掌編集 5

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某サイトの『お題』で書いたものです。なので、ジャンルはめちゃくちゃです。

41 吾亦紅《われもこう》

 ひとりで墓参りに来たのは何年ぶりだろう? 

 結婚して20年。子どもはできなかったけど、うまくいっていると思っていた。
 ふたりで頑張って家も買ったし、頼れるのはお互いだけだから、毎年人間ドックも受けていた。
 義母も看取った。義姉達とも、甥や姪ともうまくやってきたつもり。
 

 単身赴任してたけど、まさかこうなるとはね。
 怒ったり、反省もしてみたけど、メールを見て、もうダメだと思った。 
 子どもにも懐かれているし……

 だから、決心するために、ここに来たの。
 

 ︎

『吾亦紅』
歌:すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也
作曲:杉本眞人

https://youtu.be/ezrjjvb4TKY

『吾亦紅』は、初回発売枚数はわずか258枚だったが、2007年3月に北海道のSTVラジオに於いて公開生放送の弾き語りライブをオンエアしたところ、放送中にもかかわらず問い合わせが殺到。 
 徐々に人気を博し全国に飛び火した。

 同年12月24日付のオリコン総合チャートで登場34週目にして7位を記録し、初のTOP10入りを果たした。紅白出場後その注目度は一気に高まり、総合チャートでも2位に記録を更新、演歌・歌謡チャートでは15週連続首位を記録するなど、記録的なヒットとなる。
(Wikipediaより)

42 ババアと言われて

 ブティックに勤めていた頃、店長に頼まれワインを買いに行った。
 彼女は毎日赤ワインを1本飲む。買い置きしないのは1本以上飲んでしまうから。

 ドンキホーテが品切れで、少し遠くの酒屋まで行った。いくらか高くなるが。
 時間がかかってしまったので、帰りの信号が変わる前に一歩出た。
 女子高生の乗った自転車がスピード出してきて、ぶつかりそうになった。
「あぶねえな、ババア」
 娘と同じくらいの女子高生。
 
 店長と出かけた。まだパスモやスイカのない時代。切符売り場で手間取っていたら、後ろの若い男の子が言った。
「ババア、モタモタしてんじぁねえ」
 怒った店長は言い返した。
「今、なんて言った?」
 60歳近かったが、すごい威圧感。目力。
「今、なんて言った?」
 若い男の子はスゴスゴといなくなってしまった。
 その話はしばらく、店での自慢話になった。

 ああ、強く、生きたかった。

43 むかしむかし

 海を見ていて思い出した歌がある。
 中学の音楽の時間に習った。
 合唱コンクールで歌ったから歌詞も覚えている。

 しかし、歌詞を貼り付けてはいけない。
 著作権というものがあるのだ。

 マンドリンを持って海辺へ行く。
 竪琴ではない。
 鈍器ではない。楽器だ。
(わかってくれる方いるかしら?)

 もうすぐマンドリンの発表会なのに、孫の世話で海辺の息子の家に3週間も滞在した。
 皆に遅れをとってしまっていないだろうか?
 今回は歌も歌う。
 中学のときに習った『むかしむかし』という懐かしい歌。
 

 とおいとおい昔 夜の浜辺で
 若者ただひとり 竪琴を弾いていた

 歌詞も2行なら著作権を侵害しないのかしら?
 歌詞から一部を切り取っても、その結果が「ごくありふれた表現」だったりしたら、著作権を気にせずに利用していいらしい。

 この歌はイスラエル系の民謡で、パブリックドメイン…… 著作権はすでに消滅しているはず。『桃太郎』と同じ……でも訳詩は?
『むかしむかし』久野静夫 訳詞



 夜は明けて砂浜に のこるマンドリン
 その日からばあさんを 誰も見ない

44 問い

 海を見ていて思い出した詩がある。

 詩は苦手だった。
 書けないし。読んでもわからない。

 中学の頃は少し読んだ。
 高砂(たかさご)さんという文学少女と親しくなり影響された。
 彼女は詩を暗誦した。コーラス部なので歌もうまかった。
 国語の時間には
「高砂、歌え」
と、なんの流れでか先生に言われ、臆せもせずに歌った。
 なぜか『ステンカラージン』

 高砂さんはハイネの詩集を読んでいた。私に貸してくれた。
 私は……読んでもつまらない。
 ペラペラめくり、終わり。
 ところが、その詩だけは浮き上がって見えた。


 問い 

 寂しい夜の海ぎしに
 若者が一人立っている
 胸には愁いが充ちており 頭は懐疑でいっぱいだ
 若者は憂鬱な声で波に問う

 「人生の謎を解いてくれ
 …………
 …………
 …………(5行省略)
 一体、人間の意義とはなんだ?
 人間はどこから来て どこへ行くのだ?
 あの天上の、金に光る星々には、何者が住んでいるのだ?」

