あれやこれや 101〜110
すでに投稿済みの『あれやこれや11-1』から『11-10』の10話をまとめました。
101 自分の脳を見直した
小説を書き始めたのは30年以上前。
当時は書いていた。原稿用紙に。
鉛筆、消しゴム。辞書。長編だから原稿用紙の枚数も多い。
1度、区のコンテストに出したが落選。かかってきた電話に原稿破棄をお願いした。
費やした大量の時間は無駄にはならない。当時は漢字が書けた。ほとんどの漢字が書けた。
やがてワープロの登場。当時10万円くらいしたが迷わず買った。原稿用紙をワープロに移す。大変な作業だった。その頃、どこのだかは忘れてしまったがコンテストに応募した。原稿用紙100枚の短編。ワープロで印刷。それもボツ。読んでいただけたのだろうか……?
パソコンが我が家にくると、ワープロの調子も悪くなっていた。少しずつ移行しようと思ったが諦めた。大量のフロッピーはゴミになった。
それでもパソコンのワードで綴っていた。パソコンの寿命は短い。新しいパソコンにCD-ROMを入れた。データなし……? 互換性? なにそれ??
熱が覚めてしまった。執筆終了。20年くらいブランクがある。もう無理だろう……
携帯をiPhoneに変えていろいろいじる。見つけた。pages 。まさか投げ出していたストーリーが蘇るとは思わなかった。骨組みを打つ。携帯だからいつでもできる。加筆修正。
どんどん増える。文字数が増える。夜中に、はかどる。夢中になる時間はあっという間に過ぎる。食べることもトイレも忘れる。
指が先行する。えっ? 指が勝手に打っている……脳はそういうストーリーを考えてるのか?
脳ってすごい。20万字をほぼ暗記した。年老いた脳が。そして投稿。
なんて便利な機能。
たったひとりでいい。最後まで読んでくださる方がいたら……
こちらは、読んでくださる方がいる。細々とでもいい。
一気に読んでくださったことも。
そのときの高揚感ときたら……
ドラッグなんて目じゃないわ。
(グレイスアナトミーより)
102 身体を消費する
天真爛漫で多くの友人に恵まれた人気者……彼女は長男に後れること4年、1950年に生まれた。兄がピアノの練習に精を出す傍ら、彼女といえば楽器は何をやっても続かず、すぐ野球をしに出掛けてしまうような活発な性格だった。
そんな彼女が唯一本気になれたのがハイスクールのマーチングバンドで出合ったドラムだった。しかしドラムを担当する女性など当時は数少なく、「女のやることじゃない」と両親は反対した。その両親を説得して兄のバンドのドラマーに就任したのが、彼女のキャリアのスタートだった。
1966年、初めて契約しようとしていたレコード会社が、両親も、そして彼女自身も自覚していなかった才能を見出した。
「バンドを売り出すためにはボーカルが必要だ」と説得された兄は、あるとき急遽、妹に歌わせることにした。妹の才能を知っていた兄が披露させた天性の歌声は比類のないもので、レコード会社は妹とだけ契約を結ぼうとした。しかし兄の才能しか信じていなかった母親は、反対する。
母は「女は主婦としての能力があって一人前」と考えていた。息子のためならLAに一家で引っ越しすらする一方で、自分が一度過小評価した人間の価値が上がることを認められず、知らず知らずのうちに才能を潰してしまう多くの人たち同様、お転婆で男勝りな娘がドラムを始めるときも、歌手デビューするチャンスにも立ちはだかった。母親は、この後一生涯、娘が類まれな才能を持っていることを認めなかった。
こうして音楽界の大舞台に姿を現したことで、人々の注目を集めるようになった。しかし皮肉なことにそれが彼女の命を縮めることになる。
あるとき、地元紙が彼女のハイスクールでの写真を差し「chubby sister」と紹介したのだ。
「太っちょの妹」。思春期の頃から体形を気にしていた彼女は、このことで食事に対して非常に気を使うようになっていった。さらに、彼女の才能が体形へのコンプレックスに拍車をかける。
子供が大好きで、彼女自身も子供のような無邪気さと純粋さを持ち周囲の人から好かれていた。一方で自らの体形については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。
事実、その頃の彼女は平均的な女性と比較してぽっちゃりしていた。彼女の身長は163センチで適正体重は58.45キロだが、彼女の体重は最大66キロに達していた。
彼女は「絶対に痩せてやる」と発奮しダイエットに励むようになったが、それが彼女の寿命を縮める結果となった。
