お気に入りの音楽 41〜45

お気に入りの音楽 41〜45

41 3大ギタリスト エリック・クラプトン

 エリック・パトリック・クラプトン(1945年3月30日- )は、イギリスのミュージシャン、シンガーソングライター。これまでで最も重要で影響力のあるギタリストの1人とされる。クラプトンはローリング・ストーン誌の「史上最高のギタリスト100人」で2位。
 
 さまざまな地元のバンドで演奏した後、クラプトンは1963年にヤードバーズのギタリスト、トップ・トーパムに代わって加入した。ヤードバーズがブルースロックからラジオ向けのポップ指向を目指したことに不満を抱いたクラプトンは1965年に脱退。

 1966年7月にクリームを結成。
エリック・クラプトン (ギター、ボーカル)
ジャック・ブルース (ベース、ボーカル)
ジンジャー・ベイカー (ドラムス)
 スーパーグループの先駆けとしてすでにキャリアのあった3人は“cream of the crop(選りすぐりのもの)”と認められていたことから“クリーム”と名づけられた。
 サイケデリックな時代背景を取り入れたヘヴィなブルース・ロックを3人による爆音と激しいインプロヴィゼーションで展開するさまは、それまでのロックの概念を覆すほどの革命と言われ、いまではハード・ロック/ヘヴィ・メタルの源流とも評されている。また、ブルースの友人で詩人のピート・ブラウンが書いた歌詞の世界観はクリームの音楽性に大きく貢献したと言われている。
 しかし、その裏では以前より燻っていたベイカーとブルースの確執が決定的なものとなり解散。
わずか2年半という活動期間ではあったが、ロック史上における最高のパワー・トリオとして、今もなお後続のアーティストに多大なる影響を与え続けている。
 14年10月25日にブルースが死去。19年10月6日にはベイカーもこの世を去ったことからクリームは永遠の伝説となってしまった。
https://www.universal-music.co.jp/cream/biography/

「Sunshine Of Your Love」は1967年11月に発売されたクリームの2枚目のアルバム『Disraeli Gears(邦題: カラフル・クリーム)』に収録された。そして大西洋を横断するクリームの大ヒット・シングルとなり、アメリカではゴールド・ディスクも獲得。全米チャートには36位でチャート・インし、その後、1968年1月から4月までチャートインし続け、7月に再びシングル・チャートに登場、そのまま5位へと急上昇した。その後、ロックの殿堂入りを果たしている。

https://youtu.be/C9k6aa4QvJ4

 ロック・スタンダードにもなったこの曲は、ジャック・ブルースとエリック・クラプトンの両者によって数えきれぬほどの場所で演奏された。名曲となった「Sunshine Of Your Love」はオジー・オズボーンからサンタナまで、多くのアーティストによってカヴァーされ、時代を生き続けている。
https://www.udiscovermusic.jp/stories/creams-ray-sunshine?amp=1

 1968年9月 (米国シングル) の「ホワイト・ルーム」はイギリスのロックバンド、クリームによる楽曲。ベーシストのジャック・ブルースが作曲し、詩人のピート・ブラウンが作詞を行った。
 作詞者のピート・ブラウンが実際に「白い部屋」で暮らしていた頃に書いたものと言われており、歌詞には、詩人としてどうにか生計を立てていた当時の心境が反映さている。

https://youtu.be/gLYqPrnOIag

 女性(her)との別れや、深い孤独感が描かれている歌詞だが、ドラッグの売人との密会が描かれたもの、とも解釈されている。
https://lyriclist.mrshll129.com/cream-white-room/

 1970年にクラプトンはソロキャリアに乗り出した。
 ソロキャリアに加えて、クラプトンはデラニー&ボニー、デレク・アンド・ザ・ドミノスとも共演し、代表曲の1つである「私のレイラ」をレコーディングした。その後数十年にわたって多くのソロアルバムと曲を発表し、高い評価を得た。

https://youtu.be/TngViNw2pOo

 エリック・クラプトンが、親友ジョージ・ハリスンの妻パティに恋をしてしまい、その苦しい胸の内をさらけ出したのが「いとしのレイラ」
 もともとは、インド文化に傾倒して、自分を省みてくれなくなったジョージに嫉妬させようと、パティの方からエリックに近づいていったようだ。最初はいろいろと相談にのっていたエリックだが、そのうち自分が本気で親友の妻であるパティに恋をしてしまった……
 この一件でジョージとエリックは仲違いしたかというと、そうでもなさそうだ。ドラッグに溺れるエリックを再生させようと、ジョージはこの後もいろいろ力を貸し、エリックが息子を失って落ち込んでいた時には、自分のツアー・バンドの一員に加え、立ち直るきっかけを作ってやっている。
 もしかして、その時にはすでにジョージは、パティに対する関心をすっかり失っていたのかもしれない。またはインドの文化・宗教に妻以上の価値を見出していたのかも。だからジョージは、パティが誰と付き合おうが全く意に介さなかったのだろうか? あるいは、エリックとジョージの絆はそんなことでは揺るがないほど固いものだったのか?
https://blog.goo.ne.jp/mh0914/e/1c128ac1cad1d9c99024d0fc5a69d8e9

