塵専用宝箱

カクヨムにてちまちま書き溜めていたものを整理しました。

すべてはこのスマホから生まれた

 私はもともと、スマホと脳みその二つだけで創作をしていた。中学では朝読書というものがあり、紙本を読む専門だった。しかし、様々なストーリーを味わっていく中で、これとこれをこう組み合わせたらさらに面白くなりそう、というような妄想をするようになった。その思考がだんだん広がっていって、自分で物語を思い浮かべる方へと変化していった。初めて文字に起こしたのは中三の冬だったが、あまりの難しさに、たった数千文字で断念した。
 受験が終わってすぐの三月下旬、私はついにスマホを手に入れた。とりあえずTwitter、Instagram、そして小説を書くためのアプリをインストールした。早速書き始めた作品が「Diary」というものである。こちらも途中で断念してしまったが、時が経ってから、題を変えて、かつ結末などを再構成してアップした。
 一番最初に書き上げた作品は「あなたが泣くから私は笑う」だった。2020年の10月頃、パッと思い浮かんだものを数時間でひと息に完成させた。これはかつてアップしたが、元々の完成からはかなり変えられている。時事的なテーマかつ私的な内容だったためだ。
 翌年の4月に書き上げたものが、2作目の「大切なあなたに」だった。当初は題の候補が二つあり、正式には決めていなかったのだが、思い切って公開した時に内容を変更し、それに合わせて題も決めた。
 だいたいこれと同じ頃、「君のとなりで僕は」という長編に取り組んでいた。これは新たな設定を加えたため「雨が降れば街は輝く」に変わった。1年半ほどかけて完成させたが、そのあとの推敲にものすごく手間がかかった。シーンの順序を入れ替えたり、新たな描写を追加したり、あるいは消したり……。
 その他の短編たちは基本的に「思いついた時に書く」ようにしているのだが、アイデアだけが溜まっていって執筆が追いつかない時もあれば、何も思い浮かばず何も書けない時もある。ただ、私はたいてい自分の経験を元に物語を作るので、まさか現実には起こらないファンタジーを書く方々の想像力には頭が下がる。
 初投稿は「雪が降る日の午後8時」だったが、実は「ロベリア・シンドローム」が先に完成していた。後者はもともと何かの公募に出すつもりだったので、ネットで上げるわけにはいかなかった。しかし、気分が変わってノリと勢いのままに上げてしまったのである。私が物事を始める時はほぼ「ノリと勢い」である。これさえあれば何でもできる。続くかどうかは未知数だが。
 そして、続々と数千文字程度の作品を完成させていった。
 今はパソコンを使って執筆することが多いが、手軽にメモできるスマホは必須アイテムである。いわばネタ帳のようなものだ。つまり、私が書くものは全て脳とスマホによって生み出されていると言ってもいい。

 書くようになってから、小説に限らず、ドラマや映画など、観るだけではもったいないと考えるようになった。
 なぜ人は物語を作るのか。
 この問いの答えは無数にあるだろうが、また理由なんかないという方も多くいらっしゃるだろうが、表現の取捨選択には、自覚の有る無しに関わらず、理由が伴うだろう。それらをただ受け取るだけでなく、どんな意味が込められているのか考えてこそ、「読む」や「観る」といったことではなかろうか。私は、ただの消費者にはなりたくない。

実朝さま

 2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第35話「苦い盃」の中盤に、こんなシーンがある。
 源実朝が歩き巫女と話しているものだ。歩き巫女は、まずシュンとしている実朝に「悩みがあるようだな」と切り出した。実朝は「妻をめとった。私の思いとは関わりないところで、全てが決まった。」と話す。それから何ターンか会話したあと、歩き巫女は実朝にこう語った。
「これだけは言っておくよ。お前の悩みは、どんなものであっても、それはお前一人の悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みというのはそういうものじゃ。お前一人ではないんだ、決して。」
 これを聞いた実朝は、一粒の涙を零した。

 このシーンを観た私は、実朝さまに悩殺された。美しい、美しすぎる。こんなに純美な涙は初めて見た。すぐに実朝さまを演じている俳優について調べた。まず、このドラマは録画しながら視聴していたため、あとから出演者やスタッフの名前が流れるオープニングを確認し、名前は柿澤勇人さんであることを知った。次にネットで検索した。年は34歳(当時)。主にミュージカルで活躍している方のようだ。劇団四季に2年間在籍していたらしい。その頃の私はタイトルだけ見てもさっぱりわからなかったが、主な出演作に「フランケンシュタイン」、「スリル・ミー」、「デスノート THE MUSICAL」、「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」があるらしい。また、かつて私が観ていたドラマ「ネメシス」、「未満警察ミッドナイトランナー」、「軍師官兵衛」に出ていたということを知った。私は、今まで気がついていなかっただけで、既にこんなに素晴らしい俳優さんに出会っていたということがわかって、何とも言えない感慨深さに浸った。

 以上が、私が柿澤勇人沼にはまったきっかけである。

 画面越しに実朝さまに会える日曜日を、毎週心待ちにするようになった。柿澤さんの公式Twitterと「鎌倉殿の13人」公式SNSをフォローした。写真がアップされたことに気付いたら、すぐさま保存した。柿澤さんのツイートにリプをした。そして、自分のアカウントのプロフィールに、柿澤さんのファンであるという文言を追加した。私は当時高校3年生で大学受験を控えていたが、柿澤さんを見ている時は自然に笑うことができた。ドラマの中で実朝が命を落としてすぐの頃、私は2023年4月に上演され、柿澤さんが主演を務める公演のミュージカル「ジキル&ハイド」のチケットを買った。「4月にはジキハイ!」と思いながら、受験をなんとか乗り切った。

「苦い盃」が放送されたあの日から九ヶ月。受験期の私を支えてくれた人のうちの一人は柿澤勇人さんである。何かと話題になりがちな「推し」だが、私にとっての柿澤さんは「支え」という意味が大きい。

中1女子、神様に出逢う。

 小学校を卒業する頃の私は、我ながらかなり荒んでいた。中学デビューを狙ったが、勉強が急激に難しくなったと感じた。テストの点数は、初めて見るようなものばかりだった。最初の通知表は、内申34だった。母に薦められたことがきっかけで魅力を感じ、ずっと薬剤師を目指していた。これではきっと叶わないけど。
 昨日までは序章の序章。
 運命だとか未来とかって言葉が、どれだけ手を伸ばそうと届かない場所で、経験と、知識と、カビの生えかかった勇気を持って。


「人はよく人生の苦難を長いトンネルに例える。
 光の射す出口を目指し、暗闇の中を進んでいく様が、人生と似ているからだろう。
 人はその道を進むために様々な準備をする。
 ある者は明かりを持ち、ある者は地図を用意し進む。
 光の先にある、答えを求めて。」

 男性アイドルグループ・嵐の冠番組である「嵐にしやがれ」4時間スペシャルのラストで、次の番組が始まるのをカウントダウンしていた。その次の番組には、私は全く興味がなかった。しかし、私の心は冒頭で鷲掴みにされる。
 2016年公開の新海誠監督の映画「君の名は。」はきっと誰しも知っているだろう。
 あの物語のキーになるものは、隕石だ。あの日、「嵐にしやがれ」の直後、隕石の映像が流れた。私は一瞬で「君の名は。」を連想し、うっかり見始めてしまった。思えば、あの時チャンネルを変えなかったのは、「変えなかった」のではなく「変えられなかった」のかもしれない。
 その番組は「ボク、運命の人です。」というドラマだった。
 亀梨和也さん演じる主人公・正木誠が自宅に帰るシーン。玄関を開け靴を脱ぎ、家に上がると、謎の男がいた。誠は腰を抜かす。「お前は誰だ」的な内容の会話をしたあと、謎の男は、自分は「神だよ」と言った。そのあとも何度か神は登場し、誠との楽しい掛け合いを披露していた。私は謎の男を「神様」と呼び、母におもしろいドラマを見つけたと嬉々として報告した。私にとって、NHKの大河以外のドラマを見るということは、この時が初めてだった。
 第2話からは録画し始めた。このドラマは誠と木村文乃さん演じる晴子の恋愛ものだったが、私が楽しみにしていたのはもちろん誠と神様のシーンである。神様のボケと誠のツッコミを観て爆笑した。しかし、笑えないシーンだってある。ネタバレしてしまうと、誠と神様は第9話で「永久あばよ」となった。2人は時空を超えて、わかちあっていたように思える。
 全10話で「ボク、運命の人です。」は完結し、しばらくは神様のことなんて忘れてしまっていた。でも、夏のある日、母が言った。
「今日から神様が主演のドラマが始まるらしいけど、観る?」
 私は喜んで「観る」と答えた。そのドラマこそ、私の人生のバイブルである「コード・ブルー」である。「神様」は、山下智久さんだ。
「コード・ブルー」では、山下さんは、おふざけな神様とは正反対のクールな役を演じていた。神様を演じている時の山下さんしか知らない私は、雰囲気があまりにも違って戸惑った。
 山下さん演じる藍沢先生と、新垣結衣さん演じる白石先生と、戸田恵梨香さん演じる緋山先生と、浅利陽介さん演じる藤川先生と、比嘉愛未さん演じる看護師・冴島さん。この五人を中心にストーリーは進んでゆく。当時の私は知る由もなかったが、「コード・ブルー」はシリーズもので、既に2期放送しており、5人の間に絆はできていた。

 2017年9月18日。「コード・ブルー」の最終回の日だ。
 あの日の藍沢先生は、いつも以上に尊かった。藍沢先生だけでなく、みんな尊かった。先輩も同期も後輩も全員を思っている生真面目なリーダー、それが私の白石先生の印象なのだが、指揮官になる後押しをしたのは第1話での藍沢先生だった。お前だから信じて任せられるんだ、と言って現場へ向かう藍沢先生、指示を出すという形でみんなを守ろうと奮闘する白石先生。それぞれがそれぞれの役割を担い、みんなが互いを信じていて、そんなチームとしての救命の、結びつきがひしひしと感じられる。最初はクールすぎて戸惑った藍沢先生だけど、よく見たらそうでもない。また、全10話を観終わり、まず真っ先に感じたことは「私、医者になりたい!」
 しかし、なんとも悲しいことに、最終回に限って録画に失敗してしまった。その日は山下さんたちがネプリーグというクイズ番組に「コード・ブルー」の番宣で出演しており、また母が長時間の歌番組を録画していたため、機器の容量が足りなくなってしまったのである。私はその時、絶望に似た気分になった。全ての回を最低でも5回は見てから翌週を迎えていたので、1回しか観られないということは、私にとっては有り得ないことだった。そして、何週間かして絶望らしきものから立ち直ったころ、ネットでならもう一度藍沢先生に会えると思い立った。それ以前にもネットを使ったことはあったが、スマホは当時持っておらず、パソコンしか使える機器がない。しかし、キーボードなどほとんど覚えていなかった。よって、「コード・ブルー」と検索窓に入力するだけで一苦労だった。
 なんとか自力で検索すると、おびただしい量の情報が出てきた。しかし、もう放送から何週間か経ってしまったため、配信サービスでの期間限定無料配信はもう終わってしまっている。でも、たまたま見出しに惹かれてクリックした先はTwitter(当時)で、いろんな人の「コード・ブルー」の解釈が飛び込んできた。そして私は思慮を深め、さらに「コード・ブルー」沼の奥深くへと入っていった。また、TwitterからGoogleに戻り、また気になる見出しをクリックすると、今度はYouTubeに飛んだ。今思えばあれは違法アップロードだったが、最終回放送当日のめざましテレビがアップされていた。「コード・ブルー」のクランクアップの時の映像で、山下さんが声を震わせながら話していた。「なんか、感動するわ」と。いや、それは私のセリフでもあるんですけど……
 そして、山下さんは白石先生を演じた新垣さんのスピーチを微笑みながら聴いていた。山下さんはまっすぐで、心の綺麗な人なんだろうな、と思った。物語の中だけでなく、素の「コード・ブルー会」の皆さんも、あったかい。なんて素敵なんだろう、と思った。その輪の中の山下さんも、何と表現したらいいかよくわからないのだが、とにかく良かった。
 そして、自分の気持ちに気がついた。
 あれ、これって、もしかして、恋?そういえば、パソコンを開いてからずっと、顔はニコニコしている。心臓が高鳴っている。幸せを感じる。
 ああ、私、好きな人ができたんだ。
 そう思った。
 もし、9月18日に録画に成功していたら、この時インターネットを使ってみようなどと思わなかっただろう。「コード・ブルー」の沼にさらに深く入っていくことはなかっただろうし、私自身が山下さんに対して恋心を抱いていることには気がつかなかっただろう。
 今では、あの時録画に失敗したのは、必然だったのではないかと思っている。

 あれから、面白そうな医療ドラマは真剣に見ていた。最もハマったのは二宮和也さん主演の「ブラックペアン」である。私はあの物語から、研究というものがいかに有用かということを考えた。例えば、新たな治療法を開発すれば、遠く離れたところにいる直接会えない患者さんを、間接的に救うことができる。臨床ではなく研究の道に進めば、患者さんとふれ合うことはなくても、結果的にたくさんの人を救えることになる。
 中3の春、今度は「インハンド」というドラマがあって、山下さんは紐倉博士というキャラクターを演じていた。
 現代人は手を洗う。しかし、昔の人にそんな習慣はなかった。先人の発見のおかげで、私たちはゆたかになっている。私たちが先人と言われる頃には、もっと人々はゆたかになるだろう。
「未来は、僕たちの手の中にある。」

 話は変わるが、私が高校生の頃使った倫理の教科書(「高校倫理新訂版」実教出版)に、こんな文章が載っている。
「心身ともに大きく変化するこの時期を、フランスの思想家ルソーは『第二の誕生』と表現している。第二の誕生を迎えた青年は、知的にも感情的にも大きな節目を迎え、これまで体験したこともない未知の世界を経験する。」
 あの9月18日、将来は医師になろうと決意した。「コード・ブルー」を観て、新たな夢を見つけた。医師になるというために「死ぬ気で」勉強を頑張ることができた。内申点は、中学卒業の時には43まで上がった。その成績を持って受験に挑み、とても難しい高校に合格することができた。具体的にいつだったかは忘れてしまったが、中学生の頃、9月18日を第二の誕生日と決めた。あの日、私は変わったから。だから、倫理の授業で「第二の誕生」を習った時、私は、間違いなく自分にとってのそれは2017年9月18日の出来事だと思った。
 しかし、残念ながら、今や医師になるという夢は叶いそうもない。


「だが、人生は往々にして予想を裏切る。
 光の射す出口にきっと答えはある。
 そう信じて進んでいたはずが、そのトンネル自体が突然崩れたら?
 かすかな光すら途絶え、俺たちは行き先を見失う。」

 受験勉強は、私の体を蝕んだ。娯楽を断ち切った時もあり、睡眠はいつも削っていて、勉強以外の全ては勉強のために存在していた。
 高校受験が終わったばかりの2020年3月。初めてのスマホを手に入れ、自室のベッドでそれを片手にだらだらしていた時、無性に泣きたくなった。晴れて第一志望に合格できたのに、なぜか満たされなかった。なんかつらい、という漠然とした思いを抱えるようになった。嵐の二宮和也さんが歌う「どこにでもある唄。」が妙に私の心に刺さった。
「僕らはそんな弱くはない、でも強くもないから、だから泣いていいんだ。」
「気付いたら独りになって、怖かった。その時差し出してくれた貴方の声が痛いほど優しくて、泣いていた。」
「ほら、息を吸って吐いて、生きている。一歩一歩歩いている。それだけでいい。」
 振り返れば、あれはいわゆるバーンアウトだったのではないかと思う。
 思えば、小学生になってからの私は遊びとは無縁の生活をしていた。ピアノ、習字、スイミングをやっていて、特にピアノは厳しかった。昔、私は「好き」も「嫌い」も全部含めて「思ったこと」がわからなかった。「思う」とはどういうことか、といつも疑問に思っていた。常に何かしらを求められていて、それを達成するには努力しなければならなくて、やらなかったら怒られる。応えるということを常にやっていた。中学生の時には自分で自分に鞭を打ち、でも、きっとあれは異常だったのだろうが、疲れれば疲れるほど心は満ちていった。だから、私は努力し続けた。
 高校生になっても塾は辞めず、帰宅は21時台が当たり前だった。塾で東大、京大、国公立医学部医学科を目指す生徒のための授業をがある日は、23時近かった。学校でも、周りの子たちは二兎も三兎も追っている者ばかりである。
 前出の二宮さんがいる嵐の活動休止がいよいよ近づき、私はさらにスケジュールを過酷にした。年が明け、メンバー5人の尊さという心の栄養の一つが、もう摂れなくなった。受け入れたはずなのに、わかっていたはずなのに、いざ時が来ると苦しいのか、と。
 みんなに食らいついて行きたくて、高2になると、生徒議会の議員、厚生常任委員、部活の部長、学祭の討論会実行委員の4つを掛け持ちしていた。忙しくて、昼ごはんを昼に食べられなかった。睡眠不足は日常。休み時間は食事か睡眠に利用していた。皮肉なことに「早弁の神様」という異名がついた。だからといって、医師になるためには勉強を疎かにするわけにはいかない。私は努力し続けた。
 転機がきたのはその年の夏。
 電車の中で初めて発作に襲われた時、病気になった悲しさや悔しさより、もう頑張らなくてもいいんだという気持ちが勝ったのは今でも覚えている。また、その疾患の治療が上手くいかないので他の病気をもっていないか検査したところ、発達障害が見つかった。
 精神疾患になって以来、私の体は、努力することを受け付けなくなった。勉強することも、学校や塾に行くことも、授業を聞くことすらできなくなった。また、登下校の電車にも乗れない。教室に居ると息苦しくて、学校をこっそり抜け出した。せかせかしている学校から一歩出ると、小さな子供やお年寄りたちの気ままな日常が垣間見える。あんな世界もあるんだな、と思った。それを眺める私は、独りだった。
 当然、成績は下がった。留年すれすれで3年に上がり、するともっと病状は酷くなった。文字が読めないことをはじめ、布団から起き上がることすら難しい時期もあった。座っているだけで十分すぎるほどしんどいが、せめてこの高校を卒業したい。その一心で、とにかく欠課数が貯まらないよう、出席した。先生方には、体調が悪すぎてまともに話が聞けないし何も読めないが、とにかく出席することだけを目標に頑張っている旨を周知して頂いた。担任の先生も、教科担任の先生も、みんな親切だった。なんでそんなに優しいの、と疑問に思うくらい。クラスが違っても、「(本名)、最近どう?」と気にかけてくれる子だって何人もいた。欠席が多くて、出席してもずっと机に突っ伏していて、テストの点数は一桁ばかり。もちろん愛想良く振る舞う余裕など全くない。そんな私がいても、周りは何事もないようだ。と思っても、ちゃんと見ていてくれる人はいて、私には見えないところでも動いてくれていたらしい。
 私は出会いに恵まれた。山Pとの出会いも含めて。


「先の見えない暗闇に1人佇み、時に心が折れそうになる。
 この先に光がなかったら?歩いた方向がまるで逆で、光から遠ざかる結果だったら?」

 大学入試の結果は散々だった。高2の夏休みから全く勉強していないのだから、当然と言えば当然なのだが。
 この体では無理だ、と医学科を諦めて薬学科に変更した。公立は厳しいので、私立のみに絞った。しかし、いざ共通テストを受けると、リサーチの結果はほとんどがE判定である。でも、浪人するなりして志を貫くのは無理だと感じた。やっとこさ卒業しても、なお努力しなければならないという状況は、間違いなく自分に悪影響だ。つまり、何としても現役で進路を決めねばならない。そして、流れ着いた先は、食物に関する学科だった。
 入学の意思をしつこく訊かれたが、私と違う意見は全て無視し、少々強引に入学した。察しがつくかもしれないが、これくらいしてでも「努力」から逃げない限り、本当に死んでしまうと思ったからである。
 環境が変わったから体調が良くなる、ということはない。やはり講義は聞けないし、そもそも90分間も座り続けるのはあまりにも苦しい。
 そして、早々に休学した。現在は実質ニート。
 だが、全てを放棄して初めて、ふわふわとテキトーに行動するのが性に合っているように思った。今やりたいことを今やる。やりたくないことはやらない。その時の気分で何をするか決める。毎日同じ場所に行って、毎日同じようなことをしていても、気分は毎日違うし考えることも違って、実はそれらの方が大切なのではなかろうか。
 世の中の人は、朝早く起きて出勤し、働き、夜帰宅するというのを当たり前のようにやっている。しかし、それは本当に当たり前なのだろうか。そもそも、普通とは何なのか。その生き方は、人間らしいのだろうか。こんなことを考える私は、おかしいだろうか。

 山下さんは世界進出した。これは子供の頃からの願いだったそうだ。ファンを乗せた列車を自ら運転し、私たちを新たな場所へ連れて行ってくれる。彼はよく、舗装されていない道もありますが~とおっしゃるが、確かにその通りだ。でも、舗装されていようがいまいが、自分を貫き、同志と共に、行きたいところへ向かう運転手こそが、人間らしいと思う。決められた道しか走らない列車より、危険な橋を渡るのだとしても、人間らしい運転手がいる列車の車掌になりたい。
「この景色だってこの匂いだって僕らを繋ぐ愛なのさ」
 ただ、列車は線路を用意しないと走れないものだよ、というツッコミを入れたい。列車より自動車の方が比喩として合っているような気が、いや、列車でいいよ、ちょっと抜けてるのも含めてとても、えっと、その、やっぱ何でもないです。


「そんな時は思い出してほしい。共に歩ける仲間の存在を。
 求めるのは光そのものじゃない。光を一緒に探すことのできる仲間だ。それさえあれば、歩き続けることができる。
 ダメなら向きを変えて、また歩き出せばいい。仲間と共に。」

 およそ2000年前、ローマ帝国による過酷な支配に苦しんでいたユダヤ人のもとにメシアたるイエスが現れたように、迷走していた私を山Pは救ってくれた。イエスは死後、神になった。あの人は私のことなど、知りもしないであろう。しかし、山Pと私は、隣人愛で繋がっている。私はそう思う。
 こうして書くことも、今の私がやりたいことのひとつ。大切な人間に胸を張って大切だと言えることが、いかに尊いものなのか。そんなことを考えると、好きと言うだけでなくて、私だから出せる声を送りたい。そして。
 もし私がすることによって、救われる人がいるなら。もし私が誰かの神様になれるなら。誰も皆問題を抱えている。だけど素敵な明日を願っている。私にも、私だから、できることをできたら、どんなに素敵なことだろう。
「お前の悩みは、どんなものであっても、それはお前一人の悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みというのはそういうものじゃ。お前一人ではないんだ、決して。」
 これは2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てきた言葉である。
 それに、今は「嵐」はいないと思っても、歌ってから虹の向こうへ去っていったではないか。
「Always be by your side」

 山下智久さんには、感謝してもしきれない。
 あなたに出逢わなかったら、私はここにいないんだから。夢も、希望も、何もかも失うことも、全て無かったはず。どんなに強い雨の夜でもそうだよ、朝はやってくるから。
 今のところ明確な目標はないけど、雨の夜に見つけられたよ。だから、私はまだまだ歩ける。また疲れ果ててしまわないために走らないけど、私は歩き続けます。
 私は私なんだから!


