ヒトとして生まれて・402

【オータムショック】

 次いでカンタベリー博物館を訪問する。ここでニュージーランドの
歴史を学ぶ。ニュージーランドは地形的に日本列島から北海道を取り
外したほどの大きさであり北島と南島からなる。クライストチャーチ
は南極寄りの南島の東岸に位置している。

「クライストチャーチの丘の上からの眺めは素晴らしく」市内を一望
できる。旅程における天候が快晴ということも手伝って旅先での秋を
大いに満喫できる幸運に恵まれた。

 丘陵からの視界には背の高い建造物はなく、秋が一面に横たわって
いた。洋介は、この旅行の出発前に東京の勤務先で、これがはじめて
ともいえるほど「見事な桜を会社の桜祭りで満喫」した。

 そして、地元の入間市にある稲荷山公園で美里と一緒に桜を楽しみ
成田空港から旅立った。
「海を越え一瞬にして、秋の眺望に変わるなんて、なんとも不思議な
体験だね」と、美里に呼びかけると
「素晴らしいわ、これが、ほんとうのオータム・ショックね」
と、美里も目を丸くして喜んでいる。

 洋介は、この感動を俳句にして・・・
「桜愛で一路海越えニュージーの秋」
と、詠んだのであった。この俳句には、春と秋が、十七文字のなかに
同居しており、松尾芭蕉翁も絶句するであろう珍句といえる。

「ニュージーランドでは、眺めの良い丘陵地帯に、家を建てることが
ひとつの憧れになっています」とは、女性コンダクターからの説明で
あり、丘陵から、広がった景色を見て「なるほどね」と、美里と二人
で一緒になって納得する。

「そういえば、高級住宅が、丘陵地帯に密集しているわね」
と、いう美里の感想に続けるようにしてミセスCIAから、
「この丘陵地帯には、自然保護運動を展開した政治家ハリーエルが
建てた英国風の建築物があるのよ」と、いうことで、みんなで現地
に見学に行くことになった。

 その建築物は、さすがに、どっしりとした佇まいであった・・・

「現在は、レストランに改造されていて、一般にも公開されている」
「ロビーに設えられたテーブルに、座るとなんとなく気持ちが落ち
着き、外の景色も、居ながらにして手に取る様に見える」
「建屋の周りは石積調でどっしりとしていて風格がある」
「洋介と美里にとっては『理想的な住居』を見付けた思いがした」

 市内観光も終わり、今晩の宿泊ホテルに着くと、それぞれに部屋の
鍵が渡されて、ディナーでの再会が女性コンダクターからアナウンス
される。部屋に入って旅行カバンを片付けてから二人でロビーに行く
とツアー仲間の若いカップルから声がかかる。

「ちょっとすいません教えて下さい」と、云われて、洋介が、
「なんでしょうか?」と、答えると、若い女性から、
「先程、ディナーの案内がありましたが、どんな服装で出ればいいの
でしょうか」

 ここは、美里の出番である。
「くつろげる感じの気軽な服装で大丈夫じゃないかしら」
と、答えると、若いカップルは安心した様子で部屋に戻って行った。

 やがて暖炉の火がチロチロと燃えているレストランに、ツアー客が
集まって来る。席は自由のようである。先ほどの若いカップルが会釈
をして近づいてくる。その後から、すっかり有名人になってしまった
ミセスCIA親娘と60才代後半のご夫婦が談笑しながら歩いてくる。

 洋介と美里もレストランの係りの女性に案内されて席に着く。洋介
と美里の前には、若い新婚夫婦、隣の席には、ミセスCIAチームの
4人が席に着く。

 大きな8人掛けのテーブルがいっぱいになる。隣席のテーブルには
弁護士さんたちが、友人と一緒に案内されて席に着く。

 こちらのテーブルでは、最近、出かけられた旅行の思い出から話し
が始まっている。ミセスCIAとは親友と思われる女性がスイス旅行
の話しを、ご主人と掛け合いよろしく楽しそうに紹介して下さる。

「スイス旅行では登山電車での山登りが一番楽しかったわ」と、いう。
「あっそうそう。ビデオが撮ってあるから、日本に帰ったら家に遊び
にいらっしゃい」と、いう話しに発展する。

「自宅には、海外旅行のビデオを、たくさん保存している」という。
ミセスCIAの友人が 「どちらに、お住まいですか」と聞くので
「埼玉県入間市です」と答えると「私たちは新所沢よ」と・・・

