お気に入りの音楽 81〜85
81 交響曲第5番 第4楽章
交響曲第5番をYouTubeで検索すると、ベートーベンが延々と続く。それからチャイコフスキー、ショスタコーヴィチ。
よそのサイトに『交響曲第5番』というタイトルの小説があった。まさかマーラーじゃないよな、と読んでみたら5番のアダージォ。
流れていたのは、初めて行ったソープランド……
怒り心頭……でも、素敵な悲恋の物語だった。
ウォーターボーイズの場面でも使われていた。
伊丹十三の『たんぽぽ』でも。
『ベニスに死す』のイメージが強過ぎて、使ってほしくないと思ってしまう。
関係ないけど、以前食の番組で、まずいとバッハのシャコンヌが流れるのというのがあった。おいしい時はなんだったかは忘れたけど。
バッハに対する冒涜だ。失礼な番組、と思っていたら、流れなくなった。
苦情があったのだと勝手に思っている。
私にとって5番といえばマーラー。マーラーの第4楽章。映画『ベニスに死す』のテーマ曲です。
『ベニスに死す』は、1971年に公開されたアメリカ資本のイタリア・フランス合作映画。監督はルキノ・ヴィスコンティ。テーマ曲にグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」を使用し、マーラー人気復興の契機となったことでも名高い。(Wikipediaより)
映画『ベニスに死す』予告編
https://youtu.be/P8snvOmA0Rc
静養のためベニスを訪れた老作曲家は、ふと出会ったポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出す。以来、彼は浜に続く回廊をタジオ(ビョルン・アンドレセン)を求めて彷徨うようになる。
ある日、ベニスの街中で消毒が始まる。誰も真実を語らない中、疫病が流行していることをようやく聞きつける。それでも彼はベニスを去らない。
白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、死臭漂うベニスを彼はタジオの姿を追い求め歩き続ける。ついに彼は倒れ込み、ひとり力なく笑い声を上げる。翌日、疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら彼は死んでゆく。
マーラーの第4楽章は、この映画の感情的表現において、ほぼ主役ともいえる役割を果たした。
morte a venezia
https://youtu.be/R3HTLp-g9NI
【MAD】Death in Venice【Tadzio】100221
https://youtu.be/tNyt7VLZNZY
当時、名画座でこの映画が放映されると、立ち見客まで入って混んだ。美少年がアップになる場面でシャッター音が。
まだビデオもない時代。私はテレビで放映された時に画面を撮った。
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1900年、マーラーは知り合いの家に食事会に招かれた。そこで、アルマ・シントラーという女性と出会う。彼女は当時、「ウィーン一の美女」と評判の女性で、20世紀はじめのウィーン芸術界のミューズでもあった。
知性、そして芸術的才能に恵まれたアルマは、ピアノ、作曲活動を行っていたが、マーラーは彼女に会って数ヵ月後、早くもプロポーズ。アルマもすぐにこれを受け入れた。
さて、このアルマという女性。アルマは少女時代から、絵、文学、哲学、作曲に才能を発揮。そのうえ、大変美しく多くの男性芸術家をとりこにしたという、いわゆるファム・ファタール<魔性の女>。作曲家のツェムリンスキーや画家のクリムトなど…多くの男性との浮名を流していた。
二人は結婚後、子供にも恵まれ一見すると幸せな結婚生活を過ごしているように見えたが、アルマは「グスタフ、私のように飛ぶのが好きで、華やかな色が好きな鳥を、どうして鎖につなぐの……」と日記に書き残している。
マーラーは指揮者として大変多忙な生活を送っており、アルマにもその生活のペースにつき合わせていた。
仕事で忙しいご主人が、奥さんの話になかなか耳を傾けない……自由人のアルマはマーラーとの結婚生活に不満をもっていたのは確かなよう。
そんな不協和音が流れていく中、アルマはオーストリアの療養地でヴァルター・グロピウスという建築家と出会い、不倫関係に陥ってしまう。
マーラーはグロピウスがアルマに送ったラブレターをある日発見し、アルマに詰め寄った。しかし、アルマはそれまでの結婚生活の不満を爆発させてしまう。
マーラーは自分がどれだけアルマを傷つけてきたかに気づいたものの、自身の心にも深く傷を刻んでしまう。精神的にすっかり参ってしまったマーラーは、あのフロイトからカウンセリング治療を受けることになった。
しかし、アルマの不倫はその後も続き婚姻関係は続いていたもののマーラーの孤独はますます深くなり、1911年、享年50歳という若さで亡くなった。
