好きだった
初恋
中学1年のときに隣になったIくん。隣の席になったのは出席番号が同じだったから。
すぐに好きになった。男のくせにおしゃべりで、よく話しかけてきた。
I君は野球部に入り髪を短くしてきた。恥ずかしそうにしていたが、かわいかった。
I君はよく休んだ。休むと私は1日がつまらなかった。同じ小学校からきた女子が教えた。
おとうさんがいない。
図書館で偶然会ったことがある。私は友人とふたり。I君も知らない男子と一緒だった。
「Iの好きな女」
と、話しているのが聞こえ嬉しかった。
I君はよく休んだ。誰もなにも聞かない。先生もなにも言わない。私も、なにも聞けなかった。
I君は消えた。クラスから消えてしまった。I君の存在さえ、覚えていない生徒もいたのではないか?
覚えているのは私だけ。
半世紀が過ぎても覚えている。
I君になにが起きたのか?
先生はなにも言わなかった。誰も聞かなかった。
寂しかったが、どうすることもできず、せず3年が過ぎた。その間、好きな子もできた。I君のことは時々思い出した。誰に聞いても覚えていなかった。
卒業間近、他のクラスに転入生が来た。
それがI君だった。
私は廊下でI君を見た。ずっと見ていた。
I君は私を見て、思い出したのかはわからない。ふたりの距離は縮まらなかった。
卒業式にI君の名も呼ばれた。私は壇上で証書を受け取るI君を見ていた。
それが最後だ。
現実はドラマのようにはいかない。
卒業アルバムには載っていなかった。
それでも、初恋はI君だった。中学1年の数日間は楽しかった。
半世紀以上が過ぎ、I君の名前を検索してみた。
伊藤忠男? 忠夫? どっちだったか?
どこで、どうしていますか?
放送禁止歌
中学2年のときに同じクラスになった斉藤君。背が高かった。私の前の席。彼の隣は背の低い高砂さん。ふたりはいいコンビだった。1年のとき同じクラスだったのだろう。女の高砂さんが、斉藤と呼び捨てにしていた。高砂さんとはよく本の話をした。『真田幸村』を貸してくれたが、読めずに返した。ポワロが好きで、ふざけて私を「モナミ」と呼んだ。
斉藤君は毎日遅刻してきた。怒られても怒られても遅刻してきた。
斉藤君は後ろを向いて話しかけてきた。
「アイミー好き?」
「なに、それ?」
とは聞けなかった。喫茶店など入ったことはない。
「岡林信康好き?」
真面目な私はその頃、岡崎友紀も知らなかった。
私は真面目すぎるくらい真面目で面白くはなかったろうに。反応がないから気になったのかもしれない。授業中もしつこく話しかけて、先生に怒られていた。
1度だけ素敵だった。文化祭でギターを手に歌った。岡林信康の『くそくらえ節』
歌詞にびっくり。でも、先輩たちより魅力的。
卒業したあと、何度か電話がきた。家の固定電話だ。顔を見ないと私も話せた。同級生の女の子に何人かかけているらしい。
出した名前はかわいい子。かわいいけれど性格は我儘で、私は好きではなかったふたり……死んじまえ。
電話は定期的ではない。気まぐれにかかってきた。寂しいときの話し相手の何人かのひとり。私も長電話を楽しんだ。クラシック音楽が好きだというと、電話の向こうで鼻歌が。ツァラトゥストラはかく語りき……
高校を卒業して就職した。保険会社の本社勤務。その年発売された財形貯蓄のための新しい部署。発売されると忙しくなった。真面目な高卒の私は短大出の女性よりも信頼され、帳簿を任された。男性社員は残業続きで心配したほどだ。私も夜の9時まで残ったりした。短大出の子はふたりいたが、ふたりともよく休み、呆れるほど責任感がなかった。大卒の女性は服や化粧は大人の雰囲気、タバコも吸って最初は気おくれしたが、保険会社に入社しながら『保健』と書いた。字も下手で算盤もできなかった。ボールペン字と算盤は入社前の課題に出されていたのに。
それでも、飲み会でチヤホヤされるのは彼女たち……死んじまえ。
その頃また斉藤君から電話がきた。レストランでバイトをしているから食べに来い、と。何人かにかけたのだろう。会社のふたつ手前の駅。
よくひとりで行ったと思う。ノンノのモデルを真似た格好で。
「また、斉藤の女」
とヒソヒソ声が聞こえた。死んじまえ。
社会人になったふたりが久しぶりに会った。斉藤君は仕事中だから、たいして話せない。店の名は忘れてしまった。コーヒーを運んできたときに、『かわいがってね』という意味だと教えてくれた。
その夜電話がきた。本当に来るとは思わなかった、と。
その後も忘れた頃に何度か電話はきたが会うことはなかった。斉藤君は亡くなったのだ。心臓病で突然。高砂さんから電話がきた。
「親しかったでしょう?」
と。
葬儀には行かなかった。冷たいのかな?
