あれやこれや 81〜90
81 責任感
朝出勤したら、ロッカーで3人が話していた。感染防止で挨拶もしてはいけないのだが。上手な日本語を話す3人が、
「今日で5連勤。眠いー」
「昨日は8時に寝た」
「きついー」
どこのユニットも同じなのだ。
来月のシフトが出ていた。ひと月休暇を取った女性は空白のままだ。来月もひとり足りない状態のままか。昨日の夜勤の女性は今夜も夜勤。13時間後からまた勤務だ。
隣のユニットの早番は、私よりあとに入った10歳くらい若いパートの女性。それこそ周辺業務と差のない時給で、常勤と同じ仕事をこなしている。契約更新をしたらしいが、時給は上がらず。
この契約更新の総務の男性が、施設がオープンした時、パート全員に時給千円で契約書類を書かせた。のちに、パートには周辺業務もいるわけで、その者たちは最低賃金だから、2度目の給与から払い過ぎた分を差し引かれたという。
隣のパートの女性は、朝も契約した時間より30分も早くに来る。手当は出ない。間に合わないから早くから動く。手際がいい。(常勤のリーダーよりも)
私が配膳を手伝いに行くのだがこの女性の時は楽だ。人当たりもいい。お年寄りの扱いがうまい。スタッフのために菓子を買ってくる。夜勤はよく食べている。なぜ収入の少ないパートが買ってくるの? と私は思ってしまうのだが。
折り紙が上手だから、素晴らしい作品を作ってきて、廊下からリビング、個人の部屋まで飾っている。折り紙代は自腹だ。5年間続けている。腕は上がっていく。
そして、時給に文句を言わない。先日、犬の手術に60万もかかったのに。(関係ないか)
誠実な人だ。
私は文句ばかり言っている。今日も朝から便で汚した人の分もあわせてシーツ交換が3床。こちらのユニットの女性の常勤も手際が良くて、シーツ交換を終えて戻ると、山になっているはずの洗い物が終わっていた。状況にもよるだろうが、手際の良い悪いの差が極端だ。話せば彼女も腰痛、めまいの持病がある。私が腰が痛い、と言えば、
「私も痛み止め飲んできたんですよ」
と、やんわり。50歳を過ぎ、いつまで続けられるだろうと不安を口にする。独身で老後独り身だとアパートも借りられないからと、マンションを買ってある。
今日入浴介助をした方は、90歳を過ぎているが人手が足りないのを感じている。車椅子だがしっかりしている。なるべくナースコールを押さないのだそうだ。こういう方ばかりだとありがたいのだが。
ある結果によると、さまざまな性格のうち、認知症の発症リスクと最も強く関係していたのが「責任感」だ。責任感が強い人はそうでもない人と比べて、発症リスクが約35%低下していた。また、「自制心」と「勤勉さ」も認知症の予防につながっていることがわかった。
これらの3つの要素を合わせ持った人、すわなち、責任感があって、自分をコントロールでき、勤勉な人、「誠実な人」が認知症になりにくいということらしい。
どうだろう? 病院の偉い先生だった方もいるが。気に入らないと職員に、クビにしてやると叫んでいる。
82 放送禁止用語・差別用語
山口百恵の『謝肉祭』を検索していて、「ジプシー」が放送禁止用語であることを知った。1番好きな歌なのに耳にしないとは思っていたのだ。
『謝肉祭』は、1980年3月にリリースされた山口百恵の29枚目のシングルである。
1997年、加藤登紀子のアルバムに収録された曲『影のジプシー』の曲名が差別的であるとの指摘を受け曲名変更に及んだのを受け、この曲もサビの「ジプシー」が差別用語と判断された為に、以降この曲がベストアルバム等から外されるようになった。ファイナルコンサートのDVD『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』が発売された際もカットされた。
2005年リリースの『コンプリート百恵回帰』(全曲新アレンジで構成)、2006年リリースのライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』に収録されたファイナルコンサートのCDとDVD、及び2007年リリースの『山口百恵ベスト・コレクション VOL.2』でようやく解禁になり、ノーカットで収録されるようになった。
(Wikipediaより)
「ジプシー」は、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語で、 現代の日本においては、差別用語扱いで、放送禁止用語と見做されている。
NHKでは「ジプシー」を禁止し「ロマ」を使っている。NHK全国学校音楽コンクールで演奏された「ジプシー」という言葉を含んだ曲は差別表現として放送中止になった。
某出演者が「ジプシー」と言い、アナウンサーが不適切な発言だと謝罪した。
