ひらめいた曲 1〜10
『あれやこれや』『掌編集』を投稿して、ひらめいた曲です。『お気に入りの音楽』と重複するものもあります。
1 遠い遠い昔
孫の世話で海辺の息子の家に3週間も滞在した。毎日朝夕、道路を渡り階段を降り海辺に出る。
海から、思い出した詩がある。
詩は苦手だった。
書けないし。読んでもわからない。
中学の頃は少し読んだ。
高砂さんという文学少女と親しくなり影響された。
彼女は詩を暗誦した。コーラス部なので歌もうまかった。
高砂さんはハイネの詩集を読んでいた。私に貸してくれた。
私は……読んでもつまらない。
ペラペラめくり、終わり。
ところが、その詩だけは浮き上がって見えた。
問い
寂しい夜の海ぎしに 、若者が一人立っている。
胸には愁いが充ちており、頭は懐疑でいっぱいだ。
若者は憂鬱な声で波に問う。
「人生の謎を解いてくれ。
一番古いむつかしい謎を、
エジプトの僧の頭巾を冠った頭、
ターバンを巻いた頭や、黒の縁無し帽をかぶった頭、
さては鬘をつけた碩学せきがくの頭や、その他無数の人間の 、哀れな汗ばんだ頭が考えあぐねたあの謎を。
いったい、人間の意義とは何だ?
人間はどこから来て、どこへ行くのだ?
あの天上の、金に光る星々には、何者が住んでいるのだ?」
波は果てしない呟きをくり返し、
風が吹き、雲が飛び、
星々は光る、無関心に冷たく。
(次ページへ)
そしてひとりの愚者が返事を待っている。
この詩をそばに置いておきたくて、文庫本を買った。
見事に変色したページ。180円だった。
海から、思い出した歌がある。
中学の音楽の時間に習った。
合唱コンクールで歌ったから歌詞も覚えている。
しかし、歌詞を貼り付けてはいけない。
著作権があるのだ。
とおいとおい昔 夜の浜辺で
若者ただひとり 竪琴を弾いていた
歌詞も2行なら著作権を侵害しないのかしら?
歌詞から一部を切り取っても、その結果が「ごくありふれた表現」だったりしたら、著作権を気にせずに利用していいらしい。
遠い遠い昔夜の浜辺で
https://youtu.be/VRVmc2_fQZ4?si=GuRiSvLI6xWOcClz
この歌はイスラエル系の民謡で、パブリックドメイン…… 著作権はすでに消滅しているはず。『桃太郎』と同じ……でも訳詩は?
『むかしむかし』久野静夫 訳詞
このメロディーのフォークソングがありました。
防人の唄 / シュリークス
https://youtu.be/XsIFrgtD1L8?si=zJFb76aWz-aonL_T
シュリークスは日本のフォークソンググループ。1969年結成。
1969年、早稲田大学フォーク・ソング・クラブのメンバーで結成されたザ・フォーシュリークが解散し、リーダーの神部和夫が明治大学の山田嗣人 (山田パンダ)、早稲田の嘉屋泰雄を誘って結成、1969年9月コロムビアレコードから「君よ!人生は」でデビューした。
その後、嘉屋泰雄の脱退と入れ替えに、ザ・リガニーズの所太郎が参加した。
1970年に東芝エキスプレスから「さらば」をリリース、ヒットした。
後に保坂としえ (後のイルカ)が参加し「君の生まれた朝」をリリースしたが、所太郎と山田嗣人 (後に山田パンダとしてかぐや姫に参加)が脱退したため、男女二人組となった。
その後2人は結婚、神部としえとなったイルカはソロシンガーとなり、「なごり雪」のヒットをとばした。
【旧メンバー】
神部和夫
山田嗣人
嘉屋泰雄
所太郎
保坂としえ
高砂さんは歌もうまかった。国語の時間には
「高砂、歌え」
と、なんの流れでか先生に言われ、臆せもせずに歌った。
なぜか『ステンカラージン』
ロシア民謡 ステンカラージン ダークダックス
https://youtu.be/TJs2R7zA6Ws?si=_a33K5uvNi7qc8Br
この曲は『お気に入りの音楽』145話で特集しました。残酷な内容でびっくり。
2 乾杯
中学2年の時に同じクラスになった高砂さんは頭が良かった。漢字はなんでも書けた。薔薇も。それに社会、特に歴史の知識はすごかった。