 18才の頃ロンドンでスカウトされたパティは、いくつかの雑誌でモデルとして働いた。
 1964年3月2日、彼女は映画「A Hard Day's Night(ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!)」の女子学生役としてロケに参加した。
 この時、ジョージ・ハリスンがパティに一目惚れをし、デートを申し込む。
 当時彼女は別の写真家と婚約寸前であったが、数日後に別れてジョージと交際を開始し、翌年のクリスマスに婚約をする。
 この婚約でパティの知名度は爆発的に上がり、彼女は一気にトップモデルの仲間入りをする。
 1973年、パティはロニー・ウッド(フェイセズ、のちにローリング・ストーンズに加入)と浮気をし、ハリスンとの関係は徐々に悪化。1977年に離婚が成立する。
 ジョージ・ハリスンがパティと結婚していた時、彼女に想いを寄せていたミュージシャンは他に3人いた。
 ビートルズのバンドメンバー、ジョン・レノン。ローリング・ストーンズのミック・ジャガー。そしてハリスンの親友でもあったエリック・クラプトン。
 クラプトンは、富、名声、そしてパティまでものにしていた親友のジョージに強い嫉妬心を抱いていた。
 1970年、パティについて歌った「愛しのレイラ」を発表し、クラプトンは彼女に気持ちを伝えるが、フラれてしまう。
 それから数年間に渡りパティを追い続け、ついにパティが折れる形で、ハリスンとの離婚が成立。パティはクラプトンと結婚した。
 この出来事があったあとも、クラプトンとハリスンの友情は壊れることはなかった。
 ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンはそれぞれ、パティへの想いを歌った曲を複数書いている。
ビートルズの「Something」、「I Need You」、「If I Needed Someone」、「Love You To」、「For You Blue」。
 クラプトンは「愛しのレイラ」、「Wonderful Tonight」。
 クラプトンのアルコールが原因で2人は1989年に離婚。現在パティは資産家のロッド・ウェストンと結婚し、写真家として活動している。
https://mottie024.hatenablog.com/entry/2019/05/31/%E3%80%8C%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%80%81%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%86%E5%A5%B3%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3

 やがて、クラプトンは、ジミ・ヘンドリックスの死などで精神を病み、ドラッグに溺れ暫く音楽活動から遠ざかる……

 1976年8月5日、クラプトンはバーミンガムでのコンサート中に移民増加への反対を発言した。この発言はその後騒ぎと長引く論争を引き起こした。
 ステージ上で目に見えて酔っ払っていたクラプトンは、物議を醸している右翼のイギリスの政治家、イーノック・パウエルを強く支持し厳しい批判を受けた。


 息子コナーが1991年に事故死した後、クラプトンは悲しみを歌い上げた「ティアーズ・イン・ヘヴン」を発表した。

https://youtu.be/nK04aXxKXcc

(イタリア人女優のロリー・デル・サントさんとの交際時の1986年、子供が生まれてたことが発覚している。ロリー・デル・サントさんは婚約寸前まで至ったものの、結局は破局となった。
 息子の名前はコナー・クラプトンさんと言い、エリッククラプトンにとっては初となる男の子だった)
https://celeby-media.net/I0002064

 クラプトンはグラミー賞を18回受賞し、ブリット・アワード功労賞も受賞している。
 2004年には音楽への貢献で、バッキンガム宮殿で大英帝国勲章を授与された。また、彼はソロアーティスト、ヤードバーズ、クリームと3度ロックの殿堂入りした唯一のアーティストである。
 クラプトンはソロアーティストとして世界中で2億8000万枚以上のレコードを売り上げ、史上最も売れたミュージシャンの1人となった。
 かつてアルコール中毒依存症及び麻薬中毒の治療を受けたクラプトンは1998年、薬物乱用者の治療を目的とする医療施設、クロスロード・センターをアンティグア島に設立した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エリック・クラプトン

