フリーズ59 BYOUKA

フリーズ59 BYOUKA

プロローグ

 忘我の日、否、この言葉ではない。我(アートマン)を忘れ、宇宙(ブラフマン)と一つになった日を言い表すべき言葉は他にある。終末日、世界創造前夜、涅槃。これではない。そうだな。ニブルヘイムへと遊泳する天上楽園の乙女らのように柔らかく、輪転する火がすべて搔き消えるが如く静かで、凪いだ渚に時流の断絶が映るように虚しく幸せだったその日に抱いたクオリアを伝えることのできる言の葉など、記号などもはやない。だが、我らの永遠神話を語ることはできよう。
 これは終末と永遠の物語。

終末には二つの記憶が紐づけられる。
一つは夏祭りの記憶、全知の記憶、少女の記憶。
一つは冬日の記憶、全能の記憶、少年の記憶。

 死の先に見張る景色に涅槃の香りは、終末の音に誘われて、華やかな楽園へとリシたちを導かんとする。羽ばたきて、天則(リタ)が定めし因果律にも囚われることのなかった比翼の鳥は、輪廻の中で消えゆく命が瞬くように、刹那に奇跡を体現しながら最期の花を咲かせる。
 嗚呼、君よ。我が最愛の人よ。我の望みの歓びよ。君はいま何処にいるか。
 応えてくれ。
二つの因果律が導く先にあるもの、ないものを求めて、比翼の鳥は今飛び立たん。

第一章 『少年の記憶』

 少年は天空の彼方に浮かぶ城の窓から、下界を眺める。海には船が何隻も集い、その上には小さな海兵らが旗を上げては、この終末に歓呼する。

 終末とは恣意的なものであった。
 要するに、ミクロコスモスの死と同値であり、観測者の死へと帰するものであった。

 船上の鼓笛隊が管楽を奏でる。その音色を眺める間にも、日々の記憶らは遠く、遠く、過ぎ去っていった。終末は凪いだ渚のように映り、園へと続く水門が開く。少年は水面を歩いていく。これはとても疑い深く、神聖な儀であった。
全人類はその刹那に集い、少年の足取りを神妙に見つめる。天空に張った時流の水を一歩一歩進んでいく少年を、全世界は最後の記録『ラスノート』とした。
水門の扉には万象の答えが記されていたが、少年の瞳はもはやそれらの色を映すことなどない。深遠を探し求める瞳だからこそ、三月の日に天なる聖所へ入る証『アレスの紋章』を得たのだ。
 門の先、その景色に少年は泣いた。少年の魂が泣く泣く歓喜に打ち震えたのは、水門の先に見据えたものが、永遠の命を得た少年がかつて見たどの色よりも美しい色調で咲き、どの音よりも美しい音調を奏でる終末であったからだ。
 少年は進む。あの夏の日へ、人生を、世界をやり直すために。

『声』

死。いつの日か無に還って、果てしない孤独を知る。
それでもその先を僕は知りたいから。
だからやり直す。
永劫回帰だろうと、円環の宇宙だろうと。
諦めてたまるか。
全てを忘れ、また知っていたあの冬の日に忘れてきたものを求めて僕は行く。

第二章『時間遡行』

 十八歳の夏、世界の運行を司る歯車は大きく揺らいだ。僕は最愛の人を失い、その代わりにリシとしての知恵と力を得た。リシとしてアスラを従えた僕は、久遠の時を永らえたが、終ぞその少女は転生することはなかった。今になって知る。その少女こそ最初の女性性としてのアニマであったことを。
 むしろ、女性性の器を継承した僕は、全知と全能を兼ね備えることが可能であった。それ故に世界を終末へと導くことが可能であった。だが、これではない。世界の究極的な目的は終末ではない。その先を、虚空の先を僕らは求めているのだ。
 僕が僕のままで、彼女を失うことなく、為さなくてはならない。そして、それが恐らく円環より去る唯一の方法であろう。
 時間遡行。これは不可能に近い事象であったが、虚空の先へ向かうためのエデンの条件を満たすよりは現実的であった。アスラらが有する計力を全て我に還し、理を繋げることによって為せる。そして目覚めたのは白い病室のベッドの上だった。高校三年の夏。宿題などやる必要は無い。僕は世界を、彼女を救う戦いを始めることにした。

