ヒトとして生まれて・第11巻

はじめに

 八十路を越えて文筆活動に勢いを無くしていたが、令和5年の師走の
旅で脳内に、執筆に向けて燈が灯った思いがしている。

 昨年の年末までは、飼い犬「もも」との付き合いで旅の楽しみは家内
からの土産話で善しとしていた。これは飼い犬が晩年「ペットホテルに
預けて旅に出ると、帰宅時に、人間かと思う程に愚痴を云う様に成り」
可哀想な思いもあって一緒に留守番をする様になったという経過による
ものだが、その後、飼い犬が天国に旅立ってからは、久々に家内と連れ
だって旅に出掛ける様になり、旅の執筆に向けて心が動いた。

 令和5年の初春に九州(指宿)の「白水館」に泊まって温泉の魅力を
思い出し、初夏には青森の宿で温泉を満喫、この二つの旅で旅の楽しさ
を思い出したのだが、文筆に繋げるまでのエネルギは湧かなかった。

 しかし今回は師走の1日から4日間「京都」「滋賀」「岐阜」および
「奈良」の四県を飛び回る旅をして、定年(60歳)後の11月下旬に
京都に出掛けて俳句仲間のシェフさん(俳号)と永観堂の紅葉を訪ねて
感動したことや、その直後には家内と共に京都旅をしたことなどを想い
出し、当時は文筆活動に熱心に取り組んでいたことを想い出して八十路
の旅を記してみようかという気持ちが立ち上がってきた。

 本文では、我が家から西武線に乗って、集合場所の東京八重洲口まで
時間に追われてドンピシャで集合時間に間に合ったことや旅の5日前に
我が家の二階からの階段を降りるにあたって、残り2段で危うく大怪我
をするところだったことなども振り返りながら、執筆を始めることにし
よう(今日現在、両膝の打撲の痛みは癒されつつある)。


第1部  そうだ京都旅を綴ってみよう

001 両膝打撲の必然性

 八十路の旅日記の前に、両膝の打撲について、それは必然であったの
かを自らに問う必要がありそうだ。
 
 京都を主目的とした関西の紅葉巡りについては師走のビッグイベント
として特別な扱いをしていた。例えば、胃の内部に発見されたピロリ菌
の退治にしても、11月中に対応することも可能であったが医師の了解
を得て、関西旅が終わってからと慎重な計画を建てた。

 実は、10月の定期健康診断の胃部のバリウム検査において、悪性の
可能性は少ないが、胃カメラによる精密検査を勧められたものの家内が
利用している病院などでは予約が混んでいて年明けになる見込みであり
私のかかりつけ医ではCT検査は可能であるものの、コロナ対策を重視
する主治医の判断で胃カメラは行っていない。

 いずれにしても胃カメラによる精密検査を勧められたからには急いだ
ほうが良いと判断した。そこで考えた。近所の胃腸科内科医でいつでも
予約なしで胃カメラの検査が可能な処を聞いたことがあるので、病院を
外から覗いてみることにした。

 外観で見る限り、特に問題はないと判断して、電話をするとこちらで
考えた該当日は主治医の研修日にあたったため第二候補の日時を伝えて
予約なしで、検査が可能であることを確認した。

 当日は、早朝に一番客として病院の玄関口に立ち、胃カメラを鼻から
挿入するので痛くないと云う胃カメラ検査を受診した。検査結果は即断
で医師から伝えられて「悪性の症状は確認されない」ただし胃部の赤み
や一部の萎縮から「ピロリ菌」の可能性があるとして、血液検査による
ピロリ菌の判定検査を行った。

 結果、胃部にピロリ菌が確認され、投薬による除菌の必要性が生じた
ので「1週間分のピロリ菌を除去する薬」をいただいた。この時に医師
には関西旅行が済んでからとお願いして了解をいただいた。

 そんな心配はないようだが、旅行前に投薬によって身体の不調などが
生じてもと、慎重な対応をしたのだが、ドッコイ人生は甘くなかった。

 旅行の出発日(12月1日)の五日前に、二階からの階段を降りる際
に、最下部の二段を残したところで階段を踏み外した?

 しかし、この時に、両膝を打撲することになった経緯が思い出せない
のだ。気が付いた瞬間は左の膝で体重を支え、右に倒れて右膝で全体重
を支えていた。

 階段を降りる時に、前方を家内が駆け下りていた。私はその後を急ぎ
足で降りて行き、前傾姿勢が強ければ、家内を後ろから押し倒していた
可能性もあり家内に怪我をさせていた可能性もある。そして右側に倒れ
たのは右側に空スペースがあったからだが、瞬時にそのような空エリア
を認知して着地するような判断が出来るものだろうか?

 もしそれが瞬時に出来たのであれば、それは、テニスや卓球で身体を
運ぶ訓練の賜物なのだろうか?

 両膝打撲の治療のために訪れた接骨院のドクターのご意見を拝聴すれ
ば、階段2段辺りからの落下事故では骨折や頭部の強打など重傷事故が
多いのだと云う。その様な説明を聞くに及んで、その瞬時の記憶がない
だけに、階段に立ってシュミレーションしてみたが、左足の打撲は瞬時
の打撲であったため内出血のみで済み、右傾斜で全体重を支えた右膝は
膝の関節内の出血と右膝の強打で痛みが生じたようだ。

 旅に出掛ける五日前という図ったようなタイミングで治療に専念した
ため、旅先への出掛けに支障はなかったが、実際の旅先においては一日
約一万五千歩の競歩と神社仏閣ならではの石段の連続が待っていた。

 実際に、現地では旅先で親しくなったご夫妻の奧さんが旅先の一日目
の湖東三山の寺院で、石段を降りる際に、最下段の石段で足首を捻って
捻挫をしてしまったのだ。この場合の湖東とは琵琶湖の東側に位置する
寺院だが、その後、奧さんはホテルのバスタブに水を張って足首を冷や
したり、添乗員さんのサポートで、足首にシップを貼って四日間を完歩
したが我が家で膝打撲をした私からすれば自宅で旅行前に手当て出来た
ことを不幸中の幸いと考えることも必要かも知れない?


002  初日は琵琶湖(湖畔)のホテルに宿泊

 さて、長年(10年超)住み慣れた自宅の階段(最下段)を踏み外
して両膝を打撲してから20日間が経過する。京都などの関西方面の
旅からは、帰宅後10日間ほどが経過した。

 師走の旅というビッグイベントに区切りがついたので、帰宅後には
早速、ピロリ菌を除菌するための投薬を1週間続けて、旅の後の宿題
は片付いた。膝の打撲の経過も良好なので昨日は接骨院通いを一日間
だけ休んでみたが、まだ膝に違和感があり膝立ちは無理なのでタンス
に洗濯物を収納する時などは、まだまだ不便である。

 接骨院のドクターの診断では 「膝の腫れが引いてきた」と云うが
膝立ちでタンスに立ち向かうにはまだまだ時間がかかりそうな気配だ。
したがってテニスなどはとても無理な状態で卓球ならば無理しなけれ
ば「まあまあ付き合えるか?」といった状況までは回復してきた。

 それにしても、紅葉鑑賞の旅の初日(12月1日)は琵琶湖の湖畔
のホテルに泊まり、朝方の寝不足や両膝打撲などの憂いをまさに洗い
流す思いで温泉に浸かったのだが、その効果もあり夕食のバイキング
料理を目一杯いただいて、なんとか4日間の旅に目途が付いた。

 鎌倉ファミリーとの伊豆方面の老舗旅館を舞台にした三回のコロナ
前の旅と比べると、そのキメ細かな至れり尽くせりの手の込んだ料理
と比べることはムリな話だが、それでも琵琶湖のホテルのバイキング
において家内が見付けてきたローストビーフの美味を思えば善しとす
るおもてなしであった。

 琵琶湖(湖畔)のホテルはかねてより泊まりたいホテルであったの
で満足の行く1泊目ではあった。湖東三山の金剛輪寺と西明寺の紅葉
を楽しんだ後に、琵琶湖の周囲を廻り込むルートで"Hotel & Resorts"
NAGAHAMAに向かったのだが、ホテルの姿を目前にしてまさに
ニュージーランドにおけるサンセットクルーズを思い出すような眩し
いばかりの夕陽に遭遇した。

 ホテルに着くと、ロビーにウェルカムドリンクが用意されていたが
我々は先ずは温泉で寛ぎ早朝4時半起床からの旅程におけるストレス
からの解放を優先させて、夕食前の余裕の時間にロービに顔を出して
ビールなどの試飲を楽しんだ。

 ディナーは、前述した様にバイキング形式で、大きな丸テーブルに
対面する形で他のツアー客の夫妻と同席して好きな料理を盛り合わせ
て楽しんだ。前述のローストビーフは会食の終盤に振舞われたもので
あり、同席の夫妻と共にその美味を楽しんだ。

 会食の話題は、当然、湖東三山における紅葉の素晴らしさであった
が、最初に訪れた「金剛輪寺」は、両膝打撲後の試し歩き初日である
ため出来るだけ丁寧に歩いた。

 東京から乗った新幹線こだまが、三河安城駅に近づく頃に降車口に
並び下車を待っているときに、今回の旅の添乗員さんが前側に立って
いたので、自宅における階段からの落下を伝えたところ、金剛輪寺は
バスで頂上の本堂まで行き、紅葉はそこから百段余りの階段を降りる
石段通りに連なっているので、膝への負担感は少ないと思いますと云
う感想を述べていたが、反面、膝には下りの方がきついのではないか
と思いながら、真っ赤な紅葉を観賞しながら、一歩一歩、足元を確認
しながら石段を下りた。

 下りの階段の両側には、無数の地蔵が並び圧巻の光景であったが階段
はゆるやかな設えになっていて両膝の試運転には快適であった。

 次に訪れたのが「西明寺」であった。ここは、登り階段が急な傾斜で
杖が用意されていたので拝借して杖を支えに登ったのだが、杖の使用は
慣れていないため階段を登り切ったところでよろけて危ない思いをした。
先陣を切って登っていた女性が上方で「残り一段と思いながらこけた」
と云う声を耳にはしていたのだが、どうやら同じ地点で、私もよろける
ことになったようだ(杖はかえって危ないと直感した)

 西明寺の本堂内では僧侶による講話があり、かつて西明寺も織田信長
によって境内に火がはなたれ本堂も焼失の危機に晒されたものの僧侶達
の即断で本堂の前の樹々に火を放ち本堂が燃えているような様相を作り
本堂を守りきったのだという。

 本堂における講話の後で、我々は本堂の奧に位置する本堂後陣に案内
されて、鎌倉時代からの重要文化財である釈迦如来立像をはじめとして
平安時代の不動明王・二童子像や阿弥陀如来三尊立像そして室町時代の
弁財天坐像・元三大師坐像また鎌倉時代の親鸞聖人坐像など、僧侶から
の詳しい解説に聞き入った。

 これらの重要文化財は、織田信長の猛攻に遭遇したときに、僧侶たち
が火の粉を浴びながらもそえぞれに背負って、火傷を負いながらも仏像
の避難に献身したのだという。

 本堂を出ると、目の前には、国宝となっている三重塔が位置していて
本堂と同様に釘をいっさい使用していない建築物で、屋根は桧皮葺きで
あり、総桧の建物である。

 また堂内の仏像はすべて削り出しかという印象をもっていたがパズル
の様に、総師の監修の下で七人衆などによる組立構造のものもあること
を知りイタリアのレオナルドダビンチの作品を連想した。


003 紅葉ツアーの二日目は最悪のディナーに遭遇

 紅葉を楽しむことが主とは云いながらも、ツアー二日目のディナーは
最悪であった。紅葉にも恵まれ、ランチには近江牛のすき焼きが振舞わ
れて、紅葉のライトアップの高揚感にも包まれて、まさにベストプラン
であったがディナーの不作為には背負い投げを喰らった印象であった。

 これはツアーを企画したプランナーの不出来であると考えるが気さく
に甲斐甲斐しく世話をしていた添乗員には気の毒な印象であった。

 二日目の朝の集合時間は、午前8時30分、ゆとりを持たせた時間で、
全員が集合時間よりも早めに乗車したのでホテルの従業員に見送られて
早目に出発、バスが市街地に出ると、早くも、最初の訪問先の彦根城が
遠方に姿を見せた。

 彦根城は「ひこにゃん」の愛称で良く知られているがどちらかという
と小ぶりの城構であるが、現地に着くと場内は予想を超えて広々として
おり、紅葉も見事で池に映り込む紅葉と合わせて見事な景観である。