 ~引用元~
 ※「コード・ブルー」は「CB」と書きます。
「昨日までは序章の序章」
「運命だとか未来とか~届かない場所で」
「経験と、~勇気を持って。」
 →RADWIMPS「スパークル」(「君の名は。」挿入歌)より
「人はよく人生の苦難を~答えを求めて。」
 →CB3第10話(2017年9月18日放送)の冒頭
「未来は、僕たちの手の中にある。」
 →「インハンド」第1話(2019年4月12日放送)の紐倉と高家が土手で話しているシーン
「だが、人生は往々にして~俺たちは行き先を見失う。」
 →CB3第10話の二次災害が起きた直後
「先の見えない暗闇に~光から遠ざかる結果だったら?」
 →CB3第10話ラストシーン
「この景色だってこの匂いだって僕らを繋ぐ愛なのさ」
 →山下智久「ここから」より
「そんな時は思い出してほしい。~仲間と共に。」
 →「光から遠ざかる結果だったら?」の続き
「大切な人間に~いかに尊いものなのか。」
 →劇場版CBの終盤、ヘリポートでの5人のシーン。声だけなら予告にも入っています。
「誰も皆問題を抱えている。だけど素敵な明日を願っている。」
 →Mr.Children「HANABI」(CB主題歌)より
「Always be by your side」
 →嵐「The Music Never Ends」より
「どんなに強い雨の夜でも~やってくるから。」
 →山下智久「Dreamer」より
 →この続きは「心配しないで歩き続けて 何度も信じよう 僕らはDreamer」です。

痕跡

 私は今までに様々なサイトに過去について書き込んだ。今回は、そのうちのひとつの一部をここに載せようと思う。私はなぜか、デジタルタトゥーを入れるようなことがやめられない。

 書き込むときの最初の一文、もしくは相談のタイトルは毎回同じで、我ながらインパクトは強いと思っている。これは私の中にあるこだわりで、最初の一文で興味をひかなければ読んでもらえないのではないか、という恐れでもある。いきなり自分は罪人だと告白すれば興味をもってもらえるのではないか、と淡い期待を抱いているのだ。

 ここからはたいへん胸糞悪い話が続くので、読者の方の気分を害してしまうかもしれない。よって、それが嫌な方は、ここでUターンしていただきたい。

 ◇ ◇ ◇

 私は小学5年生になってすぐ、Aちゃんという子から嫌がらせを受けるようになりました。Aちゃんは、小学3年生の時に仲良くなった子で、また、推測ですが、彼女は発達障害グレーゾーンだったと思います。5年生の最初、私はずっとAちゃんと2人で過ごしていて、なぜか私は、Aちゃんに、叩かれたりAちゃん以外の子と仲良くするのを制限されたりしました。母が、自身が通っている心療内科の先生に私とAちゃんのことを相談したら、Aちゃんとはもう仲良くしない方がいいと言われたそうです。私自身も、もうAちゃんとは仲良くしたくないと思っていたので、他の友達を作りたいと思っていました。
 そんな時、体育の授業で鉄棒をやりました。私は鉄棒が得意でしたが、Mちゃんという子は苦手でした。私のところにMちゃんがやってきて、彼女はコツを教えてほしいと私に頼みました。私は了承し、休み時間にはMちゃんと一緒に鉄棒をするようになりました。
 Aちゃんは、私以外に友達がいなかったので、私にいつも付きまとっていました。鉄棒をMちゃんとやっているときも同様で、結果的に私とMちゃんとAちゃんの3人で遊ぶようになりました。3人でいる時は、Aちゃんは私に嫌がらせしないので、さきほどもうAちゃんとは仲良くしたくないと思っていたと言いましたが、やっぱりAちゃんも一緒に遊ぶことができて嬉しいと思っていました。3人で遊ぶのは本当に楽しかったのです。
 それからしばらくして、Kちゃんという子が私たちのグループに入りたがるようになりました。Mちゃんは、それを嫌がりました。しかし、KちゃんはMちゃんや私を執拗に追いかけ、一緒に遊ぼうと迫りました。そんなKちゃんを、Mちゃんは「うざい」と言いました。
 Mちゃんは、自分にとってうざい子からいつも逃げていました。彼女はよく、私に、うざいと思っている子の悪口を言っていました。つまり、Mちゃんは、Kちゃんから逃げました。
 私はMちゃんに同調しました。私もKちゃんを避けました。Aちゃんは私に付きまとっているので、彼女は私に同調し、Kちゃんを避けました。3人で、Kちゃんをことごとく仲間外れにしたのです。
 実は、私とKちゃんは、子ども会で仲良くしていました。私はKちゃんのことをうざいとは思っていませんでした。でも、もし私がそれをMちゃんに言えば、私までMちゃんから嫌われてしまうと思いました。そうすれば、私はMちゃんと一緒にはいられなくなります。きっとAちゃんとふたりきりになる、つまり、また苦しい思いをすることになります。いや、もしかしたらそれだけでは済まないかもしれません、Mちゃんが態度を急に変え、私をいじめてくるかもしれません。つまり、私は、自分の利益のことしか考えずに、自分の態度を決めていたのです。私はKちゃんを犠牲にすることで、自分の居場所を守ろうとしたのです。
 ある冬の日の朝、教室に到着すると、黒板に大きく「1,2時間目は自習」と書いてありました。なぜだろうと思っていたら、担任のN先生が私のところにやってきて、ちょっと一緒に来てください、と言いました。私は先生に従ってついていくと、相談室に連れていかれました。そして、1時間目を丸ごと使って、私は、N先生と、教務主任のT先生から聴取を受けました。内容は全く覚えていません。私は聴取が終わると、相談室の向かいにある特活室に容れられました。ひとりで過ごすには広すぎて心細く、また、暖房はなかったため、とても寒かったです。私と入れ替わりに、Kちゃんが相談室に入っていきました。2時間目の最初から4時間目の途中まで、彼女は部屋から出てきませんでした。私はその間、ずっと特活室にいました。休み時間にトイレに行く以外は、特活室を出てはいけないとN先生に言われたからです。
 4時間目の途中で、私とKちゃんは解放されました。そして、私たちと入れ替わりに、MちゃんとAちゃんが教室から姿を消しました。相談室に連れていかれました。
 そのあと、5時間目が始まる頃、もう一度私とKちゃんは相談室に連れていかれました。4人そろって、また、N先生、T先生、学年主任のZ先生、O先生の4人が一堂に会し、いじめの話をしました。どんな話をしたのかは覚えていません。でも、あの部屋で話したことの中で1つだけ、覚えている話があります。
 Z先生が、いじめ加害者である私たち3人に、その場にたまたまあったボールを指さして、「このボールを壁に投げつけたらどうなると思う?」と問いかけました。私は、「跳ね返る」と答えました。Z先生は、ボールを壁に投げつけたら跳ね返るのと同じように、Kちゃんに対してやったいじめは必ず自分たちに返ってくると言いました。
 まさにその通りでした。私たち3人は、N先生やZ先生に無視されるようになりました。通知表の成績が、テストの成績は以前と変わっていないのに、ガタ落ちしました。きっとN先生がわざとやったのだと思います。
 相談室に呼び出された日から1週間と1日後、私はMちゃんに絶交を告げられました。Mちゃんが言うには、親から、私と仲良くするのを禁止されたらしいのです。私は涙が止まらなくなりました。それを見たN先生から私は呼び出され、放課後に話をしました。その話が終わるのを、なんとKちゃんが待っていてくれました。一緒に帰るから、という理由で。もしかしたら、Kちゃんは、私たちにいじめられてもなお、私のことを友達だと思ってくれていたのかもしれません。
 小学生の頃の話は、これで以上です。
 加害者の3人は、地元の中学に進学しました。被害者のKちゃんは、県外の私立中学に進学しました。中学以降は、私たち3人が話すことはありませんでした。完全に決別しました。
 でも、私の中には、自分は最低最悪なことをしたのだという気持ちが残りました。現在まで、呼び出された日のことを、自分が犯した罪を、思い出さなかった日はありません。
 私は、中1の時、とある医療ドラマを観て、医師になりたいという明確な目標を持ちました。

 中略

 私は、文字通り「死ぬ気で」勉強を頑張りました。その結果、私は県内で最も偏差値の高い高校に入ることができました。しかし、高校2年生になった年の春、私は衝撃的なニュースを見て、再び暗闇に迷い込むことになりました。
 当時中学2年生の女の子・Sちゃんが、凄惨ないじめによるPTSDに罹り、自殺してしまったというニュースです。詳しくネットで調べ、私は、Sちゃんはいじめというものに殺されたのだ、いじめ加害者は殺人者だ、という感想を抱きました。
 気付いてください、この感情は特大ブーメランですよね。
 私はKちゃんをいじめました。Kちゃんは、自殺はしていないので、自分は殺人未遂という罪を犯したのだと思いました。それから、小学生のあの頃のことで頭がいっぱいになりました。毎日毎日、自分が犯した罪について考え込んでいました。自分は最低最悪な人間で、この世に生きている価値はないと思いました。

 中略

 思い返せば、Z先生が言っていましたよね。いじめは必ず返ってくると。私は、いじめの後悔をし、苦しい思いをし続けることが、自分に課された罰なのだと思っています。

 今、いじめをしている人がいたら、即座にやめるように、私は言いたいです。誰かを傷つけたら、必ず自分に返ってきます。相談室でZ先生が言っていたのは、こういうことなのだと思います。
 
 中略

 ヒトは、群れで行動する生き物です。群れを乱す存在は淘汰されます。
 つまり何が言いたいのかというと、いじめというものは、喧嘩両成敗という言葉があるように、被害者も加害者も、どちらも悪いのです。みんな悪いのです。ただし、人間すべてが悪人だと言いたいのではありません。百パーセントの悪人もいないし、百パーセントの善人もいないということが言いたいのです。

 以下略

 ◇ ◇ ◇

 私が書いたこの文章の中で最も重要なのは、「百パーセントの悪人もいないし、百パーセントの善人もいない」ということだ。
 この言葉は、実は原田眞人監督のもと制作された「検察側の罪人」という映画に出てくる一節である。
 人間関係に限らず、今までの人生で間違いを一度もしていない人はいるか、と考えた時、おそらく誰しも間違えてしまった経験はあるだろう。その間違いにより、誰かを傷つけてしまったり、周りに迷惑をかけてしまうことがあるだろう。その間違いが、法律に触れるかどうかはともかくとして、罪とも呼べるようなものの場合も、おそらく少なくない。
 しかし、そうして間違いをしてしまった人でも、別の誰かにとっては大切な人のはず。ある人に対して、悪人だと思う人もいれば善人だと思う人も、両方いることが当然であろう。人を傷つければ、その人を大切だと思っている人も傷つく。たくさんの人が傷つく。
 また、いじめられる側に原因があるからいじめて良いということではない、ということを付け足しておこう。でも、もし「いじめられた」と感じた時に、自分の行動を顧みたり、相手がどんな気持ちなのか、どうしてその行動をとったのか、など出来事について深く考察せずに、ただ相手を責めることは良くないと思う。私は、お互いに歩み寄ることによって健全な話し合いができると考える。健全な話し合いができれば、きっと問題を解決するために本当に必要なことが見えてくると思う。話し合いによって根本を見直そう、ということ。問題が起きた時は、表面だけでなく根っこを見つめよう、ということ。そんなことを論じる私が今、できているかどうかと問われれば、自信はない。

prelude

 かつて書いてしまったこれを載せたところで何が起こるわけでもないが、ただなんとなく載せたい。
 ※固有名詞等、多少変えています。

 ◇ ◇ ◇

 私は小学校卒業くらいまで良い記憶がありません。良いことがあったのに忘れてしまったのかそもそも良いことが無かったのかはわかりません。中学以降は良い記憶も悪い記憶もどちらもあります。
 2歳で音楽教室に入れられてから、毎週レッスンに通っていました。小学校の1年から5年までは個人とグループの2つレッスンを受けていて、週に2日行っていました。個人の先生はものすごく厳しくて、レッスンでやるどの曲もCD並みにうまく弾けないと合格をくれませんでした。レッスン中に時計をチラ見したら怒鳴られました。小1の時、土日に風邪をひいて寝込んでいまい、練習不足でレッスンに行った日があったのですが、そのことを言ったら「そんなのはただの言い訳だね」と言われました。グループの方では、ただ演奏するだけでなく作曲や即興演奏もやっていましたが、当時私は創作がとてつもなく苦手で、苦痛以外の何物でもありませんでした。同じグループの子たちとは仲良くしていましたが、大人に気に入ってもらえるのは大人びた行動や言動をする子だけで、私はいつも下の扱いを受けていました。何とか周囲に気に入られたくて、周りを気遣える人間になろうと思い、常に周りの様子を伺うことに必死だったので、子ども同士、大人同士の仲は確かに良かったけど、私はいつも別れた後でどっと疲れを感じました。
 最もきつかったのは小5の時です。
 エレクトーンのアンサンブルでコンクールに出ないか、とグループの先生に勧められました。私は、このような選択を迫られた場合は必ずYESと答えるものだと思っていたので、出場することになりました。メンバーは私を入れて3人です。楽譜が配られると、4人用の曲を3人に割り振ってありました。グリッサンドという弾き方が指定されている箇所は全て私の担当だったと記憶しています。やり方が間違っていたのでしょう。指の皮が剥けて、鍵盤が薄く赤色になりました。ただ、私はそれの正しいやり方をきちんと教わったことはありませんでした。
 先生はとても「親切」で、無償で別の曜日にもレッスンをしてくださりました。ある時、あまりにも演奏が良くないということで、お叱りを受けました。よく覚えていませんが、夜の10時、11時くらいまで音楽教室にいたと思います。全て私たちのためです。個人的に、上を向いて歩こう、とご指摘を受けました。
 その後は、より一層頑張る、ということを母親に求められました。他のメンバーはその通りだったらしいですが、私はそんな性格ではなく、もう二度と行きたくないと思いました。でも、もう今さらやめるなんてできないと思ったのかと推測しますが、真面目にやりました。本番直後、はけてすぐ舞台袖でどこが良くなかったか、と指導を受け、褒められることはありませんでした。それでも結果は金賞で、次に進むことになりました。
 さて、ここで大問題。本選と学校の林間学校の日程が被っていました。親の方針で、習い事よりも学校を優先することに決まりました。私は抜けて、あとの2人だけで出場することになりました。私は割り振りが変更された楽譜を受け取ってすらいませんでしたが、2人のレッスンに"来ても良い"と言われたので、行きました。もちろん、私は蚊帳の外でした。本番直前のレッスンでは、緊張感を持って取り組みたいから来ないで、と指示されました。場違いだと感じつつ行っていた教室から結局締め出されたんだ、と感じました。
 いつも先生に「笑え!」とか「根暗!」とか言われていました。家では練習したくないから代わりに親の手伝いをしようと思って台所に行ったら追い出されたりして、ピアノか勉強以外のことをやる時間など全くありませんでした。
 近所の子どもたちと公園で遊んだりした記憶は数える程度しかありません。そもそも遊びに行く許可が出なかったので、毎回誘いを断っていたら、小2の時には既に誰にも誘われなくなっていました。たまに自分から誘うこともあったのですが、普段から遊びに行っている子たちの暗黙の了解を知らないため、居心地は悪かったです。
 小4くらいの時にはと私にも知恵がついてきて、親の許可が取れないなら学校の帰りに怪しまれない程度に寄り道して帰るようになりました。だからといって「怪しまれない程度」ですから、友達の家に10分ほど居て、お菓子を1口貰うくらいでした。
 小5の時、例の事件がありました。まずとある子に殴られるようになり、それを親経由で担任に相談したのですが、何もしてくれませんでした。そういう時に別のある子と仲良くなれて、私はその子のことをまるで救世主のように思っていました。でも、その救世主の子がいじめをやりだし、私も加担してしまいました。私を殴っていた子は常に私に付きまとっていたので、彼女もいじめに加担しました。私がやったことが最低最悪であることはわかっています。いくらでも糾弾して頂いて構いません。
 そして、いじめが先生方に露呈したあとは、主に学年主任の先生に無視されるようになりました。挨拶しても私が何も言わなかったかのようにスルーして立ち去って行きました。そんな頃に合唱の伴奏のオーディションがあり、学年主任を含めた5年のクラスの担任の先生たち3人と音楽の先生を含めた4人で審査されるはずでした。音楽室に先に子どもだけが集まり、次に学年主任がやってきました。すると、あと3人の先生はまだ来ていないのにいきなり私を指名して演奏させられ、おそらく審査対象にすらされてないと思います。さっきも書いたようにピアノの先生は厳しかったので、学校の伴奏くらい自力で出来て当然と言って(ちなみにクラシックのピアノソロとポップスの伴奏は弾き方が全く違いますが、それを知ったのは中学生になって別の先生に変わってからでした)、レッスンはしてもらえなかったので、普段の練習曲にプラスアルファでやった結果がこれで、もはや何も感じませんでした。でも、何故か泣けてきました。そういえば、個人レッスンの最中に、本当によく泣いていましたが、自分の感情が動いた感じはありません。
 誰がどこまで私のことを知っていたのかわかりませんが、感覚的には自分を好意的に見てくれていた先生は、小学校卒業までほとんどいませんでした。通知表だって、先生に気に入られていた子は良い成績がつくし、嫌われていた子は悪い成績がつけられました。
 ここまではまだピアノと学校の話しかしていませんが、習字と水泳も習っていました。習字は週に1回2時間程度心を無にして手本を真似るだけでいいので、これ以上楽なものはないと思っていました。水泳もコーチに言われた通りの動きを週に1回1時間やり続ければいいだけなので、ひたすら心を無にしてこなしました。
 自分で言ってしまうとおかしいかもしれませんが、良くも悪くも私は比較的何でも出来る子でした。だから余計な期待をさせてしまったのだと思います。水泳で良いタイムを出すと母に「北島康介を目指して頑張れ」と言われ、習字で上手く書けると「師範を目指して頑張れ」と言われ、何でもかんでもプロを目指させられました。つい最近の話ですが、YouTubeでピアノ演奏の動画を上げていることを言ったら「YouTubeやるならかてぃんみたいに上手くなくちゃ!」と母に言われました。かてぃんさんというのはYouTubeでも盛んに活動しているピアニストの方です。私は中1の時に発表会で弾いた「英雄ポロネーズ」や小6の時に弾いた「愛の夢第3番」、他にも「幻想即興曲」やベートーヴェンのソナタ「月光」など、好きなクラシックはいっぱいあります。でも、どれも上手くはないのですが、弾くのは楽しいので、ただの自己満足といいますか、自分の記録のためにアップしていたことにケチをつけられて、もうやる気を失いました。読書も好きで、いつか自分も書いてみたいと思って、高校の時から小説投稿サイトをやっていたのですが、それが知らないうちにバレていて、私が書いたものをこっそり読まれていて、スクショもされてました。重いテーマばかり書いていたので、私の脳内が知られてしまったと思うと、もうやりたくないです。
 努力することこそが人間の義務であり、努力しないことは最低なことなのだと思ってしまっています。今になって振り返れば、私はもう小学校高学年の頃には既に感覚や情緒が壊れていたんだと思います。ピアノのレッスンで怒鳴られ、毎週レッスン後にはトイレで口パクではありましたが「死んでやる!」と叫んでいました。病気になれば何もかもから解放されるだろうと思って、特に心の病気になれば自分が苦しいのだと証明されると思って、ずっとうつ病になりたいと願っていました。
 中1の時、とある医療ドラマを見て医師になりたいとハッキリ思いました。本気で将来なりたい職業を見つけたのは、それが初めてのことでした。それから「死ぬ気で」勉強を頑張りました。「死ぬ気で」というのがどの程度かというと、2週間ほどテレビやネットなどの娯楽を断ち切ったり、学校から帰ってから深夜2時まで勉強して睡眠を削り、また、中3の夏休みには夜通し勉強して午前7時にフローリングに直に寝転んで自分の腕を枕の代わりにして2時間くらい寝て、また次の日も夜通し勉強して、というのを繰り返していました。受験生だから娯楽などもってのほかだし、自分には寝ている暇もないと思っていました。疲れれば疲れるほど、充実していると思った上に嬉しかったです。結果は、第一志望に合格できました。
 しかし、受験が終わって合格発表を待っている頃から既に、思いっきり泣きたい、とかよく分からないけどなんかつらい、といった思いがありました。二宮和也さんの「どこにでもある唄。」という曲が妙に私の心に刺さりました。コロナで休校になった年だったので春休みが異常に長く、普段は課題のない校風だけど課題が出て取り組んでいましたが、勉強が苦痛に感じました。中学まではやればやるほど結果が出たのでそれなりに楽しく勉強できていたんですが、高校では周りが私なんか比べ物にならないくらいできるのでいくらやっても結果に結びつかなくなったことが一因かと思います。それでも勉強はずっとやっていました。部活が終わったら塾に直行して夜8時まで勉強していたので、帰宅が9時を過ぎるのが当たり前でした。後期から塾で東大京大または国公立医学部医学科を目指す子のための授業も始まりました。文化祭の準備で朝は7時半に学校に着いていたので家を出るのはだいたい6時半、帰宅が夜10時半というのを2週間に1回、それ以外の日も毎日朝は6時半に出て夜9時過ぎに帰る生活だったので、正直きつかったです。でも、私より学校までの所要時間が長い子なんてうじゃうじゃいましたし、塾に行くのも部活を頑張るのも特段珍しいことじゃないので、私はまだまだです。当時嵐にはまっていて、しかもちょうど活動休止の直前だったので、ネットでとある企画を友達と一緒にやって、それのためにあちこちウロウロしていたので、その時期は帰宅が23時を過ぎることもありました。ちなみに土日も全部塾です。
 高2になったら、私はクラスで議員という役職に就き、厚生常任委員会に入り、部活では部長になり、学祭の討論会実行委員にもなりました。委員会の集まりや議会は、部活に支障をきたさないために昼休みにやるので、昼ごはんを昼に食べられませんでした。よって休み時間に早弁したり、僅かながらも睡眠に充てたりしていたら、当然友達と過ごせる時間なんかあるわけがありません。気がついたらいつも一緒にいた子は他の子と仲良くなっていて、私はぼっちになりました。そうして勉強と仕事で忙殺されている頃に、ついに精神疾患になりました。ついでに発達障害も見つかりました。何もできなくなりました。部長以外の仕事は無事に任期が終わったのでよかったのですが、部活は定期演奏会という特大イベントを残していたので、私ではダメだと判断した顧問に、事実上クビにされました。自主勉強もできないし、症状のせいで授業を聞くこともできないし、部活でも私は用無しだし、子どもの頃からやっていた習い事だって素晴らしい結果を残したわけでもない。私は今まで頑張っていたつもりになっていただけで実は何もできていなかったのだと思いました。クビを宣告され線路に飛び込むのに最適な場所を探そうと思い立ち、学校を抜け出して無心で歩いていました。
 高3の春に、ここで書き込む文章をスマホで書いていたら娯楽ばかりやっているように親には見えたらしく、怒られました。そのことから何を思ったのか覚えていないのですが、高層ビルから飛び降りるために家を抜け出した、という日がありました。
 そんなこんなで、とても勉強なんかできる状態じゃなかったので仕方ないといえば仕方ないのでしょうが、大学は高校の同級生に学校名を言うのが恥ずかしいレベルのところになりました。中学の友達も、大学名を聞いたら唖然とすると思います。また、小学校まで大人たちに嫌われた経験を活かして、明るくて人懐っこくて頑張り屋という精神疾患とは程遠いキャラを演じていたので、今の私の状態を見たら相当驚くと思います。しかも、大学はわずか1ヶ月でほぼ行けなくなり、入学早々に休学することになりました。

