼いが故の浅はかな行動を否定も肯定もしなかった杉浦の面影を、不意に感じ取ってしまった。彼女が造った人工知能だから当たり前だ、と、動揺する自分に言い聞かせた。

「そうよ。そればっかりは操作もできないし、いつ決行するかは神のみぞ知る、ね」
「しかしこの寒い季節に、果たしてそう簡単に雷雲が発生するでしょうか?」
「知らないわよそんなこと! そこまで面倒見切れないわよさすがに!」
 ややも破綻しかけた言動だ、と自分で言っていて華奈は思う始末だった。
「大体おまえ、そもそもあたくしにちゃんと協力してくれるの、してくれないの!?」
「わたくしはお嬢様の命令には、逆らえないように設定されています」
「知ってるわよそんなこと! そうじゃなくて、あたくしの方針に賛成かどうかときいているのよ!」
 それは当然、人命尊重のロボットとして、反対なのはわかりきっている華奈だったが。それにしては明確に止めようともしない態度に、余計に苛々が募ってきていた。
「とても賛成はできかねる計画ですが。お嬢様の命令に従うことの方が、わたくしにとっては最優先事項です」
「おまえ……それはある意味、とても危うい返答でしてよ?」
 わかっていたけど、と両目を細める華奈に、何故ですか? と淡々と召使は問い返した。
「どれだけおまえの設定人格に反することでも、あたくしが命じるなら行うということ。そんな事態を許容すれば、おまえの人格自体に矛盾というバグが生じるのではなくて?」
「その心配はご無用です。矛盾、葛藤、両価などの二律背反は、既にわたくしの人格を常に揺らがせています」
 というより、と召使は、あくまで淡々とした感情表現のままで、先を続けた。
「そうした両極をあえて設定することで、感情の真似事を再現したのがわたくしという人工知能であるようです」
「へっ……それって、どういう……!?」

 杉浦がどうやって、この人工知能の作成に成功したのか。とても重要な一端が語られていることに、華奈はすぐ気が付いていた。
「早い話、わたくしは本当は、何も迷ってなどおりません。お嬢様が命じられるならどんなことでも、わたくしは九十九%、お嬢様の命をきくように造られています」
 それなのに、と、自分でも不可解に思っているかのように召使は声色を低くする。
「それでもわたくしは、時にその命は賛成できないと言い、そして、そう感じなければいけないように造られています。行動と思考の制御に意図的なギャップがあるのです」
「――それでそれで!? そのギャップをどうやって消化してるの!?」
 杉浦がいなくなってしまった後、喉から手が出るほどにほしかった人工知能作成のノウハウ。無限の応用可能性を秘めた技術に、華奈は先程までの計画の話などすっかり忘れ、召使に掴みかかる勢いだった。
「消化しておりません。様々な行動パターンを学習し、消化しないままその時々で、優先度の高さを振り分け、その上で最終的には、優先度という影響因子を加味したランダム制御となります」
「何それ……つまり、最終の反応様式の決定は、優先度の高い選択肢が当たりやすいくじ引きってこと?」
 そうなります。と、あっさりと核心を話し終えてしまった召使に、華奈は改めて疑問を呈した。
「それって、一%の確率であっても、あたくしに逆らう可能性もあるっていうこと?」
「優先度の高さは、更にその状況によって加味されるので、正確には一%以下です。それほどわたくしは、お嬢様の命令は常に優先するように造られています」
 たった一つの例外を除き、と。召使はそこは真剣な感情を表し、華奈の方を見ていた。

「例外って……それは、何になるのかしら?」
「お嬢様の生命を危うくする事態です。身体的な保全が最優先事項、その次が精神、その次が社会生命という優先順位に設定されています」
 淡々と言いながらも、それはとても重要な事柄だ、と付け加えていた。
「なるほどね。あたくしが例えば、死にたいとか玖堂家を潰したいなんて言い出した時は、命令はきいてくれないということね」
 くす……と。聞きたかったことを一通り聞けて、華奈は微笑んでいた。
 いつの間にか、ブランコは止まって華奈も座り、二人は並んで夕空を見ていた。
「杉浦らしいわ。あの人、教育係で説教臭いわりに、言うことを無理にあたくしに実行させようとはしない……あたくしの身と本音が優先ってところ、多々あったもの」
「それはどういう意味なのでしょうか?」
「本音と建前という、簡単な原理よ。知識として色んな常識、建前を教えてはくれるけど、本当は全然、あの人自体が常識人ではなかったのよ」

 あくまで彼女は、自称常識「主義」だっただけで。常識は重んじるが、それは建前に過ぎないのだと、一般人が感じるほどすらそれを大事とは思っていないようだった。
「あたくしはいつも、それがすっきりしなかったのよ。せっかく色々と、大切なことを教えてもらってるはずなのに、本当はそれは大切じゃないなんて、矛盾してるもの」
 そのため、結局、どうすればいいの? と、しびれを切らした華奈が杉浦に尋ねてみたことがあった。

――お嬢様の心に、その都度尋ねて、その時に一番大切なことを選んで行動して下さい。

 ごく当たり前でいて、何と無責任な指導だったか、と今でも華奈は思っている。
 真剣に考えると、華奈は尚更わからなくなってしまった。どちらも大切とか、どちらも嫌なもの。そんな選択肢は常日頃、いくらでもあったものだったから。
「おまえはいいわね。最後は全てランダムだなんて」
「お嬢様は、それではどうやって、最終決定を下されているのですか?」
「――当然のことだけど、理性よ。世間体や効率の良い方、費用対効果の高い方とか」
「…………そう、でしょうか?」
 じー。自分を見つめる色付き眼鏡は、何だか妙に居心地が悪く、このフェイクは失敗だったかしら、と思いかけた。
「わたくしには、今のお嬢様は、とても感情的であるように見受けられます」
 その、華奈にとって最も指摘されたくなかったこと。本当にこの機械は空気を読まずに、あっさり口にしてくる。
「…………」
 華奈とて、今この内なる怒りが、不条理に大きいことくらいはわかった。
 それでも、こんなに強くどろどろとした思いが居座るのは初めてだった。どうすればいいか全くわからず、荒波に乗ることしかできないでいる。

「おまえ……所詮あたくしに造られた召使に過ぎないくせに、杉浦のような生意気な口をきくのは、どうかと思うわ」
「それは申し訳ありませんでした。出過ぎた真似を致しました」
「相変わらず誠意の感じにくい、テンプレート通りの言い回しだこと。丁寧なら良いというものじゃなくてよ、本当」
「申し訳ありません。しかしわたくしは――

「なーなー。誰が何を、造ったってー?」
 ひょいっと。二人の乗るブランコの間に突然現れた人影が、ブランコの鎖を一つずつ掴み、突然に笑っていた。

「えっ……か、春日君!?」
「……ミカミナオ様の、ご学友?」
 背後の頭上から華奈と召使を見下ろし、シャツのボタンが半ばまで開く着崩した学生服。不敵に笑う鋭い面差し。
 そこにいたのは、今朝がたミカミ君が、華奈を放って駆けていった喋り相手だった。

 常に気だるそうにしながらも、容姿はビジュアル系歌手のように整った同級生がその彼だ。
 同じ美系でも、黒髪でくりっとした頭のミカミ君が優等生タイプのタレントなら、目立ち過ぎる金髪やピアスを隠そうともしない彼は、完全に不良だった。
――春日は悪い奴じゃないよ! アイツはカッコ良さを追求してるだけなんだよ!
 級友に熱弁していたミカミ君の、キラキラした顔を思い出す。
 ミカミ君は普段、この不良にパシリのような扱いを受けており、なのに本気で嬉しそうに語っているのだ。華奈には全くもって、理解不能としか言いようがない。

 なので、相対する華奈の視線は自然と険しくなる。
 不良は全くそんなことは気にせず、にやにやと笑いながら華奈と召使を交互に見る。
「お金持ちの玖堂サン、こんな所で遅くまで何してんの。誰これ、玖堂サンの下僕?」
「何言ってるのよ、この子は私の親戚よ。春日君こそ、どうしてこんな所にいるの?」
 家、違う方向でしょ。ひとまず白を切ることに決めた華奈ではあったものの。
 常日頃「気さく」を通す華奈には珍しく、不機嫌な顔で、級友相手にはあまりしない声を出してしまった。もしかして、不穏な話を聞かれてしまった? と焦る思いのせいだ。

「いやさァ、ミカミの奴からおもしれー話、きいちゃったもんだからさぁ。玖堂サン、今度、ミカミと付き合うことになったって本気ぃ?」
「――へ?」
「アイツも隅におけねーよな。まさかこんな玉の興を、あっさり射止めちまうなんて」
 オレも玖堂サン、いいって思ってたんだぜ? などと、全く本気とは思えない不敵な顔で不良が笑う。
 それでも華奈は改めて、真面目に返答するしかない不本意な状況となってしまった。
「……何よー。私がミカミ君とお付き合いしてたら、春日君は何か不満なの?」
 誰かから、「ナオと付き合っているか」ときかれたら、嘘で良いので付き合っていると答える約束なのだから。華奈はひくひくと、ひきつった笑顔でそう返したものの、
「不満も不満、すっげー物足りねーの。ミカミはオレの大事なオモチャなんだから、玖堂サンに独占されたらたまんないんだよねー」
「……はぁ?」
 そんな意味不明の返答をよこす不良に、華奈は半ば本気でぶちきれそうになった。

 持ち前の理性と協調能力で、華奈は不良に調子を合わせて根性でやり過ごす。
「何だ、春日君てば、男のくせに焼き餅やきなんだぁ。ミカミ君も迷惑してない?」
「んなわけないじゃん? アイツ、筋金入りの善人だもん」
「そぉ? 春日君に比べれば誰でも善人だと思うけどー」
 言うねぇ、と楽しそうに笑う不良は、ブランコに座ったままの華奈を見下ろしながら、やがてとんでもない提案をしてきた。
「そこでだ。オレとしては、あんたらだけで遊ばれるのも癪だし、それならいっそ、みんなで遊びにいくのはどーか、って思ったワケなんだな」
「……は、ぃ?」
「オレとミカミと、玖堂サンと、後誰か一人。四人でフレンドランド、遊びにいかねぇ?」
 フレンドランド。昭和を彷彿とさせる銘。この都会と田舎の中間の町で、唯一にして大規模な絶叫マシンが中心の遊園地名。
「何それ、私別に、遊びに行く気なんてなかったんだけどな?」
 それは、華奈の数少ないお気に入りスポットでありながら、遊び相手がいないために今までほとんど行けなかった場所だ。
 内心かなり動揺してドキドキしながら、華奈は不良の顔を乗り気に見上げることとなってしまった。

「大体、後一人って、誰を誘うつもりなのよ?」
「ん? そこにいる玖堂サンの親戚ちゃんじゃダメなの?」
 それはダメ! と。焦る華奈の心を不良が知るわけはないが、始終黙っている召使の外装が、絶叫系の激しい動きや刺激に(さら)されると傷むのはわかりきったことだった。
 しかし不良にとっては、それは喜ばしい反応のようだった。
「そっかぁ、ダメかぁ。それじゃ、今日来た、あの転校生ちゃんなんかどーだ?」
「……へっ?」
 彼は初めから、それが狙いだったかのように言う。
「玖堂サン、竜牙ちゃんのこと誘ってくれよ。オレはミカミに話しとくからさ」
「……何それ。普通、逆じゃないの?」
 転校生が気になるのなら、不良が直接誘えばいい。華奈とミカミ君が付き合っているとするなら、ミカミ君を誘うのは本来華奈の役目だと思われるのに。

 と言っても、実際ミカミ君と付き合っているわけではない華奈は、
「とりあえずきいてはみるけど、ダメだったら素直に諦めてよね」
 ミカミ君達とフレンドランド。発案が一昨日以前なら死んでも良いくらい幸せだっただろう企画に、複雑な気持ちでイエスの返事をすることになったのだった。

――お嬢様。基本的に、人の初回の頼み事には、NOとは言わない方が得策です。

 だから常に華奈は、何か頼まれたら良い子過ぎない形で引き受ける、複雑な猫被りなのだ。

――請け合い過ぎても、媚売りと反感を買ったり、利用されます。バランスが大事です。

 そんな感じで、結局は杉浦のアドバイスで答えた華奈に、不良もうんうん、と満足、且つ偉そうな笑顔を見せるのだった。

「それじゃーな、玖堂サン。たまには常識やめて、オレ達ともお喋りしてよ……お嬢♪」
 がつん、と。最後にカウンターストレートをかましていったような不良に。
「……どうやら、少なくとも彼が出現する前の数分は、話をきかれていたようですね」
 それはおそらく、お嬢様モード全開で話していた、自称常識主義の杉浦云々のくだりのことだろう。華奈に衝撃を残すには十分な、初の不名誉な仇名だった。
「――ふん。どうせあんな無学な人には、十%も内容の理解はできていなくってよ」
 気にすることはないわ、と自分で口にしながら、体はわなわなと震えている。
「ミカミ君……自分から絶対内密、って言ったくせに………!」
「何故にあのご学友には、お嬢様と交際しているとお話しになったのでしょう?」
 無礼な不良に対する憤り。それも全てミカミ君への憎しみに転換される華奈に、淡々と召使が尋ねてくる。
「――関係ないじゃない! というかそれ言うと完全に詐欺って話じゃなくて!? 誰がミカミ君なんかと付き合ってるというのよ、誰が!」
「そうですね。ミカミ様のご両親に対する方便という契約であり、ご学友への見栄は、契約事項に含まれていなかったと存じます」
 激昂する華奈相手に珍しく、召使は心情をすぐに理解できたようだった。
「本当に……! 何であんな人がミカミ君のベストフレンド認定済なのよ! 絶対利用されてるわ、というかあんなのが友達で、あることないこと言ってる彼が最低だわ!」

 フレンドランドという、誰が相手でも別に良いから、行けるものなら行きたい個人的弱点。その人参を前にしてなお、絶対ころす……! と物騒な呟きを呻く華奈に、召使は少しだけ眼鏡をずらしながら、無表情に見つめていたのだった。

 そして。詳細は後に語られるが、設定までも一仕事を要した、クラスメート四人でフレンドランドツアー……皮肉気に甘く言い換えれば、ダブルデート前夜のことだった。
「――はい? あたくしに面会者ですって?」
「はい、華奈様。先日よりアポイントメントを求められているのですが、華奈様とは全く面識はないとのことだったため、お断りしていたのですが……」
 きけば、しびれを切らした相手が現在玖堂家まで直訴にきており、玄関先でひたすら華奈との対面を懇願している、ということだった。
「脅迫や商談の類であれば、遠慮なくお帰りいただくのですが。相手の方が、華奈様と同じ年代の方で、女同士の話だと主張されまして……使用人一同も、判断に迷っております」
「面倒くさいわね。誰なのかしら、そんなややこしい訪問の仕方をしてくる人って」

 かーなーちゃん、あーそーぼー。の方がまだ真っ当だ、とやれやれと華奈は椅子から立ち上がった。
「ちょうど今なら、時間もあるから。応接室にお通しして」
「申し訳ありません、華奈お嬢様」
「召使を連れていくから、他は誰もつけないでちょうだい。女同士の話? らしいし」
「承知致しました」
 初老で、段々と白髪も混じってきた、華奈にはいつも優しいお局が退出する。直接何か言いにくる時は余程のことなので、断り辛い。
「まさかよね……まさかだけれど……」
 女同士の話。そのフレーズからピンとくるところのあった華奈は、応接室で改めて、自分の慧眼を自覚することとなる。

「突然ごめんなさい。アタクシ、倉村(くらむら)麻子(あさこ)と申しますの」
 その、一見は丁寧な相手の全身像を目にして、まず面食らった華奈が思ったこととして。
――何これ……この子、私と同い年よね!?
「玖堂さんのお家ほどではないのですけど、アタクシの実家もそれなりのお家ですの。でも今日は、そんなことをお話しに来たのではございませんことよ」
 どうぞ、アサコとお呼びになって、と。
 おたふく風邪のように丸く紅く塗られた頬と、口紅で腫れぼったく見える唇で言う相手に、華奈は失笑を堪えるのにまず必死だった。

「ええと……クラムラ、アサコさん?」
「ええ、玖堂華奈さん」
「クラムラ製薬の会長のご息女がいったい、こんな時間に何の御用なのかしら?」
 名字をきいただけで、応接室に来る前の予感が確信に変わった華奈だったが、黙って背後にたたずむ召使には待機を続けさせ、何とか話を切り出していた。
「うふふふふ。さすがね、玖堂さん。名乗っただけでアタクシが誰だかおわかりなんて」
 ……いったいどうすれば、素材は至って普通と思われる中学生の女の子が、ここまで怪物のような容姿になれるというのだろう。華奈はアサコからの返答より、それが気になって仕方がなかった。
 中学生なのに、厚化粧をしているのもマイナス要因かもしれない。しかしそれ以前に、公家のように太く描かれた黒い眉と、しつこく紅い頬紅と口唇。服装のセンスも飛び抜けているのか、アルファベットが胸に大きくプリントされたカジュアルな緑のトレーナーに、やたらに短くふわっとした橙色のシフォンスカート。
 一富豪のお嬢様とはとても思えないような、きつい色目で統一性のないカジュアルルックに、どう考えてもいたずら描きにしか見えない化粧。最後のダメ押しは、まだ若いにも関わらず中年のおばさんが好むような、ふわふわとしたショートボブのヘアスタイルだった。しかも、蛍光色のような黄緑色に染められた髪での。

「単刀直入に申し上げますとね。玖堂さんが、帝御君という方と付き合っておられるというのは、本当のことでしょうか?」
「――」
「アタクシ、彼のご両親とは、以前から懇意にさせていただいておりますの。その縁で彼とは将来を考える間柄なのですが……この度、不穏な話をききましたものだから」
 アサコは始終、徹底的に磨かれた笑顔を崩さず話を続ける。セールスレディもかくや、というほど作られた笑顔は、こうもコワイものか、と華奈は生唾を飲み込んでいた。
「…………」
 やはり間違いなく、この相手は、ミカミ君が婚約を拒否して華奈に助けを求めた原因。彼曰く、有り得ないブスで陰険で猫被りの、片思いの女の子なのだろう。

「――ごめんなさい、クラムラさん。そのお話は、本当のことなんです」
 しゅん、と。なるべく穏便に事を進めるため、申し訳なさを演出しながら話す。
 まぁ……とアサコは、ショックを受けつつ冷静という様子で、口元に手を当てていた。
「あたくしも、こうした家のある身の上なので、これまでは口にはしませんでしたが。あたくしとミカミ君は――正式にお付き合いをさせていただいているの」
「まあまあ……それはそれは……」
 アサコは、本当にショックだわ、というように表情に陰りをみせながらも、落ち着いた様子で華奈に相対する。
「どうかお顔をあげて下さいな、玖堂さん。そしてどうぞ、アタクシのことは、アサコとお呼びになって」
「アサコさん……」
「アタクシ、幼少の頃から帝御君には片思いをしておりましたの。けれども今回は、どうやらそんな思いに一人で先走って、強引に事を進め過ぎてしまったようだわ」
 ああ、と哀愁の溜め息をつくようにアサコは、顔を上げた華奈の代わりに俯いていた。
「でもどうか、玖堂さんは何も気になさらないでね。悪いのは全て、罪作りな帝御君一人なのだから」

