騎士竜➺D1前奏

騎士竜➺D1前奏

自然の化身をヒトとした「竜」が、人の世を駆け抜けていくファンタジー最初話。
怒ると雷が落ちる特異体質のライムと、謎の多い妖精リンティの山奥ドタバタ時代。
update:2024.5.10 D1-DKD

D1前日譚➺騎士竜

 
 彼女の育ての姉の証言、一例。
「もうそりゃーあの子、えげつないったらないわよ! 騎士の義理とか言って嫌がる男のコ達を無理やり自分の寝床へ連れ込んで、好きに言うこときかせようとしてるんだから!」

 いったい誰を相手に、養姉(やしないあね)が嬉しげに喋ったかは知らない。くすくす、と笑う妖精の告げ口。
 久しぶりに、雷が落ちた。常に不機嫌な十五の彼女の、空色で長いまっすぐな髪を揺らして。

➺序曲

➺序曲

 
「おっはよ~、ライムー♪」
 修行小屋。勝手に恥ずかしい名をつけられた物置で、朝方、名づけ主の能天気な声が響く。
「朝だよーう、そろそろ起きる時間なんだよーん♪」
「……ん……?」
 朝というには、何かがおかしい。眠気よりモヤモヤした感覚がライムを揺さぶる。
「起っきろーん♪ 今日は向こうの山まで遠征するんでしょー?」
 だからあたし、張り切って来たんだぞー! と。
 何がおかしいか、と言えば。この声の主が、こんなに早く起きているわけがない。
「あんたねぇ……」
 ふわふわと、頭上を楽しげに舞っている(あか)い影。手近な尻尾を、体を起こしてむんずと掴む。
「今何時だと思ってんのよ、リンティ。起きろって言葉は、太陽が上がってから言え」
「いたぁーい、親切に起こしに来たのに髪の毛掴むなんてひっどーい、乱暴者ぉ!」
「どーせ、自分が朝じゃ起きれないからって、夜更かしして夜中に来たんでしょーが……」
「だってぇ、今日は向こうの山で、大切な収穫があるんでしょ?」
 だから手伝いに来てあげたんだよう♪ そう鳥のような白い翼で楽しげにフワフワする、妖精と言いながら人間サイズの少女は、わりと広いこの物置でも空間的にはうっとうしかった。
「あんたそれ、その場で食べるつもりなだけでしょ。いいから、私にかまわないでよ」
「ライム一人じゃ、全部黒焦げにしかねないじゃん。この間のそこの畑の末路、忘れたのー?」
 それを言われると弱いライムは、むう、と黙りこむしかなかった。
「ってか、まだ月も出てんじゃないの……もう眠れそうにないけど……」
 起きてしまったからには、仕方ない。湾刀と背負い(かご)、そして古びた両刃の大剣を手にして、ライムは物置を出ることにした。
 朝ご飯を食べる習慣はほとんどないので、小さな水筒だけ肩に下げると、さっさと歩き始めた。

 修行小屋は、耕作や収穫の道具のある山奥の物置だ。と言ってもライムに農耕ができるわけではなく、近所の畑の雑草刈りや草木の手入れ、水汲みや食材の収穫をすることがライムの主な日課だ。
 その合間に、今日も持って出た大剣を振り回すことがライムの唯一の趣味で、休憩中にそんなことをしていたせいか、物置小屋は勝手に妙な名前をつけられてしまった。
「ライムのおばさん、そろそろ怒ってるんじゃない? 何日帰ってこないんだー! って」
「んなことより、おばさんって言う方がよっぽどスーリィは怒るし。だからあんた、嫌われんのよ」
「知らなーい、人間の考えることなんてー。おばさんをおばさんって言って何がおかしいのさー」
「そんなあんたのせいで今日の収穫、非常識な妖精に大事な食糧分けるコは重罰! って言われてんだけど」
 珍しく細かく事情を説明してみた。しっし、と追い払う仕草のライムに全くめげず、牡丹色の長い髪――まっすぐな紅いポニーテールをなびかせて、リンティがふふふん、と笑う。
「人間の価値観で非常識って言われたって知らないもん。ほんと、人間ってワガママなんだから」
「あんたには言われたくないでしょ……」
 呆れるライムも、この妖精が人間の養姉、スーリィ・シュアに何故嫌われたかはわからない。何しろ、人間でないという理由なら、ライムだってとっくにアウトになっていたはずなのだ。

 魔物や妖精、人間といった、色んな呼び名の生き物がいることは一応ライムも知っている。自分がどんな呼び名になるのか、それぞれの特徴もよくは知らない。ただ自分と「人間」らしい養姉と、「妖精」のリンティはみんな、違う生き物であることだけはわかる程度で。
「大体ここも向こうも、あたし達の縄張りのお山なんだら、人間こそ侵害者なんだぞー」
「それ、何度も聞いたから……あんた以外の妖精からもしつこく……」

 一年前、北山で出会い、何故かやたらに関わってくるようになった自称妖精。一見は同年代の少女リンティは、鬼的な美系部類に入るらしいが、ライムにしたらただ騒がしいだけだ。
 出会いは単に、リンティを襲っていた何かを追い払っただけだが、別にお礼で招待されたわけでもなかった。何しろ妖精なら魔物も自力で倒せるらしく、お礼という感覚をまず持っているか怪しい! というのが養姉の言だ。
「頭痛い……」
「なになに? 何か言ったぁ? ライム」
 ヒトの気も知らずに、ニコニコと首に抱きつくリンティ。今日こそはガツンと突っぱねなければ、と思うのに通じないのが、つまり妖精という、自分とは違う生き物だった。

 そしてスーリィ屈指の極秘スポットに辿りつき、いくらか収穫が進んでいた朝方に。
 突然、耳を突き刺す動物的な唸り声が響いた。
「何、魔物……!?」
 慌てて籠を置いて、大剣を構える。ほとんど同時に、数十メートル向こうの木々が、ライム達に近づくようにどんどん倒れ始めた。
「ちょっとっ、この木はやめてよね……!」
「ありゃー? 魔物でも走ってるのかな?」
 呑気なリンティの予想通り、触手に近い四肢を持つ巨体の魔物が疾走してきていた。
「……――って、え?」
 異変は、その巨大な疾走物の前。対照的にこまこまと、必死に走ってくる人影が二つあった。
「たったたたっ……! おたすけーっ!」
「……っ!」
 どうやら魔物に追われているらしい。こんなに辺鄙(へんぴ)な場所で。
「えーっ……わっかい男のコ……二人ぃ?」
「ちょっと、あいつら、邪魔っ!」
「だねぇ?」
 ライムから出向けば魔物を片付け、収穫中の背後の木々を守ればいいだけの話。なのに、
「このままじゃここまで突っ込まれるねぇ。ライムいつも先手必勝なのに~」
 そうなれば当然、この辺り一帯の収穫は台無しになる。それでなくても希少な果物なのに。
「そこのアンタ達! どいてなさい!」
「――!」
 焦るライムの一喝に気付いた二人が、慌てて付近の草むらに逃げた。
 魔物は一瞬足を緩めかけたが、ライム達の姿に気付いてそのまま疾走を続けた。
「でもライム、この距離じゃもう、本気出さないと止められないよー?」
 その「本気」自体が、周辺の果物を黒焦げにしてしまう。改めてライムは、もう! と、大剣を握る両手に、柄にヒビが入るほどの力をこめた。

 後から、魔物に追いかけられていた年上の方の少年は語る。
 それはとても軽やかな一撃で、巨体の魔物が吹っ飛ばされる光景は有り得なかった。

「……」
 思ったよりもスムーズに、剣だけを振れた。ライム自身も少し驚いていた。
「あーあー……折れちゃった、ねぇ~」
 その代償に、見事にバッキリいってしまった大剣。茫然と見つめ、しばらく黙り込んで現実を受け入れ、大きく溜め息をついたライムだった。
 剣が折れてしまったショックで、少年二人やリンティがもさもさと収穫物を食べ出したことも、最早気にならなくなった。
「――で、アンタ達……何なのよ?」
 遠慮なく果物を頬張っている彼らに、じーっと恨めしい青い目を向ける。
「いやーもぉ……ハムハム……ほんと、助けてくれて、うまーい、感謝!」
「…………」
 よく喋る少年と、全然喋らない一回り小さな少年。見たことのない服装だが、ほぼ同じ格好だ。二人共が緑の目と、無造作な深緑の短い髪をしているので、兄弟だろう。
「これうまーい! うちの里でも滅多にとれねーのにー!」
「だから何なのよ、アンタ達」
 少年達は余程飢えていたらしい。珍しくすぐ満足したリンティとは違い、ひたすら次の果物へ手をのばしている。
「何なの、って言われても……何なのって、何なんだ?」
「何者かってきいてんのよ! 何でこんな山奥に子供がいるわけ?」
「って、あんただって子供じゃん……」
 うんうん、と弟らしき少年も同調する。見たところ、ライムは兄の方より数歳上の感じだ。
「私は元々山に住んでんの。迷ったのなら(ふもと)まで送るから、町の名前を言いなさい」
 少年二人は一瞬怯み、顔を見合わせていた。
「……町って……俺達の里ってこと?」
「それ以外何処に送るのよ」
「里には、帰らない」
「はぁ?」
「俺達、邪魔者なんだ。だから帰れない」
「……?」
 一しきり、お腹を満たしたものの、子供ながら難しい顔で座る兄と、その横でまだ黙って食べている弟。確かに何か、ワケありではあるらしかった。
「……どーすんの、これ」
「放っとけば、また魔物に襲われるか、遭難してのたれ死にかだよねぇ。ライムのおばさんに相談してみれば? ライムだってあの人に拾われた身なんだし」
「でもスーリィ、猫の仔一匹、これ以上増やさないってハッキリ言ってんだけど……」
 それでも、彼らの行き先くらいは相談には乗ってくれるかもしれない。
 どの道自分では手に負えないことだったので、大人に任せよう、とライムも心を決めた。
「――アンタ達、その籠持って、ついておいで」
 最早かなり、中身は少なくなった。軽くなってしまった籠を兄の方に持たせたところで。
「……あっ!」
 籠をしょった少年の視線の先、ひっくり返っていた魔物が起き上がり、こちらを凝視していた。
「何だ、もう起きたんだ。巨体だけあって丈夫よね」
 くるっと、折れてしまった大剣の代わりに、収穫に使っていた湾刀を構えたライムだったが。
「……って、あいつ?」
 不思議そうな兄の少年を尻目に、魔物は背を向けると、足を引きずるように遠ざかっていった。
「ライムの剣を受けて、戦う力なんて残ってるわけないじゃん」
「ええーっ……ほんとに?」
 兄の少年は、去っていく魔物とライムを交互に見て、更に不思議そうな顔をする。
「あんた……追わねーの?」
「――? 何で追うの?」
「いや……魔物、だし……フツー、見逃さないかなって……」
 座り込んでいた弟を立たせながら、言い淀む少年。ライムは少年達の周囲を面白そうにフワフワするリンティに目線を移した。
「ほら、さっさと行くよ。夕飯の材料も仕入れないといけないんだから」
「そーだよねぇ。あんなの捕まえたって美味しくないし、早く帰ろ~」
 折れた大剣を背中に斜め掛けに、湾刀は手に持ったまま、ライムはハイペースで歩き出した。少年達は慌てて小走りで続いた。
 ライムは半分振り返りながら、少年達の顔を改めてまっすぐに見た。
「アンタ達、名前は?」
 深い空のような青の目に、あどけない少年達が映る。悪い奴らではなさそう、と何故か感じる。
「私はライム。こっちはつれのリンティ」
「こっちはって何さー、勝手に名前教えないでよう!」
 ぶーぶー言うリンティをこづきつつ、少年達から視線を放す。また歩き出したライムの後ろ姿に、数秒だけ悩んだ後、年上の少年の方が答えた。
「――俺は、武丸(たけまる)。こっちは、弟の佐助(さすけ)
「……」
 リンティと同様、弟は勝手に紹介されて不服そうだ。はっきり名乗った武丸の方を、もう一度ライムはゆっくり振り返った。
「……あっそ」
 とっくに上った太陽の下、心許なさそうに武丸はライムを見ている。ライムはまた歩き出した。
 代わりに、半分後ろ向きにフワフワ横に続く妖精が、二人の少年を不思議そうに見つめた。
「タケマルにサスケ? ……変わった名前~」
 ひょっとして……とリンティが、何やら警戒したような顔つきとなった。
「ヤマトの出身ぽい? 鎖国してるから、帰れないってこと?」
「ううん、今のみんなの隠れ里がヤマトなんだ。出身は地の大陸だよ」
「へーっ、それでも言葉、通じるんだぁ。っていうか、こんな遠くまでよく来たよねぇ?」
 ライムは知る由もなかったが、今ここ「風の大陸」は、海に囲まれた島国「ヤマト」を挟んで「地の大陸」とは真逆に位置している。いずれも生活レベルは大きく変わらないという。
「ま、ヤマトのヒトじゃないなら、まだちょっとは望みもあるかも?」
 意味ありげにそんな事を呟いた少女に、どういう意味か、と武丸が尋ねかけた矢先……。
「うわっ!」
 ぽん! と音がたちそうに、突然リンティは消えてしまった。思わず武丸と佐助がのけぞる。
「――気にしないで。いつものことだから」
「いつものこと……って?」
「妖精だから気まぐれなんでしょ。って、スーリィは言ってたけど」
「妖精? アレが?」
 ふおー……初めて見たー……。そう、二人してリンティの消えた方向をしばらく見つめていたが、構わずにライムが歩みを進めると、また慌てて後を追ってくるのだった。

 そして夕刻前。
 見知らぬ少年達を連れて帰ったライムへ、養姉スーリィの驚きようは意外に結構な剣幕だった。
「あんたってば……いったい何処でそんな若いの、しかも二人もテイクアウトしてきたのよ!」
「知らない。山に落ちてただけ」
「落し物は一割分けてもらえば十分なの! ってああっ、アタシの大切なバインの実まで!」
 最早目方が、減るどころか半分以下の収穫物に、スーリィは長いフワフワの髪を振り乱している。それでもまだその一言で何とか済んでいる。
「あの妖精といいこの和装二人といい、どうしてこう厄介事拾ってくるの、あんたって子は!」
「ワソウ? 何それ?」
 腰に巻く布でまとめられた前開きの上着。膝から下を(さらし)で締め付ける着衣の彼らを見てきく。
「ヤマト人の格好のこと! それでなくてもここらの里は異人ギライなんだし、オマケにヤマト人ときちゃ、アタシだってかばいだてしようがないの!」
「あ、あの……」
 何か言おうとしている武丸が気になりつつ、ライムも疑問を口にする。
「かばいだてって、ただの子供二人相手に、そんなのいるの?」
 首を傾げるライムに、スーリィはふーっと大きくため息をついた。
「時期が悪過ぎるってことよ。対立国のディレスの方が、風の大陸では影響力があるんだから。このコ達だってどんな理由で、ここまで来たのかわかったもんじゃないし……」
「あ、あの! 名前がヤマト語なだけで、俺達、地の大陸の同じ言葉の地域で生まれたんです!」
 確かに武丸の言葉はライムにもスーリィにも通じている。たまに鋭いリンティの警告は、こーいうことだったのか、と納得する。
「ヤマト人じゃなきゃ何。捨て犬? 捨て猫? 捨て芸人?」
「捨て? 捨て……そっか、捨て忍者です!」
「――は?」
「――?」
「にーちゃん?」
 キョトン、とするスーリィに、ライムまでキョトン、となった。そして初めて弟の方が声を出し、不安な顔つきで兄を見ていた。
「忍……者って……今アナタ、言ったかしら?」
「はい! 忍者です!」
「忍者って、あの……地の大陸の西海岸で暗躍してる、隠れたる刃、(しのび)の者とかいう、あの?」
「あ、はい! なので内緒にして下さい!」
「はい? ……よくわからないけど……『捨て』に反応したのはどういうことかしら」
「……スーリィ?」
 何故かテンションが落ち着き、語調が強まった養姉。真面目な目に違和感が溢れる。
「どの道忍者なら、今はヤマトに奉仕する奴がほとんどでしょう。知らないとは言わせないわよ」
「はい。俺達、それが嫌で、里を出て来ました」
「――はい?」
「もうすぐ戦争になるから、ヤマトのために戦えって。嫌だって言ったら、不心得者だって」
 それって……とスーリィは、呆れたように大きな深いため息を改めてついた。
「ある意味……ヤマト人を庇うより、もっとまずい状況じゃないの……」
 それがこの先、もたらされる騒動を予期しての呟きとは、今のライムには知る由もない。
「スーリィ。忍者って何? 騎士とは何か違うものなの?」
 ライムにとって、戦争という単語からまず連想するのは「騎士」だった。
「そーねぇ……主君に忠実で、武力を鍛え上げられた大量生産の兵士で、似てなくはないけど……騎士に比べて高潔でもなければ、孤高でもないという話ね、忍は」
「……?」
 ヒトとヒトが奪い合う「戦争」。その花形が騎士、と、この手のことに詳しいスーリィからは教えられてきた。
「まぁ、騎士が平地で決闘向きなら、山野を駆ける隠密行動向きの戦闘集団が、忍者だと思うわ」
 それで曲がりなりにも、ライムのペースについて山道を来られた。思い出すように納得した。
「それにしては、あんな図体だけの魔物に……」
 何故逃げ回っていたのだろう。新たな疑問も湧いてしまった。

 スーリィが、両腕を組みながら目を閉じて黙っている。
 一方、武丸に手をひかれている佐助は、相変わらずふてくされている。
「……ま、いっか。ややこしいことは、糖分補給してから考えることにしましょ」
 目を開けた時には、養姉は、いつもの軽い調子に戻っていた。
「とりあえずアナタ達、ご飯食べていきなさい。今日は腕によりをかけちゃうわ♪」
 材料とってきたわよね? とライムを見るスーリィに、
「はい」
 帰りに寄った谷川で、仕掛けにかかった魚をくるんだ布を、籠の底から取り出して渡した。
「おー、よしよし。これと昨日収穫した野菜があれば、結構豪華に作れるわね♪」
「……スーリィ、熱でもあるの?」
 何故かルンルン、という養姉に、ついつい不審の目を向ける。
「ないわよ♪ ちなみにあんたは明日、バインの実損失罪で重罰決定だからね♪」
 油断していた頃の不意打ち。全身が固まり、背筋に嫌な感覚が走る。
「スーリィ……それ……」
 でも、と言いかけたが、諦めて言葉を飲み込んだ。その様子を武丸が不思議そうにしていたが、ライムにはスーリィに逆らえない事情があるのだった。

 スーリィは、料理は上手いんだろうな、とライムは思う。
 元々焼いてあったパンに加え、魚一匹と野菜をいくつか使っただけで、スープやらサラダやら揚げ物やらが出るのは朝飯前らしい。日頃に比べると異例の手の入れようだ。
「うまーい! 俺、魚って苦手なのに、これはうまーい! すげー!」
「…………」
 (やかま)しく(せわ)しない武丸と、少しは表情柔らかく食べ物を口に運ぶ佐助。スーリィはとても満足げな笑顔だ。
「うふふ~、たんとお食べ~。無口で小食な誰かさんの分も遠慮なくね~」
 何か、スーリィ、エネルギー発散してる? とライムも何処となく察した。

 ライムはあまり食事をとらない。日に二度、何か食べれば多い方だ。
「子供ってフツー、こうよねぇ……何でうちの子は、食べないのにちゃんと育つのかしら……」
 一人分だと、作り甲斐がないらしい。日頃の食事は至って簡素なのだ。
「――どーお? 美味しい?」
 自分はあまり食べずに、子供達の食べっぷりを見守るスーリィに、武丸も無邪気に笑った。
「うん、うまーいよ! ありがとー、おばさん!」
 壁が(きし)んだ。
 場の、というより、スーリィの周囲の空気が固まった。ライム以外には、佐助は気付いていたかもしれない。無表情ながらも、食事の手を一瞬止めた。
「……ほほほほほ~。いいってことよ~」
 この顔を見るのは、リンティをここに連れてきて、同じ呼称を口にした時以来。ちなみにそれ以降、かの妖精は出入り禁止をくらっている。
「それじゃ、ライム、ちょっとこっちにいらっしゃい」
 何で私が……と頭を抱えつつ、無言の圧力の下、ライムは渋々隣の台所へ招かれていった。

 二人の少年をドア越しに窺いながら、スーリィはうふふ、とライムに微笑む。
「ライムはあのコ達、どうしたいのかしら?」
 ほほほほほ。笑顔が固まる養姉に、何が言えるだろう。
「……どうもしたくないけど」
「よねぇ。あんたに限ってねぇ」
 うんうん、と満足げに頷き、バシっと綺麗な微笑みを決めた。
「一刻も早く、お引き取り願いなさい」
 全然笑っていない目には反論の余地はない。ライムはふいっと台所を出て、水場で裏の井戸から汲み上げた水を軽く浴びて自室に帰った。いつものように、数日分の着替えと軽い間食を用意するのだった。
 ただし今回は、明日の「重罰」に備えた装備も、別途必要ではあったが。

「へー……こんな専用の部屋があるんだなぁ、いーなぁ~」
「……丸太小屋だ……」
 ひとまず、武丸と佐助を修行小屋まで連れてきたライムだった。武丸も佐助も何故か興味津々になっている。
「明日、二人とも町に連れていくから。今日だけは泊めてあげるけど、後は知らないから」
 コイツら、全然聞こえてないな……とは、小屋の中で浮足立った彼らを前にするとわかる。
 ライムとしても、「重罰」を前に気が重かったので、彼らに構わず早々に寝床に入った。今朝はほとんど眠れておらず、襲い来る睡魔を無抵抗で受け入れていた。
「――あれ? ライムさん、もう寝ちゃったのか?」
 何か話したそうな武丸の空気だが、どうせ明日にはお別れなのだ。深く考えることもないまま、眠りに落ちていった。

 珍しく、リンティのいない静かな夜のせいだろうか。
 存在感の絶えない紅い妖精は、現実でそばにいない時でも、夢に侵出してくることがあった。
――というわけなんだけど……彼らは、キケンじゃないかな……?
 薄暗く白いだけの森。不思議な空間の中、ポニーテールの少女が誰かと話をしている。
 北山の妖精の森は、最奥が確かそんな白い場所だった。
――ライムに関わらせても、大丈夫かな……?
 キケンに決まっとろう、と相手は笑う。難しい顔をする少女にライムも何となく頷く。
 しかし今日の夢はあっさり、幕切れを迎えることになった。
 ……というのも。
「ライムさーん! お腹減ったよー!」
 空腹で目が覚めたらしい成長期の少年。二日連続、早朝に叩き起こされたライムだった。

「……あのねぇ……」
 数日分、と思った間食が、二人の少年の一食に消えた。ライムは改めて、一刻も早く町に捨てよう、と心を決めた。
「これ何、ひょっとして鎧!? 騎士とかそういうのが着るって噂の!?」
「きらきらの刀環だ……でも刀身は刺突型……?」
 修行小屋を物色して楽しそうな武丸と、武器を触りながら無表情な佐助。どちらもリンティなみのマイペースさだ。
「そーいえばリンティ、見ないわね……」
 あの子朝弱いしな、と思い当たる。今日はこれから町に行くので、入れ違いになるだろう。
 何にせよ、これ以上騒がしいつれを増やすこともない。まず「重罰」を消化して、早いところ厄介事とは距離を置くに限る。それがこの山奥で暮らすライムの基本姿勢で、ひいては養姉からの大事な言い付けだった――人間でないライムが、二度と誰も殺さないための。

「ねーねー、ライムさんってひょっとして騎士なの!? 昨日も何か話してたし!」
「……騎士じゃないけど。見習い、って言われたかな……」
「だからあんなに強いの! この鎧いつ着るの? ひょっとして戦争行くの?」
「行かないし――興味ないし」
 遠出をする時以外、久しく袖を通していない鎧の存在を久しぶりに思い出した。元々スーリィのお下がりで、養姉のお伴に数回、短い旅に出た時に装着したものだ。
「そっか! 良かった、戦争嫌だよな、ライムさんも!」
 別に否定することではないので、はあ、と呟いたライムに、武丸はまた嬉しそうな顔をする。その様子を佐助が複雑そうな目で見ていた。
「いいから。これから町に行くから、さっさと荷物まとめなさいよ」
 別に荷物はほとんどない少年達だったが、なけなしの武具や雑嚢は持ち歩いている。しかし内容は隠しており、「忍者」の持ち物が多少気になったライムだった。