マーラーは交響曲を9番まで書き残したが、最も有名な第5番はアルマと出逢った頃に書かれた。そして、特にその第4楽章はクラシック音楽では稀に見る官能的で頽廃的な傑作として大変有名。この第4楽章こそ、アルマへの愛の調べだったとも言われている。
マーラーが亡くなった後、アルマは画家ココシュカとの恋愛を経て、例の不倫相手グロピウスと再婚。その後、詩人フランツ・ヴェルフェルと再再婚。84歳でその生涯を終えたアルマ・マーラー・ヴェルフェルのお墓はウィーンのグリンツィン墓地にあり、マーラーと背中合わせに眠っている。
https://columbia.jp/joshicla/classics05.html
(アダージョと重複します)
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さて、彼(ビョルン・アンドレセン)はその後どうなったか? ドキュメンタリー映画が公開された。映画『世界で一番美しい少年』は、ビョルンの波瀾万丈の半生(転落と再生)を追った作品だ。
『世界で一番美しい少年』いま明かされる、ひとりの少年の栄光と破滅…。
https://youtu.be/E1slaCx2pUg
観たいような観たくないような……パソコンが家にきて、ホームページで最初に検索したのがビョルン・アンドレセンだった。Windows95……
全然ヒットしなかったが、今では変貌した写真まで載っている。
「あの映画に出演したことは後悔していないよ。でももし15歳に戻れるなら、NOと言うだろうね」
大人たちに性的に食い物にされた“世界一美しい少年”~『ベニスに死す』ビョルン・アンドレセン 【毒家族に生まれて】
50年前、「ルーヴルに飾るべき」とまで評された美少年の人生は、名声と引き換えに汚された。
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g35475943/born-into-a-whutering-family-bjorn-andresen-210216/?slide=1より引用
82 『シャイン』ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番
今回も映画の話です。
『シャイン』 実話です。
この映画を観て、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を知りました。(2番は有名)
毎日聴いていました。ジャクリーヌ・デュ・プレのエルガーのチェロ協奏曲と交互に。(こちらも映画の影響)
『シャイン』(Shine)は、1996年のオーストラリアの伝記映画。監督はスコット・ヒックス、出演はジェフリー・ラッシュとアーミン・ミューラー=スタールなど。
オーストラリアの実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いている。主演のジェフリー・ラッシュは第69回アカデミー賞主演男優賞をはじめ多数の映画賞を受賞した。
メルボルンに生まれたデイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。
才能を発揮し、天才少年と呼ばれた彼は、アメリカ留学の話を薦められるが、父親が経済的な理由と、自分から離れていく事をよしとせず断ってしまう。
しかし、コンクールでの演奏が評価され、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がると、父親の反対に逆い、家を飛び出す形でロンドンに渡る。
ロンドンでピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの、その後精神に異常をきたし始める。
地元に戻り精神病院に入り、一進一退が続くが、療養所の女性に引き取られて退院し、ある日バーでピアノを弾き始め、それが新聞で話題に上り、再び演奏家の道を歩もうとし始める。
引用:シャイン (映画)
バーでの演奏
https://youtu.be/y5rXLAPsgJc
演奏はヘルフゴット自身が行なっており、手のみのシーンは本人のもの。
なお、ヘルフゴットを描いたドキュメンタリー映画『デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり』が、2018年3月に公開されている。
主役を演じたジェフリー・ラッシュは、14歳までピアノを習っており、この映画のために数十年ぶりに練習を再開した。
映画『シャイン』のコンクール場面です。
Shine - Rachmaninoff Piano Concerto 3
https://youtu.be/N29WamXg4pY
来日した時に聴きに行きました。まさか生で聴けるとは思わなかった。