 華奈はほっと、つい思っていた。
――何だ……この人、見た目はコワイけど、話はわかるじゃない。
 この飛び抜けた容姿を、わざわざ作ってさえいなければ。せっかくお金持ちの家であるなら、きちんとしたスタイリストが控えていれば、全ての問題は解決するだろうに。
「帝御君から手を引いて、とは申しませんわ。アタクシはただ、真実を知りたくって」
 そのためにこんな、不躾な訪問をしてごめんなさい、と。素直に謝るアサコを前に、逆に華奈の方が段々と、胸が痛くて居たたまれない思いが強くなってきていた。
――真実なんかじゃ、ないことなのに……でも、そう言うしかないのよね……。
 約束したから――と。華奈は必死に自分に言い聞かせると、アサコに不審感を与えることのないよう、俯く彼女の前で表情を変えずに、ひたすら沈黙を続けた。

「――それでは今日は、これで失礼致しますわ。またお会いしましょうね、玖堂さん」
「――?」
 淡々と立ち上がったアサコを、部屋の外で待機していたお局に、玄関まで送るように命じはしたものの。
「また会いましょうって……どういう意味なのかしら?」
 事実確認をしたかっただけなら、これでアサコの用事は全て済んだはずだ。華奈も口裏を合わせるだけの約束なので、これ以上この件に巻き込まれるのは正直避けたい。

「アサコ様は、お嬢様のことを気に入られたのではないでしょうか?」
 一部始終を見届けていた召使は、呑気にそんな風に言うのだった。
「全く……ミカミ君も本当に、見る目がないこと。あの彼女なら、ちょっと助言してあげるだけで、大分生まれ変わりそうじゃない」
「世にも風変りなご容姿でしたが、単に変わっているだけ、ということですか?」
「そうよ。そういう人って、時々いないことはないし、見た目が派手な人ってたいてい、中身は意外に純粋なことが多いんだって、杉浦が言っていたわよ」
 はあ、と。何の根拠があるのか全くわからない説に、首を傾げる召使に華奈も半分は同意する。

「それにしても……疲れたわ……」
 ゆらりとゆっくり、応接室のソファから立ち上がった。
「後何回……こんな不毛な芝居を続けなければいけないのかしら……」
「……」
 それはもう、色々な意味で疲労していた。召使もかける言葉が見当たらないようだった。
「早く嵐が来ればいいのに……こんな鬱陶しい気分、消し飛ばしてくれる嵐が……」
 既に、この数日の間に、例の計画のため自然発生した雷雲を利用する装置は、学校の校舎裏に設置してあった。
「後はおまえを連れて、嵐の日にミカミ君をそこに呼び出すだけなのに……全く」
 明日には、友達四人で遊園地に行く。至って平和な予定を控えながら、不穏さしかなく呟く華奈に、やはり召使は何も言わないで黙り込んでいた。

 フレンドランドというのは、それ自体は、大切な予定だった。その場所が華奈には懐かしくて仕方がない。
 中学校に入り、杉浦が暇をとってしまう前は、両親、杉浦、華奈の四人で、年に一度は遊びに行くのがその遊園地だった。
 遊園地というのは偶数で訪れる方が収まりが良いので、そのメンバーが常だったのだが、家族という言葉が一番しっくりくるので、杉浦は要するに姉に近い存在なのかもしれない。
「まあ本当は、家族というより、名前の通り友達と一緒に行く場所なんでしょうけど」
 小さい子供が乗れる機械が少ないので、幼かった華奈にはピクニックに行く感覚だった。それを改めて、初めて友人と連れ立っていく予定は、こうした状況でなければ間違いなく心から楽しいイベントのはずだった。

 それを思うとまた華奈の中に、ミカミ君への怒りがふつふつと沸いてきてしまう。
「――もう。あの人のせいで、何もかも裏目に出てるんじゃないの……」
 どうせミカミ君は、不良に言われてNOと言えずにやってくるだけなんだろう。ついでに華奈と付き合っている架空の事実も、無難に裏付ける根拠の一つになると踏んでやってくるだろう、と。
 苛々と華奈は、また彼の心情予測をするのだった。

 何かとそうして、悪い事しか考えられなくなっていた。気難しい顔のままの華奈を、召使は無表情に見つめている。
 華奈はついに、抑え続けた弱音を吐くまでに、疲れ切って小さくなった声で呟いていた。
「ねえ……明日までに私、元気、出るかしら? ……何だか凄く、疲れちゃった」
「――お嬢様?」
 自分は製作者であり、この機械を教育する側。華奈はそう気を張って接してきたつもりだ。それでもあまりに、このロボットの受け答えに棘が少ないものだから――
 まるで杉浦に、心のたけを愚痴っていた時のように、自然と言葉が出てきてしまった。
「また私、バカな約束、しちゃったのかしら? わざわざ竜牙さんを無理に誘って、説得してまで――……私、本当に、何やってるんだろう?」
「明朝、お嬢様の体調が優れなければ、無理に出かけられることはないと愚考致します」
「それじゃ、ドタキャンになっちゃうからダメよ。本っ当……竜牙さんが断ってくれた時点で、もう頑張らなければ良かったのになぁ……」

 何か仕事を任せられた時は、完遂せんと粘ってしまうのは、華奈には脊髄反射でもある。
 冷静沈着なリケジョ、事業家の後継ぎとしてはそれで良いのだろうが――
「お嬢様の仰る通り、わたくしの目には、お嬢様は自らご自身を追い詰めておられるように感じられます」
「…………」
 必死に約束通り、嘘をついたこの疲労感も、キャンセルはできないと気が重くなるのも、結局は華奈が、約束に拘っているから。
 思った以上に融通の利かない頑固な自分を、少しずつ自覚してきた。今夜はズバリと言われても怒ることなく、そうよね……と、弱音だけを続けた。
 そんな華奈に、召使は少し危機感を抱いたのか、
「どうしてもお嬢様が、予定をキャンセルできないと仰るのでしたら。影武者として、わたくしが出向くのはいかがでしょうか?」
 眼鏡を外し、華奈とは違い無表情な目つきながらも、全く同じ造形の顔で華奈の方を見る。

「……有難う。……本当に最悪の時は、それ、お願いしようかな」
 そう思えると、不思議と少し、華奈の心は軽くなってきていた。
「――でも大丈夫。何と言ってもこのあたくしは、リケジョヒロインの玖堂華奈なんだから」
 特に意味はない扇り文句で自分を励まし、華奈はようやく、応接室を後にしていった。

 召使はいつも、夜は華奈の部屋の隣室で、充電をしながらスリープモードに入る。
 あまり遅い時間から充電を始めると、朝までに十分な量の蓄電ができないこともある。本当ならもう少し話していたかったが、弱った自分を振り切るように、華奈は一人で自分の部屋に帰っていった。
 その後ろ姿を相変わらず、召使は無表情に見つめていた。


 自室のベッドに、ごろんと無作法に寝転がると。あまり思い出したくなかった、中学に入ったばかりのことが頭に浮かんできた。

――お嬢様。杉浦はそろそろ、暇をとらせていただきたく思っています。

 夢中になって二人で造った、人型ロボットが完成に近付き、公表はできないが確実に玖堂家の発展が期待されていた矢先のことだ。

――わたし達はきっと、禁忌にふれてしまったのでしょう。これはその罰なのです。

「まぁね……いくら本当に、人間みたいなロボットを造るためだったとしても……」
 機械の躯体に、人間の外装を施す。それ自体は既存の発想を逆転させただけのものだ。人間が機械でできたパワースーツをまとうなど、機械の力を借りて行動する方法は存在するのだから。
「それでもさすがに……まずは、人間をロボットにしようと思い付いたなんて……私も杉浦も、やり過ぎちゃった感は否めないものね」
 今の召使制作の前段階に存在した、人型ロボット製作の第一案。
 それは人間の全身の筋骨格を人工物に置き換え、既存の神経と脈管に加えて全身に電線を通してしまうという、何とも大胆で無謀な試みに華奈は取り組んだ過去があった。

 人間の中身を機械に置換するのも、機械に人間の皮を被せることも、人間そのものを利用するという点で、どちらも倫理的問題を多分に孕む方法になる。
 それでも杉浦は、自らを実験台にするという方法でクリアしてしまった。

――わたしが望んでそれをするなら、それはわたしの自由意志です。誰にも咎められる筋合いはありません。

 機械組織を全身に埋め込む大プロジェクト。それは結局、人型ロボットではなく所謂サイボーグに過ぎないため、プロジェクトが成功してしまった後も杉浦が納得することはなかった。
 半ば、機械になってしまった杉浦だが、専属召使たる彼女の振る舞いは変わらなかった。華奈と共に、今度は華奈案を実行に移すべく、力を貸してくれた。そうしてできあがったのが今のあの召使だ。
 そのように彼女達以外、当分到達できそうにない人智の結晶、人工知能の機械を完成させた後で。これで自分の役目は終わったと言い、杉浦は笑って別れを告げたのだった。

――お嬢様……きっとわたしは、心の無い機械になりたかったんです。
 だからわたしの心は、このロボットに置いていきます、と言って。

 最後の方には杉浦は、全身のあちこちが常に痛み、どうにもならない体になっていた。
 今は人知れず療養の日々を送っているときくが、行方をくらませてしまっている。

 人間を機械にするのは杉浦の案で、機械をより人間らしく見せるアイデアは華奈の案だった。だから召使に被せている外皮は、華奈の細胞を使って造られている。
 それでも、杉浦の凶案を止めていれば良かったな、と華奈はいつも悔やんでいる。
 さすがの華奈にも、全身を手術するという杉浦の無謀案には、自然な躊躇いの心があった。だから後者の案を必死で思い付き、企画したという経緯もあった。
「でも、杉浦……本当に、楽しそうだったんだもの……」

 そうして色々とぶっ飛んだ、到底常識人と認められない教育係だった彼女。
「それでも私は……あなたが一番の頼りだったのよ……」
 きっとこれから、もっと色んなロボットを造って、賑やかな生活になっていく。今でもその望みを華奈は捨てていないが、当面は信頼していた人を失った状態で、一人で頑張らなければいけない。
 どうしてそんなに、まだロボットを造りたいのか、華奈もよくわからない部分ではあった。きっと科学的探究心の表れなだけだ、と自分を納得させている。
 そのまま、召使を参考に、一人で人工知能の開発に取り組む毎日だった。

 人より何倍も速いスピードで生きてきた華奈は、人の何倍も失敗や成功をしてきた気がする。
 それは華奈にとって誇りでもあったが、思い出すと辛いことも確実に沢山、胸の中にはしまわれていた。
「あーあー、疲れてるなー……こんなにやなことばっかり、思い出すなんて」
 寝よ寝よ……と。むくりと起き上がって、お気に入りのシルクのパジャマに着替える。
「明日はちょっとでも、楽しいといいけど……」
 考え事をし過ぎて、確実に目は冴えてしまった。
 ぱくり、と効率良く生活するために昔からお世話になっている屯服の眠剤を、あっさり口にする。ふう、と横になる華奈だった。
 やがて、頭が落ち着いてくるまで、何故か杉浦の、一見無害な笑顔を思い出しつつ。

➺AメロⅡ

 ――はい、と。フレンドランドの入り口で、四人分のフリーパスを取り出して配る華奈に、ミカミ君が歓喜の声をあげた。
「すげー、玖堂さん、有難う! プラチナパスなんて俺、初めて使うぜ!」
「気にしないで。たまたま父の関係で、運良く頂ける機会があっただけだから」
 どの乗り物も、待たずに乗れるだけではなく、園内の飲食は全てタダとなる特別仕様のフリーパス。素直に喜んでいるミカミ君に、華奈はいつも通りに笑った。
「おー、さすがは、超絶お金持ちのお嬢。いっそ貸し切りにしたら良かったんじゃね?」
「やーねぇ、春日君。子供の遊びにそこまでやったら父は顰蹙(ひんしゅく)を買うわよー」
 ぴきぴきと笑顔が引きつりつつも、不良にもいつも通りに笑いかける。

「……」
 フリーパスを物珍しげにじーっと眺めた後に、転校生は不良やミカミ君が腕につけているのを見て、無表情のまま(なら)っていた。さすがに愛想笑いをする気にはなれなかった。この美少女はそうしたニセモノに何故か鋭く、その都度あの青い目を向けてくるからだ。
 そもそも、華奈が気さくを越えてセレブ仕様のパスを入手した経緯としては。
 転校生の美少女を誘った時に、
「――無理。うち、お金ないし」
 あっさりそう断った相手に、華奈は負けじ、と食い下がった。
「それがね、今うちで余ってるパスを使えば、全部無料で遊びに行けるの。もうすぐ有効期限が近付いてるから、勿体ないから誰かに使ってほしくて」
「……へー……」
 元々お気に入りの場所であったため、プラチナパスの存在は知っていた。売れ行きが悪いのも本当なので、完全に嘘ではないことを言う華奈に、転校生はまたあの無表情な視線を向けていたが。

「……玖堂サンと、行くなら、いいかな」
「――えっ?」
 そんなことだけ口にして、いつ行くの? と気だるそうに尋ねる。
 華奈は何故かわからず焦りながら、後でまた連絡するから、と言い、自宅の電話番号をゲットしたのだった。

「竜牙さん、大丈夫? 使い方わかる?」
「……ん。多分」
 意気揚々と、前を歩く男二人はあえて放置した。歩調は早いが何処となく上の空の転校生が、華奈は何となく放っておけなかった。
「竜牙さん転校生だし、フレンドランドは来るの初めて?」
「こういう所、初めて来る」
 ……と。無表情のまま彼女がキョロキョロしている理由を、改めて悟る。
「それじゃ、まずは軽いのから乗ってみよう? 竜牙さんって車酔いする方?」
「あんまり車に乗ったことない」
 ずっと無愛想に、それでも華奈から程良く目を逸らさず答える相手に、不思議とあまり嫌な感じはしなかった。
 むしろ、男二人のことは忘れて、気持ちが和んだと言ってもいいくらいだ。
「じゃあ、少しでも気分が悪くなったら言ってね。そういう人もたまにいるから」
「……わかった」

 そして転校生を連れて、前の二人に声をかけて、室内型の小規模のジェットコースターに入った。
 入り口に近い場所にあるそのコースターに、華奈はいつも最初に乗ることを自然と思い出していた。
 そして五分後。
 や、やばい……と、華奈は思わず口を両手で覆う。

 初めて絶叫マシーンに乗ったらしい転校生が、無表情のまま頬を紅潮させて、両手を握りしめていた。
 キョロキョロと、辺りを見回している。多分早く、次の乗り物に乗ってみたくてウズウズしているらしい。

――かっ……可愛いっ……このコっ……!

 行こ! と思わず、衝動的に転校生の手を引っ張って駆け出してしまった。
 お? と彼女は不思議そうにしつつも、華奈になされるがままに、しばらく次々と新たな乗り物を制覇してまわることになる。
 その一つ一つの乗り物全てに、ふるふると手を握り、奥歯を噛みしめていたようだった。

 ――が、しかし。
 午前中は良かったものの、午後になって突如、暗雲が立ちこめてきた。レストハウスで四人はゆっくり昼食をとった。
 窓の外で吹き荒れている雷雨に、華奈は大きな溜め息をついた。
「天気予報は晴れって言ってたけどなぁ。なあ、春日?」
 あー。と、どうでも良さげに窓の外を見ながら返答する不良と、首を傾げるミカミ君。
「あれ、竜牙さん、ご飯食べないの? さっきから飲み物しか頼んでないよね?」
「お腹減ってない」
 えー、せっかくタダなのに勿体ない、と笑うミカミ君に、興味無さげにひたすら炭酸飲料をお代わりしていた。

「……」
 そんな呑気なミカミ君を横目に。
 よりによってこんな日に、待ちに待った雷雲が来るなんて、と、転校生のおかげで和んでいた華奈の胸中を、再び暗雲が浸食しつつあった。

「竜牙ちゃんって、普段は休日何やってんの?」
「……別に、何も」
 にやにやと尋ねる不良に対し、転校生は露骨に不快そうな顔で、一段と無愛想だった。
「えー、休日何やるか決まった中学生なんて、気持ちわりー。そんなの俺くらいだろ~」
 悪くなりかけた空気をあっさり崩す、人懐っこいミカミ君。転校生も彼の自然さは肌で感じ取ったらしく、うん。とだけ、いくらか緩和した無表情で頷いていた。

 当然ながら、ミカミ君の普段の休日は、舞台活動とそのためのやりくりで精一杯だ。
――……ほんと、こんなコですら和ませる女殺しなのよね、この人って……。
 華奈は転校生の顔に一瞬温かい気持ちが浮かびながら、同時に更なる暗黒を育てる。

 ある意味、転校生の美少女の歓迎会になったのは流れとして自然だった。
 ミカミ君も不良も、転校生にばかり話しかけており、華奈の真っ黒な思考を妨げるものがあまりなかったことも災いしていた。
 召使は、園の外で待機させているのだから。
 この雷雨が閉園まで続けば、例の件を今日実行することも可能かもしれないな、と。黙々と華奈は、三杯目の珈琲を飲みながら、そんな真っ黒な思考をフル回転させる。

「――玖堂サン。あれ行こう」
「へ?」
 転校生がふいっと、華奈の方を見てから外を指差していた。レストハウスから近い位置にある、絶叫系でなく迷路タイプの屋内施設だ。
「別にいいけど、あれは結構、子供騙しよ?」
 転校生から自発的に希望が出たのは良いが、がっかりさせたら可哀そうかも、なんて思ってしまう。
「えー、俺は意外に好きだよ、あーいうの。行こうぜ行こうぜー」
「どうせ、外の乗り物は動いてねーしな。別にいーだろ、お嬢?」
 いつの間にか、不良は「お嬢」呼びが定着している。
「……別にいいけど」
 二度目の同じ返答をしながら、いいわけなくてよ? と語尾を変えたい衝動を、華奈は笑って黙殺したのだった。

 そして、建物の入り口でまた、物怖じしない不良が問題発言をする。
「せっかくだから、男女で行こーぜ。行こー、竜牙ちゃん♪」
「……――」
 転校生は凄く嫌そうな顔をしてから、一瞬華奈を見ようとしたが、不良の目当ては元々それだと予測していた華奈は、あえて少女の方を見ないようにした。
――私だって、あのコと行きたいっっ……今ミカミ君と二人って、きっついっ……!
 それでも協調重視生活の華奈にとって、自ら場の流れに逆らうことは敗北宣言に等しい。
 ごめーん……と、もやもやした思いで、先行出発する不良と転校生を見送っていた。

 絶叫系重視のフレンドランドでは、全く地味な部類のこの迷路は、そんなに長いものではない。完全室内型なので雨や風の音は届かず、BGMも使われていないため、シーンとした構内に二人でこつん、と足を踏み入れた。
 久しぶりだなぁ、と、幼い頃にここに入った時のわくわく感を思い出すが、ペアとして隣をゆっくり歩くミカミナオの姿に、結局それどころではなくなっていた。
――ああもう……何でこの人、さっきから無言なのよ!?

