キカイなわたしのキッカイな日々
謎の死神から重病のお嬢様を守らねば! 召使な医師ロボットのお話。
表紙はツイッターでシャル+さん@6Mina5に描いて頂けた素敵絵です。
直観探偵シリーズから二年前の、玖堂家「橘診療所」での物語になります。
update:2023.7.7
ある日のこと。-キカイなわたし-
初めに言っておきますが、わたし、主役じゃありません。
杉浦由希、童顔で幼児体型、年齢イコール彼氏いない暦。パソコンオタクくらいしか特技のない闇キャラのわたしは、決して、主役じゃありません。
大事なことなので三度言います。これはただの前座なので、わたしは主役じゃありません。
わたしみたいなつまらん人間に、主役なんてつとまらねぇんです。ええと、聞いてますかね、そこの院長先生?
「……とりあえず、あんたは患者かスタッフか。それを決めてから、俺に話しかけてくれ」
何ですか、もう。アングラ医者物の主役っぽい黒ずくめイケメンなのに、面白くない先生ですね。
まあ仕方ないと思いますけど。院長先生も基本いるだけで、この橘診療所話の主役じゃありませんからね。
「俺の診療所なのに、それは詐欺じゃないのか、さすがに」
わたしに言わないで下さいや。いったい本当、誰がこの話の主役なんだっつーの?
ちなみにここまで、実際のわたしは、もっと丁寧に話してますからね。ていうかこの内心も、一応は丸めにしてますからね。
何しろわたし、自他共に認める小市民、至って常識家だったんですから。
橘診療所は、IT系メインの複合企業オーナー、玖堂家の本家敷地に併設された個人医院です。
太平洋に面する日本の都市で、人も羨む閑静な高級住宅街の一角に玖堂家はあります。元々はただの大きな洋館だったんですが、色んな事情で現当主である玖堂華奈がオフィスを自宅に移転し、同時に正門に近い場所に橘診療所を増築したんです。
それでなくても、玖堂家には怖いガードマンが門に立っているのに、その内のお抱え診療所なんて普通の人は受診しません。
わたしですか? わたし、玖堂家の元関係者なんで。だから院長は、スタッフか患者かと、いちいち聞いてきたんでしょうね。
でもわたしは長らく、この敷地には足を踏み入れてません。診療所が造られたのはわりと最近なので、玖堂家の変わりようにびっくらこいてます。
今日は内緒でこっそり来ました。というのも、そろそろわたし、耐用年数が尽きたと思ったので。
医者のくせにぷかぷか煙草をふかしながら、黒ずくめのオペ着に白衣を羽織る橘院長は、とてつもなく整った無愛想な顔で、わたしを睨むように見つめてきました。
「……呆れる以外にないな。どうしてここまでになるまで、自分の体を痛めつけた」
謎な程にドアが沢山ある、白い外来室のシャウカステンには、わたしの古いレントゲン写真。
たったそれだけの情報で、わたしの異常さがわかるほど、まあ事態は深刻っつーわけです。
一通り問診が終わって、玖堂家に送っておいたお気に入りの黒いカーディガンを着直すわたしに、橘院長は難しい顔でふんぞり返りました。
「それで、あんたの目的は、何なわけだ?」
「ありがとうございます。早い話、死亡診断書の依頼です。わたしの葬儀は、玖堂家に依頼がいくよう手配しておりますが、遺体発見時に異状死にされてしまうと困るものでして」
わたしは一人暮らしです。かかりつけ医も特にないし、普通の人間――まして警察に関わると、厄介な事になるんですよ。
どこの医者にもかからずに、謎の孤独死をしてしまうと、異状死扱いで死体検案をされてしまいます。それを避けるために、わざわざ秘密裏にここに来たわけです。
橘医師は怪訝そうに、両腕を組み上げました。
「それをして、死後のあんたに、何の得がある?」
いやですねえ、この院長がそれを、わたしにききますとはね。
でもわたしは、ここ橘診療所の存在を知った時点で、玖堂華奈の意図はお見通しなんですから……。
「橘先生は――悪魔って、ご存じでしょう?」
とりあえずわたし、身寄りがないので、死体の始末は玖堂家にしてほしいんです。玖堂家の弱味なら沢山握ってますので、喜んでやってくれると思います。
「先生ならわたしに協力して下さると、わたしに教えてくれたのは、他ならぬ悪魔ですから」
やれやれ、世も末ですよね。完全なパソコンオタク――科学の徒だったわたしが、今ではすっかり、闇世界の住人なんですから。
橘診療所なら、わたしの死亡診断書を偽造してくれる。これを悪魔の取引と言わずに何と言いましょうか。
でもこれ、比喩じゃないんですよ。この世に悪魔は存在します。それがわたしの妄想でもです。
でないと、ここにいるわたしは誰なんでしょう? 悪魔に魂を売りでもしなければ、自分でもわけがわかりません。
「悪魔がいたら――それを俺が知っていたら。それがあんたの、何の役に立つ」
黒ずくめの橘院長は、無表情のまま、坦々と尋ねてきます。これは多分、わたしを哀れんでくれてます。
ぶっきらぼうなこと以外、どんな人物かさっぱりわかりませんが、曲がりなりにも医者の仁義は持ち合わせているようです。
「簡単ですよ。わたし……人間、やめたいんです、橘先生」
わたしの望みは、もう一つだけ。そのためには悪魔がいて、運命を変えてくれないと困ります。
人間、嫌いなんです。あまりに無力で、卑小な宿命……この程度の話で肩が縮こまって、声が震えるわたしのように。
魂を失くしたわたしに、感情なんてあるわけはないのに。
今、この冷たい胸を侵す心は、どうして旧い夢を想うのでしょうか。
しばらく黙り込んだ後で、煙草を灰皿に押し付けて、橘院長の黒い目が神妙にわたしを見つめました。
「人間をやめたい。それを……あんたが言うか?」
真っ黒な瞳には、きらりと昏く、銀色に光るキカイなわたしが映し出されます。
何がこんなに、わたしを駆り立てるのか。
でもそれは決して、認めてはいけないことなのです。
暗闇を求めた、黒いわたし。
いつかは見つけてもらえるでしょうか――
* * *
『キカイなわたしのキッカイな日々』
-キカイな世界-
原案:K氏・N氏
発行:Studio ***46
1:機械な私
召使型ロボット・ランクL・バージョンⅡ。認識番号は二世代目の十五号。
私は機械です。
機械のように冷たい人間――
ではなく、人間のように温かな機械です。
そう名乗ったら、ランクWのソウク先輩に怒られちゃいました。
「ばっきゃろ! それだと人間みてーな優しい奴って誤解されんだよ!」
そういうことらしいです? それは確かに、大いに意図に反します。
「言葉は相手の反応を予測して選べ! ジョーシキだろーが、ジョーシキ!」
白いケーシーに無難な黒いカーディガンのソウク先輩は、そうしていつも常識を、私、「杉浦空」に叩き込むのです。
ソウク先輩……肩までの銀髪の色っぽい看護師が、地味な女子中学生風の私をどやしつける。
酷い時には私の黒いポニーテールを引っ張るような、いかにもパワハラであるこの場面は、傍目からは実に微笑ましいなどと言われます。ただ一つだけ、お淑やかな白衣の天使が普段と違って、非常に口汚い――失礼、荒い口調となることを除いては。
「おれ達は見た目、完全に人間なんだからな。逆にそこは区別しとけよ」
先輩はこのような荒い口調に反して、判断機能は非常に冷静なのです。とても助かります。いつも私は間違えてばかりなので。
もちろん助かってますよ。……助かっておりますとも。凄く……はい、とても……。
温かいのは温かいのです。
機械であるわりに、私の内部温度は常に高いのです。
排熱効率の問題のようです。それで表面も人肌の温度になります。
「ソラはいつも、みんなと違って温かいね?」
ごく一部には何故か受けが良いのですが、私本機は困っているのです。
これでは演算処理速度が落ちます。ブレザー型制服のような普段着では熱もこもります。
おまけに電力を食います。同期に比べて私の充電時間は長過ぎだと思います。
それではグウタラのように見えてしまいます。不本意です、誤解です。
何とかならないものでしょうか、ミストレス……。
「玖堂家の破壊博士」。IT産業・機械化学工業など多岐に渡る企業を統括する、玖堂家の現女性当主の異名です。簡単に言えば天災です。間違えました、天才です。
私を含めたこの屋敷の人型機械は全て、ミストレス自ら手掛けられたロボットなのです。
小学生にして機械工学の大学院を卒業された、骨の髄から理系のミストレスは、中学生にして私達全ての雛型であるロボットを完成させたのです。その通称は「機動破壊兵器」。
……とりあえずここでは、そのご嗜好につっこまないでいただけると助かります。
ミストレスは、見た目はとてもお若く、長い黒髪に白い肌は純然たる大和撫子であると自負されています。そして絶世の美女であると、常々賞賛を受けられています。
そんなミストレスに、かねてから私は、この処理速度の遅さと燃費の悪さの改善を懇願中なのです。
ミストレスは言います。違った、仰います。
「それはね、ソラ。貴女の優秀さの代償なのだから、仕方がないことなのよ」
意味がわかりません。そんな問題だらけの機体は、そもそも優秀な機体なのでしょうか?
私に搭載された機能が、他機と違って特殊仕様な事は周知とはいえ……。
ミストレスの何が凄いかというのを、もう一度あえて、詳細に申します。
元々ミストレスの専攻は、そのご経歴を見てもわかるように工学系でした。
中学生にしてミストレスが完成させたという機動破壊兵器は、一見は人間の女性型――ところが全身に、機関銃やレーザー照射器などの兵器がコンパクトに搭載された、とてつもない機体だったというのです。
……とてもではないですが、思春期の女子が没頭するような事ではないとは愚考します。
ミストレスはいつも冷静に、私にこう仰られます。
「ソラ。貴女がそうして、自らの不具合に悩める感情様式を持ったことも、あたくしには喜びなのよ?」
普通のロボットは、そんなことに悩まないというのです。それは要するに、そんな機構は必要ないという事に思えるのですが?
「その葛藤をこそ、大事にしてちょうだい。それこそ、旧くはあたくしと『杉浦』が目指した、より人間に近い人工知能の完成形なのだから」
「…………」
そうしたとてつもない機体を、その機体自身の意思で動かす人工知能の開発。
それは元々ミストレスのご発明ではなく、ミストレスに幼少より仕え、常識感覚を教え込んだ「杉浦由希」という人間が手掛けた仕事というお話でした。
「初代召使を完成させた後、すぐに杉浦が去ってしまって。あたくしは必死で、その初代召使を参考に、人工知能開発の研究を続けたの」
「はぁ……」
それがどれだけ畑違いの苦労だったのかと、理系の天才たるミストレスは語られます。
「杉浦は文系の申し子で、心理学専攻の……根暗のくせに明るくて、頼りないのに常識家で。何でか天才的なプログラミングができる、何というかもう、とにかくわけのわからない人物だったの」
はい。私も全く意味がわかりません、ミストレス。
そんな、私ごときの理解を遥かに超えた奇怪な人間が手掛け、成功させた唯一の人工知能。それ故に「杉浦」と名付けられた初代の後継機を造るために、神童であったミストレスが成人するまでかかった新たな人工知能シリーズが、私の先輩達なのです。
「杉浦作の初代召使の性格は……まさに、杉浦のコピー人格みたいな所があったのだけど」
その後、CPUの摩耗ということで寿命を迎えたらしい初代召使――最初の人工知能の廃滅に、ミストレスは深く悲しまれ、初心に帰ったのだと仰られます。
「それであたくしは、貴女を初めとした第二世代を製作したのよ。第一世代は、あまりに兵器寄りにしてしまったから」
そうして恐るべきミストレスは、私や私の同期を、ほぼ安定した形で完成されてしまったのです。
更には今後、量産型の私達を市場に出さんと目論んでいるとのお話らしく……そんな私達の、もっぱらの用途なのですが。
「ちょっと、そこの召使ちゃん! 暇なら手伝っておくれ!」
お屋敷の、古いメイドのおば様に呼ばれました。
この玖堂家本邸のお屋敷では、私も同期も、人間からはそう呼ばれます。
「あんたは一号? 十号? それとも試作機だっけ?」
おば様は最初から、機械の詳細や数字など、覚えられる気はないようです。
機械、機械と申しましたが。私達人型機械の肩書は、おしなべて召使です。
召使――メイドロボと言えば、美少女を想像されると思います。
別にだからって、私が美少女とは言っていません。詐欺ではありません。
イケメンの先輩ロボット以外の、個体名を覚えていないおば様に、私はしっかり何度も名乗ります。
「私は召使型ロボット・二世代目・ランクL、認識番号は十五です。正確には試作機零号の……」
「そうかい。何でもいいからこの壺頼むよ、召使ちゃん」
私が何号なのかは、重い荷物を運ぶおば様には必要な情報です。何故なら十六号以降の召使は非力で、個々に違う役割があります。主に私の同期達です。
しかし私も、第一世代ほど剛腕な仕様ではないのですが……。
「この形状では独力では安定性が保てません。救援を要請します」
「大丈夫大丈夫。みんな忙しいから、あんた一人で頑張っておくれよ」
「…………」
……有り得ません。
時価数億円とも言われる客間の調度品に、その適当な扱いは考えられません。
「…………」
対処に困ります。おば様は急いでおられるようです。
私は機械です。人間の命令には絶対服従なのです。
その命令権限を持つ屋敷の人間は、多くはありません。けれど古参のこのおば様は、残念ながらミストレスも頭が上がらないのです。
やたらに大きく、ごてごての取っ手が両側についた壺型の陶器を、両手で抱えます。
それを持ち上げた時にやっと、私の遅い処理速度では、現状を予測することができていました。
両腕のみによる支持限界重量オーバー。本機ごと転倒する確率ニアリー百パーセント。
百……パーセント? そんな数値、不完全なこの世界には存在しないはずです?
有り得ないその数値……わかりきった運命を、転倒後に認識する私は、本当に無能です。
2:専属召使
「だからなぁ――あれほど、目測であらかじめ状況分析をしろっつーてるだろ!」
「…………」
数台の白いベッドが並ぶ部屋で、テキパキとシーツを取替えながら、黒いカーディガンの先輩が無能な私を叱ります。
「壺の重さくらいデータベースからさっさと検索しろ! 正確でなくていい、およその数値でもわかりきった結果だろうが!」
屋敷の通称・保健室にて。夕刻前のことです。
ここは、看護機能をメインに搭載された先輩、召使型ロボット・ランクW・認識番号十一号、ソウク先輩のホームグラウンドです。
「大体、ソラが力仕事をする必要性も皆無だろうが! ランクWに任せとけよ、そこは!」
この屋敷には、ランクWとランクL、総計二十人の召使型ロボットがいます。それぞれ姓名も与えられていますが、普段は通称を使っています。
「しかし私は、ランクLとはいえ、咲、凪と同様の――」
「口答えすんじゃねぇ! ランクLは基本、非力って売り込みなんだ!」
「しかしそもそも、私やソウク先輩は……」
「話聞いてんのかおまえ! 口答えすんなって言ったばかりだろ!」
二十人もの召使がいる中、こんなふうにソウク先輩からよく怒られるのは私だけです。差別です。ではなく、痛く手厚きご指導に感謝です、素晴らしい先輩ですです。
あれ、何だかCPUが軋みます。よほど私が無能なのです、無能が苦悩です……。
言語処理が追いつかず、湯気を立てる私の姿に、ついに取り成しが入ってしまいました。
「ねぇ、ソウク……もう、やめてあげて。壺も、ヒビだけで済んだっていうし」
何と柔らかで、温かなお声の持ち主……私がお仕えする、病弱で可憐なパジャマの少女、ナナお嬢様。
九歳と幼少にして、この保健室が似合うお嬢様の儚げな姿に、更に憂いを上乗せするなど、申し訳ないことこの上ありません。
「ナナお嬢様、情けはご無用です! ソラの教育は、お嬢様のためでもございますのよ?」
先輩もさすがに、お嬢様には神経を使わせたくないのか、ここでいつも引き下がります。口調がよそ行きに戻ったのがその証拠です。
やーいやーい。……あれ、今、私は何を?
やはり私のCPUは相当危なげです、きっとそのせいです。
「ナナお嬢様専属の召使として、ソラにはしっかりしてもらわないとならないのですよ」
「うん、大丈夫だよ。ソラはちゃんと、私のこと、みてくれてるよ」
手編みの帽子を両手で掴みながら、ベッドに座られたお嬢様は、ふわりと嬉しそうに微笑みます。
そしてお元気な時には、自らこの保健室まで足を運ばれる理由――ソウク先輩による採血を、そのまま予定通り受けられるのでした。
看護機能という特殊技能を持つソウク先輩は、正確には「霜狗」と書きます。
霜というのは、私に冷たいからです。……では、ないと思います。
狗とはつまり犬ですが、屋敷の召使型ロボットは全員、何らかの動物をモチーフに製作されています。あくまでモチーフで、姿がそうというわけではないのですけど。
ただし私のように、尻尾型のコンセントがついていたりと、一部は反映されています。
なので、私直属の上司の男性などは、動物名だけで私達を淡々と呼びます。
「おい、ネコ。イヌに言っとけ、明日からは十中ハ九、クリーンウォールで出張採血だ」
それぞれの動物はばらばらなのですが、猫だけは何故か二体いるので、念のために私は確認します。
「ネコとはどちらの猫でしょうか。空でしょうか、咲でしょうか」
「おまえに話しかけてるのに、サキのことを言うバカがいるか」
黒い短髪で黒い服好きで、目までも黒い若い上司が、無造作に羽織った白衣の上で顔をしかめます。いつも上司は、私が空気を読めない、と文句を言うのです。
「この距離でしたら咲にも聴こえると思います。そのための確認です」
咲は、私の同期では最も認識番号の若い、リーダー的存在の女性ロボットです。
猫耳を設置された咲の聴覚は非常に優れています。下手したら全てが筒抜けなのです。咲、怖いです。
「いいから、ネコはソラで猫はサキだ。ナナちゃんの状態、目を皿にして見張っとけよ」
……あれ? それって結局どっちも「ねこ」と呼ばれますよ? 人間はそれすらも、空気とやらでわかるものなのでしょうか?
初めから私達だけは例外として、個体名で呼んで下されば早いというのに……。
館内禁煙の診察室で、医師なのに煙草を吸いながら、黒ずくめの上司は私に採血結果の紙を押し付けるのでした。
屋敷の人間専用の診察室を出て、同じ館内の二階にあるナナ様のお部屋に向かいながら、私は自然と歩行速度が遅まっていきます。
「ナナ様は……また今夜から、クリーンウォール管理なのですね」
採血結果へのお嬢様の、反応の試算を並行して歩いているせいです。どうにも足運びが重く、CPUもすっきり回転しません。
私の同期、二世代目ランクLはほぼ全員が、玖堂家現当主のミストレスの子供専属召使です。
ミストレスには子供が八人おられたのです。昨今の出生率の低下に反する偉業ですよね。
更には最近双子の男女が生まれましたので、総計十人です。いやはや、壮大なミストレスらしいご家族計画です。
子供好きとはいえ、玖堂家の当主で何かとお忙しいミストレスは、自分の代わりに子供達を可愛がってほしい、と子供一人一人に専属召使を製作されたのです。
ちなみに咲は長女様の専属です。私は半年前まで末娘だったナナ様の専属です。
今では双子の妹様・弟様が生まれ、すっかりナナ様ははしゃいでおられます。
「赤ちゃんに会いたいの! 私もお姉ちゃんになったんだよ!」
そんなナナ様に、クリーンウォール管理……しばらく部屋から出ずに、誰にも会うなという結果は、慣れたものとはいえ相当の反発が予想されました。
ナナ様には、とても大変な持病があります。
ナナ様専属の召使である私は、ご学友や初対面の方にいつもくどくど説明致します。
「…………」
もちろん、目前で大きな目を私に向けられるナナ様にも、いつも色々説明致します。
「先日の治療の影響で、白血球の数値が減少しています。明日には千を切るだろうということで、今夜からナナ様は、クリーンウォール管理となります」
「…………」
ひたすらナナ様が黙り込まれ、不服そうにされるので、私は改めて説明をします。
「ナナ様は白血病なのです。正常白血球の減少で免疫力が低下し、無菌室でのご生活を必要とします。正常赤血球と血小板もこのまま減少すれば、輸血が必要です。明朝にはまた、確認のための採血を予定しています」
「……そんなの、わかってるもの」
それはそうだろうと思います。ナナ様には既に、何度も繰り返されてきた事態なのです。
ナナ様は今にも泣き出されそうなお顔で、私をじっと見つめてこられます。
女性的な事を苦手とされるミストレスの、それでもお手製の、不格好――酷く間違えました、個性的な造形の手編みの帽子を、昼間のように両手で掴まれているナナ様です。
クリーンウォールとは、一般的な個室のベッドを無菌室に近くできる医療用具です。ベッドの枕元だけを覆う天蓋のイメージです。
玖堂家は医療機器を手掛けていませんが、代わりにミストレスの旦那様のご実家が医療機器専門メーカーであるため、質の良い医療機器がお屋敷には揃っているのです。
「私とソウク先輩、橘医師以外、何人の面会も禁止です。橘医師もよほどのことでなければ、仕切り越しの診察とさせていただきます」
免疫力の低下したナナ様に、病を起こす可能性のある病原体は全て遠ざけないといけないのです。
人間も、その人間の住む一般的な環境も、普通は微生物たる菌やウィルスの溜り場なのです。ばっちいのです、信じられない程に。それに囲まれて平気な普通の人間の免疫力の、何と素晴らしいことでしょうか。
でもナナ様にはそんな、普通なら病気にならないような微生物であっても脅威なのです。
「カイ先生までダメなの? それならどうして、ソラとソウクはいいの?」
「私達は機械です。全身に滅菌処理を施した後、改めて診察と看護に伺います」
そう、それこそ私達の存在意義ですから。ナナ様のためなら高圧だろうと高熱だろうと全身アルコールまみれだろうと、私達は毎日入口横の蒸気室で嬉々と消毒されるのですよ?
でもまだ小学校高学年生に過ぎないナナ様は、不服そうにされるのでした。
「明朝に白血球の減少が確認されれば、白血球を増やす注射を始めます。私が毎朝、注射に伺いますので、希望のお時間をお考え下さい」
「…………」
ナナ様がまた黙り込まれたのは、注射をする私への、不信感ではないと良いのですが……。
召使型ロボットが、医師から指示された注射や採血をする。
本来は違法です。傷害罪です。ロボット三原則にもしっかり反しますのでご注意です。
この日本ではどんなものであれ、人間に侵襲性のある処置をして良いのは、医師免許を持った医師や、看護師免許を持った看護師が、指定された施設や往診、もしくは専門機器の遠隔操作など、限られた条件下で行う場合のみ合法とされます。
早い話、注射も採血も、医師か看護師でないとしてはいけないのです。
しかしそこは、お金の力なのか何なのか。
ソウク先輩は看護機能をきちんとしかるべき機関で検定され、国家試験もクリアしています。玖堂家の敷地内、厳密に言えば橘医師の診療所として造られた限られた場所でのみ、医療行為をすることが許可されています。
かくいう私も、医学ソフトを搭載しております。学生服のような普段着の上は白衣です。
私の見た目はいかにも女子中学生ですが、機能については、少なくとも研修医レベルを想定されているのです。
無論、医師国家試験もクリアしています。医学生に必須の人体解剖も、短期集中で一通り見学しております。
……はい、見ちゃってますよ? 人体の色々。
私以外の同期には、とても見せられないようなメモリの数々です。
全く平気な私の人格ソフトに疑問を覚えますミストレス、本当に……。
「ソラとソウクにしか会えないのは……今度はどれくらい続くの?」
「それは血液検査の結果次第です。これまで通り正常白血球が増加すれば、そう長くは続かないと思います」
「それまでは絶対、一歩も外に出ちゃだめ?」
「当然です。何か御用があれば、全て私かソウク先輩にお申し付け下さい」
早い話、私は医師ロボットなのです。そして先輩は看護師なのです。
重病のナナ様のために玖堂家内――橘診療所限定で、娘に無菌で近付ける医療用ロボットを、天才理系ミストレスは開発されたのです。
「ソラ、冷たい。お医者さんの時のソラ、嫌い」
いつも、私の機体が温かい、と喜ぶお嬢様は、今日はひたすらご不満そうで……治療の影響で抜けられた御髪代わりの、手編みの帽子を耳元で押さえられるのでした。
「私は常に医師ロボットです。ナナ様のご病状を第一に考えるよう設定されております」
「やだ、きこえないもん。私にはソラはお友達だもん」
それに、とナナお嬢様は、採血結果の紙を私から取り上げられます。
「白血球? まだ二千あるのに、どうして? 全然大丈夫じゃないの?」
「それは総数の話です。ナナ様に大切なのは好中球の値なのです」
好中球というのは白血球の一部です。割合で計算すると、今日のナナ様の好中球は、もうギリギリの数値なのでした。
「だとしても、明日はひょっとしたら上がってるかもしれないじゃない」
これが底の値、と言われるように、ナナ様は楽天的、違った前向きでいらっしゃいます。
「もう注射イヤ。採血もイヤ。今日の結果なら大丈夫なんだし、もう採血もしないでいいよ」
「それは危険です。ナナ様の全身状態は常に正しく把握され、正しく対応されなければなりません。橘医師も先日からの下がり方を見て、明日には千を切ると予測しているのです」
白血病とは、血液の一成分の白血球ががん化する病です。それと闘うには、抗がん剤が必要となります。
最近の抗がん剤はわりと効くのです。抗がん剤より副作用の少ない分子標的治療薬なども増え、子供の白血病患者の生存率も上がっています。
けれど副作用として、正常白血球の減少は基本的に起こります。白血球を殺す薬を使うのですから、当然の結果でもあります。
「今までずっとそうしてきたけど、結局私、治ってないじゃない?」
病の鎮静と再度の悪化を、ナナ様は何度も繰り返してこられました。だからどうにも、納得がいかないご様子なのです。
「気持ち悪いの我慢して、点滴も頑張ったのに。検査もいつも頑張ってるのに、いつになったら私、良くなるの?」
最近は良い薬も出て来たとはいえ、白血病の治療とは、やはり大変です。大量のお薬、度々の採血、抗がん剤治療、その副作用。そしてそれらの治療効果が表れているか、直接骨髄をとって調べる検査などなど……。
消毒を繰り返すキッズスマホでご家族とは連絡できますが、それ以外では極力使われず、まだ小学生のお嬢様に、闘病も隔離もお辛いのは当たり前だと言えることでしょう。
しかし私は、医師ロボットです。ここでかけるべき言葉は、現状の説明なのです。
「そうは言われても、ナナ様のご病気の型は、残念ながら治りにくいものであるのです」
「ソラはそればっかり! だから嫌いだもん!」
ついにお嬢様は、涙混じりで、ベッドに突っ伏してしまわれました。
……また、やってしまいました……。
お嬢様にはあまり、重い事を伝えてはいけないと言われているのに……。
「ソラなんてどっか行っちゃえ! もう知らない!」
「…………」
口を滑らせてしまった私は、これ以上余計な事を言わないように……私の控室でもある子供部屋から、必ずどの部屋にもあるバルコニーに、ご命令通りに姿を消したのでした。
白血病とは基本的に、がん化した悪い白血球との闘いであると言えます。
悪い白血球を治療で殺し、増えてこない状態を寛解といいます。それが続けば治癒になります。
最近は治癒する子供は増えているのに、お嬢様は何度も、再び増えた悪い白血球を殺す治療が必要な状態でした。
「……やはり、ナナお嬢様は……」
ミストレスは屋敷の専属として、橘灰という医師を雇ってまで、お嬢様を病院から連れて帰ってこられました。
そのミストレスのご意思を、キッカイという二つ名を持つ橘医師――先程の黒ずくめの上司は、あっさりと言ったものです。
「ナナちゃんはもう、長くないだろ。その内、治療も難しい状態になる」
……今はまだ、悪い白血球と共に良い白血球まで抗がん剤で殺してしまう治療をしても、何とかその後、良い白血球は再び増えてきてくれます。
しかしそれが増えてこなくなった時、今度は、悪い白血球を殺す治療そのものができなくなります。
悪い白血球を殺せないのも、良い白血球が増えないのも、非常にまずいのです。それはつまり、まともな血液が造れない状態なのです。
「治療自体、もう、毎回お辛そうですし……」
抗がん剤の点滴という、実際の処置をさせられる私は、痛みや吐き気に苦しまれるお嬢様の姿を、嫌と言う程認識しています。
ソラのばか! と何度、ベッドサイドで怒鳴られたことでしょうか。
今日も今日とて、夕闇のバルコニーに追いやられた身上ですが、本当にどうしてナナ様がまだ私をそばに置かれるのかわかりません。それ程毎回ナナ様は嫌がられ、お苦しそうであるのです。
それでも私は、心を鬼にして、ナナ様に治療をしなければならないのです……――
二重の強化ガラスになった窓を開けて。
ちょうど、沈みそうな三日月が見える夕暮れでした。
パラソルとカフェテーブルセットが悠々と置ける程、広々としたバルコニーに出ていた私でしたが。
「――……は?」
そこで私は、世にも有り得ない闇に棲むものと、この黄昏月の夜に出会うことになります。
ばさり、と。何とも形容のし難い、七つの尖った黒い光を纏う青銀色な何かが――
「……――は?」
重力という万物の呪いから、解き放たれているようにさえ思える未確認存在が……ふっと、バルコニーの柵にしつらえてある槍の穂先へと、夜の帳を引き連れるかのように降り立っていたのでした。
「――こんばんは! 死神君でっす!」
鋭い光を閉じ込めたように銀っぽく見える人影が、朗らかな声と共に、あまりに鮮やかに舞い降りたので――
人間も機械の力も超えたその光景を理解するには、私の処理速度ではとても追いつきませんでした。
「玖堂さんちって、ここであってる? 今度の仕事はそこであるみたいなんだけど」
「……は??」
その声の主は、人間らしからぬ尖った耳を持つ、良くて中学生くらいの小柄な人影。
何よりたった今、ばさりと音をたてて一つずつ黒い光を背中に編み込む、謎の翼状可変物体。
夜空を隠す程に大きな六つの――いえ、尻尾みたいな後一つも加えれば、総計七つのコウモリのような羽を背に、にこにこと人影は私を見下ろしてきたのですが。
……茫然自失の私は、ただ一言です。
「し――侵入者は、排除します!!」
「って、おわ!?」
咄嗟に手近にあったパラソルの柄をがんと掴み、待ったなしの全力で、私は謎のミスターにパラソルフルスイングをお見舞いします。
ミストレスのお子様の専属召使の役目は、一にも二にも護衛です。非力である私の同期達にも、象も気絶するくらいのスタンガンは常備されているのです。
しかし、館の警備を担当する先輩、ランクWシリーズに準じる腕力の私の一撃をよけた身軽な人影は、バルコニーの端っこに今一度降り立ちます。
「――!?」
「ひえー、危ない、危ない。ハカイ的な女のコだなぁ」
私は無言で、ブンブンと追撃を行います。
「ひゃあ!?」
投げつけた木製のカフェテーブルと椅子を、人影は咄嗟にしゃがんでやり過ごします。
「このこの、この! この!?」
「お、お!? お、おおー!?」
袋小路のはずの端っこで、たたんだパラソルをただ作業的に私が振り回すのに、どれもこれも奴は紙一重で回避しやがりました――……失礼、言葉が乱れました、お避けになられました。
いくら小柄とはいえ、動きが的確過ぎる不審なミスターです。
そして不審者はこともあろうに、私のパラソルの先端に降り立ってくれやがったのです。
「な――」
――軽!? 今日の壺より遥かに軽いです、これなら落とす心配もありません、目測も先にしました先輩、だから怒られませんよね想定外の結果とはいえ――
って、そんなことを考えている場合ではないです、切り替えて下さい私のCPU。
そうしてパラソルの上でしゃがみこんだ不審者は、青っぽい目で私を見つめていました。
ほとんど重量の増加が無い視覚と感覚のずれに、思わず私はフリーズしそうになります。
そんな私の隙を見たのか、人影は楽しげに、そこで口を開きました。
「お前……何物?」
「――それは、私の詰問すべき事です」
処理の遅い私でも、それは何とかすぐさま思い至った、返答かつ問いかけでした。
すると人影は、あれ? と首を傾げ、無邪気に笑い――……もう一度、おかしな素性を名乗りました。
「だからオレ。死神だって、最初に名乗ったじゃん?」
鎌のような三日月を背に、七つの黒い羽をはためかせている、無造作な短い銀髪の少年。
謎の彼はそんな聞き捨てならない非常識な台詞を、ことも無げに言い放ってます。
「……アナタが何者であれ、玖堂家への不法侵入者は排除します」
言いながら、状況は私に不利だ、と改めて確認します。
この狭い場所では、私は本気が出せません。なのに何故か警備システムが少年に反応していません。背中を見せて窓際の非常ベルを押しに行くわけにもいきません。
あれだけ物音を出したはずなのに、気付いた物もいません。それならばまず、私は援護を真っ先に呼ばないとなのですけど。
しかしこのような事態を全く想定していなかった私は、不覚にも、召使御用達のPHSを室内に置いてきてしまったのです。自機の通信機能を削るのであれば、決して手放してはいけない内線であったのに……!
