雑種神代記✛F#-CR. -chronica resurgam-

雑種神代記✛F#-CR. -chronica resurgam-

拙作Cry/シリーズC零Cry/R.の、別分岐物語CR完結篇です。
人の姿をしながら人ならぬ力を持つ「千族」が「雑種」だった時代、黒い悪意に壊れゆく少年が、己を取り巻く呪詛に焔を見出すCR枝葉末節の集大成。
C零A編の補完&再演でもあります。C零結末とは全く違う展開になります。

❖C零本来の話→https://estar.jp/series/10665070
❖C零CR初話(不定期公開)→https://slib.net/122520

update:2026.7.31-8.15
Cry/シリーズzero CR_Folio riser.
※Xfolioに「序」のみ掲載、エブリスタでは特典に「開」を掲載しています

✛Teaser Tale✛

 
「はあ……どうして、こんなことに……」
 化け物の少年が働くことになった人間の国で、雇い主たる人間の王女が溜め息をついた。
「第三峠から王女への縁談。断るどころか、進んでしまっているの」

 暗い倉庫の剣の壁を背に、王女たる娘の傍らで、王女専属である「(しのび)」も項垂れていた。
 縁談という想定外の事態になったために、旅に出る余暇が与えられた少年は首を傾げる。
「第四峠に(こも)る反乱勢力も野放しなのに。縁談に浮かれてる場合じゃなくないか」

 王女たる娘と忍の乙女の両手の背側には、人間の国ディレステアの者であることを示す「D」が刻まれている。対して隣の化け物の国、ゾレンの少年の手背には「(ジー)」の刻印。
 ディレステアとゾレンは既に十年、再開した紛争でいがみ合っている。ふた月ほど前にようやく和平交渉の話が持ち上がったのだが、王女の娘と忍の乙女は、交渉の破綻で敵国からの逃亡を余儀なくされた。二人だけで帰国を目指す王女達に、秘境に住んでいた少年は出会ったのだ。

 まだ十五歳と若い王女の娘が、端整な顔を(しか)めて細腕を組む。
「第三峠だけでなくて、つい一昨日から、預言の神殿までが話に噛んできたの」
「預言の神殿?」
「私達が出会ったのは聖地の端っこ、ウェルデンでしょう? エイラ側には山斜面の神殿デルファイがあるの。管理しているのは神託の巫女でね」

 ずきん、と少年の頭が痛くなった。知らない地名や勢力の羅列に、ついつい王女の娘の言葉を先取りしてしまう。
「つまり縁談に乗り気なのはディレステアだけじゃなくて、欄外の奴らまで話に入った?」
「そういうことよ。滅多に世俗と関わることのない神殿なのに、神託の巫女直々に伝書が来たの。ディレステアの王女の婚姻について、神託が降りたと」

 そして王女達はおそらく、思いもしなかっただろう展開。巫女と同じようなことを述べて、生粋の純血の化け物がもう一人、ディレステア王家を訪ねてきたのだった。
「とりあえず、実益を兼ねて撹乱に協力してやるから。代わりにオレを、守ってくれ?」
 第四峠を担当するレジオニス大使。広がる一方の縁談話に、王女達は途方に暮れた。


Cry/CR.F#- -please turn over-

◆開:知られざる落日◆

 
 神に仕える身で王の剣士となったことを、生涯後悔はしないと決めた。名も無き自身を振り返りながら、長年監視した裏切者を追いかける魔道祭祀者は、運命の地に辿り着いた。
 その砦の名前を、第六の峠。争いを続ける二つの国は、第四から第六までの峠を互いの国境とする。どちらの国にも僻地となる第六峠が、長く戦乱の中心地だった。

 色づく雲の闇空の下、黒く錆びた柵の向こうに、隣国の大使館が見える。周囲には大量の土嚢と真新しい塹壕。ここ七年は休戦が続いていたのに、最早戦時の相に戻っている。
「……国より神の意向を優先。我らも十分、裏切者であるでしょうに」
 北西の秘境に行った裏切者は、南西の第六峠に普通は現れるわけがなかった。けれどもその裏切者――休戦の英雄を青年の頃から見て来た通称祭祀は、英雄が必ず戻ってくることを予感していた。かつて英雄の仲間を幾人も奪って、今また争いの火ぶたを切って落とす、二国の終わりの第六峠に。
「ああ、そう。君のお父上も、そうしてこの峠を焼きに来ました――飛竜、ライザ君」

 見上げる月が消えた。まだ闇が濃い初春の暗夜、断続する衝撃が祭祀を打ちつけ始めた。尖った獣の黒影が雲間を占拠する。悪魔の羽が生えた巨大な蜥蜴(とかげ)のような、うっすら外郭だけが光る赤い獣。
 羽ばたきからは地上に風音が叩きつけられ、ゆらゆら揺れる周囲の空気が熱波と化する。魂なき裂眼は灰色に濁って、獣の内に(ほとばし)る炎の血が大気を染めていく。
「……来い」
 重い祭儀衣を上だけ脱ぎ捨て、生身の祭祀は剣を抜いた。この赤熱の獣の前に立つ役目は、祭祀が自ら定めた死に場所だった。

 隣の人間の国ディレステアと、ここ化け物の国ゾレンは、何度も紛争を繰り返している。古代の遺産とされる強固な外壁でディレステアは国全体を囲まれており、その砦に六ヶ所ある峠の内の、南の三ヵ所がゾレンと接している。第四峠はゾレン王都の近傍、第五峠は両国の中立地帯、そして第六峠は戦地の最前線として。
 祭祀も裏切者の英雄も、こうなるまでは第四峠に近い王都で、国のために細々と働いていた。隣国と祖国の休戦を仲介した英雄は、飛竜という脅威の獣を操る化け物であること、かつて国賊の疑いをかけられたことがあるため、国王直属密偵である祭祀が監視者として同居をしていた。
 無愛想でも実直な英雄自身には、国を裏切る様子はなかったのだが、その身に在る赤い獣が力を持て余しており、暴徒と化する危険が強いからだった。

 国王は英雄をヒトとして信頼していた。むしろ英雄を守るための祭祀の派遣。
 赤い獣は無遠慮に炎を吐き出す。身一つの祭祀もヒト型雑種の化け物なのだが、飛竜という最強の獣にはさすがに剣が届かず、一瞬で灰にならないだけでも非凡だった。魔道で守る総身が徐々に()かれゆく中、英雄と暮らした日々が走馬灯のようによぎり始めた。

 英雄の子供に祭祀は剣を教えていた。愛嬌なき英雄一家の血筋をしっかりと受け継ぎ、ぴくりとも笑わない銀色の髪の子供は、祭祀を観る青い目に常に殺意をたたえていた。
「……それもまた、自業自得か」
 祭祀は英雄一家に敵意は無かった。監視者と同居させられる一家が気を許さなかったのは当然として、それでも英雄自体は「腐れ縁」だと祭祀を認めていた。だから息子の剣の師も任せていたのだ。まさかその祭祀が此度に、息子を殺す刺客となって、娘をみすみす謎の勢力に(さら)わせるとは思いもしなかっただろう。

 だから赤い獣が祭祀に、絶えない業火を噴きつけるのは当たり前だ。祭祀が幼い弟子に刃を振るったことを、英雄はその夜国を出る時には知らないでいたのに、秘境に隠れ住む「千里眼」が余計な告げ口をしたらしかった。
 竜の目という奇蹟で蘇生を果たした息子が、秘境で意識を取り戻すことができれば、英雄は娘を探しに国に帰っただろう。誰が英雄の息子を害したかなどは、明かされない方が良かったのに。

 隣国との再開戦が迫るにあたって、国王は英雄を異種勢力に利用されることを恐れた。英雄自身も休戦が終わるなら秘境に移住する、と国王にあらかじめ告げていた。その話を叶えるわけにはいかず、英雄に恨まれたくない国王は内密に足止めを目論んだのだ。
「まあ……それで愛弟子まで、斬る必要はあったのか、だが」
 祭祀は国王の命令に逆らうことはできない。それが国王直属の密偵――「王属部隊」となった時の誓いだ。今回ここに赤い獣を止めに来たのも、国王の許可があってのこと。
 謎の勢力が英雄の娘を攫って、残った英雄一家を国内に留めるだけで良かった。そこで英雄の息子まで息絶えるほど傷付けたのは、医療施設が集まる国内の中立地帯の、第五峠に英雄一家を軟禁するための一手だった。
 英雄の娘の捜索は自分がする、と国王は一家に約束している。そこから英雄が第五峠に行かずに、息子を秘境に連れて行ったのが想定外だった。それも英雄が封じ続けていたはずの、危険な赤い獣を途中で解放してまで。

 異変で陣を出た第六峠のゾレン兵士が、祭祀の周囲で次々と真っ黒な(むくろ)に変わる。この赤い獣が解放されてしまえば、制御が失われることはわかりきっていた。隣国との争いを平定した時分に、本来自身の「力」でなかった獣を、英雄が無理やり取り込んだせいだ。
「顔も知らないに下っ端に、八つ当たりして満足か……ライザ」
 意識が段々遠のいてくる。荒ぶる英雄――赤い獣の憤怒も理解はできた。
 突然息子と娘を失った惨劇に留まらずに、娘のために国に残った連れ合いまでが、国王の誤算で命を失う。そんな信じられない悪夢が、秘境に行った英雄に伝わってしまった。
 そして英雄は祖国に復讐に来たのだ。これだけ赤い獣が無茶な力を放てば、馭者の英雄も無事では済まないだろう。もうとっくに燃え尽きているのかもしれない。

 それでも祭祀は御前で志願し、赤い獣と対峙しに来た。祭祀が表向きは所属する教会の祭祀長には、不安定な都を離れることを罵られたが、再開戦に向けて国王をそそのかしたのは他ならぬ祭祀長だと知っている。
「貴様の敵は、我が王ではない。何故そんな単純な時勢も、貴様は視て来なかった――」
 宰相を兼任して議会を任されている祭祀長は、国王を引っ張る王妃を休戦後に暗殺して実権を手にした。英雄が危険だと何度も審問にかけてきたのが祭祀長であり、国王が信頼する英雄の存在は祭祀長には邪魔でしかなかった。
 祭祀は何度も、英雄にほのめかしてきたのだ。国王には覇権を取り戻す必要があること、そのためには以前から圧倒的に、力ある協力者が足りていない現実。

 英雄一家は自分達の平穏だけを望み、国事には興味を持たなかった。それならせめて、大人しく第五峠に隠居し、国王の足を引っ張ることは避けてほしかったものを。祭祀にも積年の所感が噴き出し、体ごと突っ込んできた赤い獣とせり合う刃に熱が宿った。
「氷上の平穏にあぐらをかいて、災いから眼を背けたのは貴様だ、ライザ!」
 間近の鼓動に、魔道の防壁が熔かされていく。それでもこの声だけは届くように。
 国を守れ、と押し付ける気はなかった。祭祀も国王も、英雄に望んだのは敵対するな、その一点だ。そんな最低限の望みも英雄は掬い上げなかった。

 英雄が赤い獣の封印で手一杯であると、現実的には解っていた。
 どうしてそうした(わざわい)を解放してしまったのか。少なくとも赤い獣で秘境に着いて、そこで「千里眼」と再会するまで、妻と子を奪われた英雄の惨状を伝えられる者はなかったはずだ。憎悪の化身である赤い獣を解放するほど、道中の英雄には理由がなかった。
「何のために抑えてきた! ここで自らを焼き尽くすためか! 幼いユオンの殺意にも、怯えるエルフィにも貴様は気付かなかった! 何故ここに来てその眼を開けて、まだ残る二人を捨てることになっても、お前は消えられるんだ――……!」

 英雄一家には嫌われていた。剣を教える弟子の青い目には、本質的には敵だと悟られていた。弟子の小さな妹にも、祭祀の冷たい素顔がいつも観えているようだった。
 けれども七年、暮らしてきたのだ。幼子達が赤子から育つ姿を、共に胸裏に刻んできた。
 自ら剣を向けた以上は、言い訳できることは何もない。それでもこれで英雄が赤い獣と滅ぶ末路は、祭祀と国王には見過ごせるものではなかった。

 赤い獣を殺す気はなかった。これだけ近付けば鎖を放てる。迫る終劇に口の端が上がる。
 魔道の徒として祭祀は優秀ではなかった。だから己が命を差し出す術しか切り札がない。
 剣から発した光が赤い獣を捉えた。これは愛弟子の死出の声から知った青い抵抗で。


 心残りは、「神」への懺悔。最後の願いを映した夜の(とばり)が、硝子のように砕け散っていく。
 しばらく後には、赤い獣だけではなく、峠を焼いた炎も消え去っていた。煙が昇って、焦げた人肉の匂いが漂う峠で残ったもの。
 呆然と、荒い目の砂を掴む英雄だけが、いつまでも這いつくばっていたのだった。

◆序◆ 森の天使

◆序◆ 森の天使

 
 世界の果てに、いつかは行けたらいいな。
 隣国との境界である遥かな外壁と、見知らぬ人目に触れてはいけない言いつけ。それが郊外の森に隠れて暮らす少女の、抜け穴を探す行き詰まりだった。
「何か、言い残すことはある?」

 国の東部で、王都よりは西の国境。海岸線から北東に走る隣国の壁に沿った森で、南の一画に東部中の咎人を集める監獄がある。少女の仕事はそこでこまめに、「危険なもの」を処刑すること。多い時には一日おきに、化け物でも人間でも民草を刈る。
 助けてほしい。無骨な赤い鎧で大きな鎌をかざす少女に、それ以外の言葉を遺すヒトは少ない。もったいないな、と少女はいつも、遠い青の空を背に思う。
――わたしだったら……父さんや兄さんに会いたい。

 何かで少女にその日が来ない限り、口に出すつもりはなかった。仕事で関わる周囲以外に、誰にも会ってはいけないと言われているし、今日でも明日でも処刑の日でも、望みは多分、叶わないとわかっている。それは処刑囚も多くがそうで、会いたいヒトはあっても、最後の瞬間まで想っていても、言わずにごろん、と首が転がっていく。なかなか死なない化け物もいるから、色んなヒトの終わりを観てきた。
 だから少女は、最後の時くらいは心を言いたい。記憶も拙い幼子の時に引き離されて、今では隣国を守る噂だけが聴こえる父と、秘境の何処かで生きているはずの兄。

 母は少女を、守ろうとして死んでしまった。母を殺した育ての父が、わざとでなかったと知っているから、少女は育ての家族に逆らわなかった。育ての父もその子である今の兄も、たった一人で取り残された少女に、大きな罪悪感を持って守っている。そうした周囲の気配が少女にわかる理由は、少女の実の兄も確かそうだったのだが、ヒトと自分が常にごっちゃな「故障した感覚」らしい。
 誰を恨んでも仕方なかった。育ての家族は皆、こうなってほしくなかった、と苦しんでいた。それより少女にとっての困ったことは、育ての家族以外は様々な者が、少女を(はりつけ)にしてでも裏切者の父をおびき出すよう、度々本気で言うことだった。
 だから少女はこの森に隠され、唯一役に立てる特技を(ふる)う。少女が存在する意味はある、と看守達のように見なしてほしい。育てられた城の住人よりも、監獄の管理者達の方が少女に温かく接してくれた。
「アーク・ピアス殿。今日は肉を良く焼けましたから、持って帰って下さい」
 
 くすんだ煉瓦の塀に接する官舎に、鎌を返しに広場から行く。対面では壊れない隣国の壁を中心として、細長い建物が扇の骨のように複数並ぶ。囚人は地下の(おり)に入れられる。監獄から南西に第五峠という中立地帯があり、そこの医療施設からも「不要分子」が送られてくる。
 あまり長く囚人が地下にいると、穴を掘って逃げようとする者もいる。ここに渡される時点でほとんどが処刑囚で、こんなに建物はいるの? と少女はよく思った。地上の部屋は看守用だが沢山余り、地下の檻はすぐに空くので、少女が処刑を拒否した時だけ、命をつないだ囚人が「逃げ出さなければ軍に送る」約束で収容が続く。

 いやだ、と言えば、殺さずに済む。それは少女の、育ての父が国王だから許されている我が侭。この自由があるから少女はずっと、赤い煉瓦の壁を嫌わずにいられる。
 少女が着ける赤い鎧は、秘宝の珠を()める古代の遺産とやらだといい、そこらの化け物より鋭く戦えるように少女は育てられた。ただの人間であるはずの少女が化け物のように頑丈になり、「故障した感覚」で普通の化け物よりも的確に囚人を殺せるからだ。
――わたしだったら……優しいヒトは、殺さないでいい。

 少女ばかりが処刑をする理由は、別に何かがあるわけではない。それでもこの森の監獄においては、なるべく少女が率先して仕事を引き受けてきた。
 初めは他の者に殺すのが難しい強い化け物の処刑を任されてきたが、王都が近くて看守が厳選されているこの監獄では、処刑者側も気位の高い化け物が多い。好きで同国の者を手にかけたい軍人は少なく、少女がやる、と言うと周囲はいつも、安堵したように新たな咎人を任せてきた。
 良かったのかな。そう思うと同時に、何故か僅かに、息が苦しくなる気がした。

 考えても何も変わらないから、優しくない、と感じた囚人はすぐに終わらせる。仕事の報酬として少女は大体、長い縄と新しい小剣や木材をもらう。食べ物をくれる看守も実は多いが、ここから帰る日にはあまり食欲がなく、断った時には看守の目色も何だか重たい。次に来た時には少女が好きそうだ、と温かな毛皮の敷物や外套をもらえることもあった。
 森での暮らしはよく冷えるので、ありがたくもらっていく。少女が喜ぶと看守達も、安心したように笑ってくれる。いつも見張られていた城の生活とは大違いだった。
 ここにいる看守達は、第四峠と第五峠に所属する軍部の中級者らしい。少女のことを、森の妖精、もしくは気ままな天使、とよく呼んでくる。少女の出自は知らないヒト達らしく、知られたら城と同じように嫌われるかもしれない。優しくても深く話す相手はなかった。

 広場を通って、重い木の扉から出ると、空気の匂いが変わる。いつもの森に帰れるこの瞬間が、一番足取りが軽くなった。
 森での少女の住処は一定せずに、もらった縄を太い樹の枝に張り巡らせて寝場所を作る。一回の作業は面倒なのだが、地面で眠ると猛獣や虫が来て落ち着かないので、すっかり慣れた樹上の巣作り。あれば木材も使って小さな床と屋根を作る。
 次の住処にする木を探したり、捌きやすい大きさの動物や甘い木の実を探したり、川で水を浴びるだけで一日は過ぎる。少女には常に着ける透明な小玉と結界用具のペンダントと、赤い鎧や武器と干し肉を包む毛皮しか荷物がないので、大概の者に見つからずに森を転々とできる。

 世界の果ては、ここからどれだけ遠いのだろう。自分で作った寝床の中で、黒い夜空を見上げながら思う。
 城には少女を空に運んでくれる盾があって、それを使った戦闘方法を習ってきたから、とりあえず世界の果てが空からでも簡単に見えないことは知っている。
――世界の果てには……誰か、いるのかな……。

 どうして、いつから、世界の果てに行きたいのかは憶えていない。どうせ少女は、この森から出ることはできない。赤い鎧を使う代償らしいが、少女は眠ると、毎晩冷たい暗闇に堕ちていくから、できるだけ目を開けていたくて考えているだけ。
 眠る時には、両の籠手と脛当て以外は外す。この二つが無いと人間のかよわい身体能力になるので、着けたまま生活することに慣れてしまった。袖の無い黒の上衣と長い下衣は育ての兄がたまに新しいのを持ってきてくれるが、それまでは川で洗っての着たきり。

――……え?
 ふっと。夜の森に、これまで感じたことのない類の気配が(あらわ)れていた。普通の化け物とは何かが違って、妙な胸騒ぎを少女に起こす。
 毛皮の敷物から身を起こすと、静かに木の下に降り立って赤い鎧の残りを着けた。大きな力は感じないのに、不安が胸の底から来る。
 気配の源まで足音を潜めて行ってみると、月明かりが差し込む小さな森の広場に、誰か知らない白い長い髪のヒトが、背中を向けてぽつんと立っているのが見えた。

「……えっ……?」
 少女が来たことに気付いたらしく、白い髪のヒトが振り返った。その顔を一目見た瞬間、少女はあまりの衝撃で大粒の涙がぶわっと溢れた。
「なんで――母さん……?」

 物心もつかないほど幼い頃に、おぼろな記憶で死んでいる母。それでも何度も夢に見たから、その暗い青の目を忘れることはなかった。母とは違う白い髪と金の眼光があるので、母ではないともすぐにわかった。それでも思わず少女は駆け出していた。
 少女の赤い鎧の一式には、育ての兄の連れ合いが造ってくれた、魔除(まよ)け目的の猫耳型の髪飾りが加えられている。生半可な洗脳や誘惑の魔道は通じないと、魔道士の義姉が笑顔で渡してくれた魔法具。それが反応しない相手だから、警戒できなかった。
「待って――母さん……!」

 誰にも会ってはいけない少女。この森からも、育ての兄達以外とは出てはいけない。
 けれどずっと、少女は一人ぼっちで我慢してきた。会いたいとすら望めなかった母の姿のヒトが現れた時、どうして(あらが)うことができただろうか。

 世界の果ては、ここにあるよ。
 月の思いやりが途絶えて、少女が飛び込んでいった暗闇の中、青白い誰かがそう笑っていた。

 ◇①◇ 人間の国

 ◇①◇ 人間の国

 
 たった三つの大陸と、僅か三つの大きな孤島。それ以外にろくに、ヒトの住む地のないこの世界の果ては、「神」のみが知ると言われている。そんな稀少な狭い世界が、「宝界(ほうかい)」。
 「神」とは世界の創始者を(かたど)り、数多の神秘を体現する「力」そのもの。「神」が世界に存在するから、様々な「ヒト」型の生き物や獣の化け物は「力」を手にするとされる。
 「神を(けが)すなかれ」、「ヒトを殺すなかれ」、「ヒトを侵すなかれ」。この天戒を守るなら、ヒトも獣も「力」を使うことが許される。最多の「人間」は「力」を持つことができない代わりに、少数の「化け物」と違って天戒に縛られない生き物と言われている。
 天使や悪魔など由緒ある化け物は「純血」と呼ばれ、制約の多さ故に(たっと)きものとされる。対して宝界独特の多様な「雑種」は、人間と近い精神性を持ったヒト型の化け物になる。ほとんどの化け物は人間より長い寿命を持っているが、宿命以上の己の存続に執着して、魔物と堕ちるものが何処にも存在していた。

 人間は魔物や雑種を忌み嫌い純血を畏れ、人間を基準とした秩序の下で処世し、独特の技術で生き残っている。純血と雑種は同じ化け物でも相容れずに、天戒を破ってもヒトを殺すことなど日常茶飯事となる。「力」を持つ中では至上とされる化け物、「神」の聖地が各大陸に一つずつあるため、主に聖地の周囲には純血が、他地域の人間の周囲には雑種が住むことが多くなっていた。
 まだ古代の遺産も世に隠されている「神暦」の中、ある人間の国と雑種の国が隣り合う「地の大陸」で、世界の果てを燃え上がらせる「神」の(たわむ)れが幕を開ける。それは人間でありながら化け物に扮した森の天使の、聖なる地での(みそぎ)によって。


「はあ……どうして、こんなことに……」
 化け物の少年が働くことになった人間の国で。雇い主たる人間の王女が、青い顔で溜め息をついた。
 銀色の髪の化け物の少年は、常に着けている黒いバンダナだけは残して、二週間の旅で汚れた黒衣を騎士の服に着替えさせられた。少年の一人旅を心配していた王女――金色の髪で珍しい赤の目を持つ人間の娘は、城に帰って来た少年を人目の無い武器庫に呼んだ。
「第三峠から王女への縁談、断るどころか、進んでしまっているの。そんな話をしている場合ではないのに……このままでは私達、城で身動きが取れなくなってしまうわ」

 暗い倉庫で剣の壁を背に、王女たる娘の傍らで、王女専属である「(しのび)」も項垂れていた。質素な生成りの略礼装の王女に、鎖骨下までの面紗(めんしゃ)(あか)い目以外を隠す、黒装束の乙女。縁談という想定外の事態になったために、旅に出る余暇が与えられた少年は首を傾げる。
「縁談って、第三峠の堕天使の、シェムハザだろ。ディレステア王女の帰国を邪魔した罪こそあれ、何でそっちは追及されずに、政略結婚なんかの話になってるんだ?」

 少年と王女たる娘と忍の乙女は、先日王女達が必死に国に帰ろうとする道中で知り合うことになった。少年は敵国出身なのに、二人を人間の国に送り届けた功労者なのだ。
 王女たる娘と忍の乙女の両手の背側には、人間の国ディレステアの者であることを示す「D」が刻まれている。対して隣の化け物の国、ゾレンの少年の手背には「Z」の刻印。
 ディレステアとゾレンは既に十年、再開した紛争でいがみ合っている。ふた月ほど前にようやく和平交渉の話が持ち上がったのだが、それでゾレン内にある第四峠ディレステア大使館に出向いた王女の娘と忍の乙女は、交渉の破綻で敵国からの逃亡を余儀なくされた。忍の乙女以外の護衛全員を囮に、北の秘境回りで二人だけで帰国を目指す王女達に、秘境に住んでいた少年は出会ったのだ。

「第四峠にこもる反乱勢力も野放しなのに。縁談に浮かれてる場合じゃなくないか」
「そうなの、それなの。私達は一刻も早く、第四峠の指揮に向かいたいの。ね、シヴァ?」
 娘の隣に佇む忍の乙女が、重い目色で黙って頷く。乙女は基本的に、発語をすることがない。その玉の声を出してはいけない理由を、少年は話されていないが気付いている。
 言葉を出さない乙女の代わりに、乙女の面紗の下に隠れていたもう一人の仲間――正確に言うならあと一匹が、にょきっと乙女の首元から顔を出した。
「これはシヴァちゃん達を足止めする陰謀だにょろ! 絶対駄目にょろ、話を進めようと根回ししてるはずの黒幕を探し出すにょろ!」
 小さく(たた)まり乙女の首の周りに潜む、がさがさの抜け殻の蛇が叫ぶ。化け物というには姿が動物過ぎて、蛇というには人語を操る不可解な存在。
 語尾は常時ふざけている蛇だが、先導という名を持つ抜け殻が話したことは少年も同感だ。反乱勢力の鎮圧に同行するはずの少年も予定が中断されてしまい、それで不在にしていた二週間に、その程度の事なら解決するかと思っていた。

 まだ十五歳と若く、裾が広がる薄茶の礼装が似合う王女の娘が、端整な顔を顰めて細腕を組む。
「第三峠だけでなくて、聖地も管轄する第二峠の大使と、更にはつい一昨日から、預言の神殿までが話に噛んできたの」
「預言の神殿?」
「私達が出会ったのは聖地の端っこ、ウェルデンでしょう? ウェルデンは秘境ザインと聖なる砂漠エイラの移行地帯だけれど、ウェルデンの中央には聖湖のテルス・エイラが、エイラ側には山斜面の神殿のデルファイがあるの。第三峠からは北西で、管理しているのはエイラのレジオニスと対立していると噂の、神託の巫女でね」
 ずきん、と少年の頭が痛くなった。知らない地名や勢力の羅列に、ついつい王女の娘の言葉を先取りしてしまう。
「つまり縁談に乗り気なのはディレステアだけじゃなくて、欄外の奴らまで話に入った?」
「そういうことよ。レジオニス――エイラの幹部軍団である大使を置く第三峠に対して、デルファイの巫女は、同じ純血の化け物でありながら独立している。そもそも滅多に、世俗と関わることのない神殿なのに、まず聖地の第二峠が口を出してきたことも変なら、今度は神託の巫女直々に伝書が来たの。ディレステアの王女の婚姻について、神託が降りたと」

 レジオニスの支配する砂漠エイラや、山間の聖地と神殿のいずれも、派閥は違えど純血の化け物が維持する領域。対して西側にあるザインは独歩系の雑種の集まる秘境で、山岳が連なる寒冷の地にはわざわざ余所に関わる勢力が乏しい。
「関わりの無い人間の王家の婚姻に、化け物の巫女から神託って……何で?」
「そんなの私達が訊きたいわよ。何だか話がどんどん大きくなってしまって、キラに早く帰ってきてほしかったわ。もういっそ、キラが偽装婚約者になって!」
 わーん、と少年に抱きつく王女の娘は、相当めげているようだった。周囲からの圧力に晒され続ける娘は、忍の乙女と抜け殻蛇に方々を探らせているものの、この縁談を避けられなかった場合、困るのは娘本人ではなく、もっと重い現実をうっかり叫ぶ。
「こんな話に、シヴァを無駄遣いするわけにいかないのよ! 政略結婚程度なんて、王女以外でも人員を見つけることは可能でしょう?」

 責任ある王族の身上として、今回の縁談がディレステアと近傍のエイラを結び、現在紛争中のゾレンに対して牽制となるのを王女は理解している。本当に必要な場合であれば、私情で拒否はしないのだろう。
 忍の乙女は王女を守る。和平交渉が頓挫した異邦の地から、乙女一人で王女を道の半ばまで帰国させた実力の持ち主だ。まだゾレンとディレステア王族が渡り合う必要が残っている以上、「化け物に対抗できる王女一派」の価値はあまりに高い。人間の国には化け物に対抗する武器の発達はあっても、少年や忍の乙女のような、単身で化け物と戦える人材はそうそういない。
「英雄ライザを失ったのよ、ディレステアは。レジオニスなんて元々潜在敵の一つだし、政略結婚ごときでエイラを手玉に取れるわけがないじゃないの」
「うんうん、アディちゃんは聡明だなにょろ。でも化け物と直に対峙したことのない大臣達は、異種との外交を甘く見過ぎなんだにょろ」
 王女達の背後で壁にかかった剣を見つめながら、少年にも事情が掴めてきた。人間の国ディレステアはこの十年間、ゾレンを裏切った化け物の英雄に最前線の第六峠を守られてきた。しかし和平交渉がディレステア反乱分子の襲撃によって決裂したため、王女の護衛についた英雄を差し出すことで王女達は逃げのびた。
 英雄の守りが無くなったディレステアは、ゾレンにとっては攻め落とす格好の機会だ。英雄が王女達から離れて以降、少なくとも月が二回満ちているのに、ゾレン側に新たな動きがない現状の方がおかしかった。英雄が守っていた第六峠も、一度はゾレン兵に占拠されたものの、国境を超えられることはなく小競り合いが続いている。

「でもキラと偽装婚約は駄目だにょろ。せっかくキラが英雄の息子なことを隠してるのに、変に目立てばコイツは簡単に正体を暴かれるにょろ。自力で隠し通せるくらい器用な奴じゃないにょろ」
 うう……と、忍の乙女をちらっと見てから、王女の娘が肩を落とした。それは王女達が自らそうすると決めた、「英雄の息子を政治に利用しない」願いのために。

 少年の姿は、常に身に着けている黒いバンダナに宿る呪いで、普段は銀色の髪に赤い目の少年、化け物と人間の混血「キラ」に周囲には見えている。
 本当の少年は銀色の髪に青い目をしていて、英雄ライザの実の息子だ。ディレステアで戦い続ける英雄は少年の元には一度も帰らず、英雄が王女達の傍を離れた後から、少年が王女達に関わることになった皮肉な星回りだった。

「まあキラがライザの息子だってどーんと発表すれば、偽装婚約自体は簡単だがにょろ?」
「簡単なのか。仮にも王女を差し出すのに?」
「ディレステアでは代々王家と、国内で実績を積む著名者が結ばれるにょろ。今の国王も審議院の宰相出身だにょろ」
「じゃあ有名なら、誰でもいいのか?」
 そんなわけないでしょ! と王女の娘が怒る。荒事を乗り切る経験はともかく、世知に関しては若輩揃いの三人と一匹は、これ以上進展しそうにない相談に倉庫で座り込んだ。
「あーあ。いざとなったら私が一人で城に残って婿殿をもてなして、遠征をキラやシヴァに任せるしかないのかしら」
 ぎり、と忍の乙女が眉間にしわをよせて、絶対反対という紅い目で王女の娘を見つめる。少年には昔から、周囲にいる人々の感覚を、我が事のように感じる謎の「壊れた五感」がある。何も口にすることはなくても、忍の乙女は王女の娘以上に焦っているとわかる。

 水を差すようで悪く思いつつも、少年は冷静に以前の情報を掘り出す。
「そもそも第三峠のアイツ、気に入ってたのはアディだろ。アディ以外との婚姻は考えてないんじゃないのか」
 王女の娘を少年はアディと呼ぶ。秘境の近くで出会った時に、娘がまず偽名を名乗ったからだ。ディレステアの王女は本来、代々「アヴィス」の名を受け継ぐ。
 ディレステアの母語である古語では、「アヴィス」とは鳥を意味するという。地上の鳥を王女は名乗り、王女の護衛ができる忍の乙女は、何故か天の翼を持った黒い鳥だと、少年には観えていた。
 本来なら陽の光を力とできるはずの、天上の聖火を宿す鳥の翼。人間でありながら乙女には天の翼の影が散らつくのだが、翼自体は乙女の背中には無い。
「ふん、甘いわね、キラ。あの手の貴族男は華のある『王女様』が欲しいだけで、誰かが私に化けて王女として接待したって満足するわよ」
 王女達が第三峠から帰国しようとした時、その堕天使の男に王女が求婚されたせいで、彼女達はまっすぐ国に帰れなくなった。王女の娘が言う見立ては少年も思っていた。
「ただ、この赤い目ばかりは、そうそう化けられるものではないの。ねえ、シヴァ」
 忍の乙女が深く頷く。その脳裏には一瞬、金に近い薄茶の髪で、人間らしい褐色の目を持つ幼い娘がよぎった。ゾーア、と乙女が強く思ったことまで、壊れた五感で伝わる。
「王女の影武者を立てることはできるわ。でもわざわざ、それをするかを悩んでいるの」

 王女の娘は、自分が城に残ればいい、究極的にはその見解だった。対して忍の乙女は、己の翼で別の誰かを包む想像をしている。現在その翼で、王女の娘を包んでいるように。
「……まだ結論、出さないでいいだろ。神託とやらもまたこれから、別に届くんだろ?」
 預言の神殿からは、「神託が降りた」と通達があっただけだ。内容は巫女がこれから、直々に来訪して王女に伝える段取り中だった。
「来るなら第二峠を使ってもらうのが早いけれど、聖地管理者の第二峠大使が、とてつもなく嫌がっているのよ。どうもその辺りは、犬猿の仲みたいね……」
 多分嫌がらせだにょろ、そんなわけないでしょ、などと、王女の娘と抜け殻蛇の雑談であとは終わった。少年は忍の乙女――黒い鳥と共に、王女の護衛が控える部屋に、改めて案内されていった。

 黒い鳥の面紗の内では、抜け殻蛇が背側に体の大半を垂らしながら、器用に肩に乗って常に一緒にいる。王女の私室の隣に二人で控える状態でいても、そうして抜け殻蛇がいるので、二人きりで内密の話はできない。どんよりと寝台の一つに手をついて座る黒い鳥に、どうしたものか、と少年は眉をひそめる。
「――シヴァは、反対なんだろ。アディをここで嫁がせるのは」
「……」
 元はエイラのレジオニスから渡された案内役なので、仲間とは言い切れない抜け殻蛇がいると、声もさっぱり出してくれない。黒い鳥が本当は喋れることを、少年は先日直接耳にしたから知っているのだ。王女達を無事に送り終わって、第六峠で雨に消えるはずだった少年に対して、本性は情に厚い黒い鳥が、駄目、と叫んだのだから。

――アナタのおかげで、ゾーアを守れた。

 少年が短い旅に出ていた間、黒い鳥は一人で王女に付きっ切りで、護衛と会議の連続に疲れてもいるだろう。王城の中と言えども、暗殺者が現れたことが過去にはあるようで、とにかく王女の娘を守ることがこの黒い鳥には一番大事なのだ。
「アディを渡すのが嫌なのか、王女がここで嫁ぐのが嫌なのか、それはどっち?」
「……――」
「シヴァなら多分、アディのことじゃないのか。それならやりようはあるけど――どっちにしても、腹を括らなきゃいけないと思う」
 互いの母語が違うので、細かく説明をここではできない。しかし少年には倉庫での相談の最中から、この事態がおそらく気に食わない者の心当たりがあった。

 気を張り続けて少年を見たまま固まっている黒い鳥に、少年は自身の寝台に剣を置くと、黒装束の乙女の頭をぽん、と撫で叩いた。
「とりあえず、休め。シヴァが起きるまで、俺は寝ないでアディの気配を見守ってるから」
 少年も慣れない騎士の服で、何だか動き難い気がする。外套でもないのに肩から重なる布が腕に流れて、上半身でひらひらしている。
 帰国するまで少年達と、同じ場で眠るのが当たり前だった黒い鳥は、何の警戒もせずにこく、と頷いていた。横になってすぐ聞こえてきた小さな寝息に、ため息が出た。

 冷酷そうな見た目であるのに、連れ歩く異形の抜け殻も厭わず、穢れを知らない黒い鳥。
 こんな狭苦しい隠し部屋に、王女の護衛のためとは言えど、野蛮な化け物の少年と押し込められていい乙女ではない。ろくな敷物もない二つの寝台が、ぎりぎり三尺離れているかも怪しい。
「オマエ、変な気を起こすんじゃないぞ、にょろ」
「そう言うならアンタも、(はら)を決めろよ。何でここまで問題を放ってるんだ」
 何のことだにょろ、と静かに言いつつ、抜け殻蛇の半開きの口は動揺している。未だに少年に正体を知られていないと、呑気に構えでもしていたのだろうか。煮え切らない様子の抜け殻蛇に、そのためらいの愚かしさに、青冷める胸の呪怨が不意に首をもたげた。

――殺したい……。

 喉の奥の熱と同時に、込み上げてくる血性の吐き気。住み慣れた秘境を後にした夜から、少年を取り巻いて離れない(ほむら)があった。
 壁にもたれて寝台に座り直す。いつも着けている黒いバンダナを外して、一瞥(いちべつ)してから巻き直した。
 すぐにずれ落ちて少年の目を半分隠す守りは、秘境で共に育った親友の形見。英雄とほとんど同じ顔である少年のことを、赤い呪いで包んで別人(キラ)にしてくれる媒介だ。

 黒い鳥を起こさないよう、少年がいる寝台に移ってきた抜け殻の蛇を見下ろす。空洞の黒い目がまだもたもたしているので、重症だな、と勝手に見切りをつけた。
「別にいいけど。誰に遠慮してるのかは知らないけど、俺でいいなら、協力してやるよ」
「――」
「アンタはキラのバンダナを拾ってきてくれた。俺にも一つだけ条件があるけど、それはアンタになら多分できるし、俺は正直、他には取引をできそうな知り合いがいない」

 少し前に、少年が黒い鳥に止められた時に、ぼろぼろの体は落としたバンダナを第六峠に置いてきてしまった。それを届けてくれた者に対して、少年なりの恩義を感じている。
 この話に必ず巻き込むことになる黒い鳥に、あらかじめ説明をできないことが痛いが、王女の娘を守ることにつながるなら、黒い鳥は泥水でも呑むだろう。先ほどの些少な会話だけでも、そのことは少年には確信に近くなった。
「……何でオマエが、取引なんかしないといけないんだにょろ」
 まだ詳細を言っていないこのやりとりでも、抜け殻蛇は少年の意図を汲んで返してきた。本来それだけ鋭利さを持つ者だから、少年もこうして話に及んだ。
「意外に思われてるのが、意外だけど。俺にだって、望みはあるし――」

 とりあえず一点、要旨は伝わったはずだ。少年は抜け殻蛇の正体も、その望みも知っていること。
 そこから取引に応じるかどうかは、少年の力量の点で不安があるだろう。互いに強大な化け物ではない。それでもこの異境において、手を取れる相手も双方乏しい。

 しばらく抜け殻蛇は黙り込んでしまった。中身がここにないこの相手のことは、少年の壊れた五感でも探ることが難しいのだが、対する抜け殻蛇は少年の要所を端的に突いた。
「オマエ……この二週間、何処にいって、何をしてきたんだにょろ?」


 王女の縁談にざわめいている城で、反乱勢力鎮圧の話は、全く進んでいないと言えた。
 ディレステア王家はゾレンに対して、自ら攻勢を仕掛ける戦略は採用していない。長い間、専守防衛に徹してきたはずの人間の国で、いつ反乱勢力が独断で化け物の国に攻め入ってしまうか、王家としては頭が痛いにも関わらずに。
 これは縁談の是非に、迅速に決着をつけるしかない。第三峠の縁談相手の瑕疵(かし)について情報収集は進んでいたが、あと一つの介入者である預言の神殿の巫女が、人間の国に到着したのはそれから二日後だった。
「どうも、ディレステア王家の皆様。シヴュラ・デルファイとお呼び下さい。デルファイに降りた神託を届けに、少々お邪魔致しますわ?」

 現れたのは、まさかの単身で訪れた巫女。化け物であるのに大きな「力」を持つ者には見えず、淡く多彩な沈水(じんすい)――水底の木屑を思わせる落ち着いた香りと、踊り子のような肩の出る白装束で、薄い外套を纏っている。

「お目にかかれて光栄に存じます。デルファイの神託の巫女殿」
 正装した王女が、城の地上階で巫女を出迎えた。近衛兵を連れる王女の空気は張りつめており、黒い礼装に厳しく引き締まった紅の目と、長い金の髪がよく映えている。
 対して銀色と言える光沢のある外套を揺らす巫女は、左の耳付近だけ長くのばして編んだ装飾具のような横髪。その珍しさ以外はよくある褐色の肩までの髪で、明るめだが平凡な茶色の目といい、巫女の方が人間に近い姿に見えた。

