(2024年完結)TOKIの世界譚⑥アヤ編
時神現代神アヤ。彼女には数多くの謎がある。
発生した段階が不明。人間最後の記憶はなんなのかも本人はわかっていない。人の皮をかぶって生まれる時神がなぜか純粋な人間の家庭で生まれている。しかも顔が似ていないという。
アヤは徐々に昔の記憶を思い出しつつあった。
頭についてまわるのは「立花こばると」という少年の存在。どうやら彼はアヤの子供「かいへきまる」という少年であるようだ。しかし、アヤには子はいないはず。アヤは知らない過去を思い出していくことになる。
両親が別にいた。時代は江戸まで巻き戻り、「立花こばると」はなぜか毎回消去された。
いつわりのシステムが稼動する。
歴史神の黒幕が何をしたのか、時代を巻き戻して見てみよう。
この事件が起きたのは、今から二十年以上も前の話。アヤはまだ時神すら知らない時期であった。
ロストクロッカー
夏が来た。
セミがかしましく鳴いている。
アヤは汗を拭いながら外に洗濯物を干していた。今日は水分がすべて持っていかれそうな暑い日。
「あっつい……」
手で仰ぎながら部屋の中に戻る。冷蔵庫からアイスキャンディを取り出し、水を入れたたらいを縁側に置いたことを思い出して縁側に向かう。靴下を脱いで庭に置いたたらいに足を浸し、アイスキャンディを頬張る。
「まあ、少しはマシかしら……。暑いけれど」
しかし、今まで自分が大量の洗濯物を干す羽目になるとは思えなかった。いままでずっと、ひとりで暮らしていたのだ。
アヤは両親に全く似ておらず、アヤのことで両親は仲が悪くなり、アヤを虐待していた。
アヤは早々に家を出て、ひとり暮らしだった。
それが……
アヤは庭に干した洗濯物を眺める。男物の服、サイズが合わない服まで様々に干してあった。
「……私はひとりじゃなくなった」
……夕飯を考えなくては。
リカはトマト料理……プラズマは菜食料理で栄次は特にない。
なんだか昔にこんなことをしていたような気がした。
ひとり暮らししか経験していないはずなのに、なぜかこの賑やかさを知っている。
旦那がいて、息子が……。
私の人間最後の記憶はなんだ?
「頭が痛い」
アヤは頭を抑えながら食べ終えたアイスキャンディの棒を縁側に置いた。
「アイス、食べすぎたかしら……」
……氷菓子とかどうかな?
甘いお菓子だよ?
誰かの声が遠くでする。
「……こばると……くん」
アヤは小さくつぶやいた。
「こばると君」
アヤの目から涙が溢れた。
……私が……殺した。
自分の息子、海碧丸(かいへきまる)の生まれ変わり……転生した現代神。
黒髪の男の子。
立花家の髪色で目元は私に似ていた。
最初の彼は人間で私の息子だった。彼は立花家を継ぎ、息子二人、娘二人の四人の子宝に恵まれた。
それから……どうなった?
時代を超えて同じ彼に何回も会って……。
彼は海碧丸の海碧をとり、こばるとと名乗っていた。
時神現代神は常に新しい。
現代の思考を持ち合わせ、適応する。
「いや……違う」
アヤはさらに頭を抑えた。
最初の彼は人間だった。
でも次からは「時神」だった。
そこからこばるとはずっと時神だ。
では、自分はなんなのか。
……あなたはバックアップです。
誰かにいわれた。
……あなたの方が現代神にふさわしい。
「……なんなのよ……」
頭が痛い。
トケイの顔が映った。
言い様のない恐怖にアヤは襲われた。
「誰か……助けて……怖い」
「アヤ? どうした? 大丈夫か?」
頭を抑え、震えているアヤに赤髪の青年、プラズマが駆け寄ってきた。
「プラズマ……怖い」
「……え?」
プラズマが眉を寄せていると、栄次とリカもやってきた。
「アヤ、大丈夫? ど、どうしたの?」
「アヤ……様子がおかしい。何があった?」
栄次がアヤに近づいた刹那、栄次、プラズマ、アヤの瞳が黄色に輝き、一斉に同じ言葉を発した。
「エラーが発生しました」
「え、何?」
リカのみ三人の変わりように戸惑っている。
「ちょっと! プラズマさん! アヤ! 栄次さん!」
リカは固まってしまった三人を揺すった。三人はすぐに意識を取り戻したが、何かおかしかった。
「あれはアヤのせいじゃない!」
「ああ……その通りだ」
プラズマと栄次はアヤに寄り添い、アヤを落ち着かせ始めた。
「ちょっと……なんですか?」
リカは困惑した顔で三人をただ見つめていた。
二話
両親に似ていなかったアヤは家庭を壊すことを恐れ、さっさと家を出た。
実はアヤという名前でもなかった。だが、遠い記憶で自分をアヤと呼ぶ優しげな顔の男女がいたことをぼんやりと思い出したため、アヤと名乗ることにしたのである。
「ネギは買った、にんじん買った、チョコとティッシュ……」
アヤは携帯電話のメモ機能を見つつ、買ったものを確認しながら家へと向かっていた。今は格安のアパートを借り、バイトをしながら学校へ通う日々を送っている。
マイバッグが流行り、アヤもマイバッグで買い物をしている。
アパートの部屋は三階。エレベーターはついていない。
重い買い物バック片手に階段をのぼった先で黒い髪の少年が座り込んでいた。
見た感じ子供だったので、アヤは声をかけた。
「大丈夫? どうしたの?」
「あ、大丈夫……だよ。ただちょっと……」
少年は動揺しながら辺りを見回している。
「あの……」
アヤは少年の状態が虐待されていた頃の自分に似ていると感じた。何かに恐怖を抱いている顔。
誰にも頼れないと諦めている顔。
「だ、大丈夫……」
「うちに……あがる?」
アヤはなんとなくそう声をかけた。少年は顔を歪ませ、涙ぐむと「大丈夫」と答えた。
刹那、銀髪の着物の青年が上から急に飛んできた。
「え?」
アヤは驚き、二、三歩さがる。
「また、きたか……」
少年がそうつぶやき、苦しそうに叫ぶ。
「僕を殺しにきたんだろ!」
「まあ、僕はやりたくはないんですがねぇ……。ヒメちゃんが君の人間時代の歴史を消さないといけなくなるのがかわいそうなんで」
銀髪の青年はそんなことを言うと、少年を雷で多数貫いた後、鉄のように固い水の槍でトドメをさした。少年は光りに包まれて消えていった。
「え……」
アヤは呆然と立ち尽くした。
なんか忘れている気がする。
思い出せない。
「時計は売ってるとつい見ちゃうのよね」
アヤはスーパーの帰りに日用品コーナーで長居をしてしまった。
野菜のついでにスイーツまで買った。
「夕飯作る時間が……」
アヤは歩道を足早に歩く。夕方になってきてしまった。
学校の帰りにスーパーはやはり少し遅くなる。
アパートの部屋は三階。
階段を上がり、ドアの鍵を開ける。
誰もいないので「ただいま」は言わず、そのまま靴を脱いで部屋の電気をつけた。
エコバックを置き、中身を取り出そうとして固まる。視界に誰かが映った。
「きゃあっ……」
アヤは悲鳴を上げた。
アヤの目の前に立っていたのは黒髪の少年だった。
「え、あ……こども? なんでうちに……」
「まあ、それはいいんだけど……僕、ちょっと狙われてて……かくまってほしいんだ」
「どういう状態かわからないのだけれど、はやく警察に保護を……」
アヤがそう言った時、ドアのチャイムが鳴った。少年はアヤの手を引くと、なぜか時計に向かって走り出した。
「ちょっ……」
少年が時計に手をかざすと白い光が溢れ、緑色の電子数字が舞い始める。
アヤは眩しくて目を閉じた。
「ふう……」
少年はため息をついた。
アヤは恐る恐る目を開ける。突然に色々起き、頭がついていかない。
「えー……」
アヤは辺りを見回した。
窓から光が差している。
「光が……? 夕方だったはず」
机の上に昨日置いたはずのスーパーの激安商品のチラシが。
今日、買い物してスーパーのリサイクルゴミ箱に捨てたはずだ。
鳴っていたチャイムはもう止まっている。
「どういう……」
「昨日に行ったんだよ」
少年がそんなことを言った。
「昨日?」
アヤはひきつった顔で少年を見る。
「そう、時計を使えば年代に合わせた時期に飛べるんだ。ここに江戸時代の時計があれば、江戸に飛べる」
「……江戸時代……この辺に江戸の時計あるわよ」
「え?」
「私、時計好きなの。近くに時計博物館があって……」
「そうなの? 行ってもいい? 一緒に来てよ!」
少年は目を輝かせてアヤに言った。
「え? ええ……と、私と?」
アヤは少年の強引さがよくわからなかった。それと同時に何かに巻き込まれるのではという気もしてくる。
「うん、アヤと」
「……なんで、私の名前を?」
「あー、えーと、実は遠い親戚なんだ! 調べて会いに来たんだよ。僕は立花こばると、よろしく!」
少年はこばるとと名乗ると不自然なくらい明るく言ってきた。
「時計博物館、行ってみたいな!」
「……えー、信じられないけれど、今は昨日の朝、十時で……これから時計博物館に行くと?」
「そうそう!」
戸惑うアヤを連れ、こばるとはどこか慌てた様子で玄関のドアを開けた。
玄関のドアを開けた先に銀髪の青年が立っていた。
「……っ!」
「時計を使って昨日に移動したのですかね? この辺周辺を徘徊していれば、君の神力はけっこう簡単に見つかります」
アヤが少年を追い、廊下に出てきた。
アヤが廊下に出てきた時には少年は雷に貫かれ、鉄のように固い水の槍で突き刺されていた。
少年は呻くと白い光りに包まれて消えた。
「あまの……みなかぬし……ミナト……どうしたら……」
少年は最後に謎の言葉を残した。
三話
アヤは自分の親戚だという子供を保護した。名前は立花こばるとと言うらしい。
確かに、前々から知っているような気もする。
彼は時計博物館に行きたがっていた。
「じゃあ、変だけど窓から出よう」
「窓? 玄関から出ましょうよ、ここ三階で……」
「大丈夫。この時計を借りていい?」
こばるとと名乗る少年はアヤの目覚まし時計を手に持った。
「え、なんで……」
アヤが疑問に思ったところでドアチャイムが鳴った。
「はーい……」
アヤが返事をして玄関へ行こうとしたのでこばるとは必死に止めた。
「待って! 僕は逃げているんだよ、きっとあのチャイムは僕を捕まえにきたやつらだ! だから窓から……」
「時計博物館に行く前に警察に……」
「ああっ! もう、いちかばちかで!」
こばるとはアヤの手を引き、窓から飛び降りた。手に持った時計を手放してから落ちていく時計に手をかざす。
「明日に」
時計から白い光が溢れ、アヤも包まれた。
「きゃああっ!」
アヤは突然に窓から落ちたため、悲鳴を上げていた。ここは三階だ。死ぬかもしれない。
しかし、アヤは地面に足をつけていた。
恐る恐る目を開ける。
「あ、あれ……?」
「うまくいった。明日に来れた」
地面に落ちて壊れた時計は砂埃がついていた。
「時計は昨日落ちて壊れたことになってるはずで、今日は明日。今から博物館に……」
こばるとは突然にアヤを連れて走り出した。
「ま、待って! なんなの? 待って!」
アヤはよくわからないまま、こばるとに手を引かれ走る。
「時計博物館ってどこ?」
「え、えー、この道を右に……」
スーパーやファミリー層が住むマンションがある小道をこばるとは右に曲がった。
自然と共存している町並みを駆けて、山の近くまで来ると古めかしい看板に「時計の博物館」と書いてあった。目の前に大きめの屋敷があり、たぶんこれが博物館なのだろう。博物館は外装工事をしたらしく、屋敷は当時のものらしいが今時に変わっている。
「ここ?」
こばるとに尋ねられ、アヤは頷いた。
刹那、風が吹き抜け、こばるとが呻いた。
「もう……来たのか」
こばるとは白い光りに包まれて消え、アヤは腰を抜かして悲鳴を上げた。
こばるとが消えた位置に銀髪の着物の青年がせつなそうに立っていた。
なんで彼は誰かに連れ戻されそうになっていると発言しているのに、博物館に行きたがるのだろう。
アヤはこばるとに手を引かれて走っていた。
なんで、こんなに急いでいるんだろうか。博物館前に来て、アヤは疑問に思っていた。
「ねぇ、警察に……」
「ついた! 入場はいくら?」
「え、えーと……」
「もういいや! 江戸の時計はっ……」
こばるとは最後まで言い終わる前に白い光に包まれて消えた。
晴れているのに不自然な稲妻が辺りに落ちている。彼が消えたところには銀髪の着物の青年がなんとも言えない顔で立っていた。
「江戸の時計はどれ?」
こばるとと言う名前の親戚だと名乗る少年と時計博物館に来たアヤは入場料を支払っているところだった。
彼はなぜか誰かに追われていて、博物館の時計が見たいと言う。親御さんから捜索願がでているのだろうか?
家出してきたのだろうか?
なにもわからないまま、アヤは江戸時代の時計がある場所まで案内する。
「えーと……長年紛失したと思われていた時計の一つが見つかったみたいで……子丑寅卯……ってかいてあるのが……」
アヤは説明するがこばるとは聞いておらず、アヤの手を握り、反対の手を時計にかざした。
「江戸に逃げるっ!」
後ろから稲妻が飛んできたが、こばるとに当たることはなく、稲妻を置き去りにするように白い光が二人を包んでいった。
「やりそこねましたね……」
銀髪の青年が頭を抱えながら立っているのが見えた。
四話
同時期、ある宇宙空間にて。
「……時神の歴史改ざん、完了。立花こばるとの消去のため、ロストクロッカーシステム、起動します」
赤髪の羽織袴の少女は隣にいた黒髪の少年に目を向ける。
「すごいね。あの時の世界改変で覚えたやり方なの? 君、世界改変時に神々の記憶を消す役目だったでしょう? ナオさん」
「ミナトさん、その通りです。それの応用です。神々の記憶を消去し、別の歴史を埋め込む技術です」
「立花こばるとはアヤを連れて江戸に行ったみたいだけど?」
黒髪の少年アマノミナカヌシ、ミナトに歴史神ナオは軽く頷いた。
「彼は逃げられない。ロストクロッカーシステムは参(過去)にいる栄次さん、肆(未来)にいる紅雷王さんにも有効で参に逃げようが肆に逃げようが関係なく、あの二柱も許さないでしょう」
「うーん、僕が見る歴史ではロストクロッカーはアヤだと思われていて、タイムクロッカーはこばるとだと思われているという話になっているようだが」
ミナトは心配そうに尋ねてきた。あまりこの件は好きではないと顔が言っている。
「問題はありません。一度のみ転生をしたこばるとさんとは違い、アヤさんは時神のバックアップ。人に近く、時神の意味を持っていないので常に転生し、新しい。現代神は常に変わりゆく現代を生きるべきです。毎回転生していた方が毎回気持ちも新しい。こばるとさんは感じてきた過去も、これからの未来も考え始め、現代神として機能してません。アヤさんがシステム上、現代神になるのが正しい。それは過去神、未来神共にシステム上、『わかっている』はずです」
ナオの言葉にミナトはため息をついた。
「それはあなたがシステムを変えたからだ。僕は様子見を提案したはず。現代神の定義は難しい。そもそも人間は現代をうまく、くくれない。現代がよくわかっていない。僕は曖昧でもよいのではと思う。人間が決められないのに、人間から生まれた神が人間の理を無視してはいけないかと。だからこばるとはハッキリせず、曖昧なんだろう」
「……いや、この際、ハッキリさせるべきだと感じます。未来、過去はハッキリしてますから」
「僕はわからない。それは歴史神の独断ではないか」
ミナトは眉を寄せる。
ナオはミナトの言葉を聞かず、歴史的に現代をハッキリさせるため一生懸命だった。元々、現代神は存在がハッキリしない。
「現代」のくくりがわからないからだ。そのため、現代神という時神はいなかったのではないかと言われていた。
それが、江戸あたりから存在している。立花こばるとは一度の転生のみで現代神の存在を確立させた。バックアップのアヤは常に転生し、現代という『今』を取り入れ続けているようだ。
ナオはそれに目をつけ、未来や過去を考え始めている曖昧なこばるとをこの際、排除し、常に新しい『今』を持つアヤを現代神にするべきだと考えていたのである。
アマノミナカヌシ、ミナトはそれを危険だと感じていたが、観測が主なミナトは見ているしかなかった。
アヤはこの世界の楔(くさび)でもあり、こばるとが一度の転生で現代神を確立したようにアヤも時神の力を持つ「なにか」として神力を安定させるはずだ。
自分の力に気づいた時……バックアップとしての転生は終わり、こばるとが現代神を継続し、アヤは時神神力を持つ別の神へと移行するはず。
「……世界の予想を裏切った先に何があるのだろうか? 今より幸せな未来があるのだろうか? 紅雷王さんには何が見えてるか」
ミナトは弐の世界を眺めつつ、宇宙空間から壱の動きの観察を始めた。
アヤとこばるとの運命が狂い始める……。
※※
アヤはめまいがする中、目を開けた。目の前を青物売りが走り去り、二本差の侍が歩き……頭にはマゲが。
世界は平坦になり、マンションなどの高いビルはない。長屋が沢山あり、前掛けをした子供達が着物を来た女性らと遊んでいた。
「……え……え?」
アヤは目を疑った。
なんだ、ここは?
まるで江戸時代だ。
「江戸に飛べた。これでアイツに襲われなくて済む。それで……」
こばるとの発言にアヤは顔を青くした。
「え……江戸? 江戸時代?」
「あ、うん。江戸時代だね。過去神が近くにいるかも」
「か、かこしん? な、なにそれ……ほ、本当に江戸なの?」
「そう。ここは参(過去)の世界の江戸。通常はいけないさ」
こばるとは先程から宇宙人と会話をしているかのようにアヤにはわからないことを言う。
「どういうこと……なのよ?」
「まあ、色々あるんだよ。せっかく江戸に来たから、色々見てってよ」
わけがわからないままアヤはこばるとの言葉を聞いていたが、ここがどうやら江戸時代であることは理解した。江戸時代なんて学校の教科書のイラストでしか見ていない。少しだけ感動した。
「本当に江戸……」
辺りを見回していると侍にぶつかってしまった。
「……大丈夫か。前を向いて歩け。それがしは武士ではないが……武家ならば大変だぞ」
「ご、ごめんなさい」
侍は鋭い目でアヤを見た。
アヤは首をすくめ、怖い顔の侍を仰ぐ。ずいぶんと若そうな総髪の青年だったが落ち着きを感じた。
「……お前、時神か」
「え?」
青年に言われたアヤは眉を寄せた。
……時神?
アヤはこばるとに目を向けたが、こばるとがいなかった。
「あ、あれ……こばると君……」
「参の世界に現れたか。いよいよ劣化異種だな」
「な、なに?」
青年はそんなことを悲しげな顔で言うと、刀に手をかけた。
「一瞬で終わらせる故、動かないでくれ」
なんだかいけない雰囲気だと感じたアヤは活気溢れる江戸の人々に隠れながら慌てて走った。
「まずい。なんかまずいわ!」
半泣きで走ると小さな川が流れる長屋の端に出た。
「はあはあ……っ!」
息を上げていたらすぐ横から剣先が見え、アヤは慌てて避けた。
「立ち止まってくれ。俺はやりたくない。女だとは思わなかったな。やりにくい」
「な、何よ……なんなのよ……」
アヤは動揺しながら刀を抜いた青年を見上げた。
「時神現代神。人間と時神の力が混ざっているぞ。今なら時を勝手に渡れ、歴史もある程度動かせるだろう。このように」
青年がそう言った刹那、江戸の町が急に火に包まれた。人々の悲鳴が聞こえ、必死の取り壊し作業が行われ始めた。
「襲い来るそれがしや、未来神を殺すつもりか? これは天明の大火だ。この時代でもこの場所でもない。歴史を動かし大火を持ってきたな。人の時間を守るそれがしらが人を殺して良いわけはない。今すぐやめろ。歴史を元に戻せ、今だ」
「な、何言ってるのかわからない……」
アヤは震えながら青年に答えた。本当にわからない。
「ああ……怖いのはよくわかる。現代神はいずれ『終わりが来る』。お前はもう、終わりなのだ」
「わからない!」
「人と時神が混ざるお前の過去は見えぬ。だが、新しい時神となるこばるとに席を譲るのだ。時神現代神は『そういうふうにできている』」
「……私は人間! 何を言ってるのよ!」
アヤはわけがわからなくて叫んだ。
「……よくわからぬ。過去見ができぬ。過去見をしてみる……か?」
「……よくわからないわ!」
青年がそう言い、アヤが頭を抱えた時、こばるとが入ってきた。
「アヤ! 行こう!」
こばるとが紙に書かれた『現代の時計』をかざすとアヤは白い光に包まれて消えた。
青年、白金栄次は刀を鞘にしまい、切なげに空を見上げた。
火事はなくなっていた。まるでなにもなかったかのように人々は歩いている。
「やはりそれがしは刀を向けられぬ。現代神はそういう風に本当にできていたか? 疑問が残る」
栄次は着物を翻すと去って行った。
五話
「あー、危なかったね」
立花こばるとが汗を拭いながら答えた。
「な、なんなのよ……」
アヤはなんだかわからないままこばるとを震えながら見つめた。
「過去神栄次だよ。参の世界にいる神なんだ」
「さ、さんのせかい?」
「そう。過去の世界さ。この世界はね、三直線にできているんだ。平成が過去の世界、平成が未来の世界、平成が現代の世界の三つ。僕は江戸の時計から参の世界の江戸時代に飛んだのさ」
こばるとは息をつくと空を見上げた。蝉が鳴いていて、うだるような太陽。
「……お話みたいな話ね。でもなんか……本当のことみたい」
「本当のことだよ。君はさっきまで江戸にいた」
辺りは現代と変わらない風景だが、なんだか違う気がする。
「……帰ってきたの?」
「いや、ここはギリギリ現代のアナログ時計を使っている未来の世界だよ。僕はアナログ時計を描いたからそっちに飛んだんだ」
「元の世界じゃないの?」
「違うよ」
こばるとは歩き去る人々を指差した。ここはどこかの公園。現代にも普通にある自然公園だ。
しかし、手に持っているものがアヤ達の時代にはないものだった。
四角く、平べったくて、ボタンがない、画面だけの電話。
耳にあてずに話している。
写真を撮ったり動画を撮ったり、きれいなグラフィックのゲームをしていたり、見たことのないSNSをしていた。
「……なに? あれ」
アヤは自分の携帯電話を取り出した。似ている気もするが全然違うもののようにも感じる。
「あ、あれは……なんだろ? ま、とにかく、ここは未来の世界なんだ」
「さっきの話だと平成が未来の世界?」
アヤが尋ね、こばるとは首を横に振った。
「いや、肆(未来)の世界ではあるけれど、時代が少し先だね。ここには未来神が……」
こばるとは辺りを見回してからアヤに再び口を開いた。
「ちょっと待ってて。未来神、探してくるから」
「あ! 待って……」
こばるとはアヤの返答を待たずに走り去ってしまった。
「ね、ねぇ……私、どうしたら……」
困って固まっていると、軽い感じの男に声をかけられた。
「あんた、神だろ?」
「えっ……え?」
アヤは困惑したまま振り返り、声をかけてきた男を見上げた。身長がかなり高い上下スウェットの若そうな青年だった。
赤い髪、赤い瞳で頬に赤いペイントの変わった男だ。
「どちら様……」
「ああ、俺は時神未来神、湯瀬プラズマだ」
プラズマと名乗った青年は先程から皆持っている平たい機械でなにかを確認してから、アヤに再び向き直った。
「あ、あの……それ、なんですか?」
アヤはプラズマがいじっていた携帯電話のようなものを指差し、尋ねた。
「これ、知らないの? スマートフォン。スマホだよ。いつの時代から来た? あんた」
プラズマの声がどこか鋭くなる。
「いつの時代って……」
「時神現代神だろ、あんた。時渡りは犯罪なんだよ。そもそも、時を渡れるのは人間の力と時神の力が混ざる『ロストクロッカー』か『タイムクロッカー』のどちらかだ。あんたは……未来見ができないからわからねぇが、『彼』の発言から寿命の現代神だな? ロストクロッカーだ」
「……? な、何を言ってるのか……わからないわ」
「だから……」
戸惑うアヤにプラズマの声が鋭く刺さる。
「ロストクロッカーだと言ってるんだ」
アヤの眉間に銃があてられた。
「や……やめて……偽物……ですよね?」
アヤの言葉にプラズマは眉を寄せてからアヤの足元を銃で撃った。音はなかったが地面がえぐれ、焼けていた。
「ひっ……」
「……やりたくない」
「え……?」
「やりたくないな」
プラズマは顔を歪めて迷っている。
「……なんでさっきから殺されそうになってるの? 私」
アヤは涙を浮かべながら怯えていた。わけがわからなかった。
まず時神とはなんだ?
「……どうなっているんだ。なんか、変なんだよ。とてつもない違和感だ。なぜ、ロストクロッカーは『消えなくてはいけない』んだ? そもそも……そんな言葉、そんな状況はあったのか?」
プラズマは銃をおろした。
「殺さなくちゃいけないのか? 彼が……『立花こばると』が嘘をついていることもあるんじゃないのか」
「なんでこばると君を知っているの? 知り合いですか?」
アヤが尋ねた時、地面が突然に爆発した。
「危ない!」
プラズマはアヤを抱え、避けた。まるで爆発する場所がわかっているみたいだった。呆然としていたら上から鉄柱が落ちてきた。
「きゃあ!」
アヤは叫び、プラズマはまたも前もって避けた。
「未来見……こんなに色んなことが起こるとは……過去にあったことの歴史を動かして俺を殺すつもりか」
プラズマはアヤを放してから、アヤに向かいそう言った。
「な、なんで、私があなたを殺そうとしているみたいな話し方をするの? あなたが私を殺そうとしてるんでしょう!」
アヤは怯えながら叫んだ。
「……なに言ってるんだ、あんた。歴史を動かせるのは現段階で人の力と時神の力を両方持つ『タイムクロッカー』と『ロストクロッカー』だけだ。あんたは劣化している時神『ロストクロッカー』だからこの世界から消えなきゃならない。それが嫌であんたを消そうとした俺を、今、殺そうとしたんだろ?」
「……?」
プラズマの発言は何もわからなかった。先程の時神過去神にも同じようなことを言われた気がする。
自分が『ロストクロッカー』だから『劣化異種』だから過去神と未来神に殺される。
それが嫌で酷い歴史をこの場で起こして、未来神、過去神を殺そうとしている。
そう二人から言われた。
「わからない……。そんなこと考えたこともない」
「あんたは小柄な女の子だ。俺みたいな背の高い男や過去神栄次みたいな力の強い男には勝てないと判断したんだろう? かわいそうに、そんなに震えて」
プラズマは同情した顔でアヤを見ていた。
「だから! そもそもあなた達を襲う気なんてっ……」
アヤがそう発した時、足の震えから後ろに倒れこんでしまった。
後ろには噴水があり、アヤは噴水の池の中へ水音と共に落ちた。
目の前が真っ白になった。
「うそだ……。僕がいなくても勝手に水時計が!」
おそらくこばるとのものだと思われる声が遠くに聞こえる。
……そういえば、なぜ、私が襲われている時に彼がいないのだろうか。
過去神も未来神も探しにいかなくても目の前にいたというのに。
時間旅行
「う……」
アヤは目を覚ました。体はびしょ濡れだったが、水の中にはいなかった。目の前に赤い長い髪の男がこちらを心配そうに見ている。
「って! 近寄らないで!」
心配そうにこちらを見ていたのはプラズマだった。プラズマが助けてくれたようだ。しかし、格好がおかしかった。
烏帽子に水干、木の靴を履いていた。赤いペイントはしていなかった。赤い髪は異様に長い。
「やめて! 私はあなた達を殺す気なんて……」
「待て! なんの話しか? 山賊にでも襲われていたのか? 怪我は……」
「あなた、何言って……と、いうかその格好は?」
アヤはプラズマの格好が全く違うことに驚く。よく見ると周りは公園ではなく、ただの野原だった。目の前に池がある。
「そちこそ、その格好はなんぞ」
なんだか話し方までおかしくなっていた。アヤが着ているものが服だとわかっていない。
「もしかして……平安時代とか」
つぶやきながら立ち上がり、とりあえず構えた。
どうなってるのか。
確か時計で時代を飛べると、こばるとが言っていた。ただ、時渡りしたにしてもアヤは今回時計を触っていない。
アヤの意識が飛ぶ寸前でこばるとらしき声が「水時計」の単語を出していた。
アヤは考えた。
水時計。
水を使って時を計る時計のことだ。最古は天智天皇が飛鳥時代に使っていたもの。
「まさか飛鳥……?」
「……飛鳥? お前は時代をこえてきたのか」
「……? 今はなに時代……」
プラズマは先程までのプラズマとはかなり違う。冷たい目や哀れな目でこちらを見てくる感じではない。
「平安……だ。我が時の神として発生したのは最近である。お前にも神力があるよう。時の神か?」
「わかりません……」
「賊に襲われてはおらんのか? かわいそうに、震えておる」
プラズマは扇子を取り出すと優雅に開いた。扇子に文字が書いてある。昔の扇子はメモに使われていたと聞いたことがある。
プラズマは時の神に女の名前があるかを確認したようだ。
書いてあるのは様々な神のようだが。
「……なし。名は?」
「……アヤ……」
「あや……女子に珍しき名」
「ま、まあ……この時代はそうでしょうね」
そういえば髪の長さは神力を表すと聞いたことがある。この時代は神と髪をかけて神聖化していた時代なはずだ。
「……本当に平安時代……」
牛車が横を通りすぎていく。
「わからぬが……時神は我一柱のみ」
「……この時代は……私を襲ってこない……?」
「女を襲うなど汚らわしい。お前は寒うないのか。つごもりに……そのような……」
プラズマは心配そうにアヤを見ている。言われてから身体が凍りつくくらい冷たくなっていることに気づいた。
つごもり……月の終わりをさす言葉だが、プラズマは年末のことを言っているようだ。
つまり、冬だ。
「さ、寒い……」
「……表着(うわぎ)しかないが……」
プラズマは着物をアヤに差し出してきた。
「上着? えーと……ありがとう……」
「ぬれたものを脱いで干した方が良い」
「……脱げないわよ……外だもの」
そう、ここは野原だ。どこだかはわからないが野原。目の前の池は半分凍っており、よく見ると雪が積もっていた。この辺は人が歩くためか、アヤを助けるためか、雪をどかしていたようだ。
「だが……女が身体を冷やしては……」
心配するプラズマをよそにアヤはこれからどうするかを考える。
こばるとが確か時計の絵を描くと現代に飛べると言っていた。
現代にある時計なら書けば良いらしい。
「時計の絵……」
アヤはポケットから濡れたメモ用紙とボールペンを取り出した。
「なんぞ?」
プラズマは不思議そうに紙とボールペンを見つめていた。
さっそく書いてみるが紙が濡れているため書けなかった。
「書きたいのか?」
プラズマは木でできた扇子を渡してきた。
「……筆はなし」
「あ、ありがとう……ボールペンでなんとか……」
アヤは木の上からボールペンで何度もなぞって無理やり時計を描いていく。
現代の時計なら簡単に書けるはず。時刻はてきとうにしといてとりあえず描いた。
「描けた!」
アヤは描いた時計をかざしてみた。しかし何も起きなかった。
「……どうやったら時を渡れるの?」
眉を寄せつつ、時計のかざす向きを変えてみたり、回してみたりと色々とやった時、太陽の光が射した。光は扇子に当たり、後ろの池とアヤを照らした。
「え!?」
思わず声を上げた刹那、アヤの周りは真っ白な光に包まれた。
扇子だけが地面に転がり、プラズマが不思議そうに扇子を拾い上げる。太陽が扇子に当たり、池にも当たっていた。
「……日時計か? 太陽は東からのぼり、西へ沈む故」
一言つぶやくと、プラズマはアヤを探して辺りを見回した。
二話
「はっ!」
アヤは目覚めた。また場所が変わっていた。気がついた時、男達の悲鳴と咆哮が混ざりあっていた。地響きと共に岩のようなものが落ちる音、鉄砲のような音、沢山の足音も響く。
アヤは見えぬ恐怖に震えた。場所は山の中のようで、蝉が鳴いているため夏だ。しかし、アヤはもう暑さも感じなかった。
流れるのは冷や汗だ。
足が動かない。
また勝手に時代を飛んだようだ。この古くさい空気は現代ではない。
「こっ、ここはどこなのよ!」
アヤは枯れた声で叫んだ。
足音と銃声、馬のいななきも近づいてきた。
「コロセ! コロセ! 討ち取ったり!」
叫びながら沢山の男が山をかけていた。血と泥にまみれた甲冑をみにまとい、首を持っている。
殺人鬼のような雰囲気で目を血走らせた男達が異様な興奮状態で走ってきていた。
「イヤぁぁ!」
アヤは叫び、涙を流しながら震えた。怖かった。この時代は戦国だ。母が戦国の男達の話をよくしていた。
……母?
