あれやこれや131〜140

あれやこれや131〜140

131 「ロッド・スチュワート」で始まり「ジェフ・べック」で終わるモノガタリー

 ロッド・スチュワート(1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。

 1960年代後半からジェフ・ベック・グループ、フェイセズでの在籍を経てソロで活躍。
 個性的なハスキーボイスの持ち主で、そのボーカル・スタイルは一部のロック・ミュージシャンに影響を与えた。(西城秀樹、沢田研二、ビートたけし等)
 B'zの稲葉浩志もロッドの歌声に影響を受けたといい、ロッドの声に憧れお酒でうがいをしたことがあると述べている。

 10代の頃にはプロ・サッカーの3部リーグのチームのトライアルも受けたことで知られている。ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっている。

 墓掘り人夫などの日雇い仕事を転々とした後、サッカー選手として西ロンドンを本拠とするブレントフォードFCに参加したが、わずか3週間ほどでクラブから退団。
 
「優秀な学力もなく、コネもない俺にとってサッカーは唯一の“希望”だったんだ」
 15歳になったロッドは、音楽の楽しさに目覚めつつも、イングランドのプロリーグ所属のブレントフォード・フットボールクラブにその才能を見出されて“見習い”として契約を交わす。
 しかし、彼を待っていたのはスパイク磨きや更衣室の清掃の日々だった。
 彼はそんな雑用ばかりの“プロ見習い生活”に見切りをつけて……たった2週間でイングランドのサッカー界から姿を消すこととなる。
 当時のことを振り返り、彼はこんな言葉を残している。

「俺は更衣室の清掃を1度も馬鹿にしたことはない。当時、クラブで俺がサッカーの才能をまったく披露しなかったわけじゃない。ほんの一瞬であれ、ブレンドフォードが俺に興味を持つぐらいは見せたつもりだ。」
 墓掘りをしていたというのは都市伝説らしい。

 いくつかのグループを経て、1966年にジェフ・ベック・グループにヴォーカリストとして加入。

 ︎ジェフ・ベック(1944年6月24日-2023年1月10日 )は、イングランド出身のミュージシャン。 
 日本では、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストのひとりとされている。
 1965年、エリック・クラプトン脱退直後のヤードバーズに参加。ミケランジェロ・アントニーオニ監督の『欲望』に出演、この映画でベックはギターを破壊している。

 ジェフ・ベックは、エリック・クラプトンと共に天才ギタリストとして60年代半ばから活躍しながら、性格やギターに対する姿勢はまったく違っていた。
 "神様"と呼ばれながらも、常にフレンドリーで誰よりも人間的であったクラプトンに対し、ベックは性格も利己主義で自分勝手、非情だとまで言われ、どこか近寄りがたい存在であった。
 ギター奏法においても、かなり独創的でトリッキーなことから、後継者になるようなプレイヤーも現れず、いつしか「孤高のギタリスト」と呼ばれるようになっていた。

 ジェフ・ベックがギタリスト達の間で未だにカリスマ的な人気を保っているのは、他の追随を許さないテクニックとセンス、並々ならぬギターへの情熱。
 ジミヘンが派手にプレイして有名になったフィード・バック奏法や大胆なアーミング・アプローチ(ギターに付いているトレモロ・アームという音程を変える装置を使ったプレイ)、ピック・ポルタメント(弦の上をピックでギィーっと滑らせる奏法)も、すべてベックの奏法を取り入れたものだ。

ジェフ・ベックは、
*もともとはピアノを習っていた。
*少年時代はロカビリーに夢中だった。
*ジミー・ペイジとは古い仲だが、彼を引き合わせたのはジェフのお姉さん。
*子供はいないはず。
*菜食主義者である。
*ミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンスのメンバーに誘われたことがある。
*ドラッグには手を出していない様子。アルコールや女性関係などの、スキャンダルらしいスキャンダルもない。
*改造車(ホッドロッド)が好き。車いじりが好き。
*古城に住んでいる。
*その古城でCharとセッションしたことがある。Charがそろそろ帰るといったら、もっとプレイしたいと拗ねたらしい。
*2000年暮れの来日時、久米宏がジェフにインタビューしたことがある。でもジェフのファンの間では不評(You Tubeで見られます)。
*アコースティックやガットギターの腕前はない。歌唱力もなく、作詞・作曲の才能もない。つまり、エレキ・ギター『しか』弾けない(これは最大級の褒め言葉ですのであしからず)。
*商売道具であるギターの扱いは雑。ある年の名古屋公演ではプレイが終わった後、近くにいたスタッフにギターを放り投げて渡していた。
*好きなギタリストはジミ・ヘンドリクスやジョン・マクラフリンなどなど。
*イギリス人だがサッカーには興味がないらしい。

 2023年1月10日 、ジェフ・ベック死す。
 ああ、ジェフ・ベック。ジェフ・ベック。

【お題】「ろ」で始まり「く」で終わるモノガタリー
 
https://search.yahoo.co.jp/amp/www.tapthepop.net/news/86556/amp%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1090910735?__ysp=44K444Kn44OV44OZ44OD44Kv56eB55Sf5rS7

132 ロマンティック

『ロマンティック』は、アントン・ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調 。
『ロマンティック』というタイトルと比較的親しみやすい曲想、ブルックナーの作品としては演奏時間もそれほど長くない、といった理由から演奏頻度が高い。

✳︎

 ベートーヴェン亡き後、19世紀半ば以降のドイツでは、ベートーヴェンが築きあげたものをどう受け継いでいくかという方針の違いにより、
【保守派】と【革新派】のグループに分かれていった。
【保守】ヨアヒム(1831-1907)、ブラームス(1833-1897)
【革新】リスト(1811-1886)、ワーグナー(1813-1883)

 あくまでも、音楽そのものだけで音楽を成り立たせようと考えていたブラームスと、ヴァイオリニストで作曲家のヨアヒム。
 それに対し、リストとワーグナーは、音楽に文学や物語の要素を持ち込むことで、新しい音楽の可能性を切り開こうとしていた。

