雑種神代記✛Cry/CR. -chronica registare-

雑種神代記✛Cry/CR. -chronica registare-

1月下旬から掲載しているCry/シリーズC零Cry/R.の、別分岐物語CRです。
人の姿をしながら人ならぬ力を持つ「千族」が「雑種」だった時代、故障した五感を持つヒト殺しの少年が、自身を黒い悪意に染めていくCR編前半になります。R編と内容が多く重複します。
C零R本来の初話(不定期公開)→https://slib.net/121930
C零Rとして完結する時の続編→https://slib.net/122454
update:2023.2.29 Cry/シリーズzero CR.
※パブーには「序」のみ掲載、エブリスタでは特典にのみ全編を掲載しています
※作中舞台近辺の地図は『作品紹介』に模式図を掲載中です

◇序◇ 真っ赤な呪詛

 
 この世界は狭いなどと、世間知らずの少年に教えたのはいったい誰だったのだろう。
 そして今、少年に呪いの祈念をささやき続けるのは、いったい誰なのだろう。

――殺したい。
――殺したい。
――殺したい。

 山、また、山。行けども行けども果てはなく、少年が踏み倒す草木の悲鳴は消えない。

――殺したい。
――殺したい。
――殺したい……。

 あと少し行けば、深い森がまた途切れる。そこにもどうせ、小暗い森が続くと思うと、疲労困憊の少年は気が遠くなった。
 世界がこれより広いというなら、どこまで行けば、この胸苦しさは止まるのだろうか。行くべき所――行ける場所など、真っ赤に汚れた化け物にはないというのに。
「俺の……せい、だから……」
 今更殺したいものなどはない。少年の手はとっくに血まみれなのだから。
 それなのにあの呪詛が止まない。(けが)れと共に始まった声は全く止まる兆しがない。
 「神」の天戒を破ったヒト殺し。その代償がこの悪寒なのだろうか。それにしては何の罰も現れては来ない。魔物はおろか、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈する秘境を踏み荒らしているのに。
 鳥のさえずりさえ凍結した夜明けの冷たい森に、少年の荒い息遣いばかりが響いていた。

 獣道の先に、何度目かの森の出口がぼんやりと見える。そこからたなびく濃密な(かすみ)で、一張羅の外套や袖のない黒衣がじっとりと湿り、短く尖る銀色の髪もしなだれていく。
 また何処か、足の腱鞘が切れたらしい。鋭い激痛が走り、(つまず)いた拍子に雑木の葉末から朝露が滴る。生温い感触で我に返った少年は、つんのめるように猛進を止めた。
 どうしてこうなったのか。背負う長剣でもう幾日、絡みつく草の根を斬り開いたことか。
 正気ではない。そうとしか言えなかった。
 山育ちの少年が、まず方角を調べようとすらしていない。それでは迷って当然だろう。育った隠れ里を追われた少年は、何処に行こうとしたかもさだかではない。
 これではまるで、ただ逃げているよう――

――オマエのことは、オレが隠してやるから。

 目深(まぶか)な黒いバンダナで守る頭を、迂闊に赤い記憶がかすめ、少年はそこで崩れ落ちた。
――殺したい……!
――殺したい……!
 膝をつき、ざらつく地面に爪を立てて堪えようとしたが、それも無駄な抵抗だった。
「ぁ――っ、は、……ぇッ……!」
 不休の嫌悪が込み上げる。幾度も繰り返した、赤い命の嘔吐が始まる。
 一人きりで歩くしかなくなった日から、少年の胃の腑は無謀な痙攣を覚えてしまった。

――殺したい……殺したい……。
 この声がずっと、少年を嘔吐かせている。吐き出さなければ気がふれるだろう。
 誰の声か、どこから聴こえるのかもはっきりとしない。少年にわかるのは、その呪詛が冷え切った喉頚(のどくび)を焼き、立ち止まらせてくれないことくらいだ。

 少年は、五感が故障した異端の化け物だという。自分以外が感じていることを、いつも我が事のように感じる。そのため付近にあるものにすぐ影響され、自分の心がわからなくなる。自身と周りの境が曖昧なのだと、少年を育てた者はずっとその特質を憐れんでいた。
「……もう……イヤ、だ……」
 ひたすら、疲れていた。凍った体は限界を叫ぶのに、動かなければまたあの声が響く。

 うずくまる草むらに意識が吸い込まれていく。踏み潰した虫の絶息と共に呼吸が止まる。生臭く硬い土を握り締めて、手がそこにあると確かめることしかできなかった。
「殺したく……なん、て……」
 何を言いかけたのだろうか。それもすぐに、喉元を逆流して排除される。
「……痛いのは……もう……」
 切れ切れの吐息で、醜くかすれた声。その無様さに胸の奥がざわついてしびれる。

――……何で、殺さないの?

 一瞬で脳髄が染まりかけた。臓物が蠕動し、狂気を飲み込む前に精一杯に押し返した。
 それが天罰だというなら、少年が狂うのは時間の問題だろう。突き刺さるほど深い草の中で植生の息吹ばかりが聞こえ、どの意思が自分かすらわからなくなった。
 森中がきっと、ヒト殺しを(はや)し立てている。いったい少年に何をさせたいのだろうか。おぞましさを噛み殺し、今一度起き上がった。見知らぬ呪詛の傀儡になることは嫌だった。

 長剣を杖に、折れかけた足を引きずって進む。一歩一歩、痛みが走らない瞬間はない。
 ふと顔を上げると、朝靄(あさもや)の中から、身の丈以上の土壁が無骨に立ちはだかった。
 薄らぼけた斜面の上が全く見えない。暗い視界には額を取り巻く黒いバンダナしかない。もうこれ以上、何も見えはしない。少年はついに、背中から倒れ込んだ。

 微かな木漏れ日には少年を保つ力はない。吐き出せるものもそろそろ無くなっている。
 途切れゆく心に残されたものは、影法師のように付き纏う真っ赤な呪詛だけで……――

――殺したい。
――殺したい。
――殺さなきゃ……。

「……――え?」
 ふっと。今までと違う、熱い何かが突然混じった。
 たった一瞬のこと。それでもその声音はあまりに切実で、見開いた両目が暗く冴え渡る。
 そのままぐらぐらと、生まれたての獣のように、少年は最後の力で立ち上がった。

 心血の臓腑が破れそうだった。無闇に登り始めた行く手には、かすかな朝の光しかない。
 浅い呼吸で全身がかじかむ。崩れ落ちそうに湿った壁に爪が剥げるほど指を突き立てる。惰性で歩みを続けたこれまでと違い、その熱は明確に急げ、と少年をたきつけるのだ。

――殺したい。
――殺さなきゃ。
――殺さなきゃ。

 薄明かりが差す平地に這い上がった。泥まみれでも前進を再開する。霞でよく見えない出口に何が待つか、もう少し少年は考えるべきだっただろう。少年に混じる異音が確実に近まったと同時に、その暗い色の目が観る世界は、がらりと反転することになる。
「――っ!?」
 開かれた天地は、見たことのない黄金の荒野――それを砂漠というのも少年は知らない。
「って――崖……!?」
 急き過ぎた勢いのままに、境目となる峡谷へ、盛大に足を踏み外していく。

――殺さなきゃ。
――殺さなきゃ。
――殺さなきゃ……!

 その瞬間、投げ出された身は天の逆手を取り――未知の熱情が襲い来た金色の世界で。
 ひとしずくの滲みの黒い鳥が、少年の視界を不意に奪った。
(……え……?)

 何故か酷く、ゆっくりと進み始めた時のいとま。
 落ちていく空から見えた砂地に、少年は先刻からの鳴き声の主をやっと見つけた。
 それは、この世のものとは思えないほど清雅な黒い鳥……天上の聖火が消えたその背に、地表の荘厳な金砂が映える。
(……あれ……何だ……?)

 黒い鳥は、聖なる翼を全て失っている。それで人真似をして、地上にいるのだろうか。そして傍らにいる人間と助け合う姿は、同じように暮らしていた少年の郷愁を誘った。
(……すごく……キレイ、だ……)

 地平に萌ゆる、気高き黒い鳥。その温かな赤の眼を、血溜りのような(あか)い涙が(よど)ませる。あまつさえ清らな黒の身を、鳥は自ら穢そうとしていた。
 それだけはわかった少年は、迷うことなく剣を取った――

◇①◇ 辺境の少女達

 
 たった三つの大陸と、僅か三つの大きな孤島。それ以外にろくに、ヒトの住む地のないこの世界は確かに狭く、「神」のみが治める文明も幼く――
 そんな稀少な世界の名を、「宝界(ほうかい)」。
 様々な「ヒト」型の生き物、選りすぐりの化け物や人間を詰めた「宝箱」だと、古代の書物には記されている。世界の創始者を(かたど)る、不滅の「神」によって。
 天戒と言われる「神」の定めは三つ。「神を(けが)すなかれ」、「ヒトを殺すなかれ」、「ヒトを侵すなかれ」。いずれも高次の存在たる使徒達が違反者を裁くという。
 その戒めを適用されるべきは、何処にでもいる最多の人種「人間」と、少数の「化け物」。人とヒトによく分けられる彼らの違いは、「力」の有無だった。 
 「力」とは「神」が定めた無数の神秘で、「力」ある化け物はその源と「神」に縛られる。しかし同じヒト型である人間は、「力」が無く弱い肉体以外の何にも縛られない。
 天使や悪魔など由緒ある化け物は「純血」と呼ばれ、制約の多さ故に貴きものとされる。対して宝界独特の多様な「雑種」は、人間と近い精神性を持つと言われる化け物だった。
 それでも人間は、雑種を忌み嫌い、純血を畏れ、人間を基準とした秩序の下で処世し、生き残るための技術を育んでいく。純血と雑種は同じ化け物でも相容れず、故なき(いさか)いを「神」に禁じられてなお争っている。人間より長い寿命を「力」に(やつ)し、「力」欲しさに魔物と堕ちる者も往々にしてあった。
 その中でもこれは、「神」の戯れがはびこる古き「神暦」において、人間のために天戒を犯す雑種の物語であり――

 峻険なる山並が腰を据える僻郷(へききょう)、「地の大陸」。そこは世界で有数の武断地帯で、数多の恐るべき化け物が割拠し、弱き人間の旅には必ず護衛が欠かせなかった。
 そんな大陸特有の「(しのび)」という供――山岳を渡る術をつぶさに嗜み、隠密行動に長ける武人は重宝され、その地で今まさに、尼僧じみた覆面の忍に守られる旅人の姿があった。
「この……不届き者達!」
 薄暗い山辺で、追い詰められた最弱のヒト、うら若き人間の娘が叫び声を上げる。
「私が誰なのか知っての狼藉と言うなら、貴方達に未来はないものと心得なさい!」
 しかしその娘を襲うのは魔物や化け物ではなく、同じ人間であるのが異例な点と言えた。
「どうして!? 貴方達、『ディレステア』の国民でしょう!?」
 山賊まがいの男達に取り囲まれた人間の娘が、外套で覆う細い身を強張らせる。傍らに立つ「忍の者」らしき黒装束の少女が、鎖骨下までの面紗(めんしゃ)をひらりと揺らして進み出る。

 無言で前に出た少女は、艶やかな上腕と尖鋭な(あか)の目を除いて全身を黒く包んでいる。迅速な足捌きには無駄がなく、凛とした立ち姿も整っていた。
――……殺さなきゃ。
 忍の者はその名の通り、世を忍び素性を隠す雇い人だ。大抵の者が並外れて体を鍛え、化け物の「力」を持つことも多い。それなら人間の賊など虫けら同然の相手のはずだった。
 しかしその、年端もいかない忍の少女は、まだヒトを殺したことがないと観られ――
――……殺さなきゃ……!
 昇ったばかりの朝陽に影が差した。無意識に、吐息の震えを隠せなかった忍の少女。
 襲撃者を睨むだけで動かれぬ可憐な護衛は、恐れるに足らず。筋骨隆々の男達は歪んだ(あざけ)りを浮かべ、下卑た笑みを零し合った。

 中心にいる男が荒々しく忍の少女の腕を掴み、打ち捨てるように地べたへ払い除けた。
「――……!」
「シヴァ!?」
 倒れた少女に娘が振り返る。鳥の紋章を刻む首飾りが、厚い外套の内で揺れる。軽装の薄い衣は動きやすく無防備で、月の色を思わせる長い金髪の束が両耳の上で舞った。
 その姿を笑うように、別の大男がすかさず、娘のかぼそい腕を掴み上げた。
「いたッ……! 離しなさい、無礼者――!」
 人間の娘の手背には「D」が刻まれている。掴む大男の手にも同じく「D」の刻印。
 もがく娘の、香りを間近で楽しむように、にやりと大男はその手を乱暴に捩り上げた。
「あッ――……! やめ、なさい……!」
「……!!」
 悲鳴すら出せず、軽々と娘が釣り上げられる。すぐに立ち上がっていた忍の少女は身を低くし、不甲斐ない己を叱咤するように男達を睨みつけた。
 咎は他でもなく少女のものだ。護衛たる忍がついぞためらいを持ってしまった。そんな呪わしき甘さを振り切るように――「力」を秘める胸に、決意を刻んだその時だった。
――殺さなきゃ。殺さなきゃ。
――殺さなきゃ。殺さなきゃ……!

 それはあまりに清らなる者の、聖なる性に反した抵抗。健気でも無用な空々しい言霊。
 同時に冷たい剣を取った天性の死神は、気高き少女の矛盾に薄暗く(わら)う。

――……何で、殺さないの?

 大男の厚い胸板を、背後から容赦なく、白銀の長剣が貫き通した。
「ぎ――あッ……!?」
 (たぎ)る心血が一瞬で途絶える。笑うような顔で大男の命数が尽きていく。哀れな大男は何が起こったかもわからないように、人間の娘を手離し、あっさり地面へ崩れ落ちた。
「なっ!?」
 周りの仲間がざわめき、倒れた大男のすぐ後ろへと、がん首を揃えて慌てて振り返る。そこには絶命した大男に隠れる体格しかない、銀色の髪の少年が無言で立っていた。

――俺は――……殺したい。

 少年の視界が点滅を始める。喉の奥に血の味がせり上がり、一瞬で消える。表情は無に凍りつき、賊だけでなく、人間の娘と忍の少女が固唾(かたず)を飲んで凝視していた。
 刃にまみれる肉片を振り払った少年は、濡れた外套を(ひるがえ)し、無骨な長剣を片手で中段に構える。黒いバンダナが閉ざす双眸に男達を捉えて、そのまま静かに呼吸を止めた。

――今度こそ……。

 受けた血しぶきを隠す黒衣で、吹けば飛びそうに細身なあどけない少年。男達はすぐに気を取り直すと、各々手斧や棍棒を握り直し、数をもって圧倒せんと襲いかかった。
「このクソガキが! よくもやりやがったな!」
 少年は無慈悲な目線と、両刃の剣の切っ先をまっすぐ男達に向ける。
 そしてあえて断ち続けている呼吸――己が「生」を全て、戦う力に振り分けていく。
(……これなら、痛くない)
 愚鈍な攻撃は少年の纏う外套にさえ触れず、一方少年の刃は確実に男達の心の臓を貫く。あばらの骨と剣が砕き合い、安っぽくこぼれた銀箔が凄惨な赤に染められていく。
 人間の娘が忍の少女の腕を背後から掴む。非情な血振いを声も出せずに括目している。
 吸息を閉ざす少年の全身に灼熱が走り、人体を(ほふ)る剣の感触が打ち消されていた。
「……!」
 目を見開いて硬直していた忍の少女が、腕にくい込む指にはっとして娘を下がらせる。殺し合う少年達と娘の間に迷いなく入り、毅然とした面で出で立っていた。

 そのような、全身黒ずくめの少女が横目に映る。少年はようやく、返り血まみれの柄を握る高揚をごくりと飲み下す。
(……あんたが……さっきの黒い鳥?)
 少年は、自分がどうしてこの場にいるのか、それがまず不思議だった。
 疲れ切っていたはずの体が、峡谷の河原で爽快に目覚め、近くに来ていた「黒い鳥」の居場所を感じてここに導かれた。近傍に限定されるその本能は通常であれば、「気配の探知」と言われる化け物特有の探索能力だ。
 しかし少年は、故障した五感を持つためか、化け物にはすべからく備わるその第六感が鈍い。そのためここまでの道のりは、少年自身にも不可解ないざないの結果だったのだ。
 そうして成り行きで男達を害する中で、呪詛が治まる兆しを少年は感じていた。
(それなら……俺が、やればいいから)
 何の答が何処で出て、何に納得したのかは、さっぱりわからなかった。それでも呪詛に代わる新たな言霊が、他には何もない少年の内を満たしていく。
――殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺さなきゃ。
――殺したい。殺したい。殺したい。
 混ざる禍言(まがこと)。どちらの声が殺すべきかは、とうに血まみれの少年にはわかりきった答だ。さまよえるヒト殺しはやっと、意味のある殺意を見出すことができたのだと。
 犠牲者の心腑(しんぷ)を無下に壊していく度、故障した五感の末端まで「死」の味が行き渡る。天性の死神はただ一度だけ、薄い口の端を釣り上げて静かに笑った。

 屈強な男は六人いたが、あえなく五人が殺されたところで、最後の一人が武器を捨てて走り出した。向けられた無様な背中。無機質に殺戮を重ねた少年は初めて鬱陶しくなった。
(コイツを逃せば……仲間を呼んでくる)
 こんな人間、何人来ようが殲滅できるが、忍の少女と人間の娘はそれでは困る気がする。
 男達はただの追いはぎではなく、行動には何か狙いがあった。自他の区別が曖昧である少年の知覚は、その心情を雑多に察し、潜在的な危険の存在をしきりに警告する。
(……もう誰か、今、ここを見てるけど)
 だから先程から、ある不穏な視線があることもわかっていた。しかし相手の所在と形を上手く掴み切れない。それなら現在、観えている災いを潰すにこしたことはなかった。

 奇声をあげる男が焦って(つまず)いたせいで、最後の刺突は心の臓から逸れてしまった。
「……っ……!」
 そしてその虐殺の代償、故障した五感による耐え難い罰が、ヒト殺しの少年を襲う。
(痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い――)
――痛い痛い死ぬのは嫌だ痛い怖い……!
 男はなかなか意識を失えずにのたうち回る。(なまく)らな剣に血肉がもつれ、永い一瞬の壮絶な苦痛を少年は共に感じてしまう。これまではその暇を与えなかったというのに。
 引き抜いた剣を支えに片膝をつく。食い縛って耐えていると奥歯が割れた。全身全霊で無比の嘔吐を堪える間に、やがて最後の一人も息絶えていき――

 俯く少年の苦悶は、上腕にかかる外套に隠されて誰にも見えていない。男の命が終わる瞬間、指先まで暗い寒冷がしみ込み、己の意識までもが凍ったようだった。
(……ああ……痛い、な……――)
 心が途絶え、堕ちていく安息。少年はそうして、その身に(ぬぐ)えることのない「死」を刻む。
――……どうして……俺は……。

 よりかかっていた剣から顔を上げると、離れていた忍の少女と人間の娘が近寄ってきた。
 辺りに漂う血の匂いと、臭い臓腑がはみ出て転がる六つの死骸。生き残った誰もが厳しい面相をしている。娘達の鼓動を感じなければ、虚無に満たされた少年の体も動かなかったかもしれない。
 細い呼吸を辛うじて再開した少年を見て、人間の娘が恐る恐る最初に口を開いていた。
「アナタ……大丈夫?」
「…………」
「助けてくれて、ありがとう……ところでアナタ、『ゾレン』の化け物のヒト?」
 剣を握り締める少年の手の「(ジー)」の刻印を、「D」を持つ人間の娘は見たのだろう。この「地の大陸」全般で通じる、堅苦しい共通語で尋ねてきた。
 警戒しているが、怯えてはいない勇敢な人間の娘に、少年は同じく共通語で質問を返す。
「……そういうあんたは、『ディレステア』の人間?」
 少年は一応共通語を使えるが、母語ではなく、話す方にはあまり自信がない。聴く分に関しては、故障した五感もあるためなのか、誰の言葉でもよくわかる。
 人間の娘も母語は違うようで、少年とは何とか共通語で話ができるとわかると、ほっとしたように少年の返事に頷いていた。

 腰まで下ろす長い金髪の一部を、両耳の上で二つに束ね、快活そうな人間の娘は「アディ・ゾーア・D」と名乗った。
「私はアディでいいわ。こっちはシヴァ――私の大切な友達よ」
 忍の者と連れ立った人間の娘は、どうやら単純な雇用関係ではないらしい。人間の娘の硬い顔は、忍の少女を紹介する時には少し和らいでいた。
「シヴァは喋ることができないの。だから話は私にさせてね」
 小さな貝殻の笛を首にかける忍の少女は、何かあるときにはそれで合図をするという。
 少年は不意に、妙にもやもやとした気持ちを持て余すことになった。
「それは……大変、だな」
 人間の娘はしれっとしているが、忍の少女は少し揺らぎを見せていた。つまり嘘であるようだが、詮索しても迷惑だろうと思い、余分な疑念はすぐに脳裏から消していく。
 人間は嘘吐きが多いことを、少年は知っている。現在の問題はそれよりも、この生臭い殺戮現場をどうするかの一言に尽きた。

 暴漢への対処とはいえ、一方的で多数の殺人は「神」の天戒に強く反する。三人以上の命を奪えば死罪、という(ためし)も多い。今後紛糾を招くはずの死体を、少年が背中、少女達に頭と足を持たせて、近くの浅い森へ運び込んだ。
 六つもの死骸を運ぶのはさすがに疲れたが、全てを生い茂る草むらに一旦隠す。離れた岩場に移動し、腰をかけて休むと、同じように座り込んだ人間達が少年に重い顔を向けた。
「あんた達はここで、何をしているんだ?」
 忍の者連れとはいえ、かよわい人間の娘はどうしてこんな秘境にやって来たのか。短い腰巻きに膝丈の中履きと盗賊のような恰好だが、光沢ある白の分厚い外套はかなり上等な生地と見てとれ、何より護衛の忍を雇える富裕な身上のはずだ。

 他郷より多く化け物が闊歩するこの大陸で、「ディレステア」という国はほぼ人間で構成されている、と秘境「ザイン」の少年は聞いたことがある。そしてディレステアの両脇に広がる君主国が「ゾレン」――「化け物と人間の共存」を(うた)う雑種大国なのだが、ゾレンの理念は最早過去のものと見做され、人間の国ディレステアとゾレンは半世紀以上紛争を繰り返していた。
 だから本来、ゾレン出身で「(ジー)」を手甲に刻む雑種の少年と、ディレステアの「D」を刻む人間の娘は敵対関係にある。それでなくとも化け物と人間は、建国時のゾレン以外でまず共存を求める動きが乏しい。
 それでも人間の娘は、この地にいるわけを明かすどころか、少年が殺した男達の問題も放り投げて、鮮烈な赤の目でとんでもない依頼をしてきたのだった。
「ねえ、アナタ。単刀直入に言うけれど、私達のこと、しばらく守ってくれない?」
 少年は思わず息を飲んで、人間の娘を見返すしかない。その目前で沢山の人間を殺した野蛮な化け物に、それはあまりに、愚策な頼み事ではないだろうか。
「あんた達のことを……守る?」
「ええ。私達はエイラ平原から国に帰るために、『第二峠』を目指してここまできたのよ」
「……?」
 人間の娘が口にした平原名は、少年が空から一瞬だけ見た黄金の大地のことのようだ。
 しかし平原には本当に何もなかった。それならおそらく方向違いのディレステアがどう関わるのか、世知のない少年には推測もできない。

 そして――
「あんた達――……第二峠に行くのか?」
 運命のような偶然としか言えなかった。わけもわからず、何かに追い立てられるように隠れ里を出た少年は、ここでやっと当初の目的地を思い出すことができた。
「俺も第二峠に行きたかったんだ。それなら俺を、第二峠まで連れていってくれないか」
 謎の呪詛に、すっかりかき消されていた心。故障した五感が拾う膨大な情報のために、自らが曖昧である少年は、よほど強い想いでなければ自身の行き先も容易に見失う。
 この状況で人里に向かい、人間を六人も殺したことが明らかになれば、ヒト殺しとしてどんな咎めを受けるだろうか。それでも少年にとっては、これまでの長い呪詛の侵蝕より、思い出した目的を遂げることの方がまだしも良かった。
 そんな少年に、人間の娘と忍の少女は大きく目を丸くして、顔を見合わせている。
「……?」
 二人の困惑の理由がよくわからず、少年も黙って答を待っていたところに――
 ソレは突然、少年の前に飛び出してきた。
「オマエ、バカだなにょろ? 中立地帯でよそ者を殺した上に、ゾレンから第二峠に行く程度で、どんだけ遠回りをしてるんだにょろ!」
「……――は……?」
 人間の娘の外套内から、跳ねるように出てきた緋色のソレ。ずっと隠れていたらしいが、がさがさに乾き、小さく幅寄せされた抜け殻だけの蛇もどき。そうとしか言えない物体が忍の少女の肩へ跳び乗り、唖然とする少年に対して、謎の語尾の人語で説教を始めた。
「ゾレンのバカかにょろ、西部者か東部者かにょろ? バカっぽいから西部者にょろ!」
 少年の母国――海易の盛んなゾレンでは、異大陸で流通する新語が国語とされている。しかし地の大陸では少数派である言語を、謎の物体は少年に合わせてなのか流暢に操る。
 少年は気圧されながら、場にいる他の者にもわかるよう、今まで通りに共通語で返した。
「いや……俺は、ザインから来たんだけど」
 何だとにょろ!? と、ソレはますます、目らしき空洞に真っ黒な異彩をたたえた。

 ヒトでも魔物でも獣でもない、謎の物体。無表情のまま黙り込んだ少年を見かねてか、人間の娘が抜け殻蛇の首をむんずと握り、忍の少女の肩から引きはがしていった。
「デューシス、アナタはちょっと黙っていて。これ以上話をややこしくしないで」
「でもアディちゃん、コイツ、危険人物だにょろ?」
 人間の娘は蝶々型に抜け殻蛇を結び、今度は共通語を話すソレを強引に黙らせんとする。
「危ない時はいつもいつも、自分だけ隠れるアナタよりずっとマシよ、デュー」
 ねぇ? と人間の娘が忍の少女を見る。忍の少女も重く頷き、抜け殻蛇はそれが意外にこたえたらしい。大きな口を半開きにしたまま、素直に静かになっていった。
 人間の娘は努めて何事もなかったような顔を作り、抜け殻蛇を外套内の衣嚢(ポケット)にしまう。
「そう言えば……アナタ、名前は?」

 まだ衝撃の冷めやらぬ少年にとって、その当然の問いはよくない不意打ちだった。
――殺したい。殺したい。殺したい……。
 自身の名と共に浮上する、隠れ里での赤い記憶。灼けただれた心の(うめ)きが胸裏を叩く。
 ここに来てからは束の間だけ、忘れることができていた呪詛が胸を穿(うが)つ。
「……キラ。『キラ・レイン・S』」
 喉まで上がる悪心のせいで、バンダナの下の目で睨むように答えてしまい、人間の娘も余裕を消して少年をきつく見つめた。
「……『S』? 『Z』ではなくて?」
「――……」
「アナタはゾレンの化け物さんでしょう? 手にもそう書いてあるじゃない」
 娘が「Z」の刻まれる少年の手背を見る。答え方を間違えた、と少年も悟る。
「……父さんがザインで、母さんがゾレンの出身だから。ザインではそう名乗っている」
 話し相手の感情の機微に、同時進行で影響される少年はすぐに釈明する。不審を抱いた人間の娘は少年の切り返しの速さに、自然な回答と納得したようだった。隣で睨む忍の少女については、この程度で警戒を緩めないのは当然のことだろう。

 ふう、と息をついた人間の娘が、座る切り株から腰を上げて少年の方へとやって来た。
「ザインから来たのはわかったわ。でもね、ここは『ウェルデン』の端っこよ?」
「……?」
 外套を押えてかがんだ人間の娘は、少年としっかり目線を合わせてから、拾った小枝で地面に逆三角形を描き始めた。
「この三角形が私達の国、『ディレステア』。砦の国と呼ばれていて、今も見えているあの高い外壁の内側で、東西ゾレンの間にある国のわけね」
 少年の無知を、聡明な人間の娘は早くも見切ったらしい。南にうっすらと、山あいからのぞく天高い石塀を指差し、丁寧に説明を続ける。
「ザインはディレステアからは北西で、つまりゾレン西部の北に位置するわ。私達がいたエイラ平原はザインの真逆で、ディレステアの北東に広がる大きな砂漠なの」
 娘が逆三角形の頂点三つと、その間に丸を付ける。その六つの丸が国境の関所で、西から時計回りに、第一~第六峠というのだと教える。
「第二峠は、ディレステアとザイン、エイラ平原全ての境なの。ディレステア北端にしてザイン南東部なのに、アナタはザインから東に向かって、もう第二峠を過ぎているの」
 なるほど、と少年は、その大いなる無駄をようやく実感する。
「そしてここウェルデンは、ザインからエイラ平原に移行していく混合領域になるわけ」
「ディレステアからは、真北ってことか?」
「ええ。と言っても、ここはウェルデンの東端で、ザインとは違う監視者がいるし、聖湖『テルス・エイラ』にかかってくるから、余計に注意がいる場所なのだけれど」
「『テルス・エイラ』……?」
 地の大陸では常識の地名も知らない少年に、人間の娘は痛く肩を落したようだった。
「まぁつまり……アナタにはちょっと戻ればいいだけだから、とても簡単な道のりなのよ」
「――?」
「途中で気が付いて、逃げられても嫌だし。それでもアナタは私達を守りながら、一緒に第二峠まで行ってくれるの?」
 少年にはそこで、人間の娘がくどくどと、地理を伝える理由がようやくわかった。
「……あんた、いい奴だな」
 人間の娘と忍の少女を守ることと引き換えに、第二峠に連れていけ。そう言った少年に、それは対価の釣り合わない取引だと、人間の娘はきちんと先に教えているのだ。彼女達のことを助けたとはいえ、こんな化け物のヒト殺しに対して。
 人間の娘の返答は忍の少女も同じ心のようで、若いわりには肝の据わる二人であり――対して少年は、これまで大人のように仕事をしたことがない。取引に応える覚悟を決めるために、僅かの間、黙り込んで俯く。

 少年が目を伏せている間に、再びあの声が強く鳴り出していた。
――……殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺さなきゃ……。
 痛いほどに切迫した心。険しい顔を重々しく上げた少年は、固い宣言を振り絞った。
「……あんた達二人を、どんなことをしても必ず、第二峠に送り届ける。だから俺も……一緒に連れていってくれ」
 黒いバンダナの影が差す目で、人間の娘と忍の少女をまっすぐに見る。知らず氷点下となっていた声色に、人間の娘が体を(すく)める。
 娘の肩に忍の少女が重く手を置き、危険は承知、と言いたげな空気で頷く。忍の少女は、少年を信頼したわけではないと鋭く赤い目で語る。それでも少女達は見知らぬヒト殺しに頼らなければいけないほど、窮迫した状況であるようだった。

 そうして(にわ)かの取引は成立したが、不安のためか人間の娘が沈黙してしまった。元々声を出せないという、忍の少女も無言。それでも朝の日差しと共に気温が上がってきたか、凝り固まる場の冷気が少しずつ和らいでいた。
 人間の娘を怖がらせないように少し目を逸らした後で、少年は疑問を一つ口にする。
「なあ。あんた達は、国に帰りたいんだよな?」
「……ええ。私達の目的はその一つだけよ」
「この絵の通り、入り口が六つの峠だけなら、エイラ平原からは第三峠の方が近くないか?」
 砦の国ディレステアは、古代の遺産とされる強固な外壁が国を囲む。空飛ぶ化け物でも関所を通らなければ、入国はできないという。それが化け物だらけの大陸で、人間の国が成立できる理由でもあるが、わざわざ危険を冒して遠回りする二人に切り込むと、人間の娘が悲鳴のような声で答えようとした。
「第三峠を通ろうと思ったわよ! でも――」
 それに被せるように、唐突な闖入者の嘆息が、歓喜の色を伴いながら不躾に響いた。
「何と……このような所にあらせられましたか、『アヴィス・ディレステア』王女」
 見知らぬ山々を逃げ惑う娘達に、帰路たる第三峠を後にさせた災禍。それがそうして、疾く、いたずらな山風のように降り立っていた。

◇②◇ 天性の死神

 少年達が現在東端にいる、「ウェルデン」という山岳地域。山ばかりの秘境のザインと何も変わらない、と少年は思っていたのだが、そこをあえてエイラ平原との混合領域と定める理由は、一帯の監視者がザインとは違うからだ、と先にきいた。
「お会いしとうござりました。いとたおやかなる我が君、アヴィス・ディレステア王女」
 少年が殺した者達の遺体を隠す暗い森に降り立った、色めきたつ長い髪の気障そうな男。ザインでは見慣れない翼に、おそらく「監視者」側の化け物、と経験的に感じ取る。
(さっき見てたのは……コイツ、か?)
 しかし少年は、半透明の片翼を持つその軍服の男に、全く既視感が持てないでいる。
「どうかそれがしと、第三峠にお戻りあそばれますように。それがしはずっと、貴女様をお探し奉っていたのですぞ?」
 ややこしい古語で勿体ぶって話し、人間の娘だけ見ている男は、先刻に全員を見ていた目の主ではない。それでも色男が口にした「王女」という稀な響きは、強い憧れを伴っている。知らない古語の内でも一際思い入れが目立ち、そのため妙に背筋に引っかかった。

 恐れていた者の登場に、少年と忍の少女の後ろに隠れた娘がやっと反駁を始めた。
「シェムハザ殿……! そのお話は先日に、はっきりとお断りしたはずです!」
「如何な理由にてそのような世迷言を? それがしと貴女様の婚姻により、エイラの守手『レジオニス』とディレステアが諸手を組めば、ゾレンなどひとたまりもないでしょうぞ」
「それは脅迫です! まず私をディレステアへ帰していただき、父と審議院に話を通してください、と何度言えばわかるのですか!」
 ディレステアは本来古語圏であり、それで話されている内容を少年は理解できていない。それでも人間の娘が、驚くことにディレステアの王族だという気配と、第三峠から自国に戻れないのがこの男の責任だとは、程無く感じ取れていた。
 それだけ色男は強引に出る程、人間の娘の高貴さに憧憬をよせている。娘が王女である、ということが重要なのだ。そんな理由で帰国の足止めをされ、忍の少女もとてつもない怒りで男を睨んでいる。
 そのため人間の娘も、忍の少女までも、あと一つの脅威にはすぐに気が付けずにいた。
「――何者だ」
 忍の少女と人間の娘を挟むように、すっと逆方向に回って少年は剣を構えた。見上げる暗がりの樹上にさらに声を続ける。
「あんた……さっき、俺達を見ていたな?」
「……キラ?」
 そこでようやく人間の娘は、玉の声を低くしてもう一人の訪問者に振り返った。
 そして、その先に見えたものは――

 常緑の幹から枝に黒々と絡みつく、ヒトの頭と腕を持つ半蛇。少年にはそう感じられた。
 息を詰まらせる人間の娘達の目には、艶めかしい体つきで褐色の肌の女が映っている。豊満な胸と両腕をどっしり大枝に乗せて、女はおやおや、と地上を見下ろしていた。
「貴方は――パーストル第二峠大使!?」
「んふふう……久方ぶりよのう、アヴィス王女」
 樹冠の陰で紅く光る目。毒々しいほど魔性を(かも)し、人間の娘と忍の少女が共に立ち竦む。その動揺を間近で感じた少年に、相手の存在の大きさと危なさが同時に伝わる。
 大使と呼ばれたごく短い髪の女は、胸周りには薄布を一枚巻いただけだが、腰から下は異形の半身を人型に変える魔法具付きの祭儀衣を纏っている。それは人里に点在する天の使徒の宿、教会の司祭と近い出で立ちといえた。
 しかし場には、悪性の臭気が漂っている。少年は女を見上げたままで、後ろで震える娘に尋ねた。
「あいつらは仲間同士? それとも別々の敵?」
 護衛たる少年にとって、重要なことはそれだけで、どちらも敵だとはわかっていた。
 それに対して、人間の娘の答は少し意外でもあった。
「敵ではないわ。大使達はディレステアの関係者だから、私達を害することは許されない」
「……?」
 人間の娘も忍の少女も、見るも明らかな恐れと警戒態勢で、ともすれば数刻前の男達に対するよりも強い敵意を持っている。
 それでも今は、敵対するな、娘はそう言っているように少年には聞こえた。
「敵ではないけれど……私達の要求を簡単には飲まない。『レジオニス』はそういう相手よ」
 そして人間の娘は改めて、少年の質問にわかりやすく答える。
「持ち場が違うだけでどちらも『レジオニス』だけれど、彼らはみんな個人主義だから。彼ら同士では、協力体制も反発も有り得ると思っておいて」
「……わかった」
 辛うじてそんな話ができた間、人間の娘の言を裏付けるように闖入者達も話をしていた。
「随分と早い到着よのう、堕天使よ。王女の居場所を、そこまで知りたかったとはのう」
「今回ばかりは感謝いたそう、ラミア。何しろ王女は、実に厄介な『壁』持ちであられる」
「そのようだのう? 一時でもその結界が途切れなければ、わらわの可愛いお使い達も、こんな不躾者どもを見逃すところであったわ」
 少年にはやはり古語がわからなかったが、少年達を見ていたのは大使の女が浮遊させた目だと感じ取る。どちらの化け物も、並々ならぬ特性や「力」の持ち主だと観てとれた。それはもう、まともに戦おうとすれば、少年などまず歯が立たない化け物達だった。
(……こいつらが……『純血』なのか)
 とにかく純血とは、言語にせよ「力」にせよ、有名さや伝統あるやり方を好むと言う。たとえば魔女には魔道、天使には聖火などが最たる正統な「力」と聞くが、雑種の少年が観たことのないほど、その化け物達の自尊は曇りない強さで脈打っている。

 色男は「王女」に執心しているが、大使の女は何故か、少年に最も興味があるらしい。顔を下向きに乗り出すと、樹の上から不思議そうに話しかけてきた。
「ふむ、おかしいのう……そこな雑種よ。わらわとどこかで、会うたことはないかの?」
「…………」
 戦い事に偏る知識を持つ少年は、この女は魔道士の類、と黙って相手の観察を続ける。
 少年の「観察」とは相手の鼓動を深くまで感じ、その性質を探る闘いに他ならず――
「はて、どこであったかのう。わらわはソナタのような、締まった(わらべ)が大好物なのだが」
 ねっとりとした古語が耳を撫でるが、そこに満ちるのはとても単純な欲望だった。
「シェムハザには王女を、わらわはソナタを頂くかのう。げに美味そうな童であることよ」
 色男の情欲と大差ない、化け物女の素直な食欲が、少年のよく鍛えた痩身に向けられる。
 大使の女の言い草を聞きかねた人間の娘が、少年の代わりに話に入った。
「パーストル大使、お戯れも程々になさってください。よもや第二峠大使ともあろう方が、第三峠副官と同等の私情で天戒を犯されるなど、あってはならぬことでしょうから」
「何とまた無体な御言葉を、アヴィス王女よ! それがしの純粋たる想いをそのように!」
 忍の少女に睨みをきかされている男は、すぐに強行に出そうにはない。合わせて人間の娘も大使の女を一番重視し、話を続けているようだった。
「私やその護衛に、大使たる貴方が手出しをするのは、ディレステアとレジオニスの協約違反でもあります。シェムハザ殿のことは改めて、私が帰国してから糾弾します」
「ふぅむ、そうだのう。王女の護衛と申すなら、わらわが関わるのもやぶさかではないが……しかしのう、王女?」
 ウフフ、と化け物の女大使が引き裂かれた笑みをたたえる。その瞬間、辺り一帯の空気までがやおら毒手に包まれ――
 化け物の女はわざわざ、現状を全員に知らしめるため、軽やかな共通語で通告を始めた。
「わらわが来たのは、偉大なる聖地『テルス・エイラ』を、人血で穢した愚かなる咎人がおるからでな。その重罪人はどうやら、王女の護衛のどちらか一人……そう見るがのう?」
「……!」
 そこで蒼白になった人間の娘は、いやが上にも想起していた。大使職につく女の、純血としての真なる姿――地の大陸随一の聖地の司祭であり、聖地に関わる咎人を貫く毒牙を。
「どちらかのう、王女? 渡さぬのなら、わらわはどちらとも預うてしまうが?」
 それはおそらく、第三峠から娘達が逃げざるを得なかった時以上の窮地だった。
(どっちにしたって、脅迫じゃないか)
 護衛が一人に戻れば、色男は人間の娘を手中にできる。忍の少女が撃退できる相手なら、彼女達は逃げる必要はなかったはずだ。帰国のための交渉をする余地がないほど、人間の娘の危機は差し迫っていたのだろう。
 化け物と人間はそうして、少しのひずみであっても、人間の被害が大きい宿命なのだ。
――殺さなきゃ。殺さなきゃ。殺さなきゃ。
 とにかく王女を守らなければいけない忍の少女には、激しく胸中が乱れる最大の窮境。その焦心の鼓動を感じた時点で、少年にとっては、戦うべき理由は十分に揃っていた。
(やっぱり、こいつらは敵だ)
 元々人間と共に生きていた少年にとっては、人間を(もてあそ)ぶ化け物など迫害者でしかない。それなら問題は、いかに戦えばこの強豪な化け物達に対抗できるかに尽きた。

