DKL's➺D3
幽冥編---------------------------------
オレはライフィス・リュード・ナーガ、またの名を春日龍斗という。
カタカナの名は前から順に、家族だけ呼べる本名・通称・名字。漢字の名はオレ達が着る「ニホン」の服と同様、両親の趣味だ。
暇さえあれば修行、そして大事な息子を家事にこきつかう鬼両親から逃げ出すため、オレは今いる世界の封印を破らなくてはいけない。
けれど、竜王なんて怪物である両親がかけた封印を解くためには、オレが過去に、竜の墓場という場所でなくした竜珠≒竜が必要らしい。
ついでに昔、暴走して体を封印され、魂が墓場にいるはずの姉貴も連れて帰れと言われ、オレは単身、竜の墓場へ乗り込んでいく……。
--------------------------DK-L's 前日譚
re-create:2024.8.13
神竜編---------------------------------
自然の化身をヒトとした「竜」と共に、様々な時と場所を駆け抜けて戦うファンタジー。
天涯孤独で霊獣族の養父に拾われたサキは、生まれる前に竜の墓場にいた記憶を取り戻した。
墓場で出会った家族達と再会するために人間界を訪れた咲姫だったが、稀少な「心眼」がやがて禍を呼んでいく。
--------------------------D3DK-L's 本編
update:2024.12.13 ※2024.12.18:大量誤字修正
Special Thanks
キャラクター原案
D3:Saki
➺L's.1 オレの両親は「王」だった。
【Dragonet Kitty & Lifis=Rude-Naga's story】
ここは、「竜宮」。オレの両親がわけあって封印し、引きこもり続ける何もない島だ。
オレのクソ親父とお袋は、昔はさぞ名が通ってたらしい。今じゃ見る影もねぇが。
何しろ「竜宮」には町も村も無いばかりか、人もオレ達と後、数人の知り合いしかいねェ。オレはいい加減、この無味乾燥な生活に嫌気がさしていた。
しかし、お袋をお袋と呼ぶのも苦情があがる。何故なら。
「アオイ。ライフィス、まーた家出」
「何? ……アイツもこりねー奴だな」
とにかく、こいつらは若い! オレみてーなガキがいる年の姿じゃねーよ、人間的に。
「どーせまた、海越えられなくて遭難してるさ」
悔しいが、オレは全く、その言葉通りの状況にいた。
竜宮の海は、ある一定の領域を超えると突然大嵐になる。それでもオレは、この何もない場所を出たくて、今日も今日とて両親のいる古城を後に、すぐ近くの海岸から旅立ったのだった。
「……リュード。リュード!」
……誰だ、オレを呼ぶのは。
うちの家系は、二つの名を持つことが恒例らしい。リュードというのが、オレのセカンドネームで通称になる。
家族以外には通称で名乗るのが恒例で、オレをこう呼ぶ奴らは、ここでは二人しかいない。
「オマエ、また勝手に船持ち出して、しかも壊したな。何度言ったらわかんだ、この大陸からは出られないんだよ」
思い出した。この声は……。
「くォらリュード、きいてんのか?」
「その顔でエラそうにすんな……タイティー」
「あァ?」
こいつは何故か、オレの親父とそっくりな妙な精霊族だ。ティタニアという奴と、普段はうちの城から少し南西にある森の城に住んでいる。
「ティンクが心配してたから、わざわざきてやったっつーのに」
「ほっとけ……」
蛇足ながら、ティンクというのはティタニアの愛称だ。タイティーもティンクも妖精という種族で、親父と強い縁があって竜宮に棲むのを許されてる奴ららしい。
「にしても、タイティー……この海には果てがねーの、何でなんだ?」
「そりゃ、この世界にはこの大陸しかないからさ」
んなバカな。オレは小さい頃だか何だか、色々連れていかれた記憶があるぞ?
「ま、オマエにゃそろそろ話してもいい頃か……この世界のヒミツって奴を」
そう言うとタイティーは、オレに付いてこい、と手で示して、歩き出していた。
そもそもの始まりは、何と、約二千年前まで溯る……。
「サギかよ、オイ」
うちから南西の城の客間で、呆れて席から立ちかけるオレを、タイティーが笑って引き止めてきた。
「オマエは知らないだろーが、この大陸の歴史はややこいんだ。おれも実は、大して知らね」
なので後は、ティンクが話すということらしい。
「それは、遠~い昔のコト……毎日戦いの修行に明け暮れる、空色の髪の少女がいました」
めんどいのでここからはナレーション交代。二十年以上前の携帯小説だし、許せ。
それでは、改めて。
そう、それは、千年くらい遠い昔のお話です。毎日毎日、修行に明け暮れる少女は、名前をライムといいました。(お袋じゃん……)
ライムはいつも、友達の妖精とあちらこちらを冒険し、その剣の腕に磨きをかけていました。
やがては二人の兄弟忍者が弟子入りする程に、ライムは強くなっていたのです。
あーあ……何か、クドクド話すの疲れたなァ。(はえーよ!)
こっからは手っ取り早くいくねー。
つまりはね、ライム少女は実は古代の最強の種族竜族の女王だったのだ!(話飛び過ぎ…)
ライム少女は弟子忍者二人と旅をする内、竜族生誕の大地竜宮に辿りついたんだけど、その場所は禁断の大地だったのね。
自分の故郷ともいえるその大地でライム少女は、まぁ一言で言えば、世界を巻き込んだ姉妹ゲンカを繰り広げるの。
実は、ライム少女の大事な友達だった妖精が、ライム少女の双子の妹の生まれ変わりで、色々あって戦わざるを得なくってサ。
結局相討ちに近いことになって、ライム少女はそこから一千年の眠りについたというワケ。
「で、結局、その姉妹ゲンカとこの大陸の閉鎖と何の関係が?」
う~ん。そもそもはね、その姉妹ゲンカの原因が、二千年前の歴史的災禍に溯るの。
その災禍っていうのが、光と闇の力の属性に分かれた竜族達が引き起こしたものなの。
ライム少女も双子の妹も、本来の生誕はその災禍の直前。二人は一応、光竜の娘として生まれたんだよね。
ライム少女は、光竜の王女。ところがその妹は、光と闇を併せ持つ「影」、古くから忌まわしいとされていた力で内乱を起こしちゃってね。
本人の意志じゃなかったにせよ、そこで竜族が滅びへの道を辿った。
ライム少女は竜宮が滅びる直前に千年の眠りにつかされて、その後遂にその妹と決着をつけようとして、また千年、眠りについちゃったわけなのだ。
さて、ここから話はまだまだ続くんだから。(主役オレじゃなくなってるぞ)
ライム少女がそうして二回目の千年の眠りにつくと共に、この大陸はまた封印されてた。
封印の主が眠ってるから、竜宮は千年の間、待ったの。主の目覚めを。
「今はお袋の奴、ピンピンしてんのに、この大陸はまだ封印されてるのか?」
ソレをこれから話すんだってば。
「手短に頼む……」
だから話すと長くなるって、最初に言ったでしょ!
えーっとね、今まで話したのがいわゆる一部で、ここからが魔王も登場する二部ってワケ。
「げ……お袋の次はクソ親父かよ?」
あったり前でしょー。この大陸の秘密を知りたいなら、最後まで付き合うコト!
「で……親父がどうかしたのかよ」
うーん。魔王はね、初めはライム少女の腹違いの兄だと思われてたのよね。
ライム少女は以前の眠りから、ひとまず新たな体に生まれ変わって、その両親が色々問題抱えてたの。
「ろくでもないな……」
まあとにかく、それでもライム――雷夢少女と魔王は、竜の王女に魔族の王な、ちぐはぐカップルだったの。
「そーなのか?」
そーだよ。だって竜と魔族は敵対してたも同じだもん。
「つまりはロミジュリを素でやってた訳か……パターンな奴ら」
うーん……というか、ちょっとシリアスさが欠けてた上に、極端だったよ。
「まあ、あんなフザけた奴が魔王だもんな」
そうなの。
「とにかくお前ら、王だの何だの、肩書きばっかハデにしたがってねえ? タイティーとティンクはまた、妖精王とか言うしな」
何よ~、事実を言ってるだけなのに。
それとも何? リュードは自分が、そんな重い血筋の者だと信じたくないの?
「は?」
だっていずれ、リュードはこの大陸を継がなきゃダメなんだから。責任は重大だよね~。
「大陸を継ぐって……何のこっちゃだよ?」
言葉の通り。雷夢様達が死んだら、リュードが引き続きこの大陸に封印をかけるの。
「ってことはだ。わざわざこの大陸を出口無しにしたのは、親父達なのか?」
そう。あの二人がやっと、大陸の半端な覚醒を断ち切ってくれたの。
この大陸って、今じゃもう幻になってるけど、昔はこの土地を巡る戦争が多発してたの。
それは何でかとゆーと、雷夢様や魔王を見てもわかるけど、ここで生まれた者は、特に血筋のしっかりした者は物凄く強い力を生まれつき持つから。
昔の雷夢少女もその妹も、そして魔王も、そんな強過ぎる力に弄ばれながら必死だった。結局、この大陸を封印することでしか、全ては落ち着かなかったの。二人の周囲の争いも、世界を巻き込んだ姉妹ゲンカも。
「わかった。長話はもーいい。今知りたいのは、外の世界に出る方法だっての」
え? ……そんなの、無いよ♪
あれ、何処行くの、リュード? 何で怒ってるの? おーい?
「あーあ、リュードの奴……早合点しちまって」
えーと。最後の私のセリフにリュードがキレて出てっちゃったんで、ティンクちゃんナレーターはここまでみたい。
「ティンクもティンクだぜ。『そんな方法、一つしか無いよ』をハショって、『そんなの無いよ』ですませちまうから」
ぷーんだ。ニホンゴのアヤってヤツだもん。
「んな言語、おれ達ホントに喋ってんのか……とにかく、意味が変わる省略ってやつぁ困るね」
そんなコト言って、タイティーだってホントは、リュード困らせて喜んでるくせに~。
「ハッハッハッ。いやァ、これも親心みたいなモノさ」
……あ。親心と言えば。
「――! そーだな。もーすぐアレが届くんだよな」
うん。楽しみ~♪
*
「ったく……」
タイティー達をほって出ていった後、オレは自分の城には帰らず、嵐で壊した船を修理するために再び海岸に行った。
「こーなったら意地でも逃げてやる。これ以上あいつらのオモチャになってたまるか」
あいつら、とゆーのは、親父やお袋のみならずここの住人全てを指す。
っつーてもタイティー、ティンク以外に、ほとんど住人いねーけどな。
「大体それがそもそも変なんだ。ほんとに稀に押し掛けてくる客とかいるにはいるくせに、出口が無いなんて有り得んのか?」
「……あの……」
砂浜に座って考えこんでいたオレには、背後の人影に気付く由も無かった。
「あの……リュード、ですよね?」
「――?」
小さな声に、振り返った瞬間。
さっきの声の主より後ろにいたもう一人が突然現れ、オレの手をがしっと握りしめた。
「ほーほほほほ! リュード! 久し振りですわね!」
「いっ!?」
オレはひたすら、唖然状態。
「あ~、大きくなるとやっぱりルシフェルト様にそっくり~♪ ステキ♪」
何なんだ、こいつは……。
「姉さん……リュード、呆れてますよ。それにリュードは、どちらかというとライム様似じゃないですか?」
未だにオレの手を強く掴む女は、横の妹らしき奴の一言に急激に怒気に染まった。
「その名は禁句でしてよ、フェネル! このアーニァからルシフェルト様を奪った、にっくきその女の名は!!」
ってことは、ルシフェルトってのは親父の名らしい?
かなり混乱中のオレに、フェネルという奴がスミマセン、と軽く会釈した。
アーニァという奴は、少し落ち着くとやっとオレの手を離した。
「お前ら……何モンだよ?」
「まっ。リュードったら、このアーニァを忘れたっていーますの!?」
一応記憶を辿ってみたが、こんな金髪女に会った覚えなんぞとんとない。
「何て薄情なんですの! たかだか十四年ぶりだっていーますのに」
「んなの覚えてる訳ねーだろ! オレ今年で十五だぞ」
大体、たかだか十四年って、感覚おかしーぞ。
「あれ? アーニァにフェネル?」
げ。この声は……。
「あ。お久し振りです、ライム様」
「何しに来ましたの?」
二人の後ろには、お袋が珍しく笑って立っていた。いつもこのお袋は無愛想なのだ。
「何しに来たって、こっちのセリフなんだけど。うちのライフィスで遊びにきたワケ?」
余裕の表情でお袋は二人を見ると、今度はオレの方を向いて二人を指差した。
「あの二人は、アーニァにフェネルっつーて、ティンク達と一緒で妖精。OK? 家出息子君」
「……あっそ」
「あらあら。実は家出中でしたの? リュードってば」
「何かヤなこと、あったんですか?」
二人が改めてオレに向き直る。アーニァはヤケ笑いで、フェネルはいたって常識的に。
「別に……あんたらには関係ねーし」
「そうそう。二人共、用があってここまで来たんでしょ? ラースで遊んでる場合?」
とにかくオレはオモチャ扱いかい。アーニァがオレと同様にそっぽをむく。
「フン、ですわ。あなたに忠告されるいわれはありませんことよ」
とか言いながら、敵愾心満点のアーニァの横で、フェネルが何か取り出していた。
「あー! フェネルそれ、もしかして……」
?
「ええ、ライム様。お察しの通り、『妖精の卵』です」
……??
「そっか……ついに生まれたのか」
「ええ。今は一応、中で眠らせてますが、可愛い女の子ですよ」
ついついオレは、尋ねてしまう。
「質問ー……生まれるって、何だよ?」
だって、卵って?
「ラース、知らないっけ? 妖精は卵で生まれるの」
……マジか!?
「ってことは……」
「そう。この卵の中身は紛れもなく、ティタニアとタイティーの娘ですことよ」
少しの間、絶句していたオレは、
「ほら、ラース。卵の中身一緒に見にいこ」
と、わくわくしてるお袋にバンバンと肩を叩かれた。しかも痛かった。バカ力め。
「これ、今からティンク様達の所へ届けるんです。良かったらご一緒しましょう」
いや、オレ今、そこから出てきたばっかりだっつーに。
「ちょっとフェネル。リュードはともかく、どうしてこの女まで誘いますの?」
「あー、失礼ね。あんましそーいうこと言うと、アオイにあんたの悪口言ってやる~」
「……ピキッ」
な、何か今、神経のキレる音が口から聞こえたぞ!?
「……しょうがないですよね、二人共」
オレにだけ聞こえるように言うフェネルに、オレは心から頷いていた。
結局オレは、卵を持ったお袋達にはついていかず、一人で森を歩くことにした。
この森はうちの城の南東にあり、小さい頃からオレの修行場だ。一度入るとなかなか出られない上、妙な生物も沢山住んでいる。
特にポピューンというフザけた神獣が、よく「見えて触れる幻」で戦いを挑んできたりする。
そういう森だから、最初にあいつが現れた時には。てっきりオレは、また妙な幻が出たな……と思った。
「へー……ライフィスってば、随分大きくなったんだねぇ」
目の前に顕れたのは、オレ達とは違う仰々しい服装のポニーテール女。しかも髪の色は蒼で違うが、顔がお袋そっくりなのだ。
「ちょっと~。何で黙りこくるワケー?」
お袋もどき女が、足音も無しに歩みよってくる。やっぱり幻か、と改めてオレは思った。が。
「もー。ライムにアオイの奴、どーいうシツケしたのよー。初めて会うおばに挨拶もしないなんてー」
「……お、ば?」
「何? ひょっとしておばサンの存在も知らないって? ああ……世も末だわ」
やたらに落胆してみせると、お袋もどき女は背を向けた。
「せ~っかく、タイクツのピークそうなラース君を、連れ出したげようと思ってきたのにー」
「何だって?」
思わず女の腕を掴もうとすると、女は笑って軽くよけた。
「……あたしが来たこと、二人には言わないでよ」
そして、またね、と言って消えていった。現れたのも唐突なら、消えていくのもあっという間な女だった。
そして。妙なお袋もどきの女が去ってから、とりあえず城に帰ったのが間違いだった。
「は~い。ライフィス二十八回目の家出の罰として、一週間家事独占の刑♪」
コノヤロウ……オレは両腕を握りしめた。
ここぞとばかりに、お袋が嬉しそーに「罰」を言い渡した。
「オマエも懲りない奴っちゃなー。何回主夫すりゃ気が済むんだ?」
親父が呆れ顔で呟く。ここでお袋に逆らえばどうなるか、よく知ってのことだ。鬼ババア……。
「……ところでよ。あんた、妹いたんだって?」
皿洗いしつつ、さり気なく切り出してみると、お袋がハッという顔をした。
「実の母を、あんたとは何!」
そっちかよ!
「ホント、最近の若者は……で、リンティがどーかしたの?」
急に本題に帰ってきた。お袋はいつも、話が早過ぎるとこがあるんだよな。
「リンティ?」
「それが名前。私の双子の妹のね」
知らないで聞いたワケ? と首を傾げた。
「それも知らないって、何処でどんな話聞いてきたの?」
一応、タイティーとティンクに聞いたことだけ手短に話す。実際に会ったことは伏せておいた。
「へー。『世界を巻き込んだ姉妹ゲンカ』なんて、よく言うわ」
「全くだな……俺も実際のところは言えないってのに」
両親共が、苦く笑いながら頷き合っていた。この二人には珍しい顔だ。
「で、結局どーいう奴なんだよ?」
……と黙った後。珍しく二人で顔を見合わせた。
「今は過去形の奴」
は? オレはしばし、また唖然とした。
「あのさ。過去形な奴ってことは、つまり死んでんの?」
ん? と二人は、それぞれ別方向に首を傾げる。
「そーだねェ……」
「死んでると言えば死んでるし、死んでないと言えば死んでないな」
はぁ? 相変わらずこの二人は、話をはぐらかすのがお手のものだ。
「ま、死んでる死んでないはともかくとしてよ。会えないってことだけは、確かかな。私も、そして向こうも」
珍しく寂し気にお袋が言う。
オレはというと、親父はどうなんだ? と、つい頭ん中でツッコんでいた。
とにかく何やらワケ有りのようだが、はっきり言ってオレが興味あるのはそこじゃねェ。
「これだけ答えてくれよ。結局そいつ、何処に住んでんだよ?」
つまりは。大事なのは、奴が何処から来たかだ。この狭い大陸にいたとは考えにくい。
アーニァとかも含め、もしも外の世界から来たとすれば、やっぱり何か出入りの方法、あるはずだろ?
「そーだなァ……俺もよく知らねー。以上」
役立たずかよ。
いくら冷静なオレでも、いー加減キレるぞ、ったく。ふう……。
*
「ねえ、アオイ。昨日のライフィス、何か変じゃなかった?」
「?」
翌朝のことだ。当然の如く、城にじっとしてないオレを笑って送り出したお袋が、まだ寝ボケ眼の親父にコーヒーを作りつつ、喋っていたらしい。
「ティンク達に話を聞いたとはいえ、何であの子、リンティに特に興味持ったのかしら」
「さァな……」
お袋程に寝起きの良くない親父は、ぼーっと首を傾げている。
「……アイツなりに、考えあってのコトだろ。いい加減、この狭過ぎる世界にうんざりしてるみたいだしな」
「まぁ……気持ちはわかるけど」
自分は若い頃は、色んな世界で冒険人生だったらしい両親だし。
「そろそろラースも、あの事件にケリつけさせて、外に出さなきゃダメかな……」
あ、そーそー。お袋は思い出したように手を打った。
「アオイはもう、ナナハちゃん見た?」
「会った? の間違いだろ。昨日遅くに、タイティーの野郎が見せびらかしに来たっつー……」
どうやらナナハとは、タイティーとティンクの娘と称する、あの卵の中身らしい。
「タイティー達には初の子供だしね。早速親バカしに来たか」
「おかげでこっちは睡眠不足……」
不服そうにコーヒーをすする親父に、にっこりお袋が笑いかける。
「いいな、女の子って可愛くて。ねェ、女の子だといいね」
「何が」
「お腹の子供」
……ぷしゅーっ。
唐突な事態に一瞬間を置きつつ、飲みかけのコーヒーを全て吹き出したという親父だった。
「ったく……昨日の奴、何処にいんだよ」
お袋の爆弾発言に吹っ飛んだ親父を知る訳もなく、オレは一人、森をさまよっていた。
「やっぱし、ただの幻だったってオチか? そういやエラく、影薄い姿してたしな……」
「悪かったわねー。影薄くてー」
……。頭上を見上げると、お袋そっくりのあいつがふふん、と笑っていた。
「あんた……相当強いな」
「およ? そう?」
これでもオレは、ガキの頃から両親にかなり鍛えられている。そのオレに全く気配を感づかせなかったこいつは、今のオレよりは強いってことだ。
「答えろよ。本当は何者だ? あんたは」
「本当は、って……」
妙な質問ね、と首を傾げた。まあ、おばとは一応名乗ってるしな。
「そォね。改めて自己紹介しとこっか。あたしはナーガ。天使アースフィーユ・ナーガ」
は?
「ちょっと待てよ。リンティじゃなくて、ナーガ?」
聞いてた話と違うじゃねーか。
「あ。そっか。そう言えばリンティ・アースフィーユ・ナーガだったっけ」
だった、とは?
「でもあたしはナーガなの。よろしくね、ライフィス」
にっこり笑って、それ以上の質問を封じる。こいつもやっぱり、一筋縄じゃいかない奴のようだ。
「さてと。今日はまたどうして、あたしはライフィス君に会いに来たと思う?」
「知るかよ」
「じゃあライフィスはどうして、あたしを捜してたの?」
こいつ、わかってるくせに。やっぱりどころか、お袋以上に性格悪いぞ。
「聞きたいことがある。この大陸の出口は何処にあるんだ?」
簡単に答えるとは思わなかったが、この際率直にいくことにする。
「出口?」
「そーだ。最もあんたにとっちゃ、入口だろうけどな」
これを聞くと、ナーガはふふん、と笑った。奴が外から来たって推測は、どーやら当たりか。
「ライムか誰かに言われなかった? ここは丸ごと封印されてるって」
「ティタニアはそう言ってたな」
「ああ。ティンクね」
遠いものを見る目で微笑する。この辺りは、表情に柔らかさの少ないお袋とあんまり似てねえ。
「封印されてる場所で、中から外へ出る方法は一つだけ。封印を破るのよ」
「それって……目茶苦茶当たり前じゃねーか」
「うん。そんなモンでしょ?」
「じゃ、どうやって壊せばいいんだ? 封印」
簡単に言うねェ、とナーガは目を丸くした。
「あのさァ。封印って物は、やっぱりそれなりに理由があって存在するワケ。それをそんなにあっさり、壊していーと思ってるの?」
「てめーだって、壊して入ってきてんだろが」
「ははは。鋭い」
そーいう問題でもないだろ。
「ま、あたしはほどいても、入ったらすぐに直すから。でも今の君にそれができる?」
「……実力的に、ってことか」
「そォ。それに多分、ほどくことも不可能だし。ライム達も伊達に王じゃないんだからさ~」
「何だよ、それじゃここから出るには、どのくらい強くなればいいんだよ」
「強さって言うより、制御力の問題よ」
制御力?
「どんなに強い結界でも封印でも、必ずある一点、力をほどける領域がある。言ってみれば、結び目ってとこね」
つまりはそこを狙えばいいってワケか。
「でもその結び目が何処か見つけるのにも、力の流れを悟れる程の制御力が要る。更に封印は結界と違って固定された輪だから、ほどいた部分は全て逐一直さなきゃいけない」
結界はある意味、術中は力を放出し続けてるから、壊れてもその場で修復されるらしい。
「今のライフィス君じゃ、まあ無理ね」
ムカ……。
とにかく、強くなれってことか。黙り込んだオレを見て、ナーガは意地悪く付け足した。
「それにしても大変ねー。ここ出れる程強くなろうと思ったら、後何十年かかるかな?」
「何……十年!?」
「うん♪ ライム達、今いくつだと思ってるの? もー二百は近いんだから」
そんな奴らに、少しでも追いつくためには、何十年もかけろと?
「冗談じゃねーよ! んなどーしよーもない事言うためだけに、あんたは来たのかよ?」
「んなワケないでしょ」
「だろ! じゃーいい加減教えろよ! オレに何をさせたいんだ、あんたは」
それを聞くと、奴はニヤリとした。悔しいが何か、のせられた気分だ。
「どうしても脱出方法知りたいって言うなら、教えないこともないよ。但し! あたしの出す条件、のめばの話だけど」
「ほォー?」
ところがどっこい。簡単に利用されてやる程、オレは甘くねェ。
「条件なんて出せる立場かよ? あんた昨日言ったよな。自分が来たことは、親父やお袋に黙ってろって」
「……」
「喋られたら困ることでもあんだろ? 黙っててやるから脱出の方法、教えてもらおーか」
こーしてしっかり、脅す側に回ったオレ。ナーガは心持ち、苦笑した顔付きだ。
「ハハハ。ライフィス君てば、賢い。別に困るってワケじゃないけど、ややこしいだけ」
は?
「そうだろうな――リンティ」
!? 今の声!?
振り返ると、見た目は銀髪チャラ男が立っていた。
「全く。その名で呼ばないでほしいわ、旧魔王さん」
「悪ィ悪ィ。今はナーガだっけな?」
お、親父……何でここに?
「いよっ。ラース」
「いよっ。じゃねー! 何しに来たんだよ」
ったく、この年中おチャラケ男め。
「昨日オマエが変だったから、何かあると思ってさ。まさかリンティ本人に会ってるとはな」
さいですか……何かこの両親、敏感ではあるんだよな。
「で。何のつもりで、わざわざラースに会いに来たんだ? ナーガ」
「何を今更。後始末に決まってるでしょう。それよりあたしが来てること、彼女には……」
「安心しろよ。気付いてないし、言ってねェから」
そう、とだけ、ナーガは複雑な表情で呟いていた。
「ところで、わかってるでしょ? 今が一体どういう時なのか」
「ああ」
??
「今を逃せば多分この先、好機は訪れない。ライフィスも外に出たがってるし、ちょうどいいと思うんだけど?」
「ライムもそう言ってたよ。考えることは同じだよな」
おい。ヒトを置いて、二人で話、さくさく進めやがってからに。
「まァ、失敗すれば、ライフィス君の命も危ないけど」
急にこっち見て、んな重大なことさらっと言うな!
「どの道、今のままじゃラースはいずれ死ぬ。自身の力の暴走でな」
「何言い出すんだよ」
「……まあ、とにかく。オマエはここで、ジョシアを助けなきゃいけないんだ」
――。
ジョシア。その名を聞いた時に、オレの脳裏をある記憶がよぎっていった。
黙り込んだオレに、親父はそれ以上何も言わなかった。
「じゃ、あたしはサポートに廻るから。ライフィス君。外に出たいなら、そこの旧魔王の指示に従って。コレが条件よ」
言うだけ言うと、ナーガは消える。反論の余地も無かった。
「んじゃ、城に帰るぞ、ラース」
結局従わなきゃならないのはすげー癪だが、何だか空気が神妙なので、オレは黙って後に続いた。
「なァ。あいつ……ナーガ、お袋に会ってかねーの?」
「死天使だからな。死んで天使になった者は、自身の死を見ている生前の知り合いには会えない。天使は概念の生き物だから、周囲から死者として捉えられると、存在が死者に戻っちまうわけ」
じゃ、あいつ、やっぱり死んでるのか?
「アンタとは会ってんのに?」
「俺は例外。魂を奪った相手だから、会えるのさ」
そりゃまた……シビアな過去で。色々あるんだな……。
➺L's.2 姉貴の話ときたか。
先刻よぎった、大事な記憶。
オレがまだ、ろくに力も使えなかった小さな頃。色んな所に連れていってもらった遠い昔。
「ラース……何処まで行くつもりなんだ?」
「え? もっとあっちだよ?」
「それはやめておけ。行ってもいいことはありはしない」
こいつは誰だったっけ? オレの手をひいて歩く、オレより少しだけ背の高い人影。
ああ、そうか。こいつが、「ジョシア」。
「何だよ。ジョイはいっつもそればっかり。自分は好きな所に好きに行ってるくせに」
「それがどうした。私は私の好きに生きて何が悪い」
「じゃあ何で、オレだって好きな所に行かせてくれないんだよ?」
人影は呆れたように息をついた。
もう忘れかけていたほど、遠くなっていた姿の主は。
「お前も、私のように消えてしまいたいのなら、行ってみればいいさ」
「……え?」
影はそうして、オレの手を離してしまう。
「ま……待てよ! 何処行くんだよ、ジョイ!」
何も答えず、少しずつ消えていく影。
どれだけ追いかけようとしても、もう永遠に手の届かない、そんな夢。
どうして今更、こんな夢を? 確かにこの夢に似たようなことが、昔、あった気がする。
「なあ、父さん、母さん……ジョシアはどうして、ずーっと帰って来ないんだ?」
ジョシア。愛称がジョイだった、オレの姉貴。
オレが小さい時に突然行方をくらませたまま、一度も会っていない。
両親は何も教えてはくれず、オレは苛々を募らせるばかりだった。
別にだな。自分達にも行方がわからないとか、もしくは死んだのなら、はっきりそう言ってほしかった。
何も教えてくれず、そして話そうとしない。そんな両親のやり方が、子供心に腹が立った。
それである日、オレはたった一人で、ジョシアを捜しに出ることにしたんだ。と言ってもジョイが消えて以来、戸締まりの厳重になった城から出ることができず、散々さまよった後、気が付けばあの場所にいた。
「ここ……何処だ?」
城の中にいたはずだったのに、不意に平原に出ていた。その場所は言ってみれば、妙に薄明るかった。
暗くはないのだが、決して明るくもない場所。
とにかく全く知らないその平原で、オレは唖然とした。周囲を森で囲まれた灰色の大地で、ジョイを捜す前に自分が帰れなくなったことが、小さいオレには怖いことだった。
……が。
「ねぇ、ライフィス! ライフィスでしょ?」
「え?」
「こっちだよ! あたしの所まで来てよ」
それまで一度も、きいたことのない声がオレを呼んだ。
知り合いというものがほとんどなかったオレは、少しだけワクワクしながら声の主を捜した。
やがて森と森の間の白い地面で、そいつと初めて出会うことになる。
「やっと会えた……会えちゃったんだ……」
「お前、誰だよ?」
声の主は、オレとあまり背丈の変わらない、白灰の髪の少女だった。
「あたし? あたしは……レイナ! レイナだよ」
その名前は、どこかで聞いたような気がした。けどこの時には、思い出せなかった。
「とにかくレイナなの。ヨロシクね」
それからの数日、レイナは毎日のようにやってきては、オレと遊んでいた。一度だけ、レイナの友達とかいう奴が会いに来たこともある。
オレはその場所からほとんど動かなかった。何でかよくわからないが、そこでは腹も減らず喉も乾かず、することがない時にはひたすら眠かったのだ。
「なあ。レイナはずっと、ここに住んでるのか?」
「え? うーん……どうだろう。……わからないよ」
「?」
その時のレイナは、泣きそうな笑顔をして言った。
「あたし、自分が誰なのか、よくわからないから」
「何でだよ。レイナはレイナだろ」
「……うん。ラースがそう言ってくれるなら」
それでもレイナは辛そうだった。まるで、レイナと名乗った自分のことも、本当は何もわかっていないように。
それにしても、何日も帰らないオレを当然、あんな両親でも心配はする。
ある日突然に、親父がオレを連れ戻しに現れた。
「間に合って良かった……帰るぞ、ラース」
「え? でも……レイナは?」
相当焦っていた風の親父は、何も答えなかった。オレを見つけたことに本気で安堵する顔付きだった。
「……ラース? 何処行くの?」
いつものように現れたレイナが、焦ってオレ達を引き止めていた。
「待って! ラースを連れて行かないで!」
親父は必死の声に目もくれず、オレを担いでレイナに背を向ける。
「どうして……どうして連れてっちゃうの? あたしは連れてってくれないのに……ラースがいないとあたし、消えちゃうかもしれないの!」
その声には、嘘の響きはなかったと思う。
オレは親父に、レイナを連れて行こうと何度も頼んだ。それでも親父はオレだけを連れて、その薄明るい場所を出た。
あの時のレイナの叫び声は、今でも耳に焼き付いている。
「待って! あたしだけ置いていかないで……お願いー!!」
聞く方までも悲痛な、涙混じりの懇願。結局何も答えなかった親父が、本気で恨めしかった。
「なァ、親父、何でレイナはダメなんだよ!? オレの友達なのに!!」
それから城の居住区に戻ったオレは、数日間寝込んだらしい。あのままあの場所にいれば、確かに死んでいたのかもしれない。
親父の「間に合った」は、そういう意味だったんだと今ではわかる。
しっかしお袋からは散々叱られるわ、親父からはフォローはないわで、未だにオレには思い出したくない嫌な記憶だ。
あの後、レイナはどうしたんだろう。オレがいてまずいような所で、あいつは大丈夫なのか?
あいつが言ってた「消える」って、どういうことなんだろうか。
そもそもあの場所は何処にあるんだ? こいつらは本当、いっつもそうなんだ。姉貴のことも含めて、大事なことになればなる程、自分達からは決して何も話そうとしない。
「んでよ……アンタの指示に従えって、どーいうことだ?」
時間は元に戻る。オレは両親に対して、肝心の用件を切り出していた。
「ま、早い話。どうすればラースが外に行ける程、強くなれるかってことよね?」
ナーガが来たことを知らないお袋には、親父から適当な事情を言ってるらしい。
何かお袋、親父より敏感だから、気がついてる気がしないでもないんだけど。
「一つだけきくぞ、ラース。オマエは自分が何者なのか、本当にわかってると思うか?」
「……とは?」
「……」
ついて来い、と親父が言った。オレ達は揃って、城の屋上に出た。
「こんなトコ来て、何すんだよ」
うちの屋上から見渡す、大陸全体の景色は絶景だ。今は全く関係ないが。
「黙って向こうを見てろ。……ほら、来るぞ」
は? と、海の見える方向に目をやると。
「なっ……なー!!?」
その光景はまさに、「海が襲ってきた」としか言いようのないものだった。
広く横たわっていた青い海は、今やほぼ全て、城に向かって押し寄せる巨大な絨毯。果てしなくぶ厚い、どデカい壁となっていた。
「ウソだろ、まじかよ!? オイちょっと、洒落になんねーぜ!」
あんなのが直撃すれば、この城はまずもつ訳がない。何たって見えてる範囲の海の水が全てやってきてんだから。
「……!!」
直撃する寸前の瞬間、不覚にもオレは目をつぶってしまっていた。
「……?」
激しい轟音。しかし、次に目を開けた時には、巨大な壁は全て海にかえっていた。
「大丈夫よー。この辺一帯、全部障壁張ってたから」
はぁ……水しぶきすら入ってねえの、何気に、凄いな……。
「驚いた?」
当たり前だろ!!
「アレってまさか……親父がやったのか?」
「まァな」
「んでもってソレを完全に防いだのが、お袋?」
「そーよ」
……茫然。自失とまではいかねェが。
「……本気で、伊達じゃねェんだな。王ってのも」
二人共、何処と無く苦笑している。正直無理もない、とオレにもわかる。
いくら何でも、力が大き過ぎる。ちっぽけな体に与えられた存在の重さ。
お袋達がピンピンしてるところを見ると、さっきのなんて氷山の一角にも思える。もう想像もできない程の力を、こいつらは確実に持っているのだ。
「オレも強くなったら、楽勝で、アレぐらいできんの?」
「そーねェ……まァ無理ね」
そーかそーか。ってオイ! んなオチありなのか!?
「何でだよ、何でオレには無理なんだ! オレだけ強くなれないなんてアリなのか?」
「強くなれないとは言ってないよ? 素質は当然、私達の子だからあるに決まってるし」
人が半ば真剣だというに、それを楽しむかのような口調でお袋は続ける。
「でも私とラースじゃ、決定的に違うことが一つあるんだな。それがある限り、アンタは私を越えられない」
何ィー!?
「俺に勝つのも相当難問だろうな」
「何でか教えてほしい?」
当たり前だろーが!
「長い話になるかもだけど」
ふ……こうなったらとことん、付き合うまでよ……。
せっかく普段、何も言わない奴らが話すことなら、これを逃す手はなかった。
*
城に戻ると、開口一番、お袋が言った。
「そもそもの間違いがね。ラースが意外におマヌケさんだったことなのよね」
いきなりホント、遠慮がねぇよな、この親。
「アンタの問題っていうのは、これから行く場所にあるものを見ればわかる」
今のオレでは両親を越えられず、この大陸を出ることもできない原因。
「ライフィスをあそこに連れて行くのは初めてだったな。最もそこより深い場所には勝手に迷いこんで、挙句死にかけるんだから、世話が焼けるぜ」
は? 親父、目がマジなんですけど。
「あの時は本当、どうなることかと思った。タイティーのおかげで助かったけど」
「オレが死にかけたって、何のことだよ?」
まさかとは思うのだが。さっきからオレ達は城の地下を歩いていて、この先にもしも、レイナと会ったあの場所があるというなら。
「あれ? ラースは覚えてないわけ? あんなにキツく叱ってあげたのに」
あげたって何だ、あげたって! ったく、このお袋は。
「あん時はオマエもちっこかったしな。ジョシアが丁度、帰ってこれなくなった頃か」
やっぱり、オレが妙な場所に迷い込んだ時のこと。しかしアレって、そんなにオオゴトだったのかよ?
「……着いた」
二人がある扉の前で立ち止まった。お袋の声には、滅多に見せない緊張感が漂っていた。
「あーあ。あんまりここには、来たくないんだけどね」
お袋が扉の紋章に手をかざす。古い大きな扉がゆっくりと開いていく。
「まだアンタには、竜族の名の本当の意味を見せたことはなかったわね。それがアンタが、私以上の潜在能力を持ちながら、私達に勝てない最大の理由」
そして。開き切った扉の先にあったものは。
「……!!?」
オレは驚きの余り、しばらく声も出せなかった。両親はそんなオレをそのまま黙って見る。
ようやくオレは、目の前のものが何なのか、辛うじて口に出すことができた。
「……竜……氷に捕らわれた、竜……」
そこはまさに、全身を氷で封じられた竜の独壇場だった。
何処までが氷で、何処からが竜なのか曖昧な、白い竜が大きな空間を占拠していた。
「……竜って、実在するんだな……」
茫然としてるオレの一言に、たはは、と両親が頭を抱えてみせる。
「仕方ないと言えば仕方ないけど。じゃあアンタ、竜王とか何だと思ってたのよ」
そんなこと言われても、この秘密主義の両親のせいで、生の竜なんてオレは初めて見たし。
竜王だの何だのっていうのも、てっきり強さの象徴だと思っていた。つまりオレは、竜本来の姿に初めて触れたのだ。
「そこがアンタの限界なのよ、ラース。竜の血をひくものは、普通、生まれたその時から嫌でも竜と向き合って生きるはずなのに、アンタにはそれがないの」
「普通なら生まれた時から竜と向き合うって、どういうことだよ?」
「竜族っていうのはね、生まれつき自身の内に、竜を飼う種族だと思えばいいわ。本当はその竜は自分そのもので、だから竜族の本来の姿は、竜の力を使ってる時」
でもオレは、自分の中に竜がいるなんて心当たりがない。だから竜という肩書に、イマイチ実感が無かったのだから。
「それなのよね。生まれた時には、確かにアンタには力が継がれてたのに、今のアンタの中には竜がいない。つまりアンタは、竜族として不完全なわけ」
「言わば、竜のない竜族って言えば、話は通じるか?」
何ぃー!?
「話をまとめるとね。つまりラースは今のまま、竜のない竜のままなら、私に勝つどころかこの大陸を出ることも叶わない。とりあえずはそういうワケよ」
氷づけの竜がいる部屋から離れた後で、お袋ははっきりとそう言った。
「ホント、どーして、大事な竜を手放すなんてバカなことをするんだか、ラースってば」
「待てよ。オレはそんなの記憶にねぇし。何でそうなってるのか、いい加減教えろよ」
すると親父が、あっさりと言う。
「簡単な話さ。どっかで落としてきたんだろーさ」
落とすようなもんなのかよ竜って!
「ってワケで、ラースは自分の竜を見つけなきゃいけないの。OK?」
両親はちょっとした昔話をして、オレが竜を失ったのはあの場所、オレがレイナと会った薄明るい地ということを、ようやく明らかにした。
「ホント、びっくりしたんだからね。やっと何とかラースを連れ戻せたと思ったら、ラースの中から力が消えちゃってたんだから」
「どうしたんだって聞いてみれば、レイナの友達が持ってった、としか言わないしな」
オレは全然覚えてないのだが、小さかったせい、ってことにしておく。
両親曰く、オレがあの場所でレイナの友達という奴に、竜珠という、竜族には命も同然な珠を渡したらしい。
確かに、レイナの友達って奴には会った気がする。物心ついたかどうか怪しい頃のオレが、竜珠とやらを渡してしまっていても不思議は……大いにある気がするが、この際、そこで取られてる事実を優先するしかねーんだろな。
「ホント、ラースってば、どマヌケなんだから」
ガキの頃の記憶があやふやなばっかりに、言い返せないのが悔しい。
とにかく、竜珠=オレの竜、と考えれば早いらしい。
「じゃあとにかく、そいつを見つけて竜珠を取り戻せばいいんだろ? ならあの場所は何処なのか、まずそれを教えろよな」
簡単に言うねぇ、と両親が呆れ顔をした。
「あんたね、あの時私達がどれだけ苦労して、あの場所からあんたを助けたと思ってんの? あの場所……『竜の墓場』は、その名の通り死者の世界。生者が普通入れる場所じゃないの」
「竜の……墓場?」
オレが迷い込んだあの場所が? そんな、墓とかそういう系な?
「あそこは一度入ると、生者の世界への扉が中からは見えなくなる。死者達がそこを通って出てくることのないようにな」
「死への扉なら何処にでもあるんだけどね」
しかもそれは、霊体専用と実体専用に分かれているとか、訳の分からないことを二人は言う。
「じゃあ親父はどうやって、オレを連れて帰ることができたんだよ?」
「まあ、早い話、外の世界と何かの糸で繋がってれば、それを辿って帰ることができるの。逆に言えばそれが無い限り、決して竜の墓場からは出られない」
……糸ォ?
「アオイの場合はね、アオイとタイティーは力が繋がってるから、タイティーに呼んでもらうことで帰り道を見つけられたの」
曰く、親父とタイティーが同じ顔をしてるのも、その繋がりとやらに理由があるとのことだった。
「でもアオイ達の繋がりはそう強くないから、深部に行けば帰れる保証は全然なかった。リンティと私だったら、どれだけ深入りしても呼び合えたろうけど」
あ。珍しくお袋がブルー入ってる。
「とにかく、自分と同調できて、外から呼んでくれる人がいないと竜の墓場には入っちゃダメなわけ。その問題を、アンタはどうするつもり?」
う……。どうにもオレが答に詰まったその時、見知らぬ女が突然部屋に入ってきた。
「趣味が悪いわね、二人共。実の息子をじらすことが、そんなに楽しいの?」
……い?
「ちょっと、真夜さん。向こうでくつろいでてって言ったのに、どうして来るのさ」
「貴方達があんまり人を待たせるからよ。私は貴方達みたいに暇じゃないんだから、早い所、用を済ませて帰りたいの」
すげ……この茶髪の女、お袋に素でケンカ売ってら。
真夜というその女は、どうやら、お袋達の古い知り合いらしい。しかしあまり、お袋とはソリが合わない感じだ。
「そもそも、頼まれた用件はもう果たしてるのだから、私が留まる必要はないでしょう?」
親父曰く、彼女は悪魔で、かつ親父の師匠らしい。
「何よ。私はただラースに、真夜さんに挨拶させたかっただけだし」
「要らぬお世話よ。それじゃもう帰るわ。これで、借りは返したわよ、ブルーライム」
最後に真夜はふっと笑うと、優雅に立ち去ったのだった。で……何だったんだ、いったい?
「じゃ、行こっか、ラース。彼に会いに」
何だかよくわからないまま、話は新展開へと向かう。らしい。
*
そしてオレは、そいつと出会ったのだった。
「うっわー……凄い凄い。やっぱり、同調できる者同志って、顔とか似るものなのかしら」
とお袋。
「全くだ……素直じゃなさそうな目付きといい、意地の悪そうな顔つきといい。ここまでライフィスに似た人間が存在するなんて、驚き過ぎる」
と親父。
「てめェら、人さらってきておいて、その上第一声からディスりにかかってんじゃねェよ!」
と……見知らぬ男。
「大体ここは何処なんだよ、ってかてめェら何人なんだ? 何でもいいから、俺を元いた所に返せよ!」
その、オレによく似た、オレより年上と見える男。ソイツはあの真夜に連れてこられたらしい。
「それにしても、良かった。ラースと同調できる奴、真夜さんが見つけてくれて」
「ライフィスの悪魔である側面に目をつけた発想が、功を称したってことだな」
「やっぱり聖魔っていうのは、伊達じゃないよね」
聖魔とは、悪魔でありながら聖なる翼を持って、様々な世界を渡れる存在。っても、何のことだかオレにわかるはずもない。
とにかく真夜は色んな世界や、契約だの何だの、魔術というものにも非常に詳しいらしく、その知識を駆使してオレと同調契約ができる人間を探し出したという。
どんな魔族にも必ず一人以上、そいつと同調できる鏡の人間がいて、それによって魔族と人間はよく契約の儀を交わすらしい。
そんなこんなで、目の前にいる男こそ、魔族としてのオレと同調できる人間。つまりオレが竜の墓場に入っても、同調によって外からオレを呼ぶことが可能な、今のオレが一番必要としていた相手なのだ。
「それじゃ後は、ラースと二人で喋ってもらった方が、多分早いわね」
「だな。ここまでお膳立てしてやったんだから、後は自分でしっかり交渉するんだぞ」
……ま、こればっかりは言う通りにした方がよさそうだ。こいつらがいると、むしろ話をややこしくするだろーし。
それじゃー頑張ってね、とお袋達が出て行った後、改めてオレは、男の方に向き直った。
「オマエ……名前は?」
「人攫いに名乗る名なんざねェよ」
男は愛想無く答える。オレよりいくらか、年上に見える。
「てめェの姉貴か兄貴に伝えろよ。俺をさっさと、元いた所に戻せって」
この男、人間にしては特殊で強い気を持ってる奴だ。それにしても……。
「姉貴と兄貴? アレはオレの、クソ親父とお袋だっつーの」
「……え?」
……ま、驚くよな。オレも普通の人間の知識は、一応教えられて育っていて、人間はオレ達より早く老け込むもんだと、神獣ポピューンにも何度も幻ドラマを見せられている。
「ガキ……オマエいったい、何歳なんだ?」
「誰がガキだよ!」
失礼な奴だな。そう言い返す間もなく、男が続けた。
「ふうん、十五歳か。蛍より更に年下のくせに、ガキじゃないとな」
……は?
「ちょっと待て。何でオマエ、オレの歳がわかったんだよ?」
大体、蛍って誰だっての。男は少し偉そうに笑う。
「外見で判断するのは危険だって、さっきわかったからな」
「どーいうことだ?」
外見から判断しなかったからって、オレの年を当てられたことへの答にはならない。むしろオレの年齢は、外見そのままだっつーに。
「成る程。オマエ、随分狭い世界で育ってきたガキなんだな。一応常識はあるみたいだが、人付き合いの経験薄いくせ親譲りで遠慮が無い性格してるわ、その上ヒネくれてるわで、この先ろくな性格に育たねェな?」
な……なー!?
「他はよく視えないな。この今いる場所自体がワケわからんせいか……もしくは俺の能力が鈍ったのか……」
意味不明なことを言いながら、男が述べ上げた人物像に、オレは咄嗟に声が出なくなってしまった。
「あっはははは! うわぁ、あの子面白いよ、アオイ」
「だな。ライフィスの性格、視抜いたことまではいいとして、イコールそれが自分の性格に近くもあるってことは、全然気付いてないっぽいしな」
オレには知る由もなかったが、隣室からちゃっかり、両親は聞き耳をたてていたらしい。
「何せ鏡だし、魔族と人間の同調って、性格似た者同志ってことだし」
親譲りの。って所はしっかり聞き逃してるお袋に、まだしもマトモな親父はしばし白い目。
しかしコイツらは、ほとんど教育なんてしていない。オレの人間や世界に対する一般知識は、ポピューンの森でポピューンが創った幻の中で得た物が大半なんだよ。
幻と言っても、ポピューン達の記憶や知識は既存の世界に基づく物だとかで、リアリティーは十分というのが、タイティー達や姉貴から聞いた話だ。
この両親がオレに対してした教育と言えば、一に修行。二に修行。三、四が家事で五に修行。何だそりゃ、とたまに叫びたくなる。
話を戻すと、だな。
「何でオマエ、初対面なのにそんなこと言えるんだよ?」
「ん? 否定しない辺りは、自分を知ってるってことか、ガキ」
「……。……何だよ、おっさん」
あ。男の顔にも青筋ができた。
「生憎オレってば若いからさ、何でおっさんがそこまで他人の事がわかるのかとか、全然わかんないんだよなー。説明してくんないかな、おっさん?」
面白いから挑発してみたりして。オレもまあ、いい性格してるとは思う。
「……俺は『鷹野馨』だ。おっさんって、次言ったら酷い目にあうぞ」
「へ~?」
馨。それがこの男の名前らしい。にしても、酷い目とは?
