ついのすみか Ⅴ

ついのすみか Ⅴ

41 一晩たったら本当のばあさん。

 施設長に電話した。ひと月休んだけど腰も足も良くならない。1番痛かった時よりは天国だけれど、日によって違う。天気か気圧か湿度か? 明け方が辛い。腰の痛い場所がはっきりわかる。足が冷たくなる。痺れはなくなったから良い方向に向かっているのか?

 万年人手不足だから退職しろとは言われなかったが、戻れたとしても、もう身体介護は無理だ。怖い。少し捻っただけでぶり返しそう。それに、すぐにひとつ年を取る。

 整形まで歩いて12、3分。これが辛い。せっかく電気を当てて良くなった気がしても、帰り道で元の木阿弥……休む場所がないからきつい。だからひとりでは行けない。じいさんは、もうすぐ退職するのに仕事は休まない。

 それに、もうすぐ鼠径ヘルニアの手術だというのに仕事に行って、腸が出てきて痛くて、トイレで押し込んだ……とか。どうか、無事に帰ってきてくれ。
 無事に手術して1泊で帰ってきてくれ。差額ベッドが……1泊で2日分。
 前に、友達が手術で1週間入院したとき、個室で合計○○万円。たまげた。私はお産でしか入院したことはないが、大部屋でいい。その金で旅行でもしたい。できるようになるかわからないけど。

 姉も義兄も入院経験がある。歳を取ると、相部屋は辛いらしい。私は年寄りの愚痴にも叫び声にも慣れているけど。

 この間まで体力には自信があった。一晩寝たら本当のばあさん。足を引きずり、髪も染めてないから……顔だけは洗っている。当たり前。
 それが、この間テレビでやっていた、泡で洗う方法。洗顔フォームを丁寧に泡立てる。クリーム状になるまで3分間。それで洗えばシミもくすみも薄くなる……続ければ1週間で激変……だそうな。時間だけはあるから、朝晩やっているが、もう、3週間経っているが……

 めまいは治った。治した。痛み止めの副作用だと思っていたが、薬をやめても続いた。寝ているとぐらぐら。明け方が特にひどい。
 めまいは経験済みだ。50歳を過ぎた頃の明け方、ジェットコースターのようなめまいが。1日中なにもできず、医者へも行けなかった。翌日いろいろ検査したが特に病名は言われず、処方された薬を飲むと治った。

 姉も今年の夏が終わった頃に突然のめまいに襲われ、脳まで検査し長くかかった。心配していたのに、こちらが絶不調になると、元気になり京都旅行を楽しんできた。
 息子も前に来たとき、めまいがすると言うので耳鼻科に行かせた。耳鼻科は待ち時間が長い。そのときの病名が『良性発作性頭位めまい症』だった。
 耳石が剥がれ落ち、それが半規管に入り込み動くことで、半規管を刺激してめまいが起きる……
『めまい体操』をすると良くなったと聞いていたので、調べてみた。寝ながら首と体を動かす簡単な体操だ。
 私はこの状態では歩いて医者に行けないので、自分で治してみようと思った。めまい体操をすればぐらぐらする。ゆっくり首と体を動かし、十数える。執念で2日で治った。

 楽だ。めまいがないと楽だ。腰もだんだん良くなっている。長い時間(10分位だが)立ち続けられるようになった。キッチンに椅子を置き休み休み動く。腰痛もひと月を越えると、じいさんもだんだん心配しなくなってきた。
 でも、じいさんが少しだけ料理するようになった。普段から健康には気をつけているので、野菜料理ばかり。まず、にんじんのラペ。これは、あるスーパーで買ったらおいしくて、(じいさんは値段も見ないでカゴに入れたが、材料はにんじんと数粒のレーズンだけ。あとは、オリーブオイル、酢、甘味はなんだ?)
 自分で作れば安くできるだろうと、レシピを見て大量に作った。市販のものと味は違うが食べられる。なにより、生ニンジンを水にもさらさず、大量に食べられるので体にも肌にもいいはず。何本も食べなければ害はない。そこまで食べられないし。
 娘たちが来たときに好評だった。親が具合悪くても娘と孫は来る。孫が来ると痛みは不思議に感じなくなるのでいいのだが。ばあさんは動けないよ、と言いながら、大量のスペアリブに大量のスープ、大量の野菜のグリル(フライパンで)を休み休み作った。
 スーパーの寿司とデザート。スーパーのワインはじいさんが間違えてライトボディを買ってきたので、娘は一口飲んで「なにこれ?」と不評。私には飲みやすい。
 幼い子がいるのに酒を飲むなんて、私にはできなかった。飲めなかったし。それでも、若い頃のようには飲めなくなったそうだ。絶対、旦那に捨てられると思ったが……
 おまけに術後のじいさんが飲み過ぎた。娘の飲まないワインを全部平らげた。術後だ。術後3日。


 スタッフがメールで教えてくれる。イチイさんが入院して戻ってきたけど、弱っている。
 食事介助の方はますます時間がかかるようになり、新しい入居者は介護度5で大変そう。

 おまけに上の階にコロナ陽性者の入居者が出た。入院させず(できない?)居室対応。まだまだ容赦なく続くコロナの試練。
 息子と小2の孫も感染した。お嫁と1歳の孫は階を分けて隔離生活。幸い移っていないという。症状も軽く仕事にも学校にも復帰できる。しかし、先にかかった娘が言う。抜け毛がひどい。後遺症だと。
 娘のときは生命保険が自宅療養でもおりたが、今は1銭もいただけない。お嫁は濃厚接触者でも給料の保証はあるが、息子はどうなのか? 

