騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第五章 侍を目指すサムライ
色々とやらかしたロイドくんの冬休みの続き、
そして十二騎士とサムライの戦いです。
第五章 侍を目指すサムライ
エリルが勘違いしていたと前に言っていたけど、夜の国スピエルドルフは街が一つだけの小さな国というわけじゃない。夜の魔法に覆われている場所の面積を考えるとそう思えてしまうのは仕方ないのだけど、実際は学院長が闘技場にしたような空間をいじる感じの魔法が使われていて、実際の面積……国土はもっと広い。
そしてその中心に首都のヴォルデンベルグがあって、そこから東西南北に一つずつ街があるから合計五つの街がある事になる。もちろん人間の世界がそうであるように「街」とまではいかない小さな「村」のようなまとまりも沢山あるから、スピエルドルフをぐるりと観て回ろうと思ったら相当な時間が必要だ。
ただ、人間のそれと比べると街や村の規模に対する住人の数はかなり少ない。数字を見たわけではないけれど、スピエルドルフの総人口はこの前の神の国アタエルカよりも少ないんじゃないだろうか。
人数が少ないのなら街――というか国の大きさもそれなりになるのではと思うだろうけど、そこは人間と根本的に異なる魔人族ならではの理由がある。簡単な話、人間は全員がだいたい同じ姿で同じくらいの大きさだけど魔人族は種族によってかなり違うからだ。
人間の世界においても公共の何かを作る時、男女で分けたり、小さな子供や老人向けに構造を変えたりするけれど、その分類分けのパターンが魔人族はかなり多い。二足、四足、それ以上やそもそも足が無い、成人で一メートルという種族がいれば六メートルという種族もいるし、状況によって大きさが変化する場合もある。フィリウスが例に出した一番わかりやすい例がトイレで、人間ならだいたい男用女用で作れば済むところを魔人族は何族用何族用と全てを網羅しようと思ったら一体いくつ作ればいいのやらという事になるのだ。
公共機関に限らず洋服屋さんや食べ物屋さんも種族の数だけ種類が増えていくわけで、だいたい似たような種族が固まって四つの街が出来てはいるのだが、それでも人間に比べれば要する面積はかなり大きい――これがスピエルドルフの国土が広くなった……というか必要な理由である。
こんな感じでスピエルドルフの土地に関する事を地図を見ながらフィリウスに教えてもらった時にオレでも気づいたのだからたぶん誰でも気づくのだけど、この説明と実際の地図を比べた時、ある部分の広大な土地が手つかずで残っている事がわかる。かなり昔にはそこにも街があったのだけどある理由から基本的に立入禁止となっているその場所に、オレたちは向かっていた。
「こうもあっさり、しかも突然にこの日が来るとはな。私は拍子抜けだぞ。」
「いいじゃねぇかユーリ、心配事がなくなんのはいい事だぜ?」
「二人共気が早いぞ。確かに姫様の力は前例のないレベルまで跳ね上がっているが相手が相手だ。」
「何よもう、テンション下げるわね。ストカの言う通り、今日で終わるかもしれないのよ?」
『仮に終わりにならずとも姫様の全開はそう見られるモノではない。ワクワクしても罰は当たらないだろう。』
ここは列車の中。少し離れたところに座っているユーリとストカと、レギオンマスターであるヨルムさん、ヒュブリスさん、フルトさんの会話を聞いていると下から伸びてきた手がオレのほっぺをさする……!
「ロイド様が心配なさるような事はありませんので大丈夫ですよ。ただワタクシの傍にいて下されば……」
「こ、こんなところでそんな変な声出さないでください!」
普段よりもトロンとした顔と声色を下から向けてくるミラちゃん――オ、オレの膝の上に頭を乗せて長い座席に横になっているこの国の女王様に、向かいの席に座っている妹のパムが文句を言った。
遂にり、理性が負けてミラちゃんにア……アレコレしてしまった日から今日まで、さっきの面々とオレとパムとミラちゃんはスピエルドルフの街をあちこち見て回っていた。
恋愛マスターのちょっとしたミスによって封印されてしまったミラちゃんとの記憶――スピエルドルフでの滞在は一、二週間ほどだと思っていたのに対し、実際は一年分あるはずのオレの記憶を引っ張り出し、スピエルドルフの次の王様とされている理由やオレとミラちゃんの右眼が入れ替わっているワケを知る。オレがこの冬休みにスピエルドルフにいる一番の目的はそれであり、今日向かっている場所にもミラちゃんとの思い出があるという事で現在、移動中である。
これまで回って来た街でオレはミラちゃんとの色々な事を思い出す事ができ、そ、その度にミラちゃんが――い、いや元から凄くスス、ステキな女の子だけど、どんどん可愛く見えてきたりしているのだが……肝心な事だけはまだ思い出せていない。
恋愛マスターのうっかりによって封じられてしまった記憶なのだから、その内容によって封印の強さに差があるなんて事はないはずで、むしろ重要な事であれば真っ先に思い出すだろうところをそうなっていない事からして、もしかすると封印前からそれに関する記憶がぼんやりしていたのではないかとオレは思っている。
つまり……オレとパムであの日の記憶が食い違っているみたいに、この一番重要な記憶には恋愛マスター以外の何かの力が影響しているのではないかという事だ。
そして今向かっている場所はこの国で一番そういう……妙な力が溢れている場所だから、ミラちゃんを膝枕している現状と同じくらいにオレはドキドキしていた。
そこは今乗っている列車か、もしくは自力で歩くなり飛ぶなりしないと辿り着けない場所。こう言ってしまうと特別な場所には聞こえないが、スピエルドルフにおいてはかなり特殊だ。
スピエルドルフには所謂公共の交通機関というモノが無い。何故なら全ての街や村、それらの中での移動用としてあちこちにリリーちゃんの位置魔法のような『ゲート』が設置されているからだ。これによって列車や車、馬車などが必要ないわけなのだが、今向かっている場所には『ゲート』が設置されていなくて、だから国内唯一の列車が通っている。理由は、そこが『ゲート』を設置できないほどに周囲のマナが乱れた場所だからだ。
前にミラちゃんが教えてくれた……何というか、世界のちょっとした秘密なのだけど、オレたち人間や魔人族、魔法生物が誕生するよりもずっと昔、この世界には『神獣』と呼ばれる生き物が存在していた。それは例えるなら滅茶苦茶強い魔法生物で、ミラちゃんが「超越的」とか「神のような」とか表現するほどとんでもない力を持った生き物だったらしい。そして『神獣』たちは……子供を作らなかったのか、そもそもそういう概念が存在しない時代だったのかわからないけど、全ての個体が死に、その身体は自然へと還って行った。
ここまでは普通の生き物と変わらないのだけど、『神獣』の身体には天地を変えるほどのパワーがあった影響でその遺体が横たわった場所ではマナの流れに変化が生じた。これが世界の所々にマナの状態が他と異なる土地が存在している理由で、大きな国の主要都市はだいたいそういう場所に造られているらしい。具体的に他とどういう違いがあるのかわからなくても、感覚的に「街を建てるならここだ!」と、『神獣』の眠る土地は選ばれやすいのだという。
ちなみにフェルブランド王国の王城は『神獣』の中でもかなり強い個体の遺体……というか化石の上に建っているらしく、その影響でフェルブランド王国は「剣と魔法の国」と呼ばれるほど優秀な魔法使いが生まれるのではないかとミラちゃんは言っていた。ということはもしかすると、第四系統の火の魔法に特化したマナが満ちている「火の国」ヴァルカノには炎を操る『神獣』が眠り、科学技術が発展している「金属の国」ガルドとかは電気とか金属的な資源とかに関わりのある『神獣』が眠っているのかもしれない。
そしてもちろん、スピエルドルフがあるこの場所もそういう場所。魔人族は人間よりもマナなどに敏感だから世界でもトップクラスに力に満ちた場所を選び、その力を夜の魔法に応用したりしながら国を大きくしていったのだけど、ある時事件が起きた。
