あれやこれや 61〜70

あれやこれや 61〜70

61 年金

 誕生日が来た。特別な誕生日。老齢年金をもらえる年になった。長年保険料を払ってきた……わけではない。サラリーマンの奥さん(3号)だから。
 考えると、ずるい制度だと思う。いただく身ではあるが。

 サラリーマンの奥さん制度は、長男が幼稚園のときにできた。仕事を辞めて結婚。数年は国民年金を払わなければならなかったのだが、当時は無知だった。だから未納期間がある。払う余裕もなかったような……
 制度ができたときも無知だった。訳もわからず幼稚園の母親数人で手続きに行った。下の娘をおんぶして。年金をもらう歳になるなんて、はるか先のことだと思っていた。面倒くさい……なんて思ったけれど。

 それだけで、今後死ぬまでもらえるのだ。まあ、旦那様に感謝。しかし、女は長生きだ。90、いや100歳まで生きたら、ざっと2千万円。最後までもらえるのか? はたまた破綻するか、どうなるやら?

 定年まで働いていた姉は怒る。もらえる年金額に、そこまでの差はないと。ほぼフルタイムで40年働き保険料を給料から引かれてきた姉と、配偶者控除内で働き、自分では一銭も納めてこなかった私。

 今の施設では週20時間以上働くと社会保険料が引かれる。もう、配偶者控除内で、ずっとサラリーマンの奥さんで、という人は少ない。私は歳だし、ぎりぎりに抑えているが。だから、賞与はもらえない。勤続手当ももらえない。今の施設では古株なのに。オープン当初からいますのに。健康診断も自腹だ。

 年金の手続きは面倒くさかった。今でもちょくちょく通知がくる。入っているハガキに記入して送り返す。これが、まだ慣れないので、切手を貼り忘れてしまう。また戻ってきてしまった。手紙は出さなくなったし、保険会社だって通販だって、切手を貼って出す習慣などなくなっていた。手持ちの切手は昔の年賀はがきの当選でいただいた52円切手、それに10円と1円切手を貼り付ける。

 去年は夫の給料が大幅に下がったので、ようやく年金を全額いただけるようになった。給料が多いと年金は減額される。それでも働いてくれた方がいいのに。休みが多くてイヤになる。

 加給年金をご存知ですか? 夫が65歳になった時に、妻が年下だった場合に加算される。(厚生年金加入20年以上等々の条件はあるが)それが、結構いただけたんです。たった1年間だけど。
 振替加算は妻が65歳になったときに代わりに少し付くらしい。むずかしくてよくわからないけど、私の年金はいくらもらえるのやら?
 
 年金をもらいながら働くと、確定申告をしなければならない。医療費も多い。今までは医療費控除をすれば毎年戻っていた。去年は歯の治療代がかかったので、たくさん戻るだろうと、ウキウキしながらスマホでやってみたら……

 なんと、数千円、払わなければならないようだ。
 これは……やらないと、バレるのか? 今はマイナンバーがあるからすべてわかってしまうのだろうか? 皆、きちんとやっているのだろうか? 何年か後に追徴、延滞金、とか? 
 無知ではすまない。

62 糟糠の妻

 ある娘さんの話……

 決して自慢できる娘ではないが……
 高校時代は勉強せず、校則を守らず母を泣かせた。仕事も長続きしなかった。派遣やバイトを次から次。交際相手とも、いつも長続きしなかった。聞けばいい条件の男性なのに……もったいない。娘には貯金もない。まあ、チャラチャラした感じ。自分の娘でなければ絶対に付き合いたくないタイプ。

 30歳前に結婚した相手は10歳近く年上だった。付き合っている時は楽しかった。よく出かけた。旅行もした。飲みにも行った。楽しかった。支払いはほとんど彼がカードで払った。結婚式の費用もカード払いだった。
 
 結婚してわかった。給料からカード支払い分を除くと残りは少ない。だからまたカードで払う……それを、おかしいとも思わないバカ夫婦。貧困のバカ夫婦。
 そのうちに届いた。住民税の滞納通知。旦那は以前は個人事業主だった。長い間、滞納していた。旦那は親と同居していたのに、親は滞納通知が何年も何年も届いたのに知らん顔か?
 
