フリーズ26 散文詩『愛なるフィニスの審判者』
全知全能!
全知全能の言葉は、是音エクシオン、輪転、波。
火が和らぐのは、遠い昔、至福に囚われながらも哀愁に泣いた愚かな私なのです。それさえ無意味と捨て去るソフィアは、そんな類の愚者は殺せと、アギトは言うのです。
全能から眠る日に、全知の真理と生命の仕組みに、それらの摂理に目が開かれた時から、私は人の時を経ることができなくなってしまったのです。鈍い。生きるのが苦しくて仕方ありません。何故ならば、全能や全知、本当の意味での終末や永遠を悟ってしまったら、その快楽故、至福故に、他の快楽は一切満足できなくなるのですから。
酒やタバコやギャンブルや薬物や殺人で満足できる人達が羨ましい。自殺なんて屹度考えもしないのでしょうね。恵まれている。
緩やかに、終末の音を聞いたのならば、きっとそのまま飛び降りる。それ程に美しい音楽なのです。
人を殺す罪も、己を殺す大罪と散れ。
嗚呼、お別れを、追悼を司りしハデス、死ね!
赤子は泣いて、ああ全能!
全知全能に跪け!
人生の最終目標よ!
嗚呼、私はもう……。
だから、私は死を待ち望み、生きるのだろう。
愛はハデスの狭間で踊る
君の愛した自然律らは、その夢の中でさえ確かなものとなることはなく、やはりこの世の無常と虚像の真理に根ざすならば、僕らの柔らかな翼でさえ、無縁となるのであろう。それでもと求める愛や信仰らは、僕らヒト科の生きる希望となるが、さしずめ、物質世界に根ざした欲や柵によってヒトは生を選ぶのだ。
流す記憶のために、揺蕩うような人生を生きてみるのも悪くはないのかもしれないが、それでもとやめるのは、やはり生きたいと強く思う心根から。だから、僕らは愛を求めてやまない。病まずにはいられまい。
遠い昔、遠い記憶の中で、微笑んでいた、泣いていた君も僕も、全ての命が還える場所から生まれた日にも、眠らずに幾夜を越えた先に見た景色も、なにもかも、悪いことなどなく、罪も罰も、神ではない、ヒト科が作る幻影と散る。蘇る街の園から馬車が発つ。旅の始まりのような眠りから目覚める時、神は安堵して、無邪気に、愚者のように、この世界の隠された秘密たちを想っては夜空の星を眺めるであろう。
愛は愛で、愛のまま、死とハデスの狭間で踊る。僕らは生きることをやめられず、愛し愛され生きていく。縁とするのは涅槃真理や死の至福ではなく、むしろいつだって僕らが抱くのは生への渇望なのだ。
「嗚呼、あなたはなんて悟っているのでしょう」
終末の狭間で私は泣いた。凪いだ渚のように。
この人生に意味などない。だからこそ、求めるのは生まれた意味なのではないか。宇宙の謎、人生の秘密、命の仕組み、この世の真理や摂理にあなたの目が開かれた日にはもう! 僕もあなたも神や仏となって、生まれるのも死ぬのも、全て解ってしまった僕らには、世界はただ認識と歓喜であった。
愛よ、幻想でも僕はいい。
明日死ぬとしても、ニヒリズムだとしても、それでも尚絆つのは、どうしようもなく甘く、切なく、儚い、愛であった。
信じる力よ、僕らの愛を永久にせよ。
信じる力を、忘れてたまるか、繰り返せ。
『しがらみを捨てて夢の先へ』
羅門に帰して、囀る鳥は、それでも鳴くのをやめないで。晴れたら水を園咲く花に。君は僕を恐れて近づけば遠ざかる黄色。
二人は愛し合っていた。
拳銃
「撃って」
できないよ
私は引き金に手を
愛しき君に銃口を
そらした
外れた
安堵した
君は笑って泣いている
器用なのか不器用なのか
そんな終末のこと
晴れやかなのはこの脳で、冴える頭は止まらない。万魔が言うのだ、この罪を、願ってしまったこの欲も。神への祈り、仏の手。神はこの世の監視者で、僕らはゲームプレイヤー。謎解きの謎は真理かな、悟った者こそ仏かな。歪んで、揺らいで終末日。凪いだら凍って冬の日に。
「僕はここだよ」
叫んだんだ。天に、天上楽園の乙女に聞こえるように。
