ヒトとして生まれて・第3巻(外伝)

【外 伝】 音楽家ご夫妻による手造りの音楽堂

はじめに

 第3巻の執筆に当たって、お世話になった「音楽家の野仲先生」が
我が家からは近郊の富士見公園の入り口部に当たる大きな敷地に音楽
教室を建てられて野仲教室の運営を開始された。

 最近のコロナ禍においては東京五輪202Q年に合わせる様にして
新型コロナ禍が猛威を振るい、我が家の飼い犬との散歩広場でもある
彩の森入間公園の駐車場が入場禁止となり、代替手段として、富士見
公園に通うことになった。

 そのような経緯で、音楽家の野仲先生と再会、お元気そうな笑顔を
拝見してこちらも元気をいただいた。

 第3巻の冒頭で、野仲先生からご紹介いただいた、群馬県のスイス
を思わせる景観の中に音楽堂を、音楽家ご夫妻が手造りで建設された
お話を伺って大いなる感動をいただいたが野仲先生のお顔を拝見して
そのことを強く思い出し・・・

 私としては音楽家ご夫妻の建築日記を題材にして書き上げたオペラ
風の物語を第3巻の外伝として紹介しようと考えた。
(ご笑覧いただければ幸いである)


【音楽家ご夫妻の冒険の始まり】

  ~ そこにはスイスを思わせる風景があった ~

 早朝に目覚めた音楽家W氏は、新聞の朝刊に折り込まれていた土地
の売り出し広告を見て「こんなに安い土地があるのか?」と驚き半信
半疑のままで・・・

 まだ、ベッドの奥様に声をかけると「きっと山奥の辺鄙なところよ」
いう答えが返ってきて、戸惑ったが、冷静になってまた考え直した。

 独り、キッチンで考えているうちに「一度、現地を見てみたい」と
いう気持ちが膨らんできて、もう一度、広告に目を通してここならば
車で行けると思い、レンタカーを借りることを考えた。
(交通事故で愛車を廃車にしてしまった直後のことであった)

 自分たちの音楽堂を建てたいという夢を抱き続けていたので、広告
の土地の値段が本当ならば「その夢が叶うかもしれない」と、思うと
居ても立ってもいられず・・・

「車をレンタルして現地に向かいながら」も、はやる気持ちはなんと
も抑えがたい。10月中旬のドライブは紅葉も間近い風景で、天気も
晴天、渋川伊香保インターで高速道路を下りてそこからは奥様が地図
を見ながらの案内役で、やがて目指す「高山」の看板が目に入り快適
な道路を道沿いに登って行くと、風景が広がって「スイスを思わせる」
ような見事な風景の場所に辿り着いた。

 土地の広告チラシを見て場所を再確認すると、斜面の高いところに
該当の土地が見つかった。そこには、広告に示されている200坪の
土地があった。ここならば「音楽堂を建てるには絶好の場所であり」
音楽家W氏の頭の中には音楽堂の完成した姿が思い浮かんだ。

 土地の購入は、ご夫妻で揃って「その日の内に現地で決めた」と、
いう。しかし、土地の購入はしたものの、建設資金はまだ用意出来て
いない。それでもW氏は現地で頭の中に描いた「音楽堂のイメージ」
を設計図として形にする欲求を抑えきれず音楽堂と住居を一体にした
図面を書き始めていた。

 日に日に「何枚も・何十枚も、外観図を描き上げていった」と云う。
ご主人は現在は音楽家でありオペラ歌手であるが、元々は機械製図が
専門であったこともあり、図面を書くことは、元々、得意であったの
で夢見るようにして図面を描き上げて行ったという。

 その後も、W氏の音楽堂への思いは、加速するばかりで・・・
「かつてアメリカの本屋で買い込んだ『マイホーム建設のすべて』を
建築設計のバイブルのようにして、建築設計図をトコトン、細部まで
掘り下げて行った」

 元々ご夫妻で音楽堂への夢を語り合っていた二人はアメリカの本屋
でこの本を目にしたときには、ご夫妻で、即、買うことにしたという。
そのようなご夫妻が土地を取得した、今 「気持ちが加速すること」
は、当然の成り行きと云える。

 比較的、早起きが好きなご主人は朝から、この建築設計のバイブル
を読みふけり着々と建築の知識を深めて行く。一方、奥様はと云えば
「そんなに早い時間帯は、まだ熟睡状態」である。