ダイエットのためケーキを出されてもほんのひと口かじるだけの生活。この頃、食事の場は彼女にとって、皿に乗っている食べ物を右に左に転がすための場でしかなかった。減っているのはコップの中の水だけ。周囲の人たちの望む姿になるべく、痩せ続けていった。
日本でのツアーを終えて、兄妹が建ててあげた両親の家を訪れると、彼女がわざわざ買ってきた着物を母は興味なさげに早々に片付け、新居の案内を始めた。
母は娘をないがしろにする癖を止めることができなかった。当時、ドラマーはほぼ男性しかおらず、女性のドラマーとして表舞台に立つ娘の行動は許せなかったのだ。
「結婚するまでは女性は家を出ない」ことがマナーだと信じていた保守的な母は、娘の自立すら阻み、一人暮らしも認めなかった。兄の説得で仕方なく兄妹同居という形でようやく認めたが、娘のプライバシーを絶対に作らせないよう画策した。
発散されることのないストレスと、栄養不足からついに彼女の体は限界を迎える。コンサート中の舞台の上で意識を失った。コンサートは中断、病院へ運び込まれた。
ベッドの上に横たえられた5フィート4インチ (163cm)の体重は平均体重より16㎏下回っていたため、医師はドラッグを疑ったが、彼女が別の病に蝕まれていることに誰も気づかなかった。
なぜなら彼女は休むことなくランニングやエクササイズの日課をこなしており、どこからどう見ても「健康的な生活」を送っているようにしか見えなかったから。
その生活がたとえ彼女の過度な脂肪への恐怖によって支えられていても……
なんとか回復した彼女は、実家に引き取られた。家族で退院を祝い、仕事も順調にこなし始め実家で過ごした久しぶりの家族団らん。
しかし、食卓に出てきたものは、兄の好物だった。家族のため、必死で少しずつ食事を口に運んだ彼女は、母の足元にくずれ、こう懇願したという。
「私のママになってよ」
1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚をしたが、翌年暮れには破綻。離婚同意書にサインする直前(約束の6時間ほど前)に彼女が死去したため、現在も既婚のままとなっている。
1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。満32歳没。死因は急性心不全。長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。
カレン・アン・カーペンター(1950年3月2日 - 1983年2月4日)は、カーペンターズのヴォーカリスト、ドラマー。声種はアルトで、3オクターブの声域を持っていた。彼女の声の美しさについては、ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーをはじめとした一流のアーティストたちも絶賛している。
長年の摂食障害と体を酷使したエクササイズによりボロボロになっていたカレンの心臓は限界に達し、1983年2月4日、わずか32歳の若さでこの世を去る。
歴史に名を遺すシンガーは、最後まで周囲の都合と母親の期待に引き裂かれた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/カレン・カーペンター
なお、映画『カレン・カーペンター・ストーリー』によれば、晩年は過食症と拒食症の症状が繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなったことになっている。
彼女の死は社会に大きな衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。
103 読んだり書いたり
お金を出して買った本でも途中で投げ出すものは多い。むずかしすぎて読めなかったものもあるが。
若い頃、推理小説のベストテンが雑誌プレイボーイに発表され、その時だけは購入した。表紙にかなり抵抗があったが。
海外ミステリーの1位はずっとエラリー・クイーンの『Yの悲劇』だった。
ちょうどそれに関するエッセイを読んだので思い出した。
凶器の鈍器と楽器……
アガサ・クリスティ原作の映画『ねじれた家』を見たときに連想……(ネタバレ)
『ねじれた家』 1949年
『Yの悲劇』1932年
日本のベストテンの中に3大奇書が入っていた。何度読み返してみても挫折した。ドグラマグラ、黒死館殺人事件、虚無への供物。時間のある今、また挑戦してみようか?