 私も給料がなくなると辛い。立ち仕事はもう20年も続けている。もう限界か、辞めるべきか? 腰痛で始まり、腰痛で終わりそうな1年だ。 
 
(仕事に行ってないのに、ダラダラ書いてしまいました)

42 久々のユニット

 2ヶ月ぶりに仕事に復帰した。復帰といっても朝2時間。それを週に3日間。
 久々に皆に会うのだ。マスクをしているとはいえ、老けたなあ、と思われたくはない。髪を染めブローしていった。今までは入浴介助でペタンコになるので構わなかったが。(誰もばあさんの顔など見ないのだが)

 初日は緊張した。休んでいる2ヶ月でひとりが胃瘻で退所していた。舌を出していた、なんとも言えず愛らしかった方。すでに新しい方が入居していた。
 隣のユニットでは孤高のトネリコさん、マンサクさんに、ほの字だったトネちゃんが亡くなり、やはり新しい方が。
 それにイチイさんの認知が進んでいた。プライドが高かったが、何度か入院し、もう、文句も言わなくなった。リフト浴で魚みたいに網で釣り上げられるなら、シャワーでいいと言っていた。トイレ介助も男性職員だと呼ばずに転んでいた方だ。

 マンサクさんは何度も熱を出し、その度居室対応。何度も抗原検査をしている。昨日も夜勤の職員が咳を思い切り浴びたので、コロナだったらやばい、と話していた。認知のある方にマスクをして壁側を向いていろといっても無理な話だ。
 休んでいる間にコロナの感染状況のメールが頻繁にきた。今はやっと落ち着いている状態。入居者は面会も外出もできないのだから感染は職員からしかない。ロッカーもエレベーターも分けられ、ユニットの廊下のドアも閉められ、玄関もいちいち施錠。キッチンやスタッフルームの窓は開けているので、行ったときは寒い。動いていれば半袖で大丈夫だが。これでは今まで使わなかったユニフォームの上着を着ていた方がいいかも。
 リビングの窓も定期的に開けるので入居者が寒がる。文句を言う人は僅かだが。

 ネコヤナギさんは誤嚥性肺炎で入院したので、ソフト食に変わっていた。ゼリーのようなおかずにお粥。食べることだけが楽しみだったのに。飲料も糖尿があるとかで、1回100cc。足りなくて、もっと欲しがる。私を覚えていてくれたのは嬉しいが、何度も「おうっ」と呼ぶ。

 職員の入れ替わりもあった。几帳面で仕事の速い職員が異動になっていた。
……忙しいのはわかる。大変なのはわかる。私は、たかだか2時間の周辺業務に変わったパート。腰を痛めたので入浴介助は外してもらった。あの痛みはもうごめん。時給が8円ばかり安くなるが……8円ばかり。

 隣のユニットから戻ると、シンクに食器もお盆もエプロンも山になっている。もっと置きようがないのか? 洗い物まで余裕でしていた職員もいたけど……まあ、文句は言うまい。
 クリーンルームへ行けば……汚物を流すシンクがあるのだが、流していない。なぜ流さない? 手をかざせば感知してくれるのに。時間が経つからこびりつき、誰もこすり落とさないから、ますます落とすのに時間がかかるではないか。異動になった職員はぶつぶつ文句を言いながらやっていたな。今は注意をする人がいないようだ。怖くて注意できないのか? 私もできないが。

 朝の7時から9時まで。家にいればゆっくり起きてゆっくり食事。実に優雅に勿体無く過ごしている2時間を動きっぱなし。いや、動いている方がいいのだ。じっとしていると足が痺れてくる。
 今の入居者さんは比較的楽な方達だ。食事介助がなくなった。100歳のカリンさんが1番大変だったが、食事以外はほぼ寝ているようになった。食事は介助なしできれいに召し上がる。刻み食に粥になったが。車椅子で廊下に出たり立ち上がって転んだり、しょっちゅうトイレに行ったりで、職員泣かせだった。介護度が増すと介助は逆に楽になる。ツゲさんは胃瘻なので、私がいる時間には寝ているのでまだ顔を見ていない。

 隣のユニットのコデマリさんは久々に会ったので喜んでくれた。なぜかテーブルにひとり……
「活気がないね」
と、ぼやいていた。もう、話ができる人もいないのではないか? 周りの者が認知が進んでいる。ユニットの入居者がいなくなる。亡くなった、とわかっているのは、コデマリさんくらいだ。マンサクさんも2ヶ月ぶりに会った私を覚えていないようだ。

43 最短半年で

 また新年度が始まる。また職員が異動する。半年前に入った若い男性が辞めた。
 なぜ? 
 妻帯者だ。子供はまだ。
 私は途中2ヶ月休んだので、一緒に組んだのはここ2ヶ月。入って、独り立ちするまでには、経験者でも1ヶ月はかかる。
 独り立ちした新人が何人辞めていったことか? リーダーも教えるのに疑問を持たないか? この職員は、果たして続くだろうか? と。

 今回の男性はやりやすかった。このばあさんの娘より若い。明るく、入居者さんにも優しく、親しみやすく、仕事も速かった。
 なぜ? とは聞かないし言わない。やりやすかったのに……とだけ最後に言った。

 半年ごとの虐待防止に関する面談があった。虐待はない、が……
 ユニットの雰囲気がずいぶん変わってしまった。常勤が定着しないから、超勤が増える悪循環。
 朝出勤すると、夜勤さんはピリピリしていて声もかけづらい時がある。
 入居者はますます高齢になり、反応がなくなってくる。職員に暴力的なことをする。引っ掻かれても記録に残すだけだ。辞めた女性職員は、半袖では介助できないと言っていた。
 
 ユニットの方向が、職員が大変にならないように……に変わってきている。
 なあなあ、と何度も呼ぶネコヤナギさんはおとなしくなってしまった。バカヤローが口癖だったのに。言える雰囲気でなくなってしまったことはわかるのか。
 ばあさんが出勤のときはいくらかうるさくなる。行って、なに? どうしたの? と声をかけたいが、躊躇する。 
 甘やかさないで、と言われそう。職員が大変なのは、甘やかしたからなのだ、と。