 ところで、都市部では、一般人による建築設計は許されていないが
「無指定地域の山林での設計は一般人にも可能である」ので、現在は
オペラ歌手として活躍しているが、元々はW氏は機械設計製図が専門
であったので建築設計のバイブルを読み進むうちに、W氏の建築設計
における学びの世界は当然の進化として、やがてツーバイフォー建築
を学び取る段階に発展して行くことになる。

 そして、習うより慣れろをモットーにして、自己設計が本格化して
行くことになる。自己設計における強みは「好きなように、設計変更
出来る」ことである。

 そばで、見ていた奥様も「何度も、自分で気に入るまで、設計図を
書き直して行く」 ご主人の熱意には頭が下がる思いであったと云う。
そのような経緯で「出来上がった建築設計図をツーバイフォー協会の
会長に送付」して、設計基準に合致しているかどうか確認したところ
「設計基準への合致」が確認された。

 高山に土地を購入してからあっという間に10ケ月が経過。高山と
云う地名は全国にあるが「ここの高山は、群馬県にある山村の地名」
として良く知られている。

 W氏が「自分の素手で音楽堂を建設する」と、云いだしたときには
さすがに奥様も驚いたと云う。すぐに行動を起こす・ご主人は現地に
出掛けると整地から始めた・・・

「シャベルを握り、15分間地面を掘っては、5分間休む」
(これを繰り返しているうちに)
「5分間掘り、15分間休む」というペースに変わってくる。

 都会暮らしの生活で・・・
「これといった運動もせず」に、
「近所にも車で出掛け」
「特に、スポーツの趣味もなく」
(たちまちギブアップ状態である)

 我が家に辿り着くとどちらからともなく「夫妻の間で作戦会議」が
始まる。先ずは、都内のマンションから高山までの130キロの行き
帰りが問題となってくる。日常的な職業人としての音楽活動は最優先
となってくるので、建設作業は、当然、週末限定となってくる。

 その度に車での移動となるが、一般道を通うことで高速料金は節約
出来る。しかし、週末ごとのホテル代は、相当額の負担になってくる。
ここで、ご主人のアイデアで「テント暮らし」が提案される。

 一瞬、奥様は仰天するものの 「それが一番か」と、思い同意する。
早速、ホームセンターに出掛けて部屋が二つに区切られているテント
を購入してきてマンションで広げてみると「これなら二人で暮らして
行けそう」と、云うことになり、具体的に高山におけるテントの中で
の生活スタイルを二人で相談する。

 次に土地の整地と土木作業については本格的な建設用の重機を使う
ことを計画する。一般的には「ユンボ」と云われている整地用の重機
を使うことにする。リース店では二番目に小さい機械を借りた。

「奥様にも操作できる」と、云われて、30分間にわたり操作方法を
教わる。実際に両手で操作をしてみる。いつもの「ピアノを弾くとき
とは訳が違う」 「いくぶん、怖いという気持ちが先行する」ものの
「危ないと思ったら手を放せば大丈夫」と教わり、これで少しは安心
かと思いながら練習を繰り返した。

   ~ 次は高山での現地作業が待っている ~


【音楽家ご夫妻の負けない勇気】

 ~ 自然環境の中で、お二人の活躍の舞台は、第八幕まである ~

 自然環境に恵まれた高山における建築工事の舞台は第八幕まである。

 この舞台における活躍ぶりを「オペラ(歌劇)に仕上げる」ことが
出来たとしたら、本場イタリアはもちろんのこと世界のどこの劇場で
演じられているオペラよりも、ダイナミック、かつ 「不屈の闘志」
で、その偉業に取り組んだ姿には、鳴りやむことのない拍手で場内は
総立ちになることだろうと想像する。


【序 幕】

 音楽家ご夫妻は週末になって準備した建設用の機材を車に積み込み
群馬県の高山に向けて発進する。現地入りするとすぐに手筈通り先ず
はテント張りから着手。寝室用の部屋には手作りのベッドを持ち込み
床にはじゅうたんを敷き詰めて完了である。

 隣のリビングの部屋には、二人で、かけられる目線が低目の椅子と
テレビを配置する。食器棚などを配置、食事をする場所も確保出来た。
これで高山に、我が家のベースキャンプが出来たことになる。