 ロック・ポップ・ミュージシャンの死亡年齢は、普通人の平均死亡年齢より【25歳】若い、ということが判明。
 ロック・ミュージシャンが【自殺】する確率は、普通人の【7倍】で、
【他殺】で死亡する確率も、普通人の【8倍】。
若死にしたロック・ミュージシャンの【91%が”男性”】であり、
 若死にした死因の多くは【ドラッグの過剰摂取などを含む各種事故】、【自殺】、【他殺】などだった、という。
「ロック・ポップ界は、特に”鬱病”や”各種ストレス”を抱える若者たちにとっては非常に危険な場所です。
 ロック界そのものが昔からドラッグや乱交等の”破滅的行為”や、”若死の美学”を崇拝する風潮があるので、
 もともと鬱病の傾向がある若者や自殺願望を持つ若者たちほどそういう世界に惹かれ、入っていくからです。
 そんなロック界で”似たもの同士”が集うことによって、個々が本来持っていた自殺願望や、鬱病の傾向、薬物過剰摂取の強い欲求などがますます増幅される、というのも大きな理由になっています」
 ロック・スターが死ぬと作品の売り上げが急増したりする現状などについても改めて考えさせられてしまった。
https://rockinon.com/blog/kojima/165208

42 3大ギタリスト ジミー・ペイジ

 ジェームズ・パトリック・ペイジ (1944年1月9日- )は、イギリスのロックギタリト、作曲家、プロデューサー。
 ハードロックの代表格であり、ビジネス的にも大成功したレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー、プロデューサーだった。
 ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第9位、2011年は第3位。

 レッド・ツェッペリンは、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。
 ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。
 結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。
 ペイジは曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり、実験的な曲も増加した。活動の後半に行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、自堕落な乱痴気騒ぎの悪評も得た。彼らは商業的に成功し、多くの批判も受けたが、1980年のボーナムの死後にグループは解散した。

「胸いっぱいの愛を」(Whole Lotta Love)は、レッド・ツェッペリンの1969年の楽曲。アメリカ合衆国とドイツ(地元チャートで首位)、オランダ(地元チャートで最高4位)、 ベルギー、フランス、日本でシングル・カットされ、特にアメリカでは最初のヒット・シングルとなり(最高4位)、セールスは100万枚を突破した。

https://youtu.be/fIQMktyP90s

「胸いっぱいの愛を」の歌詞の一部は、1962年のウィリー・ディクスン作「You Need Love」から採られている。さらにプラントのフレージングは、スモール・フェイセスの「You Need Loving 」におけるスティーヴ・マリオットの歌い方によく似ている。ディクスン作の「You Need Love」との類似に関しては、1985年にディクスン側から訴訟が起こされ、最終的にディクスンに有利な形で法廷外での和解が成立した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%82%92

 ジミー・ペイジは決して指が速く動くといったようなソロイストというタイプではなく、そのスケール感ある楽曲を形にする作曲能力や、印象的なリフ作りの名人というような個性で勝負してきたギタリストだ。英国3大ギタリストと呼ばれる3人を並べ、いわゆるテクニック的な面だけで彼らを比べてしまうとなると、正直なところペイジが最も分が悪いことは確かだ。ただロック・バンドという形態の中で自身の個性を活かしながら最も光り輝いたのが、ほかならぬジミー・ペイジであったことはもっと強調されてもよいだろう。レッド・ツェッペリンの作品には多くの印象的なギター・リフが残っている。
https://www.hmv.co.jp/artist_Jimmy-Page_000000000007677/biography/

「カシミール」は、ジョン・ボーナム、ジミー・ペイジ及びロバート・プラントによって作詞作曲され、1975年に発表された。
 プラントがこの歌詞を構想したのはサハラ砂漠をドライブしていたときであり、現実のカシミール地方がイメージの源泉になったわけではない。歌詞の中に(おそらくは後付け的に)「Kashmir」という単語が現れる。

https://youtu.be/hW_WLxseq0o

 ロックアーティストよりもむしろクラシック音楽やクラシカル・クロスオーバーのアーティストに好んでカバーされており、構成の巧みさやメロディーの流麗さといった芸術性の高さがジャンルを超えた評価を受けていると考えられる。
 プラントは、「カシミール」を "The Pride of Led Zeppelin" (レッド・ツェッペリンの誇り)と呼んでいる。派手なギター・ソロやアクロバティックなヴォーカルではなく、アンサンブルの妙によって傑出した独自性を実現したこの曲こそ、レッド・ツェッペリンの最も重要な作品だと評価できる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E6%9B%B2)

 指揮者の帝王カラヤンがクラシック以外で認めた曲は、ひとつは日本国歌「君が代」。もう1曲が、ロックの金字塔、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」だ。カラヤンは、「私がオーケストラで演奏するとしても、これ以上のアレンジはない名曲だ」と称えた。