 娘は怒った。旦那を蹴飛ばしたという。
 そのうち届いた。クレジット会社からの滞納通知。娘は、そういう仕事をしていたことがあった。旦那はキャッシングをし、毎月リボ払いで返済していた。わずかなリボ払いでは払い終わる日は永久に来ない。

 思えば、よく実家に帰ってこなかったと思う。娘は親にはしばらく黙っていた。
 そして行動した。税金は掛け合うとなんとかなるらしい。延滞金をまけてもらった。娘は返した。必死に返した。浪費家の娘が、毎月の生活費を切り詰め、ボーナスはほぼ全額を返した。2年間の切り詰め生活。母は知らなかった。旅行に行かなくなったな、とは思ったが。

 返し終わったあとに、母に話した。クレジット会社からは数十万の過払金まで取り返したという。

「仕事だけは一生懸命だから」

 母は昔、夫の会社の株を買う時に、必死で貯めた金をぽんと出した。夫は上司に、山内一豊の妻だな、と言われた。
 あなたはそれ以上の妻だと思う。

 浪費家のだらしない娘が変われば変わるものだ。今ではしっかり貯金をしている。孫ふたりの名義の通帳には、お祝いもお年玉もすべて積んでいる。

63 兄弟は他人のはじまり

 子供達が孫を連れて遊びに来た。3人の兄妹は今のところ仲がいい。夫の兄妹は遠くに住む。親が亡くなってからは冠婚葬祭でしか会わない。私の姉は近くに住み、一緒に旅行したりしている。義兄の姉弟は、やはり滅多に会うことはない。

 友人の息子2人は仲が悪い。兄は有名大学を出たが、弟は自分探しのために中退……会うことは滅多にない。母は悲しいだろうな。一緒に育った子供達がほぼ絶縁……なんて。

 就職した会社の研修で親しくなった友人は、独特な女性だった。母親を癌で亡くしていたので、父親と弟と住んでいた。家のことはおとうさんがやっていたので、家事のために早く帰ることもなかった。
 話題が合った。文学も音楽も知識が豊富。私はいつでも痩せたかったが、彼女は太りたがっていた。胃下垂なのか、食べても太らなかったので羨ましかった。お金の使い方も違った。当時は給料もボーナスも若い娘にしては多かったはず……私は7年の間に相当貯め込んだが彼女はいつもお金がなかった。CDなど、買い方が違っていた。
 太りたいから体質改善とか、断食道場(?)とかにも入ったりして、高額を払ったのではないか? 私が結婚して退職したあともしばらく付き合いはあった。
 
 私の結婚式で、夫の友人と出会い一目惚れされた。しばらく付き合ったが、おとうさんに反対された。腕のあるコックだったが、水商売だと言われ反対された。友人もそこまでの気持ちはなかったのだろう。やがて別れた。私は子育てで忙しく連絡は途絶えた。

 数年して電話がきた。
「あの人、どうしているかしら?」
まだひとりなら、お付き合いしようかと思って……あなたが振った男は結婚しました。
 
 久しぶりに会った友人は、本社から営業所に移っていた。営業所の男の所長(妻子持ち)が優しくて……と話す。
 やめなよ、妻子持ちなんて……

 それからまたしばらくして会ったときには、父親が亡くなってしばらくたっていた。財産のことで弟と揉め喧嘩。家を売り、分けて絶縁。弟とは音信不通だそうだ。
 妻子持ちの所長は異動になった。あろうことか、彼女は所長に金を貸していた。集金できなかった金を月内に立て替えたりした時に、頼まれたと言う。返すので、また貸した。結局は泣き寝入り。後悔していた。
 
 自分が亡くなったあとのことを考えていた。そういう業者を調べてみよう、とか。
 何年経つだろう? 定年退職しただろうか? 
 