「ジプシー・キングス」の曲が流れる場合、そのバンド名はテロップで出る。
『太陽に吠えろ』の「ジプシー刑事」は地上波では放送されない。
放送禁止用語・差別用語、私も知らないでかなり使っている。
家柄 田舎 OL 親方 女子供 外人 蛙の子は蛙 ガキ 家系 片親 看護婦 姦通 気違い 給仕 愚鈍 狂う 下女 興信所 黒人 獣医 嬢 植物人間 処女作 スチュワーデス 知恵遅れ 血筋 連れ子 出稼ぎ 出戻り 土方 特殊学級 床屋 共稼ぎ 吃 パーマ屋 白痴 肌色 不治の病 ブラインドタッチ ポッポー屋 保母 魔女っこ 股にかける 町医者 満州 未亡人 婿をとる 名門校 妾 盲判を押す 盲目 八百屋 郵便屋 嫁にやる 令嬢 レントゲン技師 老婆……
映画『砂の器』がテレビ放送されたとき、ラストシーン近くで真相が明かされる場面、丹羽哲郎演じる刑事が捜査会議で述べるセリフがある。
「当時は不治の病と思われていた、○○病であります」
○○病の部分だけ音声カットされた。
この映画の中で、一番肝心な「○○病」というセリフが出てくるのはこの1か所だけ。それがカットされては、もはや映画全体のテーマが分からなくなるということである。
(砂の器と差別用語の話から)
『獄門島』では、金田一耕助が「季違い」と「 ︎ ︎ ︎ ︎」を混同するという、作品のトリックに関する重要なシーンがある。過去に映画やテレビドラマとして制作されたことはあるものの、この語が放送禁止用語として指弾されてからは、テレビではそのまま放送せず、苦肉の策としてその部分のみ削除を行う。
アニメでも『あしたのジョー』『巨人の星』は無音が多くなってしまう。
漫画本はかなり修正されているということだ。
「日本一の日雇い人夫」は「日本一の父 一徹」に変更された。
「クロンボ」(削除)「こじき」(野郎に変更)
「ジャップ」「ドヤ街」「脳タリン」(削除されず)
「この世でいちばん愛する人を……廃人となる運命(危険な運命に変更)のリングへ上げることは絶対できない!!」
(語り部のほとりで、より)
83 露出度
ゴルフのレッスンに行き、目を疑った。あちら側の『100を切るコース』の、女性が…‥若くはない、50代後半くらいの女性が、パープルのタイツ? レギンス?
上は白の半袖のTシャツ。生地は薄そう。長さは……お尻は隠れない。それが……ズボン穿いてくるの忘れた? と思ってしまった。下半身そのままに出るタイツかレギンス、色はパープル。真後ろは男性……目の保養になるか、目が腐るか?
ゴルフの腕はいいのだろう。ラウンドではどんな格好で?
女子プロゴルフ、人気です。きれいでスタイルもいい。名前も今風。華がある。
ミニスカートでボールを拾う。なぜそんなミニでやるの? メーカーの要望?
でも、ゴルフ用のミニスカートにはインナーがついている。中に短パンを穿き、その上にスカートを着ているので、下着が見える心配はない。
そういえば、ずいぶん前に流行ったボーリングも、女子プロボウラーはほとんどがミニスカートで人気があった。
最近、知ったのは超ミニスカートで弾く中国人女性ピアニスト、ユジャ・ワン。
ピアノの腕はすごい。超ミニスカートでのお辞儀が見事。スカートはそれほど上がっていないのでは?
もうひとり、グルジアの女性ピアニスト、カーシャ・ブニアティシヴィリ。こちらは胸元がギリギリまで下げられているドレス。ボリュームのある谷間が丸見え。
いつのまにこうなっていたのか? 最近YouTubeを観るようになりびっくりした。ピアノ演奏を検索すれば、出てくる回数も多いふたり。
あとは女性のピアノ系YouTuber。コスプレに過度の露出。これが、再生回数が多いのだ。
︎ ︎
ユジャ・ワンのお客さんはほとんど男性だそうです。若者からお年寄りまで、とにかく男性。そしてその多くが演奏中は快眠されていたそうですが、彼女が新しいドレスで出てくると(数回の衣装替えがあるのだそう!)、一気に目が覚めて割れんばかりの拍手で迎える。演奏自体はいたってまじめなもので、プログラムだってかなりのボリュームと難易度を要求するもの。しかしお客さんの多くは、彼女がガンガンとハンマークラビアを弾いている間はぐっすりと眠り、衣装替えの時に盛り上がる。
彼女に対抗するように出てきたグルジアの女性ピアニスト、カーシャ・ブニアティシヴィリ。こちらは脚ではなく、胸部を強調。くねくねは一切ないユジャワンと比べて、こちらは更に胸部を強調したくねくね付き。技術的なことだけに注目すれば、ユジャワンには全く及ばないと思うのですが、こちらもアメリカでは大人気。つくづく単純でわかりやすいアメリカ人。
音楽家。ミュージシャン。
何で魅せる?
もちろん耳で勝負、音そして音楽で魅せるべき! と思うのですが、やっぱり視覚的な効果もあるにこしたことはないのでしょうか?