今になって岡林信康を聴いている。斉藤君が聴いていたフォークのカリスマ、フォークの神様。
彼は本人の意識や意図とは別に、祭り上げられ疲れて山村に移住したのよ。今も音楽活動と農作業をしている。声も渋くなった。ボブ・ディランのように。歌詞もいい。
斉藤君の聴けなかった曲を私が聴いている。何十年も経ってから、死んじまったあなたを思い出している。
クラスメイト
地元の営業所に勤めていた頃、冬の暖房は石油ストーブだった。その日、灯油を運んできたのはいつものおじさんではなく、若い、背の高い男だった。
美形だ。口髭をはやしてかっこいい。この男は? あのおっさんの息子か? 店員か?
ああ、この男は知っている。
「高校、どこ?」
と、私は声をかけた。初めて(?)会った女は敬語を使わず、彼はムッとしたという。なんだ、この女? と。
「江南」
ぶっきらぼうに答えた。
「名前は?」
「……鈴木」
彼は再会に驚いたようだ。
驚いたようだ。あとで、きれいになった、と言った。
しかし仕事中。他の事務員もいた。年の近い女3人。ひとりは妻帯者と交際中。ひとりは妻帯者の所長に恋をしていた。のちに異動になった時には会いに行った。報われなかったが。
彼はすぐに帰った。確かクラスで、大学をストレートで合格した数少ないひとり。就職していないのか?
その夜電話がきた。電話番号は卒業アルバムに載っている。なんとなくそんな気はしていた。なぜかその頃は華やかだったのだ。
なんと、すぐ近くの喫茶店にいる……
ニットのワンピースを着ていった。あの頃は着られたのだ。体の線が出ても大丈夫だった。見直しただろう。目立たなかった同級生がグラマーでさ。
コーヒーは『キリマンジャロ』
これは、渡辺淳一の小説みたいに。
懐かしい思い出話。
惹かれてたのよね。鈴木君には。なのに私は、思い出してしまったのだ。彼を好きだった同級生の女子を。駅の向こうに住んでいる。ふたりでは気まずかったのだ。彼女を呼び出した。彼女は喜んでやってきた。卒業から4年以上経っている。
そういえば、部活の先輩を好きだった。でも友人も同じで私に相談した。私は協力してしまった。いつでも脇役だった。
しばし、3人で思い出話。その後、彼女を送ってから公園へ行った。私がヒロインか?
ベンチに座ると猫が来た。彼は猫の顎を撫でた。猫は離れなかった。高校時代はほとんど口を聞いたことがない。1度だけ……
「君は白馬に乗った王子様を待ってるんだ……」
みたいなことを言った。たぶん、国語の授業のせいだろう。『こころ』の感想。よく覚えていないが、変わっていたのだろう。
「Kが好きです。Kの孤独も、不器用なのも(あとは覚えてない)全部好きです」
「そうか、好きならしょうがない」
怖い教師がそう言った。Kは白馬の王子様ではないだろうに。
私は男子とはあまり話さなかった。恥ずかしかった。いつも空想していた。現実離れしていたのだろう。
送ってくれる車の中で話した。就職したけど辞めて、今はバイト。
原因は?
失恋。失恋? 手痛く打ちのめされ手首を切って自殺未遂。
酒も飲んでいないのに彼は話した。なんと言えばいいのか? バカね、と言ったのだろう。
彼は就職したようだ。次に灯油を運んできたのはおっさんだった。
そのあと、1度電車の中で偶然会った。忙しそうだった。少し話して、さよなら。
しばらくして電話がきた。かけたくはなかっただろう。営業の電話。英語教材、いらないよね?
……興味ない。ごめん。そして切った。
そのような電話は部活の先輩からもかかってきたことがあった。こちらも素敵な先輩で憧れていた。相手にはしてもらえなかったが。
突然の電話。懐かしがった後に……マンションなんて買うわけないじゃない。まだ、結婚もしてない若い娘が。この手の電話をかけなければならないのだろう。私は端役なのだ。
時は流れた。長男の幼稚園で同じクラスになった愛美ちゃんのママ。知り合ったばかりなのに姉御肌で家に招かれた。美人ではないが明るくて気さくで面倒見がいい。
公団住宅の部屋に写真が飾ってあった。鈴木君の素敵な写真。目がいいのだ。若き日のデビッド・ヘミングスのような。でも、いくら素敵だからって、旦那の写真を引き伸ばしてパネルにするなんて。よほど惚れているのか、姉さん女房。美男、美女、とは言えない。全然言えない。ちょっとショック。
幼稚園の誕生日会、私の息子と愛美ちゃんのツーショット。なんとも皮肉なことだ。
1度幼稚園に送りに来ていたので挨拶をした。下の男の子を連れていた。姉弟とも母親似だ。近況報告。
「愛美ちゃん、かわいいね」
「女はうるさいよ。なあ、和樹」
下の子の名を呼んだ。
彼はそのあと地方に転勤。それっきり縁はない。
晩年のデビッド・ヘミングスのように変貌していないだろうか?