「かくなる上は――……」
「ほえ?」
地球破壊ミサイル。と、本来は行きたかったところですが――
生憎この混沌自失まっただ中の卑小な躯体に、そこまでの容量はありませんので。
「それでは、諸共に滅んでください」
「……へ!?」
ロボットのたしなみ、自爆装置とまではいきませんが。
青ざめていく少年を横目に、私は口に咥えた自爆用手榴弾の安全ピンを、その場で躊躇いなく抜いたのでした。
それからいったい、 何がどうなったのか。
あまりに一瞬過ぎて、私の視覚では捉えられなかったようでした。
「油断したぁー……まさか、コレまで、使うコトになろうとは……」
いつの間にか足を掬われ、バルコニーの石の床に、私は座り込んでいました。
そして私と手榴弾の間で、ふう、と少年が息をつきます。
少年は、キラリと光る黒い双角錐の石を填めた、まるで三日月のような弓型の得物を手にして……少し疲れたように片膝をつきながら、木端微塵に散らばる手榴弾を見つめていたのでした。
ですから……全くもって、有り得ませんよ。
あんな形で、たとえ矢や刃がついていたとしても、手榴弾が粉々に斬れるわけがありません。何なのですか、そのご都合主義はいったい。
爆発はしています、だから粉々なんだと思います、でもその衝撃が、何かに抑えこまれたとでも言うのですか?
気持ち、破片が湿っている気がします。でも手榴弾は普通完全防水です、というかここには水気はありません、有り得ませんので、私の一大見せ場を返して下さい??
「……有り得なくても、いかなる侵入者も、排除致します」
混乱CPUはそのままにして、とにかく立ち上がって少年を睨む私に、何故か相手は不敵に笑いました。
「そうなの? でもそれにしちゃ……悪魔の侵入を許してるみたいだけど?」
「……は!?」
「じゃなきゃオレも、わざわざ天使の代わりに出張ってこないしね」
もうだめです。わけがわかりません。
誰か助けて下さい。
私の処理容量を、どうやら完全に超えた相手のようです。
「どんな理由であれ、玖堂家への不法侵入者は、排除致します」
とにかくその最重要事項だけ返した私に、暗がりでもわかる芸能人のように整った顔立ちで、少年はキレイに笑いました。
「そっか。それじゃ今度は、お前を傷付けないように……合法でお邪魔するね?」
人間には存在しない、藍に近い蒼の目と、鋭く尖った牙が暗闇で光ります。
私をまっすぐに見た後で、少年はそれだけ言い残すと、あの謎の沢山の羽で……そのまま夜空へ、飛び立ってしまったのでした。
「……は……?」
まだ持っていたパラソルを突き出したまま、夜のバルコニーで私はフリーズします。
理解も分類もできない今の数刻を、何と処理して良いものやらを唸り続けます。
おかげで躯体はポカポカ、熱暴走寸前。あれ、フリーズイコール凍ると発熱って、よくよく考えたら何とおかしい両立可能言語でしょうか?
凍結し続けていた私に、不意に、開けられた窓の内から声がかけられました。
「ソラ……? さっきはごめんね、中に入らないの……?」
この窓は、手榴弾もへっちゃらの、完全防音で防弾仕様の二重の強化ガラスです。
バルコニーの惨事と私の硬直など、部屋の内のナナお嬢様は知る由もありません。
「ちゃんと充電しておかないと……ソラ、明日、動けないよ……」
何故か申し訳なさそうに言われるお嬢様に、焦った私は、慌てて演算を放棄します。保留保留保留、何につけても、お嬢様第一。
「わかりました、お嬢様」
お嬢様にご心配をかけないように、私はそれだけを、不法侵入者に対峙したきりっと顔のままで返答したのでした。
3:重病なお嬢様
「何……です……と?」
何ですって。今、何と? と、正確には私は言いたかったのですが。
「何ですと、じゃねー。侵入者なんて、影も形もないっつーの」
ポカリとソウク先輩は、いつもの保健室で、私をまた鮮やかに小突きます。
そして他にも集まっていた、警備担当の先輩方を追い出してしまったのでした。
「ソラ、おまえ……そろそろ本気で、オーバーホールが必要なんじゃないか?」
「――は?」
「ナナお嬢様と昨日、何があったか知らないが、まじでCPU疲労がきてんじゃねーの」
ほれ、とソウク先輩は、小さなモニター画面を再び指差します。
そこに映し出された光景……お屋敷の至る所に設置された監視カメラが、庭側から捉えた昨夜のバルコニーを見て、先輩は大きな溜め息をついてしまいました。
「どう見ても、おまえが一人でとち狂って、破壊行動の限りを尽くしてる姿しか見えない」
「…………」
映っているのはなぜか、柵越しでも明らかにわかる、家庭内暴力の非行中学生にしか見えない私一人だけで……警備システムにも反応しなかった少年の姿は、見事、影も形もありゃしないのです。
「――それは先程も、可能性については説明致しました」
「ああ? うちでも最近、ようやく製品化が検討されつつある、光学迷彩を使ったんだろって?」
玖堂家には既に、その透明人間を作る技術――光学迷彩が遥か以前から存在しています。何処ぞの機動隊と似たイメージで結構です、ハイ。
しかし私達召使型ロボットと同じで、あまりに高度な驚愕の発明であるため、そのテクノロジーはまだ公表されていません。
そもそも私達の存在だって、内々でのみ明かされたのがつい最近なのです。
「何でも、コウモリの羽みたいな沢山の覆い? それが、ソイツが使った光学迷彩だろうって?」
「そうとしか考えられません。なおかつその羽には、反重力システムが疑われる飛行機能までが搭載されていました」
あの軽量の謎を含めて、充電と平行した徹夜の演算結果の、玖堂家ですらびっくりの高度科学技術の疑いを私は説明します。
しかし先輩は、最近何故か毎日着ている黒いカーディガンに映える碧い眼で、もうそれはそれは痛ましそうに私を見つめました。
「……なあ、ソラ。頼むから落ち着いてくれ」
まるで、自分が悪かった、とばかりに申し訳なさ気に、今度は私から目を逸らすのです……どういう意味ですかそれは、先輩。
「あのな。ここは日本だ。うちの天才ミストレス以外に誰がそんな、年端もいかない少年一人、わざわざ飛ばして隠し立てする大掛かりな迷彩装甲を造れるんだ?」
「…………」
「充電中はスリープ状態とはいえ、ナナ様に異変がないか、二十四時間体制で張り付いてんだ。おまえのCPUに疲労が溜まってたって、何も不思議じゃないぞ」
「意味がわかりません。私のCPUとこの侵入者に、何の関係があると言うのでしょうか」
「みなまで言わせるなよ。死神とか、何とか……ナナ様に何か、急変がないか常に怯えるおまえの、まさに不安が具現化したような幻覚じゃないか」
「……――」
急変。白血病という重病を持ったお嬢様には付き物である、急激な全身状態悪化の可能性……。
確かに私は、そうした時にはすぐに処置を行い、お抱え主治医たる橘医師と連携をとれるよう、医学ソフトを搭載された専属召使であります。
「私は機械です。機械が幻覚なんて……不安なんて漠然とした状態の影響は受けません」
ミストレスのご設計が、躯体構造、思考・感情回路共に、秀逸なせいで忘れられがちですが……。
私達召使ロボットは、どんなに人間に似て見えてもただの機械です。ミストレスの望まれた通りに動くだけの、便利で高度な道具なのです。
ソウク先輩は、甘いな、と両腕を組んで目を伏せてしまいました。
「残念だが、それすら考慮に入れて設計されてるのがおれ達なんだよ。特におれとおまえみたく、直接零型――初代の召使、ランクL・プロトタイプの同系統である機体にはな」
「…………?」
「早い話、おれとおまえにゃ、ミストレスのかけた気合いが半端ないんだ。不安や疲労といった蓄積された因子を基に、幻覚が形成されたって別に不思議じゃない」
いえいえいえいえ。
ソウク先輩は大真面目に頷いていますが、こればっかりはつっこまずにはいられません。
元々、処理速度も遅く、排熱効率も悪い私では確かにあるのですが――
「私を修理していただく案には賛成ですが、それとこれとは別問題です。私はとにかく、侵入者への対策を相談したいのです」
こんなにも私が必死だというのに、排熱効率が抜群で、いつも冷たい先輩ときたら……。
「ソラ、おまえなあ……おれ以外にそんな、『死神って名乗る、沢山の羽を持つ奴が来た』なんて、一言でも言ってみろ。下手すりゃ、要修理を超えてスクラップ行きだぞ」
「――……」
「それでなくても、ナナ様のご病状にお心を痛められてるミストレス相手になんて、もってのほかだ。その場でロケットランチャー持ち出されても不思議じゃないぞ」
……何が怖いかと、言いますですとね。
ソウク先輩は全く誇張せず、ミストレスのお人柄を的確に評している所かもしれません。
「うちの同期にゃ、西館周囲に特に気を付けるようには言っておくよ。けどな、それにとち狂ったおまえが捕まったとかさ、そんな状況だけは勘弁してくれよ?」
「…………」
この玖堂家本邸には、ミストレスの最低限の職場と居住区が、共に敷地内にあります。
中でも西館は警備が硬く、ミストレスと旦那様、そしてお子様の部屋が固まる区域です。
黙り込んだ私をよそに、ぴぴぴっと、ソウク先輩のPHSに着信が入ったもようでした。
「――あ、橘先生? 何でございましょう、御用があれば何なりとお申し付けくださいな? いえいえ、先生のご用命とあれば、この霜狗は世界の果てでも参りますから」
ソウク先輩は、本来いつもこの口調です。喋る内容も小粋な軽口の、至って優等生です。
肩までの白銀の髪は艶々で、生き生きした碧眼が目立つ顔立ちも鋭く整っていて、私や初代のように黒髪で茶色の目と、同じ零型シリーズとはとても思えません。
「ナナ様ですか? 採血は無事終了しております。血算だけなら結果も出ておりますけど」
テキパキと先輩は採血結果を橘医師に伝え、本日の看護の指示を仰いでいるようです。
処理速度の問題が大きく、いつも動作の遅い私と、こうして何もかも違う先輩は、何が一番違うかというと、何より体つきが大人っぽく造られているのです。
「ええ、クリーンウォールは全く問題ございません。部屋もきちんと陽圧換気に設定しております」
初代プロトタイプに瓜二つであるらしい私は、ミストレスが中学生時代、中学生として造られた初代の型をそのまま使われています。なので実に子供っぽく、シンプルでスレンダーに造られています。
対するソウク先輩は、モデルばりのスタイルで、ここの所お気に入りらしい黒い質素なカーディガンの似合う、まさに大人の女性。
いったい何故、ミストレスは二代目零型をこんなに別タイプにしようと思われたのか、理解に苦しむ仕様であります。
別に……羨ましいわけではないのですよ、決して。私のOSにそんな余分な方向性などないのですから。
ないはず、なんですが。うむむ……。
しばらくして、PHSを切ったソウク先輩が、何だか私を睨んできました。
「――オイ。さっきから何おまえ、般若みたいな顔で睨んでんだ」
「……ソウク先輩。ナナお嬢様の採血結果、私にも見せて下さい」
「遅いっつーの。今朝はまず、真っ先にそっちを気にするべきだろーが、おまえは」
朝から先輩に、もう採血はしない! とナナ様は駄々をこねられたらしいのです。
その頃は屋敷の警備部に向かい、監視カメラの映像を入手していた私には、そこで先輩がどうやってナナ様を説得したのかはわかりかねます。
「簡単な検査は大体、おれの担当だけどな。今度の骨髄穿刺、せいぜい頑張れよ、ソラ」
「…………」
ここ最近、治療と検査をナナ様が嫌がられることは、私と先輩を悩ませていたのです。
「骨髄穿刺を嫌がられるのは、まだわかるのですが……」
検査の処置の際、麻酔注射まで必要である痛い検査はともかくとして、ですね。
「輸血までまた嫌がられたら……私は、どう対応すれば良いのでしょうか」
「そんなのてめぇで考えやがれ。仮にも医者だろ? ジョーシキだぜ、ジョーシキ」
先輩なのに、看護師としては医師の私に従わないといけないソウク看護師は、こうしていつも私には冷たくつれないのでした。
悲しいけどこれ、宿命なんですよね……。
ナナお嬢様の採血結果を確認し、そのまま私は、保健室の隣にある橘医師の診察室に向かいます。
それにしても、隣にいるなら、PHSなどかけてこずとも良いような気がするのですが……。
何かあれば、おまえらから訪ねてこいという橘医師は、もう中二病や傲慢を超えた、尊大な上司であると愚考します。
「俺は神だから、神を動かすな」
偉そうなことをのたまいながら、黒いオペ着に白衣がよく似合う容姿は一見二十代後半で、シンプルですが整った顔立ちをされています。
「俺の指示は絶対だからな。おまえにとって、俺は神だと思え」
無表情で、淡々とそんなことを言って煙草をふかす橘医師は、これで腕が良くなければ、とっくに解雇されていたと思います。実際、専門分野は血液内科ではないらしいのですが、何科でも幅広くこなす神がかりな内科医だというのです。
自称神が口にする煙草は本来、妙にドアの多いこの診察室でなく、私も立ち入ったことのない居室で吸うように言われているそうです。
それでも日がなぷかぷかするのは、「俺は灰だから煙草が栄養なんだ」と謎の言葉をのたまい、ミストレスを絶句させたというのは有名なお話です。
いくらお名前が橘灰だからって……私は早々に、理解を諦めています。
そうした上司で、私の指導医であり、ナナ様の主治医であるのが橘医師です。
しかし、ナナ様の我が侭――いえいえ、致し方ない自己主張に対しては、全て私に丸投げしている状態なのです。
一応の外来診察室で、机に肘を置いて椅子にふんぞり返り、私を出迎えた橘医師は、今日もやはり黒ずくめの服に白衣です。
「――ほら。今日の採血結果、俺に説明してみろ、ネコ」
居室の書斎は趣味のサブカルチャーだらけ、と噂の橘医師が、机に漫画らしきものをふせながら、私を無表情に見てきます。
「……好中球の計算値が千を切っています。目視でも大きく差はありませんでした」
「自力で鏡検までしたか。感心感心」
「血小板とヘモグロビンも減少する一方です。今の内に輸血を手配する方がいいと思います」
玖堂家のこの部屋は、診療所の扱いとして申請済みです。でないと橘医師も、本格的な医療行為ができないのです。
それでこうした物資の手配もできるのですが、所長たる上司は何だか面白くなさげです。
「血算だけでなく、重要な結果が他にも出てただろ。最近ずっと、同じ傾向だぞ」
私を試すように言う、無表情な上司。その意図はいつもわかりにくく、私を悩ませます。
ここ一週間、そう大きな変化はなかった採血結果に、唸って発熱する私に指導医は諦めました。
「治療後の悪性マーカーの下がりが以前より悪い。今回だけの結果でなく、これまでの結果や傾向も、医師ロボットなら頭に叩き込んでおけ」
「……それではデータベースが、ひたすら膨大になってしまいます」
そうなると更に、検索に時間がかかる鬱陶しい機械になってしまいます。
不要なデータは可能な限り削除するように、とあまりに重い私へのソウク先輩の助言、ダイエット大作戦でしたのに……。しょぼん。
「データそのものを全て丸覚えするからだ。ちゃんと分析してから整理すれば言う程じゃない」
「ちゃんと分析して整理、というのは、どうやるのですか?」
簡単に言われますが、人間のように、それができれば苦労はしないのですよう。
減量したい。そんな女性型らしい私が余程不服な顔をしたのか、橘医師は珍しく不敵な顔で笑います。
「そうだな。イヌの奴なら、てめぇで考えろって言うんじゃないか?」
「…………」
ソウク先輩が、イヌなのに猫を被った態度であることも、橘医師はお見通しなのでしょう。
ってまあ、私に対するあの口調の差は、誰にも既にバレバレですけど……。
ただ、どちらが先輩の本性なのかは、館内でも意見が分かれているのです。
ところで、と橘医師は、隣の保健室に繋がる半開きの扉を物憂げに眺めます。
「俺の空耳だったら別にいいんだが。何やらおまえら、死神が来たとか話してなかったか」
「……――」
あまりにあっさり、橘医師がそのことを口に出されてきたので……私は、自分の返答の反響を考える前に、すぐさま白状してしまいました。
「昨夜、ナナ様のお部屋のバルコニーに、謎の羽を持った自称死神が不法侵入しました」
「…………」
橘医師が何も言わないので、私はそのまま続けてしまいます。
「見た目は中学生になるかならないか、それくらいの少年でした。天使の代わりに来たとか、この屋敷には悪魔がいるとか、そんな風に言っていました」
「…………」
段々と橘医師は、珍しく眉をひそめ、頭を抱え始めたようです。
「今度は合法で侵入すると言っていました。私はいったい、どのように対処行動をとるべきでしょうか?」
橘医師はそこでどうしてか――とても可哀相なものを見るような目で私を見ました。
「……ああ、そうだな」
そして、ぽんぽんと、私の頭を撫で叩きます。
「ソイツ……死神にネコが連れていかれないように、俺も注意してやらなきゃな」
しみじみとそう言って、ソウク先輩と同じ反応――……私のスクラップ行きを示唆したと思われる、黒ずくめの上司でした。
私の処理容量を超えた、昨夜の私の振る舞いに対する私の弁明は、私の立場を危ぶませるには十分な言質であるようでした。
どこかの大統領みたいな言い方になりました。まあそれは置いておいて。
「……それなら保留、するしかないですね」
理解を超えた事はこうしてずっと保留し、回答を待っている私は、処理速度が遅まる一方なのです。
重々しい私は、てこてこという擬音が合う足で、ナナ様のお部屋にのろのろ向かいます。
昨日の予想通り、無菌状態での管理が必要な採血結果を、伝えなければいけないのです。
ゆっくりとナナ様の部屋に戻った私ですが。
そこに、待ち受けていたのは――
無人の部屋という、あってはいけない異状でした。
「……は?」
茫然として、広い室内を一通り見回します。
クリーンウォールに守られているベッドはもぬけの空です。微生物の温床となる余計な物を置かないため、仕切りがつけられた室内では、物置側にあるクローゼットにも洗面室にも、ナナ様のお姿が全く見当たりません。
私はまさに、緊急警報装置を叩き割る勢いで、前後不覚に陥っている思考を自覚しました。
実際、叩き割りました。壁まで穴があく勢いでしたが、それが何か?