 昨日よりも早い足取りで、足場の悪い斜面が続く獣道を滑り落ちるように下る。
 武丸と佐助は確実にぴったり、ついてきていた。初めての場所であるはずなのに、山を駆けるという点では確かに専門家のようだ。
 行く道すがら、ライムは素直な疑問をぶつける。
「アンタ達、これまでどうしてきたの?」
「これまでって?」
「向こうの山に迷い込むまで、何して生きてきたのよ」
「里を出てから、ってこと?」
 里のことはどうやら「重大機密」らしいが、出てからのことはあっさり、武丸は白状していた。
「ヤマトから出る船で北の島に行って、その辺のワープゲートに入ったら、あの山に出たんだ。お腹が減ったから食べ物を探してたら、昨日の魔物の縄張りに入っちまって」
「つまり、アンタ達からちょっかいを出したってわけね」
 うん……とバツの悪そうな顔をする。山に生きる者として、相手の領分を侵した方が悪いという感覚は、ライムと共通するものがあるようだった。
「まぁ、要するに無謀だし無茶よね……子供だけで、知らない所で生きていこうなんて」
 ライムも五年前に、スーリィが拾ってくれた身だ。生活の仕方や人間との関わり方、そもそも自分がヒトという生き物であることもわからなかったので、よく今がある、と思う。
「ライムさんには、昨日のおばさんがお母さん?」
「拾ってもらって、剣を教えてもらってるだけ。師匠と弟子だって、スーリィは言ってた」
 ライムには、五年前より前の記憶が全くない。スーリィと出会った頃から意識に灯がともり、ライムと呼ばれるようになって物心がついた、といっても過言ではない。
「師匠と……弟子……」
 武丸がポカン、と口をあけて目を丸くして、飲み込むようにそのフレーズを呟いた後。
「あっ、あのさ、ライムさ……
「――着いた。アンタ達は外で待ってなさい」
 山の中腹。町にはまだ距離があるが、小規模な人里がすぐ先に見えた所で、ライムはぴしゃりと話を打ち切っていた。
「何処行くの? 町って、ここじゃないの?」
「ここはただの山里。用事で昼までよっていくだけ」
 彼らが昨日、消費した果物の分をここで働かなければいけない。そんなことをわざわざライムは口にしない。しかしそんなライムの思いを知るべくもなく……。
「――何でついてくるのよ」
「だって昼までって……俺達、どうしてればいいの?」
 がく、っと。心細そうな武丸と、その後ろで相変わらず喋らない佐助に、それでなくても「重罰」で気が重いライムの顔はますます苦くなっていった。

 スーリィ・シュアは、山奥でほぼ自給自足で暮らすものの、よく山里や町に降りては、「便利屋」と名乗って様々な手伝い仕事をしている。たまに「罰」として、あえてライムにさせることがあった。
 「罰」は不定期なので、得意先への訪問でも、こうして突然になる。今日は都合が悪い、と断ってくれないか……儚い望みをかけながら毎回呼び鈴を鳴らす。
「あら、らーちゃんじゃないの。久しぶりに来てくれたのかい」
 その、口調とは裏腹に全く柔らかさのない声色の無表情な女性が、無愛想に立ったライムを意にも介さず、ライム以上に不機嫌そうな仁王立ちでドアを開けて出迎えた。
「もっとあんたをよこしてくれるようにって、ずっと言ってるんだけどね。すーちゃんもあまり来てくれないし、来たからにはしっかり働いておくれよ」
 おばちゃん。としか言えない、くりくり頭に小柄な、気さくさや親しみは微塵もないおばちゃん。ひたすら無愛想なライムと、黙殺の一騎打ちだ。
「うひゃー……ライムさん、こええ……」
「……」
 武丸と佐助は完全に無視され、唖然としている。ライムの険しい顔つきと、ドア越しに見える家の中の様子に言葉を失っていた。
 いくつも散乱し、異臭を放っている異様な詰め物の袋と、詰め切れなくて天井まで届きそうな不要物の数々。夜でもないのに、灯りに火を入れないと、窓が遮られていて陽が入らない。
 こういう家を「ごみ屋敷」と呼ぶのだと、後に彼らは教えられる。

 黙々と、不要物の袋詰め作業に没頭しながら、外に運び出しては村の焼却炉に放り込む。灯りの火と油剤で大量のごみに点火していく。
「――俺達も手伝うぞ、佐助!」
「……えーっ……」
 物凄く嫌そうに後ずさる弟を、必死に引っ張って武丸が家内に連れ込もうとする。
「なんだい、アンタ達。らーちゃんの邪魔をするんじゃないよ」
「えっ……えっと……」
 何故か立ちはだかった、おばちゃんの無機質な視線。どうやらおばちゃんにとって、働き手はライム一人で充分らしかった。
「らーちゃんは無愛想だけど美人だし、良く気が付いて、とにかく働き者だからね。安産型だし、うちの息子の嫁に来ておくれって何度も言ってるんだけどね」
 息子は日中いないということだが、他に住む者がいること自体、少年達には衝撃だったようだ。
 ライムはひたすらノーコメントを貫き、おばちゃんのラブコールを相手にしていない。
「信じられねー……と、とりあえずどいてよ!」
 家に入るのは諦め、外に出た袋を運ぶと言う武丸に、ライムは黙ってごみ袋を手渡した。
「らーちゃん以外の素人には、お金払わないからね」
 おばちゃんのその反応も、ライムには予想済みではあったようだが……。
「――いてっ。何、今の?」
 何個目かの袋を受け取った武丸が、一瞬バチっ、と走った異音と軽い痛みに首を傾げた。
「……もう、いいから。外で待ってなさい」
 不思議がる武丸に、一段と厳しい顔で睨みをかけた。それでもフルフル、と武丸は首を左右に振ると……。
「弟子は、師匠の手伝いをして当然!」
「――は?」
 思わず呆気にとられて、動きの止まったライムの手から新たなごみ袋をもぎとった。するとまたバチっとして、「いてっ」と繰り返しながらも、外で立ち尽くす佐助とは対照的に、慣れない手つきで武丸は必死に動き回り続けた。その姿をライムは複雑な思いで見ていた。

 おばちゃんは最後まで無表情に、「らーちゃん、お嫁に来てよ」と言っていた。太陽が南中するまでというのが決まりで、昼時にやっと解放されたライムは、里の入り口の柵に腰かけながら、小銭袋に何個か木札を加えて、ふーっと息をついた。
「これなら何とか足りてくれるかな……はい、アンタにもこれ」
「え?」
「分け前。一緒に働いたんだから、当然でしょ」
 武丸に一つ、小銭になる木札を手渡したが、受け取った武丸は不思議そうに目を丸くするばかりだ。というのも……。
「いいの? 師匠からお小遣いなんてもらっちゃって」
「――ちょっと待ちなさい」
 二度目の聞き捨てならない科白(せりふ)に、さすがのライムもつっこまざるを得なくなった。
「今、何て言った」
「うん。ライムさんは、俺のお師匠さんだって」
 佐助の手を引きながら、にこにことライムの方を見て答える。
「って、誰がアンタの師匠なのよ!」
 バチバチっ! と一瞬、ライムが座っていた柵に火花が飛び散った。うわっ、と驚く武丸とびくっと手を握る佐助を見て、ライムは一呼吸置いてから柵を降りた。
「だってライムさん強いしカッコいいし! 俺はライムさんに弟子入りするって決めた!」
 ライムが何か言う前に、負けじ、と武丸が自己主張する。
「俺達役に立つから、ちゃんとライムさんのお手伝いするから! 弟子にしてくれよ!」
「……にーちゃん……」
 武丸の手をひっぱる佐助の両手に力が入る。不満そうな顔を隠しもしない。
「――ほら、弟も嫌そうじゃない。バカなこと言ってないで、住み込みの働き口でも探し……

 その時突然、ぼふん! と軽い爆風が、ライムと武丸の中間から湧き起こった。
 生来口数が少ないライムは、何かあると、自分が言いかけたことはどうでも良くなってしまう。爆風の張本人に文句を言わんと、武丸より斜め後ろにキっと向き直った。
「危ない出方するなって、何度も言ってるでしょ、リンティ!」
「面白いじゃ~ん。弟子にしてあげなよーう、ライム~」
 里の出口で、突然の衝撃で気を失った佐助を、何故かぬいぐるみのように抱えるリンティがいた。
「さ、佐助!? え、何!?」
「あははは~。ごめーん、ちょっとこのコ、借りていくねー」
「えぇっ!?」
 脈絡もなく現れた妖精は、出現した時と同じく軽い爆風を起こす。そのまま跡形もなく消えてしまった。
 一瞬の出来事に、焦る暇すらなかった。武丸とライムは、消えた二人がいた場所を眺める。
「さ、佐助が……妖精に連れていかれちまったー!」
「……何考えてんの、あいつ」
 ウンザリな顔のライムの横で、どーしよー、と困っている武丸。助けを求めるように見つめてくる。
「ライムさん……佐助、大丈夫なのかな……」
「わざわざ、危害を加えたりはしないと思うけど……妖精とか、何考えてるのか、ワケわかんないし」
 えーっっ! あたふた余計に慌てる武丸に、これ以上言いようがない。
「そもそもさ、まずさ! 佐助、返してくれるのかな!?」
「それは……借りるって言ってんだから、返す気はあるんじゃないの?」
「そ、そーだよな……ちゃんと返しに、来てくれるんだよな……」
 そこまで言って、捨てられた仔犬のような目でまたライムを見る。
 リンティが佐助を返しに来るなら、現れるのはライムのいる所だろう。それなら武丸は、佐助の無事を確認するまで離れてくれない。
 はぁ……と、深いため息をつきながら、小銭袋を持ち上げてライムは眺めた。
「……とりあえず、予定通り町に行くわよ」
「うん。俺、ライムさんについていくから」
 「重罰」は「重罰」でも、それで得た糧は自由に使っていい決まりだ。ライムは武丸達のことを抜きにしても町に用事があった。
「弟帰ってくるまで泊める、なんて言ったら、スーリィ、怒るだろうな……」
 そんなユウウツが、頭の隅をよぎる。ひとまず町に行く目的に思いを馳せると、少し心が晴れた。武丸の声もきかなかったことにして、町への道のり、残り半分の山下りを更に加速した。

「おーっ、久しぶりだなぁ、ライムちゃん! まーた剣折ったのかぁ?」
 町につくと、物珍しげにキョロキョロしている武丸に構わず、ライムが一路向かった先は。
「大きさは同じくらいで、前よりもう少し丈夫な剣がほしい。これで足りる?」
 小銭袋をドン、とそのまま、この屋の主がいる木彫りのカウンターに置いた。
 中身を検分しながら、鍛冶屋らしい筋肉質の体で、ハチマキをしめるオヤジが楽しげに言う。
「丈夫っても、これじゃ戦場落ちで切れ味皆無の、バスタードかツーハンドがせいぜいだぜ」
「わかってる。切れ味はいいから、また手抜きか失敗作でいいから、新しいのにして」
「相変わらず、金持ってねーなぁ。それだけの腕がありゃ、珍獣でも賞金首でも稼ぎ放題だろー」
 オヤジはごとごとと、カウンター裏の足元に転がる剣を手にとって眺め出した。
「今度ライムちゃんが来た時にって、とってあったのがあるんだがなぁ。丈夫さはピカ一だけど、切れ味悪いの、重いの何のって。前のより更に重いけど大丈夫かぁ?」
 オヤジが取りだした大剣を受け取り、片手で掲げるライムには愚問だ。
「……力いるな、これ」
 そう呟きながらも、満更でもない。上から下まで大剣を見つめる。そんな姿にオヤジは満足そうにした後、小銭袋を持ち上げて、爽やかに笑った。
「これだとちょっと足りないから、うちに嫁に来てくれたら、まけるんだがなぁ?」

 鍛冶屋を出てから、無言でさっさと歩くライムの後ろ。武丸が呑気な感想を口にした。
「ライムさんって、ひょっとしてモテモテ?」
「ここらの町も里も、単に女が少ないだけよ」
「そうなのか……ってことは、俺とか佐助みたく、男が増えると嫌がられる?」
「……そういうことも、なくはないだろうけど」
 昨日の話もあり、武丸達を何処に放置すべきかはライムも悩む。珍しい服装だけでも変えさせたいが、武丸はこれは脱げない! と、上着の下に金網に似た異様な肌着ものぞかせながら拒否した。
「お守り失くしたら困るし、俺達の服とか買うくらいなら、さっきの刀の足しにしてくれよ」
 これ! と先程の分け前の木片を返そうとしてくるが、ライムも頑として受け取らない。
 結局鍛冶屋のオヤジから足りない分のお使いを頼まれたライムは、町の裏山で高級キノコを探す羽目になっていた。裏山は小魔物が多く、普通の人間は出入りをしたがらないのだ。
「でもさ、何でそんなに新品がいいの? 切れなくていいなら未修繕品、何か良さそうなの沢山安く売ってたじゃん」
 しかも、切れなくていいの? 不思議がる武丸に背を向け、ひたすらキノコを探し続ける。
「前の持ち主がいると、剣から嫌がられるの」
「嫌がられる……?」
「切れて長持ちする新品を買うお金はないし、それなら力を込めるしかないでしょ」
「??」
「リンティから教えてもらったやり方だけど。〝力を込める〟には、新しい方が簡単なのよ」

 高級キノコは高級だけあり、全然見つかってくれない。イライラを紛らわせるために話す。
「スーリィは嫌がるけど、その方が重い剣も持てるし。そのまま剣振れば、何かスッキリするし」
 ひょいっと、目の前の大岩を持ち上げたら大量の虫が潜んでいた。すぐに元に戻したライムの人間ならぬ腕力は、常時でなく力を込めた時だけ出てくるものだ。
「こうなると、剣を教えてもらう時には、逆に力を抜かなきゃだけど」
「よくわからないけど、ライムさん強いし、そんなに力あるのに剣とか習う必要あるの?」
「剣術と力は、全然別だし。スーリィ、ほんとに剣は強いし」
 勝つだけであれば、人間のスーリィは相手にならない存在だ。けれど剣の腕の差は歴然としている。風の大陸北東端にある凍土の大国、ディレスの高位騎士だったという。
「強かったけど、長い戦争に嫌気がさして、放浪してたら私を見つけて、引退したんだってさ」
「えー。じゃあ俺達と似てるんじゃん、おばさん!」
「戦争が嫌だってこと? スーリィはああ見えて、千人斬りの異名を持ってるらしいから、弟子入りするならスーリィにしたら?」
 うぐぐぐ。武丸の顔が青くなる。
「……俺……ライムさんみたいに、魔物も殺さないヒトの方がいい……」
 しょぼん、としながらポツンと呟いた武丸の前、
「別に殺さないこともないけど……あぁもう、沫茸(まつたけ)なんて簡単に見つかるか、あのケチオヤジ!」
 バチバチバチ! と。大岩の側面に生える高級キノコを探すライム周囲の岩から、山里の柵の時のように火花が飛び散った。
「―!?」
 またしても驚く武丸に、ライムは淡々と言い捨てる。
「……これだから。死にたくなかったら、私には関わらない方がいいわよ」
「何で何で? 今のって何か関係あるの?」
 逆に近づいて袖を引っ張ってくる。こらっ! と焦る。
「離しなさい! ――怒ると雷が出んの!」
「なんてなんて? ……さっきのバチバチって、もしかして?」
「私の周りは勝手に力がこもって、バチバチなったりするようにできてんの!」
 それはそのまま、言葉通りの体質だった。剣に対しては意識して力を込めるせいか、バチバチとなることはほとんどないが。
「ひどい時はほんとに雷が落ちるから。弟子入りなんてしたら、一年たたずに多分死ぬわよ」
 へー……と、火花の走った岩を放心したように見る武丸から、さっさと離れる。
「すげー……やっぱりライムさん、カッコいー……!」
 何故か先程まで以上に、きらきらした目で見つめてきた。ライムはどこかバツが悪くなりながら、高級キノコ探しを再開する。
「ところでライムさん……さっきからずっと、沫茸探してるの?」
 そーよ。とだけ無愛想に返すライムに、武丸は何故か嬉しそうに、両手を差し出してきた。
「これ、献上する。俺達、こういうの探すの、日常茶飯事だから」
 両の(てのひら)に、確かに何個も乗せられた茶色い沫茸。目を丸くしてもう一度武丸を見た。ライムの中に、忍者イコール採集の専門家、という妙な認識がまた追加された。
 満面笑顔の武丸に、しばらく躊躇(ちゅうちょ)するライムではあったが。
「……まぁ。昨日と今日の、宿代に頂くわ」
 そろそろ帰らなければ、夕飯の材料を持ち帰らないといけない時刻に間に合わない。できれば今日中に剣はほしく、迅速に見つけた妥協点だった。
 明日には多分、大体毎日やってくるリンティが、佐助を連れて現れるだろう。そうなればもう後は、有無を言わさず彼らを追い出せばいいだけ。町の位置も今日でわかっただろうし、高級キノコをあっさり探し出せる、そんな技を持っているなら、これからの生活も彼らなりにやっていけるだろう。
 それなら今日だけは、また泊めてもいい。スーリィへのお土産分の高級キノコを差し引いてから、鍛冶屋に向かうために小さな裏山を降りた。町の裏手の、さびれた広場に出たライムと武丸だった。

 元々、裏手のためにひと気の少ない場所ではあるが、広場には寒気がするほど人の姿がなかった。
「それにしても、ライムさん所にも長刀、高そうで(つば)が無くて端っこが丸いの置いてあったよな?」
 他にも片手持ちが一本あったのに、と、無骨な安物の剣を使うライムに武丸が不思議がる。
「稽古用はともかく……あの長剣、リンティが持ってきたのよ。妖精の宝剣、とか何とか言って」
「えー! 凄そー!」
「切れ過ぎるし、力込めなくても火が出たり凍ったりするから、ややこしいったらありゃしないの」
「なるほど……刀のことは大事なこだわりなんだな、ライムさんにとって」
 勝手にうんうんと納得している武丸は、ライムが急に立ち止まった理由に気付かなかった。
 何か来る。咄嗟にそう感じた災い。
「うちの里にも刀好きがいてさぁ。もう変態としか言いようがない奴なんだけど、刀を見る目は確か、とも全然言えなくて、邪道なモノばっか集めては奇声をあげて喜ぶ変な奴が……

「――嘆かわしいぞ、同志武丸。里のことを軽々しく口にするだけではなく、異邦人に同志への罵倒を口にするとは……嗚呼(アア)、我ら異体同心の誓いは、何処へ行った!」
 その、流れるような口調と着地音もない身のこなしで、「彼」はそこに降り立っていた。

➺舞Ⅰ

「うっ、うぐふぉっ……!」
 突如として場に降り立った男は、背筋を伸ばしてライムと武丸に対峙した瞬間、勝手に一人でヘナヘナよろけ落ちた。
「――?」
「うっ……うぐふっ……――美しいっ……!」
 胸を押さえて苦しそうな男に、あちゃ、と武丸が額を押さえる。
「何と美しい御方を同伴しているのだ、お前という落伍者は……! 嗚呼……まるで砥ぎ澄まされた刀の白鞘(しらさや)のような凛とした美しき方ではないか!」
「白鞘って……砥いでるの関係ないじゃん……相変わらずだな、青桐(あおぎり)……」
 それでも傍からすれば、ライムが相当な美少女であることは武丸も否定しないようだった。
「何と貴様! 異邦人の前で同志の真名を明かすとは何事だ!」
「さっきアンタも思いっきり、俺のこと武丸って呼んだじゃん!」
 その、青桐と呼ばれた二十代くらいの男は、苦しそうに胸を押さえて片膝をついている。自称「切なさ」を噛みしめているようだった。
「しかしこの青桐、今後お前に連れ合いで勝りようがなくとも、決して使命を忘れはせぬ!」
「……アイツ、アンタの知り合い?」
 世間知らずのライムでも違和感を持つ相手に、武丸がはぁ……と肩を落とした。
「さっき言ってた変態……腕は俺達の中でもピカ一なんだけど……よりによって青桐をよこすなんてな……」
「美しき方よ、同志の戯言(たわごと)に惑わされるなかれ。よくぞこの青桐についてお尋ねいただいた!」
 苦悩を一瞬で忘れ去ったようにスタっと立ち上がり、顔は頭巾で隠されているものの、格好は武丸達とほぼ同じことがライムにもわかった。
「其れがしこそが我が里の第三の(もく)の徒、同志青桐であるぞ! 情けなくも里の定めより脱落し、あまつさえ逃亡を図るという落伍の徒、武丸と佐助に引導を渡しに参った! ふぉぉ!」
 一息で言ってのけ、言い回しはともかく内容は単純だった。
「なるほど。連れ戻しにきたってこと」
「俺より里の事情、話しまくってるし……」
「さぁ! いざ神妙にするがいい、同志武丸! 大人しくしていれば危害までは加えぬ!」
 武丸に向かって右手の人差し指をつきつけ、左手は腰元で握り締める決まりよう。まるで妖精の里に行った時のような騒がしい相手の再来だった。
「また、(うるさ)いのが増えた……」
 それは文化としてお茶らけるらしい妖精達より、熱苦しさは上かもしれなかった。

「……むお?」
 ライムと武丸を凝視していた青桐は、ようやく違和感を持ったようだった。
「待つのだ、同志武丸よ。同志佐助の姿が見えぬが、いったいどうしたというのだ?」
「あー……それは……」
 武丸が黙っててくれ、と言いたげな目配せをしてきたので、あまり関わる気はないライムは、口を挟まず傍観に徹する。
「佐助は安全な所に預けてきた。もう里に帰す気はないから、探しても無駄だと思うよ」
「何を言うか、このうつけ者めが! お前と佐助が共に失踪するなど、里の者に示しがつかぬではないか! はっ、それとも貴様、第二がこれ以上脅威とならぬように葬ったのか……!」
「違う違う、佐助はぴんぴんしてるよ。でもこのまま里にいたままだと、そうもいかなくなるし」
「――ちょっと。長くなりそうなら私、帰る」
 ライムの大切な日課の一つ、夕飯の材料を仕入れる刻限が迫る。今から鍛冶屋に寄って山を登ることを考えると、一刻の猶予もない。
 場から離れようと(きびす)を返した途端、武丸が泣きついてきた。
「待ってよーライムさん! 俺もついてくから置いてかないでー!」
「アンタ迎えが来てるんだったら、諦めて一緒に帰りなさいよ」
「やだよそんなの、それなら最初から出てこないよ! 俺はライムさんの所の方がいい!」
「――ななな何だと、同志武丸よ!」
 歩き出そうとするライムの腕を引っ張る武丸に、青桐は何故か、ライムを仇を見る目で睨みつけた。
「美しき方よ、貴様が武丸を惑わせた元凶であったか! その美しさならば是非もなかった!」
「は?」
「災いの芽は今ここにて摘まねばならぬ! 心苦しくはあるが、どの道我らの姿を目にし、また深く関わってしまった者の口は塞がねばならぬ! 嗚呼ぐぬぬあぁあ、許されよ、白鞘の方!」
 科白は変だが喋りは流暢で、以後の行動も俊敏だった。突然青桐が目前から消え去っていた。