64 逆縁の不幸

 従兄妹の三兄妹は夫と違い出来が良かったそうだ。市内に大きな家があった。結婚前に紹介された叔母は口うるさい方で怖いくらいだった。結婚式に招待したときに用意した、ホテルの朝食がパンだったので文句を言い、義妹がおにぎりを買いに行ったとか……

 義母が病気で亡くなったのは結婚した翌々年だった。私たちはまだ20代後半だった。田舎の実家に親戚が集まっていたら連絡が。
 叔母の長男が自殺した。
 義母の死を知っての行動か? 大勢の親戚はふたつの葬式に分かれた。

 叔母の次男に会ったのは義父の葬式の時だった。まだ30代前半だった。
 次男は東京で働いていた。夫とは歳が近いので子供の頃はよく遊んだらしい。年賀状のやりとりだけはずっとしていた。
 下の妹(従妹)はその後、若くして癌で亡くなった。かわいそうな叔母さん。それでも次男は田舎に戻らず結婚もせず働いていた。やがて叔父は認知症になり施設へ。叔母も弱ったがひとり暮らしを続けていた。

 夫も従兄も、もう50代だった。夫の携帯に病院から電話が来た。従兄が横浜の病院に入院して危篤状態。
「延命治療どうしますか?」
 なんの冗談?
 20年も会っていない従兄? 田舎の叔母ではもう、埒が明かなかったのだろう。

 夫は会社を早退してきた。ふたりでわけもわからず病院へ行った。辿り着いた病院の先生と夫は話した。従兄は白血病だった。
 このまま亡くなられたらどうなるの? 
 私たちがどうにかしなけりゃならないの? 

 夫はその頃仕事が忙しかった。しかし、できるだけのことをした。娘が心臓手術の時でさえ、最低限しか休まなかった。カテーテル検査にも、来なけりゃダメですか? と先生に聞いていた。それが、20年ぶりに会った従兄の窮地のために仕事を休み何度も見舞った。従兄は幸いにも意識を取り戻し退院した。
 住まいを引き払い田舎に戻る。

 どうか、生きて戻れますように。どうぞ、こっちで亡くならないでください……
 本気で思った。最悪を想像した。ご遺体を運ぶのか、こちらで焼くのか? もう、頼れる身内はいなかった。
 幸いにも従兄はひとりで帰郷した。お礼に稲庭うどんと菓子が送られてきた。安堵した。

 しかし数ヶ月後に亡くなった。夫は葬儀に出た。叔母は弱り、その後の後始末は遠い親戚がしたらしい。

65 ぜんぜんわからない

 家の固定電話が通じない。それがいつからかもわからない。かけるのは再配達受付センターくらい。他は出ると面倒なので留守電にしてある。子供たちは携帯だし。

 そういえば雑音がしていた。20年くらい使っていた電話機だ。電話機の故障……買い替えよう。
 ついでに、古い電子レンジにホットカーペット。吸引力の落ちた掃除機も。
 家電量販店で次々決めた。買い替えは最後かな? しかし、1番必要な電話機が売っていなかった。半導体不足で家庭用電話機は後回しにされているとか、入荷するまでにしばらくかかるそうだ。何軒か周り、留守電機能もついていないものをやっと手に入れた。安くて済んだが。

 ところが電話は通じない。ネットで調べて、コンセントや、ルーターのいろんなコードを抜いたり入れたりしてみた。すると、発信はできるようになった。が、着信はできない。携帯からかければツーツーツーと3度音がするだけ。夫の知識も私とたいして変わらず。固定電話はもういらないと思うが、親戚に何かあればかかってくるだろう。まだ、なくすわけにはいかない。夫は
「おまえに任せた……」
 
 電話関係はすべてソフトバンクに変更してある。娘が家族割りにすれば安くなるから、と。娘と娘の旦那と私が契約しに行ったのは、忘れもしない天皇即位礼の日。まさか、昼から夕方までかかるとは思わず、途中から投げ出すわけにも行かず、酔った夫からは何度も帰りはまだか、まだか? と電話が来た。誰に怒りをぶつけることもできず、契約が完了した時には暗くなっていた。