 場内をガイドの方の案内で見て廻ったが、最初は、小ぶりな城だけに
景観などもあまり期待していなかったが、実際には見下ろす城下の景観
も含めて見応えがあった。

 関ケ原の合戦で前哨戦に耐え抜いた大津城を移築して、あえて政治的
な意味合いから三層の小城にした経緯を聴くに及んで玄宮楽々園の茶会
なども催せる社交の場作りなどに注力していることから、いにしえの時
の流れをおもんばかると、一度も戦火に見舞われることのなかった国宝
としての名城として、その存在感を心底から感じ取ることが出来る。
(そこには藩主井伊家の知略すら感じ取れる城ともいえる)

 次いで訪問した、紅葉の見どころは湖東三山の「百済寺」で日本紅葉
百選にも選ばれている。境内の鐘楼は、誰でも打ち鳴らすことが出来る
ので皆で列を成して順次、鐘楼を打ち鳴らした。境内では庭園風の紅葉
を近景でも遠景でも眺めることが出来てツアー客の満足感も高かった。

 紅葉した庭園では、二季桜も花を咲かせていて、紅葉客の興を誘って
いた。日本の気候も最近は急激な温暖化により、季節の変化が四季から
二季に変わりつつあり、四季薔薇に思いを馳せながら複雑な心境に誘導
される思いがした。

 百済寺の駐車場で定刻になってツアー客の全員が確認されるとバスは
昼食を摂ることになっているお土産店に向かい、店内の食事処に案内さ
れた。テーブルには、近江牛のすき焼きが用意されていて、すき焼き鍋
には火が灯されており食べるばかりの準備がされていて、まもなく食事
処一帯には牛肉独特の香ばしさが漂った。

 朝食ではバイキングで好物を平らげて昼食には香ばしい近江牛を食し、
申し分のない食環境に恵まれ、この時点では地獄の夕食会など誰も想像
していなかった。

 昼食後は腹熟しも兼ねて、銘菓を提供している「たね屋(本店)」に
向けてウォーキング、それぞれにお土産の銘菓を買い込んでバスに乗車、
次の出発点に向けて楽しみを膨らませた。

 次の訪問地は「光明寺」であった。光明寺のもみじ参道は、両側から
楓の木々が大きく枝を伸ばして紅葉のトンネルを形作り、地上に落ちた
紅葉とも一体感を成して幽玄な美しさであった。

 バスはやがて本日のビッグイベントである「大覚寺」のライトアップ
による紅葉観賞の楽しみに向かう。夕暮を待つ大覚寺の大沢池は静寂の
なかで、閑にその時を待つ。

 定刻の午後五時に大沢池の周辺に配置されたライトがいっせいに灯る
と静けさの中に、突如、いっせいに紅葉の姿が浮かび上がる。周囲から
拍手が沸き起こり、既に、ライトアップされた紅葉を観るのとは臨場感
が違う。ライトがいっせいに点灯される瞬間にこそ価値があるのだ。

 この瞬間は、夜間の特別な優待客だけに用意されたもので事前に説明
に当たった僧侶の顔までも神々しい印象である。

 我々は紅葉眩い大沢池の周囲をそれぞれに散策した後で本堂に上って
参拝、参拝後はバスに乗車、京都市内の渋滞の中を走ってイオンモール
に到着、このイオンにおけるディナーが、バイキング形式で提供されて
いたのだが食事処は混雑していて、料理も若者向けといった印象で待ち
行列も長く最悪のディナーであった。このディナーの料金は2500円
と聞いているので、ならば高級弁当の選択肢もあるのではと考えた。

 終日が、ご機嫌な旅であったためホテルに向かうツアー仲間には落胆
と共にどっと疲れがおそった印象であったが、それでもホテルでルーム
カードを受け取るといっせいに、各自の部屋に向かい、我々も気分転換
も兼ねて風呂に浸かり明日に向けての行動計画と明日の身支度を整えて
眠りについた。


004  魅力の尽きない永観堂とみかえりの阿弥陀さま


 紅葉ツアーも三日目ともなると、ツアー客同士で親しみも湧いて来る。
ホテルのレストランは、スペースが限られているため、午前7時からは
入場制限があるというので「まだ早いかなと思いながら」レストランに
足を運ぶと、顔見知りの方々が、既に、列を作っていてこちらに向けて
いっせいに会釈をしてくる。

 間もなくして、入り口で、係の案内に連なってテーブルに着くと前菜
コーナーには、既に長蛇の列が出来ていて、どうやら限られたスペース
にバイキング形式の食材の配置をしているため、前菜を前にして種々の
選択を迫られるスペースの連続には自ずと渋滞が生じているようだ。

 京都市内の大きなホテルは、慢性的に、紅葉見物の顧客で混み合って
いるため、自ずと、大小を問わず、宿泊施設は、どこも満席状態にあり、
今回のホテルも連泊の設定になっているが、どこの旅行会社もホテルの
確保には、大いに苦戦しているようだ。

 今回、一泊目を琵琶湖(湖畔)のホテルとしたのも京都中心部の宿泊
施設の確保は極めて難しく対応策としての琵琶湖周辺での宿泊の選択と
思われる。しかし、今日の様に南禅寺辺りの紅葉見学を考えると、予め
京都市内に前泊して渋滞の起きる前の時間帯にツアー客を紅葉の中心部
に送り届けることを考えると、兎に角、紅葉処の中心部の近郊に泊まる
ことの出来るホテルを確保することが最優先なのだろう。

 我々が泊まったホテル直営のレストランもイタリアンの店であり前夜
の時点では、翌日のディナー席は予約満杯であった。したがって周辺の
「食事処も事前の予約で埋まっていないか?」 ホテルのフロントでは
前日に出掛ける前の時点での確認を促していた。
(当日の夕食は、各自の自由食として、プランニングされていた)

 そのような事情で、前夜のディナーに懲りたツアー仲間の面々は手際
良く朝食を済ませ、遅滞することなく、朝の集合時間の午前8時よりも
早めに集合して、京都の紅葉の中心部に向けてバスを出発させた。

 紅葉ツアー三日目の最初の訪問地は「下鴨神社」であった、我々とし
ては初めての訪問地でもあり、今までの石段を踏んでの訪問とは違って
砂地を撒いた平坦地を軽快に歩き、本殿の前のそれぞれの干支の守護神
に御参りをしてから本殿内部への参拝に向かった。

 本殿の内部は豪華絢爛な雰囲気で、本殿から望む周囲の樹々の森の奧
を思わせるエリアには神聖な空気を感じ取った。そして、バスに戻った
我々は清水寺へと向かった。何度も登ったことのある懐かしい緩やかな
坂道ではあるが、人垣を縫って行く様な道程であるため、入り口に辿り
着くまでにはだいぶ時間がかかった。

 やがて辿り着いた清水寺の舞台からの紅葉の眺めは視界に大きな広が
りをみせて見事であった。そして、そこをまた人垣を抜けて、今度は脇
から清水寺の舞台を観るのだが、その紅葉の景色もまた見事であった。

 その後は、京都の紅葉の中心地である南禅寺方面に、バスで向かった。
バスに乗車する前に、添乗員の遠藤さんに南禅寺方面では今回のツアー
の対象にはなっていないが「永観堂を参拝する余裕はありますか?」と
訪ねたところ・・・

「現地にバスが着いた時点で、永観堂の拝観を希望する方々には、私が
最初に、入り口まで、ご案内します」という嬉しい返事をいただいた。

 そして現地に到着すると「ほとんど全員が永観堂の拝観を希望する」
ことが分かって、全員が添乗員の遠藤さんに連なって永観堂に着いた。

 現地のガイド役の女性の説明によれば・・・

「今年は、紅葉の時期が10日間ほど遅れていて、永観堂では、今が
一番の見頃を迎えている」との嬉しい説明があった。

 私は、かつて定年(60歳)後の11月下旬に京都在住の俳句仲間
に迎えられ、京都駅から地下鉄を利用して南禅寺を訪れて、哲学の道
などを散策して脇道に入り込み漬物をうどんに載せて食す「うどん店」
で美味しくいただいたが、食すまでには長々と並んだ行列に並んだが、
おいしくて・また・珍しい「うどん体験」をした。

 その後はまた哲学の道に戻り道沿いにシナモンの香りを嗅ぎながら、
永観堂まで足を延ばして、参拝したことがあるが、その時の永観堂の
紅葉は幽玄な光景で 「紅葉が陽光を浴びながらハラハラと散って」
それは見事な紅葉観賞であった。

その後も、家内と一緒に、永観堂を拝観したことがあるが・・・
「みかえり阿弥陀さまのお姿は忘れがたく」
「何度でも訪ねて拝観したくなる魅力的なお姿だ」

 また永観堂の案内書にもあるが・・・

「遅れるものを待っていてくれるお姿」
「思いやり深くまわりをみつめる姿勢」
「そして人々と共に正しく前に進んで行かれるお姿」

 これらの阿弥陀さまの思いが私たちに伝わってくる様な眼差しは
なんど、拝観しても、また拝観したくなる魅力なのだ。

 その様なことを想い出しながら、今度も、また家内と共々永観堂
を拝観出来た喜びは今回の紅葉ツアーの核心であったと云える。
 
 紅葉観賞ツアーの三日目のライトアップは 「光明寺」であった。
光明寺は尊王攘夷運動の嵐が吹き荒れる中で松平容保公が京都市中
警護の命を受け京都守護職に任じられて、文久2年(1862年)
に入洛、この地に本陣を構えた。

 境内の北東には会津藩の墓地などもあり、新選組の前身にあたる
集団が境内で、武術の訓練に当たったことも、テレビドラマなどで
良く知られている。その時の宿坊における収容人数は千人を越えて
いたというから驚くばかりである。

 光明寺のライトアップが始まるまでには時間的な余裕があるため
説明役の専従者がお二人、案内役として付き添い多くの重要文化財
などをご紹介いただいた。なかでも中山文殊と云われる京都市指定
文化財は運慶作と伝えられており、本尊が獅子に跨ったお姿はまさ
に躍動感あふれる印象で脳裏に深く刻まれた。

 天井に龍の姿を描いた部屋には思わず魅入ったが、高名な画家の
作品で親子二代で龍を描く作家として良く知られている方なのだと
云う。案内者の方の説明ぶりは巧みで、皆で、聴き入ったがあっと
いう間にライトアップの庭園に到着して、それぞれにビニール袋に
入れて持参していた靴を履いて、庭先に降り、庭園のライトアップ
の紅葉に魅入った。

 ライトアップされた庭園の紅葉を満喫した後は、本堂に皆で戻り、
篠笛の独奏に聞き入った。それはそれは見事な独奏で独特な雰囲気
の奏者に拍手を送って、大満足な紅葉ツアー三日目を終了した。


005 奈良からは特急「ひのとり(朱色の列車)」に乗車

 紅葉ツアー最終日(4日目)は、バスで奈良の「薬師寺」まで一気
に向かった。世界遺産となっている薬師寺の東塔・西塔では特別公開
を行なっていて「釈迦八相像」を展示、お釈迦様の入胎・受生・受楽・
苦行・成道・転法輪・涅槃・分舎利として、八つの場面が八つのお姿
を介して明快に描かれていて圧巻であった。

 分かりやすく説明すれば、東塔にはお釈迦様が釈迦国の王子として
生れながらも、出家して悟りに至る前半生(因相)が、西塔には悟り
の後半生(果相)が表現されているのだが、お釈迦様の大いなる苦悩
をも知ることになり、その後の悟りの宇宙観に引き込まれて行く過程
を説得力に充ちた誰もが眼を見開くことになる展開で紹介している

 その後、バスは春日大社に向かったが、春日大社の駐車場でツアー
客は二つのチームに分かれて行動した。全体的に約8割のツアー客は
春日大社の本殿に向かって歩を進めたが、せっかく、奈良に来たので
奈良の大仏を拝観したいと云う勇者が、早足で大仏殿に向かった。

 バスが春日大社の駐車場に近づいた頃に、奈良の大仏殿を拝観した
い人たちは、先ずは、大仏殿を拝観して、春日大社本殿に引き返せば
時間的には目一杯だが充分に間に合うと云うガイダンスをいただいて
いたので、少人数であったがチームワーク良く、速歩に近い歩き方で
奈良の大仏殿に行き着いた。途中で鹿たちにも「よし・よし」と声を
かけながら一気に歩を進めた。

