ついのすみか Ⅵ

ついのすみか Ⅵ

51 長い付き合い

 久しぶりの投稿になります。

 もう介護職ではないし、朝2時間だけの周辺業務。2ユニットの配膳とシーツ交換、片付け等……
 時間に追われ、入居者さんとあまり話すこともなくなり(会話できる方も少ない)ユニットの雰囲気も以前とは変わってきた。

 
 しばらく前のこと。
 モクレンさんは、元気な(?)ときは器用で、配膳を手伝っていた。テーブルの上で10人分の副菜を分けてもらう。(座ったまま)
 今では100歳のカリンさんも、亡くなったヒイラギさんもやっていた。
 スタッフが分けるより時間はかかるが、ユニットは本来、皆でやりましょう、というところなのだ。

 モクレンさんは脳梗塞を起こしてから、ソフト食。左手で食べるが半分はこぼす。介助してしまえば早いのだが、時間はかかっても自分で食べていただく。
 
 私がシーツ交換に入るときだった。異変が起こった。モクレンさんの意識がなくなった。
 早番はベテランの女性だった。部屋に連れ戻り寝かせ、ナースに連絡。救急車を呼ぶ。
 パートの私は他の人達の見守り。

 救急隊員はすぐに来たが、救急車が出払っているとかでなかなか来ない。あたふたアタフタ。課長も様子を見にきた。
 担架が通れるようにテーブルをずらし、うろつくネコヤナギさんに、部屋にいるようお願いしたが、ネコヤナギさんは何度も出て来て、通り道を塞ぐ。
「ネコヤナギさん、ネコヤナギさん、お部屋にいてください」
と、車椅子を押して部屋に戻っていただく。そんなことを何度かやって、ずいぶんたってようやく救急車到着。

 職員は病院までついていく。
 よそのユニットから応援が来る。ただでさえ、手が足りないのに大変だ。

 この対応は、たまたまベテランさんだからすんなりできたが、新人だったら? 
 パートだけのときもある。もしくは、排泄等で離れているときだったら? 

 モクレンさんはしばらく入院した。そうなると状態はわからない。現場まで伝わってこない。
 しかし、ひとりいなければ、その分職員は楽になる。
 
 あの、ネコヤナギさんも何度か熱発し入院し、衰えて戻ってきた。
 食事はソフト食に。味噌汁は具なしで、とろみ剤の量も増えた。おまけにこぼすので、熱いものは出せなくなった。
 食べることだけが楽しみなのに。
「熱いのくれ」
と、不自由な言葉で言ってたのに。

 わがままだったネコヤナギさんがおとなしくなった。私が排泄介助していた方が、今では『ふたり介助』になり隣のユニットの職員に来てもらう。
 頬がこけ、居眠りしている時間が多くなった。まだ、70歳前半だ。
 
 うちのユニットでは車椅子で自走できるのはふたりだけになってしまった。男女ひとりずつ。ストイックな男性ポプラさんと、帰宅願望の女性アカマツさん。
 アカマツさんの部屋のタンスの中は空っぽだ。帰るからと、服はビニール袋に入れてある。
「帰りたい」
が口癖だ。日に何度も聞かれる。
「今日、帰れるかしら?」

 きつい職員がいる。
「帰りたいのよ〜」
と、切実な願いに、
「帰んなっ! 帰っていいよっ!」

 その言い方はないだろう? と思うが、
「帰れないよ〜」
と、漫才みたいになる。
 これも毎度のことだ。

 職員も強いが、アカマツさんも隣の席のイロハモミジさんがいると強い。
「牛乳もらってない」 
 私が出勤すると言った。朝は牛乳を120ccお出しする。空になったカップが置いてあるのに言う。
 イロハモミジさんも言う。
「なんにももらってない」
 からっぽのカップをふたつ下げ、
「聞いてみますね」
と誤魔化す。職員に言ったらどうなる?
「飲んだでしょ!」(嘘つかないでください)
くらいのことはいいそうだ。

 

 先日、入院していたネコヤナギさんが亡くなった。
 ひと月くらい前に入院して、そのまま年を越した。詳しい状況はわからない。誰も話さない。日誌は白紙のまま。iPadのユニットの10人の名前からは消えていた。
 以前はサイボーズてお知らせがあったのに。今は家族葬が多く、葬儀のお知らせもない。

 8年の付き合いのネコヤナギさんが消えてしまった。ずっと入院していたので実感がない。実感がないまま亡くなった方が多い。

 次に入る方はすでに決まっている。ショートステイを利用していた方だ。
 
 ベテランの女性職員は、
「大変な人が入ってくるよ」
と言った。
 ショートステイから異動してきた若い男性職員に聞くと
「ヤバいっすよ」
と。
 ヤバいのは、立ち上がって転倒してしまう方だ。記録を見ても、転倒、転倒。
 今でさえ、大変なのに……
 どう対処せよ、と?


