あれやこれや 51〜60

あれやこれや 51〜60

51 海

 昨日は孫たちが来たので疲れていた。嬉しいが疲れる。内心では、早く帰れば……と思ってしまう。おじいちゃんはいい。嬉しくて、酒を飲んで、すぐに気持ちよく寝てしまうから。

 いつもは夜中に何度も目が覚め携帯を見るのだが、最初の目覚めが4時半だった。久々の熟睡だが、リビングのテレビはすでについていた。
「津波だよ。日本全国津波が来る」

 なに言ってんの? 
 そう言えばトンガの噴火がどうのって……
 それからが大変だった。息子の住んでいる地域は避難警報が出ている。家は海辺の古い一軒家。4ヶ月前、3週間滞在してきた。道路を渡り階段を降りれば海岸だ。岸壁は何メートル? おまけに息子は船に乗っている。通常ならもうすぐ船は出る。
 すぐにメールした。すぐに返ってきた。
「たいしたことないから通常通りだよ。津波自体は沖にいる方が安心」
 あんたじゃないの。お嫁さんと、ふたりの子供、7歳と、まだ4ヶ月の赤ちゃん。お嫁さんにメールをすると、
「今のところ避難してないです。いつでも出られる準備はしています。船は出たみたいです。夜中警報が凄くて眠れず眠いんですが、今後の事考えるとおちおち眠れないし、色々不安です」

 本来ならば、お宮参りとお食い初めのお祝いで、私たちも昨日行っているはずだった。コロナが急激に増えたので親子だけでやることになったのだ。行って泊まっていたら……
 避難場所が孫の通っている小学校なので少し安心した。しかし、船が出るなんて……釣り船である。釣り人は船が出ると思って行ったのだろうか? 東日本大震災の時は、ずっと港に帰れなかったという。燃料がなくなったらどうなるのだ?

 次女の旦那さんも、海に行くはずだった。こちらはサーフィンだ。これも、子供が生まれてからは喧嘩の原因。仕事がキツくとも休みの日には海に行きたい。海のそばに住みたいくらいだ。
 車に乗り、テレビをかけ津波のニュースを知った。こちらは行くのをやめたが。

 生きている間に、まだまだいろいろなことがありそうだ。災害、事件、事故、感染症。
 施設から連絡があった。2階で9人が陽性だと。職員4名と入居者5名。これで止まってくれればいいが。

『プライベートのお時間のことは強制できませんが、感染力が強い状況にあります。どうか、適切なご判断をして行動されることを願っています』

52 上から見ないで

 ブティックで働いていた頃、美しい背の高いスタッフが、かがんだ時に叫んだ。
「上から見ないで」
白髪ではない。カラーが落ちている部分を見られたくないのだ。カラーは3週間に1度。
 20年以上経つがどうしているだろうか? 美しい髪は健在か? 

 姉は比較的早い時期から白髪が出て気にして染めていた。3週に1度。私はひと月に1度だが、気にする人は3週で染めるようだ。姉は独身の時から美容には手間と金をかけていた。顔のマッサージは毎日。旅行でも欠かさない。馴染みの化粧品屋へは月に1度。マッサージをしてもらう。美容にかけた金は私とは比べ物にならない。トリートメントにシャンプーも高価なもの。美容院も頻繁に。
 なのに、オシャレなのに可哀想なくらい髪は薄くなっていた。ある日、デパートについて行った。ウィッグの販売。大勢来ていた。女性用なのに夫婦で来ている方もいた。旦那様が気にするのか? 奥様にはきれいでいてほしい、と。

 担当の店員さんは綾小路きみまろさんのように話がお上手だった。あれやと思う間に、頭の大きさに器具があてがわれ、合わされお買い上げ……ン十万円也。でも、さすがに素敵だった。アフターケアも素晴らしい。毎月提携美容院で丁寧に地毛もトリートメントしてくれる。旅行の多い姉は上手に使いこなしていた。