「ナナ様……ナナお嬢様……!?」
じりりりと緊急警報が鳴り渡る中、私のCPUをよぎっていたのは、ただ、危機感です。
「こんな危険物だらけの疫病すらはやる世界で――何処にいってしまわれたのです!?」
ナナ様危険。その緊急事態警報だけが、私の全演算を占拠します。
潔癖症と思われるでしょうが、その感覚は、健常者における話なのです。免疫力が下がり切った人間には死活問題なのです。
それだけではありません。今のナナ様は、ともすれば、転んで出血しただけでも一大事なのです。
そのことはこれまでも重々、ナナ様には繰り返し説明してきたはずだったのに――
何故、わかっていただけていなかったのか。
私の説明の、何がまずかったのでしょうか。
失言をする程に、口酸っぱく度々お伝えしていたことだったというのに。
「私が無能でなければ……こんな事には……」
その後、場に館の召使ロボットと、人間の警備員もほぼ全てが集まるまで、私は重い処理速度でひたすら考え続けておりました……。
Wシリーズの召使、Lシリーズの召使一体ずつと、人間の警備員が一人。
三者一組でナナ様を捜索し、すぐにもナナ様を見つけてくれたのは、咲とソウク先輩のグループでした。
私はとにかく、最重要事項を叫びます。
「すぐにクリーンウォールにお戻り下さい! その前に手洗い、うがい、お召し替えはお忘れなきように!」
「…………」
動揺したままの私に、ナナ様はつん。と、そっぽを向かれます。私のCPUが、さらに軋んで煮詰まります……。
「まぁまぁ、空ちゃん。無事見つかったんだから、良かったじゃない?」
いつも明るく、優しい物腰が評判の美少女系猫耳ロボットな咲が、ねぇ? とナナ様にも笑いかけます。
しかし私の唸るCPUは、そんな気休めでは全く治まりません。
「この数十分の悪影響がナナ様に起こらないかどうか、それまで無事は確認できません!」
見つかれば良しという問題だけなら、私もこんなに動揺はしないのです。冷却装置の一つの毛根から蒸気は吹かないのです。
ひとまず外傷や発熱は、現在のナナ様には見られませんでしたが……。
免疫力がひどく低下した状態で、外界の様々な微生物に晒されただろうナナ様に、私はとにかくご帰室を促すことしかできません。
そんな私を、咲の後ろに立っているソウク先輩が、厳しい目付きで見つめてきます。
「あらあら、御大層な仰りようで。自分で自分のお嬢様を、見つけられもしなかったご惨状ですのに」
人目が多いせいか、ご丁寧な方の口調で、私の管理不行き届きを先輩はぐさりと指摘します。
「そもそもソラが、すぐ説明にいかなかったから、大丈夫と思って外出されたとナナ様は仰っておられますよ? 堂々と、西館の出口を通られて、警備員に挨拶までされて」
「……――……」
ミストレスとご家族の居住区である西館は、最も厳重な警備体制にあります。
西館の入り口は一階だけにあり、地下一階から二階まで三階層がある本邸ですが、バルコニーから侵入でもしない限り、二階南端のナナ様の部屋へは誰一人――ナナ様ご自身、出入りはできないのです。
「本当に、サキがいなければ、もっと時間をロスしてしまったことでしょうねぇ」
「いえ、ソウク先輩。私には猫耳があるので、すぐにお嬢様の声が聞こえただけなんです」
それは単に機能の違いに過ぎないと、咲は私をかばってくれるのですが……。
「そういう問題ではございません。まず、すぐ近くの一階の出入り口をナナ様が通られたはずなのに、全く気が付いていないソラはどうかと思いますよ?」
「…………」
私がいた一階の橘医師の診察室から、出入り口と階段はすぐ近くにあります。
保健室はそれより一つ奥なので、ソウク先輩が気付かないのは無理がないと言えます。
しかし、不審な物音一つでも気を配るべき私達召使……特にナナ様専属の私が、近くにあったはずのナナ様の足音やお声に気付かないとは、本当に何たる不始末なのかということなのです。
「……申し訳ありません……」
ただひたすらに、深く頭を下げる私です。
それでもナナ様はお顔を強張らせたまま、私の方を見てはいただけないのでした……。
ソウク先輩に付き添われて、ナナ様はお部屋に戻られました。
それを追い、バイタルサイン測定キットを持って部屋に向かう私を、頼りになる同期の咲が引き止めてきました。
「あのね、空ちゃん。ナナお嬢様は、きっと、採血結果を凄く気にしてたんじゃないかな?」
「――はい……?」
私があまりに混乱顔をしていたので、咲はどうやら見かねたようでした。
「多分なんだけど……痛い思いをしてとった採血が、どんな結果で、今日からどんな治療になるのか。空ちゃんには、わかりきった結果だったかもしれないけど、ナナお嬢様にとっては何回目でも大切な、勇気のいる検査なんだと思うの」
咲はとても、言葉による感情表現や状況の把握、調整が巧みな機体です。
こうしてやんわり、私にもわかりやすく言ってくれます。もちろんポイントはやんわりです、私の処理速度向きです。
これなら無能な私でも、ナナお嬢様のご心情は理解できたのですが……。
「でも、咲……だからと言って、外に出ていい理由にはならないと思います」
「それはそうだけど……この結果が出たら、当分外に出られないって思ったら、結果が出る前に出たくなっちゃったんじゃないかな?」
「…………」
……おそらくそれは、咲の言う通りだと思われました。
私がすぐに結果を伝えに向かっていたら、そんな衝動が起きる暇もなかったのでしょう。
咲に礼を言って背を向け、歩き出した私に、いつもと全く同じ演算結果がよぎりました。
「本当に……」
これは既に何度も、ミストレスにも訴えたことです。
「私でなくて……咲やソウク先輩が、ナナ様専属であったなら……」
きっと、こんな問題は起きなかっただろうと。しばらく自機嫌悪が止まりませんでした。
普段は聡明で、明るく気丈にされていても、ナナ様はまだ、九歳なのです。
無能な私……何かあればすぐに混乱し、まともな判断もろくにできない重い機械が、一番的確な対処が必要とされる重病の子供の専属であるのは、無理があると思います。
「医療ソフトが、あるとは言っても……」
私は機械です。所詮は機械です。
知識だけデータベースに山積みであっても、人間のように臨機応変に対応できないのです。
「ナナ様のご病気を……治せるならまだしも……」
私の中には常に、このままナナ様の病勢が治まらず、状態が悪化した時は……という悪い情報が渦巻いているのです。とにかく優先すべきは、悪い事態を想定することなのです。
咲みたいに、明るく優しくはなれないのです。美少女なんて機能も私には不要なのです。必要なのはタカの目かつネコの目仕様の、高機能な双眼だけです。
何か悪い事が起こった時に、いつものような遅い処理速度でぼけっとしているわけにはいかないのです。ナナ様専属の召使で、医師ロボットである、この私は……。
二階の端の、ナナ様のお部屋の入り口横に設置された滅菌装置で、これでもかと私は、自機の隅々まで滅菌処置を施します。
入室すると、遮光カーテンが閉まったままで、明かりもつけていないお部屋は暗く……しくしく泣かれているナナ様と、隣に座り、ナナ様の肩を抱いた先輩の姿がありました。
「……ソウク先輩。入室前に、滅菌処理はされていますよね?」
「万全にとはいかないけど、そりゃ当然な。確認してくれんな、そんな当たり前のこと」
……万全ではないという言葉がひっかかる粘着、いえ、細やかな私なのですが。
ナナ様は、そんなことにはかまわれず、ソウク先輩の豊かな胸で泣かれているのでした。
「……バイタルサインを、測りたいのですが」
「そこに道具一式置いとけ。ナナ様が落ち着いたら、後でいつも通りおれが測っとくから」
「でも……今の状態を知っておかないと……」
「ばか、見たらわかんだろ。今はそこまで、差し迫った状態じゃねぇよ」
「…………」
あくまでずっと、不服な顔で私は佇みます。
ソウク先輩は目線だけ、呆れたように私を見上げると、そこでずばりと物申しました。
「いいか、ソラ。血圧や脈拍、体温一つでも、おまえのために測るもんじゃねーんだよ?」
「……――」
「タイミング悪いってわかったら、不安でもちょっとの時間くらい待て。相手の状態を見て行動しろ。それはおまえが医師ロボットでも召使でも、どっちでもジョーシキだ」
「…………」
「わかったらそんな所で突っ立って、ナナ様にプレッシャーを与えんじゃねぇ。早い話、出直せ」
ナナ様と私の前では、ソウク先輩は、あの荒っぽい口調を全く隠しません。
ミストレスがそう設計された、それだけのこととはいえ……どうしてこう、私と同系のはずが、私より余程的確であるのか、今も処理の重い私にはわからないままなのでした。
そういえばナナ様も、私やソウク先輩の前で以外、涙されるお姿などは決して見せられません。
ミストレスや旦那様にもいつも笑顔で、ご兄弟とも喧嘩一つされたことがないナナ様を、こうしてお泣かせしてしまうのは、私が余程無能である証拠ではないでしょうか。
「…………」
ソウク先輩に言われるがまま、すごすごと上司の元に戻った私でしたが。
「何やってんだ。バイタル測りにいったんじゃないのか、おまえ」
待ち受けていた主治医にも、そうしてしみじみと責められる。
ああ何ともう……やるせない、今日この頃です――
4:お嬢様の苦悩
ナナ様採血事件から、どうにか感染症など何事もなく、数日が経過しました。
数少ないナナ様の免疫細胞の頑張りに私は感謝の念を込めつつ、白血球を増やすお注射を毎朝施行します。
そうして、ナナ様の白血球の数もようやく、無事に増えてきてくれた頃合いのことでした。
「――嫌。今日は輸血、したくないもん」
「…………」
私の重いCPUが、また唸り始めます。
注射で何とか、白血球は増やすことができたとはいえ……血液中の他の成分も、悪い白血球を殺す治療の副作用で、必ず足りなくなるのです。白血球とは違い、他の成分はなかなか、輸血以外では補えないのです。
「しかしナナ様。輸血をしないと血が止まらなくなったり、心臓に負担がかかったり――」
「わかってるもん。ソラの言うことなんて、いつも同じだから」
「…………」
白血球が増えたので、クリーンウォールは解除されました。それでも体調が優れないのか、ナナ様はベッドからお出になりません。
こうして治療や検査に関する話をする時、最近は決まって反発、いえいえつれないお言葉を返されるので、私はナナ様とどう接すればいいか、とんとわからなくなっていました。
「では私は……何をどう言えば良いのでしょうか?」
「楽しいことじゃなかったら、聞きたくないよ」
「それではナナ様に必要な医療処置が、実施できません……」
最早、ナナ様をじっと見つめるしかできない私に、ナナ様はやはり、ふいっとそっぽを向かれます。
「…………」
何をどうこれ以上話せば、ナナ様に頷いていただけるか、全くわかりません。
仕方ないので、ただ話を続けるため、私は説明や説得でなく、珍しく質問を返しました。
「どうして今日は、輸血がお嫌なのですか?」
「……」
あれ。ナナ様が何だか息を呑まれたようなご様子は、私の勘違いでしょうか。
そうですねきっと解析ミスです、続く沈黙に私は質問を続けます。
「これは今までも何度も行ってきたことです。今日はどうして、お嫌なのでしょうか?」
すっかりご不興を買ってしまった、と私は半ば投げやり口調で、ベッドサイドの丸椅子に座って尋ねていました。
しかし何故か……ナナ様は私を振り返った後、ミストレスお手製の帽子を両手で掴むと、少しはにかみながら俯かれました。
……あれ? 何だかナナ様……随分、表情筋が弛緩されていますような?
「…………」
ナナ様の不思議なご表情のためか、今度の沈黙は苦にならず、ナナ様から返されるお言葉を、私はじっと待ちます。
そう言えば、何故、と問いかけたのは、私はこれが初めてかもしれません。
それに対するナナ様の沈黙……心なしか震えられている、小さなお手元。
そして私に向けられた、まっすぐで大きな潤んだ目線は、まるでその問いかけをこそ待たれていたかのように、黒い瞳が揺れて見えて……。
少し待ってから、ようやくぽつりと、躊躇いがちにナナ様がお答を返して下さいました。
「今日は……お兄ちゃんの新しいお友達が、初めてお見舞いに来てくれるっていうの」
「――そう言えば、伺っております」
ナナ様は幼稚園に入ってから発病されたので、ほとんど学校には通えていません。そのため、ご友人はとても少ないのです。
その代わり九人ものご兄弟がおられるナナ様は、このようにご兄弟のご友人がお見舞いに来てくれることがたまにあるのでした。
「確か、サトシ様が、クラスに転校してきた方を連れてこられると伺っています」
「うん。お兄ちゃんいつも優しいから、早く転校生さんが馴染んでほしいんだって」
ナナ様のご兄弟の中で、年の近い方には、すぐ上のお姉様が二人おられます。
しかしお一人は習い事が、もうお一人は売れっ子のアイドルで芸能活動が忙しく、ナナ様とゆっくり過ごされるお時間があまりありません。
最後の双子以外は年子のご兄弟なのですが、ナナ様からは三学年上の十三歳のサトシ様が、ナナ様には一番身近な存在でもありました。
「それではその見舞いの方が帰られれば……輸血をしても良いと言うことですか?」
「…………」
今度はナナ様はそっぽを向かれずに、私の問いかけに、ただ悲しそうに俯かれます。
決して多くは無い、せっかくの客人がある日に、輸血をした状態でお会いになるのが嫌だったのか、と考えていた私なのですが。
「本当は……ずっと、嫌だったの……」
「……ナナ様?」
ずっと両手を握り締めながら、ナナ様が俯かれています。
どうしていいか私はわからずに、ナナ様のお顔色を、せめて確認しようとしたところで――
「たっだいまー! ナナー、今日は体調大丈夫かー!?」
深窓の令嬢といったナナ様とは対照的な、坊主っぽい鳥頭の悪ガキ――失礼しました、元気一杯であられるサトシ様のお声です。
そして、同伴してこられた、その――
「こんにちは、初めまして。お邪魔します」
一見大人しげな笑顔でも、鋭く整う珍しい灰色の目と、短い黒髪の制服の少年。
それは、サトシ様のクラスに転校してきた中学生という、先だっての触れ込みでしたが。
「な――」
サトシ様達の方を向いて、まさに私は硬直します。
サトシ様と、サトシ様付きの同期の召使は全く構わず、ナナ様のそばに駆け寄ってこられます。
そのままにこにこと、黒髪の少年は何故か、私に微笑みかけてきて……――
「氷輪っていいます。よろしくね、ナナちゃんと――その召使さん」
どう見ても、少し前の夜の侵入者にしか見えない、自称死神と瓜二つの少年。
名乗った後には、ほら、合法でしょ? と言わんばかりに……彼は罪の無い顔付きで、くすりと微笑んでいたのでした……。
いくら、ナナ様の白血球が、正常近くまで戻った状態とはいえですね。
そもそも疫病のはびこる外界から来た方達とは、距離をとってもらう必要があります。客人の椅子はベッドから離れた位置にご用意したので、客人を病原扱いしている私に、ナナ様はかなりご不満そうです。
「しかし……」
こればっかりは、たとえ相手がサトシ様でも、同伴してこられた少年が怪し過ぎて、私は譲ることができません。
そもそも、生かしてやってるだけでも有り難く思え! あれ、何だか思考の言語統制が絶不調です、これじゃソウク先輩です、それは拒否を希望します。
これは客人です、何かあれば即抹殺、可能でしょうかこの状況? 私の警戒モードと、もてなしモードが大混線しています。
そんな私をよそに、ナナ様とサトシ様と、そのご学友は、実にすんなり打ち解けた話をしておられました。
「へぇー。ナナちゃんはお母さんにそっくりなんだ?」
「そうなんだぜー。うち、アツミと一番上の姉貴とナナが母さん似なんだけど、アツミは今やピンでアイドルしてるし。ナナも芸能界デビューすれば、絶対いい線いくと思うなー」
「もう、お兄ちゃんてば。転校生さんにそんなこと話したって仕方ないでしょ」
「そう? オレはもっと聞きたいけどなあ、ナナちゃん達のこと」
あの日、夜目には暗い銀に見えた髪と蒼い目をした、妙に景気のよかった侵入者。
――こんばんは! 死神君でっす!
この優しげな顔で笑う客人とは落着きが全然違い、そもそもあんな何枚もの羽もなく、耳も尖っていないご学友なのです。
「お兄ちゃんこそ、お父さんと一緒にお芝居したらいいのに。別に嫌いじゃないんでしょ?」
「えー、でも親の七光りって言われるしよー。マサオ兄なんてその辺、全然気にしてないみたいだけどよー」
「ふーん。お母さんが大会社の社長さんで、お父さんが有名な役者さんかぁ……道理で、こんな凄いお屋敷に住んでるんだね、サトシもナナちゃんも」
決して嫌味なく笑いかけるご学友は、とても中性的な顔立ちです。ナナ様の前ではお二人共マスクをしていただいたので、今の顔は半分しか見えませんが。
目にかかる硬質の短い髪は、まっすぐでもベタっと揃うことはなく、黒髪なのに軽さすら感じさせます。
男性にしては端整過ぎて、女性的というには隠せない鋭さを隠す目線は、やはりあの夜の侵入者と全く同じで……恰好が黒のハイネックに夏の学生服と珍しいこともあるのでしょうが、何処となく、品の良さすら感じてしまいます。
まずは相手の状態をよく見ろよ、と先日ソウク先輩に怒られたばかりである私は、そのまま黙って、美形と言って差し支えないご学友を観察し続けていました。
決して見とれているわけではないのです。これは不審な相手への監視です、不可抗力です。しかし何故、そんな弁明をしているのでしょうか私は。
それにしても――と。ご学友は少し真面目な顔付きで、ナナ様の方を見つめられました。
「ナナちゃん、大丈夫? 顔色悪いけど……話してるの、辛くない?」
そうなのです。血液が足りないということは、つまり必然的に、血色が悪くなるのです。
「――大丈夫、全然平気! 今日は体調凄く良い方なの!」
「ナナは年中、貧血なんだよな。でも本当に無理すんなよ?」
もうっ、とふくれてサトシ様を見られるナナ様でしたが。
そんなナナ様に、ご学友はまた、あの優しげな顔で微笑まれます。
「ナナちゃんも貧血なんだ? オレもずっとそうなんだけど、大変だよねぇ」
とても平和な顔で微笑むご学友に、思わずナナ様は、言葉を呑まれたようでした。
代わりにサトシ様が、ナナ様の本日のご葛藤も知らずに口を開かれます。
「氷輪も貧血持ちなのか? ナナもずっと輸血してんだけど、なかなか良くならなくてよー」
「お兄ちゃん……! そんなこと、別に……」
「ナナちゃんは輸血してもらえるの? それなら良かったね」
焦られるナナ様に対して、ご学友は実に自然に、さらりと言って下さったものでした。
しかしその言葉にかえって、ナナ様は先程、私の時と同じように俯かれてしまい……。
「私はあんまり……輸血、したくないの……」
およ? と驚くサトシ様と、あれ? と、ご学友が目を丸くされます。
ナナ様は何とか、顔を上げられたものの、困ったような苦しげのような、何とも言えない微笑み。
どうしましょう、せっかくナナ様が、楽しそうにされていた貴重なお時間だったのに。
そのナナ様に、ご学友はあまりにあっさりと、踏み込んだことを尋ねられました。
「何か、輸血が嫌な理由、あるの?」
中学生とは思えないような問いを、ことも無く発するご学友。ナナ様はきょとんと、一瞬、時間が止まったようなお顔を浮かべられました。
そのご学友があまりに、自然な声色だったせいか……そしてそれも、先刻と同じ、問いかけの言葉であったからなのでしょうか。
ナナ様は、何処か安心されたように……それでも困ったような笑顔で、淡々と答えを口にされました。
「沢山の人から、血をもらったって言ったら……吸血鬼みたいって。クラスの子に、そう言われたことがあったの」
「――」
思わずそこで――……まるで眠り続ける活火山が突然の目覚まし時計に大覚醒したかの如く、自機のフェイルセーフが全て吹き飛びました。
しかし、限定解除した私が大混乱に陥りかけた真ん前で、サトシ様が先に激怒して立ち上がられました。
「何ぃー!? 誰だよそんなバカなこと言うバカな奴は!?」
私の思いを代弁して下さったことと、サトシ様を宥める同期の召使の姿に、私は何とかこっそり踏み止まります。
「へぇ。ナナちゃん本当、苦労してるんだね」
ご学友はあっさりしたもので、それに尚更、ナナ様は安堵されたようでした。
それどころか彼は――今度こそ、あの不法侵入者のような不敵な笑みを目元にたたえると、思わぬ台詞を発せられたのです。
「こんなに可愛い吸血姫ちゃんなら、オレの血でもあげたいくらいだけどな?」
「え……」
そのいたずらっぽい声に、ナナ様はばっと、何故か口元を押さえて黙り込まれました。
……心なしか、お顔が紅潮されたように見えるのは、噴火しかけた私の視機能の不調に違いありません、ええ。
ご学友はそのまま優しげな目色に戻ります。
しかし口調は何処か、今までと違って、機械の私には何とも形容し難い声で、ぽつりと言われました。
「でもナナちゃんは、吸血鬼には向いてないと思うよ」
「……え?」
「吸血鬼みたいに、血だけで元気いっぱいになれるなら、苦労しないよね」
「…………」
それは――そうです。それで治るご病気であれば、ナナ様は先日のように泣かれはしないのです。
あまりに自然で、正しいご指摘。そこでしばらくご学友とナナ様は、困ったような笑顔と戸惑いの目線で、じっと見つめ合ってしまわれました。
「くそー! ナナに変なこと言う奴がいたら、ぶっとばしてやるからな!」
まだ怒っておられたサトシ様が、ナナ、何かあったら言えよ! と割って入られ、束の間の見つめ合いは、そうしてすぐ幕を閉じていたのでした。
それからは特に、目立った話があるわけでもありませんでした。
ナナ様に無理がないようにと、わりとすぐご学友は話を切り上げられました。その後はサトシ様のお部屋へと、マスクを外してわいわいと連れ立っていかれたようでした。
「…………」
サトシ様達の退室を確認してから、輸血をする前に行う点滴の機材を隣に、私は黙ってベッドの横に立ちます。
ナナ様はずっと、あの困り笑顔で私を見上げてこられます。
それがあまりに、今までにない、苦しげなナナ様であったためか……。
「ナナ様……」
私は自然に、その質問をすぐに口にしていました。
「何があったか……教えていただけますか?」
先程あの少年が、あっさり問いかけた姿を真似るように、淡々と尋ねます。
ナナ様はまた、大きく安心したように、ふっと微笑まれました。
「うん……結構前のことだし、それを言った子も、今は転校しちゃっていないんだけど」
「…………」
どうしてなのか、凄く大切なお話のはずなのに、あっけらかんとされているナナ様です。まるで、重く語ることを厭われているようです。
「大きくなったら、何になりたいかって、クラスで一人ずつ順番に発表した日があって……私は人から沢山血をもらったから、早くもっと元気になって、私も誰かの役に立てる人になりたい。そう言ったら……何それ、吸血鬼みたいって、言われたんだ」
「……――……」
「そこでみんな、笑ってたから。先生はすぐ注意してたけど、私……それから何となく、ずっと恥ずかしくって」
そんな事を話されながら、ナナ様は相変わらず、困ったように微笑まれるだけです。
決して恨みや怒りの感情を表情筋に反映されず、本当に……ただ、お辛かったと。そのお心だけを、言われたいように見えてなりませんでした。
ここで私が発端者への責め苦を口にすれば、きっと、お優しいナナ様のお顔は曇ってしまわれるのだと。
何も言えずに黙り込んだ私を、逆に気遣うように、ナナ様はハイっと自ら腕を差し出されました。
「でも誰かに聞いてもらったら、少し楽になったよ。ありがとう、ソラ」
あれだけ嫌がられていた輸血を、そうして受け入れて下さった笑顔は、今までよりずっと穏やかに見えて……私には本当に、わけがわかりません。
ここで今……私に何ができるというのでしょうか。機械である私に、できることとは。
治療を繰り返し、それでなくても点滴が難しい子供の血管を、大事に丁寧に……排熱効率の悪い私の手で温めながら、注射しやすくすることくらいでした。
そのために黙って腕をさする私に、ナナ様は何故か、ほわんと微笑まれます。
穏やかなナナ様とは対照的に、私はずっと、眉間に皺を寄せる表情制御が止められませんでした。
「ナナ様が……そんなにひどいことを言われていただなんて」
私は正直、そんな輩は私の全ての限定を解除して排除したい程、処理しきれない謎の混乱に支配されつつあります。
「どうして今日まで……話して下さらなかったのですか?」
人間の子供は時に、何という残酷なことを、平気で口にされるものでしょうか。
ただの機械で、人間の気持ちは全くわからない私すら、言葉の選択には制限があります。
医学用語以外に、血や死といった悪い事柄をはっきり連想させる単語は当然のことながら、あまつさえ病人を茶化す吸血鬼呼ばわりなど、禁忌も禁忌でしょうに。
「だって、話すとソラ、怒っちゃうかなって」
「当たり前です。私はナナ様だけをお守りするための召使です」
即答した私に、またナナ様は、嬉しそうに笑って下さったものの……。
「ありがと。でもね、万一ソラやソウクに、カイ先生までが、その通りだなんて言ったら……もう私、誰も信じられないやって。そう……思っちゃって」
その不安がナナ様は一番怖かったのだと、どうやら仰られているようでした。
不特定多数の誰かから、血液をもらわなければ生きられないお体。それは決して、ナナ様のご責任ではありません。なのにそんな責め苦を、ナナ様は幼い肩に背負わされていたのです。
私はその後、機器を片付けるため部屋を出ましたが、ポプラの枝の如く震える躯体は全く治まらず、どうしようもなく項垂れるしかなかったのでした。
点滴などの機材の番人、ソウク先輩の縄張りの一階の保健室に、私は不要物を片付けます。
付近には、日中は不在のミストレスと旦那様の私室があります。何故かその部屋の前で立ち止まり、よくわからないまま、ひたすら混乱を持て余す私だったのですが。
「……それは――」
ひと気の少ないその場所に、近くの階段から、不意に降りてきた人影がありました。
「悔しいって……そう、言うんじゃないの?」
ほとんど音も立てない人影が、急にそんなことを、感情も何もないような声で淡々と言ってのけます。
「……?」
ふっと、階下から見上げた私を、階段の途中から見下ろすように、その人影も立ち止まりました。
そして人影は、平和としか言えない雰囲気で、穏やかに微笑みます。
「ごめん。何か召使さん、凄くモヤモヤしてそうだったから」
「アナタは……」
サトシ様の、ご学友と。それだけ私は口にします。多分、客人が何を求められているか確認すべき状態なのに、先が続けられません。
そんな私にあっさりと、自称死神はまたにこやかに、自らの正体を明かしてきました。
「そっ。今日はちょっと、違うバージョンの死神君だよ」
「…………」
それがもしも――サトシ様のご学友として訪れられた客人でなければ。
そしてナナ様が長く秘密にされていたことを、お話し下さったキッカケを作った相手でなければ、私は問答無用で、その場で排除していたと思うのですが。
「アナタの目的は……何なのですか?」
「うん。きいてくれるなら、話すけど?」
にこにこと、無害な顔付きで目前まで降りてきた少年を、私はむんずと捕まえました。
そしてミストレスのお部屋の隣、旦那様の側とは違う、もう一つの隣室……――
かつて、ミストレス専属の召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプが常に待機していた空き室へ、自称死神を首根っこ掴んで、有無を言わさず引きずり込んだ私でした。
「……お?」
すぐ向かいには、外来診察室があります。その扉の隙間から、橘医師が見ていたらしいことを――
ナナ様のこと、そして死神と名乗るその少年のことで手一杯の私は、この時は知る由もありませんでした。
5:自称死神
今は無き、初代召使型警護ロボット・ランクL・プロトタイプの旧控室にて。
「……は?」
私の正統な雛型で、認識番号は零型な召使の空っぽな部屋は、電気系統は生きております。なので私は、尻尾型のコンセントで機体を充電しながら話を聞きます。
「だから~。この広いお屋敷の何処かに、『悪魔』が隠れてるんだってば?」
何かあった時のために。燃費の悪い重い私に、その自称死神はわけわかめ――わけのわからない単語を連発するので、私の思考までそんな、意味不明の略語を発してしまいます。
何も無い冷たい床の上に、あぐらをかいて少年は座り込みます。
「オレの実務――死者の葬送は、本来、その死者の守護天使の役目なんだけどさ」
気だるげな声には、先程までの大人しげ? な奥ゆかしさは、微塵もありゃしません。もう完全に、あの月夜とノリが同じです。
「死神はそこで、死の運命に逆らう生者を、天使の代わりに葬送する感じなんだよ。何もなければ人間は普通、その人間の寿命で勝手に死んで、守護天使が葬送するんだけどね」
「……は……?」
耳は尖っておらず、羽もない少年ですが、表情は明らかに最初の不法侵入時のものです。そして多分、この様子は大真面目です。
座り込んで充電中の私が、処理が重過ぎて返答できないのをいいことに、少年は続けます。
「オレはその死神の中でも、『悪魔』と契約を交わしてまで死に逆らう人間が専門でさ。そこまでいくと、守護天使の手には負えなくなるからね」
だからと少年は、あまりにあっさり――私が最も聞きたくない固有名詞を口にします。
「だから、ナナちゃんにとりついた悪魔を、オレは祓いに来たんだよ」
それはまるで、この屋敷で現在、最も死に瀕しているのは、その名の持ち主であるとつきつけるような鋭さで。
私はすぐさま、きっぱりと否定します。
「有り得ません」
ぱしっと。処理の遅い私にしては、人間の脊髄反射並みの即答ぶりです。
「悪魔も天使も死神も、幻想上の産物です。そんな生物は地球上には存在しません」
少年は不思議そうにしつつ、何故かそこで、再び微笑みました。
「オレの本性しっかり見ておいて、そう言う?」
「あれは私の幻覚です。不安に疲労したCPUが一時の幻覚を捏造したのです」
だからたとえ、ここでまたあの羽を見せられたとしても、私は死神など信じませんから。ありがとうございますソウク先輩、あれは何と的確な解釈だったのでしょう。
こんな状況、他に説明できる言葉を、無能な私は全く持ち合わせませんもの。
私は少年に対して、必死に結論を告げます。
「私は捏造者です。そしてアナタは、幻想に支配された哀れな病人です。病院に行くことをお勧めします」
そこで少年は、何故か苦く笑って頷きます。
「うーん。オレに病院が必要っていうのは、残念ながら認めなくもないけど」
「意味がわかりません。アナタがそれを認めては話になりません」
あれ、どうして話にならないんでしょう? 私も自機の発言の意味がよくわからなくなっています。
するとまた、自称死神はあの困ったような笑顔を見せつつ、自分は本当に無害だと言わんばかりに、穏やかな声色でそれを言いました。
「信じる信じないは、お前の勝手だけどさ。放っておけばナナちゃん、どの道いつかは死んでしまう時に、死後の魂を、契約した悪魔に獲られちゃうことになるよ?」
「……――」
「それは、良いこととは、オレは思えないな」
それであれば、自分がその契約者を、正当に葬送した方がマシだと。死神と名乗る少年の矜持は、一応はそこにあるようなのでした。
しかし。何であれ、私は本当に――
この少年の言うことを、認めるわけにはいかないのです。
「ナナ様は……決して、悪魔と契約をされるような方ではありません」
「……」
「あり得ないことですが、仮にです。もし仮に悪魔というものが存在したとしても……そうしたものに縋られるナナ様ではありません」
まず、主たるお嬢様を信じること。それが私の使命であるのです。
それだけは私も、どうやら譲れない基本設計であったようです。
そして私は、躯体中に電力を漲らせながら、自称死神に静かに尋ねます。
「アナタは……ナナ様のことを、手にかけられるつもりなのですか?」
自称死神は、いいや? と、不思議そうに首を傾げて私を見ます。
「ヒトを殺すのは、運命だよ……死神じゃないよ」
死神自ら、生き物の命を奪ったことはない。彼は、そう言っているようにも見えました。
「ナナちゃんがもしも、もうすぐ死ぬなら。それは完全に――ナナちゃんの寿命だよ」
「……!」
「オレもまだ、契約者がナナちゃんだと断定できたわけじゃないんだ。でも……」
確かにこの屋敷の関係者の誰かが、近い内に死を迎えるのだと。
何にせよ私には看過はできない、困った幻想を持ち込んだ黒い髪の少年でした。
全くもって、わけがわからないままですが。
これ以上きいてもわかりそうにないので、私は状況を締めにかかります。
「アナタは今後、どのように行動される予定なのですか」
返答によっては即排除。その心積りで私は、システム切り替えの準備をします。
「オレ? することと言えば、大きくは二つ。悪魔を探す、そして契約者からひっぺがす」
先程から少年は、あまりに屈託がなく、何だかただの正直者にも見えるのですが……。
「ひっぺがした結果、大体の契約者は悪魔の助けがなくなって、いつもそこで死ぬよ。その時には、黄泉路への葬送もするかな」
「…………」
正直、私はいまだかつてなく……ただひたすらに、とても困りました。
反応に困るにも程があります。こんなに生温かい気持ち、でなかった躯体は初めてです。
科学技術の結晶ともいえるロボットの私には、ここまで非科学的な話を受け入れることなど、できるわけがありません。
そんな私の混乱がわかっているかのように、少年は無害に微笑みます。
「でもお前はナナちゃんを信じるんだろ? それならオレとナナちゃんは、この先何も関係はないよね?」
ナナ様が私の言う通り、契約者ではないなら、自称死神の存在で不利益を被ることはないと言います。それなら確かに、ナナ様専属召使の私には、行動すべき必要性は生じません。
「……いいえ。ナナ様の部屋の外に不法侵入したアナタを、私は見逃せません」
「それもお前の幻覚なんだろ? それならオレは、あくまでただの、サトシの友達だよね」
――ぐう。
これはまずいです。何がまずいかは上手く言えませんが、とにかく私、大ピンチです。
私を取り巻く色々なことが、何だかこの少年の掌上で弄ばれています。
処理が全然追いつかないまま、纏まらない保留事項を、私は必死に口に出します。
「幻覚は羽です。アナタの不法侵入は確実に起こった事実です。アナタの羽は光学迷彩なのです、アナタは透明となって玖堂家に侵入したのです、アナタの姿を私は見たのです!」
死神だの悪魔だの、そんな理解不能単語は一切使いません。それでも何故か、口にしてみれば少しだけ、纏まった気がします。
少しだけです、本当に……これ以上を私に求めないで下さい。
「なるほど。オレの一部は幻覚っていうけど、オレ自体は否定しないんだ」
「当たり前です。そうしたわけでアナタには、他にも尋問事項があります」
たった今浮かびました。物事が整理されるとはこういうことかもしれません?