 ネコヤナギさんは30代で脳梗塞。親御さんがずっと家で介助していたが、亡くなったのでうちの施設に来た。
 支払いは障害年金から。

52 またまた新年度

 4月に大幅に異動があった。前々からユニットの雰囲気が悪く、パートが上に苦情を言った結果らしい。
 ここ何年か、その職員が原因で辞めていくパートや、育てた新人が異動していったりした。
 もう、2時間勤務の私でさえ、その職員の時は気が重かった。話しかけても返事がない。
 耳が遠いの? と思うくらい。
「私、なにかしました?」
と、聞こうと思ったくらい。

 入居者に対しても、虐待防止のアンケートに、見たこと聞いたことがあります、に丸を付けざるを得ない。
 しかし、彼女のほうももうすぐ辞めて行くらしい。介護施設は次々できるし、長くいる職員は少ない。条件の良いところへ移っていく。

 この8年で、エッセイに登場した、トネリコさん、カリンさん、ミモザさん、クスノキさん、ネコヤナギさん、ヒイラギさん、ハマナスさん、ツルマサキさん、ヤドリギさん、ナツメさん、リンドウさん、ホオズキさん、ゲッケイジュさん、カイドウさんにお迎えが来た。仮名を付けていない方にも。
 つい先日は、叫ぶハジカミさんが亡くなった。
 入居当時はずうっと叫び、手をテーブルに叩きつけ、足浴のときには足をタイルに打ち付けていた。
 食べられなくなり看取り状態だった。もう、亡くなっても話題にはならない。以前は葬儀に出る職員もいたが、そういうお知らせもない。
 すでに新しい入居者は決まっている。

 ここしばらく、話す入居者も少なかったユニットだが、3ヶ月で3人入れ替わり、にぎやかになった。食事も粥ではなく副菜も刻まなくてすむ。
 朝、私がドアを開けた途端に、おはようございます、と元気な声が。
「おはようございます。先生」
 きれいな通る大声。寝ているとき以外は喋っている。元バスガイドさん。
「先生、先生、トイレ行きたいんです……」
 行ってきたばかり。
 私はもう間接業務なので排泄はできない。それを耳元で話す。職員は次々起こしているので、無理!
「もう少し待てます?」
「はいっ」
と、いい返事。しかし、すぐに、
「先生、先生、トイレ……」
 聞こえないふりをしてしまう。
 すると、隣の席のシャクヤクさんが、私を探し教えにきてくれる。
「あの人が、トイレ行きたいそうです」
 歩いてくるからびっくり。何度も転んでいるのだ。

 ボタンさんは、かなりしっかりしている。食前薬があるので、自分から職員に催促する。飲んで30分たたないと食事ができない。職員が忘れると、皆が食べている中、お預けを食う。
 ボタンさんは部屋もタンスの中もきれいにしている。髪もきちんと梳かしている。
 
 この方は糖尿病で、痩せているが塩分制限している。
 ご自分でインシュリンを打っている。
 入居の時は驚いた。インシュリンの説明のファイルが置いてあった。

 男性はポプラさんひとりになってしまった。相変わらずストイックだ。毎日廊下で体操している。転んだら、と思うと怖い。
 図書館に本を借りに行く。付き添える職員の余裕はないので、もっと頻繁に行きたいらしいが。
 外出すれば居室対応3日間。話すのは職員とだけ。ほぼひとりの時間。
 だから、出てきてしまう人もいる。
 93歳なのに、親戚の葬式に行ってきたコデマリさん。居眠りが多くなった。元気だけど。相変わらず好奇心旺盛で職員に煙たがられている。
 まだまだコロナは施設では収まっていない。3度かかった職員もいる。
 コデマリさんは情報を知るのが早い。誰に聞くのか、聞き出すのが上手だ。
「あの人、コロナにかかったんですって? まあ、大変ねえ」
 一緒に働いているのに、私はよく移らないものだ。いや、症状が出ないだけですでに罹ったのかも。
 
 暑くなりマスクが辛くなってきた。顔を隠せるのはいけれど。
 若い新人の女性はそれでもきちんとアイメイクをして、きれいだ。来るのは遅いが。時間ギリギリだが、早く来い、とは言ってはいけないらしい。
 夫のバイト先も15分以上前にタイムカードを押してはいけないそうだ。 
 異動になった彼女は早かった。30分前には動いてた。そうしなければ終わらないから、と。

53 久しぶりです

 娘の産後の手伝いでひと月仕事を休んでいた。
 いなくても代わりが来るわけではない。
 いなければ職員は大変だが、なんとかなるものなのだ。
 
 今は週3日、朝2時間だけのパートだが、仕事量はすごいと思う。こんなばあさんがよく動く、と自分でも思う。
 パートが私だけの日は、隣のユニットの配膳、洗い物もだから仕事は2倍。2ユニットで協力している。
 入った頃は完全に分かれていて、手伝ってくれないのだから、こちらも手伝いに行かなくていいから、なんて男性職員に言われた。
 うちのユニットは職員がひとり辞めたままずっと補充はない。他の階はもっと大変なのだそうだ。
 残業が多すぎて頑張っていた女性も辞めたという。介護施設は近辺にもどんどん建っている。うちは賞与がいいらしいが、それでも辞めていく。

 隣のユニットも入浴介助をしていたパートが辞めて補充はない。そんな状況でも、もっと大変なユニットの入浴の手伝いに行く。
 今いる職員は皆頑張り屋だ。新人の女性も絶対続かないだろうと思ったが……見事な期待外れ。
 二十歳の彼女はすごい逸材だった。来るのは遅いけど。新しい男性リーダーも来るのはぎりぎり。
 働き方改革で早く来るのはダメなのだ。それでも終わらないから、と時間前から動いている職員もいるが。
 それから申し送り。パートがいればいいがいないときの配膳は遅くなる。
 遅くなってももう文句を言う入居者はいなくなった。食べさせるのが大変な方が増えていく。ソフト食、ペースト粥の方が多い。

 職員の補充はない。最近はスキマバイトが来るようだ。午後の3時間。20人くらいいるらしい。
 介護福祉士の資格を持っている方は入浴介助だけ。3人入れたけど、4人できるかな? とか話していた。

 私は入浴介助で腰を痛めてから時間を減らし、年金もいただく年齢になったので、そのまま短時間パートになってしまった。でも、この2年振り返るともったいなかったな、と思う。
 年金暮らしになり(夫はバイトしているがすべて小遣い)出費の多さに恐怖と寒気を感じている。
 辞めたあとの健康保険や住民税は予想していたが、収入が減ってもなぜこんなに多いの? 
 知らなかったけど、75歳以上の方のための支援金いうのがあるんです。(いずれは支援される立場だけど)
 夫は持病があり毎月医者代薬代は1万以上かかっている。(3割りですんでいるわけだが)
 飲んでいる薬の数もすごい。血圧は仕事を辞めたらおかしいほど正常なのに薬は出される。しかたないのか?
 それに介護保険も高い。それでもいずれは介護破綻?
 自分たちは施設になど入れなくなるのでは?