 でも、無視も虐待ですよ。
 コデマリさんへの対応も冷たい。確かにわがままで、うるさい人だけど。自分が1番じゃないと気が済まない……
 かつては、職員はご機嫌を取っていた。頭はしっかりしているし、機嫌を損ねれば施設長に直訴する。携帯で家族に電話する。
 でも最近は適当に聞き流されている。
 確かにわがままだけど……
 ここのところ続けて入居者さんが亡くなり、新しい方が入ってきた。親しかった方ふたりも亡くなった。
 リンドウさんは心臓病で何度も入退院を繰り返していた。救急車で搬送される2日前の朝、食事のあと、早く横になりたい、とナースコールが鳴った。
 起きているのが辛いのだ。しかし食後すぐには横にできない。ナースコールが2度鳴ったが、
「お待ちください」
と、あとまわし。
 仕方ないのだ。別の方の食事介助中だったから。パートの私が様子を見に行く雰囲気ではなかった。
 次に出勤した時には入院していて、そのまま亡くなった。パート仲間からメールがあったが、それっきり。話題にもならず.サイボーズでのお知らせもない。
 何事もなかったように過ぎていく。

 コデマリさんはある意味すごいと思う.こんな状況でも元気だ。話し相手がいなくなった。(亡くなったと察しているだろう)
 職員は教えない。何か言えば、慇懃無礼な態度を取られ、食事のほかは部屋に籠るのに。

 だから、面談の時、主任に少し言いました。
 雰囲気が変わりました。
 よくないです。
 仕事が速い、遅いよりも、明るく楽しく仕事をしたい。この6年間は楽しかった。
 
 今までいろいろ書いたけど、皆優しい職員だった。話しやすかった。
 今は、話そうとし、躊躇し、やめる。
 たかだか2時間のパート、自分の仕事だけすればいいか、と。

 理想も理念もどこへやら。

 朝なのに、部屋のカーテンを開けていない。服の着せ方が、ひどすぎませんか? 髪も……
 忙しいのはわかるのです。工程を省きたくなるのも。
 主任も言いにくいだろう……
 でも新人が育ちません。
 今度異動してくるのは、3年目の若い男性。
 大丈夫だろうか? 
 ここはキツイよ……ばあさんだって辞めたくなる。
 
 ここ3年、ユニットに面会人は入ってこられない。面会が再開されたらどうなるのだろう? この3年で皆、衰えた。それは当たり前のこと。

 部屋にもリビングにも、折り紙や毛糸で作った飾り物がたくさん。家庭的な雰囲気。
 時間の長いパートさんが作ってくれる。紙で作った素晴らしい花やマスコット。まるで手芸屋さんみたい。午後の時間に座って作っているらしい。
 それも仕事……??
 でも、シーツ交換が残っていて、私に回ってくるのですが。

44 ネコヤナギさん

 付けた仮名はネコヤナギさん。男性。
 7年前、施設がオープンし、ユニットに配属された時からいた方だ。まだ60代だった。30代で脳梗塞になり右半身麻痺。
 体格は良く、言葉は不明瞭だが乱暴で怖かった。10人の入居者の中で男性はふたり。ネコヤナギさんが1番若く元気でうるさかった。
 左手でスプーンで、ごはんに刻み食。食べるのが速かった。歯がほとんどない。ほとんど丸呑み。飲み物も今では水分制限されているが、コーヒー等、相当量飲んでいた。
「コオヒイ」
「おちゃくれっ」と叫ぶ。
 しかし、糖尿の数値が上がり、今では1日千ミリリットルに。状態によっては1回百ミリリットルに減らされる。
 熱い茶を欲しがった。
「あつくしてくれえ」
と念を押す。ほとんど無視されるが。
 私は電子レンジで温めていたが……
 最近はこぼすのでやけどするから温めない。

 少し前までは丈夫だった.風邪を引いた時に、
「よかったね、バカじゃなくて」
 なんて、冗談を言えたくらい。
 7年の付き合いだ。短時間パートとはいえ情が湧く。ネコヤナギさんも私がいるときはわがままになるらしい。
 それがいけないのだ。最近では、甘やかすから職員が大変になる……
 そんな雰囲気。

 ネコヤナギさんも人を見る。厳しい職員にはおとなしい。以前はずっとリビングでテレビを見て我が物顔に振る舞っていたが、
「あなただけのテレビじゃないんです。自室で見てください」
と言われ、食事以外は自室に篭る。

 かなり弱った。私が腰痛で休んでいる間に2回誤嚥性肺炎で入院した。戻るたびに痩せて弱り、食事形態がソフト食に変わり、食べるのが遅くなった。
 ソフト食はツルツルしてスプーンから落ちやすい。1番に食べ終わっていた方が、最後になった。
 食べ終わったあとはエプロンや床にこぼれている。無視できないくらいの量だ。

 モクレンさん(女性)は、ソフト食を半分と高栄養の飲み物を左手で食べさせる。脳梗塞になり、ほとんど喋らない。
 もう、食欲などないのか、スプーンを持たせてもひとくちで、手は膝の上に。その手に、またスプーンを持たせる。その繰り返し。
 時間はかかるし、半分はこぼれているのでは? 
 そのまま片付けたら栄養不足では? 
 エプロンを洗うと残菜がたくさん。

 厳しい職員がリーダーに話していた。介助すれば、職員が大変になるんです……
 1対10なのだ。夜勤は1対20。夜中救急搬送などがあれば、ひとりはついていくので、1対40。
 この職員は30分以上前に出勤している。終わらないからと。仕事は速いが雑で、怖い人、冷たい人、と思っていたのだ。

 が、不思議なことに、この職員だと、モクレンさんはずっとスプーンを持って食べているのだ。手を引っ込めない。意思の疎通などできないと思っていたが。
 
 ネコヤナギさんは以前は車椅子で自走していた。太り、糖尿の数値も良くないので、コーヒーに砂糖は禁止。パルスイートも禁止。
 運動のため廊下にも出て日に何度も往復していた。そのたびに頑張れ! と声かけしていたが、今ではリビングのテーブルと自室はすぐ後ろだから、わずか4、5メートルしか動かない。居眠りが多くなった。ヨダレが……
 話し相手はいない。

