シンデレラ / 遠吠負ヶ犬 作
序章
夢の中で、私は泣き叫んでいた。
力なく横たわる母が、私の頬に優しく触れる。
「エラ、強くなりなさい」
「いやだ! いやだよおかあさん! わたし、おかあさんと一緒じゃないといやだ!」
「もう……泣かないでエラ」
違う、これは夢じゃない。私の記憶。
子供の頃の私が今、母の横で泣いている。頭に靄がかかったみたいに、意識がはっきりしない。
「あなたには、力がある。天才的な力。今はまだ眠っているけれど、いつかその時が来たら、その力は目覚め、きっとあなたに応える……!」
お母さん、何言ってるのか全然分からないよ。
「辛く、険しい道だけど、信じて前に進みなさい。大丈夫、私の友達があなたを助けてくれる」
頭の中にかかる靄が、どんどんと濃くなっていく。
「約束、覚えてる?」
「うん……」
「夢も、ちゃんと覚えているかしら?」
「うん……!」
子供の私が、母の輪郭が、世界が、霧散していく。
まるで、灰のように。
「愛してるわ。エラ」
第一章 開演
むかしむかし、あるところに一人の少女がおりました。
少女の名はエラ。
母親に似た灰色の髪をした少女でした。
エラは街から少し離れた家で、継母と二人の姉から厳しい扱いを受けながら暮らしていました。
「おいエラ! テメェいつまでやってんだぁ!」
「まったく、こんな基本的なこともできないとは……」
継母の二人の娘、常に冷静で賢い姉にも、粗暴だが力自慢の妹にも、エラではどちらにも敵いません。エラは今日も彼女たちに押し付けられた雑務やいつもの訓練をこなしていました。
「はぁ……はぁ……」
「おいおい! もうバテちまったのかぁ!」
継母の家は広く、家事の全てを行うエラには姉たちの厳しい訓練に着いていけるような体力はありません。
当然、毎日ボロボロになり、疲れから死人のように眠る生活をしておりました。
では他の家族たちはエラに雑用を押し付けている間、一体何しているのでしょう。
「エラ! 私たちはお城の武闘会に行ってきますからね!」
「帰ってくるまでに雑務といつものメニューを終わらせておくように」
「見てねぇからってサボるんじゃねぇぞ!」
「……はい、いってらっしゃい」
エラ以外の家族は皆、お城で開かれる武闘会に参加するために家を空け、いつもこうしてエラを置いていくのです。
遠くなっていく三人の背中を眺めながら、エラもまた武闘会に思いを馳せていました。
いつか自分も武闘会に行きたい。
でも今の自分にそんな実力は無い。
「はぁ……」
そんな風にぐるぐると回る思考にため息を吐きながら、エラは今日も家の掃除と訓練をしていました。
力こそ全て。それがこの国におけるルール。
それを体現するかのように、お城では毎晩武闘会が開かれていたのでした。
主催者はこの国の第一王子。
彼は武力で築き上げられたこの国に相応しく、力を愛し、力に愛された男でした。
その実力は大陸一番と謳われ、老若男女問わず、国民の尊敬を集めていました。それはエラの継母と姉たちも例外ではありません。
武闘会に参加した人々は王子と戦い、王子に勝つことができれば何でも願いを叶えてくれる。
夢のような話ですが、その真偽は不確かでした。
なぜなら未だ誰一人、王子に膝をつかせることは叶っていないのです。
「よし、これでやっと終わったわ……」
可哀そうなエラ。しかしいくら彼女の家族がいじめ抜こうと、彼女の心が折れることはありません。
全ては彼女の夢のため。
いつか、いつの日か武闘会に行く。
「そして──」
突如、エラの家の戸を叩く音が聞こえました。
「おかしいわ、お母様とお姉様たちはまだ武闘会にいるはずななのに」
「ごめんください」
声の主はエラの知らない、しゃがれた老婆の声でした。
エラが扉を開けると、そこにいたのはやはり知らない老婆。エラは尋ねます。
「あらおばあさん、どうかしたのですか?」
「どうか……食べ物を恵んではいただけないでしょうか……もう何日も食べていないんです……」
「まぁ大変! 今にも倒れそうじゃない! それによく見れば怪我もしているし……中に入ってお休みになって! 今用意をしますから!」
常日頃からその優しすぎる性格は戦士には向いていないと家族から言われているエラですが、これは彼女生来の特性であり、彼女自身にも制御できません。
「助かりました……本当になんとお礼を言っていいのやら、この恩は決して忘れません」
「そんなこと気にしなくていいわ。人間困った時は助け合わなきゃ!」
老婆は何度も何度もお礼を言い、エラの家を後にしました。エラの身体は疲れていましたが、心は晴れやかでした。
そして次の日、その次の日、そのまた次の日も、エラにとって何も変わらない日が続きます。
「おいエラぁ! 今日はこの灰を納屋に運べ!」
「お……重い……」
「当たり前でしょう。あなたの貧弱な足腰を鍛える訓練なのですから」
「二人とも、早くしなさい! 武闘会に遅れてしまうわ!」
いつものように過酷な訓練をこなし、他の家族はエラを残してお城へ行く。
何も変わらない、いつも通りの日常でした。
「あっ!」
納屋へと向かう道中、エラは石に躓き、その際に袋に入っていた灰をひっくり返して頭から灰を被ってしまいました。
「あぁ……またやっちゃったわ」
何も変わらない。いつもと同じ。
「大丈夫よ。いつもと同じ」
エラは辛くなると、こうして自分に言い聞かせるのです。
「こんなことで落ち込んでちゃ駄目よ。私は絶対、武闘会に行くんだから」
そして、エラにとって何も変わらない一日が終わりました。
「エラ」
いつの間にか、エラの背後には昨日訪ねてきた老婆が立っていました。
「おばあさん、ごきげんよう! 気分はいかが?」
「あなたのおかげでだいぶ良くなりましたよ。それよりその格好は……」
「あ!」
エラは自分の今の姿を思い出し、急いで体についた灰を払い始めました。
「ごめんなさいおばあさん、運んでいた灰を落としてしまっただけなの。気にしないで」
「まぁ……可哀そうなエラ。綺麗な灰色の髪が大変じゃないですか。少しその場でお待ちになって」
おばあさんはそう言うと、一本の木の棒を取り出しました。