ちょっと奇抜な衣装。動作。
すごかったです。最後はスタンディングオーベーション。曲はもちろんラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。
【デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり】
映画『デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり』予告編
https://youtu.be/JBnQIjs2cu0
伝説的なピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットは、現代の卓越した音楽家の一人。
ポーランドからオーストラリアに移民した厳格な父から、ピアニストになるべく英才教育を受けた。
才能を発揮し、10代でABC器楽声楽コンクールにて6度の入賞を果たし、注目を集めた。神童として讃えられたデイヴィッド・ヘルフゴットは、若くしてロンドンの英国王立音楽大学の特待生となり、その名声が正しいことを証明する。
しかし、1970年にラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」でロイヤル・アルバート・ホールのチケットを完売させ大成功を収めた時には、すでに強い精神的・心理的な問題と格闘していた。
その後、完全に神経衰弱状態に陥り、1971年にオーストラリアに戻る。そして彼は、統合失調感情障害との診断を受け、およそ11年にわたり様々な神経科病院や施設を転々とする。ピアノを奪われたこの時期、彼にとって最悪だったことは「内なる音楽」の喪失であり、これを再び獲得するには長い時間を必要とした。
デイヴィッドは1980年代初めに、パースのワインバーのピアニストとして、公での演奏を再開する。
「靄が晴れ、再び耳が聞こえるようになりました。私は再び生き返ったのです。」
と、彼は回想している。
後に夫人となる15歳年上のギリアンと知り合った1984年、デイヴィッドに大きな転機が訪れる。ギリアンは、内面的・対面的に混乱状態にある彼に、愛情、静寂、そして安定をもたらしたのである。
デイヴィッドはギリアンの助けを得てコンサートピアニストとして活動的な生活を復活し、彼が長年追い求めてきた「内なる音楽」を再び見出す。
デイヴィッド・ヘルフゴットは、小規模なコンサートへの出演を経た後、1986年にオーストラリアでの公演ツアーを行ってチケットを完売させ、続いてドイツとデンマークでコンサートを行い、コンサートの舞台への偉大なるカムバックを成功させる。
オーストラリア人映画監督スコット・ヒックスは、コンサートを終えたデイヴィッド・ヘルフゴットのもとを訪れ、デイヴィッドに魅せられた彼はデイヴィッド・ヘルフゴットについての映画を撮ることを決意する。
そして10年後の1996年に完成した映画『シャイン』は、世界中で大ヒットし、主演したジェフリー・ラッシュはアカデミー賞主演男優賞を獲得した。
「人生の中でこのような経験をする人は多くないわ。アカデミー賞受賞式で、デイヴィッドが喜色満面の大喜びの顔で、ミスがなかったとはいえない「熊蜂の飛行」を演奏して会場を熱狂させた姿を見て、私は言葉では表せない感謝と喜びで満たされたの。」
と、ギリアン・ヘルフゴットは言う。
『デイヴィッドとギリアン 響きあうふたり』は、傑出した稀有の音楽家であり、インスピレーションを与えてくれる人物、デイヴィッド・ヘルフゴット初のドキュメンタリー映画である。
監督のコジマ・ランゲは、彼のシュトゥットガルト交響楽団とのヨーロッパ・コンサートツアーに同行し、私達にデイヴィッド・ヘルフゴットの魅惑的な世界の一端を見せてくれる。
彼は常に感じたことを演奏し、思ったことを表現し、その感情溢れる音楽は人の心をつかんで離さない。
彼の千変万化の他に類を見ない個性は、演奏に見事に表情を現す。ベートーベンの「熱情(アパショナータ)」から彼の運命の作品であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に至る作品に、彼の情熱や精神の深みを体験することだろう。
https://unitedpeople.jp/h/about
83 ビューティーフル・マインド
またまた映画の話です。
『ビューティフル・マインド』は、2001年のアメリカ合衆国の伝記映画。
ノーベル経済学賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描く物語。
『ビューティフル・マインド』日本版劇場予告編
https://youtu.be/NYSjAP5euNM
レンタルビデオの解説では、サスペンス映画だと思った。国家の陰謀とか。
観はじめて眠くなった。
こういうの、好きじゃない……
ウトウト。
目が覚めたら終盤。
なにこれ?