若い頃は毎日のように本屋に入り、本代はかなりの金額になっていた。
今は姉夫婦が本好きなのでどんどん回してくれる。このふたりへのプレゼントは毎回図書カードだ。義兄は白内障の手術と一緒に近眼、老眼も治してしまった。手術代はかかったが、持っていたメガネを全て処分し、裸眼で本を読んでいる。羨ましい。
人が回してくれる本は面白い。歴史、警察もの、鉄道再生、なんでも読むようにしている。ときどき宝石のようなものに出会い感激するが、姉の感覚とは違うのだ。
投稿サイトも無料で読める。中には有名な作家さんもいる。ファンレターを出そうとして調べたら、ドラマの脚本まで書いている方で驚いた。頑張ってください……などとは出せなくなってしまった。
興味ある三国志のエッセイを書いてくださった方は、忠臣蔵の本を出した。
︎
最初、原稿用紙に書いていたので、横書きには戸惑った。ネットで書き方のルールを検索した。
でも、曖昧だ。
字下げしてない。
「ららららら」
字下げしなくていいのにしてある。
「ららららら。」
カギカッコの最後に句点は不要。
「・・・ららら・・」
3点リーダーじゃなくていいのか? ・・・を使う方が多い。
「…ららら………」
3点リーダー、奇数使いはダメ。多くても拡大して確かめたくなってしまう。
? ! のあと1文字分空ける?
これは多いから?気にすることも?少なくなったけど! 空けるの?
……。
……
句読点は必要?
「ららららら」
会話のあと、字下げするのかしないのか?
二十四、二万五千、本来横書き文には算用数字を。
これは難しい。24、24? 25000、25000?
半角だと列がズレて、いやなんですが。
二十歳、七五三、四十九日、これらは漢数字。いっそ、漢数字に統一した方が文面はきれいだ。
アルファベットも。CD、CD? ああ、列がズレた。
横書きの本を買ったら、なんと数字が漢数字だった。そればかり気になって集中できず。
昨日読んだ作品は、書き方が完璧で(?)感心してしまった。
104 グリーンジャケット
テレ朝のWBCのテーマ曲が聞き覚えのある曲で、ずっと考えていた。思い出せなくて気持ち悪い……
施設でも大音量でかかっていた。
ああ、思い出した。
キル・ビルだ。
BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY
『新・仁義なき戦いのテーマ』
テレビ朝日系列のスポーツ番組やニュースのスポーツコーナーなどでは、侍ジャパンが出場する野球の世界一決定戦ワールド・ベースボール・クラシック(World Baseball Classic/WBC)に関連して、『新・仁義なき戦いのテーマ』が番組BGMとして使われる。
2020東京パラリンピック開会式では、アトラクションで布袋寅泰が出演し、自らの演奏で『新・仁義なき戦いのテーマ』を披露した。
WBCのつぎはなんでしょう?
2023年は4月6日から4月10日まで。
︎
夫がゴルフに行く時に、マスターズのテーマ曲を聴いていた。聴き取れたのは、
Augusta green coat Sunday afternoon
Augusta Amen Corner
Augusta……
マスターズをしっかり観たことはなかった。「Augusta」が、開催されるクラブ名だとも知らなかった。
こちらも曲を調べていて興味を持った。
歌っている歌手はデイブ・ロギンスというカントリーミュージシャン。
︎
マスターズは、アメリカ合衆国ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを会場に開かれている、ゴルフのメジャー選手権のひとつ。
他のメジャーは毎回開催コースが異なるが、マスターズは毎年同じオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催される。
このコースはとりわけグリーンの難度が高く、別名「ガラスのグリーン」とも呼ばれるほどアプローチショットやパットでのボールコントロールが難しく、それゆえに「オーガスタのグリーンには“魔女”が棲む」とよく言われる。
更にINのコース南側の角にある11番・12番・13番の3つのホールは《アーメンコーナー》の別名で恐れられている。
マスターズでは、観客のことをギャラリーではなく「パトロン」と呼ぶ。実はマスターズの賞金は、入場者のフィー(入場料)から経費を差し引いた金額を原資にしている。
マスターズの創始者達が大会の細部にこだわるあまりお金を使い果たしてしまい、開催早々資金難に陥ってしまうという歴史がある。
厳しい状況の中で賞金の資金を捻出するために取ったのが、「入場料金を賞金の原資にする」という方法だったわけだ。
賞金総額はだいたい1,000〜1,100万ドル前後が平均で、優勝者には180〜190万ドル(約2億円程度)の賞金が与えらることが多いようだ。
金額は入場者数によって変動するため一概には言えないが、他のメジャー選手権における賞金相場とほとんど変わらない。
マスターズの優勝者には、その証であるグリーンジャケットと共に、生涯出場権が与えられる。つまり1度でも優勝すれば、ゴルファーとしての生涯を終えるまで毎年マスターズに招待してもらえるわけだ。
マスターズ・トーナメントの出場資格
歴代優勝者 (生涯)、全米オープン優勝者(過去5年間)、全英オープン優勝者(過去5年間)、全米プロゴルフ選手権(PGA選手権)優勝者(過去5年間)…………
同年公式世界ランキング50位以内(マスターズ大会開催前週に発表のもの)etc...