今から数百年以上も前、この場所に眠っていた……いや、遥か昔に死んでその身体は自然に還っていたはずの『神獣』が目を覚ましてしまったのだ。ミラちゃん曰く別に蘇ったわけではなくて、例えるなら既に死んでいる生き物の身体をつついていたら筋肉の反射的な動きでピクンと動いたような、言ってしまえばその程度の反応らしいのだがその規模が尋常ではなかった。
今の時代における生物的頂点だろう魔人族が一か所に集まった事が刺激となったのか、不意に目覚めた……というかほんの少しだけピクリと反応した『神獣』の身体から放出されたエネルギーは凄まじく、当時の王様――ミラちゃんのご先祖様が魔眼ユリオプスの力で数百、数千年分の魔力を前借りし、その上自身の命を懸けてようやく防ぎきることができたという。その王様は今もスピエルドルフで語られる英雄の一人なのだそうだが、その時からエネルギーが放出されたその場所は立入禁止となった。
ミラちゃんの言葉を借りればもはや死にかけで、『神獣』本人からしたら極々わずかな生命力の残りカスだけど今を生きる者からしたら莫大なエネルギーが行き場もなく留まっているという爆弾みたいな状態になったその場所は、以後歴代の王が吸血鬼の特性である愛の力……による力の上昇をする度にそのエネルギーを削る為の攻撃を仕掛け続けているのだという。
折角ならそのエネルギーを利用しないのかと思ったが、魔法や科学に使うエネルギーとは根本から異なるモノのようで魔人族でも扱えないらしい。だから何百年かかるかわからないけれどただひたすらにこちらから強大なエネルギーをぶつける事による相殺を繰り返し、危険極まりないエネルギーを削り続けているのだ。
かく言うミラちゃんもこれまで……オ、オレとア、アレコレあったりしたりする度に高まった力をぶつけていたようで、今日その場所に向かっているのもオレがミラちゃんとそこに行った事があるからというのはおまけみたいなもので、こ、ここ数日でソソソ、ソレハソレハ高まったミラちゃんの力を……ぶぶぶ、ぶつけるのが目的……なのだ……
しかもそのミラちゃんの力というのが歴代の王たちを超えるレベルにまでなっているらしく、もしかすると今日の一撃で『神獣』の残った生命力を削り切る事ができるのではないかという話になっている。もしそうなったらスピエルドルフにとっては歴史的な日になるわけで、陸海空の各レギオンメンバーは現地に勢揃いしてその時を待っているのだという。
ミラちゃんの言った通り、今日オレが特に何かをするという事はなく、ミラちゃんが全力全開の一発を放つというだけなのだが……そ、その膨れ上がった力が何から発生したのかという事はその場の全員が知っているわけで……あぁ、そう考えるとホントに……あぁぁぁ……
「ほらロイド様、近づいてきましたよ。」
下の方から聞こえるミラちゃんの声で悶々としながら窓の外を見たオレは、その光景に目を丸くした。
「え……えぇ?」
「途轍もない力ですね、これは……」
一緒に外を見たパムも同様に驚く。遠くから見た時は絵に描いたように左右対称のキレイな山で、確かに時折霧がかかったように見えるというか形がブレるというか不思議な見え方をしてはいたけれど、近くで見るとまるで別世界のようだった。
遠目で見た通りそこは山――草の一本も生えていないけれど高い山なら珍しい光景というわけではない岩山なのだけど、視界に入って来る風景がとにかく滅茶苦茶。転がる石ころの一つ一つが全て別の色でとんでもなくカラフルに見えたかと思ったら瞬きを一度挟むと白黒の世界になり、急に分厚い雲が広がって大雨が降ってきたかと思ったら空の色がチカチカといくつかの蛍光色に切り替わったり……気分の良くない時に見る夢のような現実離れした空間に目をシパシパさせていると、ミラちゃんの手がそっとオレとパムの視界を遮った。
「見つめすぎると毒ですのでお気をつけを。」
「ミ、ミラちゃん、これは一体……何がどうなったらこんな事に……」
「『神獣』の持つ強大な力がそれを制御する者を失った結果、手あたり次第にデタラメを引き起こしているのです。この世界に存在するあらゆるルールを覆しながらただただ消費されていくわずかな生命力……これ以上の無駄使いもないでしょうね。」
そう言いながらミラちゃんがパチンと指を鳴らすと全ての窓が真っ黒に塗り潰される。
「ここから先、中心部へ向かって行くのですがあちこちの力場を回避していくので少し時間がかかります。その間次第にひどくなっていく外の光景は魔人族にも猛毒なのでどうか我慢をお願いしますね。」
「だ、大丈夫だよ。というか近づくほどにひどくなるって事は、その中心部は凄い事になっているんじゃあ……」
「不思議な事に力の放出点付近では何も起きていないのです。台風の目のように。」
ミラちゃんの言葉の通り、進むほどに外の音が激しさを増していったのだけど唐突にふっと無音になって、その後すぐに列車が止まった。降りるとさっきの滅茶苦茶な光景が嘘のように何にもない岩肌が続いていて、山の頂上だろう小高い部分をバックにレギオンメンバーがズラリと並んでいた。プロキオン騎士学校で出会ったライア・ゴーゴンさんのように人間の社会に溶け込んで情報を集めているメンバーもいるから全員ではないのだろうけど、学院の一クラス分よりは多い人数が各レギオンにそろっていて、合計で百人以上の精鋭が集まっている。
「凄い光景ですね……一人一人が国王軍のセラームを遥かに超える強さですよ……」
国王軍の騎士として学生のオレよりもたくさんの戦闘経験を積んでいるパムが息を飲む。別に戦闘が得意というわけでもない一般人でも並みの騎士より強い魔人族の戦士たち……フィリウスと普通にやり合える人がわんさかいるのだろうなぁ……
「確かに一対一であればこちらの圧勝でしょうが、人間の軍には騎士同士の連携がありますからね。集団戦となるとまた結果はわかりませんよ。」
「謙遜を……魔人族も軍――レギオンというチームが出来ているじゃないですか。」
「勿論こちらも協力して戦う事ができないわけではありませんが、全員が同じ形をしている人間のそれと比べると見劣りするでしょうね。」
ふふふと笑いながらさらりと言ったミラちゃんだが……なるほど、言われてみればそうかもしれない。同じ形――手足が二つでだいだい同じくらいの身長で視界もだいたい同じ……だからこそ連携した動きというのが成立しやすいのかもしれなくて、そう考えると魔人族のように種族によって姿形がかなり異なると人間が当たり前にやっている連携が意外とできなかったりするのかもしれない。
「それにしても壮観ね。レギオンが全員集まるのなんていつ以来かしら?」
「全員!?」
新しい気づきに思考を傾けていたところに聞こえてきたヒュブリスさんの言葉に思わず反応してしまう。
「で、でも他の国――とかにいる人もいたんじゃ……」
「歴史的瞬間ですもの、任務を優先して見に来るなーなんて言えませんわ。」
『収拾がつかなくなりますのでこの場はレギオンのみですが、周知すればほとんどの国民が集まった事でしょう。』
「何せワタクシとロイド様の愛の結晶、愛の一撃ですからね。さぁさぁ、始まりに相応しい一言をお願いしますね、ヨルム。」
「俺ですか……」
突然挨拶をふられたヨルムさんがやれやれという風にシュルルと舌を出しながら一歩前に出る。するとオレたちが到着してから微動だにせずこちらを向いていたレギオンメンバー全員の目線がヨルムさんに向いた。
「諸君、まずは楽にして欲しい。これから始まる事は節目となるやもしれぬが何の事はない、歴代の王たちが時折見せる「愛の一撃」であるのだから。」
ヨルムさんがそう言うとレギオンメンバーがオレたち人間で言うところの「気をつけ」の状態から「休め」の状態に……たぶんなった。
「日々精進している諸君らの中には、時に自らの目標として、時に頂点に立つ方の力の確認として、先代や先々代のそれを見てきた者もいるだろう。あと何発で終わるのか、あと何百年かかるのか、強大なエネルギーを消し去るその日まで続く、言わば王の職務の一つ。我々はそれを眺めに来ただけの観客だ。」
いきなりミラちゃんに演説を頼まれたヨルムさんは割とフランクな雰囲気でそこまで喋ったのだが、そこからキリッとした口調になる。
