浄瑠璃・常不軽(じょうふぎょう)
憎悪と許し
愛とは何か、美とは何か?
浄瑠璃・常不軽(じょうふぎょう)
「朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡(あわ)にも似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたよりきたりて、いづかたへか去る」と世を捨てし鴨(かもの)長(ちよう)明(めい)は「方丈記」に記し伝えたる、さもありなん、されど、水の泡に水の泡の命あり、光りて輝かず。其(そ)を見ずして、嘆くべからず。
三嶽村(みだけむら)に美しき庄屋の一人娘、加那がいた。その齢十と三つにして、村人は誰もが都の富豪、然(さ)もなくば由緒正しきお武家の嫁になるであろうと噂した。加那十と七つになれば、「どうせこの現世(うつしよ)で生まれ変わること叶わぬのなら、仏の遍くお慈悲に縋り、女子生まれしものなら、庄屋の娘の如く優しく、庄屋の娘の如く美しく、白百合の如く可憐に」と溜息混じりに皆思うことしきり。同じ年頃の男どもは、その美しきに気を削がれ、言い寄ることも、気易く声も掛けられず、臍を噛むばかり、女はと言えば、自分の顔を思案しては胸塞がるばかり。
村外れ、そこに鬱蒼と昼夜を問わぬ薄暗がりの大きな森が控え、村人は「天乞森(あまごいもり)」と呼ぶ。 その森の入り口に、何処から運びしものが、それとも余りの重さに天から落ちてきたものか、不可思議、一塊の大きな岩があり。 そこには地蔵菩薩が彫られ、古老に依れば、大飢饉の折りに奉られしもので、爾来、早魃もなく慈雨に恵まれ、この二百年の間に村は富み栄えたるが、二百も生きる人はなく、その地蔵菩薩の功徳を忘れたる。 然しながら、庄屋は村の長、信心深く、季節が移るごとに訪れては、地蔵菩薩に手を合わせ、無事のを有り難きことと感謝、万謝する。
年も迫る師走の晦(つごもり)日、晴れの日和、庄屋夫婦が地蔵菩薩に、「今年も豊作で、村人皆が笑い、 この冬を過ごせます」との知らせと祈りを捧げに詣で、無事済ませたが、帰路の半ばにして空は俄かに掻き曇り、暗雲生じ、豪雨となり、閃光を放ちては、雷鳴が轟く。はたと訝しげに空を仰ぐも、庄屋夫婦は近くにありし一本の大欅の蔭に走りて雨宿り。雷は吼え、その青白き牙を二度、三度と剥き終には大きなを襲った。真っ二つに裂けた幹と共に、二人は平伏して二度と帰らぬ者となり果てた。 庄屋夫婦の通夜は宴会かと思われるほどの喰えや飲めやの賑わいで、葬式が終わるや、その翌日からは誰も訪れず閑古鳥が鳴き、飼い犬だけが虚しく山の端の日に吠ゆるばかり。村人は新しい庄屋の所へ、ご機嫌伺い、お追従と頷きばかり。
庄屋の娘、蝶よ花よと育てられ、加那に手に職があるはずもなく父母の残してくれた財産を小出しに使い、日々を凌ぐが必至。
月に叢雲花に風、妾に、正妻にとでも来る者は厚顔の米問屋の耄碌隠居、俄か成金、派手好き軽薄のやくざ者、道楽者、果ては寂しかろうと棚から牡丹餅、おこぼれ頂戴の飲んだくれ。 満願の月が欠けて行くばかりの運の尽き。幾星霜の雨量に晒され、尚も立ち尽くす、金剛不壊と思われし、立派な家も傾きてあばら屋の体。それに追い打ちを掛けるかの如く、加那の腹はほどに膨れたり。村人は「加那を孕ませたのは誰ぞや、果報者よ」
するとひそひそと囁きては笑い、更に口さがなき者は「美しすぎて祟られた」と笑いを隠した哀れみ顔の、したり顔、実しやかに、言い触らし、
雪のしんしんと降り注ぐ凍てつく暁暗の静寂の懐、加那、誰一人身を案ずる者もなく、一人で赤子を生む。この世に生まれとうはないとの悲痛な叫びか赤子の泣き声、闇を走る。 加那は愛し子の顔を見るや驚き、己の顔を背けたり。赤子はそれを知ってか、知らずかの、更に大声で泣き喚き、根尽きるまで止まず、深き静寂(しじま)を震わせる。 加那が生みし子は人とは思えぬほどの異形、異相の醜悪。