気になるから尚更呼びたくなってくるじゃねーか。
「酷い目ってどんな目なんだ、おっさん」
ただの人間に何ができるんだ、と、ちょっと好奇心にかられてしまったオレ。
馨の顔に、青筋が増えた。そして。
「って……なっ!?」
馨の眼光が一際厳しくなった瞬間、部屋に置かれていた家具が全て、突然オレに向かって来たのだった。
そのままオレは、椅子やら机やらが作り上げた、閉鎖空間に閉じ込められてしまった。
「何だよソレ!?」
正直オレは、面食らってしまった。何せ、火やら水やら雷やらが、誰かの思い通りに操られる光景なら嫌程見てきたが、ただの物が勝手に動き回るなんて、初めて出会った状況だったからだ。
「で……出れねー……!」
オレを閉じ込めた家具達は、どうやってかエラく固定されていて、普通の力じゃびくとも動かなかった。
「当たり前だ。人を何回もおっさん呼ばわりして、簡単に許してやるわけないだろ」
その上に馨は、更に家具同士の隙間を少なくさせて、オレを圧縮しにかかる。
「俺をすぐに、元の場所へ帰すと約束しないと、このまま潰しちまうぜ?」
「っ……やれるものならやってみろよ!」
「ほー……いい度胸してんな、ガキ」
むぎゅ。圧縮がどんどんときつくなっていく。
「いいのか? 口封じに本気で潰すぜ。何せてめェは、俺の能力を見ちまったからな」
「能……力?」
この、机が独りでに動いたり椅子が飛んだりしている状況は、オレの知らない種類の「力」のなせる技らしい。
「何だ、オマエ? まさか、念動力なんつーメジャーどころを知らないってのか?」
馨はかなり驚いた様子だ。人間にはメジャーなのかよ、それ。
「知らねーよ、悪かったな! オレが知ってるのは――」
どんどん圧力をかけてくる家具達に対し、一度落ち着いて息を吸ったオレは。
次の瞬間、気を放出させて、自分を取り囲んでいた物を全て吹き飛ばした。
「なっ……」
今度は馨が驚く番だった。ざまーみろ、とふんぞり返ってやる。
「何なんだ、今の」
「何って、ただの衝撃波だろ?」
力を使う者にとっては、基礎中の基礎技だっつー。物を自由に操ったりは到底できねーし。
「衝撃波……漫画みたいな能力だけど、実在したのか」
は? 何言ってんだよ、コイツ。
「にしても、オマエも能力者だったんだな、ガキ。……名前、何てーんだ?」
先刻より何故か、馨の雰囲気が和らいでいた。何つか、警戒する必要がなくなった、そんな顔だ。
そういや人間って種族は、力を持ってる奴の方が珍しいから、力のない一般人との間には警戒心が強いらしいっけ。だから力を持つ者同志では、逆に仲間意識が芽生えやすいとか何とか。
「……オレは、春日龍斗。ガキじゃねェよ」
漢字の名の馨に合わせて、予備の名で名乗ったオレだったわけだが。
「名前だけは立派だな、ガキ」
言うと思った。そんな予測が簡単につく、お互いいい性格なわけだった。
*
「……それで、結局、俺にどうしろと言うんだ?」
馨は心底、要領を得ない顔をしてきいた。
「オマエ、龍斗はつまり、一般的には悪魔って呼ばれるよくわからん存在で、俺と契約をするために、俺をさらってきただぁ?」
「馨にわかりやすく説明すれば、な」
オレにも本当はよくわかんねェし。両親からの話だけだし。
「悪魔と人間の契約……何か、ヘタな宗教に捕まった気分だな」
にしても、と馨は、じろっとこちらを見る。
「呼び捨てにすんじゃねェよ、ガキのくせに」
「じゃ、おっさんって呼んだ方がいいのかよ」
……。一応十九歳の、透視と念動という、通称超能力ってモノを持つらしい馨が、ますます不機嫌そうな顔つきになった。
「とにかく、馨はオレと契約をして、呼んだら応えて呼び返してくれるだけでいい。簡単な話だろ?」
簡単かどうか、実際は知らないが、まあ何とかなるモンなんだろう。しかし馨は不可解な顔のままだ。ま、無理もないが。
話したって、わかるようなもんでもなし……馨達人間と、オレ達は別の世界に住む別の生き物で、本当は竜族と言うんだとか、でも魔族の血も混じった混血であるんだとか。両親の意志に関わらずこの世界から自力で出られるようになるためには、竜の墓場でオレの竜珠を奪った奴を見つけなきゃいけないんだとか……色々な~。
「オマエな……悪魔と人間の契約っつーと、魂と引き換えに、願いを叶えるのが相場だろうが?」
「そうなのか?」
「別にそうしろとは言わないけどな。俺は魂、渡す気なんざねェし。でもとにかく、そういう契約ってのは、お互いに利益があるモンだろ? 今のよくわからん話の何処に、俺へのメリットがあるってんだ?」
確かに。馨の言い分は筋が通っているが。
「何だよ、んなケチくさいこと言うなよ、年上のクセにー」
「関係ねーだろ、ソレとコレは」
拗ねたようなオレに、馨は一瞬笑いを堪えた様子で意地悪く言った。何か微妙に、優位を取られてるようで悔しい。
「ったく、わかったよ! じゃあコレは借りにしておくから、馨に何かあった時は、願いの一つや二つ、いくらでもきいてやるよ!」
悔しまぎれに、思わず言ってしまってから、少し冷静になった。
「……あくまで、オレにできることなら、だけどさ」
ふーん? と馨は、早速大言を後悔しつつあるオレを、不敵に笑いながら言った。
「ま、大して期待はしちゃいねェけどな。願いができたらよろしく頼むぜ、龍斗」
ぐう。何か思いっ切り、馨のペースで話が進んでしまった。ったく、人の足元見やがってからに!
「それじゃ、契約成立、だな」
ふう。契約の儀式とかの詳しい内容は、面倒だからここでは省略する。オレも本のまま流されるだけだったし。
とにかく、ようやく馨と同調契約を結んだオレを、両親はいつものようにお茶らけた雰囲気で迎えた。
「それじゃ、私達は、馨君を元の世界に送ってくるけど」
一旦同調してしまえば、後は何処から呼ぼうと、それが竜の墓場の外からなら良いらしい。
「でもアンタが竜の墓場に入る前に、一つだけ、話しておかなきゃいけないことがある」
「何だよ?」
お袋の表情が微妙に変わる。コレは珍しく、シリアスな話があるらしい。
「ライフィス。ジョシアのことは、覚えてるよね?」
「……当たり前だろ」
姉貴の話ときたか。コレは少し、意外だ。今まで両親が、姉貴のことを話した時はなかったしな。
「馨君に会わせる前に、見せた竜のことは覚えてる?」
「そりゃ……」
あの、氷に閉じ込められた竜のことだ。
「早い話、アレがジョシアよ。自身の力で、封印されてしまったあの竜が」
……あぁ?
「あの子は元々、アンタ以上にじっとしてられないタチでね。あちこちを旅しては、そこら中の魔族や千族にケンカを売ってた。その結果がアレ」
……どういうことだ?
「私達にも、詳しいことはわからないけど。とにかくあの子は、何かの時に力を暴走させた結果、ある天使によって封印されたの。それであんな状態というわけよ」
「その天使って……」
「お察しの通り。私の妹、リンティの手でね」
お袋曰く、姉貴はああして封印されたも、死んではいないらしい。
「ジョシアの一部は、竜の墓場の何処かにいる。丁度アンタの一部も、竜の墓場の何処かにあるように」
「それって、姉貴の竜珠も竜の墓場にあるってことなのか?」
お袋が呆れた顔をして首を横に振る。
「それはないわ。竜族は竜珠無しでは竜になれないってこと、忘れたの?」
「あ」
「そっか。そういやアンタ、竜珠だけじゃなくて、逆鱗もなくしてるから知らないわけか」
何やらお袋は一人で納得している。
「コレ、説明するのめんどいな……よし。後は竜の墓場で、本人からきいて」
って、オイ! いいのかそれで!
「とにかく、姉貴は竜の墓場にいるんだな? ついでに連れて帰ってこい、って話だろ」
「そうそう。飲み込みが早くて助かるわ、流石私の息子」
何でも今までは、封印された体から離れた心が死の国へ誘われるのを避けるため、竜の墓場に隠していたらしい。しかしそれは、ある意味本末転倒というか、入れば外に出られない「墓場」に隠れさせたのは、正直どうなんだって話でもある。
「私も詳しい事情はよく知らない。リンティが勝手に裏で色々やって、ジョシアを封印して、結果的にこうなったことだから」
「え?」
何故そうする必要があったのか、お袋すら知らないらしい。まあ考えてみれば、お袋とナーガは会うことができねェんだしな。事情を説明ってのも、無理だったんだろうが。
「じゃあ親父は知ってんじゃねェのか? アイツだけは会えるんだろ?」
「うん。一度説明されたけど、ややこしいから途中で寝ちゃった」
……オイ。
「そんな説明、必要ないし。天使の役目がどうとか、連れ戻せる可能性がどうだとか……要はさ。リンティなりにジョシアを助けようとしてくれたことなんて、わかりきってる」
……。
「そのせいであのバカ……はあ……。ま、今のライフィスには関係無い話よ」
半ば怒りも混じった表情で、お袋は言い捨てていた。何かやっぱり、色々複雑っぽいな。
「でもね。墓場にいるジョシアは、アンタが覚えてるジョシアとは別人かもしれない」
「何だって?」
「本来のジョシアは、まだあの竜の中で封印されたままだから。だからあくまで、墓場にはジョシアの心の一部がいるだけ」
ってことは……。
「ジョシアの暴走は、結局完全には止められなかったの。あの氷の封印を解けば、今でもジョシアは暴走を始める。だからアンタには話さなかった。話せばアンタは、元に戻そうと封印を解くだろうし」
う。お見通しかよ、コイツ。
「何だよ。要はちょっと、キレてる奴を正気に戻せばいいだけなんだろ。そこまで難しいことなのかよ?」
「難しいに決まってんでしょ。あの子は本来、死ぬ運命だったんだから」
「死ぬ……運命?」
「リンティにはわかるのよ、オマケに天使だし。その運命を覆そうとして今に至るわけ。だからジョシアの暴走を止めるには、その運命とも闘わなきゃいけない」
竜の墓場には、運命としての時間は流れないらしい。だから姉貴はそこに隠されたのだと、改めて言った。
「私達には無理だった。でもアンタなら、ジョシアを助けることができるかもしれない。だから……」
オレが強くなるのを望んでたのは、オレだけじゃないってことか。
「半年間、しっかり頑張ってきなさいよ、ラース」
……って、え? 半年?
「ちょっと待てよ。半年とかって……期限付きかよ?」
そんなに長くいるのか、ってことにまず驚いている。
「そうよ。だってジョシア、向こうで霊体形成したってきいたもの。体からの呼びかけなしに霊体がこちらに出てくるには、半年後にしか開くことのない、『生への扉』を通らなきゃいけない。何も無しに霊が外に出れるなら、この大陸は死者で一杯になるでしょーが」
なるほど、そういう制約があるってわけか。
「ま、アンタの竜珠とジョシアと扉への道。この三つを半年でってのは、難しいと思うし」
そうなのか……いまいちその辺、感覚がわかんねーな。
「私の息子なんだから、見つけなきゃ承知しないし」
フン……当たり前だよ。何かと敏いお袋に、よく似てる、と何度も言われたオレなのだった。
*
そうしてオレが、お袋の案内で竜の墓場に入ろうとしていた頃。
そういやずっといない親父の奴は、城の外でナーガに会っていたらしい。
「そっか。ライフィス君、ついに、あの場所へ行くんだねぇ」
「まァな。ジョシアを連れて帰ろうと思えば、半年後が一応最後のチャンスだしな」
「最後、ねェ……それはアンタ達次第じゃないの? ライフィス君は知ってるのかなぁ、半年後に扉が開くその理由は」
意地が悪そうに親父を見るナーガに、親父が顔をしかめつつ何故か照れる。
「ヤな奴だな。そういやリンティはそーやって、よく俺をイビってたよ」
「リンティの名は出さないでほしいな。だって――」
「……」
「だってそんな奴、もういないから」
ナーガは冷たい、遠い目をして親父を見ていた。そこにはもう、親しさも浮かばないように。
「悪かったな。ジョシアを助けるために、払った代償……本当に、感謝してる」
天使であるナーガは本来、霊界へ導くはずの魂に干渉してはならない。それが知り合いなら尚更のこと。
その代償がリンティという名、記憶だったと、後にオレはきくことになる。
「別にいらない、感謝なんて。ソレは昔のあたしが勝手にやったことだもの。今はもう、夢で知ってるだけのことだし」
フウ、とナーガは、溜め息をついて城の方を見た。
「さァて。ライフィス君は彼女の思い……果たして、遂げることができるのやらね?」
そしてオレは、再びあの灰色の大地に出会う。
今度は自分の意志で乗り込んだ、竜の墓場という薄明るい何処かへ。
*
……寒……。大きな細長い扉の向こう、長い暗闇を抜けて辿り着いた場所で、最初にオレがヒト科らしい言葉を発したのはその一言に限る。
あっれー……ガキん頃に来た時には、こんなに寒かったっけな?
注意点は、扉くぐる直前にお袋から聞いたっつーに、寒いなんて言ってなかったぞ、あいつ。
そんな文句をたれながら、とりあえずその灰色の大地を歩き出した時だった。
何やら、バキ・バリ・ビキキ……と、妙に重くて鈍い音が、何処かから流れついてきた。
「……?」
何故かとても、神経にひっかかる響き。
どうせ他に行く当てもなし、音源に向かってみたオレを、ソレは無機質に出迎えていた。
「……なっ……!!?」
正直。流石のオレも、こんなにいきなり、ハードな場面に出くわすとは思ってもみなかった。
バキリ・ボキリ・ブチリ・ビチャリ…。
唖然とするオレの前に、異音を垂れ流す元の光景。墓標らしき物の真下を掘って、獲り出した何かの骨を、ひたすらに咀嚼する女の姿があった。
「なっ、何やってんだよテメェ……!!」
考えるより前に体が動いた。長い水色の髪の女に向かって駆け出すオレを、しかし。
「――ダメぇーっ!!」
ぐいっ、どしゃっ! 誰かが後ろから強引にオレの腕を掴み、オカゲでそいつ共々転ぶ羽目になった。
「ってェな、誰だ!?」
「ったァい、リュードのバカぢからー!」
えっ? コイツ、オレの名前を!?
「あのね、死にたくなかったら今だけは言うこときいて! とにかくここから離れるの!」
面食らうオレを、立ち上がらせた声の主。長い裾が揺れる白い武闘服で、オレの手をひいて走り出した。
「何すんだよ、離せよ!」
「大丈夫、十分引き離すから、アザーは追ってこない!」
……いや。何か随分、会話に行き違いがあるよーで。
しかしその、アザーという名前を聞いてすぐに、全身に寒気が走った。
そう。墓場についたさっきからの寒気の正体は、あの女が漂わせる昏い力に他ならなかった。
黙り込んだオレに、手をひいていた奴は数キロ走った上で立ち止まった。
「もう大丈夫だよ、リュード」
そうして、心底嬉しそうな笑顔で、長い桜色の髪の女がそう言っていた。
何故か、同年代のその女に、懐かしさを感じた。オレがまだ黙ってると、女はアレ? と首を傾げた。
「ちょっとー。何呆けてるのー?」
もしやコイツは、レイナなのか。オレが前にここに来た時、出会ったはずのあの知らない少女。
「ねェ、リュードってば。ひょっとしてアザーにビックリし過ぎて、声も出ない状態?」
……髪の色が違うし、顔を覚えてないのが致命的だが、それ以上に。
「全く、信じられなぁーい。何でこっちに来た途端、一番会っちゃいけないのに出くわすのかな、リュードってば!」
レイナはもう少し、控え目で少し哀しげな奴だったから、こいつ=レイナは却下、とまず決めた。
大体レイナはオレのこと、ラースって呼んでたし。まあそんなにいきなり、会うわけもないだろうしさ。
「ねぇ、ほんとにいつまで黙ってるのー? 大丈夫、リュード? そーだよね、やっぱしいきなりアレはショック過ぎるよね、私も最初は……」
あーもう。ちょっと考え事してたくらいで、いきなりそんな心配顔するなよな。何か微妙に、気恥ずかしいじゃねーか。
「……っていうか。オマエ、誰だよ?」
……。てんてんてん、と口に出して言ってもおかしくないくらいに、そいつは灰色の目を丸くしてオレを見ていた。
そして。
「ウソぉ……もう、更に信じられないったら。リュードってば、何で……」
……ん?
「何でリュードってば、知らない相手についてくるかな!」
「って、てめぇが無理矢理引っ張ってきたんだろーが!」
大体何だよ! その誘拐されかけたガキにかけるような発想の台詞は!
「ふーんだ、屁理屈なんか言っちゃってー。人の気も知らずにほんと……」
そいつは心なしか、すねたような顔を見せる。
「じゃあ、命の恩人の名前を教えたげるから、忘れないでよ! 私……サキ、よ」
サキ。それがこいつがオレに名乗った、後にも先にも、忘れようのなくなる名前だった。
「ふーん……サキか。とりあえず、よろしくな」
やっぱし、レイナじゃないんだよな。別にいいけどさ。
「で、オレの名前は知ってるみたいだから、自己紹介はパスするとして。何で知ってんだよ、後、命の恩人って本気かよ? そもそもオマエ……何で見ず知らずなオレに、関わってくるんだ?」
そこまでさっきの状態は、本気でやばかったのか。そんなにもやばかったなら、こいつにも危ない状況だったはずだ。なのにどうして、こいつはオレを助けたのか。
「もー、リュード、質問が多いー! どーして私が全部説明しなくちゃいけないのー!?」
だからそういう問題じゃねーだろが、さっきからこいつはもう!
「質問攻めより、とにかくリュードは、どーしてここに来たの。多分だけど、レイナ達に会いにきたんでしょ!?」
な……に? 今こいつ、何て言った?
「だから私、わざわざ迎えにきてあげたのに~」
「お前……レイナって奴のこと、知ってるのか?」
「知ってたら、何よ」
何か微妙に、サキは複雑な顔をしている。それに気付いた直後のことだった。
「……もしもーし。賑やかなとこ悪いんすけど、お二人さーん」
いつの間にか、オレとサキから三メートルくらいの所に、全く見知らぬ男が立っていた。和風なのか何なのかよくわからない姿に、暗緑の短髪をした男だ。
サキはうわ、と苦い顔を見せた。
「まさか早速、番人のおでましなんて……リュードってやな意味で破格の待遇よね!」
「そう言われたってさ、おれ達コレが仕事だから、仕方ないんだよー、サキちゃん」
男はあーあ、という感じで、やる気なさげにオレを見てきた。
「って訳で、ライフィス・リュード・ナーガ。竜の墓場の番人として告げる。今すぐ元の世界に帰るか、ここで死者の仲間入りをするか、どっちかを選べ」
……何ぃ!?
そして、一方。
「あ。ライフィス君、どうやら無事に竜の墓場、着いてるってさ」
「そうか。とりあえず良かった」
って、え? ナーガと親父の会話シーン、まだ終わってなかったのかよ。
しかも何で、オレの現状わかってんだよ?
「また何かあれば、教えてくれると少し助かるかな」
「へ~。君もいっぱしの親だったってわけかあ。ライフィス君のこと、心配?」
絶対ナーガの奴、心底意地悪な顔してきいてるに百円。
「……まアな。アイツ、困ったことに母親そっくりでさ。気が強いのはともかく、自分のことに自覚が無さ過ぎる。わかってないから、まずいんだよ」
親父はどうしてか、困ったような遠い目で笑っていた。
「……そ。じゃ、彼にはまめにライフィスのこと、報告するように言っとく」
だから何で、こいつはそう、変に色々なことができちまうんだよ?
「サンキュ。アキラによろしくな」
っか……アキラって誰なんだよ、フウ……。
➺L's.3 感動の再会に何の不満が。
何やら外の世界ではまた、オレのあずかりしらぬ思惑が巡っているよーだったが。とにかくオレの今の課題は、目の前の男、自称「竜の墓場の番人」を何とかすることに尽きた。
奴曰く、ここは生きた体を持つ者には、ある意味過酷な環境らしい。時間が流れないのは、自然な外からの働きかけが無いことと、成長や変化が止まるということ。
そしてそれらの作用とどう関係があるのか、生きた体は段々と、死者と同じものに変えられていくという、洒落にならない現実があったりするらしい。それで昔にここに来た時、オレは衰弱していったのだと。
「そんな場所に、ライムさんの息子を長居させるわけにはいかねーからな。諦めてさっさと帰ってくれよ~」
「オマエ……お袋のこと、知ってんのか?」
男はとても懐かしそうな目をして、お袋の名前を口にしていた。
「まあ、長い付き合いだからな」
「へェー……武丸ってリュードのお母さんと知り合いだったんだ~」
どうやら武丸というのがこの番人の名前らしい。何とまた、時代錯誤なのか何なのかだ。
「生憎だけど、下手したら死人になるから気を付けろって忠告はちゃんと聞いてきたし。だからその対策も、一応はな」
「ほォ~? 参考までに教えてくれよ。その対策ってどんなのなんだ?」
「敵にんなこと、いちいち説明するバカが何処にいるってんだ。ってワケで、てめぇの出る幕じゃねぇから、もー帰ってよし。OK?」
ヒ、ヒドイ……と武丸の奴は、よよよと泣きマネをしてオレを見た。
「じゃあ仕方ないから、番人として言わせてもらうぜ。ここに生者がやってきて、むやみに死者に干渉されるのは甚だ困る。ってわけで帰んなさい、ライフィス君。いいかな?」
武丸はお兄さん的口調でそう言い切ると、有無を言わせず、手にした杓杖っぽい物と共に襲いかかってきた。
「ねぇ武丸、リュードのお母さんってどんな人なのー?」
「いっ!?」
ひょい。何故か目をウキウキとさせたサキが、簡単に武丸とオレの間合いを見切り、あっさり割って入った。
「レイナからちょっとだけ聞き出した話だと、とっても強くて爽快で、ステキなヒトみたいだったから。ねェ、どんなヒトなのか教えて教えてー!」
誰から何を聞いたんだよ、あいつは。
「あのなサキちゃん、今はそれ所じゃないの! 俺とライフィス、今から戦うの!」
「何よー! ごまかさないでよ!」
いや……むしろ状況を誤魔化してるのはオマエだ、サキ。そんなつもりはサラサラ無いんだろーけどな。
しっかし何で、レイナがお袋のことを知ってるんだ? 親父ならまだ、オレが連れ戻される時、会ったと言えないこともないけど。
っていうか、サキ……何だかんだ言いつつ、あの身のこなしはタダ者じゃない。そして。
「もー、武丸のばかあああ! 何で教えてくれないのー!」
「だーッ! 何でもいいからライフィスと戦わせてくれよー!」
そんなこと、今関係ないよ! と本気で言ってるその性格も、タダモノじゃない。うん。
「……おもしれェ奴」
オレは気付かない内に、最初の寒気なんざすっかり忘れてしまっていた。
と、そこへ。またしても見知らぬ奴が現れていた。
「あのさあ。リュードの母親のことなら、武丸よりリュード本人にきく方が早くないかなぁん」
ふわり。その鬱金の髪の少年は音もたてずに、この場に降り立っていた。
「あれ。どーしたの、ケイ? わざわざこんなとこまで出向くなんて」
「サキが遅いから、レイナとタオがまた睨み合い始めちゃってサ。様子見」
ケイと呼ばれた、オレより年下っぽい童顔の少年は、掴み所のない笑顔でオレを見た。
「竜の墓場へようこそん。何も無い所だけど、ゆっくりしていけヨ」
「あ……ああ……」
あまりにユル~とした声で言ってくるため、とりあえずオレは毒気を抜かれた。サキも何だか、大人しくなったし。
「武丸は、リュードと戦ってみたいだけなんだからサ。戦わせてやればいいじゃん、なぁん?」
ケイが武丸の方を見てにっこりと言う。武丸は図星をさされたらしく、決まりの悪そうな顔を見せた。
「へー、そうなんだぁ。何で何でー? どうしてリュードと戦いたいのー?」
「……。あー……バレたらまたコレ、ボスに小言だなあ」
武丸はコホン、と咳払いをする。
「やっぱしさ。おれの永遠の師匠であるライムさんの息子とくれば、手合わせしたくなるのも無理はないだろ?」
永遠の……師匠?
「てめェ、もしかして……昔のそのまた昔、お袋に弟子入りしてた忍者……ってわけじゃ?」
「驚いたぁ。リュード、意外に勘いいんだなあ?」
ケイが目を丸くしている。ってことは。
「当たーり~。よくわかったなー、もう千年以上も前のことなのに」
武丸は何だか嬉しそうだ。その顔はコイツが、悪い奴じゃないことを証明して余りあった。
「……いーぜ。お袋に変わってその挑戦、受けてやる」
「おっ。流石はライムさんの息子!」
オレは唯一持って入った、自分の双極の長剣を久々に取り出した。普段は小物に変えて持っておけるやつで、親父達からの誕生日プレゼントの一つだ。
そして。対決模様はめんどくさいから省くことにして、結果だけ言うと。
「はあー……ほぼ、引き分けかあ。これでもおれ、ずーっと現役なんだけどな~」
というわけだった。
「やっぱし竜がなくてすら、ライムさんの血には勝ち切れないか……ま、おれ達の力もリンティさんに預けたまんまだしな」
「お前……オレの事情、知ってんのかよ?」
ってか、コイツも竜族だったのか。道理で一応強いわけだ。
「えーっ。リュードって竜がないの!? おかしいよそんなの!」
サキが心底不可解、という顔でオレを見る。
「だってリュードは竜なんだから、竜ってリュードの事なのに!」
「まあまあ。それじゃあ、武丸はどうなるのさぁ」
いさめるケイに、サキはあっさりと答える。
「だって、武丸は純粋な竜じゃないんでしょ? じゃあ仕方ないよ」
……。そんな簡単な話じゃないと思うが……何だかなあ。
「ま、その辺の事情は、お互いゆっくり話し合ってくれ。おれはもう帰るから」
武丸はそう言って、あっさり背中を向けた。
「あれれ? 武丸、番人のお仕事はいいの?」
「ボスにはそうだな……ライフィス君強くて逃げられちゃいました、とでも言うし」
何だそりゃ。強いんなら逃げないだろ、フツー。間違い無くそのボスの怒りは、膨らむ一方だろーな。
「にしても本当、気を付けろよ、ライフィス? この世界では、お前の体は幽鬼状態にある」
「幽……鬼?」
「霊体と実体の中間のことだよ。単純に鬼とも言うな」
霊ではないが生身でもない存在。それはそう分類されるらしい。
「体が幽鬼状態の時なら、まだ実体に戻ることはできる。でもここに居続けると、それが霊体までシフトしちまうのが問題なんだ。おれや弟はそれで、死人扱いに近いからな」
「へー……武丸と佐助って、そんな裏事情があったんだぁ」
その相手を知っているのか、サキが感心したような声を出した。
「で。リュードはそれに対して、どんな解決策を持ってきたんサ?」
興味深々で、ケイが横から尋ねてくる。
「別に、単純なことだろ。要はこの体に、自分は生身なんだって、忘れさせなきゃいい」
そう言ってオレが取り出した物を見ると、武丸があっと声をあげた。
「それ……忍者流保存食、ケプの実かあ!?」
話は簡単で。つまり、ここにいる間もちゃんと栄養をとってれば死なずにすむ、それだけだったり。
流石に半年分の食糧を持ち込むのは困難なため、ギリギリ体がもつ程度の高栄養を、物凄く小さな実に持ったケプをお袋が今まで貯めていたのだ。オレ達竜族は元々、食も細くて大丈夫だし。
「ケプって結構、見付けるの難しいんだけどな……ライムさん頑張ったな~」
「昔、何処ぞのバカ弟子からコツを教えてもらったって。嬉しそうに話してたぜ」
ポカンとした後。武丸は爽やかな顔で笑うと、去っていった。
そしてにゅっと、オレの横にケイが楽しげに割り込んできた。
「さて。それじゃリュードを、レイナに会わせよっかぁ?」
その再会はそうして、間近に迫っていたのだった。
*
「……ちょっと、待て」
そうしてひたすら、唖然とするオレ。
「何だ? せっかくの再会に何の不満があるんだ、オマエは」
サキとケイについてやってきた、レイナがいるはずの場所。そこには女にしては長身で、黒一色のカッターシャツとスラックスの姿が悪人っぽく、何より凄くガラの悪い目と口調で、黒銀のショートカットの女が立っていた。
「って……お前が、レイナなのか……?」
「オレ以外何処にレイナがいるんだ。時差ボケも大概にしておけ、この寝惚助が」
……ああ、レイナ。あの、明るくて素直だったあいつが、このワケわからん場所に放置されたばっかりに、こんなにも荒んじまって……。
「何かリュード、ガラにもなく現実逃避気味だナ」
「んなワケねーだろ! っていうか、何やってんだよ――姉貴!!」
たった数日会っただけの、レイナの姿は正直ほとんど忘れているが。流石のオレも、探し続けた実の姉貴を、見間違えるワケがなかった。
そう、サキとケイに「レイナ」として引き合わされたコイツは、オレが昔出会ったレイナとは遥かに遠い、まぎれもないジョシアだった。
「何だ。感動の姉弟再会に何の不満があるんだ」
「そーよ~! せっかく会わせてあげたのに、リュードって贅沢!」
いや……だから、待てって。
「何でコイツがレイナなんだよ!? てめーはオレの姉貴で、何かバカやって暴走した挙げ句、こんな所に閉じ込められたジョシアだろ!?」
ミシ。何やらオレの、タマシイの叫びに気分を悪くした姉貴の裏拳が入る。
「文句ならオレの主人格に言え。と言っても、あいつは今も氷の中だろうから、まず封印を解いてからの話だけどな」
「主……人格?」
まるきりわけのわかってないオレに、姉貴が首を傾げる。
「何だ、オマエ、親から何もきいてないのか? まさかオレの名がジョシア・レイナなことも、変だと思ったらきいてないというわけか」
……あ゛。
「それはないよナぁ? 竜族は二つの名を持つことくらい、自分もそうなんだから、リュードが忘れるわけがないって」
道理で……レイナという響きは、何処かできいたことがあったわけだった。
竜の王族には、生まれつき、二つの心があるらしい。本来の自分である主人格と、その膨大な力を制御するための、力の人格というやつが。
それがオレ達が、二つの名を持つ本当の理由で、つまり姉貴の場合、主人格が暴走によって封印されたジョシア、力の人格が今目の前にいるレイナというわけらしい。
簡単な説明を終えると、姉貴が大きく溜め息をついた。
「あのスチャラカ両親……こんなことで本気でラースに、オレを止められると思ってるのか?」
「じゃあお前は、本物のレイナなんだな?」
「変なリュード~。レイナはずっとレイナなのに」
ボヤくようにサキが言う。
しっかし、そうなると本当、わかんないことだらけになっちまうな。
昔に会った、偽レイナ(仮)は、姉貴と同じ名なのは偶然なのかとか。結局何処にいて、誰だったのかとか。
「もー、リュード、つまんないよー! やっとお姉さんに会えたのに、どうして喜ばないのー!?」
サキがむー、と何故か顔をのぞきこんでくる。
「るせーな。喜ぼうが喜ばまいが、オレの勝手……」
言い終えない内に、ぽん、と。姉貴の意外に小さい手が、オレの頭に乗せられていた。
「本来のジョシアでなくて悪いけどな。待ってたぜ、懐かしい弟」
そうして姉貴は、昔とほとんど変わらない、何処か孤高な笑顔を見せた。
何を言うべきか、突差に言葉が思い付かない。何か、その、いきなりの懐かしい笑顔はやっぱり反則だった。
「……反則だろ」
「――?」
「……だから。こんなにいきなり会うことになるなんて、反則だろ、姉貴 」
「リュード……」
サキが一瞬、目を潤ませる。あんなに長い間、離れ離れだったのに!
とかいう、よくある再会ドラマ、じゃなくてだな。
「オレはだな、半年かけてあんたを探せって言われてここに来たのに、こんなにあっさり見付かったら、こっから先の話のネタが無くなるだろ!!」
「バカ言うな、ケータイでいちいち細かく書いてられるか。省ける所はとことん省いとけ」
そして激怒するサキ。
「あのねェー!! やっと素直に喜んでくれるかと思ったのに、何、変なメタ話とかしてるのよー!」
「ムリムリ~。リュードが素直に、感激の再会なんてする奴には見えないしなぁん。特にこうして、第三者のオレらが見守ってなんかいるとサ」
そう言うと、ケイが振り返って歩き出した。サキにもちょいちょい、と手招きをする。
「今は二人で話をさせてやろォよ。多分向こうで、すねてるタオも迎えにいかなきゃだしなー」
……また新しい名前が出た。いったいここにはいつからどれくらい、こうやって活動してる奴らが、オレが迷い込んだ昔と比べてやたらと増えたんだ?
「あ、そっか……リュードにちゃんと、タオのことも紹介したいしね」
なるほど、と頷くサキに、だろォ? と笑うケイ。でもこいつらは、そもそもから間違ってる。まず何よりかにより、こいつら自体何者なのか、オレは一言だってきいた覚えがないのに、他の奴の紹介も何もないだろ。
まあその辺は、多分この場所に来た後の姉貴の知り合いと考えれば、オレの名前を知ってたこととか、一応納得はいくんだけどよ。
「そうそう、アフィちゃんも探して連れてこなきゃ! リュードは多分、レイナとアフィちゃんを探しにきたんだよね?」
いきなり人の顔をのぞきこんで笑うサキ。っつーか。
「アフィって……誰だよ?」
そのオレの一言に、サキは「ええええ!?」と、まあ……耳が痛くなるほど大きな声を出した。
「それはヒドいよ、リュード! 仮にも自分の妹を誰だなんて!」
……はいィ?
「ちょい待ち、サキ。アフィはまだ、向こうで存在してないんだから、リュードは知らなくて当たり前なんよー」
苦笑しながらいさめるケイに、サキがキョトン、とする。
「あ……そっか……まだ生まれてないんだから、当たり前よね……やだ、私のばか、早とちり~」
赤くなるサキ……っていうか、妹……?
「じゃ、後の話はレイナにきいてくれナー。いこ、サキ」
呆然とするオレを置いて、サキとケイはもう何も言わずに、その場から消えていったのだった。
「あのさ、姉貴……」
「ん?」
「妹って……何事?」
やっとそう尋ねたオレに、姉貴は、「お前……本当に両親から何もきかされてないんだな……」と、諦めの入った声で呟いていた。
「ラース。オレが外の世界に戻るには、半年後に開く、生への扉を通らなければいけないことは知ってるか?」
今の姉貴は霊体なため、オレが通ってきた生身用入口は使えない件だ。一応頷く。
「なら何故、その扉が半年後に開くのかは?」
んなこと知るかよ。もろにそういう顔をするオレに、姉貴は驚くべき事実を語り始めたのだった。
「お袋は現在、妊娠中。その出産予定が半年後なんだ」
な……何いぃぃ!?
「その時に生まれるのがティア、二つ名はアフィっつー、オレ達の妹だ。生まれるためにはここから魂が出ていく必要かあるから、そうやって新たな竜族が生まれる時だけ、竜の墓場では生への扉が開くようになってる」
淡々と話す姉貴。つまり……ここには、死んだ奴だけでなく、これから生まれる者も存在するってことなのか?
だから、まだ生まれてもない妹がここにいて、そいつの魂が生まれるために外に出る時、それに便乗して姉貴も外に出るということなのかよ。
「姉貴はもう、妹には会ってるのか?」
「まあな。ここでの生活長いしな」
色々と、展開が急過ぎて、不本意ではあったものの。
「ったく……妹かよ。何かてんで、実感わかないっつーの」
とりあえずオレの目的の一つ、姉貴探しと連れ戻し方法は、大体カタがついたんだろう。
「ところで姉貴。あいつらは何者なんだ?」
「ん? サキとケイか?」
姉貴はハテ、と首を傾げる。
「知らん。いつからか、どっからかわいて出てきた」
何だそりゃ!
「オレがここに来た頃はいなかったが……そうだな。妹の存在を知った頃、現れたような気もする」
ふーん……? どうにも納得しかねていた俺は、まさにこれから、知ることになる。
ある運命の落とし子達が、それぞれの縁を手繰り寄せて、ここに姿を顕したことを。
*
そんなこんなで、どんなこんなで。
オレが竜の墓場に入ってから、早くも一週間が過ぎ去った現在だった。
「とは言うものの……」
正直、姉貴に会ってからは何一つ、事態に進展がない。
いいのかこんな……何か知らねーが、オレの意思とは無関係に繰り広げられてる、何か変にスローな日々は。
「何だ、ラース、不景気な顔して。とりあえず茶でも飲め」
「いらね。味も水気もない茶なんて茶じゃねぇし」
「何をふてくされてる。またタオの奴と、一戦やり合いでもしたか?」
ぐ……。人の顔を見もせずに、淡々と言う姉貴。そしてオレの頭にはまた一つ、青筋が増える。
「タオの奴は小心なくせして、相当な頑固者だからな。オレは正直、好かないんだ」
「オレだってできるもんなら、関わりたくねーよ。けどな……」
「ティアリスの居場所がわかるのはあいつだけだから、仕方ないけどな」
「わかってんなら煽るなよ! ったく……」
ティアリス。五ヶ月後に産まれるはずの、オレ達の妹。
霊体である姉貴が外の世界へ出るためには、そいつが開く生への扉を通らなければいけない。
「それを何で、オレが探してやらなくちゃいけないんだ? 自分のことなんだから自分で探せよ、姉貴」
「言うな。オレとタオの相性は、もう破滅的に悪い、としか言えん」
ま……それは認めるけどな……。
オレも正直、サキにタオを紹介された時の第一印象は、かなり悪いとしか口にできない。
母親にすがるように、サキの服の裾を掴んでいた黒髪黒目のあいつは、オレを一目見るなり言った。まるで呪いの種を見るようなきつい顔で、「災いが始まる……全ての元凶が、ここに現れる……」と。
「毎回毎回、そんな感じで……オレが何か言い返そうもんなら、今度はサキがうるさいからな……」
そう。タオと関わると大概の場合、オチはサキの「人の妹をいじめないでよー!」の一喝で終わる。
あれって正直、過保護過ぎないか? と、サキにしがみつくタオを見る度にそう思う。
「質問するだけでも、サキを通さないとろくな返事もしやがらねえし」
タオ曰く。アフィ@ティアリスには当分会わせられない、オレはこの場所にいるべきではない。そしてオレの探し物は、決して見つかることはない。
……訂正。サキを通しても、ろくな返事をしてきてなかったな、あのガキは。
「難儀なことだな。竜珠の在り処がさっぱりわからないというのも」
姉貴が溜め息をつくように、小さく呟いたその後のことだった。
「ライフィス・リュード!」
……。あー……また来たか、面倒くさいのが……。
この一週間で、すっかり聞き慣れてしまった声の方へ、嫌々ながら顔を向けた。姉貴も、お、という顔をして、オレと同じ方向に顔を向ける。
「よく来たな、ルーナ。まあ座れ、茶でも飲んでけ」
「茶でも、じゃないよレイナ! 今日という今日は、リュードにここから出ていってもらうからね!」
その青銀の短い髪をした和装の、一見十六歳程に見えるルーナは、きっとしてオレを見る。
「リュードが来てから本当に、あちこちでおかしなことばかり起こる! この竜の墓場の墓守を任された身として、僕はこれ以上、黙ってはいられない!」
「とか何とか言いつつ、もう一週間たってんじゃねぇか。これだけ長くいたら、いい加減見逃してくれたっていいだろ?」
あのなー! とルーナはわかりやすく、全身で怒りを示す。
「大体、武丸達がしっかりしないから、僕がいつも苦労するんだ! 武丸と佐助二人がかりなら、いくら竜王の直系だからって、ここから追い払うぐらいはできるはずなのに!」
要するに。武丸の言ってたボスとは、つまりコイツ、ルーナのことだ。
「そうとも限らないぜ? そんなにヤワならオレはとっくに、アンタに捕まってここから追い出されてただろうしな」
「それはリュードが毎回、しつこく逃げ回るから……!」
しかし、ルーナのその言葉の先は。
突然噂のあの人物に、身も蓋もない内容に言い換えられた。
「ルーナは強い。本気で相手をしたら、今のリュードは負ける」
「……何だ。いたのか、タオ」
姉貴が眉をしかめて、ルーナの斜め後方を見た。水色のパーカーを着て、紅いリボンをかける尻尾髪スタイルのちびっこタオがいた。
「そんなわかりきったことを、いちいち偉そうに言うな。時間の無駄だ」
……って何気に、一番容赦がないのはこの姉だったりする。何つーか、こいつらむかつく。
「そんなこと言われたって、仕方ないよナ~。リュードは竜としては、命が半分ないも同じなんだし、生粋の竜で、しかも今のルーナと比べちゃダメじゃないん?」
のまーりと、独特の間を持つ口調で、タオの後ろにケイが現れる。コイツら本当、何でこんなにいつも神出鬼没なんだ?
オレには未だに、コイツらの正体は、何一つ掴めてないのが現状だった。
「……で。リュードは帰ってくれるの、それともくれないの」
じゃらん、と武丸も持っていた杓杖を突きつけ、ルーナが鋭い目をしてオレを睨む。次々誰かが現れるせいで忘れていたが、そういやコイツを何とかしないと、何気にオレはちょっとピンチ。
実際、剣技で負ける気はしないんだけどな。悔しいが、力が足りないのは事実だった。
が、しかし。
「仕方ねーなあ……面倒だから逃げててやったけど、そんなに言うなら、今日は決着つけてやるぜ」
あれだけ貶されて引き下がるようじゃ、仮にも竜の末裔の名が泣くしな。
「……」
ケイがあちゃ~と苦笑い、姉貴は好戦的な目で笑う。
オレには特に成算はない。単に、逃げるのに飽きた、というのが近いかもしれない。
「っ……!!」
そうしてオレが、墓場の番人のボス、ルーナと剣を交えてから十五分くらいがたっていた。
コイツ、ルーナは、使える力の大きさは今のオレと大して変わらない。なのに非常に厄介な相手なことが、予測通り明らかになってくる。
「……やっぱり、力がまだ足りていない」
「とゆーより、あれは互角ってゆーんだよ~、タオ」
苦い顔をするタオに、あはは~、という顔でケイが訂正する。
「剣技は僅かにリュードのが上。でもこの十五分で、ルーナの方が全然疲れてない理由は、タオにもわかるだろん?」
それは全く、ケイの奴の言う通りだ。それに気が付いてからオレは戦法を変えた。
「青炎の月、鬼火の紫竜ルーナ。その名の由来がこの力かよ、ったく!」
盛大に、剣技だけで一度相手を跳ね飛ばして、息を整える。
「てめぇ、さっきから何一つ、自身の力は使ってやがらねえな? 全部ヒトの力をはね返すか、もしくは吸収しやがって」
そう、古来より月は太陽の光を反射し、鬼はヒトの力を奪って生きる。
オレの剣幕をものともせず、ふん、とルーナはオレを見返す。
「そうでもしなければ、僕みたいな一介の竜が、竜王と戦えるわけもないからね」
「一介の竜? その邪道な力でよく言うぜ」
竜とは本来、自然界の力を司るもの。対してコイツの「青炎」は、地獄の火という意味合いなのだ。
つまりコイツは、オレが力を使う程、回復するかその力をはね返してくる。そんな奴に勝つには、コイツが扱い切れる以上の力をぶつけるか、純粋に剣技でおすしかない。力が互角なオレには前者は不可能、また後者も、コイツの「鬼」はその力すら喰ってるように見えた。
そんな中、唯一オレにとれる戦法は、ぎりぎりで相手の攻撃を凌ぎ、体力を消費する前に打開策を練るか。ひたすら受けにまわって、相手が疲れるのを待つしかないことを、ケイもタオも悟っていたようだった。
ところで姉貴はと言えば。
この戦いが始まってからずっと無口に座り込み、オレ達の様子を凝視していた。
正直、この戦法はかなりまいる。
何が嫌かって、それはお前、たとえ勝つためとはいえ、受けにまわるなんてオレの趣味じゃねー! という、精神的な負荷が大きい。
「あっはっは~。無理無理~、そんな消極戦法、リュードが耐え切れるわけないじゃん~」
心底おかしそうにケイが笑い、
「ルーナは持久戦、得意分野……」
と、残念そうな顔をしてるってことは、何故かオレを応援してるらしい、わけのわからん性格のタオが呟く。
さてさて、そうしてオレは、誰もが予想していた通りピンチなわけだが……。
どの道、逃げ続けるわけにはいかない。改めてそう覚悟を決めたオレなのだった。
*
「あれー? リュードとルーナ、何やってるの?」
未だに勝負はつかず、睨み合うオレ達の間に、平和な声が割り込んできた。
「あり、今頃来たん、サキ?」
「だって、何だか面白そうな気配がしたんだもん。ねえ、今もしかして、リュードとルーナが真剣勝負で、しかもリュードは不利な感じ?」
言いながらサキは、不思議な笑顔でオレに近付いてきた。
「駄目だよね、二対一なんてずるいもの。だからリュードは、私が手伝うね?」
そうしてぽん、と、サキがオレの背中を軽く叩いた。
その瞬間だった。オレには突然、言い知れぬ程の悪感が走った。
「このくらいでいっか……これできちんと勝負、できるよ、リュード」
そう言ってサキは笑った。いったい何を言っているのか、さっぱりわからないまま。
「……はあ……?」
今、オレは何をされたんだろう。全くわからないのに、寒気が全身を駆け抜けていく。
っても、ひとまずサキにかまってる場合でもない。ルーナと再び打ち合いが始まり、サキもケイ達の方に戻る。
「……流石だな、サキ」
ずっと黙ってた姉貴が、ぽつりと呟いていた。それもそのはず。
「……!? 何だよ、この力!?」
誰よりオレが、一番戸惑っていた。相手をしてるルーナも気付いていたが、それ以上にオレ自身がわかっていない。
「くぅ……竜王とまではいかないけれど……!」
これは、竜珠のある時の竜族の力に近い。ルーナがそう言ってオレをきっと睨んだ。
ルーナの言う通り、さっきからオレは、ほとんど今までの倍に近い力を出せていた。不思議なのはそれというより、今までのオレにはそんな力、たとえ持ってても「制御」ができなかったはずなのに。
今のオレは、サキに触れられてから絶え間ない悪感と引き替えに、当たり前のように力を使いこなしている。それが何より、オレ自身を戸惑わせていた。
ルーナの方は、今くらいの力でも反射できないことはないが、流石に吸収は難しいようで、苦戦を見せ始めている。
「……結局後は、時間と根性勝負か」
オレ達をずっと見ていた姉貴が、つまらなそうに呟いた。
「やめやめ。疲れるから、今日はもう終わりにするぞ、ルーナ」
その、突然姉貴が放った言葉も、オレにはわけがわからない内容だった。
「えぇーっ、でもレイナ……!」
「オレが長期戦嫌いなのは、オマエもよく知ってるだろ。まだやりたいなら、後はオマエ一人でやれ」
「さっきならともかく、今のリュードにそれで勝てるわけないだろ! ったくもう!」
そんなやりとりを眺めながら、はい……? というオレの横に、アワレに思ったらしいケイがやってきていた。
「ルーナ、今では、レイナの竜をやってるんよ。だからさっき、サキが言ったろ? 二対一はずるい、って」
「って……あれ、そういうことだったのかよ?」
「別にルーナは一匹でも戦えるけど、レイナとルーナ、力の相性が滅茶苦茶良くてさぁ。ルーナは前より強くなれたし、意志だけだったレイナは霊体を手に入れることができた。それで今、レイナはあーして、リュードの前にいられるんよ」
にこにこしながら言うケイに対して、よくわからないが、呆然とせざるを得ないオレ。
「……オレはあくまで、ジョシアの力の人格だからな」
レイナ曰く、力も霊魂も本体は氷づけにされたままの姉貴は、そうしなければ一つの命として存在できなかったらしい。
まあそれは、ともかくとしてだ。
「じゃー何で、ルーナと共謀してオレと戦ってんだよ」
「ん? 弟と戦ってみたくて、何か悪いか?」
あのなー……そりゃ、サキもツッコミを入れてくるよな。
「そっか、レイナ、もう飽きちゃったんだ。仕方ないよね、じゃあリュードも元に戻すから、今度こそサシで戦う? ルーナ」
言いながら、サキがまたオレに近付いてくる。
「待てよ、お前いったい、オレに何をしたんだよ!?」
流石にきかずにはいられない程、悪びれてないサキについ不安を感じた。
「あれ? リュード、元に戻りたくないの? ダメだよ、それ続けるとその内、体の方が先に死んじゃうもの」
「!?」
警戒するオレに全くかまわず、サキはまた、オレの背をぽんと叩く。
すると、あれ程あった悪感が嘘のように消え、力も元通りになっていたのだった。
「……」
オレは半ば助けを求めるように、ケイの方を見ていた。
すっかり説明係になってしまったケイ曰く。
さっきまでのオレはサキの特殊な力によって、オレの体を生かしてる力まで戦う力にまわし、飛躍的に制御力と潜在力を向上させていたらしい。あくまでオレの存在が耐えられる程度、らしいが。
その間、体の方はぎりぎりの力しか流れてなかったので、そのSOSが悪感となって表れていたそうな。
「まー、思念体で戦う竜の墓場だからできる荒業だねぇん。外でやろうと思ったら、一瞬の間にしとかないと、体、動かないしな?」
なので本来、持続的に使うなら、調整しながら戦えるサキ本人にしか適用できないやり方らしい。
しかし、だ……。
「そんなことができるあいつ……何者なんだよ?」
「リュードの気持ち、ちょっとはわかるぜ。力そのものに干渉できるサキの力は、反則だってオレもよく思うもんな」
向こうでルーナ達と話すサキを見ながら、相変わらずにこにことしてケイが言った。
「それで結局、ルーナはどうするの? まだ戦うの?」
「そうしたいけど……どーせみんなは、リュードがここにいること、賛成なんでしょ?」
戦う気をなくしてはいないものの、恨めしそうな顔でルーナが言う。
「……賛成じゃない……でも、いないと駄目……」
だからあいつ、タオはオレを何だと思ってるんだ?