 ニュージーランドからの距離感では、ほとんどピンポイント的に
同じ地域といって良い。世間は狭いものである。新婚夫婦の新居は
相模原だという。

「今度この旅行から帰ったら我が家に遊びにいらっしゃい」と両家
で誘って下さる。
「ありがとうございます」と、いいながら、ご近所のしかも隣組と
いう、親近感が湧いてくる。

 やがて、ディナーが、当日のメニューに沿って運ばれてくる。
「どちらかというと薄味だね」と、お互いの感想を述べあって運ばれ
てきた料理を口に運ぶ。新婚夫妻は「海外旅行は今回が初めて」だと
いって、とても楽しそうに、皆さん方の話しを聞いていた。

 すると、今度はミセスCIAが、唐突に新婚夫婦に向って・・・
「あなたたち新婚組だけのツアーでなくて良かったわよ」と云い出す。
「なんでも、最近、新婚さんだけのツアーで地中海に出かけた」
「ツアー客にとっては12日間の豪華旅行、添乗員さんが途中で異変
に気付いた」


 旅先でもあり、必死の思いで場をとりなして、全員一緒に帰国した
ものの、そのなかの三組が、帰国後に別れることになったのだという。
しかもその赤い糸の混線模様の中から、なんと、1年後に違った組み
合わせで、2組のペアが再生したという。

 なんともビックリするニュースの紹介であった。そこに居合わせた
一同はただ唖然としてその話を聞くばかりでお互いに顔を見合わせた。
食事の途中、女性コンダクターから今回の旅程の概略が、あらためて
紹介された。

「昨日は、機内泊のため、そろそろ、眠くなってきたと思いますので」
という気遣いで、要点だけが説明される。
「明日はマウントクック村からクイーンズタウンへ行きオプションと
なるが、4日目には、ミルフォードサウンドの観光が計画されている。
そして後半には、北島のオークランド泊が、旅程の仕上りとして用意
されている」という。

 今回の旅程では随所で自由時間が工夫されており、その時の過ごし
方については大いに話が盛りあがる。旅慣れたミセスCIAチームや
お友達のご夫婦からの旅関連の情報提供は、洋介や美里たちにとって
大いに参考になるトピックス続出で、同席していた新婚組も目を丸く
したり目を細めて笑顔になったりと忙しかった。

 話題満載のディナーは、あっという間に時間が過ぎた。的確な会話
は食事の調味料というが今回について云えば、話題そのものがメイン
ディッシュという盛りあがりようであった。

 皆さんパワーに満ち溢れていてパワーを分けていただいた気がする。
「ご一緒しているだけで、自然に、気持ちが明るくなってくるね」と
その日のことを振り返りながら、早目にベッドに入ることにした。

 充分に睡眠をとったこともあり翌朝は早起きして外に出るとテカポ
湖の水面が目に入ってきた。 「あら、もう霜がおりているわよ」と
美里が枯れた芝生の上を歩いて行く。「記念に写真を撮っておこうよ」
と、美里に振り返ってもらってスナップ写真を撮った。

 やがて、レストランにおける朝食が済むと・・・
「希望される方には、今からバスの出発前に、テカポ湖周辺のご案内
を致します」と、いう案内がありガイドさんに付いて行くことにする。
「ここは善き羊飼いの教会です」と、説明があり内部に入って行くと
外からの見た目では小さな教会だが内部からの景色は大きく広がって
おり、厳粛な空気が伝わってくる。

「きれいにしてるわね」と、美里が感動の声をあげる。たしかに内部
の掃除が良く行く届いている。近くには、犬の銅像が建っていた。
「ニュージーランドの犬たちは羊たちの面倒を良くみる」
「犬たちの活躍が羊毛産業を支えているといってもよいだろう」
「その中にあって銅像になっている忠犬は、ある時、牧場主の危機を
救ったのだ」という。

 詳しいことまでは分からなかったが銅像になるくらいの忠犬なので、
「そのご主人思いの行動はニュージーランド版の忠犬ハチ公といった」
ところなのであろう。


【最高峰マウントクックの眺望】

 雪に覆われたマウントクックの姿は秀麗で、ずっと観ていても飽き
が来ないという印象である。ミセスCIA親娘は大型バスの最前列に
陣取り、娘さんが盛んにビデオで前方の風景を撮影している。

 南島の屋根といわれているサザンアルプスの最高峰マウントクック
は、探検家キャプテン・クックの名前を記念して、命名されたもので
ある。しかしながらニュージーランドを3回も訪れたという、英国の
探検家キャプテン・クックは、この秀麗な山を一度も見ていないのだ
というから驚く。