 私には、覚えている限り信じられる人がいません。親も友達も先生も、誰1人として私のことを知っている人はいないんです。好きなものも好きな人も、小出しにはしていますが、全部を明かした人は1人もいません。そもそも、自分を他人に「理解してほしい」と思うこと自体が傲慢なように思えます。私が他人の気持ちを100%わかることができないのと同じように、私の気持ちを他人が100%わかることなんて、有り得ないんです。

 ここまで大変長くなってしまいましたが、私は何のためにこれを書いているのか、自分でもよくわかりません。よくわからないけど、なんとなくつらいし、悲しい気がします。たぶん、ただ話を聞いてほしいだけです。
 最後まで読んでくださってありがとうございました。

postlude

 10月7日
 不幸のどん底に落ちてしまったなら、這い上がろうよ。偉人とされた人の功績ですら霞むような夢、希望、光を届けて、苦しい思いをしたからこそできることをやって、想いを伝えていこうよ。どんなやり方でもいい。自分の人生を自分の足で歩もうよ。
 自分の不幸を他人のせいにするのは簡単だけど、華々しく活躍している人達は絶対に見えないところで凄まじい苦労をしているはず。トラウマを消化するには数年どころか十年単位の時間がかかると思うけど、それができれば、誰よりも強く、優しい人間になれるはず。
 ずっと人を憎み続けて復讐する人生なんて勿体ないよ。それでは大切な自分の時間を加害者のために使っている。嫌な奴のために自分の時間を大量に消費するなんて、私だったら絶対に嫌だ。 自己を研鑽し、考えを深めて、そして行動に移す。そういう人は自然と周りに慕われると思う。一番大切なのは人。人を大切にできる人は人に大切にされる。
 そして、人の振り見て我が振り直せ。メディアも企業も全員、この問題を通して何を学ぶか。そして今後の行動をどう変えていくか。一番重要なのはそこじゃないの?この騒動を通して、何かしら思うことがあるはず。それを材料にして、自分を、組織を、研鑽しようよ。
 悪いことをした、あるいは知っていた人は全員さっさと膿を出して、生まれ変わろう。
 きっと沢山の子どもを不幸にした彼は今ごろ地獄で苦しんでるよ。彼は功績を残したかもしれないけど、子どもたちを本来の意味で大切にしなかった。子どもとその周りとファンを悲しませた。凄まじい大罪人。
 だったら、その大罪人の功績すら霞む大成功をしてみせよう。自分が、もしくは自分が所属する組織が大成功することによって、憎きアイツを消してしまおう。そう考えることはできないの?時間はあったはず。その時間をどのように過ごしたかによって、その後の人生は全く違うものになったはず。
 間違いを一度も犯さない人間はいない。でも、その間違いを通して学び、変わることができたかどうかによって、人として全く違ってくる。
 みんなが生まれ変われば、これだけ大きく発展したんだから、社会も大きく変わるはず。より良くなるはず。根本を見つめて、考えて、これからの行いをより良くする方向に思考するべきだと思う。
 誰が悪人で誰が善人かなんてどうでもいい。他人の粗探しをする暇があるなら自分の粗探しをした方がいい。他人を非難する暇があるなら自分の行動を見つめ直した方がいい。

 10月16日
 私の大切な人たちを傷つける者は、何人(なんぴと)たりとも許さない。

 10月18日
 私の大切なものがどんどん失われていく。
 ひとりで優雅に生きてひとりで耽美に死んでゆきたい。
 美しいものだけの世界で生きて、人間なんか要らない、どうせみんな変わるんだもん。
 過去ばかり見ても意味ないのはわかってるけど、満ち足りていた頃に戻りたい。
「死んでやる」とか考えるのは、死ねば「苦しかったね」って言ってもらえると思うから。どこに行っても気をつかって、私はそのつもりでも周りには分からないらしい。やっと自分にも「好き」が出来て、だけど瞬く間に崩れていく。
 そのままの私を受け止めて、抱きしめられたい。嘘なしで私を愛してほしい。
 愛してくれない人は要らない。嘘の私を愛する人も要らない。
 根暗で湿っぽい嫌な人間だって判っても、どうか離れないで。
 私から離れていかないで。

 10月29日
 言葉は少なくていい。口先だけならなんでも言える。
 好きなことだけやって、好きなものを食べて、好きな場所で、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、何もかも自分の思うように生きていけたら、どんなにいいことか。一人で優雅に生きて耽美に死ねたら、どんなにいいことか。誰も私を知らない。大切だと言ってくれる人はいても、いつかきっと離れていく。どこにも行かないで。置いていかないで。100%理解してなんて言わないから、私を独りにさせないで。
 なんて言っても、初めから私は独りか。
 わかってほしいのに話したくない。一人でいたいのになぜか寂しい。私を愛してる人は誰?愛されるってどんなこと?そもそも、私っていったい何者?私はいつからメランコリーの中を彷徨っているのか。
 偽りばかりの世界で、愛されて、わかってもらって、美しく生きたいなんて、そんな私は強欲なのかもしれない。

 11月7日
 アンテナを張り巡らせて数多の他人の動向をチェックすることは、保身か変なスクープを出すことくらいにしか役立たないけど、やらなきゃ生きていけない。汚い場所とはそういうところ。そこにいながらにして心を持ってる人たちは、本当に尊敬するわ。
 他人を逐一チェックしなきゃいけない場所で生きることは辞めたのであります。
 だけど、争い事には関わらないと決めたのに、時折発言している者がここに一名。

真田幸村

「中1女子、神様に出逢う。」と「実朝さま」で、私は好きな芸能人について語った。よって、もういっそのこと、私がハマった人たちついて全部書いてしまおうと思う。と言っても、もう既に柿澤勇人さんと山下智久さんについては語ったので、今回語るべき人は一人しかいない。

 学校の男子で良い子はいたが、あれが恋愛感情だったとはっきり言える自信はない。よってこれを初めてだとカウントするなら、私の初恋の人は、真田幸村だ。小学6年生の時、大河ドラマ「真田丸」で堺雅人さんが演じる真田信繁(真田幸村と同義)を観て、沼ったのである。
 私が小学4年生の時に放送されていた「軍師官兵衛」を観たことをきっかけに、私は歴史に、特に戦国から安土桃山時代にハマった。信繁が生きた時代はちょうど私が好きな時代だったので、放送前から楽しみにしていた。堺さんは信繁を10代から演じていたのだが、最初、かわいいなという感想を抱き、今思えば初回の時点でかなり好印象だった。
 はっきり恋心を自覚したのは、犬伏の別れが放送された時だ。真田家は関ヶ原の戦いの前、信繁の兄の信幸は徳川方に、父の昌幸と信繁は石田方につくことが決まり、親子、兄弟で敵対することになってしまった。そのことが決まった日の夜、信幸と二人きりで話していた信繁は、ボロボロ泣いてしまった。その時の涙が、たいそう純美だった。

 思い返せば、前々回の「実朝さま」でも「苦い盃」での源実朝の純美な涙を観て恋に堕ちたと述べた。どうやら私は男性のピュアさゆえの涙に弱いらしい。

 理由は忘れたが、なぜかこの頃の私はインターネットを使ってみたいと思っていた。しかし、残念ながら当時、両親はガラケー、私はキッズケータイを使っており、インターネットにアクセスできる機器はどデカいデスクトップパソコンしかなかった。でも、拙いながらもよく「真田丸」と検索し、信繁の画像を眺めていた。ちなみに、この時にパソコンの電源の入れ方やキーボードを多少学んだが、すぐに忘れてしまい、前回の「神様」で語ったように「コード・ブルー」を検索したいと思った時には、もうパソコンなど全くわからないものになっていた。
 ネットではよく「真田丸」を検索していたが、不思議と「堺雅人」で検索しようとは思わなかった。そんな自分の行動を不思議に思っていたのだが、ある時、私は堺雅人さんではなく、堺雅人さんが演じている「真田丸」の中の信繁が好きなのだと気付いてしまった。この時にはかなり凹んだ。信繁はおよそ400年前の人物。しかも「堺さんが演じる」「『真田丸』の中の信繁」が好きなのだから、実在しない人に沼っているということである。
 私は懸命に源次郎様を忘れようとした。「真田丸」の画像を漁るのをやめ、彼について考えそうになった時は必死にその思考を頭から消した。そうしてしばらくした頃に、私は「神様」に出逢った。

それでもハッピーエンドは存在します

 私は一枚の絵を描いた。題は「それでもハッピーエンドは存在します」とした。このフレーズはとある映画の中で出てくるものなのだが、その映画のタイトルを言ってしまうのは何だか気恥ずかしいような気がしないでもない。よって、題は明かさないが、ネタバレ満載で、あれこれ感じたことを書き連ねてみようか。

 まず、この映画の主人公は漫画家である。彼の作品は人気を博していたのだが、ある日主人公はナントカカントカ緑内障により目が見えなくなった。不自由な生活か、自分が障害者になったということか、あるいは漫画が描けなくなったということか、そういった原因は全てが混在しているのであろうが、彼は自宅マンションのベランダから飛び降りようとした。そんな時に現れたのが、響という女性。彼女は主人公の漫画の読者で、休載となっていたことで作者の身を心配し、SNSの情報を頼りに家までやってきた。やがて主人公と響は恋愛関係になる。
 あるシーンで、二人はベンチに座り、夢を語っていた。響が、自分の夢は主人公のお嫁さんになることだと言うと、主人公は、響の夢を叶えることが自分の夢だと言う。

 この映画の中で、トロイメライというゆったりと落ち着いた雰囲気のピアノ曲が使われている。トロイメライはドイツ語で夢という意味であり、これはおそらく二人が結婚するということを指しているのだろう。この曲が流れるのは、終盤のかなりシリアスなシーンである。
 始めは緑内障だと診断された主人公だが、街中で倒れてしまい、運ばれた病院で、目が見えなくなった原因は緑内障ではなく脳腫瘍だと判明した。しかも、治すにはアメリカに渡って手術を受ける必要がある。死を悟った主人公は、見えないながらもアシスタントの手を借りながら休載していた漫画を描き、完結させた。そして、行方をくらます。
 この漫画のラストで使われていた言葉が非常に心に響いた。
「それでもハッピーエンドは存在します。
 僕の友人ライナー・マリア・リルケの言葉を借りようと思います。
『私の目を消し去ってみようとも、あなたが見えます。私の耳を封じてみようとも、あなたが聞こえます。足がなくてもあなたのもとへ行けるし、口がなくてもあなたを呼び寄せられます。私の腕を折ってみようとも、手で触れるかのように、あなたを私の心臓で触れるでしょう。私の心臓を塞いでみようとも私の脳が鼓動するでしょう。そして、私の脳にあなたが火をつけるのなら、私の血にあなたを乗せて行くでしょう。』
 愛するスミレ。
 最後まで諦めないで。
 辛い時こそ笑うのよ。」
 響が主人公を探し回って、クリスマスのイルミネーションの輝きの中を走る。その時に流れるのがトロイメライ。響は二人で夢を語り合ったあのベンチで、意識を失って雪を被った主人公を見つけた。
 私は、主人公は死んだとばかり思ったが、ここでどんでん返しだ。
 白杖を使わずに飛行機から降りてくる主人公。どうやら目は治ったらしい。そしてスラーが多用された愛の主題歌に合わせて、主人公と響の結婚式だ。

 私は無理矢理なハッピーエンドが嫌いである。むしろ登場人物が闇堕ちするような物語は大好物だ。例を挙げるとすれば、雫井脩介さんの「検察側の罪人」、貴志祐介さんの「青の炎」、東野圭吾さんの「幻夜」。他にも好きな本はたくさんあるが、この場では以上の三冊ということで。つまり、普通なら、この映画は嫌いなストーリー展開に分類される。ネット上の考察では、主人公は亡くなったという説もあり、主人公を演じた方は、解釈は観た人に委ねると仰っていた。
 私は、この映画に関しては、これでもかというくらいハッピーな結末が似合うと思う。主人公は病気を治し、念願の結婚を叶えた。
 何度も使われ、観る者の脳に植え付けられるフレーズがあるのだが、それは「辛い時こそ笑うのよ」。主人公の漫画でも出てきたやつだ。そして、キーとなるものとしてトロイメライ、つまり夢。そして、何よりも重要だと私が捉えたのが「それでもハッピーエンドは存在します」だ。
 主人公は確かに、雪が降る夜に行方をくらました。でも、最後に完成させた漫画の最後で、ハッピーエンドの存在を信じていた。人生に希望はある、どれだけ苦しくても必ず幸せはある、と考えていたのではなかろうか。
 すると、この物語が伝えたいことは、絶望の淵に立たされてもいつか幸福は訪れる、ということなのではないだろうか。
 バッドエンド、サッドエンド、メリーバッドエンド等、物語には様々な結末があるが、全てに共通して言えることは、その物語を生み出すことを通じて、作者側が伝えたいことがある、ということだと私は考える。つまり、必ずいつか幸せになれるということであれば、また、どんな絶望を味わっても希望はあるということであれば、主人公を不幸のどん底に突き落とした上でこれでもかとハッピーにするというストーリーは、極めて素晴らしいと思う。込み上げるものがある。

 私は、無理矢理なハッピーエンドが嫌いで闇堕ちが大好物だと述べたが、訂正しよう。私の大好物は、物語を考察して制作サイドの伝えたいことを感じることである。そして、伝えたいことを表現するための強引な結末は、案外胸に刺さるみたいだ。この感覚がたまらない。私は決してハッピーエンドが嫌いというわけではない、ということがわかった。

UNLEASHED

 今日は、私が初めて一人で電車に乗った日のことを記そうと思う。一人で電車に乗るということは、当時の私にとっては冒険に出かけるくらい重大なことであった。といっても、そう大して遠くに行ったわけではない。
 行き先は、名古屋国際会議場。地下鉄を利用して、乗り換えもあった。あの日の私は中学2年生で、おそらくその歳の時には平気で一人行動できた人も多いだろう。しかし、私は良くも悪くも幼い頃から習い事などで忙しく、子供だけで出かけることなど滅多になかった。
 部活をサボり、ちなみに部活は普段からサボり魔だったが、帰りの会が終わってすぐ教室を飛び出し、全速力で家に帰った。そして玄関を開けてすぐに「友達と遊びに行く!」と母に嘘の報告をし、待たせているから急いでいる、とも嘘をついた。セーラー服から裏起毛のトレーナーとジーパンに着替え、前日のうちに用意しておいたanelloのリュックを乱暴に背負い、黒いズック靴を履いて駆け出した。

 地下鉄での話を詳しく書くと住所がバレそうなので、目的地の最寄りである西高蔵駅に着いたところから書かせて頂く。
 私が西高蔵に到着した時間はまだ少し早かった。当時使っていた青いガラケーで、地図が映し出されたパソコンの画面を写真に撮っておいたのだが、実際の場所に来てみたらまるでわけがわからなかった。それでもなんとか勘で選んだ道はどうやら合っていたらしい。堀川に架かる旗屋橋を渡ると、それらしい建物を見つけた。かなり大きな施設で、敷地に入ってから建物の出入口まで少し距離があった。正直言って、緊張していたため、歩いた道中のことはほとんど覚えていない。
 玄関をくぐると、吹き抜けの空間が広がっていた。うわぁ、と思わず声を上げてしまっていたかもしれない。おそるおそる奥に入っていくと、グッズ販売は終了しました、というようなことが書いた看板が立てられていた。私は買い物のために何千円か持ってきていたが、それは役に立たなかった。
 太い柱の傍で、私は周りの様子を見つめていた。私が駅を出てから地図を読むのに手こずっていたこともあり、またドギマギと行動していたこともあり、思ったより時間が経っていたようだ。ちょうどいい頃合いとなり、着飾った女性たちがぞろぞろと建物に入ってきていた。
 そんな中で。
 くすんだ緑色のトレーナー、古びたジーパン、中学校の白い靴下、そして汚れたズック靴。手には時代遅れなガラケーを持っている。あまりにも垢抜けないその姿は、あの場には相応しくなかったのかもしれない。自意識過剰かもしれないが、妙に周囲からの視線を感じた。居てもたっても居られなくなり、私は来た時とは反対方向に駆け出した。
 外にも行列となって美しい女性たちがいた。一人だけ逆方向に走る私は、さぞ不思議に映っただろう。私は一目散にその場から逃げた。旗屋橋を渡る時、心の余裕はないながらも、ふと横を見た。街灯がオレンジ色の光を放ち、美麗だった。駅に着くと、何とも言えない虚しさが込み上げてきた。電車のホームにあるベンチで、しばらくただ座っていた。

 あの日は、2018年12月3日だった。
 山下智久さんのライブツアー「UNLEASHED」の名古屋公演が、さっきまでいたあの場所で開催されていた。
 ライブに行きたいということは元より、ファンになっていたということすらまだ誰にも言えていなかった私は、チケットを持っていないのにも関わらず会場に行き、その空気を味わいたいと思った。欲を言えば、グッズの会場販売で何かしら一つ記念になるものを買いたいと思った。結果的に吸った酸素は決して美味しいものではなかったが、それも含めて、私にとっては甘酸っぱい思い出である。

 あれから5年経った2023年。
 念願の山Pコンサート参戦を果たした。
 自分でチケットを取り、ファンクラブ限定のグッズと張り切って作った手作りのうちわを持って行った。コンサート中のトークで山Pが使っていたタンブラーを会場販売で買った。
 ライブに参戦したことも、自力でチケットを取ったことも、会場でグッズを買ったことも、5年前はできなかったことである。何とも言い難い感慨深さを感じた。箱入り娘だった私が、完全とは言えないが自立し、何かが解放されたように感じた。