2021年には、松山英樹が10回目の出場を果たした末に、アジア出身選手として初めて優勝した。
︎ ︎
小学校の卒業文集に
「20歳でマスターズ優勝」と夢を記した少年がいた。
彼がすごかった時代は興味がなかったが……
2005年「全国中学選手権」優勝。
07年 初めて出場したプロツアーで優勝し、15歳245日の最年少記録を樹立。
08年 16歳でプロ転向。
09年 18歳で史上最年少の賞金王に輝いた。
10年 「中日クラウンズ」最終日に世界最少ストローク「58」をマーク。
(2012年5月に、ライン・ギブソン選手が「55」をマークし、2年で塗り替えられてしまった)
マスターズには5度出場しているが、3度は特別枠である。
マスターズの長い歴史の中、例外の『特別招待』が5年で3回という特別扱いぶりに、米国のジャーナリストの間では、
『優勝しなくても生涯出場権を得る最初のプレーヤー』
と皮肉たっぷりにささやかれた。
4日間開催で、一大会に多額の放映権料が支払われる。彼の出場しだいで視聴率も大きく変わるわけだ……
成績
09年予選落ち 10年予選落ち 11年20位タイ 12年予選落ち 13年38位タイ
夢は叶えられなかった。20歳で優勝の夢は叶えられなかった。
私が彼に興味を持ったのは去年(22年)だ。
21年、米国からの帰国後の自主隔離期間中に隔離措置違反が発覚し、1カ月の出場停止処分を受けた。
昨年はヤフーニュースで、石川遼のよくないことをずいぶん読んだ。テレビで見たときも長髪でイメージが悪かった。
石川遼は15歳で優勝し、インタビューではにかむ姿から「ハニカミ王子」と呼ばれ、老若男女の心をつかんだ。
高校1年の5月、史上最年少でツアー優勝を遂げると、マスコミやゴルフ界は、世間知らずの石川を散々持ち上げ、商売に利用してきた。まるでゴルフ界の宝のように扱い、常識外れやマナーに反する行動をしても苦言を呈する者はいなかった。
一方、優勝から3カ月後には迷彩柄のカーゴパンツでツアーに出場し、「ゴルフにふさわしくないパンツだ」などと多くの苦情が寄せられた。
翌年1月にはプロ転向宣言直後に行われた日本スポーツ賞の表彰式に、ジャージー姿で現れてトロフィーを受け取り、出席者を唖然とさせたこともあった。
中学時代からゴルフがうまい少年が、高校1年でプロツアーで優勝し、多くのスポンサーと契約し、莫大な契約金を手にする。利用価値がある人気プロに対し周囲は厳しいことは言わない。
2007年関東アマチュアゴルフ選手権で、TBSが石川に取材を試みようとし、同伴競技者に小型マイクを装着する依頼を行った。しかし、依頼は通らず、選手は大会主催者に報告をした。
また、同日にTBSのヘリコプターを大会中に飛ばし、プレイを妨げる行為が発覚。この迷惑行為により、TBSは関東ゴルフ連盟に謝罪を行い、同日午前放送の番組で陳謝した。
2008年4月25日 - 27日に行われた、つるやオープンゴルフトーナメントでは、多数のギャラリーの対応の為に、送迎バスは臨時ダイヤになり増発となった。
また、ギャラリーの女性が転倒・骨折し救急車に運ばれる事故も発生している。
2009年8月2日のサン・クロレラクラシック最終日の17番ホールと最終ホールにて、同スコアで並んでいたオーストラリアのブレンダン・ジョーンズがパットを外した際、観客の一部から拍手が起こった。
後に大会主催者がブレンダンに謝罪した。テレビの解説者も放送内で苦言を呈し、石川も
「ゴルフは紳士のスポーツで、(相手が)外したことを喜ぶ応援のスタイルはない。ギャラリーの方も真摯な気持ちで観戦してもらいたい」
と話している。
石川目当てのギャラリーによる迷惑行為は数多く起きており、シャッター音などでプレーの妨げになるなど、ギャラリーのマナーを問う声がある。
2009年11月29日のカシオワールドオープンにて取材中のTBSスタッフがカートを暴走させ、前方に居た移動中のギャラリー数人をはねた。うち女性一人がカートの下敷きになり、眼窩底骨折の大ケガを負った。なお、カートを運転していたTBSカメラマンの男は自動車運転過失致傷罪で禁錮2年(執行猶予4年)の刑事処分。
︎
石川遼は仕切り直しの昨年(2022年)の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で優勝を飾り、インタビューに答えた。
