あれやこれや121〜130

あれやこれや121〜130

すでに投稿済みの10話をまとめました。

121 尊重してよ

 損な性格なのか、魅力がないのか、尊重されなかった。足を踏まれても謝ってしまうような、人の良さ……気が弱いわけではないが。

 息子が中学の時、ふたつ年上の子の制服をいただいた。おさがりだが嬉しい。クリーニングはこちらでかける。当たり前だ。
 しかし、ポケットにティッシュや生徒手帳まで入っていた……ひとにあげる前に確かめもしないのか?
 私だから? あの人だからいいや、とか? 勘繰る私がおかしいのか? 返しにいくのが悪いような気がした。
 
 ピアノを習っていた。上達しないが長く習っていた。隣に座っていた同年代の先生は居眠りをしていた。それを責める性格ではない。更年期で眠いのか、気づかないふりをした。気がついたら気まずいだろうな……そんなことが何度かあった。
 電子バイオリンの時は若い女の先生。私に弾かせて後ろ向きで携帯をいじっていた。居眠りもしていた。わからないと思ったのだろうが。
 どうして? 
 軽く見られているのか? 怒らないと思われているのか?

 店長は、あるスタッフの不満を私にぶつけた。
「口の利き方を知らない。100年早い」
とか、私に激昂した。
 しかし彼女に直接言いはしない。私にぶつけたことでスッキリしたようだ。
 彼女は怒られはしない。私にも、言わなくていいから、と口止めした。
 なぜ? 私だったら大変だ。ボロクソだ。
 言いやすいのか? かなりひどいことを言われた。やめたくなるようなことを。人格を疑っちゃう……でも、顔に出さないようにした。

 子どもの頃、中学1年くらいだったと思うが、スーパーで母とはぐれた。私はずっと探した。まさか、違う階には行かないだろうが探した。ずっと探してもいないので家に電話した。
 母が出た。そしてすごい剣幕で怒鳴られた。
「どこ行ってたのよ?」
 そして切られた。
 怒りたいのはこっちではないか? 母親が先に帰るか? 帰って、娘からの電話に怒鳴るか?

 父が言っていた。母は瞬間湯沸かし器。カッとなると火が付いたようになる、と。太く短く生きた……
 父は友人とホームで待ち合わせをした。なかなか来ない。友人は時間を過ぎたので、もう待ってはいないだろうと思い、止まっていた電車に乗って先に行ってしまったそうだ。父はまだしばらく待っていた。
 このふたりは将棋仲間で、友人は家に来て酔うと、何度も蒸し返していた。待っているとは思わなかった、待っている方がおかしいのだ、と。父は言い負かされていた。

 下の娘は小学校高学年の時、先生に褒められた。皆、自分中心に地球が回っていると思っているが、うちの娘は違うと。優しいのだと。
 しかし、娘は帰ってくるなり、壁を蹴った。外で我慢していたのだろうか?

 給食を配っていた時、女子にうどんを顔にかけられた。
「春巻きが潰れている」
と言われ、
「私のせいじゃない」
と言い返したらしい。
 先生から電話があり迎えにいくと顔を冷やしていた。たいしたことはなかったが。うどんをかけた子は日頃から自分を抑えられないらしい。夜、母親から謝りの電話があった。親も辛いだろう。
 翌日、心配したが娘はすぐに仲直りをした、とケロッと言った。この子は1晩寝ると忘れる。

 地球は自分を中心に回ってはいない。ヒロインにはなれない。尊重されなくても、媚びず甘えず群れないで。
 孤独に耐えれるだけの人間におなりなさい。

 夫とも子どもともいろいろあったけど、今は穏やかだ。夫は時々洗濯物を畳む。コーヒーを淹れてくれる。子どもは若い時は帰ってこないで心配させたが、今は来なくていいのに、しょっちゅう来る。
 職場の若い人たちも尊重してくれる。よく働くし、役に立っているからね。

122 みんな頑張れ

 二十歳の職員が異動した。去年入ってきた新人が、育って2年目を迎えたら、ひと月休みひと月出てきて異動になった。
 なにがあったのやら? 
 誰にも挨拶なしだったそうだ。 

 今いる職員はちょっと気が強い。そうでなければ続かないが。
 しかし新人を育てなければ、いつまでも超勤がなくならないのに。
 月末には、ひとりの職員が、またおかあさんの介護の件で実家に帰るので、連続して休みを取る。沖縄の離島だ。シフトは回るのか?

