掌編集 4
某サイトの『お題』で書いたものです。なので、ジャンルはめちゃくちゃです。
31 温度が違う
初めてシャーベットを作ったのは、あなたと付き合い始めた夏。
オレンジだかレモンだかは忘れたが、果汁を絞って、卵白を泡立てて混ぜたのを覚えている。
炎天下をあなたのアパートまで自転車を漕いだ。
エアコンのないうなぎの寝床。小さな冷蔵庫に冷凍室はなく、残せば溶ける。
だから、ふたりで全部平らげた。涼しくなった。胃腸も丈夫だった若き日。
シャーベットは手が掛かったけど、アイスクリームのが好みだわ。
だから作ったのは1度だけ。
それから結婚して、決定的な違いがわかった。
ふたりの適温が違う。あなたは寒がりで暑がり。
子供が産まれた1年目はまだエアコンがなかった。エアコンが入るとあなたはガンガン冷やした。
寒すぎる。
そっと温度を上げると怒られた。
「オレは暑いんだ」
私はカーディガンを羽織った。
そして、ふたり目を妊娠中の夏。
あなたがいない昼間はエアコンを入れないで我慢した。子には何度もベランダの小さなプールで水浴びをさせ、カップのかき氷をガリガリ食べた。
それが原因だかはわからないが、
○○炎になった。初めてのこと。
あんなに痛くて辛いものだとは思わなかった。病院に行ったが、妊娠中だから出してくれたのは漢方薬。
それが全然効かなくて、辛くて横になってい
た私にあなたは言った。
「ゴロゴロしてないで掃除しろ」
この恨み、一生忘れない……
膀胱炎という名を聞くたび思い出す。
何十年も経ち、恨みも薄れたから、あなたに言えば全然覚えていなかった。
娘がふたり目を出産のときは里帰りした。
ひとり目の時は近いから私が通った。
2歳違いの娘が心配で、かなり早く退院させてもらって来た。
産後、女は大変だが、男は嬉しくて酒を飲んだ。夫は喜び娘の旦那に聞いた。
「何が飲みたいか?」
「……僕は、ウイスキーかブランデーですね」
そんなものはない。
間……わかりましたよ。買いに行けばいいんでしょ。
炎天下、男たちのために酒を買いに行った。
酒盛りの間、暑いからとエアコンの温度を下げた。赤ちゃんがいるのに。
赤ちゃんを見に、人が来るたび下げた。
早く退院して来た孫を病院に診せにいったら、低体温になっていて、体重が増えていなかった。
娘は早々に自分の家に帰った。
「産後、男はいらないね」
と。娘は怒っていた。
32 救うのよ
タイムトラベルものは苦手だ。歴史ドラマもそういうのが多くてうんざり。
タイムトラベルできても未来を変えてはいけないのだから、救えない?