されど、 須叟たりと言えども我が子を恨み顔を背けた母親の薄情が浅ましく、畜生にも劣る母ぞと我が子を掻き抱きて泣き崩れ、狂わんばかり。
常不軽(じょうふぎょう)と聞き慣れぬ名を加那はその子に付けた。その名は亡き母に子供の頃によく聞かされた菩薩の名。この菩薩、町角に立っては合掌し、行き交う人毎に「あなたを敬い奉る、お心がけでいつかは正しく悟られるお人です、あなたには御仏の種子が宿っておるのですから」と告げる。されども、行人に伝えれば伝えるほどに、見下され、「何もお前などに言われる筋合いはないわ」「乞食坊主に何が分かるものか」と罵られ、唾される。それでもこの菩薩は町角に立ち、清らかに告げる、
「あなたを敬い奉る御仏の種子が宿っておるのです」
その故に、この菩薩を常に人に軽んぜられたが、常に人を軽んぜなかった菩薩として常不軽と名付けられたのだと亡き母は教えて下さった。
この菩薩の苦しみと息子の行く末の苦難を重ね合わせ、加那はそれにも負けず清らかに救済の御声を掛け続ける常不軽菩薩の強さと優しさを具なえてくれとの切なる母の思いの総てをその名に託す。強さ、それだけでは片翼の鳥、もうひとつの翼、慈愛の翼がなければ、あの広い蒼穹を天翔けることはできぬと。加那は再び泣き伏しし。
その常不軽という名、村人、覚えるはずもなく、その醜さを嘲けりて笑い 「鬼っ子、鬼っ子」と囃し立てるのみ、その子、意味は
知らねども、己の本当の名は鬼っ子だと覚えたる。
終には加那の家、人手に渡り、天離(あまざ)かる鄙(ひな)の又鄙、都落ち、深閑、侘し天乞森へ、雨露凌ぐが限りの捨て置かれしあばら屋に、森に棲みし鳥獣どもがこぞりてけたたまし。時を違わずして、まだ幼き常不軽を帯で柱に結え付け、加那は人影少なき闇夜を忍び、二里も離れた町へ行き、柳立ち並びそよぐ堀端で手拭、頬被りして、酔漢相手に春を繋ぐが夜鷹。貧しさ故にと言えば、それだけのこと、されど加那には是非も無く、常不軽を育てなければと、生んだが母の腹括り、それにも増して我が子を不憫に思う心は体を繋ぐがよりも一(ひと)入(しお)辛い。父親が庄屋であったことなど、夢の、その又夢、遠く遠く久しきが所、彼岸の出来事、前世の如くと去来する。
物心付きしが常不軽、鬼っ子とは親に似ぬ化け物の子を言うのだと知った。更には母が夜な夜な春を繋いでの金稼ぎ、罵声と共に知らされた、「子が子なら、親も親」常不軽、竹馬の友とて、話しかける者の一人さえ無き、牛馬より疎まれ。同じ年の子供等は、「鬼っ子、鬼っ子やーい」と叫びて、蜘蛛の子を散らすが如くに掛け去って行くばかり。 店先でおいしそうな団子を眺むれば、意地の悪き亭主が「一本恵んでやるから、早く消えな、お前がいては商いはできぬ、しっし」と猫か犬でも追い払う仕草をし。村人達は鬼っ子に関わると、災難が降り懸かると実しやかに呟き、
見て見ぬ振り、知らぬ顔の半兵衛。
村に下りて行かぬ日の常不軽、終日天乞森の中にいた。初め、驚き飛び去り、駆け去る鳥や獣も、何するとてなく坐るだけの常不軽は森の住人、鳥は近くの枝で囀り、狸や狐も常不軽の傍らを通って行く。 常不軽がいたからとて、森を駆け抜ける風が止むわけでもなく、獣らが息を潜めて、巣に閉じ籠もるわけでもない、この広く深い森に常不軽という一匹の人間がいるだけのこと、森の中の一匹の獣にすぎず。常不軽はこの森の鳥として生まれれば、如何ほどに楽しかったろうにと思い馳せ。 それが叶わぬのなら、たとえ落ち葉の下の土の蚯蚓でも本望だと溜息を漏らし、幼子心に愁嘆す。 天乞森でそれぞれが己を生き、 己を全うし、土に帰る。されど、常不軽は人間として生まれてしまった。