あとは歌。国語の時間になぜか、歌の話になった。よくは覚えていないが、彼女はペルシャの姫がどうの……と話をし、先生に歌ってみろ、と言われ歌い出した。
恥ずかしがりもせず堂々と。
コーラス部だった。
斜め前の席の彼女は、紙に書いた詩を私に見せ暗唱した。
君死にたもうことなかれ……
私も真似をした。
君よ、知るや南の国……
与謝野晶子肉声 自作短歌
https://youtu.be/10JpZaKIky8?si=ZeXwS-_EDcRZPwP0
昨日より波浮の港にとどまれば東北風吹けども鶯ぞ鳴く……
『君死にたもうことなかれ』を検索していたら与謝野晶子の肉声を見つけました。(びっくり)
『えんぴつ・筆ペンで詠う与謝野晶子』という、練習帳を持っています。名歌百選を筆ペンで練習したのにぜんぜん覚えてない……
フワウストが悪魔の手より得し薬
われは許され神よりぞ受く
むさし野の家に帰れば菊の香の
冷やかに立つ夕月夜かな
チャイコフスキー ただ憧れを知るものだけが
https://youtu.be/sv3b-BUhlNw?si=n4t4Ii6hducUNkgK
この詩は、ゲーテの「ウィルヘルムマイスターの修行時代」の中で、ミニヨンという不思議な少女によって、歌われる詩のひとつです。
ゲーテの「ウィルヘルムマイスターの修行時代」は中学時代に読んで感激したのですが、内容を覚えていないのです。
ただ憧れを知る人だけが、
私が何を悩んでいるかを知っています。
独りで、そして、あらゆる喜びから引き離され、
私ははるかかなたの大空を仰ぎ見ます
ああ! わたしを愛し、知る人はとても遠くにいるのです。
それを思うと、私は目が眩み体の内が燃え上がります。
ただ憧れを知る人だけが、私が何を悩んでいるかを知っています。
詩や小説の好きな高砂さんとは親しくなった。ユニークな人だった。50年前、私は尾崎紀世彦に夢中だった。彼女は森進一。それがまたおかしかった。
彼女は駅前の本屋で立ち読みをした。少年マガジンの『あしたのジョー』と『巨人の星』
その間私は待っていた。同じ方向の電車で帰った。ホームのベンチに座り話した。電車は何台も通り過ぎて行った。あれほど語り合った人はいなかった。
長い休みには彼女の家で勉強した。1駅先の駅から歩いて5分くらいの大きな家で、おかあさんの手作りのケーキが出てきた。50年も前だ。菓子作りの本もそれほど出てはいなかった。高砂さんが手動のコーヒーミルで豆を挽きコーヒーを淹れてくれた。
高砂さんとは別の高校だったが時々は会っていた。おとうさんが亡くなると千葉へ引っ越していった。フランスに留学し、戻ると神田の本屋で働いた。本に囲まれていれば幸せだと言う。
彼女は私の結婚式に、ひとりで歌をプレゼントしてくれた。当時はまだ知られていなかった長渕剛の『乾杯』
アカペラで長い曲を最後まで。コーラス部にいた彼女は上手だった。歌が大ヒットしたのはあとのことだ。
長渕剛 乾杯
https://youtu.be/ydqlQi6tBvM?si=ncF578AykrInXfO7
いつのまにか年賀状も絶えてしまった。
息子の家に行く途中、高砂さんが越して行った地名を通る。会わなくなって40年が経つ。住所を検索すれば近辺の写真が見られる。結婚しただろうか? どこにいるのだろう? まさか、フランスとか?
会ってみたいと思う。ネットで検索してもヒットしない。彼女が好きだったのは三銃士のアトス……アトスの名で、なにやらクイズを作り雑誌に応募していると言っていた。
会いたいな。話したい。私はずいぶん本を読んだ。詩も読んだ。歴史も中国のは詳しいよ。ドラマ観てるから。
驚くだろうな。文章を書いてるなんて知ったら。いや、彼女のことだ。とうに小説を投稿しているかもしれない。長い歴史小説かな?
3 ノーベル賞文学賞
言葉をメロディーに乗せた。
2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞。
1941年生まれ、ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン。
誰でしょう?