 仰ぎ見る奈良の大仏を拝観しながら、来観して良かったという思い
を強くしながら、大仏様の周囲を一周して、家内は大仏殿の御朱印を
いただき、その足で、春日大社に向かった。

 春日大社に向かう道のりで、春日大社本殿の参拝を済ませこれから
奈良の大仏殿に向かうというツアー客に出会った。

 我々は春日大社本殿を参拝した後で脇道にそれて坂を下って行くと、
うどん店に辿り着き、店内に入ると間もなくしてツアー仲間がうどん
を食したいといって入店してきた。我々は先に名物と云われるうどん
を食べてバスに戻ると集合の定刻10分前であった。
(添乗員の遠藤さんの案内通りムダのないスケジュールであった)

 その後は、昔、女人高野と云われた「室生寺」を参拝、内陣の厨子
に安置された重要文化財「本尊 如意輪観音菩薩像」は榧の一木造り
で穏やかな作風、日本三如意輪の一つと称されているという。

 国宝の「釈迦如来立像」は平安時代初期を代表する一木造りで均整
のとれた堂々たるお姿であり、光背は華やかな彩色が用いられており、
真言宗の修行をする重要な道場の中心的な存在感となっている。

 本尊から感じ取れる穏やかな印象は、室生寺を包むような紅葉の姿
にも通じるものがあり、室生寺の紅葉を観賞して穏やかな気持ちにな
るのは、本尊の存在感から来るものなのかもしれない。

 本堂から一歩外に出ると国宝となっている五重塔の姿に圧倒される。
それでも屋外に建つ五重塔では国内最少の規模なのだという。近づい
てもっと仔細に見て観たいという気持ちになるが石段の傾斜はきつく
手摺もないので「最後の最期に石段から落ちても」と危惧して、石段
の下から総高16メートルの国宝を観賞した。

 こうして紅葉観賞ツアーは無事に全日程をこなして、特急ひのとり
の乗車に向けて津駅に向かった。特急ひのとりは漫画家手塚治虫から
名前をもらった列車で車両は朱色に塗られた印象的なものであった。

 津駅に到着すると、近鉄から新幹線に乗り換えて、もてあますほど
の待ち時間をいただいて東京駅に向かった。夕飯は好物の「鰻弁当」
を家内が用意してくれて帰宅まで疲労感もなく帰ることが出来た。
(ちなみに家内は好物の海鮮弁当であった)

 夏旅の青森の時にも、帰路の弁当は、鰻弁当だったので、どうやら
帰りの新幹線は鰻弁当で定着しそうだが、飛行機の便だと弁当の種類
も限られていて、最近は新幹線の旅のほうが気に入ってきている。

 かつては飛行便が大好きの印象があって、これも長年(40年近く)
航空マンとして航空機用のジェットエンジンに携わり航空マンとして
の誇りの様なものもあって「飛行機の離陸・着陸の快感がたまらない」
などといって意気がっていた感があるが、最近、八十路の旅を重ねる
に当たっては、新幹線のゆったり感が気に入ってきている。

 新幹線の旅は、朝の出発が早いケースが多く、家を出発する時間も
当然、早いので抵抗感があったが、西武鉄道においては始発も5時台
から在り、一時、4時半や5時起すれば済むことと云う気持ちに変わ
りつつあり、八十路の旅は「朝は手早く・昼はゆっくリズム」にすれ
ば、新幹線こそ一番という気持ちに変わってきている。



第2部   伊豆の老舗旅館に三度目の旅

 京都旅に出掛けてから約2カ月ぶりに、伊豆の老舗旅館に泊まった。
伊豆稲取温泉の食べるお宿「浜の湯」と銘打っている老舗旅館に泊め
ていただいた。今回も、鎌倉ファミリーからのご招待で、家内の喜寿
(77歳)のお祝をしていただき、私も82歳の誕生日を共に祝って
いただいた。

 私も喜寿のお祝いを伊豆の老舗旅館「望水」で、孫の私立中学への
入学祝いと一緒に祝っていただき、老舗旅館ならではのサプライズも
あって楽しい催しであったが、今回も食べるお宿「浜の湯」ならでは
のサプライズ企画があって楽しいお祝いとなった。

 さすがに食べる宿「浜の湯」の献立は素晴らしく「食前酒」に始ま
り「前菜」に続く「台の物」は鮑の酒蒸しで鮑にしては柔らかく美味
で舌も驚愕、続いて運ばれてきた「船盛」には、季節の鮮魚が並んで
喜寿を祝う「和江さん丸」の祝旗が掲げてあって、喜寿の袢纏と帽子
を被った家内を囲んでの記念撮影、続く「中皿」には帆立とサーモン
の美味尽くし、次いで驚愕の「金目鯛の姿煮」これが二皿も盛り付け
てあり「食べきれないでしょう」ということで、大きな金目鯛の一尾
は冷凍にしてお土産にしてくれるというサービスぶり。

 この先には「箸休め」としての鶏出汁のスープを介して「肉料理」
の和牛鉄板焼き(これがメチャ旨い)続いて「釜飯」はご飯が旨くて
具材も秀逸、「香の物」「止椀」と続いて「デザート」は紅ほっぺと
ブルーベリー、いうことなしの料理長は上島智也氏だ。

 初日のドライブでは、稲取港から大島まで海路を高速ジェット船で
かっ飛んできてお腹を空かしていただけに夕餉のご馳走にはファミリ
全員大満足であった。料理案内の女性もフランス料理並の料理に対す
る説明の滑舌の良さには驚嘆した。

 翌日のループ橋を下っての河津桜の観賞も丁度見頃で、圧巻は私の
膝の治療経過の確認を含めた「浄蓮の滝」巡りで、急な坂の下り登り
は膝の復帰具合を見定めるには快適なアップダウンであった。

 その時に連想ゲーム的に思い出したのが山梨の「仙娥滝」で、なに
かしら溢れる様に俳句が脳内に湧き出したことを想い出したので次稿
に転載してみることにしよう。



第3部 山梨路の旅(ハイジの唄が聴こえる)

プロローグ

 令和2年の10月31日から11月1日にかけて政府の施策である
「ゴーツートラベル」に賛同して、山梨方面に一泊旅行に出掛けた。
(天気は快晴)

 この月末から月初にかけての旅と云うのが絶妙な選択肢であり鎌倉
ファミリーの計画の緻密さには敬意を表したい。
(グッドジョブ)

 具体的な話をすれば・・・

◯ 10月31日の月末に、山梨の昇仙峡近くに長年に亘り老舗旅館
を営んできた「常盤館」では日本酒の試飲会が10月31日が最終日
であった。

◯ また、11月1日に訪れた山梨の薔薇の名園「ハイジの村」では、
その日から入園料が格段に割安となっていた。

 この旅で最も存在感を感じたのはハイジの村において存在感を示し
ていた主役のハイジであるが、アルㇺのおんじいもまた不動の存在感
であった。そのイメージはつい最近の朝ドラで草刈正雄が演じた好々
爺に繋がる。

 話は変わるがアメリカ大統領選におけるトランプ氏・バイデン氏共
に高年齢の域にあるが発信力は若々しい。要するに老いてなお盛んな
発信力は多くの人々に、なんらかの元気を供給出来る。
(グッドジョブ)

 小生も、アルムのおんじいの永遠の存在感と、アメリカの大統領立
候補者の老いてなお盛んな発信力を見習って・・・
「万田の森からグッドジョブ」を編んでみることにした。

 シニアにとっては、若々しく日々を過ごし、周囲の働き盛りの人達
の人手を煩わせないに様に暮らすことが 「傍を楽にする(働く)」
ことに繋がり、これをもって「グッドジョブ」な日々の生活を過ごし
て行きたいと考えている。



001 山梨方面は快晴

 鎌倉ファミリの「ゴーツートラベル企画」に便乗させていただいて、
前泊でジイ&バアを迎えに来てくれた鎌倉ファミリーの自動車に便乗
させていただき、早朝の5時に入間市を出発した。

 山梨県の午前中におけるエンジョイプランは「昇仙峡巡り」先ずは
仙人になった気分で「仙娥滝」探訪から、好奇心にスイッチ・オン、

「酔いどれのアンクル像に秋の蜂」 万田竜人(まんだりゅうじん)

 仙娥滝を右手に観ながら石段を登り切ると、そこにワイン販売の店
があって、その店先のベンチに、酔いどれのアンクル像が、そっくり
返って座っている。なかなか粋な日傘を差しており、鼻先を秋の蜂が
飛び回っている。酔狂な客が鼻先にワインでもかけたのか、蜂は興奮
気味だ。

 ワインの店に足を踏み入れると、すぐに突き当る窓からは水面が目
に飛び込んできて、目線の先には仙娥滝への水流の入り口が見える。
(水面は極めて静かだ)

「晩秋の滝入り口の閑けさや」 竜人

 この滝の楽しみは、前述の通り仙娥滝の瀑布を下から見上げてから
さらに石段を上り切り、ワインの店に入ると、大滝が静かに流れ込む
入り口が確認できる仕掛けになっていて大滝を上からも下からも楽し
める。

 当時は、俳句仲間のシェフさんという方が居て、お互いに、俳句が
脳内から湧き出て来たのだが、シェフさんが百寿に近づいてきて多少
認知症の気配が出て来て、インターネットへの投稿が遮断される様な
事態が起こって来て、お互いに疎遠と成り俳句の交流が途絶えてから
私の脳内からの俳句の湧き出しも鈍くなってきて、今回の伊豆の老舗
旅館「浜の湯」では美味を味わいながらも俳句の湧き出しがなかった
のは残念であった。



002   甲州路の夕餉は俳句になる風景

 甲州路の宿は「常盤ホテル」温泉に入って旅の汗を流して予約して
いた午後六時半に鎌倉ファミリーと我が家族の合わせて五名が食堂の
テーブルに着くと、食前酒から夕餉が始まった。

 テーブルに置かれた「おしながき」に沿って夕餉の膳が次々と運ば
れてきたが、どれも絵になる風景なので、それぞれを、丁寧に俳句に
詠んで、インターネット上のHPにも投稿した。

~ 順序は投稿の末尾からとなっている ~

(水菓子:デザート)

「シャインマスカットのタルト秋制す」

 デザートに、シャインマスカットと聴いただけでも優位なのにそれ
がタルトとして出されて来た。他にも、巨峰や甲州路と呼ばれている
葡萄が上部を旨くカットされて食べやすく加工されており、大満足の
フィナーレであった。

 万田竜人 さん 2020/11/11 14:40 (これは投稿時間)

(留 椀)

「豊の秋石和豆腐で納まれり」

 この石和豆腐はクリーミーで美味であった。この留椀はデザートに
向けてのお口直しの狙いもあったようである。

 竜人 さん 2020/11/11 09:50

(御 飯)

「晩秋や舞茸釜飯炊き上げて」

 釜飯まで平らげたらお腹いっぱい。この後は香の物三種盛り。それ
でも、まだ食べれる人には「ほうとう」がサービスとして提供されて
いた(私は舞茸釜飯までで満杯でした)

 竜人 さん 2020/11/10 20:20

(鍋 物)

「牛鍋や釣瓶落しが良く似合う」

 牛肉の力鍋と云う呼び名で、温泉卵が添えられていたところに総調
理長の気配りを感じ取った。
(中学生の孫は器の上で上手に温泉卵を割っていた)

 竜人 さん 2020/11/10 15:14

(HPのビジターの感想)

「温泉卵は割りにくいですよね?」 その出来具合いにもよりますが、
お孫さんを、ほめてあげたいですね。

 俳友のシェフ さん 2020/11/10 17:51

(進肴:すすめざかな)

「餡かけや葛粉揚げして秋を食む」

 真鯛は葛粉揚げ、そこに、きのこの餡かけを添えれば愛飲家でも
ある鎌倉の若旦那からはお酒の追加注文ですね。
(呑めない私も手元の生ビールをグイッと喉の奥に)

 竜人 さん 2020/11/10 09:12

 竜人さんは愛飲家の方と思っていましたら、下戸さんでしたか?
私の先輩でもある「シェフの秋村さん」は、お酒が好きでした。
秋村さんは旧満州国の「奉天ビル」に勤めておられました。

 経験談ですが、真鯛の葛粉揚は、からりと揚げるのに時間がかか
ります。私も総料理長の時に、全体の指揮を取りながらオ-ブンの
前に座り込み、ヒレなどは焦げないように、アルミホイル包みして
ゆっくりと油をかけながら仕上げてしました。シェフを兼ねていた
時代の良き思いでです。

 俳友のシェフ さん 2020/11/10 13:32

(炊合せ)