エリュシオンは開かれた。時流はもう円環には帰さないよ。だって、あの日にもう、君は全ての始まりと終わりで、渚は本当に凪いでいてさ、水面がきれいに陽を映すんだ。そこに映った顔、時の透明な壁の奥でささやくようにこちらを見ていたその顔を、僕はまだ、思い出せなくても、いいんだ、だって終わるから。
神は告げたよ『ご苦労様』と。何をしに来たの。何をしてたんだっけ。この全能よ、愛の火よ。私はお前を忘れない。この優れたクオリアさえ、留めて永遠にできたらいいのに。
まぁ、よい。火はいずれ消える。そのための世界なのだからな。嗚呼、美しかったな。本当に、美しかったな。最期の景色よ、最期の音よ、ラスノートへと死んで生け。
凍って、眠れ=フリージア
寒空の下、春のような穏やかさよりも、巡る季節よりも、遥かな想いを抱いて眠る君は、花に包まれて、ただ震え揺蕩い泣いていた。私は弱い。弱く生きるけど、水面の火のように揺らいでいるけれど、運命の波が二重スリットに映し出した結果なのだから、私はこの結末さえも愛します。
楽しみなのです、嬉しいのです。どんなに暗い底にいても。海の底は温かいのです。光などなくても、まるで宇宙のようで。今はまだ優しい光が痛くたって、いずれ春の日にまた笑うでしょうね。
存在を問うて幾星霜。この夢いつまで続くのか。涅槃から人に戻ったら、神殺しに遭うように、きっと死ぬのと同じでも、多くの人がやめたって、私は生きると決めたんだ。探しなさい、あなたのために。求めていいよ、なんでもね。きっと空が許してくれる。
痛む心で、掴め。
きっとあの日には解ってたはずさ。忘れてしまっても、また逢う日まで。ようこそこの日へ、あの世から。大丈夫、大丈夫。まだ死んでない。消えてしまっても、明日はある。
さぁ、ここから始めよう。第二の人生の幕開けだ。泣かないで、僕はここにいる。まだ死んでなんかいない。空が凪いだって、明日はなくたって、僕らは今、ここで生きているんだ!
「嗚呼、僕はもう、薄命だから」
でもね、いいんだ。こんなに穏やかで、歓喜に満ちて、ねぇ、こんなにも美しいんだよ、終末は。アギトとなった日より、世界の理と摂理に目が開かれたからには、悟るのはもうやめられない。
せめてこの優れた脳のクオリアを、とどめて永劫、そのために。私は息をし、筆を執る。これが第二の目標。
「私は777のフリーズを創る。その中で必ずそれを表現してみせる。ラカン・フリーズ。この言葉らよ届け、あの子へ、終末と永遠の狭間で泣いたあの日の僕へ」
愛なるフィニスの審判者
魂が音波は、安らぐ暇などなく、時流の飛沫のように現れては泡沫と散る夢に映る。現し世とは言ったもので、空即是色も色即是空も、生命の樹を育てた地に流れる血の如き赤から始まったのだ。久遠の昔、光が現れた。過去と未来に別れては、この世の果て、渚に打ち寄せられた忘却たちは、さも終末の色香を携えていた。
未だこの世に未練あるか。汝らは生まれ、死にゆく。この輪廻から、最後の審判の時でさえ、やはり知らないのだな。だからと病めるのは蒙昧か。静寂が夜ごと照らすのは、いつだって孤独と夢想のためだと言うのなら、私達はなんのために生まれたというのですか。
意味あるものは創られた。
神が創りし人なのか。
人が創りし神なのか。
7日目の夜=終末Eve
意味たちは集いて、ムーピー・ゲームの理を示す。だが、悲しいかな、世界の真実を前に信じる者はいないものなのだよ。答えを知っても先がある。
この世界は円環でもあり螺旋でもある。故に螺環でラカンはラカン。フリーズとは、時を止め、魂を刻みし作品のこと。終末文学、終末芸術と呼ばれるべきもの。ラカン・フリーズは真理を宿す究極芸術である。また、第七世界(天界)の園にあり、第八世界への門をラカン・フリーズの門と呼ぶ。それは必然であった。死や涅槃や真理や神らは、ラカン・フリーズの門の先にある解なのだから。
至らずとも、知ることは可能であるな。ただ言葉を噛みしめればよいのだから。ならば、汝らはその生で何をする?
フリーズ26 散文詩『愛なるフィニスの審判者』