「だが今日のそれには違う点がある、これまでにはない期待がある! これよりその一撃を放つのはカーミラ・ヴラディスラウス! 太陽の光の克服という我ら魔人族の悲願へかつてない大きな一歩を見せてくれた若き女王! そして女王に愛を注いだのはロイド・サードニクス! 我ら――いや、スピエルドルフが返し切れぬ大恩を受けた未来の王!」
だ、大恩……本当にオレは何を……
「お二人が生み出す力を我々は目撃している! 城をも揺るがす強大な愛の力を! 期待せずにはいられない――故に諸君らはこうして集った! もしかしたら今日この時、自分たちは観客ではなく証人になるのではないかと!」
な、なんだかそんなにその気ではなかったようなヨルムさんがドンドンとハードルを上げているような気がする……やるのはミラちゃんだけどオレまでドキドキしてきたぞ……
「我々が当事者になるのか、それは次代の話になってしまうのか――先も言ったように女王がなす事はただの職務であるが……一つ、我々は自分たちの運試しと行こうではないか。」
激励するわけでも刮目せよと言うわけでもないふんわりとした演説の終わりだったというのに、その場に集まったレギオンメンバーたちは戦い前の戦士のように「うおおおお!」と雄叫びを上げた……
「では姫様、ご随意に。」
「気合の入る挨拶だこと。」
オレとは違って特に緊張もしていないらしいミラちゃんがすすすーっとオレの傍に近づいてきた。
「ロイド様、一つお願いが。」
「うん。」
「ワタクシの中にたまっているロイド様の愛の力――それを百二十パーセント引き出す為、ロイド様に火をつけて欲しいのです。」
「火? ご、ごめんミラちゃん、オレ第四系統の魔法はそんなに……」
「ふふふ、そういう意味ではありませんよ。」
トロンとほほ笑んだミラちゃんの表情に「お願い」の内容を察したオレの心臓が高鳴る。こ、これはもしや最後の一押しというような感じで……キキキ、キスして欲しいとかそういう――
「血を、少しいただきたいのです。」
こんな大勢の前でなんてそんな! ――とか思っていたのだがミラちゃんは吸血鬼なわけですから……そ、そうですよね……あぁ、恥ずかしい……
「い、いいよ。どうぞ。」
そう言いながらオレは頭を傾け、ミラちゃんに首筋を向ける。
「ロイド様ったら……前にも言いましたが、吸血鬼にとってそのポーズは非常に煽情的なのですよ?」
すぅっと近づいたミラちゃんがオレの首筋に唇を添える……そう、毎度の事だがそうしているだけとしか思えない感覚だけどしっかりとミラちゃんの牙はオレの皮膚を貫き、血を出しているらしい。当然のように痕も残らないから本当に吸っているのか疑問に思うほどだ。
だからどれくらい……あ、あのついにヤッテシマッタあの夜から今日までの数日、毎晩ア、アレホドではないけれどじゅじゅ、充分にアレな……ことをシテシマッテイル毎夜、け、結構な回数ミラちゃんに血を吸われているのだけど気分が悪くなったりはしていないから、一回につきミラちゃんがどれくらいの量を吸っているのかさっぱりわからない。
「――はぁ……」
けれども確実にオレの血はミラちゃんから力を引き出しているようで、血を吸った直後のミラちゃんからは力が増大していく感覚……というか気配みたいなモノがある。それも日に日に大きくなっているような気がしていて……言葉通り、首から離れたミラちゃんは火が付いたように内に秘めたられたパワーが解放されたみたい――
「んん……」
「んぐ!?」
――だと思ったらそのまま、首筋から真っすぐにオレの口へ向かったミラちゃんの唇がオレのそれを覆った。血を吸った直後なのだから血の味がするかと思いきやそんな事はなく、するりと入り込んできた舌からは甘い感覚のみが――ってそうじゃなくてミラちゃん!?!?
「――んはぁ……これで……準備万端ですね。」
オレの口からつたうモノをペロリとなめて妖艶にほほ笑んだミラちゃんと自分でもわかるくらい真っ赤になっているオレにレギオンメンバーたちから大きな拍手が――し、死ぬほどハズカシイッ!!
「では――」
ミラちゃんがくるりとオレに背を向けると同時にその背中に大きな黒い翼が現れ――瞬間、空気がズンッと重みを増して地面が震え始めた。
「な……」
信じられないという驚きを通り越して呆れたような顔でそんな声をポツリと呟いたパムに対し、ヨルムさんやヒュブリスさんは素晴らしいモノを見たような、驚きと喜びの混ざった表情を見せている。たぶん、フルトさんも。
「こういうのを自分が怖いというのでしょうね……ワタクシ自身もどれほどのモノが結実するのか予想がつきません。」
すぅっとミラちゃんが右手を挙げると山の頂上、その直上に大きな赤い剣が出現した。ミラちゃんが戦う時に使うのは自身の血液で……吸血鬼という種族がそういう特性を持っているのかヴラディスラウスの一族がそうなのかわからないけど、ご先祖様たちの力が溶け込んだそれはとんでもないエネルギーを持っていて、それを色んな武器にして戦うのがミラちゃんのスタイル。だからあんな大きな剣を作ったのだと思うとミラちゃんが心配になるが……特に貧血という感じでもないから大丈夫そう――んん?
『まさか……いや、これだけの力を前にすれば当然か……!』
フルトさんの興奮気味な声が頭に響く。本当に何でもない、ただの山の頂上にしか見えていなかった岩肌が生き物のようにうねり、鱗のような質感へと変えていきながらその表面をバチバチと電流が弾けて……半径二十メートルくらいのエリアが周囲とは違う青色の地面になった。
もしかしてこれがここに眠る『神獣』の本来の姿……というか肌……?
「すごいわ……歴代の王たちの攻撃を受けても何も変化しなかったのに、姫様の剣を前にして生体反応を示してる……とっくに死んでるのに反射的に臨戦態勢――防御が必要だと感じているってことかしら……!」
「どうやら我々は豪運の持ち主だったようだな……」
三人のレギオンマスターと同様にレギオンメンバーたちも騒めきながら宙に浮かぶ赤い剣を見つめている。
「ふふふ、気が早いですよ皆さん……これは器――力を込めるのはここからです……!」
赤い剣の方へミラちゃんが両腕を伸ばすと、その手の平から赤いエネルギーのようなモノが流れていく。マナか魔力か、はたまた全く別の力なのか、それが何なのかはさっぱりわからないけど、こうして目に見えるほどに濃い何かが赤い剣へと注がれていく。
――ドクン――
不意に空気を震わせる鼓動のような音。ついには『神獣』が息を吹き返したのかと思ったがその音を発したのは赤い剣。たぶん目の錯覚ではなく、周囲の光景を歪ませて赤く輝きながら脈動を始める……エネルギーが多すぎるとこんなことが起こるモノなのだろうか……
「――っ……ふぅ……」
深く息をはくミラちゃんは何かを抑え込んでいるような表情でニコリと笑う。
「――行きます。」
まるで支えを取り除くように、紅い剣へと伸ばしていた両腕を左右へ開くミラちゃん。すると赤い剣はゆらりと……静かに、自重で落ちるように少しずつ加速していき――青い鱗に触れた。
ものすごい大爆発が起きると思って身構えたオレだったが――ああいや、確かに爆発は起きたのだけど、いつの間にかこの場の全員を覆う見えない壁が爆風と爆音を遮断し、結果山の頂上から天に向かって真っ赤な光の柱がそそり立つのを見るだけとなっていた。
遠くから見たら山が噴火しているように見えるんじゃないだろうかという光景が続くこと十数秒、光の柱が段々と細くなっていき……やがて無くなった。見えない壁の向こうでもうもうと立ち込める煙を、誰かが魔法を使ったのか急な風が吹き飛ばし、そこに見えてきたモノを見たオレは……正直状況がさっぱりわからなかった。
簡潔に言えば、地面は元の岩肌に戻ってミラちゃんの赤い剣……身長数十メートルの巨人用ぐらいの大きさだった剣がフィリウスが振り回す剣くらいのサイズになって地面に突き刺さっているという状態。
地面が戻ったという事は成功したという事なのか、それともまだパワーが足りなかったから戻ったのか……オレは誰かが答えを教えてくれるのを息を飲んで待った。
「どういう……事だ、これは?」
初めに口を開いたのはヨルムさんだったのだが……ヨルムさんにもわからない――というか予想外の変な状況なのだろうか……?