視覚的効果を加えてスターダムを駆け上がるのも一つの手だとは思いますが、年齢を重ねて見せられる物がなくなったらどうするんだろうか。
https://ameblo.jp/rbsct/entry-12362957046.htmlより引用しました。
音楽は芸術。コンサートはビジネス。
84 チャイコフスキーの死因
『ブラウン神父の事件簿』にLとGがときどき出てくる。(Gは頻繁かも)
聖書では禁じられているから罪だ。知られたら破滅する。
隠すが、バレて脅迫され、相手に迷惑がかかるから、と自殺したり。
別のドラマ(確かオランダ)では石の重しを付けられ海に沈められる刑だった。あとは、投獄されるか、ホルモン注射されるか……
LGBTQとは、
Lesbian(レズビアン=女性同性愛者)
Gay(ゲイ=男性同性愛者)
Bisexual(バイセクシャル=両性愛者)
Transgender(トランスジェンダー=心と体の性が異なる人)
Queer/Questioning(クィアまたはクエスチョニング=性的指向・性自認が定まらない人)
の頭文字をつなげた略語で、いわゆる性的少数者(セクシュアルマイノリティ)の総称。
1970年代に主にゲイが差別撤廃や法的権利の獲得を求めて行ったパレードなどを出発点に、性的マイノリティへの理解を求める活動が世界的に広がっていき、その過程で使われるようになった。
︎ ︎
チャイコフスキーは実は同性愛者だった。
ロシアの偉大な作曲家の死因はコレラではなく、それが発覚して、封建的な旧ロシア社会の圧力で彼は自殺を強要されたのだ……という説がある。
彼は日記に書いている。
「今日、Zが異常に激しく私を苦しめる。おー、神よ、私がどんなに苦しんでいるか、Zの感情にでなく、なによりもそれが私の中にあるという事実に」
Zとは、彼が必死に隠そうとした同性愛的性向のことである。彼は世間の目をごまかすため、好きでもない女性と結婚した。(これは悲惨な失敗に終わった)
チャイコフスキーが本当に深く愛したのは、彼が優しく「ボビック」と呼んだ甥で出版商のウラディーミル・ダヴィドフだった。しかし他にも何人かの愛人がいた。その中の一人はある侯爵の甥で、ひょんなことからその侯爵に大作曲家との仲を知られてしまった。そしてこの侯爵は、何と、ロシア皇帝アレクサンドル3世に直接手紙を書いて訴えた。
困った皇帝は、この件の処理を検事総長ニコライ・ヤコビに任せた。ヤコビは、法律学校の同窓生チャイコフスキーが同性愛という破廉恥な罪で母校の名誉を傷つけたことで怒り、また、ロシアの大作曲家としてのチャイコフスキーのブランド・イメージを守る必要も感じた。
そこでヤコビがやったことは、秘密法廷を開き、チャイコフスキーに名誉の自殺を求める判決を言い渡すことだった。自殺用の毒薬(砒素とされる)は後日判事が届けることになった。
チャイコフスキーは真っ青になって震えながらヤコビの家から飛び出していった。
第6交響曲を書いている最中のチャイコフスキーは、かつてないほど自信に満ちていた。第1楽章を4日足らずで書き終えた時、
「私は人生のうちで今ほど充実し、誇らしく、幸せなことはなかったと誓って言えます」
とユルゲンソン出版社に書き送っている。
ところが秘密法廷の直後から、チャイコフスキーは抑鬱状態となる。交響曲のリハーサルの時、彼の顔色は真っ青で、
「チャイコフスキーは妙にぼんやりしているように見えた。悪寒が彼の体を走った。彼はただ指揮者になりきろうと焦っていて、中断し、訂正したり、何か集中できなかった。時折彼はオーケストラに向かって、愛情を込めて弾いてくれ、これが私の告別の曲だとは思わないかい、永遠の別れだと? と訴えているようであった」(クルト・パーレン)
チャイコフスキーがこの交響曲のタイトルを弟モデストと相談して「パテティチェスキー(悲愴)」に決め、出版社ユルゲンソンに宛てて指示したのは、初演わずか2日後だった。
11月1日、レストラン・ライナーに入った夜も、チャイコフスキーは愛人ウラディーミル・ダヴィドフその他2、3人の美青年と一緒で、彼はマカロニを食べ、ミネラル・ウォーター入りの白ワインを飲んだだけだった。彼はコレラなどには感染しなかったのだ。
チャイコフスキーの抑鬱状態はひどくなり、閉じ込もって独り言をぶつぶつつぶやいたり、すすり泣いたり、囚人のように部屋をうろつき回るようになった。
「まるで逃げ場を失った人みたいだった」
書類を整理し、遺言状に目を通し、……そして、毒薬を持った死神は、11月5日の夜に現れた。
チャイコフスキーは遂に毒を飲んだ。兄の苦しみに驚いた弟モデストが医者を呼んだものの、砒素を飲んだのでは手の施しようがない。
4時間後、「悲愴」の作曲者は、封建的なロシア上流社会の掟に従い、“悲愴”な死を遂げた……
http://oo11.web.fc2.com/MM/Tchaidth_fr.htmを参考にしました。
1988年のアレクサンドル・ポズナンスキーの論文を皮切りに、チャイコフスキーを診た医者のカルテなど、残されている資料を調査した結果、やはりコレラおよびその余病である尿毒症、肺気腫による心臓衰弱が死因であるという反論が出された。
