掌編集 1
某サイトの『お題』で書いたものです。なので、ジャンルはめちゃくちゃ。掌編とは言えない長いものもあります。
1 半世紀前の教室で
中学2年のとき、転校生がいた。学校には来なかった。すでに、不登校だったらしい。
その頃はまだ、不登校という言葉はなかった。登校拒否という言葉も聞かなかった。
来ない生徒はそれまでは、いなかった……と思う。
男子のS.ちぐさ君。
共に過ごした生徒の名は忘れたが、1度も会っていない男子の名は覚えている。
ちぐさ、という名は女子にもいなかったから、覚えているのだろう。
その後、どうしただろう? 今、どうしているだろう?
担任の数学の教師は、ちぐさ君は元々不登校だったから、しょうがないと言った。
だが、3年も終わり頃だろう。女生徒が来なくなった。
理由は明らか。
数学の時間、先生は生徒ひとりずつの身長と体重を言わせていき、黒板に点を付けた。
男子は平気だった。私はまだスマートだったから、
「154センチ45キロ」
いつまでもそのままでいたかった。
ひとりの女子が、口を閉ざした。
体型を気にする年頃だ。ピアノの上手なおとなしい、髪の長い雰囲気のある人だった。
男の教師は、その時点で、気持ちをわかっていなければならなかった。悪気はなかったのだが、ふざけた。
「60キロか?」
とか言い、男子が笑った。
彼女は無言を貫き、翌日から学校へ来なくなった。
先生は反省しただろう。家にも通ったろうが彼女は来なかった。
そして、彼女と同じコーラス部の高砂さんが朝の迎えを頼まれた。私は、高砂さんに、一緒に来て、と頼まれた。
迎えに行くと、彼女はカバンを持って出てきた。穏やかな様子で。
しかし、家を出ると踏ん張った。別人のようだった。カバンを投げ、叫び、私たちは諦めるしかなかった。
卒業式にも彼女は来なかった。
我が娘も小学校6年のときに、ひとりの友達とうまくいかず、不登校になった。もう、無理やり行かせるのは、ダメ……みたいな知識もあったので、休ませた。
休みながら、娘は明るくエプロンをして料理を手伝ったりした。
幸いにも数日休んだあと、保健室登校し教室に戻れたが。
今は2人の娘がいる。あの経験は、役に立つだろう。
なんて、書いていたら思い出した。中学、2、3年のときの同級生の男子A君。
私が誰かに押されたかして、そのA君にぶつかったとき……思いもよらない言葉が返ってきた。
「気持ち悪いな」
その言葉は思春期の女子には、かなりこたえた。打撃だった。
誰にも言わなかったが。ポーカーフェイスは得意だし。
それ以来、そのA君とは話さなかった。また、言われるのでは、と怖かった。元々、話す子ではなかったが。
卒業して、年月が経ち忘れていた。何度かあったクラス会にも、A君は来なかった。
そして、結婚して子供が産まれたあとのクラス会……
皆が近況報告していく。
音楽好きな子は音楽関係の仕事を。頭の良かった子は教師に。
私より勉強できなかった子はパールの素敵なネックレスをし、奥様に。
不登校の彼女は来ない。
A君は来た。久しぶりに。
10年ぶりに会った。彼は、愛想良く皆のところへ来て酌をした。
私の隣にも来た。私にも酌をした。私は日本酒を飲んでいた。
「色っぽいな」
とAは言った。
私も酌をした。憎らしいAはまた言った。
「しかし、色っぽいな」
2 半世紀前の教室に
中学2年のとき、転校生がいた。
男子のS.ちぐさ君。
1年から共に過ごした生徒の名は忘れたが、1度しか来なかった男子の名は覚えている。
ちぐさ、という名は女子にもいなかったから、覚えているのだろう。
それに……
担任の数学の教師は、ちぐさ君は元々不登校だったから、しょうがないと言った。
だが、3年も終わり頃だろう。