 実は、私も勤めていたブティックで販売した時、価格は姉が買ったものほど高くはなかったが、売れなければ、ひとりひとつよ……と言われ購入していた。スタッフ全員が買わさ……購入した。それが当たり前の世界だった。コートや靴や、バッグならまだしも、娘の成人式の着物や、はたまた、イベントの高級ワインには付き合いましたが……ウィッグは……いらなかった。ましてや、夫には内緒。置く場所にも苦労する。
 クレジットを組んで買った未使用のウィッグは、必要な方に譲ってしまった。

 施設の高齢者は、ほとんどの方は染めていないが、なかにはいらっしゃる。90歳過ぎても黒々と染めている方が。カラーで痛め続けるからぺたんこだ。もう、自然に任せたほうがいいのに。
 染めなくなると髪は元気になる。姉もグレイ・ヘアにしてからはボリュームが出てきて驚いた。

 さて、問題は自分だ。幼い頃からずっと横分けにしていた。ひと月たつと白髪の道ができる。分け目を変えても、逆向きにパーマをかけても、苦労してブローしても、時間が経てばくっきり分かれる。
 娘たちはどうなるのだろう? 若いうちから相当痛めつけた。自分で染めたり脱色したり、母より早い時期に悩むのではないのか?

 夫は黒い。羨ましい。体中悪いところだらけなのに。義父は禿げていたのに。髪だけは黒い。白髪はあるにはあるが。ストレスは髪には出なかったようだ。

53 体にガタがきた

 新年から調子が悪い。腰痛がようやく少し和らぎ、普通の痛みになってきた。くしゃみをしてもそれほど響かず、痛み止めを飲まなくても我慢できる。
 仕事は、入浴介助ははずしてくれた。その変わり足浴を。足浴の中腰が原因で腰痛になったのです、とは言えず……
 おまけに月1度の体重測定の日。それを任された。エレベーターで体重計を取りにいく。車椅子ごと乗せる大きなものだ。重い。車は付いているが、慣れない身には難しい。大きなエレベーターでなければ入らない。腰に負担がかからないようにゆっくり運ぶ。

 20人の体重を計る。台の前の10センチくらいのスロープを車椅子を持ち上げる。やったことがないので慣れるまで力が入る。そのあと車椅子だけを計る。腰を庇う身には大変だった。
 その日は別の階でコロナ感染者が9人も出ていたので慌ただしかった。末端まで情報はこない。ゾーニングとか、着替えもエレベーターも別だが。挨拶も声を出さず会釈だけとか。しかし、ユニットでは大声を出さねば聞こえない。
 救急搬送のアナウンスも流れた。事務所には電話も多かった。
 
 午後、ゴロゴロしていたら足が()った。よくある事だ。夜中明け方、日常茶飯事。これが、ゴロゴロの昼間は脛側が攣るのだ。わっ! 来た! 勘弁して……猛烈に痛い。力を入れても、抜いても痛い。それが長い。
 だから薬はもらってある。漢方薬の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)

 這ってでも取りに行かねばこの痛みは続く。這ってキッチンに行き水で流し込む。這って、ホットカーペットの上に戻る。
 すると、痛みはみるみる消えた。速攻……そんなバカな? 攣ったのは夢の中でか? 寝てたかどうかもわからない。
 調べたら、『飲むとすぐに効果が出る……』

 夜中、明け方、胃が痛くなることが多くなった。食べていないようで食べすぎているのだろう。もう、普通に(?)食べたら太るし、胃もたれが……
 起き出してキャベジンを飲むと、速攻治る。そんなバカな? 痛かったのは、夢だったのか? と思うことが何度も。

 飲めばすぐに治る。これは気持ちの問題か? 施設に入居している方に出す偽薬のように効く。頻繁に頭痛を訴えるので、ラムネを薬の袋に入れておき飲ませる。これが効くらしい。

 足も胃も、年齢が上がるにつれて発症の頻度が増してくる。

 歩きに行かなきゃ。ゴルフのレッスンもひと月も休んでいる。これはレッスン代はもったいないがまあいい。去年、出産の手伝いでひと月休んだら上達していた? コーチに、「他でやってた?」と聞かれるくらい癖が取れてうまく打てた。ラウンドも寒いから行かないし。
 早く通常のペースに戻りたい。普通であることがどんなにいいか。普通である状態が減っていく。
 やがて訪れるのだろうか? 膝が痛いとか、転んで骨折。そして車椅子……
 歩かなきゃ!