 ポプラさんは男性で85歳を過ぎているが、相手に気を使う方だ。入居してきたときはネコヤナギさんの隣の席で、いろいろ話しかけたりしていた。ネコヤナギさんは、バカヤローが口癖で横柄に返していた。
 私が2ヶ月ぶりに仕事に戻ると、ふたりの席は別々でネコヤナギさんは大きなテーブルにひとりで座らされていた。
 ポプラさんは新しく入居した女性の隣。おふたりともきちんとしている。
 ポプラさんは相変わらずストイックで、廊下で体操している。こちらは転ばれたら怖いのでやめてほしいのだが。

 ネコヤナギさんは本当は優しいのだ。このばあさんとは長い付き合い。
 以前はよくティッシュをくれた。ご自分のものはティッシュとインスタントコーヒーくらい。
 私が、誕生日なのよ、と言うと、差し入れのインスタントコーヒーをくれたことがある。もらいはしなかったが。
 ティッシュを気に入った入居者にも配ってきた。車椅子で自走し、ほらっ、と差し出す。受け取る方も手を伸ばす。
 そんなことも、コロナ禍で禁止された。
「感染症が流行っているんです。あげないでください!」と。

 面会も月に1度は数人で訪れていた。垢抜けた妹さんとおにいさんたち。
 ショートステイの人と、オセロをしたり、ボランティアの人が将棋を教えにくると楽しんでいた。それが、この3年は皆無だ。入居者にとっては長くひどい年月だ。
 介護現場では、まだまだマスクははずせない。それも不織布でなければならない。通勤時も。
 飲み会、旅行も……どうなのだろう?

 実際、コロナで入院した数人は戻らなかった。詳細はわからないが。

45 周辺業務

 週3回、朝7時から9時までの2時間の周辺業務になって半年が経つ。
 2時間とはいえ、2ユニットの配膳、洗い物、シーツ交換、洗濯、掃除……ずっと立ちっぱなし。
 去年は3時間で入浴介助もしていた。
 よくやっていたと思う。もう、できない。
 腰を痛めてしまうと、冷房で冷えるのが怖い。違和感を感じる。長ズボン下を履かなきゃダメだ。

 パートの、身体介護をしている少し年下の方も腰痛。腰痛ベルトに湿布。整形通い。人手が足りないので、ときどきはひとりで早番を任される。
 明るくて、責任感のある方だ。頑張り屋だ。でも、ある朝、突然歩けなくなることもあるのよ……と忠告した。

 ネコヤナギさんがまた入院した。4回目か?
 入院前に見た時は、ずいぶん痩せて頬もこけ、黒目が白くなっていた。
 私が排泄していたときは、体格が良くて支えるのが怖かったくらいなのに。
 入院した日の朝見たときは熱発していた。仰向けに動きもせず手を組んで寝ていた。食事形態が落ち、食べるのが遅くなった。最初の頃は量を食べたいので、ごはん120グラムをお粥350グラムに変更し、どんぶりで食べていたのに。
 左手がうまく使えなくなって、口まで持っていくのが大変そうだ。介助してしまうとダメなのだ。時間がかかってもご自分で食べていただく。
 スタッフが大声で言う。
「ネコヤナギさん、手で食べないで。スプーン使ってください」

 100歳のカリンさんは極端だ。朝起きられないかと思えぱ、ときどきはとても元気だ。スプーンできれいにに食べる。ソフト食ではなく刻み食に粥。茶もストローで200ccを残さない。
 食べたあとにすぐ忘れる。
「ごはんまだ?」

 カリンさんは今朝はおしゃれだ。大きな髪飾りをつけている。髪もきれいにとかしている。おまけにピンクの口紅をつけている。少し、ギョッとするが。
 こんなことをするのはJさんしかいない。

 フィリピンの契約社員だったJさんが正社員になった。私が入浴介助を教えた方だ。まだ30歳。結婚している。この間、家も買った。
 Jさんは優雅だ。マスクをしていてもきれい。外した顔は見たことがないが。身近で見たら、アイラインが上手に入れてあった。早番だと、何時に起きる?
 職員によっては、忙しそうに動いているが……この方は……大変そうじゃない。慌てない。穏やかだ。優雅だ。それでいて、細やかだ。
 人参の嫌いなアカマツさんの副菜から、きれいに取り除いてやる。
 入浴介助の時は相変わらず、体の線そのままに出るスパッツ。高齢の男性のポプラさんでさえ、見惚れてしまうようだ。
 Jさんは以前は間食はしなかったが、長時間の激務でスタッフルームの菓子をよくつまむらしい。体型維持に必死だったのに。
 
 アズサさんは、相変わらず叫んでいる。エプロンを投げる。コップを投げる。職員を引っ掻く。
 テーブルを叩くので、腕には手まで覆うカバーをしているが、いつも傷がある。痛くないのだろうか?
 リーダーは調べた。朝に叫ぶパターンがあるらしい。
 しかし、調べただけで変わらない。最近はなかなか食べなくなった。私が帰る9時になっても食器が戻らない。だから、食洗機を動かさないで帰ってきたかも?
 思い出せない。どうしよう? 職員さんは気がついてくれるかしら?
 先日は他のパートが炊飯器の予約を忘れて、慌てたらしい。早炊きにして昼食が遅れたらしい。遅れても文句を言うのはコデマリさんだけだ。
 93歳のコデマリさんは、相変わらずだ。介護状態は皆衰えるのに相変わらず……文句を言い嫌われている。
 職員が入居者を起こしている。便をされていたら、きれいにしてあげるのに時間がかかる。なかなか部屋から出て来ない。
 さっさと食べ終わったコデマリさんは
「薬、まだなの?」
と不満を言う。
 私は薬は扱えない。待たせておくしかない。隣に座っていたマンサクさんは部屋から出て来なくなった。コデマリさんのせいかはわからないが。まだ70代なのに。部屋に食事を届けて冗談を言うと笑うのに。

 最近入居してきたアカマツさんは、帰宅願望が強い。
「今日、帰れるかしら? 帰りたいんだよね」
が口癖。
 タンスが空っぽ.ビニール袋にいくつも入れて帰る準備をしている。

 イロハモミジさんは、私を見ると、
「昨日休みだった? しばらくね」
と毎回言われる。きちんとしたおしゃれな方だ。眉と目にアートメイクしている。入れてから何年たつのだろう? どこで入れたのだろう。まだ薄くなっていない。まだ、濃くて……下手くそ。