「――やめろよ青桐! 何するつもりだ!」
 武丸の焦りが一気に強まり、ライムの背筋にも冷感が走り抜けた。
「――っ!」
 確信があったわけではないが。悪寒が(ほとばし)ったまま咄嗟に前転したライムが立っていた場所に、光の軌跡が首の高さを(えぐ)っていった。
「むむむ……この青桐の刃をかわすとは、ただ者ではないな!?」
「ライムさん、よけて!」
 ともすれば泣きそうに聞こえる武丸の声。迫り来る本物の殺気に、全身に緊張が走る。
 騎士とは違う戦闘集団、それが忍者。この、段取りも容赦のカケラもない突然の殺し合いに、違いを肌で感じたライムだった。
――先手もとれないし剣もないしって、最低!
 青桐はすぐにライムの方へ間合いを詰めると、鍛冶屋で見たことのある短い片刃、いわゆる懐刀による一撃を遠慮なく繰り出してきた。
 正直、こんなに突然殺されそうになるとは、思ってもみなかったライムだ。ひたすら回避するのが精一杯で、青桐の一挙一動に全感覚を集中させる。
「こういう時に限って、雷も落ちないし……!」
 むしろ不思議なほどに、頭には怒りと真逆のヒンヤリした血が徐々に巡る感じがあった。
「――って」
「ぬぅぅお!? 何故だ、何故に当たらないのだ!」
 攻撃を避けていく内、ちゃんと青桐の動きが見えてきたことにライムは気付いた。
 何だ、私、冷静じゃないの。ライムの特技は、相手の強さの掌握が早いことなのだ。
「す、すげー……ライムさん、青桐の攻撃、全部最低限の動きで避けてる……」
 スーリィに真剣で鍛えられている甲斐がある。そんなことまで思う余裕が出た。
「有り得ぬぐおおおお、貴様何者だ!? この青桐をこけにするなどと!」
 確かに剣を始めて四年強のライムが、修行を続ける二十代のプロを相手にできるのは信じられなかった。
 しかし避けるだけのこの状態では、何ともできない。武器を持つプロに素手で立ち向かえるほど、さすがのライムも実戦経験はない。体力的にもライムの方が先に尽きる可能性が高く、何でもいいから打って出ないと勝ち目はないだろう。
「って……駄目だ、ライムさん!」
 体の前をかすめた短刀を、青桐の右腕ごと掴んで止めた。武丸が焦り声を発する。
「生憎、武器はこれだけではないわ! ふぐはははははは!」
 勝ち誇ったように青桐は、自由な左手の装具から刃を出現させた。そんな仕掛けなのかと感心しそうになったライムに、鋭い鉤爪が中段から胸元をめがけて襲って来る。
 ――とった! 勝利を確信する青桐に、痛いだろうなー、と眉をひそめたライムは……。
「ライムさん……!」
 立てた右前腕に、鉤爪が深く食い込んだ直後に。
「――痛いんだけど」
 掴んでいた青桐の腕と、鉤爪ごと捉えた左手、つまり青桐の両腕を封じたライムは、そのまま力一杯両手を振りかぶって広場に放り投げた。
「――おおおおおおおあ!!」
 叩きつけられる直前までそんな声が響いていたが、すぐに静寂が訪れてきた。これだけ力を込めて攻撃をするのは、ライムも初めてで汗が吹き出てきた。

 右腕の激しい痛みに顔が歪む。青桐が死んでいないか、近付こうとしたライムだったが、その前に武丸が駆け寄ってきていた。
「ライムさん、行こう! あれくらいじゃアイツすぐに目を覚ますから、その前に早く!」
 手早くライムの上腕にきゅっと布を巻いて、止血した武丸がライムの手を引っ張る。
「……そーね。先にとりあえず、剣を手に入れておかないと」
 人間なら死んでもおかしくない衝撃。確かに青桐は気絶しただけのように見えた。
「あ、待って。足止め足止め……っと」
 気絶している青桐の両手に、武丸は懐から取り出した鎖を巻き付け、木の幹に括りつけた。その一連を横目で眺めつつ、ライムは難しい顔で痛む右腕を押さえつけていた。
「情けないな……あんなに力、込めなくて良かったかな」
「――え?」
 相手を殺す可能性も承知で、ヒトならぬ力で必死に対応した。そんな余裕のなさが、スーリィの教えをずっと受けてきたライムには不甲斐なかった。

 それだけの力を持っているなら、どんな相手にも余裕を持って対峙できるぐらい強くなれ。繰り返す戦争に嫌気のさしたスーリィにとって、勝利とは生き残ることではないらしかった。
――殺すだけでいいなら簡単なのよ。難しいのは、相手に負けを認めさせること。

「ライムさん……」
 傷ついた右腕よりも、今の勝負内容が気に食わなかった。武丸が改めてライムをじわっとした目で見ていたことにも、気が付く余裕はないのだった。

「あんたねぇ………」
 山の陽が落ちる頃に、いつもより遅い時間に武丸と二人で帰り、右腕を深く負傷したライムをやれやれ、とスーリィが出迎えていた。
「だから言ったじゃないの。このコ達に関わったら、まずい状況になるって」
 手当てを受けるライムの不機嫌さを、武丸がはらはらした様子で見守る。
「この業界って、脱落者には厳しいのよねー。アタシも最初は、何度も刺客に襲われたもんよ」
「……別にスーリィは、脱落者じゃないでしょ」
「彼らにとっては同じことなの。どんな理由であれ主君の元から離脱していく者は、裏切り者か脱落者って扱いになるのよ。迎えに来たなんて甘過ぎるくらい。そのまま引き渡すのが一番……っても、忍者相手じゃ巻き込まれた時点で無理かもしれないけどね……全く」
「……俺のせいで、ごめんなさい」
 しゅん、とする武丸に冷たい目は向けていないものの、言葉は厳しいスーリィだった。
「君がここにいることで、アタシ達が巻き込まれるだけじゃない。君の故郷の仲間達は、いったいどうなっているのかしら? 君達だけが逃げてくるなんて、彼らに悪くは思わないの?」
「…………」
「そんなの別に、逃げたい奴は勝手に逃げればいいだけじゃない」
 ぶすっと言うライムは、武丸をかばったつもりではなかった。集団行動なんてほとんどしたことのないライムは、スーリィの言わんとすることがよくわからない。
「甘いわね。本当にその定めに抗うつもりなら、里に残って仲間を集めて、定めそのものと戦うべきだ、と私は言っているの」
 その言葉は、きっと正しい。黙り込んだライムの代わり、ぽつりと武丸が、ライムの包帯を巻かれた右腕を辛そうに見ながら呟いていた。
「俺は……正直、よくわかんないんだ……」
「――?」
「俺達以外、戦争に行きたくないなんて言ってる奴、いなかったから……佐助も俺についてきただけだし、本当は俺一人くらいしか、戦争が嫌だって思ってないのかもしんない……」
 俺だけが弱っちいのかな、と。俯いて座り込んだままの武丸に、ライムとスーリィがそれぞれ思い思いの視線を向ける。
「――とりあえずよ」
 顔はまだ笑ってはいないものの、声からはいくらか厳しさが抜けていた。
「ややこしいことは、糖分補給してから考えることにしましょ」
 ライムの手当ても終わった。スーリィは腕まくりをして台所に引っ込んでしまった。
「夕飯の材料、沫茸しか渡せてないのに……今度は何を言われるものやら」
 台所のドアを見つめる。その沫茸も武丸が見つけたものなので、日課を果たせなかったのが気が重かった。
「さすがにこんな状態のライムさんに、罰とかないんじゃないの?」
「甘いわね。アンタを連れて帰ってきた件も含めて、絶対夕飯後に何かあるわ」
 もう寝床――修行小屋に逃げようかな、と現実逃避が入ってくる。疲れが激しい。
「ライムさんのおばさん、厳しいお師匠だな……でもそこまで言うこと、きかなきゃダメなの?」
「見習い騎士ってそういうものだって、ずっと言われてる」
「ライムさんはそんなに、騎士になりたいの?」
「別に、大して。剣を教えてもらう条件が、騎士を目指すことだっただけ」
 やる気なく答えるライムに、武丸が大きく首を傾げた。
「見習い騎士になって絶対服従。雷一回落とすたびに厳罰。簡単に雷落としたりしないように、精神修行も兼ねたらしい仕事が最近増えたけど……それはまぁ、仕方ないかな」
「何で? ひょっとして今日みたいなのが何回もあるの!?」
 ごみ屋敷とおばちゃん。最初の苦行を思い出しながら、理不尽だぁ、とウルウルする武丸に、ため息をつきながら視線を合わせずに呟いた。
「一年前、雷落として、スーリィ殺しちゃったから」
「えっ!?」
「リンティがいたから助かったけど、ほんとに心臓、一回止まっちゃった。それからだったかな、スーリィが重罰って言い出すようになったの」
 何となく、声のトーンも落として言った。だからスーリィの言うことはきく、と。
「でもライムさん……そこまでして、どうして剣、習いたかったの?」
「……」
 そう言われると、自分でもわからない。それ以外には、したいと思ったことがなかった。
「剣は習いたいけど……多分、それは……」
 どうして現在、こんなことを武丸と話しているのだろう。ふと我に返って考え込んだ。
「……今日みたいに、余裕のない戦いはごめんだもの」
「それって……いつかは戦うのが、前提ってこと?」
 スーリィに雷を落としたくだりは、自分に近づくな、と言いたかった。しかしそこから全然、言葉が出ない。腕の痛みもあるのか、頭がぼーっとして考えがまとまらない。

「それより、あの青桐って奴、簡単にアンタを見つけてたけど。今夜でもくるんじゃないの?」
「ううん。足跡はちゃんと消してきたし、あの町にいたのも多分、ワープゲートの出口から一番近い町を張ってたんだ。ここが見つかるまでは、もう少し時間がかかると思う」
 それで帰り道は、変に時間がかかったわけだった。こういう話では武丸の顔も大人び、忍者というのはその手の分野に強いんだな、と改めて認識に加わる。
「でも俺、夜の間、外で見張ってるよ。おばさんに迷惑かけたくないし……」
 そこに私は入らないのか、とつっこみたかったが、ご飯ができたと呼ばれてしまった。食欲はないが、一応食卓につく律儀なライムだった。

 昨日に続いて、気合いの入った夕飯が終わった。その後、ライムは修行小屋に帰るわけにはいかなくなっていた。
「今日の罰として、あんたは明日中に、この間黒焦げにした畑にパルスリーの種をまくこと♪」
「種をまくって……まず、畑から作らないとダメ……?」
 今までしたことのない作業だ。遠慮なく嫌な顔をするライムに、はい、と分厚い本が渡される。
「やってみせたら一番簡単なんだけど、明日はアタシも忙しいから、これ読んで勉強して♪」
「……」
「あぁ、後、あのコの追手さんがここまで来たら厄介だから、今度はちゃんと叩きのめすのよ。うちまで来させたら承知しないからね! あのコ達もさっさとお引き渡しすること!」
 叩きのめすが、武丸達も引き渡すのか。謎な結論だが、スーリィに異議を申し立てたが最後、罰が増える。引き下がるしかない。
 そうして渡された本を台所の机で開きながら、スーリィのにわか教育で教えられた言語力だと解読し切れそうになかった。
「うわ、知らない単語ばっかり……それでなくても今、頭ヘンなのに……」
 すぐに睡魔が襲来し、ウトウト船を漕ぎ出してしまった。朝に起きてから読んでも、明日中の畑起こしと種まきには到底間に合わない。
 その様子を、食事部屋の床に寝床を貸してもらった武丸が、心配気にドア越しに眺めていた。

 そんなこんなで、久々の実家泊りとなったライムは。机という寝床の不快さもあってか、浅い眠りにさまよう中で、また誰かの侵出してきた夢を見ていた。

――……うん。記憶消してやろうと思ってたけど、気が変わっちゃった。
 はぁ? と思わず返しそうになった。そんな目的であの時は妖精の里に招かれたことを、今更ながらに夢で思い出した。

 初めてあの少女に出会ったのは、朝っぱらからスーリィと大喧嘩をした日だ。バチバチとあちこちに静電気を撒き散らして、気が付けば北の山まで歩いてきていた。
 森の一画、地盤が硬く燃え難い広場に、尻尾が沢山あるように見える炎。そんな謎の大きな獣と、たった一人で対峙する少女がいた。先端に透明な珠を(あつら)えたロッドを持って。
 どうしてか、ひどくむかついてしまった。最後のスイッチを押されたように、立て続けに雷が謎の獣に向かって落ちた。ある意味当然、獣の近くにいた少女も巻き込まれた。
 しまった! 我に返ったライムは、倒れている少女に駆け寄ったのだが、少女は傷一つもないどころか、ライムが駆け寄ったらすぐに目を覚ました。頭上から自分を覗き込むライムに、少女は一瞬、信じられないように紫の目を(みは)って声をつまらせた。
 ごめん、苦しかった? そう謝ったライムに、何故か少女は、がばっと抱きついていた。

「……あの子だけだよね、今のところ……雷が落ちてもぴんぴんしてるやつ……」

 その後、少女に妖精の森に招かれたのだ。何やら身体検査をされて、何事もなく帰されはしたが。
――あなたに名乗っても、わからないだろうけど……あたし、妖精のリトル・ティンク。
 じゃあ長いから、リンティでいい? ときくと、少女は何故かまた声をつまらせた。
――……もう会わないから、そもそも名前、呼ばれることなんてないよ。
 今の少女からしたら、違和感の満点な言い草。けれど当初はそういうはずだったのだ。その後ライムが自力で妖精の森に迷い込み、もう一度リンティに会ってしまうまでは。

 十数人しか妖精のいない森は、平和に見えた。それは揉め事がないわけではなく、問題を問題と考えない妖精達は、何が起きても楽しむ性分であるらしい。
――あたし、嫌われてるから。てぃなくらいしか話もしてくれないし、ここじゃみんな、気に食わないから殺しちゃいましたなんて、日常茶飯事なんだよ?
 だからもう来るな、と、その頃のリンティは浅く笑いながらライムを追い返そうとしていた。

 何で必死に、笑ってんの? ライムはそう返した。そんなに危ない所なら、やばい時は私んとこにおいでよ。何の気なしに続けて口にしていた。
 騎士って、誰かを守らなきゃいけないらしいから。めんどくさいからリンティでいいや、と。

 何かあると、すぐに雷が落ちるライムにとって、一緒にいられる相手は本来いない。「守る相手」はスーリィから一応決めるように言われて、考えあぐねていただけだ。
 それでもその話が多分、まずかったのだろう。「やばい時」どころか、それからほぼ毎日のように、リンティは遊びにくるようになった。
――ライムぐらいの雷で、ダメージ受けるわけないし。あたしは妖精リトル・ティンクなんだぞ。
 魔法という変なものが得意らしい少女から、武器に力を込める等、ライムも変なことを教わっていった。スーリィ曰く人間離れしてしまい、スーリィがリンティを嫌う理由の一つだ。
 スーリィは何度も、ヒトとしてのんびり生きていけたなら、それが一番幸せよ。そんなことを言っていたから。

 気が付いたらライムは、自分の部屋で寝ていた。どうやらスーリィが運んでくれたらしい。
 頭がやたらに、ぼーっとするのが続いている。本なんてとても読めそうにはなく、やれやれ、これでまた重罰追加か、なんて腐りながら簡単に水を浴びた。いつもよりのたっとする体を(むち)打ち、先日黒焦げにした畑まで向かった。せめておぼろげに記憶にあった、土を掘り返して(うね)の形を作ってみるくらいは、やろうと思って来てみたのだが……。
「あ。おはよー、ライムさん!」
 朝の光がきらきらと、土に反射していた。晴れ渡った青空の下で、三又(さすまた)によりかかりながら、綺麗に起こされた畑の隅で休んでいる武丸がいた。
「……へ?」
 冴えない頭のまま目を丸くするライムに、武丸が晴れ晴れとした顔で汗を(ぬぐ)って笑う。
「道具借りたよ! 石灰はもうまいてあったから、後は種を()くだけでOK!」
「……は?」
 それでもまだ、事情の飲み込めないライムの元までやってくる。
「俺達、里では普段、こういう仕事で生活してるから。手伝えることあったら言って!」
 どうやら忍者は、採集だけでなく農耕の専門家でもあるらしい。いったい戦闘は何処に行ったのだろう。
「って……何でアンタが、勝手に私の仕事をするのよ」
「だって俺、ライムさんの弟子だも~ん」
 ぱしっ。無表情のまま武丸の使っていた手ぬぐいを取り、軽く頭をはたく。
「余計なことするんじゃないの。アンタ達には今日で出てってもらうんだから」
「でもライムさん、何か体調悪そうだよ?」
「アンタには関係ないでしょ。お礼なんて言わないし、弟が帰ったらすぐ出ていってもらうからね」
 ぼやっとして他の言い回しを考えられず、今日は容赦なくズバリと言う。少し怯んだ武丸はまた、捨てられた仔犬の目をする。

 綺麗にでき上がった畑を改めて見ると、どうしてか大きな溜め息が出てきた。そもそもライムが寝坊してしまったことで、今この結果があるのだ。
「何なんだろ……頭、ほんとにはっきりしない……」
 痛む腕をさすりながら、後は種を蒔くだけの作業なのに、畑の溝にしゃがむとますます焦点がぼやけた。
「ら、ライムさん……?」
 武丸もそんなライムにおろおろし、ライム自身も不甲斐なさに、何だかバチバチ怒りが湧き上がってきたその時……。
「――ひっどーい! 誰よー、あたしのライムにこんなことしたヤツー!」
 良い天気にぴったりな騒がしい声。ライムの頭上に、ぼふんと妖精が現れていた。

 誰があんたのモンだ! ツッコミを返す気力もなく、ぼけっとリンティを見上げるライムの横に、少女はふわりと優雅に降り立っていた。そしてすぐさまライムの右腕を掴み、痛たた、と顔をしかめるのも構わず強引に包帯を解く。
「もーう、熱だけじゃなく毒も全身に回ってるじゃない! ライムだから平気そうに息してるけど、こんな怪我してただで済むわけないじゃないの!」
「あっ!」
 思い当たったように武丸が青冷めていた。どうやら青桐の鉤爪には何がしかの薬が塗ってあったらしい。
 ぼんやりしながら不服なライムの前で、リンティは先端が雪の結晶のような装飾の短杖(メイス)を取り出した。埋め込まれた小さな石から青白い光が発し、そのまま右腕のみならず全身を包んだ。
「あつっ!」
 一瞬、顔をしかめたライムだったが、ほどなく光が右腕の傷に収束していく。光が消える頃には、頭のぼんやり感も傷も一緒に消えていった。
「わー……」
 一部始終を見届けた武丸が、またも目をきらきらさせる。ライムは右腕を回し、不調は何もないことを身をもって確認する。
「乱暴だけど……相変わらず、やるじゃない」
「すっげー……回復と解毒、一気にやっちゃう術なんて初めて見た……」
 術って何よ! と不満そうにリンティがフワフワ宙に戻る。
「何でそんな怪我なんてしたの、ライム。何かあったの?」
「別に、つまんないこと。剣がなかったから苦戦しただけ」
 えーっ、と、ライムの右腕にリンティがしがみついてくる。
「……あっ! リンティさん、佐助はどうしたんだよ!?」
 それは初めに問うべき事柄を、ようやく武丸が思い出して焦り顔になった。
「あ、そっかー。向こうの小屋に置いてきたけど、ひょっとしたらまだ寝てるかも?」
 呑気にそう答えるリンティの前、修行小屋へ慌てて走る武丸を見送った。傷も治って、意気揚々と種を蒔くライムには、もう武丸達の動向は気にならなくなっていた。

 そして数分後。余程混乱したのか、お姫様抱っこで弟を抱え、戻ってきた武丸の姿があった。
「っっ……ライムさーん、どーしよー!」
「……は?」
 ライムはもう関わる気はなかったのだが、武丸は構わずに泣きついてくる。
「――あ。ライムおねいちゃんだ」
 武丸の後ろで、にこにこにこ、と。下ろされて自由になって、ライムとリンティに笑いかけてくる佐助の姿があった。
「おはよぉー、佐助くーん。お腹減ってない? お菓子いるー?」
「うん、ありがとー。ちょーだい、リンティおねいちゃん」
 きゃっきゃっ、と飴玉を渡したり受け取ったり、楽しそうにやり取りをする二人の姿。
「……弟。何か、丸くなったわね?」
「どうなってんのー!? 佐助が笑うなんて有り得ないしー!?」
 俺の弟は何処に行っちゃったの!? 叫ぶ武丸にもリンティはかまわず笑う。
「てぃな・くえすと楽しかった? まさかクリアしちゃうなんて凄いよねぇ、びっくりだー」
「うん。また妖精さんの所連れてってね、ご馳走もしてね。にいちゃんも今度は一緒にいこーよ」
 佐助自身は、いたって何の問題も感じておらず、ひたすら満足気だった。姿形は全く変わらず、確かに佐助少年ではあるが、顔つきも口調も拉致前とはかなりの別人なのに。
「も、もしかして……いわゆる、妖精の取替えっ子とかいうの!?」
「何それ」
「俺も全然知らないんだけど、妖精にさらわれたら前とは別人みたいになるって話! どーしよー……あれ本当に、佐助なのかなー……」
「……ただ単に、妖精の所でいい思いしてきて、機嫌がいいだけじゃないの?」
 その(あやかし)の里はまるで極楽のように、ご馳走やら娯楽が溢れかえる。スーリィ曰くの妖精伝説だ。ライムも確かに、お茶やらお菓子やらを出された気はするが、口にしたいと思わなかったので感激していなかった。
「里にいる頃だって不自由はしてなかったけど……あんなに楽しそうな顔した佐助、初めてだ」
「ふーん。それじゃ、何があったのか本人にきくのが一番早くない?」
 ふいっとライムは武丸に背を向けると、改めて種蒔き作業に没頭していた。
「もう今日からは、家にも小屋にも絶対いれないから。早く弟連れて、町に降りなさいよ」
「やだよ、青桐に見つかっちゃうよー!」
 知―らない。とはねつける。武丸はおろおろと、ライム、佐助を交互に見ている。

「――愚かな! 見つかっていないとでも思っていたのか!」
 ぶぁっはっはっはっは! 場に滑らかで、かつ威勢よい低音の笑い声が響き渡った。
「……ちょっと……」
 種蒔き作業を止めた。重い顔を上げたライムの前に、何かがゴロンと転がってきた。
「――ん?」
「って――焙烙玉(ほうろくだま)だぁー!」
 今までで一番焦り顔となった武丸が、ライムを抱えてがばっと横に飛びのいた。
 転がってきた、取っ手のある丸い陶器に導火線がついていたが、初めて目にしたライムは爆発物だとわからない。轟音と共に飛び散る土塊と爆風を、武丸にかばわれてやり過ごした。
「なになにー!? ちょっと何なのぉー!?」
「にいちゃん、大丈夫―!?」
 佐助と畑の外にいたリンティは、突然起こった衝撃と轟音にライムの元へ向かおうとしたが、
「動くな! 貴様らは既に、其れがしの術中にあるのだ、ふぉいやー!」
 カカカっと飛来した小型で(まんじ)型の刃物が、リンティ、佐助の影に命中していた。二人はその場に立ち尽くすことになった。
「へっ……何なの、これー!?」
 地面に突き刺さった刃物の下から、突然細い木の根が出現した。珍しくフワフワしていなかったリンティと、佐助の足首を拘束していた。
「影縫い……にしたかったけど、失敗作って感じ……」
 子供ながら呆れ顔で呟く佐助が、武丸とライムの間に降り立った人影を見て、武丸以上に嫌そうな顔をした。
「うわぁ、いたんだ、ヘンイタイドレイ……」
「ドレイではない、貴様何度言ったらわかる! しかし健勝そうで何よりである、同志佐助よ!」
 そんなやり取りを耳にしながら、いてて、とすぐ起きれそうにはない武丸をどかせる。ライムは黙って、立ち上がって周囲を静かに見回した。
「畑が……」
 爆弾が直撃した周囲は、クレーター状に吹っ飛んでいた。そう大きい半径ではないものの、武丸の畑起こしもライムの種蒔きも、その区間は台無しにされてしまった。
「ドレイはどうやって、ここがわかったの?」
「うぬぬ、この不勉強者めが! 森の同志の力を借りればそんなことは造作もな――
 ぐほぅあぁぁ! と。一瞬にして距離を詰めたライムは、武丸から取り上げた三又の裏で、青桐の脇腹を横殴りにした。青桐は派手に放物線を描いて吹っ飛んでいった。
「――アンタ、うちの種蒔き、どーしてくれんのよ」
 ぶち切れ寸前の青い目で、容赦なく一撃を叩きこんだ。佐助がぽかんと目を丸くし、リンティはフゥ……と目を細めながら、不服そうに成り行きを見ていた。
「ぐぅぅあああ……や、やるな、白鞘の方よ………」
 脇腹を押さえて、何とか立ち上がった青桐。手加減するだけ無駄か、とライムは改めて悟る。
「よもやこの青桐の爪を受けて生き長らえるとは……さぞかし名のある鬼妖(きよう)とお見受けする!」
「――は?」
 鬼妖。この世界で人外の化け物をまとめてそう呼ぶが、その一種の少女はつまらなげに呟く。
「記憶ソーシツのライムが、そんなの知るわけないじゃん」
「――名乗れぬのか? 何と口ほどにもない! 己が真名を口にして其れがしと正々堂々勝負するのがそれほど恐ろしいか、これはこれはくわははははは!」
「いーから、もう二度と私の前に現れるな。それともここで再起不能になってく?」
「くぉぉあ! さすがにこの青桐も、四対一では不利であったか!」
 いや、今相手してんの私だけだし……そう返したくはなったが、青桐にとってはそういう状況であるのも理解はできた。
「やむを得ぬ、ぐふぐおぉ! 目覚めよ同志達よ! この青桐の元へと馳せ参じるが良い!」
 ――そう言えば私、どうしてコイツと戦ってるんだ? そんな疑問がようやく頭をかすめたが、次に訪れた異様な場面に、またしても冷静ではいられなくなったライムだった。