十と六になった常不軽、既に身の丈六尺を越す屈強な大男、生きて行くには本当の鬼になるしかない、なってやると腹を決めた。
一膳飯屋に入ると、飯を出せとぱくぱく喰らい、酒を出せと怒鳴り、少しでも嫌な顔を見せようものなら、腕を投げつけ、店中を叩き潰し 逃げる男は追いかけて、ふん捕まえて、ぶん殴り。それが七日も続き、店という店、常不軽の姿目に入らば、慌てふためき、そそくさと酒と料理を出す変わり様。
「これは奢りか」と聞かば、店主は「左様でございます」との返事で奥に隠れ潜むしか為す術も無く。
村人は常不軽が村に居るのを見計らい、けして訪れたくもなかった常不軽のあばら屋に押し掛け、悪態を吐き、果ては加那に泣きつき、小刊を一枚放っては、脱兎の如く一目散と消え失せた。
「あのあばら屋に雷でも落っこちて、前の庄屋みてえに親子共々おっちんじまえばいいんだが、 しかし、こんなに旨く行くはずもねえから、我慢するしかねえ、この村に常不軽に勝てる奴は居ねえし、天に祈るしかねえよ」
加那はその声を聞き、村人に、それよりも常不軽に至らぬ母を詫びる思い、抑え難く、心は千々に乱れ、苦悶、鳴咽する。
「総ての罪は我にあり、我(わ)、その報いすべて受くる、どうか常不軽を救い賜え」と神仏に懇願し、梁に縄を掛け、首を吊る。
家に帰り戸を開け放った常不軽、目に映るは梁にぶら下がりゆらりゆらりの生り糸瓜(へちま)、変わり果てたる母、母の亡(な)骸(きがら)。 息を飲み何事もなかったかの如くに囲炉裏の傍らに、胡座掻き、徳利から酒呷り。
「忘れもしねえ、儂が九つの頃。降りしきる雨の出水。 庄屋の孫が川であっぷあっぷ、助けてくれ、助けてくれの叫び声、皆は逃げたが、仲間はずれのこの儂が、飛び込み助けた。sかしあのガキは、儂が突き落としたのだと言いやがった。
いくら儂でも、一度はよくやったと誉めて欲しかった。さもなくば、おっ母、なんで一言、一言でも、常不軽はそんな子ではありませんと言えなかった、余りではないか。それなのに、お前はいつもは村人にぺこぺこ頭を下げるばかりの米搗きバッタ。儂はな、お前などいなくなれば清々すると思うばかり。今夜はそれが叶った祝いの日、酒もうめえや。明日から、誰に遠慮することもねえ、めでてえや、めでてえや、今夜は」
されど、朝になれば、穴を掘り埋めてやるぐらいのことはする、板切れに下手な字で、ひらがなで母の名「かな」と書き、土の上に突き刺した。
「いかな儂でも、家の中で骸と暮らす気はねえ、人間、死ねば腐るぐらいは承知さ。そうだろう、おっ母。死んで事足りるなら、儂が先に死ぬべきではなかったのか、生なければよかったと思え、おっ母も儂を憎め、罵れ、忌み嫌え」
村人は加那が首を吊ったと聞き及び、「鬼っ子を生んだばかりに死んだのだ、鬼っ子の碌で無し、ケダモノ」と哀れんで見せる。
もう常不軽に怖いものなどない、天涯孤独となった故。誰一人、常不軽を案ずる者など居らず、 然(しか)らば常不軽とて誰一人案するべき者は居るはずもなし。後は野となれ山となれ。常不軽、村に出て、三日と三晩、酒岬り、大暴れ。縄で、徳利、首から吊るし、お守りか。稚児の如き丸太ン棒、二つが腕の突き出す力瘤、満身の力込めて振り回し、家々回り、戸板が木っ端微塵に砕け散る、 ケダモノの咆哮、高笑い、お開きにと徳利の酒呷る。
庄屋が家、村人、 蟻の如くに群がりて、常不軽の化け物をどうしたものかと思案する。
「あいつが寝込んだ所を、縄で首を絞めて殺すしかない」
「言い出したのはお前だ、お前がそれをやるか、誰か肝の大きい奴はいるか」