 少年と忍の少女、一人でも護衛を手放せば、見捨てた相手が目の前で喰われかねない。それがわかる人間の娘は、真っ青になって黙り込んでしまった。
 真面目な話になってから地上に降りた大使の女に、今度は少年が重い口を開く。
「……『テルス・エイラ』が穢されたって、あんたは言ったな」
「――んむ?」
 聖地を穢した重罪人。該当するとすれば、先程六人も人間を殺した少年で間違いはない。だからこそ少年は無表情に開き直る。
「そんな証拠、どこにあるんだ?」
 あえて咎人を指定しなかった大使の女は、どちらが殺したか、判別の論拠となる死体をまだ見つけていない。それを感じ取った上での、少年の簡潔な異論だった。
 人間の男達を殺した時に、少年が感じていた視線は、この森まではついてこなかった。あの場所が「テルス・エイラ」の圏内かどうかを少年は知らないが、その後を追跡できていないのは何か理由があるはずだろう。
「……ふぅむ、のう」
 大使兼司祭の女は、少年の確信ぶり――女が証拠を手にしていない事実に、難しい顔で浅黒い両腕を組んだ。化け物の類、特に純血とはそうした駆け引きを好まないものなのだ。故障した五感で人間も化け物も観てきた少年は、互いの特質に付け込む術を知っている。
「そのような些事、雑作もないことではあるが……今すぐ出せと申すなら、それは確かに難しいのう」
 そのまま次には、楽しそうに口元を歪めて、司祭の女は少年の悪あがきを窺い始めた。
「では、ソナタ達は――堕天使シェムハザと戦うと申すか?」
 純血は誓約事を大切にする化け物のため、今この場で司祭の女が、王女と護衛達に手を出すことはできない。それなら、と少年は、傍観の司祭にあっさりと背を向けていた。
「キラ……!?」
 驚く人間の娘も構わず、忍の少女と入れ替わるよう、少年が「堕天使」の男と対峙する。無言で逆に、司祭との間に入った忍の少女の迅速な連携。少女の結論も同じであると悟り、少年は剣を握る手にいっそう力を込めて、再び呼吸を止めた。
 今退けるべきは、人間の娘をしつこくつけ狙う、片翼の化け物だという決断と共に。

 司祭兼大使の女より、男は地位が下のため、女に場の采配を任せていたようだった。
「何ということか。貧弱な雑種風情がそれがしの面前に立つとは、身のほどを知るが良い」
 成り行きがどうであれ、色男はやはり力ずくで、人間の娘を連れ帰る気でそこにいた。それなら戦闘は避けられないのだ。相手がたとえ、敵うべくのない「純血」であっても。

 化け物の男は純血として、「神」から預かった「力」――その一端の片翼を広げる。
「ソナタは剣士か。ではそれがしも、慈悲を持って我が剣にて葬り去ってやろうぞ」
 そんな弁舌を振われたところで、化け物同士の剣戟は人間とは違う。剣技の優劣よりもいかに「力」を剣に載せるかが肝で、「力」の強い方が断然に有利だ。
 大気を揺らし、男が片翼から発する「力」は、雑種の少年と比べてあまりに豊かで――
 だからこそ少年は、圧倒的に優位な男の大きな油断を見つける。
(……ただの『力』バカだ)
 ろくに鍛錬もしていないお飾りの剣を、男が少年に向かって振りかざした無意の瞬間。
 少年を過日に、ヒト殺しへと導いた天性――「故障した五感」の真価を、その日その時、誰もが目にすることになる。

「なっ――……なぁぁぁぁ!?」
「……――何、と……?」

 隙だらけの大振りに空を切らせ、背後をとった少年は、ただ天来の一声を放つ。
 ヒト殺しを名乗る少年の、死神の特技。
 呼吸を止め、乱れた「生」の荒ぶりを剣へと寄せた刹那に、「命」を込めた一閃は色男の片翼を壮絶な白光と共に斬り落とした。
「そ、それがしの翼――そんな馬鹿な!」
 「力」の依り代たる片翼は、その後に跡形もなく、いずこへと消え去っていく。

 それがどれだけ理不尽な結果であるが、男は「純血」だからこそわかっていた。
「その程度の『力』で、何故だ!? それがしの翼を落とすなど有り得ぬ、有り得ぬぞ!?」
 ヒトの弱みも我が事と観られる少年にとって、その撃砕は当然の天刑――弱点を派手に露出する相手の、愚かさの利用でしかない。
 しかし自身の脆い体は、たった一撃で反動に激痛を受けていた。翼を失った男の苦痛も少年に隙を作るが、相手の動揺の陰にひた隠しにし、黙って敵方の牽制を続ける。

 純血の「力」とは、その根源を「神」の取り決め――世界を構成する「(ことわり)」そのものに依存する。それらは揺るぎがない分、強大であるのだが、代替が効かない制約ともなる。
 たとえば聖なる翼は「力」を受ける媒介の一つで、体外に出せば狙われて当然ではある。
 けれど実際は、翼が司る以上の「力」で斬らなければ分離は不可能なのだ。でなければ化け物同士で、「力」の絶対量による強弱の差は生まれないだろう。
「まさか……それがしの翼自体を破壊したとでもいうのか!?」
 ところが少年は、己が黒闇(こくあん)を「神殺し」とわかっていない。余裕がないため初撃で決着を常に考えるが、込めた「力」の量以外、人間達に行った急所狙いと大差ない平凡な一太刀だった。
 だから困惑と怖れに染まる男に答えることはなく、人間の娘達の方に素気なく戻ると、司祭の女がとても不愉快そうに、射抜くような目で少年を見ていた。

 警戒心の嵐が走る中で、唯一、少年にも不思議なことがあった。
 色男の最初の一刀は、相当の「力」が込められていたはずが、その威力が急激に鎮火した。何一つ苦労なく回避することができたのも、大きな勝因だっただろう。

 想定外の事態に忌々しげな司祭の女は、無言の少年を怪訝(けげん)そうに眺めてぼやきを零した。
「これだから……『雑種』は嫌よのう」
 魔道一般の教養を持つ司祭。それでも、少年が純血の翼を落せた絡繰り――複雑化した化け物特性の謎は、まるで掴めないでいるようだった。
 雑種とはそうして、純血より非力でありながらも、時に思わぬ反撃をするのが嫌われる理由の一つと言える。純血の化け物の持つ「力」は、有名であるが故に、想定外の脅威を示すことは少ないものなのだ。
 この風向きでは今は不利だ、と、空腹ながら理性を保てる魔性の司祭の判断は早かった。
「……まあ。後は好きにすればよい、シェムハザよ」
 お預けのご馳走にしかめ面の司祭の女は、ふわりと浮き上がって再び大樹の枝に収まる。そのまますぐに、翼を失った仲間を、当然のように見捨てて消えていった。
「それではまたのう……王女?」
 司祭の女は、そもそも魔道の徒なら、剣士相手の近接戦には向かない。
 たとえ聖地が穢された証拠を持っていても、男を無力化すれば女は戦わない、と見切った。化け物相手の連戦が厳しい少年は、その優先順位の正しさに密かに安堵する。

 そうして場には、「力」の源を失い、ずたずたの自尊心で座り込む化け物の男が残った。
「何と……何ということなのだ……我が主に、女神様に、いったい何と申し奉れば……」
「……」
 まだ剣を収めていなかった少年は、司祭の女の撤退を確かめると、そのまま色男の隣へ冷酷な眼差しでしんと立ち戻った。
「……えっ、キラ!?」
 逃げようとした人間の男の、無防備な背を討ったときと同じ。災いの芽を摘んでおくのは、護衛として当然の行動だろう。
 最早切れ味の鈍った剣を振るう度、自身もまた消耗するが、とどめに首を断たなければいけない。「力」を込めて血まみれの剣を少年が高く振り上げた……その直後のことだった。
「それは、ちょーいと、困るんだわ?」
 派手な爆音と共に、妙に緩い呟きが続いた。
 その緋い(えにし)は、互いの地盤を乱す運命の悪戯の下、少年達の前に姿を現していた。
「なっ……お前は、ククルか!?」
 少年に斬首されかけた化け物の前方、突然地面が噴き出すように衝撃の波濤が立ち昇る。「力」そのものに対する防御法を持たない少年は、やむなく飛びのくしかなく――

 次の瞬間、そこには地中から現れたとおぼしき者が、色男の前にすらりと立っていた。
 色男に驚愕の声でククルと呼ばれた者は、軽装の角張った上着の襟を直し、気怠そうにやれやれ、と片手で額を抱える。そのまま冷たげな面体で両腕を組むと、細く束ねた緋色の長い髪が肩口から滑り落ちた。
「あのな、シェムハザ。オマエの色恋沙汰に、オレやエグザルを巻き込むなよな」
 気付けば少し後ろに、全身を白い外套で覆い隠す大男までさらに一人増えている。

 溜め息をつく緋色の髪の男や、謎の大男という新手に、人間の娘が愕然として叫んだ。
「貴方は……ソリス第四峠大使!?」
 人間の娘の声には、もう余裕の欠片もなく、忍の少女も最大限の警戒を纏い始める。
 というのもそこにいる、緋色の髪が印象的な男は、人間の娘が言った通りに――
「よ。第四峠以来だな、王女様よ」
 せっかく第二、第三の峠の化け物を追い払ったかと思えば、今度は第四の峠の敵の出現。少年も仕事の厳しさというものが身に染みたが、人間の娘と忍の少女が嫌悪を示すのも、この切迫ぶりでは無理もなかった。
「…………」
 仕事なのだから、疲労感は切り捨てるしかない。そうして色男の殺害を邪魔した新たな敵対者を、少年はまた殺すための観察をしようとしたのだが……。
(……何だ……アイツ……?)
 現れた者が「大使」という以上、王女たる人間の娘は害されない目算はあったものの。その前提を差し引いても、これまでの敵とその大使は、あまりに毛色が違い過ぎた。
(アイツ……弱過ぎ、ないか……?)
 気配の脈動からすると、おそらく純血の化け物だが、片翼の男と対等に話せる「力」の持ち主にはまず観えない。それでも大使職に就き、人間の娘達から強い敵意を向けられているのは、いったいどういうことなのだろう。
 その上少年は、はぁ、と緋色の頭をかく大使に、何かおかしな既視感があった。

 異風でいて隙のない大使の男は、少年の視線に気が付いたようであり、鋭い金色の眼を楽しげに細める。誰より弱そうなわりには、少年にひらひら手を振る余裕まで見せる。
 男の特性がどうにもわからず、また同伴の大男が相当に強大なために出方に悩む。そうして二の足を踏む間に、緊迫の続く人間の娘は、節度を保つ限界がきてしまったらしい。
「パーストル大使といいソリス大使といい! 貴方達レジオニスはよくもそう、持ち場を容易く離れて協約違反の好き勝手ばかりを!」
 緋色の髪の大使はそれに対して、たはは、と平和に嫌味なく微笑む。
「オレも大概とばっちりだぜ。今日は単に、シェムハザを連れ戻せって言われただけだし」
 心底面倒くさい、という風体の大使の男が、ぱちんと小気味良い音を細い親指でたてる。それを合図に、全身を外套で隠す大男が、無力化した色男を強引に担ぎ上げた。
「まさかこんな、見習い天使レベルに落ちてるとは夢にも思わなかったが……せいぜい性根から鍛え直されるんだな、シェムハザ・グリゴリ」
 がくりと項垂れる色男に、大使の男はそれ以上の興味を見せずに背中を向ける。全身が外套で隠れる大男からは、色男の片翼が卑小に見える透明の大きな翼が外套を貫くように広がる。一足先に色男を連れて、追いかけようのない空へと彼らは去ってしまった。

 敵を殺せなかった。殺したい、と真っ赤な呪詛にまみれる少年に、それは失態だろう。
――…………。
 しかし少年は不思議と、この時には何一つの感慨も浮かばず――

 南中した太陽の光が森に差し込む。冷感が漂う山内にさらに温かみが出てきた。
 それに加えて、大使の男が軟弱そうなためか、少年の総身はふっと緩まり始めていた。
 人間の娘と忍の少女は、相変わらず嫌そうな顔を大使に向けているが、男は特に気にする様子もなしに、物珍しそうに少年を見て妖しげな笑顔を浮かべた。
「オマエ……オレとどっかで、会ったことはないか?」
 少年がそれを感じていただけではなく、大使の男も少年に奇妙な違和感を持ったらしい。それがまだ、この場に留まっていた理由なのだろう。

 しかし男は、もやもやとした感覚を、なかなか解読できない少年とは違っていた。
「物凄く赤い……火みたいな赤い目だな、オマエ」
 その時だけは微笑みを消し、稀少な金色の眼の男は、少年の呪いを無情に陽の下に(さら)し……外の世界に出て初めて、少年はそれが、何処にいても消えない(ほむら)であることを知る。

 大使の男は好奇心が満たされたのか、後は忍の少女を一瞥(いちべつ)してからくるりと背を向けた。
「ほんじゃ、オレは帰るとするかな。王女様達も、せいぜい頑張って帰国してくれよ?」
「――それは、誰のせいだと……!」
 その大使と人間の娘は様々な因縁があるようだった。大きく反発する娘に構わず、男は煙と共に消えていった。土の繋がる所を、単身なら転位できる「力」を持つ化け物なのだと、後で少年は男の特性を聞く。

 今度こそ本当に、場から全ての敵勢が立ち消えになると。
 毅然とし続けていた人間の娘は、急激に緊張の糸が切れてしまったらしい。
「……うわあぁぁああん!」
 突然、空を切るような大泣きを始め、人間の娘が抱き着いてきた。
 いち早く気が抜けていたヒト殺しは、その娘の上げる(こえ)に、面食らうことしかできなかったのだった。

◇③◇ 「壁」

 日中はとにかく、目の前の状況を観て、立ち回りを続けた少年だったが。(さや)かな金髪の人間の娘――ディレステアの王女が落ち着いてから、もう少し深い事情の説明を求めた。
「あんたが本当にディレステアの王女なら、何でこんな所で危ない目にあっているんだ?」
「……そうよね。もう隠していても、意味はないものね」
 脅威が去り、王女が号泣している間にまたあの謎の抜け殻蛇も姿を現す。ソレの勧めで少年達は、先の死体を埋めてから近くの苔むす洞窟に移り、身を隠す野営地としていた。
「アディちゃん達が無事にここまで来れたのはオイラの功績にょろ。感謝するにょろ!」
 全然無事じゃないじゃない! という王女の抗議はともかく、抜け殻蛇は本来そうして、王女達を導き、帰国までの道案内役を申し付けられているそうだった。

 土より石の成分が多い洞窟で、湿気の多い山の夜となると、初春には結構な寒さを覚悟するものだ。しかし火打石もなしに忍の少女はすぐに火を起こし、燃料の(たきぎ)もろくにないのに、少年の守る入り口にまでその暖かさが広がってきた。
「シヴァちゃんがいれば薪がなくなっても、暖は十分にとれるにょろ。だからオマエは、この洞窟を離れるなにょろ」
「……それなら、わかった」
 少年が落ちた峡谷の急流で、昼の内に飲み水は十分確保してある。そこらの棒に(つが)えた竹釘で魚も数匹打ち捕り、王女と忍の少女はそれを夕餉(ゆうげ)にするのだという。そうした形で逞しく山旅をしている同年代の王女達に、少年はひたすら感心しきりだ。
「ねぇ! キラの分も焼けたから、しばらく見張りは休んで入ってこない?」
「…………」
 一人でさまよっていた朝までに比べれば、絶えない吐き気は随分下火になっていた。
 それでも胸裏は暗黒の淵に感じられる。それはきっと奪った人間の命――「死」だろう。
 魚を焼く煙が濛々と漂ってきた時、匂い一つで喉を焼かれて、思わず吐いてしまった。王女達にはそれを隠して、食事はいらないとだけひっそりと告げた。
 実際のところ、里を出てからの少年は水を飲もうとするだけでも嘔吐く。人間とは違う化け物であるから、元々食も細く、何も摂らずとも今は何とか動けている。それならそれでいいと――少年はこのことについて、深く考えようとしていなかった。
 しかし、一人でいるとすぐに、またあの呪詛が湧き起こってくる。
――殺したい。殺したい。殺したい……。
 吐き気を振り切り、王女達の事情を改めてきくためにも、そろそろ中に入ることにした。まだ晩餐は始まったばかりだが、焼いている時ほど強い匂いもなくなっている。
 野営の準備で昼間は忙しかったが、洞窟内で串刺しの魚を嬉しそうに(かじ)る王女はやっと寛げている。少年を見ると、ヒト殺し相手には考えられない緩さで微笑んできた。
「キラ、今日は本当にありがとう。アナタがいなければ、どうなっていたかわからないわ」
「……俺は別に、大したことはしていない」
 それは少年には、全く謙遜ではない。
 山旅の知恵やこの洞窟を包む熱を始め、弱小な人間の娘を生き延びさせてきたのは忍の少女のたゆまぬ努力なのだ。死体を埋める間中、それを抜け殻蛇に延々と聞かされていた。
――シヴァちゃんの張る『壁』は、その中で使われる『力』の熱……威力を奪えるにょろ。あの片翼に勝てたのも、その加護なんだぞにょろ。
 それを先に聞いていれば、もう少し余裕を持ってあの化け物達とも対峙できただろうに。
 とにかく「力」の量の差が明らかだったために、相手側が大きな「力」を発動できないとなれば、剣技では勝っていた少年が有利とすら言えた。

 森の土を掘るために、河原の大石で即席の(すき)を作りながら聞いたところによると――
 忍の少女の珍しい「力」、「壁」は王女を中心に無色に広がり、化け物の気配探知や探索魔術から中の者を隠す作用を持つと抜け殻蛇は言う。だからこれまで二人は無事に逃れてこられたが、今朝は人間の男達に襲われたせいで、「壁」が一旦途切れたのだという。
――シヴァちゃんに『壁』の維持と戦闘、両方やれというのは酷にょろ。だからオマエの役目は近接戦にょろ!
 忍の少女は四六時中、王女を守るために「壁」を維持し続けているらしい。護衛として追手や未知の化け物を防ぎ、暖を提供するだけではない。小刀や鉤縄、水嚢など最低限の旅道具に加えて王女の荷物も全て持ち、不穏な旅路の先頭を切る働き者が忍の少女なのだ。
 少年が洞窟に入る前に、覆面をずらして食事を終えた忍の少女は、これから眠る間にも「壁」を維持するためという魔法陣を、洞窟のあちこちに刻んでいるのだった。
 少年が改めて事情を聞く前に、王女は日中の緊張を思い出してか、再びふっと涙ぐむ。それでもすぐにぶるぶると頭を振って、気強さを取り直していた。
「ああ、怖かった。今度ばかりは私、諦めて第三峠に嫁ぐしかないかと思ったもの」
「……は?」
「そうすれば少なくとも、シヴァは解放されるでしょう? 私も殺されはしないだろうし……でもやっぱり、嫌なものはイヤ!」
「…………」
 何かがそこで、少年に大きくひっかかる。けれども胸のつかえの正体はわからなかった。
 しかしとりあえず王女、人間の娘には忍の少女が大切な存在であることと、ヒト殺しの少年より片翼の男の方が脅威であることは重々に伝わってくる。
「アディちゃんはそれでいいにょろ。下手に無理をしたっていいことはないにょろ」
「あら。本当にいつも隠れてばかりのくせに、たまにはデューもいいことを言うじゃない」
「何を言うにょろ! まず、第三峠は行くな、とオイラは散々忠告したにょろ! あの片翼バカは絶対夜這いにくるから、逃げる準備をするよう言ったのもオイラだにょろ!」
「わかっているわよ。実際その通りになったし、デューにも感謝しているわよ」
 王女は実に軽い調子で、抜け殻蛇と賑やかに話しているが、少年はその内容に閉口する。忍の少女も似たような心情らしく、不快な話題に端整な紅い目をきつくしかめていた。
「でももう、シェムハザ殿を怖がる必要は、ないと思っていいのかしら?」
 半ば願うように尋ねる王女に、少年はさぁ、と正直に首を傾げる。
「もしまた翼を生やしてきたときは……同じ手は通用しないかもな」

 あの片翼の男は、本当に単純な「純血」の化け物だった。
――我が翼こそは至宝。我が翼は力、我が心、我を我たらしめる『命』である……。
 煩いくらいに男の矜持を感じた少年は、だからその「命」をまず潰しただけなのだ。
 純血の翼が回復可能なものかは知らず、そして同じく、翼を失って観える忍の少女――黒い鳥のことが、また気になり始めてしまった。
 「力」の源の翼がない。それは黒い鳥に、何かの代償を強いているはずなのだから。

 小さな魔法陣の内で燃え盛る火を、王女と忍の少女と三人で囲む。薪はないので、煙の出ない不思議な暖かさに、人間達から四肢のこわばりが徐々にほどけていく。
 身分を隠す質素な朱い貫頭衣(ワンピース)の王女が、おそらく話しやすいだろう事柄から、無意識に少年は最初に尋ねていた。
「……なぁ。『レジオニス』って、何だ?」
 休養の場でも外套を脱がずに、まず敵対者のことからきく世間知らずのヒト殺し。その常時の戦闘態勢に、王女の方は苦笑いながら話を始める。
「ザインには警備隊、ゾレンには軍隊があるでしょう? それと似てエイラ平原の治安と中立を守る化け物達が、『レジオニス』よ」
「中立を守る?」
「ディレステアとゾレンは長く争いを続けているから。近縁の二勢力、ザインの警備隊は不干渉の中立だけれど、レジオニスはゾレンとディレステアの両方に加担しているの」
 少年はそこで、大使や副官という昼の化け物を思い出したが、それはまた違う話らしい。
「大使というのは、ディレステアの六つの峠と接する地域が、互いに出入りを守るために敷いた関所――『大使館』の監視者なの」

 人間ばかりの砦の国は、国境の堅固さが生命線となっている。その壁を挟み関所となる各地の大使館は連絡通路で繋がり、大使が許可した者だけがそこを通れる仕組みだという。
 無言を通す忍の少女の膝で丸くなっていた抜け殻蛇が、ここで揚々と口を挟んできた。
「ディレステア大使館はディレステアの外側に、よその大使館は大体ディレステア国内にあるにょろ。つまりお互い人質をとって、国境の不可侵を約束してるんだにょろ」
 楽しげに茶々を入れる抜け殻蛇に、少年は溜め息をつきながら反論する。
「人質として成立しないだろ、あんな強い化け物。弱いのは、ディレステア大使館の人間一人……ディレステア大使だけなんじゃないのか?」
「おお! オマエなかなか、鋭いなにょろ!」
「…………」
 複雑な気分になる少年には、「大使」という存在が、基本は強大な化け物だと知っている理由があったが――自分の話などしても仕方がない、と引き続き王女の声に耳を傾ける。
「第二峠は広い町で、レジオニスもザイン三大勢力も噛んでいるから、盛栄だけれど……ある意味、最も危険な峠なのよ」
 ……何で? と首を傾げると、王女は唸るように険しげな赤い目を見せた。
「あからさまに紛争中のディレステアとゾレンより、本当に険悪なのは雑種大国ゾレンと全ての近隣。そして雑種の宝庫ザインと純血のエイラ平原だと、教わったことがあるの」
 人間と化け物の争いよりも、大陸規模の災厄を呼ぶ可能性。ザインは世俗に縛られない雑種が多く、純血との確執も根深い隠れ地雷原なのだと、人間の娘が畏れるように言う。それはまさにその通りだった。この地には強い化け物がごろごろいると少年も知っている。

 そしてようやく、王女達がこんな異郷にいる理由に話が至った。
「そんな化け物のただなかで、ディレステアはゾレンと争っている場合ではないの。我が王家はずっと、和平を念願としていて……此度はついに、第四峠で和平交渉が設定された、十年ぶりの重大な局面だったのよ」
「和平……交、渉?」

 一瞬、まるで天地が翻るように頭がぐらりとした。少年は息を飲んで全力で堪える。
 ゾレンとディレステアが最後の休戦協定を破ってから、十年を越えている紛争。それが終わる可能性があったのならば、かつて少年にささやかれた、儚い声を思い出してしまう。

――いつかきっと……戦いが終われば……。

 苦い動揺を黙って噛み殺す。王女の話の続きを座して待つ。
 王女も少年の変化に気付かないほど、苦節の様相を全面にたたえて先を続ける。
「私はディレステア代表として、和平交渉の場、第四峠ディレステア大使館に足を運んだ。第四峠はね、ディレステアとゾレン東部とエイラ平原の三地方の境だから、ディレステア大使館はエイラ平原側にあるのよ」
「ってことは……」
「そう。交渉はご破算……開催すらできなくて。私達はエイラ平原から必死に帰国中なの」
「……――」
 顔をしかめる少年に、忍の少女がまた強く、両手を握り締める痛みが伝わってきた。
「今日、最後に会ったソリス大使は、第四峠レジオニス大使で……十年ぶりの和平交渉を設定したのは、そもそも大使なのだけれど。私達は、最初から大使に騙されていたの」
「えっ?」
 その相手の弱小さを思い出して意外な少年に、王女はますます声に熱を込めて訴える。
「和平交渉ができなくなったのは、大使が、第四峠ディレステア大使館を襲う反乱勢力をわざと見逃したからなの。おかげで私達は、第四峠を通って帰ることもできなかった……レジオニスは本当に、油断ならない相手なのよ」
「そうそうにょろ! ディレステア大使館を襲った連中は、第四峠のレジオニス大使館で出国を許された、みんなディレステア人達だからな、にょろ」
 どうやらディレステアには、ゾレン以外に国内の反乱勢力という厄介な敵があるらしい。内乱をしている場合かと王女が憤る前で、人間も案外バカだ、と少年はこっそり呆れる。
「あれにょろ? シヴァちゃん何で、オイラの首を絞めるんだにょろ?」
 ほとんど表情のわからない忍の少女まで怒気を隠さず、膝の抜け殻蛇に憤慨を向ける。
「アナタもレジオニスでしょ、デュー!」
 王女が呆れた怒声を出した時に、少年の中で、何かの違和感がつながった気がした。
「そのガラ蛇は……化け物なのか?」
 尋ねた直後、抜け殻蛇が身を乗り出して、焚火ごしに少年のバンダナに頭をぶつけた。
「化け物以外の何に見えるにょろ! オイラをバカにしているのかにょろ!」
「…………」
 体の一部が透き通る抜け殻の、がさがさとして薄い影が、洞窟の壁にゆらゆら揺れる。
 少年はバンダナのずれを直しながら、今も持て余している違和感をぽつりと口にした。
「俺には――アンタは、違うものに観える」
「……にょろ?」
「アンタは本当に……レジオニスなのか?」
 そのおかしな化生に何を言いたいのか、自分でもよくわからないまま呟く。
 純血であれば、そもそも有名でまかり通るはずの姿形。対して雑種はヒト型が原則で、それら以外の出自が判別できない化け物を魔物と呼ぶ。抜け殻蛇はまさに蛇の抜け殻で、全く意味のわからない存在でもない。それで逆に、何と呼べばよいか不明な謎の物体に、案外王女は愛着が出ているらしい。抜け殻蛇を鷲掴みにしながら、不意の釈明に入った。
「デューはレジオニスから、私達の帰国用に渡された案内役なの。交渉は潰されたけれど、私達が死んでもレジオニスは困るのよ」
「……何で?」
「知らないわよ! ソリス大使がそう言ってデューをよこしたのよ!」
 第四峠レジオニス大使。昼間に出会った緋色の髪の男が言ったことを、少年も反芻する。
――王女様達も、せいぜい頑張って帰国してくれよ?
 あの時、大使の金色の眼は笑っておらず、最後にその視線が向いたのはただ一点だった。
「オイラはもうシヴァちゃん派にょろ! レジオニスには戻らないから安心するにょろ!」
「だからアナタは軽過ぎるのよ、デュー! どうしてそんなの信用できるっていうの?」
 少年が何かの答を意識しかけても、この騒がしい場では、すぐにまた沈んでしまった。軽く溜め息をつきつつも、それで吐き気も紛れているので、気分としては悪くなかった。

 斜向(はすむ)かいで騒ぐ王女達を置いて対面を見ると、抜け殻蛇の離れた忍の少女は一人俯き、押し殺した溜め息を長々とついている。随分と、重い疲れを感じているようだった。
――……殺さなきゃ……。
 異郷を訪れ、その目的である和平も叶わず、ここまで忍の少女だけで王女を守ってきた。今も唯一の協力者が、敵国の化け物のヒト殺しとなれば無理はないだろう。
 他に護衛がいないのは妙だが、少数の方が隠れやすくはある。化け物の気配探知や魔道による追手を無効にする「壁」があるなら、逃げ切ることを重視した結果かもしれない。

 項垂れる忍の少女は、それでも少年の視線にすぐに気が付いていた。無遠慮に見つめる少年を警戒し、何だ、と言いたげな紅い目をじっと向けてくる。
「…………」
 少年の視界、故障した五感に、忍の少女が見ているもの……銀色の髪に黒いバンダナを巻く赤い眼の少年が、不意に混じり込んでくる。
――……貴男は、誰?

 どうも忍の少女――黒い鳥と少年は感覚がつながりやすいのだろうか。黒い鳥は少年に気を許していないのに、何処かで会ったことはないか、と昼間の者達と同じ疑念を持っていることが細かく伝わってきた。少年がこの黒い鳥を見たのは、今朝が初めてであるのも関わらずに。

 翼を失くした黒い鳥は、暗い地上の道を探して、眼火を紅く光らせているのだろうか。
 人間の娘の無事を願う暖かさが柔らかく薫っているのに、その目色はまるで闇夜の森をさまよう魔物のようだ。多様な化生が住まう秘境にいた少年は今更にそう思う。
(……凄く、キレイなのに)
 覆面の下は全く見えないが、少年にとって、黒い鳥は存在そのものがキレイだった。
 キレイな黒い鳥は、キレイなままがいい。初めの想いをようやく自覚しかけた少年に、そこで冷水を浴びせるが如く、場の本題は切迫した話に切り替わった。
「キラ、よく聞いてね。キラが今日殺した人間達のことは、シヴァが殺したことにして」
「……え?」
 いつの間にか王女は厳しい顔色で、何も考えていない少年をたしなめるよう見澄ましていた。
「第二峠についたら、第二峠レジオニス大使館のパーストル大使は、きっと昼間のように私達を糾弾してくるわ。『テルス・エイラ』を穢した者を、自分に引き渡せって」
 そもそもヒト殺し自体、治安管理者の裁きを受けるべき重大な問題だ。さらにはあの、毒気に溢れた司祭の大使が最も恐るべき相手なのだと、王女が確信を持って告げる。
「第二峠にはディレステア軍もいるけれど、それは頼れないの。大使館はまず非武装だし、大使たるレジオニスに国軍規模の敵対行動をとれば、それこそ戦争が起きてしまうから」
 自軍すら使えないのは第三峠かららしい。そう言えばディレステア軍は各峠に駐在しているはずなのに、援助どころか、峠を通ることにも全く使えないとは驚きだった。
 王女の大変さが少年は改めてわかったものの、それでも何故か真剣な王女に頷くことができず、体が勝手にぐっと固まる。

――殺したい。殺したい。
――殺したい。殺したい。

 一際大きくなった呪詛を、さらにかき消す勢いで、粘り強い口調の王女が続ける。
「ザインは完全中立地帯。中立維持者である警備隊もレジオニスも、介入権限を持つのは異種・異国間の紛争のみなの。つまりはね、同国の人間同士の諍いには関与できないの」
「それは……知っているけど……」
 異種争いの根強い秘境ながら、それ以外は我関せずの中立の地では、同種間の揉め事に部外者が関わること自体が忌避されている。だから王女は、ディレステアの人間の男達を殺したのは同国者である忍の少女として、干渉そのものを帳消しにしたいのだという。
「それで本当に、あんた達は第二峠を越えられるのか?」
 忍の者の黒い鳥はディレステア人であるというが、人間であるのかすらも少年は納得がいかない。王女も難しい面持ちで、不安を払拭できないようだった。
「警備隊を回避できても、パーストル大使が難癖をつけてくるのは避けられないけれど。第二峠にはレジオニス大使館にディレステア大使館、それにザイン大使館があって……」
 そこで少しだけ、張り詰めた王女の顔は和らいでいた。
「ディレステア大使館は当たり前だけれど、ザイン大使館のクラン・フィシェル大使は、もうありがたいくらいに、親ディレステア派なの」
 だから後は、とにかくディレステアに行ってしまえばいい、とヒト殺しの少年の重罪を王女は本気でもみ消そうとしている。頭脳の優れる人間は、そうしたところは化け物より非情なのだ。それを王女の次の断言で思い知らされる。
「他二人の大使から許可が出れば、パーストル大使が何を言おうと、私達は国に帰れるの」
 年齢不相応に、王女が冷たい眼差しをたたえた。反論の余地はなさそうだった。少年は自身が第二峠を目指した理由を王女の言で思い出して、咄嗟に言葉を失ってしまう。
 咎人として第二峠に行く。それがどんな意味を持つか、今頃まざまざと自覚が襲い来る。

 身動き一つしなかった忍の少女は、少年の咎を引き受けろと言う王女の提案を、当然と思っているようだった。王家の命だとして王女が証言すれば国内では正当防衛が認められ、全員が助かるのだというが……化け物の少年にはどうしても、胸の悪さがぬぐえなかった。

――……殺さなきゃ。

 「神」の戒めで、化け物であれ人間であれ、ヒトの殺し合いは民間ではご法度にあたる。
 世界には五つの聖地と無数の聖域――教会が置かれ、それらを足場に「神」の落とし子、天上の鳥や天使といった化け物が、使徒の名をもって人々を見張るという。
 しかし天使など高次な使徒の介入は稀で、当事者の裁きは各地の自治に任されている。明文化された法を持つ「国」など、地の大陸ではディレステアとゾレンくらいだった。
 勢力の強い化け物ほど発言権があり、自身に有利な体制を築く。聖地を穢す罪などその典型で、罰に関しても都合良く取り決められたものに過ぎない。場合によってはうっかり迷い込んだ程度で、地獄を見る者もいるというのだ。
 対等な生き物の間でなければ、人間の好む「法」は意味を持たない。純血がよく人間と関わるのは、己を優遇した契約しかせず、また契約抜きに関わってはいけないからで、人間から何かと搾取する布石でもある。

――……殺さなきゃ。

 謎めいた「神」――世界の「理」にして「力」、無数にして唯一という概念的な存在の下、結局、世界を牛耳っているのは「力」だ。だから地に堕ちた黒い鳥は、敵を「力」ずくで排除する覚悟、ヒト殺したれる強さを自身に求めているようだった。
 「力」に対抗しようと思えば「力」が要る。ヒト殺しの少年もそれはわかっていた。

 声なき黒い鳥の心情が、少しだけわかったせいか、少年は何も言えなくなってしまった。
 王女への答は濁したまま、夜風の吹きつける洞窟の入り口へ見張りに戻っていった。

 代理の魔法陣を描き終わった忍の少女は、ずっと張っていた「壁」を解除したらしい。魔法陣の効果が及ばない入り口では、春先とはいえ厳寒が襲ってきた。
 加えて少し残念だったこととして、黒い鳥の鳴き声が聴こえなくなってしまった。
(アレは……『壁』の中にいたから、聴こえてきたのか)
 魔物や敵を寄せ付けないため、道中の黒い鳥はかなり広範囲に「壁」を張るのだという。深い山中で行き倒れかけた少年に、突然異音が混じったのは、(ふもと)にいた黒い鳥の「壁」が少年の元まで届いた結果だったのだ。
 先程の王女との会話で、何が納得いかなかったのか、改めて考えてもわからなくなった。背中に冷気を突き刺す壁にもたれ、片膝を立てて座り、外の森を眺めていた少年だったが。
「……え?」
「…………」
 洞窟から出てきた忍の少女が、妙に不服げな顔で気が付けば立っている。
 何事か、と思う暇もなかった。疲れているはずの忍の少女は少年のすぐ横にかがむと、石床に追加の魔法陣を刻み始めた。
「別に俺は……」
 「壁」がなくとも少年は気配を殺せ、隠れることができる。寒気による消耗も重大ではない。それなのに黒い鳥は余分な「力」を使い、少年にも熱を届かせようとしている。

 上体を起こし、黒い鳥を制止しようとした少年に、顔を横向けた黒い鳥は――
 がん、と僅かに出す白い肌に青筋をたててまで、止めようとする少年をきつく睨んだ。
「――」
 見張りの少年にも暖を分けんとする姿とは裏腹の、寒紅(かんべに)の目。それは黒い鳥自身、己の甘さだとわかっているが故の怒りらしい。理性と行動が一致していないのが不思議だが、わかっているなら少年も、何も言うことはできなかった。
 有無を言わさず魔法陣を描き終わった黒い鳥は、不機嫌そうなまま洞窟に戻っていった。
「……何だ、あれ」
 「壁」の内ほど強くはないが、黒い鳥の心を受ける熱が、じわりと少年の周りに広がる。
 黒いバンダナが目陰(まかげ)を差して、ずっと無表情である少年。その口元が微かに緩んだことには、少年自身を含めて、誰も気付かなかっただろう。

「月が……キレイだな……」

 疲弊にまみれ、早足で山野を行き続けた昨夜までは、見上げるべくもなかった夜空。
 今宵もすでに、戦闘の疲れで余力などないのに、どうでもよいことを少年は何故か呟き……些少な休息ではあるが、久方ぶりの、慣れた半睡に入っていった。

◇④◇ 雑種の英雄

 強大な化け物だらけの土地を、あらん限りの力を尽くして逃げる二人と一匹の中で。
 それはいったい、誰が見た悪夢……おそらくは近日の、苦々しい記憶だったのだろう。

 軽い口調で、重い話を持ちかける緋い人影。
――取引をしないか? 王女様よ。
 さらりと緋い前髪がかかる金の炯眼に、悔しげな黒い鳥が映し出される。ヒトの無力をよく知る弱小な人影は、僅かなものを救うために、とても大きな代償を求める。
 そしてそこに被さるように、(あがな)いを引き受けた者の、酷く静かな声が響く。
――本当にすまない……俺が力になれるのは、どうやらここまでらしい。

 ……どうして、と、思わず叫びそうになった。
 その慟哭も、いったい誰の心だったのだろうか――

 身をよじるほどの激しい憎悪で、少年は飛び起きるように目を覚ましていた。
 体だけでも休めるために、浅い眠りを維持していたのが仇となったようだった。
(なん……で――……!?)
 冷たい痩躯から汗が噴き出す。鳩尾(みぞおち)だけが燃えるように熱い。暴れる胸を抉るように掴む。予想だにしなかった夢幻の雪崩で、荒い呼吸で肩が上がっていた。
 五感が故障した少年には、よくある境界線の融雪。すぐ近くで眠る者の夢を共に観たのだろう。足元の魔法陣の熱さが同行者の存在を思い出させた。
(あれは……アイツ、は……)

 少年の憎悪を呼び覚ました人物。融け合った残夢でそれが今一度、重々しい口を開く。
――他の兵士は全て陽動につかせる。二人だけで必ず、『壁』に隠れて国に辿りついてくれ。
 その灰色の眼の男は、王女の護衛だったのだろう。細身でも鍛えられた体で、才気ある銀の髪に比べて(いろ)のない眼は冷え切って見え、無様な一言一句が全て、少年の癇に障る。
――二人の助かる道はそれしかないだろう。『英雄』なんて、その程度のものだから……。
 己の不甲斐なさを詫びながら、灰色の眼は何処か違う遠くを見ていた。それで王女達はたった二人で逃げてきて、昼間の者達に襲われる羽目になったのだ。
 王女も黒い鳥も、それはよほど辛い選択だったと、ひたすら胸苦しい夢は物語っていた。

 焦げ付くような心火を耐えて、夜明けを待った。少年はすぐにも出発したい思いだった。
 そんな穏やかでない少年をよそに、王女と忍の少女は朝ぼらけの中、昨夕埋葬した男達にじっくり両手を合わせている。沈黙と共に、淡い涙をしばらくの間、しんと堪えていた。
(……殺したのは、俺なのに)
 急(ごしら)えの浅い土葬で、死骸を隠せるとは誰も思っていない。王女が望んだのは自国者の弔いで、男達の死を悼んでいることには間違いがなかった。
(殺されかけて……殺してるのに)
 頭が良いわりに、人間にはそうした矛盾が多い、と化け物である少年は無慈悲に思う。あまり余裕のない体力で墓掘りは大きな徒労だったが、それ自体はどうでもよいことで、その涙は嘘でなく、王女達が傷付いていることがどうにも落ち着かなかった。
 そうした甘さは嫌なものではなく、むしろ尊く見えたからこそ。

 こんな人間達の傍らに、血に汚れたヒト殺しがいるのはよくない。それだけの話。
 少年自身は気付けていなかった戸惑いの心を、やがてあの呪詛が少しずつ、かき乱していくことになる。

 第二峠に向かって、一行は南の山麓沿いに歩き始めた。方角を違わず、魔物や猛獣にも気取られずに行ける枝道は、少年が思ってもみない平穏そのものだった。
「……シヴァの『壁』って、本当に凄いな」
「そうだぞにょろ。昨日人間に見つかったのは、よくよく運が悪かったんだなにょろ」
 そうでなければ、王女はまず生き残っていない。沐浴場所を探したり、ところどころで歴史を語り出したり、木の実や山菜を楽しんで摘める気持ちの余裕もないだろう。
 大陸に国家そのものが少ないため、大国と言われるだけのディレステアの国土は狭い。隣り合う峠の間は人間でも五日以内で行けるといい、青い空には綿雲、風も弱く温かと、あまりに安穏な道のりなので、少年はつい、その疑問を尋ねてしまった。

 夢の衝撃がまだ抜けていなかった少年は、前を歩かせていた王女に、慎重に口を開く。
「なぁ……あんた達は――」
「?」
「あんた達は……第六峠に行けば、『英雄ライザ』と合流できないのか?」
「……――」
 何気ない問いかけに、王女がぴたりと足を止める。
 先頭の忍の少女も瞬時に立ち止まり、少年に静かに振り返った。

 今も胸を焼き付ける存在――その「英雄」は、少年が里を追われることになった最大の原因といえる相手だ。そのため、どうしてもきかずにいられなかった少年に、王女と忍の少女が花の顔を大きく俯かせた。