 ポプラさんが廊下の向こうで立っていて、思わず声を出してしまった。入居してすぐに転んで骨折して入院し、半年戻らなかった。ストイックなポプラさん。頭もまあまあしっかりしている。
 廊下の手すりにつかまって、体操していた。屈伸や、片足を左右に挙げている。ダメだと言っているのに。後ろにひっくり返ったら……
 以前に、食べたことを忘れたことがあって、ひどくがっかりしていた。認知が進むのを恐れている。
 親切な職員には手紙を書いたりしている。
 シーツ交換のために部屋に入ったら、紙に書いてあった。
「ピンコロでいきたい。役立たずのわたし」

 話をしたいのだろうに、職員が忙しいからと、メモに書いて私に寄越した。
「かぶせた歯が、また取れてしまいました」
 何度も取れるのは、歯医者のせいだろうに、自分が悪いようにおっしゃる。
 しかし、部屋で菓子を食べている。パッケージがゴミ箱に捨ててあった。

46 コロナ禍の対応

 もう過ぎたことだ。次はないことを願う。
 長いコロナ禍で、我がユニットはずっと感染者を出さなかった。職員の家族が罹り濃厚接触者で休んだりはしたが。
 ワクチンをしていない職員もいた。不整脈だから、とか理由はあるのだ。
 この3年、職員の親睦会もない。入居者の外出もない。花見、お祭り、初詣で、すべて中止。面会もずっと中止。ようやく、ロビーで仕切り越しに15分。
 余談だが、入居者は日に当たらない。ベランダにも出ない。長期間、紫外線に当たらないから美白だ。時々、見入ってしまうほどきれいな方がいる。
 髪も染めたり痛めつけないから、薄くはならないのだ。100歳で豊かな銀髪。80歳過ぎて、黒々とした方もいる。

 感染者が出るとユニットは大変だ。サイボーズで何度も念を押される。
 感染源は職員です。くれぐれも徹底してください……
 職員も感染するので足りなくなる。最初の頃はヘルプに行く職員を募った。なるべく独り暮らしの若い人。
 当時はまだまだ怖がられていた時だ。年寄りのばあさん達パートは休みたいくらいだった。持病のある家人に移したら、死んでしまう。軽くは済まないだろう。
 ところが、隣のユニットの融通の効かない女性職員は真っ先に手伝いに行った。入居者にも煙たがられていた職員だ。あの時は驚き尊敬した。
 アニメの『キャンディキャンディ』で戦場へ行った見習い看護婦フラニーのように。

 その後何度も感染者が出たり解除されたり。
 去年私は腰痛で2ヶ月休んだ。しばらくぶりのユニットは、入居者も入れ替わりがあった。
 把握もできずに出勤した数日後から、我がユニットにも初めて感染者が出て大変なことになった。
 感染者が出るとユニットは隔離。施錠。出入りの際、いちいち鍵をかける。スタッフルームも出入り禁止。バッグ類は入り口のドアの外。職員は飲み物も廊下に出て飲む。
 ロッカーは使えない。着替えるのは臨時の部屋。1日着たユニフォームは消毒するので、持ち帰らずに洗濯場に出す。3日間放置しておくので着るものがなくなる。段ボールに用意された古いものの中から探すが、サイズがない。

 入居者は居室対応。広いリビングはがらんとしている。テレビもつけていない。パソコンはスタッフルームからリビングへ。セキュリティカードも付けてはいけない。ピッチはビニール袋に。
 食事は使い捨て容器の弁当。飲料、味噌汁は紙コップ。割り箸に使い捨てスプーン。エプロンも使い捨て。
 職員は感染者対応のビニールエプロンにグローブ。これはコンパクトに畳んであって、流行った当初テレビで見たのとは全然違う。ひとりで着て脱いで捨てる。
 ゴミはベランダに3日置いてから業者に出す。各自のトレイ(お盆)は次亜塩素酸水に30分付けて消毒する。シンクに水を貯めて。

 私は間接業務だから接っしないが、同じ間接業務のパートさんまで感染した。職員もふたり感染した。うちには持病のあるじいさんがいる。感染したら……
 でも、心臓に持病のある90歳を過ぎた女性は、感染し入院したが退院してきた。
 気が弱いと感染するらしい。移るの怖い…‥なんて思うと感染する。自分は大丈夫と思っていれば大丈夫だとか。そんなばかな……
 確かに、気の強いコデマリさんは無事だ。居室で、話もできないのに元気だ。職員からは嫌われている。はっきり態度に表す職員もいる。以前は考えられなかった。気にさわることがあると、男性のリーダーに、
「○○さん、お話があります」
 なんて、怖かった。だから、おだてて優先する職員が多かったが、今はそれはダメなのだ、そうだ。

 それに比べてイチイさんは別人のように弱ってしまった。コデマリさんより10歳も年下なのに。 
 最初は5階にいた方だ。そこで話し相手がいないから、とわざわざイチイさんのために、移動させたのだ。しっかりした者同士、話し相手になるだろうと。
 ところが、イチイさんはコデマリさんを嫌った。何もかも嫌った。
 人の悪口ばかり言う。食べ方が嫌だ……私は風呂に入れていたのでふたりから互いの愚痴を聞かされた。
 結局、わがままで自分勝手な方が元気なようだ。今のイチイさんは見る影もない。覇気がない。食欲もない。
 入浴介助は男性はいやだとか、リフト浴になるくらいなら、魚みたいに網で釣り上げられるくらいならシャワーでいいと言ってた方が、男性にトイレ介助されている。それもふたり介助だ。ひとりが支え、ひとりが下着を下ろす。
 たくさんあるパズルの本も塗り絵も役には立たなかったようだ。部屋から出ずに、話すのは職員と少しだけ。時間が過ぎるのを待っているだけ。