 このベースキャンプのおかげで、音楽家ご夫妻は夏から冬にかけて
約5か月間を過ごすことが出来たと云う。まさに雨風や寒さから身を
守ってくれたテントに感謝である。


【第一幕】

 テント生活における週末の朝は早く鳥が歌い目覚まし時計の代わり
となって目覚めれば新鮮な空気が爽やかな朝を届けてくれる。東京都
内の暮らしで、窓からの日照時間の少ないマンション暮らしの朝とは
比べようもない快適さである。朝食をとりながら、遠くの山々を眺め
青空に思いを馳せて「今日も頑張ろう」と、忙しい一日が始まる。

 想像もしていなかった建設重機「ユンボ」を操縦して、先ずは車庫
の基礎部分を3日間で整地。これで雨が降っても週末の車の出入りは
容易になる。整地作業に区切りがついて昼食時間にテントに戻ると目
にも入らぬ素早さで何者かが外に走り抜けて行く。

「タヌキ?」かと、思いながらキッチンに入って行くと昼食用に用意
していたカレー皿に小さな足跡が残っていた。テント生活も秋を過ぎ
ると、すぐに、冬が訪れてきて夜などは冷え込んでくるので建設作業
の疲れを癒すことも兼ねて近くの温泉場に出掛ける。

 すっかり温まった身体で、我が家に帰り夕食の準備に取りかかると
テントの中に設えた食器棚の上に子猫が乗って、こちらのやることを
じっと見ている。テントにも鍵はついているが森の仲間(動物)たち
には出入り自由になっているので、入り込んで私たちの帰りを待って
いたようである。

 動物好きのW氏は子猫に、ご飯を食べさせてから森に放してやった
と云う。翌朝は、W氏の建設作業の音で夫人は目を覚ました。早起き
のご主人は、一生懸命に基礎枠を運んでいる。今日は、いよいよ土木
工事の始まりである。

 朝食が済むと夫人も通称「ネコ車」という単車を手にして、砕石や
砂などの土木用の材料の運搬をする。

 今更「箸より重いものは持ったことがない」などとは、云ってられ
ない状況なので、吹き出す汗を拭いながら「怪我をしないように」と
一生懸命に砕石と砂を運ぶ。

 生コン車が到着するとますます忙しくなる。生コン車から流れ出る
セメントをネコ車に積み込み基礎枠まで運ぶ両腕をしっかりと、固定
するもののセメントは思ったよりも重みがありネコ車が横揺れする。

 左右のバランスをとりながら足を踏ん張って前に進む。それを見て
いた生コンの運転手さんがセメントの量を減らす。

「もう少し大丈夫よ」と、いって強がりを云うがネコ車のほうが正直
で、横倒しになってセメントが地面に散乱する。このときに、夫人は
とっさに自転車の練習をしていて、初めて、転んだときのことを思い
出したという。

 今、汗まみれになって施工している土木工事が一番目の仕事である。
この仕事は二つの工事で構成されいる。
「一つ目は、山林部などの周囲から流れてくる水が敷地内に入らない
ようにするためのブロック工事である」
「二つ目は、敷地内に降った雨などを地下に逃がし、同時に外部から
の水が地下水となって湧き出した場合にも対応できるよう排水パイプ
を地下に埋め込む工事である」

 敷地は奥行22メートルの間に高低差が5メートルあるので、現状
では雨になると山林から流れてくる水は、敷地内を一気に駆け抜ける。
ここの土地は赤土で水分さえ含まなければ硬い土である。したがって
山林からの水の流入を止めてやれば土砂崩れは防げる。その具体策と
しては重量ブロックで敷地を囲み水の流入を防ぐようにする。

 重量ブロックはセメントで固めて頑丈な造りにした。セメント工事
はなかなか難しい作業で、夏の暑さの中ではどんどん固まってしまう
ので、気持ちがあせるなか、暑さで、足元がフラフラしていたためか、
後で見たら、西側のブロックが蛇行していた。

 土木工事による基礎工事は完了してしまえば目には見えないところ
だが、実は一番たいせつなところと教わったので、大いに反省すると
ころとなった。排水用のパイプは多目にして4本を地下2メートルに
埋めたので雨水の排水対策はこれで完璧な仕上がりとなった。