『ふむ……』
次にそう呟いたフルトさんは、バチンとその姿を消したかと思ったら地面に突き刺さった赤い剣の真横に現れた。
『剣が……姫様の一撃が残っている。形状が剣であっただけで先の攻撃は純粋な力の塊だったはずが、これは物質的な剣……理屈はわからないが『神獣』の生命力に相殺されずに残っているという事実と……後ろの光景を見るにそういう事なのではないか?』
フルトさんの言葉で全員が後ろを見る。『神獣』の身体の影響で意味の分からない現象が吹き荒れていた一帯は、台風の目のようなこの場所から見ると分厚い雲に覆われているように見えていて景色も何もなかったのだが……オレの目には遥か遠くが――山のふもとから広々と続く自然と大小の街々が見えている。
『詳細な測定を行って最終的な結論を出すことにはなるが……姫様の一撃はこの残された剣の分、『神獣』の生命力を上回った……!』
剣を抜き、再び消えてオレたちの近くに戻ったフルトさんはその赤い剣をミラちゃんに渡す。驚きの表情が段々と喜びの笑みを浮かべる顔へと変わり、ミラちゃんはオレの手をギュッと握りながらその剣を掲げた。
「これが! ワタクシとロイド様の愛の力!」
瞬間、湧き上がる大歓声。かぶっていた帽子を投げたり、花火のような魔法を天へ放ったり、身体を広げたり、首を回したり……魔人族らしいそれぞれのやり方で全員が喜びを表現する。
これはめでたいことで、スピエルドルフにとって大きな問題が片付いた瞬間――それはわかっているけれど、きっとこの国で生きている魔人族のみんなほど、オレはこの事の重大さを理解できていないのだろう。最初のエネルギーの放出でどれくらいの被害が出てしまったのか、この事によって付近に誰も住めなくなってしまった状況が国としてどれくらいの問題なのか、これまで何人の王様が挑んできた相手なのか……
ここに集まった魔人族は来るべき日を迎えたわけで……ヨルムさんの言う運のいい奴というのはよくわかっていないのにこの場に居合わせたオレなんじゃないだろうか。
記憶を封じられる前のオレなら、もしかしたらみんなと同じくらい……とまでは行かなくてももっと喜んでいたのかもしれないなぁ……
『ふぅむ……この良きタイミングで空気を読んで欲しいモノだが――それでお前は何をしに来たんだ?』
直接頭の中に聞こえてくるからこの大歓声の中でもよく聞こえるフルトさんの声が不意にそんなことを呟く。見るとフルトさんは空中……のどこかの方を向いていて、大騒ぎなレギオンメンバーの中にもフルトさんと同じ方向を見上げている人が何人かいる。オレには何も見えないけど……誰か来たのかな……?
「何かいるのかフルト。俺には何も感じ取れないところからして手練れか?」
『少し違う。あれのあの状態を知覚できるのはそういう感覚を持っている者だけ。どんな歴戦の強者だろうと見えないモノは見えない。』
「! 待て、ということはまさか――」
「はははは、目がないクセに目がいいよね、相変わらずさ。」
フルトさんの呟きでレギオンメンバーが軽い臨戦態勢になって少し静かになったところでそんな子供の声が響いた。そしてフルトさんが見上げている方向にパッと誰かが姿を現す。
「ひひひひ、まぁ目があるクセに目がわるいその他大勢よりはマシなのかな?」
それは声の通り少年。ぼさっとした茶髪に茶色い瞳、白と紫の縞々模様のシャツの上に茶色い……サロペット――だったか、それを着てピカピカの黒い革靴をはいている。そして茶色の髪の毛に混ざって猫っぽい耳があり、お尻の辺りからは尻尾が伸びていて……何故か足を上に、頭を下にした逆さまの向きで空中に浮いていた。
猫の耳や猫の尻尾というのはオシャレの可能性もあるけど、フルトさんの反応からしてそれらは本物で彼は魔人族なのだろう。しかも姿を消していた状態でその存在に気づけたのが精鋭ぞろいのこの場で一握りのみ。なんだかヤバそうな人が登場したぞ……
「おや、ハブル・バブルに会ったと思ったら次はあなたですか。どんな悪巧みをしているのですか、グリン・チェシャー。」
少年――グリン・チェシャーというらしい子にミラちゃんがそう問いかけると、チェシャーくんはニヤニヤと人を小馬鹿にしたような顔で笑う。
「ふふふふ、人聞きの悪い言い方で心外だなあ。ここ最近バカみたいに増大してくお姫様の力を気にしたアリスがぼくをお使いに出しただけで、つまり原因はお姫様なんだけど?」
「そうですか。どこの穴に隠れているのか知りませんがご苦労な事です。ワタクシの力を気にするような何かをしているという事でしょうかね。」
「へへへへ、別に気にしてるのはお姫様だけじゃないよ、自意識過剰だなー。夜の中に引きこもってるスピエルドルフのお兄ちゃんお姉ちゃんは気づいてないかもしれないけど、今世界はあちこちに穴があいて誰もがどこかに落ち放題なんだよ。流行に乗る為にはアンテナはらないと。」
「少なくとも、ここに来たのは余計なアンテナでしたね。」
ミラちゃんがそう言うや否や、チェシャーくんの首がとんだ――とんだ!?
「ちっ……」
いつの間にか片手を前に出して……たぶん攻撃したのだろうヨルムさんが舌打ちをすると、切断されたチェシャーくんの頭がふよふよと空中を漂い始める。
「ほほほほ、殺意たっか、短気は損気だよ蛇さん。」
ニヤニヤと笑いながらその頭と身体がすぅっと透けていき、結局何しに来たのかよくわからないチェシャーくんは姿を消した。
「追えるか、フルト。」
『残念ながら。』
険しい表情になるヨルムさんを見て、オレはミラちゃんにこそこそと尋ねる。
「ミラちゃん、今のは……」
「あぁ、ロイド様ったら、突然耳元で囁かれては……」
「びゃ、ご、ごめん……?」
「いえ、ひそひそ話はこそばゆいですが親密さがあって良いモノです。」
「そ、それはヨカッタ……」
「今の者は……先日の神の国に現れたハブル・バブル――蝶の羽を持つ老人がいたと思いますが、あれの仲間のグリン・チェシャー。マルフィのようにスピエルドルフで指名手配されている犯罪者というわけではないのですが、かつて夜の魔法を破壊しかけたお騒がせ者の「アリス」という魔人族と仲良しの厄介者です。」
「夜の魔法を!? それはもうお騒がせの域を超えているんじゃあ……」
「その通りなのですが、本人は「できるかもしれないと思ったからやってみた」程度の考えでして……困ったモノです。」
やれやれという風に深々とため息をついたミラちゃんは、パンパンと手を叩いて空気を切り替える。
「さて皆さん、とんだ横槍が入りましたが改めてお祝いしましょう。この事を国民へお伝えしてお祭りですよ。」
……ん? お祭り?
夜の国にて歴史的な偉業がなされた頃、筋骨隆々とした男が巨大な机の向こうから自分を睨んでいるイノシシ頭の巨人に豪快な笑みを向けていた。
「S級犯罪者『好色狂』ことパスチム・アカハとクレイン・アカハ! でもってS級犯罪者『パペッティア』ことカルロ・チリエージャだ! 我ながら快挙だと思うがどうだアスバゴ!」
「ほう、随分と大きなイノシシだな。」
「あれはオス? メス? 交尾とかどうするのかしらね。」
イノシシ頭の巨人――S級犯罪者専用の大監獄の所長であるアスバゴは木製の人形を抱えて自慢げにだっはっはと笑う筋骨隆々とした男と、その後ろで犯罪者用の特別な魔法がかけられた手錠をしている老夫婦を見下ろして盛大なため息をついた。
「ようやく『フランケン』用の房を作り終えたと思ったら今度は一緒にするべきかどうか心底迷いどころの厄介夫婦に呪いの人形だと? 私を過労死させる気か、フィリウス……」
「だっはっは、監獄のトップなら収監する凶悪犯の数が増えてやったぜ! じゃないのか!?」
「程度によるという話だ。全く、この前言った通りになったな……この二人と一体は『右腕』のところにいた連中だろう? 『無刃』と『シュナイデン』も捕まえてくるつもりか?」
「そうなるだろうが詳しいな!」
「ここをどこだと思っている。裏の世界に精通した者しかいない場所だぞ。囚人たちの日常会話を聞いていれば誰よりも詳しくなる。」
「おう、そういえば週間『監獄便り』は情報の宝庫だったな! ちなみに今言った二人について知ってる事はあるか!?」
「戦い方についてという事か? 悪いがここにいる連中はそういう話題で盛り上がるタイプでは――」
ジリリリッ!!