「アナタの透明化と飛行技術は何処から入手したのです? それを明かし引き渡さない限り、アナタを黙って帰すわけにはいきません」
数多の赤外線センサーや監視カメラのみならず、外周を警備するWシリーズの先輩ロボットの目もくぐりぬけた方法。あんな目立つ姿で侵入できた相手に、まず尋ねないといけないのは、よくよく考えればその点でした。
それがわからなければ今後も玖堂家は、この少年の侵入を簡単に許してしまいます。
サトシ様の友人として訪問されるのは限界があるはずです。動き回れる範囲も限られますし。
しかし少年は、逆に不思議そうな目をして、私をじっと見つめてきました。
「そーだね。オレも実はそれ、お前にききたかったんだ」
「……は?」
何やら少年は、私の全身を一度見回した後、ひどく不可解気な顔を浮かべています。
「お前……物だよね?」
「――は?」
「ここの屋敷は、沢山の人形を放してるよね? お前も多分、その一つだと思うんだけど」
「……――」
もしもこの少年が、私達人型機械の全てを指して、人形と言っているなら――
それは、この屋敷に常在する者か、私達の量産型の販売相手という、今も一部の人間しか知らない超機密事項なのです。
「命の無い人形が、ここには沢山いるよね」
「――……」
「死神やるんだから、それくらい、オレにはわかるよ。でも……――」
そこで少年は心から、ただ不可解そうな目付きで――
「命が無いのに、オレの本性が見えたお前は……いったい何なのさ?」
――お前……何物?
最初のあの夜と同じ問いを、同じ蒼の目で、機械である私に問いかけるのでした。
フリーズする直前まで処理が遅まった私は、とにかく事情聴取を続けるために、言葉を絞り出します。
「……意味が全く、わからないのですが」
ここで何故か、少年の髪の色が突然、黒から少しずつ薄まり始めました。
灰色だった目は完全に蒼へと染まり、その蒼を暗くしながら、薄めて光を混ぜたような、おかしな髪の色が出現します。
夜目には暗い銀に見えた青銀の髪という、人間には有り得ない色素を持つ何か。これ以上説明しようのない存在が、私の目の前にいます。
「……アナタは――……」
今や耳も、人間のものとは違う尖った形。あの日と違うのは、羽だけが無い状態ですが、きらりと黒く光る蒼い目が、私をまっすぐに捉えました。
「……やっぱり。この状態でも、オレの姿が見えてるんだね、お前は」
先程までの黒髪の少年と、同じ声色で話す口元には、鋭く尖った牙までもがちらりとのぞいています。
「何か」はまず、私の最後の問いに答えるなら、と無表情に言葉を続けました。
「カメラとかそういう、生きてない物の目には、鬼である時のオレは映らないんだよ」
「――はい? 意味が、です?」
はい? 意味がわかりません、何を言っているのですか?
「聞いたことない? 吸血鬼の伝説」
「……はい――?」
「光に嫌われた鬼の姿は、鏡や水面に映ることはない。魂を持つヒトという生き物だけが、血を吸う鬼の本性を、捉えることができる……そしてオレ達のゴハンになる、必要不可欠のお得意様なんだけど」
……とりあえず。光に嫌われたとは、イコール光が避けて通る光学式の迷彩、つまり透明化の機序を差していると私は必死に関連付けます。
そして更に、あまりに混乱している頭は、認められない事項まで確認にかかります。
「ちょっと待って下さい。アナタは確か先刻、死神であると名乗りましたが?」
「それはただの職業名じゃん。人形のお前が召使なのと一緒なんじゃないの?」
オレの本性は吸血鬼だよ、と。そこで少年は再び、にこりと笑って私を見ました。
「オレが見えるなら、お前は少なくとも――物は物でも、魂を持った物の怪のはずなんだけど」
一般知識のデータを慌てて検索します。魂を持った物、物の怪――……いわゆる付喪神、有名な妖怪です。長く大切にされた物には魂が宿ると言う伝説です。
明らかに幻想です、知識と現実は別物なのです、やはり私には理解できません。
「――有り得ません」
それ以外にこの私に、何をどう返せと言うのでしょうか?
「吸血鬼も物の怪も存在しません。私に魂など存在しません」
「……それだけ立派な意識があるのに?」
「私は召使型ロボット・二世代目・ランクLの零型シリーズです。玖堂家当主である華奈様ご製作の、華奈様による華奈様のための便利な道具です。華奈様渾身の重火器搭載医師、機動破壊兵器なのです」
一息に言ってのけます。何だか色々行き過ぎた気がしますが、一々気にしてはいられません。
「まだ無能なので便利ではないかもしれませんが――この身は、華奈様のための道具です」
「…………」
青銀の髪の何かは、何故かきょとんとした様子で、私の動向を見守っていました。
「ひいてはナナ様、華奈様の大切なお嬢様のための道具なのです。私に魂など、ありはしません。悪魔や吸血鬼は存在しません。死神なんてここにはいません」
何がこんなに、私を駆り立てるのか。……私も正直、よくわかりません。
でもそれは決して、認めてはいけないことなのです。否定されなければならないのです。
「……そっか……」
そこでようやく、先程までの黒髪と灰色の目、普通の耳に戻っていた少年は、とても哀れむように私を見つめました。
「確かにお前は……命なんて無い、空っぽな人形の女のコみたいだね」
ふんふんと私を見つめて、一人で頷きながら、何かを納得したらしい自称死神でした。
「お前の命は――何処にいったのかな」
最後にそれだけ、最後まで理解できない言葉を残す少年は、唐突に姿が薄くなりました。
「今日は失礼するね。この屋敷の構造は把握したし……今度からは、好きにお邪魔するよ」
「な……!?」
そのまま音も立てずに少年の姿は、すぐに場から消えてなくなってしまいます。
まるで、漫画やゲームでよくあるような、瞬間移動と称されるご都合主義的単語の如く、静かに去っていったのでした……――
「――光学迷彩です。最初に来た時と同じです、透明になって私の目から逃れたのです」
それなら逃げるために必要なはずの、ドアが一つも開いていないとかは知りません。
室内全方向に向けた温度センサーに反応がないのも、そういう迷彩なのだと認識するだけです。
「非常に脅威の侵入者と認識します。次に現れた時は体制を整え、確実に排除すべきです」
状況をとにかく把握するため、先程の成功例に倣い、口に出して整理する私なのです。
とにかく演算の重い私は、同じ言葉を繰り返し口にします。
気が付けばそれを、えらく長時間に渡って行っていたようでして……。
部屋の外はおそらく、夜の闇がとっくに訪れていた頃合いのことでした。
「ソラ……? 何を、しているの?」
「――あ」
がちゃりと。東館の仕事場から久々に私室に帰られ、隣室で何度も同じ言葉を繰り返す不審な物音を聞き咎めた、大和撫子――
道具である私の製作者、玖堂家の現当主である華奈様……麗しのミストレスが、怪訝な顔で絶句される姿が、そこにはあったのでした。
6:忍び寄る異状
……チーン。
今この場で涼やかに鳴り響く、小さな鎮魂の鐘の音色は――
お葬式一般でよく聞かれる、よく響きながらささやかなこの音は、決して幻聴ではありません。
「…………」
暗い部屋で一人、独言を繰り返していた私がスクラップ行きとなり、そのために行われた葬送の音――……では、なくてですね。
「全く……本当に自分勝手なんだから、あなたって人は」
仕事場である東館にこもられることが多いミストレスが、私室に帰られた理由は、喪服を取りにこられたからでした。
そこでミストレスは、隣室にこもる不審な私を発見したわけで……その翌日である現在、旧知の女性の四十九日の法要の場へと、暗い面持ちで参列されています。
「ねぇソラ、貴女もそう思わなくて? 十年以上も音沙汰がないと思ったら、いきなり遺品を送りつけてきて――杉浦は亡くなりました、だなんて」
「いえ……私は、杉浦様を存じ上げませんので」
ミストレスが訪れられた、その法要の場。
ミストレスの教育係で、私達人型機械を、自律起動可能な召使たらしめた存在――人工知能の開発を手掛けた、杉浦由希という人間。
ソウク先輩のような黒いカーディガンで地味そのものの、肩までの黒い髪の日本人女性が、遺影の中で微笑んでいました。
「ところでミストレス……」
しかし、何故私がこんな人間のイベント会場にいるのか、全くわけがわかりません。
「何故に私を、こちらへ同伴させたのでしょうか?」
今日は朝から、私はとてもバタバタしています。
あの後は幸い、ミストレスから簡単な臨時整備を受けただけで話は済みました。あまりに保留中の演算事項が多いので、本格的な最適化を、ミストレスも今後、検討して下さっています。
当然ながら、ミストレスは私よりもずっとお忙しいので、この法要に出席されるのも、かなりのご無理をおしておられます。
白い数珠を握り締められ、苦り切ったお顔のミストレスに、私は首を傾げることしかできません。
首を傾げると言いますと……今日は、その姿勢をとることが多過ぎて、肩に金属疲労がきている気がします。
何しろ私にとって、今日のメインイベントは、ナナ様の大事で大変なご検査――
白血病の治療効果を判定するための、骨髄穿刺検査が、午前中に予定されていた本日なのです。
朝の挨拶をした私に、ナナ様は開口一番、すぐさま答えられました。
「今日の検査、イヤだからね」
「……――」
先日は採血を嫌がられ、ソウク先輩を悩ませたというナナ様です。
今日の骨髄穿刺は、採血より痛く、時間もかかり、そして重大な検査結果が出ます。それはそれは、嫌がられるのも無理はありません。
これをどうして、私がナナ様に、お受けになるよう説得することができるでしょうか……。
問題のあまりの困難さに、白熱する頭部で眼窩に冷却液が溢れ、首をぎぎぎと傾ける私でしたが。
ナナ様は、私が何か言う前に、珍しく自ら話を続けられました。
「ソラに検査してもらうの、イヤだからね。カイ先生にしてって、お願いしてほしいの」
「……え?」
あれ? これはあれです?
つまり私に検査するなと、私の手技に信用が置けないと、はっきり言われている状態であります? それはすなわち、ががーん?
しかしナナ様は、すぐにお言葉を付け加えられました。
「ソラは、私のそばにいて。それなら私……我慢して、頑張って検査、受けるから」
不安な時は、ミストレス手編みの帽子を、両手で掴まれる癖がおありになるナナ様。
そうして私を見つめるナナ様に、私はそこで、NOと言えるわけなどありませんでした。
そうして久方ぶりに、黒ずくめ上司自らの、骨髄穿刺検査となりました。
無愛想ながら、読んでいた本を置いてすぐに準備を始めた橘医師は、つまり快諾であるということなのでしょう。
「珍しいな。ナナちゃんがそこまで、自分の希望をはっきり言うなんてな」
ナナ様はもうすぐ十歳の女性であるので、肌を広く見せる必要のある検査は、最近ではほぼ私に一任されていたのですが……。
検査器具を傍らに、カーテンを閉めた診察ベッドの外で、いつもくわえる煙草を灰皿に押し付け、橘医師が無表情に私を見ます。
「ネコは白衣も脱いどけよ。今日は骨盤から穿刺するから、頭側は開放するしな」
「しかし……それでは全く処置の補助が……」
「俺は神だぞ。神に手伝いがいると思うか」
また、出ましたよ……。この発言には私、対応が困難で、いつも返答に困るのですけど。
そうしたわけで、白く狭いベッドの上で、ナナ様はうつ伏せに、上半身を起こし、枕元にいる私と大きな目を合わせられます。
「ソラの時は、いつも胸からだったよね、検査」
「はい。本日も胸骨の方がよろしいですか?」
胸元に大きな固めの枕を置いて、それを抱えてお体を支えられるナナ様は慌てたように、ううん、と首を振られます。
「これでいいの。これならソラとお話しながら、検査が受けられるでしょ?」
「…………」
嫌な検査であるはずが、ナナ様は心なしか、はしゃがれた様子にすらも見えていました。
検査への不安を紛らわそうとしてのことだろう、と後でソウク先輩が教えてくれました。
うつ伏せにして、検査部位となる腰以外にシーツをおかけしているとはいえ、下半身が丸裸のナナ様は、寒いのではと思いました。それで私は、ナナ様の背中を無言でさすります。
「ありがとう、ソラ」
枕側に置いた丸椅子に座る私が、ナナ様のお背中まで短い手をのばすのを、ナナ様はとても嬉しそうに微笑んで下さいました。
「やっぱりソラは、温かいね?」
何も言わない私の頬を、ナナ様はぺたぺたと両手で撫でられます。きっと、お手を温められるためでしょう。
排熱効率が悪いことは、私にとっては重大な欠点ですが、ナナ様がこうして喜んで下さるのなら、甘受するしかないかもしれません。
私の代わりに、器械出しに入ったソウク先輩の、開始の声が聴こえてきました。
「それでは橘先生、よろしゅうございますか?」
先輩も、久々に見るという橘医師の手技に、少しだけ珍しく緊張しているようでした。
骨髄穿刺検査は、体表に近い大きな骨に、直接器具を突き刺して骨髄を吸う検査です。
そう難しい処置ではありません。局所麻酔もするので、痛みも大したことはありません。
……と、私は習っているのですが。
「検査って、まず麻酔が痛いんだよね。本当、嫌だよねぇ」
まずは消毒を行った後、皮膚の下から、骨までぐさぐさと、細い針をあちこちに向けて麻酔薬をさします。
痛みが一番大きいと言われるのは骨膜なので、骨の近くは特に念入りに薬を入れます。その針自体が痛い、とナナ様は仰るのです。
それは確かにそうですよね。と、私も改めて、顔をしかめられるナナ様のご様子から悟ります。
「麻酔が効いてきたら、痛みはなくなるはずなのですが」
「もう、そう言うけど、最後のやつだって、凄く気持ち悪いんだからね?」
骨髄を吸引する器具を、骨に固定できれば、後は一息に吸い上げるだけです。しかしその吸引がまた、何ともいえない感覚だそうです。
初めて私がこの検査を担当した時、ナナ様はその後、嘔吐をされてしまいました。麻酔をすれば痛くないと、教科書通り思い込んでいた私が慌てたのは言うまでもありません。
だから私は改めて、大切なことを、ナナ様にお伝えします。
「ナナ様。痛い時も気持ち悪い時も我慢はせず、その場で仰って下さい」
私の頬をぺにぺにと触られていた両手を、懇願するように掴んで私は言います。
「我慢をし過ぎると後で反動がくるのです。たとえば特に早いものは、緊張状態に対して過剰な反応を起こす迷走神経反射といいます。それ以外にも、過ぎた我慢はお体に悪影響を及ぼすと、医学的にも証明されているのです」
私やソウク先輩には、時に我が侭を仰られるナナ様ですが……この年代の子供が、まず白血病の闘病を続けられているだけで、そこには大きな我慢があるはずなのです。初回の検査から、ナナ様はそうだったのです。
輸血が嫌な理由を、胸に秘められていた件もそうですが、ナナ様はきっと我慢強過ぎるのです。
真面目にナナ様を見つめる私に、ナナ様は何でもないことのように笑われていました。
「大丈夫だよ。だってソラが、ここにいてくれるんだもん」
私がいれば、麻酔効果があるとでも仰るのでしょうか? それはあまりに非科学的です。
とても理解できない私は検査の間中、首を傾げるしかありません。
「だってソラは、温かいもの」
手早い橘医師の検査技術が、きっと優れているのでしょう。苦痛などなさそうなナナ様は、理不尽に幸せそうな笑顔を浮かべられます。
なるほど、最近の医学には、ゲートコントロールセオリーというものが言われています。端的に言えば、痛み刺激は違う刺激で、薄めることが可能であるというのです。
温覚と痛覚は特に、近い神経が司っています。それなら私の、難儀なだけの熱量も、少しはお役に立つというものでしょうか……。
「きっと今日は、検査結果も大丈夫だから。だってずっと、ソラがいてくれたんだもん」
それはさすがに、飛躍し過ぎです、ナナ様。
でも――そうであってほしい、と。私も、首を傾げたまま、頷いてしまいました。
そうした感じで、ナナ様の処置が終わった後に、私はミストレスに呼び出されました。
そして今度は、何故かミストレスの同伴をすることになったわけですが……。
ついてきてちょうだい、とろくに理由も話されなかったミストレスが、私を気難しげな憂い顔で見つめました。
「貴女の真の個体名は何だったかしら、ソラ」
喪服のミストレスは、長い髪も艶やかな黒で、全身が真っ黒です。けれどお美しいです。
「……『杉浦空』です。零型シリーズである私とソウク先輩は、初代プロトタイプと同様、『杉浦』の姓を預かっております」
そうよ、と、四十九日の会場を出てから、ミストレスは遠慮なく喋り始められます。
「人間杉浦も、初代杉浦も、もうこの世にはいないんだから。貴女かソウクが代理をするのは当然のことでしょう?」
杉浦と名付けられた初代プロトタイプこそ、ミストレスのお気に入りで、また専属召使であったのです。ミストレスは今も残念そうにされています。
「あたくしにも時には、専属召使が必要になるのよ。主人と子供達に関わること以外は、何事にも動じない鉄壁の女――そんな風に言われるあたくしであっても」
「…………」
とりあえずわかるのは、この法要にミストレスは、ショックを隠せないようです。
ここで、鉄壁でなく破壊博士ではないでしょうか、とはとても返答できかねました。
「人間の元祖杉浦様は……いったいどういうお方だったのですか?」
この場に向かう直前、礼儀作法などを含め、私は通りすがりの咲に慌てて助言を求めたのです。こういう時は亡くなった方について、可能なら、積極的に語ってもらう方が良いらしいのです。
「そうね。本来は凄くマイペースな人のわりに、常識を知るから常識家にも非常識になれる、そんな教育係だったの」
何でしょうか、そのパラドックスは。全くわけはわかりませんが、ミストレスはよくぞ聞いてくれた、と嬉しそうに見受けられます。咲の調整能力、やはり半端ないです。
「早い話、人間杉浦は、猫の被り方をあたくしに教えてくれたの。でもあたくしは、中学卒業と共にそれをやめてしまったの」
今でこそ、こうしてお嬢様喋りが板についておられる、一見大和撫子なミストレスですが。初代プロトタイプを完成なされた思春期のみぎりは、少なくとも公の場では、口調は常識的かつ庶民的でいらっしゃったといいます。
加えて至って真っ当で清楚だったと自称されるのですが、真偽は追及しない方が私の保身に繋がる気がします。
「それまでのあたくしは、とても無理をして生きていたわ。でもそれは楽しくもあったの。けれど……結局は自然体が一番だって、その頃に出会った主人が教えてくれたのよ」
「…………」
「杉浦は主人とのこと、反対していたけど。あの人、あたくしの教育係をやめてしまったから。それもあって、今まであたくしは、杉浦と連絡をとることができなくて……」
そこでようやくミストレスは、素直にお辛そうな顔をされて、会場の外で立ち止まって俯かれてしまいました。
「でもあの人は……ずっと、あたくしのことを心配していたはずなの」
「……?」
「家と絶縁した杉浦は、あたくしに付きっきりで、忙しいお父様達より本当の家族だったわ。自分は人間嫌いだから結婚なんて考えたこともない、お嬢様の方が大切だって、いつも言ってくれていた」
何でしょうか、それは。人間嫌いの方がそこまでミストレスを大事にされるなんて、何か裏があったのではないでしょうか?
黙る私の疑問を察したように、ミストレスは苦く微笑まれます。
「玖堂家の情報は全て、天才プログラマーだったあの人には筒抜けになっちゃったけど。何しろ杉浦は、初代召使を遠隔操作までできた人だったんだから」
「それは……とても穏やかでない話ではないでしょうか、ミストレス」
私達人工知能を造り上げた、脅威の人間。
零型シリーズの初代プロトタイプのモデルがその方だったと、お噂はかねがね聞いていた私ですが……遠隔操作まで可能だったとは、さすがに恐れ入ります。
「悪用のためじゃないからいいのよ。結局あの人は、うちの情報網で生活費を稼いだ程度だし……その後はあたくしが元気にしているか、ハッキングで覗いていたくらいね」
「……」
「玖堂家を出たのも、あたくしを自立させるため。杉浦みたいに偏屈で、孤独な人間にしたくないって、そう思ったのよ、あのバカな人は」
その信頼だけは決して揺らがなかったのを示す声色で、ミストレスは言い切られました。
「たとえ人間の心を捨ててでも、あたくしを守りたいって、言ってくれた人だったのに。こんな風に去っていくなんて……正直、あの人らしいけど、らしくないわ」
そうして、表舞台から完全に姿を消された相手が、ミストレスはただ不可解だと……悲しげに語られたのでした。
四十九日とはいえ、親しかった方の訃報に悲しまれるミストレスに、これ以上バッドニュースはお知らせしたくなかったのですが。
「橘先生……これは……」
「ああ。ネコがこの間、ナナちゃんを上手くなだめて取れた、骨髄穿刺の検査結果だ」
特に玖堂家に大きな変哲はないまま、いくらかの時間が経過した中で、あの骨髄穿刺の結果がついに返ってきました。
ナナ様が頑張られた治療の効果がどうなっているか、それを判断するための検査結果が。
現実というものは、こういう時、とことん無情なものなのでした。
外来診察室で、椅子にふんぞり返る橘医師が珍しく、小さな溜め息をついて報告書を見つめます。
「あまり良くないな。この分だと、もう一度同じ抗がん剤をしても骨髄にダメージを与えるだけで、大きな治療効果は期待できない」
「…………」
白血病とか、そうした血液のがんは、診断当初はきちんと確立した治療手順があります。
けれどナナ様は、もうとっくに、そうした手順を全て踏まれて……虎の子の治療、骨髄移植まで行った状態なのです。
それでも再発してしまった後、ミストレスはナナ様を、ご自宅に連れ帰られたのでした。
「再発を繰り返すナナちゃんの治療は、元々手探りだからな。また、違う薬の組合わせを探すのも一つだが……」
しかし、抗がん剤治療とは、またもナナ様の正常な白血球を減らし、治療さなかの副作用も強く、過酷な治療であるのです。
「これ以上、薬で骨髄を疲労させて、嫌がるナナちゃんに無理強いするのは――俺には、得策とは思えないな」
「でも……それでは……」
「ああ。悪性細胞が更に増えて、貧血が進行し、免疫力も低下していく。ナナちゃんにはいつ出血や急変が起きてもおかしくなくなる」
治療をしても、しなくても、正常な血液が減ってしまうのが血液のがんです。ナナ様はもう、治療すらできない状態に近付きつつあることを……橘医師はいつものように煙草も吸わず、神妙に言うのでした。
橘医師からその説明を受けたミストレスと旦那様は、しばし逡巡された後――可能であれば、最後の最後まで、新たな抗がん剤を探してほしいと、そう仰りました。
「菜奈にはあたくし達からも、橘医師と頑張るように、それとなく話しておきますから」
「そういう問題でもないんだがな。元々俺には、ナナちゃん全然我が侭言わないからな」
言いつつ、何故か横目で、後ろに控える私とソウク先輩を意味ありげに見る橘医師です。
困ったこととしては、その後にミストレスから、ナナ様への接し方のご指示がありました。
「検査の結果は良かったと、ナナには言ってちょうだい。あの子が希望を失わないように」
「しかし……ミストレス……」
「嘘をつけないように設定した覚えはなくてよ。これは命令よ、ソラ」
……確かに。私の最優先事項はナナ様で、そして、ミストレスにプログラムされた私が、ミストレスのお言葉に逆らえるわけもありません。それは私には、ロボット三原則よりも重いことなのです。
あまつさえ、今のミストレスは、日頃は決してされないような怖いお顔をされているんです……。
「希望を失った人間は脆いの。それが子供なら、尚のことだわ。先日に、採血の結果一つで菜奈が無断外出をしたという事件を、あたくしが知らないとでも思って?」
「……申し訳ありません。仰ることは、重く認識致します……」
破壊博士などと呼ばれていますが、ミストレスは実際、とてもお優しい人です。銃火器やロボットアニメへの愛が並外れなことと、一族郎党のためなら破壊活動も厭わない強さをお持ちなだけで、私は今まで、私の不始末を、こんな風に責められたことはないんです。
ミストレスのお言葉自体は、理解できるのです。
機械の私に、勿論感情は汲めませんが……精神的な状態が、人間の免疫力など様々な機能に影響することは、既に科学的に確かめられている医学上の事実なのです。
まず、普段はお優しいミストレスですら、追い詰められています。先程のように稀なる厳しいお声は、私の内部エラーを頻発させ、人間で言うならトラウマ化しそうな現状でした……。
エラーを処理しつつ、ナナ様に嘘を伝えなければいけない私は、歩行速度が今まで以上に遅まっていきます。
ナナ様に果たして、そんな嘘が通じるものでしょうか。ミストレスによく似ておられて、ナナ様はとても聡明でいらっしゃって……その試算も繰り返しているため、私の内部温度は上がる一方です。
「ソラ、何だか、様子が変だよ?」
「……え?」
検査結果は良かったです、とご命令通り説明した私に、ナナ様はあっさり、試算通りの不思議そうなお顔をされます。
「いつも悪いことしか言わないのにね。ソラがいいことを言うと、逆に私、不安になっちゃう」
「それはあまりのお言葉ですよ、ナナ様。私だけ悪役にしないでくださいよ」
この対応はあらかじめ、拙いCPUで色んなパターンをシミュレートしていたものなので、難なく返答はできた私でしたが……。
「何だかいつもより、返事が早いよ? 変なソラ」
「…………」
にこにことナナ様は、それでも嬉しそうに、私の方を見て笑っておられました。
「そっか……最近、何だか、前よりしんどい気がしてたんだけど……」
「……――」
「私……まだ、大丈夫だよね?」
私を信じ切った明るいお顔で尋ねられるナナ様に、私はどうして、真実を言えるでしょうか。
「当たり前です。弱気なことを仰らないで下さい」
即答で、ナナ様を睨む勢いで口にした私に、ナナ様はまるで、あの黒髪の少年のように、平和な顔で微笑まれたのでした。
病態や予後の、患者への真実の告知義務。倫理上の問題という医学データが、私を苛みます。
日本では最近、重い病気に関して嘘をつくことは勧められていないのです。しかしそれはあくまで成人相手の、適切な判断能力を持った患者への推奨事項と、私は自機に言い聞かせます。
「あのミストレスに、そこまで言わせたかぁ……でもおれも、正直嫌だけどなぁ……ナナ様をずっと、騙し続けるなんてさ」
「ソウク先輩……」
保健室では珍しく、先輩も頭を抱えた状態です。
「ミストレスのお気持ちはわかるけどさ……下手したらナナ様、周りのそういう思惑に全部気付いて、その上で黙って合わせてることも有り得るんじゃないか?」
そう、そうなのです。私の躊躇いも、その懸念から生じたものなのでしょう。
「キッカイ先生は、相変わらずナナ様には、当り障りねー態度しかとらないしさー。でもね~……」
そこでソウク先輩は、先日橘医師と話したということを、私にも教えてくれました。
「患者の状態はいつも、患者自身が一番よくわかってるって。それでも今は、周りの嘘をナナ様ご自身、信じたいんだろうってさ……たとえ悪魔でもいいから縋りたいんだろうって、先生は言ってたよ」
「……悪魔、ですか」
忘れておりました。そう言えばここ最近、私を次に悩ませていた複雑事項を。
「まぁ、今はひとまず、氷輪っちがなるべく沢山見舞いに来てくれるように祈るしかないかねぇ? 氷輪っち来ると元気になるからな、ナナ様」
「ソウク先輩。それはいつも無断で家宅侵入する非行少年です。然るべきご対応を」
「いーじゃん、気が付けばバルコニーでの逢瀬なんて。ほら、ロミジュリみたいでさ」
「それはロミオが地上に、ジュリエットがバルコニーにいる状況です。侵入経路も不明のまま、あの少年は、ほぼ毎日訪れるのです」
と言うか先輩、何なのですか、口調に合わないその乙女的な発想は。
そう、ここの所、あの少年は頻繁にナナ様の元に現れるのです。
全く、何ということでしょう。
骨髄穿刺検査の悲しい結果にも関わらず、最近のナナ様のご体調は安定されています。
そんなナナ様の近くに、謎過ぎる自称死神……どう考えても悪いお友達が、マスクもまばらにほとんど毎日居座っているなどとは。
悪いだけなら構いませんとも。ナナ様がお元気にされて下さるなら、この際何でもありなのですから。そうですそうです、倫理なんてクソくらえです。ナナ様が笑って下さるなら私は悪にでもなるのです。
しかしあの謎の光学迷彩野郎は、ナナ様に危害を加えない保証がないのです。おのれ、自称死神光学迷彩め。
警備担当のWシリーズ先輩方を、私は最大限に糾弾したいところなのですが。
「非行っつーより、飛行少年か? ナナ様に危害を加えるどころか、明らかに元気付けてくれてんだから……現場の判断で、そこは見逃していいところだよ、ソラ」
「…………」
何なのでしょうか、先輩のこの柔軟さは。先輩でなければただの職務怠慢です。
しかし先輩は、常識を知るが故、応用として常識外の発想を可能とする機体なのです。そんな先輩に、そう言われてしまう以上、私は単独でナナ様の身辺に目を光らせるしか方途はないのです。
死神だの悪魔だのを、ここで口にすれば、きっとスクラップ行きですし……。
診察室では相変わらずやる気のない声のキッカイ医師が、妙なことを私に尋ねてきました。
「……おい、ネコ。おまえ最近、何だか始終、物騒な顔をしてないか」
「何のことですか。私には何も変哲などありませんが」
「……違うな。始終苛々してないか、おまえ」
本日の指示を仰ぎに行っただけである私に、キッカイ医師は何が言いたいのでしょうか。
「いいけどな。拾ったコウモリの面倒くらい、ちゃんと診てやれば?」
「……――は?」
ちょうど、キッカイ医師はナナ様のお部屋に診察に行かれたばかりだったようです。
何故そんなことを口にしたのか、同じようにナナ様の所に診察に行くまでは、私には全然わからなかったのですが……。
「――な」
一目見て絶句。一歩踏み入って完全フリーズ状態になった私です。
お部屋のソファに座られていた、珍しく、非常にお顔色の良いナナ様が……。
「あ、ソラ……あのね……」
躊躇いがちに私を見るナナ様のお膝元には。……お膝元、には?