 今施設に入っている方は幸せなのかも?

 パーキンソン病のポプラさんは日々体操したり、二重に見えるというが読書したり日記を書いたりしている。
 もう90歳近くなり尿失禁が増えた。夜間はパッドをしているが日中はしたがらない。
 日に2度シーツ交換する日もある。
 ストレスがあるらしく、(会話が成立する入居者はいないし、職員は忙しい)シーツにボールペンで落書きをするようになった。
 そうなると業者に洗濯に出せなくなりユニットの仕事が増える。
 若い新人の女性に文句を言うらしい。紳士だったのに。
 文句を言われれば職員の対応も冷たくなる。
 病気も進んでいるのか、目がうつろのときがある。

 ボタンさんとネムノキさんが具合が悪くなり入院した。家族は高齢だからと検査をしない。原因もわからず看取り介護で戻されてきた。
 ボタンさんはひと月前までは入浴用のタオルをたたむ手伝いをしてくれていたのに。仕事があると喜んでいたのに。
 それが看取り介護?

 ネムノキさんは強情で病院では食べないので戻されて来た。こちらも看取り……
 でも戻ればよく食べてるし……

 ひと月ぶりで会った方たちは、理美容のあとで、髪がさっぱりしていた。
 染めない髪は元気で、皆さんグレーヘアが素敵だ。

 ひと月ぶりに現れた私に誰もなにも言わなかった。ポプラさんは、孫が生まれるから休みます、と伝えたときは喜んでくれたのに。

54 誰もいなくなった

 施設がオープンしてから8年と半年が過ぎた。
 先日モクレンさんが亡くなった。これで、うちのユニットにオープン当初から入居した方はいなくなった。

 モクレンさんは私が入浴介助をしていたこともある。体格がよく、浴槽から出すのが大変だった。いろいろ工夫したものだ。
 浴槽の中で便をしたこともあった。
 巻き爪で、切るのに夢中になり指を傷つけてしまったこともあった。慌ててティッシュで押さえて、何度も謝ると、
「大丈夫だよ」
と、ひとこと。
 無口な方で喋るのをほとんど聞いたことがない。

 息子さんが3人。面会に来ていたのはいつも同じ方だった。来ても携帯をいじっていた。母と息子なんてそんなもん。
 10分くらいしかいないのに、
「帰るよ」
という言葉に、
「気をつけて帰んなよ」
 それだけはいつも言った。

 モクレンさんの部屋の片付けをした。
 仏壇に大きなテレビ。クイックルワイパーがある。最初は自分で掃除していたのだろうか? 押し車で歩いていた。
 そういえば、配膳の手伝いもしてくれた。テーブルの上で副菜を分けてくれた。タオル等もきれいに畳んでいた。器用な方だった。

 段ボールにタンスの中の衣類を入れる。持って帰るのだろうか? 処分してください、と言う家族が多いが、施設のゴミで出すとかなり高いはず。
 衣類は古い。息子さんが3人いたが無頓着だった。靴下は劣化しカチカチになり履かせるのが大変だった。爪は脆いから怖かった。途中からは衣類や生活用品は預かり金でパートが買いに行っていた。

 人によっては季節ごとに新しい服を持ってくる家族もいる。タンスに入りきらないくらい。
 そのタンスも8年もすると引き出しの開き閉めが悪くなってきた。
 几帳面な男性のポプラさんは修理してくれと言う。総務に言ってもそれっきり。
 タンスだけではない。キッチンの食器棚の引き出しもしっかり開かない。閉まらない。側から見たらだらしなく思えるだろう。

 人手が足りないからキッチン周りも汚れている。朝2時間勤務の時は、配膳とシーツ交換と洗濯で目一杯だった。
 今は時間を増やしたので、少しずつ掃除している。
 ゴミ箱まで真っ黒だ。生ゴミを入れるゴミ箱もオープン当時のもの。もう蓋はしっかり閉まらない。買い替える予算はないのだろうか?
 キッチンの三角コーナーもしかり。あれは最初から倒れた。たぶん100円均一のもの。安定が悪い。忙しいときに生ゴミを入れたやつが倒れてイライラする。買い変えてほしい。
 副菜を刻むハサミは切れない。掃除機は吸わない。掃除機の掃除をする。それでも吸い込みが悪い。

 何人か前のリーダーは几帳面で、かわいそうなくらい几帳面で来なくなった。
 当時は扉を開ければ一目瞭然。マスキングテープを貼り、乱雑にならないようにしていた。
 今のスタッフルームはひどい。私物も放ってある。片付けようにもどこから手をつけていいのかわからない。片付けても同じなのだそうだ。どんどん上に重ねていくので諦めたらしい。
 気にする人が少ないからそれでいいのだろう。キッチン周りがきれいになっても気が付かないだろうか?
 ゴミの分別もいい加減。
 忙しいのはわかりますが。

 でも、でも、1年前とは大違い。人間関係で悩むことはなくなった。1年前は2時間の仕事でも憂鬱な職員がいた。皆同じ思いだったらしい。新人さんは帰ると泣いていたと言う。

