一人静の花かおる


   (1)運命(うんめい)なんて変えられる


 運命って残こくだと思う。どんな家に生まれて、どんな環境で育ったかで人生というか、将来というか、自分の生き方や性格まで操作されてしまうのだから。残こくとしか言いようがない。
 朝の忙しい時間くらいしか顔をあわせない母親と一週間顔を見ないのが珍しくもない父親のことを考えると、最近のシュウヤは 「運命」 という言葉の意味を考えずにはいられなかった。

【運命】
 何ものかが決定づけた、幸・不幸のめぐり合わせ。
 人の意思を超えた絶対不可避な人生のなりゆき。
 すべては運命の支配下にあり、努力ではどうにもならないとする考え。運。さだめ。
 
 たった今つめ終えたばかりの学習塾の教材が入ったショルダーバッグを見つめながら、さっき国語辞典でひいた言葉の意味をふたたび考えたシュウヤは、小学六年生の体には大きすぎる薄茶色のデイパックに貯金のすべてが入ったスチール缶の貯金箱と、室内用のパーカーを丸めて詰めこみ、手袋と携帯カイロとネックウォーマーと耳あては、パーカーがあるから必要ないか……をやみくもに込めこんだ。
 と、先月母親が買ってきたダウンジャケットを着るか別のにするか、シュウヤは迷った。フードは邪魔だし、よりによってオレンジ色って、夜でも目立つでしょって何だよ。それに誕生日プレゼントにコレ、あり得ないよ、と。
 どうして 「何がいい?」 って訊いてくれないの。そもそも自分だったらダウンなんか選びはしないよ!
 心のなかで何度も口にした抗議の言葉に冷静さを失いかけたシュウヤだったが、福島と神奈川県では寒さの質がまったく異なる。小さくなったハーフコートは機能的とはいいがたい。実用性と、大袈裟に 「信念(しんねん)」 という言葉をおでこの上で思い描いてみる。頭の左に浮かんだのは実用性だった。
 シュウヤはダウンジャケットを着、デイパックを背負うと、誰もいない家のなかを物音をたてぬようにして階段を降りると、外界の様子をうかがうように玄関を開け、戸じまりをしてからだの向きをかえる。と、
「あら、シュウちゃん。お正月なのに塾? えらいわねえ」
 暮れなのに塾? 一週間前に聞いたのと似た言葉を口にする隣りのおばさんは、黒いベンチコートに中綿入りの青いゴム長をはき、右手に竹ぼうきを持っていて、立ち姿まで同じだ。ひたいに汗していないところだけが違って見えた。
 シュウヤは目が合わないように、
「遅刻しそうなんです、ごめんなさい」
 枯れ芝にいい、アプローチの飛び石を一つとばしで門に向かい、道路に出ると、勢いそのままに駅を目ざした。
 遊具のない公園まできてデイパックをベンチに下ろすと、背中が汗ばんでいるのがわかった。ずっと気になっていた貯金箱のカラカラ音がならないようにスーパーのレジ袋に入れ、さらにパーカーのフードでくるんで、息を大きく吐いてからバッグを背負いなおす。ドキドキはもう無くなっていた。
 路線バスがのんびり走る通りに出ると、
 ――この町から日本を変えます! あなたの一票でわたくしたちの暮らしは変わる、変えるんです、変えましょう!
 選挙カーと鉢合わせになった光景が思い出された。あれは確か、市議会議員をえらぶ選挙だ。
(小六のぼくに訴えても仕方ないじゃん。しゃがれた声なんか出してさ。)
 そう思うのに少し遅れて、候補者とは対照的で口数の少ない両親の顔が浮かんだんだ。
 母さんと父さんがぼくに求めるのは、人より勝れた大人になること。人の先を行くこと、前を歩くこと、人の上に立つこと。一流とか特別とか、別格というワードが好きだから。あの二人は。
 とにかく平凡がイヤで満足できないんだ。だから、中学受験に合格したら都会の高層マンションに引っ越すだなんてどうでもいいことを言い出すんだ。行っても行かなくても変わらない有名進学塾に通わせて、英会話を習わせて、もうやめちゃったけどピアノ教室まで行かせたりして。
 バスには乗らないと決めて出てきた。見おさめだからというわけではなく、ただ、ゆったりとした時間をすごしたかった。
 卒園した幼稚園の裏手をまわり、人通りのほとんどない用水路沿いをしばらく歩いて、沼沢地に出たシュウヤは、 「そもそも義務教育で中学受験って何だよ」 声に出して言っていた。この場所に似合わぬ明るい声だと自分で思った。
 目の細かな砂利が敷きつめられた遊歩道をしばらく行くと、水色でからだほどある長い尾っぽと、目出し帽をかぶったような黒い頭が特徴的なオナガが四羽、藪の茂みの隅から 『グェーイ、グェーイ』 奇声ををあげて飛びたった。北東の幼稚園との間にある林をめざすオナガを見おくり歩き出すと、
「なあんだ。ここにいたの」
 親子のように見えるツグミとジョウビタキが、茂みと歩道の際で地面をつついている。
「見送りにきてくれたの? ぼくのことを」
 落ち葉を勢いよくひっくり返す、ツグミの 「クワッ」 というひと鳴きが、 「そうだよ。」 と答えてくれたように聞こえてシュウヤはうれしくなる。春から夏の終わる頃まですごすというシベリアでも、ロシアの人に愛されているんだろうな……。その様子を想像してみるとシュウヤの気持はいっそう弾んだ。
 湿地の端の冬鳥たちのねぐらであろう藪にむかって、
「また会おうね」 きっと。どこかで。
 声をかけてシュウヤは駆け出す。目指すは天馬村、福島県の南の端のほう。旅立ちのスタート地点の駅まで、もうあと十分。
 ぼくは変わる、変えてやる。
「大丈夫、じっちゃんがいるんだから」

 新宿に出て、JRを乗り継いで、常磐線に乗ったのは午後2時05分。一時前には乗れると気軽に構えていただけに、常磐線に乗るまで落ち着かなかった。駅近の自転車屋の隣りにある 「アカ本屋」 と呼ばれる古本屋に立ち寄ったせいだ。
 入口の床に積み上げられた本は背表紙まで黄ばんでいて、せまい店内を体を横にそろそろ進むと、灯油とたばことカビっぽい臭いが入りまじった異臭が空間を汚していて、天井はまっ黄色、本棚にかくれて見えなかったけど、壁紙も同じだと思う。店内の輪郭の凡そがわかった頃になってシュウヤは気づいた。アカ本屋と呼ばれる理由に。手垢の ”アカ” を茶化してそう呼んでいるのだと。
 下を向いて眠っているように見えた店主は、どの本を選ぶか迷っているシュウヤにむかい、 「何をさがしているのか」 「どんな本を読みたいのか」、 いちいちいろいろ訊いてきた。訊いてくれた。早く出て行ってほしかったわけではなくて、今思うと、世話を焼きたかったんだと思う。
 おじさんの後ろの壁にはってあった去年(2021年)の煤けたカレンダーを見て、なるべくキレイな本という言葉を飲み込み 「昔の本で、おじさんがぼくに読ませたいと思う本」 と答えると、年齢と趣味と性格を訊かれて、夏目漱石や武者小路実篤、太宰などの本の内容を一冊一冊説明し、けっきょくこれ。山本有三という作家の 「表紙の男の子が君に似ている」 といわれた、比較的きれいで古びた本といった領域の 「路傍(ろぼう)の石」
 一冊150円。著者・発行者・発行所の書いてあるいちばん後ろの頁の上のほうに 「250円」 と鉛筆で書かれている。100円サービスしてくれたのに気づいたのは、常磐線の電車の中だった。夢中で読んだ。本の厚みが先を急がせたのかもしれない。
 でも、1/3くらいまで読んだところで……

あづき煮て  やぶ入り待つや  母ひとり

 吾一を待つ母親の 「おれんさん」 の気もちを考えていたら、もっとていねいに読まないと悪いような気がして、219頁目でしおりをはさんで、じっちゃんのことを考えはじめた。
 何を話せばいいんだろう。死んじゃったおばあちゃんってどんな人だったの? さほど興味はないけど、子どもの頃の母さんってどんな子だった? いやあ、やさしいじっちゃんのことだ、じっちゃんの方から話し掛けてくれるに決まっている。母さんみたいにせん索したりとがめもしないで。
 そう、竹とんぼや竹の筒で作った水テッポウに、コップ、コウリとか言ったっけ、竹をあんで作った小型の衣装ケースみたいな入れ物の作り方を教えてもらおう。それに釣りに、ねずみ花火に線香花火……は無理か。真冬だから。
 くもっていた窓ガラスがいつの間にかに晴れ、田舎らしい風景がながれ始める。心地のいい陽気がシュウヤを眠りにさそう。
 お前のお母さんはそれはそれはやさしい……じっちゃんやばっちゃんの肩をもんでくれたり……よく手つだいをする明るい子……親思いのすなおな子……。
 


   (2)岐路


 三が日も明けて二日、まだ松の内だというのに。あんなに大勢の参列者が来てくださるとは思ってもみなかった。
 母妙子の火葬を終えて莞恩寺(かんおんじ)にもどってきた信恵(のぶえ)は、二日間の葬儀の忙しさと、十日間におよぶ妙子の看病、そして想像していた以上に雑事の多い喪主の役目をつとめ上げて疲れ果てていた。
 ――皆さん、本日は年始の御多忙の折にもかかわらず、母妙子のために――私は町民の皆さまが笑顔で暮らせえるよう、皆さまを代表し――皆さまの声を国政に届ける所存――
 信恵の兄坂部善行(さかべよしゆき)が身振り手振りをまじえて、マイクロバスで戻ってきた “聴衆” にむかい訴えかける。花輪花籠の類はすでに片づけられ、本堂と山門をむすぶ石畳の参道に、人の輪がいくつかあるだけである。
 まだ噂でしかない国政選挙は春先。善行の予想では四月中旬から下旬の間。本人は確実だというけれど、まだ三か月以上ある。だから信恵は癪に障る。頭にくる。
 お通夜には来ない。入院中病院に来たのはたったの二日、両日合わせても三十分いたかいないか、たぶん二十数分といったところだろう。そんな善行に対して信恵は、妙子が倒れた日から眠るという行為すら忘れた付きっ切りの看病を十日間つづけて、妙子を看取った一昨日には、幼馴染みの看護師麻衣に点滴を勧められるくらい疲弊しているところにだ、
「施主は信恵にまかせよう。その方が母さんも喜ぶだろうから。いいよね親父」
 喪主を押しつけられる始末。葬儀を執り行う導師の立場の父庸道(ようどう)が務めるわけにもいかず、国政を目指す善行にとって時間は至宝、足りないことはあっても選挙以外のことに費やす余裕がないくらいのことはわかる。
 そうだとしても、善行からしてみれば、実母の葬儀も選挙活動。票集めのこの上ない好機。妙子をないがしろにするようなやり方が信恵は許せないのだ。
 では私はこれにておいとまを――くれぐれも無理せんようにのお……粉骨砕身窪谷町(くぼたにまち)民のためになるなら喜んで無理をさせてもらう所存――
「いろいろとご苦労さんだったね。つかれただろう」
 大学に入るまでは話し掛けようともしなかった、父であり、莞恩寺住職釈庸道が信恵の労をねぎらう。
「お父さんこそ……」
 住持として最も多忙な年末年始に、お寺と病院の往復で寝る間も気を休める間もなく、お別れにも立ち会えず、さぞ辛かったろうと信恵は思う。が……
 ご遺族ってみんなこうなんだろうか。お通夜や葬儀や雑多な手続き、選挙の準備も、庸道を仏道に進めたことさえ遺族に悲しむ時間を与えないように用意された、神仏のはからいに思えてくる。
「足は大丈夫かい。痛みのほうは?」
 言いながら庸道が近づいてきて、信恵のいる濡れ縁の隣に腰を下ろす。
「もう、何ともないわ」
 三年前の大学一年の夏。バレーボールの強化合宿中にアキレス腱を断裂し、二か月間ギプスをつけた不自由な生活がつづいた時期から、莞恩寺住職釈庸道から父坂部義道の顔に変わっていった気がする。娘がいうのはおかしいけれど、少しずつ信頼できるお父さんに変わってくれたのだ。
「信望が厚かったからな、母さんは。集落の誰からも。ほんとうに母さんには助けられたよ」
 庸道の目は、車椅子にのる高齢者を見ている。妙子との最期の別れである。無理を押して参列した者も少なくない。
「明るくて、正しくて、やさしくて、……尊敬できる人だった」
「母さんも喜んでいるよ。信恵のことばを聞いて」
 怒った顔など見たことがなかった。朗らかで心のきれいな女性だった。ただ一度だけ、庸道に訴えたことがあると信恵は聞いている。
 母の法名は釈妙清。妙の字は妙子からとり、もう一字はその人となりを表す字をあてるのが慣例らしいが、法名を決めようという時、その 「せい」 の字のことでもめたらしい。結婚してまだ間もない頃――
「清いはいい言葉だと思うし、そう思ってくれるのは嬉しいわ。でも同じ “きよい” だったら、ひじりのほうの 『聖』の字にして。妙聖に」
「聖はキリスト教を連想させるからねえ」
「なら 『しょう』 ならいいでしょう? 問題ある?」
 親鸞(しんらん)聖人と同じ読みになる……それだけ親鸞さんを慕っているという事になると思いますけど――清には汚れのないという意味があり、
「僕の印象は 『清』、 清らかな清なんだよ、君に抱く印象は。形容といったほうが正しいかも知れないが」
 そんなやり取りをして、最後の最後にお父さんに、
「ならば、本山に授けてもらうかい?」
 そう言われて、ぐうの音も出ずにお母さんは折れたらしい。
 妙子の話を回想していた信恵は……
「聖には尊いという意味があって、妙の字は奥深いを意味するの。仏道という尊い道を、 (お父さんと) いっしょに深めていきたいと思ってお願いしたんだけど――」
 妙子がそう話していたとおり。
(お母さんには、やっぱり聖の字が合っていたわ。)
 あらためてそう思う。
「就職の準備は。できているのかい? いろいろあるだろう」
 会話をしたいのか、妙子の話題を避けたいのか、庸道は話題をかえた。
「それどころじゃなかったし、いまは考えたくない」
 やり甲斐のある仕事かもしれない。ようやく摑んだ採用内定だもの、嬉しくないわけではない。でも、 「ほんとうにいいの?」 という思いが消えない。消せない。入社にふみ切れないでいるもっとも大きな理由は、採用通知が届いてたぶん浮かない顔をしていたわたしに――「とことんやってみてから決めたらどう?」 と言った、言ってくれた、母の言葉が気になってならないから。わたしなりに精いっぱいがんばってはみたけれど、やりきったとは言い切れないから。
「大学を卒業したからといって、就職せねばならないという法はないんだからね。要は人生とどう向き合いどのように生きるかだ。御仏は、思い煩い悩む者ほど、より心に留めて愛してくださる。そして最善をしめす」
 不動産取引業での就労が信恵の希望でないことは、庸道にもわかっていた。進むべき道がわからないでいる信恵の胸中も。
「信恵え」
 票になりそうな参列者と語らっていた善行が、
「お前、ほんとうにアノ会社で働くつもりか。大学にまで行って教員免許とったんだ、学校で働きゃいいだろ学校で。なんならウチの事務所で雇ってやってもいいぞ。毎日顔を付き合わせるってわけでもないし、一流企業をしのぐ待遇で迎えてやるから。それじゃ親父、俺行くから」
 一方的に喋って踵を返す。
 アノ会社があんな碌でもない会社に聞こえた。そうかも知れないし、そうだとしても、兄貴の事務所で働くなんてぜったいに嫌。いくら好待遇だからといっても、お父さんに何かがあって選挙と重なりでもしたら……
(兄貴と同じ顔でいられる自信、わたしにはないもの。)
 車に乗りこむ善行を見ながらそんなことを考えていた信恵に庸道は言う。
「母さんは、ご縁を重んじ、すすんで悩むことはしなかった。あるがままに、人生を楽しんだと思うよ」
 懐かしむというよりも、励ますつもりだろか。
 あるがままというのなら、法名も、お棺のなかの経帷子(きょうかたびら)を着た恰好もあるがままではなかったし、似合わないし、お母さんらしくなかった。
「これほど盛況な葬儀を執り行えたのは久しぶりだが、町の過疎化は歯止めが利かず、檀家も門徒宗も減るばかりだ。母さんがいなくなってしまった今後は、尚更かもしれんな」
 お父さんが住持の勤めにまい進できたのは、陰の実務や来訪者の相手などを一手に担ったお母さんがいたおかげ。母との会話を楽しむために、莞恩寺を訪ねる方も少なくなかった。
(もしかしたら、お父さん。……)
 雪かきを買って出た伊作(いさく)のもとに歩みよる庸道の背中が小さく見える。
 もっとよく考えて決めるべき。
 納得した上で就職するべき。
 石灯籠の陰やイチョウの木の根もとに積まれた、かまくらみたいな雪のやまが朝見たそれより小さくなって、硬そうだ。
 妙子との思い出にひたるように境内を見わたす庸道は……。
(お花まつりを思い出しているのかな。)
 母が愛し、その日がくるのを待ち遠しそうにしていた、お花まつり。十二年前まで行われていたお花まつりの主役は、お釈迦さまでもお父さんでもなく、お母さん。弾ける笑顔が映像となってよみがえる。
「わたしらしくよね。お母さん」
 庸道の願いを信恵は理解した。



   (3)ともしびは消え灯るもの


 川ぞいの県道をそのままほくじょー、川ぞいの県道をそのままほくじょー、何とか富士を右に見て川ぞいの県道をほくじょーほくじょー、川ぞいの県道をそのまま北上、〇〇富士を右に見て――
 父光太郎(こうたろう)のことばを呪文のように唱えながら、シュウヤはその道を北に向かい歩みを進める。
 県道に沿って流れる稲見川が遠ざかると、片田舎らしいのどかな景色に気もちが安らいで、周囲を見渡す余裕ができた。植田駅で降車した時の冷たい寒さはもう感じないし、そよ風ていどの風が吹くのをやめると、ダウンを脱ぎたいくらいの陽気に気分がいっそうなごんでいく、と同時に。
「またあるぞ」
 この辺りに地蔵が多いことにシュウヤは気づいた。
 しかもどの地蔵も麦わら帽子や地蔵頭巾をかぶったものとかぶっていない違いはあるものの、目の前にある地蔵にもさほど時間をまたずに置いたであろうPETボトルと和菓子がお供えしてあり、首にかかったまっ赤な色の前垂れは糊が利いてパリッとしていて、湯飲み茶わんとお供え皿は器の中までぴかぴかだ。
 上り坂のカーブ付近にある四体ならんだ地蔵を見、シュウヤは通学路にあるお地蔵さま、六地蔵を思い浮かべた。

 いいか、よく聞けよー。お地蔵さんとかお地蔵様とか親しみをこめてそう呼ぶがな、ほんとうは地蔵菩薩といって、如来に次ぐ地位にある偉い、ボ、サ、ツ様なんだ。
 では、なぜ六体あるか。それは六道という六つの世界に、地蔵菩薩がそれぞれいらして……
 
 課外授業で担任の話を聞いた翌日。六道のことを調べに図書館に行くと、
「人間が生き死にをくり返すなかで、この世で行った報いとして行かねばならない、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、の六つの世界を 『六道』 といい、仏のいない六道には仏にかわって 「地蔵菩薩」 が配されていて、我々生ある者をより良い方向に教え導く――。
 仏教ってなんだろうという本に、そんなことが書かれていたのをシュウヤはぼんやり思い出す。
 じっちゃんはいい人で、いいことだけしかしないから、一番いい世界に行くに決まっている。
 シュウヤは黄色い野菊を供えた地蔵菩薩の前で立ち止まると、目をつぶり、手を合わせて。
「じっちゃんと同じところに行けるようにしてください。じっちゃんみたいにいい人になるように、努力しますから」
 声に出していい、弓のように曲がった山坂道をふたたび歩きはじめた。
 が、不安が走った。点在する地蔵菩薩といい、坂道の勾配やその長さといい、道幅や雰囲気もどこか違うような、というより記憶になく初めてみるものに思えた。
 道を間違えたんだろうか。そもそも降車駅を間違えたのかもしれない。
「いやあ、何とか富士のあたまは右に見えるし、父さんの言うとおりに――川沿いの県道をそのまま北上――して来たんだから大丈夫。それに、歩きなんだし」
 父親の車の中から見る風景と、違って見えてあたり前。シュウヤは自分を納得させて、力づよく地面をけった。
 〇〇富士にかかる雲間を出たり引っこんだりしていた太陽が、いくらか傾いた気がする。暗くなった感じがするのは、左右にそびえる高木のせい。きっとそうだ。
 でも、すぐに日は落ち、点くのか壊れているのか疑わしげな外灯をたよりにして、歩かなければならなくなる。
 何気なくやりすごしてきた民家だが、いつの間にかに見なくなった。
 外灯と外灯との距離が役に立たないくらいひろがった。
 石垣の上から聞こえたおばさんたちの笑い声がなつかしい。
「引き返そうか……」
 通年そこにあるような霜柱を見て不安になった。空気が変わった、明らかに硬くなった。薄っすらと雪化粧した小山の斜面の枝木がさわぎ始めた。どう見ても、どう考えても、県道と呼べるような道じゃない。木の先端にあるか細い枯れ枝みたいな道の地面の凹凸が、息苦しさをおぼえるシュウヤに現実を突きつける。 「ここが県道のわけがないだろう」
 車が通れば無理してでも止め、事情を話して、じっちゃん家に連れてってもらおう。たのんでみよう。
 でも、民家を見かけなくなってからすれ違った車は、いくらも無かった。二、三台。三、四台だ。
「ここまできて引っ返えせないよ」
 このまま行こう。そう心に決めると、からだが軽くなった。
 お地蔵さまを見なくなって北風が吹いてきたせいか、無性に人に会いたくなった。人が見たくなった。アカ本屋のおじさん、乗り換えの電車を教えてくれた駅員さん、私鉄電車や常磐線のホームにいた振り袖姿の女の人やスーツを着たむずかしそうな顔の男の人にでも、今だったら進んで話せる。それはともかく外灯を点けてほしい、点いてもいい時間だ。
 足がまた重くなってきた。正直つかれた。屋根とベンチがある明かりの灯った公園みたいなところでいいから休みたい。家のそばのきづき公園みたいなところで。それがぜいたくなら夜通し歩くしかない、いや。夜通し歩けばいいだけのことだ。
 そんなことを考えたせいか、シュウヤの頭に 「野宿」 という言葉が浮かんだ。
 寒さは何とかなると思う。だけど、山の中で夜を明かすのは正直不安、以上に怖い、恐ろしい。もしも外灯が点くこともなく黄色い月を雲が隠しでもしたら、自分の手の形が確認できないほどの闇に覆われ、とうぜん視界が利くことはなく、静寂のなかカサカサという音にハッとして、驚いて、振り返って見て見ると、そこにある二つの光は獲物を狙う獣の目だった。
 そんな窮地に追い込まれない保証はどこにもないのだ。シュウヤは遙か先に見える外灯をにらみつけて、早足で先を急いだ。
 背の高い木々の数がめっきり減ったそのぶん、視界が開けて明るくなった。何となくだが民家がありそうな気配と雰囲気、人の居そうな空気を感じる。
 さらに開けたところで、道は二手に分かれていた。
 道幅の狭い右手の道は、父親のクラウンは通れても宅配トラックは無理そう、だけど……アスファルトとは異なるがいちおう舗装路だ。林に向かって伸びるその先がどうなっているのか、少し気になる。
 向かって左のクラウン同士がすれ違える太めの道は、遠近法の写真みたいにまっすぐ伸びて、緩やかに上っている。坂の向う側に切通しと合流する画が浮かぶのは、右の道より明るいせいだろう。黄色い粘土質の悪路が気になる。
「どうしよう」
 迷ったシュウヤは、無精ひげを生やした塾の講師の 「迷ったときは確立の低い素因を打ち消し、確立の高さを証明すること。確信をもってな。」 助言のとおりに考える。
 未舗装なのは、利用する人が少なく、舗装する必要性がないからと考えられる。でも父さんは、 「道が悪いのは相変わらずだな」 と言っていた。
 酔わないようにギュッと目を閉じていたシュウヤは、フワッとした感覚のあとのゴツンという衝撃をくり返すやっかいな道を、恨み耐えた。そんなことも知らずに、
「ここからはハネるからジュース、飲み干しておけよ。シートにこぼしたら落すのに厄介……」
 父さんはそうも話していた。山道に入ってからは景色を見る余裕なんてなかったから、確信はもてないけど……道のデコボコは車の往来があることを示し、舗装路はその先に集落なりがあったとしても、トラックが通れないことを考えると、あっても数軒。じっちゃん家がある集落とは雰囲気からして違う。
「左だ!」
 道幅の広い未舗装路をシュウヤは選んだ。父光太郎の言葉を信じることにした。気持と足取りがいくらか軽くなった。
 二人はまだ、ぼくの家出に気づいていないだろう。父さんは毎日遅いし、母さんは去年もその前の年も年末年始は遅かったから、気がつくのは明朝のはず。朝が早い父さんは出勤途中の車の中か、会社に着いてからだろう。
 いつ気づいても構わないけど、こんなことも運命のしわざ、運命なんだろうか。
 運命。何ものかが決定づけた幸不幸のめぐりあわせ。努力ではどうにもならないとする考え。さだめ……か。雨降りは運命だろうか。
 シュウヤの顔に雨つぶが落ちた。
 雨が降れば、運が良いと思う時と悪いと思う時があり、雨で遠足が中止になれば運が良くて、塾の帰りに傘がないのに雨に降られたら運が悪いと思う。みぞれに変われば不運で、雪になったら幸運。大雪は不運どころか不幸を招くこともあるし、努力でどうにかなるものではないから、自然現象は運命といえる。それなら、
「努力で変えられるものは、運命とは言わないことになるぞ」
 カラスが笑うように短く鳴いて、シュウヤの頭上の空を横ぎる。まだ明るい山向こうを目ざしているのか、悠々とした飛びかたからすると、ねぐらに帰る途中かも知れない。
「とにかく急がないと」 
 シュウヤは早足で歩みを進める。傘がない。
 北東にそびえる深緑色の〇〇富士は黒い塊に姿を変え、手前にある低い山はすっかり雲に覆われ頂上あたりが辛うじて、
「あっ」
 家だ、明かりだ。誰かいる! 
 うす暗くなった視界をかき分けるように腕をふってシュウヤは駆け出す。
 バラックとかあばら家とか言うんだっけ、そんなことはどうでもいい、暖かそうな黄色い明かりのともった廃屋みたいな建物まできて、
「こんにちは、こんばんはっ」
「誰かいませんか!」
「こんばんは開けてください、開けて誰かあ!」
 くり返し叫んでも、引き戸を何度たたいても、ちんまりした正月飾りがゆれるだけで、 「窓だ!」
 窓もだ。すりガラスをこすって中をのぞく、意想外にきれいだ。作業台と思しき大きなテーブルの端に、天然木で作られた牛が横向きで整列している。これから色付けをするのだろう、四角いピンチハンガーに様様の筆が吊してある。ここは工芸品を制作する工房みたいだ。
 建物横にまわってみる。と、鉄パイプの骨組みにサビたトタンを載せた屋根と、壁のかわりにベニヤ板で正面以外の三方を囲っただけの頼りない物置きがあり、その中に、長さ30~40×直径20センチほどの丸木がシュウヤの胸元くらいの高さに積み上げられていて、その横に一輪車とリヤカーが、
「なんだよ、もーお」
 トタン屋根を打つ雨が急に激しくうるさくなった。でもしたたる雨は、神奈川で見るそれよりも清んでいる。きっと雪にはならないだろう。 「ならないで」 と願う気持の方が大きかった。
 シュウヤはデイパックからパーカーを取り出すと、寒いのを我慢してダウンを脱いでトレーナーの上に着フードを二重にかぶった。入れたはずのネックウォーマーが見あたらない。カイロも。それでもシュウヤは 「今夜はここでやり過ごすぞ」 と、泣きそうな自分を励ましながらダウンをはおった。何十年かの人生のたった数時間のことなんだし、そうするしかないからだ。
 横に伸びた鉄パイプに貯金箱の入った買い物袋を吊るして存在がわかるようにし、丸木の上部を覆ったトラックのホロみたいな厚手のシートをすべらせ、思いのほかきれいなリヤカーをおおう。その隙間をめくって、荷台に乗り込む。
 冷気が入らないようすき間を塞いで仰向けになり、デイパックを抱きしめると、学校とも家とも違う孤独に、心地よさをおぼえた。
「運命か」
 幸運。不運。悪運。強運。開運、運気運勢、運命、運、どれも偶然か必然のめぐりあわせだ。
「ぼくは信じないぞ。運なんか」  
 激しい雨が単調なしらべに変わり、眠気を誘って瞼が重い。
「靴、履いたままだな」
 靴ひもも、ほどけてる。
 どうでもいいや。



   (4)やさしさにすくわれて


 日の出までまだ時間がある。意外に寒くはない。思ったほどでは。雨は雪にかわっていた。
 雨が清ければ、雪は神聖という形容が合っていると思う。気温によって雪に変化することを考えると、雨もまた神聖なのかもしれない。シュウヤは――
「福島の夜空はきれいですね。まるでプラネタリウムだ」
 濡れ縁を立って玄造にそう話しかけた父光太郎のことばを思いだし、どちらにしても、福島の空や空気がきれいだから清くも神聖にも見えて、こんなことを考えるんだと納得し目を細めた。
 勉強しないで寝たのも五時間以上眠ったのも、小学二年生以来だ。そのせいだろうか、頭は冴えているのにからだがかえって重だるい。白銀のベースキャンプで眺めるような大地と、ガラス片に似た雪の結晶が空の低いところでキラキラするのを見ていると、早く玄造に会いたい気持よりももう少しこうしていたい思いが勝ってしまい、シュウヤはなかなか起き出せないでいた。と、
「何をすとる」
「……」
「そんだらとこで何をしとる、わらす (童子)」
 しわがれた声が足先から聞こえた。
「起きれ。死んでしまうぞ」
 心配してくれる言葉よりも、野太い声の迫力が上回って怖かったが、シュウヤは腰を浮かせて声のする方向に、
「ごめんなさい、じっちゃんの家を捜していたら暗くなっちゃってそれで、明かりが点いていたから、それでここで……」
 早口で弁明する。雪を背に立つ作業用の濃紺色の防寒着を着た老人は、彫刻刀で削ったような深いシワ顔に仙人みたいな長髪のグレーヘア。眼つきが恐い。
「明かりはイノシシから農作物と身を守る集落の申し合わせじゃ。外灯のかわりになるしの」
 遊びに夢中で早くに寝たからうろ覚えだけど、今思うとじっちゃん家も、明かりは点けていた気がする。
「話はあとだ。中さ入れ」
 がたぴし開いた引き戸をまたぐと、ストーブに火はついておらず、きちんと整頓された室内は表の寒さと大差ない。リヤカーよりも寒いくらいだ。
「まんず温ったまるべ」
 白い息を吐き出しながら仙人さんはいい、牛の工芸品が置かれた作業台をう回し、奥の部屋の扉を開けた。
「わあ」
 天上にはめ込まれた飲食店にあるような大型のエアコンと、そこから吐き出す暖気に驚いたのではない。スチールラックに並べられた朱色っぽい赤で塗られた牛の数にだ。
「ちと臭うが、大丈夫け?」
 塗料のにおいだ。帆船づくりが趣味の父親の書斎に入る時に嗅ぐ臭い。だから気にはならない。
「大丈夫だけど、牛、ひとりで作ってるの」
「んだ。首の動かん赤べこ、赤べこもどきだあ」
 赤べこはもちろん知っている。家のサイドボードの上に置いてあり、ごはんを食べる時にはいやでも目に入る。首が 「うんうん」 あるいは 「いやいや」 動く、会津地方の民芸品だ。
 仙人さんの作る赤べこもどきは、まん丸に肥ったのややせ過ぎに見えるもの、目を見開いてびっくりしたのや、うれしそうに笑っているの、口一杯に飼葉をふくんだ顔のまでいて一体一体表情豊か。どれも本家の赤べこみたいに愛嬌がある。
 仙人さんの話によれば、車で二、三分のところにある自宅を兼ねた作業場に物置きにある丸木を運び、樹皮を剝いで乾燥させて、電動のこぎりなどを使い25センチ大の加工しやすい形にする。そしてふたたび 「ここ」 に運んで、隣りの部屋の工作機械で牛に近い (電気ケトルみたいな) かたちに加工した後、手彫りとヤスリで細部を整えたのが、昨日すりガラス越しに見た作業台にいた牛たちだ。
「重厚感を出すために、ニス塗りと乾燥と研磨、三つの工程を二度くり返す。こまい模様をあしらったら完成というわけじゃ」
「手間が掛かるんだあ、ここまでするのに」
 シュウヤは感心する。体格や手足の長さや微妙な色の違いに、あらためて愛着を感じた。
 仙人さんは背中を向けて、
「わしは渡部伊作。お前さんは」
 疲れたマジソンバッグをゴソゴソしながら言う。
「ぼくシュウヤ、芳野崇哉。十二歳」
 ダウンを脱ぎながらシュウヤは答える。
「シュウヤか。尾花とシラカシとが無ければ、おだ仏じゃったぞ」
「おばな?」
「ススキじゃよ。ヤツが風よけとなり、シラカシの木が風雪からお前さんを守った」
 物置きの裏手はススキやヤブ草がうっそうとしていて、物置きの上を木の枝がおおっていた。苦もなく手折れそうな枯れたススキと、高くも太くもない木の枝葉に命を守られたとは、にわかに信じられない。
 でも、シラカシが無い状態で大雪に見舞われでもしたら……名ばかりの物置きなどひとたまりも無いだろう、と考えただけでゾッとする。今さらながらにシュウヤは無ぼうなことをしたと思う。
 伊作は取り出した重箱のふたを開けると、
「メシさまだだろ、美味くもねえが食えっ」
 シュウヤにつき出す。三つあるおにぎりのうち、草色のとろろ昆布を巻いた一つを伊作は手に取り、ぜんたいを海苔で巻いた残りの二つがシュウヤのぶんだ。ソフトボールと同じくらい大きい。
「コイツもつまんでめろ」
 もう一つのお重の中には、鶏のから揚げ、白身の多い大判の卵焼き、それに山菜が詰まっている。  
 古本屋のならびにあるドラッグストアで買ったカレーパンを電車の中で食べてから、何んにも口にしていないから、
「いただきまーす」
 おにぎりをほおばった。塩けのつよいあまいお米と海苔の香味が口の中でまざりあって、ほんとうに、
「おいしい!」
 にぎりメシだ!
「なしてこんだら田舎さあ一人できた。東京からだべ」
 まだじゅうぶんあったかなおにぎりの中身は大好きな、おかかだ!
「神奈川から。じっちゃんの家に、行こうと思って、道に、迷って、それで……」
 鶏のから揚げは香りからして食欲をそそる。
「この町はじいさんとばあさんばかりじゃが、誰さ訪ねてきた」
「町ぃ! 村じゃないのお!? 天馬村じゃ」
 とん狂な声をあげるシュウヤに、伊作はコーヒーポットの中味を湯のみに注ぎながら、
「去年町さなった。窪谷町という天馬とは正反対のヘンチクリンな名まえにの。巡回バスが通るようになったことの外は、何んも変わりゃせんわ」
 残念そうにいう。緑茶の苦味がシュウヤに新鮮だった。
「それより誰さ訪ねてきた」
「名まえ、何だっけ」
「じっちゃんだけでは、捜しようもながっぺよ」
 送ってくれようとしているのか、連絡を取ってくれるのか……してくれそうだから、
「道の右側に何とか富士があって、左の低い山の下にきれいな川が流れていて、歩いて五、六分のところにひょうたん池があるよ!」
 頭に浮かんだ特徴を訴える。
「ひょうたん池はわかっが、歩いて五分では見当もつかん。それに何とか富士とは、大志山のことかいの。富士の山に似とると言われりゃ似とらんこともねえべが……」
 考えてみると、シュウヤは、玄造からも母親からも 「〇〇富士」 という言葉を聞いた覚えが無い。何かに譬えたり形容したり語呂合わせで覚えると、記憶に残ると教えてくれた父さんのことだ、きっと勝手に〇〇富士と呼んでいただけなんだ。
 母さんと言えば、
「そう佐藤です、佐藤さんです」
 母方の旧姓は佐藤だ。
「このあたりは佐藤姓ばかりじゃが、下は。下の名は」
 父さんはおじいさん、母さんはおじいちゃんと呼ぶ。ぼくは 「じっちゃん」。 だから、名まえまではわからない。
「農家をしていて、お米とメロンとそれにスイカも、」
「この辺りの農家はみな似たようなもんじゃが、どんな男だ。家のとくちょうは。覚えておらんか」
 畑の入口のような道からは背の高い竹林が見え、隠れるように建つ平屋の母屋は隣の建屋と棟つづきで、建屋の二階は襖で仕切った畳の部屋が二間あり一階部分は車庫だった。それよりも、
「名まえは覚えていないけど、ぼくが生まれた年に一人息子さんを脳いっ血で亡くしたって」
 その人の小さい頃にそっくりだと言われたことをシュウヤは思い出した。 
「玄さんのところじゃの。佐藤玄造。農業は廃業して、いまは老人ホームさおるわ」
「老人ホームう!?」
 驚いた。去年は父さんの海外出張で来られなかったけど……。
 その前の年までのじっちゃんは、ラオスからきた実習生の二人と農作業に汗をながす合間に、竹とんぼの作り方を教えてくれたり、ひょうたん池に釣りにつれてってくれたり、お風呂につかうまき割りをいっしょにしたりと、疲れ知らずの体力じまんで、どこかが弱っているなど考える余地を与えないほど健康だった。そんなじっちゃんがどうして老人ホームに……
「ということは、お前さんはシズカの子け?」
「うん……」
「初めからそう言えば、すぐに分かったぞ。ほっかあ、静花の息子だかあ」
 両親からは、農業をやめてしまったことも、老人ホームにいることも、聞かされていなかった。
 あらためてシュウヤは思った。
 家族なのに、どうして。
 どうして、話してくれないの?
 こんなことばかりだ、と。
「連れて行ってやりてえところじゃが、回礼もかねて道の駅さまわらねばならないしけ。正月じゃから」
 両親への悔しさを抑えて、シュウヤは訊く。
「元気なの? じっちゃん」
「ああ元気元気、ぴんぴんしとるわ。お前さんが行ったらきっと喜ぶ……」
 