 先日エレベーターで若い周辺業務の男性に会った。高校卒業してから4年目になると言う。
「介護職やったら?」
「大変なの見てますから」
 でも……大の男がいつまでも最低賃金のパートでいいのか? 君より年下のO君は頑張っているよ。母ひとり子ひとりだから……正社員になればボーナスも出るし、彼は車もバイクも買って地道に貯金もしている。 

 O君は面白い子だった。工業高校出身。
 職場に、基本お金は持ってこない……のだそうだ。月末になると昼食を抜いたりしていた。
 趣味はアニメ。入った年にコミケ……とかに行くので3日休んだ。車の中で寝る。連続休暇は許されない雰囲気だったが、新人だし、それくらいの楽しみも許されないなら、続かないよ……なんて思っていた。

 私たちパートは頑張っていたO君に食べさせたくて、スタッフルームにお菓子を置いてあげたものだった。
 その、ヒョロヒョロだったO君が太ってきた。三交代は太るのか?

 高校からバイトしていた女性も二十歳になったが、いまだにバイトだ。午後6時間の周辺業務。こちらも介護職はやりたくないらしい。バイトでいいのか? 親はなにも言わなくなったのか?

 我が娘たちも仕事が続かなかった。今では永久就職。

 結婚はしたい、でも仕事は続けたい、あるいは、結婚しても家事は折半、子供は欲しくない……
 永久就職という言葉はもはや死語になりつつある。
 そもそも、ひとりの男性に、永久に雇われる、という感覚を、現代女性は持ち合わせていない……

 施設の女性職員は独身が多い。超勤が多いから年収は500万を超えるという30代女性は、
「私、結婚しませんから、年金当てにしていませんから。この国で子供育てる自信ないです」
 クールだ。私はこの女性が恋に落ちるのを密かに期待しているのだが。

123 家事分担

 共働き夫婦の家事分担は、妻が9割というのが多いようだ。私がパートに出る条件も、家事の手を抜かないことだった。ブティックに勤めていた頃は週3日だが、帰りは7時半。
 朝、掃除機をかけ、夕飯の支度をし、帰るとトイレも着替えもせずに台所に立った。土日に仕事が入ることが続くと、夫は「仕事を辞めろ」と言った。本気で言った。
 店長にその旨話すと、当時素直で気に入られていた私は融通を利かせてもらうようになった。他のスタッフは面白くないだろう。
 たまに顔を出す社長にはYさんは旦那さんに愛されているんだなあ、と皮肉(?)を言われた。他のスタッフは旦那が家にいる時は仕事に出たいらしい。
 店長はすぐに忘れ、また日曜にも仕事が入るようになった。14年続けた仕事だ。そういう日は夜待ち合わせをして外食をするようになった。帰ると洗濯ものがたたんである。やれば私よりきれいにたたむのだ。

 お嫁がふたりめを出産するとき、海辺の息子の家に行って上の子の面倒を見ていた。息子と小学校1年の孫に、おいしいものでも作って食べさせてやれ……夫が言った。
 私もそのつもりだったが、釣り船に乗っている息子は魚を持って帰ってきた。連日台所に長い時間立ち調理してくれた。
 マグロの唐揚げに、小アジの骨、ししとう、とうもろこしを少量の油で揚げた。手際がいい。とうもろこしは丸ごとレンジで加熱し、小さく切って揚げた。初めて食べたがおいしかった。残しては悪いと思い食べてしまう。太って帰ることになった。

 夫にメールしたら、「私はろくなものを食べていない」と返ってきた。
 洗濯は教えてきた。掃除機の充電器、コロコロクリーナー、ダスキンは出してきた。ベランダの植物の水やりもやってくれているようだが、長引けば怒り出すのではないか?