アヤは聞いたこともない話を思い出す。
……おかしい。自分の母は戦国なんて生きていない。
「あやちゃん、私が木暮に嫁いでから戦が終わりました。これから幸せな時代がくるはずです。私の父と母はもうおりませんが、きっとあちらで戦の終わりを喜んでくださるでしょう。あなたは、私の母、ハル様の愛と、父更夜様の夜をとり、名付けたのですよ」
誰かがそう言っていた。
アヤが頭を押さえながら怯えていると、いつの間にか男達に囲まれていた。
「……ひっ」
「女だ。こんな戦の渦中に女か。連れ帰るか」
男のひとりがアヤの腕を乱暴に掴んだ。
「い、いやっ!」
アヤは男の腕を振り払って逃げようとしたが、男がアヤの顔を乱暴に叩き、アヤは思い切り地面に転がった。
「生意気な女だな。素直に従え、噛みついてきやがって。敗走したやつの妻かなんかか? まあ、いい」
「……っ」
アヤは腰が抜けて立てなかった。
「何発か殴りゃあ、言うこと聞くんだよ、こういうのはな」
「商品にするんだろ? 顔はやめとけ、売れなくなるぞ」
「どんなもんか、先に見とくか」
男達の異様な言葉が飛び交う。
戦国時代は男が強い。
そして命が軽い。
男達の思考は平和な時代と比べだいぶん違う。
戦が終わってからもしばらくは命が軽かったという。
アヤは乱暴に扱われた。
押さえつけられ、舌をかまないように布を口に巻かれた。
声が出せない。
同情してくれる男の顔はなかった。戦でおかしくなっている。
「見てから売ろう。なんだ、この着物は南蛮のものか?」
アヤが着ていた服は現代の服だ。戦国では見たこともないだろう。
スカートの中に手を入れられたアヤは必死で男の顔面を蹴りつけた。
「逆らうなと言っておろうが」
男は笑いながらアヤの顔をもう一発叩き、別の男は押さえつけられているアヤの腹を踏み潰した。
「んう……」
アヤは呻きながら涙を流し、どうすれば良いか必死に考えた。
下手したら殺されてしまう。
「お前ら、大事な商品だと言って……」
別の男が最後まで言い終わる前にその場に倒れた。
次々に男達が倒れていく。
「お前はっ……紅色のくちなわ」
最後まで言う前にアヤを押さえつけていた男が倒れた。
「……っ!」
アヤは酷い顔で震えながら目の前に立つ男を見上げた。目の前に立っていたのは緑の着流しを着た戦場には軽すぎる着物を着ている青年、白金栄次だった。
「酷いことをするな……。かわいそうに」
栄次はアヤの布をほどいてやった。アヤは錯乱状態で必死に栄次に飛び付いた。栄次が自分を殺そうとしていると咄嗟に考えたからだ。
アヤは近くに落ちていた刀を危なげに持つとふらつきながら栄次に刃を向けた。
栄次は刀を軽く避けるとアヤを軽く押さえつける。
「いやっ! やめて! いやあっ! 許して……なんでもしますからっ! もういやああ!」
アヤは泣き叫びながら尋常ではないくらい震え、栄次になぜか許してもらおうとしていた。
アヤはこの一瞬で心を壊されてしまったのだ。
「……落ち着きなさい……」
栄次はアヤに諭すように声をかける。
「落ち着きなさい……。怖かっただろう、なぜ、こんな場所にひとりで……」
「……知らないわよ!」
アヤは再び噛みつくように叫んだ。
「お前は、神か?」
「……知らない……わよ……。わからないのよ! いった……」
アヤは先程腹を踏まれた事を思い出した。顔も痛い。
「……痛いじゃないの……なにすんのよ!」
アヤは泣きながら倒れている男を蹴り飛ばした。怒りがおさまらない。
「顔に傷ができたら、あなたのせいなんだからっ! なめんじゃないわよ……」
アヤは男の顔を何度も踏み潰した。
「ま、まて……確かにその男達は酷いことをした。故に俺が制裁したのだ。もう許してやってくれ」
「なんでっ! 私が! こんな目にあわないと行けないのよっ! 怖かったじゃないの! 痛かったじゃないの! 許さない」
アヤは悔しさと怖さとイラつきで泣きながら男を踏みつけていた。
戦国時代の異様な空気、状態でアヤもおかしくなるのに時間がかからなかった。現代人が戦国なんかに来たら発狂して壊れてしまうだろう。平然と笑っていられるのはアニメや漫画だけだ。
「落ち着きなさい! もうやめろと言っている」
栄次に鋭く言われ、アヤは止まった。戦国の栄次はどこか荒いところがある。アヤは栄次が怖かった。この男は強い。アヤはかなわないだろう。
「泣き寝入りしろというのね……。この時代、女はモノよ。男の所有物だもの。意見すらもできないの。悲しいな……」
「……すまぬ。その通りだ。少し前の時代は違ったのだ……。やはり戦は破壊の力を持つ男が強くなる」
栄次は苦しそうに言った。
「私の祖母は……いえ、なんでもないわ。あなたも私を殺すんでしょう? 襲ってきたものね?」
「……? 俺は殺生はしないのだが……」
「あらそう」
アヤは苛立ちながら立ち上がり、なぜこの時代へ飛んでしまったか考えた。
現代に飛ぶ予定だった。
あの場で反応したものといえば、水時計、アナログ時計……日時計。使った物にも反応したのかもしれない。
「時代が混ざってここに来た……。栄次さん、いいかしら?」
「な、なんだ?」
栄次はアヤに戸惑いながら尋ねた。
「私、自分の時代に帰りたいの。ただ、私が時計を描くだけでは自分の時代に戻れない。どうしたらいいかしら?」
アヤは冷静に戻り、栄次を見る。おそらく栄次は何にもできないだろう。時代を飛べるのは「タイムクロッカー」と「ロストクロッカー」のみで栄次やプラズマは渡れないらしい。
「……なぜだか……お前の過去が見えない。何を言っているのかわからぬ……」
「もういいわ……ありがとう。とりあえず、乾いたメモに時計を……」
アヤは乾いたメモを取り出し、ボールペンで時計を描いて続けた。
「あなた、江戸で会った時、『それがし』って言ってたわよ。時代に合わせているのかしらね?」
「未来の俺がお前に危害を加えたのか?」
「……あなたは迷っていたわ。私を殺そうとしてきたけれど、殺せなかったの」
アヤは描いた時計をあちらこちらにかざしたが時代を飛べそうになかった。
「……飛べないのね。条件が重ならないと飛べないんだわ」
「よくわからぬが……日の入りはひとつの区切りだぞ。酉(とり)の刻だ」
栄次が答えた時には日が沈む手前だった。
「夏故に日の入りは長いが……」
「……今ね。日時計でいくわ」
アヤはよくわからないまま、沈み行く太陽に向かい紙をかざした。目の前がまた、白くなった。
アヤが消える直前に、立花こばるとが現れた。栄次に何か言っている。
「え、ちょっと待って! こばるとくん!?」
アヤが手を伸ばしたがこばるとには届かなかった。
……時神アヤが僕を妨害する。
ああ、僕は機械式時計博物館の戦国時代の時計からここに飛んできた。
僕は「タイムクロッカー」らしいんだよ。アヤの方が古い「ロストクロッカー」だからか僕を殺しにくるんだ。
……君達も気を付けた方がいい。
できれば、僕の代わりに彼女を消してくれたらいいんだけど。
彼女は「何も知らない風」に話しかけてくるから注意してね……。
三話
「飛べた」
アヤは痛む身体を持ち上げて立ち上がる。時刻は夕方。季節は夏のようでヒグラシが鳴いている。
山の中だが、また現代ではなさそうだ。
「敗走! 敗走! 頭がやられたぞ!」
山の奥で悲鳴に近い声がした。
「逃げろ! 俺達は農民なんだよ! 武将にかなうか!」
槍やらクワやらを持った歩兵がアヤの横をすり抜け逃げていく。
「……まさかまた」
戦国時代か?
そんなことを思っていたら、負傷し、血と泥にまみれた男達がアヤを見つけて飛びかかってきた。
「なんと運の良い! 最期にきれいな思い出で果てさせてくれ!」
「女がいるぞ 幻か」
「こんな人生だったんだ、最期くらいいいだろ!」
男達は躊躇いもなくアヤを殴り、服を破こうとしてきた。
先程の男達と比べて余裕がなさそうだ。敗走兵であり、招集されただけの農民のようである。
「やめっ……痛い! いや!」
最初にいた場所は勝った国側で、今回は負けた国の陣近くにいるらしい。
「痛いって言ってるじゃないの!」
アヤは男を殴り返したが、さらに強い力で蹴り飛ばされた。
「女に俺達の気持ちがわかるものか! 負けたんだよ! 戦に! 支配されんだよ、国が! 田畑を奪われる! 俺達の気持ちがお前にわかるか! 生意気だ、生意気だ! クソアマが!」
「痛い! 痛い!」
髪を掴まれ、踏まれ、倍以上に仕返しされたアヤは地面に力なく倒れた。
「なんでこんな目に! 俺達は百姓だっ!」
「手を出してきたな、クワで切り落とすか」
「助けなんて来ない、誰も助けないぜ。人を殺したくらいで誰もなんもいわねぇよ」
アヤは震えた。完璧に精神状態がおかしい。
弱い方が犠牲になる。
これが戦国時代だ。
「はやく、かえりたい……」
アヤはなんとかして現代に帰る術を考えた。しかし、帰り方がもう思い付かない。
「くっ!」
アヤはとりあえず、震えつつも男に抵抗する。
「抵抗するなよ、めんどくさい」
「やめてっ!」
アヤが叫んだ刹那、アヤを襲っていた男が呻きながら倒れた。
「え……」
男の背中には黄緑に光る矢が刺さっていた。
「な、何奴!?」
男達が慌てるも次から次へと予測したかのように矢が飛んできて、男達が吸い込まれるように当たりに行っていた。
「どうなって……」
アヤが戸惑っていると甲冑姿の赤い髪の男が現れた。
髪は後ろで結んでいる。
総髪と言うのか?
「おいおい、女の子に酷いことをすんなよ、太陽の象徴だぞ。大丈夫か?」
「あ、あなたは……確か、時神! 本当にどこの時代にもいるのね……」
「ん? 貴方は平安時代に会った方かな? 酷い顔……大丈夫かね? 会ったのが昔すぎて、記憶から消えるところであったぞ」
「ああ……また、思い切り殴られたわ……。襲われたの、二回目よ」
アヤは立とうとして、今回は立てなかった。身体が痛すぎる。
「げほっ……」
「大丈夫か? 殴られているなら木の幹に身体を預けていなさい。ここは絶望した敗走兵が多くいるから自暴自棄で危険だよ。女の子が来るところではないのだがね」
プラズマはアヤを介抱しようとしていた。この時代のプラズマも栄次も襲ってこない。
「知らないわよ。突然ここにきて、この男達が襲いかかってきたのよ! 反撃したら三倍くらいで返してきたわ。血が出てる……。痛いじゃないのよ……」
アヤはよろけながら立ち上がり、倒れている男の顔を思い切り蹴り飛ばした。
「やっと、痛いのから解放されたのに、また怖い思いしたじゃないの! 怖いのよ! おかしいんじゃないの?」
「えー、貴方……アヤ、やめてあげなさいな。彼らは……」
「なによ……怖かったのよ! さっきも痛い思いをしたの! 今回はもっと痛かったわ! こんな、力ですべてが解決する世界なんて、異常なのよ! 腕をクワで切り落とされそうになったわ。正当防衛したら生意気と言われたわ! もういや! 家に帰して! 私が何をしたっていうのよ!」
アヤはわめきちらし、唇を噛んだ。
「この時代は強い者が頂点だ。そこに女は含まれず、女が泣くことも多い時代だ。情報交換のため、国同士のために女を送り合う時代。女はモノなのだよ。女は元は太陽だったのだがな。男は戦いたくもないのに戦って死ぬのが美徳とされる。家を継ぐ、頂点となる。肩にかかるものがとても重い。変な時代よな」
プラズマは平安時代に持っていた扇子をアヤに渡した。
アヤが描いた時計が描いてある。
「何かあった時のために、これを」
「もう時代を飛ぶのは嫌だわ」
アヤはうなだれた。
おかしくなりそうだ。
時代によって感覚が違いすぎる。次の時代へ飛んだ時、自分はもっとおかしくなってしまうかもしれない。
「前回だって今回だって、泣き寝入りじゃない」
「アヤ、全部が全部、そうではないのだ。どの時代にも安定した層はいるものだ。自分の時代に帰りたいのか?」
「帰りたい……。わけがわからなくて……怖いのよ」
アヤは下を向いた。
「辛かったな……同情する」
「……同情する? 私を助けてよ……。あなたも栄次も私を殺しに来るじゃないの……」
アヤは涙まじりに小さくつぶやいた。
「……殺す? あの男達と一緒にしないでほしいのだが」
「なに言ってるのよ! 私はわけがわからないのよ! ロストクロッカーだと言われて、私が死から逃れるためにあなた達を殺そうとしてるって!」
アヤはプラズマを睨み付け叫んだ。
「……このあいだ、立花こばるとが現れた。木暮アヤは嘘つきだ。何も知らない風で自分を殺しに来る。だから、自分が新しい時の神になるため、古い時の神アヤを消してほしいと、言われた。貴方は確かに知らない風でわめきちらしているが、本当に知らなそうに見える。今貴方に会って話して、平安時代に貴方と話して、なにか違和感がある」
プラズマの発言にアヤは目を見開いた。
「私は木暮ではないわよ……。こばるとくん……なんでそんな嘘……」
アヤは悲しくなった。身に覚えがないことをこばるとは栄次とプラズマに言っていたのだ。
これが正しいなら、アヤがこばるとと時渡りをする前に彼はひとりで時渡りをしていたことになる。
「嘘、なのか? 立花こばるとが嘘をついていると? 貴方が嘘をついている可能性は……? 貴方からは新しい神力を感じない」
プラズマの言葉にアヤは唇を噛みしめた。
「なによ、それ……。私は何も知らないのよ」
「あまり動くな、身体にさわる」
プラズマが眉を寄せる。
「あなた、私を殺そうとするくせに、なんの心配しているわけ?」
アヤは鋭くプラズマを睨んだ。
「未来の私が何かをしたようだが、今、貴方と会話して私は変だと思い始めたのだ。落ち着くのだ」
プラズマは竹筒の水で端切れを濡らすとアヤの顔に当て、血を拭ってくれた。
「……あ、ありがとう」
「落ち着いたか? 原因究明と……」
プラズマはそこでとまり、手から突然光る弓を取りだし、簡単に放った。
「ぐっ」
後ろで呻き声が聞こえ、襲ってきた男が倒れた。
「腹いせに誰かを殺したい者が多いようだな。……すぐに五人来るか」
プラズマは少し考えてから再び口を開いた。
「逃げろ。まっすぐ走れ。山の下は海だ。浜辺まで逃げるのだ。私は後から向かう」
「……あなたは大丈夫なの?」
アヤはとりあえず尋ねた。
「私は未来が見える。人間がどこにいるか、いつどこに来るか、すべて見える。まっすぐ走れ。後で怪我を見よう。ここはとにかく危険なのだ」
プラズマは走ってきた五人を視界に入れ、アヤを走らせた。
「私は貴方を殺さぬようにしよう。行ってくれ」
アヤは振り返らず走り出した。
腹をかばいながら必死に駆けた。彼が未来が見えるのは本当のようだ。
時神未来神。
起こることがわかるため、現代で爆発を避け、敵のいる位置がわかるため、前もって矢を放ち、吸い込まれるように敵に矢が当たったのだ。
敗走で大混乱を起こしている現在も怪我一つしていないのはそういうことなのかもしれない。
アヤは息をあげながら走った。思ったより山道がきつくなく、足場も良くて降りやすかった。この辺も考えていたのか。
「……信頼して浜辺で待つべきなのかしら……」
アヤは山から出て整備されていない浜辺へと出た。
「プラズマも栄次も、私を殺すことを躊躇っていたわね……。助けてくれるのかしら……」
アヤはとりあえず、隠れられるところを探した。砂浜に大きな岩がいくつもある場所を発見し、そこへと入った。
しかし、ここは波が入り込んでくる場所だった。
「だ、ダメ!」
足を踏み入れてから気づいた。人はわずかな水でも引き寄せられると溺れる。アヤは立てなかった。
もがく。
すごく浅い場所なのに立てない。
ふと何かに手を引かれた。何かは勢いよく深海へとアヤを引きずり込んだ。
……死ぬ!
アヤはそう思ったが、不思議と呼吸ができた。
「……え?」
「大丈夫? あそこは誰もいかない場所。この辺の人なら知ってる」
目の前で青いツインテールの少女が着物を着こんで浮いていた。
「え? な、なに? この状態……」
アヤはよくわからなかった。少女は当たり前のように海中を漂っている。今日はずっとわけがわからないことばかり。
「私は海神(ワダツミ)のメグ。あなたは? 人間ではなさそう」
「……さっきまで人間だと思っていたのだけれど、違うらしいわ。夢ならいいのに」
淡白に言う少女、メグにアヤは困惑しながらそう言った。
「不思議。とても不思議」
「ワダツミ……神様なのかしら」
アヤが尋ねるとメグは頷いた。
「ねぇ、あなた、私を元の時代に帰せたりする? 私、この時代の人間ではないのよ」
アヤはダメ元で尋ねた。
「時代を超えてきたのか? うーん……」
「現存の時計か、条件が重なれば時代を飛べるらしいの。いままでの経験では……だけれど」
「時計……」
メグは少し考えてから再び口を開いた。
「弐の世界から時計を見つけて飛んでみる?」
「……弐の世界?」
アヤが尋ねた時には辺りは真っ暗だった。メグはゆっくり下降していく。深海魚が通りすぎる。
「海はおだやか。最近は沢山の人間の魂が上から落ちてくる。戦でもあったか。ほら、またひとり。弐の世界へいらっしゃい」
アヤの隣に意識を失った甲冑姿の男性が共に下降を始めた。
その男はアヤに襲いかかってきた男だった。プラズマにやられた後に意識を取り戻し、逃げている最中に討ち取られたようだ。
背中に何本も矢が刺さっている。
「弐の世界って……」
アヤが言い終わる前に辺りは深海から宇宙空間に変わっていた。
甲冑姿の男は宇宙空間の中にあるネガフィルムのようなものの一つに吸い込まれて行った。
「なっ……」
「大丈夫。あれ、自分の心の世界。若くして亡くなった母親に会いに行ったの。死ぬ間際に母親を思い出したんだね」
「……」
アヤは何も言えなかった。
「あなたはこれから、こちらにあるあなたの世界に行くべき。そこにあなたが思い描く時計があれば、おそらく帰れるだろう」
「……私はこの時代の産まれじゃないわよ」
「問題はない。弐には時間はない」
メグは宇宙空間を滑りながらアヤを連れていく。どこを動いたかわからないが、メグはひとつの二次元映像の前で止まった。
「ここ、あなたの世界」
「ま、待って! 本当に?」
「心配なら私の連絡先書いておくから、違ったら教えて」
メグは頭に数字を送ってきた。
携帯の電話番号だろうか?
仕組みはわからないが、メグがさっさとアヤを押したのでアヤは自分の世界とやらに吸い込まれて行った。
メグは死に行く人間の処理で忙しかったのかもしれない。
四話
アヤは自分の世界とやらに足をつけた。
「ああ、もう……。わからなすぎる!」
アヤは自然豊かな静かな世界で叫んでいた。誰もいないようだ。
「時計を探せば、とりあえずなんとかなるのかしら。本当に私の世界なの? こんな世界、想像したことないのだけど」
アヤは頭を抱えつつ、歩いた。
アヤは時計が好きである。すぐに自分の世界らしいところに気がついた。草原に沢山の時計が刺さっている。年代もバラバラ。
「時計ばっかり……」
アヤは苦笑いしつつ、一番現代っぽい目覚まし時計の前に立つ。
「あら、この時計……うちにある時計じゃないの。これを使えば……」
アヤは目覚まし時計を持ち上げた。なんとなく、自分の物か確かめていると辺りが真っ白に変わった。
「現代にいける!」
アヤは喜んだが、同時にプラズマからもらった扇子も光っていたことに気がつき、冷や汗をかいた。
「まさか……」
アヤがつぶやいた時には遅く、またどこかへと飛ばされてしまった。
「……やってしまったわ……」
アヤは半泣きで木の下に座る。
最初に見えたのが木造の長屋に着物姿の子供達だったため、現代ではないことを知る。
川にかかる太鼓橋、マゲのサムライ、綺麗な着物の女性。
「……江戸じゃないのよ! ここっ!」
アヤは最初に飛ばされた江戸時代にきていた。時期はよくわからないが、江戸だ。
「身体は痛いし、怖かったし、元の時代に帰れないし! なんなのよ! もう!」
アヤはとりあえず歩き出した。
でも……
アヤはこの時代を濃厚に知っている気がした。まるでこの時代を生きてきたかのように感覚がわかる。
知らないはずなのだが。
こそこそと歩いていると呉服屋の前に来た。周りからは「娘さん、どうしてェ?」と江戸っぽい言い回しで心配する言葉をかけられてしまう。
……こんな人がいっぱいの呉服屋の前にいたら怪しまれるわね。
酷い顔してるだろうし……。
「おいおい、そこの娘さん、どうしたんで?」
ほら、また声をかけられた。
でも、どこかで聞いた声な気がした。振り返るとプラズマが立っていた。商人っぽい着物を着ている。
「ああ、あんた! 戦国ぶりだぁね? あのあと、どこいっちまったのか心配したんだ」
「えー……ええ、ちょっと色々あって……」
「怪我は治ってないんかい? かわいそうだぁね。寄ってくかい? 怪我の手当ての道具ならあるぜ。女の顔を殴るタァ、最低なやつらよ」
プラズマは戦国とはまったく違う話し方をしてきた。
「あなた……今、何をしているの?」
「職かい? 呉服屋の番頭だぁよ。計算が得意なのと、客の買うもんがわかるもんで、へい」
「あらそう……」
今回のプラズマもアヤを襲ってこない。歴史が変わったのだろうか?
「娘さん……アヤだったな。見てくれや。これが江戸よ、平和になったんでぇ。良いわな」
「そうね……」
アヤは複雑な気分だった。
……幸せそうな顔をしてるけど、戦争はこれからも……あるのよ。
喉まで出た言葉をアヤは飲み込む。
「……ああ、まだ人は戦うんだろ? 知ってるよ。あんたみたいな泣く人をあたしゃあこれからも見なきゃいけねぇってのかね」
「……本当に優しいひとなのね、あなた」
「てやんでぇ、とか言っておくか? 江戸言葉は疲れるぜ……。座敷に上がりな。俺でよけりゃあ、手当てするよ」
プラズマはアヤの背中を優しく押した。
「ありがとう……。でも、私は元の世界に帰りたいの」
アヤは扇子をプラズマに返した。
「いらないのかい?」
「これは平安時代の物だから、今回たぶん、現代の時計と平安時代の扇子が混ざってこの時代に飛んでしまったみたい。これはもういらないわ……。過去に飛んでしまうから」
「ああ、すまない。余計なことをしたみたいだな」
プラズマは申し訳なさそうに扇子を受け取った。
「いえ。それに助けられた部分もありそう……」
アヤはそうつぶやくと、目の前を走り去る黒い影を見据えた。
「……立花こばるとか」
「ええ、見つけた。この時代にいるとはね」
アヤは走り去る黒い影、立花こばるとを追いかけて走り出した。
「待て、あんた、怪我が……。お、俺も行くって」
アヤを追いかけてプラズマも走って行った。
しばらく江戸の町並みを走るとこばるとは立ち止まった。
「逃げ切れなさそうだね」
「はあっ、はあっ……やっと止まったわね……。き、聞きたいことが沢山あるのよ」
アヤは息をあげながらこばるとを見据えた。
「君が勝手に時代を渡ってしまったからさ、栄次とプラズマの歴史も変わってしまった。僕が尋ねた時、二人はすでに僕を知っていたよ。こんなはずじゃなかったのにな」
「……?」
こばるとはとても悲しい顔をしていた。
「こんなはずじゃなかったのに」
「こばるとくん……」
「僕は母さんを殺せないよ。母さんは僕を知らないと思うけどね」
「……母さん?」
アヤは眉を寄せた。
「ほら、覚えてない。僕はこの時代の生まれだ。君もそうだよ。君は僕の母さんだから。立花 海碧丸(かいへきまる)、それが僕の名前」
「……本当は橘(たちばな)なんだろ? 皇族じゃねぇのか? 皇別(こうべつ)だよな」
プラズマが追い付き、こばるとに尋ねた。
「それは知らないさ。ただ、僕は時神現代神ってだけ」
「そうか」
プラズマは一言だけ答えた。
「プラズマ……いや、湯瀬紅雷王(ゆせこうらいおう)、おそらくもう僕のこと、わかってるよね?」
「ああ、残念ながら」
「はは、やっぱ、ダメだったよね、こんなこと」
「ああ」
プラズマが自嘲気味に笑うこばるとに再び短く答えた。
「君達に嘘をついたんだ。自分はまだ、消えたくないからさ。僕、劣化異種……ロストクロッカーなんだよ。タイムクロッカーが本当の現代神になる。僕は現代神から人間になり、生きた人間の寿命を大幅に超えているから、すぐに消えてしまう。ただ、今はロストクロッカーで人間と時神の力が混ざりあってる。アヤを殺せばさ、新しい現代神が出てこない限り、僕は無事だ」
「やはりな」
プラズマは眉を寄せた。
「僕さ、歴史神からも狙われてるんだよ。銀髪の龍神にも。銀髪の龍神は娘にヒメっていう歴史神がいて、彼女に手を汚させないようにするために僕を消そうとしてきていたみたいで……実際に容赦なく何回も殺されそうになったよ。僕はさ、世界のシステムに微妙に生かされてて、あの龍神にやられても時間が巻き戻って戻ってくるんだよ。アヤは全然たぶん、わかってない」
「ご、ごめんなさい。全くわからないわ」
アヤがそう言い、プラズマは目を伏せた。
「わりぃな、ちょっと疑問に思ってて、あんたを信じきれなかった。まあ、はっきりしたな。アヤはこれから神力が現れる『向上異種』だったと。あんたの言葉を借りるとタイムクロッカーか?」
「そうだよ、それで僕は『劣化異種』ロストクロッカー」
こばるとはどこか覚悟をきめた顔をしていた。
「俺はやらないよ。劣化異種の退場なんて俺にはやっぱりできないさ。あんたが世界から生かされているなら、すぐに消える必要はないのでは?」
プラズマが悲しげな顔でそう言い、こばるとは少し希望に満ちた顔をした。プラズマや栄次に問答無用で切り捨てられると思っていたらしい。
「過去神栄次に連絡を取ってみようか」
「……世界が別なんじゃ……」
「いや、できるよ」
こばるとが恐る恐る尋ねたが、プラズマは平然と答える。
「実はな、弐の世界(霊魂の世界)のある場所で会えるんだ。あんたら、時代を飛べるんだろ? 俺が手紙を書くからそれを持って参(過去)の江戸に飛ぶんだ。俺は肆(未来)の江戸から弐に入る。そこへの行き方は今、教えよう」
プラズマはアヤの怪我を心配しつつ、歩き出した。
こばるととアヤはよくわからないまま、プラズマについていく。
プラズマはある貸本屋に入る。
「……? ここになんの……」
墨の匂いと紙の匂いが混ざる本の山を避けてから、机に乗っていた紙をプラズマは指差した。
「これだよ」
「紙……?」
「これを持つとな」
プラズマが紙を持ち上げると、三人は白い光りに包まれ、その場から消えた。
五話
アヤは眩しさに目を瞑ったが、すぐに目を開けた。
貸本屋にいたはずなのに気づいたらどこかの森の中にいた。
「え……」
「ここに出るわけで、この道の先が、神々の図書館なんだ」
「神々の図書館?」
アヤは怯えた顔をプラズマに向けた。
「嘘じゃないさ、でさ、ここは壱(現代)、参(過去)、肆(未来)が入り交じる空間で、微妙に弐(霊魂の世界)じゃない。つまり、ここはどの世界線の神々も来れるってことになる。ただし、時代は固定だ。壱の江戸、参の江戸、肆の江戸だけ。弐も時代が動いているからな、古い時代の神が未来の時代の神に会うのは無理だろ? 古い時代は古い時代同士で世界がここで繋がってる」
「世界は三直線。じゃあ、ここで時神以外の神はどうなるんだろう? 他の神は三直線にそれぞれ同じ神が生きてるでしょ? 壱、参、肆と同じ時代の同じ神が来ちゃうんじゃ……」
「ああ、それはな、たぶん、同一になるんじゃないか? 混同してひとりさ。時神くらいだからな、それぞれの世界に別の神格を持つ神がいるのは。俺達は個々だ。同一の神じゃないんで、それぞれの記憶が残る」
「難しい……」
こばるとは頭を抱えた。
「まあ、とりあえず……アヤ、筆なくても、墨なくても、すらすらと書けるアレ、貸してくれないか?」
「あれ? ボールペンのことかしら?」
「ああ、たぶん、それだ」
アヤはプラズマにボールペンとメモ帳を渡した。
「ほおー、こりゃあしっかりとした紙だなあ。で? この……なんだったか、使い方は?」
「ボールペンは頭のところを押すと書けるようになるわよ」
プラズマはボールペンのペン先ではない方を押すと驚いた。
「うわあっ! なんかカチッて音がしたと思ったら、尖った先が……」
「もう書けるから……大丈夫よ」
アヤはプラズマが江戸を生きていることを忘れていた。この時代にボールペンはない。
メモみたいなしっかりした紙もない。
プラズマは慣れないボールペンに苦戦しながら、文字を書いた。
「くずしで書いたが、大丈夫だよな? 栄次。横にちゃんと書いておくか」
プラズマは付け足してから手紙をアヤに渡した。
「えー……なんて書いてあるの?」
「定まる場所へ とめこかし。待ちゐたり」
「……え?」
プラズマがわけのわからない言葉を発したため、アヤは首をかしげた。
「あー……伝わらないかね? 決まった場所に来てくれ、待っている……のような。長々と書けない紙の大きさだからな……」
「ああ……」
アヤはプラズマを信じて何が書いてあるかもわからない手紙を受け取った。
「戻るぞ」
プラズマは神々の図書館があるらしい場所とは逆に歩きだし、アヤもこばるとも慌てて追った。
気がつくと、元の貸本屋に立っていた。
「も、戻った……」
「いいかね? 栄次を先程の場所へ連れていくんだ。あそこの貸本屋はどの世界線でもあるはずだ。それで、あんたらは俺の部屋にある時計から参(過去)へと飛ぶ。どうだよ? 同じ時代に行くだろう?」
「な、なるほど」
こばるとは感心した。
江戸の町並みを歩きつつ、先程プラズマと出会った呉服屋に入った。なかなか賑わっていた。
どこかの良い身分な女性が着物を選んでいる。商家の娘かもしれない。この時代、武家は質素に生活しているはずだ。
奥の座敷に入る。
部屋がいくつもあり、それぞれ住み込みで働いているようだ。
「この時代は堂々としてりゃあ、いいのよ、なあ?」
プラズマは再び江戸っぽい言葉を話始める。
「堂々との方が逆に目立たないわね……。あなた、どの時代でも合うものね」
「そういうこったよ、人間に合わせんのが未来神。栄次はこれができねぇ。あの男は過去神だからねぇ。古いもんに縛られちまう」
プラズマは障子扉を開けて中に入る。畳の良い匂いがした。
部屋は狭く、タンスのようなものと机しかない。
「どうぞ。アヤは休んでいくかい?」
「いえ、大丈夫」
「ごめんね、僕が君を殺そうとしたから」
こばるとが申し訳なさそうな顔をするので、アヤはなんとも言えない気持ちになった。
こばるとは消されたくなかったから、アヤを殺そうとした。アヤをだまして、アヤを悪者にしようとした。
「……現代神ってずっとこんな戦いをしているの? ずっと時を見ていくんじゃいけないの? あなたや栄次もそうやって時神に?」
アヤはプラズマを仰いだ。
「いや、俺は昔から俺だ。現代神だけ変な……そんなわけあるか?」
「未来のあなたも迷っていたわ」
「……おかしいよな、初めて見たのに、昔からそうだったような気がしてた。この世界にはな、世界を丸々見ている神がいる。その神の誰かが情報をいじってる可能性もある。人間はいじれないんだ。人間は別の生き物だからな」
プラズマはそんなことを言った。アヤにはわからない。
神の世界があることも、世界が沢山あることも、今知ったようなものだ。
「とりあえず、この時計を使えば参の世界の江戸に行けるのかしら?」
「理論上は……」
「……アヤ、行ける?」
こばるとに尋ねられ、アヤは頷いた。
「行けるわ。でも……」
「アヤ、心配するな。俺は世界が変わってもあんたを気にかける。こばるとはもうきっとあんたを襲わない。栄次にもいずれ気づかれるからな。俺達時神は仲間だ」
「ええ」
アヤは少し安心して時計を見た。時計は江戸の博物館にあったものより小さく、新しかった。
「アヤ、いこう」
こばるとが時計に手をかざし、アヤは目を瞑った。
目の前から時神現代神は消えていった。
プラズマは残った時計とあの時の扇子を取り出しつぶやく。
「そう……時神は俺を含め、男が三柱だった。思い出したぜ。アヤは時神としていなかったんだ」
いつからアヤが時神になったのか、ロストクロッカー、タイムクロッカーなどという名前で新旧の現代神が現れたのか、その現象を前からあったかのように捉えていたのはなぜなのか。
「なめやがって……」
プラズマは時計の音がする静かな部屋で畳を軽く踏みつけた。
「時神を操作しようとしたやつがいる……。俺達が人間上がりの操作しやすい神だと思ったか。そうはいかねぇんだよ……。べらんめぇが」
六話
こばるととアヤは畳の部屋に立っていた。場所はタンスすらもない狭い部屋。古くさい匂いがするため、現代ではない。明かりがない段階で違うとわかった。
目の前にはプラズマの部屋にあった時計と同じ時計がある。
「同じ時計に飛んだの?」
「そうみたいだ。長屋っぽいけど、時計を買えるくらいのお金はあるんだね」
こばるとは軽く答えた。
他人の部屋だ。アヤ達がいたら驚くに違いない。
「早く出ましょう」
アヤが障子扉を開けた時、目の前に眼光鋭い侍が立っていた。アヤは肩を跳ねあげて驚き、怯えつつ、あやまる。