反戦フォークの旗手、偉大な芸術家、今世紀最高の詩人……
1961年、ケネディ大統領誕生に沸くニューヨークに現れた一人のシンガーは、アメリカの時代の精神を歌に刻みながら歩み続け、“生ける伝説”となった。
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。これまで、その謎めいた比喩や歌詞は、正確な意味をめぐって研究者の間でも解釈が分かれ、議論を呼び続けてきた。
ボブ・ディランとは何者なのか。そして、詩に込められた真意とはどのようなものなのか。
(NHKスペシャル ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉より)
ノーベル文学賞を受賞することは、わたしがこれまで想像も予測もし得なかったことでした。
学校の教室で教えられ、世界中の図書館に置かれ、敬意を込めて語られてきた文学の巨匠たちの作品には、常に深い感銘を与えられてきました。そのようなリストに名前を連ねることになったことには、まったく言葉で言い表せない思いです。
もし、わたしがノーベル文学賞を受賞するチャンスがほんの少しでもあると誰かにかつて聞かされていたなら、その可能性は月面に立つのと同じくらいと思わざるを得なかったでしょう。
この驚くべき知らせを受けたときツアー中だったわたしが、この知らせを理解するには時間がかかりました。
わたしはウィリアム・シェイクスピアに思いを馳せるようになりました。彼の言葉は舞台のために書かれたものであり、読まれるためではなく語られることを意図していたのです。
「これは文学なのだろうか?」
という疑問は、シェイクスピアの心から最も離れたところにあったに違いありません。
わたしの行動のすべての中心にあったのは、わたしの「歌」でした。わたしの「歌」があらゆる文化を超えて多くの人々の人生に居場所を見いだしたように見受けられることに感謝しています。
世の中には400年経っても決して変わらないことがあるものです。
「わたしの歌は文学なのだろうか?」
そう自分に問うた機会は今まで一度もありませんでした。
したがって、スウェーデン・アカデミーには、まさにその「問い」について考えるお時間を割いてくださったこと、そして、究極的には、このような素晴らしい「答え」を出してくださったことに感謝しています。
(ボブ・ディラン コメント抜粋)
『はげしい雨がふる A Hard Rain's a-Gonna Fall』は、ボブ・ディランが作詞・作曲・演奏・歌唱した楽曲。アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』 (1963年)に収録された。
歌詞は後年のディランの作品に通じるような象徴的なイメージに満ちたもので多様な解釈ができる。
日本では、1966年4月に日本コロムビアから、「風に吹かれて」のB面として「今日も冷たい雨が」という邦題でシングルカットされている。
「はげしい雨」が核ミサイル攻撃による「放射能の雨」という解釈については否定をした。
コロンビアのサントス大統領が授賞スピーチの中で、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞の一節を引用してこう語った。
戦争が原因で命を落としたのは、20世紀だけで1億8700万人にのぼる。残念なことに、新世紀において犠牲者の数は増える一方だ。
ボブ・ディランが60年代に歌い、私を含め本当にたくさんの若者たちの心を打った、あの忘れられない質問を、今こそ思い出そうではないか。
“どれだけ人が死んだら あまりにも多くの人たちが死んでしまっていることに気づくのだろう?
その答は、友よ、風に吹かれている。その答は風の中に舞っている……”
12月10日、スウェーデンのストックホルムで行われた2016年ノーベル賞授賞式、ディラン本人は欠席したがパティ・スミスが「はげしい雨が降る」をパフォーマンス。
また、その後行われた晩餐会にて、ボブ・ディランから届いた授賞スピーチを駐スウェーデン米国大使のアジタ・ラジ氏が代読。
パティ・スミスが、12月10日にウェーデンのストックホルムで行われた2016年ノーベル賞授賞式に出席し、ボブ・ディランの代表曲である「はげしい雨が降る」をオーケストラとともに歌唱した。
感極まったあまり途中で歌い直す場面もあったが、
「ごめんなさい。緊張してしまって、歌い直すわ」
と語ると、会場中から温かい拍手が巻き起こり、最後まで感動的にエモーショナルに歌いあげた。
ステージ上のスウェーデン国王やノーベル賞各受賞者、そして会場中から大きな温かい拍手が鳴り止まず、観客の中には涙するものもいた。
4 放送禁止歌
中学2年のときに同じクラスになった斉藤君。背が高かった。私の前の席。彼の隣は背の低い高砂さん。ふたりはいいコンビだった。1年のとき同じクラスだったのだろう。女の高砂さんが、斉藤と呼び捨てにしていた。