 今は職員がひとり辞めたまま補充されていない。どこのユニットも手が足りない。それでも赤字だという。
 値上がりのせいか、副菜の量が減った。野菜は残す方が多い。以前は残菜が山盛りだったがそれも減った。
 周辺業務の時給は最低賃金。スーパーの求人を見ると100円以上高い。この歳では雇っていただけるだけありがたいが。

55 新年度までに

 8年前にオープンした介護施設。
 私は短時間のパートだから異動もなく、腰を痛めたり、孫が産まれるときは長期の休みをいただいた。歩いて5分の職場だから定年をだいぶ過ぎても続けられている。

 年がら年中人手不足で辞めていく職員が多い。
 ユニットに清掃業社が入るのは週に1度。
 カーテンは年に1度くらいは洗濯に出しているようだ。窓より長い変わりのカーテンがかかっていることがある。
 窓やエアコンは? 
 ブティックにいた頃は業務用の大きいのを脚立に乗って掃除したけど。
 職員は食べこぼしをしっかり拭く時間もないようだ。テーブルの上だけは拭いているが、椅子も車椅子もきれいではない。
 以前のリーダーは几帳面で、車椅子を洗う表を作り貼っていた。夜勤が手があいた時間に浴室で洗っていた。

 新品だったキッチンも無惨。
 几帳面なリーダーの時は暮れの大掃除の割り当てがあり、私は椅子に乗り、出窓に乗り窓ガラスを拭いた記憶がある。
 そのリーダーが辞めてからは大掃除などやっている暇がない。職員は欠けたまま補充はないし、暮れや正月はパートも休みを取るので余計手が足りないのだ。
 この間、上を見てビックリ。換気扇の横が真っ黒。換気扇はどうなっている? 開けるのが恐ろしい。
 たぶんオープン以来掃除してないのでは? 調理は温めくらいしかしないけど。
 
 個人の部屋は、きちんとしている方は少ない。認知が入ると片付けたつもりがぐちゃぐちゃ。整頓してもすぐにぐちゃぐちゃ。本人なりの法則があるようで、口を出せない。  
 尿臭がする部屋もある。あんなにしっかりしていたコデマリさんも93歳になり、うとうとしていることが多い。トイレは介助なしで行くが、パットも自分で上手くあてられなくなり漏れるそうだ。
 汚れたパットは蓋付きのバケツの中に入れておく。夜勤がそれを回収するのだが、先日は忘れたらしい。
 朝の、離床と配膳のいちばん忙しい時間に、キッチンまで自走してきた。
「持って行ってくれない。あの人 (女性の夜勤)から嫌われているのかしら?」

 嫌っているのはあの人だけではありません。
 以前も職員と揉めた。コデマリさんはしょっちゅう頭痛がするのでカロナールを欲しがる。体を心配して出し渋ったら家族に電話して、家族が施設長に電話して、職員は辞めるやめない、の大騒ぎ。

 先日は私も言われた。
「あなたのときにヨーグルトをもらっていない。この間も。2回も」
「……」
 出したでしょ? 
 出さないで、私がどうにかしますか?
 言いがかりはやめて!

 なんて言えません。
「じゃあ、別の方に配膳してもらいましょう」
 その日はそう言って、職員さんにお願いした。次からはヨーグルトを置くときに大きな声で言った。
「ヨーグルト、置きました。確かに置きました、よ!」
 
 コデマリさんはシーツと掛けカバーは変えさせるが、自分の膝掛けやクッションは洗わせない。まだきれいなのだと言い張る。口達者だから勝手に洗ったり、議論するとやっかいなのだ。
 服も8年分ある。家族は季節ごとに持ってくるが処分はしない。タンスに入りきらない服が袋に入れて積み重ねてある。
 
 コデマリさんと犬猿の仲だったイチイさんは亡くなった。入居したときはいちばん若くしっかりしていた。杖で歩き、自分で体操していた。
 コデマリさんとなら話が合うだろうとわざわざ5階から移したのに、それが間違いだった。
 イチイさんは部屋から出てこなくなった。食事も自室に運ぶ。
 いちばん若くて、認知症にならないようにパズルの本もたくさん持っていたのに。
 
 カリンさんは寝ながら便をいじり、ベッドの柵が便まみれのことがあった。その時は私が浴室で洗ったが、少量の便は付いても気づかないことがある。シーツ交換の時、カチカチになっている。匂いで気がつくだろうに。職員はそこまでやっている余裕はないようだ。
 先月まで私は朝2時間だけのパートだったから、配膳、シーツ交換、他で目一杯。ベッド側の壁が汚くても無視していた。余裕ができたので念入りに掃除している。
 そうなると部屋中きれいにしたいと思ってくる。窓は指で字が書けるくらい汚れているし。レースのカーテンをしているからわからないけれど。
 
 スタッフルームにも私物が出ている。
 もうすぐ新年度なのだからきれいにしようよ!
 
 昨日は午後面会に来る方の部屋を掃除した。普段の様子を見せたら……文句が出るかな?

 テレビの裏になぜか使っていないオムツが? 施設のものではないから、入居する前のもの? 
 丸めたビニール袋がたくさん。家族が差し入れをして、袋は置いていくから。
 タンスの中は……服も下着も少なくてスカスカ。薄い半ズボンがある。去年入った方だけど、施設では夏物の半袖も着ることはないのに。

 窓と網戸は拭いた雑巾が真っ黒け。ベランダ側を拭いたら靴の底が真っ黒け。

 新年度までに全部の部屋をきれいにしたい。
 新人さんが入ってくるまでに。

 入ってくるだろうか?

56 スイスに行きたい

 スイスに行きたい。

 ?? 