「居るわけがない、ここの誰もがあの鬼っ子の鬼みてえな強さは知っている。首を絞める前にこっちが殺されてしまうのが落ちだ。
誰も死にたくはない」
「何も殺すことはない、ただ静かにしてくれればだが」
「しないから、殺すんじゃないか」
思案は堂々巡り、いつになってもいい知恵は浮かばず、埒明かず、寄り合いの皆、仏頂面し黙り込み。 そこで鶴の一声、庄屋が一計、妙案と膝叩き。
「よいか、毎日の喰い物と酒を夜が明けぬ前に、カラスが鳴かぬ前に、あの鬼っ子が起きる前に、あばら屋の軒先に持って行け。 運んで行くのは皆で日替わり、当番制、順番で喰い物や酒を家の前に置いておく。そうすれば 家で飯喰い、酒に酔い、左団扇の極楽至極、疫病神の鬼っ子もわざわざ村まで下りて来ることもなかろう。 好かれてないのは、お互い様、如何に身の程知らずの莫迦とは言え、そのくらいは知っておる」
村人は我が意を得たりと喜色満面、相好崩し、頷き、当番を決め、思いついたが吉日、早速翌朝からの初仕事。
常不軽が起きて目を擦りつつ、戸口を開ける、酒の入った甕(かめ)、魚や鳥や野菜の入った籠、米の俵があった。何事なのか、狐に摘まれたかと、呆気に取られたが、暫し考え、小賢しき策を弄したのだと村人の真意が飲み込めた。
常不軽の笑い声が森に谺(こだま)する。常不軽とて
飲み喰い以外の目当てなどあろうはずも無く、わざわざ村里まで足運び、見たくも無い村人に顔突き合わせるほど下手物好きの酔狂にはあらぬ。
村では庄屋筆頭に村人が、あの鬼っ子は我らが計らいに乗ってくれるだろうかとおろおろはらはらと、天乞森から続く一本の道を窓の隙間から固唾を呑んで窺っている。一日目は無事に過ぎ、ほっと胸撫で下ろし、されども、明日はどうなるものを案じれば心休まらず、二日目が過ぎ、七日が過ぎると、鬼っ子はもう来ないと、流石に庄屋、百の雁首より文珠のお知恵と口々に褒めそやし、感極まった村人挙(こぞ)り、その日の庄屋の家、飲みや歌えや、大椀振る舞い祝賀と相成った。
常不軽は楽しくもなく、悲しくもない、さりとて嬉しくもなく、毎日の酒浸り、虚しく日々は過ぎ去り、矢の如し。
その夜は加那が常不軽を生んだ夜の如く、雪のしんしんと降る凍てつく丑三つどき、常不軽のあばら屋の戸を叩く音、闇を刺し、消え入らんばかりの声で哀願す。
「少しの食べ物と一夜のお宿だけでも、お頼み申します、お頼み申します」
「どこぞの莫迦が道に迷うて、事もあろうに、儂の家に辿り着くとは運も付きも見捨てた者」と常不軽は仰天させよと凄まじき形相、戸を力任せに開け放つ。されども、驚いたのは鬼神をも恐れぬ常不軽。その者はやつれにやつれ、それでは寒かろうと自分が身震いする薄衣襤褸(ぼろ)をまとい、顔は崩れ掛かる。
「これは癩(らい)という病」だと。よくよく見れば、まだ若き女子(おなご)のよう。
常不軽が、他人を見て、初めて醜い者と身震いし、触らぬ神に祟り無し、厄介払いをしようと腹に決めたが、その刹那、氷に覆われし大地の如く、人の住まぬ心に憎み通した母の面影が、闇の森に、一閃、甦る。
「この女子もただ一人、この鬼っ子を、儂を恐れなかった」と思うや、「こんな汚き粗末な家でいいのなら、休んで行け」と叫んていた常不軽。
女子は囲炉裏の傍らに力も、精根も尽きたか、ぺたりと崩れ。
「おい、儂のくたばったおっ母のものだ」と常不軽は綿の詰まった着物を選び、 投げ放る。そして、残り物で雑炊を拵え、無骨な手で渡す。
女子は雑炊を一口啜りては泪を零し、再びの一口、再びの泪を流す。
「こんなにも腹を空かしていたのか、そんなにこの雑炊が旨いのか」と常不軽は言い知れぬ、母の腹より出しより覚えた事無き、妙なる、妙なる、熱きもの、鎧の鋼の胸に込み上げる。女子ははたと箸と腕を置いては、顔を上げ、常不軽を見入るれば。 オサヨの目に再びの泪、思い起こすは十歳(ととせ)の月日なり。