現在ではやはりコレラによる病死だったという説が定説となった。
なおチャイコフスキー自身、発病当日にはオデッサ歌劇場の指揮を引き受ける手紙も書いている。
ポズナンスキーは緻密な検証を行った末、結局陰謀死説なるものが
「21世紀の今となっては、歴史のエピソードに過ぎないことであり、まったく根拠のない作り話」
であると結論づけている。
https://www.wikiwand.com/ja/ピョートル・チャイコフスキー
︎
日本でも大人気のドラマ『プリズン・ブレイク』で主役を演じた、実力派俳優ウェントワース・ミラーがずいぶん前にゲイであることをカミングアウトした。
彼の写真を携帯の待ち受け画面にしていた姉はショックを受けていた。
ウェントワース・ミラーは15歳の頃には何度も自殺を試みたことがあったそうだ。
ジョディ・フォスターが同性愛者だとカミングアウトしたときには驚いた。
第70回ゴールデン・グローブ賞授賞スピーチの中で突然のことだったが、このカミングアウトには会場から大きな拍手が送られていた。
「LGBTQ+コミュニティのレジェンド」とも呼ばれるエルトン・ジョンは、2005年から市民パートナーシップを結んでいたデヴィット・ファーニッシュさんと2014年に結婚した。
フィギュアスケーターの村主章枝さんは2016年6月にテレビ番組でバイセクシュアルであることをカミングアウトした。
その番組や発言内容には、
「なんでみんな男女にこだわるのかな? 性別はこだわらない」
宇多田ヒカルさんはインスタグラムで、ぬいぐるみのクマをゲイだと紹介したあとで、自分のことをノンバイナリーと語った。「ノンバイナリー」とは、性自認が男性でも女性でもなく、どちらかの枠組みに自分を当てはめないことを意味する。
アセクシュアルは、他者に対して性的な感情を抱かないセクシュアリティ。
それはまだ、運命の人が現れていないからではないのか?
などと言われたりするのに、うんざりしているらしい。
https://diamond.jp/articles/-/275630?page=3
︎ ︎
聖書は同性愛を不品行な性的罪として禁止している。同性同士の性行為を汚れた罪と書いてあり、同性愛への願望や行動を恥ずべき、不自然な、罪と書いてある。
同性愛者達は義ではなく、神の国を受け継ぐ事はない。同性愛の行動や願望が聖書で罪とされている事から、同性同士の結婚も神の御心に反するので罪である。
キリスト教の影響を受けた欧米諸国では伝統的に、同性愛は聖書において指弾される性的逸脱であり、宗教上の罪としてきた。
一方、近年の欧米諸国においては、
「同性愛も異性愛と同様に生まれつきの性的指向であり、不当な扱いをされるべきではない」
との認識が広まっている。ただ、欧米諸国においても同性愛に対して、宗教的観点、道徳、倫理を主張する立場から問題とする意見も有力である。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/キリスト教と同性愛
少し前まで、同性愛は医学界でも精神的な病気であると認識されていた。
過去には、手術やホルモン注射をしたり、電気ショックによる嫌悪療法などの「治す」試みが実際に行われていた。
しかしそうした治療はほとんどが失敗に終わり、「同性愛は病気や精神障害ではない」という結論を得ることになる。
一方で、同性愛は幼児期の体験や心の傷、異性からの暴力によってなるのだとか、思春期特有の同性への憧れだということを言う人もいる。たしかに、そういう場合も全くないとは言い切れない。
しかし、これは「人間は本来、異性に惹かれるものだ」という考えが前提にある。生物は本能的に雌雄がペアになるものだという考えだ。
人を好きになるという人間の心理は、もっと自然で、生物学的な本能(種の保存)だけで説明できない面を多く持っている。
もちろん、自然に恋をするといっても同性愛などにはまだまだ偏見が強く、学校でもおかしなものではないと教えてくれる機会はほぼないので、希望が持てず将来を悲観したり、当事者自身が自分を異常だと思いこんで「普通になりたい」と願っていることもある。
けれどもこれらは病気ではないために、治す方法はない。治せないものを無理に治そうとし続けることは、激しいストレスと共に自己嫌悪・自己否定を強くさせる。
異性愛者も同性愛者も共に生き、お互いの存在を受け入れていける社会になることが、何よりも大事なことなのではないだろうか。
http://gochamazetamago.main.jp/study/faq2/
85 残念なリーダー
『三国志』を調べていたら劉備と諸葛孔明の面白い記事を見つけた。
「三顧の礼」とは、諸葛亮が劉備サイドに「重用する姿勢」を求め、劉備がそれを示した、いわばデモンストレーションだという。
それは劉備にとっても重要なことだった。関羽や張飛に対して、「これからは知識人を重んじていくのだ」と示すと同時に、荆州の知識人たちの支持を得るためにも、「自分は知識人を重んじる」とアピールしなければならなかったのだ。