アスバゴの言葉を遮ったのはフィリウスたちからすれば爆音の電話のベル。巨大な古めかしいダイヤル式の電話をとったアスバゴは数分ほど喋り、大きなため息と共に受話器を置いた。
「……フィリウス、次の獲物が動いたぞ。」
「それは朗報だがここに電話が来るとは面白いな! 俺様宛か!」
「半分そうだが半分は私だ。今の連絡はある監獄からのモノ……とりあえずここに向かえ。相手はお前を待っているとの事だ。」
「だっはっは、まるで決闘だな! 早速向かうとしよう! こいつら頼んだぞ!」
アスバゴの指先につままれた紙きれを受け取ったフィリウスは老夫婦と人形に手を振りながら部屋を出て、直後風のような速さで走り出した。
「無駄に待つよりはマシだが、動くのが随分と早いな! 援軍を呼んでおくヒマは――というかよく考えたらだいぶ遠いな! できれば無駄な魔法は――んん!?」
廊下の向こうから超速で走って来るムキムキの男の姿に驚く監獄の職員らをよそに大監獄の出入口に到着したフィリウスは、そこに立っていた人物を見てピタリと足を止めた。
「? 出迎えを頼んだ覚えはないんだが。」
それはあまり清潔感があるとは言えない野暮ったい格好の中年の男。整えているとは言えない適当な髪と髭が更に印象を悪くするのだが、百八十はありそうな高身長や肩幅などから見て取れるガッシリとした体躯の上に田舎者の青年の恋人のようにガントレットとソールレットを身につけている姿からはこの男が傭兵か何かであると予想させる。
「おお、ベローズに続いてお前も復活か、『凶風』エリン・コーラル!」
「その二つ名やめろ、悪党にしか聞こえねぇ。」
中年の男――エリンは頭をボリボリかきながら忌々しそうな顔をした。
「だっはっは! そう言う割には自らここまで来てるようだが!」
「出頭しに来たわけじゃねぇよ。サルビアたちから聞いたがS級とやれるんだろ? 報奨金も並みの額じゃねぇからな、一枚かませろよ。」
「それで俺様を追いかけて来たってわけか! しかしベストタイミング! そういう話ならちょっとここまで運んでくれ!」
「んん?」
フィリウスから手渡された紙きれを見たエリンは、それと目の前にある大監獄の扉を見て首を傾げた。
「ここは天下の大監獄だぞ? 監獄同士を結ぶ『ゲート』くらいあんだろ。」
「当然あるがそこで俺様を待ってる奴がいるらしいんでな! 『ゲート』をくぐった先に魔法が仕掛けられててお陀仏なんてのもあり得る! どれくらいで着ける!」
「そうだな、十分……病み上がりってのを加算して十五分ってとこだろ。」
そう言いながらコキコキと首を鳴らしたエリンは突如紫色の風に飲み込まれ、一瞬の後、エリンがいたその場所に別の生き物の姿が現れた。
それは巨漢のフィリウスを遥かに超える巨大なオオカミ。薄く紫がかった白い体毛に紫色の瞳、人を丸のみ出来るであろう口からのぞく鋭い牙。歴戦の猛者でも一歩引くだろう存在に、フィリウスはピョンと飛び乗った。
「ぐ……相変わらず重たいな、お前……」
オオカミの口から聞こえてくるエリンの言葉にフィリウスはその背中をバシバシ叩く。
「デブってなけりゃ重さは筋肉の量! 誉め言葉だな!」
「ゴリラめ……」
フィリウスとオオカミとなったエリン、総重量はかなりのモノのはずだがその巨体はふわりと宙に浮き、直後爆風を残してその姿を消す。そして十数分後、ある場所に建てられている監獄に両者は降り立った。
「――! なんだ、暴動でもあったのか? 血の匂いが物凄いんだが。」
背中からピョンとフィリウスが降りるや否や、オオカミから中年の傭兵の姿になったエリンはしかめっ面で辺りを見回した。
それは少し離れたところに陸地が見えはするが周囲を海に囲まれた監獄。ついさっきまで二人がいた大監獄に負けず劣らずの規模を誇る建物が並んでいるが、高台に見張りもいない上に無人かと思うほどの静けさがあった。
「確か『右腕』とやりあってるんだろ? 血をばら撒くと言ったら『シュナイデン』か?」
「あれは相手を呼び出すようなタイプには思えないな! 俺様は『無刃』に一票だ!」
入口を通り、血の匂いが強い建物の外――囚人らの運動場にあたる場所へ向かった二人は……数々の凶悪な敵と戦ってきた両者ですら苦い顔をする光景に直面した。
「よくぞ参ったでござるな!」
そこにいた待ち人は一人の侍。袴姿で腰の左右と背中に二振りずつの刀を携え、両目を閉じて腕組みをし、運動場に置いてあったものだろうベンチに腰かけている、スキンヘッドな上に眉毛もないサッパリしたその男は、二人を見ると――目を閉じたままなので見えてはいないだろうが――シュバッと立ち上がった。
「かつてサムライは刀の試し斬りに罪人の身体を使ったというで候ござる。拙者も是非試してみたかったのだが面倒事に直結する故諦めていたでござるが、こうして目当ての騎士を呼び出そうというのであればむしろ効果的! 存分に体験させてもらったでござる!」
罪人の身体で試し斬り――そう、二人の騎士の目に映るのは一人のエセ侍とその周囲に転がるおびただしい数の惨殺死体。四肢を、首を、胴を、身体のあちこちをバラバラに切断された囚人と思われる者たちの血と肉塊で埋め尽くされたその場所は、狂気そのものだった。
「これだけの人数で試し斬りとか、どう考えても刀六本分は越えてんだろ……」
むせかえるほどの血の匂いに口元を塞ぐエリンの方を向いて、エセ侍はあごに手をあてる。
「はて、そなたはどちら様でござろうか? 拙者の相手はそちらの十二騎士でござるが、故がある故、ここに居合わせてしまった以上はそなたのお命も頂戴する事になるで候よ?」
「バラバラは勘弁だが勝ちを前提に話すなよ。こんなん見せられちゃお前をボコッた報奨金でいい女抱かねぇと割に合わん。」
今にも吐きそうな顔をしながら、両の拳を覆うガントレットをガツンとぶつけ合うエリン。するとガントレットとソールレットが紫色の風の渦に包まれた。
「覚悟ありとの事、了解で候。二人同時に参られよ! 今宵の如意、不空、水瓶、馬頭、蓮華、聖観は血に飢えているでござる!」
後半の呪文のような言葉を一瞬理解できなかった二人だったが、それが六本の刀の名前であると数秒後に気がついた。
「これだけ斬っても飢えがおさまらないとは大食いな刀だな!」
少し身を低くして構えたフィリウスは、ふと思い出してエセ侍に問いかける。
「そういえばいい機会だ、どう考えてもお前が『無刃』なんだろうが、本名はなんなんだ?」
「本名? そうか、その『無刃』などというみょうちきりんな名で呼ばれているのであったでござるな、よかろう!」
そう言ったエセ侍は開いた右の手の平を前に突き出し、左の手の平は肘を折って胸元の近くに添え、首をグルグル回した後、ダンッと右足で地面を踏みしめた。
「おひけぇなすって! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは今を生きる真のサムライ足らんとする未熟者! 死ぬことと見つけた武士道を邁進せし拙者の名は座衛門刀次郎正宗! 万事万端よろしくでござる候!」
先ほどの呪文に聞こえた刀の名前同様、数秒考えてこのエセ侍の名前が「座衛門刀次郎正宗」であると理解したフィリウスは、田舎者の青年からすればだいぶ珍しい微妙そうな顔になる。
「俺様も詳しいわけじゃないが桜の国の昔の文化が色々とごちゃ混ぜになってるのだけはわかる。これが相手を油断させる為の作戦ってんなら見事なんだが、とにかくお前は――マサムネなんだな。」
「座衛門刀次郎正宗にござる!」
「お、おう。」
調子を狂わされたフィリウスは同様に微妙な顔をしているエリンと顔を合わせたが――
「では――推して参る!」
直後、エセ侍――正宗の攻撃を前に表情を変えた。
「だっはっは、なんだこれは!」
「まじかこの野郎!」
二人の騎士は共に後方へ跳んでおり、一瞬前までいた場所――その地面には十数個の斬撃の跡が刻まれていた。
「今の見えたか、フィリウス!」
「さっぱりだ!」
第八系統の風の魔法の使い手は周囲の空気の流れの変化を読み取ることで相手の動きを把握することができる。当然その動きが速すぎれば反応できない事もあるが何が起きたかくらいはある程度わかる。ましてここにいる二人の騎士は歴戦の猛者――その二人がそろって「わからなかった」一撃を前に、見た目や言動から来る油断は消し飛んだ。
「殺気っつーか敵意っつーか、そういうのでギリかわせたが種明かしできなきゃジリ貧だ! 仕掛けんぜ!」
今の一撃は居合の動作から来たモノだったのか、鞘におさまっている六本の刀の内の一つに手を添えている正宗に向かって突風と共にエリンが迫り、跳び蹴りの態勢で突っ込む。
「なんの!」
時間にすればコンマ数秒という速度の攻撃だったが正宗は立ち位置を一瞬でずらし、蹴りが空ぶって地面にぶつかろうとしているエリンの真横で抜刀の動きをとったが――
ズンッ!!