 第2話の『スカトロジー』に他サイトでコメントいただきました。
 ホームヘルパー2級をお持ちの男性で、介護現場の研修の経験もおありです。

『どんなに認知症になろうが施設には入らないと決意した。
 その場合は、スイスに行きたい……』

 うちの息子も以前仕事で介護現場に配達に行ったとき……
 あんなになったら、
「殺してくれ!」
と思ったそうだ。

 施設の若い職員も口々に言う。
 長生きはしたくない。
 口から食べられなくなったら胃瘻は拒否する。ソフト食さえいやだ。ましてや他人にシモの世話など……

 入居者さんも自分がそうなるとは思っていなかっただろう。何年も何十年も身内や介護スタッフのお世話になるとは……
 介護保険で莫大な金額が使われるとは……
 
 認知症でも謝ってばかりの方もいる。
 なにもできない、お迎えが来ない……と嘆く。

 新しい方が入って来た。 
 まだ若い。60代の女性で若々しくてびっくり。
 大学を出て教育現場で働いていた方だ。
 半身麻痺で他の施設から『ついのすみか』にうちの施設を選んだ。

 はたしてそれは正解か?
 
 うちは特養。はっきり言うと介助だけで手一杯。だいたいの方は80…‥85歳を90歳を越えている。まともな会話もほとんど無理……な方が多い。

 わめく人、テーブルを叩く人、食べ物を投げる人、看取り介護でほとんど食べられない人……

 入居して3日間は自室で過ごしていただく。個室でトイレも洗面所もある。大きなテレビも置いてあった。

 自室待機期間が過ぎ、リビングに出て来て現状を見たらどう思うか? 現状はご存じだろうか? 人手不足はご存知か?

 ユニットのリーダーは若い男性職員。元気で好青年だ。まあまあかっこいい。
 彼女の席をどこにしようか? と考えていた。
 わめく方のテーブル?
 看取りのペースト食の方のテーブル?
 昨日もごはんを床に投げた方?

 ほとんど喋らない方?
 ちょっと意地悪なふたり組のテーブル?

 ユニットでただひとりの90歳近い男性の隣?

 ひとりのテーブルで食べることになるのだろうか?
 
 入居して3日。ナースコールをひっきりなしに鳴らすのですでに参っていた。いちいち伺っていたら仕事は停滞する。

 しっかりしている方だから、部屋が乾燥しているとか。
 以前の施設はどうだったのだろう?
 居室の加湿器は個人購入なのですが。

 加湿器の季節は仕事が増える。小まめに水を取り換え清潔に保つ。職員の仕事が増える。

 夫の叔父が以前特養に入っていたが、息子さんが(見かねて)小規模経営のサービス付き高齢者住宅に移した。費用は高くなったが……

 以前イチイさんも、70歳くらいで入居して来た。脳トレパズルの本がたくさんあった。彼女は
「あんな人たちと食事なんかできない」
と、リビングに出てこなくなり自室に篭った。
 男性にシモの介助されるのはイヤだと、男性職員のときはひとりでトイレに行き転んだ。
 それでも娘さんには心配かけられないから、と我慢したのだろう。

 男性のマンサクさんはよく娘さんに携帯で電話していた。
「よその施設を探してくれ。すぐにやってくれないんだ」
と。
 娘さんも困っただろうな。今では携帯も操作できなくなったが。


 だから、認知症でわからなくなる前に、迷惑をかける前に、スイスに行きたい。
 スイスなら安楽死ができるのだ。
 旅費、宿泊費を含めても300万くらいらしい。
 自分で歩けるうちに行こう。行こう。

 しかし、語学力がないと……無理!
 
 死期を早めたい理由について、本人が英語もしくはドイツ語で説明できなくてはいけない。経済的余裕があっても、語学力がなければ、「安楽死」を選ぶことはできない。(PRESIDENT OnLine)

57 最近考えてしまうこと

 某サイトで毎日出されるお題を投稿している。
 考えていると施設のことになってしまう。

【お題】 絶景小説

 日本絶景殺人事件。

 映像にしたら見応えありそう。

 いちばん人気の場所はどこ?

 殺されたのは高齢者ばかり。夫婦で殺された事件も。

 死ぬまでに1度は行ってみたかった場所で。

 殺害方法もいろいろ。リクエストにお答えします。

 費用は高いですけど、需要はありそう。

 ああ、申し込んでおけばよかった。

ーー

 前回の『スイスへ行きたい』を調べてから、ちょっと危ないかも……
 意識のない胃瘻のツゲさんの部屋に入るたび、この状態がいつまで続くのか考えてしまう。口を開けて眠っている。芳香剤の匂いがきつい。
 長くいる職員は少ない。異動のないパートは元気だったツゲさんを知っている。コロナ禍で、家族の面会もしばらくなかった。
 ーーーー深く考えてはいけない。
 ツゲさんに毎月いくらの健康保険や介護保険が? とか……

 元気でお話が上手な方もいる。
 でも数分前のことを覚えていない。
「私、なんでここにいるのかしら?」
が、口癖。
「ここはどこ? 知らないわ」
 歩けるから出ていってしまう。(戻ってくるけど)
 目が合うと、
「なんでここにいるのかしら?」
 適当に話を合わせていたら……
「弁護士呼んで」
と怒り出した。
 もう、周辺業務の私は職員さんにお任せ。
 短時間パートの私がもう帰ります、と話していたら
「私も一緒に帰るわ」
とついてこられたことも。

【お題】 君の眼差し、僕のジレンマ

 ドアを開けたら君が立っていた。
 酔っているようだ。色っぽい目で僕を見つめた。

「入れてくれないの?」

 入れたいよ。入れたいけど……

 モタモタしていると、君は入って来た。
 すごい力で僕を押し倒した。

 僕は必死で逃げ出した。

「下痢してるんだ」

 嘘をついてトイレに入って鍵をかけた。
 
 下痢してるって、1時間もトイレにこもっていた。

ーー

 ナースコールで飛び起きた。

 ドアを開けたら、95歳の女性が全裸で座っていた。
 妖しい目つきで
「男は〜」
と叫んでいる。
 
 勘弁してくれ!

