掌編集 16

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151 お帰りなさい

今日もまた

おそえりなさい

残業で


 貧困の若夫婦。妻は風呂なし玄関なしのアパートで、夫の帰りを今か今かと待っていた。
 お帰りなさいが、いつのまにか、(おそ)えりなさいに。


【お題】 帰宅したら一句

152 大異動

 3月。女性職員さん、異動。パートさんも異動。
 4月。リーダーふたり異動。若い男性職員異動。

 それ、嘘でしょ? 
 何人残るの? 
 こっちのユニットひとり。
 あっちのユニットふたり。

 パート減っても補充なし。
 無理でしょ?
 入浴、回るわけないじゃん。
 しょうがないよ。どこも手が足りないんだから。それに、いろいろあるのよ。
 あの人いるから辞めます、とか、新人が育たないの。
 
 3月初め、ひとり腰痛で休み。ひとり、身内に不幸があって休み。
 ある男性職員さん、連日超勤。疲れがみえます。

 入浴はよそのユニットから手伝いに来てくれたらしい。
 以前、ひどいときは、施設長が夜勤やってたからね。

 まだまだ、大丈夫……

 私はもう周辺業務だから、手伝えません。シーツ交換はやりますよ。できる限り。

 でも、残るあの人、夏のボーナス出たら辞めるって……

153 辞められない

 この仕事は向いてない、といつも思うけれど、辞める勇気もエネルギーもない。 
 辞めます、と言えない。

 だから、ブティックは接客苦手なのに14年。倒産するまでいたの。
 そのあとの介護施設も、もう8年。安い時給と文句を言いながら、まあ、いいか、と。

 でも、去年は職場の雰囲気が悪くて……あの人が早番の日は行きたくなかった。
 なんだか、態度がひどくて、
「私、なにかしました?」
と、よほど聞いてやろうかと思った。

 もしかしたら、介護エッセイで、仮名だけど悪口書いているのを読んでたりして……
 まさか……ね?
 
 それでも辞めるエネルギーがないから、ダラダラ我慢して、そのうち、あの人の態度も普通になった。

 この仕事、向いてないのはあの人のほうだよ。気分にムラがあるし、好き嫌いが激しいし、入居者さんに優しくない。
 たとえば、入居者さんが、
「帰りたいよ〜。帰れるかしら?」
と聞けば、
「帰んなっ! 帰っていいよっ!」
だもんね。
 そんな言い方、ないでしょ? 言えないけど。
 でも、
「帰れないよ〜」
「じゃあ、いなさいっ!」
と、漫才みたい。
 この会話、毎回やっている。

 朝は、早く来て時間前から働いてる。
 腰痛で整形通ってる。
 モクレンさんが意識失った時の対応は素早かった。
 
 100歳のカリンさんが亡くなったときには、形見に膝掛けもらっていったし……

 ゴタゴタして、異動しちゃったけど、ホントはこの仕事に向いているのかな?

154 子どもたちの先生

 学生時代は真面目で問題のない生徒だった。人見知りで先生と個人的な話などしたこともない。おそらく、記憶にも残っていないだろう。

 比べて夫はひどかったらしい。
 酔うと話す。
 神社でタバコを吸って叱られた。池の鯉を獲って村中が大騒ぎ。
 なにかあると父親は酒2升持って謝りに行ったとか。
 あるとき、若い女の先生は怒りのあまり、木の大きなコンパスで、皆の前で頭を叩いた。
 血が出て、かなり、かなり出て、女生徒たちは泣いて大騒ぎ。これまた、騒動に。
 今ならニュースになるだろうに。

 夫は自分が悪かったので、痛みも感じなかった。恨んでない、と。
 それどころか、中学を卒業し、上京したあともしばらくは手紙のやり取りをした、という。
 
 3人の子どもたちは、やはり夫に似たのだ。先生を手こずらせた。

 長男はバイクの3人乗りを高校の周りでやって(ただのバカ)停学。男の担任が家まで家庭訪問に来た。
 バイクは危険だから、早く四輪に乗れ、とか、なんか、楽しそうに話していた。
 長女は校則違反。オシャレすぎて、
「あなた、この学校向いてないんじゃないんですか?」
と、独身の年配の女性担任に言われた。目の敵にされていた…‥と思っていた。
 進級のたびに追試験。
 その先生が卒業式では手を取って泣いてくれた。

 次女は輪をかけてひどかった。進路も就職も決まらずバイトの延長。
 何年かして、契約社員で働いていた紳士服店に高校の男の担任が買いに来て、喜んでくれた、と。
 のちに、数人の卒業生と一緒にカラオケまで行ってきた。

