フルーツワンダードリーム / フルーツ萬太郎 作
第一夜 落ちる
ある時、このような夢を見た。
空を落ちている。大の字で延々と落ちており、目の前には青空が広がっている。ふと顔を左右に向け、足の方向を見てみると、そこには崖が、これも延々と広がっているのが見える。気づけば、眼下には素晴らしい景色が広がっている。遠くには山脈が、すぐ近くには青々とした緑色の森が見え、その森の中には空の色を反射したように、青色の水をたたえた湖も見える。その景色はなぜかいつまで時間が経過してもこちらに近づいてくる様子がないが、その圧倒的な風景に目を奪われ、ぼんやりとこの世界でなら死んでもいいや、なんて思い始める。そうしていると、いつの間にかひざを曲げた状態で目が覚めている。
起きた時にはまだ夜であったので、もう一度眠ろうとするが、再び同じ夢を見る。何度も何度も見ては覚め、見ては覚めを繰り返す中で、ふと気づく。少しずつ夢が変わっていっている。少しずつ地面が近づいてきている。気づけば、青々とした緑の森のうち、特に近い、真下の森が針葉樹林であることがわかってくる。
ここで、そこはかとなく嫌な予感を感じ始める。一般的に、針葉樹は、主となる枝が上にまっすぐ伸びており、ほかの細い枝はおおよそ横に伸びている。その一方、広葉樹は、それなりの太さの枝が放射状に伸びている。そのため、仮に落ちた場合、枝に何回も当たって、地面には優しく落ちる可能性の高い広葉樹林に落ちた時より、木々の枝で皮膚を切り、傷ができる割にはそのままの勢いで地面に落ち、ひどいけがを負う可能性の高い針葉樹林の方が大変なことになるのではないかと考え始める。
嫌な予感はある意味最悪の形で的中する。たくさんある針葉樹のうち、一本の主だった枝がのど元に刺さるように落ちていることに気づく。まずい、このままではのどに枝が突き刺さって苦しみながら死んでしまう、と考えて自分は身をよじろうとしたり、体を曲げようとしたりして、のど元に枝が突き刺さって死ぬという結末を回避しようとする。しかし、結局体は大の字のまま動くことなく、枝の切っ先がのどからおよそ十センチとなり、ああ、このまま死ぬんだな、とあきらめにも似た感情を抱き、死ぬ結末を受け入れようとしたところで、目を覚ました。
第二夜 変態共の宴
ある時、このような夢を見た。
桃色の部屋の中に視点だけがある。床も壁も天井も桃色で、明かりもないのに不思議と辺りの様子がわかるその部屋は、一辺が三十メートルほどもある。そして、ほかにたくさんの人がいるのがわかる。見ると、それはすべてが女性であり、その中には知り合いも含まれていることがわかる。その表情は、揃って不安げなものであった。
部屋の中を見渡して少し、いつの間にかある方向の壁の中央に水晶の断面のような、縦に長い五角形の形で、壁よりはやや濃い桃色の枠を持った扉が現れている。ちょうど部屋の真反対の壁には壁と一体化した両開きの扉が一対現れている。その扉は一見すると、長方形の切れ目にも見えるので、そのことに女性たちは気づいていない様子であった。しかし、突然ウィーンという機械音とともに扉が開く。その向こうから現れたものに気づくと、彼女たちは悲鳴を上げる。
その向こうから現れたのは、全身ピンクのタイツを着て、毛のないかつらをかぶった男、というか志村けん。つまるところ、そこにいたのはいわゆる「変なおじさん」であった。
彼は
「変なおじさん、ったら変なおじさん」
と、例の言葉を発しながら部屋のあちこちを歩き回り、女性に近づいていく。そのたびに部屋の女性たちは悲鳴を上げて彼から遠ざかる。
そのような光景が体感で十分ほど繰り広げられたのち、水晶型の扉が開く。扉の向こうには黄色の通路が広がっている。扉が開くと、彼は扉の向こうへと向かっていき、部屋を出ていく。扉の閉じた桃色の部屋で、女性たちは最初に彼が来た方向の壁を向き、みなおびえた表情をしていた。