「氷輪君、何だか体調が良くないみたいなの……カイ先生に言ったら、ソラに診てもらえって」
「うぃーっす……ごめん召使ちゃん、お嬢様のおヒザ借りてるー……」
死にそうに拙い声で、ナナお嬢様に膝枕をされている、黒髪の少年……ここに今ナナ様がおられず、そしてここがナナ様仕様の貴重な病室でなければ、すぐさま私に銃殺される死刑囚が、そこにいやがりました。万一外から病原体を運ばれていたら困る上に、ナナ様のお膝にアザでもできたらどーするのです!?
あれ、ナナ様がいなければ、まずナナ様のお膝もありませんっけ?
何でもいいです、私はとにかく、室内戦争の勃発を抑えるのみです。
数分後。
「……有り得ません」
もういったい、何度目になるのでしょうか……この台詞を口にすることも。
「あらまあ。これは確かに、有り得ませんねぇ、はい」
珍しくソウク先輩までが、私の言葉をそのまま認める程、それは有り得ない事柄でした。
ぐったりとしている少年……。簡単な病原検査は、ひとまず陰性で良かったのですが。
ナナ様と並んで座り、話をしていた所で貧血を起こし、膝枕をさせていたという不届きな体調不良者の診察は、あまりに奇怪な結果なのでした。
「アナタは既に死んでいます。氷輪翼槞」
「間違いございません。とりあえずワタクシは、測定機材を交換してまいります」
ソウク先輩は冷静に、それは先輩付属の、血液検査ユニットの故障と判断したようです。
小規模な機械でできる検査については、躯体に装置を搭載していて測定できるソウク先輩です。わざわざ先輩を呼び出してまで、ごく簡単な貧血の検査だけでもと思い、その場で採血した私だったのですが。
「ヘモグロビンが、零コンマ三とか、明らかに有り得ません。十倍しても有り得ません」
たとえば、成人男性の大体の基準値は十三から十六とか、それくらいの貧血の検査なのです。
七以下なら輸血を考える値です。五以下なら心臓が止まらないか監視しなければです。
――オレに病院が必要っていうのは、認めなくもないけど。
自らの状態を以前にそう評していた少年ですが、これでは必要なのは葬儀社です。
「というかアナタの血は赤いはずありません。色々に有り得ません」
思うさま医学的事実を口にした私を、ナナ様は冗談だと受け取られたようでした。
「ソラ……氷輪君、大丈夫なの?」
冗談自体も、言うのは珍しい、ときょとんと私を見つめられるナナ様です。
「ごめんね、ナナちゃん……正直大丈夫じゃないやー」
あっはっはー、と青ざめた顔でソファから動けないらしい少年は、それでも必死に離れて座るナナ様を見つめられます。
「ちょっとソラと、二人で相談させてもらえないかな。オレ動けないから、ナナちゃんにベッド、戻ってほしくて」
何を言っているのかわかりませんが、図々しくも少年は、人払いをしたいようですね。
「……わかった。何かできることあったら、私にも遠慮なく言ってね」
「ごめんねー。お膝ありがと、気持ち良かったよん」
ナナ様のお膝を借りるどころか、私の個体名を呼び捨てにするなど、どうやら私に排除される気満々です。あまりに隙だらけです。
本当に、ここがナナ様のお部屋でなければ、すぐにでも掃討して奉り申し上げますのに……。
体調はかなり悪いらしく、目を塞ぐように片手を掲げてソファに横たわる少年に、真面目に本気で、私は宣告しました。
「とりあえず遠慮なくご臨終下さい。死亡確認の方法は医師ロボットとして心得ています」
あの血色素量で、生き物が生きられるはずはありません。他に何も言うことはありません。
「ムリムリー……昼間に死んだらオレ、すぐに灰に還っちゃうもん」
バルコニーから効率よく光を取り込む、南向きのナナ様のお部屋。少年はその日差しから隠れるように、奥のソファに横たわっています。
光に灼かれれば、命の素たる灰だけが残り、確認は不可能だと幻想を語り出す自称吸血鬼です。
と言うか、灰ってそういうものなのですか? これだから幻想世界の病人は困りますね。
「うーん……隙を見せたら何かあるかな、と思ったけど……全くもって、骨折り損になっちゃったみたいだなー」
「――は?」
……ふむふむ? 今の台詞はもしや、突如としてそこまで前後不覚に陥った理由を、少年は語ったのでしょうか?
しかし勿論、この処理速度では理解不能で、そもそも意味不明です。
「悪魔探しは、こう見えても大変なんだよ。向こうもオレを排除したいはずだし……でもなかなか、尻尾を出さないや」
私はとにかく、不可解な相手を威嚇するため、厳めしい顔を作って要望を言います。
「何でもいいです。臨終するなら、さっさとして下さい」
「そこで相談。こうなったオレを助けられるのは、ソラとナナちゃんだけなのだ!」
意味がわかりません。さっきから会話が全く噛み合っていません。大体、誰が助けると言ったのですか、誰が。
少年はここで楽しげに、とんでもないことをのたまいやがられました。
「あっちの冷蔵庫に、ナナちゃん用らしき血が置いてあるけど……ちょっとだけ、分けて?」
はい? おのれ、人様の家の冷蔵庫を確認するとは、何たる不躾な少年なのでしょうか?
それはナナ様用に手配した、冷蔵保存中の輸血用製剤です。しかし少年はまるで、最初からその存在を知っていたかの如くです。
は。と私は呆れ絶句し、付き合い切れない、と両腕を固く組みます。
「論外です。人道的にも医学的にも、そんな譲渡は認められません」
「でも何か、賞味期限? 切れてるやつだったよ。もうナナちゃんには使えないよね?」
使用期限です! 輸血は生ものなので、当然ながら期限があるのです。
いくら自称吸血鬼でも、その言い替えは都合が良過ぎます。
「ナナ様のご体調が思いのほかよろしいので、期限切れになっただけです。あのまま全て廃棄します。アナタには一ミリたりとも分ける血はありません」
ロボットの私は倫理を含め、人間世界の規則に物理的に制約されます。逆らう場合は処理上のエラーが頻出し、内部温度が莫大に上がり、自機に大きな負担がかかるのです。
にべもない私に、弱った少年はあくまで、強奪という手段は望まないように食い下がります。
「いいじゃんー、期限切れてたってー。オレがいいって言ってるんだしさぁ」
「誰が期限を心配してますか。とにかくアナタの処遇は真っ当な検査ができてからです!」
診察を求められた以上、医師ロボットとして、私はマトモに対処しないといけません。
それは医師の「おうしょう」義務と言います。残念ながら王将ではなく応招です。例えば心から排除したい相手であっても、診察が必要な者の依頼には、基本的に応じないといけないとプログラムされています……まさに、王将の器が求められます。
そんな苦行の中、血をくれなんて幻想はお呼びでないのです。本当に輸血が必要である状態なら、然るべき医療機関へ搬送するのみです。
「でも多分、検査人形のねーちゃんは、当分戻ってこないと思うよー」
あくまで、検査をしてくれるソウク先輩の帰りを待つ気の私を、少年はアハハと平和に笑って見上げます。
「だって故障、別に何もしてないからさ。交換いらないって言われて困ってると思うよ」
「故障がないならアナタは非生物です。そもそも血など通っていません」
「ほんとにねー。オレ、影薄いからねぇ」
ナナ様がおられる時は常に、黒髪で灰色の目と、人間にも有り得る姿でここにいる少年ですが……今は心なしか、髪の色がわずかに薄くなりつつあるようでした。
まさか、人間らしい姿であることは、弱ったこの少年には難しいことなのでしょうか?
何気に、差し迫っているらしい少年は――
それもある意味、一つの契約。
悪魔の取引を、そこで私に持ちかけてきたのです。
「でもオレに、ムダになった血をくれるって言うなら。今日みたいに、ちょっとくらいなら……ナナちゃんのこと、元気にしてあげられるけど?」
「――……え?」
……誰かをしばらく膝枕しても、体調不良の欠片も見せられずにいたナナ様。
その上、普段よりお顔色が良かったナナ様のお姿が、私のメモリを確かによぎります。
「病気を治すことはオレにはできないけど……吸血鬼は人間に、血をもらう代わりに若さを与えるって、伝説ではよく言うでしょ?」
こうして、少年が体調不良に陥った結果、ナナ様がお元気になられたのだと……仕切りの向こうにいるナナ様には決して聴こえないよう、少年は小さく呟いていました。
それを知れば気に病まれるだろうナナ様を……だから、遠ざけたのだと言うように。
……私は、あくまで。死神も吸血鬼も悪魔も、認めるつもりは毛頭ありませんが。
あまつさえそれが、本当にこの少年のおかげなんて、非科学的な解釈はしていませんが。
「…………」
でも、今この瞬間は、確かにこの少年は、ナナ様のお心とお体、両方を気遣ってくれた。
その心根だけは……わたしは、認めないわけにはいかなかったのか……――
「どうせこのまま……廃棄するだけです」
これまでの拒否など、何処吹く風でした。
全く躊躇いエラーもなく、私は少年に、その期限切れの輸血製剤を手渡していたのです。
それはいったい、私の中で、どのような演算がなされた結果なのでしょうか。
「さんきゅー! この方がほんと、オレにもナナちゃんにもイイことあるよ!」
気安い少年に、腹が立つ気配もありません。むしろ珍しく、冷静ですらあります。
それどころか、期限が切れても構わないと、次の輸血を手配する心積りさえもあります。
そんな私は、そこで確かに……何かの一歩を、知らずに踏み越えてしまったのでした。
7:望みと悪魔
いつになく。あまりに体調が良いから、と、その後ナナ様は、珍しい希望を仰られました。
「わぁ。今日はちょっと、風が強いね」
久しぶりに、外に出たい、とナナ様が強く私にせがまれました。
疫病の外界も、砂場や植込みのあるお庭もどちらも危険です。そのために、ヘリポートも併設する玖堂家本邸の屋上へと、日傘と共に三人でお散歩に出ることになりました。
「帽子が飛ばされないように注意しなきゃ。でも、ここに来れるのも久しぶり」
一番気軽に行ける、お気に入りの出先で、ナナ様は気持ち良さそうに外の空気を吸い込まれます。
「氷輪君と一緒で嬉しいな。体は大丈夫?」
「うん。さっきはゴメンね、ナナちゃん」
にこにこと穏やかに、斜め後ろに同伴する少年。その姿に何より、ナナ様は嬉しそうにされています。
「ソラはやっぱり凄いよね。私のためだけのお医者さんだね」
少年が元気になって嬉しい、と私を誇らしげに見られ、見当違いの……いえ、ご過分な賛辞を下さる、お元気なナナ様なのでした。
少々日差しがきつく感じられる初夏の、そのお散歩の少し前のことです。
「……有り得ません」
「――ん?」
期限の切れた輸血製剤を、私から違法に横流しされた自称吸血鬼は――
受け取ったパックをおもむろに、強めに掴むと、次の瞬間、パックがしぼんでシワシワに……赤い中身が消失してしまったのです。
「別に認めたわけではありませんが。吸血鬼なら普通、飲むんじゃないんですか。まるでさも、トマトジュースかのごとくに」
なり切り度が足りません。別に勧めませんけど、そのギャップはツッコんでやります。
穴も開けずにどうやって中身が消えたのかとか、もう思考するのはやめました。きっとまたCPUの疲労ですから。
「そうだねぇ。普通に血、飲んでみたいけど、目下ガマン中。血の味を覚えると際限なくなるって言うし」
――は? と。私の認識の根本を覆しかねないことを、少年は簡単にのたまいます。
「手当てって言うでしょ? ヒトの手は本来、色んなものを出し入れできるんだよ」
意味不明なことを言いながら、よっ、と完全に復活した顔色で少年は体を起こしました。
「あー、人間の血って超絶久しぶりー。やっぱりいーなぁ、質良過ぎだなぁ」
体をぐぐぐと伸ばして、少年はとても嬉しげですが、その姿は大いに矛盾してます。
仮にも自称吸血鬼――それも死神ですよ?
ヒト殺しがお仕事の、ヒト喰いの生き物ですよ。いえまあ、生き物というのかも、最早わからない状態ではありますが……。
なのでついつい、私は思ったままの、しかし処理不可能な事柄を言葉にして発散します。
「アナタは……バカですか?」
「――ん?」
「自称吸血鬼なのに、血が久しぶりとはどういうことですか。ガマンって何なんですか」
そこでどうして、自分の表情制御が引きつり笑いになっているのか、私自身よくわかりません。
「アナタはただのバカ……もしや、お人好しですか?」
「ソラには、そう見えるの?」
立ち上がってストレッチをしていた少年は、目を丸くして私を見ました。
「これまでのアナタの言動、行動を追想したところ、それ以外の判定結果が現在得られません。私自身納得がいきませんが、アナタは……ヒトを傷付けることを、拒んでいるかにも見えます」
私と戦闘になることを避け、合法で訪問するなどと言ったあの日の侵入者は――不敵で、悪魔のような顔が似合うわりには、とても平和な微笑みの持ち主でもあったわけです?
「確かに、弱い者いじめはキライかな。オレもつくづく、悪あがきしてるなって思うよ」
まるで他人事のように、少年は伸ばした自分の手先を見ながら、無表情に呟きます。
「何故、そのように言われながら、そのようにされるのですか?」
「多分、嫌がるヒトがいたから。オレの周り、天使とか、いい奴ばっかりだからさ」
そんな風に、周囲のためだと言うような人間臭さ。それは生来のもので、特に自覚はないもようです。
……そして少年は淡々と、私を見ないで、少しだけ哀しげな微笑みを浮かべました。
「どうせいつか、遠慮なくヒトを喰う鬼になるだろうにね。こういう風に生まれついたからにはね」
「…………」
「でもきっと、今は反抗期なんだよ。これで何処まで行けるのか……オレ自身、未知数?」
その限界が来るまでは、いい奴に混じって生きたい。そう言わんばかりの、切なげな自称吸血鬼でした。
――いつまでそうして、汚れなき子供でいられるのかと。
本当の年はいくつかもわからない、けれど見た目は、ただの少年。
光に嫌われながらも、自らの光を失わない目と、わたしよりもよほどキレイな黒い髪。
あまりに優しく、そして儚い笑顔が、人でなしのわたしの肩を震わせるのです――
屋上まで私が持参した折り畳み椅子に座り、強い風に飛ばされないよう耳元で帽子を押さえられながら、ナナ様が笑って尋ねられました。
「ねぇ。氷輪君には、兄弟っているの?」
「ううん? 仲間はいるけど、家族とかそういうのは無いんだ、オレ」
傍らに立つ少年も穏やかに笑って、あっさりとそんな答を返します。
「そうなの……? ……淋しくないの?」
ナナ様の方が、悪いことをきいたとばかり、表情を曇らせてしまわれました。
それでも少年は淡々と、平和に笑います。
「きっとソラと同じだよ。オレにもいっぱい、仲間みたいな奴らがいるから」
声色は穏やかに、顔は安らかに。ナナ様がすぐにほっとされる程、少年は幸せそうに言っていました。
それだからこそ、吸血鬼という自称の本性を、抑えていられると言うかのように。
そこで今度はナナ様が淋しそうにされます。
「いいなあ。私は全然、友達、いないから……」
ご血縁の数は、人並み以上に恵まれたナナ様ですが……病室で孤高に耐えなければならない期間が多い闘病生活の中で、それだけは、どうにもならなかった痛みでした。
「このまま、一人ぼっちで死んじゃうのかなって……時々ちょっと、怖くなるの」
「……――」
お二人の話を邪魔立てしないよう、少し下がった場所で私は聞いています。
でもその時のナナ様の、大人びた悲しげな声と目だけは……私にあるメモリを呼び覚まし、CPUに不具合が起こり、マトモに見守ることができませんでした。
ナナ様がこんなにも、心の底の動揺を押し殺す顔をされるのは、私が専属召使となった時にもあったのですから。
淋しげに微笑まれたままの、気丈なナナ様。
まるでどうでもいいことのような気軽さで、その孤独を口にされます。
「みんな私のこと、大事にしてくれるけど。結局私とは違う世界で生きていて、何かあればいなくなってしまうから……贅沢だけど、私って一人だなって。そう、思うの」
「…………」
人間というのは、ヒトの間と書きます。
ヒトは、互いに関係してこそ、自らの存在を確かめられるのだと音には聞きます。
機械の私にはよくわかりません。でもそれは、九歳の子供が嘆くべきことなのでしょうか。
私は、本当はわかっているのです。ナナ様がそんな風に仰るのは、現在ナナ様の専属である、私が至らないせいであると……。
そんなナナ様の横顔を眺める少年は、あっさりとしたナナ様に呼応するように、何の変化も見せません。処理が全く追いつかずに、かける言葉が浮かばない、動揺だらけの私とは違って。
そうした少年相手だからこそ、ナナ様もそれを言えたのだと思いますが。
ごめんね、とナナ様は、そのままの調子で、少年に笑いかけられました。
「辛気臭いこと言っちゃった。氷輪君って、ほんっと、優しくて言いやすくって」
でも、ありがとうと。その時には心から言われるように、微笑まれたナナ様でした。
少年は、ずっと変わらず、感情を見せない顔のままで――
「ナナちゃんは……」
それでも何処か哀しげに、その問いを口にしました。
「もしも何か――病気も気にせずに、好きに動けるようになる方法があれば、そうしたい?」
ことも無げに、少年はまた、その深奥に踏み込みます。眼前に広がる玖堂家の敷地と、平凡な町並みと――何もない青い空を見つめて。
「うん。元気になれるなら、何でもするよ。元気になって……沢山お友達を作りたいの」
ナナ様もあっさり、むしろ嬉しそうに、そのささやかな答を返されたのでした。
「あ、でもね」
そして聡明過ぎるナナ様は――無意識に、何かの危うさを感じ取られたのでしょうか。
「元気になれる方法があっても、吸血鬼とか、そういうのはイヤだな。私自身が頑張る方法、何か、そういうのがいい」
何でもするというのは、自らの努力に限ると、それだけは念を押されたお嬢様でした。
ずっと、感情を消していたように見えた少年は、ナナ様のお答に、素朴な笑顔で嬉しそうに笑いました。
「そーだよね。吸血鬼なんて有り得ないって、ホント」
そうです、有り得ません。でもそれ、アナタが言うってどうなんですか、ホントに。
少年もそうですが、ナナ様も、ヒトとはどうして、そうした倫理を大事にするのでしょうか。それで輸血を嫌がられるとか、あまりに感情論です。
私達機械は、単に制約だからです。人間に都合の良いようプログラムされただけで、調整する人間次第でいくらでも変わり得ます。
輸血の効果が高いように、もしも血を吸う方が燃費が良くて、そう生まれた生き物なら、吸血鬼が吸血をして何が悪いのでしょうか。たとえば蚊は、ヒトの血を吸うのを躊躇ったりはしません。
人間と機械を分けるものは、ひょっとしてそんな、非効率な心だったりするのでしょうか?
「そろそろ帰ろっか、ナナちゃん。あんまり風に当たってると、体に悪いよ」
「…………」
ナナ様は明らかに、う……と。お辛そうに目を細め、少年をじっと見つめられます。
この貴重な時間を、ご自身で終わらせたくないナナ様を気遣ってか、お散歩終了宣言をした少年は優しげに笑いました。
「大丈夫。明日もまた、一緒に行けるよ」
「……――」
それはつまり、明日も不法侵入します宣言。
ここまで堂々と不審な少年を見逃すのは、本当にどうなんでしょうか、私は……。
少年のその笑顔に、同じようにナナ様は微笑まれて、とても嬉しそうでした。
少年を屋上に放置し、ナナ様をお部屋までお連れした私は……ナナ様が一日、お元気そうなのを目の当たりにしたせいでしょうか。
「……ナナ様……私は……」
「――? どうしたの、ソラ?」
どうして、専属召使たる私には、ナナ様をこうした元気なお顔にできないのだろうと、同じ演算結果が繰り返し弾き出されます。
はっきり言えば、これはいわゆる嫉妬です。ジェラシーです。残念、言い換えてもかっこ良くなかったです。
ミストレスは何とまた大胆に、七つの原罪などまで、躊躇わずに私達にプログラムして下さったことでしょうか。
「……何でもありません。申し訳ありません」
脈絡のない私に、ナナ様はただ、不思議そうに微笑まれます。
私の中にはもくもくと、いかにすればあの少年を排除できるのか、その算段ばかりが演算されるのでした。
その後、ナナ様の輸血を手配するために診察室で必要書類を書いていると、居室の方から橘医師が出てきました。
「……お? ナナちゃんの輸血、もうそんなに使ったっけか?」
「違います、期限切れです。全て廃棄しましたので、新しいものを手配するのです」
ここまでならば、大きな嘘はありません。
そうこう話している内に、ソウク先輩まで隣の保健室からやってきます。しまった、少し手配のタイミングを選べば良かったと、今更私は思い至ります。
「あらら? もう輸血の手配とは、橘先生がご支持をされたのですか?」
できる女のソウク先輩は無駄を嫌います。輸血製剤の管理も先輩の管轄で、時期が早いだけでなく、量が多い、と指摘をされてしまいそうです。
「俺じゃないが、輸血のタイミングくらい、ネコにも判断できるだろ」
橘医師は放任主義です。ナナ様以外には玖堂家敷地内の人間しか診察していないので、いつも暇そうで、今日も暑い、と白衣を脱いでいます。
「あらら……左様でございましたか……」
対して、排熱効率が良く、冷たい体を黒いカーディガンで包むソウク先輩は、じろりと私を見つめます。
うぐぐ……これは、「輸血製剤にも期限があり、貴重な提供者があるんだバカ! 無駄な注文すんな、ちゃんとナナ様の状態しっかりと診て発注しろ!」と、説教コースでは……。
しかし、今日はどうやら、先輩の虫の居所が良かったようでした。
「ソラ。必要な時は躊躇わず、多少過剰でも、遠慮なく医療資源をお使いなさいね」
私達に果たして、機嫌の虫が存在するのかは知りません。というか、零型シリーズの私やソウク先輩以外、不定さは無い気がします。
そう言えば、昼間の少年の異常な採血結果のことも、特につっこまれていません。あの後、私がどう対処したかの報告など、いつもは色々きかれるのですが……。
「何しろ、ナナお嬢様のためなんですもの。ねぇ、橘先生?」
「俺に振るなよ。おまえらがいいなら、俺がケチつけたことなんてないだろ」
「そんな、先生は神様であらせられますって。霜狗はいつも、先生を崇拝しておりますのよ?」
ダメです。せっかく先輩の機嫌が良いので、ここから荒くれ鬼を起こすことはできません。
橘医師も、ソウク先輩は苦手としている節があります。それくらい先輩は、怒らせると後が怖いのです。頭の回転が良くて、口が達者で陰湿で……白衣の天使ならぬ、黒衣の魔女なのです。
そして翌日。私の苦労も知らず、宣言通り、またも自称死神が不法侵入してきました。
「――な」
口があんぐりです。言い替えればアングリーです――あれれ、それは怒りです?