姿勢を正して見入ってしまった。
ラストまで観て、また最初から。
その後何度か借りてきて観た。
『グラディエーター』の主役と同じ俳優さん。ラッセル・クロウ。全然違う役柄。
アクション物で男らしい役が多いラッセル・クロウが、本作では子犬のような目で見事に人付き合いの苦手な天才を演じている。
彼は役作りとして、ジョン・ナッシュのことを監督と共に徹底的に調べ上げたのだとか。この作品で彼はゴールデングローブ賞で主演男優賞を獲得。
妻役のジェニファー・コネリーもアカデミー賞、ゴールデングローブ賞ともに助演女優賞を獲得する。
1947年。ジョン・ナッシュはプリンストン大学院の数学科に入学する。彼は、
「この世の全てを支配できる理論を見つけ出したい」
という願いを果たすため、一人研究に没頭していくのだった。
そんな彼の研究はついに実を結び、「ゲーム理論」という画期的な理論を発見する。
やがて、その類いまれな頭脳を認められたジョンは、MITのウィーラー研究所と言われる軍事施設に採用され、愛する女性アリシアと結婚する。(Wikipediaより)
しかし、ジョンは統合失調症という精神的な病を患ってしまう。統合失調症は幻聴や幻覚を発症し、現実と想像の区別がつかなくなってしまう。
ジョンは精神病院へ入退院を繰り返した。
関連する本も読みました。
『ビューティフル・マインド―天才数学者の絶望と奇跡』シルヴィア・ナサ−著
恐るべき早熟な頭脳を持ち、21歳のときに経済学に革命的進歩をもたらすゲーム理論を打ち立てながら、統合失調症を発病。
入退院を繰り返して30年以上の闘病生活を送った後に、奇跡的な回復を遂げてノーベル経済学賞に輝いた数学者ジョン・ナッシュ。
綿密な取材をもとに心を病んだ天才の劇的人生に光をあて、人間存在の深淵と生きることの美しさを描いた感動のノンフィクション。
僕は新しい薬を飲んではいるが、まだ ここにはないものが見えるんだ。無視してるがね。心にダイエットするように、ある種の欲求を抑えるんだ。
今回は音楽はあるのか? なんて調べたら、映画のテーマ曲を歌ったのが……
天使の声の元天才少女、シャルロット・チャーチ。
シャルロット・チャーチ(1986年2月21日~)は、英国ウェールズ出身の歌手。
10歳の時、『Richard and Judy』というテレビ番組を見ていたシャルロットは、番組で才能のある子どもを募集しているのを知ると自ら電話をかけ、プロデューサーに乞われるままアンドルー・ロイド・ウェバーの「レクイエム」の1曲“ピエ・イエズ”(Pie Jesu)を歌い、番組に招待された。
彼女の歌は大きな評判となり、その数ヵ月後には『Big, Big Talent Show』という番組に出演し、ここでも司会者に乞われて“ピエ・イエズ”を歌うとショーを独り占めした。
Charlotte Church - Pie Jesu (Live From Brixton Academy)
https://youtu.be/X0XIIEbb6gc
その後も数々のテレビ番組に招かれた。
1998年、シャルロットはソニーBMGと契約。ソニーBMG・UKの会長であるポール・バーガーは、自らのオフィスで聴いた彼女の歌声に圧倒され、その場で契約を決断したという。