焼き芋の思い出
飲み歩いた時期があった。母が亡くなったのは私が二十歳の時。寂しかったのだろう。社交ダンスを習っていたのでその仲間とよく踊りに行った。
酔って電話ボックスに財布を忘れた。
交番に行くと届けてくれていたけど……
面倒くさい。警察署に行き、届けてくれた人に連絡をし、会って書類を書いてもらい、また警察署に行かなければならない。面倒くさいが、順番にやらねば。
拾ってくれたのは私より5歳くらい年上の男性だった。勤め先は六本木のレストラン? 電話の声はよかった。声は素敵だった。人もよかった。わざわざ電車に乗り私の地元の駅まで来てくれた。拾ったのはその駅の電話ボックスなのだ。彼はその駅に友人がいた。
駅で待ち合わせをし喫茶店に入った。コックさん、なるほど太め。人のよさそうな……話しやすかった。新潟から出てきてコックになった。店は……
「店は有名だよ。芸能人が食べに来る。松坂慶子が来た」
そう、本で調べた。庶民には手の届かない高級レストラン。私は気に入られたようだ。喫茶店代も払ってくれ、落とし物を拾った礼は受け取らず、そのあと、近くの有名な神社に行った。
カッコいい人ではないから上がることもなく、気取ることもなく普通に話せた。ケーキ作りが趣味の私にいろいろ教えてくれた。夕飯もご馳走になり、次は映画の約束をした。
この人と、観た映画は思い出せない。それまで男性と観に行ったのはミア・ファローの『フォローミー』素敵なデヴィッド・ヘミングスの『サスペリア2』これもデヴィッド・ヘミングスの『パワープレイ』あとは『ベルサイユのばら』
それ以降は夫とだ。夫は映画館では酒を飲みトイレに行き眠る。
レストランに食べに来いと言われ、姉夫婦と行った。六本木など滅多に行かない。小学校の友達が通っていた私立の中高を案内された頃は、昼は静かな街だった。
レストランは小さかった。おまかせで出てきたコース料理。ワイン。会計はかなり、かなり安くしてくれた。彼が負担するのだろう。
彼は、ケーキを作って持ってきてくれた。好意がわかった。働き者で優しく人がいい。友情なら続いただろうが、好意が負担になる。そのうち、頻繁にかかってくる電話には何度か居留守を使った。わかったのだろう。最後に会って駅で別れる時、屋台の焼き芋屋で最後のプレゼントを買ってくれた。
誇り高き男はそれきり連絡してこなかった。
片思い
ユニークな人だった。仕事の先輩の弟で、映画がなにより好きで週に何本も観に行っていた。当時は名画座で2本立てで300円だった。
短い付き合いは映画の話題から始まった。私の中でいまだに一番の映画『ベニスに死す』
Kは私以上に詳しかった。脚本の学校に通っていた。
Kは初めてその映画を観て、終わったあと感動でブルブル震え、しばらく立てなかったという。表現が面白いのだ。私も何度か観に行き、詳しいつもりだったが……
「最初に出てくる船の名前がエスメラルダ、あとで出てくる女の名前もエスメラルダなんだ……」
私はOL。初めてふたりで観に行った映画は『フォロー・ミー』
ミア・ファローが魅力的。なんということもない、平和な映画だったのか?
覚えているのは上流階級の夫が、妻になった、ヒッピーだった気ままな女にいろいろ教える。マーラーの交響曲は……
覚えているのは、上流階級の男女の集まりの会話。減らない泥棒をどうしたらいいか? 野蛮な時代は手を切り落とした。では、減らない性犯罪はどうすればいい? ミア・ファローが言う。切っちゃえばいいのよね……
隣で観ていて恥ずかしかった。
そのあと、コーヒーを飲みながら映画の話。Kは学生。ご馳走してくれたけどね。
Kの一番の映画は『突然炎のごとく』
そのタイトルは知っていた。『巨人の星』で不良少女のお京さんが飛雄馬に会って口にする。そういえば、左門の境遇を思い、飛雄馬が泣きながら投げるシーンでは、Kも泣けた、そうだ。
のちに、娘が高校でフランス映画部なんてのに入り、フランス映画を観て感想を書く羽目になったときにビデオを観た。想像していた女性とは違った。ジャンヌ・モローが演じるような、開放的で奔放な女が好きだったのか? 何度かKは言った。
「愛する女が死んでくれてホッとした」
『突然炎のごとく』
調べたら、カトリーヌのモデルはアポリネールの恋人のマリー・ローランサンだそうだ。アポリネールの小さな太陽、マリー。マリーと別れてあの有名な『ミラボー橋』が誕生した。
私が『わが青春のとき』を観たい、と言ったら、コマキストなの? と聞いた。好きだったのは山本圭。この映画は誰と観に行ったのか? Kではない。誘ってはくれなかった。
当時は固定電話。Kからかかってくることはなかった。いつも私からかけた。女からかけるなんて……我慢して我慢して……かけた。巨人戦、見てるときはかけないでね、と言われていた。ほとんど毎日だろうに。
本をたくさん読んでいて、話題になったものは読んでみた。トーマス・マンの『魔の山』、ゲーテの『ファウスト』、それを熱く語るのだ。リルケの『秋』を教えてくれたのもKだった。
「ただひとり この落下を 限りなく優しくその両手に支えている者がある」
ひどく感動していた。
1冊だけ私も勧め、熱く語った。本も貸した。江戸川乱歩の『孤島の鬼』、今で言うBL。
歌ではないが、電話してるのは私だけ。あの人からくることはない……
消滅。
結婚して子供ができて、先輩の家で再会した。数人が集まった。少しドキドキした。夫がKと飲んでいた。
「Cちゃん、いい人見つけたね」
……そうですか? Kは私の息子にせがまれ絵を描いた。しつこくせがまれいくつも描いた。うまい……なんてものではない。先輩の家にはKの描いた大きな油絵がかけてある。
Kは絵を描いていた。定職に付かず近所の葬儀屋で仕事があるときだけ働いていた。運もよかった。小さな家がO駅のすぐ近くにあって、地下鉄が通るのでとてつもなく高く売れたのだ。現金は多くはないが、跡地に建てるマンションを兄弟で2戸もらった。その1戸にひとりで住み、絵を描き、葬儀屋でバイトをして、1度も結婚しなかった。映画の女優と比べられたら無理だろう。
今、いくつ?