「はい、これ。昨日とほとんど同じでごめんね」
「わぁ、キレイ……今日もありがとう、氷輪君!」
何やら少年がまたナナ様に近付き、一輪の花らしきものを手渡しています。
ナナ様は受け取られると、とても嬉しそうに、匂いをかいでおられます。
二メートル以内の接近からして論外です。そして血液疾患の患者様には、見舞いのお花は禁忌なのです。
植え込み危険って私、言いましたよね? 免疫力の落ちたナナ様には、土の気とか植物、微生物の温床は禁忌なんです。
つかつかと、無言で歩み寄ります。
「――きゃっ」
「――ソラ?」
問答無用で、ナナ様からお花を取り上げ、私はゴミ箱へとぽいしょします。
「ソラ、何、どうして――? せっかく氷輪君が……!」
「野花などナナ様には危険なのです。お体にさわります、ナナ様」
「ありゃりゃ。せっかく昨日のお礼と思ったのにな?」
少年の方は、少し意表を突かれた顔をした程度なのですが。
ナナ様は、端整なお顔をきつくしかめられ、ぐぐぐと、両手を握り締められた後で――
先程の私を超える勢いで、わなわなとお怒りを漲らせ始めました。
「ばかソラ……! ソラなんてどっか行っちゃえ、知らない――!」
うううう……退室を、命じられてしまいました。
いったいどうして、私はこうなってしまうのでしょう?
保健室に行くと、ソウク先輩にまた怒られる気がして、到底足が向きません。
かと言って橘医師にからかわれるのも嫌で、行き場のない私は、初代プロトタイプの控室で、また尻尾充電をしておりました。
「……あの少年が間違っているのです。私は何も間違えていないのです」
ぶつぶつと呟き、例によって整理を試みる私なのですが。
「――そうなの? せっかく約束通り、ナナちゃん元気付けようと思ったのに?」
「……へ?」
じーっと。壁にもたれて膝を抱え、尻尾コンセントをさしていた私を、しゃがんで真横から見ている怪しい少年が一人。
声をかけられるまで気付かなかった私は、ああもう、どれだけ無能なのでしょうか?
「オレ、水属性担当だから、植物とは相性がいいんだ。気をのせやすいから、誰かに渡すにはピッタリなんだけど」
昨日もそうしたんだよ? と少年は、相変わらず幻想世界の病み事をのたまいながら、不思議そうに私を見つめます。
「何故ですか。昨日はお部屋にそんな花など、影も形もありませんでした」
「検査のねーちゃんが持ってったんだけど? サイキン・バイヨウするとか何とか言って」
最近・売用。何故そんな野花を売りに、というわけではなく、細菌培養です。
悪いばい菌がついてないかを調べる検査です。さすがは先輩、仕事が早いです。ていうか私にも教えて下さいよ、それ。
「ナナちゃん、涙ぐんでたよ? ソラは心配してるみたいなのに、それって変じゃない?」
「…………」
ご自身の膝に頬杖をついて、悪意のない目で、少年は首を傾げています。
どちらも悪くないのに、どうしてケンカになるのかと。
「……アナタがいけないのです。アナタがいれば、私なんてナナ様には不要なのです」
そして残ったのはジェラシー。……あれ? ジェラシーと自機嫌悪って同じなんですか?
「何で? ナナちゃんは誰より、ソラに一番気を許してるのに?」
「……は?」
「ソラがいないと、ナナちゃんは凄く困ると思うけどな」
そして少年は、自分こそ、いなくても何も変わらない、ととても寂しげに笑ったのです。
「悪魔さえ見つかれば、オレはさっさと、ここから消えるしね」
「…………」
そう言えばそうです。彼は確かそんなことを言っていました。
他にも何か、大切な問題発言があった気がするのですが……保留事項が多過ぎて、今の私には把握し切れません。
「何でもいいので……とにかく、探し物が見つかれば、アナタは去って下さるのですか?」
「そーゆーこと。オレだって、好きで長居してるわけじゃないんだよ」
悪魔や死神。そんなものが、果たして実在するかどうかはともかくですね。
「……む、む、む」
とりあえず、この少年が探しているものが見つかればいいのです。
その仮称を悪魔としましょう。別にヘチマでもアロマでも、彼が悪魔と呼んだだけです。
実在するかどうか、ではなく、少年が納得すればいいのです。
つまり探せばいいのです。この少年を追い払うために、少年が望む目的のものを。
「ソラが手伝ってくれたら、もっと早く見つかると思うけどな?」
「……むむむむ……」
お屋敷のセキュリティは豪強です。おそらく少年が探せている範囲は限られています。
私が付き添えば、このお屋敷で行けない所はありません。
それこそ零型シリーズ・杉浦ブランドの特権です。他の同期や先輩にはない、私とソウク先輩だけの。
「……それでアナタが、いなくなって下さるのであれば」
この少年を排除します――それが私の役目であり、望みですから。
「アナタのいう悪魔とやらの、特徴を教えて下さい」
そうしてまた、少年が言う通りに手を差し出してしまった私に、少年はにぱっと明るく微笑みました。
「まじで? やったー、これでもう少し進みそーだ!」
心から無邪気に、嬉しそうに。
淡々と大人しげな時と、こうして素直に感情を表す時と、意外に大きなギャップを感じさせる……やはり不思議な相手なのでした。
ところで……あれれれ?
昨日から、何だか私、おかしくないですか?
輸血をもう、私はどんどんと手配しました。無駄になってもいい、この少年に与えればいい。それでナナ様が、お元気になられるならと。
それなのに私は、少年を追い払うために、手を貸すことをたった今決めました。それは果たして、ナナ様のためであることなのでしょうか?
ああでも、この少年は、確かナナ様に近付けてはいけないはずの相手で……それはいったい、何でなんでしたっけ?
……保留です。
何だかよくわからない事項は、全て保留です。
探しものの特徴を教えろと言った私に、少年はうーん、とまたあぐらをかいて座り込みながら、両腕を組んで考え出しました。
「悪魔探しって言いはするけど。実際問題、悪魔なんてどーでもいーんだよね?」
「……は?」
凄いです。これまでの己の言動、いきなり全否定です。
「オレが探してるのは、悪魔と人間が契約するために必要な、『媒介』なんだよ」
究極的には、悪魔と人間の契約を解除することだけが目的だと、自称死神は言います。
いったい悪魔が誰であろうが、どんなカイブツであろうが、直接会うことすら少ないと言うのでした。
「悪魔はとにかく、ひたすら隠れてるからね。契約と魂の回収の時以外は、ほぼ引きこもり」
意外に制約が多いのだそうです。現代では悪魔も世知辛い、ということなのでしょうか?
「まず、人間と、望みを叶えるって契約をするだろ? その後に契約者が死んだら、魂を回収するために出てくる。悪魔自体を何とかしようと思ったら、その時にしかチャンスはないと思うな」
そこまでするのは、面倒くさいと。それでいつも、悪魔の本体は放置らしいです。
「契約者の魂が、回収される前に止めたいけど、隠れてる悪魔を見つけるのは難しくてさ。でも、悪魔と人間の契約の媒介だけあれば、ひとまず契約の解除はできるってわけ」
その辺りの感覚は、つまり……人間の契約書と似たようなものということですかね?
「それでは契約者や契約媒介は、どうやって見つけるのですか?」
うん、と少年は、肩を竦めて苦笑いします。
「契約者はねぇ。自覚があればまだいいんだけど、無い奴がほとんどなんだよねー」
悪魔は人の心の隙に付け込む。だから大変なのだと、その後に続けました。
「死神が動員される時の契約者の望みは、何であれ、『自分か誰かの死の回避』。本当なら死んでる奴が、一見まだ生きてる事態なんだけど。本人が望む場合と、周囲が望む場合があるから、つまり実際の死者と契約者が別の場合があって、どっちも自分でわかってないこともある。それを踏まえて、契約者の方を探し出さないといけないんだよ」
……それは確かに、探し相手が無自覚の可能性もあると、捜索はかなり難しそうですね。
「大体契約者の確信が持てたら、後は契約の媒介――契約者の魂の回収をするためのモノの目星をつけて、それを壊すんだ。それで、契約は解除になって、悪魔が誰で何処にいようが、契約者は解放されて事は終わるわけ」
なるほど。媒介がなければ、悪魔はまず、魂を回収できないということのようです。
「媒介は普通、契約者の魂が宿るようなものとして、『言葉』か『物』に限られるんだけど。悪魔は契約の時にその媒介を定めて、契約者の魂がそこに宿るように仕向けておくんだよ」
そうして契約者の死などで契約が終われば、悪魔は媒介を回収し、そこに閉じ込められた契約者の魂を得るのだと言います。
「……解放された方が良いのですか? その契約者とやらは」
「オレとしては、そう思うけどねぇ? 魂を奪われた心霊は、転生に支障をきたすって言うし……悪魔の一部になりたい、もしくは自ら悪魔になりたい奴じゃなきゃ、契約はお勧めしないけどね」
悪魔が人間と行う契約の、究極の目的は、そうして人間の魂を悪魔化し、悪魔の数を増やすためであるとのことでした。その末路はおそらく、望みを叶えてもらいたいだけの人間には、詐欺ということになるのでしょう。
それを止めるために、少年の目的はただ一つ。それよりも前に、契約の媒介を探して壊すことだと――
何だか……物凄くややこしい領域に、私は足を踏み入れたのではないでしょうか?
「……ええとですね。結局私は、具体的には、何を手伝えば良いのでしょうか?」
とりあえず、大変なんだよ、とぼやいていた少年の心情は、やっと少しわかりましたけど。
「それなんだけどさ。悪魔の尻尾を出させるというか……まず、死ぬはずの奴にある程度当たりをつけて、そいつと周囲を見張って契約者を見つけて、それで媒介の在り処を探り出すんだ」
「……と申しますと?」
「オレはずっと、ナナちゃんを張ってたけどさ。ソラが言う通り……ナナちゃんは、悪魔と契約するタイプじゃない気がしてきた」
「……――」
何故でしょうか。今少しだけ、私の何かが瓦解したと申しますか。
真面目な顔をした少年が、少しだけ、少しだけですよ……頼もしく見えた気がしました。
そして私も、この少年を手伝って良いのだと、何かの演算が少し進んだ気がします。
「それなら、ナナちゃんに関わる奴の中で、契約者を探さないといけない。もしくはナナちゃん以外に、死ぬはずの誰かがいるのか……とにかく今は、玖堂家全体の情報がほしいんだ」
どうやら、少年が入手できる情報だけでは、調査にも限界があるということのようです。
「早い話、ソラが知ってるナナちゃんのこと、玖堂家の最近の出来事。オレに色々、教えてくんないかな?」
その後の契約者の捜索方法は、自分で考えるから、と少年は淡泊なものでした。
「とりあえずソラの都合のいい時間に、毎日オレ、ここに来るから。色々話をしてもらうのと、怪しい奴や場所があったら、その都度案内してほしいんだけど」
「……全くよくわかりませんが、私のするべきことだけは、ひとまずわかりました」
つまりアレです。今日一日あったことを少年に報告し、依頼されたら案内をすれば良いのです。特にナナ様関連を重視し、伝えれば良いということなのでしょう。
私の理解は正しかったようで、うんうん、と少年は楽しげに頷きました。
「そうやって探る中で、悪魔を見つけられる場合もあるし。もしくは昨日みたく、悪魔には邪魔なはずの死神に隙を作って誘ってみたり。契約で生かされてる人間をあえて窮地にして、悪魔に助けを求めさせることもあるよ」
「……ナナ様を窮地に陥れることは、絶対に拒否しますので」
わかってるって、と、少年は何故かとても嬉しげに笑いました。
ひとまず、大事な話はここまでのようなので、私は素朴な疑問を口にしました。
「アナタはどうやって、この屋敷に悪魔がいるなどと、そもそも断言できたのですか?」
少年はうん、と教師のような顔で笑います。
「契約者がわかってることもあるけど、今回に関しては、この周辺地域の人間の霊魂葬送ノルマと、守護天使の報告件数が合わないんだってさ」
少年曰く、人間は体が死ぬと、その内の霊魂を守護天使というものの手で天国へ葬送されるそうです。肉体が滅びた時に、体に宿る魂魄というエネルギーの内の「魄」が地に還るので、地中の魄の増加を感知して死者の数、つまり葬送ノルマを管理するというのです。
その結果、この玖堂家付近で死すべき人間が一人、正常に葬送されていないとわかったと言います。
「でも葬送されてない霊魂が誰かってなると、死者なんて毎日死ぬ程いるし、守護天使が決まってない人間も沢山いるからさ。死んだはずの奴がいる土地で霊魂が見つからないのは、よくあることなんだよ」
守護天使とやらが決まってない場合、その土地を担当する天使が、魄の還元が検出された付近に出向くそうでした。
はい、ここまで私は勿論、わけがわかっていません。とりあえず少年の言うことを聞いて、反芻しているだけです。
そうして、死んだ人間――魄の数と、実際に葬送された霊魂の数が合わない場合は、悪魔と契約などという与太話以外の要因から本来調べられるといいます。
「地縛霊とか、悪霊化とか、多いのはその辺らしいんだけど。今回はどれも当てはまらない上、悪魔の気配が一度だけ、この土地で観測されたらしいんだよね」
「……??」
「悪魔が観測される程表に出るのは、さっきも言った通り、契約か回収の時くらいでさ。後は、契約者が契約に反することをしたり、契約を破棄することを止める以外は、ずっと隠れっ放しなんだ。でもこのお屋敷付近では、確かに悪魔の反応があったらしいから」
天使というのはそうして、常に悪魔に気を張っているとのこと。
しかし日頃の、隠れた悪魔には気付けないそうです。そういう悪魔は、近くに在れば、悪魔同士の方がよく気付くらしいです。
「吸血鬼のオレが死神として選ばれるのも、そーいう理由なわけ。言ってみればオレ自体、悪魔と名乗る資格を持ってるからね」
「……吸血鬼は、悪魔という分類だと言うのですか?」
「悪魔に凄く近い、適性者ってこと。オレは今の所、まだ吸血鬼で済んでると思うけどね?」
もうほとんど理解不能なことをのたまってますが、今の部分だけを考えるに、どうやらコイツは……失礼、この少年は、悪魔に近いが故に、悪魔探知機として使えるということらしいですね。
それにしても、天使や悪魔は西洋の産物で、魂魄や地縛霊は東洋産だと思うのですが、そういう折衷に誰か、ツッコミはないんでしょうかね。
「そんなわけで、悪魔がいないか探りつつ、もし見つけられたら丁重にお断り願うかな。でもそれはほとんど有り得ないから、契約者と媒介探しがいつもメインだよ」
少年はふう、と。そこで、疲れたように、軽く息をつくと――
自称死神の姿の時とも少し違う人懐っこい目で笑って、私をじっと見たのでした。
「良かった。ソラって意外に、話ができる奴じゃん」
「――は?」
「とりあえず一通り、ガマン強く聴いてくれるもんね。意味不明って思ってたってさ」
「…………」
本来、少年はあまり、誰かと協力する方ではないらしいです。
「オレもあんまり、説明上手い方じゃないしねえ」
「……それは、確かに」
「だからいつも怒られるんだよなー。何考えてるんだ、オマエって」
「アナタも誰か、先輩がいるのですか?」
ついつい身近な例で想像してしまった私に、少年は楽しげに笑って否定します。
「マネージャー? 上司? それとも保護者かな? いつも色々、調整してくれんのは有り難いけど、オレは行き当たりばったり過ぎて胃が痛いんだってさ」
「…………」
とりあえずこの少年には、少なくとも一人、協力者がいるということがわかりました。
「大体自分だって、天使のような悪魔……じゃなかった、悪魔みたいな天使のくせに、何でわざわざオレを使うかなぁ。天使が立場上制限だらけっていうのはわかるけどさ、助けたいって完全に公私混同だしさ、オレに責任負わせようとしてんの、見え見えなんだけどねー」
自称吸血鬼が言う協力者とは、さすがに非常識そうな方のようです。これも全然理解できないのですが、ややこしいので全ては保留なのです。
「それじゃーさ。毎日何時に、何処で相談会する?」
そうでした。私に依頼された内容はそんな話でした。少々、思案を巡らせます。
「……午後九時でお願いします。消灯前で、丁度その頃、警備システムが切り替わります」
玖堂家の内部も案内するとすれば、切り替え時の隙を狙うべきです。少年はこれまで一応カメラに映ってませんが、なるべく私も、不審がられたくはありませんからね。
「場所はこの部屋でお願いします。私の充電にとても効率の良い部屋なので」
「了解。それじゃ早速、今夜からヨロシク頼むね、ソラ」
そこでまた少年は、さっきのあの笑顔を、無防備に見せやがるのでした。
何というか、死神や吸血鬼などと言うわりに、人懐っこ過ぎではないですかね?
その後、少年を玄関までお送りして、私が屋敷の中に戻ろうとした時に……奴は、とんでもないことを言い残していきやがりました。
「ちゃんとナナちゃんと仲直りしなよ、ソラ」
ぐはあ――……。
私があの部屋に行った、思い出したくない理由を、見事につきつけていったのです。
せっかくすっかり、忘れていたのに、何ということでしょう……。
無邪気な顔で私を突き刺す、あんにゃろめこそ、悪魔に違いありません……。
8:見えない侵蝕
私、医師ロボットの杉浦空は、ナナ様の診察を一日最低三回は義務付けられています。
義務である以上、ナナ様に来るなと言われても、ナナ様を診なければならないのです。
ああ、しかし、ナナ様の先程のご剣幕を思い出すと、お部屋に向かう足は自然と牛歩になります。召使は主の不興が耐え難いのです、医師と召使の私が葛藤を重ねます。
ドアの前まで辿り着いても、随分迷ってしまいました。しかし、私は医師です、ナナ様のお体が第一なのです、ええい、ままよ、とノックをしてからドアを開けます。
お部屋の中では、壁際のソファに座られたナナ様が、沈んだ面持ちでドアの方をじっと見ておられました。
「……ごめんね、ソラ。私、いつもソラには、ひどいことばかり言って」
「――は?」
いの一番に、ナナ様はそんなことを仰いました。
呆気にとられて、言葉もない私の前で、ナナ様は俯いてしまわれています。
「氷輪君がね……ソラが、凄く落ち込んでるって……」
「……は?」
私が葛藤していた間、屋敷から出た少年は、どうやらナナ様の所に戻っていたようです。そして何故か、そんなことをわざわざ言ったとのこと。
あの少年がどうした意図で、ナナ様にそう言ったかはわかりませんが、とにかくナナ様とのご関係を修復できそうです。頑張れ! 私。
「ナナ様が私に謝罪されることなど何もありません。私はナナ様専属召使です。自らの不始末の責をナナ様に押し付けるなど、もってのほかです」
「でも、私……」
「ナナ様は何でも私に仰って良いのです。そこには何の制限も存在しません」
だからどうか、輸血のことのようにお一人で苦しまれずに、もっと私を頼ってください。そう言葉を続けられる実績が私にあれば、どんなに良かったことでしょうか。自機の性能に自信がないことは、何と不甲斐ないことでしょうか。
それでもこんな駄目な私に、心から嬉しそうに微笑んで下さるナナ様の笑顔の、何と眩しく尊いことか……。
「……ありがと……ソラ」
ナナ様は何処か、本当に安心されたような、元々天使のお顔立ちで。
私が知る中では一番、幸せそうに笑っていただけたように、わたしには見えました。
「ソラは、どこにも行かないよね? どんな時にも、絶対、私の味方でいてくれるよね?」
「当然のことです。私はここにいます。私はナナ様専属の召使です、いつまでも」
ナナ様のご病気が判明した時、私はナナ様を必ず守るように、とプログラムし直されました。
だから私は、医師ロボットとしても。ナナ様専属の召使としても。
たとえナナ様に嫌な顔をされることがあっても、ナナ様のためになるなら、私は何でもするのです。それがナナ様を、守るためのことであるなら。
そうです……そうなのです。
もしも私が、人間の召使であったとしたら。
悪魔と契約をしてでも、ナナ様を守ることができるのに……それが本当に今は残念でした。
もしもわたしが……人間であるなら――
それからはしばらく。
本当に、わりとしばらく。
ナナ様の良くない検査結果が出た時には考えられなかった、何となく穏やかな時間が、玖堂家には流れていました。
「おかしいな。俺の予想とは随分反して、ナナちゃんは悪化しないで済んでるな」
これまで橘医師は、ナナ様の状態を的確に把握し、検査結果も予想を当ててきました。
たとえ、次の治療をできる程ではなくても、何とか現状を維持されているナナ様に、とても不思議そうな顔の橘医師です。
「俺は神なのに、神が予想を外すと駄目だろ」
「橘先生。それ、ご自身で言われますと、ツッコミ役のワタクシの立場がございませんわ」
ソウク先輩はあくまで冷静に、相変わらずの黒いカーディガンで、大人の笑顔です。
私と橘医師とソウク先輩は、こうして度々ミーティングをします。
かっこよく言えばケースカンファレンスです。議題は当然、ナナ様についてです。
「輸血や対処療法だけで、今の全身状態が維持できるなら、願ってもないことなんだがな」
これまでのように、抗がん剤を使って治療する時は、白血球の減少などの事態に備えて、治療後の一定期間は緊迫感が漂います。そうした治療ができない状態のため、逆に最近は、雰囲気がまったりしています。
そうは言っても、水面下でナナ様のご病気は進行しているはずです。だからソウク先輩も私も不安顔なのです。
「しかし橘先生。骨髄を再び検査したら、洒落にならない結果が出る可能性はございませんか?」
「ありありだけどな。でも、どうせ治療ができない状態なら、わざわざ検査して悪化を確かめることの方が愚行だな」
「…………」
ス、と静かに煙草をふかせて、橘医師は相変わらずの無表情です。
基本的に、橘医師は、何事も必要最低限しかしないという姿勢があります。
その良し悪しは、私には判断できません。ソウク先輩などはたまに、やる気ねーなアイツ、とぼやくように言っている姿を見かけるのですが。
そうしたことがありました、と、カンファレンスの内容も、少年に毎日私は報告します。
「へぇー。そこで、ソラは何て言ったの?」
何故かえらく楽しげな少年は、悪魔と関係なさそうな事までこうして訊いてきます。
「何も言いません。とろい私の処理速度では、お二人の会話にはついていけません」
「面白いなー。ホントに人間みたいだよなー」
「それはミストレスのご功績です。理解し難いですが、こう造られたのはミストレスです」
「凄いなぁー。自分は自由な感じなのに、常識常識ってのが口癖の検査のねーちゃんとかもさ。人形にしてはフクザツ過ぎない? お前達」
「その辺りは、杉浦様の好みということです。複雑であればある程、人間的だという奇妙なご解釈なのです」
「スギウラ?」
初出の固有名詞に少年が目を丸くするので、私は説明を加えます。
「少し前に亡くなった、私達機械の人格の造り主たる人間です。特に私と先輩は、その人間の女性をモデルに、性格を分割して個性にされたとのことです」
「ふーん。それじゃ、ソラもねーちゃんも、そいつそっくりに造られたってこと?」
「ミストレスご曰く、私は忠実さを、ソウク先輩は常識家の再現を目指されているとのことです。ところで……」
さすがにこれは、報告会という趣旨から外れてきているような気がしないでもないので、私は話題を打ち切ろうとしたのですが……。
「忠実さと常識家? それを分けただけで、そこまで二人は変わるもんなの?」
最早少年の頭からは、これが報告会であるということが、すっぽり抜け落ちているのではないのでしょうか?
「ソラもねーちゃんも、全然別人に見えるのに? 吸血鬼のオレにはとても、人間のフクザツさは理解できないや」
「…………」
自称死神、もしくは吸血鬼というアナタの存在こそ理解できませんというツッコミを、処理の早い先輩ならしていたでしょうね……ええ。
「そっかー……一人のヒトを、二つに分けたのかぁ」
ふうん、と深く頷きながら、何かが納得いったような顔をしていた少年。それが少しだけ気になりました。
その夜はその後、玖堂家のマル秘である場所の案内を、珍しく依頼してきた少年です。
私やソウク先輩が製造され、本格稼働まで隠され続けた揺り籠であり、ミストレスも学生時代の大半を過ごされたらしい場所――
故杉浦様の遺影が飾られている、ミストレスの隠れ部屋で、零型シリーズ初代がお二人に造られた地下研究室へと。
こうした報告会のいったい何処に、少年が望むものがあるのかはわかりません。
毎日毎日少年は、日中には花を持ってナナ様の元へ、夜は私と報告会と、実に暇な人物です。
「ソラが血をくれるから、ほんと最近は充実してるや。これならいくらでも仕事できそうだなー」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。ナナ様が小康状態なので、不要となった輸血用製剤を廃棄せざるを得ないだけです」
しつこい細菌培養検査の結果、少年が持ち込んで来る花は、世に有り得ない無菌の花でした。
意味がわかりません。そんな生花は存在しません。花が強くなったからだと少年は言います。
とにかくこの少年が持ってくる花だけは、ナナ様のお部屋に、遠慮なく飾れるのでした。
「氷輪君のくれるお花を見てるとね、いつも元気が出てくるの」
ナナ様は本当に――楽しそうにされている時間が増えました。
定期的な血液検査の結果は徐々に悪化して、明らかな病気の進行があるにも関わらず。
だから橘医師も、最近はこまめにカンファレンスを開きます。
「まずいな。この状態じゃ、そろそろ面会制限をした方がいいかもしれない」
身内の者はともかく、毎日謎の少年の来訪がある状態に、橘医師は懸念を示します。
「ええ? けれど先生、ナナ様は確実に、彼が来るようになってからお元気になられましたよ?」
「元気過ぎるのがむしろ問題だ。体の状態と心の状態が、完全に解離しつつある」
ようやくそうして、不干渉主義の橘医師すら、悩ましげな声色で言う程に……ナナ様のお元気さは、実際の全身状態の良くなさと矛盾しているようでした。
「今は良くても、その内何処かに、ひずみは出てくるはずだからな」
「それはまぁ……どうして彼が通ってくれるかも、いつまで続くかも、わかりませんけども」
先輩は先輩で難しい顔をしながら、正体不明の少年のことを、こうしてずっと保留しています。
そしてどうしてか、私の方を橘医師は、無表情のまま意味ありげに見つめました。
「あまり不自然な経過を辿ると……ネコがこの先、対応できなくなりそうだからな」
その時の私には、橘医師の懸念は、全く理解できていませんでした。
橘医師は最初から――その少年と関わりを持った私を、案じていたかのような黒い瞳を。
けれども、そんな悠長なカンファレンスができる時間は、あまりに突然に……覆い隠されていた現実の冷たさを告げるように、過ぎ去ってしまったのでした。
ある昼下がりのことです。
「――? ……ナナ、様……!?」
バルコニーに出られて、外の空気を吸われていたナナ様が、突然ぺたんと、座り込んでしまわれました。
「……ソラ……」
ナナ様は吐き気を抑えるように、口元を片手で押えられながら、端整なお顔を強く歪められました。
「頭が……痛、い……」
――それだけでした。
たったそれだけを口にした直後に、ナナ様は、ぱたりと……花がその茎を折ってしまうように、私にもたれかかりながら、あっさり意識を失われてしまったのでした。
「――……!」
急変です。間違うことなく、私が常に恐れていた最悪の事態です。
緊急事態時は遠慮なく、屋敷中に響く大音量で、全出力の叫喚を私は許可されています。
「誰か来てください!!! 緊急カートと緊急コールを!!!」
そうして橘医師やソウク先輩のみならず、屋敷中の召使と医療機器を、可能な限りここに集結させます。
その直後に、ナナ様のお部屋が一挙に、集中治療室さながらの様相になるまで――
「ナナ様……お気を確かに、ナナ様……!!」
ナナ様の脈と呼吸を確かめ、絶対安静で横たわっていただきながら、私はひたすら……冷静に動く躯体とは裏腹に、叫び続けます。
「お願いです、ナナ様、ナナ様……!! どうか……!!」
既に完全に意識が無い以上、大きな意味はないことをわかっていながら……。
ナナ様を呼び続ける自分を、わたしは、止めることができなかったのでした。
9:奇怪な私
重病というのは、本当に、惨いものです。
なまじここのところ、ナナ様がお元気そうにされていたので、余計だったのでしょう。
優しく穏やかな時間が流れていた分、ミストレスも旦那様も、動揺を隠せませんでした。
橘医師は冷静に、何が起こったかをはっきりと説明します。
「脳出血だな。呼吸が保たれてるのが不幸中の幸いだが、それもいつまで続くかどうかだ」
ナナ様は白血病のため、出血しやすいお体でした。でもそれは体の外だけではなく、体の中でも急激に起こり得ることなのです。
「今後意識が戻る見込みはかなり低いが……呼吸状態が悪くなった時、それでも人工呼吸器を使うのかどうかを、お二方にはまず決断してもらわないといけない」
あまり多くを語らない橘医師に、聡明なミストレスは、自ら質問を返されます
「……一度挿管をすれば、もう離脱できない可能性は、高いのではなくて?」
「ありありだ。今日明日がまず持つかどうか、ひとまずは山場になる」
機械の管を口から通して、強制的に呼吸をさせる――それは、呼吸を保つ一番の方法です。けれど状態が悪過ぎる患者の場合、それなしでは生きられなくなることがあります。
普通なら、元気になれば管を抜きます。でも管を抜いたら死ぬ場合は、一度入れたら、いつまでも抜くことができなくなります。そのまま管を入れていても、回復する見込みがなくて、死を待つだけだったとしても……。
だからこういう、回復の見込みが少ない場合、その人工呼吸をまず使うのかどうか、管を入れてしまう前に再確認することが必須なのでした。
ミストレスと旦那様に、橘医師はそうした色々な相談をしに行ってしまいました。
私はびっちり、ナナ様のお傍にいます。
一通りの処置が終わって、点滴だらけの中で、酸素マスクをつけて眠られるナナ様の白いお顔を、ひたすら見つめ続けていました。
「有り得るって……わかりきったことが、起こってしまっただけなのに……」
私は医師ロボットです。今何が起こっているのか、正確に把握しています。
今後の経過も、知識だけは叩き込まれています。どう考えても――暗い先行きです。
でもそれは……ナナ様の抗がん剤治療ができなくなった時点で、定まっていたことであるのに……。
どうして私は、今、こんなに――
身動き一つとることもできない、処理の重さを持て余しているのでしょうか?