 そうね――と。あの夢の終わりに似た痛みで、王女が重い苦渋を浮かべる。
「ライザ様がずっと、守って下さってる第六峠。第二峠より遠いけど、ライザ様がそこにいるなら……目指す意味は確かにあったわ」
「……――」
「ディレステアとゾレンの、十年ぶりの和平交渉でね。ライザ様は秘密裏に、私達の護衛についてくれて……そしてもう、ここにはいないの」
 その声だけで、少年は痛みのほとんどを理解できた。黙って王女の言葉の続きを待つ。
「ライザ様は私達の咎を一人で引き受けて、私達を逃して下さったの。……まだ、誰も知らないはずのことだから、決して口外はしないでいてね」
 その言葉は淡々と言われながら、王女が自らを責める悲痛な叫びでもあった。
 それがわかってしまう少年は、痛みの所以を問いかけてしまう。
「咎って、何だよ?」
 王女達の痛恨――王女は何かのために、英雄という護衛を手放さなければいけなかった。心細い異郷の土を踏みしめる二人の苦痛で、少年の胸も締め付けられていく。
 柄にもなく深追いする少年に、王女は厳しくなった声で答える。
「和平交渉を潰しにきた反乱勢力のせいで、私達の思いは水泡に帰したどころか、交渉の破綻を私達の責任にされたのよ。反乱勢力は皆、ディレステアの人間だったから」
 王女達が、逃げるように帰国しなければならなくなった理由。反乱勢力が攻め込んできた第四峠ディレステア大使館は、和平交渉の開催場ということで襲撃を受けたようであり、反乱勢力とはどうやら、和平に反対であるディレステアの国内異分子らしい。
「共に被害を受けたゾレン大使は、仲介役のソリス大使のとりなし後に、ライザ様を……ディレステアの英雄を差し出せば、この失態は不問に付すと言ってきたの」
 その取引こそが、英雄を信頼し、また憧れてもいたらしき王女達が、緋色の髪の第四峠レジオニス大使を心から恨む理由だった。
「でもゾレンがまだ、公式に発表していない以上は、『英雄ライザが第六峠を離れている』ことは公然の最重要機密なの。そもそも和平交渉自体が、秘密裏の開催だったのよ」
 交渉の設定、開催場の情報が何処で反乱勢力に漏れたのか、何者なら信頼できるのか、数多の疑惑に王女は苦悶している。そのためここで、少年の問いに疑問を呈する。
「アナタはゾレンの化け物さんとはいえど、ザインにいたのでしょう? それなら何故、ライザ様の居所のことなんて気にするのかしら?」
 英雄がゾレンの手に落ちたことは、少年がゾレンの密偵でもない限りどうでも良いはずだ。王女も忍の少女も、敵国の少年に改めて警戒を見せる。
 まさか少年が、彼女達の見ていた英雄の悪夢を、共に観たとは考えるわけもなく――

 現状はわかったが、どう説明するかは難しい、としばらく黙り込むしかなかった。
(……夢で、見たから。そう言ったって、信じないよな)
 その「故障した五感」は、かなり稀少なものであるらしい。そう呼んで理解していたのは高名な魔道の有識者や、少し違う特殊感覚を持っていた同居者だけだ。「勘が良過ぎる」と里の者には言われ、少年が忌まれた理由の一つでもある。
 それならこの場で、少年に言えることは限られていた。
「……俺は、ゾレンのことは、どうでもいい」
 王女も忍の少女も、危険を承知で、それでもヒト殺しの化け物と取引したはずだった。不安定な共通語でも間違いなく伝えられる、その意志だけを口にする。
「俺はあんた達を、第二峠まで送る。約束は……破らない」
 少年の事情など、ここで伝えなくていい。どうせすぐに、呪詛に消されていくような心なのだから。
 これ以上はもう、嘘をつけるほど器用ではない。その姿が二人にどう見えていようと、少年を信じるかどうかは――それを選ぶのは王女達の問題なのだと。
 王女はしばらく、人間には珍しいと少年は知らない赤塗りの目で、押し黙る少年の目を凛然と見定めていた。

 バンダナで目が隠されるため、伏し目がちに見える少年が、王女の視界に曇りなく映る。
 笑ってさえみせれば、人懐っこい顔立ちの少年。目を半ば閉ざした状態では最早見る影もない冷淡さだが、それを見つめる王女に湧き始めたのは、真逆の柔らかさだった。
「……アナタがもし、ゾレンの密偵なら……わざわざ自分を疑わせることは言わない?」
「……」
「それとも、迂闊な密偵なのか……アナタはいったい、誰なのかしら?」
 王女は何故か、九割方は少年を信じている。昨日窮地を二度救ったことに加えて、何か言葉にし辛い思いを少年に向けている。それでも一縷の疑念を無視はできないだろう。

 少年が何も答えないので、沈黙しかけた状況を動かしたのはくだんの道案内役だった。
「そんなこと悩む暇があれば、さっさと歩いた方がいいにょろ」
「……デュー?」
「アディちゃん達は最初、オイラのことも信じていなかったにょろ? それでも前に進んだから、今ここにいるにょろ」
 先導をとっていた忍の少女の肩にぐるりと巻き付き、幼声の抜け殻蛇が偉そうに続ける。
「起きてから対処するしかない問題もあるにょろ。それなら、起きるまでは歩くにょろ」

 それからの道は、ほとんど喋らなかった。けれど、このぐらいの距離がよいのだろう、とヒト殺しの少年は自ら結論付けていた。どうせ初めから、僅かな期間の同行なのだ。余分ばかりの感情もすぐかき消されていく。
――殺したい。殺したい殺したい殺したい。
 それと共に、意識が遠のき体が凍えていくのも、少年にはもう問題ではなかった。
 どうしてこんなことで足が重たくなっていくのか。何処に行こうと呪詛に付き纏われるなら、悪いのはあの始まりの森ではなく、少年自身なのだろうから。

 とりあえず「英雄ライザ」は捕まったらしい。それがわかり、思考までもが冷えていく。寒々しい心身と呪詛を紛らわせるために、どうでもよいことを話に出した。
「ディレステアの第六峠は、今はどうなっているんだ?」
 様々な地域に囲まれているディレステアで、「第六峠」とはゾレン西部との国境になる。他の地域は関わらないため、ディレステアとゾレンの長い紛争の最前線にあたる。
 英雄は元来、第六峠の守護者として有名であり、それが峠を離れたとなれば、第六峠が攻め落とされる危険が出てくるだろう。だから王女は和平交渉の際に、英雄を護衛に伴うことを隠したはずだった。
 本日の野営地、大きな岩場の陰で火にあたる王女が、難しい顔色で尋ね返す。
「第六峠のことなんて、きいてどうするの?」
 よく考えれば、それはまた少年を、ゾレンの密偵と疑わせる発言だったかもしれない。王女と忍の少女は呆れたように顔を合わせ、昼に摘んだ山菜を炙りながら答を続けた。
「私達も第三峠できいたことしか知らない。第六峠ではまだ、ライザ様が本当に不在かと怪しまれている様子だけれど、キラはもしや、それを確認にきたの?」
「……別に、違う」
 少年が密偵ならば、王女の内情口外ぶりはすでに致命的だろう。
 知らず冷徹な口調になった少年を、王女が少しだけ申し訳なさそうに見返してきた。
「キラは何故、ライザ様のことを気にしているの?」
 それが少年の下手な共通語で説明できれば、こんな不毛な思いはしなかったのだろうが……ゾレンの「Z」を刻む化け物に思いあたる節を、誠実な王女は率直に訊いてくる。
「ライザ様が――ゾレンの裏切り者だから?」

 本来、英雄はゾレンの化け物であり、「最強の獣」と呼ばれる雑種がその出自だった。
 第六峠のゾレン大使館――ディレステア側にある関所に長くいた英雄は、ディレステア侵攻を目論むゾレン軍に応戦し、和平を求めてディレステアに助力し続けていた。
 ディレステアにはそうして、人間の肩を持つ化け物が古くから絶えないという。それは同じゾレンの化け物からは、疎まれる宿命でもあった。

 ゾレン出身者として、裏切り者が憎いかときかれた少年は、小さくかぶりを振った。
「別に……そんなんじゃない」
 伝えるのを(はばか)るほどの、自制できない憎悪。少年はまた、一人で黙するしかない。
 王女は少年のことを、少年を信頼するために色々きこうとしてくる。それに何者として答えるべきか少年はわからず、その度に白熱する胸の吐き気を必死に飲み込んでいく。
 王女に八つ当たりすることはなかった。それはあくまで英雄への憎悪だ。そんな少年を黒い鳥が、心なしか、理由のわからない哀れみの目で見つめていた。

 第二峠に行くのならば、少し戻ればいいだけと言った王女の前言通りに、翌日の夜には一行は第二峠東端の宿場町に到達していた。
「オマエ、全然仕事なしで良かったなにょろ。シヴァちゃんの『壁』のおかげだなにょろ」
「……じゃあ雇うなよ」
 絶えず気を張っていると、時がたつほど寡黙さに拍車がかかる。険しい雰囲気に王女も話しかけ難くなる悪循環だったが、逃げ足の速い抜け殻蛇にそんな空気は何のそのだった。
「危険人物は使いようにょろ。その意味ではキラなんて、可愛い方だぞにょろ」
 この激戦の大陸には、危険な化け物は山ほど潜んでいる、と脅かすように軽々しく言う。
 そうした地の大陸は本来、農耕や狩猟、物々交換などが一般的な未開地帯だ。まだしも文明の進む他大陸からは、「山と砂漠しかないつまらない所」と言われるという。
 しかし第二峠は水源が豊富な谷で暮らしやすく、貨幣が流通する指折りの文明地域であり、ザインの化け物が保つ物流、ディレステアの技術が無節操に噛み合う町では、木造、煉瓦、鉄骨の建物が混在している。
 質素だが久方ぶりのまともな宿を見つけた後に、これからが大変、と王女が念を押した。
「明日の午後には大使館につくからね。ここザイン側の峠には、ディレステア大使館とレジオニス大使館があるの」
 町に着いてまず王女は、全員のくたびれた履き物を、お揃いの赤い深靴へと新調した。栄養価が高く排泄量は少ない携帯食糧を補充し、最後に向かったのは鍛冶屋で、血流しにまで脂がまわった少年の剣を、高価な鋼の剣へとすぐさま買い換えてしまった。
 証拠隠滅よ! などと威勢良く言うのだが、ここまで同伴した少年に報いたかったのが本音であるらしい。少年を信じ切っていないわりに、別の方面でも何かと気にかけてくる。
「ところでキラ、アナタ、今日も何も食べないつもり? もう何日も完全絶食じゃないの」
「…………」
「いくら化け物さんでも本当に大丈夫なの? 私、そんな化け物さんは見たことがないわ」
 気を使う王女はそれだけ、護衛の少年を、危険があれど必要な存在、と当初から判断していた。何故そう思うかまでは、少年にはとんとわからなかった。

 結局王女にあまり答えず、宿で外套を脱ぎ捨てた途端、激しい吐き気に襲われていた。即座に口元を押える。鳥肌が立つ背中を折り曲げて、身悶えしながら水場にしがみつく。
 顔を埋める石盤がぶちまけた黒に汚されていく。(うごめ)く内臓の嫌悪に体中がうち震える。
――殺し……たい……。
 ずれてしまったバンダナが汚れないよう、外套のある方へ放る。その動作でいっそう悪心が強まる。
 体を支える腕が(きし)む。はだけた額に刻まれる赤い印が熱くなってきた。この印は少し前からある大事なものだが、思い出したくないのでバンダナを着けて普段は隠している。
 声を殺しながら、しびれる肢体で何とか吐物を片付けると、少年は寝台に倒れ込んだ。
「オマエ本当に、まずくないかにょろ? 体力かなり限界だなにょろ?」
 怪しい者同士、一人部屋に押し込められた抜け殻蛇が少年を覗き込んできた。
 ソレは警戒するほどの「力」を持っておらず、少年を心配している気配もない。なので答える必要を感じず、何事もなかったかのように、少年は黙って呼吸を落ち着ける。
「何で何も言わないんだにょろ? オマエ、色々わかってるにょろ? もう少し親しみをアピールしないと、いつまでたっても危険人物だぞにょろ」
「……危険人物で十分だろ」
 お。と抜け殻蛇は、背中を向けた少年が反応したのが嬉しいらしい。半開きの口で毛布を持ち上げ、少年の露わな上腕までかけると、枕の端によりかかって丸くなった。
「今日くらいはちゃんと寝るにょろ。明日はなかなか、修羅場とみたにょろ」
 警告する抜け殻蛇の声は、太陽の匂いがする温かい掛物の中ですぐに聞こえなくなり……地上に堕ちた黒い鳥に、ここまでついてきた旅の帰結を、少年は翌日知ることになる。

 宿場町から関所までは、沢山のヒトに紛れ、何事もなく一行は辿り着いた。
 第二峠ディレステア大使館――その峠こそが王女にとって、長い苦難が報われるはずの約束の場所だった。
 ところがそこに待ち受けていたのは、例のレジオニス大使の女でもなく、この逃亡劇の発端と言える者。黒幕にしては貧相な体付きの、ある人間の男だった。
「君達。何処に行こうとしているのかね?」
「えっ――……貴男、どうして……!?」
 ディレステアの高い外壁に向かって小丘を登り、薄暗い林の中の大使館を目前にして、王女に声をかけた貴賓の人間が多くの配下と共に立ちはだかっていた。
 驚愕に染まる王女の前に、忍の少女と少年は、すぐに進み出て戦闘態勢に入る。
(……アイツ……)
 第二峠ディレステア大使館の門前で、館の主を待っていた王女は、閉ざされた門を背に、大量の銃器を持つ軍服の男達に囲まれてしまった。
 ようやく扉から出てきた館主の大使の方を向き、鉄柵越しに王女が厳しい声をあげる。
「アウクシリア第二峠大使! これはいったい、どういうことですか!?」
「いえね、王女様。どうか落ち着かれてくださいね、ね?」
 大使職とは誉れが高く、王族と対等に話をしてよいとされている。それでもにこにこと揉み手をしている第二峠ディレステア大使は、その門戸を開放しようとはしない。
「いったい何故、中立地帯の第二峠大使館に、第四峠ディレステア大使のアグリコラ殿が兵を寄せているのですか!?」
 大使館の内側には第二峠大使と門番が、外側には王女が後にしたはずの第四峠の大使が、兵まで連れて集まっている。その様相はまさに、王女を包囲した状態といえた。

 王女は気鋭に、第四峠大使に振り返る。
「アグリコラ大使! 持ち場を離れ、このようなところで何の悪ふざけなのですか!?」
 第四峠大使と、それが引き連れる兵士達は、すでに人間独特の武器を構える体勢なのだ。だから少年も迷わず剣を抜いて、戦闘態勢で場の成り行きを窺う。
 兵の中心にいる豪華な軍服の第四峠大使は、一歩だけ前に出ると、少年にはわからないディレステアの古語で、妙に心地よさげに大袈裟な礼を取っていた。
「王女よ、困りますなぁ。あまりに身勝手な行動をとられては、私共も庇い切れませぬ」
「……!?」
「せっかく私が、王女を迎えに忠国の徒を遣わしましたのに。あろうことか王女はそれを斬り、『テルス・エイラ』を血で穢したとまで、パーストル大使から報告を受けましたぞ?」
 第四峠大使はそこで、王女には理解し難い勝ち誇りの顔を見せた。
「このようなことをディレステアの民が知れば、彼らはどれほど悲しむことでしょうなあ」
 にやにやと言う、下劣な面皮の第四峠大使。その卑劣な罠を悟った王女の顔が歪む。
「あの男達は……アグリコラ大使、貴男の差し金だったというのですか……!」
 明らかに人間の娘を害さんとした、山賊のような同国者達。その「D」を刻む娘には、ディレステア王家特有の月の色のような金髪、天上の鳥の聖火と言われる赤の目、そして王家の紋章の首飾りがあったというのに。
「アグリコラ大使……まさか貴男は……」
 そんな刺客を遣わした者が、この地に来る理由は一つ。そこに王女がついに思い至る。
「第四峠に反乱勢力を呼び込み、和平交渉を潰したのは、貴男……貴男はレジオニスとも手を組んだ、反乱勢力の一員なのですね!?」
「何を仰いますかな? 私はわざわざ、王女をお迎えに上がったと申しますのに」
「大使が持ち場を離れることは厳禁です! 貴男自身がここまで足を運ぶのは、謀叛者の指揮を直接とるために他ならないでしょう!」
 激昂する王女に、己が頭脳を誇るらしき矮小な男は、実に野卑な笑みを浮かべた。
「聖地を穢した者にパーストル大使も激怒されております。責任をお取り下さい、王女よ」
 そうして王女は、罠にかけられたのだ。謀反の勢力に殺されても、返り討ちにしても、第四峠大使に都合良く事が運ぶ――王家への不審を糾弾する材料とされるように。

 第二峠大使は、巻き込まれたくない一心の様子で、今も門の内に留まっていた。
「まさかね、にわかには、信じ難いことですけどね? ひとまずパーストル大使からね、国境封鎖の要請が来ているんですよ、王女様」
「国境封鎖!? そんなこと有り得ません!」
 取り囲む兵士を牽制する少年達の間で、必死に闘う王女の血の気がさっとひいた。

 ただの人間である第二峠ディレステア大使が、ヒトを喰らう化け物のレジオニス大使に睨まれたくない怖れは王女もわかっている。しかしだからこそ、数多の化け物達が渦巻く第二峠には、レジオニスと相容れないザインの高名な雑種に大使を任せてあるのだ。
「あともうひとかた、ザイン大使館のフィシェル大使は、何と仰っているのですか!?」
 親ディレステア派であり、頼みの綱であった大使。その名を王女はそこで出したものの。
「残念ながらのう。あの雑種めなら、もう第二峠にはおらぬぞ? 王女」
「――!?」
 王女の告発者たる第二峠レジオニス大使――聖地の司祭である女が、何と頭の三つある大犬に横がけに乗って現れていた。足元では祭儀衣の装具がじゃらじゃらと鳴る。
 それにひっ、と(うめ)いて第二峠ディレステア大使は後ずさり、それではそういうことで! と、しどろもどろに館内に逃げ帰ってしまった。

 風が凪いでいた。場を満たすのは、血塗られた欲動を内包する獣くさい空気だけだ。
 在るべき地で再会した司祭の女は、互いのご馳走を前に唸る猛獣をあやすように制し――蒼白な王女を取り巻く現実に、仄暗い林に浮き上がる紅い目で薄ら笑った。
「ザイン大使は、持ち場を放棄して失踪しおった。つまり国境封鎖の反対者など存在はせぬ」
 この第二峠まで訪れたあて、親ディレステア派であるザイン大使の失踪。衝撃を受けたのは王女だけでなく、忍の少女も大きく動揺したのか、周囲の空気が急速に冷えた。
 言葉はわからずとも、大体の事態を悟った少年も、何かの糸がそこで切れてしまった。
(……ああ……そうか――……)
 寒気立つ林野で、舌なめずりをする女。その強い飢餓が、生臭い血の味と共に伝わる。
「うふぅ……此度こそは――……ソナタを頂けるのだのう?」
 恍惚とした紅い目。王女と忍の少女に強い悪寒が走り、少年はむしろ平静となった。
(大使がいないなら……こいつには、誰も勝てない)
 少年の青白い肌に、毒まみれの牙を突き立てる。猛獣と共に少年を引き裂き、軟らかく細切れにした血肉を、化け物の大口で一飲みにする……それを待ちかねているのは、飢え渇く魔性という縛りを受け、最早解放はされない半蛇――純血の魔物だ。

 故障した五感が語りかける、化け物としての絶対の実力差。それを気配の探知で感じているらしい忍の少女――黒い鳥の冷感も、少年に間近で焦心を訴え始めた。
 そうして少年は、黒い鳥の切なる揺らぎに、自らのとるべき道を決める。

◇⑤◇ 鬼火

 第二峠ザイン大使――ディレステアの王女が頼みにしていた化け物が消えてしまった。他には何もゆかり無き地で、敵に囲まれた王女と忍の少女の戦慄が少年に伝わる。
 この関所はまず通れないだろう。無情な現状をすぐ把握した少年は、林間に集う兵士の銃口の前で背を合わせる忍の少女に、低くかすんだ小声で尋ねた。
「……騒ぎを起こせるか、シヴァ」
「……?」
 ザイン大使がいなければ、第二峠に執着する理由はない。無私な少年の決断は早かった。
「あんたの『壁』は――アイツらのことも、含められるのか」
 武装した兵士を見て問うと、忍の少女は意図をわかったのか、こくりと小さく頷く。
 唯一の懸念は解消された。少年は少女に一言だけを指示して、第四峠大使と、第二峠の女大使の元へ向き直った。
 うそ寒い高林で吐息を震わせる王女が立ち尽くしている。細い肩を少年は軽く叩くと、振り返った顔に有無を言わさず、腕を取って忍の少女へと引き渡した。
「――キラ!?」
「……剣をありがとう、アディ」
 考えてみれば言えていなかった。今頃礼を告げると、何故か気分が落ち着いていった。
 改めて剣先を翻す。徐々に熱を帯びてきた円陣の中心で、二人の大使を鋭く睨みつける。
――殺したい……殺したい……。

 背の高い鉄柵を背後に、半円形に兵士団に囲まれた少年達に対して、第二峠の女大使と第四峠の人間の大使は亥の刻の方向に佇んでいた。第四峠大使は王女以外の者を歯牙にもかけず、少年も弱小な人間である第四峠大使のことはどうでもよかった。
 しかし時間を稼ぐ必要がある。それなら自分は害されない、と信じ切っているおめでたい人間に、冷水を浴びせるのが簡単な挑発方法と見切る。
「アンタ……この間の奴らの、親玉だな」
 三つ頭の有名な番犬を駆る女大使は、あえて無視する。無学な少年は古語での会話を理解できておらず、先日の人間達と匂いが似た第四峠大使に、拙い共通語で話しかけた。
「何かね、君は? 君がその王女の命令で、我々の大事なディレステア国民を手にかけたというのかね」
 答ありきの共通語で返答する第四峠大使を、女大使が含みのある笑顔で様子を見守る。この二人は確たる情報を共有しているが、完全な味方ではないとわかる。
 ゆっくりゆっくり、王女を抱え込むようにかばう黒い鳥が、たゆたい熱を振り撒いていく。まるでその背から徐々に、透き通る熱の翼を生やしていくような――少年はその虚ろな火を感じ取る。
 それこそ少年が黒い鳥に託した指示であり……なるべく異状に気付かれぬよう、そして一瞬で激するように、少年自身も呼吸を操り、機を窺いながら話を続ける。
――殺し……たい……。

 人間達を殺したのが、少年でも忍の少女でも、第四峠大使はどちらでもよいのだろう。その参考人が、王女の護衛であること自体が問題なのだ。それなら少年は――
「誰も俺に命令なんてできない。俺は、下衆な奴らを殺したいだけだ」
「しかし君は王女の護衛で――……む?」
 第四峠大使はその時、少年の手の「Z」に気付く。そこでやっと、自身の誤算を知る。何一つ保身を考えていない少年の出方、その意味を思い知ったようだった。
「まさか……またも、ゾレン人の護衛だと!?」
 それは第四峠大使には、最も不都合な展開を招く事実。都合が悪いのは少年も同じで、この後は司祭の女大使に、咎人としてその身を咀嚼されるのだろうとわかっていた。
「ちょっとキラ! そんなことは……!」
 忍の少女が殺した、と口裏を合わせる話を違える少年を、王女が後ろから焦って掴む。何故ならそれは、ヒト殺しの少年を女大使に渡さず、他勢力に介入もされずに、全員を守るための方策であったからだ。
「もうその必要、ないだろ」
 王女の顔も見ずに、少年は答える。聖地を穢した罪への咎め、と純血が関わってくるならなおのことだ。その心積もりを悟って、王女が愕然と表情を固める。同時に少年の前でも、驚く速さで酸っぱい面付に変化した第四峠大使がいた。
「何故だ……薄汚いゾレンの化け物は何故、貴女をかばうのだ、王女よ……!」
「アグリコラ大使……!?」
「いや、やはり裏切り者は王女、貴女だ。ゾレンの手先になって大事な国民を手にかけ、粗暴で厚かましい化け物に媚びを売り、国を売り渡す算段に違いあるまい!」
「……それはさすがに、無理があるだろ」
 必死に辻褄を合わせる第四峠大使の言葉を、最低限の共通語で完封した少年だった。

 第四峠大使にとって、この場は何の危険もなく、王女を糾弾すればよいはずだったのだ。差し向けた刺客のように王女と戦う気ではなく、一大使として話し合いに来たのだから、護衛が抵抗すれば王女の立場はますます悪くなる。それがディレステア人同士の諍いなら異国者も介入権限を持たず、あくまで大使からの告発となる。
 しかし部下のディレステア人を、敵対国のゾレン人が殺したと証言し、ここで戦闘までされると、大使は何一つ安全ではない。対して王女は、少年を見放せば事が済んでしまう。殺された人間の男達のことも、聖地を穢した罪も全て、敵国の少年に着せればよいだけの話だ。
 そうなると大使にはただ危険な上に、現王家に不信感を招きたい反乱勢力として、何の旨味もない状況だった。

 第四峠大使も、そうして苦境となったが――
「キラ――どうして……!」
 自分を切れ。それが少年の意志なのだと、悟った王女が声を詰まらせて飲み込む。
 少年はそれには答えず、ただその第四峠大使――女子供を狙う多勢の刺客を放った者に、不動の憎悪だけをたたえる。知らず、寒々しい眼光に血塗られた赤い焔が宿った。
「俺は……アンタ達みたいな奴は、嫌いだ」
 殺したい。その死神を本能的に感じた人間が、瞬時に腰を抜かしておののいた。
「ひぃぃぃ……! 殺せ、そいつを殺せ! 誰か助けてくれ、ヒト殺しの化け物だぁぁぁ!」
 円形に陣取る部下達にそう叫び、なりふり構わず狼狽しながら敵の筆頭が後退する。
「おやおや。わらわがついておるのに、情けないことよのう」
 なまじ狡猾な第四峠大使は、女大使がすぐ自分を見捨てるだろうこともわかっていた。今回は人間の部下が聖地で殺されたことで利害が一致し、国境封鎖の協力を得ただけだ。女大使には第四峠大使の安全や、王女が糾弾されるか否かはどうでもよいことだろう。
「今日は魔獣もおるしのう。如何な化け物といえど、食べよく噛み千切ってくれようぞ?」
 紅い目の半蛇は、聖地を穢した罪を理由に魔物の欲を満たせればよい。公然と、充分にいたぶる準備でもって、隣接するレジオニス大使館から出てきた女大使なのだ。

 第四峠大使の命じた通り、全ての兵士が少年を標的に切り替えてきた。
「キラ、もう逃げて……!」
 使い捨ての先日の男達とは違い、銃という高度な武器を今日の兵士は持たされている。ディレステアとは「力」無き人間でも化け物と戦える、技術の発達した文明大国なのだ。

 その銃器を始めとした様々な技術は、弱小な人間が天恵により世界を動かしていた古代――高度物質文明の遺産であるとも名高かった。
 ディレステア王家は古代人の血をひき、脅威の破壊兵器を伝える唯一の管理者である。
 化け物がひしめく原始的な地の大陸で、人間の国が成立する最大の理由が、その真偽の知れない伝承であると少年は知る由もない。
(どの道……もう、終わりだ)
 よく知らない火器の小銃が、どういった武器であれ――ここで戦えば少年は呪詛にも、近接戦用の魔獣を伴う女大使にも勝てそうになかった。
 それだけ体力の低下が差し迫っていることを、少年はあえて誰にも言わなかった。
――オマエ本当に、まずくないかにょろ?
 他人事のような抜け殻蛇は、危険な護衛は第二峠までもてばよい、と思っていたのだろう。所詮ヒト殺しの少年も同感で、その先のことはどうでもよかったのだ。
――約束は……破らない。
 王女達を第二峠に送る旅は終わった。少年自身の目的も、何処かに露と消えてしまった。
――ザイン大使は失踪しおった。
 それなら後は、剣を買い換えてくれた返礼に、王女をこの窮状から解放したい。そして黒い鳥にも要らぬ罪状をかけず、少年がヒト殺しの罰を受ければよい。
 真っ赤な呪詛にとうに呑まれかけていた少年は……そのまま静かに、呼吸だけを止めた。

 ザインで育った少年は、ザインが中立地帯であるとはよく知っていた。ディレステアの人間を殺した時も、それが死罪に値する行為だとわかっていた。
 誤算は聖地「テルス・エイラ」などに関わっていたことくらいで――罰する者が変わるだけだ、と新しい剣に極限までの「力」を込める。
 場に言い知れぬ熱情が満ちてきたことを、第四峠大使は全く気付いていない。兵士達の威嚇をものともせずに剣を構える少年に、さらなる恐れで縮こまった。
「何を、何をするつもりだ、化け物!?」
 少年は、忍の少女に告げた狙いが、すでに達成されつつあることも感じ取っていた。
――騒ぎを起こせるか、シヴァ。
 忍の少女の「壁」による暖……異常な熱の集中に、ザインの化け物がここを見ている。
 敵しかいない状況よりも、さらなる混乱を呼ぶこと、それ以外には活路はなかった。

 魔道士たる司祭の女大使も、館前が一種の異界となっていることには気が付いていた。
「ふむぅ……かように熱の平衡を崩して、何のつもりかのう?」
 王女を中心に溢れ出している忍の少女の「熱」。大気を揺らがせてはいるが、それだけの「力」に特別な脅威はないと、普通の魔道士ならすぐにわかることでもあった。

 化け物が持つ「戦う力」には、「神威」、「獣性」、「自然」の大きく三系統があるとされる。最上の化け物とされる純血の好む「高度な力」が、「神威と理の運用」たる「魔道」であり、魔力に紡がれる神秘「魔術」や、念を具現する禁忌「呪術」など、様々に分派していく。
 最多の化け物の雑種には、身体の強靭さや多様さが主な「獣」のように「単純な力」の持ち主が多く、その根源たる気の力――生命力は随一であるといわれる。
 そして最強と言われる「天意の力」が「自然」であり、自然元素を司る「精霊魔法」や、自然の脅威「竜種の災厄」が該当するが、突然変異に近いその天性は稀少でもある。

 忍の少女が、熱の分布に介入しているのは、明らかに「高度な力」ではあるが、「魔道」といえるほどの指向性がない。場が暖まる以上の効果はない、と女大使は首を傾げている。
「言うてはなんだが……稚拙だのう?」
 ごく普通の魔道しか知らない純血の女大使が、そこで失念していたこと。
 熱を放ち、世界の理をどう動かすかという、魔道的な「力」の質疑は意味をなさない。
 忍の少女――翼無き黒い鳥が、どうやって熱を放っているのか。何故黒い鳥の周囲は、少女の心で寒暖が変わるのか、一番重要な疑問を持てる者はこの場にはいなかった。
 黒い鳥に指示を残した少年と、黒い鳥のことを少年に教えた、異端の抜け殻蛇を除いて。

 少年が一歩、第四峠大使の方へ踏み出しただけで、卑小な人間には臨界点がきていた。
「――撃て! 王女に当たってもかまわん、その化け物が殺したことにすればいい!」
 甲高く叫んだ第四峠大使に、第二峠大使館の非武装の門番達がざわつく。その明らかな背信に対して、貴重な目撃者達に王女が咄嗟に声を上げた。
「貴方達、すぐに館内に退避しなさい! 巻き込まれる前にこのことを伝えるのです!」
 流れ弾の危険がある上に王女の勅命だ。門番達は揃って、誰もが慌てて逃げ出し始めた。
「撃て撃て撃て撃て! 皆殺しにしろ!」
 それも含めて撃つよう命じた第四峠大使に、反乱勢で固めてあるだろう兵士は、迷わず全員が引き金に手をかけ――
 たった三人の少年少女に向けて、逃げ去る門番もろとも集中砲火を浴びせんとした諸人。その卑しさを嘲笑う事態が、やがて続いた。
「……なっ……なぁっ……!?」
 銃声の嵐が吹き荒れるはずが、静まりかえる場にあるのは、全ての兵士が自身の武器の不発に慌てふためく滑稽な姿だった。
「な、撃て、撃てと言っているだろう!?」
「……ふむぅぅ?」
 それは女大使の顔もしかめさせる、想定外の異様な展開だった。

 無様な敵の陣中へ、その隙に乗じ、少年は上段から鋼の剣を大きく振り下ろした。
 少年に残された「力」で成しえる抵抗、余分を切り捨てる拒絶だけを込めて。

 呻き声のような衝撃音と共に、剣が発した光が扇形に疾走する。その広角の矢面(やおもて)にいた第四峠大使と大半の兵士が一瞬で吹き飛んでいった。
「――はぁん……!?」
 魔獣に掴まっていた女大使は、何とか体勢を崩さずに済んではいたものの――
「ソナタ程度の『力』で、何事ぞ!?」
 戦いに赴く魔道士であれば、当然先に、防衛の儀を己に施しておく。その結界より全く弱小なはずの少年の剣光が結界を越えた異状に、思わず女大使の声が荒立っていった。
「ただの波状圧ではないか!?  シェムハザの翼といい、ソナタはいったい何者であるか!」
 強堅な魔獣がいなければ、他の人間達と同じように、女大使も地に這っていた。これから咎人の叫喚を楽しむはずの側には、その事実がいかんとも許し難いようだった。
「キラ、大丈夫!?」
 一撃だけで両膝をつき、地面に突き立てた剣の柄に縋る。女大使に届くこの一閃で、少年は残された「力」をほぼ使い切った。乾いた喉に血が絡み、全身が蒸発しそうな苦痛。その姿を見て駆け寄ろうとした王女を忍の少女が慌てて止めた。
 それというのも頭に血が上った女大使が、虫の息の少年に無用に魔獣をけしかけたのだ。そのためまだ健在な兵士達まで、巻き添えを恐れて攻撃に出られなくなった。
 そして、獅子ほどに大きく、それより遥かに獰猛な三つ頭の番犬が少年に襲いかかる。

 迫り来る魔獣を前に、王女の悲鳴が聞こえてきても、少年は冷静さだけは保っていた。
(……これは『壁』でも、止められないか)
 結末は剣を振るう前からわかっていた。もう思い残すことはなかった。
 この敵だらけの状況で、第四峠大使の裏切りを見た者達が避難できたことで十分だろう。王女が難局を打開する材料は揃った。後は、忍の少女と共に、生きのびさえすればよい。忍の少女――黒い鳥にはそれができるはずだ。何しろ黒い鳥こそが、敵の銃を無力にした「鬼火」の主であるのだから。

 敵兵も「壁」に含まれるか、と尋ねた少年に、頷いた黒い鳥の「壁」は、銃という武器をも恐れないものだと少年にはわかった。
――シヴァちゃんの張る『壁』は、その中で使われる『力』の熱……威力を奪えるにょろ。
 黒い鳥の「壁」の極意は、「熱を奪う」こと自体だ。だから「索敵の力」の気配探知も、「銃器を発動させる力」も無効にできる――その「力を点火する熱」を奪える。「力」とはそうして、世に発現させられなければ、ただの概念に過ぎない虚構といえる。
 奪った熱を「壁」の内の暖に回せるのは、結果でしかない。翼という「力」の源がない黒い鳥は、そうして常に外部から熱を求め、奪った熱を「壁」の内部の鬼火とできる……周囲から奪う性質そのもの、紅蓮の「魔性」を得た鬼なのだ。
 きっとそれは、地上に堕ちた黒い鳥が、ひたすら「力」を(のぞ)求した結果なのだろう。
(……殺さなきゃって……今は、言わないんだな……)
 それで少年、呪詛まみれのヒト殺しは目前の敵を殺すことなく、蹴散らすだけに留めた。そうして今も熱を増していく「壁」の内で、遠のく意識の中でも微笑む。
 「力」の熱を奪える「壁」でも、ただ筋力による魔獣の突進を止める術はないだろう。これで少年の旅は終わり。当初の咎への(あがな)いとして、魔獣達の餌になるのだと――

 しかし少年は、熱を持て余す黒い鳥について、甘い観立てをしていたようだった。
「……――え?」
「な――邪魔をするか、そこな忍!?」
 黒い鳥が手甲を外し、手掌から放った熱弾が、少年に跳びかかる魔獣を弾き飛ばした。ごく簡単な魔道である熱の塊に、呆れて驚いた女大使が、今度は忍の少女の方に向き直る。
「わらわに魔道勝負で、勝てるとでも思いでか!?」
 それは酷く、命知らずな喧嘩売りだ。忍の少女の迂闊さに少年の背筋が凍りついた。 
 人化の儀も兼ねた結界を張る女大使には、元より「壁」が通じていない。それほどまで明らかな実力差を示しているのに、今の熱弾など愚かな挑発行為でしかない。
「――……!」
 血に飢える半蛇の眼光。「壁」に熱を奪われず、怒りに任せて奔出する「力」の波は牙の如くに鋭い。忍の少女は「D」が露わになった手を握り締めて、成す術もなく威圧される。
 しかし少年が、忍の少女に指示していたこと。ザインで生きていた少年の数少ない人脈といえる、騒ぎに反応するはずの者を呼び寄せることには、すでに成功していた。
「――そこまでや! このザインでの揉め事は一切勘弁やで、あんたら!」
 忍の少女が熱を散らかす異状に、遠目からこの場を探っていた化け物――
 少年の知り合いであり、偶然にも王女も、本当は必然の知り合いがそこに現れていた。

 地に伏す人間の間をぬって、十数名の化け物が、場の者を誰彼構わず取り押えていく。それを手伝う数羽の怪鳥がばさばさと降り立つ状況に、女大使が容色を変えた。
「はぁんもう、嫌な奴が来たものだのう!」
 一般的な服の上に大きな白布を巻きつけて、右肩で留める制服を着た精鋭の化け物達。ザイン三大勢力の一つである、「警備隊」の面々の到着だった。
「お主の出る幕などあらぬ、バルフィンチ。この場は初めからわらわが預こうておるのだ!」
 女大使が噛みついたのは、大陸の一部でみられる訛りで喋る第二峠支部隊長だ。
「ウソつけや! たった今ディレステア人とやりおうたんはあんたやろ、パーストル」
 介入すべき異種間の争いか、警備隊は様子を窺っていた。化け物である女大使が魔獣を放ち、「D」を刻む忍の少女に対抗された時点で踏み込む決断を下したのだろう。
「ディレステア内紛やから手ぇ出すな言うとったけどなあ? やっぱり何か企んどったな」
 半蛇の女大使は、第二峠警備隊を管轄し、大蛇も食す怪鳥を操る支部隊長が苦手らしい。虚勢を張りつつ脂汗を流し、見るからにやり込められていく。
「この雑種の童はわらわの獲物ぞ! 聖地が咎人の処分はわらわの権限であろう?」
「は、ゾレン人までさらに関わっとるんか。そらますます、おれら警備隊の出番やなぁ」
 まだ俯く少年の剣にかかる、手甲の「Z」を見たのだろう。同じ場所に奇妙な「8」の印を持つ鳥頭の支部隊長は、我が意を得たり、と糸のように細い目でにやりと笑った。

 女大使の不利を見てとり、ずっと腰をついていた第四峠大使が必死に自己主張を始めた。
「よ、よく来てくれた、ザインの警備隊よ! この者達が我が部下を殺した! 捕まえろ!」
「別に誰も死んでへんで? ……とりあえず事情聴取や、こいつら全員、ひっとらえい!」
 そうして警備隊の化け物達が、倒れている人間もまとめて手際よくお縄にかけていく。
 あくまで第三勢力でも、敵の敵が混ざったことに、王女が俄然やる気を出していた。
「ザイン警備隊の隊長殿! 申し伝えたいことがあります!」
「へ? って――あんたは!?」
 そして互いが顔見知りだったことに、支部隊長も王女も同時につんのめって驚く。
「まさか……バルフィンチ長官?」
「ディレステアのアヴィスちゃんやんけ?」
 それを聞いた少年は力が抜けて、へたりと座り込みながら、剣だけは何とか鞘に納めた。
 ひとまず、縛られた王女達は当面安全だと、確信を持てる相手がその支部隊長なのだ。

 弱り切った少年が、王女達以上に重要な知り合いであると、迂闊にも支部隊長は少年に縄をかける時にやっと気が付くことになった。
「は!? こっちはオマエ……あれ、えーと、そうや! キラ! キラやないか!」
「…………」
「無事やったんか、キラ!? このどアホ、どれだけ探した思ってんねん!」
「……何、とな?」
 支部隊長の大きな動揺で頭の冷えたらしい女大使が、支部隊長と少年を交互に見回す。
 王女も不思議そうな顔で、旧知である支部隊長を見上げて尋ねる。
「長官は、キラをご存じなのですか?」
「当たり前やろ、非公式やけど、クランの一人息子やがな。コイツらを探して、クランは行方不明になってしまいよったんやから」
「――えええええ!?」
 支部隊長が口にした失踪者の名は、王女が希望の灯としていた、第二峠ザイン大使――治水の魔道の大家である雑種、クラン・フィシェルそのものだった。

 とてつもなく驚いた王女達と、不快さを満面に浮かべた女大使が、全員で少年を囲む。
「さようか、まさか、あの雑種めの息子とは……言われてみれば、確かに似ておるのう」
 しかめ面の女大使の隣で、普段はあまり顔色を変えない忍の少女も、紅い目を見開いて少年を凝視し……。
 幾人かの者が、少年に会ったことがある気がする、という心をようやく納得させていく。
 そうして自らを取り巻いて騒ぐ者達に、少年は反応するどころか顔一つも上げなかった。

 支部隊長は頭を抱えつつ、改めてその嫌疑を、公正な警備隊として少年に訊ねかけた。
「聖地を穢したって、どういうことや、キラ?」
 そこでヒト殺しの少年が何か答えてしまう前に、王女が憤然と割って回答する。
「違います、長官! それは私の護衛がしたことで、あくまでディレステア内部の問題であり、しかも場所はウェルデンなのです!」
「――ぁあ? 何を言い出すか、王女よ?」
 少年を諦めていなかった女大使は、人間の王女の知略にここで嵌ってしまうことになる。
「なるほどなぁ。証言が食い違うとるみたいやから、まずは警備隊で調査せなあかんなぁ」
「って、この、バルフィンチめが!?」
「勘違いすんなや。ウェルデンであんたの権限は監視のみで、治安管理の実働は警備隊や」
 殺した場所は聖地に抵触するが、死体を埋めた土地は完全に、ウェルデンの森の内だ。
 死因やそれぞれの出身地を取り調べ、裁定を下す必要がある以上は、身柄の拘束権限は警備隊にあることを勉強家な王女は知っていたのだ。