でも、想像する。
酷い事件が多すぎるから。
過去に戻って、電話させてくれるだけでいい。
自分で助けようなんて思わないから。
あの子もあの子も、
以下、略。
5000字分の死んでいった子の名前を調べて、過去に戻って、救い出してあげたい。
そうしたら、もう、親には絶対会わせないで。
それでも、ママ、ママって、泣くのだろうな。
お題
『5000字でタイムトラベルして帰ってくる』
33 長生きしませんから
施設で働く若い女性は言う。
「年金、当てにしてません。結婚しません。長生きしません」
長寿を幸せとは言えない。わかりすぎるくらいわかっている。
「口から食べられなくなったら、胃ろうは拒否する」
入居するときは、家族もそう思う。そう記入する。
が、いざ、その場面に直面すれば、家族は迷う。そして、胃ろうを選んだら……
ネコヤナギさん、コーヒーが好きなのに、糖尿の数値が悪くて、砂糖禁止。パルスイートも禁止。しまいには、水分制限。1日に800ミリリットルだけ。
「熱くしてくれぃ」
と、言ってたけど、手元もおぼつかなくなり、こぼすので、熱い飲み物は出せなくなった。火傷したら大変だ。
むせるので、とろみ剤も倍に。とろみのついたぬるいコーヒーなんて……
制限されるのも気の毒だが、飲んでくれないのも困る。
弱ると食べなくなる。飲まなくなる。
食べないのは、
「また、あとにしましょう」
となるが、水分を取らせないわけにはいかない。ナースに言われている。
コップから飲めないので、ストローにする。
ズズズと一気に飲んでくれるカリンさん。100歳なのに元気だ。
とろみ剤も使わない。
粥に刻んだ副菜を、完食する。具無しの味噌汁も取って付きのコップで、ストローで最後まで飲み切る。
食べたあとに言う。
「おなかが空いて死にそうなの。ごはんまだ?」
モクレンさんはひと口食べると手を引っ込める。引っ込めた手を出させ、またスプーンを持たせる。介助してしまうと、職員が大変になる。
麦茶にとろみを付け飲ませる。大量にビニールのエプロンに落ちるが、なんとか食べて飲んでくれる。
ゲッケイジュさんはもうほとんど食べない。ゼリー状のソフト食にペースト粥。水分はゼリー。それも時間をかけて介助する。椅子に座らせている時間は長い。姿勢を保てない。
それを食事ごとに起こしてくる。
職員は10人をひとりでみるのだ。
仮名を付ける前に亡くなった男性は、水分が摂れなかった。ヤクルトがお好きなので、空いた容器にリンゴジュースを入れると、かろうじて飲んでくれた。
ツゲさんは自歯があり、ご自分の髪留めまで口に入れて粉々にしたが……
ある晩、脳梗塞で運ばれた。
そして、家族は胃ろうにすることを決断した。
やがて、ツゲさんは戻って来た。
ほとんど寝ている。もう、リビングには連れてこない。
ナースが部屋に入り食事を与えている。見たことはないので、どういうものなのかはわからない。
私は洗濯物をしまいに行くだけ。
ツゲさんはいつも、目を閉じ口を開けて寝ている。童謡のCDがかかっている。
口臭がひどいので消臭剤を置いてある。
疑問に思う。
コロナ禍で、家族は面会もできないが、こんな姿を見たら……
家族の負担も大変だろう。
介護保険はあるが、入居費、オムツ等雑費、電気代……
胃ろうの費用はいくらかかるのか?
費用の問題は今まであまり語られてこなかった。
目の前の患者に対して、医療者は医療コストについてはほとんど無視して、治療方針を決めていることが多い。
75歳以上の後期高齢者は1割負担だが、9割を負担してもらうのだ。
自費だったらできない。
介護保険も健康保険も先行きどうなるか?
胃ろうによって長生きすることでかかってくるコストについては予測不可能!
https://medicalnote.jp/contents/150806-000008-CSIGKH
死ぬのは怖いが、死なないのも怖い。
34 毎日いらっしゃいます
姉の紹介でブティックに勤めたことがある。
姉はおしゃれで、美容にも服にも金をかけていた。
私が、当時働いていた工場の愚痴ばかり言うので、そのブティックに欠員ができると、店長に聞いてくれた。
「センスがなくても雇ってもらえますか?」
センスはない。それ以前に金がない。子供が3人。
学費も医療費もタダではない時代。自分にかける金はない。
服は、入学式も卒業式も姉が貸してくれた。パールのネックレスまで。
仕事は、週に3日。夜7時まで。
無理だね。娘はまだ小学5年。
ところがこの娘が、
「おかあさん、きれいな服着てるならいいよ」
仕事の日は朝、夕飯の支度をしていく。まあ、週に4日は休みだから。
最初は姉に服を借り、毎月店の服を買う。時給は良かった。14年間上がらなかったけど。
驚いたのは、お客様。
毎日いらっしゃるのだ。
ブティックとは、毎日来るところなのか?