 入居者さんがいつも、本を見ている。童話だ。95歳になる。白内障で片目を失明した。メガネも合ってはいないだろう。習慣なのか本を読んでいる。
「なにか読むものない?」
が口癖だ。
 よほど読書家だったのだろうか?

 幸い、まだ本も携帯も読むのに不自由はないが。
 

54 男でも女でも

 氷川きよしさん、美しい。園芸の番組に出ていた。この間はランがテーマ。たくさんの華やかな洋ランに囲まれ、1番美しかったのは、彼……手入れされた肌、ブローされたセミロング、アイメイク。
 ランの植え替えもお上手。趣味はお菓子作り……時々おかしいことをおっしゃる。

『バニラ』がランの1種だとは私も知らなかった。バニラエッセンスとは長い付き合いだが、バニラビーンズがランの実だとは初めて知った。細長いバニラビーンズを見て、きゃらぶきに似ているとおっしゃった。ランの根は、ひっくり返して、
「ワラジの裏に似ている」

 1980年以降の歌はよく知らない。
 この方の歌もよくは知らないのだが、『白雲の城』を聞いた時には引き込まれた。難しい歌だろうに、引き込まれた。セリフも。

 城 黙して 語らず
 天 永遠(とこしえ)に 動かず
 人 人のみ 心揺れて……

 この方には、あくまで演歌の王道を歩んでほしい、男らしい道を歩んでほしい……
 と言われると自殺したくなっちゃうから辛くて……
 誰からも愛される歌手は目指さない……

 本来の姿は現在のジェンダーレスの姿なのに、約20年間ファンから求められる男らしい氷川きよしを演じてきた。ジェンダーレスとして、ありのままの自分をさらけ出して生きていくことを選んだ。
 氷川きよしさんは、ジムでトレーニングして6キロ減量するほど体型管理をしっかりとしている。細くなりたい! と発言し、さらに有言実行している姿は素晴らしい。

 息子夫婦が以前話していた。孫がそうだったら……理解してあげなきゃね、と。

55 介護は大変

 夜中の2時。隣室の声で起こされる。父親が認知症のせいか時間がわからないのだろう。娘が注意する。
「夜中なの。夜中の2時なの」
父親は耳が遠い。声はだんだん大きくなる。娘はしぶとい。適当なところでやめておけばいいのに引き下がらない。認知症の耳の遠い父親と同じ土俵の上で戦っている。だから延々と続く。声が大きくなっていく。もう、隣に聞こえる、と考える余裕はないのだろう。適当に宥めてしまえばいいのに。話を合わせてしまえばいいのに。否定してはいけないのに。
 父親は興奮して物に当たるのか? 音がする。
「私が先に死んじゃう」
娘が言うが聞こえないから何度も言う。
「私が先に死んじゃう」

 もう土曜日だ。娘は仕事は休みだ。父親はデイケアのはず。しかし、デイケアの水曜日に自転車に乗っていたのを見たことがある。
「ねえ、明日の朝、病院だから……寝て」
娘の声が優しくなってまだ続いている。
 父親は自転車に乗れるくらいだから介護認定はどのくらいだろう? 施設に入れるのはまだ無理だろう。

 私の父は姉の家で暮らしていた。姉夫婦はフルタイムで働いていたので、私が入浴させに行った。性格は温厚で怒ることはほとんどなかった。私のほうが怒っていた。子育て中の悩みの多いこと。なにもかもうまくいかない……極め付けが親の介護か……むしゃくしゃして当たり散らすと、幼稚園の娘が私のシャツを引っ張った。
「やめなよ、おかあさん」
娘にも当たった。
 自分の親を看るのは難しい。
 出来の悪い子供達の勉強をみたことがあるが、あれもだめだ。怒りが爆発する。