父母に捨てられ、変わり果てたる醜き吾(あ)なれど、幼き頃はおんぶ日唐傘、緞子の布団、毒は盛られぬかと象牙箸・・・・・。お宝大事と誰が決めたこと、憎みて憎み足りぬは父母の仕打ち。されど、吾の病は尚憎し。
天を仏を八百万の神々を、人間、犬畜生まで怨みて罵り唾するも、降り懸かるは吾の顔に。諸々憎しみ貫き、夜を待ちての諸国流れ、辿り付いたが能勢妙見山・寂寞の妙見堂 。
仏も怨めしと形見にとの家宝の懐剣、懐よ抜き取り、せめて死に行く者の意地、仏への面当てにと、喉を突かんとするも、今生の別れにはたと打ち仰げば、烏羽玉の闇、輝き増したる、北斗の七つ星。忽ちの一つ、夜這(よばい)い星(ぼし)一閃、三春の流浪の疲れか、オサヨの不覚、眠り伏し。光輝く蓮の花、姿は見えねど母の乳房の温き、迦(か)陵(りよう)頻(びん)伽(が)の響きあり、
「汝(な)の五体、一髪までに仏は住み給う、幾百万の黄金より勝りて輝ける、その命果つるまで、地を這うてでも、生き延びよ」
眠れるオサヨに溢れる泪あり。朝まだき、曙光あり、目覚めしオサヨ、今、乞食、物乞いの身にあれど、武家ならば自害せよと持たせしか、家宝と後生大事に抱えたるが疲れる身には重たし、懐剣を、妙見山にエイと投げ捨つる。
「あなた様のご親切が身に浸みるのでございます、ご親切が身に泌みるのでございます」崩れかかりし醜きき眼より、日輪の光り宿せし、蓮の葉の朝露、勾玉零たり。
常不軽は我が耳を疑いて、射るが如くの目で女子を睨み。この年、今夜、今、その利那まで、頑な一途に信じてきたもの、ぐらぐらと傾きぬ。どうしようもなき切なさ、悲しみが常不軽を襲い、
五体がぶるぶる震え出す。
「名は何というのだ」
「オサヨ、オサヨでございます」
それから、常不軽はオサヨに口を利くこともなく、日に二度の食を拵え共に取り、オサヨに、「出て行け」とも「居てくれ」とも告げぬ日日となる。
金の草鞋でも履いたか、割れ鍋に綴じ蓋、蓼喰う虫の鬼に妖怪、三国一の嫁、と村人の陰口。されども、今が常不軽、歯牙にもかけず、上の空。
「天乞森には美しく囀るる鶯や目白、がさつに喚く鴉や名も知れぬ獣の鳴き声も聞こゆ。それにいちいち腹を立てる者こそ愚か者ぞ」
この頃の常不軽、無聊持て余し、天乞森の大岩に彫られし、地蔵菩薩を見ては時を過ごしたり。
「妙な地蔵。いつも笑っている、小便を引っ掛けてもにこり、唾を吐き掛けてもにこり。間の抜けた地蔵ぞ」
それが面白く愉快、常不軽あばら屋に戻れば、オサヨにそれを酒の肴に話せば、
「それは有り難いことでございます、いつでも頬笑みで迎えて下さるお方は有り難いものでございます」と、オサヨは泪を流す。
「お前は何でも泣く女子だ、儂は笑ってくれるのかと思っていたのだが、とんでもない見当違ちがいだった」
「いつ死んでも本望の身の上にございますから」
常不軽は胸の内に怒りと共に湧き起こる悲しみを堪え、
「どうしてお前が死ぬのだ、お前は悪いことなんか、爪の垢ほどしてないではないか、死ぬのなら、儂の方が先に決まっているのだ」
と烈火の如く怒れば、オサヨに泪を止める術もなく、泪は零れ、今までの受けた苦しみが、その泪で掃かれ清められ、嬉しくてひたすらに泣く。
泣くことのできる恵まれたこの時のこの僥倖をオサヨは優しき母の胸に抱かれる赤子の如く身に感ず。
暁暗を突き破り、常不軽が村里へ駆け走る、墓石屋を叩き起こして、鑿(のみ)と槌(つち)を奪い取る。その日から、大岩の地蔵菩薩の裏に槌を振るう音が天乞森に泣くが如くに叫ぶが如くに谺する。 常不軽はなにものかに憑かれた、渾身の力を込めて、一心不乱、鑿と槌が舞う。