 それじゃ、行こうか? と、とにかく笑ってミカミ君と迷路に入った華奈だったが。
「……」
 四人でいた時にはずっと笑顔だったミカミ君が、ここにきて急激に、黙り込んでしまった。
 ともすれば不機嫌にも見える顔で華奈から目を逸らし、それでもゆっくり、思い出と共に歩く華奈に歩調は合わせて、暗い迷路を少しずつ進んでいた。

「あのさ……ミカミ、君?」
「――え?」
 沈黙に耐えかねた華奈がようやく声を出すと。ミカミ君は何処となく緊張した面持ちで、立ち止まってこっちを見てきた。
「何? 玖堂さん」
「え、あの……うん、あの……」
 普段、学校にいる時の彼からは全く想像できない硬い表情は、完全に華奈の想定外だ。
 今の居心地の悪さは、これまでの暗雲や怒りとは違うものになりつつあった。
――そんなに……私と一緒に行くの、つまらない……のかな……。
 もしや、ミカミ君も竜牙さんと一緒が良かったのだろうか。華奈はふと思い当たった。
 何故かミカミ君は不良を崇拝し、彼の言うことには逆らえない節があるので、そんな想像が浮かぶ。たとえ同じように転校生が気になっていても、二の足を踏むだろう、と。

 そこまで思ったと同時に、これもまた想定外な、胸を刺すような痛みを突然自覚する羽目になった。
「――っっ」
 玖堂さん? と怪訝な顔で華奈を見るミカミ君に、今度は華奈の方が視線を逸らした。
――そんな……ミカミ君が他の人を好きだったら……どうだって、いうのよ?
 ……失恋なんて言葉は、耽美で生ぬるい、と華奈は俯く。
 華奈の恋は、始まる前に終わった。あの怒りはただ、この痛みを誤魔化すためのものだったのだろうか。
――竜牙さんには、勝てそうもないとか……そもそも、そんな次元じゃ、ないのに……。
 反感や危機感よりも、ただひたすらに。彼の眼中にない自分を見せ付けられる、この現実をこそ恐れて、自分は彼を抹殺したかったのでは。そう思うほど、このまま直視すると、何かが壊れてしまう痛みがあった。華奈は目を背けるために、あえてリケジョを理性で呼び戻した。

 そんなこと、ミカミ君を亡き者にしてやる! と決めたあの時、既にわかっていたはずなのだ。ミカミ君にとって、華奈は利用価値があるだけの同級生に過ぎないということは。
――でも、別に……役に立てれば良かったはずなのに、私………。
 召使が不思議そうに口にしていたことが、今更ながらに、華奈の胸にも新たな影を落としていく。

「玖堂さん……どうしたの? 体調でも悪いの?」
「――えっ?」
 ミカミ君は相変わらず、硬い顔つきをして立ち止ったままだ。
 稚拙な森の絵が描かれた、迷路の壁を背にして俯く華奈に、声だけは穏やかに尋ねていた。それで何とか、華奈も態勢を立て直せた。
「う、ううん。ミカミ君こそ、何か顔、青くない?」
「……そう?」
「あ……うん。気のせいかもしれないけど、疲れちゃったのかなって気になって……」
「そうかな? ……そう見える?」
 ううん、と、ミカミ君はますます硬い顔で黙り込んでしまった。
 そしてまた、二人の間を、しばらく沈黙が支配する。

 この迷路の正しいルートを、華奈は幼少の頃に把握している。
 クリアしようと思えば、すぐにでも外には出られる。けれどどうにも、ミカミ君の沈黙の理由が気になり、ルートを知らないらしいミカミ君の進路に合わせて、とぼとぼ森の迷宮をさまよっていた。
「……ごめんな、玖堂さん。俺より春日と来た方が、クリア早かったかも」
「――えっ?」
「何か、玖堂さんには迷惑かけてばっかりだな。情けねーな、俺」
 華奈の方を見ず、細く呟いているミカミ君の姿。華奈は先程の比ではない焦りで、条件反射のように、そんなことない! とフォローにまわっていた。
「私もミカミ君に、助けてもらったことあるよ。さっきみたいにミカミ君、私が凄く落ち込んでた時、声かけて助けてくれたじゃない」
「――?」
「忘れちゃったかもしれないけど……私、その時、本当にすっごい落ち込んでたのよ。だからとても嬉しかった。凄く助かってたんだよ、あの時」

 そう。初めてミカミ君に声をかけられ、荷物を持ってもらったあの時、華奈は体調が悪かったのではない。
 まさにその前夜、杉浦が去ってしまったばかりだったのだ。

「……さっきもそんなに、やっぱり落ち込んでたの?」
「――え?」
 しかしそんな華奈のフォローもむなしく、ミカミ君は何故か更に暗い顔つきになった。
「……それだったら、早いところ行こーぜ。多分、春日と竜牙さん、外で待ってるし」
 ふい……とつれない顔つきで、さっさと歩いていってしまった。華奈は小走りで後を追う羽目になった。
――もうっ……何なのよ、いったい……!?
 理由はよくわからないが、自虐的だった彼を、慌てて励まそうとした華奈はバカみたいだろう。
 自分を襲った痛みもかなぐり捨てて、反射的に気さくを装った自分。つくづく恥ずかしく、泣きそうに感じる始末だった。

 その時の華奈の、そうした余裕のない心で。いつも自然に優しい少年の、間違っていた気遣いに思い至れるわけもなく。
「ごめんな、玖堂さん……俺より春日と、来たかったんじゃない?」
 そう言いかけて、慌てて後半を修正した少年の気持ちは複雑だった。
 不良と転校生が連れ立っていき、二人を物惜しげに見送る華奈の様子に、少年は完全に勘違いをしていた。それでも何か言えるような立場ではない、と思い込んでいた。

「うわ……雨、ますますひどくなってるじゃない」
 迷路の終点、土産物屋になっているスペースで前の二人と合流した後、外の天気は壊滅的になっていた。
 ところどころで雷を伴いながら、まさにざざ降りの大泣きの空。諦めてツアーはお開きとすることにしたのだった。

 転校生が少し、疲れた様子であったことも気になった。
 ミカミ君が迎えを呼ぶというので、再び四人はレストハウスで、お茶をして待つ形となったのだった。

「玖堂さんも、良かったら送ってくよ? 兄貴、駅の方にも用事あるって言ってたし」
 先程は転校生の対面に座っていたミカミ君が、今は華奈の対面に座っている。何故か嬉しそうに、華奈を見ながらそう提案してきた。
「――いいよいいよ。私、みんなとは反対の方向だから、みんなの帰りが遅くなるわ」
 最近は板に付いた、強ばった笑顔で答えると、ミカミ君はまた俯いた。まるで主人に(たしな)められた、子犬のような目をして。
「……?」
「――あ、ごめんね……この雨だし、ほんっとに気をつけてね、玖堂さん」
 首を傾げる華奈に、あはは、と苦笑いするミカミ君。

 彼のその落胆に、その場で気が付いていたのは――
「……ふーん……何か、してあげたいんだ……」
 もしかしたら、ぴくりと眉をひそめて呟いた、転校生だけだったかもしれない。

「それで……ミカミ様の兄上の運転される車で、お三方は自宅に送られたのですね」
 ――そ、と、召使に華奈は冷静に頷いた。
 迎えがあっては、例の計画を実行するわけにいかなかった。召使と共に自分を迎えに来たリムジンで、後部座席に優雅に座りながら、外の雷雨をじーっと眺めていた。
「お嬢様は、楽しめましたか?」
「午前中は、ね。やっぱりプラチナパスを用意して良かったわ。今日の収穫は本当に、それだけ」
 鬱屈した気持ちを振り捨てるように、朝の内の転校生の一挙一動を思い出して、ふふん、と笑みを浮かべる。召使が不思議そうに華奈を見る。

 急激に、リムジンにあるまじき急ブレーキが踏まれた。右に左に、ハンドル操作が大きく振り切られた。
「きゃっ……!?」
 召使が人間以上の反射速度で、咄嗟に華奈を支えたため、華奈に怪我はなかったものの、
「――ちょっと、どうしたの!?」
 カーテンを開けて運転席の方を怒鳴りつけると、申し訳ありません、と恐縮したように、日頃から慣れ親しんだお抱え運転手が、青ざめた表情でふるえながら道路を指差した。
「えっ……まさか……落石……?」
 先程のブレーキ音と激しい衝撃に消され、華奈はその音に気付けなかった。たった今しがた、崩れ落ちてきたという土砂と大岩が、すぐ前の道を塞いでいる状態を目の当たりにした。
「何、これ……普通、こんな崩れ方する?」
 震える運転手曰く、まるでこの車が通るタイミングを狙いすましたかのように、山肌とそれを支えるコンクリートが決壊したらしい。

「ご苦労だったわ……よくこんな酷い状況から、この車を守り切ってくれたわね」
「お嬢様……」
 召使がPHSで救援を要請する横で、華奈はあえて落ち着きはらう。緊張の糸が切れて過呼吸になりそうな運転手を労いながら、睨むように道路をきっと眺め続けていた。
 その様子を、カシャ、カシャ……と、遠目にいくつもの写真におさめられていることには、気付けるわけもなく。


 ようやく家に辿り着くと、待ち疲れたらしい両親が揃って駆け寄ってきた。
「――大丈夫だったのか!? 華奈!」
「華奈! 帰ったの!?」
 華奈もやっと、少し体の力が抜ける。
「お父様、お母様。ご心配おかけして、申し訳ありません」
 この通り、何ともありません、と優雅に微笑むと、またも揃って二人は大きな安堵の息をついていた。
「お二人共、お仕事の方はよろしいのですか?」
「何言ってるのよ、こんな時まであなたって子は。気を使うんじゃなくってよ」
「その通りだ、華奈。家族あっての仕事、仕事のための家族ではない。この家で一番優先されるのはお前の安全なんだよ」
 それはそうよね。と華奈は、仕事がちの両親の心配を何処か意地悪く受け流す。
 後継ぎに何かあったら、大変ですもの。あくまで仕事が最優先だとする思考を、華奈自身も崩そうとは思ったことがない。

「だから私は反対だったのよ、華奈をあんな粗野な学校に入れるなんて……」
「いやいや、学校にいった帰りではないはずだろう。今日は日曜日だよ、捺子(なつこ)さん」
「それでも中学生の子供だけで出かけさせるなんて、非常識だわ。許可を出したのはあなたなの?」
「いやいやいや、どれだけ頭のいい大人でも、天気予報も空模様も晴れの日に、突然土砂降りが起こって更に地崩れが起きるなんて予想はできないよ。華奈が一人で行動できる自立した子なのは、とても喜ばしいことだけどね?」
 少し過保護の傾向のある温室育ちの母と、庶民の出で知能と容姿が極めて高レベルらしい父の、やんわりとした窘め合い。
 両親のこうした応酬は、最早華奈は慣れっこなので、ふう、とこっそり呆れた目をしつつも顔は微笑む。

「――お嬢様、お話があります」
 とことことこと。泣く子も手駒にするやり手、などと言われる玖堂夫妻を前に、物怖じせずに召使がやってくる。
「あら、何かしら? ごめんなさい、お父様、お母様、あたくし部屋に帰りますわね」
 あ、華奈! と、呼び止めたそうな両親を遠慮なく振り切り、さっさと自室に戻った華奈だった。
 元々、普段はほとんど家にいない両親なので、こうして何かで帰ってきている時の方が、落ち着かないのが最近の本音だった。

 部屋に帰ると、助け船を出すよう指示をしておいた召使に、まず華奈は礼を言った。
「それじゃ、もう下がっても良くてよ」
「はあ、それがですね、お嬢様。話があるというのは本当なんです」
「――え?」
「ご両親のお耳にも入れておいた方が良いと思うのですが。今日のあの土砂崩れは、明らかに人為的なものです」
 何ですって? と、目を細める華奈に、召使は淡々と所見を並べ立てる。
「詳しくは調査報告を待たなければいけませんが、土砂の広がった範囲が極めて限局的でした。自然に流れが発生した場合、あの規模で済むことは有り得ません」
 だから運転手の必死なハンドル操作で、よけることができたのではないか、と召使が言う。
「コンクリートを爆破することで、水平方向に決壊した土砂群。そう考える方が自然です」

 というのが、と、次に続ける内容に、華奈はひどく驚かされることになる。
「人為に基づく工作というのが、杉浦様の見立てです」
 一瞬、華奈は時間が止まったように思考を停止していた。
 己の耳を疑ったのだが、瞬時に状況を理解した。
「――何ですって!?」
 確かにこの人工知能が、そこまで現状を分析できるのはおかしい。そう思いつつ、話を聞いてはいたが。
「ちょっとおまえ、杉浦と連絡をとったって言うの!? どうやって、ねぇ!?」
「わたくしではありません。運転手と杉浦様は共に古参のお方なので、おそらくその筋からだと思われます」
「おそらくは……っていうのは?」
 召使はそこで、はて。と首を傾げると、
「気が付けば、このようなFAXがこちらに」
 そして取り出したのは、紛れもない杉浦の字で書かれた、華奈への手紙だった。

「どうして……まだあれから、三時間もたってないのに……」
 用紙をばっと召使から取り上げた華奈は、丸まっている感熱紙を丁寧に開く。
 ドキドキしながら、中身に目を通す。文章の簡潔さは相変わらず、杉浦らしかった。微笑みを殺し切れない顔でまず華奈は思っていた。


 親愛なるお嬢様へ。

 華奈様、お元気ですか?
 あなたの命を狙っている方がいます。
 くれぐれも身辺にはご注意ください。

 杉浦


「何よ、これ……こんなんじゃ全く、さっきおまえが言ったようなことは伝わってこないじゃない」
「先程のは、別のわたくし宛てのFAXに記してありました」
「そっちも見せなさい!」
「申し訳ありません。読んだ後は焼き捨てるように指示があったので、処分しました」
「ああもう……気が利かないったらありゃしない」
 がくっと肩を落とす華奈に、申し訳ありません、と召使は淡々と繰り返した。

「それにしても……あたくしの命を狙う者がいるなんて、どういうこと?」
「身に覚えはございませんか?」
「そうでもないけど。何たってあたくしは、天下の玖堂家の一人娘なわけだし」
 その筋で言えばいくらでも、命を狙われる理由が発生することはあるだろうが、
「そんなの、今更じゃない。杉浦が連絡をとってくるなんて余程よ……この二年半、全く行方がしれなかったんだから、あの人」
 でも、と華奈は思わず、目に涙が溜まっていた。
「良かった……もしかしたら、死んじゃったんじゃないかって思ってたもの……」
 それだけで、華奈の中では何か、見えない重荷がやっと下ろされた気がした。

「それはそれとして、お嬢様。この件については、どうなされますか?」
「……そう、ねぇ。全然、ぴんとこない話ではあるけど……」
 一応、備えはしておいた方がいいのかしら? と両腕を組んで悩む。
 両親に伝えるのは避けたかった華奈は、直接警備部の方へ足を運んだ。今考えられる最大限の防御策を練って、これまで通りの生活を続けることにしたのだった。

「――あれ? これ……」
 研究室に下りて、収穫した防御策の数々を実際につけてみている時に、あることに気がついた華奈だった。
「ちょっと召使。これ全部、処分しておいてちょうだいって言ったじゃないの?」
 咎める内容でありながら、口調は明るい。
 命を狙われているなんて伝えられたのに、鼻歌すら口ずさむテンションの高さは、あのFAXを目にしてからずっと続いている。
「そこの、ミカミ様のタレント名鑑の印刷のことでしょうか?」
「そうよ。別に急がないでいいけど、なるべく早くズタズタに切り裂いておいてね?」
 楽しげに物騒なことを口にする華奈に、明らかに切迫感はないものの……。

 何故召使が、その命令をそもそも実行していなかったのか。
 その意味だけでなく、そうした状況の違和感すら、今の華奈は気付けないでいた。
「…………」
 召使は表情の見えない色付き眼鏡に、きらりと灯りを反射させる。わたしは、その必要は感じませんが、とだけ口にしながら。
 わかりました、その内、と、華奈の言う通りに付き従うのだった。

➺BメロⅡ

 その日はとても、不意に訪れていた。
「あ――……今日、これ……雷が、くる……?」
 段々と、間近の空が黒ずんでいることにふと気が付いた。
 HR前の学校の教室で、華奈は思い出したように空を見て、きょろ……と辺りを見回してから呟いた。
「ついに……この時が来た……」

 ミカミ君との約束から、既に一カ月がたっていた。今度はそろそろ、期末テストの準備が必要になる時期だった。
 華奈の怒りは多少衰えはしたものの、静かに静かに持続していた。

 というのも。
「あれからミカミ君、朝の挨拶すらなくなってしまうなんて……人をバカにしてるとしか思えないわ、本当」
 フレンドランド以来、ミカミ君とはある意味元通り、あまり接点のない日々が戻ってきていた。
 代わりに不良は、頻繁に転校生に声をかけては、つれなくあしらわれているようだった。
 接点があってもなくても、どの道ミカミ君の存在は華奈の目に障っているのだった。

「今日はまだまだ、竜牙さんに勉強を教える予定だったけど……」
 期末テストの対策を始めるため、嫌がる相手にまず九九や割り算など、基本中の基本から昼休みに教えていた。
 華奈も好きでそんなことを始めたわけではなく、今朝に突然、担任から泣きつかれたのだ。かの転校生が帰国子女枠で何とか高校に上がれるように、最低限の点数を期末テストでとらせてやってほしい、と。
 帰国子女だったのか。とは、一風変わった転校生を見ていると少し納得できるが、勉学に全く興味がない相手に勉強を教えることほど、苦痛なこともそうそうなかった。

「――そうね。患い事はさっさと処理して、竜牙さんの方に集中してあげなきゃ」
 うんうん、と、つっこみ不在のまま時間が流れ過ぎた代償は大きい。
 嫌なことは、そんなに沢山背負えないもの。チャンスは逃さないもの。妙に確信を持って、その意志を決めていた。
 杉浦がいなくなってから、庶民感覚、常識を教えてくれる人がいなくなって、華奈は自分の不穏さにも鈍くなった。

 更には現在、自分自身が命を狙われた身だ。あれからも何度か、道端で突然電柱が倒れてきたり、華奈が立ち寄ったトイレが爆破されたりと、危険な状況は続いていた。
「慣れって怖いものなのね……死ぬか生きるかが、当たり前になっちゃう」
 ぽつんとそんなことを、無自覚に呟きながら。華奈の脳裏には、ミカミ君をどうやって呼び出そうか、という、そんな算段しか浮かんではいなかったのだった。