 波は果てしない呟きをくり返し
 風が吹き 雲が飛び
 星々は光る 無関心に冷たく
 
(次ページへ)

 そしてひとりの愚者が返事を待っている


 この詩をそばに置いておきたくて、文庫本を買った。
 見事に変色したページ。180円でした。

45 わらばんし

『余白』といえば、中学の数学の先生を思い出す。
 1年の2度目の授業で、予習をしていかなかった生徒はこっぴごく怒られた。怒られたのは男子生徒だったけれど。
 怖くて、数学だけは勉強した。

 2年になると、その先生が担任になった。
 試験前には、わら半紙を数枚配る。それの表と裏に余白がなくなるまで、勉強して書いて埋めて提出させる。
 1枚でさえ埋めるのは大変だ。
 英文を、漢字を、公式を言いながら何度も書く。書いて余白を埋める。

 当時、紙といえばわら半紙だった。少し茶色っぽいきれいではない、B4の安価な用紙。
 先生が作る試験問題もわら半紙だった。

 私はその先生が担任になってから、成績が伸びた。1年の時の担任に褒められた。その先生は国語の先生。私は国語は元々得意だった。
 2年の、癖のある国語の先生の試験で100点を取った。私ひとりだけだったらしい。

 翌年の年賀状の、ある男子の文面は今でも覚えている。

「おめえ、頭いいなあ。
 うんこちんちん
 今年もよろしく」

 家族全員が読んで笑った。
 相手は私よりずっと勉強ができた。医者を目指していた。
 

46 1曲だけ

 この夏は無事に越せればいい。もう、歳だから……
 先日の朝、はりきってウォーキングして具合が悪くなったので自信喪失。暑い日中は部屋で退屈している。
 これが、自分ひとりだと天国なのに。  
 好きな音楽をかけ、下手なピアノを弾く。ドラマや映画を観てウトウト、思いついたら執筆。 

 ところが、退職したじいさんがいる。
 早朝バイトをしているが、5時からだから、10時前には帰ってくる。(お疲れ様)
 それからは、狭いマンションでジトーっと一緒にいる。テレビはずっと点いている。
 

 もう、四半世紀前、子どもたちが習っていたピアノを辞めた。それと入れ替わりに、私が習い始めた。 
 聴くのは大好き。子どもに上達して欲しいから、そばで見ていて、楽譜も読めるようになっていた。
 習えば実力よりはるかに難しい曲を弾きたがる。ベートーベンの『月光』の第1楽章とか。

 発表会に出ることになり、左手のオクターブも届かないのに頑張った。  
 夏が来ると思い出す。あれほど頑張ったことは部活でもない。子どもたちにも言われる。夏が来ると『月光』を思いだす、と。おかあさん、よく弾いてたよね、と。
 開かなかった左手が開くようになる。
 録音して、聞いてみる。

 発表会当日は、上がってラストを2度繰り返してしまった。焦ったが、先生以外には気付かれなかった。

 あれから十年以上習ったのに、そのあとも
弾いていたのに……
 なにが弾けるの?
 暗譜で弾ける曲はない。

 今年はほとんど鳴らしていない。
 弾かない日が続いている。
 
 また挑戦してみようか?
 1曲だけでいい。これだけでいい。
 あんなに頑張ったあの曲だけは、もう1度弾けるようになりたい。

47 熱いんです

 子どもの頃、母は麺つゆなど買わなかった。そーめんより冷や麦が多かった。少し太めの麺。ピンク色の麺が数本入っていて、それを姉と取り合う。
 今思うと、なんて幸せな子ども時代。

 子どもの頃は冷たいつゆで食べたかった。
 早くに煮立てて冷ましておけばいいのに、かあちゃんのものぐさ……

 母の麺つゆは具沢山。入っていたのは、たぶん、脂身の多い安い豚コマ。
 一緒に肉屋に行くと、切り身や、薄切り肉でさえ、買うことはなかった。
 豚コマ100か200グラム。切り落とし、ね。
 それが当たり前だと思っていた。
 魚屋では、マグロのブツ。刺身なのだが、やはり切り落としだったのか、大きなサイコロの形。
 友達と、しりとりをして『ブツ』と言ったら、『なに?』と言われた。
 彼は、マグロのブツを知らなかった。あーあ。

 それで、そーめんのつゆは、鍋に水を適当に入れ、豚のコマと、ありあわせの野菜を入れる。にんじん、椎茸、タマネギ、インゲン……調味料は醤油に、ミリンなんて使ってたのかしら? だしは?
 鰹節を削るのはよくやらされたけど。
 あとは、手伝いしなかったからわからないや。
 文句ばかり言ってたから。