「ソラ。アイツ、来てるぜ」
ぽん、と。私の肩に手を置いたソウク先輩が、バルコニーの方を指差します。
「部屋に入れるぜ? ナナ様も多分、その方が喜ぶだろうし」
「でも……ナナ様は現在、危篤状態です」
普通はご家族以外に、面会できるような状況ではありません。
さすがに、ご家族の許可をとらなければ、部外者……それも自称死神なんて、不吉な相手を会わせていい状況とは、到底思えません。
「危篤だからこそだろ。いいから入れるぜ」
「――え?」
その時のソウク先輩は……言葉は荒々しくても、いつも冷静な大人の女とは、何処か違った表情をしていて――
黒いカーディガンが、まるで魔女のケープのよう。そんな錯覚がよぎる妖しさでした。
バルコニーから部屋に招き入れられた少年は、ナナ様を一目見て、やばいね、と暗い声色で口にしました。
「頭の辺りが血でいっぱいだ。ナナちゃんの心と体が、それで邪魔されてるんだね」
吸血鬼だから、わかるのでしょうか? かなり的確な解釈に、私は目を丸くします。
そして淡々と――ソウク先輩が、ナナ様の枕元に近付く少年を見ながら言います。
「氷輪っち。オマエならそれ、何とかできるんじゃねーの?」
「何とか……って?」
「オマエ、吸血鬼って言ってたじゃねーか。脳を圧迫する余分な血液、体外から回収とかってできねーの?」
――あれ? この少年はもしや、そんな戯言を、ソウク先輩にまで話していたと言うのでしょうか?
そして先輩、そのような非常識を納得済みなのですか? しかも何故、私以外に荒くれ口調?
「できなくはないけど……それをすると、ナナちゃんの血をもらっちゃうことになるよ?」
そう言えば、輸血パックの外側から、パックの中の血液を少年は空にしていました。
ナナ様の枕元にしゃがみ、帽子の上から優しく頭をさすりながら、少年は悩ましげな顔を見せます。
「それはいい。同時進行でナナ様にも輸血すれば、脳を守りつつ、血液量は保たれるだろ」
先輩はさらさらと、医師並みの知識で、あくまで冷静に現実的な話に戻ります。
……確かに。脳を守るために脳圧を下げるのは、脳出血においてとても大事な治療です。
イタチごっこになる可能性もありますが、それならしばらく、呼吸も保たれるかもしれません。
しかし、ソウク先輩はそれ以上の――
根本的にナナ様をこの状態から助け出すための、ある思惑を、そこではっきりと口にしました。
「この際ナナ様を、オマエと同じ吸血鬼にすることは、できねーのかよ?」
「……――」
は……い?
そこでフリーズ。思わず時間を止めてしまった私なのですが。
それは私だけでなく、ソウク先輩を無表情に見上げる少年も、衝撃は同じだったようでした。
「吸血鬼に血を吸われたら、吸血鬼になるんじゃねーの? 有名な話だろ、確かそれって」
「…………」
少年は、何を考えているかわからない灰色の目で、ソウク先輩をまっすぐに見上げます。
「それ以外に何か、ナナ様を本当に助けられる方法、人間の常識で存在するのかよ?」
人間という存在の限界、「常識」を……誰よりメインに、叩き込まれているソウク先輩。
だからこそ思い付ける常識外の抜け道を、冷静な碧い眼にたたえて、先輩は少年を怜悧に見据えました。
でも、それは……。
「……悪いけど、さ」
――元気になれる方法があっても、吸血鬼とか、そういうのはイヤだな。
そのナナ様の、あまりにはっきりとした拒絶の意志を、私だけでなく、そこにいる少年も知ってしまっているのです。
「時間稼ぎは協力するけど……ナナちゃんを吸血鬼にする気は、オレにはないよ」
「……」
無表情に淡々と、でも重い声色で、少年はナナ様の方に視線を戻します。
「このままじゃ誰とも、お別れもさせてあげられそうにないけど……それでもオレは……」
それは少年が、お人好しな吸血鬼としても、冷徹な死神としても。ナナ様の数少ないご友人としても、譲れない一線であるようでした。
「ナナちゃんが心から嫌がることは――オレは、したくない」
ひたすら無言のまま、ソウク先輩は表情も変えずに、黒い両腕を組んで佇んでいます。
まるで本当の人間のような排気、深い溜め息をついて……少年とナナ様を、その後は黙って見守っていたのでした。
「……――」
私はその、枕元でしゃがみ込んだ黒い髪の少年に対して――自分でも理解できない演算結果と共に、冷静にわたしの思惑を伝えました。
「……今日の夜は、先日の屋上に来て下さい、氷輪翼槞」
「え?」
「屋敷内ではできない、大切なご相談です」
「……?」
不可解気な少年は、ナナ様の帽子を優しくさすりながら、首を傾げます。
けれど、少し後に、わかった。とだけ……灰色の澄んだ目に黒いシルエットの私を映しながら、冷静に答えたのでした。
それからは、無言を貫いていた私は――
昼間の内に、眠り続けるナナ様の傍にじっと控え、普段は夜に行う充電を全て済ませておきました。
「屋上に延長コードも手配しました。天気も快晴です、通信機器の不具合もありません」
独り言のように、声に出して確認する私の前で、ナナ様はひたすら眠り続けられます。
意識を失われてから取り付けられている、心電図とその他のモニターが、ぴっ、ぴっ、と規則正しく、ナナ様の鼓動を私に伝え続けます。
「何かあればすぐ戻ります。モニターは私に届いていますので、ご安心下さい、ナナ様」
そうして私は――自分でも理由がわからないまま、その屋上へと足を向けます。
夜の屋上では、LEDライトもわざと全て、消しておいたのですが。
冷たい夜風に吹きさらされた、無情な白いコンクリート上に、その少年は――
青銀の髪で蒼い目の、七つの黒い羽を持った吸血鬼は、心なしか冷たい顔で、悠然と私を待ち受けていました。
「やっほ、ソラ。昼間は大変だったね、お疲れさん」
「……」
大人しげに、それでも強くソウク先輩の提案事を拒絶した、昼間の黒髪の少年とは少し違うようです。不敵に笑う青銀の吸血鬼は、本来の姿をとっている理由を、私に対してことも無く明かします。
「悪魔との契約者が、誰かわかったよ? 媒介はこれから、ソラと答え合わせして、探していかなきゃいけないけどね」
「……」
ナナお嬢様の、意図せぬ窮地という出来事。おそらくお嬢様を死から守る契約をしている誰かが、悪魔へと助けを求める可能性。
少年にとっても様々な局面で、物事は動いていたようでした。
「信じられないけど……どうやら今回の契約者は、守護天使から隠れるだけでなく、悪魔すら騙す非常識な奴みたいだね」
「……?」
青白い月から銀色の光を受ける死神は、人間には無い色の目を伏せて、憂い気な声でその先を続けます。
「もうとっくの昔に、人間としては死んでいるのに。魂をひたすら隠す、悪魔じみた存在になってまで、自分以外の奴の死を止めようとする契約者がいるなんて……ね」
少年はそこで、何故かとても悲しそうに、私を不意に見つめます。
そしてその、非常識に過ぎる誰かを――
有り得ない程必死に、大切なものを守ろうとする誰かを、死神はそこで明るみに出しました。
「杉浦霜狗。玖堂華奈が少し前に参列した、杉浦由希の葬儀に同伴して記帳された、謎の女性の名前だけど」
少年は淡々と、ソウク先輩の名前を口にした後で、先日に私がミストレスに同伴した法要……その時には四十九日を迎えていた、亡き人間の女性の名前を強調して告げます。
そう言えば、そんな人間がいたと、私も少年に教えていた気がします。
「その謎の女性は、杉浦由希が葬儀前に送りつけた遺品から、形見を受け取ったんじゃない? ソラにこの間、案内してもらったラボで、杉浦由希の遺影と、他の写真も見せてもらったけど……検査のねーちゃんによく似てる黒い上着を、どの写真でも杉浦由希は身に着けてたよね?」
「……はい。ソウク先輩のあのカーディガンは、確かに遺品から譲り受けられた、杉浦様の物だということです」
少年に頼まれて、私達と初代プロトタイプが造られた極秘ラボへと案内していた私は、特に嘘をつく理由もないので淡々と答えます。
「悪魔が選ぶ、契約の媒介ってね。魂が宿りやすい契約者のお気に入りや、思いが込めやすい物……常に身に着けてた物とかも、よくあることなんだよね」
「…………」
「杉浦由希は玖堂華奈を、随分大切にしてたみたいだよね。その娘である玖堂菜奈のことも……玖堂華奈にそっくりの玖堂菜奈を大切に思っていたとしても、不思議じゃなさそう?」
――たとえ人間の心を捨ててでも、あたくしを守りたいって、言ってくれた人だった。
そうですね。ミストレスがそう言われたのですから、きっとそうだったのでしょう。仮にも人間嫌いの女性が、守ろうと思えるほどの相手が幼いミストレスだった。
ナナ様を守ることは、ナナ様を大事に思うミストレスを守ること。どちらが先でも、別に構わないはずです。
「確かに今日の昼間、ソウクのねーちゃんから、不自然な気配を感じたんだ」
たとえばナナ様を吸血鬼にしてでも、助けられないのか、と口にしていた先輩。
そこでようやく、悪魔が尻尾を出したのだと、青銀の少年は冷たい目で語ります。
私はまるっきり、そんなことは、知る由もありません。けれどソウク先輩が本気だったことは、私にもわかりました。それはもう、長い付き合いですので。
「杉浦由希は自分の体を捨てて、杉浦霜狗に黒い上着を介してとり憑いた。そうしてこの屋敷に来た後に、玖堂菜奈を守るために、人間のフリをして、誰か悪魔と契約したんだと思うよ」
「……それはまぁ……また、何と……」
何という、非科学的な発想でしょうか。それ自体の内容は、私は決して認めません。
でも、わかります。とりあえずこの少年は、ソウク先輩を敵だとみなしたのです。
そしてそれは、私にとっても、この場所に来た最大の目的でした。
「人間の霊がとり憑いた人形が、悪魔の契約者になるなんて……全くきいたことはないけど」
「…………」
「媒介を壊した時に、ソウクのねーちゃんがどうなるのか、それも今はわからないけど。でもオレは……ひとまずソウクのねーちゃんから、あの黒い上着を貰ってみないと」
それが契約の媒介であると言いたいのか、少年は私を、真面目な顔でずっと見つめます。
「だからさ、それさ。ソラに頼むことって……できないかな?」
ただ単に、上着を貸してほしいと。私からであれば、一言だけで済むと。おそらく私達のことも傷付けたくないらしい、お人好しの少年は、静かにそう言いました。
それであるので。私もひとまず、平和的な取引として、私の目的を口にします。
「……アナタの言うことを聞くとすれば、条件があります」
「――ん?」
少年が不可解そうな顔で、両腕を組みます。
「アナタの言うことを、もしも全て真実として扱うのなら。アナタが真に吸血鬼であるなら――」
それだけを言いに、私は今夜、この場所に来たのです。
「ナナ様を――吸血鬼にして下さい、氷輪翼槞」
「――……」
「どんな形でもいい。私はナナ様に、またお元気になられてほしいのです」
たとえナナ様に、嫌な顔をされたとしても……それがナナ様のためになるなら、私は何でもするのです。それが、ナナ様を守るためのことであるなら。
「私とソウク先輩の意志は同じです。私達は、同じ人間をモデルに造られました」
そうです。そうなのです。
もしも私が、人間の召使であったとしたら。
悪魔と契約をしてナナ様を守ることができるなら、私も同じことをしたでしょうから。
「それじゃ……オレがそれを拒んで、ソウクのねーちゃんを連れていくと言ったら?」
「交渉は全て決裂です。アナタには力ずくでも、私達に協力していただきます」
少年の反応は、私の予想通りでした。
それなら私は、あらかじめ設定していた、私の思惑を遂行するだけのことです。
システム切替完了。衛星、GPSとの再リンク完了。自己分析によるシステムオールグリーン。エネルギー充填率ほぼ百%、戦闘システム起動します。
最早言葉で語ることなかれ。そのような余分、そもそも私には不要なのです。
零型シリーズ、玖堂家最強の機動破壊兵器――杉浦空が、目覚める時間です。
無言の私の、先制攻撃。
その戦闘モードに、少年は酷く驚きました。
「――ってぇ!?」
屋上の入り口、コンセント付近に陣取る私の五メートル前方にいる少年。
少年に向けた私の手が、突然肘から火を噴き、少年は素っ頓狂な声を上げます。
「まさか、いわゆる、ろけっとぱーんち!?」
両手が無くなろうと替えはあります。腕なんて飾りです、偉い人にはそれがわからんのです。
「全武装の限定を解除します。標的は不法侵入者のため、正当防衛として破壊根絶、殺傷も許可されます」
「されない! それ多分許可されない、普通無理だから!」
時速百キロを超えた両前腕の射出。しかし少年は紙一重で避けやがります。
でも構いません、こんなのはコケオドシです。ミストレスのロボットアニメへの情熱を詰め込まれた私を侮ってもらっては困ります。
「って――ついてくるし!?」
追尾システムなど当然のことです。L型のお屋敷の屋上を少年は必死に飛び回ります。
「早い、早いよソラ!? とろいのがソラのいーところじゃないっけ!?」
「私は機動破壊兵器です。それ以外の機能は全て後付けです」
零型シリーズ、本来のコンセプトは元々それです。ソウク先輩だって、躯体の内には様々なバイオテロ兵器が内蔵されているのです。私とは方向性が違うだけです。
「私は全ての驚異からナナ様を守るために存在します。たとえそれが、目に見えない敵であったとしても」
そう、それは、ナナ様のご病気が判明したあの時から――
私とソウク先輩。零型シリーズの二機は、需要も費用対効果も関係なく、ミストレスのご趣味を最大限に反映されています。
私のこの姿は、童顔で小柄な杉浦由希をモデルに造られました。
ソウク先輩は杉浦由希の理想だそうです。ミストレスはそうして、幼きミストレスを支えた杉浦由希を再現しようとしていたのです。
だから私は、そもそも昔、ナナ様付きではなかったのです。
今はいませんが、認識番号二十号の同期が、元はナナ様の専属でした。
しかし二十号には拡張性がなく、ナナ様が発病され、無理に医療機能を付加せんとしたせいで、CPUごと破損したのです。そもそも私達のように滅菌に耐える躯体でもなく、ナナ様の完全フォローも不可能でした。
ご息女の重病と、自作召使の破損に、その時ミストレスはどれだけ気を落とされていたことでしょうか。
――ソラ、お願い……お願い、助けて……。
私達を造るには、一体だけでも時間がかかります。しかし私の同期、ランクLシリーズは既に全て誰かの専属で、先輩達ランクWは兵器として機能が偏り過ぎていたのです。
そうなれば後は、ミストレスの求める医療技術を習得できるスペックは、秘蔵の零型シリーズ以外に存在しませんでした。
――お願い……菜奈が、病気なの……。
あんなに頼りないミストレスの声を、それまで私は、きいたことがありません。
発病した時点で、ナナ様の白血病はとても難治な型だと、既に診断がおりていたのですから。
私はミストレスの望まれる通り、それまでの兵器としての自己研鑽を中止し、医学教育と技能の習熟をナナ様の最初の入院中だけでこなしました。
退院後から、ナナ様へのお仕えが始まりました。
ナナ様を悲しませないため、二十号は他所にもらわれた、と嘘をつくようにも設定されました。それは今も続いたままなのです。
二十号はどうしているか、と何度尋ねられたことでしょうか。ソラは二十号じゃない、二十号に帰ってきてほしいとナナ様が声を嗄らしたのは、抗がん剤の副作用があまりに酷かった時。ナナ様が初めて、私に見せられた涙でした。
今より更に出来の悪かった私は何一つ言えずに、しがみつくナナ様に付き添うしかできなかったのです。
とても処理が重くなった私は、そうして日々愚鈍で、度々ミストレスの調整を受け、ソウク先輩にもいつも怒られてばかりで……。
――本当にごめんなさいね……ソラ……。
それなのに、それは私にしかできないことだと、ミストレスが仰られたのは……。
――でも……貴女にしか、頼れないの……。
それはいったい……どうしてでしたっけ……?
――だってソラは、温かいもの。
……どうしてなのでしょうか。
私に今も届き続ける、ナナ様のモニター音に混じり、そんな声が聴こえた気がしました。
――ソラは、どこにも行かないよね?
いなくなってしまった二十号。ナナ様とどんな絆を築いていたのか、秘蔵の私は何も知りません。
置き去りのナナ様を、何をしてでも、私は守らなければならないのです。無能で愚鈍なら、手段など選んではいられません。
ナナ様は何も悪くないのだから……私は、ナナ様には、笑っていただいてほしいのだから……――
肩関節部に収納していた対空機関砲を展開し、目視によって少年を狙い撃ちます。
それでも黒い羽で飛び回る少年には、なかなか命中してくれません。
「待ってよソラー! 話し合おうってぇー!」
少年のようにはいきませんが、私も下腿の腓腹筋部位に仕込まれたブースターを展開し、推力偏向ノズルを使い、延長コードの及ぶ範囲で少年を追いかけ回します。
「ひぇぇぇ、両腕が無い女のコと、その腕が追いかけてくるのが凄く怖いんだけどぉぉぉ」
人を恐怖させるであろう吸血鬼を絶叫させながら、私は自身の背中を割って、私独自の羽を展開しました。
「私の演算回路は元々、言語統制や細かい作業、平和的な対人関係の構築には不向きです」
私は空を飛べませんが、もれなく標的を天に召します一万ミサイル搭載翼を内蔵しています。私個体の最大の武装として、全ミサイルの照準を彼に向けます。
「ミストレスの貴きご意向です。召使にして護衛にして医師にして友なのが私なのです」
「そんな何でもかんでもとり付けるから、一つ一つが重くなるんだろー!!」
ひええ、と少年は半ば泣き笑いで、私の羽の全射出口が火を噴く瞬間を、その目でマトモに見たようでした。
一万は当然誇大広告ですが、心意気としてそれぐらいの超小型ミサイルを載せ、宵闇の中で赤く光る羽を広げます。
そうして思う存分、全てのミサイルを解き放った私は――……あまりの急激な電力消耗に、尻尾からの供給が追い付きませんでした。
「……にゃあ……」
闇夜を更に黒く染める、ミサイル着弾の轟音と爆煙が、少年のいた場所を覆い隠します。
追尾をとりやめ、帰投した腕を再装着した後、低電位の私は立位を保てず、ぺたんと座り込んでしまったのでした。
「ふっ……フーっ……!」
こうこうと煙が舞った中で、延長コードに繋いだ尻尾コンセントから必死に電力を吸い上げ、歯を食い縛って私は立ち上がります。
「何と……いう、ことでしょう……」
それと言うのも、これだけ他機能を犠牲に放った、私最大の一万ミサイルを――
こともあろうに、その現代日本らしからぬ自称吸血鬼の少年は、煙の中から無傷で全ミサイルを撃墜しやがったのです。
「あー……びっくりしたぁー?」
そんな程度の、気軽な歎声をあげる少年は、存在自体がふざけています。
最初の夜にも確か見せた、三日月型の謎の得物を少年は持っていました。
中央から突き出た取っ手を片手に、片膝をついた体の前に、それを水平に掲げていたのですが……その得物をちょうど直径とした、透明の円盾があるかのごとく、全てのミサイルを防いでしまったようです。そう、以前に手榴弾を抑え込んだ、最初の時と同じように。
「見えない壁……です、です!?」
見えない壁とはこれいかに。アレです何とかフィールドですか? 確かにこの少年の心の壁は、意外に厚い気がしなくもないです?
「ならばっ……!」
夜空は快晴。それは既に確かめてあります。月は見えているか、十分に視認可能です。
私個体の最大兵器はアレですが、私以外の兵器も当然、玖堂家は完備しているのです。
「って、まだやるの!?」
私の異変に気付いた少年が、三日月型の得物を構えて慌てて立ち上がりました。
「月には星です。私は光です。光とは電磁波です。電磁波とは電波と磁波なのです」
ランクLのLはライト。同期のほとんどは軽量ですが、私と後二人は光なのです。
「星から光を召喚するのです。目印は電波発信源の私、標的は目前の三日月です」
「な――!?」
衛星を使った、玖堂家最大の私設軍事用レーザーを、遠隔通信で私が制御し放ちます。
心配はご無用です。この屋上は超強化コンクリートなので、お屋敷には何も被害が出ることはありません。
ああでも確実に、この場にいる私は巻き込まれて、焼失すると思いますけど?