 息子は朝3時半に起き、4時半には出て行く。私は眠れない時間なので起きて朝飯のおにぎりを作り持たせるが、普段は自分でやっている。午後も船が出る時は弁当も詰めていく。共働きのお嫁さんに、起きて作れ、とは言えないだろう。
 息子は帰るとすぐに着ていたものを洗濯する。休みには掛け布団のカバーをはずし洗っていた。仕事の前にはゴミを出す。風呂は1年生の孫が毎日洗っている。夕食の後は、無線の試験の勉強をしながら孫に平仮名を書かせていた。
 ちょこれーと、ゆーちゅーぶ、ゆなちゃん(赤ちゃんの名前)等々。
  
 長女はこの息子が実家に来た時に、オムツを変え着替えをさせ、こまめに動くのを見ていた。だから自分の夫もそうなると思っていたようだ。ぜんぜん違うので、何度も喧嘩をした。
 比べてはいけない。おまえの旦那様も料理が上手になったではないか。チャーシューと煮卵は皆が集まる時にはお願いする。
 次女の家での初節句。うちの夫は私が作ったケーキの飾りを工夫していた。厚紙とアルミホイルを重ね兜を折った。携帯を見ながら。それを竹串に付けてシフォンケーキに刺した。拍手喝采かと思いきや……次女は兜の形の春巻きを揚げていた。

124 本当のジャクリーヌ・デュ・プレ

 なにげなく借りてきたビデオだった。
 実在したイギリスの女性チェリストの映画。悲劇の天才。天才の悲劇……


 ジャクリーヌ・デュプレが弾いたエルガーのチェロ協奏曲は私の中では上位になった。この映画を観なければ知らずにいただろうか? 知ったから余計に切ない。
 最期のときには第1楽章を掛けてほしいと思う。

 ヒラリーとジャクリーヌの姉妹は幼少の頃から音楽好きの母によって育てられた。ふたりは揃って音楽コンクールに出場するが、そこで絶賛されたことを機に妹のジャクリーヌはチェリストとしての才能を開花させていく。
 姉のヒラリーは自分の才能に見切りをつけ、大学の同級生キーファと結婚し、平凡な家庭夫人となる道を選ぶ。

 22歳で天才ピアニストのダニエル・バレンボイムと結婚して、さらに名声を高めたジャクリーヌ。
 だが、心身ともに疲れ、平凡な生活を選んだ姉に羨望と嫉妬を抱いた。
 姉の人生をうらやみ、ついには……

 20世紀最高のチェリストと謳われた、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯の映画化。28歳の頂点の時に不治の病に倒れた伝説のチェリスト、ジャクリーヌ。
 ステージでは決して見せなかった彼女の苦悩や葛藤を、姉妹の確執を軸に、実姉の視点から描いてゆく……
 なんて、妹の死後、姉のヒラリーが出した暴露本をもとに作られた作品。姉の嫉妬で書かれていて事実無根、ジャクリーヌ・デュ・プレの名誉を汚したと、クラシック界隈に大バッシングされた。
 

 実姉ヒラリーと実弟ピアスの共著「風のジャクリーヌ」が原作だ。映画が公開されたときの反発は大きかった。
 あまりに内容がスキャンダラスで、ジャクリーヌ・デュ・プレを誹謗中傷していると、著名な音楽家たちが抗議を表明した。映画で描かれたジャクリーヌは姉ヒラリーの嫉妬によって歪曲された像だというのだ。
 本作の制作費700万ドルに対し興行収入が491万ドルとズタズタの成績だったのは、ジャクリーヌの元夫ダニエル・バレンボイムからの訴訟を恐れフランスで公開されなかったことにもよる。

 スキャンダラスな内容とは、姉ヒラリーと夫キーファが家庭を営む田園生活にジャクリーヌが闖入、神経が参ってウツ状態だったジャクリーヌが姉に「キーファと寝たい」といい、ヒラリーは仰天するものの結局夫を説得した。

 ヒラリーの娘によれば父親とジャクリーヌの関係は1度きりではなく、継続的な関係だったとしている。当事者が黙っていれば絶対おもてに出なかったことだけに、不世出の天才チェリストの恥部を暴いたとして、ヒラリーへの弾劾は強かった。

 ジャクリーヌは28歳のころ指先の感覚が薄くなっていることに気づく。多発性硬化症(MS)の発症だった。予想外の速さで症状は悪化し、演奏中チェロの弓を落とすようになり聴覚まで消えていき事実上引退する。