「ご、ごめんなさい……。勝手にあがってしまい……。泥棒では……あら?」
アヤは侍を見て口を閉ざした。
部屋の持ち主は白金栄次だった。
「……どこにいっていたのだ……。怪我をしているではないか」
栄次は心配そうにアヤを見ていた。
「えー……その」
「む……記憶が混ざる。戦国で一度会ったな……。それで先程突然消えて……。ん? 先程会ってから戦国で……」
栄次は混乱していた。栄次からすれば、先程突然にアヤが現れ、すぐに消え、戦国で出会った記憶を間にねじ込まれた上、消えたアヤがまたすぐに現れたことになる。
「えーと、さっき会ったばっかりって事になるのかしら? 江戸の時代は広いけれど、最初と同じ時期だったわけね?」
「本当につい先程だ。探したが見つからず、家に帰ったところだった。立花こばるとも一緒なのか」
栄次は何かを考えていた。
話を整理しているのかもしれない。
「あの、とりあえず、これを」
アヤはこばるとに視線を向けてから、栄次にプラズマからの手紙を渡した。
「む……手紙は承知した。これは筆書きなのか? それで紅雷王様はどちらへ向かえと?」
「案内します。そこに紅雷王様がいます」
こばるとが丁寧に栄次に言った。紅雷王様と呼ばれるプラズマは時神の中で一番高いところにいるようだ。
こばるとは栄次に怯えているようだった。栄次はおそらくアヤがロストクロッカーではないことに気がついたはずだ。アヤはただの被害者だ。
「……心配無用故、怯えるな。歴史を動かすようなことはするものではない。時渡りをし、歴史を改変してしまったのでさえ、大罪なのだ」
栄次はアヤを見た。
アヤは震えながら栄次を見上げていた。アヤは戦国で会うはずのない男達に会い、平安時代ですれ違うはずのない人々に出会ってしまった。今もそうだ。
プラズマや栄次が動かなければ、アヤは知らずのうちに沢山の人間の運命を変えていたかもしれない。戦国時代で襲われていたアヤを霊的武器や神力で助けたのも、相手を気絶させ、夢かどうかわからなくしたのだろう。
「ごめんなさい……僕のせいなんです。アヤは何も知らないんだ」
「そうだろう。天明の大火をこの時代に移したのもお前なのだな?」
「そうです! あの後、すぐに戻しました! 人への被害はありません!」
こばるとが半泣きで言った刹那、栄次の平手がこばるとの頬を打った。アヤの肩が跳ねる。こばるとは思い切り倒れ、震えながら泣いていた。
「馬鹿者! あの火事で沢山の人間が亡くなっている! 人間の時間を守る現代神がやってよいことなのか? お前、まさか明暦(めいれき)の大火も持ってこようとしたわけではあるまいな!」
「そ、それは……あちらは死者が多かったため、や、やめました」
「死者数の問題ではない! 火事はな、この時代は致命的なのだ。すぐに消す方法がないのだぞ! お前はわかってやったのだろう?」
「わ、わかってました! ごめんなさ……ひっ」
栄次は乱暴にこばるとの服を掴むと立たせた。
「立て。わかっていてやるとは悪質だ。それがしにあやまっても仕方がないではないか。アヤをつれ回し、それがしらに殺させようとする考えも気に入らぬ! 人の命をなんだと思っている!」
栄次に鋭く言われ、こばるとは涙を流しながらあやまり始めた。
「ごめんなさい! 僕が死にたくなかっただけなんだ! 死にたくなかったんです……うう」
「現代神、お前は神だ。自覚が足らぬぞ。……いくつなのだ、お前は」
「……じゅうに、です」
こばるとは泣きながら栄次を見上げた。
「……十二か。心細かっただろう。それがしや紅雷王様に殺されると思ったか」
「……はい」
こばるとは素直に返事をした。
「こばるとくん……」
アヤは小さな背中になったこばるとをせつなげに見つめた。
「まだ、時を見ていたかったんだ、僕。ロストクロッカーなんてなりたくないよ。死ぬのを待つなんて嫌だよ。僕をたすけてくれる人はいない。僕は生き残ろうとしてしまったけど、本当はアヤに時神を譲るべきなんだ」
こばるとは静かに泣いていた。
栄次は眉を寄せつつ、こばるとを抱きしめてやった。
「いいか、二度とあんなことはするな。それがしも紅雷王様も、お前もアヤも殺さなかった。それがしらは人間の心を持つ故、考え、行動する。なにかの妨害、障害があっても、行動に移す前に考えるだろう」
「はい」
「話して信頼してくれ」
「はい」
こばるとは安心したように栄次にすがった。
「僕をたすけてください」
「ああ……お前を繋ぎ止める方法を考える。紅雷王様のところに連れていってくれ」
「……はい」
こばるとは栄次から離れると叩かれた左頬を撫で、障子扉から出ていった。
「感情的に叱ってしまってすまない」
栄次がこばるとにあやまり、こばるとは「いえ」と一言、口にした。アヤはこばるとに寄り添い、歩きだす。
長屋から出て位置を確認する。
「か、貸本屋ってどこかしら?」
「案内する」
アヤが怯えながら尋ね、栄次が眉を寄せたまま真面目に言った。
江戸の町並みはプラズマの時と変わらなかった。太鼓橋があり、その近くにプラズマが働いていた呉服屋があった。ここは参の世界なため、プラズマはいない。
青物売りが去っていき、鰻の白焼き屋さんからは良い匂いがある。女性が足首を見せないよう着物を揺らし優雅に歩き、刀を抜くことがなくなった二本差の侍が静かに足早に消えた。
活気はプラズマの時と変わらず、平和になったことが頷ける。
しばらく町並みを歩くと貸本屋があった。場所共に同じだ。
アヤとこばるとは栄次を連れ、奥の机まで歩いた。
「この白い紙です」
「……シミはおらぬか。ここまで白い紙は珍しい」
栄次が感心し、こばるとが紙を持った。
「えーと、それで……」
こばるとが先を続けようとした刹那、三人を白い光が包み、貸本屋から消した。
戦うべき相手
アヤ達が目を開けると、プラズマと来たあの森に立っていた。
やたらと静かで霧が深い、涼しい森。少し不気味だ。
「あ、ああ、ここですね」
こばるとが慌てて栄次に言い、アヤがプラズマを探す。
「よう、帰ってきたか?」
森の奥から江戸時代のプラズマが現れた。
「紅雷王様、お久しぶりでございます」
「ああ、堅苦しいな、栄次は変わらんねぇ」
頭を下げた栄次にプラズマは苦笑いを向けた。
「世界が違うのに知り合いなわけ?」
アヤが思い出したように尋ねる。
「ああ、栄次の時神発生時期に時空が歪んでね、一度会ってるんだ」
「時空が歪む……。私達のはなんなのかしら?」
「さあ、わからんが……俺達の情報操作できる神は限られている」
アヤの質問にプラズマは目星がついているような話し方をした。
「ところで立花こばると、あんた、栄次に叱られただろ? ぶん殴られたか?」
「ええ……はい」
プラズマが尋ね、こばるとは冷や汗をかきながら頷いた。
「なにやった?」
プラズマの視線が鋭くなる。
「えーと……その」
「こばるとは天明の大火をこの時代に持ってきたのです。たとえ神でも歴史を丸々動かすことは禁忌であり、犯罪です」
栄次が代わりに答え、プラズマは眉を寄せ、はにかんだ。
「なるほどねぇ。俺は思い出したよ、時神は『起こった歴史を動かせる能力はない』とな。あんたが劣化異種で人間の力と神の力が混ざったことでそれができたとしたら、俺や栄次も人から神になった時にできるはずなんだが、俺達はそんなことできると感じたこたぁ、ない」
「……で、ですが」
「ああ、そうだ。あんたはできたわけだ。嘘をついてるなんて言ってねぇよ? そういう風に操作したやつがいんだよ。こういうことが起こるなんて考えてなかったんだろうがな」
プラズマは眉を寄せたまま、腕を組んだ。
「栄次、黒幕はこの時代を動いてない。どうする」
「……それがしは、紅雷王様のような未来を見る能力がありませぬ。それがしができることは情報操作した神を今から見つけ、記録をとっておくことでしょうか」
栄次も困った顔をしつつ答えた。
「俺達は毎日会おう。ここでなら会えるからな。あんたらは時代に帰れ」
「どうやって帰ったらいいのかしら?」
アヤが尋ねた時、こばるとが現代の腕時計を林の中から拾ってきた。
「え、なんで?」
「ああ、えーと、僕は今まで腕時計をしていてさ、ちゃんと元の世界に帰るように調節していたっていうか……さっきは江戸から江戸に飛びたかったからこっそりここに腕時計を外して置いといたんだよ」
「……わかってやっていたのね」
アヤの言葉にこばるとは苦笑いを向けた。
「それより……僕はその、歴史神の……」
「人間の歴史神管理をしている流史記姫神(りゅうしきひめのかみ)の父上に狙われてるんだろ? 龍神だったな」
プラズマに言われ、こばるとは頷いた。そう、現代ではこばるとは何度も銀髪の青年に襲われている。人間の歴史管理をしているヒメに負担をかけさせないように、こばるとを消したいらしい。
「襲われそうになる前に、元の時代に帰ったら、ここを目指せ。なんか本が置いてあるところ、未来にもあんだろ? そこに白い紙など目印があるはずだ。そこから飛べ。時代が近くなったら警戒する。ちなみに、何年後だ?」
プラズマは聞いたが、人間ならば途方もない年数だ。
「二百年あたりです。この感覚はまだないかと思われますが、平成の時代、二千一年あたりです。この時代はおそらく千七百年代ですかね」
「ほー、よくわからんが、おぼえておこう」
プラズマはアヤからボールペンを借りるとメモに時代と何年後かを記録した。もう戸惑いがない。
未来神は時代に馴染むのが早いのがわかる。
後に彼は紙を落としてしまったため、なんかの予言かと騒がれることとなる。紙の劣化は江戸、文字はボールペンのようなもの、書いてあるのは古語だ。大予言として都市伝説で騒がれ、江戸博物館に飾られているそうだ。
「じゃあ、私達は帰りましょう」
「うん」
アヤとこばるとは顔を引き締め、腕時計に手をかざした。二人は白い光に包まれて消えた。
「しかし……」
プラズマは唸る。
「あのふたりの神力……同じに見えるんだよ」
「……ええ」
プラズマの言葉に栄次が答えた。プラズマは疑問を口にする。
「天秤が下がることもなく、同じものが同じに乗っているというか、神力まで同じなんだよ、不思議だよな」
「向上異種の方が神力が増えていくはずです。劣化異種は徐々に人に近づいていき、神力がなくなるはずです。話をまとめるとですが」
「……まるで、一柱の神が二つに分かれたかのような……。あんた、どちらかの現代神に会ったことあるか? 時空の歪みで」
プラズマの質問に栄次は首を振った。
「いえ、ありません」
「あんたと俺はあんたの発生時期に時空が歪んで会っている。じゃあ、現代神発生時期には時空が歪まなかったのか?」
「発生していなかった可能性もございます」
「と、なると現代神はまだ覚醒してないことになるだろ? あの二人がこれから現代神として自覚するのかもしれない。現代神は……特殊な方法でいままで存在していた可能性もあり、俺達と同じにする方針が、こばるとが言った二千年代で起こるということなのかもしれない」
「とりあえず……」
栄次がプラズマを見、プラズマは先を続けた。
「俺達は待機だ。『歴史神』の他に世界の仕組みを調べよう」
二話
アヤとこばるとは無事に現代に戻ってこれた。安堵の息をもらすも、場所は歴史博物館の前。
あの銀髪の青年に襲われた場所だ。
「ここまできて、死ぬわけには……。アヤ、貸本屋……えー、図書館に走らないと!」
こばるとが慌てて言い、アヤは頷いた。
「この辺の図書館は駅前! 案内するわ」
アヤはこばるとを連れて走り出す。気がつくと地面が濡れていた。
「雨……?」
まるで雹のような雨がこばるとを狙って降ってきた。地面がえぐれている。
「きた、アイツだ」
目の前に銀髪の青年がおりてきて、地面に足をつけた。
「当たらなかったですか」
青年はため息をつくと水の槍を構えた。
「すみませんね、娘のためで……。娘は関係ないですが、なんか負担がいってるらしく……」
青年は苦笑いをしつつ、こばるとを消しにきていた。
「なんとか図書館に逃げましょう」
アヤはこばるとの手を引き、走り始める。しかし、青年が逃がしてくれることはなかった。
彼が銀髪の龍神、イドさんなのだろう。イドさんは水の槍を振り抜き、こばるとに攻撃を始めた。
「そうはさせないわ!」
アヤがこばるとをかばうように前に立った。
「アヤ、危ないよっ!」
こばるとの悲鳴に近い声が響いたが、イドさんが襲ってくることはなかった。と、いうよりもイドさんが止まっている。
「え……」
アヤは驚き、水の槍を振り抜いているイドさんを見据えた。
まばたきもせず、ピクリとも動かない。不安定な格好のまま固まっている。異様だ。
「時が止まってる? 彼だけ?」
「時間停止だ。アヤにも時神の力が覚醒し始めたんだ」
こばるとが言い、アヤは呆然としたが、すぐにこばるとを連れて走り出した。
「よくわからないけれど、逃げないと!」
二人は町並みを駆けた。自然と共存しているこの辺は整備された坂も多い。坂を降りて駅を目指す。
「人が多い歩道に入るわよ。そっちの方が見つかりにくいから」
「う、うん」
アヤは駅前の人が多い道を選んで走る。賑やかに携帯電話で待ち合わせの話をしている人や電車に乗る人達で忙しい主要駅。
もう少し経つとできるシアターやお店も今はないのだが、この駅前はいつも混んでいる。
追加でいうと、あと十年くらいでクリニックビルが近くにできたりする。
まだ発展途上の駅前だ。
アヤは駅前近くの大きな図書館に入った。ここは役所の中にあるらしく、図書館が大きく見えた。
「白い紙って図書館にあると思う?」
「あの世界に行く仕組みはよくわからないから、どうだろ……」
こばるとが迷っていると、女性が近づいてきた。女性は機械音声で「右の歴史書の棚を左です」と言い、静かに去って行った。
「え、なに?」
アヤが眉を寄せていると、こばるとが声を上げた。
「ああ、彼女、人に見えてない! もしかすると、誰か神が作った霊的な……」
こばるとが最後まで言う前にイドさんが水の槍を持って現れた。
「いやあ、びっくりしましたねぇ。時間停止をかけられるとは」
「……ここには人が沢山いるのよ、暴れたら大変なんじゃないかしら?」
アヤはこばるとをかばいながらイドさんを睨み付けた。
「はい、ですので、最小限に」
イドさんは鋭い突きをこばるとめがけてしてきた。こばるとが貫かれる寸前にアヤが入り込み、こばるとを押した。
「うっ……」
アヤは呻いた。アヤに槍がかすめ、血を滴らせたが、アヤはその後すぐに時間を巻き戻した。
怪我はきれいになくなった。
なぜできたのかはわからないが、頭の中でやり方が勝手に流れ、それを理解した感じだ。
「あなたじゃないんですよ……。大丈夫ですか?」
イドさんは心配した声を上げた。
「こばるとくん、行くわよ」
アヤは無意識に神力を放出し、こばるとを引っ張り、歴史書の棚を左に曲がった。
空の棚が並ぶ行き止まりにたどり着いた。明らかに空気が違う。
冷たくて、どこか澄んでいる。
「……白い本が」
棚には一冊だけ白い本が置いてあった。タイトルは『天記神』。
イドさんが入り込み、槍で再び突いてきた。彼は龍神らしい。
龍に人間のような神が叶うはずはない。アヤは槍が到達する寸前にこばるとの手を引き、白い本を手にとった。
「アヤ、たぶん、開くんだ!」
こばるとが叫び、アヤは慌てて本を開いた。白い光が二人を包んだ。
三話
目を開けたら江戸時代から変わっていない霧深い森の中に出た。
「えーと……」
アヤはどうするか悩んだ。ここから何をすれば良いのかわからない。
「こっちにはあまり来てほしくはなかったんですけど」
イドさんが水の槍を器用に回しながらこちらに近づいてきた。
「どうするのよ、ここから……。あの神もここに来てるじゃないの」
「どうしよう。逃げるには狭すぎる」
アヤはこばるとを守るため、手をかざして時間の鎖を出現させる。もう、やり方がわかっていた。イドさんは神力を解放し、アヤの時間の鎖を弾き返した。
「低い神力の時間停止はききませんねー。先程は驚いたのでかかってしまいましたが」
イドさんがこばるとを狙い、槍を振り抜く。アヤはこばるとと自分に早送りの鎖を巻き、危なげに避けた。イドさんは苦笑いをアヤに向けた。
「そんなこと、できるんですか」
「……できるみたいね。あなたも何か抱えているようだけれど、こばるとくんを狙うのは止めてくれないかしら?」
「そんなことを言われましても……」
イドさんは困惑しつつ、こばるとを狙う。アヤがこばるとを守るとは思わなかったようだ。
マナが書いた小説『TOKIの世界書』では……アヤはこばるとを守らずに消している。マナが書く小説はどこかで起こった内容だ。どこかの世界線でこの結末を迎えた未来があったのかもしれない。
「僕は現代神を消さないといけないんですよ。このままだと人間の歴史管理をしているヒメちゃんが多数の狂った人間の歴史を見て壊れてしまいます。話してると情がうつる……。悪く思わないでくださいよ」
イドさんは再び攻撃をしてきた。アヤを避けてこばるとのみを狙う。アヤはこばるとを庇い、早送りや巻き戻しでなんとか避けていく。
「はあっ……はあ」
「あ、アヤ……」
アヤは突然に強烈な疲れに襲われた。
「ああ、神力切れですよ。よくまあ、あそこまで時間を正確に操れましたね……」
「なんとなく……感覚だったのよ……。神力……」
アヤはもう力が出せなかった。
イドさんはそのままこばるとを槍で貫こうとした。しかし、槍は何かで弾かれた。
「……ん?」
イドさんは眉を寄せ、こばるとの前に立っていた侍を仰いだ。
「誰です?」
「栄次……っ」
こばるとが声をあげ、イドさんはさらに首を傾げた。
「知らないのも無理はないぜ。俺も知らないだろ? 壱の世界の神さんよ」
イドさんが目を見開いた横でプラズマが銃をイドさんのこめかみに当てていた。
「……邪魔はしないでくださいよ。誰ですか?」
「俺は時神未来神、プラズマで、あんたの槍を弾いたのは時神過去神、栄次だ」
「なんです? 別世界の時神がなぜここに……」
「偶然、知ったんだよ。次元が違う神が会えることをな」
プラズマは苦笑いを浮かべているイドさんを睨み付けた。
「そんな顔で見ないでくださいよ」
「しっぽは掴んでるんだ。あんた、『歴史神ナオ』とはどういう関係だ?」
「ナオさんですか? 神々の歴史管理をしているあの? いや、僕は人間の歴史管理をしているヒメちゃんの父でして、ヒメちゃんがなにやら、いつもと違う人間の歴史達に戸惑ってしまっていて、調べたらその方がやっていたとのことで……」
イドさんはこばるとをまっすぐ指差し、鋭い瞳で射貫いた。
「歴史、動かすのは犯罪ですよね?」
「……」
こばるとは何も言えずに下を向いた。
「なるほど、あんたはもっと後ろにいるヤツには気づいてないと。こばるとを生かすか殺すかの『システムの天秤』になっていることには気づかず、こばるとを消す方面に動いていると」
「あ~、ずいぶんお詳しいですね~。僕はね、ヒメちゃんを守りたいだけですよ。歴史神ナオには別のナイトがいるでしょ? そりゃあ、歴史神の管轄ですよ、僕は龍神ですから~」
イドさんは全く知らないわけではなく、知っている上ではぐらかしているようだ。
「歴史神、ナオは今、どこにいる?」
「さあ? どっかの歴史書店にでもいるのでは? まあ、そろそろ君達両方に現代神の力が宿って来てるんで……ちゃんと『時』は来るんですね。えー、そろそろ世界が決断を下す」
イドさんはよくわからない内容を話すと槍を消して、戦わない意思表示をした。プラズマは銃をおろし、栄次は刀を鞘にしまった。
「もうすぐヒメちゃんの負担が減る。こばるとは何回殺しても死ななかった。世界の決断が、アマノミナカヌシの判断に。三貴神がいたらなんて言うのだろうか。君は罪深い。霊史直神(れいしなおのかみ)」
「お、おい……」
プラズマが呼び止めたが、イドさんは手を振りながら去っていった。
イドさんが去ると世界が急に宇宙空間へと反転した。
「なっ……」
「弐の世界?」
プラズマと栄次が戸惑いの声を上げる中、アヤとこばるとの瞳が黄色に輝きだした。
……エラーが発生しました。
……エラーが発生しました。
……現代神が二柱います。
……エラーが発生しました。
……対応不可な現代神を消去してください。
……繰り返します。
「な、なに……」
アヤは頭を抱えた。
何度も何度もずっと聴こえる男性とも女性ともとれる謎の機械音声がアヤを縛り付ける。
何回も対応不可な現代神を消去しろと頭の中に響く。
「いやっ! なんなの!」
「……やっぱり……僕は消されるんだ」
こばるとはせつなげにアヤを見た。
「こばるとくん……違うのよ」
アヤは知らずに霊的武器『ナイフ』を持っていた。
……なんで私、刃物なんて持って……。
アヤは震えていた。
「君は僕を消そうとしているのか」
こばるとも霊的武器『小刀』を持っていた。
「僕はずっと現代神をやってきた! 転生していたらしいけど、記憶もそこそこ残ってる! 君は僕の母だったんだよ! 僕は時間を愛してる! なぜ僕は突然現代に馴染めなくなった?」
こばるとは涙を流しながらアヤに叫んだ。
「そ、そんなこと、言われても」
「君は記憶がなくて、転生してて、毎回新しい現代に馴染めるってことなの? 僕はだからいらないの?」
「お、落ち着いて、こばるとくん。私はわからないのよ」
アヤとこばるとの対峙にプラズマと栄次は何もできなかった。こばるとが負ける……そう決定された物語を見させられる観客のようだった。
「……そうか、君はバックアップだったんだね? 僕を裏で支える現代神の代わり。バックアップ世界、陸(ろく)もあるもんね?」
「陸……?」
「僕は陸にもいるけれど、君も陸にいるのかな? 僕を壱陸の垣根を超えて、見守るバックアップが君か」
こばるとは頭から何か情報を仕入れているようだ。アヤにも謎の音声が語りかけてくる。
……あなたはバックアップです。
現代神のバックアップです。
現代神はなかなか神力が出ず転生を繰返し、今期、ニ柱として存在する予定でした。
ですが、先程時神のシステムが変わりました。
時神ニ柱ではなく、力の強い方を残す判断となりました。
「なによ……。わけわからないのよ……」
「どうしてバックアップの君が現代神に……っ! ようやく時神になれてニ柱になるはずだったのに! 僕はまだ時間を見ていたい!」
こばるとが泣き叫びながら小刀でアヤを切りつけてきた。
「僕は死にたくない! 時間を守りたいっ!」
こばるとの小刀はやたらと遅く見えた。アヤが無意識にこばるとの動きを遅くしたのだ。
アヤは冷や汗をかきながら避けた。
「こばるとくん! 私、あなたを消さないわよ! 一緒に……生きるすべを……」
アヤがそう叫んだ刹那、アヤのナイフが勝手に動き出した。
「待って! 違うのよ! なんでこばるとくんに攻撃しようと……」
アヤが神力を使い、ナイフを抑えるが、アヤの精神はナイフに持っていかれてしまった。黄色い瞳でつぶやくのは、「こばるとくんをころさなくちゃ」。
……現代神はふたりはいらない。
……力の弱い方は私が消さないと。
……消さないと?
疑問を持った刹那、意識が急に戻った。
「どうしてバックアップの君が現代神に……僕はまだ死にたくない! 現代を守りたい!」
こばるとが何かを叫んでいる。
アヤはナイフを抑えることなく、振り抜いた。
「ぼくはっ!」
言葉はそこで切れた。
辺りに血液が飛び、こばるとはゆっくり宇宙空間に落ちて消えた。
……旧現代神は消去されました。
「はっ!」
アヤが血にまみれた震える手でナイフを捨てた。
「なんっ……なのよ!」
アヤは目に涙を浮かべ、その場にうずくまった。
「何したの? 私! いまっ! 私、何したの? こばるとくんはっ……こばるとくんはっ! これはなに? なんで私、血に……いやああ!」
アヤが叫び、プラズマと栄次が我に返った。
「アヤ……」
名前を呼ぶが、アヤにかける言葉がない。栄次とプラズマはその現象を今、当たり前に受け入れ、ちゃんと処理したかどうかの確認をしていた。二人に意思はなかったが、アヤが叫んだことで元に戻った。
「こばるとくんは悪くなかった! 悪いのは私。そしてこの世界のシステム! 理解できたわよ。こばるとくんが消える必要なんてない! 私はこばるとくんを攻撃する意思はなかった! なのに!」
アヤは唇を噛み締め、スカートを握りしめた。
「システムに殺された! 許せない。世界を許してはいけない。私はわかったわよ。世界がこばるとくんを排除したことを!」
アヤは怒りに満ちた顔で神力を暴走させ始めた。瞳が赤色に変わる。
……エラーが発生しました。
絶えず耳鳴りのように鳴るアラーム音。この現象はなんなのか。
「アヤ!」
プラズマと栄次はもう一度名前を呼ぶが、アヤに声は届かなかった。
……世界の楔(くさび)が損傷。
修正データを……
「うるさい!」
アヤは脳内に響く謎の音声に叫び、世界から送り込まれたらしい修正データであった橙色の髪の少年を巻き込んで神力を爆発させた。
「お、おい……」
プラズマと栄次はアヤの元々の力に驚き、どう動くべきか考えた。飛んできた橙の髪をした少年は大丈夫だろうか?
桃色の強力な神力の中でアヤが瞳を赤色に輝かせ、静かな怒りを見せる。
「こばるとくんは悪くなかった。悪いのはシステム。私が壊してあげる」
ゆっくりと橙の髪の少年がアヤの後ろについた。橙の髪の少年は意識をなくし、赤い瞳に変わり、アヤに従っていた。
「まずは……」
世界の一部を知ったアヤは世界を機能不全にする行為、未来神と過去神の消去に動いた。
「……まるで破壊システムだな」
プラズマは霊的武器「銃」を取りだし、構え、栄次は刀を抜いた。
「アヤはこの世界の破壊システムなのか?」
アヤは橙の少年を動かし、プラズマをまず、襲う。
「俺か」
少年はプラズマに衝撃波を纏う蹴りで攻撃をしてきた。間に栄次が入り、少年の蹴りを受け止める。少年は拳を栄次に振り抜いたが、栄次は危なげに避けた。
かすったのか栄次の頬に血がつたう。
「なんだ、この少年は……」
栄次は困惑しながらプラズマを守る。
「……破壊システムにされたか、アヤに」
少年はアヤの感情をそのまま反射しているように見えた。
「たちばな、こばるとのような……雰囲気を感じる」
プラズマは少年の頭に神力の弾を当てたが、少年は異様な固さで弾が当たってもそのまま攻撃してきた。
「強いな……」
栄次は少年の隙をついて攻撃をするが、少年はまるで機械のように損傷しても襲ってくる。
「アヤ! この少年を止めてくれ! 栄次が……この子を殺してしまうぞ!」
栄次は少年よりもはるかに強く、少年の無鉄砲な動きにプラズマはヒヤヒヤしていた。
「私は……世界を壊す」
アヤは聞く耳を持たず、少年を動かし続ける。
「仕方ない。栄次……次の攻撃を受け流したら目を瞑ってくれ」
プラズマが栄次に静かに言い、栄次は目を伏せた。
少年の蹴りをギリギリでかわした栄次はすぐに目を閉じる。
「悪いな……」
刹那、短い銃声が響き、アヤの小さな呻き声が聞こえた。
四話
プラズマはアヤを神力の弾で撃った。アヤは力なく倒れ、少年も止まった。
「おい……アヤは……」
「殺してはないよ。俺の神力を当てて気絶させただけだ。ただ、当て方がショッキングだから目を瞑ってもらったんだ」
プラズマは銃で撃つ真似をした。
「ああ……」
栄次が納得した時、少年が目覚めた。
「ん……」
「あんた、何者だ?」
プラズマが眉を寄せつつ、少年に声をかけた。
「え? あれ、僕は……」
「あー、大変だったな。時神アヤに操られていたんだよ、さっきまでな」
「アヤ……アヤ! 大丈夫?」
少年はすぐにアヤにかけよった。心配そうにアヤを揺する。
「大丈夫だよ。気絶しただけだ。しかたなかった。それで……あんたは?」
「僕はトケイ。アヤが想像した立花こばるとだよ。アヤが僕を……いや、こばるとを産んだ時から僕はずっとアヤと一緒だよ。僕はアヤの想像物。だから弐からは動けない。弐を穏やかに過ごしている。でも、アヤが僕を破壊システムにしたみたい」
少年、トケイの言葉に栄次、プラズマは驚いた。
「神力までアヤの想像の神が、具現化して個々の世界外へ出てきたのか。しかも破壊システムに変えるなんて」
プラズマはアヤの存在の重さを知る。
「アヤは……世界の楔のようだ。狂わせてはダメだ。こばるとは……死んじまったのか?」
プラズマは顔を歪ませ、下を向く。
「現代神は……二柱存在する予定だったようだ。それを……」
栄次が言葉を詰まらせ、プラズマは拳を握りしめる。
「歴史神ナオが現代神のルールを勝手に変えたんだろ……。あの女に何の権利があるんだ。まあまあ女には優しくしてきた俺だが……あの女には問い詰める。俺達を隠れて勝手に操作した罪は重い。というか、犯罪なんだよ!」
プラズマは珍しくいらつきを見せ、足で地を踏み潰した。
気づいたら元の天記神の図書館前の森に戻っていた。
橙の髪の少年はトケイ。
私が作った。
たぶん、私は自覚してない。
夢の中の私が作った息子。
空が好きだった私の息子に空を飛べる翼をあげた。時計好きだった息子に時計をあげた。
彼には窮屈をさせてしまった。
橘(たちばな)家の主として楽しくない人生を歩ませてしまったかもしれない。それが最初の彼。
次の彼は友達だった。
突然に現れた遠い親族と名乗る彼はどこか私に似ていた。私を優しく見つめ、私をなにかと守ってくれた。夢の中のトケイはそんな彼を想って勝手だけど自分を守る存在にしてしまった。
次に私の前に現れた彼も優しい少年だった。いつも私を見ていたように思う。私が生活していたアパートの隣に引っ越してきて、お隣さんだった。私達は常に一緒にいた。転生していても、いつの間にか一緒にいる。そういう関係か。
……立花こばると。
最後に会った彼は何かに怯えていた……。銀髪の青年が執拗に追いかけてきた。時代を渡り……禁忌をおかし……そして、消えてしまった。
なんだろうか、むなしい気持ちだ。片割れを亡くしたような喪失感。体をえぐられたかのような感覚。しかも……自分が……。
……殺した。
「はっ!」
アヤは目覚めた。
「アヤ、大丈夫か」
心配そうに声をかけてきたのは栄次だった。アヤは木の幹に体を預け、眠っていたようだ。
力が出ない。
「……大丈夫じゃないわよ。あなた達もなんで私を止めてくれなかったのよ! どうして! 彼は私の息子だったのよ! 何よ! あなた達が!」
アヤは神力で栄次達を攻撃しようとしたが、神力が出ない。
「……悪いな、俺が神力を封印した。あんたに殺されるかもしれないからな」
プラズマに言われ、アヤは泣き叫び出した。
「アアア! なんで! なんでよォ! あなた達が止めれば良かったのに! 私は嫌だったのに!」
アヤは叫びながら栄次に殴りかかった。栄次は素直に殴られてやった。
「……気の済むまでやれ。俺で良ければな」
「栄次、やめとけよ……」
プラズマは眉を寄せたが栄次はアヤに抵抗しなかった。
「かまわぬ。俺達はこばるとを『助けなかった』のだ。助けられたはずなのだが」
アヤに殴られる栄次に目をそらしながらプラズマは考えた。
「世界のシステムか、俺達を操作したナオは、旧現代神こばるとがちゃんと消えたかどうかを俺達に確認させたわけだ。さっき、俺達もフリーズしていたからな。こばるとは消える必要なんてなかったんだ。ワールドシステムは二柱を現代神にする予定だと言っていたじゃねぇか。なめやがって」
プラズマはアヤを乱暴に掴み、栄次から離させた。
「なにすんのよ!」
アヤが怒りに満ちた顔をプラズマに向けた。
「俺達のせいにするのは構わないが、栄次に八つ当たりをする必要はあるのか」
プラズマは冷ややかに、そうアヤに言った。
「こばるとくんを助けてくれなかったじゃないのよ! 私を止めてくれなかったじゃないのよ!」
「ああ……ごめんな」
プラズマは一言だけ言った。
今思えば、彼らはシステム管理という縛りで仕方なかったのだが、言い訳をせずにあやまったのだとわかる。プラズマも栄次もアヤの知らないところで心を痛めている。
それは神になりたてのわずか十六の少女にはわからない。
「どうするのよ! 私、神殺しじゃないのっ! もう嫌!」
アヤは泣きながらプラズマも殴った。どうすれば良いのかわからず、こばるとが帰ってこないことへの恐怖、いらだち、後悔が絶えず襲ってくる。
「どうすれば良かったのよ!」
「いてーな。俺は殴っていいとは言ってない。自暴自棄になんなよ。パニックになってるんだ。落ち着け」
プラズマはアヤの手をとり、殴られないようにした。
「アヤ……僕は」
トケイは状況があまりわかっておらず、困惑していた。
「こばるとくんを返してよ!」
アヤはプラズマに叫んでいる。
トケイはアヤへの声かけが何も思い付かなかった。
……アヤ自体も自覚はしてなくてもこばるとを実の息子だと気づいているんだ。
……僕はどうなるんだろう?