【第二幕】

 敷地内の整地および排水対策が終わっていよいよ家の土台をのせる
基礎工事である。これが二番目の仕事である。

 先ずは、家の土台がのってくる場所を決めて杭を打ち込む。そして
鉄筋を張って行く。鉄筋は縦横に組んで行く。このときに、セメント
を軽く流して固めて行くのだが、タイミングが難しくて、なかなかに
じれったい作業である。

 組んだ鉄筋が倒れないように横から角材を当ててこれを支えて行く。
そして、その鉄筋を囲むようにして型枠で固定する。型枠は、通常は
15センチメートル幅であるが、今回は25センチメートル幅で仕上
げることにした。

 これは最初の段階で直線部分が曲ってしまいそれを補うために厚め
にしたのであった。今日は、型枠の中に実際に実物のセメントを注入
する日である。前夜に、自分たちで手作りした木製の型枠を念入りに
チェックしておいた。

 今朝も何度も手で揺らしてみたが大丈夫。朝一番で生コン車が到着
して、セメントの型枠への注入が始まる。生コン車からのセメントが
型枠の中にどんどん流れ込んで行く。その時である、私の足元に位置
する型枠を支える斜めの角材がほんの少しだが動いた。

 とっさに手で支えるがものすごい勢いで流れてくるセメントに型枠
が弾き飛ばされて、あっという間に、外れた型枠の部分から生コンが
溢れ出してきた。二人で呆然としていると、生コン車の運転手さんが
咄嗟に生コンの流れを止める操作をした。

 その晩は、さすがに、二人とも疲れ果てた。夫人は、夜中に生コン
暴走の夢をみて恐怖で目が覚めたと云う。そうこうしている内に今度
は台風が到来する事態に遭遇。週末になって高山に行くと、先ず目に
入ってきたのが「村のあちこちで強風になぎ倒された、とうもろこし
のあわれな姿」であった。

 ご夫妻が心配しながら、基礎工事の現場に着くと、案の定、多くの
鉄筋が将棋倒しになっていたという。やり直しほど億劫な作業はない
が二人で気を取り直して鉄筋を元通りに修復した。

 前回のセメント注入時の失敗もあるので、二人でよくよく相談して
万全の体制を整えたつもりではあったが、それでも不安が伴う。一方
で「今度こそという気持ちで生コン車を待っている」と、二人の目の
前に生コン車が到着した。約束した朝一番(8時半)である。

 生コン車を見ると、前回、セメント暴走の失敗を体験しているので
二人には緊張感が走る。今日は、長靴に・ビニール手袋・セメントを
突っつくための長い木の棒と仕上がりを平にするためのコテなど準備
は万端に整っての生コン車の出迎えである。

「あまり緊張しすぎても良くない」と、考えて少し肩の力を抜くこと
にする。生コン作業の場合は、通常、生コンを型枠に直接入れて行く
ポンプ車の方が便利だが、費用が割高になるので、今回は生コン車の
シュートを使って型枠の一箇所に流し入れ、そこから先は角材や木の
棒で掻き出し、型枠全体にセメントを行き渡らせる方法をとっている
ので、セメントを泳がせる手間が余分に必要となる。

 生コンを一掻き、二掻き、そして三掻きとセメントを泳がせて行く
動作は、全身でボートを漕ぐ感覚に近いが、問題は、セメントが腕や
シャツに飛び散り顔にも跳ねてくる。ビニールの手袋にもセメントが
入ってきて、気付けば手のまわりはセメントまみれ。

 セメントはどんどん固まって行くので、手を洗っている余裕はない。
まさに土木工事は体力勝負である。生コン車の運転手さんも見かねて
「少し休もうか」と声をかけて来るまで、休むことなく作業を続けて
いたので、もはや体力の限界を感じる。

 生コン車は、毎朝、定刻の8時半に来て午後には帰って行くが時折
夕方になることもある。当然、二人による作業では処理できる量には
限界があるので、日々の作業量は決めておいて、その日の所定の目標
を達成すると、近くの温泉に出掛けて疲労困憊した我が身を癒す。

 温泉に入っているときに、W氏は考えた・・・
「生コン車に取り付けてあるシュートは、長さがせいぜい2メートル
この長さだとセメントが流れてきても型枠まで届かないことが多い」
「そうだ・流しそうめんだ」と、アイデアがひらめいてきて、波型の
プラスチック板に丸みを持たせて曲げ角材で周りを補強する。