 聖地に関してだけは、処罰は司祭の役目となるため、取り調べ期日が過ぎた後は咎人を渡さなければならない。その取り決めで女大使は辛うじて、生贄を待ちわびながら、渋々引き下がることになり――
 現状ではこれが最善、と納得して捕縛された、難境の王女達と少年だった。

◇⑥◇ 「千里眼」

 ヴァルト・バルフィンチ・ZS。ゾレン出身の強力な化け物ながら、ザインに帰化して「S」を刻み、「Z」に重ねたことで「8」の印になったのがその第二峠支部隊長だった。王女達が知るのは数年以上前の、ディレステア通商庁旧長官の溌剌とした鳥頭姿だ。
 ザインやエイラ平原には国がなく戸籍制度がないため、出生時に「D」や「Z」を刻む必要はない。それでもザインに住む者には、中立を表明するために「S」を刻む者もいる。
「しかしオマエ、この印も剣もどうしてん?」
 支部隊長は首をひねって、妙に高価な剣を持ったザインの少年に尋ねるのだが、少年は全く反応ができないでいる。

 化け物用の頑丈な鎖をしっかりと腕に巻かれ、警備隊の拘留地まで連行された。しかし第四峠大使一派とは離され、取り調べとして支部隊長が私室に一行を招き入れた。
「オマエ、元々気配弱くて探し難いんに、さすがに弱り過ぎやろ。何があってん、キラ?」
「…………」
 拘留地までの僅かな登山でも蒼白な少年を、支部隊長は鎖をしたまま救護効果を付する敷物に座らせる。そうして公私の線を逸脱せずに厚遇するが、少年に喋る余裕はなかった。

 木々深い山間の、ごく普通の天幕集合所に見える拘留地では、処々で焚火の煙が上がる。支部隊長用の円柱型の天幕内を、鎖を外された王女が複雑そうな顔で見回していた。
 盛況な町に比べて、秘境ザイン本来の簡素さな天幕が多い拘留地では、いずれの天幕にも並み居る化け物を制する強固な結界が敷かれている。得意げに支部隊長がそれを語る。
「まさか長官が、警備隊になられていたなんて」
「おお。ディレステアで必死に頑張っとった頃よりは、これでも好待遇やねんで」
 怪鳥を従える雑種である支部隊長は、英雄ライザと同郷者でもある。そうして古くから英雄と共に、ディレステアに貢献していた身上だったのだが――
「あの時は本当に……ごめんなさい、長官」
「ええねん、アヴィスちゃんが気にすることやない。おれが問題起こしたんも確かやしな」
 ゾレンの化け物を嫌うディレステア人と揉めた旧長官は、あえなく追放処分を受けてしまった。その後にザインに流れて、警備隊となったことを知る者はとても少ない。
 そんな化け物の数少ない旧い仲間が、捕えられた少年の両親であるのだ。

 ぴくりとも顔を上げない少年の真正面に、支部隊長が隅の暖炉をたいてから悠然と座る。王女と忍の少女を横の長椅子に揃ってかけさせる。節くれだった右手を少年の銀色の頭に置くと、まず安堵の長い吐息を、熱々と漏らした支部隊長だった。
「とりあえずほんまに、無事でよかったわ。レインさんがあんなことになって……もしやオマエ、仇をとりにいったんちゃうかって、ずっと心配しとったんやで」
 無言で俯き続ける少年と、支部隊長のただならぬ空気の重さに、王女がためらいながら疑問の色を浮かべた。王女達が何も少年の事情を知らないとわかったらしい支部隊長は、少年から手を離して振り返りながら、深い溜め息をついた。
「ついこの間、キラのお母はんが、ゾレンの追手に殺されたんや……でもそれは同国間の揉め事やし、あんまり突然過ぎて、おれは駆けつけることもでけへんかった」
「……!!」
 王女は息が止まるほど強く胸に手を置き、忍の少女も体を強張らせて少年を見つめた。
「レインさんは、エア・レイン・Zいうて、おれやライザの姉貴分で、ディレステアにも『千里眼』の名前で貢献したんやで?」
「って……それは長官、もしかすると第五峠の占い師、『エア・フィシェル』ですか!?」
「そうそう、それやそれ。雅号はそっちやった。でもその能力が仇んなって、ゾレンから追われる身になってもーたんやけど」
 そうして支部隊長は、暖炉の前で影を揺らしながら、そのゾレン人の女の話を始める。
「レインさんは生まれつき、『千里眼』っつー広範囲の気配がわかる能力の代償に、えらい体が弱うてな。ただの人間やのに、持っとる感覚が特殊過ぎたんやろうな」
 人間という生き物は、化け物よりとにかく気配が拙く、「力」無き存在をそう呼ぶことが多い。それでも人間にも、呪いや神降ろしを行える神子(みこ)、他にも念動など、独特の能力を持つ者が現れることがある。それらは突然変異として、由緒正しい魔道家からは嫌われる。
 「千里眼」は探索可能距離が異常なものの、気配探知で説明可能な能力であり、魔道の大家フィシェルを名乗っても咎められなかった例外的な人間だった。人間には気配探知の第六感が滅多にみられず、予知や霊感といった、特殊感覚の異能が多いのが特徴なのだ。
「十七年前のディレステアとの和平に、おれやライザが頑張ったんは、知ってる思うけど……その活動を支えたんは、レインさんの『千里眼』でもあるねんで」

 英雄を始め、休戦の功労者は主にゾレン人であり、ゾレン国王の信も厚い一派だった。だからこそ実現できた、夢のような七年間の完全休戦だった。
 しかし再開戦後は誰もがゾレンに背を向け、狙われる形になっている。特に「千里眼」は休戦直前の事変で両眼を焼かれており、平和が訪れる前にゾレンを追われていたという。
「銀髪赤眼のすっごい美人やのに、クランに出会うまでは独り身やってなぁ。クランも、お尋ね者で盲目になったレインさんを、強引にザインに攫うたようなもんやしなぁ」
「……あの物静かな、フィシェル大使が?」
「それだけレインさんは強情やってん。体はめっちゃ弱いんに、キラが生まれるまでは、ザインの山奥で一人暮らしを続けたんやで?」
 同じようにゾレンから逃げた者が集まった隠れ里で、「千里眼」はその力と、生来の頭の良さや器用さを活かし、周囲の役に立つことで生活を助けられていた。ところがやがて、あるきっかけで、里の者に疎まれていくことになる。
「ライザが再開戦の時、ゾレンを裏切ったやろ? そこからゾレン軍の、逃亡者の追跡が厳しなってな……レインさんはずっとライザの味方やったから、反感を買うてしもてん」
 そしてついに先日、ゾレンの追手に見つかってしまったのだと、「千里眼」の死について支部隊長は忌々しげに話したのだった。

 少年の母の惨い末路。悲愴に声を震わせた王女が、改めて少年を見やった。
「それならキラ……どうして、フィシェル大使の息子さんだと教えてくれなかったの?」
 びくっと、僅かに体が揺れる。沈黙を守る少年が初めて反応してしまう。
「私達がフィシェル大使を信頼していることは、先に話していたのに……教えてくれれば、アナタを疑ったりしなかったのに」
「…………」
 少年の出自を知った王女と忍の少女は、今や虎に騎る勢いで少年を信じ始めていた。
 赤い目と紅い目がたたえる希望の光。しかし到底、その期待には値しないヒト殺しは、だから素性を話せることなく――急速に、真っ赤な呪詛に呑み込まれていく。

――殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい――

 失踪したザイン大使は少年を探しているという。それだけでも自らに虫唾が走る。
――俺は……――くて……――
 その憂き目にあった王女に、答を返すなら一つしかなかった。
 肺腑(はいふ)にこびりつく暗い呪怨を、やっと少年は絞り出す。
「……俺の……せい、だから……」
 理性を奪う呪詛にくるまれていく中、本当に答えるべきことは、もうわかっていない。
 声を出す力すら尽きた死線の上で――この時ばかりは、少年も堪え切れなかった。
「っ――は……!」
「ってキラ!? おい!?」
 這いつくばった喉から激しい血が吐き出された。支部隊長が大慌てで救護班を要請する。
 少年の惨状を目の当たりにした王女達も大きな衝撃を受けていた。それでもまずは王女自身の窮状を説明するため、支部隊長の天幕にしばらく留まることになる。

 危篤と言える昏睡で、少年は寝台に横たえられた。支部隊長が堪えられないように己の顔を覆う。ずっと悪ガキとして手を焼いた相手の、その姿はあまりに痛ましかったのだろう。
「クランも失踪してしもうたし……おれはどうしてやればええねん、レインさん……」
 警備隊での仕事は、支部隊長にとってはやっと得た安住の地だ。バンダナが覆う少年の額にそっと手を当て、その母を彷彿とさせる銀髪の、弱々しい寝姿を困り果てて見つめる。
 その後、王女達の元に戻る前に支部隊長は、大切な疑問を知らず口にしていた。
「ところでキラ……ユオンはどないしてん?」
 いつも支部隊長の手を煩わせていた、旧い仲間の威勢の良い子供達。
 その赤い眼と青い目の、共に銀色の髪だった二人の少年を思い浮かべて。もう一人をまだ探している支部隊長は、糸目顔をひたすらしかめて、両腕を重く組むのだった。

 「キラ」というのは、ゾレンの言葉で「ヒト殺し」を意味するのだという。盲目で体が弱く、出産など無理だと思われていた「千里眼」は、よく笑いながら言っていた。
 いつ息絶えてもおかしくない体で、救命の結界が敷かれた天幕に少年は一人横たわる。まるで走馬灯のように、不意の温かな光景が広がっていく。
――エアは、命がけでオマエを産んでくれたんだ……キラ。
 ザイン大使の言う通り、虚弱な「千里眼」はその子供の出生に殺されかねなかったのだ。
 出産前後は第二峠に身を寄せていたが、やがてまた、山奥に隠れた「千里眼」であり、それを支える実子に彼女はいつも、目隠しの下でもわかる微笑みをたたえていた。
――本当に、嬉しかったの。アナタはクランと私の命、かけがえのない宝物なの。
 たとえ命尽きても、生まれてほしい子供。その名を愛しげに呼ぶ彼女を、きっと誰もが守りたかった。それで真なる「ヒト殺し」になったとしても。

 ヒト殺し。それはこの化け物が闊歩する神秘世界では、結局は弱いものが悪い天理だ。だから弱い人間と強い化け物はいつまでも相容れない。助け合う人間と奪い合う化け物、どちらも互いの気持ちは理解できない。
 けれど化け物は、ヒトの姿を持っている。特に雑種は、化け物の体に人間の心が宿った哀しからぬ生き物だという。
 そんな化け物に惹かれ、通じる人間は少なくない。ザインの大使と「千里眼」のように。
――姓だけ名乗らせて。それだけで私、幸せ。
 占い師のエア・フィシェル。両眼を焼かれてからは、その姓を名乗ることもなかった。「千里眼」の能力自体はむしろ研ぎ澄まされたが、人間としてはその異能が不幸の元だと、離れて暮らす大使は悲しげに白い目隠しをいつも見つめていた。

 第二峠のザイン大使が、もうそこにいない。その事実が少年の微々たる心残りを奪う。
 ゾレンから追われる「千里眼」は、ザイン大使の誉れを汚さないため、公的に妻となることを拒否していた。それなのに少年のせいで、大使は行方不明になってしまった。

 隠遁を続ける「千里眼」は、その山里のことを「残り者のたまり場」と呼んでいた。
 わけあって故国ゾレンから逃げた者の隠れ里。そこから巣立てずにいた者は人間が多い。化け物達も弱い血筋が残り、行き場の無い弱者が息を潜めるように細々と生活していた。
 その中で死刑宣告まで受けたのは、彼らを逃す手助けをした「千里眼」だけだ。彼らは「千里眼」に恩があるものの、ゾレンの追手に自分達も処罰されるのを長らく恐れていた。
――困ったことになったもんだがなぁ。今後を考えれば、これでよかったのかもしれんな。
 だから大人達は、葬送は二人で済んだことに強く安堵し、少年を慈しんでくれた女性の棺を前にそんなことを呟く始末だった。
――それで、おめぇはどうするんだ、キラ。
 彼らにすれば、ささやかでも葬儀を行っただけで上々だったのだろう。今でもその日をよく覚えていない少年は、我を失ったまま、翌朝早くに隠れ里に背を向ける。
――フィシェルさんのとこに行けや。エアがいなけりゃ、おめぇにゾレンの罪状はねぇ。
 少年は何一つ、刃向う気はなかった。とはいえ、何も言えないほどに動揺していたらしい。知ったはずの道を間違え、寝食を忘れて、ザインの果てまで歩き通し……そして黒い鳥に出会う山路へ迷い込んでいったのだった。

 人間も化け物も、里の彼らは誰もが少年を疎んじていた。
 あの日少年は、同じ里に住む仲間を惨殺した――そしてヒト殺しとなったのだから。
――ユオンは行方不明とな……全く。あの、ライザの息子がいたせいで、俺達もびくびく暮らさなきゃならんかったんだ。
 そうしてそこから、青冷めた呪怨が少年に根を張る。
――……殺したい……。

 少年はただ、何もかもが許せなかった。呪詛はきっと、少年を滅ぼすための天の罰だ。
 大した力もなく生きていた人間を、無情の死に追い込んだ全ての化け物。守れなかった少年もそれは同罪。そこからいくつ天戒を犯したか、もう数える気にもならなかった。
 あまつさえ――その原因はあの、灰色の眼の英雄……。

 長い夢の中、少年の眠る小さな天幕の、救命の結界が効いてきたのだろうか。
 死体の如く冷えた体に、何処からか突然、揺るぎない熱の欠片が伝わり始めた。
「……――、ぁ……」
 その時、頬を伝った何かの正体もわからず――その天幕に突如現れた誰かに、胸の上に置かれた小さな温かいもの。少年は眠ったままで、ソレをぎゅっと握り締めた。
 脈絡なくソレを置いた方は、不思議そうに少年を見下ろしてくる。
「……あれ。泣いてるのか、少年」
 鎖に巻かれた両腕でも、その守り袋の類に、少年は無意識にすぐに手を伸ばしていた。
 そんな寝姿に、不審の人影は気軽に呟く。
「気休め程度のつもりだったが……意外に、効果ありそうだな?」

 そうして人影は、寝台の下に手土産を置く。あろうことか少年の鎖――化け物の「力」を封じる警備隊独特の貴重な拘束具を、何故か持っている鍵で封印を解いてしまった。
 その直後に、密かな解放の代償とばかりに、緋い人影はある要望を少年に告げる。
「もう少しだけ頑張ってくれよ、少年……王女がしっかり、国に帰れるまではな」
 意識を取り戻していない少年が、それでも言葉を受け取っていると疑わない声。金彩の眼光を宿す人影は、少年の「故障した五感」という異能を、そこで明るみに出した。
「聴こえてるんだろ? ……そのオマエの『直観』こそ、王女を導く切り札だ」

 片翼の男と戦った時も、警備隊の呼び水となった時も、理解できない古語の中で的確な行動をとっていた少年。それに加えて、殺した人間の男達や片翼の化け物の弱みを精確に観察できた少年の異能を、人知を超える金色の眼は理解しているようだった。
「それじゃ、しばらく――『束縛』をよろしくな?」

 人影は少年に、重要な守り袋を預けたまま、やがて姿を消していく。少年は薄暗い天幕に一人、静かな憎悪を抱えて取り残される。
 ……何で……とだけ。冷たい呪怨の内から少年は、拙い寝言を取り落としていた。
 きっとその守り袋――「束縛」が、あまりに温か過ぎたせいだろう。
 ヒトを殺し、その身に「死」を刻む少年に確かに行き渡る、唯一の「生」の熱――

 拘留者が大量である中、弱り果てていた少年は、監視もなく一人で放置されていた。
 それがまさか、封印の鎖が外れ、逃げられる体力を理不尽な短時間で取り戻したことを、警備隊も少年も誰が予想できただろうか。
「……何で、剣まで置いてあるんだ?」
 さらには寝台の下に、外套と剣など少年の荷物が置かれ、さも逃げろ、と言わんばかりに整った状況。目覚めた少年は当惑に包まれながら、大事な黒いバンダナをきつく締め直す。
 外套を羽織った時に、胸元に見慣れぬものが増えていることにやっと気が付いていた。
「何だこれ。何か凄く……温かいな」
 手にとって見つめてみると、とても小さな蛇の抜け殻に、口を何重にも縛る紐を通した奇怪な守り袋がかけられていた。
「……これ、ガラ蛇の仲間か?」
 謎の道具に少年はひたすら、顔をしかめて首を傾げる。

 その天幕では救命の結界が最優先にされているため、拘留地の通常の警備網、化け物の移動や反撃を妨害する結界が敷かれていない。まだ体が弱っている少年は、気配を殺せば見張りの目を誤魔化せると踏み、こっそり外に出て王女達の天幕を目指した。
 気配の拙い人間である、王女達が何処にいるかも、黒い鳥の暖かな「壁」を辿ればすぐにわかった。そうして人目につくことなく、最初の天幕に辿り着いた少年だった。

 支部隊長は、他の拘留者の事情聴取に回っている。王女と忍の少女しかいない天幕から、王女の切実な声だけが聞こえてきていた。
「だからね、シヴァ……! お願いだから、第三峠を使って、シヴァだけでも国に帰って! それしかもう方法がないわ」
 第二峠を通ることは、やはり叶わないのだろう。それならまだしも安全な道、と王女はもう一度、かつて色男に帰国を阻まれた第三峠に行こう、と忍の少女を説得している。
「第三峠に残ることになっても私は大丈夫。それより心配なのは、キラをどうするかよ」
 王女と忍の少女、そして第四峠ディレステア大使達は、内輪もめということでやがては解放される。しかしゾレン人の少年に内政不干渉は適用されず、大使の女に咎人の生贄を差し出す必要も消えていない。王女は必死に、何故か少年の今後を心配していた。
「……アディは、マジメだな」
 入り口の陰で思わずそう呟いた少年に、気が付いた王女と忍の少女が飛び上がった。
「――キラ!?」
 先刻に血を吐き、重態だったはずの少年。
 しかもずっと、寡黙に張り詰めていた少年が、穏やかな雰囲気で王女達を見ていることも、彼女達を激しく驚かせているようだった。
「お待たせ。それじゃ、さっさと逃げようか」
 少年は少しだけ、二人の驚きぶりに軽く笑った。

 王女達が逃げて、困るのは王女ではない。
 面目が潰れ、責任を追及されるのは警備隊で、少年はとても無情に支部隊長を利用する。
「ヴァルトなら大丈夫だよ。アイツが多分、俺を自由にするように手を回したんだ」
 見張りの目が届かない道を、故障した五感――金眼の誰か曰く、「直観」で自在に探る。おどろおどろしい深夜の山に潜る少年を、王女達は恐る恐るながらついてきている。
「でも長官は、国境は開放できない、私とシヴァしか放免できないと唸っていたのよ?」
「だからだろ。俺が勝手に巧く逃げた方が、都合がいいってことだよ」
「キラの言う通りだにょろ。じゃなきゃキラの鎖の鍵は、誰にも入手できないはずにょろ」
 様々な荒事全てから逃げていたはずの抜け殻蛇が、今頃忍の少女の首元にひょっこりと現れていた。そうしてまたも、偉そうに口上をたれる。
「ここはあのバカ鳥頭に、しっかり甘えるにょろ!」
 支部隊長は少年の逃亡に、直接関わってはいないと、少年は何となくわかっていた。
 事情聴取に追われ、少年の鎖を外せた隙がない支部隊長は、疑われても熱く乗り切れるだろう。それくらいには実力も人望もあると知っている。
 それなら誰が、少年を逃すべく手を貸した第三者なのか、その縁故は謎のままだが――

 ある程度拘留地を離れてしまえば、後は忍の少女の「壁」が頼りだった。
「大丈夫か、シヴァ?」
「…………」
 少年に負けず劣らず、第二峠で「力」を使った忍の少女も、密かに消耗していた。
 気力で「壁」を展開しているが、揺らめく紅い目の焦点が合わず、足下もおぼつかない。一番元気なのは守られるべき王女という、何とも皮肉な状況にあった。
「これは何処かで、休憩が必要だなにょろ」
 抜け殻蛇が辺りを見回し、少年をはたと見上げると、空洞の目をきょろりと輝かせた。
「オマエ、この辺、詳しいだろうにょろ? 隠れられる場所に連れていくにょろ!」
「……詳しくはないけど、探すのは得意だ」
 いい加減な道案内役に憮然と答えつつ、少年にも回復の場は必要だった。何も考えずに動けば迷い続ける山々だが、目的さえ持てば少年の足取りは軽い。
「水の流れている所がいい……匂いがする方へ行こう」
 疲労が濃い王女達を連れ、前を行く少年の肩で、抜け殻蛇がふと嬉しげに笑った。
「何かオマエ、急に元気になったなにょろ?」
「――?」
 呪詛という罰に殺されず、まだここに在る少年。本調子でないのに、足取りは酷く軽くなり、表情も穏やかになっている。ところがその自覚は全くもって薄く――
「俺は……アディとシヴァを、国に帰すんだ」
 胸の守り袋を握りながら、誰かに与えられた未練を、それと気付かず少年は呟いていた。

 本能的に動き続ける少年の先導で、一行が辿り着いたのは、渓流が覆い隠す小さな空洞……清瀬の滝の裏に広がる岩屋だった。
「凄いわ。これなら水も食料も、隠れたままで確保できるわね」
「シヴァちゃんの『壁』も狭くていいし、効率が良いなにょろ。お手柄だにょろ、キラ!」
 肉眼的な捜索も、気配での探知も、そこにいれば簡単には見つからない。そうして気を緩める者達に、あくまで冷静である少年は、外套を脱ぎながら淡々と所感を返す。
「警備隊の誰かは、隠れやすい所として知っているかもしれない。長居はしない方がいい」
「そうだなにょろ。オマエとシヴァちゃんがもう少し回復すれば、すぐに出るぞにょろ」
 そこでふっと座り込んだ王女が、重なる疲れを思い出したように、暗い顔を上げた。
「でも……出ると言っても、どこへ?」
 司祭の女大使に加えて、警備隊からも逃げ出した以上、第二峠はまず通れないだろう。残る選択肢と言えば、一度諦めた第三峠、高い山上の第一峠の他は、敵国ゾレン領にある峠しかないのが砦の国の実状なのだ。
 忍の少女は着いてすぐに、大岩に縋るようにへたりこんでしまった。「壁」が弱った滝の内は冷やりとした空気が漂う。日頃は明るい王女まで黙ってしまうと、夜の暗さばかりが居座る。ひたすら流れ落ちる水のしぶきが、全員の汚れた赤い深靴に跳ね飛んでいた。

 少しの沈黙の後、外套を脱いで壁際に荷物を置いた少年が、思わぬ行動を見せ始めた。
「それはまた、休んでから相談しよう」
「え……って、キラ!?」
 滝へ戻った少年は、忍の少女の背をさする王女に構わず、降り注ぐ水に身を晒し出した。
「えっと……水行でも始めるの? キラ」

 ぽかんとする王女を後ろに、少年は流れる水の懐に腰かける。これでようやく在るべき所に帰れたような休らいに包まれ――自身でも不可思議な、淡い静謐(せいひつ)に満たされていく。
「なるほどな、にょろ……矛盾してるな、にょろ」
 疲れ切っている王女は、抜け殻蛇に返答する気力も持てずに、黙って少年を見やる。

 水浴み。それは少年が山育ちで偶然見つけた、機序のわからない疲労回復法だ。最初に黒い鳥を見つけ、峡谷の急流に呑まれた際も、同じ効果で持ち直して戦えた少年だった。
「これがアイツなりの燃料補給法、アイツの化け物特性なのはわかるがにょろ。それだとアイツの存在は、矛盾だらけなんだにょろ」
 抜け殻蛇はそんな風に言いつつ、次の一言が最大の不可解と、重々しげに首を傾げた。
「しかし何故か――何が矛盾なのか、それをオイラは説明できないのだにょろ」

 何かの矛盾を矛盾とわかっているものの、それを言葉にできない謎の抑止力がある――抜け殻蛇にはとてもおかしな事態が、そこに展開されているらしい。
 とはいえ、顔色がとても悪い忍の少女を介抱する王女に、抜け殻蛇の些細な疑問に反応する余裕はないようだった。

 滝の御許で、胸元の熱さと、流れ出でる水に確かに癒されていく少年も、ただ大自然の懐に己が身を任せる。打ち付けられる水の内に溶けていきそうなのに、確かな熱が少年を包み、あくまで少年の輪郭を失わせはしない。
 そうして溢れ出す癒しが、その母の血筋に由来することを、今は知るべくもない。

◇⑦◇ 人間の娘

 その滝は、存外に良い隠れ場所であったらしい。
「平和だなぁにょろ。警備隊も人間も、レジオニスすら影も形も現れないにょろ」
 都合が良い、としか言えない二日、洗った靴を乾かしながら休むことができた一行だった。

 少年はあぐらをかいて滝に打たれながら、長々と王女の話し相手をすることになった。
「シヴァの『壁』は本当に凄いでしょう? 本来は結界とか、そういう呼び方らしいけれど」
 ……? とひたすら、少年は首を傾げる。
「たとえば同じ『熱』でも、シヴァの『壁』のように自然よりの力もあれば、炎の飛竜を扱うライザ様は獣で、火の魔法が得意なフィシェル大使の魔道もまた別物なんですって」
 内容に興味はあるので、体を傾けて振り返り、続きを待って王女をじっと見つめる。
「でもシヴァは、今の自分では自信がないみたいなの。『自然』はどこにでも源があるから、シヴァは誰より強くなれる、とライザ様は仰っておられたのに……」
 全く、と王女は、困ったように少年に微笑んでいた。
「どうして化け物さんのアナタに、力なんてない人間の私が、そんなことを説明するのよ」
 普通は逆でしょう、と笑う博識な王女に、少しだけバツが悪くなった。王女の言う通り世間知らずの少年に、王女が最もだろう質問を口にする。
「キラはフィシェル大使に、魔道は教わらなかったの?」
「……滅多に帰ってこられないし、俺は剣を教えられていたから」
「そうなのね。そうね、フィシェル大使は腕利きの剣士でもあるものね」
 ザイン大使の息子という少年に、すっかり気を許してしまっている王女。それが少年は落ち着かなかったが、王女はこうして、仲間と認めた者と話をするのが本当に好きらしい。
「そんなことをきいて、どうするんだ?」
「だって、同行しているヒトがどんなヒトで、何を考えているのかが気になるんだもの」
 そうして、とても無防備に笑いかける。化け物に対してそんな笑顔ができる弱い人間は、少年にとっては「千里眼」以来だった。

 ヒト殺しの少年と、そして黒い鳥も、ここではにわかに優しい時間が流れていた。
 黒い鳥の鳴き声が聴こえなければ、少年も何かに駆り立てられることはなかった。あの呪詛の始まり、少年自身の赤い記憶さえ思い出さなければ。
「アディは本当……化け物にも、その話にも全然抵抗ないんだな」
「当たり前じゃない。私はずっと、化け物さんにも沢山守ってもらっているのに」
 特に忍の少女とは幼い頃から一緒なのだと、人間の娘は祈るように言う。
「私だって、射撃には自信があるんだけれど、シヴァの壁の中では銃が使えないから、今は隠し持っているだけね。ライザ様はシヴァの壁の力のこと、『青炎(せいえん)』と言っておられたわ。でもおかしいのよ。それなのにシヴァのこと、氷の君とも呼ぶんだから」
 あの静粛さだしね。と、無愛想な忍の少女に王女が苦笑する。
「地獄の青い炎は、ライザ様達が使う炎とは違って生き物を氷にするんだとか。でも……」
 そこで王女は不意に、いつになく重い顔で俯いていた。
「地獄って……どういう意味なのかしら。シヴァは素直じゃないけれど、優しい人なのに」
 助け合う赤い目の人間と、化け物――少年には黒い鳥に観える忍の少女の目には、鬼火を宿す紅い光が今も散らついている。しかしその魔性は、まだ安定していないらしい。
 辛うじて岩屋に魔法陣を描いた後は、ずっと横になって休んでいる忍の少女。冷やりと「壁」が暖まり切らず、少年もバンダナの下の顔を知らず曇らせていた。

 第二峠につけば、後はどうなってもよいと思っていた少年は、抜け殻蛇が言った通り、不思議なほどに良い意味で気が張っていた。
(……シヴァの元気がないからかな?)
 元の契約は、王女達を第二峠に送ることだ。それがいつから、王女達を帰国させることになっているのかよくわからない。それでも何故か、悪い気もしない。
 ただ、黒い鳥を国に帰したい。それでどうして気力が起きるかはわからなくとも、その思いが今、少年を呪詛から引き離す原動力だった。
「キラがいてくれて本当によかったわ。私達のために犠牲になったライザ様や、他の兵士全員のためにも、私もまだまだ頑張らなきゃね」
 第二峠から帰国できなかったことに相当落ち込んでいた王女も、色々お喋りをしている内に調子が戻ってきたらしい。今の内に、と汚れた衣服を全員分(すす)いでいる。
 第四峠から第二峠へ、ディレステアを横断する以上の距離を王女は踏破してきたのだ。そしてその帰国の目途を失った――これで少しも挫けない方が気丈過ぎるだろう。
「私が一番、足手まといなのが辛いけれど……絶対に、何が何でも帰るんだから!」
 それでもまだ、今後の方針は何も決まっていないのに、何故王女が元気になっているのか、大きな謎の一つではあった。思わず何処か、不安になってしまうほどに。

「ところでキラ。結局今日も、一口も食べることはできなさそうなの?」
 妙に器用な王女はつる草と笹竹で罠を作り、滝つぼで魚を上手く捕らえては焼く。これでも昔は野山を駆け回った、などと言うのだが、その食事の誘いに少年がぎこちなく首を傾けるのも、この頃は一行の日常と化していた。
「できるなら……これまでもそうするから……」
 少年としては、そうした「食」の話が、一番困る話題だと断言ができる。

 少年が、何かを摂ろうとすると、摂った分以上が吐き戻される。だから収支としては、何も摂らない方がましだという、人間なら有り得ない結論を王女に説明したのだが――
「自業自得だなにょろ。オマエの体はどんどんその方向に変化して、余計に普通の栄養を受け付けなくなっているんだにょろ」
「……そうなると、どうなるんだ?」
「最悪、パーストルみたく魔物化して、ヒトの血肉を欲しがることも有り得るなにょろ」
 そんな警告を聞いて、王女はさらに心配になったらしく、先の催促となるわけだった。

 夕刻になると、忍の少女もやっと回復していた。皆で囲む魔法陣が一段と暖かくなり、向かい合って座りながら、これからどうするかの大事な相談が始まっていた。
「えっ……まさか本当に、第六峠を通るの!?」
 この二日間、休息をとりながら抜け殻蛇と話し、少年の至った結論に王女が驚愕する。
「一番近い第一峠……雪山の頂上に登るのは、アディにはやっぱり無理が過ぎる」
 王女が自分は足手まとい、と言う理由は、主にそこにある。しかし魔物や未知の化け物の潜む雪山を、王女に無理をさせて登頂する価値はどうにも見出せなかった。
「仮に辿り着けても、また反乱勢力がいる可能性もある。中立地帯なのが逆に困るんだ」
 ここまで王女の足を引っ張ったのは、本来敵でないはずのレジオニスと同国者だった。
 冷静に語る少年は、抜け殻蛇が描いたディレステアの逆三角形を眺め、ザイン内である左上の頂点の「第一峠」にバツ印をつける。
「でも、第六峠は……」

 それはまさかのゾレン西部、完全な敵国領で、第一峠から反時計回りに一つ遡る左辺の中点にあたる。横たわるゾレンを北から刺して分かつディレステアで、第六峠の位置は、ゾレンとディレステア二地域のみの国境になる。ディレステアの郊外でソレン王都からも遠い第六峠は、他の中立地帯が関与しないため、外交事情としては逆に単純なのだ。
「一番戦乱の峠だからこそ、ディレステアのマトモな正規軍が必ずいるだろ。戦闘だって頼れるし、そこに辿り着ければ、アディ達の身の保証は確実じゃないか?」
「辿り着ければ、だにょろ。戦地で簡単にそんなことできれば、誰も苦労しないにょろ」
「苦労するのは第一峠だって同じだ。それなら少しでも、勝算が先にある方がいい」
 誰かに期待された「直観」には関係なく、これまでの状況から断言することだ。しかし第六峠に行くにはある難問があり、ゾレン出身の少年ならではの提案でもあった。
「通行証はどうするの? ゾレン西部に入ってから、第六峠まで近くはないわよ?」
 ゾレンの国境には、ディレステアの外壁とは違い障害物はない。しかしゾレンは全土に簡易な結界が張られており、通行証を持たない者が入国した時はゾレン軍に感知される。
 とにかく通行証がなければ、第六峠に極秘に行く術はない。しかもゾレン軍が発行する通行証は、譲渡も貸与も露見すれば出身を問わず死罪、という洒落にならない闇物資なのだ。

 少年は黙って、数少ない荷物である腰の佩袋(おびぶくろ)から、三つの小石を取り出したのだった。
「ほほーにょろ。さすが、ゾレン出身だにょろ」
「これは、ゾレン国民専用の全土許可証?」
 ゾレンの懐が広い点に、「Z」を受けたゾレンでの生誕者全てに、人間も化け物も使える刻名通行証を発行する制度があった。死した時に返上すべき通行証は、身分証明書も兼ね、ゾレン人の命と言われるくらいだ。これを複数持つだけでも少年は死罪に値している。
「尋問で照合されたらかなりやばいけど……第六峠に着くまでくらいなら、行けると思う」
「でも……どうして三つも持っているの?」
 少年の分はゾレン出身なのでわかるだろうが、法外な数の通行証に王女が目を丸くする。
「一つは、エア母さんが隠してたのと……ヴァルトがこっそりくれたんだ――俺の友達に」

 その事情。友達という存在を口にした時に、少年を久々に赤い記憶がかすめ――
 唐突に声調が落ちて、所構わず、吐き気が込み上げそうになってしまったのだが……。

「待つにょろ! オイラの分がないにょろ!」
 王女と忍の少女に一つずつ通行証を分けた後に、抜け殻蛇が抗議の声を上げた。それで何とか気分が紛れ、少年は胸の守り袋を握り締めながら、いつもの調子で答えた。
「アンタは生きていないから、ひっかからないよ」
「……生きて――いない?」
 少年自身もよくわからずに適当に言った。王女と忍の少女がはて、と顔を見合わせ、騒ぐ抜け殻蛇を膝に乗せつつ首を傾げている。何故か抜け殻蛇はうんうん、と頷いている。
「しっかしにょろ、そもそもゾレン入り後、第六峠にどうやって行くんだにょろ?」
 先の抗議は悪戯だった様子で、抜け殻蛇はあっさりと次の問題を指摘し始めた。
「あのな。そもそもアンタが案内役だろ」
 あ、そうだにょろ、と一刀両断される。そうしてかまってもらえれば満足らしい。
「顔は……シヴァみたいに隠せばいいかしら」
 王女の姿で堂々と敵国入りができるわけもなく、少年は黙ってこくりと頷く。
「しっかしにょろ、そもそもゾレン入り後、第六峠にどうやって無事に行くんだにょろ?」
 ここまで来ると、ただの言葉遊びだ。段々と少年も、付き合うのに疲れてきていた。
「そんなの、行ってから考えるしかない」
 結局、それしかないことなのだ。居場所をなくし、逃げ惑うばかりの者達にとっては。

「それにしても……こうして見てみると、第四峠から第二峠よりも遠い距離を行くのね」
 逆三角形の中点から中点まで、外周の距離の長さに物憂い顔で王女が呟く。忍の少女も隣で紅い目を伏せて空気を重くする。それを全て周縁上を行けるならまだしも、第一峠は山上であるため、その山を迂回する道のりがさらに必要になるのだ。
「和平交渉に赴いた王女と、英雄が行方不明……さすがに、あまりに時間がたち過ぎると、第六峠も落されてしまったかもしれないし。国全体にも動揺が広がるのではないかしら」

 和平の望みは、ディレステア全体のものだと王女は言う。その悲願を背負って、王家の人間自ら臨んだ会談……それが決裂した失望だけでなく、英雄や王女といった偶像の不在など、世情の不安が高まれば、反乱勢力も動き易くなる。
 第六峠行きに、本心は反対らしい王女のそうした懸念は、少年にもよく理解できた。
「その点については一つ提案があるにょろ」
「――?」
 にょろろろろ、と笑い声らしい自力の演出音と共に、抜け殻蛇が地面に軽く降り立つ。
「第四峠は地下水脈だらけだし、ウェルデンまでは安全を最優先にしたので、地上の道を案内したにょろ。でもにょろ――」
 つんつん、と尻尾の先で石床の図をつつき、抜け殻蛇は不敵な声色で全員を見上げた。
「危険さえ厭わなければ、もっといい感じの近道……というか地下道があるにょろ」
「近道って……どういうことだ?」
 こういうことだにょろ、と上辺の中点から左辺の中点にかけて、逆三角形の内部を通る直線を得意げにひく。第二峠と第六峠を繋ぐ意外な経路に、驚く一行を誇らしげに見る。
「ディレステアという国の地面のどぉーんと下には、これまで掘りまくられた地下通路が沢山存在してるんだにょろ」
 ただし、と、珍しく改まって先を続けた。
「勿論ここまで直線ではないにょろ。それに方角を見失えば野垂れ死にだにょろ」
 その話を聞いた少年に、根本的な大きな疑問が浮かぶ。
「それって……国の地下に通路があるなら、そこからディレステア地上に出られないのか」
「みんな同じことを考えるぞにょろ。でも誰も、それに成功した者はいないんだにょろ」
 何故なら、と抜け殻蛇は、あっけらかんと大変な内容を続けた。
「この外壁は何と、地層中にも広がるんだにょろ。ディレステアという国は地下に埋まる無敵の三角柱に囲まれる、まさに砦なんだにょろ」
 つまりは地下から地上に掘り進むと、途中でその基板にぶつかるらしい。分厚く頑強な基板には、連絡通路となる砦と地下水路以外の穴はなく、化け物の力でも破壊できない、ディレステア外壁の延長であるという。開口部は全て計画的に施された古の建造物なのだ。
 そのため地下通路自体、かなり深い所にあるようで、王女が深々と溜め息をついていた。
「本当……身持ちの硬さにもほどがあるわね。もう転送とか転位、そんな便利な魔法とか、使える化け物さんはいないの?」
 噂には聞いたことがあるという「力」を、王女が期待していない顔付きで呟く。
 抜け殻蛇はあっさりと、いるにょろ? と、少年の足下でにんまり笑った。
「レジオニスになら沢山いるがにょろ。それも阻むのがディレステア外壁の凄い点にょろ」
 それが何故、どんな理屈で阻まれるのか、聞く元気もない王女は相当疲れていたらしい。最後まで乗り気でないことを少年は気付いていたが、その後には黙り込んでしまった。

 そうしたややこしい相談は、明朝から地下通路へ潜入ということで一段落し――今夜で安全な場所は最後かもしれず、十分休むように抜け殻蛇から促された一行だった。

 あっという間に夜更けになり、抜け殻蛇と忍の少女が人目につかない内に道を見ると、岩屋をしばし出ていった時のことだった。
「……アディ……?」
 寒々しい岩屋で、その異変は夢から覚めた時のように、不意に少年の胸を強く叩いた。
「何……で――」
 やっと乾いた靴を履き、すぐ近くまで、山菜を摘みにいくといった王女が帰ってこない。いつも身に着けている鳥の紋章の首飾りが、不自然に忍の少女の荷物の傍に置かれている。
 人間は嘘吐きだ。「千里眼」のように、感情を隠して微笑むのは当たり前なのだ。
 戦慄にも近い胸騒ぎ。まだ長い時間ではないが、少年は裸足のまま滝を飛び出していた。

 明日からの行動が決まるまでは、とても気丈そうにしていた王女の顔が浮かぶ。
 絶対に国に帰る。王女が己に言い聞かせていたそれは、思い悩みを隠す空元気の危うさなのだと、少年の不安は勘付いていた。それがこんな形で表れるとは思いもしなかったが。
 本当のところ、これからの困難が具体的になった今、弱小な人間の娘が何を思うか……その兆しは何度も感じていたのに、あの明るさに呑気に構えていた自分を恨むしかない。
――お願い。シヴァだけでも国に帰って。
 滝を離れないと言ったのに、人間の娘の拙い気配が付近にない。少年はいっそう焦りが強まり、遮二無二に辺りを走り回る。
(足手まといって……ずっと言ってた……)
 今更に少年は、その赤い目の揺らぎの意味……最初に会った日、少年に助けられた後、激しく泣いた人間の娘の真情を知る。

 人間と暮らしていた少年が、人間の行きやすい道を探したことが功を奏したのだろう。やがて、大きな広葉樹の下で、膝を抱えて座り込む人間の娘を見つけることができた。
「……キラ……?」
 膝の内に顔を埋めていた人間の娘が、はっと顔を上げる。外套も着けずに息を切らして走ってきた少年を見つめて、驚く娘の視界が少年の目に混ざった。
「どうして……ここに……」
 月明かりの中、黙って正面に立つ少年の足下で、見上げる赤い目が真っ赤に腫れている。
 僅かの間、そうして化け物の少年と人間の娘は、言葉も出ない目線を交し合う。