 散々、母を手こずらせた子どもたちだが、羨ましい気もする。少しは先生の記憶に残っているかもしれない。子どもたちの恩師だ。



【お題】 恩師

155 初恋

人生の

秋に出会った

初恋に



前川清の『初恋 Love in fall』を聴いて。


【お題】 俳句×ボーイミーツガール



 かつて作家・五木寛之氏に「“演歌”でも“援歌”でもない。“怨歌”である」といわしめた歌手・藤圭子。
 
 1971年、前川清と藤圭子の結婚に世間は沸いた。
 前川清が22才で藤圭子は19才。

 しかし1972年、おしどり夫婦と呼ばれたふたりは離婚。

 
 その後藤圭子は1982年に、宇多田照實と再婚。以降、照實との間で7回の離婚・再婚を繰り返す。
 1983年1月19日、ニューヨークにて娘を出産。
 その後、娘を世界で通用する歌手に育てるため、1990年から照實とともに娘を連れて初めて渡米、お金が足りなくなると日本に戻って歌い、お金が貯まるとまた渡米することを繰り返した。

 娘は15歳となった1998年に宇多田ヒカルの名で歌手デビューし、これを機に藤も再び注目を浴びた。しかし、娘のデビューと入れ替わるように自身は歌手活動を封印、以降ほとんどステージで歌うことはなくなった。
(Wikipediaより)

 圧倒的な歌唱力と存在感、儚さと数奇な人生。それらをすべて背負っていたのが、歌手・藤圭子だった。

 別々の道を選択したから、歌姫が誕生した。

「もしも、今の年でお互いに独り身であったなら、もっとわかり合えたかもしれませんね。でも、そういう運命の流れがあったからこそ、宇多田ヒカルさんという歌手がこの世に誕生したわけですよ」

 1998年、宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』は900万枚突破という日本新記録を打ち立てた。
 そんな娘の類まれな才能を全力で後押ししてきたのが母である藤だった。

「宇多田さんがデビューする前、1度だけ藤さんから電話がかかってきたことがあるんです。
"娘は天才なのよ”
って。
 それから間もなくして凄い歌声の若い娘がいるなと思っていたら、それが藤さんのお嬢さんだった。 
 独特な声質がソックリで驚きました。
 歌っている時というよりも、しゃべっている声が。CMで宇多田さんの声が流れた時、思わず振り返ってしまいますもんね」

 芸能生活50周年を記念したシングル『初恋 Love in fall』を発表した前川。
 偶然にも宇多田が同月にリリースした新曲のタイトルも『初恋』だったことには心底驚いたらしい。
「こっちは“得した! 誰か間違えて買ってくれないかな?”(笑い)なんて冗談を言ってましたけど、向こうは迷惑しているかも…。でも、これも何かの縁かもしれませんね」
https://www.news-postseven.com/archives/20190822_1435839.html/4

 前川清さんは「クール・ファイブ」時代から多くのファンを持っており、同業者でも「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんや、「ミスターチルドレン」の桜井和寿さんなどを始め、多くのアーティストから尊敬を集めている歌手です。

 2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で藤圭子さんが倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書などは見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署は飛び降り自殺を図ったと断定した。照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した。
 喪主を務めた光は「遺言書がある」と表明、葬儀は行わず本人の遺志に沿う形で宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となり、のちに遺灰も海に散骨された。その後、藤の実家の阿部家側によって、ファン有志とともに「しのぶ会」が行われた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/藤圭子

156 優しい妻

 ひと昔前、いなかでは脳卒中は当たり前だった。
「ちゅぶたかる」という。
 あそこのじいさん、ちゅぶたかった……
 ンダンダ……
 みたいな……

 じいさんの面倒見たのは、かあさん。それが嫁のつとめだった。
 そのかあさんも脳梗塞。
 早かったな。親孝行もしなかったな。

 我が家の目玉焼きはコショウだけ。
 健康のために、なにもかもが、優しい味付け。ボケた味。

 健康のためだとわかっているが、ときどき食べたくなる。
 沢庵、キムチ、塩辛、インスタントラーメン……
 買うときには塩分を確かめる。 

 しかし、薄味に慣れるとなにもかもが塩辛く感じる。出前も外食も減った。
 自分で料理するようになり、塩6グラムが、どの程度なのかわかる。

 制限してるのに、こんなに塩分控えているのに数値が良くならないのはなぜだ?
(インスタントラーメン、作って食べたことも忘れている)

 美容師さんの旦那さん、糖尿だって。長距離の運転手。何日も家を留守にする。
 優しい味付けとは無縁の生活。
 コーラを毎日飲んだ。大量のコーラを。

 糖尿で足切断と脅かされて、ようやくやめた。コーラはやめた。山ほどの、キャベツを食べる。

 しかし、慣れるものだって。
 キャベツが、茹でただけで甘く感じる。

 あなたの兄さんは、今では人工透析したあとだけ、ご褒美として缶コーヒーを飲むんだってね。
 大変だよね、1日おきの病院の送り迎え。

 健康で長生きしたい?
 好きなもの食べて、さっさと死にたい?