高砂さんとはよく本の話をした。『真田幸村』を貸してくれたが、読めずに返した。ポワロが好きで、ふざけて私を「モナミ」と呼んだ。
斉藤君は毎日遅刻してきた。怒られても怒られても遅刻してきた。
斉藤君は後ろを向いて話しかけてきた。
「アイミー好き?」
「なに、それ?」
とは聞けなかった。喫茶店など入ったことはない。
「岡林信康好き?」
真面目な私はその頃、岡崎友紀も知らなかった。
私は真面目すぎるくらい真面目で面白くはなかったろうに。反応がないから気になったのかもしれない。授業中もしつこく話しかけて、先生に怒られていた。
1度だけ素敵だった。文化祭でギターを手に歌った。岡林信康の『くそくらえ節』
歌詞にびっくり。でも、先輩たちより魅力的。
歌手の高石友也さんが地元の教会に来ると聞き「高石友也って誰や?」という認識だったけど、山谷にいたという共通点から興味を持ち「反戦フォークの夕べ」の実行委員になった。
当日その高石友也の歌を聴き、うまいとは思わなかったが、まいったと思った。自分の思ったことを歌にして歌っていいんだと。
それで自身も歌を作りたくなり、友達のギターを借りて、高石のアルバムを聴きながらコード進行などを勉強して、ちょっとずつ歌を作った。
その中の1曲が『くそくらえ節』
再び高石が来るということで、飛び入りで歌わしてくれと頼む中で、できた歌を聴かせたところ、どれもこれもつまらんと言われて、やけくそで歌ったのが『くそくらえ節』
これがおもしろいと言われて歌うことになった。
そしたら、高石よりも受けてしまい、その場にいた音楽事務所の秦政明より「うちに入って歌わないか」と誘われ歌手になる。
デビュー前にいろんなステージに出て受けたことから、デビューさせる計画が持ち上がった。
1968年に当初一番条件のよいビクターレコードと契約して、4月始め『くそくらえ節』をA面に、『山谷ブルース』をB面で吹き込み「山谷出身の歌手」ということで、5月15日から大々的に売り出す予定だった。
ところが、レコード発売直前になって、倫理規定委員会から
「思想的偏向性 (国家権力や政治家を徹底的に風刺した歌詞となっている)」があるということ、『くそくらえ節』と言うタイトルではまずいと言うことで『ほんじゃまあおじゃまします』とタイトルに改名されたものの、歌詞に問題あり (歌詞の中の政治家を批判する内容が、近く行われる参議院選挙に影響が出る)と言うことで、その歌詞も見直し、見本盤までは作られたが、発売中止になった。
結局、B面に収録されていた「山谷ブルース」をA面にして (B面は「友よ」)デビュー曲として発売。
秦は、当時の新聞記事で、
「政治家個人を中傷したわけではないし、落語家でもこのくらいのことを言っている。行き過ぎで、このままでは何も言えなくなる。どうしてもダメなら自主販売も考えている」
ということで、翌年立ち上げたURCレコードから、ライブ録音された物がシングル盤として発売。B面は「がいこつの唄」。
7インチレコードながら、A面が収録時間8分弱ということで、33・1/3回転、B面は通常の45回転である。
1969年8月21日、「題名自体が下品なもの」である上に、
「歌詞の内容についても一方的な発言が多く、国家の誇りを傷つけ、個人、職業などをそそしるものとして」
日本民間放送連盟による要注意歌謡曲指定 (放送禁止)を受けた。
同時期には、岡林の他の曲も要注意歌謡曲指定 (放送禁止)を受けている。
くそくらえ節 岡林信康
https://youtu.be/l0KhetHAbiE?si=VfQ8c-v4Rv0sZuu3
がいこつの唄
https://youtu.be/-ffrIDEGqTY?si=rrpGW1zchkkqdQ2h
卒業したあと、斎藤くんから何度か電話がきた。家の固定電話だ。顔を見ないと私も話せた。同級生の女の子に何人かかけているらしい。
出した名前はかわいい子。かわいいけれど性格は我儘で、私は好きではなかったふたり……死んじまえ。
電話は定期的ではない。気まぐれにかかってきた。寂しいときの話し相手の何人かのひとり。私も長電話を楽しんだ。クラシック音楽が好きだというと、電話の向こうで鼻歌が。ツァラトゥストラはかく語りき……
高校を卒業して就職した。
その頃また斉藤君から電話がきた。レストランでバイトをしているから食べに来い、と。何人かにかけたのだろう。会社のふたつ手前の駅。
よくひとりで行ったと思う。ノンノのモデルを真似た格好で。
「また、斉藤の女」
とヒソヒソ声が聞こえた。死んじまえ。
社会人になったふたりが久しぶりに会った。斉藤君は仕事中だから、たいして話せない。店の名は忘れてしまった。コーヒーを運んできたときに、『かわいがってね』という意味だと教えてくれた。
その夜電話がきた。本当に来るとは思わなかった、と。
その後も忘れた頃に何度か電話はきたが会うことはなかった。斉藤君は亡くなったのだ。心臓病で突然。高砂さんから電話がきた。
「親しかったでしょう?」
と。
葬儀には行かなかった。冷たいのかな?