先輩の弟だから情報は入ってくる。絵の展覧会で入選した。売れているのだろうか?
テッセン
高校時代は地味だった。どこをとっても派手だった人生ではないけれど。
恥ずかしがり屋で、男兄弟がいなかったので、男子と話すのが苦手だった。臆せず話したり、冗談を言ったり、甘えたりできる子が羨ましかった。
入学式に卓球部に勧誘された。運動部に入るつもりはなかった。球技は苦手だし、団体行動も苦手。料理部か手芸部、そんな感じ。
卓球部の先輩の男子が教室まで勧誘に来た。運動は苦手だと言っても、卓球部は運動量が少ないから大丈夫だとか。
結局断れずに入部した。
同じクラスから女子が私を含めて4人。他のクラスから女子がふたり。男子はふたりだけだった。
女子は皆かわいくて、明るい子だった。特にA組のスミレは男子生徒の注目の的。
彼女が通ると、3階の3年の男子クラスから拍手が湧いた。かつては男子校だった高校はその当時は女性徒は全体の3分の1。
公立の進学校。不真面目な生徒はいない。先生には天国……
漢文の時間、寝ていた男子生徒に怒った男性教師は教室から出ていった。あとで学級委員とその生徒が職員室に行き、謝り先生を呼び戻した。寝ていた男子は皆に謝った。
「オレのせいで悪かったな」
あの子はカッコよかった。レスリング部の大久保君。
のちに彼は、同じクラスの卓球部のナデシコの家に電話をかけてきて、出た父親に根掘り葉掘り聞かれ、
「おまえはなんなんだ?」
と乱暴に言われ、
「あんたには関係ない」
と言ってしまったそうだ。
ナデシコの家は裕福で、おかあさんが作る弁当を皆でつついた。野菜炒めが入っていて、あまりのおいしさに私とヒマワリは作り方を教えてもらった。
ニンニクを炒めてから……あとは適当。調味料は醤油に、たぶん酒だけ?
あの味は出せるようになっただろうか?
田端君は、クラスの目立つ女子3人に「交際してください」と手紙を出した。
女子が黙っているわけがない。入学してすぐに呆れられクラス中の知るところになった。楽しい高校生活を思い描いただろうに、軽薄な男。
卓球部が運動量が少ないなんて嘘ばかり。週に2度は基礎トレーニング。ランニングを3キロ。時々5キロ。美少女スミレは走るのも速かった。私はいつもビリから2番。ビリはナデシコ。
優しい上野先輩(男)が励ましてくれた。当時は途中で水を飲んではいけなかった。不思議なことに、運動していたのにぜんぜん痩せなかった。足はますます太くなる。
私の足は大根、ナデシコはアスパラガス、スミレはさつまいも、サルビアはゴボウ。(色が黒いから)
リーダー的存在のヒマワリが付けた。私より太めの自分はなんなのだ?