「そっか。……でもどうやら、そんな話をしてる場合じゃなくなったみたいだよ」
突然ルーナが厳しい顔付きになった。杓杖を翻すと、明後日の方向を見て叫んだ。
「だから言ったんだ、リュードが来てからここはおかしくなってるって!」
その視線の先には、一人の女がぽつんと立っていた。水色の長い髪で、体にぴたっとした黒装束を着る無表情の女。その姿を認めた途端、周囲の空気に戦慄が走った。
「そんな……何でアザーが、ここに……」
タオが蒼白な顔でサキにしがみついた。サキがきっ、と女を見返していた。
「あっちから来るなんて珍しいけど……この場合、ルーナはどうするの?」
「アザーは墓場の秩序を守る、太古の女神の系譜。手出しはできない。でも今まで、意識ある魂に自ら姿を見せることはなかった」
その後ルーナは、ただ一言、逃げて、と背中で呟いていた。
「前の時も思ったけどな……あいつ、何がそんなにやばいんだよ?」
新参者のオレとしては、ただひたすら寒気がする以外に、何もわからないままの相手だ。
「アザーは、この墓場に存在する者全ての死神だよ。多分目当てはリュードだし、早く元の世界に還った方がいいんじゃない?」
しかしルーナの忠告をきくまでもなく、オレ達に襲いかかる影があった。
「あーやば、よけろ、リュード!」
ケイに言われるまでもなく、その獣の奇襲から、オレはすんでのところで身をかわした。
「何だ……豺狼……ってやつか?」
その獣は多分、山犬サイズの狼のような姿。奇襲に失敗した黒い獣はアザーの元へ帰り、揃って静かに立っている。オレの姿を、遠くを見るような目で、それでもはっきりオレを見ていた。
「……何だってんだよ」
何故か妙に、オレは苛ついていた。この場の寒気の渦も、いつしか忘れてしまう程に。
「……え?」
しかし、そいつらがオレを見ていたのは、そう長い時間ではなかった。
アザーはすっと片手を上げると、サキ達の方を向いて、不意にそちらを指差していた。
「あ……」
動揺したのはタオだ。サキの足元に、ぺたんと膝をついた。
「違う……わたしは、あなたと一緒、なんかじゃ……」
何やら頭を抱えて、呻いている。苦しそうな妹に、サキが声をかけようとした時だった。
「あータオ、ちょっと待ったぁー!」
ケイの制止も虚しく、タオの周囲から紅い光が走った。誰もが数秒の間、目を開けていられなかった。
「……! みんな、気を付けて!」
ルーナの声にはっと目を開くと。目の前にはまた、えらい光景が広がっていた。
オレ達は全員、紅の閃光が走った時に、タオの周囲から吹っ飛ばされていた。
「……フェンリル……!!」
頭を抱えてうずくまったまま、タオが悲鳴をあげるように叫んだ。隣に現れた、巨大な黒い狼が激しく咆哮した。
「って、無茶だろそれはー!」
そして巨大な狼は、黒い衝撃の波と共に、頭上からアザーと豺狼をまとめて食らいにかかる……。
*
それはおそらく、この場の誰もが、予想しない光景だっただろう。
巨大な狼は、アザーの片手で押し止められていた。見えない壁を手掌から発生させたようなアザーの背に、悪魔のような黒い蝙蝠型の羽が生えていたのだ。
「あれは……まさか……」
ルーナが驚きの顔で口にしたのは、「復讐神」。
後からきいた話、とにかくその羽は、寄せ集まった力の塊だった。
そのままアザーは、巨大な狼を弾き飛ばしていた。
「…………」
その後、もう一度だけオレの方を見て、わずかに両眼をしかめていた。
そのまま、空中に分解されていくかのように、唐突に場から消え去ったのだった。
そして、大変なのは、その後からの話。
「も~。アザーには勝てないってわかってるのに、タオったら無茶するから~」
「おまえホントに、危機感あるのかよ、その声!」
のほほんとしたサキとは裏腹に、オレ達は現在、大ピンチだった。
「あー……やっぱりこれ、見事暴走してるよな~、ははは~」
標的を失った巨大な狼は、最早見境がない。耐え間ない衝撃波を出しながらオレ達に襲いかかってきていた。
狼を呼んだはずのタオはうずくまったまま、何も見えていないかのようで、ルーナの杓杖が巨体を押し止めてはいるが、吸収しきれない力の余波がオレ達に叩きつけられていた。
「う~ん、今回はなかなか、収まりそうにないねえ。さすがにそろそろ、止めたげないといけないかなあ?」
巨大な狼から放たれる力に、既にかなりオレ達が消耗した中、今頃サキはそんなことを呟いていた。
「おまえ、あのデカブツを何とかできるっていうのかよ?」
巨体というのは、それ自体が武器だ。ちまちま攻撃したところで意味はないから、大きな力をぶつけないといけないだろうが、オレが現在力不足なのは前述の通りだし、ルーナと姉貴もそれはあまり変わらないはず。
しかし、サキは大きな眼を不意に青く輝かせて、
「うん。だってわたし、タオのお姉ちゃんだから」
と、明るく笑っていた。これまでは確か、灰色の目に見えていた気がしたのに。
っーても、サキとケイの二人からも、正直あまり大きな力は感じないんだが……。
イメージ的には、タイティーやティンクとそう変わらない奴らだ。ただあの二人は、精霊という外部の力があることで、親父やお袋に次ぐ実力者になってる。
まあ、タオからもそこまで力は感じないのに、暴走することでこれだけ獣を動かせるわけだし、ここにはオレの知らない何かがあるのかもしれない。
「……じゃ、お手並拝見といかせてもらうぜ」
それを聞くと、サキはにこ、っと嬉しそうに笑った。盾になるために前に出たオレの後ろで、何やら手掌を宙にかざし始めた。
そして、次の瞬間。信じられないものをオレは見ることになる。
「……な゙ーっっ!!?」
驚愕に染まった表情のオレと、そんなオレを見て、笑いを堪えるケイと姉貴。
「よぉーっし、巧くできたよ~♪ さー、行っけぇー♪ 猫竜ー!!」
サキがぶん、と指をタオの方に振ると、宙に出現した白い物体が、巨大な狼の力の波を器用にすり抜けていった。
そのまま、狼の足元に座り込むタオを、長い体でぐるぐると包んだ。
「さあフェンリル、タオに早く還りなさい! そんなに無駄な力を使っちゃダメなんだから!」
そして、サキがよび出した力。猫竜と称する、猫の頭に竜の角があり、長~く伸びた胴体に猫の手足と竜の翼と尾を持つ物体は、更に体を伸ばして巨大な狼もぐるんと包み込んだ。
やがてその「猫竜」に包まれた狼は、正気を取り戻したかのように力の放出を止めた。
そして少しずつ縮んでいくと、最後には猫竜に吸収されたかのように、長い胴体に包まれた中で姿を消していったのだった。
「は~い、一丁上がりだよ♪ 暴走さえしなければ、フェンリルはいいコなんだからー♪」
その後、猫竜はライオン程度の大きさと長さになると、二本足で立った。空いた前足で気絶しているタオを抱えて、サキの方まで戻ってきていた。
……もうオレは、何というか、アレとしか言えねえ。つっこむべき所が多過ぎて、本気で途方に暮れかけていた。
気絶してるタオに大事はないことを確かめると、サキが安心したように、ふ~っと息をついた。
「あんまり力使うと、アフィちゃんにも迷惑かかっちゃうしね。もー無理しちゃダメだぞ、タオ!」
なんて、聞こえてるわけないよね~、と一人突っ込みをいれるサキだったが。今突っ込むべき所はそこじゃない、とオレは流石に口を挟んだ。
「……おい。さっきのあれは、いったい何なんだよ」
「? あれって、何のこと?」
「何のこと、じゃねーよ、どう考えたっておかしいだろ、あれ! 何だよ猫竜って! 有り得ないにも程があるだろ!」
猫好き竜好きの全員に謝れ! と思わず叫びかけた。それくらいシュールな造形だった、としかオレには言えない。
「何でー? いたら可愛いと思うんだけどな、猫竜ちゃんって」
「だからそんな、おかしな生物はいないっつー!」
何でも猫つければいいってわけじゃねーぞ、ホント。竜や精霊とかも、力の無い人間からしたら架空の存在ってことは知ってるけどよ。猫竜なんてまず、架空ですらない妄想だろ、完全に。
だから本当の問題は、そんな「妄想の産物」を、実際によび出してしまえるこいつの力の謎なわけだが……。
その辺は、こいつにきいても無駄な気がするんで、後でケイにでもきくことにする。
「でも、可愛いのにぃ……」
サキは大分不満そうに、可愛くて強いのに! と言い直していた。
「にしても、あんな変なもん出せるなら、お前……アザーとかいうあいつにだって、勝てるんじゃねぇの?」
本当に、あっさりあの巨大狼、何とかしちまったしな、こいつ。
「猫竜ちゃんは変じゃないもん!」
何故にこうして、すぐに話がそれるんだかな?
サキはまさに、ぷんぷん、という雰囲気ながら、それでも珍しく答を返してきていた。
「アザーには、勝っても負けても駄目なんだから。リュードも絶対、アザーに会ったら、殺したり殺されたりしちゃ駄目だからね」
「……へ?」
殺されたら、アザーに取り込まれちゃう。殺したら、その後とり憑かれて乗っとられちゃうよ。サキはそう言った。
そう言っている時の顔は、真剣そのものだった。
「アザーは神サマだから、殺しても死なないし、どっちにしてもやばいことになるんだよん~」
にや~、とケイがいつの間にか、オレに背後からとりつくおんぶお化けになっていた。
「神サマ、だとぉ?」
うさんくさくケイを見るオレに、ケイはにはは、と笑う。
「正確には、神族、な。早い話、精霊や召喚獣より、更に純粋な力の塊みたいなもんさー」
シンゾク……? そういやルーナの奴も、復讐神とか何とか、言ってたっけな?
「神族ってーのは、きっとこれから、リュードも何処かで関わることになると思うぜ。リュードや親御さんの竜とかも、元をただせば神族とも言えるわけだし」
それがどんなに重要なことだったのか、オレが知るのは遠い未来。ケイが関わる運命の悪夢の話になる。
そんな、何だかわからない話をするオレ達を遠巻きに見ながら、ルーナとレイナが溜め息をついていた。
「あるいはリュードの本来の姿なら、アザーにも本当の意味で勝てる可能性がありそうだけど」
「あいつに勝ったところで何になるんだ。あんな墓場の天災みたいな奴相手にするより、さっさと元の世界に帰れっていうのが、オマエの本音だろ?」
それはそうだけど……と、ルーナが釈然としない顔付きでレイナを見た。
「レイナは実際の所、どう思ってるのさ。このままリュード、ここにいさせていいと本気で思ってる?」
ルーナの意向に、協力も反対もしない。力は貸してくれる相方の本意は、ルーナも掴みかねているようだった。
結局その後、ルーナにレイナは答えなかった。また来るからね、とルーナは、捨て台詞を残して帰っていった。
これはそうして、ルーナが帰りついてからの話。らしい。
「あ~、おっ帰りぃ、ボス~」
「……」
二人の男が、帰ってきたルーナの方を見向きもせず、コントローラーというらしき物を握って、四角い物に向かって熱中していた。
テレビとゲーム。そういう風にいうらしいのは、オレも大分後に知る。
「オマエら……ヒトが、嫌がるオマエらの代わりに、必死に仕事してきたっていうのに。その間またゲーム三昧って、どーいうことさ!?」
あっはっは~と笑う武丸に、その弟らしい佐助はノーコメントを貫く。
「いやー、文明の発達って凄いよな、コレー」
何処の世界の話だよ! と、今日も墓場のボスの怒声は尽きないそうな……。
➺L's.4 何処から何処までが誰なのか。
「ほら、リュード、こっちだよー! 見て見て、絶対キレイなんだからー!」
本日も、朝から元気一杯な、真性朝型猫娘がヒトの手を引っ張る。
「っつーか……猫なら夜動けってーの、このお天気女……」
「天気と朝は、関係ない……リュード、まだ頭、寝てる……」
「眠くてもオレ朝弱くねえし。寝坊万歳のくせにどの口が言う、このガキ」
いつもの応酬なオレとタオに、サキが、もー! とぶんぶん、掴んだ腕を振り回してくる。
「そもそも朝なんてここにないでしょ! 二人共、こんな時だけ気が合うんだから、もう!」
有無を言わせず、寝惚け顔のオレとタオを、サキは自分のお気に入りの場所へと連れて行くのだった。
へー……とオレは、連れてこられたその場所を見て、言う。
「……川じゃん」
「うん、川だよ♪」
いや、だ。
「……ただの川だろ」
「うん♪」
ただ単に、その辺の森に、いくらでも流れてそうな小川。ほとりの切株に座り、サキがあまりにも幸せそうな顔をしていたせいだろうか。
「お前って、ひょっとして、天然?」
どうしても言わずにおれないオレは、多分常識ジンだと思う。
「? てんねんって、何?」
「オレもよく知らねーけど、本当にここがその、『絶対とてもキレイな場所』なのかよ? 他とそんなに変わんねーじゃん」
そうかな? とサキは、座ったまま空を見上げて笑った。
「ここは何処も灰色だって、レイナは言ってた。私はずっとここにいるから、よくわからなかったけど」
確かにこの竜の墓場は、何というか、何もかもが色褪せてる。でもそれは、外の世界を知ってるオレや姉貴でなければ、わからないことだろうけど。
「でもここに来てわかったんだ。だって、ほら」
サキの目線が、透明な小川へ移る。
「水って、キレイじゃない? それも流れてる水って、ただ在る泉より鮮やかなんだな、って」
キレイはどっちもキレイだけど、とサキは笑う。
透明だから、褪せることのないもの。ここで唯一、灰色でないものに、眩しそうに微笑んでみせた。
「それにここなら、アフィちゃんに会えるかもしれない所だし。張り込み頑張ろーね♪」
いったい何処でそんな用語を覚えたのか、呆れるくらい楽しそうにサキが微笑む。
「完全にピクニック感覚だよな、てめえ……」
「え、何で? ピクニック楽しいよ?」
そういうことじゃねー。ってツッコミは、最早オレはしない。サキはこーいう奴なのだ、ひたすら。
「……何でここなら、ティアリスに会えんだ?」
っつか、タオはオレを妹に会わせたくない雰囲気だったのにな。監視するためについてきたとしか思えねーし、正直全然、会えると思ってないオレ。
「え? だってここ一帯が、アフィちゃんだもの?」
……サキはこーいう……奴……?
そうして、川辺でぼけーっとすること、約三十分後。
サキが、楽しいね、って笑ったのを境に、オレの記憶は飛んだ。
「も~。リュードもタオも、いつも寝太郎さんなんだから」
そんな風に言いながら、サキはオレ達を起こそうとはせず、ただちょこん、とオレの隣に座った。オレ達が目覚めるまで、川の流れを飽きることなく見続けていたようだった。
っつか、初めの三十分の時点で楽しいねって感想、コイツ本当、何なんだろな。本気で全員がぼけっと川を見てただけで、喋りの一つすらない時間だったんだけどな。
多分こいつには、日々はとにかく、楽しいことばかりらしい。
しっかし、こんな現実に近い川辺で、うとうと寝入ってしまったせいだろう。
オレは不意に、有り得ない今の夢を見ていた。
その夢の中では、この薄明るい大地ではなく、よく見知った城の一室。
オレが育ったはずの城に、オレ達でない奴らが住んでる光景が広がっていった。
――もう、ラースってば、眠ってばっかりなんだから。レナかケイなら、遊んでくれるかなあ……。
――どうしたの、サクラ?
そこでのオレは、住人でなく客として眠っている。家族ぐるみで遊びに来た、親戚の子供の一人として。
――あれ? お母さん、起きてていいの?
――あらら。トウカもラースも、お昼寝中? ごめんね、誰に似ちゃったのやら……。
いつもよく寝る三人が、その場に揃う。一人元気な誰かは、無理に周りを起こさずに笑う。
――いいの! お母さんもラースも、トウカも大好き! 今日はお父さんも一緒に、みんなでお出掛けできるんでしょ、嬉しい♪
それらは所詮、目覚めれば消える幻。この透明で冷たい川を包む、悲しげな空がくれた一時の夢。
もう誰もそれを知ることはないだろう、あり得ない世界だった。
夢のオレが起きる頃に、実際のオレも起きた。サキが帰ろ、と言うくらいには時間がたっていたらしい。
「残念。アフィちゃん、会えなかったね」
「それはいーけど……おまえ、オレ達が起きなきゃ、何時間あそこにいる気だったんだよ?」
そうして今、帰路についた三人だった。タオはまだ目をごしごしこすっている。
「せっかくだから、レイナとルーナの分も花輪、作ってあげたかったかな。二人共、可愛いよ♪」
「……」
オレ達が寝てる間に作ったという、白摘草に似た草の輪。それがオレの両手とタオの頭に、知らない間にはまっていた。
「……罰ゲームかよ、オイ」
これ、多分簡単に取れないように、力で細工してやがるなこいつ。
「えへへ、ちょっとね」
「……ずっと寝てる、リュードが悪い」
お前もだろうが、とつっこんでいた。昼でも夜でも何も変わらない、薄明るい空の下で。
「……」
手を繋いで歩く、サキとタオを何となく見ていた。顔は似てないこともないけど、およそ雰囲気は正反対の姉妹。
無理もないよな。何せ一方は猫竜とかよんで、もう一方は巨大な狼使いと、力からして対極ぽいし。
「なあ。お前らって何処まで、外のことは知ってんだよ?」
「え?」
ここが色褪せてること。それも知らない奴らが、竜やら猫やら、そんな外の世界の動物を当たり前に知ってることが、ちょっと違和感っつーか。
タオの狼フェンリルとかは、ティアリスが言った名前を、本好きのケイが狼って教えたのはきいたんだけど。
姉貴やオレみたく、外から来たわけでもなく、妹みたいにこれから生まれる感じでもないこいつらは、本当に何者なんだろう。
直接正体をきいても、こいつらはずっと答えていない。サキなんて特に、いつも違う方向に反応が飛んでいくし。
それはこいつの、無意識の優しさだと、何でか最近わかってきたオレだった。こいつはありのままの天然ではなく、何というか、自然で掴み所がない奴なんだと。
「外のことって……たとえば、どんな?」
なのに今回は、不思議な笑顔を浮かべたサキが、オレに穏やかに問い返してきた。
「……」
オレも一瞬、詰まったとはいえ、何でかこう返していた。
「……人間って、知ってる?」
オレ達はヒトだが、人間ではない。両親からしっかり教えられた、うちで一番大切な事が多分、それだった。
「人間かあ……覚えてる範囲では、会ったことはないけどね。私達と違って、力とかがない人達のことだよね」
それはそうだけどな。見た目や気配でわかる違いは、正味それくらいだし。
「じゃ、力とやらのあるオレ達は、何者なんだよ?」
ヒト。それは人型の生き物全般をさす言葉で、人間はその中で最も純粋な人であり、また最も世界から遠い。人である以外何者でもない人間を、親父達はそう言っていた。
「私達に力があるんじゃないよね。力があるから、私達がいる。勿論力も、私達がいないと体現されないんだけど」
何やらちょっと真面目なサキに、ついでにタオも口を挟んだ。
「力がある世界の、一部分の力。わたし達はただ、それだけだから」
二人が言うのは、オレも何処かで、遠い日にきいた答と多分同じだった。だからオレは、重ねて尋ねた。
「何でお前ら、んなこと知ってんだよ?」
そのオレの問いに、
「ふふ~ん。サキやタオが知ってることくらい、私達は知ってるんだから」
そう、意味深な答をさらりと口にすると、後はもう言わなかった。
逆にタオが、ひっそりつけ加える。
「……知ってるだけで、見たわけじゃない」
そしてサキも、改めて言う。
「まあ全部、アフィちゃんが教えてくれたことだけどね」
人間でないオレ達やこいつら。それを存在させることができる、竜の墓場。
そこにいるはずの妹というやつが、どうして外を、人間を、ヒトを知っているのか。その意味を知るのはまだ先だった。
「あ~、でも今日も楽しかったな♪ ありがとうね、リュード」
「は? 何で礼なんて言われるんだよ」
「だって、リュードがいてくれるだけで、ここは全然違うんだよ」
よくわかんねーが、タオもかすかに頷いていた。こいつらがオレを、眩しげな目で見てるのは確かだった。
どうしてだろう。竜の墓場に入る直前、親父と話したことを、オレは思い出していた。
「オマエが昔迷い込んだ時、墓場に一緒にいた子のこと……だって?」
「あんたは目もくれずにオレを連れ出したけどよ。あいつは何だったのか、わかってのことなのか?」
「いや……?」
親父はその時、心底不可解な顔付きをしていた。
「俺はオマエ以外、あの時誰も見ていないし……オマエと一緒にいる子供にも、会わなかった」
驚くことに、あの時親父に見えてたのはオレだけだったと、それでわかった。
「レイナ……本当に、消えちまったのか……」
何でかそんなことだけ、つい呟いていた。前を行くサキとタオを、小走りで追いかけていった。
*
それからある時。ふと気が付いてしまったことに。
オレが竜の墓場に来てから、実はもう、四カ月がたとうとしていたのだった。
「マジかよ……結構たってんだろーな、とは思ってたけど……まさかここまで……」
このために外の世界から持ち込んできた、お袋に昔もらったカレンダー機能つき腕時計を眺める。
唖然としていた。竜の墓場に時間は流れないとはいえ、それはあくまで、中にいるものの状態が自ら根本的には変わらないだけで、こうして外に流れるはずの時間を知ることくらいはできる。
ちなみにこの四カ月で、オレの目的の進展は、見事と言っていいくらい何もなかった。全く、さっぱり。
それじゃあその間、オマエ暇な時間何してたんだ。と、誰もがつっこみたくなるところだろーが。
「そっかあ、もう四カ月なんだあ……リュード、ほんとに大丈夫なの? 毎日あんなに、寝てばっかりで」
早速いらんことを言うバカ女の相手をしたり、ケイから色々話をきいたり。タオとは相変わらず冷戦だったり、しつこいルーナと姉貴と何でかお茶を飲んだり。武丸達と手合わせ、もといゲームをやったり……何ていうか、あれだ。それ以外、本当することないんだっつーの、ここって暇過ぎて。
「だからって一日十二時間は、寝過ぎだと思うけどな」
何故かそこで、サキがやたらに不満そうなのだった。
「やめとけ、サキ。コイツの過眠癖は叔母譲りで、死ぬまで治りそうにない」
訳知り顔で言う姉貴に、えー、叔母様ってどんなヒト? そんなのありなの? とサキの注意がそれていった。
「ったく……」
別にオレだって、本気で何も進展がないまま、手をこまねいていたわけでもない。この四カ月を無事過ごせてるのは、番人達の忠告を守ってるからだった。あれは駄目これはダメ、いていい場所はこの辺りだけとか、特に逆らう理由がない時は素直に従ってたら、武丸から「リュード、本当にライムさんの息子?」と首を傾げられた。何だよお袋のやつ、そんなに跳ねっ返りだったのかよ? と考え込んでたら、佐助から「むしろよく似てるよ」とツッコミが入った。オレも何となく、オレやお袋は見た目よりは、フツーのやつだと思ってんだけど。
ここ最近わかったこととして、サキやタオが呼び出す力の獣は、オレ達竜族と実はルーツが似ていること。
自身の気そのものである力の獣は、召喚獣とも似ていて、本当はいつも異界で眠ってる。竜宮はそこと繋がっていて、だから強力な土地だと畏れられていること。その異界を神界と呼び、この墓場はまさに中継地点であるらしいこと。しかし今は竜宮が封印されたため、もうここで新しい力は産まれなくなったことを、ケイからきかされていた。
あ、後、オレがここにいることの賛成派がケイとサキで、タオやルーナはともかく、姉貴も意外に実は反対派らしい。
理由は簡単、オレ達の妹が産まれることはもう定まってる以上、オレがいよーがいなかろーが、姉貴は出ようと思えば外に出られる。オレの探し物が見付からないなら、オレがここにいる意味はない、ということらしい。別段姉貴は、反対でも干渉する奴じゃないから、放置しているわけだった。
「にしても、それならバカ両親がわざわざ、連れて帰れって言った意味は?」
多分姉貴は、何かを隠している気がオレはしている。ちなみにタオとルーナが反対な理由は、わかるようで何もわかんねえ。
そしてサキとケイが、オレを歓迎してる理由と言えば。はっきり言わないが、多分ここの生活、退屈だろうからっぽい。
ケイなんかオレに、既に何度も、「リュード、外に帰る時はオレも連れてってなぁん♪」とか言ってくるし。
「しっかし……」
オレの目的、竜珠の在処については、全く手掛りがないのは相変わらずだけど。
「え~! じゃあその叔母様は、一日二十時間でも平気で寝ちゃうの!?」
こーして騒いでるサキの力が、オレと竜の関係と同じらしいこと。サキにはそれが猫なんだとか、でもサキの本質は力に直接干渉する「反則」で、だから猫竜とかが創れるんだとか。そんなことばかりがわかった四カ月だった。
もうこの、あまりの手掛りの無さっぷりに、流石のオレも根をあげそうだった。
「なぁ、姉貴さあ……あんたって昔、友達いたりした?」
それをきいたのは、本当に偶々、ここに来る前の両親の言葉を思い出したからだ。オレの竜珠や逆鱗は、レイナの友達が持っていった、と昔のオレは言ってたんだと。
正直この姉貴に、友達とか、いたとは思えねーけど……。
「ああ?」
何しろ、今の姉貴が「ジョシア」ならともかく、力の人格とかいう「レイナ」な以上、表には出てなかったはずで。オレがここに迷い込んだ時にもいなかったし、オレの言う奴は「偽レイナの友達」と考える方が自然だろう。
「オレに友達いたかって? 変なこときくんだな、オマエ。そんなん、いたに決まってるだろ」
「だよなー、いねーよなー……って!?」
がばっと振り返るオレの、驚きまくった顔を見て、失礼な奴だなオマエ、と。珍しく姉貴がすねたような顔になった。
「お約束の反応するなよ、芸の無い奴め」
「んなこと言ってる場合じゃねーし! 誰だよそいつは、今何処にいるんだよ!?」
もしかしたらオレは、ここにきてようやく、一番重要な手掛りが掴めたのかもしれない。
こっちも珍しく熱くなったオレに、姉貴はまだ不機嫌な顔をしつつ、溜め息をつきながらその名を口にした。
「オレ達が昔、聞いた通称はサクラ。今何処にいるかは、全然知らない」
「……サクラ……?」
その名前は、オレには聞き覚えがないもの。
なのに、だからこそ、その記憶は蘇ってくれたのかもしれない。
あの頃、「レイナの友達」としか名乗らなかった、一度だけ会いにやってきた誰か。
「レイナを助けるために、アナタの珠を私に貸して」と、そいつは言った。名前も何も知らない、桜色の眼で。
そうだ、やっと思い出した。あの時、レイナ(偽)は自分は消えちゃうかもしれない、とずっと言ってて。
「レイナの友達」な誰かは、オレにこっそり頼みにきたんだ。レイナをきちんとカタチにしてあげるために、オレの竜珠が必要だから、って。
「姉貴……今、『オレ達』って言ったよな。『達』ってことは、他は、誰だ?」
突然蘇った記憶に呆然としながら、オレは、些細な違和感に踏み込まずにはいれなかった。
「オレとジョシア。サクラはオレ達の共通の友達だった……と言うより、サクラはジョシアの影をオレに見てた」
……え?
「ジョシアには多分、最初で最後の親友だろうな。ここに引きこもってたジョシアを変えたのは、サクラだったから」
その言葉の意味を、オレはまだ知らない。ただある一つの言だけ、放置ができなかった。
ジョシアとレイナ。二人の姉貴。いったいそれは、何処から何処までが誰なのか、その現実を。
「なあ……オレはジョシアに、会ったことはあるのか?」
「……」
オレの真意を、姉貴はすぐに察したらしい。オレ自身、気付いてしまったことに寒気がしている。
小さい頃に、オレはずっと、姉貴はジョイだと思ってそう呼んでいた。でも――本当に相手は、ジョシアだったのか? って。
「……オレはあくまで、ジョシアの力の人格……逆鱗に過ぎないんだぜ?」
淡々と、レイナという名の姉貴がそう言う。その姿はオレの中の姉貴像と、何一つ違和感はない。
そう。オレが覚えてる姉貴は、ジョシアじゃなくてこいつなんだ。それにオレは気が付いてしまった。
オレ口調である姉貴に、ここで再会した時から違和感がなかった。それは昔から、こいつはそうだったからだ。
ジョシアがここで、サクラという友達ができるほど引きこもっていたなら……外の世界でジョシアをやっていたのは、レイナだったはずだということ。
本当のジョシアは、何処かで「私」と、自分のことを呼んでいた。それを憶えてるから、ジョシアにも絶対会ってるはずだ、と何とか気を取り直していた。
「……会ってるよ。オマエとジョシアも、ちゃんと」
レイナの姉貴はそれだけ言うと、ふい、と何処かに行ってしまった。心なしか、いつになく淋しげに見えた。
その後、姉貴と入れ替りに、何故かタオが現れていた。
元々、姉貴と話したのはサキがどっか行ってからだから、サキがいないのに何でこいつが一人でオレの前に?
「……」
タオはしばらく黙って、オレを見ていた。それから静かに、問いかけていた。
「……リュードは……サクラに会いたい?」
「――何だって?」
こいつ、まさか……姉貴も知らないサクラの居場所を、知ってるっつーのか?
妹の居場所がわかるのはこいつだけ、といい、こいつがどういう奴なのかも、未だに何もわかっていない。
「どうせまた、会わせるわけにはいかない、っつーんだろ?」
図星のように、タオが俯いた。それでどうしてか、オレには何となくわかってしまった。
こいつがいつも、オレにかみつくような目をするのは、何かの反感からではなかった。オレに伝えたいことがあるのに、言ってはいけない。そんな自分の矛盾に耐えているから、オレに冷たく当たるんじゃないか、と。
オレとタオが、黙って立っている様子を、遠くから見ている奴がいたこと。オレが気付けるはずはなかった。タオが一度だけ、ちらりとその方向を見ていたことも。
「……ごめんなさい……」
そうして呟く、小さい背中。そこに更に、一回り小さい影が、どうして? と声をかけた。
「どうして? 貴方は何も、悪くないのに」
悲しげに笑い、優しく告げる影に、オレ達を見ていた奴が首を振った。
「私は、私の意志で、こちらを選びました。だから……アフィ様……」
そんな辛そうな姿に、もう一度笑いかけた影は。
寂しいね、美咲……と言って、あっさり消えていった。
*
「……」
何とはなしに、オレはケイの所に訪ねてきていた。
「――ォよ? 珍しいよナ、リュードの方からくるなんてさ?」
大体毎日、サキとケイがセットで遊びにくるのが墓場の日常だった。
それから二人は何処に帰っていくのか。居場所がこの図書館――何もないはずの墓場で、死者達の記録を具現化させた唯一の場所と、ケイには教えられることになった。
今日、オレが来たのは、単純な理由だ。
「って……タオの懐柔方法ー?」
「何かないのかよ? あのだんまりヤロウの、口の割らせ方とか」
こないだの一件でわかったこと。オレの竜珠を持ってったのは、姉貴の友達、サクラという奴なこと。タオがその居場所を知ってそうなことをケイに話す。
いつからともなく、オレはこうして、ケイに相談をすることが多くなってきていた。ここで唯一、オレのペースを乱さない相手ってこともある。
「サクラ、かぁ……オレがここに来てからのレイナ、そんな奴に会ってるのは見たことないなぁん。オレより後に紛れ込んだタオは、何処で関われたんだろナ?」
前に唯一、聞き出したコイツらの事情。コイツらは本来、竜の墓場にいるべき存在ではないらしい。
竜の墓場とは、その名の通り竜の縄張りであって、猫やら狼やらなこいつらがいるのはおかしい。あまりに竜の数が減ったから、ということらしい。
竜の墓場という場自体が、現在揺らいでる。それでルーナもしつこく、秩序を乱すな、出ていけ、と煩いわけだ。何でサキ達が紛れ込んだかは、ルーナ達にもわからないようだったけど。
ケイは自分達を、「竜に関わったから紛れ込んだ、タダの力」と呼ぶ。サキとタオに関しては、ケイですら詳細がわからないそうだった。
「それでも兄弟を名乗るからには、何かしら根拠があんだろ、オマエら。それならタオの扱い方の一つや二つ、知ってたってバチ当たんねーぞ」
「何か焦ってるよなァ、リュード……まあ後一カ月しか無いし、無理ないけどなぁ」
オレにわかることはもうほとんど教えたけどナ、とケイは、珍しく苦笑いをして言った。
「オレとサキとタオが兄弟っていうのは、紛れ込んだ三人共が、ティアリスに存在を見出されたって縁があるからさ。元々関わりがあった者同士、ってわけじゃないんね?」
そのケイの言葉は、オレにとっては一応まだ、爆弾発言だった。
「……ティアリスに見出されたって、どーいう意味だ?」
しかも何気に、ケイは妹のことを「ティアリス」と言った。サキ、タオはアフィと通称で呼ぶ相手なのに、何かが引っかかった。
「オレ達元々、ここの存在じゃないっていうのは前にも言ったっけナ? でもここに、縁があった存在でもあり……」
曰く。本来なら異質な存在の彼らが消えないように留めているのが、まだ生まれてもいない妹、ティアリスだという。
「タオとサキは多分、似たようなとこから来てんだけどな。オレは正直、何で? ってなった。でもその答を、オレに教えてくれたのがティアリス。ここにいていいオレを知ってたのはあいつ、としか、言いようがないかナ……」
「……」
オレの中で、この前蘇った記憶と、何かがカチリと噛み合っていた。
「言ってみれば、ティアリスは、オレ達三人がどう生きるのかを知ってる、運命の母親なのサ。ここに紛れ込んだオレ達の理由も、オレ達の今の姿や名前ですらも、あいつが知っててオレ達にくれた命なんよ」
特にサキ達にとっては。と、ケイが慎重に、言葉を選ぶように言った。
「なあ……オマエは昔、オレがここに迷い込んだ頃には、いなかったんだよな?」
こくり、とケイは、青白の目でこっちを見たまま頷く。
「……」
ケイはサキの、弟扱い。タオもケイより後ってことは、この竜の墓場には、サキしかいない期間があったはずだ。
そして三人が兄弟になったのは、ティアリスが現れてから、ということは。
「……。……オマエやサキ達って、日頃、遊びに来てない時は何やってるんだ?」
「サキは多分、バステトと修行。タオはそれを、見学かお昼寝」
バステトとはちなみに、サキの力の猫の名前だ。タオの狼がフェンリルで、そいつらの名前もティアリスが告げたもの。
「オレはこうして、本漁りの毎日。墓場の歴史が具現化されてる、この図書館でナ」
そう。ケイもサキも、活動拠点はこの図書館だ。竜の墓場に唯一存在している、墓石以外の人工の物。
ルーナやレイナと違って、自分達の家、つか墓石が無いという彼らは、ここにいるしかないってことらしい。
「ここの本って、情報密度濃すぎてほとんど解読できないんだけどサ。まぁ、いい暇潰しにはなるぜ」
様々な命の記憶という本は、本来他人にわかるものではない。ケイがまた何か本を取り出しながら、ふっと珍しく、真面目な表情で呟いていた。
こんな暇なことしてる時間あったら、早くあいつん所に帰りたいけど、と。
その時のケイは、いつものユル~とした笑顔がなかった。口調もまるで違う奴みたいに落ち込んでいた。
「早く帰って、支えてやんなきゃいけないのにな……たとえもうオレ自身として、会うことができなくたって」
「……。前に外に連れてけって言ったのは、よくわかんねーけどそれが理由か?」
そーだよ。とケイは、いつも通りの顔に戻って苦笑した。
「リュードにはどォも、口が軽くなるなあ。月並みなグチ、言ってごめんナ」
「……別に」
何も知らないオレは、それだけ返す。そのままその日は、図書館を後にしたのだった。
外に出ると、すぐ近くにサキの気配があった。こいつらの拠点はここなんだから、当たり前だけど。そもそも隠そうとしていないから、すぐにわかるというのもある。オレは小さい頃から両親の修行で、気配は基本隠せとしつけられたので、新鮮でもある。
そんなわけで、気配を抑えたオレにサキは気付かず、ぼーっとした目で何をするでもなく、相方のバステトと大きな白い木の下に座り込んでいた。
「……何、呆けてんだか」
あいつは本当、いつも呆れるくらい明るくて朗らかなくせに、一人の時は何て遠い眼をして空を見るのか。
さっきのケイの儚い姿もかぶって、何となく声をかけ辛い雰囲気だった。
というのも、実は。ケイのあの話で、オレがようやく、確信したってこともあるんだけどさ。
……サキは本来、笑っているより、俯いてた期間の方が長かったんじゃないのか。
その長い暗欝を越えてきたから、何でもないことを何でも楽しがって、日々には楽しいことばかり、と言える。自然に明るくいられる、幸薄かりし存在……。
レイナ。そう名乗った頃には消えそうだったという、桜色の髪を持つ少女が空を見上げていた。
「……ぜってー違う、って。初めはホント、思ったんだけどな……」
サクラという名前が呼び起こした、オレの記憶。そこには、白い髪の自称レイナと、桜色の眼でレイナの友達と名乗ったサクラ、その二人がいた。
サキの眼は、青く輝く。でもよく見ると普段は灰色で、長い桜色の髪も、昔の白からどうして変わったのか。それが何を意味するかはわかんねーけど、大事なのは「変わった事実」を知ったことだ。
今のサキが見せる姿は、ティアリスに出会って見出されたもの。それはつまり、それ以前のサキの姿は違い、タオやケイの姉でもなく、ティアリスに教えられた名前もなく、一人ぼっちだったはずで。要するに昔のあいつは、サキではなかったこと。
もう、自称レイナだった奴のオレの記憶は、白い髪という単語しかない。サキ自身も、オレをどれだけ覚えてるかも怪しい。
だってそれなら、リュードって言わずに、ラースってオレを呼べば話は早かったんだっての。あの頃は猫なんて連れてなかったし、弟やら妹やらもいなくて、サキという名前もあいつは持ってなかった。
きっと、今のサキと昔の自称レイナは、同じでも何かが違う。一人ぼっちだった自称レイナに、今は弟や妹ができて、姉貴とも一緒に過ごせてここにいる。
だからオレがまた来た日に、サキがすぐに出迎えに来た。推測でしかないことだけど、オレはどこか本能的なところで、それを確信していたのだった。
何も確証はない、薄い記憶や実感だけの話。何でこんだけ、今は確信したんだと言えば、ぼけっと膝を抱えて座るサキの姿が駄目押しだったかもしれない。
あっちから何も昔のことを言ってこない以上、オレも自分からつつく気はないけど。竜珠の件も、本物のレイナの友達サクラの仕業で、サキは関係なさそーだしな。
いつまでも、ポケポケなサキを見ててもきりがないので、そろそろ声をかけることにした。
本当はもう少し、見てたかった気がしたけど……オレにはあんまり時間がないから、問答無用で。
開口一番、しゅんとした顔で、サキが言った。
「……悩んでたんだあ、私」
「悩むって、おまえが?」
ガラじゃねーし、とからかうと、サキは予想通り、そんなことないもん、とぷくっとふくれる。
しかしそんな明度も束の間、本当にシリアスな顔で、サキは前に立つオレを見上げてきた。
「あのね……一カ月後、リュード、外へ帰ったら……やっぱりもう、ここには来ない……?」
……その心許なげな顔は、きっと、あの時の自称レイナのままだった。
「……別に? オレだけなら出入りは自由だし……またいつでも、遊びにくるぜ」
今度は、置去りにしたりはしない。どうすればいいのか、という新しい目標がオレにはできた。
しかしサキの悩みは晴れないようだった。その理由をオレは、最後の時に知ることになる。
➺L's.5 悪夢はこれから。
その真相は、六カ月目のある時。あまりに唐突に訪れてきた。
「わたしと一緒に来て、リュード。このままじゃレイナは、還れないから」
なんて。本当、お前、誰、ってくらいにまっすぐ、オレを見て言うタオの姿があった。
「あー……ああ?」
今までのダンマリを考えると、文句が一つや二つじゃ済まねーんだけど。何だかその時のタオには妙な迫力があり、唖然としたオレは頷くことしかできなかった。
そうしてオレが素直に頷いたのが、意外だったのかほっとしたのか。
「……いきなりでゴメンなさい。今まで何も言えなくて、ゴメンなさい」
タオは何やら伏し目がちで、辛そうに呟いたのだった。
「生への扉は、もうすぐ開く。それを逃せば、レイナはもう二度と、外の世界には還れなくなる」
オレと違って生身でなくて、霊体だけの姉貴。オレが入ってきた出入口は使えず、オレ達の妹が生まれる時だけ開く、霊体専用の扉を通るしかないという話なのだが、
「じゃあティアリスは今日、生まれるってことか?」
オレが一旦、墓場に留まると決めた期限、それがつまりは今日らしい。
「何でいきなり、そんなの教える気になったんだよ、お前」
うさんくさげにタオを見るオレに、タオは静かに、ゴメンなさい、と再び呟く。
「もうアフィには、誰が会っても大丈夫だから。アフィはもう、アフィであっていい……もう、トウカを、留めなくていいから」
それを待っていた、と言った。オレにはその言葉の意味が、欠片もわからなかったけども。
「でもレイナは、まだ迷ってて。だからリュードに、レイナは何も教えてこなかった」
「姉貴が……迷ってる?」
駆け足のタオに合わせながら、姉貴を連れ戻すために、オレがまだ知らない必須事項を説明される。
「レイナからちゃんと、逆鱗をもらって。でないとレイナは、ジョシアの体に本当には還れないから」
その逆鱗とは、別名ナンタラ水晶ともいい、オレ達竜の王族は竜珠と共に、大体持って生まれるものらしい。そういやお袋もここに来る前、オレは竜珠も逆鱗もなくした、とか言ってたしな。
逆鱗の色は力によって変わり、レイナが蒼でオレが青、とタオは言う。オレ達に二つの名前があるのは、この水晶があるから存在するという、力の人格の依り代がそれなのだった。
道理で、その水晶の無いオレには、ジョシアとレイナみたいな二つの人格が無かったわけだ。しっかし、竜珠の他にも探さなきゃなモンが増えて、内心オレはひたすら頭が痛かった。もっと早く言ってくれよ……。
そして姉貴の所に辿り着くと、姉貴はオレ達が来た理由を察してるようで、これだからタオは嫌いなんだ、とか何とかぼやいていた。
「この小心頑固のお節介者。オレがここにいようといまいと、お前には何の関係もないだろ」
「……リュードもトウカも、そしてルーナも。レナがここにいること、望んでない……きっと、サクラだって」
さっきから何だか、微妙にいろんな奴らの名前が違う。タオも混乱しているように見えた。
「お前がサクラの何を知るんだ、タオ。大体それなら、サキはどうなんだ? オレよりまず先に、決めなきゃいけないのはお前とサキだろう」
姉貴が何を迷ってるかは、正直その時のオレにはわからなかった。しかしすぐに俯いてしまうタオに、このまま任せているわけにもいかない。
「……あのな、姉貴。オレはバカ両親から、あんたを連れ戻せって言われてんだよ。この期に及んでダダこねるなら、力ずくでも連れて還るぜ?」
姉貴はそれを聞くと、そうか……とだけ、ぽつりと言った。実際、タオがオレに味方をした時点で、抵抗しても無駄ということをわかっていたのだ。
「そうだよ、レイナ。レイナは沢山、待ってるヒトがいるんだから……私やルーナのために、ここに残ったりしないで。ね?」
「こうなったら仕方ないから、僕も覚悟を決めてとことん付き合うよ。それでいいでしょ?」
唐突に現れたサキとルーナ。何やら、何かが吹っ切れたような顔で笑っている。
「……誰がお前らのためだ、誰が」
姉貴はバツの悪そうな顔で二人を見る。それに苦笑しながらルーナがオレの方を向いた。
「それじゃ、これをしっかり持って還ってね、リュード」
と。蒼から紫にグラデーションのかかる、不思議な色の菱形の水晶をオレに手渡してきた。
それが僕とレイナだよ、と言って。どうやら、姉貴と一緒に外に出るつもりらしい。
「へ~。レイナ、還る気になったんだナー。良かったなぁん、リュード?」
ここでケイも、ようやく現れてきた。少しだけ哀しそうな顔で、ルーナとサキとタオを順番に見る。
「それじゃ三人も、身の振り方は決めた、ってことでいいん?」
「僕は別に……後は武丸達に、任せてればいいだけだしね」
言いつつ、全く信頼してない不安顔のルーナだ。
「あはは~。やっぱりルーナ、レイナを外に出してやることにしたんだなぁ。まあその方が、お互いのためだと思うぜ」
いつまでも番人はつまんないよナ? と肩を叩くケイに、ルーナは溜め息で応えていた。
「大事な役目だったけど……レイナには、生きててほしいからさ」
そして晴れやかに笑った。ルーナが付き添っていなければ、レイナだけではまだ外で生きられないことをオレは後で知る。
ありがとう、と。その時確かに、その幼い声は、優しく場に響いていたのだった。
「今のは……?」
声のした方に振り向くと、いつの間にか、辺りには夕闇が訪れていた。いつも薄明るいだけのはずの竜の墓場に、有り得なかったはずの夜が。
「――! ……お前、が……?」
黒い闇をひきつれた少女は、悲しげに微笑みながら夜の中心に立っていた。お袋と同じ青の長い髪に、親父と同じ青白の目をして。
「あれまあ、ティアリスのお出ましみたいだナー。予想より何か、随分早いナ……」
オレもうかうかしてられないなぁ、と。ケイが突然、何かをオレに手渡していた。あの図書館の時のように、差し迫った儚い目色で。
「わりィ、リュード。それ、持って出てほしいんだ。その後は一人で、オレ自身はどうにかするからサ」
それは青白く、半分濁った水晶だった。見ていたルーナが、突然焦り顔になった。
「そんな……まさか、だからアザーも何度も……ケイ、君はもしかして……!?」
「いーだろ別に、もうルーナは番人じゃなくなるんだし。まあ、黙ってたのは、ごめん」
ケイはそうしてオレの方を向くと、これで教えられることも最後かな、と笑った。
「後はもうオレ達、ティアリスについてくだけでいいから。リュードはリュードが通ってきた扉を探して、還るだけだ」
ほんじゃあな、とケイは、全員に向かって笑った。そのまま最初に、ティアリスの周りの闇に消えていった。
「あーあー……もう、ケイったら、せっかち。危ないのはわかってるけど……もう少しゆっくり、お別れしたかったな」
サキが沈痛な面持ちになって、ケイの消えていった闇を見ていた。その後にひょいっと、レイナがルーナの襟首を掴んだ。
「どうせ行くなら、オレ達もさっさと行くぞ。あまり待たせたら、難産で苦しむのは母親だからな」
歩き出すレイナに、ちょっと! と抗議するルーナを意に介さずに、姉貴も闇に向かった。
オレには、じゃ、また後でな、と軽く言った。サキ達の方は振り返ろうとせず、どっちにしても永遠のお別れかもな、とだけ手を振っていった。
「……?」
その意味を尋ねる間もなく、姉貴達も消えた。タオが隣で、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「レイナも行っちゃったね……ね、タオ……」
「……」
闇の中でティアリスが、今度は二人に笑いかけた。サキが困った顔で笑い返した。
「……ケイの言った通り、リュードはまずとにかく、外の世界に還ってね? じゃないと、外に出てったみんな、依り代が無くて困っちゃうから」
オレの持ってる、二つの水晶を見ながらサキは言った。今までに見たことのない、悲痛な顔で。
そして突然、サキがくしゃっと泣き出していた。
「って……!」
すぐ横にいたオレにしがみつくと、これで良かったんだよね……!? と、激しく泣きじゃくってしまう。
「もう私、みんなには会えなくなったって……いつまでもここにいてもらうなんて、それは駄目だから……!」
昔、オレを連れていくな、と、親父に泣いたレイナとは違った。
もうここには、死ぬまで帰って来ないだろう姉貴達を、それでも外に出した。そうして別離に耐えるサキがそこにいた。
「……」
前に言った、悩んでることって、これだったんだろうか。外に出る最後の機会を不意にして、姉貴達にここに留まってもらうかどうかを。
「……お姉ちゃん……」
タオが苦しい顔付きで、ティアリスとサキを交互に見ていた。オレにしがみついて泣くサキの、服を掴む手の力を辛そうに強めた。
オレもどうして、ティアリスがまだここにいるかは気になってたが……その答はこの後すぐに、残酷に訪れることになる。
*
「お姉ちゃん……わたし達も、もう行かないと……」
オレにしがみつくサキの背を、タオがくいくい、と引っ張っていた。
オレは思わず、行くって何処へ? と尋ねていた。
「……」
タオが辛そうに顔をふせた。一番言いたくなかったのは、このことだと伝えるように。
「……リュードとは、ここでお別れ。わたしもお姉ちゃんも、もう消えるから……きっとずっと、永いお別れ」
それでもサキの代わりに、はっきりそう告げていた。タオ自身も、とても辛さを堪える黒い目で。
「って、待てよ。消えるって、何だよ?」
「わたし達は、本当なら、ここにいなかったもの。映し出してくれたアフィがいなくなるなら、わたし達はまたあやふやになる。だからそのまま、消えてしまうより……新しいわたし達になって、アフィの見たわたし達になる。そう決めたから……今のわたし達は、もう、消える」
「新しい……自分達……?」
まるでわからないオレを置いてけぼりに、サキもオレから一歩離れて、タオの手をとって抱きよせた。
「うん。さよならだね、リュード」
なんて、一方的な決意を涙にたたえて。
「本当に楽しかったの。リュードが来てくれて嬉しかったよ。忘れたくないけど……これしか方法がないから……」
「方法って……何のだよ!?」
サキとタオの足元に、ティアリスの周囲の闇が伸びてくる。
前に出ようとしたオレを、けれどサキが引き止めてきた。
「ここにいても、私もタオも、その内消えてしまうだけだから。私達をほんとに知ってる誰かが、もういないから……私達を留める縁は、二度と顕れないから」
闇の中で、黙って待ち続けるティアリスの前で、サキからいつもの笑顔が消えていった。
「私達ね。本当はリュード達と、近いところに生まれるはずだったんだって」
タオの手をサキが強く握る。そしてケイの消えた方の闇も見つめる。
「でもその運命は、変わっちゃった。どう変わったのかも、もう私達には思い出せない」
オレには意味がわからなかった。それでも居場所を失ったこいつらは、本来なら消えるはずだったということ。ここに残り続けていた方が、サキやティアリスの「反則」だったと言わんばかりで。
「だからタオは、運命が変わった時に、一度消えちゃったの。私もそうなるはずだったのに、そんな時に……」
そんな時に、レイナに会ったんだ、とサキは再び笑った。
「不思議だね。自分が誰かはわからなかったのに、レイナとラースのことは覚えてたんだ」
「ラース」。その呼び方に、はっと顔を上げるオレを見ないように、サキは話を続けた。
「あははは。レイナとかラースしか、ヒトの名前を知らなかったから、ちょっと借りちゃったりもしたんだぁ、私」
「サキ……てめえ……」
やっぱりお前が、あの時のレイナ。オレが探しにいった姉貴の、名前を借りた白灰の髪の誰か。
「でもレイナも、私を知らなかったから。私は私も知らない姿で、ラースにどう見えてたかのもわからなくって。今の私は、アフィちゃんが教えてくれた、夢の自分を借りてるんだ」
「夢の……自分?」
「あの時ラースが来てくれなければ、私、アフィちゃんに会うまでだってもたなかった。ラースに会って、私、思い出せたの。私がここにいるわけだけは」
ごめんね、ラース。サキは神妙にそう呟くと、オレの方に向かって手を伸ばした。
真上に向けた手掌の中に、何か小さく光る物を出現させた。
「ずっと、預かってたかったんだけどな。もう会えなくなっちゃうから、返さないと、ね」
まだくしゃっとした顔で無理に笑って、サキが差し出した物は、青く光る小さな水晶。竜の墓場の中でだから、きちんと水晶の形に見えるという、紛れもないオレの逆鱗だった。
「リュードの青水晶は……お姉ちゃんが、預かってたの」
だから昔、サキはオレを墓場に呼んでしまえた。涙で話せないサキの代わりに、タオが申し訳なさそうに口にした。
「って――んなこと、どーでもいいんだよ! てめえら、これから何をする気なんだ!?」
闇が少しずつ、ティアリスと共に薄れつつあった。闇に足を踏み入れていた、サキとタオも包みながら。
闇の外にいるオレは拒絶されて、近付こうとしても動けなかった。何とか押し入ろうと力を全開にする。
「もう会えないって、何で――何処に行こうってんだよ!?」
サキが青い水晶を持ったままで、胸元で両手を握り締めた。オレは必死に手を伸ばすのに、足が全然動いてくれない。
サキさえ手を伸ばしてくれりゃ、きっと届く。なのにサキも、オレを見ようとしない。
「こうするしか、ないんだもの……何処の誰になるかは、わからないけど……アフィちゃんと一緒に、外に生まれに行くって……もう、決めたから……」
それでも、それは。今にも叫び出しそうなオレから目を背けて、サキはオレの代わりに現実を口にする。
「でも、たとえ、誰かに生まれることができても……今の私もタオも、消えてしまう。生まれる前の記憶は、みんな消えるから……ラースも私に、青水晶を預けてくれたこと、もう忘れちゃってるよね?」
「オレが……自分で預けた?」
必死に押し入ろうとする闇から、反動のように頭が真っ白になった。危うく意識が落ちかけたオレは、それでも確かに、サキが本当に幸せそうに、オレを見て笑った姿を目の前で見た。
「先に行くけど、何かあったらこれを持って、オレを呼べって。それだけは私、最後まで忘れないの」
そしてサキはようやく、オレにその手を静かに差し伸ばした。細い手に触れた一瞬、世界が静まって暗転する。
「それじゃ、私達、もう行くね。今まで本当にありがとう、リュード」
大事そうに、持っていた青水晶だけをオレに握らせると。サキの姿が一気に薄くなっていった。
「まっ――」
待てよ! と叫んだ瞬間、闇が凝縮した。もうほとんど見えないサキとタオの、足元を底なし沼にする。
「待てよ、元々いない奴が外に出たって、お前ら自身として生まれる保証なんて……わかっててどうして――!」
ここにいて、オレが会いに来るんじゃ駄目なのか、って。全て今のままで、と力の限り叫ぶ。
「消えるってわかってて、行くって何でだよ! ここにいてくれたら、いつでも会えんのに――消えたりしないくらい会いに行くのに!」
もう、何を叫んでるかもわからなかった。ただサキが、ふるふると必死に首を振るのが見ていて痛かった。
「リュードはこんな所、ずっといちゃダメ……! だって、生きてるんだもん!」
「くそっ――このばか猫! 見てろよ、何に生まれたって絶対見つけ出してやる!」
しかし、その思いすら拒絶するかのように、サキは両手で顔を覆った。一瞬だけはとても嬉しそうで、だから、余計に辛そうな顔で。
サキの隣で、もうほとんど消えかけているタオが、悲しげに続けていた。
「……リュードには、サキを見つけられない」
オレにはこの先、サキを見つけ出せない。最後までこいつはろくでもないことを言う。
でも、とまだ何かを言おうとしたタオが、切なげな目でオレを見つめた。そしてサキより一足先に、闇の中に消えていった。
「タオ……!」
一人残ったサキが、タオとつないでいた自分の手も消えたことに気付いて、諦めて目を閉じていた。
ずっと後ろにいたティアリスが、二人よりも薄い影で、悲しそうに微笑んで手を差し伸べた。
「……そうだよね、アフィちゃん。私は、タオと一緒に行かないと……でないとサクラは、現れないんだよね」
おそらくそれが、サキには最後の決定打で。その、オレの竜珠を持つはずの奴の名前を、苦しそうに口にしていた。
「サクラ……!?」
「じゃあ、私、タオを追いかけるから。……ばいばい、リュード」
「……!」
自ら闇の中へ溶けていくサキは、何だか別人のように色を失っていた。
その桜色に別れを告げる時間すらなく、ティアリス一人だけを残して、サキも消えた。
何が何だか、無音の嵐のようなこの顛末に、オレは最後まで立ち尽くすことしかできなかった。
「別に……サヨナラなんて、初めから、言うつもりもねぇし」
取り残されたオレの声を、どう受け取ったんだろう。最後まで残ったティアリスは、ここで初めて口を開いていた。
僅かにでも浮かべていた微笑みが嘘のような、悲しげな無表情で。
「……サクラは必ず、アナタの前に現れるから。アナタはその時……どうか、取り戻して」
お袋と同じ青い髪で、天使のナーガに似たような一つ括りで。二人と同じ青の目で、ティアリスはオレを見ていた。
「サキは……サクラって奴のために、外に行ったのか?」
「……」
「サクラって誰なんだ。それに、『アナタ』って……お前は、オレの妹なんだろ?」
何だかまるで、タオのような言い方をする相手。その違和感を口にしたオレに、ティアリスはそれ以上何も語らず、闇の中へと消えていった。
どうやらオレは、そうして一人、置去りにされてしまったようだった。
「ったく……どいつもこいつも、何も協力しやがらねぇし」
後は、サキ達の言葉を信じるならば、姉貴やケイのために、オレも早く外に出ないといけないんだろう。
「……」
帰るのはいい。青水晶は戻り、竜珠の手掛りも全くないわけじゃない。
ただ後、一つだけ。オレはオレの運命と対峙するため、あの場所へ向かわなければいけない。
今、思い出せるのはそれだけだった。オレにはまだ、やらなければいけないことがあった。
足が勝手に、今度は動き出すことになった。氷づけとなった姉貴が待つ、この薄明るい大地の入口へと。
*
「はあ……平和だねぇ……」
「ああ……平和だなァ……」
やっぱり、ニホンはいいな、と頷き合う妙な男女。
女は生まれたばかりの赤子を抱いて、白い部屋でベッドに座る。男はベッドの隣で、簡素な椅子に腰かけている。
「ニホンはよっぽどの事がない限り、突然魔族の襲来とか起こらないし。産後くらい平和にしてたいなんて、私も年をとっちゃったかな」
「ウソつけ。別に望みはしなくても、売られた喧嘩なら喜んで買うだろ」
それでも彼らが、わざわざ異国……つか、世界すら違う所で出産を迎えたのも、一応理由はあったとのこと。
「やっぱり、竜宮で生まれた子が生む子供まで、神界に繋がっちまうみたいだな。この分だと影響がなくなってくれるのは、俺達の孫の代からってわけか……」
「結局こうして、純粋でなくても、新たな巫女がまた生まれたしね。あー、本当この先、気が重いなあ……」
言ってる内容とは裏腹に、女は優しい微笑みで、生まれたての我が子に頬をよせた。
「……やっぱり女のコ、いい」
「まあ一人目は、女のコっつか、珍獣だったもんな……」
でもやっぱり女のコ、いいよな、と男も同意したところで。
「……悪かったな、女でなくて」
俺は最高のタイミングで、そうして場に降り立ってやったのだった。
白い閃光が、白い部屋一杯に吹き荒れていた。そこまで演出するつもりはなかったのに、乗ってきたこいつが存外に派手好きだったせいなんだろう。
「……お。ついに来たのね、ばか息子君」
「ここまで自力で来れた、ってことは……聞かずもがなだな?」
そうして両親のいる病院とやらに、俺は到着する。来方を知ってたのは俺じゃなくて、着いたと同時に消えた奴だ。
「ところで……姉貴の奴は、何処にいんだよ?」
その第一声で、両親が派手にずっこけていた。
「オマエそれ、大事だけど順序が逆だろ!」
「この状況で、新しい妹を丸無視するとは……やるわね、アンタ」
そらまあ……けど、俺が連れてきた奴を見て、二人も納得したようだった。
「にしても龍斗、アンタ……それ……」
日本という場所に合わせて、俺を漢字の名前で呼ぶ母親。
「氷竜でここまで来たのか。まさかオマエ、いの一番に、ジョシアを解放するとは思わなかった」
「ああ。残念ながら、自分の竜珠が見つからなかったもんで、代わりにこっちの封印解いてきてやった。だからきくんだけどよ……こいつ、本当にジョシアなのか?」
病室にいさせるわけにいかないので、すぐに消した白い竜の気配を、両親はまじまじと窺う。この展開は彼らにも予想外のようで、俺も実はよくわかっていない。
確かにオレは、竜の墓場の入口にいる、氷付けの竜を解放したはずだったんだけど。
こうして暴走も止まってるのに、白い竜は姉貴の姿には戻らないのだ。
「この氷竜は、ジョシア以外、考えられないけど……これじゃまるで、アンタみたいな飛竜の形態ね」
「完全にオマエの制御下だな。……何があったんだ、龍斗?」
それは全く、当たり前の質問なんだけどよ。
「わかんねー。解放した後、死に物狂いだったから」
何だそりゃ! と、またしてもずっこける両親ズだ。
俺も実際、気付けば何とか氷竜を使ってたから、後は氷竜が「日本」への行き方も知ってて、ここまで連れてきてもらったわけだった。
お袋の後ろから、数日ぶりの懐かしい声が響いてきていた。
「まあ、あのまま氷づけよりマシだろ。少なくともこれで、龍斗の力にはなる」
数日前には、竜の墓場で聴いていた声。何故かとても、懐かしい気がした。
「ジョシアにも何か考えがあるんだろ。オレ達元々、仲も良くなかったし、オレはこの姿のままでいい」
その声はお袋の背後の、ベッドに置いた鞄の中から……って、鞄の中かよ!?