「やるべきことをやり続けてきた。それを今日も1打1打しっかりと、打ち方だけじゃなくて、攻め方だったり、しっかり考えて意識しながらやれた。でも正直、今でも信じられないという感じです」
男子ゴルフはあまり観ないが、そのときは3日目の途中から観た。
いないと思った石川遼が上位にいたから、応援してしまった。
国内男子ツアーはかつて年間40試合以上を誇ったが、21年は24試合開催。テレビ世帯視聴率も平均3.5%と低迷している。国内女子ツアーの38試合開催、同平均6.0%と比べても差は開くばかりだ。
若い男子選手が頑張っていた。
盛り返してください。
https://www.clunk.jp/golf-masters-tournament
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/news.golfdigest.co.jp/news/jgto/article/151944/1/%3Fformat%3Damphtml%26usqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D
https://www.nikkangendai.com/articles/view/sports/297195を参考にしました。
105 人生は七掛け
昨年の11月に腰痛を患い、仕事もウォーキングも休んでいた。
そのせいだと思うが頻繁にめまいがした。目が覚めたときだけなので、良性発作性頭位めまい症と勝手に決めて、めまい体操をしていた。
そのせいか、良くなったと思ったが正月の忙しさで、ぐーるぐる。
新年早々耳鼻科に行った。
待つこと、1時間半。咳をする者、真っ赤な顔の乳児を抱いているママ、押し車の高齢の女性。そして……高齢者の私。
ようやく呼ばれた。
声の小さな先生だな、と思った。もっと大きな声で呼べよ、と。
問診の後にいろいろな検査。聴覚、血圧(下が高いと言われ測り直したが同じだった。以前は正常値だったのに)
目を閉じてその場で足踏みを百回したら……
1メートルも前進していた。(そんなバカな)
他にもいろいろ、フラフラ具合を調べたようだ。かなり悪そう。
時間がかかり、また待たされ、再び呼ばれ診断結果。
また2度呼ばれたみたい。
なんと、めまいの症状はない! ないっ?
腰痛で歩かなかったから、正月で忙しかったから、忙しいのはだめなのだそうだ。
それでも薬が2週間分出た。まあ、そんなもん……
それよりショックなことが……
「右耳の聞こえが悪いのはいつ頃から?」
青天の霹靂。検査したのなんて数十年前。
耳の聞こえが悪いなんて自覚症状がない。
いや、この間、家電にかかってきたセールスの声が遠かった。電話が遠いです、と切ってやった。
夜中イヤホンをして音楽を聴いていると、右からは流れてこないのだと思い外していた。
片側だけの難聴も高齢が原因なのか?
症状を進ませないためには、適度な運動とバランスの取れた食事しかないそうだ。
はいはい、本気で気をつけます。イヤホンはやめます。でもショック!
それに、もうひとつ、気になることが。
次女に言われた。
「おかあさん、黒目が白いよ」
鏡で見ると黒目の縁がグレー。これも自分では気づかなかった。夫も妻の顔を見ていないのだな。お互い様だが。
老人環というらしい。6歳上の姉の目はそうなってはいなかった……!
長女は言った。
「かっこいいじゃん。外人みたい。憧れじゃん」
グレーはロシア人やフィンランド人の色みたい。
眼科にも行ったほうがいいのかな? またショックなこと言われたりして。健康診断もしてないな。
若いと思っていたのに。
高齢化が進むなか、一方で人の身体年齢はどんどん若返っている。
漫画「サザエさん」の波平さんは54歳、フネさんは48歳、天才バカボンは41歳だ。
現代の健康な人々の身体はひと昔に比べ実際の年齢の七掛けと言われる。これを「年齢七掛け説」(または人生七掛け説)と言う。
七掛けならまだ40代なのだが。
いつまでも、若々しくいたいものです。
106 謳歌できるか?
夫が退職した。
65歳の時から私も周りも引き伸ばしてきた。あと、1年、もう1年、もう1年。なんとか70歳まで頑張ってくれないものか?
マンションを買ったのが早かったから、ローンは完済した。
結婚して半年暮らした、あなたの住んでいたアパートは、風呂もなく日も当たらない『うなぎの寝所』
玄関がなかった!