https://youtu.be/CBk-iRihSUg

 レッド・ツェッペリンに関する書籍や記事には必ずセックス、ドラッグ、破壊行為、酒、煙草のことが書いてある。ジミー・ペイジはコカイン所持で2回逮捕されている。
 しかしそれは事実として、音楽に対しては純粋であり真剣だった。ジミーの言葉でいえば「全身全霊を傾けていた」のである。
 酒を飲み麻薬をやり乱交パーティーをやったとしても、そこにジミーの本質はなかったのだ。彼は音楽をものすごく大切にしていた。いつも音楽への情熱がすべてのことの上にあった。だから最終的に、麻薬で死なずに済んだのではないかと思う。
 それにしても麻薬は相当きつかったみたいで、抜け出すのはたいへんだったようだ。抜けたと思ったら首の太いオヤジになってしまって、それはそれで困ったことだった。しかしとりあえず、現在のペイジはとてもいい感じの白髪の紳士で、とうとうクスリも酒も煙草も断って健康そうである。
 この美しい歳のとりかたを見ると、とうていジミーがそんなにクスリ漬けで自分を見失うほどだったとは思えないのである。いや、自分を見失った時もあっただろうけど、音楽にそれが出てしまっているとは思わない。
https://bluebonnet323.hatenadiary.org/entry/20121129/1354194445

 ドラマー、ジョン・ボーナムはドラムも生き方も頭で考えずに気ままにワイルドに、という哲学を持っていた。レッド・ツェッペリンで1970年代を通して大きな成功を手にした彼はパーティ三昧で、存在するほぼすべての違法薬物を使いつくしたが、それがもたらす恐ろしい結果にも向き合わなければならなかった。運命は1980年9月25日にやってきた。ツェッペリンがアメリカ・ツアーに向けて準備をしていた頃であったが、彼は24時間の間に40杯ほどのウォッカのショットを飲んだのだ。彼は翌朝、ベッドで死体となって発見された。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/31059/

43 3大ギタリスト ジェフ・ベック死す

 2023年1月10日、ジェフ・ベック78歳で死去。
 残念です。

 ジェフ・ベック(1944年6月24日 - 2023年1月10日)は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。
 日本では、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人とされている。『ローリング・ストーン』誌の選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第14位、2011年の改訂版では第5位。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジェフ・ベック

 ロッド・スチュワートと共演しているのを観て、とてもさわやかな青年に見えたんですが。

 かのエアロスミスがビッグになり、ライブでベック時代のヤードバーズの曲「トレン・ケプト・ア・ローリン」を演奏したとき、ベックが急遽ゲストでステージに上がるや、ジョー・ペリーは感動で涙を流しながらその場に立ちつくした。

トレン・ケプト・ア・ローリン
https://youtu.be/98XL03W9CN4

 エアロスミスは『アルマゲドン』のテーマ曲しか知りません。

 ジェフ・ベックは、エリック・クラプトンと共に天才ギタリストとして60年代半ばから活躍しながら、性格やギターに対する姿勢はまったく違っていた。"神様"と呼ばれながらも、常にフレンドリーで誰よりも人間的であったクラプトンに対し、ベックは性格も利己主義で自分勝手、非情だとまで言われ、どこか近寄りがたい存在であった。ギター奏法においても、かなり独創的でトリッキーなことから、後継者になるようなプレイヤーも現れず、いつしか「孤高のギタリスト」と呼ばれるようになっていた。

 初めてジェフ・ベックを観たのは、映画『欲望』(1966年)
 ミケランジェロ・アントニオーニの描くスウィンギン・ロンドン。主役を演じるデヴィッド・ヘミングスが立ち寄ったモッズ・クラブでは、ジミー・ペイジとジェフ・ベックの両ギタリストが在籍するザ・ヤードバーズが演奏している。

映画『欲望』から
https://youtu.be/R18qCKNLQdM

 ジャズを目当てにクラブへ集まった客は、ステージをまるでロボットのように無表情に眺めている。バンドが演奏する「ストロール・オン」はレッド・ツェッペリンの原型とも言えるハードな曲で、「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を露骨に思い起こさせる。ガムを噛みながら演奏していたジェフ・ベックが調子の悪い機材に怒ってギターを叩きつけたのをきっかけに、観客たちの間で暴動が起きる。現代の疎外感に対する批判なのだろうか? 
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34405/4/1/1

 ジェフ・ベックがギタリスト達の間で未だにカリスマ的な人気を保っているのは、他の追随を許さないテクニックとセンス、並々ならぬギターへの情熱。
 ジミヘンが派手にプレイして有名になったフィード・バック奏法や大胆なアーミング・アプローチ(ギターに付いているトレモロ・アームという音程を変える装置を使ったプレイ)、ピック・ポルタメント(弦の上をピックでギィーっと滑らせる奏法)も、すべてベックの奏法を取り入れたものだ。
 67年には、ソロとしてベック自ら歌も唄っているシングル「ハイ・ホー・シルヴァー・ランニング」を発表。これが全英14位の大ヒットとなり、続けて「タリー・マン」「恋は水色」のシングルもスマッシュ・ヒットさせた。