1日だけ登校したのだ。6時間目の数学の時間だけ。
その日の数学の時間、先生は生徒にひとりずつ身長と体重を言わせていき、黒板に点を付けた。
男子は平気だった。私はまだスマートだったから、
「154センチ45キロ」
いつまでもそのままでいたかった。
ひとりの女子が、口を閉ざした。Hさん。名字しか覚えていない。
体型を気にする年頃だ。ピアノの上手なおとなしい、髪の長い雰囲気のある少女だった。
男の教師は、その時点で、気持ちをわかっていなければならなかった。悪気はなかったのだが、ふざけた。
「60キロか?」
とか言い、男子が笑った。
まずいな、と私は思った。繊細な少女だ。
彼女は下を向いていたが、私は何も言えなかった。
その時、
「先生、僕を飛ばしたよ」
と、声がした。
皆が注目すると、いるはずのない席に男子が座っていた。
「S.ちぐさです。よろしく」
ちぐさ君は注目を浴びた。外見からして……
「160センチ、80キロ」
先生は反省しただろう。黒板に点はつけなかった。
「自己紹介します。
僕はずっと引きこもり。でも、5年後に運命の女性に会うんだ」
ちぐさ君は話上手だった。
「その人が、中学の卒業式に出られなかったのを悔やんでるからさ……
素晴らしい人なんだ。引きこもってた僕に歌を勧めてくれた。彼女のピアノで僕は歌う。
でも、今日はアカペラで……」
ちぐさ君は歌った。聴いたことのない『カタリ・カタリ』
太って、髪はロングヘア。顔の肉に目が埋もれているが、歌う彼は素敵だった。声は素敵だった。オペラ歌手のよう。
ちぐさ君は下を向いていたHさんの前に歩いて行き、歌った。
カタリ カタリ 君はわれを
はや 忘れたまいしや
嘆けども 君は知らじ
悲しみも 知りたもうまじ
ああ つれなくも いとおしの人よ
われを思いたまわず……
終わると彼女に礼をした。胸に手を当て、なんともカッコよかった。
皆が拍手した。顔をあげた彼女とちぐさ君に拍手した。
終業ベルが鳴るとちぐさ君は教師の後をついて職員室へ行った。
しかし、途中で消えてしまったらしい。
そして、結婚して子供が産まれたあとのクラス会……
皆が近況報告していく。
音楽好きな子は音楽関係の仕事を。頭の良かった子は教師に。
私より勉強できなかった子はパールの素敵なネックレスをし、奥様に。
そこへ、Hさんが来た。素敵な男性と一緒に。
ちぐさ君が来た。10年ぶりに。
10年ぶりに会った。彼とHさんは、愛想良く皆のところへ来て酌をした。ふたりの指にはペアのリングが。
そして、ふたりで歌った。今度はイタリア語の『カタリ、カタリ』
盛り上がったクラス会だが、ちぐさ君が来たのはそれが最初で最後だった。
彼は海外のオーディション番組で優勝し、オペラ歌手になった。
活躍しているらしい。
3 あの家には行きたくない
カウンターの上に折りたたみ傘がおいてあった。O様が自慢していたブランドものの傘。
「Yさん、帰り届けてあげて」
店長に言われ、はい、と言ったが憂鬱だ。
どうせ明日も来るに違いない。暇を持て余す金持ち。
店長はすぐに電話した。いいお客だ。気に入れば色違いで全色買う。他の客と対抗して買う。値段を見ないで買う。
地元の土地持ち。旧家に嫁いできたが評判はよくない。
平屋の大きな屋敷。庭は広い。門を入った左側に大きな木がある。姑が嫁いできた時からあった樫の木。
私は見ないように玄関の前に立った。
O様は、ブティックの店員など、下女だとでも思っている。待たせるのは平気だ。自慢のカラオケルームにいるのかもしれない。姑が亡くなってまだ日が浅いのに。
こちらは子供が待っているのに。早く帰りたい。夕飯の支度があるのに。
ようやく、ドアが開いた。
派手な女。家でも派手で下品な女は、