 そんななか、夫ダニエルはパリで別の家庭を持つようになり、ジャクリーヌはひとり自分の世界に閉じこもるように。

 病気の進行はジャクリーヌの脳幹を侵し人格を破壊し言語能力を奪っていく。字を書くことは困難になり、記憶力が衰え、家族が訪問したことを忘れ、誰も会いに来てくれないと狂気のように怒り狂った。体中に震えがきて食事も喉を通らない。誰も手をつけられない。
 彼女の感情の暴力はいちばん身近にいる家族に向けられた。特に母親に凶器のような残忍な怒りが浴びせられた。MSは筋肉のコントロールに影響し、自分で頭を支えることも言葉を発することもできなくなる。

 ヒラリーはそんな妹が不憫でたまらなかった。妹が夫と寝ようとなにをしようと、自然児のようなジャッキーが憎めなかった……


 彼女は闘病生活を続けたが、1987年10月19日に42歳の若さで世を去った。

 (Web版Womanlifeより抜粋)

125 最後の職場

 8年前、勤めていたブティックが倒産した。
 もう年齢も年齢だ。もう働かなくてもいいだろう。仕事もないだろう。あるとすれば介護か清掃。
 もうひとりのスタッフはハローワークに通いながら介護士の資格を取った。

 私は働く気はなかったが就職活動をしなければ失業手当はいただけない。
 毎月ハローワークに行き、パソコンで求人を探す。しかし、働いたとしてもすぐに定年。係の人も、ないですよねー、と簡単だった。
 就活の記録を書く。募集広告を見て一応電話する。年齢を言うと断られる。和菓子の販売があったが、近くの店舗ではなく、電車を乗り継ぎしていく支店だった。
 断りホッとした。新しくできた病院の清掃の面接にも行った。受かれば理由をつけて断った。
 知人の会社の名前も借りた。とにかく用紙に記入しなければ。そういえばブティックにいた時も客に頼まれたことがあった。店に面接に行ったことにして……と。

 新聞に入ってきた募集のチラシ。すぐ近くに建てている介護施設。開設までに半年ある。週3日、朝7時から10時までの3時間。資格なしでも、配膳等の手伝い……洗濯、掃除。
 家から近いのが魅力だった。時間が短いのも。夫が出勤後に出ればいい。小遣い稼ぎにでもなれば。軽い気持ちで面接に行った。 

 受かった。半年後のことだから……いやならすぐにやめればいい、と安易に考えていた。続くとは思わなかった。
 ハローワークの方も喜んでくれた。歳だから、2か月延長分の手当もいただいた。支払われなかった給与の保証も、ずっと遅れたがいただいた。

 やがて介護施設がオープンした。3日間の研修。9時から5時まで? まあ、いいか。
 いろいろな研修。3時間の資格なしのパートには関わることもないだろうが。ベットのマットレスの話、車椅子の種類、動かし方、パットの種類、ふたり組になり実際に当ててみる。風呂はリフト浴の実習。網のようなリフトに座らされ浴槽まで移動させられる。楽しかったが。

 オープンしたての頃は入居者よりもスタッフの方が多かった。配膳もシーツ交換も3、4人で。しかし、どんどん入居者が増えるとスタッフは分散された。その後はずっと人手不足だ。配膳はひとりで。隣のユニットにも手伝いに行かねばならない。
 職員が排泄介助の間、私は見守り。当時はまだ元気な方がいた。廊下に出て行ってしまう。車椅子から立ち上がってしまう。ひとりで見守るのは大変だった。

 8年が過ぎた。時給はほんの少し上がった。
 14年勤めていたブティックは1度も昇給しなかった。賞与がほんの少し出たのは最初の夏だけだった。
 今の仕事は、施設からユニフォームが貸与される。仕事は短いので昼食代もかからない。なにより服を買わなくてすむ。ブティックの服をどれだけ買ったことか。

 去年は腰を痛めて2ヶ月休んだ。それからは時間を減らした。朝2時間だけ。それでも、役には立っている。
 あとどれくらい働けるのだろう? 短い時間でも、仕事があるから休日が嬉しい。

126 家事の苦手な女たち

 近所に古くからある電気屋さん。小さいながら頑張っていた……?
 1度だけ、部品を頼んだことがあるが、店の中はすさまじかった。
 バスも通る道路に面しているが、店の外に古い冷蔵庫や洗濯機が何台か並べて放置されていた。ずいぶん前、夫が見た。外の冷蔵庫から何か取り出していた。コードを入れて使用している?