ハイ・ホー・シルヴァー・ランニング
https://youtu.be/P3A8KfavKjk

「自分のアルバムで歌うのは好きじゃないんだ。俺はギターを自分のヴォーカルの代用品にしている。それが俺をいい状態に置いてるし、ためになっている」
「2010年初め、エリックとツアーしてたとき“歌ってみれば? また歌い始めたら、いいんじゃない”って言われた。でも、ちょっと遅すぎるって思ったよ。ヴォーカルをトレーニングしてきたわけじゃないし、自信がないよ。バンドが強く投げつけてきたら、うまく返せないと思う」
 しかしながら、相応しいトラックがあれば考えてみてもいいという。
「もし誰かが俺の声にピッタリの曲を作ったら、考えるかもしれないな」
https://www.barks.jp/news/?id=1000060587

 68年になると、ソロ時代のバック・メンバーを中心に、ジェフ・ベック・グループを結成。そのメンバーの中には、ロッド・スチュワート(vo)、ロン・ウッド(b)、エインズレー・ダンバー(ds)、ニッキー・ホプキンス(key)らがいた。
 このバンドはベックのわがまま(音楽的なもの)で、メンバーをコロコロ代えつつ2枚のアルバムを残し、69年のウッドストック・フェスティバル出演間際に突然解散した。

 75年、付いて来るメンバーがいなくなったのか、はたまた付いて来られるメンバーが見つからなかったのか、ベックはついにソロとなり、全面インストゥルメンタル(=インスト。唄なし)のアルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」をリリースした。今ではロック・ギタリストのインスト・アルバムなど珍しくもないが、当時はまだ前例があまり無く、かなり衝撃的なものだった。内容的にも、ジャズ寄りのミュージシャンを従え、ロックとジャズの融合を図った斬新なものだった。

 このベック初のソロ・アルバムは全米4位の大ヒットを記録。インストのアルバムがこれほどのセールスを記録するのはたいへん珍しい。この大ヒットで、それまで3大ギタリストの中では、一番地味な存在であったベックも、一挙にクラプトンやジミー・ペイジと肩を並べるほどの存在となった。
 また、このアルバムの成功は、ロック界のみならずジャズ界へもかなりの影響を及ぼし、あっという間にクロスオーヴァー・サウンドは一大ムーブメントを巻き起こす。そして、ついには「フュージョン」という1ジャンルとして独立してゆくまでに発展する。

 90年代に入ると、セッション・ワークを主体に活動し、ジョン・ボンジョヴィ、ケイト・ブッシュ、ポール・ロジャース、ロジャー・ウォータース等のアルバムへ参加したり、93年にはビッグ・ダウン・プレイボーイズとのコラボレーションでジーン・ヴィンセント&ザ・ブルー・キャップスのギタリストに捧げられた異色作「クレイジー・レッグス」を発表したりした。

ジェフ・ベックに指示をしてしまい、ヤバイと気づくボン・ジョヴィ
https://youtu.be/eQAu4bWYLhU

 世界が認める伝説のギタリスト、ジェフ・ベックと、ハリウッド・ヴァンパイアーズのシンガー/ギタリストとしても活躍する俳優のジョニー・デップがタッグを組んだ ”ジェフ・ベック・アンド・ジョニー・デップ” 名義によるスタジオアルバム『18』

「この男と出会って以来ずっと笑いっぱなしだよ」(ジェフ・ベック)
「彼は俺のギターヒーローの一人であり、親愛なる友人の一人でもある」(ジョニー・デップ)
と交歓し合う両者の付き合いは5年以上にも及ぶ。
https://www.hmv.co.jp/news/article/220609147/

https://youtu.be/MA_trAwSP00

「孤独」(Isolation) は、ジョン・レノンの楽曲。1970年発表のアルバム『ジョンの魂』に収録されている。
 この時期のレノンは、ビートルズの解散問題、妻オノ・ヨーコと共に直面していた攻撃、そして薬物の大量使用によってもたらされた深刻な不安と自信喪失によって、活動に幻滅を感じつつあったという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/孤独_(ジョン・レノンの曲)

 2001年、ニュー・アルバム「ユー・ハッド・イット・カミング」が発表された。
 また新しい奏法を模索し、トリッキーで多彩なプレイを連発している。驚くことにベックはこのアルバムで、Fenderストラトキャスター・モデルのギターとMarshallのギター・アンプ以外一切使用していないということだ。
 また女性ギタリスト、ジェニファー・バドゥン(元マイケル・ジャクソンのツアー・メンバー)や、女性ヴォーカル、アイモゲン・ヒープの起用は、今のロック界は女性がリードしているという、ベックの鋭いアンテナがとらえたロック界の現状なのだろう。このアルバムに収録されている「ダーティー・マインド」という曲は、2002年のグラミー賞でBest Rock Instrumental Performanceを受賞した。
https://rock.princess.cc/rock-2/jeff.html