 少ししてから、人間の娘が苦しげに笑いながら立ち上がった。その気丈さに少年は声が出ない。上等な外套の土を払いながら、少年を直接見ないように話しかけてくる。
「……『千里眼』、エア・フィシェルさんの血なのかしら。キラって本当に、勘が良いのね」
「…………」
「私は直接、お会いしたことはないけれど。育ての母に、その噂は色々と聞いていたから」
 何でもないように話す人間の娘。少年はそれでも、首飾りのない胸の隙をしかと見つめる。
「……帰ろう、アディ」
「…………」
「シヴァと二人で、ディレステアに……そう、英雄と約束したんだろ?」
 それで再び、人間の娘の両目に大粒の涙が急速に溢れる。今度は向き合う、そう決めた少年の胸先で、その娘の痛みとはまた違う、強くて熱い感情が堰を切った。
 やはり人間の娘は、一人で去ろうとしていたのだ。それがはっきりわかってしまった。

 人間の娘は、もう我慢せずに少年の黒衣にしがみつくと、嗚咽を飲んで忍び泣き始めた。
「ごめんなさい……でも……!」
「……――」
「このままじゃシヴァが、私を守るために魔物になってしまいそうで、私……」
 初めの日には、涙の真意は語られなかった。けれど同じ心だった。
 少年は人間の娘の肩だけを支えて、秘められ続けた想いを汲み取る。
「やっと元気になったけれど、あんなに寝込むシヴァを見たのは初めてなの。私のせいで第三峠を通れなくて、アグリコラの部下達に見つかって、もう少しで……シヴァは本当に、ヒトを殺すところだった――」
「…………」
「それだけは、命の味を覚えてはいけない、と止められていたのに……もしもシヴァが、ヒトの命を奪えば、もう人間ではいられなくなるって……」
 人間の娘が言わんとすること。それはヒト殺しの少年には、よくわかったのだが――
 ヒトがヒトを殺せば、何になるのか。ヒトとは、人間とは何か。自身の思いは呪詛に消えて、言葉にすることができない。だから少年はあえて、人間の娘にそれを尋ねる。
「シヴァは……人間、なのか?」
 少年には、キレイな黒い鳥に観える忍の少女。問いの真意を何処まで娘は察しただろう。
「……私は……シヴァに、人間でいてほしい」
 少年の知り得ぬ時分に、人間の娘は英雄から「羽衣の君」と呼ばれていた。その実態を知るはずのない少年に、赤い目の娘が切望を語る。
「シヴァは、羽のない天使……私はそう呼んでいる。私に羽をくれて、人間になって……私をずっと守ろうとしてくれているの」

 何を何処まで話せば――話してよいのか。娘はいっそ、全て話したがっている。それでも素性を隠す忍の者のことを、必死に抑えて話す相手に、少年は黙って続きを促す。
「私達を取り上げてくれたのは、さっき言った育ての母……同じ産婆なの」
 そうした化け物の養母の縁で、幼い二人は巡り合ったのだという。
 しかしその産婆は、王女を狙った悪漢のために、命を落としてしまったらしい。
「彼女は魔女と呼ばれていた純血。シヴァは彼女から色々習って、戦う力を手に入れて……でもそれを彼女は、心配もしていた」
 魔女とはまた違う黒い鳥の魔の道。ともすればそれは、化け物の領域も越えて忌まれる「魔性」――「力」の源を世界でも己でもなく、他者に求める邪法だと言う。人間の娘が、はたしてどれだけその業を知るのか、少年はわからないまま話を聞き続ける。
「鬼や(あやかし)は人間を食べるけれど、食べずとも生きていける。けれど魔物は、ヒトの血や、精気がないと生きていけない……だからシヴァに、鬼で留まりなさい、と彼女は言っていた」
 英雄曰く、黒い鳥は、地獄の青い炎を司る鬼。それを同様に鬼火と観た少年も、密かに眉をひそめるしかない。鬼などとつくものに、良い意味はなかったからだ。
「でもそのヒトが殺された後から……ずっとシヴァは、迷っているの」
 魔物となればもっと強くなれる。たとえば同じ紅い目の、レジオニスの女大使のように。
 人肉を求め、血で血を洗う半蛇は、それでも聖地の司祭をしている。ヒトの知能を保ち、「力」さえあれば、初めの一歩を踏み越えればどうでもよくなるのだろう。
 物言わぬ黒い鳥はそんな風に考えていそうだ、と化け物である少年は直観する。

 化け物の秩序は人間とは違う。自身に都合良い環境を築ける、「力」の魅力は抗い難い。天戒の裏をかき、公正な世を求める人間の心を失い、「力」の奴隷となったとしても。
 だから人間の娘は黒い鳥のために、すでに踏み越えたヒト殺しの少年を必要としたのだ。黒い鳥がヒトを殺し、冷酷な魔物の道を歩む前に。
 少年自身が、黒い鳥の紅い目に感じていた、青炎という魔性の鬼の気配。それでここまで少年がついてきたことを知らずに、人間の娘は残酷な本音を告げる。
「ごめんねキラ、本当にごめんね……私は、アナタが手を汚してくれて、凄く助かったの」
「…………」
「アナタはこんなに優しいヒトなのに、私は……シヴァの敵は、アナタが殺してほしいと思っているの」
 殺さなきゃ、と……あの切迫した鳴き声を、人間の娘は知らない。
 それでも黒い鳥への思いは同じだった。それもまだ、少年は自覚できていないが――
――それなら……俺が、やればいいから。
 出会った時からその答は、とっくに少年の中にあったものだった。
 人間の娘が掴む自身の胸で、何かが軋み、それも呪詛にかき消されていったとしても。

 今更願われても、少年はすでに黒い鳥のために行動している。だから呆れたように笑うしかなく、できるだけ穏やかに、人間の娘の頭をぽんぽんと撫で叩いていた。
「あのさ。もう何日目と思っているんだ、今」
 ヒト殺しの少年への依頼を、人間の娘はここにきて再び、今度は醜悪な形で口にした。大切な相手を守るために、高潔な王女であることをやめ、元より隠し持つ非情さを少年にはっきり打ち明けたのだ。間近に迫る、黒い鳥の消耗という現実を前にして。
 それはきっと、年若く弱い娘だからこそ、持たざるを得ない打算だろう。幼い理想より世界の厳しさを受け入れ、周囲を利用し、嘘をついても生き残る人間の覚悟。ヒトの上に立つ者として目的を遂げる決意を示した娘の姿は、少年にはただ眩しかった。
「アディは、マジメだな」
 もしも少年が気付いて止めなければ、ただの人間が、危険な山を一人で降りようとしたほどの極限の想い。この娘は本当に、目的を遂げるためには手段を選ばないだろう。
 凄烈な赤い目で黙って見上げる相手に、酷く自然に、穏やかな面立ちで少年は応える。

 少し前から、己に拙い笑顔が増えていることを、少年は自分でわかっていなかった。
 その無自覚で、何処かに溶けて消えそうな微笑みに――人間の娘がふっと、立ち眩みをしたように、少年の方へよりかかった。
「あれ――……何、今の……」
「――……?」
「ねぇ、キラ……アナタの目って――」

――……私達と同じ、赤色よね……?

 腕の中から見上げる人間の娘は、何を思ったのか、戸惑ったような細い声で口にする。その娘の赤い目に映る少年は、生まれつきの暗い色の目を澱ませる。
 これだけ近付けば、否応なしに観えてくる相手の視界。少年はただ、そうだよ、とだけ、力のない声で無機質に答えていた。
 いつも通りの少年の、赤い焔の内で。

 両目は真っ赤だが、気色の落ち着いた人間の娘は、少年から離れて明るく微笑んでいた。
「……シヴァに怒られるわ。戻らなくちゃ」
 それにとてもほっとした少年の胸の隙間から、同時に、何かの赤熱が抜けていった。

 それはいったい、誰の未練だったのだろう。
 人間の娘と忍の少女を国へ帰したい一心の少年は、滝に戻る人間の娘に力強く続いた。

◇⑧◇ 忍の少女

 昏い地の底であるにも関わらずに。その地下通路では灯りとなる光蘚(ひかりごけ)がふんだんに生え、天井も高く木柵で補強され、とても深く降りてきた地中とは思えなかった。
「これは地底に住む妖精の仕事だにょろ。アイツらはこの地下通路を守っているにょろ」
 そうしてディレステアの直下に広がる、縦横無尽の地下通路にて。
 地下に降りる前夜と比べてすっかり元気になった上に、より勢いを増した王女に少年は驚くばかりだった。
「シヴァ、またトカゲが獲れたわ! 今度は石焼きにしてみましょう!」
「……二人共、よく食べられるよな、それ」
 連日続く下手物の食事に、忍の少女は凄くうんざりした様子だが、栄養を摂らなければ戦えない実状は人間らしい一面だった。いつも真剣な背中で必死に何かを食べている。
 反面、王女は食べられれば何でもいい、と何かが現れる度にまず食べ方を考えている。
「私もね、さすがにこれだけトカゲが続くと王宮食が恋しいわ。ディレステアでは好きな物は自分でよく作っていたの。第二峠で調味料を買い足しておいて本当に良かったわ」
 その活力たるや、未だに何も口にできない少年には尊敬の一言だろう。
「今となってはザインの山菜も恋しいわ。せめてもっと、安全そうなキノコはないかしら」
 この傍らで、先導と荷物持ちが基本の忍の少女は、磁針つきの懐中時計で方角を調べ、分岐ごとに角に印を付けては黙々と進む。そんな辛気臭さを王女は軽く吹き飛ばしていく。
「キラはどう? 何か好きだった物はないの?」
「別にそんな……そこまで食べる方でもなかったし」
「そうなの? 体はよく鍛えてあるけれど、それでお腹は減らなかったの?」
 少年の外套を無遠慮に王女がめくる。驚く少年の前方で忍の少女もさすがに呆れていた。

 忍の少女の首元――お気に入りの定位置に、今日も抜け殻蛇は陣取っている。隙あらば話に割って入り、長々と喋り始める。
「コイツは元々、水脈が力の源っぽいにょろ。でもアディちゃんの言う通り生き物としての成長には、人間と同じで栄養がいるにょろ。このまま絶食を続けると、コイツはこれ以上大人やムキムキにはなれないにょろ」
「ムキムキ……には、ならないでほしいけれど」
 今も何かと少年に食事を摂らせようとする王女は、少年を何度も不満げに見るのだった。

 食料の確保もさることながら、人間には必須の水源に関しても、困ることはなかった。元来野生児の少年が指示する場所により道すると、必ず滾々(こんこん)と湧き水がある。
 常人なら危険で過酷さしかない地底の旅は、そうしてお喋り舞台と化してしまっていた。
「それにしても、ドやかましい探検隊だにょろ!」
 この平和さもひとえに、「壁」の力なのだろう、と少年は歎息する。
「地下に来てからも、全然襲われないし……」
 普通の地棲動物は姿を見せるが、地中によく潜む奇獣や虫型の魔物は全くより付かない。警備隊、レジオニスに加えて反乱勢力の追手すらなく、張り合いのなさにもほどがあった。
「動く熱を持った力にだけ、効くと言うけど」
 稀に他の旅人とすれ違いはするが、その相手に「壁」の影響で異常のある気配もない。
 常に暖かで透明な防護幕。この無害な「壁」があるなら、果たして護衛は必要なのか。当初の状況を思い出して、少年は思わず不可解事を呟いていた。
「なぁ。最初に会ったあの時は、何で人間に襲われていたんだ?」
 それに――と、一番の摩訶不思議な点を尋ねる。
「シヴァの『壁』は、その中で使う『力』は全部、熱を奪われるんだよな?」
 少年は戦いをする際、「力」を剣と体に巡らせ、筋力や反射速度を一般的な化け物以上の水準にしている。しかしこの道中、少年のその「力」は全く消火されていない謎があった。
「それは……」
 広く均一に「壁」を張る忍の少女が、少年だけを都合良く除外するのは無理そうだった。むしろ中心である王女に近いほど、奪える熱の対象は増える様相なのだ。
「シヴァの『壁』は、『力を制御する熱』だけ奪うらしいの。力そのものや、力が無いから索敵も制御もしない人間には、全然通じないみたい」
 王女や忍の少女は、その謎を考えたこともないと見えた。少年さえ護衛でいてくれれば心強い、と何も疑問を持っていなかったのだ。
「アグリコラの刺客に見つかったのは、アイツらが人間だったからだと思うのだけれど。人間って足跡とか野宿の痕、そういうものを見分ける眼力は化け物さんより優れているの」
 娘曰く逃亡中には、「人間」なら山賊など、他の輩に襲われたこともあるのだという。
「……俺もアディ達がいたのは、わかったけど」
 人間ではない少年は、むしろ「壁」を辿って、黒い鳥を見つけた節がある。気配探知を無効とする「壁」の力と言うが、見つけられる可能性はやはりゼロではないのだ。
 そして「壁」の内でも、少年の「力」が滞りなく使えるのは「壁」の欠陥でないのか、甘受してよい事態なのかを悩む。その例外が少年だけとは限らないからだ。
「オマエは特別だにょろ。抜け殻のオイラと大体は一緒――オマエはそもそも、動くもの、『生き物』の範疇を出つつあるにょろ」
 訳知り声の抜け殻蛇の、言葉の意味を聞き返す間もなく話題は変わっていった。
「シヴァちゃんが近接で戦えば人間からも気は奪えるにょろ。でもそれは大変だにょろ」
「そうよ。そこまではさせない――魔物のように、人間を喰らう力の奪い方は」
「…………」
 王女の言葉に、忍の少女が心なしか、紅い目を複雑そうに伏せる。
 「力」の熱を奪うのも、すでに「魔性」と。そんな現実を思うような険しさだった。

 ある変化があった。ザイン大使の息子の存在を、王女達が知った頃からだろうか。
 殺さなきゃ、という、黒い鳥の鳴き声があまり聴こえなくなった。黒い鳥は今もずっと魔性の紅い眼光を持ち、強くならなければ、と重圧を感じているにも関わらずに。
 それと近い頃から不思議なことに、殺したい、という誰かの呪詛もいくらか薄れている。夜に一人で見張りのために起きていても、特に響いてこない。王女達と共にいるから紛れている、わけではなさそうだった。
(何で……だろう……)
 ここまで特別な荒事がなかったのが、一番大きいのかもしれない。ザインの山で無闇に迷った頃と比べて、体力も遥かに余裕があった。
 逆に言えば、余裕がある理由こそ、少年はよくわからないでいる。
(何でこんなに……温かいのかな……)
 現在少年の体を満たしている熱は、「壁」の効果かと思っていた。けれど、それにしては少年の隅々に行き渡り、冷たいヒト殺しの無表情を勝手に解きほぐしていく。
 滝の裏に隠れた後には、王女が毎日魚を焼いていたが、その匂いに吐くこともなかった。
 未だに水も受け付けず、吐き出したいものは沢山あるのに、体がそれを押し留めている……上手く言えないものの、そんな気がしてならかった。

 そうした少年を、黒い鳥はたまに歯痒げに見ており――その夜に突然、ある行動に出た。
「……え? 何これ、シヴァ?」
 いつも眠りを浅くできる少年が、この時間帯は一人で見張りをしている。しかし今日は遅くまで、忍の少女も休まずに起きていたのだ。
 道中で見つけ、焼物に使った凹み石の内で、夕餉の後にも忍の少女は何かを煎じていた。それで作ったらしい薬湯を注いだ、大きな貝殻の杯が少年に手渡される。
「飲めって……ことか……?」
 忍の少女が少年をじっと、厳しい目付きで見つめる。僅かでもよいので、とにかく摂れ。あの鳴き声以上に強迫な心がはっきりと伝わってきた。
「…………」

 湿土の匂やかな地の底を、じめじめとした沈黙が支配する。外套にくるまる王女の寝息や、抜け殻蛇の乾いた寝返りの音だけがしんみりと響く。
 いつも一言も喋らず、滅多に自己主張をしない忍の少女の、押しだけは強い紅い目線。気まずくなった少年は目を逸らし、渡された貝殻を恨めしく見やる。
 すっかり恐れ入りつつ、試しに匂いをかいでみると、思っていたほど不快ではなかった。それでも、嘔吐する姿など見せたくはない。どうするべきか、と悩み始めた化け物の指にあらぬ力が入り、指を広げて持っていた貝の器は割り潰されてしまった。
「あ、ごめん――」
「――」
 しまった、とは、少年も強く思ったのだが――
 忍の少女の眠る時間と、貴重な薬草の代価を無にした上に、携帯道具も壊してしまった。鋭く大きな目を見開くほどに、唐突な沸騰が忍の少女を襲っている。
 王女を奥に寝かせる狭い袋小路で、向かい合って座る少年達の場がかちんと固まった。

 ぶるぶると拳を震わせながら、忍の少女は紅い目を伏せて冷静でいる。怒ると見境なく熱を奪ってしまうようで空気が冷え込み、氷の君とはよく言ったものだ、と感心した。
「……嫌なことあっても、ずっと黙ってて。シヴァは本当に、大変だな」
 忍の少女はどんな時でも声を上げない。たとえば倒れてから不調に気付かれる人種だ。
 何故かそこで少年は、話をしたいと思い立った。おもむろに、人前では外さないようにしていた黒いバンダナをほどくと、忍の少女が目をぱちくりとさせて顔を上げた。
「シヴァはそれ、たまには脱がないのか?」
 紅い目以外を常に覆面で隠し、髪の毛一つ外に出さない忍の少女。忍ぶことそのものを目的とする相手に、無駄な行動とわかりながら少年は話しかける。
 まず忍の少女が声を出して答えてくれることはない。詳細はわからないが、その厳封はおそらく人間の王女を守るための代償であり、忍の少女が自らに課した誓いなのだ。
 王女とはよく、王女が持つ小さな覚書で筆談をしているが、その紙もすぐ破られている。

 ただ一枚、破れなかったという紙片を、王女がこっそり見せてくれたことがあった。
――勇気を貰いたい時は、いつもこれを見るの。私の一番の宝物よ。
 何を書いてあるかわからない古語。とても朗らかな顔で王女は内容を読み上げる。
――『貴女は勇敢で、聡明な人。これから貴女以上に信頼できる人は、きっと現れない。私は命をかけて貴女を守る』……ただの人間の私に、シヴァはそう言ってくれたのよ。
 王女と忍の少女は、互いをとても大切に思っていると、それはしかと少年にも伝わる。
――だから、頼りにしているからね? 私とシヴァのこと――守ってね、キラ。
 わざわざ返事をしなかった少年にとって、王女の言葉は当たり前の前提だったが――
 王女と忍の少女の違いは、忍の少女は少年に、人間の娘だけ守ってほしいと思っていることだろう。あまつさえ少年のことも、先程のように気にかけずにはいられないのだ。

 ゆるりとバンダナを外して話し始めた少年に、忍の少女は違う意味でも驚いていた。
 今まで少年と王女は、お互い母語ではない共通語で話していたのに、少年は今あえて、ゾレンの新語を久しぶりに口にしていた。
「アディもシヴァも、偉いよな。生き抜くためにはゲテモノだって食べるし……自分達の役目を知ってて、必死に果たそうとしてる」
「……――……」
 王女は古語と共通語に通じるが、忍の少女はさらに新語も理解できそうだ、と道すがら少年は感じていた。なのでそれを確認してみたかったのだ。
 バンダナを外したことも含めて、何となくだが、その方が気楽に話せる気がしていた。

 忍に徹する黒い鳥からは、段々と先程の無礼への怒気が抜け、地底が暖まっていく。
 珍しくよく話す少年に、実は以前から言いたいことがあるらしい。膝を掴む黒い両手がソワソワしていて、そんな自身に面映ゆそうだが、それでも必死に声を忍ばせ続ける。
 少年が故障した五感で、おぼろげに汲み取ったこと。黒い鳥はどうやら、母を殺されたという少年を知ってから、そのヒト殺しにどこか己を重ねているようだった。少年に先刻飲ませようとした薬は、母と慕う魔女を亡くした時に、黒い鳥も飲んだものだと観える。
 詳しくはわからないが、黒い鳥によぎるそんな痛みを、少年はこの場で拾い上げていた。
「……シヴァもあんまり、無理はするなよ」
 無理だろうけど、と思いながら少年は言う。
 我慢強く忍ぶ反面、黒い鳥は短気だ。突然去ろうとした王女のように複雑なことはせず、何かあれば怒りがよく伝わり、感情的に動く。様々な無理も自身の決意の結果なのだ。

 望んで自分を縛っていて、生そのものが苦行ばかり。地を這う鳥の誇りを少年は観る。
 第二峠の争いの後、黒い鳥が消耗を見せたのは、少年の注文が無謀でもあったからだ。数多の銃火から「壁」で王女を守れ。それは生物以外からも稼動直後の熱を奪うことで、そんな大立ち回りをしたあの時には銃だけでなく、街灯や周辺の大気、雑木林の木々など、「壁」の内で熱を巡らせる全ての物から、黒い鳥には熱が流れ込んでいたはずだった。
「アディを守りたいのは、わかるけど」
 本来ならば、「生き物が何かの力を制御する熱」程度に留めておかなければ、奪い過ぎた熱は翼無き体には熱過ぎるだろう。その身はあくまで、出自は人間らしい。
「第二峠で、シヴァは俺を助けてくれたけど。あの司祭女に熱を撃ったのは、迂闊だろ」
「……――」
 少年に襲いかかった魔獣を撃退したのは、集めた熱を固めて作られた魔弾だ。実体なき鬼火をそうして攻撃用途に加工するのも、翼無き人間には負担が大きいように思えた。
――言うてはなんだが……稚拙だのう?
 司祭の女の言った通り、魔道の徒としては黒い鳥は拙い。この「壁」は「魔道」よりも、特殊な天性である「自然よりの力」なのだと、王女も少年に話してくれた。
 「魔道」と「自然」の力は、起こる結果が似ている時でも経緯が違う。起こそうとして起こすのが「魔道」、起こってしまうものが「自然」、と少年は漠然と教えられている。

 助けられていながら、淡々と粗を指摘する少年に、黒い鳥は返す言葉を出せないでいる。怒りに任せて熱を奪い、また周囲が寒くなっていく中、穴があくほど少年を凝視していた。
「シヴァも早く休めよ。疲れた顔してるしさ」
 白熱している紅い目に、あくまでふてぶてしく映る少年。どうしても声を出すわけにはいかないようだが、その時黒い鳥が強く思っていたことはただ一つだった。
――……貴男だって。
 力の差が歴然な司祭の女相手に、その場の感情で黒い鳥は刃向かった。あの時点では、誰かも知らぬ少年を助ける益はなかったというのに。
 非情に徹して王女を守らんとしているのに、少年に追加の魔法陣を描かずにいられない。氷の理性と本来の甘さ、矛盾した私情が、黒い鳥の面持ちをいつも厳しくさせている。
――……貴男だって……。

 殺さなきゃ、と何度も言い聞かせているのは、それほどまでに殺したくないからだろう。王女を守りたい。願いの根源はヒトへの愛なのに、守りたければ殺さなくてはならない。守れるほどの冷徹さに相反する甘い少女が、黒い面紗の内でもがいているのだ。
 最初に会った日、人間の男達を埋めていた少年の肩で、抜け殻蛇は「壁」のことを含め、黒い鳥のことを色々と教えてくれた。
――シヴァちゃんはオマエみたく、割り切って殺せないから自信もないし、笑われていたようだにょろ。何て貧相な護衛だ、となにょろ。
 それは人間の国で、王女の心ない近臣達にも言われたことらしい。「力」無き人間には、見えない「壁」の価値などわからないのだろう。
 絶えない暖を与えられ、まず戦いを未然に防ぐ「壁」の方がよほど貴重だ。殺すだけの少年より得難い護衛だと、ただのヒト殺しには断言できるというのに。
――シヴァちゃんの凄さをわかってたのは、護衛長くらいだろうなにょろ。だからソイツは、シヴァちゃんとアディちゃんを二人だけで逃したんだにょろ。
 今思えば、護衛長とは英雄のことだろう。一国の王女をたった一人の忍に任せるなど、普通は愚にもつかない突飛な指示だ。少年という近接戦闘要員が加わるまで、その少女はどれだけ重圧の中にいたか考えるまでもない。

 しかし「壁」は、自陣の兵の力も無効にするはずで、英雄の決断は間違ってはいない。
 それで例外的な少年を重宝したのかと思えば、彼女達はそれに気付いてもいなかった。

 王女の隣で、忍の少女もようやく床に就いたが、なかなか寝付けない苦悩が少年に届く。
 声を抑え続ける誓いを、今夜は辛く感じてしまった――少年と話をしたくなったらしく、そんな自分に文句を言っている。どうせ話せないなら、一方的に話した無礼千万の少年を責めればよいのに、冷たさと熱さの混在する心模様がよくわからなかった。
 少年よりずっと意志が強く、忍としても有能な少女が、何故そう自分を責めるのかも。

 地べたの剣は離さず、土壁にもたれて見張りを続ける少年は、空いた片手で頭を抱える。
(……みるんじゃ……なかった……)
 額を覆う無造作な前髪が鬱陶しかった。眉間に皺をよせて、まぶたをぎゅっと閉じる。暗い影に慣れていた目は、バンダナを外すと、苔の発する光でも眩しくて仕方がない。
 化け物の第六感である気配探知が鈍い少年は、視力に頼って生活している。今はそれが高じ過ぎて、僅かな光も貪欲に取り込み、周囲が見る情景までもが視野に混ざっていた。
(きっと……平和ボケだ)
 忍の少女が見ていた少年の姿は、無造作な銀髪と黒いバンダナ、その下に火影のような印を刻む秘境独特の異邦者のものだ。それでも、胸の底が苦しくなるほど穏やかに笑っていた。あれなら何を言われても憎めないような、人懐っこい赤い眼で。

 夜をどう過ごしても、朝は何度もすぐに来る。地底に降りてはや数日、今日も今日とて、抜け殻蛇が先頭を行く忍の少女の肩に収まり、後ろを向いて王女をからかっている。
 いつもしんがりを務める少年は、黒いバンダナの下の目で前の者を見守る。歩く都度に胸の小さな守り袋が視界の端で揺れ、ソレは小さな抜け殻蛇のようだ、と改めて思っていた。
(いつからあったんだっけ、これ……)
 王女が笑ったり、忍の少女の緊張が緩んだりすると、この守り袋がほんのり温かくなる。最近わかったのだが、ソレはまるで、彼女達の健やかさを喜んでいるようだった。
(温かいのは、俺? コイツ?)

 周囲と混ざりやすい少年ではあるが、自我そのものが特別希薄なわけではない。むしろ選り好みは煩い方で、少年の肌に合わないものまで自身とは見做さない。価値観や思考はほとんど「千里眼」の影響が強く、孤高で頭が良いと言われたこともある。
 その点、謎の守り袋はあまりに自然に馴染み、時にはそこにあることも忘れてしまう。ソレから零れる熱が少年を温めていると、今ではわからないほどなのだった。
 少年は本来、滝や渓流などの水辺が好きで、警備隊の支部隊長のように熱苦しいものは苦手なのにも関わらず、この守り袋だけは例外に思えた。
 温かい。黒い鳥の「壁」の暖以外で、それを感じたことがあっただろうか。ないはずはないのに、黒い鳥と出会う前の生活はあまりに記憶から遠い。今の自分とは別人と感じて憚らないほどに。

 守り袋の影響と断言するには、確信が持てない状態なのだが――
 最近、自身を動かしているのが己以外の願いであることにも、少年は気付きつつあった。黒い鳥をキレイだと思う心、王女と黒い鳥の絆を見てほっとする心以上の、喜ぶ心まではさすがに覚えがない。二人が元気でいる目前の光景に、喜ぶ理由が判然としない。
――オマエ、色々わかってるにょろ?
 喜んでいるのは少年ではない。すぐ近くにある何かに、巻き込まれているのはわかる。それは空っぽに感じるくせに喋れる抜け殻蛇のような、生きていないものに似ている。
 抜け殻蛇などはわりと初期から、少年のそんな境界の曖昧さに気付いていた節がある。少年が抜け殻蛇の存在に対して、当初から違和感を持っていたのと同じように。
――そのガラ蛇は……化け物なのか?

 ヒト型の化け物、魔獣など由緒ある獣、原型を留めぬ魔物など、世界には様々な生物が存在している。ところが抜け殻蛇のように、普通の動物に近いが動物ではなく、ヒトでもない獣がヒトの知能を持っているものはそう多くはない。
 ヒト型が基本の雑種とは違い、純血は本性が多様なので存在する可能性はあるのだが、そんなこととは露知らぬ少年が、抜け殻蛇の謎に早くから言及していた。それが抜け殻蛇にとっての見込み所と言うが、正体を教えてくれるわけではなかった。

 そろそろ沐浴がしたい! と、前方では声を大にする王女の姿があった。
「もうゾレンの地下に入っていていい頃だなにょろ。あとひと踏ん張りだぞにょろ」
 かなり深くまで降りた地下から、今度は上がる道を探そうということで話がまとまる。分岐の多い交差路を始点に決めて、一つずつ通路を行っては戻る確認作業が必要となる。薄暗い道の先を見つめる誰もが面倒そうな顔付きを浮かべた。
「ああもう、早く太陽さんと再会したいわ」
「ゾレンの化け物だらけの中でもかにょろ?」
「味方のふりして邪魔ばかりする、何処かのレジオニスよりはずっとましよ」
「ひどいにょろ、オイラ頑張ってるにょろ!」
 そんな軽口を叩き合えるほど、地下の旅は平和だった。一行をこの状況まで追い込んだ純血の魔物、その脅威を忘れてしまえるほどに。

 天戒の監視者であり、また飢えた純血を欺いた少年達を、突然襲ったその災いは――
 大地を司る大陸の「神の怒り」であると、穢された聖地の司祭はのちに語ったという。

「――……!?」
 何事かを自覚する前に、体が反応する。少年の全身が急激に、石像のように強張っていた。
「――キラ?」
 躓くように立ち止まった少年に、王女が振り返ったその時に、咄嗟に叫ぶ。
「走れ! 柱の方に……!」
 その声と同時に、重苦しく巨大な地殻の悲鳴が、突然地下通路全体に響き渡った。
「……!」
 これまで真下を歩いていた、砦の国が丸ごと暴れ出した。そんな錯覚と共に四方八方が激しく波打つ。大地の震えと共に、補強のない土の天井や壁のあちこちが崩れ始めた。
「きゃっ……!」
 とにかく他より頑丈な場所、逃げ込む先を探す前で、王女が体勢を崩してしまった。
「アディ……!」
 急いで助け起こした瞬間、ちょうど少年達の真上で、天井に大きな亀裂と激音が走る。
「……!」
 間が悪い、としか、言いようがなかった。
 王女を抱えて立ち上がり、化け物の速さで逃げるために、これまで同様全身に「力」を巡らせ呼吸を止めた時のことだった。

 想定外に過ぎた反応に、足が石化したのかとまで少年は勘違いした。
(……何、で――!?)
 「力」が上手く巡らない。今の少年の体はその熱、「生」を吐き出すこと――己を削り、「力」とすることを拒絶していた。

 戸惑った一瞬、王女を投げ出すのが精一杯だった少年に、まさに容赦なく落盤の直撃が襲いかかる。
「――アディ、行け……!」
「キラ……!」
 分岐部にある丈夫な支柱に、前にいた忍の少女と抜け殻蛇は掴まっていた。忍の少女が王女を受け止めた直後に、轟音と共に、少年のいた場所を重い土石が埋め尽くしていく。
「……!!」
 不意の行動では感情的になる忍の少女が、つい飛び出そうとした。しかし支えた王女の重さに、我に返って思いとどまる。それは少年にとって酷く幸いな結果だった。
 戦い方を忘れたかの少年の迂闊さに、その黒い鳥を巻き込むことはない。無窮の土塊に一人で飲まれる方が、無理に助けられることより遥かにましだった。
 今もずっと、少年は、自身の命などどうでもよかったのだから。
(……呆気、ないな……)

 埋もれゆく道の向こうに、王女と黒い鳥が無事であることに安堵したところで――
 少年の意識はとてもあっさり、遠く消えていった。

◇⑨◇ ヒト殺しの少年

 世界には、恐ろしいほど強い化け物が沢山いる。黒いバンダナの少年の父――真っ赤な髪と目が炎の色のような雑種の、第二峠ザイン大使はかつて教えた。
 地殻に命じるだけで地震を起こせる者。心の向くままに雷雲や洪水を呼んでしまう者。治水の魔道家たるザイン大使は過去、洪水を起こす化け物に特に手を焼かされたらしい。
 化け物の強さとは、引き起こす災禍の大きさによって基本は判別される。中でも天災は「神威」か「自然」、二大の脅威の一端を担う化生の所業だといった。「力」は全て、個々の命から生じるが、精製場たる肉体の適性で威光の強弱が決まっていく。そうした「力」の扱い方が天戒に反していないかは、大義さえあれば素通しになるのが世界の現状だった。

 だから「獣」の域を出ない雑種は、生き物としての強靭さを保つ必要がある。それでも己の体を省みてこなかった少年。その末路を目の当たりにしたある人影の、静かな溜め息が響いた。
「さてと……裁きの時が来たみたいだな、少年?」
 その空間は、いずこと知れぬ真っ暗なところで――「神の怒り」が下される、と知ってそこに来たらしき人影は、苦い嘆息を飲み込んでいるようだった。
「さっきの動きの悪さは、『束縛』が裏目に出たか……本当、危なっかしいったらないな」
 声は聞こえる。しかし目を開ける力のない少年は、昏い地底に飲み込まれたはずだった。
 ところがそこでぼやく人影は、少年にまだ重要なものを預けたままだったのだ。
「潮時ってことだな。悪いがこちらの都合もあるし、そろそろ返してもらうぜ」
 そうして、知らない内にそばにあった温もりは、突如無情に離れていってしまい……。

 ……嫌だ、と。初めて強く思ったのは、それも誰の心だったのだろう。
 細々とでも、消えずにあった温かさに、固く塞き止められていた「命」が溢れ出てきた。
――殺したい……! 殺したい……!
 どうしてそんなに温かいのか。その理由を少年は知らずとも、体は覚えていた。ずっと求め、待っていた熱。少年が忘れてしまっただけで、それは大切な「束縛」だった。
 防壁を失い、暗闇の中で冷え切っていく体は、ひたひたと呪詛に呑み込まれていく。
――……もう……イヤ、だ……。
 でもそれこそが、正しい帰結――ヒトを殺し、「死」を刻んだ少年への必至の罰だった。
 少年が代わりに「死」を担うと決めた、黒い鳥に出会うよりも前に。

 ヒト殺しとなった少年は、最初に手にかけた命を忘れることはなかった。
 話したことも、笑い合ったこともある仲間。命乞いも構わずにその血を全身に浴びた。
 化け物は簡単には死なない。即死させるには冷静に命脈を絶たねばならない。けれど、考えている余裕はなかった。ただ許せなくて許せなくて許せなくて――
 覚えているのは、一面の血溜まりと斬られる肉の痛み。殺される、消えていく恐怖。
 でもそれは、誰の「死」だったのだろう。
――オマエ……何で生きてるんだ、キラ!?
 部屋中が血に染まるように、ある日突然、家に帰ると母は殺されていた。
 少年がその惨状を目にして呆然とした後に、そう叫んだ仲間がいたこと。それが死神の赤い焔の始まりだった。
 後はもう、呪詛に駆り立てられた、止めどない嘔吐の記憶しかない。
――……ぁ――……っ、ぇッ……!
 溶鉱炉と化した喉は「生」を拒絶し、小匙一杯の命も最早受け付けない。
 熱を吐き出し、狂気の一歩手前で凍える肢体は、自ら救いを掴む力を失ってしまった。

 それでも仲間を殺したヒト殺しに、立ち止まっていられる居場所などない。
 そこからは突き動かされるように下界に出て、気が付けばこんな地の底まで来ていた。よる辺なき旅に迷い出てすぐ、聴こえ始めたあの呪詛……少年の新たな「力」と共に。
――殺したい……。殺したい……。

 少年の「故障した五感」の本質とは、決して説明不可能なものではない。それはそばに眠る者の夢を共に観るような、限りなく高い共感の力と言われるものだった。
 ヒトを殺し、「死」を刻んだ少年の痩躯は、呪詛と共に真っ赤な「生」を吐き出すようになった。死に逝く者がどうやって「命」を(こぼ)すか、手ずから感じて知ってしまったのだ。
 特別な「力」を持たないがないため、剣を習ってきた少年に、それはあまりに純度の高い「力」――「命」そのものを武器とする戦いの手段。全ての力の源を扱える才能は故障した五感の観察力と併せて、ヒト殺しにはうってつけの「力」だった。

 だからあの守り袋――「束縛」は、少年が溢す「命」を縛り、拙い熱を守れたのだろう。
――何でこんなに……温かいのかな……。
 しかし同時にソレは、少年の唯一の「力」を封じる副作用も起こしてしまった。
 「束縛」の意を受け、その名の通りの影響力を持ったソレの貸し手は、「束縛」自体から漏れ出る熱を少年に分けようとしただけだ。「束縛という結果」が目的ではない。
 何故ならその「束縛」はすでに内部に、ある化け物の大きな「力」、未練といえる代償を封じた、守り袋なのだから。
――気休め程度のつもりだったが……。
 「束縛」の熱だけでなく、かの未練そのものが、自他の境界の曖昧な少年に力を与えた。ここで少年がそれを失えば、どうして再び目を覚ませるというのだろうか。
 己が希みも呪詛へと葬るヒト殺し。その無明を知る人影は、無力な己に悩ましく頭を抱える。

 黒い鳥が奪うような、熱により御する「力」の構成は、「命」を原料に精製された気や魔力が主だ。対して「命」自体の放出は危険が大きく、普通は体が壁となって抗う。しかし命という「力」は直接相手の「力」に通じるために、「純血の命」たる翼を少年は落せた。
 少年の戦いを見ていたソレの眼は、弱小の身でありながら神懸かりであり、少年の稀な特性を唯一見定めていた。最もそれを、呪詛の内に眠る少年は知るべくもない。
「せっかく出会えた、面白そうな奴なのにな」
 光蘚の壁が崩された闇の中、それでも異彩をたたえる金色の眼は、あくまで不敵だった。
「『命』を弄べるオマエは――本当に、何モノなんだよ?」
 そして人影は、ただ少年の選択を待つ。

 面白さを求めて動くソレが、少年の近くで、お気楽にもうたた寝をしたせいなのだろう。
 少年を取り込んでいこうとする「死」に、少年が知り得ないはずの夢が不意に混じった。

 その光景までは、以前にも観たことがあった。
――取引をしないか? 王女様よ。
 和平交渉の開催の失敗後だ。そこで英雄をゾレンに差し出すように勧めたのがその男だ。
 英雄は男の取引を受け入れて、王女達に内密で逃げ道を与えていた。
――二人だけで必ず、国に辿りついてくれ。
 しかし当の取引相手の男の夢には、さらにその後の真実が映されていた。
――……これでいいのかい。英雄さんよ?
 守り袋のように小さな抜け殻を手に、それまでになく険しい顔で、緋色の髪の男が尋ねる。男の金色の眼には、温かさの欠片もない英雄が映る。英雄の冷え切った灰色の眼の縦裂は、兇獣の如き睛眸で――それでも紡ぐ言葉にだけは、僅かばかりの人情が残されていた。
――二人を必ず帰国させろ。違えればこの取引は無効だ。俺もアンタもただでは済まない。
 王女達の前では考えられない、厳しい低い声の英雄。男も甘さのない声色で文句を返す。
――望んだのは英雄さんだろ? 可哀相にな……王女達は、アンタを頼り切っていたのに。

 この時点で怒涛のように、先日以上の憎悪が少年に流れ込んだ。
 皮肉にもそれが、地底の闇に沈みかけた少年の自我を荒々しく浮上させる。
(なん……で――……!!?)
 少年はそこで、長く患った悪念を、今一度掘り起こしていく。

 どうして、と少年は、何度も「千里眼」に尋ねたことがあった。
 旧い同郷者である英雄を、「千里眼」はずっとかばい続けた。戦いに生きる英雄の手から零れ落ちた、幼い子供を引き取ってまで。
 そのせいで「千里眼」までが、里の者から疎まれることになった。
――あの、ライザの息子がいたせいで、俺達もびくびく暮らさなきゃならんかったんだ。
 それでも預かる子供も大切に育てる「千里眼」が、少年には理解できなかった。
 「千里眼」はいつも、答える代わりに優しく笑って、少年を温かく抱き締める。
 そして訪れた現実は、英雄の関係者を狙ったゾレン軍による「千里眼」一家の討伐……あの血まみれの我が家だった。
 だから少年は、ただ許せなかった。英雄への憎悪が今もその身を焼いていた。
 大切なものが、全て失くなってしまった理由。その因果の主は英雄だった。
 それは英雄と、その息子のせいだ、と、激しい感情が呼び覚まされる。

 あの地獄を見るまでは、いつからか芽生えた大事な願いに、古い憎悪は隠されていた。
――オマエは殺すなって言ってんだろ、バカ!
 殺すよりも、守ることが先。たとえ憎しみが捨てられなくとも、それは同じなのだと。
 その母のことが、少年は大切だった。憎悪よりも大事なのがその想いだった。
 母が望むのならそのまま叶えたくて、母が守ろうとする全てを守る、と心に誓ったのだ。
「だから――エア母さんは、俺達が守るって」
 それを約束した赤い眼と青い目の、二人の銀色の髪の少年。
 しかしもう、その約束が守られることはない。
「……俺さえいなければ、みんな――……」
 どうあっても、少年には守れなかった。現実は残酷で、ただそれだけのことだ。
 そうして無様なヒト殺しが、無闇に歩き続けた道の先で、出会ったのがあの黒い鳥――

 ふっと、暗闇に赤い焔の灯火が差し込む。それは少年にとって、明らかな運命の分岐点だった。この地底に来る前に、そのよくわからない心を、誰かが言葉にしてくれたのだ。
 「生」の熱が冷めていく体でも、目を覚ますべき理由を、少年はようやく拾い上げる。
――私は……シヴァの敵は、アナタが殺してほしいと思っているの。
 守ることはできなかった。けれど殺すことはできる。ヒト殺しの体を単純な熱が侵す。それならまだ、少年の役目は終わっていない。
 誰かの未練を失い、新たな約束を得た少年は、もう一度だけ――今度こそ使命を果たすために、呪いの焔に満ちた赤い目をゆっくりと開けていく。