「秋の暮鶏の炊き込みトーチ手に」

 山梨の常磐ホテルでは、鶏に加えて、愛媛産のいなだオランダ煮や
山梨産の里芋・ブロッコリーなどを目の前で炊き合わせてくれる。
(それも太目のローソク1本で炊き上げ)

 竜人 さん 2020/11/09 20:21

 太目のローソク1本での炊き上げと聞きますとキャンプを思い出し
ます。テントの灯りがゆらゆらとして、雨さえ降らなければ最高です。
私は神戸の中山手通りからまっすぐ登って「六甲山・布引の滝近く」
によく行きました。

 俳友のシェフ さん 2020/11/10 13:46

(洋 皿)

「秋の鶏グラタンにして甲州路」

 和食テーストのフルコースに洋皿を組み込むのはシェフの遊び心
でしょうか。

 竜人 さん 2020/11/09 10:43

「一句の流れが楽しくて嬉しい響きすでね。甲州路へのご旅行でし
たか?」 いわゆる和食の会席コ-スではチーズを使用しませんが
最近の料理界では、余り気にしなくなっているようです。
(私的な意見です)

 俳友のシェフ さん 2020/11/09 17:08

(お造り)

「お造りに握り加えて秋惜む」

 鮪や鯛のお造りに加えて、秋のおしながきにはなかった握り鮨が
冬の新しいメニューとしてシェフから提供されました。

 竜人 さん 2020/11/08 19:52

(お吸物)

「松茸の香りを嗅いで地鶏食む」

 山梨産の地鶏・人参・ゆば・柚子に、総調理長の心意気で松茸の
薄切り加えは嬉しいですね。

 竜人 さん 2020/11/08 17:08

(前 菜)

「帆立て貝焼き栗もありて秋見つけ」

 北海道と山梨産の前菜のミックス、焼き栗は、総調理長の遊び心
かもしれませんね。
(歯ごたえ良しでした)

 竜人 さん 2020/11/08 15:28

(京風小鉢)

「ずわい蟹鮎巻にして秋うらら」

 京都産の材料を使った胡麻だれなど、口当たりの良い調理品の中で、
ずわい蟹を鮎巻にした味は特に記憶に残りました。

 竜人 さん 2020/11/08 09:43

 聞くからに美味しそう。これは、和食系統の美味求心によるもので
すね。特にゴマダレなどは栄養面でも効果抜群です。先年ですが日本
海近くの友人の旅館へ遊びに行きご馳走になりまして痛感しましたが
最高の喜びでした。

 俳友のシェフ さん 2020/11/08 10:35

(食前酒)

「山梨産李のお酒秋の膳」

 李(すもも)のお酒は香りが良いですね。試飲会でも食前酒にと
梅酒をいただきましたので、食前酒で・既に・ほろ酔いです。

 竜人 さん 2020/11/07 20:42


「秋の膳総調理長のおしながき」

 山梨の常盤ホテルは、昭和天皇・平成天皇も泊まられた宿で総調
理長とシェフ両氏の記名入りの 「おしながき」を、いただいてき
ました。
(品数も多く・ボリュウムも豊かで・味も抜群でした)

 竜人 さん 2020/11/07 19:50


「かがり火や紅葉を照らす夕餉前」

 日本三大庭園の一つと云われている老舗旅館の庭を下駄をお借り
しての散策です。まだ寒さが来る前は、ここで食前酒など日本酒の
試飲会も行われていたようです。

 万田竜人 さん 2020/11/07 15:17



003   老舗旅館からの富士の眺望

 山梨の常磐ホテルには午後3時頃に到着、ちょうどチェックインの
時間帯であったがロビーは、まだ混み合っていなかった。玄関口では
検温後に手指の消毒を済ませて、フロントでの手続きが済むと、早速、
5階の客室まで案内される。

 客室は5人で泊まるため広目の部屋になっておりゆったり感がある。
空気の入れ替えをするために窓側に立つと、左前方に冠雪の富士山の
眺望があり、今年の2月に宿泊した伊豆の松濤館の客室からの眺望を
想い出した。

 そして同時に、先程、昇仙峡の展望台から見た冠雪の富士山の眺望
とは印象が違うことに気付いた。

 昇仙峡から見た富士山は、目の前に平原が広がっていたこともあり、
富士山の裾野まで稜線が伸びており、シルエットとしては冠雪の頂上
部が小顔の美少女の様な印象で眼に映った。
(さながら白雪姫といったところか)

 それに比べると常磐ホテルから見る富士山は、手前が山々で覆われ
ているためか、いつも見る富士山と云う印象であったが、それでも、
間近に見る富士山と云う印象はやはり力強く、ありがたいという気持
ちが湧き上がってくる。
(真近に観る海にも近い感覚を覚えることがある)

 それにしても、昇仙峡の展望台までの道のりは容易ではなかった。
仙娥滝のワイン販売店の通りを隔てた店先には山梨の名産でもある
水晶の大きな鉱石が飾ってあり覗きがてら店先でお土産物を買って、

 この土産店の駐車場をお借りしたこともあり、ここから昇仙峡の
頂上までのロープウェイ駅を目標に歩を進め、頂上の景色を眺めて、
この店に戻ってきてから、食堂でほうとうをいただきたい旨を伝え
て店を後にした。

 昇仙峡ロープウェイに乗ればあっという間に頂上、途中で眼下を
覗くと、荒川ダムが水溜りのように小さく眼に映った。

「秋のダム ケーブルからは 水溜り」 竜人

 昇仙峡ロープウェイの頂上駅で降りると、パノラマ台への案内板
が目に入ったので、どこにでもある展望台と云う印象で山道を登り
始めて驚いた、足元が滑りやすくて、とても危険な印象であり足元
が険しい場所では家内に手を差し伸べた。

 孫の中学生と・若旦那と・娘は道筋を選びながらも容易に登って
行った。途中で老夫婦にもお会いしたがたいへんそうだった。足元
を滑らせれば確実に怪我をする状況にあったので、パノラマ台まで
は慎重に脚を運んだ。

 目的地に到着すると、たしかに展望台と云うよりもパノラマ台と
云う表現に相応しい眺望であった。

「冠雪の 富士を眺めて 佇めり」 竜人

 目の前に広がった平原に、冠雪の富士山が裾野を広げているので、
前述したように、八頭身の美少女という佇まいがあり、しばし立ち
尽くした感があった。

 帰り道は、こころを落ち着かせて下山の道筋を選んで歩を進めな
いと危ないので夫婦でお互いの足元を気遣いながらの下山となった。
ロープウェイの頂上駅に戻ると、目の前に、夫婦木神社と金桜神社
が祀られていて参拝すると、復路は、来た道を辿って、仙娥滝の傍
の食事処に向かう。

 道のりの途中には紅葉の盛んなほうとうの店があって店も駐車場
も満杯、我々は予定通り昼食を約束した仙娥滝の傍の土産店に戻る。

「紅葉の 奧に構える ほうとう屋」 竜人

 仙娥滝の傍の食事処も、ほうとうが自慢の店であったが店頭に客
の行列はなく、すぐに入店できたが店内は、ほうとうを楽しみにし
ている客で、椅子席は溢れかえっていたので、我々は座って食事を
する6人用のテーブルで、ほうとうを食することにした。

 店の注文係が来ると全員5名が揃って単品のほうとうを注文した。
メニューには美味しそうに、写真入りで、ほうとうに川魚(いわな)
の串焼きと、とろろ飯をセットにした定食を勧めていたが、我々は、
常磐ホテルの夕餉を頭に浮かべていたので、おいしそうないわなの
誘惑は断ち切った。
(前述の様に、これは、極めて正しい判断であった)


004   山梨の森の中にあるハイジの村

 前夜から、2日目に訪れてみたい行楽地が、5名(全員)の共通の
話題になっていたものの、翌朝まで、決定打がなかった。

 初日に高速道路を降りて、すぐの場所に「信玄餅」で有名な桔梗屋
があり、午後に寄る案もあったが、今や、桔梗屋のセールスポイント
にも成りつつあり、それが狙いで観光バスも立ち寄る「アウトレット
商品」と「信玄餅の掴み取り(袋詰め)」については一般客にとって
「朝市が勝負どころ」という予想を建てて、朝、速攻で立ち寄った。

 入間市を、午前5時に出発、一番目に立ち寄った名所「桔梗屋」で
あったが、既に駐車場は混み始めていた。

 店頭には人の列が出来ていて・・・

◯ 信玄餅の掴み取り(袋詰め)は、既に、予約で完売していた
◯ 人の列はアウトレットに向けての整理券入手の人の波であった

 定刻になると人の列は店内に吸い込まれて行った。皆、喜々として
買い物かごに馴染みの商品を放り振り込んでいる。一番人気の信玄餅
は格安の値段が付けられていて「お一人様・一個限り」の表示看板が
目立つ。

 購入の個数制限をしないと掴み取りの場になりかねないという配慮
からだろう。信玄餅は、賞味期限が短い、高速のインターにおいては、
目の前で信玄餅が飛ぶように売れて行くが、当然、買い手にはムラが
あり需要にも波がある、これに柔軟性をもって対応するには滝の様に
一気に掃けてくれるアウトレットは消費を促す効果が期待出来る。

 アウトレットで信玄餅に個数制限をかければ思い通りに、掴み取り
で手に入れたいという欲求が湧いて来るので、この期待に応えて掴み
取り(袋詰め)を企画すれば根こそぎ持って帰ってくれる。

 山梨の人々は、つくづく商売上手だと、いつも感じているところだ。

 私が、欅の花粉アレルギーで顎に湿疹が出来た時にも山梨へのバス
ツアーでハーブを生かした顔クリームに遭遇して顔アレルギーによる
顎の痒みを解消、年間を通して顔クリームとローションのセット買い
を続けている。

 その様な訳で行きたい場所の一つである「信玄餅」の名所には昨日
立ち寄った。

 何といっても山梨の一番キャラは「武田信玄」公であるが、信玄が
館としていた名所であり現在は神社となっている旧跡には昇仙峡を後
にして坂道を下り、常磐ホテルのチェックインまでには、時間の余裕
があるので、その際に寄っている。

 そうなると、二日目の訪問先としては、山梨のフルーツセンターが
真っ先に脳裏に浮かんでくるが朝食の後の鎌倉ファミリーのヒラメキ
で「ハイジの村」が訪問先の一番候補に挙がった。
(しかも、まだ、誰も行ったことがない)

 鎌倉ファミリーの愛用車のナビを頼りにして現地に着くと「らしき」
場所には、着いたものの雰囲気が想定外、いったん車から降りて辺り
を散策していると、聴力の確かな鎌倉の若旦那と家内が道路越しの森
から「ハイジの歌」を聴き付けた。

 道路を渡って、ハイジの歌が聴こえた方向に車を進めると、そこに
ハイジの村の入り口を見付けた。

 山梨の森の中のハイジの村は、老若男女で、楽しめる場所であった。
(その模様は簡単なポエムの形で紹介することにしよう)


【ハイジの村 (山梨の森の中)】  万田竜人
 
ドライフラワーが屋台を覆い入館を促している
チケット販売の女性はスイス風のいでたちで眼鏡をかけている
窓口では検温を抜かりなく徹底している

入場するとハイジがブランコで遊んでいる
ブランコの下には山羊たちが群がって牧草を食んでいる
そこにペーターの姿はない

ハイジの寝所を覗くと簡易ベットが部屋の奥に据えられていて
アルムのおんじいの雰囲気が伝わってくる
大きなミルク缶が置いてありおんじいは山羊小屋に出掛けたか

山羊小屋に出掛けると角が丸まった年寄りの山羊が出迎えてくれる
相棒の若い山羊はストレスがたまっているのか地面を掘っている
小屋の中の奥の山羊たちは小屋の奥でなにかを口にしている

年寄りの山羊に別れを告げて丘を登ると
そこは一面が薔薇園になっていてシニアが写真を撮りあっている
親子連れの母親は子供を抱えて薔薇の香りを嗅がせている

広場に出ると大型オートバイの前でイケメンがポーズを取り
女性がカメラを構えてファインダーを覗いている
正面から左側から右側からとショットを自在に変えて

やがてレストランの入り口に道がつながっている
チーズホンジューがお薦めのメニューとある
全員5名が揃ってチーズホンジューを注文する

食べてみて味覚に対して意見が割れる
女性陣の感想は癖のある匂いにブルーチーズが入っていると
それにお酒の味もすると評判が悪い

男衆には孫も含めてイケル味と評判が良い
この味覚論争はハイジの村の駐車場を発進してからも続いた
結論はいずれ我が家でチーズホンジューの再トライが決まった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 話題は逸れるが、私は、シンプルな・ポエム(詩)を、時々、書く
ことがある。まだ三十代後半において航空機用のジェットエンジンの
組み立てや総合運転試験およびエンジンオーバーホールを主体にして
エンジン整備を担当する事業所において、事業所長の思い付きもあり
事業所の創立10周年の記念祭に「事業所(工場)の歌」を公募した
ことがある。