洗濯機は廊下。
初めて行った時は驚いた。家賃は安かったが。
酒を飲めば銭湯には行かない。私は夜ひとりで行くのが嫌だから仕事の帰りに夕方寄ってきた。下の階の八百屋のおばさんが背中を流してくれた。懐かしい。
十年以上あとに、おばさんの息子と私の娘が中学で同じクラスになってびっくり。
そのアパートで半年暮らしたが、子供が生まれる前にいろいろ考えた。
ちょうど入ってきたマンションのチラシ、近かったのですぐに見に行った。まだ、マンションはあまり建っていなかった時代。周りはプロパンガスだから、ガスはない。電気温水器に、キッチンは電熱器で、シンクがふたつ。(ダブルシンクという)
すぐに気に入った。こんなところで料理ができたら天国だわ、と確かに思った。
会社の経理に相談したら、おまえ、勇気あるなあ、と言われたとか。まだ、金利が5、5の時代。26歳の夫ひとりの収入で返していくのは大変だった。
子供が3人生まれた。40歳過ぎるまで貯金などできやしない。
ただ、そのあとに家を買った人たちは、まだまだローンが残っているから、仕事を辞めるわけにはいかないという。
60歳でいただいた退職金は小さな会社だから……それに金利が上がらない時代。増えるはずだった退職金は増えてない!
リフォームも海外旅行も夢の夢夢……
でも、年金生活でもケチケチしたくないね。私は、好きなパンも焼くし、ジャムも作る。紅茶は大缶のアーマットを買えばしばらく持つ。でも、セレクトコーヒーの通販は送料が900円もかかるからやめた。
化粧品もランクを落とすか、美容院も頻度を減らすか?
美容院、値上がりしていた。でも、月一で行かないとひどい頭に。ネットでカラー剤を検索してみた。
あなたは床屋は安いところに行っている。喋ったり、サービスが嫌だからと。
私は豪快な美容師さんと話すのが楽しみ。本名もよく知らないけど。
楽しい方だ。投稿材料をたくさんいただいている。スポーツに詳しい。ゴルフはやらないくせにマスターズを観ている。フギィアスケートもトゥクタミシェワが好きで話が合ったし。
宇宙はひとつじゃない、とか、死ぬ事は初めてだから楽しみにしてる……とか、手が止まるのよね。面白い人だ。
老後を謳歌できるか? いや、七掛けだからまだ四十代。
107 手作り餃子
夫が有給休暇消化でずっと休み。そして退職。そしてハローワークへ行く。高年齢求職者給付金をいただく。65歳を過ぎると失業保険とは違い、一括でいただけるらしい。
そして職探し。
休んで十日も経たずに退屈地獄だそうだ。
趣味がない。やることがない。ゴルフの練習は金がかかる。毎日は行けない。100球以下に抑える。
前に同じマンションのご主人が、素振りばかりでなかなか打たない、とバカにしていたが気持ちがわかる。
退職しても、ラウンドにはずいぶん誘われている。金がかかるが断れない。
私なんか、たった2時間の仕事でも、明日は休日だと思えば嬉しい。毎日が日曜日は辛そうだ。早くから飲む。休肝日も取れない。次の血液検査はどう出るか?
早くに寝る。夜中に起きて暖房とテレビをつける。温度と時間の大きなズレ。だから待ってる。家庭内別居。
それで、少しばかり料理をするようになった。私が整形に行ってる間に、ごぼうとにんじんの胡麻マヨネーズのサラダを作った。切ってサッと茹でて和えるだけ。(にんじんラペを作ったときに、千切り用のピューラーを買ったので均一に切れる)
体によさそう。味もまあまあ。お通じが良くなるが、本人は下痢をするのであまり食べない。
昨日なにげなく、餃子でも作れば? と言ったらその気になった。長い時間ネットで検索。そして印刷。
皮から作る、と。
うわっ、面倒臭い。
餃子の皮は、確かホームベーカリーで作れるはず。調べたら出ていた。薄力粉と強力粉と35度の湯を入れてわずか8分。温度計もちゃんとあるのだ。
その間に餡を作る。レシピは豚挽肉にネギ、ニラ、生姜、塩、醤油、ごま油、それに水。水? 水がかなりの量。
久しく餃子の中身を作ってないが……白菜とか入れない? まあ、白菜をみじん切りにすると面倒臭いから、レシピを信用。
皮を30等分し、めん棒で丸くする。
