四百字のつぶやき / 福内鬼外 作
さよなら 夏の日
初夏の陽光が葉を透かして、葉脈が浮いて見える。
草の上に寝転んだ僕の身体を、木々が包み込んだ。静かな朝だ。戦の世であることを忘れてしまう。しかし、遠くの空で、蚊のように唸るのはグラマンだ。奴は、動くものには見境なく弾丸を浴びせかける。
勤皇隊に入った「にぃに」が、家を出る時、最後に言った「おばぁを頼む」の声が、耳から離れない。僕は舌をうった。「ヤンバルに逃げるぞ」と言ったのに。
胃袋を絞られるような空腹が襲う。尻のポケットにドロップの缶がある。蓋を開けて一粒を取り出す。刹那、突風が吹いた。葉が揺れて枝が分かれて開く。僕は陽光に晒された。
獲物を見つけたグラマンは唸りを上げた。急降下する。ガラス越しに若者の顔を見た。彼は、躊躇もなく機銃を掃射した。美しい青葉を、ベトリと赤く塗ることなど思いもせず、彼はトリガーを引いたに違いない。
穴
僕には修学旅行の楽しみが、一つある。大仏殿には、大仏様の鼻の孔と同じ大きさの穴が開いた柱がある。この穴を潜ると、目から鼻に抜けられるんだ。
僕は、薄暗いお堂に入った。お堂の天井は高い。その真ん中に座った黒光りした大仏様には目もくれない。僕は、穴を目指して駆けた。そこには、もう十人の行列が出来ていた。
「キャッキャと、うるさいんだよぉ」と連中を見た。やっと僕の番だ。深呼吸して、穴に頭を突っ込んだ。でも、奥に進んでいかないぞ。モゾモゾするうちに、頭が向こうに出た。その瞬間、僕の身体が硬直した。「ヤバい」と思うと、誰かが僕の両足を引っ張った。身体は穴からスポッと抜けた。「ぼく、大丈夫?」と尋ねる声が遠くで聞こえた。
僕は、気を失った。その刹那、僕は奇妙な世界に迷い込んだ。黄金に輝く大仏様。嗅いだことのない線香。聞いたことのない懐かしい音楽。穴の向こうにあったのは、何だったのだろう。
結界
「やっちまったよ。あれは関係代名詞だから、正解は④だ」。僕は舌をうった。これで赤点は決定だ。憂鬱な気分で、僕は穴倉に潜り込んだ。
「穴倉」というのは、線路下のガードである。頭のすぐ上を列車が走り抜ける。このガードを越えれば、僕の家がある。
狭い洞窟のような薄暗い道を抜けると、そこは夕暮れであった。妙だな、まっ昼間のはずだぞ。
「夕焼けじゃぁない」。夜空が、鬼灯のように燃えているのだ。編隊を組んだ飛行機が、爆弾をまき散らしている。それがはぜるたびに、夜空を赤く染めているのだ。
業火から逃げる群衆が、こっちに押し寄せて来る。僕は人々の大波に呑み込まれた。溺れそうになる僕は、確かに聞いた。「ヒュー」と鳴る音。爆弾の断末魔。僕を狙う爆弾は、製造番号まで読める。
こうして、幾千もの人々が情念を残して、ここで死んでいった。その情念が、ここに結界を作ったのだ。
「水の音」の理由
月明りもない闇である。僕は、藪の中に逃げた。奴は、後をつけてくる。シュ、シュと、草を掻き分ける音が鳴る。奴が、僕の後を追っているのは確実である。おぞましい妖気で窒息しそうになる。奴の両眼を思い出した。一片の憐憫もない冷酷な目である。それが今、僕を狙っている。
奴は、僕を追い詰めて、食い殺そうと迫る。理不尽だ。理屈が通じない奴だから、捕まれば逃れる術はない。
僕は、草の中を駆けた。すぐ後ろに、鋭い殺気が迫っている。奴は身体を縮めて、僕に襲い掛かろうとしている。舌を出して、僕の居場所を確かめているんだ。
空気が動いた。奴はついに、必殺の一撃を繰り出した。毒牙が迫る。僕は、両足に満身の力を込めた。宙を飛ぶ。
ポチャリ
「いかがかな」
「はい。 古池や 蛙飛び込む 水の音」
ポン太の贈り物
ポン太は、駒子さんが大好きです。明日になれば、駒子さんは街に連れていかれます。「お金がいる」と言うのですが、ポン太には よくわかりません。
「なんだ、お金がいるのか」と言うと、ポン太は森の奥に入っていきました。青葉を一枚摘んで、頭にのせて一回転。宙返りすれば百円札の出来上がり。いつも作るのは一円札ですが、今日は特別です。ポン太は葉を摘んでは宙返り。百円の札束を作りました。
夜が更けて、ポン太は駒子さんの枕元に札束を置いて帰りました。もうこれで大丈夫。駒子さんは幸せになるはずです。
数日後、巡査が駒子さんの家にやってきました。駒子さんは縄をかけられ、連れて行かれました。ポン太は唖然としました。お札は完璧で本物と違いはないはずです。と、改めて眺めてみると……。
ジイジに「百円札は枯れ葉で作るもんだ」と教わりましたが後の祭り。「次は 失敗しないぞ」と、ポン太は言いました。ひとつ お利口になったようです。
四百字のつぶやき / 福内鬼外 作