 シュウヤは 「子ども一人を残しては出掛けられない。」 という伊作を手伝い、赤べこもどきを透明のプチプチシートでくるんで、段ボールに入れ、四角い軽自動車に積み込む作業を終えて、目的地へ向かう車中にいた。
 光太郎の運転と違い、道のデコボコを巧みに避けながら、ほどなくして着いたのが、
「ここ?」
【莞恩寺】
「かんおんじと読む」
 屋根のかたちが、実家の窓から見える大山みたいな立派なお寺だ。
「わしは先代と同級で檀家じゃ。息子によっく話しておくから、何も心配せずにゆっくりすとれ」
 軽自動車のエンジン音が聞こえたのだろう。恰幅のよい僧衣姿の男の人が、近づいてきた。
 
 
 
   (5)信恵さんと少女とホト


 クラクションの音を聞きつけ、苔むした茅葺き屋根の山門をくぐって、そそくさ出てきた釈庸道と二、三分立ち話をした伊作は、 「帰りに寄る」 といい残して道の駅まわりに出て行った。
 伊作が運転する時かけていた眼鏡のフレームよりも金ぴかにかがやく、講堂みたいな本堂を右に見て、、重厚な板張りの廻り廊下を真ん中くらいまで行き、右側にある畳の間にシュウヤをとおした庸道は。
「事情は聞いたよ。ま、どかーんと ”大の字” になって、何も考えずにひと眠りするといい」
 と短くいい、数分後には慌てた様子で、
「私は檀信徒と約束があるから」
 黒染めの僧衣の上に茶色いハーフコートをはおって、バイクに乗って行ってしまった。
 六年生のシュウヤには縁遠い寺院である。
「どかーんって、言われても」
 怖いイメージしかなく落ち着けそうにない。
 それでも、畳に座って足を伸ばすと、芳しい畳のにおいが心地よくて、別世界にいるようで、からだの力が抜けていく感覚をおぼえた。
「そうだ」
 碁盤のような形をした天井にシュウヤの声がはね返る。
 デイパックを手もとに引き寄せ、読みかけの 「路傍の石」 をシュウヤは手に取り、カバーを折り込んだ頁を開く。

あづき煮て やぶ入り待つや 母ひとり
 
 この句は覚えていたが、前段までの内容は抜け落ちていた。なので二、三頁前に戻って――
  先生にほめられて、おお威ばりで秋太郎が学校から、帰ってきた?
  吾一も自分のように嬉しかった……
  国語も歴史も地理もできのよくない秋太郎
  奉公しながら中学の学科を学ぶ吾一
 家を出て働き始めた吾一は中学生になれなくても、勉強できることがうれしかった。そんな吾一の束の間の里帰りだ、息子の帰宅を心待ちにするお母さんがふと思い浮かべたのが、
「あづき煮て……」 の句。
 そうだ、そうだったっけな。
 仏寺どくとくの雰囲気というか空気のせいか、本に目を通した効果なのか、思いもよらない出来事が一応はおさまった安心感か。畳の香りのせいも、あるかもしれない。
 どっと疲れをおぼえたシュウヤは、庸道の言葉のとおり畳に寝そべって大の字になる。
 が、老人ホームにいるという祖父玄造や、おろおろしているであろう両親の顔が浮かんで落ち着けない。
 縁側のほうに顔を向ける。と、庭園みたいな庭先にメジロがつぎつぎ飛んできて――7、8羽か、もっといるかもしれないな――ツバキの赤い花弁をつつき始めた。甘党のメジロにとって冬の貴重な食料資源なんだろう。うっすらと雪をまとった深緑のツバキの葉に草色のからだが映え、おもむきという言葉が浮かんだ。
「あれえ?」
 小さな池の燈籠の奥、生け垣の下の雪のないところで “物思いに(ふけ)る” かのようにじっとしているのは、間違いない。ツグミだ。
 たかぶったままの神経をおさめたくて、
「こんなに早く会えるなんて、思ってもみなかったよ。シベリアに帰るまでに体力つけてさ、友だちたくさん作るんだよ」
 片肘をついた姿勢でシュウヤは声をかける。
 木月か、築きか、城をいうのか、分からないけど、近所にある 「きづき公園」 で見かけるツグミよりも線が細く見える。持久力のある子がより遠くに渡来するのだろうか。
 そんなことをぼんやり考える。
 どちらにしても、大人の手の平大のからだでシベリアから海を越えて渡ってくるツグミを思うと、神奈川から福島までの電車旅など、何でもないことのようにシュウヤには思えた。
 家を出て、古本屋に立ち寄って、電車を乗り継いで、読書に夢中になって、じっちゃんに会えないかもしれない不安のなかで見知らぬ場所で野宿までした昨日のことを順を追って思い起こしていると、
「ごはんできたわよ」
 女の人の声でシュウヤは飛び起きた。
「母がいたら、ちゃんとしたお斎を食べさせてあげられたんだけど」
 ごはんのことをおトキと言うらしい。
 シュウヤよりもはるかに背の高い、178センチある父親よりも長身で、細身の女性のあとにつづいて廊下をいくと、
「玄造さんを訪ねてきたんですって?」
 目の前の女性は声まで細くて淋しそうだ。
「……うん」
「一人で? よく出してくれたわね。お父さんとお母さん」
 何のために存在しているのかわからなくなって、それでじっちゃんを頼りに家出してきた……。初めて会う人に、しかも淋しそうなようすの女の人に話すことじゃない。
「まあいいわ。どうする? 午後からでよかったら連れて行ってあげるけど。玄造さんのところ」
 背中ごしに信恵がいう。必要以上に訊かない信恵をシュウヤはいい人だと思ういっぽう、老人ホームにいる玄造に、どんな顔で会えばいいのかわからない。
 こころの準備ができていないし、しずんで見える “お姉さん” を煩わせたくない気もちが大きくて、
「………」
 答えないでいると、
「たすけてください」
 二階建ての別棟に入る目前だった。乗用車のかげで女の子が、
「たすけて……」
 声が潤んで消え入りそうだ。
「ワンちゃんがどうかした?」
 紺色のピーコートでくるむように抱かれた、仔犬に何かあったのか。シュウヤも同じことを思ったが、少女ははげしく首をふって否定する。
 くつ脱ぎのサンダルをつっかけ、信恵は少女にかけ寄って、
「何かあったのね、話してみて。ゆっくりでいいから。ね」
 しゃがんでやさしく話しかけると、少女は声を上げて泣きだしてしまった。
「とにかく中に入りなさい」
 少女の肩に手を置いて信恵は家に導く。
 涙にぬれた少女の顔とマルチーズの仔犬のからだは、降り積もった新雪みたいに白いのに、ピンクの舌をわずかに出した笑ったような仔犬のそれと、そうしたいのを我慢してきたかのように泣きじゃくる少女の顔が対照的で、少女の靴とズボンの汚れと背中の泥ハネが 「助けて下さい」 を。異常事態を物語っている。
 テーブルについたシュウヤに、信恵は食事をとるよう促すと、
「どこからきたの?」 
 一人で来たの? お母さんはいっしょじゃないの? おなかは空いていない? 
 少女の隣にしゃがんで訊ねてみても、少女はしゃべれる状態じゃない。混乱してパニックになっている、そんな様子だ。
「シュウヤくん食べて」
 言われたとおりシュウヤは箸を手にしたものの、箸をのばす気にはなれない。
「わたしは坂部信恵。あなたは?」
 女の子はしぼり出すように 「きたはら、よしこ」 と口にし、シュウヤは二人の名まえを知った。
 母がいたら、ちゃんとしたお斎を食べさせてあげられたのに――。何が理由かわからないけど、何かを抱える中で作ってくれたおトキだ。シュウヤは遠慮がちにブリの煮つけに口をつける。
(おいしい!) 
 ちゃんとしているも何も、甘じょっぱい味がしみ込んでいて、空腹のせいもあって飲みこむより前に箸が勝手におトキにのびる。
「わたしもさっき会ったばかりなんだけど、紹介するね」
 少女は泣きながらコクリとうなずき、シュウヤは慌ててごはんを飲みこむ。
「シュウヤくんよ。苗字は?」
「よしの、芳野崇哉。小六」
「お寺の小僧さんなの」
「こぞうさんって?」
 シュウヤが聞きたかったことを少女が口にする。
「お寺で生活しながら修行をする、お坊さんのタマゴかな」
「ええ!? 何それー」
「だって出家してきたんでしょ?」
 話がどう伝われば小僧になり、 「出家」 になるのか、
「ぼく、そんなつもりは……」
 抗議したいシュウヤを仔犬が見上げ、二本足で立ち、体を押しつける。
「抱っこしてほしいって」
 信恵のいうとおりに抱き上げると、泣きやんだ少女に信恵はふたたび――どこからきたの? お母さんは? 近くにいる? 間を置いて訊ねては返事を待ち、シュウヤも耳を傾けた。
 どうやら、母親の身に深刻な事態が生じて身動きできず、一刻をあらそう状況にあるらしい。
「それで人を呼びに来たのね。わかった、お姉さんと迎えに行きましょ。佳子ちゃんと出て来るからシュウヤくん、ワンちゃんお願いね」
「ホトっていうの。ドッグフード食べてきたから、お腹はすいてません」 
「それと、お客さんが来たら出かけてるって言って。電話は出なくていいから。お願いね」
 

 ホトをひざの上にのせたまま食事をすませたシュウヤは、 ♪ 犬はよろこび庭かけかけまわり――の歌を思い出して、畳の間から見た庭園みたいな庭にホトを連れ出した。
 室内犬は寒いのが苦手なんだろうか。ホトは足を上げておしっこで雪に穴をあけると、かけ回るどころか 「部屋にもどろうよ。」 とでも言うようにキャンキャン吠え出したので、シュウヤはからだについた雪を手で払ってやって抱っこをすると、ホトはしっぽを勢いよくふりクークーいって口をなめようとする。とにかくホトは甘えん坊だ。よくよく見ると、耳の横で結んだ “髪型” が、
「そっくりだなあ、佳子ちゃんに」
 畳の部屋に戻ってホトを座布団の上におろすと、ホトは大きくため息を吐き目をしょぼつかせ、からだを丸めてやがて小さな寝息を立て始めた。
 シュウヤはホトの背中にそっと手を置き、
「お前も大変だったな。疲れただろう」
 ホトをねぎらい、路傍の石のつづきを読んで二人を待とうと、本を手に取ってはみたものの……
(どんな人なんだろう。佳子ちゃんのお母さんって。)
 一人佳子が来るのを待つ母親のことが気になった。畳の上に大の字になり、ぼんやりと考える。
 佳子ちゃんと似たような髪をしているのかな。
 子どもの頃に似たような髪をしていたのかもしれない。
 ホトのヘアースタイルに似せたってことはないだろうから、ホトを佳子ちゃんの髪型に似せたんだろうか。そもそもこういう髪のかたちが好きな人なのかもしれないな。どちらにしても、 “ふたり” に同じ愛情をそそぐこころのやさしい人だとシュウヤは結論づける。
 ホトのかすかな寝息が聞こえるだけの静けさのなかで、シュウヤはつねに音のある暮らしを強いられていたことに気づいた。
 老人ホームにいるという玄造はどんな状態なのか、佳子の母のことも気になる。それでも、
「いいなあ。こいうのって」
 シュウヤの声を聞いてもホトは相変わらず。気持よさそうに眠っている。やっと落ち着いて眠れるよ、といったところかも知れない。そんなホトにさそわれて……
 霞みがかった視野の中に、背中を丸めて本を読む古本屋の店長の顔が浮かび、隅の方にはベンチコートを着た隣りのおばさんが、ニコニコしながらこちらに向かってスコップを振り、 「えらいわねえ、今日も塾?」
 牛を梱包している伊作おじいさんは、メガネをしていないせいでムスッとして見えるけど、卵焼きを美味しそうにほおばる顔はいかにも幸せそうで、鉄橋の枕木にぶら下がるいがぐり頭の男の子は 「中学に行けるかもしれないぜ。」 と、満面の笑みを浮かべて喜んでいて、その本を閉じるぼくの目の前を、だんかさんの所に急ぐようどうさんがバイクで横ぎり、悲しそうな信恵さんのほっぺは人が変わったように寒椿の花の色にかわり、ようどうさんが乗るバイクのナンバープレートは、桜の花びらが舞うようにひらひら揺れて、 「ピー」 という留守番電話に切り替わる高い音で目が覚めた。
 メッセージを残していないことからすると、急ぎの用ではないようだけど、ベルの音に気づかないほど熟睡していたようだ。あんなに心配していたのに。佳子ちゃんのお母さんのこと。
 
  シュウヤって冷たいな。
  ぼくたちより勉強のほうが大事なんだ。
 (先生までさ……)
  みんなと上手くやるのも勉強のうちだぞ。
シュウサイシュウヤ、シュウサイシュウヤ、つめたいシュウヤ、
  つめたいシュウヤ、シュウシュウシュウシュウ………

 二人が出掛けてから、四、五十分たつ。女の子が歩いて来られる距離にしては遅いと思う。遅すぎる。
 回廊に立ち外を見ると、車のエンジン音がかすかに聞こえ、近づいてきて、大きくなって雪下の砂利をかむ音が止み、
「シュウヤくん乗って。出かけるよお」
 車窓がおりて、信恵は言った。明るい声が違う人みたいで、
「ホトはどうするのお? 眠ってるんだけどー」
 訊き返すシュウヤの声も大きくなる。
「じきにお父さんが帰ってくるから大丈夫、早く乗って」
「寝ているんなら、そのまんまで大じょうぶう」
 助手席でいう佳子の声も顔も明るくなった。
「鍵は、」
「そのままでいいから、早くう」



   (6)佳子ちゃんのお母さん美夏子さんのこと


 佳子の母北原美夏子は、町はずれのクリニックで精密検査を受けている最中である。衰弱していることもあり入院加療は必要になるが、 「あくまでも用心のため」 と信恵に聞いて、先ずは安心したシュウヤだったが、なぜ道ばたなんかで倒れていたのか。旅行に使うスーツケースとショルダーバッグを持ってホトを連れてどこに行こうとしていたのか。どうして救急車を呼ばずに幼い子どもに人を呼んでくるよう言いつけたのか。
 聞きたいことを聞かされずに、わからず仕舞いのシュウヤが分かったことと言えば名まえくらいのもので、入院に必要なものを新たに買い揃えることを考えると、北原親子に頼れる人が身近におらず、着がえや洗面道具などを取りに帰る家が遠いか、無いか、どちらかしか考えられない。
 外山と遠山を背景に、稲刈りあとの切り株が縦横まっすぐならんだ田んぼに、半円形のビニールハウス、目の高さより堆い畦、また田んぼ。軽トラックに休耕地、田畑が庭のように見える民家。
 似たような風景に目をやりながら、まだ見ぬ美夏子のことをシュウヤが考えている間も、
「佳子ちゃんはワンピースが似合いそうね」
「あたしズボンのほうが好きい」
「じゃあ両方買っちゃおっか、上着も何着か。部屋着と肌着と、普段着と、余所行きと……靴でしょう、ソックスでしょう、リボンでしょう……バンダナも似合うわね、佳子ちゃんなら」
「でも……」
「遠慮を覚えるのは大人になってからよ」
 前席の二人は女の人同士らしい会話で、意外に盛り上がっている。ということは、検査は、病気かどうかを調べるためで、深刻な状態ではないということになる。 
「お姉さんもちょうどね、セーターを新調しようかなあって考えていたところなの。佳子ちゃんお見立てしてくれる? あ、あそこよ」
 広大な田園地帯に白亜のショッピングセンターがその姿を現した。駐車場と合わせたら日産スタジアムが二面分もありそうな、大規模な商業施設だ。
 横に長い二階建ての建物の一階部分は、全国区のレストランとホームセンター、スーパーマーケット、神奈川にもあるCDショップを兼ねた大型書店、衣料品店にクリーニング店、1200円の(のぼり)はためく床屋まである。建物内にはラーメン屋とたこ焼き屋と、クレープが食べられるお店もあるようで、生活に必要なものはひととおり揃いそうだし、一日いても飽きないほどの充実ぶりだ。
 休止中の屋上駐車場に入場できない車で混雑するエリアを避けて、建物の正面の離れた場所に車を止めた信恵は、佳子のシートベルトを外してやると機敏な動きで車外に出、 「あなたは自分の必要なものを選びなさい。遠慮しちゃだめよ」。 財布から一万円札をぬき取ってシュウヤに握らせ、 「お金ならあるからいいよ」 と言う間も与えず、佳子の手を引いて行ってしまった。
 駐車場のタテ一列に寄せられた雪の山が、かまくらが作れるくらいにきれいで、駐車場のフェンス際にあるうずたかい雪のほうは、下の方が泥と排ガスで汚れている。でも、上の方はこっちと同じでキラキラ輝きやわらかそうだ。
「どうしよう」
 時間をつぶすのなら本屋だが、仮にほしい本があったとしても、本は必要なものに入らないから……シュウヤはホームセンターに足を向けた。
 残雪置場の右がわの緑に塗られた歩行者通路をこわごわ歩くシュウヤの横を、地元の人が談笑しながら追い抜いていく。シャーベット状の路面を踏む 「チャッチャッ、ジャッジャッ」 の音がリズミカルで、白いほっぺをまっ赤にそめた子ども達が白い息をもくもく吐いて、元気いっぱい雪玉を投げ合う。可愛らしい方言をつかって。目をキラキラ輝かせて。
 除雪用具や工具売場、家電やホビー売場を何の気なしに見、室内用のジャージの上下とサンダルと一応マグカップを買い、外に出て、人の出入りが見える場所から二人が出てくるのを待っている間も、シュウヤの頭は玄造のことでいっぱいになる。
 じっちゃんはどんな状態なんだろう。
 ぼくのことを覚えているのか、忘れていないだろうか。
 元気なのに、どうして老人ホームにいるのか。
 衣料品店に入ったままの二人はまだ出てこない。やったこともやる気もないUFOキャッチャーのぬいぐるみを見ているだけでは、退屈で仕方がない。何気なく表を見ると、子どもたちのつくった雪だるまのなかに、地蔵菩薩に似たのがある。
「お待たせえ」
 ようやく出てきた信恵は 「衣料のフクロク」 の紙袋の他にも、ホームセンターのレジ袋まで持っていて、
「それだけしか買わなかったの?」
 わざわざフクロクに引き返して、シュウヤのために室内用に半てんと厚手の靴下、冬用スリッパに下着の上下、それに四足組の靴下を色やデザイン、材質までもぎんみしながら選んだから相当な時間、それに、
「こうしたほうが可愛らしいでしょ」
 お地蔵さま似の雪だるまにピンク色の買い物袋を前掛けの代わりにして、リメイクしたりもしたから、三十分ですむ買い物なのに二時間近くショッピングセンターにいたことになる。
 莞恩寺を出発して、ショッピングセンターに着くまでも、クリニックに向かうこの道でも、昨日あれほど見かけた地蔵菩薩を一体も見かけていないことに気づいたシュウヤは、そのことを信恵に訊くと、
「天馬や窪谷一帯は、仏教の宗派が混在している土地柄でね」
 信恵はあまり詳しいほうではないと前置きしてから説明し始めた。
 お釈迦様の救いにもれた人を救うといわれる弥勒(みろく)菩薩が現れるまで、世の人々の支えとなり良い方向に導くのが 「地蔵菩薩」 で、そのことを信じてきた村人たちがお地蔵を立て。
「先祖代々信仰を守りつづけているっていうわけ。葛谷(くずたに)地区はとくに縁つづきのお宅が多くて信心深くて、一目置かれる存在なの。植田駅から稲見川に出て、県道を歩いてきたんでしょ? だからたくさんのお地蔵さまを見られたのよ。旧道に出ていたら玄造さんの元居た家には行けたけど、お地蔵さまには会えなかったわ」
 なんだ、そうか。 “川沿いの旧道をそのまま北上” していたらじっちゃんの家があった場所には行けたけど、くずたに地区には行けなかった。 「川から逸れて、県道を北上したから」 くずたにのお蔵さまに出会えた。川沿いの県道をそのまま北上――聞き間ちがいが出会いを生んだわけだ。
 常緑樹が隙間なく立ち並ぶ山坂道がしばらくつづき、葉を落とした樹木が目立つ疎林に入って 「エアコンを強くしてくれないかな」 と言おうか言うまいか考えていると、丘の頂上近くを申しわけ程度に開墾したのがわかる場所にクリニックはあった。
 話に聞いていたとおり大正ロマンを想わす (らしい) 優雅でレトロな外観からは、クリニックを訪れたひとりひとりの痛みや喜び笑顔や涙が、幾度も塗り重ねられた(ムラ)のある壁の色に表れていて、クリニックとはいえ有床診療所、設備が充実しているという話にしても、建物内のレントゲン検査やリハビリテーション、人間ドック、訪問看護ステーションの案内や、CT・MRI検査のポスターを見てわかった。 
 ぼくが佳子ちゃんのお母さんに会うのは、おかしくないだろうか。
 つる草が這う建物に入る前から思っていたことをシュウヤは言い出せないまま、受付で案内された103号室に着いてしまった。
 ドアの前で。
「ぼく待ってる」
 シュウヤが言うと、
「いいから来なさい」
 信恵はいってニコリとする。検査結果やむずかしい話になったら出て行けばいいか、と思い直してシュウヤはあとにつづいた。
 初めて会った美夏子は、形のよい濃い眉のせいかもしれないが、顔色がやけに青白く、やさしい目がくぼんでいて、やせすぎに思えるほどやせていて、白い腕の碧がかった血管が目立つ……入院中なんだから仕方がないんだろうけど、病人に見えた。
 それでも、笑みを浮かべるたびに出きるエクボと、左の肩に束ねたツヤのある黒い髪が印象的で、やさしい人だというのはすぐに分かった。緊張ぎみで硬くなっていたぼくのことを、何かと気づかってくれたから。

 寒いのにごめんなさいね。
 しゅうやさんは何年生になりますか?
 お坊さんになりたいんですって?
 佳子と仲よくしてやってくださいね。
 ホトというのは、ホワイトからとった名まえなの。シロよりも合っているかなと思って。

 してほしいことや用事はないかを尋ねる信恵に、
「当分のあいだ佳子のことをよろしくお願いします」
「退院の許可がおりたら直ぐに迎えに行きます」
「ご迷惑をおかけして申しわけありません」
 と、美夏子は申しわけなさそうに謝罪やお礼をくり返すばかりで、信恵にしても、
「困ったときはお互いさまです」
「遠りょなさらないで何でも言ってくださいね」
「いまは治療にせんねんすることです」
 互いが互いを思いやる会話がつづき、不安な顔で見ていた佳子に、
「お母さんの冬休みよ。元気なお母さんのほうがいいもんね」
 信恵はそんな風に声を掛け、佳子を笑顔にさせて病室を出た三人は帰り際にナースステーションに寄り、白い看護服の襟に紺色の線が二本入ったベテランの看護師に、 (信恵の提案で) ホトを 「美夏子の見舞い」 に連れてくる許可をもらい、大型トラックが行儀よくならんだドライヴインで遅いランチをすませて、莞恩寺にもどってきたところだ。
 石階段の上に構える東屋みたいな鐘つき堂の高いとこから、昨日と違う天馬の空をシュウヤは見渡す。
 海のような空は高くて広く、気もちをきれいにリセットしてくれる青のほかは、サンゴのようなうすい雲がところどころにあるだけ。この空にプラネタリウムのような星が散りばめられていることを考えると、人間の存在の小ささと、無限の可能性の広がりを感じずにはいられなくなる。
 境内を見下ろせば、季節外れのあたたかさで露わになった庭の草木は痩せてはいるが元気そうで、向きを変えた北風も、風に擦れる葉音にしても、雑多な思いを収めてくれているのがよくわかる。
 西の空に連なる山なみが、屏風絵のように美しい。やや北側にそびえる地域の至宝大志山は、端のほうがこんもりしていてなるほど、宝永山に似ている。
 景色を愛でるゆとりができた事に気づいたシュウヤはぐるりを歩き、遠く近くを見ていると、
「シュウヤくーん、どうするう? 玄造さんのとこ行くう? 今日はやめておくー?」
 本堂の回廊で、信恵が呼びかける。
 心の準備ができないこともある。それよりも、四日間ろくすっぽ休めていない佳子を一人残して出かける気もちになれなくて、
「場所を教えてくれれば、」 ひとりで行く……
「明日にしましょ、君も佳子ちゃんも今日はゆっくり休んで。ね」
 庫裡(くり)に向かう足音が活き活きしている。シュウヤに加えて佳子が来た上に、美夏子の代りの臨時の 「お母さん」 だ。ほんらいの信恵はこうなんだろうと、シュウヤの頬もつい緩む。
 明日つれて行ってもらおう。じっちゃんのところに。
 不安は消えて無くなったから。



   (7)じっちゃんとの再会とそれぞれの事情


 二千二十二年一月七日金曜日。運命を変えたくて家を出てからまだ二日。昨日一日お寺に泊まっただけなのに、知らないことを知るきっかけがあふれる莞恩寺での暮らしをシュウヤは意外に楽しんでいる。とくに信恵や庸道のつかう初めて聞く言葉が新鮮で興味を引くのだ。
 ごはんはおとき。ダイコンはすずしろ、ただし大根おろしをスズシロおろしとはふつうは言わないこと。クリはダイニングキッチンで、布団は……「しとね」 だ。ズボンのチャックは社会の窓、習字に使う硯の数え方は一面二面。 「仏教のことくらいしか教えてやれない」 という庸道の難易な話も苦にはならない。
 たとえば 「はい仏きしゃく (廃仏棄釈)」 の話。明治時代に仏教を排斥(はいせき)する運動があり、日本中の仏像や仏堂が取り壊されて、強制的に信仰の棄教 (信じている宗教をを捨てること) を迫られた話や、戦時中の昭和時代には武器をつくる材料不足を補うために、国に梵鐘(ぼんしょう) (朝晩ゴーンとやる釣り鐘のこと) を供出せざるを得なかったことまで。
 探求心が旺盛なだけで、ガリ勉・勉強虫と決めつけられて、 「シュウサイくん」 とはやされたシュウヤだが、庸道のする話には、驚きと、発見と、関心を惹く力があり、 「ほんとうの勉強ってこういうことを知ったり覚えたりして、真剣に考えることをいうんじゃないかな……」 と自ずと考えさせられる。いつまでも心に残って忘れない気がするのだ。
 そんな庸道の朝は早く、4時09分に読経を始める。庸道の話によると、四時からの五分間はラジオニュースを聴きながら黒染めの僧衣に着がえ、終わりしだい本堂で一、二分間めい想し、それから大音量のお経を称える。だから4時09分になるのだが、明日も明後日も、ずっと四時に起こされることを考えると、シュウヤはどうにも気が重かった。が、
「今までよりも三時間も早く寝られて、四時に起きても、起こされても、二時間よけいに眠れるわけだし……。六時になるまで布団の中でじっとしているのはかなりのストレスだし、布団の中か本堂か、どちらでお経を聞くかの違いしかないわけだから……」
 シュウヤは明朝から、勤行(ごんぎょう)に出ることを決めた。
 そんなシュウヤの気もちも、庸道の読経の声も、二階で寝ている二人は気にする風もない様子で、今朝も六時半に下りてきてキッチンに立った。
 佳子は美夏子とそうしていたように、踏み台に乗っては野菜を洗い、踏み台を下りては食べごろのニンジンやじゃがいもを選び、また踏み台に乗って皮剥きをして、踏み台を乗り降りしてはお皿を出したり小皿に醤油を注したりと、刃物と火をつかうこと以外のことは何でもする。盛りつけもする。シュウヤはこの間美夏子がしていたホトのトイレと、エサやりと水替え、それにブラッシングをすることにした。そして準備が整うとテーブルについて、揃って合掌をしてお箸をつける。
 少しあごを上げて美味しそうに食べる佳子と目が合うと、佳子はうれしそうに 「にぃーっ」 としてくれる。シュウヤはそんな佳子を 「かわいいなあ。」 と思う気持が顔に出るだけで、 「おいしい?」 という言葉が出ないが、頭のなかでは、昨日のお昼の佳子の様子を思い浮かべた。
 シュウヤが食べた “ドライブイン・あすか” の人気メニュー 「とんかつ定食」 は、かむとサクサク音がする大判カツがビックリするほどやわらかで、甘みのある山盛りキャベツもシャキシャキしていて新鮮で、鉄鍋のツルを両手で持って運んできた信恵の頼んだ 「特製あすかのすき鍋うどん 1、5」 は――厳選した東北地方の牛肉と地元野菜にこだわったすき焼きと自家製うどんを、南部鉄器のお鍋でお楽しみください――というだけあって、お店で働くおばあさんに 「あいかわらずええ食いっぷりだの、 (1、5人前を) ペロリだもの。見ていて気持ちぃわ」 と言わせるくらい信恵を満足させる逸品で、 「海と山の幸の天ぷら丼」 の大きなエビを口をいっぱいに開けてほおばる佳子の姿を、日焼け顔の大人たちが、我が子を見る目でチラチラ見ていて……食べきれずに残ったぶんをお持ち帰りの容器に詰めてくれた、おばあさんの孫を見る目は何ともいえずやさしくて、美夏子と離れて暮らす佳子の不安も、あすかに行ってずいぶんいやされたんじゃないかな……。そんな事を考えながら残しておいた切り干し大根の味噌汁にシュウヤが手を伸ばすと、いち早く食べ終えた庸道がいう。
「崇哉君。よかったら、日没勤行に付き合わんかね」
「日ぼつごんぎょう?」
「夕べのお勤めのことよ、ごちそうさま」
 信恵はいい、食器をもって立ち上がる。
「習慣を身につけて実行する、大事なことだと思うがね」
 庸道のいうことはシュウヤにも理解できる。まだ大学生の信恵は主婦みたいによく動き、佳子はすすんでその手伝いをする。
 ぼくはといえば境内を竹ぼうきで掃くくらい (けっこう大変だったけど) しかしていないから……
「りょうほう出たいんだけど。朝と夕方りょうほう」 
「晨朝と日没勤行、りょうほうか」
「うん」
 夕方だけとか朝だけとか、わがままは言いたくなかった。
「それとシュウヤくん」
 庸道と自分がつかった食器のよごれを洗い流している信恵が、
「月曜日から佳子ちゃんといっしょに勉強しない? 玄造さんのところに行った帰りに、小学校で教科書を借りることになっているからシュウヤくんの、」
 カランを下ろして、
「シュウヤくんの分も貸してもらって。ね、やりましょうよ」
 ふり向いた信恵の目が輝いていてわくわくした様子だ。
「寺子屋教育といってね。土地の子どもらを寺に集めて、読み書き算盤、歴史に習字などを教わるのがあたり前の時代があって、教える方も教わる子どもたちも充実した楽しい時間を過ごしたそうだ」
 その場面を懐かしむような庸道に誘われて、天井の低い部屋で肩をならべる子供らの姿をシュウヤは想像してみる。
 お下がりのブラウスを着て目の細かい格子柄のもんぺをはいたおかっぱ頭の女の子に、開襟シャツにだぶだぶズボンや寸足らずの運動着を着たいがぐり頭の男の子がいて、みな真剣に授業に聞き入る姿が楽しそうで新鮮だ。 「はい!」 と元気のいい返事をして固めたこぶしをまっ直ぐ伸ばす男の子は和装姿の吾一だ。赤ン坊を背負った女の子も居る。
 来週から新学期がスタートする。学校に行けないぼくらのことを心配して言っているのだ。
「これでもわたし、教員免許をもってるの。でも中学校の国語だけだし、わたしが習っていた頃とはずいぶん中味が違うだろうから、シュウヤくんがいてくれると心強いのよ。現役の先輩が居てくれたら順を追って教えてあげられるから。佳子ちゃんもお兄さんといっしょの方がいいよね」
「うん。いっしょがいい」
 そういえば塾の先生が話していたっけ。 「勉強とは、人にわかりやすく教えられるようになってこそ価値がある」
 福島に来てまで勉強でしばられるのはイヤだったけど、ぼくらのことを考えてくれてのことだし、佳子ちゃんのためになるなら……。


 冷気をまとった山おろしが信恵の髪をしなやかに踊らせ、シュウヤは横を向いて風を逃がす。崖下の道路に沿って流れる川の流れが、川べりに近い場所にはだかる巨岩を打つ。そして波のような水飛沫を上げる。双方が挑み合うかのようにも、山間を貫流する自然水を浄化するようにもシュウヤには見えた。
 入院中の美夏子のもとに佳子とホトをあずけたシュウヤと信恵の二人は、玄造のいる特別養護老人ホームの駐車場に着いたところだ。早く会いたい気持よりも、すっかり変わった玄造に会う怖さを感じながらもシュウヤは重たい足を建物に向け、自動扉の前に立つと、扉はじれったいほどのんびり開いた。
 信恵が面会簿に記入する間シュウヤは、廊下を挟んだ声のする方にからだを向ける。ドラマで見るホテルのような天井の高いホールには、老婦人のグループがポロシャツ姿の男性職員を半円の形に取り囲んで談笑していて、車椅子にのる銀白髪がきれいな老紳士は、穏やかな笑みを浮かべてテレビに見入いる。初めて訪ねた老人ホームの印象は、テレビで見るより、明るくあたたかで爽やかだった。 
 受付の斜め後ろのエレベーターで二階に上がると、離れた場所からエコーのきいた歌声がとどいてき、
「青い山脈よ」
 信恵はリズムに合わせて ♪ ラーラ、ラーラ、ラララララー 小さくハミングしながら歌声とは逆方向の廊下をすすみ、玄造がいる204号室まできて、
「コン。コン」
 ドアをノックする。
「………」
 返事がない。
 間を置いて、三回ノック……。
「出かけているのかしら」
「寝てるのかもしれないよ」
 顔の幅のぶんだけドアをすべらせ、室内をのぞき込む。ベッドの上の掛け布団はきちんと畳まれ、枕は日当たりの良い窓際に立て掛けられている。縦に長い居室内は掃除をすませた後みたいにスッキリしていて、生活感をあまり感じさせない。
「談話スペースがあるみたいだよ」
「行ってみよっか」
 両側が居室の廊下を奥へとすすみ、自然光がななめに射す明るい場所までくると……

 おっしゃあ、ロンだ! 
 またかよ。ずるしてねえか? 玄さん。
 ぼけ老人がずるなんかできっこねえっぺよ。腕よウデ、ウデの違いよ。
 認知症でもマージャンだけは忘れねえんだから、世話ねえやな。
 お互いさまだべ。

 異なる笑いが廊下を走り、信恵とシュウヤは顔を見合わす。
 いま、ぼけ老人っていったよね。
 認知症って言っていたわ。
 ぼくたち。わたしたちのこと。わかるかな、分かるかしら……。
 互いに同じ気持だ。

 麻雀卓を囲む入所者の楽しみを邪魔するようで憚られたが、窓際の 「卓」 に歩み寄ると、
「信恵けえ? めずらしいな」
 玄造は目ざとく気づく。
「玄さんの愛人と隠し子だか」
 口の悪い老爺が二人を揶揄する。
「バカ云うんでね、同じ部落の寺の娘よ。仏様のバチがあたるぞ」
 信恵のことははっきり記憶しているようだが、
「わらす、どこの子だあ?」
「………」
「静花さんのお子さん、シュウヤくん。玄造さんのお孫さんよ」
「ほう……」
 ショックだった。でも二年ぶりに会い、しかも天馬の家で会うのとは違うんだから……と、シュウヤは思い直す。
「選手交代、尼僧さんと孫とゆっくりすれ」
「んだんだ、面会なんぞお互いめっ多にねえんだからよお」
 坊主頭の老爺はいいながら立ち上がると、
「玄さんは、バナナオレでええな」
 小銭入れを手に声をかける。
「おう、いつも悪ぃ。今日は気分さ変えで」
 玄造は腰をかばって立ち上がると、後につづく。
(弱っちゃったな。じっちゃん。)
 二年前と違う玄造を見るのを避けるように、シュウヤは麻雀卓の右の窓から中庭を見下ろす。
 コの字をした建物の中庭には、二階のバルコニーにとどきそうな細い木が建物の三辺を背にして二本づつあり、雪よりも芝生のほうが大部分を占めていて、主のいない三脚の木製ベンチが景色をいっそう寂しく見せてはいるが、和と洋のバランスがよくなかなかおしゃれで、温かな日和であれば芝のうえに寝ころがって、読書をするのもうとうと居眠りするにも、ベンチに座って会話を楽しむのにも絶好の場所だ。
「姉ちゃんとあんちゃんも好きなの押してめろ」
 シュウヤはさんざん迷って玄造が選んだバナナオレを、信恵はイチゴ味を選んで、シゲさんにお礼を言って、玄造のあとにつづいた。
 玄造の部屋に近づくにつれ、カラオケが大きくなって、
「『瀬戸の花嫁』 ね」
 高音が歌手みたいにのびやかで、どんな人が歌っているのか顔をたしかめたくなる。なかなか若々しい歌声だ。
「ばあさんが、お嫁に行くの~♪ はねえべや」
「いいじゃない、きっと思い入れがある歌なのよ。抑揚のある心のこもった声だわ」
 廊下を左折。歌が跳ねるようなリズムに変化しだんだん遠ざかる。玄造の足の運びはしっかりしている。やや後ろに構えた姿勢は、永年農作業で汗をかいた証だ。ずっと椅子に座っていて急に立ったから弱って見えただけ。二歳年下で七十六歳の伊作にもいえるが、力づよく堂々としている。
「ま、腰さ掛けれえ」
 玄造は壁際の長机におさまった二脚の椅子をベッドに向けると、自分はベッドの上に腰かける。
「特養なんて聞くと、足腰も立たねえボケ老人ばかりの暗~いところだと思われがちで、オラも見学くるまでそう思っていたっけが、どうだ。なかなかだベ」
「みなさん生き生きしていらして、楽しそう」
「入所者も職員ものびのびやっとっから。福祉ってのはだな、シュウゾー」
「え」
「しゅうや、シュウヤくんっ」
「そうだそうだ、シュウヤだ。修じいさんとこの息子と、孫だったかと間違いっちまった。昔っから名前さ覚えんのはどうにも苦手――」
 玄造は取りつくろって話をつづける。
「福祉ってのは、福の字も祉の字もどっちも幸い、しあわせって意味でな。ようは介護する方も受ける方も、互いに幸福を実感することが大事なわけだ。ここにゃ、自分で飲み食い出来ねえのもいれば、味がわかってるのかあやしいのもいる。誰が誰だか、自分が誰だか分からないのものお。したっけ、しあわせだけは感じるもんなんだよ、そんな人間でも。どんな人間でもなあ」
 どんな人でも幸せだけは感じ取る、実感する。どんな人でも。じっちゃんは、
「玄造さんは。どう? しあわせ?」
「ええことばかりというわけでもねえが、ぜいたくさせてもらっとるわ。しあわせ者んじゃよ」
「そうよねえ。小さくても、その幸せに目を向けることが大事なのよね」
「そういうことじゃの」
 玄造の顔に彫られたしわが記憶のそれより深くなった。でも、日に焼けて土色だった顔はツヤのあるきつね色に変わっていて、頬骨あたりはてかてかとしてるし、やや吊り目がちのやさしい眼はまったく変わらず濁りがない。
「ま、そのてん義道はよーくわかっとる。死んだ人間と遺族のしあわせをつねに思って、葬儀や仏事にのぞむ。やつの場合は仏法の恩恵というよりも妙ちゃんの影響が大きいのかもしれんがの」
 ヨシミチって、ようどうさんのこと? シュウヤが訊こうとすると、信恵の口がひくひくふるえ、目が涙でいっぱいになりこぼれそうだ。
「実はね。お母さん……。母は、亡くなったの」
「何ぃっ!」
 玄造は口をわなわなさせ、信恵の手の甲に大粒の涙がつぎつぎ落ちる。
「なして言ってくれんかったあ!」
 叫ぶようなヒヨドリの地鳴きと、懐メロを歌う女性の声と手拍子が、小さくとどくだけの静けさのなか。一、二分はたったと思う。
「十日間がんばってくれたんだけど。クモ膜下出血で。それで……」
 年明け二日。五日前に妙子を亡くしたことはシュウヤも聞いていた。
 朝の勤行を終えても、庫裡に顔を出さない妙子を不思議に思い様子を見に行くと、参道の冷たい石畳のうえで、竹ぼうきを守るように抱きしめて倒れていたという。 「五つ六つの落ち葉の山が等間隔で並んでいてね。参道の端に。測ったようにね」
 掃除をすませ、お斎の準備に取り掛かろうとしていたのだろう、とうつむき加減で庸道は語った。
 初めて会った時の信恵がいかにも淋しそうに見えたのは、母妙子の思いもよらぬ急逝のせいだった。 「君や佳子ちゃんと関わることで、元気でいられるのだから。気にしないことだよ」
 ようどうさんの言うことはよく分かるけど、無理をしているのなら無理はしてほしくないし、この思いはずっと変わらないと思う。
「お別れの時は、ほんとうにしあわせそうで、もう寝るわね、おやすみなさい。って、言ってくれているようだった」
「ほうっか。そうだろうな、いつも喜んでいるような人だったから。妙ちゃんは」
 遺影の中の妙子は、シュウヤが見ても嬉しそうでニッコリしていた。
 いつも喜んでいるような妙子おばさんを裏切りたくなかったのかもしれない。じっちゃんは (ぼくの) 母さんの近況を尋ねては思い出を語り、一人暮らしで火事でも出したら大変だからとか、孤独死でもして要らぬ迷惑をかけられないとか、認知症が進行しないようになど、老人ホームに入った理由を説明口調でくり返し……いっぽうシュウヤは、竹林にはいって選んだ竹をつかって水テッポウやコップを作ってくれたことや釣りのコツを教わったこと。蚊取り線香を腰につけて花火をしたこと。小川で冷やしたスイカが甘くて美味しかった話などをして、玄造は 「ああ」 「そうだった」 「んだなあ」 とぼんやり答え、訊ねもしないのに信恵の子どもの頃の話をして……。一生けん命空気を変えようとしてくれたんだ。

 長居は無用だよ。そういって送り出した庸道の言葉にしたがい、たびたび訪ねることを玄造に伝えて三十分ほどでホームを後にした二人だったが、小学校に向かうまでの車中、ずっと何かを考えている風な信恵が別人みたいで、
(きっと、お母さんのことを考えているんだろうな。)
 シュウヤは口を利くのを自重し、会話のないまま天馬小学校についてしまった。
 それでも小学校で恩師の坂田春子先生に会ってからは、じっちゃんに会う前の信恵さんに戻っていて、相変わらずぼくのことを 「お寺の小僧さん」 と冗談を交えて紹介できるほどになっていたから、ようどうさんの言うとおり。あまり気にしないようにすることにした。
 二人分の教科書を借りてから正門のすぐ傍にある文房具屋に寄り、佳子のために女の子らしいピンク色のノートを五冊と、犬のキャラクターが胴の部分に描かれたシャープペンシルと、24色入りの色鉛筆のセット (天馬の風景を描くなら、12色で足りるんだけど)、 それとスケッチブックなどを買い、遠慮していたシュウヤも、 「いつか必要になるんだから」 という言葉に甘え、似たようなものを買ってもらいクリニックへ向かった。
 まではよかったのだが、運転席の信恵はまた首をひねったりくちびるをむすんだりして、物思いにふける別の人になってしまった。
 クリニックに着いたらついたで、 「院長先生から話があるから」 と受付の女の人に声を掛けられ、緊張の糸は切れそうなくらいピーンと張ったまま言われたとおり、二階の診察室 “2” の前にきて、
「ぼく待ってる」
 シュウヤが言っても信恵は堅い表情のまま、初めて美夏子を見舞った時のように 「いいから来なさい。」 とは言わなかった。
 院長は沈痛な表情を浮かべる信恵に 「私も加わらないと、診療 (診察?) が立ち行かないもので」 そんな言葉をかけて招き入れ、扉は半自動でゆっくり閉じた。
 診療時間の終わった人気のないクリニックは、時間も建物も休憩しているかのようにひっそりしていて、時々聞こえる “カラッ、カラ” という医療用具が触れ合う音や、鼻をつくすっぱいニオイさえホッした気分にさせてくれるから不思議だ。
 カラカラ音が完全に鳴りやむと心細くなった。足もとに加えからだ全体に寒さをおぼえた。
 院長の野太い声が大きくなった気がする。でも内容までは聞き取れない。信恵の声は聞こえてこない。美夏子は自分のことを進んで話す人ではない、だから信恵は話せない、話しようがないのだ。
 そうで有ったとしても、無いにしても。
(やけにおそいなあ。)
 シュウヤが自分の貧乏ゆすりに気づいたのと同時に扉が開き、信恵はささやくように 「おまたせ」 を言い、二人は階段を下りて病室に向かった。
 佳子は顔をこちらに向けた恰好でベッドにつっ伏している。美夏子に抱かれたホトは不思議そうに首をかしげてシュウヤと信恵を交互に見、美夏子はいいづらそうに肩をすくめて、
「院長先生が話があると……」
 すまなさが伝わるいい方をする。
「いま聴いてきたところです。安静がいちばんの治療で、点滴で営養をとって体力がつけば退院できるってお話されていました」
 早口でそう話す信恵に、 
「そうのんびりしても、いられませんわ」
 美夏子はいい顔を伏せる。
 入院治療に加えて佳子の今後のことがある。生活を立て直したい思いで頭がいっぱいなのだ。
「明日お話しましょう。あらためて」
「ええ……」
 二人がホトに言っているようで、シュウヤはなお気になった。



   (8)のんびりの1/3日


 一月十五日土曜日。莞恩寺にきて九日目。内陣の前で、シュウヤは畳を拭く手を止めた。
 父さんと電話で話したというようどうさんは 「しばらく預かってくださいとだけ、話しておられたよ」。 そんなことを言っていたけど、やっぱり心配なのかな。母さんと父さん。ぼくのこと。
 かりに二人が心配していたとしても、クラスのみんなはぜったい心配なんかするわけない。ぼくが不登校になったと噂をしている、わけもない。始業式から十日もたつのだ、ぼくがいないのがフツウに思っているに決まっている。そうじゃない、初めっから、もともといない存在なのだ、芳野崇哉という人間は。六年二組芳野崇哉は。
 駅の掲示板にしばらく貼ってあった能のポスターの舞台に似た内陣、その中央に奉安された本尊の阿弥陀如来は表情一つ変えもしない。教えられたとおりに畳の目にそってほうきで丁寧に掃いた上に、かたく絞った雑巾で拭き上げた畳にしても、柱も法具も、掃除をする前と変わったようには見えない。 「そこはいいから」 と、立ち入るのを禁じられている内陣だってそう。
「同じじゃないか。掃除したってしなくたって。やってもやんなくてもさ」
 こんなにイライラしているのに、説法をする庸道の背後でいつもこちらを見ているご本尊はあいかわらず。 「今のあなたのまま、ありのままでいいんですよ。」 とでも言うような顔。誰かにいちばん掛けてほしい言葉だけれど、直接聞いたことのない言葉だ。
 口に出しはしなくても、莞恩寺には信恵という先生がいて、師のような存在の庸道がいる。二人ともご本尊と同じ目で見てくれる。それに妹みたいな佳子がいる。改めてシュウヤは思う。 「これ以上のぜい沢はないし、ぜい沢は言えないんだ」 と。
 シュウヤは止まった手をふたたび動かす。内陣のケヤキをつかった四天柱を一本一本拭き清める庸道を思いながら。 「汚れているように見えなくても、心をこめて磨き上げれば輝きは増すものでね」
 乾いたやわらかな布巾に持ち替え、ドラ (金属製の “ヴォワーン” という音のする円形の打楽器) を清め始める。が、いくらもしないで 「ほんとうに大丈夫なんだろうか、美夏子さん。美夏子さんのぐあい……」 心はつい別のところに向いてしまう。
 美夏子はしつこく続いた熱も引いて、火曜日にでる検査結果がよければ退院して莞恩寺で暮らし始める。気の早い信恵は 「あの様子なら、まず大丈夫」 と確信していて、土曜日の今日、美夏子の見舞いと生活に必要なものを買いに佳子と出ている。
 だから大丈夫。それに、あんなにのびのびやっているんだから。料理に洗濯もの干しに、お洗濯を取りこんで畳むのを手伝うときも、バレーボールをやるときも、寺子屋の授業のときも佳子ちゃんは――。
 朝の挨拶のあとすぐに始めるめい想では、信恵に言われたことをしっかり守り、目を閉じて、心を静かにして、自分と向き合うように、というよりもお母さんとどんなふうにお寺で過ごそうか、あんなこともこんなこともあれもこれもやりたいなと思い描いて、その場面を楽しむような笑みを浮かべて佳子はめい想をする。
 いっぽうシュウヤは、目を閉じてこころを静かにして……自分とどう向き合えばいいんだろう、と考えているうちに終えていためい想だったが、いい一日になりますように、じっちゃんがずっと元気でいられますように、美夏子おばさんが無事に退院できますようになどと、叶えたいと思うことをお願いするようにして、今はめい想にのぞんでいる。
トする。 
 そんなめい想の時間が終ると、次はからだの準備、庭に出てラジオ体操をする。めい想の効果ははじめの 「伸びの運動」 でハッキリとあらわれる。五時間前に起きているのに自然の息吹きにこころ洗われ、生まれかわった気もちになって、手足の先まで意識をやるといい汗をかき元気が出てきて、退屈でしようのなかったラジオ体操がじつは貴重で大切なことに気づかされる。日毎にことなる鳥の声が聞こえるてくると―― 「朝から何をしているの? って言っているわよ」 と信恵がいい、 「がんばってっていってるう」 と佳子がこたえ、 「一、二、三、元気がいいわねって、お母さんが子どもの小鳥に声をかけてるわよ」 と信恵がいうと、するといっそう大きな声で 「イチ! ニ! サン! シ! ゴ~ロク……」――そんな感じで体操の時間を終えると、シュウヤも。 「これから勉強なんだ」 と小さくつぶやき、いよいよ部屋にもどって座学の授業がスタートをする。
 午前中の座学の授業は、児童書をつかった朗読がメイン。ポイントとなる言葉の意味をおのおので考えてから、三人で話し合う時間で占められている。
 でも、昨日一昨日は二日つづけて書道だった。寺子の授業に時間割はなく、朗読はあくまでメイン、だから書道。ここでも信恵は念を押す。 「言葉の意味を考えること」
 教員免許だけでなく書道五段で、さらに師範をしのぐ教授という免許をもつだけあって、信恵の言葉に対するこだわりは相当なもので 「まずは漢字の意味や語源を理解すること」 「理解のないまま筆を持ってはいけない」 とまで言い切る。たとえば、
「信じるの 『信』 は、人をあらわすニンベンに、右側のつくりの部分に言葉の意味の 『言』 から成る漢字で、人の行動と言葉が一致するという、」
「もうちょっとゆっくり喋って。それと、佳子ちゃんがわかるように」
 そうね。そうよね、ごめんね。と信恵は言いながらも、
「信じるの信という字は、人の行動と言葉が一致するという意味をもつの。 『信用』 がいい例で、行動と言葉が伴わなければ信用は得られないわね。信という字はまことや真実、任せる、頼るなど、人の信条や信用にかかわるとっても大事な表語文字よ」
 漢字や言葉の意味を語るときの信恵は、語気だけでなく目の色からして違って授業を行う畳の部屋に掲げてある 「摂取不捨」 のことばの意味をシュウヤが訊ねた時は――「どんなに重い罪をおかした人でも、すくいとって決して捨てない、見捨てないという……阿弥陀さまの慈悲が、込められた、尊い言葉よ」 と声を詰まらせ、 「阿弥陀さまの慈悲」 からは、湿った声をしぼり出して教えてくれたが、シュウヤは楷書で書かれた書を見るたびに 「自分に向けた言葉じゃないかな……」 と考えるようになり、妙子の遺墨(いぼく)の書だと聞かされてからは―― 「何も心配しないで。大丈夫よ。」 と、妙子にやさしく言われたような気持になるから、授業がない日も、昼夜も無く、寺子の部屋に、足を向けるように……
「感心、感心」
 見られていることに気づかなかった。 「集中してやらないといけないよ、」 と言われたようで、大きいお鈴をを拭くか、曲ろく (ようどうさんが座る椅子) にするか考えながらシュウヤが雑巾をしぼり始めると、
「一人では、やることもなく退屈だろう?」
 庸道は後ろ手に持ったビデオテープを胸の前であおぐようにチラチラさせて、時間を持て余している者同士、 「とっておきの」 ビデオを見て過ごすことになった。
 庸道は手慣れた手つきでビデオデッキとリモコンを操作しながら、
灌仏会(かんぶつえ)といってね。お釈迦様の誕生を祝う祭事のことだが、 『お花まつり』 ともいう地域にとっても貴重なイベントなんだ」
 驚いた。閑寂とした莞恩寺しか知らないシュウヤだったが、境内には人人人人、人であふれている。取りわけ手作りの白い象 (ゾウさん) を上に載せた山車(だし)のまわりを、子供たちが取り囲んで、
「その白象はね、お釈迦様のお母さまが釈迦を身籠る夢を見たときに現れたことがいわれでね、仏教でもっとも高貴とされる動物なんだ。お堂の中を見てごらん、花御堂というんだが、見えないか」
 子供たちに囲まれたゾウの背中に多彩な花で飾った、鐘つき堂のミニチュアみたいなお堂が載り、人の頭が入るくらいのお堂の中には、
「あ、おしゃか様がいる」
 子供とわかるお釈迦さまは花に囲まれ、笑っているようだ。
「これでも村の子どもの大半、小学生より年少の子どもらの九割方が集まったのではないかな」
「ピィ~ッ!」
 長い笛を合図に、子どもたちが綱を手に取り、山車がゆっくり動き出す。片側だけでも五つ、いや六つある木の車輪が、歓声の中ほのぼのとした音を奏でている。――コロ、ポカ、コロポカ、コロポカ。ゾウの足音までかわいらしい。
 山車を引っぱる子どもたちが楽しそうで誇らしくもあり、大人は笑顔で声を張り上げ、カメラを構えてビデオをまわす。あの泣いている子は迷子にでもなったんだろうか。とにかくみんな表情豊かで、ただのイベントどころか一大イベント、おばあさんの顔がくしゃくしゃだ。
「毎年やるの?」
 画面の下の日付は、2010年4月8日。ずいぶん古いビデオだ。
「やるにはやるが、規模を縮小してね。山車は何年も引いていないのだよ」
「そう……」
 場面が変わり、壮年の男四人が身振り手振りをまじえて話し合う様子をアップで映し出す。男たちの後方で列ができ、行列ができあがる。軽装の僧衣をまとった庸道と割烹着を着た女の人は、
(妙子さんだ。ようどうさんよりずっと背が低いんだ、ぼくと同じくらいかな。)
 二人と笑顔で言葉をかわした老齢の男女が小さなひしゃくをつぎつぎ受け取り、壮年の男四人は神妙な顔をして、象の背中に腕を伸ばす。
 と。花御堂が神輿のように宙に浮き、子供たちが左右に別れて道ができる。花御堂はうす紫が基調の花壇に向かってゆっくり進み、この間だけは会話は止んで、ポカリと空いた花壇中央に、花御堂が慎重に下ろされた。
 花壇を囲む人の輪がみるみる膨らむ。ひしゃくを手にしたおじいさんとおばあさんは、お堂の中の幼い釈迦に向かって、
「お釈迦様が誕生したとき降ったといわれる 「甘露の雨」 に見立てて、甘茶という花の葉を煎じたお茶を頭にかけるんだ」
 岡持ち大の桶から掬った薄い麦茶のような色のアマチャを、釈迦の頭にかけて合掌し、隣りの列にならび直す。そしてふたたび会話を始める。
「甘茶を摘んでくださったお礼を兼ねておすそわけをするんだが、これがけっこう評判でね」
 水筒や保冷ポット、中には梅酒を作る大きな容器を差し出す人もいる。後方の山と空は春霞みが掛かってぼんやりなのに、表情はみな晴れやかだ。
「コレ、今でもやるの? お花をかざってアマチャをかけるの」
「お釈迦様の誕生を祝う行事だからね。内々だが、四月八日をめやすに毎年行うよ」
「みんな生き生きしてるなあ」
「多くの方が会話と、お花まつりの雰囲気と、外出を楽しみに訪ねてくるんだ」
 見てわかったしビデオに表れている。きっと小学校の運動会みたいな家族総出の行事……ウチの場合は母さん父さん二人そろって見に来たのは、二年生まで。手を打ち鳴らして応援していた母さんの顔も、腕をぐるぐる回して叫んでいた父さんの姿も、何年もしないで忘れるだろう。と考えこむシュウヤに。
「わかるかい?」
 まわりの子どもたちより頭ふたつは背の高い白いワンピースを着た、おかっぱ頭の女の子がビデオに気づいて駆け出すシーン。
「もしかして、信恵さん?」
「君と同じ六年生のときの信恵だが、カメラの類が嫌いな子でね。ほとほと手を焼いたよ」
 でも、余所行きを着てま新しいピンクの靴を履くくらいだから、お花まつり自体は楽しみにしていて、また楽しんだのだろう。
 信恵の姿を追いかけるかたちで境内が広角に映し出され、本堂を下からズームしてビデオは終わった。

 ホトを庭に連れ出すと、息の白さにいっそう寒さを覚えたシュウヤはすぐに部屋に戻った。シュウヤよりもホトが帰りたがった。
 手のひらをこすり合わせて温めた手をホトの背中に置いて、昨日信恵に借りて一気に読んだ 「おとうと」 という小説のことをシュウヤは思った。
 不良のレッテルをはられて何をしても上手くいかず、半ば自暴自棄になって堕ちに堕ちてやがて結核を患い、十九歳の若さで死んでしまう 「おとうと」 の碧郎みたいな人生も、路傍の石の吾一にしてもそうだ。極貧家庭という現実にのみ込まれて唯一希望としていた勉学をあきらめるしかなかった吾一だが、努力をいとわず勉強したい思いを決して捨てずに相次ぐ苦労を乗り越えていく人生も、どちらも幸福とはいえないと思う。
 だが、不幸だといい切れない気持がシュウヤの心にくすぶりつづける。
(でも、どうして暗い気もちにならないんだろう。)
 どちらも、涙が出そうなところが幾つもあった重たい類の小説なのに、さわやかささえ感じるのはなぜだろうか。
 幼い頃から母親のように寄り添ってきた碧郎の姉げんさんと、貧困の母子家庭で育てるしかなかった吾一に愛情の限りを尽くして死んでしまった純朴なおれんさん。二人の存在が一因なのかも知れないが、シュウヤを納得させる要因とまではいえなかった。
 規則正しい寝息をたてるホトの隣りに横になって、シュウヤは考える。
 笑ったような目のホトのまぶたがひくひく動く。夢でも見ているのだろうか、楽しい夢を。わからないけど、安心して寝入る姿は何ともいえず幸せそうだ。
 小さな幸せが、碧郎と吾一にとってはとてつもなく大きくて、ほんのわずかな幸せが二人にとっては代えがたい喜びだった、げんさんとおれんさんの二人に寄せる愛情が、さわかやさな風となって小説の中に吹いている。だから不幸とは決めつけられないのだ。
 信恵さんがげんさんで、美夏子さんがおれんさんのような存在になったとしたら、ぼくの人生も、さわやかになるかも、知れない………
 ――シュウ兄ちゃん。
 出かけたはずの佳子の声だ。
「やっぱり佳子ちゃんか。でも、その呼び方……」
「のぶえお姉さんからいわれたの。そう呼んだらって」
「そうなんだ、じゃあ佳子ちゃんはぼくの妹になるね。ずっと妹がほしいと思っていたからぼくうれしいよ、うれしくてうれしくてたまらないよ」
 こんなに素直に自分の気もちを口に出したのはいつ以来だろう。初めてかもしれないぞ。
「とにかく上がって、暖ったまりなよ。寒いから」
「お外はあったかだよ。せっかくだからシュウ兄ちゃん、お花まつりにいかない?」
 ぼくははずかしくて、お兄さんっぽく 「佳子」 とは呼べないけれど、げんさんみたいに “いもうと” を思いやることはできる。
「よーし、行こっか」
「うれしい! 行こう行こう」
「みんなにまじって、ゾウさんの山車を引っぱろう!」
「うん!」
 ぼくらは庭におりて、子ども達の輪に加わった。 「どこのお子さん?」 と訊かれて少し困ったけれど、 「莞恩寺で勉強しているんです」 って答えたら、誰もそれ以上は訊いてこなかった。かえって 「えらいわねえ」 「仲のよい兄妹だこと」 って。ニッコリ笑って言ってくれた。
 綱を持つ場所選びで、学年別で分けようか、ジャンケンで決めようか、みんなで話し合っていると、ホトを連れた美夏子さんが近づいてきて、
「お兄さんのいうことをよく聞いて、けがをしないようにね」
 と佳子ちゃんに声をかけ、
「崇哉お願いね」
 ぼくの頭を撫でてくれた。少し冷たな手で。やさしくほほ笑んで。
 いっしょうけんめい。でも、笑顔をたやさず山車を引っぱるぼくらを見守る美夏子さんと信恵さんがうれしそうで、ぼくはたぶん二人よりずっとずっとうれしくて、佳子ちゃんは誰よりも楽しそうで笑顔がはじけているから、ぼくはうれしくてうれしくて、うれしくて……
 ――ただいまあ。
(ん?) 
「ただいま。なんだ寝てたの?」
「寝てたのお」
 二人が帰ってきた。
「眠っちゃったみたい」
 夢だった。ぼくが見た中でいちばん楽しい夢だから、忘れないようにしないと。ぜったいに。 



   (9)信恵の決心、シュウヤの心配


 お寺の娘だから仏教に精通していると思われてきた。お寺の子に生まれて良かったことなど何も無かった。
 どうしていなくなっちゃったの。どうしてわたしを残して行っちゃったの。
 就職したらお母さんが好きなワンピース、プレゼントしようと思っていたのに。
 いつか、結婚して子供ができたらお母さんに名前、つけてほしかったのに。
 台所にいるのと同じくらい荘厳な本堂の空間で合掌をする妙子の姿が大好きで、目に焼きついて離れない信恵は、ここにくれば妙子に会える、話しを聞いて応えてくれる。
 今までと同じように、
「あら、どうしたの? 何かあった?」
 信恵のほうにふり返っていってくれる気がして、いたわってくれる気がして。これまで足をふみ入れようとしなかった本堂にかよう様になっていた。妙子にいざなわれるように。
 不動産業などまったく興味がなかった。
 ワンピースを買う理由もなくなった。
 お母さんが守ってきたお寺をお母さんと同じように守りたい、守っていきたい。お母さんが信じた信心を、わたしも持ちたい。何よりお母さんの代りができるのはわたしだけ。わたししかいないのだから。
「そうでしょ。お母さん」
「そうよね」
 シュウヤに借りた本に書かれた How to live……いかに生きるか。吾一の恩師がいった一語と、苦労を享受するかのように歩み出した吾一の 「いかにして生きるか」 という生き方が、信恵の揺れる思いを固めた。
 まずは、檀信徒さんの数を増やさないと。過疎化のあおりで改葬される方が増えているという話だし。
(変わったことはしないことですよ。)
「お母さん……」
(あなた、ら・し・く。これまでどおりでいいの。)
 でも、手をこまねいていてはだめだと思うの。足を運びたくなるようなお寺にしないと。
(それで? 何かいい考えでもある?)
 伊作さんに頼んで、お寺で赤べこモドキを売ったらどうかなあと思って。
(伊作さんが 「うん」 って言えば、いいかもしれないわね。でも名前は変えないと。)
 それと、参道の石畳の凹凸だけど、ないほうがいいと思わない? 車椅子を利用する方がひとりでも来られるように。介助する方も楽だしつまずいて怪我でもしたら大変だから。
(それはいい考えね。石工屋さんと相談して進めてごらんなさい。)
 それとほら、御朱印がはやってるっていうでしょ。わたし書こうかしら。
(………)
 アキおばあちゃんの手すき和紙を御朱印帳にして。どうかしら? ――筆勢はお母さんに及ばないけど、くずし書体は得意。何とかなるはず。いや何とかします。
(お父さんにお話してごらんなさい。あなたのことばで。ね。) 
 そうね。ひとりで考えていても始まらない、
「引っ越しのことなんだけど」
「んもう、驚かせないでよお。心臓が飛び出しちゃうところだったじゃない。ああ、佳子ちゃんのお部屋の移動のことね」
「ついでだから、信恵さんの部屋の模様替えもしたらどうかなと思ってさ」
「そうねえ。気分転換にもなるし、お願いしようかしら。でも “ついで” はご挨拶じゃない?」
「ごあいさつ、って?」
 シュウヤくん。一人玄造さんを訪ねてきたあなたのように、わたしも勇気出すね。


「ついで」 がごあいさつ。挨拶なんてした覚えは無いんだけれど。
「ごあいさつって?」 
「ある意味、古きよき日本文化を象徴することばよ」
 らしいので、シュウヤは調べた。

【あいさつ】
 「ご」 をつけて――相手の失礼な言動に対して、皮肉やときに愛嬌をこめて応じることば。また、やんわりとたしなめる時につかう。

 じゃあ、何かにつけてぼくのことを 「出家してきた小僧さん」 とか 「お坊さんのたまご」 って紹介する信恵さんだってゴアイサツばかりじゃないか。と思ったけれど、こういう事って塾や学校では習わないから、やっぱり信恵さんの言うとおり 「こういう事が大事なの」 はわかるけど、覚えたところで使わないだろうし、古きよき日本文化といわれても何が良きなんだか、
 いいお湯だったね――
 気もちよかったあ――
 睦まじい声が近づいてくる。
「お待たせシュウヤくん」
「シュウ兄ちゃんお待たせー」
 シュウ兄ちゃん。夢が現実になったのではなく現実が夢に出てきたのだ。
「今日はよく頑張ってくれたから、ゆっくり入ってきて」
「とっても気もちぃお湯だよお」
 肩にかかった髪にバスタオルをあてがう信恵と、頭のてっぺんでお団子みたいに髪をまとめた佳子。美夏子のことを話していてつい長湯になったのだろう。二人そろって頬っぺがまっ赤だ。
 水曜日から莞恩寺での暮らしをスタートさせる美夏子に、住みやすい環境で過ごしてほしい気持はみな同じだった。だからシュウヤも、新たに買い揃えた寝具やテレビやキャビネットなどを庸道と二人で、二階に運び上げては開梱し、設置するまで。佳子が出て行ったあとの信恵の部屋の模様替えも。 「腰を痛めないでよ」 と言われるくらい頑張った。
 今日の信恵は昨日の夜と違っていた。別人だった。
 いつも明るい信恵がシュウヤは好きだから、写真のなかの妙子のように嬉しそうに笑っていてほしかった。だから、作業がすんでヘトヘトでも。 「地味な部屋だなあ。がっかりだよ」 とはしゃいで見せた。
 初めて入った信恵の部屋は寂しいくらいがらんとしていて、女の人っぽさも生活感も感じられず、色あせた白い壁を隠すように置かれた丈の高い本棚と、シュウヤの腰くらいしかないちんまりしたチェスト、それに墨汁の汚れが落としやすいという理由で使っている古めかしい事務机と、その上の小さな鏡、ラジオ、ペン立てとヘアーブラシが二本、化粧品が三本程度あるだけ。テレビもなければ姿見もなく、フローリングといえば聞こえのいい板の間に敷かれたカーペットの鼠色が、よけいに部屋を寂しく見せて、ぬいぐるみや写真があったほうが良さそうな出窓には、 【不退転 Nobue】 と書かれたバレーボールがぽつんとあるだけ。他に形容しようがないほど地味だった。
「あんまり見ないでよ。恥ずかしいから」
「あきれてるんだよ。よくこの部屋で生活できるなって」
「生意気いっちゃって」
「ごあいさつだよ」
「それはわたしのいう、セ・リ・フ。君が使うことばじゃないの」
 やらなくてもいいんじゃない? と口に出そうなくらい物の少ない部屋だったけど、まずは (日焼けによる変色が均等になるように) カーペットを180度回転させて向きを入れ換え、風通しが良い窓よりにチェストを寄せて、チェストがあった場所に机を移動し、ぎっしり詰まった棚の本を、本の高さや種類や読む頻度に合わせて整理して作業を終えると――昨日は昨日の信恵さんだ、気にすることも無いか。塞ぎ込みたい時やことって、誰にでもあるものだし。
 スッキリした満足顔の信恵を見たら、シュウヤはそんな気持になっていた。信恵に対する心配は吹き飛んでいた。
 それよりも、 「それより」 はごあいさつかも知れないけれど、
「遅くなるから早く入りなさい。お風呂のおそうじ、手抜いちゃ駄目よ」
「ダメよお」
「わかってるよ」
 美夏子さんは莞恩寺での暮らしに、不安はないんだろうか。楽しみにしているのだろうか。病気がよくなったのは見てわかるけど眠れているだろうか。
「今日はうんとがんばったから、早く寝ようね」
「うん。からだがあったかなうちに寝るう」
 待ち遠しいに決まっている。佳子ちゃんと一緒にお風呂に入って、ご飯を食べて、布団に入って話をして、今日着る服をいっしょに選んで、ホトと散歩するのを、夢に見るくらい、眠れないくらい楽しみにしているんだ。



   (10)それぞれの白い道


 カーテンに透ける月の輪がふだんの夜よりはっきり見える、中夜である。シュウヤは眠れずにいた。
 つい三時間前。お斎の片づけがすんで僧坊がほっとした空気で包まれるはずの時間だった。美夏子が話を切り出したのは。
「佳子をここから、莞恩寺から、小学校に通わせてくださいませんか」
 テーブルを挟んだ正面に座る庸道と、隣にいる信恵を交互に見て、遠慮がちに訴える美夏子に向かい、
「入院中ずっと考えていたのでしょう」
 美夏子の気苦労をねぎらう庸道の言葉に、いっそう心配そうで泣き出しそうな顔をする佳子を見てシュウヤは打たれた。
 あれは美夏子の退院の延期がきまった数日後、四、五日あとだったと思う。寺子の授業が終わって、ホトを庭に連れ出した時だった。
「のぶえお姉さんの小学校の校歌ってどんな歌あ? 歌ってみて」 と佳子がいい出し、 「音楽は好きだけど歌は苦手」 と信恵は渋りながらも、あれから部屋に戻って 「歌詞を見ずに歌えるまでになった」 と話していたから間違いない。
 美夏子の退院が十日延びても佳子が落ち込まずにいられたのは、新たに始まる母子ふたりの新生活を夢みて耐えていただけではない、ぜったい学校に行けると信じていた。だから落ち込みもせずに我慢できたのだ。
「先行きの目途がつくまでの間だけ、ここから通わせてくださいませんでしょうか。お手伝いは何でも、どんなことでもしますから」
 つつましやかな美夏子が懇願するのと、美夏子が帰ってくれば学校に行けると信じて耐えた佳子を思うと、シュウヤはたまらなくなり、――このまま学校に行かずにいたら友だちだって出来ないし、みんなで遊ぶこともできないんだよ、行かせてあげてよ! と言おうとした時、
「退院して落ち着いたら、お勧めしようと、話していたところでしてね」
 庸道はいい信恵にうなずき席を立つと、ずっと美夏子の背中にかくれるようにしていた佳子の前にまっすぐしゃがみ、
「佳子ちゃん。小学校に行きたいかい?」
 双腕に手をそえてやさしく言った。
「行きたーいっ。天馬小学校に入って、お友だちといっしょにお勉強したいの」
 けなげな目をまっすぐ向けて答える佳子を、シュウヤは何に換えても学校にやりたくなった、庸道と信恵そして美夏子もみな同じ気持でいたのだ。
「よおし。じゃあ、おじさんがランドセルを買ってあげよう。お洋服とマフラーも、それに靴もだ。お母さんといっしょに気に入ったものを選ぶといい。必要なものがあれば何でも、遠慮しないで言うんだよ。いいね」
「わーい!」
 飛び上がって喜ぶ佳子と、隣りで声を詰まらせながら 「ありがとうございます。ほんとうに、ありがとうございます……」 を幾度もくり返す美夏子に、信恵が言った。
「もう、何でもしますなんて言わないでくださいね。我が家だと思って、気がねなく過ごせばいいんです。佳子ちゃんもよ。ホトも含めてみんな家族なんだから」
 心のこもった最上の言葉だった。 「シュウヤくん、あなたもよ」
 シュウヤにとっても。
(家族かあ。)
 昨日老人ホームのそばを散策したときシュウヤは “家族” を感じた。黙っている時間もかえって自然で、一家団らんという言葉を絵に描いたようなひと時だった。ちょっとした上り坂に差しかかったところでは、 
「お前さんの母さんの名前は、あの花の名からとった」
 玄造はブナ林の入りくち辺りに顔を向けて、(シュウヤに。) 言った。
「静花さんをイメージしたのね。何ていう名まえ?」
 シュウヤが聞きたかったことを信恵が口にする。
「ヒトリシズカという。春に白い花をつける」
 ヒトリシズカは一人静と書き、能の舞台に登場する 「静御前という女性の舞い姿に見える」 ことから、その名がついたという。
 堅い土を割いてまっすぐ伸びる細長い茎の頭に、子どもたちが太陽に向かい両手を伸べるような恰好の葉が四枚あり、開くのを途中で止めたような形をしていた。
「葉っぱがお花を守ろうとしているみたいね。どんなお花が咲くの?」
「知らんのか。莞恩寺の森の奥にたーんと咲くわ。甘~い香りが森ぜんたいをつつむ年もあるくらいじゃ、めったにないがの」
「だから気づかなかったのよ。あんな形をした葉、見たことないもの。それでどんなお花なの?」
 信恵が車椅子を押す手を止めると、
「んだなあ。言葉では説明しにくいが」
 玄造は一生懸命考え考え、二人はしんぼう強く話し出すのを待ち、また話しを聞いた。
「毛糸のような……というより、白いくす (くし)……歯と歯の間を、つま楊枝……」
「歯間ブラシ、」
「しーぃ」
「丸っこく長く、パラパラと……ばあさんのくし、いんや、ブラス (シ)……くるくるカール、パラパラと……」
「ブローブラシみたいなお花ね。玄造さんの話からすい測すると」
 信恵の机のペン立てに差してあったブラシ。巻き髪にする時に使うブラシで、ブラシの部分が円柱状で白っぽいの、あんな感じの花らしい。
「へーえ、ハーブに似た香りがするんだあ」
「株は独立しておるが、見てのとおり群生して育つ。支え合いつながり合って存在しているように、わしには見えてのお」
 玄造はそこに咲く花を見るように目を細めた。
「ヒトリシズカのように育ってほしかったのね、静花さんに。あっちの葉っぱが大きいのは? 何ていうお花?」
 林の小径(こみち)をはさんだ反対側の開けた場所を信恵が指さしたところで、シュウヤは気づいた。

 認知症といっても玄造さんの場合は軽度だから、物忘れが多いというより忘れたこと自体を忘れていて、初めから無かったことなの。だからそのつもりで接するといいと思う。
 
 そう話したとおり。玄造の言葉から話題を引き出そうとする信恵をシュウヤは偉いと思った。
 信恵の指さす方には、
「ああ、あれな。フタリシズカじゃよ」
 フタリシズカも茎の先端に葉があるのは同じだったが、手の平だいの光沢のない三枚の葉が地面を(おお)うように広がっていて、葉の中央からまっすぐ伸びるという白い花は……
「ヒトリシズカと似たようなお花が咲くの?」
「どっちも好きな花に違いないが、色のほかは似ても似つかん。まったく違うわ」
 茎が二本、いや三本……スズランに似…とるというより、白い雨つぶ……雨のしずくといったほうが……スズランに見えなくも……鈴なり――
 今思うと、どんな花か想像できたこともあったけど‥…。 「シュウヤくんあなたもよ――」 家族の一員だからという気もちがあったのかも知れない。
「スレイベルみたいな花だ」
 シュウヤは言葉をのみこまずに言った。
「スレイベル?」
「棒に鈴がたくさんついた楽器があるでしょ? クリスマスソングを歌うときに使う、シャンシャン音がするの」
「ああ。やさしい音がするあれね」
 二つの “シズカ” を想像してみると、ヒトリシズカは母親というより美夏子を思わせ、フタリシズカは信恵だろう。そんなことを考えながらシュウヤは、足どり軽く二人のあとにつづいた。
 浅い緑の野の草と深い緑の木葉の色合いが、日光の加減のせいかより生き生きとし始めたのを見計らったように玄造は、
「静花が生まれたときは、村中の者が祝ってくれてのお」
 その点景を懐かしむ表情の玄造に信恵はふたたび話を引き出そうと車椅子を止め。
「わたしの時は? どうだった?」
 玄造の顔をを覗き込んで、おどけて訊いた。
「聞いておるじゃろ。母子ともに危険な状態でみな心配で、中には莞恩寺にお百度を踏みに通う者もおったくらいじゃ。そのぶん無事生まれたと聞いたときは、みな安堵しての。赤んぼさ見てみなぶったまげただよ、こーんだらデッケえ子ならば、そりゃあ難産だわとな、みなたまげての。したっけみな安堵してのお」
 感情のおもむくままに、だが生き生きと玄造は語った。
 元気とはいえ、玄造といっしょに居られる時間は限られる。何十年もそばにいられるわけではないのだ。
 老人ホームをあとにしたシュウヤは、これからどうすればいいかを真剣に考えた。
 仮にここから、福島の学校に通ったとしたら……。
 どこの学校でも同じだ。意味があるとは思えない。神奈川にもどれば、莞恩寺でのおおよそ一か月のいい思い出や貴重な経験、あるいは体験が、頭のどこかにこま切れになってしまわれてだんだん色あせていき、じっちゃんの生き生きした顔はぜったい忘れないだろうけれど、自分以外のことを考える余裕もない毎日をすごすことになり、やがて思い出はそんな日常にかき消されて後悔しか残らない。ずっと後悔を背負って生きていくようになるのだ。
 ハッキリと言えるのは、学ぶことも得るものもたくさんある莞恩寺にいたほうがずっといいに決まっているということ。そのことだけはハッキリしている。でも、そこで考えが行き止まってしまう。莞恩寺で、天馬村で何をどうしたいのか。自分自身のことなのに説明ができないのだ。
 莞恩寺にもどってからも、そのことばかりを考えてのぞんだ法話だった。ガタガタと木戸を鳴らす雨風さえ気にならないほど二つの話に引き込まれた。どちらも自分のために選んだのだ、とシュウヤは思った。その一つが 「二河白道(にがびゃくどう)」 の話だ。
「ある人物の目の前を、火と水の二つの大河が行く手を阻んでいた。二つの河の間には、一本の 『白い道』 がある。その道はすこぶる狭く、さらに両岸からは火と水の波が絶えず打ち寄せ、行くのも引き返すのも立ち止まっても死という “絶体絶命” の窮状(きゅうじょう)に置かれたその人は、もはやこれまでと諦めかけた。だが、このまま死を待つのは忍びないと考えたのか、どうすることも出来ないことを考えても仕方がないと思ったのか、その人物は、 『どうせ死ぬならこのまま行こう。死を避けられないのならこの道を行こう』 と覚悟を決めた。
 そのときだった。こちら側の東岸から 「行け!」 という釈尊の背中を押す声を聞き、向こう岸の西岸からは阿弥陀仏の 「来い!」 という励ましにも叱責にも聞こえる声がとどいた。迷いは消えた。完全に消えてなくなった。何を迷っていたのか分からぬほどだ。恐れの去ったその人は歩みをすすめ、白い道を渡り切った」
 庸道は酸素を取り込むように間を置くと、ふたたび……
「この人物がいたのは迷い、あるいは苦悩の世界だ。行くべき道が四、五寸の狭い道にしか見えなかったのは、煩悩のしわざだ。迷いも疑いも棄て直ぐな心で浄土を目ざせば、道は広がり救われるという譬え話でね――」
 熱誠にまずシュウヤは打たれた。その場所にいる感覚だった。あの話が終わったあとだった。風がやんだのは。
 そこかしこに散らばっていた濡れた落葉や供花の茎葉が、昨晩嵐だったことを物語っていた。それらを拾い集める間も、窓ガラスに貼りついたツバキの花弁を一枚一枚はがす間も佳子を小学校に行かせてやりたい思いで、美夏子の頭はいっぱいで、 「いつ話をしようか」 「今夜 (こそ!) 話をしよう」 と、思い悩んでいたのだ。
 そんな美夏子に聞かせたかったのが 「他力本願」 の話だ。
「とは言え煩悩を断ち切ることは極めて困難、容易ではない。そこで大事になるのが他力だ。他力とは、阿弥陀仏の立てられた 『すべての者を等しく救う』 という本願を叶える力、 “本願力” をいい、本願力は弥陀のご慈悲に一斉を托す 『本願他力』 の確信により成就する。ようは、阿弥陀さまのご恩にむくいる心が真に生きる根拠となり、希望を生むわけだが、本願他力、他力本願。聞いたことがあるかな」
「うん。でも、人まかせにすることをいうんだと思った。他力本願って」
「そうとらわれがちだが、本来の意味は、阿弥陀仏の救いを信じ、阿弥陀仏にすべてをお任せすることをいってね。他方で 『自力』 に頼って、自分を追い込んだり、自ら苦しむことはない、という阿弥陀仏のご慈愛をあらわすことばでもあるんだ」
 自力というものは、自分を基にしがちの頼りのないもの。
 自力には、限界がある。
 自力は自分の観念を主体としかねず、阿弥陀さまの本願を邪魔しかねない。
 自力についてそんな話をした後に、
「ゆえに他力。阿弥陀仏により頼むわけだ。わかるかい? むずかしかったか」
「何となくはわかるんだけど……ぼくにはちょっと、むずかしいかも」
「そうだな、もっと丁寧に話さないといけないね。要は、自由とどのようにつき合っていくかだ。自由とは思いのままに為すことではないぞ。己の行くべき道を尋ねる機会、好機といえよう。ゆえに仏教信徒はつねに己を問うて生きる――」
 シュウヤにとって理解のできる話が半分くらいの法話だったが、昨日の庸道の目には力がみなぎっていた。 「欲得に支配された自由は不自由と、私は思っていてね」
 そうも語っていた。だから、自由とどうつき合うかが大事になって、思いのままに生きることが自由じゃないということもわかっているつもりなんだけど、
「けっきょくぼくだけだ。自由も不自由もないどっちつかずは」
 寝返りを打つと、明るかったカーテン越しの月明かりがぼんやりで、夜のしじまがより深まったように思えた。
 電気毛布を敷いたおかげで体は寒くはないのだけれど、寒気が南下し暖気を覆ったのだろうか。耳と鼻先が氷のように冷たくかたい。
 考えても仕方のないことまで考えてしまう、だから眠れないのだ。
「でも、今日は眠らないとな」
 体を丸めて頭までふとんを被ると、なんとなく宇宙にいるような不思議な感覚を楽しめた。
 手を伸ばせばとどきそうな満月に近いかたちの鏡のような月が綺麗で、ほうぼうに散りばめられた恒星みたいな星たちが、存在を主張し合うかのようにチカチカまたたく。
 オリオン座の西、遠い空にぽつんとあるのが、天馬の星だ。きっと距離が縮まれば縮まるほど、いちばんきれいな宝石よりも、もっともっと、もっと、もっとも輝いている………
 いつの間にかに眠っていた。白い道をシュウヤはひとり歩いていた。
 信じられないくらい気持がおだやかだ。



   (11)何でだろうが増すばかり


 十時過ぎ。莞恩寺にきてしばらくは、シュウヤが睡魔に誘われた時間だ。
 今日もいるのかな……。
 夜たびたび本堂に来ては、須弥壇の前で俯いている信恵のことがシュウヤは気になった。本尊に叱れているような信恵が。
 思ったとおり。今日もいる。日中丹念に拭き清めた廊下まで明かりが漏れている。
「ずっと気にして……みょうのこと……妥協しません、」
 めずらしく庸道と向かい合って何やら話し合っているようだが、内容までは聞き取れない。死角になりそうなところでシュウヤは、耳を澄ましてそばだてる。
「御仏や菩薩の座すハスの座からとった尊い名だと思うが、何が不満なんだね」
「わたしはふつうが‥…子供が読み書き……」
 庸道の話は聞き取れるが信恵の声が聞こえないから、何を話しているのかまでは分からない。シュウヤは前屈みの姿勢を保ったまま半歩、もう半歩前に足を辷らせた。 
「それが花かね。 『()』 の字のほうが信恵には合っていると思うよ。尼僧として歩む覚悟を感じられるしね」
「またイメージぃ? 尼僧ってね、わたしはひとりの人間として、仏門に入る決意をしたの。尼僧とかいわないでくれるう?」
 仏門に入るって、 “信恵さんがおぼーさんに!?” シュウヤは声に出そうになるのを抑えて、息を殺して神経を集中する。
「ならば尚のこと花より茄だろう」
(はす)の字は草冠の下に連を書いてハスって読むの。茄はハスとは読まないし、茄が蓮だなんて誰も思わないわよ。わたし調べたんだよ、茄ってふつうはお茄子をさして読みもナス、な・す・び・のことをいうの。わたし絶対イヤですからねっ」
 どうやら漢字のことで何かを話し合っていて、信恵さんは 「か」 と 「はす」 のことで何かを訴え、拒んでいるようだ。けど……
「そこまで言うなら、考え直さないでもないがね。口の利き方はあらためないといけないな、仏門に帰依する者の言葉づかいではないよ。檀信徒に示しがつかん」
 やっぱりお坊さんになるんだ、信恵さん。
「では、信のあとに円いを書いて、いやだめだ高僧にいらっしゃる。ならば恵円、唯円さんから一字いただこう。歎異抄(たんにしょう)の著者といわれる唯円さん、」
「ゆいえん! 蓮如さんじゃなかったんだ、歎異抄を書いた人って」
 頓狂な信恵の声が高いので、シュウヤは慌てて腰を落として小さくなる。
「蓮如上人は後年書写されたお方だ、自著が現存していない以上推量の域にとどまるが、内容や背景から鑑みれば書けるのは唯円さんのみ。それはそれとして、子供にでも読み書きでき、ふつうであり且つ尊い。よし恵円で、」
「いやよお。カトリックの洗礼名? あれだって希望をきくって話よ、ですよ。仏教も変わらないと。考え方を改めるべきです」
「希望をきく教会もあるようだが、大概が神父様がお決めになるのではなかったかな」
 ようどうさんは釈よう道さん。妙子さんは釈みょうせいさん。信恵さんは釈××さんに。法名のことを話しているのだ。それで悩んでいたんだ、信恵さん。
「ともあれ、穢土浄土の別なく用い、釈尊の弟子として不変の明かしを立てる名だ、逸らずに共に考えようではないか」
「なら、どうしてお母さんの言う事は聞いてあげなかったの!? 法名のことでお母さん、ずっと悩んでたんだよ。清いよりセントの聖のほうがよかったって――」
 朝夕の勤行に欠かさず出るようになったシュウヤは、自と庸道と会話する機会が増えていった。
 仏教の話題が多くを占める会話の中で、宗教に関する歴史の話はとくに興味深く、迫害されて禁教になった宗教が世界中にあったことや、日本仏教の中にはキリスト教の教えの一部を踏襲する宗派があること、同じ仏教や同じキリスト教でも宗派によって考え方がずいぶん異なることなど、庸道に出会わなければ一生わからず仕舞いだったと思うことばかりで、法名のことを聞いたのは、初めてお墓に行って掃除をした帰り道だった。 「坂部義道という私の名前は生きている間に使う仮の名前でね、新たに与えられた法名の釈庸道がこの世でも向うの世でも通ずる本名なんだ。釈はお釈迦様の弟子を表わす言葉で、下の庸道二文字が名前だな。今 (現在) は俗名から一字を摂るのが主流だが、崇哉君なら崇の字だろうな」
 部屋に戻ったシュウヤは、ノートを開き机に向かった。お斎を済ませ入浴までの空いた時間に書き留める、法話の要点を書き留めたノートである。

 ・生きていくこと自体が修行。
 ・み仏に対して悪事を行わないことを、心にとめて過ごすことが大事。
 ・おのれを問うて生きる。
 ・アミダ様のごじ愛を信じて、自分をみずから追いこまない。
 ・赤ちゃんみたいに素直な大人になる。

 初めて晨朝勤行に出た日の夜に書いた五項である。最後の話を聞いてシュウヤは思った。こんな事を考えている大人がいるのか!
「赤ん坊は疑うことなく、お母さんやお父さんに身も心もゆだねるだろう? 成長とは自分を低くし、赤ん坊のように煩悩を持たない正直な人間になろうとすることが何より大事、と、私は思っていてね」
 驚きとうれしさでメモ用のノートの文字が乱れている。
「難しかったでしょ、お父さんの話。でも不思議と覚えているっていうか、ふと思い出したりするのよねえ……子供の頃に聞いた話って」
 信恵さんはあの後そんなふうに言っていたけど、そんな日がきっとくるだろうし、考えるきっかけを与えようとして話してくれた、ようどうさんの思いやりが今になってよくわかる。
 シュウヤは鴨居に掲げた 「報恩謝徳」 の額に向き直る。
 教えてもらって何日も経たないから覚えているんだろうけど、罪を罪のまま抱き取ってくださる阿弥陀如来のご恩に報い、その恵みに感謝すること――。寺子部屋の額に入った 「摂取不捨」 の遺墨と同じように、妙子の心の清さと実直さが楷書で書かれた 「報 恩 謝 徳」 の四つの文字と額ぜんたいから伝わってくる。
 この部屋で日課のように書をしたためたという笑顔の妙子が、
「しゅうやくん。罪をそのまま受け取ってくださる、阿弥陀さまの恵みに感謝することですよ」
 そんな言葉をかけてくれた気持になる。
 自分の意思で僧侶になる決意をした信恵を尊敬する気持と、遠い人になってしまう心細さが入り混じるなか、 「きっと、妙子おばさんも喜んでいると思うよ」 そんなふうにシュウヤは声を掛けたくなった。心配や不安もあるに違いないから。
「あ」
 佳子ちゃんだな。
 二階の笑い声と踊るような足音がいつにも増して明るく聞こえる。お母さんといっしょにいられることも、ランドセルや自転車や服や靴を買ってもらったことも、髪をショートにしたことも、ちょっとした些細なことも嬉しくてしようがなくて、美夏子さんはもっともっと嬉しいのかもしれないな。
 小学校に入る手続きといい、必要なものを書き出してささっと買い揃える行動力といい、 「嬉しさの表れね」
 信恵のいうとおりだとシュウヤも思う。ランドセルや名札などの持ち物に名前を書く時のしあわせそうな美夏子の顔が見えるようだ。
 料理はばつぐんに美味しいし。
 料理が得意な信恵が教えを請うほど美夏子は料理上手でメニュー豊富で手早くて、それでいてせっせせっせと気忙しくするでもなく、心はおだやか。けっして騒がせない。そして――いつも何かに感謝している人。シュウヤはそんなふうに美夏子を見ている。
 でも、入院している時のようにすすんで話すことはほとんどなくなり、佳子ちゃんが学校に行くようになったらますます無口にならないか。シュウヤは心配だった。
 それにだ。
「美夏子さんカレンダー嫌いなんですって」
 信恵がいっていたことも気になる。
「嫌いだからって外すことはないと思うけど」
「人それぞれなんだからいいじゃない。気にしない気にしない」
「だけどさ」
 束になったカレンダーを広げながら、どれがいいか、どんな絵や写真のものがいいか、 「動物よりも花がいいわね」 「これ。世界遺産のがいいんじゃない?」 「メモを書けるスペースが広かったらいいんだけど」 と、信恵と相談しながら選んだ絵柄のない月めくりのカレンダー。 「これだったら、ちょっとしたスケジュールや小学校の行事も書けるわ」
 シュウヤは一言 「必要ない」 と言ってほしかった。そのことで納得できずにいただけに。
 うれしかったなあ――。
「自転車の乗りかたを教えてくださらない?」
 少し恥ずかしそうな美夏子の顔は、佳子にそっくりな女の子のようだった。
「シュウ兄ちゃん、おしえて」
「うん」
 と、素直にいえたぼくはどんな顔をしていたんだろう。
 でも、どうしてなんだろう。
 シュウヤはカレンダーのことを、しばらく忘れられなかった。



   (12)

   
「自転車の乗りかたを教えてくださらない?」
 嬉しさがまさって、美夏子に対するこだわりは消えて無くなっていた。莞恩寺にきて十日も経つのに話し掛けてくれなかったことも。カレンダーを外したことも。シュウヤはどうでもよくなっていた。
 庸道に買ってもらった佳子の自転車は、佳子の体にはやや大きく見えるシティサイクル、天馬の空を想わせる薄いブルーがよく合っていて、中学生になっても乗ることを考えて自分で選んだというから佳子らしい。 
 補助輪のないギヤ―付きの自転車に乗るのは初めだというのに、佳子はものの三十分で難なく乗りこなしてしまった。シュウヤの手本と短い説明の理解は早く、教員免許をもちバレーボール界のホープとして注目を集めた信恵が 「将来は大学教授か研究者か、スポーツ選手にだってなれるわ」 と唸るほど。運動神経抜群だった。
「せっかくだから、午後の授業はサイクリングにしよっか。遠回りになるけど、通学路の確認もかねて」
 佳子にねだられて、名前と (莞恩寺の) 住所を前輪の泥よけに書き終えた信恵は言った。
「でもシュウ兄ちゃんの自転車は?」
「母がつかっていたお寺のと兄のと二台あるからシュウヤくん、どっちか好きなほうを選んで」
「じゃあ一台あまるでしょう? お母さんもいっしょがいい」
「……お母さんも?」
「いいよね、シュウ兄ちゃん」
「うん」
 いっしょがいいに決まってる。
「雪もないから、ねえ、いいでしょう?}
「退院して日が浅いし、外は寒いわよ。風邪でも引いたら大変だからもう少し暖かくなってから、」
「あったかだし、あたたかくすれば平気よお」
「行くか行かないか訊いてみればいいよ」
 結局美夏子は 「寒さにはなれっこだから」 と快諾し、午前の残りの時間は、佳子の大事な家族になる自転車の手入れの仕方を覚える時間にあてることになった。
 サドルの高さの調整に、しばらく動いていないシュウヤが乗る善行の自転車をつかって、空気の入れ方と空気圧の目安、オイルを注す個所と量などを覚えてもらい (内装ギヤの佳子の自転車にはさほど必要なかったが)、 大型バイクの免許を持つ庸道に自転車の構造と歩行者を含めた交通ルールの講習を受け、みな充実した時間を過ごした。
 それでも余った時間は、庸道も信恵と善行と同じように天馬小学校に自転車で通っていた話や、時代は変われどその風景はほとんど変わらないとか、通学経路と時間の目安、外灯が少なかったり凍結防止剤が撒かれる道の情報や、自転車が使えない悪天候の日には行きがけに村の子を拾いひろいして自家用車で通学したことなどをシュウヤもくつろぎながら聞いていて、善行の自転車は庸道から引き継がれたという話になってシュウヤはふと思った。
 母さんが口すっぱく 「ものは大切にしなさい」 と言ってきたのは、天馬で生まれ育ったせいかもしれない、と。
 スーパ―で買い物かごを (ダンクシュートでもきめるように) 手荒く扱ったシュウヤのことを静花はひどく叱った。大ぜいの人が見ている前で。顔をまっ赤にして。……人のものも自分のものも同じように大事にできない人は人の心も大切にできなくなるの! ××で×××なまま大人になっちゃうのよ!
 まくし立てていたから覚えていないところもあるけれど、でもぜったいそうだ。天馬で生まれ育ったから、あんなにきびしく言ったんだ。
 そう確信するには理由があった。本堂や寺務所や隣の倉庫の内外の物、たとえば竹ぼうきやブリキのちりとり一つとってもそうだし、机や手回しの鉛筆削りに電気スタンド、炊飯器にレンジに石油ストーブに木製の風呂桶も、大事につかってきたのがよく分かる。新しいものはといえば、佳子に買い与えたものを除けば、ほとんどないと言っていいくらいない。天馬にくるまでに見たお地蔵や、伊作の工房にしても、シュウヤの目に留まったものすべてが手入れが行き届いていた。
(だから、きっとそうだ。)
 お昼のお斎の後はきまって鐘つき堂と山門の間を往復するのを日課にしている庸道にその事を話すと、
「天馬には、物を貸し借りしたり譲ったりして、助け合わねば暮らしていけない時代があってね。そのせいで、物を大事にする気質が残っているのかもしれないな」 
 庸道は本堂のほうに体を向けて、
「天馬で育った気質もさることながらお母さまは、区別することの怖ろしさやはかなさを、身をもって経験してきたのだろうね。問題から目を背けたり、その場を取り繕ったりせずに、真剣に人生と向き合ってきたんだ」
 そういうまっ直ぐなところが、あるにはあったと思うけど、   
「そういえば父さんも、車と同じように自転車を大事にしてたなあ」
 どちらも手入れを怠らなかった。だが、同じようにするようシュウヤに言うことはなかった。
「価値の有る無しでなく、価値観を大切にしておられるのだろうね、崇哉君のご両親は。ま、夫婦というのは似たところがあるからこそ、むつみ合い夫婦でいられるわけだが」
「じゃあ、妙子おばさんも、ようどうさんと似ているところがあったの」
「妙子、おばさんか」
 庸道は参道を見てつぶやく。悪いことを訊いたというよりも、妙子を亡くしてまだひと月余りだ。タイミングが悪かったのだとシュウヤは悔やんだ。
「私よりもずっとできた、」
 ――お父さーんもサイ、クリン行く、行きますう~?
 二人は顔を見合わせつい笑ってしまう。歯ブラシをくわえたまま信恵がしゃべっているのだ。
「私は挨拶まわりがあるから、四人で楽しんでおいで。雪が残っているところもあるだろうから、無理をせずに気をつけて行くんだよ」
「大丈夫よ、お庭みたいな、ものだもん」


 墓地の外れをとおって、山道を少し走って、天馬村の名所と思い入れのある場所をいくつか見てから山を下れば、莞恩寺の坂下の広域農道に出る。
(あとは一本道っていってたな、信恵さん。天馬小学校まで。)
 山道に入る直前の滅多に来ない、墓地の外れだった。
「凄いでしょう」
 自転車を押す手を止めて信恵が仰ぐ。
「すごーい。お空に向かってまっすぐ伸びてるう」
 見上げているのが億劫になるほど丈高いスギの木は、樹齢400年とも500年に届くかとも伝わる、周囲のスギを植林するきっかけを作った名木として、福島県の保存樹木に指定されている。
「目と鼻の先にあるのに、気にもとめなかったな」
 ゴツゴツとした赤みがかった樹皮の幹回りには、保存樹を示すプレートが針金で括られていた。
「天馬の人は 『閑雅杉(カンガスギ)』 って呼んでいるの。ご宝樹っていう人もいるけど」
 閑雅杉の五文字を強調する信恵に、
「カンガってえ? どういう意味い」
 佳子は訊いた。
「趣があるとか風流とか、そういうこと。わかる?」
「よくわからなーい」
「上品で味わいがあるということでしょうか。見た印象からも」
「それならわかるー、そんな感じがするう」
 誰からとなく、閑雅杉と呼ばれるようになったスギの木の樹影からは、天馬の歴史を見とどけてきたという威厳が感じられた。
 信恵を先頭に佳子、美夏子、シュウヤの順で自転車をこぎ始めて一、二分したところだ。
「ここから舛山地区よ。権現坂(ごんげんざか)といってね、福島県のちょっとした名所なの」 
 シュウヤは、逆方向から上った日の情景を思い浮かべる。
 時代劇のセットのような趣のある権現坂は、路面は舗装されているものの、足軽や旗本を背中に乗せた馬たちも、杖をもち笠をかぶった町民もみな、ゆったり歩くシーンが似合いそうな、スギ林の間をとおる短い山坂道だ。日なたにくらてべグッと、三、四度ほど気温が下がった気がするが、――この辺りはのお。セミやカブトやカミキリムシの家みてえなところだしけ、しっかりと 「おじゃまさま」 と、挨拶せねばいかんぞ。
 シュウヤは玄造とすごした一夏に思いを走らせ、 「おじゃまさま」 いわれたとおりに、だが小さく言った。もう半年待たずに権現坂は、……ミンミンミーン、じーじいーじぃー、ツクツクツクツク、今は土の胎内にいるセミたちの大合唱が響きわたる。
 権現坂を上り切ると、稜線にあたる道に出た。北西方向に連なる山を横断するようにして伸びる、硬い土の道である。
 周囲にある細長い木の枝に辛うじてしがみついている葉っぱが、嬉しそうに揺れている。
「動物に見られているみたいです」
「ちょっとこわいな」
 美夏子の言葉を違った意味で受け取る佳子に、
「佳子ちゃーん、リスさんがいるかもしれないわよお」
 信恵は関心を別のところに向けようとする。
「えっ、リスがいるのお!? 見たことあるう?」
 思ったとおり。明るい佳子の声が木々にはねかえる。
「わたしはないけど、見た人が何人もいるのよお。きっと木の上のお母さんリスがね、子どものリスに、 『同い年くらいのかわいらしい女の子がきたわよ。』 って教えてあげているわよ」
 少しだけ勾配がきつくなった気がする。気がする程度の坂の周囲に雪はない。凍結の心配はなさそうだ。
 早足ほどのペースを保って先頭を行く信恵がこぐのを止めて。
「無理しないで歩きましょうか。瓢池につくまでにヘトヘトじゃつまらないから」
 後方に振り返っていう。病後の美夏子を気づかって言ったことがシュウヤにもわかった。が、
「ひさご池? ひょうたん池に行くんじゃないの」
 天馬といえばひょうたん池。シュウヤの貴重な思い出のひとつだ。
「ああ。ひょうたん池って呼ぶ人もいるわね。正式には瓢池よ」
 言ったことも忘れて自転車をこぎ出した信恵の話によると、 「ひさご」 は朝顔やヒョウタンや冬瓜などの総称で、ヒョウタンそのものを呼ぶこともあるという。だからシュウヤは、
(ぼくはひょうたん池でとおすぞ。じっちゃんと同じように。)
 平坦に見える下りの道がしばらくつづき、はっきりとした下り坂に変わった。右手はブナの木がまばらに生える林だ。
 見た目はありふれたブナ林なのだが、鳥の声が小川の瀬音にかさなる音が心地よくてついどんなふうになっているのか、林に入って見てみたくなり、足を止めて眺めていると―― 「シュウヤ。林には、ぜってえ入ってはならんぞ」。 ブナ林の先が急な崖になっているという玄造にきつく注意された場所だ。そう見えないから怖いのだが、ここまで来れば……
「ここから先一帯は、とーげんきょーって呼ばれているの。すばらしい別天地という意味い」
「ことばのとおり。素敵な場所です」
 わざわざ遠回りするような道をつくらなくてもいいのに、とシュウヤがこぼした桃源郷は、Sの字を裏から見たかたちの上り坂が高台に伸びるのと比例するように、疎林がしだいに開けて行く。歩きと違いあっという間に視界は開け、上り坂を踏破すれば……
「桃源郷にはね。 『天駆ける馬を見た場所』 という伝説が残る、天馬村の名前の由来になった名所があるのよ」
 草原を思わせる高みに出た場所だ。
「馬がお空を走るのお? どんな馬あ? 何いろ?」
「白くてとっても大きい、背なかにお羽があるお馬さーん」
「羽がある馬あ!?」
「そうよお、可愛いお目めをしていてね。お馬さんにお願いごとをするとかなえてくれるんですって」
 ――シュウヤ。も少し頑張りゃの、雲っこさ一つねえ日に現れるといわれとお、天の馬さ見られっかもしんねえど。
 天馬村の由来になった場所だという話と、願い事が叶うという話はシュウヤの記憶になかったが、天駆ける馬の話を玄造がしていたことはハッキリ覚えている。 「オラ見たことさねえがの」 と言っていたことも。忘れられない思い出の一つだ。 
「止まってくださらない」
「どうしたの!? 何かあったの美夏子さん!」
 信恵が慌てて振り返る。焦燥が表情にあらわれ、今にも駆け出しそうだ。
「そうではなくて。耳を澄ましてみて」
 ………
「きれいな声え」
 近くの(こずえ)の高みから、透きとおったフルートみたいな鳥の鳴き声が聞こえる。
「ほんとうに」
「きっとお母さん鳥よ。そっくりだもん、佳子ちゃんのお母さんの声に」
「ほんとだあ。お母さんみたーい。あ、他の鳥さんも鳴きだしたあ。かわいい声え」
「小鳥のコンサート、アンサンブルね」
 イノシシや猿たちも、他の動物や葉陰にいる昆虫も、この時だけは動くのをやめ聞きほれている。そんな気がした。
 その姿を想像してみる。と……同じアブラゼミでもミンミンゼミでも、スズメやハトやシジュウカラが違うように個体によって鳴き声や飛び方が違っていて、性格だって一匹一匹違うのかもしれない。もしそうだとすれば、
(仲よくできるセミがいるかもしれないぞ。)
 シュウヤは嬉しくなって、前を行く三人に向いペダルを踏みこんだ。
 桃源郷の名所、天駆ける馬が “見られる” 場所にいたる坂道は、思っていたより急だったが、時間のわりに長くは感じなかった。自転車を押して上る間も……
「ふぅ。明日は筋肉痛になっちゃうかも」
「なっちゃうかも」
「シュウヤくん。帰ったらみんなのマッサージお願いね」
「どうしてぼくに言うの」
「だって、いちばんすずしい顔しているんだもん」
「涼しくなんかないよ、汗をかいて暑いくらいだよ」
「それはみんないっしょよお」
 はあはあ言いながらも、会話が途切れることがなかったから。
「いい運動になりましたあ」
 美夏子の顔がほのかに紅潮している。息が上がっていないところをみると体調は、悪くはなさそうだ。
(でも、いい運動というよりも……)
 佳子が小学校にかよい始めるまでの四日間を、母子ですごす時間を大切にしたい美夏子の気持が伝わって、
(いい思い出ができたって、思っているんだろうな。美夏子さん。)
 我が子を思う美夏子の顔と、幼稚園の遠足につき添った時の静花の顔が、シュウヤの意識の隠れた所で重なっていた。
「ここでお馬が見られるの?」
「そうなんだけど、今日は見られそうにないわ」
 どんよりとまでは言えないが、佳子の自転車のように空は澄んでいない。 
「そう……」
 いかにも残念そうな佳子に、
「お姉さんだって、まだ見たことないんだよ」
 信恵は言い、
「楽しみは後に取っておくことにして」
 前カゴのトートバッグを下ろそうとする信恵を制して、シュウヤは言われたとおりにバッグの中からレジャーシートを取り出すと、茎を伸ばしたぺんぺん草のある場所をさけ佳子とともにひろげ始めた。シュウヤは向かい合って立つ佳子に、心のなかで語りかける。
(今日で寺子屋は卒業だね。小学校でも、元気で楽しくやるんだよ。)
 寺子屋授業で元気いっぱい答える佳子。感情をこめて大きく口を開いて教科書を読む佳子。書き取りをする、何度も質問をくり返す、ラジオ体操でのびのび体を動かす、色んな様子の佳子が、一月前に見た天馬小学校の風景にとけ込んでいる。
「美夏子さん。疲れたでしょう」
 まっさきに美夏子のことを気づかうところが信恵らしい。
「いいえ。景色に癒されて、元気をもらいましたわ。空気はとっても美味しいですし」
「私もお。元気もらったあ」
 いう間も、佳子は手を休めない。
「わたしも来るたびに思うの。空気が新鮮で英気を養うのに絶好の場所だなあって」
 重しの代わりにトートバッグと隅のほうに――二人をシートに座らせて――信恵と美夏子の靴を置き、佳子は美夏子が用意してきた保温ポットをかかえてきて、プラスチックのマグカップ一つ一つに取り分ける。
「冷めてしまったかもしれませんが」
「まだあったかだよ」
 湯気の立つマグカップをシュウヤがくばり始める。番茶と煎茶をブレンドして炒った、美夏子特製のほうじ茶だ。
「今日は何も加えませんでした。少し炒りすぎたかもしれませんが」
「からだを動かすことを考えて深めに炒ったんでしょう? 美夏子さんの淹れたお茶ってほっとするのよねえ、いつ頂いても。どんな味のでも」
 日中飲む焙じ茶はホッとミルクを加えてラテにしたり、蜂蜜とシナモンやチョコペーストなどを加えたアレンジしたものが多い。甘党の庸道や、 「今日は何味い?」 と目を輝かす佳子、言葉を口に出さなくても同じ顔でいるシュウヤ、何を飲み食べしても喜ぶ信恵が、一杯のお茶をきっかけに一つになって、 「二度とこない無二の時間を大事にあたため合って」 そんな願いを込めて、美夏子はお茶を淹れているのだ。
「おむすびでもにぎれば、よかったのですけど」
「よういしようと思ったんだけどね、夜食べられなくなるからやめたの」 
 美夏子が莞恩寺にきてからも、佳子は変わらずお斎づくりを手伝う。昨夜も、キャラメル色のランドセルを背負ってみては下ろしてみたり、開けては閉じて、また開けたりしてはしゃいでいた佳子だったが、台所に向かう美夏子にきづくと、黄色い帽子をかぶったまますぐ追いかけて、美夏子の隣りにならんで立った。
 あんな事も、四人でこうして桃源郷にきたことも、ひとりひとりの思い出となり、記憶に残って財産になり、糧になるかも知れないのだ。寒さを感じさせないそよ吹く風の感覚も。女三人の髪をやんわりゆらす様子も。
 シロツメクサの葉に手をあて愛でる美夏子は、シートの下の冬草をいたわるようにも何かを思って語らっているようにも見える。鳥の声がときどき聞こえるだけの静けさのなかで、
「信恵さん。春になったらお花でいっぱいになるんでしょう?」
 遠慮がちに美夏子はいった。
「それはもう。ナズナにハナニラにかわいいニリンソウの白い花、うす紫のスミレやいろんな色のお花が楽しめますわ。あっちに同じような草ばかりがのびる場所があるでしょう。あのへんは菜の花畑で、天馬は菜の花の産地として意外に知られているの。昔は菜種油をつくる方がけっこういらしたそうですよ」
「お花からアブラがとれるのお?」
「種からとるの。菜の花のほかにも、大豆やお米やトウモロコシ、ゴマもそう。ゴマ油っていうでしょ」
「うん」
「いろんな虫や、鳥も見られますわね」
 美夏子はいい遠くに視線を運ぶ。
「すごしやすいんでしょうね。めったに会えない動物や、固有種の野草も見られますし、佳子ちゃん。いろんな鳥やいろんな色の蝶ちょがね、うれしそうに飛んでいて、ときどき蝶ちょが肩にとまってくれることだってあるのよ」
「ホントお!? 楽しみい」
 シュウヤは 「ハチもいるんでしょう?」 格好が悪い気がして言うのをやめた。アシナガバチに追われて刺されたことがある。
 どちらにしても楽しみには違いない。色ととりどりの花咲きほこる春の桃源郷は、そこにいるみんなの桃源郷なのだ。
「ゆっくりしたいところだけど、雲行きがあやしいから行きましょうか」
 わずかな時間で、低い雲が厚みを増していた。
 菜の花畑の端を通り、ゆるやかな下り坂をすすむにつれて、葉をつけた高木が増え森らしくなってきた。
(ウチに飾ってある画に、どこか似てるな。}
 実家の階段の踊り場にある、二階から下りて行くと正面に見る油絵。西洋画だ。シュウヤは目の前の景色と西洋画とを重ね合わせる。
 構図や春を待つような季節感。それに木漏れ日の照度や、二つの場所にただよう空気や温度。西洋画に描かれた場所はここと同じにおいがする。シュウヤはそんな気がした。
「ここは山菜採りのメッカ。季節の野菜の宝庫よ」
 葉の多くを落としたブナと、同じくらいの丈の木ばかりの雑木林だ。
「カルシもあるう?」
「かるしって?」
「キノコのことです」
「ああ、きのこは秋ね。マイタケやハツタケやいろんなのが取れるわ。春先はゼンマイにワラビ、それとタラの芽がいっぱい。タラの芽のてんぷらはね、舌がとろけそうなくらい美味しいんだから」
「信恵さん、フキもあるでしょう?」
 目を細めて美夏子は訊いた。陽光がそこをねらって射しているようだ。
「もちろんありますよ」
「マカヨは味噌和え!」
「佳子ちゃん、マカヨってフキのこと?」
「そーお」 
 湧き水が滲み出したものだろうか。雪解けの水だろうか。林の先の砂利の道が濡れて汚れている。
「北海道ではフキをマカヨといいます。馴染んだ言葉はなかなか抜けないもので、一緒くたに覚えてしまったんです」
「お母さんのマカヨの和えもの、とってもおいしいよお。摘むときはね、よし子、ちゃーんとありがとうをいうの」
「えらいのねえ、佳子ちゃんは。春がくるのが待ち遠しいわね」
 会話を聞いているだけのシュウヤだが、その輪にいるだけで楽しかった。
 雪解け水の汚れと道の凹凸が気になったのは、ほんのわずかの間で、林が開けるとにおいが変わった。はっきり変わった。昆虫が好みそうな、営養を含んだ湿気を帯びた匂いだ。
「鎮守の森よ」
 森の生き物たちの約束事のように静ひつを保った鎮守の森は、人間の力をはるかに超えた大きな力に治められているような、独特の雰囲気をかもし出している。
「参道みたいなところね。苔が青々として、とてもきれい」
 美夏子の小さな声が聞こえるほど静かな道だ。
「この先に神社があるんだよ、おばさん」
 木々の根元にじゅうたんみたいなコケが広がる、鎮守の森が開けるとすぐ、初詣には冬着を脱いで押し合いへし合いしながらやっとの思いで参拝した神社がある。
 そして、本殿のななめ後ろに、玄造と手をつなぎ合わせようとしてとどかなかった太い幹のケヤキの木があり、ケヤキの脇をとおり、 「こいつは、男の木だ」 と木肌を撫でたり 「あっこのは女の木じゃ」 と、親木と子供、兄妹の木だと、指を指し指ししながら歩いた木立ちが開けて、隈笹を分け入って少しすすむとじっちゃんと二人ならんで見た、
(ぼくらの展望台に出るんだ。).
 山側から川向うに架かるか細い吊橋が懐かしい。――たぬきとオコジョくれえなもんだべ、あの橋さとおるのは。
 川を跨ぎたそうな恰好の対岸の川袂にある痩せた木を、鉄塔の間を結ぶたわんだ長い送電線を、この眼で早く見て見たい。
 正面のやや右側からはるか遠くの麓に向かい山の裾野みたいな田野が広がり、田野の右の隅のほうにはじっちゃん家の裏庭にある竹林の頭が少しだけ見えて、左側の小高い山には庭師がそうした直ぐ後かと思うくらい整然とした段々畑と石置き屋根の小屋があり、北西に連なるさざ波みたいな山の奥まったところに座すのが、名峰大志山だ。
 ――シュウヤ。冨嶽三十六景を知っとっか。富士の山が見える風景を描いた葛飾北斎の版画での、実際は四十六景じゃが、ここからの眺めは見てのとおり。北斎も唸るほどの絶景じゃ。山頂には磐座(いわくら)として崇められとる、それはでっけえ岩が、
「ちょっと待って!」
 思い出の映像を信恵が断ち切る。
「うそ、どういうこと!?」
 シュウヤは信恵の隣にならんで、
「えーっ!」
 言葉が出ない。森が不自然に開け、四十七番目の景色が見える展望台に通じるはずの、道がない。いや見えない。中の様子を窺うことを拒絶するかのような、凡そ1メートル幅の背の高い幾枚もの鉄板の壁が敷地のまわりを取り囲み、10時から11時の方向に家のカーポートの伸縮門扉とは目的も材質も高さもまったく異なる銀色のアコーディオンの型をしたゲートが。まるで、部外者を立ち入らせない目的の鋼鉄製のバリケード、いや鉄を組み合わせた矢来だ。矢来の向こう、鎌首を下ろした三体あるパワーショベルは、汚名を着せられ打ち首をまつ罪人か!
「ほかにないの信恵さん! 池に、ひょうたん池に行く道ないの!」
「……」
「ねえってば!」
「無い! 何も、榎木神社も瓢池に行く道も無ーい!」
「ひどい……」
 大ケヤキも展望台も、じっちゃんと見た風景も。ひょうたん池に注ぎこむ清流も、スイカを冷やした沢も。
 何もかもが無くなった!?
 土の中のアリがミミズが。地上にこがれるセミたちが。生まれてくるはずの命が……。多くの命をうばっていったい、
「何をしたいんだよお!」
 シュウヤは絶叫した。
 天馬村に似合わぬ景色を隠すように、雪が舞いはじめた。
 


   (13)変化
 

 勤行に出るようになった信恵は変わった。 「あの日」 を境に信恵は変った。シュウヤにはそう見えた。桃源郷に行った日から。
 信恵は夜遅くまで勉強している、シュウヤはそう聞いている。お寺を訪ねる人の中には信仰を持たない人も当然いて、葬儀などの参列者には 「キリスト教を信じる人もいるから」 と、他宗教や時事問題を含め幅広く勉強をしているという。
 信恵と初めて聞いた法話は――
「仏教徒は人間が特別とは考えない。因って両親、身内、仲間といった関係で物事を推しはかることはしない。人間は言うに及ばず、生きとし生けるものすべてを救うと誓われた、阿弥陀仏の本願に感謝する心を成長させることこそが、我々衆生(しゅじょう)の務めといえよう」
 信恵にいって聞かせるような、一人で聴く時とは感じの異なる法話だった。 
「南無阿弥陀仏。この六字七音の名号(みょうごう)を称えて、阿弥陀仏にすべてをゆだねれば、阿弥陀さまは救いのためにはたらいてくださる。わかるかい? 崇哉君。信恵も」
「うんうん、うん」
 相づちをうち納得したようすの信恵に対し、
「わかるような気はするんだけど、南無阿弥陀仏の、南無ってどういう意味なの?」
 シュウヤは訊いた。
「そうか、まだ話していなかったか。南無とはだね」
 シュウヤにわかりやすいような表現を庸道は考える。阿弥陀仏に尊敬や敬意を表す……阿弥陀さまに帰依して信じて任せる……信じて一斉をゆだねる、ゆだねます――信恵には後々教えるとして、
「南無とは 『どうぞよろしくお願いします。』 という意味になる。では崇哉君、南無阿弥陀仏は、どういう意味だろう」
「南無がどうぞよろしくだから、阿弥陀さま、どうぞよろしくお願いいたします。かな」
「そういうことだね。阿弥陀さまに信頼をあらわす呼び掛けなんだよ、南無阿弥陀仏を称えることは」
「へえー、そういう意味があったんだあ。そこまでは知らなかったなあ」
「へえとは何だね、へーとは。だあーも。言動には厳に慎むように。ウンウンもよろしくない――」
 あれから十日。信恵は日に日に変わってゆき、帰敬式も無事にすませて、坂部信恵は――「茄」 の字の草かんむりを取ることでおさまって―― 『釈 恵加』 になった。加の字にはくわえるのほかに施す、与えるという意味があり、恵みを施すなんてステキでしょ。と、本人も納得のできる法名を授けられた上に、 「家事は私にまかせて、りっぱな僧侶になってくださいね」 という美夏子の気持がうれしくて、恵加は痛めたひざをかばいつつ教義や作法を教わっている。
 佳子も変わった。佳子は新生活を楽しむだけでなく、今まで以上によくがんばっている。厳しい寒さを物ともせずに、自転車で30分かけて学校に行き (手水舎の水が凍った日と悪天候の日は恵加が車で送り迎えすると決めている)、 帰ってからは今までどおり。お斎づくりのお手伝いはかかさないし、夕食の片づいた庫裡で漢字の書き取りをしたり、わからないところを美夏子に訊いたり、国語の教科書を元気に朗読しているところを見ると、教室でもこうなんだろうなあ……と、そこに咲く向日葵みたいな佳子のすがたが、目に浮かぶ。
 終業式までひと月余りという希な時期の転入を心配したのは杞憂で、佳子はたった五日登校しただけなのに昨日は友だち二人を連れてきて、お寺を案内したり、なわとびをしたり、ホトと散歩をしてみたり、本堂の建物の下にもぐり込んで 「まーだだよ」、 かくれんぼうをして遊んでいるものと思ったら、
 
♪ 大空かけてーゆくー 
  わかこまーとー
  
  よっちゃんえらいねえ、もう校歌おぼえたんだ。
のぶえお姉さんにならったの。
さっきの背がたかい、きれいな人ね。
おいしい栗まんじゅうくれた、やさしいおねえさん。 
うん!
でもね、よっちゃん。大空 「かけてーゆーくー」 じゃなくって、 「かけてーゆくー」 だよ。
元気よくね、わかったあ。
それとね、よっちゃん。はじめのところだけど。イチ、ニ、サン、 “うん” で、 「おーぞら」 って始まるんだよ。
でもね、まりちゃん。 “ハイ” じゃだめ? ウンのところ。のり子ちゃんも。
ハイ、のほうが、おぎょうぎがいいかもしれないよ。
 「さん、 “ウン” 」とはいわないから、ハイにしよっか。
  うふふふ、よっちゃんって、おもしろいね。
まりちゃんも、のり子ちゃんも、
楽しいね!
  イチ、ニ、サン、ハイ!

 〽 大空かけてゆく 若駒と
   東にのぼる日に 心はずませ 
   いつもにこやかに 肩をならべて
   かけがえのない日を 歩んでいこう
   ああ われらの (われらのー) 天馬小学校 ♪


 小学校の校歌を歌ったりと、にぎやかに遊んでいた。
(陽だまりをみつけて、ケンケンパーもしてたな。ホトもうれしそうで、キャンキャンいって跳ねてたもんな。)
 そんな微笑ましい様子を窓から見ていてシュウヤは思った。明るくて人懐っこい佳子の性格も有るのだろうけど、人も環境もやさしい天馬でなければこうは行かなかったんじゃないか、と。
 シュウヤの日常にも変化があった。がらんとした寺子の部屋に一人こもって自習をする、学校にいるのと似た苦痛を感じ始めたところに、――美夏子さんね、北大に一発合格した超秀才でしかも独学、一度も塾に通ったことがないっていうのよ。きっと教え方も上手で分かりやすいだろうから、シュウヤくん。習ってみない?
 美夏子が新しい先生になった。寺子屋での “美夏子先生” は――
 学習と学問の違いはわかりますか。あとで調べておきましょうね。大切なのは 「どうしてかな」、 「何でだろうな」 と、自分にくり返し問いかけることです。そして簡単に思える問題こそ、より理解を深めようとする気持ですよ。
 
 ・学習とは、学び習うこと。
 ・学問とは、学習したことを知識として習得すること。
  大切なのは自問。勉強に向き合う姿勢。心がまえ。
 
 美夏子の授業は、心やさしく控え目なところに 「熱意」 が加わり、シュウヤはつい引き込まれて学問をしている実感が湧く。だからシュウヤは素直になれるのだ。
「RとLの発音の違いですか? 比較をするとわかりますよ」
(それくらいは分かってる。って、顔をしていたんだろうな。)
「リアリィ という英単語は習いましたか。驚きや感嘆を表現する言葉として、海外では日常的に使われますから、しっかりとおぼえましょうね。では、疑問詞のかたちで発音してみて」
「really?」
「いい発音です。ちゃんと聞き取れますよ」
 不満顔でいたシュウヤに、
「では……長いと走るを合わせた、ロング・ラン。RとLの発音を意識して言ってみましょうか」
「long、Run」 
「崇哉さんの発音は、RとLが逆に聞こえますね。私の場合は、long run 。違いますでしょう?」
(すごかったなあ。ネイティブスピーカーみたいだったもんなあ。)
「ではもう一度」
「long、run」
「だいぶ良くなりましたけど、 clash と crash のように、LとR一字の不明瞭な発音やつづりの誤りで、取り返しのつかない誤解を生じかねない語句もありますから、しっかり身につけましょうね」
 美夏子がいうように、カタカナに訳さないこと。スペルを意識して聴き、声に出して話してみましょう。英語圏の文化や習慣を知ろうとする気持ちで……を注意しながら英会話ラジオを聴くようにしてからは、なかなか自然にいえなかった long run の発音も 「パーフェクトですよ。」 と褒められるまでに上達したし、アメリカとイギリス英語と時々だけどオーストラリア英語の違いだったり、出演者の出身地だというマサチューセッツとアリゾナ州の文化の違いにますます英語に興味がわいて、まだまだずっと先だろうけど、 「美夏子さんと英語でしゃべれるようになる」 という大きなひとつの目標ができた。
 勉強いがいのことでも。
「どうして一ドル110円から113円に上がったのに、円安なんだろう」 
 テレビを見ていてそうシュウヤがつぶやくと、
「数値を大きくして考えてみましょうか」
 美夏子はメモ用紙を長方形に折りたたむと、中央に 「一ドル」 と書き説明し始めた。
「この四角形の一ドルは、一枚100円で売っています。崇哉さんは10,000円分、100枚買おうと思いましたが、他にもお買い物があってお金が足りなくなるので、明日買うことにしました。
 そして翌日10,000円をもって買いに行くと、昨日は100円だった一ドルが、10,000円に値上がりしていました」
 佳子に教えているようだと思いながらも、
「100枚買えると思っていたのに、1枚だけじゃ困るなあ」
 シュウヤも三年生の子のように答えていた。
「昨日は100円で売っていた四角形の一ドルが、10,000円に値上がりしていた。どうして値上がりしたのでしょう。わかりますか」
「どうしてって」
 昨日信恵さんは……
「また金 (ゴールド) が上がったわ。あっという間に千円も。たった1gが九千円よお」
「1グラムってえ? どのくらいぃ?」 
「お塩ひとつまみ。佳子ちゃんなら二つまみくらいかな。10円玉くらいの重さの金がね、四万円もするの。プラチナの倍も。きっと来年には一万円になるわ」
 って、佳子ちゃんに話していたから。
「一ドルの価値が、上がったから?」
「そうですね。ドルの価値が上がったから、一枚しか買えなくなってしまったのですね。100円だった一ドルが、500円、1000円、5000円と、円の数値が大きくなればなるほどドルの価値は上がっていき、円の価値は下がっていく。この変化を “円安がすすんだ” とか、 “円が値下がりした” といって、円安・ドル高の状態というのですよ」
「円の価値が下がると、ドルのものを買うのに円がたくさん必要になる、だから円安なんだ。昨日買っておけばよかったんだ。お金をとりに帰って」
「すっかり困ってしまった崇哉さんでしたが……」
 美夏子さんはそういいながら、別のメモ用紙を折りはじめて、
「これ。この 『三角形の一ドル』 を見た崇哉さんのお顔がパッと明るくなりました」
 三角形の中心には、四角形のと同じように “1ドル” と書かれていた。
「昨日は10,000円で売られていた三角形の一ドルが、一枚100円になっていたからです」
「三角の一ドルなら100枚買えるね!」
「そうですね。昨日10,000円だった一ドルが、5000円、1000円、500円、100円と、四角形の一ドルとは逆の変化をしました。この状態を?」
「逆だから、円の価値が上がっていって、ドルの価値が下がったんだから……円高でドル安、円高・ドル安だ!」
「そういうことです」
「でも、円安がすすむとどうしていけないの」
 ニュース番組のコメンテーターは沈痛な表情を画面に向けて、円安について語っていた。非常事態と言わんばかりに。
「少し難しいお話になりますけど、たとえば……」
 円安が急激にすすんだり、円の価値の低い状態がつづいてしまうと、物を輸入して販売したり、材料を輸入して物づくりをする人たちなどは、輸入にかかる費用がかさんで利益が出なくなってしまう。すると、輸入の量や生産量を減らしたり、価格に上乗せ (値上げ) したりして、利益を確保しなければならなくなる。
「それでも業績の回復が見こめないと、働く人のお給料を減らしたり、辞めてもらうことを考えなければならなくなるの。場合によっては仕事をつづけられずに廃業したり、会社をたたまなければならなくなることも。大事なことは――」
 ぼんやりとしか想像できない内容と、聞き慣れない用語に加え、円安がどのように自分に影響しているのか実感できなかったが、
「大事なことは、円安・円高、あるいはドル安・ドル高になって、嬉しいなと思う人がいる一方で、困ってしまう人がいることを忘れないことです。さっき崇哉さんが長方形のドルが値上がりしていて、がっかりしたように」
 大事なことを伝えようとしていることだけは、シュウヤもよくわかった。つい足を止めて聞き入ったという恵加も感心したように、
「シュウヤくんはしあわせね。いい先生に出会えて。美夏子さんみたいな先生に習っていたら、わたしの人生違っていたかも知れないな」
 そうまでいわせる美夏子先生は、理解するまでとことん向き合い、心の隅の疑問を引き出そうとして、知識として習得できるようにしっかりこたえる。シュウヤはそこがすごいと思う。
 恵加に感謝もしている。先生を続けられなくなったことを気にして、美夏子に頼んでくれたおかげで 「いい先生に習えるんだ」 と。
 シュウヤはノートを閉じて立ち上がると、窓辺までいき、肩幅ぶんだけカーテンを開けた。丸木を削る機械音が聞こえるか、無音で明かりが灯るだけの作業場から、今日に限ってかすかに話し声が聞こえる。呼吸を止めて耳を澄ますと、
 ………
「べこ太郎をダルマみてえにだあ?」 
 頓狂な伊作の声だ。
「丸っこければいいんです。当選したら ”目を入れる” ので――」
 若々しい声のぬしは善行だ。
「目ん玉は白で大きめ。泣いてるように見えるから墨が垂れないようにしてほしいな。伊作さんなら、朝メシ前でしょう?」
「お前のために作ってるわけじゃねえんだよ、こっちは。それにかたちを変えたら、べこ太郎じゃなくなっちまうべよ」
 お寺で販売し始めた “赤べこ太郎” は道の駅にせまる売れ行きで、善行が選挙のイメージキャラクターに採用したことで人気は急上昇。作業の一部を新たに設けた寺務所の隣の倉庫で行わないと立ち行かないほど忙しいから、夜遅くに伊作おじいさんがいるのは、珍しくはないんだけれど……
「べこもーもだよ。福べこもーも」
 刺し子半てんをはおった伊作がしかめた顔をシュウヤに向け、
「おうシュウヤか。そうそう、福べこモーモーだったな」
 ニコリとする。
「違うよ。福べこ、もーも」
「そうだそうだ、べこモーモだ、伸ばさねえんだっけな。始めるか」
「うん」
 右手に眼鏡を引っかけて工作機械に向かう伊作を追って善行は尚もいう。
「名前のことはいいから、僕の当選は伊作さんに懸かっているんですから」
「よかねえよ。シュウヤがよっく考えて改名した名前えだぞ。本家からクレームが来ねえようにとか、オスメスの区別がねえほうがいいとか、寺で売るのに相応しくて福島をアピールできるような名前えはないかとか、いろいろ考えてよ。シュウヤを見習ってせーさくでも練ってろ。お前えの道楽なんかにつき合ってられっか」
 製作から販売までを一人でこなすだけでも大変なのに、善行さんが当選したら伊作おじいさんはてんやわんや。と考えたシュウヤは 「粗削りを教わりたい」 と願い出て、 「OK」 をもらってまだ日の浅い修行中の身、
(だから、集中してやらないと。恵加さんを見習って。)
「じゃあ形は今のまんまで。体と目をひとまわりデカく。もともと不揃い、というか同じ形ってわけじゃないんですから、そうこだわらないで一個、二つだけ」
「ねちっこいやつだな。形が違うのは、木目の模様や木肌や年輪に合わせて作ってっからだ。それにだ、もともとダルマってのは、禅宗の始祖の達磨大師のことをいうんだ。目を入れたり入れなかったり言ってっとバチがあたる、おっ。さすがは玄さんの孫だけある、筋がいいや」
 シュウヤは樹皮を剥いだ裸の丸木を、グラインダーに押し当てて (電気ケトルをイメージしながら……) 伊作が牛のかたちに成形しやすくなるよう工夫する。成形の次の工程、絵付け前の 「ニス塗り」 と、乾いた後の 「磨き」 を任せてもらえるくらいになりたかった。
「それと伊作さん」
「お前え、まだいたのか」
「色は福島県旗と同じ、赤みがかった橙色で」
「色まで変えれってか!? シュウヤな、こういう我がままな大人になるんじゃ、」 
「ねえ、どういうことお!?」
 血相を変えた恵加が作業場にかけ込んでき、
「山を切り崩して何をしようっていうのよ!」
 善行に詰め寄った。
「ウチの事務所にくる気になったか。何なら日程決めて面接してやっても、」
「答えてえ! 鎮守の森をめちゃくちゃにしてどうするつもりよ!?」
 さらに声を荒げる恵加を避けるように善行は視線をはずして、
「あれのことな」
 ボソッとつぶやく。何からどのように話していいかを考えているのが、シュウヤにもわかった。恵加に見下ろらせるかたちの善行のからだがいっそう小さく見える。
「地層の、調査だ」
「地層って、森を掘り返すのと地層と何の関係があるっていうのよ!」
「どういうことだ善行、詳しく話してみろ。信恵、お前は少しだまってれ」
 伊作の言葉に応じるようにシュウヤはグラインダーのスイッチを切り、そうするのを待っていたように善行は話し始める。 「お鎮守の東側の延原(のべばら)盆地、あそこの地下深くに坑道を掘って、放射性廃棄物を処分するのに適した地層かを、」
「放射性廃棄物?! 処分ってまさか、坑道って何言ってるの!」
「信恵っ」
 恵加の熱を冷ますように善行はため息を吐き、膨れた頬がもとにもどると、
「延原の地質環境が、原発ゴミを処分するのに適当かを調査研究する話がある。その拠点となる施設を、お鎮守の一画に建てる計画があるんだ」
 簡略的に計画を打ち明けた。 
「原発ゴミって、核のゴミを天馬に棄てようっていうの!? 冗談じゃない、そんなこと絶対にさせないし許さな、」
「そうじゃない! 話を聞けよ話を!」
 みんな固まってしまった。何の話をしているのか、シュウヤは理解できなかったが、風光明媚な景勝を掘り返すためのショベルカー、立ちはだかる鉄パンの壁、鋼鉄製の工事用アコーディオン門扉、用地の隅のほうに立つ二階建てのプレハブ小屋、シュウヤらが来るのに合わせたように舞い始めた粒雪が、幾万年の歴史を刻んだ赤い大地を見る間に白く覆った光景は目に焼きついて離れない。
「計画といったな。計画なんだな善行」
 わなわなと唇を震わせていた伊作が、言質を取るいい方で訊く。
「ええ。まだ計画の段階で決まったわけじゃ、」
「木が切り倒されて! 土地が削りとられてっ! 榎木神社も瓢池につづく道も無くなってもう、実行されているじゃない! あんなにめちゃくちゃにしておいて何が計画よ! 処分よお! 何が適した地層なのよ!」
「何を騒いでいるんだい? 本堂まで聞こえるよ」
 庸道はいい、引き戸を跨ぐ。伊作はすっかり曇った眼鏡を外すと、
「鎮守の森を更地にして、原発ゴミの研究所を建てるそうだ」
 振り返っていった。 “原発ゴミ” を強調して吐き捨てるように。
「無くなっちゃうの、もう無いのお! 森も神社もケヤキも何もかも!」
「榎木神社は残るし、大ケヤキも切り倒したりはしないよ! 立ち入り制限してるだけで、用地は大ケヤキを迂回した向こう、向こう側だよ!」
「だから安心しろっていうの!? 取り返しのつかないことをしておいて、バカいわないでよお!」
「落ち着かないかノブ、恵加っ。善行、私は何も聞いていないぞ、原発ゴミとは何だ、研究とはどういうことだっ」
 慌てる庸道をシュウヤは初めて見た。



   (14)天馬とぼくらの未来のことを


 誰も庸道さんの慌てる姿を見たことがなかったんだと思う。恵加さんも。善行さんも。伊作おじいさんも。誰も。
 原子力発電所の使用済み核燃料を再処理する際、再利用できずに残ったいわゆる核のゴミ、高レベル放射性廃棄物を埋設処分するのに適した環境かそうでないかを、岩盤の状態や強度、地下水の流れ方や水質などの地質調査や研究によって調べる計画がある――。善行はそう打ち明けた。鎮守の森に延原深地層(しんちそう)研究所と称する施設を建てて。延原盆地の地下4、500mの地層を掘りかえして。十年もの年月をかけて。
 輝きがくすもうとしている天馬の未来のことを一人一人が真剣に考えている。それは理解できる。でも、いつまでだんまりがつづくんだろう。
 グラインダーのスイッチを入れるか、切ったままのほうがいいのか。迷ったシュウヤはほうきを手にとり、床に飛び散ったシナノキの木くずを集め始めた。ビニールハウスの吸湿保温や堆肥として再利用する農家に分け与えるものである。
「それほど大掛かりな工事でも、届かないか。ここまでは。重機の音は」
 鎮守の森までは、権現坂の上り坂をのぼり切った頂上から下り坂がしばらくつづき、稜線の山坂道をふうふう言いながら自転車をおし、やっとの思いで桃源郷の草原広場に出る。それから、緩やかな下り坂を下って西洋画みたな場所に出て、ようやく鎮守の森に入り神社の裏を抜けると、じっちゃんとの思い出の “ぼくらの展望台” にたどり着く。天馬村の起伏のある地形と豊かな自然が、騒音をさえぎってくれたともいえる。
 緘黙の幕を開いた庸道に善行がこたえる。
「騒音の問題はシビアだから。公共工事はなおさらね。防音壁やら吸音壁の設置費用に糸目はつけないんだよ」
 背の高い鉄パン壁のことだ。
「ダンプも見かけんかったの。小袖 (地区) の川ぞいの道さ使ったんだべ、残土を落っこぼしても目立たんように。舗装していねえ人っこいねえ道さ選んでな」
「それにしても、どうして天馬かね。処分場に適しているかを延原盆地で調査したところで、なんの意味があるというんだね」
「延原の辺りって、国有地と休耕地がほとんどだろう? 比較的容易に必要な用地が確保できるし、安定した固い地盤で学術的にも貴重らしいことが分かってから、最終処分場を建設する技術開発に役立つという話になって話がどんどん、」
「だから調査のしがいがあるっていうの!? 貴重だったら尚更そっとしておくべきよっ! まさか賛成なんじゃないでしょうね、計画を推し進めようっていうんじゃないでしょうねお兄ちゃん、計画推進賛成派なんじゃないでしょうねえ!」
 知り得る限りの事実を伝えたい思いでいる善行につめ寄る恵加に、
「賛成なわけないだろ、見損なうなよ。そういう場所だから何かと口実をつけて話をとんとん拍子に進められたって、説明しようとしただけだ」
 穏和でしられる善行もついキッとなる。
「いいわけにしか聞こえないわ」
「したっけ、国有地いうのは国民一人一人のものでもあるわけだべ? ほんだら勝手なことがゆるされっかいよ」
「まさか、調査とかいっておいて、核のゴミ処理場をそのまま造ろうっていうんじゃないでしょうね、初めっから処分場を造る計画なんじゃないでしょうね!」
 福島第一原発事故後、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域の何れにも該当しなかった天馬村、窪谷町だが、放射性廃棄物の危険性は皆十分理解している。
 だが議会は、深地層調査研究終了後の延原盆地の活用についてもっとも重要となる 「最終処分場として使用しない」 盟約を――調査の経過を見ながら……どのような地質か判明してから……終了の見込みがたってからでも遅くはないだろう……と、のらりくらりと質問をかわすばかりなのだ。
「原発を廃炉にするかわりに核のゴミをあずかれっていうの。どうして福島ばっかりいじめるの、何で止めてくれなかったのよ。何でもかんでも地方にばっかり押しつけてさ。あんまりだよ」
「何かと都合がええんじゃろ。原発冷やす海はあるし、ゴミ処理場か調査か知らんが土地は有り余るほどあるしの。文句をいう住民は少ねから」
 力のない恵加の言葉が善行の胸に刺さった。何の為に議員になったのか。そう聞こえた。
「処分場などつくりませんよ。福島にはぜったいに」 
 作らせない。全県民の総意だと、確信をもって善行はいう。議場では孤立無援の善行だったが――心根はあたたかいから。議会の人たちも。 
「それでも調査はやるんでしょ。もう決めちゃったんでしょ。延原盆地も鎮守の森みたいにめちゃくちゃにするんでしょ」
 地場産業の活性化、雇用創出、過疎化対策、子育て支援と高齢者福祉の更なる充実など――窪谷町議会は、深地層研究施設の誘致で得られる交付金と補助金収入を見込んだ 「町の財政見通しとその有効的な活用法」 の議論を建設ありきで押しすすめる。くり返し善行は 「放射性廃棄物の埋設処分という見過ごすことのできない国家レベルの問題を窪谷町が主導し、国民的議論に発展させるなどの大義を示さなければ、調査研究のための施設とはいえ決して町民は納得しない!」 そう訴えるが、古参議員は “大義は住民の暮らしを潤す公共事業で十分” として取り合わず、建設時と開設後に懸念される事故等の諸課題については……不安を(あお)るだけだ、安全は国が考え国が保証する問題だとして、 「国策ゆえに国に一任する」 態度を決めこむばかりなのだ。
「反対運動するべ。これ以上勝手なまねはゆるさねえ、議会さのりこんで計画をひっくり返すべ」
「どうだろう。住民投票で白紙にできないか? できるだろう」
 天馬を守る思いは旧天馬村民皆同じだと信じて疑わぬ庸道に、善行は現実を突きつける。
「町村合併の時と同じだよ、親父。 “町組み議員” に妨害されて住民投票自体とん挫するのが関の山さ」 
 まさに議会における善行自身の立場なのだ。
「天馬が団結したところで徒労、無駄足を踏むだけか」
「合併はよ。窪谷との合併は、天馬の土地を利用して、ひと儲けするために実現させたようなもんでねえかよ。天馬モンはどうなってもかまわんのかいよ」
 伊作が悔しそうに言う。
「仮に投票に持ち込めたとしても、町組議員の口利きで票なんかどうにでもひっくり返る、それが片田舎の政治の実態ですよ。民主主義とはほど遠い世離れした世界なんです、窪谷の議会というところは」
「愚の骨頂の極みじゃの」
「彼らにしてみればフツウなんです。地元のため地元のためと口にはしても、自分たちにどう有利に働くか、どれくらいの旨みがあるかでしか物事を考えられないんです。主権者であるはずの町民は施策を講ずるための方便か、公的事業を推し進めるための口実か、言いわけくらいにしか考えていなんです。何も窪谷が特別というわけじゃない、国もそう、まさに延原盆地の地質調査と研究がその象徴だ」
「もしかしたら善行、お前え、計画を止めるために衆院選に出る気になったんか」
「そうなの!?」
 伊作の言葉に恵加はハッとし、
「そうなのか」
 庸道も聞かされていないのだ。
「延原の計画が持ち上がって、いろんな連中と話をしたり聴いたりして、 『原発のこと』 を調べて行くうちにね。これは、天馬や窪谷や福島だけの問題ではない、国や人類というレベルを超越した生態系の根幹に関わる問題、いや地球の寿命を左右する大問題だと思うようになったんだ。
 火山・断層活動の影響に、複雑な地層構造、豊富な地下水と流体の存在、日本列島が今のかたちに形成された経緯、それに放射線量が自然界のウラン鉱石と同じレベルにまで下がるといわれる 『千世紀』 という途方もない年月を考えたら、絶対的な過ちをこの国は、人類は犯してきたことに気づいたんだ。
 そうはいっても、地方議員がやれることは高が知れている。限界がある。国は核のゴミが溜まりつづけることなどお構いなしに、再稼働に舵を切った。ぐずぐずしていたら、日本中の原発が稼働して世界中からこう言われるんだ。 『あんな小さな島に、数十基もの原発が必要か? 放射性廃棄物はどうするつもりだ、日本人は何を考えているんだ』 と、もう言われているんだよ、無鉄砲で浅はかだと」
「原発事故のこと、忘れたのかもしれないね。もう終わったこと、無かったことなのよ、同じ国で起きたことなのに。苦しむ人がまだたくさんいるのに」
 伊作がゆっくりかぶりを振り、庸道は目を閉じこうべを垂れる。シュウヤはほうきを掃く手をいつの間にかに休めていた。
「僕が国会議員になったところで、原子力政策を180度転換させるのが容易でないくらいのことは分かっているつもりだよ。でもね、世界中の国会議員や専門家や研究者が協力しあえば替えられる、原発に頼らなくてもやっていけるんだという世界の声が一つになれば動かぬように見える山も動く、僕はそう信じているんだ。僕みたいなのがいなかったら変わらないだろう? 少なくともこの国はぜったい変わりはしないよ。いつ牙をむくかも知れない放射性廃棄物のリスクを負うのは否応なしに未来だ、未来に生きる国民ひとりひとりだ。誰かが舵を切って航路をかえなければ、僕ら先人から強制的に背負わせされた後世の負うリスクは、重さを増すいっぽうだ。そして未来はこういうよ、令和平成昭和時代の連中は何てことをしてくれたんだと。
 だから、国政に打って出るしかないと思った。このタイミングしかないと思った。窪谷の議会にいても変わらないから。変わんないからね、何んにも」
「お前え、そこまで考えとったんか」
 伊作は目を潤ませ、善行の並々ならぬ決意に庸道が満足そうに頷くと、張りつめたシュウヤの緊張は応分とかれた。
「でも、重機が何台もあって、山が削られていたわ」
 子どものような顔をして、鎮守の森の現状をいう恵加に。
「止められなかったのは悪かったし、反省している。俺だって悔しい。だが、あれは整地だ。整地といっても、研究施設の建設とは何ら関係ない。何をどうするかも決まっていない場所を更地にしているだけだ。計画がデカくなればなるほど 『取りあえず』 に食いつくヤツが登場するもんなんだよ、役所がお膳立てした利権に飛びつく輩が。金さえ入れば、何が建とうが何が出来ようがお構いなしのあざといのがな」
「地ならししているようなもん、そういうことか。何ができるやも分からんで」
「そういうことです」
「ならば善行、計画が頓挫した場合だ。商業施設なりレジャー施設なり、ほかの計画が持ち上がることも考えられるだろう」
 眉間に縦じわをよせる庸道に、
「斜に逃れる、やりかねんの」
 伊作が同調する。
「対案を用意します、直にまとまります。計画中止の狼煙をあげると同時に、説明会を開きます。桃源郷や鎮守の森一帯を町民はもちろん、県民に受け入れられるような景勝地にするんです。自然を生かした、季節ごとに訪ねたくなるような、東北を代表する憩いの場所に」
「壮大な計画でねえか」
「でも、説明会より意見交換会にしたほうがいいと思う。住民の意見も取り入れないと」
 すっかり落ち着きを取り戻した恵加に、伊作が言う。
「んだな。町民に愛される景勝地でねえと、切り拓かれた森にも申しわけが立たんもな。ええこと言うな、恵加は」
 伊作に笑顔がもどった。――ええす (し) ごとだあ、さすがは玄さんの孫のことだけある。と、福べこもーもの粗削りをほめる時のシュウヤがいちばん好きな伊作の顔だ。
「景勝地はいいが、箱モノはいかんぞ。箱モノは」
「もちろんだよ。お袋が喜ぶような、景勝地にするつもりだよ」
 妙子に約束するようないい方に、恵加はそっとまぶたに手をやる。
「たえちゃんが喜ぶようなモンだら間違いねえ。福島への移住者も増えっかもしんねえぞ。帰ってくる者ものお」
 ――わあ。お星さまがたくさんふってるう。
 佳子の声だ。ホトを寝かせる前の散歩に出きたのだ。
「ほんとうねえ。きれいな、ノチゥね」
 石づくりのぬれ縁の前で立ち止まった二人に、伊作は戸口を跨ぎからだ半分身をのり出して、
「からだ、大事にのお」
 やさしく声を掛けた。美夏子の返す言葉が――すぐに戻りますから――明るくて、シュウヤはすべてがいい方向に向かっているように思えた。
「シュウヤくんもおいで。めったに見られないわよ」
 恵加に促されて、シュウヤはほうきを持ったまま跳ねるようにして、窓際に立った。
「ほんとうだ。すごいなあ。きれいだなあ」
 星が線のような尾を引いて、流れては消え、現れてはまた線を引き、消えて行く。――衆生はみな、生まれ変わり死に変わりして、輪廻(りんね)している。
 庸道から聞いた話を思いながら、シュウヤは空を仰いだ。
(星は生まれ変わらないのだろうか。)
 消えて無くなったら、無くなったままなのだろうか。
 ぬれ縁に乗ろうとして飛びはねるホトを見て、シュウヤはさらに思った。――ホトも生まれ変わる。佳子ちゃんも。美夏子さんも。みんな生まれ変わる。
 それはわかる気がする。でも、また一緒に話をしたり、ごはんを食べたりできるのだろうか、いっしょに居られるのだろうか。
 かんじんなところが、分からなかった。が、
(今度、庸道さんに聞けばいいや。)
 シュウヤは夜空に背を向け、形になってきた福べこもーもを手に取った。
「やるか、シュウヤ」
 伊作がグラインダーのスイッチを入れた。



   (15)ラララあふれる天馬だから


 鐘楼(しょうろう)と呼ばれる鐘つき堂から、ぽつんと輝くひとつ星を眺めることが習慣になったシュウヤは、茜を帯びた東の空を仰ぎながらつくづく思う。―― 天馬の人って、どうしていい人ばかりなんだろう。
 天馬村に来て、二か月近く。シュウヤが見て聞いて、話をしてみて、身をもって感じたことである。
 昨夕、勤行が終わった後に聞いた恵加の話を想起してみる。
「天馬の人って、どうしていい人ばかりなの?」 
「そう? そうね。そうねえ……」
 庫裡にむかう回廊で足を止め、あごに手をあてしばらく真剣に考えてから恵加は言った。
「きっと、お互いさまのこころを大事にしているからじゃないかしら」
 おたがいさまを大事にすると、いい人になれるのか。そんなことをシュウヤが考えていると。
「まわりにあるものみんなに、お互いさまの気持ちで向き合っていると思うの。天馬の人って。人間関係以外のことや物にも」
「共生っていうこと?」
「むずかしい言葉を知っているのね。共生かあ……そうとも言えるかも知れないわね」
 天馬には物を貸したり借りたり譲ったりして、助け合わねば暮らしていけない時代があって、物を大事にする気質が残っているのかもしれない。と庸道が話したことがある。
 お互いさまと共生が台無しにされようとしている。
(だからみんな、あんなに怒ったんだ。鎮守の森やノベバラの工事のことで。)
 もやもやとした気持は晴れたが、たまたま天馬村で暮らすことになった美夏子も、シュウヤは同じだと思う。
 地面に生える苔にあたたかい目を向け、お互いさまを何よりも大事にする。もともと天馬で暮らしている 「天馬の人」 みたいに見えるこころのやさしい人。そのことだけはハッキリ言える。
 でも、自分のことを聞かれるのは、自分のことを話すのも何だかイヤみたいで、そのあたりがちょっとみんなと違っていると思う。だから 「よく分からない人。」 という形容になってしまうのだ。
「撞いてみるかい」
 いつになく柔和な顔の庸道がシュウヤをのぞき込む。もうすぐ五時。だから、三、四十分こうしていることになる。
「いいのかな。ぼくなんかがついても」
「ああ、いいとも。いい音を出そうとすればいい音が出るとは限らないからね。そのつもりでやるといい」
「力まかせじゃダメっていうこと?」
「そういう事。さ、遠慮しないで」
 シュウヤは手渡された太い引き綱をしっかりにぎり、ゆっくり息を吸い込みながら、からだの後ろに撞木(しゅもく)をもっていき、
(けっこう重たいな、へんに揺れるし。)
 息を吐きつつ梵鐘めがけて、
 ,,ゴーゥ~ムムム、、、オ~ン、、、、、、
 、、、、 、、、、、
「よおし。今度は私の番」
 綱のにぎり方も、構えからして違う。神聖な儀式にのぞむような所作で、足をゆっくり大きく開き、
「いいかい。いくよお」
 目つきも。心がまえが違うのだ。
「ほっ、ふむっ」
 〽 ゴオーン…ウォーン……ゥォーン…ンォーン……
 ………………
「深みが違うだろう? 崇哉君と」
「ぼくのは音になっていないや」
「そんなことはないさ。いい音だったと思うよ。もう少し音に元気があれば、いうこと無いさ」
 ………
 庸道の撞いた梵鐘の余韻はまだ止まない。
「 ”ラ”の音だ。ちょっと低いかな」
「よくわかるねえ。音階をいいあてたのは崇哉君が初めてだよ。大したものだ」
「ピアノ習ってたから。ちょっとだけ」
「ほう」
 庸道はいざなうように、左回りで手すりを伝い、隅まで行くと、
「二河白道の話を覚えているかな」
 遠くを見ていった。
「行く手をはばむ、火と水の河の間にある、一本の白い道……」
「うむ」
「白い道をおしゃか様と、阿弥陀さまの声にしたがって歩むという」
 庸道は満足そうに顎を引き、話し始める。
「二河白道の譬えを説いた善導大師は、西方の空に帰る夕日を想像するようにお勧めなさってね。要は、その光景をイメージせよということだが、私は実際眺めもする。一意専心。集中してね」
 西の空と地上の間にのぞむ大志山と正対するように夕日を仰ぐ、庸道の横顔は穏やかだが、眼光は鋭く厳しい。西の方角には浄土があり、阿弥陀仏がいると話していたことをシュウヤは思いだす。
「一日の終わりにあたって我を省み、我が罪を知り、希望を見い出すためによい、或いは希望を確かめるためによいと善導大師はおっしゃったが、空と雲が暮色にそまった日などは、とりわけ集中できるんだ。出会ったことの一つ一つに感謝したい気持になって、計り知れない普遍の摂理を感じてね」
 庸道は浄土というべきところを希望に置き換える。摂理は法話で習った。神仏の計らいとか、神仏が定めた決めごとだ。
 庸道はそのままの姿勢で目を閉じた。かさ、カサ、カサカサっ……頃合いをみて散るのを待つかのような、葉と葉の触れ合う硬い音がするだけの贅沢なしじまである。
 日がかたむいた分、絵具で描いたような景色が何ともいえず美しい。シュウヤも庸道にならって目をつぶる。
「反省が希望につながるのかあ」
 言葉が声に漏れ出る。
「そういうことだね」
 夕日といえば、塾に遅れないように焦って慌てたシーンがいくつか浮かぶくらいのシュウヤだったが、今は違う。心の中が洗われて、気もちがきれいになっていく。そんな気がする。
 しばらく二人でそうしていると……
「時報や赤ん坊の産声も、ラ。知っているかい」
 庸道は言った。知らなかっただろう? そんな言い方だ。
「うぶ声も!?」
「ああそうだよ」
「赤ちゃんのことはよく分からないけど」
 美夏子にいわれて聞き始めたラジオの時報は……
「そういえば、時報はラだ。それと、恵加さんのハミングも」
 いつもラ。ラララ!
「違いない、恵加もラだ。そうだそうだ」
 庸道はひとしきり笑ったあと、
「昼間、お母さまから電話があったよ。近く見えるそうだ」
 話のつづきのように言う。
「えっ」
 ラララに合わせて奏でるピアノが、谷底ふかくに転げ落ちていく。暗黒の奈落の世界に吸い込まれていくように。
「別に、引きずって連れて帰ろうという了見じゃないさ。親としては気にもなるだろう? どんな暮らしをしているか」
 枯葉が一枚、二枚と、空ちゅうの低い所をゆらゆら揺れて、石畳に落下する。そして転がる。生け垣めざして三枚、あとを追って二枚。ゆっくりと。つぎつぎと。
 シュウヤに天馬を離れる気持はなかった。
 玄造のことが気になる。僧侶になる決意をした恵加。勤行や説法に全霊をこめる庸道。福べこもーもづくりを丁寧に教える伊作。・親身で親切な美夏子と素直でけなげな佳子のことも気になる。壮大な希望をいだく善行のことも。寺をたずねる集落のやさしいおじいさんやおばあさんたちも。
 みんなのいない生活など考えられない。天馬いがいで暮らすことなど考えられないのだ。
「崇哉君はもちろんだが、玄造さんのことも気になるようでね。施設の職員への挨拶もかねて、君を連れて会いに行ければと、」
「じっちゃんは母さんに会いたい会いたいっていつも言ってます、子どもの頃の話をうれしそうにします、いつも母さんの話ばっかりで母さんが来たらじっちゃん喜びます、ぼくはべつに、べつにぼくは、ぼくのことなんか……」
「玄造さんがお母さまを思うのと同じくらい、お母さまも君のことを思っているんだぞ。生まれたときの崇哉君。幼稚園に入園したときの崇哉君。朝起きた時の崇哉君。お風呂上がりの崇哉君。天馬村に来て遊びまわる幼い頃の崇哉君。そして、莞恩寺で過ごす崇哉君。君のことを考えない日など一日たりともないんだ、会いたいに決まっているじゃないか」
「そんなこと」
 思っているわけがないし、考えてもいない。万が一会いたいと思っていたとしても都合だ、近所や周りの人に対するてい裁だ。それか、そう言いたい気分だったかそう思いたい気もちになっただけだ。都合のいい思い出にひたるなんて母さんらしくて勝手だ。
 シュウヤはいいたい言葉を飲み込んで短く言った。
「面倒ごとを片づけてすっきりしたいだけです。自分や仕事のために、これ以上ペースを乱されたくないだけなんです」
「そんなことはないさ」
「そんなことあります。仕事仕事で話しなんか、たまあに顔を合わせる朝ちょこっとすればいいほうで、話というより一方的な報告と連絡事項の伝達、ぼくのことを考える時間も余裕も母さんにはないんだ」
 余計なことまで喋ったと後悔するシュウヤに、
「そんなことはない。君のことで頭がいっぱいで、夜も眠れないほど君のことを思っているんだぞ」
 固く否定する庸道は、理解してほしい思いでいっぱいいっぱいだった。
 何度言ったか分からないほど謝罪の言葉をくり返し、絞り出すように 「一刻も早く謝りに行きたかった」 と言ったときの静花の震える声と、シュウヤに会いたい思いを口に出さずに堪えた静花の心意を思ったとき庸道は、自ずと父寛導に事ある毎に言われた言葉がよみがえった。――機会を生かし、決して失してはいかんぞ。
 理解されないまでも、静花の思いを伝えること。伝わらなくとも、誤解を解くことが最良の機会となると信じて庸道はつづける。
「玄造さんを見る目で、お母さまを見てやれないか。声さえ聞けないお母さんの気持を考えてはやれないか。親は子どものことがかわいくて、いつ如何なるときも考えていると言っていいくらい我が子のことを考えているものなんだよ。こうしている間もお母さまは、」
「どうしてわかるんですっ、言い切れるんですか!」
「私がそうだからさ。成長した君に会うための試練と言い聞かせて、お母さんは闘っているんだ。自分自身と闘っているんだぞ」


 ちょっと目立ってきたので。
 でも、上着で隠れているから。
 家でマフラーもおかしいですし、直に暖かくなりますから、お願いできます?
 それは構いませんけど……。
 透けない生地で、できれば仕立てしやすいものを。色は恵加さんにおまかせしますわ。柄も、恵加さんがいいと思ったものでけっこうですので。
 佳子ちゃんも学校に慣れたようですし、お母さんと一緒にお風呂に入れないでいる佳子ちゃんの気持ちになって、
 よくわかっています。
 だったら、
 私、考えています。誰よりも真剣に。
 ……わかりました。ホトを抱っこした時に合う、春らしい色のを選びますね。
 

 昨日墓地の掃除をすませて、遠まわりして帰る途中。菜の花が咲きほこるという野原の前で庸道は立ち止まると、
「雲雀は 『希望昇天(しょうてん)の鳥』 と呼ばれていてね。天を目指し一直線に空にむかって飛ぶ姿が謂れだそうだが、雪が解け、草木が芽吹き、春の訪れを喜ぶように羽ばたく雲雀を見ると、私は思うんだ。天馬の鳥が帰ってきたと。春を知らせに、希望をとどけに、また来てくれたとね」
 そこに留まるヒバリを愛でるように空を仰いで、庸道は言った。
 三、四年生のときの担任は、中空でさえずるヒバリを指さして……親鳥が地上にいるヒナに向かって 「ここにいますよ。おいしいゴハンを持っていくから待っていてね。」 って、知らせているように見えるでしょう?
 そんな話をしていた。
 親は子どもがかわいくて、我が子のことをいつも考えている。庸道の話がほんとうで、世間の親やヒバリの親がそうだとしても、
(ウチは違う。希望をとどけるヒバリとは逆、大違いだ。)
「少し冷えてきたな。寒くないかい」
 シュウヤは別のことでかぶりを振った。夕日は山の向こうにその姿を隠していた。
(ぼくがもし、天馬で生まれ育っていたら……)
 地面に生える苔を思って、踏みつぶされても茎を伸ばす日陰で生きる草たちをホトを見る目で見ていたし、四季をよろこぶ心が育って、人を気づかう気もちであふれ、小さな恵みに感謝して、お互いさまを大切にする、そんな人になっていた。家出など考えもしない、ふつうの子どもになっていた。
「そういえば……」
 わざわざそうするように、庸道が空を仰ぐ。
「ヒバリの声も、ラだぞ」
 言ってニコリとする。春はくる。春が来れば、雲雀がやってくるのと同じように誤解はとける。適期を待つこともまた機会、その時は必ず来る。
「ほんとうに!?」
 シュウヤの顔がパッと明るくなる。
「私の記憶ではラ。半音くらい違う個体もいるだろうがね」
「ヒバリが死んでもまた会える? 死んでも生まれ変わって、出会った鳥と同じようにまた会える?」
 不意だったが……。阿弥陀様は慈悲の如来であるから、生ある者すべてを救いとって決して捨てたりしない。ゆえに、阿弥陀様のいる極楽浄土でまた出会うというわけだ。わかるかい? あの話のことだ。
「もちろんだとも。また会えるし、もしかしたら、話せるかも知れないぞ」
「ほんとうに!? 話しができたらいいなあ。うれしいなあ」
 光度の異なる星たちが、遠く近くに、ちらちらとまたたき始めた。
「私は行くが、遅くならんようにね。風邪でも引いたら大変だから」
 勤行の準備があると言わないところが庸道らしい。
 シュウヤは、
「極楽浄土って、天馬みたいなところなんでしょう?」
 庸道の背中にいった。ずっと訊きたかったことだ。
「崇哉君がそう想うところが、お浄土だ」
 立ちどまって庸道はいい、
「お母さまも、雲雀の声を聞いて育ったんだ。この地で。天馬の空の下でね」
 いい添えて階段を下りていく。
 ヒバリを見る静花をシュウヤは想像できなかった。
 天馬村で育ったことも。



   (16)いつもと違うお斎の団らん


 釣り鐘を背にして、鐘楼のへりにすわって足をぶらぶらさせながら、まっ青で新鮮な空を南国の青い海と重ね合わせている時だった。二人が現れたのは。
 とくに咎めもせずに、じっちゃんが老人ホームに居るのを話さなかったことを謝ったり、仕事が忙しくて来るのが遅くなったと言いわけじみたことを言ったり、知らない仲ではないらしい庸道さんの学生時代の評判を話したりと、話のほとんどが自己中心的で、無駄に思えて、 「何のためにぼくがいるんだ」 という思いが大きくなって腹が立って、
「ぼくは天馬でほんとうにやりたかったことを見つけたんだ、これからもやっていくんだ、塾やクラスのみんなと先の先を争うような勉強はしたくない、ほんとうの勉強はここでしかできないんだよ!」
 思いをぶちまけていた。
 それでも二人はうなずくだけだから、逃げるように白象のある蔵まで走って、墓地に向かう石段に腰をかけ……
 変わってない。これからも二人は変わらない。 「もう無理、無理だよ」 とがっくり肩を落としているときだった。

 気がすむまでいていいからな。
 自分の気持を大切にしなさい。何も心配しないで。

 最後の最後に二人は言った。
 そんなこと。どうして今頃になって言うんだ! 一度も言ってくれたことなんかなかったじゃないか! 
 あの気持は一日たっても、変わっていない。どころか怒りが増すばかりだ。
 悔しいさと、話してくれたらどうにかなったと思う気もちが入り混じったまま二人が帰るが時がきた。
 庸道さんと恵加さんに深々と頭を下げる父さんと、うしろ髪を引かれるようにこっちを見ていた母さんの姿を、ぼくは忘れないと思う。きっと一生。 
 そして今日。ホームにじっちゃんをたずねると、昨日の帰りがけに二人が来たことをひどく喜んだあと……じっちゃんはとつぜんシュンとなり……
「子どもに迷惑をかけるようなやつは、親とはいえんな」
 さびしそうに、ぽつりと言った。
 ぼくも釣られるようにうつむいて、
(母さんも似た気もちでいたのかもしれない。 「子どもに理解されない親は、親として認められない」 と悩んだのかもしれない……)
 そんなことを考えていたら、思いがけないことを、じっちゃんは口にしたんだ。
「わしはな。二人のおかげでここに居られるんじゃ。 『生きていられる。』 と言った方が、ええかもしれんがの……」
 笑った顔と、真剣な顔と、とがった顔のじっちゃんしか知らないぼくは何も言えず、訊くこともできなかったけど、 「二人のおかげで生きていられるって、どういうことだろう」 って、もしかしたら口に出していたのかもしれない。じっちゃんが言ったんだ。
「情けねえよ。ホームに入る費用も。毎月の家賃も。食い扶持も。何もかも娘と婿に出してもらってよ。面倒ばっかりかけて……よ。ほんとうに情けねえよ」
 じっちゃんが、おじいさんに見えた。
 そうか、そういうことだったのか!
 二年前、突然母さんが就職するといい出しのは、知り合いに誘われたからなんかじゃない。じっちゃんのためだ。いや、じっちゃんのためだけじゃ……
「どうしたの? 考えこんじゃって」
 恵加はのぞき込むようにシュウヤを見、
「川魚は、好きではありませんか」
 美夏子が不安気な顔を向ける。
「シュウ兄ちゃんつっついてばっかり。好きキライはダメよお」
 佳子も。
「ぼくは好き嫌いはないんだ」
 みんなの気づかいが嬉しくて、ウグイの煮つけに箸をつける。と、
(delicious!)
 みんな揃って食卓を囲んでいるせいもあるが、今日は格別。上品な甘さとちょっとした香ばしさが口いっぱいに広がり、とろける。においも骨もまったく気にならない。
 頭からかぶりつこうと箸を上げると、
「わたし宗教って好きじゃなかったんです。子どもの頃から」
 のんびりとした調子で、恵加は言った。
「お寺の娘さんなのに?」
 問いかえす美夏子のほうも、友人の相談にでものるような感じだ。
「ええ。男の子にお線香くさいって、からかわれた事もあるんですけど、商売繁盛とか、厄払いとか、何とか祈願とか。ご利益に与かるために神仏を拝む手段みたいものが、どこか違うなあと思って」
 最近の恵加は、美夏子に話し掛けることが多くなったと思いつつシュウヤは、おすましに口をつける。大好物のけんちん汁だ。
(amazing!!)
 美夏子のつくるけんちん汁はそれだけでもおかずになるほど具だくさんで、栄養満点、いつ食べても 「ホッ」 と気分がやわらいで、からだはもちろん気持まで温まるからシュウヤは好きだ。
「幸せだと、神仏にすがることもありませんものね。信者ででもなければ」
「あら。父と同じことを言うのね。ねえ、お父さん」
「神仏といえば、釈尊やキリスト、浄土宗を開かれた法然や宗祖親鸞にもいえるが、みな艱難をご縁とされた方でね。宗教は艱難辛苦に耐える力を与え、希望を見い出す果実の樹のようなもので、信仰により頼まんとする者はその枝木といえよう。枝木にとって、神仏という根からたまわる恵みが養分となり、やがて希望という芽を出し、時に若枝を伸ばして花を咲かす。幸も不幸も無く信仰は必要なものなんだな」
 庸道は柔和な笑みを美夏子に向け、
「いかがですか。お勤めにお出になりませんか。朝夕どちらかだけでも」
 勤行に出るよう勧める。と、
「無理に出ることないですからねっ」
 なごやかに語らっていた恵加の様子がやにわに尖る。
「何だね、その言い方は」
 やめろ、出るな、と言っているようなものだ。
「恵加なりの考えがあるにせよだ。理由も説明も無く考えを押しつけるようなことは、するものではないよ」
 口をとがらせ、何か言いたげなふうの恵加だが、当惑顔でいるのは寧ろ美夏子のほうで、その首に巻かれたスカーフは……。
 ヤマブキソウよ。黄色いお花が 「いま咲いたところよ。」 「もうすぐ花ひらくの。」 って言っているようで、見ているほうも元気が出そうでしょ。美夏子さんの縫い方しだいで、お花たちがもっと生きるわ。
 恵加が選んだ生地で美夏子が仕立てた黄色いヤマブキソウの花々が、しぼんで見える。風車に似た幾枚かの葉にも元気がない。草原みたいな若草色の背景が、ぶ厚い雲で陰っているよう。だからシュウヤは。
「庸道さんの話しを聴くようになって、ぼく変わった気がするんだ。どこがどう変わったかはよく分からないけれど、勉強になるし、面白いしタメになるし、安らげるんだよ。恵加さんも言ってたよね、勤行に出るのが楽しくなったって言ったよね」
 空気を変えたかった。嬉しそうに話していた恵加のことをかばいたかった。味方になりたかった。
「まあ……」
 ――いわゆる宗教と呼ばれるものを一語で表わすのなら 「自我からの解放」 といえようって、お父さん話してたでしょ。あの話しを聞いてわたし、勤行に出るのが楽しくなったの。
 と、恵加は話したことがある。喜びのあまりに。シュウヤにむかって。
 自我からの解放。人生を変えるようなあの一語で救われたのはたしか。悩んだり苦しんだりする凡その原因は、自分の価値観や観念をもとに考えてしてしまう 「主観」 に頼るところにあって、自らを袋小路に追い込んでいたことに気づかされた非常に価値ある法話だった。まさにその字のとおり宗教が、すべての 「教えの基」 と納得するに足る話だった。でも、それとこれとは……。
 美夏子が勤行に出ることとは、別の話なのだ。
「さっき恵加が 『ごりやく』 ということばを使ったが、仏教におけるご利益とは、御仏から受ける恵みをいい、商い等で使うリエキとはまったく異なる。むしろ無縁、対極と言っていいかもしれない。
 崇哉君。勤行や法話で安らぎを覚えることがご利益であり、勤行でもっとも大切なのは、ご利益を与えてくださる仏さまに感謝をすることだ。それに、苦難を仏さまの思いやりと、信じ切ることだよ」
 苦難は仏さまの思いやり。ノートに書かなくても忘れない言葉だ。
「前々から考えていた、というか……憧れのような思いはあったんです。家族三人そろって信仰のある生活を送っていたら、どんなだろうと」
 ホトのことを含めるところが美夏子らしいが、佳子はキョトンとした顔で、
「あたしイエスさまの幼稚園にかよってたよ」
 言って庸道を見上げる。信仰ということばは、理解できているようだ。
「ほう。じゃあたくさんお歌を歌って、クリスマスやイースターを祝ったんだね。楽しかったかい?」
 頓着せずに庸道は応じる。
「うん。とっても楽しかったあ。イースターの日はね、たまごに好きな色をぬって、それからお母さんと手をつないでニッコリしているよし子と、うれしそうに見ているイエスさまの絵を描いてね。クリスマスはお菓子をつくって、クリスマスツリーのかざりつけをしてね、お部屋もいっぱいかざって、お母さんやお父さんをしょーたいするのお」
「それは楽しかったね。もうひと月もすればイースター、」
「さ、ホトが眠いっていうから歯みがきして寝ましょ、ごちそうさま」
 恵加が食器を手にして席を立つ。
「どうしたんだろう、のぶえお姉さん」
「ふむ」
 庸道は腕組みをして、間を置いてから。
「佳子ちゃんは何組だったのかな?」 年長さんの時はだいだい組か。先生のお名前は? 
 歩いて通っていたのかい? そうか遠足が楽しかったか、どこに行ったの? いろんなところに行ったんだね。どこが楽しかった――と、佳子と幼稚園の話をしている。
 シュウヤの心はふたたび玄造に向く。
「さんざん世話を焼かせておいてよ。いっしょに暮らすだなんて出来っこねえべよ。窪谷に家まで用意したからなんて、余計なことを……」
 ホームの費用や生活費を払っていただけでなく、じっちゃんを引き取って一緒に暮らす!? しかも福島で! 
 じっちゃんをそこまで大事に思っているなら、庸道さんがいうように……
(君のことを考えない日など一日たりともないんだ。)
 ぼくが思っているより母さんは、父さんは、ぼくのことを考えているのかもしれない。それなのに、

 気がすむまでいるといい。
 自分の気持を大切にしなさい。

「もう少し居させて」
 そんな事しか言えないぼくはバカだ。 「どうして何にも話してくれないんだ!」 そんな事にこだわっていたぼくは大バカだ! 二人を拒絶してきたぼくは救いようのない大バカヤローだ!
「はいはい、食べ終わったら持って来てくれないといつまでも片づかないわよ」
「まだ九時、だよお……」
 恵加は応えずに背中を向ける。何かに苛立っているようにしか見えない。
 庸道は立ち上って美夏子にいった。
「勤行は気が向いたら、お出でになってください。いつでも歓迎しますから」
「はい」
 荒々しく食器を洗う恵加と伏し目がちでこたえる美夏子のことが、シュウヤは気になった。


 眠れそうにない。
 目覚ましは……もう少しで午前0時。
 まぶたは重たいのだけど、現実なのか、眠りの中にいるのか、はっきりしない長い夜だ。
(こんな時は――)
 韓国語放送を流しておけば、早く眠れる。
 ラジオに手を伸ばし、スイッチを入れ、ダイアルを合わせる。
 お母さん
 救急車
 車の方が早い
 夢にしてはハッキリ聞こえる。
 信恵車だ、車をまわせ!
「お母さーんっ!」
 佳子の絶叫。
 完全に目が覚めた。美夏子さんに何かあったのだ!



   (17)天馬のやさしい花たち


「電話あ! 病院に電話して! 車とって来る!」
「わかった!」
 二階でさわぐ怒鳴り声と狂気的な足音が、シュウヤの鼓動を速くする。
「お母さあーん!」
「どいてえ!」
 階段を転がり落ちる勢いの恵加に気おされ、シュウヤは見ている事しか出来ない。子機を片手に、
「崇哉君手を貸してくれ!」
 狼狽する庸道の声と姿態が異常事態という事実をシュウヤに突きつける。が、目も頭も覚めているのに体が動いてくれない。
「シュウ兄ちゃん早くぅ!」
 佳子がフリーズした時間を動かす。
「うん!」
 庸道に抱かれた美夏子の腕がだらりと下がり、力なく揺れるのを見一瞬ひるむが、シュウヤの足が三段目の階段にかかる後ろで、寒風吹きこむ引き戸がガタピシと音をたて、
「佳子ちゃんわたしのバッグと携帯!」
 恵加がシュウヤをかべに押しやり 「だから言ったのよっ」、 段板を軋ませながら口にする。美夏子にではなく、予期していながら招いた 「結果」 に対して言っているのだ。
「院長が当直でいるそうだ、大丈夫だ!」
 階上で庸道が叫ぶ。
「わかった、シュウヤくんっ! 助手席の背中を倒してドアは、」
「開けておくっ」
 夜陰に向かって駆け出すシュウヤの背中で聞こえる悲鳴と怒号と床板をしだく乱暴な音が、近現代史の参考書だかに載っていた大戦時中の、燈火管制下の空襲を想わせる。 「崇哉君家をたのむ!」
 二人の両脇に挟まれた恰好の美夏子の顔が、暗くてもわかるほど色を失っている。車の前で茫然自失でいるシュウヤに、
「崇哉君、家を頼むっ!」
 庸道が活を入れる。
「お母さん! おかあ、」
「泣いている場合じゃない!」
 目の前で起きるすべての事が、天馬に合わないとシュウヤは思う。
 庸道と恵加二人がかりで助手席に美夏子を乗せようと身をかがめる、と、
「あっ!」
「わかるう!? 美夏子さんわかるの!」
「……死ねないの。た、たくおが帰るまで、私、死ねない……」
「大丈夫、大丈夫よ大丈夫だから」
 助手席の美夏子の身体を後部座席で庸道が支える。その様子を認めた恵加が運転席にむかって走る。左前輪を迂回したところで、
「早く乗るのっ!」
 叱りつけられた佳子を車内に押し込み、シュウヤは慌ててドアを閉める、と同時に空転したタイヤが大中小微小の入り混じった玉砂利を、シュウヤのいる方向に撒き散らした。
 四人を乗せた車が段差で跳ね、 「あとは任せろ!」 と言質を与えるように、がなりながら舗装路に出て行った。
 坂道を下っていく赤いテールランプを、シュウヤは一人見送った。
 笑ったような月と、またたく星を散らした夜空は、昨日と同じ。著名な画家が描いたパノラマみたいで、その前の日とだって変わりはないのに、
「どうしてこんな事が、起きなきゃいけないんだよ」
 昂ぶる気持をおさめたくて、シュウヤは空を仰ぎつづけた。
 

 午前四時四十分。勤行の始まる時間はとっくに過ぎているのに、誰も帰ってこない。
 いるはずの人がいないと別の場所にいるようで、シュウヤは家を出た一月五日の朝とは異なる、孤独を感じていた。
 くぅーくぅーくぅ――。美夏子が莞恩寺にきてから早起きになったとはいえ、ホトが起き出すのは六時前後。今朝にかぎって排泄をねだるホトをむかえに、シュウヤは美夏子の部屋に向かった。
「お前はいいな」
 言っても仕方のないことを口にし、シュウヤはホトを庭に連れ出す。
 軒の下の常夜灯をたよりに自動車を停めておく場所をとおって、小さな池と築山のある庭との境界にうわった玉竜のならびの端、ツバキの根もとの足場のよいところを選んでホトが後ろ足を上げる。外界の色だけ見ればまだ夜だったが、あと一時間もすれば、否応なしに朝は来る。そう自分を励ますシュウヤを横目にホトは後ろの足を蹴って、ほう尿の後始末をしながらシュウヤを見上げ 「帰ろうよ、」 とでも言うように目で訴え、シュウヤが体の向きをかえると、庫裡に向かって一目散に駆け出した。
 佳子がそうしていたようにまずはホトに水をやり、口のまわりを拭いてから、ブラシをかけて、ドッグフードをトレイにあける。
 ホトが朝食をとっている間に、ふだんは美夏子がいれるコーヒーを自分でいれても苦いばかりで、ここでこうしていても、時計の針が三倍遅れてすすむようで落着かないし、様子も何も分からず仕まいで、それがストレスになりイライラが増す一方だから――シュウヤは布団をしまいに二階へ上がった。
 美夏子の布団は上半分が斜めに開かれ、隣りにならんだ掛布団は下半分で折り重なっている。想像していた感じと違い意外に整っていて、シュウヤの重たい気持をいくぶん軽くした。
 慌てた様子が見て取れたのは恵加のほうだ。窓際のごみ箱に寄りかかった大判枕と乱れたシーツ、床の上のねじりん棒の掛け布団が昨夜の惨事の知らない部分を見るかのようだったから、シュウヤは恵加の布団を手早くしまったものの、朝日がまぶしくなりそうだからふだん美夏子がそうするように、いったんしまった美夏子と佳子、恵加の布団を順にベランダに干し、一階におりて、庸道とシュウヤの敷布団を庭の布団干しに干し終わると、
(まだ、ちょっと早いかな。)
 六時になったばかりだが、シュウヤは固定電話機の棚下方にある電話帳を手に取り ”タ行” を開く。そして受話器をあげた。
「ちょうど出払ったところでしてね」
 タクシー会社の担当者はそういうと、莞恩寺の近くを走る運転士を呼び出して、短い会話をかわし、
「急がせますが、おそらく二十分ほどかかるかと――」
 それだけの事なのに、気分をずいぶん落ち着かせてくれる。
 タクシーを待つ間ホトを抱いて本堂内を見てまわり、僧坊の火の元と戸締りをすませ、コーヒーカップを洗い終えるとすぐタクシーはやってきた。
 緊急入院した 「家族」 を見舞うこと。急いでいること。ホトを抱いて乗りたいこと――事情は運転手に伝わっていて、シュウヤはホトを抱いてタクシーに乗り、美夏子を思った。
 微笑をたたえたいつもの美夏子が、ただ苦しいのではない悲痛な顔の美夏子に変わり、その顔をふり払うと、いつもの涼やかだがあたたかな美夏子が現われ、すぐにまた蒼白顔の美夏子に変わる。昨夜から同じことのくり返しだ。
 でも、ホトを見ればぜったい元気になる。元気になって、我が子を見る目でこう言うんだ、 「具合は悪くありませんか。お外に行きましょうか? 森の道を歩きましょうね」。 莞恩寺にきて一月余り、毎朝そうしてきたように。
「明日、ご両親がお見えになるんですって?」
 陰で見守ってくれているような美夏子さんだが、あの日は違った。両親がくる前の日だ。でも、いま思うと、母さんたちが来ることが決まった日から変わった。変わっていった気がする。
「うん」
 としか言わないぼくに向かって、
「崇哉さんのことを思って、ご飯が喉をとおらないかもしれませんよ」
 そう言った時のぼくを見る目は、佳子ちゃんを見るのと同じだった。
「緊張していますか」
(思いやる目がやさしかったな。)
「緊張っていうか、話すこともないし、話もないし……」
 しどろもどろに返事をすると、
「いまは緊張しても仕方がありませんけど、何もしんぱいしないことです。親子なんですもの」
 不安を取りのぞこうとしてくれた。
(桃源郷に行く途中の森のなかでは……)
「止まってくださらない? 耳を澄ましてみて」
 フルートみたいな鳥の声に耳を澄ます姿は、小鳥の会話を聞いているかのようで、幸せそうで、清らかで、少しの間目を閉じる姿は何かに感謝しているようだった。
 美夏子さんがきて、二日目の夜だった。美夏子さんが莞恩寺にきて。
「今夜は冷えこみますから、電気毛布を敷いて寝ましょうね」
 掛け布団をはぎ、シーツのしわを整えて、電気毛布を敷き終わると 「おやすみなさい」 をやさしく言ってくれた美夏子さん。
 熱を出して寝込んだ日にはおでこにおでこを押しつけて、水枕を用意してお粥を口に運んでくれて、顔や手や首のまわりを濡れタオルで拭いてくれた。眠っていたから気づかなかったけれど、翌朝恵加さんが言っていた。 「夕べは一睡もしないでつきそったのよ。自分の子供みたいに」
 元気になればなったで、 「もう大丈夫」 と言っているのに 「ぶり返してこじらせでもしたら大変ですよ」 と少し厳しく注意もしてくれた。
「くぅーんくぅーん、はぅあうぅぅ」
 走馬灯のように見えるのだろう。景色を目で追い掛けて落ち着かないホトのからだを正面に向け、
「大丈夫、大丈夫だよ。こわくないから。大丈夫」
 ホトをなだめ、落ち着かせる。
 考えてみると、最近座って休むことや、二階の部屋にこもっている事が多かった気がする。すきとおったきれいな声が、くぐもったような感じも……。
 美夏子さんはこんな日がくるとわかっていて、何かと気にかけてくれたのかもしれない。 「佳子とホトは、崇哉さんをお兄さんと思っているんですよ。見ていればわかりますもの」。 あんなことをすすんで言う人じゃなかった。べこもーもの作業場づくりで倉庫整理に追われた日には 「まだ起きていますか。日中がんばったんですから、早く休まないと」。 わざわざ部屋にまで来ていうことはなかった、病気はまだ治っていなかったのかも、
「着きましたよ」
「もう」
「庭みたいなもんだから。この辺りは」
 モノ作りでも何をするにしてもな、大切なのはプロ意識――。伊作おじいさんと同じだ。
「あ。財布……」
「いげねえ、またやっちまったか」
 運転手はいい、
「ぼく、見でごらん」
 正面を向き顎をしゃくる。手で朝日を遮って料金メーターを見てみると、画面は暗いまま、0円。わざとセットしなかったのだ。
 運転手の近本さんに 「もうええがら」 と言われるまでお礼をいい車を下りると、ひさしの下のパイプ椅子には、厚手の服を着、マフラーをぐるぐる巻きにし、耳あてと手袋をして、円筒形の石油ストーブを囲んで暖をとる高齢者が。診察の順番待ちをしているのだ。
 ホトを抱いていそぐシュウヤを四人は不思議そうに見、 「横から入るだよ」 と、おばあさんが教えてくれる。
 自動扉は停止中。言われたとおり左のドアを押し開ける。と、静まり返ったエントランスの振り子時計は、もう少しで六時四十分。カーテンの引かれた受付の前まで行くと、
「電話しようと思ったの」
 携帯電話を手にした恵加が小走りで近寄ってくる。疲れは隠せないが 「大丈夫よ」 と、笑顔は言っている。それでも、
「おばさんは」
 確信を得たかった。
「とにかく来て。みんなに話しておきたい事があるから」
 話の途中で回れ右して歩き出す恵加の後を早足でついていく。純白のスウェットに濃紺でお尻がかくれるくらいの長さのダウンコートをはおった恵加は、アスリートの歩幅を保って、グングン前を行く。医事課のプレートのある部屋を通過し、建物の奥まったところの一段低い広間にまできて、
「やあ。ご苦労さんだったねえ」
 庸道が小声でシュウヤを迎える。美夏子と同じくらい心配していた佳子は、三人掛けのソファの上で、庸道のひざを枕に眠っていた。
「黙っていてって頼まれたから、言わなかったんだけど、いっしょに暮らしていく以上、隠し事はよくないと思うの」
 緊張が走る。シュウヤの全神経に。恵加は庸道を見、頷くのを見て、
「美夏子さんね。じつは、甲状腺腫瘍という病気なの」
 病名を告げた。 
「腫瘍というと、ガンか。本人は。知っているのかい」
「ええ。ずい分前から分かっていたみたい。甲状腺腫瘍でも色々あるようだけど、美夏子さんは甲状腺乳頭がん」
「うむ……」
 深緑のナイトウエアを着た庸道の手が、佳子の今後を憂えるように頭のうえにいく。その恰好だけを見ると、リヴィングで憩う紳士のように見えるが、眉間にしわを寄せている。
「院長先生は、手術をすれば完治するから心配ないって言うんだけど、ゆっくり進行していく事もあって、美夏子さんね。佳子ちゃんの学校のことや、生活が落ち着いてからって考えていたの。でも、神経の圧迫がみられて転移したら厄介だから、これ以上先延ばしにはしない方がいいって……」
「手術が必要な状態か」
 院長が美夏子の経歴を、ことに直近の仕事や居住地などの診察する上で重要となる情報を語ろうとしないことが気になったが、本人が語ろうとしない以上そのことは持ち出さずに恵加は、
「中通りの総合病院に紹介状を書くって言っているくらいだから……」
 要の部分を庸道に言わせる、
「早い方がいいか」
「ええ」
 完治するとはいえ、よく耳にする初期よりも重いレベルのガン。美夏子自身が自覚し、悩み、ひとり戦ってきたのだ。
 そのことは理解はできる。だが、美夏子に家族以上の信頼を寄せ始めたシュウヤは――。何で話してくれなかったの? 話さないと、伝えないと始まらないでしょ。
 両親に対するのとは異なる思いで、美夏子に訴えたかった。    
「佳子ちゃんのことはもちろんだけど、美夏子さんってあういう人でしょ。治療費や 『ウチでお世話になっているから』 とか、余計なことまでいろいろ気にしているんだと思うの」
 シュウヤに抱かれたホトは小さな口のすき間から、少しだけベロを出して眠っている。佳子と同じように。
 点滴で眠っているという美夏子も、同じような顔だったらいいのにとシュウヤは強く願った。何も心配したりせずに。何も気にしないで。ゆっくり休んで。
「それと、車に乗る前に 『たくお』 さんって言ったでしょ」
「言ったよ、ぼく聞いたよ」
 タクオが帰るまで私は死ねない。絞り出すような美夏子の声とその言葉がシュウヤの耳を離れない。 「隠しごとはよくない」 と言って恵加が話し始めたこともだ。
「わたしも分からないの、タクオさんという人のことは。機会をみて、それとなく訊いてみるわ」
「本人が言い出すまでは、触れないほうがいいだろう。待つことが思いやりに繋がることもあるものだからね」
「それも、そうね。わかった、そうするわ」
 言いたくない事、聞かれたくない事は、誰にだってある。
「それはそうと、一度子どもたちを連れて帰ったらどうかね。あとは私が対応するから」
「でも、会えずに帰したらかわいそうじゃない? 心配できたんだから」
「それはそうだが、」
「目を醒まされましたよ」
 看護師の声に反応するように顔をあげ、立ち上がった佳子に、シュウヤはホトを抱かせた。

 美夏子は前回の入院の時と同じ103の個室にいた。
 佳子の背中を押すようにして病室に入る恵加、庸道につづくシュウヤの目が床頭台の上にいく。ヤマブキソウのスカーフが折り目正しく置かれてある。恵加がそうしたのだ。
「ご迷惑ばかりをおかけして、なんとお詫びを申し上げればよいか……」
「そんなあ、他人行儀みたいに言わないで。誰にでも起こり得ることなんですから」
「でも……」
「いまは、療養することだけを考えませんか。何も気になさらずに。ゆっくりと」
 庸道のからだに隠れるようにしてシュウヤが見た美夏子の顔は、やや青白くやつれたような感じを受けるが、ほほ笑む顔はいつもの美夏子で、エクボもあって変わらない。首もとには、マフラーでもスカーフでもなく包帯が巻かれてはいるものの、それさえも美夏子がつけるとよく似合い、襟まわりから胸もとにかけてオレンジ色のラインが入った空色の病衣を浴衣のように着こなす美夏子は、病人になんか見えないし、ガンだなんて思えない。シュウヤは信じたくなかった。
「ホトも心ぱいしたよ」
 声を詰まらせて佳子がホトをあずけると、くぅーくぅーくぅー。美夏子に抱かれたホトは短いしっぽを千切れるくらい勢いよくふり、美夏子の顔をなめようとしたり、お腹にからだを押しつけたりと、いつも以上に甘えている。ホトはホトなりに、昨夜の惨事を理解し心配していたのだ。
 甘えるホトに 「ありがとうね」 をいい、頬ずりをして落ち着かせた美夏子は、あらためて――
 ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。崇哉さん、ごめんなさいね。と、一人一人に謝って、最後に佳子の両方の手を取り、
「驚かせちゃってごめんね」
 おでこにそっとおでこをつけて小さく言うと、佳子はこらえ切れずに泣き出してしまった。恵加は斜向かいに立つ庸道の目を見て黙ってうなずく。――しばらく泣かせてあげましょ。とでも言うように。
「もうだいじょうぶよね、だいじょうぶだもんね、もうあんなふうにならないね、だいじょうぶだもんね」
 抱きついたままそうくり返す佳子に恵加がいう。
「大丈夫よ。おできを取っちゃえば治るんだから」
「おできをとるの? とればなおるう?」
「院長先生が言うんだから大丈夫。心配ないわよ」
 それでも佳子は、
「ほんとう?」
 美夏子に念を押す。佳子は莞恩寺にきた日にも、同じ経験をしているのだ。
「ほんとうよ。お母さんがね、先生のいうことを聞かなかったのがいけなかったの。これからは先生の言うことをよく聞いて、きちんと治すから、佳子は何も心配しなくていいのよ」
 そう言って、佳子を安心させてからの美夏子は、ホトの狂犬病の予防注射と併せて行う健康診断のことや、僧職で忙しくなる恵加のこと、シュウヤの勉強のこと。それに、寺の雑事や家事が出来なくなって迷惑をかけることなどを、病気の話題を避けるように積極的に話をして、
「お母さんがもどるまで、お願いね」
 眠れていない四人のことを帰そうと、ホトを佳子に抱かせようとしたその時だった。
 マフラーやスカーフを肌身離さず身に着ける理由に、佳子と入浴しない理由に、シュウヤは目を瞠った。
 そしてすぐ目を背けた。首に巻かれた包帯と病衣のわずかな隙間、美夏子の喉下あたりの白い肌が、暗紫に腫れ上がっていた。



   (18)人間らしくある人間として


「午後からお花を摘みに行こっか? お母さんさびしいから。」
「ノンノだめ、ノンノいらなーい!」
 訴えるように、佳子は言った。
 総合病院での手術を無事に終えて、窪谷のクリニックに戻ってきた美夏子に、春の訪れを感じさせてやりたい恵加だったが、
「お花は元気をくれたり、気持を落ち着かせてくれるの。」 「病室が明るくなって、お母さんも明るい気持になれるわ。」 「お姉さんはバレーボールでひざを怪我して、長い間入院していたからよくわかるの。お母さんもきっと喜ぶわよ。」
 と、くり返し説得しても、佳子は 「だめえ!」 の一点張りで、 「いらないったらいらない!」 と突っぱねて、庫裡を出て行ってしまった。
 三月二十三日。終業式前日の今日。そのことがあって、一日置いた佳子の登校日である。
 病床の美夏子に事の次第を伝えると、
「私が教えたんです。お花は、蝶や蜂や土の中の虫、空の鳥、それに――」
 花自身のためにそこに咲く。摘んでしまうと、生まれるはずのノンノの子どもが生まれなくてみんなが困る。
「だから、やさしく見守ってあげましょうね、と」
 そのとおりだと思う気持が大きいいっぽう、美夏子と佳子、二人が使う言葉がかわいくて耳慣れないから、
「浜通りではお花のことをノンノっていうの?」
 シュウヤは訊いた。
「………」
「お寺にくる前は浜通りにいたって聞いたからさ。浜通りのどの辺にいたの? なんていうところ?」
「シュウヤくん。」
 矢継ぎ早に訊ねるシュウヤを、恵加が小さくいさめる。
「ノンノは……。北海道の一部で使う、言葉ですよ」
「じゃあ、住む場所によって、言い方が違ったりするんだ。同じ北海道でも」
「そうね。とっても広いから。北海道は」
 東北六県が丸々入るどころか、もう一つ福島県を加えても足りないくたい北海道は広大らしい。
「そんなに広いんなら、不思議じゃないや。ことばが違っていても」 福べこもーもの木材を納めてくれる会津の人と、浜通りの問屋の人 (研磨パッドやパフ、工作機械で使うオイルなどを扱う)とでは、言葉の調子がずいぶん異なる。伊作おじいさんは、どちらかというと会津の人に近い気がする。違っていて当然なのだ。
「フキノトウは、たしか……マカヨですよね、北海道では。東北地方ではバッケと呼ぶところもありますけど」
「……バッケは」
 美夏子が目だけを窓外に動かす。しばらくは頸部を動かさないように。医師の指示を守っているのだ。
「バッケは、アイヌの言葉が語源と、言われているそうです」
 美夏子が視線を戻して答えても、
「………」
 恵加は顔をななめに落として応じないから、シュウヤは言った。
「空はノチウだ」
 あいぬが何なのかは分からないけれど、黙んまりばかりがつづいたら、病気が悪くなる気がして。せっかく治った美夏子さんの病気が。
「空はニシ。ノチゥは星のことを、言うんですよ」
「そうなの」
「地方の文化は宝ですものね、だから反対なの、原発ゴミの地層調査。天馬の自然が壊されるのが。美夏子さんならわかりますよね、わたしの気持ち。わたしたちの気持ち」
「ええ。よく分かりますわ」
 自然がめちゃくちゃになったら文化も壊れその地に築いた宝を失う、
「ぼくもわかるよ。でも、おばさんならわかるってどういう事? ぼくわかんないよ」
 同意を請うような恵加の言いようも気になったが、シュウヤは美夏子の話を聞きたかった。
「じつは、おばさんね。おばさんは……アイヌの、子孫、アイヌなの。アイヌだから……」
 また、あいぬ。美夏子さんがあいぬ。あいぬだと、どうしてよくわかるんだろう、とシュウヤが訊こうか訊くくまいか迷っていると、
「ええ」
 うなずく恵加に、
(分かっていらしたの?)
 ふだん顔に出ない美夏子にしてはめずしく、感情を表に出して視線を外にうつすから、自然とシュウヤも美夏子が見ている窓の外に顔がいく。
 舗装された地面のところで、赤い毛糸の帽子をかぶった女の子が小石で何やら書いている。小学生なら学校にいる時間だから、幼稚園生だろうか。
 何を思ったのか、女の子は唐突に立ち上がると林のほうにかけ出して、林のきわの小枝を拾って長さを見比べ始める。
 女の子を見ているのか、林を見て何かを思っているのか、どっちつかずの美夏子の首に巻かれた若草色のスカーフの黄色いヤマブキソウが、林の中にぽつんと咲いているようで、寂しそうだ。
 ホトがいないと――ホトとは会わないようにしてくださいね。術後の感染症が心配なので――時間が度々止まってしまい、その時間が長くも重たくも感じる。
「初めは、何かしらの信仰に篤い方だと思っていました。でも、結婚する前まで北海道で育ったという割には、箱館や旭川それに釧路の人と、大学の友人と違う言葉を使うので、電話で話した時に聞いてみたんです。そうしたら、アイヌの方の言葉だというので、それで、わたしなりに調べてみて……。でも決して興味本位で訊いたのでも調べたわけでもなくて、わたしにとって美夏子さんは家族のようで、家族といっしょで、家族だから……」
 謝る理由も、何の話をしているのかもシュウヤは分からなかったが、 「恵加さんの言うとおりだよ、ぼくたち家族でしょ!」。 美夏子にも同じ気持でいてほしたかった。
「でも、見た目ではわからないでしょう? アイヌって。眉の濃いのを除けば。きっと父方の血が濃かったんです」
「羨ましいくらいきれいよ。美夏子さんって」
 和人の父とアイヌの母の間に生まれた美夏子であるが、同じように、和人とアイヌの間に生れた親戚知人、ウタリ (同胞) の中でも、アイヌの特徴が色濃い人がい、そのことを苦にして悩んでいる人がいるという。
「そんなあ」
「おかしいよ、そんなの。違ったっていいじゃない。違って当たり前なんだから」
「そうね。崇哉さんの言うとおりね」
 嬉しそうにも悲しそうにも見える美夏子が、視線を落とす。
「でも、どうしてアイヌの人だと、天馬の自然を壊されるのがゆるせないのが、よくわかるの?」
 シュウヤは同じことをふたたび訊いた。大事なことに思えたし、顔を上げてほしかった。
 美夏子はやさしい目でシュウヤを見、わずかに背すじを伸ばすと、
「アイヌの人たちはね。人間を中心に置いたものの見かたを致しませんし、人間がことさら秀でているとか、特別だという概念はなく、生ある者どうしが、いいえ現存するすべてのものが役割を担い合って存在しているという、意識や思いを大切にしているの。お洋服やお茶わんや、鉛筆一本とっても、私たちの必要を満たして助けてくれる無くてはならないものだから、感謝して用いますし、大地もそう。自然も同じなの。誰のものでもなくてみんなのお母さんみたいな存在だから、傷つけないように大切にして、いつくしむのですよ」
 美夏子はまっすぐ恵加を見、
「どこに住み、どんな暮らしを送ってみても、伝統や精神までは変えられないようですね。アイヌでなければ、あれほどまでに血がさわぐことは無かったかもしれません。
 鎮守の森に立ちはだかるフェンスを前にした時。無抵抗な大地と自然に挑むかのような重機を見た時。傍からはそう見えなくても、私はアイヌ、やはりアイヌなんだなと思いました。憤りと失望とやり切れない気持に苛まれて、悲しくて、胸が張り裂けそうで、胸がつぶれるくらい悔しくて……」
 これほどまで熱心に自分の思いを言葉にあらわす美夏子を、二人は初めて見た。
「思いやるこころを、大切にしてきたんですね。アイヌの方って。思いやりのこころを」
 恵加が敬意を込めていう。
「思いやりもそうだけど、お互いさまが大事だから、のっぺらぼうの鎮守の森がかわいそうになったんでしょ、天馬の自然が壊されるのがゆるせなかったんでしょ。自然はみんなのものだから」
 共生という言葉をシュウヤは使わなかった。美夏子にとっては、アイヌの人にとっては、言うまでもない決まり切ったことだから。
「思いやりのこころ。お互いさま。生きていく上でもっとも大切なことかも知れませんね。でも佳子には、時期がきたら私から話しますので、このことは……」
「わかってるよ、誰にも言わないから大丈夫だよ」
〔ココンコン〕――ノックと同時にドアが開く――
「あら」
「じっちゃん!」
「信恵がきてるって聞いたもんだから、お邪魔させてもらいますよ。ああ安心安心、元気そうで何より。退院間近ってところですな」
 玄造は温顔で美夏子にいい、恵加がゆずった椅子に腰をおろす。
「麻衣ちゃんがしゃべったんでしょ。都会だったら大変よ、プライバシーの侵害だって一大事」
「麻衣は看護婦のカガミ、素直に育って何よりだ」
「大丈夫です、大歓迎ですよ」
 晴れやかな美夏子の顔を久しぶりに見て、シュウヤは嬉しくなる。
「この気軽さが田舎のえがところ、天馬のええとこだべよ。それはそうと、善行のやつ (老人) ホームにまで選挙運動さしに来やがってよ。ひとりひとり手ぇ握って、おらの手こまでにぎって、 『おじいさん。よろすく~』 だぞ。気もすけ悪ぃったらありゃしんねえ」
 玄造は三人を笑わせると厳しい顔をして、
「お鎮守一帯が、えれえことになっているそうでねえか」
 ひくい声で言う。すべてお見通しだぞと顔に書いてある。恵加が現場を目の当たりにしたことも。木々の切り倒されたおおかたの森のようすも。善行と恵加がやり合ったことも。すべて。
「わたしたちも言葉が出ないくらい驚いたの。ひどいわ、ひどすぎるわよ。原発ゴミの施設を建てるだなんて勝手よ、選挙運動なんかやっている場合じゃないのよ」
「やつはやつで気ばってはいるようだが、おらに言わせりゃ行儀が良すぎる。正攻法で計画をひっくり返そうってんだから、人がええにもほどがある。分がっちゃいねえだよ、あいつは。俗世間の渡りかたってのを」
 恵加は腰を折り曲げて、
「当選したら延原盆地の計画を国会で取上げて中止にするって話していたけど、玄造さん。何かいい考えでもあるの?」
 いい考えを期待している様子だ。
「鎮守の森は守ってやれんかったが、延原は何としてでも守る、勝手な真似はぜってえさせん。部落・地境、里者・ワタリの垣根を越えて、土地所有者が団結して計画をひっくり返す。善行より現実的かつ効果的に、計画を白紙に戻す」
「土地所有者って、玄造さんの土地はもう、」
「建てモンと土地の大半は売った。したっけ、公道を跨いだ休耕地はまだ “オラ” のもんだし、オラの土地まで公道さ拡張せねば工事車両さ入って行げねし、ホームの中にゃ延原の用地にかかる土地持ちもおる。思いどおりになると思ったら大間違いだ。ちと声がデカかったか、失敬失敬」
 美夏子は笑みを浮かべて 「大丈夫です。」 という顔で応じる。
「でも、休耕地は町が買い上げて活用できるように、条例が変わったんじゃなかったかしら」
「そうなる前に土地持ちみんなで地蔵を建てる。手はずは万事整えた。地区長の賛同も得た、地蔵の里として町興しをする名目でな」
「そんなに話がすすんでいるの? すっごい行動力」
「お地蔵さまで町おこしかあ」
 シュウヤは家を出た一月五日、稲見川が北西方向に離れていくにつれ、山里らしい景色に変わっていく県道ぞいに点在していた地蔵菩薩を思い出し、
「お花畑もあるといいなあ」
 花の供えられた菩薩は、どれも笑っているようだった。
「地蔵と花の里か。ええこと言うな、シュウ……崇哉は。ますます注目の的になること間違いねしだ」
「でも、そんなにうまく事が運ぶかしら。お地蔵さまを建てたくらいで中止になるとは思えないけど」
「葛谷が候補地から外れたのはよっ、その地蔵様のおかげだぞ」
「ほんとうに?」
「ウソこいてどうする。たわいの無え日常の記憶はあやしいもんだが、すったもんだの記憶ってのは、そうそう忘れるもんでねえぞ、すったもんだは。お前えにも覚えがあっぺよ、気になって気になってしようがねくて、なかなか忘れられねえ出来事の十や二十は。崇哉にはまだ、ながっぺがな」
「ぼくにだってあるよ。5、6コ。7コくらい」
「それだけ真剣に生きているんだって胸こ張りゃええ。要は――」
 年を取ると足や腰が弱るように、記憶の部分も弱っていく。当然の経過をたどる中で 「すったもんだが肝心になる」、 と玄造は胸を張る。
「すったもんだがかなめになるのかあ」
「そういうことだな。だから、すったもんだに立ち向かうだ。忘れんでねえど」
「うん」 
「でも弁護士を立てたり、裁判を起こしてでも着工しようとするんじゃないかしら。住民のことなんかひとつも考えない人たちよ、予防線や対抗策も抜け目なく準備して強行するに決まっているわ」
「地蔵をぶち壊してでも施工しようもんなら天馬モンだけでねえ、窪谷はもとより全国各地で建設反対ののろしさ上がって、世間さまが黙っちゃいねえど。要は、国策に対抗するには国民を巻き込む、この鉄則にのっとってやりゃ動かねえと思ったヤマも人も勝手に動くもんなんだよ、始める勇気と変える気組みがありさえすりゃな」
 天馬にくる決断をするまで何週間も迷ったシュウヤは、勇気が足りなかったからだと納得する。
「延原の地層調査の話が白紙になれば、鎮守の森に施設を建てる計画もご破算ね。でもなるべくなら、角が立たないで落ち着いてほしいな」
「そうなってくれたならば御の字だが、裁判になればなったで年寄り連じゅう最期の悪あがきってわけでもねえが、法をたてにするような “張り子の虎” にゃ同じ土俵で 『道理』 で突っぱるまでよ。ま、オレは地蔵様は残ると見るがな。おっ、おじゃますましたな、お大事になさいよ」
 美夏子の顔の前で玄造は言い、 「人間ドッグの時間だから」 と言い残して病室を後にした。
「気力がみなぎってるって感じね、玄造さん。言葉もハキハキしているし、 “オレ” だもん」
「はりこのトラって?」
「見かけだお、し……見かけだけ強そうな、人や集団のことよ」
「崇哉さんは見たことがありませんか。赤べこのように首の動く、虎の置き物を言うんですよ」
「見たことないけど」
 想像はできた。今にも襲いかからんといわんばかりの恰好をした、可愛らしい顔のおもちゃみたいなトラ。そんな感じだろう。
「それにしても、じっちゃんってすごいなあ。アイデアといい正義感といい。堂々としていてさ」
「我が道を行くって感じね。天馬の人みんなに言えるけど、玄造さんはとくに」
「娘さんの帰郷が、励みになっているのではないかしら」
「それもあるかも知れませんね。幾つになっても子供は子どもって言いますから。堂々とした父親の姿を見せたいと思っているのかもしれないわ、玄造さん」
 じっちゃんは、幼稚園小学校、中学高校、言葉もしゃべらないハイハイしていた母さんを知っていて、ぼくは母親の母さんしか知らない。じっちゃんは母さんといっしょに過ごした天馬を守りたくて、奮起せずにはいられなかったのかもしれない……。
「ところで、美夏子さんって法学部でしたよね」
「そうですけど」
「退院してからのことなんですけど、良かったら兄の事務所で働きません? もちろん、体力に自信がついてからの話ですけど。お寺からバス一本で通えますし、通院や学校行事やら何かと融通が利く職場環境で、兄も大歓迎だと思うの。法律の知識がある人がいたら助かるって、話していたくらいだから。どうでしょう、考えてみません?」
 シュウヤも考えていた。美夏子が倒れた原因は、莞恩寺の作務全般に及ぶ激務が影響したのではないかと。しかも、出会ったきっかけの路端で倒れていたことを考えると、始めから体力を要する仕事は無理だったのだ。
「入院中にするお話じゃありませんでしたね。ごめんなさい」
「いいえ。ありがたくて言葉が出ないんです」
「じゃあ、兄貴に話していい?」
 恵加の変わりように、
「おかしいよ、入院中にする話じゃないって言っておいてさ」
 シュウヤは慌てて抗議する。
「いいのよ。崇哉さん」
「だって」
「恵加さんはますます忙しくなるのに、私がいなかったらお寺のほうが……」
「そんなことは考えなくていいんです。美夏子さんに押しつけてきたわたしたちが悪いんですから。父も反省しているんですよ、美夏子さんに母の代わりのようなことをさせてしまって申しわけなかったって。お寺の務めは僧侶自ら行う、本来の僧侶の姿に立ち返るきっかけをつくって下さったんだから、わたしたちのことは気にしないでこれからはご自分のことをいちばんに考えて――」
 恵加はそういうが、先々週宗派を超えて執り行われた慰霊祭で本格的に仏道を歩み始め、先週の彼岸会(ひがんえ)では世話役として多岐におよぶ務めに奔走し、半月後には――今年もお花まつりは中止になってしまったけれど――檀信徒を対象にした 「灌仏会」 で導師として会をつかさどるという、多忙な恵加の力になれないことを美夏子は気に病み、これ以上わずらわせたくないのだ。
「手術は成功したといっても、ガン患者の私が議員さんの事務所で働くなんて……」
 根治すると太鼓判を押されたとはいえ、定期的な検査はつづき、再発に対する美夏子の不安や恐れは影のように美夏子につきまとって、時に心の多くの部分を支配する。さらに制約のある暮らしへの不安や、成長していく佳子を育て上げる不安、いつになったら解消されるか判らぬ不安と、いや。 「ガン」 という字を見て言葉を聞いてもたげる不安と、あらゆる不安と美夏子は対峙せねばならないのだ。
 今は考えられない。当事者の立場にたってみれば、恵加自身、同じ気持になるだろう。
「ごめんなさい、余計な話を持ち出したりして。でも、美夏子さん。これだけは覚えておいてくださいね。イラン、カラプテ……わたしも人間らしく生きたいの、あなたみたいに人間らしい人間でありたいの。だから何でも言って、話してくださいね」
「アイヌ、ネノ、アン、アイヌ……。嬉しいわ、恵加さん。とても。とっても」



   (終章)あなたの心にそっと触れさせて……


 アイヌ民族は北海道を中心に東北地方の北部やサハリン (樺太)、クリル (千島) 列島で古くから生活してきた日本の先住民族です。いっぽう縄文文化をきづいた人々とのちに大陸から渡ってきたいわゆる弥生人の影響を受けて現在に至ったのが――。
 ぼくら和人か。でも、美夏子さんは、 「人間が特別だとは考えない」 「生ある者どうしが役割を担い合って存在している」 って話していたから、和人もアイヌも何もないのだ、人間には。いのちには。
 シュウヤは思い直して、開いた本に視線を落とす。バスを待つ時間も気にはならない。町役場が伝える交通安全運動のスピーカーの声も。シュウヤを見る周囲の視線も。
 美夏子がその言葉の意味を確かめるように口にした 「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ」 は……人間らしくある人間とか、人間らしい人間という意味。ぼくみたいな子どもにでも庸道さんや恵加さんと同じように接してくれる美夏子さんは――アイヌ、ネノ、アン、アイヌ――言葉どおりの人だと思う。
 あいさつをかわす時によく使うという、イラン・カラプテは……いい言葉だ。 「あなたの心にそっと触れさせてください」 か。
 美夏子さんはいつもみんなのことをそっと見まもっているような人だから、この言葉もあてはまる。アイヌに見えなくても、私はアイヌ――。初めから言ってくれれれば良かったのに。 「私はアイヌなの」 って。堂々と。胸をはって。
 私たちアイヌは、人間の力の及ばないものや恵みを分け与えてくれるもの、生活に不可欠なものを 「カムイ」 として敬います。ご存じの方もいらっしゃると思いますが 「寒い」 と同じ発音です。人間がカムイを敬うことで 「カムイは人間の思いや希みにこたえてくれる」。 そのように信じているので、自然の摂理のもとでアイヌらしく、人間の役割をまっとうしようという思いを大切にします。人間はカムイに対して人間にすぎませんから――。
 人間は人間にすぎないか……。そうか。何気なく読みすごしちゃったけど、アイヌ・ネノ・アン・アイヌは人間らしい人間、アイヌは人間のことをいうんだから……。私はアイヌ、 「私は人間」 だって美夏子さんは言った、ぼくらに言いたかったのだ。
 アイヌの人ほど、人間であることを真剣に考えて生きている人を、ぼくは知らない。ぼくはこういう事を知るために家を出て天馬にきて、天馬で美夏子さんに会う運命だったのかもしれない。
 シュウヤはバスに乗り込むと、日を追うごとに春めいてきた景色を見るでもなく、どこかに寄って帰ろうという気持ちもすっかり忘れて、たった今図書館で借りてきた本を夢中で読む。
 アイヌであることを誇りとする私たちアイヌは、 「すべてのものが平等な関係にある」 という考えに基づいた生活をおくります。生き物だけでなくまた地球上のものだけではありません。宇宙間に存在するすべてのものです。
 例えば、平等であるはずの生き物を捕らえたり、殺したりして、命をいただくことで人間は生きていけるわけですから、彼らの営みを妨げないように配慮して、その存在を尊重します。また生き物だけでなく、自然現象を含めた全てのものに 「霊魂が宿っている」、 「魂がある」 と信じているので、火や火を使うための什器、水や水を使うための井戸や水道、住まいや住むために必要な家具や寝具、身の回りに当たり前にある日用雑貨と呼ばれるものや、風や雨や太陽の光に至るまで、あらゆるものを大事にして 「感謝とありがとう」 の気持ちを何よりも大切にします。私たちの暮らしはそれらの助けによって守られて成り立っているわけですから――。  
 この本の著者は、いのちに優れつはない、人間が中心の生き方をアイヌは選ばないと、ぼくらに訴えたいのかもしれないな。
 感謝とありがとうの気もちが、美夏子さんの謙虚さにつながっているというのなら…… 

 そうですね。ありがとうの気持や、有り難いなと思うことを感謝といいますね。では、崇哉さん。有り難いの逆の意味をあらわす対義語、反対の言葉は? わかりますか。
 有りがたいは、有るのが難しいって書くんだから………。わからないなあ。
 有り難いが有るのが難しいのなら、 「有り触れた」 になりませんか。ひいては、有り触れていないすべてのことが有り難く、感謝すべき対象になるといえませんか。幸不幸の別なく、すべてのことが……。

 有りふれたことってよくよく考えてみると、無いような気がするんだけど、あんなにつらい思いをしたという美夏子さんは、どんな人や物事にでも感謝できるのだろうか……
「美夏子さんね。アイヌのことを話さなかったばかりに、家を出されてしまったの。だからシュウヤくん。わたしたちで支えてあげましょうね」
 支えるっていわれても、ぼくなんかに何ができるだろう。どうすれば美夏子さんを支えてあげられるんだろう。支えられるようになるんだろう。
(あ。)
 ――変えるんです! わたくし、さ・か・べ、よしゆきをどうか皆さん! 皆さんの代表として国政に送り出してくださーい!
(善行さんだ。)
「電力不足が危惧され、電気料金が高騰する中で国は、安全が確認された原発から再稼働させる方針を示したが、しかし! 原発ゴミの安全な処分の保証のないままでの稼働など絶対にあってはならないし、最終処分場の場所さえ決まる見通しが立たないままでの再稼働など、決して許してはいけないんです! 核のゴミ問題の解決は、原発はNO! そこから始めなければならない状況にきていることを判っていながら、国は、将・来・世・代・の暮らしと安全を無視して、溜まりつづける原発ゴミを二代三代、百代千代、三千代先の世代に先送りし、危険とともに押し付ける! 将来世代の現実など何一つ考えずに安全を言葉にして、面倒ごとは地方に投げる! そんなやり方をわたしは変える! 全身全霊で、わたくしさかべは、さかべよしゆきは変えていく――」
 投票日まで一週間。善行さんの後ろに止まる選挙カーの左右のドアには、 “柿色” の福べこもーもが描かれている。そして、横一列にならんだ幟に書かれた 「真 実 一 路」 の毛筆は…… 「書道は墨を磨ることから始まって、筆に心を伝えるの。誤魔化しがきかないのよ」。 恵加さんの当選への思いと、善行さんの信念が込められている。
 当選ラインぎりぎりだという善行さんもがんばっている。変えようとして守ろうとしている。
 母さんもそう。 「天馬の人」 にもどって、父さんといっしょに、じっちゃんを守ろとしている。みんな変わろうとしているのだ。
 その二人は、日曜日の今日。母さんのお母さんにあたる澪子おばあちゃんと、母さんのお兄さんの耕一郎叔父さんのお墓参りに出かけている。二歳のときにぼくも行ったことがあるという、宮城県にほど近い漁港の町に。佳子ちゃんを誘って。じっちゃんと四人で。
 ツグミはシベリアに帰って行った。昨日じっちゃんの居る老人ホームに退所の手続きに行ったという母さんは、ふる里に帰ってくる。
 じっちゃんも善行さんも、変わろうとしている。伊作おじいさんも。佳子ちゃんだって……退院して療養している美夏子さんも元気になって、
「あら。お帰りなさい。早かったじゃない。どうだった? 巡回バスの乗り心地」
「うん」
「バスが通るようになって、またお寺が賑わうようになったらいいんだけどなあ」
 恵加さんもだ。頼りがいのあるお姉さんから信頼できる大人のお姉さんに変わったと思う。自分の気もちに正直に、一歩踏み出したから。
 昨日の朝は…… 「いい機会だから、お引っ越しのお手伝いに行ったらどう? 自転車で行ける距離だし」 って。両親とやり直すきっかけを作ろうとしてくれた。それからは、何も触れないでいてくれる。恵加さんのイラン、カラプテの気もちがうれしい。
 昨日の夜は、黄色味の強い半月を見上げながら、
(今頃は学生服を着て、中学校の門をくぐっていたんだ……)
 それくらいにしか思わなかったけど、もしかしたら母さんと父さん。ぼくの詰めえり姿を見たいと思っている、どころか学生服を用意したとか!
 あれはたしか、二か月くらい前。二人が莞恩寺に来て、翌々日だった思う。庸道さんが 「ずいぶん背が伸びたようだね。どれ、測って見ようか」 といい出して、恵加さんも 「ほんとうね、肩幅なんか見違えるほどがっちりして。でもウエストは細くなったみたい、わたしと同じくらいかしら。お父さん、胴まわりも――」 って。
 二か月ぶりの望みもしない再会にぎすぎすしていたぼくに、制服の話など言い出せなくて、母さん頼んだんだ、庸道さんと恵加さんに。ぼくのからだの寸法、測ってほしいって。 
 運命を変えたくて家を出てからぼくの暮らしは一変した。変わろうとし変えようとして、変わったのは確か。でも、 【自然とは、無理がなく当然であるさま。】 ぼくは不自然に無理を押し通しただけだった。
「裏山におばちゃんのお花が咲いたよお。」 「見に行きましょうか。佳子ちゃん連れて行ってくれる?」 「うん。」 「崇哉。お前もどうだ?」
 今朝みんなで見に行ったヒトリシズカの花も、周りの誰も彼もが自然に生きているのに、ぼくはどうだ。
 小数の分数換算に円錐曲線の図形の計算、因数分解、一次方程式や不等式の応用、言語社会、英会話形式のリスニングに長文読解に反訳トレーニング、それはそれでその時がきたら、学校で習えばいい。森に入って、鳥の声に耳を澄まして、山菜やキノコを採ったり植物の息吹きを感じて、集会所に来るおじいさんやおばあさんとカステラやお煎餅を食べながら話をしたり聞いたりして、天馬の知らないことや土地の言葉を覚えて、庸道さんに学校では習わない色んな話を聞いて学んで、恵加さんには書道の手ほどきを受け、佳子ちゃんと友だちといっしょにバレーボールでトス回しやスパイクをする、ときどき相談にものって貰う。じっちゃんと伊作おじいさんにも。勉強で分からないことがあれば、美夏子さんに訊けばいい。アイヌのことも。知らないことだらけの美夏子さんの話も聞かないと。教えてもらうばかりじゃなくて。負担にならないように気をつけて。
 学校では習わないことを見て、触れて、感じて、知って、両親とじっちゃんといっしょに暮らす。それこそが自然な、あるべき姿なのかも知れない。
 部屋にもどったシュウヤは月めくりのカレンダーの前に立ち、
「あと二週間、半月だ。ここにいるのも」
 五月のゴールデンウイーク中に、莞恩寺での生活に区切りをつける。そう心に決めた。
 窓外の風景が、すっかり春らしくなった。外にいるより暖かそうに見えて、一月六日に見たそれと明らかに違っていた。
 部屋の中もだ。人が住んでいる気配と温もりがある。
 窓を開けてみる。と、葉を微かにゆらす風のにおいが変わったことに気づいた。やさしい風だ。光がやわらかくて、鳥の声が若々しくて元気いっぱいだ。
「そうだ」
 借りてきたアイヌの本と入れかえに、恵加に借りた国語辞典をシュウヤは手にとった。恵加がいった 「思いやりの心を大事にしてきたんですね、アイヌの方は」
 思いやりの心。 「思いやり」 ということばが気になった。

 【思いやり】 とは。――同情。
 【思いやる】 は。――同情する。

 何だかそっ気ない気がした。それなら、 【同情】 だ。
 他人の苦しみや悲しみなどを、その身になって感じて思いやること。思いやり。
 美夏子の心に触れた気がして、満足だった。
 シュウヤは辞典を返そうと部屋を出かけたところで、庸道の父から庸道、善行へと受け継がれてシュウヤのものとなった、片袖机の脚が畳表を傷めていないかが気になって、回れ右する。
 机の下にもぐり込むと、四本の脚下を、ひとつひとつチェックする。
(大丈夫そうだ。大した荷物も入っていないし。)
 納得して立ち上がろうと、 「!?」 立ちくらみだと思った。が、
(違う!)
「何ぃ!」
「地震だあ! デカいぞおっ」
 砲声が廊下を走る。庸道の自室のラジオが緊急地震速報、緊急地震速報、強い揺れに注意強い揺れに注意、
「もう来てるよっ!」
 頑丈な机やテーブルの下に――身を守る行動を――自分の命を守ることを最優先――家具から離れ//て/// 電波が途絶し、
「恵加さーん!」
「シュウヤくん建物から離れて! 美夏子さん早くう!」
「杉の木だ、カンガスギの下に走れ!」
 天に向かってまっすぐ伸びるご宝樹とも呼ばれる巨木でも、この400、500年の間に、これほどの激震にあったことがあるだろうか。
 僧坊の壁に寄せた三台の自転車が跳ね上がって横倒しになる、最後までふん張っていた残りの一台の所有者、善行の険しい顔がいう――日本は寄木細工のような地層構造だからな。
 縦横も無く押し合い引き合う力に抗いながら、坂と呼ぶのもはばかる坂を上る。地面についた手が赤むけてヒザが痛くて、なかなか前に進まない。サイレンのせいだ、うるさいからだ。けたたましい半鐘が背中を押す。光の矢を斜めにうける閑雅杉は目の前だ、
「きゃー」
「おおいっ!」
 墓石が身悶えるように揺れ、中央にある一基が力を失い前方に崩れ落ちた。それが路傍へ転がる。地層の深部から聞こえる轟音が震怒に、いや悪魔の叫びだ!
「いつまで続くのよお!」
 スギの裾を抱いた恵加は叫び、上方と周囲八方に注意を注ぐ庸道が、
「またか! また同じことをくり返すのかあ!」
 誰へとなく訴える!
 東日本大震災だ。十一年前、一歳の時に起きたという史上最大級の大災害のことを言っているのだ。福島宮城岩手、東北、関東地方が日本がふたたび……。
 庸道の口が 「南無阿弥陀仏」 を称え、 「どうか佳子を救い給え愛する者を守り給え、愛するいのちを救い給えどうか――」 地面にひれ伏す美夏子の姿が、朝の光景を呼び起こす。
(佳子ちゃんも一緒に行く?) (お邪魔になりますよ。) (よし子いい子にしてるもん。お母さんにおいしいお魚を食べさせてあげたいから、私も行くう。)
 静花に腕を絡ませてはしゃいでいた佳子。四年生になったお祝いにと、恵加に買ってもらった空色のワンピースを着、畳の上で嬉しそうにぐるりと回って見せた佳子の笑顔が、怯えた顔に、
「やめろお!」
 幹をつたい天に引き上げられた祈りが、地中にいる震源のあるじに届く気がしてシュウヤも、 「あみださまどうぞよろしく、あみだぶつさまどうぞよろしくどうぞよろしくお願い、」
 ぼくには話さなきゃ、いけないことが……
(じっちゃん。父さん、仕事どうするんだろう。) (いわきの支店に転勤さ申し出て、連休明けから働くそうじゃ。部長などやりたいモンがやりゃええ、ぼくには係長が性分に合ってる、と笑って話しとった……) 
「ぼくには話さなければいけないことが、山ほどあるんだあ!」
「帰るのよ佳子! 拓夫(たくお)お! 帰ってきてえ!」
「大丈夫よ、ぜったい帰ってくるから!」
 じっちゃんがいるから大丈夫、母さんと父さんがいるんだ、母さんが、
(おばちゃんのお名前って、ヒトリシズカのお花からとったんでしょう?) (そうよ。おじいちゃんがつけてくれたの。) 佳子ちゃんを見る母さんの目は、美夏子さんと同じだった、父さんも嬉しそうだったな。 (ヒトリシズカの花言葉を知っているかい?) (わからなーい。) (愛にこたえて、だ。)
 愛に答えてほしいのか、応えたのかどっちだ! 
「やめろ! 止まれえ! 止まってくれよお!」
 アイヌにとって自然は畏敬しまた畏怖すべき存在です。ですからアイヌは祈りを欠かしません――「愛するいのちを守り給え愛するいのちを守り給え、愛するいのちを、すべてのいのちを救い給え、 we live to the Load and die to the Load, we live to the Load, we live to the Load! so therefore! Father! ですから、神さま! お願い神さまあ!」
「ぼくの故郷になる天馬を、壊されてたまるか!」
「子どもたちを、私の子どもを返してえ!」
 美夏子の首に巻かれたスカーフが、剥き出しの木の根に落ちる。半鐘を打ち鳴らす音の間隔が空き、若干小さくなった。
「大丈夫、もう大丈夫だっ」
 美夏子の胸に抱かれたホトが、おびえた眼をシュウヤに向ける。揺れはおさまったが、まだ揺れている。 「愛するいのちを救い給え子どもたちのいのちを、すべてのいのちを守り給え救い給え、天の父なる神さまどうか愛するいのちを、」
「大丈夫、大丈夫だからしっかりするんだっ」
「しっかりして、美夏子さーん!」
 白い蝶が美夏子の頭上で舞うように円を描き、高台へ飛んで行く。チラチラと飛ぶ蝶をホトの目が追う。
 半鐘は遠くのほうで一、二カ所鳴るだけで、サイレンはもう聞こえない。枝をしならせて危急を訴えていた木々も鳴りを潜めた。
 シュウヤは美夏子の正面に立って、やさしく言った。
「おさまったよ、おばさん。もう大丈夫だから」
「拓夫お……」
 美夏子はうっとりとした目でシュウヤを見、そのからだをぐっと引き寄せシュウヤを抱いた。その腕には 「ぜったいに離さない」 という思いが込められていて、痛いくらいだ。
 でも、この春いちばんヒトリシズカの(かお)る日だから……
「顔をあげてみて。いい匂いがするから」
 シュウヤはさわやかな春の香りを胸いっぱい吸い込んだ。美夏子は春光に目を細めながら、じれったいほどゆっくりと、シュウヤを見上げる。
「今年の一人静は、いちだんと芳しい香りがするね」
 庸道はいい、久しくそうしていなかったヒトリシズカの芳香を目を閉じて楽しんだ。
 と、野原のほうの空高くからヒバリの声がはっきり聞こえた。
 恵加は美夏子の隣りにしゃがんで、その首にスカーフをあてがいながら息がかかるくらい顔を寄せていう。
「なぐさめに来てくれたのね。元気を出して。大丈夫だよって」
 シュウヤには、美夏子を励ます子どもの声に聞こえた。お母さんから離れまいと必死になって泣く、男の子と女の子のいたいけな声に。
「みんなが帰ってきたら、いっしょに見に行きましょうよ。ね、美夏子さん」
「こんなに春らしい陽気の日は、大志山の眺めが格別だからねえ」
 庸道の見上げる空は、凪いだ海のようにおだやかに晴れわたっている。
「それならさ、足を伸ばして桃源郷にも行ってみない?」
「いいわね、黄色い菜の花一色だっていうし。行こ、行こ」
 うれしそうに恵加はいい、庸道は大きく、美夏子はぬれた目尻に指をあて、それからしっかりうなずいた。
 シュウヤは思った。
 今日だったら天馬に会える。おおぞら駆ける天の馬に、希望を叶える天の馬に。ぼくらの希望のま白い馬に!
 ホトみたいな、つぶらな瞳の……


 2011年3月11日金曜日14時26分。宮城県牡鹿半島沖東南東130㎞、深さ57㎞を震源とする巨大地震は、東北地方太平洋沖地震、東日本大震災と名づけられた。
 多くの命をうばった未曾有の巨大地震は、数多のいのちの運命をたがわせ、日本人の性質を変えた。
 そして――2022年3月現在――いまだ 「二千五百二十三人」 もの行方が明らかになっていない。

 だから、美夏子は祈りつづける。
  愛するいのちを救い給え
愛するいのちを救い給え
愛するいのちを救い給え
救い給え あなたの愛するすべてのいのちを

 美夏子の信じる神に向かって。
 拓夫が帰る日を信じて。
 すべてのいのちの帰郷を信じて。

                               了
 

一人静の花かおる

【参考資料】
・「観無量寿経」をひらく/釈撤宗(NHK出版)
・浄土三部経/大角修/(角川ソフィア文庫)
・よくわかる浄土真宗/瓜生中(角川ソフィア文庫)
・声に出して読みたい親鸞/齋藤孝(草思社文庫)
・いまこそ読みたい歎異抄/満井秀城(法藏館)
・法然を読む「選択本願念仏集」講義/阿満利麿(角川ソフィア文庫)
・ブッダ伝 生涯と思想/中村元(角川ソフィア文庫)
・よくわかるお経読本/瓜生中(角川書店)
・キリスト教の歴史2/高柳俊一、松本宣郎(山川出版社)
・色で見わけ五感で楽しむ野草図鑑/藤井伸二監修・高橋修著(ナツメ社)
・樹木ガイドブック/平野隆久(永岡書店)
・フィールドガイド日本の野鳥 増補改訂版/高野伸二(日本野鳥の会)
・今こそ知りたいアイヌ/時空旅人編集部編(サンエイ新書)
・アイヌの世界観/山田孝子(講談社学術文庫)
・アイヌ童話集/金田一京助・荒木田家寿(角川ソフィア文庫)
・アイヌ民族抵抗史/新谷行(河出書房新社)
・近代北方史―アイヌ民族と女性と(三一書房)
・核のゴミ__「地層処分」は10万年の安全を保証できるか?!/古儀君男(合同出版)
・決定版 原発の教科書/津田大介、小嶋裕一編(新曜社)
・原発ゼロ、やればできる/小泉純一郎(太田出版)
・福島県の歴史/著者多数(山川出版社)  
・十五年戦争を中核とした日本近現代戦記年表及び資料集/秋邑茨改編
 __他。

一人静の花かおる

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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