速いとはいえ一人の人間の跳び蹴りのはずが、エリンの足が地面に触れるとまるで砲弾が撃ち込まれたかのような衝撃が走り、正宗はふっ飛ばされた。
「おお、これは――」
思いがけない攻撃に楽しそうな顔になった正宗は、宙を舞いながら少し離れたところに立つフィリウスに向かって刀を一本抜刀した。
「どわ!?」
タイミングとしては空中でバランスを崩している正宗に対して追撃を仕掛けるところだが、特に何かをしようとしていたわけではないフィリウスはいきなり飛んできた攻撃をバタバタと慌ただしく回避し、正宗はくるくると身体を捻ってきれいに着地した。
「むむ? てっきり拙者の隙をついてくるかと思い牽制したのでござるがまさかの棒立ちで候か。」
「だっはっは、俺様のスタイルを『右腕』から聞いてないみたいだな! 最初は避けのターン、まずはお前の戦いをじっくり観察してその技を見極めるところからだ!」
「ふむ、となると――」
「しばらくは俺とサシって事だっ!」
セリフと共に紫色の風を伴った脚による回し蹴りが背後に迫るが、まるで背中に目がついているかのように即座に反応した正宗は位置魔法の『テレポート』の如き速度でその場から十メートルは離れた場所に一瞬で移動し、それを回避した。
「ふっふっふ、これぞサムライの技の一つ、縮地!」
自慢げに腰に手を当てている正宗に対し、フィリウスとエリンが横目で会話する。
「侍の技だったかは知らんが、この見慣れた斬撃の跡といい今の移動方といい、あいつは第八系統の風の魔法の使い手だな!」
「だというのに俺もお前もあいつの魔法が見えてない。頼むから俺が細切れになる前に見破れよ、十二騎士。」
四肢を覆う紫色の風がその速度を増し、エリンがその場で勢いよく拳を突き出す。するとその場に転がっていた小石や設置されていたベンチ、バラバラの死体などが風――というよりは見えない壁に押し出されるように前方へふっ飛んだ。
「やはり面妖でござるな。」
エリンの正面にあるモノ全てが吹き飛ぶ範囲攻撃だったのだが、その範囲外の高度へ一瞬で移動した正宗は、再度一瞬で地面へ戻って来る。
「先の体技も今の一撃も、風であることは明白だが感覚が妙でござる。風らしからぬ圧力とでも申す候か……」
ぶつぶつと呟く正宗の現在位置とさっき空中に現れた高さを目測しながら、エリンがぐるりと肩を回す。
「風の感覚を語るとはやっぱ風の使い手なんだな。しかも一瞬でトップスピードにのって移動するそれは間違いなく風魔法なんだが俺らが空気の動きを感じ取れないほどに精密なのか隠蔽してるのか、何であれ尋常じゃない使い手だな、お侍さんよ。」
「?」
エリンの言葉に、しかし正宗は相変わらず目を閉じたままではあるが「何を言っているんだこいつは」という顔になる。
「先も申したでござろう、縮地でござる。極みには及ばずとも拙者の歩んだ武士道の成果は断じて風の魔法などではないで候。」
「……マジで言ってるのか……?」
「? 何故ほらを吹く必要があるでござる。」
正宗の心外だと言わんばかりの顔に、エリンとフィリウスの表情がこわばった。
「おいフィリウス、こいつ……」
「ああ、想像以上に厄介な相手だな。」
正宗の言動は侍になり切っている故のモノであり、風による移動方法に「縮地」という名前をつけているだけであれば単なる趣味の話だ。だがもしも「魔法を使っていない」というのがなりきりではない本心であるとしたら――風の魔法が使われていることは事実だというのにそれを正宗が自覚していないのだとしたら、それは十二騎士とその『ムーンナイツ』という二人の猛者が息を飲むほどの大問題である。
魔法に置いて重要なのはイメージ力であるが、それは様々な経験を重ねる事で弱まっていく。子供の頃の空想が大人になれば困難な事象であると知り、実現するには何かしらの補助が必要、もしくは不可能であると理解する。本来であればイメージ力だけで発動は事足りるはずの魔法に理論と法則を組み込み、理屈で覆われてしまったか細いイメージ力でも不思議な現象を起こせるようにしたのが今の魔法技術であると言ってもいいだろう。
だが世の中には時折存在する。理屈も常識も、倫理すら無視して自身の欲だけを確信できる人間が。彼らは魔法を本来の形に近い使い方で扱い、その力は技術で構築された魔法を遥かに凌駕する。
己の欲望に真っすぐ生きるS級犯罪者たちが鍛え上げられた騎士たちを圧倒する強さを持つ理由の一つがこれであり、まさにこの男――『無刃』、座衛門刀次郎正宗はその顕著な例と言える。
S級犯罪者たちが使う魔法はどれもこれも常軌を逸しているが、それでも本人たちには「魔法を使っている」という自覚がある。だから相対する騎士たちもその魔法の性質を理解し、紐解いていけば攻略方法の一つも考える事ができる。
だが正宗にはその自覚すらない。本人ですら仕組みを理解していない魔法を他人が理解する事が難解である点は勿論だが、魔法を魔法とすら思わないほどにその不思議な現象を「当然」としてイメージしているという事はその魔法の強度も並みではない事を意味しているのだ。
「とはいえヒントがないわけじゃない! 道を究める奴が全員あんな風になるっていうなら世の中トンデモ魔法使いだらけだ! この侍には普通とは違う何かがあって、それが魔法に至る引き金になってるはずだ!」
「普通とは違うって、要するに変人でいつものS級犯罪者だろう……」
やれやれという顔で拳を構えるエリン。
「魔法と見紛う剣技とは光栄でござるが、しかし正しく理解してもらいたいでござるな――拙者の武士道を!」
両腕を交差させて腰の左右にある刀を一本ずつ掴んだ正宗は、それを目にも止まらぬ速度で抜刀。同時に走り出したエリンの背後で無数の斬撃が空を切り、地面を刻む。
「まだまだ参るで候!」
「ったく、マラソンするしかないのが辛いとこだぜ!」
マラソンとは言うものの速度はそれと比較にならず、風のように高速移動するエリンに狙いを定め、正宗は斬撃を連続で飛ばしていく。地面や周囲の建物に無数の傷跡が刻まれ、バラバラ死体が更に細切れになっていく中、急激な方向転換にいくつものフェイントを混ぜたエリンが正宗に肉薄する。
「むむ!」
対して正宗は直前に斬撃を放った際に抜刀していた刀を納刀し、縮地で距離を取った後、別の刀を抜刀して斬撃を飛ばした。
「ん?」
未だに攻撃は見えていない為、空中へ大きく回避行動をとりながら今の正宗の動きに違和感を覚えたエリンは――
「ならこれはどうする!」
――そう言いながら両手をパンッと合わせる。両腕に渦巻く風の紫色が濃くなり、一つの小さな竜巻の塊となったそれを正宗の方へグイッと突き出すと、濃い紫色に染まった空気の塊がマシンガンのように放たれた。
「!」
強力に圧縮された空気の塊は触れれば爆弾のように衝撃を炸裂させるが、エリンの放った攻撃はまさに砲弾のように地面をえぐり、砕いていく。紫の豪雨の中を縮地の連続で回避していく正宗だが、それが間に合わないタイミングにおいては斬撃を飛ばして撃ち落としていった。
「うおおおおっ!」
気迫のこもった雄叫びと共に回避と迎撃を繰り返していく正宗を攻撃しながら空中から観察していたエリンだったが、その優勢は束の間で――
「――っ!?」
――何の前触れもなく、エリンの背中に斬撃が走った。
「エリン!」
「――だい、じょうぶだ……!」
背中から鮮血を舞わせながら着地したエリンは、凄まじい攻防を終えてふぅと一息ついている正宗を見て「ふっ」と軽く笑った。
「それより見てたかフィリウス……あいつ、随分と変な剣士だぞ。」
「そうだな! 六刀流の使い手かと思いきや今のところ二刀流しか披露してないのは出し惜しみかもしれないが、一回斬撃を撃つ度に刀をチェンジしてるのがだいぶ愉快だ!」
わずかな時間で行われた攻防の中にもいくつか姿を見せた違和感に手応えを感じ、エンジンをかけるかのように紫色の風を一層強く回したエリンの方を向いて、正宗は驚いた顔になる。
「よもや……致命ではないにせよ拙者の斬撃を受けてピンピンしているとは驚愕にござる候。」
「ああ……治りが早いタチでな。」
正宗からは見えていない――いや、そもそも目を閉じているから当然ではあるが、大量の血液を巻き散らかした背中の傷が既に塞がっているのを見てフィリウスは……「げ、もう治ってる!」というような顔をした。