 だから、NTTに電話をするのか、ソフトバンクなのか、それさえわからない。とりあえずソフトバンクに電話をしたら……音声で、ホームページから……相談しろと。

 わからないまま始めた。チャットサポート。オペレーターの顔(アニメ)と文字の案内が出る。こちらは文字を打つのに時間がかかる。何がわからないのかもわからない。一定の時間が過ぎると終了します、との案内が何度も出て焦る。相手も質問するたびにお待ちください、と長い時間待たされる。多分、バイトなのだろう。娘もそんなようなバイトをしたことがある。わからないたびに上に聞くのだろう。

 指示された通りにコードを抜いたり挿したり、すでに何度もやったことをやらされた。それでもダメだと初期化しろ、と。初期化はやっていませんでした。ペンの先でくぼみを数秒押さえ続ける……
 しかし、初期化したら、パソコンの中身はどうなる? 無知ゆえ、ひとりでは決められない。
 そこまでで、とりあえず、夫が帰ってからにします、と礼を言い終了した。

 夫が帰り、初期化をしたが変わらず。そのあと、何度かコードを抜いたり挿したりしたらようやくできた。着信ができた。
 やれやれ。大変な作業だった。これで何年もつのだろう? 買った電話機は無駄になった。安いものでよかったが。

 もう、付いていくのは大変だ。
 買い替えた電子レンジも複雑すぎてわからない。ただ温めるだけなのに、1はごはん、2はおかず、3はスチーム。それが……できない。ダイヤルを回すと54までのメニューに変わる。押したあと回せば、ごはん表示で1、2、3の強さに変わる。どうすれば、おかず表示になるのやら? わからないまま、おかずもごはん表示のまま温めていた。

 お嫁が来たので聞いてみた。
「おかあさん、回してダメなら押すんです。2回続けて押すんです」
 

66 私は空気

 ゴルフのレッスンでのこと。始めてから1年半が過ぎた。途中ひと月を2度休んだが。1度目はお嫁の出産。2度目は腰痛。あとは真面目にほとんど通った。今年からは夫が辞めたのでひとりで通うレッスン。家からすぐだが歩きなので、練習用のクラブケースを買った。
 
 入り口を通り検温する。歩きなので冷え切って低すぎてエラーになる。大丈夫ですよ、と言われレッスン場へ。コロナ禍なので、大きな声で挨拶はしない。
 いつもの手前から2番目の場所にすでに人が……しかたない。小さく挨拶すると、
「初めて会いましたね」
「!」
驚きの表情は眼鏡と大きなマスクでわからないだろう。しっかりこっちを見てないし。

 いつもは私の前の前くらいで背中を向けて打ってる女性だ。それが、珍しく私の後ろに。うろたえる私に追い討ちをかけた。
「このクラスですか? 会ったことないですね」

「そうです。A先生のクラスです。1年半来てるんですけど。あなたとは、月に2回は会ってたでしょ? まあ、私は印象が薄いですからね」
とは、言える性格ではない。

 コロナ禍に入会したから、マスクに、おしゃべりもしてはいけない。ほとんど数分ずつの個人レッスンみたいなもん。入った時も皆に紹介もしなかった。
 それにしても、失礼だよね。そうかな? と思っても口にしてはいけない。派手な金持ちそうな、キャピキャピした、ベンツで通っているお方。軽井沢に主人と泊まりで……とか、コーチと喋っているお方。生徒が大勢いても、お構いなしで喋って先生を引き止めている……

 ムカついたけど……投稿してやろうっと。
 いつもはこの時間だけは無心になる。始めた当初は夫に無理矢理やらされたようなものだったので、お昼、何食べよう……なんて考えながら打っていた。90分のレッスンが長かった。
 今日は投稿の内容を考えながら打っていたら、調子よかったんですが。アプローチのテストはダメだったが。

 ああ、空気のような私……
 ああ、ゴルフバックを変えたからかも? 白から赤に。

 以前にもあった。娘の英語教室の説明会。親が集まり2度目にあった時、
「この間、いました?」
だから、そういうのは口に出してはいけない。私が影が薄いのはあなたのせいではなくて、私が悪いのだけど、人によっては恨みを買います。その口はつぐんでいた方が賢明です。
 しかし、当時はコンタクトでそんなにひどくはなかったはず……その方はダスキンの仕事をしているので毎月交換に来てもらっている。もう20年以上の付き合いになるが忘れない。