11月9日、『Voice of an Angel』でアルバム・デビュー。宗教曲や民謡などを収録した本アルバムは、全英4位にチャートイン、全世界で1000万枚を売る大ヒットを記録。シャルロットを音楽シーンの最前線に押し出すこととなった。
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2001年10月9日にはよりポップス色を強めたアルバム『Enchantment』を発表、全英24位・全米15位。
同年、映画『ビューティフル・マインド』の主題歌“All Love Can Be”を歌った。
Wikipedia「シャルロット・チャーチ」
ビューティフル・マインド A Beautiful Mind(主演:ラッセル・クロウ Russell Crowe)
https://youtu.be/0255-HytpDo
■1994年12月 ノーベル賞授賞式(ストックホルム)でのジョン・ナッシュ教授のスピーチ
“数を信じてきました”
“解を導く方程式や論理を” “生涯を数にささげて…”
“いまだに問い続けています ”
“誰が解を決める”
“私の探求は自然科学や哲学 そして…”
“幻覚にも迷い…”
“戻りました”
“そして行き着いたのです”
“人生最大の発見に”
“愛の方程式の中にこそ 本当の解があるのです”
“今の私があるのは…”
アリシアの方を見て
“君のお陰だ”
“妻こそが私のすべて”
“ありがとう”
ノーベル賞が発表されると思い出す。ジョン・ナッシュ。
ゲーム理論、ナッシュ均衡は調べたけれどよくわからない。(あたりまえ)
2015年5月23日
「ゲーム理論」でノーベル経済学賞を受賞した数学者で、映画『ビューティフル・マインド』のモデルとなった米数学者ジョン・ナッシュ氏(86)が米ニュージャージー州で交通事故で死亡した。
ニュージャージー州警察によると、乗っていたタクシーが事故を起こし、同乗していた妻のアリシアさん(82)ともども亡くなったという。
84 懐かしい番組
子供の頃に観て印象に残っている、もう1度観てみたい番組。
かなり古いです。YouTubeの動画もないくらい。知ってる方いるでしょうか?
【ローンウルフ (一匹狼)】
1967年10月17日から1968年7月9日まで、日本テレビの火曜日21:00-21:56枠で放送された。全39話。
出演者天知茂 野際陽子 丹波哲郎ほか
警視庁の敏腕刑事・響 祐二は、危篤状態の息子を看取ることよりも、事件の究明を優先するほどの仕事の鬼。
しかし、そのことが原因で妻・冴子との関係が冷えきってしまう。息子の死から3年後、響は自宅で冴子が見知らぬ男と争っているのを目撃する。
妻を救うべく男と格闘するが、揉み合っているうちに拳銃が冴子に暴発。動揺したところを殴打され自らも気を失い、拳銃を奪われてしまう。
響は、拳銃を盗まれたことで警察を懲戒免職され、入院中の冴子も書置きを残したまま行方不明になってしまった。何もかも失った響はある晩、建設工事の贈収賄疑惑に絡む殺人事件に遭遇する。
殺人に使われた拳銃の弾は、かつて響が奪われたものとライフルマークが一致していた。自分の拳銃で人の命が失われたことを知った響は、忘れようとしていた過去と向き合うことを決意。ローンウルフとして、事件の真相と妻・冴子の行方を探る。
本作品のポジフィルムの現存状況について、東映には第1話『復讐のメロディー』の保存が確認されており、第2話『ピストル市場』以降は行方不明になっている。