 ベンツ製の頑丈なバスは全員にシートベルトを着用させて制限速度
なしの高速運行で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には、秋の
野原が、一面に広がっている。

「春には野原一面が花でいっぱいになります」と、いうガイドさんの
説明がある。この野原で、採れる蜂の巣は、そのままスライスカット
されて、天然産の蜂蜜として、お土産屋さんで売られている。

 右手には長手方向に沿って湖が続いている。空が写っているような
水面の青さが印象的である。我々のバスに地元の案内役として同乗し
た日本人ガイドさんは、ニュージーランドがすっかり気に入って住み
ついてしまったというだけあって土地の事情に詳しい。

「皆さまの右手に見えております、湖には、2メートル級のうなぎが
棲みついております」
「ときには水を飲みにくる子羊を呑みこんでしまう」と、聞いており
ますという説明に、洋介は内心「本当かいな」と思いながらも、情景
を想像しているうちに背筋が寒くなってきた。

 湖面に沿って走るバスの左手に目をやると風景が牧草地帯にとって
変わる。羊の群れが牧草をもくもくと食べている。バスを止めて一緒
に写真を撮ろうとすると、羊たちがいっせいに逃げ出してしまう。

 羊たちは、全てが雌であるという。雄は、子羊の段階で食肉になる。
そして種羊に選ばれた雄だけが残されるのだという。この種羊も時折、
生殖能力の検査が行われて、役にたたなくなったら食肉になるという
から厳しい世界である。

「どのようにして検査をするのですか?」と、ガイドさんに質問を投
げかけると「簡単な方法ですよ」・・・
「種羊の股間に、チョークを塗り込んでおいて、そのチョークの粉が
雌の羊たちに付着していなければ、役立たずと判断されるのです」と
いう説明に思わず「厳しい世界だな」と驚く。

 牧場での飼育は、羊だけではなく、鹿も放し飼いにされている。
「鹿のフェンスは高くしてあるので鹿を飼っている牧場はすぐに分か
ります」と、ガイドさんから説明が加えられる。やがて、トンネルに
入る手前で休憩となる。

 道路脇には小川が流れている。その水の清らかさに誘われて思わず
手で水をすくう。「心が洗われるような清清しさね」と、美里が目を
細めて喜びを表現する。

「目の前にあるトンネルは、最近の雪崩のときに、山から流れてきた
大雪により埋まってしまってブルドーザーで掘り出した」のだという。
ミセスCIA親娘が「あっ、虹よ」と、ビデオで盛んに撮影している。

 地平線上に、完全な形で跨ぐ虹を見たのは、洋介も初めてのことで
あった。地元のガイドさんが・・・
「ニュージーランドでは、虹は、あちこちで、頻繁に見られますよ」
と、説明している。

 バスから降りて手足を伸ばしたついでに辺りを散策することになり、
もう一度、虹の頂上部を見た時に、天空の光が洋介の目に糸のように
つながった。状況が飲み込めずに立ちつくしていると・・・

「さっきの滝は迫力があったわね」と、美里がついさっき滝を上から
見おろした時のことを思い出して、話しだす。洋介の感覚でも、通常、
滝は下から見上げるが、上から見おろす滝の迫力は凄かった。

 バスの運転手さんが地元のことを知り尽くしており、ガイドさんと
相談しては観光化していない穴場に案内してくれるので、ツアー仲間
は大喜びである。

 やがて、それぞれに休憩を終わりバスに乗り込む。バスがトンネル
に入ってから間もなくのこと、突然、バスのライトが消えて、車内が
真っ暗になる。
「キャー、どうしたのかしら」と、女性たちが騒ぎだす。
「すぐに、ライトが点灯される」

 しかし、その時には愛嬌たっぷりの運転手さんのいたずらであった
と思い込んでいたが、後日になって、気付いたことであるが・・・

「後刻、ソムリエ風の紳士:神崎氏に異次元の世界に案内されること
になるのであるが、トンネル内での暗闇作業こそがパラレルワールド
に向けての、軌道が用意された瞬間ではなかったか?」と、思われる
懸念が感じ取れる事態が訪れることになる。先程の虹の頂上部からの
天空の光が洋介の目に飛び込んできたのもバスの運転手さんたちへの
天空からの合図であったとも、受け取れる場面に直面するのである。

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「トンネルを抜けるとマウントクック村です」と、ガイドさんからの
案内がある。話題は変るが、ニュージーランドに来てから随所で環境
保護への配慮を感じ取った。