「やばい……口寄せだ……」
 いてて、と、爆風を受けた辺りを押さえて座り込みながら、周囲を見回して武丸が呟く。
 青桐を中心として、ライム達を扇形に囲むように、熊や猪、鹿や鳥など、見知った動物が沢山現れていた。それだけではなく、普通は動かないはずの低木の木々までが、収まっていた土を引きずるように、根を足として青桐からの誘いに応えていた。
「ドレイって邪道だから、動物植物関係なく呼んじゃうんだよ」
「へー……面白いことするんだねぇ、君達の一族って」
 今も足を拘束する木の根を見ながら、リンティは傍観に徹している。一回は短杖で焼いて払っていたが、すぐにまた次が絡むのだ。
「ぐはははは! どうだ、この青桐の華麗なる忍術の切れ具合は、ぶはははは!」
 一つ一つの動物は、狂ったような獰猛な目つき。角やら牙やら爪を剥き出しに、いつでも飛びかかれる態勢だった。逃げようにも動き出した木々が堅固なバリケードを作っている。
「こりゃ、攻撃魔法とか使えないと、ちょっと厄介かなぁ……」
 悩ましく両手を組むリンティに、不思議そうに佐助が尋ねる。
「リンティおねいちゃんは、攻撃はしないの?」
「ちょっとねー、出力大き過ぎて苦手分野なんだあ。アイツもなかなかやる奴みたいね……」
 この布陣では、手も足も出まい! という以前に、青桐には別の成算があるらしかった。
「見よ、この青桐と森の同志の絆を、ぐわははは! 傷付けられるものならつけてみるがよい!」
 おーよしよし、と、目つきの凶悪化した動物達を、幸せそうな顔で可愛げに撫で回している。
 ちなみに動物と魔物の違いは、魔物は個々が、世界に一匹という帰属なき変異種を指すらしい。

 そんなこんなで。動植物達が現れてから、ひたすら俯いて黙り込んでいたライムだったが。
「……しまったなぁ……」
 ようやく一言、今の正直な思いをぽそっと口にした。
「―――ぬぅぉ!?」
 鬼神。というのがまさに相応しい容赦なさで、三又を手に、ライムは動物の集団へ突っ込んだ。
 殴っては払い、蹴っては吹っ飛ばし、徒手と三又を組み合わせた動物達との大乱闘が始まる。
「なっなっなっなぁぁーー! やめろ貴様ぁー、何をするぐぉあー!」
 青桐が助けに入ろうとするが、動物の数が多くて逆に入る隙間がない。
「剣を持ってくれば良かった……! これだけいたら、当分夕飯は安泰なのに……!」
 致命傷を与える怪力で叩くと、食用とするには見栄えが悪い。躊躇いはその一点だけだ。
「そりゃーねぇ……ライムには魔物相手より、夕飯の材料の方がやる気が出るよね……」
 おーのぉーぁ! と青冷める愚かな男に、アホらし。とリンティが呟いていた。
「……なっっ!?」
 突然、周囲に異様な匂いが漂っていた。直後に動物達の動きが鈍くなり、鳥がばたばたと地面に落ちて、大型の獣も倒れ込むように動きを止めた。
「――何? こいつら……眠ってる?」
「ぬおぁ、よくもよくもよくもぁぁ! 何ということを仕出かしたのだ、同志武丸よ!」
 青桐の視線の先、座り込んだままの武丸の手には、何やら灰色の粉の入る包みが握られていた。
「へー……眠り薬?」
「うん。薬ならにいちゃん、色々持ってるよ」
 どうやら植物には効かないようだが、動物だけが眠りについたのは、毒でも頭がぼーっとするだけのライムの耐性と、佐助達に届かないよう風向きを考えた武丸の力量なのだろう。
「ぐぬぬぅぅ、あくまで白鞘の方をかばう気であるか! その愚かしさを後悔させてやろう!」
 心なしか顔色の悪い武丸は、何も答えずに青桐を黙って睨み返すだけだ。
「――白鞘の方、心苦しくも! そなたはやはり、真実に我が障害と認識しなければなるまい!」
「は?」
 座り込みながら鳥を掴んで検分していたライムに、青桐は思い切り指を突き付けてきた。
「見せしめとして、まず必ずそなたからお命を頂戴致す! 行くがいい、我が真なる同志達よ!」
 そこからこれまで以上の、異様な光景が展開していく。バリケードを作っていた木々が、横一列の対陣となって、ライムのいる方向へ向かい始めたのだ。
「って……気持ち悪っ!」
 枝と枝を手を繋ぐように絡め合い、根っこを足として近付いてくる木々。さすがのライムも息を飲んでしまった。魔物や妖精の里のことなど、人間からしたら有り得ない状況にこれまで何度も出会ったライムだが、この光景は相当な異様さだった。
「ちょ、ちょっと……」
 異様さへの嫌悪で、ライムはつい動けないでいた。
「――佐助!」
「――はーい」
 振り絞るように大声を出して呼んだ兄に、木々をざっと見回してから、佐助が気軽な返事の声を出した。
「ライムおねいちゃんに……近付くなーっと!」
 片足を拘束されたままながら、自由な片足を使って小さな体で振りかぶった。懐から取り出していた、大量の小さな卍型の飛刃を一気に投げる。投げ放つ間際、何故か佐助の目が青く光っていた。
 あっさり横一列の木々に命中し、命中した瞬間には煙に近いような(かすみ)が走った。飛刃を受けた木の動きが止まり、枝を絡めていた他の木の前進も止められていた。
「ほぉー?」
 またしてもリンティが興味深気に、成り行きを見守る。
「なっ……同志佐助よ、貴様もか……貴様もなのかぉあっ……!」
 両手で頭を抱え、絶望したように両膝をつき、苦悩する青桐の姿。その辺りで佐助とリンティの足の拘束が解けた。
「有り得ぬ、有り得ぬぞ我が同志達! いや、最早同志とは呼べぬというのか……! ぬごぉ! そのような残酷な運命があっても良いものか……たった一人の魔性の女のために!」
「――魔性の女?」
 ぷぷ、っとついに、リンティが笑い出した。心なしか佐助が恥ずかしそうな顔をしている。
「いやさ……どーでもいいから、アイツらさっさと、好きに連れ帰ってよ」
「しかしこの青桐、決して自らの使命に背を向けたりはせぬ! 何としても、どのような方法を使ってでも必ず同志達を救い出してみせるぞ……そう、世にも美しき悪魔の女の魔の手から!」
 ライムの声など青桐は聞いていない。大泣きに涙を大放出させながら、場から走り去っていったのだった。覚えていろ! に近い奇声を、よく通る涙声で叫び捨てながら。

 何となく、誰もしばらく、何も言えないでいた。それほど騒がしかった存在が過ぎ去った後。
「ちょっと待ってよ……何でこうなったんだっけ?」
 両手に一応、食べられそうな鳥を掴みながら、クレーターのできてしまった畑を見渡す。元凶である武丸の方へ、ゆっくり振り返ったライムだったが。
「――って、ちょっとアンタ?」
 ずっと座り込んでいた武丸は、青桐が去ったのを見届けてから倒れ込んでいた。駆け寄ってきたライムと、フワフワやってきたリンティが見守る下で。
「何、コイツ……寝てる?」
「だねぇ。爆睡してるねぇ」
 どうやら動物達に使った眠り薬は、風向きの関係上、自分を外すことができなかったらしい。最初に爆風をマトモに受けた横腹には、いくらか小さな破片も突き刺さっていた。
「そっか……元はと言えばこの畑、コイツが朝から作ってたんだっけ……」
 夜間も確か、外を見張る、と言っていた。眠る武丸を見て思い出したライムだった。
「にいちゃん、大丈夫―……?」
 佐助が不安そうにする。師匠や弟子とか、そういうのは全く抜きにしても、ライムは屈した。
「ここで見捨てちゃ、騎士の道には反しそう……スーリィ……」
 ふう、と。腕を組みつつ、元凶は彼らとはいえ、助けてくれた少年達を見て言った。
「後一日だけは、義理で泊めてやるけど。明日は絶対、出て行ってもらうからね」
 佐助は何も答えずに、武丸のそばにくっついていた。素直な心配の色こそあったものの、昨日までのような不機嫌さはほとんど見当たらず、兄やライムへの反発もないようだった。

「えーっ。後一日だけぇー?」
 クレーターに悪あがきを始めたライムに、何故か場を煽ることを言い出す問題妖精が一匹。
「このコ達わりと多才だし、ライムの役に立つと思うけどなー?」
「役に立つとか関係ないし。あんたは単に、私の仕事はコイツらに任せて遊びたいだけでしょ」
「当たり前じゃん! 大体ライム、いつも宿題ばっかでお泊りもできないんだもーん」
 スーリィから与えられた日課を、ライムは(おろそ)かにできない。リンティは実は不満だったらしい。
「妖精の里に泊る気なんて元々ないけど。あのコみたいに改造されても嫌だし」
 しゅん、としてしおらしい佐助を横目に言ってみる。
「改造? 有害成分が含まれてないか、解剖しただけだよ?」
 一文字違う! と訂正するリンティに、なおのこと悪い! と掴みかかった。
「分解して元に戻したらあーなったっつーの!? 何考えてんのあんた!」
「あたしのせいじゃないもーん、てぃなの意向だもーん」
「あんたら……ヒトのこと何だと思ってんのよ……」
 そのライムの科白に、ふむふむ? とリンティは真面目な顔をする。
「何だかわからなかったから、調べなきゃって思ったんじゃん。言っておくけどあのコ達、まず間違いなく人間じゃないよ?」
「――?」
 ライムはその辺、興味ないだろうけど、と空中で顔を逆に覗き込みながら溜め息をついた。
「今日みたいなこととか、ただの人間にできるわけないんだから。人間じゃないなら基本的には、みんな何かそれぞれの力があって、有害! 敵! って、思っといた方がいいんだけどな」
 妖精たる少女は、非力な人間すら有害になるんだし、と(もっと)もらしく口にする。
「……アイツら、忍者だって言ってたから、そう考えてたらいいんじゃないの?」
「忍者なんて、騎士と一緒で、誰だって名乗れるただの肩書き。問題はいったいどんな奴が、その呼称を使ってるかってことなの」
「でも……有害じゃなかったんでしょ?」
 旗色の悪くなったライムだが、まぁね、とリンティは、佐助をちらりと見ながら不思議そうな顔をしていた。
「実際そんなに、大した力もなかったんだけど……何か、あのコ達……」
 ライムに近い感じがするんだよね……と。ぼやくような少女の独白だったので、自分が何なのかもさっぱりわからないライムは、特に追求する気は起きなかった。

「とりあえずライム、今夜からは剣はずっと持ってなよ。あの青桐ってヒト、このコ達に比べたら何か有害っぽいし」
「めんどくさ……アイツ、寝込みとか襲ってくるかな?」
「有り得るよねぇー。家には当分、帰らない方がいーんじゃない?」
 確かにこのままでは、重罰も増えていく一方だろう。ライムもそのつもりだった。
「……ライムのおばさん、下手したら巻き込まれて殺されると思うな。注意してた方がいいよ」
「――え?」
 反転して地面に降りたリンティの口調には、いつものような軽さがない。ただ淡々と、ここにいない敵を見るように冷たい目つきで言葉を続ける。
「どんな方法を使ってでも、って、アイツ言ってたじゃない。それってそういうことじゃない?」
「あの煩いだけの変な奴が、そんなに危険?」
 確かにライムに対しては、本気で殺そうとしにきたのは感じた。命を狙われること自体は、今まで賞金首や山賊からもあったライムは、あまり事態を重視していない節がある。
「さぁねぇ。あの二人のコ達も含めて、そこまでの力の持ち主とは思えないけどさ」
「……だったら、手段は選ばないでくる可能性もあるってこと?」
 人間であるスーリィは、人間相手には強い剣士でも、「森の同志」や奇妙な道具を使う忍者には無力かもしれない。今日の異様な木々への嫌悪感を思い出したライムに、一抹の不安が起こった。

 そうなると、せっかく大量の夕飯の材料が転がっているのに、家に持って行くのも気がひける。なるべく家の場所を知らせないよう、気を付けた方がいいのだろうか。
「危ないかどーかは、あのコ達にきいた方が早いんじゃない?」
 ぐるぐるしてきた頭を見透かすように、簡単に言うリンティだった。こいつ、と心を抑えずむかっとする。そうして良いのがこのリンティという、雷が落ちても心配しなくていい相方の特権であるのだから。

「へぇ~。それじゃー操ったり話したりが、君達のお里の十八番なんだぁー」
 修行小屋は、さすがに四人も寝泊まりすることになると、狭苦しい上にお喋り会のような妙な雰囲気になってしまった。ライム以外の三人がひたすら喋っているため、安眠を妨害されるライムの周囲に静電気が大発生している。
「それって動物相手だけなの? それとも今日みたいに、植物まで動かしちゃうものなの?」
 武丸達は気付いていないだろうが、はっきり言ってほとんど取り調べだ。幼い佐助相手では大した事はわからなかったのか、武丸に対してやたらに質問しまくっている。
「詳しくは言えないけど、俺は話したりする方、佐助は操ったりする方が得意かなぁ……青桐は両方、わりとできるんだけどさ」
「そっかぁー。じゃあアイツは、この辺の動物にきいて君達とライムを見つけたってこと?」
「そこまではできないと思うんだけどなぁ。青桐は自分の言うことを伝えるだけで、向こうからの声は聞こえてねーもん」
「でも、鳥とかに命令して案内させることなら、できると思うよ」
 淡々と言う佐助に、そっか、と武丸が納得する。
「何か、一日見ないだけで随分賢くなっちゃったな、オマエ……」
「今までは言わなかっただけだもん」
 元々こうだもん、とさらりと言う弟に、ははは……と苦笑うしかできない兄のようだった。
「じゃあここも、ライムのおばさんの家も、すぐに見つかっちゃうかな?」
「うーん……見つけろって命令したら、いけちゃうのかなー……」
 ライムの顔色をちらちらと窺いながら、躊躇いがちにごにょごにょ言う武丸に、
「もう見つかってるんじゃない」
 あっさり断言する佐助だった。
 そしてしばらく、パチパチパチと明らかに不機嫌なライムを横に、場を沈黙が支配した後。
 黙って起き上がり、ドアを開けて出ていったライムに、武丸と佐助が顔を見合わせていた。
「――あれ? リンティおねいちゃんは?」
「って早っ……追っかけたのかなー?」
 同時に消えていた妖精の姿に、感心する武丸と、何故か納得している佐助の二人だった。

 修行小屋の入り口の踊り場に出て、夜の冷気に一度ふるっと、ライムは身震いをする。
「冷えるよぉー、ライムってば。今日はもう休んだ方が良くなーい?」
 パチリ、と。一瞬軽く雷が走りそうになったが、それは別にこの妖精に対してではない。
「頭冷やしにきてんの。あんたはアイツらと、好きにお喋り続けてなさいよ」
「そんなにおばさんのことが気になるなら、逆にいっぺん、帰った方がいーんじゃないの?」
 バチっ。特に何処に向かうでもなく、体の周囲に一瞬だけ火花が飛び散っていく。
「別に……スーリィだってアイツらのこと、厄介って言ってたんだから、危険は多分わかってるし」
「それなら別に、不意打ちにはされないだろーっていうこと?」
「今までだって、危ないことは何回かあったし。今はむしろ、私が近付く方が危ないでしょ」
 バチバチバチ、といつでも雷が落ちかねないほど、ライム自身、自分を持て余していた。
「じゃあ何でそんなに、バチバチしてるのさ~?」
「んなの、あんた達が騒がしいからに決まってんでしょ」
 そうかなぁ? とリンティが不思議そうに、頭上から顔を覗き込んだ。
「そのわりにはあんまり、怒った顔してないけどなぁ……怒ってなくても出るの? それって」
 確かに、今まさに気分を考えてみると、怒りやムカムカよりモヤモヤが近い。何がそんなにモヤモヤするのかわからず、どうにも扱いかねている。
 仕方ないなぁ、と。気持ちが高ぶる理由が自覚できないライムに、リンティはくるり、と宙を舞って、ライムのすぐ横に降り立ってきた。
「おばさんの様子、今夜はあたしが見ておいてあげるよ。あたしは気配も姿も隠せるし、明日は修行の日なんだから、その時に今後のことでも相談したら?」
 まだモヤモヤは残る。けれど珍しく、含みなく笑うリンティに、何故か気分が和らいでいた。
「……じゃ、お願いする」
「了解~。今度おばさんの美味しいパン、分けてよね♪」
 ぽふん、と控えめに消えた少女が、立っていた場所を眺める。しかしその後、思ってもみない新たなモヤモヤに襲われていた。
――何なんだ? ……何が気に入らないんだ、私は……。
 自分でも首を傾げながら小屋に帰ると、武丸と佐助が枕投げをしており、こらっ! と取り上げたライムだった。この夜はそのまま、不穏に過ぎていったのだった。

➺Trio

「おはよう。それじゃこれあげるから、バイバイ」
 朝になって、入口の踊り場にあったスーリィが届けてくれるご飯を、武丸と佐助にそのまま渡した。有無を言わさずライムは後ろを向いて、ごそごそと出かける準備を始めた。
「えー! 頂きまーす、けど俺達ここにいたいもん!」
「頂きま~す」
 全く不満の顔をしない佐助も、どういう心変わりかそれがいい、と思っているらしい。
「言うこときかない奴は弟子にいらないから、言うことききなさい」
「何だよそれ、きいてもきかなくてもバイバイってことじゃん!」
「一昨日から散々、そう言ってるでしょ」
 そんなの嫌だー! 相変わらず食い下がる武丸に、ちょいちょい、と佐助が落ち着いて手招く。
「にいちゃん。こういう時に大事なのは、キセイ事実らしいよ」
「何だって?」
「……?」
 まだ二人はご飯を食べていたので、時間が惜しいライムは二人を残して修行小屋を後にした。くれぐれもさっさと出ていくように! とそれだけは、何回も繰り返して言った。

 五日に一回、剣の稽古をつけてもらう川岸に足早に辿りついた。更に早く来ていたスーリィが、真剣で無駄のない素振りをしていた。
「お、来たわね。……ったくもー、何て顔してんのよ?」
 寝不足を絵に描いたようなライムの顔。ケラケラ、と面白そうにする。
「あのコ達まだ帰らないのねぇ。らしくないんじゃない? ライム」
「…………」
 いつも通り、黙って靴を並べ、砂利を除けて平地を作る。スーリィはまだまだ話しかけてくる。
「あれ? あんた腕の傷、どうしたのよ」
「……リンティが何かしたら、治った」
「人間業じゃないわね、全く。あれじゃーあんたでも、一週間はしんどかったでしょうに」
 眉をひそめつつも、ほっとしている。複雑な心中があるらしかった。

「――お願いします」
 ライムは大体、長めの上着の袖を肩までまくり、動きやすく足首まで覆う下衣を好んで着る。川原に正座すると砂だらけになるが、毎回礼から始めるのが(なら)いだった。
「それじゃ、いつも通り……好きに打ち込んできなさい」
 ふわふわの茶色い長髪を一つ括りにし、ライムと似たり寄ったりの格好のスーリィは、稽古を始めると全く笑顔が消える。騎士であった頃は髪も短く、洒落っ気は皆無だったらしい。
 勿論ライムは力を抑えた状態だが、人間並みの腕力と速さで、スーリィに一撃が届いたことはなかった。大体綺麗に払われて体勢を立て直すか、紙一重で避けられる半端ない集中力を、少なくとも三時間は維持される。
――アタシは臆病者だったから、剣なんて防具としてしか使おうと思ってなかったわ。深追いもしないし必要以上の働きもしない。それだから生き残れただけの話なのよ。
 剣を教えてほしい、と頼み込んだ時に、スーリィはマジメな顔をして言った。
――剣を持って生きる以上は、『道』が必要よ。ヒトの心の脆弱さは、そのまま剣に反映される。あんたはただのヒトじゃないけど、だから尚更に制御が必要だわ。
 スーリィの教えの賜物か知らないが、確かに剣を握っている時には、雷が落ち難くなった気はする。それでもライムには「強くなりたい」以外の思いがなく、どうして強くなりたいのかもわからず……剣でなければいけないことも、本当はなかった。

――あんたが剣を習う必要あるの? 強い存在になりたいのなら、雷を使えば話は早いじゃない。
 初めはその方向だったのだ。ライムを拾ったスーリィは程なくその特異体質に気付き、山奥に引きこもって雷の制御をさせようとした。と言っても人間のスーリィにできることは、雷に影響するライムの感情をコントロールという方向しかなかったが。
――あんたねぇ、そうやって抑えてると、かえって逆効果になんない? もっとのびのびとやんなさいよ。子供なんだから、感じたままに素直に喋ってみなさいって。
 そもそも記憶のないライムには、感情自体が乏しかったのかもしれない。結局ライムには「子供らしくする」方が難しいことを養姉は悟り、騎士として方向付ける道を思いついたらしい。その方が人類も安全よね、などとのたまいながら。

 どうすれば自分が、少しでも危険でなくなるかなんて、ライムには今でも正直わからない。
 自分に家族も誰もいないのは、この雷で消してしまったからではないか、とある時思った。生まれた時からこの体質なら、赤ん坊にその制御がきくわけもない。
 それでもスーリィは、それならその歳まで無事に育ってないでしょ、と実に楽観的だった。
――ばーか。それがあんたなんだから、才能は生かしなさいよ。ただし、振り回されないでね? ちゃんとあんた自身の、心の制御下でね。
 剣を鍛えても、結局大事なのは心。今もそれはよくわからかった。

「何か……今日は雑念が多いわねぇ、あんた」
 打ち込みに切れのないライムを相手に、いつもより早くスーリィは集中を解いた。ライムも憮然としながら稽古用の剣を下げた。この程度で息を切らしているのも、今日は相当ダメだと自覚せざるを得なかった。
 剣を地面に突き刺して座り込み、ライムはモヤモヤの出口を求めるように喋り出す。
「スーリィは……ぼこぼこにしても負けを認めない奴がしつこくきた場合、どうする?」
「昔だったら殺してるわね。相手にもよるけど、有害な奴だったら尚のことねぇ」
「……」
「でも今は、特に失うものもないし。暇だし、負けを認めるまで相手してやるんじゃないかしら」
「暇とか、そういう問題……?」
 そうよ、と不敵な笑顔で、ライムの少し手前に同じような体勢で座った。
「しがらみで動く内は、勝手な行動するわけにいかないしね。でもアタシは、殺さずに勝ちたいのよね。そもそも殺してる時点で負けだと思ってるしねぇ……」
「……何で?」
「相手を生かすデメリットに怯えてってことでしょ、それ。生き残れば勝ちなんて、動物レベルの論理よ。メリットなんてたとえゼロでも、アタシは相手を征服してやりたいのよ」
「…………」
 何も返せない。スーリィはうふふ、と嬉しそうに、両膝に両肘を置いて頬杖をついた。
「あんたはこーいうアホな話、いつもバカにしないわよね」
 非力な人間の、ドリームで妄想に過ぎないのよ、と笑う。現実には何人も殺してきた騎士が、それだからこそ、願わずにはいられなかったように。
「だから、アタシのことは心配しないで、あんたは好きなようにやんなさいよ」
 自分の身くらい、自分で守るわよ、と、こつんとライムの額をこづく。
「……?」
「昨日の夜ねー、何か変な行商がやってきてねぇ。どう見ても怪しいから、笑って話を合わせておいたんだけど、アイツ相当、危ない奴よね」
「――!」
 がばっと身を乗り出そうとしたライムを、どうどう、と平静に額を押さえて抑制する。
「うちの家まで来させたら、重罰って言ったわよね? あんたはアイツを何とかするまで家に入れないから、そのつもりでいなさい」
「……わかってる。でも、スーリィは……」
 怒ったりむかついたりはしていない。なのにまたパチパチと、雷が溜まりつつあった。
「見習い騎士に二言はない! 返事はイエスのみ!」
 稽古中のような、遊びのない表情で一喝される。ライムがたとえパチパチしていようと、遠慮せずにこうするのがスーリィだった。
「――……っ」
 よくわからない感情を持て余しながら、必死に雷を抑える。その額にまたするっと人差し指を当てて、日常に戻ったお茶らけた調子で、スーリィは告げた。
「そうそう、ライム。畑に大穴あけた罰として、稽古もしばらく中止よ。集中できる状況になったら、再開しましょ」
 その前にどっちか、死んでなきゃいいわね、と。笑ってダメ押しする猛者には、当分敵いそうにない。
 そこまで言うなら、ライムは黙って再び座した。ぺこりと一礼すると、その日の修行は終わりを告げた。再開できる日を心待ちにしながら。