 目前には優しく、暗澹とした闇路が広がる。
 少年はすぐに、隣で壁にもたれるおかしな相手に、否応なく気が付いていた。
「……何、寝てんだ、アンタ」
「――ふぉ!?」
 弱いくせに、無防備に過ぎる懐。つい肘を突き出した少年に、のけぞりながらも平和に笑う緋色の髪の男――驚くほどに軟弱さを纏う、第四峠レジオニス大使がそこにいた。

 王女曰く、本来持ち場を離れてはいけない大使に、少年はまず素朴な疑問を尋ねた。
「アンタ……暇なのか?」
「暇じゃないぜ。こうやって外に出るために、普段は鬼のように仕事をこなしてる」
 気さくそうに言う大使は、少年に合わせてかゾレンの新語で答えている。古語を母語とするレジオニスでありながら、そこに何の拘りも持っていないと見えた。
「そこまでして、何でこんな所へ?」
「そりゃ、オマエさんと会うことで、メリットがあるからに決まってるだろ」
「…………?」
 あちこちが土砂まみれの、崩落後の地下通路は暗い。服の土を落として微笑む大使の表情は見えず、その思惑が少年には全くわからなかった。
 初めて会った時には、地中から突然現れた大使は、同じように土伝いにここまで来たのだろう。それくらいしか推測できないが、おそらくはその「力」によって、落盤を受けた少年を何とか引っ張り出した者なのだ。
 全身の土を地道に払う少年に、大使は噂話でもするような軽さで、真面目な話を始めた。
「さっきの地震なぁ? オマエさんのせいで起きたものなんだよ」
「……?」
「ヴァルト君に言い負かされた、パーストルが怒り狂ったのさ。地上じゃ大したことはない震度だが、聖地のご神体に働きかけて、ディレステアへの警告だとのたまっている」
「…………」
 聖地を穢した重罪人の件を、女大使は結局うやむやにされたようだった。その腹いせに起こした天災。レジオニスを舐めるな、ということだろうと、少年は重く汲み取る。
 しかし大使が、わざわざそんな内情を教える意図はやはりわからない。その上警備隊の支部隊長を名前で呼ぶ間柄らしく、少年はかなり驚いていた。
「この通路には、地底妖精の加護があるからな。あの程度の規模じゃ陥落はしない」
「……じゃあ、シヴァとアディは――」
「全然無事だぜ。でもオマエさん達は、よりによって一番酷い落盤で分断されちまった」
 目覚めた時に、少年がもたれていた壁はとても分厚く感じられた。それが少年と王女達の間に立ちはだかっているらしい。
 単身なら地中を移動できる「力」を持つ大使は、そのことを王女達にも伝えたと言う。
「王女達は、この道に戻る迂回路を探す、って言ってきかなくてな。オマエさんを置いては、絶対に行かないってよ」
「……それは……無茶――、な……」
 そこで苦々しく顔をしかめた少年に、これまでで一番、意地悪な笑みを大使が浮かべた。
「悩む暇があれば、オマエも歩こうぜ、少年」
 悪戯っぽく鋭い、爬虫類のような金色の眼。嫌な既視感が何故かぐらりと駆け回った。

 方角もわからない者は置いていけ、と言いたいが、王女達に連絡をとる術はない。少年は一際大きな溜め息をつき、弱音を吐き出すと、剣を背負い直して闇雲に歩き始めた。
「おー。どこを目指すつもりだ、少年?」
「……地下をさまようより、どっちも地上に上がって、ゾレンで合流する方が現実的だ」
「なるほどな。少年、なかなか頭良いじゃん」
「……アンタもそう言おうと思ってたんだろ」
 まぁな、と嫌味なく笑う大使は、王女達にもそうしろと言ったようで、現状はそうして、それぞれで地上への道を探すしかないわけだった。

 土臭い薄闇の中、故障した五感で触覚を特別に意識し、空気の流れを少年は探る。
 今までは自身の内なる熱で、温かい方向がわからなかった。それも少年が知らない間に胸元の守り袋がなくなった現在、張り詰めた皮膚は僅かな寒暖差にも敏感に反応している。
 微かでも温かさが流れてくる道なら、「壁」があるか、地上に続く可能性が高いはずだ。視覚情報も乏しいために、かえって温覚に集中しやすかった。

 地下道はかなり悪路になっており、何度も躓く少年に、その都度後ろの大使が笑う。
「おいお~い。もう少ししゃっきり歩けよ?」
「……何で、ついてくるんだ」
 必死に道を探す少年とは違い、単身ならいつでも転位できる大使は、完全に面白がってついてきている。少年の消化不良がさらに募る。
「だって少年、一人だとすぐ挫けそうだし」
 ――意味がわからない。まだ一度だけしか会ったことのない、それもほぼ敵の相手に、少年が唖然とするのも当たり前だった。
「王女達と約束してるんだよ。少年が地上に出られたら教える、って」
 それでもこの大使は、何一つ偽りを言っていない。それがわかる少年は、だからこそ、与えられる温情を持て余している。

 大使の言う通り、周りに誰もいなければ、最初の山道のように少年は根を上げただろう。
 王女達がどうしているか、それも少年にはわからないのだ。無事であるのか、と地の底を呪詛と共に駆け回り、力尽きるのが関の山だった。
 現状がわからず、鳩尾をさする少年は、何一つも納得がいかない。
「何でアンタが、アディ達と約束をする?」
 和平交渉を仲介し、それを潰す反乱勢力を見逃し、英雄を差し出せ、と勧めたレジオニス。
 第四峠レジオニス大使に対して、少年が知っているのは王女の話と、片翼の色男を回収に来た時の姿だけだ。それでは少年の中で、大使の行動が上手く繋がってくれない。
「レジオニスなんてみんな、その場の気分で動いてるぜ? 深く考えない方がいいぞ」
 しかし少年には、それが詭弁ということもわかる。この大使には何か目的があり、その隠された真剣さこそが、少年を落ち着かせなかった。

 そんな少年が、大使の夢を覗いたことなど知るべくもなく、大使はそれを思い出させる重い話を不意に始めた。
「オレはね――少年」
 飄々(ひょうひょう)とついてきていた大使が、遊びのない声色で先を続ける。
「英雄ライザが、オレは嫌いだ」
「……え?」
「昔の休戦前はともかく、今の英雄はディレステア国民に半端な希望を持たせて、争いを長引かせている張本人だよ」
 早足だった少年は、やっと私情を感じる語りに、少しだけ振り返って大使を見やる。
 大使の顔はやはりよく見えないが、全身からは満面の気怠さが醸し出されていた。
「ディレステアに勝ち目はない。今の抵抗はただの悪あがきだ。ゾレンの望む通り国土を譲るのが最終結末だろうさ」

 かつて化け物と人間の共存を謳った、ゾレンの要求とは――化け物と人間を隔離させるため、ディレステアの外壁を取り壊し、ゾレンに隣接した地域からは人間を退去させる。それを通せば、ディレステアの大半に人間が住めなくなる難題だ、と少年はきいていた。
「そりゃ、理不尽さ。けれどそれをたった一人の英雄が覆す方が、もっとタチが悪い」
「……ディレステアが負ける方が、自然だってことか?」
「調和ってのはいつか崩れるもんだ。ヒトはそうして揺り籠から出て、移り変わっていく」
 その在るべき結果を歪め、ヒトの可能性を奪う。それこそが英雄の罪だ、と大使は言う。
「あの英雄以外にも、似たような暇人がいてな。始末の悪いことに、そういうのに限って、他の化け物を圧倒する力の持ち主だったりする」
 その代表格が英雄ライザだ、と、レジオニスというわりには軟弱な大使は、呆れるように大きく息をついていた。
 大使のように、大きな「力」は持たない化け物と、その化け物が一人いるだけでも戦局が変わり得る化け物……ディレステアの英雄。非力な人間の国にとって、それはどれだけ、運命の女神に逆らった抵抗であることだろう。
「正直ここまで、ディレステアが粘ってるのは、オレには目障りなんだがね」
「……へぇ」
 その二国に対して中立に関与するのが、本当に面倒くさいらしい大使。
 少年にはやはり、理解し難いレジオニスの戯言だ。そしてそれ以上に気になることは――
「何で俺に……英雄の話なんてするんだ?」
 少年の気をひくために、大使は英雄の話題を持ち出している。こんな話が始まったこと、そのおかしさの一点に尽きた。
「だってさ。オマエさんもアレ、嫌いだろ? 『キラ・レイン』」
 その一言で少年は、大使が少年の素性を、英雄との因縁まで知ると突き付けられていた。
 この金色の眼の男は、相当の曲者だ。少年を「レイン」と呼べるのは、旧知の警備隊隊長や、直接名乗った王女達しかいないはずだというのに。
 レジオニスの女大使から話を聞けば、ザイン大使の息子とはわかって然るべきだろう。それなら「キラ・フィシェル」と呼ばれるのが筋で、その上、少年にわざわざ英雄の話をするのは理由がわからない。違う峠にこもっていた英雄とザイン大使は、親ディレステア同志とはいえ、直接の関わりはなかったはずだ。
 たとえば男はここに来るまでに、知り合いらしき警備隊隊長に、少年の母たる「千里眼」、「エア・レイン」が殺されたと聞いたのかもしれない。英雄の関係者だったからだとまで知れば、少年は英雄を憎悪するだろう、と見透かされている可能性がある。
 大使の情報源が気になりながら、調子の戻った「力」を感じて少年は足運びを速める。
「そんな嫌いな英雄、捕まえてどうするんだ」
「そう思うだろ。ところがな」
 残念ながら、と大使はいかにも呆れた顔で、少年に合わせて足を速めながら肩を竦めた。
「英雄さんはとある目的で、ゾレンの王都へ行きたいんだとよ」
「……?」
「以前からあった噂なんだが……英雄ライザの子供がゾレンにいて、ゾレンがそいつを、狙ってるってな」
 気付けば少年は、早くも地上に向かう登り道を見つけ、余計に気持ちが急いてきていた。
「ゾレンに……子供?」
 大使も不可解そうにしつつ、少年に続く。
「しかし最近、その子供が捕まったって噂も流れてきた。英雄さんは、ゾレンに行く目的自体は教えなかったが、関係ありそうだろ?」
「……――」
「ま、オレもゾレンに恩は売りたいんでね」
 どうやら大使も、純粋に英雄の真意が気になったらしく、引き合いに出したのだろう。少年がそれを知るはずもない、とここで思い直したように話題を切った。
 もしくは他に、少年の英雄への憎悪を測る必要性が、何かであったのだろうか――

 英雄に子供がいたことは、そこまで有名な話だったのか、と少年は内心の怨嗟を飲み下す。
 英雄が故国を裏切った最大の理由は、ゾレンにいた連れ合いが殺されたからだという。その子供をザイン大使の内縁、「千里眼」が預かったことは、誰も知らなかったはずだ。
 あの裏切り者が、それをみすみす明かしたりしなければ。

 「千里眼」はずっと、英雄に子供を返せる日を待っていた。
――いつかきっと……戦いが終われば……。
 それがおそらく、全ての呪いの源だった。

 知らず少年は、凍てつきかけた小声で大使に尋ね返していた。
「アンタは……英雄の子供が誰に捕まったか、知ってるのか?」
「――いいや? あくまで噂だしな」
 化け物の勢いで登る道の先に、やっと光が見えてきたが、少年は逆に暗鬱となっていく。そこに見える新たな世界に、ここに来て冷たさ以外の何も感じられなくなっていた。
「ゾレンの軍部、それもザインまで来るのは西部の国境担当ぐらいだろうけどな。英雄もその子供も、捕まったという公式の声明は出ていなくてね」
「…………」
 少年にはもう、数日ぶりに顔を見せた太陽の温かさもわからなかった。
 ゾレン西部。少年の全てが奪われた大元、その戦乱の大地においては――

◇⑩◇ 第六峠

 第四峠を除き、ディレステアが関所とする大使館は、いずれもほとんど同じ位置づけと構造をしているという。
 河川ほどに厚く、山より高い外壁に囲まれ、物理的にも超常的にも損傷できない防壁を持つのが砦の国だ。たとえ空からでも、不可視の壁に阻まれて侵入はできない。
 逆三角形の国の、三頂点と三中点にあたる「峠」ごとに外壁を貫く連絡通路が存在し、それを守る大使館が外壁に面して内外に設けられている。大使館の両脇には外壁に沿って軍営が敷かれ、ディレステア軍はそこに籠城するのが常態だった。
 そうした「峠」の一般知識を、ずっとついてきた第四峠レジオニス大使が教えてくれた。長い地下道から少年が地上に出るまで、ほとんど大使が喋っていたようなものだった。

「つまり、ディレステア外壁を探して麓に出て、それに沿って進めば、必ずディレステア軍営には何処かでぶつかるんだよ」
「……それは、わかってたけど」
 手堅く「峠」を目指すには、外壁づてに移動すると良い。その程度は言われずとも想像できたが、軍は大使館の両脇にしか駐在しないというのは、少年は少し意外だった。
「大使館は本来治外法権で、軍が関わろうとすれば公的な手続きがいる。第六峠は主戦地だから大使もいないし、ディレステア大使館を両軍が長年奪い合ってる状況、と思っとけ」
 地下道の降り口の土壕で、大使はなおも話す。少年は必要そうな情報を素直に聞き取る。
「王女達には、今のオレと同じように、地下道の出口から動くなと言ってある。少年だけが動いて迎えにいってやればいい」
 色々と指示する大使の狙いは、今でもわからない。それでも自らの意志が曖昧な少年は、同道する間にすっかり、その男の狙いに乗せられてしまっていた。
「迎えに行くって……どうやって?」
「オマエ、シヴァちゃんの『壁』がわかるんだろ? 大体どの方向にいるかはわかるから、近くに行って後は『壁』を辿れ」
「…………」
 大使はあまりに、少年達の普遍的でない特性に通じ過ぎている。しかも「壁」に隠れる王女の位置がわかるというのも、聞き逃してよい内容ではない。
 とても胡散臭く思いつつ、大使をためつすがめつする少年に、薄暗い降り口でも陽光を放つように、緋色の髪の大使は明るく笑った。
「オレにはデューの情報が色々わかるんだよ。悪いな、それで今まで追跡させてもらった」
「……だからアンタ、地震が起きるとわかってすぐに、俺達の所に来れたのか」
 そうでなければ大使は、少年が埋もれ切る前に助けることはできなかっただろう。土を伝って転位する「力」は一瞬に近く、それは単身で、行く先が決まっていればこそ使える。そして少年の名を「レイン」と知っているのも、抜け殻蛇ごしの情報であればわかる。
 総合すると、「壁」に隠れる王女の居場所という重大情報を持ちながら他のレジオニスに言わず、どう考えても王女の帰国を手助けしている大使だった。
「何でそんなに、王女に肩入れするんだ?」
 少年が観た夢では確かに、英雄から王女を必ず帰国させろ、と言われていたが、その時の嫌そうな返事とは裏腹に、今の大使は明らかに現状を面白がっていた。
「レジオニスは中立だぜ? 相談してくれりゃ、敵にも味方にもなってやるよ、少年」
「…………」
 相変わらずはぐらかす大使は、少年達を公然と支援できない立場でもあると見た。色々秘密が多いこともわかり、迂闊に頼るわけにはいかなかった。
「ま、オレのことは信用するなよ。特にオレとオマエは、いずれ雌雄を決する間柄と見た」
「――は?」
 そこで大使は本当に――子供のように無邪気な、満面の笑みを浮かべた。
「オマエ、シヴァちゃんのこと気になってんだろ? オレもシヴァちゃん、タイプなのさ」
 ぼやん、と音がしそうだった。非常識なほど無害な笑顔に、少年は二の句が告げなかった。

 しばらく固まっていた少年は、噴き出してきた疑問を、ありのままにやっと口にする。
「……それだけ?」
「ん?」
「アンタが俺達を助けた理由は、それだけ?」
 それこそが大使の、今ここに立っている真情。否応もなく少年は直観していた。
「化け物なんてそんなもんだぜ? 英雄さんだって、ゾレンを裏切ったのは確か私怨だろ」
 虚言ではない、とわかっていながら、全てがぴんとこない。最早返せる言葉などなく……大使はその後、もう一度罪無く平和に笑うと、自ら真面目な話題に切り替えていた。
「王女達は存外に第六峠に近い位置にいる。ここからそう遠くない。北へ行け」
「……わかった」
 最大の情報を得て、もう聞くことはない。少年はあっさりと、大使に背を向けたが―― 
「王女達のこと――守ってくれよ、少年?」
 最後の顔を眩ませる太陽の下、小丘に掘られた降り口から林道へ向かう少年の背中を、見つめる大使の視界が少年に混ざる。
 歩き出した少年の視野からなかなか消えないほどに、それは揺るぎなく強い想いだった。


 何も答えず、少年が遠ざかっていく。金色の眼で見送る大使は、少年から回収して上着の懐に隠した守り袋の抜け殻を、改めて手に取っていた。
「守り切れなかった王女達への、英雄の残心……改めて受け取ったかな、少年」
 その抜け殻は、「神の意」を受けている。名前通りの神秘を、統括者次第で発揮できる。その欠片の守り袋には英雄の「力」が「束縛」されると、男はあえて少年に教えなかった。
「どうやらこれは……当分楽しめそうだな、にょろ?」
 様々にあるソレの「意味」や、ヒトの特性を見分けられることこそが真髄の神性の眼。
 興趣を欲する双眼が煌めく。己が異色をあえて示す、取って付けたような語尾を口にし――蛇の如き舌をちらつかせた緋色の髪の男を、今は誰も知ることはない。


 地下からゾレンに入国できれば、後はゾレン軍に、ひたすら気を付けなければいけない。人目を憚り気配を殺す少年は、くどくどと大使から助言されていた。
――雑種大国ゾレンは、レジオニス……『純血』を簡単には入国させない。パーストルやシェムハザにとっては動きにくいお国柄だな。
 当然のことながら、第四峠ディレステア大使の手の者はまず追ってこないだろう。その問題は今後、王女が帰国してから片付ければよい。今の敵はゾレン軍のみだ。
 山岳の秘境ザインとは違い、ゾレンの山はかなりしっかり、道が作られている。しかし街道を堂々と歩くわけにもいかず、結局少年はまた、うっそうとした獣道をいく。

――殺したい。殺したい。殺したい。

 先程大使に、何か大切なことを言われた気がするが、この状況で優先順位の低い事柄はすぐに何処かに消えてしまった。
――オマエ、シヴァちゃんのこと……。
 故障した五感を持つ少年は、得られる情報が多過ぎて、強い想い以外は残ってくれない。さらにはあの呪詛が、少年自身の感情――そんな余分をかき消していく。
 目的以外の思いとは、今の少年には余分なのだ。

 少年は、「千里眼」に似ている、と周囲の者にはよく言われていた。
 人間である「千里眼」は、その身を削る力を、化け物の中で生きる人間には必要として使い続けた。英雄の息子を育てれば危険だとも、敏い彼女は承知していた。
 その根本はおそらく、化け物の国に生まれ、弱さを侮蔑され続けた人間の反動。また、かの眼に映る大きな目的以外がどうでもよいのだろう、とザイン大使はよく嘆いていた。
 彼女には己の保身より、周りの役に立ちたい望みが重要だったのだろう。それは何か、おかしいのかもしれない。通い来るザイン大使が哀しげな顔をする度、少年はそう感じていたが、答は最後まで見つかることはなかった。
「俺は……他に何ができるのかな」
 少年も望んだ。呪詛に消えない確かな何か、目的そのものを必要としていた。
 「千里眼」には、「千里眼」しかなかった。少年もきっと、「ヒト殺し」しかないのだ。
 まだ呼吸が続くのならば、そのヒト殺しを求める場所を、歩ける限り探すしかない。

 やがて少年はまた深い森で、慣れ親しんだ黒い鳥の暖かな「壁」を見つけ――
 敵はゾレンの化け物、と注意して動いていた少年は、意外な光景に出くわすことになる。

 外に出るな、と言われていたはずなのに、少年の目の先、暗い森の洞窟の出口で、王女と忍の少女が無防備に立ち尽くしている。二人は全身に迷彩を施す人間に取り囲まれていた。
「……!?」
 土まみれの粗末な服装に(つた)が巻かれ、肌を暗い色で塗りたくる男達はただ異様だった。
 思わず剣を抜く。少年が駆け出した靴音に、真っ先に忍の少女が感付いて振り返った。
「――キラ! キラなの!?」
 次に少年に気付いた王女が、大きく破顔し、こちらだ、と言いたげに手を振り始めた。
「本当に無事だったのね、よかった、キラ!」
 少年が危うく一団に斬り込む前に、賢明な王女は重大な事柄を、颯爽と告げていた。
「キラの言った通りよ! 私達、ディレステア正規軍に迎えにきてもらえたわ!」
「……――へ?」
 王女達を何としても、第六峠のディレステア軍に送り届ける。そればかり考えここまで来た少年にとって、その展開は想定外と言えた。

 王女のすぐ前にいた、顎鬚の濃い壮年の迷彩の男が、渋い容貌には似合わない穏やかな声で、立ち止まった少年に声をかけた。
「貴殿が王女の仰る、キラ・レイン殿ですか?」
「……?」
「第六峠のセルヴィ将軍であります。王女をお守りいただき、心より御礼を申し上げます」
 将軍らしい男に続いて、迷彩の一団が揃って少年にこうべを垂れる。統制の取れ過ぎた一団もさることながら、少年には気になって仕方のないことがあった。
「アンタ達……ここにいて大丈夫なのか?」
 弱い人間の利点は、唯一、気配が拙く探知されにくいことではある。それでもこれだけ人間が集まって、ゾレン軍には気付かれていないのが、とても不思議だった。弱いが故に、化け物より切実に生存戦略を練っているのだと、この後の道々で少年は知る。

 王女達と共に少年を保護し、大使館の南の軍営まで案内する、と将軍が指揮をとった。足音を潜めながら移動する中、少年は色々と現状を将軍の傍らで聞いていく。
「和平交渉破綻の一報があったのち、ディレステア大使館はゾレン軍に占拠されました。ライザ殿のご助力がない今、我々にはそれを防ぐことができませんでした」
「……ゾレン大使館は、まだ落とされてないのか?」
 ディレステア大使館がゾレン軍の掌中、となると、ディレステア側にあるゾレン大使館は最後の砦になる。そこが落ちれば、ゾレン軍はディレステアに侵攻する道筋を確保できる。
 しかし十年もの間、ディレステア大使館は何度も敵の占拠と自軍による奪回を繰り返し、他の競り合いは主にゾレン側で、荒れ果てた宿場町が戦いの場であるという。戦争というには小規模な争いと、化け物による人間排斥を続けているのが、ゾレンとディレステアの長きに渡る紛争なのだ。
 ディレステアが根強く抵抗し、決着のつかない大きな要因は外壁にある。それに連なる軍営の堅固さと、外壁内の連絡通路が単一で広くないことが人間の弱小さを補っていた。
 ゾレンでの兵役が長い将軍が、少年に流暢なゾレンの言葉で説明を続ける。
「化け物といえど、少数でしかヴィアは通れません。我が軍はヴィアの封鎖にこそ最大の資源をつぎ込んでいます」
 とにかく丈夫な外壁は、唯一の連絡通路の内でどんなに強力な「力」や武器を使っても崩落しない。それに化け物は真正面から挑み、ことごとく非業の最期を遂げるのだという。
「我々はそうした化け物の死骸から、通行証を入手しています。ゾレンで通行証の譲渡は死罪に値する禁忌ですが、我々はどうせ敵なのですから」
 それで一団の者は皆、死したゾレン兵の通行証を持っており、ゾレン軍に感知されずに王女を迎えに来られたわけだった。
 そうしたぬかりのない人間は、作戦行動も手が込んでいる。音や狼煙を使った情報交換、地下道を掘ってでも行う兵糧の補充、ゾレン人に扮する隠密活動の話は驚くばかりだ。そして祖国のためなら、少々の犠牲も辞さずに戦うという。
 対して化け物は、兵站も常に無計画で、共同体意識――特に国家主義が薄い。それぞれの担当分野に固執し、国益のために管轄を越えて働こうとはせず、動きの統制がほとんど取れていないという。
「新兵の補充はされますが、ゾレン軍はまず増援を呼びません。第六峠担当の軍部以外、ここでの戦闘に興味を持つ者も少ないのです」
「じゃあアンタ達は、防衛に徹せばいいということ?」
「ライザ殿がいてくださったこの十年には、打って出ることもありましたが。今の我々は、国の内外からいかに大使館を奪取するか、それが最優先になります」
 そして将軍は、その重大事項をことさら強調していた。
「とにかく我々には、ヴィア――連絡通路は、最も大事なものなのです」
 それが何度も説明された意味を、ゾレン側に潜伏するディレステア軍の南の軍営にて、少年はその夜知ることになる。

 大使館は占拠されたが、両脇に坐する不落の軍営は健在なのだと、将軍は一行を連れていく先についても簡単に話した。
「カストラをわざわざ落としても無意味だと、化け物達は思っているのです。王女に滞在していただくなら、カストラしかありません」
 大使館に隣接し、ディレステア外壁が一部だけ突き出ている軍営。中には確かに人間が籠城していて、奥には更に鉱脈と武器製造施設を有する古代の地下街があるという。表面は小さくとも内部は複雑で、水も火種の燃料も地底から汲める限り、気にするのは食料と装備品だけで良いというが、それらの設備を活かす知識のない化け物には無用の長物だろう。
「こんなに堅そうな所……それでも何処にも、つながってないのか」
 外壁の延長で「力」が通じず、壊せない基地。落としても侵攻自体の役には立たない。いつも先に大使館が奪われ、連絡通路を攻めながら軍営からの反撃にも応じるのがゾレン軍らしい。

 忍の少女の「壁」にも守られ、様々な隠し道を通って夕刻に軍営についた。ぺたぺたと灰色の壁をさわりながら、王女が改めて感動を噛み締めていた。
「本当に、ディレステアの正規軍なのね……セルヴィ将軍の顔は勿論知っていたけれど、それでもまだ、わけがわからないわ……」
「王女?」
「だってどうして――私が第六峠に来ていることを、将軍はご存じであったのですか?」
 堅固な石造の基地に、南西の扉から入る。植物油の慎ましい灯りが一行を照らした。
 玄関口から上階と地下に続く階段の前で、将軍は他の兵士を一階に配置した後、人目を忍ぶ小声で王女に耳打ちしていた。
「……さる大使から、行方不明の王女が、第六峠に向かっているとの情報があったのです」
 ディレステアの古語での密話。隣にいる少年にはほとんど聴き取れなかった。
「えっ……それは、まさか――」
 王女はかなり嫌そうな顔で、少年と王女の合流に一役買った第四峠レジオニス大使をその時思い浮かべていた。
「どなたかは申せません。それが大使の、強いご希望でして。我々も半信半疑で、王女を捜索に向かったのですが……王女が御無事で、本当にようございました」
 将軍も藁をも掴む心持ちで、敵国の内部で王女を探したのだろう。顎鬚をさすりながら微笑んだ姿には、安堵と誇りが溢れて余りあった。
 それでなくともゾレン軍の目を盗み、魔物もうろつく山中を探すのは、並大抵の覚悟ではなかったはずだ。軍人とはいえ、弱い人間にそうした強い意志を観ると、化け物の少年は居たたまれない。そんな少年を賓客として厚遇するよう、王女が将軍に念入りに頼んでいたのだった。

 外套のない質素な軍服に着替えた将軍が、少年を王女と離れた上階の角部屋へ案内する。
 板張りの床しか見たことのなかった少年は、階段も全て石の屋内が寒々しく感じられた。廊下の壁には円形の穴が規則的に並び、換気と敵襲用のもので、窓とは言えない。こんな所で人間は息苦しくないのか、と不思議だった。
「しばらくはこちらで、王女の帰国方法が決まるまでなるべく外出はされないで下さい。貴殿が万一、何かの事件に巻き込まれれば、アヴィス様の御責任となってしまわれます」
「…………」
 少年が本当に危険でないのか、将軍は少年と会話し、その人となりを自ら確かめている。王女達ほど少年を信頼していないのは当然のことだが、そこには警戒心に加えて、何かを言いたげな複雑そうな思いがあった。
 少年にも、気になることがあった。しかし訊けば、ますます怪しまれるだろう。そのまま黙って、いかにも胡散臭い抜け殻蛇と、同じ部屋に入れられることになった。
「戦闘が起きたときは、良ければアヴィス様をお守り願います。……キラ・レイン殿」
「おうおう。疑ってても、使えるものは使うんだなにょろ?」
「恐れ入ります。ご不便をおかけします」
 抜け殻蛇にも丁重な、化け物慣れした将軍が特に見ていたのは少年の手の「Z」だった。
 少年は黙って頷き、鍵が無く重い扉を閉める。その後はすぐに、人間の匂いしかしない殺伐とした石壁の部屋で、久方ぶりの深い眠りに入っていった。

 よく喋る抜け殻蛇も放置して、泥のように眠った。未明の夜更けにふっと少年は目覚め……あることに気が付き、誘われるようにして、ふらりとその部屋を静かに出ていった。
(……シヴァ?)
 もう遅い時間なのに、忍の少女の「壁」がまだ途絶えない。ゾレン軍がいつ襲撃してもおかしくない軍営で、目覚めている間の警戒は当然ではあるが――
 最上階の見張りしか起きていないこんな時間まで、あの頑張り屋は何をしているのか。それだけが気になったこの夢遊は、本当は気が付いていた通過点だった。

 「壁」の発生源の王女の部屋には、王女と忍の少女がいる。他には将軍が訪れていた。
 少年は幽魂のように乏しい気配で、扉の前にひっそり佇む。聴こえてくるのは古語での会話で――
 そして、王女の悲痛な声が真っ先に届いた。
「そんな、セルヴィ将軍……! どうしてもそれしか方法はないというのですか……!」
 おそらく中では、将軍と王女が、帰国の方途について話し合っている最中のようだった。
「王女、どうかご理解をいただけませんか。ヴィアへの抜け道は、我が第六峠軍部でも将軍しか知り得ない最重要機密なのです」
「でもキラは、あのフィシェル大使のご子息なのです、将軍。どうしてもディレステアに共に連れていきたいのです」
 どうやら将軍は、占拠された大使館を通らず、王女を帰国させられる方法を知っている。詳細はわからないが、王女を一刻も早く帰国させたい焦慮を、少年は扉越しに感じ取る。
 王女は何故か反対し、理由はどうやら少年のせいらしい。言葉はわからないが、キラという名前が何度も会話に出てきている。
 それに対して、場を見守る忍の少女の付近は冷え込み――
 僅かの間、沈黙が流れた後に、再び王女の小さな悲鳴が上がった。
「そんな、シヴァ……! シヴァまでキラをここに置いていけというの……!?」

 ああ――と。少年はそこで、王女に筆談で意見を伝えただろう、黒い鳥の心を知る。
――……殺さなきゃ。
 出会った頃のような黒い鳥の、苦渋の鳴き声が聞こえない王女は食い下がる。
「ライザ様を差し出した時も、私は反対だったわ……! それは仕方がなかったけれど、今はもっと他の道も選べるはずよ」
 王女と忍の少女は、自分達が帰国するため、少年を切り捨てるかどうか。そう口論しているのだと、置き去りの英雄の名前を聞いて少年にはわかった。

 王女は少年のため――ひいては少し前に少年に託した、黒い鳥を守る願いのために。
 そして黒い鳥は王女を守るために、互いにひこうとしないでいた。
「キラは私達に必要な存在よ……! 信じるかどうか、それだけであれば、ここでキラを置いていく必要などないでしょう?」
 黒い鳥は王女の反論に、覆面の下の唇を噛み締める。そして非情になれ、と己を叱咤する。
――殺さなきゃ。

 少年はやっと、黒い鳥が本当に殺そうとしているものが何かわかった気がした。
 何故ならその冷たい場で、最も感情を揺れ動かして熱を奪っている者。少年に一番強い心配を抱いていたのは、王女でも将軍でもなく、他ならぬ黒い鳥だったのだから。
(……それは、迂闊だろ)
 ずっとそうだった。黒い鳥は己の感情を、殺すべき余分と知りつつ割り切れないのだ。
 魔物になれば強くなれると思いながら、いつまでも人間で踏み止まってしまう弱い心。それができればそもそも、言い聞かせる必要はなかったのだろう。
 レジオニスの女大使に拙い魔道で対抗した時も、地下の落盤の時も、黒い鳥は感情的に少年を助けようとした。けれどその行動は明らかに誤りで、黒い鳥にとって王女の無事と少年を天秤にかければ、正しい答はわかりきっている。
――貴男だって……。
 少年も王女の負担になることは望まない。黒い鳥はどこか深いところで、そんな少年を理解しているはずだ。だから今、王女に頷かないでいる気がしてならなかった。
 特別意識しなくとも「生」を吐き出し、余分な感情を捨てている少年。その姿を認め、己が役目に徹さんとする黒い鳥の鬼面は、そのままできっとキレイだった。
 それでいい、鬼でいい。誰に言うでもなく、闇の中で少年の口端が微かに上がった。

 王女と忍の少女の珍しい齟齬(そご)は、そうしてしばらく平行線を辿りそうだった。
 将軍と忍の少女が同意見の以上、王女が折れるのを待つだけだと将軍は判断していた。
「それにしても、王女……あの少年は……」
 将軍の古語の、少し先を聞いてまもなく、少年は扉の前を離れてゆらりと自室に戻る。

 無言で外套を羽織った少年が、突然がさり、と安眠を貪る抜け殻蛇を荒々しく掴んだ。
「うにょろ!? 何だにょろキラ、寝ぼけたのかにょろ!」

 何一つ答えずに少年は、鋼の剣に抜け殻蛇を括って逃げられないようにする。そのまま小さな窓を開けて、狭い孔から宵闇の内へ、上枠を支点に滑り込むように身を躍らせた。
「何処に行くにょろ! 何でオイラを連れていくにょろ! 蛇攫いだにょろ!」
 廊下の穴と違って部屋の窓は角張り、外界までの厚さも少ない。本来は何か大きな飛び道具を置き、外敵を迎撃するための部屋なのだろう。
 外套をはためかせて石の基地の辺側に着地し、月も朧な夜空の真下、少年は一人きりでひっそりと立ち上がる。ちょうど陰になる位置であり、少年自身の目は暗闇に閉ざされて何も見えなかった。
 感覚を研ぎ澄ませると、周辺地を見張る者達の視野に、焦点を合わせることができた。意識を最大限に集中する。彼らの死角を探し、注意が逸れる瞬間を心待ちにする。

――……殺したい。

 蘇る呪詛と共に、わめき始めそうだった抜け殻蛇を、剣ごと握って無理やり黙らせた。
 少年が今できることは、それくらいなのだ。すれ違った人間の巣から離れるため、硬い砂の音を鳴らして歩き始める。
 王女の帰国に、どうやら邪魔らしいものを全て排除するために――
 それは当然の答だ、と、長くついてくる呪詛だけが、暗影に呑まれた少年を笑っていた。

◇⑪◇ 導きの蛇

 第六峠という荒れ果てた地域には、一般の化け物も人間もほとんど住んでいなかった。
 大使館周辺はいくつも土嚢の障壁がしかれ、雑草も乏しい荒野だが、そこからゾレン側には森が密生し、僅かな人家を呑み込んでいる。
 呪詛と共に、ディレステア軍営を出て、少年は程無く人目から遠く離れることに成功した。大使館にこもるゾレン軍にも、見咎められていない。手持ちの剣に結んだ抜け殻蛇の文句で呪詛を紛らわせながら、朝焼けの差し込む森をぽつりと歩いていた。
「今頃アディちゃんは大騒ぎだにょろ。シヴァちゃんもオイラがいなくて泣いてるにょろ」
「……それはないだろ」
 胡乱な朝陽が昇る。街道をこれ以上行くと人目に触れるだろう。草むした脇道に入る。
「何でオイラも連れてきたにょろ? そもそも何で、キラはカストラを出たにょろ?」
 当然の疑問を抜け殻蛇が何度も繰り返し、少年もようやく、返答する気力が戻ってきた。
「俺とアンタは……多分、ディレステアには行けない」
 説明したくないことを大まかに言うと、抜け殻蛇は案外すぐに納得を見せた。
「まあ、大使館を通れないからなあにょろ。万一別ルートがあれば、ゾレンに知られたらそこも攻められるし、よそ者のオイラ達には教えてくれないだろうなにょろ」
「…………」
「でもなにょろ。たとえばキラが、将軍達と第六峠を奪回すれば、今後の受け入れは確実だったにょろ?」
 そうして抜け殻蛇は改めて、夢現から独断独行に走った少年を咎める。
「どうしてキラは、相談をしないんだにょろ。なまじキラは、色々わかって勘が良いから、目先の感覚で動き過ぎだにょろ」
 王女達と話せば、ゾレンの森でこうして路頭に迷うことはなかったと言う。しかし今の少年には、王女達から離れることこそが最優先事項だったのだ。
「アディ達が早く――国に帰る方がいい」
 とにかく余分を殺す呪詛に駆り立てられて、少年はまた動くことしかできなかった。

 国民の半ば近くを占める人間を、ゾレンの化け物は排斥を進めるという。そうした町には、少年は行く気が起こらないでいる。
 癖のように清涼な水の匂いを辿り、やがて、南向きに流れる閑静な小川を見つけた。
「…………」
 胸苦しさは全く落ち着かないが、足を止めて、川辺の大きな木陰に隠れて腰を下ろす。人目について問題を起こし、王女達に迷惑をかける可能性は避けたかった。
 両膝に肘をつき、剣を肩に立てかけ、ぎっちり括りつけた抜け殻蛇をほどいてやる。そのまま川のそよぎを眺めるだけの少年に、抜け殻蛇はつと、その混濁の糾明を始めた。
「オマエ……これからどうする気だにょろ?」
「……さぁ。夜になったら、また動くかな」
 里を出た無我の時のように、そうしていつか、行き倒れるだけなのだろう。
 王女達の事情を納得できるなら、抜け殻蛇は好きにすればいい。その心積もりで少年は目を伏せるが、帰ろうとはしない抜け殻蛇が、隣の岩からしばらく黙って見上げた。

 少年に合わせてゾレンの新語を話すソレは、首をもたげて神妙に少年を見つめる。
「キラはいったい、何から逃げているんだにょろ?」
 食事はおろか、休息より見張りを優先し、限界まで動く少年を抜け殻蛇は見てきている。そうして呪詛を振り切らないと、やがて何かに追いつかれるかのように。樹影を受ける抜け殻の頭が、好奇心で問いを続けた。
「オイラにはそうとしか見えないにょろ。キラはまるで、アディちゃん達を送り終わって、今度は第六峠も用済みだと言わんばかりだにょろ」
 賢しい抜け殻蛇に、少年は流れる水を無心に見つめ、少しだけ考える。
 そして、抜け殻蛇と同じように感情のない声色で、呟くようにその答を返していた。
「俺は……足手まといにしか、ならないんだ」
 浅瀬のせせらぎに、拙い声はたゆたく浚われていく。
「そうできたなら……助けたかった、のに……」
 それはおそらく、少年の知らない呪詛が言わせた、今この現実の真情だった。

 浮かぶのは、少年のせいで失踪し、王女達にも迷惑をかけた大切な相手。
――クランは行方不明になってしまいよった。
 第二峠で、本当は安堵していた。あの、激情と魔道の力を静かに制御する赤い目の大使には、少年の咎など見透かされるとわかっていたから。

 呪詛に消されながらも、初めからあったはずの旅の目的。たった一つだけ、少年を目にした彼を観てから、吐き出してしまいたいことがあった。
「俺には……守れなかった」
 けれどそんなことを告げても、誰も救われはしない。少年は黙って両目を閉じる。
 抜け殻蛇が小首を傾げて、罪のない声色で少年を見やった。
「オマエは何で、詫びようとしているにょろ?」
「…………」
「オマエは何を、詫びたいんだにょろ? 誰もそんなことを、オマエに望んでいないと思うがにょろ」
 ザイン大使との再会を、少年もむしろ望んでいない。それは抜け殻蛇の言う通り、詫びることしかできないからだ。
「オマエは、自分が足手まとい――アディちゃん達にもそうなると確信してるにょろ?」
 少年は自身を災いの元、咎人と見定めている。あまりに自然に、そして無自覚に。
 何を悔いているのか、と抜け殻蛇は問う。目らしき黒い空洞には表情がなく、少年の姿もぼんやりとしか映らない。それでも見つめる視界に、歪んだ笑みで少年は目を開けた。
「……悔いなんか何もない。自分で決めたやるべきことを、ずっとやってきただけだ」
 その言葉に偽りはない。全てはそうなるしかない、と呪詛が知っていた。悪いのは自分だと知っていても、悔い改めることもできないのだと。
 そうして自分を(わら)う少年に、抜け殻蛇が見透かすような黒い眼窩を向ける。
「それならオマエの……やるべきことより、やりたいことは何だにょろ?」
 粛々とした声に、少年は再び項垂れる。疲れた理性は抜け殻蛇の言った通り、呪詛を振り払う雑念がほしかった。呪詛に追われる間はずっと、無為な呼吸をしているだけでも苦しい。
 黒い鳥に出会ったように、呪詛を抑える目的に出会わなければいつまでもこのままだ。虚ろな声はあまりに不休で、それが思考を消していることにも思い至れなかった。

 少年は、バンダナの影が差す目を伏せたまま、呪詛の中でも消えない答を呟く。
「俺には……やりたいことなんてない」
 まずもって、望む権利すらない――それこそが咎人の不文律だった。
「できることをするだけだ。それも、ろくに使えたもんじゃない」
 だからその血は冷たく、希みなど流されてはいけない。呪詛はその余分を抹消している。
 そうかにょろ? と返す抜け殻蛇に、あえて何の感慨も浮かべずに答えた。
「そんなこと、初めてヒトを殺した時から、わかってた」
 ――殺したい。真っ赤な呪詛だけに纏わりつかれるようになった、無慈悲なヒト殺しの結論。淡々と告げると抜け殻蛇が押し黙った。その目が何処を視るのかわからなくなった。