 それでも巫女は、対面早々に表情を崩すと、人間の常識を簡単に打ち破ってみせた。
「わぁ、王女様、ほんとにかっわいー! こんな辺境まで来た甲斐あったかな、あたし?」
 唖然。と顔には出さずに、とりあえず王女は黙る。化け物に対して無力な人間の方こそ、無礼な行動に出られるわけがなかった。これはその力関係を確認する外交の一つ。
「まーまー、堅苦しいのはお互い無しにして、これからよろしくね、王女様? 神託の件についてはちょっと込み入ってるから、王女様と二人で話せると助かるんだけどな」

 さすがにそれは、化け物達の地域に囲まれたディレステアの現状を考えれば、人間の王女の身が危険に過ぎる。近衛兵が騒ぎかけたところで、表情一つ動かすことのない王女が静かに礼をとると、あっさり巫女に返答して言った。
「構いません。巫女殿も単身でいらしたのですから、私もその信義に応えましょう」

 たとえばこれが、王女の影武者だとでも近衛兵に伝えられていれば、周囲はこれだけの動揺を示さなかった。実際に王女は決して影武者ではなく、巫女は化け物としての「力」は大きくないとはいえど、それは人間の身では判別できないことだ。
 いけません、と王女の隣に出た近衛大将に、巫女がけらけらと笑って愉しげに妥協した。
「よし、王女様の覚悟はわかった。でも将軍さん達も怒られたら可哀相だから、護衛は、あそこにいるコなら同席してもいいよ。どうやらここにいるヒト達より、一番強そうだし」
 王女を囲む近衛兵からは距離を置いて、壁際にいる少年に白羽の矢が立てられた。少年は様々な意味で意外だったが、何も不都合はなかったので巫女の言い分をきくことにした。
 この程度の化け物であれば、負けないだろう。そんな巫女が、わざわざ「強い者」を王女の護衛として指定してきた。強そうに見えないのに単身で人間の国に来たことといい、巫女自身が己の安全を信じられる成算は何処にあるのだろう。

 少年と巫女と王女、三人で使うには広い食堂で、巫女に最上の昼餉(ひるげ)が振舞われた。そして雑種の少年が見守る前で、人間と純血の化け物の異風な会談は始まりを告げた。
「とりあえずアヴィスちゃん、困ってるよね? シェムハザなんて、なけなしの片翼と顔しか取り柄がなかったのに、その翼も失くした状態で何で王女と(つが)えると思ったのかしら」
 場にある食器の大半を使わず、銀の匙だけを片手に、無遠慮に酒杯をあおる巫女が笑う。
 巫女の言う通りに、その相手の翼は王女の帰国を邪魔した時に、少年が斬り落としている。
「貴女は第二峠の大使だけでなく、第三峠の大使と副官の内情もご存知なのですか」
「うん、ラミアとドミナは腐れ縁かな。ラミアはちょっと警備隊と揉めた程度でドミナに地震を起こさせるし、ドミナは自分が主人のくせに聖地をラミアに任せて放りっぱなしで、真面目に純血として神殿の仕事をしてるのはあたしくらいだよ」

 情報量の多さに王女が言葉を呑んだ。純血の化け物を起用するレジオニスの大使達が、強大な存在であることはディレステア王家も既知のはずだが、それらの「力」が至って気楽に振るわれていることは想定外だったらしい。
「貴女は……何の目的で、ディレステアに?」
 肝心の神託の話をなかなか出さずに、周辺地域との関係を話題にする巫女。当然今回、神殿の巫女にも何らかの思惑があっての来訪であり、ディレステアが利用されるなら、それなりの対価を引き出さなくてはならない。縁談の件はおそらく口実に過ぎない、と警戒をする見解は王家でも議会でも一致していた。
 ただ、エイラのレジオニスとつながる第三峠に比べて、預言の神殿は力を期待するには拙い一派なこと。そしてレジオニスと本当に手を組んでいないのかが、ディレステア側の懸念だ。ディレステアはレジオニスより、エイラと対立する秘境ザインの方が縁が深い。
「だから、神託を伝えてあげるんだけど? 真面目にお仕事してるって、さっき言ったでしょ」

 くすり、と妖しく微笑む整った目元。事を性急に進めたい王女を(たしな)める大人の笑顔に、王女の後ろに立つ少年は目を顰める。
「あー、美味しい。人間達のご飯って、本当に手がこんでて美味しいよね」
「……」
「この国にはいいお水も豊富。エイラなんて世界樹を失くしてからは、砂漠化の一方だし」
 すぐ隣であるゾレンの雑種の化け物に比べて、エイラの純血達は一見、狭い砦に住む人間には興味が薄く見える。住む土地の「気」さえ合えば、水や食料が大して重視されない生態の化け物にとって、人間の国の価値は確かに乏しい。
 けれどそれでも、狙われていないとは断言ができない。ゾレンが長年、ディレステアに攻め入ろうとすることを繰り返すのは、エイラの純血達に対抗できる国力を強化したい、そのための東西ゾレンの統一と間に在るディレステアの併合なのだ。

 適当な事しか喋っていない巫女の様子を、王女は必死に窺っている。巫女が遊んでいることが「壊れた五感」でわかる少年は、割って入るべきか少し悩んだ。
 しかし巫女も、王女はともかく、少年の睨みに気付いたらしい。ぱくり、と一番豪華な肉を口に運ぶと、幸せそうに咀嚼しながらようやく本題に入った。
「まぁ、せっかくこうして、火の内に入ってあげたんだから。神託はあなた達の良いように適当にでっちあげて、レジオニスと第三峠を困らせてやって?」
「……は?」
「どうしてあたしが、わざわざ一人でここに来たと思ってるの? こうなってしまうと、あたしにはもう、この国から逃げることも到底叶わないとは思わないの?」

 要するに、力ずくで巫女の身をディレステアに引き留め、預言の神殿を利用しろ。巫女はそう言っている。唖然とする王女に対して、本当に大きな力の無い巫女が魔性の笑顔を返した。
「そんなことで……貴女に降りた『神託』は、本当に神の意に適うのですか?」
「さぁね? あたしはそう思って言ってるけど、王女様がききたいのは、多分そういう事じゃないんだろうけど」
 巫女はここまで、何の思惑も王女に言っていない。ディレステアにとっては都合が良く、可能な範囲の提案になるが、罠にしか聴こえないのも当然だろう。
 巫女を何一つ害さなければ、何処ぞから報復される謂れもない。けれどそうして人間の国にわざわざ利用される、巫女の目的がわからないことは気持ちが悪い。

 そうした王女の戸惑いも(おもんばか)るように、最後に巫女は言い放ったのだった。
「とりあえずしばらく、こういう素敵なご馳走であたしを縛ってよね? いつ頃エイラに帰りたくなるかは、あなた達のもてなし具合にかかってるよ」
 巫女がディレステアを出てしまえば、捏造「神託」は容易に巫女に確認されて、口裏を合わせてもらうことはできない。そんな行動面における巫女の言い分は一貫している。
 王女は何も言えないままで、最初の会談がこうして終わった。もしもここに少年が同席していなければ、巫女の意図が全くわからず、王女の方針は袋小路に陥っただろう。

「大体の話は言葉通りだ。あいつ、自分をディレステアに(かくま)え、って言ってる」
 少年は単純に所感を伝えた。巫女が想像もしなかった真意まではわからないが、話した事が虚言かどうかは少年にはわかり、そのことを王女達は信じている。
「『神託』にどの程度の大義があるか、化け物達に通じる話なのかは、俺にはわからない。ひとまず、ディレステア国内で使える手口かどうか、相談はそこからじゃないのか」

 そして王女達はおそらく、思いもしなかっただろう展開。巫女と同じようなことを述べて、生粋の純血の化け物がもう一人、ディレステア王家を訪ねてきたのだった。
「とりあえず、実益を兼ねて撹乱に協力してやるから。代わりにオレを、守ってくれ?」
 第四峠を担当するレジオニス大使。広がる一方の縁談話に、王女達は途方に暮れた。

 ◇②◇ 第五峠

 二人と一匹だけでいた王女達を、化け物の国ゾレンを通って送った短い旅。その最終の関所の第六峠で、少年は親友を殺した仇に遭遇して敵討(かたきう)ちをした。最後にとどめを刺したのは親友の父だが、将軍だった仇の死因は、ゾレン国内では究明されていない。
 親友の父は第二峠の大使で、魔道に長けることに加えて医学を学んだ身なので、少年の瀕死の大怪我を治療してくれた。本来ディレステアの第二峠につめている大使に、家族として会える時間は少なかったのに、育ての父として少年を引き取らん勢いすらもあった。

 けれども少年は、黒い鳥の剣となることを決めていた。そんな少年に大使は家宝の剣を、唯一の私財であるのに躊躇(ためら)いなく手渡し、少年の命運を決定付けたと言える。
――なら……これを持っていけ、ユオン。
 ザイン出身の第二峠大使は、治水の魔道家の庶子なのに炎の素質を持った。そんな異端者は長男でも次男であると籍を捏造されて、ザインの統治に重要となる第一峠を任されることはなかった。もしも彼が医学を学ぶ留学時代、ゾレンで「千里眼」に出会わなければ、第二峠大使にならずに生家に牙を剥いていたかもしれないと。

 留学生と「千里眼」の蜜月の地が、ゾレンの海辺の第五峠。少年の育ての母の「千里眼」を、その港町で埋葬すると言って骨壺を持っていった赤い髪の人魚を、少年はまず探していた。
「おじさん曰く、大きな墓地は三カ所しかない、って話だったけど……」
 帰国したディレステア王女に突然縁談が舞い込んだので、怪我が治った少年に空き時間ができた。まだ王城では少年の扱いが定まっていないこともあり、下手な勘繰りや介入を避けるためにも短い外出を勧められた。ゾレンとディレステアの中立地帯である第五峠に行けば、数ある医療施設の管理をしている王妃が少年を匿う、という話だった。
 少年は生まれがゾレンであるため、第五峠のゾレン側に入っても気付かれない通行証を持っている。大使館でじっとしているだけなのも落ち着かないので、ゾレンで化け物の医者にかかりたい、と大使に言うと入国許可をもらえたのが、二週間の旅の内情だった。
「さすがにあいつも、『千里眼』の墓、とは明言してないはず……」

 親友と育ての母がゾレンの追手に殺された日、近くに住んでいたその人魚は、「千里眼」の計らいで遠ざけられた。本当は親友も家を空けているはずだったのに、少年と共に使いに出された親友は、途中で先に帰ってしまう。一人で災いを引き受けようとした「千里眼」の誤算だった。
 赤い髪の人魚は「千里眼」が第五峠で占いをしていた頃の友で、生粋の人魚であるのに第二峠大使の魔道で人間の足を生やして、ザインの深い山を登ってきたのだ。休戦の前に死んだはずの「千里眼」が生きているときいて、人間の短い寿命の間くらい一緒に過ごせるように。

 ぶっきらぼうな娘だったが、友達を追いかけて海を離れる程情に厚い人魚。赤い髪の変わった娘が最近来なかったか、と墓地の管理者にきいてまわり、ようやく少年は見つけ出した。
「……――あ」
「……えっ!?」
 管理者曰く、毎日花を一輪持ってやってくる、無愛想な忍装束の娘がいる墓地があった。毎日はないだろう、と思いつつ墓地の入り口で待っていると、本当に翌日に赤い髪の忍娘が、花を持って青い顔で現れてきた。そして少年を見つけると、真っ赤になって絶句してしまった。

「……久しぶり」
 人間に化けている人魚の娘が喋らないので、少年から声をかける。少年は親友の呪いが宿る黒いバンダナを着けていると、傍目には親友の顔になって見える。
 だから人魚の娘の目には騎士の服の親友が映っているはずで、山奥の頃とは違う良い身なりには驚いただろう。
「――キラ……会いに来てくれたの!?」
 やっと喋った娘が、顔をぐしゃぐしゃにして少年に飛びついてきた。口にされた親友の名前を、少年は今でも否定する気はなかった。英雄の子である少年(ユオン)の関係者だと思われると、裏切者の英雄を敵視するゾレン人に、娘が害されてしまうかもしれないからだ。
「……母さんを、埋葬してくれたんだろ。……ありがと、ロート」
 だから少年はここでは親友として、赤い髪の人魚と再会する。ザインで隠れ里にいた頃には「母の友達」として、少年も親友も微妙な距離感で娘と接していた。
 実際には娘は見た目だけなら、少年達と同年代だ。人魚の寿命は人間よりも遥かに長く、少年の胸にしがみつく赤い髪の人魚は、今は墓参りしかすることがないかのように、虫食いの虚ろな心を持て余して震えているのだった。

 人魚の娘に、「千里眼」の墓に案内してもらった。と言っても無縁仏であること、娘にはお金が全然ないため、墓地の隅にある合祀の塔に、一カ月の墓地の掃除を条件に納骨してもらったという。
「だから毎日、ついでにお花を持ってきてるの。このお花は今いさせてもらってる教会で育てていて、人間の教会は本当に優しくてね、あたしみたいな化け物でも置いてくれるの」
 少年も何となく、ゴミ集めを手伝いながら娘の近況を聴く。旅の早い段階で娘に会えたので、急げばゾレンの港程度なら回れそうだと思っていたが、娘があまりに嬉しそうなので行くとは言い難くなった。
「ねえ、キラは何処に泊まっているの? これから何処に行くの? 今までどうしていたの、ここまでどうしてやってこれたの?」

 以前から頭の回転が速すぎる娘は、少年が答える暇もなく質問責めにしてくる。先刻のように今度は横から外套にしがみついて、少年の存在そのものをただ求めていた。
「……この墓掃除が終わったら、俺も教会、泊めてもらえたりする?」
 ぱあっと、娘の顔が一気に明るくなる。一緒に行ってきいてみましょ! と弾んだ声で、隠れ里の頃には見たことのなかった素朴な笑顔。積もる話はそこですればいいので、掃除の仕事に集中力を戻して、一心不乱に雑草を抜いて枯れた花を引き上げていった。
 来て良かった、と少年は思った。たとえ少年自身として、娘とは関われなくても。

 互いにもう、会うことはないと思っていた。ゾレンの追手の目から隠され、突然大切な人達を失くして生き残ってしまい、あの夜はどちらも正気とは言えなかった。
 教会では石造りの礼拝堂の隣に、難民などが身を寄せる丸木小屋があった。医療施設を退院したばかりの家族が他にも泊まっており、これでも滞在者が少ない方だという。
「ほら、キラ。炊き出しをもらってきたから、食べて?」
 思わぬ関門にここで当たった。少年は親友達が死んだ日からほとんど飲食物を摂れず、自然の力で何とか生き延びられる化け物であるため、何かを食べる習慣を失くしている。しかし人間の血を引く親友としてここにいるので、それでは不自然な状態になってしまう。
「俺は朝に、沢山もらってきたから。それよりロートの方が、痩せ過ぎだろ、さすがに」

 実際娘は、山奥に居た頃の豊満さがかげるほどやつれている。具の少ない二つの赤い煮込み汁を、気遣いに見せかけて娘に押し付ける。教会も運営は苦しいということで、それでやっと、実際の一食分になるかどうかだった。
「心配かけたのね……ごめんなさい。エアみたいに優しいのね、キラ……」
 これは明日早い内に出ないと、連続で食事を抜く姿を見られたらさすがに怪しまれる。人魚の娘もそう沢山食事が必要な化け物ではないが、この炊き出しが一日に二回出れば、恵まれている日なのだそうだった。
「はあ……本当に、キラに会えて良かった、嬉しい……」
 部屋の扉側に少年と娘が、奥側に人間の家族連れがいる。娘は遠慮なく少年にくっつき、明かりの蝋燭を離して置いて、壁にもたれる少年の腕にしがみついてきた。

「キラはこれから、どうするつもり?」
「……決めてないよ。ただ、今までと同じで、多分あちこちに行く」
「そう。……ユオンはまだ、見つからないの?」
 ほとんど一言だけで、娘は少年の状況を汲み上げていた。親友としてここにいる少年は、親友ならする事を言っただけだ。弟分だった少年が行方不明という設定が続いている以上、まだ探し人の旅をしていると娘も解釈したのだろう。
「ねえ。ユオンが見つかったら、あたしのことも迎えに来てよ」
「……」
「あたしは約束の期間が終われば、通行証もないからクランの所に行こうと思って。キラも帰ってきて。みんなで第二峠で暮らしましょ。クランはきっと、いいって言ってくれる」

 人魚の娘は、「千里眼」と第二峠大使と懇意だった。だからこう言うことはわかっていた。
「アイツは英雄の子供だから……第二峠では暮らせないけど」
 それは第二峠大使の大きな負担になる。英雄がディレステアを守ってきた以上、その子がディレステアの大使館に迎えられるのはあり得る話だが、現在は英雄も行方不明だ。
「隠せばいいじゃない。クランならそれくらいできるわ」
 じっと娘が、熱の入った(みどり)の目で間近で見つめる。少年と娘は隠れ里ではあまり交流がなかったのに、「英雄の子」を娘が酷く案じていることには初めて気付いた。

 少年は親友として今ここにいて、娘も親友に絡んでいる時間の方が多かったのだから、少年のことなどもう話に出ないと思っていた。この話題が続くとあまり良くない気がして、目の前にあった娘の額に軽く口付けをして、続く言葉を(さえぎ)っておく。
「……っ!」
 真っ赤になった娘が、家族連れの方を振り返りかける。それでは余計に恥ずかしい、と気が付いたのか、黙り込んで少年の腕をぎゅっと抱きしめた。
「俺、ほとぼりが冷めたら騎士をやるかも」
「え?」
「第五峠じゃないけど、ディレステア周辺を旅する人間は、騎士が一番信用されるって。ロートみたいな忍もどきも、ちょっと考えてるけど」

 親友は、人間と雑種の混血だった。魔道の呪いの力が使えたので、ぎりぎり単独行動ができる身上になる。有名なことが当然の純血とは違って、所属や系統がはっきりしない混血や雑種は、何処に行っても怪しまれるものだ。ディレステアの軍人にしないことは王女が決めていたので、王城でも少年の待遇は騎士でどうか、という話が出ていた。
「忍もどきって、何よ、それ。あたしはこの服装が好きなだけよ」
「それをもどきって言うんじゃ……ロートは忍じゃないんだから」
 人間の家族が少年達の会話に、静かに笑っている。今までは落ち込む一方だった娘が、今日は元気なので安心している気配がわかった。

「騎士かあ。キラならきっと、騎士団長みたいに格好よくなれるわ。知ってる? 多分、キラが生まれたのとそう違わない頃、凄くかっこいい騎士団長が追放されちゃったの」
「?」
「休戦中だったのに第五峠を襲って、ディレステアに侵入したゾレンのバカ達がいてね。ディレステア王妃は出産準備で不在だから良かったものの、やっぱり大変な問題でしょう。当時の騎士団長が責任を取って、ゾレンの通行証も奪われて追放されたの。でもあんなの、人間が普通に峠を行き来した休戦時代に、ゾレンの人間中心に起こされたらどうしようもない事件だってあたしは思ったんだけど」

 騎士団とは、様々な地から集まったならず者を雇って、第五峠を守る騎士として身分を与えられた中立勢力になる。忍も騎士も要するに傭兵扱いに近く、覆面で正体を隠す者が忍、所属だけは制服ではっきりしているのが騎士、程度の違いでもある。
「人間ってどうして、弱いのにそういう暴挙に出るのかしら。殺されたのも結局ほとんど人間らしくて、何がしたかったのかさっぱりわからないわ」
「そうなのか……人間好きのロートでも、わからないんだ」
 う、と、これまで幾人もの人間の男性と暮らしてきたらしい娘が言葉に詰まる。男性に限ってきたわけではなく、人間の方が話が合う、と娘が好んでいたのは少年も知っている。

「まあ騎士団長には悪い噂もあって、厄介払いされたとも言われてるけどね」
「悪い噂?」
「そう。騎士団長とディレステア王妃、第五峠で一緒に見回りをしてたから。王妃が懐妊で峠から離されたから、ディレステアに不満を持ってたんじゃないか、って」
 当時の王妃は、宰相から国王になった相手と結婚したばかりだった。そのため第五峠に駐在できる時間が大いに減って、数多の医療施設が抱える問題も新国王には二の次にされ、第五峠全体の不満が高まっていた時期だったという。
「本当に素敵だったのよ、騎士団長と並ぶ王妃様は。第一王女が昔ゾレンで亡くなることさえなければ、第二王女の王妃様は、騎士団長とずっと第五峠を守ってくれるってみんな信じてたもの」
 なるほど……と少年の脳裏で、ある真実の影がつながっていた。ずっと不思議であったことに、不意にこたえの欠片が投げ出されていた。

「その騎士団長は、強かった? どんな奴だったんだ?」
「強いというか、鉄壁、って呼ばれてたかしら? 王妃様には指一本の傷もつけさせない護衛で、騎士団長がいなければ王妃様も亡くなってたって言われてたわ。いつも大きな外套を着てるんだけど、よく王妃様を抱えて空を飛んだの。魔法は使えないって噂だったのに」
 不意に、人魚の娘が誰かに横抱きにされている姿が浮かんだ。少年自身が思ったことではなく、娘の願望だと思われる光景。同じ体勢が王妃と騎士団長であったのだろう。
 初めて会った時の不機嫌さから、今日の娘の柔らかさはかけ離れている。今の少年は、親友をそっくり映せているとは言い難くて、むしろそのまま親友の態度を取れば、娘とは喧嘩になったかもしれない。親友はこの娘にはからかう言葉ばかりをよくかけていた。

「ロートは……守ってくれそうな奴は、いる?」
 娘より弱い生き物である親友なら、こんなことはきかなかった。それでも少年自身は、存在こそ親友としてこの場にあっても、少年の心で接している。娘もその少年に対して、素直に可愛いと思える顔で笑っている。
「人魚ってばれたら、不老不死の肉だって、狙ってくるような奴がいるんだろ?」
「あら、よく知ってるのね。でもクランの魔術のおかげで、当分ばれる予定はないわ」
 人形の肉に、その効能がある話自体怪しいようだが、娘には強固な人化の術がかかっている。術者の第二峠大使が死なない限り、半世紀はもつ、と自信満々に断言していた。
「……心配してくれるのね。……ありがとう」
 いつも強気に生きてきた娘を、こういった形で気遣う者は、「千里眼」や第二峠大使しかいなかったらしい。二人の前では今のような、泣き出しそうな顔も見せたのかもしれない。

 会いに来れば、良かったのか。娘が少年の膝の上で、眠りについてからふっと思った。少年自身はもしも寝ている間にバンダナが外れて、娘に本当の顔を見られると困るので、とても寝付ける夜ではなかった。真っ赤な嘘に囲まれながら、喉には灼熱の痛みが走る。
――……殺さなきゃ。
 滞在者の集団に一つずつしか渡されていない、床置きの蝋燭が全てとけた。淡い寝息を立てる人魚の娘を、闇の中でさらさらの髪を撫で続けていた。

 翌日、人魚の娘に第五峠の様々な要所を案内され、少年は夕暮れ前に大使館に帰った。ゾレン側は海岸沿いの港町が第五峠で、ディレステア大使館は港から離れた丘にあるため、海易はゾレンしか行っていない。ディレステアが物資を得る外地はほとんど秘境ザインだ。
 大使館に来たばかりの時には不在で会えなかったディレステア王妃が、ゾレン側にあるディレステア大使館で少年を出迎えていた。
「初めまして、お帰りなさい。アヴィスから話は聴いています――ユオン君ですね?」

 ふわふわの長い金髪を黄昏の森でなびかせ、僅かな衛兵しか連れていない王妃。町娘のように簡素な服装で、少年を赤い目で見つめて微笑んでいる。
「本当に、大きくなりましたね。アナタが小さい頃に、ライザ殿は幾度かアナタを連れて、第五峠に遊びに来てくれたのですよ」
 議会側の派閥である国王には、少年の身上は秘密にされているのだが、ディレステアの象徴たる王妃には王女達から告げてあった。
 「地上の鳥」を名乗るディレステアの王家は、最も古い時代の人間の血を伝えると言われる。確かに人間にはなかなか見ない、慎ましい金の髪と鮮やかな赤い目色は、声が気安くなければ神秘的な空気を漂わせていた。
「親父が、俺を連れて?」
「はい、わたくしもお会いしたことがあります。この度は、アヴィス達を助けて下さったこと、わたくしは本当に心から感謝しているのです」

 立ち話もなんなので、と何故か大使館から離れる山中に王妃が向かった。護衛は少年がいれば大丈夫だから、と気の重くなる信頼をされている。二人だけで王妃は森の先へ、崖の手前にある密やかな展望台へ少年を連れてきたのだった。
「初めてお会いした頃のライザ殿とも、よくここで秘密のご相談をしたものでした。他の地域と同じように、我が国も一枚岩ではなく、アナタのこと一つにしても、あまり多くの者には聞かせたくないお話ですから」
 そう言えば王妃はずっと、ゾレンの言葉で喋っている。少ない衛兵は余程信頼している側近と、ゾレンの言葉がわからないディレステア人しかいない様子だった。

 展望台にある石の長椅子に、王妃と二人で並んで座った。夕陽が落ちていく海が見える。
「アナタはライザ殿の息子であることを、初めはアヴィス達に黙っていたと聞きました。どうしてあの子達を、王女と知りながら助けて下さったのですか? アナタにとって我が国とは、実の親を利用してアナタから引き離し続けた、恨みの相手とも言えませんか?」
 そのことを王妃は、悲しげな目線で本気で尋ねていた。少年が山奥の「千里眼」に預けられてから、英雄は一度も少年の所に帰らなかったからだろう。
「……何で帰ってこないのかって、思わなかったわけじゃないけど」
「…………」
「俺は何も知らないから、ディレステアが悪いのかすらわからなかった。結局決めたのは親父だろうし、どっちかというと恨んだのは、親父だった」

 王妃の目に偽りがないので、少年も嘘のない心を言う。長く黒い憎悪を燃やした相手。
「ライザ殿を……恨まれたのですか?」
 一転して王妃が不思議そうな顔になった。ゾレンでもなく? とすぐに続けた。
 暗くなってきた山の中で、王妃は少年の頬に手を当てて目を見つめる。
「ライザ殿は、アナタも命をかけて守った子を探し続けてきた。第六峠を預かり下さったライザ殿は、確かに直接ではありませんが、ゾレンにこそ縛られ続けていたのに?」
「……え?」

 海に向かう冷たい風が、王妃と少年の間を通り抜ける。この展望台に来た時から少年はバンダナを外して、英雄の子として王妃と向き合っている。
「ライザ殿に第六峠をお任せする代わりに、わたくしはここから、あらゆる伝手を使ってゾレンの囚われ人を探ってきました。それでもあの子は……エルフィは見つからなくて」
 頭をがつん、と殴られたような衝撃。声を失った少年の顔に、王妃も違和感に気付いてはっとしたように眉を強張らせていた。
「ライザ殿は、エルフィちゃんを――アナタの妹を、ずっと探しています」
「――」
「でもアナタは……憶えていないのですか?」

 それなら少年が、父を恨むと言ったこともわかる。五歳という幼い時に、それも瀕死に陥った事変の後に、「千里眼」に一人で預けられた少年。王妃が赤い両目の端に涙を溜めた。
「エルフィちゃんは、まだ三歳でした。アナタは妹を守って、死ぬ程の酷い目にあったとききました。攫われてしまったんです。だからミリア殿も、ゾレンに残ることになった」
「…………」
 既に死んだと聞いている母の名前。次々と欠けた現実が埋まっていく。実の父が長い間、少年の元に帰らなかった理由。少年がそもそも一人きりで、秘境に隠されたことの根本。

「申し訳ありません。ライザ殿の弱味にされてはいけないと思って……わたくしが内密に動き過ぎたせいで、誰からもアナタに伝わらなかったのですね?」
「それは――……そんな……」
「ライザ殿も、アナタがザインにいることを決して知られたくなかったのです。それでもどれだけ、ライザ殿こそ、我が子に会いたいと願っていたことでしょうか……」
 何も喋れない程動じた少年に、王妃は拙く、両肩にそっと細い手を置いた。
「アナタはわたくしの、かけがえのない娘達を救ってくれた。今度はわたくしが、アナタとライザ殿がお会いできるように、可能な限り力添えをさせて下さい」

 最早、行方不明になってしまった英雄。それもディレステアとゾレンの和平交渉に赴き、王女達を逃がす条件として引き渡されたために。
 黒い嵐が押し寄せるようだった。気付かないようにしていたのに、現状を感じる胸の底には凍りつきそうな確信があった。
 ごく普通に考えれば、「英雄」は始末されただろう。会えるなんて有り得ないこと、だから会いたいなどという想いは、持たない方が良かったこと。


 それからどう残った日を過ごしていたか、王城に戻ってからは思い出すのも難しかった。
 帰ったばかりの少年を巻き込み、預言の神殿から訪れた巫女と王女が話した。巫女には何の目的があるのか判らないが、「神託」を利用しろ、とディレステアに言う。
 国王や議会に巫女の話を全ては伝えず、王女は「私の意志が重要とのことです」と言った。その言葉も決して嘘ではなかった。王女の良いように神託を捏造しろ、と巫女は言ったのだから。

 できればまだ婚姻は控えたい、と意志を表明したあとで、続く話は国王と議会に任せて、王女の娘は少年達の控える隠し部屋にやって来て倒れた。
「つっっかれたわ……! シヴュラ殿は隣でにたにた笑っているし、いつ前言を(ひるがえ)されるか、こいつは嘘つき王女だって国を乱す罠じゃないかって、ずっとずっと怖かった……!」
 それは多分ない。と少年は一応直観で言ったが、事がここまで重大になると、人間の娘が多大に慎重になっても不思議はない。巫女の意図を結局ほとんどの者に伏せた形になるので、巫女が他に誰かを巻き込んでいた場合、そちらも黙っているだけかもしれない。
 少年にしたら、巫女はそこまで精力的に観えなかった。預言の神殿という格の高さで、エイラの純血達から一目置かれていることは確かそうだが、化け物一般にとって本質的に重要なのは「力」への畏怖だ。神託にどういう形で影響力があるのか、少年は今もよくわかっていない。

 なので巫女と似た立場だろう、純血の助言者を頼んだ。王女の娘と忍の乙女を促し、抜け殻蛇が案内する方へ行くと、襟を立てた上着の姿で、人目を忍んで夜の裏庭に侵入した大使がいた。
 第四峠レジオニス大使。緋色の細長い髪を一つに括り、金色の眼を持つ純血の化け物。
「よっ、王女様達。見事にエイラの内部工作の被害にあってるな?」

 そもそもこの第四峠大使は、ディレステアとゾレンの和平を仲介しようとした人物だ。しかし過去に同じ仲介をした英雄とは似ても似つかず、常に軽い物腰で子供のように笑う。
「エイラの……内部工作、ですって?」
「それ以外に何があるんだよ? ディレステア王家を姻戚にほしいとか神託を聴けとか、エイラは人間に興味がないなんてうそぶきながら、やってることは境界の破壊だろ」

 むう、と王女の娘が、夜にも映える赤い目で(うな)る。大使はレジオニスの幹部でありつつ、王女達を帰国させる手回しをした。今回もまた風見鶏らしい呈で話を始めた。
「とりあえず第四峠を押し付けられたオレは、第三峠や聖地がつるむこのやり口は、いつ火の粉が降ってくるかわかんないんでね。実益を兼ねて、撹乱に協力してやる」
 その条件として、と。大使が真面目になったところで、王女達も気を引き締めていたが。

「まあ、そういうわけだから。代わりにオレを、守ってくれ?」
「は? 貴男を、守る?」
 王女の娘と忍の乙女が、同時に目を丸くした。大使は至って真剣な声色で続けた。
「でないとオレ、マジで消される。神託の巫女だって多分同じさ。要はエイラ砂漠と聖地、その一帯を巻き込む何かが、ディレステアを窺いながら動き始めてる」

 巫女は自分を、匿えと言ってる。そう王女達に告げていた少年のことを、二人が見返してきた。
 巫女も大使も、強い化け物ではない。人間の国に来た純血達の打算に、少年は改めて溜め息をついた

 ◇③◇ ディレステア王城

 自分がもっと、強かったのなら。大切なヒトを害されたとき、そう思う者は多いだろう。
 ディレステア王城から遠ざけられた二週間の旅。帰った後に、少年はしばらく高熱を出して寝込んだ。王女の娘と忍の乙女は心配していたが、少年自身には原因は解っていた。目論見が外れたら死ぬぞ、と取引相手の大使に言われた暴挙があった。

――俺にだって、望みはあるし。

 親友と育ての母を殺された日から、少年は物も食べれず、日頃は冷え切っている体にはこの熱は激しい蹂躙(じゅうりん)。それでもまだ試みは序の口であり、本番がいつ訪れるかはわからない負荷。王女達には詳細は教えず、少年に何かあれば遠慮なく始末するように頼んで、王妃にまでそのための布石を打ってもらった。
 そして王女の娘の元に、ある新たな護衛が派遣された。侍従用個室で寝かされる少年が熱で使えず、王女達の害になる可能性がある間は、必ず王女の娘と忍の乙女を守るために。
「本当に、よくわからないのだけれど……強くなるため、としかキラは言わなかったし、それでもこんなに苦しませる必要はあったのかしら……」

 毎日少年を見舞いにくる王女の娘と忍の乙女に、臥せ続ける床で気付いてはいた。その後ろに佇む祭祀服の黒髪の好青年が、王妃の派遣した新たな護衛だ。それは少年には実の叔父にあたり、何でも先の休戦より以前の戦いで王妃が極秘に引き取ったゾレン人なのだ。
「キラ君は、英雄ライザとその娘を、これから探さないといけないんですよね? 確かに今の彼では力不足でしょう。王女様達の護衛には僕がつきますが、キラ君自身にも望みを叶える力は必要のはずです」

 冷静に言う好青年自身は、少年との血縁関係を知らない。過去に死の淵から戻ってきたため、ゾレン人だった頃の記憶を失くしているといい、本当は少年の母の弟である者。竜人という自然の脅威の血をひく母よりも濃い、水竜の力を持つ魔術師になる。実戦経験は少ないが少年に対する見立ては正確であり、王女の娘と忍の乙女が項垂れる。
「妹がいるのに、キラは憶えていないというお話……ライザ様も、娘のことは何一つも、私達に話して下さったことはないの」
 申し訳なさそうにする王女の娘だが、それで言うなら、息子である少年の存在も英雄は明かしていなかったはずだ。何処かに子がいる程度の認識はディレステアにもゾレンにもあったのだろうが、英雄一家に実際に面識があったのはディレステア王妃だけ。

 これからディレステアでは、第四峠の反乱分子にようやく軍の派遣を検討するというが、少年は戦力には加えられなかった。英雄とその娘を見つけて、英雄をディレステアに再び取り込む謀略の方に回されたと言える。
 人間達の思惑はともかく、父を戦いに留め続けた妹を探し出すことは、少年にも本音としては急務になった。しかもその話に一番賛成したのは黒い鳥――いつも己が心を伏せる忍の乙女だ。少年が剣となると決めたのは黒い鳥であるのだから、黒い鳥が英雄の奪還を優先するなら、少年も遠慮なくその方向で動ける。
 一度決めれば、使える手段は何でも使う。強い水の竜人の血をひきながら、「力」を身に巡らせる以外で使えない少年には、剣以外にも戦う術が必要だった。

 だからかつて、少年にある「束縛」の存在を教えた大使と取引をした。和平交渉の時には敵対して英雄を陥れながら、王女達の身柄は人間の国に帰した第四峠レジオニス大使。その相手との取引内容は、王女達には「大使を守れ」とだけしか、条件を教えていない。
――俺でいいなら、協力してやるよ。

 どうしてなのだろうか。そう言い出したのは少年であるのに、酷く現実感がなかった。取引の第一段階が終わったことで、少年は全身を侵す赤い熱に襲われた。それからずっと、起き上がることができない間に、いくつも不思議な夢を見ていた。
 その夢はまるで、殺したい、と少年に(ささや)き続けていた呪詛。真っ赤な視界の中で少年は何度も、親友を殺した化け物と戦って負ける。あまりに頑強な殻を持つ化け物に、少年が扱う命の光は届かず終わる。勝てるのはただ一度だけ、第六峠で育ての父の助力を得た時だけで、だから少年は何度戦ったところで、親友とその母を助けることができない。
(……じゃあ……おじさんを、最初から呼べば……――)

 死の刻の訪れに気付いた育ての母が、絶対に選ばなかった道があった。連れ合いである第二峠大使に、息子が鍛える呪いの力を使えば連絡も取れたはずであるのに、育ての母は少年や息子を遠ざけて隠す道しか考えなかった。
 必ずそうなるだろう選択を、高次の化け物は宿命と呼ぶ。それを真っ赤な呪詛が運命で覆すのは、いくら夢でも難儀を極めた。たった一つだけ、親友とその母が助かる道では、第二峠大使が深く傷つき、ザインで大きな騒ぎを起こした代償に追放される。人間の国に大きな恩恵をもたらしてきた大使が免職されることで、ディレステアにも暗雲が訪れる。
 そうなる育ての両親を助けるために、その呪詛は英雄すらも巻き込んだことがあった。第二峠大使か英雄、どちらかは結局深手を負ってしまう。少年は英雄と再会できるものの、妹を助けることは最早叶わなくなる。第二峠大使はどの道追放される。

(……なんで……これは……まるで……)
 それは既に、通ってきた道かのよう。脳髄を融かしそうな赤熱を受ける少年に、そんなおかしな幻想が何度も駆け巡った。
 少年が自身のままであると、何を選んでも何かを失う。真っ赤な呪詛はそうした宿命の穴を探すために、少年そのものを塗り潰すことを繰り返してきた。赤い(ほむら)がここに在るのは、呪詛が最も確実な少年の歪め方を憶えたからだった。
 しかし親友を失うその宿命が、大きな波に荒らされた時には。少年の歪みが激しい程に、黒い鳥は穢されていった。呪詛は運命を開けなくなり、立ち止まっては引き返してきた。

――それならアンタも、肚を決めろよ。
 最早、滑稽で仕方なかった。親友と生きる道を失くしたことで、少年は黒い鳥の剣となることを望んだ。それでしか導かれない誰かの末路があった。
 意味(理由)なんて、ない方が良かった。灰色の眼で俯く英雄が何処かで口にした。誰もが何かに縛られていて、結局のところ、呪詛なしに生まれた声こそ奇跡だったのかもしれない。
「俺の……せいで……」

 何を望めば、一番良かったのか。青冷めていく黒闇の底で、答などあるはずの無かった呪怨に、その白い祭服の異物は、不意に少年の手を力強く手繰(たぐ)っていた。
――だから、神託を伝えてあげるんだけど?