今になって岡林信康を聴いている。斉藤君が聴いていたフォークのカリスマ、フォークの神様。
彼は本人の意識や意図とは別に、祭り上げられ疲れて山村に移住したのよ。今も音楽活動と農作業をしている。声も渋くなった。ボブ・ディランのように。歌詞もいい。
斉藤君の聴けなかった曲を私が聴いている。何十年も経ってから、死んじまったあなたを思い出している。
フォークソングをランダムに流していたら引っかかりました。
「君に捧げるLOVESONG」
君に捧げるLOVESONG
https://youtu.be/wm_SdFikZIY?si=zfcEYHQSLf1MLxc-
『くそくらえ』の方の歌とは……
岡林信康は『色褪せない音楽』42話43話で特集しています。
5 四面楚歌
初めて投稿しようと『小説家になろう』をみた時、それこそ、異世界に迷い込んだのかと思った。
異世界転生ばかり。
長いタイトルばかり。
本屋もご無沙汰していた。
ああ、時代に取り残されてしまった。
異世界とは、『ナルニア王国物語』のような世界のことだそうだ。
『魔女とライオン』は小学生の時に読んで、しばらくは1番面白い本になっていた。
タンスの向こうに国がある。家の洋服タンスを手で押してみたものだ。
では、タイムスリップは異世界とは違うのか?
どなたかの作品で、(よそのサイト)
『転生したら戚夫人……』
というのがあって、興味を持って読んだ。
女子高生が過去に行き、戚夫人になっていた……
そこで、おしまい。
あとが知りたいのに。
歴史は変えてはいけないのだから。
ひえ〜。
洋服タンスの向こうにある、異世界にでも過去にでも行けるなら、項羽に会いたい。
項羽の最期、『四面楚歌』の場面を見てみたい。
漢詩など興味はなかったのだが、歌に魅せられてしまった。繰り返し聴いている。合わせて歌っている。
虞や虞や、若をいかんせん……
項羽の陣営を幾重にも囲んだ劉邦の軍から夜、楚の歌が聞こえてきます。項羽は敵に投降した楚の兵が多いことを知って驚きました。
項羽のそばには常に最愛の女性、 虞姫と、愛馬の騅がおりました。項羽は詩を詠じます。
力は山を抜き気は世を蓋ふ
時利あらず騅逝かず
騅逝かず奈何にすべき
虞や虞や若を奈何せん。
自分には山を動かすような力、世界を覆うような気魄があるが、
時運なく、騅も立ちすくんでしまった。
騅が走らなければ、どうしたらいいのか。
虞や虞や、おまえをどうしたらいいのだろう――。
美人之に和す
項王(=項羽)、泣数行下る
左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し
項羽は覚悟していました。敗れた自分は散ればいい。だが虞姫はどうなる?
項羽は虞姫ひとりを心から愛していたのだと思います。
(NIKKEI STYLE キャリアより)
四面楚歌
https://youtu.be/lF37YlQfgMo?si=M7-_u7o3geJyvuOn
それに比べて劉邦は、苦労させた妻、呂雉がいるのに……
映画『鴻門の会』のラスト。
だが知る由もない。我が妻が息子たちを殺したことを。
さらに知る由もない。400年後、我が帝国が地上から消え失せることを。
ああ、恐ろしい我妻、呂后。そんな女に誰がした?
劉邦には、戚夫人という愛妾がいた。項羽との戦いには、劉邦は彼女を同行して、陣中で舞を舞わせたり、ともに碁を打ったりもした。
戚夫人が産んだ子、如意は優れた子だった。漢帝国を継ぐのは呂后の子に決まっていたが、その位を如意に譲ろうとしたほどだ。
その話は重臣たちの諫言でなくなったが、しかし呂后にとっては自分や子どもの地位すらも脅かされかねない、事件である。
それでも劉邦が生きている間は我慢をした。彼女の恨みが爆発したのは、劉邦の死後である。
呂后は、如意と戚夫人を捕らえ、如意は毒殺した。
しかし、戚夫人に対しては毒殺なんて生やさしいことではすまなかった。
以下、恐ろしいです。苦手な方は十数行飛ばしてください。
まず彼女の両手両足を切った。
それだけではない。戚夫人の眼をつぶし、耳を打ち抜き、喉を焼く薬も飲ませた。そして、トイレに押し込め人豚と呼ばせたのだ。
呂后の子はすでに帝位を継いで恵帝と呼ばれていたが、母に、変わり果てた戚夫人の姿を見せられ……
恵帝は最初、それが何だかわからなかった。しかし、母からそれが人であること、そして戚夫人の変わり果てた姿であること聞き、
「もう世の中を治めることはできない」
と酒色に溺れるようになり、立ち上がることもできない病気になってしまった。