 ミカミナオ君へ

 大切なお願いがあるので指定の場所へ来て下さい。ミカミ君にしか頼めません。


 ミカミ君の靴箱に、パソコン室で打って印刷した手紙を入れた華奈は、ほほほ……と、邪悪な笑いを噛み殺していた。
「ミカミ君があたくしを呼び出した時と、全く同じ文面。これなら差出人も場所も、書かなくたってわかるってものよね」
 これも万一、ミカミ君の遺品からこの文面が後に発見された時を考えてのことだ。
「…………」
 ――あれれ、と。一瞬、強いめまいを感じた華奈は、召使が待機する学校の裏門まで向かいながら、途中の石段でふらっと腰を下ろしていた。
「ミカミ君の……遺品、かぁ……」
 めまいはすぐに、頭痛に変わった。それなら痛み止めをのめばいいだけだ、と、ガマ口からリケジョ常備の頭痛薬を取り出す。
「……早く召使の所に行かなくちゃ、ね」
 でなければ、召使と入れ替わってミカミ君を待つ華奈の役をさせ、華奈の方は完全なアリバイを作ることができない。それでは体調不良として先に教室を出た意味もない。
 華奈は根性で立ち上がると、今度からは召使に遠隔指示ができるように、自分もPHSを持とう、と心に決めた次第だった。

「では、この場所でわたくしは待機し、ミカミ様をお待ちし、ミカミ様の到着後はわたくし自身が電源となる。そして地中の回路に常に電圧をかけて、電線と化させておくと」
 色のついた眼鏡を外して、髪を両肩でお下げにし、召使は制服も着て華奈そっくりとなった。淡々と手順を確認する。
「そうよ。おまえは人殺しをするのではなく、あたくしの命令を守るだけなの」
 それはロボットという存在の制約上、人格システムにかかるだろう負荷を可能な限り軽減するため、詭弁を繰り返す。
「たとえ雷がすぐに落ちなくても、その時は一定時間経過後、装置から自然に電流が発生して誘導される。雷雨の日に起きた感電事故なら、その影響としてろくに捜査もされずに処理されるでしょうね」
 アリバイもちゃんと作っておくしね、と。
 地面に埋め込んだ誘導装置は、かなり前に仕掛けたものなので、埋めた痕跡はほとんどわからない。ほとぼりが冷めてから回収すればいい、と悪役令嬢を越えたミステリー顔で説明する。

「あの、お嬢様。電源のわたくしにも、電流は誘導されると思うのですが、その対策は」
 ……と。大切なことの失念に、目を丸くする。
「――ふっ。おまえはあたくしが手掛けた機械なのよ。少々の高電圧には耐えられる躯体のはずよ」
「本体はともかく、外装は損傷する可能性が高いと存じ上げますが」
「ええい、うるさい! その時はまた作ればいいでしょ、作れば!」
 ばしゃっと、華奈は学校から拝借したバケツに溜めていた水をまくと、
「とにかくこの水溜りに、ミカミ君を足止めしておくのよ! わかった!?」
「……承知しました」
 無表情に答える召使の頭上、空の黒さは更に増して、今にも雷が落ちそうになっていくのだった。

 華奈は腕時計を確認すると、HRが終わった時刻なことに気が付き、慌てた。
「それじゃ、あたくしは保健室で休んでいるから!」
 学生らしいアリバイ工作としては、それが精一杯だ。
 始終無表情に頷く召使をもう見ないように、くるっと振り返って、華奈は駆け去っていく。
 振り返ってしまえば、きっとこの決意は揺らぐ。その前にここから去る、とばかりに。

 指定の校舎裏からいくらか離れた所で。華奈はまた、激しい頭痛を感じ始めた。
――……えーっと……そうまでして、どうして……私はこんなこと、してるんだっけ?
 走りながら急に胸に湧いて出てきた、そんな疑問が華奈の足まで重くしていく。
「だって……こうしないと私は、あの約束から逃げられないから……」

 何故かふっと、転校生にきかれた気がした。
――約束をしたら、絶対それは、覆しちゃいけないの?

「だって……他ならぬこのあたくしが、自己責任を以て、承諾したのよ?」
 それは当然のことであると。誰かの教えが、華奈の脳裏にまた(ささや)かれる。
――覆すくらいの約束なら、初めから簡単にしてはいけません。約束をしたら果たす、それが礼儀でありマナー。大人として当然のことです、お嬢様。

「……大人、として……」
 あれれ……と。唐突に華奈は、音がしそうな勢いで立ち止っていた。
「でもよ、でも……まだ私なんて、たかだか、中学生の女の子なわけで……」
 大人どころか、半人前すら。満足に人間をこなせているとは言い難いような。
 そう思っても、別にいいんじゃなかったのかな? と、不意の揺らぎが訪れてきた。

 大体、約束をなかったことにするために相手の存在を抹消するなら……。
「……そんなの……約束を破ったことと、実際は一緒だっていうのに……」
 自分はただ、目先のプライドで、約束を反故(ほご)にできなかった。それだけではないのか、と、誰よりもまず、自分が自分に問いかけてきた。

――俺と付き合ってるふり……してくれないかな。

 そんなお願い、本当は心の底から嫌だったのに。
 どうして承諾してしまったのかを、華奈は思う。

――お嬢様。基本的に人の初回の頼み事には、NOとは言わない方が得策です。

 それでも、YESというのが心から辛いことまで、本当に受け入れるべきだったのか。
 現にこうして、その反動で、人を殺したいとまで思ってしまっている華奈は。

「――あ」
 あることに気が付いた華奈は、それまでの葛藤を一瞬にして吹き飛ばしていた。
「全く、ダメね、あたくしったら……まだまだ思慮が足りていないわ」

――電源のわたくしにも電流は誘導されると思うのですが。

 今思い付いたその対策を、召使に渡さないわけにはいかない。あくまで自分は、計画を華麗に遂行するために舞い戻るのだ。
 そうでなければ、ここまでのことをして、最後の最後で怖くなりましたなんて。格好が悪過ぎる、とリケジョの顔を必死に戻す。
 くるりと踵を返して、華奈は再び、校舎裏に向かって駆けていった。

 間もなく辿り着いた華奈の視線の先では、ミカミ君がちょうど、現場に到着していた。
 そして召使が扮する玖堂華奈の姿を見て、ミカミ君は何故か――心から嬉しそうに、華奈型召使に笑いかけていた。

「――えっ……?」

 到着第一声で、ミカミ君が華奈型召使にかけた言葉。
 華奈は先程までの屁理屈も全て忘れて、これまでの愚行を本気で、心から後悔することになった。

「玖堂さん、どうしたの? 何かあったの?」

 俺にできることなら、何でも言って、と。
 そのミカミ君の嬉しそうな顔は、華奈の全ての思い。被害妄想を解いて余りあるほど、優しい好意に満ちていた。
 華奈の役に立てることが、本当に嬉しいのだと。
 フレンドランドで、自分が情けない、と語ったミカミ君の辛そうな顔。それとは真逆の幸せそうな笑顔がある。

――アイツ、筋金入りの善人だもんな。

 こんな状況で、あの不良の声を思い出したのが華奈は悔しかった。
 今なら心から納得できるその言葉に、やっと華奈の心が洗われていくにも関わらず。

 ぴかっと、激しい光と、その一瞬の後に轟音が響く。
 あまりに計画通りに落ちてきてしまった雷に、華奈は全速力で校舎裏に飛び込んでいった。
「ミカミ君、どいてーーー!!!」
 誘導回路の真上にまいた、水溜まりに立つミカミ君を、そこから力の限りに突き飛ばした。

 華奈型召使と、本物の華奈という二人の華奈の出現に、ミカミ君が驚く暇もなく。
「お嬢様――!?」
 誘導された電流が激しい音をたてて、地下の回路から水溜まり全体を伝った。ミカミ君を突き飛ばして、代わりにびしゃっと足を踏み入れた華奈に全てが注がれる。

――あ、私、死んじゃった?

 そう思った瞬間、意識が飛んだ。
 召使相手に何かを口走った気はするが、そこで華奈の記憶はぷつんと途切れたのだった。

 その静かな声は、もしかしたら。
 華奈が初めて対等と認め、そして、必要とした誰かの問いかけ。

――玖堂サン……玖堂サン……?

 どうしてなのだろうか。あの転校生がずっと、華奈を待っているような気がした。
 ああ、そっか。勉強教えてあげなきゃいけないのに、果たせてなかった、と、華奈はふっと思考を取り戻す。

――違うでしょ? 私を呼んだのは、玖堂サンの方だよ?

 竜牙雷夢。雷なんてごつい文字を名に持つ相手は、つまり華奈が求めていた雷雲だ、と。夢はめちゃくちゃに色んな事項を、強引に繋げる。

――ちゃんと来たでしょ、玖堂サンのところ。なのにどうして、土壇場で逃げたの?

「だって、もう……バカなことって、わかったんだもの……」
 眠り続ける華奈は、自分に何が起こったかは、思い出すことができなかった。それでも、自分が恐ろしくバカなことをしたという自覚だけは、うなされるほどにあった。

――本当バカだな、玖堂サンってば。手抜きして生きるから、そんなことになるんだよ。

「手抜きって……何のこと? これでも私、結構必死に生きてるつもりなんだけど?」

――何でそんなに、必死に手抜きして生きているわけ?

「必死に……手抜き?」

 そんなことを、あの時、あのコは言ってたっけ?
 華奈が首を傾げる通り、段々とその声は、転校生のものではなくなっていった。

――今まで、本気で……本当の自分で、全力でぶつかって生きたことって、あったっけな?

 たかだか、バスケットボールの勝負の一つですらも。熱くなってはいけないなんて、そんな制約を勝手に課している自分。

――本当の自分を貫くために、闘ったことって……これまで、何かあったんだっけ?

 誰から見ても、恵まれた身上である華奈。なのにずっと、何かを妨げられて生きてきたなど――

 それは思ってもみない、自身から発する問いかけだった。
 最初に思い浮かんだのは、初めて失った大事な相手のことで。
――杉浦のこと……本当に大切なら、本気で引き止めたら良かったのに。
 次はつい先日まで、きっと一番大事だった相手の人の好い笑顔で。
――ミカミ君に……それはできないって、そう言うだけで良かったのに。

「どうして、私……そんなにがんじがらめに、なっているの……?」

 自身を縛っていた鎖は、鎖だと気付くことすらなかった。
 それが正しく、自分も望むことであるのだという、華奈自身の強い願いだった。

 それであるからか。
 遠い日の誰かの声が、この不思議な夢と共に、一瞬だけ華奈に届く。
「お嬢様……あなたは……――」

 泣き出しそうな後悔ばかりが、ひたすら華奈の胸を襲った。
――私は……杉浦がどうして、出ていこうと思ったのか……その理由を何一つ、きいてすらいない。
 思いつくこともできなかった。それは、華奈にとっては「我が侭」だったから。
――ミカミ君にも、何も言えてない……恋人のふりなんて嫌だったこと……どうして嫌なのか、何一つ、伝えられていない。
 その「我が侭」は、闘わないなら、呑む込むしかない痛みだった。
 理屈で対応できないものがある。闘っても痛いだろうが、こんなに引きずることはなかった、と華奈は項垂れる。
――もしも私が、もう死んじゃったなら……。
 このままずっと、この胸の痛みは、今在る自分に残ったままになる。それで永い時を漂っていくのだと、泣き出しそうになった。
 そんなのは、嫌。華奈の中で何かが、目を覚まし始める。

 目を開けたい。そう思える力になったのは、きっと些細ないちシーンだった。

――……玖堂サンと、行くなら、いいかな。

 華奈自身を、初めて良しとしてくれたこと。お金の力だけでは釣れなかった、あの時の答。青い誰かの不器用な好意。
 これからもっと、大切な人との関わりだって得られるはず。
 最後にあの彼の笑顔を思い出しながら、華奈の全身には、確かな熱が戻ってきつつあった――

「うぅーん……――あれ?」
 ぴたん、と。水滴が頬に落ちてきた刺激で、華奈はパチリと目を覚ましていた。
「……って、何ここ? ――しかも何、これ!?」
 何故か、見知らぬ石の床に倒れていた。手をついて起き上がろうとして、ジャララ、と両手両足を拘束している、何とも古めかしく錆びついた鎖に動きを阻まれていた。

「待ってよ……確か私、ミカミ君を必死で突き飛ばしたっけ……?」
 そうなるとその後に、考えられる事態は一つしかない。
「ということは私、ミカミ君の代わりにびりびりっときて、死んじゃったわけ?」
 それならここは、もしや地獄で牢獄?
 齢十五にして、いくつも神様に逆らった過去のある華奈は最初にそう思ってしまったものの。その直後に、突然現れた人影を目にして、自分は勿論生きていること、そしてこの状況が意味するものを悟ることになる。

「うふふふふ。いい姿をしているわね、玖堂さん」
「――って……クラムラ……さん?」

 おそらく、地面を三メートル四方程度で掘り込み、コンクリートで壁だけ固めた石室にいる自分を、頭上から見下ろしている声の主。
 厚化粧にジャージ、と相変わらず珍妙な姿の女性の名前を、華奈はすぐにも思い出した。

「ちょっと、あなた……どういうつもり? どう見てもこれ、誘拐拉致監禁よね?」
 ぎりっと睨みつける華奈を、ミカミ君の婚約者になるはずだった彼女――アサコはとても楽しそうに見ている。
「うふふふふ。だって玖堂さん、そうされても仕方ない大罪を犯したんだもの」
「大、罪?」
「せっかくアタクシが、寛大にも貴女に、自分から身を引くチャンスをあげたのに。貴女は図々しくもミカミ君との交際を続け、慈悲の心を持つアタクシを侮辱したの」
 ――何言ってんのこの怪物女!? そう思いつつ、数時間前までの自分も似たような企てをしていたことに思い当たり、恥ずかしさに華奈はかぁっと顔が熱くなった。

「それで……このままここで、コンクリ詰めにでもしようっていうわけ?」
「うふふふふ。最終的にはそうなると思うけど、その前に貴女には、とっても美しい果て方を用意して差し上げる」
 ――! と背筋が凍る。地上から石室内に向かい、シャワーのような水が降り注ぎ始めた。
「硫酸でも良かったんだけど、それじゃゆくゆくは溶けちゃうものねえ。完全犯罪のためにはそっちがいいけど、やっぱり見た目は大事だし……シンプルいずベストよね」
 これなら玖堂さん、とても美しい死に姿をさらすことができてよ? 水死体の華奈を想像して、愉快になったらしいアサコの言葉が、高らかな笑い声と共に響く。

 ……自分は本当に、バカだった。判断を間違えていた、とつくづく華奈は思い知った。
 あの善良なミカミ君ですら、罵倒するほどの人間。その時点で、あの怪物女の有り得なさに気がついておくべきだったのだろう。
 それじゃあね、と、石室を後にしたアサコの足下深く、単純な地下牢獄に囚われてしまった。
 ひたひたと、少しずつ水位を上げてくる人工の雨水を、華奈はただ強く見返していた。

➺間奏

 
 帝御那王、男性、満十四歳。役者を目指して劇団に所属し、芸名はミカミナオ。
 ある小規模な医療機器専門メーカーの社長の次男である彼は、後を継ぐ気は全くといってない。別に家が嫌いだからではなく、純粋に芝居が好きだったから。

「ナオ君。良い芝居をしたいなら、苦労して人生経験を積まなければいけないよ」

 先輩役者のそうしたアドバイスに従い、家の力には頼らず、劇団でこっそり裏方として働いてきた。中学生ながらも必要経費は全て自分でやりくりしていた。
 ナオの目標はただ一つ……。

「いつか絶対、口の巧いチャラ男になる!」

 何故かナオは、喋り上手とよく言われるが、緊張する相手の前では喋れないか、真意でない適当なアドリブを言う悪いくせがある、ただの庶民だ。
 優しいとか気遣い屋。周囲はそう言うが、ナオがとっている行動はどれも本当に素で、意識してできているわけではない。だからそれを意図的に演じて、コントロールできる芝居が好きになったのかもしれない。

「そしてなおかつ! 芸能人として大成する!」

 ナオの目指すところは、芝居だけではない。芸能人としてある程度、社会的地位を手に入れることにあった。
 ちなみに前述二項目は、ただ一つの目標のための、必要と思われる事項に過ぎない。

 ナオには四歳の頃から、片思いの相手がいた。しかし相手は、超がつくほどお金持ちであり、その上自他共に認める理系の天才の、しかも本当に綺麗な女の子だった。
 そんな相手に釣り合おうと思えば、物凄くレベルの高い男にならなければいけない。
 しかし自分は、あくまで凡人に過ぎない。
 どうすればその女の子に恥をかかせないよう、せめて見た目だけでも、相応しい姿になれるだろうか?

 それこそお芝居。何とかいつか、凄い男のふりができるようになるしかない。
 それがナオの得た結論であり、何時も忘れない、大切な目標だった。

 そうして日々、役者修行に励みながら、進路だけは片思い相手と同じにすべく、頑張って国立の中学校に入学したナオなのだった。
――でもびっくりしたよな……玖堂さん、凄い気さくな女の子になってたもんな……。
 ナオの記憶にある女の子は、実は四歳の時、一度だけ話したことがあるに過ぎない。
 相手は有名人なので、以後も噂のチェックは怠らなかったものの、聞けばほとんど友達も寄せ付けず、飛び級で大学院レベルの学問まで、小学校にして修めてしまったらしい。
 そんな女の子がそもそも、義務教育を完遂する必要があるとは思えないが、父親の方針で、高校卒業までは庶民に混じって生活させるということだったらしい。

――ミカミ君、中間テストの資料が余ってるんだけど、もらってくれない?
――日直、しとくよ? 今度また、私の時に変わって。今日は忙しいんでしょ?

 相手が筋金入りの天才であるという業界事情を知っているナオは、それらが全て、気遣いの産物であることは感じ取っていた。
 初めて会った時にも、お金持ちのお嬢様らしく奔放で傍若無人に見えたが、肝心な所では周囲に気を使い、物事がうまくいくよう手を回しているような、本当に優しくて賢い女の子だったのだ。
「何しろ、自分の誕生日パーティーだっていうのに、ゲストの子供達が楽しめることの方を重視してたもんな……」
 それは若干、五歳の女の子が、だ。
 完全に自分の周りにはいなかったタイプの、綺麗で優しくて賢い女の子に、ナオはそうしてころっとおちた。

――よせよせ。おまえなど相手にしてもらえるものか。
 勇気を振り絞って、女の子に話しかけようとしたナオを、パーティーに連れてきた元凶の年の離れた兄が、そんなふうに窘めてきた。どうにも悲しく、そして悔しくなってしまった。
――おまえ、カネモチ以外、トモダチいないだろ!
 いくつかだけ喋ってから、そんな暴言を叫んで、逃げ帰ってしまった。
 幼いナオにも、優しく楽しく話そうとしてくれていた女の子が、傷ついた顔をしていた。今でもそれが、ナオの目の奥に焼き付いている。

 だからなのか、少しでも何か、役に立ちたいとずっと想っていた。
 それなのに逆に、降って湧いたかのような突然の縁談。本当に情けなくはあったが、両親のことも悲しませたくなく、断るには他に好きな人がいる、と正直に言うしかない。

 そして本当の思い人以外に、恋人役を頼むことは。
 嘘でも違う誰かを、自分の彼女とは呼びたくはなく――果てしない面倒をかける選択肢をとってしまった。

――玖堂さん、俺と付き合ってるふり、してくれない?