 いつもと違う訪問者の香りに、少年は突然目を覚ましていた。視界を占拠していた無数の夢は音もなく立ち消え、警戒の時を煽る嘘だらけの声が隣で発せられた。
「あ。やっと起きたのかな、人間好きの護衛くんは」
「あんた――」
 まだぐるぐると天井が回るが、寝台の横から明確に向けられた悪意。上半身を起こすと、賓客として軟禁されているはずの神託の巫女が、客室から上等な椅子を持ってきてまで、眠る少年の様子を見ていたことがすぐにわかった。
「ふふふふ。こんなに君の寝顔が可愛いなんて、いいこと知っちゃったなあ、あたし」

 ディレステア北東にある預言の神殿。そこに降りる神託を司るという巫女が、白の礼装のまま大胆に足を組んで座っている。
 困ったことに少年は、少年を親友の姿に変貌させる黒いバンダナを外して臥せっていたので、英雄とそっくりな本来の姿を見られた形になる。
 巫女はどうやら、英雄を知った者であるらしい。少年の素顔に対して明らかに、英雄の若い頃を思い浮かべているのがわかった。

「……何であんたが、ここにいるんだ」
 気付かれたことには気付いていない呈で、ひとまず巫女の意図を探りにかかる。英雄と同じ顔であることを弱味にされるよりも、どうでもいい問題にしておくために。
 巫女はくすくす、と余裕のある様子で椅子を傾けて笑う。
「だってこの城、君以外に面白そうな相手なんて全然いないじゃない? つまんないわ、人間の国。君もどうして、変装なんかしてまで肩入れするの?」
 少年の姿に話を戻そうとする巫女。しかしそれは、巫女がわざわざこの部屋に来た理由については、何の説明にもなっていない。英雄と同じ顔を知られたことはあくまで結果であり、巫女には何か、他に動く必要性があったはずだ。少年に興味を持っていることは嘘ではないが、初めの不整から少年は暴いてみることにした。
「あんたこそ。あんた、王妃が連れてきた化け物に会いたくないんだろ。この国に来ればあんたの顔を知る奴もいると知ってて、それでも何で、わざわざここに来たんだ?」

 ぴた、と、椅子の足を浮かせた傾きのままで、巫女が止まった。
 少年のために新たな護衛も、それを連れる王妃も城に来ていた。預言の神殿の巫女にも一度は挨拶を、となってもおかしくはない。何かから逃げようとした巫女の真意を感じた。巫女が知るのは英雄だけでなく、おそらく王妃や新たな護衛も含まれている。
「――ふぅん。君はほんとに、何だか面白そうだね?」
 巫女は王妃達との謁見から逃げてきた。その行動の道筋を看破した少年に、鋭い笑みを返してきた程度には、巫女の性根は座っている。
 少年としては、まだ熱と様々な夢の余波でひたすら頭が痛い。預言の神殿との外交努力も、巫女自体に対して手心を加えることもできそうになかった。
「あんたは執着が残ってるみたいだけど、アラクはあんたのことを憶えてない。あんたが気を付けるような相手は、ここでは王妃だけだ」

 王妃に対して、巫女の存在を黙っておくから、英雄と同じ顔の少年のことも黙っていろ。それだけの暗黙の駆け引きのつもりが、思わぬスイッチが巫女に入っていた。
「はぁぁあ? あたしが、デュラに執着う? 何なのよそれ、君の目は節穴か何か――」
 言ってから、はっ、と巫女が思い留まっていた。王妃達を避けているという少年の指摘が、当たっていることを認めたも同然の反応だからだ。
 デュラ・ユーク。新たな護衛の好青年の本名だが、それを知る者はほとんどいなかった。
「なるほどねぇ……君がそーいう、重箱の隅をつつきに来るなら、あたしも言うけど」
 妙に馴れ馴れしい。と思う間もなく、突発の糾弾が始まっていた。人間の国の城では珍しい化け物同士である巫女に、少年は初め、何を言われたのかが咄嗟にわからなかった。
「君こそあんな忍の王女の、どこがそんなに良かったのかなぁ? 魔物のくせにまだ血の味も知らない生娘にしか見えないけど、まあ男って結局、そういうお姫様が好きよね?」

 がたん、と。巫女の腰掛ける椅子の足が床に戻った音で、少年ははっと放心に気が付く。
 先ほど巫女は、何故少年がこの国に肩入れするのか、と問いかけてきていた。今の話はそれを勝手に、「忍の王女が好きだから」にされた先走りだ。それもとても下世話な視点で。
「へぇ、その顔、違うって言いたそうだ? かっわいー、父親譲りの清純嗜好かな~」
「――」
 巫女のこの言い草には、かなり多くの問題があった。そこに少年は止まってしまう。

 少年は確かに、黒い鳥の剣となるためにこの国に在った。傍目にはそれを、「好きだから」と解釈されるのはあり得る話だ。それよりもたった今に、神託の巫女たる者が「忍の王女」と口にしたこと。そして少年の「父親」をしっかりほのめかすこと。
 化け物としてはおそらく脆弱な巫女は、どうしてそんな話題を少年に持ちかけるのか。
 忍の王女。その一言だけで、巫女は少なくとも、ディレステアという国の重大な機密を握っていることを匂わせている。どこまで確信があるのかはわからないが、巫女と最初に謁見した黒い礼装の王女こそが、他ならぬ魔物の紅い目を呈した黒い鳥であること。その黒い鳥は普段であれば、忍の姿をとって王女の娘の付き人をしている真実。

 王女達がひた隠しにするので、少年は今でも自ら指摘はしてこなかった。けれどもこの国に来るまでの道のりにおいて、比較的早く気付いた事柄になる。それこそ道中ずっと一緒だった、抜け殻の蛇すら気付いていると少年にはわかっていた。
 逆に言えば、この人間の国にいる者はほとんど、その事実を知らない。せいぜい国王と王妃の二人くらいで、単純な影武者ともまた違う入れ替わりを、王女に扮する人間の娘は担っている。人間の国に生まれた王女であるはずが、黒い鳥として異端の「力」を持った、魔性の紅い目を負う乙女のために。

「あんた……何でそんなに、俺と話したいんだ」
 とりあえず巫女の話の情報量に困り、少年は早々に真打ちを出すしかなかった。今この巫女の真意の一つは、目前にいる少年への大きな関心。とにかく少年と話すことにあった。
「わー。さっすが、下半身で命運を決める思春期少年は話が早いなぁー」
 露骨な挑発の(あざけ)りと侮蔑。楽しげな巫女の茶色の目に、冷たい視線だけを返す。巫女は少し溜飲が収まったように、改めて椅子の上で腕を組んで背をそり返していた。
「王女ちゃん達が可愛いこと自体は、あたしも共感するけどね。この国の人間模様は裏表だらけで面白いし、その中にあっても王家だけは、気高き地上の鳥を名乗りたいみたい」
「……」
「所詮は小さな籠の鳥なのに、人間と化け物達が対等だなんて勘違いしちゃって。こんな泥船に進んで乗ってきた君は、第三峠のシェムハザと同じ色ボケ野郎か、もしくは何かの切り札を掴むジョーカー。そんな風に、あたしの神様は言うの」

「……なら、色ボケ野郎で、神託は十分だろ」
 自分の神様。その一言を口にした瞬間に、巫女の雑然とした胸裏に強い感情がよぎった。少なくとも快い手触りではなく、巫女の表情も含みだらけの笑顔に変わる。
「俺に期待してあんたも泥船に乗ったって話なら、それは、あんたの神に文句を言えよ」
 人間の国をはるばる訪れ、しばらく滞在すると豪語した巫女。そこにいる化け物が有名な英雄と同じ顔で、巫女がかつて英雄と敵対した者であるなら、複雑な心境にもなったのだろう。王妃や新たな護衛の好青年を避けることにしても、巫女にはそんな身上が窺える。

 だから少年の弱みを掴んで、都合よく動かしたい思いは何とか察した。それだけでこの部屋に忍び込んだとは思えないが、少年に向かってやっと今度は視線を合わせてきた。
「本当に女に甘いね、君。情け容赦ない竜種の血筋にしては、もうあたしに同情してる」
「……誰が」
「ああ、女好きなのは飛竜くんの血かな。でもデュラも女の子には大概言いなりだったし、飛竜と竜人の混血なんて、悪魔と天使がくっつくくらい節操なしの家系ではあるよね」

 いったい全体、「神託の巫女」というのは、何処まで少年の事情を知っていてもおかしくないのだろう。かなりどころか少年の出自に、少年自身より詳しい気配があった。英雄の過去を知った者なら有り得る話ではあるが、それにしても少年への興味が深い。
 疲れてきたので、少年から折れることにした。とりあえず現時点では、人間の国に身を寄せる数奇な巫女には、王女達に仇なす意図は感じられなかった。
「俺の情報を黙ってるなら、あんたの要求も多少はきく。俺に何をさせたいんだ、あんた」
「あははっ。王女ちゃん達も君も、隠す意味がわかんないけど、やっぱり隠したいんだねえ。人間の国って不便そうね、そういうとこ」

 はぐらかしつつ、巫女の目にも、本来の目的が浮かびつつあった。おそらく次の言葉では、少年への取引を何か持ちかけてくる――そう確信できた瞬間だったが。
 呆気なくも少年のその見立ては、謎の爆破音と共に散ることになる。

 ディレステア王都の中心にある王城のどこかで、小規模でも重い衝撃の轟音が響いた。本来化け物の感覚を持った少年の場合、鈍いとはいえ力の気配を多少は判別できるので、それが黒い鳥の暴発させた熱の余波だとわかった。
 すぐに部屋を出た少年を巫女も追ってきた。音の発生源である中庭に辿り着く直前に、中庭に出る扉のある回廊で、王女の娘と兵士達が何故か立ちふさがっていた。
「あっっ、来ちゃだめよ、キラ! 何もないから、心配しないで!」

 中庭の隅には忍の乙女と、弱くても化け物としては確かな気配を持つ第四峠大使がいる。王女の娘の傍に護衛の好青年がいないことを確認した巫女が、首を傾げるしかない少年の後ろから王女の娘へにこやかに微笑みかけた。
「あーらら。お見合い、うまくいったってこと?」
「お見合い……って」
「そ、そうなの、私が了承したらシヴァが怒って、爆発しちゃっただけなの! あのね、私、神託の下にディレステア王女としての縁談は、ソリス大使とのお話を大事にするから!」

 とてもバツが悪そうでありながらも、それは少年にも心当たりのある話だった。逆に何故、忍の乙女が暴発したのか、口裏を合わせたはずの展開に何か違うことが起きている。
 兵士達がいるのでこの場で口にするわけにいかなかったが、第三峠からの縁談を王女がかわすために、本当は既に婚約者がいたという話を立てる事にしたのだ。縁談を望んだ第三峠の副官より上位なレジオニスとして、第四峠レジオニス大使の協力を得て。

「大使は無事だけれど、念のためにアラクが救護所に連れていくわ! シヴァとは私がこの後ちゃんと話すから、キラ達は変に刺激しないで!」
 ただ単に、王女の偽装の婚約者になる代わりに、第四峠大使の後ろ盾にディレステアが密かにつく、それだけの取引。何故黒い鳥は、「力」を暴走させる程動揺したのだろう。
 兵士達の身にしてみれば、王女は了承しているのに護衛の忍が勝手に怒った状況であり、外交問題に発展しないか、と慌てている者がいるのも当然だった。偽装という取引部分は、国王と王妃に審議院の重鎮しか知らされていないはずなのだから。

 通せんぼをする王女達から仕方なく離れて、救護所に向かう少年は溜め息をついた。
「アイツ……シヴァに、何かしたな……」
「みたいねー、意外ー。見た目はチャラいけどククルの奴、全然女っけ無かったのにな」
 なんでついてくるんだ、と巫女に尋ねる必要もなかった。エイラに関与する同じ純血の化け物なので、顔見知りらしきことはわかっていたが、思った以上に巫女と第四峠大使は何かの宿縁を持っている雰囲気なのだ。
「どうせ焚きつけたの、君なくせにね。自分の好きな女をわざわざ違う奴に渡すって、君、やってることがほんとにややこし過ぎない?」
 あんたに言われる筋合いはない、とだけ返しておいた。何を言ってもこの巫女相手には、色恋沙汰にされる。
 違うのか、と笑われた時には、少年も返す言葉がなかった。どうして少年が黒い鳥の剣をするのか、そこに明確な言葉を少年は持っていなかった。

 ほんの先日、第六峠で死に瀕することになった少年。本質が甘過ぎる黒い鳥は、ただの護衛の少年を命がけでディレステアに連れていった。だから、少年と共にいた抜け殻の蛇は言った。そうして少年を大事にしてくれる者のことを、少年は守ればいい、と。
 救護所には新たな護衛の好青年もいたので、巫女は途中で自室に帰っていった。そもそもそこまで自由に出歩いてよい身ではないはずだが、人の意識に介入を行い、咎められない程度の魔術は使えるのだろう。他に見られたくない者、王妃相手には使っているはずだ。
 護衛の好青年は自然の理までの介入力を持ち、魔道士の域にある魔術師であるため、巫女程度の魔術では通用しない。好青年は何も憶えていない様子なのだが、巫女の側からは忌避感が強い。

「いやー、ほんとに面目ないってば! すまん!」
 救護所につくと、寝台に座る第四峠大使を相手に、好青年が両腕を組んで説教をするというおかしな光景が広がっていた。好青年の魔術で人払いをしてあるために、かなり率直に化け物としての話を二人だけでしていた。正確には二人と一匹だけで。
「オマエはバカだにょろ、調子に乗り過ぎだにょろ! オマエのせいでオイラまでシヴァちゃんの肩から追い出されたにょろ!」
「そもそも事を急ぎ過ぎです! 現段階では皆にとって王女はアヴィス様なんですから、貴男がシヴァ様に触れるのを見られたらどうする気だったんですか!」

 少年が入ってきたことに気付いて、大使が助けて! という熱い視線を送る。好青年はこの化け物同盟の黒幕に対して、大丈夫かい? と、まず労いの言葉をかけてきた。
「もう体調は落ち着いたのかい、キラ君。そっちも大分、無理なペースで事を運んでるね」
「……問題ない。いつ手に負えなくなるかは、どうせ俺にはわからないし」
「あははー、そうなんだよなー。だからついつい、オレも気が急いてさあー」
 バシ、と、少年の肩に乗った抜け殻蛇が、尻尾で大使の緋色の頭を派手にはたく。
「コイツもコイツだにょろが、アラクものんびりはしてられないにょろ。あんまり派手にアディちゃんの身辺をうろうろするより、審議院にちゃんと取り入る方を重視するにょろ」

 元は王妃の懐刀。しかしこの度王女専属の護衛となった好青年は、所属は騎士団として王家でなく議会側――審議院の功労となる。忍の乙女は王家側で、少年は実質的には護衛でも所属が不明のため、王女に騎士が与えられた形だ。忍一人では頼りない、という口上で。
「わかっています。シヴァ様に泥をかぶっていただいたのだから、僕は必ず、アヴィス様の隣には僕しか有り得ない騎士になってみせます」

 真面目そうな見た目でそのまま、知的で冷静な好青年は王妃に憧れてきた。護衛の相手になった王女の娘が、本当は王家の者でもなんでもないのに、うら若い身に称える気品は王妃の威厳そのもの、と一目で惹かれたという。自身の記憶がない好青年もどこの生まれの化け物か全くわからない中、人間も化け物も区別しない王女の娘に、身も心も浄化されたらしい。
「しかし、嘆かわしいにょろ。まさか一番信頼してるキラに勝手に身売りされてるとは、アディちゃんもシヴァちゃんも思わないだろうな、にょろ」

 身売りって、と少年は言葉が出ない。巫女もそうだが、少年の暗躍は傍目には、そんな風にしか映らないらしい。
 少年はただ、王女の娘は好青年が、忍の乙女は蛇の大使が、各々本気で守ってくれたら生存率が上がる、それだけの根回しのつもりだった。彼らが王女達に恋心を抱いていることは、少年の壊れた五感には簡単にわかったのだから。
「アンタとソリスは同じ奴だろ。俺のせいにするなよ、アンタも」
 肩にいる抜け殻を見下ろして睨む。にょろろ、と謎の笑い声を抜け殻は返す。そのすかすかな抜け殻だけの生き物の、中身が第四峠大使である真実も、王女達はこの度大使に伝えられたはずだ。その上でちゃんと、偽装婚約の取引を呑んだのだろう。

「でも僕達にディレステアの内情を、知る限り教えてくれてるのは確かにキラ君だしね。キラ君がどうしてそうするのかは、僕も気になるところではあるよ」
「何度も言っただろ。ディレステアの人間は信用できない。俺は絶対、アディとシヴァのことだけは、ディレステアの奴らにも傷付けられたくない」
 こう言っても好青年と大使は、結局不思議そうな顔をするのだ。二人には少年が、王女達のどちらにも心惹かれているように見えている。それは絶対に違う、とは言えないこと。

 彼らが懸念する根本は、王女の娘も忍の乙女も、少年のことを最も異性として意識しているのでは、という嫉妬に過ぎない。いい大人なのにコイツら、とは少年は思う。
「俺は妹と親父を探すので精一杯だから。正直ディレステアまで、とても手が回らない」
 そこまで言うと、やっと納得したように頷いてくれた。それ以前にも少年は現在、いつ破綻してもおかしくない状態であることを彼らは知っているのに、そちらは当然の如く、少年が耐えるだろう、と確信されている。問題にされていない信頼度もどうかと思った。
「その話なんだがなあにょろ。英雄の子供の存在は、ゾレンが追う、ゾレンが隠す、その二つしか今まで純血には噂が出回ってなかったにょろ」
「そうそう、ゾレンが追ってたのは少年のことだろ。じゃあゾレンが隠すのが娘の方で、オレが先日ゾレン王に引き渡した英雄共々、ゾレンで探すしかなくねぇ、って話」

 すっかり化け物達の作戦会議場と化した救護所。第四峠大使は本来、自身の持ち場たる第四峠に戻らなければいけない身だが、「手違いで負傷」は逆にディレステア王城に留まるいい理由になる、と笑ってすらいた。
「ゾレン王は英雄に未練たらたらでな、すぐに殺すつもりじゃなかったはずだ。現にもうかなり時間がたつのに、ゾレンではまだ英雄を捕らえたって報知すらされてないだろ?」
 最早あけすけにゾレンの内情も、エイラのこともどうでもいいと言って(はばか)らない大使。それだけ「ディレステア王女との婚約」は蛇の大使にとって、偽装でも命運をかける価値のある餌なのだ。本来審議院の重鎮としか婚姻を許されないはずのディレステアの王女が、そんな偽装を長く続けられるとは思えないのだが、エイラのレジオニスの勢力が根強い第三峠と穏便に渡り合うためには、と踏み切った形。

 第三峠はディレステアにとって、親交派と懸念派が極端に分かれる相手だ。第四峠に関してはほぼ完全に親ディレステア派と認められているところが、偽装の取引がうまく行った所以でもある。
「英雄ライザの娘をゾレンが隠し持つなら、最悪のシナリオはその娘を人質に、ライザ様が僕達の敵に回ることでしょうね」
「オレも十中八九、そうなると思うんだけどな。それにしてはゾレンの動きが遅い。実は娘はとっくに死んでいるか、ゾレン王がアホで英雄に媚びているか、とりあえずわかんね」

 和平交渉が頓挫してから、元々の前線である第六峠で紛争は続いているが、それ以外に何もこれまでとは変わりがなかった。
 英雄がいなくなった第六峠が、苦戦するのは当たり前だが、蛇の大使曰く、内密に騎士団の精鋭を数人派遣しているという。騎士団は中立地帯のはずの第五峠の化け物の集まりなので、そこから増援者をよこしたことが露見すれば、第五峠まで戦地と化する可能性のある危険な賭けだ。
「アディとシヴァは、討伐隊に加わると言うけど……ディレステアにも、後がない状態なんだろ。この上第四峠の反乱分子に戦力を割くなら、国内はがらがらになる」
「第三峠も絶対なんかしてくる。オレの独断婚約にもドミナの姐やん、多分キレてる」

 元は第三峠からの縁談が、事の発端。ドミナ・テルスという第三峠レジオニス大使は、蛇の大使の直属上司だといい、ディレステアでも軍師として重用される古代技術の研究家だった。ディレステアには古代文明の遺品が発掘されることが多いためだ。
「大体ディレステア自体は、英雄がなければとっくに詰んでるんだよ。ザインとエイラが険悪だからザインと手を結んで、エイラはゾレンとも睨み合ってるからディレステアとは表立って対立しないだけで。ドミナの姐やんなんか、ゾレンの宰相と密かに接触してるし」
「それが本当なら、エイラとゾレンが手を結ぶ可能性があるということですか?」
「エイラの純血が膝を屈することはないから、ゾレン王が臣従を認めた場合だけな。でもそうなればとてもじゃないが、ディレステアが独立を維持することはできない」

 それはあくまで、極端な戦局の話に過ぎないはずだった。蛇の大使はゾレン王について、エイラが大嫌いだから現状になっている、とその後に付け加えた。
 宰相の暴走を抑えれば、ゾレンがエイラに臣従することは有り得ないはず。宰相は元々教会一派という、世界でも純血を貴ぶ原理派の祭祀長で、ゾレン国王の信はあるが権力は限定的だと蛇の大使は言う。 
 ディレステアで代えがきかない者は、王妃と王女。その二人を守るのが全ての前提で、そこには大使は手を打っているが、第三峠とゾレンには手も足も出ない、と宣言する。
「けれど、あと一つの変数がディレステアに来た。オレの嫌な予感がもしも当たれば――」

 大使は少年に、神託の巫女から目を離すな、と真っ先に伝えた。本来なら預言の神殿の番人でもあるはずの巫女が、守るべき神殿を空けていること。そして他のどの地でもなく、ディレステアに身を寄せたこと――その意味はほどなく、明らかとなった。

「申し上げます! 聖地にてレジオニスとゾレン軍、ザイン警備隊の戦闘が発生しました!」
 ディレステア軍の隠密が緊急で帰還していた。ディレステアの北部にある聖地において、空を駆ける赤い鎧の少女がもたらす、災いの始まりの報告を持って。

◆破◆ 天駆ける処刑人

◆破◆ 天駆ける処刑人

 
 大事な妹が森で消えた。血がつながっていないとはいえ、幼い頃から近くで育ち、妹の本当の母を奪った一族の罪から、ゾレン唯一の王子は森に棲む少女を大切にしてきた。
 少女の味方は王子とその連れ合いに、少女の母を殺した国王だけだ。王子もその件では未だに父を許せておらず、親子の仲はずっと空気が悪い。国王は元々生真面目で厳しい父で、英雄とその娘の少女に見せる顔の方が人情味があったくらいだ。
「クエル。やっとピアスの魔道具の探知反応が出てきた。やっぱりエイラで間違ってない」
「そうか、ありがとう、デスリー。悪いな、こんな異邦の地までお前を付き合わせて」
「何言ってんの。アタシの方が、ここから先は詳しいじゃない。アンタとアタシ、それにピアスしか今は実質動ける王属がいないんだから、遠征の大義はいくらでも立てられるよ」

 ゾレンとは違い、緑生の少ないエイラの荒山を、気配を外套で隠す二つの人影が登る。灰色の鳥頭と目色を持つ王子と、同じ髪と目色で肌の色は暗く濃い魔道士の女がいた。
 君主制だが、世界を(また)ぐ教会の力も強いゾレンでは、国軍の他に国王独自の諜報部隊が公然と存在する。「力」次第でいつでも入れ替わる王家の化け物は、軍とは違う「王属部隊」として、国内外での活動をかなり自由に許されている。軽装の軍服を好む王子は、血縁のない妹を探すために、初めてゾレンを出てゾレンの北のエイラ平原に来ていた。
「本当に父上は、何を考えているのか……最重臣の宰相をエイラの第三峠に派遣したまま、おれ達にはレジオニスに気取られずに動け、とは……」
「今、国にはどんどん純血から来訪者があると伝報が来てるよ。純血嫌いは譲らない陛下だったのに、あの女が現れてからは、もうエイラの属国みたいだ……」

 自作の法衣の内で顔を伏せる魔道士の女は、郷里にいる情報源の母を心配している。女もその母も魔道具作りや補助魔術に長けた魔道士で、ただでは死なない性質の持ち主なのだが、国内の幹部には弱点をよく知られた身だ。不在の宰相に代わって国王に取り立てを受け始めた女臣(ひめ)が、残る重臣の排除をいつ画策するとも限らなかった。
「前代のデスリー殿のことは、叔母上がきっと守って下さる。それよりあの女臣殿は……おれには何故か、ミリアおばさんが重なって見えて仕方なくて……」
 魔道士の懸念する通りに、国王たる父を(たぶら)かしているように見える相手に、王子自身が抱く感傷に頭を抱えた。どうしても敵とは思い切れずに、国王としては立派である父への信もあいまって、不躾な女の台頭を糾弾することはできなかった王子だった。
「でも、顔はそこまで似てないんでしょ? 確かに竜人の縁は魔道解析でもみえたけど、アタシが母さんに教えられてきたミリア・ユークは、もっと生粋の混血だってきいた」
「ああ、おれもわかってるんだ。姿でいえば髪が黒いことくらいだし、あの目は竜人よりも、純血の何か。なのにあいつが、王子、と微笑みかけてくるたび、どこか懐かしさを感じてしまう……父上が(ほだ)されたのも、理解ができてしまうんだ、あの軟らかい声には」
 恥じ入ることだが、この魔道士には隠したくなかった。王子には永遠の連れ合い相手に。
 魔道士も、わかってるよ、と王子への信頼を決して崩しはしない。
「そういう性質を持った何か、とアタシは分析中。陛下だって、国事を全部あの女に任せたわけじゃない。ピアスのことも、英雄の娘と知る者には箝口令を出して軟禁した。アンタとアタシにだけ探させることも、ピアスを守ろうとしてるのはちゃんとわかる」

 一人息子で他に血縁のない王子にとって、幼い頃からそばにいた英雄の子供達は、家族同様に大事な相手。
 英雄の息子の方はかつて瀕死の状態に害されてから、行方が知れなくなってしまった。すぐ後に英雄の連れ合いが命を奪われ、その時から英雄も人間の国側について戦っているので、国王と英雄の間に何かがあったことは王子にもわかった。

「それにしても……こうも数多の化け物を移動させるとは、これは……」
 王子達は現在、第三峠の荒野を広く見下ろす残丘に潜伏している。空から見つかり易い場所になるが、地上の平原に純血も雑種も、様々な出自の者が集っているからだった。
「まとめてザインに喧嘩を売る、としか見えない方向だね……そりゃ、エイラとゾレンが手を組んだなら、ザインを手始めに大陸の覇者となることも不可能ではないし……」
 最早隠しもされずに集まる不穏な軍団。ゾレン軍の化け物も公式に混じっており、ここから更に、聖地と第二峠に在る純血の勢力も合流する手筈だろう。指揮をとる者の一人がゾレンの宰相である事実は、軍団内では周知のことだと末端の兵士に確かめていた。
「このような侵略行為は、天の咎めがあってもおかしくはないというのに……父上はこれでもあの宰相に、軍を任せる重きを置くのか……」
「あのクソジジイ、ピアスのことも散々、英雄討伐に使えって言ってきたしね。ピアスが姿を消したことも、ここの一員にされた可能性がやっぱり高いんじゃ……」

 自国と他地域で、大陸規模の戦乱が起こる。その現実自体にも王子は打ちのめされる。目前の大軍を止める術があるはずもなく、純血の化け物との共同戦線と言っても、往々に雑種が使い潰されて終わりの末路が見える。
 まずもって広く海に面した国土を持つゾレンは、資源が豊富なので殊更侵略を行う必要はない。隣国のディレステアに長年拘っているのは、あくまでディレステアが東西ゾレンを分断している、「人間の国」だからなのだ。
「嫌ならあの娘を連れて逃げろ、か……父上はかようも無責任だっただろうか、デスリー」
「本当にねえ。まあとりあえず、アタシ達はとにかく、ピアスを見つけるんだよ」
「ああ……そうだよな……父上……」
 王子には近頃、胸の騒ぎが絶えなかった。国王は今まで、この魔道士を次期王妃にすることにも良い顔をしていなかったが、わざわざ「二人で行け」と内密に命じて来たのだ。
 そこにあるのは堅苦しい国王ではなく、疲れた父親の表情だった。王子との関係がずっとぎこちなかった過去を超えて、息子達だけでも災いから逃さんとしているかのような。

 王子のそんな実感もやがて、再び懐疑に落とされていく。純血と雑種の連合軍を追って妹の少女を探しながら、辿り着いた地で王子達が目にしたのは、あまりに無残な翼を晒す、人間らしい表情を一切失った赤い鎧の処刑人だった。
「そんな……エル……?」

 聖地にてレジオニスとゾレン軍、ザイン警備隊の戦闘が発生した。不自然に大軍が集う聖地にザイン警備隊が退去勧告を行った結果、聖地の守護者という殺戮の天使が警備隊の代表に空から斬りかかった。
 天使はゾレン人たるZを手の甲に刻んでいたため、応戦した警備隊とゾレン軍がまず交戦状態となり、不思議な盾に乗って空を駆ける殺戮の天使は、すぐに聖地に帰還して籠城を始めたという。
「何なの、アイツら……まるでピアスを聖女扱い、完全に聖戦だって熱狂してる……」
「どう見てもレジオニスに、我が軍が踊らされている……エルはいったい、何があって、ここまで連れてこられたんだ……」

 聖地まで来ると山中にも森が茂っているため、王子と魔道士が隠れる場所には困らない。宰相が管理していた宝の盾が妹の少女の元にあるため、黒幕が宰相であることはわかる。だからこそ少女には宰相の魔術を弾く、魔除けの猫耳飾りを日頃は着けさせていたのだ。
 妹として守ってきた少女は、不思議な勘の良さを持つ人間だった。竜の宝を力とできる古代の鎧に適合した身で、打撃や魔法を弾いて全身の膂力を上げる鎧を着こなし、宝の盾で天空を駆けて処刑用の鎌を振るう。類稀な戦闘力を持つ少女ではあった。
「森の監獄で、軍部にエルが利用されているのは知っていたが……それでもエルは、自ら戦乱を起こすような、そんな流血を望むとはおれには思えない……」
「耳飾りはまだつけていたから、洗脳の可能性は低いはずなんだけど……ザインに何か、ピアスが向かっていくような理由はある? クエル」

 それを王子も考え込んではいた。しかしそれでも、あのあどけない人間の少女が、一瞬だけ目にした無音の表情で戦地を飛ぶだろうか。
「ザインには、ユオンが……エルの本当の兄が匿われている、その噂はあったはずだ」
 離れ離れの実の兄に、会いたいだろうことはわかっていた。しかし実の兄が隠れ住むと言われる秘境の地に、問答無用で侵略を行うことは、少女自身の発想では考えられない。
「ザインを落とせば、ユオンに会わせる……そんな悪魔の(ささや)きしか、おれには考えつかない」
「うーん……でも、あのクソジジイが言いそうなことではあるねえ」

 王子は何分、ゾレン国内という狭い世界しか知らない。歴史は重点的に学んできたが、近隣の純血の化け物と自国の雑種はどうにも相容れない、その確執しか見て来ていない。宰相の属する教会は世界的に繋がる大組織であり、現在では「天」と教会は対立しているものの、古くは同じ天上人の系譜であることも知識しか持っていない。
 だからゾレンを任された宰相一人など、ちっぽけな担当者に過ぎないとは思い至れない。そこに纏わる真の神意は、太古から続く災いの一端であるとは。

「何……宰相が第三峠で、暗殺された……?」
 聖地で戦う末端の兵士を懐柔した魔道士の女に、思っても見ない続報がもたらされた。
 未だ若い王子も魔道士の女も、大陸を巻き込む古い悪意にやがて呑み込まれていく。

 ◇④◇ ゾレン東部

 
 オセロット・アークなる天使を筆頭に、聖地に集う連合勢力がザインに侵攻を始めた。
 ザインと友好関係にあるとはいえど、軍事力では全く劣るディレステアには援助一つもしようのない事態に、王家と審議院では意見が大きく分かれた。
「一刻も早くゾレンと和睦を結び、そしてエイラに恭順すべきです、王よ」
 以前はゾレンと徹底抗戦派だった老院達まで、対応を急ぐように進言を始めた。王女とレジオニス大使の婚約が持ち上がったばかりでもあるため、独立を維持することよりも、「純血の化け物になら支配されても良い」という空気が本音であると窺い知れた。

「いけません。この国には純血も雑種も、契約の下でのみ互いの往来を継続すべきです」
 審議院出身の国王は沈黙を守り、王妃は少数派になっても抵抗を続ける。
「長年、人間の排斥を行ってきたゾレンを見ればお判りのことでしょう。化け物は人間を、奴隷以上の認識では扱いません。気まぐれに奴隷を慈しむ化け物があったからとて、人間の尊厳は我ら自身で守り抜かねばならないことなのです、皆様」
 化け物の英雄に頼ってきた人間の国であるのに、王妃にそこまで言わしめるほど、情勢は切迫していた。王女の護衛として会議の片隅にいた少年も、人間は何故純血の化け物なら人間を尊重すると思い込めるのか、不思議でならなかった。
 もしも人間の国に化け物達を無尽蔵に迎え入れれば、略奪も虐殺も容易く起こり得ること。どの地でも人間は化け物と慎重に技術や知恵と資源の交換を測り、互いの生息域をなるべく乱さないよう生活している。数の多い人間が主に固まって暮らすことは、化け物の少年から見ても当たり前だった。

 現実問題、堅固な外壁に守られているディレステアは、周辺地が戦火にあっても現状を維持できるものかどうか。見事に災いからあらかじめ逃げてきた神託の巫女に、連日続く会議の合間で少年は相談してみることにした。
「あんたがここに来たってことは、この国はそんなに酷いことにはならない。その目算があったってことだろ?」
「ふふふー。まぁ、聖地を中心にエイラが大きな騒乱を起こそうとしてることは、確かにあたしが一番早く気付いたと思うけどね?」
 甘いなぁ、と巫女は笑う。質素でも豪華な客室の長椅子で、腕を組んでふんぞり返る。
「エイラが今後のディレステア統治のための先鋒として、あたしをここによこした。その可能性の方が余程濃くない?」
「でもあんた、レジオニスとは仲が悪そうだし」
「だからって人間の味方をするわけもないでしょ。ディレステアで本当は王妃になるはずだった第一王女を殺したの、十七年前のあたしだしね?」

 何故かこの巫女はこうして、少年にはあけすけに過去の悪行を話す。少年の壊れた五感には隠しても無駄だと悟っているような、妙な既視感を少年も覚える。
 何はともあれ、だから王妃のことは避け続けている巫女は、英雄と敵対した過去の事をあまり少年に話していない。少年に何を求めて関わるのかも未だに口にしていない。
「あたしは別にどっちでもいいの。人間の国がエイラに恭順して化け物だらけになろうが、儚い抵抗を続けて結局負けても、あたしは神託の巫女であるだけだから」
 これは何も無理のない巫女の本心。少年と話すのもただの退屈しのぎであろう巫女が、少年以外には当たり障りのないことしか言わないというので、その差が気になって訊問に来ている部分も少年にはある。

「あ、でも、いいこと教えてあげる。君も気になってただろうけど、聖地を駆ける殺戮の天使ね。オセロット・アークって、ドミナが前から欲しがってた、竜珠の鎧の適合者なゾレン娘だよ」
 そして突然、爆弾のような重い発言を投下する。さも少年を弄ぶかのように。
「……ドミナって……第三峠レジオニス大使?」
「そうそう、そして聖地の本来の管理者。第二峠のラミアに普段から投げっ放しだけど、今回聖地に大軍を滞在させてるの、ドミナはキレてるはずなんだよねぇ」
「……?」

 巫女の言う通りに、エイラのレジオニスと言えど、第二峠と第三峠のレジオニス大使は、ザインの動乱に不干渉の立場をとる意向を第一に表明していた。現状維持をしたい王妃にとっては、思いがけない後押しとも言えた。
「あそこはトレジャーハンタードミナの永年の宝箱なのに。ゾレン宰相は竜珠の赤い鎧を聖地に届けると言って、オマケに大軍をくっつけていったもんだから、そんなの動乱好きのレジオニスがただで置いておくわけがないでしょ。君達はきいてない? ゾレンの宰相、ドミナに最近、第三峠でぶち殺されてるはずよ」

 優先順位が錯綜する様々な情報に、少年は一旦、冷却時間を必要とした。巫女はつまり、「竜珠」という宝、竜人に関係するゾレンの少女が騒乱を引き起こしたこと。そうさせた宰相が第三峠とつながっており、しかも死んだという重大な話を少年に告げた。
 誰に話せばいいのかわからなかった。蛇の大使からもドミナという名は何度となく聴き、油断してよい相手でないことは把握している。しかし想像以上にエイラは力関係が複雑な様子で、おまけにゾレンがエイラとこの度手を結んでいるのは間違いがなく、ゾレン人の少女が連合軍の筆頭として戦場の空を駆けていること。
 もしもそれが、少年の探す英雄の娘であったとしたら、この上なく厄介な事態になったことだけは確かで。

「んーで……知恵熱出して倒れにくるとか、少年も案外、小心なんだな」
 救護所に行くと、蛇の大使と、大使を看病する忍の乙女がいた。不覚にも少年は安心する。
 おそらく現在、扱いに困った情報を最も共有した方が良い者。ディレステアの真の王女である黒い鳥は、偽装婚約者となった大使の提案で力の強化を受けて爆熱を放った。それで赤くなった目と顔を黒装束で隠して、救護所に通っているのを護衛である少年は知っていた。
「ごめんなさい、キラ……本当ならすぐにでも、家族を探しにいってもらいたいのに」
 封じ続けていた声を黒い鳥が出している。そのことにも少年は熱が上がる錯覚を覚える。

 ディレステア王家の偽装の婚約は、「王女」と蛇の大使の間で結ばれたもの。王女の娘は、自分が嫁いでも別に構わないけど、大使の目的はシヴァでしょ、とあっさり断言していた。黒い鳥に身をやつす真の王女が受け入れるなら、偽装から本当の縁談にしても良いとの契約なのだ。
 特に今回、ディレステアがエイラに恭順する可能性が出た以上、大使は最上の賓客として王城に留められていた。救護所の寝台に座って黒い鳥と向かい合っている。

 大使の「小さな心」の補助で力を扱いやすくなった黒い鳥と、何かと話すことはあるのだろう。二人きりの救護所で黒い鳥は、大使から率直な想いを伝えられていると観えた。
 それでも真の王女として国の行く末を第一に考えている黒い鳥は、少年が得た情報には限りなく冷静なまとめを返す。
「つまり、聖地にあるゾレン軍はやはりレジオニスの扇動下にある。それもゾレン宰相が本当に殺されたなら、今後は実質エイラの手駒となるけれど、第三峠のテルス大使は聖地からの進軍には反対ということなのね」
「ゾレン宰相が殺されたのは、ちなみに本当。オレ、『舌』とかの抜け殻をドミナの姐やんに預けてるから、第三峠の動向ならある程度わかるぜ」

 蛇の大使は抜け殻蛇を初めとして、種々の効能――「意味」を持つ抜け殻を統括している。その抜け殻を様々な場所に置いて情報集めをするのが本業のようで、第四峠の大使館にも、「目」を置いているから国境はちゃんと守ってる、というのが言い分になる。
「聖地も全力を出せばもっと派手に侵攻できるだろうに、ドミナの姐やんの機嫌を窺って、今はお試し交戦状態なんだろ。この間に動かなきゃ、ディレステアは詰むぞ、正直なところ」
 黒い鳥が辛そうな目で押し黙った。どうやら蛇の大使から既に何かの、少年を手駒とする謀略を授けられている。この黒い鳥がためらう時はいつも、少年に関わる話なのだ。

 なので少年は二人の間で、少年なりに観えてきた方策を口にしてみる。
「……ゾレンを動かすしかない。レジオニスに利用されるなんて、そもそもの歪みはそこでしかない」
「――キラ」
「ゾレン国王はまだ親父を殺してない。少なくとも殺したと報知して士気を上げようとはしていない。英雄に対して何か拘りがあるのは確かだ――じゃあ、英雄の子供が、ゾレン国王に会いにいけばどうなるか」
 少年にも何も確信はない。ただその方法以外に、少年にできることが何も見つからない。
「ゾレンに行くと言うの、キラ?」
「親父を探す意味でも、それしかないだろ。英雄の子供と名乗るのは、ゾレン国王にだけだ。その場で殺されるかもしれなくても、その時は相打ちくらいには持ち込んでやる」

 もう! と、あからさまに黒い鳥が怒った。少年がそう言うのは解っていたらしい。
「そんなこと、まずどうやってゾレン国王に謁見するつもり!? この状況で新たに和平交渉なんて設定できるわけがないし、ライザ様という脅威がなくなったから、ディレステアは後回しにされているだけかもしれないのよ!」
 ディレステア北西に連なる山岳地帯、広大な秘境ザインへの侵攻。友好地域の人間の国には、ザインを助ける力などないと素通りをされて。そうしてディレステア周辺地が全て純血の化け物の手に落ちれば、ディレステアなど後からどうにでもできる。
 ザインはそう簡単に落ちない秘境であるのが命綱だ。ザインとエイラ、そしてゾレンが睨み合っていてこそ、ディレステアの独立は守られていたとも言える。

「でもな、シヴァちゃん。ゾレン国内だって、遠征中の今が一番手薄なはずだ。王城内に潜入するルートくらいはオレが案内できるし、英雄を捕らえてるはずのゾレン国王には、少年は一度会った方がいいのは現実だろ」
「でも――」
「ゾレンがもう、手遅れであるのかどうか。それはシヴァちゃんには、知っておかないといけない情報じゃないのか。この国をぎりぎりのところで守る、王家の使命のために」
 蛇の大使の言う通りだった。黒装束の中に隠されている、黒い鳥の(さや)かな金髪は、この大陸に生きる人間の中では珍しいもの。更には血のように赤い目色は、人間には滅多にみられない古代の系譜とされるものだ。
 王妃と王女、ディレステア王家の血だけは代えがきかない、人間の国を守るための最後の砦。大使にはそんな含みが感じられる。

「……大丈夫、シヴァ。国王に会っても会わなくても、俺はゾレンに行く気だった」
「それ……全然、大丈夫じゃないわ」
「シヴァだって我慢しただろ、強くなるために。ちょっと暴発は、したみたいだけど……」
 かぁっと、黒い鳥の顔で露出する部分が全て真っ赤になった。寝台に座る大使が、間に立つ少年の服を掴む。その件の話はヤメテ、と項垂れる緋色の頭で語る。
「親父が死ぬ時は、俺も多分暴発する。その場合はゾレンを巻き添えにしたい。親父もそれが本望だろうし」
「あのね、キラ。行方不明の妹はどうなるのよ、それ」
「そいつは多分……聖地で殺戮をしてるっぽいから……うん、そこをどうすればいいか、俺もシヴァに相談したかったんだ……」

 救護所に来てから忘れていた熱が、再び上がってきた。大使に引っ張られて寝台で隣に座り、頭痛まで出てきた頭を押えて俯くしかない。
「なんか、竜の宝とかいうのがあって、それを持ってる奴がオセロット・アークだって。俺やアラク以外に、そんな竜に関係する奴、この近辺にいる?」
 黒い鳥が椅子から身を乗り出して、少年の腕を支えるように細い手を添えた。蛇の大使が少し気にくわなさそうにしているが、黒い鳥の素直な心配を少年は遠慮なく受け取る。
「母上に尋ねてみるわ。ライザ様から昔のお話を聴いた時に、竜の宝のことは仰っていた覚えがあるの。もしも音に聞く聖地の天使が、キラの妹だったら……何としても、助ける方法を考えなければ」
 それは聖地に集う化け物連合軍に対して、ディレステアが敵対を宣言したのも同義だ。そんなことをあっさり言ってしまえる黒い鳥に、少年は気が抜けながら益々頭痛がした。

 それからの展開は急速に進められた。王妃の証言で、大きな宝の盾を持って、赤い鎧をまとう天使というのは、少年の実母、ミリア・ユークの関係者に違いないこと。宝の盾はミリア・ユークの、赤い鎧はミリアの姉の物だからだと言う。王妃が見てきた戦いの爪痕。
 少年はゾレンへ、蛇の大使は第三峠へ潜入が決まった。大使に黒い鳥が無理やりついていったのが後でわかること以外は、ゾレンと聖地の動静を調べる要所になる。

「んで……何で俺に、あんたがついてくるんだ」
「えー。あたしみたいな不穏分子を、王女ちゃんのそばに残していいの? デュラが毎日守ってるけど、あのうつけ者の隙くらいつけるわよ、あたし」
 ゾレンに潜入する少年には、案内役の抜け殻蛇と、神託の巫女が同伴することになった。通行証という魔道具がないと、不法侵入者として国境で捕らえられるゾレンで、元々少年が持っていた育ての母の通行証を強奪してまでの同行だ。少年の顔の事を言わない代償に。
 蛇の大使も神託の巫女も、動乱を起こしているエイラの純血で、どう扱っていいかを人間の国では最も悩まれている。爆弾の一つを少年が引き受けることに異論はなかったが、巫女がその待遇に何故納得しているのかが、少年にはよくわからない。

「お前本当相変わらずだなにょろ。デルピティア」
「そんな古い名前で呼ばないでよ。誰があたしをシヴュラにしたと思ってるの、アナタ」
 少年の肩にまきつく抜け殻蛇と神託の巫女は、顔を合わせた当初からいがみ合っていた。
 蛇の大使のはからいで難無く第四峠を通され、ゾレンにはすぐに入国できた。大きな力のない巫女が少年を邪魔する様子も見られず、黒いバンダナをつけると親友(キラ)に変わる少年を、英雄と同じ顔だと気付くゾレン人もいない。

 ゾレン王都には化け物の足だと、最短経路で一日で着く。抜け殻蛇が少年の旅の進捗を、他の抜け殻づてに王女達に知らせてくれるというので、拍子抜けする程王城につくまでは何の問題も起きなかった。唯一、夜毎に巫女と抜け殻蛇が、少年の傍に寝るのは自分だと、狭い路地裏で謎のいさかいを起こす以外は。
「キラの相方はオイラだにょろ、調子に乗るなにょろ!」
「あれえ、それなら忍ちゃんを彼に譲ってあげなさいよ。フリーな彼をあたしが保護して何が悪いっていうの」
 お前みたいな悪女が何を言うんだにょろー! と、抜け殻蛇の叫びか、中身の大使の言なのかわからない(たわむ)れ。ゾレン国王にこれから会うために気が張りつめている少年には、余所でやってくれ……としか言えない。抜け殻蛇は少年の肩に、巫女は隣に寄り添って眠る。

 これだけすぐ近くで眠ると、巫女が常に漂わせる沈水の香りと、僅かに見ている夢が壊れた五感に色濃く流れてきた。かつて英雄と敵対した巫女は、第一王女だけでなく現王妃も殺そうとして、それは今回第三峠で殺されたゾレン宰相との取引によった。
 宰相は純血の頂点たる「神」を貴ぶ教会派閥で、ゾレン国王を宰相に都合の良い傀儡にせんと長年暗躍してきた。ゾレン王都をエイラに近い東部に遷した協力も、ディレステアとゾレンが敵対を続ける裏工作も。

――それで、結局。ライザ・ドールドは、国賊ではないのかのう?