 ちなみに、これを公開する本日9月11日は、第二の誕生日の一週間前である。つまり、6年前の今日は「コード・ブルー」第3シーズンの9話が放送された日。思いっきりネタバレしてしまうが、この回のラストで山Pが演じる藍沢先生は土に埋もれてしまう。新垣結衣さん演じる白石先生の「私が大好きなこのチームは、バラバラになってしまった」というナレーションでこの日は幕を閉じた。

トンネルという名の暗闇を明かりと地図と

 JRの線路沿いの小道にあるベンチで授業をサボった回数、もはや不明。高校から程近いイオンモールの穴場でスマホゲームをして時間を潰した回数、もはや不明。高校から一番近いドラストで、ブロン(オーバードーズ用の薬としてよく使われるもの)を買おうとした回数、もはや不明。希死念慮に耐えた日の数、もはや不明。高校の時の病みエピを語るとキリがないので、この辺りでやめておく。

 私が学校から抜け出す時は校内に居られる場所がない時だが、やはり生徒が行方不明になると先生は焦るらしく、後でしっかりと説教を食らう。だったら居られる場所を一箇所でいいから用意して欲しいと言いたいところだが、人が近くに居るというだけで無理な日は、仮に避難所があったとしてもどうしようもない。
 そして、希死念慮君がやって来る時、だいたい私が考えていることは「死んだらきっとわかってくれる」だ。
 苦しかったら信頼できる人に相談してね、という言葉は世の中に溢れているが、そんな一文ごときで人に相談しようなどと思えるわけがない。死んでしまうほどつらい人は、人に言ったところでどうせ自分の苦しみなどわかってくれない、と思っているものである。これにはもちろん家族、友人も当てはまる。さらに、これは界隈の人にとってはわりと常識なのだが、いのちの電話はツキがなければ繋がらないし、SNSで相談するものはたいてい現在たいへん混みあっています、のような言葉が自動で送られてくるだけで、何の意味もない。死にたいと思った時に電話をかけても繋がらない、チャットを利用しても待てど暮らせど返事がこない。キツい希死念慮はそう長くは続かないというが、これはつまり、その短時間に誰かが気付いて話を聞く必要があるということである。ただし、相談者側が話そうと思えた場合に限る。こんな状況で、誰が自殺を止められようか。こんな状況で、自殺はなくならない。自殺をなくそうなどと綺麗事を言う奴を見れば、お前なんかにできるかよ、と私なら思ってしまう。

 せっかく自殺について語っているのだから、豆知識を捧げよう。死にたいと思っている人に「死なないで」と言うことは絶対にダメだ。どういうことかというと、現実に絶望し死に希望を見出している者が、唯一の希望を否定されたら、この世界で生きようなどと微塵も思えないからだ。また、鬱などで動けない人は、布団の中で天井を見つめていることが精一杯だ。例えば「お風呂に入った。頑張った!」という投稿に「そんなことで頑張ったとは言えない」と返信したら、即ブロ確定である。それどころか、その返信はスクショされて拡散されていると思うべき。求められているものはただ一つで、それは「共感」である。死にたい人には「つらいね」、お風呂に入れた人には「頑張ったね」というような具合だ。

 ここまででお気付きだろうか。
 死にたい人の多くは、どうせ自分の苦しみなど誰もわかってくれないと思っている。求められているものは「共感」である。
 死にたいと思うことがある人は、誰かにわかってほしいと思っている。この苦しさを認めてほしい、でもいい。(当然だがこれはあくまで私の考えであるため、一律に全員そうであると考える奴は愚かだと思う。口が悪くて申し訳ない。)

 話題は変わるが、かつてとあるサイトに送った文章で登場したMちゃんについてである。その文章はこの「こころ」で以前載せた。
 私は小5だった当時、彼女をまるで救世主かのように思っていた。Aちゃんから殴られなくなったのは、Mちゃんと仲良くなってからだったためだ。しかし、救世主は私を間違った道へ導いてしまった。そもそもAちゃんとの問題を自力で解決できていれば何も起こらなかったはずだとよく思うが、これについて考え始めると決まって希死念慮君がやって来るので、できるだけ忘れよう。
 しかし、「神様」で語った彼は、私に希望で輝く場所を見せてくれた。あの時は「メシア」と表現したが、この言葉は救世主と同義である。
 ここで思うのが、真に人を救える人間は、人の手を引っ張ってくれる人ではなく、人に明かりや地図を渡してくれる人だと思う。夢も希望もない真っ暗なトンネルの中を歩く者にはライトが必要だし、先が見えないのであれば、先がどのように続いているかわからないのであれば、地図が必要である。ただし、トンネルに分岐点に差し掛かった時、どの道を選ぶかは自分次第だし、そもそも歩くのは自分である。
「人はよく人生の苦難を長いトンネルに例える。光の差す出口を目指し、暗闇の中を進んでいく様が、人生と似ているからだろう。
 人はその道を進むために様々な準備をする。ある者は明かりを持ち、ある者は地図を用意し進む。光の先にある、答えを求めて。」
 トンネルには必ず終わりがある。しかし、トンネルを抜けてもまたトンネルがあることもある。例えば山間部の高速道路など。また「明けない夜はない」という表現もあるが、極夜というものも存在する。極夜がある地域は白夜もあるということも忘れてはならないが。

 ちなみに、これを書いている今は2023年9月18日だ。前から順番に読んでくださっている方は、もしかして気付いてくださっているのではないかと期待してしまっている。
 本日、私、6歳になりました!
 早いもので、今度の春には小学生になります!
 死についての部分が当初の想定よりかなり長くなってしまったが、今回はこれが本題だ。突然私が6歳になったと言ったら、前を読んでいらっしゃらない方や読んでくださったけど忘れてしまった方は「は?」とお思いだろう、それは承知の上だ。しかし、今から解説し始めるとまた長くなってしまうので、とりあえず事実だけ述べておく。9月18日は私の第二の誕生日である。詳しく知りたい方がいらっしゃれば「神様」を読んで頂きたい。

 私は結果的に夢破れた。高校以降はいわゆる「病んでいる」状態である。しかし、かつて、振り返れば無理をしていた頃は、充実感に満ちていた。もう一度あの頃のような生活を送ることはできないと思うし、仮にできるとしてもやめておいた方がいいとも思うが、あの快感は忘れられない。
「人はよく人生の苦難を……」は「コード・ブルー」というドラマの3rd seasonの最終回で出てくる言葉である。あの日、2017年9月18日、私はトンネルから抜けた。2年半ほど太陽の下にいたが、再びトンネルに入ることとなった。そして、未だ出口は見えてこない。それでも、私にはあの時もらった明かりと地図がある。
「先の見えない暗闇に一人佇み、時に心が折れそうになる。この先に光がなかったら、歩いた方向がまるで逆で、光から遠ざかる結果だったら。
 そんな時は思い出して欲しい。一人ではつらい時間を、共に歩ける仲間の存在を。
 求めるのは光そのものじゃない。光を一緒に探すことのできる仲間だ。それさえあれば、歩き続けることができる。
 駄目なら向きを変えて、また歩き出せばいい、仲間と共に。」
 こちらは最後に主題歌が流れる時に入ったナレーションだ。私は別の「暗闇の先にあるもの」を探している最中だ。もう既に明かりと地図はあるので、道に迷っても何とかなる。駄目なら向きを変えればいい。それでも駄目なら、また向きを変えればいい。どこかにきっと仲間はいると、私は思う。

脳内エンドレス「草枕」

 脳内が余りにも多動すぎて全部文字に起こしたらえらいことになりそうだけど書きたい、書けばとりあえず治まる、秒で復活するけど。昔ピアノで一緒だった子のお母様から見たら、私は全然障害者じゃないらしいけど、現実はエンドレスで「兎角にこの世は住みにくい」って脳内常に草枕。

 ところで、先日の晩ご飯の時の話。また母上のヲタ活の話を聞かされて、一体感って気持ち悪いということを思った。タグをつけて投稿して発信することでトレンドに乗って、そこから興味を持った人がファンになってくれるから、一生懸命拡散してる。タグだけじゃなくてインスタのリンクとかも貼る。みんなそうやってやろうって言ってるらしい。それはさすがに気持ち悪い。分かってない人がタグつけてなかったりするのを見るとムカつくと言っていて、「はあ?」なんて思った。
 自分が言いたいことを言えばいいじゃん。自分の主張をそのまま書けばいいじゃん。やりたいようにやればいいじゃん。謎に他人にも自分と同じことを求める性質、タチ悪いから直した方がいいと思う。もちろん、誹謗中傷とかは例外だけど。
 ファンは広報委員ではない。
 画面越しにしか知りえないような赤の他人を頼って自分の願いを叶えようとするくらいなら、もっと近しくて信頼できる人に頭を下げればいい。そういう頼れる人がいないのであれば、その人はその程度の人間であるということじゃないか、と。何故ファンが宣伝をしなければならないのか、甚だ疑問である。
 能力を上げ、人間としてより魅力的になれば、自然と周りの人間も増えるのではないか。ただ単に仕事が出来るだけの人より、より高めている人の方が、一緒に働きたいと私は思う。一緒に働きたいと思う人が増えれば、自分の仕事は増える。見てもらえる機会は多くなり、見る側が思ったことをただ述べるだけだとしても、それが多ければ、わざわざ宣伝しようとしなくても自然と輪は大きくなるのではないか。
 確かに、外見や後ろ盾なども関係無くはない。でも、世界中が敵に回ることはないから、逆に世界中が味方になることもないから、わかる人がわかれば充分。わかると思う人たち全員が同じ考えということもない。それぞれが好きなようにやればいい。「同じ」ばかりを追求すると、結束が強くなるかもしれないけど、それはわからないと思う人たちとの溝を深めることとイコールのはず。深くなりすぎると、亀裂ができる。亀裂は争いの元になって、そして、争いは何も生まない。関係者全員がただ傷つくだけでしかない。だから、もっと、みんな自由でいいんだ。「一体」になることなんて追求しなくていいんだ。そもそも、SNSがまだなかった頃は、ファンの一体感などほぼ皆無だったのではないかと考える。それでもスターは存在した。ただし、私はその時代を生きていないので、これはただの推測でしかない。
 ファンを増やしたいと思っているみたいだし、そう思うことを当たり前だとも思っているようだけど、数は大きければ大きいほど良いというわけでもない。見てくれる人が増えれば責任も大きくなるから、その責任を果たせないなら、人に見られることを仕事にするなんて、さっさと辞めちまえ。ファンの質だって、母数が増えればおかしな人も増える。有名になることは嬉しいことかもしれないけど、物事には限度というものがある。
 見られる側の芸能人にとっては本業でも、ファンは彼ら彼女らを応援することが本業ではない。芸能人を応援しても、物理的には大した得があるわけでもないのに、潤沢にあるわけではない時間とお金をはたいて応援している。自らの持ちものを差し出している。追加であれこれ求めるくらいなら、それより前に自分をもっと磨け。
 私にとっての一番は私。私は自分を貫く。嫌なものは拒否するし、好きなものは追いかける。私の自由を妨害する人には抗う。そんな私を良いと思ってくれる人がいるなら、それ以上嬉しいことはないし、だからこそ大切にする。私の一方的な気持ちだとしても、大切な人のためなら動くし、私を大切にしてくれる人のためにも動くし、そして何より、このことは私の意思だから、つまり私は私のために動く。もっと深い人間になりたいし、そのために自分を磨いて、今まで抑え込んできた分も解放して、暗い部分も含めて、受け入れてくれる人と共に、この世を謳歌してやる。

 そういえば、このあいだ柿澤勇人さんのイベントでMBTI診断なるものをやった。私はINTP-T(論理学者)という結果が出た。日本語で論理学者と言われると、確かにここまで長々と語った私を端的に表している。INTPをググッてみたところ、社会不適合やら生きづらいやら。酷い言われようだが、残念ながら自覚あり。ちなみに、個人的にはASDとADHDも兼任している。我ながらおそろしい肩書きだ。
 調べたINTP女の特徴をざっとまとめると、共感より理屈、変人扱いされる、収まることが苦手、他人に興味がない。悲しいくらいわかる……
 また、「うさうさ脳」というものも見つけたのでやってみた。私はうう脳だった。さて、うう女の特徴を調べてみよう。
「これ!」と思ったらノンストップ、個性的な存在として人気者になることも多い、何事にも興味津々、ノリと流れで危ない方向へ飛び込んでいってもうまくこなしてしまう。
 おお、こちらでもかなり変な奴ではないか。またまた悲しいくらいわかる……
 中学の先生曰く「アンテナが驚異的に折れている」、とある友達曰く「頭良いのにバカ」。前者についてエピソードを補足すると、ある人に土産としてモケケをあげたところ「懐かしい、中学の時流行ってたよね。」と言われ、私は「は?」と返してしまった。次に「同じ中学だよね?(笑)」と改めて訊かれたが、おい、どこで知り合ったと思ってるんだ。後者についても補足すると、勉強はできる(当時はできた)のにどこかおかしい奴という意味らしい。表現力が素晴らしい、コピーライターになれそうだ。
 しかし、疑問があるとすれば、論理学者タイプはエンジニアなどが向いているらしいが、うう女の適職は接客業。あれ、違いすぎる。他人に無関心なのに接客は無理だろ。これだからASDとADHDの併発は厄介なんだよ!と発達障害の野郎が悪いということにしておく。
 ていうか、こうしてあれこれ調べていたらあっという間に深夜3時、という時点で既に狂っている。私は変人という自覚のある部分だけ受け止めて、あまり信じない方が良い気がした。
 しかし脳内は常に騒がしい。思考が止まることなどない。もう2500字を突破しているのでいい加減終わろうと思うが、教育における子どもの拒否権についても考察したかった。
 ちなみに、今回の一段落目は私の過去ツイだが、「草枕」は未読である。

「Sweet Vision」&「I See Youを読む。」

 以前ノリと勢いでブログを始めてみたのだが、なんか肌に合わなかった。よってせっかく書いた記事だけコピペしとく。
 場違い感半端ないけど許して~!

 ◇ ◇ ◇

 やっぱ最初のネタはこれだよね。
 曲ごとにあーだこーだ喋るのは別でやるとして、アルバム全体としての話です。
「UNLEASHED」以来実に5年ぶりのアルバムリリースということで、、、
 この5年間いろいろありましたねェ……
 夢の海外進出、独立……。かつてTOKIOカケルで「冗談じゃねえよ!」っていうオラオラ系のお芝居をやってた時の何とも言えない可愛さと頼りなさが消えた……また進化したやん……あんたァ、どこまで行くおつもり?笑
 あ、すんません、山Pの話です。

 では、本題へ。

♪Anima
「わかっているよ、何が欲しいか。今からあげるよ。」
 あざっす!!!!!

♪A Million Suns
 百万の太陽?ちょっとよくわからなかったけど、どうやら強い光という意味っぽい。※私調べ
 いっぱい傷ついてきたけど私たちは百万の太陽のように輝ける、的な感じかしら。わざわざ歌詞がWeになっててエモい。

♪Sweet Vision
「涙の数だけ答えがある」
「傷だらけの勲章はきっと今強さになるから」
「人は綺麗なままじゃいられないのさ」
「愛し愛されたい君に 同じ夢を見たい」
「僕が微笑んだら君も笑えるかな 寂しさも優しさもそのすべてを抱きしめたいよ」
 まだ1番だけなのにこんなに刺さる箇所があるなんて、、しんでしまうよ、、遠慮なく抱きしめてください、、←殴(((

♪Face To Face
 うっすら「Face To Face!! Face To Face!!」でC&Rすることは想像してたが、やっぱりキターー!っていうのはコンサートの話です。コロナ禍でリリースされたシングルということもあり、非常に前向き。まあいつも前向きだけど。力湧いてくるな。

♪I See You
 好きすぎて何も言えねえ

♪Sunrise
 曲調はサンライズというよりサンセットっぽいけど言ってることは非常にサンライズ。総じてエモい。𝑳𝑶𝑽𝑬。

♪Beautiful World
 このアルバムの中では珍しい縦ノリの曲。シックなのが多い中で存在感が半端ない。
 望みは高く! 𝑯𝑰𝑮𝑯 𝑯𝑶𝑷𝑬ってことっすね!

♪Forever in My Heart
 ゴリゴリのバラードきましたーー!!!!!
 しかし歌詞が全然分からない……和訳ってどこかにありますかね?ググっても出てこないんだが……
 日本語の部分の話しかできなくて悔しいけど、繋いだこの手、離しませんよ(圧)

♪Dancing in a Dream
 声高っ!?
「愛の答えまだ探してる」→Nights Coldを彷彿とさせられるんだが、まあ、そりゃそうか。巧いな。

♪Vision
 いかにもライブでイケ散らかしながら歌う曲って感じですねニヤニヤ
 こちらもWe can go farawayとおっしゃってますから、わざわざWeなんすねェ。私″たち″。私も含まれているのかニヤニヤ←気持ち悪い

♪ここから
 唯一の日本語タイトル!!
 感情がバカでかすぎて言葉が見つからない。ただひとつ事実を述べると、最初に聴いた時「あれ?まだ最後じゃないよね?」って思って一回確認しました。これがラストでもおかしくない。ばりエモい。絶対泣かせようとしてる。私の好きな曲TOP10に入る。

♪ONE
 やっとここまできました。12曲分を簡潔に書くのは大変。それはそうとして、時間をかけて、私のペースで、細かすぎるくらいに語りたいね、いつの日か。
 最後は前を向いてレッツゴー!みたいな曲で終わるんだね⁉めっちゃ山Pだね⁉
 ひとりひとりが輝いていくためにカムトゥギャザーでゴーアワーウェイっすか……
 沁みる……沁みわたる……それ以上の言葉が見つからない。

 そして余韻を残しつつ、ループ再生の諸君はAnimaへと帰っていくのです。


 さて、総括です。
 なんか、傷ついてきたけど~みたいなの多くないか?あー、やっぱり独立かつ海外進出ってただごとじゃないんだな。相当きついんだろうな。身の程知らずなことを言うと、そのきつさを癒す存在になりたい。まあでも、″けど″だから、結局彼はいつも前へ進んでいるんっすねえ、凄。
 私は山PのおかげでDreamerとなり、高い壁に挑み、当たって砕けたんすよ。砕けたって一言で言っても実際のところは伝わらないと思うんだけど、ガチで粉砕された。壁に挑む時、当たる勢いが強すぎると自分が受ける衝撃も強くなりますからね。
 独立してから最初のアルバムなんで、もちろん記念すべきものです。全体的に一気に大人っぽくなった気がする、いや年齢は普通に大人だけど雰囲気の年齢が一気に上がった気がするっていうこと。決して老けたということではなく、良い年の取り方してるよなあ。年を取るというより「年齢を重ねる」って感じ。一歩一歩歩いてる姿が見えるようだ。走るんじゃなくて歩いてる。
 山Pってあんまり弱いところを見せない印象なんだけど、脆い部分がない人間なんていないから、きっとたくさん傷ついてる。それでも、聴く人、観る人に力をくれる。そのためにはかなりのパワーとそれを生むものが必要だし、もちろん消耗する。列車だって、動くためには燃料が必要だし、エンジンが必要だし、燃料は減るし機械はボロくなる。
 消耗しすぎるとどうなるかって、身体と心、どちらが先に限界を迎えるかは場合によるけど、病気になる(滝汗)
 とにかく健康第一ですよ、健康第一。山Pはその辺しっかりしてそうだけど、口うるさく言うよ!!
 無理しちゃだめよ!!疲れたりつらいことがあったらちゃんと自分を癒してね!!自分自身を一番大事にしてね!!←ここ大事(めちゃくちゃブーメラン)

 はい、以上なんですけど、最終的な話がアルバムの感想って感じじゃなくなってしまった、嗚呼。
 まあいっか(笑)

 ◇ ◇ ◇

 別に音楽鑑賞が趣味っていうわけじゃないけど、この曲めちゃめちゃ好き。私はAnthem、Dreamer、You Make Me、月の幻、Tokyo Sinfonietta、Dancer、Nights Coldあたりが好みなんで……
 前回「何も言えねえ」だけで終わっちゃったのでちゃんとやります。
 よし、では気ままに語っていこう。という前に和訳しないと何も分からない(滝涙)
 Google翻訳様、よろしく!