その予感を裏付けるかのように、再び壁のような扉の方が先ほどと同様の音を立てて開く。そこから出てきたものに、女性たちは同じような反応をみせる。しかし、それは先ほどとは大きく異なっていた。
同じであるのは全身ピンクのタイツを着ていることのみ。その背格好も、顔も、すべてが小学校のクラスメイトの一人に似ている、どころかそのものであった。
そこまでほとんど感情の動かなかった自分が驚愕している間に、そいつはにやにやとした笑みを浮かべ、先ほどの男と同じように女性に近づいていく。そいつの声は不思議と聞こえないが、やはり女性たちは悲鳴を上げて彼から遠ざかる。
そのような光景がまた数分ほど繰り広げられたのち、そいつも変な男のように水晶型の扉へ消えていった。女性たちの顔もそいつが去った時のようであった。
しかし、無情にも再び壁のような扉は開かれる。その向こうにいたのは、複数の人影。誰もかれも一様に全身ピンクのタイツを着用し、先ほどのそいつと同じようににやにやと笑みを浮かべている。そして、次々と女性に近づいていく。その姿はみな、小学校の時の男クラスメイトたちと同一であった。
そうして、幾度となく何度となく、変な格好の男たちによる襲来が行われていき、その中でふと目が覚めた。
第三夜 廃工場の遊園地
灰色の空の下、大きな駐車場が隣接した廃工場に友人と二人で向かっていた。そこは、人里離れた場所だった。
敷地にこそフェンスのたぐいはなく、誰でも入れそうな場所である。周囲に動くものの気配はなく、工場は崩れていびつになった工事現場の足場のようなものに囲まれている。唯一ある入り口も長方形をいびつに崩した不格好な形で、暗闇をその中にのぞかせている。
そんなところまでどうやってやってきたのか、保護者を伴わずにやってきた二人は、そのまま工場で遊び始める。
工場の中には、外にもあったいびつな工事現場の足場のようなものがそこら中にあり、二人はそれに乗ったり、飛び移ったりしてアスレチックのように遊んでいる。
そのうちに、二人で特に大きな足場に乗ってその端へ走り始める。その足場は大きなジェットコースターのような形をしているが、そのレールは途中で途切れているので、それを見ている自分は危ないと感じた。しかし、声が出せたり、何かを動かせたりすることはなく、ただ見ていることしかできない。
幸い、何事もなく無事に戻ってきたので、ほっと胸をなでおろしていると、今度は夢の中の自分が高く壁の形に組まれた足場の頂上で立っている。しかも、いつの間にか夢の中の自分と同じ視点になっている。
あ、と思った瞬間、自分はその足場から足を滑らせる。顔を下に、うつ伏せの姿勢で落ちていく。たった数秒ではあるものの、すさまじい風圧を感じる。恐怖を感じながら落ちるも、不思議と衝撃はない。
そこに、友人が駆け寄ってくる。
「おーい、大丈夫かー?」
自分をのぞき込んでそう言う友人。少し心配を含んだその声を文字通り一笑に付すように、夢の中の自分はくるりと仰向けになってこう言った。
「アハハハ、だいじょーぶ! すっごい楽しい!」
そうして、時間が過ぎていく。視点の戻った自分からは、いつの間にか彼らの姿は見えなくなり、楽しそうな声だけが聞こえてくる。見えるのは廃工場の足場ばかりで、見ているうちに不安になってくる。
いよいよその不安が最高潮に達したころ──突然、ぷつんとチャンネルが切れるように目が覚めた。
第四夜 奇天烈なる景色
男が二人、話をしている。
見れば、二人ともが小学生時代のクラスメイトであった。
姿も声も当時そのままの彼らは、他愛もない話を交わしている。
ただ恐ろしいことが一つあった。それは、彼らがとんでもない場所で話をしていることである。
まず彼らは完全に転覆し、乗る場所と水に本来ついている場所が完全に上下逆になった小舟の上に座っている。船を動かすためのカヌーやオールもなく、彼らはややとんがった船の底にまたがるように座って話をしている。