 英雄に対して定期的に行われた魔道審問。ゾレンからは近くはない預言の神殿の巫女も、いくつか招聘されていたらしい。答えるのは英雄を監視し続けていた祭祀者で、魔道祭祀の業を持ちながら国王の信を得たゾレン王属という、教会と真っ向に対立する間諜だった。
 巫女はいつかに、祭祀と話をする機会があったようで、いつまであんな雑種をかばうの? と巫女が尋ねた。神と国王、どちらの意向が大事であるつもりか、と。

――おやおや、私も雑種なんですけどね? だから貴方達は、雑種を憎むのでしょうね。神にのみ縛られず、それでも神を信じるなどと言う、無責任な馬の骨ですから。

 祭祀が巫女にそう言い返せるのは、この巫女も純血の中では異端だったからだ。信頼をおける女ではないが、そもそも純血の中では底辺層だった化け物を、預言の神殿の番人にさせたのが「神託の巫女」――その巫女自身の自嘲が祭祀の声に映る。
――貴方の『神』なら、ライザ君を(おとし)めるくらい簡単でしょう。むしろどうして、貴方はライザ君を野放しにしているんですか。

 英雄と相対した純血の巫女。宰相は巫女の協力を得るために魔道審問に呼んだはずで、純血の化け物にとっては英雄は邪魔者だった。ゾレン国王の信が厚かったことにしても。
 巫女は浮かべる。英雄という、飛竜の化け物を思う「神」を。
 飛竜という雑種は、自然の脅威である竜種の亜種だ。似た力の純血には龍神という存在があり、あくまで竜は雑種に過ぎない。飛竜は特に、竜種とも起源を異とするものが多い。
――龍神の役目を押し付けられた貴方に、私は同情しますけどね。デルファイはかつて、古き飛竜の罪を遺した災いの檻と聞きます。正統な守り手達はとっくにこの大陸を離れて、不滅の『神』であるのをいいことに、道楽に生きているそうじゃありませんか。

 その祭祀は歴史に造詣が深く、この大陸のことなら化け物達の勢力図と変遷まで研究を重ねていた。神託の巫女がディレステアに来て王女に会った時に、笑いながら言った話を少年は夢現(ゆめうつつ)に思い出した。かすかに甘い木の匂いと共に。
 真面目に純血として、神殿の仕事をしてるのはあたしくらいだよ。巫女がもしも、本来は純血の縛りがない化け物なら、その言葉の意味合いは大きく変わってくる。

 ずっと浅い眠りから目を開けると、間近に人間と変わらない地味な茶髪の寝顔があった。
 人間の国にいるのも退屈だから、興味本位で少年についてきたような巫女。自分だけは真面目に仕事をしていると言っていたのに、預言の神殿の番という役目を置いて。

 ずきん、と。先に目が覚めた少年の視界を、まだ残る巫女の夢が荒々しく再び占拠した。

――解放しなさい。アナタの中の赤い獣を。

 暗い夜道で、薄笑いの巫女が英雄を引き止めていた。
 ゾレンの北の国境を越えて、エイラの砂漠に入ったばかりの英雄――幼い子供を抱きしめて走る、必死なだけの化け物の男を。

――アナタにとっては、解放が全ての終わり。けれど解放こそ、本当は全ての始まり。

 ここだったのか、と少年は唐突に理解する。
 胸の奥が激しく熱くなった。英雄がその身の憎悪に我を委ねて、大事な仲間の制止も振り切っていった本当の発端。

 知らず、腰元のなまくらな剣を強く握った。
 この女のせいだ、と真っ赤な呪詛が(うめ)く。

 それは男が、内なる獣の呼び声に耳を貸した日。己が殺意を解き放ってしまった(あやま)ち。

――どうして……父さんは、いたいの?

 かつて破れた心臓を(つくろ)う鼓動。顔を暗くする息子に男は笑いかけるのに、その赤と遠くへいってしまう。
 そもそもここにいる化け物は、ディレステアの王女を過日に殺している。こうも平和な顔で眠ってよい相手ではなく、どう考えても黒い鳥には殺すべき敵。
(……でも……これは……)

 少年を現在満たした熱は、殺したい、そのいつもの呪詛の反歌だ。
 既にゾレンの地を踏んでいるのに、ヒト殺しなどをすれば王に会うどころではなくなる。絶え間なく胸を汚す呪怨を、この場では呑み込むしかない。

 少年の不穏な気配に気付いたのか、巫女もやがて静かに目を覚まして、すぐに神妙そうな顔つきになっていった。
「……君……それ、遅くない?」
「……」

 ぐしぐしと、起き上がって眠たげな目をこすりながら、子供っぽい座り姿で首を傾げる。
「あたしが君の敵だなんて、最初からなのに。王女ちゃん達に殺意がなかったからって、君自身にとってのあたしは、殺したい相手でしょう?」
 英雄の敵対者。実の父を休戦直前に罠にはめて、そのため父が双子の弟を失ったことを少年は知らない。それから赤い獣という滅びの芽を抱え込んで、英雄は己を抑え続ける生活を余儀なくされた。いつ暴走してもおかしくなかった赤の鼓動は、ディレステアとゾレンの再開戦時、第六峠で奇跡的に制御を取り戻さなければ、とっくに英雄を滅ぼしていたこと。

「あーあー。あたしも嫌な夢、見ちゃったなー。君から英雄くんの匂いがするせいだね?」
「…………」
「殺したければ、さっさと殺せばいいのに。まぁ君が困るだけだから、そうしないことは正解なんだけどさ」

 ぽんぽん、と一度だけ、巫女は黙り込む少年の頭を撫で叩いた。その後は背中を向けると、少年から取り上げた抜け殻蛇で、八つ当たりをするよう蝶々結びを作り始めた。
「お前いきなり、寝起きから何をするんだにょろ!」
「ふーん、アナタ達のせいでいつもあたしが悪役でしょー。せっかく今回はいいコにしてあげてるつもりなのに、悪女とかよく言ってくれるわよね、ねぇアナタ?」
 声色には何やら、巫女の本心の鬱憤が混じって聴こえた。少年は一際毒気を抜かれる。
 とりあえず巫女が口にした通りに、この相手は王女達には害意を持っていない。人間の国がどうなってもいいというのも嘘ではなく、自分が甘い汁を吸おうといった魂胆もない。
 それなら黒い鳥の敵とは言えない。たとえ少年には運命を狂わせた相手であっても。
(どうせ……このまま、一緒に来るなら……)

 巫女を殺せば何故少年が困るのか、そこには重い含意があったが、少年も自ら手を下す予定はなかった。ただ少年が今後どうなるかにより、巫女も巻き込まれる可能性はある。
 少年のその危険性を、巫女には教えていない。抜け殻蛇は知っているので、そうなった時には逃げられるだろう。英雄の憎悪を解放させてしまった者に、復讐はひとまずそれで良かった。もしも巫女が命を失う時は、紛れもないその憎悪に殺されるのだから。

 王城の構えを確認してから、少年達は王都で買い物をして、裏通りで昨晩を過ごした。並の通行証では中に入れない結界が城には施されており、使用人達の出入り口はあるが、もっといい侵入法がある、と巫女が正門近くまで少年を引き連れてきていた。
「面倒くさいことはしたくないから、先触(さきぶ)れは出しておいたのよ。今から君達はあたしの甲斐甲斐しい従者、いい?」
 先触れってどういうことだ。尋ねる隙もなく巫女は門番達に向かって堂々と話しかけて、お待ちしておりました、預言の神殿の巫女殿、とまさかの正門からの入城が待っていた。

「信じられない暴挙だにょろ。確かにエイラとゾレンが手を結めば有り得る話だにょろが、教会側の宰相が死んだゾレンで、王城に純血を通すなんてよほどのコネがいるにょろ」
「…………」
 巫女は事前にあえて全員の通行証を隠して、何も持たない純血一行として、結界侵入者のまま堂々とゾレン王城に入った。教会の関係者には原理派という、エイラに寄った勢力が絶えないにせよ、本来なら純血嫌いの雑種の国で、王城は純血嫌いの重鎮が占めるときくのに。
 城に入れるだけならまだしもわかる。ところがその日の内に、王への謁見までが叶うと言われた。伝える兵士の顔は嫌悪に満ちているのに、少年達が待たされている客室も、素朴なゾレンでは最上級の部屋といって良かった。

 硬くても凝った木彫りの長椅子で待っている間、抜け殻蛇が巫女に絡んでいた。
「お前、雑種嫌いを公言してたはずが、いつの間にそんなにゾレンとお近づきになってたにょろ。宰相と付き合いがあること程度は知ってたにょろが……」
「雑種嫌い、は表向きよ。ドミナもそうだけど、エイラってそう言わないといけない空気が漂ってるじゃない」
「あいつは空気を読んでるんじゃないにょろ。雑種も純血も嫌ってるけど、いちいち口に出さないだけにょろ」
「それでそばに置いてた化け物がシェムハザみたいな堕天使って、センスなさすぎない? 馬鹿だから付き合いやすいのはわかるけどさー」

 少年にはとても入り込めない、純血を名乗る謎の化け物達が行う訳知りの会話。決して懇意の雰囲気ではないにしても、かなり古い間柄であることが端々から伝わってくる。
「ほら、最短ルートでゾレン国王に会わせてあげるんだから。君も少しは感謝してよ?」
 こればかりは巫女の言い分が正しく、世話になってる、と一言で返した。最早、巫女とゾレン国王の罠である可能性の方が高い気が少年にはしてきたのだが、何があるにしても進むのは早い方がいい。暑い季節が近付いていることもあり、少年はぼけっと思った。

 蛇の大使と取引をしたことで、少年の体調は爆弾を抱え込んだにせよ、それから今までになく安定している。当初の発熱に慣れた後には、その熱は歩みを支える力になっている。
 これまで少年は自然の水源以外、日頃の力を補ってくれるものがなかった。竜人という自然の具現である体は飲食からはほとんど力を得られず、食べることで肉体を成長させる糧にはなるが、戦う際にはほとんど食事が寄与しないのだ。飛竜という獣の血もひくため、よく食べて体を強めれば頑丈にはなるだろうが、少年がほしいのは敵を殺せる力で。

「お待たせしました。謁見の間へどうぞ、客人方」
 最低限の礼と共に、少年達を迎えに来た将軍らしき化け物にも少年は敵わない。壊れた五感で隙を探せば、殺すことは辛うじてできる。
 けれどこの一人を首尾よく始末ができたところで、城にはまだまだ数多の強者が控えている。そもそもこの雑種の国で最も強いとされるのは王であり、たった一人で良いから殺すことを成功させるのであれば、国王暗殺以外に少年という曖昧な手札は使いようがない。

 強固な結界の魔術印が、全ての木の柱と床を飾る謁見の間に入った。武器を全て取り上げられ、抜け殻蛇すら「不審物」として通されなかった。親友の黒いバンダナが見逃されたのは、呪術やその補助具をよく知らない化け物達という僥倖だった。
「通行証、置いて来て正解でしょ。不法所持は全て死刑だもんね」
「知ってるけど……でなきゃ、止めるし」
 通行証に刻まれた少年の名前は、一度でも照合されれば英雄の子供とわかってしまう。ゾレン人としてZが刻まれた少年の手も、巫女の化粧道具でごまかす念の入り様。英雄の息子である証明は、少年の素顔をみせれば十分示せる。ゾレン国王に会うまで、障害となりえる要素は全て排した。そうした道中が、空虚な謁見の間で報われることとなる。

 床より数段上にある玉座に、壁を背にして凛と座る国王。傍らに黒一色の女臣が立っており、兵士も将軍も左右の壁によけさせて巫女と少年を出迎えていた。
「貴様が預言の神殿の巫女か。あいにく我が国では神託を求めた覚えはないが、さぞかし吉報を持ってきたのであろうな」
 抑揚のない低い声で、物憂げに肘をつきながら客人を見ている。少年は見覚え一つない修行僧のような険しい顔付きの貴賓が、蛇の大使が何度も茶化していたゾレン国王。
「ふふふ。この度は宰相殿の訃報、傷み入りますわ、ゾレン国王。我らとゾレンをつなぐ最大の架け橋を、こうもたやすく切り捨てられるとは、我が神はとても嘆いておられます」

 巫女が初手から喧嘩を売りにいった。並み居るゾレンの怪物に囲まれた謁見の間では、正気の沙汰とも思われない余裕。「預言の神殿」は純血の間では格の高さがあったとしても、雑種の国で影響力があるとは思い難いのに。
「神託を伝えましょう。貴男には天罰が与えられます、ゾレン国王陛下」
 ごく傍にあった時の束の間の夢以外で、ほとんど内心を見せなかった巫女が笑った。こんなに楽しいのは英雄と対峙した時以来だと――「神託」に連れ添う瘴気と共に。

 ◇⑤◇ ゾレン王城

 北の壁際の中央に、ゾレン国王の玉座。東西の壁には将軍が四人、兵士が十六人。思っていたより少ない数だが、おそらく魔道や普通の力は封じられる。
 ゾレンの王城に明日行く、という報告を昨夜に抜け殻蛇から送った時に、心配する王女の娘が少年に言った。
――ねえ、キラ。何が何でも生き残るにょろ。
 中継する抜け殻蛇の余計な語尾で台無しだったが、王女の娘は隠していた本音を語った。
――ゾレンに協力する、と嘘をついてもいいからにょろ。たとえそれで、帰ってこられなくなっても、ゾレンで生き抜いていくことを約束してにょろ。
 忍の乙女は、秘密裏に蛇の大使と行ったと聞き、王女の娘としか話せなかった。娘は英雄も少年も、助かる道があるとすれば、ゾレン国王に従うこと。その現実を直視していた。

 少年は、嫌だ、と返した。ゾレンの化け物として今後王女達と戦う可能性があるくらいなら、ゾレン国王を巻き添えに消えた方がマシだ、と。そのために国王に従うふりなら、暗殺できるまで装う可能性はある。
 そんな少年に王女の娘は抜け殻蛇の向こうで苦笑いつつ、人間の国の現実も隠さずに伝えた。その姿が目に見えるように謁見の間で浮かぶ。
――きっと、今この流れのままなら、エイラに恭順を示すことになる。それならゾレンと、最早無理に戦う必要はないの。ディレステアが降伏したら、良かったら監視に来て。そのためにはゾレン国王に信頼されるくらい、しっかりとお芝居をしてきてちょうだい?

 連日議会に参加している王女の娘は、譲歩を見せない王妃とは違う役を持たされていた。王妃も人間の国の限界を見ている。抗うのは自分達の世代までで、大量の化け物が自国に踏み込む日が近いのであれば、その中でどう生きるかを王女達には既に考えさせている。
 だから王女達は、少年をゾレンに送り出した。少年も胸の奥ではその覚悟を解っている。
 それでも青冷めた呪怨は、この王城にいる化け物の殲滅を望む。殺せばいい、殺したい、そう化け物総勢を観ている少年に、王女の娘の残像がよぎって消えた。
――ところでキラ……この前の旅の間、第五峠に行った、と言っていたけれど……――

 そう言えば、別れを言えなかった。英雄のことも諦めずに、再会を信じている王女達に、少年は蛇の大使との取引を最後まで言わなかった。王女達と大使の取引は偽装婚約だが、少年とあの蛇は次元の違う話をしたのだ。少年が第五峠から帰ってすぐに。
 その時の記憶があやふやになっていた。結果だけは全身で味わっているので、どうした取引をしたのかは憶えている。
 目論見が外れたら死ぬ、と大使に言われた。そこで少年は何を差し出したか、それが思い出せない。大使を守ることは王女達と大使の取引であり、全身を侵す絶え間ない熱と引き換えに、少年は何を失うことになるのか。

――……オマエが消えたら、シヴァちゃんが泣くぞ。

 それはそうだな、と。ほんの一瞬、あの時、黒い鳥の温かさを思い出せた。
 親友を犠牲に生を繋いでいる少年に、元より生き続けたい思いはない。それでも言えれば良かった。
 消えるかもしれない。ごめん。大使が連れて行った黒い鳥に、もう謝れる術はなく。

 少数でも精鋭の残るゾレン王城の謁見の間。ゾレンの国王による罠はそこにはなかった。
 国王は本当に「預言の神殿」から神託を伝える先触れを受けて、面倒ながらも耳を傾けるよう傍らの女臣に諭されたらしい。不承不承、巫女を出迎えた気重さがあった。少年の五感が嗅ぎ取ったものは、黒い外套で顔まで隠す女臣がそれだけ、ゾレン国王の信を得ているこの場の力関係。
 対して巫女は、ゾレンはディレステアより余程危ない敵地であるのに、少年もろとも自爆せんとしているとしか思えない考えの無さ。
「ふー、すっきり。あ、天罰をするのはあたしじゃないし、そんなに睨まれても困るな?」

 国王の沈黙は、何のつもりだ、と巫女を疎む目色を隠しもしない。
 少年が何か、ゾレン国王と対峙するのに考えがあったわけではない。これだけ化け物の重鎮に囲まれていると、今すぐ英雄の子供だと名乗るのは不可能に近い。謁見の間よりも違う機会で国王と話す方法を考えなければ、と思った矢先の巫女の突撃だった。
 微小に過ぎる巫女の放言には化け物達も呆れしか示さず、笑うほどの面白さもないのが場を寒々とさせる。
「発言、よろしいですか、国王陛下」
 黒一色の女臣が細い手を挙げた。白い礼装の幼げな巫女と、黒ずくめのうら若い女臣。こんな雰囲気で話をする気になれるのは、その二人くらいだったのだろう。
「神託の巫女様。天罰など自然に下ればよろしいものを、どうして巫女様は、この国までその神託を届けに来られましたか?」

 丁寧口調ではあるが、柔らかい声質が黒い頭巾の間からこぼれる。巫女を子供のように優しく扱う女臣に、気を良くも悪くもせず巫女は応える。
「だって、言ってあげないとアナタ達、誰も国王様を恐れて進言しないんでしょ? 何で雑種ごときが、分を(わきま)えず純血と肩を並べられると思ってるの? 宰相が死ねばさすがに目が覚めるかと思ったのに、まだ聖地に大軍を送り続けてるって、バカじゃないの」
 さすがに兵士や将軍からざわめきが上がった。ゾレンの重鎮から出た言葉ならともかく、よりによって純血の化け物が忠告に来るとは、どの雑種なら思っただろう。

「おやまあ。巫女様はつまり、純血の神々を代表されての提言でしょうか?」
「してたら言うわけないじゃない、わざわざ。預言の神殿はエイラからも独立している。アナタ達がレジオニスと潰し合ってくれるなら丁度いいけど、あたしの神様は慈悲深いし、この大陸を長い動乱に陥れた悪魔の飛竜の血を捧げるなら、聖地を封じてあげる。それ以外ゾレンが天罰を避ける術はないと、教えに来てあげたのよ」
 何から何まで、少年にも初耳の話。「飛竜」はおそらく、英雄なのだろう。聖地を封じると何が良いのかさっぱりわからず、黒一色の女臣が納得したように頷く理由もまるで感じ取れない。
 話の長い女達が、何を話しているのかが理解できない。ゾレン国王も同様の感慨を持ったようで、表情は一つも動かさないまま、ようやく重い口を開いていた。

「どうやら、純血の古き言語を私には理解できないようだ。従者がいるなら通訳をせよ」
 明らかに少年の方を見て言った。巫女が話している言葉は、エイラの一帯とディレステアで通じる古語なのは聴いており、純血の化け物は声に念を込めることで相手に意志を送る言霊の対話が可能、と蛇の大使にきいた。相手の言葉も念を受け取って理解できる。
 それで言えば、同じ雑種の少年に判る巫女の意志が、ゾレン国王にも届いているはずなのだ。つまるところ、「事を荒立てたくなければ不遜な巫女を黙らせろ」ということ。
 少年が控えていた斜め後ろから巫女をじっと見ると、僅かに振り返って笑ってきたので、後はお好きに、という無茶な引き継ぎだと受け取る。一歩前に進むしかなかった。
「……俺にも意味がわからないから、通訳はできない。敵対の意図はないとしか言えない」

 直球にゾレン語で言った。国王が(いか)めしい顔の眉をひそめる。少年の手のZは塗り物で隠して、通行証も手元にはないため少年がゾレン人とは思われていないが、混血者として曖昧な雑種の気配自体は隠しようがない。
「俺みたいな弱小の雑種を連れて、ほとんど単独で敵地の王の前に来る女だ。アンタ達に害を成せる力もないから、目障りなら叩き出すしかないんじゃないか」
 先程から周囲の兵士や将軍にひそひそ話が絶えず、少年も巫女も敵意に包まれているが、この場で殺され得るのは少年だけだとわかっていた。この巫女の特性など少年はとっくに、壊れた五感で把握し終えている。脆弱ではあるが、簡単に殺せる化け物ではなかった。

「ほう。それは、これだけ不敬を働きながら、命乞いをしているとも取れるが」
「俺に関してはそうなるな。こいつのとばっちりで殺されそうな気配だから、俺は全然、天罰とやらに関与してないのは先に言っておく」
 淡々と話す少年に、国王の表情の険しさが少しだけ抜けた。こうして率直に物を言う化け物が、嫌いではないようだった。少年の不器用な父を信頼していただけのことはある。
 巫女は巫女で、それのどこが甲斐甲斐しい従者よ、と不機嫌の顔を演出する。
「それでは貴様には別の目的があるのか。内容によっては生かしてやらんこともない」
「……」

 さて、どうしたものか。国王は口調とは裏腹に、殺気を隠していない。ここで言葉通りに甘い顔を見せようものなら、周囲の部下達に舐められるからだ。こんな状況でバカ正直に英雄の事を尋ねられるわけもなく、更には国王以上に周囲が穏やかでなかった。
 まずいな、と巫女の背中を睨む。謁見の間が広く、天井が高いからまだ影響に気づかれていないが、本来その女は同じ場に在り、「神託を告げる」だけでヒトを高揚させる性質を持つ。
「……こいつの近くでは話したくない。俺は連れてきてもらっただけで、無関係だから」
 できれば巫女を、ここから排除しないといけない。巫女の影響を受けるのは少年も例外ではなく、これまでは巫女が「いいコにしている」から抑えられていたのだ。

 あからさまに巫女に反する少年に対して、巫女はある意味最大に空気を読んで言った。
「ひどーい、これだから雑種は、道理の通らない恩知らずで駄目ね。あたしを見捨てて、自分だけ助かろうって言うの?」
 少年が巫女の味方でないことなど、巫女自身が「敵」だと言ったのだから、当たり前だ。それなのにゾレン国王達の前で、巫女は少年も「雑種」とこき下ろすことで、敵意を自分に向けさせている。
 少年はゾレン側の存在だと見せかけていること。ゾレン国王へ喧嘩を売った意図が今更わかって、何でそんなことを、と喉の奥がじわりと熱くなった。ここまで少年を連れてきたことにしても、巫女は実際に少年に大きな手助けをしている。

 見る者が見れば茶番だろう自作劇だが、国王の傍らの女臣がふう、と微笑みながら息をついて、あまりに性急な決断を国王の代わりに下していた。
「最早、問答の必要はありませんね。皆様、そこの愚かな客人を、人目に触れないように片付けて下さい」
 一瞬、顔の見えない黒一色の女臣に、大きな黒い翼が観えた。命じた言葉の容赦なさもあいまって、少年はハッと息を呑んだ。
 既に殺意を煽られていた周囲の化け物達が、すぐさま少年と巫女を取り囲んだ。けれど女臣の視線が向けられたのは巫女だけだった。
「本日、ここには、預言の神殿の巫女など来ませんでした。それで良いですね、皆様」
「従者には手を出すな。無関係というなら抵抗しないはずであろう」
 国王が駄目押しの裁定を下した。兵士達は巫女が逃げられないよう円陣を組み、二人の将軍が少年を乱暴に腕を掴んで陣の外に出して、残った二人の将軍が巫女の前後に立った。

「――」
 武器もなく少年は何もできるわけがない。ここで庇えば少年の先の言葉も偽りとされ、まとめて潰されるだけ。それを試すために、巫女に向かって派手に剣を振り上げるのだ。
 身動きせずに無表情になった巫女に、屈強な将軍二人が間近から大剣を振るった。白い礼装と銀の外套が揺らめき、首を落とされ、肢体を寸断される末路が一瞬で訪れた。
「……――」
 動揺を、見せてはいけない。殺したければ、殺せばいい、と巫女は言った。それをすれば、困るのは少年の方であるとも。
 それであっても、これからどうなるかを予感していながら、少年はバンダナの下の両目を思わず見開いてしまった。

「……口ほどにもない。つまらぬ時間であったな」
 国王の声には何の感情もなかった。怒り一つも浮かべず、ばらばらと散らばった巫女の体に灰色の目を玉座から向けている。
 玉座は過中から少し離れている。これでは駄目だ、と少年は手を握りしめた。化け物達は(むくろ)を隠すために更に千切りを始めたのだが、それこそが巫女の思うつぼだと気付いていたのは少年だけに観えた。
 ――いや、と。血まみれで泥のようになった巫女の骸に、女臣が黒い頭巾を脱いでまで双眸を向けた。その金の眼光に気付いた瞬間、少年はわからなくなってしまった。

 女臣はとても若い女だった。成人しているかどうかも怪しく、そして、とても軟らかな微笑みをたたえる黒い髪の女。その金の眼は巫女の骸が放つ罠に気が付いていた。
 ぐちゃぐちゃと、いつの間にか、将軍も兵士も巫女を切り刻んでいた。そこには最早、手に取れる肉片を僅かも残さんとするかのような狂気があった。

 少年を円陣の後ろに一人放置し、私刑に興じる化け物達の足下に、巫女だった者の染みが広がっていく。
 意外にも少年よりもゾレン国王の方が、部下達のそうした凶行に内心で失望していた。ヒトを殺すなかれ、という天戒には縛られずに、法治国であれど国王が許すなら強さを誇示するのがゾレンの雑種。
 そのため巫女の骸から湧き上がった瘴気に、最後まで化け物達は気付かなかった。
「――――」
 黒ずむ泥状になった巫女の骸が、己を踏む全ての化け物を跳び上がって包んだ。
「なっ……! 国王陛下、これは――!」

 我を忘れたように巫女を刻んでいた二十人が、底なし沼に落ちたように泥に絡められた。口を塞がれて呼吸も力の巡りもあえなく閉ざされる。少年は泥からは幾分離れていたが、すぐ近くにいたので泥を動かす瘴気から逃げ切れなかった。
 黒泥に囚われた化け物達が、咀嚼される苦痛も間近で感じてしまう。少年自身の抱える破綻もそこで動き始めた。
(これ――まずい)

 謁見の間の騒ぎを探知して、扉が開いて廊下に控える兵士達まで押し入ってきた。泥に喰われている仲間に慌てて、瘴気に触れてしまった者達が冷静さを失う。
 国王と女臣だけが静かだった。これは女臣が仕組んだこと、と、膝を落とした少年にも改めてわかった。
 ヒトの形を失えば泥の瘴気と化する巫女を、女臣は知っていた。だからあえて、兵士達の好きなようにさせた。魔道や普通の力は放てない結界に守られる謁見の間が、巫女が吐息から溢す瘴気によって、ヒトを空乱(そらみだ)れにさせる密室と化したことも計算に入れて。
(なんで――今更……――)

 ずっと観察していたのに、少年にも女臣の企みが掴めていなかった。黒い頭巾を脱いだ女臣にようやく、そこにいる女にはそもそも感覚がほとんどなかったことに気が付く。
 女臣はこの場の光景と音を捉えてはいたが、在るのは姿だけで心がないのだ。女臣自体が何を考え、感じているかは存在していなかった。
 つい今女臣の企みに気が付いたのは、人喰い泥と化した巫女の意識が戻ったからだ。巫女も今まで、少年に対して内心を隠せる魔術を使っていたようで、泥になったことで剥き出しになった術が結界に封じられた。女臣とよく知った間柄であること、先触れを出したのは女臣にだったことを思う視界が、今頃わかった。

(こいつらが、グルなら)
 ゾレン国王が信頼している女臣。野蛮な殺戮者と化した部下達を見捨てて、巫女だった泥に喰わせている。
 これで王城に残った化け物の戦力は半減すると観えて、聖地に大軍を出している以上、あまりに王都が手薄となる。ここにエイラから純血の化け物達が襲い来れば、ひとたまりもないのではないか。国王はその危険を理解して呑み込んでいる。

 けれど少年は全く、それどころではなかった。
(よりによって――こんな時に……)

 かつて、ディレステアの王女達を国に送る道で、少年を「束縛」した温かさがあった。
――気休め程度のつもりだったが……意外に、効果ありそうだな?

 王女達をつつがなく送り届けるには、少年一人ではあまりに力不足だった。自然の水竜の血をひく混血者でも、飛竜の炎の血をも継ぐ少年は、どちらの力も中途半端なのだと。
 そんな少年が倒れた時に、蛇の大使は「束縛」の「言葉」である抜け殻を持たせたことがあった。その抜け殻から発生する熱で少年は体力を持ち直して、代わりに少年の大きな武器である命を放つ力を制限された。
 自然の化け物でも自然の「力」を放てない少年には、自然界から補給可能な命そのものを「力」とする光しか、剣以外での戦う術がなかった。それも故障した五感を持つ少年が初めてヒトを殺した時に、死にゆく者が命を零す感覚を知ったから放てるようになった特殊な光で、使う程に命が削られる諸刃の「力」だった。

――何でこんなに……温かいのかな……。
 命を零すことを止める「束縛」のお守りが、「生」の熱をもたらした僅かな時間を少年は忘れなかった。ディレステアに来た大使に、再びあのお守りを渡せ、と取引の時に頼んだ。
 大使が司る様々な抜け殻は、かつて大蛇に呑まれた大使が、「表に出るもの」を知り合いに抜け殻と換えてもらったことで、蛇を分離した時の副産物だという。
 純血の中でも「神」という最上の化け物だった大使は、蛇に呑まれても滅びはせずに、数多の抜け殻を持った「ヒト」となった。その後「神」部分は頭――「先導」の抜け殻に譲った。
 「神」たる稀な金の眼光を持つ蛇の大使に、英雄は生来の特殊な眼で気が付いたという。だから大使と取引をしたのだ。ディレステアの和平交渉の失敗後に代償として差し出され、ゾレンに捕らえられる英雄に対して、蛇の大使は「解放」の言霊を持つ抜け殻を渡した。
 その抜け殻は「束縛」の抜け殻とセットで、「解放」は捕らわれる英雄の拘束をいつか解くために渡されていた。その対価として大使が英雄から受け取ったものが、「束縛」内に封じられた。それこそが少年に「生」の熱を与えたお守り、英雄が手放した狂える赤い獣。

――さてと……裁きの時が来たみたいだな、少年?
 少年の心臓を掴む赤い鼓動が、いっそう大きく、手強(てづよ)く波打ち始めた。
 身に着けるだけで少年に熱を与えた赤い獣を、少年の「力」としたいのだと、人間の国で大使に尋ねた。大使は本来、赤い獣をゾレン王都に放てと言われていたが、上司の思惑に逆らい少年と取引したのだ。
 「束縛」ごと赤い獣を身に取り込めば、炎の血を継ぐ少年には使役できるかもしれない。しかし英雄を脅かし続けた赤い獣は、少年を焼き尽くす可能性の方が高い。
 少年が「束縛」と同化してしまうか、英雄が「解放」を使ってセットの「束縛」も役目を終える時には、赤い獣は少年の内で目覚めると大使は言った。それがいつになるかは予測ができず、まず取り込むだけで少年に高熱を出させた赤い獣は、動き出したら確実に少年の身を喰らう、と。
「タイミング……良すぎ、だろ……――」

 巫女の瘴気に誘発されたのだろうか。これで滅びるのなら、所詮少年はここまでの命。
 総身の血脈が煮えたぎっていた。この王城に踏み入った時から、生きのびる覚悟はしていなかった。
 そのまま厳と訪れた終わりの時間。それを咄嗟に惜しく思った自分自身に、少年は笑った。

 ◇⑥◇ 国王私室

 ディレステアで身元を含めて保護されるまでに。親友が残した(ほむら)に包まれる少年は、英雄を憎んでいた。憎悪を糧としていた赤い焔は、空ろな胸の青冷めた呪怨とは対極とも言えた。
 殺したい、と少年を()く真っ赤な呪詛を、燃やし続けたのが赤い焔。少年を変貌させる親友の呪いは、額に刻まれた印に始まり、その後は黒いバンダナに遷っているのに、今や赤い焔はバンダナをつけていない時にも少年に在った。それなら親友が与えてくれたはずの焔は、その最後の願いの赤い呪いと同義ではなかった。

 憎悪を綴る呪いであるのに、殺すな、と止め続けたのが赤い呪いだ。少年にこびりつく青冷めた呪怨が、呪詛へと葬る最初の(のぞ)み。俺は殺したいのに、と嘆く呪怨。
 ある鼓動を因とする真っ赤な呪詛は、赤い呪いの延焼を受けて、少年自身の赤い焔となった。
 初めてヒトを殺した日から、少年を取り囲んできた呪詛。本当はもっと前から呪詛は(くすぶ)り、赤い呪いを消失させようとしてきたこと。その後に真っ赤な呪詛は青冷めた呪怨を侵して、故障した五感を壊してきたこと。そうした雪解けの気配に少年はずっと目を塞いできた。

 赤い焔が映す少年の姿は、偽りの名を持つ間違った自分。
 だから少年は、黒い鳥に感じていた。消えるかもしれない――ごめん、と。
「――ああ……やっぱり……消えるな、これ……」
 先のない道の、果てに行きたかった。遠くて赤い空の下で、届かない誰かの影が揺れる。
 そこには温かな全てがあった。黒い鳥の翼を受けるために、自ら背を向けることになる空。
 それでもとこしえに荒野に立つ黒い鳥が、キレイに観えていたから――

――つまんないわ、人間の国。君もどうして、変装なんかしてまで肩入れするの?
 答を出さないことこそが、答だった。もう少年は、誰の名を名乗っても良い。
 無力で空ろな少年がここに在るより、赤い焔に力を与える。それが少年の境を融かして、本当の自分が消える末路であっても。
 「束縛」の言霊が闇に還って、身の内から全身を焼く赤い獣を、黒い鳥のために使うにはそれしかなかった。黒い鳥はきっと、悲しむけれど。

 外から駆け付けた兵士達に混じって、自ら動ける「不審物」も少年の所に辿り着いた。
「キラ! しっかりするにょろ!」
 黒い鳥の肩から追い出されて、当たり前のように少年の首回りを埋めるようになった蛇。乾いた軽い感触は悪くなかった。離れていても届けてくれた鮮やかな声も。
――ねえ、キラ。何が何でも生き残って。
 人間の国に敵対する可能性があっても、少年はゾレンに行っていい、と言った。それは国を守るべき王女としては誤った答であるのに、人間の娘は自国が追い詰められた状況の中で、「王女」より自身の心を伝えてくれた。
 黒い鳥も同じだった。自分の国に戻れた彼女達は、甘い心を取り戻してしまった。
――聖地の天使がキラの妹だったら、助ける方法を考えなければ。

 すぐに反乱分子の第四峠に駆け付ければ、王女達にはそんな余裕はなかっただろう。蛇の大使ですらそうだったのだ。
 少年達がのんびりディレステア国内にいたから、取引などをする隙が生まれてしまった。抜け殻蛇もこんな風に、修羅場に姿を見せることはなかった。
「いちかばちかだろうが、使うにょろ! 消えるなにょろ、キラ!」

 暴れる胸を掴んで無様に膝をつく少年の前で、抜け殻蛇が大口を開けた。その空洞には育ての父からもらった宝の剣が、闇の中で黒い柄をこちらに向けて鎮座していた。
 謁見の間に入る前に、武器を含めて荷物は取り上げられた。元々ゾレン国内に入った時に、怪しまれないように宝剣は抜け殻蛇に隠してもらっており、先刻取られたなまくらの剣は昨日に王都で買ったありあわせだ。
 通行証も巫女が正門から城に入る、と言い出した時点で空洞の中に隠した。すかすかの抜け殻内には短い間なら何でも状態を変えずに保存できるそうで、長くなると蛇の中身になるから気をつけろ、と言っていた。

 その黒い柄の剣は、治水を司る育ての父の実家で、対の盾と共に温存されていた古代の宝だった。赤い鎧と同じで竜の宝を活用できる機能があり、特に川という自然に関係する竜とは相性が良い。少年の母は人間の女と、水の流れである竜の血をひく混血だった。
「……あり、がとう」
 最早少年の体は限界だった。内臓から皮膚まで炎に変えて、赤い獣が少年という殻を突き破ろうとしている。それでは単に、英雄の赤い獣が解放されるだけだ。
 「解放」と「束縛」。そんな一対の言葉を自身の抜け殻とした大使は、「神」という「力」に長年縛られて生きてきた業火の化生。ヒトに戻った時に代償として「力」を手放したが、どれだけ荒ぶる火でも操る龍神の鱗は失っていない。
「アンタ、になら……預けられる」

 いつもお茶らけた雰囲気でいても、大使は真剣に少年や黒い鳥のことを案じていた。若い身で過酷な運命を背負った少年達に、かつて「神」をするしか生き筋を与えられず、今もエイラに利用される自身の境遇を重ねて、少年達のことは幸せにしたいと望んでいた。
 こんなぬるま湯に腰までつかれば、少年の冷え切った体にも温もりが伝う。抜け殻蛇の暗闇の中、自らの剣を右手で掴み取ると、その冷たさが手掌から心臓に突き抜けていった。
「やっぱり……俺は、いかなきゃ」

 黒闇を宿す赤い焔が、少年の痩躯から噴き上がった。黒い柄の剣までを包んでいく。
 叶わない夢を、束の間に見ていた。親友を失ってでも、黒い鳥の剣となって、この身が辿り着く世界の果てにあった何か。
「……キラ……!」

 重要な常なる語尾を忘れて、抜け殻蛇が蒼白に叫んだ前で。
 少年は最後に微笑みを浮かべた。
 そのまま立って、剣を鞘から抜くと、片手だけで逆手に構えて高くかざして――破裂する間際の自身の心腑をめがけて、一思いに貫いたのだった。

 何だ……と。部下達を助けず傍観していたゾレン国王が、初めて驚愕を見せた。隣で黒一色の女臣は笑みを絶やさず、立ち上がった国王に何も言わずに佇んでいる。
 黒い柄の剣が少年自身を(ほふ)った瞬間、親友のバンダナが外れて落ちた。抜け殻蛇が咄嗟にくわえて、他の荷物と同じように呑み込んで保護する。
 痛みを感じる余分などなく、ただその意識は確実に途絶えた。巻き添えとなった黒闇が青い命と一緒に零れて、剣を握った指の先まで虚無が満ちる。

 しかし、少年を取り込もうとする「死」に、知り得ないはずの夢が混じった。
 鼓動の覚醒。少年に長い赤熱の憎悪が流れ始める。

 ずるり、と剣を自力で抜いた。(ほとばし)る出血は防げなかったが、元が炎の血なのですぐ焼灼して傷口を塞ぐ。
 宝の剣はその刀身に、少年を縁取る黒闇も回収を始める。青冷めた呪怨が完全に沈黙すると、赤い焔が少年の目を開かせた。
 真っ赤な呪詛は、黒闇の支配から解放される。
 束の間の時、「束縛」されていた赤の鼓動を呪詛が受け取り、そうして赤い焔の獣が場に君臨していた。