 看板は壊れたまま。家は地震が来たら倒れそう。噂ではいまだに水洗トイレではないとか。
 町の電気屋さんとして頑張ればよかったのに。奥さんは昔から、日中髪にカーラーを巻いたまま、くわえタバコで店の外に出ていた。旦那もくわえタバコ。身なりは構わない。
 息子の代になれば良くなるかと思いきや、息子も同じような体型、雰囲気だった。店の中はますますすごいことに。
 でも、同じような性格だからうまくいっているのだろうか?
 片付けはダメでも料理がうまい、とか。
 
 今では誰も住んでいないのか? 店頭の冷蔵庫が通るたび減っている。
「危険! 近づくな」
のテープが貼ってある。外壁は壊れそう。すぐそばを車が通るのに。 

 住人はどこへ?

  ︎

 知り合いの男性が離婚した。娘がかわいくてずいぶん悩んだらしいが。
 奥さんが、ごはんを作らない。

 奧さんのおとうさんはずっと単身赴任で、女の子ばかりだったので、おかあさんも料理をしなかったらしい。菓子パンですませたり。
 だからそういうものだと思っていた。

 どれほどか、話し合いがなされたのか?
 頼んでも怒ってもダメだったのだろうか?
 愛もごはんを作らねば冷める。
 愛が冷めたら、繋ぎ止めておくには胃袋をつかんでおかねば!

 うちの旦那さまなんて、おかずが少ないと不機嫌に。ワンパターンだと何度も言われ料理本を見た。
 今の時代、通用しない話か?
 娘の旦那さまは休みの日には作ってくれるそうだ。

 菓子パンですませている奥さんは、どこも悪いところはないそうだ。
 施設にもいたな。コーヒー牛乳と甘い煎餅だけ食べてどこも悪くないお年寄り。

 でも、家事をしっかりやって、さぞや旦那様は幸せだろうと思ったら、あちらの夫婦も離婚した。

127 真剣な話

 施設では毎年虐待についての講習があるのだが、昨今はコロナ禍のため、テキストを読んでレポート提出のみ。
 どこぞの施設で叩いた。殴った。怪我をさせた。鼻の骨を折った。ひと晩で40回以上殴る蹴る? 髪を掴む。ベッドから引きずり下ろす。寝ないから携帯電話で殴った。
 なぜ? 毎年毎回。どこでも虐待防止の対策はしているだろうに。

 高齢者はすぐにアザができる。見つけたら大騒ぎになる。さかのぼって原因を究明する。うちのユニットには声を荒げる職員さえいない。いい職場だ。虐待を疑いはしない。私がイライラすれば、深呼吸しなさい、と言ってくれる。
 入居者は喋れない者もいるが、喋りすぎる者もいる。風呂に入れたとき、見えるところは丹念に見るが……
「お尻が痛いの。皮むけてないかしら?」
 私は目が悪い。見なきゃダメ?

 暴力は絶対に許されないが、介護士の精神状態のほうを心配してしまう。常習者は論外だし、気付かない周りもおかしいが、真面目な職員が起こしてしまうのを、気付いてやれないのは残念だ。職員も精神的にギリギリだったのだろう。特に夜勤ひとりの時は行き場がないのだろう。

 夜勤だった若い男性職員。その日は発熱していた入居者もいたので、いつもより大変だった。別の女性に、 
「眠れないから一緒に寝てほしい、手を握ってほしい」
と言われ、断ったら衣服にしがみつかれた。
「こんな年寄りをひとりにして、このろくでなし!」
平手打ちを1回。実直な性格で熱心に業務を行うが……虐待防止事例。問題点を考えてください。

 尊厳? トイレに貼ってあります。私たちはいつ何時でも高齢者を人生の先輩と敬い……
 暴言吐かれても、叩かれても、引っ掻かれても、髪の毛を引っ張られても、首絞められても、つば吐かれても、セクハラされても……とは書いてないが実際にいた。そういう時は、記録に残すのみ。

 私もユニットの玄関を開ける前には、深呼吸をして唱える。バカヤローはありがとうに変換しよう、と。
 しかし、入っていった途端にバカヤローの洗礼を浴びる。言い返してはいけないが、無視してしまう。無視は心理的虐待になる。朝から豚がブヒブヒ……そう思わなければ続かないと思う。 