また、この小舟は水の上に浮いている。この水がまた不思議な色をしており、濁って白っぽくなった茶色をしている。話している彼らは足首をその水に浸けながら話していた。
この水はどうも大河のようにゆっくりと流れており、どこかに流されているらしいのだが、雲一つない青空の下、彼らがまっすぐ向かう先にはやけに大きな月が見える。その大きさは、遠近法が影響するはずであるにもかかわらず、視界の半分を埋め尽くすほどであり、見るものに威圧感と恐怖を与えるほどであった。
川の端には、マングローブのような木々が整列されて植わっており、なぜか黒々としていたのでこれもまた恐怖の材料となる。
第三者視点から見ている自分は、この光景に恐怖したが、何よりも恐ろしかったのは最初に述べたクラスメイトたちである。
彼らはこの異常な光景の中で、それらに何一つ反応を示さず、淡々と話をしているのだ。
自分はその光景から目を逸らそうとするが、結局逸らすことができない。やがて、光景から来る恐怖がゆっくりと蓄積していき、頂点になって目を力いっぱいつぶった瞬間、ハッと目が覚めた。
第五夜 ドラマティック・キス
小学生の自分が歩道を歩いているのを左側から見ていた。そこは白いガードレールで片側二車線の車道と隔たれており、反対側の歩道も自分のいた方と同じようになっている。違うのは道の外側の景色。こちら側は看板が点々と立ち、白っぽい地面にところどころ雑草が生えた空き地が広がっているのに対し、反対側は塀が延々と続いている。また、その向こう側には病院があるらしく、盾形の中に緑の十字の入ったマークが見える大きな建物が塀の上から見えていた。
歩いていると、向こう側の歩道を三人の少年少女が歩いてくる。さほど自分と年齢に差があるようには見えず、一人は少年、後二人は少女である。
少年は黒い短髪に黒い目で、半袖のTシャツに半ズボンを着ていた。快活で表情豊かに女子二人と話しているその姿は、腕白な少年を連想させた。
二人いる少女のうち、片方は少年と同じ黒髪黒目である。髪は短いツインテールにしていて、服装はシャツに長袖の上着、そしてスカート。若干つり目になっている大きな目は勝気な印象を生み出しだしている。
そして最後の一人は、亜麻色の髪をひざ辺りまで伸ばし、ストレートで下ろしている。裾に星がワンポイントとしてあしらわれた半袖のシャツと青いジーンズをまとう彼女は、赤色の目を眠たげに細めながら歩いている。その雰囲気はまるで、おとぎ話の妖精が現実に飛び出してきたかのようだった。
そんな三人組と夢の中の自分は知己であったようで、足を止めて眺めていると、三人のうち妖精のような彼女が初めに気づいた。
こちらに気づいた瞬間、眠たげな目が一気に見開かれ、笑顔が光り輝く。ぶんぶんと音がしそうなほど激しく手を振ってくる彼女を見て残り二人もこちらに気づき、少々苦笑しながらこちらに手を振ってくる。
夢の中の自分も控えめに手を振り返していると、そのうち我慢ができなくなったらしく、妖精のような彼女が一直線にこちらに向かってきた。ガードレールを乗り越えてやってきたので、夢の中の自分は声を上げて引き返させようとした。
しかし、それは間に合わなかった。左方から来た乗用車に彼女は撥ね飛ばされてしまったのだ。意識を失った彼女に駆け寄り、
「大丈夫か! おい、大丈夫か!?」
と身体を揺らしながら呼びかけていたところ、ゆっくりと視界がその場所から離れながら暗転した。
◇ ◇ ◇
戻った視界は、病院の廊下をやや右気味に映していた。そのまま視界が右に平行移動すると、病室の扉の一つが開くので、視界は病室の内部の様子を写すことになる。
そこには、病院着を着て病床に寝かされている亜麻色の髪の少女とその周りにいる自分を含む三人がいた。自分以外の二人は病床からやや離れたところにいて泣いている一方、夢の中の自分は少女のそばにいて、手を取っていた。声もかけているものの、少女は眠ったまま身じろぎ一つしない。ピッ、ピッと心拍数をはかる機械の電子音と、自分が少女にかけ続ける声、そしてほか二人のすすり泣く声だけが病室に響いていた。