 施設では10人の入居者を基本ひとりで看る。夜勤は2ユニット20人。早番と遅番がダブるのは4時間だけ。その間にふたり交互に休憩を取ったり、ひとりは入浴介助したりするので楽になるわけではない。夜勤は仮眠室もあるのだが、そこで眠ることはできない。隣の旦那のようにひと晩中眠ってません……という入居者はよくいる。
 自分の親ひとりに手こずっているのに、ひとりで大勢をみている。朝、私が出勤すると、怒鳴っている職員がいる。10時間働いているのだ。気力も体力もなくなる。怖くて声もかけられない。
 帰る前に寝浴の浴槽で休んでいく職員もいた。バイクや車で帰るのは心配だ。

 夜中ナースコールを40回鳴らす、90歳をとうに過ぎた方は頭も口も達者だ。
「お金払っているんだから……上に言いつけるから」
頭は達者だが介護保険のお世話になっていることはご存じない。
 頭が達者なのも気の毒だ。もう、トイレに座らせることは禁止された。肩を脱臼してしまう。ところが、何度言っても
「トイレ、トイレ……」
と車椅子で自走しようとする。
「トイレはダメなんです。パットにして大丈夫ですから」
納得したのかしていないのか、すぐにまた同じことを繰り返す。それもかわいそうだとは思うが。
 

56 歳のせいにしてはいけない

 歳のせいなのか? 単に注意が足りないのか? 
 メガネを置き忘れる。それが度重なるので縦型のメガネ置きをふたつ買い、自分の部屋とリビングに置いた。絶対そこ以外には置かないことにしたのに、何度もやらかす。探す。椅子の下に落ちていたことも。

 ダスキン交換の日には、家中を拭く。カーテンレールもエアコンの上も、窓も網戸もサッシも玄関も。4週に1度それをやれば年末慌てることはない。
 なのに忘れる。回収に来られアタフタ……ほとんど汚れていない物を返す。

 腰痛も足が攣るのも姿勢のせいだ。整骨院で注意された。踵だけで歩いている。足の指でグーをしなさい、と。それは、お年寄りに自分が言っていることなのに。

 昨日は天気が良かった。久しぶりに家中の植物をベランダに出し、スプレーで葉水(はみず)をし、水をたっぷりあげた……つもり。何を考えていたのか、いないのか? 最後にあげた大きな鉢のローズマリーから、何かが立ち(のぼ)った。花粉? 花は咲いていないのに……すぐに気が付かないバカさ加減。
 数分遅れ気が付いた。ベランダに水道はない。水はキッチンの水道の蛇口からジョウロで何度も。その蛇口が湯のほうになっていた。手をかざすと40度以上。こんなミスは初めてだ。急いで水をあげ直す。土を触る。湯になるまで時間がかかったのだろう。大半は大丈夫だとは思うが……朝、見るのが怖い。

 数ヶ月前、娘の犬を預かった。1泊旅行だからと連れてきた。午前11時に連れてきて、トイレシートにエサにおやつを置いていった。やんちゃなトイプードルは、ふたりめの孫が生まれた時にしばらく預かったので慣れている。皿を出しえさを入れた。

 夫も喜んだ。明日の朝、散歩に行こうね、久しぶりだ、とおやつをあげた。人間様の食べ物は絶対あげるな、とキツく言われている。

 やんちゃな犬は夜中、エサの皿を蹴飛ばしていた。相変わらず悪い犬だ……
 ここまでで、私が何をしたか、しなかったか、わかるだろう……かわいそうだから思い出さない。娘にはとても言えない。

 翌朝早くに散歩に行った。元気に歩いていた。ほぼ1時間……帰りがけに……わかった。自分が何をしたか? していなかったか? 犬はどのくらい耐えるのだろう? 

