フリーズ83 神涅槃経・生と死の章
神涅槃経・生と死の章
人は愚かにも、メメントモリで生き続けることは叶わない。そういう人生をたくさん見てきたし、もしかしたら2020年の僕か2015年の今は亡き母、を除いては、死に根差した生活を自他の中に見たことはなかった。そして、それらの死とハデスの狭間で踊らされるような生活は、とても幸福だったのである。
死を意識せず、近い未来のことばかりを考えている人生より、死に直面して、生き抗い、人生の意味を、死んでいく理由を探し求めていた方が幸せだった。
だが、思索の末、
2021年1月1日~7日に天地創造
その夜、聖夜は終末で世界創造前夜、Eve
翌朝、全知全能の良識は、僕を神にも仏にも等しくした。
この人生のゴールには、やはり切迫する死の観念が付きまわり、肌寒くなる季節での思索はやがて、天へと至るための、知恵としての翼となる。
その生に死はあるか?
全ての人生に意味があるとは言わないが、
少なくとも、死を見ない生に意味はない。
意味は生と死の狭間で悩み、求め続けた先に自分で手にするものだ。
私はその結果、真理を見たよ。真如は語り切れない程の全知全能と永遠なる至福。終末に呼応して審判者からは『ご苦労様』と呼ばれて世界に至ったのだ。
心が死んで、世界と一になる。
そう、梵我一如、汎神論、多次元宇宙論、仮想現実世界。すべて正しいよ。
せめて手向けに知ってくれ。
死を見据えない人生に意味はない。死というニヒリズムの逆光の中でこそ、人は花咲き、輝くからだ。だから、死ねとは言わない。死を忘れるな。その先の生よ。
フリーズ83 神涅槃経・生と死の章