 When my sky had turned to sudden dark
 I never understood the reason why
 But now I know
 It was to shed more light to a certain truth, mhm
 空が急に暗くなったとき
 理由が全くわからなかった
 でも今ならわかる
 それはある真実に光を当てるためだった

 It doesn’t have to be unfortunate
 Heavy waves that swept down all my world
 But now I realize
 It only makes me desperate on this path
 不幸である必要はない
 僕の世界すべてを押し込んだ激しい波
 でも今気づいた
 この道では絶望するだけだ

 Oh, I see you and I hear you
 The flowing of my blood will carry you
 With you by my side I find my way home
 You’re shining through it all
 ああ、君が見える、そして君の声が聞こえる
 僕の血の流れが君を運ぶだろう
 君がそばにいると家に帰る道が見つかる
 君はすべてを通して輝いている

 Missed you so much felt like dying
 No matter where I stay, you’re all I see
 'Cause I know that you were just meant for me
 It’ll never fade away
 寂しすぎて死にそうだった
 どこにいても、僕に見えるのは君だけ
 だって、君は僕のためだけに生まれてきたのだと知っているから
 それは絶対に消えない


 これが1番です。
 第一段落で「空が急に暗くなった」と言っているのは、絶望しちゃってんでしょうな。きっと映画に合わせてるんでしょう。でも早速「But」で打ち消すので、これは絶望の曲じゃない。
 第二段落は、絶望についての話かと。前に出てきた「truth」はまだ出てこない。
 そしてサビ。こちらが「truth」の内容だと思う! めちゃめちゃ映画に合わせてきてる。クライマックスで出てくるあの言葉が使われてますね。今回は曲の話なので、ネタバレはやめときます。あと、「道」のくだりで、ここではただの現在形であることには注目しておこう。何も考えずに翻訳をコピペしてたら、後で「⁉」となった。


 Holding you to feel your loneliness
 Even when you smile the sorrow tells a lie
 But now I realized
 I look into your eyes and learn the truth
 孤独を感じるために君を抱きしめる
 笑っても悲しみは嘘をつく
 でも今気づいた
 君の目を見て真実を知る

 Oh, I see you and I hear you
 The flowing of my blood will carry you
 You’re by my side I could find my way home
 You’re shining through it all
 ああ、君が見える、そして君の声が聞こえる
 僕の血の流れが君を運ぶだろう
 君がそばにいるから家に帰ることができた
 君はすべてを通して輝いている

 Missed you so much felt like dying
 No matter where I stay, you’re all I see
 'Cause I know that you were just meant for me
 It’ll never fade away
 寂しすぎて死にそうだった
 どこにいても、僕に見えるのは君だけ
 だって、君は僕のためだけに生まれてきたのだと知っているから
 それは絶対に消えない


 2番!!
 1番では絶望によって真実に光が当てられたという話だったが、今度は「君」の目を見て「知る」に変わった。つまり、絶望と君、2つが揃ったことによって「僕」は「真実」を解ったということなんでしょう。上手い言い方ができなくて悔しいけど、とにかくそういうことなんだよ多分、、!
 そして再びサビ。ほぼ1番と同じ、つまり「truth」の内容を歌っているけど、「帰り道」の件で「find」が「could find」になっている。過去形かつ可能に変化。おお、ストーリーが進んだ。既に「僕」は帰れたんですな。


 Stumbling on the raging storm, I seek
 I’m here for you, I’d die for you, my love
 If you only knew how I tried so long
 Don’t ever let me down
 荒れ狂う嵐につまづきながら求める
 僕は君のためにここにいる、君のためなら死ねる、愛する人
 僕がどれほど長い間努力したかを知っているなら
 決して僕を失望させないで


 そして、えっと、これは何ていう名前で区分されるんだろうか。新しいメロディーが出てきたわけだが、残念なことに私はクラシックで育ったのでポップスには詳しくない。ポップスより先にソナタ形式とか三部形式とかロンドとかを覚えた人間だもんで……
 そんなことはどうでもよくて、いきなり「君のためなら死ねる」って言いだした。えっ、やめて~~!
 絶望から抜けるためにどれだけ苦労したか君は知ってるだろ、だから僕に再び希望を失わせないで。そんな感じかな。ここで初めて「君」に向けた言葉が登場。なるほど、だから最後で「君」が喋りだすんだ。
 ワイの勝手な解釈で基本的に一人称は「僕」で、二人称は「君」にしました。ただ、最後のサビのところでカッコが出てくるので、その中は「君」の台詞であると捉えて、「私」と「あなた」に変えました。翻訳機はそういう細かいところまではやってくれないけど……笑
 でも、細かくこだわるところが「解釈する」ってことだと思う! 書く側は細かいところに意味を込めてる、と思ってるんで。
 さ、次で最後っす。


 Oh, I see you and I hear you
 The flowing of my blood will carry you
 You’re by my side I could find my way home (no, no)
 You’re shining through it all
 ああ、君が見える、そして君の声が聞こえる
 僕の血の流れが君を運ぶだろう
 君がそばにいるから家に帰ることができた(いいえ、いいえ)
 君はすべてを通して輝いている

 Missed you so much felt like dying
 No matter where I stay, you’re all I see (you're all I see)
 'Cause I know that you were just meant for me
 It’ll never fade away
 寂しすぎて死にそうだった
 どこにいても、僕に見えるのは君だけ(私に見えるのはあなただけ)
 だって、君は僕のためだけに生まれてきたのだと知っているから
 それは絶対に消えない


 いや~~聴いただけだと何言ってるんだかさっぱりわからないが、ちゃんと読んでみるとめちゃめちゃ考え尽くされているのが分かりますね~~
 君のおかげで帰ることができたと言っている「僕」に向かって「no」と返している。謙遜してるのかキッパリ否定してるのか、日本語にしちゃうとどっちでも取れるんだけど、そもそも英語に謙遜は存在するのか? ググってみた結果、やはり素直に返答するみたい。褒められた時に「いえいえ~」なんて言うのは日本人の特性らしい。ならば、ここは「違う」と言っているわけか、ふむふむ。
 綺麗なことを言ってしまえば、「君のおかげだ」、「君がいたから」という発言に対して、そうじゃないよ、あなた自身の力で乗り越えたんだよ、みたいな感じですかね? いくら「君」がいたからと言っても、「君」は「僕」を手助けしただけで、「僕」の絶望は「僕」が乗り越えるものですからねぇ。
 そして「私に見えるのはあなただけ」。
 おい! 相思相愛やないかい! リア充しやがって!
 今回はこれにて!←締めが雑

 ◇ ◇ ◇

 読んでくださった方いたみたいだけど、しれっと消しました。
 私には向いてない‼

ケーポだのホーロだの

 最近の者はケーポだのホーロだのがお好きなようだ。そこで私は、クラシックの良さを語りたい。ただ、私が詳しく知っているのはピアノだけ、その点は予めご了承ください。
 K-POPも邦ロックも現代音楽。物事には歴史というものがあって、昔はクラシックが現代音楽だった。フランツ・リストがピアノを弾く姿を見てキャーキャーするご婦人が、昔は現代人だったのである。

 クラシックは時代ごとにだいたい四つに分けられる。バロック、古典、ロマン派、近現代だ。バロックより前にももちろん音楽は存在したのだが、芸術として考えると、バロックを最初としてカウントする。また、演奏形態や曲の特徴によっても分けられるが、こちらはもはやよくわからないと言っていいと思う。Eテレの「クラシックTV」という番組で分類を取り扱っていた回があったが、ピアニストである清塚信也さんですら「わからない」とおっしゃっていた。

 バロックの有名な作曲家はやはりバッハであろう。しかし、バッハの時代にはまだピアノは無く、チェンバロという楽器が使われていた。これはピアノの前身で、フェルトのハンマーで弦を叩いて音を出すピアノに対し、チェンバロは鍵盤を押すと中で弦をはじいている。
 バッハの曲は、聴いている分にはとても心地いいが弾いた途端嫌いになる。そもそもチェンバロの音に近い音で演奏しなければならないという時点でハードルが高い上に、インベンションなら2声、シンフォニアなら3(せい)だ。「声」というのは、メロディーがいくつあるかという意味である。メロディーと伴奏、ではなくメロディーをいくつも重ねる形で曲になっている。これをまともに弾くと滅茶苦茶に難しい。また、チェンバロに近い音で演奏するというのは、作曲者の想いや時代背景を知り、楽譜から読み取って、創られた当時を再現するという考え方をするためである。もちろん演奏者の解釈を加えるのはダメではないが、あくまでも「解釈」であり、捏造してはならない。
 さて、次の古典で代表的なのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトやルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。なぜわざわざフルネームで書いたかというと、かつて覚えさせられたからである。
 モーツァルトの時代になると、バッハとは変わってメロディーと伴奏という形になってくる。ピアノを習うとブルグミュラーの次にソナチネをやるが、その曲集に入っているものを見れば一目瞭然だと思う。これはこれで難しい。右手と左手を完全に使い分けなければならない。ちなみに、私はバッハを弾く方が嫌いだ。
 ベートーヴェンは、ピアノを壊しまくった人物だ。もっと、もっと、と彼が追究しているうちに楽器の方が耐えきれなくなる。おかげでベートーヴェンの時代にピアノという楽器は発展を遂げた。
「エリーゼのために」や三大ピアノソナタはきっと誰しも聴いたことがあるだろう。豆知識だが、「エリーゼ」は実は「テレーゼ」の読み間違いらしい。字が汚かったせいだ。三大ピアノソナタは「月光」、「悲愴」、「熱情」である。特に月光の第一楽章や悲愴の第二、第三楽章はあちこちで耳にする。私は「月光」の第三楽章が一番好きだ。あれを弾き切るとなんだかとてもスッキリする。しかし、一と二で抑え込んだエネルギーを爆発させて弾くという流れも把握しておくべき。
 そういえば、中学で「大地讃頌」をやった時、あの曲は「土の歌」という曲の最後の最後の一部分であるからどうのこうの、という指導を受けた。確かにそれは事実なのだが、その後のとある先生の指導には納得できなかった。彼女はやたらとゆっくり弾かせた。土の歌を丸ごと演奏する場合はこれでもかともったいぶってもいいが、代わりにフレーズの流れが緩くなり、停滞する。大地讃頌のみを演奏するなら、その曲ひとつで聴衆を引き込まなければならない。停滞しては困る。つまり、曲について理解した上で、では聴かせる「音楽」としてどのように演奏すべきか考える、という方が良いだろう。これは何にでも当てはまり、例えば「月光」の第一楽章だけを演奏するなら、楽譜に書いてある以上に盛り上がる部分を盛り上げないと、聴き飽きる。しかし、全部弾くとしたら、エネルギーを抑えて抑えて、眠くなってきた頃の第三楽章でド派手にする方が面白い。
 聴衆を引き込もう、の話が続いてしまうが、舞台で弾く曲の練習では最初の一音ばかり長々とレッスンされる。最初の一音が上手いと「おっ」と思って聴いてもらえるが、逆なら聴く気が失せる。ショパンの「幻想即興曲」が分かりやすい例だろう。一発目のソのオクターブでやらかしたら終了。のど自慢の鐘が脳内で鳴り響く。

 ショパンはロマン派の人物だ。ちょうどいいので話を戻す。
 彼は人気が高い。子犬のワルツ、華麗なる大円舞曲、革命のエチュード、軍隊ポロネーズ、英雄ポロネーズ、ノクターン、別れの曲……。パッと思いつくだけでもこれだけある。それだけ有名だということだ。
 やたらとカタカナが多いが、これを日本語に訳すと、エチュードは練習曲、ワルツやポロネーズは舞曲、ノクターンは夜想曲である。また、別れの曲はショパンがそう名付けたわけではなく、正しくは練習曲10の3。後世の人がイメージで題をつけてしまった曲は案外多いということは、知っておいて損はないだろう。
 練習曲と言うとハノンやチェルニーを思い浮かべる方がいらっしゃるだろう。実は練習曲といっても幅広く、何ならリスト作曲の「超絶技巧練習曲」という恐ろしいものも存在する。これは「リストは鬼!」と叫びたくなるようなものばかりだ。同じくリストの「ラ・カンパネラ」という曲も「何じゃこりゃ~!」と叫びたくなるが、こちらは「パガニーニによる大練習曲」であり、超絶技巧練習曲とは別物だ。パガニーニとはヴァイオリンにおけるすごい人の名前である。無闇に新たな技法を開発しないでほしいとさえ思えてしまう。

 曲調というものは、出身地や時代背景などによって、また作曲者によって大きく変わる。ドイツは重々しい、ロシアは寂しい感じがする、というのは私の意見だ。ドイツにはブラームスという人がいて、かつて彼の有名なラプソディ(狂詩曲)を弾いたのだが、さほど長くないわりに体力の消耗は激しい。また、ラフマニノフという人の曲は異様に音の数が多く、しかも物凄く大きい音を出さねばならないため、疲れるどころの話ではない。しかし有難いことに、途中に綺麗でそこそこ静かな場面を設けてくれることが多い(決して易しいとは言っていない)。

 最後に、近現代。私が好きなのはドビュッシーだ。「アラベスク第1番」や「月の光」など、叙情的なものが大変好きである。美の塊だと言っておこう。また、このくらいからガーシュウィンやギロックなど、これまでヨーロッパ中心だった音楽界にアメリカが入ってくるのが、私の近現代の印象である。

 さあ、ところで話は少し変わるが、ポップスとクラシックの違いを説明できる方はどれくらいいるだろう。私が一言で説明するなら、テンポを揺らすか否か。例外は大量にあるが。
 クラシックのソロだと、やりすぎると胡散臭いが、わりと自由に揺らしていい場合が多い。「揺らす」とは、ちょっともったいぶってみたり早口にしてみたりという感じだろう。「エリーゼのために」を聴きながら「Yeah‼」って手拍子する人はいない。なぜならば、揺らしまくりだから拍が取れない。もっと言えば、ロマン派のショパンっていう人の曲は拍が聴衆にわかってはいけないって教わったくらいだ。
 反対に、ポップスはずっと一定で進み続け、かつ何回もリピートする。これを普通にピアノアレンジするとあまりにもつまらない曲になる。原曲は1番、2番で違う言葉を歌っていても、ピアノにしてしまうと全部まるっきり同じになる。作曲も少しだけ齧ったことがあるが、同じ形は3回までという掟がある。ただし3回目は多少変える。そんなクラシックで育った人間が学校で合唱の伴奏をやると、やったこともない「一定」を求められるため、こりゃ大変。しかも大抵の曲は右手のメロディーの方に重きを置くのに対し、伴奏は左手のベースが肝になる。やりづらいったらありゃしない。
 なんて言いつつ。
 私は中3の時に学年合唱の伴奏を務めさせて頂いた。曲は「大地讃頌」。クラスごとに歌う合唱コンクールのエキシビション的なもので、先ほど出てきた話はこれの練習の時のエピソードだ。
 午後イチでいきなりバチっと決めなきゃいけないから相当緊張した。下級生は午前で出番が終わって、最高学年への期待はMAX、保護者や先生からの視線は熱い、左側からは三年生およそ150人の圧、右側には心臓を口からリバースしそうな指揮者の子がいる。この状況で、しっかりしたピアノソロがある、しんじゃうってマジで。
 でも、たかが学校行事だから、ガチのコンクールよりマシな気がしてならない。
 カッチリした服でキメてるピアノ教師と保護者と、ドレスやスーツ姿の出演者がホールに並んでると物凄い圧力を感じる。そのくせ舞台下手から登場する段階ですでに「この私を見なさい!」って言ってるように見えるくらい堂々と、そして笑みをたたえながら一礼しなければならない。客席なんて絶対見たくないのに、全体を見回せとよく言われたものだ。実際に見回してみると、プログラムとシャーペンを持って、審査員でもないのに採点してやがる奴が大量発生している。これはもはや、白装束の武蔵坊弁慶に寄ってたかって視線という名の矢を放っているようなものだ。私は弁慶さ、守るべきものは己のみぞ。学校で視線を突き刺してくる人はそう滅多にいないので、もはや大半は居ないに等しい。

 私は結構な年まで圧が半端ない舞台しか立ってこなかったから、コンサートは楽しいなんて抜かしてる芸能人を見て、正気か?などと思っていたが、なるほど、そういうことか。コンサートは誰も採点してない、黄色い声援を送ってくれる、確かにそれなら楽しいよ!
 初めてポップなコンサートに行ったのはたぶん小5の時なんだけど、まず開演前にブザーが鳴らないことに驚き、司会者が出演者の名前と曲名を言わないことにも驚き、音のデカさにビビりまくり、大声を上げる観客にドン引きした。
 余談だが、私はあの「コード・ブルー」で初めて「月9」の意味を知った。それまではずっと、月に9回放送する番組で「つききゅう」だと思ってた。「月イチ」とか言うから、似たようなモンだと思い込んでいた。世間知らずも甚だしい。

 ミュージシャンやら音楽家やら、肩書きの種類が多すぎてよく分かっていないのだが、音楽を仕事にするならクラシックについて知っておいてほしいと思う。最近の曲は大抵コンピュータを使って作られているのであろうし、コード進行を覚えればそれっぽく聴こえてしまうのが悲しいところ。
 そういえば、以前とあるグループの曲のピアノアレンジの楽譜が棚に眠っているのを発見し、とりあえず弾いてみた。すると、私はひらめいてしまった。試しに思いついたままにやってみると、四曲がたった二分半ほどの一曲に、見事にまとまってしまった。ピアノアレンジというものはたいていつまらない。その原因がここに示されている気がする。
 もう、あれこれ考えない方がいいと思った。ポップスの場合は、歌詞や声を楽しんだ方が良い。
 だからと言って、歴史を無視してしまうのはよろしくないと思う。綺麗なコード進行が生み出されるまでにどれだけの人が頭を捻ってきたかということ。素晴らしいと思うものには素直に素晴らしいと言って、学んで、取り入れていけば、さらにレベルアップした曲が生まれ、それを素晴らしいと思った人が学んで取り入れて……という具合に、ずっと続いているし続いていく。今に合っているからこそ流行るのであろうが、何にせよ、プロとなって仕事に就き食べていこうと思うのであれば、まずは勉強から始めなければならない気がする。

Record of my Moments

 私は何かが欠落している。
 私はおそらく突飛である。
 ありとあらゆる場所で、自分は「変人」や「頭おかしい」と思ってきたが、書店でたまたま目にした本の表紙に「異端児」という言葉が載っていた。たぶんこれが最も近い、と思う。
 現在、2023年大晦日の22時過ぎ。嵐のライブ映画を見てきた帰り道である。声を出せる応援上映が開催されるということで、喜び勇んで出かけてきた。
 初めから順番に読んでくださった方なら二宮さん推しかと思うかもしれないが、私はゴリゴリの箱推し。「嵐は5人!」なヲタクだ。
 前科があるので薄々予想はできていたが、ペンライトをまともに振れなかった。思わず見入ってしまうし聴き入ってしまうし、手を動かす司令を出せるほど脳みそのメモリは大きくない。

 ライブであるから、もちろん嵐が歌いまくる。
 以下ネタバレ満載です。すみません。

 私は異端であるため、冒頭の「感謝カンゲキ雨嵐」は目と耳を研ぎ澄ませて観賞し、次の「Oh Yeah!!」で急激に「うはぁ……」となった。おそらく「普通」の人は冒頭の方で泣くだろう。
 この作品を映画館で観るのは2回目なのだが、1回目の時の記録は「果てない空」と「アオゾラペダル」についてしか書いていなかった。
「果てない空」の落ちサビは普段の歌割りと異なり、二宮さん一人で歌う。そのあと櫻井さんがピアノを弾く。最初はソロだが、途中から歌も入り、櫻井さんは伴奏だ。
 こんなことを堂々と言うヲタクは滅多にいないだろうが、私は言う。ピアノについて、改善点は山ほどある。特に、ソロの部分に関し、曲調のわりに鍵盤のタッチが強すぎると思う。簡単に言えば荒っぽいのだが、それを意図しているのであれば、素晴らしい出来栄え。伴奏の部分は東京ドームを埋め尽くす人々を一人で支えるわけだから、荒っぽいくらいでちょうどいい、かと。ただし余韻を残すことも忘れずに、つまりペダルも上手に利用して音が消えて息を吸うまで気を抜いてはいけない。
 しかし、なぜかこの演奏が印象に残りまくるのである。個人的に「アオゾラペダル」も「果てない空」も好きだからであろうか。この曲の解釈はどうのこうの、などと小難しい話をしなくても、櫻井さんらしいからであろうか。
 ちなみに、前出の「Oh Yeah!!」を含め、
 ・言葉より大切なもの
 ・Find The Answer
 ・迷宮ラブソング
 ・Breathless
 ・Believe
 ・Sakura
 ・truth
 ・Monster
 ・ワイルドアットハート
 ・GUTS!
 は大変好きである。完全に好みがモロバレ。ただ、実は私の好きな曲は世間的にはマイナーなものが多い。セトリに入ってない曲も含めてしまうと、
 ・ユメニカケル
 ・Still…
 ・Waiting for you
 ・Miles away
 ・愛を歌おう
 ・Tears
 ・「未完」
 ・青空の下、キミのとなり
 ・白が舞う
 ・PIKA☆☆NCHI DOUBLE
 ・春風スニーカー
 ・いつか秒針があう頃
 ・Whenever You Call
 ・Daylight
 ・Doors~勇気の軌跡~
 ・One Love Reborn
 ・ありのままで
 ・彼方へ
 ・マイガール
 ・君のうた
 ・UB
 最後だけ5人で歌う曲ではないのだが、どうしても外せないエモエモのエモな曲なので入れておいた。これでもかなり考えて絞った。
 また話が逸れるが、そういえば他で二宮さんのソロ曲「どこにでもある唄。」を引用した。あれは相当重たい内容だが、二宮さんにしてはマシな方である。「痕跡(かこ)」は重すぎる上に暗すぎて、聴いていてしんどい。

 さて、やっと1回目の記録の話に戻るのだが、後半はほとんど友人についての話だった。
「明日をまぶしいくらいにうまく描こうとして
 僕らは綺麗な色を塗りすぎたみたい
 ちょっとカッコ悪いことも壊れた夢の色も
 パレットに広げもう一度明日を描こう
 ここの会場の一体感。櫻井くんのピアノと嵐とアラシック。それが一つになった。
 総じて、私、あの画面の中に入りたいと思った。嵐みたいになりたい。嵐みたいに、人と繋がって、人として楽しいことをして。それをみんなで共有して。なんてすばらしいんだ。○○となら、私にもそれができる。
 ~中略~
 そして、さいご、5×20の歌で、メンバーがメンバーを想いながら歌っているんだなって伝わってきた。
 嵐って尊いね。だからすきなんだよ。
 だから○○がすきなんだよ。○○と私って、尊いよね??」

 さて、5という数字で思い浮かぶものはたくさんある。嵐はもちろんだが、飽きるほど出てきている「コード・ブルー」など。私に欠落しているものは、これだと思っている。
 JCやJKと言われる年代を勉強と闘病につぎ込んだ。もっと昔だと、良い思い出が無いわけではないのだが、忌々しい記憶とセットになっている。欠落しているということをプラスに捉える投稿をSNSで見かけたことがあった。無いものを追い求めることによって生み出される作品が好き、みたいな内容だったと思うがよく覚えていない。
 私は過去ばかり見すぎているのかもしれない。囚われているのかもしれない。
 改めて観てみると、歌詞に、ハッとするものがいくつもあった。雰囲気が何となく好きと思っていただけの曲も、目の前で、歌っている映像と合わさって、突然心臓に突き刺さってくる時がある。細かく読んで、読み解いて、自分の言葉にしていきたい、なんてね。

prologue

 2023.11.3

 いよいよ明日、人生初遠征。
 家を出て、この息苦しさから逃れることは長年願ってきたことなのに、いざとなると緊張する。
 私はずっと箱の中で買われていたのだと知る。
 名古屋駅のどこに新幹線のホームがあるのか知らない。乗り方、切符の買い方、何から何まで初めて。親元を離れて暮らしている同級生だっているというのに。
 いざ出発したらワクワクするのかもしれないけど、もしかしたら恐怖が上回るかもしれないし、せっかくチケットを取ったけど辿り着けるかどうかもわからない。そして、いざ行ってしまったら、何かの糸が切れて、もうこの場所に戻ってこないかもしれない。
 普通に明日を終えられたら、何かが変わるだろうか。
「これをすればきっと」って、いくら期待しても仕方けど、陰鬱でじめじめしてて、こんな私が別の私になれたら嬉しい。
 好きなものだけに囲まれて、過去もしがらみも全部忘れて、ただひたすらに欲しいものだけを追い求める。そんな暮らしが永遠に続けばいいのに。どうでもいいものは全部捨てて、綺麗なものだけを見ていたい。この世はまるで監獄のよう。
 休学して何もしていない私は「仮の姿」じゃなくて、これがたぶん本来の私。無関心、無愛想、無気力、大人はこんな小娘なんか嫌がるだろうけど、もう少女と言えるほどの年齢でもないし、そろそろ解放されてもいいんじゃない?