 こんな対立構図になっていた19世紀後半のドイツの音楽シーンに、遅れてきたルーキーとして登場したのが、アントン・ブルックナー(1824-1896)だった。年齢的にはワーグナーとブラームスの間ぐらいだが、作曲家として本格的に活動をはじめたのが40歳からと、非常に遅かった。

 ブルックナーは作曲を習っている30代の頃に、師事していた先生からの薦めでワーグナーにハマり、後にはワーグナーに面会した上で自作を献呈している。
 ところが、ブルックナーには重大な欠陥があった。ワーグナーのオペラ(正確には楽劇)を観ても、物語をキチンと理解できなかった。
 そもそも、ブルックナーの本棚には、楽譜などを除けば、聖書ぐらいしかちゃんとしたものはなく、文学的素養が欠如していたのだ……

 だからこそ、ワーグナーを敬愛していてもオペラや、リストが創始した交響詩を書くわけもなく、文学・物語・歴史といった要素のない交響曲をひたすら書き続けた。
【革新派】としても異端の存在だった。

 そのため、20世紀前半まではドイツ語圏でしか評価されなかった。
 同時代の作曲家の中では、ドイツ語圏以外の諸国でも早くから受け入れられたヨハネス・ブラームスと対立する存在としばしば捉えられる。
 交響曲の歴史の中では、長大な演奏時間を要する作品を作り続けた点でマーラーとしばしば比較される。

 ブラームスはブルックナーについて、
「彼は知らず知らずのうちに人を瞞すという病気にかかっている。それは、交響曲という病だ。あのピュートーン(ギリシャ神話に登場する巨大な蛇の怪物)のような交響曲は、すっかりぶちまけるのに何年もかかるような法螺から生まれたのだ」
と非難していた。

 第3交響曲は1872年に着手し、1873年に初稿が完成した。
 この初稿により1875年、初演が計画されたが、リハーサルでオーケストラが「演奏不可能」と判断し、初演は見送られた。
 1876年、ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み、1877年に完成した(第2稿)
 同じ1877年、ブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮して、この曲は初演された。もっともこの初演は、オーケストラ奏者も聴衆もこの曲に理解を示さず、ブルックナーが指揮に不慣れであったことも手伝い、演奏会終了時にほとんど客が残っていなかったという逸話を残している。
 とはいえ、残っていた数少ない客の中には、若き日のグスタフ・マーラーもいた。この初演の失敗により、ブルックナーはその後約1年間、作曲活動から遠ざかった。

 1878年、この曲が出版されることとなり、それにあわせて一部修正を行った。
 1888年、再度この曲は大幅改訂され、1889年に完成した(第3稿)
 この稿は1890年に、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演された。この第3稿での初演は成功を収めた。

 ブルックナーの交響曲第3番は、朝比奈隆が晩年に愛し、そのスコアが棺に入れられたとも言われる。

 ︎ブルックナーはブラームスのことを
「彼は、自分の仕事を非常によく心得ているが、思想の思想たるを持っていない。彼は冷血なプロテスタント気質の人間である」
と評していたという。

 ブルックナーはまた次のようにも言っている。
「ブラームスのすべての交響曲よりも、ヨハン・シュトラウスの1曲のワルツの方が好きだ」
「彼はブラームスである。全く尊敬する。私はブルックナーであり、自分のものが好きだ」
 
 一方でウィーンの音楽会が何でもかんでもブラームス派とワーグナー/ブルックナー派の真っ二つに分かれていたわけではなくブラームスの親友として知られるヨハン・シュトラウスはブルックナーを称賛しており、
「私は昨日ブルックナーの交響曲を聴いた。偉大でベートーヴェンのようだ!」
と評している。

 1889年10月25日、共通の友人たちの仲介でウィーン楽友協会の脇の食堂でブルックナーとブラームスが会食することとなった。
 ブラームスの行きつけの食堂として知られるが、音楽家や批評家の集まる店として知られ、ブルックナーやマーラーも頻繁に訪れていた。
 ブルックナーの手帳には
「10月25日、ブラームスと赤いハリネズミで外食」
と書き込んである。
 当日、ブルックナーが先に来ていて、後から来たブラームスは黙って長いテーブルの反対側に座るなりメニューを見たまま黙り込み、気まずい雰囲気となった。
 メニューを決めたブラームスが
「団子添え燻製豚、これが私の好物だ」
と言うと、すかさずブルックナーが
「ほらね先生、団子添え燻製豚、これがわしらの合意点ですて」 
と応じ、一同は爆笑して一気に座が和んだ。
 しかしその後もふたりの仲が好転することはなかった。

 ブラームスはブルックナーの生前最後に初演された大作である交響曲第8番に対しては称賛している。ブラームスが知人に
「ブルックナーの交響曲8番の楽譜を早く送ってほしい」
と依頼したこともある。この頃になるとブラームスは自分の引き受けられない仕事をブルックナーに振るように根回しした。

 1892年、ウィーン国際音楽演劇博覧会が催されることになり、ブラームスのもとに祝祭のためのカンタータ作曲の依頼が届いた。しかしブラームスは、依頼を持ち込んだリヒャルト・ホイベルガーに対してこう返答した。
「身にあまる光栄で感謝しておりますと、失礼のないようにお伝えください。イベント関係には関わりたくないんだ。ブルックナーに頼むよう取りはからってよ」

 ︎
1892年12月18日。交響曲第8番の3楽章が静かに終わると、待っていたかの様に大喝采が鳴り響いた。(当時の演奏会では楽章間に拍手が入るのは通常のことだった)
 その大喝采の中、やや小柄なふたりの紳士はそそくさと客席を離れ、舞台袖の人目につかない秘密の特等席に腰を下ろした。
「ここで最終楽章を聴くのである。やはり思った通りの音である。これは大作である。しかし、認める訳にはいかない音楽である」