帰る日に司馬遷に話を聞いた。
3大悪女の呂后だが、治世に関しては
「天下は安定していて、刑罰を用いることはまれで罪人も少なく、民は農事に励み、衣食は豊かになった」
と評価していた。
こっそり教えてくれた。人豚事件には創作がかなり入っているようだ。
【お題】 2泊3日の異世界旅行
6 ジョナサン・アントワン
中学2年のとき、転校生がいた。
男子のS.ちぐさ君。
1年から共に過ごした生徒の名は忘れたが、1度しか来なかった男子の名は覚えている。
ちぐさ、という名は女子にもいなかったから、覚えているのだろう。
それに……
担任の数学の教師は、ちぐさ君は元々不登校だったから、しょうがないと言った。
だが、3年も終わり頃だろう。
1日だけ登校したのだ。6時間目の数学の時間だけ。
その日の数学の時間、先生は生徒にひとりずつ身長と体重を言わせていき、黒板に点を付けた。
男子は平気だった。私はまだスマートだったから、
「154センチ45キロ」
いつまでもそのままでいたかった。
ひとりの女子が、口を閉ざした。Hさん。名字しか覚えていない。
体型を気にする年頃だ。ピアノの上手なおとなしい、髪の長い雰囲気のある少女だった。
男の教師は、その時点で、気持ちをわかっていなければならなかった。悪気はなかったのだが、ふざけた。
「60キロか?」
とか言い、男子が笑った。
まずいな、と私は思った。繊細な少女だ。
彼女は下を向いていたが、私は何も言えなかった。
その時、
「先生、僕を飛ばしたよ」
と、声がした。
皆が注目すると、いるはずのない席に男子が座っていた。
「S.ちぐさです。よろしく」
ちぐさ君は注目を浴びた。外見からして……
「160センチ、80キロ」
先生は反省しただろう。黒板に点はつけなかった。
「自己紹介します。
僕はずっと引きこもり。でも、5年後に運命の女性に会うんだ」
ちぐさ君は話上手だった。
「その人が、中学の卒業式に出られなかったのを悔やんでるからさ……
素晴らしい人なんだ。引きこもってた僕に歌を勧めてくれた。彼女のピアノで僕は歌う。
でも、今日はアカペラで……」
ちぐさ君は歌った。聴いたことのない『カタリ・カタリ』
太って、髪はロングヘア。顔の肉に目が埋もれているが、歌う彼は素敵だった。声は素敵だった。オペラ歌手のよう。
ちぐさ君は下を向いていたHさんの前に歩いて行き、歌った。
カタリ カタリ 君はわれを
はや 忘れたまいしや
嘆けども 君は知らじ
悲しみも 知りたもうまじ
ああ つれなくも いとおしの人よ
われを思いたまわず……
終わると彼女に礼をした。胸に手を当て、なんともカッコよかった。
皆が拍手した。顔をあげた彼女とちぐさ君に拍手した。
終業ベルが鳴るとちぐさ君は教師の後をついて職員室へ行った。
しかし、途中で消えてしまったらしい。
カタリカタリ つれない心 カルディルロ・サルヴァトーレ
https://youtu.be/EndIXugrT_M?si=wZzu5ZOQ4uaKluM-
結婚して子供が産まれたあとのクラス会……
皆が近況報告していく。
音楽好きな子は音楽関係の仕事を。頭の良かった子は教師に。
私より勉強できなかった子はパールの素敵なネックレスをし、奥様に。
そこへ、Hさんが来た。素敵な男性と一緒に。
ちぐさ君が来た。10年ぶりに。
10年ぶりに会った。彼とHさんは、愛想良く皆のところへ来て酌をした。ふたりの指にはペアのリングが。
そして、ふたりで歌った。今度はイタリア語の『カタリ、カタリ』
盛り上がったクラス会だが、ちぐさ君が来たのはそれが最初で最後だった。
彼は海外のオーディション番組で優勝し、オペラ歌手になった。
活躍しているらしい。
【お題】転校生はタイムリーパー
上の物語を考えていたときジョナサン・アントワンのことを思い出した。準決勝、決勝、と自信がつき変わって行く。
歌う前の審査員の冷ややかさと、歌い始めたときの反応の落差
https://youtu.be/G3dIGzaA9OM
ハレルヤ ジョナサン・アントワン
https://youtu.be/QKH3-IoF5b8?si=RtNA4_6WsC51B_7y
ジョナサン・アントワンは『お気に入りの音楽』120話ゴッド・タレントで詳しく投稿しています。
『ハレルヤ』は英国ミステリー『ルイス警部』
からも。
ハレルヤ 『ルイス警部』から
https://youtu.be/grCFIcUTJsc?si=UluhRi5tQ1hSz5gm
7 吾亦紅
ひとりで墓参りに来たのは何年ぶりだろう?