 姿を見るなり、どーなってんの、と怒ったライムに、リンティは面白そうに降り立っていた。
「あのバカ、全然、スーリィにちょっかい出してるじゃない」
「昨日の内になんて、仕事早過ぎだねぇ。あたしが行く前にはもう、会ってたってことかな?」
 おばさん無事で良かったねぇ、と、パチパチしているライムにかまわず呑気に笑う。
「対ライムでの、利用価値はないと判断したのかな。今後もそうとは断言し切れないけど……」
「昨日の夜は結局何もなかったの?」
「ないよー。ずっと屋根の上でごろごろしてたけど、至って平和そのものだったなぁ」
 言葉通り平和そうに笑うリンティに、そっか……とライムの勢いは少し落ちた。
「……ありがと。しばらくはスーリィのことは考えずに、修行に集中する」
「あのヒト、またいつやってくるかだしねぇ。ライムのおばさんもそれはわかってる感じだったな……あのコ達が全然帰ろうとしてないの、楽しそうに話してたもんね」
「――は?」
「朝、ライム達の所によって川原に行く前、誰かとお話ししてたよ。こんな山奥で誰とだろ?」
 何て言ってたの? と(いぶか)しむと、にこっとリンティは、腕を組んでスーリィのような表情まで真似てみせてから、一息に言い切った。
「もうそりゃーあの子、えげつないったらないわよ! 騎士の義理とか言って嫌がる男のコ達を無理やり自分の寝床へ連れ込んで、好きに言うこときかせようとしてるんだから!」
 だって、と。同類だからできるとしか思えない口調で、くすくす笑う妖精の告げ口。
「……!」
 シンプルに、久しぶりの雷が落ちた。標的は勿論、目の前にいた哀れな妖精だ。
「うっわー……ひっさしぶりにきたぁー……ヒト殺しぃー!」
 雷撃より轟音が耳に来たらしいリンティは、両耳を苦しげに押さえて空中をのたうちまわる。
「……あんたはヒトじゃないでしょ、妖精なんでしょ」
「妖精でも何でも、人型してる生き物はヒトって呼ぶのー!」
「ふーん。覚えとくわ」
 それでもかなり、スッキリしてしまった。もう、と不服そうな顔で背中にとりつくだけで済む、ある意味無敵の被雷針少女だった。

 そして昼下がり、修行小屋まで帰り着いたライムとリンティだったが。
「あれだけうるさく言ったし……さすがにもういないか」
 小屋の中はしーんとして、もぬけの空の状態だった。一安心してしまう。
「そうかなぁー? そんなに諦めのいいコ達かなぁ?」
「不吉なこと言わないでよ。ようやく静かな生活が戻ってきそうなのに」
 それでもライムを先にどうこう、と青桐は言ったので、どの道再戦はあるとは思っている。

 小屋を見回すリンティを後に、外に出て数歩森に向かった所で、早速彼のお出ましだった。
「――おのれ小癪(こしゃく)な、我が同志達を何処へ隠したというのだ、魔性の女よ!」
「……」
 もう出た……と正直、その熱心さにめげそうなライムでもあった。
「アンタねぇ……毎日毎日、他に何かすることないわけ?」
「何を言う、ぐおお! この青桐に一時とて気の休まる時はない! 日夜貴様らを葬り去らんと、あらん限りの手を尽くしているのだぞ!」
 相変わらず頭巾の下に、薄い緑の目しか見えていない容貌なのだが、確かに何重ものくまは疲労困憊らしいことを表していた。
――アイツ邪道だし変態だしいい所ないけど、とにかくいつも一生懸命なんだよな。
 昨夜のお喋り会でそんなことをもらしていた武丸の声が、今更になって思い出された。
「今日は森の仲間達はなし? そんなんで私に勝てるとでも?」
 稽古用の馴染みの片手剣と、町で買った新しい大剣。どちらも好きに使えるこの状況で、ますますライムは負ける気がしない。
「くくくく、くはくはははは! あまり大人を見くびるものではないぞ、白鞘の方よ!」
「――?」
 疲れているが、妙に余裕に満ちた青桐の表情に、ライムの警戒心が少し揺さぶられる。
「貴様らの根城がわかった以上は、確実な攻撃手段をとるのみである。なるほどくくっく、これまで其れがしは手ぬる過ぎたということだろう……こうなってしまった以上は、たとえ山一つを犠牲にしようとも最早躊躇いはしない!」
 余程タイミングをちゃんと考えていたのか、その科白が終わると同時に、立て続けの爆発音が遠目に響いた。
「……?」
 直接ライムに行われた攻撃はないのに、何故か嫌な感覚がライムの体幹を走り抜ける。
「く……山とは一つの異界であり、そして袋小路だ。であれば、その世界を閉じてしまうのみ」
 再び連続した爆発音が続き、先程よりは近い場所なのか僅かに地盤までが揺らいた。にわかに大量の鳥の飛び立つ音と、動物達の騒ぎ声が響き出していた。
「まさか……アンタ!?」
 更に続いた爆発音は、一番近い。やがて現在地から見える空が、赤く染まり始めていった。
「ちょっとー! 何なのよこの無茶苦茶な騒ぎはー!」
 小屋から出てきたリンティが、フワっと上空に舞い昇ると、起きつつある事態をはっきり確認する。
「信じられない……アイツ、この山ごと焼き払う気!?」
 ライム達の小屋があるよりはもう少し麓。そこから同心円状に(いただき)に向かって仕掛けられた爆薬は、頂上に向かって次々と炎を広げる魔の手だった。
「最早この業火に朽ちゆく山より逃れる術は貴様にはない……くふふ、覚悟召されよ、白鞘の方」
「何言ってんの、これじゃアイツらとかアンタの森の仲間達だって!」
「其れがしや同志はこの程度の炎では死なぬ。森の同志達にはすまぬが、これも使命のため」
「そんな下らない理由で山一つ焼くわけ!? ふざけるな……!」
 またしても爆発音が響いていく中、大剣で斬りかかったライムにも余裕に、青桐は懐刀のみで防戦に徹する。
「所詮そなたは、刃物を振り回すだけのちっぽけな存在である。森を知り山を駆け、どのような巨大な敵であってもあらゆる手を尽くし弱点を暴く我ら木の徒に、敵うべくもなかったのだ!」
 この状況に対して、ライムに成す術がないのを、確信を持っての凶行ではあったらしい。
「あっそ。それじゃ、ライムのことだけ考えて満足してるアンタは、ちっぽけな刃物以下ね」
 とん……と。大剣と懐刀で鍔迫り合い状態の二人の横に、静かにリンティが降り立っていた。

「ぬぐぅ……? 貴様……何者だ?」
 昨日に色々と、敵対者を足止めした記憶はある青桐のようだが、その対象については問題視せず、従って追求もしていなかったらしい。
「ま、それもお互い様か……あたしもアンタのこと、重視してなかったし。でも、個体にそんなに力を感じなくても、外付けがあるなら話は別だったかも」
「リンティ……?」
 最早かなり近くまで、赤く染まった空の下で。紫に光る両の目と、大きく広げられた白い翼と、何より普段の陽気さの欠片もない冷たい口調。ライムが逆に気勢をそがれた。
「貴様は……よもや、我が障害か?」
「そうするつもりはなかったけど。あたし達のお気に入りの山を害する奴は、別」
 すうっと、ゆっくり右手を空に向かって掲げて目を閉じた。意識を集中しているリンティに、
「ぬぉ、何を……!?」
 本能的に危機感を持ったのか、青桐は斬りかかろうとしたが、当然ライムに止められていた。
「ヒトのこと無視できるなんて大した余裕ね!」
「ぬうあっ……!」
 本気で力を込めたライムの剣閃に、防戦すらままならなくなった青桐は一旦ひいた。例の卍型の飛び道具で応戦を試みてくるが、
「――遅いッ!」
 地面を斬って土石を飛ばし、青桐の攻撃をほぼ封じたライムは、再び間合いを詰めようとした。

 その次の瞬間、ぽた、ぽたと。
 赤い空に、いつの間にか出現していた銀色の雲から、いくつかの水滴が舞い落ちてきた。
「のぁ!? 何だ、この雨は……!?」
 サァァァ……と、勢いは柔らかながらも、全く途切れ目のない雨が続く。山全体を包む規模の降水が、その雲からもたらされていた。
「……雨を呼ぶのは、二番目に得意なのよね、あたし」
 雨水に打たれながら、リンティがゆっくり手を下ろした。顔を上げた妖精の紫の目は、心なしか、青い光が宿る深い色合いにライムには見えた。
「貴様、その紫の目は……ぬおぅ……もしや、妖精であるか?」
「何処からどう見たって、この目と耳は妖精でしかないと思うけど?」
「しかしその羽はいったい……しかもこの雨は……ぬううおおお」
 それ以上青桐が何かを言う前に、黙ってライムがリンティの前に立った。
「……ふぐぐ、おのれ。仮にも妖精が黒幕であったと言うなら、我々にも考えがある!」
 ひゅっ、と、ライム達から一瞬で大きく間合いをとった青桐は、ライムに対する時にはなかった嫌悪を隠しもせずに言い放った。
「大いなる力を独占し聖地にすら進出せんとする不届きな妖精一派よ! 貴様らが何を企んでいるかは知らぬが、この青桐が嗚呼、必ずや阻止する! 白鞘の方も我が同志も貴様らの手には渡さん!」
 首を洗って待て! とお決まりの科白を高らかに残すと。青桐は完全に消えていったのだった。

「……あーあー」
 妖精って、よそ様からは嫌われてるなぁ、とリンティが呆れたような顔つきで呟いていた。
「だからあんまり、手出ししなかったのになぁ」
「それなら何でわざわざ、出てきたのよ」
 雨が降らせられるのなら、離れた所で勝手に降らせてくれれば良かった。リンティがそこまでできるとはライムも知らず、正直助けられたが、つっこみが先に出てしまう。
「ライムの近くにいた方が、守ってくれると思ったんだも~ん。これだけの雨を呼ぼうと思ったら、正直時間かかるし、すっごい力使うし……」
 言っているそばから、突然リンティの翼の色が半透明に薄まっていった。
「――ちょっと!?」
 ぐらり、と体が揺らいで落ちてきた少女を、慌てて支えるライムだった。
「ごめーん……こっから止ませる力は残ってないやぁ。しばらくちょっと、休ませてー」
 あはは、とライムの腕を掴むリンティを、仕方ないか、と抱えて小屋まで運び込んだ。
「ライムはアイツ……どうするつもりなの?」
 小屋までわずか、数十歩の距離。その間にリンティはそれだけ問いかけると、ライムの答えを待たずに、すーすー……と眠りについてしまった。
「……どうするつもり……って言われてもな」
 すっかり静かになった小屋の中で、寝ついたリンティに布団をかけながら呟く。
 問いかけの意味は、よくわからなくはあった。そもそもライムから関わった相手ではなく、どうこうしようという思いがない。相手の出方に従い、動いてきたのが今の状態で。

 ――と。
 ゴソゴソゴソ、と、静かだったはずの修行小屋の中に、おそらく天井の方から異音が響いた。
「ひー、濡れる濡れるー! もーダメー、ライムさん助けてー!」
「木遁の術、敗れるー……」
 何やら、丸太の絵が描かれた敷物を体にくるみながら、屋根から降りてきたらしい二人が修行小屋に駆け込んできた。
「アンタ達……ずっと屋根の上に隠れてたわけ……?」
 修行小屋は屋根が平らで、ヒト二人を乗せておくにはわけのない強度がある。丸太の絵の下に潜んでいれば、空からでも注意して見なければ気付かないかもしれない。気配を隠す術に長けるのも忍者らしいのだろう。
「しかも……さっきの騒ぎは完全傍観してたってわけね、アンタら……」
 パチパチ、と雷をまとい出して睨むライムに、
「違うよー! 出ようとしたらリンティさんが隠れてろってー!」
「ぼく達に近くにこられたら邪魔、って言われたよー」
 寝ているリンティと、二人を交互に睨む。やがて視線は、リンティに定まっていった。
「何考えてんのよ……あんた、本当」
 大きな溜息をつくライムの下、小さくなって消えそうな翼を横にリンティは眠る。武丸も申し訳なさそうな顔を向けた。
「リンティさんの言う通り、出ても何もできなかったけど……情けないけどさ、本当……」
「青桐の奴を、説得する気とかないわけ?」
 具体的には何を言いたいわけでもないが、ライムはつい呟いていた。
「アイツ思い込み強いから……俺達が帰るって言う以外、全く聞く耳ないだろうし。帰らないなら俺達、ライムさんが負けちゃったら殺されるんじゃないかな」
「……?」
「うちの里、そういう所は厳しいんだ。青桐だから、連れて帰ろうと必死になってくれてると思う。でもさすがにアイツもそろそろ、我慢の限界にきてると思うし……」
「それじゃあアンタ達は……死んでも帰るつもりはないわけ?」
 淡々と尋ねるライムに、武丸と佐助は「……」と、顔を見合わせた。
「えーっと……できればライムさんが勝って、青桐が諦めて、追手が来なくなったらな、って」
「ウン」
「んな都合のいいことあるか!」
 ばちっ! 何とか二人に直撃は避けられたが、火花がライムの周囲に飛び散る。
「仮に私が勝ったところで追手は今後も来るだろうし、それを全部追い払ってやる程暇じゃないわよ! アンタ達は自分の力でできる範囲で、今後どうしたいのか決めたらいいでしょ!」
 そのまま二人の首根っこの襟を掴んだライムは、ドアから外にぽーんと放り出した。
 バタン、と有無を言わさず、雨の中に二人を放置したはずのライムだったが。
「……って、え?」
 小屋は暖炉まで備え付けてある高機能だが、暖炉側の壁には全く道具を置いていない。何やら違和感で満点となった壁に、つかつかライムが近付き、がばっと違和感の発生源を掴むと。
「――あ。見つかっちまった」
「変わり身&木遁の術、敗れる……」
 あの一瞬でいつ戻ってきたのか、素早さだけは神業な二人が、丸太の敷物の裏に隠れていた。
「アンタらふざけてんの……!?」
 再びぽーんと放り出すも、今度は床のふりをしたり天井に張り付いたりと、お腹を空かせた猫のようにしつこく帰ってくる。寄生、事実。と佐助がマジメに言った。
「ぼく達はもうここに住んでいるのだ~」
「俺はライムさんの弟子になるんだ!」
「ああもう……アンタら……」
 ライムがいない間に、小屋の構造を把握して開き直ったらしい。さすがのライムも疲れ果てた。リンティの看病とスーリィの様子見を条件に、雨の間は休戦協定を結んだのだった。

 あっという間に、何故か何も起こらない雨天が何日か過ぎた。
 食材集めや畑の手入れが主な日課のライムにとって、雨の日は自然、お休みとなる。そういう時にはここぞとばかりに剣の修行をしていたが、この数日は小屋に三人もの邪魔者がひしめいているため、できることがなく時間を持て余すしかなかった。
「っつか……雨、長過ぎ!」
 どうやらリンティは、山一つカバーする雨として気合いを入れ過ぎたらしく、未だ目覚めず、雨は細々と降り続け、武丸達との休戦協定も否応なしに延びる始末だった。
「山火事って、下手したら何日も続くもんな……これくらいで仕方ないんじゃないかな?」
「この子起こしたらやむんじゃないの、これって」
「降らせ続けるために、おねいちゃん眠ってるの? まさかぁー」
 初めの内は、武丸達をガン無視していたライムだったが、時間が経つにつれてどうしても会話が増えるのは止められなかった。
「青桐もこれ見て、恐れをなしたんじゃないかなぁ。あれから全然音沙汰ないしさ」
「雨が続くぐらいで、どう恐れをなすのよ」
「逆にドレイ、この雨で強くなってないかな……」
 その佐助の呟きの意味は、ライムにわかるはずもない。
「これ全部、リンティさんが降らせてる雨だとしたら、相当凄いと思う。天候を操るってかなり高位の力なんだって、大婆様から教えられたもん」
「大婆様?」
「ばぁやがどうしたの?」
 ――はっと。武丸は気まずそうにあはは、と笑うと、ライムというより佐助を誤魔化すように、何でもない、と話題を変えにいった。
「思うにさ、青桐って若手の中で一番強いから、アイツさえ追い返したら俺達も安泰な気がする。まさか長老衆が、わざわざここまで追ってくるわけもないと思うしさー」
「まだフィーとかいるじゃん、にいちゃん」
「俺とお前が組めば、その辺からは何とかなるって!」
「どっちでもいいけど、早く出てってくれない、アンタら」
 色んな話も必ずここに帰着するライムに、えーん、と嘆きながら武丸も同じ願いを繰り返す。
「どうしたらライムさん、弟子にしてくれるのさ!」
「そもそも弟子なんてとれる身じゃない」
「そんなことないって! あんなに強いのに!」
「どっちにしたって私、誰ともつるむ気ないし」
 武丸に背を向けたまま、雨の窓に頬杖をつく。壁際の長椅子に座るライムは淡々と続ける。
「アンタ達が気に入らないとか、それ以前の問題だから。スーリィの二の舞はもうごめんなの」
 この修行小屋に入り浸るようになったのも、思えば育ての姉に雷を落としてからだ。降り続く雨をぼけっと眺めながら、何となく思い出していたライムだった。
「でも……」
 この数日は武丸達といても、何故かほとんどパチパチすることはなかった。むかつくことがなかったわけでもなく、これまで通り怒っていたにも関わらずに。
「でもライムさん、リンティさんとは一緒にいるじゃん」
「だってこの子、雷落としたって無傷だし」
「え? ……ほんとに?」
「多分、私より強いってことなんじゃない。身軽だし色々できて、剣とか杖もよく振ってるし」
 ええ? とますます不可解な顔で、眠るリンティを見直す武丸と佐助だった。
「全然そう見えねー……幸せそーで気持ちよさそーな、眠るの大好きお姫様って感じ……」
「……そーね。その子見てると何だか、和むのよね」
 わりと露出が多く、袖が無く足も生肌が多々見える服装ながら、嫌みな色気はない平和な寝顔。少し振り返って言ったライムに、武丸がハッとした顔になった。
「リンティおねいちゃん、またうなされてるよ」
 丁度のタイミングで顔をしかめた少女に、看病役を仰せつかった佐助が心配そうにする。佐助もよく熱を出すらしく、濡れた手拭いで汗を拭いてやるなど、してほしいことはよく把握していた。
「どうせ夢の中で、お腹減ったーとか嘆いてるんでしょ。ずっと絶食なわけだし」
 そうかなぁ……と、ちらちらライムとリンティを交互に見つめる。何やら首を傾げて、武丸もよく同じ挙動を見せていた。
「絶食って言えば、ライムさんって本当、全然ご飯食べないよな」
 あれから今日まで、帰宅禁止をくらったライムの代わりに、武丸にはスーリィの様子を見に行かせている。一日一度は、何か食べ物をもらって小屋に帰ってきていた。そのツケも後で自分にまわると察しているライムは、全く素直に喜べないが。
「美味しいのにな、ライムさんのおばさんのご飯」
「おねいちゃんは、霞を食べて生きてるのかな……」
 でもそんなとこもすげー。と楽しそうに話す二人に、ライムは深々と心底から溜息をついた。
「何でそんなに私がいいのよ? 私より強い奴なんて、いくらでもどっかにいると思うけど」
「ライムさんこそ、罰とか色々大変なのに、どうしておばさんにずっと剣術習ってるの?」
 おばさんより強い人も探せばいるよね、と武丸が尋ね返す。うん? と思わず屋内を振り返る。
「ライムさんみたいに働けるなら、絶対服従なんて条件なしに、剣を教えてくれる所はあると思う。いくら何でも、それって厳し過ぎると思うし」
 スーリィ自身の人柄や腕はともかく、その条件には武丸は、大いに異論があるようだった。
「師匠と弟子なんて、そんなもんじゃないの?」
「そんなのハンターイ! じゃあライムさん、例えばおばさんが俺達やリンティさんを殺せって言ったら、それも従うのかよ?」
 ……と。窓枠に肘をかけて武丸を見ながら、言葉を失ったライムの脳裏には、スーリィに雷を落としてしまった時のことがよぎっていた。

――どうして?
 どうして、リンティと一緒にいたらダメなのか、と。その時のスーリィは、稽古のように有無を言わせない顔つきで、断言の理由も教えてくれなかった。
――その妖精を、今後家に入れるのは許さないし、あんたもその子とは縁を切りなさい。
 それもリンティが、ライムのすぐ隣にいたにも構わず、スーリィははっきり言い切ったのだ。リンティは何も反論はせず、無表情にそっぽを向いて視線を合わせずにいた。
――ライムが怒ることなんて、何もないよ。
 それでもその横顔はライムには、強い痛みを必死に堪えているように見えた。気がつけば次の一瞬、部屋全体を走る雷が、ライムを中心に嵐のように吹き荒れていた。抑える暇もなかった衝動と、その後の取り返しのつかない(あやま)ちを知るべくもないまま。

 スーリィが、いなくなっちゃった。あの時の衝撃と痛みを忘れることはできない。泣き叫んでスーリィを揺さぶるライムの姿に、リンティは不思議なくらいに落ち着いていた。
――大丈夫だよ。この女のヒト、まだほんとには死んでないから大丈夫だよ。
 ライムの右腕を治した時のような仄白い光で、ショック状態だったスーリィを回復してくれたリンティに、さすがのスーリィも付き合うな、とまでは言わなくなった。ライムにその件で何を言うでもなく、日々の生活を全く変えなかった養姉や、自分を嫌う相手でも助けた妖精のどちらも、ライムにとっては得難いヒトであること。
 武丸の一言で突然自覚したライムは、しばらくしてやっと、こう答えるのが精一杯だった。
「スーリィは……私のためにならないことは、しろって言わないもの」
 結局はそうなのだ。養姉はずっと、ライムのことを考えてくれている気がするから、ライムもスーリィの言うことはきくと決められた。
「他の誰かに弟子入りなんて嫌だ。スーリィの言うことは、今までずっと納得できたから」
 大きくずれてしまったのは、あの一瞬。リンティという第三者が、初めて関わった時だけで。
 だから武丸達を追い返そうとしているのも、多分ライム自身の心の反映なのだ。それがわかってしまい、大きな落胆が何故かライムに起こっていた。
 ここ数日の他愛のない話は、意外に悪くないものだった。ふとそう思ったからかもしれない。