 これに、角材で足を取り付ければ、自前のシューターが完成である。
これを幾つか作って、つなぎ合わせれば、長さは自在に伸ばせるので
きっと上手く作業が出来る。このようにしてシューターの準備を済ま
せて、後は生コン車の到着を待つばかりである。本日の生コン注入は
型枠まで約8メートルの場所である。

 生コンがシューター内をどろどろと流れて行く。生コン車の運転手
さんも、セメントに水をかけて流れを助けてくれて、これで大成功と
思った瞬間のことであった・・・
「手作りのシューターはセメントの重さとカーブに差し掛かる遠心力
で、あえなく横倒しになってしまった」

 無残にもセメントは大地に山盛りとなり惨敗という結果となった。
ここで考えていても始まらないので元の方法に戻し手間はかかった
が、自分たちの身体の疲れ具合と相談しながら、なんとかかんとか
生コン作業を完了させた。


【ハプニング】

 東京育ちの夫人にとっては 「高山での体験は驚くことの連続」で
あったと云う。ある日の出来事である。玄関脇の基礎コンクリートに
たれかかっている電気コードを横目で見ながら、道具箱の中の金槌に
手を伸ばすしていると、目の前で動く筈のない電気コードがすべる様
にうねっている。咄嗟に手に触れたその電気コードは蛇であった。

 直径にして5センチメートルほど、長さは、約2メートルもあった。
今「思い出してもぞっとする」と云う。悲鳴を聞きつけて駆け付けた
W氏は蛇を木の枝で差し押さえて、即座に、退治したという。
 
 ここで、夫人は音楽家W氏の優しさと勇気と俊敏な行動力に対して
あらためて尊敬の念を抱くとともに「大いに頼りになる存在である」
ことを再認識したことは云うまでもない。


【第三幕】

 さて、土木作業も、三番目の仕事に取りかかる。

 鉄の型枠(300個)をお城の石垣のように積み上げて行く作業で
ある。それも重さが1個で約30キロもある。重量物を取り扱う終盤
の最も難しい土木工事と覚悟を決めて取り組むことにする。

 音楽家ご夫妻が購入した土地は斜面の一番高い場所に位置していて
約200坪の広さがあり、奥行は22メートル、敷地内における高低
差は約5メートルもあるので、かなりの傾斜地である。

 そして敷地の横幅は30メートルある。ひな壇のようになっている
敷地内の土砂が崩落しないようにするためには、敷地の手前の斜面に
城壁のような頑丈な構造物を造り込んで行く必要がある。

 斜面の高さは約3メートルある。二人にとって簡単には持ち上がら
ないこの鉄板約30キロを8段も積み上げるとなると、想像を絶する
難工事である。

 この鉄の型枠は土木業者が、現在は使っていないということで無料
で借りたものだけに鉄の型枠は錆びて変形している。そのために鉄の
型枠どうしを連結するためのクリップも、容易には型枠の穴に入らな
いときている。

 しょうがないので、金槌で叩いて無理やり嵌め込んで行く。この鉄
の型枠の積み上げも4段から上はたいへんな作業であった。作業する
位置が上方に移動して行くので、梯子を使い重量挙げの選手のように
鉄の型枠を持ち上げて積み上げて行き、クリップで連結して行くので
あるが、雨の日などは梯子がすべるので危ない。

 雨の日にはカッパを着て長靴を履き手袋をして梯子に登る。連結用
のクリップはカッパのポケットに入れて予め蓄えておく。二人だけの
手造り建設の噂を聞きつけた業者が見学に来て・・・
「素人にはとても無理だよ」と云って、専門業者が自分たちへの発注
を誘う。それでも二人だけで鉄の型枠300枚を積み上げた。

 この鉄の型枠は、生コンの運転手さんが知り合いの土木業者に声を
かけて無料で借りられるように手配してくれたものである。
「基礎工事の時に手作りの木製の型枠で苦労している」姿をみていて
親切心が沸きあがったようである。無料で借りた鉄の型枠だけにその
苦労もたいへんであったが、無事に難しい作業を終わった状況をみて
生コンの運転手さんは、我がことのように喜んでくれた。