 この時に、私は事業所(工場)内への管理工学(IE)の実践的な
導入を役割として担当していて、入社時に、自分たちで量産設計した
純国産ジェットエンジンの製造および国内のエアラインから受注した
旅客機用のターボジェットエンジン整備などを、導入対象として活躍
していたが、当時の夢は国際的な航空機用のジェットエンジンを輸出
することであった。

 そして、その思いを、シンプルな形の歌詞に託して応募したところ
「工場歌として入選」国立音大卒の黒田奈保子さんに曲を付けていた
だき、昭和55年(1980年)11月9日(日曜日)に瑞穂事業所
の創立10周年を祝う ”1980 MIZUHO フェステバル”
において、次の様な内容で披露された。



      【瑞穂エンジン全開・発進】
                      
           作詞   生産管理部  佐久間 勉
           作曲   国立音大卒  黒田奈保子

     大空を駆ける 若き翼 燃ゆる
     行け 我等が 逞しき 瑞穂
     おお地平線の 海と空のかなたに
     輝く 未来の希望目指して
     行くぞ 我らが IHI 瑞穂

     緑なす大地に みなぎるファイト
     歌え 我等が 友情の歌を
     飛べ 宇宙の 光の中へ
     輝く 未来の希望目指して
     行くぞ 我等が IHI 瑞穂

     世界の空に 素晴らしきジェット
     行け 我等が IHI エンジン
     飛べ はばたけはやぶさのように
     輝く 未来の希望目指して
     行くぞ 我等が IHI 瑞穂

 そして、この歌は社史でもある「IHI 航空宇宙30年の歩み」
にも掲載され、紹介された。

 ”1980 MIZUHO フェステバル”では、いも掘りや出店
など、家族連れの楽しい一日となったが、その折りに ”工場歌”と
して瑞穂事業所の活動のひとこまとして紹介されたものである。

 そして、この歌は、瑞穂事業所の従業員から歌詞を募集したもので、
応募23点の中からこの歌が選ばれたことなども併せて紹介され曲が
付けられたことで、フェステバルでは形となって発表されて、以来は
昼休みに構内放送で流されるなどその後も長く愛唱された。

 実際に ”1980 MIZUHO フェステバル”当日は、歌詞
の入賞の表彰式も行なわれて、作詞した私と作曲した黒田奈保子さん
が会場の壇上に呼ばれて、二人で歌唱披露することになり大いに照れ
たことを今でも覚えている。

 また、この歌を 「IHI 航空宇宙30年の歩み」にも掲載する
ことになったという知らせが事務所に寄せられて、私が、30年史を
編纂している事務所に歌詞と譜面を届けに行った時に面白いやりとり
があった。

編纂部長「あっ、忙しいところを、歌詞をお届けいただきありがとう。
君たちの事業所や工場内での管理工学(IE)普及の大活躍は聴いて
います。君たちが我々の年齢になる頃には、給与も、倍増することを
願っています」

私「ありがとうございます」と云って、引き上げて来たが・・・

 その17年後には、皮肉なことに全社的な不況の中で管理職定年の
適齢期に達したため年々給与が10%削減されて、定年時には30%
まで削減された。
(編纂部長は、古き良き時代の幸せ人であったと云える)

 ついでに、この編纂部長は社内結婚で、若い奧さんとは、今風の歳
の差婚で面白い方だった。当時、奥さんは営業部のスタッフで、私が、
見積もりの書類を届けに行った時に・・・

若奥さん「あっ、ご苦労様、貴方は遠くで見ると、すごくハンサムに
見えるけれど、そばで見ると、そうでもないわね」

私「その見積書、急ぐとのことでしたので、よろしくお願いします」
と、そそくさと引き上げながらも、編纂部長は幸せな方だなと心の中
で思った。

 はてさて、当時は、私もまだ38歳であった。今から40年も前の
絶頂期のことを思い出して懐かしい。

 私にとっても、グッドジョブ全盛の頃、楽しい想い出には、利息が
ついて返って来るので、話題も気持ちも膨らんでいる可能性がある。
(半分くらい値引いて読んでいただけるとありがたい)


005   山梨のフルーツドームが素晴らしい

 やがて、鎌倉ファミリーの自家用車は山梨のフルーツセンターに
向かった。この選択が「吉」と出るか「凶」と出るか、これは賭け
に近いが結果的には中吉くらいに納まった。

 フルーツセンター訪問は、久方ぶりであったが、大きなドームの
登場には驚愕であった。内部に入るとドーム内は明かるく天井も高
くて、コンサート会場にでも活用したら、素晴らしいだろうな、と、
かってに想像を膨らませる。

 場内のテラス風のカフェは、美味しいフルーツを楽しめる場所に
なっていて多くの若者が集っている。ソフトクリームのコーナーも
あって、私は、シャインマスカットのソフトクリーム購入を家内に
頼んで座って食せる場所取りをした。

 鎌倉の若旦那は連続運転で疲労感もあり、車内で軽い睡眠を取る
ことになった。

 鎌倉の娘と中学生の孫と我々の四人は、アイスクリームを楽しむ
ことになり休息の過ごし方は、それぞれ五人にとって違ったものと
なったが、それぞれにとって不可欠なものであったと考える。
(一方で、この休息が高速道路の渋滞に巻き込まれる遠因となった)

 ほとんど自動車の車庫に入ったに等しい状態で、動きがほとんど
ない、それでも亀さん状態でノロノロと車は動き出した。

 我が家では飼い犬を入間の自宅近くのペットホテルに預けており、
今夕に迎えに行くことになっているので、家内から念のため電話を
入れておくことにする。

「午後9時までに到着なら、超過料金は発生するものの、お迎えは
OK」という返事をいただいた。

 ところで自動車は相変わらずのノロノロ状態で、この先の談合坂
サービスエリアの駐車場は満車のため、入場不可と云う情報が入り、
ひとつ手前のサービスエリアに入ってトイレ休憩を取り、再び高速
道路に戻ったものの自動車が進む気配はない。

 道路の混雑状況を知らせるアナウンスに寄れば、談合坂を抜ける
までに約3時間を要すると云う。

 ここで、ついに鎌倉の若旦那の決断で、高速を降りて夕食を手に
入れることになりコンビニを探す、バス通りならコンビニ店はある
だろうと云うことになり、バス通りに沿うようにして一般道を走る。

 ようやく、大型のコンビニ店を見つけたものの、店先の駐車場は
満杯状態、なんとか駐車して店内に入ると店内はごった返しており、
トイレ待ちの人の列は店内にとぐろを巻いている。

 夕食の弁当やサンドイッチなどをそれぞれに入手、鎌倉の若旦那
は食物を胃袋に入れると眠くなると云うので絶食しての運転、私が
替わって高齢者運転をしたら、皆さんの命が危うくなるので素早く
替わって運転と云う訳にも行かない。

 しばらくは、ナビの案内で自動車を走らせていると高速の入り口
付近に差し掛かる。一般道路を行く算段もあったが高速の入り口の
案内を覗くと「渋滞8Km」の表示が眼内に飛び込んで来る。

「これなら高速で行ける」と、いうことを男性陣は即断、女性陣は
渋滞の再燃を予測、自動車のハンドルを握っているのは若旦那なの
で躊躇なく高速に入ることを決めて高速道路に進入して行く。

「あれほど混みあっていた高速道路をみんなでいっせいに降りたと
言う事か?」高速の走りは徐々に加速されて、本来の高速における
走りとなった。

 若旦那のハンドルさばきも快調で先程「入間着は午後10時過ぎ、
飼い犬はさらに一晩のお泊りか」と気の毒な思いで、私も、家内も、
ほぼ観念していたが状況は一気に好転した。

 入間圏内に入ってからは、飼い犬のペットホテルへの直行が決り、
ペットホテルには午後8時半に到着、タイムリミットの午後9時前
だったので、インターホンで・・・

「なんとか午後9時前に間に合いました」と、伝えると、
「少々、お待ちください」と、いう嬉しい答えが返って来た。

 やがて、ペットホテルの入り口のドアが開けられて飼い犬が姿を
見せる。飼い犬を抱きかかえて車内に戻り車が走り出すと・・・

 今までにない飼い犬の「つぶやき」が始まる。何かを訴えるよう
な弱々しい吠え方で家に到着するまで、このつぶやきは続いた。
(飼い犬にしてみれば余程たいへんな体験をしたようだ)

 飼い犬は帰宅してからもお腹が不調で血便気味の下痢をしており、
ストレスによるものであることは分かっているので、薬を処方する
ものの、飲んでくれないため、翌日、かかりつけの獣医さんの処に
連れて行き、事情は通じているので注射をしていただいた。

 今までは、こんなことがあるので私が飼い犬と留守番をすること
が多かったのだが、家内にしてみれば「年に、一回や二回くらいは、
いいでしょう」という考え方であったが、正解ではなさそうだ。
(飼い犬にしてみれば答えは一つ)

 我が家に着いてからは、全員がほっと一息だが、鎌倉の若旦那は
絶食状態で運転を続けて来たので、取り敢えず、速攻でエネルギー
になる夕食を摂りに出掛けた。

「当初の目論見では、山梨を午後3時に出れば午後5時には入間に
到着、そのまま鎌倉まで高速を飛ばせば翌日の出勤や通学には悠々
と間に合う」と考えていたが、

 この目算は完全に外れた。新型コロナ禍の中では政府の肝いりの
ゴーツートラベルであっても、それほどには、混雑はしないだろう
と考えていたが、帰途の高速道路は完全に駐車場と化した。

 鎌倉の娘は入間圏に近づいた時点で脳内を高速駆動させることで、
「今晩は入間泊り、明日は5時起きをすることにして今晩は亭主殿
に充分な休息をとっていただこう」と、即断した様である。

「考えてみれば、山梨を午後3時に出発して、入間着の午後8時半
まで若旦那は自動車のハンドルを連続して握りっぱなしで絶食状態、
バッテリに例えれば、ここでしっかりと充電をしておかないと」と
いうことになる。

◯ 最近のスポーツ論で云えば「水分を欲する前に水分補給」を、
◯ 働き方の生産性からは「疲れる前に休息」を、に通じる考えだ

 もっとも今回のドライブ状況からは「疲れる前の休息ではなく」
「ダウンする前に休息を」と、いう状況にあると云える。

 鎌倉の娘は「相手方の状態を推し量るシミュレーション能力に秀
でたもの」を天性として持っているところが見受けられる。思えば、
昔のことであるが、家内の妹が千葉県に買い物に出掛けて倒れ込み
救急車で運ばれて緊急入院したことがある。

 その際に、真夜中に妹の長男から電話がかかってきて容態が思わ
しくないので自動車で千葉県の病院に、早急に、来てもらいたいと
云う緊急要請であった。

 夜中ではあったが、二人で身支度をして出発前に鎌倉の娘にだけ
は知らせておこうということになって、緊急電話を入れて出掛けよ
うとしたときに玄関先で電話が鳴った。

 電話口に家内が出ると鎌倉の娘からの折り返しの電話であった。
(我が家の電話は常にオープンスピーカーなのですべて聞こえる)

「お母さん、明日の朝に、一番電車で千葉に向かうようにした方が
良い」と。娘にしてみれば「私が自動車の運転が得意でないことを
熟知している。ましてや今から自動車を走らせたところで約6時間
の違い、事故などに遭遇した時に夜中では他からの救援なども期待
出来ない」と、考えたようだ。

 家内も考え直して、私と相談、鎌倉の娘も 「明日の一番電車で
千葉に向かう」という。私と家内も相談の結果「明日の一番電車で
千葉に向かうこと」にした。

 翌日、千葉の病院には昼前に着いた。鎌倉の娘とも合流して病室
に向かうとベットに昏睡状態の義妹の姿を確認、千葉まで出掛けて
買い物の途中、道路上で転倒して頭部を打ち急速に容態が悪化した
のだと云う。