 浴室で腿を叩かれた時も、思わず大声を出してしまった。
「なにすんのよ!」
(このクソババア。ふざけんじゃないよ。優しくしてりゃいい気になりやがって)

 手が出たらどうなっていただろう? 介護なんかに携わったことを後悔しただろう。楽しく働いた5年の月日を2度と思い出したくない……と。

 殴った本人はケラケラ笑っている。
 体を洗えばメガネに水をかけてくる。
 掛け湯をして体を拭いてるそばから漏らす。

 資格ナシだから、最低賃金よりほんの少し高い時給。はっきり言います。8円ぽっち。

 私はパートで、必ず職員さんがいるので愚痴を言える。気軽に言えるが、そうでなければ積み重なっていくだろう。精神的に不安定になり、来なくなる職員が少なくない。

 どっちに逃げろと言う?

 車椅子のお年寄りに言うか?
「殺される前に逃げなさい」と。

 過酷な超勤で、心を無くしていくあなたに言うべきか?
「殺してしまう前に逃げなさい」と。

 常に人手不足。育てた新人は辞めていく。
 次から次に建つ高齢者施設。そんなに建てても、介護職員はいません。だから辞めても行くところはいくらでもある。だから、次々辞めていく。

 どこへ行っても、殺さないで! 
 殺してはだめ。殺す前にそこから逃げなさい。
 放り投げなさい。

 夜勤はひとりで20人をみる。
 また漏らした。大を。手でいじるからベットの柵までべっとり。

 朝行ったら、シーツ交換を頼まれた。夜勤の休憩時間も取れなかったと。よく、ここまできれいにしてあげたね。清拭(濡れたタオル)だけで。

 100歳のカリンさんはそれでも憎めない。きれいに髪をとかし、お気に入りのティアラみたいなカチューシャをしている。


【お題】 ここから逃げて。お願い。

128 ハロウィンに観た

 10年以上前、義理で観に行くことになった劇団の公演。
 休みの日に夫婦で電車に乗った。
 渋谷を通る電車。乗った途端に違和感が。世間の流行から取り残されていた年配の夫婦は、ハロウィンを知らなかった。
 寒くないのかしら? 女性はそんなような格好だった。

 ずっと手前で私たちは降りた。
 舞台の観客は少なかった。ほとんど身内と知り合いだけ? というようなそんな感じ。
 演目は? 

 もう、こういうのはいいんじゃないの?
 もう……忘れられていいんじゃないの?
 
 特攻隊の若い青年。愛する女性がいるのに、明日は出撃。

 戦争を知らない青年たちが演じていた。
 完全に過去のこと。2度と起こらないこと。

 舞台の近くで観た演技は迫力があった。
 母は、行くなとは言えない。

 アメリカの若者はホロコーストを知らないものも、多いという。
 知らなくていいなら永遠に知らなくてよかったのに。
 なぜ、ここにきて立て続けに戦争が?
 
 老年のバカ夫婦は話した。
 ゴルゴ13に暗殺させろ、と。
 私はもっとマシなことを。
 確かロシアにいるはずよね、誰だっけ? あの凄まじく強いジャック・バウワー……
 なんて、ろくでもない話。

 調べたら現在継続中の紛争、戦争がかなりある。
 通販生活のトップの記事も戦争だ。
 いますぐ戦争をやめさせないと。

 ︎

『戦争を知らない子供たち』は終戦から25年が経った1970年に生まれた。
 もともとは大阪万博のイベントステージで歌うために作られた楽曲で、クレジットには作詞:北山修、作曲:杉田二郎と記されている。
 歌詞を書いた北山は、万博のステージのフィナーレでこんな“語り”を入れて曲を紹介した。

「僕らは、戦争を知らない子供たちと自分たちを呼ぶことができます。ですが、完全に“戦争を知らない”と言えない面もあります。よその国では“戦争を知っている子供たち”もたくさんいます。
 願わくば、100年後、200年後、僕たちの子供たちが、またその子供たちが“戦争を知らない子供たち”というこの曲と同じタイトルのもとで世界中のみんなが同じような音楽会をひらけることができれば、凄く幸せだと……」