ヒマワリは太めでも明るくて人気があった。楽しい人だった。ちょっと意地悪だけど。
基礎トレーニングのあとはずっと玉拾い。最後の10分間だけ上野先輩が教えてくれた。私のところにはいつも上野先輩が来た。この先輩には片想い。
卓球部の1年の女子は流行にも敏感で、私は話についていけなかった。マンボズボンを更に細くして穿いていたサルビア。ゴボウの足には似合っていた。
サルビアはディスコに行き、喫茶店でアルバイトをしていた。
でも、家におじいさんがいて、時々は尿瓶に尿を取ってやるんだとか……
彼女たちとは部活以外でも遊びに行った。
TBSでトップスのケーキを食べたり、シェーキーズのピザを食べに行ったり。(シェーキーズは2023年で日本上陸50周年だって)
青山、表参道、新宿……6歳上の姉のミニスカートを穿き、化粧道具を拝借して出かけた。秋を見に行こう、なんてヒマワリは体に似ずロマンチックだった。
ヒマワリは、よその高校のサッカー部の男子と付き合っていた。中学からの付き合い。強豪校の彼氏に弁当を届けに行くからと付き合わされた。
太めのヒマワリはヒロイン……とは程遠いと思っていたが、楽しかった。
のちに2人は結婚した。生まれた子供の体に障害があり、手術した。電話をすると、
「私は、逆境に強いのかも……」
なんて、言ってた。
クラスでは、私はほとんど男子とは話さなかった。話せなかった。
それでもひとり、そんな私に好意を寄せてくれた男子がいた。まわりの男子が聞こえるように冷かした。
「目黒はテッセンさんが好きなんだよ」
話もしたことのない私の、なにを好きになったというのだろう? 明るくはない。どちらかといえば暗いほう。
卓球部では引き立て役。ニキビのできない肌は羨ましがられたけど。それに指。手のモデルになれるよ、とヒマワリに言われた。
「手、だけ。顔は映らないから……」
私はちょっと変わっていた。よく、変わっていると言われた。反応が少しおかしかった? まあ、慣れてしまえば変わっていると言われると気が楽。
でも、どんな女だって、好意を寄せられれば、相手のことが気になるはず……
しかし、目黒君にはそういう感情は起きなかった。しょうがない。
頭がよく、よく発言し、先生にも一目置かれていた。明るい人だった。
不思議だ。今まで思い出しもしなかったのに、彼の話し方がよみがえる……
目黒君は吃音だった。
話始めに少し吃った。
しかし、誰もからかったりはしなかった。クラスには私より溶け込んでいた。
私は、ポーカーフェイスだったから、男子もそれ以上は冷かさなかった。
1度だけ、家に電話が来た。忘れてしまったが、授業でやるグループの発表のことか何かだったのだろう。
当時は家の電話。母が出た。丁寧な言葉遣いで、最初は父にかかってきたのだと勘違いしたほどだった。
目黒君とまともに話したのはそのときだけだ。話の内容は忘れてしまったが。
告白されたわけではないし、私はポーカーフェイスを装った。
ポーカーフェイスは得意だった。体育の平均台のテストは、落ちてしまったけど褒められた。ポーカーフェイスだと。
音楽の歌のテストで音を外した時もポーカーフェイス。
3年になりクラスが変わると目黒君とはそれきり。
私が好意を持ったのは、最初はカッコいい部活の部長、副部長、優しい先輩、数学の教師、古文の講師……顔のいいクラスの男子。
美少女スミレは部長と副部長と別の先輩や別の先輩、他の部活の先輩にも告白されていた。写真部のモデルも頼まれた。
そして、なんと私はスミレと1番親かったのだ。手をつないで歩いた。腕を組んで歩いた。彼女の家にも行った。工場を経営していたのか、卓球台があり、そこで練習した。
当時『スタイリー』という痩せる美容器具が流行っていて、彼女が持っていたので貸してもらった。
やってみたけど、ぜんぜん痩せなかったけど。圧倒的に食べる量が多かったのだ。食事のあとケーキを3個とか。父の分まで食べていた。
スミレにはよく恋の相談をされた。部活のOBもスミレがいるので、よく顔を出した。表情がいいのだそうだ。男が惚れるのは顔と表情。
途中から、同学年の男子がひとり入部した。少しして、ナデシコに言われた。
「渋谷君、テッセンちゃんが好きなのよ」
渋谷君とは普通に接していたのだろう。よく話しかけられていたかも。でも、背も高くなく……普通。ほんの少し片足を引きずっていた。
のちにクラスの男子が話しているのを聞いた。渋谷君はひとつ学年が上でバイク事故を起こし休学していた。後輩を乗せていて、亡くなった……死なせてしまった。
ある日電話が来た。2年だったか、3年になっていたのかは忘れた。映画の試写会に行かないか、と。
映画は夕方から。帰るのは夜……ちょっと信じられないだろうが、半世紀も前のこと。真面目な私は断った。夜遅くなるのはダメだわ、と。
そのとき、たぶんバイク事故のことを聞いただろう。私はなんと答えたのか? 気の利かないやつ。
「渋谷君、辛かっただろうね」
なんて、気の利いたセリフ言えなかったのだろうか? 電話だから言えたのか?
彼が言った。
「嫁さんにもらってやると言っても、断るだろうしな」
「……」
はあ?
電話越しにポーカーフェイス。
あれは、なんだったのだろう? そろそろ18歳。彼は19歳か。
何事もなく卒業。告白もなく。未練もないのか?
あれは、告白だったのか、冗談だったのか?
ときどき思い出す。カッコいい男に幻滅したとき。何度も片思いで幻滅した時……
もしかしたら、素晴らしい男たちに好意を寄せられていたのでは?