 他には何もない。殺したい、それ以外に少年は何も感じていない。
 失った理由も、望めなくなった理由も。何も変えられない無力な死神に、呪詛を解き放つ赦しなど与えられはしない。野垂れ死ぬまで進むだけだろう。
 詫びる資格すら己にはないと、「死」を刻む化け物はとっくに救いを諦めていた。

 そうして現実だけを口にする少年に、無表情の抜け殻蛇は話題の矛先を変えた。
「キラは、シヴァちゃん達がこれからどうなっていくか、興味はないのかにょろ?」
「…………」
「今の時点で、本当にオマエは足手まといだと言えるのかにょろ」
「……さぁ」
 とりあえず目だけは向けて、少年は抜け殻蛇を見る。よくわからない、という正直な色で。
「キラが守りたいのは、シヴァちゃん達じゃなく、峠に送る約束だったのかにょろ?」
 的を射る抜け殻蛇は、決して咎める口調ではない。それでも珍しく真面目な様相を見せた。
「キラにはまだ、役目があるはずだにょろ」
 抜け殻蛇は無情に、ソレの目的の駒として、少年を動かすために同じ隙をつく。
 この情報過多である直観の少年に、弱い言葉など届きはしない。常に何かに駆り立てられる穴だらけの少年を、抜け殻蛇も本当は知っている。いつかの誰かの願いにも似たソレ自身の望みを、ここで遠慮なく明るみに出した。
「ヒトを殺す。それが『キラ』の役目だにょろ?」
 息を飲む少年の早い反応に、ソレはもくろみの成功を悟る。ヒト殺しの少年は呪詛への抗いのため、己が役割を渇望していた。
 それなら後は、埋もれかけていた約束を、誰かが何度でも後押しするだけだろう。
「殺すって――誰を」
「今後、シヴァちゃん達の前に立ち塞がる敵。それをキラが殺せばいいにょろ」
「――……」
「戦局が不利になるにつれて、シヴァちゃんは追い詰められていくにょろ。強くなりたいシヴァちゃんはきっと――魔物に堕ちることを望んでしまうにょろ」
 弱小なソレは、独力では想いを叶えられない。それ故に少年の存在を切に求めていた。
「とりあえず目前に、シヴァちゃんの敵が、大使館に大量にひしめいているにょろ?」
 ソレの想いも、少年と同じ。その黒い鳥の目を、紅く穢したくない――
 凍りついた心を動かし、剣をとった少年が、闇の底で唯一見つけ出していた役目。
 少年の特技は、ただヒト殺しだけだった。たとえ何度、不毛な歩みを繰り返しても。

 ようやく顔を横向け、大きく嘆息した少年は、抜け殻蛇に呆れるばかりだった。
「アンタ相当、シヴァに執着してるんだな」
「好みのタイプなんだにょろ。だからオイラもついてきたんだにょろ」
 それは抜け殻蛇が少年と対峙する限りにおいて、揺らぐことのない不変の真実。いつも黒い鳥の肩に収まろうとする緋い蛇の、中身の笑顔が不意に浮かぶ。
 少年より軟弱な者に、呪詛ごと利用されていると気が付いている。それでもきっと、お互い様だ、と少年は嗤った。
「大使館のゾレン軍に喧嘩を売って、俺一人で勝てるわけがないけど?」
 具体的な相談を始めた少年に、抜け殻蛇がにんまり舌を出して話を続ける。
「騒ぎを起こせば、シヴァちゃん達は帰国しやすくなると思うんだなにょろ」
「騒ぎと言っても、どうやって起こすんだよ」
「そうだなあにょろ。オマエの特技で隙を窺って、将校の一人でも暗殺すればいいにょろ」
 故障した五感を持つ少年の使い道を、的確に把握した言葉。頷くしかない唯一の活路。
「それくらいなら……何とかなりそうだ」
 ここで少年が失敗したとして、最早知ったことではない。そうした酷薄さこそ、呪詛が導く少年の行き先を照らす。

 心なしか黒ずんできた空の下で、少年はまた息をつくと、おもむろに立ち上がった。
 取るべき道が決まれば、立ち止まることはない。歩けなくなるまで動き続ける。
 来た道を戻るだけで、肩に跳び乗った抜け殻蛇は大仰な溜め息をついていた。
「オマエ、最初からわかってなかったか、にょろ」
 そして少年と抜け殻蛇は、ディレステア軍営よりやや北西、大使館に臨む広い森に立つ。

 風雲急を告げる第六峠大使館は、ザインの第二峠大使館と、遠目にはほとんど同じ外観だ。洋館と言うらしい華やかな木造の高い建物を、とうに崩された煉瓦の塀が囲む。それより外周を守る鋭い鉄柵にも所々に歪みや断絶があり、繰り返される戦禍を物語っていた。
「忍び込むこともできそうだけど……」
「それより向こうが出てくるチャンスを待つにょろ。オマエは番兵に見つかっただけでも致命的にょろ」
 拘留地以後は戦闘がなかったので、少年は何とかここまで歩武を保てた。しかし食事も休息もろくにとらない少年の体力は削られる一方であり、少年が本来、強い「力」を持つ化け物の血筋でなければ、とっくに力尽きていたことだろう。
「将軍レベルの強い奴は、外に出るのか?」
「さあなぁにょろ。気長に待ってみるにょろ」
 少年が隠れた大木の樹冠に、抜け殻蛇もごそごそ共に潜む。やる気のない声に気楽だな、とため息をつく。あまりここに長居して、近隣の王女達に見つからないかが気がかりだった。

 少年の存在は矛盾だらけ、といつかの夜に抜け殻蛇は言った。それは奇しくも、少年の素性が知れたすぐ後のことでもあった。
 ディレステアの軍営を後にした少年が、最も切迫を感じていたもの……それは、顎鬚の将軍が少年に向ける強い猜疑と、脳裏に浮かぶ人影だった。
――それにしても、王女……あの少年はいったい何者なのですか?
 後に続いた疑問は、英雄を始めとし、ゾレンの化け物と長く関わってきた将軍だからこそ持てる不審。更には王女達が第六峠に来るという、情報を与えた者の姿がよぎる。
――第二峠、フィシェル大使のご子息と仰いますが……大使は我々に、王女達と共にご子息が来る、とは言われなかったのです。
 王女は将軍の言に、呆然として顔を上げる。
――私達の情報を伝えたのは……フィシェル大使……?

 将軍は改めて、少年の不信について続ける。
――『Z』も『D』も、あくまでその国内で生誕した者にのみ刻まれるものです、王女。あの少年がエア・フィシェルの息子なら、少年が生まれたのは彼女がゾレンを出てから、ザインでのはずです。それなのに何故彼は、あの印を持っているのです?
 手の甲に「Z」を刻み、素性の知れぬヒト殺しの化け物。王女の連れでなければ、まず危険人物として排除されるべき存在だろう。どうあっても少年は敵国の化け物なのだ。
 少年の手の印については他にも、違和感を持った者がいたことを王女は思い出していた。
――しかしオマエ、この印も剣もどうしてん?

 王女もその不整合に、少しずつ旗色を悪くしていく。
――……この印は、後から彫るということは可能なのですか?
――無論できますが、生まれてすぐ刻んだものと、後に彫ったものとは状態が違います。
 将軍はそして、少年の決定的な不実を口にする。
――あの少年の印はまず間違いなく――ゾレンで生誕時に刻まれたものです、王女。
 キラ・レイン・S。咄嗟にSで名乗った名は、それが不自然でない存在だった。有名なフィシェルの姓を隠すのも、厄介事を避けるためにいつもそうしていた。
 そもそも「千里眼」という人間を母に持つ少年は、半分は人間であるわけで――

――じゃあ、あのキラは……いったいどうなっているの?
 王女が少年を信頼したのは、助けられたことに加え、少年の素性が好ましかったからだ。それならそこに不信が芽生えれば、少年と王女達には溝が生まれる。

 己が誰か、身の証を立てる術のない少年は、逃げることしかできなかった。
 王女達だけでなく、将軍が思い浮かべる大使も、いずれ現れると何処かでわかっていた。

 空は愁雲に曇り、太陽が隠れ、昼前なのに黄昏時のように峠全域が物狂おしく――
 これからヒトを殺そう、と身を潜める少年の五感を、滅多にない静寂が支配していた。

――……殺したい?
――……殺したい?

 少年は今も、この呪詛の主がわかっていない。
 少年しかいない時に強く響くのだから、自身に生まれた罰だとは判断していた。
 しかしどうにも、釈然としない。ここまで駆り立てられていてもまだわからない。
 何故なら少年は――ヒト殺しとなって里を出てから、誰かを殺したいと思ったことなど、一度もないのだから。

――……何で、殺さないの?

 黒い鳥と出会った時、沢山殺した人間の男達は、少年にとってはどうでもよい存在だった。差し迫っていたのは王女と黒い鳥なのだ。
 その後の敵は、必要があれば殺す気だったが、誰もそれを望んでいなかった。
 力不足のこともあるが、殺すべきであれば死力を尽くした。そうして少年の命はすぐに無くなっていたことだろう。
 それならあの声は、本当は少年に何をさせたいのだろうか――どうしてずっと付き纏い、歩めと急き立てるのだろうか?

 少年の内で、根本的な疑問が浮上しかけたその時に呼応し、彼らの運命は動き始めた。
「うにょろ? 何か妙なのが出てきたにょろ」
 見えかけた何かに目を塞ぐように、抜け殻蛇の軽薄な声が、少年をこの現実へと導く。

 空が暗みを増していた。化け物の兵士達に守られた大使館から、番兵とは色合いが違う軍服の一団が現れたことに少年は気が付いていた。
「……」
「あれは……第六峠担当の軍部じゃないなにょろ……?」
 怪訝そうな抜け殻蛇の言う通り、占拠された大使館の番兵とその一団は、あからさまに険悪な空気を醸し出している。
 館内から見送りに出た第六峠の将校らしき化け物に、一団の最も屈強な体の化け物が、侮蔑の視線を返して大使館に背を向けていた。
「――……」
 荒れ地の先の森に隠れる少年の近くまで、段々と歩いてくる一団。それらから少年は、不思議なほどに目を離すことができず――

 広場の中間辺りで一団は、大使館の方に振り返って立ち止まった。
 一団を見送りながら敬礼もしていない番兵達に、一しきり悪態をついてから、下級兵に囲まれる中心の二人が立ち話を始める。
「それにしてもダゴン将軍。何故にそこまで、英雄ライザに拘られるのですか?」
「ふん。あの裏切り者の飛竜――いや、違うな。身のほど知らずの飛びトカゲには、一度現実を知らしめてやりたいと思っていたのだ」
 朗々と喋る声が、五感を研ぎ澄ませる少年に辛うじて届く。ぴくりと少年は、聞き知った名前に体を固める。

 装具の多い外套の参謀と、巨斧を背負う巨体を無理やり軍服に詰めた将校は、大使館に一時滞在していたようだった。第六峠の軍部とはほとんど関係のない者達なのだ。
「しかし、第六峠に英雄がいないという噂は、本当であったようですね」
「口惜しい。奴に直接、絶望を突きつけてやれなくてとても残念だ。最早、我々の目的の達成は時間の問題だろうからな」
 第六峠にいる目的を、徐々に明らかにしていく将校の後ろ姿。担がれた巨大な斧に隠れ、見えもしない相手の顔が何故かありありと浮かぶ。
 全身に悪寒が走った。少年はいつしか、待ち望んでいた大気の氷結を感じ取った。

――殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい――

 慣れた吐き気より、唐突で激烈な頭痛。
 黒いバンダナもろとも、額を手荒く掴んだ少年の声が割れた。
「……――ああ……やっと……」
「キラ……? オマエ、にょろ……?」
 異変に気付いた抜け殻蛇が目をひそめるほど、少年は急速に鬼気迫っていく。
 体幹から冷や汗が噴き出し、言葉を忘れた舌が渇く。筋という筋が全て強張っていく。
 指の隙間で両目を見開く。乱れる胸の音が煩過ぎて、気配を殺すことも忘れてしまった。

 血走った視線を受ける一団の者が、不穏な化け物の気配に気付くまでに、さして時間はかからなかった。
「ダゴン将軍。付近に異様な雑種と思しき気配を認めます」
「何だ? このような時期に何故、大使館付近を単体でうろつく愚民がいる?」
「かなり形容し難い気配です。ご注意を」
 強い化け物同士は、同じ生活圏に属する見知った気配の者でなければ、互いに警戒することが当たり前だ。化け物はそもそも、化け物同士でも争いが絶えない生き物なのだ。
「ふん。何者か知らぬが、この西部の国境の守護者ダゴンに刃向える愚か者などおらぬわ」
 第六峠といった一部の地でなく、広範囲を預かる軍部ほど強い化け物が配置され、その将校は西部最強の称号を持っていた。
 英雄や他の軍部のみならず、全ての化け物を見下す将校が、(きびす)を返して移動を再開する。

 少年のいる方に、部下を引き連れて歩き出した将校の、強大な全身像を目の当たりにした少年の呼吸が止まった。
「っ、は――」
 その暗い色の目に、直接対象を映すこと。故障した五感を最も強く発揮しながら、空いた手が胸倉に爪を突き立てる。鋭い痛みで自らを保とうとしても、回り始めた歯車を止めるには全くの無意味だった。

――今度こそ……――

 鼓動と噴出。喘ぐ少年に映る化け物も、ちょうど自身を凝視する少年に気が付いていた。
「……む?」
 同じ瞬間、少年の掴む額の印がはじけた。少年の唯一の「力」、常に吐き出す「生」が、その焔を通じて灼熱の逆流を始めた。
――俺は……殺したい……――
 冷え切っていた体を溶かし、何もかもをかき消す炎上。呪詛より速く身を喰って叫ぶ、他に道のなかった咎の一念。

 大使館の向かいの森に入る直前、進行を止めた将校が訝しげに、大きな樹下の暗がりに潜む少年を見つけていた。
「どういうことだ――?」
 少年の銀色の髪と黒いバンダナに、ザイン遠征に出た将校は強く見覚えがあるらしい。
 わざわざ遠征結果を示しに第六峠に来た将校にとって、どうしても見過ごせない少年がそこにいる。それこそがここで、少年の全霊を乱す存在の理であり――
「せっかく目障りな飛びトカゲに、身内の無残な末路を教えてやろうというものを……」

 そして将校は黒いバンダナの少年に対して、口にしてはならない言葉を言い放っていく。
「貴様、生きていたのか? 英雄の同輩、エア・レインの息子よ」
「――……」

 それはあの、少年が初めてヒトを殺した夜と同じ愚直な一言。
――オマエ……何で生きてるんだ、キラ!?
 少年の親友が命をかけて少年に施した焔。魔の道による赤い呪いが、必ず意味を持つ時。

◇⑫◇ 赤い焔

「生きていたのか。エア・レインの息子よ」
 黒いバンダナの隠すその下。額に赤く刻まれた印が、ある二人の少年を入れ替える。
「キラといったか。弱小な人間の混血児だな」
 死んでしまった親友の名で、少年を呼ぶ化け物がいる。その状況が意味することは――少年は今、親友の姿で周りには見えていること。

「あれだけの傷から、よもや人間が生還するとはな……」
 そして親友を映す少年に驚く者は、親友の死に関わった者であるだろうこと。
 何故ならその死を知るのは、親友を独りで看取った少年か、殺害者しかいないのだから。
「……ク――」
 部下を連れて、将校が尊大に近付いてくる。少年はただ激震を堪え、額を抑える手許の目を限界まで見張る。
「ちょうど良い、今度こそ吐いてもらおうか? 貴様らと共に暮らしていたはずのユオン……ライザの息子は何処にいる?」
 圧倒的な威圧を放つ巨体の軍人。それが英雄の息子を狙ったゾレンの追手であり――
 幾度も味わった感情の噴出。少年は呼吸を忘れ、騒がしい心の臓が破れかけた。
「やっと――……」
「む?」
 鷲掴みで緩んでいたバンダナが、退けた手につられてするりと外れ落ちる。
「やっと……殺せる――」
 バンダナの下で赤く燃え盛る焔に、将校はそこではたと気が付く。
「貴様、その額の印は……?」
 まさにその、直後の瞬間だった。

――あアアああアアアアア!!

 少年の喉から、広大な光が(ほとばし)った。場の者を全て、白日の下へ消し去るように一瞬で包む。
 暗雲漂う空に響く、強奪の命を受けし天声。ただ一息にて衆愚を灼きつくすそれは、天性の死神があまねく曝け出す、呪われた「生」に他ならない。

「貴……様――!?」
 突然の凶事に逢った一団が、外傷もなく地に崩折(くずお)れていった。あまりに異様に事切れた者達の中で、唯一立っている将校が、動き難い外套ごと軍服を引き千切りながら叫んだ。
「今の『力』は、いったい何だ!?」
 正装として儀礼用の軍服を着ていた巨体は、見るも豪強な甲殻に覆われた雑種の化け物。
 ザインに遠征して英雄の関係者を討伐した際は、討伐相手の身に無かったはずの二つの刻印に、将の男はそこで気が付いていた。
「その額の印……系統は『呪術』か」
 それこそがこの、もつれた現状全ての発端。男の声に理性の戻った懐疑が宿る。
 呪いとは、「世界の理」を司る魔道において、等価に引き換える理なき禁忌だと言う。
 何かを呪うほどの強い念が現実をも侵食する、その禁じ手が呪術だ。思いさえ強ければ何者であっても、己の何かを代償に、化け物に通じるほどの「力」を持てるものだと。
「エア・レインの子に(しゅ)をかけられたか。道理であの後から、いつまでもライザの息子が見つからぬわけだ」
 額の印を隠していたバンダナが落ち、手に「Z」を刻む少年。その出で立ちを目にして、全てのまやかしを気取った男が得心の笑みを浮かべた。
「探したぞ――ユオン・ドールド・Z」
「――……」
 黒いバンダナが無くなった後も、変わらず暗い色の目で少年は木の下に立ち尽くす。
「ライザ・ドールドの実の息子よ。わざわざ自ら正体を明かすとは愚かな。その額の呪も、魔道に通じる者か、よほど身近な者でなければ違和感すら持てぬだろうに」
 西部最強たる将の男は、ヒト種の姿形に介入する魔道に心得があるのだ。だから命の火をかざす印そのものを見て、赤い焔に包まれた少年の存在を見極めている。
「まさか英雄の息子が、人間の混血の皮をかぶり、我らの追跡を逃れていようとはな」
 そこまで看破されても、少年の暗く青い眼光が、将の男に赤く見えていることは変わらないほど、その呪いの焔は強力だった。おそらくそれは、狙われた青い目の少年を隠したかった、赤い眼の主の思いの強さだけ。
 ――殺したい。その呪詛を燃やし続けてきた赤い呪い。
 青い目と赤い眼、二人の銀色の髪の少年を入れ替えて、真っ赤な呪詛がなる……――


 養子である青い目の少年が、育てられた家へと夜更けに帰り着いた時だった。
「……あ……」
 少年より半日早く帰った親友と、いつも家にいた育ての母がいない。あるのは不作法に蹴散らされた家中の家具と、見たことのない動かぬ肉塊で……それらはたちの悪い地獄のように、赤いものを白い壁に塗り付けて床に転がっていた。
「エア母さん……キラ……」
 いったいここは何処なのだろう。突如迷い込んだ異界に少年は途方に暮れた。

 どうしてなのだろう。どれだけ少年が望んだとしても、この光景だけは変えられなかった。
「ユオン――……やっと来た、な……」
 塊の一つには、辛うじて息があった。血まみれの髪に巻かれる黒いバンダナが、それは共に育った親友だと、無残な現実を少年に教える。
「……キラ!?」
 完全に命が途切れる前に、頭の良い親友は自ら魔道の儀で仮死状態に入り、殺害者達を撤収させたのだ。死の寸前でありながら、執念の吐息で少年を待っていた。
「思ったより、早かったな……おかげでまだ、何とかなりそうだ……」
 真っ白な頭のままでとにかく駆け寄る。その姿に親友の方が苦しそうに笑う。
「ユオン……オマエを狙う奴が、来た……」
 とにかく断末の摩を取り戻した親友。抱き起こしながら、何で、と泣き叫ぶ。
 それにかまわず、親友は少年の額に、最後の力で真っ赤な指を強く突きつける。
「アイツはやばい……絶対に、相手、するな……オマエだけでも、助かってくれよ――」
 待って、と言う暇もなかった。少年の額から血が滲むほどの力で、決して消えない咎を親友が刻み込む。それがどれほど長く、少年を縛ることになるのかもかまわずに。
「いやだ、キラ、何で、こんな……!」
「オマエのことは、オレが隠してやるから……」
 だから、逃げろ――と。それだけ親友は言い遺し、己が存在の全てを焔の印に燃やす。
 何度も何度も、必死に抗ったのに。腕から零れ、消えゆく赤い眼を留める術はなかった。事切れた瞬間灰になるように、親友は黒いバンダナを残して霧散し――
 そうして親友が残した最後の願いで、その日から少年は親友の姿を映し、親友の名前で呼ばれることになった。そのまま親友として生きることを、自ら決めるしかできなかった。

 少年は剣を――親友は魔道を。それぞれが親友の父から適する戦いの手ほどきを受け、自分達を守れるようにと鍛えられていた。
 それでも親友の母は人間であり、身体は人間よりの親友。けれどどうしても戦いたい親友は、化け物に差し迫る直情さで魔道を学ぶ。その執念こそが、呪いという禁忌の魔道への適性だった。
――これならオレ自身が弱くたって、呪殺の力は化け物にも通用するんだからな。
 そんなことを楽しそうに言う親友に、少年はいつも最初の希みを返す。
――別にキラは、強くなくていいよ。敵は俺が殺せばいいんだから。
 淡々とそう言うと、不敵な顔に最後の願いを隠す親友がふざけろ、と笑い返す。
――オマエは殺すなって言ってんだろ、バカ。ユオンはオレの背中を守ればいいんだ。
 親友も戦おうとする理由。故障した五感の少年がヒトを殺せば、その痛みは全て少年に還る、と親友は心配していた。
――だからユオンはヒトを殺すな。オレ達は二人で、オレ達の母さんを守るんだ。
 オレは「キラ」だからな、と誇らしげに微笑む親友に、少年もまたよく笑った。

 二人はそうして張り合い、戦う力を磨いた。少年は隣山で剣の師につき、陽気な親友は里の困り事を解決して重宝され、彼らが揃えば警備隊の真似事もできるほどだった。
 そんな二人をある朝、母――「千里眼」はお使いに出す。
「キラ、ユオン。ユオンのお師匠様が体調を崩して困っているわ。二人で看病に行って」
 滅多に帰れない親友の父から紹介された、隣山に住む剣の師。「千里眼」の言葉に従い、少年達は揃って隣山へと向かった。

 親友はそこで、彼らの母の思惑に反したことを思い出してしまう。
「そういや、母さんの薬も切れてたっけな」
 それは母思い故に、呪術に手を染めた親友の末路――親友自身に還った呪いだった。
 ここで気付かずとも、親友は何かで先に家に帰る。そうして必ず、母が殺される現場に居合わせてしまう。
「師匠の看病なんて、俺だけで十分だから」
 そして少年が知らず呪詛に促されて、誰より早く帰っても間に合うことはなかった。
 この時の少年の力では間に合わず、その惨劇を殺すことができない。誰もが息の根を止め、呪詛すら消えてしまう無力が待っている。

 ゾレン西部にいた昔、強大と名を馳せた将校の知った一団。それがザインに現れたのを、「千里眼」はその朝に探知していたようだった。
 体の弱い育ての母は、一団がもし追手なら、先のない自分だけが見せしめに殺されれば良いと考えたのだ。まさかとは思いながら、念のために二人の少年をなるべく遠くに隠そうとした。しかしそのもくろみは失敗してしまう。
 英雄の息子の居場所を尋ねる拷問と共に、裏切り者として殺されゆく時、赤い眼の実の息子は帰ってきてしまうのだ。

――オマエだけでも、助かってくれよ。
 ……殺したい。何の役にも立たない呪詛が、そう(うめ)き始めた。
――俺さえいなければ、みんな――……。
 彼らを襲った不幸の因。少年が存在してしまう限り、この光景は変えられない呪いであることを知る。

 そして少年は、彼の全てを奪った男に、まばたくことも忘れた暗い目を向ける。
「――どうした? 我が部下達を一瞬で抹殺しておいて、その後はだんまりか?」
 黙って将の男の全身を観る少年に、男は自らの武器を取り出す。ずっと背にしていた、背中を埋め尽くす大きさの戦斧を。

 将の男の遥か後ろ、大使館の方で番兵達が、見送った一団が突然謎の死を遂げたことに慌てふためいていた。
 しかし将の男と少年は、大使館の兵士達が敵対するディレステア人ではない。ゾレンの化け物同士が大使館外で起こした騒ぎに、兵士達はまだ様子を窺っているようだった。
 少年はその後方に、あっさりと見切りをつける。
(アイツらは、コイツを恐れてる)
 それは是非もないことだった。このまま戦えば、少年に待つのも基本は死滅。
 そして大使館にいる化け物に、大切なのは大使館の死守だ。不要に大使館に近付かなければ、この脅威の男に巻き込まれたい化け物の意思は感じられなかった。
「このダゴンと戦うつもりか。愚か者よ」
 将の男が過重な戦斧を地面に叩きつけると、地鳴りかのような震動が少年の元まで轟く。森から出て小さく佇み、狭小な剣を構える少年を非力と笑うように。
「国賊エア・レインの元で、ライザの息子が匿われている。その情報をよこした男からもあの後連絡が途絶えたが、貴様が殺したのか」
 あ――……と。少年は、初めの命を思い出した。
 密告した一家の惨殺場面を見届けた後に、わざわざ現場に戻ってきた裏切り者のことを。
(……アイツは……コイツの、知り合いだったのか……)
 密告者は千里眼一家と引換えに、里にいる他の者の恩赦を取引していた。性根は悪くない普通の化け物だった。この一団に通じる前に口を塞いでも、どの道それを不信に思われ、将の男は里に来てしまう。

 裏切りの現場で、(なぶ)り殺された赤い眼の少年が立っていた。そのことに密告者は驚愕し、愚直に叫んだのだ。何で生きてるんだ、キラ――
 次の瞬間には少年は、少年のこともゾレンに売るだろうその(あだ)(ぐさ)を、身を守るため、地獄から生まれた激情のままに殺した。
――……あアアああアアアアア!!
 同じ里で暮らしていた仲間だった。
 密告者とはいえ悲しむ家族も友人もいる里に、それ以上いられるわけもなかった。

「難儀したものだ。エア・レインもその息子も、どれだけ痛めつけても頑としてライザの息子の居場所を吐かぬのだから」
 アイツはやばい。だから逃げろ、と。事切れる寸前、親友はそう言い遺した。
 少年もそれをよく知っている。呪詛は何度もこの化け物に挑み、冥府より深く呪っても勝てなかったのだから。

 ひたすら黙って立ち尽くす少年に、怪力の男は片手だけで、巨大な戦斧を振って構える。
「ライザと違い、随分と脆い体だな、貴様は」
 男が西部最強の称号を得るのを長く邪魔した、「最強の獣」――同じ西部出身の英雄への妬心は深いらしい。それに比べて貧相な気配である少年を、ここぞとばかりに高く嘲笑う。
「母方の血か。しかし貴様の母も、脅威の種であったのだがな」
 管轄の違いで、将の男は英雄と直接戦えなかったのだろう。いびつな笑みをたたえつつ、やっと憂さが晴らせるというように、少年の方へとゆっくり歩みを進める。
「所詮は愚かな、混血と混血の子。父と母、どちらの血も薄まった貴様は雑種以下の化け物……人間とそう変わらないということか」
 一歩ごとに大地を震わせる男は、有り余る「力」を全身に巡らせ、匂い立つ気魄が暗い大気に立ち昇っていく。その在り方は醜悪にしか感じられず、少年は強く眉をひそめる。
 死んだ他の兵士とは違い、少年の「力」を弾くほど屈強な獣の戦斧を受ければ、一撃で人間は死に向かうだろう。歪んだ楽しみのために、嬲られ続けでもしなければ。
「ライザへの土産話だ。思う存分、嬲り殺してやろう――エア・レインの息子のように」
「――……!」
 少年の正面で将の男が、地を割るように戦斧を振り下ろした。地表を走る重い「力」の衝撃だけで少年は吹き飛ばされた。
 後方の丸木小屋に叩きつけられ、小屋ごと全壊する「力」の余波に、少年の体は早くも六割方を破壊される。
 ああ、本当にやばいな、コイツ。勝算など一割もないことを、体の芯を灼く呪詛がよく憶えている。

 命を惜しむ猶予などない。動けなければ即、殺される、と呼吸を止めて全ての「命」を壊れた体躯の補完に回す。
 瓦礫の中から血を吐きつつ立ち上がる少年に、将の男はまたじわじわと近付いてきた。
「逃げようとしないことだけは感心だがな。さすがは、英雄の息子と言ったところか――それとも、ただの無謀か?」
「……――」
 そう、逃げろ、と。育ての母も親友もそれを望んだ。
 だからこそ少年は、この断頭台に踏み止まり、俯きながら軋む体で再び剣を構える。

 迫る常闇に、知らず、俯く少年の口元が歪む。
(困ったよな、キラ……エア母さん……)
 ほとんど勝てない。わかっていても、ここで相手に背を向ければ、その背中を討たれる。
 ここで戦うことだけが打開策だった。それは黒闇(こくあん)が広がっていく、泣き出しそうな空だけが知ること。
――殺さなきゃ、殺されるから。
 だから少年は逃げることなく、剣を構える。
――今度こそ……俺は……。
 暗い色の目を呪詛が燃やす。ぎこちない口端が上向きに裂ける。
「……やっと、殺せる」
「……――む?」
 将の男は、少年の全身の戦慄にそこで気が付く。
「俺は――殺したい」
 顔を上げて男を見た少年は、将の男以上の喜悦で、嗜虐に歪む笑みをたたえていた。
――殺したい殺殺した殺したい殺し殺したい殺したい殺したい殺したい殺し――……!!

 少年が映す親友の形見、何処かに消えてしまった黒いバンダナが、少年の故障した目と耳を少しでも塞いでいたこと。不休の呪詛をいなし続けていたことを誰も知らないだろう。
 解放されてしまった殺意は制御を失い、全ての「生」を戦うためだけに少年は吐き出す。

 次の一瞬、男は信じ難い状況に陥る。
「がっ――ッ!?」
 初動から全速、将の男の懐に滑り入った。化け物以上の速さに驚く頭上に向かい、細身の剣を斜角に刺し上げる。硬く閉ざされた無敵の甲殻の、ごく少ない弱みを精確に抉って。
「な――!?」
 すぐさま離脱する少年に男は驚愕して戦斧を振り回し、傷口を押えて一度後退した。

 少年と同じように血を吐きながらも、まだまだ動く力は残る将の男。少年は冷やかに、再び相手の全身に暗い目を向ける。
――……間違っては、いない。
 その豪強さに呆れながら、次に狙うべき弱点を少年はひたすら観察する。
「貴様、何故我が体を貫くことができる!」
 生命体としてかくも強靭な雑種の殻は、少年の最初の「力」を男の内に届かせなかった。しかしそうした甲殻を持つ生き物の急所は、殻の繋ぎ目である節であり、男が魔道を扱う理由は弱みを擬態で隠すためだ。少年が親友の姿へと赤く変えられたように。
 敵の弱味を、初見から狙い討つ天性の死神。将の男はここで恐れを持ち始めたようだった。
 されど西部最強たる強大な将校は、動揺など寸刻で叩き潰していた。
「そもそも先程の力――命を直接削ぎおとすあの力は何なのだ、貴様」
「…………」
「あのような力は、ライザも使ったことがない。勿論貴様の母にしてもだ」
 知るか、と。もう呪詛以外心にない少年は、それだけ将の男に毒づく。
 この衝動を、何と呼べばよいのだろうか。少年自身にはわけのわからない確信だけがあった。
 思えば少年は、黒い鳥の敵を殺すはずで――これは、あの少女の敵だっただろうか。

 ただ英雄に見せつけるためだけに、この男は少年とその周囲を狙った。そんな災禍に、ヒト殺しとして出会えた少年は嗤うしかない。
 それはおかしい。何かが違う、と誰かが叫ぶ声など聴こえるわけはない。
――将校の一人でも暗殺すればいいにょろ。
 そう、つまりは役目なのだ。それなら誰にも、少年を止めることなどできない。
 殺したい。その鼓動は確かに今、焔となって少年を燃やす。それはひたすらに赤く、絶えない呪いをも凌駕する呪詛。

 一団が現れ、少年の空気が変わった時点で、すぐにそそくさとソレは避難していたわけだったが――
「なるほどなぁ、にょろ……」
 少年と将の男が始めてしまった殺し合いを遠目に、茂みに隠れる抜け殻蛇が呟く。
「オマエは最初から……そのために殺しているにょろ?」
 少年は両親が、どんな「力」を持っている化け物なのかは知らなかった。
 争い事から遠ざけられて、秘境の山奥で生きていた少年の戦う力。それは単純に、化け物の身体能力を活かす剣術を習っていたことや――
「『心』は『命』にょろ。生き物というのは、生きた心が体を動かして暮らす物だにょろ」
 ただ、余分な心を切り捨て、そこから生まれた「力」を相手の心髄に作用させること。それが里を出た直後に気付くことになった、「生」を吐く少年独特の戦い方だった。

 その意味においては、少年も言ったように、この抜け殻蛇は直接生きてはいない。
 抜け殻蛇は命も心も、何も存在の内実を持っていない。
 ある緋い蛇が「神の意」を受け、その抜け殻からできた「先導(デューシス)」が、蛇の現身の頭脳を代弁している。そうして少年達を導く「力」となっただけなのだから。
「ディレステア軍営も、騒ぎに気付いたようだぞにょろ。さて、各々、上手く動くにょろ?」

 ディレステアからゾレンまで、第六峠の上空は急速に暗みを増していった。
「大使館のゾレン軍も動揺しています。どうかこの隙にヴィアへお向かい下さい、王女」
「でも――……キラが……!」
 未だに少年の真実を知らない王女は、渦中の少年を置き去りにすることをためらい……その肩に無言で、背後から忍の少女が冷たく手を置く。
「……シヴァ……」
 そうして二人の、旧き日の誓いのために。弱き人間の王女はついに、帰国を果たす――

◇⑬◇ 最後の希み

 「死」を刻み、「生」を外に放つ化け物の少年の躯体が軋んだ。
「――……ッぁ――」
 食餌なしに「力」で体を動かす少年は、それはそうだ、と己の現実を俯瞰する。
 最初に「命」を使い過ぎ、また相手の初撃で体を壊され過ぎたのだろう。折れた骨格を無理につなげ、筋の切れた手足で地を駆け、剣を振るう――それらを「命」で補えるのは、流れる水を糧とできるような少年の特性だったが、その「力」が無くなれば唐突に自身の「生」は終わるだけなのだ。
(あと二撃と……首を落とせば終わるのに)
 将の男の全ての急所を観ることはできた。ところが圧倒的に、それを遂行する「力」が足りない。それも見切った少年に先手で動くことはできず、男と睨み合いを続ける。

 のべつに空を覆う黒い雲から、ぽつぽつと雨が降り始めていた。少年はふっと、顔を上げて感情の火を消す。
 それに男は不快そうにし、低い声から遊びの容色を完全に消し去っていく。

「単体で一個師団を潰すライザとは別種だが……貴様もどうやら新たな脅威であるようだ」
 ぐるりと戦斧を回し、将の男が持ち手を重心に変える。
 余裕に満ちていた嬲り殺しから、必ず殺す、と方針を切り替えたのだ。あの巨斧をまともに振るわれたら、死ぬ。少年はすぐにも理解していた。
 孤立無援で隠れ場所がなく、防御も回避も、とにかく「力」が足りなさ過ぎる。長柄の斧を前に、少年が先刻懐へ入れたのは、嬲り殺そうという隙を男に見つけたからだ。
――……そもそも、勝てない。
 覆せない自明の理。わかりきっていたことなのに、どうして少年は剣を取ったのだろう。

 重苦しい雲からさらに、絶望を唄うような夕立が、少年と男を矢継ぎ早に叩き始めた。
「せめて原形は留めて、ライザに見せつけてやりたかったが――」
 この少年を侮れば命取りになる。それに気が付いた将の男は、されば滅するのみ、と。戦斧を頭上で高速回転させながら、人工の竜巻さながらに轟々(ごうごう)と飛び上がった。その容赦なき猛攻は将の男の王手だった。

――……殺したい……?
――……殺したい……。

 死を直視した少年の脳裏から、何故かふと、遠ざかっていく呪詛。
 何度でも殺せ。そう嗤う声が、聞こえた気がした。


 雨粒一つ逃さず弾いた男の迫撃に対し――
 少年はぎりぎりまで動かず間合いを詰め、自身の轢死を観るその直前に、細い瞳孔をかっと開いた。
「……殺したい」
 呪詛の黒闇が、影を潜めた。少年自らの視界こそが、最適の剣を振るわせる鍵となった。

「なっ――なぁぁあっっ!?」
 猛り狂う戦斧は大岩の如きで、巻き込まれる間隙すらない剛体の失策。
 込められ過ぎた回転力を、それまでの少年には考えられない「力」で甲状に受けた。戦斧を袈裟がけに逸らして流す。
「青い――青、目、あ――……!?」
 見事に捌いた戦斧の真横をすり抜けた後、少年はすぐさま背後の男へ振り返った。

 豪雨の内で目を光らせた死神は、今度は懐ではなく、殻が重なる脊背(せきはい)に凶刃を伸ばす。
「貴様、その目は竜人(りゅうじん)の……!?」
 隠された甲殻の節を、確実に二カ所、針に糸を通す精度で貫く。将の男はそれで完全に力を失い、戦斧も取落とし、ぬかるむ地面へぐらりと倒れ込んだ。
 その傍らに少年は、目だけを青く浮かべる亡霊のように佇む。全身から黒雨を滴らせる様を、九死の男は愕然と、辛うじて動く灰色の目で見上げる。
「まさ、か……この雨から、『力』、を……」
 水脈を司る化け物である、少年の母の脅威を知る男ならば。
 場に猛雨が訪れた時点で、その敗北を悟っておくべきだったのだろう。
「……――……」
 言葉無く、倒れた男の横に立つ少年は、激しく打ちつける雨を青い目に滲ませる。
――今度……こそ……。
 この数瞬で、少年の体は完全に壊れた。つながっている骨など一つもないくらいに。
 それでも最後の補填のために、ただ恵みの雨の力を貪る。
 呪詛が待っていた唯一の勝機。将の男の言う通りの化け物、「竜」。母から流れるその血脈を、滝や川に伏する以上に力付けるために。

 何故か今、将の男には青く見えている目は、母譲りで少年本来の眼光なのだが――
 その母の血は、それ自体が竜と人間の混血で、決して濃いものではなかったというが、最強の「力」とされる竜とは、この大陸のみならず世界中で怖れられる天災。純然たる「自然」の化身だった。
――これがアイツの特性なのはわかるがにょろ。それだとアイツは矛盾だらけだにょろ。
 個体数が非常に少ないために、有り得ないとまでいわれる「竜人」とは、自然の脅威がヒトの形をとった化け物だという。
 自然そのものである体は、同系統の自然界から直接「力」を受けられるのが特徴となる。少年が親友のように、魔道家と人間の子であれば、滝に入るだけで疲労を回復することなどできない。外界の熱を己の「力」とできる、「自然より」の黒い鳥以上の効率がそこにある。
 特にこの少年は「雨」によすがを持つ化生であることを、その身を灼く呪詛だけは知っていた。

 淵水に臥し、めったに世に現れない竜のように。そうして常に身の回りの自然と繋がり、自然と命を共有し、いつかは自然に回帰する化け物は――
 それ故に命を「力」とできる少年は、肌身を伝う雨に融けられるほど、もうぴくりとも動く力は残っていなかった。

――……殺し――……たい……?
 何かを考える力すらも、今の少年にはない。「命」――「心」は使い果たしてしまった。
 どうしてここにいて、何を望んで戦ったか。足元の男が誰だったかさえ思い出せない。
――……殺し、……たい――……。
 とにかくこれは殺すべき敵で、男の首を断たねばならない。その呪詛にだけ思いあたる。

 仰向けからうつ伏せへ、しぶとい将の男が死にもの狂いで体勢を変え、這いつくばって逃げ出そうと試みていた。逃げられる前に首を落とすなら、少年も「力」の補給が間に合わず、その一閃で自身の「命」が尽きる現実がそこにあった。
 今ここに立っているだけで、限界が近い。少年の全身を黒闇の虚無が塗り替えていく。
――……何で……殺さないの……?
 刃こぼれだらけの鋼の剣は、「力」を込めなければ使い物にならない。だからその結末、相討ちは仕方のないこと、とヒト殺しの少年は拙く思う。
――……俺は――……――
 早く……早く。嵐の水が滴るヒト殺しの頭は、そんなことしか考えられない。

 しかしそれは、やはり、何かがおかしかった。
 呪詛を燃やす鼓動すらも、残っていない青冷めた心。そこには少年が、男を殺す心持ちが残っていない。むしろ誰か、赤い眼の誰かが、オマエは殺すな、と何度も呼びかけてきた。
 オマエだけでも助かってくれ、と。黒いバンダナを巻く誰かが、今も血まみれで叫ぶ。
――……あ――……――
 そして青い目の少年は、真実に気が付く。この状況は、消えた誰かの願いではなく――
――……俺は――……殺したいんだ……――
 憎しみを越えて、最後まで残った呪怨。それは自身の希みであったことを。