 バカさ加減を歳のせいにしてはいけない。

57 面白いおねえさん

 姉が『よみい』に夢中だ。今回は長い。コロナ禍でも行ける限り聴きに行っている。抽選とか、ネットの有料のコンサートとか、パソコン苦手の年寄りが必死だ。
 自分で楽しんでいる分にはいいが。我が家に来ると私のiPadで聴かせたがる。説明する。いいのよ、かわいいのよ、ああなのよ、こうなのよ……
『香水』『白日』『名探偵コナン』『鬼滅の刃』まで、『よみい』の曲から興味を持つ。
「知らないの?」
と、私をバカにした。知りません。『香水』も『白日』も。
 
 70過ぎた女が20代の男に夢中。姉にはいつでも夢中な男がいた。若い頃は舟木一夫。巨人の堀内恒夫。そのあとは五木ひろし。この時は一緒に引っ張っていかれた。新宿のコマ劇場。ずいぶん並んだ記憶がある。私が好きだったのは尾崎紀世彦だったのに。

 最近(?)はヨン様に。あとは、『24』じゃなくて……『プリズンブレイク』の男優。出始めの頃は夢中だった。携帯の待ち受けにしていろいろ説明した。ゲイだとカミングアウトされてショックを受けていた。
『プリズンブレイク』は名作だった。続きがなければ……ね。辻褄合わせの続編。全部観たけど。
 姉は結末を言う癖がある。
「最後、死んじゃうのよ」
やめてよ、それ! 
 まあ、そのあと、生きていたことにしたけどね。シャーロック・ホームズみたい。
『鬼滅の刃』の最後も、私は興味がないからいいけど、娘たちに口走っていた。最後……なのよ。

 姉は海外ドラマに夢中になっていた。『24』は、まとめて借りて翌日返す。そんな時に電話をすると怒られた。熱しやすく冷めやすい。家具と習い事も次から次……やりかけの編み物も刺繍も回ってきた。まだ新しい家具や服はありがたかった。義兄はよく冗談で言った。
「よく、オレは捨てられないな」

 姉は楽観主義だ。過去に乳がんを疑われた時も、心配した私よりケロッとしていた。
「なるようにしかならない」
ただ、潰瘍性大腸炎になってから、薬のせいか、味がわからなくなったと残念がる。

 歳をとると姉妹がいるのは心強い。買い物、旅行は一緒に行かれる。本好き、ドラマ好き、余裕があるのでどんどん本を買う。回してくれる。『ミレニアム3部作』の続編。作者が亡くなった後でも、別の方に引き継がれた。
 ジャズやクラシックや映画音楽のCD。結局、ものにならなかった英会話の教材。この間はフルトベングラーのCDセットをいらないかと電話してきた。残念だがもう我が家にプレイヤーはない。あ? 今のはDVDデッキでも聴けるのか? でもいらない。携帯のサブクリで充分。物は増やしたくはない。

 姉は、私を褒めない。自分のほうが顔もスタイルもセンスも料理の腕もいいと思っている。子供がいないので若く見られる。6歳下の妹より若く見られたと喜んでいた。金かけているもんね。最近はグレーヘアにしたからさすがにそれなり……

 姉は私が何を作っても褒めない。この間は私が作ったうどんを黙して食べて、夜になるとメールしてきた。
「あのおつゆ、なに使ったの?」
「あれは4倍濃縮の市販品。でもね、肉や野菜たくさんいれるからおいしいのよ」
母のうどんはいつもそうだった。夏に冷たい冷麦を食べたくても、具沢山の熱いつけ汁。それが懐かしくて作るのだが、娘が来た時にはリクエストされる。

 姉は親の死目(しにめ)に逢えなかった。結婚して、まだ電話を引いていなかった時、母は心不全で亡くなった。姉は義兄と映画を観に行っていた。虫の知らせがあったらしい。観ないで帰ると言い張り義兄を怒らせた。帰ると電報が届いた。
 義母が亡くなった時は海外旅行をしていた。連絡が入りツアーから抜け、なんとか帰ってきた時には葬儀は終わっていた。姉は次の日熱を出した。

 姉は母が生きている時に嫁いで行った。妹とは違う。妹は苦労したのよ。父がどうしようもなくなって、亡くなるまでは長かったね。約25年。どんなに父が若い時苦労したって、終わりひどければすべて悪い。いまだに私は思い出したくない。
 今、周りでは親の介護に悩んでいる人が多い。兄弟姉妹の関係も険悪に。そんな時もあったけど。
 私たちはどっちが先に逝くだろうね? 連れ合いがいなくなったら、一緒に住もうかね?