 まだある。お隣のご主人。入居から何年経っても、エレベータで一緒になると聞かれた。何階ですか? と。隣りです、とは言えなかった。隣に入る気配は感じただろうに、数年の間に数回聞かれた。

 ブティックで働いていた時に、カウンターに常連客が数人座っていた。だいだいは我が強い。我慢などしない客ばかり。毎日来る客が他の客に言った。
「Kさんて、おとなしくて、いるんだかいないんだかわからないわね」
ひどいことを言うな……と思った。わざと言ったのか? そうやって生きてきたからわからないのか? Kさんは言い返しはしなかった。しかし、印象は薄くてもプライドは高かった。後日、店長に泣いて訴えた。店長は来る客ごとにそれを話す。ひどいでしょ! と。格好の話の種に。
 だいたい客が集まれば会話になどなっていない。てんでに自分のことを喋りまくる。聞いてくれる場は他にはないのか? だから、高い金を出して、着ない服を買うのだな。

 おとなしいKさんも、私たちには高圧的だった。常連さんは、いちげんさんを下に見る。どうせ、買わない、買えないんでしょう? と。客が立て込む忙しい時にラッピングをさせた。
「急いでくださる?」
と嫌がらせか? まあ、謝って、待ってもらうしかない。丁寧に謝る。何度も謝って気持ちよくさせる。謝るのは○○だから。

67 偉大なる凡人

 お化けになる日……息子が小学校の時に入っていたサッカークラブで、コーチが話したことが印象的だった。まだ、4年生の男の子。蹴っても蹴ってもボールは飛ばない。それが、いつか飛ぶ時が来る。超える時が来る。
 それを、お化けになる日、とコーチは話した。
 
 息子はサッカーが好きだった。夫の影響か? 
 夫は中学時代、県大会まで進んだことが自慢だ。同じ町に日本代表になったゴールキーパー、田口光久さんがいた。同じ歳で、対戦したことがあるのが自慢だ。
 亡くなったが、町の英雄だ。しかし、子供の頃は、畑にゴールを作って……しょっちゅう飛んでいた。特異に見えたらしい。バカと天才は……
 彼がゴールの前に立つと、入る気がしなかったという。1度だけ、勝った。勝って県大会に進んだ。勝った時、先生は喜んで皆にうどんをご馳走してくれた。

 息子は日曜日は朝から練習があるから、前の日は好きなテレビも見ないで早く寝た。しかし、好きと上手は違う。あとから入った子に抜かれ、試合にも出られなかった。

 中学でも続けたが、前後半続けて試合に出ることはなかった。最後の試合でも前半が終わると、先生に肩を叩かれ交代した。本人は満足していた。
 今、小学生になった孫が夢中になっているという。

 高校に入ると、釣り同好会なるものに入り生涯の趣味を見つけた。やがてそれは仕事になった。息子は毎日夜明け前に船に乗る。客に大物を釣らせるために。釣り番組には何度か出た。タモを持つ手だけだが。

 私はなにをやってもだめだった。極めない。姉は一緒に始めた水泳を続けている。もう、何キロも泳げるという。私はようやく25メートルを泳げるようになった時に、いろいろあって辞めてしまった。続けていたら、泳げたのだろうか?
 お嫁も、水泳はバタフライも得意らしい。息子に話していた。
「陸の上とは違うよ」

 ゴルフは1年半続けているが、まだ飛ばない。本当に飛ばない。豪快な美容師さんは、若い時、ソフトボールをやっていた。海辺の街の出身だから、サーフィンにのめり込んだ。ゴルフは、打ちっぱなしに1度行っただけだが、当たれば飛んだそうだ。私はキャッチボールも届かなかった。いつか飛ぶ日が来るのだろうか? お化けになる日が?