お暇な裕福な社長夫人や、元議員の奥様、仕事帰りのストレスの溜まった看護師さん、介護士さん。女社長に公務員。
ブティックはそういう女たちの溜まり場。女の園。
店長は愚痴を聞いてやり、自慢を聞いてやり、スタッフはコーヒーをお出しする。
タバコが切れたと言えば買いに走る。孫を連れてくれば子守りまで。まるで下女のごとし。
そして、高価な服を買っていただく。宝石を買っていただく。
いちげんさんは相手にされない。どうせ、買わないから。
それでも、ときどきはいらっしゃる。値段も見ずに買う方が。
中でも、元議員さんの奥様、最初は上品な方だと思っていた。毎月クレジットカードで支払う。リボ払い。それを20年以上。
絶対、過払い金があるはず。でも、家族には内緒だろうから、ご自分では請求できないだろう。
いいお客様だ。毎日いらっしゃる。ときどきは日に2回、3回。
◯◯は毎日いらっしゃる。
晴れの日も雨の日も。
来られないと謝る。
「昨日はごめんなさいね」
陰では○○のババアと呼んでいる。きれいな服を着てきれいなものを売っているのに、ひどいスタッフ。性格は歪んでいく。
14年も頑張った。ファストファッションの店が増え、売り上げは減った。
客も歳をとり、着て行くところもなくなった。
常連客も減っていく。
それでも◯◯は来た。
もうお年だ。
コーヒーを飲み、茶を2杯3杯飲み、トイレを汚してお帰りになる。
クレジットも限度額いっぱいで通らなくなる。
もう、◯◯は歩くのも辛そうだ。
それでも毎日いらっしゃる。
ある日、店は倒産した。別の会社が引き継いだ。
私は辞めた。
店長と、もうひとりのスタッフは残った。
◯◯は相変わらずくる、そうだ。
やがて、に・お・う……
お年を召されたら、漏れもする。ご自分では気づかれないが。
◯◯はくる。雨の日も風の日も。
しかし、店はまたまたクローズした。
もう、美容院になってしまった。
◯◯は、
どうしていらっしゃるだろう?
35 いいお客様なのよ
姉の紹介でブティックに勤めたことがある。
姉はおしゃれで、美容にも服にも金をかけていた。
私が、当時働いていた工場の愚痴ばかり言うので、そのブティックに欠員ができると、店長に聞いてくれた。
「センスがなくても雇ってもらえますか?」
センスはない。それ以前に金がない。子供が3人。
学費も医療費もタダではない時代。自分にかける金はない。
服は、入学式も卒業式も姉が貸してくれた。パールのネックレスまで。
仕事は、週に3日。夜7時まで。
無理だね。娘はまだ小学5年。
ところがこの娘が、
「おかあさん、きれいな服着てるならいいよ」
仕事の日は朝、夕飯の支度をしていく。まあ、週に4日は休みだから。
最初は姉に服を借り、毎月店の服を買う。時給は良かった。14年間上がらなかったけど。
驚いたのは、お客様。
毎日いらっしゃるのだ。
ブティックとは、毎日来るところなのか?