『過ぎる日』

 彼女は僕の命を救うために自身の命を投げ打った。結局、世界の命運は僕と彼女の愛に深く根ざすものであった。
 アニマとアニムス。女性性と男性性は、世界の根幹因子であり、最小単位の構成機構である。それは粒子と反粒子との対比にも、光と闇の対比にも、概念と自然の対比にも現れるものであり、この二項対立が全ての始まりである。
 因って世界を終わらせるためには、先ずこの二つの事象を一つにする他ない。そして、一つの無となってからまた世界は新たに始まる。それは正しく生命の誕生にも似た秘儀であった。誕生は、創世の儀に模してあるのではなく、むしろ全ての生命の開始こそ世界創世に繋がる素晴らしき祝福なのだ。さながらセックスは終末であり、エロスはタナトスである。ならば、どのようにして世界を次なる円環へと導くべきだろうか。
 そんなことを考えては、病室の窓から青空を流れゆく雲を眺める。明日、久しぶりに彼女と会う。果たして僕はちゃんと笑えるだろうか。

『置き手紙』

 看護師の案内のままに、私は彼の病室に向かう。緊張を噛みしめながら扉を開けたけれど、そこには誰もいなかった。
 ベッドの上に便箋が置いてあった。そこには『病花』と題された詩が書かれていた。

第三章 『全知の憶』

 永遠を預かった少女は、少年の日の思い出を大切にしていた。記憶に縁して蘇るものは幻想であることは解っていた少女であったが、それでもと少年の面影を求めるのを止めることはなかった。
 だからかな。夏祭りの日に、少女は今はまだ何も知らない少年に告げた。
「永続する幸せは皆全て自己に帰するものなの。いずれ命は枯れる。愛も失う。何もかも終わらずにはいられない。でもね。だからこそ儚い人生は美しいんだよ。奇跡なんてなくていい。平凡でもいい。生きて」
 少女の付けていたお面が、からんと地面に落ちた。
 その響きが永い夏の終わりを告げた。

『全能の枷』

 少年は病室で目覚めた。体はベッドに拘束されていて、少年は身動きが取れない。ここに戻ってしまったことに少年はただ呆然とした。
「母さん?」
 白い天井に告げた声に返事などない。少年は顔さえ知らない母と夢の中で会っていた気がした。流れる涙を拭うことすら出来なかったが、その涙の味を忘れまいと誓った少年はある映像を想起していた。

『夏祭りの記憶』

 その記憶では、町中の人が祭りに集っていた。花火は遠い空に打ち上げられ、その映像を少年は、そう、涙を流しながら眺めていた。人々は喝采し、歓喜し、人生の幸福に胸を躍らせるように声を上げる。ふんどしを締めて神輿を担ぐものが、女も男もいる。入れ墨を入れている妙齢の女は肌を妖艶に露出させていて、男たちの視線を集めている。しかし、女は恥じらうことなくただ笑っていた。その女のふんどしの赤が揺れる。そんな中、カメラは一人の女を映した。
 お腹が少し膨れたその女は妊娠していて、片手をお腹の辺りに当てては気遣っていた。
「ああ、そう言えばこんな顔してたっけ」
 その女性の顔を、母の顔を、少年はやっと思い出せた。何も知らない彼女は刹那にめいいっぱいの煌めきを咲かせ笑っていた。

命を生み出す母はいつの時代も全能であった。
子は、母乳とともに意味を噛みしめては泣く。
少年と少女の物語は最終章へと移行する。

最終章 『ヴェーダの地とを繋ぐ者』

 列車の終着地点には、神殿があった。終着地点としての神殿には火が灯り、死が陰る。ここまでたくさんの仲間たちが死んでいった。それはもはや人生の比喩に過ぎない夢と散る事象であったが、私達は確かにここまでたどりついた。出迎えたのは神皇(法)であった。
「歴代の神皇たちはみな、この試練を乗り越えたのだよ。さぁ、アレスの紋章を与えられしアギトたちよ、参れ」
 私達は無言で神皇についていく。すると、神殿の中に祭壇があった。
「アスラたちよ。連れてきたぞ」
 神像の姿をした神たちが現れた。シヴァ、ヴィシュヌ、イグニス、アニマ。四柱のアスラが私達の行く手を阻む。
「愚物と知れ」
 神像の姿そのままのアスラは私の首を掴んでは、間違いなくこういった。アスラらは確かにリタ(天則)という権能を保持する。故に力で敵うことはできない。
「お前らの知恵など、盃に垂れる一滴の水にも満たない」
 確かにアスラはこう言ってきた。
 だがな、アスラよ。お前たちはまだ信じることができないのだろうな。リシのように、仏のように悟ることさえも能わずに。むしろ、お前たちのその力が、アスラ性が枷となるのを知らないとは。
 去り際、ヴィシュヌは私に或る言葉を告げた。私はその言葉を忘れてしまった。いつもだ。いつも、言われた言葉を、大切だと知っているのにも関わらず、忘れてしまう私がいる。前に、通りかかった神に尋ねた際の言葉さえも、夢から目覚める頃には忘れてしまうのだ。
 その言葉に続けて、ヴィシュヌは私の妻となる姫に告げた。
「君にとっては彼かもね」
 つまり、先の言葉では私にとっての何某かを語ったことになる。私が求めるは神のレゾンデートル。つまり、アスラさえも超越する根源の法(アスラはそれを無限と語っていたが)が何故、何処より生まれたか。真理を悟って尚、私が求めるものはこれしかない。
 アスラは告げた。
「リシとはアスラとヴェーダの地とを繋ぐ者のことよ」