 我々シニアにとって加齢に伴う足元の不安定感は日に日に増して
くる。直近でも、あれだけ、元気一杯であったアメリカのバイデン
大統領当確(候補)も愛犬と遊んでいて、足をひねり右足首の骨に
ひびが入るという怪我をしたという。

「幸せな絶頂期は気を付けないと危ない」

 私もテニス全盛の頃に試合に出ていて、そのスマッシュが決れば
勝てると云う状況において、靴を新調していたこともあり、ボール
に向かって身体が伸びきった、後で着地に失敗して、スマッシュは
決まったものの足首を捻挫、接骨院のドクターからは、骨折の方が
まだましといわれる程の酷い捻挫をしたことがある。

 今回の山梨の常磐ホテルでも、2日目の朝、朝風呂に入っていて、
屋内の風呂から露天風呂に移動して、風呂に入った処で、足を滑ら
せて仰向けに転倒、湯面に受け身をする様な格好で、仰向けに転倒、
先に風呂に入っていた二人の若者が気遣ってくれたこともありなん
とか無事であった。

 部屋に戻って家族に報告すると「日頃から、テニスをやっていて
咄嗟に反応できた」のかもしれないという反応が返ってきた。

 かつて、美人の湯と云われて、湯質がすべすべする温泉に行った
時にも、風呂の入口で足元が滑って入り口に設けられた手摺に咄嗟
に捕まって怪我もなかった経験があるが、シニアにとって、温泉に
おける足元は危険がいっぱいなのかもしれない。

 そのようなことを思い出しながら、鎌倉の若旦那が街中で夕食を
済ませて帰ってくるまでに、なんとか自宅の風呂の準備をして間に
合わせた。自宅の風呂内にも浴槽の奥には手摺が設けられているが、
これもシニアにとっては必需品なのかもしれない。

 やがて、全員がリビングに集うと、我が家の飼い犬も、ようやく
落ち着きを見せた。

 その晩は、みんな早目に寝床に入り、翌朝の午前5時には鎌倉に
向けて我が家を出発、それぞれの出勤と、通学にはスムーズに対応
できたと、後刻、電話で連絡が入った。
(いろいろあったが楽しさ満載の山梨への旅であった)

 その後、令和4年(2022年)の年末に、飼い犬「もも」は
16歳で天寿をまっとうするように天国に旅だって行った。家内
による飼い犬「もも」への終末介護は微に入り細に入り喫食への
支援は昼夜を通しての献身ぶりで、私には、見習えない気配りで
あり飼い犬「もも」にとっては幸せな時間であったと考えている。

 そして私の最近の文筆活動も、韻を踏む俳句の世界を脱皮して
散文の世界に移ってきているのも、俳友のシェフさんとの交流が
途絶えたと同時に、飼い犬「もも」との、日々の彩の森入間公園
巡りがなくなり、園内の花々や樹々との接見が途絶されたことも
影響しているのかな? と考える今日この頃ではある。


第4部  北の旅に向けての予備調査

プロローグ

 来年(2025年)は、鎌倉ファミリーの夏休みに合わせて北海道
の旅を計画しており、そのための基礎調査を兼ねて北の旅に向けての
旅路を辿ってみた。鎌倉ファミリーは、今、大学受験の目標に向けて
勉学まっしぐらの状況にあり、受験生はもちろんのことサポート役の
家族にとっても脇目を振る状況にはない。

 我々が「北の旅に向けての予備調査」として、最適と思われる旅を
見付けたのは、毎度お馴染みのツアー会社のパンフレットで、旅程の
内容の豊富さに魅力を感じたためだが、実際に参加して、最大の魅せ
どころであった 「函館の夜景」が、絶妙なタイミングの豪雨のため
二合目からのチラリ見で終わった。

 かつて、函館山の頂上から函館の街の夜景を飽きるほど見ているの
で、残念さも少々ではあったが、ツアー会社にしてみれば、旅の舞台
のクライマックスシーンを台無しにされた思いであったと推測する。



001 新幹線のグリーン車から太平洋フェリーへの乗船

 新幹線の東京駅出発は10:00便、集合時間は遅めの9:20で自宅から
の出発は7:30としたため、朝方の時間帯にはだいぶ余裕があった。

 東京駅(八重洲北口)集合場所には、毎度お馴染みの白髪の女性の
姿が確認され、手際良く旅行者を捌いていた。それぞれの旅に向けて
は時間前にコンダクターが配置されていて、一人ひとりの面着を済ま
せ、ツアーバッチを渡し、再度、集合する時間の再確認をしていた。

 昨年は、九州地方の指宿(白水館)、東北地方の秋田の旅、紅葉時
の京都の旅を、同じツアー会社で経験しており、旅先に向けての手順
は良く理解している。

 旅先で気の合う仲間にも出会うが、次の旅を一緒にという間柄まで
には発展しない。それぞれに旅には好みがありタイミングもあり予算
もあるので、連絡を取り合ってまでの間柄までは発展しない。

 ましてや東京駅でグリーン車に乗って、それぞれに夫婦水入らずで
会話に興じていると、およそ2時間で仙台駅に到着するので、初対面
の他人との交流はツアーコンダクターを介さなければ皆無と云える。

 仙台駅に到着して足早に駅に降り立つとツアー仲間が降りてこない。
新幹線なので間違って手前の駅で降りたという心配はないが、列車の
外から内部を覗くと、家内をはじめツアー仲間がツアーコンダクター
の話に聞き入っている(通常、ありえない光景だ)

 やがて、車掌さんに「終着駅ですが降りて下さい」と、催促されて
ツアー客が車内から降りて来る。終着駅といえどもそんなに乗車した
ままなど、許される時間的余裕はないのが常識だ。

 列車から降りてきた家内に「要領の悪いツアーコンダクタだね」と
いうと「ホント・ホント」といって相槌を打っていた。通常なら一斉
に列車から降りて、駅の構内で旅の案内をするのが通常であり、列車
内での話にこだわるなら、もっと早いタイミングでの説明も可能だ。

 その後は懸命にフォローされて、やや快適な旅程となったが仙台駅
での降車後は夕刻の太平洋フェリー「きそ」への乗船までの暇つぶし
という印象で、松島の遊覧船を楽しんだ。今回は総額10万円で船旅
まで楽しめるというファンタジーに魅力ポイントを絞り込んだために
食事の楽しみは自分持ちで、ツアーコンダクターにはツアー客に喜び
を提供する機会が少なかったのは、気の毒だったかもしれない。
(次のツアーでは食事の豊かさに留意したい)

 そんな訳で、新幹線を降りての最初の昼食は、各自「仙台駅」にて
の自由食、我々は「お刺身定食と炊き込みご飯」の美味しそうな店を
見付けて昼食を摂り、集合場所のバス停に向かった。

 ツアーコンダクターが案内した集合時間よりも、早めにツアー客が
集まり、予定時間よりも早めにバスは出発、松尾芭蕉ゆかりの松島に
到着。オプションにての遊覧船の案内があり、ほとんどのツアー客が
乗船「松島の島めぐり」を楽しんだ。

 昔、遊覧船に乗った時には、海猫(かもめ科の白い中型の海鳥)が
伴走して煎餅などをおねだりしていたが、それはいっさいなかった。

 遊覧船が走り出すと船長さんからマイクで案内があり今は海鳥への
船からの餌付けは止めたのだという。船からの餌付けをやっていた頃
は、遊覧船から小島に戻った海猫たちの糞害で松が枯れる事態が生じ
松の木の再生のために、遊覧船からの餌付けは廃止したのだという。

 結果、多くの海鳥たちは、本来の漁師に戻り、松も再生が図られた
のだが一部の海猫の残党が観光客のカレーパンなどを空中に持ち去る
事態が発生、観光客を困らせているのだという。

 遊覧船から降りた後は伊達政宗の菩提寺である瑞巌寺の境内を散策
その後はあまりの暑さに、アイスクリームを求めて涼しそうな店内に
飛び込み、マンゴアイスに涼を求めた。

 そして、これから乗船する太平洋フェリー「きそ」への乗船に向け
て船酔いの心配がある人は、リポビタンⅮを呑むとよいという案内が
ツアーコンダクターから寄せられて、夫婦で、船酔いの心配はないが
疲労回復にも効くと考え、コンビニでリポビタンⅮを購入してバスに
乗り込んだ。

 太平洋フェリー「きそ」には午後6時に乗船、乗船後は、それぞれ
に勝手自由で、それぞれに、乗船案内に従って特等乗船室に入室した。
当日の乗客は総勢520名だという。


002  太平洋フェリー「きそ」の試乗体験

 ツアーコンダクターからの乗船前の案内では、翌日の午前11時頃
には北海道の苫小牧に到着するので、下船したら乗客の流れに沿って
ターミナルビルの出口に集合して、一緒にバスに乗り、北海道の旅が
始まりますということで、乗船後は夫婦だけの単独行動となった。

 要は、観光ホテルに着いて、各部屋への案内があり、後は各自自由
行動というスタイルだ。船には520名が乗っておりレストランには
入場制限があるというので、指定された6階デッキに出向くと早くも
長蛇の列が出来ていた(我々の客室は7階)

 指定された夕食時間は午後六時半であり、該当の時間に出向いたが
早くも入場規制が始まっていたので、多くのツアー客は時間前に集合
していたようだ。ようやく入場再開となり、先ずは座席を確保してく
ださいという案内があり、席を求めて奥へ奥へと移動するもようやく
最奥部に座席を確保出来た。

 レストランにおける喫食はバイキング方式なので、トレーを取って
列に並ぶと長蛇の列で、半分は諦めて待ちに徹していると船内の係員
が来て奥に行けば空いていますということでついて行くと、同じ形態
のフードエリアが用意されていて待ち人は少なかった。

 しかし、今度は、ビールの入手までが長蛇の列で、太平洋フェリー
にしても船内520名の大勢は珍しいことの様だ。それにしてもここ
でも気の利いたツアーコンダクターに出会っていればツアー会社本社
の意向はどうであれ、総勢22名のツアー客であれば船内で懇談の場
を設けて、体験談の披露などがあっても良かったのかもしれない。

 船内のレストランで、待ち行列に一緒に並んでいた旅の友からは
いろいろな情報が寄せられて、我々は特等船室だが、待ち行列での
話し相手となった方は、フェリーに車を預けて、自分たちはベット
もない畳敷きの部屋だよと云っていたので5階の船室の一部の部屋
は自動車を預けて寝るだけの仕様になっている様だ。

 大昔、新入社員の時代に、社員旅行で大島まで船で出掛けたこと
があったが、仲間たちと一夜を船底で寝て行ったことを思い出した。
また旅行から帰ってから、テレビでフェリーを活用して牛を運ぶ人
たちのドキュメントを放映していたが、太平洋フェリーにも多様な
職業の人やツアー客が混在しているようだ。

 ちなみに翌朝の食事時は前日よりも早いタイミングでレストラン
への集中現象が起こり係員はてんてこ舞いをしていたが総勢520
名も乗船していたなら、部屋番号でシフトを組むとかツアー会社も
協力してレストランへの入場の平準化など出来ないものだろうか?