 この日のウィーンフィルの定期演奏会は、フィルハーモニー始まって以来の大喝采。圧倒的な終楽章が終わり、興奮冷めやらぬ会場を先程のふたりの紳士がそそくさと出ようとした時、出口に大きな銀皿に揚げパンを山盛りにし、ウロウロしていた大柄で、だぶだぶの黒服を着た男が呼び止めた。
「ハンスリック先生に博士(ブラームス)殿! 今日はほんま聴きに来て頂いておおきに。エライ大成功ですわ〜」
「やあ、これはこれはトーネル君。ハ短調交響曲の成功おめでとう。しかし、その大量の揚げパンは何であるか?」
「へぇ。舞台がハケましたらリヒター先生(初演指揮者)と食べよ思いましてな。おふたりも食べまへんか?」
「いや、結構である。それではおやすみ。である」
「へぇ。それでは車までお送りします」

 ブルックナーは本日の主役であるにも関わらず、冬の寒い中、急いで先回りして車のドアを開けた。
「ささ、どうぞ」
ハンスリックに続きブラームスが馬車に乗ろうとした時、彼は口を開いた。
「アントン君。私。あなたの交響曲。理解不能」
ブルックナーは答えた。
「そうでっか。ワシも博士殿の交響曲に関しては同感ですな」

 帰りの車中、ハンスリックは静かにつぶやいた。
「あのリンツの田舎合唱指揮者がここまで成長するとはな。である」
ブラームスもわずかに同調するように頷いた。
「ブルックナー、確かに天才」

 交響曲第8番初演当日、ブルックナーは指揮者リヒターへのねぎらいとして、本当に48個の揚げパンを皿に盛って、出口で待っていた。
 
 1959年にカラヤン=ウィーン・フィルの来日公演でブルックナーの交響曲第8番が演奏された際、『ブルックナーだけでは客の入りが心配』という日本側の要望でモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークも演奏することになった、という逸話もあったという。

 ブルックナーは最後の交響曲である第9番を第3楽章まで書き上げたが、完成をさせることが出来ずにこの世を去った。終楽章には巨大なフーガ楽章を置こうと考えていたようだ。
 けれども、この曲は未完成であるにもかかわらず、音楽のとてつもない深遠さによって圧倒的な存在感を与えている。幸いなのは第3楽章アダージョが、あたかも完成された曲の終結部のように感じられる。この楽章までを聴き終わった後に少しも不自然さを感じない。むしろ、この楽章に続くのにふさわしい音楽が果たして存在し得るかどうか……
 もしや未完成に終わったのは、ブルックナーの命の時間切れの為ではなく、人智では到底作曲が不可能だったからなのでは?

 それにしても、この第9交響曲はとんでもない曲だ。これはもう音楽であって音楽でない、とてもこの世界のものとは思えない、宇宙そのもののような印象。初めてこの曲を聴いた時には、遠い宇宙の果てに一瞬にしてワープさせられたような感覚に陥る。
 第1楽章の導入部は真に圧倒的で、これほどまでに印象的なファンファーレはリヒャルト・シュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りき」ぐらいしか思いつかない。正にカオスの中に生れた宇宙のビッグバン。そして宇宙の鳴動のような第2楽章を経て、第3楽章アダージョの終結部のカタルシスが過ぎ去ったあとに訪れる静寂は、天国的というよりも、全てが「無」に帰ってしまったかのごとき印象……

 この曲を鑑賞して「愉しむ」ことはなかなか難しい。余りに音楽が厳し過ぎる。けれども、この曲に真摯に向きあった時には、とてつもない感動が得られる。これほどの音楽に匹敵するのは、交響曲に限定すれば、マーラーの9番、ブルックナーの8番、ベートーヴェンの第九ぐらいではないだろうか?

 ︎
 ブルックナーの葬儀の際、ブラームスは自宅の目の前にあったカールス教会の入り口に佇み、葬儀の様子を遠巻きに見ていた。
 会衆のひとりが中に入るように促すと、
「次は私の棺を担ぐがいい」
と言い捨てて雑踏に消えた。
 しかしまた戻ってきて、当時8歳だったベルンハルト・パウムガルトナーによると「好奇心の強い会衆から隠れるようにして」
柱の影で泣いていたのが目撃されている。
 ブラームスもそれから半年後の翌1897年4月3日に死去した。

✳︎

 長々と、拙作『お気に入りの音楽』から転記しました。

 ブルックナーで1番好きな曲はロマンティック。


【お題】「ろ」で始まり「く」で終わるモノガタリー

133 孫の憂鬱

 長女の長女の七五三。まあ、どこのお嬢さん?

 長女が着た30年以上前の蝶の模様。着付けもネットで見て、髪も長女が結った。母に似ず器用だ。

 パパは働き者。家でのお祝いには両方の親が手作り料理の差し入れ。

 幸せだ。だが娘には大きな悩みが。


 2学期になって、孫の様子がおかしいと娘から聞いていた。
 3歳児健診で発達障害グレーゾーンと言われた。幼稚園年少では、教室から脱走。運動会では先生の隣で1番高くジャンプして目立っていた。
 しかし、年長になると落ち着いて、褒められて喜んでいた。
 
 入学し、担任が若い男性で、孫ははしゃぎ、先生の膝の上に座るとか……

 2学期になるとクラスの4人の問題児のひとり。喧嘩ばかりしていると呼び出しが。
 ひとり強い女の子がいて、(5人兄弟の1番下)中指を立て「死ね」と言う。

 中指を立てる……私はこの歳になるまで意味を知らなかった。調べてびっくり!
 7歳の女の子がそれを? はやっているとか。
 アメリカで警官にそれをしたら逮捕される……