 一世一代の大芝居。一時間以上も前から役作りをして、臨んだ大舞台だった。
 思った以上に、覚悟が決まるまで時間がかかり、四十分も相手を待たせてしまったわけだが。

「でも、俺……玖堂さんにこれ以上迷惑、かけたくなかったんだ……」

 前途輝かしき天才令嬢。そして清楚そのものの可憐な相手に、あらぬ悪評をたててはいけない。ナオはそれを一番肝に銘じていた。
 互いの今後の縁談などは、勝手ながらもこの大芝居でしばらく阻止しておきたい。
 心優しい相手が万一頼みをきいてくれても、浮いた噂が流れたりしないように、決して調子に乗ってベタベタとか絶対NG! と心に決めていたナオだった。
「なのに何で……こんなことに……」

 うううん……。
 玖堂さーん……と泣きながらうなされていた、ナオの様子を窺っていた少女は。
 ずいっと、取り出した何かのコンセントの先端を、容赦なくナオの手のひらに突き立てていた。
「蓄電モードから放電モードへ切り替え。最小出力でセットオン」
 手先から突然全身を襲ったきつめの電気刺激に、あわああ! とナオは、奇声を上げて飛び起きることになった。
「ななな、何だああ!?」
「失礼致しました。意識は戻られましたか、ミカミナオ様」
 けろりと、悪びれなく自分を見る、同じ学校の制服で色のついた眼鏡の少女。
「あれ……? 玖堂さんとこの、召使さん?」
 伊達に玖堂華奈に、十年片思いしていないナオは、華奈が中学の登下校時、そばに控えさせている存在がいることは気が付いていた。

「――そうだ、玖堂さんは!?」
 あまり詳しく覚えていないが、この校舎裏に来てすぐ、自分は誰かに突き飛ばされて頭を打った。
 ほぼ気を失った状態で視界が暗くなり、玖堂さんの、
「召使! ミカミ君をお願い!」
 という声だけは聞こえた。その後に誰かが倒れ、突然、謎の複数の足音が響いた事だけが記憶にあった。

「お嬢様は先程の落雷の際、歩幅電圧によって意識を失われました」
「えっ!? ってやっぱり倒れてたの、玖堂さん!?」
 感電っていうこと!? とナオは青ざめたものの。
「いいえ、お嬢様の靴とストッキングは絶縁仕様なので、大事はなかったはずでした」
「はずでした……って?」
「その後に突然、数人の黒服の男性が現れ、つい先程拉致されてしまったところです」
「しまったところです……って……」
 あまりに召使が淡々と言うものだから、ナオも一瞬、聞き逃しそうになった。

「た、たっ、たぁっ――! 大変じゃないかっ、警察――!!」
 あわあわ、とポケットから小銭を探し始めるナオに、
「わたくしのPHSは壊されてしまいました。ミカミ様は最寄りの公衆電話を探し、警察と玖堂家に連絡をお願い致します」
 召使はあくまで冷静に、淡々と相対する。
「わ、わかったけど、召使さんは!?」
「わたくしはすぐに追跡に入ります。一刻の猶予も許されません」
 え? とナオは呆気にとられて、まじまじと目前の召使をもう一度見つめ直した。

 ナオを叩き起こした、ケーブル部分が猫の尻尾のように太いコンセントは、召使の背後からのびてきていてる。それも腰から生えているのだと、ところどころが焼け焦げて裂けている服の隙間から見えてしまった。
「き、君……何者――」
 それを何とか、必死に尋ねたナオに、召使はけろりと答を口にした。
「緊急事態なので単刀直入に申しますと、わたくしはお嬢様の手によって製作された、召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプです」
「へ――!?」
 コンセント尻尾をガチン、とベルトのように収納する少女に、もうナオは茫然とするしかない。

「ミカミ様、お嬢様の救命優先のため、もう一点のご協力をお願い致します」
「う、うん、何だよ!?」
 しかしそんな、ぼけっとしている場合ではない。ナオはとにかく、現況を受け入れることにした。その順応性の高さは並々でない自覚はないまま。
 自称召使ロボットは何やら、色の付いた眼鏡に地図らしき映像を浮かび上がらせた。その中の光る星マークを確認しながら続けた。
「わたくしはロボットです。基本的に常に人命を尊重し、破壊的活動を行わないよう設定されています」
「う、うん、そりゃそーだよね」
「しかしお嬢様の救出先行隊となった場合、そうした制限を課されたままではとても救出は不可能と考えます」
「う、うん、そりゃそーだよね」
「先程のお嬢様の最後の命に乗っ取り、暫定的にミカミ様をお嬢様代理と認定します。華奈お嬢様の確実な救出のため、いかなる殺戮、破壊をも厭わないよう、わたくしにこの場で命令をお与え下さい」

 う、うん、そりゃそー……と。
 言いかけて、途中で内容を修正するのは、芝居が好きでアドリブ命のナオの得意技だ。
「そ――んなわけないだろ! ハリウッド映画じゃないんだから!」
「わたくしはお嬢様、または代理の人間の命がなければ制限の解除はできません。ミカミ様はお嬢様を見捨てられるのですか?」
「いやそんな滅相もない! でもそこまで究極に暴走しなくっても!」
 この召使ロボットがいったい何処まで、何ができるかナオにはさっぱりわからない。
 けれどこんなにいたいけな少女が、何処かで玖堂さんを救出するため血みどろになっている姿は想像したくもなかった。

「単身敵地に乗り込むのですから、どんな対処行動でもとれるようにしなければ」
「そりゃそーだけど、必要なら惨殺・究極破壊活動するってことだよな、それ!?」
 そんなロボットを野放しにして大惨事が起きれば、たとえ玖堂さんが救出されても、まわりまわって彼女は窮地にたたされてしまう。
「わかったよ、俺もついていくからその命令はなし! 必要な時は必要な分だけ! その都度その場で命令するから、そんな極端な命令はNG―!」
 ……と。召使が驚いたように、もう一度ナオを見ていた。
 ナオは半ばヤケクソになって、何も考えずに続きを叫んだ。
「これなら召使さんも思うように動けるだろ!?」
「それは得策ではありません。タイムラグはどうしても生じてしまいます」
 そう言いながらも、召使は考え込んだ様子となっていく。

「しかし、そうですね……ミカミ様が危険に曝される覚悟があるのであれば、一刻も早い方針決定のため、その提案を採用すべきでしょう」
 淡々と言うと。わけのわからないナオを突然捕まえ、肩の上に乗せた。
「な――!?」
 見た目にそぐわない腕力に、少女がロボットということがやっと実感できた。
「お、下ろして、自分で走……!」
「そのような時間の猶予はありません」
 かちっと。コンセントの根元付近にあるダイヤルを回し、召使が色付き眼鏡をしかと付け直す。
「残存電力量が心許ないですが、全速力で向かいます」
 それからまるで、自動車のエンジン音のような、ごおおおおん、という音がしてきたやいなや。

 この後。これほど怖い思いをしたことはなかったとナオが語る、どんな絶叫マシーンも敵わない一夜の悪夢――
 人間を抱えた二足歩行機械の、不安定過ぎる疾走が始まる。

 雷雲が過ぎ去った後の道路は、所々に水溜りができていた。
 その溜まり水を吹き飛ばすかのように、過ぎ去っていく小さな嵐。それが中学生の少年を抱えた一人の機械の少女であると、誰が判別できただろうか。
「って、召使さん――! 玖堂さんの連れていかれた場所、わかるの――!?」
 しかも先に通報しなくていいのー!? 全力疾走している召使の肩で、今にも死にそうな顔でナオは叫ぶ。
「お嬢様の腕時計には発信機が仕込まれています。しかし通報している時間はとてもありません」
 召使も何やら、この冷静さでも危機感を持ち始めていたようだった。
「たった今発信機から、水没反応が報告されました。お嬢様に何かがあった可能性が高いと考えられます」
「水没!? どどどど、どーいうこと!?」
「わかりません――が……」
 まずはお嬢様の安全を確保します、と有無を言わさず召使は疾走を続けた。

 やがてその場所――郊外の小高い丘の上にある、植物園の併設された私設研究所に二人は辿り着いた。
「そんな……ここって……」
 何度か両親と、一緒に来たこともある建物。裏にまわると、ナオは吐き気を堪えるようにかがみ込んだ。

「やはり、クラムラアサコ様からの差し金。そう考えて、よろしいのでしょうか」
「……俺の……俺のせい、ってこと――?」
 召使は既に、発信機が示す住所からその目星をつけていたようだった。
 ナオはしばらく、先々と足音を潜めて歩く召使の後ろを、ついていくだけで精一杯だった。

「お嬢様はここ一カ月間、何者からか命を狙われている状態でした。時期としては、クラムラアサコ様のご訪問があった後からに相当します」
「アサコが玖堂さんを訪問!? 何で!?」
「お嬢様の命を狙う理由と、同じではないでしょうか。ミカミ様の件でお話があるとのことでした」
 そんな……。ナオの中でどんどん強くなる吐き気は、アサコに対してのものなのか、華奈を巻き込んでしまった自分への怒りなのか、自分でもその境界はほとんどわからなくなってしまった。

 倉村麻子は、いわばナオの幼馴染になるのだろう。
 何度も告白をされては、その都度断り、それでも決してめげない彼女が怖くなってきたナオは、ますます彼女に冷たくするようになっていった。
 ストーカーという概念も、まだあまり理解のない世の中だ。特に女性から男性への執拗な求愛は、いいわね~仲が良くて~なんて、誰にもわかってはもらえなかった。
「信号は、この温室の地下からのようです。侵入します」
「っ……」
 泥棒まがいの行為をしている自分達だが、躊躇いの気持ちは起こらなかった。
 これでこの場所に誰もいなければ、退学どころでは済まないだろう。けれどアサコの怪物じみた微笑みを思い出したナオには、彼女以外犯人はいないと確信がある。

 それなら、彼女を止められるのは自分しかいないかもしれない。
 刺されるような覚悟を胸に秘めて、ナオは召使と共に温室の一つに押し入っていった。


 温室内は一見、有名らしい薬草がもさもさと楽しげに実っていた。
 隅の方に、地下に続く階段の入り口とおぼしき、四角い蓋を二人は発見していた。
「ダメだ、鍵がかかってる」
「破壊しても良いですか?」
「そりゃ勿論だけど、どうやって?」
「……」
 ナオの前で黙り込んだ召使は、おもむろに、着ていたシャツの襟元に手を運ぶと……。

「ってちょっと、何そんな前はだけちゃってるのさ!?」
 思わず大声を出してしまった口を慌てて塞いだが、召使はシャツのボタンを、三つくらい外して胸元を大胆に露出していた。

 暗い中ではだけられた服の下には、鉛色の冷たい金属の肌がのぞいている。
 普通なら右胸があるだろう場所には、無骨な円錐形の、頂点がレンズとなった装置が鎮座している。
 そこからスー……と、無音のレーザー光線が射出され、四角い蓋の鍵をズズズ、と焼き貫いていった。
「って……」
 顔を赤くしながらもナオは、ついつい左胸の方にも目をやってしまった。
「こちらはただのライトです。内部の状況によっては使用します」
 ボタンを直して淡々と言う召使。ひいてはその製作者である華奈に、玖堂さんは、俺より漢気があるかもしれない、と思わずにいられないナオだった。

 温室の地下には、コンクリートで四方を固められた、無機質な空間が広がっていた。
「灯りがついて、カメラが設置されてるってことは……今ここ、使われてるってこと?」
「信号はもうすぐ間近です。後二階層くらい下かもしれません」
 監視カメラの存在にもかまわず、ずんずんと進んで召使は階段を探す。
 どうせ全てのカメラからは逃れられないのだから、警備が駆け付けるより前に、進んでしまうのが確かに一番だろう。

 ――と。
 ぴかーん、と待ち構えていたように、いくつものライトが突然点灯され、ナオと召使の姿を煌々と照らし出していた。
「いらっしゃぁーい、ナオ君。こんな時間にどうしたのかしらぁ?」
「アサコ……!」
「……」
 黒い背広を着た大男を幾人もひきつれ、小豆色のジャージの上に、黄色いバスローブを羽織っている謎の怪女。
 今度は朱色に染めてあるくるくるの髪をかきあげながら、ナオの来訪が嬉しくて仕方ない、というように投げキッスをよこす。

「どうやってここまで入ってきたのーぅ? 生憎だけど今日はアタクシ、宿題があるから遊べないわよ~う」
「玖堂さんは何処だよ、アサコ!」
「玖堂さんって、だーれぇ~?」
「とぼけるな、家まで行ったって召使さんに聞いたぞ! 何の目的があってこんなことするんだ!?」
 ナオは自分でも驚くような大きな声で、アサコに掴みかからん勢いで先を続けた。
「玖堂さんに何かあったら、俺はおまえを一生許さないからな!」
「えぇー、何でぇー? そんなにもあの、地味な女の子が大事ぃー?」
 ちょうどそこの、女の子みたいなぁー、と。
 黙ったままの召使にもふっと目を向けると、アサコは少しだけ忌々しく、かつ歪んだ微笑みの顔つきとなっていった。

「あなたもねぇ……アタクシに刃向かうのは、得策じゃなくってよ?」
「――と仰いますと?」
「玖堂さんのついでに、あなたのことも観察させてもらったのだけど。あなたどうやら、彼女の影武者ね? 古めかしい手法だけれど、その有効性は確かにアタクシも認める所よ」
 え――と。ナオは呆気にとられて、思わず召使の方を見てしまう。
 召使は黙って、眼鏡を外すと。玖堂華奈そっくりの顔で、表情は消したまま、アサコの方をじっと見返していた。

「うわ……玖堂さんが、二人……」
 純粋に驚いてしまったナオの前で、アサコはまだまだ話を続ける。
「アタクシに協力するというなら、玖堂さんには退場してもらって、あなたを本物の玖堂さんにしてあげる。――どう? 悪くない話じゃなくって?」
 うふふふふ、と。どうやら、召使がロボットであることまでは知らないアサコは、本気でそんな取引を持ちかけているようだった。
「お嬢様は、何処にいるのですか」
「気になる? うふふふふふふ」

 そして再びナオの方を向いて、アサコは言う。
「ナオ君、どうしても考えを改めてもらえないぃ?」
「考えって、何の」
「今ならまだ、多少の気の迷いは許してあげるぅ。アタクシの元に帰ってくると言うなら……玖堂さんの命は、助けてあげてもいいけどなぁー?」
「――!!」

 ジー、と。
 アサコの背後の壁に、じわじわ水が流し込まれていく、地下の石室の映像が映し出された。
 最初の一瞬は内部から玖堂華奈の険しい顔が映り、その後は遠目から全体像を映し出された。
「まさか、あそこに玖堂さんが……!?」
「……!」
「うふふふぅ。ここよりもう一つ、下の階でのリアルタイム中継よぉ」
「アサコ……おまえっ……!」
 水没反応。召使の言葉を思い出したナオは、我を忘れてアサコに飛びかかろうとし、召使に羽交い締めにされる形で阻止されていた。

「召使さん――!?」
「戦闘は無意味です。この態勢でわたくしとミカミ様に、彼ら全てを取り押さえることはできません。抵抗すれば、下の階への経路も閉ざされる可能性があります」
「そんな……!」
「うふふふふ、懸命だわぁ。どっちみち玖堂さんが亡き者になったら、嫌でもあなた、代役をしないといけないでしょうしねぇ」
 それならアタクシと同盟を結んでおいた方が、後々有利よね? そんな風にアサコが微笑む。
「だからね、ナオ君。アタクシとしては、どっちに転んだって大丈夫なのよぅ?」
 玖堂さんがここで息絶えようが、ナオがアサコの条件を飲むことで助けようが、と、その後に狡猾に続けていた。

 アサコは昔から、周囲の大人受けは妙に良いという、ずる賢さを持った豪傑だった。
 アサコの両親は意外にもかなりマトモな人物で、その姿を見て育った彼女は、普段はマトモな振る舞いをすることはできてしまう。
 その裏では完全に独断で、こんな犯罪も躊躇いなく計画し、秘密裏に実行できてしまう。怪物じみた頭脳と行動力の持ち主が、クラムラアサコという狂人なのだった。

 ナオはぎりっと奥歯を噛みしめ、水の注がれていく石室の映像を、必死に見つめていた。
――もう、俺がアサコの言うことをきくしか……玖堂さんを助ける道がないなら……。


 ミカミ君、どうしたの? 私にできることなら、遠慮なく言ってね。
 玖堂華奈の、いつもさりげなく微笑んでいた顔を思い出す。
 ナオの答は、とっくの昔に決まっていた。その踏ん切りをつけるためには、どうしても彼は……最後にもう一度、目にしておきたいものがあった。
「……わかったよ、アサコ。玖堂さんがまだ無事なら、おまえの言うことをきくから」
「――うふふ?」
「玖堂さんの姿を、ちゃんと見せてくれ。あんな映像だけじゃ、何もわからないだろ」
 せめて華奈の顔を、しっかりと見てから、その答を出したい。
 ナオはまだ召使に拘束されながらも、落ち着いてアサコにそう伝えた。

「うふふぅ、いいわよーう。第三カメラ、切り替えー♪」
 ぱちん、と、水の注入がわかりやすい斜め上からの俯瞰でなく、最初の一瞬に使われた石室内に設置されたカメラに映像が切り返られる。
「……って……え、へ――?」
「――えっ?」
「……――?」
 アサコ、ナオ、召使の三人は、三人共が一瞬にして。
 誰もいない石室に雨のように水が降ってきている映像を、茫然として眺めることになったのだった。
「って、ちょっと――どういうこと、どこにいったの!?」
 ぐぎぎぎぎ、と激しい怒りに顔を歪めて、映像が映されている壁をダンダンとアサコが叩く。すぐ横の壁が窪んで自動ドアのように開き、下の階に続く階段が現れた。

「――!」
 黒服達と共に、駆け下りていくアサコの後ろ姿。
 ナオと召使は、当然の如く無言で頷き合い、その後を追って階段に入っていった。

➺サビⅡ

「ストップ、ストップよ! 注水中止、全速排水―!!」
 石室の掘り込まれている下の階に再び入ったアサコが、石室内に華奈の姿がないことを確認し、大急ぎで水を全て抜くと、梯子をかけて石室内に降り立ってきた。
「どうやって逃げ出したっていうの――!?」
 石室内には、鎖の一つすら残っていない。その状況に相当納得がいかなかったらしい。
 なまじ頭が良いようなので、確実に自身の目で確認に来るだろう、とは予測したものの……目の前までアサコが近付いてくる瞬間を、華奈は決して逃すまい、と両手両足に渾身の力を込めた。

「有り得ないったら有り得ないわ! そんなことは壁抜け男にだってできやしないわ!」
「へぇ……近からず遠からず、と言ったところかしら?」
「――!?」
 ばさ! と、丸まって座る自分の全身を覆い隠したペティコートを、頭を振って取り払った。突如としてアサコの前に華奈が現れる。
「ずぶ濡れ瀕死をどうも有難う……! お返しよ!」
 両手足を拘束されたままスクワットの要領で、立ち上がり様にアサコの顎に頭突きを食らわせた。一撃ノックアウトにかけた華奈だった。
「ぎぁーっ!!」
「大体あなた、気付くのが遅くてよ! 姿を消してからどれだけ時間がたったと思って!?」