結婚して10年。子どもはできなかったけど、うまくいっていると思っていた。
ふたりで頑張って家も買ったし、頼れるのはお互いだけだから、毎年人間ドックも受けていた。
義母も看取った。義姉達とも、甥や姪ともうまくやってきたつもり。
単身赴任してたけど、まさかこうなるとはね。
怒ったり、反省もしてみたけど、メールを見て、もうダメだと思った。
子どもにも懐かれているし……
だから、決心するために、ここに来たの。
︎
吾亦紅
歌:すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也
作曲:杉本眞人
『吾亦紅』は、初回発売枚数はわずか258枚だったが、2007年3月に北海道のSTVラジオに於いて公開生放送の弾き語りライブをオンエアしたところ、放送中にもかかわらず問い合わせが殺到。
徐々に人気を博し全国に飛び火した。
同年12月24日付のオリコン総合チャートで登場34週目にして7位を記録し、初のTOP10入りを果たした。紅白出場後その注目度は一気に高まり、総合チャートでも2位に記録を更新、演歌・歌謡チャートでは15週連続首位を記録するなど、記録的なヒットとなる。
(Wikipediaより)
吾亦紅 すぎもとまさと
https://youtu.be/ezrjjvb4TKY?si=bwvepGRswpN6RVt4
この歌はブティックで働いていたときに、カラオケ好きな店長が仕事中有線放送にリクエストして聴いていた。歌が上手な方でした。
美空ひばりの『お祭りマンボ』もうまかった。
続き
先日のお題で、このエピソードを思い出した。考えていたら……なんとも恐ろしいものに……
完璧
アルミ婚式
うまくいっていると思っていた
頑張って家も買ったし
頼れるのはお互いだけ
単身赴任してたけど
まさかこうなるとはね
怒ったり 反省もしてみたけど
メールを見て もうダメだと思ったの
子どもにも懐かれているし……
川の向こう側 よく散歩したわね
こんな日が来るとも思わず
今日は銀婚式
私はあなたの姓を名乗り続ける
あなたの帰りを待ち続ける
家は手放せなかった
身を粉にして働いたけど
高く売れるというから
そろそろ あなたを粉にしようか
【お題】 ふと散歩しながら思ったことを詩にしてみた
殺しの接吻(キッス) サザンのカバー
https://youtu.be/qqH6BpZArgQ?si=LYC5lUA-fc9Wt2fn
殺しの接吻(キッス)
サザンの歌なのですが動画がないので、カバー曲で。
ああ、私を殺(や)る前に、お別れのキッスをください……
ああ、殺られる前に殺ってしまった……
8 名言集
「どこかで読んだような、観たような……」
「こういうの、あったな。ほら、布施明と結婚した……」
「オリヴィア・ハッセー」
「なんとかストーリー」
「あれのオマージュだか、リスペクト作品」
「これは……このタイトル、野暮ったくない?」
「栗田君と芋山さん。ロミオとジュリエットみたいでいいじゃない」
某サイトでも投稿しているのですが、毎日12時にお題が出ます。大勢が毎日投稿しています。
時々、突拍子もないお題が出ます。
この日のお題は『栗田くんと芋山さん』
名言集
[芋山さん編]
「ああ、栗田くん、栗田くん。どうしてあなたは栗田君なの?」
「私は芋山の名を捨てましょう」
「私の敵はあなたの名前」
「ああ、なにか別の名前にして」
「バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない」
「栗田君、その名を捨てて。そんな名前はあなたじゃない」
「名前を捨てて私をとって」
「来て、やさしい夜。来て、すてきな黒い夜、私の栗田君をよこして」
[栗田君編]
「まことの美を見るのは初めてだ」
「向こうは東、とすれば芋山さんは太陽だ!」
「哲学で芋山さんが作れますか?」
「わが恋人に乾杯!」
「もしも あなたの愛が得られぬなら、いっそ命を終わらせるほうがましだ」
「恋は どんな危険もおかす」
ロミオとジュリエット プロコフィエフ
モンタギュー家とキャピュレット家
https://youtu.be/tYvYn-eB3OE?si=U91JWFSLXmD0tWv6
『栗田家と芋山家』ではなくて、
モンタギュー家とキャピュレット家
この曲は聞いたことがあると思います。
コマーシャルにもよく使われています。
私もこの曲が弾きたくて楽譜を買いました。
『お気に入りの音楽』128話で、『ロミオとジュリエット』を、特集しています。
9 お手上げ
【お題】 歌舞伎町、拳で成り上がれ!!
このお題はお手上げです。拳を上げます。
拳を握ったのは、緊張したときと怒りを抑えたときだけで、殴ったことはありません。気が弱いので出世しませんでした。
そうそう、拳といえば、この歌。
〜拳を上げる人々と、手を合わせる人々が、言い争いをしている間に〜
〜ほらごらんなさい。のら犬のかあさんが、かわいい子犬を産みました〜
これだけでも著作権侵害になるのでしょうか? だったらお許しを!