――……殺したい……。
――……殺したい……――

 膝を屈し、崩れ落ちてしまいそうな心。その幕引きを希む己と――
 踏みこたえ、敵の存在を憎みながら、生きろと願う赤い呪いがあった。
――俺は……殺したいんだ、キラ……――
 憎悪を焚きつけながら、オマエは殺すな、と何度も叱咤するバンダナの誰か。少年は重い剣を握り締め、泣き出しそうに希みを訴える。殺したい、と、殺させてほしい、と懇願する。
 少年が、生き延びるためであるなら、もうここで剣を収めなければいけない。けれども少年は、そうしたくない。それは紛れもなく、少年自身の心からの呪怨で……その希みに抗え、と赤い焔は呪っているのだ。たとえそれで、その憎悪の仇を見逃したとしても。

 「生」を吐く少年は、ヒト殺しは許されざる咎だとわかっていた。
 だからこそ、抗いながらも悔いることはなかった。
 それは少年には、ただ、罰であったために。

 強くなる一方の雨脚の下、泥水にまみれながら、将の男が大使館に向かって這い始めた。
「……――」
 自尊心を捨てて助けを求める気だろう。無様に地面を這いずる仇敵への怨嗟が戻る。

 止める誰かは、もう帰らない。いくら止められようと、少年を満たすのは凍てつくだけの呪怨。だから今度こそ殺したいのに、それが役目であるのに、立ち尽くしている自分が理解できない。
 余分が全て失われて、少年の内に残った心は、たった一つの希みだった。
――……何で……生きてるんだ……。
 無様なのは誰か。少年はそもそも、誰を殺したかったのだろう。
 真っ赤な呪詛とは、少年を取り囲むもの。青冷めた呪怨は、少年の奥底にこびりつくもの。どちらも何かを殺したがった。少年という境界が融けていくのは、最早時間の問題に過ぎない。

 黒い空に剣を掲げる。濡れ渡る外套が絡みつき、出来の悪い彫像のように腕が固まる。
 これを振り下ろせば、全てが終わる。それが敵を殺すヒト殺しの答のはずだ。
 希みか義務かは、もうわからない。何の義務かを、問える余力は此処にはなかった。

 けれど、冷え切った体がふと思い出した。それは、少年を預かる理由を育ての母に尋ねた時の、言葉の代わりに返ってきた安らかな温もりだった。
――いつか……戦いが終われば……。
 答の意味はわからなかった。それなのにどうしてか、それで良い、と思ってしまった。
 あの時とほぼ同じ温もりが、つい先日まで少年を守り、すぐ傍らにあったはずで。
 それこそがおそらく、少年を永劫縛り続ける、人間の嘘と化け物の「束縛」……――

 自らの命を寒雨に還しても、ヒト殺しの少年は災いの芽を摘むはずだった。
「――駄目、キラ……!」
 あまりに不意に、投げかけられた声。激しい雨中を、聴こえるはずのない声が駆けた。

 剣を振り上げた少年の腕を、すんでのところで背後から掴み、断罪の(とき)を阻んでいた者。
「……何、で……?」
 振り向いた先には、もう国に着いてよいはずの、雨露を弾かせる黒い鳥の姿があった。

 覆面をずらした黒い鳥は、潤む双眸と同じ真紅の唇で、息も絶え絶えに想いを発した。これまで決して封印を破ることはなかった、少年がよく知っている声と言葉で。
「……もう、やめて……キラ……」
 その玉の声音は、古語と共通語で話す人間の娘と同じ容色。だから隠され続けていたもの。
 少年のためだけに黒い鳥は、息苦しい片言の新語で、出さずにいられない声を続ける。
「それはアナタを……傷めつける、だけ……」
 腕を引いて、少年を寄せる柔らかな手は冷たく弱々しいのに。肩で息をしながら凛としている声は、荒れ地を乱れ打つ雨音の中でも、確かに少年に届く。

 だらりと、力無く垂れ下がる少年の手から、取り落とされた鋼の剣が地面に突き刺さった。
「……何で、シヴァ……」
 少年にはもう、わからないことだらけだった。
「何で……あんたが――」
 どうして黒い鳥が、ここにいるのか。どうして黒い鳥は――少年を止めているのか。
「何であんたが……それを、言うの……?」
 どうして少年に、殺させてくれないのか。
 王女のために、少年を切り捨てたのは黒い鳥だ。少年もそれが正しいとわかっていた。それなのに黒い鳥は、「王女」を国に帰さずに、わざわざ何を声にしているのか――
「あんただって……殺すのに……」
 間近で哀しげに見つめる紅い目。何から尋ねればよいか少年はわからず、あの鳴き声の意味を思わず問いかけていた。
 殺さなきゃ。今でも黒い鳥は直向きに願っているだろう、鳥自身への魔性の思いを。

 銀色の髪を浸す雨が、かけがえのない焔を知らず流している。少年に泣き笑いが浮かぶ。
 雨風の中、黒髪のように面紗がなびく黒い鳥は、小さな両手を祈るように胸元で握る。

 ヒト殺しの少年とは、近くて遠い望みを持つ黒い鳥が、少年に痛ましい想いを返した。
「私はキラに……もう、殺してほしくない」
「――……」
「アナタはきっと……誰も、殺したくない」

 少年がこの場で、無残に立ち尽くしていた理由。
 真っ赤な呪詛に、消され続けてきたものは何だったのか、その深い望み。
――殺したく……なんか……?
 少年は何もわからず、ただ、気付いてはいけない想いを忘れる。

 おそらく黒い鳥も、少年の心など何一つわかっていない。少年を案じるばかりの答も、慣れない新語では言葉足らずとしか言えない。
 少年も何一つ、黒い鳥をわからないまま、自分でも理不尽な穏やかさで微笑んでいた。
「殺したくないのは……あんただろ……?」
 少年と黒い鳥は、激しい雨に打ちのめされながら――向かい合ってただ立ち尽くす。
「それなら……殺さなければいい」
 少年の答に黒い鳥は、少し前と同じように、無常の沈黙を漆黒の全貌にたたえる。
――貴男だって……。

 黒い鳥は少年を、毅然と見つめ直すと、最も大切と観える想いを一番後に口にした。
「……アナタのおかげで、ゾーアを守れた」
 人間の娘は国に帰せた。だから次は、少年のために戻ってきた。それは間違っている、そう感じた少年だったが――
 黒い鳥は、元よりそのつもりだったのだ。優先順位を間違えるな、と己を戒めてはいるが、優先自体をやめる気はないらしい。その甘い姿に、少年の切り詰めた心がはじけた。
「あんた……バカ、だろ……」
 またも無礼なことを言う少年に、黒い鳥が怒って場が凍ることもなく。
 力尽きて膝を折った少年が、泥土に無残に沈む前に、不審な緋い人影がぼろぼろの身を受け止めていた。
「それはオレ、どっちもいい勝負だと思うぜ?」
 意識は僅かに残っていた少年は、神出鬼没で気侭なソレに、呆れて返す言葉も出ない。


 黒い鳥が現れてから、将の男は少年の殺意を免れ、必死に大使館に向かっていたが……この雨は男の動きを大きく阻み、大使館とは違う方向の森に男を迷い込ませていた。
「――……!?」
 その森の際に、二人の強大な化け物が黙って木陰に立ち、地を這う男を取り囲んでいた。
 一人は全身を外套で覆い隠し、正体の全くわからぬ大男。もう一人は明らかな異人の、赤い髪と目の美丈夫だった。
「な――……クラン・フィシェル……!?」
 黒い宝の剣を携え、水禍の魔道書も手挟(たばさ)む有名な雑種。将の男の全身に冷汗が走る。
「何故ここに……!? まさか……この不可解な雨は、貴様が……!?」
 男が少年に敗北した最大の因、それは仕組まれたものであること。
 どうその罠に嵌められたのか、惨たらしい今わの際に、果たして男は悟っていただろうか。

 そうしてとても近い森に、懐かしい気配があると気が付いていた少年は、緋色の髪の大使に抱えられながら必死に目を開けようとした。
(やっぱり……おじさんが……)
 育ての父と言える大切な相手、第二峠のザイン大使。
 しかし微動だにしない体に、第四峠のレジオニス大使に即座にたしなめられる。
「やめとけ。アイツら通行証がないから、出てきたゾレン兵とこれから追いかけっこだぜ」
「……――」
「せっかく少年を雨で隠して、囮になってくれてるんだしよ。このままシヴァちゃんに、ディレステアまで連れていってもらいな」
 少年はそろそろ、意識を保つのも限界であり、それを見越した大使の言葉だった。
「いいだろ、シヴァちゃん? 気を失ってれば、抜け道がどこかもわからないしな」
「…………」
 大使が現れた時から険悪な空気の黒い鳥は、不服気ながらも少年を大使から受け取る。
 いつも王女の分まで旅荷物を持った黒い鳥が、何とか肩越しに抱えた少年の背中を、大使はぽんぽん、と叩いて軽く笑った。
「ま、フィシェル大使さんは、オレのお供がちゃんと送るからさ。安心しろや、少年」
 以前に片翼の色男を回収した謎の大男を、大使はここにも連れてきたようだった。
 黒い鳥は大使の言葉に気を取られて見逃していたが、少年の外套の内に、大使が背中を叩いた時にこっそり抜け殻蛇が紛れ込んでいた。
「内緒だにょろ、キラ! オイラも一緒に、ディレステアに行くんだにょろ!」
 少年にはすでに、その不審物を黒い鳥に伝えられる力も残っていない。

 何のためにここまで来たのか、緋色の髪の第四峠大使は、少年達をあっさりと後にした。行きずりの同伴者が待つ森に入った大使は、無言の男達の中で軽々しく口を開く。
「んーで……こうして、騒ぎに乗じて、頑固なユオン君をお迎えにきたのはいいが」
 緋色の髪の大使は、地面に転がる無残な化け物の亡骸に、おっと、と軽く顔をしかめる。
「こんな助け舟を出せるアンタは、気付いていたのか? キラ君とユオン君の入れ替わりに」
「…………」
 沈黙したまま背を向ける、火のような赤い目を持った相手。
 その痛哭を知る緋色の髪の大使は、一つだけ深い溜め息をついた。
「お互い、不審者だ。ザインとゾレンの殺し合いなんて、見なかったことにしてやるよ」
 そうして、元々大使仲間であった者達は、成り行きで結んだ協力関係に区切りを打つ。

 少年の背の上で、外套の(たる)みに隠れる抜け殻蛇は、密入国の協力のお礼とばかりに、この場の事情をよく喋っていた。
「アイツらはディレステアから、第五峠回りで来たんだにょろ。だから時間がかかったんだにょろ。オイラもそっちで入国してもいいんだがにょろ、キラが心配なんだぞにょろ」
 覆面をしている黒い鳥には、煩い雨音もあいまって、抜け殻蛇の声が聞こえていない。痩身とはいえ、軽くはない少年を抱えながら、全力で「壁」も張って隠れ進む黒い鳥に、意識の途切れかけた少年はただただ頭が上がらない。
 そして妙に恩を着せる抜け殻蛇にも、何も返答する気力がなかった。
「ほら、オイラの言う通りに動けば何とかなったにょろ? 感謝するんだにょろ、キラ」
 ヒトを巧く利用しつつ、使い捨てもしないソレに、少年は憮然と閉口するしかない。

 本当に、この一行の中で、最も掛け値なしに少年を心配するのはいつも黒い鳥だった。護衛として少年に仲間意識を持ちつつも、黒い鳥自身も戦う心は強く、少年だけを当てにする気は毛頭ないのだ。
 だから黒い鳥は、その周囲が少年に頼んだ依頼を、全く知らないのだと少年は悟る。
――シヴァの敵はアナタが殺してほしいと思っているの。
 少年は本来、誰かに触れられることがあまり好きではない。王女に泣きつかれた時も、無碍にはしないが、その感情が大きく伝わって胸が辛かった。
 しかし今、少年をしっかり担ぐ黒い鳥の体温は不思議な居心地の良さであり……そんな風に感じられるのは、育ての母が抱き締めてくれた時以来だった。

 黒い鳥の内に幾度も流れる、まっすぐで甘く、強い感情。
――アナタのおかげで、ゾーアを守れた。
 人間の娘の本名を呼ぶ紅い目には、少年の身元に関係ない信愛が溢れて余りあった。
 英雄の庇護を失った旅を、やり遂げられた確かな力を、黒い鳥は自らにも見出せていた。見知らぬ異国で二人だけで逃げ延びる、その決意からして大したものだが、敵を害さずに国に帰れることが清らな黒い鳥の理想だった。道中には不安と重圧しかなかっただろうに、真の望みを曲げることなく、人間の娘を最後まで守り通せた。
 だから一人で、少年を迎えに戻れた。自らが強くさえあれば、その甘さを殺さずに歩んでよいのだ、と願って。

 黒い鳥の力強い歩みに気付いていた抜け殻蛇は、それを喜びながら、こっそり見ていた少年の戦いについて不意に語り始めた。
「キラは……誰に動かされて、何を殺そうとしていたんだにょろ?」
 一番の復讐相手を少年は殺さなかった。それは抜け殻蛇には意外であるらしい。
「でも、そうだなにょろ……オマエはずっと、誰かのために剣を取っていたにょろ」

 黒い鳥が自らに、殺さなきゃ、と言い聞かせていた本当の理由。
 それが少年にわかるのは、ここでも少年がその奥底に、黒い鳥と近い心を持っているからだとすれば。

「それならシヴァちゃんのための、剣になるにょろ? それとも……」
 その抜け殻蛇の声を最後に、少年の意識は、黒い鳥の甘さに落ちていったのだった。

◇終◇ 雑種と人間

 ゾレン第六峠にて、ディレステア大使館に訪問中のゾレン軍人の内輪もめが発生した。関係者は全員死亡した前代未聞の事態に、ゾレン東部にも不審の声が広がっている――
 大体そのように騒がれている一連の事変に、当事者の少年は第六峠ゾレン大使館にて、療養も含めた軟禁を余儀なくされていた。

 ディレステア側にあるゾレン大使館で、英雄が長く使っていたという部屋に少年はいる。面会者は制限されており、その質素な部屋に共に滞在する赤い髪と目の美丈夫が、今日も静かに少年の包帯を換えてくれた。
「まだしばらく、体は動かさないようにしろ……どうしても食事が摂れなければ、何とか薬湯だけでも飲むといい」
「……ごめんなさい、おじさん」
 くしゃりと少年の頭を、掴むように撫でる美丈夫は、紛れもなく育ての父なのだった。
「すぐに迎えに行けなくて、すまなかった、ユオン」
 若い頃に医学を学んだ育ての父は、体の弱い「千里眼」と、それで知り合ったという。今は峠に当然のような面持ちで留まり、目も当てられない満身創痍の少年を介抱している。
 心配を前面に、育ての父は心を殺す。妻子を失った弱音を、彼は一声すらも吐かなかった。
「……キラの術は、これ以上は解呪できない。オマエの気配は……もう戻らないだろう」
 第六峠での戦闘時、途中で少年の額の印は消え、傍目から青い目に見えるように戻っていた。それは赤い呪いの主に魔道を教えた実父の、鎮魂の祈雨による浄化だという。
 しかし少年の気配は今も以前とは違い、人間のような拙さに包まれているため、うまく少年を探せなくなっているということだった。気配とは本来、容姿より確実な、化け物が互いを識別する不変の波動であるのだから。

 どうやら少年は、気配だけが親友に近くなっているらしい。横たわる寝台で、薄い掛け物を握り締めた。育ての父に正気を保たせているのは、少年を実子のように想う心だけだった。
 妻子を奪われたザイン大使を、もしも赤い焔で欺けるなら、その時は何をしても親友になりきって暮らそう。第二峠を目指した頃の少年はそう思っていた。
 それでもまっすぐ第二峠に向かう気概が持てず、ザイン大使の息子とも名乗れなかった少年に、育ての父は悲痛を噛み殺す赤い目をしていた。
「……オマエが無事で、本当によかった」
「…………」
「ここにいれば、いつかは来ると思っていた」
 少年を見つけることができなかった育ての父が、失踪して第六峠にいた理由は、そこには少年の実父の英雄が長らくいたからだった。
 育ての父に頼るのを憚っていても、実父の下には現れないか、とザイン大使は少年を待ち、ついでに連絡通路の封鎖まで手伝っていたらしい。中立たるザインの者としては越権行為になるが、英雄を失った第六峠の軍は、その強い化け物の極秘の滞在を歓迎したという。
 そして大使仲間の緋色の髪の男につい先頃発見され、王女達と共にいる少年の行方を聞き、ディレステア軍に情報を伝えた。少年が戦い出してからは手助けのために雨を呼び、ゾレンに駆けつけたのがあの日の顛末だった。
 少年は育ての父の予測に、いっそう重く、また険しい顔付きで俯く。
「親父に会おうなんて、今更思ってなかった……第六峠に来たのは、偶然だよ」
「…………」
「俺達のせいで……エア母さんもキラも……」
 その上、育ての父を失踪させて大使の誉れを汚し、第六峠の騒ぎに巻き込んでしまった。騒ぎに収拾がつくまで共に軟禁されている育ての父に、少年は顔を伏せるしかない。
 少年が「千里眼」に似ている、とよく評していたのは育ての父だ。その存在の歪みを、誰より理解していたザイン大使は、俯く少年に慚愧の顔を隠さなかった。
「……オマエやライザを恨むくらいなら、初めから共には住まわせない」
 英雄とは旧知であり、「千里眼」を娶る際に関わったというザイン大使が、深い溜め息をつく。笑わない大人になった親友のような目で、哀しげに少年を見つめていた。
「オマエの感覚は、エアよりずっと狭いが……その分、深く物事がわかっているはずだ」
「……?」
 少年の故障した五感の実態を、より詳細に分析していたのは育ての父でもあった。
「わかっているはずだ。引き受けるべきは、オマエでもライザでもない」
 赤い目の奥に烈しい炎をたたえ、そうしてはっきりと、ザイン大使は固く言い切る。
「俺を呼ばなかったエアの咎と――あいつを最後まで解放できなかった、俺の咎だ」
 それはおそらく、少年が最も拒否した、もう一つの真実だった。

 もしも育ての母があの日、たった一人で不幸を引き受けようとしなければ。連れ合いに連絡をとり、少年達と協力すれば、違う未来も開けていたのかもしれない。
「キラの術なら、俺まで届いたはずだ。そこでオマエが戦えていれば、少なくとも時間を稼ぐことくらいはできただろう」
 しかし育ての母は、その道を選ばず、連れ合いに実子を残すことさえも叶わなかった。
「オマエもエアも、どれだけ我が身を砕いても……自分で自分を許せないんだろう」
 ザイン大使の負担になることを、極力避けてきた人間の女。最後まで嘘吐きだった遠い姿を、雑種の男が思い返す。そのあまりに熱い悲傷に、少年はもう何も言えなかった。
 「治水の魚」という水の大家でありながら、本質は火である異端の化け物。儚い人間を愛した時点でその苦悩を背負い、そしてそれ以上に惨い、運命の業火に焼かれたのだと。

 第二峠から長く離れたままの育ての父は、普通なら確実に失職する状況だという。
 しかし元々信が厚く、極秘裏に第六峠を守ってもいたザイン大使には絶対に復職してほしい、と王女たる人間の娘が息巻き、「千里眼」の代わりに少年は胸を撫で下ろしていた。
 今日も朝から、ディレステア側とはいえまだ第六峠に留まっている王女が、忍の少女と抜け殻蛇を引き連れて見舞いにきていた。
「本当、信じられないわ。どうしたらこんな体で、まともに動けていたというのよ?」
「……だから今、全然、動けないけど」
 ゾレン側の第六峠の騒ぎで、銀色の髪の少年の姿は少なからず目撃されている。第五峠を経由して隠れおおせたザイン大使はともかく、完全に当事者の少年について、今後どう扱うかを王女はずっと苦慮中だった。
 というのも、少年の存在そのものが、両国にとっては大問題だからだろう。
「本当にねぇ、アナタ……」
 それが一番、信じられないことだというように、安静にする少年の傍らで王女が両手をぶるぶると握り締める。
「アナタ本気で、ライザ様をそのまま小さくした感じじゃないの。どうして今の今まで、全く気が付かなかったのよ、私……!」
 ザイン大使が呼んだ雨で、少年の額に刻まれた呪いは半ば流れ落ちた。バンダナの無い少年の暗い青の目と、英雄に瓜二つな面差しに、まさに驚愕した王女一行のわけだった。
「……親父は眼、灰色と聞くけど」
 青い目は母譲り、と聞いていた少年は、少しだけ不服を反論する。
 生来物静かなザイン大使が部屋の隅で見守る中で、抜け殻蛇が代わりに解説を始めた。
「飛竜ライザ――獣の代表と、自然の権化な竜人からじゃ、コイツみたいに呪いの想念に侵されやすい依り代……つまり、自分があやふやな奴が生まれても無理はないにょろ」
「……どういうことさ?」
 拗ねるように首を傾げると、にょろろ、とうねり笑いながら、抜け殻蛇が薀蓄を語る。
「獣の力と自然の脅威は、完全に別物にょろ。オマエは常にその間にいて、どっちつかずで身体も困ってるにょろ。それでも今は、完全絶食の効果で自然よりになっているにょろ」
 だからこそ、ゾレン西部最強の将校を撃退できたのだ、と抜け殻蛇は揚々と告げる。
「獣と自然じゃ、自然の方が力は大きいにょろ。丁度いいからもっと自然よりになって、今まで以上に役に立つにょろ」
「ちょっと。ライザ様の大切な子供のためにならないこと、あまり言わないでちょうだい」
 今やすっかり少年は、「英雄の息子」。それで処遇に悩まれている次第だった。

 少年の安全を考えれば、今後はゾレンには関わらせず、キラ・レインとして存在させる方がよい。ザイン大使もそれを望み、少年を内密に第二峠に引き取るとも言っている。
 しかし少年はどんな立場であれ、王女達の力になるといってきかず、それならいっそ、英雄の息子として発表し、ゾレンに対する切り札としたいのが王女側の都合だった。
「でもこの状況でユオンの身元がわかれば、第六峠では大きな反発を呼ぶでしょうね……」
 王女としては、新たな英雄がほしい。しかしこのあどけない少年に、これ以上は無理をさせたくない、その狭間で揺れ動いている。
 何よりこの少年は、とにかく傍目には危うげらしい。
「ところでいつ頃、アディ達は裏切り者大使の第四峠に乗り込むんだよ?」
 それとも第六峠の奪回が先か、と和平より戦うことばかりを少年は考えている。王女がザイン大使に助けを求める視線を送ると、少年は元々そうであると、育ての父はもろ手を上げて溜め息をつくのだった。
 王女の力になりたいだけで、英雄扱いをしてほしいわけではない少年に、そうして話はいつも平行線を辿る。
 そんな折に、王女に遅れて忍の少女が部屋に入ってきた。寝台内で上体を起こして座る少年に、硬い陶器の水飲みを静かに差し出す。
「…………」
 それはいつかの地底の、焼き直しの光景……以前少年が飲まなかった、同じ薬湯を煎じてきた忍の少女だった。
「――ほら。シヴァがまた作ってくれたから、飲みなさいよ」
 温かい陶器を受け取った少年は、こくりと頷き、その苦甘い飲み物にそっと口をつける。
「ライザ様も、疲れた時はこれが一番って、お気に入りの薬湯だったんだから。全く……唯一何とか摂れたものが、そんなまっずい、用意も面倒な煎じ薬の飲み物だなんて」
 何とか何も吐かずに、ほんの僅かずつでも口に含む少年を、王女やザイン大使が温かな赤い目線で見守る。腕をふるって用意した忍の少女の紅い目も、心なしか嬉しげに緩み、少年の少しずつの回復を黒い鳥は待ち望んでいるようだった。
 その眼差しは、少年が元気になることを、ただ心から願っているだけなのだ。

 完全に身元がわかり、なおさら厚い信頼を受けるようになった少年だったが――
 溢れ返る温かさの中でも、それは消えなかった。
――……殺したい……。
 むしろ地道に、その呪詛は少年を侵し、空ろな胸の呪怨とつながっていく。

 賑やかな王女達が帰っていき、育ての父も所用で数日留守にする、と出ていってしまった。一人になるといつも胸苦しさが喉元を越え、少年は一睡もできないでいた。
(……なんて、使えない奴……)
 なかなか上手く動かない体に、相変わらず気持ちばかりが焦る。忍の少女が作る薬湯を必死に飲むのも、一刻も早く、動ける体になりたい一心からだ。
 それでもごく僅かずつ、溶かすように流し込むのが精一杯で、今も食物を受け付けない体は、傷が癒えても英雄ほどの戦いは望むべくもない。それぐらいはわかっていた。
 飛竜という最強の獣を操る英雄は、ゾレンの化け物を師団単位で潰せるというのだから……少年には結局、飛竜としても竜人としても、大した「力」はその身にないのだ。

 弱々しい手を見つめながら、呻くような溜め息を少年が大きくついた時だった。
「難儀だよなぁ、少年。オレはその気持ち、よぉーくわかるぜ?」
「……?」
 とっくに暗くなっていた部屋に、いつの間にか緋色の髪の大使が訪れていた。入り口の近くの灯りを無遠慮に点火し、寝台の横の丸椅子へ不作法に腰かける。
 ゾレン以来の大使は相変わらずの金色の眼で、少年に気さくに笑いかけるのだった。
「お互い、化け物としてはよわよわだもんな。それでも少年は単体相手なら、英雄並みの猛者だと思うけどな」
「……それだけで、ゾレン軍には勝てないだろ」
 警戒すべき相手かどうか、今も悩ましい大使に、少年はすげなく返すのだが……。
「別にいいじゃん。だって少年、ディレステアの行く末に、実際そんなに興味ないだろ?」
 王女達の前では言えないことを、あっけらかんと言う大使に少年は毒気を抜かれる。
 あえて否定しない少年にますます、大使は親近感を持ったようだった。
「できることをやるのが、オマエのいいところだろ。後、これ――ゾレンに忘れ物だぜ」
「……――え?」
 土産を渡したかっただけ、というように、大使が少年に差し出していた見舞い品。それは少年の故障した五感を塞ぎ、ずっと守り続けてくれた、あの大切な黒いバンダナだった。
「……アンタ……」
 何処かで実は、その予感があった。この大使と少年は、切っても切れぬ縁に、知らず動かされている。
 少年がそれを受け取ると、緋色の髪を翻し、大使は振り返るように立ち上がった。
「近い内に、また会おうぜ、少年」
 大使の言う通り、第四峠とその近縁やゾレン王都に、今後少年は大きく関わることになる。

 英雄がいたという部屋は、ゾレン大使館の北側にあり、暖炉をたかないとすぐに厳しく冷え込んでいく。それなのにほとんど薪も備えておらず、暖炉以外の設備も乏しい。
 この冷え冷えとした場所で、英雄は十年も何を考えていたのだろう。少年はふと、思っていた。

 ゾレンとディレステアの再開戦時、幼い少年を「千里眼」に預けた男は、それからすぐゾレンの第六峠へ向かったという。
 育ての母は、それは連れ合いを殺された男の復讐だったと言っていた。ディレステアに助力するつもりなど、男にはさらさらなかったのだと。
――いつかきっと、戦いが終われば、ライザに直接尋ねてあげて。どうしてライザは、戦い続けているのか。
 第六峠を散々荒らした後に、ディレステアに迎えられた男は英雄となった。そこからは十年、牙を向けた祖国に対して和平を求め続け、少年の元に帰ることはなかった。
 少年の両親をどちらも可愛がっていた「千里眼」は、その早過ぎる死別を思い出すのを辛そうにするため、少年はあまり、本当の親ことを誰にも聞かないようにしていた。

 けれど思うこと。赤い焔を燃やすものが、もしも呪詛だけではないのなら――あの温かさが少年の元へ、一度でも来ることができた今なら。

 翌日にまた、見舞いに来た王女に尋ねてみると、王女も和平交渉に向かう時まで、あまり英雄と話せたことはなかったという。
「でもライザ様は、休戦中に、ゾレンで家族と一緒に暮らせた時が一番幸せだったって。第四峠についた頃には、そう仰っていたわ」
「…………」
「きっとずっと、本当は帰られたかったんじゃないかしら……そんな気がするの」
 王女も、隣の忍の少女も憂い気に頷く。英雄の真相は当分わかりそうになかった。

 ところで、と王女が、少年が腕に巻き付けた黒いバンダナに気付く。その存在に加えて、付けられている場所が不思議、と年相応の娘らしく首を傾げた。
「これ、無事だったのね? どうしてまた、額に巻かないの?」
 格好良いわよ、と微笑む王女に、少年は淡々と、伏し目がちな暗い青の目で答える。
「……つけたら、キラになった」
「――え?」

 大使がそれを持ってきた時に、その場で少年は頭に着けたのだ。すると黒い影を受けた目は再び、大使の眼には赤く映り直していた。
――それ、大事にしとけよ、少年。
 気配が変化したままの少年を包む焔は、潰えてしまったわけではない。それは今までの印から、火元を変えただけであるようだった。
「俺はまだ……キラになれるんだ」

 もしも今、少年に、自身のための願いがあるとすれば――殺すな、とささやく赤い呪いを、そのまま残すことだろう。
 親友の姿を映すようになった当初は、どうしてよいか全くわからなかった。育ての父を欺ける気はしない。英雄の子など戻りたくもなく、言ったとしても証明の手立てがない。
 王女達にはきっと、英雄の子だとわかってさらに喜ばれている。英雄のこともその子のことも、少年は憎悪しているとは知らずに。
――俺は……殺したいんだ、キラ……――
 誰一人少年を責めていないのに、それでも少年は許せなかった。そのことにようやく、あの時の雨の中で少年は気が付く。
 たとえそれが「ヒト殺し」でも――少年はただ、無様な己に名前がほしかった。育ての母と親友を犠牲にしてまで、生きている意味が知りたかった。
 だからずっと答を求めて歩みを止めず、それはきっとあの日、出会えていたのに――
――私はキラに……もう、殺してほしくない。
 黒い鳥は少年から、唯一の希みを奪った。
 でもそれでよかったのだろう。そうでなければ少年は、あの温かさなど思い出さなかったはずだ。

 ……先のない道の、果てに行きたかった。呪詛もきっと、そう望んでいる。
 ヒト殺しには、それが相応であると、それぐらいしか少年には答がわからなかった。
 黒い鳥は、間違っている。それでもそんな黒い鳥が、キレイに観えているなら――少年も間違った自分、赤い焔が映してくれる偽りの姿で、黒い鳥の傍らに在りたかった。

 答を失くした今こそが、答だった。
 もう少年は、呪詛の思惑に気付いてよいのだ。

 赤い焔が戻ってからの少年は、誰もいない部屋でも、呪詛の呻きはやり過ごせていた。王女も忍の少女も、黒いバンダナを見つめる少年に、困ったような笑顔で両目を細める。
 改めて王女は、差し迫った真面目な問題を、少年に対して相談を始めた。
「ユオン。これから私達、まず王都に帰還して、すぐに第四峠に向かうことになったの」
「……へぇ」
「第六峠の兵士団には、王女としての激励を残して出立するわ。アナタがもしも、ついてきてくれるなら……今後、『英雄の息子』としてライザ様のように偶像化される。この国に利用されることは避けられなくなるわよ?」
 引き返すなら今の内だ、と。王女たる人間の娘が、人間としての情けをもって言う。
「ディレステアの軍人として戦わなくても、私の護衛をするというのは、そういうことよ」
 冷酷とも言える、まっすぐな眼差しと忠告。覚悟を持って尋ねた王女に、少年はあっさり、不可解な思いで答える。
「それは別に、どうでもいいけど」
 がくっと王女が、大きく肩を落として溜め息をついた。
「周りが勝手に騒ぐだけだろ。何を言っても俺は、俺が決めたことしかしないし」
 少年も、誰でもよいわけではない。力になる相手を認めたのは少年自身なのだ。
 それなら王女の役に立つことは、勝手に利用すればいい、と思っているのだが――
「あのねぇ。それなら早速、兵士団の激励で、ライザ様の息子だと発表してしまうからね?」
「好きにしろよ。それを決めるのは多分――俺じゃなくて『アヴィス』だろ」
 悩める王女が答を迫る深奥を、暗い目で見通すように静かに訴えかける。思わず王女は忍の少女を、頼りにするよう振り返りかけて、すんでの理性で思い止まった。
「ま、そうね……アナタを利用するつもりが、自国の首を締める可能性もあるわね」
 確かに、利用する側が考えるべきことだわ、と。安定感のない少年に人間の娘が頷く。
「――……」
 複雑そうな忍の少女を後ろに、今日はもう休む、と自室へ戻った人間の娘なのだった。

「…………」
 おそらくは、少年の処遇を真に判断すべき者として、忍の少女は寝台の横に留まる。ずっと黙って少年を見守り、肩の抜け殻蛇まで言葉を発さない、異様な沈黙が訪れていた。

 黒い鳥はいったい、何を葛藤しているのか、この頃は複雑になって少年にはよくわからない。
 雨の中で、自らの玉の声で話した黒い鳥は、まるで夢だったかのようで――
 それが残念だった少年は、思わず余計なことを、軽率な母語で言ってしまった。
「……なぁ。あんた、やっぱりバカだよな」
 少年を英雄として利用することを、その少女は危機管理以前に、人情でためらっている。以前より甘さが激しくなったとすら言えた。
「使えるなら使えよ。でなければ捨てろよ。今のあんたには、必要なさそうだし」
 様々な経験を積み、確かに飛躍した黒い鳥に、まるで他人事のように少年は心を伝える。

 はっ、と、黒い鳥が息を飲み込んでいた。悩みを見抜かれた上に、バカ呼ばわりする少年に、怒りの目線を露わにする。声を出してくれるか、と少年は期待したが、人目のある所ではあくまで誓いを破らないらしい。叫びたさに震えながら拳を握りしめている。
 そして怒声を発する代わりに、手近な抜け殻蛇を掴み、それで思い切り少年をはたいた。
「……?」
「酷いにょろ、オイラを利用したにょろ!」
 黒い鳥が、とても怒っているのはわかるが、何故怒っているのか少年は理解できなかった。巻き込まれた抜け殻蛇が、成長してないな、オマエ、と言ってきて、黒い鳥を憐れむように見るのが尚更納得いかなかった。

 今まで通り短気な忍の少女が、そうして憤然と部屋を出ていったしばらく後のこと。
 安静にする少年の上で、猫のように丸まる抜け殻蛇が、やがてウトウトとし始めていた。
「なぁオマエ……今後はどう名乗るにょろ?」
 まるで寝言のように細く、珍しく覇気なく尋ねる。ソレに少年も静かな声で答える。
「ライザの息子――ユオンの名は、アヴィスが勝手に使えばいい。俺はこのまま………」
 キラでいくよ、と。たった一つ残った願い――黒いバンダナを巻いた右腕を見て呟く。

 その少年の拙い望みに、ソレは嘆息する。
「オイラだからこそ、何度でも言うがにょろ……オマエは、オマエを大事にしてくれる場所を、ちゃんと守るんだにょろ」
 それが誰かの願いを守れる道だと、諭すようにささやく抜け殻の黒い目。きっと少年の傍らに在る、ほとんどの者達が望む代弁。
 真っ赤な呪詛に包まれる少年も、やっと今頃、それを言葉にできたのだった。
「……ありがとう」
 少年をここまで、生かしてきたもの全てに。

Please turn over.

 
 その出立の直前に。長きに渡る戦乱の峠で、正装した少女は、王女の責務を全うする。夜のように黒い礼装、月色の金髪に黒い編み上げの靴。そして紋章の鳥の首飾りと共に。
「我は汝を映す光。汝は我を宿す光。それが故に、汝が試練はまた我が試練なり」
 少年も、黒いバンダナを銀色の髪に巻き、軋む体をおして少女の舞台を観に向かう。言葉は全くわからないが、ある予感を胸に。

 その日は朝から、黒い鳥を見かけなかった。人間の娘も見舞いに訪れなかった。
 だからその日だとわかった。王女がその心を飾り立て、嘘吐きな人間に戻る日であると。

 奪われた第六の峠を後に、第四の峠に向かわんとする王女は、いと高き志を訴える。
「我が国が切に願う和平を妨げるは、同国の徒でも許されぬ大罪であり――汝らの働きを無とする背信の徒は、討伐されねばならない」

 そして王女は宣言する。かの英雄が帰らずとも、希望は失われてはいないことを。
「今ここに集う我らこそ、ディレステアの大いなる望みと力」
 英雄をもう、利用はしない。全てはこの場の皆人に望む、と王女は自らに誓ったのだ。
「我が国の未来は、我らの手の内と心得よ――ディレステアの地上の鳥よ!」
 己の力を信じ、覚悟を決めた王女の紅い目には、(おごそ)かな青い鬼火が宿る。滅びに向かうだろう姿は、ただ、少年の郷愁を鷲掴みにした。
 助け合う化け物と人間。紅い目と赤い目、黒い鳥とその大切な翼――


 そして少年は、ヒトの定めに抗うために、ヒト殺しの才能をその名に背負っていく。
 少年と共に歩む黒い鳥は、やがて己が魔性に向き合っていく。
 この時の少年――その内に巣食う呪詛は、ふとその定めを思い返していた。

――……殺したい。

――……殺したい?

――……殺さなきゃ。

――オレが……殺さなきゃ? 


 そのヒト殺しの背中を見届け、「呪詛」ははっきり、己の出自を知った。
 彼は遥かな未来からこの原点まで、時の闇を渡って自身を探し続けた。彼の定めを決めてしまう、運命の接点がここにあった。

 ここで初めて、彼は「黒い鳥」と出会ったのだ。
 その(えにし)が彼を、永いヒト殺しの道へと導く。遠い未来に、黒い鳥は世の悪を狩る「悪神」となる。その翼を彼が受け継ぎ、闇を渡ってこの接点に訪れることになる。

 ヒト殺しの少年と、翼のない黒い鳥。彼らが出会う直前から、彼は黒い鳥の定めを変えられないものか、試行錯誤を行っていた。
「第三峠に行ってもらっても、帰国できないどころか悪影響か……」
 彼が時の闇から動かせるのは、いずれ自らとなるヒト殺しの少年か、僅かに同じ意味を持つ蛇だけ。運命の潮流は存外に頑固で、生半可なことでは(わざわい)を回避できそうにない。

 既にここまで、時を遡る傍らで、彼は「悪神」を継ぐしかない己の道を分岐させた。ヒト殺しの少年を辛うじて保つ末路だけではなく、ある悪魔との縁で触れた、有り得なかった夢が本当になる世界を導いてのけた。
 しかし原点に帰ってみれば、あまりに彼の時間から遠いために、介入した先が未知数に過ぎた。

 これからもっと、運命の改変を試していかなければならない。彼が黒い鳥の剣となっても、どちらかが「悪神」となる道には抗えていない。
 どうしても変えられない呪いがあった。その焔があくまで彼を燃やしゆくなら、ここから先は真っ赤な鼓動をも喰らい尽くし、己が手で望む血路を切り開けばいい。

 そうして彼は、何処までも定めに抗うために、ヒト殺しの呪怨を背負っていく。


Czero' Cry/CR. -Chronica registare-
To be continued??

雑種神代記✛Cry/CR. -chronica registare-

ここまで読んで下さりありがとうございました。
この話は星空文庫にUP済みの、Cry/シリーズ雑種化け物譚❖Cry/R.主役の無自覚なやり直し編、CRでした。この後に続くはずのCR完結編は、掲載済みのR中後編(完結編)とはかなり違う内容と結末になるのですが、この時点ではR前編と大差ない物語で終わっています。
CR完結編は書きませんでした。所詮やり直し編、それなら『インマヌエル -天-』でA(天国)ルートに行けば十分でないか、とやる気を失くしたのが主因になります。

暗くて長く、内容も一部重複するので、雑種化け物譚❖A完結篇とR前編は今後当面非公開とします。気が向けば不定期に再公開するかもしれませんが、ここまで長い長い旧作にお付き合い下さった方は本当にありがとうございました。
万一CR完結編を書く気になれば、星空文庫でUPさせていただこうと思います。これまでただ眠るだけだった旧作の数々を、星空文庫でひも解いて下さった方々に感謝を込めて。
初稿:2017.11.9

※星空文庫でのC零期間限定公開作品が公開終了している場合、下記にもC零全編を掲載しています
ノベラボ▼『雑種化け物譚❖A』:https://www.novelabo.com/books/6331/chapters
ノベラボ▼『雑種化け物譚』:https://www.novelabo.com/books/6333/chapters
ノベラボ▼『雑種化け物譚❖R』:https://www.novelabo.com/books/6334/chapters
※今後、当面の活動はpixivのAtlas'シリーズ掲載が主になります
https://www.pixiv.net/novel/series/9510009
毎年、2、4、5月に3日は全作公開しています。よければ気楽にご覧&マイピク申請下さい。

雑種神代記✛Cry/CR. -chronica registare-

†Cry/シリーズC零やり直し編・CR† 人間は雑種の化け物より弱く、雑種は純血の化け物に疎まれ、純血は人間に関わることに制約のある「宝界」。人間の国と化け物の国で続く静かな争いから、これ以上の悲劇を減らす道筋はあるのだろうか? Cry/シリーズ関連作ですが一応単独で読めます。 image song:start again by OneRepublic

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-29

CC BY-ND
原著作者の表示・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-ND
  1. ◇序◇ 真っ赤な呪詛
  2. ◇①◇ 辺境の少女達
  3. ◇②◇ 天性の死神
  4. ◇③◇ 「壁」
  5. ◇④◇ 雑種の英雄
  6. ◇⑤◇ 鬼火
  7. ◇⑥◇ 「千里眼」
  8. ◇⑦◇ 人間の娘
  9. ◇⑧◇ 忍の少女
  10. ◇⑨◇ ヒト殺しの少年
  11. ◇⑩◇ 第六峠
  12. ◇⑪◇ 導きの蛇
  13. ◇⑫◇ 赤い焔
  14. ◇⑬◇ 最後の希み
  15. ◇終◇ 雑種と人間
  16. Please turn over.