「サカキさん、風邪ひきますよ」

 先日車椅子から転倒し、顔面血だらけで搬送されたのに元気な方だ。

 次は、まだ60代の母と同じ歳の方。半身麻痺でちょくちょくトイレに行く。頭がしっかりしている。話が長い。

 出ないんです。もう何日?

 明日は浣腸か。 

【お題】 春の歌会(はひふへほ)

 半身が

 病気になって

 不随なの

 変な施設に

 放り込まれる

 ✳︎

 ばーちゃん(達)は

 ひねくれてるし

 不可思議で

 偏屈ばかり

 本日もまた

 ✳︎
 
 伴侶なき

 ひとりのときを

 ふりかえる

 変な施設は

 ほんとうるさい

 施設は圧倒的に女性の入居者が多く、そこでは○○歳の私もおねえさんと呼ばれます。褒められたかと思うと、言いがかりをつけられたり怒鳴られたり。
 でも長くいると愛着が。認知症になっても品の良い方もかわいい方もいます。底意地の悪い方も。
 最近私より若い方が入ってきました……
 ひとり暮らしもままならず、息子さんとは同居できず……

 明日は我が身かも。


 働くわ

 人(金)のためなら

 振り乱し

 平気な顔で

 本心隠し 

ーー

 ユニットで唯一の男性のポプラさん。ストイックで紳士だった。歩けなくなるのを恐れ、車椅子から立ち運動したり、ボールペンで日記や手紙を書いている。
 職員は転ばれることを恐れ(実際何度も転んでいる)、若い職員は
「立ち上がらないでください」
と、キンキン言う。
 孫より若い娘に強い口調で言われるので、ストレスが溜まるのか、ポプラさんは変わった。今ではユニットでいちばんの問題の方に。
 部屋がすさまじい。
 菓子やパンを食べているので散らかっている。ベッドをずらせば煎餅のかけら。コーヒーかカルピスをこぼしたのか、床がベタベタに。
 怒られるストレスからか、シーツにポールペンで落書きをする。
 だから、シーツの洗濯を業者に出せずユニットの洗濯機で洗う。仕事が増えた。
 自分では片付けているつもりなのか? 箪笥の引き出しはぐちゃぐちゃ。床には紙が散らばり清掃業者にも、掃除ができない、と苦情を言われる。
 
 入居してきた頃は私がお風呂に入れていた。手のかからない方だった。言葉も丁寧で記憶力が良かった。
 バカヤローが口癖のネコヤナギさんにも優しく話しかけていたのに。

 尊厳、理念を頭の中で唱える。
 補充されない職員。足りない人数で超勤、超勤。
 どうか、辞めませんように。

58 悲しいリセット

 入院していたシャクヤクさん、ボタンさんが亡くなった。
 入院すると状況はわからない。亡くなったという知らせが来る。たいした話題なもならない。部屋を整理し、家族が来て菓子折りを置いていく。
 以前は葬儀のお知らせがあったのに。

 シャクヤクさんは、事務の方が用事があり電話を入れたら、今告別式で忙しい、と言われたそうだ。
 ! ?

 ネムノキさんは看取り介護で戻ってきた。旦那様が連日来ていた。
 最期のときはまだ寒い日だった。
 私が出勤したときはすでに亡くなっていた。医者が来るまで居室の窓はあけてある。暖房は止めてある。
 旦那様はコートを着て膝掛けを羽織りずっとそばにいた。
 寒い。
 私は熱い茶を淹れ、毛布を持っていった。


 ここのところ入れ替わりが多かった。
 
 隣のユニットのハジカミさん。
 介護度はいくつなのだろう?
 見た目は普通だ。髪もきれいで素敵な眼鏡をかけている。服もおしゃれだ。
 よく海外に出かけたとか。
 でも、裸足だ。靴下も靴も履かずに出てくる。
 歩けるけど時々転倒する。
 帰宅願望が強い。
 服は居室のタンスに入れると全部袋に詰めて帰り支度をするので、別保管。

 何度も部屋から出てくる。
「あら、ここどこかしら? なんにもわからないわ」
「うちに帰るからタクシー呼んで」
「おなかすいたから、ラーメン食べてくる」

 その都度職員は宥める。
「今日はここに泊まりましょ。明日、家族の方に迎えに来てもらいましょ」
「あら、そう……」
と、納得して部屋に入るが数分するとすぐ出てくる。
「ここどこかしら? なんにもわからないわ」

 時々は怒り出す。
「部屋を虫が歩いてた」
 居室でお菓子食べるから、シーツ交換に入ると食べカスがボロボロ落ちている。
 こういう部屋は、出るんです。もうそろそろ。

 でも、あなたのせいよ、なんて言えないから黙っていたら怒り出し、
「言うからね、みんなに。もう入ってくる人いなくなるよ」

 ここが施設だとはわかっているのか?