 家で遊んでいて突然娘に言った。
 胸ぐらをつかまれた。グーで殴られた。
「クズやろうってなに?」
 
 はじめは、他の子がやられているのを止めに入ったらしい。お節介なのだ。それが悪いと先生に言われた。
 
 やられたら、黙っている子ではない。拳を振り上げ、廊下を全速力で追いかけた。

 学校に行けばクラスの子に
「◯ちゃん、喧嘩ばかりしてるよ」
と言われ、娘は参っている。
 ストレスなのか、家では怖い、怖い、と娘にべったり。娘が動けば犬と孫が追いかける。

 そんなこんなで、昨日はうちに来て泊まっていった。ひとりで泊まったのは初めてだ。
 祖母から見れば問題ないように見えるのだが。遊びながら、本を読みながら、ときどき言う。
「死ねって言われた」

 なんとアドバイスしてやればいいのやら。 
 施設のネコヤナギさんの話をした。

「バカヤローしか言わないの。言えないの。でもね、おばあちゃんは、ありがとうって言われたと思うことにしてる……
 それでも、頭に来たら、豚がブヒブヒ言ってるって思うの」
 孫は笑う。わざと大声で笑う。
「ブタ、なんて言ったらダメだよ。よけいケンカになるから」
まずいことを教えたかな。 
 
 死ねって言われたら、幸せよ、と返してやりな。
 クズはくず餅食べる? と。
 くず餅ってなあに?

 クラスも会社も運だと思うが、どうしたものか?
 

 
 

134 赤色エレジーとアザミの歌

 あがた森魚(もりお)さんの『赤色(せきしょく)エレジー』
 レコードを買ったわけでもないのに、何故か覚えている、メロディーと歌詞、歌手の変わった名前。調べてみたらまた発見が……

 ︎
作詞 あがた森魚、作曲 八洲(やしま)秀章

愛は愛とて何になる
男一郎 まこととて

『赤色エレジー』は、林静一が漫画雑誌『ガロ』に1970年1月号から1971年1月号まで連載した劇画。
 また、同劇画をモチーフとして1972年4月25日に発売されたあがた森魚のシングル曲。

 漫画があるなんて知らなかった。赤色は赤貧のこと。
 主人公は幸子と一郎。ふたりはアニメ業界の底辺で仕事をしている。小さなアパートの一室でいっしょに暮らしているが、お金も将来の展望もない。
 一郎は漫画家になりたいのだが、道は開けない。幸子は親に普通の結婚を迫られている。
 特別な事件はなく、傷つけ合ったり、仲直りしたり……出口が見えない情況の中でふたりのせつない生活が続く。
 このマンガに惚れ込んだあがた森魚が同名の唄を作り大ヒットした。当時の大学生には幸子と一郎の世界に憧れて同棲するカップルもあった。

 林静一の同名劇画に、あがたが感銘を受けたことにより作られた。そのため、林がシングル盤のジャケットイラストを描いている。

 曲が八洲の作曲した『あざみの歌』に似ていることからレコード会社側の判断で八洲の作曲と表記したが、実際は作曲もあがたが手掛けている。
 あがたは直接八洲と会っており、その際に八洲から譜面を出されて、
「一緒じゃないか」
と指摘されるも、
「別にあなたの曲を聴いてこの曲を作ったわけじゃない」
と反論、押し問答をしてそのままになった。
 後日、
「作曲者は八洲先生になりました」
と報告を受け、解せないまま終わりになったという。
(wikipediaより)

 たまたま車の中で『あざみの歌』を聴き、そのときに似てると思ったから『赤色エレジー』を思い出したのでしょう。
 オマージュだのパクリだの、よくわからないけど……

 メロディーはたった12音階を組み合わせて出来ている。
 たった12音階のパズルでも『良いメロディー』と人間が感じられる組み合わせはごく僅か。
 自分が『良いメロディー』だと思って考えだしたメロディーが、既に既存曲で存在していた! なんて事も珍しくない……
 自分の知らない楽曲をパクってた……なんて、防ぎ用がありませんよね。

『無意識な盗作』を防ぐ為に使用するツールがある。
『弾いちゃお検索」はYAMAHAが制作しているツールで、メロディーの音階を打ち込むと、そのメロディーに似ている楽曲を表示してくれるというもの……


赤色エレジー
https://youtu.be/dKBFWMQHR58

あざみの歌
https://youtu.be/k_0Gy4j1aPU


【お題】 〇〇と△△にはこんな共通点があった!

135 断トツ

【お題】 タイピングの魔術師 

 よそのサイトのお題なのです。毎日12時に出題されます。毎日投稿しているかたが大勢います。
 今日はパス……と思うのですが、過去作から思い出すのです。

✳︎

 間違いなく彼は、タイピングの魔術師になれたはず。
 あの時代にタイプライターがあったなら……

 あまりにもすごくて、指が6本あるのではないか、という噂がまともに信じられていた。
 彼を超える者は現れないだろうと言われていた。

 彼は魔術師。

 文献によれば、繊細ながら非常に情熱的で力強い。
 あまりの衝撃に気絶する女性がいた話は有名だ。

 ひとつが壊れたら、次に移る。最初から3つ用意したこともあった。

 が、彼自身も最中に気絶することがあったという。
 
 当時天才少女として名を馳せていたクララ・ヴィーク(のちのクララ・シューマン)も、あまりの衝撃に号泣したという。

 
✳︎

『ラ・カンパネラ』は、フランツ・リストのピアノ曲。
 ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を編曲して書かれた。
 Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味である。

 リストが『ラ・カンパネラ』を扱った作品は4曲存在する。

『パガニーニによる大練習曲』第3番嬰ト短調は、数多くあるリストの作品の中でも最も有名なものの一つ。
 今日『ラ・カンパネラ』として演奏されるほぼ全てがこの作品となる。

https://youtu.be/8EaXf6fOFnA?si=Y9VSjJHhuOsYF6WM

 YouTubeを検索してもほとんどが馴染みのあるこのカンパネラ。他の3曲は難しすぎて演奏する者が少ない。
 リストも、将来弾けるものが現れるとは思わなかったのではないか?