しかし、つまらない青春。もっと、異性と話せばよかった。
鉄線のバリアを張らないで。
鉄線(テッセン)はクレマチスの和名で、アジアやヨーロッパが原産の花です。
凛としたかっこいい風貌と同様に花言葉も「美しい精神」などとされ、日本の清く美しい精神に通じるような綺麗な花言葉です。
また、名前の由来には鉄線のような茎からこの和名がつけられたという説があります。
課長代理
高校を卒業して就職したのは、生命保険会社。本社勤務の事務職。
通勤に1時間以上かけて新宿まで通った。
いい時代だった。勤務は9時10分から4時半まで。給料は毎年1万円くらいずつ昇給した。7年務めたけれど、辞めたときは初任給の倍近くなっていた。
ボーナスは30代の妻帯者の公務員より多かった。年金はまだボーナスからは引かれなかった。月々の年金額は最初は千円ちょっと。
あ、消費税はなかった時代。
いい時代だった。社内預金の金利は8パーセント。でも、男女の給料の差はあった。長く勤めるほどに。それを不思議とも思わなかったが。
ああ、土曜日は休みではなかった。12時まで。たった3時間のために新宿まで出るから、帰りはランチに買い物とか映画とか。
福利厚生も充実していた。運動会には芸能人が来た。宿泊施設も全国にあった。
配属された財形保全課にTさんがいた。課長代理42歳。妻帯者。お子様も。
課長はTさんと同期の東大卒の方。
部に3人の東大出の男性がいた。部長はやり手だった。貫禄があり、怖かった。課長と、主任は……ただ勉強ができただけ、という感じ。
課には高卒男性もいたが、人望と学歴は別……なのね。出世はわからないが。
Tさんは同期の課長に対等に口を利いた。上に媚びず、皮肉屋で、ブラックユーモアが得意だった。
まだ明るかった18歳の私を、
「箸が転んでもおかしいんだな」
と笑った。
あの頃話題になった『O嬢の物語』を観に行こうか、と冗談を言った。
私は24歳も年上のTさんに、すぐに惚れてしまった。コピーを頼まれれば嬉しかった。食堂で近くに座れば嬉しかった。
もう、態度に出ていただろう。
財形貯蓄が発売されると、猛烈に忙しくなった。システム部の若い男性とTさんは、しょっちゅう言い合いをしていた。
発売後しばらくは残業した。やってもやっても終わらない。男性は皆、寝不足。
短大卒の女性がふたりいたが、責任感は皆無だった。
私ともうひとりの高卒の女性が帳簿を任され、夜の9時まで残ったこともあった。
東大卒の課長は早々とお帰りだ。仕事を把握していたのだろうか?
発売と同時に地方の支社から男性が異動してきた。Oさん。28歳。高卒だったけど、東大出の主任よりも働いていた。
背が高く、顔も良かった。都会に出てくると、男も変わるものだ。背が高く、顔もいい男性は、社内でも評判の男になり、パンフレットの表紙になった。
研修で親しくなった契約課のきみどりさん(本名はみどり)は、理由をつけては私に会いに来た。
「Oさん、素敵。ああ、Oさん」
私は真似した。
「Tさん、素敵、ああ、Tさん」
あの頃は鉄道のストライキがあった。3日も電車が動かないと、私は通勤できずに休んだ。3日の休みは辛かった。
毎日電話をかけ、Tさんの声を聞いた。
Tさんに会えないのは辛かった。
仕事中、母から電話が来た。初めてのことだ。取り次いだのはTさんだった。
父が仕事中、倒れて救急車で運ばれた。
病院を何度も聞き返す私のそばにTさんはいてくれた。
早退し、タクシーのが早いからと、玄関口に呼んでくれ、着いてきてくれた。
そこまでだったが。
父は胃潰瘍で手術したがすぐに回復した。
生活は変わらなかった。
私はまた残業した。好きな人がいると、残業も楽しかった。
忙しくて、TさんもOさんも痩せていって心配だった。忙しくても一向に痩せない私が、
「羨ましい」
と言うとTさんは笑った。
部の女性は皆痩せていた。きみどりさんは太りたがっていた。私は標準体重より少しだけ太め。化粧も口紅だけ。タバコも吸わなかった。(当時は二十歳前の女性が吸っていた。かっこよく)
母がお供え餅を乾燥させ、揚げ餅を作った。大量に揚げたかき餅を、職場に持っていくとすごい人気だった。
「おかあさんが、作ってくれるなんて幸せだね」と、Tさんが言った。
二十歳のとき、勤めて3年目に母が亡くなった。
心不全で突然のことだった。
告別式にTさんが来てくれた。
私は太めの体に似合わない喪服を着て、焼香の間、座っていた。
悲しみはまだ湧いてこなかった。あまりに突然だったのと、葬儀の支度に追われていたから。
もちろん初めてのことを、父と私の2人でやらなければならなかった。
家に戻った母の体にカミソリをのせたり、お団子を作ってくださいなんて、葬儀屋さんに言われて、あたふたしていた。
焼香を終わり、Tさんが私の顔を見た。
瞬間、私の目から驚くほどの涙が湧き出た。悲しくて泣いたのではない。あの反応はなんだったのだろう?