 私生活はあまり載っていません。

*もともとはピアノを習っていた。
*少年時代はロカビリーに夢中だった。
*ジミー・ペイジとは古い仲だが、彼を引き合わせたのはジェフのお姉さん。
*子供はいないはず。
*菜食主義者である。
*ミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンスのメンバーに誘われたことがある。
*ドラッグには手を出していない様子。アルコールや女性関係などの、スキャンダルらしいスキャンダルもない。
*改造車(ホッドロッド)が好き。車いじりが好き。
*古城に住んでいる。
*その古城でCharとセッションしたことがある。Charがそろそろ帰るといったら、もっとプレイしたいと拗ねたらしい。
*2000年暮れの来日時、久米宏がジェフにインタビューしたことがある。でもジェフのファンの間では不評(You Tubeで見られます)。
*アコースティックやガットギターの腕前はない。歌唱力もなく、作詞・作曲の才能もない。つまり、エレキ・ギター『しか』弾けない(これは最大級の褒め言葉ですのであしからず)。
*商売道具であるギターの扱いは雑。ある年の名古屋公演ではプレイが終わった後、近くにいたスタッフにギターを放り投げて渡していた。
*好きなギタリストはジミ・ヘンドリクスやジョン・マクラフリンなどなど。
*イギリス人だがサッカーには興味がないらしい。
*『欲望』『ツインズ』ではギタリストとして映画出演しているが、『法王さまご用心』では、ロケの見学に行った時に郵便夫役で出演する事になった。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1090910735?__ysp=44K444Kn44OV44OZ44OD44Kv56eB55Sf5rS7

44 ヴァンゲリスだった

 連れ合いが『ゴルフに行く時に聴く曲だ』と車の中で何曲かかけていた。
 ふーん、と思いながら調べてみた。

 ゴルフファンならば誰でも知っている名曲『マスターズテーマソング』はデイヴ・ロギンスというカントリー・ミュージシャンが歌っている。
 これを聴くと、春が来た、と感じるらしい。

マスターズテーマソング
https://youtu.be/6MMK_pyr7Ww

 マスターズ・トーナメント(英語: Masters Tournament)は、アメリカ合衆国ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを会場に開かれている、ゴルフのメジャー選手権のひとつ。
 他のメジャーは毎回開催コースが異なるが、マスターズは毎年同じオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催される。
 このコースはとりわけグリーンの難度が高く、別名「ガラスのグリーン」とも呼ばれるほどアプローチショットやパットでのボールコントロールが難しく、それゆえに「オーガスタのグリーンには“魔女”が棲む」とよく言われる。
 更にINのコース南側の角にある11番・12番・13番の3つのホールはスポーツライターのハーバート・ウォーレン・ウィンドがジャズの曲「Shoutin' in that Amen Corner」から命名した《アーメンコーナー》の別名で恐れられている。
 2021年には、松山英樹が10回目の出場を果たした末に、アジア出身選手として初めて優勝した。

✳︎

 全英オープンテーマ曲は、ヴァンゲリス(Vangelis )のヴォイシズ(Voices)
 これを聴くと夏が来た、と感じる。
https://youtu.be/tno7DOyYsyg

 映画『1492 コロンブス』『ブレードランナー』の音楽で大成功を収めた直後にリリースされ、スティーナやキャロライン・ラヴェル、ポール・ヤングらをゲスト・ヴォーカルに迎えて美の極致といえる音空間を紡ぎ出した傑作。(1995年作品)

 ヴァンゲリス(1943年3月29日 - 2022年5月17日)は、ギリシャの音楽家(シンセサイザー奏者・作曲家)である。

 調べて感激。ずっと昔に聴いた『アルファ』が。40年も前にラジオの渋谷陽一さんの番組を録音してい引っかかった曲。
https://youtu.be/_Uux7at6gUY

 しつこいけどずっと聴いていたい。

『反射率0.39』(Albedo 0.39)は、ヴァンゲリスのアルバム。
 題名は地球を意味している。「反射率」とは、任意の非発光物体が光を投射された時にその光をどの程度反射するか、という割合で、完全に反射する物体(鏡)を1.00と設定すると、アルバムが制作された1976年当時の地球は0.39となる。
 この題名及び個々の楽曲のタイトルも全て天文学や天体物理学に関連したものになっている。
 発売当初のLP及び1990年にCD化された時、アルバムのオビでは「ロック」に分類されていたが、一般的にはシンセサイザー使用の割合などから「プログレッシブ・ロック」或いは「シンセサイザー音楽」として分類される事が多かった。
 6曲目の「アルファ」は、1980年のテレビ番組『コスモス(宇宙)』で使用され、ヴァンゲリスのベスト盤等にも複数回にわたって収録されている。