「たとえこの身に代えようと、ここが私とアナタのお墓なのです!!」
「ソラそれ本末転倒! 完全に目的忘れてる、手段が目的飛び越えちゃってる!」
少年をただ倒すために、ブツブツ電波塔となった私を、防戦一方の少年は必死に止めようとして叫びます。
「アナタは既に死んでいます、氷輪翼槞――!!」
既に混沌自失真っ只中の楽しい私は、心からの笑顔で、あっさりと――そのレーザー発射をONにしました。
「っ――!!」
天空から襲い来る、まっすぐな光の柱に気付いた少年は、これまでで一番マジメな目をして七つの羽を大きく広げます。
「こんな使い方、アリ!?」
三日月型の謎の得物を、今度はまさに弓のように持ち替えて夜空に向けます。
矢も弦も無い弓の、中央に填まる宝――黒い双角錐の石に、少年が触れたその瞬間に。
まるで、半ば透き通る矢のような黒い光が、そこからすっと引き出されました。
上空の光と比べると象と蟻ですが、少年は確かにその黒い矢を、眩い光を迎え撃つよう――そのまま暗い上空へと、高く放ちました。
「……――」
その黒はおそらく……その宝を守る少年にとって、最大の切り札にして最強の攻撃手段。
レーザー光や爆発物に対抗できる、水の性質を持った何か――無色の玄で。
日本とか夢の無い国にあってはならない、そもそもこの世界のものとは思えない色……光に嫌われた少年がヒトであることを守るような暗闇が、矢尻から噴き出します。
「そんな……有り、得ません……」
黒い矢は光の柱に真正面から突っ込むと、その矢を中心に、まるで太陽光を反射する月のように、光の柱を拡散させてしまい……一瞬のことですが、この町全体を、華やかに照らし上げていたのでした。
「…………」
ぺたん、と。衛星のリモコンになっただけなので、電力が尽きたわけではないのですが。
今しがた目の前で起きた、あまりの異常な光景に、どうしても把握処理が追いつかなかった私は再び座り込んでしまいました。
しかしその黒い矢の使用は、少年にも相当の無理を強いたものだったようです。
「っ……は……」
三日月の得物を地に突き立てるようにして、片膝をついた体を、少年が支えています。
五分の一ってきつい、とか何とか……よくわからないことを呟きながら、苦しげな呼吸を、彼も必死に整えているようでした。
「――にゃ!?」
ところが少年は、座り込んでいる私に気付くと、これ以上私を野放しにすまいと決意を込めた目で、こちらまでやって来ました。
私の両手をホールドアップ状態で捕捉し、少年は珍しく、厳しい顔色を浮かべます。
「もう、気は済んだだろ? オレはソラのこと――壊したくない」
ようやく少し、躯体が冷えつつあった私をじっと見つめて、蒼い目は真摯に停戦を訴えかけます。
「――……」
暗闇の中、黒く光る少年の蒼い目があまりにキレイなせいか……ただの人間じみた茶色目の私まで、きらきらと目を光らせ始めます。
「――って、へ!?」
「アナタの負けです。氷輪翼槞」
両手を捕捉され、少年と見つめ合ったような私は、自機の勝利をついに確信します。
「この至近距離でアナタに、私の最終兵器を、避けることも防ぐこともできはしません」
都合の良いことに、これまでの攻撃をことごとく無効にした三日月型の得物を、少年は私の両手を捕捉するために手放しています。
それなら今こそ、無防備な少年を葬る最大のチャンスなのです。
私はそして、今ある全電力を使うネコの目発動の時間を稼ぐために、最後に少年にきらきらと語るのです。
「女性形猫型ロボットのたしなみ。光子力ミサイルとまではいきませんが、私の両目には暗い夜道にお嬢様達の足元を照らすためのライトが搭載されています。そのライトは収束させて放つことができるように設計されています。ミストレスご曰く、『やっぱりロボなら、目からビームは外せないわよね、ほほほほ』とのことです。恐らく彼女のことでしょう、出力を限界まで上げ、それを収束させて放てば、鉄板も貫く威力にしてくれていることでしょう。そのロマンの前には、なぜ? と問うてはいけないのです。愚問です。不毛です。ミストレス、私は今、光になります」
「ソラ……えっと、あのね……」
息もつかせぬ私の語りに、少年は完全に戦意を忘れ、ただ呆気にとられた幼げな蒼い目で私を見つめます。
そうして己が回路も焼き尽くす出力へ、私の目が輝きを増す程、少年は青ざめていくのでありました……ありました、のですが――
「――ほいよ。CPUごと焼切れる前に、ぽすっとな」
……あっさりと。それはもう、考えられないくらいに、あまりにあっさりと。
屋上の入り口から現れた黒ずくめの人影は、あまりの高負荷に帯電していたはずの、私の尻尾に繋がる延長コード……命よりも大事な電力源をコンセントから抜いて、私の輝きを終わらせてしまったのでした。
「ソラ!? 貴女いったい、全警備システムまでダウンさせて何事なの!?」
「本当に……何処にそんな天才的ハッカー力があったんだ、おまえ……」
続いて現れたミストレスと、何だか呆れ切ったようなソウク先輩の姿に、私は唐突に……冷静にこの場の状況に気が付き、振り返って叫びます。
「ち……違います……!」
既に羽やらはしまい、黒髪に戻り、少年は膝をついています。
両手を捕まえられた私が、座り込んで少年と見つめ合う構図を、黒ずくめの人影は容赦なく評します。
「違わないだろ。どう見てもこっそり、闇夜での逢引にしか見えないんだが」
「更に違います! 私は決してとち狂ったわけでも、愛を語ったわけでもありません!」
「確か前にも、空き部屋にソイツを連れ込んでたしな。思ってたよりやる奴だな、ネコ」
「橘先生! こんな所におられていいのですか、ナナ様はどうなったのですか!」
言いながら、はっと。
私は自分がこんな場所まで来た理由を思い出し、一気に全身の熱が冷え去りました。
「その通りだ、ネコ。ナナちゃんが大変な時に、こんな所で、おまえは何してる」
「…………」
「後で診療所――いや、俺の部屋まで来い。俺をここまで動かしたんだ……それなりの報いはくれてやるよ」
いつも、ナナ様の診察くらいしか動こうとはしない橘医師。
それがこんな屋上まで来た理由は……ただ、私の不始末だと告げる、無機質なその声。
「御嬢さん。それじゃまた一階で、さっきまでの話の続きだ」
「……全く。貴男はいつでも、医者のくせに医学を軽視し過ぎていてよ」
ミストレス達の目から見れば、完全に暴走していた私が、鎮静化したのは確認できたようです。ミストレスと橘医師は、そのまま、屋上から姿を消していかれたのでした。
残ったソウク先輩が、本気で呆れたように、私と少年に尋ねます。
「おーい、ソラ……そして、氷輪様。いったい何がございましたの?」
先程の誤解の際に、慌てて少年と距離をとったのですが。屋上に座り込んでいた私達のちょうど中間に、ソウク先輩が私に視線を合わせるように屈み込んでいたのでした。
何も答えられない私の代わりに、少年がたはは、と笑って先輩を見ます。
「ソラは……悪魔に乗っ取られてたんだよ」
「は?」
「ソウクねーちゃん。ちょっとここ寒いから、その上着、貸してくれない?」
――? と先輩は、全く何も疑うことなく、黒いカーディガンをあっさりと脱ぎます。
寒さなど感じない機械なので、客人として扱う少年の要求に応え、それを少年に手渡しました。
「…………」
それでも何も変化の無い先輩の様子に、少年は……やっぱりなぁ、と困ったような顔で笑いました。
「こっちが媒介だったら、良かったのに……」
受け取ったカーディガンを、座り込んだまま大切そうに抱えて、私を切なげに見てくる少年なのです。
「って、アナタが着るんじゃございませんの?」
そしてそれを、ソウク先輩のツッコミ通り、少年は近付いた私の肩の上にぱさっとかけました。
まるでそれは……本来在るべきものの所へ、失われた誰かの形見を返すように……。
「……――」
……わたしは、どうしてか……。
ウツウツと熱がこもりやすく、寒さなど感じないはずのこの身で――
少年が黙ってかけてくれた、小さな黒い上着の儚い温かさ。何だか不意に、泣き出しそうな自分になってしまいました。
「あらら? 氷輪様、いずこへ?」
黒髪の少年が再び、青銀の髪となると、機械の看護師が少年の姿を見失いました。
そうして、暗い屋上でも色のわかる光を放つ蒼い目で、少年は座り込む私をじっと見つめます。
「お前の命は――ここにあったんでしょ?」
死神の少年が、苦しそうに笑いました。暗い場所を好む、日陰者のわたしを見つめて。
「普段はその上着に憑いた心霊が、無意識みたいなレベルで、ソウクのねーちゃんを操って動かして。お前の命……心と記憶はそこに憑いているけど、けれど意識は……魂だけは、ずっと、ソラの中にいたんだね」
少年の声は、機械の看護師には全く届きません。少年が見えている「わたし」にだけ、そうして静かに語りかけてきます。
「魂って言うと……広い意味では、命全体をさすものって言うけど……」
人の魂、いわゆる霊魂。広義にはそれは、命の核という「心霊」と、生命体に必須な「魂魄」を合わせた概念、と少年は言います。
わたしも一般データベースを検索し、その意味を一応確認します。
「でも契約とかの時の狭い意味では、『魂魄』の『魂』だけがオレ達にとっては魂で。『魂』はヒトの意識を司るもので……体を作るのが魄、無意識って領域が『心霊』――命そのものみたいに、オレは教えられてるんだよね」
つまり、命である「心霊」と「魂魄」は別のものであり、生き物の体と心霊を繋ぐエネルギーが「魂魄」であること。
そうして生き物が死した時に、地に還る「魄」と分かたれた「魂」は、心霊と一つになって「霊魂」として天に昇る……それが、彼の言う死者なのでしょう。
「お前は悪魔と契約する時に、自分の霊魂を二つに分けて、魂だけを自分そっくりなソラの中に隠したんじゃないかな? 元々、人間に似せて造られた人形は、ヒトの魂を宿しやすいって言うしね」
あまつさえそれが、ある誰かをモデルとし、姿まで似せられた人形であれば、尚更魂も宿り易いはずと。死神としての知識をもって、少年は非現実的なことを話し続けました。
わたしはあくまで、俯いたままで。この私であることを望む、わたしの答を少年に告げます。
「わたしに魂など、ありはしません。わたしは機械です――心など無い、冷たい機械です」
そう。心も魂も、わたしはいらないんです。何も良いこと、ありませんから。
何がこんなに、わたしを駆り立てるのか。でもそれは決して、認めてはいけないことなのです。
「でもオレは、ソラにしかオレのことは話してないのにさ。ソウクのねーちゃんは何で、オレが吸血鬼だって知ってたのさ?」
この機械はそんなことを話さないはず、と少年は淡々と問います。
だから医師の機械と看護師の機械は、何か同じもので繋がっているはずなのだ、と。
わたしには、そんな自覚は何もありません。あくまで、主の助けになれる手段であれば、わたしは何でも良かったので。
わたしは何もかもが、嫌いだった。嫌いでないのは、優しい主だけでした。
何もない真っ黒なわたしを、ここにいて、と照らし出してくれた光。それはいったい、誰のことでしたっけ……。
そこで少年が、困ったくらい優しそうな微笑みを儚く浮かべました。
「でもオレも……お前に魂がないって方が、都合はいいけどさ」
少年はただ、この空ろな機械のために、その結論を口にします。
「もしもソラの中に魂があるなら……媒介はソラで、オレはそれを壊さなくちゃいけない」
「……」
「でもお前がそのまま、悪魔になりたいっていうなら……わざわざソラを壊してまで、契約を解除する必要もないから」
……それがわたしの、意思であるのなら。
わたしという存在すらも、この死神は、助けたいと思ってくれているようでした。
わたしはそんな少年に、俯いて黒い上着を掴みながら、拙い笑いを口元にのせます。
「……きっとわたしは、わたしをやめたかったんです」
それだけを望んだわたしは、とっくの昔に人間ではない。だからここにいるだろう、私の願い。
黒いわたしを見つけてくれた少年に、その旧い答を返しました。
「……そっか……」
そこでようやく、灰色の目に戻った少年は、とても哀しそうにわたしを見つめました。
「確かにお前は……命を失った、空っぽな女のコみたいだね」
最後にそう言って、私の肩から黒いわたしを、再び少年が取り上げます。
その黒いわたしがなければ、多分わたしとならない私を、憐れむように笑って……。
「私は、ナナ様専属の召使です」
相変わらず意味不明なことをのたまう少年に、私はむくっと顔を上げて即答します。
何故かソウク先輩の黒いカーディガンを持っている少年は、そんな私に――
「うん……知ってるよ」
「――? 氷輪様、いつの間に?」
現れたり消えたりする少年を探し、不思議そうに見る先輩の前で、灰色の目の少年は苦しそうに笑ったのでした。
10:あくまでキカイ
CPUが軋みました。私、おかしいです。
自称吸血鬼の少年に、瀕死のナナ様を吸血鬼にしてもらう。
今から考えれば無茶苦茶です。非科学的な発想を恥じながら、私はお部屋に戻りました。
「何という暴走を、してしまったのでしょう」
そもそもナナ様がはっきり拒絶されたことを、押し通して良いわけもありません。
きっとアレです。ナナ様危篤という高負荷のために、CPUの疲労が限度を超えたのです。
あの後結局、自称吸血鬼は何処かへ去ってしまい、私は散々、黒いカーディンガンを再び着たソウク先輩に暴走行為を怒られました。
しかしお部屋に戻ったら戻ったらで、更なる苦悩が、私を待ち受けていたのでした。
「……え? ミストレス……今、何と――?」
「……挿管はしないわ。このまま菜奈の状態が落ちていくのなら……これ以上無理はしないと、主人とも相談してそう決めたのよ」
……有り得ません。
ナナ様に嘘をつけと言われてまで、治療の継続に拘ったミストレスが、その結論に至るのは……私には理解できない事柄でした。
「しかしミストレス。諦められるには、まだ早いのではございませんか?」
何も言えない程に衝撃を受けた私の代わりに、冷静なソウク先輩が反論します。
「最後までできるだけのことをされるのがミストレスのご信条と、ワタクシは思っておりました」
「……そうね。あたくし自身のことに関しては、それはずっと変わらないわ」
けれど――と。真っ赤な目をして、眠るナナ様の手を握られながら、ミストレスは歯を食い縛るようなお顔となってしまわれ……。
「それが本当に、菜奈の望みかもわからないまま……できることは全てすると言うのならば。あたくし達は、人間の領域だって、踏み越えなければいけないのよ……」
昼間の私達の、非現実的な会話を知るはずのないミストレスの、不可解なお言葉。
辛そうでも毅然としたお顔で、ミストレスはナナ様を見つめられます。
「……橘先生がね。どうしても菜奈の存在を留めたいなら……菜奈がまだ生きている内に、その体を灰に――人形にしてしまえばいい。そんなことを、言ってきたのよ」
「――は?」
「はい?」
揃って呆気にとられる私とソウク先輩の前で、心労で気がふれたのかと疑ってしまうミストレスが続けられます。
「よくわからないけど、あの先生にはそれができるんですって。けれどそのためには、とにかく今、菜奈がまだ生きている間に、その体を預けてもらわないといけない。そして、人間である菜奈にはもう二度と会えない……橘先生は、そう言ったのよ」
「…………」
本当に、全く意味のわからない内容です。
それでも、そのお話を拒否したミストレスの意向が気になり、黙って続きを待ちます。
「菜奈が回復する可能性は、もうほとんど無い……橘先生のおかしな話にのったとしても、結局、菜奈はいなくなってしまう」
今もずっと、ミストレスお手製の帽子を被りながら、堅く目を閉じられているナナ様。そのお手を、ミストレスが震える両手で握り締められます。
「ろくに親らしいことをしてやれなかったあたくし達に、菜奈はいつも、精一杯笑おうとしてくれた……苦しいはずなのに……菜奈が一番、辛かったでしょうに」
無表情に横たわるナナ様の姿に、ミストレスは両目を潤ませながら、声に決意を秘められました。
「それならもう、これ以上は……もう、これ以上菜奈に、無理をさせたくないのよ……」
だからこの後は、全てを成り行き通り――ナナ様に残された命のお力に、任せるしかない。それが自然だと、ミストレスは言い切られました。
「神様に祈るしかないの。あたくし達にできることは、それくらいしかないのよ」
ミストレスがそう、口にされたその瞬間に。
何故か不意に――
あまりに荒唐無稽な記憶が、私のメモリを唐突に占拠しました。
――俺は神だから。
吸血鬼の少年の介入という、妙な事態さえ起こらなければ、決してナナ様の状態予想を外さなかった黒ずくめの誰か。
自称神が、そこで私に語りかけます。
――ネコ。こんな所で、おまえは何してる。
あの吸血鬼のことですら――黒ずくめの誰かは、わかっていたのではないでしょうか?
――拾ったコウモリの面倒くらい、ちゃんと診てやれば?
吸血鬼はコウモリに化ける。有名な話です。
ヒトを呼ぶ時に動物の通称を好む誰かは、それでコウモリを選択したと思われるのです。
――あまり不自然な経過を辿ると……ネコがこの先、対応できなくなりそうだからな。
ナナ様の状態予想だけではありません。
先程のような私の問題行動までも、誰かは当たり前に予見していた気がするのです。
「俺は神だから、神を動かすな」
何かあれば、おまえらから訪ねてこいと、もう傲慢を超えて尊大な上司は……それでも今夜は、彼の方から私を探してきました。ある言葉を伝えに、わざわざ屋上にまで。
それは、ナナ様が大変な時に、いったい私は何をしているのかと――
「後で俺の部屋まで来い。それなりの報いはくれてやるよ」
その言葉には、私にとって大切な意味があるはずだと、あの黒い目が暗に告げるのです。
「…………」
演算が終わった、とても恐ろしい、混沌の考え。
恐ろしいと感じているのは、私でしょうか。それとも、私をそのようにプログラミングしたミストレスでしょうか。
人間の領域。それが自然。意味がわかりません。
けれど、ミストレスはそれを大事にしておられるのです。私が今、熱暴走した回路で弾き出した答など、ミストレスは必要とされないのです。
それなのに、わたしは、考えてしまう。私に答を、その実行方法を与えてしまう。
黙り込んだ私の背中を、最後に押したのは……他ならぬ私自身の声のメモリでした。
――わたしは機械です。冷たい機械です。
そうなのです。私は機械です。
非効率な感情に縛られる、理不尽な人間とは違うのです。私という存在そのものが、人間に都合良くあればいい、それだけの物なのです。
そして「私」は、ナナ様専属の召使です。
最早ミストレスのためではなく、ナナ様を第一に全てを考え、動く機械が「私」なのです。
――ソラは絶対……どんな時も、私の味方でいてくれるよね?
たとえこれから行われることで、皆が傷つき、苦しむことになったとしても……たとえそれが、ミストレスのご決意に反することでも。
そして何より、もしもそれで、ナナ様を苦しめる結果になってしまったとしても……。
それでも私は……どんなナナ様であっても、ずっとお傍にお仕えしたい。
――大丈夫だよ。だってソラが、ここにいてくれるんだもん。
私はもう一度……ナナ様のあの笑顔に、どうしてもお会いしたいのです……――
おもむろに、私は動き出します。
「……――え?」
「――?」
ナナ様のお部屋の仕切りの向こうで、今後について相談されていたミストレスとソウク先輩が、不思議そうに私を見つめました。
「ちょっとソラ、貴女……?」
「何、する気だ、ソラ!?」
私は黙って、ナナ様の点滴を抜き、酸素マスクも外し、モニターも全て取り払います。
それがどれだけ――スクラップ行きすら超えた、犯罪的な行動であるかわかりながらも。
驚くミストレス達が入ってこられないよう、鍵をかけた仕切りのこちら側で、解放されたナナ様を私は抱えます。
「……行きましょうか、ナナ様」
そうして二重強化ガラスの窓を開けて、私はナナ様と共に、バルコニーへと出ました。
「ソラ!? 待ちなさい、何をするの、ソラ!?」
仕切りの鍵をソウク先輩が力ずくで開けて、ミストレス達がこちら側に来られました。
けれど、窓枠を熱線で歪めておいたので、すぐにはここに来られないはずです。
「バカ、頭冷やせ、ソラ! いったい何度とち狂ったら気が済むんだ、おまえ!」
ソウク先輩の指摘は正しいでしょうけど。
それでもこれは、ナナ様に酷いことはしないはずだ、と橘医師への信頼でもあります。
そして、ナナ様を助けたいと願う、誰よりも忠実に造られた意識……私の身勝手でした。
青白く光る、冷たいばかりの月夜の下で。
いつかの死神のように、天をも貫く槍の穂先に、ナナ様を抱えたままで私は立ちます。
「……わたしは、あくまで冷静です。ミストレス」
「――ソラ!?」
実はちっとも、冷静であるわけはないのですが。そう見せなければ、とわたしは頑張ります。
でないと単に機械の暴走とみなされ、ミストレスの責任だけが大きくなってしまいます。
私との絶対的な断絶を示す強化ガラスを、必死に叩くミストレスとソウク先輩に、私は何とか冷静な笑顔を作ります。
製作者の命令に逆らうという、重大エラーからくる、CPUの莫大な負荷に耐えながら……私はそこで、わたしの答を伝えました。
「ミストレス。ナナ様をもしも、助けられる方法があるのなら……」
私の手の中で眠るナナ様を――私は改めて、大切に抱き締めます。
「人間の領域かどうかなんて、アクマで機械であるわたしには、判断ができません」
「……ソラ?」
「わたしに魂などはありません……わたしには、人間の禁忌は存在はしません。そんなことは、わたしの知ったことではありません」
だからそれは、認めてはいけないことなのでした。
ナナ様をお助けしたいと、わたしが願うなら……私は、人間であってはいけないのです。
死のさだめを覆す。それがどれだけ、人間の世界であってはいけないことか。
誰もがきっと願いながら、有り得ないと受け入れるしかなく、悲しみを糧に強くなっていくこと。
ヒトの運命に逆らう事の意味を、いつか私が、つきつけられる日が来たとしても――
「すみません、ミストレス……わたしは――ナナ様を失うことには、耐えられません」
だからせめて。それは全て、わたしだけの咎であってくれますように―――
きっと私は、心からの笑顔を、青白い月の下に残せたと信じています。
そのまま私は、ナナ様を連れて、バルコニーから飛び立ったのでした。
一寸先も見えない深夜、果てしない暗闇の中へ。
終:ソラと君の間
その、若くして重病で亡くなった、お金持ちの家のお嬢様は……九歳という幼さなのに聡明で、いつも優しい顔でいられて。
天使のような女の子だったと……葬儀の際には、重々しく語られたそうでした。
* * *
「――ねぇ、ソラ! お外に行こうよ、今日はいい天気だよ!」
「……しーっ。お口にチャックです。お隣に来客中なんですからね」
「何よ、ソラのバカ! お客さんと私と、どっちが大事なの!?」
私の記憶にあるお嬢様は――天使というのは、全く異論がないのですが。天使のように無邪気で純粋だと、そちらのイメージの方が私は強いです。
何しろ常に、私にはこのように、歯に衣着せられぬお嬢様でしたので。
「ナナ様に決まっています。それでもこれは、ナナ様のためのご注意なのです」
「何で!? ソラは私の言うことをきいてればいいでしょ!」
大きなお屋敷の一角の、ある小さな診療所の一室で。
どう見ても、ただの地味なおかっぱ女子中学生と、片やフランス人形のような黒い目の女の子がいます。洋装の上に、フワフワの黒いクセ毛を押える手編みの帽子はアンバランスですが、これは大事な物なので仕方ありません。
そんな二人が隣の外来診察室に構わず、結局騒ぎ立てている状態。何事か、と隣でお客様が目を白黒させていそうでした。
「ナナ様はカイ先生の助手なのですよ? 先生の仕事に迷惑をかけてはいけないのです」
「かけてないもん! 先生は私がいるだけでいいって言ってくれるもん! さすらいの医者に娘代わりの幼い助手は、黒い男の永遠の憧れだって先生言ってたもん!」
それは何処のハザマさんですか、と思わずツッコミを入れてしまう私なのです。しかも完全に、有名な外科医とは畑違いの、基本的に内科であるはずなのです。
しかし確かに、黒い髪で黒い目の、黒い服ばかり着ている黒ずくめのここの医師は、黒い男と言うしかないような先生なのでした。
そんな彼の、どうでもいいようなよくある一言……俺は神だ、と。
とても大切なことを、冗談のように口にする悪い癖がなければとは、度々思うんですけど。
私は機械です。目の前の黒いお嬢様に仕える、専属召使である機械です。
機械とはいえ、飛行能力は持ち合わせません。大変残念なので、造り主たるミストレスに、今度こそ改良を申請したく思っています。
一カ月と半ば以上前のことです。
一般的な家屋より高い二階から、人間を一人抱える形で飛び降りた私は……そのまま普通に、地上に着地しました。
腕の中の人間への衝撃に最大限の注意を払いながら、バーニア操作を駆使して、階下にゆっくり降り立った私でしたが。
「……何やってんだ、おまえ。普通にドアから入ってくればいいだろ」
地上に飛び降りた目的、その階の一角にあるこの診療所へ、一刻も早く抱えた人間を連れて行きたかった私は、窓から中に押し入ったのです。
それを出迎えた医師は、危篤状態だった人間を、私が連れてくることは想定内だったと言います。ところがまさか、外からやってくるとは思ってもみなかった、と大きく呆れられたのでした。
「屋内を通ると、相当の抵抗が予想されましたので」
「なるほどな。病気の子供を抱えてるのに、本気で抵抗するバカはここにはいないだろうが……ネコが必死だったのは、とりあえずよくわかった」
内部温度が上がり過ぎて煙を立てる私を、黒い医師はそうして、橘診療所――
外来診察室と、医師の居室に、保健室兼処置室。
三つしか部屋がないのに、やたらにドアが沢山ある外来診察室と違って、人跡未踏だった居室に、私と私の抱える人間を初めて招き入れてくれたのでした。
お屋敷の内ではその時、緊急事態警報が出されていたはずです。
それでも至って平穏なその居室には、医師が許可した者しか入れない仕組みだと、神様たる医師は謎の解説をしてくれます。
「俺は元々、御嬢さんの守護天使の関係で、ここに診療所を建てたからな」
彼は血の一滴も人間ではなく、人間世界で医師をするのも暇潰しだ、と黒い男は豪語します。
「人間相手の治療は、人間は脆いから、一番難しいんだ。おかげで腕も磨かれるがな……でも人間じゃなくしていいなら、手間はかかるが、いくつか方法はある」
「……それなら、ナナ様は、助かるのですか?」
「人間としては助からないが。人間の体を捨てるなら、お勧めなのは――天使か人形辺りだな」
そのどちらも一長一短があるということで、結局選ばれたのは、その両方の選択でした。
医師の居室には既に、青銀の髪を持つ少年が待っていました。
「あーあー……これだけ大物の悪魔がいたんじゃ、さすがのオレも敵わないよねー」
「悪魔って言うな。悪魔扱いされてはいるが、俺は元々、ただの灰の神なんだから」
大体、と医師は、その医師が黒幕として乗り込んできた初対面の少年に対して、とても機嫌の悪い顔で苦言を呈します。
「この件に俺はノータッチだ。オマエみたいな死神が俺のネコを連れていこうとするから……結局、俺が動く羽目になるんじゃないか」
何かとネコ、ネコ、と、医師は相当私を愛でて下さっていたというのです。だから私がそれだけ守ろうとした人間を、私のために助けてくれる気になったというのでした。
普段はそうした、不秩序で面倒なことは、神のはしくれとしては好まないらしいのです。
そうして医師は、死神という少年に協力を依頼しました。少年が天使の協力者というツテを利用し、まずその人間の霊魂を天使にしたといいます。そしてその後、有り得ない超速度で修行させ、命たる霊魂が安定したところで堕天使にして……ご遺体の灰を込めた人型人形に命を戻したのだとか。
灰は命の還る素だとか、物にも魂は宿るから可能だとか、帽子が媒介だとか、簡単に言えばそういう経過らしいです。意味は全く、私にはわかりません。
そもそも少年を派遣したのが、ミストレスの守護天使ということで、根回しは万全だったなどと黒い噂も絶えません。
でも私にとって、大事なのは、人形となったその人間。私の永遠の主、ナナ様の姿と記憶を持たれた方がここにいる、その点だけです。脳移植を行ったと思えば解決です。
相変わらず処理が重く、全てを保留する私には、それ以外に重要なことなんてないのですから。
「ねぇ、ソラ。私のお葬式って、もう全部終わっちゃったの?」
「はい、四十九日まで、つつがなく。ミストレスも苦渋のご決断です」
橘医師のように黒一色の目と髪以外、顔や体型は元とほぼ同じナナ様であります。
しかし、人間のご遺体を隠すわけにもいかず、立場が確定するまでは、と診療所に預けられる形になったわけでした。
と言っても同じ玖堂家の敷地でのご生活で、あまりナナ様の日常は変わっておられません。
この診療所……玖堂家という空間にも関わらず、沢山のドアを通して来る謎の受診者を相手に、友人を沢山作られていることを除いて。
何でしょうか――我が玖堂家はいつから、こんな超常空間になっていたのでしょうか。
そりゃ、自称悪魔や死神が現れてもおかしくはないですよね?
ミストレスがいったい何処まで、異状に気付いておられるのか……その底知れなさに、いっそうミストレスを畏怖する今日この頃です。
この件に関して、著しく暗躍したのは、ほとんどが私であるようなのでした。
「何処までが杉浦由希の支配下で、何処からがソラの意思かは、もーさっぱりなんだけどさ? 誰が黒幕かってあえて言うなら、それはもう完全に、ソラとしか言えないなー」
「そうなんだ……やっぱりソラは、何だか凄いね?」
解説する少年に、私同様何もわかっておられないナナ様が、何故かとても感動されています。
「キッカイのにーちゃんも凄く怪しいんだけどさ。この屋敷の内で杉浦由希に、力を貸した悪魔が誰かいるはずだしね」
自分はノータッチだという私の上司は、ただ単に、その女性が亡くなった連絡を受けたミストレスの依頼で、ご遺体をキレイにしただけだと言います。何やらそもそも、女性は普通ではなく、人間をやめたいと言って自らをサイボーグ化した驚異の人間なのです。ミストレスと共に、初代プロトタイプの召使を製作する前に。
杉浦を名乗る私達全員の目的は、今となっては、よくわかりません。
とにかく現在は、ミストレスに逆らってでも、ナナ様を見守ることです。人間世界の倫理を守るはずの、ミストレスのプログラムがいつ書き換わったのか、それが全然わからないのです。
科学的に言うなら、コンピュータプログラミングにとても長けたその女性が、私を遠隔操作したイメージだそうです。だから屋敷全体の警備システムなど、あの時の私は見事に操ってしまえたということでした。
……そうですよね。たとえ今やれって言われても、そんなこととてもできませんよ、私?
ただ気になるのは、その女性はとっくの昔に死んでいると、少年が口にしたおかしな事実も併存することなんですけど。
「ナナちゃん、どっか行きたいとこある? 今日は暇だから、何処でも好きなとこに連れて行けるよ」
ミストレスからお礼と言われ、人間世界の戸籍をもらい、診療所に遊びに来るようになったその少年は、ナナ様を度々連れ出してくれる現在でした。
「ええ、本当? 私、アメリカのボストン美術館に行ってみたいの!」
凄いです、ナナ様。いくら少年には可能らしいとはいえ、外出のスケールが違い過ぎます。
これまで我慢されていた分、それはいくらでも、好きにされてほしいのですが……。
「でもソラは……一緒にはまだ無理?」
しかし私は、あまりに過ぎた暴走行為として、オーバーホールを受けるまで謹慎の処罰を受けてしまったのでした。
まぁ、あれだけ問題行動を起こしながら、自宅謹慎で済んでいるのが凄いと思います。
反省心のアピールをということで、髪までばっさりと、肩の高さに切られてしまいました。
そしてこれまで通りに、ナナ様のお傍で、橘医師に指導を受ける毎日なのでした。
「でもソラ……何だかちょっと、明るくなったよね?」
しっかり素早く、ゴシックロリータのようなお出かけルックに身を包まれたナナ様。幼いながら清楚でお美しく、とても黒が似合われています。
その問いかけに、私は即答します。
それは多分――認めてはいけないことであるので。
「私は機械です。人間とは違います。ソフトの変更がなければ、人格も変化しません」
冷静に、私は、童顔を隠すように静かに微笑みます。
そんな私に周囲も何故か、顔を綻ばせ……そして。
「ソラの命は――ここにあるもんね?」
光に嫌われた死神の少年が笑いました。
光など不要な、黒いお嬢様の手をとりながら。
-了-
キカイなわたしのキッカイな日々
ここまでご覧下さりありがとうございました。
直観探偵シリーズなどの裏でもソラは健在ですが、診療所の往診担当になったので、受付の菜奈と違って話には出ていません。
特典限定ですが、その後のソラが少し出る話もあります→https://estar.jp/extra_novels/25607014
この話で院長が菜奈の治療に専念している間は、別の女医(https://www.novelabo.com/my/books/6724中盤登場)が外来を担当しています。
玖堂家&十人の子供達という、ワイルドな富豪世界観自体は、原作者が別に二人あります。
本来の話では、菜奈にあたる違う名前の子供は亡くなっています。このお話も正史は主を亡くしたソラが、キカイなのに鬱になる物語でした。
ミストレス&その旦那と、十人の子供キャラの創り主である、K氏とN氏に感謝を込めて。
『キカイな世界』シリーズ 初稿:2015.3.29
※8月中旬からは最長編Cry/シリーズを載せるかどうか、まだ検討中です……