消えるのかな。
トケイはこばるとが消えたことで自分の存在も保てなくなるのではと考えていた。
トケイはアヤが考えたこばると。アヤの価値観が変わったら消えてしまうかもしれない。
「……アヤ、僕は……」
どうなるの、と聞こうとしてやめた。作られた存在の自分はアヤに左右されるだけだ。
「こばるとくんを、返してよォ!」
アヤはプラズマに噛みつき、叫び、泣く。
「こばるとくんを返して」
「俺には無理だよ」
「なんでよ! あなた達のせいでしょう! 見てるだけで、止めてくれなくて!」
プラズマの言葉に再び激昂したアヤはプラズマを思い切り殴った。
「……俺達だってな、痛いんだよ。あんたの気持ちはよくわかるけどな」
プラズマはアヤの手を掴んで諭し、拳を握りしめた。
「俺は、ちょっと行くぞ」
プラズマは栄次にそう言い残しどこかへと去って行った。
「なによ! なによ!」
アヤの泣き叫ぶ声が聞こえる。
栄次はトケイとアヤに寄り添った。
五話
「ナオさん、プラズマを甘く見ない方がいいよ」
宇宙空間が消えていき、古本屋に変わった。古本屋内で立つふたりの男女。ワイシャツに羽織袴の青年ムスビと袴姿のナオだ。
「ムスビ、この改ざんは正しかったはずです。そうでしょう? こばるとさんはある程度昔の記憶を持っていました。現代神なのに、古い記憶がいりますか? アヤさんに変えた方が良いではないですか」
「どうだかね」
ムスビはナオにてきとうに答えた。
「で、ですが!」
「ナオさん、たぶん気がついて乗り込んでくる。怖いんでしょ、プラズマが」
「……」
ナオは黙り込んだ。
人の心と同じものを持つ彼らを機械のように動かしたのだ。
特に千年生きているプラズマを相手にするのは厳しいものがある。こばるとが消えてからすぐに引き戸が乱暴に開けられた。
「こばるとが死んだ!」
プラズマの第一声はそれだった。
「ほら、来たぞ。大丈夫だよ、俺が殴られるから」
ムスビは苦笑いをナオに向けた。
「こばるとがなんで古い現代神になった? お前らだろ、俺達を変えたのは!」
プラズマはムスビの胸ぐらを掴んだ。
「よくご存知のようで……。どうやって肆(未来)の神がここに?」
「神の歴史管理ができるんだもんな、お前らはよ! なんだ? お前らは全員グルか?」
プラズマは激しく怒っていた。
「あー、聞いてないな。俺だよ、俺がやったんだ」
ムスビはナオをかばい、プラズマにそう答えたが、プラズマはすべてがわかっているようだった。
「あんたは歴史を結ぶだけだ。ナオが管理した歴史をあんたが結ぶだけだ! 知ってるぜ。オイ、隠れてんじゃねぇぞ、ナオ」
プラズマがナオを名指しし、ナオはムスビの影から出てきた。
「失敗……」
「アヤは破壊に向かっている! 俺達が何したっていうんだ! お前のせいだ! 高天原会議をひらいてもらうぞ! あんたは犯罪者だ!」
プラズマは言葉を選ぶ余裕もなく怒鳴り、ナオはただ「失敗」を心の中で感じていた。
「どうしようもない……。私は、昔の記憶を持ちつつ転生をするこばるとさんが現代神にはふさわしくないと思ったのです。アヤさんこそ、現代神にふさわしい。世界のシステムが二柱を現代神にするなんておかしな話なんですよ」
「お前はそんなに偉い立場ではない! 何様だ! お前になんの資格があるんだよ! お前が時神のシステムを変えたから、こばるとが死んで、アヤがおかしくなったんだよ! さすがに許されねぇぞ……」
プラズマはナオを睨み付ける。
「う、うまくいくはずだったのですよ……。こばるとさんが消えて、アヤさんが時神になるという……。失敗をしてしまいました……。申し訳ありません」
ナオの発言にプラズマは歯を噛み締めた。
「だから! お前になんの権限があるんだと言っている! 戻せもしねぇくせに俺達を動かしたのか! こちらは仲間がひとり、死んだんだぞ! 責任はとってくれんだよな? ああ?」
プラズマの言葉にナオは黙り込んだ。
「黙ってんじゃねぇよ……」
プラズマが低く冷たい声でナオを射貫く。
「黙ってんじゃねぇよ!」
「こんなはずではなかったのです……」
「お前、いい加減にしろよ……」
プラズマは神力を出し、ナオにぶつける。しかし、神力はナオの前にいるムスビに弾かれた。
「ナオさんを傷つけるわけにはいかないんで、プラズマ、悪いな」
「どけ」
「ナオさんを傷つけないでくれ」
「どけよ、ナオは禁忌を犯した! 高天原で裁かれるべきだ!」
プラズマは怒鳴り続ける。
ナオはそれを見て、思った。
歴史を消去し、なかったことにしようと。自分のおこないがバレてしまうとまずいと。
人間の歴史管理をしているヒメは人間の皮をかぶるアヤとこばるとの歴史が変わったため、修正に動いており、アヤがおかしくならないよう、ヒメの父の龍神イドさんがこばるとを殺そうと動いていたようだ。
「……こばるとさんをアヤさんが消してしまったことでアヤさんが暴走……。それを避けるためにイドさんは先にこばるとさんを消そうとしていた……。元々、私がこんな歴史操作をしなければ、こばるとさんとアヤさんは一緒に時神になっていました……。自分のせいですね」
ナオは睨み付ける赤い瞳を怯えながら見つめ、そう答えた。
「ふざけんな! 失敗だ? こばるとは死んだんだぞ! どんな頭してやがんだよ、てめぇ! 実験しやがったってのか! 時神で! 自分が考えたシステムの方が正しいと、押し付けたのか!」
プラズマはムスビを突き飛ばし、ナオの胸ぐらを掴んだ。
「お前は許さねぇぞ」
「……」
ナオは怯えた顔でプラズマを見上げた。
「絶対に許さねぇからな!」
プラズマは涙を浮かべながらナオに叫んだ。
刹那、時が歪んだ。
「やあ、やっぱりやめた方が良かったでしょ?」
ふと、少年の声がナオの後ろから聞こえた。目の前のプラズマは石のように固まっており、ムスビも止まっている。
「時間を止めさせてもらったよ」
「……アマノミナカヌシ、ミナトさん」
ナオは振り向いた。黒い髪にワイシャツ姿の幼い外見の少年がナオの後ろに立っていた。
「だから、言ったじゃないか。僕は賛成しないって。『世界大戦時の世界改変』で覚えた歴史消去を時神に使うなんてさ。歴史改ざんなんてやるもんじゃないよ。君が作ったロストクロッカーシステムだって、穴がありすぎて成功しなかったし。現代神が禁忌の時渡りまでしちゃって、関わらないはずの人間に会っちゃって、人間の歴史管理をしていたヒメちゃんとかいう神を苦しめてさ、ろくなことないでしょ」
「……そうですね」
ナオはアマノミナカヌシの一柱であるミナトに救いを求めるように言った。
「どうしたらいいかわからないんでしょ? このままだとね、高天原で厳罰だよ。君は西の所属なんで、剣王に何をされるんだろうね? 封印刑が一番ありそうだが」
「どうしましょう……」
ナオはミナトに不安げな顔を向けた。
「覚悟がないくせにやるからだ」
ミナトは少し考えてから続きを話した。
「時神の記憶をごっそり消せば? こばるとなんて初めからいなかったって。君は神々の歴史消去を世界改変時に覚えたんだろ? それ以外に君を救えることは思い付かない。ただ、オススメはしない」
「……やります。このままでは、私が厳罰に……」
「なんでそういう判断になるんだ……。僕はさ、わざわざ紅雷王をこの本屋まで連れてきたんだよ? 時神がどう思うか知ってもらおうとさ。次元が違う神がこの壱の本屋に来れるわけないもの」
ミナトがそう言い、ナオはミナトを睨み付けた。
「あなたが紅雷王を導いたんですか。黙っていれば気づかれなかったのに?」
「うん、だって僕は賛成してないもの」
ミナトは感情をいれずに続ける。
「僕はアマノミナカヌシだ。マナのような過激思考ではないが、世界のシステムを天秤にしなくちゃいけないからね。君の反対意見として僕は世界の天秤を保ってる」
「……最悪ですね。とりあえず、こばるとさんをなかったことにすれば、元に戻りそうです……。時神達の記憶から立花こばるとを消してみます」
ナオの決断にミナトは頭を抱えた。
「……僕は知らないからね」
「助言をしたので同罪ですよ」
ナオは「データ消去」の能力を発動させた。以前、世界大戦後の日本で三貴神に頼まれたやり方で。
メモリー
記憶が消去された。
立花こばると……橘家の子孫はひとり、いなくなった。記憶はダストボックスの黄泉(よみ)の中に『繋がっていたあの時の世界の記憶』と共に。
プラズマはアマノミナカヌシ、ミナトが弐の世界の端にある、例の図書館へ返した。
アヤはなんで泣いているのか疑問に思っている。栄次は何かを思い出そうとしている。プラズマはアヤの背中を撫で続ける。
何か大事なものを忘れてしまったような気がする。
トケイは消えてしまった。
辻褄を合わせるため、世界がアヤの記憶からトケイを排除し、トケイは意味を失い、無意味に無感情に弐を飛び回る『なにか』となってしまった。
ナオが時神のシステムをいじったので、その辻褄を合わせるために世界が動いたのである。
世界はデータを取り続け、世界本体を保たせようとするものだ。
そこに意思はない。
意思があったのはナオだけだった。
時神三柱はそれぞれ穴があいた心を抱えつつ、「また、ここで会おう」と別れを告げ、それぞれの世界へ帰っていった。
二十年ほど前の話。
そして色々とありながら、アマノミナカヌシ、リカが現れ、世界はまたも動き出す。
アマノミナカヌシ、マナにより、すべての時神をリカだけにする過激な動きがあり、世界はまたもデータを収集しどちらが良いか天秤にかけた。分けたはずの壱から伍が再び繋がった方が良いのか、世界はひたすらにデータを収集し、賛成と反対のデータを戦わせた。
結果、世界は分かれたまま、時神は一つにまとめられ、同じ世界線からそれぞれ時神が過去、未来に関与ができるようになった。
その後、色々と辻褄合わせが入り、おかしな部分を潰していった。栄次を連れ戻す過程で黄泉に近づいたアヤとプラズマが立花こばるとを一部思い出したが、すぐに記憶は黄泉へ。
リカが破壊システムとして残されたトケイに感情を戻した。
データを取り続ける世界はこの内容をずっと書き込み続け、ナオの記憶消去は上部だけのものとなっていた。
「……僕はアマノミナカヌシ、ミナトだ。こんな悲しい結末にしたくないんだよ。こばると……。君は忘れられてはいけないんだ。だから僕は、ナオに提案した前から記録を取り続けている。黄泉の中にあるデータが消えるのには時間がかかるから、君をずっと、時神と結びつけてるんだ……。ずっとね」
ミナトは時神の家を高台の公園から眺める。夕日がミナトを照らした。
「リカが動き出す。彼女が気がついてくれたら……こばるとはもしかすると……」
ミナトは異様な神力が渦巻く時神の家から離れ、公園のブランコに腰をかけた。ミナトはまだ幼い少年。ブランコがよく似合った。
「僕は、どうしたら良かったんだろう」
ミナトはブランコをこぎながら、カラスとヒグラシの鳴き声を聞いていた。
「……こばると君を……守ってくれなかったじゃない……」
記憶を戻したアヤは二十年前のあの時に心が戻っていた。
「こばると君を助けてくれなかったじゃない!」
アヤはヒグラシが鳴く中、プラズマの胸ぐらを掴む。
「アヤ、やめろ」
横から栄次が声をかけたが、アヤは涙を流し、プラズマを強く掴んでいた。
「あなたが一番冷たく思えるのよ! こばると君をただ見ていたのはわざとなの?」
「違うよ」
「その表情と同情の入らない声、何にも語らないっ! ……昔から大嫌いなのよ!」
アヤは泣きわめき、プラズマを強く揺すった。
「……俺達は動けなかったんだ。こばるとは助けられなかった。あんたとこばるとはずっと今まで一緒にいたんだろ? 助けたかったよ。俺だって」
プラズマは下を向いて静かに言った。
「だから……なんでそんな……遠くから見てるみたいな……」
アヤがプラズマを睨み付けた時、アヤの頬に滴が落ちた。
「プラ……ズマ……」
「……俺……目の前であいつが死んでいくのを眺めてて……動けなかった……。ナオやムスビに無様に泣き叫びながら怒りをぶつけて……どうなったか覚えていない……」
アヤの頬に何度も当たる滴はプラズマの涙だった。
「ああ、俺達のせいにしていいんだよ、アヤ……。あの子を助ける術があるなら……助けたい。助けたいよ」
プラズマは初めてアヤの前で感情を出し、泣いた。
「どうしたらいいんだ……俺は。『あの時』以来だよ……こんなに悲しいのは」
「……ごめんなさい」
アヤはプラズマを掴んでいた手を離した。
「私、誰かのせいにしたかったんだと思うわ。もう、こばると君は帰ってこないから」
「アヤ、プラズマは感情を抑えていたのだ。お前の怒りと悲しみを受け止めてやろうとしたのだろう」
栄次に言われ、アヤは座り込み泣いた。プラズマは普段見せない表情で悲しげに佇んでいた。
「どうなっているんですか?」
戸惑っていたのは何も知らないリカだった。
「実は立花こばるとという名前の時神がいたのだ。ある歴史神の記憶操作が原因で立花こばるとは消えてしまった」
栄次がリカに簡単な内容を話した。
「……立花こばると……さん? 消えた……って弐の世界にもいないんですか? 壱の神様だったんですよね? 世界から消滅したと?」
「ああ……弐の世界に立花こばるとはおらず……代わりにトケイという時神が……」
「トケイ……」
リカは悩んだ。
「弐にいないのに、代わりにトケイさんがいる。もしかしたら……黄泉にいたり……? 私は直感でですが、こばるとさんは亡くなっていないと思うんです」
「リカ、お前の直感はあてになる。こばるとを探したい……」
栄次も悲しげにリカを見ていた。共有できないのはリカだけだが、三柱が悲しそうに泣くので、リカはなんとかしないといけないと思った。
同情や励ましではなく、こばるとは死ぬはずではなかったので、どこかにデータは残っていると考えたのだ。
「歴史神に問い詰める」
リカは眉を寄せながらつぶやいた。ナオとムスビはリカがこちらに来た時に会っている。タケミカヅチに裁かれるかと不安がっていたのを思い出した。
つまり、違反行為。
これに黙っている者はおらず、どこかで記録やバックアップをとっている神もいるだろう。
「……って私、なんでこんなところまで考えているの?」
「どうした?」
栄次に問われ、リカは黙り込んだ。わからないのだ。
「自分が知らない範囲まで物事を知っているんです。誰かの記憶なんでしょうか?」
「……可能性はある。今回はナオの違反行為だ。俺達が記憶を取り戻したのも誰かが情報に穴をあけたからだろう。ナオの判断をよしとしなかった神がいるのだ」
栄次は感情が抑えられなくなっているプラズマとアヤを眺め、目を細めた。
「プラズマは慈悲深い。アマテラスの力が関係していると聞く。彼は感情を抑えていたのだが、抑えられなくなったようだな」
「栄次さん、歴史神さんの所に行きましょう。問い詰めます」
リカは立ち直れていない二人をせつなげに見つめると、栄次を強い眼差しで見上げた。
「ああ……俺は過去神、今までのことは説明できる。ナオは今、天記神に拘束されているはずだ」
「拘束ですか。歴史神達もナオがやったことを気づいてますよね?」
リカの言葉に栄次は頷いた。
「おそらく、あそこの頭、天記神には鋭く尋問されているはずだ」
栄次はまだ沈みそうにない夕日を眺め、拳を握りしめた。
二話
リカと栄次はプラズマとアヤを置いて天記神の元へと向かった。ひぐらしが悲しげに鳴いている。太陽は沈みかけ、人間の図書館が閉まる直前になっていた。
危なげに駅前の図書館に滑り込んだ二人は誰もいない閲覧コーナーを横切り、霊的空間に入る。
この図書館はリカが襲われたあの時に一度、来ているので場所はわかっていた。
「ありました。本。行きましょう……」
緊張しながらリカは天記神の白い本を開いた。
神々の図書館内。
天記神は顔を引き締め、書類に目を通していた。ナオがやったこと、ワイズからの警告、剣王からの引き渡しなどの書類だ。
「……ナオさんに厳罰……。まあ、当然だわ。ワイズはナオさんを封印刑にはできないことを剣王にも言っているのね。ナオは壱と伍を切り離し、記憶操作をしたひとり。世界改変の重要な神……」
天記神は人間の歴史管理が主な歴史神のヒメちゃんと、藤原栄優と話していた。ムスビには待機を命じてある。
「天界通信本部……高天原南にいる稗田阿礼(ひえだのあれ)さん、太安万侶(おおのやすまろ)さんの歴史文書が届いています。それぞれ目を通しておいてください」
「テンキさん、ナオさんをどうするおつもりで?」
栄優が文書に目を通しながら尋ねた。
「……わたくしのように一生許されずに外に出られない幽閉でしょうか……」
天記神は静かに言った。
「あんた、この図書館周辺から出られないのは……」
「ええ、わたくしも、罪神ですから。もうずっと、青空を見ていない。オモイカネ様はわたくしを許してくださらない」
「……ナオさんもそうなると?」
「こうなってほしくないですわ。封印刑よりはマシですが。封印刑は身も心も切り裂かれてしまう。解放された時、何百年、何千年が経過してて、切り刻まれる痛みと苦しみから立ち直れない。封印されている間は世界に干渉できないため、孤独なのよ。この刑はほとんど出ないけれど、何百年の封印刑でも神力を半分は失うほど最悪な罰よ。世界から消えて必要なしとされ、人に忘れ去られたら、神は消えてしまうし」
「なるほど。ナオさんはこの世界にかなり関与しているからいなくなったら困るってかい?」
「そういうことです」
天記神は書類を置くとため息をついた。
「肝心のナオはどこにおるのじゃ?」
ヒメちゃんが不安そうな顔で天記神を見上げる。
「彼女はわたくしの神力で封印しています。罰を与えろとワイズから言われたのですが、彼女の処分の方向が決まらないので、二、三日の封印刑に今はしています」
「封印刑は身も心も傷つけるんじゃなかったんかい? かわいそうだあよ」
栄優は眉を寄せ、何とも言えない顔をした。
「仕方がありません。時神に示しがつきませんから……。時神は恨んでここにやってくるはずです」
「ま、そうだわな」
栄優が答えた刹那、図書館の扉がゆっくりと開いた。
「……来ましたわね。いらっしゃいませ」
天記神は顔色悪く、栄次とリカを見る。
「えーと……感情的になっていない私が過去神栄次さんとお話を聞きにきました……」
リカは天記神をうかがうように見上げ、ナオを探していた。
「申し訳ありません。ナオはわたくしが封印しております。罰を与えろとワイズから命令がありました。わたくしも気づいていながらあの子を守るために一部黙認しました」
「やっぱり、グルだったんですね」
リカに言われ、天記神は眉を寄せた。
「まあ、そう言われてしまうと……そうなるわね……」
天記神は書類をリカに渡してきた。
「栄次さんも一応」
「ああ」
リカは書類に目を通し、栄次は書類が正しいのか過去見で確認していった。
「……これはナオさんを許してはいけませんね……。時神をなめているとしか思えない」
「内容に間違いはないな。立花こばるとの記憶の一部としてトケイが存在しているが、トケイが今も存在できているのはなぜかわかるか?」
栄次に尋ねられ、天記神はさらに一枚の紙を渡してきた。
「これはアマノミナカヌシ、ミナトさんが持ってきた資料です」
「アマノミナカヌシ……ミナト?」
リカと栄次は訝しげに天記神を見た後に紙に目を通した。
内容は……
『トケイさんの不思議とこばるとさんの居場所について。時神が忘れていた立花こばるとさんは時神が思い出すまで僕が記憶の管理をしていた。トケイさんは僕がこばるとさんの記憶を繋ぎとめていたので、記憶を持ったまま元の形で存在しているわけだ。どちらにしろ、時神からこばるとさんの記憶がなくなることはない。僕が管理しなくても思い出していただろう。
黄泉のトラッシュボックスには上部だけ消した記憶も多数含まれる。表に出ないだけで、奥深くには記録や記憶はしっかり残る。
僕は予備としてこばるとさんの記憶を保存し続けていただけだ。
時神が思い出した今、こばるとさんを黄泉から救うチャンスである。こばるとさんは悪くないが、アヤさんが霊的武器でこばるとさんを刺した時、こばるとさんはアヤさんの神力に縛られ、封印刑のような状態になっていたと思われる。そのまま記憶を消去されたので、こばるとさんは封印刑を食らいながら忘れ去られ、黄泉のトラッシュボックスに送られた。
現在はズタズタに引き裂かれ、意識不明の状態か、もう神力が戻らない状態になっているのではと予想される。
つまり、まだ、亡くなってはいない。神はそうそう死なないからね。彼が犯した、『歴史を動かす罪』と封印刑は釣り合った。
もういいだろう。
彼は罪を償った。
助けてあげてほしい。
許してあげてほしい。
意識不明になっているだろう今もアヤさんの神力はこばるとさんを引き裂き続けているのである。
こばるとさんは黄泉にいる。
黄泉で忘れ去られたまま……』
リカはこの悲痛な手紙に涙を流した。こばるとは歴史を動かしてしまった罪を認め、罰を受けながら、救われることなく、黄泉で忘れ去られている。
彼は苦しんでいるに違いない。
そんなことをするつもりでなかったアヤもこの事実を知ったら、さらに傷つくはずだ。
「栄次さん……私……知らないのに……苦しいです」
「……ああ。俺もせつない気持ちだ。だが、こばるとは死んでいない。お前は正しかった。希望はある」
「……はい」
リカは涙をハンカチで拭うと小さく頷いた。
「……あんたんとこの時神さんも非道なことになっているが、ナオのお嬢さんも酷いことに今、なってるぜ?」
栄優は栄次とリカを苦笑いで見つめ、湯呑みに注がれた冷えたお茶を飲みほす。
「兄者、ナオも封印刑になったらしいですね。同じことを考えていると嬉しいのですが……」
「まあ、同じことを考えているだろうねぇ」
栄優は軽く笑った。
「天記神」
栄次が名を呼んだ。
「はい」
「こばると救出を罰としてナオに手伝わさせるのはどうだ? ナオは記憶を忘れさせること、神の歴史管理などができると。世界を保たせている神の一柱ならば、こばるとをこちらに呼び戻すことくらいできるだろう。封印刑は神道的(じんどうてき)ではない」
栄次がそう言い、天記神は冷めてしまった紅茶を一口飲み、考える。
「それでいいのか、どうか……。もっと彼女を苦しめる罰を与えるべきなのか」
「……封印刑は彼女には重すぎるが、あなたの神力でちょうど良いと思われる。これがワイズや剣王なら消滅ぎりぎりまで痛めつけられてしまうだろう……。あなたの神力でも封印刑を長引かせるとナオは体に傷を負うことになる。血を吐いて、切り刻まれながら今も泣いているに違いない。俺は、勝手な話だが、痛め付けるような罰で罪を償ってほしくはない。こばるとを救えるなら……今はかまわない」
「……そうですか。時神がそう言うのならば……一時だけ、解放し、こばるとさん救出に向かわせます。その後の判決は高天原が下しますが、わたくしは封印刑を避けるよう、言ってもよいと。時神はそれで納得しているとして良いでしょうか」
天記神は涙ぐみ、ハンカチで目頭を抑えた。
「歴史神の主はお優しい。ナオを守ろうとしているのか。今回の封印刑もあなたが心を殺し、きつく神の鎖を巻いたのだと思う。本当はこんなことをしたくはなかったのだろう。俺達はあなたの気持ちも組む」
「……それじゃあ、ダメなのよ……。時神は今回の件を許してはいけません。紅雷王は許さないと思うわ。だから、今回は一時的に封印を解きます。高天原で裁かれる際に、時神が封印刑までは望んでいないことを報告させていただきます」
「……わかった。プラズマ、聞いたか」
栄次は小さくつぶやいた。
神力電話を使い、プラズマに内容を流していたようだ。
「……こばるとは生きているようだ。アヤの神力で封印された後、俺達が記憶を失ったため、彼は黄泉に送られ、アヤの神力に今も切りつけられている」
夕焼けの空にヒグラシが鳴く庭でプラズマは栄次の話を聞いていた。アヤはプラズマにすがって泣いている。
「それはわかった。それよりも」
プラズマは声を絞り出すように言った。
「なぜ、許そうとした? 俺はナオに相応の罰を望む。俺達は許してはいけないんだ。ナオはそれだけのことをしたんだよ。こばるとは今も苦しんでいる。俺達に忘れられて封印が永遠に続くところだった」
「そうだな。……だが、恨みや争いは戦を生む故。それよりもこばるとを助けに行きましょう」
栄次は静かに答えた。
「……わかった。お前の言う通りだ。俺達はどうすればいい?」
プラズマは呼吸を整えて、こばると救出に気持ちを切り替えた。
三話
「アヤ……いつまでも泣いてんなよ」
プラズマがアヤの肩に手を置いた。アヤは肩を震わせて泣き続けている。
「こばるとは助けられる。元の状態にはならないが……あの子はまだ、生きている」
プラズマはアヤを優しく撫で、強い口調で言った。
「泣くんじゃねぇよ。アヤ。こばるとを助けるぞ」
プラズマはアヤの肩を軽く揺すった。プラズマの腹辺りに顔をうずめて泣いていたアヤは小さく「うん……」と頷いた。
「あんたが一番つらいさ。俺はわかってるよ」
プラズマはアヤを優しく離し、ハンカチを黙って渡した。
「ナオが助けるそうだ。あの女を許すことはできないが、今は協力させよう」
「……そうね」
「あんたの泣き顔なんて、俺は見たくないよ……アヤ」
プラズマはアヤの頭を優しく撫でると目線まで腰を落とし、強く抱きしめた。二人の影が夕日に伸びる。プラズマには珍しい行為だった。
「行くぞアヤ。いいな?」
「……はい」
目が覚めたアヤは涙を拭い、プラズマから離れ、顔を引き締めた。
二人はとりあえず、天記神の図書館へ来てほしいと言われ、神々の使いの鶴を呼び図書館へと向かった。
夕日が消え、空は輝く星が多くなる。鶴は弐の世界も飛べるため、天記神の元へも飛んでいける。ただ、特定の世界にはいけないため、図書館用か高天原用にするしかない。
「アヤ、あんたさ、ナオが目の前にいたら殺しに行ったりしないよな?」
「わからない……。感情がぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれない。今も……どうしたらいいのかわからないの」
アヤはか細くプラズマに答えた。鶴が引く駕籠の中でアヤのすすり泣く声がむなしく響く。
「涙が……止まらない。悲しい、苦しい……」
「……俺が舵取りするよ。あんたはこばるとを救うことだけを考えるんだ。俺は時神の一番上……俺が冷静でいないとな。こばるとの未来は見えない。弐の世界の先にいるからだろう」
「プラズマ……」
アヤが救いを求めるようにプラズマを見上げた。
「……なんだよ」
「私が……こばると君を封印しちゃって……こばると君は今も苦しんでいるのよね?」
「そうだな」
「私の……せいよね……」
アヤが震えながらそうつぶやき、プラズマは眉を寄せる。
「アヤは悪くないよ……自分だけ悪いと思うな」
「だって……まだ……感触が……残ってる……」
アヤは震えながら自身の手を見つめた。
「感触が……っ! そんな顔で見ないで……こばるとくん……。うっ……」
アヤは口元を抑えた。
「……フラッシュバックだ、アヤ。落ち着きなさい」
プラズマはなるべく優しく声をかける。アヤはフラッシュバックを起こしていた。ナイフで刺した記憶が何度も戻ってくる。
アヤは壊れてはいけない神。
だが、アヤは頭を抱えて苦しみだした。
「まずい……」
プラズマはアヤの神力を抑えようと動いた。
「いやあああ!」
アヤは突然叫びだし自身の手を駕籠に何度も叩きつけ始めた。
「私が刺したのよ! 私が刺したのよ! 私があの子を苦しめた! 刺した刺した刺した刺した!」
「アヤ! それはダメだ! これからこばるとを助けに行くんだよ!」
プラズマはアヤの手をとったがアヤは手を攻撃し続ける。
「感触が感触が感触がっ!」
上部だけはこばるとを救う、そういう気持ちにはなっていたはずだが、アヤはナオを恨むよりも心の傷が大きかった。
「よよい! どうしたよい!」
ツルが緊急性に気がつき、駕籠を止めた。
「ツル! ここは弐か?」
「よよい! そうだよい? 弐から神々の図書館へ向かう予定だったよい?」
ツルの言葉を聞いてプラズマは奥歯を噛み締める。
「弐に入るのは失敗だったか。アヤの心がある付近を通ってしまったんだ」
弐の世界は霊魂だけでなく、生きている生き物分の心の世界がある。ネガフィルムのように絡まる二次元に誰かの心の世界があり、心の世界にはその人と関わった霊が住み着いているのだ。
アヤは弐に入ったことで自分の心の奥底を思い出している。
「アヤ! 神力を解放するな! アヤ!」
プラズマはアヤの両手を掴み、押さえつけ、アヤの神力を抑え込む。
「……強い……アヤは強い神力を持っている。時神の力だけじゃない……。抑えられねぇよ!」
このままだとツルが危ないと判断したプラズマは叫んだ。
「ツル! 駕籠を切って今すぐ逃げろ!」
「その命令、聞けると思うかい? あんた達、落ちちゃうよ? 知らない世界に」
「かまわない! やれ!」
プラズマが叫んだ時に、神力爆発が起こると気がついたツルは眉を寄せ、悩んだ末に駕籠から手を離した。
「すまんねぇ……」
直後、神力は暴走し、プラズマを巻き込んで爆発した。
「プラズマ!? おい! 何があった!」
今どこなのかの連絡をとろうと神力電話をしたらしい栄次の焦った声が宇宙空間に響いている。
呆然としていたツルの真横を何かが急降下してきた。
宇宙空間から垂直に急下降してきたのは橙の髪の少年トケイだった。少年の瞳は赤く、無表情。
口からは感情のこもらない声で「エラーが発生しました。破壊システムを起動します」と何度も同じ言葉を発していた。
四話
プラズマは落下しながら結界を張り、爆発から身を守った。
先に落ちていくアヤをなんとか抱きしめ、どうするか考えていた刹那、トケイが拳を振り抜いてきた。
「トケイ! 破壊システムに戻ったか!」
プラズマは慌てて結界を張り、トケイの拳を受け流した。
なぜ攻撃してくるかわからないが、アヤに関係しているだろうと思った。
アヤは悲鳴に近い声をあげ続けて泣いている。トケイはアヤに攻撃をしようとしていた。
「標的がアヤ?」
プラズマはトケイの蹴りを結界で弾いた。ただプラズマは結界が苦手なため、トケイの蹴りで結界はガラスのように割れて消えてしまった。
「なんでアヤを狙ってるんだよ!」
プラズマがトケイに叫ぶが、トケイは答えない。
「あんたはアヤが想像した立花こばるとなんだろ?」
「……」
トケイは何も言わずにアヤを攻撃する。プラズマは何度も結界を張り、受け流した。
「……なんでアヤを狙ってる! アヤは弐の世界を壊してない!」
プラズマが何度もトケイに声をかけるが、トケイの反応はない。
「なんでだ! あんたはアヤが作った立花こばるとなんだろう?」
プラズマはトケイに言葉をかけるうちにトケイがなぜアヤを狙うのか、わかってしまった。
「まさか……」
プラズマはいつの間にか叫ばなくなっていたアヤに目を向ける。
「もう……苦しい……」
「アヤ……お前……」
「もう……楽に……なりたい」
アヤは自嘲気味な笑みをプラズマに向け、小さくつぶやいていた。
「神なんて、この世界から消えればいいのよ。神なんていなくても、この世界は回るわ。こばると君は救いたいけれど……って思ってしまった……」
「アヤ……」
「そう……思ってしまった」
アヤはプラズマの服を強く掴んだ。
「私、ダメな現代神……逆だったら良かったのに……私が封印されれば良かったのに、苦しめば良かったのに。今だって、世界のこと、神のこと、どうでもよくなってるじゃない」
アヤは自嘲を繰り返す。
「現代神は私じゃなくても良かった」
「アヤ……そんなこと、ないよ」
プラズマはアヤを守りながら静かに言った。
「こばるととアヤが現代神だ。他の神には不可能なんだ。俺はそう思う。アヤとこばるとの存在は大きすぎる」
プラズマはアヤを抱きしめながらアヤの世界だと思われる世界へ落ちていった。
五話
「プラズマとアヤに何かが起こったようだ。しかし、俺はこちらの世界だとうまく過去を見れない……」
栄次が心配そうにリカを見た。
リカは難しい顔で閲覧席に座っていた。
「どうしましょう……。こばるとさんの救出を先にしますか?」
「……難しいところだが……こばるとの救出をこちらは進めよう。プラズマとアヤは弐に住む更夜に連絡を……」
