フリーズ58 散文詩『病花』
変わり果てるセツナに因りて
眼前に悠然と薄れゆく景色の行く末を求めて、セツナ。
ただ、セツナはそこにあることを止められず。だが、それさえもっと大切にしていたのなら、絶えずとも不変の意図する原初の光にも満たされないことはなかったろうに。だから私が紡ぐ言の葉なのであろうか。
散文詩の求める色香や音調のために、流離う離縁の求道者らは、せめて手向けに奏でるその心臓の音を止めずに、さぁと合図して海底へと身を投げ打つのです。
狂えるほどに、Cruel。
さて、此度の醜態にも慌て始めた終焉に、病花の色香らは散文詩の求めるセツナの導きに因って花園の先へ、楽園の行く末にも満たない、月の秘密のみぞ知る類の孤独を愛するために、ただその身果てる定めを悟る。
「僕はここだよ」
神に告げても、誰も気づいてくれやしない。だからと期待をやめるのも愚かだと云う心根のために、いつまでもここに根を張るのをやめる日のために歌いたい。
やめて、やめないで、病まないで。
病花の痛み、病花の憐憫よ。
病花が咲いたよ、美しく。
だけど、いずれ枯れると知って。
終末の日に咲いたから。
ああ、わたしは、ぼくはここにいる。
生まれてくる場所選べずに、それでも根を張り生きてきた。病花は脳に種を植え、咲いた妄想、愛おしい。
ああ、病まないで、止まないで。
心の雨よ止まないで。
このままでいい、暗くても。
刹那、縁して曰く「殺せ」と。
セツナはそっと手を離した。花を見つめて、なおも手向けに供える旋律に、雲の上を飛ぶ鳥たちを想っては、晴れた夏の陽射しに涙する蝉の声を手放して、ぼくは行くよ。
咲いたよ咲いた、病花がね。
心ここにあらず。
でも、いいんだ。
綺麗に咲いたから。
病室の窓辺に一輪の花。
それでいい。これがいい。
だから、ぼくはもういいんだ。
病花よ、永遠に
散文詩は結局、己が最終的究極的に求めるものを自己に帰結することにした。否、そうせざるを得ない世界であったからだ。だが、世界は時流は否応なしに続く。その定めを悟る日にも、次に求めるべき問を知るのだ。
離縁の求道者らの旅はまだ終わらない。
セツナ、それは真理へと導く理のこと。天使にも神にも仏にも似たセツナは、まるで病花であった。妄想か、蒙昧か。だが、むしろその幻想に映る色香や旋律に、私達の魂魄は打ち震え、雄叫びを上げ、天へと昇る翼を得るのだ。
死とハデスの狭間より、愛を体現せしめよと。
まだ死んでないだろう?
虚空を見据えてなお、いつか全てを忘れてしまう僕のために、この言葉等を紡ぎたい。
病花よ、永遠に咲け。
フリーズ58 散文詩『病花』