「おー。逆鱗が到着したら、やっと喋れるようになったか。先にレイナだけやってきた日には、どうなることかと正直思ったぜ」
親父がお袋の鞄から、何か。兎のぬいぐるみにしか見えない物を取り出す。
「しっかし本気で、この姿のままでいいのか、お前。急ごしらえだったから、相当適当な依童なんだが……」
兎のぬいぐるみに話しかける、傍目には危ない親父の姿。俺は目が点になってしまう。
ぬいぐるみはフワリ、と宙に浮くと、唖然とする俺の方にやってきて、俺の懐から蒼と紫の混じる水晶を奪った。
「複雑な体の方が、制御に魔力を沢山使うからな。オレ達はこれくらいの方がいい」
兎は姉貴の声で、そう断言した。確かに墓場で聴いた声で、番人ルーナの気配をぬいぐるみからさせて。
「ま、本人がそう言うなら仕方ないか。じゃあレイナ、しばらくそのままで我慢してね」
……って。お袋まで普通に、兎のぬいぐるみと喋り始めた。
「別に、いつまででも。どんな依童だって、どうせ合法なら煙草の味もわかんないんだろ」
んなことを言いつつ、ぺっと煙草をくわえる兎もどき。まさか本当に、これが姉貴だってーのか……?
「オイオイ。赤ん坊の前で、煙草はつけてくれんな」
ひょいっと兎もどきは、親父に首根っこを掴まれて煙草を奪われた。
離せ、この過保護が、とか何とか言いながら、兎もどきは親父と一緒に部屋を出て行ったのだった。そんな二人に、笑いを堪えている母親と、ぽかんとしたままの俺を置いて。
「それにしても……ジョシアの封印、近い内に解くだろうとは思ってたけど……結局、自分の竜珠は見つけられなかったって?」
「うるせぇ、ほっとけ」
「アンタそれで、よくここまで来れたものね。竜宮の封印を制御するのみならず、氷竜に異次元移動までさせちゃうなんて……末恐ろしい奴」
お袋の口調は、半ば本気で驚いてるらしい。
俺にも実際、よくわかんないけど……氷竜がやってのけちまうんだから、仕方ないだろ、って感じだ。
「ま、何でもいっか。お帰り、そしてお疲れ、龍斗」
お袋がぽん、と片手を俺の頭に乗せた。もう片方は、赤ん坊の妹を抱いたままで。
「よくレイナを、連れて帰ってくれた。ありがとう」
って……お袋が素直に、礼を言った……?
「き、気持ちわりい、あんた、礼なんて言うガラじゃねーだろ。さては子供生まれたショックで体力がゼロなのか?」
ミシ。そば殻か何かで殺傷力は低いはずの枕も、この怪物の手にかかると、頭蓋骨を砕きかねない凶器へ変貌する。
「親に向かって、あんたとは何よ」
って、またそっちかよ!
何かこう、一気に帰ってきた日常に、不意に俺は、息が詰まりそうになっていた。
龍斗? とお袋が、妹を抱えながら首を傾げる。俺は慌てて、新たに生まれた妹の頬をさわってごまかす。
まだ名前のない妹は、ぴくりとも表情を変えない。これがあの、闇の中のティアリスになるとは、まだ信じられなかった。
俺が妹を一通り愛で終わると、お袋が淡々と言った。
「ねえ、龍斗。アンタやっぱり、旅に出るわけ?」
勘のいいお袋に、俺は当たり前だろ、とだけ返す。物言わぬ妹のほっぺを、ぺにぺにと引っ張ってやった。
そうでなきゃ何のために、竜の墓場くんだりまで乗り込んだのか。しかもその上、探さなきゃならないものは増えてしまったときた。
「じゃあ、我が家の掟を伝えないとね。守れなければ、アンタは帰れなくなるから」
曰く。弱いものイジメをしない、勝手に死なない、無駄な力を使わない。そりゃ、あと二つは破れば死んでそうだし、帰れなくなるな、とぼけっと思った。
ジョシアにも伝えたのにな、と。お袋が少し悲しそうに、遠い目をして言った。
「ふーん。そんな簡単なことばっかで、掟って言うのかよ?」
「本当、簡単なんだけどね。意外にわからないもんなのよね、これが」
後、妹に顔を見せに、たまには帰ってきなさい、と釘を刺される。
言われなくても、サキ達の最後の手がかりだろう妹を、放っておく手は俺にもない。
最も、生まれる前の記憶は、妹にもないとは思う。だから全ては結局、真相は闇の中なんだろーけど。
いつか必ず、サクラは現れる、と。今はその言葉を頼りに、俺は俺のできることをしていくしかない。
「……――」
一瞬、妹の顔が、苦しげに歪んだ気がした。
全ての悪夢は、これからなのだと。優しい日々が終わった俺を、まるで今から知るかのように――
そんな俺達のことを、こっそり窺う人影がいた。お袋が炭酸が欲しい、というので、人間界の日本自体は来たことのある俺が、病室を出た時にすれ違っていた。
黒い服と黒い髪に、そして黒い眼の男。売店に行く俺が横を通った瞬間、ソイツは目的を果たしていた。
その後、俺が見えなくなってから病室の外で、傍目には独り言を呟いていたのを俺は知る由もない。
「……で。これからどうするんだ、炯」
男の人影は、俺からまるでスリのように手に入れていた。半分濁って、ルーナを驚かせていた青白い水晶を。
「最早オマエの体は、完全に土に還った。灰すら回収不可能だったが……あくまで小蛇の依り代にすがるか?」
濁った水晶を見つめて、人影が大きくため息をついた。
「せめて、真夜にだけでも、本当の事を話せば早いだろうに」
そうして歩き出したが、ふっと立ち止まると、俺の行った方を人影が振り返った。
「そうだな……どうせいつか、会うことになるだろうよ」
礼ならその時に言え、と。それだけ言って、何の余韻も残さず、黒い男の人影は消えていった。
*
――龍斗……龍斗……。
あの時、誰かがずっと、俺を呼び続けてくれた。
ここに戻れ、と。竜の墓場を後にする時、夢の中のような世界で、いつまでも俺を呼んでくれた声の主は。
「そういや馨……元気してんのかな?」
「――? リュード、どうしたの?」
「……兄さん……?」
竜宮の森で、散歩の途中で立ち止まった俺を見上げて、二人のちびっこが不思議そうにしていた。
ナナハとティアリス。両親の縁者な妖精達の娘と、まだまだ小さい俺の妹。
「何でもねーよ。しっかしお前ら……今日は何処まで行くつもりなんだ?」
冒険好きな二人のおもりで、もう随分、城から離れた場所まで来ていた。
ナナハとティアリスが顔を見合わせると、それぞれの角度で頷き合った。
「何処までって――何処まででも! せっかくリュードが帰ってるんですもの、ずっとこうしてたいくらい!」
小綺麗な身なりのナナハは、ちゃらんぽらんなタイティー達とは違って、気は強いけど気遣い屋だ。けれど何でかやたらに俺に懐いてて、帰って顔を見る度この調子だった。
「……」
対するティアリスは、始終こんな様相だ。誰の前であろうと、硬い顔付きで黙りこくっている。
墓場の最後で、悲しげでも穏やかだった姿は嘘のようで、どちらかと言えば今の雰囲気はタオに近い気がする。
両親の前でも、ティアリスは全然笑顔を見せないらしい……いったい何で、そーなったのやら?
「――! リュード、魔物が……!」
しかもティアリスには、更にタオっぽい所があった。今からすぐわかるけど。
「火葬の陣を! 今日ならルーンを刻む捨て石も持ってる!」
突然現れた魔物に、ナナハが遠慮なく先制攻撃をかけた。何でかナナハは、精霊族のくせして魔術が得意な、精霊を使わない変わり種なのだ。
「……!」
ナナハの姿を後ろから見ていたティアリスが、急に怯えるように両手で顔を覆った。
「ナナハ……怖い……!」
「――!」
いち早く気付いた俺が、ティアリスの周囲から巻き起こった光からナナハをかばった。
ナナハも慣れたもので、俺の腕の中で首にしがみついて魔法を止める。
「何、またアースフィーユの暴走なの!?」
ティアリスの長い二つ名を、かまずに早口で言えるのはナナハくらいだろーな……それはともかく、ティアリスが起こした黒い光は、一瞬で魔物を切り尽していく。
身近な大気に光を走らせ、空間を歪めて敵をねじ切ってしまう力。末恐ろしい力を暴走させる妹に、俺も何度冷や冷やさせられただろうか。
「全く……何回暴走すれば気が済むのかしら、このコったら」
力の暴走の負荷で、気を失ったティアリスを介抱するナナハは、幼いながらすっかり慣れた様子だった。
「ナナハに鬼の形相でも見えたんだろ。かわいそーに」
「ちょっとリュード、それはどういう意味なのよ」
大体、ほんとに怖いのはどっちなのよ! と暴走娘に対して、至極マトモなことを言うナナハでもある。
「……」
まあ、実際、ナナハの偉く強い魔力に、ティアリスが怯えたのも確かなんだろうが……。
両親曰く、ティアリスには、未来や過去を感じる預言の力があるのだと言う。
自分で制御できないその力は、知ってしまう未来や過去で感情を揺らがせ、何よりティアリス自身を追い詰めている。そんな話を、俺も痛い程にわかっていた。
だから両親が、ティアリスの力を記憶ごと封じる、と俺に告げた時には、俺は大して反対もせず、両親の苦い選択を受け入れていた。
「しっかしよ……完全に預言を封じるには、記憶が巻き込まれるってのは、わかるんだけどよ。その後のティアは、どーなるんだ?」
ティアリスが生まれた時に、俺は両親からきいた話があった。
何やら、竜族という種には「魔竜の巫女」というものが不定期に生まれるらしい。詳細までは言わなかったが、ティアリスが暴走しがちなのは、その素質のせいもあるんだとか。
そんな狂気も背負ったあいつは、元々心が危ういはずだ、と俺は両親に教えられた。
かつて、魔竜の巫女を殺したという親父が、重い顔色で俺に答えていた。
「記憶をなくせば、最悪、心も真っ白に戻るだろうな。それでも今のままよりは、魔竜の発現も抑えられる」
「……」
はあー……。大袈裟な溜め息をつきたくなって、俺は一人で、城の屋上まで出た。
ティアリスは日本で生まれ、竜宮で育った。日本は人間の馨が住むのと同じ世界だ。俺も今では、すっかりその人間界に居ついて、ここよりずっと賑やかな都会で楽しく暮らしている。
けれど、ここと日本では時間の流れが違うせいで、妹は知らない間にどんどん成長していく。小さな体に背負う業が、日増しにわかりやすくなっていく。親父達も多分同じ気持ちで、妹だけはやたらに甘やかして育てている。
そういう意味では、未だに氷竜の姿から戻らないジョシアや、兎もどきなぬいぐるみで生きるレイナも大概薄幸だけど。何だかんだで、ルーナという竜がついてるおかげで、自由に動けるレイナはそれなりに人生? を嘔歌している。
そうして、屋上で冷たい夜風にあたっていた俺の所へ。
何故かとことこ、噂の妹が無表情に近付いてきていた。
「……どーしたんだ、ティア? そんな薄着じゃ冷えるぞ、お前」
「……」
ぱさ、っと俺のケープを小さな妹にかけてやる。ナナハ曰く、うちの家族は全員ティアリスに甘すぎるらしい。別に批判したいわけではなく、羨ましがる感じで言ってた。
それはともかく、これから両親に記憶を消されるはずの妹が屋上に来たのは、どうやら俺を探してのことらしかった。
「……兄さんは……どうして、ここにいるの……?」
「――ん?」
いつもは頑固で無口なのに、今日は珍しく、自分から喋りたい気分らしい。俺は黙って、笑顔で首を傾げる。
「……兄さんは、いつも……ほんとは何処にいるの……?」
「……?」
それは俺が、城を留守にしがちだから……それだけではないような、真剣な目の妹だった。
「何だよ。俺がいないと、そんなに寂しーのかよ、お前」
「……」
さっきの言葉の、意図は全然違うっぽいけど、これはこれで、こくりと頷いていた。こーいうところが素直で、ホント、可愛い妹なんだよな。
今にも記憶を封印されて、自分を失う時が迫るこいつ。それを置いて旅に行くことだけは、さすがに今は胸が痛い。
っつーて、連れていこうもんなら、両親と戦争が起こるのは間違いないけど……。
「……兄さんは……」
そんな俺の心中までは、知るわけではないだろうが。
ティアリスの青い目からは、悲しげな色が拭えなかった。
「……兄さんはどうして……かなしいの?」
「……かなしいって? 俺が?」
「…………」
そりゃ、お前のこと、不憫とは思ってるけど。ティアリスが言いたいことは、そういうのとは多分違った。
そして俺は、ティアリスを苦しめる預言の力の、大きな一端に触れることになる。
「……大丈夫だよ」
「……ティア?」
「兄さんには、サキを見つけることはできない……でも、サキが必ず、兄さんを見つけてくれるから……」
声が出なくなってしまった。今までこいつは、生まれる前の記憶なんて、全く持っていないはずだったのに。
見上げてくるティアリスの両目が、暗い青に潤んでいた。どうしてか、初めて会った。そんな気がしていた。
「……ながくなるけど、待ってて……絶対、諦めちゃやだよ……」
今までのティアリスが、墓場を憶えてないのは間違いなかった。それくらいは接していてわかった。
それならつい今、城の方に振り返ったティアリスは、俺の知らない魔物な気がして。言葉が見つからなかった俺を、ティアリスはそれ以上言わずに後にしたのだった。
「……まいったな。あれが噂の、魔竜の巫女、ってやつか?」
そりゃ、辛いわけだ、とか何とか。自分でもよくわからないまま、俺は呟いていた。
そんな妹の予言をきいて、その後、妹自身の望みも俺は託されていた。それからいったい、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
珍しく俺は、竜宮でも日本でもなく、タイティー達の故郷の近くを訪れ、あるものと出会ったのだった。
その隠れ里の近くにいったのは、一応、とある情報筋からのお薦めだったんだが……。
「――バステト! 待って、何処まで行くの!」
人間でない奴らが隠れ住む、いくつもある山奥の秘境。その一つである、竜族と似た力を持つ種族の集落。そこを訪ねて行こうとした俺の前に、深い森から小さな少女が、普通より大きな白猫の後から飛び出して来た。
「!?」
突然のことに、驚いたのはお互い様だった。耳と手足だけが黒い白猫を追いかけ、少女は隠れ里から出て来たのだ。
見知らぬヒトの俺に対して、警戒半分、不思議半分。短い白い髪が揺れて、灰色の目が恐る恐る、俺を見つめた。
一言も喋らず、少女は俺の様子を窺っていた。俺は俺で、衝撃を消化する時間がいったので、しばらく黙っていた。
少女の足元にいる猫は、疑いようもなかった。紛れもなくそいつは、サキがバステトと呼んでた力の猫とそっくりだった。
「オマエ……名前は?」
「え!? ……ア……アシュリン・スカイズ……」
アシュリン。サキとは全く似つかない響き。サキと同じ、大きな白黒猫を連れているのに。
「……」
やっぱり、違うんだな……とだけ、俺はその時、呟いてしまったようだった。
「……邪魔したな」
ぽかん、としたままの少女を後にする。少女は逃げるでもなく、引き止めるでもなく。
「……あのヒト、何だったんだろう? ねぇ……バステト……」
ただ不思議そうに、俺を見送っていた。俺が何がしか、言いたいことが喉まで出かかってるのに、言わずに抑えたことだけは伝わっているように見えた。
「……ったく。あれじゃ、よくて偽レイナだろ、お前……」
まあ、あれだよな。
もしもあの白黒猫が、本当にサキのバステトと同じ力でも、現実なんてこんなもんだろうな、なんて。
その後はある事情で、しばらく俺は行方不明になる。
ティアリスは記憶ごと力を封印されて、よく笑うようになったと聞いた。つまりは多分、墓場での姿に近付いている。
過去や未来は、ほとんどわからなくなった。サキやサクラのことも、何も知らない。手掛りは潰えたと言って良かった。
後はただ、いつか現れるというサクラを、待つしかない俺だったはずだが……。
――助けてくれ、龍斗、と。あの約束の時が、不意に訪れていた。
その馨の声を境に、俺の意識はしばらく閉じることになる。その約束――契約の元、馨のために生きる俺の始まりとなった。
こうしてライフィス・リュード・ナーガの物語は、一旦、終りを告げる。
To be continued D3.
竜殺しの夜➺D3
Dear ナーガさん🌟
こんにちは、サキです! やっとお手紙、書けました!
今、私、橘診療所にいて、これから玖堂さんに会いにいきます。
ナーガさんが私を、ディアルスから連れ出してくれたおかげです。
ナナハには悪いけど、私も地球に行きたい。龍斗達に会いたい。
このお手紙、ここからなら届くって、院長先生が教えてくれました。
これからも見守ってて下さい、ナーガさん!
from サキ✿
ふう、と。処置室の長椅子で人間世界の不思議なペンで、念願の報告をサキは書き上げた。万年筆は故郷の王城で見たことがあったが、真っ白な紙という貴重品でもテンションが上がるのに、一本で四色もの字が書ける小さなボールペンはすっかり気に入ってしまった。
「もっと何か書きたいな……そうだ、ラスティにもいい加減連絡しなきゃ!」
現在のようにソロで旅を始める直前まで、一緒に行動していた仲間。養父もそうだが、しばらく音沙汰のないサキを心配しているだろう。
小さくても便利なボールペンが、色んな道具を造る兄貴分を思い出させた。これから来る緊張の時間を紛らわすように、サキは新しい紙を画板に敷いた。
Dear 烙人
烙人、みてみて! 私、ジパング語、こんなに書けるようになったよ!
烙人のジパング名も! 人間界に行きたいから凄くがんばったんだ、えへへ。
え? 何で人間界に行くんだ、って?
それは今度会った時に、沢山話すね! だからそれまで生きててね!
烙人の探し人も早く見つかるといいな。見つかったら私にも教えてね?
おとーさんにもよろしくね、私は元気だって。
話したいこと、色々あり過ぎるから、会える日を待ってるから!
from サキ
よし。ペンを置いて、深呼吸して、診療所で借りた日本の服が歪んでないか鏡の前で確かめる。初冬向きの白いハイネックに、短い赤のスカートが可愛い。兄貴分から一人立ちの直前にもらった、大事な飾りベルトがぴったりと合う。
サキを見つけて、この診療所に行くよう教えてくれた天使以外、今まで誰にも話せなかったことがある。それをこれから、よりによって初対面の人間に話しにいくのだ。
「まずは玖堂さんに、助けてもらえるかどうか。人間界にいられるかどうかはそれが重要だって、ナーガさんも言ってたし」
等身大の細い鏡の中で、もうすぐ十六とはいえ、見た目はただの娘が震える。
人間界。橘診療所という特異点を通じてやってきた星。
そうして人間でないサキが通されたのは、ある富豪の私室だった。
一人旅をするサキに声をかけたナーガは、大天使かつ、サキが探す相手の叔母だと名乗った。人間界に行かなければ、サキの探し人には会えないのだと。
右も左も知らない人間界で、旅を続けるためには後援が必要。天使の白い翼の間で蒼いポニーテールを揺らすナーガに、行ってみるよう勧められたのが、玖堂家という富豪との面接だった。サキの故郷でもありそうな華やかな内装の部屋に来たので、気分が少し落ち着いてくれた。
扉を開けると、故郷にはない、大きな暗い色の机がまず見えた。人間界での仕事服というスーツ姿の長い黒髪の女性が、サキに静かに声をかけた。
「いらっしゃい、そちらにお座りになって。春日家の方々から、お話は伺っていてよ」
長いソファとソファが向かい合っている。サキが座ると、間にあるテーブルにお茶が置かれた。当主の女性は机の方に居るままで、サキは遠いな、と思いながら玖堂氏を見つめる。
きっとこの屋敷での女王なので、仕事が沢山あって大変なのだ。机にある様々な書類を手に取る玖堂氏に、サキはただドキドキする眼差しを向ける。
「それで、あなた。人間界に留学なさりたいんですって?」
「あ、はい! あ、私、サキ・霧隠・スピリーズです」
名乗ることは大事なのに忘れていた。養父の姓だが、漢字の部分を口にした時、突然玖堂氏の目端が和らぎを見せた。
「霧隠……素敵なお名前ね。それにしても、そのお歳で一人旅を? まだ十五歳でしょう、あなた」
「はい! でも私、十五歳だけど十五歳じゃなくて、色々あって」
「色々?」
さあ来た、正念場だ。サキを橘診療所に送ってくれた、春日家の人達にもまだ話せていない。話すタイミングを失っただけだが、サキが人間界に行きたい想いを正直に伝えるために、避けては通れない話なのだ。
「あ、あの……私、生まれる前の記憶が、あるんです!」
自分はいったい、本当は何歳と言えば良いものだろう。細かなことは憶えていないが、見かけ通りに十五ではなく、養父曰く見かけの年齢も怪しいそうなのだ。
とにかくサキは、養父達と行動を別にする直前、生まれる前のことを思い出した。だから一人で旅に出たのだ。心配する養父達にはとても言えず、どうしよう、と思いながら一度故郷に帰ったところで、出会ったのが人間界の玖堂家行きを勧める天使ナーガだった。
――玖堂サンに話してみなさい。きっとサキちゃんの力になってくれる。
ナーガは元々、玖堂氏の守護天使で、橘診療所に行く前にサキを保護した春日家の縁者だという。春日家の人々は玖堂氏の援助で日本によく行くらしい。
だから、お願い。ぽかんとしている玖堂氏に、祈るように話を続けた。
「私、生まれる前に龍斗達に会ったんです! 私の家族もそこでは一緒で、だから私は、龍斗達に会って私の家族も探したいんです!」
春日龍斗。そういう名の青年が、この日本の何処かにいるはずだった。龍斗の両親が「日本で行方不明になった」と言って、会いたい、というサキを玖堂家に行けるように橘診療所に送ってくれた。
思えば龍斗の両親は、「会いたい」だけで、何故サキを保護してくれたのだろう。サキが生まれる前に会ったとはまだ話せておらず、龍斗自身、はたして覚えているかも怪しい。
それでもサキにはとても大事な、今一番探している深い絆。気付けば天涯孤独で養父に拾われたサキにとって、生まれる前で良いから親しかった人達に、どうしても再会したい。
そんな想いで必死に玖堂氏を見ると、玖堂氏は半分呆然としながら、頬杖をついてサキを見つめ返していた。
「……あの……」
「……ふう、困ったわ。そんな人ばかりで、もう」
「――え?」
今度はサキがアゼン、とした。玖堂氏は眉間にキレイにしわを寄せて、書類を置いて両手の上に顎を乗せた。
「やり直し物? それとも、逆方向の異世界転生かしら? どちらにしてもその理由では、物語が少々弱くて説得力がなくてよ」
ぽかん……サキには二の句が告げなかった。玖堂氏の日本語の意味がわからず、とりあえずサキの発した、突飛な言葉を疑われていないのはわかる。
「あの……信じてくれるんですか?」
「春日龍斗の行方探しは、大分前から請け負ってます。まさかそこに、前世のヒロインが現れるとは思わなかったけれど……味のつけようによって、もう少し面白くできるかもしれませんわね」
「前世……? 何か違うような……?」
とにかく、と、玖堂氏が妙に目をきらきらさせながら立ち上がった。顔自体は冷静なままであるのに、ソファに座るサキの斜め前まで来た時には、間違いなく熱を持った瞳ではっきりと告げていた。
「あなた。私の養女になりなさいな?」
何がどうなってそうなったのか、その後もサキにはわかることがなかった。
ただ玖堂氏にはちょうどこの時、サキと同じ歳の娘がいたこと。身寄りがないサキに思うところがあったのだろうことは、やがてじわじわと伝わっていく。
➺序奏∴光のアイドル
Dear ナナハ☄
人間界から、久しぶり! ナナハ、元気してる?
私、人間界で「玖堂 咲姫」という戸籍を作ってもらえたよ。
ディアルスの戸籍には影響ないよね? 全然帰らなくってごめんなさい。
ナナハが何回も開いてくれた、誕生日祝いもこっちでしてもらえました。
私は元気だから、心配しないでね! 当分帰らないね。
from 咲姫✿
日本で木枯らしが吹く季節になり、故郷では冬生まれとされるサキに、玖堂氏がプレゼントだと玖堂咲姫の名前をくれた。
突然手に入った、自室と家族。日本に慣れる以前の話で、まず玖堂家の生活の何もかもが新鮮だ。お伽噺のお姫様だ……そう呆気にとられる間に、日々がどんどん過ぎていった。
玖堂氏には子供が八人おり、咲姫と同い年で最年長の美貴をはじめ、突然できた姉に子供達はおおむね喜んでくれた。最初はよくない顔をする者もいたが、テレビやお風呂など文明的な世界で咲姫がひたすらあたふたしていると、見かねて声をかけてくれるようになった。
「ほら、咲姫さん、そっちは音量ボタンで電源じゃないから。動画も一度も見たことないって、いったいどんなド田舎にいたの?」
「あ、ありがとう、正美ちゃん。スマホって凄いね、こんなに小さいのに色々できるんだね」
咲姫は既に、帰りたかった。心配をかけないように手紙には強がりを書いたが、日本はあまりにも故郷と違い過ぎる。
怪しまれずに生きるために、まず日本の常識を身に付けなさい、と玖堂氏に申し付けられた。平民ヒロインが王子のためにマナーを学ぶようなもの、と謎の温かな声も付け加えられて。
姫という字をもらったからには、確かに仕方ないのだろう。日本の食事も町の様子も、学校という場所や様々な乗り物のことも、便利な機械の使い方も。それぞれの得意分野を教えてくれる子供達と打ち解けることはできた。
生まれる前の記憶の話は、あれから誰にもできていない。玖堂氏は常に忙しくて、咲姫もまだ「一人で外に出ていいレベル」に達していない。龍斗達を探すのはこの世界に慣れてから、というのが玖堂氏との暗黙の了解だった。
竈焼きのフルーツケーキがご馳走の世界で生きていたのに、初めて高級アイスクリームを口にした時には、濃厚過ぎる幸せな甘さでひっくり返った。
人間界は便利なわりに、自然の中にも科学の力でもワープゲートや魔法が存在しない。神魔や妖の類は宗教と同じように土地によって色々とあり、日常にも隠れ潜んで存在しているのに。
玖堂家で咲姫のお目付け役となったのは、橘診療所の院長だった。いつも黒い作業着かシャツに白衣を羽織って、艶の少ない黒髪で黒い眼を眠たそうにすぼめる、漫画好きの院長。
早く外に出たい、という咲姫に、外来室で院長は日本、ひいてはこの世界の驚くべき事実を伝えた。
「とりあえずお前さんは、その髪色を何とかしないといけない。ピンク髪が存在するのは二次元だけで、人間にその桜色はディアルスでもそうそう無かっただろう?」
院長はこの世界でも咲姫の故郷でも、色んな地域を知っているという。とても長生きで「神」の類の化け物らしく、冷静だが親身に咲姫の相談に乗ってくれる。桜色の髪で空色の眼をしている咲姫に、眼はカラーコンタクトでごまかせるが、髪の色は染めるか、染めている存在になりきるかで事情が変わる、とよくわからないことを説明された。
午前中に、この外来室で診療をしていたバイト女医が、補足するように苦笑いをしながら部屋に入ってきた。
「とりあえず咲姫ちゃんは、芸人コースか変装ルートか選ばないといけないってことです。そんな目立つ姿をしてるのはテレビかネットに出る人だけで、あんまり目立つと、戸籍偽造とかがバレちゃうリスクも上がるんですね」
「そうなんですか、杉浦さん……でも私、姿を変えちゃったら、龍斗達が私だってわからなくなるかも……」
咲姫の目的は一から十まで、大切な相手を探すことだ。相手が咲姫を覚えているかは怪しいとしても、自分から身を隠すような選択はしたくなかった。
「じゃあ道は一択ですね。むしろどんどん目立つ活動をして、向こうに咲姫ちゃんを見つけてもらいましょうよ。いいでしょ、院長先生?」
にこにことしている小柄な女医は、咲姫の家庭教師役を請け負ってくれた。人間界のことを効率よく学びたければ、「学び動画」を作って配信しましょう、という謎の提案を咲姫に伝えた。
「生身で動画配信の司会をやる。ユーツーバーっていうんですよ。人気が出ればテレビに出る機会もあるかもしれませんし、ちょうど玖堂家、適した人材ちゃん達がくすぶってるんですよねー」
女医は咲姫だけでなく、玖堂氏の実子達も幾人か家庭教師をしている。動画に使う画像の作成を四女に、動画の撮影と編集を長男に任せて、流す内容は女医が提案した物を院長が構成する形で役が決まった。
そうして「玖堂咲姫」は彗星のように誕生し、まずはインターネットの海から日本に飛び出したのだった。
「こんにちは、玖堂咲姫です! 今日も心に光を植えにきたよ!」
異世界からはるばるやって来た転生配信者。日本を勉強中の留学生という設定。ほとんど嘘をついていない肩書は、信じてもらえるの?? と咲姫は配信開始前から首を傾げたが、「信じてもらっちゃ駄目です」と女医がつっこんだ。設定は設定、私は異世界留学生を演じる日本人、と思うように念を押された。
「ニホンってとってもいいところだね! 咲姫にはまだわからないことがいっぱいだけど、みんなと一緒に今日もニホンの素敵なところを探しにいこう! 今日のテーマは、『国民皆保険制って何?』。それじゃ、VTRすたーとー!」
こんなテーマ、ウケるのか?? と脚本担当の院長が首を傾げ、ウケなくていいんです、勉強なんですから、と女医が冷静に原案を出す。協力してくれる玖堂氏の子供の内の二人も、学校という所になかなか行けず、家にいることが多いらしく、「みんなで何かを作る練習」くらいのつもりだった、と後々に女医は明かす。
「まさかそれが……こうも広く、ウケてしまうことになるとは……」
「それは、杉浦さん……あんなにスパルタだったし、私達、頑張ったよ?」
はっきり言えば、この動画作成と配信は咲姫には本当に辛く、人間界に馴染むための一番の試練だった。右も左もわからないのに、どうして日本の様々な制度について、咲姫が解説をしていくのだろう。その分早く日本に溶け込むことはできたが、代わりに「玖堂咲姫」の姿は、思った以上に知れ渡っていた。
玖堂氏の夫や他の子供が、幾人か芸能人をしていることもあり、アイドルやタレント事務所からのスカウトが相次いで来た。最早日本の町の歩き方も、人々の暮らしを支える様々な制度も普通の十六歳より知っているが、うっかり外出すればコアなファンに出会ってしまうことも、珍しい沙汰ではなくなっていた。
「私……いつになったら、龍斗達を探しに行けるんだろう……」
生まれる前の記憶があるといえど、咲姫の体感年齢は実際には十三歳だ。生まれてから三年の間は大きな培養管の中で過ごし、三倍速で成長させられたのだろう、と養父は言っていた。見た目は九歳ほどになった三年目の時、養父が咲姫を培養管の生活から外の世界に連れ出してくれた。
それから十二年は、養父と一緒に旅をしていた。戸籍はディアルスという国でとってあるが、一番長く暮らしたのは、養父の仲間が静養していた商業都市かもしれない。
とりあえず、見た目は十六歳だが、実質は十三年しか生きていない咲姫は、人間界でのドタバタした日々にそろそろめげそうになっていた。故郷にいた頃にも毎日の雑事や、武術の鍛錬は決して楽ではなかったものの、養父やその仲間――日本語で言えば烙人がいてくれたから楽しかった。
咲姫にとって兄貴分の烙人は、色んな理由で体が弱く、寿命もおそらく残り少ない化け物なのだ。あまり人間界でのんびりしていると、永遠に会えなくなるかもしれない、そんな思いもあいまって涙が滲んできた。
「わ、だめ、玖堂さんに心配かけちゃう……みんな良くしてくれるし、ダンスの練習は楽しいし、頑張らなきゃ! テレビに出たら、龍斗達が何処かで見たら、私に気付いてくれるかもしれないもの」
生まれる前の記憶。咲姫にとっては「生まれる前」だが、探し相手の龍斗達は、既にこの世に生まれた後の人達だった頃のこと。
玖堂氏と院長には先日ようやく、「よく覚えていないが自分は猫の化け物で、龍斗達に会うためにヒトに生まれることにした」と話した。玖堂氏はよくわからない、という顔をしていたが、咲姫の話を否定はしなかった。院長は「お疲れさん」とだけ、何故か少し悲しげな眼で言ってくれた。
「そう……私は龍斗達を探して、この世に出たんだ……――」
一人部屋でお気に入りの、柔らかな毛布を敷いたふかふかのベッド。白い天井を見上げて寝転びながら、長く大きな枕を咲姫は力の限り抱きしめた。
「何でこんなに、時間がたっちゃったかな……あの時龍斗、十五歳くらいだったよね……?」
人間界の勉強や動画配信のあれこれをしていたら、十七歳の誕生日が半年後に迫っていた。人間界での一年は、故郷での五年にあたり、みんな心配してるだろうな、とまたしても気分が落ち込みかける。
「龍斗のお父さんとお母さんは、流惟ちゃんがもう、三十歳だっていうし……私は流惟ちゃんが生まれる時に、外の世界に出たはずだから、龍斗はあれから三十年以上が過ぎてるんだね……」
ヒトは本来、何かに生まれる時は、生まれる前の記憶を失くす。生まれる前とは死後にも近く、化け物一般は「力」だけで漂う、暁の幻想だから。
咲姫はサキとして生まれた十三年前から、数多の化け物が持つ「力」の全像が、相手の後ろにうっすら視える特殊な感覚があった。それで自身の背後に白黒の大猫を幻視した時、自分が「力」だった頃を走馬灯のように視い出したのだ。
現状はひとまず、何処にも所属しないフリーの歌い手として、咲姫は玖堂家の庇護下で最低限の芸能生活を続けた。それ以外に特に、龍斗達を探す方法は思い付かなかった。
咲姫と同じで、異世界の出身である龍斗達とは、竜の墓場という不思議な所で出会った。初めは龍斗の姉である零那に。そして零那を探しに来た十五歳の龍斗に。
零那も龍斗も、二人の両親曰く、日本で潜伏生活をしている内に姿を消したという。故郷は日本ほど便利で楽しい場所ではないので、帰ってきたくないのだろう、ということだった。
だから咲姫は、二人を追いかけて日本まで来た。そんな日本の便利な都会で、自然公園という観光地で、夏休みの前にサプライズのライブが開かれることになった。
「みんな、こんばんはー! 今夜も咲姫は、心に光を植えに来たよ!」
地面に置かれるスポットライトで、腰元の飾りベルトがきらきら光る。動画配信時代に玖堂氏の四女が作ってくれた咲姫の画像で、決まって腰元を緩くしめる金属製のベルトは、咲姫が故郷から持ってきた数少ない宝物だ。それは今や「咲姫ちゃんベルト」としてトレードマークになり、養父からみっちり仕込まれた武術をいかして、軽快に踊る咲姫と共に連なる輪が鳴る。
「咲姫はね、ずっと家族を探してるんだ! だからみんなに会えて、みんなが咲姫の大事な人になってくれて嬉しい! きっと誰だって家族になれる、だからみんなも、みんなの家族を大事にしてね!」
本当は何も、はっきり思い出せるわけではなかった。サキとして養父と共に生きた十年以上が、玖堂咲姫を演じる今の自分より「自分」だった。
それでも龍斗達を探して、「咲姫」になりたいと望む心。だからここで、玖堂咲姫として紡ぐ自分の言葉も、決して嘘ではないと胸を張れる。
「Be proud of yourself! この同じ空の下で生きるみんな、一人じゃないから!」
「力」を映し出す咲姫の眼には、うっすら弱い背景しか持つことのない人間達。故郷の化け物達とは違い、人間界には本当に人間ばかりが溢れている。
それでも確かに、そこには無数の「心」が在った。咲姫が共に過ごす時間だけでも、地上で淡い星が踊り出したかのように。
その中に一つ、黒い闇をたたえた影があったことに気付けないほど、夜の公園は幸せな喧噪に包まれていた。この生活が咲姫も好きになってきた頃のことだった。
予告の無い野外コンサートは、準備が存外に毎回大変だ。勿論スタッフが取り仕切ってくれるが、咲姫はいつも可能な限り手伝っている。そんなことしなくていい、怪我をしたら大変、と言われるのだが、仕事仲間との共同作業が楽しい。一般的な人間より腕力もあるヒト型化け物なので、怪しまれない範囲で片付けに加わっている。
そうして両手に折りたたみ椅子を抱え、機材用のワゴン車に向かっていた時のことだった。
「……――え?」
椅子を持つので、金属ベルトは傷がついたらいけないと思い、外して預けていた。自然公園の小さな駐車場に向かったはずが、歩道がいつからか暗い闇に包まれていた。
「何、これ……日本じゃない……誰かの『力』の場……?」
灰色のカラーコンタクトで隠した空色の眼は、すぐにも周囲のおかしさを捉える。咲姫のようなヒト型化け物は身を隠すはずの人間界で、この闇は明らかに何者かが「力」で創り、あえて仕掛けた結界だった。
やがて、闇の先から、咲姫と近い背丈の黒い人影が、小さな靴音を鳴らしてコツコツと近付いてきた。人影は咲姫が椅子を振り上げても届かない間合いで立ち止まると、涼やかな声を闇に発していた。
「貴女の言う通りよ、玖堂咲姫。ここはあたしの影が誘う、人世に潜む『時の闇』の砦」
周囲は真っ暗であるにも関わらずに、咲姫には相手の姿が視えた。そこには大きな黒い翼を闇に広げる、広い縦襟の黒いツーピースを着る黒い娘がいた。
「カイが止めるから、様子を見させてもらったけど。貴女は人間界に干渉し過ぎていて、『不秩序』だわ」
「カイって――院長先生?」
咲姫の名前を知っている娘。咲姫にはとんと見覚えがないが、黒い翼の間で娘はゆらりと青い炎を纏う。しかし娘自身は人間であるように視え、橘灰という院長を知っているなら、敵であるとは思えなかった。
しかし娘は、寒いのに剥き出しの右手を掲げて、まさに鬼火と言える炎を掌上に出した。
「貴女の周りは、人世には危険なもやが視える。正体を顕しなさい」
「わ!!」
まるで青い魔球を放つように、咲姫に炎を投げつけてきた。両手に椅子を持っているので咄嗟に動けず、化け物としてのサキの武器も今は持っていない。いつも着けるベルトが兄貴分の造ってくれた大事な武器で、携帯型のベルトにしたままスタッフに預けてしまった。
つまり今の咲姫には、得意な体術もそれを活かせる武器もない。敵襲に対するにはあまりに無防備過ぎる。
そうして青の小さな火球が、咲姫が盾にした椅子にぶつかる直前に。
地面から飛び上がった黒いものの体当たりで、鬼火はぎりぎり消火することができた。
「あ、ありがと……『ノーテ』……」
「――」
まだずっといる闇の中で、黒い娘が息を呑むのがわかった。正体を顕せ、と言ってきたのだから、ある意味これが娘の要望通りだろう。
咲姫が実は常に連れる「力」を、娘は「危険なもや」だと言った。鬼火を消し止めて降り立った小さな黒猫が、ほぼ闇と同化しながら咲姫を見上げた。
「あたしの鬼火を、難無く消すなんて……その猫が、もやの正体……?」
咲姫も「鬼火」だと初見で思ったのだが、イメージはどうやらぴったりらしい。
けれど咲姫には、娘と戦う気などないので、動きを止めてくれた隙に何とか会話を試みてみる。
「あ、あのね、このコはノーテ。確かにいつも、私の周囲を守る結界になってもらってるけど、別にそんなに危ないコじゃなくて――」
「ただの使い魔には視えない。いったい何なの、貴女の『力』」
娘には全然聞く耳がなかった。今度は緋色の大きな炎を、咲姫を囲むように半径二メートル程度で出現させた。
「うそー!」
熱い! と必死に、黒猫を結界の力に戻す。黒い灰になるように散った力が咲姫を包むが、炎の勢いが強過ぎて先程のように消すまではいかない。
「『力』の源を明け渡しなさい。でなければ貴女ごと、闇に返すしかない」
つまりこのまま、娘は咲姫を燃やしてしまうつもりらしい。「力の源」。それは決して、ここでおいそれと渡してよいものではない。
咲姫の「力」は、故郷の世界では霊獣と呼ばれて、いつも連れ歩くことができる霊体の獣だ。確かに一般的な使い魔ではなく、「もう一人の自分」と呼ばれる特殊な獣を連れる種族だが、故郷では不秩序とは言われたことがない。
「私、ただの普通の、霊獣なんです! 霊獣は私自身だから、渡せなくて!」
本当はそれだけが、渡せない理由ではない。けれど「大事な力」と、故郷で約束した相手があった。本来なら「気」をぶつけて物理に近い打撃しかできない猫の霊獣に、鬼火を消せるような「力」をつけられたのは最近のこと。黒い娘がそれを不秩序というなら、何とかごまかさなければいけない。
言って聞いてくれそうな相手ではない。腕を組んで仁王立ちしている相手に、闇の中でも咲姫は必死に、最大の武器である「眼」をこらした。
――この炎を消すには……!