 コロナ禍の対応は職員は大変だが、間接業務の私は逆に楽になった。洗い物も洗濯もほとんどない。ひたすら床や手すりを消毒していた。
 

47 変化

 身体介護から周辺業務に変わり半年が過ぎた。週3日の2時間だけの勤務だが忙しく動く。腰が心配だから暑くても腰痛ベルトをする。お臍が痒くなるので、腹巻きをしてその上に付ける。高齢者相手だからマスクははずせない。
 夏も冬も半袖で動く、こちらも高齢者のばあさん。

 ネコヤナギさんが入院したままだ。状況がわからない。いなければ楽だが……
 病院は施設のようにわがままは言えないだろう。何度か入院したリンドウさんやポプラさんの話では、看護師さんは厳しいらしい。

 リンドウさんは亡くなった。心臓も肺も、腸も悪くて、頭だけはしっかりしていた方だったから、気の毒だった。入居してきた時は、まだ立って、配膳の手伝いをしてくれた。おかずを手際よく分けていた。
 居室でトイレに行く時に転び骨折。それからは車椅子になった。1度目の入院で懲りて、入院を恐れていた。娘にも迷惑をかけないように気を遣っていた。
 食事のためにリビングに出てくるのも辛そうで、居室で食べるようになっていた。食べるとすぐ横になりたがる。
 亡くなる数日前のナースコールにも、職員はすぐに対応できなかった。
「ちょっと待ってください。ほかの方はまだ食事中なんです」

 食事介助を必要な入居者が増えた。それを職員がひとりでやるのだ。周辺業務の私はやってはいけない。時給が違うから。
 

 ネコヤナギさんは30代で脳梗塞。右半身不随。70歳前にうちのユニットに入るまで、どうしていたのだろう? 
 初めは、かなりわがままで、高圧的だった。言葉は不明瞭で、怒ると車椅子を自走してユニットから出ていってしまう。入ったばかりなのに見守りを任された私は必死だった。おだててお願いして戻らせた。
 それも、もう8年の付き合いだ。この頃は接する時間も少ない。以前はずっとリビングにいてテレビを見たり、入居者にティッシュを配ったりしていたが、ほとんど自室にこもっていた。
 あの体格のよかったネコヤナギさんが、入院するたび頬がこけ、おとなしくなっていく。

 隣のユニットの元気で意地悪なコデマリさんも、90歳を二つ三つ過ぎ、食事を待つ間もうとうとするようになってきた。
 コロナがなければ違っていたのだろうか? それまでは面会は多かったし、施設での催し物にも参加していた。カラオケ、体操、敬老会のイベントでは入居者代表で挨拶をしていた。
 それらはまだ再開されない。

 面会はようやく、ユニットでできるようになった。私がいる時間に来る身内はいない。
 以前はツルマサキさんの息子さんが毎日来ていた。来て、小言を、文句を言っていた。スタッフは緊張したものだ。


 隣のユニットは、自分で食べる方が5人。介助が必要な方が5人。半分だ。これは大変だ。以前うちのユニットで、介助が4人いたときは、同じ階のショートステイに連れて行って食べさせてくれた。
 各ユニットの助け合いも、まだコロナが心配なのかできないようだ。
 今日は職員ひとりと身体介護のできるパートが早番だったが、5人とも、なかなか食べてくれない。ほとんど寝ている。大声で声掛けし薬と水分も取らせるのは大変だ。ひとりでパートもいないときはどうしているのだろう?

 5人の中にイチイさんがいる。5階から異動してきた方だ。コデマリさんとなら話ができるだろうと。
 ところがこのふたり、犬猿の仲。イチイさんは部屋から出てこなくなった。誰とも接しないイチイさんは認知が進み、食事さえ介助が必要になってしまった。ときどきは怒る。プライドの高かった方が、思い通りにならず怒り出す。
「食べられないのーっ!」と。

 自分で食べるサカキさんも、居眠りしていた。
「サカキさん、お薬です」
「……」
「サカキさん、お薬です」
 何度かの声掛けのあと、
「へへへへへ」
 自由に4ユニットを自走していたサカキさんも95歳を過ぎた。
「はあーん、はあーん」
という大声も出さなくなった。

 うちのユニットは、今は楽だ。
 ネムノキさん(サカキさんと大声で共鳴していた方)が、痩せているのにまた体重が減り、お粥の量が増えた。
 自分で食べさせればエプロンに大量にこぼしていた。

 アズサさんはまた熱発で居室対応。先日、着替えの時にベッドに座らせ、職員が目を離したら顔面から床に落ちたそうだ。
 自分で手をテーブルに打ち付け、アザの絶えない方だ。

 …………
 

48 出た!

 朝出勤すると、スタッフルームが騒がしかった。夜勤が早番に話していた。
 怖いとか、今夜も夜勤とか、どうしようとか……
 お盆だしね……

 ちょっと意味不明なので聞いてみた。
 人によっては、
「記録に書いてあります」
と、けんもほろろになるから、あまり聞かないのだが。

「出た!」らしい。

 ときどき出るのは聞いていた。
 霊感の強い夜勤さんは見るらしい。

 モニターにも白いものが映っていたと言う。
「見る?」
と聞かれて遠慮した。
 怖いわけではない。時間がない。
 それに、そういうものは信じていない。
 でも、施設で亡くなった方なら怖くない。会いたいくらいの方もいる。

 しかし、子どもだって。
 同じ階のショートステイの女性3人が、子どもを見たという。ショートステイの方は比較的しっかりしている。

 子どもの幽霊?

 この施設は以前は団地だった。そこで、なにかあったのだろうか?
 呪怨……や、クロユリ団地……

 三十代の女性の夜勤さんは、今晩もまた夜勤だという。7時半過ぎに施設を出て、夜の9時前にはまた来なければならない。
 帰っても、眠れない、という。医者に入眠剤をもらっている。
 この間はそれを飲んでもなかなか効かなくて、起きてもぼーっとしていて、車を運転するの怖いからと休んだ。
 
 早、遅、夜勤のリズムを取るのが難しい。いっそ、夜勤だけにしようか、なんて話していた。
 独身で、すでにマンションを購入済。ところが、管理費が上がり、返していくのが大変らしい。だから、夜勤を増やしている。
 この先何十年? 給料は上がるのか? 老後はどうなるのか?