︎ ︎
「三顧の礼」とは故事成語のひとつ。目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。中国で劉備が諸葛亮を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来する。
黄巾の乱の鎮圧で関羽・張飛とともに天下に名を揚げていた劉備に対して、諸葛亮は一部の人にしかまだ名前を知られていなかった。
しかも劉備が40代に対し諸葛亮は20代であり社会通念上、明らかな上下関係があるにも関わらず、それに捉われない応対をしたことから有名になった故事である。(Wikipediaより)
︎ ︎
漢の高祖劉邦には、宰相の蕭何、軍略を立てる張良、そして戦場で指揮を執る韓信がいた。「漢の三傑」と呼ばれる彼らの支えがあってこそ、劉邦は漢を建国できたのだ。
その3人の役割を、諸葛亮はただひとりでこなさなければならなかったのだから、抱えたものが大きすぎた。宰相としての諸葛亮は蕭何に匹敵し、歴代の名宰相に引けを取らない。中国史上、最も優れた宰相といって良いだろう。
劉備はどう評価できるのか。度量が大きいという昔のアジア的君主の典型であり、優れた君主だった。現代では曹操のように、トップ自らが変革を推進していく人が求められ、劉備のようなタイプは流行らないのかもしれない。
しかし情があって、部下の進言通りにやらせ、うまくいかなければ自分が死ねばいいという覚悟のあった人だからこそ、関羽や張飛も最後まで劉備に従い、諸葛亮も息子の劉禅を支え続けたのではないだろうか。
三国志の英雄、劉備は、関羽や諸葛亮など、有望な人材を集めて活躍した「仁義の人」として知られている。まさに英雄中の英雄と言われる劉備だが、晩年は「三国一の残念リーダー」と言えるくらい、大きな過ちを犯してしまう。
最も大きな過ちが、義兄弟の関羽が呉の武将に殺されたために決行した、呉への復讐戦だ。劉備軍は無理な行軍を行ったため大敗し、自らも死んでしまう。
この戦いの前夜では、右腕の武将である張飛が、今でいうパワハラに苦しんだ部下たちによって殺されてしまう事態まで起こっている。劉備は、張飛のパワハラを長年放置したため、戦いの前に貴重な戦力を失ってしまった。
劉備は子育てにも失敗している。嫡男の劉禅は完全な「お金持ちのドラ息子」で、諸葛亮が病死するとあっさりと魏に自国を明け渡すと、自らは生き残り、生涯遊んで暮らした。
諸葛亮は、部下に仕事を任せることができず、何でも自分でやらなければ気が済まないリーダーだった。優秀な人材はいたが、彼らが成長する機会を与えず、埋れさせていた。
諸葛亮は一度、愛弟子の馬謖にある戦いを任せたが、命令違反をした馬謖は大敗し、泣いて馬謖を斬った。
それ以降、諸葛亮は人材を用いることをやめ、後継者を育てることをしなかった。
君主である劉備亡き後、尊敬すべき君主も頼りになる部下もいなかった諸葛亮は、蜀のほぼすべての公務を自分で決裁し、こなしていたのだ。
魏の軍師・司馬懿は、陣中に諸葛亮の使者が来訪した際に、諸葛亮の食事や仕事量、生活の様子などを尋ねた。
使者は、諸葛亮はほとんど睡眠をとる時間もなく、食事は数升しか召し上がりませんと正直に答えた。それを聞いた司馬懿は、諸葛亮が過労でまもなく死ぬと予測する。
司馬懿の予想はすぐに的中し、諸葛亮はその後まもなく病で倒れ、人材が育たなかった蜀はあっさりと魏に征服されてしまった。
(web歴史街道および東洋経済オンラインより)
86 節制してよ 2
娘に甲状腺の病気の疑いがある。バセドウ病。逆さまつげの治療で行った眼科で喉の腫れを心配され、内科を紹介された。そこは近いのですぐに行った。血液検査をし、結果を聞きに行く。数値は……まあ、心配するほどではないが、若いから画像を撮ったほうがいい、と専門の病院を紹介された。
私だったらすぐに行く。夫もすぐに行け、というはずだ。だが、娘夫婦は能天気、お気楽。孫は2歳の男の子。預かるのは私なのだから、さっさと行けばいいものを。
母に急かされ、ようやく予約を取り行ってきた。
「残念。しこりが7個あるって言われた」
「どこに? ポリープじゃないの?」
「知らん」
「たぶん、良性だって。1番大きいのが7ミリ。血液を5本取られた。喉のエコーは痛いよぉ。心電図も撮られた。体重計られた。また太ってた……」
母は最悪を考える。
「2歳の子供残して……どうすんのよ?」
「頼むー」
お気楽娘は太っている。年中ダイエットをしているが、母は諦めた。慣れた。血圧は正常だし、太っていてもおしゃれだし、外出が好きだ。子供が小さいうちから心配するほど旅行している。妊娠中も。来月も沖縄へ行く予定。
今の旦那と付き合うまでは、スタイルが良かった。背は高いし、働いていた紳士服店では、スーツを着てスカートから出る足もかっこよかったのだ。
それが、食べるのが好きな100キロ超えの今の旦那と付き合ってから、みるみる太り、出産後も体質は変わらず、上の娘とは30キロ近く差があるはず。