「……まさか――」
 蒼白な顔で言葉を失う国王を横目に、少年は血を吐き捨ててから顔を上げた。そもそも赤の鼓動は英雄の心臓代わりだったと大使に聞いたが、思ったよりも回復が早い。
「……待ってろ。アンタの望みは、オレが叶えてやる」

 少年の傍らに鎮座する焔の飛竜。しかしこの力を封じる結界の場で、無駄な命を使う気はなかった。
 まるで右手に吸い込ませるように、薄れる焔の飛竜を掴んで消失させた。黒い柄の剣を握り直し、炎の血から発する熱を込める。足にはまだ力が入り切らないが、構わず眼前の地獄絵図に踏み出していた。ゾレンの化け物を女臣と共に陥れて、嚥下せんとしている瘴気の泥へ。

 息を呑むゾレン国王の前で、少年は大振りに黒泥に剣を叩きつけた。結界の空気に触れずに青銀の刃から命を伝って、二色の炎が黒い泥から舞い上がった。青白い核を持っている激しい赤い焔。
 燃え上がる泥に消化される寸前だった兵士や将軍が、拘束を解かれて黒い地獄から出た。酷い火傷は負ったはずだが、外から助けに来た兵士達に確保されていく。
「それくらいじゃアンタ達は死なないだろ。早く手当てをしてやれよ」

 少年は以前から必ず、出会った化け物の殺し方は初対面で探る。神託の巫女は泥の化生で、斬っても叩いても無力化できない相手になるが、炎であれば焼き捨てられると勝ち筋を掴んでいた。英雄を破滅させようとしたのも、強い火の化け物を一人でも減らそうとしたなら納得がいく。
 兵士達の気が手負いの仲間に逸れた半瞬、間髪を入れずに少年は跳んだ。国王の立つ玉座に向かって、標的は横にいる元凶の女臣で、一息で青銀の刃で斬りつけていた。
 赤い焔の獣を恐れて、少年を牽制する人数は残っているが、国王の命で大半の兵士は仲間を優先して運んでいった。そのため少年を止め立てできる者がなかった。女臣は綺麗に微笑んだまま、白い光の筋に斬られて消えていったのだった。

「……」
 国王が呆然と少年を見ていた。目前で重臣を斬られたにしては、怒りは見えない。
「この程度じゃあいつ、滅びはしない。でもアンタとサシで話をしたいから、邪魔だから」
 唖然とした顔を晒し続ける、ゾレンの雑種の中では最強の国王。ほとんど放心している理由は、少年の素顔を間近で確認できたからだろう。英雄とそっくりと王女達に言われる、銀色の短い髪と母譲りの青い目。少年の内にしまった赤い焔の獣。

 自分がどんな表情を浮かべているか、少年自身にはわからなかった。
 国王の目に映っていたのは、先程までの空ろな従者とは違う、不遜な騎士の姿だった。少年が抜け殻蛇から受け取った黒い柄の剣で、貫いた心臓が零す青い光が黒闇と燃え上がって、赤い焔の獣となるまでの全てを。

 国王の敵意が消えた。ふう、と少年も剣を肩に乗せる。予定が大いに狂ってしまったが、壊れた五感はヒトの心の雲行きまでも、感覚の情報に加えて詳しく送ってくるのだ。
「……お前がまさか、ここに現れるとはな。……ユオン・ドールド」
 英雄の息子である少年の、真の名前を知った国王。ゾレン軍人の阿鼻叫喚を救った雑種の名前に、兵士達からもざわめきが起こった。謁見の間を漂う瘴気までもが笑っている。
「――いいけど。魔道士くらい、配置してろよ。結界内じゃ役立たずだし、聖戦で人手不足なんだろうけど、武器が通じない襲撃者はごまんといるだろ」

 この謁見の間にいたのは、屈強な戦士系の化け物ばかりだった。おそらく女臣の采配であり、結界の核で力封じの対象でないはずの国王には、部下達を巻き込む「力」しか使えないのだ。少年の炎は国王の「力」ほど即死を招かず、結界の中でも命に直に接したら光で送れるので、代わりに泥を撃退しただけ。
「忠告、感謝しよう。我が国の痛手への助力も」
 剣を肩に置いてふんぞり返っている少年に、ゾレン国王が何と片膝をついた。その姿は場にいる全ての化け物達に示していた。この少年を、ゾレンの賓客として迎えることを。
 それは惨劇を放置した件も含めて、ゾレン国王への不信を煽るばかりだろう。国王には近い内に王位を退(しりぞ)くつもりがあることを、この一時だけで少年は感じ取った。

「オレの連れの不始末だから、やっただけだし。アンタも王なら、頭なんて下げるなよ」
 ゾレンの化け物達も、英雄には確かに憎悪があるが、今この場で仲間を助けた少年には敵意を抑えている。
 巫女に挑発されたとはいえ、先に手を出したのはゾレン側だ。少年が咎められる筋はないことの開き直りを、全体としても辛うじて飲み込まれつつあった。
「……父親に似て、王族にも年長者にも敬意を払っていないな」
 国王が全員に退出を命じた。黒い泥の灰で汚れた謁見の間でなく、小さな私室で改めて話をする、と言ってきた。国王と話したいという少年の要求を通した結果だろう。

 抜け殻蛇に再び剣を呑ませて、奪われないように隠してから、少年は丸腰で国王との話に臨んだ。そうしなければ国王側に必ず護衛がつけられるからだ。
 人間の国よりずっと粗末な家財の部屋で、向かい合う木製の固い長椅子に国王がかけた。抜け殻蛇を横に背もたれに右肘を置いて、だらけて流し目で座っていた少年を見て、国王は眉間に大きな(しわ)をよせてまず最初に言った。
「本当に私と話をしたいなどというのか。私はお前の両親の仇だと知らぬのか?」
「知らない。オレにとってのアンタは、エア母さんの仇だけど」

 国王の顔が不快げに曇った。声の内に波立ち始めた怨嗟に、少年は目を丸くする。
「エア・フィシェルの仇? お前はおそらく、ザインで彼女に預けられたのだろうとは、私も推測してはいたが……エア・フィシェルの討伐令を、私は出してはいない」
「……」
「宰相の置き土産か。討伐報告も私には上がっていない。確かに彼女は因縁浅からぬ相手ではあるが、私は彼女の死を求めたことはない」
 嘘の気配は見当たらない口調。むしろ腹立たしさすらそこにはあった。育ての母に国王がかつて、王属部隊に迎えたいとまで告げていたことを少年は知らない。

 抜け殻蛇が右横の座面で、空洞の黒い目で少年を見上げていた。今までのように少年の肩には上ろうとせずに、沈水の瘴気を纏う頭で、バンダナの無い少年を見つめている。
 少年は本題に入る前に、あえて笑みを浮かべて国王に向けた。
「じゃあ、オレの両親の仇って言うのは、何で?」
 英雄はしないような挑発的な笑顔に、国王が今一度眉をしかめる。一応少年の幼い頃をそれなりに知っているらしく、作り笑いなどしなかった子供を思い浮かべていた。
「お前の母親を私が殺した。ライザはそれで私に憎悪を抱いた。私をまっすぐに殺しにはこず、何故ディレステアについたかまではわからぬのだが、奴が探していたものはわかる。私はそれを奴から隠して、ゾレンに戻ってくるのを待っていた」
 これは英雄の娘、少年の妹の話だろう。湧き上がる焔は微笑みに隠して、少年は黙って話の続きを待つ。相手の出方を窺うことは、壊れた五感を持つ少年には日常茶飯事だ。

 国王は少年の目的、ゾレンに現れたことそのものを(いぶか)しんでいた。巫女の一件で少年も想定外の、殺し合い以外の関わり方になったのは確かだった。
「今となっては、詮無き話だ。お前が代わりに私を殺しに来たというなら、この首くらいいくらでもくれてやる。しかしお前は、私と話をしたいなどと言う」
 にこり、と改めて笑ってみせると、国王はとても嫌そうな気色を、目だけに浮かべた。どうやら少年に対して果て無き罪悪感があったらしく、正真正銘の事実をまっすぐ伝えて、少年と真摯に話そうとしていることはわかる。それに対して少年は腹の内を全く見せない笑顔なので、率直な英雄を信頼していた国王には好まれない態度だろう。
 少年が正直になるべき理由は特にない。相手が仇なら誠意を持つ必要もない。殺したい、そう憎むことの方がこの国王には受け入れられた。どうやら英雄に殺されるつもりだったらしい、真面目過ぎる雑種の王には。

「……アンタこそ、オレを殺す気はないってこと?」
 国王が黙って睨んでくるので、少年も口を開いた。何から話そう、と口の端が上がる。
 今なら何を言っても叶えようとしてくれそうだ。かつて信を置いた英雄の子供が、謁見の間で兵士や将軍達を救った故の、わかりきった懐への入れ方。
「答えてくれるなら、ききたいんだけど。何でアンタ、アイツらを見捨てようとした?」
 不自然があるとすれば、その一点。無抵抗だった国王への違和感を、現状の把握のために先に口にした。

 国王が「力」を振るえば最初に囚われた兵が巻き添えになるとはいえ、あの黒泥を放置すれば後から来た者達も犠牲になった。王の権威を維持するためにも、あの場ではすぐに黒泥に抗戦するのが筋で、傍観というのは最も悪手だ。純血の巫女への低頭でしかない。
 国王も痛いところを突かれたようだが、少年が無表情に戻ったので、真面目な話題だと受け止めて重厚な眼差しで返してきた。
「私は預言の神殿の巫女を殺せとは命じていない。惨い殺戮に勝手に走ったのは彼らだ」
「――へぇ」
「聖戦に出向かず、王都に残ったのが純血嫌いばかりであることもあろう。それでもあのような虐殺を行う者達には、神罰が下れど致し方ないと処した。我が国は年々、『力』への心酔が悪化の一途を辿っている。行きつく先はあの光景だ。それを見せておきたかった」

 エイラ嫌いであったはずが、純血と手を組んだ国王の言。少年は左端にある肘掛に頬杖をつく。
「それじゃ、あの女の差し金ってことか。紛らわしく煽ったのはあの女で、アンタは何もするなと助言された。違う?」
「……」
 ずっと硬い表情の国王が目だけを丸くする。他者に責任を転化したくないようだった。
「アクシャラ殿は――純血を嫌う派閥を、一掃したくはあっただろうな。しかし私は、元より彼女を利用しているだけだ」
「……?」
「私が長年考えていたことを、突然現れた寵姫が(そそのか)した、と周囲が思えば、矛先は彼女へと向く。愚かな私自身への訴追は免れぬが、愚息は私に代わる名君として期待もされよう」

 その思惑も、女臣からの吹き込みではあった。純血の化け物を今でも決して好んでいない雑種の王だが、近隣地域との不和を清算してから、息子に王位を譲ろうとしている。
「あの一太刀で、彼女は滅びはしない、とお前は言ったが。あれはどういうことだ?」
 遺骸も残さず消えた女臣。少年もそろそろ本題に入るか、と息をついた。
「オレにもよくわからないけど、さっきまでいたのはあいつの本体じゃない。ああいった影を作れる、概念系化け物みたいな。まずもって、アンタの想い人にそっくりなんだろ?」

 またも表情を変えないままで、目だけを愕然とさせた国王の硬さに、少年も感嘆する。
「彼女、って言う時に好意が駄々漏(だだも)れ。大体そうでもないと、寵姫扱いもさせないだろ」
「む……ライザとは違って、貴様は不貞の輩であるようだな……」
 国王の最後の壁が融けて、生来の(かたく)なな塀が立ち上がった。そんな気分だった。
 少年を敵視していないこと、この分なら適度に警戒されつつ協力を得られそうなこと。少年自身、込み入った感情の絡む相手なのだから、それくらいの距離がちょうど良かった。

 何にせよ、少年の壊れた五感は便利だ。抜け殻蛇がじっと白く少年を見ており、国王も近年なかったという余計なひと言を加える始末。
「貴様はむしろ、エア・フィシェルの子で間違いない」
 どうやら育ての母も国王で遊んでいたらしい。そうしたくなる気持ちはよくわかった。

 概念系の化け物。黒一色の女臣をそう称したのは、抜け殻蛇がそんな言い方をうっすら思い浮かべていたからだ。神託の巫女だけでなく抜け殻蛇も、あの女臣を知る者であると今では感じられた。
 抜け殻蛇はそこまで画策していなかったが、少年がゾレンに来たのはどうやら偶然ではない。あっさり少年に斬られて消えたことにしても、黒一色の女臣が神託の巫女と結託して、少年をゾレン国王の前まで導いたのだ。
 そうなるとまず国王が、どの程度事に噛んでいるのかを確かめたかった。
「アンタは神託の巫女から今回、どういう先触れを受けたんだ。オレが英雄の子供だって、最初はわかってなかっただろ、アンタ」
「……ふむ。貴様がここに来た目的は言わずに、先にそちらを訊くか」

 僅かに目を逸らした国王の戸惑いが伝わってきた。少年としては何故国王が、その件を気にしているかが気になるものの、現状の確認を優先する。
「ということは、貴様は本当に、巫女とは無関係なのだな。まあ、そうでなければ、あの惨殺を放置もせぬであろうが」
 むしろ黒泥となった巫女に、一旦とどめをさしたのは少年だ。何を今更、と少年は思う。
 抜け殻蛇だけは巫女の惨状を、痛ましく思っているのがわかった。だから何も言わないままで、少年の横で大人しくしている。国王も気分は良くないようで、重々しい声で現状に至る経緯を話し始めていた。

「巫女は初めから、ゾレン国王に天罰を届ける、と通達していた。私がアクシャラ殿に、そもそもは相談したからだった。我が身に天罰を与えてほしい、と」
「……へ」
「天罰とやらが貴様だとは、正直思わなかった。ライザもその娘も最早ゾレンにはおらぬというのに、貴様はいったい、こんな明後日の地へ何をしに来たのだ?」

 一言で国王は、ずっと浮かべる当惑の理由を説明し切った。英雄の子である少年の目的だろう者達を放って、何故ゾレン国王などと話をしているのか、と。
「親父と、その娘……オレの妹……が、もうゾレンにはいない?」
「知らなかったのか? 聖戦と先程、貴様も口にしたのに、前線の情報は入っておらぬのか」
 国王が少年を憐れむ様に切り替わった。純血に騙されてここに来たのか、そんな風な見立てが窺える。それは違うが、少年が通称聖戦の内情を知らないのは真実でもある。
「今、聖地にオセロット・アークっていうのがいて、妹っぽいって話は聞いてた。オレは妹を憶えてなくて、親父はゾレンに引き渡されたってきいたから、こっちに来たけど」
「そういうことか。お前の妹は現在聖地で、全身を外套で隠す男と交戦している、と昨夜には通信があった。アクシャラ殿の勧めで聖地にあの娘を託したのだが、何かに利用をされることはわかりきっていたから、ライザを解放したのだ。ライザが実際何処に行ったのかは私も知らぬが、お前も一刻も早く、聖地に向かう方が良かろう」

 知りたかった事実の雪崩だった。ゾレン国王は本気で心配して、少年に説明している。英雄をとっくに解放した、という言も誤算。そんな簡単な話のわけがないと思っていた。
 それは国王も当惑する、と気が遠くなる。少年にすれば、長年敵対し続けた父と国王に、そんな宥和の路線がイメージできない。そもそも国王は母を殺している。憎悪でつながった父とゾレンで死闘一つもせずに、ディレステアにも構わず聖地に向かわせるだろうか。
 一番の難関は国王でもある。英雄を殺す気でなかったことは真実だろうとは判ったが、秘密裏に捕らえておいてそうも易々と解放するとは、この国王は何がしたかったのだろう。少年のこらえ難い青い視線に、国王は自ら立ち上がりながら、立て、と少年を促していた。
「私の面子のためにも、ライザには死んだつもりで行動しろ、と言ってある。大方お前の妹をまず止めてから、ザインにお前を迎えに行く気だったのだろう」
「――……」
「私もそろそろ、聖地に赴こうと思っていた。最速の道でお前を連れていってやる」

 そんな無茶な、と目を見開くが、国王の真剣な顔色には躊躇(ためら)い一つなかった。
 各地が一触即発のこんな状況で国王が自国を離れることも、長年の宿敵であるはずの英雄の子と連れ立っていくことも、どちらも致命的な選択だろう。天罰というよりただの愚策だ。
「そんなの――信用できるわけがない」
「そうか。それならここで放免する故、何処へなりとも好きに行くがいい」
 そういうことじゃない、と喉元まで出つつも、少年も言葉足らずだった。そんな行動をとれば兵士も国民も、国王を信用して命令をきくわけがないのだ。
 それでもこの真面目な国王は、エイラとザインを揺るがしたゾレンの翻意――「聖戦」を引き起こした発端の、根本的な責任を取ろうとしている。現在聖地に陣取るゾレン軍は、宰相亡き今、誰が率いているのか。国王が直接停戦を言い渡しに行く、そうでなければ収束できない切迫が感じられた。

「……アンタがどんなつもりでも、それは無理だ。レジオニスは聖戦を止める気はない。だから宰相とかも、殺されたんじゃないのか」
「それは違う。あの老獪は、第三峠のドミナ殿を利用してアクシャラ殿が粛清したのだ。アクシャラ殿とドミナ殿は、同じ純血でも折り合いが悪いようだが、たとえ相手が敵でも『神』でも(そそのか)すのがアクシャラ殿だ」
 言っている間にも国王は私室から足早に出た。慌てて追いかける少年を連れて武器庫に入り、鎧や鞍を取り出して旅の準備を始める。
「私は望んで外道に堕ちたが、それも容易ではなかった、とアクシャラ殿は笑った。私も今更、愚かで憐れな兵士達の目を覚まそうなどとは、本気で思っているわけではない」
 それでも、と今度は、書庫らしき匂いのする部屋の前まで来た。中には二人、魔道士と闘士らしき女の気配があるのが感じ取れた。
「これだけ無様に成り果てようと、私を見捨てず残った王属達にだけは見栄を張りたい。彼女達はお前の幼き頃も知っている。お前を連れていくためであれば、私の無駄死にでも出奔を許し、愚息達が帰るまで城を守ってくれるだろう」
 それは素朴な本音だった。この国王はいったいいつから、こうも正直になったのだろう。

 国王の言った通りに、中にいた雑種の二人は、国王と少年を見つからないように城外へ送り出した。少年が英雄にそっくりだ、と呆れつつも喜んでおり、少年の力になるなどと軟弱なことを言う国王にも安堵していた。
 その雑種の女二人にとっては、ここ十年の国王こそが、あまりに病んだ姿で近寄り難くなっていたようだった。英雄と共に、かつてディレステアとゾレンの休戦のために働いた王属部隊の者であり、あと一人、重鎮だった魔道祭祀者もいたというが、その男は英雄を止めるために死を覚悟で旅立ち、帰らなかったという。

「で……オレ、馬とか乗れないんだけど」
 ごく最低限の荷物だけを持って、国王は最後に厩舎に寄った。純血の系譜である駿馬を長年乗り回すらしく、さあ、と無遠慮に乗るよう促す国王に、少年は冷や汗を垂らす。
「二人掛けなど造作もないことだ。お前が落ちさえしなければ良い」
 暑苦しい、と思わずにはいられなかった。実の息子にもこんな過保護をするのだろうか。刺々(とげとげ)しい見た目からは想像もつかない。国王と相対して以後、一言も喋らない抜け殻蛇を置き忘れないよう首に巻きつつ、どうしてこうなった、と呟いてしまった。
 この状況になると、巫女が泥に還って一旦は良かった。聖地まで最速で向かえることは確かに有り難く、しかもこの国王は、ディレステアの地下を抜ける最短経路を誰よりよく知った者だと、ゆくゆくの道筋で知る。

 二人で乗れる大きさの馬が、暗くて深い地下道に遠慮なく入っていくのも想定外だった。初めての馬にしがみつくのに必死な少年と違って、国王には一方的に喋る余裕が絶えない。
「愚息はこれに乗せると、いつも無邪気に喜んだのだが。お前の妹も一度だけ乗せたことがあった。気に入り過ぎて後で一人で乗って行ってしまい、あの時ほど肝が冷えたことはなかった」
 少年の妹はどうやら、英雄の娘を利用しろと迫る城から離れて、森に隠して育てられた。その影響か人間にしては野性的な少女らしく、活動的だった伯母によく似ている、と遠い声色で国王が口に出した。
「あの老獪が、お前の母と伯母の遺体を隠した意味を、私はもっと早く気付くべきだった。我が細君も、彼奴に排除されたことはわかっていた。我が国にとって、最も脅威であったエイラと渡り合うのに、純血をよく知る彼奴以上の適任がなかったのだ」

 長く国政を任せて来た宰相を、国王はこの度の聖戦でようやく切った。国のためなら、とゾレン王妃の暗殺は見て見ぬふりをしたのに。
 実務者として役立つのは宰相だったために、宰相と対立する王妃をかばえなかった。宰相は英雄もその家族も邪魔に思って、英雄がゾレンを去ってからは、唯一残った娘をいかに利用するかしか考えなかったという。
「もしもアクシャラ殿が顕れなければ……私はお前の妹も、見殺しにしていたのだろう」

 少年には何も答えられなかった。国王が懺悔のように話す数々の事情を、振り落とされないように忍びながら聞き流すしかできない。この少年にはそこに応える呪怨がなかった。
 偽りの苔の光が地下通路に差してきた。まるで己が焔を隠す呪詛を嘲笑うかのように。

 ◇⑦◇ 預言の神殿

 ゾレンから見てディレステアは、東西ゾレンを分ける国土で、逆三角形の広い砦になる。一つの国としては面積の狭いディレステアだが、かつては古代の地上人が(こしら)えた要塞で、空からの侵入も阻む高い外壁は滅びた文明の遺産だった。「力」を凌駕する技術を手に入れ、「神」の怒りに触れて淘汰された地上人――今でいう人間の祖先。
 地底深くまで外壁が根差した砦の国は、大陸に穴を空ける兵器を隠し持っている。長い年月、そう語り継がれてきたのだ。エイラの純血はそれを信じて、ディレステアに迂闊に手を出せなかった。
 ゾレンがディレステアと反目したのは、人間と化け物の分離という別の争点があったために、第六峠のみでの紛争に留められたからだ、と国王が道中で語った。
「ゾレンは基本、ディレステアとの緩衝地帯として、エイラに利用をされ続けた。エイラと聖地の間にある預言の神殿も、エイラにとって聖地の先にあるザインも、純血の化け物の歯止めだったと言っていい。聖地だけは、純血達が決して手放さなかったのだが」

 ディレステアの真北にある聖湖、テルス・エイラ。第三峠レジオニス大使が真の主で、第二峠レジオニス大使が見張る古代の遺跡が湖の中央に浮かぶ。エイラの化け物達と共にゾレン軍は湖畔に軍営を構えて、旗印たるオセロット・アークは唯一遺跡に入れる少女で、不穏に集まる異種の化け物軍団に退去を求めるザイン警備隊と交戦している。
 それは第六峠の紛争よりも規模が大きかった。国王は突然聖地に招かれたオセロット・アークに護衛団を後から送り出したはずが、宰相が国軍規模に部隊を編制し直し、エイラの化け物とゾレン軍が聖地に集結することになった。
 それだけならまだ、一時的な駐留と宰相がごまかすこともできた。しかし何を考えたのか、第三峠に引っ込んだ宰相の思惑は大きく狂い、オセロット・アークは自らザイン警備隊に襲いかかったのだ。
「宰相は先に、ディレステアを落としたかったはずだ。実際に攻撃を行うわけではなく、エイラと屈託したゾレンの力の差を見せつけ、降伏を促す作戦だと上申していた。ザインは広大で、警備隊だけが強い化け物ではない。ザインと戦いたかったのはエイラだろう」

 地下通路をたった一日で抜けて、地上の峡谷でゾレン国王と野営をする羽目になった。聖地の現況を聴いておいて損は無いので、ぐったりしながら国王の喋りに耳を傾けている。
「私はどうでも良かったのだ。あの娘さえ、真に歓迎される所に公的に送れるのなら」
「……――」
「あの娘を利用することしか考えなかった宰相が、ドミナ殿との取引で、古代の宝である鎧ごと娘を渡すと約束していた。聖地はドミナ殿の宝置き場、と言ってな。それだけなら私もそうそう許可はせぬが、娘自身が行きたい、と望んだ。今まで何ひとつさえ、望みを口にしなかった哀れな少女が」
 手際よく国王が焚火を(おこ)す。少年も黙って火を囲んで、集めた小枝を少しずつ加える。
「私はライザを恨んでいた。ゾレンに帰って私と話をするなら、娘を無事に渡す気だった。しかしライザは頑なに第六峠に留まり続けた。私と会って、赤い獣を暴走させないために」

 その理由が解っていても、国王はまっすぐ国に帰らない英雄にしびれを切らしていた。何故なら英雄には紛れもなく、赤い獣を自ら切り離せる業があったからだという。
「ライザに私は何度も言った。その狂える獣を摘出しろ、と」
「……」
「奴は私と――ゾレンを屈服させて、娘を探すことを望んだ。連れ合いを殺された憎悪は私にだけ向ければ良いものを、赤い獣を使い、戦うことを選んだのだ。私は奴に赤い獣で戦わせる気はなく、奴が力を失っても殺されてやる気だった。私に詫びる機会を与えず、ライザは第六峠でずっと、ゾレンの軍人を殺し続けた」
 それは最早、何のためだったのか。英雄は真に、人間の国を守りたいわけではなかった。それだけ赤い獣への執着が強固だったなら、蛇の大使には何故あっさり引き渡したのか。
 赤い焔の獣を顕現させた少年を見て、国王は英雄が、最早赤い獣を切り捨てたことを実感としてわかったのだ。だから今更のように重い怨嗟を浮かべている。
「奴は、滅びたかったのだ。だから、赤い獣を捨てなかった」
「……まあ、そうだろうな」
「お前が奴を恨んだ、という話も当たり前だ。せめて、お前の傍にいれば良かったのだ。エア・フィシェルもそれを勧めただろう。ディレステアに加担などせず、いつか内密に、私を殺しに来れば良かった」

 困ったことに、少年には国王の話す心情が理解できてしまう。英雄があまりに頑固で、そして憎悪に支配されてしまった。自らの抑えられない感情を殺すために、何一つ希望のない戦いを続けて、冷え切った心で暮らすしか赤い獣を大人しくさせる術がなかった。
 要するに英雄は、中途半端だったのだ。死に切れず憎悪にも従い切れず、それでも国王とは向き合う気になれない。その要因もあらかた、少年には見え始めていた。
「……多分、親父は、アンタが娘を攫ってるとは思ってなかった」
「――何?」
「その辺は下手に信じ切ってたんだろ。アンタと向き合ったところで、娘が見つかるとは考えなかった。エア母さんも、オレに妹がいると、話してくれたことはないし」
 その不自然さを少年なりに考えたのだ。国王も少年が言わんとすることを悟り、やっと納得がいった、とばかりに項垂れていた。
「そうか……あの娘は、人間だからな。エア・フィシェルもお前のことしか知らなかった……その可能性はある」
「……」
「エア・フィシェルが見つからないために、手紙などはライザも控えていただろう。なら化け物として気配が強いお前しか、『千里眼』は観ていなかった。お前が憶えていないなら、ライザがお前の妹を探して戦っていると、ほとんどの者が知らなかったのか」

 そうして英雄の頑なさに、誰も踏み込むことができなかった。国王の怨念も本当ならば、解けることはなかったのだ。いつか英雄と再会した時、国王は殺し合うはずだった。
 少年の肩にずっと無口で乗っている抜け殻蛇が、こっそり呆れているのが伝わってきた。ばちばちと焚火の影が揺れる。少年の後ろには赤い暗影がほのかに差していく。
「お前は……何故、私を恨んでいない?」
 現在少年と国王は、聖地の手前でエイラ砂漠の西端にいる。この荒野の峡谷から聖地の湖まで、ザインの秘境にも劣らぬ山並みが立ちはだかっている。疲れ切った体では危険が大きく、国王は休息を勧めた。少年と話をする余分な時間ができてしまった。
「恨んでないように見えるのか。アンタも大概、お人好しだな」
「見えるな。むしろアクシャラ殿のように、私の話を理解している風すらある」
 一瞬、少年に強い頭痛が走った。国王が黒一色の女臣を、強く思い浮かべた瞬間だった。
 少年の内では、赤い焔の獣が今は大人しくしている。国王の言う通りに、少年の憎悪が強ければそうはいかないはずの狂える飛竜。
「オレは、妹を何とかするのに、アンタを利用してるだけだ。ここまで進んで利用されてくれるとは、思ってなかったけど」
「お前の家族を、そうして引き離したのは私だ。憶えてなければ実感はないのだろうが、赤い獣はそうはいくまい」

 今ここにいる少年には、国王を憎悪する心が乏しい。だから赤い焔の獣も吠えない。
 殺したい。そう囁く真っ赤な呪詛は、変わらず赤い焔に燃やされている。けれども本当は妹も英雄も、少年にとっては遠い人物。英雄や妹と別れた五歳以前の記憶がないこと、そしてこの少年の焔はあくまで、元々外付けの真っ赤な呪詛で――
「……そう。知ってるだけで、憶えてなければ、意味はないんだ」
 知らず少年の本質をつく国王に、目線を合わせられずに返した。
 段々と、今まで少年を構成していた薄皮が剥がれるように、自身でも赤い鼓動を感じていた。赤い焔の獣を身に流している炎の血が、少年の存在を塗り替えていく途中であることを。


 数多の化け物が集う聖地。突然踏み込むのではなく、先に預言の神殿に行って隠れて様子を窺おう、と少年は翌朝に国王に提案していた。
「神殿は聖地の近くにあって、レジオニスの勢力圏外なんだろ。アンタも無駄に死ぬことはない。今聖地の化け物達の前に出ても、妹以外にアンタの話を聞く奴がいるかは怪しい」
「身も蓋もないが、その通りだな。城にいる頃には愚息から定期的に報告の通信が来たが、最早王子たる者の言うことにも、ほとんどの兵士達は耳を貸さないそうだ」
 「聖戦」という言葉も、当事者達が唱え始めた。とっくに事態はゾレン国王の手を超え、可能な限りに煽り立てられている。

「驚くべきことに、雑種達はオセロット・アークにのみ従う、と言う。娘は強敵と戦う時以外には聖地から出て来ず、愚息達も未だに接触できていない」
 国王より先に英雄の娘を追った王子達は、何度も声をかけようとしたという。しかし、空飛ぶ盾で疾走する殺戮の天使は、無表情に首を傾げるだけで王子達に気付かないのだ。
「愚息の連れ合いの魔道士には、洗脳の類の魔術にも見えるようだが。しかし魔道士が娘に与えた魔除けも機能していて、『魔道』の影響ではないはずだと言う。娘は兵士達に叫ぶそうだ。聖地を解放するため、力を貸してほしい、と」

 沈黙した少年の横で、駿馬がいななく。これから預言の神殿に行くので、今の内に現状の把握は可能な限りしておきたかった。
「聖地は何から、解放されないといけないんだ?」
 何処かでこたえを知った自身がいながら、少年は尋ねた。どうしてそれをわかっているのか、今はまだ自覚するわけにいかないことを。
「さてな……アクシャラ殿は、聖地はエイラの純血に支配されている、と言った。私には本当のところは、何もわからぬ。あの娘がどうしてそれを望み、戦いなどに赴くのかも」

 オセロット・アークは、竜の力を借りる古代の宝を二つも扱い、化け物相手には向かうところ敵なしだと国王が言う。近接戦しか行えないので単騎のみの相手になるが、だからその場で最も強い化け物に向かっていく少女に、ゾレンの兵士は心酔している、と。
「支配するエイラが敵なのに、エイラの化け物も味方に大量か。騙されてるだろ、それ」
「それも解せぬ。あの娘は、同じ鎧を使った伯母によく似て、とても勘の良い人間でな。大きな嘘をつく娘ではないが、兵士達を鼓舞するための方便かもしれん」
「……んで、アンタはそろそろ、いきりたってるバカ達に収拾をつけたいと」
「このふた月ほどに、身辺整理は終えた。私がどうなろうと、ゾレンの姿は変わるだろう。それなら私は――あの娘を解放するためにこの命を使いたい」

 目を伏せて呟く話は本意だった。宰相の駒とされた自国の軍人も大事でないことはないが、力及ばず止めることができなくても構わなさそうなのだ。それより殺戮の天使を人間の娘に戻すことが、国王の最後の償いと言わんばかり。
 少年はそういう仰々しい言葉が、何故かあまり好きではなかった。
「まどろっこしい話はなしに、エルに会いたい、息子を迎えに行きたい。それでいいだろ、アンタは別に」
 国王が目を丸くして黙り込んだ。表情自体は硬くないのだが、少年を凝視している。
「エルって言うんだろ、オレの妹は。親父はもう、英雄をする気はないだろうし。アンタだって、国王やめて隠居して娘を愛でたっていい。エルがアンタに今まで従ってきたのは、アンタがちゃんと、エルの父親をやってたからだ」

 妹の勘が良いというなら、この王の窮状をわかっただろう。常に国王の責務にがんじがらめで、政治上の問題から英雄を自由にすることもできず、裏切者の業を負った。
 化け物の国で人間である少女の処遇に悩み、家族にヒトらしい愛情を示すことすら、大義なしには許されなかった雑種達の王。
「……私はどこかで……お前にあの娘の呼び方を教えたか?」
 国王は普段、妹をピアスと通称で呼んでいたらしい。かったるいな、とだけ少年は返す。
 ゾレンにいた頃のことは憶えていない。しかしその名が浮かんでしまう程には、時間が差し迫っていた。少年が少年の姿で在れる短い刻限。

 昼前には計画通りに、預言の神殿についた。国王が自国以外の地理も詳しく知っていたので助かった。
 神託の巫女が不在の山の中腹は、段上に切り開かれた斜面に石柱の建て物が三つと広い石床、目隠しのように植えられた林が何段も並んでいる。
 一帯には化け物の気配はほとんどない。洞窟のある大きな岩の横に、石柱を壁にする神殿が並ぶ。国王が中を見て回っている間に、少年は抜け殻蛇の視線が示す先へ向かった。

 ずっと喋ることのなくなっていた抜け殻蛇が、空洞の目の向く方で少年を導いていた。ついた所には小さな林に囲まれる石垣の泉。この預言の神殿全体の中核がそこにあった。
「ぶはあにょろ! ようやく解放されたにょろ、もうこんな運び屋はこりごりだにょろ!」
 やっと口を開けた抜け殻蛇が、同時に大量の瘴気を吐き出していった。底面に泥の沈む透明な泉の上を、薄暗い瘴気が覆っていく。やがて泉に溶けていった瘴気が浅い水を濁らせ、静かだった表面が軽く沸騰するように少ない泡を立て始めた。
 げほげほ、とまだ咳き込んでいる抜け殻蛇に、首元を軽く叩いてやる。この蛇は存外に身内への情が深く、焼き捨てられた黒泥を見捨てなかった。本体は瘴気である者を丹念に吸い込み、一息も零さぬように黙り、その「力」が最も強められる地に返しに来たのだ。

 やがて抜け殻蛇の目論(もくろ)んだ通りに、泉の中から小さな手が突き出してきた。まだ泥臭い色を残しているが、水底から這い上がってきたように、石の棺から泥塊が立った。幼い姿となった巫女が、一糸纏わぬ体で瘴気と泥から再生を果たしたのだった。
「あーあー。またこの姿からやり直しかあ。これもう何回目なのかしら、あたし」
「……」

 黙って少年は、代えのない外套を脱ぐ。水も滴る巫女にかけてやると、泥から生まれた幼女があどけない顔で満足そうに笑った。
 蘇った巫女の気配に気付いて、国王も泉を見つけてやってきた。純血嫌いは伊達でなく嫌そうな顔ではあるが、預言の神殿に来る時点で再会は覚悟していた様子だった。
「やっほー、トラスティくーん。向こうの洞窟で、悪夜(あや)の真影には会えた?」
「……――」
「そんな顔しないで、あたしも悪夜も貴男達の味方よ。二人共、聖地に行きたいんでしょ? あそこにいったい何があって、起こっているのか、教えてあげられるのはあたし達だけ」

 こういう化け物なのだと、最初から判っていた。それでも雑種の兵士達に切り刻まれる姿は、見ていて気持ちよくはなかった。
 何も気にしていないような巫女。この地で何度もどんな者からも、(ほふ)られた事があるのがわかる。その度に黒い泥となって殺戮者を呑み込み、食事をしてきただろう化け物。今回は少年がゾレン兵を助けたので空腹なはずで、幼い体はその反映でもある。

「……聖地の囚人が、エルを招いたように。オレ達をここに招いたのは、あんた達か」
 この預言の神殿で少年は必ず、話をしなければいけなかった。少年を侵蝕する赤い焔に辻褄を合わせて、世界の果ての悪しき戯れを閉じるために。

 妹が突然聖地に招かれた経緯について。少年と国王が夜中にゾレンの城から内密に出たように、ある夜半に女臣に連れられ、娘に会いに行ったのだとゾレン国王は昨晩教えた。
 宰相が管理する宝の盾を持っていくよう勧められ、ついた森では白い髪の女の傍から離れない娘が待っていた。思えばその白い髪の女も、女臣と同じく影だけの存在、と国王が推測した。

「オレの伯母さんにそっくりなのが、あんたと預言の神殿にいる『悪夜』で、アクシャラ。悪夜はヒトの影を作って、あちこちに飛ばせる。聖地の囚人の影を作ってエルに会わせて、エルが自力で聖地に行きたがるようにした。そこまではゾレン王の話でわかった」
 聖地を解放せんと戦う妹。それはそこに、妹にはとても大事な者と同じ顔を持つ囚人がいるからだろう。女臣は少年の伯母に生き写しで、白い髪の女の顔は少年達の母だったと国王は語った。女臣は少年の伯母、白い髪の女は母の遺骸を使う化け物だろうと。
「さすが、君みたいなタイプは、話が早いね。そう、空飛ぶ盾に乗る君の妹を案内して、聖地に連れていったのは『白夜(はくや)』の影。妹ちゃんは、ナディと呼んでいるよ」

 本殿の隣の寝殿で服を着ると、巫女は改めて話を始めた。入口にある高い三脚台に上って座って。
「悪夜は預言の神殿の内陣に、白夜は聖地の遺跡に閉じ込められてるんだよねぇ。二人共、悪夜の影で会ったり話したりはできるけど、そろそろ幽閉生活が飽き飽きみたい。引きこもってても、影を使ってザインとの聖戦を誘発するくらい、何でも悪い事をしたいのが悪夜。本体に決して接触してはいけない、厄介な性質の持ち主が白夜。だから二人は閉じ込められてる」
 預言の神殿の巫女。本質的には神殿の番人たる瘴気の泥蛇に、抜け殻蛇が溜め息をつく。
「もうお前の手には負えない状況ということかにょろ。デルピティア」
「あたしは別に、悪夜とは相変わらず仲良くやってるし、ドミナやラミアに喧嘩を売ってまで聖地を解放する気もないわ。最初に動き出したのは悪夜。何がしたいのか気になるのなら、そっちにきいてきた方がいいんじゃない?」

 それは巫女自身がまずディレステアに来た目的を、何も説明していない。国王は知る由もないことなので、少年が指摘するしかない。
「じゃあ、あんたは何がやりたいんだ。悪夜にもレジオニスにもつかない、今の話はそういうことだろ」
「ふぅん、君がそれをきくんだね。今は君が英雄くんの飛竜を持ってるのに、悪夜と英雄くんの宿業を、君は知らないのかな」

 何、と国王が顔をきつく歪める。巫女がゾレン王城に来た時、悪魔の飛竜の血を捧げろ、そう言っていたことも思い出したらしい。
「あたしはあたしの神様に従っているの。そういう風に造られたから」
「……あんたを造ったのが、あんたの神様か?」
「それは違うかな。本来の管理者の系統、ルーナやククルに預言の神殿を押し付けられた、と言えば一番近い」
 う、と抜け殻蛇が僅かに俯く。巫女は横目でざまあみろ、と言いたげに笑いかけている。
「ここも聖地も、かつて悪魔の飛竜が在ったせいで生まれ出た、災いの『神』を祀る牢獄。『神』は、殺せない。あたしのような純血もどきだって、貴男達には簡単に殺せなかったでしょ」

 「神」。それは純血の化け物の中でも最上位とされる、不滅の「力」の代名詞だという。「神」と他の純血との違いは、究極的には死があるかどうからしい。
「ククルが運んでくれて助かったけど、あたしは自力でこの泉にも戻れたのよ。手伝いがあった方が早いだけで、何処で体を殺し尽くされても再生できる。『神』はもっと酷くて、貴男の血縁の体を使っているように、適合する者を自分に塗り替えられる。適合せずとも『神』をその手にかけた愚か者は、奪った『神』の命に寄生されて魂を侵される」
「……貴様は炎には勝てないだろう。現在貴様がそこで高説を垂れることができるのは、ライザの息子に見逃されたからだ」

 少年はあえて言わなかったことを、国王が突っ込んだ。ふふふ、と巫女があくどく笑う。
「ほんと甘いよね、君ならあたしの瘴気を焼き尽くせただろうに。この地で悪夜に会えば、事の仔細も聴けただろうし。あたしを生かす意味は、どこにあったのやら?」
 これくらいは言わせてよね、という顔。「神」に仕える巫女の生き様、何度も濁った赤褐色の瞳孔がそこにあった。
「殺せない『神』――災いは管理すればいい。先人の決めた使命に従って、『悪神』の災禍を最小限に抑えてきたあたしに、あなた達ヒトがとる行動は大体凌辱と虐殺。それで悪夜が満足するから、あたしはヒトを狂わせてきたけど」