お暇な裕福な社長夫人や、元議員の奥様、仕事帰りのストレスの溜まった看護師さん、介護士さん。女社長に公務員。
ブティックはそういう女たちの溜まり場。女の園。
店長は愚痴を聞いてやり、自慢を聞いてやり、スタッフはコーヒーをお出しする。
タバコが切れたと言えば買いに走る。孫を連れてくれば子守りまで。まるで下女のごとし。
そして、高価な服を買っていただく。宝石を買っていただく。
いちげんさんは相手にされない。どうせ、買わないから。
それでも、ときどきはいらっしゃる。値段も見ずに買う方が。
中でも、元議員さんの奥様、最初は上品な方だと思っていた。毎月クレジットカードで支払う。リボ払い。それを20年以上。
絶対、過払い金があるはず。でも、家族には内緒だろうから、ご自分では請求できないだろう。
いいお客様だ。毎日いらっしゃる。ときどきは日に2回、3回。
◯◯は毎日いらっしゃる。
晴れの日も雨の日も。
来られないと謝る。
「昨日はごめんなさいね」
陰では○○のババアと呼んでいる。きれいな服を着てきれいなものを売っているのに、ひどいスタッフ。性格は歪んでいく。
14年も頑張った。ファストファッションの店が増え、売り上げは減った。
客も歳をとり、着て行くところもなくなった。
常連客も減っていく。
それでも◯◯は来た。
もうお年だ。
コーヒーを飲み、茶を2杯3杯飲み、トイレを汚してお帰りになる。
クレジットも限度額いっぱいで通らなくなる。
もう、◯◯は歩くのも辛そうだ。
それでも毎日いらっしゃる。
ある日、店は倒産した。別の会社が引き継いだ。
私は辞めた。
店長と、もうひとりのスタッフは残った。
◯◯は相変わらずくる、そうだ。
やがて、に・お・う……
お年を召されたら、漏れもする。ご自分では気づかれないが。
◯◯はくる。雨の日も風の日も。
しかし、店はまたまたクローズした。
もう、美容院になってしまった。
◯◯は、
どうしていらっしゃるだろう?
36 放送禁止用語
聞き間違いから生じた悲劇。(お題)
ミステリー小説にありそうだが、ひと晩考えても思いつかない。
思いついたのはエラリー・クイーンの『Yの悲劇』
私が若い頃は、海外ミステリの人気投票でずっと1位だった。
凶器は「鈍器(ブラント・インストゥルメント)を使用」のところ、◯器(インストゥルメント)だろう」ということで、家にあるマンドリンを使った。
訳するのも大変だ。鈍器の崩した字を◯器と読み間違えたことにした……
あと、連想したのは、横溝正史の『獄門島』
実は『獄門島』の犯人像は、横溝正史本人も発想の原点が『Yの悲劇』であることを認めている。
『獄門島』の「キチガイじゃが仕方がない」というセリフは『Yの悲劇』の「マンドリン」を自己流でやってみたものらしい。
「キチガイじゃが仕方がない」というセリフは国内ミステリ史上、最高のセリフではないかとまで評価されているのだが、元ネタがあったのだ。
https://www.squibbon.net/archives/20113648.html
『獄門島』では、金田一耕助が「季違い」と「気違い」を混同するという、作品のトリックに関する重要なシーンがある。
過去に映画やテレビドラマとして制作されたが、この語が放送禁止用語として指弾されてからは、テレビではそのまま放送せず、苦肉の策としてその部分のみ削除を行う。
映画『砂の器』がテレビ放送されたとき、ラストシーン近くで真相が明かされる場面、
丹羽哲郎演じる刑事が捜査会議で述べるセリフがある。
「当時は不治の病と思われていた、○○病であります」
○○病の部分だけ音声カットされた。
この映画の中で、一番肝心な「○○病」というセリフが出てくるのはこの1か所だけ。それがカットされては、もはや映画全体のテーマが分からなくなるということである。
(砂の器と差別用語の話から)
アニメでも『あしたのジョー』『巨人の星』は無音が多くなってしまう。
漫画本はかなり修正されているということだ。
「日本一の日雇い人夫」は「日本一の父 一徹」に変更された。
「クロンボ」(削除)「こじき」(野郎に変更)
「ジャップ」「ドヤ街」「脳タリン」(削除されず)
「この世でいちばん愛する人を……廃人となる運命(危険な運命に変更)のリングへ上げることは絶対できない!!」
山口百恵の『謝肉祭』を検索していて、「ジプシー」が放送禁止用語であることを知った。1番好きな歌なのに耳にしないとは思っていたのだ。