雪の日、雨の日、かんかん照りの日、その一日を大岩に凄まじき形相で相対し。オサヨの病の悲しみを救いたい、その悲しみから逃れたいとも考える。然れども、今、その一挙手、一投足、所行は常不軽の何か知れぬ者へ、まだ見みえぬ大いなる者への知らずしての祈りとなり。悲しみも 憎しみもない、そうしなければ居られぬ一途ひたすらなる思い澄み渡り、穏やなる湖水、森羅万象、渡れる蜉蝣をも映す。
ダ餉を取るオサヨが常不軽に訊ね。
「いつも聞こえてくる槌と鑿の音は何を作っておいでになるのですか」
「どこぞの莫迦が大岩の地蔵の背に母と鬼っ子の刺青を彫っている、頼まれもせぬことをする偏屈な野郎にて」
「私が少しでも目の見える内に、できればと願いまする」と、オサヨが笑う。
常不軽は必死に彫り続ける。されど、堅い岩は世間の壁の如く、己の頑ななる心の壁の如く、行く手を阻む。右手に血豆を拵えては潰し、又拵える。それでも布切れを巻き付け、倦まず弛まずの彫りが続く。
物見高い村人は何事が起こっているのかと物陰に隠れて見入れば、働きもしない飲んだくれの碌でなしの鬼っ子が何を血迷うたか、ただひたすらに大岩に立ち向かうひたむきな鬼がいた。満身からは汗が噴き出し、飛散し、その汗が大地に降りしきる。
半年が立ち、一年が、二年になろうとする頃、大岩が終には音(ね)を上げて、常不軽は大きな浮き彫りを成就させ。然しながら、時既に遅く、オサヨの目はこの世の何も映すこともなき、その図は身震いするほどに醜い鬼っ子の赤子を両手で抱き、半眼に伏せた目でその子を見つめ微笑(みしよう)する母。
母の姿にオサヨの真(まこと)の顔を思い浮かべて、それは目に映りし癩(らい)というオサヨの顔を突き抜けて見えるもの、闇夜を照らす神々し、一筋の光。
一繋ごと、一繋ごとに魂を込め、心血注ぎ、彫る、一方、鬼っ子の顔は己に向かう常不軽の打ち震える怒りと憎しみを、「己は鬼だ、鬼だ」と呪詛しては撃を打ったもの。
常不軽はいつもより愛想のいい夕餉を迎え、「どこぞの莫迦の地蔵の刺青の仕事も終えたらしい。明日の朝一番に、連れて行ってやる、行くか」とオサヨに話し掛ける。
「喜んで参ります。 いつも耳にするのは、あの槌と繋の音、私には、見えぬ風を偲ぶ風鈴の音と聞こえました。それは目の見えぬ私を知っているかのように優しく優しく私の耳に届きます。私はその優しい風が見えました、摩訶不思議なことでございます」
「今夜はオサヨにしてはよく喋る。お前がちったあ学問のある女だと知って、安堵した。今夜はこれぐらいにしよう、…… 早く寝な」 常不軽はいつもの如く酒を呷り、床に就いた。眠りにすとんと落ちた、それは覚えのない母の胸で安らかに眠る乳飲み子のよう。
日は又昇り、天乞森の鳥達が鳴き始め、常不軽はオサヨを両腕でしかっと抱き上げ、大岩へと大股で向かう。
「オサヨ、どうだ抱き上げられた気分は。 子供の頃のお父でも思い出したか、だがな、儂はお前のお父より二倍も三倍も力だけはある。落っことしはしねえから心配するな。 大事なものは、そうっと扱うぐれえのことは、儂でも心得ている」
「私もよく知っています、いくら莫迦な私でも。目の見えない私にも見えるぐらいです、お天道様の明かりのように」
「莫迦、泣くな、己を卑下するな。お前も言ったろう、いつも莫迦みたいに笑っている地蔵がありがたいと、少しは地蔵を見習えばいい」
大岩の地蔵菩薩の前まで行くと、常不軽はオサヨを下ろし、地蔵をなぞさせ、
オサヨは、「本当に無邪気なお地蔵様でいらっしゃる」
と着物の裾で口を覆いて笑う。
「それでは、どこぞの莫迦がお彫りになった刺青を見せて下さい」