手札をかなり晒すことになるが、背に腹は代えられない。炎に囲まれた時に椅子は仕方なく炎の外に投げており、空いた手で咲姫は虚空の弓を引いた。
「――『ベルイ』! 火元を断って!」
このモーションは「力」の制御に便利なだけで、イメージだけの矢を空で放つ。その瞬間に、白い光の矢印が具現し娘に向かった。咲姫を守るもやが弱まってしまうが、それでも「力」の一部を矢の形にして娘に放ったのだ。
「――!?」
シンプルな長い矢印が娘の手前で、二つに分かれて軌道を曲げた。娘の背にうっすら視える黒い翼をどちらも射抜くと、咲姫の周囲の炎が弱まっていった。
「もう一点! 本当の核はそっち!」
翼を貫いてから一つに戻った白い矢印が、猫の耳を生やすようにギザギザの形になって娘の首の真横をかすめた。娘は高い襟の服を着ていて、すりぬけたギザギザは襟に隠れる、娘の首を取り巻く小蛇を絡めとった。娘が明らかに動揺した顔を見せて、ばっと首を守ろうとした時には遅かった。
「って――ええええ!?」
そうして縦横無尽な白い「力」が、黒い娘から奪って返ってきた小蛇に、咲姫も我を忘れるほど驚いていた。
「何で、ケイ!?」
「!?」
小蛇を奪われ、黒い翼も消した娘が咲姫を見つめた。咲姫も矢を消してもやに戻し、小蛇をしかと握りしめた。
「どうしてこんな姿になっちゃったの!? ケイ、ケイよね!?」
咲姫には化け物の「力」が視える。こうした戦闘時にもそれで先手が打てる。
生まれる前を思い出すまで、この眼が何なのかわからなかった。けれど今、咲姫が両手で掴む小蛇の「力」は、生まれる前に同じ所にいた「ケイ」だった。
あまりに驚き、ぺたんと座り込んでしまった。咲姫が探している家族の内で、思いもよらぬ相手が先に見つかったからだ。
「ケイ」はおそらく、故郷で身を隠しているので、龍斗や零那の後で探そうと思っていた。それがまさか、日本で一番に見つかるとは想定外に過ぎた。
何故か戦意の消えた黒い娘が、溜め息をつきながらこちらに近付いてきた。
「……ソレは炯じゃない。でも確かに、炯の忘れ形見」
「え?」
「貴女、炯を知っているの? カイはそんなこと、教えてくれなかった」
泣き出しそうな声をしている。咲姫には何故か、そう聴こえていた。
とりあえずこの蛇の「力」は、どう視ても「ケイ」に視えるのだが、娘には違うらしい。咲姫にもわけがわからないので、とりあえずまず娘と話そう、と改めて心を決めた。
閉じ込められていた闇から解放された。小蛇を返した黒い娘が、後で訪ねる、と言って場を去っていったのだ。
咲姫が姿を消していた時間はとても短かったようで、スタッフには何も言われることはなかった。椅子も幸い、ほとんど壊れたところがなかった。
「あー、びっくりしたあ……あのヒト、いったい、何だったんだろう……」
玖堂家に帰ると、案の定、診療所に来客があると伝えられた。院長の名前を娘は出していたので、訪ねて来るとしたら診療所だろう、と思っていた。
診療所には保健室があり、玖堂家の内側からも入れる。扉を開けると、長椅子に座る黒い娘に向かって立つ院長が、頭を抱えている姿が視えた。
「だからあれほど、問題ない、と先に言っただろうが」
「それでも、あの『力』の自由自在さは反則だわ。使い方次第でいくらでも、やっぱり不秩序になりえるじゃない」
まだ危険視されてるみたい……と咲姫も心の準備をする。「ケイ」については是非聞きたいので、ためらわずに処置室に入っていくと、黒い娘の隣に座るように院長が黒い眼で促したのだった。
「こいつは鴉夜。俺の養女だ」
「改めて、初めまして。あたしは橘鴉夜。好きでやってるわけじゃないけど、世の『力』を乱す不秩序者の管理をしてる」
鴉夜。聞けば咲姫と同じ世界の出身者で、日本にいるのは炯が好きな世界だったから、という。
「炯がいなくなったのは、故郷の東の大陸だけど……もしや、日本に来てるんじゃないかって、たまに確認に来てるだけなの」
「じゃあアヤは、もう何年も炯を探して旅をしてるの?」
迂闊に言える空気ではないが、咲姫には心当たりのある話だった。炯はおそらく、行方不明になった後に咲姫達と出会ったのだ。しかしそれは今ここで、話していいかを判断できない理由があった。
一通り話すと、隣に座る鴉夜が訝しげな眼で咲姫を見つめた。
「貴女は、炯とどういう関係? あんなスチャラカ悪魔のアイツに、貴女みたいな千族と縁があったようには、とても見えない」
千族とは、咲姫の故郷で人間から隠れて住むことの多い、ヒト型の化け物達の総称だ。ヒトでありながらヒトならぬ「力」を持つ化生。魔性を持つ鬼種や悪魔、もしくは聖なる高次存在や妖はまた別括りになるが、一応この場で咲姫の肩書は「千族」で問題なかった。
「えっと、私は……ケイのお姉さん、だったの。生まれる前に」
「――は?」
同年代のような外見的に、その経緯を話すくらいしか、鴉夜に納得してもらえる手はないだろう。真実とは少しずれてしまうが、嘘ではない話をそのまま続ける。
「ケイがどういうヒトなのかは、実は全然知らなくって。生まれる前の私に話しかけてくれて、その時は私の見た目の方が年上だったから、私がお姉さんってことになったの。どうして会えたのかは、わからないけど」
「……??」
まず、「生まれる前」という話自体が、明らかに通じていない。それでもそう言うしかない。
炯と実際に会った所は、「竜の墓場」という異界だ。そんな地にいた炯は死者だったはずのことを、炯を探す鴉夜にそのまま伝えるのは躊躇われた。後で院長にもその判断を後押しされることになった。
炯はサキ達が生まれる時に、死者でありながら墓場から出て行った者だ。悪魔である者なら何とかできるのだろう。生まれる前のサキ達に墓場で出会った時も、オレが死んでることは悪いけど内緒な、と言い含めていた。
「生まれる前、って……貴女、それ、お腹の中にいた時、っていうこと?」
「うーん、どうなんだろう? 私、北方四天王のお城で、培養管の中で育ったから……」
とりあえず鴉夜には、その時炯に会ったかのようにミスリードをしておく。炯の話を出しただけでも、あの時泣きそうな声をしていたのだから、死者だと思う、とは言えなかった。
「北方四天王?? 培養管??? 炯、確かにあちこちの悪魔と親交はあったみたいだけど……というか、貴女本当に、いったい何者なのよ?」
四天王とは、故郷で監獄を司る悪魔達だ。ただの千族、と信じてもらうにはあまり良くない話だった。咲姫自身、四天王城から連れ出してくれた養父に聴いただけで、物心がつくかどうかの頃だったので、素性をよく覚えていない。
覚えていないが、自分の「力」がはっきり視えるようになった時に、自分が何者であるかはわかった。だから遠慮なく、そのまま生い立ちを言うだけだった。
「私、おとーさんの殺された仲間の複製品みたい。だから鴉夜の言う通り、ちょっとおかしな千族ではあるけど……それって、生きてちゃ駄目なほどなの?」
まっすぐに尋ねると、鴉夜が突然、両眼を潤ませて黙った。炯の話の時には気丈にしていたのに、心を衝かれるところがあったらしい。
「複製品……って……」
一言一句、養父に聞かされたそのままの事。傍目には聴こえの悪い話なので、両手を握りしめる鴉夜に、ごめんね、と思う。
咲姫の養父は、霊獣という種族の長らしい。仲間を沢山、北方四天王に奪われ、助けようとして四天王の城に乗り込んだのだ。そこで培養管にいたサキを見つけ、連れ出してくれた。
北方四天王はその後、滅んだらしい。サキに生まれる前の記憶が戻った後、一度故国に帰った時に、出会ったナーガが言っていたのだ。アイツ、サキちゃんのおとーさん達には軒並み恨まれてるから、あんまり話に出さない方がいいよ、と。
殺された誰かの複製品。そんな存在であることを淡々と話した咲姫に、鴉夜は目に見えて辛そうに体を震わせている。表情にはあまり出さない性質のようだが、言葉すら失っているので、院長がぽんぽん、と頭を撫で叩いた。
「だから何度も言ったろ。何か目的を持って生み出される連中は、お前さんも含めて被害者だっつーのに、今まで認めなかったくせに」
「だ、だって……」
どうやら鴉夜は、話自体の凄惨さより、咲姫があっさりそんな話をすることに衝撃を受けたらしい。もしも咲姫が「不秩序」な理由がそこにあるなら、咲姫には何の咎もないことだから。
「お前さんの役目が、公私混同御法度なのは俺も知ってる。それでもしばらく、目こぼしくらいはしてやれ。人間が生きる寿命の範囲くらい、どうってことないだろ」
悪魔であり、「神」でもあるらしい院長が、養女を静かに諭してくれた。おかげで当分、咲姫が不秩序と燃やされる恐れは遠のいてくれた。何がセーフで何がアウトかさっぱりわからないので、後で院長に聴くことにする。
それからほどなくして、鴉夜は帰っていった。と思いきや、炯の話をしたい、と言って玖堂家の咲姫の部屋に泊まることになった。
咲姫はもうすぐ、もっと駅に近い場所で賃貸マンションに住まわせてもらうことになっている。玖堂家は警備が色々と仰々しく、アイドルとして身軽に動き回るのに少し不自由だからだ。そこに移ってからは更に、鴉夜が度々泊まりに来る友達になるとは、この時には思ってもみなかった。
院長は咲姫が部屋に帰る前に、しっかり釘を刺してきたのだった。
「炯の奴のことを、何を何処まで知ってるかは知らんが、鴉夜には言うな」
院長こそ、咲姫の「生まれる前に会った」を、どういう形で理解したのだろう。何故何も聞かないのだろう、と逆に思ったが、とりあえず頷くだけにした咲姫だった。
橘診療所では油断するな。ナーガにそう言われていたから。
生まれる前の記憶を取り戻して、竜の墓場で会った者達を探したい、と願った。そのために養父達と離れて一人旅を始めてから、一番にサキが目指したのは、ただ一人、既に出会っていた「流惟」との再会だった。
流惟は、故郷での名前はアースフィーユ。墓場でもアフィと名乗っていた。龍斗と零那の実妹なのだが、流惟だけは龍斗達と違い、サキと同じで生まれる前の存在だった。サキにサキの名をくれた張本人で、何と未来を夢に視る悪魔の素質を持っているため、サキがいずれサキという名で、流惟と出会うと知っての名付けだったのだ。
サキという名を墓場でもらった時に、確かにサキは今の咲姫と近い容姿になった。それまで自分の姿もよくわからず、流惟曰く白い猫の化け物だったそうだが、それもあやふやだった。
養父の仲間の一人だった流惟は、初対面の時にはもう成人していて、サキと同様、生まれる前のことは覚えていなかった。お互い何も知らないままで、外見九歳と成人済という歳の差があるので、特別親しくなっていなかった。むしろ流惟の連れ合いがサキと似た眼の持ち主で、サキの持つ力から素性を看破された苦い思い出がある。誰にも言わない、と約束はしてくれている。
それ以上の接点は特になかったので、流惟達が現在何処にいるか、互いに戸籍のある故郷ディアルスに戻り、お目付け役の妖精に尋ねようとした道中だった。その蒼い髪の天使が現れてきたのは。
――あなたがサキちゃん? 流惟から探してきて、って頼まれたんだ。流惟はあたしの姪で、時々こっそり会ってるんだけど、あなたが流惟を呼んでる夢を見たっていうの。
死者が天使になった存在というナーガ。生前の知り合いには会ってはいけず、ナーガの生前を知らない流惟達とは会えるらしい。龍斗や零那にも陰から関わってきたと言い、サキのことは何も知らなかったが、あたしも龍斗、探してるのよ、と笑いかけた。ディアルスで泊まった宿でのことだった。
――どうしてあなたが龍斗達を知ってるのか、教えてくれるかな?
龍斗が日本でいなくなったのは、サキが培養管の中で生まれるより前だった。なので、流惟や龍斗、零那を探したい、と窓枠を掴みながら言ったサキに、窓の外のナーガは興味深そうに、夜の中で腕を組んだ。
――竜の墓場は、あたしも知ってる。あなたらしきヒトがそこにいたことも、実は随分前に教えてもらってたの。でもまさかこうして、出会うことになるとは思わなかった。
既に死者であるというナーガも、一時期竜の墓場にいたことがあるというので、すっかりサキは気を許して事情を細かく話した。共通の知り合いがいるのもわかり、墓場の印象や風景の話も一致し、よし、手を組もう! と宿に迎え入れたナーガが満面の笑顔で言った。
――あたしの知人が、前北方四天王さん一派、全滅させちゃったお詫び。これから何でも相談してね、サキちゃん。
その時サキは、座り込んでいた安い敷物の上で、酷く安心して突然涙が出てきた。どーしたの!? と慌てるナーガの前で、何でもない、と言いながら、しばらくぼろぼろ泣き続けてしまった。
「……ナーガさんだけだったな……気にしてくれたの…………」
泊まるという鴉夜が待つ自室に入る前に、人目がないことを確かめてから、いつも纏わせる「力」の結界を緩めた。廊下の隅で、咲姫を守るように包むもやが、小さな白猫と黒猫になって咲姫の両肩に駆け上がった。
「あはは、いつもありがとね、ベルイ、ノーテ。二人のおかげで、今日も無事に終わることができたよ」
故郷がそれなりに戦闘の絶えない危険な世界であるので、咲姫はこの地球の生活の中でも、あまり気を抜いて過ごしたことがない。故郷では耳と手先、尾だけが黒い大きな白猫を連れていたが、それをこのように変幻自在の白仔猫と黒仔猫に変えられたのは、ナーガの多大な協力があってのことだった。
白仔猫のベルイは攻撃用で、咲姫の放つ自由奔放な矢になる。黒仔猫のノーテは防御用で、咲姫を常に包んで守るもやの核と言える。どちらも霊体だけの獣で、普通の霊獣族は一人一体しか霊獣を持つことがないらしいため、確かに咲姫は反則者ではある。
「別に一体に戻すことも、できるんだけど……」
鴉夜に難癖つけられないために、少しの間だけ咲姫は悩んだ。うん、と頷いた次の瞬間、肩から二匹の仔猫が消えて、場には故郷の白黒猫が実体で顕れてきた。
「久しぶり、バステト。アヤがいる時はちょっとだけ、バステトにお相手お願いするね?」
この後に結局、「霊獣を実体化させる時は本体のあなたが霊体になるはずなのに!」云々と、鴉夜には絡まれてしまう。やはり咲姫は、どうにも反則な霊獣族であるらしく、自分である白黒猫と両存ができるのはおかしいという。
バステトを最近出さないようにしていたのは、兄貴分である烙人の人探しを難しくする事情があるからだ。それも少しだけお休み、と、白黒猫と連れ立って自室に帰っていった。
*
あれから何故か、鴉夜が度々泊まりに来るようになった。鴉夜も舞台に娘役で立つことがあるらしく、アイドルの悩みを相談できる相手になった。
咲姫が駅前マンションで一人暮らしをさせてもらうのは、本当なら十七歳になってからの約束だった。しかし玖堂氏に新しく双子の子供が生まれたことと、玖堂氏の五女がずっと重い病気であるため、あまり人の出入りを多くしたくないということで、頻繁に仕事に行く咲姫は予定より早く玖堂家を出ることになった。
「引越しが終わったら、鴉夜の分も合鍵作るね?」
「必要ないわよ。あたしは何処でも、闇から出入りできるんだから」
鴉夜はいつもぶすっとしているが、炯の行方を相談できる咲姫という友達ができて、「有り得ないくらい懐いてる」と院長がこっそり呟いていた。あいつ友達少ないから優しくしてやってくれ、とは、言われなくても咲姫も親しい相手ができて嬉しい。人間でないことを隠さないで良いので、鴉夜は厳密には人間らしいが、とても気楽な相手なのは確かだった。
今の咲姫は、引越しのために自室を片付けることに忙しかった。ネットやTVの芸能活動で、何故か沢山咲姫のグッズを作ってもらってしまい、どれも大事な宝物になって、どう整理すればいいか勝手がわからないのだ。故郷ではいつも、武器になるベルトと旅荷物一つで動き回っていた。
一人暮らしができる程度の収入のある身になれたので、今後は逆に、影をひそめていくように玖堂氏に言われた。あまり長く有名人でいると、それはそれで人間世界で暮らし難くなる、と。
「あとはもう、最低限のオファーだけ、玖堂家で管理してくれるんだって。幻のアイドルとして惜しまれる内に消えなさい、って言われて、人間界って不思議な所だね?」
「そんなこと、あたしに言われても……」
引越し荷物をまとめる作業を、鴉夜が手伝ってくれていた。今後の生活費も玖堂氏が咲姫のこれまでの稼ぎから出してくれるそうで、そんなに稼げてたの?? と今でも疑問が尽きない。
そうしてやっと、大きな段ボールがいくつかと、布団袋と手回り品の荷物が積み上がった時のことだった。
「え? 私にお客さん?」
珍しく院長自ら、咲姫を呼びに来ていた。院長はあまり、玖堂家附設の診療所から出ることがないのだ。
「アイドル活動の成果が出たぞって……もしかして……――」
思わせぶりな院長の台詞に、ドキドキしながら咲姫は走った。玖堂家の内廊下から階段を駆け降りて、一階の保健室に駆け込んだその時。
「よォ。また会うことになるとはな、サキ」
白いカーテンと白いベッド。窓は無い保健室の一画で、ソレは咲姫を待ち受けていた。
咲姫は一瞬、時間が止まった。明らかに聞き知った声の主が、あまりにも意外な姿をしていたものだったから。
「なんだ、お前、オレの声まで覚えてないのか? 龍斗やオレを探しに来たって、ここの院長に事情を聴いたぞ」
「えっ……じゃあ、やっぱり……」
声だけでなく、ソレの後ろには明らかに視知った「力」が浮かんでいた。咲姫の後から続いて保健室に来た鴉夜が、ベッドの一つに鎮座する相手を見て呆然とした。
「――何、あれ。兎の……ぬいぐるみ?」
……不秩序だわ、と。鴉夜が絞り出すように言い、咲姫もハッ、と現実を直視していた。
「やっぱり、レイナ! レイナなんだね!?」
呼吸はしていないのに煙草をくわえ、短い腕を組んで座っている兎もどき。鋭い青の釣り目の下に、首元には蒼から紫に変わる菱形の水晶が見え、それで咲姫はやっと確信できた。
「びっくりした、ぬいぐるみに宿るなんて……! てっきりレイナ、墓場を出てヒトに戻ってると思ってたのに……!」
「あいにくあまり、良い依り代が見つからなくてな。別にこっちじゃドンパチする必要もないし、のんびりしてたらテレビにまさかの、お前がそのまま出てるもんだからさ。この診療所に辿り着くまで、結構苦労したぜ、サキ」
零那は、龍斗の姉。れっきとした女性であるのに、オレ口調で気怠そうに喋る玲瓏な声。紛れもなく竜の墓場で出会った相手が、その兎もどきを操る悪魔となっていたのだった。
「良かった……会えて嬉しいよう、レイナ!」
兎もどきに飛びつき、泣きじゃくる咲姫の姿に、鴉夜は「不秩序」、と切り込みかねている。無機物に何かの霊魂が宿る程度であれば、付喪神なども存在するので見逃せる範囲らしい。
生まれる前を思い出したの、と咲姫は必死に零那に語った。オレ達を探すってことは、そうだろうな、と零那も覚えていてくれた。人間界に来てからの苦労が全て報われる気がした。
「ねぇ、レイナ、龍斗は!? レイナと一緒じゃないの!?」
「実はその件で、お前に相談がある。厄介なことになっているから、両親からも逃げ回ってたんだが……」
零那が兎もどきの姿であるのは、一家では問題のないことだという。それも驚きなのだが、そこから話された龍斗失踪の真実に、二の句が告げなくなってしまった。
本当にもう、あのバカがな。溜め息をつく零那の声が、とても遠くに聴こえた。
間奏:契約の悪魔
夜と昼との違いは、光の有無でしかない。昼も夜もない「竜の墓場」で、束の間のときを夢現で過ごしたので、彼にはそれがよくわかった。
あの時はずっと、眠い日々だった気がする。無理やりにでも目を覚ましたのは、探さなければいけないものがあったからだ。
竜の墓場と似ているようで、街並みは似ても似つかない薄明るい都で。
気付けば彼は、無人のビルの陰に佇んでいた。滅多なことでは外に出る者のない白夜を、手を繋いで歩く者達を追うようにして。
「……シグレ? どうしたの?」
彼が後をつけていた内、黒い下ろし髪の少女が立ち止まった。白いヘアバンドにパーカーという人間的で、都の街並みに合う珍しい恰好。
少女に名前を呼ばれた少年が、彼が隠れるビルの方に振り返った。不思議そうな少女に何でもない、と顔を戻して微笑む。
「この街も随分、明るくなったな。タオに光が宿ったおかげで」
少年は金色の短い髪で、装飾の凝った脚絆と羽織、蝶型のペンダントが揺れる無袖の黒衣。彼は思わず息を呑んだ。
彼が追っていたのは黒髪の少女だ。それなのに「彼」は、捨て置けない存在を見つけてしまった。
動揺が胸を大きく駆ける。彼はここで、これからどう動くべきか――
そもそも彼は、どうしてここに来たのだろうか。自分の名前もあやふやになっていると今更気付き、目的が何なのかも思い出せない。
彼は確か、「竜の墓場」に行こうとしたはずだった。唯一墓場の扉が顕れる竜宮という地で、誰かの協力でここまで来たはずなのだ。
それなのにここは、竜の墓場ではない。こんな人工的な街並みは全て、自然の「竜」とは程遠い闇。
竜の墓場は、自然の「力」である「竜」が眠る、薄明るいだけの灰色の地だ。「竜」とは「自然の脅威」そのものであり、いかなる時にも世に顕れ得るため、全ての生き物が還る混沌とは別に墓場があるのだ。「力」ある者が還る「時の闇」という、数多の世界の軸とは違って。
「オレは、確か、あいつを探して……だから、墓場に……――」
声を出すことができたので、自分が誰かを少し思い出した。「彼」が竜の墓場に入ったのは、同じ混沌に続く神域として、墓場から時の闇――いわゆる常世を探すためだ。
「彼」の探し人は、常世に囚われている。それはわかっていたから、常世の行き方を探してきた。迂闊に入れば人世に戻れない異界に、今回はどう帰り道を立てたのだろう。
「まいったな……自分があやふやになるなんて、きいてねぇ……」
黒い髪の少女は、金髪の少年が口にした通り、「タオ」。彼がずっと探してきた者の、妹らしき存在だったはずだ。だから彼は、見覚えのある姿を見つけて、思わず追いかけてきたのが現状の理由。
なのに金髪の少年を見て、彼の目的が混乱を始めた。「彼」が探していたのは少女自体で、手をひく少年のことも知っている、と。こんな所にいるはずのない少年が、「彼」の契約者である少女と連れ立っている。
「いやいや、待て、オレ……オレは確か、サキを探して……いや、サキはいるだろ、じゃあ何でオレはここに……いや、タオならサキのことを知って……って、タオって誰だよ、オレ……?」
最早全く、わけがわからなかった。仕方がないので、彼は一端思考を捨てた。夢の中にいる心地のまま、少年と少女を追いかけていく。
二人の進む道はいつも、遠くは暗いのに、二人が行くと明るくなっていった。探し物をしているつもりのようだが、傍目にはもうデートにしか見えない。
「シグレの社は、結局どこにあるの?」
「見ればわかると思うんだけど、今は思い出せない。やっぱり帰ろう、タオ。あんまり長く外にいると、誰かがタオの光を奪いに来るよ」
心細げな黒髪の少女を、儚げな少年が笑って手をひく。そこから何故か、影絵のコマ送りのように、彼の視界が点滅を始めた。
二人が何者かに襲われ、少年が少女をかばって深手を負った。彼は進もうとしても謎の光景に呑まれて、二人のことが見えているのに助けに行けない。
少女が泣き叫びながら、倒れる少年に縋りついていた。血まみれの少年を抱きしめるので、少女の全身も赤く汚れていく。少年は最後の力を振り絞って、少女に逃げるように伝えた。
「……オレはもう、タオの光で、救われたから……タオは、いえに帰れ……」
元より少年は、ここにいるべきものではなかった。それは何故か彼にもわかり、消えていく少年を止めるべきでない、と悟る。
闇に呑まれていった少年を見届け、一人ぼっちになった少女は、歯を食いしばって立ち上がった。彼は未だに何もわからないまま、少女が帰っていく先を追う。
「シグレ、シグレ……わたし、強く、なるよ……――」
少女が拙い歩みを進める度に、時間が進んでいくかのように。
やがて少女は、鎖骨までの髪が腰に届いた。身の丈も十五センチは伸びた、黒い髪の女性へ変わっていった。
「シグレが好きな、赤い空を……いつか、私が――……」
闇しかないはずの常世において、この光が何になるのか、確かめること。それがいつしか、彼女の強い意思となっていった。
見守る「彼」は、彼女の姿にただ思った。やっと、会えた。
それはおかしい。彼がずっと探していたのは、たとえ似た姿の姉妹でいても、黒い髪ではない方なのに。
「いや、あれは、そっくりだけど……タオであって、サキじゃない……」
更におかしなことに、彼はここで、ずっと遠目に彼女を見つめているのに、彼女に近付く「彼」があった。消えた少年、シグレを知っているのか、と彼女に問いかけながら。
――あんたの光、ここでは見せない方がいい。オレには何もわからないけど、その光は眩し過ぎる。
見知らぬ「彼」に、彼女は警戒しながら社に留まる。人間界に似た家屋の一室。
常世という異界では、自らの領域にこもる限りは安全で、介入者は「不秩序」として罰されるという。だから彼に、彼女に関わろうとすれば、彼が不秩序として滅される、と彼女は恐る恐る言う。
――オレはあんたと、契約を交わしたのに?
「彼」は彼と同じ声で、そんな謎のことを言う。彼女を探してここまで来た、と。未だに「シグレ」を想うままの、彼女の心を強く揺らす。
――憶えてないなら仕方ないけど。オレもそろそろ、ここに留まるのは限界のようだし。
それでも彼女が、ここに在るとわかったからには、必ずいつかまた訪ねる。そう言い残して、「彼」は消えた。同時に彼も、突然大量の影に引っ張り込まれた。先の少年が消える時に、彼の足を阻んだ謎の光景だ。
呑まれた先は、静穏。何処までも高い木々に囲まれて、陽の光がわずかにだけ差し込む深い森で。
目前に、見知った妖精の女達が立っていた。手前には、妖精に特徴的な紫の目を前髪で隠し、三つ編みを二つ両肩に流す素朴な風体の妖精。
――あなたは、それだけ強い力を持つのに、竜珠を持っていないのですか?
素朴な妖精がすっと、透明な蒼い珠の填められた銃を差し出してきた。
あまりに強大な「力」の珠を、惜しげもなく渡す姿は高潔の一言だった。
――姉と二人、大地と暁の精の名の下、長くお預かりしていました。これが荒ぶるあなたの『力』を鎮められるよう、祈っています。
今から見れば、それはあまりに無謀な賭けだった。妖精達が古い宝を留め置くことができてきたのは、ほぼ対の「力」を持つ妖精が二人、同時にこの世にあったからだ。それがその宝の在り方に適していたから。
その宝は結局、何処に行ったのだろう。妖精達のことは見知っているのに、何故何も彼は思い出せないのだろう。
憶えているのは、暗闇から自分を呼ぶ誰かの声だった。
助けてくれ、と。ある契約が動き出す時が来たから、彼は自分を眠らせることになった。
悪魔である彼は、幼い頃に、若い人間の男と契約をした。彼が必要とする時に男に彼を喚んでもらうために、彼はその人間の助けとなる、と。
「だから――……馨は、何も心配すんな、って……――」
一瞬、声が震えそうになってしまった。自分自身すら騙せない嘘を、あの人間が本当に信じたわけもなかった。
今だけ助けてくれ、龍斗、と。人間の男は、悪魔である彼の名前を呼んだ。
俺はまだ、死ぬわけにはいかない。病気のお袋を看取るまでだけ、どうか助けてくれ、と。
「看取るまで……だけ……?」
彼はその時、どう答えたか思い出せない。死する人間のさだめ自体まで、変えてしまえる力は悪魔にはない。
どうして人間の男はそうも、若くして死んでしまったのだろう。何も知らずに彼はただ、人間の男の願いに応えた。悪魔の彼と同調できる故に知り合った男に、彼の体を渡すことで男を生かした。
たとえそれが、死にゆく人間を留める「不秩序」で、秩序の管理者だけでなく「死神」に追われる運命を招くものでも。
「――後はオレが、馨兄ちゃんの魂を霊界へ送れば、話は済むんだ」
悪魔専門の死神という者が、ついに人間の男を迎えにきたのが近日。
そこで彼はやっと、彼として目を覚ますことになった。何故か長年、いくら探しても見つからなかった、桜色の髪の猫女にまで再会して。
何でお前がここにいるんだ!? と叫んだことを思い出して、やっと彼は、「今」に戻ってきた。
彼の名前は、「春日龍斗」。彼を鷹野馨という人間だと思っていた周囲が、馨の死に直面する時が来てしまったのだ。
「……ったく。そんなに知りたいんなら、教えてやる。俺は、春日龍斗。馨にはこの体を貸していただけのことなのさ」
彼はずっと、「馨」をしているつもりだった。そこに玖堂咲姫と名乗る、反則の幼馴染みが現れなければ。
「そんなに驚くことないでしょ? 私、随分前から、龍斗のことは見つけてたのよ」
馨をしている間の彼については、彼の姉の零那が見張っていた。零那がまず咲姫を見つけ、彼が馨という人間になった事態を、咲姫に伝えたらしい。咲姫はそれから、龍斗の両親と相談をしに、異世界に戻っていたという。
そんなこんなで、日本の隠れ家で目を覚ました龍斗は。起きてしばらく、頭が全く回ってくれなかった。
ここは日本。鷹野馨であるつもりで、四年以上住んでいたぼろアパート。
同居人である兎のぬいぐるみが、ふよふよと顔面まで近寄ってきて、ぱしっと龍斗の額をはたいた。
「おい、オマエ、いつまでまた寝腐ってるんだ。いい加減一度両親に顔を見せに帰るぞ、ぐずぐずしてると鷹野花憐がまたオマエを狙ってくるだろ」
「……おぅあ?」
「咲姫もそろそろ、迎えに来るだろ。高校留学も半年で充分だって両親は納得してるし、卒業式も昨日、終わったんだろ」
まくしたてる兎の説教に、龍斗は何とか一つずつ、追いついていく。
そうだ、自分は昨日まで、玖堂咲姫と半年だけでも高校に通っていたのだ。鷹野馨に数年体を貸した春日龍斗は、十八歳の外見から歳をとっておらず、龍斗として意識が目覚めてからは、何の悪夢か人間界の高校に通わされた。
可愛い灰色の仔猫を拾ったり、咲姫とゲームで度々喧嘩したり、馨の腹違いの姉という魔女に襲われたりと、短い間に色々なことがあった。それでこんな、自分が誰かわからなくなる長い夢を見たのだろうか。ゆっくり起き上がって窓を開けると、南中する前の春の陽ざしに、ようやく自分が春日龍斗だと実感が戻ってきた。
龍斗が幼い頃に迷い込んだ、竜の墓場で出会ったサキ。サキの方はこの世にいないはずの存在で、それなのに「生まれる前のことを思い出したの!」などと言って、怒涛のように龍斗の日本生活に食い込んできた。
死神に馨を連れていかれてしまったので、もう龍斗として生活するしかない。日本でだらだら遊んで暮らしたかったのだが、いかんせん龍斗にもその家族にも経済力がなく、馨のしていた仕事も退職させられ、両親のスポンサーである玖堂女史の言う通りに、咲姫と高校に行くことになったのだった。
卒業したので、両親にそろそろ顔を見せに行け、と。兎のぬいぐるみに憑く悪魔の姉が言うのは、咲姫が龍斗と再会した後、とても不穏なことを叫んだからだ。
――だって龍斗は……私の許婚なんだからー!
龍斗をどうやって馨から戻すか、龍との親に相談に行った咲姫は、何故か「あのバカのこと、一生お願いね?」と任命されたらしい。んなアホな、と言いに行かなければ。それも見越しての両親の作戦な気がするが、一度里帰りすること自体には異論はなかった。
「つか……何であいつ了承してんだ、そんな話……」
そうしたわけで、龍斗としては五年ぶり程度だが、両親からは「もうすぐ二十年になるぞ、バカ」と怒られた帰郷になった。人間界とは時間の流れが違うことや、故郷の世界でも魔王の暴挙による、時空の大変動があったから、らしい。
龍斗や零那が姿を隠し、妹も伴侶を作って完全に自立してしまって、両親は新たな化け物の養女を育てていた。また、妹が人間の養女を引き取ったと言って、龍斗の帰郷に合わせて連れて来ていた。二人の養女は年齢が近く、すぐに仲良くなったというが、龍斗から見れば異様なパワーバランスの二人だった。
「ちょっと、新兄貴、アンタちょっとは助けなさいよ! ラピがまたあの神獣使ってあたしのこと苛めるんだって!」
「えー、水華、人聞きの悪いこと言わないでよー? 私はただ、ポピが水華のこと大好きだから、沢山遊べるように笛を吹いてるだけだよ?」
十二歳になったばかりの、瑠璃色の珍しい髪を持つ人間のラピス。両親曰く十一歳という化け物の水華は、故郷竜宮に棲む神獣を操る笛をラピスが持っているので、水華は散々幻に弄ばれている。
馨の頃には黒髪に化けていた龍斗は、前髪の一部にだけ黒い房があるが、空のように青い髪が生来の色だ。同じ青い髪を持つ母は、自身の娘として育てる水華には厳しく剣を教えながら、人間のラピスには痛く甘い顔を見せた。
「まあ、ここで色んな体験できるのって、ぽぴゅーんの幻でだけだからね。ラピスちゃんには、私達の代わりに水華を教育してくれて、感謝してるくらい」
ひでぇ。と、幻の中で恐怖体験をさせられている水華に同情したが、ラピスはラピスで、実の父が焼死、母が後追い自殺という悲愴な経緯で引き取られていた。普段は良い子であるラピスが、水華にだけは心を許せていると周りは見ていて、龍斗もそこは同意だった。それでいじられる水華はたまったものでないだろうが、水華には良い羽があるから大丈夫、と青い髪の母が言うので、仕方なく見守ることにする。
日本名は流惟となった妹が、兄との再会を心から嬉しそうに微笑んでいた。
「兄さん、こっちはレイアス。日本名は火撩。兄さんとレイアスが会うの、わたし、ずっと楽しみにしてたんだ」
「……初めまして。アフィの兄さん」
無愛想な男は龍斗と同じ、一部だけ黒く染まる前髪のある銀髪の化け物だった。かつて幼い頃の妹に、「兄さんと似たヒトをわたしは探すの」と聴かされていたので、何となく納得してしまう。
「いや、何つか……家族、増え過ぎ」
日本に帰り、ぼろアパートでやっと落ち着き、ふう、とこぼした龍斗だったが。龍斗は龍斗で、自身に戻ってから増やした家族に、やんわりたしなめられてしまった。
「素敵でしたね、マスターのご家族、皆様」
青みのある灰色の短いツインテール。傍に黒い首輪をつけて、にこりと可憐に微笑む美少女。
固まる龍斗が反応する前に、兎もどきの姉が彼らの間に滑り込んだ。
「『美咲』、お前、日本であまり人化しない方がいいぞ。コイツがロリコンで逮捕される」
「うっせえ姉貴。美咲は猫のままで十分可愛いから、無理に人化しなくていいだけなんだよ」
美咲。咲姫と似た眼を持つ不思議猫、という理由で、龍斗が保護することになった仔猫だ。咲姫と高校に通った僅かな期間、道端に現れた小さな灰色の仔猫だった。
咲姫はもうアイドル活動をしていないが、スキャンダルが当分ご法度らしく、猫の飼えないマンションに仔猫を連れて帰れなかった。
咲姫と二人でやんやと名前を考え、美咲と名付けた仔猫はその後、咲姫の謎の采配によって、龍斗をマスターと仰ぐネコマタの化け物にされてしまった。
「しかも咲姫の奴と、ほぼ同じ顔って……まあ、美咲の方が美少女だけどよ?」
純粋に龍斗を飼い主として慕い、膝で眠る仔猫を軽く撫でる。斜陽の差し込むワンルームで、一人でごちる。
ここまで彼には、全ての変化が目まぐるしかった。馨に体を貸す以前はごく平穏に生きていたのに、咲姫が現れてからはまさに波乱、の一言。
龍斗と零那、他にも自分の家族を探しに来た、と咲姫は笑った。
いったいどうして、竜の墓場で消えていった彼女は、咲姫として龍斗の前に現れることができたのだろうか。今までどうしてきて、これから何をしたいのかもほとんど語らず、日本の生活を龍斗達と満喫している。
許嫁の話も何処吹く風、という感じなので、あまり深く考えないでおこう、と龍斗は決めたのだった。
龍斗はもう卒業したが、一つ下の学年の咲姫は、まだ高校に通っている。龍斗の目下の悩みは、どう生活費を稼ぐかだけだ。
後で思えば、この時期が彼の人生において、一番賑やかで幸せな日々だった。これからそれを思い知らせる、運命の鏡がやがてアパートを訪ねてくる。
ピンポーン、と、「昭和の音」らしい呼び出し音が鳴った。龍斗、いるー? と、咲姫がドア越しでも聴こえる玉の声をかけてくる。
「ちょっと相談したいことがあるんだぁ。入っていい?」
馨が用心深い性格だったので、部屋に合い鍵は一切ない。咲姫には渡していいか、と思ってもいるのだが、お金もかかるのでまだ作っていない。
扉を開けると、一瞬、龍斗はわけがわからなかった。咲姫が誰か、ぐったりとした若い男に肩を貸して、苦く笑って外廊下に立っていたからだった。
誰だ、ソイツ。咄嗟にそれしか言えない龍斗に、咲姫が男に寄り添うように体を支えながら、とても大切な者を見る眼で男に視線を流していた。
「しばらく烙人のこと、休ませてくれない? それと烙人、龍斗に頼みがあって、わざわざ人間界に来たみたいで」
いや、だから、誰だよソイツ……さすがの龍斗も同時に二回はきけず、本当に調子の悪そうな男をひとまず、部屋に迎え入れる羽目になったのだった。
鷹野馨は、透視能力という特殊な眼を持つ人間だった。透視は物理的な障害をこえて目前のものを視通す特殊感覚のことだが、透視のレベルが上がると相手の本質、霊を視ることすらできるようになるらしい。龍斗の母がそれに近く、隠し事がすぐにばれるのは昔からだった。
それはともかく、狭いワンルームでくたりと倒れて、目を回している男は珍しい紫苑色の髪をしていた。人間界に来たので茶髪に染めているというが、龍斗の目にはしっかり紫苑色に見えているので、馨の透視能力をどうやら引き継いでしまったようだった。
咲姫はマイペースだが、別に人の話をきいていないわけではない。男をゆっくり部屋に寝かせてから、改めて異邦者の説明を始めた。
「紹介するね、龍斗。烙人は私のおとーさんの旧い仲間で、小さい頃の私に武器の使い方を教えてくれて、このベルトも烙人が造ってくれた武器なの」
咲姫は本当に懐かしそうな声色をして、男、烙人を介抱しながら龍斗に眼線を戻す。龍斗は何故かもやもやとしつつ、黙って咲姫の話の続きを聞く。
「烙人、ちょっと人間界が向こうと違い過ぎて、気分が悪くなっちゃったみたい。龍斗ならわかってくれると思うんだけど、烙人は多分、タオのはずのヒトをずっと探してて……」
タオ。かなり久しぶりの名前が突然出てきた。
その名は確か、咲姫が竜の墓場でサキだった頃、サキの妹として一緒にいたはずの黒髪の少女だ。
「って――あの狼少女を、コイツが? 探す?」
突然ずきん、と強い頭痛が龍斗を襲った。
何かが視界に浮かびかけていたのに、まるで無理にも目を塞いだように。
墓場でタオは、猫を操るサキの隣で、巨大な黒い狼を数回暴走させた。故郷の方が時間が早いので、もう四十年近くも前に。
そんな遥か昔の少女と、見た目は二十代に見える烙人が、いつどこで知り合ったというのだろう。サキと同じように、タオも何処かに生まれたということなのか。
咲姫の話を聴いていた烙人が、寝転びながらツッコミに入った。
「待て、サキ……『タオのはずのヒト』って、どーいうことだ……」
探し人について、咲姫の言は烙人も初耳だったと見える。「タオ」は龍斗にわかる名としてサキは場に出し、烙人は「タオって誰だ」と続けた。
「あいつ、本当はタオって名前なのか? サキは何で、それをオレに教えなかった?」
「あ、それは、えっと……あのね、いつかは話そうと思ってたんだけど……」
自分で名前を言い出しておきながら、咲姫が困ったように両眼を伏せた。どうやら烙人の探し人に、会ったことがある様子だ。相手が「タオ」ならどうしてその時、咲姫は家族を取り戻せなかったのだろう。
龍斗も烙人も、咲姫をじっと見つめて無言。龍斗としては、烙人が何故龍斗に会いにきたのかが気になるものの、咲姫の様子が不自然なことの方が先に気になってしまった。
あ! と、思い出したように咲姫が立ち上がった。
「烙人が無事についたって、私、手紙書き忘れてた! 書いてからまたすぐ来るから、その間に龍斗が烙人の相談聞いてて!」
あまりに無理やりな丸投げを残して、咲姫がアパートを素早く出ていってしまった。兎もどきの姉と仔猫の美咲が、喋る暇すらなかった。
「意味わかんねー……何で俺、巻き込まれる前提なんだよ?」
とても体調が悪そうな男を置いていかれ、龍斗にどうしろと言うのか。咲姫の兄貴分的な紹介だったが、龍斗には完全に初対面の男だ。
倒れる烙人も、龍斗の困惑を鋭く察して、意外に常識的に申し訳なさげな顔で龍斗を見上げた。
「悪い、サキ、久々のオレが思ったより弱ってて焦ってるんだ。あいつ、ショック受けるとテンション上がるクセが、昔からあるんだよな」
知った仲風の口ぶりに、龍斗はまたも、面白くない気分が浮かぶ。しかし確かに、烙人が今にも死にそうな顔なのは確かで、それで龍斗も困っているのが正直なところだった。
この出会いがこれから、彼らの運命の答え合わせになること。
あと一つの黒い影が咲姫に迫ることを、まだ彼らは知る由もなく。
➺独唱∴訪れる夜
Dear 雷夢お母さん✨
お久しぶりです! お手紙が遅くなっちゃってごめんなさい。
烙人、雷夢お母さん達のおかげで、無事に人間界に辿り着きました。
まだ正直、信じられないです。烙人がまさか、龍斗に近い存在だなんて。
確かに蒼帷お父さんには似てるって、私もずっと思ってました。
何とか烙人を助けられたら……雷夢お母さんの言う通り、頑張ってみます。
ありがとう、雷夢お母さん!
from 咲姫✿
橘診療所などといった、異世界とつながる特異点を持つ玖堂家に戻り、咲姫は白い手紙猫を裏手の井戸から送った。たとえば陰陽師なら、無理やり式神と呼びそうな伝波の使い方は、咲姫が得意とする「力」への介入法の一つだ。
連絡相手がスマホやPHSなど、実体のない情報用の媒体を持っていれば、画面に手紙猫が入って文章が映る。情報媒体がなければ普通に手紙を渡してくれるか、内容を鳴く。
電波など他の波が沢山在り過ぎて、この人間界内では非常に弱くなっている伝波は、ヒトの念を載せて化け物が意思疎通に使う普遍的な力の一つだ。咲姫にかかれば、弱い伝波もあちこちからかき集めて、一度視た「力」の主が同じ空の下にいるなら、何処でも手紙猫を送ることができる。異世界に送る場合はこの井戸や橘診療所から、よく憶えている場所であれば、手紙猫は咲姫の心を運んでくれる。
初夏の眩しい日差しの下で、井戸に身を乗り出したまま、咲姫は大きな溜め息をついた。
「はあ……説明の順番、間違えちゃった……」
龍斗と烙人。烙人が龍斗に会う以上は、二人共に相談しなければいけないことがあった。どう言おうか行く前から考えていたのに、結局とちって一旦退却してここに戻ってきた。
「でも急がないと……本当に烙人、寿命が間近だよね……」
見た目はまだまだ若いはずの、何でも道具屋である烙人。故郷の神泉の精霊の力を受け継ぎ、神泉から派生した霧の精霊にまで命を分けることで、中身は早々に老け込んでしまった。
霧の精霊は元々烙人の双子で、烙人がどうしても双子の娘を留めたがっていたので、咲姫は烙人に秘密でその娘を霧の精霊にした張本人だった。
「龍斗が鷹野馨になったみたいに、龍斗がいれば、烙人はまだ生きられるって雷夢お母さんは言うけど……今まではこっそり蒼帷お父さんが生かしてくれたのも、一目でわかったけど……」
雷夢と蒼帷とは、龍斗の実の両親達だ。彼らとは既に色々話したものの、肝心の龍斗と烙人は一切事情を知らない。
一度現在の「力」を視た相手なら、手紙猫に伝波を辿らせて咲姫は探し出せる。龍斗や烙人があの後街に出ていても、同じ世界の中なら追いかけて見つけられる。
本当に便利な眼だね、と龍斗の母には言われた。咲姫自身には自覚がないのだが、「伝波」が視えているのは実際には手紙猫でなく、手紙猫を創り出す咲姫だからだ。最近鴉夜は、故郷の世界で数少ない現金仕事の舞台活動で忙しいらしく、あまりこちらに来なくなったが、あちらに戻れば鴉夜のことも探し出せる。
「烙人は龍斗の力を借りて、タオに会いたいだけで、私は龍斗に烙人を助けてほしくて。でも龍斗には、どっちも手伝う理由、ないよねぇ……」
烙人は、サキが出会った頃には既に、霧の精霊になる双子に命を分け与えていた。他にも龍斗の母の養女、水華に多大な力を使っており、水華は実際烙人君の子供のようなもの、と言われていた。
何故龍斗なら、烙人を助けられるというのか、咲姫には正直よくわからない。「力」――心はあまり、似ていない二人。烙人は神泉の精霊の加護を受けて、龍斗は白い氷竜を連れ立っており、どちらも水の系統で、「意味」、魂が似ているのはわかるが、烙人を助けるのに必要なのは命のはずだ。
「龍斗はイジワルだけど、烙人は大体優しかったし……素直じゃないのは確かに似てるけど……」
もしも命を補ってやるなら、馨と龍斗のように人間と悪魔が契約するか、烙人を泉の精霊そのものにして、龍斗に宿すことしか思いつかない。烙人と龍斗は、互いに互いが失った「力」を持つ、と龍斗の両親は言う。
どうしてそうなったのかはわからないが。龍斗の母曰く、烙人には青い命に白い魂が、龍斗には白い命に蒼い魂が視える、と言う。
龍斗の妹流惟の伴侶、火撩も似たようなことを言っていた。烙人の青い命は赤い闇に侵されつつあり、霧の精霊の白が何とか烙人の魂代わりになって意識を保っているが、今の烙人の白い魂を生かすのであれば、必要なのは白い命であるのだと。
「火撩、色に関しては私よりしっかり視えてるもんなあ……雷夢お母さんには、霊魂がよく視えてるし……龍斗の氷竜を、烙人に渡せばいい、って言うけど、そんなことしたら龍斗がまた竜無しになっちゃうし……」
龍斗が十五歳の時に竜の墓場に来たのは、零那に加えて、自身の竜を探すためだった。零那は何故か長く墓場にいて、サキは零那を先に知った。
そして氷竜は元々、零那の竜であるはずなのだ。
とぼとぼ、と玖堂家を出て、龍斗のアパートに改めて足を向けた。
零那は本来、龍斗の本当の姉ジョシアの逆鱗が映し出す、「力の人格」と呼ばれる存在になる。ジョシアが「零那」を名乗る場合は、「レナ」が正しい読み方だと龍斗の両親に聴いた。
レイナと呼ばれる兎もどきは、本体の氷竜――ジョシアが暴走したので、レイナだけ墓場に避難させられていた。暴走したジョシアを叔母であるナーガが封印し、レイナが宿る逆鱗だけは逃したらしい。
「レイナはもう紫竜がいるから、氷竜はいらない、なんて言ってるけど……そもそも、本当のところ……」
あまりに強く悩んでいたので、咲姫は迂闊にも気付かなかった。
人通りの少ない近道になる、川沿いの道に一人で出た時だった。
「――本当のところ。あのバカ自身の竜は、何処にいるんだろうな?」
よく通る低い声の囁きが、悩める咲姫の後ろから響いた。ヒトの気配はまるでしなかったのに、え、と振り返ると、そこには思わず声を忘れる、いるはずのない者が笑っていた。
「――」
「春日龍斗はずっと、姉である氷竜を使ってきたに過ぎない。でもそもそも、アイツの親はどちらも光なのに、何処からその氷の力は来たんだ?」
そこにはまるで、ゆらゆら燃える炎のように、鳥頭より髪を逆立てた黒髪の男。後ろ髪が首の背後だけ少し長く、それも鳥の尻尾の如くだ。
男の周囲に視える「力」に、咲姫は言葉を失ってしまった。立ち尽くす咲姫に向かって、男がゆらり、と片手を上げる。
「――!」
咲姫を常日頃から守る、ノーテの黒いもやが激しい閃光を遮っていた。やっぱり雷、と咲姫は背筋が冷える。
それは奇しくも、龍斗の母である雷夢と同じ「力」。男は諦めずに大量の光を繰り出し、咲姫の前を壁のように必死な黒いもやが覆った。
「ノーテ……!」
「力」だけでは男に押し負けてしまう。咲姫はベルトを外して気の力を込めると、魔法少女のステッキほどのサイズで、ベルトが槌杖に変わった。
高く跳んでもやを飛び越え、「力」を発する男の背後を取った。男はあまり、肉弾戦には慣れていないタイプに見えた。
後ろから足払いをかけようと下段から槌杖を振り上げると、男が黒いもやごしに取り出していた、銃身の長い故郷製と見れる片手銃が槌杖を防いだ。
「――うそ」
撃鉄付近にはその魔法銃の核として、蒼く澄んだ珠が填められていた。
咲姫は絶句するしかない。その珠は今、何のバックアップもない咲姫が敵う「力」ではない。
どうして男はそんな、古の強大な「力」を持っているのだろう。
「それはまさか、竜珠……? 流惟ちゃんの『雲居空』と近い……!」
龍斗や雷夢達のような、自然界の脅威である「竜種」はとっくに滅んだ。今や封印された竜宮の内で、ひっそり命を続けているだけなのだ。
咲姫の戸籍がある国の王族も、実は竜種の珠を受け継ぎ続けている。北の地域であるのに他の土地と同様の暖を与えるのが秘蔵の宝で、厳重な箝口令を敷かれて伝説化しており、それ以外でそうした秘宝が残っているはずは最早ない。
そんな珠を魔法銃に填める鳥頭の男は、驚きで動けなくなった咲姫に銃口をつきつけると、にやりとあくどい顔で笑った。
先程より近くで見たその顔にも、咲姫はどうしようもなく絶句してしまう。
「まずはオレの仔猫ちゃんを、返してもらうぜ。『ローズ』を渡せ」
「ローズ……? 私、そんな仔、持ってないよ……『鷹野馨』」
咲姫がここで、迷いなく抗戦に出れない理由。
龍斗が、自身の体を貸してまで留めようとしたはずの、馨という男の姿が紛れもなくそこにあった。
しかも何故か、髪型の違う馨の姿をしている男は、咲姫が秘める大事な一線をあっさり越えてきたのだった。
「ええ? 『サクラ』も、お前が隠してるって聞いたぜ?」
それは、心臓が止まりそうなほどの衝撃だった。炎天下で流れる汗とは裏腹に、体の奥が冷える。
「サクラ」。それを言うこの馨はいったい何者で、そしてどうして、咲姫にそれを言いにきたのだろう。
その名はサキ自身も、決して無視することのできない業であるのに。
「アナタ……鷹野馨の体を使う……誰……?」
自然の秘宝である竜珠の銃を持ち、鷹野馨の年恰好で、「力」は龍斗の母に似ている相手。
そんな存在が有り得るのなら、一つの可能性しか浮かばないことを、咲姫は怖くて口にできなかった。もしも本当にそうだとしたら、龍斗はどうなってしまうんだろう、と。
男が銃口を間近で咲姫の胸骨に押し付けてきた。そこには咲姫が、生まれる前の記憶が戻った時の古傷があり、欠けた胸骨から痛みが走って思わず声をもらした。
「嘘つきの泥棒猫さん。結局あんたを、バラすしかないのか」
男がにやり、と顔を歪める。紛れもなく人間であることを示す普通の黒い髪に、とても不似合いな青の眼が咲姫を見据える。
どうしよう。この人間を傷付けるのを拒否する心に、咲姫が息を呑んだその時だった。
「八つ当たりはやめろ。『サクラ』が何処に居ようと、それはサキの責任じゃない」
男がカチ、っと撃鉄を上げても、蒼い珠の「力」は発動しなかった。
咲姫に突き付けられた銃身の上に、兎もどきの零那がバランス良く降り立っていた。小さな短い手で竜の珠を押えた。
「お前、どうしてその銃を持っているんだ。そしてその体を使うということは、鷹野馨を手にかけたのはお前か?」
「――」
何故か零那が、蒼の竜珠を完全に抑え込めている。男も咲姫も驚きを浮かべた後に、騒がしい後続者達が、川辺に駆け付けていた。
「サキ、大丈夫か!? ほら、こっち!」
烙人がぐい、っと咲姫を引き寄せて前に立った。烙人は昔からこうして、サキを絶対に守ろうとしてくれる。
同時に来た龍斗は、二人のチンピラの男女を両手で首根っこを掴んでおり、その案内でここまで来たと見えた。あーあ、返り討ちにあったかアイツら、と馨の姿の男があくどい笑みを浮かべた。
「ごめんボスぅー、コイツら、おれ達のこといじめる!」
「ああもう、だっさい、言い訳すんなよ沢出! ボスごめんなさい、コイツら五分の一の『力』のはずなのに全然強くて」
馨の姿の男がぶん、と銃身を払い、乗っていた兎もどきがあと一人来た、美少女の頭に跳び移った。人化したネコマタの美咲が、「大丈夫ですか、咲姫様!」と、横から手を握りしめてきた。
「沢出と飛羽、ご苦労だったな。もーちょい時間稼ぎしてくれたら、花丸だったんだけどよ?」
妙に爽やかな男と、ツンツンした女という、チンピラ二人はどうやら男のパシリらしい。龍斗がチンピラ達を放し、咲姫を守るように烙人の隣に出ると、二人は男の後ろに逃げていった。
龍斗はそこで、今にも呪いをぶちまけそうな、滅多に聞かせない唸り声で男に向き直っていた。
「てめえ……何で、馨の体を使ってやがる」
馨が若くして亡くなった後、龍斗は契約づてに馨の魂を預かることで、馨に化けて来たのが今までの生活だった。
馨が死んだ理由はおそらく、馨の腹違いの姉の魔女しか知らず、魔女も敵対したままなので、龍斗は未だに馨に何があったかを知らないのだ。
男はけらけらと、銃を背中のリュックに直して隠しながら、全く悪びれない雰囲気で楽しげに笑った。
「てめえなんて、他人行儀な呼び方すんな? オレは、『竜夜』。春日龍斗の竜になるはずだったのが、打ち捨てられて一人さまよう神竜、流浪のいち竜殺しさ」
うそ、と喉まで出かけながら、咲姫は声が出せなかった。今日は最早、あまりに「要説明」の事柄がありすぎてしまい、誰に何を伝えればいいのかすっかりわからなくなった。
代わりにいつも冷静な零那が、ひとまず場の状況に筋道をつけてくれた。
「なるほど、お前。経緯は知らんが、どっかの悪魔に拾われたな。『小天地』の銃を最後に持っていたのはジョシアだ。お前のせいでジョシアは暴走して、氷竜から戻れなくなった、とみるべきか」
今回は「力」が撃たれなかったが、蒼い珠には強大な凍結の天意が咲姫には視えた。それで咲姫を凍りつかせて、攫う気だったのだろう。
は? となる龍斗達にも構わず、零那は自身の納得を続ける。
「オレはジョシアと仲が悪かったから、ジョシアが暴走した時の記憶はないんだ。同調し切れてなかったからな。お前はジョシアを凍れる竜にして、その支配からジョシアは未だに逃れていない。だからジョシアは、氷竜からジョシアにまだ戻れない」
要するに、ものを凍りつかせる銃を、馨の姿の男――竜夜が奪い、ジョシアを凍りつかせた。零那がそう言いたいのはわかった。
でもそれは、と咲姫は口ごもったが、零那以上に現状を説明できる自信がなかった。
「ってーことは、姉貴。アイツがジョイを氷竜にして、馨も殺したってのか」
「まあ、多分の話、オマエの竜が悪魔化したからそうなってる。だから馨に憑いたんだろう。オマエと馨は、同調できるが故に契約をした、互いに適合できる『鏡』だから」
咲姫がとても言えなかった、惨い現実をあっさり零那が言った。龍斗はこれまで見せたことのない険しい顔で、声だけは坦々と、実姉に問い返していた。
「何でそんなことになってるんだよ。俺の竜なら、俺から離れて勝手に動くって、おかしくないか?」
自分の竜が姉の本体を、そして馨を手にかけたこと。その衝撃は計り知れないだろう。咲姫はますます、口元を両手で抑えて言葉につまる。
違うの、龍斗。それは、きっと――
その一言が、どうしても言い出せない。それは先刻、男が「サクラ」の名を出したために。
とりあえず、馨の姿をした男を、逃がすわけにはいかない。咲姫や他の者を烙人に任せるように、龍斗が更に前に出た瞬間だった。
「……どうして――……ラスト……?」
龍斗と烙人にかばわれている、咲姫達の更に後ろの方から、思いがけない声が響いた。
その誰かのかぼそさはまさに、今の咲姫の心情そのもので。
「なっ――!?」
振り返ったのは、昔の仲間には「ラスト」と呼ばれる、日本では完全に異邦者の烙人だ。
同じように、異邦者のはずの黒い誰かが、消えそうな薄い姿で立ち尽くしていた。じりじりとノイズを纏わりつかせながら。
「えっ……!?」
タオ、と咲姫は言いかけて、やめた。墓場で見知った妹の姿より、いくつか年上で同年代の黒い女性が、日本に似つかわしくない黒衣でうっすらと立っている。
「あんた、何で――!?」
烙人が黒い女性の方に駆け出しかけたが、はっと我に返って、周囲の咲姫や美咲の姿に思い止まる。竜夜という男の出方がわからない以上、咲姫達のガードを手薄にできない、そんな優し過ぎる心で。
霧のように薄い姿で、黒い女性は烙人だけを見つめ返し、烙人の後ろに龍斗と竜夜の姿も黒い目に映しているようだった。
「……ラスト……関わっちゃ、だめ」
ふっと、それだけ苦しそうに言うと、黒い女性の姿は消えていった。烙人がぎりっと歯を噛み締める横、咲姫は今の女性の正体を悟って、ますます混乱に歯止めがかからなくなった。
――何で……あのヒトが出るの……?