おばあさんがその木の棒を一振りすると、エラにまとわりついていた灰はたちまちエラから離れていきます。
灰はそのまま空中を漂って、やがておばあさんの前で動きを止めました。
「まぁ……! おばあさんは魔女だったのね!」
「えぇ、そうですよ。黙っていてごめんなさい」
魔女。人ならざる技を使う一族の総称。
その特別な力を恐れた人間による排斥活動によりいまや絶滅寸前まで追い込まれた彼女らが、人であるエラの前にその姿を現したのも、エラを信頼してのことでした。
「エラ、あなたの望みは分かっています。お城の武闘会に行きたいのでしょう? その願いを叶えさせて頂戴」
魔女は先日エラから受けた恩を返したいと言ってきました。
もちろん、エラは心の底からお城の武闘会に行きたい。しかし、エラの心には一つの懸念もありました。
「いいえおばあさん、私はまだ武闘会に行けるほどの実力は無いわ。まだお姉様にも勝てていないし、まして王子様となんて、とても勝負にならないわ」
「あら、そうでしょうか」
しかし、魔女は知っていました。
エラの努力を。彼女が何年も修行を続けていたことを。
「エラ、あなたは武闘会に行きたい。そうでしょう? ならなぜ目の前にチャンスが転がっているのに、それを掴もうとしないのですか?」
「それは……」
「きっと今までのあなたにとって、武闘会に行くという夢は辛いことに理由をつけるための都合のいい口実だったんじゃなくて? でもそれは夢とは呼びません。夢とは正面から向き合うものですよ」
エラは自分を恥じました。魔女の言葉は自分が目をそらしてきたことを突きつけるものだったからです。
長い長い間、エラは本当の家族を失った後、厳しい修行に身を投じていました。その中でいつしか自分の実力を知り、武闘会が遠く離れていくのを感じていたのです。
「強く思い出すのです。自分の夢を」
エラはもう一度深く考えます。
自分の起源を。
「私は、武闘会に行きたい。それがお母様との夢だから」
「お母様?」
「えぇ、今のお母様じゃなくて死んだお母様。あなたのおかげでようやく目が覚めた気がするわ」
「そう……それでいいの。きっと彼女も浮かばれるわ」
「そうと決まれば早速準備しなくちゃ! 何を着ていこうかしら、お姉様たちにばれないようにしなくちゃ、それに武器はどうしよう……あぁ! 早くしないと武闘会が終わってしまうかも!」
憧れの武闘会に行ける。喜びでエラの胸は躍りました。
「落ち着いてエラ。私が手伝ってあげます。そのために来たのですから」
魔女はそう言って、何かを取り出しました。
「これは……片手剣かしら。随分と軽いし、何より向こう側が透けて見えるわ!」
「それはガラスの剣。才能を継いでいるあなたなら上手く使いこなせるはずです。それと正体がばれないよう、これを着ていってください」
魔女がもう一度杖を振ると、先ほどエラに降りかかった灰が灰色の布へと形を変え、エラの身を隠すローブに早変わり。
エラは驚きすぎて、もう何も喋らなくなってしまいました。
「これを身にまとっている内は、誰もあなたの正体が分かりません。たとえ普段一緒に住んでいる人間でもね」
エラは魔女からもらったものを身に着け、準備は万端です。エラはお礼を言うため、魔女の方へと向き直りました。
「おばあさん、本当にどうもありがとう。これで夢だった武闘会に行けるわ!」
「いいんですよ。それより一つだけ注意点がありますので、よく聞いてください」
「注意点? 何かしら?」
「十二時になるとお城の鐘が鳴ります。その鐘が鳴り終わるまでにここに帰ってくること。でないと魔法が解けてあなたの存在が知れ渡ってしまいます」
「分かったわ。ちゃんと十二時までには必ずここに戻ってくるから!」
そうしてエラはお城の武闘会へと向かっていきました。まだ見ぬ王子様に思いを馳せながら……
第二章 来演
「つまらない」
これが王子の口癖でした。
力こそ全て。それがこの国のルールであり、その申し子とも呼べる彼は、強すぎるが故に、己に向かってくる敵全てに飽いていました。
世界中の強者に戦いを挑み、勝利し、他国に戦いを仕掛け、勝利し、そして今、自国の強者たちを相手にして、それでもなお──
「つまらない」
王子は飽いていました。
目の前に倒れる無数の敵を前に。
「ハッ……強すぎるだろ……」
「ここまでとは……私の計算外です……」
強さに老若男女は問わない。向かって来るのが屈強な男だろうと、屈強な女であろうと叩き潰す。それが彼の主義でした。
エラの姉たちも、王子に膝をつかせることは叶わず、ただ地面に突っ伏していました。
もちろん彼女たちが弱いわけではありません。ただ王子が強すぎるのです。一度も負けたことが無いほどに。
幼い頃から戦いの英才教育をその身に叩きこまれた王子は、最後に敗北したのがいつだったかも忘れていました。
退屈。
負けない。勝ち続けてしまうという、常人には到底分からない、彼の退屈。
「毎日毎日……もううんざりだ」
全力を出すことも、まして負けることもできず、ただただ勝つだけの日々。
その日も何も変わらない、いつも通りの日常でした。
力自慢も、賢者も、戦士も、兵士も、何でも願いを叶えるという話に釣られたならず者も、いつもこうして彼の前に膝をつく。
何も変わらない。いつもと同じ。
「……誰だ、あいつは?」
そして、王子にとって何も変わらない一日が終わりました。
倒れている戦士たちのもっと向こう、お城の入り口に誰かが立っています。
ローブを深く被っているので顔は見えませんが、背格好は少女のように華奢でした。少なくとも屈強な戦士にはとても見えません。
燃え尽きた薪のような灰色をしたローブの少女は、ゆっくりとこちらに歩いてきます。
「貴様、何者だ!」
「止まれ! ここは第一王子主催の武闘会だぞ! 貴様のような子供が来るところではない!」
やはり少女だったのか、武闘会に似つかわしくないと判断した二人の衛兵が彼女を止めます。
それに伴って、王子が一通り挑戦者たちを叩きのめし、静寂が支配していた城内に困惑が侵入してきます。
「私、武闘会に参加したいの」
小さな困惑はやがてどよめきへと変わります。