 ◇ ◇ ◇

 2023.12.12

 映画「かぐや姫の物語」を観て、内容はほとんど忘れていたけど、記憶に残るものと同じような感傷に浸る。屋敷に押し込められて、父上は良かれと思っているけど、姫の本当に気付いていない。
 私なんていなくてもいいって名付けの宴のシーンで出てきてた。全くその通りで、眠っていても誰も気付いていなかった。あの宴は姫を祝うものではなく、ただ騒ぎたい人々が便乗しているだけなのだろう。ひとつひとつが姫の心の傷となり、いつしか治せなくなる。
 誰かのために自分を犠牲にして、するとその場は丸く収まっても、いつしか自分を消すことが当たり前になって、傷ついたことにも気付けなくなって、もうどうにもできなくなってから、やっと本当をわかった。
 かぐや姫は月に帰る時、地球の思い出をすべて忘れる。それは翁や媼、捨丸など山の子たち、楽しかったあの頃。全て無くなってしまうけど、傷も忘れられるんだから、ある種の幸せなのかもしれない。
 大学に戻って、最低四年間も、塀の内側で過ごすなんて嫌だ。かといって好きでもないことを仕事にして働き始めても、いつか必ず限界が来る。
 私はやっぱりおかしいんだろうな。
 息が詰まる場所を出て、広い世界を生きる1人の「人間」になりたい。コソコソ隠れているのはあまりにも苦しい。でも、こうして書き残しておいたとしても、たかが文章では、正確に読み解ける人はきっといない。
 でも「自由」って、こういうことなんじゃないかと思う。
 賢い高校を卒業したからといって、全員が大学に行って、勉強するわけじゃない。わずらわしい規制がないという自由を活かして、私は自分のために、そしてその姿を見て、あの人を見た私のように光で照らされる人がいれば、どんなにいいことだろう。
 でも、本当に私は大丈夫なのだろうか。
 普通の軌道に乗って勉強していればよかった医者とは違う。それなりの代償も払わなければならないだろうし、そもそも身も心も、頭についてこれないかもしれない。私いできることなんて、無いのかもしれない。また傷ついて、今度こそ終わるかもしれない。いざ進み始めれば、案外平気なのか? 目指す先に、私の欲しいものがあるのか? いや、そもそも私の欲しいものって何? 愛とか絆とか幸せとか、そんなもの、私にはよくわからない。何となく、これかな、と思うことはあっても、うまく分からない。
 中学の時のあの日からずっと、私は何かを探していて、わかったような気になっていただけで実はなにもわかってなくて、今も探し続けているだけのような気がする。もっと昔に、どこかに忘れてきたものを、失くしたものを、取り戻そうとしているだけのような気がする。

記念すべき正月に

 元日からさっそく災害が起きるとは、あまりにも悪いスタートだ。大晦日は映画館で3時間近くスクリーンに集中していて、そのあと記録を書き、4時に就寝。そして5時に起きて初詣に行き、帰ってきてから昼寝、目が覚めたら少々外で身体を動かしていたその時、地震がきた。このような濃密な年末年始は2020~2021年の年越しに近いものを感じ、記念すべき正月のようにも思えるが、断じて良い意味ではない。

 前回でヒントは過去にあるのかもしれないと書いたので、過去の記録を振り返ってみようかと思う。出かけた時にテンションMAXの状態でその日のことを書いているので、せっかくだしそれを写してこのお堅い真面目なエッセイ集におふざけの要素も入れてみよう。今、災害のニュースで気が滅入っている方も、これを見て元気を出してくだされば一石二鳥ですし!

 というわけで、今回はわたり、過去にカクヨムの近況ノートで載せた記事を(絵文字などを適当に書き直したりしてから)ここに再掲することとします。前にも書いた内容と被ってるところあると思うけど、許してね。(てへぺろ)

 ◇ ◇ ◇

 私は小4から大河ドラマを観ておりまして。特に、鎌倉殿で沼ったお方は、実朝くんを演じた柿澤勇人さん。ここから先ではかっきーと呼ばせていただきます。
 かっきーは主に舞台で活躍してる方で、ミュージカル俳優さんです。でも映像にもちょこちょこ出演してらっしゃいます。かっきー沼にハマったおかけで私はミュに興味をもちまして、去年の暮れから今年にかけてやっていた「ミュージカル東京ラブストーリー」を見に行こうと思っていたんですが、何せ当時は高校生だったので遠征できない。だから地元で公演ないかなぁと思って調べたら、あった!!やった!!でも日程が共通テストと丸かぶり! つらみ!
 という訳で、東ラブは諦めて次の「ジキル&ハイド」行ってきました。今さらここで語っても意味ないんだけど、だって作品の中で思いっきりネタバレしてるもん。
 でもYouTubeを掘ったりしてるとさらに色々考えてしまうもので、あれは絶望の物語ではあるけど救いはあるな、と。
 最後、友人アターソンに撃たれて婚約者エマの腕の中でジキルは息を引き取るんですけど、普通撃たれたら痛みで悶絶すると思うんですが、臨終の表情がなんとも安らかで。あ、今私の頭の中に「インハンド」っていうドラマで入谷が落ちていった時の紐倉の顔が浮かびました。すいません、いきなり話変わっちゃった、すぐ戻します。とりあえず、件のシーンは第5話です。
 エマが「ヘンリー、苦しかったね」で締めくくるから、ジキルの苦しみは、わかる人はわかってたんだなって。ジキルは自らの身体で人体実験をして、そのせいでハイドを抱え込み、1人でもがき苦しむんだけど、本当は1人じゃなかった、孤独じゃなかった。

 かっきーは感情を爆発させる激しいお芝居を得意としているので、実朝くんのような物静かな感じは古参の方でも意外だったらしいです。で、そういう歴が長い方々がこぞって新規に薦めてくれるのが「フランケンシュタイン」。かっきーは主人公のビクターを演じてまして、ウィキであらすじを見たんですけど、まあ、なかなかカロリーの高いお話で……。だから私にとってはめちゃくちゃツボなのでDVDをどこかで買おうと思ったんですが、お高い……!

 なんて言いつつ、ついこの間「Sweet Vision」というコンサートに行ってきました!「UNLEASHED」以来、実に5年ぶりの山Pコンサート! 思いの外チケ代がお高かったけど、2回参戦したよ!グッズも私にしてはたくさん買ったよ! 散財、散財、散財! 合計でいくら出費したかわからんくて草。
 1曲目は「Anima」でスウッと下から登場し、イケ散らかしてました。次の「A Million Suns」もイケ散らかしてました。
 問題は3曲目ですよ! まさかの「抱いてセニョリータ」歌ったんですよ! 過去曲歌っていいの⁉ と思ったら、どうやら山Pが自分で権利とかを勉強して歌えるようにしてくれたらしい。ありがとう……! ありがとう……!
 そのあと挨拶があって、「Loveless」、「You Make Me」と続きます。いずれも過去曲かつ私的に超大好きな曲で、内容は恋愛。エモエモのエモやん。それに「Face To Face」でコールアンドレスポンスできたことはコロナの終わりを感じさせてくれました。
 ここで延々と曲の話をしてもうまく伝えられない気しかしないのでざっくりとだけ書きますが、さすがに「コード・ブルー」はご存知の方も多いでしょう。そして、やはりミスチルが歌う主題歌「HANABI」を歌ってくれたことは書きたいですね。2017年の藍沢先生堕ちの私としては、もう、イントロがかかった瞬間、ヒエッ……って。この気持ちを表現できるほどの語彙がないよ。まさか山PのコンサートでHANABIを聴けるとは思わなかったぜェ。そして、参戦したのが初日とその次の日だったので、さすがに初日はみんなア然としてましたが、次は観客がみんなペンライトを青にしてて。最高すぎんか、この空間。ちなみに私は入ってない公演なんですけど、HANABIの時に赤にしてた人は「反抗期かな?」と山Pに言われたみたいです。では、私は反抗期ではないということですね! 初日は赤のまま固まってたけど2日目は青にしたからネ!
 あと、実はHANABIに関してはドラマ以外の場所でも思い出がありまして。高2の文化祭の後夜祭で、花火を打ち上げるときにかかったBGMがHANABIだったんです。実行委員さん、センス良すぎです。色々大変な時期だったので、思わず帰りの電車で物思いにふけってしまいました。滅多に使わないTwitterのリア垢で、花火と同時に点火した「咲」の火文字の写真付きで「今年もHANABIが咲きました」ってツイートした覚えがある。間違ってたらすまん。
 トークとかファンサに関してはTwitterでヲタクの皆さんが書き込んでらっしゃるのを見るのが一番手っ取り早いと思います。投げちゅー、ばーん、エアハグ、やってましたよ! キュンの「キャー!」というより、もはや悲鳴を上げている人が大量発生してたよ。
 あとは、何を語ろうかな。
「CHANGE」の間奏の「change…」を生で聴けた時はもう耳が溶けそうだったし、ワンミリとかめっちゃ踊りまくってた(と思うけどうろ覚え)し、アンコールが愛テキとサマヌ、「I See You」からの「Forever in my Heart」はセトリが神すぎる。ただ、申し訳ないけど、私はファン歴わずか6年の新参者だからパリドンの入り方わかんなかった。
「ONE」でひとまず終了だったんだけど、やっぱり、ここから始まっていくよ、今がスタートだよ、的な歌詞が刺さりまくる。よく彼は列車に例えるんだけど、我々が乗客で山Pが運転手。乗ってくれてありがとう! みたいなことをどこかで言ってたけど、いや、こっちからしたら生まれてくれてありがとうのレベルだわ!
 9月3日のオーラスではダブルアンコがあったらしく、なんと「ここから」と「カラフル」を歌ったと!
「ここから」は我々ヲタクへの感謝っぽい感じの感動曲だからたぶん歌うと思ってたらセトリ落ちで意外だったんだけど、まさかオーラスのラストに温存してたとは思わなかった……。そして何とコメントしていいかもはやわからんが、歌いながら泣いてたらしい……! 客席が屍で埋め尽くされたのではないかと思う。
 ヤバイよ。ていうかあなたが泣いたらこっちも泣くんよ。独立して初のツアーだから相当な思い入れや苦労があるのは想像にかたくないんだけど、お願いィィ泣かないでェェ(滝涙)

 うーん、いよいよ文字数が3000に達しようとしているのでいい加減終わりますが、これ伝わってないよねぇ。草。

 こちら、セトリです。

Anima
A Million Suns
抱いてセニョリータ

挨拶

Loveless
You Make Me
Dancing in a Dream
Sweet Vision
Face To Face
YOUR STEP
PARTY DON'T STOP

MC

明日晴れるかな 桑田佳祐 cover.
HANABI Mr.Children cover.

I See You
Forever in my Heart
Sunrise
Vision
CHANGE
One in a Million
Beautiful World
ONE

EC.
愛、テキサス
SUMMER NUDE'13

 ◇ ◇ ◇

 昨年10月22日は愛知県芸術劇場コンサートホールにて「メ~テレプレミアムコンサート」に参戦しました。お目当ての出演者はかっきーです。説明した方がよろしいでしょうか、ええ、了解しました、端折ります。
「知らない曲~!」と思ったら急に「知ってるぅ!」に変わる曲ばかりでした。ただしDISH//さんの「猫」とジキハイの「時が来た」を除きます。
 ジキルの「素晴らしぃぃいいいとォォきィえぇぇエエエエエ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!」の声はどこから出てるんですかね? 純粋に疑問です。ムキムキの柿澤勇人は探せば出てくるけど、生柿はめちゃめちゃ細いんすよ。ジキハイの時はチケ代の高さにビビってB席にしてしまうという失態を犯したため米粒にしか見えなかったけど、今回は奮発してS席にしました。最初にこのコンサートの情報を見た時だったかどうかは忘れたけど「時が来た」歌うなら絶対S席って思ったので。1階のかなり前の方のセンターポジションが当たりまして、伴奏が最高なことにfull orchestraですから指揮者の真後ろでした。そもそも生でフルオケ聴くことなんて滅多にないのでかっきー登場前からヒエッとなる。ホールに入るとコンバスが4台、ハープ、ティンパニの姿が見えます。そしてちょろちょろと人が出てきて確認してるんですけど、キタキタキタキタって思ってました。あとプロのチューニングはガチですね。先に管が合わせ、次にコンマスが鳴らして弦が合わせるんですけど、私の耳ではチューニングなんかしなくても充分綺麗なんですが皆さん楽器をいじってました。最初の曲の名前は分かりませんけど有名な曲でした。ストリングス綺麗~! 管ってあったかいな~!
 次に大塚愛チャマ登場。可愛い! とにかく可愛い! 澄んでいるけど天井に突き刺さりそうな尖りのある感じの声。少ない知識の中から例えを出すなら、ジキハイでルーシー役を演じた笹本玲奈さん。フリフリで水色のスカートがとってもお似合いでした。
 次、かっきー! 最初は知らない曲でした。ノリノリで出てきたから「まさかここでギャバンじゃないよね?」と一瞬不安になった。ギャバンをサビしか知らないという柿ヲタとしては最悪のわたくしですので。緑系のカッチリしたジャケットがとても良い。背中が大きく見えました。
 そのあと「すいません水飲みます。(ゴクゴク)あ”あ”!」っていうやつ(草)を挟んで「猫」だったんですけど、甘い! とにかく甘い! 耳溶けるって……!
「夕焼けが燃えてこの街ごと」から極甘で始まったのに「バカバカしいだろ、そうだろ?」のクレッシェンドからの力強い低音のような高音が流石柿澤勇人っす。流石柿澤勇人と言ったからにはトークの話をしますけど、柿さんはなんと名古屋がお好きだそうです。サウナに入ってベロベロに酔うのが名古屋、と。「なんか違くない?」というのは置いといて、私知らないんだけど氷風呂が名古屋限定らしくて、それが良いらしい。
 そのあとは、にいづマrrrリイイィィアぁ!!!!さんです。すいません、ふざけました。何故ふざけたのかは後でわかります(爆笑)。
 新妻聖子さんはなんかポップスじゃない系ですかね? 無知で申し訳ないのだが、声的にそんな気がした。ちなみに愛チャマは完全にPOPでした。で、どうやらミュージカルにも出演してるっぽいお話だったので、いやぁ、うん、すご。
 ウェスト・サイド・ストーリーのミュージカルをコロナの頃にやるはずだったんですが、柿さんはトニーを演じる予定だったらしい(この時に初めて知りましたごめんなさい)。しかしゲネプロまでやったのに全公演中止。それで「とぅぅな~~いっ、とぅぅな~~い」っていう曲をにいづマリアと柿さんでハモってて激ヤバ。柿さんの美低音とにいづマリアの美高音が合わさるとこんなにやばいことになるのか。そのあとのトークで、さっきの全公演中止の件を話してた。
 柿さんが「初めて歌う、あ、どっかで歌ったかもしれないけど、たぶん初披露。その時に新妻さん、新妻さん(笑)、にいづマrrrリイイィィアぁ!!!!」
 超イケボ。客、爆笑。
「あとフルオーケストラの伴奏という最高の……」みたいな話をしてました。
 調べたところ、どうやらトニーは初披露というのは誤情報でした。ガッツリ歌った時の先輩ヲタクの書き込みを見つけてしまって草。
 本編終わったら指揮と歌のお三方が再登場して挨拶。愛チャマは「いい思い出になりましたっ!」と言っていて大変かわいい。
 次にかっきー。何言ってたか忘れたわ、すまぬ。
 ラストがにいづマリアで、「大塚愛が本当に可愛くてぇ!」と言って女子がキャッキャッしてました。愛チャマがにいづマリアに近づくと、にいづマリアは「キャー!」って逃げてかっきーに近づいていく。愛チャマからは逃げちゃうけどかっきーは平気。かわいいなぁ、という微笑みと柿さんの扱われ方で、ウケるとしか言えない。
「でも、かっきーはおもしろい!」って言ってにいづマリアさんはちゃんとフォローしてたんだけど、かっきーは苦笑い。そして「かっこいい!」って訂正されて、柿さんも笑う。
 でも、自覚ありますよね? かっこよくないわけでは決してないんだけど、おもしろいが勝っちゃうんで、かっきーは。かっきーはおもしろい、これに関してはにいづマリアに激しく同意。後半で衣装が変わって全身真っ黒だったんだけど、着痩せが半端ない。かっきーがまた細くなった。そして今まで書いてなかったけど髪型がもふもふなので手でワンコみたいにわしゃわしゃしてみたいです。
 そしてアンコールで「星に願いを」をオーケストラと3人で奏でたんですが、これでもかと豪華ですな。六等星まで全部キラッキラに輝いて目視できるわ。
 終演後、建物を出ると、寒っ! オアシス21がテカテカ! 星なんか見えませんでした。

 こんな感じで終了した日曜日。ジキハイぶりの生柿でしたが、かっきーもジキハイぶりの名古屋だそうで、しかも次来る時はオデッサとおっしゃってました。三谷幸喜作オデッサ。この日の時点でまだ台本を1文字も見ていなかったかっきー。次にかっきーが名古屋にやってくる時にはきっと出来上がっていることでしょう。
 ちなみに、オデッサのチケ確保済み。

 最後にセトリをまとめておきます。既に調べたんですけど「プラネタリウム」は花男のイメージソングだったようで、どうりで知ってるわけだ。また「誰の寝てはならぬ」は、忘れちゃったけどとにかくなんかすごい意味が込められた曲らしいです。

前半
「コッペリア」前奏曲とマズルカ
金魚花火/大塚愛
猫に風船/大塚愛
そばかす/柿澤勇人
猫/柿澤勇人
ラ・マンチャの男/新妻聖子
On My Own/新妻聖子
クラゲ、流れ星/大塚愛⁡
後半
「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
生きてることが辛いなら/柿澤勇人
Tonight/柿澤勇人、新妻聖子
I Will Always Love You/新妻聖子
プラネタリウム/大塚愛
恋愛写真/大塚愛
時が来た/柿澤勇人
Nessun Dorma/新妻聖子⁡
EC.星に願いを

 ◇ ◇ ◇

 以降はテンションMAXで書いている、ではなくむしろテンションはミニマム。だが、明るいネタをお届けするためではなく、一応は振り返りをするという主旨であることをお忘れなきよう。(ぺこり)

 DATE 2023.11.4
 PM 6:28

 柿澤勇人ファンクラブイベント2023
 第1部のみ参加

 1人で電車に揺られて県外の駅のホームに降り立ったことは何度かあるけど、いずれも衝動的にやったことで、あらかじめチケットを 取り、席を予約したり、何もかもが初体験で、不安、緊張。でもいざ家を出たら、朝の光は明るくて、東京行の新幹線の中から見た田園地帯や海や川、すべてがきらきらしていた。でも、睡眠不足には抗えず、気付いたら品川で、もっと堪能したかった。またいつか同じ路線に乗る日は来ると信じて、神奈川は楽しみにとっておく。

 東京駅に着いたらすぐに山手線に乗り換えて秋葉原へ。Yahoo路線では徒歩10分と出たけと、下町の情緒を味わい、スマホカメラで記録に残しながら向かったので、ずいぶん時間がかかった。

 イベントはとてもアットホームな雰囲気だった。
 かっきーのファンが集まって、かっきーと司会のマネさんが喋る。15年も経験を積んだ芸能の人だから、やはりただ者ではない感じがする。それは確かなんだけど、役の入っていないかっきーは無意味な装飾がなくて、ありのままの自分の情熱を持って、ずっと走ってきたんだと思う。

