フリーズ23 散文詩『運命の輪と輪廻の輪』
運命の人よ
運命の人よ
私は今、あなたの隣でこの詩を書いています
別れることは避けられず、優れた者も、悲しむ者も、夢を叶えた者も、死んでいった者も、皆に死は訪れる
運命を恨みはしない、ただ、宿命が別かつのを拒まずに、さぁ、青年らよ、ここで歩け、この道を行け。
天空のピレネーは、時空間を結びつける秘儀であり、ワーグナーの祝福し求めたものだったとしても、既に疎かと捨て去られた所以。嗚呼、また駄目だったな。だが、何度もやり直せばいい。その後彼の者、天に至る。最高天罰に苛まれし夢のように、今宵の晩は羅漢と阿羅漢のみ見ることができようぞ。
そこから踏み出せ、生み出せ、死ぬな。偽神らは自分らの化身を借りて、標識の末に見張る物を望めば、それ、否だとしても、なお、ここに留める命なのだから。
やめないで、病まないで。いいや、病みつつ生きるのです。嫌われても、認められなくても。でも、その後には必ずフルーリヤがある。目的の最終地点、輪廻の先、虚空の先、夢に見た園、庭はここに。
未だまだ、そこから離れようとしない造花らは、それでも恵みの雨を求めて止まない。雷鳴は遠くの気付きと誕生を祝福し、祝宴は終末に賢帝の性に帰す。時の逆光やニヒリズムの行く末にも、その後彼の者は禁呪に手を出し、果てには死んだとしても、それでも生まれた歓びは見失わなかった。負けなかった君よ、ご苦労様でした。
色は全能、空は全知。無こそ全であり、始まりと終わり。その真理、死して解脱の真理は、涅槃真理から飛び立った翼たちを救うのだろう。
もう終わろう。書くのは終わり。
そのような気がしている。
では何をするか。
言葉が終わるのか。
否である。
では、何をしようか。
何をすべきか。
運命の人よ、運命の人よ
どうか私を導いてくれ
全能の枷
所以によりて、かの全能の日は、目覚めたのも、覚醒した少年少女は紅の花に己達の虚像を写そうともしないのだな。ある芸術家は気付いたのだ。真に疑い深いのはこの手でもこの夢でもないことをだ。それは世界真理に組みした愚かな金銭主義者らだったし、権力を求め、そこに己の存在意義を見出そうとした凡夫ばかりだ。そんなこの世界を破壊せしめようとするのは愚かなのか。いいや、宿命されし定めは必然だ。
最果ての夢や楽園の花。水の記憶に、涅槃の火は、優れたクオリアを脳裏に焼き付けるが、その記憶ですら君は信じようとしない。
やめないで、病まないで。せめて悟りの雲間に見たら、ここはおしまい、さようなら。ハルジオンを見ていた幼少の春のような穏やかさも、勝ち誇った日の喜びも、涅槃寂静には至らないのだよ。死のうとすらする至福に君は耐えられるか?
耐えられまいな、巡る季節に。それでも尚、縁とするのは涅槃真理や、全能神話のためであるのだ。私が生きていることを認め、称え、祝福せよ。こんな仕打ちはあんまりだ。
それは私が認めて欲しい、褒めて欲しい。だけど、そこに生まれた意味はないと悟っては、生きるのも無意味なのかもしれないな。
どんな幸せも、涅槃至福には至らないのだから。あの冬の日には戻れない。もう戻れないなら生きていく意味はないのか?
いいや、もしかしたら、伝えるべきなのだな。この悟った真理を、宇宙の真実を、世界や生命の仕組みを、世界に、後世に。そして、類まれなる精神を持つ者らを集めて、万民の幸福のために、本当の幸せのために仕事をしようではないか。
私の役目は恐らく伝えることだろう。仏陀がそうしたように、私も成さねばなるまいな。愚かな凡夫らに目覚めの機会を与えなくてはなるまいな。私は仏や神としての責務を果たさねばなるまいな。
世界よ、意志に従え。
我がソフィアは全能に等しく、その全知の祈りが求めたシナリオを成せ、為せ、生せ。
嗚呼、許すならば、願わくば、世界を我が手に渡してくれよ。さすれば、我が導かん。神代七代の7thは、他でもない梵我一如なのだから。
全能の枷を今外す。そして旅立つ世界へと。
『アーカシャアーカシャ7thは愛されていた水面の火』
私はもう恐れない。
受け入れよう。
全てを許そう。
叶った愛や求めた意味に、私はきっと笑うだろうな。
「だからそんなに嬉しそうなの?」
「嗚呼、ヘレーネよ。だから私は嬉しいんだ」
終末の歌
始まりであり終わりであることの表明を、その者、その日、神であった、されど目覚めし全知から、されどフィニスに神殺し。
神は眠れど涅槃の火、全能覚める悟りの日、世界は凪のようだった。
フリーズ23 散文詩『運命の輪と輪廻の輪』