 絶縁ストッキングのみならず、召使が使っていたような光学の迷彩をペティコートにした物も、命を狙われていると知ってから常備していた。
 水位が徐々に上がってくる中、アサコがやってくることを信じ、座った態勢でそれを被るのはまさに大博打だった。
 しかしそうしなければ、全身を隠すことはできない。非常に不安な状態で耐えていた華奈だが、何とかギリギリのタイミングで、注水は中止されたのだった。
「とっ……透明、人間……!?」
 あがが、と倒れ込んで苦しげに顎を抑えながら、それでもアサコは的確に状況を理解したらしい。その通りよ、とだけ、華奈は呆れ顔で呟いていた。

「お嬢様! ご無事でしたか!」
 どしん、と梯子も使わず飛び降りてきた召使にも、遅い! と華奈は怒鳴る。
「早く鎖を外してちょうだい!」
「申し訳ありません、ただいま」
 召使は再び腰のダイヤルを回し、足へのエネルギー出力を最大限にすると、左の靴下を脱いだ足の爪先に鋭刃、踵に斧のような重刃をぎらりと光らせた。
 両手を広げて、地についた華奈の手の間へ、踵落しの要領で召使が鎖を断ち切る。足の鎖と、それらを固定する杭への鎖も同様に断ち切り、厳密には外せたわけではないとしても、ひとまず身動きの自由を得た華奈だった。

「お嬢様、まずはこちらへ!」
 鎖をじゃらじゃらさせながらも、掘り込み型の石室からとにかく梯子で這い上がった。普通の地下階層へようやく辿り着いた華奈だったが。
「玖堂さん……!」
 その、想定外過ぎる人物の存在。
 華奈の頭は、一瞬で真っ白になった。
「え――……ミカミ、君……?」
 対峙するべきはそちらでなくて、階段の入り口を塞ぐ黒服の男達だ。しかし今の華奈には、石室と階段の中間に立っていた少年の姿以外、何も見えなくなってしまった。

「良かった……玖堂さん、無事だったんだ……!」
 ふるふると両手を握りしめ、目に涙を浮かべて破顔しているナオの姿。
 華奈は、幸せって、こういうことなのかな、と。
 胸を占める温かな台風を、大事に大事に噛みしめていった。

 どれだけお金や才能があっても、得られるとは限らないまっすぐな眼差し。
 窮地に陥り、好きな人に助けに来てもらえるなんて、もう今ここで死んでもいいくらいだ。一生分の幸せをもらった気がする、とまで、華奈の気持ちは幸せに染まった。

 ……しかしそこで、そんな幸せにゆっくり浸り切れないのが、華奈の哀しい性でもあった。
「――ばかっ、何でミカミ君がこんな危ない所にいるのよ! 召つか―――」
 華奈の後から梯子を登ってきた、連れてきた張本人に振り返ろうとした、次の瞬間。

「――え?」
「えっ??」
 華奈とナオは、同時に、きょとん。とした。
 ナオの元に駆け寄った召使の、突然の不可解な行動に、目を丸くするしかなかった。

「召使――さん?」
「動かないで下さい、ミカミ様。動けば下手をすれば針が刺さります」
「召使……? 何をしているの――?」
 ナオを再び拘束すると、今度は首の後ろに、人差し指の爪から出現させた長い針を突き付けた。
 召使は、石室のすぐ前に立つ華奈と、階段を塞ぐ黒服達の中間に立っていた。

「いたたたたっ……ちょっと、何やってんのよ……!?」
 石室から這い上がってきたアサコから、慌てて華奈は距離をとった。
 召使が梯子を上がり終わった後、脱出経路を破壊してアサコを石室に閉じ込めなかった理由を、苦々しい顔で華奈は悟ることになった。
「見ての通りです、クラムラアサコ様。あの階段を塞ぐ男達を排除し、お嬢様をこの場所から解放しなければ、このまま、ミカミ様を殺害します」
「!?」
「!」
 アサコと華奈の両方の顔に緊張が走った。
「あなた――アタクシと取引をする気!?」
「戦闘は無意味です。アサコ様お一人を無力化したところで、この態勢でわたくしとミカミ様とお嬢様に、彼ら全て取り押さえることはできません」

 おそらく召使は、最初からその気だったのだろう。だからここまでナオを連れてきたのだ。アサコも華奈も否応なく理解する。
「ちょっと待ってよ、召使! 誰がそんなやり方を許可したっていうの!?」
「わたくしの電力量に余裕があれば良いのですが、既に大半を使い果たしています。応援を呼ぶ暇もありませんでした。わたくしの通信手段を事前に調べ、まず破壊したこの女性は、非常に優秀です。お嬢様の生命を脅かす危険人物です」
 おそらくあの土砂崩れを含め、これまでの華奈の命を狙ったと思われる数々の事件。それは華奈の手の内を知る意味もあったのだろう。
 召使がロボットであることまで知られなかったのは、僥倖といっていいくらいだ、と華奈は歯噛みする。

 そして、華奈の命の危険に、召使は華奈の命令よりも命が優先モードに入ったのだ。
「ミカミ様がいなければ、お嬢様とあなたに争う理由はありません。違いますか?」
 報復として華奈の命に手をかけるほど、アサコは頭が悪くない。そう見ての重い取引。
 だから召使にとっては、どちらでもいいのだと、その行動は示してあまりあった。アサコが条件を飲んで華奈を解放するか、争いの元をなくして根本的解決へと向かうか。
「あなた……本気でナオ君を殺すだなんて、言うのかしら?」
 冷え切った目で、アサコは召使を見下す。召使は全く悪びれずに、勿論です、と答える。
「殺害が問題であるというのなら、頸髄への薬剤注入程度にとどめても良いでしょう。死亡にしても四肢麻痺にしても、ミカミ様が将来に希望を持てるとは思えませんが」
「うわー……はっはははー……」
 首根っこに針をつきつけられているナオは、召使が血も涙もないロボットであることを知っている。人間を殺傷するには制限があったはずだが、最も優先されるのは華奈の安全であることもわかってきている。

 ――なので。ナオがここで言えることとしては、たった一つだった。
「……うん。それでいいよ、召使さん」
「――!?」
「俺はまだ、玖堂さん代理の権限、残ってるんだっけ? それなら俺が許可すれば……召使さんは本気で、俺のことは遠慮なく、始末できちゃうよね」
 これなら本当に遠慮なく、召使はナオを取引の材料に使える。
 アサコが華奈を傷付けようとした時は、本気で召使は、ナオの命を奪うだろう。

「ミカミ、君……!?」
 どういうこと!? と泣きそうな華奈に、ナオはあはは、と困ったように笑った。
「約束したんだよ、召使さんと。玖堂さんを助けるために、召使さんに力を貸すって」
「何それ、だからってどうしてミカミ君が傷付けられなきゃいけないの!?」
「うん……何か確かに、これしか方法はないような気もするしさ。アサコと婚約するぐらいなら、死んでも玖堂さんを助けられる方が俺も本望だし」
 ……!? と。穏やかな笑顔をしているナオに、華奈は心臓が飛び出しかける。
「何言ってるのよ! あなたはそんなの、誰の言うこときく必要だってないのよ!」
 自分のことを考えろ、そう叫んでいる華奈に、やっぱり玖堂さん、優しいな。それでまたナオの顔は、穏やかになっていくのだった。

「うん。だからこれが、俺自身の望みなんだよ」
「ミカミ君……!? 何で――何でそこまで――……!?」
 どうしてそこまで、自分を助けようとするのか。ぼろぼろと流れる涙に声が出せなくなってしまった華奈に、ナオはもう一度、あはは、と安らかに笑いかけていた。
「だって、好きな人のために死ぬって、最高にかっこいいじゃん。男冥利に尽きるよ」

 …………。
 ……――…………。
 場を、永遠にも感じられる、一瞬の沈黙が支配した後。

「ばか……! 目の前で好きな人を失う身にもなってよ……!」
 泣きじゃくりながら叫んだ華奈に、ナオもまた、本当に幸せそうに顔を崩していた。
 そして華奈は涙目で、ナオは穏やかな微笑みで、ただ互いだけをまっすぐに見つめ合った。
 暗い地下での、人質事件。重苦しい雰囲気なのに、まるでパステルカラーに塗り替えていくような二人の世界があった。

 始終黙り込んでいたアサコにとっては、元々交際している二人の、気持ちの再認というシーンでしかないだろう。
 そして元凶の召使にも、思わぬことが起きてしまった、という戸惑いの色しかない。
「……あのですね。まだ、ミカミ様が死ぬと決まったわけではないのですが」
「本当にそうね。あの二人はアタクシのこと、何だと思っているのかしらね」
 呆れたように呟くアサコが、ぱちん、と指を鳴らす。階段を塞いでいた黒服は、全て引き下がっていたのだった。

「このクラムラアサコ、ハイリスクローリターンの取引にのるほど、愚かではなくてよ」
 戻ってきた黒服を背後に従え、相変わらずふんぞり返った様子で笑みをたたえる。
「今日の所は、ここまでにしてあげましょう。所詮あなた方は、アタクシの手の平で転がされていたに過ぎないのだから。今度はもっと、面白い遊びを用意してあげる」
 またお会いしましょうね、玖堂さん、と。お世辞にも綺麗とはいえない奇妙な化粧で笑う怪女に……。

 華奈はただ、凛、と返す。
「いつでも来なさい。返り討ちにしてあげてよ」
 そう笑うと、ばちっ! と、激しい視線を交わし合うお嬢様二人。
 ほえー……と、最重要な当事者であるはずのナオも感心しきるしかなかったのだった。
 あまりに男前過ぎる、二人のお嬢様に。

「…………」
 その様子を、ただ一人、無表情という武装を変えずに貫いた召使は。
 何故か緊迫の色を解かずに、場の流れを観察し続けていた。

 クラムラ製薬の私設研究所を後にして、研究所の建っている丘から町に続く、暗い山道に入った華奈、ナオ、召使の三人だった。
 迎えを呼ぶ手段を誰も持っておらず、さすがにアサコに電話を借りるのは癪だったため、徒歩で町まで下りて公衆電話を探すことになった。

「……」
「……」
 先導する召使の後ろで、ナオと華奈は並んで歩く。互いに互いの顔を見られず、ずっと俯いていた。

 鎖を外され、ずぶ濡れの華奈にはナオが学ランの上着を貸してくれた。年末も近い季節の夜に、華奈の制服の下が自家製の防寒兼防弾カットソーでなければ、とっくに冷えでダウンしていただろう。
 アサコはあの後、最後まで偉そうな態度を通したまま、
――解放する条件として、今夜のことは何人たりとも話さないこと。
 要するに警察沙汰にするな、という事で、誘拐までしておいて虫のいい話だったが、華奈も犯罪の証拠は持ち出せなかったのでどうにもできない。

 アサコの底のない、空恐ろしさから考えると、これで済んで良かったのだろう。
 色々あり過ぎて、疲れ切った体を引きずる華奈も、とにかく華奈が無事なら良いナオも、それ以外は何も言えずに歩き続けていた。

――ていうか……これって何から、話せばいいんだろう……?

 よくよく考えると、今夜のドタドタの中、華奈とナオは両想いになってしまったのだ。華奈にとってはそういう意味で、幸せ過ぎるイベントでもあった。
 しかしあくまで、互いの気持ちを知っただけだ。付き合うのかと言われたら、既に表向きには付き合っていることになっているややこしさ。
 幸せなのに、これを本当にそう感じてもいいのだろうか。信じてもいい状況なのか。
 そんなもやもやで華奈は自分から、喋り出すことができなかった。

 ナオはナオで、念願叶って、華奈と両想いになれたのはとても嬉しかったが。
――このまま玖堂さんと付き合うことになったら……玖堂さん、命が危ないんじゃ……。
 いっそもう、華奈とは別れました! 宣言をした方が、華奈の身が安全であることには間違いがない。本気で華奈を守ろうと思えば、そうしなければいけない。
 百歩譲って、少なくとも、アサコへの対策が完璧となるまではそうした方がいい。
 そう考えながらも、完璧な対策って……? アサコの執拗さを誰よりも知るナオは、ひたすら気持ちが重くなるのだった。
 華奈とは別れた、と、言う決意を固めるためには。

「……」
 そしてずんずん、召使は歩く。
 後ろに続く二人の内面など、(おもんばか)れるはずもないまま。
 自分でもどうしてこの道を歩いているのか、わからなくなっていることにも気付かず。

「……あのさ……」
「……あのね……」
「――!!」
「――!!」

 暗い山道をゆっくり歩きながら、同時に互いに声をかけた。同時にしまった、という顔を見せ合う。
「……」
 華奈はふと、今のこの状況は、あの時の迷路に似ている。疑問を思い出した華奈は、意を決して、自分から声をかけることにした。

「あのね……ミカミ君」
「――何? 玖堂さん」
 ナオはフレンドランドの迷路の時に少し似た、硬めの表情をしている。
 あの時と違って、今日は微笑んでくれているので、華奈はいくらか気が楽になった。
「フレンドランドの迷路のこと……覚えてる?」
「――うん。俺もちょうど、同じこと考えてた」
 ドキン、とあっさり赤くなる華奈につられ、微笑むナオの頬にも赤みがさす。
 本当にこういうスマートさを、天性で持っているナオの笑顔に、華奈はまた胸が温かさで満たされていくのを感じた。

「この山道、何か、あの時と似てるよね」
「うん。なかなか出口につかないしね」
 公衆電話、全然ないね、と穏やかに笑い合う。
 雰囲気が大分やわらかくなってくれたので、華奈は勇気を出して本題に入る。
「あの時ね……私、ミカミ君が何か、怒ってるんじゃないかって思って。それで凄く落ち着かなくって……変なこと言っちゃったりしなかった?」
「えっ? 別に何も、変なことなんてなかったと思うけど?」
 そう言いつつも、少し焦った顔でナオは華奈を見て、たはは……と苦笑いをした。

「でも……怒ってたかって言われたら、そうかもしれない」
「――ごめんなさい。私何か、悪いことしちゃったかな?」
 違うよ! と慌てて、ナオはぶんぶんと手を振る。
「俺、玖堂さんは、春日のことが好きだと思ってたから。俺がペアで悪かったなって、それでちょっと苛々してたんだ」
「……――は?」
 思ってもみなかったナオの反応に、華奈は呆気にとられて、目を丸くするしかない。
「学校でもいつも玖堂さん、春日とは気楽そうに喋ってるし……春日は俺にとって、師匠みたいな存在だから、絶対かなわないな、って思ってたから」
「気楽……そう?」
 どうしよう、ミカミ君の言ってることの意味がわからない――
 華奈はひたすら戸惑いながら、言葉を失うしかなかった。

 そもそもあの不良に、全くといって華奈は興味はなかったので、ナオの勘違いの(はなは)だしさに衝撃を受けたといってもいい。
 ナオはナオで、こんなに情けないことでも、華奈に話せたのが嬉しくて仕方がない。やはり「別れましたって言おう」なんて言い出せない、と危うく呑み込み、沈黙が戻る。

「…………」
 このままだと、また自分は一人でもやもやしてしまう、と華奈は俯く。せっかく勇気を振りしぼって、あの時の理由を尋ねようと思ったのに。
 落ち着かない部分に比べて、幸せな気持ちの方が大きいのだから、それはそれでいいのだとも思う。
 今まで華奈はそうやって、曖昧な部分を大切にして、もやもやを呑み込むことで、うまくやってきた気がする。
 ただ華奈には、それでも自分自身を誤魔化せない、常に必死さがあるだけで。

――何でそんなに、必死に手抜きして生きているわけ?

「……」

 そんなの、時と場合によるわよ、と。内なる声に華奈はまた一人で反論する。

 その時。
 華奈のそんな内心を知るわけもないナオが、ナオの方から答を教えてくれたこと。
 それは未だに踏み出し切れないままの華奈への、一番の救いだったのかもしれない。
「春日がさ。玖堂さんのお嬢様喋りをきいた、なんて言うから、俺、羨ましくってさぁ」
「――えっ?」
 俺もそんな、素の玖堂さんと喋ってみたい、と。踏みかけた地雷から身をかわすように、そんなことを言ってナオが笑った。
 それが華奈にとって、人生を揺るがす分岐点となったことを、ナオは知る由もない。

「それにしても……行き、ここまで長い距離、あったっけ?」
 きょろきょろと辺りを見回しながら、話題を変えてナオが不思議そうに呟いていた。
 召使に担がれていたとはいえ、実際はあの疾走時間は、ナオにはかなり短く感じられた。
 そうでなければ、電気自転車もそんなに長く稼働できないのだから、召使の電力はとっくに尽きていておかしくないだろう。
 道も段々、舗装された道から獣道に近くなってきている。どう考えても、こんな所は通ってはいない、とナオがようやく気付いた時には、既に遅かった。

「――お嬢様。……とても大切なお話があります」
 前を歩いていた召使は、立ち止まってゆっくりと二人の方を振り返ると。
「えっ……召使――?」
「――?」
 機械の顔に、張り付けられただけの外装。
 そんな機能はつけなかったはずの制御で、固められた外皮を引っ張り、無理やりに綺麗な微笑みを作る。
「わたしは、お嬢様とそのお方がお付き合いされるのは、残念ながら賛成できません」
「――おまえ……今、なんて――……?」

 華奈の驚愕の顔にも、優しく微笑みを返す。
 すっと、自身の右肩に手をかけた召使は。
「賛成できませんので……やはりそのお方には、消えていただこうと思います」

 機関銃を埋め込んである肩関節ごと、召使が腕をもぎとる。
 破損部から小さな黒い銃口を、ナオにまっすぐ向けたのだった。

➺Cメロ

 高速で連続する轟音と共に、容赦なく撃ち出された銃弾。
 咄嗟にナオを引っ張って伏せた華奈の数メートル前で、華奈の行動を予想していたのか、すぐナオをかばった華奈に召使が銃口を下げた。そのままふわりと笑いかけた。
「何を考えているの、召使! 誰が今、そんな凶行を指示したというの!?」
「お嬢様、前に言ったはずです。わたしの制御機構は、最終的にはランダムなのだと」
「ええい……詭弁を弄するのもいい加減になさい!」

 く……玖堂さん……と。華奈の背後で、最初の衝撃で座り込んでいたナオは、わけのわからない様子で目前の二人を見つめていた。
 華奈は今にも泣きそうな気分で召使を見ている。そんな華奈に召使は色付き眼鏡をつけたままで、これまで決して見せたことのない優しさ――寒気のする微笑みで対峙していた。

「……杉浦! おまえっ……杉浦なんでしょ!?」
 ぎりっと。血が滲むほどに両手を握りしめて、華奈は一歩ずつ前に踏み出す。
「おまえ以外、誰がそんなことできるのよ! 外部ネットワークに一切接続していない召使に、強制介入して遠隔操作をしてのけるなんて!」

 ナオはただ、硬直した顔のまま首を傾げる。
「……遠隔操作?」
「でなければわざわざ、制約のある躯体から銃を分離する必要なんてないっ……! 召使単体でそんな凶行、できるわけがないのよ!」
 ほえ……とナオも、自ら腕をもぎとった姿で笑う召使の違和感に、少しだけ納得がいったようだった。

「あの時のFAXも、おまえが召使に作らせたんでしょう! いくら何でも早過ぎたもの……自分から勝手に出ていったくせに、そうまでして何を企んでいるの!?」
「…………」
 にこ……と召使は、決して表情を変えないまま、幸せそうに華奈を見つめた。

「ずっと……」
「!?」
 スルっと。召使は一つにまとめていた黒髪を下ろし、眼鏡も外して上衣のポケットに直す。
「ずっと……あなたのことを見ていました、お嬢様……」
 学校以外では髪を下ろしている、華奈そのものとなった姿で。
 華奈は決してしない虚ろな微笑みをして、片目をそっと隠すように手を当てていた。

「あなたはわたしにとって、たった一つの光だった……唯一、命をかけても守ろうと思える、そんな希望の(あかり)でした」
「……!?」
「だから、あなたの心身を追い詰め、危険にさらすものには、我慢ができないんです。わかっていただけますか?」
 その召使の笑顔は、華奈だけでなくナオにも向けられたもので。
 アサコへの対策を練らない限り、華奈と一緒にいていいのかを悩んでいたナオにとって、召使がそう言う心情は理解しやすいものではあった。

「玖堂さん……俺――」
 弱気に座り込んだままで、ナオは何かを言い出そうとしたものの。
「――ミカミ君。これはあたくしと杉浦の問題よ」
 厳とした後ろ姿で、華奈はきっぱり、そう言い切った。
「あなたが杉浦の期待に応える必要はない。ただ……もしも、できるなら……」
 あたくしを、どうかまた、支えてほしい。消えそうな声でそこに加える。

 え? とナオが不思議そうにしたのも束の間。
 華奈はしっかり立ってはいるが、今にも崩れ落ちそうなくらい、顔には悲痛しか浮かばなかった。
「……杉浦は、あたくしの元教育係で……育ての親と言ってもいい人」
 じりじりと、召使との距離を縮めようとしながらも、大きく華奈は踏み出していけない。
「でも中学になって、あの召使を完成させた途端、あたくしを置いて去ってしまった。ちょうどその頃よ……落ち込んでいたあたくしに、ミカミ君が声をかけてくれたのは」
 それでも確かな強い想いで、大切な心を口にする。

――玖堂さん、どうしたの? 何処かしんどいの?