 流行りをかっきーに教えるコーナーでは、MBTI診断をやった。かっきーは仲介者、私は論理学者。後で調べてみよう。それからお酒に手を伸ばしたかっきーはほろ酔い気分。しかし私は20才未満なので、話の内容はよく分からなかった。

 ジキハイでの石丸幹二さんの姿、鹿賀丈史さんの言葉、「First And Last」収録の時の濱田めぐみさんとのエピソード、他にも風間杜夫さんや吉田鋼太郎さんなどの先輩たちと苦楽を共にしてきた柿澤勇人には、今世界がどのように見えているのだろう。
「ライオンキング」の「ハクナマタタ」をほんの少し実演。かの作品から突然変わった人生、なんだか私と似たものを感じる。

 飾りすぎず、そのままで、そして心地よいあたたかさに包まれて、なんだかイベント中の1時間が最もリラックスしていた気がする。

 帰りは浅草橋で総武線に乗り、ひと駅で秋葉原に着いて、再び山手線。東京駅に着くと、まだ午後3時くらいだったのに太陽が西に傾いていた。そして、人々の話し声が、何とも言い難い憂鬱を招いた。

 ここまでで既に疲労困憊なので、さっさと帰路についた。新幹線ではずっと寝ていた。

 9時間で全行程終了。秋葉原駅にあったガチャガチャで和菓子のぬいぐるみをGETし、これが本日の記念品。かしわ餅を引いた。にっこり笑った顔が描かれている。自宅の玄関扉を開けた瞬間、私は現実に戻ってきた――


 ずっとサッカーに打ち込んでいたけど、高校の課外授業で観た「ライオンキング」に魅せられて、俳優を志した柿澤勇人さん。
 ピアノばかりの生活だったけど、中学生の時に見た「コード・ブルー」に魅せられて、医師を志した私。
 なんか似てる気がするんだけど、柿澤さんは認められて、大成して、ついに「ハムレット」の主演。対して、私は何もせずにただ家にいるだけ。もっと真面目に頑張らなくちゃいけなかった。柿澤さんは本気でサッカーをしていたけど、私は何もしていなかった。
 DISH//の「猫」は私の大好きな曲、森山直太朗の「生きてることが辛いなら」、今回は玉置浩二「メロディー」、選曲がなんとも絶妙。

 嵐という唯一無二の5人、「コード・ブルー」の5人。考えさせられる話とか重々しい話ばかり好む私だけど、何故かこれだけは違う。「TOKYO MER」の音羽先生と涼香さんとか「真田丸」の源次郎様ときりちゃんとか、私はたぶんそういうものを欲している。

 苦労を重ねてきて、乗り越えてきて、お芝居を心から愛している。
 と言いたいところだけど、愛してるってどういう気持ちなんだろう。こんな言葉しか浮かばないから「愛してる」って書いたけど、わかっていない私に「愛してる」を使う権限はない。
 素直でいたかった。気に入られたかった。褒められたかった。認められたかった。
 他人に求めるばかり。自分から動かないと、何も変わらないんだと思う。でも、やり方を間違えれば嫌われるし、グイグイしすぎると暑苦しい。言い方が失礼だけど、芝居バカな柿澤さんが、芝居バカであることが長所になっているのは、きっとそういうところが上手いんだろうな。おちゃらけてるように見えてクソ真面目なところなんだろうな。
 私を丸ごと求めてくれるような人がいればいいのに。どこかにいないのかな。
 私が生むものは全て私がこの世で生きた証で、全然綺麗じゃないものばかりだけど、だからこそ綺麗って思ってくれる人がいたら、それ以上何も求めない。贅沢は言わない、つもりだけど、そもそもこんなことを求めている時点で贅沢なのかもしれない。

 ◇ ◇ ◇

 ここに載せられる形式にするために少しだけ手を加えたため、必然的に読み返すこととなった。すると、次回以降も振り返りを続けていこうかと思い立った。ずいぶん長いこと、ありとあらゆる形で記録を残しているので、ネタはたんまりあるだろう。ただし、相当暗いことは容易に想像できるので、そういったものが苦手な方はご注意ください。(土下座)

epilogue

 せっかく楽しい時があっても反動がつらい。
 出かけたら次の日は確実に動けない。疲れていても薬なしでは眠れないくせに、眠ったら起きられない。頭痛がして市販薬を飲み、昼間だろうと休む。すると夜は寝られない。自ずと生活リズムは乱れまくる。

高1から高2

 2020.10.4

「浅田家!」が公開。早く行きたい。
 今朝は4時前に起きて、何となく、昔のノートを読み返していた。
 最近、まるで鬱みたい。高校生活が始まってからだな。息切れが酷くなった。普通に息が切れるんじゃなくて、息苦しいというか何というか……。
 私はまだ囚われたままなのかもしれない、もう5年近く経つのにね。
 月曜からテストなのに勉強してない。先週は特に酷かった。とにかく、なんか気持ち悪かった。今日こそはちゃんとしなきゃ。
 ただただ電車に揺られていたい。
 おいしい空気が吸いたい。
 いよいよあと3か月。来年、年が明けたら、私はどうなる? なぜだか満たされないけど、何が足りないのかわからない。心のオアシスを、どこに求めればいい?

 ◇ ◇ ◇

 2021.8.20

 今思い返せば、私は昔から「自分の気持ち」がなかった。
 今ここにいる私の気持ちは何?
 私はあと1か月弱で死ぬ。ライブが終わったらばっくれるつもり。
 やりたいことも好きなこともない。今ここにあるのは、過去ばかりを見て、何もしたくないという怠惰な自分、ただそれだけ。

 ◇ ◇ ◇

 2021.9.12

 突然だけど、私的良いドラマ10選
 1, コード・ブルー
 2, ブラックペアン
 3, インハンド
 4, ネメシス
 5, TOKYO MER
 6, 99.9
 7, この世界の片隅に
 8, アルジャーノンに花束を
 9, フリーター、家を買う。
 10, 凪のお暇

 次に、映画5選
 1, 検察側の罪人
 2, プラチナデータ
 3, 神様のカルテ
 4, 君の膵臓をたべたい
 5, 君の名は。

 残念ながら、そもそもキャスト重視で選んじゃってるから偏りが凄い。でも、好きな人が出てたとしても、必ずしもその作品が印象に残るとは限らない。つまり、私の推しが出てるか流行ったやつで、かつ良いなって思ったものが上に出てくる作品たち。
 できれば、見終わった後に、その作品が何かしらの礎になると良いなって思う。端的に言えば、考えさせられるやつ。命とは何か、人間とは何か、仲間とは何か、罪とは何か、もっとも大切なものは何か。
 フィクションのドラマや映画の登場人物たちは、創作する人間が作り出した理想が投影されてる。今日のMERなら、命が何よりも大切。どんな思想を持っていようが、命は命。どんな人間性を持っていようと、命は平等、みたいなことかな。
 だいたい私が推す作品は、主人公もしくはそれに準ずる人物が何か抱えている。それは苦しみを乗り越えることで、人間は大切なものを得られるからなのかもしれないと思う。でも、苦しみを幸せで覆い隠すんじゃなくて、消化するか吐き出すかが必要なんだと思う。紐倉博士、風真さん、栗原先生、今日の音羽先生など。藍沢先生に関しては言うまでもない。

 その他好きな作品
 ・母と暮せば
 ・Destiny 鎌倉ものがたり
 ・青の炎
 ・謎解きはディナーのあとで
 ・ザ・クイズショウ
 ・家族ゲーム
 ・シャーロック
 ・流星の絆
 ・車イスで僕は空を飛ぶ
 ・生徒が人生をやり直せる学校
(なんか櫻井くん多いな……)

 私も、趣味とはいえ書いてるんだから、何か自分なりの、私という唯一無二の人間をつくりたい。
 繋がりがあって、その人たちから刺激を得て、人間唯一の特別なものである、高度な感情を持つ。すると、今度は刺激を創る側になる。そうやって連鎖していくから、作品というものは創られ続けるし、文化ができる。そうして内なるものを共有するのが社会。悪いものは淘汰されるから、尊い人間の集合体である社会は尊い。
 私も創造したい! 
「分かち合う仲間って尊いんだ!」って言いたい!

 ◇ ◇ ◇

 2021.11.1

 ついにあの6人もバラバラになる。
 周りはどんどん変化していくのに、私はずっと過去にとらわれたままで、おいていかれてる。いつになっても私はこのままで、新鮮な空気をただ追い求め続ける。
 今やってることに何の意味がある?
 Twitterでいくら投稿しても、嵐は今いない。企画をやったって、小説を書いたって、見てもらえなかったら意味なんかない。
 私がこの世に生きた証は誰にも届かない。

 ◇ ◇ ◇

 2021.11.9

 やるべきことをやっている時は心が落ち着く。中学の時からずっとそう。勉強しなきゃって焦る時、一番有効な対処法は勉強すること。そうやって満ち足りた生活を求めるばかりだと、やがて体が悲鳴を上げる。私みたいに。
 じゃあどうすればいいの? この気分の焦りから解放されるためにはどうしたらいい?
 人に心配されるくらい努力して、勉強に没頭すれば、焦りから解放される。眠い時、それでも勉強し続けていればやがて眠気のピークを通り越して、目が冴えてくる。満ち足りた感触を得るには、それくらいがちょうどいい。どこが間違ってる?

中3

 3年生を送る会、通称三送会が開かれた日の夜、塾に行く直前、テレビで安倍首相(当時)が臨時休校を要請したというニュースを見た。あのコロナ休みである。中学卒業と公立高校入試が間近に迫っていた頃だが、大事な日の記録は残してあった。ただし、今とは違って手書きである。


 1、2年の時は、長いし無駄に生徒会が盛り上げてるなって思ってたけど、3年生としての三送会はどこか違っていた。まあ、3年生の思い出を振り返る会だもん、1年や2年には分からない話が多いから、あまりノれなくても仕方ない。

 最初は1年生の出し物。光る棒を持って踊っていた。きれいだったよ。きっとたくさん練習したんだよね。
 3年生あるある。あれは全部共感した。私たちが事前にアンケートに答えてるから、そりゃそうなんだけどね。可愛かったなあ。
 全員合唱で「パプリカ」。流行りものでキメてきたね。原曲と合唱はだいぶ違ってたけど、聴いて思ったのは、合唱の方が好きだなって。空気にのまれただけかもしれないけど、それでも全然かまわない。

 次は2年生。まずはビデオから。
 事前アンケートをもとにしてるんだよね? めっちゃおもしろい仕上がりでした。各クラスそれぞれの思い出。メガネクイズ、○○先生あるある、△△先生のいいところ、□□先生の好きなところ、などなど。


 注1:○○先生は1、3年生の時の担任で、英語担当。いつも背筋がピンと伸びていて姿勢が良かったので、以下、仮に背筋先生とします。
 注2:△△先生は2年生の時の担任で、国語担当。容姿が地理の教科書に載っていたアルパカに似ていたことから、教室にはアルパカのペーパークラフトが置かれていた。以下、仮にアルパカ先生とします。
 注3:□□先生は部活の顧問で、担任にはなったことないけど、仲良くしてくれた先生。ポケモンのピカチュウが好きだったので、以下、仮にピカチュウ先生とします。
 注4:その他の先生方は、イニシャルで表します。

 メガネクイズの時のT先生、写真写りが絶妙に良くて笑えたよ。
 背筋先生あるあるで背筋先生役をやってた子、激似だった。あの子、女優になれそう。背筋先生はホントに素敵な人。
 △△先生、最初からアルパカイジリされてたね。ウケる。口では嫌がってるけど、内心まんざらでもないんでしょ、わかるよ、顔はにやついてるから。ランキングの1位は「生徒想い」。そのとおり。アルパカ先生は口が悪いけど、心の底では優しくて、すごく素敵な人。
 ピカチュウ先生の好きなところ。やっぱり「かわいい」がランクインしてた。いつ見てもピカチュウ先生はかわいい。それに「優しい」も激しく同意。

 ~中略~

 ビデオが終わったら、次は歌。去年うちらが卒業式で在校生として歌った曲だった。なんかすごく刺さった。

 次は先生たちから。3年間を振り返るビデオだった。1年の時と今、みんなだいぶ違っていたね。自分たちのこととはいえ、成長を感じる。それに、自分たちで作ったビデオに自分たちで感動してたように見えた。先生という立場であっても、気持ちは生徒と同じなのかもしれないな。
 2本目に、今度は3年生からのありがとうのメッセージ。みんなそれぞれ、想いを持ってる。生徒側からのメッセージのはずなのに、最後はなんと、先生方から卒業生のみんなへ、だった。もう内容忘れちゃったけど、確か「みんなといれて幸せ」みたいなことだったと思う。
 私も同じ気持ちです。

 ◇ ◇ ◇

 2020.2.29

 今日は土曜日。新型コロナウイルスの影響で休校が発表されて、早2日経ちました。
 昨日の午前10時に市長から卒業式をやるかやらないかの発表があって、本当に今日が最後になるかもしれないと思って覚悟した。それはみんな同じだったみたい。
 まず、朝登校したら、話題はもちろん「卒業式はどうなるのか」。「今日卒業式だって」とみんなが言っていた。「うそでしょ……」と思ったら、ふいに喉にくっと形のない塊が詰まった。教室の黒板には、背筋先生の似顔絵とクラス全員の名前、そして真ん中に大きく「3‐1」。
 本来は朝学習の時間だけど、誰一人として勉強なんかしていない。でも、とがめる者はいなかった。8時半をすぎた頃、ようやく教室に背筋先生が来た。
「昨日のニュースを見ましたか? 私も夕方のニュースで知って……」
「もしかしたら今日が最後かもしれません……」
 語尾が波打つように震えていた。
 3年全員が体育館に集合したのは、8時40分くらいだったと思う。
「10時に予定通り式ができるのか発表があります。もしかしたら今日が最後かもしれないので、先生方ひとりひとりからお話をして、10時まで過ごします。式ができないのなら、その後卒業証書を渡します。できるのなら、簡単に式の練習をします。」
 こんな感じでH先生(学年主任)が前置きして、いよいよ先生方が順に話し始める。トップバッターはT先生(社会担当)。
「本当なら1組の先生から順番のはずですが、1組の先生がどうしてもいやだとおっしゃったので、俺から話します。」
 少し笑いを取る。
「今まで授業の初めに話をしてきたのは、みなさんに少しでも社会に興味をもってほしいからです。様々な話をしてきましたが、俺は家族の話や下品な話はしたことがありません。」
 そんなT先生の話は、まさかのトイレについて。シュッとして便器を拭くやつ、あれをいつ使うのかについて、昔、生徒が始めに使う派と最後に使う派で議論していたのを聞いたらしい。最後派の人は、次に使う人のことを思ってのことだったそうだ。
 いつも全く知らない人のことを気にかけて想っている、そんな人になってほしいと。
 また、家族ネタははじめからおもしろいことがわかっているから離さないのだと。
 T先生の、先生としての信念が見えた。つまらないことをいかにおもしろく、興味をもってもらうか。
 生徒のことをこんなに考えてくれていたんだ。

 次は背筋先生。自身の経験について。
「教員になりたいと思っていたけど、試験に落ちて、一度は民間企業に就職しました。2年働いて、講師として学校で働かないかという話がきました。葛藤がありました。
 上司からは『ここで辞めるのは逃げることだ』と言われました。
 でも、自分の頑張りたい場所はここじゃないと思ったから、転職しました。学校で働くようになって、再び、教員になりたいと思うようになりました。試験を受けたけど、落ちて、次の年も落ちて。結局受かるまで何年かかったと思いますか?
 5年です。
 やっぱり、何回でも不合格の通知をもらうと落ち込みます。」
 一度、いや、何度も挫折してるんだ。
「人生には、たくさんの選択があります。
 目標があっても、あきらめたっていい。
 でも、そのひとつひとつを大事にしてください。
 あの誘いがなかったら、私はここで頑張ろうと決めていなかったら、私は今、ここにはいないから。」
 私に重なるところがある気がする。人生とは、きっと、先生が経験してきたようなもので間違いないのだと思う。
 加害者になって、毎日が憂鬱で、でも、2017年の春、山さん(※山下智久さんのこと)に出会って、そして夏には「コード・ブルー」に出会って。冬には気持ちが固まって、2018年になってから、怒涛の勢いで頑張って。
 先生も私も、後悔はしていない、きっと。

 3番目はアルパカ先生。しょっぱなから涙声。
「私は3年間持ち上がりで受け持つのはこれで3回目になります。実は、先々週に1回目の子、先週に2回目の子が私に会いに来てくれました。どの学年の子にも、それぞれ思い入れがあります。
 1回目の子たちは、初めて受け持った子だから思い入れがあるし、2回目の子たちは卒業式の時に臨月で、そのあと産休に入ったから。
 3回目のあなたたちは、復帰と同時に異動になって、慣れた学校から離れて初めての子たちだから。」
 それは知ってる。
「新天地で、たくさん不安があった。
 1年の時も、2年の時も、ずっと叱ってばかりだったと思う。でも、3年になって、少しだけ、怒ることも減ったね。」
 うーん、そうか? 十分怒ってたと思うけど。ただ、情熱はずっと変わってない。
「これから先、高校、大学へ進んで行って、何度も苦しむことがあると思う。でも、何があっても、生きていてね。
 生きてさえいれば、必ずいいことがあるから。
 少なくとも、私より先に逝ったりだけはしないでください……。」
 しっかり、受け止めました。
 別にいつ死んでもいいと思っていた時もあった、公園のベンチで、9月の夕方に夏服で、1人座ってぼんやりしていたのは何年生のときだったかな。
 自己嫌悪になったり、頭の中がマイナス思考でぐるぐるしたり。
 でも私は生きている。
 絶対にこの命を無駄にしたりはしない。

 4番目はピカチュウ先生。
 そういや、こないだの水曜日にも泣いてた。4組のみんなからサプライズされて感動して。そんなピカチュウ先生の4組に、心があたたかくなりました。
「えー、私はさっと切り上げます。知ってるかもしれないけど、私おとといも1回泣いてますからね。もう泣きません。」
 それはどうだか。離任式で毎年、離任する先生の話聞きながら泣いてるじゃん、そんなの先生だけだよ。
「君たちが小学校から中学校に上がる時、私たちは小学校の先生からひとりひとりについて話をききます。その時、みんなが口をそろえて『いい子たちです』と言っていました。
 嘘じゃないよ、ほんとだよ。
 どんな子たちが来るのかなあと思っていたら、本当にみんないい子たちだった……。」
「私は次、高校の先生方に、みんなのことを、いい子たちですと言って送り出せます。そのことが何よりも、私たちにとってうれしいです。」
 最後声震えてて、慌てて話を終わらせたように見えた。
 小学校まで、ずっと嫌われてると思ってた。嘘じゃなくてほんとなら、私のこと、いい子だと思ってたのかな。

 その後も記述は続き、数学の先生が「人生は一次関数」の話を、美術の先生が自身の波乱万丈な半生を、体育の先生はバナナの皮で滑って転んだというくだらなくておもしろい話をしていたようだ。
 ただ、この時に「絶対にこの命を無駄にしたりはしない」と書いていたことに驚いてしまった。この時はおそらく医師として活躍することを思い描いて書いたのだろうが、その後、自分の命を軽んじるようになるとは、思い浮かぶことすらなかったのだろう。

 結果的に、卒業式は無事敢行された。しかし、その翌々日は第一志望の入試があり、浮かれている場合ではない。とはいえ、これから先会える機会は何回あるだろうかと考えると帰る気になれず、近所の公園で遊びまくった。今さら足掻いても仕方ない、といった感じだったと思う。

 奇妙なほどに、中学以降の私の周りにいるのは、素敵な人たちばかり。合わない人だと思うことはあっても、その人が悪い奴だとは思わない。

 高校の先生たちについてもいろいろと書いておこうと思うが、何せ当時の記録など皆無に等しい。自分のことで精いっぱいで、他人など全く見ていなかった。
 1年の時の担任は、中学の背筋先生と似たものを感じる人だった。彼女は家の都合でしばらく休職していたのだが、その「都合」に関する出来事により、私はとても感謝してもらえた。志望大学を変える時はこの先生にも相談に行ったし、卒業式で着る袴の前撮りをした時は、成り行きで撮った写真を見せることになったので、授業後に会うために必死で1日を乗り切った。他にもエピソードなら大量にあるのだが、今から書き始めたらきっと寝損ねるのでまたにする。
 よって、本日はここまで。

合格体験記

「夕方に担任の美奈ちゃんから家電で『今から家族で学校に来てください』と言われて、私は、留年が決まって、それは電話では言えないんだ、と思って学校に行きました。父が会社から帰るのを待ってから出発したので、着いたのは8時くらいでした。美奈ちゃんが出迎えてくれて、そのままみんなで会議室に行きました。すると、教頭、教務主任、学年主任が立っていて、ウチと美奈ちゃんも足して、面談が始まりました。
 いきなり結果だけ、教務主任から。
『卒業が認定されました』と。
 私は喜びと『え?』という気持ちで崩れ落ちそうになりました。パッと美奈ちゃんを見たら、ニコッて笑ってくれて、ほんとに卒業できるんだ……と思いました。
 そのあと、追試の結果を伝えられましたが、物理が不合格でした。
 当たり前だけど、全科目合格しないと卒業できないから、追試が不合格なのに卒業できるのは極めて異例のことなので、電話では言えなかったとのことでした。
 だけど、私が1年間授業後に補習をがんばっていたことや、追試に向けた補習をがんばったこと、手が震えて字が書けないながらもなんとか勉強したこと、しんどくても母に送迎してもらって何とか通ったこと、などなど私が1年間やってきたことを考慮して、会議の結果認められたとのことでした。美奈ちゃんや保健室の先生や1年、2年の時の担任など、私のことをよく知ってくれてる先生たちが、なんとか私の卒業が認められるように、走り回ってくれたと言っていました。物理の教科担の伊口先生も「あなたが努力してたことは忘れてないよ」と追試の前に言ってくれてたので、名前は上がってなかったけど、伊口先生も入っていそうな気がします。
 ちなみに、美奈ちゃんは私がいるから3年5組の担任になったって前に言っていました。部活でよく知ってるから私がいるクラスに立候補したらしいです。なんとなく、父が『あの先生は将来出世するな』と言ってたけど、美奈ちゃんはずっと下っぱのままでいてほしいと思います(悪い意味じゃないです)。」
 自作品「不合格体験記」より