「南極物語」のオリジナル・サウンドトラックは、ヴァンゲリスが初めて日本映画の音楽を手がけた作品。
https://youtu.be/l1CN2nQnXeM

南極物語 劇場予告編
https://youtu.be/0CGFF6AJcfI

 映画『炎のランナー』のオリジナル・サウンドトラックは第54回アカデミー賞作曲賞を獲得。その直後、米ビルボードアルバムチャートで4月17日から5月8日まで4週連続1位となった。また、映画のオープニングである1曲目の「タイトルズ」は「Chariots of Fire」という題名でシングルカットされ、5月8日付けのシングルチャートで1位を獲得した。
https://youtu.be/u-KU2_HVBf8


『1492 コロンブス』(1492: Conquest of Paradise)は、1992年公開の映画作品。クリストファー・コロンブスの生涯を描いた作品。コロンブスのアメリカ大陸到達500周年を記念して制作された。
https://youtu.be/WYeDsa4Tw0c

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 1974年にリック・ウェイクマン(キーボード)の後任としてロックバンドのイエスへ加入を打診されたが、創作活動が制限されることを懸念し、ほかに当時のイギリス音楽業界組合は外国人を厳しく排除する方針であったことから、加入を断る。この時からジョン・アンダーソン (Jon Anderson) と交遊が始まり、以後は相互のアルバムにゲスト参加するなど交流して1979年以降はジョン・アンド・ヴァンゲリス名義でアルバムを共同で制作して発売している。

 2022年5月17日に、新型コロナウイルス感染症の治療を受けていたフランスの病院で他界する。享年79歳であった。


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『ゴルフはつらいよ』
https://youtu.be/Os2qcxUl6F0

 タイトルを見るとフーテンの寅さんが出てきそうですが、出てくるのは一時期お笑い番組にも顔を出していた芋洗坂係長です。「朝日のあたる家」風のイントロに始まりどこかABBAのナンバーに似たメロディーに乗せて歌うのはゴルフ初心者の人にありがちな話。ゴルフをやっている人には思い当たる所が多々あるのではないかと思います。
https://delightful-song.hatenablog.jp/entry/2020/03/11/

『朝日のあたる家』は大好きな曲です。
https://youtu.be/RsABMDuV5BM

 あとのメロディはアニマルズの『悲しき願い』?
『悲しき願い』は尾藤功男(びとういさお)がカバーしている。
https://youtu.be/KrGxekrkAZQ

 
 尾藤 イサオ(1943年11月22日 - )は、歌手・俳優・声優。本名:尾藤 功男。
 ジャンル ロカビリー・ポピュラー音楽
 1964年3月「ミュージック・ライフ・人気投票」では18位になる。7月、アニマルズのカヴァー『悲しき願い』(原題 Don't Let Me Be Misunderstood)発売。大ヒットとなり、彼の代表作となる。
 1970年、テレビアニメ『あしたのジョー』の主題歌を歌い、これも彼の代表作となる。
 クレジットされていないが映画「犬神家の一族」(1976年・東宝)の青沼静馬は尾藤イサオだとする説が当時からある。
「赤鬼と青鬼のタンゴ」は、NHKの歌番組『みんなのうた』で放送された楽曲。

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 吉幾三の『これが本当のゴルフだ』もおもしろい。
https://youtu.be/8e0ChL1N9dY

45 モーツァルトの短調2

 モーツァルト ピアノソナタ16番は、モーツァルトが自作の作品目録に1788年6月26日の日付とともに「初心者のための小さなソナタ」と記しており、ソナタアルバムやソナチネアルバムにも収められていることから、ピアノ学習者にはおなじみの曲となっている。
https://youtu.be/UJdlnqDiRnE

上の曲を短調にするとこうなるそうです。
こっちのほうが好き。
https://youtu.be/UzJtqvXU5YM

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 ピアノソナタ第14番 ハ短調 K. 457 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したピアノソナタである。
 モーツァルトが作曲した短調のピアノソナタは『第9番(旧第8番)イ短調 K. 310 (300d)』とこの作品のみである。モーツァルトのピアノソナタの中で最も激しく劇的な展開を見せており、後に音楽家となる初期のベートーヴェンに強い影響を与えたと言われる。
 この曲と幻想曲の自筆譜は長く行方不明となっていたが、1990年7月にアメリカ合衆国のフィラデルフィアで発見され、同年11月21日にサザビーズで競売にかけられて落札者により88万ポンドで落札された。この自筆譜ではテンポおよび曲の細部に出版譜とは異なる部分がある。(Wikipedia)

幻想曲ハ短調
https://youtu.be/5N35Gle1eZs
ピアノソナタ14番
https://youtu.be/KciqzxYpOds

 実はソナタ14番ではなく、イングリット・ヘブラーの9番を聴いて、初めてモーツァルトの良さがわかった……

 ピアノソナタ9番 イ短調K.310
 旧モーツァルト全集では第8番、新モーツァルト全集では第9番とされる。
 悲劇的で無窮動な刻みが続くなか、右手が高らかと歌い上げます。この曲は悲しみや絶望の感情というよりかは、どちらかというと強烈な不安を煽る悪魔的な力を持った曲です。
 このように、陰と陽の感情の両極端を持ち合わせていたモーツァルト。この、人間性の複雑さに、もしかするとモーツァルトが愛される秘密が隠されているのかもしれません。
https://tsubaki-musicschool.com/blog/newblog/16594/