 出会いはそんな、たかが中学生にしてはあまりにスマートな気遣い。
 どうして、家の方向は全然違うのに、華奈の帰り道で出会ったのだろう。
 同じクラスになって間もなく、喋ったこともない華奈の名字を、確信を持って呼んだことも。

 それはナオが、華奈の名前を勝手に覚えるくらいに、華奈のことを何処かで見ていて。学校の外でも一目で、華奈を玖堂華奈だと判別できないと有り得ないことだろう。
 そしてだから、華奈の様子がその時、本当におかしかったこと。それも気付いて彼は心配し、華奈の帰り道を追ってきて、声をかけたのだろうから。

「…………」
 ナオからすれば、何の気もなさ過ぎる日常的な心遣い。
 片思いの期間も長いナオにとって、華奈との出会いと再会はそのシーンではない。
「……覚えて、ないけど……」
 ぽつんと、ナオはそう呟きながらも、
「玖堂さんがそんなに辛そうな顔するの……よっぽど大切な人だったんだ」
 この状況の意味を改めて、ナオなりに理解した――その受け入れと共に。
「でも……――だからって」
 そして。両手を握り締め、口を引き結び、決意を秘めた目で立ち上がった。
「って――ミカミ君!?」
 召使の銃口から、身をもってナオを守っていた華奈の前へ。
 ともすれば、華奈を押しのけるような強い力で、ナオは二人の間へと出ていた。

「何考えて、危な――……!」
 しかし華奈のその制止は、遮られた。
「――どうかしてる」
「――!?」
「どうかしてるよ。玖堂さんも、杉浦さんって人も」
 日頃のナオからは想像もつかない、怒りに染まる硬い声色。華奈は思わず声を呑んだ。

 ナオは二人の間に立ちながら、横を向いて一歩下がった。
 二人共の姿が見えるように、ただ、強い怒りを秘めた顔付きで続ける。
「銃なんて、人殺しにしか使えないじゃないか。いくらロボットだからって、そんな危ない物を取り付ける玖堂さんも……それをヒトに向ける杉浦さんも、どうかしてるよ」
「……あ……」

 それは今日、この夜、華奈を誘拐したアサコと変わらない非道さ。
 アサコに向けたものと同じ感情を湛えるナオに、華奈は背筋が凍り付いた。
「俺を殺したいなら、殺せばいいよ。でもそれは――」
 そしてナオが、まっすぐに召使の方を向く。
「それで玖堂さんのためになるって。杉浦さんは本気で、そう思うのかよ?」
 そう、はっきりと。腕をもぎ取った姿で佇む冷たい機械に、歪んだ心に、真っ当に罪を突き付けていた。

「…………」
 召使は、それまでの虚ろな笑みを捨てる。機械よりも冷たい無表情でナオを無視して、華奈だけを見つめる。
「お嬢様……そのお方にはやはり……あなたのことは理解できないようですよ……?」
 こうして自律起動し、華奈のためだけに動く機械。そんな奇跡を造った偉業に対して、真っ当でつまらない視線を向けるナオなど、興味はないと言わんばかりに。

 華奈はそこで――ようやく。
 今日この日まで、普通を大切にしようとしたはずの自分が、どれだけ踏み外してきたか。その因となった歪みを断ち切らなければいけないことを、目の前の二人の姿から悟る。

――もう……遅過ぎたかもしれないけど……。

 怒りに染まったナオの顔は、見ないで済むように。
 ナオのいる位置まで歩み出てから、召使に対して、華奈ははっきり宣言していた。
「……もう、おまえの言うことなんかきかない、杉浦」
 その言葉を口にすれば、それは最後の別れになると知りつつ。

 今でもまだ、いつかひょっこり、身体を治した杉浦が帰ってくるかもしれない。何処かでそう願っていた華奈は、その想いと決別する。
 彼女がそばにいた頃には言えなかった、最も深い弱音を口にした。
「私、頑張ったけど……いいことなんて、そんなになかったじゃないの……」
 杉浦がいなくなって、自分は一人になってしまった。
 違う。元から、一人だった。
 常に周りから浮き上がらないよう、常識という対応を続けてきた華奈に、その結果で得られたものは。できた世界は同じように、常識的な、当たり障りのない人間関係だけで。
「友達だって……結局、できなかったし……」

 いてもいなくても同じ。
 玖堂華奈が目指した、周囲に溶け込む人物像は――
 究極のところ、そういうことだ。

「それなのに今度は、好きな人まで……私から取り上げようっていうの?」
 たとえそれが、華奈の身を危険にさらす人間関係だったとしても。
 華奈を危険にさらしたくないのは、杉浦の望みであって、華奈の願いではない。
「やっと見つけたのよ。おまえがいなくても、一人で立ち上がる力をくれる人」
 裏を返せば。その人がいなければ、どれだけ安全な所にいても意味がなかった。
「ただ生きてるだけなんて、私はごめんだわ……自分一人でできることなんて、私にはもう、時間潰しでしかないんだもの」
 それは華奈の、命を賭ける覚悟ですらない。支えてほしい、という言葉通りの、一人ぼっちの悲鳴。
 傍目からは輝かしい華奈が、走り続けることで目を背けていた、本当の嘆きだった。

「――だから。あたくしはほしいものを手に入れて、邪魔をするものとは闘う、そのことを誓う」
 全ての想いを、口にしてしまった。せめて、自分の言ったことには責任をとるため、きっと目に気合いを入れて召使を睨みつけた。
「そんなにまで、あたくしが優先だと言うのなら……あたくしのほしいものを、遠ざける教えをしたおまえは既に、大きな間違いを犯していてよ」
 それが、この一カ月。不条理な怒りに翻弄され続けた華奈の答だった。

 きっと、あの黒い痛みは、ナオだけのせいではなかった。
 いつか報われると信じて、頑張り続けてきた自分を置き去りにした、一人ぼっちの運命への怒りだ。

 それを招いたのは、自分で自分を追い込む華奈自身と。華奈をそう育てておきながら、途中で役目を放棄した、無責任な杉浦への怒りだった。
 ずっと華奈は。
 互いを傷付けないための社会のルール、常識。誰かと一緒に笑い続けるための教育を、一心に受けてきたのだから。

 ダメ押しは、ぽん……と。
 何でもないことのように華奈の背後に立って、両肩に手を置いた、ナオの笑顔だった。
「玖堂さん。ごめん――さっきの、演技」
「――……え?」
「杉浦さんも、何か演技してるな、って思ったから。本当のことを……話してほしくて」

 その教育係が現れたのは、何か大切な目的があるはずなのだと。
 最早全く、召使に対して怒りの色はなく、そんな風にナオが口にする。
 華奈は心細い思いで振り返り、ナオの目を見た。ずっと我慢していた涙が、ぼろぼろと惜しげもなく零れ始めた。
 そのままの勢いで、ばっと、ナオの胸にしがみついたのだった。

 その状態を目にして、最早召使は、完全に無表情に戻った。
 遠い日の大切な何かを、その奥に見るように――ナオの胸で泣きじゃくる華奈を、華奈の気が済むまで黙って、見守り続けていた。

「そうです、お嬢様…………」
 ひとしきり泣いた華奈が、ぐしぐしと目をこすって、崩れた顔のまま再び召使の方を向いた時。
「わたしは、大きな間違いを犯したのです……何もかもあなたが、仰る通りに――」
 華奈の成長を心から喜ぶような、優しい顔で。もう一度彼女は微笑んでいた。

「――ミカミ様。この度の数々のご無礼、どうかお許し下さい」
 がちゃん、と、もぎとった機関銃付きの右腕が地に落とされた。
「あなた様だけが、今の華奈様にとっては、弱点と呼べる存在なのです。だからどうか……この空ろな機械と共に、わたしの分も、華奈様をお守り下さい」
 (ひざまず)いて、そうはっきりと、真意が伝わる望みを口にする。
 奥歯を噛みしめてゆっくり頷いたナオにも、フっと再び微笑みを向けたのだった。

「本当なら、わたし自身が、ずっとあなたの盾になって。どんな恐ろしいことをしてでも、あなたをお守りしたかった」
 地に落ちた機械の腕を見つめ、哀しそうに彼女は続ける。
「だから、無情な機械のカラダまで手に入れたのに……結局わたしは、わたし自身を超えることは、できませんでした」
 何言ってるの……と。震える声で、華奈は召使を見つめ返す。

――お嬢様……きっとわたしは、心の無い機械になりたかったんです。

 自ら身体を、機械化することを願った彼女。
 そんな哀しげな笑顔が、フラッシュバックするように華奈の脳裏をよぎっていく。

「あなたを常に身近でお守りするなら、この空ろな機械の方が適切です。それが一番、華奈様にとっては害がありません」
「どういうことよ……杉浦……」
「わたしは決して、あなたを常識人にするために、そばにいたわけではありません」
 それでも、と、自分の誤算を思い返すように彼女は軽く笑った。
「常識とはあくまで、知っておけばいいだけのものです。その場その場で、判断材料の一つとしながらも、それを最重視する必要はない、ただの潤滑油に過ぎません」
 それが杉浦の持論だった。
 彼女はいつでも、常識を教えながらも、その都度華奈の本音に寄り添うようにそばにいてくれた。
 だから華奈も、自分をいつも受け入れてくれる杉浦を、一番信頼していたのだから。

 彼女は淡々と、跪いたまま先を続ける。
「それなのに、あなたは優し過ぎて、わたしの指導がフィットし過ぎてしまった。わたしが常日頃、嫌々行っていることを、あなたは喜んで自ら実行されてしまう」
「そんな……こと……」
 そんなことない、と、咄嗟に否定しようとする華奈だからこそ、危機感があった。
 意識して常識を実行している杉浦と、無自覚に近い形で実行してしまう華奈の違い。その断絶ばかりは、彼女にはどうしようもできなかったのだ。
 何故なら彼女は、常に、嫌々誰かといた人間で――華奈とは完全に違う人種だった。

 そんな彼女がたった一人、守りたいと思えた相手に、何を願ったのか。
「わたしがあなたのそばにお控えする限り……あなたはずっと、その行動パターンを覆されることはなかったでしょう」
 そう教えたのは、他ならぬ彼女だ。そして、教えたことを別に実行しないでいいという、彼女の適当さや矛盾まで、勤勉な華奈に再現することはできなかったのだ。
「お嬢様、あなたは……これ以上、あなたを偽って生きるべきではないのです」

 華奈のそばを去ってからも、彼女はこの機械の目を通し、華奈を見守り続けてきた。
 そして華奈が、思った以上に自身を抑し殺している姿をも目の当たりにした。

 でも、と彼女は、嬉しそうに顔を上げる。
「わたしとお嬢様は違いますね。わたしにはできなかったことを、お嬢様は乗り越えて下さいました」
「って――わけがわからないわよ、さっきから!」
 大体ね……! と、華奈はようやく、反撃の隙を見つける。
「おまえがいたからあたくしに不幸がって、どういう拡大解釈なの!? あたくしはおまえを信頼してたし、おまえだってあたくしのこと、大切にしてくれたじゃない!」
 それ以上にいったい、何が必要だったのか。
「考え過ぎなのよ! 何でそんなこと、一人で勝手に悩んでいたのよ!?」
 勿論まだまだ、中学生に過ぎない華奈が、彼女の真意を理解できたとは思えない。それでももう少し、何か違う方法で、杉浦の懸念を解決する道を探すことはできただろう。
 他ならぬ華奈のことで、杉浦が思い悩んでいたなら。

 その華奈の悔悟に、彼女は微笑みながら、哀しそうに口元を歪める。
「はい。それがわたしの……超えられなかった、わたしでした」
 華奈よりずっと年上なのに、姉妹にも見えるような――
 実際は小柄で、表情以外は声も風貌も幼く感じた彼女を、ありありと思い出させる拙い言葉。
「申し訳ありません、お嬢様……わたしはとても、無責任です」
 それでも満足そうに、彼女はぎぎ……と軋みの音をたてながら、また下を向いた。

「――!」
 その、関節可動が潤滑に行えていない音が意味することを瞬時に悟り、華奈は慌てて召使に駆け寄る。
「待って! お願いだからもう少しだけ持ちこたえて!」
 服の下に普段は隠しているが、必要時には見やすいように、うなじの下に設置してある電力メータ。
 華奈の予想通り、それはとっくの昔に「E」を指し示していた。
「ねぇ、杉浦、待ってよ! まだ何も諦めることなんてないじゃない!」
「…………」
 華奈らしい不屈の精神に、俯いて目を閉じた召使の顔が、また少し(ほころ)ぶ。
「お願いだから行かないで! 私、あなたにお返しができてないのに!」

 そんなに強く思い詰めてしまうほど、まるで本当の親のように、華奈のことを愛してくれていた相手。
 華奈がやっと、ずっと口にすることのできなかった、一番の悔やみを吐き出してしまったところで――

「わたしは本当に幸せ者ですよ……お嬢様」
「え――?」
「あなたのような優しい人のそばに、十年近くいられたのですから……」
 もうそれだけで十分なんです、と。
 ぴくりとも動かないはずの躯体から、奇跡のように穏やかな声を出して。
 ありがとう、と、目を閉じたまま幸せそうに微笑んだ後で。

「お嬢様……お元気で――」

 そうして、今度こそ本当に、その教育係は去ってしまった。
 これで自分の役目は全て終わったのだと……とても安らかな微笑みを残して。

 その彼女の笑顔が、あまりに幸せそうで満足そうだったので。結局華奈はまた、彼女を止めることはできないままだった。
 けれどその結末を、黙って見届ける気になれるくらいに優しい笑顔だった。

「玖堂さん……大丈夫――?」
 一部始終をひたすら見守っていたナオが、やっとそう声を出して、華奈の顔を心配そうに見た。
「……大丈夫……じゃないわ」
 華奈は両膝をついて、跪いたままバッテリー切れとなった召使の両肩を抱く。
「だってもう……杉浦から、卒業しなくちゃいけないんだから……」
 そんな風に言いながらも、華奈の顔も微笑むしかない。

 そして、そのままの状態で、ぴきんと。きれいな顔にはっきりと青筋を走らせていた。
「こんな山道で、バッテリー切れになられたりして。この後どうしろっていうのよ?」
 ――ばっと。鬼のような面持ちの激怒顔で、華奈はナオの方に振り返った。
「どうしてくれるのよ! こんな重いコ、誰がこの先持ち運べるっていうの!?」
「く、玖堂さん?」
「そもそもミカミ君、道が違うことに気付くの遅いのよ! 拉致されたあたくしにはわかりようがないんだから、あなたがもっとしっかり先導すべきではなくて!?」
 ご、ごめんなさい、と笑うナオに、華奈は容赦なく、おそらく照れ隠しも含めて叫んだ。
「わかったら早い所一人で公衆電話を探して、助けを呼んできてちょうだい! 但し絶対、玖堂家だけに連絡すること! そして誰にも見られないこと!」
 ひえー! と慌てて走り出すナオの後ろ姿を、にこりともせずに華奈は見送った。

 そして地面に落ちていた召使の右腕を、不機嫌な顔のまま拾い上げる。
「本当に。常識がなくてマイペースで、自分勝手なんだから」
 そのおかげで、危うくナオにアサコと同レベル扱いされるところだった。
 今後はもう少し、非破壊的に立ち回ろう、と華奈は心に決める。
「お前はクビよ、杉浦。だから――退職金を払うために、意地でも見つけるからね」

 残念ながら、バッテリー切れした召使からは、その声は彼女まで中継されない可能性が高い。
 けれどそんなことは、どうでもいいとばかりに、ほほほほほ……! と。
 不機嫌なまま、華麗な悪役のように、華奈は不敵に笑い続けていたのだった。

➺サビⅢ

 それは、半ドンで午前中に解放された、空っ風の吹く中学校での昼下がりのこと。
「ねーねー。玖堂サンー」
 靴箱で自分を待ち受けていた人影に、華奈は瞬時に、鬱陶しい顔を浮かべた。
「またどっか、遊びに連れてってよー。最近暇なのよ」
「生憎だけど、あたくし、忙しいの。これ以上あなたに貢ぐお金はなくてよ」
 担任からのたっての願いで、転校生に必死に勉強を教えてきた。
 どうやら彼女は、とにかく体を動かすことが好きらしく、嫌な勉強を何とか数時間堪えた日はご褒美として、ボーリングやスポーツセンターに連れていっていた。何故かそうしている内に、言葉数の少なかった彼女はどんどん、華奈には気軽に喋りかけてくるようになっていた。

――……これはあれだ。あたくしはつまり、金づるとして認識されてしまっている。

 友達。そんな単語を使うことは、とてもではないがまだ素直にできない華奈なのだった。

 そんな華奈に、元々肩書きは全く意識しないらしい彼女は気軽に絡みかかる。
「いーじゃん、何か知らないけどそんなの、全部さぼっちゃえば」
「あなたねぇ。お願いだからあたくし以外に、暇潰しの相手を見つけて下さらない?」
 春日君とかいるじゃないの、と誠意のない声で口にする華奈に、
「有り得ない。あんな口先ばっかりの弱っちい奴」
 この彼女に比べたら、誰でも弱っちぃだろう。スポーツ特待生としての枠を確保している相手に、華奈は露骨な呆れ顔で溜め息をついた。