……できない。丸くならない。不恰好。非常に難しい。
「皮、買ってこようか?」
口から出た。
「明日、皮買って、明日にしよう」
それでも、なんとか30枚伸ばした。まともな円形はひとつもない。顔から剥がしたパックの断片みたい。
それに具を包む。包むのは慣れている。子供が食べ盛りの頃は作った。セロリ入りのや変わったものも。
少し前、息子が来た時、餃子を作り孫に包ませた。市販の皮で。あの時は白菜をかなり入れた。あれはおいしかった。
ずっと前、夫の中国の知人が来て、餃子を作ってくれたことがある。あのときも大量の白菜を刻んでいた。餡を包み、端と端をくっ付けて、丸いかわいい形にして茹でてから焼いた。あれはおいしくて、何度か真似た。
今日の餡はコメントにもあった。半信半疑で作ったがおいしかった、と。
不恰好な皮に包み、形を誤魔化し整える。夫のは……ひどい。
ひとつがかなり大きくなった。焼く時も、水じゃなくて、熱湯を注ぐのね。そして火を弱めないで4分。焼けたら胡麻油をたらす。
熱々を味見。カリッとして、皮がおいしい。具もおいしい。手間をかけただけのことはある。どこの餃子よりもおいしかった。
食べた、食べた。餃子だけで夕飯はおしまい。
108 前頭葉
このサイトはランキングがない。比べなくて済む。pv数は微々たるもの。
でも、投稿するとすぐに読んでくださる方がいる。すごく嬉しい。
出ては埋もれていく作品たち。どれだけの時間と労力がかかっているか。
頭がおかしくなりそうなくらい考えて、歩きながら考え、家事をしながら手を休めては携帯をいじる。
ああ、とんでもないことに手を出してしまった。1円にもならないことに、日に何時間も使っている。
でもね、これは、前頭葉を使っているのだ。たぶん。
人間の脳で最初に老化し、機能が低下するのは前頭葉なのだ。
前頭葉の機能が衰えると、感情のコントロールが難しくなったり、意欲が衰えたりする。認知症になる。たぶん。
前頭葉はつねにフル回転しているわけではなく、どちらかというと「サボり屋」の器官なのだ。危機を察知したときや、初めての刺激に対しては全力を出すが、慣れてしまうと働かなくなる。
そこで、前頭葉機能の老化予防の方法はアウトプット、なのだ。
インプットの際は側頭葉を使うが、アウトプットの際は前頭葉を使う。
本の内容を、インプットして知識を高めようという際には、側頭葉を使うと考えられている。
ところが、その内容を人に話すなり、ブログに書くなりして、アウトプットする時には前頭葉を使うそうだ。
だから……前頭葉はたくさん使っているはず。認知症にはならないはず。
(何を書いてるのかわからない……?)
https://itinennseinoenikki.blog.fc2.com/blog-entry-1469.htmlを参考にしました。
あと、最近ハマっていることが。
姉が持ってきてくれた認知症防止のパズルの本。節約家だから、鉛筆書きを消して持って来た。アホくさくて、ずっと放っておいたけど、夫が退職し、同じ時間、空間にいるのが苦痛でやってみたら……
ナンバープレースというもの、これは難しい。私がバカなのかと思い、お嫁にやらせたけど難しかった。
面白くて携帯のアプリをとって、上級とその上のエキスパートもやってます。
時間がかかる。できたと思ったら、間違えててやり直し。
これはただの時間潰し?
施設の女性の部屋にもいろいろなパズルの本が置いてあった。みるみる衰えていくけど……
109 寿命は何処まで伸びるのか?
豪快な美容師さんと以前話したことがある。ドラマの安楽死。痛みに耐えられない病気や、認知症になり、迷惑をかけるなら……
「長生きしないから大丈夫よ」
彼女は店でラジオをかけているのでそういう話を聞いたのだろう。
今の長寿は大正と、昭和の戦前に生まれた人たち。粗食に耐え、精神力も強い。
私たちの世代は添加物をたくさん摂ってきた。長生きするわけがないのだ、と。
世代……ふと調べてみた。 x、y、z、α世代。
知らなかった。z世代という言葉は知っていたが。子供たちはy世代。豪快な美容師さんはx世代。私は……?
