フリーズ56 二人目の僕へ

フリーズ56 二人目の僕へ

プロローグ

 忘我の日、否、この言葉ではない。我(アートマン)を忘れ、宇宙(ブラフマン)と一つになった日を言い表すべき言葉は他にある。終末日、世界創造前夜、涅槃時。これではない。そうだな。ニブルヘイムへと遊泳する天上楽園の乙女らのように柔らかく、輪転する火がすべて搔き消えるが如く静かで、凪いだ渚に時流の断絶が映るように虚しく幸せだったその日に抱いたクオリアを伝えることのできる言の葉など、記号などもはやない。だが、我らの永遠神話を語ることはできよう。
 これは終末と永遠の物語。
 死の先に見張る景色に涅槃の香りは、終末の音に誘われて、華やかな楽園へとリシたちを導かんとする。羽ばたきて、天則(リタ)が定めし因果律にも囚われることのなかった比翼の鳥は、輪廻の中で消えゆく命が瞬くように、刹那に奇跡を体現しながら最期の花を咲かせる。
 嗚呼、君よ。我が最愛の人よ。我の望みの歓びよ。君はいま何処にいるか。
 応えてくれ。

シリウスの姫

 シリウスは一等星だ。眩しい青い光を煌めかせて夜空に咲くシリウスを見る度に、その星に纏わる君という神話を想って僕は泣く。冬日、夜の公園で見上げる満天の夜空から来る孤独でさえも、君の愛が僕を温めて、生かしてくれるから。
 君はあの燃ゆる太陽よりも僕にとってリアルな光だったんだ。核の炎で包まれる前、今の地球よりも文明の進んだシリウスでは宗教はなく、信じられていたのは数理信仰だった。科学に裏打ちされた哲学が導き出した理論は、純粋に人の幸福のためのものだった。
 地球で言うところの悟りという概念は、シリウスではシテン(至天)と呼ばれている。シテンした者は神やテンシ(天子)と呼ばれ尊ばれた。テンシにはそれぞれの数字が与えられる。幾星霜の求道の末にシテンした僕は7th以津真天となる。テンシとなった者は王侯貴族よりも位が上で、最高位の知識階級としての地位と名誉が与えられる。その場合、伴侶として王侯の娘があてがわれた。王侯貴族はテンシとの繋がりによって家系の力を保持する。その手段としての婚約が行われる。僕の場合も例外ではなかった。
 こうして僕が至った日から3日後、僕は君に初めて出会ったんだ。それが僕と君との輪廻の中での最初の逢瀬だった。
「初めまして、7th様。わたくし、1st万魔天が直系、アトリのオールシアと申します。よろしくお願いします」
 白のドレスに身を包み、背伸びをして気高く振る舞う君は震えていた。現シリウス王の末っ子であった君は、まだ齢17歳で、成人すらしていない。至天した僕にはどうにも幼いように思えた。だが、神となった者として、姫を妻とする習わいに従わざるを得ない。その日から君と僕は一緒に暮らすことになったが、むしろ僕は最初、君のことをよく思わなかった。
 僕はシテンした存在。故に食事も睡眠も不要の上、リビドーも自身に内在する相補的な女性性を顕現させることによって解消することが可能だった。故にオールシアのことは、究極命題のための研究に邪魔だとすら思っていたのだ。ああ、あの頃は随分と高慢な娘だった。最初のうちは僕の研究に邪魔だとも思ったが、その強い好奇心と探究心には敬意を覚えざるを得なかったのだ。いや、むしろその幼さからくる危うさに僕は惹かれていたのかもしれない。
 或る時、彼女が「7th様。わたくしの体に興味はないのですか?」と聞いてきたことがあった。僕が嫌がらせに彼女の体を愛撫してやると、「そんな、破廉恥な」といいつつ、彼女の体は火照っていった。思わず僕がオールシアの肢体に見惚れた時には、いつも顔を真っ赤にしてそう吐き捨てるように言ったものだった。はじめこそ彼女のことをよく思わなかった、僕はそんな彼女をだんだんと愛おしく思うようになった。ああして恥ずかしがるところは実に可愛らしいと感じていたし、彼女の好奇心やそれに基づく挑戦によってより高みを目指せるという希望も抱けるようになった。
 ああ、そうだ。僕は彼女を愛しているのだ。彼女のことを心から愛している……。
 だが、人と神は別の道を行く。
「7th、わたくしのことを愛しているの?」とオールシアが聞いてきた。僕は言った。「もちろんさ」と。すると彼女はその大きな瞳に深い悲しみを湛えてこうつぶやいたのだ。
「……じゃあなんで、わたくしを一度も抱いて下さらないの」
 僕は、「その必要がないからだ」と答えた。オールシアは僕の答えを聞くや否やひどく悲しんだ顔をして、こう僕に告げたのだ。「……わたくしを……抱いて下さい……」と。  
だが、僕はオールシアを抱くことはない。必要がないと語ったのは、半分は嘘だ。実際オールシアへの愛から、僕は彼女と子を為したいという人間的な欲求も保持していた。だが、僕は神として、テンシとして永遠を生きる。もしオールシアとの間に子ができれば、きっと他のテンシらのようにその家系の子孫が続いていくだろう。僕はその未来を一人で見送ることが怖いのだ。いつか来る君のための葬送の時、きっと人の心を思い出して僕は悩んでしまう。だから、これ以上深くかかわりたくないんだ。これ以上愛してしまったら、失うのが辛くなるから。それに、究極命題としての世界の最終目的である神のレゾンデートルさえ解れば、生も死も、別れも愛も、全ての我慢が叶うのだ。