 当時はベトナム戦争の真っ最中で、憲法上の制約があった日本は、アメリカ合衆国の戦争遂行に基地の提供といった形で協力していた。
 日本国内ではフォーク歌手や若者たちを中心に安保闘争や反戦運動が盛んだった頃で、この歌は戦後世代による“新しい反戦歌”として広く知られることとなる。

 こうして誕生した『戦争を知らない子供たち』に対して当時は賛否両論が巻き起こったという。

「今の若者は戦争にも行ってないくせに生意気なことを言うな!」
「そんなあまい歌を歌ってる場合じゃないだろう!」
「戦死者を屈辱するな!」


 まだ大正や昭和初期生まれの戦争体験者がたくさんいた時代。
 曲が初めて歌われた万博のステージに関わったスタッフは皆、戦後生まれだった。
 世代間ギャップや戦争に対する意識や解釈の相違などから、厳しい言葉が寄せられたのだ。
 作曲を担当した杉田は当時の心境をこう語る。

「なんでこんな騒動になるんだろう? と思いました。この歌には“世界をもっとよくしよう”という意味合いがあるのに……。でも、この1曲で多くの人が議論してくれている。“すごいことになったな”と思ってました。」

 北山はしばらくの間「ブーイングを浴びてまで詩を書きたくない」と言って創作意欲を失い、杉田も「もう歌うのは嫌だ」と感じていたという。
 そんな“騒動”を引きずりながら4年の月日が流れ…1975年、杉田にとって“気持ちに決着をつける”機会が訪れる。
 場所は沖縄だった。
 日本に返還されてから3年が過ぎた沖縄でのステージ。
 万雷の拍手と共にアンコールのステージに戻った杉田を迎えたのは、観客たちによる『戦争を知らない子供たち』の大合唱だった。

「涙が出ました。これでようやく、みんなのところにこの楽曲が届いた! と思ったんです。」

 
「いつまでも、この曲を歌える国でありますように願いを込めたい。これからも気持ちが続く限りギターを持って、この街、あの街で歌えたら幸せです。」

https://www.tapthepop.net/news/74253/amp

129 雨の墓参り

 雨だ。土砂降りだ。つくづく雨女。ほんとに雨女であることを証明した。

 コロナ禍でずっと行けなかった義兄の見舞い。ここ数年で人工透析になり心臓手術もした。会いに行こうにも、来てくれるな……と。

 ようやく会えるから、計画した東北旅行。
 でも、たぶん、雨…‥だとは思っていたけど。

 そういえば、去年行った松島も雨だった。大昔に行った松島も雨で、カッパを買った記憶が。
 7月に行った九州は線状降水帯で、ずっとニュースが流れていた翌日だった。
 一緒に行った姉が晴れ女だったから対決!
 車に乗ると雨。打ち付ける雨。降りると止む。
 グラバー邸も阿蘇山も高千穂峡も湯布院も、熊本城も観光するときはぴたりと止んだ。
 そんなバカな。運のいい姉。
 晩年は旅行ざんまい。老後資金に心配はない。ただ、子どもに恵まれなかった。だから私の子どもたちをかわいがってくれる。

 三陸沿岸道路も雨。もう、降りて観光どころではない。ホテルに直行。
 老夫婦の旅行は金をかけない。泊まるのはビジネスホテル。ビジネスホテルは夕飯がない。
 雨の中、空腹で歩いて探した。見つけたのはどこにでもある居酒屋のチェーン店。
 私はいつも梅酒を1杯。自分の作ったものと比較をする。これっぽっちでこの値段か。

 次の日も雨混じり。夫が立てた素晴らしいプラン。日本列島を右端からほぼ左端まで横断した。あるのは、山々、ときどき道の駅。紅葉でもしてたら素晴らしいだろうに。

 ようやく着いた夫の実家。義兄は杖を付き90キロあった体重が58キロに。頬はこけ、まるで別人。姉と同じ歳なのに。
 週に3日、独身で同居している次男が病院の送り迎えをしている。仕事の合間に。
 
 義父は義兄が嫁をもらったときに家を建て替えた。広くて立派で羨ましかった。
 結婚式も盛大だったという。長男が生まれた時には大喜び。
 半世紀近く経ち、家は手入れもされず床は抜けそう。雨漏りもするとか。
 跡継ぎの長男は離婚。この家はどうなるのだろう?