「そっかぁ……ライムさん、おばさんのことは信じてるんだな」
「にいちゃん?」
 いいな……と。ポツリと、武丸が遠くを見るように、外の雨に降り返って呟いていた。
「俺もライムさんみたいなヒトなら、信じてついていけるのにな」
「だからそれは、どーいう基準なのよ。アンタいったい、私に弟子入りしてどうしたいのよ?」
「うーん……騎士はやだけど、ライムさんみたくカッコよくなって、可愛いお姫様に仕えたい?」
「可愛いお姫様ってリンティ?」
 私達、そういう風に見えているわけ? と呆れ切って眉をひそめる。
「リンティさんも可愛いと思うけど、もう少しおしとやかな感じの黒髪のお姫様がいいなー」
「アホか……弟はどうなのよ?」
「ぼく? ぼくは何でもいいし、どっちでもいいー」
 わかっているのかいないのか、兄さえそこにいればいい、という感じの佐助だった。
「……まぁ何にせよ、弟子にとる気なんてないけど」
 えぇー! と、ここまでの流れで少し期待していたのか、武丸が派手にガッカリの声を上げる。
「――あ、そろそろ頃合かな。俺、おばさんの所を見に行ってくる!」
 何処から取り出したのか、武丸は木製の雨避けを頭にかぶった。
「そろそろあの男襲ってくるかもだし、気をつけなさいよ」
 何となくそう声をかけたライムに、武丸がちょっと意外そうに振り返る。うん! と笑い、意気揚々と修行小屋を後にしたのだった。

 場に残ったのは、眠ったままのリンティと看病役の佐助で、もうすっかり警戒心を解いた顔の佐助に、ライムは複雑な思いで目線を移した。
「アンタの兄さん、よっぽど戦いに出されるのが嫌なのね」
 ライムなら、戦争に行けなんて言わないということなのだろうか。どうもそれだけではない気がして、佐助にぼやいていた。
「知らな~い。にいちゃんいっつも、ぼくには何も教えてくれないもん」
「戦争が嫌って言ってるの、アンタは含まれてないの?」
「嫌だけど、みんなが行けっていうなら行くよ。ここまで逃げてきたことの方がしんどいし」
 その言い草のわりに、顔には特に不満の色はない。現状を既に受け入れているようだった。
「ばぁや達の言うことさえきいてたら、里ではみんな、優しかったんだよ」
「それじゃ何で兄さんは、里を出ようなんて考えたのよ?」
「みんなは臆病者だって言ってた。にいちゃん昔から、魔物相手にも逃げ回ってたし」
 ライムを見ずに、佐助はリンティから目を離さない。床に座り込みながら大人しく続ける。
「ぼくもよくわかんなかったけど……でもそれも違うんだなあって、この間思った」
「……?」
 どう言えばいいか、よくわからないらしい。何度もうーん、と考え込んでいた。
「にいちゃん、弱いけど強くなるもん。まだ強くならなかっただけだもん」
「はい?」
「みんなが言うみたいな、臆病者じゃないってわかったから。にいちゃんも、ぼくも」
 早くも佐助は、説明を諦めていた。元々口数の少ない者同士、ライムも佐助もそれきり口を開かなかった。

 話のタネがなくなってしまうと、あまりにすることがなかった。
 ライムはいつの間にか、座ったままウトウトしてしまい、夢か(うつつ)かわからない光景を見ていた。
――こんにちは~。ライムさんいますかー?
 呑気な声で家の扉を叩き、出てきた女性に笑う少年。女性も困ったように笑い返す。
 少年は日に何度もその家を見回りに行ったが、一回はそうして住人に声をかけていたのだ。
――今日もまだ、帰ってないわよ。君も毎日、飽きないわねぇ。残り物ご飯、持ってく?
 わーい、と喜んで受け取る少年に、そんな口実で行っていたのか、と呆れるライムだった。
――でも君達は、今は何処でどうしてるわけ? 問題はまだ全然解決してないんでしょう?
――はい。俺達、リンティさんのいる所で一緒にお世話になってます。
 少年は何も嘘はついていない。女性は真意を窺い切れない様子で、まさかね、と首を傾げながら、少年に食べ物を手渡していた。
――まさかあの子が、そこまで他人に関わりはしないわよね……。
 複雑そうに、少年が食べ物を持って行くのを見届けている。その目に少年を排除しようとする意図はあまり感じず、あの子はどうしたいのかしらね、と、悲しそうな雰囲気すら漂わせている立ち姿だった。

 ――だから、どうもしたくなんてない、と。少し前と同じ科白を口にしようとしたライムは、一人で勝手に喋り出す前に辛うじて目を覚ましていた。
 目の前には相変わらず眠っているリンティと、座ってそれを見守る佐助がいた。
「……――あれ。雨……やんでる?」
 すぐ横の窓から外を見渡すと、まだ薄暗いながら雨足は遠のいている。確かめるため小屋から外へ出ようとしたライムに、佐助がぽつんと不安そうな声を出した。
「にいちゃん、遅いな………」
「って。私、そんなに寝てた?」
 雲間から光が洩れる太陽は確かに、思っていたより西よりだ。みんなしてウトウトしていたのだ。
「アンタの兄さん……まだ帰ってきてないわけ?」
 その時どうしてか、嫌な感覚が脳裏をかすめた。新しい大剣だけを片手で掴む。
「ちょっと見てくる。アンタ達はここで待ってなさい」
 比較的身軽に、可能な限りの早さで修行小屋を飛び出した。夢のことなんてほとんど覚えていなかったが、自分の感覚が時にわりと当たるのは、これまで何度も体験してきたことだった。

 そうして、修行小屋から家に向かう道のりを、丁度半分くらいは行った所で。
「――――」
 そこにはおそらく、悪寒以上の惨い現実。胸から真っ赤な血を流し、脇道の木の根元に倒れる武丸を見つけるのに、そう長い時間はかからなかった。

 頭が真っ白になってしまった。目前の状況にライムは思考を止めかけていた。
 バチっ、と大きな火花が走ったが、気にするより前に体が動いた。自分の服の袖を破り、血まみれの武丸の傷口を締めて、剣を持ってない方の肩で抱える。
「バカ忍者、アンタまだ生きてなさいよ……!」
 息をしているか確かめる余裕もないまま、この状況を打開できる少女の元へ、何も考えずに走り出していた。バチバチと体から飛び散る火花が、雨上がりの水溜りを伝っては消えていった。

「ったく……何でこうなるのよ!?」
 とにかくこの場合、時間が鍵だ。武丸の体温を何とか感じながら、バチバチが伝わらないよう必死にライムは抑えつつ、全速力で修行小屋へ帰り着いた。
「リンティ、起きて!」
 青桐が挑むのは、まず自分。そう思い込んだせいで、ここ数日の静寂を軽く見ていた。
 修行小屋の状況に自分の甘さを更に思い知り、武丸を抱えたままで立ち尽くしてしまった。
「ちょっと二人共……何処行ったのよ!?」
 小屋は突風が通り抜けたかのように荒れ、待っていたはずの佐助の姿がなかった。彼が見ていたリンティもおらず、頼みの綱の少女の不在に全身がぞくりと悪寒に包まれる。

 別にあたし、死んだヒトを生き返らせれるわけじゃないよ、とあの時少女は苦笑っていた。
――人間って、ショック程度で心臓が止まっちゃうくらい脆いらしいよ。あたしは単に、ちょっと魔法の光で、おばさんの体を刺激してみただけ。
 傷を治すのは魔法の内だが、消えた命の灯を再び(とも)すことはできない。そう言っていたのだ。
――回復して傷が治る時点だったら、呼吸や心臓が止まっててもまだ生きてる。時間が経ったりダメージが大き過ぎたりすると、そもそも治らないから。あれぐらいなら、全然楽勝。
 だからあんなの、殺した内に入らないよ、なんて、眠るスーリィを遠目にリンティはライムに笑いかけた。その笑顔は冷たく、ライムは一瞬ぞくっとしたが、それ以上に安堵が強過ぎて、こんな思いをするのは二度と嫌だ、と魂の底から刻みつけられた。
 誰かの命を摘むのは、こんなに気持ちが悪い。そして誰かがいなくなるのは、心が真っ白になるほど痛いものなのだと。

「――そんな簡単に、消えられてたまるか」
 立ち止まっている時間はない。
 佐助が座っていた床に書きつけられた伝言に気付き、ライムの全身に再び火が入った。

「山の(ぬし)が座する岩場にて待つ ~DREI~」

 この山に生きる者には一応わかる内容だが、伝言が残された意味はよくわからない。
 武丸や佐助を処分すると決めたなら、青桐が自分を狙う意味はもうないはずだ。それとも青桐にとっては苦渋の選択で、ライムへの復讐を考えているのか。佐助はともかく、リンティの姿がないことの意味を、連れ去られたとみるべきだろうか。その迷いがしばらくライムの足を止めた。
「でももし、あの子だけでもここに帰ってきたら……コイツ……」
 武丸を自分の寝床に下ろして考え込む。一刻も早く回復をさせたいと思うなら、伝言の場所へ連れていくかどうかが悩むところだった。
「これ以上動かしたら、余計に血が……あの子が簡単に、捕まるとも思えないし……」
 肩をぐっしょりと濡らした血の量。正直、生きているのか確認する気にもなれなかった。
「…………」
 もしも万一、休息中だったリンティが青桐に捕まっていても、解放さえすればここに駆けつけられる。わざわざ連れていく負担を武丸にかけるよりは、自分だけ青桐の元に急ぐ方がいい。数秒でそう思い切ったライムは、シーツを使って更にきつく武丸の傷口を締め直した後、大剣と稽古用の片手剣両方を手に、どちらにもバチバチを遠慮なく流した。
「ちょっとあのバカ探してくるから、それまで生きてなさいよ!」
 武丸の方を見ずに、そう言い残す。応えは期待せずに修行小屋に背を向けた。
 道具がいくつも散乱する中、妖精の宝剣が消えていることにも、その時のライムは気が付かなかった。小屋から駆け出ていく自分を見ている鳥が、丸太の屋根に止まっていたことも。

➺舞Ⅱ

 「山の(ぬし)」と言われると、ライムは一つしか思い浮かばなかった。岩場というのも符合するので、迷いなく足を急がせた――そこで運命の夜が待つとも知らずに。
 北山と合わせて双子峰と呼ばれるこの山の、二つの頂の間にやたらと大きな怪木がある。あれなら青桐のイメージには合う。かなり巨大な硬い木なので、あれを動かされると厄介ではあるが、長い雨で土も湿り、岩場なので火も回りにくい分、先日の山焼きのような凶行はないと踏む。
 それでも当然、青桐に何がしか有利なはずの場所へ飛び込む上に、リンティ達を人質にとられているかもしれない。ライムに余裕が生まれるはずはなかった。
――人質として、生きてたら幸いって話か……。
 武丸の血まみれの姿が何度も頭をよぎる。その度バチバチがライムの走った後を照らしていく。

――ライムはアイツ……どうするつもりなの?
 これまで、賞金首や山賊を相手にしていた時は、リンティはそんなことはきかなかった。元々そうした相手は町の自警団に引き渡すのが定石だから、尋ねる意味もなかった。それを今回、わざわざ尋ねてきたのは、ライムに青桐を殺す意思があるか、ということだったのか。こうした事態の悪化を避けるために。
――生き残れば勝ちなんて、動物レベルの論理よ。アタシは相手を征服してやりたいのよ。
 そのスーリィの言葉を思い出したのが、ライムの望む形も近いということなのだろう。
「勝った負けたは、何でもいいけど……もう私に挑もうなんて、思えないくらいにしてやりたい」
 今の平坦な毎日を乱してほしくない。それは青桐に限らず、武丸や佐助相手でもそうだった。雷なんて落とさずに済む静かな生活を、このまま続けて行きたいだけだ。そのためもしも、青桐を殺さなければいけないとしたら?
 この状況でもライムは、内なるリンティの声に何も返せないでいる。その場所で青桐の変わり果てた姿を、目の当たりにした後でさえも。

 ライムが小屋をあけた時間を考えると、青桐もここに着いてそう時間は経っていないはずだ。
「何、ここ……暗いだけで、こんなに別世界になるわけ?」
 そこにはごろごろと、ライムの身長を直径にしたくらいの大岩が集まる。山間の盆地、「山の主」に相応しい巨木が、地下だけでなく中空にまで、縦横無尽に鋭い枝を増やして張り巡らせていた。
 夕闇の中、これは最早、一つの異界。そこへ足を踏み入れた途端。
「って……地震、じゃなくて!?」
 足元の地面が、盆地全面で波打ち始めた。波打ち方も場所によって違っている。
 まだ雨を落としそうな雲に覆われた空の下、「山の主」全体に異様な気配が漂っており、あちこちで唐突に揺れる足場は地震というより、「主」の根が土の下で(うごめ)いているという感じだった。
「リンティ、いるの!?」
 声に反応したように、ざわっと周辺の枝先が一斉にライムの方を向く。相変わらず地面は足場も心許なく、大剣を突き立ててライムは踏ん張る。「主」の手先達を睨み返した先に、空を埋め尽くす枝の(おり)を跳び回っている、小さな人影にやっと気が付くことになった。
「――!」
 人影は震える枝と枝の上を跳び渡りながら、手にした妖精の宝剣を鞘のままで、柄に填まる珠玉が上にくるよう逆向きに握っていた。宝剣から発される白い光が、枝先の攻撃を牽制していた。
「リンティ……!」
 魔物と対峙する時があると、少女も魔法だけの短杖でなく宝剣を使った。「主」の中心を目指す姿と、その視線の先にある「主」の根元、横たわる少年にライムも気付いてしまった。
「……!」
 そこには武丸と同じように、胸元を血で染めて倒れている佐助。ライムは一瞬で沸点となる。
 地鳴りのせいでライムの声は届いていないが、立て続けに「主」を直撃した雷で、リンティはライムの存在に気が付いたはずだった。枝の間を跳び抜けるのに邪魔な翼は消していたが、再び翼を出して空中に飛び出て、あちこちを振り返ってライムの姿を探し始めた。
「来てるの、ライム!? 佐助君が――……!」
「ふむ……今のは手強い。雨だけでなく雷をも司るとは、つくづく頭の痛い妖精だ」
 どうやら雷の発生源を、リンティと勘違いした青桐の声。それは場全体に響くボリュームで、「主」の根元から聞こえてきていた。
「ライム、どこ!? ここ、アイツの気が強過ぎてわからないよ!」
 その声も地鳴りに消されてライムには届かず、ライムにわかったのはただ、血まみれの佐助を前にリンティも平常心を失っていることだった。それでなくても病み上がりに近い状態で、この巨木を相手に立ち回るのは相当無理を重ねているはずだ。
 雷が散々直撃したはずの「主」は、巨体の利点で幹の一部や枝が相当焼け焦げはしたが、活動に支障はないようだった。
――とにかくあの子と合流しなきゃ!
 飛べないライムは、枝に上がっても絡めとられる。リンティと同じく中心を目指して、自分の位置を知らせようとしたライムだったが。
「――! よけなさい、リンティ……!」
「――!?」
 波打つ地上を駆けていたライムには、その危機はすぐに感知することができた。
 地形の特性でいつしか溜まっていたという数々の大岩が、土の下から「主」の根に弾き飛ばされて、次々とリンティめがけて打ち上げられた。ライムの全身に冷たい感覚が走り、高ぶる気持ちのままに周囲の枝へと火花が炸裂していく。
「っ、当たってよ……!」
 襲い来る大岩は今までの枝と違い、魔法の光で牽制はできない。雷で撃ち落とすことがライムにできれば早かったのだが、矛先を制御したことのないライムにとって、個々の大岩より今まで通りの道筋で「主」に雷が向かうのを変えることはできなかった。
「リンティ!!」
 大岩の大群に巻き込まれて、少女の姿が見えなくなった。ライムはすぐに立ち止まった。
 何度も落ちる雷を受ける「主」は、苦悶を表すように枝の動きを激しくさせると、動きを止めたライムめがけて鋭い先端を何本も振り下ろす。大剣に力を込めて頭上で斬り払ったライムだったが、地表から突き出した根の横払いに背を強打され、落ちてきた大岩の方へ吹っ飛ばされてしまった。
「っのやろ……!」
 ちょうど、リンティが巻き込まれた近くまで来れたのは良かった。手痛いダメージが全身に伝い、人間なら内臓が破裂しておかしくないレベルの衝撃だ。
「――この、この、このっ……!」
 大岩を次々、持ち上げては放る。それで枝も牽制しながらリンティを探す。そんなライムに、容赦のない現実がやがて示される。
「ちょっと……――ウソでしょ、そんなの」
 後数個まで大岩を放り、地面も見えてきた所で、リンティが使っていた宝剣とポニーテールの端が、残った大岩の真下から出ていた。その下に存在するはずの生き物は、当然押し潰されているだろうと――思わず岩をどけるのをためらい、ゾクっとしてしまう状態で。
「―――っ!?」
 その一瞬に、ライムをまたしても、枝の一閃が吹っ飛ばしていった。

「そろそろ諦めろ、異端種よ」
 大岩の所から吹っ飛ばされて、今度のライムは何と中心の間近に来てしまった。
「お前は妖精という悪しき種に踊らされた凡百に過ぎない。今後は大人しく山奥でひっそり暮らせ」
 響く声は確かに青桐ではあるものの、トーンが全く違う大人びた低音。発生源を見てライムは半分放心しつつ、現状を直視していた。
「黙って引き下がるなら、これ以上危害を加えるつもりはない。立ち去れ」
「アンタ……青桐、なの……?」
「確かにこの身はそうした名の男のものだが。私がこうして現界する以上、その名に意味はない」
 ライムの目の前、「主」の周辺には、青桐の姿は見当たらなかった。
 代わりに、「主」の根幹から、盛り上がるように浮き出たヒトの顔。目と鼻を濁った緑石の仮面で覆われ、辛うじて自由な口で喋る何かがいた。
 呆気にとられるライムだったが、容赦なく「主」の枝はライムを狙って次々振り下ろされる。
 最初はまだしも、切れ味の良い片手剣で応戦していたライムだったが、力を込めてすら枝達は完全には斬れず、大剣で焼き切る形に切り替えざるを得なくなった。
「ヌシと、一つになってるっていうの……!?」
 どう見たってその光景は、木の幹にヒトが顔だけ残して取り込まれた状態。青桐の素顔は知らないために、面影は測りようがない。それでも無表情で、淡々とした口調にはヒトが違うという確信を持つほど、今までの青桐とはかけ離れていた。
「何でもいいけど――そこの弟を返せ、リンティを離しなさい!」
 枝の執拗な攻撃にライムは場から大きく動けず、その間に先程の大岩の場所に向かう道には、枝という枝、数多の根が絡みつけられてしまった。
「連れていってどうする。彼らはどちらも既に死に体、あの妖精にしても同じ話だ。生きて帰ることができるのはお前一人だけだろう」
「――なっ……」
「私は無益な殺生はせぬが、容赦もしない。お前が何処に彼らを連れていこうと、この山にある限り阻止する。青桐の身ではこの程度だが……この山中の植物が、今は私の支配下にある」
 ぼこっと。「主」の枝や根だけでも広範囲に渡るのに、更にその外周、最早視認もできないくらい広い範囲で、先日のように異様な木々に包囲されているとわかった。
 この地鳴りは、山全体から響いている。それを悟ったライムに、さすがに戦慄が走った。

 見慣れていたはずの山を、こんなに異界に変えられてしまう。それは「名のある鬼妖」ですら難しい仕儀と知らないライムでも、相手の強大さを感じるには充分だった。
「ほんとに何なの、アンタ、いったい……」
「ヌシで良い。その問いの答を守り通すため、私はここにいる」
 謎の回答。忍の者として、自らの正体は明かさないらしい。
「じゃあ何で、リンティやアイツらを傷付けるの!?」
「それも青桐が既に説明しているはずだ。逃げ出した彼らを回収する責任がこの身にはある」
「回収って、連れ戻しさえすれば死体でもいいってこと? 仲間なんでしょ!?」
「部外者に定めについて口出しされる謂われはない。たとえ仲間でも、世に災いを成す可能性のある者は排除するしかない。人ならぬ力を持つ者は、常にその業と共にある」
 え――と、ヌシの静かな強い口調に、言葉を失い立ち止まった。
 そんな隙を見せたライムに、ここぞとばかりに枝が絡みついた。大剣を手放しはしなかったものの、両手両足を拘束されてしまった。
「この力は決して、悪用されてはならない。いずれ彼らの一人がこの力を受け継げば、山一つと言わずに、国を横切る規模で植物達の掌握が可能だっただろう」
「アイツらのどっちかが……その力を受け継ぐ?」
「しかし第一、第二はそれを拒否した。こうした力を狙う大国との、聖なる戦いを前に臆した」
 大国との戦い。武丸達が言っていた戦争のことだろうが、このヌシの話が確かならば、それはこんなに異様な力を使って戦う予定なのだろうか。
「そんなの……初めから戦いなんかじゃない……殺戮じゃないの――」
 今もずっと、ライムの全力を込めても全ての枝は引き千切れない。断ったそばから新しい枝に絡めとられ、戦う気力が削がれていく。
「里の定めを放棄した上、最も血の濃い彼らが妖精一派の手に落ちるなどもっての他だ。妖精は他種族との安定した交流を築かず、常に身勝手に振舞う。一千年を超えた災いを(はぐく)み、魔の者と交流を持つとすらきく――己が権勢を維持するためなら、禁忌を侵す災いの集まりだ」
 妖精の森は、妖精だけが暮らす場所では確かになかった。飛び入りのライムや佐助でも簡単に受け入れる場所で、異邦人嫌いが多いこの辺りでは逆に珍しい。その是非はライムにはさっぱりわからないが――それでも、「主」の根元で横たわる佐助の元に、必死に向かおうとしたリンティの姿だけが浮かぶ。
「ただ……助けなきゃって、無理するバカなのに……」
 我侭なのは確かだろう。けれど、こんな騒動に自ら関わったせいで、大岩の下敷きにされる。
 ライムは全身に雷が溜まる感覚を味わいながら、逆に頭は冷めてきた状態で立ち尽くしていた。

「お前も何かの力を持つようだが、この身がこの力を持ち出した以上、どのように有力な鬼妖でも勝ち目はない。自然の脅威であるこの力――自然の魂たる精霊すら超える私達にはな」
 浮き出た青桐の顔の上半分を覆う仮面が、昇り始めた三日月の僅かな光を反射する。
 地鳴りは相変わらず続き、今でも山全体が波打っている。その中でちっぽけな大剣一つで、ライムは相手をしなければいけない。振り回す剣を支える体の軸が、ぐらりと揺れた気がした。
「すぐに立ち去れ、異端種。それでお前には静かな生活が戻ってくる」
 ここに辿り着く前の、ライムの心の叫びを知るわけもないだろうが。ヌシは優しさすら感じさせる声で、動けないライムを諭すかのように反応を待っていた。
 絡み付く枝をほどくのを諦め、俯いたままのライムが大きく息をついた。
「……ふーん……これ、自然の脅威なのか……」
 早くリンティを助けて、武丸達を回復してやらないと。不思議とその思いだけは、当たり前のようにライムを占拠し続けている。
 でももう、失われてしまったのかもしれない。大岩の方を堅固に囲むバリケードと、すぐ前で倒れている佐助の姿に、ライムはそれが現実だと感じ始めていた。
 武丸も佐助も、助からないなら戦う必要はあるのか。そもそもどうして、ここまで来たのか。彼らに関わる気がなかったのなら、そのまま見捨てれば済んだはずだ。
 ヒンヤリ冷めていく思考とは裏腹に、体は段々、熱がこもるように汗が吹き出てきていた。
「アンタ達、そんな力があったのに、何で戦争怖がってたの? ……まだ受け継ぐ前だから?」
 思考と体が、別々のことに向き合う。体はヌシに、言葉は武丸と佐助に。
――あの二人のコ達も含めて、そこまでの力の持ち主とは思えないけどさ。
――にいちゃん弱いけど、強くなるもん。まだ強くならなかっただけだもん。
 周囲の空気が、ぐらぐら揺らぐ。何故か大剣が火花を放ち始めていた。
「どうやら抵抗する気力を失ったようだな。賢明だ」
 何が起こっているか、ライムにはわからなかった。確かに思考は諦観に支配されつつある。
 とはいえ、ヌシの声は頭に入っていない。代わりに彼らの声が浮かんで消える。
――俺……ライムさんみたいに、魔物も殺さないヒトの方がいい。
――青桐は自分の言うことを伝えるだけで、向こうからの声は聞こえてねーもん。
「――そっか。アンタにはそれ、聞こえてる、ってことか……」
 ふっと。当初から感じていた疑問が氷解した。大剣を離さない手を握り締めた。
「魔物も殺さないなんて、相当だけど……喋れる相手って、確かにやりにくいよね」
 弱いからでも、強くなっても。武丸は多分、なるべく不要に傷付けるのを避けたいらしい。
 それは多分、スーリィを突然、物言わぬカタマリにしてしまったあの時の心。武丸の躊躇いは、似ていた。ようやく思い至ったライムは、思わず……。
「――バカじゃないの」
 それで、自分が死んでりゃ世話ないじゃない。心の底から怒りを込めて、口にしていた。