 最後に卵を入れて止める。
 

 それを思い出し作る。
 よく作る。
 
 それが、孫たちに評判がいい。
 おばあちゃんちに行ったら、アレが食べたい、と言うのだそう。

48 シンパシー

『哀れみの涙 Sympathy』は二十歳の頃、渋谷陽一さんのラジオのロック番組から流れてきた。
 出だしで惹きつけられた。
 その頃は1位ディープ・パープル、2位レッド・ツェッペリン、3位クイーン。その入れ替わり。
 ユーライア・ヒープなんて知らなかった。今でもこの曲以外はあまり知らないが。
 すぐにアルバムを買いに行った。聴いたのは
 ユーライア・ヒープ 『ファイアーフライ』 (LP, Warner P-10312B, Japan) 1977/03/2
 3. 哀れみの涙 Sympathy (Hensley) 4:48

「サウンド、そしてヴォーカルのメロディ・ラインがとても綺麗な曲。Mick Box と Ken Hensley のツイン・ギターの美しいハーモニー、John Lawton の究極の凄みを聴かせるヴォーカル...ハード・ロックの美しい部分を全て凝縮したかのような超名曲」

「数あるURIAH HEEPの名曲の中でも最も愛して止まない永遠の名曲。イントロ聴いただけで条件反射的に涙腺が緩み、楽曲クライマックス部分におけるジョン・ロートンのコブシが回りまくる入魂のシャウトには、聴く度に悶絶を誘われ、毎回滂沱の如く涙を流しております。 (この曲を聴け 火薬バカ一代さんより)」

 年月が経ち、レコードプレイヤーがなくなり、手持ちのレコードも処分した。
 40年以上が経ち、YouTubeを検索するようになって思い出した。
 
 ああ、再びの『Sympathy』
 消えてた花火に火がついた。さらに熱を込めて。
 皆に聴かせたい。
 うちの夫にはただの騒音だから。

https://youtu.be/tZ-0PwWhGMs

https://youtu.be/MhI583sANAk


「元ユーライア・ヒープのヴォーカリスト、ジョン・ロートンが74歳で逝去。
 2021年6月29日、ジョン・ロートンが突然、全く予期せぬかたちで亡くなったという非常に悲しいニュースを、深い遺憾の意をもってお伝えします。
 報じられている内容とは裏腹に、病気ではなかったため、彼の死は理解しがたいものとなっています。彼は妻に見守られながら安らかに逝きました。
 彼の死は大変惜しまれることでしょう。ジョンの人生を祝福するための葬儀は、本人の希望通り、家族と親しい友人のみで執り行われます」
https://www.udiscovermusic.jp/news/john-lawton-uriah-heep-dead-74?amp=1

 ああ、また、好きだったアーティストが、逝ってしまった。

49 匂いに敏感

 制汗剤が登場したのは1974年。
 半世紀前の高校で、体育のあと制汗剤の香りを漂わせていた生徒がいただろうか?

 高校の体育は男女別で、隣のクラスと一緒だった。着替え時間は移動と合わせて10分しかない。
 ロングヘアーの、のんちゃんは、脇にスプレーしていた。マウスウォッシュもしていた。脱毛ワックスも使っていた。
 私は無頓着だったなあ。
 匂いに敏感だったのんちゃんは、ラグビー部の奥田君が◯う、と言った。私が好きだった男子。
 のんちゃんが好きな先輩は……部活の先輩の……名前が出てこない。50年も昔の先輩の名前……ああ、大田先輩。
 大田先輩は独特な匂いがするのだとか。部長でも副部長でもなく、目立たない、けれども男っぽいその先輩をのんちゃんはずっと好きだった。
 
 半世紀前の高校。エアコンは職員室にしかなかった。水は水道水を蛇口から飲んだ。
 ドラッグストアーなどなく薬局、薬屋さん……
 店員が男性だと、◯◯用品も恥ずかしくて買えずに出てきた。

 
 働いている施設では、男性職員は汗を吹き出して働いていた。シーツ交換、入浴介助、移乗。汗臭いのも体臭も仕方ないと思う。
 しかし、忙しすぎても、シャワーも浴びてこないのはご勘弁。
 だから、夫には夏場は朝、シャワーを浴びてから出勤させた。
 これが、息子や娘には当然のこと。学校に遅刻しようが朝シャンのが大事。カバンの中にはいろいろなスプレーが。

 女性職員の時は、スタッフルームを開けた途端にムッとする匂い、香り。
 介護施設なのにきつすぎないか? 
 柔軟剤か、オーデコロンか? 整髪剤か?
 誰も匂いには文句を言わない。

 数年前、娘が妊娠中に実家に来た時のことだ。初期の妊婦は匂いに敏感だった。洗剤やシャンプーの匂いまで耐えられず変えていた。
 比べて私は鈍感だった。マンションのエントランスの匂いが異様だったのに、すぐそばの畑で撒いた肥料だと思っていた。
 娘は家に入るなり言った。
「すごい臭いだよ。動物でも死んでるんじゃないの?」

……まさか……ね?
 