✳︎

『パガニーニの“ラ・カンパネラ”の主题による華麗なる大幻想曲』は、1831年から1832年にかけて作曲され、1834年に出版された。『ラ・カンパネラ』を扱った最初の作品。
 ニコロ・パガニーニのヴァイオリンの演奏を聴き、大きな衝撃を受けたリストが
「僕はピアノのパガニーニになる!」
と決意し、自らの技術を磨き上げて作り上げたと伝えられる。


 この曲を弾いている動画はなかなか見つからなかった。ようやく見つけたピアニスト。
 ジョン・アンドリュー・ハワード・オグドン(1937年1月27日-1989年8月1日)は、イングランドのピアニスト、作曲家。
 1961年にブダペスト国際ピアノ・コンクールに優勝して国際的に名声を博し、1962年にはウラディーミル・アシュケナージと並んで、第2回チァイコフスキー国際コンクールを制した。
 1973年に重度の神経衰弱に見舞われる。1983年に前後して演奏活動に復帰した。その直後に、糖尿病と肥満の結果、肺炎を引き起こして急逝した。
 数々の記念碑的な偉業を残しており、リスト、ブゾーニ、ラフマニノフ、スクリァービンなどの名人芸を要求する作品の名解釈で知られる存在である。

 体系的な録音を古典作品に残さなかった(ベートーヴェンの録音は驚くほど少ない)ことが災いし、CD時代を迎えたばかりの頃の没後の一時期に、急速に忘れられた。しかし、廉価CD時代を迎えてBOX化が容易になった現在、改めて演奏にスポットが当てられつつある。
 2010年代のイギリスは、大型の国際コンクールで優勝できる人材を完全に失っており、最後の超ヴィルトゥオーソとしてのオグドンの偉業は、今後も揺らぐことはない。

 日本のピアニストではショパン国際ピアノコンクール、チャイコフスキー国際コンクールの2大国際コンクールにおいて唯一、両大会に入賞経験のある小山実稚恵さんが同曲について下記のように語っている。
「即興から生まれているとしか言いようがなく、右手で弾いたらなんでもないのに、左手を交差するように指示していたり、音でも視覚でも魅せるように意識して、わざと難しくなるように楽譜に書き添えていて、(リストは)真のヴィルトゥオーソだったと思う」
(Wikipediaより引用)

 現役で世界でもトップクラスのピアニストがこのように語る。リストの演奏技術が如何に凄いかがわかる。

https://youtu.be/tL17Qnx8bVI?si=2KP5CDMzKYdi5AvG

《パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲》を演奏したピアニスト
レスリー・ハワード
ブルーノ・メッツェナ
セルジオ・フィオレンティーノ
ジョン・オグドン
マルコ・パシーニ
碇山典子
ケマル・ゲキチ
小山実稚恵(テレビ番組内において一部のみ演奏)

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『パガニーニによる超絶技巧練習曲』第3番変イ短調
初版を『パガニーニによる超絶技巧練習曲』、
改訂版を『パガニーニによる大練習曲』と呼んで区別するが、実際はピアノリサイタル等のテレビ番組で大練習曲を演奏する際に誤って超絶技巧練習曲とクレジットされることもあり、初版と改訂版の区別がされていないことがある。 
  

《パガニーニによる超絶技巧練習曲》第3番を演奏したピアニスト
ジョン・オグドン
ニコライ・ペトロフ
レスリー・ハワード
大井和郎
ジャンヌ=マリー・ダルレ
ゴラン・フィリペツ
ヴォイチェフ・ヴァレチェク
阪田和樹
Elisa Tomellini

https://youtu.be/25St6t4go9k?si=ZyDcZcjsUSv2c6af

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『パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲』

 作曲は1845年で、改作版の『パガニーニの主題群による大幻想曲』
 演奏の機会は無いに等しく、レスリー・ハワードのリスト全集にのみ収録されている。

『ラ・カンパネラ』の主題と『ヴェニスの謝肉祭』の主題が交代で現れる。『ラ・カンパネラ』の主題を扱った部分は、『大幻想曲』と共通したものと新たに作曲された部分がともに含まれる。

 1845年の改作のようですが、今は演奏されることがほとんどないようです……

 レスリー・ハワード(1948年4月29日 - )は、オーストラリアのピアニスト。メルボルン出身。
 フランツ・リストのピアノ作品全曲録音集を残したことで有名。録音技術が確立してから今日(2016年)まで、ハワードしか録音を残していない曲が数多くある。他にも、現在安定して入手できる音源として存在している録音は彼のものだけ、という曲も多くある為に彼のリスト全曲録音集は資料として非常に価値のある貴重なものである。

 
『ヴェニスの謝肉祭』は、ナポリ民謡をもとにニコロ・パガニーニが1829年に作曲したヴァイオリン用の変奏曲。



『パガニーニのラ・カンパネラとヴェニスの謝肉祭の主題による大幻想曲』は、コンピューター演奏さえないと思ったら、見つけました。

https://youtu.be/yhpI2l3NylY?si=x8VsHmCLfgDcp9Oe

136 曲に罪はないが

 娘が中学時代、吹奏楽部で頑張っていた。朝練、昼練、夕練。土日も弁当を持って練習。

 コンクールの自由曲はシベリウスの『フィンランディア』
 先生は男子に言った。
「おまえ、歌え」
 それはかわいそう。男子部員はひとりだけ。パーカッションの背の小さな男子。

✳︎

 ロシアによるウクライナの侵攻以来、音楽界にも影響が広がっている。

 ロシアの作曲家・チャイコフスキーの大序曲『1812年』はシベリウスの『フィンランディア』に変更されている。

『1812年』はフランス・ナポレオン軍の侵攻を撃退したロシア軍を讃える曲で、大砲が楽器として使われていることで有名だ。
『1812年』はロシアの戦勝曲ということで、今この時代に演奏するのはふさわしくない、今の情勢を受け、演奏されなくなった。