「――何だ……?」
 ライムを絡め取った枝が、一瞬にして炎に包まれていた。火花を散らして弾き飛ばされ、ライムからズザっと手を引いていく。
「冗談じゃない……アンタ達年長者がしっかりしないから、アイツらみたいな子供が戦争に巻き込まれて! 路頭に迷う羽目になるんじゃない!」
「まさか――先程の雷はお前の仕業か!」
 枝から解放されたライムの大剣は、一振りの度に火花が飛び散り、周囲の枝はほとんど焼き切られていた。想定外の展開に、根幹に在る青桐が舌打ちをする。
「武器やその身に雷を纏う特異体質……! 一つ間違えばお前も世の災いとなるぞ!」
「アンタ達が勝手に決めた災いなんて知るか! 私達を巻き込んだのはアンタ達じゃない!」
 硬い「主」の根幹に向かうよりも、リンティを先に助けよう、とライムは背中を向けた。無防備だがヌシは何故か攻撃せず、ただ行く手を阻む方へと枝達を注ぐ。
「まだ諦める気がないのか……何故だ?」
「当ったり前でしょ! とにかくリンティは連れて帰るんだから――あの子がアイツらも助けるってんならもう止めないし!」
 次々と枝を焼き切っていき、道を開くライムに言葉を選ぶ余分はなかった。
「これなら私、我慢する意味なかった……! アンタ達に殺させるくらいだったら、私がアイツらこき使ってやる! アンタ達に戦争に使われるよりよっぽどマシだし!」
 (せき)を切ったように流れ出てくる言葉。ライム自身がまず首を傾げる。
 何だそれ、私そんなこと考えてたのか。その思いを取り上げる余裕もないまま、ようやく大岩まで数メートルの位置に達した所で……。

「妖精に利用された者を、これ以上害する気はなかったのだが……それであれば――」
 ヌシはライムを、憐れむような色合いすら混じらせていた。溜め息をつくように大きく息をした後。
「お前達や青桐の思惑など関係なく、私の成すべきことを成す」
 「主」の全面に、暗い煙のような霞が行き渡った。今まで以上に異様な雰囲気で、大岩周辺の枝が一斉に大岩からざざっと距離をとると。
「……――え?」
 その後すぐさま、何十本もの鋭い先端が、ライムの目の前でリンティを敷くはずの大岩を貫いていった。地面まで貫通するほどの強度を、暗い霞から与えられたように。
「……リン……ティ?」
 砕けた岩々が、細かく地面を埋め尽くした。地面に刺さった枝と岩以外は、そこには何も見えていない。
 それでも枝と岩の隙間をぬって、妖精の宝剣の鞘だけが見えた。
 それ以外は全て、枝に貫かれているということは……。
「…………」
 ドクン、と。ライムの心臓を今までにない、大きな鼓動が塗り潰していった。

「その妖精のことは調べるつもりだったが。お前がてこでも帰らぬのなら、仕方ない」
 ライムを特異体質。災いに近い、と認定しながら、手を下す気はヌシにはなかったらしい。スーリィを巻き込まなかったことも含め、確かに彼も、無闇に他者を傷付ける気はない。
 でもそんなことが、今のライムに何の冷却効果があっただろうか。
――……――胸………熱い――……。
 どくどくを繰り返す鼓動が止まらない。わけのわからない熱気が、胸だけでなく頭まで吹き荒れていく。
 まるで心臓から全ての血に火が入ったように、全身に回る熱気に思考が弾けて消える。
――どーしよ、スーリィ……抑えられない。

 体が熱何こんな私やば止めなきゃ熱い許せない? 止めて許さな痛何を私そもそも怒ってた?
 まともな言葉も出なくなった。そして火花がいくつも繋がったように、光の折れ線がライムと木々の間を飛び交い始めた。
「……――何だ?」
 ハッ、とライムの様子にようやく違和感を持った「主」だが、時として遅過ぎた。
 ライムの周囲で、気温が急上昇している。足元の地面が乾いたことでやっと感知していた。もう少し早く異変に気付いていれば、そうなる前に手を打っただろう。ここまで彼女に、精神的負荷という力を与える前に。

 ライムの脳裏をよぎるのは、ただ、ポニーテールを揺らす後ろ姿。笑う裏では哀しさを抑え、苦しい顔をする時はそっぽを向く少女で。
――もう二度と会わないから、そもそも名前、呼ばれることなんてないよ。
 そうだった。私、あの時、むかついたんだ。その後妖精の森を見つけた理由を、今頃自覚した。
 ずっと、本当に気を緩められる相手がなかったライムの、唯一と言っていい気安い相方。
 大切なものには、大切だからこそ抑え続けた。心の残骸は新たな熱を呼んで、そのはけ口を傷付けるものに牙を向くから。
――あの子がいなくなったら――私はただの、ヒト殺しにしかなれない。

 何時の間にか、強い発光でライムの輪郭があやふやになっていた。辛うじて人の影が残り、それが持つ灼熱の大剣の周囲に強い光が集まっていると「主」は確認する。
「何だ――この、大気ごと染めていく力の連鎖は……」
 一瞬で消える雷と違い、とめどない気温の上昇に巻き込まれた地点では枝も根も焼け焦げ、中心部では融解すらしている。その範囲がどんどん広がりつつあった。
「力が力を呼び起こしている……これでは、中核が止まらない限り広がる一方だな」
 ぎりっと「主」が顔をしかめて、根元に横たわる佐助を一瞥した。
「小国規模の災いの発生と認識する。この身で果たして、止められるか」
 そうして「主」は、光の中でゆらりと剣を持つ天災に、死を覚悟した声で対峙する姿があった。
「そのような力の使い方しかできぬとは、愚かな……自らをもここで焼き尽くすつもりか?」
 実際、ライムの意識はもうほとんど残っていない。ぐるぐるする頭で何とかわかるのは、近い時間の思い出だけで、渦巻く熱気の中でそれは辛うじて自我を繋ぎ止める楔だった。

――あたし、嫌われてるから。
 すっぱり言い切っていた無表情。初めの頃のリンティはライム以上に愛想が無くて、妖精の里では浮いていた気がする。なのにライムの所に来る時には、誰よりも妖精らしかった。
――ライムはなんで……こんなところにいたの?
 最初に会った時、ずっと少女はぽろぽろ泣いていた。堪えても堪えても涙が溢れる感じで、さすがに気になったライムは、ごめん、苦しかった? ときいた。ぶるぶる、と少女が頭を振った。
 何で泣くの? ときくと、さっき、雷でアイツが消されたから、と答えた。
 あちゃ、と思った。ライムはそれまで、魔物に容赦できる余裕はなかった。
 少女は明らかに戦っていたが、それでも相手を消したくなかったらしい。余計なことごめん、とライムがまた謝ると、びっくりしたように涙目を丸めた。
――なんで? ライムはあたしのこと、助けようとしてくれたんでしょ?
 がっと、縋るように腕を掴んできた。その幼い姿は何処か、根本的な心許なさが漂っていた。思えばライムは、守ってあげられるならそうしたい、と最初から思っていたのかもしれない。
――……あたしが自分で、やらなきゃいけなかったの……いつか、殺すために……。

 夢現なライムは、現実では自分の姿もわからない光の中で大剣を振っている。
 「主」の本体はもう間近で、この勢いで斬りかかればあっさり倒潰するだろう。
「――ラ……ん……!」
 誰かの叫びが聞こえた気がした。ライムには今、目の前の敵しか見えていない。
「まさか、有り得ない……中核そのものが光の化身なのか!? 何だ、その力は……!」
 全様を感じるほどライムが近くなった「主」は、必死のバリケードを張る。大剣を振らずとも近付くだけで、障害はすぐに()けて無くなる。辿り着きさえすれば全ては終わるはずだった。
 ヌシの言うように、燃えていくのは周囲だけではないこと。先日の山焼きが再現されつつあることも、止める方法を知らないライムにはどうしようもない。

 間近まで迫ったライムは、そのまま「主」ごと斬り捨てるため、大きく地を蹴って助走した。進んで来た道は溶岩のように地面が融解し、横合いから現れた人影を驚愕させるには充分だった。
「ライムさん……! このままじゃみんな……!」
 高温の中でも、保たれているのが不思議な大剣を振りかざした。暗い霞を纏う巨木目掛けて、天高く跳び上がって。
 混濁した心のままで、一息でかたをつけようとした、無様な刃物の切っ先が見えた。
――情けないな……あんなに力、込めなくて良かったかな。
 少し前に、そう思った自身の心。ふと思い出した、雑念が幸いしたのだろうか。
「やめてくれ、ライムさん……!」
 「主」とライムの間に飛び出し、全身を盾にして止めようとした少年に何とか気付き、咄嗟に無理な方向へ反転した。
 体勢の無理から大剣を手放してしまい、そのせいで大剣に注いだ力が周囲に溢れ、いっそう激しい光がバチバチと舞い狂った。
「ライムさん、元に戻ってくれ! このままじゃ佐助も青桐も融けちまうよ!」
「退け、第一! お前に止められる相手ではない!」
 これまで声を出す余裕もなかったヌシが、少年を叱咤している。
「やだよ、青桐だってライムさん達を殺す気だ! そのためにそんな物まで持ち出してきて!」
「あれを見てまだ事態がわからないか、お前は!」
「こんなことしちゃ、青桐だって体もたないだろ! おれ達のせいで誰かが死ぬなんて嫌だよ!」
 いくつか光がかすめてしまい、焼け焦げができた少年の姿。力は治まらないものの、前進だけは止まった。少年――まだ胸元は赤く染まったままの武丸が、必死の表情で更に訴えかけた。
「青桐はあの仮面で変になってるだけなんだ! あれをつけるとおれ達みんな、自分の意思も関係ない化け物になっちゃうんだよ!」
 だから殺さないで、と。ライムと「主」の間に大の字になり、武丸は留まり続けていた。

――……って……。
 ふっと。光の塊がにわかに輝きを減じ、いくらか輪郭が取り戻されていた。
―― あの 仮面をつ けて 、 変 に なっ た? 
 決死の表情で立ちはだかる武丸に対して、ライムはつい、そのつっこみを抑えられなかった。
――どう考えても、つけてる方がマトモでしょうがソイツ!
 そうしてヒトの言葉を、ヒトに届く形で発せた程度には、光の収束が始まっていた。

「ライムさん……!?」
 ヒトの形に収まりつつある光の中、左眼のところにだけ青い光が浮き上がっていた。
「――まさ、か………」
 本当に……? と。後ろで放心したようなヌシの隙を、武丸は見逃さずに行動に出ていた。
「―――っああああああ!」
「がっ……! お前……!」
 振り向きざまに腰を下げて、「主」の根幹、青桐の浮き出た顔を斜め下から、杭のような短刀で一気に切り上げる。正確にはぎりぎり、青桐の仮面だけをかすめて。
 金属同士がぶつかる音をたてて、緑の仮面は青桐の顔から弾き飛ばされていった。上手くいくか、と武丸は不安だったようだが、あの体勢と速さで仮面だけを飛ばした技量は大したものだった。
 まだ全身は光に包まれて揺らぐライムだったが、意識は現実に近付きつつある。やるな……と思えるくらいにはなっていった。
 そこでばさばさ、と、動いていた木々があちこちで大地に倒れていった。「主」に取り込まれたように見えていた青桐が、全身を「主」から吐き出される事態が併せて起きた。

「――っ!?」
「あ、やべっ!」
 仮面を飛ばし、へたっと崩れていた武丸は、引き起こした事態に慌てる。
 ライムはそこで、また喋れなくなるほど沸騰し、頭は凍りつく異常な感覚を味わっていた。
「て……!」
「――ふむむ。前回の手合わせから僅かな期間であったが、腕を上げたな、同志武丸よ」
 スタ、と。「主」と分離して、悪びれもなく場に降り立っていた青桐は。
「何でまた全裸なんだよ、青桐はいっつも! 別に服脱ぐ必要ないだろ!」
「この方が繋がりやすい気がするのである。非才故の痛ましき工夫である」
 おそらく一般的には、筋肉質で均整のとれた美形。生まれたままの姿で仁王立ちしている姿を正面に、ライムには光のせいだけでなく灼熱が走った。
「――このっっっ、ヘンタイ変態忍者おとこ!!」
 ともすれば今までで最大の光が大放出する。その全てが上空に向かい、華々しく拡散し、雷とも火花とも言い難い光が地上に降り注いでいた。

 光からの衝撃波が命中し、吹っ飛ばされた青桐を見届けた後で。あ……と武丸が、まだ光に包まれているライムの方へ、もう一度振り返ろうとした時だった。
 唐突に、ある意味一番危機感を持った叫び声が、場に響き渡った。
「だめェーっ! 変に戻ったら今はライムまで裸んぼさんー!」
 ばしゃ! と。滝のような大流量の水が、まだ発光しているライムに強烈に降り注いだ。
 何の魔法か、元々着ていた服と同タイプの物を一瞬で着せられた。水がひくと同時に発光も治まり、ぺたんと座り込んでいたライムは、ポカンと全身を見回していた。
「あんな高温で服とか無事に残ってるわけないでしょ! その辺考えて力収めてよライムは!」
「え……リン、ティ?」
 そういえば、武丸? と、隣を見上げた。武丸は佐助を抱き起こして、何やら粉をかけている。やっと現実、とライムは頭がはっきりとして、周囲にいる者達の存在をのみこんでいた。
「あんた達……無事、なの?」
 今まではまるで、自分も死んで、彼らがいる所に来たのかと思うほど全てがあやふやだった。心配を隠さないライムに応えるように、武丸は粉薬をしまってから、小さな袋を取り出していた。それを佐助の頭上にそっとかざす。
「……あれ? ……にいちゃん、おねいちゃん……?」
 佐助の胸元に、先程まであったはずの傷は小さくなって、何事もなかったかのように目を覚ましていた。ひとまず彼らは健在なのだと、よくわからないがライムは心からほっとしていた。
「何だ……武丸も佐助も、丈夫なんじゃない。……心配すること、なかったわけ……」
「そんなことないよ、お守りがなかったらほんとに死んでた。しかも凄い、痛かったし……」
 青桐はおれ達、死んだように見せたかったみたいだけど、と。複雑そうな顔で武丸は、倒れる背後の男を振り返っていた。
「やっぱり佐助に持たせておかなきゃ。残り少ないけど、もう使い切っていいや」
 小袋をむう、と眺めながら、重さを確認するかのような武丸の素振りだった。

 ところで……と。ライムは肝心の相手の方へ、座り込んだまま顔を向けた。
「――あんた、今までずっと生きてたの?」
 何故か少し、恨めしい気持ちでリンティを見つめた。リンティは悪びれずにヤレヤレをする。
「何それ、意味わかんない。ひょっとしてライム、あたしがあの程度の攻撃でやられたと思った?」
 あたしは妖精、リトル・ティンクなんだぞ! と、雷が落ちてもへっちゃらな少女は、でもじゃあ、何処にいたの? ときくライムを前に、逆向きの宝剣を何故か黙って掲げた。
「あれ……? 何かあんたも、服違わない……?」
「うん。だってずっと着たきりで、ここで更に汚れたから着替えたよ。ていうか散々ライムのフォローしてまわった身にもなってよ、ホント」
 見れば、ライムの光が広がった山野に、先日より狭い範囲で繊細な雨が降り注いでいる。不在の理由としては少し強引な気もしたが、今こうして少女と話せているのが何よりの答だ。
 ライムは、ふう………と、やっと少し緊張が和らぎ、大きく息をついた。
「……で、また雨降らせたってことは、大丈夫なの? あんた」
「うーん。雨だけじゃなくて、さすがにちょっと、疲れはしたかな」
 ちらり、とリンティは、武丸と佐助が介抱する青桐を見て、一転した無表情になった。
「アイツと話したくないから、あたし、帰る。――サヨナラ」
「――へ」
 引き止める暇もなく、いつものような爆音もたてず、唐突に消えてしまった。その理由も謎で。
「……何か……」
 雨を呼んだ後に、すぐ倒れ込んだ先日とは違い、疲れたと言いつつ今日は気丈ではないか。というより、表情は柔らかだった前の雨の時とは違い、妙に張りつめていた気がした。
 滅多にきかない、サヨナラなんて捨て科白も含め、何故かライムは胸騒ぎがし始めていた。

 が、ライムのそんな状況はお構いなしに。
「――嗚呼、どうか、これまでの無礼をお許しいただきたい……我らが祖より格上の、伝説の(あるじ)よ」
 その声に否応なく全身に喝を入れると、武丸達に布を巻かれて目を覚ましていた青桐の方へ、ライムは嫌々目線を変えた。
「知らぬこととはいえ数々の大変な失礼を働き、我が事ながら万死に値する。うぐぐぐぐぐ……」
「……伝説のあるじ、って?」
 相変わらず青桐は、わけがわからないことを言う。そのままの調子で彼は続ける。
「主にであれば、我が里の次代の担い手をお任せできる。ふぐ……どうか第一と第二の木の徒を、天の君の元で何卒お鍛えいただけまいか」
「……てんのきみ?」
 正直まだ、立ち上がるのも辛い。つっこむ気力は残っていないライムに代わるように、辺りをきょろきょろしている佐助が、珍しく自分から喋り出した。
「ねー。ドレイの仮面、探さなくていいの? うちの里の宝なんでしょ、あれって」
「オマエ……それ、どこで……」
 驚く武丸に、何でもないことのように佐助は答える。
「てぃな・くえすとで、にいちゃんがラスボスで付けて出てきた。別人みたいでカッコ良かった」
「どーいう意味だよ、それ……」
 色んな意味で不本意らしい武丸だったが、黙り込んだのにも理由があるようだった。
「ふふふはははは。心配いらぬ、其れがしが必ず里へと送らせておく。お前達二人はここで来るべき日まで、自己研鑽に励むのだぞ」
「え、青桐……それって――」
「ただし決して、妖精の手には落ちるな。天の君もお前達が、妖精の魔の手からお守りするのだ」
 いつからそうなったのか、最早自分の敵は妖精だけ、という勢いの青桐だった。まだライムはそれが気に食わない。
 しかしざざざ……と、一瞬で雨風と共に消えてしまったのを、呼び戻したくもない。残された武丸と佐助と三人で、ただの巨木に戻った「主」の前、しばらく座り込んだままでいた。

「何か、凄い惨状になっちまったけど……ライムさん、大丈夫?」
 焼き野原に近い勢いで、草も木々も焼け焦げてしまった。岩も融解した辺り一帯に、今更ながら武丸が茫然と呟いていた。
「アンタ達こそ、傷はどうなのよ。さすがに完治はしてないんじゃないの」
「うん、でも何か少しマシ。多分この雨のおかげだと思う……水は大体、俺達には味方だから」
 そ、と。既にびしょ濡れの三人は気にすることもなく、しばらく柔らかな雨に打たれ続ける。
「リンティおねいちゃん、大丈夫かな……」
 その佐助の呟きに、回答者は不在でしばし場は沈黙に包まれた。
「でもライムさん、やっぱり凄いよな。あの青桐を、しかも全力なのを撃退しちまったんだから」
 あれだけ異常な状態だったライムを、目の当たりにして尚、そんな呑気なことを武丸は言う。バカ、としか言い返せないライムだった。そんなやり取りを、始終瀕死で状況を見ていない佐助は、不思議そうにしていた。
「……とりあえず、傷が治るまでは、帰って休むわよ。ついてきなさい、武丸、佐助」
 何とか立ち上がって、手を伸ばすライムに二人も捕まり、痛たた、と立ち上がった。歩き出すライムの後ろ姿に一度だけ兄弟で顔を見合わせ、嬉しそうに笑い、必死で後を追うのだった。

➺終曲

 
 それからライムは、修行小屋に帰ってから、三日連続で眠り続けた。
 っ……と。何度も顔をしかめて寝返りをうつライムを、周囲に座る三人が心配気に見つめた。
 今まで有り得なかったレベルで回転させた心身は、思っていた以上に強く疲労していた。苦しげな寝顔に、武丸と佐助はスーリィまで呼んできて、ついでに自分達も手当てをされる始末だった。
「何だかえらくうなされてるわね、この子……悪い夢でも見てるのかしらね」
 不調なのはライムだけで、武丸と佐助の傷の治りは、里にいる頃に比べると早いらしい。
 暗い面持ちの二人に、スーリィは相変わらず明るく接する。
「やっぱり君達とライム、相性悪いんじゃないかしら? もう帰ったら?」
「……でも、里公認で弟子入りするって決めたんです」
「……それ、多分無理だと思うけどねぇ」
 スーリィは面白そうに、ライムと彼らを交互に見つめてハッキリと言う。
「でも、うなされてるわりに今日はパチパチしてないわね、そう言えば」
 武丸、特に佐助がいると、ライムの光が起き難くなる効果。それがかの少女が彼らを、暴走しがちなライムのそばにおこうとした理由の一つであるのを、この場の誰も知ることはない。

 暗い森のような所で。ライムの意識は、全身の痛みを堪えるようにうずくまっていた。荒い呼吸で、コントロールできない「力」の代償を、甘んじることもできずに紅い灼熱に耐えていた。
 多分、あまりに力を使い過ぎて、そして身体も痛めつけられ過ぎてしまったのだ。
――このままじゃもう、抑えられない……助けて、誰か――……。
 耐えられなければ、すぐ先にあるはずの破局。先刻はまだ、ごまかせていただけの話。決して使ってはいけなかった力が、壊れた体を補うために、今の心を消し去ろうとしている。

 自分の中に渦巻く何か。青黒い蛇が、心を開いて楽になってしまえ、と(ささや)き続ける。
――そんなのは、嫌……せっかくここまで、守ってきたのに――……。
 死の一線は、何より生存本能に働きかける。抗えないほど激情が生まれてしまう。そうした思いに自らを失うのが、一番怖かったから。だからずっと、独りで自分を抑えてきたのに。

 仕方なかった。災いは絶たなきゃ、と誰かが笑った。
 その眼に映してはいけない、宝の珠玉。秘められた力で最後の傷を癒す。この全身を貫く雷の夢が、少しでも長く続いてくれるように……これから血に染まる剣に願いをかけた。
 誰かは不意に、立ち上がった。向かったのは、あちこちが焼け焦げて融けた山間だった。
「……それでは確かに、再びそなたに託したぞ」
 そこには鳥のようなモノに向かい、話しかけている青桐が見えた。
「ああ。詳細は其れがしが帰ってから、皆に説明致そう」
 そして例の仮面を、括りつけたモノを空に放った。消耗し切った表情ながら、再び青桐は、懐刀を手にして言った。
「さて……残った使命を、果たさねばなるまい」

 そこまでは一人の苦しみの夢だったのに。その後何度も、青桐の死態ばかりが流れ始めた。
 細長い剣で貫かれて、血煙を上げながら吹っ飛んでいく姿。
 操っていた木の枝で三方向に貫かれ、自滅したかのような驚愕の顔。
 跡形も残さないよう光の中で灼き尽くされて、空しく消えていった残骸。

 それらは全て、あの時起こってもおかしくなかった光景。
 青桐を心配するわけではないが、光景自体の気分の悪さは抑えようもない。

 くすくすくす、と。その思いに反駁(はんばく)するよう笑う人影。それもこの夢の嫌なところだった。

「何なのだ、その額の目は……! 貴様本当に、何者なのだ……!?」
「あーあ……非力だから、見逃してあげたのに。まさかわたしを起こすなんて、愚かなヒト」
 生憎だな、と青桐も人影に向かい、ボロボロの身体に鞭打って血反吐と共に対峙していた。
「其れがしも貴様を見逃す気はない。そのような姿を見てしまった以上は尚更だ」
 そうして刀と細身の刃の剣戟が交わされ、先程の光景に繋がっていく。