甲状腺の病気は痩せるのでは? という思い込みがある。知人が痩せて、歩くのも辛そうで、絶対癌だと思われていたが、大学病院で検査してからは元気を取り戻した。
バセドウ病でも太ることがあるらしい。だったらいつから? 出産後か? 体力はある。自分では動悸がする、汗をかくと言うが、行動的だ。
そして、このお気楽夫婦はタバコをやめられない。娘はさすがに出産前後はやめていたが、また吸っている。この娘は生後5ヶ月で心臓の手術をしている。父はそれからタバコをやめた。キッパリやめた。
上の娘の旦那も医者に相談してお金をかけてタバコをやめた。よかったね、なんて言ってたがなんのことはない。また吸っている。
甲状腺の病気はタバコが1番よくない。バセドウ病でタバコを吸うと、目が飛び出すと脅されてきた。それでも吸う。すぐにはやめられないよ、と。吸わない母にはわからない。
私の父も、認知症で自分で買いに行けなくなるまで吸っていた。火を出して怒られてもやめられなかった。言っても言っても言うだけ無駄。隔世遺伝か?
検査の結果が出るまで、母は悶々としているが、お気楽娘はどうだろう? また太ったりして……
87 大学
大学とは無縁だったが、近くに大学ができた。
できるまでには数年かかった。
高齢化した、ゴーストタウン化した、駅から歩いて20分はかかる街に大学が建つ!
それに先立ってだか、関係ないのかはわからないが商業施設ができた。スーパー、本屋、ファミレス、回転寿司、百均、ファストファッションの店。
住宅も建った。マンションが。ワンルームマンションも。
大学は川に面している。ウォーキングコースの川沿いがきれいになっていく。長い期間をかけて工事が行われ橋までかかった。おまけにカヌーの船着場もできるという。カヌーなんて見たことないが……
バスの路線も本数も増え、周辺には活気が……
完成した。オープンした。高層ではない。広々としている。囲いがない。自由に通り抜けできる。食堂もカフェテリアも利用できる。図書館も。まだコロナ禍なので予約制だが。
大学とは無縁だった。高校受験は都立のみ。私立に行ける余裕はない。高校卒業したら就職が当たり前の家庭。高校は都立高でも進学する生徒が9割。当時は高卒でも大企業から募集がきた。最初に受けた大手の企業は落ちたけど。有名な、上場していない洋酒の会社。
面接で言われた。おとうさまの会社は聞いたことがないですね……
おとうさまは小さな会社の靴職人。尋常小学校を卒業すると田舎から出てきて、手に職をつけた。東大のお医者様のところへ通い、足の不自由な方の靴を作った。娘ふたりを大学に行かせる気持ちも余裕もなかった。
入社した保険会社では、部長も課長も主任も東大卒だった。女子社員はまだ高卒が多かった。機械化が進む前、事務員の募集は多かった。給料に男女の格差が歴然とあった時代。それに疑問も感じていなかった。
財形貯蓄の発売された年。課は忙しく毎日残業。忙しくても帰るものは帰る。大卒の係長は、「僕はニューファミリーですから」と、家庭を大事にし早く帰った。それが責められるような空気だったが。
大卒の女性、短大卒の女性がひとりずついたが、よく休み残業はしなかった。帳簿を任されたのは私ともうひとりの高卒の女性だった。学歴と給料の差は歴然としていたが。
長男が幼稚園の時からの付き合いの友人がいる。上ふたりのときは特別親しくはなかった。互いに6歳離れて3人目ができ……ちゃった。私はようやく身軽になりテニスサークルに入り、楽しんでいた矢先のできごと。あーあ、と思ったら、彼女もあーあ、だった。さらに彼女は私より6歳年上。39歳だったから出産間際は中毒症になり大変だった。
わが家の3人目の娘は重い心臓病で産まれた。家族には試練だった。
大勢が娘のために祈ってくれたが……そんなこんなで手術して完治した子は、成長すれば遊んでばかり。勉強もせずきちんと就職もせず、所得税や住民税はたいして払わなかったが、消費税だけは相当払ってきたはず。
兄姉も勉強しなかった。学歴の話になると母は小さくなっていた。教育費はかからなかったが……
友人は3人の息子を大学に行かせ、留学させ、ひとりは会計士になるまで何年もバイトもさせず合格させた。かかった金は桁が違う。長い期間、一緒にショッピングに行ってもなにも買わなかった。母親の頑張りに敬服した。
私が勤める介護施設でも新卒はほとんどが大卒か専門学校卒ばかりになった。
選んだ仕事だ。続いてほしいと思うが……
88 添い遂げる
夫の仕事が週4日に減った。残業もない。趣味はゴルフくらい。面白いテレビもないし、起きるのは早いから時間が有り余っている。
休みの日は2食だ。遅めの昼酌。そして昼寝。私はようやくほっとして、自分の部屋に引きこもる。iPadで小説読んだりドラマ観たりウトウトしたり……
夫は昼寝から起き出すと洗い物をしている。そして洗濯物を取りこんでたたみ始める。私は寝たふりをしている。たためば、私より丁寧だ。パジャマのボタンもきちんとはめるから、着るときには面倒だ。
しかし、なんという変わりよう!