50 気力と覚悟

 今年はダメだ。もう歳だから、と言い訳をする。
 
 息子家族が歩いて45分のところにいた頃、よく孫の子守りを頼まれた。保育園なのに熱を出す。園で測って37度5分以上だと帰される。
 お嫁は働いていたので電話が来る。
 私はタクシーを呼び保育園で待っててもらい、嫁の家で6時過ぎまで子守り。
 タクシー代でお嫁の日給の3分の1。
 なぜ、自転車で行かないのか?
 私は乗れないのだ。

 だから、歩く。朝から子守の日は歩く。どんなに暑くても猛暑日でも歩いた。バスはないのだ。 
 過去のことだ。もう5年くらい前。まだ少し若かった。
 首に保冷剤を包んだスカーフを巻き、飲み物に氷を入れ、氷嚢を持つ。

 猛暑日、それができた。気合いと覚悟と孫に会える楽しみ。
 今は遠くに引っ越してしまった。
 子守された記憶はぜんぜんないらしい。

  
 こちらはまだ一昨年のこと。もう十年も前のことのように思える。
 ゴルフを始めて1年が過ぎた頃。(老後に同じ趣味がないとまずい、と夫がいい出した)
 6度目のラウンドは過酷な真夏の早朝スループレー。
 5時スタート、休憩なしの18ホール。調子にのってしまった。安いし、少しでも涼しいうちに、と。
 やり終えることができるだろうか? 年齢を考えもせず。

 さて、真夏のスループレイが決まってから、歩き始めた。
 速めのスピードで1時間。仕事の日は夜に。休みの日は朝も晩も。
 目標ができると食事の後片付けも早い。スポーツセンターでは少年たちがサッカーの練習。その周りのコースを走る人、歩く人。
 私は500メートルを小走り、そして来た道を戻る。汗びっしょりだ。汗をかかないばあさんが。 
 この頃は仕事中でも汗をかくようになった。体温が36度を越えるようになった。

 そして迎えた、連続の猛暑日の早朝プレー。
 夜中に起きていくのはなんでもない。いつだって眠れないのだから。その日も3時間くらいしか眠れなかった。
 ゴルフウェアを着て行く。更衣室は使えない。ゴルフバッグも自分でおろす。
 前の組はふたり。上手だから早い。後ろの組は4人。待たされず、追いつかれず。私の腕も多少上がり、スムーズに。
 前半はまだまだ暑くはなかった。太陽が上り眩しくてボールが見えない。
 徐々に気温が上がっていく。休憩なしだから着替えもできない。足は平気だ。カートに乗れないほうが多いが大丈夫だ。
 腕が辛くなる。腕だけで打っているから。それに、ドライバーのあとはクラブを3、4本持って小走り。足は平気だ。鍛えた成果。
 顔に太陽が……
 顔が赤いけど大丈夫か? とじいさんに聞かれた。体調は問題ない。焼けてもマスク生活だからまあ、いいか。

 無事終了。やり終えた。足は余裕。でも腕が痛い。次は腕を鍛えなければ。力を抜けるようにしなければ。
 シャワーを浴びる。来ていた服も下着もびっしょりだ。スコアはまだまだだが、前回よりは内容はいい。

 12時前に帰ってきた。これは効率がいい。また行こうか。
 体重を計った。過酷なプレーに食事も少なめ。なのに減っていなかった。体脂肪が少々落ちただけだ。
 痩せなくてもいい。これだけの体力が維持できるのなら。
 
 なんて思ったのは、一昨年のこと。
 昨年は腰を痛め、今年は初っ端からめまい。
 先日は頑張ってウォーキングすれば具合悪くなるし……もう、娘に、歩くのやめろ、と言われるし。

 でもね、こっそりジムに行き始めたの。区のトレーニング・ジム、1回300円。
 退屈地獄のじいさんを連れ出し、正味一時間。無理せずに、週に2回。
 行くのは嫌がるじいさんも、帰りの気分は爽快、酒がうまい。
 このじいさんは、2か月で2キロ以上体重が落ちた。なぜ? 私は変わらないのに。

 退職して誘われた暑気払い、半年ぶりで会った皆に、若くなったと言われ、喜んでいた。

掌編集 5

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  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 41 吾亦紅《われもこう》
  2. 42 ババアと言われて
  3. 43 むかしむかし
  4. 44 問い
  5. 45 わらばんし
  6. 46 1曲だけ
  7. 47 熱いんです
  8. 48 シンパシー
  9. 49 匂いに敏感
  10. 50 気力と覚悟