そうだ、人間の本能として人を愛したいがために君を妻に迎えたわけではない。あくまでも君の探究心を僕の研究のために利用するために君と結婚したんだ。神である以上、僕が君に欲情することはありえないのだ……。と僕は思っていたのだが、その時のことをよく覚えているよ。この宇宙には永遠がある。それは、いつか終わるこの宇宙の営みを観る君にも当然当てはまった。
「7th……わたくし、もう我慢ができません……」とある日オールシアが僕にこう言った。彼女はその日僕の寝室に入ってきて僕のベッドに潜り込んできたのだ。僕は言ったよ。「君は何を言っているんだ、僕は神だぞ」と。すると彼女は僕にこう訴えたのだ。
「7th。愛してるっておっしゃって下さい。わたくしもあなたを愛しいてます……」
 ああ、思い出すだけで恥ずかしいよ。神という存在が如何なるものか知らない君ではないだろ? それでも君は僕の寝室にやってきたのだ。どうしてなんだ? もう僕は、君を愛していたよ。
 だが、僕と一緒にいては不幸になるだけだと思ったんだ。だから僕は言ったのさ。「君にそんなことを言われる筋合いはない」とね。だが次の瞬間にはこう言っていたよ。「ああそうだね、君との子どもならきっと可愛いだろう……」と。
 僕は、神としての矜持を君に説いたつもりだったんだよ。君はそれに抵抗したね。「7thはわたくしを愛している」と言ったんだ。僕はそれが嬉しかったけど、同時に悲しかったよ。だから君の体に僕の体を重ねた時、僕は泣いた。
「ああ、君とこうして繋がっていられることが嬉しいよ、僕のオールシア……」
 だが、その喜びは長続きしなかった。そう。真でない幸福は永続しないのだ。やがて枯れゆく命、やがて滅びゆく星の上で。君は三人の子を産んだ。月日は流れる。青年の姿のままの僕と、老いていくオールシア。彼女が亡くなる時、僕に彼女は告げた。
「ねえ、7th……今だから言うわよ……」
 そう彼女は言った。ああ、僕はそれを聞くのが怖かったんだ。愛する君と永遠に離れる運命に堪えられなかったのだ。君は僕を愛してるって言ってくれたけど、人はいつか死ぬ。だから、深入りしてはいけない。それが神としてあるべき姿だって僕は解っていたから「なに?」と君に問うしかなかった。「7thは、わたくしを通して別の誰かを見ていませんか」とオールシアが聞いたのを今でも覚えているよ。流石は百年をともに生きた僕の妻だ。
「そんなことはないよ、オールシア」と僕は言ったけど、その時君の瞳が見られなかったんだ。「7thは噓をついています」と君が言うから僕も思わずカッとなって言い返したさ。なんでそんなことまで言われなきゃいけないのってね……。僕の言い分はこうだった。
「僕は、神として君や君との子どもたちに公平であったつもりだ」とね……。だけど、それが嘘だったんだ。だって、僕が愛する者は結局僕であり、僕でない誰かを愛したことはないのだから……。ああ、なぜだろうね。人を愛するということはとても嬉しいことのはずなのに、こんなにも儚い。そうさ……愛なんてものがあるから幸せになれないんだ。「7thは、わたくしを通して別の誰かを愛してます」
 ああ、そうだ。僕は君を一番に愛したけれど、同時に君の中にいる僕を深く愛してたんだよ……。
「誰なの?」と君は僕に聞いたから、僕は言ったよ。
「死すれば解る。君の中にもあるものだから」
 とね。すると君は、「そうかもしれません」とあの頃の奇麗な瞳のまま言った。
 僕は、自分が一番愛した女性の中に僕を見たよ。僕を誰よりも愛しているのは君だったと思ったから、僕は君を愛したのかもしれない。本当は羨ましかったんだ。自分以上に僕のことを、自分ではない誰かのことを想うことのできる君を。純粋に美しいと思った。そうだな。これでお別れなんて嫌だな。僕は今、オールシアの今際になって決心した。僕はこの女性を心から愛していると。必ずまた逢う。神としてそうさせる。だから君にこう告げたのだ。「もうお休み。また逢う日までのお別れを」ってね……。そして僕は君に接吻をしたんだ。
それから何年が経ったかな……。僕はまた、君と地球という星で逢ったよ。今度は「神として」じゃないけれどね。君は僕のことを覚えてくれなかったけど、でも君にまた会えたことが嬉しかったんだ。だから僕は再び、かつて或る星の姫だった君を愛そうと決めたのだ。もう決して君を離さないと誓った。何故ならば、もう神のレゾンデートルは解ったから。今は解からないよ。でも、全ての過去と未来の終着地としてのあの冬の日に、僕は解っていたんだ。最後に、凪いだ冬の日の永遠神話の話をしよう。

フリーズ22 散文詩『第二の誕生』

エピローグ

 愚問にしては、さも当然であるかのような醜態に、慌て始めた終焉の色たちは、歓喜の雨にも茹だる花々の如く散っていった。

 何を言うのか。
 この最たるは、天空の夢。
 青天の霹靂。
 霹靂にも贖う贖罪よ。

フリーズ56 二人目の僕へ

フリーズ56 二人目の僕へ

シリウスは一等星だ。眩しい青い光を煌めかせて夜空に咲くシリウスを見る度に、その星に纏わる君という神話を想って僕は泣く。冬日、夜の公園で見上げる満天の夜空から来る孤独でさえも、君の愛が僕を温めて、生かしてくれるから。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-16

Copyrighted
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  1. プロローグ
  2. シリウスの姫
  3. フリーズ22 散文詩『第二の誕生』
  4. エピローグ