必死に呼びかける声もむなしく、やがて機械の心拍数はゼロに近づいていき、そして短かった電子音は、長く長く病室に響き渡った。夢の中の自分も、彼らも、涙があふれて止まらなかった。
「う、うああああ……! ちきしょう、ちきしょう! なんで、なんでお前が死んじゃうんだよ!」
自分の声が病室に響き渡る。夢の中の自分は顔を下に向けたまま、言葉を続ける。
「……お前のことが、好きだったのにっ……!」
その言葉が空間に溶けて数秒、突然アラームが鳴り響く。自分が顔を上げてみると、彼女につながれていた心拍数をはかる機械の値が三百超えを示していた。自分は人間の心拍数は二百を超えないのが常識だと知っていたため、異常事態が目の前で発生しているのは明らかに思えた。
「何が起こってるんだ!? は、はやく先生を呼ばなきゃ……!」
夢の中の自分は慌てながらも、次にしなければいけないことを口にする。続けて、後ろにいる二人の方に声をかけた。
「お、おい、二人も先生か誰か呼べよ! おい、聞いて……」
言いながら、二人の方へと体を向け、その違和感に気づいた。二人とも、こちらを見ていなかった。それどころか、自分の言葉が届いているかも怪しかった。二人とも、自分の背後を見て、言葉もなく呆然と座っているようだった。
導かれるように、自分も体を反転させ……二人同様、絶句した。
彼女が、病床から身を起こしていた。ほほえみを浮かべた彼女の瞳が、自分の顔をとらえる。その目が細められ、笑みがより一層深められる。確実に死んだと思われる状態から人が生き返った衝撃に、誰も動くことができなかった。
そのまま、彼女は身を乗り出しながら、腕をこちらに伸ばしてくる。自分の頬に彼女の手が触れる。そのまま、彼女のきれいな顔が近づいてきて──その身が重なった。
その瞬間、目が覚めた。ほんの少し、その感触が残っている気がした。
第六夜 白スーツ男と銀のナイフ
いつの間にか、暗い屋敷を駆けていた。そばには自らの母親がおり、ともに駆けていた。息切れを起こしそうになっても、床板の一部につまずきそうになっても、前へ前へとひたすら走り続けた。その理由は、後ろから迫りくるものにあった。
「だぁいじょうぶだよぉぉぉ~、いたぁいことは、なぁんにもしないからねぇぇぇ~」
白いスーツを着た、背の高く恰幅のいい男。その眼鏡とひげ、白くなった髪はまるで某フライドチキン専門店の創業者を連想させた。
男は、自分たちとほとんど変わらない速度で延々と追ってきている。そのことに自分たちの恐怖は一層掻き立てられ、ひたすらに逃げ続けた。
男からの逃走が始まってから数分後、いったいどこをどう逃げたのだろうか、曲がりくねった廊下の先にあるたった一つの部屋に自分たちは追い詰められていた。
そこは見たところ、書斎のような部屋であった。一人用のソファと対面する机には、一メートルを超えるレベルで書類が積まれている。自分たちが入った方とは対面の壁には窓ガラスがいくつかはめ込まれているが、どれもはめ殺しでそこからは出られそうにない。
そのほか様々なものが部屋には置かれたり積まれたりしているが、どれも状況打破には使えそうにもなかった。どうすればいいか後ろから聞こえてくる声を聴きながら必死に考えていると、母が何かを見つけたようだった。母は、
「早く! この中に入って!」
と、壁の低いところにあった狭い棚に自分を押し込んだ。母が扉を閉じて数秒、向こうから男と母がもみ合うような声が聞こえてきて、扉が開く音とともにその声は遠ざかっていった。
しばらく後、なんとか棚から這い出てみると、部屋には誰もいなかった。男も、母親も、どこにも見当たらなかった。自分は失意のままに館を脱出し、気が付けば目が覚めていた。
◇ ◇ ◇
それから数日後、自分は同じような館で再びあの男に追われていた。あの日と同じように廊下を走る。唯一違うのは、母親がそのそばにいないことである。