一匹狼(ローンウルフ) 天知茂 主題歌TVサイズ
https://youtu.be/oBjJfHhjNoY
母が毎週観ていた。小学生の私は主題歌を聴きながら眠りについた。妻役の野際陽子がミステリアスで『冴子』という名に憧れた。
︎
【バンパイヤ 】
1968年10月3日~1969年3月29日 フジテレビ系放映/22分/モノクロ/26本/虫プロ商事
手塚治虫原作、実写とアニメを合成した映像
水谷豊が『バンパイヤ』で演じたのは、謎めいた少年・トッペイ。
田舎から上京してきたトッペイ少年は、アニメーションスタジオ「虫プロダクション」で働き始める。
真面目に働いていたトッペイだが、満月の夜になると様子がおかしく……実はトッペイは満月を見るとオオカミに変身してしまう、オオカミ人間だった……
バンパイヤ,Vampire - Theme Song
https://youtu.be/He48iBPpuRY
この歌、よく口ずさんでいた。
水谷豊 トッペイ役でデビュー。
トッペイの変身シーンは、ドラマの大きな見どころになっていた。満月を見て悶え苦しむトッペイの体が徐々に長い毛に覆われて、オオカミに変身する過程が、実写とアニメーションとの合成によって描かれていた。
まだCGのない、フィルムの時代。フィルムとセル画を重ね合わせることで、合成画像を作ったそうだ。(マグマスクより)
バンパイヤ 変身シーン
https://youtu.be/MnobRAKfGjA
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【ドラマ『さよなら・今日は』の主題歌】
愛の伝説 まがじん
https://youtu.be/_7Uzt3XD0FU
主題歌が好きだった。何十年も前の曲を検索すれば聴くことができるなんて……ドラマの動画はないが。
『さよなら・今日は』は、1973年10月6日から1974年3月30日まで夜9時から1時間枠で、日本テレビ系列で「グランド劇場」として放送されたテレビドラマ。
東京の新宿区下落合を舞台に、素敵な西洋館で暮らす吉良家の家族たちの、出会いと別れを描いたホームドラマ。出演は山村聰、山口崇、浅丘ルリ子、中野良子、原田大二郎、小鹿ミキ、栗田ひろみ、林隆三、大原麗子、森光子、緒形拳、山田五十鈴、森繁久彌、原田芳雄など、豪華すぎる俳優陣。
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【ウルトラQ】
1966年1月2日から7月3日まで、TBS系列で毎週日曜19:00 - 19:30に全27話が放送された、円谷特技プロダクション、TBS制作の特撮テレビドラマ。ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)の第1作。(Wikipediaより)
ウルトラQ - メイン・テーマ
https://youtu.be/cyR3exmBg-M
『これから30分、あなたの目はあなたの体を離れ、この不思議な時間の中に入って行くのです』
ナレーション 石坂浩二
夕方の再放送を観ていた。オープニングの曲とナレーションがゾクゾクした。そのあとのウルトラシリーズは観なかったけど。
『シン・ウルトラマン』の冒頭がこれ?