後にも先にもあのときだけ……
Tさんも驚いたようだ。
少し席を外し、あとを追いかけた。
Tさんひとりではない。
Tさんひとりだったら、抱きついていたかもしれない。
抱き寄せてくれたかもしれない。
いや、太めの体はコンプレックスだったから、ありえない。
ふたりはすぐに帰った。
数日休み、会社に行くと、同僚は慰めてくれた。強いね、と言われた。
また、忙しい日々だ。
父とふたりになった私は、家事をやらねば、との気負いがあった。情けないことに、それまで、炊飯器も洗濯機も使ったことがなかった。
朝、朝食を作った。時間がない父は熱い味噌汁に水を足して飲んで出かけた。
本社ビルの地下には本屋もあって、料理の本を買った。男のOさんと料理の話をした。
本社には3年いた。
4年目は、家事と両立するために、家から近い営業所に異動願いを出した。
忙しい仕事を放棄したのだ。
恋ともいえないものを放棄したのだ。
もう、箸が転んでも笑わなくなった。
Tさんも、上司とはうまくやれなかったようだ。奥様が体が弱いとかで、転勤もせず、お客様相談室に回された。
主任
高校を卒業し、就職した生命保険会社。
まだ発売前の財形保険部に配属された新人は、私ともうひとりの大人の雰囲気の大卒女性だけだった。
発売されるまでの2ヶ月はほとんどコピーと雑用。
私は倍以上年上の、妻子のあるT課長代理をすぐに好きになってしまった。毎日会えるのが嬉しくて、休みの日はつまらなかったくらい。
発売が近づくと部は忙しくて殺気立っていった。残業続きで、T課長代理はしょっちゅうシステム部の若い男性と口論をしていた。
「あー、また始まっちゃった」
怖い。怖い。
でも、雑談をしている時は面白い。もうひとりの課長代理は子供が生まれたばかりで、名前を「大五郎」にしようとか、Tさんに、かわいそうだとか言われたり、楽しい雰囲気だった。
Tさんは奥さんのことを「女房」と言っていた。
「女房が……女房が……」
その言い方が好きだった。愛妻家なのだ。
2ヶ月すると部はふたつに分かれ、よその部署から大勢異動してきた。大卒女性は隣の課に。
Oさん(27歳、男性)は地方から異動してきた。
初めは素敵! だとは思わなかった。背は高かった。顔も良かったのだろうが……野暮ったい……
高卒のS君、Aさん、短大卒の女性のふたりは、他の部署から異動して来た。皆、同期入社だ。
Oさんは、のんびりした印象だった。昼休みに皆と食堂へ行かず、残っていた。
拍子抜けするようなペースの男は、初日に財布を忘れてきたのに言えなかったのだ。
気づいた私はお金を貸した。
T課長代理が、
「女の子に借りるなんて前代未聞だ」
と笑っていた。
ふたりの課長代理と係長は大卒。Oさんより若い男性は東大卒。Oさんは高卒だった。
こういうのは耳に入る。
Oさんは会社の寮に住み、転勤してくるなり、慣れない東京で毎日残業。Oさんは痩せていった。
昼はうどん1杯しか入らないそうだ。胃腸が弱そう。なのにタバコは吸う。(まだ事務室の机の上に灰皿を置いてた時代)
元々おしゃれな男ではないのだ。水玉のネクタイ1本しか、締めているのを見たことがない。
来る日も来る日も同じネクタイ。気になって気になって、私は指摘した。
「Oさん、ネクタイ買えば?」
10歳年上の男性に、なんだか敬語をあまり使っていなかったような……
話しやすかった。かっこいいとは思っていなかったから。訛りも少しあったのだろう。
「ネクタイ買ってよ。Yさん」
とOさんは少しイントネーションの違う軽口。
買いに行く暇がないのだ。
T課長代理もそうだが、痩せていた人がますます痩せていく。
寝不足な目。大丈夫だろうか?
比べて私は往復3時間もかけて通勤しているのに、少しも痩せない。
「羨ましい」
と言うと、
「痩せさせてやるよ」
とOさんが言った。仕事でね。
痩せはしなかったけど。
Oさんは残業していると私のそばに来た。
私ともうひとりの高卒女性(垢抜けたかわいい子)がいつも残っていた。
あとのふたりは短大卒。ひとりはすぐに姓が変わったから結婚したのだろう。お祝いもなにもなかった。
最初の頃は残業していた彼女の彼氏だか旦那が、怒って乗り込んできたらしい。それ以来彼女は定時で帰る。
もうひとりの女性も4時半になるとすぐに帰った。
もう、呆れるのを通り越した。
それをわかっていたのだろう。
「向こうのほうが、給料も多いんだから頭にくるよな」
とOさんが宥めた。気を使っていたのだろう。私たちにまで帰られたら困るだろうから。
なんか私は残業するとプリプリしていた。他の男性にそんな態度は取れない。Oさんは軽く受け止めていた。流していた?