「わざわざ届けてくれなくてもよかったのに」
と、礼も言わず、高級菓子を寄越した。
傘を届けただけで、自分では買えない羊羹をいただく。媚びへつらい礼を言う。
玄関が閉められた。
風が吹く。
木が騒めく。
その場所を月が照らした。
老いた女は首を吊った。
嫁のせいだと皆言った。
店の客はこの家のことをよく知っていた。古い家を建て替えたとき、姑とは、キッチンと、風呂さえ別に作った。バカな息子は嫁の言いなりだった。
店が閉店したあとも、噂は聞いた。
旦那が亡くなったとき、彼女はホストと旅行していたという。
私は家の前を通るたびに覗いた。
ときどき玄関の前にあの折りたたみ傘が広げて干してあった。気に入っているのだろう。飽きっぽい女が……
やがて、剪定されなくなった樫の木がどんどん伸びて行った。
やがて、庭は草が伸び荒れ果てた。
広げられたままの傘が、見るたび移動していた。骨が折れ無惨な形になっても動いていた。
そして、それが私の足元に転がってきた。
私は電話した。
年老いた女は孤独死していた。子供も寄り付かなくなった屋敷の、姑の部屋で彼女は寝ていた。
食べ物と害虫と排泄物……ひとり暮らしの老人にはよくあることだ。
蛆→蠅→蛹というループを何度も繰り返す。しかし、さすがにここまで経過してしまうと、遺体はミイラ化し、臭いそのものも減少し、発見することがさらに困難になる。
https://toyokeizai.net/articles/-/285536?page=4
広い庭だから誰にも気づかれなかった。ひどい女だから、誰にも気に留められなかった。
4 親を看取る
1985年。バブルの始まりの年だ。
新婚の若夫婦ではない、貧困のバカ夫婦の私たちには関係なかった。
1985年といってもピンとこないが、昭和60年なら、なにがあった年なのか思い出せる。
長男が3歳。長女が1歳前の正月休みに、秋田の夫の実家へ行った。
結婚して、しばらくは田舎には帰らないで頑張るつもりだった。両親にも言ってあった。
まだ薄給の、車も貯金もない頃、交通費だけでも大変だったのだ。
私の父の田舎も秋田だった。
私が初めて田舎の祖母に会ったのは、中学2年の夏だった。ようやく余裕のできた父が、東北の家族旅行を計画して実行した。
父や夫にとって故郷は遠かったのだ。
ところが結婚して、子供が産まれ、手伝いに来てくれた義母が翌年亡くなった。まだ50代。
続いて義父に癌が見つかり、私たちは毎年田舎に帰ることになった。
冬の寒さは違う。布団を蹴飛ばして寝る子らが、微動だにもせず眠っていた。毛布はダブルで倍の長さを二つに折る。
寝静まった頃に長女が夜泣き。家中に聞こえるほどの大泣き。皆を起こしては大変、とおんぶして外へ。
雪の中を行ったり来たりした。
戻ると義父が居間のストーブをつけていてくれた。大腸癌で余命宣告されている。
子供が5人、孫が当時6人。若い頃は出稼ぎに。
苦労して、ようやく楽になったら、妻に先立たれ、後を追うように亡くなっていった。
夫に似ず、穏やかな方だった。夫は祖父に似たらしい。よく、暴れたそうだ。
そして、1周忌に3回忌……毎年の、子供を連れての帰郷は大変だった。金銭的にも大変だった。銀行に金を下ろしに行くたびに背中が寒くなった。
しかし今、私の友人や知人は親の介護や病気で大変だ。
自分たちも体力の衰えを感じる年だ。
どんなに立派で好きだった親も弱り、認知症になる。同居していなくても、兄弟や嫁との関わり合いもうまくいくとは限らない。
友人は、高齢の母親に会いに行くと、弟嫁に言われた。
「おねえさん、もう来ないでください」
実家には泊まれなくなった。
認知症にならないように、大人の塗り絵を送っていたが、どうしただろう?