 建屋の骨格となるツーバーフォーの躯体工事は業者に任せる必要が
あるので、その前の段階で、ホームセンターで見つけたアメリカ製の
水平測定器を使用して、基礎工事の仕上がりの具合を確認した。この
測定器は赤い光が両側に出る仕掛けになっていて、日が沈むほど良く
見えた。測定の結果「我が家の基礎の誤差は1cm」であった。

 ツーバイフォーの躯体業者が我が家を訪れて基礎工事の最終誤差を
確認、担当業者は「これでは工事を請け負えない」と真顔で語りかけ
「自分たちに与えられている責任ある立場」を、我々が納得が行く様
に時間をかけて丁寧に語りかけてきた。

 音楽家ご夫妻は、それから3日間をかけて基礎コンクリートの表面
を手直しすることになった。そして、手直しをしながら夫人は叫んだ。
「ああ手が痛い、これが済めば、来週からは東京でリサイタル」


【音楽家ご夫妻の強靭な意思と推進力】

 昔風の呼び方をすれば、我が家を建築した、Jグループの矢吹さん
は棟梁を兼ねた大工職である。その技術レベルは「匠の世界」に達し
ており、その矢吹さんが昼夜兼行で、しかも、休日返上の連続操業に
より、まさに、突貫工事的に我が「T&K:ついの棲家Ⅱ」を建てて
くれたので超特急的・かつ・上質な仕上がりは当然の結果とも云える。

「厳しい日程でしたが、日々の時間を増やすことで、良い仕事が出来
ました」と、いう矢吹さんの言葉がすべてを云い現わしている。

 一方で、音楽家ご夫妻の場合は、自分たちの素手で、しかも週末の
集中作業により音楽堂を建てたのであるから驚異的な奮闘ぶりである。
そのたいへんさは、我々の想像を超えたものであり、建築日記からも
そのたいへんさが伝わってくる。

 ちなみに、音楽家ご夫妻が建築のために費やした期間は、約5年間
の歳月に渡る。
「建築現場への往復は自家用車の走行距離で約15万キロメートルを
超えた」と云うことから、そのことだけをとっても凄いことである。

 その移動のほとんどが住まいの都内と建築現場の高山との間の往復
に要した移動距離であるから「その熱意と精神力は、鉄人的である」
と云える。その他にも、建材の運搬には貸し出しの軽トラックを自ら
運転しているので、更に移動距離は伸びる。

 結果、自動車の運転技術は格段に上達したと云う。その様な状況を
「建築現場の環境とも合わせて思い浮かべながら」 音楽家ご夫妻に
よる音楽堂の建築日記を読み進んで行くと味わい深いものがある。

 ただし私が体験した我が家の建築における施工順序などに照らして
奥様の建築状況の記述には、若干わかりにくい点や、建築工程の入れ
替えなどが感じ取れたので修正が必要と感じた部分は、物語に整合性
をもたせるため一部で修正を加えた。オリジナルの作者にはご高配を
もって、ご容赦いただければありがたいと考えている。


【第四幕】

 基礎工事を完了させると、今度は、上屋の建材の調達が重要な仕事
になってくる。上屋の建材調達のための上海旅行には5回ほど二人で
出掛けた。これは、まさに冒険旅行と云えるものであった。町の中心
部にあるホテルから建材店のある郊外まではタクシーで出掛ける。

 商談は、台湾生まれで中国語の分かるご主人の役割である。商談に
疲れはつきものであり商談後の上海における「中華料理」の美味さが
二人の疲れを吹き飛ばしてくれる。

 建材の約80%は上海で調達した。上海で調達すれば・・・
「費用は通常価格の約10分の1で済むために必死に交渉する」
「格安なものでは、約100分の1の値段で買ったものもある」
「中国語は商談に有利であり、上海語が話せれば、さらに安くなる」
と、いう不思議な世界であった。

 上海で買い求めた建材は、コンテナーに積み込んで上海港から出航
させた。東京港に到着したこれらの建材は個人輸入のためエックス線
による検査を受けて無事に税関を通過した。

 シアトルからの外壁材と屋根材は、東京港で税関後に音楽家のW氏
が2トンのロングトラックをレンタルして、自らの運転で高山村まで
運んだというから鉄人的冒険家と云える。