 武丸達が知れば悲しむな、と。吐き気を堪えながら、ライムは夢の終わりを待つしかなかった。
――これがもしも――……私の夢じゃなかったとしたら――……。
 うなされるライムを、心配そうに見守る少年達に、ごめん、とだけ、寝言で呟いていた。

 目覚めはとても、気分が重かった。何やらわだかまっていた不快な空気は、新たな不快状況にあっさり塗り潰されていった。
「――何これ」
 修行小屋には、人の姿はなかったが、代わりに床一杯に広げられた服やら短刀やら卍型刃物。ライムは三日も眠った不調にも気付かないまま、隙間をぬうように何とか小屋の外へ出た。
「あら、目が覚めたの? ナイスタイミン、おはよう、久しぶり」
「スーリィ……?」
 武丸と佐助に文句を言ってやろうと思ったのに、入り口の段差に、編み物が一段落した養姉が座っていた。
「随分今回は、お寝坊さんだったわねぇ。悪い夢でも見てたのかしら?」
「覚えてないけど……そんなに私、寝てたの?」
「丸三日寝っ放しよ~。多分人生最長記録ね♪」
 丸……三日!? ライムにしては最大な驚愕で固まっていると、その顔を楽しみにしていたらしいスーリィがころころ笑っていた。
「……ずっと編み物してたの? スーリィ」
「そーよー。今の内に作り貯めておけば、また町に下りた時についでに売れるしねぇ」
 多分、出先でできる暇潰しの一つなので、養姉はこの段差に座って編んでいた。ライムの目が覚めるまで近くにいてくれたのだろう。こういう時に、すっとありがとう、と言える性格でないライムは、黙り込みながらじっとスーリィを見る。その様子が尚更面白かったらしいスーリィは、ホホホ、と立ち上がって、ライムの頭をぽんぽん撫で叩いた。
「調子悪くなさそうね。体慣らしに面白いもの見せてあげるから、ちょっといらっしゃい」
「――?」
 手招かれるまま後をついていくと。スーリィが向かうのはどうやら、先日クレーターのできた畑であることにすぐに思い当たったライムだった。
「――うそ」
 ぽかん――と。毒気を抜かれるような、素朴な驚きがライムを襲った。
「あ、ライムさん! 良かったー、目ぇ覚めたんだ!」
「あー、おねいちゃんだー」
 これまでの忍の上着は脱いで、金属製の装具を露わにしながら、もさもさと緑に染まる畑から何やら収穫している、楽しげな武丸と佐助の姿があった。
「スーリィ……パルスリーってこんなに、すぐに実るの?」
「んなわけないでしょ。いくら雨とか晴れとか、最近はイイ感じで続いたとはいえ」
 何故かスーリィは、急に悔しそうな顔つきになると、収穫にいそしむ少年達を見ながら両手を握りしめている。
「あのコ達にこんな才能があるって知ってたら、もっと高いモノを植えてもらったのに……」
「――へ?」
「早く大きくなるんだぞー。って話しかけたら、大体の作物はすくすく元気に育つんですって」
 主に武丸の方を向いて言いながら、ディレスに連れていきたいわぁ、とぽつりと洩らしていた。
「あんたの雷よりよっぽど実用的よね、あれ。残念だわ~」
「……」
 ぐうの音も出ないライムに、「残念」と言い切っているスーリィは、ライムの頭の中はお見通しだったのかもしれない。
「ライムさーん、いっぱい採れたよー!」
 本当にこの手の作業に慣れているのか、ライムが採るより丁寧に収穫された葉っぱ達を見せる。もう何度目かも覚えていないが、ライムは軽い溜め息をつく。
「武丸も佐助も、傷はいいの?」
「おかげさまで、ほぼ完治しました! ライムさんもおばさんも、色々ありがとーございます!」
「……にいちゃん」
 引きつった笑顔でこちらを見るスーリィに、怯えた佐助が兄の服をくいっと掴む。
「……きれいにできてる。町で売れば、ちゃんとお金になりそうじゃない」
「もっちろん! おれ達の里ってそれが表向きの収入源だもん」
 ――それで、と。にこにこしている武丸に、相変わらずの仏頂面でライムは両腕を組むと、
「アンタ達、いつ出ていくの?」
 全く表情を変えずにはっきり口にするライムに、二人の少年は派手にすっ転んでいた。
 やっぱりね、と笑うスーリィを後ろに、ライムは当たり前だし、と腕を組んだままぼやく。
 一度だけ、きょろ……と辺りを見回していた。相変わらずの自分のこの結論に、異議のありそうな誰かの尻尾を探して。

 そしてこちらも相変わらずの、食い下がりが続く。
「嫌だー! おれ達はここで畑を耕してライムさんに鍛えてもらうんだー!」
餞別(せんべつ)にそのパルスリー、全部あげるからさ。路銀の足しにでもしなさいよ」
 作物の権利は、畑を起こして一番手間をかけた者にある。それがスーリィの教育方針だった。
「傷が治るまでは泊めるって言ったけど、その後のことは知らないし」
「ライムさん……変わってねー……」
「ていうか、小屋、ちゃんと片付けていってね。二人共何処にあんな、沢山の道具隠してたのよ」
 ふう、と、まだ沢山葉を残した畑に向かい、ライムは雑草とりを始めることにした。
「それじゃあライム。また明日、川岸で会いましょ」
 ひらひらと手を振り、スーリィが畑から去る。言葉の意味は、わからないわけもない。
「……明日から、稽古再開か」
 ようやく日常が戻ってきた。何故か実感し切れないまま呟く感じだった。
 その原因の一つは、よっしゃ! と勝手に、雑草とりを手伝い始めた少年達の姿かもしれない。
「…………」
 余計なことするな、と難しい顔をするのは、さすがに疲れてしまった。何も言わずに好きにさせるライムに、あれ、と二人がまた顔を見合わせた。
 ライムはなかなか、調子が戻らず、
「そっか……まだあの子の姿、見てないからだ」
「ライムさん?」
「おねいちゃん?」
 うっかり声の出ていた独り言に、思わず二人から同時に呼びかけられた。
 ついでのようにライムは二人に、顔は見ずに作業を続けながら尋ねた。
「私が寝てた間、リンティの奴、来てないわよね?」
「うん。おねいちゃん、見てないよ」
「おれも気になってたんだけどさ。雨はわりとすぐに止んだし、もう元気になってそうだよな?」
 ふーん、と、きいておきながらやる気のない返答のライムに、「?」と武丸が首を傾げる。
「アンタ達、これからどうするの?」
 ぐぐっと。この流れでいきなりそう来たか、と武丸が難しい顔になる。淡々として覇気のないライムの真意を、測りかねている様子だった。
「ライムさんが弟子にしてくれるまでは、近くにいるもん。畑とかだって手伝うもん」
「追っ手はもう来ないなんて、確信はあるの?」
「ドレイみたいな感じでは、来ないと思うけど。使者はまた来るんじゃないかなぁ」
 正直な見立てを口にする弟に、こら、と兄が大人気なくつっかかる。
「青桐はここで、修行してろって言ったじゃん!」
「ドレイの言うこと、みんなきくかなぁ……戦争始まっちゃったら余計に……」
 何となく感じてはいたが、幼いながら佐助はかなり頭が良いようで、武丸も佐助の言うことはわかっているが、それでもあえて楽天的でありたいように見えた。
「それってさ……一生逃げ回って生きるよりは、一度ガツンと故郷に文句言うしかなくない?」
 ぷちぷち、とひたすら、細かい雑草まで追求しながらライムは続ける。
「どの道、一箇所に留まったら意味は無さそう。きっと刺客の繰り返しだもの」
 二人が同時に、しゅんとしてしまった。初めてライムは、雑草視線から顔を上げる。
 笑顔なんてこぼれるわけはなかったが、それでも何処か、声から硬さが抜けた。
「でも武丸と佐助が、故郷に文句、言いに行くってんなら。行きは付き合わないこともないけど」
 私も散々迷惑かけられたし、と。いくらか笑うような軽さで、ふと口にしたライムだった。
「――え」
「ライムさん、それって……」
 二人は呆気にとられて手を止めた。戸惑うように緑の目を丸くする。
「戦争始まるよりも前に、早い方がいいんじゃない」
 だから早く、出て行きなさい、とまた付け加えたが、以前よりは余裕のある心持ちだ。ライムも自覚しているほどだから、少年達にも伝わってしまったかもしれない。
 ……ま、それでもいっかな、と。
 別に全然好きな野菜ではないが、もさもさと嬉しげに実ったパルスリーをつつくと、何となく楽しかった。それでこんな風に思えるのかな、と、自分なりに納得したライムだった。

 がさがさがさがさ。もう何本の草を蹴散らし、邪魔っけな木の枝を乱暴に払ってきただろう。
 一年前の記憶を辿りながら、何回か来たはずの北山を、ライムは朝からずっとさまよっていた。その辺の突き出た岩に腰掛けて、ようやく一旦休みをとることにした。
「フウ……探すと見つからないのよね、こーいうものって」
 何処にあんのよ、妖精の森、と。一年前よりもっとイライラとして、パチパチと息をつく。
 あれから一週間たったが、何故かリンティは一向に顔を見せず、さすがに気になってしまった。こうして再び、妖精の森を探して北山に入ったライムだった。

 妖精の森に入るには本来、妖精の同伴か許可がいるのは教えられたので、もしかするとライムはブラックリストに入れられたのかもしれない。妖精を嫌っていた青桐の騒動を思うと、絶対に有り得ないことでもない。苦々しい顔で溜め息がこぼれる。
「私のせいじゃないっつーに……あの子を巻き込んだのは、悪かったけどさ」
 夜までとにかく探してみたものの、ここまで妖精の森も、リンティ本人も出てこないのは、結局拒絶されてしまったのだろうか。そんな気がしてならなかった。
「にしたって、唐突過ぎでしょ。事情くらいは説明しにこいっつーの」
 拒絶される理由が思い当たらず、それならあの子、何かあったのかな、と気になって来た。さっきから独り言でも声に出しているのは、何となくだが、聞かれている気がしていたからだ。
「あんまりヒトのこと放置してたら、雷落として山火事起こすぞ。……なーんて」
 自分が何かしでかして、その結果がこれなら仕方がない。ここから南の隣山――ライムにとっては地元の双子峰を、「主」の居所は焼き野にするわ中腹以上は連続爆破させるわ、妖精達から顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのかもしれない。「主」の周辺に関しては、ライムの責任も否定できない。
「…………」
 そうなるともう、帰るしかないか。
 弱気になりつつあったライムの、数十メートル前だった。すっと、突然、珍しい生き物が横切っていた。
「……猫?」
 え? と思わず立ち上がった先。少ない星明かりでも、ぎりぎり見える白茶と朱華(はねず)の三毛の猫が、前方の獣道に躊躇いなく入っていくのを目にした。
「町ではよく見かけるけど……この山奥ではちょっと、おかしいよね」
 最早、さまよい続けたこれまでと違う状況なら、何でも良かった。試しに後を追ってみることにした。猫自体も動物の中では好きな部類で、あわよくば触りたい、とも思った。

 何故かすぐに、猫の姿は見えなくなった。こっちにいるかな? と猫探しの方が優位になった気のそれ方が、妖精探しとしては良かったのだろうか。
「――え」
「――え?」
 崖っぷちに座り、星を見上げる少女の姿があった。右目にかかる、斜めがけの包帯を巻いて。
「ウソ……――ライ、ム?」
 一年前、自力で妖精の森を見つけた時と同じ、信じられないという顔。今いる崖の下からも、はっきりリンティの動揺が見てとれた。どうやってここへ……? と全く同じ問いかけもあり、ライムも結局よくわからないので、さぁ? と同じ答を返した。
「何、その包帯。あんた、怪我でもしたの?」
「――……あはは。ちょっとドジって、しばらく眼を使いたくなかっただけ」
 何だそりゃ? と、全然納得できなかった。うーん、とリンティは、
「あの時光に当てられ過ぎちゃったかも。里で何とかしてもらおうとしたら、こうなっちゃった」
 そうして久しぶりに、浅く笑った。そんな素振りはなかったような、と思いつつ、こういう時は追求しても無意味な雰囲気だ。仕方なく矛先を下げたライムだった。
「かっこ悪いから、ずっと引きこもってたのに。どうしてライムには見つけられるのかなぁ」
「……じゃなきゃ元々、出会ってないんじゃない」
 それもそうか、と、ふわりとリンティは崖下に降りてきた。ライムと崖にもたれて座り、膝を抱えるようにしながら、左目だけで曇った夜空をまた見上げていた。

「最初はてっきり、スーリィが小屋にしばらく張ってたから来なかったのか、って思った」
「それなら夜中に遊びにいくよ。あたしの時間は深夜が本領なんだからー」
 あはは、と苦しい笑い。去年程ではないにしても、無理に笑っている少女は、他愛のない話をする内に徐々に持ち上がってきたようだった。
「そう言えばあのコ達、どうなったの? まだライムの所にいるの?」
「さぁ……どうでしょう。自分の目で確かめに来たら?」
 ぶす、っと言うライムに、あたしが行くとまずいかもよ、とリンティは正直に苦く笑った。
「ねぇ、ライム……どうしてあの時、あんなに怒ってたの?」
 そのまま、ライムの方を見ようとせずに、遠くの夜空に問いかけるように言った。
「あの時って……青桐のあの時?」
「ライムが光になっちゃった時。何気にあれ、ライム、死んでもおかしくない事態だったよ?」
 ライム自身は、山の一部をぼろぼろにした反省はあった。それとは違う問題のようだった。
 話がよくわからずに黙り込むと、もう、とリンティが不満そうに振り返った。
「あたしがいなかったら、燃え尽きてたんじゃないかなあ。自分で頭冷やせる自信あった?」
「それは……あんまり、なかったけど」
「じゃあ気をつけてよね。二度と同じことにならないように。あの時本当は、あたし――」
 その先に続く言葉は、何故かわかった。二度と姿を現す気はなく、消えようと思っていた、と。
「ふーん……つまり、死んだことにしたかったけど、私が暴走したから帰ってきたってこと?」
「だってあたしが生きてたら、青桐は納得しなかったでしょ。それは多分、他の忍者もそうだよ」
 それであれから、ライム達の前に現れなくなっていた。早くもパチパチが溜まり出したライムは、包帯顔でふくれるリンティを簡単に超える不機嫌さで、イライラをそのまま口にしていた。
「――これよ」
「――これ?」
「あんたがいい奴すると、私、むかつく。妖精なら妖精らしく、我侭三昧で振り回してよ」
 ……と。リンティが呆気にとられた顔で、パチパチがバチバチになっていくライムを見つめる。
「その方が退屈しないでしょ、私も。今はどうせ、他にやることなんてないんだからさ」
「…………」
 今は、でしょ……と。膝を抱えて俯き、困ったようにリンティが笑った。
「……信じられない。何処をどー見たら、あたしがいい奴したなんて思えるんだか」
「私もそれは同感なんだけど。あんた凄い我侭だけど……何でか、嫌いじゃないし」
 大体ねえ、と。バチっと火花を一緒に走らせて言う。
「見習い騎士的に、守るって一応約束したんだから。騎士の誓いを、甘く見ないでよね」
 自分で思うよりも、それは大切な約束だった。今回の件で自覚させられることになったライムだった。

 やっとモヤモヤが晴れてきたライムを、リンティが顔を上げて、かすかに首を傾げて見て来た。
「――うん。今度こそ記憶消してやろうと思ったけど、また気が変わっちゃった」
 何の悪びれもなく、綺麗にそんなことを言う。呆れてライムは頬杖をついた。
「あんたまだそんなこと考えてたの? これ以上消えたらほんと何もないんだから、勘弁してよ」
 それでなくても、昔の記憶が無いライムには切実な問題。ただストレートにぼやく。
「何であんた、私の記憶消したいわけ?」
「……だって、あたし……ライムにだけは、嫌われたくないもん」
 ライムには沢山嘘ついてるし、と。その言葉まで嘘に聞こえるほど、素朴な哀しい声色で言う。
 記憶を消される。関わりを全て断たれる未来を、少女が本気で望む時には受け入れるしかないかもしれない。そう思うくらい辛そうな目で、リンティは小さく呟いていた。

 それからしばらく、ライムもリンティも、何とはなしに無言で星空を見上げる状態だった。
「そう言えば青桐、私のこと、最後にてんのきみって言ったんだけど。どういう意味かわかる?」
「――天の君?」
 暗い夜空に、丁度思ったこと。そんなことを尋ねたライムに、リンティが表情を消した。
「……そうだね。雷……神の青が織り成す空の光。何より速く天を駆ける、自然界の脅威の一端」
 リンティは空を見上げたまま、そういうことじゃない? と静かに微笑んでいた。
 どんな偶然か、その時夜空で、暗い雲から一筋の光が空を照らした。後に雷鳴も(とどろ)き、つまり雷だったらしい光に、竜みたいだね、と、謎なことを言ってリンティが笑った。
「――じゃあつまり、私、雷女ってこと?」
 そのフレーズはあまり嬉しくない。ふてくされて睨むように、一緒に空を見るライムだった。

「いいじゃん、雷女。わかりやすいし、名乗り易そー?」
 ――と。何やら突然、ライム超バッチ・ネーミング! と、包帯顔ではしゃぎ出す妖精がいた。
「ライムこれから、雷女でいこ♪ 記憶なくても何かちゃんと、雷族とかの女ですって感じ?」
「ああもう、雷女雷女うるさい! 誰がそんな、ガキみたいな名前で名乗るか」
 守る相手である以前に、浮き沈みの激しい繊細な子供に、ライムはきっと自然に上から口にしていた。
 あんたこそ、もう妖精から幼精に改名しなさい、と。


D1➺Little Twinkle / Fuchsia

 
 その紅い妖精の幼い戯言は、もう何回目となったことだろう。
「今度こそ……消してやろうと、思ったんだけど……」
 そこにあるのは、妖精の宝剣。柄に填まる珠を使う時は、逆さまにして使う仕込み杖。
 こんなにキレイなヒト殺し、そう簡単には手放さない。くすくす、と、紅い涙が流れ始めた。

 仕方なかった。災いは絶たなきゃ、と少女は笑った。
 この眼に映してはいけない、宝の珠玉。秘められた力で最後の傷を癒す。この全身を貫く雷の夢が、少しでも長く続いてくれるように……これから血に染まる剣に願いをかけた。

 少女は不意に、立ち上がった。向かったのは、あちこちが焼け焦げて融けた山間だった。
 そこには鳥のようなモノに向かい、話しかけている忍が見えた。
「……それでは確かに、再びそなたに託したぞ」
 そして例の仮面を、括りつけたモノを空に放った。消耗した表情ながら、忍は懐刀を手にして言った。
「さて……残った使命を、果たさねばなるまい」

 しかし彼が、感じ取った使命の気配へ振り返ったその瞬間に。一瞬にして、激しい勢いで飛来した細身の長剣が胸を貫き、血煙を上げながら飛ばされていった。
「……あれぇ? 一息に殺してあげようと思ったのに……心臓外れちゃった?」
「貴……様!?」
 ごぼっと、血液混じりに激しく咳き込む。ぶつかった木の根元から立ち上がり、人間ならぬ体力で刀を抜いて離脱した姿に、長剣を投じた本人は感心したような声で顛末を見ていた。
「もうかなり血も薄くなってるはずなのに、丈夫なのね。ひょっとしてあの子達みたいに、まだ鈴は保たれてるってこと」
「……!?」
 咳き込みで咄嗟に喋ることができない忍は、剣を投げた者の姿を、改めてまじまじと見た。暗く細い雨の中で、わずかな光を反射してきらりと見えたその異物は。
「第三の……目……!?」
 額に青黒く光る、蛇のような紋様が縦長の亀裂を型どる妖精。右眼だけが紫から紅に染まり、紅い涙を流しながら笑っていた。
「何なのだ、その額の目は……! 貴様本当に、何者なのだ……!?」
「目と言うのは、言い得て妙ね? わたしが世界を視られるのは、これを通してだけだものね」
「どういうことだ……そのような目など有り得ぬ! 貴様、妖精の皮を被った何者だ!?」

 そもそも、と忍は、血をぬぐいながら必死に言葉を続ける。
「確かにあの時、我が手先には手応えがあった。なのに何故、生きているのだ、貴様は!」
 驚愕する忍を、更に絶望させるように、剣の無い少女の背に新たな攻撃手段が現れていた。
「なっ……その力は……!?」
「そうね。わたしが味わった痛みを、あなたに返してあげる」
 「主」には劣るものの、この近辺では一際大きな枝と根を持った大樹が、異様な気配で忍に狙いを定めていた。くすくすくす、と、忍の力だったはずの大樹を操って笑う。
「だってあなた……こうでもしないと、ライムのこと、長老達に話すでしょう?」
「やはり……天の君の正体を知っての介入か、悪しき妖精よ……!」
 それは最早、妖精などと言うのもおこがましい、と。忍は込み上げる血を吐き捨てていた。

「あーあ……非力だから、見逃してあげたのに。まさかわたしを起こすなんて、愚かなヒト」
「生憎だな……其れがしも貴様を見逃す気はない。そのような姿を見てしまった以上、尚更だ」
 この相手はおそらく、魔としか言いようがない。第三の目を閃かせて、避けようのない速さで大樹の枝を繰り出す紅い相手。
 ――まさか、と。忍が自身の滅びを受け入れる間もなく、枝はあっさり胸の中心を貫く。返り血が少女まで届くことはなかったが、紅い涙がわずかに服に落ちていった。
「――ライムとリンティを脅かす奴は、消えればいい」
 投げた長剣を右手で拾い、鞘をつけて白い杖に変え、くるりと反転させる。柄の先端に填まる透明の珠玉を、忍を突き刺す大樹に押し付けた。やがて大樹は光に包まれ、白く燃え上がっていった。

 少女は紅い右眼にだけ、その最期を映す。無表情に見届ける中、不意の衝動が左手に起こった。灼けていく大樹の枝を一つ手折(たお)り、逆手に持って右眼を貫いていた。
 ゆらりと、蜃気楼のような翼が生える。翼の内に杖が消えて、顔の半分を右手で押さえ、場から去っていった。
 左目を残した妖精の手は、幸か不幸か。まだ(あやかし)であるのだと、祈りを(うた)っていた。

騎士竜➺D1前奏

ここまで読んで下さりありがとうございました。
初めましての方も、他作品を読んで下さっている方も、お訪ね頂けたなら感無量です。
この話はこれまで載せた作品とは一応ほぼ別系統の、大分前に書いたDシリーズ試行作です。他作と世界観は同じで関連要素は多々あります。
辰年なので自作の宝界ファンタジーシリーズ、ドラゴンのDに着手しました。

Dシリーズは、別作Cry/シリーズよりずっと前に構想があった作品です。本作もCry/シリーズより先に書きましたが、このノリを維持する気力がなく、これ以後はまとめる自信もなく未執筆でした。
書き出すといくらでも長くなり、完結まで修正も多々予想される作品のため、なるべく骨子を抜粋した本編初版をノベラボに、星空文庫には過去作やキリのいい補完話を置かせていただこうと思います。

初稿:2013.9.29

※Dシリーズ本編掲載予定
ノベラボ▼『竜の仔の夜➺D1』:https://www.novelabo.com/books/6335/chapters
ノベラボ▼『竜の仔の王➺D2』:https://www.novelabo.com/books/6336/chapters<未執筆>
ノベラボ▼『竜殺しの夜➺D3』:https://www.novelabo.com/books/6719/chapters<未執筆>
辰年中には執筆&公開したいです。8月、12月あたりを目途に……

騎士竜➺D1前奏

∴DシリーズD1前日譚∴ 力無き人間と数少ない化け物が怖れ合いつつ、化け物の中でも光と闇の者の間で溝ができた時代の「宝界」。騎士の修行中のライムと妖精リンティは、隠れ住む山奥で二人の家出少年に出会い、そのため忍の刺客に狙われてしまう。 Cry/シリーズC零より千年以上後で単独で読めます。 image song:最後の女神 by中島みゆき

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-05-10

CC BY-ND
原著作者の表示・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-ND
  1. D1前日譚➺騎士竜
  2. ➺序曲
  3. ➺舞Ⅰ
  4. ➺Trio
  5. ➺舞Ⅱ
  6. ➺終曲
  7. D1➺Little Twinkle / Fuchsia