 代わりに演奏されるのが『フィンランディア』帝政ロシアの圧政に苦しめられたフィンランドで、美しい祖国を讃え、独立と自由を求める国民の願いを表現している。
https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20220303_16559

 シベリウスはフィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められており、2002年にユーロが導入されるまで100マルッカ紙幣にシベリウスの肖像が描かれていた。同国では2011年以降、旗の日でありシベリウスの誕生日でもある12月8日を「フィンランド音楽の日」として祝っている。

 シベリウスの有名な作品である交響詩『フィンランディア』は、映画『ダイ・ハード2』の中で、ストーリーに合わせて効果的に流れていた。 
 フィンランド出身のレニー・ハーリン監督にとって、主人公が果敢にテロリストと戦う姿と、『フィンランディア』が結びついたのだろう。
https://koukou2022.seesaa.net/article/201007article_3.html

『フィンランディア』は重苦しく始まり、激しい戦いのような部分を経て、最後は晴れやかな賛歌が歌われる。
 この曲が書かれたのは1899年、当時のフィンランドはロシアの支配下で圧政に苦しんでいた。そんな状況でこの曲は、単なる音楽作品を超えた民族意識の象徴となる。
 ロシア政府はこの曲を警戒し、なんとか演奏をやめさせようとした。しかし演奏家たちは、たとえば《フィンランドの春が目覚めるときの幸せな感覚》だとか《スカンジナビア合唱行進曲》とか、別の名前でプログラムに載せることで、ロシアを出し抜いた。
 やがて、この曲の最後に出てくる賛歌のメロディは歌詞を付けられて歌われるようになり、フィンランドが独立国となった現在でも第2の国歌として親しまれている。
https://ontomo-mag.com/article/column/suomi-japan-100-year-sibelius/

 
 フィンランディア賛歌(ちょっと感激した動画)
https://youtu.be/zpDHv-dugL8


【お題】 ちょっと男子、ちゃんと歌いなさいよ

137 健康寿命

 某サイトの難しいお題。突拍子もないお題。
『アイスの寿命』

 アイスに寿命があるのか?

 命に終わりがある~恋にも終わりがくる
『粋な別れ』 石原裕次郎

 それは賞味期限を過ぎて捨てられるということ?

 実はアイスには賞味期限が表示されていないんです。
 しっかりした温度管理ができれば、極端に言うと10年後でも、理論上は食べることができるのです。
(イオンショップ北海道より)
 

 アイスクリームは何度か作っおいしいのは卵黄と生クリームと砂糖だけのもの。生クリームも植物性のではなく、乳脂肪35の高いやつ。大量にはできないけど。
 大量に作るときは、牛乳800ミリリットルと卵黄に砂糖、生クリームを1本。
(私が高校生の時に買った宮川敏子さんのレシピ。ゼラチンも入った。うろおぼえだけど)
 途中何度もかき混ぜて空気を入れないと、カチカチのキャンディー状になる。
 夜は寝てしまうので、朝になれば、もう、スプーンで叩いてもビクともしない。
 それを少しずつシャーベット状にして食べる。

 あと、アイスクリームを作る小さな器具も買った。それを冷凍室に入れて冷やしておき、材料を入れて撹拌する。
 検索したけど、もう発売されてないようだ。買ったのはかなり前。
 思い出した。『どんびえ』
 
 
 この頃は市販のものを買うが、夏でも胃腸が弱い私はあまり食べない。夫が好きなのはアイスまんじゅう。
 酒も飲むしアイスも食べる。

 退職して酒の量が増えても、もうなにも言わなくなったのは、もう、死んでもいいってことだからね。
「ポックリ逝ってよ」
と口にする。
「介護させないで」

 この間、食器を整理して、
「湯呑み茶碗、10個も使わないだろう?」
と言われた。
「処分しようと思うんだけど、あなたが死んだら必要になるでしょ?」

 いや、今は病院から火葬場の霊安室みたいだから、やはり使うことはないか?

 アイスを検索したら恐ろしいものが……

 ラクトアイスは乳固形分を少なくして、植物性油などを加えているが、この油に健康を害するトランス脂肪酸が含まれている……

 トランス脂肪酸は、悪玉コレステロールを増加させる働きがあるとされ、心臓病などのリスクを高める恐れがある。
(うちの夫は心臓病)

 また、トランス脂肪酸の摂取により活性酸素の生成が促され、老化の原因となり、ガンなどを誘発する危険性も出てくる。
 世界ではこうした体への悪影響から、廃止の傾向が強まっている。が、日本ではそこまで注目されていない……(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_eikyou/trans_eikyou.html

 マーガリンとコーヒーの植物性ミルクが、悪いのは知っていたけど。


 平均寿命より、健康寿命を伸ばさねば!

138 愚かな発明

 昔、貧乏で年をとった漁師がいた。いくら働いても、妻と3人の子どもをかかえて、満足に食べてもいかれなかった。

 ある朝、いつものよう浜にやってくると、網を打ったが、魚1匹もかからなかった。
 かわりに首の長い真鍮の壺がひとつ入っていた。壺の口にはしっかりと鉛の蓋がしてあって、まわりに神さまのみ名をきざんだ封印がしてある。 
 漁師はナイフを取り出し蓋を開けると、煙が出て、中から見たこともない四角いものが出てきて、雲に届くくらい大きくなった。
 それは大声でわめきはじめた。
「どんな方法で殺してもらいたいか?」
 漁師は、びっくりしてしまった。
「な、なんで出してやったワシを殺すのだ?」
「オレはスマホだ。人間をダメにすらから神様に長い間閉じ込められていたのだ。
 最初は助けてくれたものには、どんなことでも願いを叶えてやろうと思った。しかし、長すぎた。しまいにはむしょうに腹がたった。いや気が狂ったといったほうが、いいかもしれん。
 今後、もし助けてくれるものがあれば、これはもう情け容赦なく殺してやろう。そして、ただ、どんな死に方がいいか、それだけは選ばせてやろう、と誓ったのだ」
 聞くと、猟師は、すっかりおろおろしてしまったが、妻と3人の子のために必死に考えた。
「では、死に方を決める前に、ひとつだけ、頼みがある。神のみ名に誓ってだよ。ひとつ、これから聞くことに、正直に答えてもらいたのだ」