【第五幕】

 自分たちで施工した基礎工事の上に専門業者によるツーバイフォー
の躯体が乗り、所定の工事が完了すると、ご夫妻に向けて建築工事の
作業が山のように押し寄せてくる。

 しかも、季節は秋。早や11月であるということは、急いで外壁を
張らないと、すぐに冬がやってくる。先ずは、躯体の外側に、防水紙
(タイベック)を張る。

 その上に長く薄い角材(どうぶち)を、縦方向に約45cm間隔で
ビスを使って留めて行く。そして、その上に、強化プラスチック製の
外壁材を固定して行く。外壁材は上海で見つけたものである。

 この外壁材は、アメリカで一般的に使われているものであることを
上海で聞きつけてから、アメリカでの入手先を探し安価で入手出来る
ホームデポ(家屋用建材の供給センター)が、シアトルにあることが
分かり、そこから取り寄せたものである。

 屋根材もスレート系のものが安価で購入出来ることが分かり一緒に
購入した。屋根材は、じゅうたんのように敷くだけで施工出来る優れ
もので、素人にも簡単に作業が出来て助かった。

 屋根材を留めるときに釘を使うが錆びない釘を使ったので、雨漏り
の心配はない。外壁材の作業は二人で力を合わせてなんとか完了させ
てから、厳しい冬を迎えることが出来た。冬を迎えて外の足場に登る
とアルミの踏み板が凍結していた。

 太いツララが頭に当たって思わず驚く。なんとか厳寒時には内装の
仕事に移れて良かったと思っていると鼻先に待ち構えていたのが2階
への階段造りであった。

 専門業者によるツーバイーフォーの躯体工事には2階への階段造り
が含まれていなかったことを思い出した。それではと、外の足場から
2階に廻ったら、そこにはツララの世界が待っていたのだった。


【第六幕】

 階下から2階への階段に使う材木は型紙を作って慎重にカットして
取り付けて行き、頑丈な階段が出来上がった。次に待っている仕事は
断熱材の取り付け作業である。

 グラスウールの断熱材は、安価で手に入るが素人の手作業では壁の
中をずり落ちてしまうので使うのをやめた。代わって密度の高い発泡
スチロールの断熱材を使うことにした。

 次の仕事は石膏ボード張りであった。この作業は、石膏の粉が目に
しみて懲りた。さらに、内装の仕上げを壁紙にするかペンキにするか
で迷ったが適材適所でその都度考えながら施工して行くことにした。

「天井のペンキ塗りの時は、白い塗料が髪に落ちて困った」
「天井から壁にかけての壁紙張りは作業が下方向に行くに連れて壁紙
が斜めになって行くのには閉口した」と、云う。

 床に張るタイルは上海で買ったものを使った。タイルの場合は材料
は重いが接着剤を使って貼り付けて行けば良いので、一般的には容易
な作業であるといわれている。

 しかし、我が家の場合はツーバイーフォーの躯体工事の直後に降ら
れた大雨で床が微妙に変形しているために、隣り合ったタイルどうし
の高さを合わせるのに工夫が必要であった。

 フローリング材も上海で買い求めたものだが、こちらは1枚20秒
という速さで嵌めて行けたため 「爽快感を感じながら」金槌を振り
上げることが出来た。

 一目惚れで買ったシャンデリアは中国製であり梱包を開けて説明文
と組立図を手にしながら組み立てたが「なんと一日がかりの作業」に
なってしまった。

 家の中の戸棚はすべて同じ仕様で仕上げた。本棚・クローゼット・
下駄箱・システムキッチンセット・洗面台・飾り棚など・・・
「すべて横幅2メートル40センチメートル」
「高さ1メートル20センチメートル」
「厚さ2センチメートルの両面が白いカラーボードを70枚使って
仕上げた」
「扉の数は100枚(全ての扉に取手を取り付けた)」
「したがって我が家の戸棚は皆兄弟である」

 玄関ドアも上海で買ったものを取り付けた。この玄関ドアは二人で
持ち上げないと無理な重さがあり、正確に取り付けないと開閉が出来
なくなるというので、二人で相談の結果・・・

「あらかじめドアの金具類は、すべてドア本体に取り付けておいた」
「取り付け誤差が出ないように、二人で相談して工夫を重ね、二人で
 声を掛け合って、ドアを持ち上げ、慎重に取り付けた」
「結果、無事に、ドアーのスムーズな開閉が確認出来た」