 その言に込められた過去。巫女が吐き出す瘴気で正気を失い、そのまま目前の女を蹂躙しては喰われた者が沢山あったのだ。
 巫女自身の責だとしても、その都度痛めつけられる暮らしは割に合っていたのだろうか。少年も国王も咄嗟に発言できない。
「自分を憐れんでたら、純血なんてやれない。こう生まれたなら、こう生きるしかない。あたしがそうして閉じ込め続けてきた『神』の一端を、貴男の妹は解放しようとしてるわ。それにゾレンとエイラを巻き込んだのは悪夜だけど、ザインの化け物は聖地に何がいるか知ってて止めてるの。ドミナとラミアも、悪夜のことを含めて知っている。神殿や聖地の解放はさすがにやめろって思ってるから、ザインの第二峠大使に今は敵対してない」

 様々な情勢の情報は有り難かった。しかし結局、それを伝える巫女自身の目的は見えてこない。「神」の解放を阻止したい、という気勢には見えないのだ。
「悪夜と白夜の存在は本当に困りものだから、純血以下のレジオニスには内実を黙ってきた。誰かが解放しようとするのは目に見えてたし。でもあたしは、貴男の妹が災いを世に解き放つなら、面白いと思ってるわ。『神』の祟りを招くのは確かに、いつだって人間なのよね」
 幼い姿でも肩から巻きつける白い礼装で、足を組んで小高い三脚の椅子に腰掛ける巫女。組んだ腕に頬杖をつく姿は淡麗だった。肩の高さで切られた茶色い髪は、人間によくある地味な風体。本質である沈水の瘴気を今は吐いていない。少年やゾレン国王を煽る気がないことは解る。

「……急がなければならないな。どうやるのかだが、あの娘が聖地の封印を解く前に」
 悪夜と白夜。それらがどういった災いか、少年も国王も知る由がない。むしろ国王や妹にとっては、大切な相手の体を使う傷付け難い相手だ。少年の青い目端が知らず歪む。
 預言の神殿にひときわ生暖かい風が吹いた。もう地が燃える季節は差し迫っている。

 預言の神殿を後にしてからは、国王が先導して聖地の片隅についた。神殿のあった山を更に登って頂上に出てから、山間の盆地となる聖湖に向かって下山していく。
「第二峠からなら、平地で聖湖に往く道もあるのだがな。愚息達が聖地の東の森に隠れている故、まずは合流させてほしい」
 特に異論は無かったのでついていくと、城を出る前に最後の通信で決めたらしい場所へ、国王と少年は身一つで辿り着いた。
 駿馬は他に用途ができたために、巫女の泉のある林につないできている。巫女も預言の神殿に残っている。

 合流地の目印とした硬い葉の木の森で、戦地に来る無茶な父を待っていた王子は、一緒にいた少年を見てまず絶句した。先に通信で話は聞いていたはずなのだが、長年敵対した英雄の子供を連れていくという、あまりに突飛な現実を信じられずにいたらしい。
「オマエ、本当に……本当に、ユオンなのか……!」
 残念ながら、少年は王子を憶えていない。妹のことも記憶にないのだから、肩を掴んでがくがくと揺さぶる王子には何も反応ができなかった。

 動揺している王子はさておき、国王は冷静に魔道士の女に現況を尋ねている。
「ライザは現れてはいないのか、ジーン殿。奴も聖地に入れないとは、アクシャラ殿にはきいてはいるのだが」
「アタシは気配を知りませんので、クエルにずっと探らせてました。でもそれらしき姿はないみたいで、ピアスはここのところ、同じ外套の男と連日戦い続けてます」
 英雄自身は、気配を隠す魔道などには通じていない。幽閉から解放する時に魔道士の女の母から、気配隠しの外套を英雄に与えたというが、それは仕立てがかなり凝られていて、気配が遮断されても姿を見れば魔道士の女にはわかるだろうという。

 少年の首元に後ろから手を回して放さない王子が、やっと国王の方を向いて言った。
「父上がそもそも、おじさんを解放する時におれをつけてくれれば良かったんだ。何故、一人でエルを助けに行かせたんだ。エルを行かせてやった時にしても、一日だけ待たせてくれたらおれかデスリーがついていけただろうに!」
「――……」
 国王は、意外そうな目で王子を見ている。王子は普段、こうも感情を出して父に何かを申すことはなかったようで、それは国王が言い易い雰囲気になっているからだ、と少年は何となくわかる。
 弟分のように思ってきた少年だけではなく、故郷を離れた心細い山中で父に再会できたことにしても、王子は溢れ出る直情の嵐に襲われていた。

 少年一家と王子は本当に親しくしていたらしい。国王は英雄を捕らえたことを当初には隠していたが、少年が城に来た後の通信で王子達にも明かしたのだ。聖地にいる何者かが少年の母の顔をしていることも教えて、可能ならその分析と対策を考えるよう魔道士の女に依頼していた。
 同時に通信をつないでくれる女の母から、助言をもらっていた。魔道でない何かでオセロット・アークが動かされているなら、おそらく相手は「神」だ、と。
 預言の神殿で得た情報を、現地の状況と照らし合わせて魔道士の女がまとめる。預言の神殿には「悪」の「神」が、聖地には「白」の「神」がいるはずという話。巫女は肝心の情報を口にしないままだったので、魔道士の女がその空白に頭を悩ませた。
「要するに、『白夜』が何か、そしてどうすれば聖地は解放されるのか、その辺りにピアスがザインと(いさか)いを起こす理由があるはずなんです」

 ザイン警備隊との交戦が始まってから、ゾレン兵が主に矢面に立って、純血の化け物はエイラ側を守るという口実で東側――西にあるザインからは後方に控えている。警備隊は連戦の強者で化け物相手にもゾレン兵より実戦慣れしており、オセロット・アークが場を撹乱する以外はザイン警備隊の方が優勢で、ずっと膠着状態にあるという。
 湖を見下ろせる高さにある森で、魔道士の女が調査結果の報告を続けた。
「アクシャラには『不善』、悪の意があると母が調べてくれました。ナディも先程、調べてもらった結果が来て、どちらも遠い竜宮の言葉で、ナディは『川』だそうです。国王陛下。英雄の亡き連れ合いのミリア・ユークは、河川を司る竜種だったというのは本当ですか?」
「ああ。彼女の亡骸を使う『神』は、そもそも彼女達と何か縁故があったということか」
「預言の神殿の巫女は、古い時代の飛竜について触れたとか。それが英雄ライザの飛竜と、どこまで関係あるのかはわかりませんが、長い時を往く『神』の側が、ピアスという極秘存在を含めて英雄一家の情報を何故か持っていて、狙いを定めて接触したことは確かです」

 国王と王子と魔道士の女が湖を見ながら話している後ろで、少年はぼけっと話を聞いていた。首元を取り巻く抜け殻蛇が、ゾレン王城に行く前夜に届けてくれた王女の娘の話を思い出していた。
――ところでキラ……この前の旅の間、第五峠に行った、と言っていたけれど。
 帰国したばかりの王女に、第三峠から縁談が持ち込まれたために、少年にできた余分な二週間の休暇。
 抜け殻蛇も取引を持ちかけた時に、少年に尋ねていた。少年はいったい、何処に行って、何をしてきたのかと。
――王妃はキラに、第五峠で会ってはいないと仰るの。これ、何かの間違いかしら?

 休暇から帰った少年が蛇の大使と取引をした後に、高熱を出したことで王妃は新たな護衛を派遣し、王妃自身も常駐する第五峠から王城へ戻ってきた。その後に聖地の動乱が起こってからは、オセロット・アークの鎧と盾について教えてくれた。
 英雄に娘がいる――少年の妹を探すために戦い続けていたことは、王妃が第五峠で教えてくれたはずの情報だ。だから少年はディレステア王城で、オセロット・アークが竜人の宝を使うと巫女に教えられた時に、英雄の娘の可能性があると結びつけた。
「……うん……オレはさ、アディ……――」

 目前で湖の中央に浮かぶ夕暮れの遺跡を眺めながら、現状をすり合わせていく国王達。空から侵入できない結界が張られる聖地、テルス・エイラの湖畔に大量の野営が広がる。
 最早叫び出す時が近かった。少年が何度も掴む胸の奥で、赤い焔の獣の声が。

 ◇⑧◇ 聖地

 それから激化が、ほどなく訪れていた。きっかけはザイン警備隊との膠着に不満を持つ一部のゾレン中隊が、戦果を上げようとディレステアの第二峠に向けて、聖地から南下を始めた侵略行為だった。
「国境の外側にあるレジオニス大使館とディレステア大使館は、中立地帯の取り決めから無抵抗で中隊の者を通しています。ディレステア国内にあるザイン大使館は警備隊からも連絡を受けて、フィシェル大使を中心に中隊の侵入を食い止める戦闘が行われています」

 ちょうど第二峠に行く用事を引き受けていた魔道士の女が、駿馬で帰ってすぐに状況を伝えた。
 国王と王子と少年は魔道士の女が帰るまで、戦地の全体を見守るだけで湖に降りなかった。途中何度か、オセロット・アークが宝の盾で、空を飛び回って戦う姿は目にしていた。
()れ者共が……本国への上申なしに、新たな戦地を作るとは」
 第二峠はそもそも秘境ザインという、大陸規模での中立を謳う山脈の東南だ。エイラに移り変わる一帯「ウェルデン」の南でもあり、ゾレンの雑種はほとんど訪れたことがないはずの異境になる。エイラとザインに挟まれた状況でディレステアを攻撃に来る無茶なゾレン兵がいるとは、ディレステアでも恐慌の事態だろう。
「第三峠は沈黙なのか。聖地から少しでも軍人が減るのなら、と手を回された可能性はないか、デスリー」
 エイラの純血は表面的には、まだゾレンを裏切っていない。けれども王子は元々信用していない。ゾレン兵にばかり戦わせるので軍団内でも反発は高まっているが、純血の化け物に背中を襲われる心配を雑種達はしていない。ザインを前に、雑種の盾は必要だからだ。
「オセロット・アークに心酔してるのは、ゾレン兵だけじゃないからね。そろそろ手綱が取れなくなってきた、と第三峠が動いても不思議じゃないと思う」

 少年もこっそり同感だった。第三峠には蛇の大使と黒い鳥が働きかけにいっていたはずで、黒い鳥はともかく蛇の大使は、あくどい策でも立てるだろう。
 皮肉な話、この状況ならゾレン国王が前面に出るお膳立てになる。国王の命として聖地に来た兵士達には一方的な処分は下し難いが、王命以外のことが起こされた以上、国王が直に動乱を止めにくる大義名分になる。雑種も純血もそういう筋道を大切にする。
 しかし第二峠は実際に激しい攻撃に晒されており、ザイン大使の受ける被害を考えたら黒い鳥は絶対に採用しない案だ。ザイン大使はかつて第六峠でもゾレン兵と戦ってくれた期間があったので、蛇の大使が根回しをしているものと見えた。

「それじゃあ、今日、決行しよう。エルを助けて、軍を止めて、聖地の狙いを突き止める」
 淡々と言う少年に、連日作戦を相談してきた国王達が険しい表情となった。この連合軍に、国王達が直接刃を向けたら背信となる、だから介入は自分がする、と提案する少年を、彼らが止める日々だったのだ。
 けれど他に良い対案が生まれなかったので、少年の言う方法を行うしか道がないこと。そこに誰もが苦渋の色を浮かべた。

 オセロット・アークはおそらく、記憶を封じられている。無情に空を駆ける妹の姿に、少年はそう結論して王子達に説明した。気配を探知できる勘の良い人間だと聞いた少女が、王子達の気配に全く気付かない理由は他に考え付かない。
「遠いからはっきりとはわからなかった。でもあの白い顔は、優しい思い出が何もない、そんな奴が浮かべる表情に見えて」
 聖湖は北側にいくつもの高山があり、野営があるのは主に南側の湿地だ。東側に隠れる少年達は、ゾレン兵の後方にいるエイラの純血の軍団に近い。
「オレが飛竜を解放して純血をまとめて叩く。アンタ達はエルを何としても捕まえてくれ。エルさえ押さえたら士気は下がる。その後はゾレンの王族として好きにしたらいい」
「しかし、ユオン……オマエはまだ、おじさんの飛竜を使える状態ではないと――」
 少年は赤い焔の獣を、一切使っていない。歩みを支える力にはなったが、英雄を脅かしてきた狂える獣を、制御ができる実戦経験はとてもではないが無い。
「暴走させるくらいでなきゃ、エイラの連中の足止めにはならないだろ」
「アンタねぇ。そんなことをしたら本体のアンタが、その後どうなると思ってんの。誰も飛竜を止める余裕はないし、その上アンタは単独行動するわけなんだろ?」

 飛竜を爆走させている間、少年は湖の遺跡に侵入する気でいた。少年の妹だけが入れる遺跡は、つまり竜種の血を持つ者だけが通される、と魔道士の女が教えてくれたからだ。
「ああ。色々何とかなって、飛竜だけが邪魔な状態になった時には、コイツを使って」
 ひょいっと少年が王子に手渡した抜け殻蛇に、がーん! と抜け殻蛇が大口を開けた。
「暴走飛竜は最悪、コイツに喰わせて。それで多分、何とかなると思う」
「それは酷いにょろ、キラ! さすがのオイラも火焔抜け殻になるにょろ、シヴァちゃんやキラの肩に乗れなくなるにょろ!」
 今まで少年の肩にある抜け殻蛇をちらちら見てはいたが、追及はできなかった王子と魔道士の女が青い顔をする。何だこれは……と、がさがさの体を手に取っている。

 にこにこ王子達をいなす少年に、国王が諦めたように間に入った。
「ライザに似て頑固な奴だ。あやつも何処をほっつき歩いているかは知らぬが、己の飛竜が戦地に現れたとなれば、さすがに異変を悟ることだろう」
 それはあまりに不確定な要素で、王子と魔道士の女は不服そうに押し黙る。英雄がまだこの地に現れないのは、本当に幽閉から解放されたのか、という疑いすらも持っている。
 だから少年は誰より楽観的に、重い顔の王子に笑いかけた。
「サンキュ、キル。今までエルを守ってくれて」
「……ユオン」
「オレと違って、キルは親孝行してやってよ。ソイツ、国王やるので精一杯だったけど、今はキル達の親をやることを選んだんだ。悪い神とやらに(そそのか)されてさ」
 は? と王子が当惑で表情を固める。国王は何も言わずに難しい顔だけをする。

 国王と行動するようになってからは、ずっと外していた黒いバンダナを少年は巻いた。英雄の子供の面影が消えて、赤い目のヒト殺しが戻ってくる。
 最後は笑顔を完全に消すと、動き始めた運命の時を告げた。
「さあ、あらゆる化け物の狂演の始まりだ。何があっても生き残った者だけが、望みある世界の形を知れ」

 「生」の熱を取り込んだことで、少年は命を吐き出すことができなくなった。そのことにはためらいがなく、赤い獣を引き受けることを決めた。「束縛」の熱を知ってしまったら、少年がその道を選ばない世界はなかった。
 それならこれで良い、と思ったのだ。命の代わりに炎上する赤い焔の獣を、右手を宙に掲げて吐き出す。
 真っ赤な呪詛が視界を染めて、少年の全身全霊が焔と化する。ここまで何とか残った僅かな想いすらも、炎の血に座す赤の鼓動が食い荒らしていく。


 事故だったんだよ、と。この数日間、交代で見張りを立てて森に隠れている間、王子と二人になった時に少年は伝えた。国王は決して口にしなかっただろうことを。
「アンタが見たのは、国王の力で滅多刺しにされた母さんの姿だって。そう言ってたな」
 川辺で水を汲みながら、王子は少年に、自分の親を殺した者達を何故恨まないのか、と問い詰めたのだ。王子は父を、恨んでいると。その光景を今でも悪夢に見ると。
「……アイツが壊そうとしたのは、多分、盾だ。普通、敵わない力が来るとわかってたら、母さんが盾で防ぐってアイツも思うだろ。でも母さんは、そうしなかった」
「何で……そんな」
「あの盾にはああしてエルを、自在に空に運べるような力がある。オレにも何も判らないけど、あれを持ってた母さんが、みすみす殺されるわけがない。盾は無事に残って母さんは死んだなんて、他に原因を考えようがない」
 国王に母を殺す気はなかった。おそらくは盾が宿す力を奪おうとしてのこと。根から真面目なあの国王は、何も言い訳をしなかっただろう。それが周囲の不信を買っても。

 少年と同じで国王の心を、唯一感じ取っていた者。今日も青い空を駆ける殺戮の天使は、大事な聖地に突然姿を顕した、燃え盛る赤い焔の獣を目にしただろうか。
 飛竜の馭者となった少年からは、今ある竜の残滓が吹き飛んでいく。少年として伝えておいた方が良かった事は、もう大体の相手に言えた。指先から脳髄まで赤い焔が満ちる。

――……何で、殺さないの?

 意識が遥かに遠ざかる前に、黒い柄の剣を背にかける鞘から抜いた。あともう少しだけ、この少年として取るべき行動を遂げられるように。
 赤い焔の獣に襲われ、混乱に陥る軍営を横に、少年は冷たい湖に入った。何人をも常に押し返すはずの結界の静水は、少年を取り込まんと内向きの大きな波をすぐに立て始めた。

 聖地には、オセロット・アークしか入ることができない。空にも侵入を(はば)む結界があるのに、強い機動力を持つ盾を駆る少女は、湖からの侵入者を阻むはずの荒波に味方されて、湖上の遺跡に流されるのだと魔道士の女は少年に教えた。
 遺跡から出る時は深く潜って、盾に縋って荒波に抗うらしい。「神」という災いを封じる聖地のその仕組みは、湖に入ってみればザイン大使に近い匂いがした。昔から治水を司る高名な魔道家のフィシェルが、結界の敷設者だと実感でわかった。

「……げほっ」
 遺跡まで波に揺られる間に、大量の水を飲んだので必死に吐いた。少年が水竜のままであれば大した負担ではなかったのに、バンダナと剣を流れから守っただけでも一苦労だ。
 赤い焔の獣を手なづけ、飛竜になりきっていれば入れなかっただろう遺跡。間に合った、とバンダナをしぼって巻き直すと、扉を探して遺跡の中に入った。四角い横長の石の建物。
「……中は無駄に、広いんだな」
 入口から続く中央の主広間の、側面にいくつも部屋と扉がある。宝物をしまう場所には事欠かなさそうで、囚人がいるのはおそらく最奥だろう。気配を探知するのは苦手な少年なので、単純に一番大きな広間にそのまま入って進んだ。
 奥側で天井から雨を通す天窓の下に、水盤が掘られて柱に囲まれている。水盤の前には祭壇が、後ろには書庫とそれに続く裏庭がある。

 そして果たして、書庫の隣室から人影が出てきた。水盤をよけて祭壇の前まで来ると、その白い髪の女は天窓の光を背にして、心から楽しそうに口を開いた。
「お帰りなさい、ユオン。悪夜からきいて、アナタのこと、ずっと待ってたの」
 長くてまっすぐな髪は、白一色に。青かったはずの目は、金の光を宿しているが、王子の夢でも見た姿の者。この少年の母の遺骸を使う、白い「神」がそこで淡く笑っていた。
「あ、本当の名前はユオンじゃなかったね。わたしの大事な子供の体を、私と同じように乗っ取ってしまった、未来から来た『神』。アナタの名前は、いったいなぁに?」

 ずきん、と。白い「神」が清らかに微笑んだ直後に、少年に怒涛の記憶が流れ込んだ。
 それは白い「神」が、他ならぬ少年の姿をする者に頼まれて、直に奪って保存していた光景。
――エルは多分、記憶を封じられてる。
 この白い「神」は、ヒトの記憶を操ることができる。それはすぐ近くに現れて、接触した者に限る。だからこの遺跡に独りで閉じ込められて、誰の記憶も奪えないようにされている。
「凄いよね、時間を旅することができるなんて。でも私には全然、アナタの辿った世界を理解することができなくて。アナタはどうして、私達に協力を求めてまで、ユオンの体を奪ったの? 大変だったでしょう? ユオンを上手く動かして、その心を消させることは」

 消えるかもしれない。ごめん。
 どれだけ呪詛が呻いても親友を助けられずに、「束縛」の熱を知ったのなら、少年はどうあっても赤い焔を己が「力」とするだろうに。
 けれどこの無邪気な白い「神」は、触れた記憶を夜に咲く光景として知るだけなのだ。

「……エルの記憶をもう戻せ。オレの名前は、あんたにきかせても意味はないよ」
 白い「神」は、ただ悪い「神」や少年に従い、そばに現れた少年や少女の記憶を奪っただけ。この相手自身には、何かを成したい心はない。いいよ、と他意のない顔で笑う。
 少年の最後の仕事は、ある意味この一つだった。外では王子達が必死に、殺戮の天使や軍を止めたり飛竜から逃げたりしているだろう。
 妹はザインの誰かが聖地を封印しているとこの相手に教えられて、手当り次第に現れる強い化け物を倒そうとしてきたはずだ。ザインに実の兄がいるはずのことや、様子を見に来た王子達に心が向けば戦意が変わる。
 一時的にそれらの雑念を消す必要があったのは、今でこそ一騎打ちで終わっている戦いが、「兄さんを助けるため」とザインを炎上させた。そして多くの化け物の殺戮につながった世界を、この焔は見て来たからだった。
「感謝してる。エイラに利用される前に、あんた達がエルを確保してくれた」
「えへへー。だって、アナタに教えてもらったもの。アーク、本当は、第三峠に行くはずだったんだよね? そこで小間使いみたいにされて、大事な魂も外して奪われて、秘宝が沢山眠るザインに送られる。ついでにエイラのために、殺戮をさせられるんだって」

 少年が親友を失い、黒い鳥の剣となること。その歪みなき宿命を受け入れるまで、呪詛は赤い焔の行く末を知らなかった。
 そこでは妹だけでなく、人間の国の王女の娘や黒い鳥も、純血の奴隷とされていった。エイラの純血にディレステアが恭順を示した結果だ。
 ザインか聖地に大きな災禍が起こる。それはひとえに、殺戮の天使が何処に顕れるかによるのだ。

 少年が少年自身として辿る道では、少女は災いを起こす前に殺される。新たな赤い焔を手にした時には、少女はゾレンを出て災いと化す。少年が消えていない世でも。
 初めはまだ少年が消える前で、ザインの炎上を傍観しかできなかった。此度は少年を消してでも赤い焔の獣を放ち、妹を止めたことで変わる世界。
 上手くいかなければ少年はまた、引き返していくしかない。もう何度も繰り返しては、真っ赤な呪詛だけが憶えていく軌跡。

「ねぇ。私は結局、ここから出られるの?」
「……」
「そっか、無理かぁ。悪夜に会いたいなあ……いつになったら、私、悪夜と本当に一緒にいられるのかな?」
 この白い「神」を外に出すには、聖地の封印を解かなければいけない。その気は元より少年にはない。どうせいつかは解放されてしまうが、わざわざ時期を早めることはない。

 そう思っていたのに、その「神」の使者は顕れてしまった。少年を侵す真っ赤な呪詛を支配していた、悪い「神」の差し金によって。
「――そんなことないよ、白夜。悪夜はもう、今、ここにいるよ」
 元来は泥の蛇であるくせに、今では竜種の者とも言い得る幼女。
 少年にも遠縁にあたる神託の巫女が、広間の扉から入ってきた。少年と同じように竜種の縁で、聖地を囲む湖に運ばれて。


 預言の神殿はかつて、第三峠の女大使が築いた物。その巫女は初めて会った時に、そう成り立ちを説明してきた。大使になる前の「神」が「空の光」を持っていた頃、寝床に使った人世の拠点。その後「空の光」の変遷と共に、管理者が変わっていった。
 「空」とは世界が、天上を覗き見る窓。世界に降りた光は地上を巡って天に戻り、世界の有り様を空に映す。だから光を扱う者は預言を行え、巫女にはそこから託宣が下る。

「お待たせ致しました、我が神。貴男から賜った神託の下、ただいま参上致しました」
「……」
 少年に(ひざまず)く巫女の足下の床が、次の瞬間から小刻みに揺れて動き出した。天井から埃が降り始めて、石の建て物全体がこすれて軋みをあげる。
「この通り、ディレステアからゾレンまでの地震も導き、私の役目は全て終わりました。後のことは、我が神、貴男のご決断ただ一つです」
 預言の神殿に閉じ込められた、「悪神」に仕えていた巫女。少年の斜め後ろにいる「神」が、揺れる周囲をぐるりと見てから、不思議そうに首を傾げた。
「あれれ、デルちゃん、これは地震なの? それに悪夜はここにいるって、どういうこと?」

 真面目な報告姿勢から一転、にこ、と微笑むと、巫女は立ち上がって後ろで手を組んだ。
「白夜。その子が今は、悪夜の翼を持つ本体なんだよ。前の依り代なピア・ユークの体はまだ神殿にあるけど、あれはもう、他の影達と似たようなものなの」
「そうなんだ? じゃあこれからは、ここで一緒にいられるの?」
 ひし、と少年の腕に掴まる白い「神」は、母の体を使うのに少年より背丈が低い。幼げな白い「神」に対し、幼女の姿なのに大人びた巫女は、そうだといいね、と微笑みを返す。
 白い「神」を閉じ込めるこの遺跡には、伊達に結界が張られていない。湖の荒波は一方通行で、オセロット・アークの赤い鎧や空飛ぶ盾のような助けがなければ、入れても今度は出ることができない。
 巫女はそれを承知で来たのだ。黒い闇の翼を持つ真っ赤な呪詛が、英雄や妹を滅びゆく運命から引き上げ、後の世で少年に仇を成す「悪神」と「忘却」も始末したい。そう言って協力を求めたために。

 白い「神」は、何もわかっていない。間近で奪った相手の記憶を見ることはできるが、悪い「神」のように、目前に在る者の闇を内まで探れる性質は持ち合わせていない。
「……あんたを殺せば、聖地の結界が解けて沈むときいてる。だから悪夜は、長く仕えるあんたのことだけは、今まで(めっ)さないで来たと」
 預言の神殿に閉じ込められる悪い「神」が、影しか外に出られない理由。神殿と遺跡の結界はどちらも巫女の命と共に在って、巫女を完全に殺せば解ける。
 しかし巫女を殺すとその時点で、白い「神」のいる聖地が湖に沈む。白い「神」と共に在りたい悪い「神」は、この巫女のことだけはむしろ守らなくてはいけなかった。

 黙って剣を抜いた少年に、白い「神」が、え? と首を傾げて手を離した。
 巫女はこうなることをわかっていたように、刃先がつきつけられても微笑んでいる。少年には巫女を余すことなく、焼き切ってしまうことができると知っていながら。

 巫女はまるで、少年を憐れむような儚い声で言った。力の瘴気は全く纏わせずに。
「そうして貴男も、一緒に湖に沈むの?」
 「悪神」の黒い翼を持つから、少年は時を渡れる「神」となった。それは遥かな未来のことで、黒い翼を引き受けたことで、その時の少年自身の心は闇に消えた。
 そして現在、この過去にやってきた少年は、自身である者に真っ赤な呪詛として憑いた。本来ならただ闇から己を操るだけのはずが、黒い翼に与えられた赤の鼓動が、少年の過去の己まで塗り潰している。今まで出会った王女の娘や黒い鳥が、よく思い出せなくなるくらいには。
「そしたら君は、この湖の底で待って、未来でまた会えるのかしら? 『悪神』になった君の心を、唯一、ヒトに留まらせた大事なコに」

 黒い柄の剣を握り締める、呪詛の少年の視界が(くら)む。踏みしめて耐えている石の床も、くらくら重く揺れ続けている。外の湖畔で暴れる赤い焔の獣は、少年の力をどんどん削っていく。
 遠くて赤い空の下で、知らない誰かの影が揺れる。薄れゆくここでの記憶と引き換えに、少年の目線を奪っていく、届かない鳥籠の赤い髪の娘。

「……あんたは……生まれてから死ぬまで、全部他人の都合だけど、それでいいのか」
 少年に剣を向けられても、当然とばかりに動じない巫女。僅かでも瘴気の一息が残れば、これまで巫女を殺し切れる者はそうそういなかっただろう。
 しかしこの少年にはできる。沈水の香りを追い続ければ、巫女の最後の欠片まで焼き尽くせる。
 預言の神殿は数百年前、「悪神」などを任される羽目に陥った。その対価として、本来の後継者である二人の龍神を管理から解放することになった。それで泉の泥と竜人の目から巫女が造られたのだ。「悪神」を連れる竜人を送り届けた、反則の業を扱う悪魔によって。
「あたしは好きにやってきたもの。選択肢なんて、欲しがるのはほとんど人間や雑種よ。自分の生まれた『意味』の中で、どうして楽しめないのかしら」

 巫女は終わりを拒んでいない。それは壊れた五感で伝わってくる、純血としての矜持。
 同時に少年の手がどうしても動かない。それは巫女の声の中に、嘘があるからだった。
「あんた……は……」

 最初に会ったのは、少年が赤い焔の獣を受けて、ザインの事変が終わった世界でだった。
 何もかもが、おかしな事になってしまった。途方に暮れる呪詛の少年に、巫女から声をかけてきたのだ。どうして仕えるべき「悪神」が二人もいるのか、と。
 本当であれば、この時代の「悪神」に巫女は殉ずるべきだ。「悪神」と共に白い「神」――「忘却」の災いをまとめて封じることなど、助力する筋合いはなかった。
 なのに巫女は、いいよ、と壮快に笑った。今仕える「悪神」よりも、未来から来た少年を選ぶ、と。

――君がそーいう、重箱の隅をつつきに来るなら……。
 竜人の目が創造の要だった巫女は、純血として暮らしながらも、竜人に憧れる心だけは消せなかったのだ。
 使われた竜人の目は、少年の叔父である好青年や、母の祖先の傍系らしい。預言の神殿や聖地に「悪神」と「忘却」を連れて、殺せない「神」を匿うように託した者の。

 巫女の要が竜人の目である限り、この巫女にも寿命がある。巫女が自然に滅んだ後は結界が脆弱になり、「悪神」も「忘却」も人世に大きな介入を始める。その前にこの湖の底に沈めておけば、解放される時期が少しは先に延びるだろう。
 それでもいつか、かつての聖なる湖から数多の宝が発掘される未来を少年は知っている。この遺跡ごと沈めた場合、二人の「神」がどんな姿になるかはわからないが、いずれは何かで世に顕れる。

 剣を下ろさないまま、俯いてしまった。
 世の災いを封じる機会を、逃す理由はなかった。けれど巫女の命を奪ってまで、封じる理由もなかった。
 時間稼ぎだけで良いなら、他にも方法を探せるはずだ。少年の迷いに幼い巫女は、不思議そうな顔で見上げる。
「君が悩むところ、ちょっと違うんじゃない? 白夜はここで、沈めればいい。けれど、あたしが死ねば結界は解けるんだから、君は白夜を拘束して自分だけ逃げればいいの」
「…………」

 白い「神」は少年の隣で、きょとん、と首を傾げている。物騒な話をされているのに、少年や巫女のことを危険とは疑っていないのだ。
「『悪神』の翼を、君は制御できてるじゃないの。君まで災いとして封じられることはない。妹ちゃんや英雄くんの所に、帰らないの? 『悪神』の君になったからって、飛竜を自分の一部として動かす、炎の血は消えてないでしょ?」
 それは巫女の言う通りでもある。水の竜としての少年は消えた。それでも家族の記憶がないのは初めからで、今ここにいる赤い焔の獣の少年も、大事な場所に居る資格はある。

「竜はホントに、きれいなものや、公平なことが大好きなのよね。でもそれじゃあ駄目よ。幸せってね、奪わないと手に入らないの。平和に分け合える環境なんて、ただの幸運」
 突きつけている青銀の刃に、巫女が小さな左手をそっと添えた。
 全く同じことを、初めに話した時にも巫女は言った。巫女自身は何も持ってはいないのに。
「何かの犠牲で自分が成り立ってるなんて、生き物なら当たり前なの。君の妹ちゃんは、きっとここで沢山の死者を出した。英雄くんも長い戦いの中で、奪い続けてきたでしょう。あたし一人相手にためらうなんて、正しくないと君はわかってるのに」
 いつまで縛られているのか。そんな風に問いかける巫女に、少年はいったい何時の合間に、何をどこまで話したのだろう。何度戦い直してみても、助けられなかった親友のこと。

「でも……――」
 ゾレン王城で巫女が斬り刻まれた時、少年は助けの手を出さなかった。この場で呪怨の剣を汚すことが嫌なだけなら、巫女の言う通りに酷い欺瞞だ。
「でも、オレは……多分……」
 巫女がディレステアを訪れた後も、ずっときけていない答があった。この相手が少年を自分の仕える神として、ここまで助けた理由は結局語られていない。
――あんた、何でそんなに、俺と話したいんだ。

「あんたの言う通り、竜の俺は多分、キレイな鳥を探してたんだ……でも、今のオレは、あんたからのこたえを聴きたい」
 はい? と、終始余裕の表情だった巫女が、ここにきて茶色の目を丸くした。
 少年に何度も、巫女は尋ねた。どうして人間の国に肩入れするのか、と。

 だから少年も、勝手に先走った答を尋ねてみるだけ。
「あんた、オレのこと、好きなんだろ。どこがそんなにいいんだよ、こんな奴の」


 しん……と。揺れる空気が、いつしか治まっていた。
 眩暈が止まった。どうしてこうも、長く、大きく揺れ続けていたのか。様々な天意が少年の焔を巡り、不自然な地震と共に散る。

 はぁぁあ……と。手を垂らしてから軽く握り締めて、巫女が無念そうな声を出した。
「ああ……いい雰囲気の、欠片もないんだから……」
 少年はまだ、巫女に剣を向けたままだ。こんな体勢で聴くことでは、確かになかった。

 白い「神」が、隣で両手を祈るように組んだ。はらはらとして二人を交互に見ている。
 場におかしな緊迫が満ちた。心残りを言葉にできたことは良かったが、巫女も負けじと両腕を組む。
「教えてあげないし。君があたしとここで心中したいって言うなら、望むところだし」
 死ぬまでもやもやするといいわ、と言わんばかりの不機嫌さだ。
 「神」の翼を持つ少年は、湖の底に沈んでも真には死なない。それこそ時の闇に戻るだけなので、いつまで疑問に思い続ければ満足してくれるだろう、と見つめる。

 幽閉されている「悪神」に、長く仕えてきた泥の蛇。
 新たな「悪神」に乗り換える気になったのは、好意だけが理由でないのはわかっていた。
 巫女自身はそう思っているかもしれないが、この巫女はヒトに丁重に扱われる機会が、これまで乏し過ぎたのだ。
 そんなものだ、と純血の本能でわかっていても、ディレステアでの厚いもてなしも、少年との短い旅も、巫女はとても楽しんでいた。その楽しさが少年に伝わってきて、知らず警戒心が緩む程に。

「そっか。オレも、あんたの道連れで別にいいよ。あんたといるのは、結構楽しかった」
 ヒトを煽り立てる瘴気を吐いて、悪事を行わせる「神」の番人をする巫女。間違いなくいずれも人世の災いだろう。少年の害になる未来はなさそうなので、巻き込む決意を簡単にはできなかった。
 妹より小さい幼女の顔でも、この女たらしめ、と巫女は不服そうだ。少年と同じで悪い何かで、好きな者に殺されるなら嬉しい性質だろう。それなら躊躇う理由はなくなる。

 父と妹を、黒い鳥の犠牲なしに助けることができれば、少年はもう未来に帰る。赤い焔の獣を御する今の少年の心が去れば、空っぽのこの体は自然に還るだろう。「悪神」の黒闇に乗っ取られるかもしれないが、それこそ「神」の災いをまとめて封じられる好機だ。
 初めからそのつもりだったのだ。時を渡る「神」にとって、これはただの旅の一つで。

「――ダメ。わたしの兄さんは、渡さないから」

 しかしそこには気ままな天使が存在していたことを、少年はさすがに変えられなかった。
 タイムリミットだった。心から怒れる赤い鎧の少女が、天窓の広間に舞い降りていた。

◆急◆ 世界の果ての少女

◆急◆ 世界の果ての少女

 
 勝てない相手に、連日抗う。ああ、どうして、こんなに苦しいんだろう。少女は毎日、今にも聖なる湖を投げ出しそうに追い詰められていた。
 雑種の国で殺戮の天使に育った少女は、自身の鎧に魔法や打撃が通じないことは知っていたが、同じように少女の攻撃を無効にする化け物がいるとはつゆも知らなかった。

 聖地を封じ続けようとする化け物が姿を現わすまでは、戦いを続けなければいけない。聖地に囚われている白い髪の女が、どうして大事なのかも思い出せないのだが、少女だけが会えて優しく笑ってくれる淋しい相手。
 力になりたい。少女には他にやりたいことも、できることも思い付かないのだから。
「ねぇ、ナディ。一緒に外に出て、世界の果てを探しに行こうね――」

 最初はザインの警備隊が相手だった。同じ雑種でもゾレンの兵士とは戦い方が違って、個々の能力に頼るよりも連携して動く者が多い。一対一が得意な少女には戦い難い。
 その内に大きな剣を持って、顔を隠す外套の男が現れてきた。宝の盾で空を往く少女に見えない翼で追いつき、男の剣戟が少女には通じないが、少女の鎌の斬撃も何故か勢いを失う。
 少女が撤退すると、男も深追いはしてこなかった。もしも追いかけられたら、少女は恐怖で膝を屈していただろう。男の目的は戦線を膠着させることにあったようで、ザイン側でも少女側でも死者は少なかった。山の間の盆地なので、一度に大量の軍の展開もできない。
「大丈夫だよ、アーク。ここにはアーク以外、入ってこれるヒトはいないんだから」

 白い髪の女が言ってくれることは、戦況としてはわかっていた。それでも一回り以上も大きく、気配も剣筋もよくわからない男と、少女が戦わなければ士気が下がってしまう。
 男の気が何処かで変われば、少女が疲れた時に捕まると思った。そうなれば白い髪の女に会えなくなるし、少女を信じて慕ってくれる化け物達にもがっかりされる。沢山の兵士が負傷しても堪えて戦っているのに、前に出るのが怖いなんて誰にも言えない。
 確実に目の前が暗くなっていく日々に、その赤い焔の獣の出現はとどめを刺した。

 無傷だった後方の化け物達が、炎を纏う大きなトカゲに蹴散らされていく。それが飛竜という獣であるのを、少女は知らなかった。
 あまつさえ、それでなくても強大な獣が、他者の「力」を無闇に爆発させる少年によって災害級の嵐にされているとは。

「もう……――だめ……」
 ゾレンの兵士にばかり戦わせて、何もしない後ろの化け物達のことは好きでなかった。それでも燃え上がって苦しむ大量の仲間の姿は、戦いなど好きではない少女の心を折った。
 外套の男の相手をやめて、赤い焔の獣の方へ向かった。背中を斬られても不思議でない隙だらけの状態だったのに、驚くことに外套の男は、少女と一緒に赤い焔の獣を制止しに入った。
 男の攻撃を観るのではなく、少女に対して発する気配を感じた時に、その男にはまず殺気がないこと。少女を守ろうと足止めをしていた心に、やっと気付いた少女だった。

 一度聖戦に祭り上げられた殺戮の天使を、殺すか捕らえる以外で戦いから下ろすことは、誰にとっても容易ではなかったのだ。外套の男に加えてとても強い化け物が三人、少女を助けるために場に加わった。
 暴れる赤い焔の獣からまず、疲労した少女は引き離された。二人組で動く青年と魔道士の女と、外套の男が獣の相手に残る。
 大事な盾を落とした、と戻ろうとする少女に、最も強いからこそ少女の奪還を任された壮年の貴賓が、赤い鎧ごと少女を抱きしめて必死に止めた。
「もう良い……もう良いのだ、エルフィ」

 どうしてなのか、その場で少女は泣いてしまった。今までずっと、この相手にはいつか、そんな風に呼ばれて甘えてみたい。そう思ったことがある気がして。
 その心を本当に思い出せたのは、初めて体験する大きな地震が起こる直前だった。外套の男が少女を守りに来た理由はわからないままだが、止めに来てくれたのは誰もが大事な、どうして助けてくれるかやはりわからない育ての家族だった。
「何で……わたしは、ゾレンを出たのに……」

 故郷にいた頃の少女は大概の者に疎まれていて、守ってくれたのは育ての家族だけだ。少女の意思で国を出た以上は、裏切者だと殺されなかったのが僥倖だと思っていた。夜の森から送り出してくれた育ての父が、優しい気配をしていたのは思い出せても。
 まだ場が大いに混乱している中、育ての家族が来た理由をよく聴ける時間はなかった。地震のために、湖面が激しく波打ち始めて、育ての兄がユオンは大丈夫か、と呟いた時、少女は全ての疲れや恐れを忘れて立ち上がっていた。
「兄さんが……中にいるの?」

 赤い焔の獣は少女の兄が、少女を確保するために放ったものだとそこで聞いた。秘境にいるはずの兄が参戦すること自体は不思議ではなく、兄が近い可能性を忘れていた自分に少女は愕然とする。
 慌てて止める家族を振り払って、盾を取り返して湖に入った。幼い頃に命がけで、少女を守ってくれようとした兄の元へと。

 母と同じ顔貌を持った白い髪の女がいるので、兄が遺跡に入ったのだと少女は思った。しかし彼女は母ではなくて、兄は入ることはできても、一人で遺跡から出るのは無理だ。少女は湖に入っても呼吸に困らない赤い鎧と、波に打ち勝つ盾があるから出入りができる。
 白い髪の女は泳げない上、強い波に当たると体が崩れる、と言うので、一緒に湖に出ることはできなかった。兄は大丈夫なのかはわからないが、もしも兄までこの遺跡に閉じ込められたら、少女は挫けている場合でなく戦い続けなくてはならない。