 ピアノも諦めた。10年やっても、20年やっても上達しない。孫がまた習い始めた。別の先生のお宅のグランドピアノ……もう1度、先生について習ってみたいとは思うが。グランドピアノで弾いてみたいとは思うが……いや、もううちのピアノ持っていって! もう聴くだけでいい。

 そんなことを話すと、豪快な美容師さんは、偉大なる凡人、と言う。何をやっても、平均点。仕事も家事もスポーツも。それはすごいことなのだと。ひとつのことを極めなくても、母は偉大なのだ。

68 依存症

 近くに、古くからある精神科の病院がある。今は、老人施設の看板を大きく掲げ、デイケア、ショートステイの棟もある。
 精神科に多いのがアルコール依存症だ。かの有名な芸能人もこの施設に入るのでは? とネット上で噂が流れた。(薬物依存症の方の時も)
 若い患者さんが多い。病院の周りには支援するアパートがある。

 息子の友達のおとうさんが、アルコール依存症になった。高校時代、共に停学になった友達の両親とは校長室で会った。嘆く私とは対照的に、楽観的で夫婦仲が良かった。
 病院に連れて行こうとしても、日中は飲んでいないから病気を認めない。学生時代、親に迷惑と心配をかけた息子の友人は、4人兄弟だった。家族会議を開いてなんとかしようとしたが、奥さんに暴力を振るうようになり離婚したという。

 その話を豪快な美容師さんにすると……
 精神科の病院の近くで、古くからやっている美容院には、症状が軽くなった患者が来るそうだ。入院している人は腕にバンドをしている。若い男性や、娘に連れられて50代くらいの母親が来たこともある。酒が抜ければまともだ。もうすぐ退院できるんだ、と喜んでいたという。
 戻ってこなければいいが。断酒できなければ全てを失い死に至る。

 リストカットの患者も多い。美容院に来る30歳くらいの女性は肘から下がケロイド状だという。ある時、上腕を切ったのか、服の袖が赤くなっていた。
「なにやってんのよ。こっち切ればいいじゃん」
 新しい、きれいなところを切りたいのだろうか?

 その女性は家族からも見捨てられ、支援を受けてアパートを借りている。仕事はできない。生活保護を受けているのだろう。病院の鉄格子の窓から手を振られたこともあるそうだ。少し良くなると、普通の窓の部屋に移される。

 病院の患者がうちのマンションの外階段から飛び降りたことがある。病棟の部屋の窓から飛び降りたことも。
 患者は回復すると、数人で病院の周りを歩いている。時々、病院の庭で歌っている人がいる。もう慣れた。ああ、また入ったのだな、と思う。

 リストカット常習者の女性は、派手な格好で歩いているが、最近見かけないという。
 また入院したかな?

 ブティックの開店時間、店の前に若い女の子がしゃがみ込んでいた。酔っ払いか? 朝の10時半。声をかけるとフラフラしていたので支えた。腕にたくさんの傷。初めて見た。リストカット……
 立ち上がるとフラフラして歩いて行った。カメラ屋の店主が言った。さっきからフラフラ歩いてる。警察に連絡しようか?
「Cさん、よく触れるわね。気持ち悪い」
店長は辛辣だ。

 どうしているだろうか? 話の女性と重なってしまった。公園側の病棟はリストカットの患者ばかりだそうだ。

69 教育

 施設で働いていた職員さんが辞めた。大学生ふたりの息子がいるシングルマザーだ。旦那さんとはギャンブルが原因で離婚した。何度も土下座して謝られたが治らなかった。上の子は理系なので余計に学費がかかるという。ダブルワークしなければならないので辞めていった。
 
 ブティックで働いていた頃のスタッフも教育熱心で、
「Cさんは教育にお金かけなさすぎ」
とよく言われた。皆、大学は当たり前。だから子供の話は苦手だった。

 長女の私立高校入試の前日に、夫の妹家族が我が家に泊まりに来たいと言う。姪がマーチングバンドの全国大会に出場するので見に来る。泊まるのは妹夫婦ともうひとりの姪の3人。泊まるのは狭いマンション。
 普通、娘の高校入試前日に泊まらせるか? 客間がある家ではない。夫が電話を切ったあと、呆れた。怒れば喧嘩になるから怒りはしない。来れば、もてなしはするけど顔には出るだろう。来た方も恐縮するだろう。そこらへんが夫にはわからないらしい。 
 結局夫は明け方パーキングまで迎えに行き、私と娘は時間差で顔を合わせることなく家を出た。