しかし、自分はあの時のことを覚えていた。なので、その記憶に従い、曲がりくねった廊下の先にある部屋にあった例の棚に隠れた。
しかし、自分は一つ失敗を犯した。棚が少し、ほんの少しだけ開いてしまっていたのだ。
それに目ざとく気づいた男は、棚を開くと自分を引きずり出す。
「うわぁぁぁ!」
襟口をつかまれ、無理やり引きずり出された自分は悲鳴を上げる。男を見るも、眼鏡の向こうの目は窓から入ってくる光が反射して窺うことはできない。しかし、口は喜悦に歪んでおり、自分に対していやおうなしに恐怖を想起させた。
「じゃ、始めちゃおうねぇ~」
その言葉の直後、自分の首にナイフを当てられた。そして、自分の首が切断される。
それはまるで、のこぎりで切断されるような感覚だった。ナイフの刃が往復運動しながら、少しずつ首を切っていくのだ。不思議と痛みはなかったものの、首に何かが食い込んでいく違和感があった。
それが始まって数分、ふと致命的なものを切られた感覚があり、ふっと意識が飛び、目が覚めた。
第七夜 クリアー・ミュージアム
気づくと、建物の中にいた。
コンクリートはむき出しで、天井もコンクリート製。床にはよく建物に敷かれている短い起毛のスクエアマット。無機質だと感じなかったのは、おそらく光が通っていたからだと思う。天井から吊り下がっているライトも影響しているのだろうが、何より大きな光を放っていたのは窓。壁のほとんどを占めているそれは、膨大な光を内部に投射しているが、驚くべきは対面にも同様の構造があること。対面した一対の窓から入る日光は、自分たちに過剰なほどの明るさを提供していた。
そんな明るい場所で、自分は階段の踊り場……を、もっと広くしたようなところに立っていた。
そこはモールにあるような雰囲気の、自分が寝転がってもなお余裕がある大きさの正方形をした場所だった。自分が最初に向いていた方向には例の窓があったが、自分から見て左手にあった角を挟むように上りと下りの階段が一つずつ設置されていた。左前には下りの階段、左後ろには上りの階段。両方とも、鉄製の手すりを持っており、その床には踊り場と同じく短い起毛の紺色マットが敷かれている。また、ステップの間には隙間があり、この建物がより日光を通すのに一役買っていた。
自分はそんな建物の雰囲気に圧倒され、しばらく立ち尽くしていた後、直感的にここを美術館だと思った。
首を左へ回し、階段の上を見ていると、ほかの人影が自分から離れた方向に向かうのが見えた。人もあまりいないうえ、目印や看板もなかったので、自分はとりあえずその人影と同じ方向に向かうことにした。
◇ ◇ ◇
歩いていくうち、あちこちである人物の肖像画のようなものの複製画が飾られていることに気づいた。
その人物は老齢の男であった。あごには白く短いひげをたくわえており、銀縁の眼鏡をかけている。絵は胸の部分から上しかなかったが、白いシャツに赤色のチョッキを着ているように見えた。その瞳は優しい光をたたえており、恐ろしげな印象は受けなかった。そして、その肖像画が多く吊り下げられたり、壁に貼られたりしていることから、どうもこの建物はその人物に焦点を当てて展示を行っているらしいことにも同時に気づいた。
すれ違う人は少なく、どうもこの建物にいる人はまばらであるようなので、人のいない手近な展示物に近づいてみる。美術館によくある大きなガラスを隔てて向こうにあったそれは見たところ、典型的な形をした黄土色のツボのようなものであった。
なんとなく自分は
「この人物は芸術家なのだな」
と考察した。
◇ ◇ ◇
それからも自分は建物の展示を見て回った。中には、男の半生を文章にした展示もあった。
そのうち、なんだか通路が異常に狭くなっているように感じてきた。見ると、確かに通路は狭くなっている。いるのだが、先ほどまでいた空間と違い、壁が高くなって、天井まで続いているために狭く感じることに気づいた。その先からは光があふれてきているので、足早に向かってみると、最初にいたような明るい場所に出た。