嘘つきの泥棒猫、と。竜夜が先程言った言葉が、ぐるぐるとひたすら頭を回っていた。
そんな謎の出現があった中で、竜夜達はくるっと龍斗に背を向けた。沢出というチンピラが、煙幕のような土ぼこりを何かで起こしていた。
「!」
「こんな狭い所じゃとても、いい殺戮の舞台にはならない。元の世界で待ってるから、オレ達を探しに来いよ、龍斗」
飛羽という女の方が、更に爆風で土ぼこりを煽った。全員が煙にまかれ、身動きが取れなくなってしまう。
「ローズ、すぐに迎えに来てやるよ。サクラもオレが、救い出してやるからな」
結局そうして、誰もが相手の意図がわからないまま、見過ごせない者達は逃げていった。咲姫の手紙猫を使えば追跡もできるが、今は竜宮にやってしまったので、帰りを待ってから動くしかない。
くそ! と龍斗が珍しく声を荒げ、美咲が咲姫の腰元にしがみついた。
零那は美咲の頭から咲姫の肩に上がってくると、驚くほどに優しい声色で、落ち着け、サキ、とささやいていた。
「お前は何も言わないでいい。どうせお前、墓場での『サクラ』のことは、ほとんど思い出せないんだろ」
「……レイナ……」
咲姫の混乱の根源を、見事に零那はついた。竜夜達が消えていった方向を、ずっと悲しげに見ていた。まるでそれは、己の後悔を眺める瞳で。
「サクラ」という存在。それがまさに、零那の言う通りで、咲姫が一番ひも解けない現状の核だ。
咲姫は確かに、サクラという者を知っているが、それは竜夜が言う「サクラ」とはどうしても重ならない。竜の墓場にも「サクラ」はいたと聴いたが、その「サクラ」をサキは実際のところ、知らないからだ。
龍斗も川辺からの帰り道すがら、零那とその件の答合わせをしていた。
「あの竜夜って奴の言う『サクラ』が、俺の竜珠を持ってった『サクラ』だろ。墓場で結局見つけられなかったのが、こんなところでツケが回ってくるのかよ……」
「あんまり自分を責めるな、龍斗。ジョシアが暴走したのは、お前が墓場に来る以前だ。それが防げなかった時点で、こうなることは誰にも変えられなかった」
どうやら竜の墓場において、「サクラ」は龍斗の竜珠――竜の「力」そのものを、龍斗から取り上げていったというのだ。そんなの知らない、と咲姫はますます青ざめてしまう。
だって、「サクラ」は。咲姫の知るサクラについて、ここで相談できる相手が一人もいない。
唯一烙人が、咲姫の重い顔色をずっと心配していた。
「サキ、何か気になることでもあんのか? っても、あいつが出て来たのに何もない方が、有り得ない話だけどよ……」
ほんの一瞬だけでも、姿を顕した黒い女性。あれが烙人の探し人で、サキにとっても竜の墓場で、妹だったタオが成長したような姿の女性なのだ。
龍斗は肩に乗せた零那と、竜夜の話で紛議中で、咲姫は人化中の美咲の手を引きながら、烙人の隣を行く帰路になった。
「日本は神域が多いって聞いてたけど、まさかさっそく、あいつが出てくるなんてな。春日龍斗に頼むまでもなかったか……――って、サキ?」
涙眼で咲姫は俯いてしまった。烙人にも現状を、どう説明すればいいかわからなかった。焦る様子の烙人に、咲姫の横からとても意外な相手が、一つの答を口にしたのだった。
「……あれは桃花様です。竜牙烙人様」
「――え?」
「美咲……ちゃん?」
咲姫はぽかん、と、隣で咲姫より重い顔持ちになった美咲を見つめた。
その灰色の仔猫の蒼い眼にも、咲姫と同じものが映るのだから。
「どうしても、伝えたいことがありそうだったので、美咲が桃花様をさっきだけ、カタチにしました。桃花様は、咲姫様の『力』です。マスターに頼って神域に入らなくても、烙人様は桃花様に会うことができます。……桃花様が、それを望めば」
桃花。どうしてなのか、とても懐かしい気がする名前だった。
しかし墓場ではタオと言われて、故郷ではまた違う名を口にした黒い女性のその名を、どうして美咲は断言できるのだろうか。
美咲が言う通りに、烙人が龍斗に会いに来たのは、神域に踏み込んで人探しをするため、帰りの道しるべになってほしい頼みだった。龍斗なら烙人と近い存在であり、同調して呼び合うことができる、と龍斗の母に教えられたから。
神域とは、往くは良い良い、帰りは怖い。ただ入るだけなら何とかなるが、重要なのは人世へ帰る算段を、きちんとつけてから入ることなのだ。
「ちびっこ猫。お前に頼めば、オレはあいつ――桃花に会えるってーのか?」
「咲姫様の力も必要になります。さっきは特に、咲姫様が動揺して力の制御が乱れたので、桃花様も出てきやすかったんです」
咲姫を挟んで、烙人と美咲がやんやと相談を始めてしまった。美咲は咲姫と同じ「心眼」という、「力」――心を視る眼を持った不思議猫だ。美咲と咲姫の他には火撩くらいしかいないと言われる、世界でも珍しい感覚らしい。
「あの、美咲ちゃん……そんなに色々、私達を知ってる美咲ちゃんは、何者……?」
おそらく先程、黒い女性を映し出す媒体になった「力」も、美咲が咲姫の力に介入しての具現だった。全く気付かないほど自然に、咲姫も知らなかった「桃花」を映してしまえる美咲。どうしてなのか、桃花の名にも納得してしまったので、今更美咲が底知れない謎の仔猫だとわかった。
美咲がしゅん、と哀しそうに、咲姫の手を握り返してきた。
「美咲は、サキ様とずっと、竜の墓場にいました」
「え……って、えっ!?」
「?」
烙人が怪訝そうに首を傾げる。烙人も竜宮で龍斗の両親の援助の下、竜の墓場に最近入ったらしいのだが、望む神域にはたどり着けなかった。だからもっと深部を探せるように、龍斗の助けを借りにきたのだ。
なので烙人は、竜の墓場の存在自体は知っている。ただ、サキが何故竜の墓場に関わっているか、サキの生まれる前の話はまだしていない。
生まれる前には、竜の墓場に長くいたサキ。更にそこには、心眼持ちの仔猫がいたなど、全く知らなかった。
「じゃあ美咲ちゃんも、私達が生まれる時に外に出たの?」
こくん、とひっつめツインテールで頷く。烙人はますます不可解げにする。
「美咲は、本当は……烙人様のために……」
それ以上は何も語ってくれなかった。美咲も大きな迷いを持っているように見えた。
少なくとも美咲が、咲姫達の前に現れたのは偶然でないことはわかった。今も烙人がいるから、話してくれたように思う。
自分は言うほど、昔を憶えてるわけじゃないんだな、と咲姫は思った。龍斗や零那が墓場で何をしていたのかも、前で話している内容は心当たりがない。
「ジョシアが墓場にいたのは小さい頃だけだ。あいつ、やたらに力は余ってるのにオレという逆鱗しかなくて、肝心のオレもあいつの力を巧く制御できなかった。流惟とは違う意味でいつも暴走、というか爆発しそうで、竜の墓場にしょっちゅう、昏睡して逃げ込んでてな」
「そこで会ったのがサクラ、っつーわけか。その頃の姉貴は、サクラと直接話したことはないのか?」
「ああ、あの頃のオレは逆鱗のみで、体が死なないように動かしてた。オレとして喋れるようになったのは、咲姫と流惟がレイナの名前と姿をくれてからだ」
龍斗達の妹の流惟は、墓場ではサキと同じで、生まれる前の存在だった。現在ではとっくに成人した流惟は、墓場での記憶はなく、生まれる前を思い出した咲姫の方が変なのはわかっている。
しかし流惟こそ、サキや流惟がいずれ出会う、と教えてくれた不思議な存在だった。一度帰って流惟にもきいてみるか、と龍斗と零那が話しているのも、無理のない結論だろう。
サクラという誰か。そのことについて、咲姫は本当に話さなくていいのだろうか。それを思うと、マンションの自室に帰りついても、咲姫の気持ちは晴れなかった。
烙人は美咲にもっと話をききたい、と龍斗達の部屋に泊まることになった。一人で部屋に帰った咲姫は、色んな意味で頭が痛くなってしまった。
「鷹野馨の、本体が現れちゃった以上……龍斗は烙人を、助ける余裕なんてないよね……」
長年、自分の体を貸してまでも、龍斗は馨を生かそうとした。今日現れた男が、本当に馨――同調できる人間に憑いた龍斗の竜なのか、その点からして、咲姫には沢山の疑問が残る。
「だって……どうして、あのヒト……」
「力」――心が視えるだけだと、案外つながらない事柄が多い。流惟はどうして、彼らについて、未来を夢に視るだけで教えることができたのだろう。
「流惟ちゃんは『サクラ』のこと……知ってたのかな……」
咲姫にはそれは、どうしても軽々とは口にできない名前だ。その理由を知るのはおそらく、サキを見つけてくれた養父とその仲間、心眼持ちの火撩くらいだろう。
「私……どうすればいいかな、ナーガさん……」
誰にだって、触れられたくないところはある。ナーガはそう言っていた。
龍斗も今回、いつも通りに過ごしているが、馨の本体が現れたこと、そして馨の命を奪ったのが自分の竜だと知ったことは、相当大きなダメージだろう。しかしそれなら、馨の姉である魔女は何故、馨を殺したのは龍斗だと責めなかったのか、そのことには思い至っていない。
「私は何も言わなくっていい、か……レイナ、きっと、わかってて言ったんだよね……?」
現状の欠片が、どうしてもすっきり整理できない。こたえだけは視えていても、何がどうしてそうなったのか、誰が何を求めているのかが判別できない。
たとえば美咲はどうして、烙人に桃花を会わせたのだろう。咲姫にはタオに見えた相手を、タオでなく桃花と呼んだことも。
「でも確かに、タオじゃないはずなんだ……だってあれは――美咲ちゃんが、ノーテのもやから造った影だったし……」
咲姫を竜夜の雷から守り、静電気を纏わせていた黒仔猫のもや。元をただせば、白仔猫と黒仔猫を作るもやは、ナーガにもらった「余りものの力」に過ぎないはずだった。
「ノーテが、『桃花』……? どういうことなの……美咲ちゃん……」
烙人の探し人はサキの「力」、というのも、半分しかわからない話になる。探し人はかつてサキに、自分はサキの残り滓、と言った。サキと同じで霊獣を扱う化け物だった黒い女性は、墓場でタオが使った黒い狼を具現してみせた。
だからサキは、彼女がタオだと思ったのだが、「残り滓」の真意はよくわからない。確かにサキの猫と黒い狼は、近い「力」を源にしている。墓場でサキが、タオを妹と思った所以で、流惟も二人を姉妹だと言った。残り滓とは果たして、姉妹を言うのに適する言葉だろうか。
「それでもって、タオじゃなくて桃花……? 流惟ちゃんの名付けが外れた、と言ってしまえば、それだけなんだろうけど……」
生まれる前の記憶。墓場で出会った者達はサキにとって、唯一近しい家族と言える相手。墓場と何の関係もない、養父や烙人も大事なのに。
自分はどうして、竜との縁に固執しているのだろう。本当のところ、それが一番大きな違和感かもしれなかった。
その後、咲姫の夏休みを待って、故郷の世界へ流惟に話を聴きにぞろぞろと戻ってみた。
流惟は案の定、「ごめんね、憶えてない」の返答だったが、意外な話が新たな視点から加えられた。
「……あんた達、何で皆、ちょっとずつずれてるんだ?」
流惟の養女ラピスや、龍斗の母の養女である水華は相変わらずだった。ところが流惟と火撩の間に、新しい養子が増えていた。何やら今までの記憶を失くした少年らしく、金髪の妖精のような姿で、火撩曰く、「自分以外の感覚が大雑把にわかる直観」がある者だという。咲姫相手には恐る恐る、それでも率直に喋ってくれた。
「あんたとミサキと、リュードが特に認識がずれてる。何が、って言われると、オレにも具体的には言えないんだけど……」
養子であるのに他人行儀に、少年は春日一家を外行きの名前で呼ぶ。呼び捨てであるところは、故郷らしい言葉の使い方だ。
「あの兎。レイナは知ってて、何も喋ってない。それはあんたも気付いてるよな?」
「びっくりした……紫雨君って、本当に鋭いんだね?」
思わぬところで、咲姫の混乱に相談相手ができた。竜宮に滞在している間、咲姫は金髪の少年を捕まえては、二人でこっそり話をしていた。
「オレのことはシグレより、みんなはユーオンって呼ぶけど」
「うん、ユーオンの方が本当の名前だよね。ごめんね、紫雨君の周りには雨が視えるから、ついついそっちで先に呼んじゃうんだ」
別にいいけど、と少年は淡々としたもの。サキは変わってる、とちらちら少年の養父、火撩を見ながら呟くところも、咲姫と火撩の共通点に気付いているようで空恐ろしい。
咲姫と火撩、そして美咲は世界でも稀な、「力」を視る眼を持つ者同士だ。火撩がこの少年を養子にしたのは、火撩や流惟と限りなく近い「力」が少年にあると、初見で視えのだろうと咲姫は思う。火撩のように、天と地の境にあるような光と闇や、流惟のように、流れ落ちる水の性が少年には視える。
そんな少年が、零那は隠し事をしている、というので、咲姫の混乱もかなり解けた。どうして零那がそうするかについても、「多分、あんたのため」と少年は言った。
「だって――『サクラ』って、あんただろ?」
「……――」
咲姫が誰にも言うな、とかつて止められたこと。少年は妙に大人びた目で、火撩だけが視えているように、ナーガだけが気遣ったように、最大限に慎重にサキが秘める思い悩みに触れた。
「それはあんたのせいじゃないし、でも隠しても明かしても、辛いのは多分あんただと思う。それにレイナは、そっちは多分わかってなくて。そこがずれてるんだけど……ごめん、これ以上どう言えばいいかわからなくて」
「……そっか。ほんと、ありがとうね……紫雨君」
何となくだが、紫雨の言わんとすることは理解できた。要するに各々、「零那は『サクラ』のためを思って口を閉ざしているが、零那が思う『サクラ』は咲姫の思う『サクラ』ではない」こと。
それだけでも大分、救われた気がした。このずれが何に起因しているのかは、わからなくても。
烙人と美咲を残して、一旦竜宮を出た。零那と龍斗と、ひとまず竜夜を探すためだったが、魔界という悪魔の懐である世界でしか手紙猫が反応せず、魔界での戦いはあまりに不利、と火撩にも諭され人間界に戻ることになった。
向こうもあまり、人間界では騒ぎを起こしたくないのだろう。鴉夜のような秩序の管理者に睨まれるのだ。それを逆手にとって、相手が魔界から出てこない限り深追いしないという方針に、一番反対したのは龍斗だった。
「馨の体がかかってる、っつーに……まあ、アイツを何とかしたところで、馨はもう助からない気はしてるけどよ……」
馨の死が、自分の責任と思っている龍斗は、冷静な見た目より重く追い詰められていた。その真相は誰も知らないことであるので、あえて触れずに咲姫は帰って来た美咲と、龍斗を人間界で遊びに連れ出していた。
悲劇も喜劇も退屈しのぎも、何でもある都会の街中を、小さな美咲を中心にして三人で歩く。親子連れみたいだね、と笑うと、龍斗がアホか、と不服そうにした。
「こんな歳の子供がいる見た目じゃねーだろ。お前人間界の常識の、肝心な所がよく抜けてねぇ?」
「えー、ひっどーい。私は龍斗よりきっと沢山、人間界の勉強したよ!」
まあまあ、と美咲にとりなされて、咲姫のアイドル時代の貯金でご飯を食べに行ったり、ゲームセンターに入ったりする。龍斗はあまり食事がいらない竜種で、咲姫も人間ほどには栄養がいらないので、そこまでお金はかかっていない。
龍斗はぼそっと、悪ぃな、と時々言う。それでも咲姫が行こう、と言えば、必ず何処でも付き合ってくれる。いつも不服気に、素直でない顔付きで。
いつも自分からあまり喋らない龍斗が、ある日ふっと、咲姫にきいてきたことがあった。
「そう言えばお前さ。烙人の奴に、ついてやってなくていいのかよ」
「――え?」
理由もなく、ドキっとしてしまった。烙人の寿命が残り僅かで、竜夜が現れた一件のために、龍斗と烙人の話は結局立ち消えている。
咲姫にとって、それは決して言い出せない心だった。烙人にはもっと生きてほしいが、龍斗に何かを差し出させるのは嫌だった。
龍斗は烙人から何か話を聴いて、思うところがあるのだろうか。真意の見えない顔で、咲姫を見ないままで続けた。
「もしも墓場の記憶が、お前に戻らなかったらさ。お前の横にいるのは、烙人だったんじゃねぇの」
「え、龍斗……わかりにくいけど、ヤキモチ?」
ちっげーよ! と、赤くなった顔が咲姫に向いた。もう冬が近づいており、もっと気温が低ければ湯気が立っていたかもしれない。
「そんなもしものこと、考えても仕方ないよ。烙人が好きになったのはタオだし、私は烙人のこと大事だけど、今の私はもう私なんだもん」
何故か美咲が、神妙な顔で咲姫を見上げていた。龍斗はもう普段通りに戻っており、今の一瞬は何だったのかというくらい坦々としていた。
正直なところを言えば、咲姫も思う。龍斗も烙人も、咲姫を守ろうとしてくれるが、龍斗には烙人のような熱情が無い。思えば何事にも龍斗はそうで、身を挺してまで馨を助けようとしたわりには、竜夜を何が何でも見つけ出したい様子もない。
烙人は命がぎりぎりの身であるのに、まだ探し人のために、神域などに入ろうとしている。黒い女性の実態が「力」であり、そこでしか会えない可能性が高いからだ。鴉夜もあちこちで今でも炯を探しており、咲姫は龍斗を見つけられて本当に良かったが、龍斗はどうなのだろう、そう思うことはある。
早くもクリスマスの電飾が始まった、夜の街並みを見て咲姫は思う。
「私、今、凄く楽しくて仕方ないのに。こんなに幸せなのに、これ以上ほしいものなんて、別にないよ?」
「……」
「烙人がもっと生きてくれて、タオや炯も見つかって、みんなで暮らせたら更に幸せだけど。私のほしいものって、もうとっくに、揃ってる気がするんだ」
この気持ちには、嘘はなかった。特に今の龍斗に対して、咲姫は何かを求める気がない。
龍斗は、優しい。悪魔のくせに、ほとんど無償で自分を差し出す。姉を探して竜の墓場に迷い込んだことも、馨に体を貸したことも、咲姫の幸せを咲姫以上に考えていそうな今も。
駅前通りにつくと、真ん中にいる美咲の手を離して、代わりに赤いガマ口を握らせて咲姫は笑った。
「今日はこれから、久しぶりに杉浦さんとご飯なんだ! 高級フレンチ奢ってくれるっていうから、二人はごめん、それで美味しいもの食べて帰ってね!」
「バス停まで付き合って」の、今日の散歩だったので、はいはい、と龍斗が美咲を連れて歩き出した。仲の良い兄妹のようで、微笑ましい後ろ姿。
それが「咲姫」の見れる最後の二人になると、誰も知る事はないまま。
間奏:忘我
終わりはいつも、突然訪れるもの。「彼」はそれを、人より知っているつもりだった。
それでもこんな、ヒトならぬ化生達の残酷な裏切りはなかった。絶えない光の明るさを知った常世の者達が、まさか光への依存状態となり、誰にも光を分けて来た彼女を殺して、光を奪おうとするなどとは。
――……ごめん、ラクト……ラクトは、逃げて……。
彼女を独占しようとする争いが、秩序の神徒達の統べる常世で起こった。
「彼」には何もできなかった。所詮異邦者でしかない「彼」は、彼女の光を最後に奪った、秩序の管理者だけを目に焼き付けた。
常世を乱した罰として、彼女は闇に返されてしまった。他ならぬ誰か、彼女の光にかつて救われたと言った、血まみれで消えてしまったはずの少年に。
「……シグレ……?」
自分の声で、龍斗は酷い汗をかきながら眼を覚ました。もう何度目かもわからなかった、常世に行く烙人から流れてきた夢。
烙人の頼みで、龍斗は烙人が常世を行き来する際の命綱となった。鏡と言えるほど凹凸が対の彼らだからできることらしく、一見共通点はないのに、確かに龍斗は烙人と同じ夢を見ることができた。
烙人は言った。自分は「桃花」を見つけたら素直に逝くから、手伝ってくれたらサキは龍斗に任せる、と。
何だそれ、気に食わねえ。つっかかった龍斗に、生存年数は向こうの方が上の烙人が、あまりに苦しげに笑った。その時にも言わずにはおれなかった。
「てめぇ、今でもサキのこと、大事なんだろ。桃花――タオを探すなんて話、サキを納得させるための方便じゃないのかよ」
烙人が長年、黒い髪の狼女を探し続けていること。龍斗にはそうとしか思えないほど、烙人が咲姫を見る目はいつも愛しげなのだ。
烙人はそうだよ、とあっさり肯定する大人さだった。
「半分はそうだな。だってオレは見ての通り、あとちょっとで死ぬ体だし。そうでなければサキが大人になり次第、嫁にしてたのは間違いない」
ぐぐ、と顔をしかめる龍斗に、先に出会ったのはオレだからな、と意地悪げに微笑む。
「でも多分、そうならなかったのが『縁』ってやつなんだろ。オマエみたく、長年一人を想い続けるバカばかりじゃないさ」
それも半分、嘘だと感じた。烙人の想う相手は何人かいたというが、烙人の旧い仲間の火撩に、「アイツの想い人は全員同質」と教えられた。
それでもとにかく、烙人と龍斗は取引の上、互いの夢を見ることになったはずだったのに。
咲姫が死んだ。美咲が泣きじゃくりながら、橘診療所で改めて語った。
桃花が消えた。常世の夢から還った烙人が、ぼろぼろの体で唸っていた。
龍斗はどちらも、呆然と聞いていることしかできない。最後に咲姫と出かけた夜に、バス停で別れた四十分後、市バスに爆弾テロがあった、と緊急ニュースが流れた。美咲とアパートに帰って、テレビをつけた時の話だ。
「これ……そんな……!」
美咲が真っ青な顔色をしたのは、咲姫が乗った方面のバスで、なおかつ怪我人はいない、と映像が流れたからだ。信号で離れた後続車のドライブレコーダに、爆発の瞬間が映っていた。爆炎を阻む白黒の壁が、美咲には視えたという。誰かが持ち込み、座席の最後尾からバスの後面を吹き飛ばすほどの爆弾が、前にいた乗客には瓦礫の欠片も当てなかったのだ。
がくがくと体を震わせ、膝をついてしまった美咲。兎の姉が放心する龍斗に冷静に声をかけた。
「……咲姫しかいない。『力』でない物理的な爆弾が陰で起爆されたら、オレ達なら気付かずに吹き飛ばされる」
それでもバスの乗客は守られ、そして乗客を包んだ白黒の壁は、美咲曰く消滅してしまったという。
「咲姫なら火気の種が起きた時点で気付く。霊体のノーテでは咲姫一人を守るのが精一杯だから、あいつはバステトを実体化して壁状に変えて、乗客を守ったんだろう」
咲姫達のような霊獣族は、自らを実体の獣に変えるのが本性とされる。咲姫の本質は耳と尾だけが黒い白猫の「バステト」であり、それが消えるほどの損害を受けた以上、本体の咲姫も無事ではすまなかったはずだと。
説明が終わる前に、龍斗は夜の街に駆け出していた。人ごみをかきわけ、警察と公安に押し止められ、生存した乗客の下に行こうとしたが叶わなかった。
後で報道された生存客の中に、咲姫の姿はなかった。しかし死亡者の発表もなく、咲姫という存在そのものが、なかったことのようになってしまった。
橘診療所で烙人と合流した後、零那は冷静に、爆弾を持ち込んだ奴が咲姫の遺体を持っていったんだろう、と分析した。竜夜のパシリ達が大きな土ぼこりを起こした時を引き合いに出し、多分アイツらの仕業だ、と。
美咲が震えながら付け足した。そうです、遺体です、と。
もう「バステト」の「力」が感じられない――それは咲姫という本体の死を意味し、桃花が消えたといって烙人が戻ってきたのも、咲姫の「力」の消失を裏付けて余りあると。
診療所で唸っていても何にもならない。烙人の体調が最悪だったので、静養のために竜宮にまず戻ると、そちら側も色々と大変な事態になっていた。
流惟の養女、ラピスが死んだ、と父が言うので、龍斗は流惟の自宅があるジパングに駆け付けた。母からも水華が消えた、と聞かされた。どうなってんだ、と流惟の家に着くと、同居中の水華は叔母である天使に乗っ取られて、紅い髪に変貌していて水火と名乗り、日本の服のような紅みのフードパーカー姿で、彼らを静かに出迎えていた。
「ごめんね。流惟を介抱するには、水火ちゃんを借りるのが丁度良くって」
酷いこととは、本当に続くものだ。現在、水華の原動力だった天の羽が消耗したため、天使のナーガが水華の体の補助をしていること。水華がそうして傷付いた事変の際に、ラピスの命も黄泉に逝ってしまったこと。そこでは代わりに、紫雨の実の妹である存在が助けられたのだが、紫雨はそれから妹を残して行方不明になったことが、臥せっている流惟の横で火撩から説明された。
火撩は大きな溜め息をつきながら、新しい小さな養女を彼らに紹介した。
「猫羽だ、龍斗。烙人は最近まで、猫羽と水火を守ってくれてありがとう」
「桃花」が消えてしまった、常世での夢。直前まで烙人は火撩の家にいて、紫雨が行方不明になってから再び常世に詰めていたと言った。何故なら紫雨が、常世で烙人の探し人と過ごしていたのを見たと言うのだ。
「あれ、やっぱり、マジでシグレだったのか……でも何でアイツ、桃花を殺して、光を奪ったんだ……?」
曰く、紫雨はまず、桃花をかばって常世から追い出された。なのにこの度、大人になった桃花の下に戻り、桃花を殺してまた消えていった。
常世の時間軸は、必ずしもこの世界とは合わないと美咲が言う。咲姫と桃花が消えた時が一致しているか、正確にはわからなかった。それでもどちらも、「紫雨が失踪した後」であるのは確かだろう。
流惟のそばを片時も離れない猫羽が、寝台の横の椅子で悲しげに言った。
「兄さん、今は何処でも、兄さんに見えて兄さんじゃないと思う」
それで流惟は苦しんできた、と付け加える。流惟を本当の母として慕うような猫羽の言葉は、どれも根拠がわからないのに意味深だった。
「母さんは、兄さんがそうならないように、道を探してきたのに……これから兄さんは、変わってしまう。……もう、止められない、って」
大切な養女のラピスが亡くなり、紫雨も行方不明となった前後に、流惟はショックで悪魔化してしまった。今は魔物の自分を必死に抑えるために、昏睡を続けていると水火のナーガが説明する。
そうした禍が起こったのは、彼らの身内にだけではなかった。ラピスと水華が消えてしまった事変の際に、サキや烙人達の戸籍がある国「ディアルス」の王子が、偶然火撩に助け出された。その王子がディアルスに戻ったことで、王子を探したまま帰らない女王達を差し置き、身代わりの女王が王位を奪った。そのため火撩や烙人に帰国要請が来ている、と火撩が言う。
「ナナハが一人で何とか王子を匿って、本来の女王と国王に連絡を取ろうとしてる。ナナハは元々審議院とも対立していたから、騎士団も新女王派も全て敵状態なんだ」
ナナハとは、龍斗にとっては妹のような存在の妖精だ。流惟とも小さな頃から仲が良く、大人になってからはディアルスの王族達のお抱えで働いていた。
生まれた直後に王子が攫われたため、女王と国王は身代わりを立てて、自ら我が子を探しに長い旅に出ていた。今では行方が知れなくなってしまい、王子だけが帰った国が、王子を最大利用せんとするのは当然でもある。
咲姫や紫雨の失踪、流惟の昏睡、そしてディアルスでのナナハの危機。色々あり過ぎて、何から手をつければ良いか、龍斗はわからなくなってしまった。ディアルス内部情勢に関わる義理はないと思うが、そちらに火撩や烙人といった人手をとられると、咲姫や紫雨の件を一手に引き受けざるを得なくなる。
龍斗がかつて、竜の墓場に行く前後にも暗躍した叔母のナーガは、姉の零那とも妹の流惟とも関わりが深い。水火といういたいけな娘に宿ってまで、今回も関わる気が満々のようではある。
「猫羽ちゃんの直観を信じるのなら、流惟を助けるには今が正念場よ。流惟を『魔竜』にする悪夢の時が、多分まさに今この状況なの」
「流惟が……魔竜?」
火撩や烙人が別室で今後のことを相談している間に、ナーガは龍斗、零那、美咲の前で、猫羽と流惟を後ろにしながら話を始めた。
「可能性はみんな、知ってたでしょう。流惟はあたしの逆鱗に適合してしまえる、逆鱗しか持たない竜種――巫女としていつか魔竜を降ろすはずの器」
ナーガはかつて、暴走する魔竜として、龍斗の両親に征伐されたことに歴史上ではなっているという。こうしてまだ天使として存在しているので、甥や姪にちょっかいを出し続けての現状がある。
「火撩君があたしの逆鱗を流惟に埋め込んだから、今までの流惟は魔竜を制御できていたはずだった。でもラピちゃんと流惟が出会ってから、事情が変わっちゃってね」
ナーガもハラハラしながら見守っていたそうだった。ラピスは様々な事情で、必ず早逝するとわかっていた養女なのに、流惟は感情移入し過ぎてしまったのだと。
「雲行きが怪しくなってきたから、あたしは魔竜をサキちゃんに預けた。サキちゃんが使っていた霊体の仔猫達、ベルイとノーテがそうなの。サキちゃんが魔竜を可愛くアレンジしてくれて、見事に制御してくれてたのに……」
今回、咲姫のその制御も途絶えてしまった。だから流惟も昏睡しているという。
「サキちゃんが何故巻き込まれたのかはわからない。でも『小天地』の銃を持つ敵がサキちゃんを狙ったなら、サキちゃんの制御する魔竜自体を狙われた可能性はない? ねえ、レイナ」
「……」
兎もどきが露骨に、頭を傾けて目を逸らした。別にあなたのせいじゃない、とナーガが付け加えた。
「ジョシアは『小天地』を扱えずに暴走した。そこで『小天地』は何者かに奪われて、竜を狙う敵の存在は想定できるけど、あたしはずっと不思議だった。ジョシアの逆鱗、レイナなら『小天地』を扱えたはず、って」
だから純粋に、その真相をナーガは零那に問うている。暴走した氷竜を竜の墓場に続く空間で、氷付けにしたのはナーガだからだ。
「ジョシアは小さい頃から力が酷く不安定だったわよね。自分の力を怖がって、竜の墓場に入り浸ってた。だから昔に、実際にジョシアをしてたのはほとんどあなたでしょ、レイナ」
「…………」
お前本当に、性格悪いな。兎もどきの心の声が聞こえた気がした。
「なのに、ジョシアの力を安定させるために『小天地』を受け継がせたら、暴走したって聞いて引っくり返ったわよ。そして今は、サキちゃんを酷い目に合わせた竜夜君とやらが、鷹野馨の体で『小天地』を持ってる。ここにはどんな繋がりがあるの、レイナ?」
ナーガは流惟と同じで、夢で過去や未来を視る預言の力を持つと両親からきいた。勿論運命が全てわかるわけではなく、流惟がいつか魔竜になるとか、紅い空が世界を覆うといった、「ほぼ必ず起こること」を特によく視るらしい。
その意味ではジョシアの暴走は、ナーガが確信していなかった点で、避けられたものというニュアンスがあった。
兎もどきはバツが悪そうに、姿勢は逆にふんぞり返り、正座している水火のナーガを見返して言った。
「仕方ないだろ。ジョシアはオレを嫌ってて、『小天地』を自力で使おうとした。オレはサポートに入ったはずだけど、体の主導権を得られなかった」
ずっと何も言えないでいる龍斗は、隣で心細そうな美咲の頭をたまに撫でながら、ナーガと零那の応酬を見つめる。
「ジョシアが体をオレに譲らなくなったのは、墓場で『サクラ』に会ってからだ。オレも詳しくは知らない。気付けばジョシアがオレを必要としなくなって、暴走してからオレが墓場に隠されて、ジョシアが変わった理由を墓場の流惟に聞いただけだ」
「じゃあどうして、今までそれを言わなかったの?」
「流惟に頼まれたから。『サクラ』のことは、なるべく誰にも言うなって」
墓場での流惟は、生まれる前の妹であり、今の流惟はその記憶を持っていない。
つまり真相は闇の中、になるはずだったが。
「それは……『サクラ』様は、この世に存在しないから、なんです」
美咲がとても震える声で、必死に二人の会話の中に入った。
竜の墓場に、実はあの頃にもいたという美咲。龍斗もいつかは聴こうと思っていたが、美咲が自分から話し始めてくれてほっとする。
美咲はきっと、サキの事件がショックで話す気になったのだろう。それは「想定外」と言ってよさそうな、奥行きのある衝撃に見えた。
「でも桃花様がいる時点で、美咲も気付かないといけませんでした。サクラ様は桃花様と共に、あり得なかった存在なんです。本当なら咲姫様は、『咲杳』として生まれるはずで……運命が変わったから、咲姫様だけが残ったはずだった。サクラ様は、変わる前の運命がぎりぎり残った、昔の墓場にしかいないはずのヒトです」
美咲の説明は嘘には思えなかった。しかし真相はますますわからなくなった。
「ちょっと待って。それでどうして、流惟はレイナに『サクラ』の口止めをするの?」
「美咲はその時、ジョシア様のためだと思ってました。サクラ様がもう存在しないと、ジョシア様に知られたくないんだって」
でも、と美咲の声が更に強張っていく。
「竜夜と名乗る『小天地』のあの方は……『サクラを救い出す』、と口にされたんです……」
そこで龍斗もようやく、美咲が何を恐れているか、ここにある話の根本がわかった。
「つまり、竜夜君を動かす原動力は『サクラ』。ジョシアの暴走も、『サクラ』に唆されてだった可能性が高い。そしてサキちゃんは、『サクラ』になれる……『サクラ』にされるために、殺されて遺体を奪われた、ってこと」
冷静なナーガの、声の全てが突き刺さるようだった。
違う、と何故か叫びたいのに、根拠は何も存在しない。
ひとまずそれで、とにかく竜夜を確保する方針で龍斗陣営は固まった。紫雨の行方の件は謎としか言えず、後日に回すしかない。ナーガは水火の体を借りたままで、たとえ舞台が魔界になっても戦力になる気だ、と言った。
「ほんとは水火ちゃん、もうあたしの助けや水華の羽が無くても大丈夫なんだけどね。気になることがあって、水火ちゃんも同じことを感じてるから、一緒に探ることにしたのよ」
人造の存在である水火には烙人をはじめ、様々なものの助けが要った。そうして水華として生きていたのも束の間、今では魔物といえる体。こんな養女の姿を雷夢が見たらどう思うか、と龍斗は頭が痛い。
流惟の昏睡にしても心配しているだろう。両親はサキの事件には何故かノーコメントで、とにかく探しなさい、とだけ言った。勝手に決めた許嫁の話を、少なくとも取り消す気はないと見えた。
烙人と火撩は、水火に留守を任せて、明朝にディアルスに向かうと言う。竜夜が見つかれば水火もナーガとなって増援に駆け付けるが、まず竜夜を見つけるのは龍斗達でやることになった。ジパングの棯の家に残ったままの、流惟と猫羽の安全を考えれば当然だった。
この棯家には両親がかけた強い結界があり、そう簡単には陥落しない。それでも食料等の調達に出る者はどうしても要る。
烙人が桃花の件をどうするのかは、紫雨の行方につながる可能性がある。それも後に回すことになり、ディアルスの事変に関わる内に死ぬんじゃないか、と思う程に烙人の体は弱っているが、サキの消息がはっきりするまで死なない、と本人が豪語したのだった。
そんなこんなで、烙人と火撩が行ってしまい、龍斗は零那と美咲を連れて、竜夜を探しにしらみつぶしに世界を回ることになった。咲姫が手紙を送るのに近い要領で、美咲も狭い範囲なら竜夜を探せるという。たとえ気配を隠されていても。
ところが翌朝、流惟の家を出てジパングの空に氷竜で上がると、美咲が別の重要物に反応していた。
「紫雨君がいます、マスター。猫羽ちゃんの言う通り別人になってますが、紫雨君の伝波も消えていません」
美咲も直接会ったことがあるので、視つけられた紫雨。仕方ねェ、さっさと解決しよう、と龍斗は大きな川沿いに降り立つ。
治水のための堤防がしっかり作られた川で、紫雨は日本の歌手のような恰好をして、川べりに誰かと座っていた。隣にいる相手にも、龍斗はまず我が目を疑ってしまった。
「てめえ……タオ……?」
烙人の夢を裏付けるかのように、黒い髪と目の女が紫雨の隣に座っている。しかし夢に出ていた頼りなさげな彼女と違い、腰に剣を下げて達人然とした、姿勢の良さを持つ女だった。
あー、見つかっちまったー、と笑う紫雨に、まず美咲が先陣を切った。
「ケイ様。何故、紫雨君の体を使っているんですか」
「お、久しぶりだな、美咲。オレの伝波、憶えてくれてるなんて感激よん」
「って――炯、って!?」
龍斗も驚くその相手は、竜の墓場でサキの弟と名乗った悪魔だ。本当は竜の墓場に紛れ込んだ、龍に縁ある死者だったのだが、人世に戻るために死者であることを隠していた、と咲姫に再会した後に素性を聴いた。
「リュードも、久しぶりぃ。ごめんな、シグレの体は、わけあって借りてるんよ。アフィ――流惟はぶっ倒れてるだろーけど、オレ、あいつが魔竜化したら殺すって約束を墓でしてて、今はあんまり近付きたくないん」
立て続けに笑顔で語る、紫雨の姿をしている炯。水火に憑くナーガと同じで、要領を得た話の速さは、竜の墓場の内情を誰より教えてくれたケイそのものだった。
炯はむしろ美咲を珍しそうに、立ち上がって振り向きながら、川べりの段差でちょうど目が合う高さで見つめた。
「墓場ではずっと隠れてたのに、美咲も外界に出たって、本当だったんだなあ」
その話も気になったが、ひとまず隣の黒い女は誰なのかが先だった。炯に合わせて立ち上がった女は、初めまして、龍斗、と、初対面なのに呼び捨てにしてきて綺麗に笑った。
「零那も初めまして、かな。あんまり初めての気がしないけれど。私は、スカイ・レーテ。タオ・フェンリルに似てるとよく言われるけど、顔は全然違うんだけどね」
その紹介だけで十分、只者でない相手とわかった。タオはまず、この世に存在しているかも怪しい狼少女なのに、姓までつけてタオの「力」、黒狼フェンリルを知っている黒い女。顔は確かにほとんど似ておらず、黒く長い髪を一つ括りという雰囲気が同じなだけではある。
炯が補足するように、スカイの後から続けて喋る。
「んなこと言ったって、タオに狼を渡したのって、あんただろん? 渡したっつか、墓場の女神越しに受け継がせた、っつか。美咲がよく知ってるだろ、そこんところ」
炯の視線の直球を受けて、美咲が観念したように下を向いた。
「『白夜』の『力』を、これ以上強めないためでした。スカイ様の狼は元々異端で、アザーと桃花様以外適合者がなかったんです」
龍斗と零那には、わけのわからない話が展開されている。二人してぽかんとするしかない。
炯はむしろ労うように、美咲の灰色の頭を優しく撫で叩いた。
「ほんと、昔からずっと待ち続けて、苦労してんだな、美咲」
「…………」
「シグレが言ってるぜ。もう、全部喋って、楽になってしまえって」
美咲が蒼い眼を見開き、炯を見上げた。しかし斜め後ろでスカイが、申し訳なさげな顔で苦笑した。
「残念ながら今はその時間、ないみたいですよ、炯君」
ジパングの中心を横断する川で、北西を向いたスカイの笑みが消えた。まだ何者かさっぱりわからないが、馨譲りの透視を使っても人間にしか視えない。それなのに聞き捨てならない事態を告げた。
「竜夜が動き出しました。ディアルスに火撩君と烙人君が着いたんでしょうね。まさかそちらが、ジパングの棯家から目をそらすための囮とも知らずに」
「――!?」
「ごめんなさい、私も囮ですよ。私は竜夜に、協力すると約束したので。更に言えば、火撩君と烙人君に帰国を要請したナナハさんも共犯です。でも私は蝙蝠のつもりのクロなので、君達にも事態を打開するチャンスをあげます」
あーあ、と炯が、派手にがっくりするように頭を抱えた。
「やっぱりそうかあ……鴉夜にも妙に接近するから、警戒して会ってみりゃあ、これだ」
「ちゃんと教えてあげるだけ良心的でしょ。ここから君達は、選ばなければいけない。棯家に眠る魔竜を守るか、空に在る猫を奪うか、魔の女神を正気に戻すためにディアルスに向かうか。黒い鳥――秩序の管理者は、空に赴くでしょう。炯君は自分から一番に私の所に来たので、サービスです」
ふーん、と炯が表情を消した。最早スカイのことは見ずに、龍斗と零那に向き直っていた。
「こいつは不死人だから、この場で戦っても無駄だ。オレを信じてくれるなら、『天龍』に向かうか流惟達の所に戻るか、この場で選んでくれ、二人共」
賢明です、と炯の後ろで笑うスカイ。誰もがあまりに胡散臭くて、困る。
「マスター。ケイ様は、嘘をついていません。『天龍』の起動、美咲も感じられます。ジパングもディアルスも『天龍』から近い距離にあるので、『天龍』がジパング回りでディアルスを目指しているのがわかります」
待って。まず、天龍って何。というところから、美咲にきくしかない。
それから最低限の説明だけで、炯は流惟の家に向かった。龍斗と零那は、「君は私を倒してからね?」とスカイに剣を向けられた。
ここから始まっていく惨劇。止めようとする者の想いを知らないままで。
変奏:空の視る夢
謎の女に足止めされて戦う龍斗から、「すぐ流惟の所に帰ってくれ」の伝令が入った。火撩と共にディアルスに着いたばかりの烙人の所に、心眼で必死に即席の翼を創って飛び込んできた灰色の仔猫。同じ心眼持ちで言葉の伝わる火撩が、人化する余裕もない美咲の説明を受ける。
「これから『天龍』という古代の飛空艇の再現が、ジパングの次にディアルスを襲うと言うんだが。紫雨の体を奪った悪魔が、知り合いの不死人から聞いた情報だというが……正直、信じていい根拠がわからないんだが」
「不死人、って、スカイのことか? あいつ何で、何処に関わってるんだ?」
知り合いか? と首を傾げる火撩に、仕方なく関係を告げる羽目になる。
「スカイはオレの探し人に何でかそっくりで、人間のくせにめっぽう剣が強くて、怪我してもいずれ回復してくるゾンビみたいな奴なんだ。オレと同じ相手を探してて、だから行動を共にした期間もちょっとだけある」
それ以上は何もないよ、と一応付け足しておく。言いたくなかったのは烙人の探し人のことで、旧い仲間の火撩はずっと、その件を心配していた。
烙人の探し人について、それ、サキの「力」じゃないか? 最初にそう指摘したのは、他ならぬ火撩だった。
「フェンリルになったって言ったな、オマエの探し人は。フェンリルは元々、バステトと一緒に存在してた霊獣だろう。今、バステトを扱えるのはサキ一人だ。サキが世に出せないまま、サキと共に在る『力』としか考えられない」
烙人もそれは、考えないでもなかった。そもそも彼女自体、自分はサキの残り滓だと言った。けれどそれなら、烙人が彼女に出会った頃には、サキと同時にこの世で実体として活動できた理由がわからないのだ。
霊獣も本体も、実体ではどちらかしか世には存在できない。ある例外を除いて。
「今のサキと、あいつにはできたぞ。自分も霊獣も、同時に実体で存在させることが」
「わかってるよ……くそ、それじゃますます、オレが間抜け過ぎる」
それを言われた時には頭を抱えた。バステトに限るが、己の獣と実体で共存できるサキが、ある霊獣族の女の複製品らしいこと。そのことを火撩は言ったのだ。
烙人には初恋の相手だった。失ってから気付いた想いで、結局自分はあの、黒い狼の影を求め続けてきたと、否応なく自覚させられた。
火撩を納得させるには、伝えるしかない。
「スカイがあいつに似てるのは……世の中の事が何となくわかっちまうとこ」
それだけで烙人の言わんとすることを受け取れるのは、さすがの長年の仲間だった。普通なら誰も信じない類の与太話だ。
「つまり、世情や他者の意図や行動を、予知に近いレベルで見切れるのか。リュードの足止めができるなら余程だろうな」
「わかってくれてサンキュ。んで、どうする?」
そういうことなら、と火撩が心底悩んだ顔で言った。
「どちらか一人が、確実に何か事が起こるまでディアルスに留まろう。一人はリュードの言う通り、今すぐ帰る。烙人はどっちがいい?」
現実的な提案だった。新女王派が幅をきかせる現在、ディアルスで実際彼らは動き難く、落ち合うはずのナナハに会えていない。王子を連れて逃げている模様のナナハが、何処に行ったのかの連絡をよこさないのだ。
「……ディアルスで今、多数を相手に戦力になれる自信がない。オレが帰るので、アンタはいいのか」
本当なら一刻も早く、火撩自身が自分の家に帰って伴侶を守りたいだろう。養子である紫雨の体を奪った悪魔、その情報一つにしても聞き捨てならないはずだ。あえてきいてくるのは、烙人の調子を考えてに他ならない。
「わかった、任せた。それじゃ、美咲はどうする?」
灰色仔猫は、烙人に飛びついてきた。火撩と同じ心眼を持つ美咲が、一か所に固まっていても仕方ないので、妥当な判断だろう。
そうして、事が起これば、起こった方に集まろう、と約束して二手に分かれた。火撩はディアルスに、烙人と美咲はジパングへ。
猫のまま「力」をなるべく温存していた美咲が、転位まではできないが、烙人に翼を創ってくれた。船より何より早く帰れるように。
紫雨の体を奪った悪魔がいること。その話自体は行方不明の直後に聴いており、流惟の魔竜化を抑え込んでくれた、とも聞いた。流惟が魔竜という危険な「力」の素因を持つのは、仲間内では昔から周知のことだ。
悪魔の狙いはわからないが、利害や性格、そして体の適性が一致しない相手に悪魔は憑けない。力無き人間になら、人間の心を狂わせてまで無理やり憑くことはあるが、紫雨が悪魔に体を渡したなら、紫雨の目的に添う悪魔であるはずなのだ。
「紫雨、周りを全部心配するバカだからな……自分のことすら助けられないくせに……」
悪魔の力を借りて、流惟の魔竜化を紫雨が防いだ。それでも魔竜が顕れる危機は去っていない。もしも悪魔が、紫雨の意志を尊重する者なら、龍斗が守りに帰れない流惟の家に紫雨も姿を現すはずで。
そうなってくれるな、と烙人は思ってしまった。何故なら紫雨も烙人と同じで、今にも死にそうな心身だからだ。
それでも紫雨は現れてしまう。予想した通りに、やっと着いた流惟の家で、水火と共にボロボロの状態で戦う少年の姿があった。
「水火、紫雨……!」
家の中に敵を入れまいと、門前で耐える二人がいた。周囲を埋める数多の魔物と、空からの攻撃が降り注いでいる。紫雨が魔物と剣で戦い、水火は氷の塊で雷撃を逸らして紫雨を守る。
通信用のPHSで火撩にすぐさま報告を入れた。烙人が屋根に降り立ったことに気付いた紫雨が、何で、という顔で振り返った。
「ラクト、来ちゃダメだ……! こいつらの狙いは……――!」
悪魔ではなく、紫雨そのものがそこで叫んだ。紫雨は火撩も烙人も保護者としてずっと慕っており、水火も「実際、親」ほどの烙人が現れたことに動揺し、魔法にかける集中力が鈍った。
しまった、と烙人は悟る。少なくとも烙人と水火を知るスカイからの情報であれば、烙人がこの家に帰る可能性を読まれていてもおかしくない。むしろそれが狙いだと言わんばかりに、場に現れた影があった。
紫雨が一際強い雷に撃たれ、剣だけは離さなかったが、魔物達に囲まれる中で倒れ込んだ。水火が改めて魔物に一斉に氷刃を向けたが、そこに銃口を突き付けられてしまう。
「チェックメイトだ、嬢ちゃん、坊ちゃん。魔物はともかく、オレにはこの家の結界が通用しないんでね、中に逃げても無駄だからな」
春日の身内を守る結界。龍斗の竜と名乗る者に通用しないことは想定されており、だから紫雨も水火も外で食い止めようとしたのだ。
「見ろよ、ローズ、坊ちゃんにも油断するな?」
小天地の銃と現れた竜夜は、一見単身であるのに、いったい誰に話しかけているのか。水火がおぞましさを端整な目の隅に浮かべた。
「この家を――どうする気?」