 次女は中学では部活に熱心で、勉強してると思ったら寝ていた。吹奏楽部で、朝練、昼練、放課後、土日も長い休みも練習。3年になっても秋のコンクールが終わるまで引退できなかった。塾に行くまでの時間に眠ってしまい起きられない。しょうがないから家庭教師を頼んだ。短期間集中的に5教科。来たのは女性の大学院生。
 熱心だった。熱心に社会ばかり教えていた。身内親戚は皆法律関係の仕事だそうだ。家庭教師代請求の封筒を見てビックリ。450,00円也。間違いを指摘できなかった。

 私立のすべり止めの試験も近い日、先生は来なかった。連絡つかず。会の方に電話をしても、しばらくわからなかった。ようやく返事が来た。病気で地方の実家に帰り入院していると。詳しくはわからないが、こちらの入試はどうなるのよ? 1番大事な時期に代わりを寄越すこともなく、怒りを通り越して笑えた。
 入試は終わった。落ちる人がいたかどうかはわからないが、めでたく合格。
 都立入試も終わった頃、先生は家庭教師代を取りに来た。また450,00円だったかは忘れたが。お礼に用意したお菓子も受け取り帰って行った。

 子供たちはとにかく勉強しなかった。勉強しないで平気……ということが理解できない。夜、隣に座って付き合った。3人みれば数学も思い出す。歴史も理科も歳をとると面白くなるものなのだ。勉強したのは母の方だった。
 
 この間、テレビのクイズの計算問題をふたりの娘はできなかった。掛け算、割り算を先にやることを忘れていた。

 ブティックのスタッフは皆、優雅だった。パートなのに店の服を買って着ていなければならない。給料の2割から……3割……から5割。そういうものだとは知らずに入った。生活のために働くなら他へ行く。入って実態のわかった人はすぐに辞めていった。
 皆、リッチだった。庭のある家、旦那様の収入は多い。子供の就職先には大きな会社か公務員を希望していた。
「Cさんの旦那さんのような小さな会社だと……」
「息子さん、自衛隊入れなよ。お金貯まるらしいよ」
思えば失礼なことを言われた。かなりムカついたんですけど。

 そちらの長男さんが有名大学に合格したときは、出番だった私に、抱きついて泣いていた。
 公務員になるための学校にも通って市役所に勤めた。会社のために自分の時間がなくなるのはいやだからと、公務員を選んだ。
 次男さんは自分探しだと、中退してしまい、嘆いていた。
 やがて、公務員になった長男は市役所を辞めてしまった。中退した悩みの種だった次男の方は結婚し子供ができた。
 たまに会えば、孫の話に花が咲く。

70 息子の結婚

 長女が結婚した年の暮れに、ひとり暮らしの息子が、話があるから、と久々に実家に来て私に告げた。息子とは近くに住んでいながら滅多に会わなかった。用があって来ても玄関先。 

 釣りが趣味だった金のない息子は結婚しないと言っていたが、子供ができた、と。彼女がいることは聞いていた。会わせてもらったことはなかったが。

「もう、釣り行けなくなる。ああ、釣り行けなくなる」 

 親は喜んだ。

 息子は仕事が忙しい時期で、なかなか彼女に会わせてくれなかった。焦るのは親の方だ。
 結婚式は? やらない? そんな金ない? そんな……
 彼女の親御さんに早く挨拶に行かねば……
 待ちきれず、息子に電話して彼女に代わってもらい、女ふたりで会う段取りを決めた。

 近くに住む息子の部屋は大家さんの2階。その下で待ち、我が狭いマンションまで歩いた。印象は……普通だった。息子の彼女。どんな彼女でも驚くまい、顔に出すまい、と心して会った。派手でも(娘たちで慣れてはいるが)、学歴、家庭……