 
 今日、連れ合いが病院に検査に行き、置いてあった介護付有料老人ホームのパンフレットをもらってきた。

 父が数年前お世話になっていた4人部屋の施設。今では家賃、管理費、食費で22万円。その他に介護保険サービスの自己負担額。
 こちらは1割負担なら、3万円くらい。それにパット、その他……理美容等。
 4人部屋で、この金額。平均的な年金では到底払っていかれない。

 父がこの施設に2年間入っていた。入居時に200万円前金を入れて、月々合計で16万円だったような。
 そのプランも載っていた。しかし、2年で亡くなれば前金は戻ってはこない。
 4人部屋は、隣のテレビの音が大きかった。あの音量は自分だったら耐えられない。
 父はほとんど寝ていた。食事もベッド上。おむつ交換は日に、数回。
 タンスの中の洗濯物は他人の物も。名前を書いても……?
 
 私が働く特別養護老人ホームだと、15万円くらいでひとり部屋に入れるようだ。(収入により介護保険サービスの負担額は変わる)
 しかし、介護度3以上。入居希望者は多いから、すぐには入れない。

 マサキさん(男性)は医者だった。ニューヨークでも働いていたらしい。横柄で足浴させていた時は苦手だった。
「首にしてやる」
と叫ぶ。
 家族が面会に来ていた時は、「おとうさま」と呼ばれていたらしい。
 この方の介護保険サービスは3割負担だ。以前、入居していた、土地持ちの方も3割だったそうだ。
 それでも、民間の施設に入れるよりは安いのだろう。
 

 連れ合いは特養なら年金で入れそうだが、私は? 
 子供たちに負担させてしまうだろう。
 父は職人で年金が少なかったので、自分も姉と負担していた。まだ、子供に金がかかる時だった。自分のパート収入の3番の1が……(2年で済んだが)

 自分が介護を受ける頃、介護従事者はどうなっているだろう?
 近くに特別養護老人ホームを建てている。もうすぐオープンするが……職員は募集していたが集まったのだろうか?
 うちの特養も人手が足りなくて、5階の2ユニットは数年間、閉めたままだった。
 今でも人手はギリギリ。ひとりが休めば超勤になる。

49 痩せていく

 先日、アズサさんがベットから転落した。着替える時に座らせて、服が届かず、ちょっと離れた隙に、顔面から床に落ちた……

 私は直後は会っていなかった。 
 娘が2度目のコロナに罹り、接触していた私は休んでいた。
 久しぶりにユニットに行ったら……

 アズサさんの顔が……痛々しい、というより、怖い。
 痩せて肉の落ちた顔。眉の上は、紅く太いアイブローを塗ったよう。その上にクロのブロー。
 目の周りは赤い太い輪。特に左目の周りが凄まじい。
 それでも少しは引いたという。

 これは、家族に電話しただろう。家族はどうしただろう? 心配して見に来ないか?
 もう亡くなったけど、ツルマサキさんだったら大変だ。息子に何を言われるか……
 オープン当初、ツルマサキさんはよく立ち上がって、私がシーツ交換で部屋に入ったら、トイレで尻餅をついていた。
 リーダーに知らせたら、
「ああ、終わった」
と、思ったそうだ。
 だからといって、拘束するわけにはいかない。だいたい施設の車椅子にはベルトがついていない。

 以前、あの、うるさいコデマリさんは家族が美容院に連れて行った。歩道を車椅子を押していく。段差が多い。
 勢い余って、コデマリさんは車椅子から落っこちた……

 あれ、職員がやらかしていたら大変だっただろう。家族だから、コデマリさんもなにも言えない。

 注意しないと!
 注意しないと!
 注意しないと!

 8年前、入って4ヶ月経ったころ、パートは皆辞めてしまい私だけが残った。
 あの頃は今より人手がなかった。職員が、合間を見てシーツ交換もしていた。
 資格のない私は、最初は周辺業務。
 早番の職員は離床させていく。
 今は、職員が早く来て動いているが、当初は時間になるまで始めなかった。だから、配膳、食事はずっと遅くなった。
 その頃、副菜はまな板と包丁で丁寧に刻んでいた。今は器の中でハサミで刻んでいる。見た目が良くないのだが、速いのだ。
 キッチンから、入居者全員は見渡せない。私が刻んでいると、ネコヤナギさんが大声を出した。
「アブナイヨ」
 見ると車椅子の女性が立ち上がって、壁に突進して後ろに倒れた。止める間もない。
 慌てて職員を呼んだ。

 この方が立ち上がるなんて思いもしなかった。
「おねえさん、おしっこ」
 以外の言葉は聞いたこともない。
 
 そういえば、その朝は出勤した時からハイテンションだった。薬の処方を変えたばかりだったようだ。精神薬は難しい。
 その方は骨折し入院した。


 隣のユニットに新しい方が入ってきた。男性だ。車椅子を自走する。
 今では自分で移動できる方が少なくなってしまった。
 男性は馴染まない方が多い。マンサクさんは、リビングに出てこなくなってしまった。
 部屋に食事を持って行くと元気そうだ。このばあさんとは冗談を言うのに。
 以前、私が入浴させたことなど、忘れているのだろうか?
 脚本家になりたいと言っていた方だ。石川達三の本を娘に捨てられた、と怒っていたが、そんなことも忘れてしまったか?
「元気ですか? マンサクさん……元気じゃないよ」
 と、私が答えてやる。
「みんなが、マンサクさんの顔、見たがってますよ」
「誰が? だよ」
 まだ70歳半ばのはず。離婚してお子さんふたりを育ててきた。子どもたちは、かあちゃんについて行かなかったらしい。
 入浴介助をしていたときにいろいろ話してくれた。
 実は、この方の話をヒントにして『落日の再会』を書きましたの。

 新しく入居した男性ノバラさんは、見た目はしっかりしているが、嚥下が難しい。食事形態も、粥にとろみをつける。
 粥にとろみをつける方は初めてだ。副菜はソフト食。ゼリーのようなもの。水分もゼリー。
 気難しそうな雰囲気。食事が終わり薬を飲むとすぐに自走して自室に戻る。
 私はこの方のシーツ交換担当になっていた。仕事は7時から9時まで。2ユニットの配膳が終わったらすぐにシーツ交換に入らなければ、ノバラさんは食事を終わって戻ってきてしまう。待たせてしまう。待たせるけど。
 なぜ、イメージして担当を決めてくれないのか?