「いよいよ妖じみておるが、しかしお主の藤色の風の謎は解けたでござる。それこそ魔法なのでござろうが風――空気の重さをいじっておるな?」
第八系統の風の魔法を攻撃という点で考えると、高速、不可視、広範囲などの点が評価されるが、そこに破壊力という項目が入る事は稀である。
勿論、風の魔法の使い手として名をはせている騎士たちの攻撃が貧弱というわけではないが、第二系統の光の魔法や第四系統の火の魔法のようにわかりやすい破壊力は出しにくく、圧縮空気などで真似事はできても比類する事は難しい。
この問題を解決しようと十二騎士の一人、《オウガスト》のフィリウスは、風はそれが持つエネルギーを空気などという軽くてふわふわしたモノで対象に伝えるから弱いので、風からエネルギーを抽出してそのままぶつければ解決する――という魔法の研究者でも首を傾げる理論を実践し、結果『バスター・ゼロ』という他の系統の魔法を遥かに超える破壊の力を引き出した。
同じように、風の魔法の威力を上げられないかと考えた一人の騎士――エリン・コーラルはフィリウスのような意味不明な理論には辿り着かず、恐らく同じ事を考えた騎士が過去にも何人かはいただろうアイデアを実践した。
それが風に第六系統の闇の魔法――別名重さの魔法を加えるという方法。空気が持つ性質はそのままに、重さだけを増加させる――物性として気体時の重さが空気よりも重たい物質というのは存在するがそういうレベルの重さではない。自然界ではありえない、まさに魔法でしか生み出せない超重量の空気。それが《オウガスト》の『ムーンナイツ』の一人であるエリンの紫色の風である。
「空気は空気のままだというのに粘っこい何かを斬っているかのような奇怪な感覚。確かに普通の空気よりは威力があるのでござろうが、どう考えても風という事象には合わない魔法――どこかに必ず隙があると見たで候!」
「耳が痛いが「合わない」と言えばお前もだいぶだぞ。明らかにその刀の間合いに入ったってのに斬りかからないでわざわざ距離を取って斬撃を飛ばすんだからな。まるで遠距離武器の――」
と、そこまで言ってエリン――とそれを聞いていたフィリウスがハッとし、恐らく同じ答えに辿り着いた。
「なるほど……刀を振って斬撃を飛ばすってのはまぁいいとしても、一回の抜刀で何発もの斬撃が発射されんのも、刀の振った方向や角度と無関係に斬撃が来るのも……」
「攻撃の度に刀をとっかえひっかえするのも、そうしないとマズイからとするとあり得るな!」
二人の言葉に薄い笑みを浮かべた正宗に、エリンがビシッと指をさす。
「そんなナリしてるからまんまと騙されたぜ。お侍さんよ、お前剣士じゃなくて――銃士だな?」
強い騎士に憧れるように、もしくはスポーツの選手や何かの博士などになりたいと願うように、少年は将来サムライになりたいと思った。
各国に存在していた傭兵や軍人といった「戦う事を生業とする者」は現代において「騎士」という名称で統一されている事が多く、桜の国ルブルソレーユにおける武士やサムライもそれにあたるのだが、独特な文化を伴う故に他国からの人気が高い影響で今でもその名で通っており、少年も古めかしい歴史書からではなく映像や写真からそれらに出会った。
個性的な服装、世界最高の斬れ味とも称される武器、美しさすらある精神――サムライを構成するあらゆる要素が少年の心を掴み、いずれは桜の国でサムライを学ぶのだと少年の幼心に強い決心を抱かせた。
成長し、騎士の学校に入学できる年齢となった彼は桜の国に渡り、他国で言うところの騎士学校の門を叩いた。彼のようにサムライに憧れる若者というのはそれなりにおり、その学校にも様々な出身を持つ生徒が集まっていて、志を同じくする沢山の仲間の存在に彼は一層胸を躍らせた。
しかし彼は思いもよらない――というよりはあまりに残酷な壁にぶつかってしまう。桜の国の騎士学校だからといって刀の使い方しか学べないわけではないが、サムライに憧れる彼は当然その道へ進もうとした。だが早々に判明したのは――彼に、剣術の才能が無いという事だった。
国外から来た生徒たちは今まで刀に触れたことのない者がほとんどなためスタート地点は彼と同じだったのだが、周りの生徒たちが着々と剣術を身につけていく中で彼の腕は一向に上達せず、渋々刀以外の刀剣も試してみたがまるで呪いがかかっているかのように彼は刃物を扱えなかった。
達人と言われる現役の騎士たちにも見てもらったが具体的な原因はわからず、しかし世の中にはいくら熱意を持って鍛錬しようとも全く身につかない人というのは確かにおり、残念ながら彼はその類であると、学校側は判断を下した。
才能が無いというどうしようもない理由で道を断たれた彼に、しかし神は更なる追い打ちをかける。
本人は嫌がったが、彼を騎士として育てる為に学校側が他の様々な武器を試させた結果、彼には絶望的に刀剣を扱う才能が無い代わりに、銃器の扱いに関しては天才的な才能があったのだ。
あらゆる銃器を如何なる状況下でも最適な形で使いこなし、求められた軌道を寸分たがわずなぞって標的に当てる――銃の練習など一度もしたことがない彼が自身の感覚だけで行う神業に学校側は創立以来の天才であると喜んだが、サムライを目指す彼にはどうでもいい才能であり、沈み込んだ日々は続いた。
そんな彼に希望が射したのはとある日に行われた実技の授業。銃器の扱いを練習するその授業において、周囲から銃の天才と称されて鬱々としている彼が目撃したのは騎士の学校ではありがちな事故。一人の生徒が銃の操作を誤り、別の生徒へと発砲してしまった銃弾を教師が風で軌道をそらせて大事に至らずに済んだ――という一件。教師が対応していなければ腹部に命中していただろう銃弾は風によって方向を曲げられるも完全回避とはいかず、生徒のほほをかすめて傷を作った。
銃を撃った生徒は教師からこっぴどく叱られたわけだが、彼が注目したのは間一髪な経験をした生徒が負った傷。
銃弾による傷だというのにまるで斬り傷のようなその痕に彼は歓喜した。
銃でも斬れる。ならば剣術が使えるはずだと。
彼の天賦の才を持ってすれば標的の表面すれすれに銃弾を放つことなど造作もないが、それで生じるのはコンマ数ミリ程度の深さしかない傷で刀による斬り傷には遠く及ばない。だが彼は確信していた――実際に銃弾で斬れるという事実があるのだから、不本意ながらも銃の天才と称される自分であればできないわけはないと。
それは魔法に不可欠な強固なイメージ。学校には当然魔法の授業もあるがサムライには無粋であるとして真面目に勉強していなかった彼だったが、知識として魔法という存在は頭の中にあった。
銃で斬るという実例、無自覚ではあるが魔法の授業によって得た「刃物以外のモノで物体を切断する」というイメージ、そして周囲から絶賛される銃の才能。全てが組み合わさり、絶望の中で生じた希望が迷いの無い鍛錬の積み重ねで幼い頃からの決意と揺るぎない確信で武装された結果――ある日、彼の銃弾は訓練用の丸太を真っ二つにした。
仕組みを解説するのなら、放たれた銃弾に風の刃をまとわせて軌道の横にあるモノを斬るという状態である。だがそうあるようにと考えて魔法をかけたわけではない事が影響しているのか、まるで風魔法の使い手が自身の生み出した風の刃を敵の風使いに気づかれないようにと空気を操作して隠蔽するかのように、銃弾に伴う刃はその存在が恐ろしく希薄になっていた。
加えて実体を持つ刃と違って風の刃に大きさの制限は無い為、彼が切断できるというイメージを持てばそれに従って刃が伸び、それが岩の塊であろうと一軒家であろうと綺麗に切断してしまう。
サムライに憧れる銃の天才は、知覚が困難な上に尋常ではない間合いを持つ唯一無二の刀を手にしたのだ。
これならば自分もサムライになれる。そう思った彼はまず、手にした銃を何とかできないかと考えた。刀剣の才能が無い事は百も承知だが、見た目だけでもサムライに近づきたいと願った彼は、「刀の形をした銃」を探し始める。
分類で言えばガンスミスの領分だがサムライを目指す彼が満足できる刀がついた銃などという珍妙なモノを作れる者はどこにもおらず、次第に彼は代価さえ支払えば何でも手に入る裏の世界へと足を踏み入れて行った。