 こうまで言われては、まさか断るわけにもいかず、何を聞かれるのだろうかと、心配しながら、スマホは答えた。
「なんでも聞け。だがぐずぐずするな」
「おまえは、ほんとうに、この壺に入っていたのかね? ワシはそれが知りたいのだ。神さまの名にかけても、誓えるかい?」
「ああ、神さまの名にかけて、誓うとも。たしかに、その壺の中に入っていたさ。正真正銘まちがいなしだ」
「ところが、それが信じられんのだよ。こんなちっぽけな壺の中に、おまえみたいなデカいやつが入れるわけがないじゃないか。どうしたって、そんなからだを、すっぽりおさめることなんて、できっこないよ」
「なにをいうか、誰がなんと言ったって、たしかに、おれは、その壺の中に入ったいたのだ」
「いや、どうしたって、信じられっこないさ。もっとも入って見せてくれるのなら、話は別だがね」
と、たちまち、スマホの姿はみるみる白い煙になり、大きな煙のかたまりは、壺の口にすいこまれていった。
「どうだ、疑い深いやつめ。さあ、これで、すっぽり入ったぞ。まだ、信じないかな?」

 漁師は鉛の蓋を手に取ると、大急ぎで閉めてしまった。
「やい、スマホ! 今度はおまえが命乞いをする番だぞ。どういう殺され方がいいか、早く決めるのだ。いや、それよりも、海の底に投げ込んでやるほうが、いいかもしれぬて」

 スマホはカンカンに怒ったが、封印があるので、あとの祭り。
「おじさん、おじさん、けっしてひどいことはしやしない。いやそれどころか、どうすれば、大金持ちになれるか、それも教えてあげるから」
 漁師は2度と騙されない。
「もう1度網を投げてみろ。すごいものが引っかかるぞ。王様が、目もくらむほどの大金で、お買いあげくださるはずだ」
「それはどんなものなんだ?」
「人間が発明した愚かなものさ。神様は封印したんだ」
「なんだい? いったい?」
「カクとシュウキョウ」


【お題】 スマホが話し出した!一言めは?

139 告白

 【お題】 100円泥棒

 泥棒、なんて、真面目な私には縁のない言葉。
 100円泥棒……

 お題は、いろいろなことを思い出させてくれる。忘れていたことを思い出させてくれる。
 
 おとうさん。
 100円泥棒は私です。
 気がついていましたか?

 あの夏、あなたが作った家族旅行の貯金箱から、何度か100円玉をくすねました。

 半世紀前の夏休み、中学2年の私は本屋に入り浸り。どうしても欲しい本があった。忘れてしまったけど、たぶん探偵小説。
 お金が足りなくて、タンスの上にあった缶を逆さにしてみたの。
 あの缶は、中身はどうやって出したのだろう? コインを入れる切り込み以外、開ける場所はなかった。みかんか桃の缶詰じゃなかったのかしら?
 それに、あなたが自分で書いた東北地方の地図を貼った。

 あなたの故郷は東北の貧しい農家。15で東京に出てきたあなたは、頑張った。
 頑張って、ようやく家族を連れて、いなかに帰る。計画した東北周遊旅行。

 数ヶ月前から、家族で小銭を貯め始めた。あなたはときどきは少ない小遣いから千円札を。私と姉も小銭を。
 皆で協力していた大事な貯金から、私はくすねたのです。
 ピン留めで100円玉を出して、本屋に走った。

 ああ、題名が思い出せない。
 そんなことを2度、3度、4度、5度くらいやりました。

 旅行の前日に皆の前で缶を開けた。
「思ったより少ないな」
と、あなたはつぶやいた。
 まさか、私がしたことに気がついた?
 それとも、疑いもしなかった?

 東北旅行は楽しかった。上野から乗った汽車は混んでいて座ることもできず、途中まで身動きもできなかったけど。
 松島の遊覧船であなたは説明してくれたけど、私はわからなくて、あさっての方を見ていると笑われた。
 仙台からの夜行列車も混んでいるかと思ったら、すいてて座れてホッとした。
 あれ、旅館にも泊まらず、今思うとすごい節約旅行。朝早く青森に着いて、十和田湖巡って秋田の実家に。

 初めて会った祖母や伯父叔母は、なにを喋っているのかわからなかった。久々の、本当に久々の帰郷に親戚が大勢集まってきた。楽しい家族旅行だった。

 あなたは私が就職すると、母と毎年旅行した。北海道、山陰、四国。そのたび私と姉は小遣いを出し合った。いい娘たちだったでしょ?

 4度目の旅行はできなかったね。母はあなたよりずっと先に逝ってしまった。
 姉は嫁ぎ、私とあなたはふたり暮らし。私も頑張ったのよ。朝ごはんと弁当と、夕飯も作ったでしょ。
 若い私のほうが、小さな会社勤めのあなたよりボーナスがよくってさ。あなたに、背広とコートを買ってあげたわね。
 いらない、いらない、って言うのを連れ出して、大盤振る舞い。
 あれで、もう100円泥棒は帳消しよね。

 そのあと私は、あなたと郷里が同じ伴侶を見つけて、あなたは大喜び。酔うといなかの話をしていた。ふたりで1升、2升軽く空けて……

 娘ふたりのあなたは、男の孫ができたら大喜びで、デパートで兜を買ってきてくれた。あれも大盤振る舞い。
 あの兜は、あなたのひ孫にあげたからね。

 私が生活に大変になると、あなたはよく小遣いをくれた。私は子どもを連れて、ひとり暮らしの部屋を掃除に行った。
 酔ったあなたは大盤振る舞い。それを当てにしていた、情けな〜い。