調べてみたが、寿命は伸びるようだ。寿命は医学で伸びる。(107歳くらいまで)
この100年の間に寿命が2倍になった。
第2次世界大戦直後の平均寿命は50年。死因の第1位の結核は「亡国病」と呼ばれていた。
医学が発展し、寿命は伸び続けた。癌を克服すれば、さらに5年延びるという。
100歳を超える時代はもう目の前だ……めっそうもない……
人生最後の10年間(もっと長いかも)は、人工呼吸器をつながれたり、胃瘻になったり、薬を多く飲んだり。(施設の94歳の方は12錠をヨーグルトで飲む)
寿命を伸ばすことには成功したけれど……施設には入りきれない認知症のお年寄りが。
今の社会システムは「人生70年時代」がモデルになっている。日本人の平均寿命が70歳をこえたのが1970年頃で、その頃から高齢化社会が始まった。
日本は1960〜1970年代の高度経済成長期の頃の感覚をずっと引きずり、今の社会システムや社会保障制度は、あの時代のピラミッド型の人口構成や右肩上がりの経済を、前提につくられているので、今の時代に全然合っていない。
今後は社会システム自体が持たないだろう。
若い人たちが将来への希望を持てない。夢も希望もない。
1番大きいのは老後の不安。年金制度が崩壊するのではないかという不安だ。
施設で働く若い人は言う。70歳くらいで死にたいと。しかし、それが間近になると70歳なんてまだまだ若いと思うようになってきた。
体の寿命は伸びても脳の老化は防げないと言われてきた。しかし、それも違うようだ。
脳の健康も維持できるらしい。
頑張らねば!
https://www.tyojyu.or.jp/net/topics/taidan/zadankai/nagaiki-yorokoberushakai.htmlを参考にしました。
110 不調
めまいの検査で行った耳鼻科で、血圧が高い、とショックなことを言われた。それまでは低いくらいだったのに。
それまでとはいつのことか? 正常だと思っていたからずっと計っていない。夫は朝晩計るので血圧計は出ているのだが。
配偶者控除内で働くパートに、健康診断はない。
毎年届く特定健診も無視していた。
家族で手術していないのは私だけ。姉夫婦も持病がある。
気になり……計りすぎ。気にするから高くなる? 上が160か170越え。下も100を超えている。年下の友人が既に薬を飲んでいるので聞いてみた。
整形で下が100を超えると、電気治療してくれない、と。私が通う整形は計りはしない。血圧計は置いてあるが。自分で計るのか? 今は行かないほうがいいか。
高血圧だからめまいがするのか?
恐ろしい。
自覚症状がないと思っていたが、頭痛は頻繁。肩こり首こり。左腕は上がらない。
なんだかいきなりの不調。耳の聞こえは悪いし、黒目は老化するし。
高血圧は怖い。
母が五十の若さで亡くなった。血圧が高く医者に通い始め、薬を飲み始めた矢先のこと。心不全で救急車に運ばれすぐに。
相当苦しかっただろう。
もうすぐ父の命日だ。父は母に死なれたあと30年以上生きたが、アルコールと認知症で大変だった。
知り合いの親たちが高齢で、皆大変な状況になっている。自分達も、もう高齢だ。いろいろ話を聞くと、最期の在り方を考えてしまう。
高血圧、で連想してしまう。母もそれまで寝込んだことなどなかった。
夜寝るときに怖くなる。まさか、このまま逝っちゃったりして……ならば苦しまないように。絶対、粗相などしませんように。
ちょうど、夫も退職したので預金等は報告してある。子供たちに不安はない。長女家族は私に犬を預けて、海辺の次女のところへ泊まりに行っている。姉妹で仲がいい。
我が家で飼っていたヨーキーは脳腫瘍で大変だった。薬の副作用で太り、粗相をした。金もかかった。最後はモルヒネ……
娘の最初の犬はトイプードル。朝は元気に食べた…‥掃除機をかけていたら、いきなり様子がおかしくなり、一声あげて亡くなった。
ぜんぜん予兆がなかった……
迷惑をかかず、お金もかけずにえらかったね、と言ってしまった。
心臓病だったのだろうか?
ああ、息苦しい。
実は私は動物アレルギー。犬も猫も飼っていたけどその時は気付かなかった。
預かっている犬のせいで寝る時までマスクをしている。だから余計息苦しい。それでも何度も布団に入ってくるから入れてしまう。
具合が悪いと思うから、起きるのも遅くなる。早起きの夫は朝は自分で作り食べる。
起きれば、南向きの窓から日差しが差し込んでいた。
お天道様はありがたい。元気が出てくる。
息子が釣ったカンパチを焼いて、夫が作ったにんじんラペと、トーストにバターを少し(やめなきゃダメかな?)と、バランスの取れた食事を摂り、紅茶も飲んで、洗濯掃除がんばるぞー。
お天道様はありがたい。
あれやこれや 101〜110