 中途半端はやめてね!
 寝たきりで長生きするの。
 ああ、寝たきりなら、介護は楽か。
 でも、施設に入れるお金なんてないわよ。


【お題】 優しい味付け
 

157 美少女

 ある高校の放課後。
 下校しようとした男子が校舎を振り返ると、窓に腕を組んでこちらを見ている美しい少女がいた。
 見たことのない顔だったので、「転校生かな」と思った。
 少女は目が合ったことに気づくと、にっこりと微笑みかけてきた。
 彼もつられて微笑みかえした。

 だが、彼はその時に恐ろしいことに気づいた。
 その少女には下半身がなかったのだ。

 彼がそのことに気づいた瞬間、少女は窓枠から飛び出した。
 彼は驚きのあまり、腰を抜かして動けなくなってしまった。
 下半身のない少女は、肘だけ動かしてすごいスピードで彼の方に向かってきた。
 テケテケテケテケ……っと。

 
 やっとのことで逃げても、時速100キロのスピードで追いかけられてしまうのだ。
 追い払う呪文を言えないと恐ろしい目にあうという。
 またその異様なスピードと動きとは裏腹に、顔は童顔でかわいらしい笑顔を浮かべながら追いかけてくるため、その恐ろしさをさらに助長するという。
「地獄に落ちろ」「地獄に帰れ」と唱えると退散する。
 また、急に曲がることができないため、予測のつかない急な方向転換をして逃げればよい。

 そして、この話を聞いてしまった人のもとにも、3日以内にテケテケが現れてしまう。

(妖怪ニュースより)



【お題】 今だ!走れ!

158 月日は流れ

 娘が小学校に入学して、最初に連れてきた友達はヒカル君だった。娘も小さかったが、彼はもっと小さかった。
「ほら、ヒカルっていうの、かわいいでしょ」

 家が近かったので、よく遊んでいた。ヒカル君のパパが、もう、ガールフレンドができたのか? と喜んでいたとか。

 バレンタインデーにはチョコレートを渡しにいった。パパはまた喜んだかな?

 ホワイトデーの夜、といっても6時頃かな、ヒカル君が来た。離れてママが立っていた。
「早く渡しなさい」
 ママに急かされ、ヒカル君は玄関にお返しの包みをぶん投げて、恥ずかしそうに逃げていった。

 それから少しして、ヒカル君のパパが亡くなった。
  
 
 ヒカル君とは小学校、中学校も一緒で、成人したあとも仲間で集まり飲みにいってた。

 小さかった娘は大きくなった。言われたそうだ。
「おまえ、小さいときはかわいかったのにな」

 娘は⚪︎⚪︎キロ超え。あんなにかわいかったのに。



【お題】 ホワイトデーの夜に

159 朝帰り

 たぶん、終電を逃した、とか嘘をついて、


 越えてはいけない一線を越えてしまった……
 
と、後悔するわけでもなく、

 早朝の横浜で、まだ月が少し残る夜明けの空で、

 2度と戻れない 境界を越えた……
 ああ、この胸は疼いてる。

 なんて、余韻に浸っている。

 妻がいるのに……
 いけないことだとはわかっていても、
 一緒に居たい。
 妻とは違う女性に虜になってしまっている。


 しかたないね。
 妻だけを一生愛せたら悩みもしないだろうに。

 でも、それじゃあ、名曲は生まれない。


 一緒にいたい、でも僕には家族がいる。

 いけない関係なので、一緒に歩けない。
 たった一人で朝の空を眺めながら、家族の待つ家に帰っていく。

 本当は一緒にいたい。逢えないことでつらくて涙を流すが、悟られないように隠す。
 そんな日曜日の朝。

 妻と寝ていても、何も感じない。すでに隣には君じゃないと興奮しなくなってしまった。そのさみしさから眠らずに過ごす僕。



 そのうち、事業がうまくいくと、糟糠の妻をないがしろにして、愛人に金を使う。
 妻は負けじと宝石を買う。服は、すでにサイズが合わなくなった。ますます太るからますます旦那は遠ざかる。

 ある日、そんな旦那が脳梗塞で倒れた。

 さあ、妻はどうする?

 
 必死に介護するのでした。
 ブティックで暇を潰していたのに。



【お題】 終電を逃した…

160 梅は咲いても

 その家に春の訪れはない。
 妻を亡くした男には、もう何年も何年も、春の訪れはなかった。


 梅は咲いても春なき私


 サラッと書いて貼ってあった。



 小さな平屋の借家だったが、庭があった。
 丹精込めて育てていたサツキも松も、自慢の大輪の菊も枯れ果てていた。

 父はもっとひどかった。

 施設に入れたあと、姉と家を片付けた。

 残したものはアルバムと将棋盤。

 
 北の小さな花壇のクリスマスローズが、増えて見事に咲いていた。
 母が植えたクリスマスローズが、誰にも見られることなく。



【お題】 ちいさい春、見つけた

掌編集 16

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  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-19

Copyrighted
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  1. 151 お帰りなさい
  2. 152 大異動
  3. 153 辞められない
  4. 154 子どもたちの先生
  5. 155 初恋
  6. 156 優しい妻
  7. 157 美少女
  8. 158 月日は流れ
  9. 159 朝帰り
  10. 160 梅は咲いても