違うのは足場の形。右手方向に、人二人がぎりぎり通れる広さを保って続いている。それ以外は最初に見たようなもので構成されていた。
大窓から入ってくる日光をまぶしいと感じつつも、通路に沿って進んでみると、先には下りで、途中で右に直角に折れている階段がある。その途中にも展示があったので、時折立ち止まって読みながら進んでいくと、やや狭苦しい階段を抜けたところで広い空間に出た。
そこでは、自分のいる階段は丁字型になっており、自分から見て右手にはさらに下る階段、対面には上る階段がある。さらに下る階段は大広間のような場所に続いている。広間はやはりまばらではあるが、今まで見たどこよりも多くの人がいた。そして左側には、最初にあったような大窓があり、やはり訪れる人々に明るさを提供していた。
その後も、自分がこの建物を楽しんでいるうち、目が覚めた。
第八夜 デパート・ウィンドウ・ショッピング
気が付くと、どこかのデパートの中にいた。
まるで高級ホテルを思わせるような大きな場所の内装には、天井から釣り下がった弱い直接照明と壁を利用した間接照明はついているが、人はいない。売り場に仕切りはなく、自分の視線ほどの高さの棚が整然と置かれている。その棚は段が二つあり、そのほとんどに反物のような布が巻かれた状態で三角形に積み上げられていた。
あちこちの壁や棚の上に飾り扇も置かれていることがあるので、ここはどうも和風の何かを売っている場所らしいと頭の片隅で考えつつも、自分はあてもなく奥へと歩みを進めた。
進んでいると、売り場の奥まで来た。その壁際には一つの棚があった。その幅は他の棚と比べて二倍ほどもあった。また、段は二段ではなく、それらに加えて床のすぐ上にもう一枚板があるように感じた。というのは、その板があると思われる場所に、ある建物とその周辺の風景を再現した、一畳ほどもあるジオラマが置かれていたからだ。自分はそのジオラマに見覚えがある……というレベルではない既視感があった。それは自分の通っていた小学校だったのである。人は一人もいなかったが、建物や風景は細かく再現されていた。
どうしてこんなものがここにあるのだろうか。そんな疑問を抱きつつも、自分はなんとなくジオラマに手を伸ばそうとする。しかしその時、それはガラスケースに入っており、仮に伸ばしたとしても全く届かないことに気づいた。自分は二、三回まばたきをし、ほんの少し動きを止めた。そして、その手をガラスケースに押し当て、顔をケースに近づける。もう訪れることのない学び舎は、静かに懐かしさを漂わせていた。
ジオラマを見続けること数分、ふと右側に上の階へと続くらしいエスカレーターがあることに気づいた。自分は後ろ髪をひかれつつも、上の階へと足を進めた。
それからのことは、あまりよく覚えていない。起きた時覚えていたのは、静かにデパートの中を見て回り、楽しんでいたことだけであった。
第九夜 森下り、坂上る
その日、自分は頭痛で小学校を休んだ。
ベッドでうんうんうなることしかできない自分を見て、母親が学校に欠席の連絡を行った。そして、母親が仕事に出ていった直後、ズキズキと頭をむしばんでいたはずの痛みが嘘のように消え去った。
やっぱり行こう、と思った自分は、着替える間も惜しんで寝間着にはだしのまま、庭に面する窓から家を飛び出した。
当時家は緩い坂の途中にあり、その坂の上に小学校があったはずなので、自分がそこにたどり着くのに時間はいらないし、迷うこともないはずだった。しかし、どこをどう歩いたのか、自分はいつの間にか樹海のような森林の中で、土むき出しのけもの道を歩いていた。
木の根をまたぎ、あるいはくぐり、一度坂を下ったりもしながらも、大した不安もなく自分がたどり着いたところには大きな広場があった。