今は亡き、河島英五の『てんびんばかり』でした。
︎
てんびんばかり 河島英五
https://youtu.be/wlL622Q0HiU?si=coGcogukq5sJP9Yf
もうひとり、私の好きな岡林信康さんは1975年演歌に開眼し、『月の夜汽車』を作詞・作曲した。
美空ひばりさんの関係者を経て、本人の知るところとなり、レコーディングが実現した。
岡林さんは初対面でひばりさんに、
「あんた、ヒゲそったら? あんた、ヒゲそったらいい男になるのに」
と言われたという。
スタジオで出会ったふたりは意気投合し、親交を深めた。
ふたりは、新宿ゴールデン街 (歌舞伎町1丁目)で大勢の仲間と共に酒を酌み交わす等の交流が続いた。
岡林さんも酒には強かったが、ひばりさんと比べると子どものようだったという。
ひばりさんは
「流しの歌に合わせてバンバカバンバカ歌った」
ため、岡林さんは、
「止まらなくなって心配した」
当然の成り行きとして、
「まわりから人が押し寄せてきて通りも人があふれて、最終的にはパトカーが来た」
岡林さんは、
「僕らパトカーが来る前に脱出した。来てたら僕たち2人、新宿警察署に引っ張られてた」
と、危機一髪の脱出劇を回想。
また、歌手として
「うまいとかってレベルじゃなくて、みんなが脂汗流して必死になってる歌を、鼻歌のように歌えるんですね」
とひばりさんの偉大さを指摘し、
「悔しい…」
とつぶやいていた。
月の夜汽車 美空ひばり
https://youtu.be/3_o1jiYou-w?si=77T0C1mQh7OH1E9y
月の夜汽車 岡林信康
https://youtu.be/Tasqc_RNQT0?si=ZoYVPuUb0F2uDgkD
10 終末
政治にも芸能にも情勢にも疎い。
同時多発テロの時はテレビもつけず、夫が帰るまで知らなかった。(本当)
東日本大震災のときは、『三国志』のドラマを連続で観ていて知らなかった。(誇張あり)
そんな私が、驚いたのは島田紳助さんの引退会見。
『なんでも鑑定団』はいつも夫が観ていたから。
あんなこと……あるんですね。
緊急会見といえば、悲惨な事件、事故や地震、水害。
政治家の不祥事や芸能人の不倫の謝罪会見。
見たくないし聞きたくない。
感動したのは、うん、これ。ずいぶん前だけど。
なんでしょう?
【お題】 緊急会見
✳︎
6500万年前の地球。恐竜絶滅の原因となった巨大隕石が落下。
「同じ事がいつかまた起こる。問題は、いつ起こるかだ……」
✳︎
今夜私は、アメリカ大統領としてではなく、一国家の首脳としてではなく、一人類として皆さんに語りかけています。
我々は、今重大な危機に直面しています。
これは聖書で言うところの○○○○○○。
この世の終わりです。
しかし、我々人間は歴史上初めて滅亡を逃れるための技術を手にするに至りました。
私はここで皆さんに申し上げたい。この災害を防ぐためにありとあらゆる手立てが現在とられています。
人類の飽くことのなき向上心、知識欲、一歩一歩築かれた科学の進歩、そして宇宙の神秘を探る果敢な挑戦、人間の技術と想像力が生み出したもの全て、戦争さえもが今回の試練に挑むための強力な武器となっています。
✳︎
戦争さえも……というところが、印象に残っていた。
ーー戦争している場合ですか? 地球に危機が迫っているのに。
温暖化に異常気象。
二酸化炭素増やさないでください。
✳︎
この混沌たる歴史の中で人類は過ちを犯し、争い、様々な苦しみや悲しみを経てきました。
しかし、ある一つのものが我々の魂をはぐくみ人類を進化させてきたのです。
それは勇気です。
地球の明日は今夜これから空高く飛び立とうとしている14名の勇気ある人々の手中にあります。
世界中のみなさん、みんなで彼らを見守ろうではありませんか。
神のご加護と幸運を……
映画アルマゲドン 大統領演説
https://youtu.be/Lg94hgnwbm0?si=FpngR0lU-slLpeZ_
アルマゲドン主題歌 エアロスミス
I Don’t Want to Miss a Thing(ミス・ア・シング)
https://youtu.be/LfB0l7YpyKc?si=Myt0VQo4ZWhxxdDB
バンド初であり唯一の全米1位
エアロスミスの「I Don’t Want to Miss a Thing」といえば、1998年公開のアメリカ映画『アルマゲドン』の主題歌として広く浸透している。
ひらめいた曲 1〜10