なぜ、若い時にやってくれなかったの?
私も仕事の日、夫は先に帰っている時もあったが、今とは大違い。私はトイレも我慢し夕飯の支度。
「家のことがおろそかになるなら辞めちまえ!」
そんなことを言う亭主関白の旦那様たち。言われた義妹は辞めました。道楽で働いているとでも思っていたのか?
「だったらもっと稼いでこい!」
なんて女同士の愚痴。義妹はまたすぐに働いたけど。
夫は酔うと仕事の愚痴を言った。聞けば大変だとは思うのだ。男は大変だ、と。しかし女の愚痴は聞かない。こちらも言わない。
娘が愚痴をこぼす。私には愚痴をこぼせる母親はいなかった。
「離婚したいと思わなかった?」
「思ったわよ。でも、帰る実家はないし、生活力はないし、子供3人いたらしょうがない。早く死んでくれって思ったけどね」
「あはは」
ここまできたら添い遂げるだろう。あと数年はゴルフや旅行を楽しんで。長患いせずに。先に逝って。
私の父は良き夫だった。よき父親だった。家族思いで働き者だった。夫婦で旅行もしていた。母が50歳で亡くなったあとも、
「ひとりで大丈夫だ。心配するな……」
と言ったが。掃除洗濯料理もしていたが。
酒好きの父は飲み過ぎた。連れ合いに先に逝かれた寂しさで節制できなかった。朝まで飲んで仕事もなくした。そうなることは自分でも感じていただろうに。
若い時どんなに苦労しようが……子供の頃は好きだったけど、終わりがひどすぎ……長すぎた。
子供たちに苦労はさせたくない。夫を看取ってから逝きたいが……
長寿が怖い。施設の100歳の女性が大腿骨を骨折し手術した。しかし、骨はもろくてつかないらしい。毎日面会に来ていた旦那様はコロナで会えないまま先に逝ってしまった。もはやそれさえわからない。
自分がそうなるとは思わなかっただろう。私もそうなるとは思ってはいないが……
娘の旦那の両親は離婚している。父親は子供4人いるのに帰って来なくなったそうだ。
その父親が心臓手術をする。万が一があるかもしれない。その前に会ったそうだが、おかあさんと妹は来なかった。
その父親が孫と遊んでいる写真を見せてもらった。嬉しそうだ。孫のために頑張ってほしい。しかしひとり暮らし。術後は大丈夫なのか?
義妹の亭主関白だった旦那様は脳梗塞を起こしたが、義妹のおかげで大事に至らずすんだ。感謝しているだろう。
89 起きられない
先日は10時からマンションの総会だった。日曜日なのに夫は仕事で、私が30分早く仕事を終わらせ帰って出席する。
その旨リーダーに前もって言ってあったが、容赦なく入浴介助がひとり予定に入っていた。日曜のパートは私だけだ。割増があれば出る人が増えるのではないかと思うのだが。
洗濯場も日曜日はずっと人がいなかったが、ここ数ヶ月、ひとりで頑張っている人がいた。1日休むと洗濯の量はすごい。タオル、バスタオル、清拭、ドローシーツ。
ひとり頑張っていた人はここ数回見かけなくなった。以前、日曜日出てきても割増がないなんて……と話したことがあったけど、どうしたのだろう?
総会だから9時半には、なんとしても上がらねば。気合を入れて出勤したら……100歳になる女性が入院していた。大腿骨骨折? おまけに隣のユニットの女性も腹痛で救急搬送されていた。数日前にはうちのユニットの女性も入院していた。手のかかる方がいないので、その分楽だったが。
時間が過ぎても隣のユニットの早番が来ない。いつもギリギリにご登場の男性のリーダー。朝の離床と配膳の1番忙しい時間に……電話しても通じない。いつもギリギリだが今まで遅刻はなかったのではないか? 心配してしまう。家族もいるはずだし、何かあったんじゃ……?