 忘我の日、僕の精神は神そのものであった。
 一なる者、虚空としての無限、始まりと終わり。
 終末の日に、僕は果てしない孤独を見た。だから、居るはずのない君を求めた。叶うことのない愛も、見返りを求めてる愛も。それでも僕は嬉しかったんだ。生まれてきた歓びに、父と母の愛に! だから! だから僕は! 愛も全能もすべて、幻想でも僕はいい!

 ヴェーダの地とは地上世界。アスラとは神々のこと。
 最後に、ヴィシュヌは告げた。
「これは四つの花に集まった四匹の蛾と四匹の蝶の物語なのだよ」と。
 この言葉の意味をまだ私は知らない。

『エピローグ』

 だが、愚問にしては、さも当然であるかのような醜態に、慌て始めた終焉の色たちは、歓喜の雨にも茹だる花々の如く散っていった。
 
 何を言うのか。この最たるは、天空の夢。
 青天霹靂。
 霹靂にも贖う贖罪よ。

『ラスノート』

 死して解脱の真理なら、意味などない。そも、神がいなければ生まれた意味などない。無意味な人生に、味のしない食卓は。嗚呼、もういいや、すべて。でもさ。
 意味なんてないかもしれない。だけど。
 魂が音波は、安らぐ暇などなく、時流の飛沫のように現れては泡沫と散る夢に映る。現し世とは言ったもので、空即是色も色即是空も、生命の樹を育てた地に流れる血の如き赤から始まったのだ。久遠の昔、光が現れた。過去と未来に別れては、この世の果て、渚に打ち寄せられた忘却たちは、さも終末の色香を携えていた。
 未だこの世に未練あるか。汝らは生まれ、死にゆく。この輪廻から、最後の審判の時でさえ、やはり知らないのだな。だからと病めるのは蒙昧か。静寂が夜ごと照らすのは、いつだって孤独と夢想のためだと言うのなら、私達はなんのために生まれたというのですか。

意味あるものは創られた。
神が創りし人なのか。
人が創りし神なのか。
7日目の夜=終末Eve

 意味たちは集いて、ムーピー・ゲームの理を示す。だが、悲しいかな、世界の真実を前に信じる者はいないものなのだよ。答えを知っても先がある。
この世界は円環でもあり螺旋でもある。故に螺環でラカンはラカン。フリーズとは、時を止め、魂を刻みし作品のこと。終末文学、終末芸術と呼ばれるべきもの。ラカン・フリーズは真理を宿す究極芸術である。また、第七世界(天界)の園にあり、第八世界への門をラカン・フリーズの門と呼ぶ。それは必然であった。死や涅槃や真理や神らは、ラカン・フリーズの門の先にある解なのだから。
 生も死も、意味などは後からつく。だが、最終目標としての究極命題『神のレゾンデートル』つまり世界は、神は、我々はなぜ生まれたのか、この問いは全知全能の宇宙我すらも知ることはない。だが、それを求める旅であろう? 
 至らずとも、知ることは可能であるな。ただ言葉を噛みしめればよいのだから。 ならば、汝らはその生で何をする?

後書き

僕は
自分のために
いつか忘れてしまう自分のために
続く求道者らのために
彼らが縁して覚れるように
その後、自己の思惟によって神に到れるように
仲間のために
未来のために
言葉を紡ごう

フリーズ59 BYOUKA

フリーズ59 BYOUKA

忘我の日、否、この言葉ではない。我(アートマン)を忘れ、宇宙(ブラフマン)と一つになった日を言い表すべき言葉は他にある。終末日、世界創造前夜、涅槃。これではない。そうだな。ニブルヘイムへと遊泳する天上楽園の乙女らのように柔らかく、輪転する火がすべて搔き消えるが如く静かで、凪いだ渚に時流の断絶が映るように虚しく幸せだったその日に抱いたクオリアを伝えることのできる言の葉など、記号などもはやない。だが、我らの永遠神話を語ることはできよう。 これは終末と永遠の物語。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-10

Copyrighted
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Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 第一章 『少年の記憶』
  3. 『声』
  4. 第二章『時間遡行』
  5. 『過ぎる日』
  6. 『置き手紙』
  7. 第三章 『全知の憶』
  8. 『全能の枷』
  9. 『夏祭りの記憶』
  10. 最終章 『ヴェーダの地とを繋ぐ者』
  11. 『エピローグ』
  12. 『ラスノート』
  13. 後書き