『謝肉祭』は、1980年3月にリリースされた山口百恵の29枚目のシングルである。
1997年、加藤登紀子のアルバムに収録された曲『影のジプシー』の曲名が差別的であるとの指摘を受け曲名変更に及んだのを受け、この曲もサビの「ジプシー」が差別用語と判断された為に、以降この曲がベストアルバム等から外されるようになった。
「ジプシー」は、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語で、 現代の日本においては、差別用語扱いで、放送禁止用語と見做されている。
NHKでは「ジプシー」を禁止し「ロマ」を使っている。NHK全国学校音楽コンクールで演奏された「ジプシー」という言葉を含んだ曲は差別表現として放送中止になった。
某出演者が「ジプシー」と言い、アナウンサーが不適切な発言だと謝罪した。
「ジプシー・キングス」の曲が流れる場合、そのバンド名はテロップで出る。
『太陽に吠えろ』の「ジプシー刑事」は地上波では放送されない。
放送禁止用語・差別用語、私も知らないでかなり使っている。
家柄 田舎 OL 親方 女子供 外人 蛙の子は蛙 ガキ 家系 片親 看護婦 姦通 気違い 給仕 愚鈍 狂う 下女 興信所 黒人 獣医 嬢 植物人間 処女作 スチュワーデス 知恵遅れ 血筋 連れ子 出稼ぎ 出戻り 土方 特殊学級 床屋 共稼ぎ 吃 パーマ屋 白痴 肌色 不治の病 ブラインドタッチ ポッポー屋 保母 魔女っこ 股にかける 町医者 満州 未亡人 婿をとる 名門校 妾 盲判を押す 盲目 八百屋 郵便屋 嫁にやる 令嬢 レントゲン技師 老婆……
https://meteorite1932.wordpress.com/2014/03/11/「あしたのジョー」の差別・放送禁止用語につい/
『あれやこれや2』と重複します。
37 憂鬱な冷やし中華
店長は食通だった。絶対だった。
普段は二人体制。スタッフ同士だと順番に休憩して、スタッフルームで(机がひとつあるだけ)茶を入れて弁当を食べる。
それとかコンビニで、おにぎりふたつとおでんを柚子胡椒で。
店長と一緒の時は外に行く。
入った頃は順番に。
ところが何年か経ち客も減ってくると、シャッターを閉めふたりで出ていくようになった。
そんなことをしてはいけないが、強気の店長は社長から言われても、受話器が外れてました、とか平気で嘘をつく。社長もご存知だが、なにも言えない。
歩いてラーメン屋で、あんかけの五目そば。定食屋でアジフライ。
パスタ屋さんでは、パスタではなく海鮮丼。ごはんの上に海鮮と、サニーレタスが山盛り。あの味付けはオリーブオイルと酢となんだ? 真似できそうで真似できない。
そして、夏になると冷やし中華。お客様に聞いたのが始まり。具沢山でおいしいと。
歩いてふたりで行った店は汚くて、入って後悔。
ベタベタのテーブル。あっちもこっちも片付いてない。
服だけはきれいなおばさんがふたり。居心地悪く待たされたが、出てきたのは、最高の冷やし中華。
ハムではなく焼き豚の千切りで、春雨ものっていた。
ふたりとも、味には満足。
また食べたいね。また行きたくはないけれど。
それでどうしたかというと、電話して頼んで取りに行く。もちろん私が。
歩いて7分くらいの商店街。トレイに冷やし中華をふたつのせ(結構重い)、炎天下、日傘もさせず、早歩きで……
38 ネコと娘
仕事が忙しかった。
娘が起きる前に出勤、寝てから帰宅。土日も同じ。
娘の学校には行ったことがない。しばらくどこにも連れていってない。
娘が小学校5年の5月の連休、
「どこも行かないならネコ買って」
娘は妻とペットショップに3週続けて行き、ぼくに迫った。
しかたない。
アメリカンショートヘアーの真っ黒けは、シルバーの半額だった。
ノラネコ? と聞かれたこともある。
腹の模様はよく見ないとわからない。
名前をいろいろ考えた。かっこよく、ノワールとか。
8歳上の息子が言った。
「ディズニーに出てくるネコに似てない?」
せわしないのがそっくりで、それに決まった。
フィガロ。
女の子だけど。フィガロで決まり。
フィガロの結婚のフィガロ。
〜フィガロ、フィガロ、フィガロ〜
娘は喜び世話を焼き、友達に見せに連れていった。
ぼくは久々の休み。こういう日に限って女房は仕事だ。
昼から酒飲んでウトウト。
そこへ娘から電話が。
「フィガロが木に登って降りてこない」
酔った頭は回らない。
しょうがない。顔を洗い、公園まで歩いたら……大きな公園の前に消防車が!
