アンチ「3年B組、金八先生」
アンチ「3年B組、金八先生」
第1シリーズ 21話 「受験戦争に消えた命」
東大の合格発表。不合格となった浅井雪乃の兄・洋一(田鍋友啓)が陸橋から電車に飛び込み自殺する。浅井家には事件を聞きつけたマスコミが押し寄せ、池内商店に身を寄せる雪乃(杉田かおる)のことも嗅ぎつける。金八(武田鉄矢)らの気遣いにも関わらんと、記者の口から兄の自殺を聞かされた雪乃は、歩を連れて実家に戻ること決意する。
視聴率を上げるためやさかいしゃあないのかもわかれへんけど、30年間受験指導をさせてもうたきたけど受験で不合格になって自殺したちゅう子ぉはわしの教え子ぉにはおれへん。指導させてもうた名古屋の大規模塾でもおれへん。
やさかい、こういう話はリアリティに欠ける。そこで、うちはわしの経験した「現実」をお知らせしたい思う。
1,ユネスコ憲章
ユネスコ憲章の前文にこう書いたーる。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるさかい、人の心の中に平和のとりでを築かなあかん。相互の風習と生活を知れへんことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」
うちは四日市高校の生徒やった頃に、この言葉を知り教育学部に進学しようと考えた。人の心を変えられるのは教育が一番や思たさかいだ。このユネスコ憲章は教育の重要性を訴えてると読めるし、人類の未来に希望を与えてる思う。
せやけど、今は「教育で人間は変わるんやろうか?」て疑問を持ってる。
2,アインシュタイン
天才物理学者のアインシュタインは「晩年に想う」っちゅう本を書いた。うちは何十回も読み直した。ほんで、気づいたことある。
「学生時代のことや恩師のことに一言も言及があれへん」
そこで、アインシュタインの学生時代のこと調べてみたら以下のような事実を知った。
アインシュタインについては天才的なエピソードがよう語られるけど、学生時代は全く逆で、彼は9歳になっても自由にしゃべられへんと、社交性がのうて、成績が悪かった。父親は学校の教師から「アルバートは頭の回転がにぶう、非社交的で、何のとりえもあれへん」て言われ、ごっつ失望したようや。
さらに教師から、アインシュタインがクラスにおると他の生徒の邪魔になるさかい
「学校に登校せえへん方がええ」
てまで言われてもうたねん。つまり誰もアインシュタインの才能を見抜けんと、教師からも見放されたんや。
そやかて、うちは日本の生徒やったさかい頑張って勉強して名古屋大学の教育学部に合格した。その頃の同級生の何人かは教師になってる。また、うちは大学を卒業後に名古屋の河合塾学園、コンピューター総合学園HAL、名古屋外国語専門学校やらで英語講師を14年間やらしてもろた。
その同級生や出会うた講師たちを思い出すと「優れた指導者」てはめっちゃ思われへんかった。名古屋大学に落ちて南山大学に行った同級生が、塾では
「こうしたら名古屋大学に合格できる」
言うて授業をしとった。英検準1級の英語講師が英検1級の帰国子女を指導しとった。学力的な意味だけでのうて、女子生徒に手ぇ出してクビになった講師もいた。うちは唖然とするほかなかった。
同級生で「東大模試」や「京大模試」で全国トップクラスの子ぉ数人覚えてるけど、大学のせんせになった子ぉおっても優れた研究者として名前があがってる子ぉはおれへん。
サイエンスライターの吉成真由美氏(ノーベル生理学・医学賞の受賞者である利根川進氏の妻)の著書「危険な脳はこうして作られる」の中で、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授は、オールAがとれるような秀才は優れた科学者になられへんこと指摘してる。
うちはスケールが小さいけど子供の頃は「優秀な生徒」の一人やった。せやけど、優秀な研究者にはなられへんかった。別にわしを卑下してるわけちゃう。わしにはわしにしか出来へんことあるさかいそれでええと考えてる。
30年以上、受験指導を行ってきて感じるのは指導者がいかに無力かちゅうこと。勉強が出来へん子ぉの学力を上げることは塾や予備校には出来へんちゅうこと。
たとえば、英語指導を考えてほしい。明治時代と比べて現在は辞書、参考書、問題集なんでも手に入る。ネットをつこたらいつでも“一流”講師の授業を受けられる。ネイティブと話す機会にも恵まれてる。
その結果は、すでに出てる。
「全く、成果は上がってへん」
のや。明治時代も令和の日本も英語が話せるのは1%程度の人だけ。30代、40代の人はわしの同級生を見まわしてほしい。おそらく、100人に1人くらいの人しか英語が話せるようになってへんはずや。
ノーベル賞だけが研究者の優劣を測るモノサシちゃうが、68個のノーベル賞のうち50個が旧帝から出てる。7割ほど。九大は1個もあれへん。偏差値だけが優劣を測るモノサシちゃうこと分かる。5個は海外の大学に所属してる。
この人たちに学校や塾で学んだことなんか影響してるかちゅうたら、ほとんど関係があれへん。うちの体感やと従来の試験制度でほんまに優秀な人は4割ほど救い損ねてる感じ。逆に、4割ほどの人が才能があれへんのに難関校に合格してもうている。
受験なんて命をかける値打ちはあれへんもんや。
現実を直視したら、
「こうしたら京都大学に合格できるちゅうカリキュラムを提示してくれへん」
ちゅうリクエストも、それに対して
「分かった。当塾のカリキュラムどおりにやってもらえたら合格間違いなしです」
ちゅう返事も極めてアホらしいありえへん会話やと分かってもらえるはずです。
無理なことは、どんな大声を出して叫ぼうが実現はしまへん。
授業を聞いとったら、宿題をやっとったら得点力があがると信じてる人には永久に勝利の女神は微笑めへんやろう。うちは「金八せんせ」より“女王の教室”の阿久津せんせの方がリアリティがある思う。
ええ加減目覚めなはれ。まだそんなんも分かれへんの?勉強は、せなあかんものやおまへん。したい思うもんや。
これからあんた達は知れへんものや理解でけへんものに沢山出会う。美しいなやら、楽しいなやら、不思議やな思うもの沢山出会う。
そのとき、もっともっとそのこと知りたい、勉強したいと自然に思うさかい人間なんや。好奇心や探究心のあれへん人間は人間やおまへん.猿以下です。わしらの生きてるこの世界のこと知ろうとせんで何ができるちゅうんですか。なんぼ勉強したって、生きてる限り分かれへんことはいっぱいでもあるんや。
世の中には、何でも知ったような顔した大人がようさんおるけど、あんなんは嘘っぱちです。ええ大学に入ろうええ会社に入ろうが、いくつになっても勉強しよう思たらなんぼでもできまんねん。好奇心を失うた瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は、受験のためにするのやおまへん。立派な大人になるためにしまんねん。
(女王の教室、by 阿久津真矢)
アンチ「3年B組、金八先生」