 例えば、ゴミ捨て用の袋には燃えやすく工夫された、特別製のもの
を使っている。また公衆トイレにおいては施設全体がステンレス製で
建設されており、天上から一気に水が流れる仕掛けになっている。

 そして、トイレ内の清掃についても、小まめに実施されている様子
であり、あのトイレ特有の異臭感は「まったくない」と、いって良い。
「ハイキングコースなども、有名な景勝地を訪れる登山者は、登録制
になっていて登山者に対しては『登山をする上でのエチケットが徹底』
されていて厳格に守られているのだと」という。

 マウントクック村に着いて、最初に、目から入ってきた印象はゴミ
ひとつない清潔感であった。村からの眺めはマウントクックが目前に
迫ってきて圧巻である。

 標高3764メートルもある最高峰は、最近の大きな雪崩で標高が
変ってしまったという。このマウントクックに、さらに近づきたいと
いう人のために、軽飛行機で頂上付近の氷河に着陸する航空サービス
が用意されている。

「風の強いときに飛行機に乗ると、機体がかなり大揺れしますよ」と、
ガイドさんから説明があったが 「私たち飛んで来るわ」と、ミセス
CIA親娘と友人夫婦は、一番乗りで名乗りをあげる。

 さすがに、好奇心旺盛で反応も俊敏である。新婚夫婦も同行すると
いう。洋介は、美里に向かって「どうする」と、聞くと・・・
「私は、まだ子供たちを育てきってないから、やめておくわ」という
返事が返ってきた。洋介は、美里と一緒に、ミセスCIA親娘と新婚
夫婦の乗った軽飛行機が飛び立つのを見送ってからレストランで昼食
を取ることにした。

 二人でレストランに入ると、店内は、大賑わいの盛況ぶりであった。
「あの人たち、本当に元気ね」と、ミセスCIA親娘やお友達夫婦の
パワフルさに驚きながら、チーズ味の食事を心ゆくまで楽しんだ。

 昼食を終わって隣の部屋に移ると「真正面にマウントクックを眺望
出来るよう」に寛ぎの間が用意されていた。中央の大きなソファーに
座ると目の前に広がった深い森林に吸い込まれるようにそして優しく
包み込まれるような感覚に陥って思わず睡魔に襲われた。


【マウントクック村での異次元体験】

 洋介は、自分専用のカメラを一眼レフにしてからというもの、旅に
出掛けたときの写真の出来上がりが楽しみになった。マウントクック
を背景にして、美里を左側の自動焦点に合わせて、一枚、二枚と少し
ずつアングルを変えながら撮影して行く。

 最近は、デジカメの一眼レフが全盛だが洋介はいまだに前から愛用
している一眼レフにこだわり続けている。洋介と美里のツーショット
の場面ではハンディーカメラに取り換えて、リモコンの2秒タイマー
を使って撮影していると「小田洋介様ですか」と、蝶ネクタイの紳士
が、こちらに向かって真っ直ぐに歩きながら会釈をして来る。

「小田洋介様ですか」と、再び、尋ねてくるので、
「はい、小田洋介です」と、答えると、
「閣下が、洋介さまに、是非、お会いしたいと申しまして、お迎えに
あがりました」
「家内が、一緒ですが」と、いって、美里のほうを振り返ると、
「お時間は取らせません」と、いって、美里に視線を合わせた。

「バスツアーの出発時刻までには必ず間に合わせますので」と、なに
もかも、お見通しのようである。
「あなたバスの出発までには時間がありますから、いってらっしゃい」
「私はこの辺りで時間を過ごして待っていますから」と、うながされ、
ようやく心が動いた。

 蝶ネクタイの紳士に案内されて、外に出ると、目の前には黒塗りの
ロールスロイスが止まっている。
「どうぞ」と、ドアが開かれてゆったりとした後部座席に案内される。

 洋介はだいぶ昔のことであるが、イギリスで航空機用のエンジンを
製造していたロールスロイス社を訪問した際にイギリスのダービーの
ホテルまで、同じタイプのロールスロイスが迎えに来て、上司と一緒
に乗ったことがあるので、室内の様子はだいたい分かっている。

 蝶ネクタイの紳士は後部ドアを閉めると前室に乗り込んだ。そして
前室で運転手さんに、なにか盛んに指示を与えている。運転席までは
離れていて良くは聞き取れないが・・・
「時間経過の設定を百万倍速にしておくように」
「バスの発車に遅れないように、セフティーロック付きのタイマーを
かけておくように」と、いうようなことを云っているようだ。

(続 く)

ヒトとして生まれて・402

ヒトとして生まれて・402

異次元世界の入り口・・・

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-27

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