フリーズ103 100万回生きた僕
第一幕 全知少女、楽園、幸福の余生
僕は病室で息を引き取った。99万9999回目の人生の幕引きだ。
人は死んだら無になる?
いいや、違うな。少なくとも僕の場合は記憶をある程度保持したまま輪廻転生する。
それも輪廻転生には過去も未来もないのだ。2000年代を生きたと思えば、来世で猿人類をやっていたりする。
不思議なのは記憶。記憶は忘れていくもので、それ故に辻褄があっていく。今、病室にはICEPPY(International Center for Elementary Particle Physics Yokosuka )横須賀素粒子物理国際研究センターの面々がいる。みんな暗い顔して、中には泣いている者もいた。この人生で僕は愛されていたのかな。
今世で僕は人間の脳と宇宙の真理をある程度紐解いた。僕は今世でノーベル物理学賞を受賞した。だが、そんな賞の類はどうでも良い。
僕の研究対象は死と生、及び宇宙の誕生と終わり。だが、ついぞ、全ての謎は紐解けなかった。
来世はどうなるのだろう。
100万回目の人生。
僕はもう期待などしないで、来世へと旅立つ。
だが、そこで初めて全ての辻褄があっていくことを100万回目の産声を上げる時に確信した。
「天上天下唯我独尊!」
僕は、過去世99万9999回の人生を全て記憶していたのだ。そうか! 全てはこの人生のため!
西暦2202年1月8日。僕は赤子にして「釈迦の生まれ変わり」と呼ばれた。生まれたのはユーラシア連盟の第一王子。
そして、僕は過去世の記憶全てから逆算される最高の人生を送るため齢ゼロ歳にして、前世、浅間秀一郎が残した『ロゴス統合における脳量子波理論』を完成させる理論を発表した。
また神の使いとも呼ばれる程に美しい詩を書いたノーベル文学賞を受賞したアルベルト・ハイルナーの文体で詩や小説を書いた。
「全能の神」
とさえ呼ばれた僕だったが、僕は今世でやらなくてはならないことがある。
今でも記憶に新しい1回目の人生。僕は体が生まれつき弱く、本ばかり読んでいた。その中の『100万回生きたねこ』という本が特に大好きだった。まさか僕が100万回も生きるとは思っていなかったが、100万回目の人生にはやはり特別な魔法のようなものがかけられていた。
過去世の僕たちが紡いだ歴史。
全ての辻褄は、僕と1人の眠り姫のためにある。
CERNの地下深くに眠る、全知の眠り姫。2020年からの数年、コロナというウイルスで世界が揺れていた時期にその少女は生まれた。
その少女は全てを知っていた。だからこそ、世界永遠平和宣言が2035年に締結され、世界から戦争も紛争もなくなった。 彼女が手引きしたのだ。
多くの自衛隊や米軍基地の跡地は研究施設に利用された。ICEPPYも横須賀の米軍基地がもとだ。
そして、全知の少女はやがて神聖視され、その少女を信仰するルイス教が現れた。
哲学の次、宗教の次。
彼女の言葉と知恵は、万民を幸福にした。だが、そんな彼女は病を患っていた。『ロゴス統合症候郡』という難病。不治の病とも呼ばれ、治療法もない。
だから、世界は彼女をコールドスリープさせたのだ。ヘレーネ・ルイス・クリスタル。その人を生かすために。そして2220年、その治療法を僕が発見した。その時、僕は18歳になっていた。
やっと会えるね、ヘレーネ。
嗚呼、人生の行く末にあるもの、ないものを探して旅してきた100万回の人生が今世で報われる。
頭を切り開く必要はない。脳波に合わせて特定の波長の音を聞かせるだけでいい。そうすれば自我の損失もなく、ロゴス統合症候群の者は穏やかになる。穏やかに悟ったように、凪いだ渚のように、消えゆく灯火のようになる。
