A子ちゃんのこと

A子ちゃんのこと

　もう１０年以上経ったき書いても人物が特定できんろう。長う受験指導をしちゅーと忘れられん生徒がおるものや。Ａ子ちゃんも、その一人や。
　うちの塾に来てくれたがは彼女が小学６年生の時のことやった。最初に面接した時に、一目見て
「この子は賢い子や」
　と分かった。学力を確認しょうとプリントを渡いたら、いつまで経っても提出しょうとせん。完全に仕上げるまで粘る子やった。

　彼女は小学校の時から
「うちは医者になりたい」
　言いよった。うちの塾はそがな子が多い。やけんど、家庭は金持ちじゃないき何がなんでも国立大でないといけんと覚悟しちょった。うちの小学校時代とはえらい違いだ。

　中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスやった。そして、
「自治医大だと無医村に行ったら学費が浮くとか聞いた」
　とお金がのうても医者になれる情報を集めだした。うちもできるだけ協力して情報を収集した。
　そう思わしてくれる塾生やった。

　灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。
　その頃、メールやファイルが普及し出いたき私はさっそく
「家庭学習中に出た質問はなんでも送れ」
　と塾生に檄を飛ばした。うちは中学生は５科目、高校生は英語と数学に対応できるがよ。ところが、そがなサービスもごくどうには何の意味もない。

　やけんど、Ａ子ちゃんはほとんど毎日ファイルを送ってきた。その質問の内容も勉強しちゃあせんと出来ん質問ばっかりで感心することが多かった。うちは、Ａ子ちゃんからどれほどの力をもろうたことやろう。実は、白状するが高校の数学を指導しょうと決めたがは彼女の影響が大きい。まさか、塾生に背中を押されるとは。

　英語に関しては、高校の時に英検の準１級に合格した。ほんじゃあきに、英検１級の先生が必要になった。うちは彼女の書いてくる英文の日記を読みもって添削をし始めた。これが、後にネットによる通信生の募集につながった。まことに、Ａ子ちゃんがうちに与えた影響は大きい。

　１級レベルのアドバイスをすると、たいていの生徒の方は
「何を言いゆーのか分からん」
　という反応やったけんど、Ａ子ちゃんはうちの意図することを即座に理解するため、授業も楽しかった。語彙や文法が正しかったらえい英作文が書けるわけじゃない。

　当たり前だが、マナーやエチケット、採点官に対する思いやりが欠ける英作文は高う評価されん。学力だけではのう、そがな人間的な深みがないと見込みがない。浅い理解では京大らあの難関大は合格できるものじゃない。

　実は、うちに京大を７回も受けさしたのも直接的にはＡ子ちゃんの影響が大きい。
「この子は日本の宝や。何としても志望校に合格させんと」
　思うた。出来ることは何でもやる。娘以外の人間で、うちにそがな思いをさせたがはＡ子ちゃんが初めての生徒やった。

  A子ちゃんは、あるクラブに所属して大会で入賞する成績をおさめちゅーことは耳にしちょった。ところが、高校２年のある時、自主的にそのクラブを引退した。理由は分からざったけんど、成績が伸び悩んじょったのが理由だということは推測できた。

　うちは、彼女の覚悟いうか気魄に驚いた。
「先生はバツイチでも、１回結婚できたきえいぜよ」
　と笑いよった。言葉の端々にクラブばっかりか、彼氏も結婚も何もかも犠牲にしても医者になるがやという決意が満ちちょった。彼女のクラスがある時は、楽しかったけれど緊張した。
「この仕事を始めてよかった」
　うちにそう思わしてくれた塾生の子は多いが、彼女はダントツの存在やった。

  A子ちゃんは家庭環境にも、経済的にも恵まれちょらざった。多うの生徒は、過酷な環境に置かれるとグレるか性格が歪む。やけんど、彼女は厳しい環境を自分を育てる肥やしにできる稀な子やった。

「政策金融公庫と奨学金とうちのバイトで何とかする」
　そがなＡ子ちゃんやった。そして、ある時ボソっと
「お母さんが生命保険を解約するって・・・」
　とこんまい声でつぶやいた。やけんど、その目には絶対に合格するという覚悟が見えた。

　そがな貴重なお金を塾に提供してくれるがやき、リキを入れんわけにはいかん。損得勘定らあなかった。何としても合格してもらわんとならざった。彼女が多うの患者さんを救うことは間違いない。待ちゆー人がいっぱいおる。
　　

　　うちは中学・高校時代を通じて、Ａ子ちゃんと言うたらジャージ思うちょった。たまに制服で来てくれたけんど、女子度はゼロ。可愛い髪飾りを付けるでものう、フリフリの洋服を着るでもない。もちろん、髪振り乱して勉強いうことはのう、清潔にしちょったけれどファッションに時間も金もかけるヒマはなかった。

　　女子に「質実剛健」という言葉はおかしいがじゃけんど、Ａ子ちゃんにはピッタリの言葉。うちは戦前の教育は知らんけんど、両親を見よって想像はついた。歴史小説に出てくる一昔前の大和撫子。

　こりゃ偶然じゃない。今、うちの塾に各中学校のトップクラスの生徒が何人もおるけんど、理系女子はほとんど女子度ゼロ。平均的男子より理路整然と話す。そして、質実剛健。日本の未来は明るい思わしてくれる。

　Ａ子ちゃんは、その後「国立大学医学部」に現役合格して「旧帝の大学院」で学び、現在は研究職に就いちゅー。うちはＡ子ちゃんを長う見よ思うことがある。
　Ａ子ちゃんは気づいちょらざったが、当塾では彼女の指導から生まれた教材群のお陰で、その後なんと「京大医学部」合格者が４人も続出いた。うちの塾の救世主でもあったがじゃ。

　現在の日本では、道を外れたギャル、ヤンキー、暴走族あがりの生徒や講師をもてはやしお金がそちらに流れる構造が出来ちゅー。やけんど、本当はＡ子ちゃんのように目立たいでも人々の役に立っちゅー、道を外れん子にお金が流れるべきじゃないか。