栄次が言いかけた時、神力電話がかかってきた。更夜からだった。
「栄次、トケイが破壊システムに戻り、どこかへ行った。プラズマとアヤは大丈夫なのか? 連絡が通じん」
「更夜、実はアヤとプラズマは……」
栄次が答えようとした時、ツルが回線に割り込んできた。
「こちらツルだよい! 大規模な神力爆発! 時神現代神のもの! やつがれは時神未来神、湯瀬紅雷王から駕籠を切り離せとの指示に従う! 両名、下の世界に落下! 報告義務に従い、時神に連絡!」
ツルはそれだけ言うと通信を切った。
「アヤが……。更夜、こちらは弐に詳しくはない。様子を見てくれないか?」
「了解した。二人はアヤの世界に落ちたそうだ。ルナがそう言った。なにやら立花こばるとという少年が関係しているらしいのだが、ルナはまだ子供で見た内容を伝えられん。こちらでも調べる」
「……そうか、頼む」
栄次はとりあえず、更夜との通信を切った。
「こばると関係だ。リカ、こちらはこばると救出に動こう」
「はい。天記神さん、ナオさんを……」
リカに言われ、天記神は深呼吸をすると、ナオをこちらに呼び寄せた。天記神の手から鎖が垂れ、その鎖が音を立てて割れた。
五芒星の陣が現れたら、傷だらけのナオがその場に倒れていた。
「うっ……がはっ……」
血を流しているナオはさらに口から血を吐くと涙を流しながら震えていた。
天記神の強い神力が血を逆流させていたためだ。封印刑は神力を逆流させ、消滅寸前まで追いやる刑だ。
「立ちなさい」
天記神は鋭い目で厳しく言った。
「は、はい……」
ナオは震えながら懸命に立とうとしていたが、なかなか立ち上がれなかった。
「立ちなさい」
天記神に再び言われ、ナオはふらつきながらも立ち上がる。
「……栄次さん……リカさん……」
ナオは栄次とリカを見つけ、怯えたまま再び膝をついた。
「霊史直神(れいしなおのかみ)、まずは頭をつけ、謝罪なさい」
「はい……わたくしの勝手でこんな事態を生んでしまい……申し訳ありませんでした……」
リカと栄次はナオに何も言えなかった。栄次が言った通り、封印刑は神道的ではないようだ。
「あーあー、酷い。見ていられねぇわ、お嬢さん」
栄優は眉を寄せながら頭を抱えた。ナオの身体は天記神の神力から解放され、傷は治った。ただ、心の傷は残る。
これが神道的ではないと言われている理由だ。
「天記神、そんなに強く当たらなくてよい。ナオ、身体は大丈夫か。動けるか」
栄次は心配そうにナオを見ていた。それを見たリカは栄次を優しすぎると思ったが、関係のなかったリカもナオを心配してしまった。
「封印刑ってこんな酷いことになるんですか……。以前、プラズマさんが……」
プラズマはルナの責任をとらされ、一度封印刑になっている。
「プラズマが時神を守ろうとするのはありがたいが、無茶はしないでほしい。天記神も部下を守ろうとしているはずだ。俺はあまり……女を痛めつけるようなことは好きではない……」
栄次が天記神を見据える。
天記神は目をそらすと、ナオに命じた。
「こばるとさんは生きているそうです。今すぐこばるとさんの救出を」
天記神がヒメちゃんに目配せをし、さきほどのアマノミナカヌシ、ミナトの手紙を渡させた。
手紙に目を通したナオは座り込み、静かに泣いた。
「わたしが……殺したと思っていた……。生きていて良かった……」
「それは勝手じゃよ、ナオ。彼はだいぶんおぬしで狂わされたのじゃ。裏工作も含め、おぬしはかなり悪質。それを言う資格はない」
ヒメちゃんは立ち上がると、こばるとの人間時代の歴史を見始めた。
「ワシは人間の歴史管理が仕事。こばると殿の歴史をすべて残したが、ナオを黙認した。ワシも共犯じゃよ」
ヒメちゃんはこばるとの人間時代の記憶を持ち出し、こばるとの存在を再びこの世界に繋ぎ止めた。
「はじめからいなかったことにはならんのじゃよ。神力が出る二回目の人生五歳まではこちらに繋ぎ止めたぞい」
こばるとは一回目の人生は人間。二回目の五歳時から神になったらしい。
「そうか。どう助ければ良い?」
栄次が尋ね、天記神が答えた。
「海神のメグさんに協力をしてもらい、ナオと共にワールドシステムへ入ってもらいます。黄泉を何でもよいので少し開き、こばるとさんの記憶を頼りにこばるとさんを探し、データごと引っ張りだしてアヤさんに封印を解いてもらいます」
「……手順が多いな……」
栄次は眉を寄せながら、眉間を指で摘まむ。
「栄次さん、スサノオ様やツクヨミ様と戦闘になったり……マナさんがいるかも……」
リカにそう言われ、栄次はさらに頭を抱えた。
「ああ……わかっている」
「ワシも行こうか?」
ふと栄優が声を上げた。
「兄者……」
「戦力にはなるぜぃ?」
栄優の顔を見つつ、迷うふたり。
「本神が行くと言っているならば良いでしょう。栄優さんも護衛でつけます」
天記神がそう言ったので、栄次とリカは頷いた。
「栄優さんは格上の神力が通じなかったりします。戦力になります」
天記神が書類をまとめ、立ち上がった。
「わたくしとヒメさんはこちらでサポートします。よろしくお願いします。わたくしの部下がご迷惑をおかけしました。後に紅雷王さんとお話します」
天記神は丁寧にお辞儀をするとメグに神力電話をかけた。
「メグさん、頼みごとがあります。プラズマさん、アヤさんの生存とこばるとさんについてで……」
栄次は天記神を横目で見るとリカに目を向けた。
「大丈夫か、リカ」
「私は大丈夫です。マナさんとはぶつからないといけない運命みたいですし……」
「無茶はするな」
「わかっています。大丈夫です」
リカは顔を引き締め、栄次、栄優と共にメグを待った。
六話
「はっ!」
プラズマは目覚めた。
「変わった世界だな……」
時計が沢山ある草原の世界。
アヤが想像した弐の世界だ。
「アヤはっ!」
プラズマはアヤを探した。アヤはどうでもよくなりトケイに消滅させてもらおうとしていた。
今、見つからないとまずい。
「アヤ!」
プラズマは静かに響く時計だけの世界で叫んだ。声は反響して消える。時計の針音しか聞こえない。
「アヤを探さないと」
プラズマは草原を歩き始めた。
歩いた先にうなだれて座り込んでいるアヤを見つけた。その横でトケイが人形のように動かずにたたずんでいた。
「アヤ……」
「未来を見たの」
アヤがふと、そんなことを言った。
「……?」
「私、怒りと後悔が抑えられなくて、あなたと栄次を何度も……これで突き刺してるの」
アヤは手に時計の針のような槍を握っていた。
「こんな世界、どうでもよくなっちゃえって……。あなた達はルナを呼んで、私に殺される瞬間に過去に戻るの。それを何回も繰り返すの。私は何度もあなた達を殺して何度も世界の滅亡を願うの」
「……アヤ、それはあるかもしれない未来だ。今はない」
プラズマはアヤに少しずつ近寄った。
「今の私は何にもなくて……なんにもしたくないし、なんにも感じたくない」
アヤは光のない瞳をプラズマに向けた。
「トケイももう動かない。動かなくなってしまった。こばるとくんもきっともう、元のこばるとくんじゃない……」
アヤに表情がない。
「世界の滅亡を考えるのはやめた。私の生存が大事なら、ここにずっといる。機械のように」
「アヤ、俺達は人間に近い神だ。感情をなくすなんて悲しいこと言わないでくれ。俺はあんたをずっと守ってきた。それはシステムなんかじゃない。俺の気持ちだ」
プラズマはアヤの前に座り込んだ。
「……あなたに出会わなければ良かった。あなたは私の心をかきみだす。ひとりなら今の気持ちのままで良かったのに」
「そんなこと、言うな」
プラズマは眉を寄せる。
「放っておいて……もう、何もしたくない」
「まだこばるとが生きているんだぞ。助けに行かないのか」
プラズマに言われたが、アヤは無気力にうなだれていた。
「おい、アヤ!」
「私が死んだら、こばるとくんは解放される? 元のまんま帰ってくる? 死にたいわけじゃない。元の彼に会いたい。氷菓子を一緒に食べた。彼がアヤは甘いものが好きなんだ、今度僕がおいしいスイーツを作ってあげるって言った。この人生の前の生で。私は彼が自分の息子であったことも忘れていた。彼は全部覚えてて、せつなかったにちがいない。私を一度、母様と呼んだことがあった。私は笑ったけど、彼はせつなげに笑っていた。かわいそう。私はなんで思い出してあげなかったんだろう。大事な親子の絆を忘れてしまったんだろう」
アヤは感情が制御できず、支離滅裂にひとりごとを発している。
アヤは人形のように動かなくなったトケイの頬を優しく触る。
「空が好きだった。空を見ると広い世界に飛べるような気がする、時間の経過もわかるんだと嬉しそうに話していた。私は橘家の長男として広い世界じゃなくて、狭い家に押し込んでしまった。いつまでも母様母様と母離れしない息子に怒ってしまったこともある。寂しそうな息子の背中を見て、もっと関わってあげれば良かったと思った。あの子は甘えん坊でかわいかった」
「……そうか」
プラズマはアヤが何を言いたいのかわからなかったが、黙って相づちを打つ。
「顔が同じで、中身が違うなら……それはこばるとくんじゃない……。助けた時、同じ顔で他人なんて私は耐えられない」
「その確率はあるかもしれないが、アヤ、あんたもこばるとから見たらそうじゃないのか? 毎回あんたはこばるとを覚えていないんだから」
プラズマがこばるとの気持ちを代弁すると、アヤは突然、プラズマの 胸ぐらを掴んだ。
「だから! 私は! このシステムが嫌いなのよ! 嫌いだって言ってんのよ! 何回言ったらわかるのよ! ねぇ!」
急に怒りだしたアヤはプラズマを押し倒し、プラズマの胸ぐらを引っ張り、何度も地面に彼の頭を打ち付けた。
「あなたに私の何がわかるのよ! 何もわからないくせに偉そうにしてんじゃないわよ!」
アヤはプラズマの髪を掴み引っ張った後、プラズマの頬を思い切り叩いた。
「腹が立つ! 私が何も考えずにここにいようと決めたのに! 色々思い出させて、人の思い出に入ってきて! あんた、なんなのよ!」
アヤは再びプラズマを殴った。
「私は! この世界にいるの! もう何も考えなくていいの!」
「アヤ、痛いよ」
プラズマはせつなげにアヤを見ていた。
「痛い、アヤ」
プラズマは口から血を流しながら小さく呟いた。
「土足でひとの世界に入ってきて! 痛いって何よ! こばるとくんはもっと痛い! あなたは苦しめばいい。時神の主なんて、偉そうに。こばるとくんじゃないかもしれない見た目だけのこばるとくんを助けろだなんて、どの口が言えるの!」
アヤは神力を放出し、罪のないプラズマを槍で突き刺し始めた。
「うぐ……痛いよ……アヤ」
「痛いわよねー。かわいそう」
アヤは狂気にも似た表情でにやつくとプラズマの腕を槍で刺した。
「うっ……アヤ……こばるとを助けないと……手遅れに……」
「痛い痛い、アハハ!」
アヤは涙を流しながら笑っていた。その表情は「私は何をしているんだろう……」。
「……もうやめてくれ。痛いんだ」
「違う……。これは違う!」
アヤはプラズマを慌てて離し、「違う違う」と叫んだ。
プラズマは無関係だ。
アヤの気持ちとは無関係。
「違う……これは違う! 違う!」
アヤ自身が気持ちの方向性がわからない。どういう気持ちでいればいいかわからない。
誰かを攻撃することで気持ちを和らげる……、こばるとを最終的に刺したのは自分。プラズマではない。
プラズマではない。
プラズマではないのだ。
「ごめんなさい。プラズマ……ごめんなさい……」
ただ悲しい。最終的にはただ悲しい。
悲しいだけ。
悲しい気持ちの行き先がなく、意味のない感情に行き着いてしまう。
こばるとは元のこばるとではないというのも確信できるものではなかったが、アヤは自分が傷つけた後のこばるとを見るのが怖かった。今よりももっと引き裂かれてしまう気がするからだ。
「もう……いい……」
アヤは小さく呟くと動かないトケイの前に座り直した。
「アヤ、そうやってずっといるつもりなのか? こばるとは生きているんだぞ」
プラズマはもう一度同じ言葉をかけた。再びアヤは怒り出し、プラズマの胸ぐらを掴む。
「こばるとくんは帰って来ない! 顔が同じだけの違う子はこばるとくんじゃない! 私が助けたとして、彼は私をどんな顔で見てくるっていうのよ! 私が殺したのに! 私が苦しめたのに! あんたなんか! なんにもわからないくせに!」
アヤはプラズマを地面に押し付け、何度も殴った。
アヤの感情は静寂と慟哭を繰り返す。偽りないアヤの感情。
アヤは自分を止める術がなかった。理性が働くはずのアヤが手を止められない。
思い出せば狂い、思い出さなければ虚無。
プラズマはなんども叩かれたので、埃だらけ、唇を切り血まみれ、頬は赤く腫れてしまった。
髪は引っ張られ、乱れている。
「アヤ、痛いんだよ」
「プラズマ……私……」
「……またごめんなさいか? いつまで繰り返す? 俺は死んでもいいのかよ」
プラズマの言葉がアヤを突き刺す。プラズマは大切な時神の主。
その破格な神格の上司はアヤのすることをすべて受けている。
怪我をしている。
「死なないで……プラズマ」
「……死なないけどな、こんなんじゃ」
プラズマは起き上がって唇の血を拭った。アヤは再びトケイの前に座り込んだ。
「救えるかもしれねぇのに、行かないのかよ」
「……」
アヤは黙り込んだ。
「おい、アヤ」
「……」
「なるほどな、封印をとかねぇ気か。あんたが封印したなら、神力を最低にして逆流の鎖を切らないとこばるとは助けられない」
「……こばるとくんじゃないわ。もう。私を恨むだけの違う存在になっている。こばるとくんは死んだのよ」
アヤはそうつぶやいた。
「死んでない! こばるとは生きてるんだよ! 何度言えばわかる!」
プラズマの叫びにアヤは唇を噛みしめた。
「神力が壊れて違う何かになってるって言ってるのよ! 私の心に入ってきておいて……」
アヤが最後まで言い終わる前にプラズマの平手がアヤの頬に飛んだ。破裂音が響き、アヤが倒れた。
「いい加減にしろよ! 何回も同じことを言ってるだけじゃねぇか! どんな形であれ、あの子は助けなくちゃいけねぇんだ!」
「痛いじゃない……」
アヤは叩かれた左頬を押さえ、立ち上がった。
「痛いだろ」
「思い切りやったわね」
「力半分くらいだな」
プラズマの言葉にアヤは神力を放出した。アヤは今、鞘のない刀のような状態。どこでスイッチが入るかわからない。
「……喧嘩すんのか、俺と」
「喧嘩なんて野蛮なことするわけないじゃない」
アヤは神力を槍のようにするとプラズマに多数飛ばした。
「ああ、そう」
プラズマは飛んできた槍を結界で弾いた。弾いたはずの槍が再び飛んできてプラズマは軽く笑った。
時間操作。槍の時間を巻き戻したのだ。彼女は時間を簡単に操れる。
「なるほど。俺と喧嘩するってことだな。いいよ」
プラズマが霊的武器『弓』を取り出しアヤに神力の矢を放つ。
アヤは矢の時間を巻き戻し、アヤの神力を乗せて逆にプラズマに発射させた。
「おっとあぶねぇ」
プラズマは『未来見』で矢を予測し、軽々と避けた。
アヤは神力を振り抜く。プラズマは背中を軽く斬られたが未来見により最小限で避けた。そのままアヤが現れる場所を予測し、矢を放った。
アヤは脇腹をかすり、血を流すが、巻き戻しで元に戻した。
アヤが神力を乗せた蹴りをプラズマの腹にいれ、プラズマは『未来見』をし、結界を張ってアヤの足を受け止める。
「俺はそう簡単にやられねぇぞ」
プラズマの平手がアヤの顔を振り抜き、アヤは鼻血を流しながら飛ばされた。すぐに時間を巻き戻したアヤはプラズマの顔面に神力のこもった拳をぶつける。プラズマは『未来見』でうまく避けた後、アヤの拳を掴み、がら空きの腹に膝打ちをした。
「うっ」
アヤは呻き、胃液を吐くと時間を巻き戻し、プラズマの顔面を再び振り抜いた。
プラズマは血を撒き散らして倒れたが『未来見』でアヤが追い討ちをかけてくるのを見たため、すぐに立ち上がり、上から槍を持って飛んできたアヤをかわすとそのまま投げ飛ばした。
アヤは呻いて涙を流し、地面に転がった。すぐに時間を巻き戻す。
「まだやんのか」
「……」
アヤは無言のまま、さらに神力を放出させた。
「やんだな」
プラズマも神力を放出し、アヤの攻撃に備えた。プラズマからアマテラスの力が見え隠れする。
アヤは早送りの鎖を自身に巻き、プラズマに殴りかかった。
プラズマは『未来見』で避けたが、相手が早すぎて拳が当たり、のけ反った。隙ができたプラズマを神力の槍で突き刺した後、神力の矢を出現させ、さらにプラズマにぶつけた。
プラズマは『未来見』で辛うじて避けるとアヤの両腕を掴み、地面に叩きつけた。
アヤは呻き、さらに神力を上げた。プラズマの顔めがけて矢を放ったが、プラズマは『未来見』でかすりながらも避けた。
「はあはあ……」
アヤは息を上げながらプラズマの腹を蹴る。
「あんたの敗けだ。俺に両腕取られてんだから。女の子が……こんな高身長の男に物理な喧嘩をふっかけんなよ。死ぬぞ」
プラズマはアヤの神力がもうなくなりそうなことに気づき、攻撃をやめていた。巻き戻せなければプラズマが一方的だ。
「腹は男よりやわらけぇし、足や手は華奢だし、顔は丸くてかわいくて……殴る場所なんてねぇよ……。蹴る場所なんてねぇよ……。平手が精一杯だったよ……」
プラズマはアヤを押さえつけながら涙を浮かべた。
「お前と喧嘩すんの、辛かったよ」
アヤはプラズマを表情なく見上げていた。
「アヤ……こばるとは……お前を恨んではないと思うぞ。元のこばるとではないかもしれないが……こばるとはこばるとなんだ。今も苦しんでいるなら、助けた方がいいじゃないか。神力が戻らないなら、皆で神力を与えてさ、元に戻してやろうよ。お前の心に土足で入って悪かった。お前と俺の関係は俺が思っているより薄かったんだと気づかされた」
「……プラズマ、私、よくわからなくなっちゃったみたい。こんな私に付き合ってくれてありがとう……。できるなら……私のそばにいて……。もう、あなたを傷つけたりしないわ。ごめんなさい……」
アヤは顔を歪めて苦しそうに泣いた。
「ごめんなさい……」
「いいよもう。一緒にいるから。だいぶん神力が落ちたな。こばると救出、頼んだぞ、栄次、リカ」
プラズマは物理的な方法でアヤの神力を落とした。こばると救出が楽になったが、プラズマはアヤが心配だった。
「お前、時間の巻き戻しが今はできないんだから、もう喧嘩するなんて言うなよ。女の子を殴るの、辛いんだよ」
「……私は沢山あなたを傷つけた。なんであんなことができたんだろう……。仕返ししてもいいわよ」
「仕返しはさっきした。腹を蹴ったし、二回殴ったよ。男は女を思い切り殴っちゃダメだ。筋力が違うんだから。そんなの当たり前なんだ。そこは平等じゃない」
プラズマはなんとも言えない顔でアヤを見ていた。アヤが傷つけたプラズマは腕から血を流し、唇から血がこぼれ、頬は腫れていた。
「……そんなわけないじゃない。こんな怪我をして、許せるあなた、おかしいわ」
アヤはプラズマに巻き戻しの鎖を巻いた。神力はさらになくなる。
「……あんたの平手なんて痛くもない。俺があんたを思い切り殴ったら、あんたは死んでしまうよ」
「もう、いいから。痛め付けて。私がやったこと、全部やっていい」
アヤから悲痛な声がもれる。
「俺にそんな趣味、ないよ。あんたがこばるとを助けてくれるなら、許すから」
「怖かったのよ。助けても私を恨んでて、神力がめちゃくちゃでこばるとくんの皮をかぶった別の神が出てくるのが」
アヤは震えていた。わけのわからなかった気持ちは怖いという感情に変わった。胸が苦しくて悲しいが、気持ちは明るくはならない。
「わかるよ。でもこばるとは時神だ。時神なら助けないと」
「プラズマ……本当にごめんなさい」
アヤは涙を浮かべ、息子に接するかのように優しく頬を撫でた。
「ごめんなさい……許して……。私を許して……」
アヤはこばるとに言っているようにも見えた。プラズマは胸が締め付けられた。
「許して……ごめんなさい」
「俺は許しているから、自分を責めるな。ここはあんたの世界。制御ができないのはわかっている。だから、当たり前のように入り込んだ俺を許してくれ」
「そんな、あなたが許してなんて言わないで……あなたは私が傷つけた。酷く……傷つけた……。こんなの……許されない」
アヤは震えながら泣いていた。
ただ、悲しい。
この感情はまた、破壊に向くのだろうか?
「……悲しいよな。もう、あやまらなくていいから。今は沢山泣きなさい。ただ、泣くだけでいい。我慢しなくていい。俺に遠慮するな。甘えるなら甘えて、一緒に泣こう」
アヤはプラズマの言葉を聞き、声を上げて泣き始めた。
「悲しい! 悲しい! もうナオなんてどうでもいい! 海碧丸(かいへきまる)っ! 帰って来てちょうだい! 母様に顔を見せてちょうだい! 海碧丸っ! 帰って来てっ……お願いよ! 悲しいよ!
海碧丸……」
プラズマはアヤの震える肩を優しく引き寄せた。
「こばるとくん、ごめんなさい。こばるとくん、許して……」
「感情を吐き出しても変わらないかもしれない。でも、今は悲しい気持ちに素直に、寂しい気持ちに素直になって、後悔とか全部捨てて、泣くんだ、アヤ」
「うっ……うあああ! ああああ!」
アヤは大声で泣き始め、悲鳴に近い叫びを上げる。プラズマはアヤの小さな身体を優しく包み、頭を撫でながら栄次に神力電話をかけた。
こばると救出作戦
図書館でしばらく待っていると海神(わだつみ)のメグが現れた。
青い髪のツインテールにスカーフ、紫のベストにオレンジのスカートを履いた少女だ。
「来た。ワールドシステム内の黄泉に干渉したいと。今回は異例。許可しよう」
「頼む」
栄次は短く答え、栄優とリカに振り向いた。
「大丈夫か?」
「はい」
「いつでも行けるぜ」
二人の返答を聞いた後、栄次は天記神とナオを見た。
「こちらも問題なく。ナオさんはこちらでこばるとさんの神時代の歴史修正をおこない、後にワールドシステムに干渉させます」
「はい……よろしくお願いします」
天記神と天記神に支えられたナオは弱々しく頭を下げた。
「……ナオ、無理はせず、休みながら作業を頼む」
栄次に優しく言われたナオは目に涙を浮かべると「お気遣いありがとうございます」と再び頭を下げた。
メグの誘導で図書館外へ出た栄次、栄優、リカは来た道とは逆の山道へ入り、進む。次第に白い霧が深くなり真っ白になったが、メグが誘導してくれるので進める。
「この辺、どうなってんのか、さっぱりよぉ」
栄優が興味深そうに辺りを見回し、リカは疑問に思ってメグに尋ねてみた。
「えーと……メグさん? メグ、ちょっといいかな? この周辺、どうなっているの? ここは弐ということでいいのかな?」
「弐という明確な答えは出せない。ここはすべての世界が混ざりあってしまう。オモイカネ……ワイズが天記神を幽閉した空間。この白い霧は結界で、来るものも一本道、帰るものも一本道。天記神のみ、この唯一の道すら閉ざされている。ただ、こちら側は弐に入る方面なので、一般神は来ない」
メグはただ真っ直ぐに真っ白な空間を歩いているだけだ。
「天記神さんはずっと図書館周辺から出ていない……」
「そう。出ていない。彼女の……彼? の世界を知る方法は本と木のみ」
メグは淡々と進み、気がつくと宇宙空間を飛んでいた。
「宇宙空間になってる……」
「弐に入ったんだろうねぇ」
リカは驚き、栄優は下方に絡まるネガフィルムを見据えた。
宇宙空間を進んでいる時、テレパシー電話……神力電話が栄次の頭に響いた。
「……プラズマか? 今はどこに?」
栄次の回線に叫び泣くアヤの声も響く。
「アヤになにがあった? 大丈夫なのか!」
「とりあえず、聞いてくれ。こばるとを助ける前にこばるとはアヤの神力で縛られている。だから今、アヤの神力を最低にした。今なら引っ張り出せる。こっちは心配するな。現在はアヤの世界に落ち、トケイが行動不能となっている」
プラズマの報告に栄次は眉を寄せた。
「まさか、アヤの神力を逆流させたわけではあるまいな?」
「……近いことをした。アヤの神力を最低に落とせない事情があったため、物理的に神力を低下させた」
それを聞いた栄次は顔色を悪くした。
「アヤを苦しめたのか」
「殴り合いになっちまった」
「殴り合いだと! 相手はアヤだぞ!」
「……罪悪感はあるよ。二発殴って一発腹にいれた。思い切りはできなかったよ。アヤも俺を殺しにくるからさ……。やるしかなくて。アヤは小柄で華奢な女の子……やりにくかった」
「なんだと。一体何が……」
栄次が絶句していると、プラズマはさらに言葉を付け加えた。
「アヤの世界内のアヤに過干渉してしまってアヤの感情が爆発した。今は大泣きしてるから、寄り添っている。こちらは心配しなくていいからこばるとを救ってくれ。以上だ」
「……わ、わかりました」
栄次はとりあえず返事をし、通話を切った。
「栄次さん、アヤに何が?」
「プラズマとアヤが殴り合ったらしい……。アヤの神力を最低まで落とせなかったためだというが……」
「え……プラズマさんと殴り合い? アヤが?」
リカは顔色悪く栄次を見上げた。
「よくわからぬが……大丈夫とのこと」
「あの赤髪の兄ちゃん、そんなに攻撃できそうにねぇから、小柄な彼女が兄ちゃんを攻撃したんだろ、最初に。アヤのお嬢さんは自分の心に踏み込まれて怖かったんだろうね。自分の主で高身長の男に殴りかかるなんて尋常じゃあないよなぁ」
「……アヤは生活環境からプラズマのような背の高い男に睨み付けられることに恐怖を感じている。暴力とは無縁の彼女が豹変したと兄者は思うのか」
「ワシら人間派生の神は人間臭いもんよ。心の中なら理性がきかないだろうねぇ。人間の心なら、被害者の世界にもし、加害者が入ってしまったら永遠に苦しまされたり、猟奇的なことになるだろうさ。何度も殺されるかもしれん。そういうもんだ。色んな感情がおさまらなかったんだろうぜ」
「確かに、そうかもしれませぬ」
栄優の言葉に栄次は頷いた。
「……そりゃあそうだよね……。アヤがこばるとさんを殺してしまったようなものだし……」
リカは目を伏せ、こばるとを救出した後のことも考え始めた。
「ここ。ワールドシステムの端」
メグが何もない空間で立ち止まり、指を滑らせる。
「……?」
一同はメグが指先で何かを描いているのを訝しげに見つめた。
メグは五芒星を描いていたようだ。指を離した瞬間に光が五芒星からもれる。
続いてメグはワダツミの矛を出現させ、五芒星をつついた。
「あと、リカ、あなたの血を」
「アヤの血じゃなくてもいいのかな」
リカが尋ねるとメグは小さく頷いた。
「アマノミナカヌシが楔だから……大丈夫かなと」
「わかった。……いたっ……」
リカは霊的武器「ナイフ」を出すと指の皮を薄く切った。
「リカ、切りすぎだ……」
栄次が慌ててリカの指を抑え、止血をする。血が五芒星に落ちた瞬間、リカ達はワールドシステムに飛ばされていた。
二話
ワールドシステムに入ったリカ、栄次、栄優は静かな海辺の世界にいた。夕焼けの空が広がっているのに太陽がない。
この世界は正確に言うとまだワールドシステム内ではない。
メグはワールドシステムをつなぎ止め、後から来るナオをこちらに入れるべく、一緒には来なかった。
「えーと、ここからどうやって黄泉を……」
リカが眉を寄せていると、剣を楽しそうにまわしながらスサノオが歩いてきていた。
「よお」
「……スサノオさま……」
リカが挨拶をしてきたスサノオを警戒する。
「そろそろ自覚してきたか? 壱と伍を守ると騒いできたお前が壱を変えていっているのを。もう元の壱じゃねぇことを」
スサノオはリカに会って早々、そう言った。
「……はい。もうなんとなくわかります」
「アマノミナカヌシ。お前が来てからずいぶんと、知らん時神が増えた。オモイカネは怒っているだろうな」
スサノオは楽しそうに笑っている。
「あの時とは状況が変わった。壱の神が伍を思い出してきている。壱と伍が繋がる! 戦がまた起きるのか見物だ」
「戦争は嫌です。壱と伍を守る気持ちはありますが、無理に繋げる気持ちはありません」
リカは冷や汗をかきながらスサノオを見た。
「お前はどちらにしろ……、壱を壊したんだ。おもしれぇ。マナ、やはりこいつはお前の思い通りに動いているぞ! 思想は真逆だがね」
スサノオはリカを見て笑っている。リカは眉を寄せ、冷や汗を拭った。
「私はマナさんの思い通りには動いてません!」
「あー、そう。くくく……お前、いままで自分がやったこと、わかってねぇな? 三直線にいた時神をひとつにまとめたことで、エラーが出たやつがいっぱい出た。得たいの知れない時神が増え、穏やかに過ごすはずだった現代神の記憶を呼び覚ますきっかけを作り、想像だったやつに感情を戻した。世界平和にしたはずのアマテラスを裏切り、未来神の統合時代の記憶を黄泉から引っ張り出している。さあ、次は何をしてくれる? 壱から壊すなんてやるじゃないか。やはり伍の時神が壱を統べるようになるのか? マナのシナリオ通りだな。あいつはすごい」
「……」
スサノオの言葉にリカは黙り込んでしまった。時神や壱を守ろうと動いたはずのリカはスサノオにそう言われ、自分がやったことが正しかったのか考えさせられた。
マナのシナリオ通り……。
その言葉が引っ掛かる。
「……」
リカは拳を握りしめ、下を向いた。わからなかった。リカは良いと思ったことをした。壱を壊すつもりなどない。
不思議と苦しい気持ちになった。
「リカ、迷うな。お前が抱えているものはとても大きい」
横から栄次が口を開いた。
「私……あってたんですよね?」
リカは心を乱され、心配そうに栄次を見上げた。
「……何が正しいか、俺はわからぬ。ただ、お前の選択は今のところ、マナという神と真逆に沢山の神を救っている。時神はお前の選択で不幸になってはいない。ひとりで戦わなければならなかった俺達をひとつにしたことは皆、感謝をしていると思うぞ」
栄次は個人的な気持ちを話した。リカは少しだけ気持ちが救われた。
「スサノオさま、私達はもう一柱の現代神を助けなければなりません。黄泉を開かないといけないんです」
「あー、わかるわかる。黄泉を開いたら壱と伍はまた近くなる。お前、こういう考えはできないのか? 壱と伍は思想から違う。もし再び繋がったら両方のデータで打ち消しあって世界が滅ぶと。一回、お前、消えかけたろ? 自分を想像物にすることで消えずにこちらに存在できたこと、忘れたか」
「……でも、黄泉にはこばるとさんが……」
リカはスサノオの言葉を理解できたが、目の前の神を救わないとと思っていた。壱と伍を守るという抽象的な部分は後回しにしてしまった。
これで良いのか。
マナがどこかで言っていた。
結局は同じ結末になると。
リカとマナは真逆に動いているはずだが、結末は同じになるのか。
「正義だけで動いていたら痛い目を見るぜ、アマノミナカヌシ、リカ」
スサノオはリカを射貫き、リカは体を震わせた。どうすれば良いかわからなくなった。
「私がやったことは……正しいんですよね? ね?」
リカは先程より不安定に栄次に尋ねた。
「少なくとも、今の俺達にとっては正しいと思うぞ」
栄次はそう言ったがリカは心にモヤがかかっていた。
……黄泉を開いていいのか。
リカに迷いが出る。
「お嬢さん、何してんだぁね? 黄泉を開いて時神を助けるんだろ?」
栄優にもそう言われ、リカは混乱した。
「待ってください。黄泉は開かない方がいいかもしれません……」
「なんでだぁね?」
「あ、あの……それは……」
リカは急に板挟みになってしまった。
「立花こばるとを助けるんだよなぁ?」
「助けたいです……が……」
「あっははは! 勢いがなくなっちまったな! お前のデータでも迷えるのか」
スサノオは何がおかしいのか狂ったように笑っている。
「ちょっと遊んでやろうか? また運命でカケをしよう」
「……?」
「世界が何を考えてるのか知りたいだろ? 破壊と破壊。違う方向性でも同じに進む矛盾。壱を直接破壊する俺と壱を間接的に破壊するお前、どっちが生き残ると思う? たまらなく楽しくなってきただろ?」
「……」
リカは何も言えずに下を向いた。壱を間接的に壊している……そう言われてしまうとそうだ。
マナの言いなりに動いたこともあったが、それは自分の意思だった。意思だと思っていた……。
……意思なんだろうか?
それは本当に自分が考えた行動だったのか?