 時は既に、三学期の終わり。卒業式を間近に控えている。
 転校生も華奈も、高校にエスカレート進学することが決まった。既に華奈は、彼女の家庭教師役を解放されている。

 華奈は靴を履き替えながら、転校生を退散させるために粛々(しゅくしゅく)と言う。
「悪いけど、今日は本当に大事な用事があるの。今度またフレンドランドに連れてってあげるから、今日は遠慮して」
「――本当? やったね、さすがは玖堂サン、太っ腹」
 にやっとしてそう言う相手に、華奈はふう、と息をつく。
 彼女が立ち去ってからも、しばらく憮然と靴箱に佇んでいた。
「全く……今じゃ、玖堂さんって言ってくれるなんて、あの二人だけじゃないの」
 最近の華奈の通称は、一貫して「お嬢」だ。
 酷い時には「おジョー」としか聞こえない発音で、気軽に呼びかけてくる者もいる。
「そろそろ元凶のあの不良をしめてやらなきゃ。竜牙さんなら、協力してくれそうね」
 今や、華奈を相変わらず玖堂さんと呼ぶのは、あの転校生とナオくらいなのだった。

 それは、自分の一人称や言葉遣いが変わったせいであることも、華奈は勿論承知している。
「本当、口数増えたわよね……竜牙さん」
 しかも華奈相手にはしょっちゅう、先程のような不敵な笑顔を見せる。ついついまたも、遠い日の声がよぎる。
――自分が先に心を開けば、相手も段々心を開いてくれるものなんですよ、お嬢様。
 どう考えても彼女の変化は、悔しいながらも、華奈の口調が変わってからのことだった。認めざるを得ない。

 どうして自分が、学校でも突然、お嬢様喋りに躊躇いがなくなってしまったのか。今でもよくはわからないが、気が付けば自然にそうなっていた。
「玖堂さん、かっけー! おれ、下僕って呼んでもらっていーっすか!?」
「凄い、本当にお嬢様だぁ。いいなぁ華奈さん、私もそんなふうに喋ってみたいなあ」
 なかなか柔軟で、温和なクラスメート達も、そんな華奈をあっさりと受け入れている。

 杉浦がいれば、それはひとえに、華奈の人徳だとでも言うのだろう。
 華奈にとっては、単に必要に迫られてのことだったかもしれない。
「……召使がいないんじゃ、他に話ができる相手を、探すしかないものね」
 召使を相手にする調子で、いつの間にか、他の人間とも喋るようになっていた。それだけのことのように思えた。

 冬の直前、華奈がアサコにさらわれた事件で。
 華奈を助けるために大奔走した、召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプは、所々の外装の破損と右上肢の分断という大掛かりな損傷に、未だにオーバーホールの最中だった。
 人間の外皮という外装をやめて、人間に限りなく似せた素材を模索中なこともある。
 なかなか復帰させることもできず、おかげで華奈がずっと手掛けていた人工知能開発は、頓挫していた状態だった。

「……でも……」
 どうしてだろう。召使以外にもお嬢様喋りで喋る相手が増えてから、人工知能開発への華奈の意欲は、以前よりもかなりのんびりとした気分だった。
 開発できたら、まあ、儲けものかな。そのくらいの思いに執着度はダウンしていた。
「結局……友達がほしかったってことなのかしらね、単純に」
 周りに誰もいないのをいいことに、情けなあ、と笑いながら華奈は呟く。

 年齢相応の、偉そうでない、気さくないち女子中学生としてふるまってきたつもりだったのに。
 ちょっと我がままで目立つ存在、お嬢様喋りになってからの方が、自分は年齢相応の心になった気がする。

 ――よしっ、と、華奈は靴箱を出た。明るい太陽の下で、気合いを入れ直した。
 今日は本当に大切な日なのだ。靴箱に入っていた手紙を握りしめて、華奈はすーっと深呼吸をする。
 味気ない手紙の中味を何度も読みながら、あの場所へと向かったのだった。

~ 大切なお話があるので指定の場所へ来て下さい ~ 

ミカミ ナオ

 そしてあっという間に、その後の時間は、飛ぶように流れ去っていった。

「――ちょっと、お母様……はっきり言いますけど、恥ずかしいのですけど」

 うぇぇぇ~~ん……と。ぐしぐしと涙を拭う母親は、
「綺麗よー、華奈―……よくここまで無事に、健やかに育ってくれたわねー……」
 晴れ姿の娘を見て、そんなふうに感動しきりで、華奈は困ったように息をつく。
「誤解を招くような表現をなさらないでくれる? こんな袴の一つや二つ、いつでも着ようと思えば着られるじゃないの」
 式目や全体での集合写真も終わり、卒業式会場から退場してきた華奈の袴姿。
 母親は只管感慨深い様子で、鼻をかんでいる――それもそのはず。
「今までは杉浦さんにばかりお願いしていたけど……こんなにも感動するものなら、高校の入学式も是非出席しなければいけないわー……」
 華奈の学校でのイベントに、出席するのが初めてだった母は、本来は庶民的な中学校というものを毛嫌いしていた。それにも関わらず、素朴な子供達の送辞や答辞、そして送り歌に、痛く感激してしまったらしい。

 生粋過ぎるお嬢様の母の心情など、あまりわからない華奈は意地悪くとぼける。
「あら、入学式には、お父様が出席されるとのことでしたけど?」
「あんな人には仕事だけさせておけばいいの! 大体いつも私を差し置いて、うちの事業を勝手に展開するんだから、全く!」
 お嬢様とはいえ、玖堂家後継ぎの自覚をもって経営に挑み、そしてやり手であった母の、数倍上をいくらしい元庶民の父。
 母の複雑な思いはこれまで散々「誤算」の一言で表されてきたが、それは幸せなことだ、と華奈はとっくに見限っている。
「お母様も、たまにはお父様とゆっくり、ご旅行でもなさってきたら? こんなイベントに来られる暇があるのでしたら」
「何言ってるのよ、あなたって子は。私達は毎日が旅行みたいなものでしょう」
 ……それもそうか、と。
 相変わらず家には両親は帰ってこず、従って今も非常に羽を伸ばして日々生活している華奈は、ただ両親の健康を祈る。

「でも春休みには、三人で温泉に行きましょうね。珍しいわね、華奈からそんなこと、企画してくれるなんて」
「ええまあ……たまには」
 少しだけ憮然とした華奈に、母は、照れ隠しだと解釈したらしい。
「……」
 華奈にも別に、深い意味があるわけではない。
 絶対そうしよう、とは思わないものの。もしも道中の雰囲気が良ければ、ナオのこともちらりと、両親に話してみてもいいかもしれない、なんて考えてもいる。
――と言っても。俺が有名になるまで待って! とか、ミカミ君は言うでしょうけど。
 そんなの気にする必要なくてよ、とつくづく華奈は思うのだが、ミカミ君の心意気があまりに必死で、かつキラキラしているので、それはそれでいいか、と放置している。
――あたくしや杉浦の、本音を言わせられたくらいだから……心配ないでしょうけど。
 華奈の背筋を凍らせた演技力然り。ミカミ君の知名度は、ここのところ着実に上がってきていた。

 ――……と。
 式も終わり、母親を迎えに現れたリムジンの中から、代わりに一つの影が降り立っていた。
「……」
 学校周辺で控えさせる時は、目立たないよう、自分と同じ制服を着せていた。
 決して学生をしていたわけではない、白が基調のセーラー服で現れた少女に、華奈は悠然と声をかけた。
「遅かったわね――……『杉浦』」
「申し訳ありません~……華奈お嬢様」

 いつまでも召使と呼ぶのも、そう言えばなんだな、となった。
 何か名前を付けようとは思ったものの、どうしてもその名字以外はしっくりこず、紛らわしくはあるが華奈はそう決めてしまった。

 目覚め一番、召使は、いじられた語尾で切々と言った。
――わたくしは未だに、理解しかねますー……。
 何故自分が修理されているか、さっぱりわかっていない。面白いのでついつい、あちこちキャラをいじってしまった。

「――いいこと? 高校では、あたくしの知り合いと話をしたりは構わないけど、何人たりとも、決しておまえの肌には触れさせないこと」
 宴もたけなわ。誰もいなくなった中学の教室に、召使を連れて華奈はやってきていた。
「触ればすぐに、生き物の手触りじゃないことはわかってしまうからね。人肌よりは格段に丈夫だけど、残念ながらそれだけが欠点よ」
 ぺにぺに、と、不思議な感触の召使の頬をつつきながら華奈は釘をさす。
 召使はその華奈の、指圧の強さに文句を言う。
「痛いですー、お嬢様―……」
 えーん、と。そんな擬音でもって表現されそうな表情を浮かべて、透明な眼鏡の下で、抗議する目線が向けられる。
「わたくしに痛みなど感じる機能を、追加する必要はあったのですかー?」
「じゃなきゃおまえも、危険な時でもすぐ無茶するでしょう」
「更にはどうして、高確率で語尾を伸ばす口調にご変更をー?」
「その方が可愛いから……じゃ、ダメかしら?」

 始終、いたずらっぽく召使を見つめていると。
「お戯れをー……」
 などと。表情を丈夫な肌で表現できるようになり、以前は鉛色をしていた隠れ肌も人間に似せ、武装を使い難くした姿。何故それらの仕様が必要かわからないらしい召使は、始終不安げにしている。
 元々、ほとんど声色だけで感情表現を御していた召使は、表情がついてくるとますます人間の雰囲気を醸し出している。体型は華奈と同じままだが、顔は「杉浦の小さい頃を想像!」をコンセプトとして造り直し、髪の色は元の赤に近い茶色に戻し、以前の面影は眼鏡くらいになった。
 そしてでき上がったのは、何とも線が細く、不安げに教室を見回すいち少女だった。

 華奈はくす、と笑いながら、無骨な机の一つに腰掛けて言った。
「高校からは、おまえもあたくしと学校に行くのよ。杉浦」
「…………」
 その話については、召使は一応今後の任務として、既に認識をしてはいた。
「理解しかねますー……」
 理由は全くきかされていない。そう不安げ、かつ不満げに華奈を見てくる。
「まぁ、一つは……ミカミ君からの意向よ」
 ナオとしては、とにかく召使を華奈のそばに置き、忍び寄るアサコの魔の手から守っていてほしいらしい。
 華奈としては、華奈の命の危険が絡んだことに対する召使の暴走傾向を鑑みると、そちらはあまり重視したくないのだが……。

「それと、一つは……」
 だからどちらかと言えば。華奈の本意はこれから口にする方だ。
「あたくし、おまえにも今後、楽しみというのを見つけてほしいのよ」
「楽し、みー……?」
「ひいては人間らしさ、ということかしら。色んな体験をして、色んな世界に触れて、今まで以上におまえを人間らしくして、それを参考にあたくしは今後――更に高度なおまえ達を造りたいの」
 召使もきっと、一人じゃ寂しいでしょうしね、と。
 戸惑いの顔を浮かべている姿に、今は心意を理解できないだろう、と伝えることはしない華奈だった。

 そんな感慨が人工知能にとって、実際意味があるかはわからないが。
 それでも華奈の最近の意欲としては、その不可能に挑戦したいのが(もっぱ)らの動機付けだった。

 ついでに、召使の目と耳からこちらの情報を得ていたはずの杉浦に、伝わってほしい、と願う。
――わたしは、大きな間違いを犯したのです……何もかもあなたが仰る通りに。
 もしかしたら、彼女は味気ない療養や潜伏生活かもしれない。華奈の楽しそうな姿を、今までより沢山目にすることができるように。そして少しでも、安心していてほしかった。

「平和ボケはここまでよ、召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプ」
 いいえ、杉浦、と。
 玖堂華奈は、きっとこれから自分達に訪れるだろう、様々な困難を先取りして笑う。
「おまえは元々召使なのだから――相応しい場所に送ってあげる」

 そうして、新しいこれからを想うように。
 大切だった今までに別れを告げるように。
 玖堂華奈はただ、窓の下で手を振る少年を見つけて不敵に微笑む。

 最近。とても興味深くて、そして、嬉しかったことがあった。
 年が明けてから久しぶりに、またちらりと目を通してみた新しいタレント名鑑で。
 「天命トラブルメーカー」bioはわりと話題になったらしく、同じように自己紹介をコメントで載せるご新規達が増えていたのだ。未だに賛否両論あるようではあったが。
 当然華奈は……否であったからこそ、当事者の彼に、素直な尊敬の念を抱いて微笑む。

 彼はただ、人跡未踏の地に足を踏み入れることを厭わない、勇気ある人なのだろう。
 彼が地雷を踏んだことで、安全に出入り可能になった場所があるのだから。

 そう。少年が地雷を踏んで壊してくれた、いくつもの壁の瓦礫(がれき)を踏み越えて。
 リケジョでもヒロインでもない、おジョー様たる玖堂華奈の物語は、ここからがやっと本番になるのだから。

アウトロ

アウトロ

 
 少しだけ前。この学び舎で一番大切な思い出となったあの日。
 更にもう少し前を、華奈はふと思い出した。

 ――やり直しを要求するわ。
 ナオに突然そう言い出した華奈に、初めナオは、何のことかわからず目を丸くしていた。
「あたくし達のこと、はっきりさせて下さらない? ミカミ君」
「はっきり……って?」
 この話題に近づくたびに、ナオはいつも暗そうな顔をする。その心情は嫌と言うほど何度もきかせてもらったので、華奈は落ち着いた心で、自分の結論を告げる。
「どうせ既に、アサコはあたくしを敵認定していてよ。それならあたくしとミカミ君、両思いの二人が本当にお付き合いすることに、他に何の障害があるというの?」

 そんな華奈に、何度も何度も呑み込んだ言葉を、ナオはまたうっかり吐き出しかける。
「でも、玖堂さん……今ならまだ、アサコに別れましたって言えば――」
 そうして的確に華奈の地雷を口にするナオには、最早感服してしまうほどだった。
 じろっと。不機嫌でも陰険でもなく、ただ少しだけ呆れながら、まっすぐナオを見つめる。

 付き合ったら玖堂さんの身が危ない、と主張し、どうすればいいか考えるよ、とナオが言って、既に三ヶ月近くがたった。華奈がしびれをきらしたのは当然の話だ。
 せめて召使さんが復帰するまでは。そう主張するナオに、最初は頷いていたが、それも思ったよりも時間がかかりそうなので、華奈は最後の手段を口にすることにしていた。

「ミカミ君。春日君にあたくし達のこと、付き合ってるって話したんでしょう?」
 ぐ……! 後ろめたげなナオが、「絶対に内密」を唯一自分で破り、話してしまった真意が危機感だったことを華奈はもう知っている。
「春日君、あたくしのこと、いいって思ってくれてたんですって。ミカミ君があたくしと別れたなんて言えば、つれない竜牙さんよりあたくしを相手してくれるかもね?」

 だからもう一度。華奈にきちんと、今度は本当の告白をしてほしい。
 不良のことなど、華奈は塵ほどにも興味は持っていないが、今でもナオは華奈より不良とよく喋っていることが多い。
 だから逆襲の意味も込めて、そう伝えた華奈だった。

 そのタイミングはナオに任せる、と、華奈は無理せず笑って伝えた。
 ただ、できれば、卒業式までには決心してほしいと。

 卒業式の少し後には、三月生まれのナオの誕生日がある。それを二人で祝いたかった。正直な理由を口にした華奈に、ナオはただ、懐かしい何かを思い出したかのような目をする。
 困ったように微笑みつつも、わかったよ、と……嬉しそうに、そう口にしたのだった。


 そうして。青い目の転校生を追い払った、空っ風の吹く中学校での昼下がりに。
 まだまだ寒空の続く、温かみなど欠片も感じられない、殺風景の校舎裏で。

「――ごめんね、玖堂さん。遅くなって」
 壁に持たれて憂いげに俯き、約束の時間より三十分前から待っていた華奈の元に。
 三時間前から役作りをしていたらしいナオが、時間通り現れて、穏やかに笑いかける。

「ほんとに急にごめんね。正直ちょっと、言い難いことではあるんだけど」
「……今日はどうしたの、ミカミ君?」

 いつも通りの顔で、華奈は自然に気さくに笑う。
 ナオは結局、しばらく恥ずかしそうな顔をして、かなり躊躇った後に。

「玖堂さん……俺と付き合って……――くれないかな……?」

 きらきらと星が舞い散り、視界がバラ色に染まるような、夢にまで見たこの瞬間。
 玖堂華奈はうっとりと、祈るように細い両手を胸の前で組む。
 恥ずかしそうな彼にゆっくりと、そして確実に、何度も練習していたこたえを返した。

「……もう一度……聴かせて……」
 全てはこの日のために。この時のためだけに、今までの人生は存在したのだ。

 そして、若干十五歳である彼女の生き方は、大きく変わりを告げることとなる。


キカイな世界/ 
キカイなお嬢のヒビと恋

キカイなお嬢のヒビと恋➺D2前奏

ここまで読んで下さりありがとうございました。
この話は大分前に書いた、拙作キカイの本編初話にして、DシリーズD2関連作です。
橘診療所ができるより前の玖堂家で、学生時代のミストレスが主役の、スマホのない時代の話でした。
とてもぶっ飛んだ話にしてしまいましたが、原作・キャラクター原案はこちらもK氏とN氏です。こんな謎ドタバタにしてしまいすみません、お二方。でもアサコを創ったのは私ではないし、いえ、ありがとうございます。

DシリーズはD2に、パブー掲載の橘診療所シリーズに分岐する運命の交差点があります。
その分岐の話と、このお嬢話のオマケをD2補完話に収録予定で、D2をノベラボに6/26に投稿できたら、同時にこちら星空文庫でD2転調『灰心』を掲載したい予定です。
現在執筆中のD2が間に合えば、ですが……。

初稿:2014.6.27 エブリスタ初版:2015.7.19
悪役リケジョナイズ:2021.5.5-

※Dシリーズは正史の物語であるため、本編は全て下記に掲載します
ノベラボ▼『竜の仔の夜➺D1』:https://www.novelabo.com/books/6335/chapters
ノベラボ▼『竜の仔の王➺D2』:https://www.novelabo.com/books/6336/chapters<6/26UP>
ノベラボ▼『竜殺しの夜➺D3』:https://www.novelabo.com/books/6719/chapters<未執筆>

キカイなお嬢のヒビと恋➺D2前奏

∴Dシリーズ外伝∴ 常に周囲に気を配り、常識的な令嬢として日々を過ごす玖堂華奈。ある日華奈は、片想い相手のミカミ君から呼び出され……。D2前奏でSFみのあるどたばたファンタジーです。単独で読めます。D2はD1より千年以上後で舞台は地球で始まり、本作の時系列はD2前日譚です。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-06

CC BY-ND
原著作者の表示・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-ND
  1. イントロ
  2. ➺AメロⅠ
  3. ➺BメロⅠ
  4. ➺サビⅠ
  5. ➺AメロⅡ
  6. ➺BメロⅡ
  7. ➺間奏
  8. ➺サビⅡ
  9. ➺Cメロ
  10. ➺サビⅢ
  11. アウトロ