 私は周辺業務だから、洗い物をしていた。適当に返事をしているとますます怒り、
「みんなに言うからね」
 
 職員さんは無視している。
 この方はない物が見えるのだそう。夜中に虫がぞろぞろ這っていると騒ぐのだそう。

 私は短時間パートだからあまりひどい場面には出くわさないが、職員さんはほんとに大変。

 15分もするとコロリと変わるのだそう。
 怒ったことも覚えていないのだろう。

 エリカさんは、私が朝行くと叫んでいる。
「先生、トイレ行きたいんです」
 その時間は夜勤が対応している。ひとりで20人をみている。次々起こしてリビングに連れてくる。エリカさんはトイレに座ることができない。
 耳元で、パットしてるから大丈夫ですよ、と言う。
「はい、わかりました、すみません」
 バスガイドだったエリカさんの声は大きくきれいでよく響く。
1分もしないうちに、
「先生、トイレ行きたいんです〜」

 最近入居した60代のツバキさんは心配して聞く。
「早番はだあれ? まだ来ないの?」
 
 今は、時間前に来て働いてはいけないのです。それでも、終わらないからと、来る人は来る。働く人は働くけど。

 ツバキさんも、しょっちゅうトイレ。ナースコールが鳴りまくる。トイレットペーパーの消費がすごい。1日1ロール使っちゃうらしい。トイレ、詰まりますよ。そのうち。

 私も働き始めた頃は、トイレトイレ、と騒ぐ方たちがかわいそうで、職員さんに言いに行った。
「次の次の次です」
 ひとりで10人をみているのだ。

 4月からパートから契約社員に変わり、ひとり立ちした若い女性が嘔吐と胃痛で休んだ。
 ストレスだそう。
 高校卒業してからバイトで来ていた。料理の学校を辞めてしまい、介護に決めたはずなのに、
「この仕事、向いてないみたい……」

 誰が向いているのかいないのか?
 辞めて行く人は多い。異動も多い。
 なんたって私がいちばん長くいる。
 もう、リセットできない歳だから。    

 辞めて行った職員は多い。
 真剣に考えず適当な方が続くのでは? 
 歩けない喋れない介護度の高い方のほうが楽なのかも。
 入居のパンフレットに実態を載せればいいのに。最低限のことしかできません、と。

59 紳士たちは

 3、4年前から腰に粉瘤ができて大きくなったり小さくなったり。痛くはないし、かかりつけの医者に診せたら放っておいて良いと言われた。
 ところがついに破裂した。朝、血と膿で夫に見せたら慌てていた。痛くはないのに。
 かかりつけの医者は皮膚科医でもある。
 患部を絞られ、絞られ痛い、痛い。
 痛〜い!
 患部に消毒したガーゼを入れられる。シャワーもダメ。連日通院。絞られガーゼを入れられる。
 
 ユニットの職員に話したら、
「マンサクさんも胸にできたわよ」
「!」
 看護師に絞られたのだそう。
 マンサクさんは皮膚が弱い。皮膚の病気が多い。私が直接介護をしていた時は毎日足浴していた。足の指はパンパンで、水虫の薬を付けていたが一向に良くならなかった。後頭部にもいまだに赤くただれている部分がある。よくなったりひどくなったり。
 でも、胸に粉瘤ができて絞られたなんて!
 どんなに痛かったろう。

 マンサクさんは私が入浴介助していた頃は紳士だった。背は高く余分な脂肪はついてなく、まだまだ恋ができる……そんな感じの男性だった。
 マンサクさんをモデルに短編小説を書いたくらい素敵な方だった……
 それが今では女性スタッフを怒鳴る。隣のユニットにいても大声が聞こえる。時にはひとりで雄叫びをあげる。
 いつからかリビングに出てこなくなり居室で食事する。話をするのはスタッフだけ。しかし体はふっくらしてきた。体重が増えているのでごはんの量を減らしている。
 髭剃りもしない。朝起こして剃ってあげる時間もないのだろう。いつの頃から髭モジャだ。ポロシャツのボタンも全開。下着が見えている。リビングにほとんど出てこないから構わない。構われない。 
 理美容のときに髭剃りすると見違える。
 
 この間は(よくあることらしいが)目が痒いのか掻きむしり、ほとんど開かない状態。痛いのだろう。機嫌が悪かった。
 そういえば体も掻きむしり薬をつけていたことがある。
「掻かないでくださいね」
と言えば、
「掻いてないよっ!」

 亡くなったモクレンさんも陰部を掻きむしっていた。毎日薬を塗っても良くはならない。

 最近入居してきたノバラさん(男性)は右半身麻痺、失語症だが紳士だ。身だしなみはきちんとしている。姿勢もいい。言葉は発さないがなんとなくわかる。
「ノバラさんは紳士ですね」
と声かけしてしまうが、どう思うだろう?
 部屋もきれい。シーツ交換のときも乱れていない。いつまでもそうあってほしい。
 
 もうひとりの男性のポプラさん。ストイックなポプラさんは入院中。
 紳士だったポプラさんの変貌は激しい。
 ポプラさんは歩けなくなることを恐れ、体操しては転んでいた。ものが二重に見えると言いながら字を書いていた。本を読んでいた。自分で部屋を整理していた。
 それがいつの間にか部屋は物であふれ、書き物の用紙が散乱し、ボールペンが数十本、片付けるコンテナが10個くらい部屋を塞ぐ。
 職員が若い女性に変わるとポプラさんの言動も横柄になった。若い子に注意されプライドが傷つくのか、ストレスが溜まるのか、シーツに落書きするようになった。
 そうなると業者に洗濯に出せなくなり、こちらで洗うことになる。洗うのは容易いが狭い物干し場で干すのは大変なのだ。物干し竿は1本しかない。2本干せるのだから買ってほしい。
 ピンチハンガーのピンチはかなり取れている。たぶんこの9年間買い替えていない。
 予算がないのか、なんなのか? それでもなんとかなっているので、完全に壊れるまでこのままか?