自分の気持ちはどこにあるのだろうか。
「リカ!」
ぼうっとしていたリカを栄次が引っ張った。リカの鼻先に剣先がかすった。
「ひっ!」
リカは我に返ると震えた。スサノオがリカめがけて剣を抜いたのだ。栄次が反応しなければ斬られていたかもしれない。
「避けた避けた。お前を野放しにしても問題はなかったが、俺は振れるんだ。そういう神だからな。試したくなった」
スサノオは剣で栄次に斬りかかった。栄次と栄優は霊的武器、刀をそれぞれ構えた。
「お前はこれで……」
スサノオは前回栄次を一撃で気絶させた神力を飛ばす。間に栄優が入り、結界を張った。
「何やってんだね? 結界くらい張れないのかい?」
結界はもろく崩れ去ったが無傷で抜けた。
「……結界を俺は張れないのです……兄者」
「あー、そうかい。じゃあ自力で神力を避けな」
栄優はすぐにその場からいなくなり、スサノオの後ろに現れた。刀を横に凪ぐ。しかし、スサノオは軽く避け、砂浜に着地した。
「いい速度だな」
「ありゃ? 避けられたか」
栄優が不思議そうにスサノオを眺めた刹那、スサノオの後ろを再び取ったのは栄次だった。
「おっと」
スサノオは栄次の鋭い斬撃を軽くかわして砂浜を蹴った。
「兄者!」
栄次が叫び、栄優は突っ込んでくるスサノオを飛んでかわした。
飛んだ先に神力のかまいたちが勢いよく滑り込み、栄優は刀を構えて受け止めた。
かまいたちは栄優を抜けて海の彼方へ飛んでいった。
「なんじゃ、あれはっ! すごいもんが飛んできた」
「兄者、上です」
栄次が栄優の上から叩きつけようとしたスサノオを飛び上がって斬りつけた。栄次にも神力のかまいたちが渦巻き、スサノオを襲う。
「お前もできたか」
スサノオはなんだか楽しそうに剣で栄次のかまいたちを斬った。
「あれは斬れるのか……」
「なんだ、それは。ワシにもできるかいな?」
栄次が頭を抱え、栄優は栄次のかまいたちを目で見て学んでいた。
リカはそんな人外な戦闘を眺めながらアマノミナカヌシの槍を手に持ち、動けずにいた。
……私がひとりだったら初撃でやられていたのだろうか。世界は私に味方せず、データが間違いだったと思われていたのだろうか?
自分に意思はあるのか?
世界が決めたデータを世界のシナリオ通りにやっているだけなのか?
……私はマナなのか?
相手のスサノオに意思はないのか?
スサノオは反対勢力のデータとして今回は私達の前に立ったのか?
リカは眉を寄せた。
「わからない」
……私達はマリオネットなのか?
「わからない」
……いっそのこと、戦うのをやめたらどうなる?
……斬られて死ぬ?
……世界から見て私の方のデータが間違ってたということになるのか?
斬られて死ぬことを想定しているのも世界のシナリオ通りなのか?
「わからない。どうしたらいい?」
リカは動けずにスサノオと栄次、栄優の戦いを見据えている。
「負けてみて……試す……か?」
リカは震えながら槍を握りしめた。
「やめときなよ、アマノミナカヌシ、リカ」
ふと少年の声が聞こえた。
「だ、誰?」
リカは怯えながら辺りを見回した。下から黒い髪が見えたので、慌てて下を向いた。
ネクタイにワイシャツの黒い髪の男の子がリカを見上げていた。
ルナと同じくらいか下か。
それくらいの少年だ。
「えーと……」
「僕はアマノミナカヌシ、ミナト。君は君の通りに動けばいい。僕も僕の通りに動いた。今回はナオが世界のシステムを変えようとした結果だ。スサノオは怒っているだろう。高天原西、剣王もスサノオの神力を宿しているため、ナオに容赦はしないと思われる。時神にそれを思い出させた君に罪があるのかないのかはわからない。でも、今回はこばるとを救ってほしい」
ミナトはかわいらしい瞳でリカを見ていた。リカは眉を寄せる。
「アマノミナカヌシ、ミナト……。あの手紙の……」
「そう。僕は……観測が仕事なんだ。だから君のように世界を変える力はない」
ミナトを見てリカは思った。
この子のデータはなんだと。
この子の存在は世界にとってどこの位置付けなのかと。
アマノミナカヌシはマナやリカの他にもいるようだ。
世界はリカの一存では決められないようになっているようだが、ミナトは世界が考えるシナリオにそって現れたのではないかと。
……なら、殺してみたらどうなる?
リカは知らずに危険な思考になっていた。
……彼を殺してみたらどうなる?
世界は傾くのか?
「リカ! 大丈夫?」
ミナトに声をかけられ、リカは我に返った。
……なに、考えてたんだろう。
そんな怖いことを考えてはダメだ。彼は善意で私に話しかけている。私を頼っている。
神をデータで考えて、消去だ、同調だとどうして言えるのか。神には個々に感情があって個々に動いているじゃないか。
「大丈夫。ごめんね。こばるとさんを助けたいのは何故なの?」
リカはとりあえず聞いてみた。
「ナオさんを止めたんだ。僕はこばるとさんを見ていた。ずっと見ていた。ナオさんを止めるために発した助言を使われて、僕は焦ったんだ。こばるとさんにはかわいそうなことをしてしまった。ずっと観測していたのに、彼に干渉してしまった」
「同情みたいな感じか」
「そうかもしれない……。僕は誰かが助けてくれるはずとせめて記憶などをこちらの世界に留めてバックアップをとった。人間の歴史管理をしている歴史神ヒメさんがそれをやっていたようだから、僕のやったことは無意味かもしれなかったけど」
ミナトは悲しそうに目を伏せた。リカは世界が「神は感情で動くもの」と伝えてきているのかと疑った。
リカは頭を振った。
「違うよね……」
リカは思い直して、前を向いた。栄次、栄優がスサノオと戦っている。
「ねぇ、スサノオさまが運命を試そうとしてきたんだけど、どうしたらいいと思う?」
「……ちょっと退場してもらおうかな。壱と伍がどうせ近くなる運命なら、試す必要なんてないさ。過去神栄次さん、歴史神栄優さん、あのふたりは強い。スサノオさんの隙をついて僕が彼をこの世界から出そう。そもそも彼らは伍の世界の神。ここはツクヨミさんが守る世界だけど管轄しているのはワダツミのメグさんだ。どうやって入り込んだのか」
ミナトはかわいらしい顔で眉を寄せ考えると、三柱の戦闘を眺めた。
「ワシにもできたぞ! かまいたちだぁ」
栄優が神力を纏わせた刃をスサノオにぶつける。スサノオは軽く避けたが視界外から飛んできた栄次に気づかず、鼻先に刀がかすった。
「いいなァ! 歯応えがある」
スサノオはすぐに飛び上がった。楽しそうな栄優が上からスサノオを袈裟に斬ろうとしたからだ。スサノオはうまく避け、砂が勢いよく舞った。
「まーた、避けたんかい」
栄優はスサノオが着地する部分に向かいかまいたちを放った。
砂を巻き上げて飛ぶ斬撃にスサノオは初めて結界を張って防御した。派手な音を立てて斬撃は海の彼方へ消えていく。
「へぇ」
「初めて結界を使ったな?」
「さすが武神を宿した藤原家。時神過去神共になかなかだ」
スサノオは栄次と栄優に鋭い攻撃を繰り返しながら言う。
「なんか偉そうだねぇ」
「藤原は鎌足の時代からタケミカヅチの神力を宿しているよな」
「……?」
栄次と栄優は眉を寄せながらスサノオの剣、アマノムラクモを危なげにかわしながらそれぞれ神力をぶつけていく。
「気がついてはなかったんだな? 愉快愉快。お前らはタケミカヅチの神力を持っているんだよ。なあ、過去神聞け、お前の兄が受け継ぎが濃厚のようだ。似ているだろ? アイツに」
「……」
スサノオは剣で栄次、栄優の神力を斬り、結界を張ることなく抜けた。
「なーに言ってんだかねー? それよかもうちょい楽しませて……」
「兄者」
栄優が楽しそうにしているのを栄次が止めた。
「なんだね?」
「高揚しすぎです」
栄次に言われ、栄優は慌てて神力を落とした。
「いけない、いけない。すぐに神力が制御できなくなっちまいましてね」
「さあて、そのタケミカヅチの神力の元は誰だ?」
スサノオは口角を上げた。
突如、栄次と栄優は固まり、瞳が黄色に輝くと『エラーが発生しました』とつぶやいた。
「アッハハハ! またエラー!」
「そう、あれはどういうことなの?」
リカはアマノミナカヌシ、ミナトに気味悪そうに尋ねた。
「あれは……アマテラス、ツクヨミ、スサノオを思い出さないためのロックだよ。もうそろそろ、意味をなくしそうだけど」
「君がやったの?」
リカの問いにミナトは首を振った。
「いや、僕じゃない。ナオだ。でもこちらは罪にならない」
「どういうことなの?」
「そのうち、わかるよ」
ミナトははぐらかすと前に進み出た。戦闘が中断し、スサノオが隙を見せている。
「アマノミナカヌシが干渉。弐の世界、管理者権限システムにアクセス『排除』」
ミナトが神力を放出し、スサノオに向けて放った。スサノオは驚きの表情を見せた後、海の世界から消えていった。
三話
「ありゃ? 消えちまったな。ワシら、どうなってたよ?」
栄優の瞳が元に戻り、不思議そうに栄次を見ていた。
「……? なんだ? わからぬ」
栄次も元に戻り、眉を寄せる。
とりあえず、武器をしまった。
「今回は僕と君で黄泉を開こうか。ナオさんと栄次さんにはこばるとさんの心と記憶を探してもらう」
ミナトは手をゆっくり下ろすとリカにそう言った。
「私、いつもなんとなくでなんとかしてたんだけど、今回もそれで大丈夫……?」
「たぶん、大丈夫だよ。僕もそんな感じだから」
ミナトはリカに子供らしく微笑んだ。栄次と栄優がこちらに気付き、顔を曇らせながら歩いてきた。
「で、今度はどちらさんで?」
栄優が半笑いで尋ね、ミナトはお辞儀してから答えた。
「僕はアマノミナカヌシ、ミナトです」
「ミナト……どっかで聞いたなァ……。ああ、あの紙を送ってきた……」
「そうです!」
「ずいぶん小せぇ子だねぇ。子供かい?」
「まあ、子供かな」
栄優は子供が好きなため、かわいい、かわいいと頭を撫で始めた。
「えーと……す、スサノオさんは僕が追い出しました。はい。それで……これから歴史神の栄優さんと過去神の栄次さんでこばるとさんの記憶と心を見つけていただいて……」
ミナトは頭をぐいぐい撫でられながらなんとか言葉を発した。
「ワシはなーんもわからんがねぇ?」
「えーと……」
「それは私が、やります」
栄優の返答に困っていたミナトはナオの声を聞き、振り向いた。
後ろからナオが歩いてきていた。
「ああ、ナオさん」
ミナトがなんとも言えない顔でナオを見る。ナオはメグに世界へ入れてもらったようだ。
「やるべきことは終わりました。後は……黄泉を」
ナオは肩で息をしていた。
「ナオ、神力の低下が激しい……。少し休め……」
栄次はナオにそう言葉をかけたが、ナオは目を伏せ、首を横に振った。
「私は……正直、やってしまったことを悔いています。彼を消滅させようとしてこうなったのだから、今となっては自業自得。少しでも罪を軽くします」
「……そうか」
栄次は否定はせず、静かにそう言った。
「ミナトくん、どうやって黄泉を開くの?」
リカが冷や汗をかきながら尋ね、ミナトはリカに手を伸ばしてきた。
「僕と手を繋いで、神力を流す。黄泉は一回開いているんだ。ハッキングしなくてもアマノミナカヌシの権限二つくらいで開くはずだよ」
「そんな簡単に……」
「今回は『アヤ』だから。開くよ」
ミナトの言葉にリカは眉を寄せる。
「ああ、『アヤ』さん、あの神は時神現代神のバックアップの他、アマノミナカヌシの神力もあるんだ。彼女は自覚せずに壱に存在する神。何を言ってもアマノミナカヌシの神力を自覚することはないが、感情により破壊に染まったりする世界のヘソの部分だ」
「な、なんだって!」
この話はリカだけでなく、栄次達も驚いていた。
「アヤさんは……創造神の一柱なんで、トケイさんっていう異次元な神を作りだせたんだよ。アヤさんが破壊の神力を半分与えたようだけど。つまりトケイさんはアヤさん次第なんだ」
ミナトはリカと手を繋ぐと海へ向かい、神力を流した。
リカは背筋が凍った。
リカがループを繰り返していたあの時、毎回なぜかアヤに会っていたこと、ワイズがアヤに『ワールドシステムの鍵』だと言っていたことなどを思い出す。
ワイズはどこまで知っているのだろうか。
「ね、ねぇ……ワイズは……」
「ああ、あの神は全部知ってるはずだよ。側近に天御柱(あめのみはしら)がいて、アマノミナカヌシと並ぶ世界創造の一柱、タカミムスビの子供だ」
ミナトは海に神力を流した後、五芒星を描く。
「黄泉を開きます。栄次さん、ナオさん、お願いします。トラッシュボックスからこばるとさんの心を見つけてください」
「わかるものなのか?」
栄次が不安げに尋ねる。
「わかるよ、過去神なんだから」
ミナトに言われて栄次はナオを見た。ナオは電子数字で黄泉の情報を理解していた。
黄泉が開く。
小さな浮き島に社が刺さっている青い空の空間が見え、衣を着た女性が不気味に笑っている。
「イザナミ……」
ナオは小さくつぶやく。
「……こばるとの心とはどこにあるんかいねぇ?」
栄優は眉を寄せて浮き島の世界を眺めていた。
「……導かれる……」
栄次は遠くを見るような目で黄泉の中を見始めた。
……こばると……どこだ。
栄次が探していると、こばるとの声がした気がした。
……ここ。ここに……いる。
「助けにきたぞ」
栄次が手を伸ばした刹那、ただずむ女神がこちらを向いた。
「黄泉は黄泉だ。逃がさない。黄泉は入れば逃がさない。あの男のようにはならない。イザナギは……」
「……栄次さん!」
女神、イザナミが栄次を黄泉へ連れ去ろうとした。リカは栄次を引っ張り、こちらに戻した。
「あの女神さんが邪魔をするようだねぇ」
栄優は手から霊的武器「刀」を出現させた。
「入らないとこばるとに手が届かん……」
栄次は何もない空間を見据えながらそう言った。栄次しかこばるとのデータが見えていないようだ。
「……わたくしが……黄泉をミナトさんと繋ぎます。リカさんと栄次さん、栄優さんはイザナミ様をかわしながらこばるとさんを連れてきてください」
ナオは暗い顔でリカ達を見た。
「ナオさん……信じて大丈夫……?」
リカは訝しげにナオに言う。
「信じられないのもしょうがないんですけども……信じていただきたいです」
「わかった」
リカは黄泉へ入る決断をした。
「僕はナオさんと黄泉を繋ぐよ。以前入ったイザナギがなぜトラッシュボックス内で無事だったのかというと、桃とタケノコ、ぶどうのデータを持っていたからだ」
「なにそれ……?」
リカはタケノコと桃とぶどうを持つ男性を想像したが奇妙でよくわからなかった。
「リカ、君はすべてのデータを持っている。だから、栄次さんと栄優さんを導くんだ」
「うーん……よくわからないけど、やるしかないか」
リカは眉を寄せつつ頷くと、栄次、栄優と共に黄泉へ足を踏み出した。リカにはこばるとの心がどこにあるかわからない。
「私がこばるとさんの心をこちらになるべく引いてきます。黄泉へ入ってください」
ナオがそう言うのでリカは完全に黄泉に入り込んだ。
黄泉へ入ってすぐに栄次が何かを目で追っていた。
「栄次さん?」
黄泉へ入ったらすぐに青空の世界だったが不思議と落ちることはなかった。
「あちらに……こばるとの……」
栄次がそうつぶやき、リカは栄次の通りに動くことにした。
栄次が何かを掴もうとした刹那、栄優が何者かの攻撃を刀で防いでいた。
「……っ!」
栄優が刀で受け止めた相手は衣を着た女神、イザナミだった。
「カグヅチ」
イザナミはゼロ距離で栄優に強力な炎を放った。
「燃える燃える!」
栄優は慌てて結界を張った時、巨大な爆発がおこった。
「あっぶね……」
栄優は結界で爆発を防御し、終わったらすぐに飛んで避けた。
栄優の足元に再び爆発が起きる。
「カグヅチ! 燃やしておしまい!」
「栄次、リカのお嬢さん、やるべきことをやんなせぇな。ワシはちょいと」
栄優は炎を刀で斬り裂くとイザナミを見た。
「醜い醜い! 見たな! あっはははは! ヤクサノイカヅチ! 黄泉から出られると思うなよ、私の醜態を見にきた男よ」
イザナミは強烈な雷を多数落とし、栄優を仕留めようと動いた。
「私を見たなぁ? 笑いに来たのか? イザナギのように泣いて帰るのか? 今回は逃がさぬよ」
「イザナギじゃないわい、ワシは」
栄優は雷を避けながら刀で雷を斬っていく。イザナミは遥か高い神力。対応できる栄優はやはり、タケミカヅチの力があるのか。
「避けるな、避けるな、当たれよ、ねぇ?」
イザナミは不気味に笑いながら栄優を炎で囲む。
「なるほどねぇ、イザナギって男、あんたに会いに黄泉に行ったのに、あんたを見て逃げ出したのかぁ。まあ、なんだかねぇ」
栄優の発言でカグヅチの炎が高くなる。
「色々あるもんだぁね。このカグヅチさんを産んだせいであんたが死んで、イザナギがカグヅチさんをアメノオハバリで斬ったとな。その血から産まれたのがタケミカヅチさんってか」
栄優はなんとも言えない顔でつぶやいた後、力強く炎を斬り、前をあけた。
「ま、ワシには関係ないけどな」
栄優はにやつきながらそう吐き捨てると神力を高め、刀を向けた。栄次とリカを確認する。
栄次が何かを引っ張っていた。
栄優には何も見えない。
「うまくいってんのかいな?」
あきれた声をあげた栄優はイザナミの雷を飛んでかわしながら刀で雷を斬って行った。
四話
一方、リカと栄次は何かを引っ張っていた。リカには見えない。
「栄次さん、そこに何かあるんですか?」
「……こばるとの数字の塊が見えるが……これを引っ張ることで良いのかわからぬ。ナオが近くにこばるとを引き寄せたのだろう。かなり近くでこれを見つけた」
「そうですか。私には何も……」
「それより、兄者が大変だ。さっさと黄泉を出るぞ」
栄次は楽しそうにしている栄優を心配した。スサノオに会ってから戦いたい欲望から抜け出せていない。かつて栄次も更夜と戦闘になった際、この気持ちを抱えた。
戦いは好きではなかった栄次が戦闘を楽しんでしまっていた。
「栄次さん、この世界、下に落ちませんね」
リカは不思議だった。島が浮遊している世界で地面がないのだが、なぜか浮けるのだ。
「……この世界は不思議だ。俺もよくわからない」
「連れ去るなァ! 黄泉のものを持ち去るなァ!」
イザナミがこちらに気がつき、血相を変えて襲ってきた。
栄優がイザナミが出す雷を簡単に斬っていき、炎を結界で防いだ。
「慣れてきたよォ。これならなんとかなるぞ」
栄優はなぜか挑発をし、イザナミを怒らせる。栄次とリカは目の前に立った栄優を冷や汗を流しながら見つめる。
「兄者、刺激はしないでください! あの神は黄泉の女王イザナミだ……」
そこまで言った栄次の瞳が再び黄色に輝き、エラーを告げた。
「栄次さん?」
リカに揺すられ、再び意識を戻した栄次は先程の発言を忘れてしまっていた。
「あ、ああ、兄者、刺激はいけません! そのまま黄泉から……」
栄次が栄優に声をかけながら目を見開いた。栄次の足が霞んで消えていた。
「なんだ……」
「栄次さん! 足っ!」
リカも異変に気づき、叫んだ。
「なんじゃあ? これは」
栄優も体が消えていた。
「あっはは! ここは黄泉だもの当たり前でしょ? おバカさん」
イザナミの高笑いが聞こえる。
ふと、神力電話が響いた。
「ヤクサノイカヅチが壱の神を侵食し始めました! 黄泉は桃、タケノコ、ぶどうのデータがないと消滅してしまいます! リカさんだけが持っていて、リカさんがふたりを上部だけ守っていたのですが、時間切れになりました! 早く、黄泉から出てください!」
「ありゃ……」
栄優の霊的武器、刀が急に溶けてなくなった。
おそらく、ヤクサノイカヅチを斬ったことでデータを取り込んでしまったのだろう。
「兄者、早く出ましょう」
栄次が栄優と逃げ始め、リカはとりあえず結界を張った。
「意味があるかわかりませんけど、結界を張ります!」
イザナミは雷を飛ばし、炎を渦巻かせて三柱を追う。
「黄泉のものを持っていくなァ!」
怒っているのかなんなのかよくわからない神だ。話は通じなさそうなので、雷や炎を避けながらひたすらに走る。
黄泉を開いているミナトとナオが見えた。
「はやくっ!」
ミナトが叫んでいる。黄泉の裂け目はだんだんと小さくなっていた。
「こばると……助けるぞ」
栄次はつぶやき、なにもない何かを握りしめた。
「間に合わないか!」
「だ、大丈夫です! 私がなんとか!」
リカは炎と雷が渦巻く中、手を前にかざして神力を上げる。頭に電子機器の電源マークが浮かび、霊的着物に変わったリカは叫ぶ。
「アマノミナカヌシが命じる! 黄泉を『開け』!」
リカが叫んだ刹那、何かが弾ける音が響き、辺りが真っ白になった。
パァン! とガラスが割れたかのような音が響いたと共に、リカ達は砂浜に叩きつけられていた。
「ま、間に合ったね!」
すぐにミナトの声がし、ナオがその場に腰を落とした。
「はあはあ……皆無事です?」
リカはすぐに起き上がると栄次と栄優に目を向けた。
「あ~、ワシは問題ないねぇ」
「俺も大丈夫だ……」
リカに答えてから栄次は前を向く。リカも栄次の方を向いた。
「あ……あの子は?」
リカが不安げにつぶやいた先で幼い黒髪の男の子が裸で倒れていた。意識がない。
「こばると……やっぱり、だいぶん破壊されてる……」
ミナトが半泣きで少年に駆け寄った。少年は所々、存在が確認できず、体が消えたり現れたりしていた。
「……こばると……なのか」
栄次は胸を痛めながらゆっくり近づき、顔を見た。
幼年すぎる。
栄次はそう思った。
こばるとは十二歳だったが、この少年はまだ六歳にもなっていなさそうだった。
「生きているのか」
栄次がミナトに尋ねた。
「……存在はできているけど、元のこばるとかはわからない」
ミナトの発言に栄次は目を伏せた。
「……こばるとさん……ごめんなさい……」
遠くでナオが泣きながら顔を覆っていた。
「どうすれば良いのだ?」
栄次は栄優から羽織を受け取り、少年にかけた。
「メグを呼んで彼を連れ帰ってほしい。……存在ができなかったらあきらめて……」
ミナトはそう寂しそうに言うと、世界から消えていった。
「ミナトくん……君がいないと私達はどうしたら?」
リカの不安そうな声を残し、海の世界は静寂に包まれた。
「連れて帰ろう。アヤとプラズマにも彼を見てもらう」
栄次は少年を抱き抱えるとリカを見た。
「そう……ですね」
リカもそう言わざるを得なかった。
「ナオのお嬢さん、自分の罪の重さを感じて償うんだな」
栄優は泣いているナオに手を伸ばし、優しく立たせてやった。
データを壊された神
プラズマはアヤの世界で栄次の報告を聞いていた。栄次は気をつかってアヤには通信しなかった。
プラズマはアヤを刺激しないように黙ったまま聞いていた。
「わかった。そちらに向かえたらまた、電話するよ。それまで……誰も迎えに来なくていい」
プラズマはアヤの肩を優しく抱きながら気分の悪い報告に返答した。
「……この世界から……出られるか」
プラズマはいまだ泣き止まないアヤの背中を撫で続ける。
「……こんな状態だからな。俺はアヤの空白を埋められない」
「立たなきゃ……」
アヤから小さな声が漏れる。
「立たなきゃ……」
「……無理すんなよ」
プラズマはアヤの顔を見ずに答えた。
「トケイを元に戻さなきゃ……」
アヤは動かなくなってしまったトケイを優しく触った。トケイは意識を取り戻し、不安そうに辺りを見回していた。
「アヤ、プラズマ……? 僕はどうなっていたの? ここは?」
「トケイ、なんか不調はあるか? アヤがお前を戻したんだ」
「ないね……。ごめん! 僕、またなんか破壊システムになってた?」
「いや、破壊システムになるのはあんたのせいじゃない」
プラズマは不安定なアヤを見た。
「なあ、アヤ、あんたのこばるとに対する人間最後の感情はなんだった?」
プラズマに尋ねられたアヤは拳を握りしめる。
「……まだ死ねない」
アヤが小さくつぶやいた。
「まだ死ねない。あの子を置いていけない。私は、まだ、死ねない。私が守らないと。あの子のために生きないと」
「それが最後か」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、あんた、ここにいちゃダメだろ。子供のために生きようとしてたんじゃないか。生きて彼を助けるんだろ。彼は救出されたようだ。あんたはいいお母さんだったんだな。あんたの息子はまた、あんたの愛を求めているはず」
プラズマに言われ、アヤは涙を浮かべながら上を向いた。
「そうかしら……」
「愛を求めているのはそうかもしれないよ。初めてアヤに会った時、僕すら皆忘れてて、悲しくなった。だから忘れられたり、気にかけてもらえてないと、きっとこばるとは悲しいと思う」
トケイは自分の気持ちを素直にアヤに伝えた。
「……そうよね」
「こばるとに会うなら僕が連れていくから、そろそろアヤはこの殻から出よう。ひとりでいることも、なぐさめてもらうことも大事だけどね、助けてほしいと願うこばるとをほったらかしにするのはダメだよ」
トケイはアヤに語りかけるように静かに言葉を発した。
アヤの気持ちの代弁でもあった。
「僕も、君から産まれた息子と同じようなものだから、僕の気持ちはたぶん、こばるとと同じだ」
「わかったわ。あなたは私が立ち上がるツバサを与えた。あなたは私の希望。あなたは私にもツバサをくれるのね。こばると君に……会いに行くわ」
アヤはトケイの肩を優しく撫でると立ち上がった。
「大丈夫か、アヤ」
「……わからない。また、ダメになってしまうかもしれない。でも……進んだり戻ったりするのが人だもの。私は人として歩んだ人生を大事にしたい。だから……こばると君に会ってみる」
アヤは胸の前で手を組み、静かに答えた。
「立派だよ、アヤ」
プラズマがせつなげに微笑み、トケイは力強く頷いた。
「こばるとは更夜の所に移動させているらしい。行こうか」
「うん」
不安げなアヤの手をプラズマが強く握った。
※※
銀髪の青年更夜は栄次が連れてきた少年を見て眉を寄せた。
「そいつがこばるとか」
「ああ、そうだ。意識どころか存在まで危ういのだ」
栄次が抱えている少年は消えたり現れたりを繰り返し、虫の息だった。
「生きているのか」
更夜は険しい顔のまま、とりあえず布団を敷いた。
「わからぬ」
栄次はこばるとを布団に寝かせた。
「歴史神達はどうした?」
「彼らは天記神に報告に行った。これからどうするか、天記神の意見を待つ。ワダツミが送迎をしてくれた」
「そうか」
更夜は机に座っているリカに目を向けた。サヨがなんとも言えない顔でリカに昆布茶を出す。
「まぁ、複雑だよね~……。アヤの気持ちを思うとさ、今のこの子見て、どう思うんだろうね?」
サヨは自分の昆布茶も用意すると、食卓についた。
「うん、それが心配だよ、サヨ。私は彼を黄泉から連れ出すことしかできなかった。もしかしたら、黄泉に彼の欠片を残して来ちゃったかもしれない」
「それを考えたらきりないよ、リカ。どうしたら意識が回復するかなぁ?」
隣の部屋で聞き耳を立てているらしいスズとルナはなんだか静かだ。
「ルナと同じくらいだね、あの子」
「いや、本当は十二歳らしいんだけど、助けた時に五歳くらいになってたんだ」
リカの言葉にサヨは唸る。
「うーん……神力の低下が原因なのかな?」
「それもよくわかんないんだけど、神力がギリギリなのはそうだね」
「神力……渡してみる?」
サヨが手から水色の時神神力を炎のように出す。
「渡してみようか……」
リカは考えた。
これは正解なのか?
彼を戻す行為は善なのか?
そもそも元に戻るのか?
これによりエラーは出ないのか?