お金持ちというわけではない彼だが、天賦の才と一握りの達人でなければ見破る事が困難な斬撃で裏の世界の道理を通し、遂に彼は奇天烈な銃を作れる者に辿り着く。
こうして、パッと見では刀にしか見えないが、柄の内部に銃弾を装填し、握りの強さで鍔の下部から発射、鞘に納める事で内部に貯蔵している次弾を刃を通して柄の中へと再装填するという奇怪な銃が誕生した。
サムライのシンボルとも言える刀を手にした次は身なりを整えなければならないとし、彼は脱毛を始めた。桜の国の者は黒髪である事が多く、サムライのイメージもそれなのだが彼は金髪だったのだ。初めは黒く染めようと思ったのだが、伸びる度に染めるという事が潔くないと考え、きれいさっぱり抜いてしまった。
そしてもう一つ、彼の容姿とサムライのそれとで乖離しているのが眼。黒い眼が基本であるのに対し、彼の眼は美しい青色。髪と同様、カラーコンタクトなどをするくらいならくりぬいてしまおうと考えた彼だったがある理由からそれをせず、彼は終始目を閉じて生活するようになった。
袴をまとい、図書館などでサムライの歴史を勉強して文化や言葉遣いを学んだ彼は、いよいよ一人のサムライとして武士道を歩み始めた。比類なきサムライとなって生涯の忠義を尽くせる素晴らしい主君に出会う事を目標とした彼はまず、己を高める為に武者修行を始めた。
ある時は山にこもって魔法生物を狩り、ある時は名のある騎士や悪党に勝負を挑む。サムライに対する強固なイメージが影響してか、驚くべき早さで成長した彼は遂に桜の国にて五本の指に入ると称されるサムライの内の一人を斬り伏せた。残りの四人を倒せば自身が最高のサムライである証明だとし、次は誰に挑もうかと考えていた彼だったが、斬り伏せた――正確に言えば殺害したそのサムライは十二騎士にも劣らないと言われていた騎士であり、それをただの腕試しという理由で殺した事により、元々「刀の形をした銃」を探す過程で裏の世界にそれなりに知られる存在となっていた上にサムライの文化だからと言って肩がぶつかった通行人を斬り殺していたことで指名手配されていた彼は、一躍S級犯罪者の仲間入りをしてしまった。
級に関わらず全ての犯罪者は騎士から追われる立場だが、S級ともなれば周囲の警戒レベルは他の級の比ではない。揚々と外を出歩く事はできず、標的である残り四人のサムライにも近づく事が難しくなった彼は再度生じてしまった「どうしようもない問題」に歯がゆい思いをしていた。
そんなある時、彼は『右腕』という者に声をかけられる。ある事に協力してくれるなら彼の状況を改善できると。彼はうっかりそうなってしまっただけだが『右腕』もS級犯罪者という事で警戒はしたのだが、実際に残り四人を残り三人にする事ができ、多少手間と時間がかかるが目的を達成できると確信した彼は『右腕』に協力する事とした。
彼と同様に『右腕』に誘われて集まったS級犯罪者たちと顔を合わせ、サムライとしての振る舞いを考えた彼は、彼らの用心棒という立場を自称するようになった。
こうして、彼が後に命名する『満開の芸術と愛を右腕に宿した人形が振るう刀』というS級犯罪者グループに『無刃』と呼ばれるサムライが加わったのである。
ちなみに「座衛門刀次郎正宗」という妙な名前は彼がサムライとして名乗っている偽名であるが、彼の公的な記録は『右腕』に協力した結果の一つとして抹消されている為、彼の本名を知る術はない。
「剣士ではなく銃士――確かに、間違ってはいないで候ござる。しかし拙者はサムライであり、サムライとは剣客を指す言葉。であれば拙者は銃を使う剣士でござろう!」
こんがらがりそうな理論を前に、エリンは若干気まずそうな顔をする。
「あー……遠距離系の武器だろうと思っただけで銃士ってのはカマかけだったんだが、あっさりゲロるとは思わなかった。おかげで色々わかったが……」
「だっはっは! おそらく銃弾に風の刃をまとわせているんだろうな! 仕組みはさっぱりだが抜刀と同時に銃を連射してるならあの斬撃の数も納得だし、それを風で操ってるならおかしな軌道も理解できる! だが困った事に、発砲にも風の刃にも軌道操作にも俺様たちがそうと気づけないレベルで空気を制御してるとなるとわかったところで状況に変わりはないな!」
お手上げだという事を声高らかに宣言したフィリウスだったが、エリンはググッと伸びをして準備運動のような事をしながらニヤリと笑う。
「そうでもないぞ、フィリウス。実を言うとな、さっき背中にくらった斬撃なんだが普通の人間だったら綺麗に切断されるだろう威力だったんだ。でも俺の身体ならあのぐらいで済んですぐに治る。だから――」
言いながらエリンが首や肩を回すと、関節を鳴らしたような音が身体のあちこちでし始めて全身の形状がみるみるうちに変化していった。四肢が伸びて指先に鋭い爪が現れ、体躯が増して全身を薄く紫がかった白い毛が覆い、頭部が猛獣のそれへと形を変え――最終的に、エリンの姿はいわゆる狼男のそれとなった。
「――あの攻撃が銃撃だってんならゴリ押しで行ける。一回でも近づいてワンパン入れればお侍さんの動きも鈍るだろう。」
「だっはっは、その代わりにお前がステーキ肉になるってのは勘弁しろよ!」
「オオカミの肉なんか喰うのか、お前……」
フィリウスは見慣れているのか、エリンの変化――いや変身に大した反応はしなかったが、正宗は驚愕していた。
「わかる……拙者にはわかるでござるぞ。あの気高きサムライたちと死合った時と同じ感覚……強者が放つ特有の気配――それを今、そなたから感じるでござる候。猛々しい獣の身体に重たき風の技……先ほどまでとは段違いでござるな!」
驚きの表情から嬉しそうな笑みへと変わった正宗だったが、しかし直後悔しそうな顔になる。
「未熟……なんという未熟でござるか! これほどの相手と死合うというのだ、全力で臨まねば失礼千万は承知の上だが、それ即ちサムライに異物を混ぜる行為……! それでも頼る事が全力であるという現状、我が武士道の三流具合に腹が立つでござる! この戦いを最後とする事を――次の機会を得る時には今よりも遥か高みに精進している事を誓うで候ござる!」
「随分と気合が入ってんな。そっちも本気モードって事か? 別に今のままでも――」
「見苦しい限りで申し訳ないが――いざ、開眼!」
その言葉の通り、ここに来て初めて正宗の両の眼が開かれた。
「「――!!」」
瞬間、狼男と化したエリンとその後ろに立つフィリウスが一歩後ずさる。
「おいおい、そっちも魔眼かよ……」
「だっはっは! しかもとんでもないのが出てきたな!」
開かれた正宗の両眼は美しい青色。全身をサムライの格好で統一している外見からするとその眼は少し違和感があり、こだわりの強い正宗がずっと目を閉じたままだった理由をなんとなく理解した二人だったが、それよりもその青い眼が問題だった。
青い眼自体は珍しいモノではない。だが開かれた瞬間に二人に走った感覚がその眼が普通の眼ではなく、ある能力を持った魔眼である事を意味していた。
「欲しい魔眼ランキングで毎回上位に入るみんなの憧れ! こいつはヤバイな!」
「正直、このお侍さんと組み合わさって欲しくない魔眼ランキング堂々の一位だ。まさか「死角殺し」とはな……!」
騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第五章 侍を目指すサムライ
何回かそれっぽい事を書いた気のするスピエルドルフが抱える問題の一つが明らかになって……終わりました。
そしてまた一つ、ロイドくんはスピエルドルフの王様としての一歩を踏み出してしまいましたね。外堀からというやつでしょうか。
ついでに急に現れてすぐにいなくなった少年がいましたが、彼らが暴れるのはいつになるでしょうか……
正宗は「サムライだけど侍じゃない」程度のイメージで登場しましたが、まさか銃使いだったとは……
この分だと『シュナイデン』も今考えている能力からずれていきそうな気もしますね。
次は正宗との戦いの続きですが……魔王側はどうなったのかも気になりますのでそちらもあるかもしれません。