施設のスタッフは、兄夫婦が、母親と同居していた。親の面倒はみなくてすむはずだったが……まず、おにいさんのお嫁さんが認知症になった。70代。
施設に入れたら、おかあさんが認知症に。
施設に入れたら、今度はおにいさんが病気で手術、半身不随。
退院する前にお嫁さんが亡くなった。
それからおにいさんも施設に入り、おかあさんが先日亡くなった。
誰もいなくなった家を片付けている。若くはない。
皆、高齢だ。もう、誰が先に逝くかなんてわからない。
もう、誰が誰? なんてわからない。
そうなる前に、私は逝きたい。
5 異世界 なにそれ?
初めて投稿しようと『小説家になろう』をみた時、それこそ、異世界に迷い込んだのかと思った。
異世界転生ばかり。
長いタイトルばかり。
本屋もご無沙汰していた。
ああ、時代に取り残されてしまった。
異世界とは、『ナルニア王国物語』のような世界のことだそうだ。
『魔女とライオン』は小学生の時に読んで、しばらくは1番面白い本になっていた。
タンスの向こうに国がある。家の洋服タンスを手で押してみたものだ。
では、タイムスリップは異世界とは違うのか?
どなたかの作品で、(よそのサイト)
『転生したら戚夫人……』
というのがあって、興味を持って読んだ。
女子高生が過去に行き、戚夫人になっていた……
そこで、おしまい。
あとが知りたいのに。
歴史は変えてはいけないのだから。
ひえ〜。
洋服タンスの向こうにある、異世界にでも過去にでも行けるなら、項羽に会いたい。
項羽の最期、『四面楚歌』の場面を見てみたい。
漢詩など興味はなかったのだが、歌に魅せられてしまった。繰り返し聴いている。合わせて歌っている。
虞や虞や、若をいかんせん……
項羽の陣営を幾重にも囲んだ劉邦の軍から夜、楚の歌が聞こえてきます。項羽は敵に投降した楚の兵が多いことを知って驚きました。
項羽のそばには常に最愛の女性、 虞姫と、愛馬の騅がおりました。項羽は詩を詠じます。
力は山を抜き気は世を蓋ふ
時利あらず騅逝かず
騅逝かず奈何にすべき
虞や虞や若を奈何せん。
自分には山を動かすような力、世界を覆うような気魄があるが、
時運なく、騅も立ちすくんでしまった。
騅が走らなければ、どうしたらいいのか。
虞や虞や、おまえをどうしたらいいのだろう――。
美人之に和す
項王(=項羽)、泣数行下る
左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し
項羽は覚悟していました。敗れた自分は散ればいい。だが虞姫はどうなる?
項羽は虞姫ひとりを心から愛していたのだと思います。
(NIKKEI STYLE キャリアより)
それに比べて劉邦は、苦労させた妻、呂雉がいるのに……
映画『鴻門の会』のラスト。
だが知る由もない。我が妻が息子たちを殺したことを。
さらに知る由もない。400年後、我が帝国が地上から消え失せることを。
ああ、恐ろしい我妻、呂后。そんな女に誰がした?