リカには世界を変えてしまう力がある。決断しないと先に進めない。
「渡してみよう」
リカは神力を渡すことにした。
倒れているこばるとの前にリカとサヨは立った。
「神力を渡してみるのか?」
更夜に尋ねられ、サヨが頷いた。
「皆で少しずつ渡してみない?」
サヨがそう言った刹那、歴史神の天記神から連絡が入った。
「こばるとさん救出、ありがとうございます。情報の解析をしたところ、神時代の時神に戻すことはできませんでしたが、人間部分の破壊はされていなかったため、神力を持ち始めた五歳あたりに戻っています。神力をそのまま与えて様子を見てください」
「やっぱり、それで良かったんだ」
サヨが微笑み、リカも頷いた。
「アヤが来るまでに意識の回復を目指そう」
「ただ、彼は……元の彼にはならないかもしれません」
天記神の言葉に一同は顔を引き締めたが、それでも時神はこばるとを救うことにした。
二話
トケイがアヤとプラズマを抱え、アヤの世界から飛び立った。
「……もし、元のこばるとじゃなかったら、あんたどうする?」
プラズマがアヤの顔色をうかがいながら尋ねた。
「……距離をおくわ。いままでのこばると君がしてくれたようなお付き合いをする」
アヤは未だに安定しない心を抱えながら、言い聞かせるように答えた。
「辛かったら……言えよ。時神はあんたの味方だ。俺は……いつでもお前の気持ちを聞くから」
「あなた、どれだけ優しいのよ。優しすぎて……全部なくしてあなたに甘えてしまいそう……。私が八つ当たりした時も……私に冷たく返したりはしなかった。あなたなら本気で来ない、そう安心してつっかかってしまった。私って最低よね」
「……もういいって」
プラズマは苦笑いをアヤに向ける。
「良くないわよ」
「あんたがそう思う神で良かったよ」
プラズマの言葉にアヤは目を伏せた。プラズマはある未来をみてしまい、何も言えなくなっていた。壊れたアヤが暴走し、自分と栄次が消滅し、リカがアヤを手にかける未来だ。世界のバランスが崩れ、壱の世界がなくなる未来だ。アヤや自分達がいなくなれば、過去、現代、未来がなくなってしまい、壱は存在ができない。
ルナの時渡りでアヤの説得を何度もしている未来も見えた。
そうなってしまったら「おわり」だ。
「ごめんなさい」
「しおらしくあやまって、珍しいな。気にすんな。ああ、この話は後だ。トケイ、あんたは大丈夫なのか?」
プラズマはトケイに声をかけた。トケイはアヤとプラズマを乗せて宇宙空間を進んでいる。
「え! うん! 問題ないよ。でも度々破壊システムになってしまうのはなんとかならないかな?」
「それもなんとかしたいな」
プラズマは頭を抱えつつ、トケイに連れられてサヨの世界まで戻ってきた。
「……アヤ、感じるか?」
プラズマに尋ねられたアヤは肩を跳ねあげて驚いた。
「……こばると君の……」
「僕がいるんだ。こばるとは完全に死んでいない。だから、きっと大丈夫」
トケイはアヤの背中を押した。
「……ありがとう、トケイ」
アヤは震える足で白い花畑を通り、佇むお墓に目を伏せながら屋敷に入った。
「帰ったわよ……」
アヤが震えているので、プラズマもアヤの背中を押した。
「俺も怖い。でも、これはこばるとの神力だ」
三柱は廊下を渡り、もう一度声をかけた。障子扉が開き、サヨが顔を出す。
「あ、アヤ! 大丈夫? こばるとはちょっと複雑で……」
アヤが気がついた時には部屋が騒がしくなっていた。緊張で何も気づかなかった。
「なに、笑ってんだ?」
プラズマも気付き、中を覗く。
子供の笑い声が響いていた。
「あー……ええ?」
プラズマが戸惑った顔のまま、アヤを中に入れる。
アヤの目に映ったのは栄次と更夜に遊んでもらっている子供達だった。その中に黒い髪の幼い男の子がいた。
「……カイちゃん……」
アヤは目に涙を浮かべ、その場でうずくまった。かいへきまる……彼は元々そういう名前だった。
アヤは楽しそうに栄次に乗っかるこばるとを見て、懐かしい記憶を思い出す。
ヤンチャな子だった。
ルナとスズと喧嘩をしながら遊んでいる。あの時のままの息子が目の前にいた。
「どういうことだよ?」
プラズマが目を丸くしながら尋ね、サヨは苦笑いを向けた。
「えーと、まあ……」
サヨは隅っこの方で倒れているリカを見るように促した。
「リカ!」
「あー、大丈夫ですー。神力を皆で彼にあげていたら元気に目覚めましたー」
リカは抑揚なくそう言った。なんだかすごく疲れているようだ。
「やめろ! 頬を引っ張るな!」
更夜がこばるとを怒っている。
「なんか……どうなんだ? これ」
プラズマはトケイに目を向けた。
「あ……元気になって良かった……ね? いや、元々のこばるとなのかな? この子」
「アヤ、どうなんだ……」
トケイとプラズマは記憶を思い出したアヤを見る。
「こばると君というより……息子に近いわね……」
アヤが楽しく遊ぶこばるとを眺めていると、ルナがアヤに気がついた。
「あー、ママじゃないの?」
「まま?」
「ああ、お母さんってこと!」
「かあさま!」
ルナに言われ、幼いこばるとは満面の笑みを向けてアヤに走ってきた。
アヤに抱きつき、優しい顔で笑ってくる。
「かあさまじゃなくてママにしよ! ママのが言いやすい! ママでいいや」
こばるとから純粋な言葉が出て、アヤは涙を流しながらこばるとを抱きしめた。
そしてか細い声で
「なんでも楽に逃げるんじゃないの」
とつぶやいた。海碧丸は面倒くさがりなところがあり、アヤは度々この言葉を言っていたことを思い出した。
彼はこばるとではない。こばるとではないが海碧丸のようだ。
「確認、していいかな?」
横でトケイがこばるとに話しかけた。
「なんの?」
「名前を聞いていい?」
トケイは海碧丸なのかこばるとなのかを確かめたかったらしい。
「僕はこばると。立花こばるとだよ!」
彼は立花こばるとのようだ。
だが、性格は初代の海碧丸。
「……じゃあ、君を抱きしめているのは誰?」
トケイは次に記憶の確認を始めた。
「名前はアヤだよ。僕のママ」
こばるとは得意気に言った。
母親の名前くらい覚えていると
顔が言っていた。
「うん。じゃあ、隣にいるのは?」
「プラズマでしょ」
こばるとは自信満々に言った。
知識はこばるとのモノだ。
「じゃあさ、君、どうなっていたかわかる?」
トケイはどこまで記憶を持っているのかの確認を始めた。
「わかんない。気づいたら遊んでた。友達もできたんだ! ルナとスズって言うんだって!」
出会った神は覚えているが、記憶を全部失くしているようだ。あるのは「人間時代の五歳までの記憶」。
「ということらしいです」
トケイがプラズマにそう言い、プラズマは腕を組んだ。
こばるとはアヤから離れると楽しそうにこちらに手を振り、ルナとスズの遊びに入り込んでいった。
三話
アヤは楽しそうに遊ぶ三人を眺めた。
「いきなり戸惑ってしまったわ」
涙を拭い、軽く微笑む。
「ああなるとは予想外だったな」
プラズマもなんとなく返答した。どうしようか迷っていると歴史神から通信が入った。
「プラズマさん、聞こえるかしら。アヤさんを連れ、高天原へ。ナオさんについての話し合いが行われます」
通信は天記神からだった。
「高天原会議か。わかった」
プラズマはアヤを見た。
「ナオのことね。行きましょう」
アヤも頷き、トケイに目配せをした。
「私達をあの図書館まで送ってくれるかしら?」
「いいよ。行こう」
トケイはすぐに返事をした。
「サヨ、俺達は高天原会議に行くことになった。他の時神とこばるとをとりあえず監視してくれ」
プラズマがサヨに指示を出し、アヤとトケイと共に歩き出した。
「わかった! ナオの裁判でしょ。いい話を期待してるね」
サヨは廊下を歩き出した三柱に明るく、そう答えた。
白い花畑を抜けて、お墓を眺めたアヤとプラズマはトケイに乗り、再び世界から離脱した。
トケイはふたりを連れ、宇宙空間を飛ぶ。
「あの、こばるとが戻ってきたね……。とりあえず良かったかな?」
トケイはアヤの気持ちが知りたかったようだ。
「良かったと言えるかはわからなかったけれど、顔が見れたら、嬉しい気持ちになったわ。色んな感情を置き去りにして」
「そう……」
「あの子にどう接すればいいのかしら……。私は当時のあの子の母親じゃない……。今の私は時神のアヤなのよ」
「無理に母親になろうとしなくていいんじゃないかな。時神は僕も含めていっぱいいるから、皆がめんどうをみるよ」
トケイはおだやかな顔でアヤに答えた。
「ありがとう、トケイ……」
「あの子に関してはよくわからない。どこまでの記憶があるのか、どの程度壊れているか、まだ時神なのか……」
トケイはさらに続けた。
「時神ならば……時神再生神のサヨちゃんがある程度修復したはず」
「そうね。きっと私が決断できなかった時にあそこまで元気にしてくれたんだわ」
「まあ、それも含めて聞いてこよう。会議で」
プラズマがアヤの肩を優しく叩き、アヤは前を向いた。
「さあ、ここから歩けば図書館だよ。僕はここまでしか行けないから……」
トケイは何もない場所で止まった。
「あ、ありがとう」
プラズマはお礼を言った後に足がつくか恐る恐る踏み出した。宇宙空間しかないのに地面のように立てた。アヤも足をつける。
「私には全然弐の世界の境がわからなかったわ」
「俺もだよ。トケイの特殊な能力も気になっている」
「じゃあ僕はサヨちゃんの世界に帰るね。なるべくいい話を期待しているね……」
トケイがそう言ったので、アヤとプラズマはもう一度お礼を言って歩き出した。
四話
アヤとプラズマはゆっくり前へ進んだ。すると、霧深い森の中へと出た。
「ああ、天記神の図書館付近の森だ」
「私、高天原会議は初めてなの。少し怖いわ」
アヤがプラズマの袖を控えめに引っ張った。
「だ、大丈夫だ! お、俺がいるしな……」
プラズマは少しだけ高鳴る胸を抑えつつ答える。
……アヤが袖を引っ張ってくるなんて、これは俺に甘えてるってことでいいのか?
プラズマは不思議な気持ちになりつつ、立ち止まった。
「アヤ、これはナオが厳罰になる裁判のようなものだ。アヤが不利になることは……」
プラズマがそこまで言った時、アヤがプラズマに抱きついた。
「あなたは……無茶をしすぎる……今まで、高天原会議であなたが無事だったこと、あまりないじゃない。さっきも……一方的に私に殴られて、傷つく言葉をかけられて、なにもしなかった。それだと、いつか……」
アヤが涙を浮かべ、プラズマを見上げていた。
「……そんな顔すんなよ。俺は大丈夫だ。俺は千年生きていて……」
「千年存在していても関係ないわ。あなた、壊れちゃうわよ……」
アヤはプラズマを殴ってしまったこと、暴力を振るったことを一番後悔していた。
同時に自分はこんなに感情の乱れが激しいのかと思った。
「私が壊れたらいけないから……私を必死で守ってくれてるんでしょう? あなたにはいつも目的がある。いつも多くを語らない。あなたは十七歳の人間で止まっている。神は常に一定だから。本当は色々と重いはずなの」
「……たしかに、壊れたらまずいからあんたを守っている。でもそれだけじゃない。あんたを失いたくないし、この一定の世界を楽しんでいたいんだ」
プラズマはアヤに手を伸ばしてすぐに引っ込める。なんだか恥ずかしくなったのだ。
その行き場のない手をアヤが優しく引き寄せた。
「私もあなたのように強くなりたい」
「俺は強くないぜ……」
「あなたは強いわ」
ふたりはなんとなくお互いに寄り添った。
「私は怖くなったわ。あの時、私があなたを神力でずっと攻撃してて、あなたは私に『やめて』と優しく言ってるの。私はとまらずにあなたを……」
アヤが震えながら泣き始めた。
「ああ、そりゃあ……怖い夢だな」
「あなたは知っているんでしょう? この未来……。夢じゃないわ。あの後のことも私は何故か知っているの。あなたが死んで、栄次を殺しに行くの、私」
アヤの震えがさらに酷くなる。
「もういいよ、それはどっかのお話だ」
「それで世界のシステムを壊そうとして、どうにか(アマノミナカヌシの神力が暴走)するの」
「アヤ、大丈夫だ」
プラズマはアヤに優しく声をかける。
「その後ね、私はリカに……」
アヤが先を続けようとしたが、プラズマがアヤの口を優しく手でふさいだ。
「……それ以上は言わなくていい」
アヤの涙がプラズマの大きな手を濡らす。
「あんたは、違うだろ。いくら考えてもそれは……『妄想』だ」
「違う……っ!」
アヤはプラズマの手を振り払い、酷く怯えた顔でプラズマを仰いだ。
「事実よ……。あなたも見えたから、私を止めたんでしょう?」
「知らねぇな。今のあんたは優しいアヤだ。そんな狂ったアヤは『見たことない』ぜ」
プラズマはすべて知っている。
未来神は沢山の未来が見える。
「私が知っていて、あなたが知らないわけないじゃない、ねえ?」
アヤが怯えながらプラズマを仰いでいる。プラズマはため息をつくと、アヤを引き寄せた。
「知らないよ。あんたはずっと、優しいアヤだから」
「違うのに……」
アヤは狂った自分がいることを認めて欲しかった。仲が良くなったがいつ豹変するかわからない。
そんなよくわからない自分のせいでプラズマを傷つけたくない。
自分は破壊衝動を持っている。
時神とは違う神力もある。
「何が違うんだ? アヤはずっとアヤだ」
プラズマは近くにあった木にアヤを追い詰め、片手を木の幹に置いた。
「そうだろ?」
「わた、私は……自分がわからない」
真剣な顔のプラズマを仰いだままアヤは震えている。
「なに? 俺に怯えてんの? 俺を殺しにきたらしい奴がデカイ男を見てそんなにプルプル震えているわけはない。あんたはいつも頭ごなしに父親に叱られたり、暴力振るわれたから怖いんだろ? 確かにすごい威圧を感じるだろうな。こんなに震えちゃってさ」
プラズマはアヤの顎を指で上げた。
「ひぅっ……」
アヤの怖がっている表情を見ながらプラズマはアヤに顔を近づける。
「酷い顔してんなぁ。あんたが思っていることは『話としてはよくできている』な」
「だっ、だから……」
アヤが反論しようとしたので、プラズマはアヤの鼻を指でつついた。
「あんたにはこばるとがいる。あんたが守らなければならねぇ存在だ。俺達を殺している暇なんてねぇだろ?」
「い、今は……そう」
木の幹から徐々にアヤの体が落ちていく。震えすぎて足に力が入らなくなったのだ。
「ちびんなよ」
プラズマがアヤの腕をとり、そのまま地面に下ろした。
「そ、そんなはしたないこと、するわけないじゃないの。ただ、足が……」
「そんな怖がるなよ。大丈夫だよ。あんたが道を外しそうになったらちゃんと連れ戻すからさ。あ、俺が怖かった? ふたりきりだったから調子乗っちゃったかな」
プラズマはしゃがむとアヤを抱きかかえた。
「あっ……プラズマ……いやよ。恥ずかしい」
「顔真っ赤になっちゃって。どっかがうずいちゃったり?」
「ば、バカ……」
アヤは顔を真っ赤にしてプラズマの首に腕をまわした。
プラズマも頬を赤くすると、そのまま歩き出した。
「た、立てないならしょうがない……よな? 介助だ。介助。お、おっぱい当たってるし、お尻触っちゃってるよ、俺」
「く、口に出さないでちょうだい。変な気持ちになるじゃない」
アヤの吐息が荒くプラズマにかかる。
「し、仕方ないだろ! 俺は男なんだよ。これから高天原に行かなきゃならないんだから。アヤだってなんか興奮してねぇか?」
「意外に筋肉質で驚いただけ……よ。それより申し訳ない気持ちなのよ。今回はあなたに助けてもらってばかり……」
「仲間が大変なら助けるさ」
プラズマはアヤを抱えて図書館付近まで歩く。
「ねぇ、ナオはどうなってしまうのかしら……私は残虐な罰を望んでいないわ。それも怖い。残虐な思考を持っていた私が、こんな気持ちになるのは変だけれど」
「……まあ、彼女は厳罰だ。歴史神が……彼女を少しでも助けようとするはず。俺達は冷静にみていればいいさ」
プラズマは鶴を呼んだ。
アヤが落ち着いてからでも高天原に行くのは大丈夫そうだ。今回はプラズマとアヤは被害者。時神の到着を待つはず。
鶴はすぐにやってきた。
「よよい! 高天原会議に参加だよい?」
全体的に白と黒の袴姿の青年がアヤとプラズマを駕籠へと入れた。
黒幕をどうするか
鶴が引く駕籠に乗り、アヤとプラズマは今回会議がおこなわれる高天原西へと向かった。
高天原西は江戸あたりの町並みが続き、まん中に大きな天守閣のある全体的に古風な場所だ。
まん中の天守閣にはもちろん、剣王タケミカヅチがいる。
「ついたか」
鶴が駕籠をおろし、「ついたよい!」と報告した。
「アヤ、歩けるか? さっき、俺にビビって立てなくなっただろ? 今は大丈夫なのか?」
「……大丈夫になったわよ。ありがとう」
アヤは気まずさに耐えられなくなり、さっさと先に駕籠を降りた。今は夏だが、高天原西は風が吹いていてそこまで暑くはなかった。
「まあ、気を落とすなよ。ナオは裁かれるべきだからな」
プラズマも共に降り、鶴を解放した。
剣王の城の前で他の駕籠が到着し出す。豪勢な駕籠に乗ってきたのは東のワイズ。通常の駕籠に乗ってきたのは南の天界通信本部の社長ヒルコ神、他、天界通信で働く歴史神二柱。
太陽と月は今回は不在。
「紅雷王様、今回はよろしくお願いいたします」
高身長のミズラの男性が霊的着物を着て挨拶をしてきた。
「すみません。どちら様でしたか?」
「太安万侶(おおのやすまろ)でございます。神の記録を録っています」
太安万侶と名乗った茶色の水干のようなものを着ている男性は優しい雰囲気のまま、頭を下げた。
横にもうひとり神がいた。
「そちらは?」
「稗田阿礼(ひえだのあれ)でございます。マロも今後の神の記述が変わるかもしれませんので同行しました」
こちらは性別がわからない神だった。どちらともとれる。
勾玉のついた緑の頭巾にみどりの衣を着た青い髪の神だ。
「……古事記組か……あんまり乗り気じゃなさそうだな」
「それはそうです。歴史神の問題で仲間の話ですからね」
ヤスマロがそう答え、あれは眉を寄せていた。
「あんたら、もしかしてナオの状態に気がついていながら、歴史書に書いていたのか?」
「……そうですよ。マロ達は……見えた歴史をこの世に残す神ですから」
プラズマはあれを睨んだ。
「気がついていながら、こばるとを放置したのか」
「まあ、そうなります。正直、マロ達は書物に残す神。記憶を失っていたあなた達にこばるとさんを認知させることは不可能、弐の世界に関与もできません。なにもできませんでした」
「そうか」
プラズマはあれを睨むのをやめた。
「今回は、私達がいままで書いた歴史を皆さんに知ってもらうために会議に出席します。天記神の命令です。社長にも同行願いました。彼は天界通信本部という新聞社の社長です。今はエビス神となった元の神で、アマテラス様、ツクヨミ様、スサノオ様よりも前にイザナミ様、イザナギ様よりお産まれになられました、ヒルコ神様です」
ヤスマロは横にいた青年を丁寧に紹介した。
天界通信本部の社長、ヒルコはかぶっていたテンガロンハットを取り、プラズマに頭を下げた。
「天通の社長は知ってるさ。どうぞ、よろしくお願いいたします」
プラズマは形だけの挨拶をヒルコとかわした。
「では」
三柱が天守閣へ入って行ったので、プラズマはアヤを連れて開け放たれた城の中へと足を踏み出した。
剣王の城は上階。中に併設されたエレベーターで行く。ここはワイズの城とは違い、かなり落ち着いた雰囲気だ。すれ違う神々のほとんどが武神で荒々しい感じはあるが、基本的に日本の静かな落ち着きのある城だ。
エレベーターに向かう途中、遠くでナオが見えた。ナオは暗い表情で栄優に連れられていた。ムスビの姿はなかった。
「アヤ、ちょっと先にヤスマロさんやあれさんとエレベーターに乗ってくれ」
プラズマはナオに気がついていないアヤをエレベーターへ押し出した。
「え……?」
アヤはプラズマは来ないのかと不安げな顔をしている。
「行くよ、ただちょっと用事を済ませてくる。会議が始まる前に行くからね、そんな怯えるなって」
「プラズマ……」
アヤが続きを話そうとした刹那、エレベーターの扉が閉まった。プラズマは静かにナオに近づいていく。
「……っ! プラズマさん」
ナオが気がつき、目をそらした。
「あー、あんた、紅雷王かい?」
隣にいた栄優に尋ねられたプラズマは目を細めた後、名乗った。
「時神未来神、湯瀬紅雷王、プラズマだよ、よろしく」
「ああ、ワシは歴史神、藤原栄優(ふじわらのえいゆう)だ。何しにきたんだぁ? 現代神は先に行っちゃったのに?」
「……栄次と同じ顔で全然違う言葉が出ているの、しばらく慣れそうにないな……」
「答えろや……未来神。裁かれる前の罪神に何か言うのはよくねぇんじゃねぇかね?」
栄優は新参者の雰囲気がないくらいに堂々としている。
「少しだけだ。話をさせろ」
プラズマはまっすぐにナオを見ていた。
「少し? んーまぁ、ご勝手に。ワシはここにいるがね」
ナオが酷く怯えているので、用心棒として栄優がいるらしい。
恨みを持った者の私的な暴力を避けるためだ。
「ナオ……」
プラズマの低く鋭い声に肩を跳ねて怯えるナオ。
「は、はい……」
「時神アヤを追い詰めた罪は重い。俺は厳罰を希望している。栄次が許したからと許された気になるなよ、ナオ。……先程、目をそらしたな? 逃げたり、言い訳を始めたら、すぐに俺は気づくぞ」
冷たい瞳で射貫かれたナオは涙を流しながらうつむいた。
「うつむいてんなよ、犯した罪は大きいんだ。ちゃんと俺達を見ていろ。罪を軽くしようとするな。その権利はあんたにはない」
プラズマは震えるナオに近づき、ナオにだけ聞こえるように言う。
「ナオ、もう一度言う。罪を軽くしようとするな、自分がやった愚かなことを思い出し、『自ら厳罰を希望しろ』。こんなことを言ったらアヤがおかしくなって困るから直接アンタに今、伝えておく。時神の主は俺。俺が許さなけりゃあ……許されねぇと思え。わかったな? わかってるよなぁ?」
プラズマは笑みを向けて脅すと、ナオの泣き声を背にエレベーターの中へと去っていった。
ナオは震えながら、声をあげて泣いていた。
「……非人道な厳罰にはならねぇっての。ワシら歴史神がお嬢ちゃんを守るからねぇ。わかってんだろ、お前も。湯瀬紅雷王」
栄優がナオの背中を優しく撫でながら次に来たエレベーターに乗った。
……わかっている。
アヤはワールドシステムの鍵。
アヤが厳罰を希望してないんだ。あんな脅しが意味ねぇってわかっている。
だが、俺はアヤが狂う未来へ向かわせようとしたナオを許せない。
プラズマは奥歯を噛みしめてエレベーター最上階を目指した。
二話
高天原会議が始まった。
座敷にそれぞれ東西南北の代表が座っている。今回は霊的月の月姫もいた。南は竜宮オーナーではなく、天界通信本部の社長ヒルコが来ていた。
タケミカヅチが使用している会議室はすべてが和風だった。机に座布団、緑茶。
それを眺めながらプラズマは震えているアヤの横に座る。アヤは冷林を抱き抱えて座っていた。
「……アヤ、あんたは横にいるだけでいい。俺がやる」
プラズマがそう答えた時、ナオと栄優が入ってきた。ナオは暗い顔で神々が座っている机の手前に立った。すさまじい威圧が突然にナオを襲い、ナオは膝をおり、畳に叩きつけられるように平伏させられた。
「うっ……うう」
ナオの呻き声が響き、軽い声でタケミカヅチが口を開いた。
「まあ、とりあえず……謝罪かなぁ? あ、しゃべれない? ごめん、ごめん。それがしの軍で不祥事を起こすとは思わなくてね」
さらにナオに重圧がかかり、ナオは血を吐きながら頭を畳にすりつけていた。
「おっと、剣王さん、やりすぎじゃねぇかね?」
ナオの前に栄優が入り込み、神力を弱めた。
「けっこうヤバいことしでかしたからねー。それがしはそこまで寛容じゃないのー」
「……ダメだぁよ、ワシは余計な暴力は許さねぇ」
「ふぅん」
栄優の言葉に剣王はてきとうに返事をするとナオを痛め付けるのをやめた。
「で、月子さん、もうめんどくさいからぁ、先に言うこと言っていい?」
しびれをきらした月姫が髪を指で触りながら剣王に向かって尋ねた。
「はあ~、どーぞ」
剣王はため息をつきながら月姫に発言を譲った。
「じゃあ、月子さんがいる理由からいこうかな~! あたしはね、弐の世界の上部だけの監視とバックアップ世界 陸(ろく)の監視が主なお仕事でしょ~? けっこう弐がおかしくなっていたのよ、時空が歪む、黄泉が開く……全部、そいつのせいでいいってこと? 聞きたいのはそれだけー」
月姫は緑茶を渋い顔をしながら飲んだ。
「まあ、主にナオが原因だねぇ。スサノオまで攻撃したようだしね……」
剣王がナオを睨み、ナオは肩をびくっと震わせた。
「時神のルナはナオに使われた。あの子を使ってワールドシステムに干渉し、現代神問題を隠蔽しようとした。極悪だろ」
プラズマが補足した時、アヤが机の下からプラズマの腕を掴んだ。
プラズマがアヤを鋭い瞳で見据える。会議は進み、プラズマはアヤにだけ聞こえる声でささやいた。
「なんだ?」
冷たいプラズマの声に震えながらアヤは口を開く。
「ナオを追い詰めないで……私は……厳罰を望んでないのよ」
「……あんたはそこに座っているだけでいい」
「プラズマ……」
会議はさらに進む。
「では、マロとヤスマロ殿が記述した歴史をお聞きください」
「どーぞ」
あれとヤスマロに剣王は軽く促した。
「西暦二千年頃、霊史直神は現代神二柱に疑問を持つ。現代は過去を思い出さず、未来を見ることはなく進む。転生個体、バックアップの時神現代神は常にその時に染まり、その時を生きている。一方で現現代神はどうか。昔を懐かしみ、未来を見据える」
あれはそこで言葉を切った。
ヤスマロが続きを話す。
「霊史直神は二柱を一柱にしようと試みました。バックアップの時神のが現代神にふさわしいと思ったからです。しかし、世界はそのように進まず、現代の感覚を改め、現代神を二柱にすることを求めたのです」
ヤスマロはお茶を含み、あれに発言権を渡した。
「おのれの意見を正とした霊史直神は現現代神の消去へと動く。『世界改変』時に使用した記憶の書き換え、偽りの記憶挿入を無断でおこない、時神にエラーを出させた。異界から時神がやってきたことで時神が統合され、同世界に存在することとなり、偽りの記憶を入れられていた時神は徐々に記憶を思い出していく」
あれは編集した歴史書のページをめくりながら読み進める。恐ろしいくらいに正確だ。
「結果、現現代神はバックアップに食われる形で消滅。バックアップは時神現代神となり、存在を始めるも、世界から指定されたデータとは変わったため、エラーが発生。暴走を始める。バックアップはアマノミナカヌシの一部であるため、神力が暴走した模様。未来神が元に戻し事なきを得る。なお、霊史直神、この前、記憶を思い出しかけていた時神を抑えるべく、同時神とKを使い、スサノオ、アマノミナカヌシの消滅に動く……」
あれの話は淡々と続いた。ナオは体を震わせながらうなだれている。あれの話が終わったところで高天原東、サングラスの幼女ワイズが口を出した。
「ああ、そのようだNA。編纂は嘘をついていない。天記神(あめのしるしのかみ)、お前の意見も聞いておこうか」
ワイズが腕時計のボタンを押すと天記神がホログラムのように現れた。ビデオ通話か?
「……はい。記述に関しては間違っておりませんが、彼女もある意味世界のシステムに左右された形だと思われます。データをとる世界の反対の勢力として動かされた可能性も捨てきれません。世界は天秤で多数の意見を見ながらデータを取り入れております」
天記神はナオをかばう発言をしていた。
「わたくし達が時神を監視し、記憶を思い出さないよう動いていたのは事実です。霊史直神が『世界改変』の重要神なため、霊史直神が狂うのはよろしくないと判断しました」
「あー、お前らはナオをかばっていたということだNA」
ワイズはすべて知っているようで、笑いながら天記神を見る。
「そういうことです。わたくし達は同歴史神として彼女を守る義務があります。罰はわたくしが与えておりましたが、時神過去神が黄泉に閉じ込められている前現代神を助ける条件で罰の緩和を提案し、無事助けられたことで確定しております。時神との和解はある程度できているものと思われます」
天記神はナオへの罰の緩和を求め、「ある程度」のところでプラズマを横目に見た。
プラズマは眉を寄せると机に目線を落とした。
「なーるほどねぇ。世界を元の形に戻したってわけだねぇ? 一応。ああ、月姫、すべてがナオのせいってわけじゃない。世界を変えていっているのはほぼ、時神だよ~」
剣王が月姫に目を向け、月姫は髪を手鏡で整えながらてきとうに話す。
「あーそう。ナオが歴史消去をする前にそうせざる得なくなった元凶、時神のリカが悪くないかなあ? 月子さん、わかんないっ」
月姫はある程度知っているとプラズマを見ていた。
「リカの件は別案件だ。弐への影響は終わっている」
プラズマがそう言い、月姫はネイルを確認しながら興味なさそうにしていた。
「あっそー。歴史神も時神も自分等を正当化して実際やってること同じじゃないの。良かれと思って世界を壊すってどっちもどっちなんじゃなーい?」
月姫はアヤの破壊行動やルナの違反、リカの選択などを正当化していると主張し、歴史神とやっていることは同じだと言う。
「全然違うだろうが。俺は毎回、時神の責任については対処をしているだろう! そもそもお前らが時神を追い詰めたりしているんだろうよ! 俺は世界を壊さないように動いている! 論点をずらすんじゃねぇよ……」
プラズマが机を思い切り叩き怒りをぶつけた。
「はっ、生意気。月子さん関係ないし~」
月姫はにやつきながら扇子を広げ、あおぎ始めた。
「あのね~、本当にこちらは悪いとは思ってるんだけどね、どうしたらいいかなあ? 処刑?」
剣王が軽く笑いながら頬杖をついた。ナオの体がさらに震え、歯が鳴る音が響く。
「残忍に公開処刑? それがしは別に世界なんてどーでもいいから、不祥事なら容赦はしないんだけどね……。あ、それがしの軍の武神の掟を適応する? それがしと戦って勝ったら釈放、負けたら死っていうね?」
ナオが剣王に勝てるわけもない。
「はあ、まあ、それでもいいかNA? コイツの代わりなら私がやろう。私は知恵の神だYO。コイツの力の理解などたやすい」
ワイズは剣王に突然賛成した。ナオは世界改変の重要神。一番重い刑が出るとは考えられなかった。だが、歴史神の頭と罪神を抱えている西と東がナオに味方をしなかった。
三話
ワイズ軍の天記神はワイズと剣王に先程と同じ内容を必死で語っている。ナオの刑を軽くしたいのだ。天界通信で働く歴史神、あれとヤスマロは意見を言える立場になく、天通の社長ヒルコに助けを求めていた。
ヒルコは眉を寄せつつ腕を組んだ。
「そんな残虐な行為は記事にすら書けない。竜宮オーナーの天津も同意見だろう。そもそも、我々はほぼ親族。オモイカネ、タケミカヅチ、そして安徳帝、紅雷王……もう少し情けをかけてやれないのか」
ヒルコの言葉に冷林はプラズマを仰いだ。冷林はこばると救出に手を貸したナオを許しているようだ。
プラズマは震えるアヤに腕を掴まれながら下を向いていた。
すると突然に障子扉が開いた。
「ナオさん! ごめんね! やっぱり俺は……」
入ってきたのは涙目になっているムスビだった。高天原会議の結果を聞くだけの立場だったムスビは耐えられずに高天原会議に入り込んでしまった。
「ムスビ……来てはダメですよ」
「なんでこんな方向性になってんだよ!」
ムスビは権力者達を睨み付けた。
「まあ、気持ちはわからんでもないけどー、それだけナオがやったことは重いんだよ~ムスビくん」
剣王に言われ、ムスビは拳を握りしめた。
「歴史神の主は……ここまでの厳罰を望んでないぞ。処刑だと……茶番が過ぎないか? お前らだってそこまでの罪じゃねぇってわかってんだろ!」
ムスビはナオの前に立ち、無意識に神力を解放した。
「罪があるのはわかっているが、こんな理不尽で稚拙な裁判になるとは思わなかった。お前ら全員敵にまわしても、俺はナオさんを守るぞ」
「ムスビの兄さん、やめなさいな。まだ終わってないし、決まってないだろうがい」
栄優がムスビを止める。
「なんだよ、お前ら! お前らも歴史神なんだろ! なんで意見しないんだよ!」
ムスビはあれとヤスマロにも牙を向けた。ふたりは困惑したまま座っていた。
「まあまあ~、ムスビくん、ちゃんと最後まで聞けってばー」
剣王はムスビを睨み、ムスビは剣王を睨み返した。
「何考えてんだよ、剣王」
「別に、なにも」
「ナオさんは世界改変時にしっかり上位神に従ったじゃねぇかよ! お前らはそんな簡単に彼女を見捨てるのか」
「見捨てるも何も、罪を犯した段階で罪神なんだよ。それがしの軍がスサノオ様に攻撃を仕掛けるなどあってはならないんだ。ふふ、あー、あの神は元々、こちらにいない設定なんだっけねぇ?」
剣王がワイズに目線を向ける。
「さあ、どうだか。あいつらがいようがいまいがどうでもいいYO。お前の軍の処罰がそれならそれでもかまわん。うちは天記に罪を償わせるZE 。歴史神の上だ。当たり前だろ? うちが抱えてるのは歴史神の主、天記だけだ。あいつらはまた別。今は天通の社員だ。あー、カフェインが欲しいZE」
ワイズはあれとヤスマロを顎で指すと緑茶を飲んだ。
「ただ、歴史神らは情けをかけろと言っている。情けをかけてやるならどうするか、考えとけYO 」
ワイズの発言に剣王はため息をついた。
「じゃあ封印刑? こーんな感じので斬られるけど大丈夫?」
剣王が手をわずかに動かし、強力なかまいたちを発生させ、飛ばした。ムスビと栄優が結界を張って受け流した。後ろの壁が音を立てて崩れる。
「ふざけんな! 当たったら死んじまうぞ!」
「だって、元現代神もこんな感じで封印されていたでしょ? 同じじゃないか~」
「剣王!」
ムスビが怒鳴った所でナオがムスビを止めた。
「ナオさん……」
「いいのですよ。もう……。こばるとさんは取り返しがつかなくなった……。誰に相談するわけでもなく、私が勝手におこなったこと。罪の隠蔽も私がおこなったこと。私は厳罰を……希望します……」
「……!」
ナオの発言にムスビが目を見開き、栄優はプラズマを見た。
「未来の兄ちゃんに言われたらしいぜ。厳罰を希望しろと。ワシは横にいた。知っているぜぇ? 見ていたからな」
「プラズマ……! お前、ナオさんに非神道的な刑罰を受けさせるつもりなのか! 見損なったぜ」
ムスビが怒り、プラズマを睨み付ける。
「自業自得じゃねぇか……」
プラズマがつぶやいた刹那、アヤが立ち上がり、そのまま震えながらプラズマの頬を張った。