声の主は間違いなく少女。か細く繊細な声、小柄な体躯、どれを取っても、こんな場所に来るような人間ではありません。
呆気に取られながらも、衛兵たちは少女を止めます。
「お嬢ちゃん、ここは戦う方の武闘会なんだ。踊る方じゃないんだよ」
衛兵の一人は先ほどよりも優しく、まるで子供扱いしている口調で諭しますが、少女は一歩も下がろうとはしません。
「親切にどうもありがとう。でも心配しないで。私は間違えてここに来たわけではないの」
「いい加減にしろ! 貴様のような子供が戦えるわけが無いだろう! すぐにこの場から立ち去──」
もう一人の大柄な衛兵が無理やり外へ追い出そうと、少女の肩を掴んだその時。
「れ?」
視界はくるりと一回転し、気づけば彼は地面に叩きつけられていました。
途端に城内の全ての注目がその少女に注がれます。
少女が大男を投げた。
戦いに精通している城内の戦士たちは、その所作だけで彼女がただの少女ではない、戦士であるということを理解しました。
「あれが王子様なのね……お姉様たちもあそこに、まぁ、あんなにボロボロだわ……流石王子様、やっぱりすごくお強いのね……!」
「ッ! 何をごちゃごちゃと!」
倒された衛兵が起き上がろうとした瞬間、少女はうつ伏せになった彼の背中を掴みました。
浮いている。
それだけのことしか掴まれた衛兵は理解できていませんでした。まさか自分がこんなか弱い少女に片手で掴み上げられているなど、夢にも思わないでしょう。
「ごめんなさい。私、武闘会は初めてで。小さい時からずっと憧れていたけれど、実はマナーもルールもよく知らないの」
「き、きさま……なにを……!」
「だからこれは私なりの挨拶というところかしらね」
お城の奥、王子は直感しました。
今、あの入り口で衛兵を片手で引っ掴んでいるように見える少女は、自分に話しかけているのだと。
ローブの奥の瞳と目が合っているのだと。
アレを、こちらに投げてよこす気だと
「受け取ってください!」
小石を投げるかのように、少女は大男を王子に向かって思い切り投げました。
人が宙を舞う。それも鳥のように速く。
お城の中にいる者は皆驚愕し、目の前で起きていることに反応できません。
一人を除いて。
「フッ──」
「あがっ……!」
飛んできた自らの部下を、何のためらいも無く剣で切りつけ退ける、王子たった一人を除いて。
「そこにいるローブの者! こちらへ来い! この私が相手をしてやる!」
王子は自分が高揚しているのを感じていました。
久しぶりに出会う強敵。もしかしたら望みを叶えてくれるかもしれない。
「今、何が起きた……?」
呆然とするもう一人の衛兵。そんな彼に少女は優しく語り掛けます。
「衛兵さん、もう行っていいかしら?」
「あ、あぁ……」
「どうもありがとう! 衛兵さんも巻き込まれないように離れていた方がいいわ!」
そう忠告し、まるでピクニックに出掛けるような軽い足取りで、少女は戦いへと繰り出します。
「貴様は何をしにここに来た? 貴様は何を望む? 名誉か?それとも富か?」
剣を構え、王子は問います。
目の前にいる少女を見定めるために。
「私の望みはたった一つよ」
少女も続いて剣を──向こう側まで透けて見えるガラスの剣を抜き、堂々と答えます。
「あなたと踊りたいの!」
エラは笑いました。
第三章 共演
エラは今まで普通の女の子でした。
それゆえ対人戦闘の経験なんてものはほとんど無く、優しいエラは誰かと争うこと自体に慣れていません。
「っ……!」
しかし、夢は少女を強くするものです。
「あぁ! まるで夢のよう!」
エラと王子の戦いを見ていた多くの者にとって、その光景は信じられないものでした。
あの力の申し子が、名も知れぬ少女に押されている。
「すっげぇ……一体何者なんだ? あいつは……」
「あの動き、私の計算では王子と互角かと」
「あの娘……まさか」
エラは継母や姉たちの視線も感じなくなるほど、戦いに集中していました。
正体がバレないかどうか、本当に魔法がかかっているのかどうか、そんなことも気にならないほどに深い集中。
そんなエラの脳内を占めている感情はただ一つ。
「さぁ! もっと踊りましょう!」
楽しい。
エラは舞踏会で踊るお姫様のように、軽やかに、美しく、剣と共に舞っていました。
「まったく……!」
蝶のように捕らえどころの無い動き、素人の少女のものとは思えない剣術に、隙とも呼べない隙を的確に突いてくる洞察力。
その全てが、彼女の弛まぬ鍛錬の成果だと王子には分かっていました。
エラがこの戦いを心の底から楽しんでいるのを見て、王子の口角も自然と上がっていきます。
「王子様! 王子様も楽しいでしょう?」
「随分と余裕じゃないか、戦いの最中にペラペラと!」
完全に高揚しているエラとは対照的に、興奮しているとは言え王子の頭は未だ冷静でした。
戦いに慣れている彼の頭には、勝つためには何が必要なのかが分かってしまうのです。
王子にとっては全てが謎に包まれた少女。そんな未知数である彼女の癖や弱点を、戦いの中で掴もうとしていました
「あはははは!」
エラは時に床や壁さえも切り裂きながら、王子を追い詰めていきます。そんな手もつけられない少女を、王子は冷静に分析していました。
素性から何まで異質な少女。その中でも最も異質と呼べるのが、その剣でした。
「やはり何をおいても『コイツ』だな」
「え?」
防戦一方に思えた王子が、エラの剣を捕らえました。
魔女から受け取ったガラスの剣が、文字通り王子の手によって止められたのです。
「見たことの無い剣だな。ガラスでできているのか? 切れ味は申し分ないが」
「うそ……」
ガラスの剣だからといって、剣を気遣って素手で止められるような温い斬撃はしていないと、エラは自信を持って言えます。
夢心地だったエラの脳は、徐々に冷静さを取り戻していきました。
「引き剥がせない……!」
王子は片手で剣を握りしめたまま離そうとしません。エラも両手で剣を握りますがビクともしませんでした。
「貴様、これをどこで手に入れた?」
「ッ!」
その時、エラは確かに感じました。今まで他の誰からも向けられたことのない感覚。
『殺意』を。