 でも、やがてあなたには介護が必要になり、娘ふたりでよかったね。姉の家に引き取られ、私はよく面倒をみたでしょ? 長かったわ。
 義兄が、なにもしないのに根をあげてね。
 施設に入れて……民間の施設だから、あなたの年金では足りなくて、2年の間、足りない分は姉と折半。
 子どもに金のかかる時期で大変だったのよ。

 だから、もう、いいでしょ?
 100円泥棒のことは忘れましょ。

140 幽霊作曲家

 孫にせがまれ『戦慄の都市伝説大百科』という本を買ってあげた。7歳の女の子はYouTubeでも観ている。怖いくせに観たがる。そして、そんなものはいないんだよ、と言ってもらいたいのだ。
 私もパラパラとめくってみて、興味深いものを発見。

✳︎

 子どもの頃、白い幽霊を見た。
 黒いガウンを着た、白い髪の幽霊が現れて言った。
「君を有名な音楽家にしよう」

 少しして、リストの写真を見て、あの時の幽霊が、リストだったことを知った。

 それから何十年も経った。
 リストは再び現れた。

 それ以降、ベートーベンやバッハなどの作曲家の幽霊も現れた。
 そして様々な曲を書かせた。

 孫の『戦慄の都市伝説大百科』より

✳︎

 1970年代に入ろうとする頃、ひとりのイギリス人女性にマスコミの注目が集まり始めた。
 名前はローズマリー・ブラウン。50歳前後の、見る限りはごく普通の一般女性である。

 関心は、彼女が持っているという、ある特異な能力に向けられていた。

 霊界と通信している、死者と対話しているというのだ。

 つまり霊媒である。
 彼女の交信相手は、音楽史上に名を連ねる楽聖たちであり、霊界からやってくる彼らに頼まれて、彼らの作曲する楽曲を楽譜に記録していると主張したのだ。

 幽霊たちの代筆をしている……まさしくゴーストライターである。ゴーストの立場が逆だけど。

 彼女がコンタクトしていたという作曲家(の霊)は錚々たるものだった。

 リスト、ショパン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、グリーグ、ドビュッシー、ラフマニノフ、ヨハン・バッハ、ベルリオーズなどなど。

 モーツァルトやプーランクなんかもちょこっと来たものの、あまり仲は良くなかったらしい。
 ジョン・レノンの代筆もいくつかあるという。音楽家のほかにも、アインシュタインもよく来たそうだ。

 普通なら、狂人の妄言、あるいは目立ちたがり屋の狂言の類と片付けられて、相手にされなかったに違いないところだが、ローズマリーは実際に、楽譜を多数、それもわずかな期間に、個人の能力を超えていると思われる量の楽譜を生産していた。
 それぞれの楽譜も、リストならリストの、ベートーヴェンならベートーヴェンの作風の個性や記譜上の癖などがそれなりに認められるものだった。

 彼女は400曲以上書いたと記しているのだが、現在350曲ほどが確認されているらしい。

 リストが音楽を伝える方法は、口述筆記、リスト(の霊)が音名や和音を口にし、それを書き取るというのだ。他の作曲家についても同様だったという。

「彼等は、どこで和音になり、その和音を構成する音が何であるのかを私に言ってくれるのです。彼等は調号を指定し、一つ一つの音符を言ってくれます」

 作曲家によっては、彼女に憑依し彼女の手を操って自ら楽譜を書くこともあった。たとえばベートーヴェンがそうで、BBCの番組で彼の曲を書き留めてみせたときは、ものすごいスピードで自動書記のように楽譜が仕上げられていった。

 彼女はシューベルトから『未完成交響曲』の続きを聴かされたそうで、楽譜として完成させられたらと願っていたが、結実はしなかったようだ。

 やがて彼女が代筆した楽曲を、高く評価するプロの音楽家や音楽研究者も現れ出す。
 映画音楽で名高い作曲家リチャード・ロドニー・ベネットは
「長年訓練を積んだ人でなければこれほどの音楽を偽造することはできないでしょう。
 ベートーヴェンの何曲かは、私だったら書けなかったと思います」
と漏らしたそうだ。

 だが、彼女は、ほんの数年ピアノのレッスンを受けたことがあるくらいで、音楽の素養はほとんど備えておらず、貧しい生まれだったためクラシック音楽を聴くという習慣すら、ろくに持ったことがないと主張していた。

 露出が増えるにつれ、本当は音楽的な訓練を積んでいるのではないのかという疑惑が付きまとうようになり、それらに対する牽制もあって誇張気味になっている節もあったのかもしれない。
 音楽的素養や技術が低ければ低いほど、彼女が書き付ける音楽の意外性という価値は高くなるわけだ。

 英国放送協会(BBC)は彼女のドキュメンタリー番組を放映し、フィリップス・レコードは彼女が書き留めた楽曲のアルバムを制作した。

 
 称賛と、同じくらいの量の批判や非難、懐疑が渦巻くなか、80年代に入ると高齢と病気のためにローズマリーの活動は少なくなり、次第に忘れられていき、2001年に85歳で亡くなった。

https://realsound.jp/2015/03/post-2796.html

ショパンの5番目のバラード ローズマリー・ブラウン
https://youtu.be/o3lySptSAg8?si=W0CB5XJ3Yi9nXFHS

あれやこれや131〜140

あれやこれや131〜140

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 131 「ロッド・スチュワート」で始まり「ジェフ・べック」で終わるモノガタリー
  2. 132 ロマンティック
  3. 133 孫の憂鬱
  4. 134 赤色エレジーとアザミの歌
  5. 135 断トツ
  6. 136 曲に罪はないが
  7. 137 健康寿命
  8. 138 愚かな発明
  9. 139 告白
  10. 140 幽霊作曲家