 隣近所も高齢者ばかり。子どもたちは家を出ると戻らない。年寄りがひとりで住んでいたり、家だけそのまま残り、荒んでいく。
 畑には背の高い草が生い茂り、義母が小豆まで作っていた場所はゴミ捨て場。
 孫の中学は生徒3人に先生がふたりとか。

 しばらく話し、墓参りに行った。小雨が降る。熊に気をつけろ、と脅される。
 父母が眠る立派な墓石は、夫が金を出した。
 まだ若い頃、マンションのローンに車のローン、親の援助などなく生活に余裕はなかった頃の話。
 夫は機械で指を切った。ほんの少し切り落とした。
 労災から金がおりた。私には内緒。
 夫は墓のためにその金を使った。自分が入ることはないだろうに。
 入れるのかな?

 イオンで買ってきた花を備える。
 子どもが5人。孫が10人。ひ孫が10人。
 無限の人を並べたる不滅の列。

 

130 忘れられた名前

 ボクは高かった。血統書付きだ。
「海外ドラマに出てくるようなヨークシャーテリアね」
 お嬢さんはひと目で気に入り、長ーいローンを組んで買ってくれた。
 ボクは見事な金髪(?)を伸ばし、トリートメントをして、手をかけてもらった。エサは極上、敷物はフカフカ。
 お嬢さんは仕事から帰ると毎日散歩に連れていってくれた。

 でも、幸せは長くは続かなかった。お嬢さんは結婚し、社宅には連れて行けないからと、ボクはおかあさんのところに連れていかれた。

 おかあさんは、ぐうたらで散歩も連れていかない。昼は寝ていて夜はいない。エサはまずいものに変わり、敷物はボロボロになっていった。
 おかあさんはボクを「ろくでもない犬」と呼んだ。
 お嬢さんはローンを払いきれず、おかあさんが尻拭いした。そんなことは1度ではないらしい。
「バカ娘のバカ犬、ろくでもないろく犬」
 おかあさんは、ボクを蹴った。

 ボクは痩せて毛はボサボサ。
 ある日、おかあさんはおにいさんと話していた。
「山に捨ててきてよ」
 ボクは逃げたけど、ケースに入れられ連れて行かれた。でもそこは山ではなく公園だった。
 そこで新しい飼い主に紹介された。
 また、若い娘さん。犬の匂いがする。
 でも、娘さんは、がっかりしたようだ。おにいさんからボクのことを聞いて、かわいそうに思い、自分が飼っている犬が、昼間ひとりじゃかわいそうだから、とボクをもらうことになった。

 気に入られなきゃ、山に捨てられる。ボクは家にいたコロンより強いとこを見せようとした。コロンは弱い男で、追いかけると逃げた。階段を駆け上がり、ベッドにマーキングした。
 娘さんの膝に乗り、寄ってくるコロンに頭突きをくらわした。

 困り果てた娘さんは、今度はおかあさんのところへ連れて行った。おかあさんは嫌いだ。また蹴飛ばされる。

 おかあさんの家にはネコがいた。
「無理よ。おとうさんがいいって言うわけない。返しなさいよ」
「だめだよ。かわいそうな犬なんだよ」

 ボクは新しい飼い主を探す間、おかあさんのところに預けられた。
 この家のネコは女の子でボクには無関心だった。人間にも無関心だった。水が欲しい時しかおかあさんのところへ来ない。おかあさんはネコを抱っこして蛇口から飲ませてやる。

 おとうさんが帰るとおかあさんは説明していた。飼い主が見つかるまでだから……
 おとうさんはビールを飲むとテレビを観ていた。ボクはおとなしくしていた。するとおとうさんが僕の名をおかあさんに聞いた。
「ロクよ。血統書付きよ。ヨークシャーテリア」
 おとうさんは覚えられないでヨークシャーテルと言った。
「テル。テル」
とボクを呼ぶ。

 休みの日、ふたりは散歩に連れて行ってくれた。何度も曲がり、もう覚えられなくなりボクは踏ん張った。捨てに行かれるのかもしれない。踏ん張るとおかあさんはボクを抱っこして笑った。
 方向が変わったのでボクは降りると一目散に走った。おとうさんが追いかけてきた。ボクが家の前で座っていると笑った。
「自分の家がわかるのか、テル?」

あれやこれや121〜130

あれやこれや121〜130

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-22

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