エラは思わず剣を手放し、後ろに跳ね飛んでしまいました。しまったと思う暇も無く、今度は王子の猛攻が始まります。
「自ら武器を手放すとは、戦いに関しては貴様は素人のようだな」
武器を失ったことによるリーチの差は誰の目にも明白。しかも王子は自らの剣と、エラのガラスの剣の二本で襲いかかってきます。
もちろんエラもそうなることは分かっていました。分かってはいましたが、エラの本能が距離を取ることを選んでしまったのです。
たとえ剣を失い、少し冷静になったところで、エラが止まることはありませんでしたが。
「やっぱり王子様は素晴らしいわ!」
剣を相手に素手で対処する。もちろん簡単なことではありませんでしたが、エラにはそれをやってのける技量がありました。
軽やかさは微塵も失われません。
「小賢しい……!」
「すごいわ王子様! 剣二本まともに使える人なんて見たことない!」
しかしエラは依然劣勢です。興奮でいっぱいだったエラの頭の片隅でも、自分が追い込まれているのは理解していました。
「っつ……」
この辺りから徐々に王子の攻撃はエラに当たり始めていました。
それでも戦えなくなるほどの傷を負わずにいたのは、エラの体術のおかげです。エラは戦いの中で、普段の訓練での姉たちの動きを思い出していました。
「やっぱりお姉様たちの訓練は間違ってなかったんだわ……」
右から来る剣を右手でいなし、左から来る剣を跳んで躱し、下から突き上げられる剣を後ろに回転しながら避け、突進攻撃を王子が最高速度に達する前に止める。
その動きの全てが、姉たちとの訓練によって手に入れたものでした。
「お姉様……っ!」
姉たちとの訓練を思い出してしまったのもあるでしょう。戦いの最中、視界の端に映った姉たちへと一瞬意識が向いてしまいました。
その隙を、王子が見逃すはずがありません。
「がッ!」
「取った」
ガラスの剣の横薙ぎ。透明の剣身がエラの腹部に深々と刺さり、そのまま体を分断できる。
王子はそう思いました。
「斬れない……!」
ガラスの剣はエラに切り傷一つつけること無く、腹部で止まったままでした。
王子の動揺を逃すまいと、エラはすかさず王子の顔面に蹴りを、腹部に肘打ちを、全身にここぞとばかりに打撃を放ち続けました。
そしてついに王子はガラスの剣を手放し、再び二人は剣を持った状態で向かい合います。
「げほっ……げほっ……」
いくら斬れていないからとはいえ、エラは先ほどの一撃でそれなりのダメージを負っていました。
王子はというと、こちらも同様にエラの攻撃によって疲弊しているようでした。
「貴様、一体何者だ……?」
王子の脳内には先ほどの斬れなかった斬撃の感触がこびりついていました。
ガラスの剣は確かにエラの腹部を捉え、そしてあの剣が決してなまくらではないことは、エラが放った斬撃で証明済みでした。
とすると残る可能性は一つ。
あの戦闘の達人である王子が、ガラスの剣を使いこなせなかったということになります。
「この私が扱えぬ剣……やはりそれは、私をも殺せる剣なのかもしれんな」
「一体、何のことかしら?」
「こちらの話だ。貴様は何も気にせず、ただ全力でぶつかって来ればいい」
言われるまでもなく、エラは元よりそのつもりでしたし、既に全力でした。
しかし、まだ足りません。
「全力じゃ、足りない。全然足りないわ。やっと掴んだ私の夢だもの。全力のもっともっと先まで行かなきゃ」
「ほぅ、ここからが本番といった顔だな。面白い……貴様のような人間は初めて見た。まだまだ楽しめそうで何よりだ」
「もっともっと、踊りましょう?」
エラは夢だったお城の武闘会の頂点に君臨する、最高の相手を、王子は自分の強さを目の当たりにしても戦意を失わない、対等に戦える相手を、互いに待ち望んでいました。
それがやっと目の前に現れた。
二人にとってこれほど嬉しいことはありません。
「貴様、名は何という?」
王子に名前を聞かれ、思わず「エラ」と答えそうになりましたが、それではここにいる姉や継母たちに正体がバレてしまいます。
エラは少し悩んでから、答えました。
「灰被りのエラ《シンデレラ》」
「シンデレラ……その名、覚えておこう」
二人の戦いは更に激化する。誰もがそう思っていました。
十二時を告げる鐘が、場内に響き渡ります。
「鐘……!」
エラは不意に、魔女から言われたことを思い出しました。
十二時の鐘が鳴り終わるまでに家に帰ってくるという魔女との約束。エラは選択を迫られることになりました。
「なんだ、来ないのか?」
「……ごめんなさい」
数秒考えた後、エラは走り出しました。
「ごめんなさい……王子様」
お城の外へと。
「は……?」
呆気に取られる王子。先ほどまで自分に向かってきた戦士が、背を向けて逃げていくのですから。
敵前逃亡をするような相手ではなかった。臆することなく自分に向かってくる相手だった。『つまらない』を消してくれる相手だった。
やっと出会えた運命の相手だった。
そのはずだったのに。
「待て! シンデレラッ!」
それでも王子がすぐにエラを追いかけられたのは、彼の身に染みついた戦いの経験によるものでしょう。
「くっ……!」
逃げながらの戦いを強いられるエラ。お城を飛び出し入り口の大階段を目指します。
「どこに行く! シンデレラ!」
「ごめんなさい! 私、帰らなきゃいけないの!」
「背を向けて逃げるのか! この戦いから! 見損なったぞシンデレラ!」
王子は怒りで震えていました。エラへの怒りではなく、エラを心の中で認めていた自分への怒りです。
本当はエラも戦いたい。しかしエラにはどうしても帰らなくてはならない事情があったのです。
「本当にごめんなさい」
大階段を降りきったところで、エラは羽織っていたローブを脱ぎ、王子に向けて放りました。
「これは……!」
王子が飛んできたローブを斬る寸前、ローブは元の灰へと変わりました。視界を奪われながらも王子は剣を振り続けます。
「あっ!」
王子の放った一撃が当たり、その拍子にエラは剣を弾き飛ばされてしまいました。
しかし今度は剣を取りに行こうとはせず、一目散に家に向かう道を駆けます。
「逃がすか!」
王子もエラを追いかけます。