「奥さん、いないですよ。離婚しましたよ。ずいぶん経ちます」
初耳!
うまくいってないとか、小耳にはさんではいたが。パパそっくりのお嬢さんがいるとか……まあ、よくある話。
朝ごはんも作ってくれず、菓子パン買って来てたとか……私の息子なんて自分で弁当作って行きますが。明け方に。
料理もしてますが。
田舎の義兄は奥さんが料理しなくてできなくて、何十年経ってもしなくてできなくて、食生活がひどかった。高血圧、糖尿、人工透析、心臓手術。奥さんのせいだと思っていた。
夫は、私の作る料理がおいしくておいしくて食べ過ぎて太り過ぎ。高血圧、心房細動、ついに尿酸値まで高くなった。
早番リーダーに連絡がつくまで1時間。何度も電話をかける。忙しいのに。
こういうことは結構あった。ひとり暮らしの若い女性も、親と暮らしている若い男性も寝坊した。超勤、居残りの事務処理。きついのはわかる。ゲームをしての寝坊はダメだが。
電話をしても起きない女性がいて、かわいいからなにかあったのかしら? と皆が心配し、施設長が部屋まで行った伝説の女性もいた。
やがてリーダーから電話が来た。寝坊しました、と。受ける方は注意もできずに笑っていた。内心は違うだろうに。
リーダーは明るいから怒れない。上司だし。
「たった1時間ですけどね」
私は皮肉ってやった。大袈裟に反省の言葉を大声で言っていた。次がなければいいが。
90 職場の雰囲気
ひと月休んでひと月出てきた二十歳のスタッフが異動になった。
なにがあったのか? 今より遠い施設に異動する。辞めると言うのを施設長に止められたのだろうか?
万年人手の足りない介護施設。新人には家賃の補助が月に8万円もある。それを1年以上。それで辞められたらたまらない……
今の介護施設、若いスタッフは少なくなってしまった。面白くはないだろう。3交代で、連続した休みも取れない。ひとり暮らしで、話す相手はいたのだろうか?
最後の日の3時間、一緒に働いた。月に数度しか組まなかった。まさか、この私が原因ではないだろうな?
「○○苑に行くのね? 頑張りなよ」
帰るときにひとこと言った。こちらから話さなければ、挨拶もなしだったのだろうか?
少し前、パートが異動した。・・・さんが口を利いてくれない、と愚痴っていた。生活がかかっているので、それくらいで辞めるわけにはいかないから施設長に相談し、よその部署に異動した。そこではうまくやっているだろうか?
続けてふたり異動した。パートはともかく、1年頑張った新人が、働く気をなくした……?
人間関係か?
正社員は50代の独身女性がふたりと50代の妻帯者ひとり。雰囲気は? コミュニケーションがあまりない。話している暇はないのだが。
忙しい。次から次。朝の排泄。浣腸されてベッドでわめく男性。早くきれいにしてほしいだろうに。気持ち悪いだろうに……すぐにはできない。
男性はおかまいなしにわめく。見かねて職員に言いにいけばムッとされた。
まだ相当待たされるだろうな。私は入浴介助に。
週に3日の勤務に減らしたので、食事形態が変わっていても気づかなかったりする。水分量が変わった?
「ノートに書いてあります!」
スタッフの異動を知らなかった。
「サイボーズに出ています!」
スタッフルームのパソコンは2台。パートが見る順番が回ってくるのは仕事開始ぎりぎり。3時間勤務なのに、10分以上早く行く気はない。
口で教えてくれよ……
「△△さん、退院はまだですか?」
と聞きたいがやめた。返ってくる言葉を想像する。
「わかりました。2度と聞きません」
と言ってしまいそうだ。
隣のリーダーは来るのも遅いし仕事も遅い。しかし楽しそうに働いている。喋っている。関係ない事を。話しやすい。家族が面会に来ているのに慌てもしないが。
また、職員がひとり足りないままシフトを組む。超勤が増える。疲れているのがわかる。先日は夜間に救急搬送があり、ひとりの夜勤は付いて行くから、4ユニット40人をひとりで見ることに。
朝、疲れ切って車を運転して帰る。前に、自転車で木に激突したというスタッフがいた。夜勤が2日続くこともある。
いつ新人が来る? 新人が来れば経験者でも、付いて教えるので時間がかかる。新人はひとり立ちするまでに半年かかる人もいる。
育てなければならないのに。
いつ新人が来る? コロナ禍で職を失っても来やしない。
就活情報サイトに載せられた、底辺の職業ランキングに批判が殺到した。12の職を羅列したが、運営会社は削除した。
介護士は底辺職のランキングに入っていた。
底辺職の特徴は
1 肉体労働である
2 誰でもできる仕事である
3 同じことの繰り返しであることが多い
デメリットについては、
1 平均年収が低い
2 結婚の時に苦労する
3 体力を消耗する
あれやこれや 81〜90