 そんな必死の覚悟でやってきたのに。
 兄らしき黒いバンダナの少年は、少女の全く知らない気配で。同じく見知らぬ謎の幼女に剣を突きつけながら、あまりに呑気なことを言った。
「そっか。オレも、あんたの道連れで別にいいよ」

 少女の中で、何かがぷつん、と切れた。
 持って帰ってきた大鎌を激しく振りかぶって、そう高くない天井と石床の間を盾で飛んで、兄と幼い化け物の間に飛び込んだのだった。


 どれだけ会いたいと思っていても、望みが叶うことはない。そんな兄との再会は、ある意味少女の予感が当たっていた。
 少女が憶えている兄は、あまり笑うことがなかったのに、黒いバンダナをすると気配に加えて顔まで変わる兄は、知らないヒトのように明るかった。
「だから、エル、ごめんって。エルには聖地にいてほしかったんだ、ザインに来られると駄目だったから、こうするしかなかったんだよ」

 途中でバンダナを取ってくれたが、顔は兄に戻っても気配がやはり違う。少女が兄達を忘れていたことにしても、白い髪の女に兄が頼んだ結果らしい。
「ひどい……大事なヒトが、ナディしかいなくて、わたし、すごく辛かったのに……」
 祭壇の前でぺたんと座り込んで、かれこれ半時は泣きじゃくる妹を、膝をついた姿勢で兄がなだめる。横でしゃがむ白い髪の女が、よしよし、と少女を撫でる。
「ばーか、ばーか。妹ちゃんはもっと怒るといいよ、あたしは最初、止めたからね?」
 何故か祭壇の上にでん、と座って、背が低いのに一行を見下ろす幼女が真顔で言う。
「聖地の方がいざっていう時、遺跡に引きこもれる。妹ちゃんがここにいるべきなのはそうだったけど、それなら先に説明しろって話だよね」

 何やら兄を道連れにしかけていた幼女に、少女は反感を持ってしまっている。言う事は何となくわかるものの、誰にも頷けずに涙が止まってくれない。泣き癖がついたように喉元は嗚咽が止まらず、先刻から一生分と言っていいほど涙したかもしれない。
 疲労困憊もあいまって動けない妹に、兄はずっと困った笑顔で、最早誰も遺跡から出るどころではなくなっていた。

 少女がいつも使っていた横の部屋へ、泣き疲れて倒れた少女を兄が運んでくれた。案内する白い髪の女は、「ここに棲む人が増えた」と楽しそうで、兄は魔道の通信をするためと言って、白い髪の女に少女を任せて、通信者たる謎の幼女と裏庭に行ってしまった。
 鎧を全て白い髪の女が外してくれて、久しぶりにとても軽い全身で少女は眠りに落ちた。それから少女は、三日続けて眠っていたという。
 目が覚めた時には、聖地の湖畔からは化け物達が去っていた。育ての家族は全員、少女を心配して残っていると聞いて、少女が外に出るのはまだ早い、と謎の幼女が通信をつないでくれた。体が信じられないくらいに重くて、喋っている内にうつらうつら、と(まぶた)が落ちてきて、いつもの冷たい闇に還った。

「可哀相に。新しい適合者を見つけないと、脱がせたところであの鎧に囚われたままよ、この子はこの先」
 謎の幼女がそんな風に、兄に喋っていた。
 兄は色んなところとの連絡が一段落すると、あとは少女の傍について、隣の寝台に座って頭を撫でたり、水を飲ませてくれたりした。
 今まで少女は、湖畔にいる兵士に食事を分けてもらっていたのに、兄は何か食べれているだろうか、と心配になった。少女が大量に持ち込んだ干し肉を何処かで勧めたはずだが、兄がどう反応したかが思い出せず、そうして一週間くらいは、夢現に時間が過ぎていったのだった。

 ◇⑨◇ 第二峠

 ◇⑨◇ 第二峠

 
 二週間の休暇、と突然言われて、何処に隠れようか少年は困った。王妃のいる第五峠や育ての父のいる第二峠を勧められて、迷った末に二週間だけなら、と第二峠を訪ねた。
 復帰したばかりのザイン大使――流麗な赤い髪と目を持つ育ての父は、見慣れた黒衣で来た少年を歓迎してくれたが、ついた日に突然魔道通信が入った。相手は預言の神殿の巫女で、聖地にいる「忘却」に英雄の息子を会わせたいから、ザイン大使に力を貸してほしい、と伝えてきた。
「いくら神託の巫女と言えど、どうしてユオンがライザの息子だと知られて、ここに来たのもわかっているんだ?」

 当然の話、ザイン大使は巫女を大いに警戒した。少年もわけがわからなくて、神託って凄いな、などと思っていた。
 仕事が山積みであるはずなのに、ザイン大使が少年を連れて、巫女に会いに行くことになった。第二峠のレジオニスの女大使が巫女を嫌っているため、大使館を通して招くことができなかったからだ。
 自分だけで預言の神殿に行く、とザイン大使を説得しても通じなかった。第二峠からは預言の神殿も聖地もそう遠くなく、道を知っていれば化け物の足なら一日で着ける。少年には場所がとんとわからなかったので、結局大使に頼るしかなかった。

 神殿のある山斜面についた時に、少年は意識が遠くなった。水底の土にまみれた木片のような、沈水の瘴気を落とす大岩とまばらな林のある神殿。
 その瘴気には、「神」を活気づける作用のあること――常人に使えば煽動状態にさせてしまう「力」に、大使が激怒して辺り一帯を焼き払おうとまでした。
「やめてー、貴男があたしの弱点と知ってて招いてるのに、先に話くらいは聴いて!」
 第二峠ザイン大使は、治水の家系でありながら強い火を持つ。倒れた少年は巫女の使う側殿に運び込んで柱の間の石台に寝かされ、巫女が始めた説明の内容は聴こえていた。

 巫女はザイン大使に、率直に言った。
「あたしの神様が、近々にザインが炎上する未来を知ったから実行しよう、なんて悪事を言い出したんだけど……どうしてくれるの?」
 何の話だ、と大使は絶句した。あたしがききたいわよ、と巫女も、寝かせている少年を見下ろしつつ嫌そうに説明をした。
「この子、『悪神』の翼を持ってる、と悪夜は言うの。この子の翼が未来から来たから、同時に存在するうちの『悪神』にも未来の記憶が共有された、ってね。そんな謎の面白いものを見て、あの悪夜が遊ぼうとしないわけがないでしょ?」

 何もかもが、おかしな事になってしまった。赤い焔としても黒い鳥の剣となることを選んだ先に、蓋を開ければ各地で黒煙を上げるザインの山々。
 途方に暮れた自身を思い出して、少年は金の眼光の目を開けた。巫女の瘴気で力付けられた、真っ赤な呪詛の少年の心で。
 それは本当なんだ、と。「神」の目になって起き上がった少年に対して、魔道という世の原理に知悉(ちしつ)するザイン大使は、巫女の話を聞かなければいけないことを悟っていた。

 ザインの事変が終わった後で出会った方の巫女は、少年が過去に引き返す気であれば、自分を巻き込め、と言った。「悪神」や「忘却」を利用した上、封じる形になっても手伝う、と。
 「悪神」が何故、ザインに戦乱を起こすように動いたのか。「悪神」からされる未来の話を、その時の巫女には信じられなかった、と言った。しかし現に、二人も存在する「悪神」に巫女は出会った。そして少年に助言したのだ。事情を知らなくても自分であれば、この少年に主君を乗り換えるだろう、と。
「それが、オレの会ったあんたの伝言。こっちの『悪神』はザインが炎上する未来をまず知ったみたいだけど、それは今のオレが見て来たばかりの記憶。ザインを炎上させた方の『悪神』は、過去を見て回ったオレそのものの記憶を知ったんだと思う。英雄とその娘の存在や、ゾレン王との確執やディレステアの秘密。本来ならそういう世情の事は、あんたも少ししか『悪神』には話してないんだろ。世界をよく知られて、大それた悪事を企まれて、影を使って派手に暴れ出されたらあんたが困るから」
「うっわー……確かに、あたしなら言うわ、それ……」

 ザイン大使は始終難しい顔で、少年の気配を窺いながら話を聞いていた。真っ赤な呪詛に侵されたこの少年は、炎の血が強まることにはすぐに気付いた様子だった。
 少年が、謎の「神」を憑依させてまで、ザイン大使を騙す理由がない。そもそも呪詛の少年が過去に来たのは、とても大きな一つが大使に関係していた。それは大使の息子のために。
「オレはキラを助けたくて、行ける所には全部行って、できる事は何でもしたから。その記憶をこの時代の『悪神』に知られたなら、正直何を起こされてもおかしくなくて」

 こうした瘴気の影響や余程の歪みを起こさないと、少年は過去の自身の陰で、己の行動に影響を与える程度しか介入できない。呪詛の記録を話せる機会は活かさなければならない。
「ひとまずはこいつの言う通り、今ここにいるオレの記憶を、『忘却』に消させた方がいいのは確か。一度『悪神』に知られた情報を帳消しにはできないけど、鮮明にわかるよりは動き難いはずだし……聖地の遺跡で『忘却』に会う方法、おじさんは知ってると思う。聖地が戦地になった時に、おじさんも湖の結界を強化しに来てたから」
 第二峠のレジオニス大使と、第三峠レジオニス大使が司る聖地は、「純血の領域」である前提が常識だ。その結界を維持するのがフィシェル家であることは、かなり重要な機密になる。
 それを呪詛の少年が知っていることで、ザイン大使も信じざるを得なかった。未来から来た「悪神」の話なんて、それこそ悪魔の囁きとしか言えない物語を。

 そして翌日、少年はザイン大使と巫女と共に、聖地の遺跡を訪れて白い「神」に会った。湖の結界の波に影響されない、フィシェル家秘蔵の水中舟で三人で渡ったのだ。
 素直で無邪気な「忘却」が、少年の母の体を新たな依り代にした者だと巫女に聞いて驚いた。「悪神」は母の姉の体を提供されているとも。その時点から少年は大きく方針を変えた。
「……親父を使って、ゾレン国王を、味方につけられないかな」

 「悪神」がゾレン国王を取り込み、エイラとゾレンが手を結んだことでザインの動乱は起こされた、と未来の巫女にきいた。呪詛の少年はゾレン国王がこの先、少年と戦っても死に、ザイン炎上後も軍を途中で止めた背信者として自国内で死ぬのを知っている。
 英雄はオセロット・アークが聖地の旗印にされた時点で、ゾレン国王が解放していた。ザインを炎上させる娘を止めることができず、娘の魂を人質にされて純血の奴隷となる。ゾレン国王の方も、王としては過ちである英雄やその娘の解放を、「悪神」に唆してもらったのだ。

 「忘却」の依り代が少年の母であったことで、ザイン大使もその案に賛成していた。
「ミリア・ユークの蘇生は難しいが、ライザの憎悪を薄めるくらいはできるだろう。飛竜の暴走さえ制御ができたら、ライザはもっと、自由に動けるようになるはずだ」
「じゃあ……やっぱり、飛竜はオレが引き受けるよ」
 じゃあ、とは。蛇の大使が飛竜を「束縛」に封じていると知らないザイン大使に、少年が必ず赤い焔の獣を得る未来を説明すると、危険過ぎる、と激しい反対にあった。
「そんなことをすれば、水の竜としてのユオンが消える。お前が未来のユオンであることは俺も認めているが、あのライザも持て余すほどの飛竜なんだぞ」
 でも他に方法、ないんじゃない? と、巫女が話にすっと割り込む。
「聖地にこれから集まるエイラとゾレン連合軍に、冷水を浴びせなきゃ停戦はできない。ゾレンはもう、エイラと通じてる。オセロット・アークはまだゾレンにいるでしょうけど、悪夜はとっくにゾレンに影を送ってるわ」

 赤い焔の獣の暴走以外に、広範囲で化け物達を叩ける圧倒的な「力」はそうそうない。ザイン大使には似た規模が可能と観えたが、そこには暴徒の要素が足りない。
(あまね)く化け物に等しく天罰を送る。馭者の消耗を含めて、そっちの方が公平でしょ。貴男はこの子が戦いを終えた時に、英雄一家の後ろ盾になってあげなければいけない。貴男が動いてしまえば大使職を失い、下手をすれば貴男もこの子も大陸中の化け物を敵に回すわ」
 冷静な巫女の言に、ザイン大使が押し黙った。少年にはとても説得できそうになかったので、巫女は既に少年の手伝いを揚々と始めていた。
「それじゃ、悪夜の誘導はあたしの役目かしらね。つまり英雄くんに悪事をさせるように、悪夜から唆してもらえばいいんでしょ? そして君の妹ちゃんは、聖地を出てザインまで戦いにいかないように記憶を消す」

 ザインそのものが戦禍を受けた理由は、オセロット・アークの進軍によるものが大きい。動乱が聖地で留まりさえすれば、第二峠ザイン大使の管轄内になるのだ。しかしそれでも、ザイン大使は怒りに肩を震わせたまま、巫女をきつく睨み返していた。
「……俺は、ザインなんて、どうなったっていい」
 ザイン大使の本音はそれだった。色々あって大使職をしてはいるが、故郷でなく人間の女のために、人間の国を守ってきたという方が大使の半生なのだ。
 それなら、と少年は大使に打ち明けた。人間の国もザインの炎上に巻き込まれて、純血の化け物軍団に恭順する。そうなってしまう前に、人間の国の軌道を知った姿に戻したい、と。


 最終的に、聖地を出る直前には、わけのわかっていない「忘却」に少年の呪詛下での記憶を全て消させた。第二峠にいたはずの期間が空白になるので、呪詛の少年がこの休暇の二週間に第五峠にいった場合の記憶を引き出し、普段の少年に与えてもらってごまかすことにした。「忘却」はヒトの記憶を消すだけの「神」ではないのだ。
 その後に少年の母の顔を持つ「忘却」の影を使って、ゾレンにいる妹を「悪神」が聖地に移した。これは元々「悪神」のやったことで、今回も近い状態にさせただけの話。

 少年が第五峠にいた場合の記憶には、ちょうど妹の存在を知ることができるきっかけもあった。
――ライザ殿はアナタの妹を、ずっと探しています。
 巫女の吐く瘴気から離れ、呪詛の少年でなくなった普段の己も、妹がいると知れば独自に動き始めた。ディレステアに帰ってすぐに、近くにいる抜け殻蛇――蛇の大使の分身に取引を持ちかけていた。
「オマエ……この二週間、何処にいって、何をしてきたんだにょろ?」
「第五峠で、王妃から聞いた。親父は王妃に、俺の妹探しをずっと頼んでて、対価として第六峠を守ってたって」
 ゾレンに英雄自身が捜索に帰れば、その時点でゾレンが赤い獣の炎の海になる。それで勝つことができるならまだしも、さすがにゾレンの化け物達も英雄ただ一人には負けない。
「俺もシヴァのそばを離れる気はない。妹探しはこのまま王妃に任せる気だった。でも、アンタに肚を括る気があるなら、アンタにだけはシヴァを預けられる」

 誰に遠慮しているかは知らないが、自分でいいなら協力する。そう言った少年に、蛇の大使は抜け殻蛇を通して、真剣に考えている沈黙がしばらく続いた。
 何故ならおそらく、本来気のいい蛇の大使は、少年に遠慮していたのだろうから。黒い鳥にもっと深く関わりたい、その気持ちを持っていながら。
 抜け殻蛇はその後、アイツと直接話すにょろ、と言って一旦話題を終えた。
 それから二日後、ディレステアに預言の神殿の巫女が訪れる前に、蛇の大使はこっそり少年に会いに来たのだ。いつも神出鬼没に現れる相手なので、来るだろう、と思っていた。

「まさか……少年が『束縛』の中身に気付いて、しかもよこせって言い出すなんて、なぁ」
 巫女に会うため、黒い忍の扮装を解いた王女が正装の準備をしている間に、少年は傍を離れて蛇の大使のいる裏庭に来た。案内したのは当然抜け殻蛇だ。
 少年を見る大使は指先に小さな守り袋を乗せて、本当に困ったような目付きをしていた。
「コイツ、まじでやばいぞ? 火の島の龍神なオレだから『束縛』できてるだけで、飛竜のない英雄さんも、心臓を半分失くしたみたいな状態だから。『解放』だけでなくオレの『体』の抜け殻も渡して、まだ暴れてる炎の血で頑強な鎧にさせてる厚遇ぶりだぞ」

 大使には他にも両手と両足、耳に声や舌などの抜け殻があるそうだが、大使自身の「力」を宿す両手は上司に取られて、返してもらえない状態とのことだった。
「でも前はソイツ、俺の体を温かくしてくれたんだけど」
「外付けだけなら丁度いいさ。でも少年は、コイツを取り込むって言ったろ」
 こくり、と頷く。実の父を脅かす赤い獣を、少年に取り込み直すことで、父への影響を和らげると共に少年に力をつける。一石二鳥のはずの案なのだが、誰もが反対する。
「目論見が外れたら死ぬぞ。元はオレが、自分の『力』にしたくてもらった代償なんだが、炎の血はともかく、飛竜とどうしても合わなくてさ。少年なら確かに両方に合わせられる可能性があるが、竜人の体が燃え尽きて炎の飛竜そのものになるのが一番有り得る」
「それならそれで、俺が失敗すればアンタがまた取り込んでくれよ。『束縛』が消えたら、それも難しいのか?」

 ウーン、と大使が酷く悩む。赤い獣そのものよりは、少年が竜に近付けた焔の獣の方が御しやすそうではあった。オマエが消えたら、シヴァちゃんが泣くぞ、と続いて嘆かれる。
 「束縛」や「解放」の「言葉」以外でだと、秘蔵の抜け殻「小心」では到底危うく、「先導」に呑み込ませたら可能な規模という話。
「シヴァを守る力にしてくれ。俺が成功した場合は、シヴァとの偽装婚約だけで我慢してくれ」
「そっちはまあ、シヴァちゃんが一度了承さえしてくれたら、まあ色々強引にいくけど」
 少し赤面している大使には構わず、少年はその場で約束を取り付けた。第三峠からの縁談の対策に、蛇の大使を偽装婚約者にする算段をつけると。王女の娘が二日前に、いっそキラが偽装婚約者になって! と叫んだ時に浮かんだ発想だった。
「色々、強引、って?」
「うん、まあ、な。神託の巫女や第二峠のザイン大使とは、オレも飲み仲間だから」

 どうやら大使は、これから訪れる神託の巫女と、先に何か話をしているらしい。巫女が呪詛の少年の目的を叶えるために、蛇の大使も巻き込んでいたことを少年は知らない。
 そして蛇の大使が少年には隠せるように、内心を階層分けする魔術を珍しく自身に行使していたことも、少年はさっぱり気付かなかった。巫女も同様に普段の少年には心を隠していたので、「悪神」対策で巫女から大使に勧めただろうこと。
「ディレステアを何とかしてやらないと、シヴァちゃんは幸せにはなれないと思ってな。今回の偽装婚約案にしても、シヴァちゃんが了承したとしても、心はただただ国のためだろ」
 それは少年も否定しない。一時しのぎのつもりだったので、大使ほど真面目に考えていなかった。

「偽装でも次のディレステア国王候補なんてなったら、オレも確実に命を狙われるし。マジで消される。けどこの調子でいくと、オレの守りを何も残せないんだよな……」
「?」
 首を傾げる少年に、多方面の内情を知る大使が、片手で頭を抱えて説明を始めた。
「いいか、少年。預言の神殿の巫女が来るだろ、その神託によってはオレとシヴァちゃんが偽装婚約をするだろ。じゃあそれから後に、起こり得る可能性が高い事態は?」
「ううん……忍のシヴァがひとまず自由になったら、第四峠の反乱部隊の鎮圧?」
「その通りで、少年はそっちにいくか、英雄さんと妹の捜索に回されるだろ。多分シヴァちゃんの性格なら、家族を探させる。王女とシヴァちゃんの護衛がそこで足りなくなる」

 そして、と。最初に会った時の冷たく鋭い目線に戻ると、大使は厳しい現実を言った。
「この人間の国で絶対守らなきゃいけない相手は、王妃とシヴァちゃんなんだ。羽衣の君、アディ・ゾーアじゃなくて」
「……」
「オレが出せる守りは一人で、ソイツは王妃に回さなきゃいけない。シヴァちゃんは自分一人なら守れると思ってるだろうが、そっちも心許ないから助けがいる。しかし、羽衣の君がディレステアに王女として残る場合、シヴァちゃんも第四峠に行き難いだろう。普通、一国の王女、それも婚約したばかりの王族が、反乱鎮圧の指揮になんていけないからな」

 黒い鳥が王女の娘の護衛を続けるなら、ディレステアの窮状は変わらない、と蛇の大使が言う。後に王女の娘の護衛問題は、王妃からの派遣で何とかなるのだが、大使がここで状況を整理してくれなければ解決は後手に回っただろう。
「他にも各地で、気になる動きがあってな。あと少しだけ、動かせる人手がいるとすれば……ううん、どういう状況になるにせよ、頭が痛い……」

 少年は蛇の大使が、自身の抜け殻を置いている所で、抜け殻に見えて聴こえる情報なら得られることをはっきりとは知らなかった。だから、大使の抜け殻を与えた英雄が何処にいて何をしているのか、まず生きているかをとっくに把握していたこと。
 この時大使は、ザイン警備隊にいる知り合いを思い浮かべていた。少年は警備隊に捕縛されたことがあるが、その知人から鍵を借りて大使が少年を解放している。英雄のことも本当は心の奥で考えていたが、沈められた領域で少年の壊れた五感には感じ取れなかった。
「まあ、そういうわけだから。代わりにオレを、守ってくれ?」
 具体案を出さずに曖昧にまとめた大使に、その時から違和感はあった。まさか蛇の大使がその場で英雄を利用することを思いついて、もう会いたくないんだけどな、と苦手意識で頭を抱えていたことにも。

 少年が休暇からディレステア王城に帰った頃に、「悪神」と「忘却」の動きで妹は聖地に旅立っていた。ザインが炎上した未来の時は、英雄が解放されたのは妹が聖地の乱の旗印にされ、警備隊との交戦が始まった後。それだと遅かったね、と未来の方の巫女は言った。
 この現在での巫女は、「悪神」を通して、ゾレン国王にもっと早く英雄を解放させるよう働きかけたはずだ。妹の元に王子達が内密に派遣されたことも、本来ならば無かった展開。
「……親父に頼れるとは、思うな」
 まず、生きているのかもわからなかった、行方一つも知れない父。普段の少年が自身に言い聞かせている覚悟は、呪詛の少年も同感だった。赤い獣を何とかできなければ、どの道父は燃え尽きて死ぬ。

 少年が本気なら、蛇の大使からもらった守り袋を呑み込めと言われた。それが最も大変だったかもしれない。
 そうして「束縛」はその中身を、少年の体内に更に封じられていった。


 「束縛」を呑み込んだ後から、呪詛の少年の方には、父が隠す「解放」の情報が届いていた。全ての本体の蛇の大使のように、英雄が纏う「体」の情報までは拾い切れず、「束縛」と「解放」がセットであるため、「解放」に聴こえる音だけが届く。
 その情報は最初、「束縛」を呑み込み、高熱にうなされている間に来た。他にも数多の悪夢を見ていたことに加えて、父の体内にいる「解放」の視界は暗くて、何処で話していたかはわかっていない。聞き取る声だけは妙にはっきりしていて、大元が「言葉」の抜け殻達なので、ヒトの会話を拾うのが得意だったのだろう。

 それらは断片的に、時々父の言葉と、話す相手の言葉が届くだけで。普段は父の血脈を聞かせるかのように、一定した鼓動を届けていた。
 まるでそれは、第五峠で初めて見た海に打ち寄せていた、絶え間のない灰色の潮騒のようで。

 始まりはその、知らない誰かの声かけだった。
――やっと再び……相まみえたな。
 父はそれまで何も話さず、身動き一つとらなかった。がんじがらめの鎖の内で、ただその相手を待ち続けていた。
――……随分、遅かったな。トラスティ。

 月が二回は満ちたはずの、極秘の地下牢での期間。食事も摂らない父は弱り切っていたはずで、そうして憎悪の爆発はすぐには起こらなかった。
 ゾレンの国王の名前を父が口にした直後に、その影の女は割って入った。
――申し訳ありません。貴男の幽閉を解く根回しに、少々時間を要しました。

 どちらも不器用な男達に、先に話させても意味がない、と思ったのか。
――あんた……は……!?
 国王よりも前に出た女に、父が驚愕で不揃いの心拍を冷たい体に走らせた。
――ピア……? いや、違う――……あんたは、いったい……。
――すまない、ライザ……時間がないのだ。私を殺す前に、大事な話だけは聞いてくれ。

 どういうことだ、と。父の声色からは、憎悪よりも当惑の強さが勝っていく。
――お前の娘が、聖地に行った。私にはもう、かばってやれない。
 国王は何も詳細を話さず、大事なことだけを言った。あの娘に何か起こる前に、お前が迎えに行ってやってくれ、と。

 突然攫われてしまった娘のことを、どうして国王が言ってくるのか。自分が行方を捜す、とかつて約束はしてくれたが、その後に英雄の連れ合いを国王が殺したのだ。
 もしも娘が見つかったなら、引き渡すから投降してくれ、と伝報をよこしてきても良かった。今更、英雄をわざわざ捕らえて弱らせた後で、解放すると言ってきた国王に父は放心した。
 影の女が、準備とご説明をします、と英雄を連れていった。国王を殺すために、英雄が暴れ出すことは最後までなかった。「解放」を使って拘束を解く必要すらなく、英雄は影の女と話した後に、昔に共に戦った面々がいる書庫に渡され、城をこっそり脱出させられた。

――多分、親父は、アンタが娘を攫ってるとは思ってなかった。
 影の女と話す英雄の声には、娘を攫ったのが国王だったなら、と新たな業火が渦巻いていた。
 娘が攫われた時、守ろうとした息子を害したのは、国王が信頼する祭祀の者だった。どちらも国王の手筈だったのなら、初めから彼の全てを奪う気でいたのか、と。
――それなら今回、私はアナタに声をかけないよ。ライザ。
 影の女は英雄と二人だけになると、この方が話しやすいでしょ? と、かつての仲間の口調で英雄に笑いかけた。影の女が依り代とした、英雄の連れ合いの姉の姿で。
――トラスティは言い訳をしないからね。でも私が使うこの体も、そしてミリアの体も、宰相君にもらったんだ。ゾレン王妃を殺したのも宰相だし、ライザのことも何度も嵌めて、陥れようとしてきたはずだけど。

 その老獪を重用してきたのは、他ならぬ国王だ。しかし怪しい相手と気付きながら、見逃してきたのは父。
 祭祀を使って娘を攫ったのは、祭祀長である宰相。国王には不測の領域だと何処かで思い込んでいた。宰相を引きずり出すには、ゾレン軍と戦うしかないと。
――ミリアの体は、私の妹が有効に使わせてもらってるんだ。そのコも聖地にいるから、トラスティはアナタを行かせてあげたいの。
――何……だって……。
――私が会いに来るまで、トラスティも私達がいることを知らなかったよ。私も本当は、わざわざ貴男達に介入をする気はなかったんだけど……。

 悪魔の飛竜の血を捧げろ、と巫女はゾレン王城で言った。そうしたら聖地を封じてあげる、と。
 聖地に集う軍団を強制的に追い払えるその手段は、巫女の命と引き換えに、遺跡を沈める結末だろう。そんな事を巫女に言わせたのは誰だったのか。
 「忘却」のいる聖地を沈めてまで、悪魔の飛竜の血とやらが欲しい誰かがいたとしたら、「悪神」の方であるはずなのだ。呪詛の少年はその口上のあと、「悪神」がゾレンへの介入を歪めて、巫女の誘導に乗った理由を考え始めた。少年が邪魔者だと同じ翼でわかるはずの「悪神」に、英雄を早く解放する必要性も、英雄と国王の間に入る親身さもないのだから。
――聖地で悪魔になって、ライザ。アナタの娘と、ミリアを助けてあげるために。

 ふわり、とそうして、影の女は綺麗に笑った。英雄を動乱の地に送ることで、ザインの炎上とはまた違う惨状。
 父を思い出せない娘のために、ゾレンとエイラを。連れ合いの骸のためには、ザインをも英雄の敵とするために。
――あんたは……ピアの欠片も、優しくないな。
 この相手は全く、かつての仲間とは違う。それを解っている声だった。
 黒い「悪」の意の翼が、小さな背に視えている「神」。一刻も早く聖地に駆け付けたくても、その心を捉える眼が英雄に歯止めをかけた。

 国王は英雄が、聖地に向かうと思うだろう。罠を張られているとも限らなかった。苦渋に満ちた相手の顔色からは、その可能性は高くなくても。
 けれど信じることもできない。この解放が彼らに何をもたらすのか、英雄にも情報を集める必要が生じた。
 それから英雄が、最初に向かったのは第四峠だった。そもそも国王と彼を再会させた仲介者に話を聞くために。

 城を出る時に英雄は、昔に仲間だった王属の魔道士に、気配と姿を隠せる上等な外套をもらった。もう一人の王属の女は、英雄が殺した祭祀の相方だった獣使いの闘士なので、恨まれていると思っていた、と父が愚直に言った。
――あのバカがアンタを正気に戻したなら、バカは最後にいい仕事をしたよ。真の忠臣なら国王が病んでる時に、自分の命を賭しても諫めなきゃいけない、ってアタシは言った。でもバカが選んだのは、国王を諫めるよりも、アンタと戦うことだったから。

 言葉の通りに、国王を諫めた獣使いはしばらく幽閉された。今でも隠者の扱いであるというが、同じく引きこもっているらしき魔道士がやんわりと続けた。
――もう、赤い獣を貴方の内に戻してはいけませんよ、ライザ殿。このまま火の島の龍神に譲っておしまいなさい。彼の評判は、悪くはありません。ディレステアの王女が無事に帰国できたことも、貴方の赤い獣がまだ暴れていないことも、この現実でわかるでしょう?

 国王についている女臣が、「悪神」とまでは知らなかったが、二人の王属達も影の女を警戒していた。聖地に宰相が国軍を出させていること、エイラと手打ちをしていることも二人から聞いた。
 蛇の大使も純血の化け物だが、言ってみれば純血より上位の「神」だ。ヒトに戻った者ではあるようだが、「神」の力も失っていない。レジオニスに使われるような存在では本来なく、危険と知りつつ以前は自暴自棄で取引をしただけだった。
 しかし連れ合いの遺骸や娘が関わる以上、父はここから、少しでも迂闊な動きをするわけにはいかなくなった。

 確かな一歩目。その足跡は、赤い獣に奪われていた炎の血に(かたど)られる。
 慎重に動くための深慮も、旧い仲間が送り出してくれたことへの感謝も、英雄は再び持てるようになった。
 敵となった故郷のことを考える度、憎悪しか流されなかった真っ赤な視界で。やっとその眼からは(いろ)が落ちて、取るべき道を(うつつ)の形で見据え始めた。
――……理由をきくのは、終わってからでいい。

 体が衰弱している父を、少年はやはり当てにする気はなかった。高い熱から覚めた後は、他の刺激が次々入るせいか、英雄の足取りをほとんど追えなくなった。
 呪詛の少年が当初に考えた通りに、国王を味方にするためゾレンに向かった。普段の少年を程よく動かし、巫女の各種根回しも迅速で手厚く、国王と王子達の助力を得た状態で聖地に陣取れた。

 巫女は預言の神殿で再生した後、自分はもういつ「悪神」に殺されてもおかしくない、と言った。聖地が沈んでも「忘却」は最悪何とかなると、未来を知った今の「悪神」は思っていると。
 そして少年達に、駿馬を巫女に貸すように勧めた。ゾレン国王が前線に出るお膳立てをする、と。それで魔道士の女に巫女の供をしてもらった。幼女の姿でも門前払いをされず、第二峠のレジオニス大使から第三峠の「神」に依頼させて、広範囲の地震を起こすために。
「ドミナはラミアには甘いのよ。ラミアがこっそり、ゾレンに第二峠を攻めさせる手配をしてるのはわかってるんだから。人間にバラすと脅せば、あたしの言うことをきく」

 そして終わりは始まったのだ。世の禍を真っ白に包む、聖なる湖を荒立てながら。

◆閉:知られざる密会◆

◆閉:知られざる密会◆

 
 視えているよりとても高くて、薄れる青い空の遥かに上で。光を負った灰色の獣が、太陽にずっと赤く焼かれているのに、心は凍えている夢を見た。いったいいつから、獣は赤熱の光に侵され、青い空まで降りてきたのだろう。
 身の奥を貫く温かさなど、知らなければ良かったのだ。世界を回り続けるだけの獣に、大切なものなどなかった。傍目には赤く見えていても、彩のない獣を作るのは闇。
 けれどある時、同じ空から来た銀色の獣にぶつかり、巻き込まれて地上に落ちた。闇の灰で銀色の獣は蒼く染められ、灰色の獣は地平の熱を受けてしまったのだ。

「…………?」
 鬱蒼とした、茂みの間で。第四峠レジオニス大使館が近い川辺で、仰向けの黒衣の彼は眼を開けた。過去に何度か使ったことのある、隠れて眠るには丁度いい林で、人間の国の内側の小間。
「夢なんて……久しぶりだな……」

 常に暴れる「力」を抑えるために、眠る時には体を仮死に近くするしかなかったのが休戦後の七年だ。
 十年前の再開戦時、赤い獣が第六峠を焼いてからは、ほとんどの感情の火が消えた。理由だけで峠を守る、それが人間の国の英雄だった。
 本来これは、そういう化け物。どうしてなのか、そんな気がする。己を焼く太陽からはとっくに遠ざかり、地平に降りた光の熱も失っている。
 それなのに愚かしい父から継ぐ炎の血が、赤い獣という心臓を失った彼をまだ生かしていた。ただ約束通りに生きるのではなく、彼自身の希みという熱を再び眼の奥に巡らせて。

「……第二峠で、いいんだったか」
 ゾレン東部とディレステア国境の第四峠に来た時、かつて取引をした蛇の大使が、館外で彼を出迎えに来た。大使は人目に触れずに峠を越えさせてくれ、第四峠には監視があると言って、別の合流地点を指定してきた。彼と共通の知人のザイン大使を中心に、内密の話をしたいから、と。
 大使館付近ではこっそり彼に会いに来れたが、蛇の大使はこれから、ディレステア王女と行動を共にすると言う。一人でいいから、と王女に言ったら、「アナタの護衛は誰がするの⁉」と怒られ、人間であるのに大使より強い忍びの王女にこれから守られるらしい。
「どう考えても逆だろう……それ……」
 龍神を相手に、さすがは氷の君、と彼は思う。英雄が戻ったことは蛇の大使しか知らず、隠す理由をその大使は端的に言った。悪いがここらで、ディレステアには尻尾を巻いてもらう、と。

 蛇の大使に教えられた第二峠の合流地点は、第二峠ザイン大使が忍びで使う私邸だった。
「うぉぉおおお! ライザ! 生きとったんかああぁぁあ!」
 同じ隠れ里で育った悪友。今ではザイン警備隊にいる男と、謎の蛇が翌日訪れて来た。
 内密に人間の国に入るために、第一峠回りで来たという悪友が着いた夜に、まずは(むご)い近況を聞くことになった。
「ほんまにすまん、ライザ。レインさんを守れへんかった。クランも今は、第二峠の防備を固めるのに必死で来られへんそうや。場所だけ借りて、おっそろしい作戦会議の開始や」
 悪友が警備するザインに預けた彼の息子は、育ての母が殺されて行方不明になった。今は発見されているが、色々あってザイン大使が所在を隠していると言うのだ。

 その辺りの事情はオレから、と悪友が持つ謎の抜け殻が、蛇の大使の声で喋り始めた。
「聖地にいるオセロット・アークも、英雄さんも息子君も、今後安息の地で過ごせるようにザイン大使が調整中だ。息子君だけはまだ名前も姿も知れてないから、今は別人として行動させてる。そうアンタに伝えてくれ、とザイン大使に言われてる」
 喋る抜け殻は、「声」という通信道具らしい。蛇の大使本人はディレステア王城におり、これから第三峠のレジオニスにまずゾレンと手を切らせにいく、とため息をつく。
「ぶっちゃけて話すと、オレはシヴァちゃんを伴侶にほしい。だからディレステアには、ここらで尻尾を巻いてもらう。これは英雄さんの息子君も関わってくる事で、この大陸からディレステアを、国ごと引っ越しさせたいんだとよ、ユオン君は」
「……は……? 国を、引っ越し……?」

 息子を知る証の名と共に出た、突拍子もない話。どうして息子がディレステアに関わり、そんな謎の提案をするのか、彼は驚き過ぎて言葉を呑むことしかできない。
「英雄さんが息子に直に会ったら、多分何となく解るだろうな。まあとりあえず、それができる方法があるって話。聖地の連合軍団も集い切ったし、この大陸で動乱が続く限り、英雄もその息子もオセロット・アークも、どうせ何かから狙われるから。ゾレンとエイラが懐柔路線なら、ザインも力を拮抗させて、人間の国には避難してもらうってことだ。興味はあるか? 英雄さん」
 それは全く、信じられる話ではない。根拠も手段も示されてはいない。彼には息子と娘さえ保護ができたら、他のことはどうでも良かった。

 しかし蛇の大使の言う通りに、彼らは必ず危険な存在とされる。聖地では娘が赤い鎧と母の形見で、空を無尽に駆けて警備隊との初陣を飾り、連合軍団の心を掴んだという。
「あれは下手したら、今の弱った英雄さんじゃ殺される殺戮人形だ。アークは聖地の主の仕業で記憶を失ってて、奪還するにしても大きな一手がいる。そっちを手伝ってやるから、英雄さんにはどうか、ディレステアの引っ越しを手伝ってほしいんだ」

 その提案の衝撃はあまりに大きかった。太陽を直接見たように脳が焼かれた。彼の娘を殺さないよう、警備隊に手を回してくれるという悪友も驚いていた。
「オレにも正直、人手がいない。アンタが今すぐ、娘の所に行きたいことは承知で言う。ディレステアの引っ越しをする王妃を助けて、エグザルと逃げさせてやってほしい。代わりにエグザルが命がけで、アンタの娘を聖地で生かす」

 彼は決して、頷かなかっただろう。もしも彼があの時、聖地行きを促す「悪神」に不審を持っていなければ。
 蛇の大使一人を除いて、悪友、ザイン大使、王妃、旧騎士団長、かつて共に戦った仲間ばかりだ。ザイン大使の私邸で数日休まされて、悪友から娘の無双状況も教えてもらった。

 蛇の大使が、彼の息子に赤い獣を渡したことや、娘の記憶の真実を隠したこと。ばれたら英雄さんに殺される、と恐々とする大使は知らず、彼は心を決めた。仲間を信じて、戦いを預ける。
 帰れる居場所。力を合わせてくれる誰か。そんな感傷を彼は失っていた。焼き付くそうとした第六峠から、いつまでも引き返すことができなかった。
 彼は氷の君と呼んだ忍びの王女が、魔性の紅い目に堕ちた凍えと似ている。目的のためなら、ヒトの甘さを捨てようとした。追放されながら陰で騎士を続けた旧騎士団長と、国のために己の罪を隠し続ける王妃の間で、天上の翼を継いでしまった王女の苛酷な生き様。

 ディレステアという砦を移動させるには、王家の者の血が必要だという。蛇の大使が担当する第四峠で見つけた隠し通路から、人間の国を囲む外壁そのものの内に入って深く降りる。底の基盤には失われた古代の街並みが広がり、太古には移動要塞だった砦の国を起動する祭壇がある、と教えられた。
 その祭壇に王妃の血をなみなみと注ぐ必要があるが、砦が目を覚ました瞬間、祭壇のある階層は出入り口が封鎖されて閉じ込められる、と。

「……本当に地震も、起こっているし……」
 人間の国を追い込むために、第二峠を襲わせて地盤も崩す、と蛇の大使は言った。王女や王妃は知らされていない、無茶苦茶なやり口。しかし国の情勢が悪過ぎるので、情報が真実なら王妃は決断するだろう、と彼も思った。
「王家にしか要塞は起動できず、起動した者は閉じ込められて死ぬ……アイツが氷の君を止めているなら、こんな所にやってくるのは、確かにあの人くらいだ」

 生きながら死んでいる黄昏の地底で、彼はただ待つだけだった。身を隠すのにも存外に丁度よい場所で、光苔が薄暗く照らす灰色の街。とても長い時間が過ぎた気がした。
 こんなことでいいのだろうか、と何度も思った。せっかく見つかってくれた娘や、長年会えていない息子。遺体だけでもいるらしい連れ合い。どうしてまっすぐ会いに行けない。
 答があるなら、彼も親だから。彼とは違い、娘を娘と呼べなかった王妃達のために。

「……ライザ、殿……?」

 護衛も何もなく、一人きりで王妃が現れてきた。死を覚悟して来たら失踪中の彼がいて、愕然とするのは当然の話。
 この王妃をかつて守った旧騎士団長は、彼の娘を守りに聖地に行った。体を張ることしかできない「鉄壁」には、今の王妃を助けられない現実があったからだ。
「久しぶりです。俺がどうしてここにいるかは、俺にもよくわかりません」
 そうとしか説明できなかった。人間の国がこれから移動すること、その方法について、どうして知ったと言えばいいのか。そして王妃を閉じ込めさせずに、地上に返す手段を。

「あなたの血が、ここにある祭壇に必要だと聞いています。この抜け殻に溜めて下さい。あなたをここから連れて出てから、『解放』して祭壇に注ぎます」
 蛇の大使からもらい、隠していた抜け殻を取り出した。遠くに離れても制御できる仕様に、待っている間に変えたものだ。彼には昔からそんな特技があるから、王妃を託される事になった。
「わたくしを……助けるために、来て下さったのですか……?」