なぜか、Oさんには文句が言えた。
その頃、私の顔には遅咲きのニキビだか湿疹が。18歳のS君も花盛りだったけど、私は化粧もできず皮膚科に通っていた。
話の流れで、
「医者に行くの? どこが悪いの?」
と、聞かれ
「顔」
とつっけんどんに返した。
「顔?」
Oさんは、いつも復唱した。
「顔? ああ、びっくりした」
女子事務員に制服が導入されると、Oさんは私のところに来てサイズの事でからかった。
「Lサイズ? LL?」
セクハラ、パワハラという言葉はなかった。
私はプリプリしていた。
「Mです」
きついけど。
仕事が軌道に乗るとOさんはテニスを始めた。テニスコートは会社の施設。Oさんは私のところに来て、
「Yさん、テニスしようよ」
と誘った。本気なのか、社交辞令かはわからない。
私は太っていたから(少しね)そのうちね、とはぐらかした。痩せてスタイルが良くなったらやりたい……
やがてOさんは、どんどん垢抜けていき、ネクタイの数も増えた。
歩いているだけでかっこいい。
そして会社のパンフレットの表紙に……
契約課の友人のきみどりさんは、話したこともないOさんを素敵だと言うようになった。
「ああ、Oさん、Oさん」
「Tさん、Tさん」
と、私は返した。
きみどりさんはユニークな人だ。
彼女はその頃サッカーのマリオ・ケンペス(誰、それ?)に夢中で、よく本屋で雑誌を立ち読みしていた。
クラシックにも詳しく、私が聴くようになったのは彼女の影響だ。
クラシックのレコード全集が本社ビルの購買部で発売していた。あの頃で10万円くらい。
私はローンを組んで買った。ステレオも買った。
バーンスタインのポスターを事務室で広げて見ていると、Oさんが、カラヤン? と聞いてきた。
「バーンスタイン」
よく知りもせず、私は答えた。
「クラシックからジャズが好きになるよ」
と言われた。そう言ったOさんは大人の男に見えた。
Oさんは、忘年会で故郷の民謡を歌った。上手だった。
2次会でダンスをした。係長に初めてブルースを教わった。リズム感がいいと褒められ本気にした。
Oさんも踊れた。踊れるんだ……Oさんにはジルバを教わったが、全然わからなかった。私の好きなTさんは先に帰っていた。
私は本社に3年いた。Oさんは主任になったが、彼女ができた気配はなかった。
バイトに来た女子大生も、翌年入ってきた後輩もOさんを好きになった。
私は同じ歳のS君と親しかった。S君は当時流行したアイビールックの好青年。明るく仕事は真面目だった。
バレー部で、先輩の彼女がスケート部だったので、私をスケートの合宿に誘った。1泊のバス旅行。
札幌出身のS君はスケートが上手だった。
S君に好意を持たれていたのはわかっていた。最初はもうひとりのかわいい子に目を輝かせていたくせに。
S君は10歳年上のOさんとも親しく、飲みに行っていた。
あの頃は毎年社員旅行があった。
熱海のホテルニューアカオや軽井沢の社の宿泊施設。
前途になんの不安もない時代。給料は毎年上がる。楽しいことがたくさん、欲しいものもたくさん……
ディスコにも行った。赤坂のムゲン。夢中にはならなかったけど。
帰りはS君が送ってくれるようになっていた。私を送れば、寮まで帰るのに更に、1時間半かかるのに。
断ってもS君は送ってくれた。進展はなかったが。Oさんには、付き合っていると思われていただろう。
勤めて3年が経つ頃、母が亡くなった。
状況は変わった。
姉は嫁いでいたから、私は父とふたり暮らし。家事をやらなければならない。
通勤に往復3時間もかけられなくなり、支社への異動を願い出た。
昼休みに料理の本を見ていると、Oさんはそばに来た。結構得意らしい。
仕事の引き継ぎで連日忙しかった。やがて人事異動が発表された。男性は全国どこへでも転勤が当たり前の会社。
送別会。少し酒を飲み、口が軽くなった私は聞いた。
「Oさん、結婚しないんですか? 契約課のきみどりさん、ずうっと、Oさんのこと好きですよ」
間。
「隣の課のあの人も……」
しばしの間。
「君は、おとうさん置いて来れないだろ?」
なに? 頓珍漢な会話……
酔っているのか?
酔っていたのだ。それとも聞き違い?
続きはなかった。
私は異動した。
離れて恋しくなった。
声が聞きたい。でも、電話をかけられない。
1度営業所に電話がきた。
待っていた。
やっときた!
やったあ!
期待した!
しかし、仕事のことだった。引き継いだ仕事のこと……
久しぶりにきみどりさんと約束した。
目的は本社に行き、課に顔を出すこと。
Oさんはいた。いたけど、なんか他人行儀な態度。
他人行儀?
一緒に働いていた時は?
かなり親密だった?
長い時間、共にいた。よく話した。わがままだった。
会ったのはそれが最後だ。
翌々年Oさんは転勤が決まった。隣の課の女性に泣かれたとか。
Oさんに電話した。声が聞きたかった。
バカだから、その通りのことを言った。冗談まじりに。
それきり会うことはなかった。
偶然でも会いたかった。
時々夢を見る。
忘れた頃にOさんの夢をみる。この歳になっても。
なにかきっかけがあるのだろうか?
保険とか、新宿、ジャズ、カラヤン…‥などの言葉が夢をみさせるのかも?
後日談がある。
契約課のきみどりさんに何年かぶりで会った時、
Oさんは沖縄支社に行ってて、契約のことで照会したきみどりさんと、電話でやりあったらしい。
Oさんに惚れていたきみどりさんが、
「あの人、嫌い」
と怒っていた。
結婚したのかはわからない。
想像してみる。Oさんと結婚していたら、転勤転勤。鬱になる妻もいるという。
でも、ふたりでジャズを聴いていたかも。
好きだった