 参考までに、太平洋フェリー「きそ」の概要は・・・
○ 全長が200メートルの船体で
○ 幅は27メートルある
○ 旅客の総員は「768名」が最大で
    特等船室には 183名が乗船
    1等船室には  204名
    寝台船室には  182名
    2等和室には   127名
    ドライバー室には  60名
○ 積載車両としては
    トラック 183台
    乗用車  113台
の大型フェリーだ

 その後、食事を終わった後で入浴体験をしたが、入浴は快適で通常
のホテルでの入浴に負けず劣らずで、さっぱりとした湯上りであった。
入浴後は驚いたことに体重が5キロも激減しており、フロントで確認
した処、フェリーの船上では体重計のメモリが振れて正確な体重把握
は難しいとのこと。

 であれば体重計など置かないほうが良いと考えるが総じて顧客対応
へのノウハウなどには、まだまだ蓄積が少ないようだ。
(翌日にホテルで体重計測したが特に体重の増減はなかった)

 太平洋フェリー「きそ」は翌朝、定刻の11時前には、下船を開始
ターミナルビルの出口で全員が揃ってバスに乗車した。バスの中では
乗船体験に話題が集中「船のエンジンの振動で眠れなかったわね」と
いう声が大勢を占めていた印象がある。

 それにしても太平洋フェリーには、同じツアー会社の仲間が3組も
同乗していたが 「フェリーの旅9日間の仲間も居て」慣れてくれば
安眠も出来るということなのだろうか。私は豪華客船の旅をそれぞれ
8日間と9日間コースの船旅を経験しているがエンジンの振動の影響
で悩まされた経験はなく、9日間のフェリーの旅の経験者にエンジン
振動への対応などをどの様にして克服したのか聞いてみたい。



003  豪華客船における洋上研修の体験記

 今季の「北の旅の基礎調査」を通じて、太平洋フェリー「きそ」の
搭乗体験記を前述した際に、豪華客船に乗船の際の快適性についても
前述したが大型豪華客船による船旅の魅力についても詳しく記述して
おく必要性を感じた。

 私が体験した大型豪華客船による船旅では、一回目は三菱重工業に
よって建造された船、二回目は石川島播磨重工業(現在のIHI)に
よって建造された船であったが、いずれも素晴らしい船旅であった。

 今年、発表された2028年就航予定の「ディズニークルーズ」は
どこで建造されるのかと興味をもって調べたところ、現在「飛鳥Ⅲ」
を建造中のマイヤー・ベルフト社(ドイツ)であるという。日本製の
豪華客船も優れものであるだけに超大型豪華客船が、外国の手に委ね
られることは残念な印象もあるが、現有のディズニークルーズが同社
で建造されている実績を考えれば当然の結実であろう。

 さて、実際に、私が豪華客船に乗船できる機会を与えて下さったの
は、日本インダストリアル・エンジニアリング協会(日本IE協会)
からの推薦であり、同じ系列の関連組織である日本生産性本部が主催
する「生産性の船」への乗船であった。

 当時、私は石川島播磨重工業(IHI)のTQC推進室に所属して
いて該当部署は多忙を極めていたが、日本IE協会の筆頭部長が熱心
に当社の幹部を口説いて実現したものであった。

 最後の説得は、生産性の船に乗って活躍する「講師としての代価」
は企業としての収益に寄与するということで決着した。日本IE協会
としての認識は「管理工学(IE)」の実践面ではビデオIEという
独自の技法を実践しており、デミング賞の受診活動を通じてQC面に
も精通しているとの評価で身に余るお誘いであった。

 実際に乗船した生産性の船2号船の団長は味の素株式会社の取締役
名誉会長の歌田勝弘氏で、実際に、船内でもお話しできる機会などを
いただき、大いに感銘を受けて、実際に味の素の株式を購入するほど
の感銘を受けるに到った。

 当時、大型豪華客船「ふじ丸」には530名の研修生が乗船、多く
の研修生が、団長の歌田氏の言動や振る舞いに共鳴して感動を受けて
いたので、生産性本部からの人選には並大抵の努力を越えたところに
組織としての人脈の豊富さと奥行きを感じ取った。

 当時の日程は、平成2年(1990年)5月31日(木)に成田発
の三便に分乗して、シンガポールには、一便が19:15着、二便が
19:45着、三便が24:40着と、飛行機による全員の終結まで
には深夜までかかった。

 シンガポールで、大型豪華客船「ふじ丸」に乗船したのは6月1日
(金)で、実際の洋上研修が始まったのが6月4日(月)であった。

 当時のことを思い出すと「私の生産性の船への講師としての乗船」
が当社の航空宇宙事業本部の本部会において「良く承認された」もの
だと考えると感慨深いものがある。

 私としても、後に、都市伝説的に知ることになるのだが・・・

 当時「俺の眼が黒い内は、あいつは絶対に管理職に登用しない」と
T氏が断言していたと云うのだ。
(T氏は、4代目の本部長として1984年に就任)

 都市伝説的に、後に、私が聞き及んだ話はこうだ・・・

 本稿の第6巻で既述したことだが、当本部へのデミング賞の受賞が
伝達される前に、1976年10月1日の段階で、デミング賞の受賞
の発表を待たずに組織変更があり、TQC推進室25名の内の10名
がラインにもどり、4名(内兼務1名)は全社的なTQC推進のため
豊洲地区の生産技術室に移り、TQC推進室には12名が残った。

 このときにデミング賞の受賞準備に当たって全体の統括に当たって
いた田無工場長T氏(後に航空宇宙事業本部の4代目の本部長に就任)
が全社への全面展開という重責を担って豊洲に移籍となった。

 この後の顛末記が都市伝説的に、我々に伝わってきている・・・

「T氏はこの異動の内示に激怒、次の4代目の本部長を自認していた
だけに、当時、瑞穂工場長I氏に本部長への昇進に向けて先を越され
たと考え極度の怒りを募らせあらゆる策略を動員して、航空宇宙事業
本部に復帰して自らの親衛隊を手元に結集させて、狙い通りに見事に
4代目の本部長に就任した」

「自分自身のデミング賞の受審に際しては田無工場の受審結果は惨敗、
瑞穂工場の受審による大いなる挽回によりデミング賞をなんとか獲得」

「その結果?」・・・

「田無工場長T氏は、豊洲に左遷されて苦渋を呑んだ」ものと独断的
な判断をした。

「そして、なんとも憎いのは瑞穂工場の面々、なかでも、瑞穂工場の
生産性の向上などの旗振りとして、デミング賞の受審活動にも活躍顔
を見せていた若造の佐久間は絶対に許せない?」

「一生懸命に、使命感に燃えて活躍して、憎まれると云うのも非人情
な話だが、現実としてあった話なのだ」

「しかも一緒になって健闘した恩人とも云える上司のO氏にとっても、
田無工場長のT氏は大先輩であって、逆らえない関係にあった」

 今にして思えば、こんなこともあった・・・

 かつて私が新入社員の時代に設計部門において、設計のイロハから
教えてくれた、H女史(数学科と哲学科出身の才女)が、私がO氏を
先輩であり恩人として、あまりにも称えるものだから・・・

「そこまで、信頼感を持ち続けて、裏切られたらどうするの?」と
聞かれたことがあったが、その時に彼女はデミング賞受審に際して、
T部長と共に「デミング賞の受審のための事務局に来ないか?」と
誘いにみえたことがあって、私は「瑞穂工場に在籍して現地の立場
から受賞に向けて貢献したい」と答えたことがあるが、既にその頃
に、先輩O氏と田無工場長T氏との親密な関係に気付いていて忠告
してくれていたのかもしれない?

 実際、1989年に、生産事業部からTQC推進室に異動を申し
入れて希望が叶った時にも、既に、次の様な経緯があった。

 当時(1988年)瑞穂工場の生産管理部から生産事業部の統括
部門に異動、瑞穂・田無・呉の3工場を統括する計画部門において
実績を重ねて管理職としての内示を受けていたものの、職制変更の
前日になって、突然の見直し宣告が通達された。

「俺の眼が黒い内は、あいつは絶対に管理職に登用しない」が徹底
していた筈なのに、どうやら私の管理職就任が他の幹部はT本部長
の心情など知らされていないため管理職昇進への道が、スムーズに
すり抜けて登用される段取となり、それまでは本部長T氏の胸三寸
だけで管理職就任にストップをかけていたので、その時には本部長
の決裁前の段階まで、本部長の思惑を越えて進んでしまっていたの
だという。

 私も、さすがに一夜にして管理職就任の内示が白紙状態になった
ことを知り、昇進を目指すよりも、全社的に経営革新などの実務面
で自分の経験を積み重ねたいと考えて、当時のTQC推進室に異動
を希望して願いが叶った時点での「生産性の船」への日本IE協会
による推薦であったので、複雑な心境ではあった。

 当時、私の心境としては「生産性の船への講師」としての参加は
本部会で承認されないだろうと考えていた。

 先ず本部長からの反対で「否決される」であろうと推測していた
のだが、日本IE協会からの再三にわたる要請があり「ご褒美」と
しての派遣ではなく、事業本部としての管理技術のノウハウの売り
として「事業収入の一助になる」という説得を、好意的な知恵者が
行い「事業収入に計上する」という方策で承認された様である。

 当時、その様な経緯は知らされていないので・・・

「俺の眼が黒い内はあいつは絶対に管理職に登用しない」といって
いたT本部長にしてみれば 「あの子天狗が何故世間で評価される」
という思いで、腹立たしかったのだと思うと、大変な時代に本人は
そんなことは全く知らずに意気揚々と「生産性の船」に乗っていた
ことを考えると結果的には「知らぬが良し」だったのかもしれない。

 したがって、6月3日から始まった洋上研修では・・・

〇 Aグループ 「技能者の改善意識を高めるには」
〇 Bグループ 「人材不足への対応」
〇 Cグループ 「技能者の品質意識を向上させるには」

と三つのグループに分けて研修を進め、最終的な船上での発表会でも
三つのグループ共に好評価を得て、ブロック長を講師として勤めた私
も高評価を得て船上研修を修了した。

 実際の洋上体験では、シンガポールから香港までは内海的な航海で
あったため、研修メンバーの船酔いも比較的少なかったが、香港から
日本に向けての海洋では太平洋の荒波に遭遇して若干の船酔い傾向も
みられて、研修のペースも若干スローダウンしたが前半での集中的な
取り組みが功を奏して、結果、良いまとまりとなった。



004   大型豪華客船における「生産性の船」の雰囲気

 私が「生産性の船」において管理工学の講師として迎え入れられた
船上の雰囲気の良さを最も的確に物語っていたのは生産性の船2号船
団長による研修報告書における「団長所感」であったと考える。

                  2号船団長 歌田勝弘

 炎熱の太陽のもと、船尾から見た群青と白色の織りなす航路、展望
風呂から眺める雄大な水平線、夢のような旅でした。

「ふじ丸」と、いう最新鋭船に、530名という多くの研修生と共に
シンガポールに集合したのは平成2年5月31日の夜でした。それか
ら香港1泊を含め、6月12日東京晴海埠頭着までの13日間、長い
と思っていましたが終わってみるとあっという間でした。団長という
お役目を与えられた私としては全員無事帰国されほっとしています。

 それにしても一つの船に乗り合わせた同士の出会いは運命的であり
また素晴らしいことでした。 「生産性向上」という一つの中心核を
持ち、企業等の組織内での諸活動に関する研修という目的で集まった
団員の方々は平素の会社人間を離れて、地理的にも業態、階層、年齢、
性別も種々雑多で、未知の人達が起居をともにしたのですから最初は
不安を持っていたと思いますが、後半はとても親密感をもたれたよう
です。

 私も廊下や会場で挨拶を交わす折に、初めのうちは未知の人という
感じでしたが、後半は仲間として、一人一人の顔がはっきりと脳内に
刻みこまれるような感じで接するようになりました。

 皆さんよく勉強されましたね。まあ、あの船の中では、それしかし
ようがないということもありましょうが。やはり皆さんがこの研修会
に大きな期待を寄せられ、自らが、主役として参加されたことによる
ものと思います。

 私は皆さんの勉強ぶり、それに併せて遊びの方にも自分をぶつけて
いっておられる姿を見、また同時に「ふじ丸」の乗組員達の働きぶり
を見ていて、ああ、日本は大丈夫だという感を強くしました。

 私は余り大勢なのでお一人お一人と話をすることが出来ないことが
残念でしたが、皆さん方とのふれ合いの中で、皆さんのやる気、責任
意識等が伝わってくるのを感じました。

 お別れの言葉として私は「山上山あり山幾層」という言葉を述べま
したが、どんな山があろうと皆さんは明るく、誠実に、逞しくこれを
乗り越え、自らの人生を築き上げ、またそれぞれの組織を通じて社会
のお役に立ってゆかれるだろうと信じています。

 今回の研修船の企画から運営にあたった日本生産性本部の方々また
グループやチームリーダーを務められた先生方、皆さん熱心で、運営
も良かったと思っています。

 特別講師の木村尚三郎先生の「午後8時、海、90年代」と題する
講話、また、その他のご挨拶など、誠に面白く感銘を受け、思い出に
残るものでした。

 また、シンガポールの4人の現地の人達との国際交流等、企画面も
良かったと思います。今回初めて団長は夫妻でという企画を立てられ
その試験台に立ったわけですがこちらの評価は皆さんにお任せします。

 文字通り大船に乗って、しかも天候にもまずまず恵まれ、私たちは
楽しい思いをさせていただき、厚く感謝申し上げます。最後に団員の
皆様のこれからのご健闘、ご多幸をお祈りいたします。

               味の素株式会社 取締役名誉会長


 この団長所感の記事が示しているように「生産性の船に乗船した」
関係者は全員が、乗船してから下船までに、お互いに約束した設問に
向けて答えを出すというタスクを共有していたために、船旅を悠々と
楽しむという余裕はなかった。それだけに船内における食事の時間は
「至福の時」として我々を迎えてくれた。

 研修船としての1日のスケジュールは・・・

〇 6:15 起床(身の回りを整理して、朝の集いとしての体操)
〇 7:15 朝食(交代制 早番は7:15 遅番 8:15)
〇 9:00 研修開始
〇12:00 昼食(早番は12:00 遅番 13:00)
〇14:00 研修再開
〇18:00 夕食(早番は18:00 遅番 19:15)
〇20:15 課外活動 後に 自由時間
〇22:30 就寝準備の後 各自就寝

 前述した「太平洋フェリ」との大きな違いはレストラン内における
レストラン内の収容面積を配慮して、早番と遅番を分けて清々と余裕
のある喫食スタイルを摂っていることにある。

〇 大型豪華客船「生産性の船」の場合の乗客数が530名であり
〇 太平洋フェリー「ふじ」の乗客数520名であったこと考えると

 乗客数は、ほぼ同じ人数なので太平洋フェリーの場合もツアー会社
と船を運営する両社で相談すれば、早番と遅番の区分けは可能と考え
るので、例え「バイキング形式」の食事とはいえもっと気分的に快適
な喫食も可能となると考えるが、改善の意欲はあるのだろうか?