 ポプラさんの部屋は清掃業者が
「この状態では掃除できません」
と言うくらい散らかっている。だから、週に1度のその日は朝一番でシーツ交換し整理をする。時間がかかる。
 床がベタベタしている。自室で飲んだり食べたりするのでカルピスが溢れていたり、煎餅のカケラが落ちていたり。もうゴキブリが出たそうだ。

 その部屋もずっと締め切りだ。
 病院でどうしているだろう?

60 なりたくない

 長年親しんだ方が立て続けに亡くなり新しい方々が入居してきた。
 お元気な方が多い。
 お元気とは?
 
 歩く。喋る。
 でも、転ぶ。漏らす。
 
「ここはどこ?」
が口癖のハジカミさん。
 またですか? とうんざりする。私が働く夜はたった2時間。その間に何度言うことか?
 家で介護するのは無理だろうな。自分の親か連れ合いだったら、手が出てしまいそうだ。それを長時間、ほぼ連日対応している職員には頭が下がる。

 なのに、お年寄りには偏見があるようだ。
 ハジカミさんが言う。
「ここ、日本じゃないでしょ? だってあの人、日本人じゃないわよ」

 気遣いなし、お構いなしの大声。
 そうです。あなたはその方達にお世話していただいているのですよ。漏らせば念入りに洗って拭いてくださる。
 日本人じゃないが優秀な方たちだ。覚えるのが早い。仕事が早い。気持ちも優しい。
「ムカつく!」とか言わない。
 ガイジン、と言われてもにこやかに笑っている。
 日本語は流暢に話す。漢字も読める。おまけに英語も話せる、そうだ。
 ハジカミさんがフィリピンの職員に言う。
「あなた、英語が話せるの? あの人は話せないわよ」
 オープン当初からいるコデマリさんのことを指す。聞こえたら大変だ。見かけは柔和だが負けず嫌いのコデマリさん。何度か職員ともやり合った。そのせいで(?)辞めた者もいる。
 このふたりがやり合ったらどうなるだろう? 今のところはコデマリさんがまだ我慢しているようだ。かなりのお年だから、もうほとんど居眠りしているが。
 どうか、起こさないで! 
 
 ハジカミさんが英語を話せるのかは知らない。こちらも見かけは、付き添いの方? と思うくらいしっかりした人に見える。素敵なメガネだし。
 弁が立つ。言い合ったら負けるだろうな。隣のユニットに行き言う。
「あの人、おかしいわ。まともじゃないわよ」
 容赦ない。 
 この方は、認知症になる前はうまくやってこられたのだろうか? 身内や周りの人々と。
 
 ハジカミさんの話は大きい。海外はほとんど行った。旦那さまは立派な方で、まだ……いるそうだ。

 朝は比較的おとなしいが、夕方から帰宅願望が強くなる。最近認知が進みすごくなってきた。トイレがどこかわからなくなり、廊下でやってしまったらしい。
 便をいじり、人に付けた。座っていたソファも職員が浴室で洗った……

 夕食後の忙しい時間にフラフラと廊下に出ていってしまう。何度か転んでいる。ズボンを下ろしたところを見つかっている。
 職員は他の方の排泄。しかたないので私がお迎えに。こういう方でも玄関の鍵をかけて出ていけなくすると虐待になるのだ。
「ここはどこ?」
が口癖だ。
 話を逸らす。どこの出身ですか? 同じですね。学校はどこ? 
 学校の話が好きだ。勉強ができたらしい。切磋琢磨したのだそうだ。
「勉強しなきゃダメよ、勉強しなきゃ」
 
 勉強すればよかったですね。どうしたらそうならずに済んだか?
 病気だけど、予防はできたかも?
 考えてしまう。調べてしまう。
 こうならないためにどうすれば?
 
 車椅子で自走していたサカキさんは動かなくなった。もう95歳近い。もうソフト食だ。ゼリーのようなおかずにペースト粥。
 もう、手づかみだ。スプーンを持たせても口まで届かずに落とす。滑り止めのシートやビニールのエプロンまでかじる。服を脱ぎそうになる。手をテーブルに打ち付ける。
「ハヤク、モッテコイッ」
と怒っている。よく聞き取れないが。
 家族が面会に来る時間に私はいないが、サカキさんのお嫁さんは季節ごとに服や下着を持ってくる。いつもきれいなものを着ている。

 いちばん新しいフクシアさんは食事時間が長い。2時間弱食べている。居眠りしたり、ティッシュを折ったり。昼も夜も長いらしい。おやつも? 1日のかなりの時間が食事時間。器を洗うときには、ごはんがこびりついて落ちないので湯につけておく。

 この方のご家族はよく面会にいらっしゃる。面会の日は掃除を頼まれる。以前、トイレの便座の裏が汚いとクレームが。
 清掃業者は週に1度。掃除まで手が回らない職員が悪いのか、パートが悪いのか? 要領が悪いのか?
 
 私の父は民間の施設に入っていた。4人部屋でも父の年金では足りなかった。下着には名前を書いてあるが、見ているのかいないのか違う方のが入っていた。それでも文句を言う気にはならなかった。
 
 ありがたかった。施設に入居できて。
 ありがたかった。月々の金の負担は大変だったが。

 久々に更新したからか、父の夢を見た。
 シャツのボタンははめていない。ズボンは穿かずパンツのまま……
「その格好で来たの?」
 夢の中の娘は優しかった。
 生きている間は優しくできなかったね。

ついのすみか Ⅵ

ついのすみか Ⅵ

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-23

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 51 長い付き合い
  2. 52 またまた新年度
  3. 53 久しぶりです
  4. 54 誰もいなくなった
  5. 55 新年度までに
  6. 56 スイスに行きたい
  7. 57 最近考えてしまうこと
  8. 58 悲しいリセット
  9. 59 紳士たちは
  10. 60 なりたくない