 隣のユニットは10人のうち、4人がソフト食になってしまった。ほとんど寝ている人を起こして座らせ食べさせる。薬も飲ませなければならない。介助者は大抵ひとりだ。

 今日はゲッケイジュさんが熱発し、居室対応。介助には時間がかかる。ひとりの早番でどうしろと?

 うちのユニットは、なるべく自分で食べさせる。職員が大変にならないように。
 しかし、アズサさんは口まで届かないことが多くなった。スプーンを持つが、ほとんどがビニールのエプロンに落ちている。エプロンの上で大洪水。麦茶と粥と副菜が入り混じる。
 最後はそれをこぼさないようにシンクまで持ってきて洗う。
 栄養は取れているのか? 足りているのか?
 ネムノキさんも、そんなだから体重が落ち、粥の量を増やされた。

 
 父が入っていた施設では、大きなドーナッツ型のテーブルの中に数人介助者が座り、周りに大勢の入居者が座っていた。そのときは、機械的でいい感じはしなかったが、介護する側にすれば合理的なのだろう。

50 病める時も健やかなる時も

 ユニットの若い男性が近くに来て言った。
「私事なのですが……」
 ああ、やめるのか……うちのユニットは、◯◯いからね。過去に職員がふたり来なくなった。
 私も今年の初めは来るのが憂鬱だった。最年長者でオープン時からいるけど、そういうことは初めてだった。あとから入ってきて残っている職員は性格が……少々きつい。

 雰囲気悪いよね、とパートの人と話している。リーダーの男性にも言ったが、どうしようもない。
 
 4月から異動してきたピュアな男性。痩せて50キロもないという。ひとり暮らしの身には辛いだろう。超勤も多いし、体力も精神力もなさそう……
「この度、結婚いたしました」
「え?」

 めでたい話は滅多にない。若くして、できちゃった結婚で、育休取った男性も辞めていった。
 男女共結婚しない主義の人が多い。

 おめでとう。
 いろいろ聞いてしまった。
 住居の関係でまだ別居婚。できちゃったからではないらしい。
 お祝いを……
 もう何年も、誰かが退職しようが、成人式も、親が亡くなっても、なにもない。以前は少しずつお金を徴収して、なにかあげたのに……
 辞める人が多すぎて、さすがにそれはやらないかも?
 たかだか2時間のパートの私が言うことではないが。
 0君がいた頃は、夜勤のときに食べてもらおうと、いろいろ差し入れたけど、そんな気持ちもなくなってしまった。

 結婚か。
 あなたは新婦△△さんを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓いますか?

 認知症になっても?

 隣のユニットのゲッケイジュさんが亡くなった。施設がオープンしたときからいらした方だ。ご主人は別の階に入居していて、ずいぶん前に亡くなった。
 入居時はご主人と同じユニットになるのを拒否したくらい、まだしっかりしていた。旦那様が亡くなったことは、わかっていたのだろうか?
 私はほとんど話すのを聞いたことがない。
 品のいい方で、シャンプーも家族が高そうなものを持ってきていた。ゲッケイジュさんが入浴していると、いい香りがしてきた。

 イチイさんが退院してきた。ずいぶん前に膀胱炎になってから何度か再発し、血尿が出る。
 入院するたび、動けなくなっていく。
 それでも、リーダーが朝食を持っていくと、
「こんなもの、食べられない」
と言われ、どら焼きをカットして出していた。
 プライドの高いお嬢ちゃん、と陰で言われている。
 

 ああ、また隣のユニットの職員が辞めると言う。数ヶ月前異動してきたばかりだ。異動する前のユニットの情報では、かき回す人だから、気をつけろ、と。
 長く続けてる人は芯が強い。かき混ぜられはしなかっようだ。もう私は2時間の勤務だから、よく見えない。
 この職員は不注意から、アズサさんをベッドから転落させひどいあざを負わせた。それも原因なのだろうか?
 フィリピンの方で結婚しているのかどうかもわからない。
 新人が独り立ちし、ようやく職員の数が足りてきたら、また……
 いつもこの繰り返し。

 ゲッケイジュさんのあとに入居してきたハジカミさんは、ショートステイの方。空くのを待っていたのだろうか。
 そういう方はひと月をショートステイで、1日自宅に帰り……の繰り返し。
 以前働いていた独身の男性職員のおとうさんがそうだった。入所先が見つかるまでは大変だった。その間におかあさんが亡くなり(おとうさんは、もやはそれさえわからない)仕事も休みがちになり、辞めていった。

 ハジカミさんはシルバーカーで歩く。そういう方は目を離せない。入ってくる前から、大変よ〜との情報が。
 だから、キッチンから見えるサカキさんの部屋と交換した。
 朝はおとなしいらしい。自分で歩いてきて座る。席は、しっかりしているコデマリさんの隣になった。コデマリさんとなら話ができるから……
 コデマリさんは、私の顔を見た途端に愚痴を。
「あの人、認知症だね」
 93歳のコデマリさんに、そう言われるハジカミさん。

 コデマリさんはすごい。このコロナ禍の、面会もできない状況で、衰えることもない。(ごはんの前に居眠りするようになったが)
 ボケないために必要なのは、好奇心かも。噂好きな人ほど呆けない?

ついのすみか Ⅴ

ついのすみか Ⅴ

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-16

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 41 一晩たったら本当のばあさん。
  2. 42 久々のユニット
  3. 43 最短半年で
  4. 44 ネコヤナギさん
  5. 45 周辺業務
  6. 46 コロナ禍の対応
  7. 47 変化
  8. 48 出た!
  9. 49 痩せていく
  10. 50 病める時も健やかなる時も