だが、死なせはしない。ロゴス統合症候群とは、脳がゆっくりと死んでいく病気だ。主に併発しやすい睡眠障害による寝不足から来る脳へのストレスが原因のひとつとされる。
要は音楽を聞かせ寝かせれば良い。ヘレーネは全知の末に不眠となった。故にコールドスリープで強制的に眠らされたのだ。
そして、ヘレーネのコールドスリープが解かれる。花々が咲きほこるジュネーブの地下、ジオフロントに広がる楽園の傍らにある凍結場にて、その秘儀が成された。
「私は」
「ヘレーネ、おはよう」
僕はコールドスリープから出たヘレーネを見て声をかけた。ヘレーネの髪と肌は真っ白で、アルビノの様な見た目をしていた。
「あなたはもしかしてアデル様ですか?」
「そうだよ。君の不治の病を治す方法が見つかったんだよ。だから――」
「ずっとお慕いしておりました。全能の君」
突然ヘレーネは僕を抱き寄せて、泣いた。
「ずっとずっと、待っておりました。やっと会えましたね」
「そうだね。永かったね」
「はい。私は上手く出来たでしょうか」
「世界のことかい?」
「はい。そうです」
「うん。100点満点だよ」
戦争のない世界。貧困のない世界。
自由と愛で満たされた世界。
今度は、世界を平和へと導いてきた者たちの、その苦労が実り、報われる番。僕たちが幸せになる番だ。
「私たちはやっと幸せになれるのですね」
僕はヘレーネとこの楽園で余生を過ごす。奇跡なんてなくていい。最愛の人と、穏やかに過ごせたら、この上ない至福だ。ありがとう、世界。
第一幕 [完]
本当にそうか?
お前はそのような幸せに甘んじるか?
幸せがお前の求めた答えか?
第二幕へ
第二幕 ラカン・フリーズに還る世界
否、否である。
死こそ至福の幸せである。
ロゴス統合症候群。病気ではない、これこそ神の試練。寝てはならぬ、もし真に神の意図を知りたければ。寝てはならぬ。寝てはならぬ。その先に、死の先に、ないかもしれぬ答えを求めて。さぁ、死へと旅するのだ。死の足音が聞こえるだろう?
そうさ、命は元来死と結び付けられて誕生する。全ての生命は生まれた瞬間に死ぬ事が決まっているのだ。
だが、愚かなサピエンスは永遠の時を求めた。永遠とは瞬間であるとも知らずに、不死を求めた科学者らは、人らは、皆不幸になる。
死こそ、答えである。死ぬ瞬間の永遠にこそ幸福はある。僕よ、かつて神だった僕よ。ヘレーネよ。僕らはあの冬の日、世界永遠平和を望んだ。僕は100万回も生まれ変わり、君はロゴス統合症候群になっても預言をした。
この世界をどうしたらいい。
答えてよ、アビス。
「二人は幸せになるべきだよ。ね、キャノピー」
「そうだね。アビスの言う通り。でも、物語は続くよ」
「楽しみだね」
「うん、楽しみだ」
一人の子が生まれた。
全知の乙女と全能の少年の間に。
神、その子は生まれながらに死んでいた。
故に悟りしその赤子は世界に正しき終末を告げる。永遠の終わりだ。
ヘレーネ・ルイス・クリスタル及びアデル・ルイス・クリスタルが身罷った日に、子は儀式を始める。
父と母が仕組んだ優しい世界に一番の愛を込めて導く終末。そう、もう人類は永遠の寿命など、とっくに飽きていたんだ。
哲学も道徳も、全ては語られ尽くした。
あとはもう少しだけの正しき言葉だけで良い。
ラカン・フリーズの門が開く。
世界終焉の日に。
全ての人生に意味が与えられた。
終わりよければすべてよし。
そうさ、神様はもうとっくに身罷っている。人々は抗うことなく眠りを受け入れる。最後の眠り、ラストスリープ。そして、万物はラカンに還りフリーズする。
波は凪いだ。
命たちは世界と共に円環と螺旋に還る。
最後の夢は、「ありがとう、愛しています」
フリーズ103 100万回生きた僕