常不軽、オサヨを抱きかかえ、後ろへと回り、母と子の顔から足下へとその図を両手でなぞらせる。震える手でなぞる指先が母と子の言い尽くし得ぬ思いを汲み取って行く、五体がぶるぶる打ち震え、泪がぽろぽろと頬を伝い落ち、赤銅の鋼の腕に染み渡る。
「泣くな、笑え」と常不軽、母亡き後の流せし人の泪に胸が詰まる。
その夜、常不軽はご馳走を拵え、オサヨと共に卓袱台を囲む。
「儂は、真(まこと)の鬼っ子だ」
その話をする、儂の母、加那の話。
加那が道に迷い、山の奥。一日(いちじつ)、二日(ふたじつ)行けども行けども同じ欅の前、奇妙気がかりなり。腹透かし、一歩も動けぬ加那はたと蹲る。青天の雷、姿は見えずの空恐ろしい声、森を震わせ木霊する。
「ここで飢え死にか、儂の思いを一つだけ叶えれば里に返してやる。お前はどれを選ぶ」
震える加那、人知れず山の肥やしの野ざらし髑髏(されこうべ)など成りとうはずもなし、一つだけならと叫んでしまい。忽然と現れたるは鼻高く、翼を持った赤ら顔、裸体の魁偉、山に住む天狗なり。
加那は約束と、一度の契り。生きんがために命懸け、生きたはいいが、天狗と契りしは死ぬ辛さ。
「まだ行ったことのねえ、実の天乞森の奥に入る。お前の面倒は村人が見てくれる。 案じることはない。お前に何かあったら、儂は森の奥からすっ飛んでくる、絶対にな、これは儂の天地神明、命懸けの誓いなれ」
石を投げられ追われ、唾されては逃げ、投げ捨てられしお結びを地べたから拾い 娑婆の別れなど幾度、幾度、繰り返しても平気の平左、お手の物。 されど、常不軽だけは……。
「どうしても、行ってしまわれる。
あの美しい女子はあなたのお母上でござりますか」
「ああ、行かねばならないのだ。いくら恨み辛みしかなかろうと、おっ母は十月十日も腹の中、この儂を損得無しに育んだ。儂がそのおっ母を殺してしまった、儂はおっ母を殺した。
だが加那、あの女子はな、儂のおっ母よりづんど、ずっと綺麗な人よ。それは加那、お前を彫ったからだ」
「酷い優しさでございまする。吾は這うて生きる蚯蚓、蛆となっても、生きて見せましょう。
それも常不軽様と共にならばでございます。 吾は奈落、餓鬼に落ちても生きて見せましょう。それもあなた様と共にならばでございます。…… 常不軽様を好いてをりまする、愛しゅうて、愛しゅうてなりませぬ。それでも吾を残して行かれると、おっしゃるのなら、いっそのこと、一思いに殺して下さいませ、殺して下さいませ」
加那は泣き伏し、鳴咽する。
「この鬼を好きじゃと言ったな、オサヨ、ならば」とあばら屋震わす胴間声、すくっと立ち上がった常不軽、右手を伸ばしオサヨの首に掛け 。観念したか、加那が目を瞑り、合掌す……常不軽。
常不軽、オサヨを軽々と抱き上げ、胸に掻き抱き。天乞森の獣道、深奥を、泪してひた走り、駆け昇る。
朝ぼらけ、白く棚引きたる雲の上、二羽の白鳥が天翔る。
「世にも醜き、二匹」鬼っ子とオサヨがいなくなったと小躍りし、村人、大手を振って大岩へ。鬼っ子の彫り物は如何にの物見遊山の浮かれよう。…… 然りながら、皆、仰天し、水を打った如し、固唾を飲んで、ただただ見入るばかり。
「おのおのが本当の鬼は誰ぞや」と村人の心に去来し、叫びける。知るや知らざりしか、村人の目から大粒の泪……が、この真の甘露が乾きたる大地に振り注ぐ。
「目に映りしもの、目に映らざりしもの、遠くに住むもの、近くに住みしもの、既に生まれしもの、これより生まれんとするもの、皆に幸(さち)あれ」
幕・
(1) 「スッタニパータ(ブッダの言葉)」訳・中村元より参照
常不軽(じょうふぎょう)・一九九六年 大阪府能勢町・町制四十周年記念浄瑠璃「戯曲賞」佳作
原作より加筆、訂正あり。
浄瑠璃・常不軽(じょうふぎょう)
二人の村八分が愛の階段を駆け上ってゆく。