【ネタバレ有り】シン・ウルトラマンの冒頭映像をウルトラQで再現した動画
https://youtu.be/Y_YNeyOWRLA
ウルトラシリーズの『ウルトラセブン』のラストは『シューマンのピアノ協奏曲』が使われている。(第28章)
ダンとアンヌの最後の決別
https://youtu.be/Vs0EYUu7DHw
85 懐かしい番組 2
【太陽野郎】
1967年11月18日から1968年4月20日にかけての毎週土曜日、夜8時に日本テレビ系にて放映された夏木陽介主演のテレビドラマである。
フランスで牧畜を学んだ青年・玄田健介(夏木陽介)が、北海道にある倒産寸前の牧場、熊谷牧場に、シャロレー種という牛を導入して再建に乗り出す前半の北海道篇と、後半第12話からは、富士山麓の牧場に移って活躍する富士山麓篇に分かれる。
全話に出演しているレギュラーは、夏木を含めて北原真紀、藤木悠、矢野間啓治、頭師孝雄の5人。
『青春とはなんだ』(1965年 - 1966年)
『これが青春だ』(1966年 - 1967年)す
『でっかい青春』(1967年 - 1968年)といった一連の青春ドラマを制作した日本テレビ、東宝、テアトルプロの体制、スタッフで、本作の北海道篇の制作、ロケ地提供にも協力したソダ・シャロレー牧場の牧場主・曾田玄陽をモデルに企画制作された。
(Wikipediaより)
毎週楽しみに観ていた。夏木陽介さんの素敵なこと。私が一番初めに好きになった俳優さん。
生涯独身だった。
主題歌も良かった。
太陽野郎 バニーズ
https://youtu.be/hEMVYkBcuxA?si=mhzC33AsJHCmWgRp
『太陽野郎』は1967年11月20日に発売された寺内タケシとバニーズの楽曲である。
作詞は岩谷時子、作曲はいずみたくによる。バニーズの代表曲の一つ。間奏で「ウッ、アッ…」というドラムの井上正の声が入る。オリコンチャートの最高順位は16位。50万枚を売り上げた。
北海道の牧場を舞台とした夏木陽介主演のテレビドラマ『太陽野郎』の主題歌。
夏木陽介さんを偲んで 面影 (cover)
https://youtu.be/R7uZGi6vEmY
【クラスメート】
制作:1971年日本/尺:約60分×全6話
原作・脚本:池田一朗 監督:野村孝
出演:武原英子、新克利、勝呂誉、田村高廣、近藤正臣、沖雅也 ほか(AXNミステリーより)
火曜日の女シリーズ「クラスメート」のテーマ音楽!
https://youtu.be/r3G7JfQW0RQ
山賀洋子は、恩師・竜崎正和から自分が勤務する学校の教師への復帰を打診された。竜崎が勤める日向高校は、名門高校といわれているが学校群制度により、今では学力の低い生徒も多数入ってきており、学校が荒れ始めていた。
洋子は竜崎の依頼を断ったが、数日後その竜崎が何者かに殺されてしまう。
中学生(?)の時に放映されていた。誰が犯人か? 友人と予想した。
武原英子
夫はにしきのあきら。乳癌のため50歳で死去。
高校生役の近藤正臣と沖雅也。おふたりとも人気があった。近藤正臣は80歳になるがまだ活躍している。
沖雅也は……31歳没。
1983年6月28日、『おやじ、涅槃で待ってる』という遺書を残し、新宿京王プラザホテルの最上階(47階)より飛び降り自殺。
31歳の若さで早世。突然の死は日本の芸能界に大きな衝撃を与えた。(日活WIKIより)
沖雅也・・・・
https://youtu.be/z-9SKUEI9HM
近藤正臣、1942年生まれ、京都府出身。老若男女を問わず高い人気を誇り、ナレーターとしても活躍。
ナレーションはNHKスペシャル『AIに聞いてみた~どうすんのよニッポン!~』『空旅中国』ドラマ『メゾン・ド・ポリス』舞台、映画など出演作多数。NHKでは『コラ!なんばしよっとⅠ~Ⅲ』『陽炎の辻』シリーズ、大河ドラマは『龍馬伝』『真田丸』など10作品、連続テレビ小説は『瞳』『カーネーション』など4作品に出演。『盤上のアルファ』では、真田信繁(上地雄輔)らの師匠で棋士九段の千田正三役で出演。(NHK人物録より)
若い頃『日曜日にはバラを』というドラマに出ていた。検索しても出てこない……
柔道一直線『ねこふんじゃった』伝説の足ピアノ
https://youtu.be/mvAbiiRVqjU
近藤正臣 雪が降る (1972.1.25) ●レコード音源
https://youtu.be/GaZM7zIlbn0?si=tOTVndLGkkJXjHsR
近藤正臣の声と語りがいい。
「真っ白な孤独だ」
自分の作品のタイトルにいただいちゃいました。
お気に入りの音楽 81〜85