通常の身体能力では王子の方が上。このままでは追いつかれてしまう。エラがそう思った時、遠くから何かがこちらに向かってきているのが見えました。
それはどんどん近づいてきて、段々とそれが何なのかが分かってきます。
「あれは……馬車!」
まるでカボチャのような形の馬車を、二匹の美しい白馬が引っ張ってきました。王子は更に驚きますが、エラにはあれが一体何の馬車かは分かっていました。
「おばあさん! おばあさんが迎えに来てくれたんだわ!」
馬車はエラの前で急転回し、それに応じるようにエラも馬車に飛び乗ります。
「シンデレラッ!」
王子はまだ追いかけてきます。
「さようなら……王子様……」
名残惜しそうにそうつぶやいたエラ。馬車に揺られながら、どんどんと遠ざかっていくお城と王子を見つめます。
そんなエラの前に青い蝶がひらひらと舞います。
「エラ、大丈夫ですか?」
「おばあさん……? 蝶からおばあさんの声が聞こえる……」
「魔法でこうして話しかけているのですよ。エラ、約束を守ってくれたのですね」
「えぇ……昔、死んだお母様と約束したの。大切な人との約束は絶対に破らないって」
死んだ母親との約束が、エラを動かしたのでした。
「でもとても楽しかったわ。お母様との夢だった武闘会に行けたし、王子様はとっても強かった。全部おばあさんが魔法をかけてくれたからね。ありがとう」
「エラ……」
「でも本当にすごかったのよ! 全身から力がみなぎってくる感じで! おばあさんが魔法をかけてくれなかったら私なんてすぐに負けていたわ!」
「エラ、それは違……」
「あぁ! あんなに楽しい戦いができて、私ってなんて幸せ者──」
「エラ」
話し続けるエラを魔女が止めます。
「エラ、あなたは楽しかったと言いますが、それならばなぜ……」
とても言いにくそうに魔女はエラに問います。
「なぜ……そんなにも悔しそうなのですか?」
「別に……」
エラはもう見えなくなってしまったお城の方へと振り返り、そっとつぶやきます。
「結局、私はあの人に手も足も出なかったのね……」
第四章 再演
武闘会の後、エラはまたいつもと変わらない日常へと戻っていました。
「はぁ……」
しかし、エラの心は上の空です。
家事をこなしている時も、訓練をしている時も、全くと言っていいほど集中できていません。
「おいエラ! 聞いてんのかテメェ!」
「はぁ……」
「……おい、おいエラ! まさか寝てるわけじゃねぇだろうな!」
「はぁ……」
もちろん、姉の声など聞こえているはずがありません。
「この私を無視するとはいい度胸じゃねぇか……!」
「様子がおかしいですね。何かあったんでしょうか?」
「はぁ……」
エラの頭の中では、武闘会での戦いの一瞬一瞬がフラッシュバックしていました。そしてその夢のような瞬間を思い、ため息を吐いているのです。
「二人とも、町へ行くよ! エラは放っておきなさい!」
「はぁ……」
継母と姉たちが出掛けていったことにも気がつかず、お城の方向を見つめるエラ。
「王子様、今何をしているのかしら……」
時を同じくして、お城にて。
「はぁ……」
王子もまたエラを思っていました。しかし吐いているのはため息ではありません。
「はぁ……はぁ……」
「王子、顔色が優れません。今日はもうお休みになった方がよろしいのでは?」
「……いや、問題は無い」
側近の兵士たちが心配する中、王子は剣を振り続けていました。
エラが落とした、ガラスの剣を。
「練習用の人形にすら傷一つ入らんとはな。やはりこの剣を使いこなせるのは、あのシンデレラという少女だけということか……」
王子は剣を納め、部下にそれを持たせると、疲れてしまったのか床に座り込みました。
「王子、用意はできております」
「そうか、では早速出掛けるとしよう」
立ち上がろうとする彼を一人の兵士が止めます。
「お待ちください王子! そんな身体で動かれては──」
「こんな身体だからだ。尚更じっとしてはおれん」
「ですが……ッ!」
兵士の身体を一本の剣が貫きました。それはガラスの剣ではなく、王子の剣です。
兵士はわけも分からずその場に倒れます。
「お、王子ぃ……!」
「どけ。我から愉しみを奪おうとする者は全員殺す」
彼の前に立ちはだかる者はいませんでした。
「……もう、時間が無い」
王子は悲しげな顔で街へと向かいました。
「シンデレラ、早く私を殺してくれ」
そうして王子はシンデレラを探しに街へと向かいました。
『ガラスの剣の持ち主の少女を探す』という王子からの命により、街中の娘たちが集められているということを、エラはまだ知りません。
……街中が大混乱に陥っているということも。
「とりあえず、家事は一通り終わったわね。だいぶ時間がかかってしまったけれど」
ぼーっとしながらも今日やるべきことは終わらせたエラ。
今、街で何が起こっているのかを知らない彼女。そんな時に継母たちが帰ってきました。
「エラ! 早く来なさいエラ!」
いつもより甲高い声でエラを呼ぶ継母。こんな継母は少なくともエラはあまり知りませんでした。
エラは不思議に思いましたが、それほど急ぎの用事なのだろうと納得しました。
「はい、お母様。何でしょう?」
「エラ、隣町まで買い物に行ってきて頂戴」
あれほど焦っていたのに、用事がおつかい? エラの疑問は再び膨らんでいきます。
「あの、買い物ならすぐそこの街で済ませば……」
「隣町でしか買えないものなの。急ぎ必要だから今すぐ行ってきなさい」
エラの疑問が払拭されたわけではありませんが、継母の有無を言わせない覇気に圧倒され、裏口から家を追い出されました。
「お母様、もう結構なお年なのにすごい気迫だわ。確か昔は有名な戦士だったのよね」
エラが隣町へと出発したのとほぼ同時刻、散々街を歩き回った王子がエラの家を視界に捉えました。
「あの家が最後か……」
しかし、王子の前に一人の淑女が立ち塞がります。
「これはこれは王子様。こんな辺鄙なところまでようこそおいでくださいました」
王子を迎えたのはエラの継母。
彼女は心の中でこう考えます。
『なぜ?』と。
「どけ、貴様のような老婆に用は無い。若い女を出せ」
「……どうやら街で流れている噂は本当のようですね」
王子は兵士を一人も連れておらず、剣を二本携えているその身体は、誰の者とも知れない血で赤く染まっていました。
「一体あなたはなぜ、街中の娘たちを殺し回るなんて暴挙に出たのですか」
「……どけ、シンデレラを、出せ」
意識が朦朧としているかのように、目の焦点も合っていません。
「なるほど、そういうことですか。まったく……あの娘一人守るのに、化け物と対峙することになるとは、私の友は疫病神ですね」
「何の、話を、している……早く、しろ!」
「お労しい……もうそこに王子はいないのですね」
王子は背負っていた剣の一本を投げてよこしました。
あの日、エラが落としたガラスの剣。
「その、剣は、シンデレラ、にしか、使えない。シンデレラを、出せ……!」
「ここにいるのはしがない老婆とその娘、後は友の忘れ形見だけ……」
「シンデレラを、出せ!」
「それならば、きっとシンデレラは私の二人の娘の内どちらかでしょう!」
その言葉を合図に、王子の背後から二つの影が飛び出しました。
「きっとあなたを殺して差し上げますわ」
王子を倒すべく、そして妹が隣町へと避難する時間を稼ぐべく、立ちはだかる二人の姉。
決死の覚悟で王子に立ち向かう彼女たちに、王子はただ一言。
「つまらない」
そう吐き捨てました。
「私ってば駄目ね。肝心の何を買うのかをお母様に聞き忘れちゃうなんて、お姉様たちにまた怒られるわ」
エラは隣町へと向かう道を引き返し、自分の家へと着きました。
「え?」
燃えさかる自分の家に。
「これは、どういう……」
いくら戦士とはいえ、エラはまだ少女。たとえ少女でなくとも、自分が先ほどまでいた家が燃えていたら、誰でも理解が追いつかないでしょう。
「……ッ! お母様!」
家が燃えていく音を聞きながらも、頭に浮かんだのは最後に家で話した継母のことでした。
急いで家の正面に回ると、そこに広がっていたのは地獄そのものでした。
「お……ねぇ……さま……?」
二人の姉が互いに両脚を潰され、血まみれで地面に這いつくばって呻いています。
しかし、それよりも先に目に飛び込んできた光景がありました。あまりに惨く、衝撃的な光景が。
「おかあ、さま……なの……?」
目の辺りから剣で、頭を貫かれている継母の姿でした。
「なに、これ?」
剣が突き刺さっているのは地面ではなく、紛れもない継母の身体。力なく横たわる彼女を貫いています。
「エラ……にげやがれ……」
「はやく……できるだけ、とおくへ……!」
姉たちの必死の声も、エラの耳には届いていません。エラの頭には、継母との思い出が駆け巡っていました。
母親を亡くした自分を引き取ってくれた。
温かい食事と寝床を用意してくれた。
寡黙で決して明るい人ではなかったけれど、それでも私たちを見守ってくれていた。
厳しいながらも、身体を作る上で必要なことを考えてくれた。
力こそが全てであるこの国において、生きるために必要なことを教えてくれた。
確かに、エラを愛していた。
不思議と涙は出ませんでしたが、混乱したエラの身体の力は一気に抜け、その場にへたり込んでしまいました。
息が、上手くできません。
「貴様、何者だ?」
男の声がして顔を上げると、そこには王子が立っていました。
夢のような時を共に過ごした王子。何でここに? エラの頭はますます混乱します。
「この剣を、抜け」
王子が差し出したのは、あの夜落としたガラスの剣でした。
「抜け。抜いて戦え」
そう言った王子にもうかつての面影は無く、人とは思えないほど冷たい目をしていました。
「この剣は、選ばれた人間にしか、使えぬ。貴様で最後だ」
エラは黙ったまま動きません。
「おい、聞こえぬのか」
エラはゆっくりと剣へと手を伸ばします。
「やめろ……エラ……!」
「たたかっては……だめ……!」
分かっている。戦っては駄目なことくらい、エラにも分かっていました。
今の王子は明らかに様子がおかしい。力の申し子と呼ばれた彼でも、その力を無差別にまき散らす人では決してなかったはず。
けれど、もうそんなことはエラにとってはどうでもいいことでした。
『いつかその時が来たら、その力は目覚め、きっとあなたに応える……!』
エラが剣の柄を握り、引き抜こうとした刹那、
剣を差し出した王子の腕が宙を舞っていました。
「……はっ」
エラは何も言わず、俯いたまま立ち上がります。。
「ははははははははははははははははははははははははは!」
王子は壊れたように笑っていました。
「やっとだ! やっと見つけたぞ! さぁ! 私を殺せ! これで全て終わりだぁ!」
切断された腕から血を噴き出しながら、まるで子供のようにはしゃぐ王子。
そんな王子の様子と、傷つけられた家族が刻み込まれた心の奥底から、エラは何かが噴き出してくるのを感じていました。
怒りとは少し違う、ドス黒い感情。
「見てて、お母様。今からコイツを──」
そう、それは憎悪。
憎しみの炎にその身を焼かれた少女は、やがて真っ白な灰を被る。
「ぶっ殺す」
十二時の鐘は、まだ鳴らない。
第五章 終演
エラはとても優しい少女でした。
困っていたら見ず知らずの老婆も無償で助ける。そんな慈愛に満ちた心の持ち主。家族ですら彼女が怒ったところを見たことがありません。
ましてや誰かを憎んだことなんて……、
「死ね」
この時まではありませんでした。
彼女の表情にいつもの笑顔は無く、あるのはただ生まれたばかりの純粋な殺意のみ。
王子に向かって剣を振るう。振るう。振るう。
一撃一撃に彼女の心が現れ、王子の身体に傷をつけていきます。
王子は距離を取ろうとしますが初動をエラに潰され、更に一撃。今度は突きが王子の脇腹を抉ります。
衝撃で後方に吹き飛んだ王子。笑いは収まったようでエラと同じように静かに眼前の敵を見据えます。
「あなた、王子様じゃないわね」
エラの疑問に答えるように、王子の顔はニヤリと歪みます。
「よく気づいたな。まぁ、特段隠す気も無かったが」
「どうでもいいけれど、王子様はどうしたの?」
「死んだ。先ほどまで無駄に抗っていたが、今ではこの通り」
「そう……」
切り落とされた腕も、貫かれた腹も、植物が生えるように治っていきます。
「あなた、一体何者なの?」
「我は……そうだな」
王子の皮を被ったソレは、少し考えた後答えます。
「戦いの中で生まれ、殺しの中で成長した、貴様ら人間が生み出したモノだ」
エラがつけた傷は切り傷一つ無くなり、体力も明らかに戻っていました。
「そう、私から聞いておいてあれだけど、別にあなたが何であろうとどうでもいいの」
「ほぅ? てっきり貴様はこの男に興味があると思っていたのだが」
「あなた、武闘会の時も王子様の中にいたわね」
「あぁ、だから驚いたぞ。貴様はあれほど楽しそうにしていたのに今じゃこのざまだ」
「もういいわ、何も喋らなくて」
射程外から一歩で相手の間合いに踏み込むエラ。地面を這うくらい低い姿勢から、喉元に向かってガラスの剣を斬り上げる。
それを素手で止められてしまいます。
しかし、エラは動揺しません。
「──ッ!」
止められた剣を支点にして横回転。王子の指を刎ね飛ばし、そのまま王子の顔面に向かって剣を叩きつけました。
「中々やるな」
それも王子の剣に止められます。攻撃の主導権は王子に移り、地面を割るほどの化け物じみた攻撃がエラを襲います。
それを紙一重のところで躱すエラ。皮膚や髪が切れますが、瞳はまっすぐ王子を捉えたまま放しません。。
「まさかここまでやるとはな。そこに転がっている雑魚供は、指を刎ねるどころか我に傷一つ与えることさえできなかったぞ」
「黙れ……!」
エラはまた一段と深く構えを取ります。
「お姉様たちはすごいのよ。私のことを一番に考えて、たとえ感謝なんかされなくても私に生きる術を教えてくれた」
「エラ……」
「武闘会に連れて行かなかったのも、私を戦いから遠ざけようとしていたからだって、本当は全部分かっていたのよ」
歯を食いしばり王子を睨むエラの瞳からは、涙が溢れていました。
「そんな強くて優しい、私の家族を……あなたは……ッ!」
「やはり下らんな。人間というモノは」
「絶対に殺してやる」
言い終わるのと同時に距離を詰めるエラ。
先ほどと同じ、しかし今度はより深く、より速い。
「二度も防がれた手を繰り返すとは、愚かな」
もう一度止めようと再生した指で構えを取る王子。すかさずエラは間合いに入る前に剣で地面を薙ぎ払いました。
「目眩ましか……!」
風圧によって舞った砂埃が王子の視界を遮ります。そのままの勢いで駆けるエラ。王子の足下にまで回り込むと両足の腱に一撃ずつ食らわせました。
「ぐっ……!」
「あなたの弱点、一つ教えてあげるわ」
反撃の隙を与えず、脚、腰、背中、肩と続けて四撃。その全てが身体を等分するようなものではなく、肉を削ぐような斬撃でした。
首を狙ったエラの斬撃は弾かれましたが、王子の身体は既に傷だらけです。
「あなたの弱点は、その人間離れした身体能力と回復能力。腕を飛ばそうが腹を貫こうが再生するあなたは、その回復力故に致命傷以外の傷を軽視しているの」
「力が、入らない……!」
エラは初めて、王子の肉体に膝をつかせました。
「そしてその化け物じみた力に見合わず、身体の造りは人間と同じなのね。脚と肩の腱を削いだわ。まぁ、すぐに治るでしょうけど」
「貴様……!」
「立ちなさいよ。戦いはここからなんだから」
もちろん、この程度で終わるわけがありません。鎮まるわけがありません。
家を燃やされ、家族を殺されたエラの憎悪は。
「さぁ、踊りなさい」
「調子に乗るなァ!」
「エラ! よけろぉッ!」
「──ッ!」
姉の叫び。エラは確認するよりも前に後ろに跳びます。
すると、見下ろしていた王子の身体がいきなり爆発。エラの視界は一気に閃光に包まれました。
爆風により吹き飛ばされ、エラの頭は一瞬暗闇に飲み込まれます。
「……っ、私……どれくらい気を……⁉」
炎は家どころか地面や森にまで広がり、見渡す限り焼け野原に変わってしまいました。
エラの意識が飛んでいたのは、ほんの数秒。その数秒の間に辺りの景色は一変していたのです。
その焼け野原に立っているのは、一体の焼死体だけでした。
「嘘でしょ……」
剣を握る焼死体。力なくゆらゆらと左右に揺れています。
エラにはすぐに分かりました。アレが一体誰の身体なのか。
「シン……デレラ……!」
「王子様……」
エラは油断していたのです。王子は一人だった。持っている武器は剣が一本だけ。なのにエラの家は炎上していた。
それにあの異常な身体能力と再生力。考えられるのは一つだけ。
「魔法……あなた、おばあさんと同じ、魔法使いなのね!」
「ガハッ、ガハッ、ガハッ」
喉も焼かれているのでしょう。咳をするように王子の身体は笑っています。
「なんで、そこまであなたは……!」
「……思い知ラせテやル」
うわごとのように、王子の身体にいる魔法使いは喋り始めます。
もう彼はエラを見てはいません。
「人間ドモに、我らノ怒り、憎しミ、ソノ全てヲ、奴らガしテキたコとヲ、返シテやル……!」
それは、憎悪に彩られた魔法使いの心そのものでした。
「この身体ハ、俺タチの国ヲ、家族ヲ、ソノ汚い脚で踏み潰しタ……だかラ今度は我ガ踏み潰シテヤルノだ。コイツが今マで我らカラ奪い、築イタコノ国ヲ!」
エラを見ていない彼の剣が、エラに向きます。
「貴様ゴト滅ボシテヤル! シンデレラ!」
黒焦げの手足を振り乱し、エラに襲いかかる魔法使い。
崩れていく身体を気にもとめないその姿は、もはや人間とは呼べない物でした。
「くそ……!」
立ち上がろうとしますが、先ほどの爆発を食らってエラの身体は思うように動きません。ガラスの剣にすら手が届かない状況です。
そして目の前に立ちはだかる焼死体。
「シネェ!」
「あが──ッ!」
倒れたエラは蹴り飛ばされ、ガラスの剣と共に更に吹き飛ばされます。
「早く……立たなくちゃ……!」
「ガハッ、ガハッ、ガハッ、ガ……ハ……」
不気味に笑う王子の肉体が、徐々に崩れていきます。エラに斬られた腕が、指が、腹が、ボロボロと。それを修復。崩壊。その繰り返し。
治りながらも燃えて、焦げて崩れていく。
「アアアアアアアアアッ!」
動くこともままならないはずの身体を、人への憎悪だけで動かす魔法使い。エラの息の根を止めようと近づいてきます。
「た、たたなきゃ……」
エラの意思に反して身体は全く動きません。意識さえ手放しそうになった時です。
「ア……ア?」
魔法使いの歩みが止まりました。
「お……ねぇさまあ……」
「情けねぇ声、出してんじゃねぇぞ! さっさと起きやがれエラ!」
「妹が戦っているのに、姉の私たちが寝てられますか……!」
脚を潰され動けないエラの姉たちが、地面を這い、燃えさかる魔法使いの両脚にしがみついているのです。
少しでも、エラの時間を稼ぐために。
「邪魔ダ!」
姉たちに向かって何度も剣を振り下ろす魔法使い。
斬られ、刺され、貫かれ、血と叫びを吐き出しながらも、姉たちは決して手を離しません。
これも、強い意志によってなせる技なのでしょう。
妹を守る姉の意志が、エラの命を繋いでいます。
エラは立ち上がろうと、歯を食いしばり地面を押す手に力を込めました。
「死ニ損ナイドモガァ! サッサトクタバレェ!」
「やめ……ろ……!」
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
「えら……」
姉たちの傷口から噴き出した血が、徐々に勢いを失っていきます。
「てめ……まけ、んな、よ」
やがて姉たちは完全に動かなくなりました。
「ガハッ、ガハッ、ガハッ」
乾いた笑いが、むなしく響きます。
最後の一人にとどめを刺そうと、エラの方に向き直る魔法使い。
「……イナイ?」
エラが視界から消えたのはほんの一瞬、すぐにエラは目の前に現れました。
ガラスの剣と、更なる憎悪を携えて。
「あなただけは許さない!」
「我ハ誰モ許サナイ」
互いの全てを懸けた最後の攻防。
勢いに任せて剣を振るエラ。一撃、二撃、三撃。
「なッ……⁉」
数えて三撃目。既に限界を迎えていたのしょう。ガラスの剣は真っ二つに砕けてしまいました。
キラキラと光るガラスの破片が舞う空間。時間がゆっくりと流れていきます。
「ガハッ、ガハッ⁉」
それでもエラは止まりません。
折れたガラスの剣を魔法使いの腹に突き刺しました。魔法使いの肉体が更に崩れていきます。
決着がついたと思ったその時、痛みとともにエラの視界の半分が赤く変色しました。
エラはすぐに、自分の片目が潰されたことを理解しました。
砕け散ったガラスの破片。その一つを魔法使いがエラの眼球に向かって飛ばしたのです。
「シネ」
「死なねぇよ」
それでもエラは止まりません。
砕け散ったガラスの破片、その中でも剣の原型が残っている物を空中で握りしめ、魔法使いの喉に突き刺します。
まだ血が残っていたのか、魔法使いの口から血が噴き出します。
王子の肉体はもう完全に壊れる寸前、倒れそうになりながらも魔法使いはまだ諦めていません。
焼かれた喉にガラス片が突き刺さり、まともに話せなくとも魔法使いは叫びます。
「アエォ! ジンェアア!」
エラに向けられる掌。爆破攻撃。それが避けられないことを数瞬の間にエラは悟りました。ならばとエラは自らの腕を盾にし、そのまま突っ切ります。
閃光と衝撃。そして意識が飛びそうになるほどの激痛。
爆破され、エラの右腕の先が消し飛びましたが、それでもエラは止まりません。
顔面へ放った左の拳が魔法使いに当たり、魔法使いが大きく体勢を崩します。
これでもう──
「ガアアアアアアアアアアアアッ!」
倒れない。
もはや意識も無いのに、それでも彼が膝をつくことはありませんでした。
彼を突き動かしている力、それは恐らくエラより深い憎悪。この攻防の中、エラはその姿にどこか寂しさを感じていました。
エラは喉に突き刺したガラスを横に切り裂きます。
「ァ……ダ……」
彼はまだ、倒れません。
エラは腹に突き刺したガラスをそのまま頭に向かって切り上げました。
「……ァ」
彼の憎悪は、まだ倒れません。
切り上げたガラスをエラはもう一度構えます。
「……さようなら、私の王子様」
その時、エラには確かに聞こえたのです。
「ありがとう」という言葉が。
終章 続演
激闘の末、全てを終わらせたエラ。あの戦いの後、エラはすぐに気を失い、気づいた時にはかつてガラスの剣をくれた魔女のおばあさんの家にいました。
数日の間、エラは立つこともできませんでしたが、おばあさんの献身的な治療のおかげで徐々に回復していきました。
「エラ、傷は痛みますか?」
「もうだいぶ良くなったわ、おばあさん。こっちはまだ全然慣れないけどね」
三分の一が消し飛んでしまった右腕を振るエラ。片方しか無い瞳にもかつての明るさは宿っていません。
「本当に傷を魔法で治さなくてよいのですか?」
「いいの、これは彼からの贈り物だから。私が大切にしないといけないの」
片腕、片目、家、家族……失った物はあまりに多く、手に入れた物はほとんど無くても、全く無かったわけじゃない。
エラはそう思っていました。
「そう……大変でしたね」
「まるで他人事ね。私とあの魔法使いを戦うように仕向けたのはおばあさんなのに」
魔女はその言葉を聞いて固まってしまいました。
「最初に出会った時、おばあさんが怪我をしていたのはあの魔法使いにやられたからでしょう? だからあの家に逃げ込んで、私を王子様と……肉体を乗っ取った魔法使いと戦うように仕向けた。違うかしら?」
魔女は黙ったまま何も言いません。
「別におばあさんを責めているわけじゃないの。確かにお母様もお姉様たちも死んでしまったけど、恨んではいないわ」
「……一体、いつから気づいていたのですか?」
「どうでもいいじゃない。そんなこと」
エラは魔女を非難する気も批判する気もありませんでした。全ては終わったことであると分かっていたのです。
「でも一つ聞きたいわ。このガラスの剣を受け取ったのが私だった理由だけが、全く分からないの」
「たいしたことではありませんよ。ただ、友が遺したものに縋っただけです」
「……そう、だったのね」
砕け散ったガラスの剣を抱えながら、エラは喉が焼けたような乾いた笑いを浮かべました。
「私はもう踊り疲れたわ。だからこれはもう必要ないわね」
「そう、じゃあ捨てておきましょうか」
「それももったいないわね……せっかく綺麗なガラスなんだし、何か別の物に作り変えて誰かに譲りましょう」
「別の物?」
「そうね……靴とかいいんじゃない?」
シンデレラ / 遠吠負ヶ犬 作