その広場では、ショベルカーによる建物の取り壊しや、土地の造成らしき作業が行われていた。
なんとなくその広場に近づいていくと、自分は老若男女入り混じった数十名ほどの集団と出会った。
話を聞いてみると、彼らはこの場所にもともと居を構えていた村の住民だという。しかし、ある日突然、この場所から立ち退くよう工事業者に命令され、それにも構わず暮らしていたところ、今のように強制退去させられてしまったのだ、と。
「なるほど、なるほど」と相槌を打つ自分に対し、そう話してくれた村長は、その話に続けてとんでもない提案を言い放った。
「そこでじゃ、わしらの都合がつくまで、おぬしにここにいる子供たちを引き取ってもらいたいのじゃが、よいかのう?」
いやいやちょっと待ってくれ、自分にはそんなこと到底できないよ、と自分はその提案を拒否しようとしたが、村長はもちろんのこと、大人たちや、当事者である子供たちまでもが一切の反論をしようとしなかった。
多くの視線にさらされ、多数決の原理に屈した自分は、重機の重苦しい音が響く中、非常に渋々ながらもその提案を呑むのだった。
◇ ◇ ◇
そして結局、自分は十数人ほどの子供たちを連れて元来たけもの道を戻ることになった。
ほとんどしゃべらない彼らに時折声をかけたり、気遣ったりしつつ、ようやく後少しで小学校のところに戻れるとなった時、そこで自分は目の前に道が二つあることに気づいた。
片や、正面に向かって緩やかに下っていく道。片や、右に曲がって急激に上っていく道。ここまで来た道順を思い出すと、自分は行きと同様に、木の根を子供たちとまたいだりくぐったりして、この森に続いていた道を進んできた。しかし、一つだけ行きにはやったが帰りにはやっていないことがあった。
それは、森の道を一度下ったことである。このため、帰りは逆にどこかで上らなければいけなかったのだった。
なので、右にある道を子供たちとともに上ろうとしたのだが、彼らはそれを断った。なぜ? と聞いてみても、
「自分たちはその道ではなく、こちらに行きたいんです」
というばかり。結局、意見の合わなかった子供たちと自分は別々の道を歩むことになった。
自分が帰るために選んだとはいえ、足をおなかのところまで引き上げないとまともに登れないほどに急激な上り坂にひいひい言いながらも、その途中でふと下の森をのぞいてみる。
そこには、米粒か豆粒ほどの小ささになった子供たちが、いまだに森を下っている姿があった。
自分は彼らとは二度と会えないのだろうな、と思いつつも、ようやっとのことで坂を上りきると、そこには小学校の校舎があった。
ようやく着いた、と一息いれていると、そこに誰かが走ってくる。
「あれ? おーい、こんなところで何してるんだ?」
それは二名のクラスメイトだった。体操服姿の彼らは、どうも授業の一環でマラソンをしていたようで、寝間着姿で突っ立っていた自分に気づき、こちらにやってきたようだった。
その後、校舎で私服に着替えた自分は、小学校の授業を受けているうちに、ふと目が覚めていた。
第十夜 █会いて……
その日、自分は崖から湖に水着にはだしという格好で飛び込んでいた。
六泊七日の旅行に、自分を含めて女二人、男三人で行き、空港のようなところから何事もなく帰ってきたはずだった。しかし、そこから突然場面が切り替わり、右下に表示された「九日目」の下線付きテロップとともに、自分が一人山の中で、崖から湖に飛び込む場面になったのだ。
ともかく、そうして湖に飛び込んだ自分は、その勢いがあまりにもすさまじかったことで、十数メートルはあると思われる湖の底まで一息にたどり着いてしまった。水圧による痛みや、水が目に入ることによる痛みがなかったので、余裕のあった自分は湖の中を見渡した。すると、湖の底に大きな古めかしいお屋敷が建っているのがやや遠くに見えた。
それを一目見て、面白そうだと感じた自分は、そこに近づいていった。しかし、近づいていくうち、だんだんと息が苦しくなってきた。なんとなく、そこに入れば助かると感じていたので、急いで正面玄関であろう扉を開いた。