 彼は言葉を呑んで、無理に笑った。
 この先王妃はここで、対外的には死んだことになる。わけがわからないのは彼も同じで、誰の差し金だったのだろう、とふと思った。
 蒼に染まる獣に出会わなければ、灰色の獣は心に熱を持たなかった。
 やがてヒトの涙が火の血を教えて、炎を鼓動とする獣が顕れる。その闇が落とした憎悪を、赤い焔が継いで。

 ◇⑩◇ 遺跡

 ◇⑩◇ 遺跡

 
 「地の大陸」西の南海岸に近い、人間の小さな国が消えた。古代の兵器でぽっかり穴が空いた地に、南から海が流れ込んだ。隣国の海岸線まで内地へ浸食が見られる始末だった。
 人間の国が消えた同日に大規模な地震が起こったことで、聖地の事変の協議にきたというゾレン王族達は自国の軍団を帰路につかせた。侵攻されかけた秘境への賠償を条件に、攻撃されない約束で迅速に兵の撤退は行われた。

「それから一週間、ゾレン王も王子くんも、頑張ってザインを走り回ってたんだけどね。妹ちゃんとゆっくり会えるようになる前に、ゾレンに帰っちゃって残念だったね?」
 災害の対応も必要だったので、軍団だけを先に帰して、王族達はしばらく聖地に留まっていた。
 同じく兵を出した勢力なのに、砂漠の化け物は協議の席に着きもしない。王族達はそちらに大半の罪を着せた。人間の国との争いの延長で起こった誤算の戦いで、賠償は行うが侵攻の意図はなく、誤りの原因はオセロット・アークを担ぎ上げた純血の災いにある、と。

 聖地の湖に浮かぶ遺跡で、オセロット・アークだった人間の少女が、しゅん、と膝を抱いた。
「うん……わたしが悪いから……わたし、もう、聖地から出ちゃ駄目なんだよね?」
「だからそれは違うって、ピアス――や、エルフィ」
 女子部屋になった遺跡の一画に、魔道士の女が煮沸水を持って入って行った。四つある寝台の一つに、人間の少女の横で巫女の幼女と白い髪の女がごろごろしており、こら、と魔道士が人間の少女の方を見て怒る。
「エルフィ、またご飯食べてないのかい! クエルが心配するから、好き嫌い言ってちゃ駄目だって言ってるのに」
 うう……と落ち込む少女が項垂れる。それを見て話題を逸らそうとして、巫女の幼女が上体を起こして魔道士の女の服を掴む。
「しつもーん。未だにピアスって言っちゃうジーンちゃん、何でキル王子のことも、ずっとクエルって呼んでるの?」

 ぐ、と鋭い硬質な灰色の目と髪で、魔道士の女が言葉に詰まる。少女が食べなかった魚の皿を、横の机から片手に取りながら暗い肌色の頬をかいた。
「仕方ないだろ……アタシは元々ザインで魔道を習って、ゾレン王属なのは隠してたから。ちっちゃいキルが通信をねだる時は、弟のクエルですって言って通してたんだよ……」
「そっかぁ~。ジーンちゃんはもう体が死んでるから、新しいこと覚えられないのね」
 んなわけあるかい! と幼女の手を掴んで青筋を立てる。けらけらと喜ぶ巫女の幼女は、第二峠に行くのに供をしてもらった縁で、やたらに魔道士の女に懐いたらしい。

 他の王族が全員国に帰った中、魔道士の女だけが残り、人間の少女や巫女の世話をしている。それは近い秘境に魔道士の女が詳しく、国には他にも何とか人手があるからだった。
 そして入り口に近い側面の小部屋が、めでたく女子四人のお喋り場所になった。入り難い少年は中の様子を窺うだけで、扉の横に潜んで少し安堵する。

 魔道士の女の正確な役どころは、秘境ザインにも信頼される「災いの監視役」だ。この遺跡には世界を脅かす可能性のある災いが封じられており、本来その管轄は砂漠の化け物、エイラの純血の担当になる。
 しかし今回、第二峠にいる監視役の純血が管理を怠ったことで災いが起きたとして、第二峠レジオニス大使に最大の責が問われることになった。人間の国の逸失で大使の職も失われ、地震の影響で人間の国を失い激怒中の第三峠にも、同じ純血なのにかばわれなかった。新たな聖地の監視役が必要とされたので、暫定措置でザインに顔の効く魔道士の女が、雑種の賠償の一つとして滞在することになった。

 地震をもたらすように、第二峠大使を唆したのは巫女の幼女なので、その結果に巫女は笑い転げていた。お気に入りの魔道士の女も抱え込んで、毎日機嫌良さそうに女子部屋で暮らしている。
 対して少年の妹は、動乱を起こしたことに日夜落ち込んでいる。妹の記憶に介入せずにザインを炎上させた場合、被害がこの程度では済まなかったはずなので、悪いと思いつつも少年にも慰めの言葉が出ない。
 しかしそれも、こうしてわいわいと日を過ごしていると、ようやく軽減が見られ始めた。
「おにくがたべたい……おさかな、あきた……」
 別に妹は魚が嫌いではないのだが、湖の魚しか食事が摂れない毎日だ。もうすぐ物資が届くし野菜と果物も育つから、と魔道士の女に励まされている。
 災いの一員として妹が、この遺跡に軟禁されているのは本当のことだった。正確には妹だけではなくて、赤い焔の獣を暴走させたゾレンの化け物に加えて、その息子まで勢いで災い認定された昨今だった。

 少年が女子部屋を離れて遺跡の外に出ると、湖に面する船着き場の近くで、炎の飛竜を暴走させたと濡れ衣を引き受けた父がいた。今日も日がな、食糧用の魚を釣っている。
 ぼけっと見つめる。少年はこの遺跡に来てもう三週間だが、遺跡の宝を借りて身だしなみを整える以外は何もしていない。
 父は、少年達が遺跡に入ってから一週間後、ゾレンの王族達と入れ替わるように突然やってきた。ぼろぼろにやつれた外套の姿で、「やっと会えた……」と倒れ込んでいた。

「……休んでろよ。エルはもう、魚は飽きた、ってさっき言ってた」
 斜め後ろに立った少年に、父が安らかに笑って振り返る。
 突然引っ越した人間の国が、違う大陸に降り立つまでに三日。そこからこの聖地まで、不眠不休で帰ってきたという父は、どうすれば四日で大海原と山脈の数々を越えられるのか少年がききたい。
「魚を釣るより、エルを膝枕して撫でてたらいい。そっちはまだ飽きてない、エル」
「ああ、それはまた後で。それより今日は、『白夜』はどんな様子だった?」

 とんとん、と父が石床を叩く。少年はちょこん、とそこに座り、湖面を眺めながら本日の女子部屋観察結果を伝えた。
「相変わらず、無害。にこにこエル達の話を聞いて、言わなきゃ自分からはヒトの記憶の操作をしないし、『悪夜』が影で何か言ってきたら、オレも『悪夜』だから教えて、という約束も守ってる。未来のあいつはもっと残酷だったんだけど、『悪神』の影響だったのかも」
 あまり妹には聞かれたくない話なので、こうして遺跡の外でするのだ。
 父は遺跡に渡らせてくれたザイン大使から今の少年について、未来から来たと言う「神」が憑いてる、とそのまま話されたらしい。だからザインでの動乱を防ごうとして、妹の記憶をわざと「神」に奪わせた真実も。

 父自身にも「神」のわかる眼があり、信じられない話だとは言うが、少年を視てからは哀しげに納得していた。
 落ち込んでいる妹にわざわざする話題でもなく、理解することも難しいだろう。父も正直、夢の中にいるような感覚がする、と言っている。
「ジーンがいるから助かってるけど、ここにずっといてもらうのは無理だしさ。オレ達、大人しく聖地に封印されてたら、純血達は放っておいてくれるのかな?」
「……そういうのは、未来に見に行けないのか?」
「未来はいっぱい分岐するから、来た道はわかるけど行くのは無駄。どれがこの先になるのか、実際体験するまでわからないから。特にこういう、滅多にない運命の枝道には」
「そうなのか。希少なら、大事にしなきゃいけない、ってことだな」

 こうしてすっかり、おかしな会話をすることに父も慣れてしまった。親子というよりは秘密仲間の感覚だ。ぎこちないことは特にないのだが、父は少年が本質的には実の息子でない現実を、その眼で誰より静かに悟っていた。
 しかしそうして少年が感じる以上に、父には不思議な愛着が生まれている。少年相手にだけではなく、母の遺体を使う「神」に対しても。
「俺も多分、飛竜を手放した時点で半分死んでるんだ。みんな生まれ変わったつもりで、このまま平穏が続けられるといい」

 「悪神」も「忘却」も、そして預言の神殿の巫女も、油断していい相手ではない。巫女の幼女の姿を最初に見た時には、父はかなり強く顔をしかめていた。父に敵対した時の姿、そのままの背格好らしい。ディレステアの第一王女が殺された時の。
 それでも多くの者を傷付けたのは自分も同じ、と、特に巫女を咎めることはなかった。あのコを連れ合いにしたいのか? と、憂鬱そうな顔で少年にきいたことはあったが。

「とりあえず、おじさんが今のディレステアからこっちに行き来してまで、ザイン全体にオレ達の保護をかけあってくれてるみたい」
「災いがザインの管理下にあるのは、悪いことだけじゃないからな。いざとなれば俺達を戦力にできるとすれば、エイラの牽制にも少しは使える。ザインにはそれでなくても、隠れ竜人が結構いるのに、純血も『悪神』に乗せられて馬鹿なことをしたもんだ」

 ディレステアで英雄になる前の父は、ゾレン全土で国境付近にもよく出張をしていた。諸地域の勢力自体には詳しかったようで、強い化け物の存在を多く知っているため、父自身が再開戦時に脅威と捉えられるとは思っていなかったのだ。ディレステアとゾレンで休戦ができた時にも、自分は大して戦ったわけじゃないから、と言って。
「クランとヴァルトがザイン側にはいるから。大丈夫、何とかなる」
 だからあんまり、心配するな。そんな風に父が、少年の頭をさらさらと撫でていた。


 一人になろうと思った時は、少年は天窓の広間に来る。祭壇の後ろに掘られた水盤と、祭壇の間にある低い石台に、隠れるように座る。水盤や床の模様や壁画を眺める。
 最近はもう、親友の黒いバンダナをつけると妹が不安そうにするので、腕に巻いておくことにすっかり慣れた。戦う必要はほとんどなくなっているが、黒い柄の剣も手離さない。
 むしろ剣そのものを、これからは守らないといけなかった。半分死んでいる、と言った父の言葉が、今頃少年の胸を鋭く傷ませていた。

「やーだ、辛気臭いことね。妹ちゃんも落ち込んでるけど、君も実際はかなりきてない?」
 大人しくしていたかったのに、女子部屋から巫女の幼女が来てしまった。巫女と白い髪の女だけはいつも明るく、純血というのは悩みがないのだろうか、と思う。
「まぁ仕方ないよね。このドタバタに紛れて新ディレステアで、今度結婚式なんでしょ? 国が遷移して凍土に降りて、王妃が亡くなってほとんどの大使館も閉鎖。前代未聞の国難に対して、国民に明るい話題を提供しようって王女ちゃん達の努力、涙ぐましいよねぇ」
「……早過ぎるだろ。シヴァなんか次の秋で、やっと十六歳だって聞いたぞ」
「うわぁ、それは最早罪の領域だねぇ。悪夜もゾレンに返り咲いて好き勝手やってるけど、宰相みたいな老獪でも使ってたゾレン国王だから、まあまあ巧く回ってそうよ」

 その噂は確かに届いて来ていた。ゾレンに新たな王妃の出現か、もしくは国王が王子に譲位をしようとしているか、どちらも話題になっているという。両方有り得るんじゃないか、と少年はこっそり思っている。
 混乱させた国をそのままにせず、生きているなら責任を果たす国王は大したものだった。ある程度落ち着けば影の女でも王妃として迎えて、それからすぐに王位を譲り、影の女の発言力をむしろ抑える方向に見える。
 王太后の権力など、よほど強い化け物でない限りはゾレンではたかが知れている、と父に聞いた。女臣のままの方が政治に口を出される、と。

「ゾレンが今後悪い事をするなら、一番迷惑するのはまずエイラだしね。ザインもまあ、ゾレン西部からは近いけどさ」
「ゾレン王都が東部だから、主力はエイラに向くだろ。ディレステアの反乱勢力も第四峠に残ったままで、どうするつもりなんだろうな、あいつら」
 反乱勢力がこもっていた第四峠ディレステア大使館は、エイラとゾレンの国境上だった。
 外壁の外にあるものを砦の国は全部置いていったので、第五峠の海側の医療施設も残っている。
 病み人を受け入れる第五峠を管理していた王妃の訃報に、人間も化け物も関係なく悼んでいた。貿易船が往来する港町に、異国から来ました、と言って短い黒い髪と赤い目の女が、伴侶と共に看護の仕事を探しにきたことは誰にも騒がれずに。
「何処もそれぞれ、何とかやっていくわよ。あたしも気になってはいるけどね。あたしのお世話が全くなしに、本体の悪夜はデルファイで今後どうするのかしらって」
 ぴょん、と巫女は音が立ちそうな軽快さで、石台に座る少年の左で床に座った。妹より小さい相手を無下にできず、腰に頭をもたれかけてくるのを好きにさせる。

「……オレがどくから、あんたが座れよ」
「いらない。罪悪感からあたしの頭をナデナデするといいわ。丁度いい高さでしょ?」
 ふう、と目線は壁のまま、左手でつむじ辺りの髪を撫でてやる。
 広間の最奥にある書庫には扉がなく、書庫に入る通路が裏庭まで続く。見えているのは、書庫の両隣にある部屋の壁画だ。書庫の方に扉がある隣室なので、広間側には遺跡の縦幅いっぱいの壁があった。
 その壁には書庫の入り口を中心として、両側に一つずつ獣が描かれていた。右の壁には青い空で雲に囲まれ、黒い毛を逆立てた狼。左の壁には紅い空で、壁の色のままの大猫。
「これは……未来の方のあんたに聞いたんだけど」
「うん?」
「デルファイは一度、洪水で滅ぼされた。預言の神殿をそれから、洪水の(ぬし)が奪った。きれいなものと公平が大好きな竜人が、って」

 ああ、と。その時から巫女とされたらしい泥の蛇が、少年を見上げて大人びて笑った。
「ダルミンがこの大陸に、悪夜と白夜を連れてきた時ね。ダルミンは君には多分、先祖。悪夜と白夜は、元々竜宮で生まれた。竜宮っていうのは、竜人をよく生む神域なんだけど」
 洪水と聞いて、少年もそれを思ったのだ。二人目の「悪神」に声をかけた未来の巫女は、少年が過去に戻って巫女の協力を得たい時は、神殿の本来の主の話をするように言った。結局言わずとも巫女の方から接触があったが。
「初対面でそこまで君に、あたしは教えてたのか……さすがにヒドイな、それは」

 その主は神殿に「悪神」、この遺跡に「忘却」を託した。どちらの結界にも鍵となる巫女に己が目を一つ与えて、瘴気の泥の蛇をヒトに変えさせた。
 その主にとって、何故番人が泥のままではいけなかったと思う? と少年は、問いかけだけ与えられた。答を尋ねて良いかきくと、ま、いっか、と巫女は話し始めたのだった。
「一緒にいたがる悪夜と白夜を、災禍の防止のために引き離しながら、それぞれが淋しいと可哀相だ、って。だから泥の蛇でなくて、あたしに悪夜の友達になれ、ってダルミンは言ったのよ。白夜の所には悪夜の影が会いに行けるけど、悪夜には誰もいなくなってしまう、って」
 泥蛇ではなく、ヒトの女に。それがこの相手に何をもたらしたのか、少年は黙って聞く。
「ダルミンはそういった、殺せないから閉じ込める災いでも、災いという目だけで見るヒトではなかったの。竜人はそういうところがあるよね。何だってその存在自体は、可愛いと感じれば(いつく)しむ。けれど天の理には従わせる。不足は補い、過剰は削る。情は深いのに目に映る全てに厳しい、竜人という存在の権化だった、彼女は」

 巫女を実際にヒトにしたのは、竜人に力添えをして世を去った悪魔らしい。
 初期状態を可愛い幼女の姿に完成された巫女は、心が泥の蛇のままで、思ったのだそうだった。災いの「神」までそうして大事にされても、災いを封じる泥蛇のことは、誰も愛さない、と。

「あたしは自分の役目に納得してて、果たせる者だったから、彼女は心配せずに去った。不足がないなら、与えられない。でも自己保身をしくじれば、何度も痛い目に合う。閉じ込められた悪夜を救おうと燃える心で神殿に来た奴が、あたしのことは(むご)(なぶ)るのを悪夜が仕組んで笑う。そりゃ、あたしももっと、仕え甲斐のある『悪神』が現れたら乗り換えるわよ」
 淡々と話す声が、どうしてか少年の耳に刺さった。巫女は武勇談のように話しているのに。

「白夜に一度消されたから、憶えてないかもだけど。この遺跡でザイン大使も含めて作戦会議してた時に、あたし、君にきいたの。どうでもいい雑談で、好きなコ、いる? って」
 そう言えばそんなこともあった、と思い当たる。だから巫女は、少年が未来に帰る理由――赤い髪の誰かについて、遺跡を沈めるかどうかの瀬戸際で口にしたのだ。
「そしたら君、ごめん、いる、って。そう答えたから、驚いたのよ。何で、『ごめん』?」

 それは確かに、自分ならそう言う。細かいことは憶えていないが、何故巫女がそんな事に驚いたのか、続く言葉に少年は何も応えられなくなった。
「別にいるでしょ、好きなコくらい。君が『悪神』の翼に、抵抗を続ける理由。でも君はそれ、あたしがきいたから、ごめんって言ったの。好きなコはいるから、あたしにもしも慕われたら応えられないって、そういう先取り。好きになる前にふられたのよ、あたし」
「――」
「それはいいとして、謝ってくれるんだ、って思ったのよね。あたしが何も与えられない化け物なのは、誰も気にしたことはなかったのに」

 座り続けていた巫女の幼女が立った。この話をしにわざわざ来たのだと、今更気が付く。
「嬉しかったから、君達が死ぬまで面倒みたげるし、大事にしてくれたらもっとサービスしてあげるから。悪いお使いも有益ならしてあげるよ」
 少年の眼窩から首筋に、重い眩暈が走った。巫女の笑顔があまりに爽やかだったせいだ。
「嬉しい、の基準が低過ぎるだろ……毎日ご馳走でもてなされた程度で、ディレステアも純血達から逃がしてやってるし……」
 その一件もエイラの純血内で、かなりの怨恨と化した事案だ。第二峠大使の失墜に笑い転げている場合ではなく、真剣に刺客やお礼参りがあり得てしまう。五百年は生きた巫女の寿命自体、もう遠くはないという。
「おじさん達の代の治世が終わったら、ザインだって敵に回ってもおかしくないのに……」
「あはは、君はどの時代にいたって結局心配性なんだ。困ったら過去に戻ってやり直せるくせに、これだけ上手くいってもまだ未来が不安そうな顔」
「当たり前だろ……今回の件で敵が増えたし、いつか失うのが、少し先に延びただけだし」

 自身の両膝に肘を置いて、少年は色々な意味で肩を落とす。その前で巫女が、何と水盤に足を踏み入れて遊び始めた。
 飲み水だぞ、と苦い顔をすると、だから悪いものを吸ってあげてるの、などと、本当かもしれない返答をされる始末だ。
「あんたさ……何で、親父を()めたんだよ」
 少年に対してはいたって高待遇の巫女が、父にとっては仲間を殺され、赤い獣の暴走を導いた相手。「悪神」と(いにしえ)の飛竜の間に何かがあるのは何となく判ったが、ただ飛竜というつながりだけなら、今の少年もそう変わらないはずなのだ。
「それはあえて理屈をつけるなら、『桃花水(とうかすい)』の前に現れた飛竜だから、かな。妹ちゃんの鎧に填まる珠が、『桃花水』ね。悪夜はね、『桃花水』の血筋の子を飛竜にとられることが、生まれた時から凄く凄くキライなの」
 これもまた、判断に困る言い草だった。虚構ではない気配だが、言葉通りにも思えない。

 ちょうどよかった、とばかりに、巫女が少し真面目な顔をした。両手で水を掬った後に、匂いを確かめてから少年の方を向く。
「君も気付いてるかもしれないけど。今のままだと妹ちゃん、この先長くはないわ。鎧の珠に囚われた魂は健全なのに、体がきちんとできる前から『桃花水』の力で酷使されて、既に臓腑が壊れ始めてる」
「…………」

 お腹は空いていそうなのに、食事量が確実に落ちている妹。
 人間を超えた力を手にして、戦えば戦うだけその身は削られていた。不憫だとしか言いようがない。
「あたしにできる延命はしてあげる。毎日ここのお水を飲ませてよね。それ以上のことは今後、ジーンちゃんやザイン大使に相談しておく方が良さそう」
 わかった、と素直に感謝を込めて言った。
 水盤から上がってきた巫女の幼女を、手招きすると首を傾げて笑い、石台の斜め前まで来た。少年は座ったまま、その首を抱き寄せた。
 幼い体を抱きしめた。この体勢で目の高さが合うくらいの、拙い初期状態に戻った相手。
「――」
「ありがとう。オレのせいであんたを酷い目に合わせて、ごめん」

 ゾレン王城での、雑種達からの蛮行。少年が国王に踏み込むためには手っ取り早かった。そうしてくれと頼んだわけではないが、少年のために巫女が斬り刻まれたことは確かだ。
「……バカだねぇ。あんなの一瞬で痛覚が切れたし、もっと酷い拷問は沢山あったよ」
 媚びているように見えるかもしれない。少年にはやっと、ゆっくり謝れるタイミングが来た。きちんと話をしてみたかった。何を考えている相手か、なるべく感じ取りたかった。
「あんたは悪い奴だけど、もうあんな仕事の仕方はするな。あんたの食事のことも、何か方法を考えよう。オレ達にできることがあれば、言って」
 化け物達とは大体、世界そのもの、特に自身に合った土地の気から「力」を補給する。しかし体の成長のためには、それだけでは追いつかない。
 巫女自身は、幼女の姿でも何も気にしていなさそうだが、周りが少しくらいこの相手を気にかけてもバチは当たらない。手段が少々あくどかったとしても、「悪神」などという災いを封じ続けてくれた者だ。

「……嬉しいなあ。普通に抱きしめてもらうって、こんなに気持ちいいんだねえ」
 その感想が少年にはまた、色々なものが罪悪感で背中に突き刺さる。そっと抱き返して掴んできた小さな指と、少年の肩に乗せる無防備な笑顔が、天窓の光でさぞ眩しいだろう。
「あたしに優しくなんてしたら、英雄くんが嫌な顔はしない?」
「それを言ったらソリスなんて、英雄さんに殺される、助けて少年、とか言ってたぞ……」
 あっはっは、と今までにない大声で幼女が笑った。
 赤い焔の獣は結局、少年が自身で、思った以上に制御ができた。おかげで体が燃え尽きずに済んだが、その可能性は非常に高かったらしい。
 父が帰ってすぐに少年の内の焔に気付き、疲れ切った片眼を覆って、あの大使に飛竜を渡したばかりに……と殺意を血走らせていたのは本当の話だ。
「おっかしーい。ククルは昔から小心者だけど、最近はマシになってたのになぁ」

 それからすぐに、魔道士の女が女子部屋から出て来て、巫女の幼女と書庫の隣の調理場へ行った。扉がある部屋の防音性は高く、広間や遺跡の入り口で話したことは、部屋にいる者には届いていない。部屋でのお喋りも広間の方には聴こえてこない。
 ほとんどの小部屋には宝物が詰められているため、今まで稀な侵入者は白い「神」が記憶を奪い、ごみ捨て場の奈落に落とせと第三峠の女大使に言われていたという。少しでも宝に手を出したら沈める、と少年達も女大使から釘を刺されている。

「……兄さん」
 女子部屋に残っていたはずの妹が、心細そうに一人で出てきた。水盤の傍らの石台から少年も立ち上がって、妹の方に行く。
 声は届いていないはずだが、妹は辺りの気配を感じ過ぎる故障した感覚を持つ。少年が巫女の幼女を抱きしめていたのを感じ取り、羨ましかったらしい。無言で抱きついてきた。
「ごめん、ごめん。今日は涼しいから、裏庭へ行こう。あそこが一番、ゆっくり座れる」
 妹の手を握ると、こくん、と頷く。再会した時は号泣して人並みに喋っていたのだが、口数は本来、幼い頃から少ないという。父にもいつも、猫のようにすり寄っている。塀に囲まれた裏庭の庇の下、魔道士の女が育てる植込の前の寝椅子でも、もたれかかってくるだけで何も話さない。

 巫女の幼女にもしたように、頭をさわさわと撫でる。いつも無表情な顔が少しだけ緩み、どうやったら笑ってくれるようになるだろう、と少年は想いを巡らせる。
 途中で釣りから上がってきた父が、二つの水の器を持って混じって来た。水を飲ませろ、という巫女の指示も思い出して、妹を囲むように座って、飲み水は妹と父に持たせる。
 そうやって家族で揃って座っても、ただ静かに肩を並べて、夕下の風に当たっている。傍目には仲が悪いのか、と思われかねないが、戦う予定などなく同じ居場所で、同じ空を見上げていられること。その穏やかさだけで幸せで、殊更に喋ることがないのだ。

 しばらくすると、珍しく妹が口を開いた。まず父を見上げてから、少年の方を向いた。
「今日も……兄さんや父さんとは、一緒に眠れないの?」
 少年は父と目を合わせて、父が苦く笑うのを見る。
 やっぱりな、と少年から答を言う。
「エルは当分、白夜……ナディといた方がいい。オレ達は毎日、交代で見張りもしてるし」
 見張り自体は本当のこと。しかし理由は、そればかりではなかった。
 魔物もいる森で一人生きてきた妹は、安全に眠れることがほとんどない生活をしていた。眠りが浅くて体が緊迫しているのは当たり前で、周囲の気配を窺いながら多くの時間を眠ることで、質の悪い休養を代償していた。
 こうして家族に囲まれる暮らしを得た現在は、これまでの一人ぼっちに戻ったり、戦いに臨んだりする悪夢を妹は毎日見るようになった。泣き叫んで起きるだけならましな方で、混乱したまま戦おうとするほど悪夢が強い。

 なので苦肉の策として、妹の悪夢を忘れさせる添い寝を、「忘却」に頼んで試みていた。
「……俺達の処遇が決まって、ここの暮らしに慣れたら、見張りもいらなくなるから」
 父が妹を、後ろ側から抱きしめた。悪夢の記憶を無理やり取り除けているだけでは、妹の抱える傷の根本的な治療にはならない。それでもこのままでは妹には消耗ばかりだ。
 人間とは何と脆いものか、と少年は思う。その心をぽつりと巫女に言ったら、自分の方は大丈夫なつもり? と真顔で返されることになった。妹に何かあれば自分も消える、と思いつめてるのが英雄くんにもバレバレの顔だよ、と。

 そうして誰もが痛みを背負う家族に、一つの救いは最後の一人の存在かもしれない。
「あ、みんな、ここにいたあ! ねえねえ、何をしてるの、私も混ぜて?」
 それは母ではないと、妹も少年も解っている相手。父も子供の一人のように扱っている、災いの白い「忘却」の「神」。書庫から裏庭に出て来て少年の横に座る。
「今日はねえ、この季節だと、そろそろ流星群が遅い時間に出てくるんだよ。みんな一緒に、夜中まで起きてて見ようよ。ここから見えるお月様も、毎日とってもキレイなんだよ」
 白い髪の女は常に明るく、ヒトと話すのが大好きで少年達の空気を吹き飛ばしていく。妹もこの相手の前ではほのかに笑って、父は無表情ながらも眼の色は嫌そうではない。

 みんな生まれ変わったつもりで、と父が言うのは、心から気持ちがよく解った。
 三歳の時に攫われた妹は、母のいる生活をあまり憶えておらず、少年にはそれこそ記憶の欠片もない。己の残滓すら少年は真っ赤な呪詛に書き換えてしまい、父にとっては娘以外に、ここには本当の家族がいない。けれど妹の身になってみれば、これ以上家族に近い者達はいない。
 受け入れなければ、救いが存在しない。この際巫女の幼女も本当に家族にしよう、と父が考え始めていることを、少年はもう気が付いている。

 ねぇ、と白い「神」が、椅子の端から全員の方に体を向けて金色の眼光を輝かせた。
「私、今、みんなの言葉を勉強中なの。あのね、みんな名前が沢山あって、なんて呼べばいいかわからないの。だからみんなの言葉を使って、みんなに新しい名前をつけない?」
 混ざり気のない笑顔の言葉。不思議な奥ゆかしさがあった。妹はアークやピアス、少年にはキラの通称、巫女や魔道士の女にも複数の名前があって、彼女には悩ましいらしい。

 ぽかん、と反応に困る少年達の後ろで、一つしか名の無い父が、そうだな、と共感するように深く頷いた。やったぁ、と白い「神」が破顔し、思い付いていた本題を続けた。
「ねえ、アークは『L』なんだよね? じゃあみんなも『R』とか『Y』とか、そういう風にしてくれたら、みんなの言葉が覚えやすいの」
「いや……それは、一字は微妙だから、やめてほしい」
 思わず拒んでしまった。新たな名前という提案自体は、父と同じで賛成だったが。

 剣を落とす直前で、少年は立ち止まっている。もう、親友の名を負うには相応しくない。
 生まれ変わったつもりで生きる、小さな幻想のための禊。たとえこの時間が儚い夢でも。
 いつか願いは、訪れる世界の果てに沈む。赤い焔に灼かれた青の呪怨が、黒い柄の剣の刃となったように。

 薄い雲越しの蒼い空は、最早遠ざかっていくばかりで。
 まだ背にある黒闇が、少年と悠遠を見上げて(わら)った。


雑種神代記△ -chronica resurgam- 了

◆終◆ 𝄞

◆終◆ 𝄞

 
 ごめんなさい、と聴こえた気がして、彼は真っ暗な遺跡の屋上に出た。
 (くろ)い夜に包まれた聖なる湖に、小さな星の光が注がれている。光と雨を受ける天窓以外は、平坦に繋ぎ合わされた石の屋根が、四方と天窓周囲の柱に支えられている。
 その広い石槨(せっかく)の上にいるのは彼だけではなく、青白い月の夜を映し出した、黒い暗影の青花があった。
「……ミリア――なのか?」

 長い間、心も体も摩耗したせいだろう。持つべき警戒の心を抱けず、彼は眼を奪われる。
 静かに声をかけた彼に、やがて彼女はゆっくり振り返った。あまりに夜の色が濃いので、下ろされた長い髪を漆黒に染めて。
「いや……君は、元々……」
 悲しげとしか言えない、遠い青の目。月の光を受ける夜の影に、彼は胸を衝かれる。

 永遠にも換えられそうな束の間。
 ようやく彼女は口を開いて、苦しそうな微笑みを浮かべた。
「……ゴメンね。これは悪い夢を、見てるだけ」
「悪い……夢?」
 その黒い髪の相手には似つかわしくない、ふわふわとした声色。それでも暗い青の目を持つ彼女は、苦しげなままで続ける。
「前はね……私、覚えてたんだ。わたしがここにいるなら、アナタに会えるんだって」
 まるで夢の中にいるような彼女。ヒトの記憶を司るはずの者が、ただただ切なげに告げる。
「でも今は、それを憶えていたらいけないの。からっぽのわたしは、私にしかなれない。アナタもそれをわかってるから、わたしを起こそうとしないんだって」

 何の話か、彼にはよくわからない。彼女にまた会えるのなら、彼はためらいなどしない。
 その白い「神」の体に、彼女は確かにまだ視えていた。「神」の器としては縁故だけの、本来不完全である依り代。もしも彼がその(ひずみ)を見逃すのなら、彼女の望みしか理由はなかった。

「……未来へ、帰してあげないといけなくて。ユオンも、エルフィも」
 彼女が再び背中を向ける。下弦の月を見上げる黒い姿に、彼は空色の長い髪を幻視する。
「あの子達は、そこで生まれるの。それをわたしが、奪ったから……わたしは私の、光を運ぶだけのはずだったのに」

 月下で流れる川のように、さらさらとした真っ黒の髪。彼の連れ合いはいつも悲しげな黒い大気と共に在って、河川という自然の化現でありながら激しい光の魔道を司った。
 その光は火の血として息子に流れていて、彼の炎の血と共に息子の水の命を(あぶ)り続けたこと。青冷めた水の呪怨が赤い焔に駆逐された現実は、彼も再会してすぐに気付いていた。

「どうしても……俺の記憶を消し続けてでも、ミリアはそうしたいんだな」
 彼女の命だと言える目が、まだ娘の持つ盾に残っているから。遺体があるなら、彼女を呼び覚ますことが本当はできた。それはどちらか一人でなら、彼女の姉のことも。
 けれどそもそも、彼女はその目を守るために盾をかばった。自身の命とすることを彼女達は拒み、目の存在を「神」の力で彼にも忘れさせる。
 いつも言葉を呑んできたのに、今宵は迷わず彼は口にした。泣き出しそうに笑う彼女が、表情だけを振り返らせる。最早彼女はその目が無くとも、彼の傍に在ってしまうのだから。

「……ピアもわたしも、これを望んだの……一人にして、ごめんね……ライザ」
 黒く染まっていた髪が、徐々に白に戻っていく。青に隠れる紅い瞳に彼を映して、この夜の夢すら消してしまうのだろう。
「アナタにしかできないから、お願い。『声』を、ユオンに――……『()』は、エルフィに」
 頷くことはできなかった。そうするしかないだろうと、彼が誰より一番わかっていても。


 そんな遠い月の夜の夢を見て。鉛がのしかかるような重さで、彼は眼を覚ましていた。
 何の変哲もない、木製の寝台。しかし全身が始終揺られているため、胡乱な頭が軋みをあげる。潮騒から離れていく内海の沖合へ、小さな船で出るのは本当に久しぶりだった。
「目が覚めたのか。ライザ」
「……?」

 船尾に一つしかない船室。入ってきた顔見知りの船頭兼貴賓。
「ここは……もう、ディレステア王都跡地あたりについたのか?」
「海流が今までで最も弱い。おそらくとしか言えないが、欠損した大陸の中心部近くと考えて良いだろう」
 化け物の国の王をやっていたのに、今では道楽で世界の海を渡る貴賓が言う。
 そうか、と彼は立ち上がると、持ってきた荷物からがさがさの横長の宝物を迷わずに取り出した。

 かつて彼の息子と蛇系の「神」が取引をして、彼の怒りをとりなすことを条件に、息子が「神」から小さな抜け殻をもらった。そこに息子の持っていた宝の剣を無理やり詰めた。
 息子は彼に、「声」だと言ってその抜け殻を渡している。「神」に無茶な願いをしたのは自分だから、殺意は引っ込めてほしい、と。
 彼の本当の息子がその願いで失われているのだが、この「声」があれば、宝の剣に移された本当の息子の命を保存できる、と言った。今では「先導」と共に姿を消した、「未来から来た神」は。

「……本当にお前は、その剣をこの海に沈めるというのか?」
 彼を連れてきてくれた貴賓が、永く真面目な眉間に(しわ)をよせる。
「その剣がお前の息子の心臓を貫き、そこから体の主が(なにがし)か変わったのは確かだ。お前の赤い獣をあれだけ自在に操れたのも、制御の邪魔になる水の命をその時剣に移したからだろう。しかしそれを、事もあろうに、奇妙な殻に入れて海の底に沈めようなどとは……」

 本当の息子の最後を見ていた相手が、大事な遺品を手放す彼の決意に唸る。その当惑は、彼にも解る。息子に憑いた者に頼まれ、連れ合いにも夢で念を押された願い。
「もう、エルフィの鎧も聖地に沈めたから。ユオンの剣は、『鈴』付きでこの海の底がいいと言われた。そうすれば未来で掘り出されて、悪魔他が二人をヒトに戻してくれるそうだ」
 貴賓は、正気の沙汰ではない……と苦い顔を続ける。彼を長年心配してくれた相手は、彼が閉じこもっていた聖地の遺跡を出てから訪ねた。彼の連れ合いを死なせた元凶なので、冷静に話せるようになるにはそれだけ時間が必要だった。
「ミリア・ユークが守り通した『鈴』か……私もかつてはその力を求めたが、エルフィを未来で蘇らせるなどと、にわかに信じられるわけもないが……」
 そうでもなければ、命をかけて守られなかった宝。彼の連れ合いは毎夜の夢で、過去や未来を視てしまえる預言の力など持ったばかりに、常人には理解し難い一生を生きたのだと。

「それで、お前はこの先、どうするつもりだ」
「さぁな。俺が飛竜を連れて生きてる方が、リーザが竜の墓場とやらで幸せなんだそうだ。それなら一人で、世界を回る旅にでも出ようかと思ってる」
 その言い分にもますます、貴賓は皺の増えた顔を歪める。
 彼自身にも、胡散臭いとしか言えない話なのだが、遠い昔に死んだはずの双子の弟の、娘だと名乗る謎の仔猫が過日に現れてきた。謎の仔猫は、双子一家が家族で平穏に過ごしているから、この時間をなるべく続けさせてほしい、と彼に伝えた。双子には確かに想い人があったが、子供ができる前にどちらも死者となったはずであるのに。

 息子に憑いた者が使っていた赤い焔の獣は、今では彼の制御下に戻った。蛇系の「神」にもらった「体」の抜け殻にしまっているので、昔よりは随分扱いやすくなっている。
「何故、せめて、ナディ殿を連れていかないのだ」
「勘弁してくれ。世界の災いを解き放った悪魔として更に追われたくない」
「アクシャラは散々好きにしているがな。キルがいつも困っているが、おかげでゾレンは今では大陸随一の裕福な国家だ。数多の恨みでいつ滅ぼされてもおかしくない」
 憮然として言う貴賓に、そもそも国が他にほとんどないだろ、とは彼も言っておく。

「とりあえず、ハーピアがリミットと大分前に、風の大陸に引っ越してるからな。近くにディレステア……ディレスもあるし、王女達にバンダナを渡さないといけなくて」
「なら風の大陸まで、この後送ってやろう。どうせ暇だから、お前も海釣りでもしていろ」
 本当は最初に、北の小島に行こうと思っていた。しかしそこにいる知り合い、月影の力を司る聖地の主は、もう闇に還ってしまったらしい。こうして多くの身内が去っている今、彼はどうして己の眼がまだ覚めるのか、毎日朝が来る度に不思議に思う。

 世界は、終わってからの方が長い。船室を出ると、まだ白っぽい空の端から光が見えた。
 あっという間に過ぎ去った日々を、彼は眼が覚めている限り想う。望んでこうなった身ではないが、連れ合いのたっての願いだったからここにいる。
「俺は……このために、生きて来たんだ」

 嫌がる「声」に無理やり呑ませた剣で、ぎりぎりに引っ張られている抜け殻。
 たとえ叶わない夢だったとしても、その少年には出会いたい人達がいた。黒い柄の剣に奪われた命の心が、彼の彩のない眼に映って青白く揺れる。
――やっぱり……俺は……いかなきゃ。

 世界の果てに帰っていくこと。息子も娘も、最後にその希みを選んだ。
 言葉を呑む彼のこたえは、当分出ない。目前でその「声」は、深い水の底に沈んでいった。


Czero' Cry/CR.F#- -chronica resurgam-
That's a wrap.

雑種神代記✛F#-CR. -chronica resurgam-

ここまで読んで下さりありがとうございます。
前作初稿から8年越しで、やっとCR編の完結篇を書けました。前作同様13万字強の最新作で、最後の全力長編かもしれません。

この『雑種神代記』は拙作Ifに相当し、ここからの未来は細部に違いがあれど、『千族宝界録』の系譜となります。そのため同作を載せさせていただいている星空文庫へ、いつか掲載できたらと願っていました。
予告編などは他の活動場所にも掲載していますが、CR完結篇全編は星空文庫のみです。
拙作一長い幻想の終わりまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

気が向けばXfolioに今後、補完作をUPすることはあるかもしれません。現在最もアクティブな実験場がXfolioなので、よければ覗いていただけますと幸いです。
https://xfolio.jp/portfolio/sky

初稿:2026.5.5「開」// 7.22「終」

※C零不定期公開作品は下記にも全編を掲載しています
ノベラボ▼『雑種化け物譚❖A』:https://www.novelabo.com/books/6331/chapters
ノベラボ▼『雑種化け物譚』:https://www.novelabo.com/books/6333/chapters
ノベラボ▼『雑種化け物譚❖R』:https://www.novelabo.com/books/6334/chapters

雑種神代記✛F#-CR. -chronica resurgam-

†Cry/シリーズC零やり直し編・CR完結篇† 人間は雑種の化け物より弱く、雑種は純血の化け物に疎まれ、純血は人間に関わることに制約のある「宝界」。人間の国と化け物の国が争いを続ける中、ヒト殺しの少年と殺戮の天使が引き起こす災いとは。 Cry/シリーズ関連作ですが一応単独で読めます。 image song:into the water by Kalafina // take care of you by OneRepublic

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-29

CC BY-ND
原著作者の表示・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-ND
  1. ✛Teaser Tale✛
  2. ◆開:知られざる落日◆
  3. ◆序◆ 森の天使
  4.  ◇①◇ 人間の国
  5.  ◇②◇ 第五峠
  6.  ◇③◇ ディレステア王城
  7. ◆破◆ 天駆ける処刑人
  8.  ◇④◇ ゾレン東部
  9.  ◇⑤◇ ゾレン王城
  10.  ◇⑥◇ 国王私室
  11.  ◇⑦◇ 預言の神殿
  12.  ◇⑧◇ 聖地
  13. ◆急◆ 世界の果ての少女
  14.  ◇⑨◇ 第二峠
  15. ◆閉:知られざる密会◆
  16.  ◇⑩◇ 遺跡
  17. ◆終◆ 𝄞