 お洒落な出窓は10箇所ほど設えた。見本のダンボールの型紙通り
に作業を進めたのだが材料の切り方に問題があったのか出来上がった
出窓の接合部に、縦に沿って、隙間が生じていることを発見・・・

「そこで思い付いたのがシリコンを埋め材に使うアイデアであった。
けっこう上手くいったので隙間風は入って来ない」

 総仕上げに家の中の仕上がり具合を二人で総点検することにした。
「素人の失敗は家の隅に集まるようである」
「天井・床・壁など、すべて隅に隙間が出来ている」

 これを隠してくれるのが石膏製の装飾材、これも上海で買ったもの
である。フローリングの失敗隠しだけは、まだノウハウが見つかって
いない。そこはゴミが好む処らしく気付きやすいので、二人ともすぐ
にそこに目が行ってしまう。


【第七幕】

 水周りの工事は、二人で、かけ声をかけあって進めて行った。
「水出して」
「水止めて」
この繰り返しであった。

 温水と冷水の配管および排水パイプの設置は、トイレから台所・
シャワー室・洗面台と続き、作業そのものは 「元栓を締めたり」
「元栓を開けたり」の、繰り返しで二人して、このなんともせわ
しい思いを繰り返した。

 床下の水道管の施設には閉口した。床下の作業であり、膝の下には
砂利が敷かれているので、膝と手の平に、尖った砂利が突き刺さって
痛い、うっかり頭を上げようものなら今度は床下にゴツンと当たって
頭が痛い。

 しかたなく痛さを我慢しながら手の平と膝を支点にして床下を這い
廻ることになる。しかも、その日は、ご主人の誕生日であった。床下
で日が暮れたことも知らずに「映画で見る戦場の戦闘員の様な終日」
を過ごすことになった。

 やがて作業も終わり、暗くなった中を床下から這い出して、建築の
拠点にしている居室に戻り、夕餉に到って、誕生日の乾杯をする。

 排水用のパイプは、あちこちを這い回る上に、太目のパイプであり
連結部分も多いので余計に手間がかかる。うっかり切り方を間違える
とたちまち材料が足りなくなる。

 あらためて下から排水パイプを目安だけで、上に送り出して行くと、
右に行って欲しいパイプが、左に行ったりして、その都度、やり直し
となる。排水パイプの場合は「排水の目的地に向けて、傾斜を付けて
行く必要がある」が、直進したり、右折したり、また左折したりして
いる内に、傾斜が逆になってまたやり直しとなったりする。

「排水パイプは、なかなか難しい作業である」が、幸いにも地球には
引力(重力)があるので、排水作業が上手くいったかどうかの点検は
排水の具合を見れば、その結果はすぐに分かる。


【第八幕】

 憧れの芝生の庭造りには「2070枚の芝」を張った。芝生は手を
かけないと、自然環境にぴったりと似合った光景は保てないので雑草
取りなどの手間はかかるが、芝生を手入れしているときの音楽家W氏
の姿は輝いて見えたという。

 芝生の手入れが終わって、お二人で紅茶を楽しむ時間が、音楽家の
ご夫妻にとっては「至福の時」であったという。

 その至福のときに、ヨーロッパの友人のお母様が命名して下さった
「美音里ホール(Vinely Hall)」の看板を二人で造って、音楽堂に
掲げようと云う話になって、二人で街に出たと云う。

 街中で看板作りますの案内標示を見つけた二人は・・・
「家も手造りなら看板も手作りにしなくてはということ」になり、
「二人で看板作りに励み『美音里の看板』をアルミ板で作り上げ」
「外から見て、一番目立つところに取り付けた」のだという。
(最後の最期まで手造りに徹した音楽家ご夫妻であった)

 看板を見上げて二人でやり遂げたとはいえども、建設の過程では
多くの親切な方々に助けられ、電話一つの相談でも、親身になって
考えてくれた方々への感謝の気持ちを二人して確認しあい・・・
「自分で建てる夢のマイホーム」著者:藤岡等氏にも感謝である。

(完)

ヒトとして生まれて・第3巻(外伝)

ヒトとして生まれて・第3巻(外伝)

第3巻【外伝】音楽家ご夫妻の冒険は称賛に値する

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted