ハムピクミン堕落論
スタ・モルモル教授(33)の独白的論文的序文
半年の内に世相は変わった…。
かつて世間はそれを念頭において行動しないといけないほど影響力が強まってもはや新しい倫理を創出し4000年代から1000年間弱においてハムピクミン学会が世間というものを掌握しました。その1000年間の間、仮初のハムピクミンに対する論議が行われたがそれは今みなの中では仮初だということがハムピクミン自体という事象ぐらい自明なことになりつつある。このポスト・ハムピクミン期と呼ばれる時代はハムピクミンの倫理的拘束から脱却し人々がハムピクミンという大きな物語無しで生きなければならない時代となっている。これは2000年前にも同様なことが起き、真実からポスト真実へという言葉に言及されていた。ここではその詳しい説明は省くがその教授に倣って私はこの時代をハムピクミンからポスト・ハムピクミンへという言葉で形容した。『ポスト・ハムピクミンの倫理学』
読者諸君はハムピクミン論争期を歴史の教科書で知りハムピクミン崩壊黎明期に生まれた者がほとんどであるだろう。革新派は未だにあの歴史を忘却するなと主張しているが我々がかつて対峙していたのは歴史ではなく一種の倫理であった。その倫理は我々を構築し、我々の方向を決定づけた。ハムピクミンという構造を過去を一瞥することによってのみ認識できるようになった。まるでだまし絵のように。
我々がこの新たな倫理の時代をどう生きるかというのは知りえないと言っても良いだろう。前述したように倫理とは過去を一瞥したときにその"距離"によって浮き上がってくるものであるからだ。最後にモル田超大作先生に感謝を込めて筆をしまうことにする。
ハム・H・ハムによる歴史的回顧
あれは突然でした。
私は『ニューハム騒動のすべて』の刊行に立ち会った伝説の傭兵ハム・ピースを知っていました。4400年を以て終結したとされたニューハム騒動は木の葉の裏でその灯火を人知れず燃やし続けいつの日かその乾燥した日に山火事となるように、その世界(もはやあれはこの世界ではありません)の終末のラッパのような役割を果たしました。
彼らの目的はそれ自体にあるのではなく歴史に事実を残すことだったのだといまちょうど気づきました。彼らは1度死んだあと墓場から蘇ってきたのです、あるいは野に捨てられた飼い犬が仲間をつれて飼い主を噛み殺すようなそんな物語を描いたのでした。"超ハムピクミン大革新"はもはや過去のものとなり、ハムピクミンとはもはや私たち人間が残しただけの遺産であることがわかりました。私の父親は後期ハムピクミン紛争のチェ・ハムラの部隊で活躍しました。彼らはあらゆる情報思念体としてのハムピクミンを拉致し3日ハムスターの滑車に監禁したのち、バトルロワイヤルをさせるという方法で情報思念体ハムピクミンを撃滅しました。このやり方は後に非倫理的だ、と非難されたものの第1次復古ニューハム学会論争で「倫理というのは君ではないのか」という捨て台詞を吐いて勝利しこの情報思念体ハムピクミン撃滅法は理科の教科書に載るほどの歴史的快挙として正当化されました。しかしこの戦いで網膜と左の腎臓を失った彼はすぐに自殺してしまいました。あの、かの"ハムピクミン恐慌"…。これは祖父の時代の話ですが、彼は生前私に「あの恐慌が私に時代の終わりを告げた」ということを何度も言いました。
その後秘密結社ハムハムの解体がモルモット亜派の私兵隊モルピクミンによって行われ、連日にニュースになり祖父もそれを見に行ったそうです。ピクハム教の『最低の夜明け』に対して568年振りに出された批判論評『ハムピクミンとはハムニズム(ハムスター主義)である』に呼応した若者たちはその日の内に街のハムピクミン原理を破壊し尽くしました。これが崩壊黎明期という時代です。私たちはこの崩壊黎明期から3代に渡って時代を終わりを予感していました。そしていま気づいたらそこに立っていたのです。私たちの頭のなかの出来事だったと思われたものは、いまここに現実となって屹立していたのでした。
ハムピクミン堕落論