うわっ、友達が電話してしまったらしいが、フィガロは助けがくる前に飛び降りた。
降りて逃げるのを皆で取り押さえた。
もう、消防士さんに平謝り。ひらあやまり。
でも、友達がたくさんいた。
男の子もいた。
次は何年も経ってから。
フィガロは腹が弱く、よく下痢をした。
これは、たまらない。
トイレの便が片付いてないと、カーペットにする。座布団にする。
妻の帰りは夜7時過ぎ。
娘も紳士服店で働いていた。スーツにパンプス。妻に似てよかった。
その日はボクが早かった。
目に入った惨状に、思わず怒り窓を開け、スリッパを持って叩いた。
床を。
フィガロはベランダに飛び出した。
ちょうど、外壁工事で、足場が組み立てられていた。
フィガロは足場を伝い、逃げていった。
これはまずいと、猫撫で声。
「おいで、おいて、戻っておいで」
フィガロはこっちを見ているが動かない。
エサだ。エサで釣ろう。
缶詰を開け、スプーンで叩いた。
「おいで、おいで、おいしいよ」
下痢したネコがエサに釣られて戻ってきた。
もう少しだ。そら、入れ。
それからフィガロは何度も下痢をして、妻が医者に連れていった。エサを変えても薬を飲んでも、よくなってもまた下痢、下痢。
朝、大きな声で泣いた。
妻は朝1番で医者に連れて行き、検査するからと置いてきたら、すぐに電話がきた。
10歳だった。
娘は二十歳になっていた。
世話もしない娘は、ポロポロ泣いていた。
39 歳のせい?
トイレ洗剤の容器に入れたはずなのに、なぜまだあるのか? 詰め替え用トイレ洗剤が?
「おとうさん(夫)、また買ってきた?」
「?」
「私、なに入れた?」
「どうりで落ちないと思った」
旅行のチェックアウトの前に。夫に。
「忘れ物しないでよ。携帯持った? いつも戻るんだから」
それから何日もして、
「財布がない。ない、ない、ない」
財布なんてこの頃は持ち歩かない。携帯に3千円とカードとPayPay。
思い出すのに時間がががった。
ホテルの金庫の中……
40 華麗なる蒸発
作品が売れて印税ががっぽり……というのは夢の夢夢、だったけど。
もしも宝くじが当たったら?
今まで、くじ運は悪く、選んだ夫も大ハズレ。
でも、お金はないし、帰る実家もないからずっと我慢した。そういう女は多いわよね。
宝くじが当たったら、黙って消えると決めている。荷物はたくさんは必要ない。これからはなんでも買えるのだから。
タクシーが来るまでの5分ですべて完了。
とりあえずホテルに泊まり、どうしようか?
部屋など借りなくてもずっとホテル暮らしでもいい。最期は豪華な、ついのすみかで。
明日からはエステに通って、ネイルもして、優雅に暮らす。
今までは頭を下げて買っていただくほうだったけど、これからは逆よ。高級ブティックで値段も見ないで買ってやるの。
そんな暮らし、3日でいいからやりたかった。
実際は、宝くじなんて不確かなものは買わないし、選んだ夫は、ハズレではないかも。
掌編集 4