間近で銃口を向けられているので、これ以上の抵抗が水火にはできない。竜夜は屋根の烙人に向かい、意外な目的を口にし始めた。
「竜牙烙人、こっちにつけよ。そうすればアンタは、ほしいものに再会できる」
は? と、烙人は最初、何を言われているかわからなかった。
しかし竜夜の後ろに、宙から新たに降り立った人影。それを見て誰もが目の色を変えた。
「な、サクラ? こっちに来れば、烙人はまだ長生きできるし、幸せにもなれるってもんだろ」
そこに姿を現したのは、桜色の長い髪で、桜色の眼をした若い乙女。それも意識のない黒髪の少女を抱えた、見知った姿。
「サキ……!?」
声をあからさまに強張らせてしまった。それは弱味を晒すのと同義なのに。
竜夜が勝ち誇ったように、無言の乙女が抱える少女までを烙人に見せた。
「桃花もいるぜ、烙人。アンタが来たら、目を覚ますだろう。それとも紫雨に、桃花をやるか?」
気付けば竜夜は、魔物に運んで来させた紫雨を、空いた方の肩によっと抱えた。紫雨は宝の剣を握りしめたまま気絶しており、竜夜が鞘に戻していた。
そうして紫雨を抱える竜夜と、黒髪の少女を抱える桜色の乙女。どう見てもサキにしか見えない相手が、屋根にいる烙人を見上げた。
「どうなって……やがる……」
桜色の乙女はまっすぐ、烙人を見つめた。そこには咲姫の朗らかさの欠片もなく、抱える黒髪の少女までも、紛れもなく狼少女の姿をしている。
やがて、桜色の乙女がゆっくり、静かに口を開いた。
「……ラクト。ここでひいてほしければ、一緒に来て」
「――」
それは家で眠る流惟――魔竜と、水火を見逃すということ。烙人が彼らの下へ行くことと引き換えに。
何としてでも、先程連絡した火撩がつくまでの時間を稼ぎたい。しかし桜色の乙女は黒髪の少女に視線を映して、烙人の最も急所をついた。
「私はトウカのために――ラクトと戦いたくない」
サクラ。そう呼ばれた桜色の乙女は、何も嘘をついていないこと。それだけは伝わってきた。
「私は、悪魔。妹のためなら、何だってする」
竜夜が言った通り、抱える少女を起こすために烙人が必要らしい。そのためなら戦ってでも烙人を連れていく、そう「サクラ」は言っているのだ。
くそ、あいつらしい。毒づきながら、烙人は屋根に灰色の仔猫を残して、水火の隣に降り立っていった。
「烙人! 駄目!」
銃の前でも水火が烙人の腕を掴もうとする。烙人は苦く笑って、紫苑の目線だけで水火を制した。「サクラ」に何故、ときかない当たり、水火もこの場の空気はわかっているのだ。
事態だけを見れば、サキが裏切ったと思われても仕方無い状況。けれどたとえ、サキの体を使う者でも気配が違う。つまりこれは、サキをも人質にとられたことと同じ。烙人が決して、触れようとしなかった大事な桜色の娘。
「……わりぃ。あと、頼むぜ、みんな」
サクラの横に、蒸気と共に出現した大きな花が、烙人を飲み込んで拘束した。場には牽制された水火一人しかいないのに、みんな? と竜夜が首を傾げた瞬間だった。
「そんな『力』の使い方もできるのか。やるな、サクラ」
水火のフードから、美咲が隠し持って帰った零那が跳び上がった。美咲に小さくされた体を元に戻しながら竜夜の顎を直撃し、同じ瞬間、水火が眼の色を変えて銃に填まる蒼い珠に掴みかかった。
「――!?」
紅から青い眼になった水火は、珠玉を取り外して自身の透明の翼を出現させて、大きく後方に反転した。空の銃だけ残った竜夜が、まずい、と紫雨を抱えたままで後退する。
「残念ながら、君より『小天地』は使えるわよ!」
この瞬間を窺っていた、ナーガの声色に水火が変わった。サクラの「力」に取り込まれた烙人は、最早気配で外を窺うしかできないが、状況は手に取るように感じられた。
今この時のために、ナーガはあえて、水火の中に引っ込んでいたはずだ。まだ戦闘経験の多くない水火に場を任せて、竜夜が油断する瞬間をひたすら待っていた。
ナーガという名こそ、「小天地」の太古の馭者だと誰も知らない。霊体の天使の姿の時には、珠玉の蒼と同じ髪を持つナーガが、竜夜達をまとめて凍結させる大規模な「力」を瞬時に解放する。
それで一気に決着がつくと思われたのが、思わぬ誤算が割って入った。竜の珠玉から放たれたほど、大きな「力」に対抗できる力の持ち主はそうそういない。
「――何のつもり? ナナハちゃん」
竜夜とサクラを、まとめてかばった魔女が間に入った。ふわふわとした金色の髪に、尖った耳と紫の目は、生粋の妖精であることを示すはずの魔女。
「やっぱりナナハちゃんが裏切っての、こっちへの戦力集中か。大方、流惟に手を出さないことを条件に、竜夜君とやらと同盟を結んだわけね」
「……貴女のせいです。貴女がサクラに魔竜の残滓を渡さなければ、彼らはあんなに力をつけることはなかった」
あまりに膨大な魔力を持っているため、魔女となった妖精の女は、魔物を残して全員を運ぶ転位陣を場に喚び出した。ナーガは「小天地」さえ確保できれば上々と言わんばかりに、結界のある庭にひいて逃げる相手を止めなかった。
そして紫雨と烙人はまとめて、竜夜側に連れていかれることになってしまった。ナナハ屈指の転位の先は何と大空で、「天龍」という細長い飛空艇の甲板へ、彼らはごろっと投げ出された。地上はどうなっているか、もう窺えないほどの高さへ。
「シグレ……!」
気を失っている紫雨を抱き起こすと、死ぬほどの外傷はないことにほっとした。ただ一点、紫雨の剣に見慣れない小玉が填まっていた。
紫雨とはすぐ引き離され、烙人は丁重に、一つの船室に案内された。艇内はいくらでもうろついて良いと言われ、それでは裏切者味が増してしまう。
しかし丁度良いので、竜夜が厳重に匿うサクラは後にして、烙人と同じくフリーに動けるナナハを訪ねにいった。聞きたいことは山ほどあった。
目を覚ましただけで奇跡で、生活にも介助を必要とする幼いディアルス王子と共に、ナナハは船室にこもっていた。王子はろくに喋れもしないといい、寝台で座るナナハにしがみついている。
「何しに来たのよ。恨み言ならサクラに言って」
最早憎悪すら湛える、ナナハの濃い紫の目。船室をきいた部下には「アラディア様」と呼ばれており、魔の女神の扱いらしい。どうしてそうなった、と烙人も呆れながら寝台の足側に腰を掛ける。
横目で眺めるナナハは、確かにディアルス王城にいる頃より魔女じみていた。荒くれた金髪を下ろし、逃亡生活用の裾の広めなつなぎ服は無骨だ。
ごく一時期だけ、彼らは付き合ったことがあった。ナナハがそれで、逆に本当の想い人を自覚してしまったので、深い仲にはならずに終わっている。
なので、至って直球に、遠慮なく烙人はきいた。
「あのさ。何で裏切ったんだよ」
「見ればわかるでしょ。他に王子を保護できるところがあったと思う?」
「でもオレ達を引き離してまで、棯家を襲うのはやり過ぎだろ。そこまで言うこと、きかなきゃいけなかったのか」
数少ない人間の国の王子を手中に収める。それだけでも十分、はぐれ者の竜夜達にはメリットがあるように思える。
ナナハの帰国要請があったから、彼らはディアルスに向かった。それで空けた家を襲われるのは、さすがに気分が悪い。
ナーガは流惟のためか、と問うていた。彼にはそれでも納得がいかない。
「……貴男達が、それを言うの。何度協力を要請しても無視して、仕方なくサキに頼ったらあの通りサクラで、私が竜夜と取引を始めた途端に、いきなりディアルスに向かったくせに」
「――へ?」
ナナハの言の、意味が色々わからなかった。狭い密室で王子をぎゅっと抱きしめたまま、ナナハの声が震え始めた。
「もうバカみたい。サキは何もしなくてもみんなから守られて、私は一人で何とか乗り越えようとしたら裏切者扱い?」
ナナハは元々、幼馴染の流惟の兄である龍斗のことが好きだった。しかし龍斗が行方不明となって、それでも一途に想って他のアプローチを断りながら、ディアルスを支え続けていた。
ディアルス本来の、聡明な王女と意気投合したナナハは、仕事に生き甲斐を見出していた。だから途中で、後に魔王の内偵とわかる騎士に求婚されても、見向きもせずに仕事ばかりしていた。
騎士は結局、内偵であることが発覚して、魔王側で処断された。それ以降、ナナハが創立した警備隊だけはナナハを支持するとはいえ、直属の護衛を持たずに宰相を続けてきたことが今回の仇となっている。
烙人はとりあえず、わかるところで尋ね返すしかない。
「サキはあれ、無事って言えるのかよ? オレ達は正直、死んだと思ってた」
「え?」
「何か謎に、サクラって奴になってるのは確かだけど……日本で爆弾テロで殺されたんだとよ、サキ」
「そんな……だってあの子、『心眼』を使ってるはず――」
火撩と関わって来たが故に、ナナハも「心眼」の特殊さを理解している。サクラの風体がサキと違うのは一目瞭然だが、そうそう誰にもある眼ではない。
けれど、サキが死んだ、ときいた途端、ナナハの両目に涙が溢れた。
これまで一度だって、ナナハは涙を見せたような魔女ではない。騎士が死んだ時にも、動揺を見せないようにしていた。けれど騎士もサキも、誰よりナナハが気にかけてきた相手だ。
「私、なんてこと……私だって、あの子を守ってあげてって、頼まれてたのに……」
「ナナハは王子で手一杯で当たり前だろ。それにオレ達の協力がなかったって、どういうことだ?」
烙人は立ち上がって、口元を抑えながらぽろぽろ泣いている珍しいナナハの前に行った。片膝をつき、視線を合わせてまっすぐに見つめる。
「オレ達今回、ナナハの要請後、すぐにディアルスに向かったつもりだった。でもその頃にはもうナナハが、この船にいたなら……ナナハはいったい、いつからどうやって、オレ達に要請を送ろうとしていたんだ?」
何度も要請した、とナナハは言った。彼らが受け取ったのは、今回の一度だけだ。そちらはむしろ、「竜夜と取引を始めた途端」と心外そうにした。
誰かが要請をもみ消し、また送るタイミングを操ったはずだ。ナナハは涙を止めて冷静に戻り、烙人の言わんとする事を真剣に考え始めた。
「警備隊と、旅芸人一座『レスト』と、使い魔。全部使って、少なくとも三度以上、この一カ月に送っているわ」
「レスト」。その名をきいて、ああああ……と両手で頭を抱えた。
どうして思い至らなかったのだろう。これでは何から何まで、「彼女」の掌で踊らされているようなものだ。
「ラクト……?」
ナナハが心細そうに、烙人を見上げた。いつも強気なのにこんな珍しい表情をするのは、よほどサキの件が堪えたのだろう。
「悪い。『レスト』のマネージャーに、スカイって奴がいるんだけど、つい最近水火にきいた話によると、あいつ……心の弱い部分を見つけた相手の記憶を、リアルタイムで、都合の悪いことを忘れさせることができるらしい」
「――」
「普通一般の、人間級メンタルの奴なら、そんな簡単には介入されない。でもナナハが伝令を託しそうな奴に限定して弱味を探れば、ナナハを陥れることは多分できる」
「……わかるわ。スカイ・レーテは勿論、私も知ってる」
そう言えば「レスト」もナナハのお膝元だった。
今回烙人達に、棯家襲撃の情報を与えたのもスカイだ。おそらくは竜夜とナナハ、烙人達を争わせるつもりだったのだろう。
「確かに私、貴男とのことのせいで、スカイに嫌われていたと思う……」
「え、ちょっと待って。女の恨み、怖くね?」
スカイに好かれていたとは到底思えない。思えないが、桃花に似ている相手なので、烙人からは他人と思えなかった経緯がどうしてもある。
「それならサキの方が、より危ないでしょ。サキが殺された件にも、スカイ、関わっているんじゃない?」
え、と烙人は、目をぱちくりさせてナナハを見返す。
「貴男がサキを一番大事にしてるなんて、誰の目にもお見通しよ。貴男の部屋で寝かされてるコすら、多分そうよ」
うぐ、と。烙人がこの船に来てすぐに、黒い髪の少女は目を開いていた。
その後にナナハが、「トウカ」と名乗る少女を診たらしい。どうやらトウカは実体の存在ではなく、限りなく実体に近い密度の霊体、とナナハは言った。
「あれが心眼で創られた霊獣でなくて、何だというの。サクラ……サキは、魔竜の残滓を元に、ベルイやノーテを創っていたわ。今はどちらも創れなくなっているけど、おそらくトウカの霊体を構成しているのも、素材は魔竜」
「まじかよ……それじゃもう、狼じゃねーじゃん」
「『心眼』を何だと思ってるの。多分あのコは、黒狼になれる。貴男のこと、あのコ、知っていたもの。ラスト、って……そう呼んだわよ、あのコ」
「――……」
ナナハの言は、かつての黒い狼を知る一人だからだ。烙人をその名で呼ぶような者は、今では彼女くらいしかいない。
とりあえずナナハには、隙があれば王子と逃げろ、と言い含めて、烙人は自身の船室に戻ることにしたのだった。
まっすぐ船室に戻る前に、ナナハにきいた紫雨と竜夜と、サクラの居所を確かめて回った。この飛行艇の構造も把握したかった。
彼の双子は、かつて彼と同じ何でも屋で、この船にそっくりな「小龍」を造って悪魔に提供した。この「天龍」もおそらく、双子が造って悪魔が隠していた遺産だろう。使う前に悪魔が滅びたので、封印されたままだった物を、竜夜一派が入手したものと見えた。
「ってーことは……竜夜の後ろ盾は、最悪魔王擁立勢力ってとこか」
船を警備している低レベルの魔族達に、竜夜は自分を神竜と呼ばせている。実は火撩も魔界で竜夜を視てそう呼んでいて、「心眼」の眼力はやはり伊達ではなかった。
「さてさて……まじでオレ今、死にそうなんだけどさ……」
ここまで結局戦っていないので、何とかもっている体なのだが、ぼやきながら船尾まで来た。
ある気配に気付いた。スカイの暗躍を考えていなければ、この気配をすぐには思い出せなかっただろう。
「……これは……アヤか」
ひとまず、魔族達には気取らせないよう、ここに来た足取りのまま船尾の外側に出た。もう自室に戻りたかったのに、とんだ侵入者もあったものだ。
船尾の甲板で、一人で愚痴っているように見せかけるため、わかりきったことを改めて烙人は嘆いた。
「ああ、もう……何処を向いても味方がいない上に、シグレまで攫われてきた、だと……」
ナナハとの和解も一応悟られないようにする。これでナナハの足まで引っ張るわけにいかない。
彼が一人でいる、と侵入者は確信したのだろう。突然黒い闇が広がり、烙人を取り囲んで包んだ。
「……やっぱり、この古代の船は不秩序だよな? アヤ・タチバナ」
秩序の管理者をしている黒い鳥が、事情聴取のために烙人を闇に誘ったのだ。鴉夜は「レスト」でたまに舞台バイトをするので、顔見知りではあった。
「トウカという霊獣と、玖堂咲姫の体を使う『サクラ』を含めて、不秩序な存在の可能性が高いわ。サクラはあたしの訊問を拒否した」
さいですか、とため息をつく。サキと鴉夜は何だかんだ、芸能仕事をする者同士、仲良しだった。すぐにサクラを闇に返していない鴉夜は、サキを心配しているとわかる。
そうして鴉夜は、不秩序な「天龍」を沈めるための誘いをかける。
「サクラが消えれば、トウカも消える。力を貸してくれない?」
烙人は息を呑んだ。鴉夜の後ろに、大きな黒い翼が見えた。
「あたしはサキを起こすためにも、それをしなければいけないの、竜牙烙人」
その話を聞いたのは、いったい何処でだっただろう。「悪神」という業苦を抱えて、秩序の管理を続ける孤高な黒い鳥。
ああ、と彼は、最早受け入れることしかできなかった。
彼の終わりが、おそらく間近に迫っていること。そのための自然な記憶の混乱を。
*
秩序の管理者を課せられた鴉夜。それが誘う闇は、言わば一時的な神域だった。
つまりそこでは、烙人は常世の己を取り戻していく。鴉夜が一旦去ってからも、しばらく闇から目覚めることができなかった。
消えてしまったヨメ。人世の烙人は、探し人をそのように呼んでいた。
近く消えると知っていたから、その夜の狼を求めた。「彼」はずっと、誰かいないか、と何度も呼んで、青白いところで一人で待ち続けていた。
この黒い空に来る前に、いっときの翼をくれた灰色の仔猫は言った。行けば貴方は死ぬことになる、と。
――『悪神』が動き出しています。『忘我』と『悪神』は互いに影響を受ける『夜』の系譜だから、スカイ様も動いたはずです。
竜の墓場という黄泉の神域。そこで長く過ごした仔猫は、古の神々の願いで墓場に隠され、気が遠くなるほど待っていたのだと言う。
――かつて、『空の光』を司る女神を降ろした、アザーという竜の娘がいました。竜族の持つ逆鱗は、大きな力を制御するために、己に近い『神』を降ろす温床なんです。
神代の仔猫がどうして、そんな伝話を始めたのか。「彼」は疑問も持たずに、仔猫の心を受け入れていた。
――戦いに優れていたアザーは、秩序の管理者を逆鱗に持つ姉の下で、沢山の咎人を殺しました。降ろした神の翼のせいで、奪った命が蓄積されていくとは知らずに。
「彼」はかつて、竜の墓場でその女神に出会った。最早使命を授ける姉も亡いのに、咎人を探し続ける憐れな残骸に。
――アザーはやがて、末の妹、禁忌を破って悪魔の仔を孕んだ光の竜をも処断します。これが原初の魔竜です。妹を手にかけた二人は深く傷つき、特にアザーは積もる命、憎悪の塊『復讐神』に自我を取り込まれます。姉はアザーの翼を切り離して、竜の墓場に心霊を閉じ込めて安らぎを与えました。けれど、実の娘達のそんな姿を見た母は、悲しみから禁断の『夜』を降ろして同化してしまったんです。
その「夜」を、彼は知っている気がした。
どうか自分を、起こさないで。世の混沌に接続する闇が故に、「空」と共に世界を見続け、黒い泥ばかり引き受ける水沼のケモノ。
――『夜』は元々、光を『空』に奪われた女神。母も娘を『空』に奪われた、と恨んでいました。大地に在るもの全てを視ていて、ヒトに預言を与える『空』の目こそ、娘達に咎人を教えていたから。『夜』そのものとなった母も、アザーの骸を使って姉は殺しました。それが『秩序』だから。
その話のオチが、彼には先にわかった。それで、最後に姉が狂ったんだろ、と言うと、仔猫は小さく頷いていた。
――『夜』となった母を殺して、アザーは『神』になった。滅べなくなったアザーの骸に黒い翼が生えて、『悪神』が生まれました。アザーに取り込まれていた魔竜も、その灰が『忘却』となった。世に大きな災いを生んだことに姉も気付きました。墓場で咎人を処する限り、『復讐神』もいつまでもアザーの翼になる。
「神」を外付けの、逆鱗に降ろす以上の同化。「神」を殺した者は、「神」となってしまう。だから「悪神の悪夜」や「忘却の白夜」といった、意味が多少変わっただけの神々が続く。
――姉は、アザーの翼を切って、心霊を分離できる『心眼』の主でした。災いとなった妹達を内から救うために、心眼を持つ自らをアザーに殺させ、取り込ませたんです。
そうしてアザーから、魔竜と「悪神」と「忘却」は除けられていった。姉の力はアザーと共に居続け、裁定を助ける豺狼となった。
「神」に殺された姉の骸は、無色の「青夜」となった。「無色」が起源であるために、他の「神」のように全ての記憶は保てない白猫。
――最初の魔竜は、彼女達の竜の珠だった『桃花水』から力を得ていました。『桃花水』と魔竜は、アザーを通じて『夜』とつながったんです。
じゃあ、魔竜の憎しみは「夜」から来てるのか? そう尋ねると、仔猫は首を横に振った。
――『復讐神』は、アザーが抑え続けていますが、それでも『夜』を介して『桃花水』や魔竜に憎悪をもたらします。『空』とのつながりを、『夜』が切ることはできないんです。
「空」が役目を果たす限り、「夜」には憎悪が流れ続ける。
竜の珠とは、それ自体には意思がない。自然界には「理」があるだけで、「理」も低きに流れることまで含めて「自然」だ。
そんな「自然」そのものである竜は、自らを縛る「意味」に疑問を持ち難い種。つい最近ちょうど、現代の「桃花水」の携帯道具化を頼まれていた彼は、竜達の抱える無情さがよくわかった。
あまりに強大な「力」であるため、「自然」は、心で運用されてはいけないのだ。
魔竜と言われる流惟は、神暦における「桃花水」の落とし子、紫雨や猫羽を助けるために生まれたと聴いた。その願いこそが不秩序な「魔」。
記憶の無い紫雨の本性は、妹の猫羽を「桃花水」に囚われた竜の少年だった。本来そこまで、強い我を持つ者ではない。「母の願い」だったからやり遂げたのだと、彼は感じていた。
自然の竜の申し子達は、「誰かのため」という己の願いを手にした時、魔物となっていくと。
現在、「悪神」の翼を受け継ぎながら秩序の管理を請け負う鴉夜と、「忘却」を何故か流用できる「忘我」のスカイが舞台に上がった。美咲という灰色仔猫は、古の「青夜」が竜の墓場に隠した者で、この「夜」の獣が集まった以上、必ず重い禍が起こる。
そこから彼だけは逃げられない、と美咲が嘆いていたのは、何故だったのだろう。夜のような闇の中で、重要な話は大体思い出せた気がするのに、まだ色々と足りないピースがあるようだった。
けれど、これで。
彼にとっては、自覚すらもできない疑問が、沢山解けてくれた気がした。
「それじゃあさ。あんたは別に、悪くなかったんじゃないか?」
座り込み続けている暗闇に、ふっと、本能的に話しかけた。
この幽遠はずっと、彼が求めていた場所。急にそんな風に感じた。
「気にすんなよ。シグレはあんたを『夜』に戻しただけだ。アイツ、私情では必要性に逆らえないバカだから。光のあんたの方が良くても、ここの都合に従っただけで」
いったい何度、彼はこうして暗闇に訪れ、一人ぼっちの少女に話しかけただろう。寿命がぎりぎりであることを逆手にとって、好き放題に幽体離脱をしているようなものだ。
少女は傷付いている。自分は存在してはいけないものだった、と。だから、大切な少年に手ずから殺されたのだと。
アイツも罪な奴め。恨まれてしまえ、と彼は笑う。
この少女は、黒い夜の狼を持つから、彼の探し人だと思っていた。けれどそもそも、彼が探していたのは狼だろうか。
「あんたもやっぱり……ニセモノなんだな」
何が最も、「不秩序」とされたことであるのか。
秩序とは、「物事がその物事通りに正しく在ること」。「神」で言えば、己が名やその持つ意味に反しないこと。
それでは光と闇を両方持ったものは、どちらで在れば正しいのだろう。
イメージだけで、泣いている少女を膝の内に抱き寄せ、背中から包み込んだ。気分の問題でしかない行動だが、ただその相手に、もう一度触れたかった。
迫る運命の気配を感じて、大事なことを先に伝えた。
「シグレの力になってやってくれ。多分シグレは、苦しむから」
まだ彼女が光を持っていた頃、この闇は青白かった。
彼が彼女を、見つけたと思っていた。それは違った。
「オレもニセモノだから、仕方なかったんだ。アイツはこれから――」
それを彼が言う必要はない、と、秩序を示すように。
いつの間にか立ち尽くしていた彼を、宝の剣で貫いたシグレが、青空の中で返り血を浴びていたのだった。
➺重唱∴黄昏の紅い花
信じられないような事とは、いつも大体、唐突に起こってきた。
夢ならどれだけ良かっただろう。自分のこともわからない眠りにいたのに、咲姫の視界だけが急激に引き戻された。
どうしてそこにいるのかも知らない、乗った覚えのない船の中で。
「……仕方、なかったんだ……」
大空をゆく古代の蛇の上で、烙人が血を吐きながら、それだけ言って崩れ落ちた。眼から色の消えた紫雨が無言で、倒れる彼から剣を抜いた。
竜夜と戦う火撩が何かを叫んだ。咲姫は視えているだけでもう何も聴こえず、ただこの光景を視る眼を持つ身体が、膝から震えていることだけはわかった。
自分が「咲姫」だと、やっとはっきり、水底の花が浮上を始めた。
だから、突き刺されたような胸の痛みも消せなかった。たった今、サキを大事にしてくれた烙人が、目の前で心臓を貫かれて死んだ。
――もう、ラースってば、眠ってばっかりなんだから。
夢は呑気に、現実を否定しようと時間を巻き戻す。
ところがそれすら、あっという間に地獄に対応して無惨な空転を見せる。
――ラスティ、おはよー! 朝だよー! 朝が来たんだよ~!
当然、仰向けの青年は、ぴくりとも動かなかった。
代わりに龍斗が、必死に自分を揺さぶっているのがわかった。いつの間に距離を詰められたのだろう。
まだ意識の大半が「サクラ」である彼女は、根城「天龍」への侵入者達に改めて魔竜のもやを放ち、強制的に船の片側に引き離した。
血まみれの外套の内、左腕に黒いバンダナを巻く、軽装の黒衣の少年は酷い顔をしている。
烙人を殺された、とは思えなかった。亡骸がある左舷に少年だけが留まり、火撩達と合流できずにいる。仲間のはずの烙人を殺したことでの躊躇だろう。
咲姫は少年と、少ししか話したことがない。ぎりぎりの命の烙人を親のように慕った、少年自身の望みを知らない。
とにかく「サクラ」は、船の前方の甲板に竜夜と部下達と集まる。「咲姫」や少年達を助けに来た、龍斗と火撩には振り返らない。
「……どうして、炯。シグレにラクトを、完全に殺させるなんて」
少年には炯という、サキには弟のような悪魔が憑いている。だから「サクラの家族」として連れて来られた。
烙人の体が滅んだ時には、烙人を「力」として生かすのがサクラの目的だった。現に烙人の命を削った霧の精霊は、「天龍」に来て数日で回収している。
それなのに少年は、烙人から最後の「力」も奪って命を絶った。そんなことが「心眼」以外でできるのなら、ここまで泳がせはしなかったのに。
バカなことはやめなさい、と。操舵室でサクラを窘めた、鴉夜の説得を思い出した。
いったい何処から聞き付けたのか、鴉夜は時の闇を経由し、いくらでも「天龍」に出入りできた。すぐにサクラを討伐すればいいのに、あくまで話をしようとした。
「存在しない妹をこの世に再現するなんて、正気!? 見逃すわけにいかないし、そもそも霊獣を魔竜の残滓と重ねて、ヒト型にしただけでアウトよ」
「まだトウカは完全じゃない。ネコハ……シグレの妹の再現はアリなのに、どうして私はダメ?」
「あっちも相当グレーだけど、霊と魂魄、ヒトの三要件と器の適合性と、再現法の妥当さを満たしてるの。その上に器……シルファ自身が、猫羽へ体の譲渡を望んでいたと報告がある」
ふう、と、壁にもたれて座る長椅子でため息をつく。
猫羽は鴉夜の言った通り、ラピス・シルファリーの体をもらい受けて、「桃花水」に潜む魂がヒトに戻った。紫雨が恐ろしく長いスパンで、猫羽を助けられる竜の眼という遺産を守り切ったからできた。
「アヤだって、もしも炯が死んで魂だけうろついてたら、私と同じことを望まない?」
「――」
例え話として出したが、真実そのままの話。紫雨の体を現在炯が使っていることを、どのタイミングで伝えたものだろう。
「トウカはいるの。竜の墓場ではいたの。途中でタオに変わったけど、サキは本当はサクラで、タオはトウカだった」
その強弁がどうしてなのか、やっと咲姫には思い出せた。これは今回、死の淵をさまよわなければ視なかった記憶だろう。
とても長い紅の髪で、見知った顔の女性が、竜宮で儚く彼女を呼んだ。
――どうしたの、サクラ?
そこでの彼女は、城の客でなく住人だった。そうして竜宮に生まれるはずだったから、彼女達は竜の墓場に顕れた。
――お母さんもラースも、トウカも大好き!
墓場にいた時には既に、消えてしまった記憶だ。生まれる前の、更に前があった事は、玖堂氏ならどう評価するだろう。
鴉夜は、「もしもの話はしても仕方ない」と、逃げるように帰っていった。一人で「天龍」を沈めるのは困難なので、何か事が起きるのを待っているのだろう。
サクラは何も感じていなかった。鴉夜の心配はわかっていても、水がほしいのにご馳走を出されたようなものだ。
竜夜は馨を生かすために、最強を目指して竜を越えようとする悪魔だった。「小天地」が奪われ戦力に多大な穴ができても気にせず、魔王の残党にもらった「天龍」が実際に空を飛ぶのを愉しんでいる。
竜夜の正体が視えていなければ、こんなに壊れた者にはサクラも関わらなかった。今はむしろ、特に情緒に触れない手合いの方が、協力行動をしていて楽だ。
誰にも見えない美少女「ローズ」に、敵がいようがいまいが竜夜は話しかける。
「サクラはアイツら、放っときたいんだってさ、ローズ。オレも別にどうでもいいんだけど、スポンサーがうるさいんだよなー」
人間界で見知らぬ人間が多く集まる所に、竜夜の部下は平然と強力な爆弾を仕掛けた。不秩序でないのか鴉夜に聞いたら、部下は人間で人間の手段を使っていたから討てない、と返ってきた。
サクラは烙人やトウカが欲しいだけだ。鴉夜にさえ話せたら炯のことも。竜夜もこのまま首輪をかけて、本来の姿に戻したいので同道している。
誰にも自ら説明などせず、理解を求める気もなかった。サクラの目的は自然の流れに反し、ともすれば世界が敵になるとわかっている。サクラ自身がまず望まれていない存在なのだから。
だから、「咲姫」を助けようと、「天龍」まで来た龍斗はサクラの敵でしかない。矢面に立ち、部下達には船の維持を任せる。
魔竜の残りという大きな力で、龍斗と火撩を右舷の一画に閉じ込める。油断すれば火撩の「心眼」で解かれてしまうので、トウカに回す分を薄めた。
どうせもう、トウカを実体にまではできない。烙人を心配するサクラに共振したから召喚に応えたが、咲姫が目覚めたことでトウカへ回せる心が更に減った。
バステトの実体が壊れてしまったので、サキ一つの存在で三人を同時に具現しているのだ。双子が同居するだけで命を減らした烙人のように、消耗は当たり前だった。
だからこんなこと、もうやめようよ。咲姫は必死に、戦いのさなかにサクラに語りかける。
サクラはローズと話す竜夜のように、周りを気にせず無感情に答える。
「綺麗事でお腹がふくれるなら、ラクトをここに戻してから言って」
咲姫。自分自身にすら理解されないから、サクラはこうして舵を取った。
最後の最後で紫雨に邪魔をされる前に、烙人を助ける機会は咲姫にもあったはずだ。サクラも疎まれると知りつつ目覚めたかったわけではない。
サクラは悪魔だ。北の四天王の城で生まれ、そこにあった「桃花水」の中の猫羽にも会ったことがある。
ただそれだけのことが、サクラの足を止め続けていた。
何から何まで、運命とは思い通りにならない。烙人をわざわざ滅ぼした炯が、更にサクラの思惑からずれていった。
鴉夜が、龍斗と火撩側の加勢で現れた。それなら炯が憑いている紫雨は、紫雨のふりをして帰ればいい。「天龍」に攫った時には、炯はサクラに、「そういうことか……」とだけ言い、手札を見せようとしなかった。おそらく炯も、竜夜の正体に気付いたのだろう。
それなのに炯は、まさかの自滅に出た。
いったい何のために、サクラが鴉夜に炯の真実を伏せていたのか。突然炯は、紫雨から再び体を奪った。剣を小さな蝶型のペンダントに戻すと、炯の秘蔵の拳銃を出して鴉夜に向けた。
龍斗と火撩が、出せ、サクラ! と焦りの声を上げた。
サクラも動じた。炯が何をしたいのかわからず、鴉夜も顔見知りの、しかも味方側のはずの少年に銃を向けられて困惑していた。
「何のつもりよ? 棯紫雨」
「夢は終わり。ここしか多分、お前を解放できる機会、ないから」
その声に、鴉夜が虚を突かれた顔をした。悪魔は声くらい自在に変えられる。あえて紫雨から完全に炯の言葉で、鴉夜に現実の姿を見せた。
「『悪神』に騙されんな、ってあれだけ言ったろ? スカイなんて確実にクロで『悪神』とグルなのに、何でお前、こんな空まで来ちまったんだ」
鴉夜の顔色がどんどん青くなっていく。炯を止めようにもサクラと竜夜は、龍斗と火撩を留める壁の維持で手一杯だ。
「……炯……?」
さすがに誰でも、悟らざるを得ないことだろう。ここでサクラは初めて、炯の真意の一端に触れる。
「サクラを追いつめてんのもお前だよ、鴉夜。お前にすらわかってもらえないから、あいつ、誰にも聞く耳持たなくなっちまった」
その時の炯は、とても痛ましげな苦い顔をしていた。これまでずっと、鴉夜が「悪神」に踊らされても、介入を避けてきたのだろうに。
そもそも炯の死因は、「悪神」に対抗できる力を人間の鴉夜につけさせるため、自分の「力」を命ごと鴉夜に渡したのだとサクラは視ていた。発端はうっかりだったのかもしれないが、鴉夜が使う強烈な鬼火は、龍神の炎が源なのだ。
炯が持つような「力」を鴉夜が使っているから、経緯はともかく真実だけがサクラは視えた。そのことまではさすがに炯も、明かす気はないだろうが。
「帰ろうぜ、鴉夜。心配しなくても、コイツの体はちゃんとコイツに返すから」
軽い声色で、重い決意を伝える。
つまり炯は、紫雨の憑依者から、死者に戻るということ。
「……アナタは……殺して、しまうの……?」
見たこともないほど、鴉夜が消え入りそうな声で尋ねた。炯は炯を、生かす気はもうないのか、と。
サクラの問いを避けたように、炯を探し続けることで、悲嘆の直視から逃げてきたのが鴉夜だ。そんな脆い鳥の翼が、「悪神」に侵されていないわけがなかった。
撃つわけのなかった銃を、突然動いた鴉夜が、炯を振り切って奪った。床に打ち付けた炯に馬乗りになり、金光に染まった神の眼の背に、禍々しい黒い翼が視えた。
「これならずっと……一緒に、いられるから……」
銃口の向く中身は炯だが、体は紫雨だ。龍斗が火撩を突然羽交い締めにし、魔竜の壁を叩く力を完全に止めた。
「サクラ! 一旦休戦だ、あいつを止めろ!」
「――」
頷く間もなくサクラも駆け出した。しかし「悪神」が黒い影を放ち、足止めをしてきた。
存外に強力な鬼火をまとう烏が、大量に襲いかかる。鴉夜も本気を出せば、これくらい簡単にできたのだろう。拒んだのは自分だったと今更サクラは知った。
――違う……わたしも、アヤと同じ――……。
聞く耳を持たなくなった。炯はそう感じたから、サクラと話さなかった。鴉夜にもずっと、真実を隠してきたように。
炯の判断は妥当だろう。サクラの感情は死んでいた。咲姫やトウカに心を分けていることもあり、何よりサクラは「悪魔」だ。
――でも……悪魔なのは、炯も、零那も……龍斗も……。
黒い影の鳥達に阻まれ、サクラは間に合わなかった。竜夜など龍斗達への攻撃も忘れて、わあ、ローズがいっぱい、と喜んですらいる。とっくに「悪神」の介入を受けていたらしい。
どうして今まで、その介入がサクラに視えなかったのだろう。何故今急に、視えるようになったのだろう。
そんなことを考える暇が、あるわけもなく。
鴉夜が引き金を引いてしまう前に、紫雨が鴉夜を振り払った。そうして起き上がりざま、隠し持っていた短刀を、鴉夜の心窩に突き立てたのだった。
「神」を殺す。勝っても負けてもダメ、とかつて墓場でサキは言った。その意味を実際に視たことはないサクラに、紫雨がごめんなさい、と笑った。
鴉夜から「悪神」の黒い翼が剥がれた。倒れた鴉夜を抱えて座り込む紫雨は、先に短刀で自身の喉を切っていた。喉に在った炯の憑依媒介、逆鱗を短刀に遷したのだ。
烙人の時と同じように、紫雨はそうして「力」――命の出し入れだけはできてしまう者。そしてこの後、自身がどうなるかもわかっていた。
鴉夜を捨てた「悪神」の翼が、紫雨に突き立てられた。鴉夜を解放できる機会、そう言った炯の酷い残酷さを知る。
炯は紫雨に、鴉夜が背負う「悪神」を押し付けるのが目的だったのだ。「神」とは命のやりとりに乗じる魂のウィルスだから。
魔竜の壁がその時破られていた。火撩が切り札の飛竜を出現させて叫び、龍斗は竜夜に掴みかかった。
「紫雨、いくな……!」
今度は紫雨の周囲から来る黒い影に阻まれ、火撩も紫雨の元に辿り着けない。
「悪神」を引き受けてしまった、愚かし過ぎる少年が、駆けつけようとする養父に苦しそうに笑った。血に汚れた鴉夜を膝からそっと下ろす。多分紫雨は、鴉夜を好きだった時があるのだと仕草でわかった。
妹を助ける。そのためだけに長い時を駆けてきた少年が、別れを告げた。
「俺は……ヒト殺し、だから……」
力だけなら周囲より弱く、己以外を守る心は優しい子供が、誰より鮮やかに命を奪ってきた。そこにはどんな、狂える巡り合わせがあったのだろう。
紫雨がへりの割れ目から、独りで空に落ちていった。
サクラは茫然と、増える一方の黒い影の中で、この運命を招いた因果を直視することになった。
「わたしの……せい……――」
「違う」
火撩と飛竜と、龍斗と竜夜と溢れ返った黒い影。乱戦状態になった船上で、動けないはずの「力」の少女が、空色のパーカーで紅いストールにくるまりながら、よろよろと階段から顔を出した。
「烙人は……こうなるって、知ってた」
トウカ、と自分でサクラに名乗った少女が告げた。何とか甲板に出てきたトウカが、駆け寄ったサクラにしがみついてきた。
この黒い影の中に在れば、「力」であるトウカはサクラが気を抜けば浸食される。
トウカの姿は、墓場のタオを参考にしている。ストールは烙人が物入れに、とこの船に来てから贈った魔法道具だ。いいな、とサクラは思っていた。
烙人が船室にいる時には、トウカは片時も離れなかった。悲愴に落ちてしまいそうに真っ青なのに、真心を口にする。
「龍斗と、仲直りして……サクラ」
今まで、咲姫の霊獣としては顕れなかったトウカ。サクラは墓場で、昔はよくジョシアと、最後は流惟といつもいた。流惟が隠れ続けていたので、龍斗には一度しか会わなかった。
「……龍斗が会いたいのは、サキでしょ」
「……心を閉ざさないで。どっちだって、サキなのに」
「違う……私はそうじゃないって、貴女が一番知ってるくせに……」
影からトウカを守る防戦に徹したため、台風の目のような二人の場だった。膝をつくトウカの肩をサクラは支え、魔竜のもやを再びトウカに集中させる。
「……。わたし、ニセモノだよ、サクラ」
「――え?」
「でもサクラは、サキになれる……サキになると、サクラが困るだけで」
「私がサキになったら……私が困る……?」
トウカが意を決したように、俯いて両目を閉じた。
トウカの両肩に添えるサクラの右手を、ストールを掴んでいない右手で包んだ。
「魔竜は、わたしがやる」
「――」
「ニセモノだけど、やれる。サクラは駄目なの……サクラがこれからホンモノの魔竜になれば、世界は滅ぶ」
「トウカ……?」
黒い目をそっと開けて、トウカがサクラを見上げた。苦しいばかりの微笑みの顔で。
「わたしは、あなたのニセモノ。サクラ……ううん、桃花」
トウカの声から幼さが抜けた。サクラは逆に、眼を大きく丸くする。
「あなたが流惟といたのは、『桃花』は本来、流惟と代わる魔だから」
ふっと、紅いストールが光を持ち始めた。サクラの手を握るトウカの手に、サクラから光が移っていくように。
「あなたが自分をサクラと思ったのは……サキの本当の名前が、サクラだから」
自分は、サキの体に宿った悪魔。この世界にいるはずのない「咲杳」……そう思うしかなかった、いてはいけない「サクラ」。
咲姫もここで、意識が戻った時から気付いていた。それでいえば「咲姫」こそ、生まれる前の記憶でサクラを歪めた、咲くはずのない造花なのだと。
「消えた咲姫が目覚められたのは、咲姫の方が外付けだから。あなたがサキで、そしてサクラ。そして、生まれる前の更に前には桃花だった、トウカのホンモノ」
もうこれは、玖堂さんもお手上げだろうな、と。サキはついつい、脳裏に浮かんだ。
トウカが言うことは、本能的に何かが腑に落ちた。要するにこのサキは、墓場のサキではなかったわけで。墓場のサキは咲姫で、このサキ――サクラではない。サクラを名乗る自分は桃花らしい。
それでもどちらも、同じ眼を持って生まれた。「桃花」にはなかった眼。
「烙人が大切だったのは、あなただよ。わたしは、シグレにも殺される禍だから……独り」
トウカの目から涙が溢れた。それはきっと、烙人が何者なのか知っていたから。
「サキは一人じゃない。だから、どうか……みんなでわたしを消して」
魔竜をやる。少女が世を呪う証の、紅火が弾けた。
「ラストがもういない世界に……黄昏を」
少女の顔のまま、大人のようにトウカが綺麗に笑った瞬間だった。まるで紅いストールが爆発するかのように、トウカから紅い空が噴き出していった。
「何これ――トウカ……!」
「咲姫!」
龍斗が飛び込んで来て、光の爆心地にいた彼女を抱き締めてかばった。
最早姿の無くなったトウカは、紅くなった魔竜のもやが「天龍」から空全体に広がるように、急速な拡大を見せていった。竜夜が船頭で、「すげー、ローズ、絶対最強ー!」と、紅い空の中心にいることだけはわかった。
龍斗がサキを、お姫様抱っこにして「天龍」から連れ出していた。火撩の飛竜に三人で乗り、少し離れて見た紅い空は、まるで巨大な狼の模様。
「まさか……フェンリル……!?」
唸るサキを、龍斗は抱えたまま飛竜に座り込んだ。そして、全力でぎゅっと抱きしめてきた。サキはそれ以上何も言えず、急に恥ずかしくなった。
「……おそらく、紅い、『空』の器。魔竜か魔狼かは、多分どっちでもいい」
火撩が飛竜の首側で進路を取りつつ、大きなため息と共に言った。黙ったままの龍斗はずっと震えている。
「りゅ、龍斗……ちょっと、痛い、な……」
「……ばかやろ。死んだら痛いに決まってんだろ」
細く、息をついてしまった。
優しい声色。その言葉を受け取るのは、自分で良いのだろうか。
「咲姫は死んだし……私は『魔』だから、ここにいるけど……」
死んだら痛い。そう言った龍斗も、サキの言葉を否定はしなかった。
「どっちも一緒だろ。そんな細かいところ気にするバカ、サキ以外に誰がいんだ」
体から力が抜けていった。ここにいるのが誰であっても、龍斗には等価だと言ってくれた。
龍斗に否定されるのが怖かった。嫌というほど、この一言だけでわかった。火撩も神妙な顔つきで龍斗を見ている。龍斗が「サクラ」を全く拒まないことを、眩しく思うような灰色の眼だった。
抱え込まれているので、ぽろんと落ちた、涙の雫は見せずに済みそうだろう。龍斗にとって、「サキ」がどういう存在かはわからないが、大切に思ってくれているのは知っていたから。
それならサキも、龍斗の優しさに応えたかった。
龍斗は家族を大切にしている。墓場の頃から、今でもずっと。
「……私、戻らなきゃ。竜夜に力を渡した責任がある」
「わかってる、タオだって助けないとだろ」
「…………」
当たり前に、ついてくる気だ。そうではない、と真実を伝える猶予はあるのだろうか。
そこで見事に、火撩が空気を読んだ。昔から物事が肝心な時には、最低限の要点をつく男だ。
「『天龍』が迎撃し難い突入路を、しばらく周囲を飛んで探る。俺が飛竜を動かすだけだから、振り落とされさえしなければ、二人は話でもしててくれ」
この飛竜、実体化していないのに人を乗せられる霊獣は、火撩の「心眼」の反則だ。乗る者がそう簡単に落ちたり肺を害されたりしない、結界じみた加護まで付加されている。
「……シグレを、探さないでいいの?」
「『悪神』の翼があるんだ。死にたくても死ねないだろ、もう」
そこは吐き捨てつつ、ナナハもまだ船にいる、と「天龍」を強い思いで見返す火撩だった。
改めてほっとする。龍斗もずっとサキの言葉を待っているので、きちんと最初から話すことを覚悟する。
長い話になりそうだった。空は先に、全てが紅く染まってしまうかもしれない。
「あのね……私は、サクラ。竜の墓場でそう名乗って、アナタに一度会ったことを、咲姫が死んだ余波で思い出した」
龍斗がやっと手を緩めてくれた。膝から下りて、火撩に背中を向けて向かい合う。
「だから私は、自分がサクラだと思った。墓場で知った咲杳は、本当は竜宮に生まれるはずだった咲姫で、生まれる前より更に前で、橘という悪魔の娘」
さすがに、「本当の私は、その妹の桃花」のくだりはやめた。難し過ぎるし、今後の呼び名もややこしくなってしまう。
「私は、自分が咲杳だと思った。でも、私は……」
ちらり、と飛竜を御する火撩を振り返った。火撩も哀しげな灰色の眼で見ていた。サキは全て、話していいと諭すように。
その眼が背中を押してくれた。他の誰にも、きっと今後も言えなくても。
「私は……ただの、悪魔の娘」
「……え?」
龍斗が初めて反応する。サキが今まで、棺桶に持っていくつもりだった話。
「北の城で、私は生まれた。培養管の中で、大急ぎで育てられたけど……生まれたのは培養管の中じゃない」
自分は複製品。火撩達が大事に想っていて、悪魔に殺された旧い仲間の。
サキはずっと、そう名乗ってきた。それはサキを見つけた養父が、ラベルにサキの真の名と精製方を見たからだった。
「……サクラ・スカイズ。悪魔としての名はヴァシュカ。胎生期は子宮ごと培養。母は私をお腹から取り出されて、殺されたみたい」
「……――」
「無理やり孕まされたのが私。母の力の猫と、父の水の力を私は持ってて、水の力は使わないようにしてきた」
それでも火撩の眼には、サキの力はどちらも映ってきたはずだった。咲姫には水の力を使わずとも、気による「心眼」で霊獣も運用できたが、サクラとの一番大きな違いは、サクラは霊獣を気で扱う生粋の霊獣族で、「心眼」は気より高次の、水の力に被せることしかできない。魔竜のもやは水属性の「力」なのだ。
もう、「火撩が黙っていればわからない話」ではなくなってしまった。「心眼」を使うためにサキが水の力を使うと知れれば、出生に気付く仲間は現れるだろう。
「……ねえ。生まれを隠せ、って。わたしの存在そのものが罪だった時に、私はどうすれば良かったのかな」
「…………」
「咲姫でいられたら、悪魔の娘ってばれなかったのに。私は殺されても起き上がる魔物……母を殺した悪魔の娘」
養父と火撩の他に、ナーガも気が付いている節があった。ナーガは養父達の仲間ではないため、気にしていないのだろうと思った。
それでも魔竜の残滓を引き渡された時、あなたの水の力、魔竜の由来ってことにすれば? とだけ言われた。少しでも深く関わった者には、サキが水中の花であることは隠せないだろう、と。
今のサキの「心眼」は、魔竜が水属性だったから使えているが、水に適合するサキ自身に水以外の「力」を使わせられる眼ではない。「水のサキ」を「火のサキ」に変えることは不可能ではないが、心が大きく変わってしまう。
龍斗はあまり表情を変えずに、じっとサキの声を聴いていた。沈黙の時間が続き、サキには咲姫からのこたえが聴こえた。
――そんなの知ってたよ。私はそもそも、私の心、望みを持っちゃいけなかった。でも、あなたを見つけてしまった。
生まれる前の記憶。そんな反則で心を上書きにした咲姫の真意。
養父に拾われた時、火撩に初めて会った時から、自分の「力」が何かいけないらしい、とサキは気付いていた。生まれ持った灰色猫の霊獣、ヴァシュカが消えて、咲姫のバステトに変わるより前に。
――私はヴァシュカでいる気だった。バステトになりたかったのは、あなた。
結局そういうことなのだ。黒い狼に出会った時に、ヴァシュカはバステトへ変わり、生まれる前の記憶を取り戻した理由。
咲姫は、サキの望みで前に出てきた。北の悪魔の娘なんて、なかったことにしたかったサキのために。
烙人にかつて、言われたことがあった。
――もうちょっと我が侭言うようにしないと、自分が何なのか、わからなくなるぜ。