 アニメ『ピアノの森』でコンクールで演奏する場面があります。

ピアノソナタ9番
https://youtu.be/upIcXtVKI0A

 海の友人であり、父親もピアニストで幼い頃から英才教育を受けていた秀才、雨宮 修平のピアノを担当するのが髙木 竜馬。
 自身もピアニストの母親を持ち、音楽が溢れる家庭で幼少の頃からピアノの道を志していた。
 アニメでの修平は、ピアノ以外には脇目も振らず生きてきた故の頑なさや、神経質な面に焦点を当てられて描かれていますが、髙木さんはサッカーでゴールキーパーをやりながらレッスンに通い、普通高校で音楽と関わっていない友人達と交流を深めることで、見聞を広めながら大らかにピアノに取り組まれていたようです。
 1992年生まれで2歳からピアノを始め、7歳から故エレーナ・アシュケナージに師事し、16歳から故中村紘子、ミヒャエル・クリスト各氏に師事し、錚々たる名ピアニストのもと、才能を開花させていきます。
 その後、ウィーン国立音楽大学のコンサートピアノ科に首席合格を果たし、現在は同大大学院課程に在籍しています。
 また、浜松国際ピアノアカデミーコンクールやチャイコフスキー国際コンクール、グリーグ国際ピアノコンクールなど数々の国際コンクールで優勝を果たしている実力派です。
 修平のピアノは、「透明でキラキラした音のカケラ」と海に表現されていますが、その表現通りの繊細で滑らかな演奏を作中披露してくれました。
https://edyclassic.com/4050

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 モーツァルトが作曲した626曲のうち、短調はたった19曲しかありません。モーツァルトはとてつもなく底抜けに明るい人だったのでしょうか? でないと、長調と短調の割合がこんな風にはなりませんから。
 では、モーツァルトが作曲した短調の曲はどうだったのでしょうか。明るすぎる人が書く短調の曲は、本当に良い曲なのでしょうか。実はモーツァルトの曲の中でも、短調の曲ほど絶品な曲が多いのです!!
 まず、なんといっても「レクイエム」。鎮魂歌とも訳されます。これはモーツァルトが死ぬ間際に書いた曲です。悲しいを通り越して鳥肌が立つほど怖い。オーケストラと合唱の編成で書かれた曲で、ミサ曲の構成に倣って書かれています。

 レクイエム ニ短調K. 626は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年 - 1791年)が作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)である。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。

 モーツァルトの死後、未亡人コンスタンツェと再婚したゲオルク・ニコラウス・ニッセンの著したモーツァルト伝などにより、彼は死の世界からの使者の依頼で自らのためにレクイエムを作曲していたのだ、という伝説が流布した。
 当時、依頼者が公になっていなかったことに加え、ロレンツォ・ダ・ポンテに宛てたとされる有名な書簡において、彼が死をいかに身近に感じているかを語り、灰色の服を着た使者に催促されて自分自身のためにレクイエムを作曲していると書いているのである。
 いかにも夭折した天才にふさわしいエピソードとして長らく語られてきたが、1964年になってこの匿名の依頼者がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープ という人物であることが明らかになった。ヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家であり、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた。
 彼が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させたというのが真相だった。したがって、何ら神秘的な出来事が起こったわけではない。

 ただ、モーツァルトが自身が死へと向かう病床にあってなおレクイエムの作曲をしていたのは事実である。コンスタンツェの妹ゾフィーは、モーツァルトが最後までベッドでジュースマイヤーにレクイエムについての作曲指示をし、臨終はまだ口でレクイエムのティンパニの音をあらわそうとするかのようだったと姉アロイジアとニッセン夫妻に宛てた手紙の中で述べている。

映画アマデウスより レクイエム
https://youtu.be/oKUAQ1k5bs8

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 交響曲第40番(第一楽章)
 この甘くせつない魅惑の旋律は、誰も文句のつけようのない永遠の名作……
 サヴァリッシュさん、速いです。いろいろ聴いてみたけどダントツ速くて違和感が。コメントによると、若い頃のカラヤンより速いとか。
https://youtu.be/hEX5G6mQhgU

お気に入りの音楽 41〜45

お気に入りの音楽 41〜45

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-05

Copyrighted
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  1. 41 3大ギタリスト エリック・クラプトン
  2. 42 3大ギタリスト ジミー・ペイジ
  3. 43 3大ギタリスト ジェフ・ベック死す
  4. 44 ヴァンゲリスだった
  5. 45 モーツァルトの短調2