 ここには登場していないが、化学の先生は、症状で文字が読めなくなった私のために、追試の際問題文を読み上げてくれた。理系数学の先生は、ろくに授業を聞いていないせいで何も知らない私のために、微分やら積分やらその他諸々、ゼロから解説してくれた。コミ英の先生は、授業と全く同じ内容をゼロから簡潔に説明してくれた上に、テスト前になると毎回対策のために時間を取ってくれた。英表の先生も同様である。美奈ちゃんは日本史の担当だったのだが、真っ白な授業プリントを埋めるために手伝ってくれたり、共通テストの出願に向けて配慮の申請のやり方をどうのこうのと説明してくれたり、「補習」のセッティングをしてくれたり、もはや記憶にないくらいエピソードがある。ちなみに、私は古典のおっさん先生が苦手だったのだが、決して悪い人ではない。たまたま高校最後の授業が古典で、もう欠課数は問題なくなっているにも関わらず、長ったらしいお説教を聞くために出席した。
 私がやったことは、とにかく授業中教室に存在していることと、若干でもテストの点数を稼ぐこと、それだけである。電車に乗れない私を、母は毎日学校まで送ってくれた。家から学校まで片道1時間。私史上最悪の体調の頃は、迎えにも来てくれていた(つまり平日は毎日4時間運転していたことになる)。大学入試の出願、入学手続きなど、小難しい書類が絡んでくる件については全て父にお任せしていた。

 母の経験上、勉強してない人が神頼みすると逆効果らしい。よって私は、高校受験でも大学受験でも、一切神の力は借りていない。と思ったら、知らない間に親がどこかの神社にお参りしていたらしい。
 たとえ「受験勉強」をしていなくても結果なんとかなる。共テ利用で合格をもらった私が共通テスト本番で何をしたか、伝授しようではないか。
 日本史は全て勘。中学内容だけでも多少は答えられるし、大河ドラマを観ていることが案外役に立ったりもする。
 国語。読むのが極端に遅い、かつ古文漢文はノー勉。よって現代文しか問題文を見ていない。古典は何も考えずに全部②をマークした。
 英語(リーディング)。大問4以降は本文が長いので捨てた。前半だけ真面目に解いて、後半は何も考えずに全部②をマークした。
 リスニングに関して、上とほぼ同様である。
 数学。これでも元気だったころの模試でⅠAは8割取ったことがあったので、その頃の記憶が残っていると信じて当たって砕けた。ⅡBは、太刀打ちできそうな問題だけ何となく挑戦してみた。試験中かなり暇だったが、それはそれで良しとして、翌日の学校のためにエネルギーを残しておこう。
 化学。理論化学の基礎的な内容はかつて塾で先取り学習していたので、そのかすかな記憶だけを頼りに当たって砕けた。
 物理。公式すら覚えていないので何もやることはない。試験開始の合図と同時にさっさと全部②をマークして、ものの数分で終わらせた。試験監督はぎょっとしていたが、終わった後は、問題冊子の適当なページに落書きしているだけでそれっぽく見えたっぽい。おえかきはおすすめの攻略法である。
 分からない問題は全て②をマークしたのだが、これにも根拠がある。大昔に何かのコラムで、アからエの選択肢ではイが正解であることが多いというのを読んだからである。
 このような舐め腐ったやり方でも合格をくれる大学はある。卒業のために、教室に存在していることを頑張った人でも、どこかの神社の神は見捨てないらしい。

「先生方には感謝しかありません……
 友達も、先輩も、後輩も、この場を借りてお礼が言いたいです。
 ありがとうございました!」
 これも「不合格体験記」からの引用であるが、ストーリーの構成上このように書いているだけで、関わりのあった人に片っ端から礼を言いに行くレベルである。しかし病院の先生は、99%の私の努力と1%の周りの力だ、みたいなことを言っていた覚えがある。努力は裏切らないよ、ということで今回は締めておこうか。

大切なものとは?

 いきなり永瀬財地が阿茶様を口説いてるあたり非常にヤバい。しかし榎本さんに向かってヤバいことを言っていた上に女性関係で色々ありそうな永瀬財地が女を口説けるとは思えない、と思ったら案の定風が吹いて爆笑。ところであのピアノはリアルに弾いているんでしょうか。気になるところではあるが、その後のコミカルにやってたけど鍵盤の蓋にバーンとやられた点、マジでやると痛いどころの話ではないのでどのように撮影したのか教えて頂きたい。そして月下ちゃんかわいい。満面の笑みの月下ちゃんの左上にちっちゃく永瀬財地がいるポスター、良すぎるので欲しいです。月下ちゃんと永瀬先輩、この2人非常にヤバい。しかし月下をおじいちゃんのところに行かせる時にガシッと肩を、ああ、急に永瀬財地が山下智久に見えてしまった。さいちんが歌と踊りができないと言ったところで「そんなわけないwwwwwwwww」などとさいちんと中の人を混同したことを思っていたら風が吹いてダンシングヒーロー。こちらもどこからどう見ても山下智久。そして永瀬財地のお友達が氏真である点も非常にヤバい。キングと氏真と永瀬財地がここで繋がるなんてエモすぎる。キングというのは松本潤のことであり、彼は山下智久の高校の先輩である。「俺が高3の時高1」とかつてお潤は山Pに向かって言っていた。この先輩感と後輩感が非常にヤバいやつはコードブルーチームが対戦相手だった回のVS嵐である、と言っても何回もあるので伝えづらい。氏真、あと阿茶様というのは「どうする家康」での役、そして言うまでもない気がするが主人公家康(白兎)役は松本潤、エモさを説明し始めると長くなる自信しかないので全カットさせて頂く。また氏真、ではなく希志智則はストレスにより働けなくなったなど色々あって、家族がバラバラになる危機に直面している。そこをさいちんが救うのであるが、希志が病気により大変なことになっているところ、わかりみが深すぎ、てかそこを永瀬財地が救うとか過去のエピソードとかとにかく非常にヤバい。18年前というテロップが入ったところで山Pがピンクの服を着ていたのだが、これはいったいどういうつもりなのか、衣装選んだお方はヲタクでございますでしょうか。また希志智則の息子の悟志くん、チラッと映っただけであるが、誕生日は9月18日らしく非常にヤバい。その直後に映る顔面がもはや世界遺産、国宝なんかでは物足りないレベルで非常にヤバい。さっきから非常にヤバいしか言っていない気がするが、これは私のボキャブラリーが貧弱だからである。永瀬財地やらさいちんやら山下智久やらありとあらゆる言い方が混ざってしまったり溝端淳平さんを氏真やら希志やら。キモヲタとは様々な使えない知識がまぜこぜになって意味不明な発言を乱発してしまう生き物だと思う。ただし、ヲタクが進化してキモヲタとなるのは、ヲタクの頭がおかしいわけではなく、推しの側が良すぎるのである。つまり私には責任はなく、ひとえに山下智久のせいである。山下智久が非常にヤバいから私というキモヲタが生まれてしまったのだ。そしてこんなギリギリになってやっと書き始めたのは、年末年始がクソ忙しかったからであるし、今までクソ真面目に書くことができたのは何回も何回も観て噛み砕いて消化したからである。たった1週間では終わらない。ちなみに山下智久は「クソ」なんて言わないが永瀬財地は言うので、激レアな山下智久による「クソ」をまた見れてしまった。リアタイは至極当然、直後に録画でもう一回、もういっか~い、そして翌日以降も何度も復習し、直前に入念な準備をすることも怠らない。それだけで充分忙しいのに、空気の読めない地球のせいで他にもあれこれやり始めてしまったためどう考えても時間が足りない。ひとえに地球が悪い。シラフで地震を元日に起こすのであれば、ここは努さんの出番である。ライアー地球となってくれればきっともう地震など起こせないだろう。ついでに地球に効果を発揮し永瀬財地がライアー永瀬に戻れなくしてくれれば「正直不動産」は不滅である。努さんと一口に言うとわかりづらいが努さんというのは、ああ、もう時間がない! 続きと真面目をやってる暇はない。藍沢、なんとかしてくれよ! 早くしないと間に合わなくなる!(現在1月9日21時58分)

帰ってきた正直不動産

 ついに始まりました、「正直不動産2」です。前回のスペシャルに続いて今回もギリギリになってしまいました。ギリギリでいつも生きているわたくしでありますが、ギリギリでいつも生きていたいわけではありません。
 永瀬財地の中の人が「午後9時よりスタート」「良ければ見てください。」と付けて爆イケお写真をインスタのストーリーに上げてました。ビジュが世界遺産ですし、良ければ、なんて低姿勢なところも《《らしい》》ですね、はい。午後9時?
 間違ってるやん……
 午後10時です……
 なんで私が把握してるのに主役が間違えてるのよ。訂正も上がってたんですけど、土下座の絵文字と世界遺産がミスマッチすぎて笑うしかない。これが凶器たる所以です。せっかくの世界遺産が中身のせいで凶器にレベルアップ。褒めてます。そういえばTwitterでは「クロザギ」が爆誕。よりによってタイトルで誤字ってしまっていますが私は「新空港占拠」をずっと「大空港占拠」と間違えていたので人のこと言えません。生田斗真さんをメンションして「斗真がTwitter始めたってよ」みたいなポストをしてたのは確か10月だったかと。とっくの昔に𝕏になったやん。いつオフィシャルサイトの鳥が𝕏に変わるか見物ですわ。ところでThreadsの存在がしばらく忘れられていた気がしてならないのは私だけでしょうか。YouTubeも一時期盛んに動いていたのにすぐ止まりました。まあ、でも、止まるくらいならまだ良いです。だいぶ前のことですが、突然真っ黒のストーリーが上がり、本当にビビりました。真っ黒の背景に大量の文字を詰め込んだストーリーは見たことあるし上げたこともあるので突然の真っ黒は控えめに言って恐怖です。どうせ間違えるなら真っ白にしてください。他にも挙げると、ハングルのカップ麺、ど真ん中にアカンベーの絵文字。おいしそうな魚料理、端っこに魚の絵文字。ハンバーガーを注文する後ろ姿とハンバーガーの絵文字。謎の絵文字は控えめなことも主張激しめのこともあり、毎度なぜこの絵文字がこのサイズでここにいるのか考えてしまいますし世界遺産な真面目な顔で謎を作っているところを想像してしまい自爆します。答えなんてあるわけがないのですが、そういう謎を真面目かつ平然とぶち込んでくるあたりに罪深さを感じます。個人的には謎も非常にヤバいですが台本を顔に乗せて寝てたりトマトを落っことしたり鼻歌と言ったのに普通に歌ったりめちゃくちゃ笑顔でおでん食べてたりスーツ姿でジョーやってたりするところは非常にヤバいの極みです。私の母もヤバさには気付いておりまして、ジョーを見た時「中学生か!」と言って爆笑してました。だいぶ前ですが「バズリズム2」でゲッターズ飯田さんに心は15歳から成長してないと言われていたので、今も変わってなければその通りかと。私は変わってないと思ってます。隠しきれないおもしろさよ。
 さて、もう文字数は1000を突破しているのですが、お気付きでしょうか、まだ本編の話は1ミクロンもしていないということを。この調子ではあっという間に「ブルーモーメント」が始まってしまいます。こちらはフジテレビ系で4月から、水曜夜10時です。月9でもなく木曜劇場でもなく水曜夜10時です。また日付間違えてたりまた時間間違えてたりする投稿があったら、また爆笑しようと思っております。

 お、今回は春琴抄みたいな見た目は若干マシになりましたね。キモヲタが早口でペラペラ喋るような感じを出したくて、ペラ瀬ならぬペラ田ですね、句読点や改行を限界まで減らしました。キモすぎたと反省し、改行は増やしました。

ここから

 この空高く飛んでみた
 君の声を見つけたから
 もうすぐだよ
 繰り返す日々が
 こんなにも愛おしく(愛おしく)
 瞬きも出来ないほど 輝いてたよ

 少しだけ疲れた心を この涙で流そうよ
 この景色だって この匂いだって
 僕らをつなぐ愛なのさ

 君が泣いてる場所へ
 僕が迎えに行くよ
 この手でこの目でこの愛で
 その悲しみ包むよ
 僕が泣いてる理由は
 君と出会えたことだよ
 この美しい花のように
 命が息吹く また明日へと

 暗闇の中 光さす
 虹のように 寂しさまで 連れ去ってく

 その手に僕が触れるたび 何度も
 はじめから あなたを愛していくのさ
 形を変えていく心は まるであの雲のようだ
 果てしない空に想いを描いて
 共に泣き笑い夢みよう

 君が泣くべき場所は
 僕の腕の中だよ(そのさあ)
 この手でこの目でこの愛で
 その全てを受け止めるさ(受け止めるさ)
 僕がここにいる理由は
 君と共に生きたいから(生きたいから)
 目の前にある 運命を
 一緒に描こう 2人で
 さあ始めよう ここから

 今日から 2人で hoo, yeah

 ♪ここから(山下智久「Sweet Vision」より)

 ◇ ◇ ◇
 
  前にブログを始めたけど肌に合わなかったというエピソードで、この曲(山下智久「ここから」)に対して、言葉にならないみたいなこと書いたと思うので、あれを回収する。
 とにかくえぐい。
 アルバム全体を英語で統一しても良いのに、この曲だけは全部日本語。"you" は複数形でも使う。ここでわざわざ日本語で「君」としていることに何か意味があるのだろうか。君の「声を見つけた」って、どういう意味だろう。「君が泣いてる場所へ僕が迎えに行くよ」と言われると、ずっと聴き続けていた曲の「もし君がこの道で迷ったなら僕がそっと手を引くからさ」と似ている気がしてくる。「少しだけ」ではないけど「疲れた心をこの涙で流そうよ」と言われたら、もういいんだよって言ってくれてる気がした。「この景色だってこの匂いだって僕らを繋ぐ愛なのさ」って言われたら、今見ている何でもないものや見てきた暗闇も全部愛なのかもしれない、なんて思える気がする。手と目と愛で悲しみを包んでくれたら、抱えたものは軽くなるのかもしれない。僕が泣いてる理由(わけ)は君と出会えたこと。え、オーラスのダブルアンコで泣いてたって聞いたけど、え、ん?
 自分が「君」のような気がしてくるのは何故だ?
 私が重症ヲタクだから、くらいしか思い浮かばないが、それにしても。
 やはり私は突飛なんだろうか?

 好きなことやりたいって思うから、表現の世界に行こうと思った。私は私という人間の全てを使って仕事に繋げたい。

 私は中1の時に観た「コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命- The 3rd season」がきっかけで医師を目指した。すごく努力して、いい線いってた。簡単ではないけど作戦を立てたら医学科合格できるって、塾の先生は言ってくれた。異常とも言える向き合い方のおかげなんだろうけど弊害もあって、病気になった。壊れるときの経過はもうわかったから、二度目はないようにできると思う。中学の時も高校の時も、私の側にはエンターテインメントがあった。だから、エンターテインメントは人に夢や希望を与えられるし、苦しい人の支えにもなる。それを経験として知ってる。もし私だからできることがあるのなら、医師になれなかった私でも、医師のように人の役に立てると思った。好きなことやりながら誰かの為になる、素晴らしい、これだ!
 医師は治療法のない患者さんに対しては無力かもしれない。「医者は無力だ。」と藍沢先生も言っていた。そんな人に対しても、治療中の人も、元気に頑張っている人にも、みんなに届けて、そのために進み続けて、私は私として……

 昔の私は「思ったこと」がわからなくて「好き」とか「嫌い」とかもなかった。ろくに遊びにも行ってなくて、世間の娯楽を知らなかった。今では当たり前なテレビやネットも、自分には縁のないものだと思っていた。高校の時は、特に後半は、かなり気持ちが落ち込んでいた。 言いたいことがあって、それを言えるって幸せなんだよ。好きなことがあるって幸せなんだよ。動けるって幸せなんだよ。

 俳優の柿澤勇人さんは高校の課外授業で「ライオンキング」を観たことがきっかけで俳優を志した。それまではずっとサッカーに打ち込んでいた。
 私は「コード・ブルー」を観たことがきっかけで医師を志した。それまではずっとピアノに打ち込んでいた。

「お前の悩みは、どんなものであっても、それはお前一人の悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みというのはそういうものじゃ。お前一人ではないんだ、決して。」

「人はよく人生の苦難を長いトンネルに例える。光の射す出口を目指し、暗闇の中を進んでいく様が、人生と似ているからだろう。人はその道を進むために様々な準備をする。ある者は灯りを持ち、ある者は地図を用意し進む。光の先にある答えを求めて。
 だが、人生は往々にして予想を裏切る。光の差す出口にきっと答えはある。そう信じて進んでいたはずが、そのトンネル自体が突然崩れたら?かすかな光すら途絶え、俺たちは行き先を見失う。」
 ▼
「先の見えない暗闇に1人佇み、時に心が折れそうになる。この先に光がなかったら?歩いた方向がまるで逆で、光から遠ざかる結果だったら?
 そんな時は思い出してほしい。共に歩ける仲間の存在を。
 求めるのは光そのものじゃない。光を一緒に探すことのできる仲間だ。それさえあれば、歩き続けることができる。
 ダメなら向きを変えて、また歩き出せばいい。仲間と共に。」

 藍沢‪✕‬白石、白石‪✕‬緋山、藍沢‪✕‬藤川、白石‪✕‬緋山‪✕‬冴島、結婚した2人、など。揃ってるところも個々でもすごく尊くて、少し話は変わるけど、それは2020年末にすごく力を入れて応援してた「嵐」の5人みたいでもある。もうずっと「嵐」の姿は見てないな。見たいけど、望まないことをやるということは苦しいってわかってるから。一人に合わせて終わりにするわけでもなく、多数派に合わせて一人が蚊帳の外になることもないって、これが仲間とかチームとか、そういうものなのだろう。
「2017年6月、メンバーに自分の気持ちを話しました。嵐20周年という区切りで一度嵐をたたみ、5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか、そう伝えました。何度も話し合った結果、20年をもって休止させていただく結論に至りました。残りの期間、自分の使命をきっちりと果たしていきたいと思っています。」
「メンバーそれぞれの思いを、なんとか一つの結論へと着地させることとなりました。数え切れないほどたくさんの夢を見させてもらいました。言葉では伝えきれない感謝の思いを、これから時間をかけて伝えていきたいと思っております。」
「5人で嵐だという気持ちが強いため、1人でも2人でも欠けてしまっては嵐と名乗ってグループ活動をするのは難しいと思いました。決して仲が悪くなったわけではありません。本当に4人に出会えたことに感謝です。」
「嵐は5人で嵐です。20年の最後の最後まで嵐らしく過ごしていけるよう、これからも5人で頑張っていきます。僕らはいつまでも嵐です。」
「皆さんに僕たちの決断を理解してもらうには時間がかかることだと思い、この時期に発表させていただきました。これからは20周年の今年も含めて、今まで応援してくださったファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えていく、そんな時間になったらと思っています。」
「あなたが泣くから私は笑う」を書いた時、初稿ではこれを完全に引用していた。
 
「みんなに出会って血を燃やす」んだし「休止と書いてパワーアップ」と読むから。「救命はチームだ」というのもあるし、どこに行っても、ゼロから百まで全部を一人でこなすことなんてないんだろう、たぶん。書くことは完全に一人でやってるけど。

 繋がって、笑いあって、それを見てる人も幸せ。それって半端なく尊くて、そう簡単には見つからない、だけど私はそんなところに行きたいし、無いなら作りたい。めちゃくちゃ難しいだろうけど、これが今1番やりたいこと。書くことはできても読む方は大変だし、毎日動き回ることも難しい。前のようにはできない、けど。

 思っている「今」こそ、見果てぬ夢、手に入れる時だ、とか、ちょっとカッコ悪いことも壊れた夢の色も、パレットに広げ、もう一度明日を描こう、とか、どんなに強い雨の夜でもそうだよ、朝はやってくるから、とか。学校で歴史をやったように、案外ヒントは既に持ってたりするのかも。

塵専用宝箱

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塵専用宝箱

エッセイ集です。

  • 随筆・エッセイ
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-22

Copyrighted
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  1. すべてはこのスマホから生まれた
  2. 実朝さま
  3. 中1女子、神様に出逢う。
  4. 痕跡
  5. prelude
  6. postlude
  7. 真田幸村
  8. それでもハッピーエンドは存在します
  9. UNLEASHED
  10. トンネルという名の暗闇を明かりと地図と
  11. 脳内エンドレス「草枕」
  12. 「Sweet Vision」&「I See Youを読む。」
  13. ケーポだのホーロだの
  14. Record of my Moments
  15. prologue
  16. 記念すべき正月に
  17. epilogue
  18. 高1から高2
  19. 中3
  20. 合格体験記
  21. 大切なものとは?
  22. 帰ってきた正直不動産
  23. ここから