サキが俯いてしまったので、龍斗は僅かにだけ首を傾げた。そしておずおず、困ったような顔になって言った。
「……いや、さ。それ……何で隠したんだよ?」
後ろで火撩が、ガタっとした気配がした。龍斗は火撩の姿がそのまま見えているだろうが、お構いなしで続ける。
「お前、家族がほしい、ってあれだけ言ってたのに。それじゃ、家族がいないんじゃなくて、家族がいちゃいけないってことじゃねーか」
「――え」
「それはあんまりだろ。ひでー家族だったかもしれなくっても、存在くらい認めてやれば?」
龍斗は本当に、よくわからない、といった困惑を見せた。サキはどうして、そんなにも自身の出自を、隠すべき「罪」だと思っていたのかと。
火撩が諦めて、もう一度こちらを向いた。飛竜の動きが少し鈍くなる。
「……それは俺達のせいだ、リュード。サキに勝手にあいつの面影を被せて、あいつを殺した悪魔を俺達が嫌っていたから」
「それもわかるけどよ、サキに罪があるなんて、オマエらは思ってないだろ?」
「当たり前だ」
なら、と、サキを挟んで向かい合う火撩に、龍斗は重くない口調で続けた。
「うちや炯ん家だって、大概だぜ? 俺のじーさんが不貞をしたからうちの一家があって、そのじーさんが炯の親父だからな。そういうことも、フツーにあるだろ、世の中」
それはおそらく、一般的な化け物であれば容易に頷けない、人間の感覚の話だった。悪魔でもなければ、大体の「力」ある化け物は、理に反した行動を嫌うからだ。
「まぁ、だからさ。サキが気になんなら仕方ねーけど、俺は全然、どうでもいいし」
「……――……」
家族がいないのではなく、いてはいけない。悪魔の家族がいるくらいなら、誰もいないことにしてきたこれまで。
ナーガだけは、知人が北の悪魔を滅ぼしたことを、申し訳なさそうにした。たとえ酷い縁であっても、それはサキの家族だったろうと。
あの時、ボロボロと泣いてしまった。きっとそれが、こたえなのだろう。
「龍斗は……私、話した方がいいと思う……?」
「好きにすればいーだろ。隠しても、隠さなくても」
俯いて両手を、飛竜の背についていた。頭をぽんぽん、と龍斗が撫で叩いた。
隠さなくていいだろ、と言う。けれど、隠したいサキが悪いとも思ってもいない。
「ほら、笑え。痛いのなんて、その内どっかに飛んでくから」
「……何……それ……」
母である人は、本当のところ、父をどう思っていたのだろう。龍斗の後ろにすっかり紅い空が見えて、不意に考えていた。
助けられなかった、と火撩が話したことがあった。
自分の居場所はここだから、と。火撩達の元へは帰れない、と言っていたのだと。
何故か先刻の、トウカの最後の顔が浮かんだ。
紅に染まった魔竜のもやが、今も遥かに広がっていく。遠目に「天龍」の上で、黒い影の鳥がいくつも紅い光と共に爆散していた。
「そろそろいいか。リュード、サキ」
紅い空の広がりが大きく、火撩は船からかなり距離を取っていた。龍斗とサキは側方に向き直って、紅い空の中心の「天龍」を見た。
「……龍斗。今から話すこと、竜夜のことだから、聴いてほしいんだけど」
「ああ。わかった」
穏やかだった顔が、すぐに緊迫した龍斗にサキはまた怯む。やっぱり龍斗には言いたくない、そう感じてしまう心の底を、今度は逃げずに直視する。
飛竜の上で、同じ方向を見ていた龍斗に、サキは蒼い上着の袖を掴む。ふっと振り向いた龍斗に、心細い顔のまま尋ねた。
「……あのね。話しても、嫌いにならないって、約束してくれる……?」
龍斗の身動きが止まった。時間が止まったかのように一瞬で固まった。
表情まで唖然としたまま硬直しており、挫けそうになったサキが視線を下げた瞬間だった。
「――なるか、バカ!」
今度は真正面から抱きしめられた。肩に顔を埋めるかのような龍斗が、耳の端まで赤いことに気付いたのは火撩だけだろう。
地鳴りのような鼓動が伝わる胸の中で。
好き。大好き、龍斗。時間がないので、今は口にし辛い想いを封じる。
「龍斗には、あの紅い空は視えてる?」
「紅い? 俺には雷の夕暮れに見えるんだけど」
火撩に目配せすると、紅と蒼の境を指でなぞってみせたので、この空は「心眼」で視えている「力」だと確認する。
「竜夜がいくらでも雷を伝播させられる、特殊な空の領域が広がってるの。私や火撩には紅く視えて危険な所がわかって、もう『天龍』に安全な領域は全くない」
あの紅い空の中では、僅かな光電で大きな爆発が繰り返し起こされていた。ひとまず一定以上への拡大は止まったので、誰かが紅い狼に「力」を注ぎ、その分量で広がれる範囲が決まると推測する。
「あの規模の力をこのペースで出せるのは、魔族では魔王レベル、人界では世界樹、もしくは竜王くらい。特に単体で可能とするのは、私が知るヒトの中では、竜夜かナナハくらい」
どちらも今、「天龍」にいる。竜夜達を動かす第三勢力もいる。協力時間が短いサキには、少ししか内情を掴めていない。
「半分程は、竜夜が自身の力で紅い空を広げて、雷を遠くに届けさせてる。竜夜だけならあんなに広範囲に攻撃を射てないし、紅い空だけなら起爆剤がない」
「要するに、竜夜を止めろってことだろ。ぶち殺せばいいのかよ?」
「違うの。それができないことを、私は謝らないといけない」
もうそれは、あまりに幼い日の過ちだった。サクラとなって思い出したくなかった。
この反則の眼が、多くのものの運命を狂わせた。竜夜はその犠牲者だった。
「竜夜は、龍斗の失くした竜じゃないの。私のせいで、自分の力を制御できずに暴走することになったジョシア――レナ」
「……へっ?」
「レナが生まれる時、私にはまだギリギリ、竜宮に生まれるはずの咲杳の意識が視えた。でも今にも消えそうで、そもそも竜の縁がない私は、墓場にも留まれなくなる寸前で……」
そんなサクラを見かねて、生まれる前のレナは言い出したのだ。それなら自分の竜をサクラに預ける、と。
「龍斗。龍斗が墓場から出た後、解放した氷竜はレナじゃなくて、あれが元々龍斗の竜。龍斗はレナが無力にならないよう、自分の竜を生まれるレナに預けた。龍斗はその後、顕れ始めた咲姫からレナの竜珠を返されて、代わりに咲姫に龍斗の逆鱗を預けたの」
氷竜を解放する直前に、咲姫から逆鱗を渡されていた龍斗がぽかん、と「天龍」を振り返った。火撩の飛竜は、「心眼」の応用で「力」に耐性が高く、乗る者全員を紅い空から守って進む。
レナにも龍斗にも、甘え過ぎてしまった。同じ墓場でも龍斗には咲姫が、レナにはサクラが大体見えていたので、そうして竜の力を「心眼」で分け合ったことが凶と出た。
「生まれてからレナは、凄く強い『力』を持つのに竜珠がなくて、でも身の内には氷竜がいて、抑えるだけで精一杯な辛い思いをし続けた。竜珠がないからじゃないか、って『小天地』を継ぐことになって、でもそれからが悪夢の始まり」
最初から氷である竜と、限られた空間で光熱や粒子を動かす「小天地」は、相性がいい上に竜を二体動かすようなもの。制御しきれず逃がされた逆鱗は、墓場の番人である紫竜の魂と、サクラが改めて生後の龍斗から貰ったレナの竜珠を基に、霊体の悪魔と成った。
その機序は知っているナーガも、氷竜がレナでないとは思いもしていなかった。暴走した氷竜の内のレナが、龍斗が氷竜を手にした時に馨の体に流れたことも。
「龍斗と契約したのが馨だったから、レナは氷竜の中から心と力が馨に流れた。記憶は氷竜が暴走した時にほとんど失くして、零那の方にしか残ってない。知らず莫大な力を匿ってたから、馨は死んだんだと思う」
「…………」
「レナは今、龍斗と同じで、必死に馨を生かそうとしてるの。悪魔という存在を見様見真似で、誰より強くなって……自分の心は置き去りにして」
ちょうど、飛竜の下を「天龍」の甲板がよぎった。そこにはナナハを隣に置く竜夜と、それらとまとめて戦わざるを得ない、束ねた黒髪を揺らして雷から逃げ回る黒い者がいた。
「って、鴉夜!? いや違う、あれ炯か!?」
紫雨に心窩を貫かれて、「天龍」で倒れていたはずの鴉夜が、一人で甲板を青白く炎上させている。
龍斗の言う通り、紫雨の短刀で自らの逆鱗を鴉夜に移植させた炯が、雷を青い炎に吸収して防戦に徹していた。
「烙人がアヤに、精霊の回復魔法の持続型、復元魔法をかけていたから。このためとは思わなかったけど、術者の消耗の激しい復元魔法が、鴉夜を包んでることは視えてた」
火撩も頷き、鴉夜の体を使う炯に驚いていない。復元魔法の存在に加えて、炯と鴉夜のつながりが視えていたので、どちらも鴉夜をすぐ助けなかった。
おそらく炯は、烙人と何処かで取引をした。鴉夜が殺され「悪神」を失った後、体は救う目算をつけていたのだ。
飛竜に気付いた炯が、あからさまなSOSを叫んだ。
「わー、戻ってくるって信じてたぜ、サキー!」
それはナナハの離反の合図でもあったのだろう。竜夜から離れてナナハが船内に消えた。連れ立つ王子の元に行ったのだ。
「火撩はナナハの援護を。私と龍斗は竜夜を」
サキが守りに入らなければ、龍斗は紅い空の集中砲火を受ける。全員が頷き、飛竜が霊体化して三人は甲板に降り立った。いたずらに大きな力を放つ「魔」を止めるために。
人間世界のゲームなら、これがボス戦だろう。龍斗と咲姫は、色んなRPGを二人で攻略していた。
咲姫は主に回復や援護魔法を、龍斗は攻撃の担当だった。実際の悪魔の戦いもゲームのステータスのような「概念」の問答に近く、元素の相生や相剋、要素の相性や光と闇の中和、力の絶対量や制御限界といった条件をいかに巧く組むかが肝心になる。
「心眼」とは多分、それらの条件、ステータスが見えて、技や属性の変更、能力値の大小を入れ替えられる反則だ。どうしてゲームは攻撃力を防御力にできないの? などと何度も龍斗に文句を言っていた。
普段はぼんやり、相手の背後に「力」が視えるだけでも、眼をこらせば体に流れる気や魔力がはっきりわかる。「力」の移動、「心」の置き換えこそが「心眼」の本質。今自分に在る力しか扱えないので、魔力や気の無限化などはできない。
サキにはしかも、水の力に「心眼」を載せるしかできない。だから水の力を抑えていた幼少時には、視ることしかできなかった。初めて置き換えが成功したのは、烙人の双子の心に触れて、霧の精霊とすることができた時だ。
竜夜――レナも、魔竜を取り込んだ紅い狼も、個体の力の内蔵量がまず大きい。龍斗と共に対峙しながら、サキは笑い続ける竜夜を冷静に見据えた。
「あははは、やんのか、春日龍斗? サクラがいなけりゃオマエなんて、この黄昏の餌食なくせに!」
これは私のせい。だから助けるよ、レナ。改めて決意する。
竜夜が大喜びしている「黄昏」は、雷と相性の良い魔竜のもやが巨大な水沼の狼を得て、最大限に広がった水雷空だ。あちこちで紅い光の炸裂が視える。
竜夜もトウカも、深い絶望の闇に捕まり、憎悪を溜め込む「復讐神」と繋がってしまった。レナは馨を、トウカは烙人を守りたかったのだ。
サキは墓場の歴史を知らない。けれど「復讐神」の翼を生やす、空の女神は見たことがある。鴉夜の翼「悪神」と同質の禍が、魔竜達の憎悪の永い増幅器。
烙人から回収済だった霧の精霊を、サキは紅い空に命一杯に展開していた。
水属性なので何とか制御できるが、契約抜きの精霊の酷使は術者の損耗も激しい。雷を散らすサキの防壁の中から、竜夜に向かって龍斗が手掌を向けた。
「……あー? 何をするつもりだぁ?」
サキの吐血に気付き、竜夜が嫌そうな顔をした。龍斗はぎりっと歯を噛みしめ、竜夜を止めるための「力」の構成を続ける。
サキは眼以外、普通の化け物だ。こんな大規模な出力を続ければ死ぬ。龍斗の焦りが伝わる。
全身の細胞が溶けていくかのようで。もう、膝をついてしまいそうだった。
けれどいつもサキに厳しく、それだけ常に見ていてくれた人の声が響いた。
――しっかりしなさい。サキ。
火撩がナナハと王子を保護できたのだ。ナナハが制圧済みの船内から、回復魔法をサキに連続行使していた。
惹起された生命力を、また精霊へ使う自転車操業。けれど龍斗が確実に氷竜――竜夜を氷に包んで封じる「力」を、最大展開する時間稼ぎはできた。
紅い空に、真っ白な閃光が走った。
終わった。サキがそう、安堵した瞬間だった。
「……え……龍斗……?」
縁取られた氷像のような竜夜を前に。サキの隣で、龍斗が呼吸を止めて崩れ落ちた。
歪められてきた運命の結実。自然への冒涜がもたらした現実を突き付けるように。
竜夜が停止し、紅い空の起爆剤は激減したが、危険な空であることには変わりがない。サキはこれ以上精霊を使うと寿命が極端に減るので、火撩の飛竜で紅い空の「天龍」から離脱した。
氷漬けの竜夜はナナハがひとまず転送し、飛竜には咲姫と火撩、ナナハと抱っこされる王子、倒れた龍斗を診る炯が乗せられていた。
炯を飛竜に乗せることを、火撩は激しく嫌がっていた。よくも紫雨を散々利用して、と鴉夜の体でなければ殺す勢いだった。
炯は炯で、何だよリア充め、と嫌悪を露にする。オレだって苦労してんだよ、と嘆きながら、突然心臓を止めてしまった龍斗の分析を一行に伝えた。
「やっぱこれ、オレの死因と同じだ。オレ、何でか生まれた時から悪魔の魂しかなくて、流惟は墓場でオレが逆鱗の人格だと教えてくれたんだけどさ。鴉夜を強化するために、東で発掘された火龍を食わせたら、何とそれがオレの心――離れて在った本体だったみたいで。鴉夜が火龍を鬼火で殺した時に、オレの悪魔の体も意識を失くして、鬼火にまとめて吸収されちまったん」
曰く、龍斗も逆鱗の人格しか体にないはずらしい。氷竜という命の本体を竜夜に回し、氷竜ごと封じた結果、逆鱗だけでは体を動かせなくなったのだ。
「それじゃ、龍斗はずっと、逆鱗のリュードだけだったの? どうして!?」
龍斗が死人状態になったので、サキはショックで意識を沈めてしまった。
火撩が何とか、咲姫の心を浮上させた。なので一応動けるものの、咲姫だって何もかもが嫌になるくらい辛い。
「心当たりはある。それなら竜牙烙人の存在も納得いくし」
竜族の逆鱗とは、あくまで力の制御のための仮初めの魂。紫竜と竜珠がなければ悪魔にもなれなかった零那のように、ヒトと遜色ない人格を持ちながら脆いことを、別の角度でも炯は言った。
「流惟が昏睡してんのも、近い理由。あいつもずっと逆鱗の人格で、今、魔竜に真の力の源『桃花水』が使われないように、自分の命を差し出してブロックしてるんよ。『桃花水』は猫羽の命代わりで、下手に消耗させたら猫羽が死ぬから」
それはいつからかは解らない、と炯が、青白くなった鴉夜の目をしかめて言った。流惟は墓場にいる時点で、既に逆鱗の人格だった、と。
ひとまずの結論として、竜夜と氷竜の封印を解けば龍斗も目を覚ますはずとして、体が死なないようにナナハが魔法をかけた。予断は全く許さないが、龍斗が完全に死んだわけではない、と咲姫が胸を撫で下ろした時のことだった。
「えっ……手紙猫?」
咲姫の復活により、伝波の運び手も機能を取り戻していた。そうして主の下へ戻ってきたのだ。
おそらく全ての発端となる、旧い魔竜からの心を携えて。
Dear サキちゃん✿
紅い空を何とかしましょ。
世界樹で待ってる。
from ナーガ🌟
終奏:魔を負う光
長い夢を視ていたみたい、と。
人化中の美咲は、短い人世での生活に未練はなかった。手紙猫を再構成できたので、咲姫が復活したのだとナーガに伝えた。
結局、烙人を助けられなかった。せめて、探しにいくくらいは。何が正解なのかがわからず、無理には踏み出せなかった。
火撩や龍斗がいない棯家を、そっと一人で後にする。流惟に付き添う猫羽が寝ている内に。
美咲も戦力として残っていたが、兎もどきの零那に謝って守りを託した。行くのか、とだけ、零那は悲しそうにした。
零那は竜夜を、誰であるのか初めからわかっていた。零那の本体なので当然だろう。竜夜が「ローズ」と呼ぶ誰かが、世の片隅で美しく咲く光だとも。
そんな美咲を迎えに来た者。新たな秩序の管理者が棯家の屋根に現れた時、美咲は儚い幻想の終わりを見上げた。
銀色の髪に金色の眼をして、大きな黒い翼を広げる「悪神」。烙人の常世の夢で、タオ・フェンリルを闇に返した黒衣の少年が、夕暮れの中に神剣を持って立っていた。
「……闇に還れ、暁を断つ刃。理由はあんたが、一番よく知ってるだろ?」
「はい。残念です……黄昏、本当に起きちゃいましたね」
少年が黒い翼と共に、神剣を構えた。烙人にとどめをさしたために、烙人の最後の「力」まで奪った剣。それが今回の事変を収拾できる鍵だと、美咲も蒼い眼でわかっていた。
「あ、ちょっとだけ待って下さい、紫雨君。プレゼントがあります」
「……」
ヒト殺しの少年は妹のため――妹の命を守っている母のために、ここでも汚れ役を買った。美咲が紅い空の核だということを、他に知るのは猫羽くらいだろう。
少年も猫羽も、少しの間しか一緒にいなかったのに、本当は深い縁のある美咲の気持ちをよくわかってくれた。人化した時の首輪を、せめてもの心で少年に預ける。
「光もこの眼も、ここに置いていきます。また紫雨君が運んで下さい」
「……どうして?」
「私のこの眼は、アザー様が手放した形見。暁の光も、私は受け継いだだけです」
たった一人で、神代から隠し通された娘。それを守ろうと願ったのも「魔竜」だった。
「青夜様の大事な皆様が、また出会えるように。青夜様の失くす姿で、竜の墓場を照らすことが私の望みでした」
説明せずとも、紫雨や猫羽なら観えていたこと。それでもこの少年には一応伝えておいた。
ヒトの頃の心をなくして、これから長い時を往く少年。できればいつか、少年も救われる道があることを願って。
黄昏の光を生み出す影が、古い赤の闇が宿る剣に斬られた。
消えていく美咲は、最後まで笑っていた。
*
誤算。それはきちんと、成算あっての行動に使う言葉だ。
今も昔も、「夢に視る」ことに振り回されて、ナーガは行き当たりばったりを繰り返した。それでも「誤算」としか言えない目前の相手に、水火の体で不満一杯に腕を組んでいると、顔見知りの女が笑った。
「いや、それ。私こそ誤算なんですけど、ナーガたん」
腰に特に変哲もない長剣を下げて、不死人とはいえ、人間に過ぎない体を操る黒髪の女が笑う。
「私、全く匂わせないでやってきたつもりなのに、何でばれちゃったんです? 世界樹が狙いだって」
今いるここは、世界樹の麓だ。妖精の森の厳重な深奥。
世界樹は本来、天界にまで届く神木のため、根元以外は普通の者の目には見えない。
その世界樹が、紅い空に囲まれたことで、空の一画を占めて天を貫く樹冠が見えるようになった。あくまで天使の目には、だ。
妖精は世界樹の所在地の管理を、天使は世界樹の在る空の守護を請け負う。「世界樹が侵される滅亡レベルの危機」で、見事にナーガは最前線に派遣される羽目になっていた。
「あたしもう、堕天使なのに……正規の手続きで堕天したせいで、こんなことに……」
気付いたのもナーガだけなので仕方がない。紅い空自体、ナーガにも本当は見えないものだ。しかし元々自分だった魔竜のもやなので、「心眼」の主でなくても、ナーガにだけは見えてしまう。
それでも女は不思議そうに、世界樹の根の前に立つナーガに再度尋ねた。
「魔竜が出る前からわかってたでしょ。私がここに向かうって」
だからナーガは、女より先に世界樹を押えられた。ナーガにとっての誤算は、世界樹を侵しに現れたのが、本当にこの女だったことだ。最初に疑い始めたのは水火で、まさかその懸念が当たってしまうとは。
「……あたしにはもう、生きていた頃のナマの記憶はないけど」
死んで天使にされたナーガには、死者の葬送の役割が振られた。そのためどれだけ太古の死者でも、天界にある記録を閲覧できた。
そこで知った、この黒い女の正体。ふざけた愛称でナーガを呼ぶ相手は、紛れもない身内だった。
「どうしてここに現れたのよ……ブルーライム・スカイ・ナーガ」
わかっていることを尋ねたのは、先程の問いへの意趣返しだ。何でばれたのか、そんなことを言う女こそ水火には育ての母で、ナーガの視る夢を誰より知った縁者なのだから。
「それは当然、ブルーライムの願いを叶えるためです。世界樹からもう一度、この世に生まれ直しません? リンガ・ティアリ・ナーガ」
女の体は、十年前に死んだ人間のもの。その人間の死にはナーガも関わっていた。だから後に女の死体が不死人化して、スカイ・レーテと名乗っていることを知った時に、古い記録を調べた。
二千年以上前のことだ。二度目に顕れた魔竜が討伐された。息も絶え絶えの魔竜に対し、魔竜の双子だったブルーライムという幼い娘が、自身の命となる竜の眼を渡した。それで魔竜を生かしたことが禍の長期化を招いた。
幼い娘はどうして双子に、命を分けられたのか。魔竜を利用せんとした「忘却」が娘と取引をして、娘の逆鱗――スカイという心を代償に手助けをしたのだ。だから「忘却」がずっと娘の逆鱗を持っていたと気付いたのは、迂闊にも逆鱗を継ぐ不死人が現れた時の遅さだった。
「逆鱗がいないから、ライムは自分の竜に形がなくて、雷の制御もヘタクソだった。あなたは『空』の名を持ち、地上のことをリアルタイムで広く夢に視る性質を持つ逆鱗。『忘却』はその夢を利用して的確にヒトの記憶を奪うようになった。あなたはあなたで『忘却』の流用で、レナを空っぽにしたり、ナナハちゃんをいじめたりしたでしょ」
「みたいですねぇ。悪気はなかった、じゃダメです?」
いいわけあるか! と思わず返した。心失き無力者であるのに強い霊感を持ち、「神」の抜殻だから自ら動ける屍に、こんな再会をしたくなかった。
知り合いとすら呼べない遠い同胞。それでもかつて、世界樹が魔竜を再現した歴史は我が事として知るので、今更ブルーライムの逆鱗が何かするなら、世界樹を求める推測はついてしまった。
「記憶の拝借も最低限にして、しっかり隠してたつもりだったのに。相変わらず私には、運命を変えることができませんね」
目的は、とは問うまでもない。あちこちの強大な者にちょっかいを出して、「悪神」まで使って黒狼を紅い空にした女だ。言葉通り、魔竜のリンガを世界樹で再現できる機会と見ての凶行だろう。このまま紅い空が多くの神威の母体たる世界樹を侵せば、世界樹にはそれを新たな命として吐き出す以外に、自らを浄化する方法がない。
大きな溜め息をついたところで、場に役者が揃うことになった。
「ナーガさん! 大丈夫ですか!?」
世界樹とは、高位の妖精でも近付く者を制限される御神体だ。天使の派遣者であるナーガを憑ける水火と、ナーガが妖精達に断っておいた咲姫だけが通されていた。火撩などは龍斗や竜夜、王子のことで手一杯だと、この時点ではナーガは知らない。
大仰なはずの場にいたナーガ以外の相手に、咲姫は驚いて足を止めていた。咲姫の戸籍があるディアルスで旅芸人一座にいたスカイなので、多少の面識はあるのだろう。
「いらっしゃい、サキちゃん。待ってましたよ」
「えっ……どうして、あなたがここに……」
ナーガとスカイが睨み合っているので、敵対の状況は伝わっている。しかしスカイは更に、ナーガの逆撫でを始める。
「サキちゃん、協力してくれませんか。一緒に世界樹の力で、大切なヒトを取り戻しましょう?」
「狙いはそれか……! だからサキちゃんを追いつめたわけ!?」
ナーガは龍斗が、現在死の淵にあると知らない。それでも天涯孤独の咲姫が、反則の「心眼」を生命発生装置である世界樹に使えば、どんな生き物でも創り得ることは判る。そんな咲姫をここまで呼んだのは、広範囲の紅い空に対抗する術が他になかったからだ。
呆然、と咲姫が尋ね返す。
「世界樹を使えば……大切なヒトを、戻せるんですか?」
「戻せますよ。特にあなたの『心眼』ならね」
むしろそれを目論み、スカイはサキの苦しむ状況を作った。人間の体のスカイ単体では、世界樹に何も介入できない。だからといって、年端もいかないサキに酷いことを、まさかブルーライムの逆鱗がするとは。
発想もできなかったことであるので、これも一つの誤算だった。咲姫がふるふると手を握りしめて、ナーガとスカイの後ろに立っていた。
烙人一人のことだけでも、咲姫は迷って当然だろう。ここで咲姫に無神経な声をかけられるナーガではない。向き合うべきはスカイだと心を決める。
「いったいあなたは、誰を取り戻す気なのかしら。リンガ・ティアリのためだけなら、違う方法もあったでしょうに」
「そうですね、言う通りですよ。まあ、早い話、ラピスちゃんとか烙人君とか。この体は元々、ラピスちゃんの実のお母さんですから」
はっ、とナーガも思い至った。スカイの言う通りで、つい最近失われてしまったラピスのことは、流惟も深く気に病んでいた。可能な限り対応したが、ラピスの母の屍に宿るスカイは、あの悲愴な娘に何を思ってもおかしくない。
烙人ともスカイは気が合っていた。それは烙人が、ブルーライムの連れ合いが逆鱗を捨てた泉で生まれ、蒼い逆鱗の穢れで男性になった者だからだろう。
本来女性しか生まれない里で、烙人は男性に生まれた。ブルーライムの連れ合いに似た相手の烙人に、スカイも執着を持っているはずだった。
スカイも烙人の再現を望んでいる。その言葉に咲姫がぴくり、と反応する。
ラピスのことも咲姫は知っている。他にも咲姫に助けたい相手がいれば、世界樹なら確かに近い存在を創れるだろう。
どうやら本気で、最悪の事態を招きかねないらしい。覚悟を決めたナーガに、スカイも呼応するように笑顔を消した。
「……ねぇ、ナーガたん。いえ、リンガ。禍って、なかったことにしたら、歪みません?」
「……は?」
古過ぎる名前に眉をひそめる。それでも静かに、スカイの出方を待ってみる。
「リンガはサキちゃんの痛みに気付いていたでしょ。あなたの立場なら気付いて良かったし、そして、サキちゃんを支えて良かったのに……どうしてあなたは、何もしなかったんですか」
「……――」
スカイの後ろで、咲姫が「えっ?」と驚いていた。しかしむしろ、ナーガは何かが胸に落ちてきた。
スカイをまっすぐ見つめて言葉を待った。スカイも真剣な青の目でナーガを見ている。
「あなたは姪達のレナや龍斗、流惟をずっと陰から守っていた。ナナハの今回の異変にもすぐに気付いた。なのにあなたは、自分に一番近い存在、真の魔竜のサキちゃんは守らなかった。ただ、魔竜の残滓を渡しただけで」
真の魔竜。驚かないだろうか、と咲姫を見たが、もう気付いているようだった。五度目の魔竜とされた流惟は、魔竜を降ろす巫女に過ぎず、流惟の下に現れたサキこそ今代の魔竜なのだと。
紅い髪と紅い目の水火に宿る、自分の幼い手をナーガはふっと見ていた。水火は純粋に矛盾した聖魔なので、強い光と闇を併せ持つナーガも適合して体を借りられている。
桜色の髪と青い眼の咲姫。サクラとなった時は桜色の眼。それが自分に近い紅と、気付いていないわけがなかった。竜の墓場に顕れながら、竜族として生まれることができなかった娘。
だからレナや龍斗、流惟を助けてきたようにはサキを守らなかった。あまり深く関わらないようにした。それはスカイの言う通りだった。
鳥の声すらもしない、薄暗い森の冷たい最奥で。
二人の紅い「魔」と一人の黒い「人」が、おそらく世界に関わる心を白日に晒した。
「今も昔も、あなたは自分や、自分を守ろうとする者を守らなかった。だから私は、何が何でもあなたを守りたかった」
「……」
「ねえ、これ、どちらが本当の魔竜でしょう? 魔竜と呼ばれて、自分自身を滅ぼそうとした妹と、そんな妹を守りたくて、世界が滅んでも良かった私は」
話がわかっているはずはないのに、咲姫がぽろ、と大粒の涙を落とした。
妹を守れるなら、世界が滅んでもいい。その言葉に思うところがあったのだろう。それでもナーガは返すしかない。
「滅びるべきは、禍そのもの。あたしは実際に、多くのヒトを殺してしまった。サキちゃんには魔竜にならない道もあるから、それを選んでほしい」
実際問題、流惟に関しては、魔竜の侵蝕を最低限に留めて願いも助けてやれた。サキの方では霊獣の一部が、多くの者を害したことを確認している。
魔竜のもやをサキに渡したのは、どうなっていくか確認する意味もあった。こうして紅い空が生まれた以上、サキが次代の魔竜になる危険性は高い。
禍の存在を歪めたつもりはない。そんなナーガに、スカイはフウ、と哀しげに息をついた。
「成長しないね、リンガは。二千年たっても」
「あなたの方が変わりすぎでしょ。本体のライムは、あたしとどっこいどっこいだろうけど」
「本体の……ライム……?」
不思議そうな咲姫に、これ、雷夢の逆鱗、と教える。心は視えても、外付けの魂までは「心眼」もわからないらしく、とても仰天の顔になっていた。
そろそろ頃合いだろう、と思った。所詮自分は、今も昔もやるべきことをするだけの贖い人。
咲姫の未来は、咲姫が選ぶ。自分にできるのはこたえを尋ねて、説得か排除に回るくらいで。
「それで……あなたはどうしたい? サキちゃん」
せめて声が冷徹にならないよう、精一杯に気を遣った。この程度が限界な自分に、胸の奥がズキン、と傷んでも。
「世界樹を通せば、あなたの『力』を増幅して紅い空に射てる。もしくは逆に、世界樹に紅い空を取り込んで、魔竜を形にすることもできる……他の誰かも、そのヒトの『力』さえ注げば、多分形にできる」
「――……」
咲姫は自分の望みを選んでいい。何故か、そう思いながら教えてしまった。
流惟が果てしない時間を超えて子供達を探したように、咲姫にも望む権利はある。否定したくない。それだけはナーガにもある想いだった。
咲姫は当惑した顔で、あまり悩む様子を見せずに、ナーガに答えていた。
「あの……ナーガさん……」
こたえ次第では咲姫を処分しなければいけない。それが今、この場にいるナーガの責任だろう。
咲姫はどれほどわかっているか。おずおず、と胸元を掴みながら言った。
「私は……できるなら、それを望んじゃう、と思うけど……」
「……」
「でも、それ……まず、できる気がしないんです」
……と。ナーガもスカイも、各々の表情で咲姫を見つめた。
「方法はある、って私は思えなくて。世界樹のことも、必死に視ても大き過ぎて、全然何もわからなくって……」
「心眼」の娘。しかしそこにはあまりに、普通一般の化け物である咲姫がいた。
「アヤが不秩序だって怒りそうだし、ナーガさんにも魔竜だって嫌われたくないし。私、結構長生きはしてそうだけど、そういうことが気になるんです」
「……なるほど」
「うわー。人間の体にいる私でも、耳が痛い痛い」
かつて龍斗に、もしものことを考えても仕方ない。そう言った咲姫もナーガは知らない。
ただただ、思った。ナーガやスカイが当たり前に出す発想は、化け物の中でも普通でないことなのだ。嫌われたくない、ただそれだけで、ヒトは行動を変えるものとは。
それは確かに、魔の「竜」ではないだろう。ただの魔物である桜色の娘は、魔竜より危険な可能性を秘めていながら、本人はあまりに無害だった。
「……紅い空を、何とかしたいです。やり方を教えて下さい、ナーガさん」
ナーガからの手紙猫に、咲姫はそのまま応えようとしている。スカイの言も耳には入っているが、スカイよりナーガを信じるという意思だ。
その意志も要は、ナーガとの関わりの方が長いからだろう。スカイのことは顔見知りでしかない。望みよりも信条よりも、そんなあやふやな理由で多くのヒトは行動を決める。
「……やっぱり、私には、変えられませんね」
スカイが自嘲するように笑った。
そして膝をついた。妖精の森に、それも世界樹の領域に踏み込んだ以上、それは「不死人」の体には当然の帰結だった。
「あーあ、言わんこっちゃない。浄化されちゃうじゃない、その体」
「うん、まあ、わかってました。何処でもゾンビ殺しには、回復魔法ですねえ」
スカイの腕が、ぼろっと落ちた。もう剣を握れませんね、と呑気に言いながら、その辺の木によりかかって座った。
これがナーガの一番の誤算だ。こんなに急に、せっかく双子の逆鱗に適合できる、稀な体を失うことになるとは。
「だから何で、こんなとこまで来たのよ、あなたは…………バカ」
「……仕方ないでしょ。サキちゃんにせめて、私のお土産を渡してね」
咲姫が驚く暇もなく、そのままスカイの体が崩れて、さらさらと灰になっていった。
宙に残ったのは、空色のオーラを放って漂う、黒い狼のような印。ブルーライム・スカイ・ナーガの「空」の逆鱗が、咲姫にも視えているはずだった。
咲姫の右手の平に、暫定的に「空」の逆鱗を植えた。他者の逆鱗は魔道系の達人には摘出も可能であり、「心眼」ならいつでも自力で移動できるだろう。
「逆鱗が無くても、サキちゃんにはできるだろうけど。ある方が楽だから」
今、世界樹の枝の一つから、幹に神剣を刺した「悪神」のことをナーガは知らない。暁の光と赤の闇につながった世界樹が、サキに触れられることで内なる「力」の偏りを起こし始める。
「世界樹の中から、使えそうな『力』の協力を集めて。紅い水雷を中和できる力を、あの空に向けてサキちゃん最大の矢を送って」
遠くを射るもの。その名を持つはずの魔に、「空」の逆鱗が更なる視力と拡散力を与える。
ナーガもサキも、知らずに新たな秩序の管理者からの後押しを受けていた。かつてサキに、「それはあんたのせいじゃないし、辛いのは多分、あんただ」と伝えた少年からの。
紅く広がる魔竜のもやが、サキの「トウカ」であることをナーガは知らない。知っていても、どうせ同じことをさせただろう。
「力」の集め方はサキに任せた。魔竜のもやをどう変えるかは、サキの好きにしていいと。
そうして、見えない世界樹の大きな枝から放たれた、桜の花びらを手羽にする無色の光。静寂の夕暮れをまっすぐな光の矢として進み、遠い黄昏の中心を貫くと、禍々しい紅が人の目にも見える赤に変わっていった。
「天龍」から世界に広がった空を、鮮やかに染め上げた赤い夕焼け。
今後、「天龍」を根城にする「悪神」の少年が、どんな想いで赤い空を見つめたのかを誰も知らない。
「ナーガさん……良かったんですか、これで……?」
大切なヒトを取り戻すこと。それはナーガにもあろう望みだ。スカイを戻さなくていいか、とサキが問いかけてくる。
咲姫にやり方を教えることはできる。世界樹の内で千年を過ごした過去があるナーガには、世界樹が命を生む行程をなぞることはできる。
「ん……よく頑張った、サキちゃん」
「……――」
それ以外には、言うことはなかった。何一つも言い訳をせず、咲姫はサキにとって良いように、また魔竜の形を変えたはずだ。
小柄な水火の体だと、咲姫より背が低い。それでもナーガは背伸びをして、咲姫を抱きしめ、ぽんぽんと背中を叩いていた。
「……辛かったでしょ。……ごめんね」
咲姫は何も言わずに、声を殺して抱きしめ返してきた。
そこにどんな道のりがあったのか、これからナーガは咲姫達の顛末を知る。
➺後奏∴闇の水中花
誕生日おめでとう、サキ。
紅い空の事変にやっと色んな収拾がついた頃に、ちょうどサキの故郷での誕生日が来た。
ややこしい仕事を片付けたナナハが、心からお祝いを開催してくれた。ディアルス反乱で飛び回っていた養父や、「レスト」の顔見知りまで久しぶりに揃い、沢山の人が祝ってくれた。
ナナハは本当に、苦労していた。ディアルスの新女王――正確には女王の隠された妹が代理をしていた日々は、姉に翻意を持つ妹が王子を独占して、我が子にしてしまおうとしていた。
咲姫の手紙猫が、少しだけ会ったことのあるディアルス本来の女王に何とか届き、女王と国王が帰って来た。女王達には、ナナハの通信も占いも魔術で妨害されており、咲姫しか連絡を送れなかった。
本当の女王は、長く代理をしてくれた妹に感謝しつつも、泣く泣く処罰するしかなかった。かつて王子を攫った下手人と同じ辺境に、現在の妹は幽閉されている。
「それでも甘過ぎるけどね。操られてた緋桐だって、普通に家庭を持って幸せにやってるしね、あの村」
ナナハの愚痴を咲姫は何度も聴いた。女王の隠された妹は、ディアルス王家の「力」を継げなかった無力者だから、できた処断でもある。
王子は王家の秘宝、風の珠に適合を示した。色々問題はあるらしいが、「ナナハは悪くない」と初めて言葉を喋り、ディアルスの宰相に復帰できたナナハだった。王子のたっての希望らしく、今後も共に王家を支える所存だという。
咲姫は棯家と、玖堂家と竜宮を行き来する日々だった。
竜夜の封印によって、龍斗までが倒れた。咲姫の「心眼」の制御下にして竜夜の氷を解き、龍斗は息を吹き返したが、今まで通りの龍斗では目を覚まさなかった。
竜夜の体には、馨の霊が残されていた。馨の魂はもう葬送されているのに、氷竜は馨の記憶を受け取ってしまった。龍斗は龍斗としての人格と両立する馨の記憶の中で、馨として生きることを選んだのだ。
「はあ……おかげでサキちゃん、眼を覚ましてくれないし……」
咲姫は相変わらず、玖堂咲姫として生きることになった。「サクラ」としてサキはずっと咲姫と共存しているが、今後の出方は龍斗次第だろう。
竜夜の体は、馨が死んだ時に無理やり復元されたものらしく、内臓や筋骨がぼろぼろで最早人間の体には戻せない状態だった。これじゃ相当苦しかったはず、と橘診療所の院長がレナを憐れんでいた。レナが氷竜から馨に流れついたのも、氷竜を得た龍斗の意識にレナの影響を与えないためだろう、とも。
もうレナの心はほとんど無いと、氷竜は「零」と改めて名付けられた。併せて逆鱗である兎もどきも、ゼロと名乗るようになったのは後の話だ。
「龍斗が逆鱗だけになったのは、氷竜を解放した時だろう、か……炯、本当に周りをよく見てるよね……」
炯の言は、棯家で猫羽にも裏付けられた。猫羽は養父である火撩同様、紫雨を利用した炯を嫌っていて、それでも同意するのは余程のことだ。
紅い空を解決したことで、棯家では流惟が目を覚ました。あの空を作るトウカの力の源が、流惟の生命力だったのだ。魔竜の巫女としての衝動も大分治まったようで、ベッドに座る流惟にひっつく猫羽が礼を言った。
「あのね……美咲がね、帰っちゃったの……」
流惟が起きてくれたのは嬉しいが、仲良くなった灰色の仔猫がいなくなったことに、猫羽は涙していた。そうして炯が言う龍斗の話を、美咲との関わりの中で猫羽も気付いていたことを明かした。
「美咲は、龍斗お兄ちゃんが落っことしたラクトのために、外に出たんだよ。ラクトを龍斗お兄ちゃんに戻したくて、でも、諦めたみたい」
それは美咲も外に出たという、流惟が生まれる時の話。龍斗も竜の墓場から出て、氷竜を自分の制御下にした際の真実だった。
暴走した氷竜を治める過程は、熾烈を極めたのだ。龍斗の命が一度は終わり、本体の心を墓場の入り口に置いていってしまうほどに。
「ラクトは龍斗お兄ちゃんから離れて、ラクトとして別に生まれた。美咲はそう思って、見守ってきた。わたし、美咲は多分、間違ってない気がする」
兄の紫雨が行方不明になり、懐いていた烙人が死んだことにも、猫羽はずっとぐずっていた。咲姫は烙人の生前の頼み通りに、烙人の霧の精霊を猫羽に贈った。
「桃花水」という、竜の秘宝を命にする猫羽なのだが、猫羽自身はただの人間なのだ。ディアルス王家のように竜の珠に適合できているが、身を守る力は一切使えていない。
霧の精霊となった烙人の双子は、かつて猫羽の魂を「桃花水」に見つけ、意識を引き上げた縁者でもあった。猫羽にはすんなり霧の精霊は定着し、烙人に半ば無理に居ついていた時のように、宿主の命を削ることはなさそうだった。
目覚めた流惟は、烙人を殺した紫雨が「悪神」に、龍斗が馨になった顛末に、私も知ってたの……と大きく肩を落としていた。未来を夢に視る悪魔の適性が、流惟にはあった。烙人と紫雨と龍斗を守れなかった、と強く嘆いた。
「でもありがとう、サキ。兄さん達を、見つけてくれて」
一緒に落ち込む咲姫を、しんどそうな体で抱きしめてくれた。一人じゃないよ、と何処かで聴いた声で。
仕事を終えたナーガから解放されて、水火はすっかり魔物の少女に戻った。今日も紫雨に託された猫羽の世話をしている。猫羽の強い後押しがあり、水華の頃の友達にやっと手紙を出すらしい。
炯は鴉夜に、鴉夜の体が死なないように宿り続けている。元々人間である鴉夜の目覚めは期待できないと院長が言い、鴉夜を魔物にするか、咲姫が起こせば別だがな、と付け加えられた。
たまたま時間の巡り合わせで、玖堂家でも咲姫の誕生日を祝ってくれた。故郷も人間界もちょうど、十二月半ばに当たった。
サキの誕生日は、北方四天王が培養管のラベルに刻んでいた日付だ。どんな根拠の日かは知らないが、「誕生日と書いてあった」と養父には聴いた。ただの人造生物の生成日とは思えなかった。
「私、恵まれてるね。ねぇ、ヴァシュカ」
沢山力をかけた烙人がいないことで、生粋の人造魔物である水火は今後が危ぶまれている。ひとまず当面、魔竜のもやを水火の補助に回した。
咲姫はサキである灰色猫の霊獣を、再び相方にした。実体で両存はできなくなったが、必要があれば白黒猫にもできる。
「でも、たまには泣いてもいいかな。色んな人が、いなくなっちゃった……」
人間界の一人の自宅で、龍斗とよく遊んだゲーム機を見つめた。ソファで隣に座る灰色猫が、咲姫に寄り添うように頬を寄せた。
馨の龍斗は、咲姫との関わりを最低限にするようになった。伝波を遮断する仕掛けまで作り、咲姫の知らない所へ引っ越していった。
人間ある馨を竜や悪魔達の事情に巻き込み、死なせてしまった。その償いをしていると咲姫にはわかる。零那も引き続き、馨の龍斗を守って兎もどきで暮らしている。
「私は何も悪くないから、って……過保護だなあ、みんな……」
とりあえず三月に高校を卒業すれば、咲姫も今後を考えなければいけない。龍斗が馨として人間界で暮らす以上、咲姫もこちらで仕事を探す。
そんな必要はない、と言われた。人間界は、存外に厳しい。命の危険は故郷より少なくても、生きる対価は故郷より遥かに取り立てられる。
ぴっと、テレビの電源を入れて、かつてのライブ映像を再生した。
咲姫が竜夜達に拉致された時、手荒に外されたベルトは沢山の傷がついた。サクラが取り返して持っていたが、烙人にしか直せないだろう。
武器には変えられるので、外で着けなくなっただけだ。画面の咲姫はキレイな頃のベルトをして、自然公園で歌っている。
――きっと誰だって、家族になれる。
淡い星々が、地上で踊り出した。
それでまた、今日も明日も、歩いて行ける気がした。
D3-DKL's 了 2024.12.13
アンコール
鷹野咲姫は、賃貸マンションでダンスを配信する二児の母だ。結婚前までは便利屋業を営んでいて、現在は桜といういたずら好きの男の子と、桃という人見知りの女の子を育てている。
配信はさくらんぼチャンネルと銘打ち、まだ小学生の子供達と、兎のぬいぐるみと一緒に踊る。曲は自前の歌を使っているが、たまに大当たりする。伴侶も探偵という収入不定の職業なので、生活は決して楽ではないが、幸せ以外のなにものでもない。
咲姫には度々、見る夢があった。そこでの自分は不思議な城の白い部屋から、蒼い空の草原に出ていく。
――やっと見つけた……ラース。
そよそよとした風の中で、白い丘を登ると誰かが寝転んでいる。大きな樹の根で、おっせーよ、と腕枕内の蒼の目が笑う。誰かの隣に寄り添うように、美咲という可愛い娘もいる。
ゆっくりだったが、ずっと駆けてきて疲れたので、一緒にそのまま木陰で眠る。温かな木漏れ日が三人を包む。
すると今度は、鷹野咲姫が夢に出るのだ。いったいどっちが夢なのだろう、と首を傾げる。
黄昏とは、夜と昼の間のこと。暁とは、夜と朝の間のこと。どちらも夜の姉妹のようなもの。
黒にも白にもなれた花は、元々無色の青い夜だった。闇がだんだん青くなって、朝となるより前の夜と呼ばれていた。
暁を染めた紅い光が、初めの真の魔竜になった。青夜はその光を継ぎ、魔竜の心を視てしまった。
未来を夢に視て朝に運命を教えた竜は、秩序を破って暁に留まり、空の獣と契りを交わした。青夜も蒼い空に恋い焦がれるようになった。
空の獣が地上に来るのは、赤い揺らめきが往き来する地平にだけ。いつしか青夜も赤く染まり、黄昏の魔に手が届いていた。
蒼かった空の獣は、月空の冷たさを知り、魔の海で白い氷になった。
もうどちらとも、青い空にはなれない。
「……好き。大好き」
あの時口にできなかった、遠い心を伝えに行こう。
たとえそれが、光ある夜の終わりであっても。
Dragon series THE END. Many thanks for your visit.
DKL's➺D3
ここまで読んで下さりありがとうございました。
本作DシリーズD3は、DKL's(幽冥編)がCシリーズC1より前、D3本編(神竜編)がC3の後日譚になります。
幽冥編はD3前日譚で、なんと二十年以上前に初めて携帯小説を書いてみた時のものです。あまりに拙く、電子書籍にするからには大幅に直しましたが、基本ラインはポップな昔のままです。
D3本編は最新作のため、本作は最古&最新コンビです。不定期公開としますが、ノリの違い(?)をご賞味下さい。
D3にはCry/シリーズと探偵シリーズの面々が続々登場します。D3ではCry/シリーズの決着もまとめてつけているため、Dシリーズだけでは解らないエピソードも多々あると思われます。
pixivに掲載中のAtlas'シリーズも12月で手持ち分のデータが尽きるので、これでおおむね拙作宝界ファンタジーは一段落しました。今後の活動については、現時点ではほとんど考えておりません。
箱庭のような一つの世界で、舞台や時代が違うだけの様々な物語にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。ここからまた創作意欲が戻れば新作も書きますし、現実世界に忙殺されればひっそり消えていくかもしれません。
星空文庫に掲載した作品は特に、様々な場所で宣伝とありがたいコメントまで頂き、とても書き甲斐のある日々でした。この場で申し訳ありませんが、本当にありがとうございました。
出没するかはわかりませんが、一応僅かでも当面activeそうなリンクを残しておきます。
Xfolio:https://xfolio.jp/portfolio/sky
ラクマ:https://fril.jp/shop/xsky
出会えた皆様に感謝を込めて。 by Studio ***46
DKL's初稿(追える範囲の最古日付):2002.10.11
D3初稿:2024.11.21
Dシリーズ初話はこちら→https://slib.net/123525
サキの記憶が戻る前の話→https://slib.net/119265
咲姫と咲杳の並行小話→https://puboo.jp/book/134583
※常時公開は下記で
ノベラボ▼『竜の仔の夜➺D1』:https://www.novelabo.com/books/6335/chapters
ノベラボ▼『竜の仔の王➺D2』:https://www.novelabo.com/books/6336/chapters
ノベラボ▼『竜殺しの夜➺D3』:https://www.novelabo.com/books/6719/chapters