乾いた音が響くと剣王が驚き、ワイズは笑い、月姫は感心した顔を向けた。
「……いてぇな」
「私は厳罰を希望しないと言ったじゃない! いい加減にしなさいよ! あなたが何を考えているのかわからない! 私が壊れたことでナオに怒るのは間違いよ! ナオがやったことは許せないけれど、あなたは本当にナオの処刑を望んでいるの? 私はナオへの厳罰は希望しない! 被害者がそう言っているの、あなた達もわかるでしょう!」
アヤは涙を流しながら叫んだ。
「アヤ、このまま進めねぇと罪が軽くなるぞ。なんでもかんでも『まあいいか、時神だし』とてきとうになる。俺は厳罰の姿勢は崩さない」
「彼女は……謝罪して、こばるとくんの救出も手伝ってくれた。罪悪感を持っているわ! 彼女をみてあげなさいよ! これからのことじゃなくて今を! あなたは未来神だから仕方ないかもしれないけれど!」
アヤはプラズマを悲しげに見つめた。
「……アマテラスの力が邪魔をするんだ。俺はそんなに優しくない。俺は……」
「ねぇ、これどうするの? 皆意見が違うんだけどー。関係なくなってきたから帰っていい?」
月姫はリップを口に塗りながらそう言った。
「お前も時神を傍観していただろ」
プラズマは月姫に鋭く言った。
「あのねぇ、私はそれが仕事なの。だいたい、私は弐を上からしか見れないわけ。何か異常があったから高天原に説明を求めたのよ。何にも知らないの! 知らないから会議に出たのよ。あんたらが影でなんかやるからね! 木星を近場で眺めているのと同じなんだからこっちは! もう内容はわかったしぃ、私、もういらないでしょ」
「まあまあ、月姫、もうちょいいてよぉ」
剣王が月姫に笑いかけたが、目は睨んでいたため、月姫はため息をつきながら冷めた緑茶を飲んだ。
「罪は大きい。彼女の罪は大きい。あれで償ったとは言えない。俺は許さない。ただ……」
プラズマの顔は辛そうだった。
「やはり神道的範囲でお願いする」
プラズマは机を乱暴に叩いた。
「プラズマ……」
プラズマの意見に歴史神、他の権力神にやわらかい風が吹いた。
ナオの罰は五ヶ月の封印刑と出てからこばるとのケアなどをおこなうことで終わった。
ただ、プラズマは納得していない。アヤの件で承諾しただけだ。
だが、残虐な罰を最終的には望んでいなかった。
それが彼の優しさである。
四話
プラズマとアヤは会議が終わってから剣王の城から出た。
広場のような場所でプラズマは立ち止まる。
「プラズマ……ごめんなさい」
アヤがプラズマの背中に向かい声をかけたが返答はなかった。
「……どいつもこいつも……」
プラズマが絞り出すように言葉を発する。
「なめやがって……。俺がアマテラス神力を持つとわかっていながら会議を進めやがって……」
プラズマはその場でしゃがみこみ、唇を噛み締めた。
「なめやがってっ! おちょくりやがって! なにが処刑だ……! なにが残虐な罰だ!」
プラズマは地面に指が食い込むほどに怒りをあらわにしていた。
「俺は認めちゃいけなかった! あいつらはわかってて俺に判断をさせた! こうやっていいように使われていく! 俺はあの時、認めちゃいけなかったんだよっ! なあ、アヤ!」
プラズマは唇を噛み締めながら悔しそうに泣いていた。
「……プラズマ……でも、でもね、私は……ナオはあれで良かったと思うわ」
「あんたがそう言ったから……俺は動けなかったんだよ!」
プラズマにそう言われたアヤは何も言うことができなくなった。
「あの女神には苦しんでほしいとは思ったが、残虐な行為を望んでいるわけではなかった! 違うんだよ、俺は! あの茶番が許せなかったんだ! ナオに重刑を下す気もなかったくせに! こばるとはどうなる! 俺がおちょくられて帰されて……どんな気持ちになる! こんな価値のねぇ会議、時神として見られたくねぇよ!」
プラズマは怒声を上げた。
「プラズマ……いや、紅雷王……あんたの判断は立派だったよ」
ふと後ろからムスビの声がした。
プラズマは後ろを振り返り、ムスビを睨み付けた。
「……睨みたい気持ちもよくわかるさ。だから俺も、ナオさんと同じ罰を受けることにした」
「たった五ヶ月の封印刑……こばるとは二十年も強い神力に当てられてズタズタだ。もう元に戻らないかもしれない。釣り合うと思うか」
プラズマは圧し殺した声で静かに言った。怒りが渦巻いている。
「釣り合わねぇよ。わかってるさ。だから、俺はあんたの気持ちを晴らしに来たんだ」
「あんたが来ても晴れねぇよ」
「プラズマ、俺と戦え。俺はお前と同等の神力。封印刑になる前に俺の神力を最低まで落とせば罪を重くできる。ナオさんと共にぶっ倒れてやるよ。ああ、ナオさんはタケミカヅチの神力に、俺は天記神の神力に縛られる。天記神は俺よりわずかに神力が上なだけ。俺の封印刑はたいしたことはない」
ムスビは突然神力をはね上げた。
「そんなに怒ってんだから、逃げねぇよな? プラズマ」
ムスビがあおるとプラズマは目を見開き、神力を上げた。
「ちょ、ちょっと……やめなさい……」
アヤが震えながら見ていると横に栄優が来ていた。
「お嬢さん、お互いに納得のいく戦いだ。眺めていようか」
栄優はアヤを連れて少しだけ離れた。
「なんでこんなことに……私のせいなのかしら……。でもナオを……」
「お嬢さん、お嬢さんはそれでいいんじゃないかねぇ? あれはただの納得のいかなかった者同士の喧嘩だ。ムスビくんはね、自分が蚊帳の外におかれて怒っているんだぁよ。彼はナオの共犯で長い期間黙認していたんだ。それなのに裁かれたのはナオだけ。納得いかなかったんだろうねぇ。テンキさんに自分を罰しろと言ったらしい。それで、あれよ」
栄優はふたりが神力をぶつけ合うのを眺めていた。
「いいねぇ。あれが神力の戦いか。興味あるなぁ。未来の兄ちゃん、本気だねぇ。この際だから強さを見ておくといいよ。あんたの上にいるあの紅雷王がどれだけ化け物かわかるはずだぜぃ。アマテラス神力を取り戻したらしい今はさらになぁ」
「……なんでこんなことに……」
アヤは目を伏せてふたりの戦いを見守った。
五話
プラズマは神力を上げ、髪は伸び、霊的着物を着た姿へと変わる。紺色の水干が神々しさを出していた。
ムスビも霊的着物へと姿を変え、髪は腰辺りまで伸びる。
髪は神力をあらわすという。
プラズマもムスビも常に最低の神力で生活をしていた。それだけ影響があるからだ。
攻撃を仕掛けたのはムスビからだった。神力の弾をプラズマに飛ばす。プラズマは未来見で簡単に避け、霊的武器「銃」を撃った。
プラズマの神力が詰まった弾はムスビを追尾し襲う。
「こんなもんかよ」
ムスビはプラズマの弾を結界で弾き、そのまま打ち返した。
プラズマは未来見で避ける。
「後ろ、見た方がいいぞ」
プラズマが小さくつぶやいた刹那、ムスビの後ろから多数の神力の槍が飛んできた。神力の弾も飛んできてそれはすべてムスビの未来を狙っていた。着地する部分に絶対に当たってくる。
ムスビは頬を切られ、衣の一部も切られた。血が滴る。
「……あんた、戦闘ができる神じゃねぇだろ。神力が高いだけ。しかも俺と同じくらいだ。わざとやられにきたな」
「そんなわけないだろ。勝つつもりだよ」
ムスビが神力をさらに上げ、ムスビが結んだ歴史書を読んだ。
「カグヅチ!」
ムスビから出てきた歴史書から勢いよく炎の渦が飛ぶ。
「あんた、そんなことできるのか」
プラズマは危なげに結界を張り、炎をすり抜けさせたが、プラズマは結界が苦手である。所々、服が燃えた。
プラズマは銃で空を撃ち、上からスコールのような銃弾を浴びせる。ムスビは一つずつ結界を張り避けるが、プラズマの神力は未来を予知して落ちてくる。なかなか避けられなかった。
「お前、やっぱり強いな。本気でくると。……タケミカヅチ」
ムスビは続いて強力な雷を発生させた。プラズマは未来を見て避けるが、雷なため多少当たった。
腕が焼け、血が滴る。
「腕だけですんだな」
プラズマはそうつぶやくとムスビのまわりに時計の針のような槍を多数配置し、銃を上に放った。
またもスコールのような銃弾が多数落ちてくる。
槍で逃げ場がなく、当たりながら結界を使う。しかし、神力は結界を貫通してきた。
「アマテラス神力……くっ!」
「もっと神力を上げて結界を強くした方がいいぞ」
プラズマはまだ余裕そうにそう言った。
巨大な爆発が起き、ムスビはあちらこちら切り刻まれながら抜けた。肩で息を吐く。
「力を戻したプラズマは……俺より高いところにいる……わかってるよ」
「お前らが封印した俺の本来の力。これは俺のもんだ。勝手だよな、歴史神」
「……ああ」
ムスビは神力を全開にしてプラズマの攻撃を受け止めていく。
「タケミナカタ」
ムスビは手から剣を出すと何かに乗り移られたかのように剣技を繰り出した。武神の動きだ。
「物理技もできんのか」
「歴史書のヤツが乗り移ってくれればな」
「俺はある程度、剣は避けられるぞ」
斬られるのを最小限に抑えたプラズマはムスビから離れて再び銃を撃った。
「お前は……どれだけ先の未来まで見えるんだ?」
「ずっと先だよ。神力を高めるとどこの段階の未来か、現在の自分が立っている位置はどこかわからなくなる。今はこれかって感じだな。だからたまに避けられない」
攻撃を危なげに避けながらムスビは尋ねた。
「俺は負けるか?」
「勝ち負けが聞きたいのか?」
ムスビの剣技をタイミングよく逃げながらプラズマは言う。
プラズマは拳を握ると神力をほぼ拳に乗せた。そのまま隙ができたムスビの顔面に向けて振り抜く。ムスビは全力の結界を張ったが結界は貫通し、勢いよく地面に落ちていった。
「あんたは負けるよ」
プラズマの言葉にムスビは軽く微笑んだ。
「もう限界だ。伝説級の神を持ってきすぎた。動けない」
「……なかなか本気だったな。俺はまだ平気だが」
プラズマは肩で息をしていた。
両者共に怪我が酷い。
「じゃあこのまま封印されてくる。怒りは晴れないかもしれないけどな、罪を償うとは許されることじゃないからね」
ムスビは高天原の転送装置を腕にはめていた。この装置は東のワイズが製作したもので、どこにいても天記神の図書館にのみ帰れるというものだ。
「……ムスビ……俺はどんな顔、したらいいんだよ」
「普通にしてろよ。またお前と、話したいぜ。じゃあな」
ムスビは飛びそうになる意識を戻しながらその場から消えていった。
「終わったようだねぇ、兄ちゃん」
栄優がアヤを連れてやってきた。アヤは傷ついたプラズマを悲しげに見ていた。
「いますぐ巻き戻すわ!」
アヤはプラズマの時間を巻き戻し、怪我をする前に戻した。
「アヤ、俺はどうすればよかったかな」
「このままでいいと思うわ。でも、無茶はしないでね」
「……ありがとう」
プラズマは立ち上がった。
それを見つつ、栄優は天記神に連絡を入れる。
「テンキさん、見ていたかね? あれが紅雷王の元神力だと」
「ええ、アマテラス神力が……。わ、私はムスビさんの封印刑をしなければ……。手当てをしてから……。ナオさんはもう、刑が執行されました」
天記神の映像が栄優の電子端末に映し出された。天記神は悲しげな表情をしていた。
「ああ……そうかい。ワシもそちらにいくからなぁ、そんな悲しい顔をなさるな」
「ありがとう、栄優さん」
プラズマはそのやりとりを見てなんとも言えない気持ちになった。いままで守っていた者を突き放し、冷酷なまま見捨てられる主は現在の神々にはあまりいない。
プラズマは一度、ルナを傷つけている。自分が自分ではないくらいに苦しかった。
「いくぞ、アヤ」
「栄優さんって神とは一緒には帰らないの? ……帰らないわよね」
プラズマの苦しそうな顔を見上げたアヤはプラズマの背中をさすりながら鶴を呼んだ。
暑い夏の終わり
時神達はサヨの世界内の更夜の屋敷でプラズマとアヤを待っていた。こばるととルナはヒーローごっこをしているようで、なにやら技名を叫んでいる。途中でスズも混ざり、お姉さんぶりながら年下を指揮していた。
「部屋を壊すなよ……」
更夜が控えめに声をかけ、リカとサヨはなんとなくトマトの会話をしていた。
「ねぇねぇ、更夜……」
「なんだ?」
気まずくなったトケイが更夜に話しかけてきた。
「あ、あのね……更夜はさ、料理が得意で舌もいいんだよね?」
「ん? あー、たぶんな」
「僕ね、スイーツ作るのが得意なんだ。『むかし』から」
トケイは頬を赤らめながら更夜を見上げる。
「昔から? 前のこばるとの記憶なのか? お前は今まで何をしていた。記憶が飛ぶ前だ」
「あ……えっと……たぶん、アヤが僕を考えたんだと思うけど……ああなる前のこばるとはよくアヤに甘いものを作っていたらしいよ。上手だったかはわからない。でも、僕は上手だよ」
「そうなのか。俺はアヤに舌が似ているのか、甘いものが好きなんだ。作ってくれ」
更夜はトケイに笑いかけた。トケイの不安げな顔は笑顔へと変わり、安心したように頷いた。
「わかった!」
「ところで……提案なんだが……」
「ん? 何でしょう?」
更夜は咳払いをすると少し恥ずかしそうに口を開いた。
「実は居酒屋をやろうと思っている。夜の営業ではなく昼だ」
「ええっ! お昼じゃ定食屋さん!」
トケイはずれた驚き方で更夜を見ていた。
「酒を提供するから居酒屋だ! いや、実はサヨとルナ、スズ、お前の将来を案じてな、メリハリのない毎日だとつまらないかと思って仕事を皆でしてみようかと考えたんだ。霊を相手に商売する。霊に昼夜は関係ない。この世界が昼でも他の世界は夜だったりする。居酒屋の名前も決めた。『QROCK』だ。クロック。ロックだろ?」
「クロック……。楽しそうだね! ぼ、僕もスイーツ担当したい! 本当に自慢できるのがこれしかないくらい僕は甘いものを作るのが得意なんだ」
トケイは採用されようと必死に頭を下げるが、更夜はもう「皆でやる」と決めている。トケイに苦笑いを浮かべた。
「いや、皆でやるからな、そんなに必死にならなくてもお願いするつもりだ」
「や、やった! 夢の中のアヤ以外に食べてもらえる!」
「ああ、そうか。お前も孤独だったんだな」
「うん。だってね、アヤは……夢のアヤは僕を覚えてないんだ」
トケイは涙目になって微笑んだ。
「ああ、まあ夢の処理だからな。これからは違う。時神は皆、仲間だとあの男は言う。うちの主は……時神の主は慈悲深い優しい男だ。俺は尊敬している」
「……。更夜ってそういうこと言うんだ……」
トケイは驚いて目を見開いた。
「俺は一応、人だぞ……。あ、いや、人だったが正しいが」
「更夜……僕をよろしくね……」
「ああ、お前は俺の……ああ……ひ孫か?」
「想像の、ですけど……。オリジナルはこばるとで……」
「気にすんな」
更夜はトケイの頭を優しく撫でた。トケイは心があたたかくなるのを感じた。トケイが安堵のため息をついていると、栄次が緑茶を持って部屋に入ってきた。
「はあ……プラズマがまた無茶をしたようだ……」
栄次は更夜の横に座ると緑茶を差し出し、自分のも机に置く。
「来客に茶を出さない俺みたいなことになったのか?」
更夜は冗談を言いつつ真面目な顔をしていた。
「プラズマが非常識なわけではなく……こばるとのために戦い、アヤと意見が割れた。俺が認めた内容もプラズマが否定した。確かに会議は酷かった。お前が行った方が良かったかもな」
栄次はせつなげに緑茶を口に含む。
「……歴史神は罪になったのか」
「なったようだ。ただ、罰の軽重でもめた。高天原が出した罰は妥当だ。しかしプラズマは厳罰を希望していた。時神の尊厳を守るためだ」
栄次はプラズマが「時神として見られたくない会議だった」と泣きながら発言をしている部分を見てしまい、まわりには広めず、更夜と関係者のトケイにだけ話すことにした。
「そうか。歴史神はちゃんと罪に問われたか。トケイ、刑が決まったらしいぞ」
更夜は栄次からお茶を受け取っていたトケイに目を向けた。
「そっか……。彼女がやったことは大きいけれど、僕もこばるとも消滅しなかったし、アヤも壊れなかったから良かったのかも」
トケイはお茶がゆのみの中で揺れるのを眺めていた。
「俺達はプラスに考えておけばいいさ。マイナスに考えるとどん底まで落ちちまう」
更夜の言葉にふたりは同時に頷き、お茶を口に含んだ。
「そろそろふたりが帰ってくる。なにも語らずに迎えよう」
いつの間にか栄次達の会話を横で聞いていたリカとサヨは話しながら軽く目を伏せた。
二話
プラズマとアヤが帰ってきた。
時神達は何も聞かずにふたりを迎え、笑顔がなくなっていたプラズマに優しい言葉をかけた。
プラズマは栄次の肩を軽く叩いて口を開く。
「栄次、ありがとう。それと、ごめん」
「お前は大丈夫なのか?」
「大丈夫。もう終わったから」
子供達の笑い声がする。
ナオの件は前向きに考えて、今の現実を見た方が良さそうだ。
ふと、プラズマがアヤの方を見ると、アヤはいつの間にか冷林をだっこしていた。
「っ! 冷林!? 会議後にわかれたよな? ああ、心配でついてきたのか? 大丈夫だよ」
プラズマの表情がやわらかくなった。
「ああ、そうだ。プラズマ」
更夜が思い出したように声を上げた。
「ん? なに?」
「俺達、弐の世界組はここで居酒屋をやることにした」
「お、いいね」
プラズマは気持ちが前を向いている更夜に救われつつ、微笑んだ。
「え! 居酒屋! 私、店員さんやる!」
話を横で聞いていたスズが目を輝かせて話に入ってきた。
「居酒屋ってなに? ルナもやるー!」
「おなかすいたー」
ルナとこばるともそれぞれ声をあげ、場の雰囲気が和らいだ。
冷林はふよふよと浮きながらスズの腕の中におさまった。
「なーに? あ、遊びたいのかな? 遊ぶ?」
スズの声掛けで冷林は頷いた。
「チャンバラやろ!」
ルナが新聞で作った棒を冷林に渡し、冷林は楽しそうに遊び始めた。
「天通のリサイクル紙版新聞で遊ぶな! それ、返さないとならないんだからな!」
更夜に言われるも子供らは関係なく遊んでいる。歴史神の主、天記神から先ほどの事件の新聞が届いたと言われ、トケイを走らせて取りに行った。
読むまもなく、チビッ子達の工作や武器へと変身した。
「あーあ、まだ読んでもねぇのに」
「なんかもういいな。新聞までこうなったら、白紙にするから先に進もうって言われているような」
プラズマがつぶやき、更夜もため息をついた。
「い、居酒屋の試食の甘いものを作ってみたんだ……。ぷ、プラズマも食べる?」
気がつくとトケイがプリンを人数分乗せたお盆を持ってきていた。ルナとこばるとはもう食べている。
「なにこれ! うまっ!」
「もう一個、ちょ~だい!」
「ええ……いつの間に食べたの……」
先程まで遊んでいたふたりはいつ食べたのか空のデザートカップをトケイに返した。
「あー、おいっしい! たまごのコクと甘味とカラメルの苦味とミルキーさがたまらん!」
いつの間にか食べていたといえばサヨもだ。
「さ、サヨちゃんもっ! あ、ありがとう!」
「トケイちゃん、これからもよろしくね!」
サヨがウィンクをし、トケイは顔を真っ赤にして口をパクパクと動かしていた。
「あら、おいしい。……ずっと食べていたような……懐かしい味」
アヤはなんだか涙があふれた。
トケイが作ったものは初めて食べた味のはずだった。だが、懐かしく、自分がこだわっていた部分のクリーミーさやコクまで再現されていることにこばるととの違いを感じた。
……彼は私が作ったこばると君。
私が産んだ神。
私はきっと都合の良い時だけ、彼に救いを求めていたに違いない。彼の気持ちなど考えずに。
「……トケイ、ごめんね……。私は勝手に産み出して……勝手に役割を与えて……都合の良いように動かして……孤独だったでしょう?」
「……ま、まあ……ね」
トケイは眉を下げたまま微笑んだ。その笑顔が夢の中でよく出てきていたことをアヤは思い出した。何も覚えていない。
ただ、彼のこの顔だけ思い出した。
……いつも、彼女はなんにも覚えていないんだ。おいしい? よかった。
僕は明日も待ってるね……。
次はなんの甘いものを作ろうかな。
そうか。今日はこないんだ。
これ、おいしいな。
明日は来るかな。
今日はケーキを作ってみたよ。
はじめて食べた?
おいしい?
よかった……初めて……食べたんだね。え、僕? 僕はトケイって言うんだ。初めまして……。
「いつも」せつなそうに笑う少年。
アヤは何も覚えていなかった。
アヤの心の拠り所として産まれた彼はアヤの精神を安定させると姿を消す。
……いや、私が……気づかなくなっただけ。思い出さなくなっただけ。名前も何もかもわからない。
これはただの夢だ。
「……ごめんね……このプリン……きっと食べたこと、あるわよね……」
アヤは涙をこぼしながら、甘いプリンを食べる。
「本当に……おいしい」
「……おいしい? よかった」
トケイは微笑んだ。
正夢のような同じ会話を今している。アヤはトケイの気持ちを思い、苦しくなった。
この会話はもう、すごく前にしているはず。
「アヤ……」
プリンを受け取ったリカが優しく背中をさする。
「……リカ、あなたも私達が思い出さなかった時、辛かったでしょう」
「うん。でももう、終わったことだし、今は幸せな方だと思うよ」
リカはプリンを食べながらトケイに「トマトのプリンを作れないか」と聞いている。
「……そうよね、終わってしまったことだもの……。どうしようもできない。今から……変わればいいんだわ」
アヤはプリンをおいしそうにすくって食べた。
「皆、なにかを抱えてしまっているが……」
栄次が緑茶を飲みながらアヤに言う。
「そのままその気持ちのまま進むことだ。戻ってしまうこともあるだろう。だが、前に進まねば、そのままだ」
「ええ、そうね」
アヤは涙をハンカチで拭った。
「ああ、今夜、試食会をする。まあ、ささやかなおもてなしだ。一度、壱に戻り休め」
更夜が壱の時神達にそう言い、台所へと去っていった。
三話
アヤ、プラズマ、リカ、栄次はサヨに送ってもらい、壱の世界に足をつけた。
「……もう夏も終わるのか?」
プラズマが夕焼けの一軒家を見上げそうつぶやいた。ヒグラシが鳴き、秋の虫の声も聞こえ始める。ただ、まだまだ暑い。
弐の世界は涼しかったため、季節の感覚がおかしくなりそうだ。
「しばらく休もう。後二時間くらいか」
蒸し暑さが増している。だが、秋の虫が鳴き始めたため、秋に近付いたのか。
時神達はそれぞれ別れた。
だが、アヤはプラズマの元へ、栄次はリカの元へ何となく向かった。
それぞれ話がしたかったのだ。
プラズマはうちわを片手に縁側でぼうっとしていた。夕陽がプラズマを照らしている。
「ね、ねぇ……」
アヤは恐る恐る声をかけた。
「……アイスの棒、落ちてた。アタリだ。けっこう食べた? 食べすぎると太るぞ」
プラズマが笑いながらアヤに棒を渡す。
「もう、怒ってないの?」
「……怒ってはいる。でも俺はもう、普通に接するよ」
プラズマは縁側から見える山々を眺めていた。
「私、あなたのこと、勘違いしていたわ。ごめんなさい。私は自分の意見だけ通そうとしていたわね」
「それはそうなるさ。俺も厳罰は望んでいなかった。俺はアマテラスの力を戻したが……ますます違和感を感じたよ。最後は意地になって従うものかってさ。自分の心がわからなくなった。なんかな、自分の心を疑うなんて、いままでなかったのに変だよな」
「……そうね。私は自分の心にすら気がついてなかった」
「アヤは仕方ないさ」
「……ごめんね……」
アヤは隣に座ると、何回も叩いてしまったプラズマの頬を優しく触った。
「……」
プラズマは眉を寄せた後、アヤの肩を抱いて優しく引き寄せた。
「……ごめん、アヤ……。あんたを睨み付けたり、暴力振るったりして。……男と女じゃ重みが違うよな。手加減はしたけど、それでも同等にはならなかった。ならなかったと思っている」
「そこまであなたを追い詰めてしまったこと、私はどう償えばいいかしら……。私を本当は許してないわよね」
アヤは大人しくその場に座っている。
プラズマに何をされても受け入れる、そんな気持ちも感じ取れた。
「もう終わったし、俺はあんたに仕返ししているんだ。もう終わりでいい。本当にもういいんだよ、アヤ。俺からの暴力暴言をそんな震えながら待たなくったっていい」
「……でも……」
「被害者の俺がいいって言ってんだよ」
プラズマはナオの裁判時にアヤが発言した言葉をそのままアヤに言った。
アヤと同じ気持ちだとプラズマは遠回しに伝えたのである。
アヤは何も言えず、プラズマに頭を下げた。
プラズマは優しくアヤの肩を二回叩くと笑顔になった。
「んで? まさかなんか仕返しを期待して来ていたり? 何してほしいよ?」
「そ、そんなんじゃないわよ! あなたを心配していたのよ! ほんと、なに考えてるのかわからないわ!」
アヤが顔を赤くして怒り、プラズマは苦笑いを浮かべた。
「だってよ、あんた、逃げないじゃねぇか……。なんかされたいのかと……」
「……ちょっと一緒に話したいと思っただけよ!」
「ああ、そうか。今回、お互いに精神的にきたもんなあ……。いいよ。ちょっとだけ……寄り添おうか」
「……いいのかしら」
アヤが頬を赤くしてプラズマの顎付近に頭を寄せる。プラズマもやや頬を赤くしていたが、お互い拒むことはなかった。
「いいんじゃね? アヤ、感情の整理をするんだ。トケイのこと、こばるとのこと、先も見えないから不安かと思う。だけどな、時神皆があんたの味方をするよ」
「ありがとう……プラズマ」
二人は暑い中、夕陽が落ちるのをただ、眺めていた。
四話
栄次は台所で取れたてのトマトを洗うリカに声をかけた。
「あー……えー……リカ」
「あ、栄次さん、どうしました?」
リカは笑顔で栄次を仰いだ。
「聞いておきたいことがある」
「はい」
「自分の感情を疑っていたな。正しいのか正しくなかったのかを」
栄次の言葉にリカは表情を曇らせた。
「はい……スサノオ様に言われて……わからなくなりました。私も感情のまま正しい道を歩んでいると思っていました。ですが……もしかしたら世界のシナリオ通りに動かされているだけなのかもとも。妄想みたいでイヤですよね」
「……いや、自分の考えを疑うことは大事だとは思う。実は今、プラズマがそれを悩んでいる」
「プラズマさんが? あ、ちなみに伍(向こうの世界)ではこういうのがいきすぎると境界乖離性妄想症(きょうかいかいりせいもうそうしょう)っていう精神疾患の診断が出されます。文字通り夢の世界から帰って来れなくて現実離れしたことを話していたり考えていたりする人にこの病名がつきます。精神科に入院が必要です。私は間違いなく伍では入院ですよ」
リカは苦笑いを栄次に向けた。
「そんな病、聞いたことないぞ」
「こちらでは想像物が存在するのでないと思います。精神をこちらにとどめるための薬を注射されるそうです。実は……魂もソウハニウムという物質でできていると解明されました。ソウハニウムはタンパク質とくっつくらしくてタンパク質の劣化によりソウハニウムは離れていくそうです。ソウハニウムがなくなると死ぬみたいです。なので、最近はソウハニウムが離れない仕組みを……って、わかりませんよね。こちらでは全く違うニュースをやっていますし」
「……全くわからん」
「壱と伍ってこんなに違うんですよ。妄想症はこちらにきてわかりましたが、壱に引き付けられてしまう人を伍に留めるための世界のシステムなんでしょうね。だんだん考えすぎて、今の私が妄想症にかかっていて、伍で入院してるだけなんじゃないかと自分がわからなくなってきています」
リカは栄次を不安げに見上げた。
「……リカは色々考えているのだな」
「そうですね。こちらの世界はとても不思議です。ないものが存在しています」
リカはトマトを洗いながら答えた。
「そうか。俺達も……存在を否定されるのか」
栄次の一言にリカは止まった。
「……悲しいですね。私達はちゃんとここにいて、感情を持っているのに、これは世界のシナリオなのかと考えてしまう……。そういう私の気持ちにも悲しくなります」
「……俺達は生きた歴史がある。それは紛れもない俺達だ。更夜やスズは……人間の時代が作った犠牲者だった。自分達で考え、もがき苦しんだ。それが世界の筋道ならば、彼らは考えて追い詰められる方向にはいかないはずだ。道を間違えたのだ。間違えることは大事なことだ。俺が更夜を斬ったのも間違いだった」
「栄次さん……」
リカは目に涙を浮かべると栄次の手を優しく触った。
「……俺は……もし、これが運命で決まっていたのだとしたら、世界の道筋でも良かったと思っている。こうやって願っていた更夜と友になれ、スズが子供らしく笑えている」
「……そうですね。その通りです。私は……選択を間違ってはいないでしょうか……間違っているのでしょうか?」
リカは目を伏せて栄次の手を握る。
「リカ、この世界は正解不正解の積み重なりで結果が出る。どちらだかはわからぬが、現在、誰も不幸になっていないならば良い選択だったと言える。ナオは選択をあやまり、罪を償っている。そういうものだ」
「確かにそうかも……少し、気分が楽になりました」
「……故に……気に病むなと言いにきたのだ」
栄次は手を握られ、恥ずかしそうに目をそらした。
「あ、ごめんなさい。つい……」
「か、かまわぬ。生きているあたたかさを感じる故」
「トマトを水洗いしていたので冷たかったですよね」
「……手伝おう。ずいぶんと……沢山だな」
栄次は何かにわけられているトマトの山をあきれた顔で見つめた。
「ありがとうございます! トマトの種類毎にわけています! 一緒に食べ比べてみましょう!」
「あ、ああ……」
ふたりは仲良くトマトを洗った。
エピローグ
時神達はそれぞれの時間を過ごした後、更夜がいる屋敷に向かう。サヨの迎えで屋敷に入ると、ルナやこばると、スズが騒いでいた。冷林もいた。
「子供は元気でいいなあ……。あ、冷林いたんだったな。忘れていたぜ……」
プラズマがつぶやき、更夜に挨拶をした。
「……色々と作ってしまい……品数は多いが腹は減っているだろう?」
更夜が時神達を部屋に案内し、トケイが食事を運びながら手を振っていた。
「おじいちゃんの煮しめ、おいしいからオススメー!」
サヨが楽しそうにグラスなどを持ってきて言った。
「つまんだのか? 全く、行儀が悪い」
更夜のあきれた声を聞きながら時神達は座敷に座った。
「僕は甘いものを作ったんだ! デザートに出すから楽しみにね」
トケイが忙しなく更夜のお手伝いをしながらアヤを見る。
「ええ、あなたの甘いもの、おいしいもの。楽しみよ」
アヤは笑顔でトケイにそう言い、トケイは幸せそうに台所へ引っ込んで行った。
机には煮しめや魚、味噌汁、卵焼き、漬け物などが置かれ、なかなか豪華だった。居酒屋らしいメニューといえばそうだが、どちらかと言えば定食だ。
「そろそろ秋だからな。キノコの炊き込みにしてみたぞ」
更夜がキノコご飯のお茶碗を配る。
「……更夜、あの二時間足らずで大変な煮しめを作ったの?」
アヤに問われ、更夜は得意気に頷いた。
「手際はいい方だ。料理は得意だからな。キノコ飯に煮しめに使ったダシを混ぜた。なかなかイイ味だ。冷林、お前は……えー、リンゴジュースでいいか?」
更夜の声かけに冷林は自分のお茶碗を運びながら頷いた。どことなく嬉しそうだ。
「ちーっす! ウケモチ便でーす!」
ふと、毎回食事の時に現れる百合組地区の稲荷達が現れた。
「もー、毎回、配達便よそおわなくていいよ……。詐欺だし。食べに来ただけじゃん」
「ま、そんなとこー」
キツネ耳のミノさん率いる稲荷達をお部屋に入れながらサヨがあきれた声をあげた。
「わあ、おなかすいた!」
ピエロ帽子をかぶった謎の稲荷少女がちゃっかり座っており、キノコご飯を求めていた。
「いっぱい食べる!」
ミノさんと共に時神のおうちの庭の社に住む、幼女の稲荷イナも当たり前のように煮しめを小皿に盛っていた。
残り二柱の男稲荷は肩身狭そうだったが堂々と料理を待ち始めた。
「なんか……人数増えたな?」
更夜があきれた声をあげるが、まあ、お客さんだ。招くことにした。
おそらく冷林が呼んだのだろう。
稲荷はアマテラス神力関係。
プラズマや冷林に惹かれるようだ。
「はいはーい! 居酒屋と言えば! お、さ、け!」
スズが満面の笑みでお酒を持ってきた。
「更夜……女児に酒盛りをさせるな……」
栄次が頭を抱える。
「飲ませてはいない。手伝ってもらっただけだ」
「更夜の役に立てた! あたし、イケイケ!」
台所から更夜の声が聞こえ、スズが喜んだ。
「はあ……まあ、更夜のことだ。スズに危険が振りかかることはないだろう」
栄次はため息をつきながら、走り回るルナとこばるとを見据える。
「食事の時間だ。座りなさい」
「はーい」
「はーい」
「栄次さんが注意した……」
栄次が声をかけると、二人は素直に席についた。席についてからも脇腹のつつきあいをして笑っているが気にしない。
リカは栄次を見て驚いた。
「なんだ? 俺は……」
「いいと思います!」
「ああ……。リカ、先ほど沢山のトマトを食べていたが、まだトマトを食べるのか?」
栄次はリカの皿に沢山乗った冷やしトマトを見てあきれていた。
「栄次さん、玉ねぎのソースが乗っています。きっとトマトの酸味と甘味とコクを出すためのものです。早く食べてみたい……」
「そ、そうか」
栄次がなんとか返事をしたところで、更夜が話してきた。
「すごい人数になったが、居酒屋の試食会にきてくれてありがとう。おかわりはある。いっぱい食え。ああ、酒は『時神殺し』だ。存分に死んでくれ」
「と、ときがみごろし……時神の宴会の席に出すもんじゃねぇだろ……」
プラズマが苦笑いを浮かべ、宴会が始まった。
アヤは時神殺しを飲みながら料理を摘まむ。
「おいしい……」
自分も昔に作っていたような味。更夜の料理は懐かしい気がする。
ふと、冷林がアヤの肩を優しく叩いていた。
「……冷林? どうしたの?」
冷林は何かを言いたそうにしていた。
励ましているようにも見えた。
「ああ、ありがとう。気遣ってくれているのね? 冷林も高天原会議おつかれさま」
アヤは冷林の頭を優しく撫で、冷林は何度も頷いた。
夏の夜。
楽しい時間を皆で共有した。
アヤは知らない自分がいることに気がついたが、こうやって楽しむ自分がいることにも気がついた。
……ナオが刑期を終えたら優しく迎えてちゃんと話そう。もう一度手を取り合って前へ進もう。
それがプラズマへの示しとナオへの許しに繋がる。
今もナオは封印刑に苦しんでいるだろう。ひとりで苦痛に耐えなければならない。壊れずに出てきてほしい……。
「おいしい。このシャーベット、お酒にも良く合うし、子供も好きだわね。そして、甘い」
アヤは後でトケイになんて言おうかと感想を考えるのだった。
少しのせつなさを胸にしまいこんで。
(2024年完結)TOKIの世界譚⑥アヤ編