 ところで「生産性の船」の場合は、早番と遅番に分かれた乗船客は
フルコースのフランス料理が振舞われて、特に夕食などは美味の連発
といったところで忙しい研修の疲れを吹き飛ばしてくれる思いだった。

 しかし、これも贅沢な話ではあるが、研修生はほとんどが日本企業
に努める日本人なので、三日もすればにフランス料理にも飽きてくる
ので成田空港から出発して8日目の香港上陸では中華料理などに向け
て、いっせいに趣向が向かう。ましてや久々の陸地での生活となれば
研修生も大いに羽を伸ばす。

 したがって、生産性本部の役員をはじめ、講師陣にとっては、香港
における「研修生たちの船への無事な帰還」の確認が重要任務の一つ
であり、各ブロック長の講師からの全員の帰着確認が、それぞれ本部
に報告され、全員の帰還が確認されたときには「いっせいに拍手」が
湧き上がるほどの緊張感が続いた。

 そして香港における無事な帰還確認の予備練習としては、香港到着
前に、フランス料理に飽きたタイミングで、船上デッキにおいて和風
の蕎麦が振舞われて、大盛況の中で、各ブロック単位での集合確認が
行われて、香港に下船した際の注意事項などが徹底された。
 
 実際に、1号船の研修では晴海ふ頭から研修が始まるコースが運営
されていたが、香港への帰航の前に研修生1名が船上から行方不明と
なる事件が派生して、懸命な洋上捜索が行われて経緯もあり参加者の
全員確認には、多くの時間を割いて徹底的な確認が行われた。

 したがって、将来的に超大型豪華客船で旅することになった時には
船内では二人揃っての行動が大原則であり、チームとして船旅に参加
する場合にも、トランプゲームにおける「セブンブリッジ」など夢中
になって過ごせる共通の趣味は不可欠と云える。

 超大型豪華客船などの旅では、華やかなショーなども多彩ではある
が、基本的に、二人やチームにとって、夢中になれる共通のトランプ
ゲームなどは日頃から「共通の趣味」と、していそしんでおく必要が
あるかもしれない?


005   北海道の広大な牧場で乗馬体験

 太平洋フェリー「きそ」は、2024年7月5日(金)午前11時
前に苫小牧港に到着、下船後に全員が揃って元気なことが確認されて
現地で手配された観光バスに乗車、そのまま、北海道の大きな牧場地
である「ノーザンホースパーク」に向かう。牧場の入り口からかなり
奥まで進んで牧場内の歓迎エリアに到着、牧場内の観光エリアの概要
を把握して下車する。

 広大な牧場エリアには木陰も多く、そのまま、レストランに向かう。
レストラン内は洗練されたエリアで都会のレストランを思わせる様な
設えになっていて「とろろ蕎麦」などがお勧めであるという。

 しばらく、レストラン内で涼を楽しみバスを降りる際に手渡された
乗馬体験が出来るチケットを手にして馬を周遊させるエリアに向かう。
入り口で乗馬体験の際の注意事項を確認して、乗馬、係員が手綱を引
いて場内を一周、家内は茶系の馬に乗馬、私は黒毛の馬に乗って場内
を周遊、良く躾された馬の首に手を当てて、感謝の気持ちを伝えて馬
から降りた。

 次に向かったのがロバによるショータイムで、ロバの愛くるしさと
賢さに感心している内に「あっという間の集合時間」二人で急ぎ足で
集合場所に向かう。皆さん定刻前に集合していて、二人でバスに乗り
込むと定刻前に観光バスは出発、全日程を通じて定刻前にツアー客が
集まるケースが多く、ほとんどの旅程で時間前の出発が多かった。

 牧場を出発すると、すぐに「わかさいも本舗」の店先に到着、店先
では気前よく 「わかさいものお菓子」を全員に手渡し、その美味を
確認したツアー客は、多くのお土産を買い込んでいた。

 その後は、函館元町辺りを散策、この頃から雨が降り出し、かつて
函館元町辺りは丁寧な観光案内を経験しており、それほど周辺の観光
に興味もなかったので、足早にバスに戻り、函館市内のレストランで
夕食を摂って、函館山の山頂に向かうことに、この頃から雨が激しく
なり二合目辺りから函館市街の夜景を、走る観光バスの中から瞬間的
に見たが、山頂の展望台に着く頃は豪雨といった状況で、山頂の店内
は夜景を楽しみに登ってきた観光客でごった返していた。東南アジア
や中国からの観光客も多く、様々な言語が飛び交っていた。

 私達は二人で「函館の夜景」は、かつて満喫しているので残念さも
少々であったが、はるばる東南アジアや中国から来日した観光客には
気の毒な印象もあった。

 今回の旅の友であったツアーコンダクターにしてみれば、函館地区
のホテルが注力している「朝餉の豪華さ」に起死回生の挽回策を期待
するよりなく、翌朝の「鰻三昧の朝餉」と「海鮮バイキング」の案内
に力を込めて説明していた。

 今回の旅の案内については「函館の夜景を満喫して」「函館ホテル
の朝餉への感動」をクライマックスに置いていただけに、旅の出来は
百点満点中で60点といった印象であった。

 帰路は、北海道からの新幹線で、東京駅まで約5時間と長距離感が
あったが仙台までの3時間を過ぎると、東京までが2時間という印象
であっという間の旅程であった。

 今回は「梅雨のない北海道」に魅力を感じて、旅程を組んだが結果
的に「仙台は快晴」「北海道は豪雨」というコンビネーションとなり
天候に向けた通説は変わってきているといえる。

 来年の「北海道旅行にあっては天候ばかりは行ってみない」と分か
らないという考え方で計画を練りなさいという暗示を与えられたのか
も知れない(降ってよし晴れて良しのプランが望まれるのだろう)



006  家族旅行の計画における段取りの重要さ

 今回の太平洋フェリー「きそ」を中核に置いた、北海道旅行を体験
して気付いたことは、旅行案内のパンフレットの豪華なファンタジー
を誘うようなダイレクトメールにも、安心して任せちゃいけない面が
あることに気付いた点であろう。

 前述した様に、今回の東北から北海道の旅において、三日目の函館
におけるツアーの内容が、帰りの新幹線への乗車を考えるとあまりに
も過密なスケジュールになっていて、同伴したツアーコンダクターの
機転で、一部の行程を三日目から二日目に前倒しをして難無きを得た
が、こちらの気付きとしては、旅の案内はベテランによるプランとは
限らず新人のデビュー策も交じって来ることがあるということだ。

 現に、最近の新聞広告において、今回の太平洋フェリー「きそ」を
主軸においたプランを反省するような内容の旅の案内が掲載され料金
も3割ほど圧縮されたプランになっていた。

 そのプランの骨子は、北海道まで新幹線で直行、北海道に2連泊と
いうプランで、ツアー客の声を反映させて企画した内容だという。

 たしかに、東京から北海道まで、5時間で行けるのに東京から仙台
止まりの新幹線に乗車、グリーン車とはいえ、ルンルン気分も2時間
で終わり、夕刻の太平洋フェリー「きそ」への乗船に向けて松島辺り
で暇つぶし、仙台から新幹線で北海道まで3時間で着くのにフェリー
には約17時間も乗船、エンジンの振動で、眠れぬ夜を過ごすよりも
新幹線であっという間に北海道に着いて函館のホテルでゆっくり過ご
したほうが、どれだけ幸せなことか?

 しかも、函館のホテル自慢の朝食を2連泊で楽しめる、それに伴い
函館の夜景も一泊目が豪雨なら、翌日に再チャレンジできるので最大
の夜景の楽しみを奪われることもない。

 それなら、もう一度、この旅に今夏に挑むかといえば函館における
観光名所は「五稜郭公園」だという記事を見て興ざめである。今回の
太平洋フェリー「きそ」を、主軸においた旅においても、三日目には
五稜郭公園がコースに入っていて、以前、気候の良い時に五稜郭公園
内を散策したことがあり、今回は猛暑の中で五稜郭に到着した時には
展望台に乗って遥か遠景の眺めを楽しみクーラーの効いた場所で昼食
を摂った経緯もあり、3度目の五稜郭訪問は視野の外と云える。
(昔、北海道は避暑に最適と考えられていたが、今はそれはない)

 今回は、洋上体験が主目的であったため 「旅の選択の失敗」とは
考えていないが、多くのツアー案内には新人によるプランも混在して
いることは知見として加えておきたい。

 我々も現役の時代には芝浦工業大学の津村教授の社会人ゼミにおい
て「上手な困り方」をコンセプトにおいて、一連の業務を進める時に
「段取り」「本番」「後片づけ」の 三段階活用を重要視して、特に
段取りには、必要以上とも思われる注力をしてきたが、今回の太平洋
フェリー「きそ」を主軸に置いた旅行プランは、この計画時の段取り
において未熟さが散見される印象が強い。

 一部の勇者には、計画時の段取りはおおざっぱでも、現地で適切な
対応をして行けば良いと、いう思考も散見されるが、それに同行する
仲間は、予想外の難題に振り回されることになる。

 その点において、前述の「生産性の船」における管理工学の実践に
おいて私は乗船前の段取りにおいて必要以上の時間をさいたがそれが
多く称賛をいただいた源であり、津村教授による「上手な困り方」を
徹底して実践したことの証であると今でも考えている。
 
 当時の上手な困り方への思いを、私の生産性の船への乗船レポート
Gブロック長としての「研修のまとめ」の記録から辿ってみよう。
 
                ブロックリーダー 佐久間 勉

 
「IE実践コース」のGブロックは終始一貫してまとまりの良い活動
ができた。これは「研修メンバーに恵まれたこと」および「事前研修」
での「問題点発掘」や「意思の疎通」を積極的にやったことが、良い
方向に働いたものと考える。次に、各段階において「良かった」点と
「今後に工夫すべき点」について述べる。

1.事前研修(生産性本部および船上において)
(1)良かった点
 〇 生産性本部での事前研修では各チームともテーマを2~3候補
  にしぼり、各企業において、事前に三現主義で情報収集が出来た
 〇 船上の事前研修では自己紹介と問題点の交換後にチームリーダ
  の選出を行ったため適任者が選ばれた
(2)今後、工夫したい点(事前研修時)
  船上での研修は初めてのため、事前に持参するものなどが分から
  なかった(例えば、パジャマは持参すべきか否かなど)

2,船上研修
(1)良かった点
 〇 テーマ選定で区切らず、現状把握と合わせて扱ったため、良い
  テーマが選択できた
 〇 時間的余裕を作り真の要因の絞り込みに集中することが出来た
(2)今後、工夫したい点
 香港以降は船の揺れで多少ペースがダウンするため、予め考慮する
 必要がある
 
 全体を通じて、段取りの良さが、成果に繋がった印象が強い。

 実際、我がファミリーにおいては鎌倉ファミリーおよび我が家では
家内による事前の段取りが良く、旅先での失敗は少ない。そのような
視点で考えた時に今回の太平洋フェリー「きそ」を主軸においた旅は
来年の北の旅に向けた基礎調査であり段取りの一部であることを考え
ると、鎌倉ファミリーの計画への本格的な参入を待って、緻密な旅の
プランを建てることにしたい。
 
(続 く)

ヒトとして生まれて・第11巻

ヒトとして生まれて・第11巻

【八十路の旅日記】 今回の北の旅の振り返り

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-12-07

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