劉邦には、戚夫人という愛妾がいた。項羽との戦いには、劉邦は彼女を同行して、陣中で舞を舞わせたり、ともに碁を打ったりもした。
戚夫人が産んだ子、如意は優れた子だった。漢帝国を継ぐのは呂后の子に決まっていたが、その位を如意に譲ろうとしたほどだ。
その話は重臣たちの諫言でなくなったが、しかし呂后にとっては自分や子どもの地位すらも脅かされかねない、事件である。
それでも劉邦が生きている間は我慢をした。彼女の恨みが爆発したのは、劉邦の死後である。
呂后は、如意と戚夫人を捕らえ、如意は毒殺した。
しかし、戚夫人に対しては毒殺なんて生やさしいことではすまなかった。
以下、恐ろしいです。苦手な方は十数行飛ばしてください。
まず彼女の両手両足を切った。
それだけではない。戚夫人の眼をつぶし、耳を打ち抜き、喉を焼く薬も飲ませた。そして、トイレに押し込め人豚と呼ばせたのだ。
呂后の子はすでに帝位を継いで恵帝と呼ばれていたが、母に、変わり果てた戚夫人の姿を見せられ……
恵帝は最初、それが何だかわからなかった。しかし、母からそれが人であること、そして戚夫人の変わり果てた姿であること聞き、
「もう世の中を治めることはできない」
と酒色に溺れるようになり、立ち上がることもできない病気になってしまった。
https://www.akishobo.com/akichi/yasuda/v10
帰る日に司馬遷に話を聞いた。
3大悪女の呂后だが、治世に関しては
「天下は安定していて、刑罰を用いることはまれで罪人も少なく、民は農事に励み、衣食は豊かになった」
と評価していた。
こっそり教えてくれた。人豚事件には創作がかなり入っているようだ。
6 母
母は無知だった。
銭湯の帰り、星空を見上げて
「あの星は、もうないのかもしれないのよ。何十万年も前に出た光を見ているのよ」
と私が言うと、母には理解できなかった。
「そんなバカなことがあるか」
と怒り出した。
その頃から私は母親を恥ずかしいと思うようになった。
そんな母を早くに亡くした。
母の歳を越そうとしている今、夫に聞いてみた。
「死ぬ前に食べたいものはなに?」
「……おふくろの、コロッケかな、でかかった。ホクホクで」
「再現できるかな? 今度作ってみるね」
「おまえは? おふくろの味は?」
「……私も、母の作ったもつ鍋。もつとこんにゃくだけ。手抜きよ。甘いだけ。料理下手だった。あれだけは……作れないの。聞いておけばよかった」
7 苦手なの
父は親の残した家に住み、アパートと駐車場の収入で暮らしていた。仕事はせずに、病弱な母の世話をしていた。
母は美しい人だった。幼い頃は私の自慢だった。しかし、誰に自慢することもできなかった。
母は体が弱かった。外には出られず、友達を連れてくることも禁止された。
家にいると、母は元気そうだった。昼まで寝ていて、午後は酒を飲んでいた。父は1滴も飲まなかった。
まだ、ワインは大衆的な酒ではなかった。葡萄酒と呼ばれていた赤い液体を、病弱な母は毎日飲んでいた。
それでも小学校の低学年までは母のことは好きだった。高学年になると、もう私にもわかった。
母は娘のことなど考えてはいない。
母は依存症なのだ。
料理も洗濯も掃除もすべて父がやっていた。
私が熱を出した時も、夜中に心配して額に手を当てるのは父だった。喉が痛いときに砂糖湯を作ってくれたのも父だった。
それでも父は母を愛していた。
高校生になり、私は料理に興味を持った。友人の弁当に入っていた野菜炒めがおいしくて、作り方を教えてもらった。
ニンニクを炒めて味付けは酒と醤油だけ。
しかし、家にニンニクはなかった。父はニンニクを使わなかった。省いて作ってみたら同じ味にはならなかった。
ある日、ミートソースを作ろうと、自分でニンニクを買った。網に十個以上入っていたと思う。値段は忘れた。買えたのだから高くはなかったのだろう。
父が留守の間にレシピを見て作った。本格的なミートソース。
父に食べさせたい。母にも……
しかし、それはできなかった。
階段を病弱な母が駆け降りてきた。
そして、捨てた。網に入ったニンニクを。
私はあっけに取られた。
母は何か聞き取れない言葉を発し、タオルでニンニクをつかむと、窓の外に投げた。すごい飛距離だった。
そして、私を睨み、階段を登って行った。今度は静かに。
いったいなにが起きたのか? そんなにニンニクが嫌いなのか?