「玄関入ったらすぐベランダだから」
狭いけど驚かないでね……

 彼女は……3時間いた。
 面白かった。初対面なのに媚びず、甘えず、次から次に話題が出た。

 我が息子は高校も母親の執念で、なんとか卒業させたくらい勉強しなかった。就職も決まらず自分で広告を見て探してきた。運送、引越し業だ。忙しい合間に釣りに行く。
 話してしばらくして……え? 大卒なの? 
 うちの身内に大卒は存在しない。まあ、大卒と言ってもピンからキリ……のピンの方? 
 親も妹ふたりも親戚も皆大卒だそうな。母方の祖父母は小学校の先生だった。うちのバカ息子とでは釣り合いが取れない。そんなことを言うと、
「彼のが頭いいです」
……雑学は、確かにすごいけどね。

 おとうさんは○航空。キャンセル待ちをすれば無料で乗れたとか。だから、海外旅行は豊富だ。ひとりで行った。ニューヨーク、タイ。ハワイにはおばさんが。我が息子は日本から出たことはない。

 自宅は父方の両親の家を建て替えて住んでいる。その時に息子は引っ越しの仕事で彼女の家族に会っていた。
 よく反対されないものだ。妊娠を告げたら両親は喜んだ、とか。

 帰りにお歳暮でいただいてたビールやリンゴを持たせた。妊娠初期だし、今度、届けると言うと、大丈夫です、と喜んで持って帰った。

 顔合わせは店でしようと思っていた。男親が設定するものだろう? しかし皆で家に来て欲しいと。
 服は軽装で、どうか何も持ってこないで、おかあさんの手作りの料理一品だけで……そういうのは余計に困るんですが。

 私はケーキまで作る料理上手ということになっていた。我が家に息子と彼女が初めて来た時、娘たちとのクリスマス、正月……続いたおもてなしに私は必死で作った。ミートローフやローストビーフ、チーズフォンデュー、鍋その他、シフォンケーキにロールケーキ、チョコを削って、(鰹節削り器はチョコレート削り器になっている)ひたすら削りクリームに混ぜたり上にかけたり。

 奮発した肉でローストビーフを焼き、ホースラディッシュも買い、ケーキは栗原はるみさんのレシピのチョコレートケーキを2種。ホワイトチョコの方はアレンジだ。

 バスに電車にバスに電車に歩き。家族全員で出向いた。家族全員で車以外の外出なんて初めてのことだ。バスの中で、長女は頭痛の気配を感じ、鎮痛剤を飲んだ。よくあることだ。
 1時間半かけてたどり着いたのは、閑静な住宅街の素敵なお宅。旦那さんが、ある雑誌を見て気に入ってしまったという建築家、その建築家が建てた青森ヒバの家。暖炉のあるお宅だ。

 家族は歓迎してくれた。ご主人は初めて会ったうちの娘の名を読んだ。○○ちゃん、△△ちゃん、と。総勢11人が悠々座れる、これも青森ヒバで作ったという大きなテーブル。
 ハワイに住んでいた、おかあさんのおばさんが、私に言った。
「どうすれば、そんなにスマートでいられるんですか?」
 当時はブティックに勤めていた。服も垢抜けていたはずだ。いい歳をした女がロングブーツ。コートは超よそゆきの白の1番高いやつ。これは長女の旦那の親との顔合わせの時も着て行った。その時も言わせた。
「ママ(のコート)素敵ねえ」

 顔合わせ会は和やかに進んだ。豪華な料理の中に持参したローストビーフが超厚切りで出た。皆酒好きだ。持参したのは新潟の大吟醸のブルーボトル。

 飲んだ、飲んだ。私と彼女以外は。長女も飲んだ。頭痛が治った長女は……
 この娘は酒癖が悪い。今の旦那に、よく捨てられなかったな、と思うくらい。よく送られて帰ってきた。謝ると、
「かわいいもんですよ」

 その娘が、あら、大変。酔っぱらって、ぺらぺら喋り、泣き、笑い、夫に怒られ皆に呆れられ、トイレに行った。
 鎮痛剤に酒は危険だ。恥を晒すだけで済んだが。

あれやこれや 61〜70

あれやこれや 61〜70

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-10

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 61 年金
  2. 62 糟糠の妻
  3. 63 兄弟は他人のはじまり
  4. 64 逆縁の不幸
  5. 65 ぜんぜんわからない
  6. 66 私は空気
  7. 67 偉大なる凡人
  8. 68 依存症
  9. 69 教育
  10. 70 息子の結婚