瞬間、自分の身体はその中に周りの水ごと吸い込まれた。扉の内側にあったのは、水没した家具や内装などではなく、周りが土でできた管だったのだ。
有無を言わさず吸い込まれた自分は、あまりの息の苦しさに、曲がりくねる管の中で意識を失ってしまった。
◇ ◇ ◇
意識が再び浮上した時、自分は暗いところにいた。手探りでなんとか壁をたどり、明るいところへ出てみると、そこは下水道のような場所だった。
下水道といっても、現実にあるような、薄暗く通路も狭いうえに異臭のするような場所ではない。どういう訳か、通路が二メートルほどもあるうえ、水路と通路は橋の欄干のような柵で分断されている。おまけに、その水路を流れる水は青色に光っており、臭いもないという、今考えればどうしてこれを下水道と認識したのか疑う場所であった。
また、通路は土製でところどころ水のたまった部分があるうえ、あちこちで手のひらより大きなナメクジが這いずり回っているという状態であったので、飛び込んだ時の服装のままであった自分は、嫌悪感からナメクジをなるべく踏まないように動いて通路を抜けた。
結局、数匹のナメクジを踏みつけて白く得体の知れない液体を出させつつ、最終的にたどり着いたのは、端的に表すなら鳥居のある寺だった。
いつの間にかTシャツ短パンに着替えていた自分は、その敷地の中央にある小さなお堂からコロリと転げ落ちながら出てきた。
周りを見渡すと、基本的に瓦と漆喰の白壁で囲まれていた。お堂からは四方に石畳が敷かれており、お堂が向いている方向と反対には、お寺の本堂のような建物が建っていた。お堂の両側には通用門のような門が開いた状態であった。そして、お堂が向いている方向には真っ赤な鳥居が立っていた。
自分が鳥居をくぐると、眼下には風に揺れる草原をまっすぐ貫く長い階段と、はるか向こうに海が広がっていた。そのことは、自分にこの建物は非常に高い場所に建てられているであろうことを予想させるには十分なものであった。
そして、階段を数段降りたところ、後ろから一人の人がやってきた。
その人は非常に不思議な人物だった。巫女のような服をまとっており、白く長い髪を白い帯のような髪留めで一つ結びにくくっている、美麗な人物であった。そんな人がやってきたので、自分は、
「どうしたんですか?」
と、その人に尋ねた。その人は空を見上げ、
「落ちてくる」
とつぶやいた。言葉の意味がよくわからないまま、自分がその人とともに空を見上げると、飛行機が落ちてきた。
飛行機は、まるで幼児のおもちゃのように、現実のそれに比べてはるかに太く短い形をしていた。片翼がもげ、「POLICE」と書かれていた白黒のツートンカラーのそれは海に不時着したようなので、自分はなぜかついてきた謎の人とともに不時着地点に向かった。
◇ ◇ ◇
浜辺の近くであった不時着地点にたどり着いてみると、たくさんの警察官らしき人が飛行機から泳いで出てきていた。それを見ていた自分たちであったが、ある警察官の一言で事態の渦中に置かれることになった。
「ああっ、吸血鬼だ! 殺せ!」
相変わらず自分の後ろにいた謎の人を指さして放たれたその言葉は、自分に少なくない衝撃を与えた。何が起きているのかわからず、その人の方を向くと──その人は突然、口から牙をのぞかせ、爪を伸ばしながら自分に襲い掛かってきた。自分は思わず、カウンターのように、相手の攻撃をかわしながらその腹をぶん殴った。その人は数メートルほど吹っ飛び、砂浜に倒れた。
今だ、と思った自分はその人を避けて、警察からもその人からも離れるように逃げ出した。すると、警察とその人が両方とも自分を追ってくる。なぜか、ムカデ競争のように動きながら。
いよいよもって訳がわからなくなった自分は、逃げに逃げ、逃げ続け──いつの間にか、目が覚めていた。
フルーツワンダードリーム / フルーツ萬太郎 作