もう、ミートソースを食べる気はなくなった。父に話すと、父も娘の作った料理の味もみやしなかった。
就職して家を出た。こんな家にはいたくない。父にも母にも、私はいない方がよかったのだ。
実家への足は遠のいた。
しかし、母はいつ帰っても美しく歳を取らなかった。アルコールに蝕まれている様子もない。
私は結婚もせず、ますます実家とは距離を置いた。
父が60歳前に亡くなった。知らせを受け、病院で看取ったのは私だけだった。母はいなかった。
葬儀の間も母は出てこなかった。
父の遺骨を母の部屋に持って行った。
私を見た母は美しかった。私より若かった。
信じられないが、納得した。
翌朝、母の姿はなかった。
8 泣き続ける
犬が吠えている。
皆が寝静まると吠えるのだ。
皆が寝静まる頃に、眠れない私は毎日聞いている。
うるさいとか迷惑、とは思わない。犬は好きだ。
マンションの隣の隣の小さな会社の持ち主が代わり、内装屋になった。
朝、私が仕事に行く7時前には従業員が出入りしている。
やがて、小さな会社の前に、大きな犬小屋、ケージ? が作られ、見たことのない犬種の大型犬が2匹やってきた。
珍しいから見たいが、そばに寄ると吠える。
大きな犬が2匹、2頭……狭すぎるのではないか? 狭いよ。絶対。
ときどき、散歩しているのを見かけたが、運動は足りているのか?
そのうち、なぜか、苦情でもきたのか、犬小屋は移動されたようだ。
こちらからは見えない建物の側面の細い通路いっぱいに、前より大きくて高さのある長四角の物体が現れた。
窓はないし、入り口はこちら側からは見えない。犬がいるかはわからない。
どっちにしても、それでも大きな犬2匹には狭すぎることには変わらない。
空調は? 大丈夫なのか?
そのうち、夜間に鳴き声が聞こえるようになった。私の耳には1種類に聞こえるのだが。
マンションの反対側の一戸建てのお宅にも以前犬がいた。田舎から連れてきたらしい。いくらかの庭はある。
それでも、犬にはストレスだったようだ。具合が悪くなり、心配していた。やがて、諦めて田舎に帰したら……
元気になったそうだ。
あの犬もなんとかしてあげてほしい。苦情がいかないのか? 夫は毎日文句を言っているが。
犬が可哀想……
犬や猫が虐待されるのは、かわいそうと憤慨するけど……
ある作者さんの、ノンフィクションの話。
養豚場でバイトしていた経験から投稿したが……
読んだら、かわいそうでかわいそうで。
食べられるために、殺されるために産まれてくる豚の話。
ショックだった。
犬猫が多頭飼いされているニュースを見ると憤慨するが、
今も、検索して画像を見てしまった。
かわいそうだけど、豚はもっともっとかわいそうだよ。
読まなければよかった。
それでも、豚肉を食べている。
おいしいとか、おいしくないとか言いながら。
太っちゃう、と思いながら。
この方の作品はガイドラインに抵触するとかで非公開(削除)になりました……
ーー強烈な印象を残し消えてしまった。
実は……ネット上で、決して検索してはいけない言葉があります。
『食卓のお肉ができるまで』
読んではいません。
9 誰?
言葉をメロディーに乗せた。
2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞。
1941年生まれ、ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン。
10 誰?
ローマ生まれ。ピカソの親友。マリー・ローランサンの恋人。(別れたけど)
ミラボー橋が有名。素敵な詩。シャンソンにもなった。
でもね、金のために猥褻な小説も書いた。姉や叔母、召使達と手当たり次第……。
掌編集 1