58 骨になっても

 ある作者さんの長編小説の余韻が残っている。結ばれなかった愛、子供の頃からずっとお互いに思っていた。結ばれない愛だからこそ永遠なのだ。結ばれていたら、いつまでも愛は続かない。関係は悪くなり、同じお墓にだけは入りたくない……そんなことになっていたかも。

 何年か前、住んでいるマンションで男性の孤独死があった。続かなかった愛の終わり。妻と子供は出て行った。隣近所の付き合いがないから、それさえ知らない人もいるだろう。数日臭気がひどかった。私はネットで調べた。特殊清掃やひどい遺体の状態。それ以来、死んでも焼いてもらわなきゃ……死んで終わりではない。焼いてもらわなきゃ、と思うようになった。

 お墓……我が家にはまだ墓がない。姉は、父の墓に入ることができるらしい。義兄も共に。私は無理だろうか? 物理的にも。

 長男が小学校1年のとき、友達ができた。お寺の息子さん。大きなお寺さんの長男。跡取り息子。体格が良く勉強もできた。長女は乗馬を習っているという噂。馬も買ってあげたとか。なぜうちの息子のような自然児と仲良くなったのか? 誕生日会に呼んだ。得意の手作りケーキにあとは質素なものだ。彼は、当時我が家にはなかったファミコンをプレゼントに持ってきた。当時もその後もなかったものだが。息子が話したのだろう。買ってもらえない、と。 
 もちろん受け取れず、私はお寺までファミコンを返しに行った。出てきたのはおばあちゃんだった。夫婦は留守だった。もらってください、と言うのを断り返してきた。

 お寺の息子とは仲が良かった。どろんこになって遊んできたので、息子の服を貸した。小さすぎたが。後日、おかあさんがお礼に来た。洗濯した服と菓子折りを持って。忙しいのだろう。高級車で来てすぐに帰っていった。きれいな黄色のスーツ姿だった。

 彼は中学は私立に行き、付き合いはなくなった。寺の跡を継ぐのだろう。
 その寺からは電話が来たことがある。お墓を買いませんか? と。分厚い資料がポストに入っていたこともある。高額だ。

 施設のスタッフのおかあさんが亡くなった。お墓のことを尋ねると、高くて……後々のことを考えたら……いらない。散骨する、と言う。
 散骨……興味があるので少し聞いた。お骨はすでに粉骨してある。もう、小さな容器に収まっている。来月、海に散骨する。その日の天気でダメになる場合もあるらしいが。

 散骨か? ちょうどいい。息子は船に乗っている。遊漁船。ついでにササっとやってもらおうか? 夫は田舎に帰りたがっているから山にしようか? 山は所有所がいるからダメらしい。では川は? よく魚を獲りに行った川? そんな話を夫としていたら、
「ゴミで捨ててもいいよ」

 夫は若い時に指を切った。仕事で指先をほんの数ミリ切り落とした。痛い思いをした。特に不自由はなさそうだが。それでも労災でいくらか金が下りた。
 ある日、銀行から電話がきた。○○万円振り込みました……聞いてないんですけど。私に内緒にしておく気か? お金に苦労していた時代。妻に内緒にして夫はいったい何に使うのだろうか? 

 夫はすでに決めていた。田舎の墓をきれいにしようと。すでに両親は亡くなっていた。田舎の墓は広いが墓石は立派ではなかった。先祖代々……よくわからない。それを整理してきれいにした。妹たちには内緒だ。上の兄貴がやったということにして。妻は口を挟めなかった。
 
 父は母が亡くなった時に墓を買った。私たちの後は、子供たちは管理してくれるだろうか? それだけの費用を残せたとしても、その後は?
 全員まとめて入れるなら、すべて粉骨にして、湿気を含んだ骨は洗って乾かして……

『born、bone、墓音』という映画がある。観てはいないが興味がある。洗骨という儀式があるらしい。

59 久々の外食なのに

 雪のおかげで夫のゴルフが中止になった。浮いた金で食事に行こう! ちょうど私の誕生日も近かったので決まり。本当に久しぶり。コロナ禍だけどゆったりスペースの店だし、この時期、混んではいないだろう。早めの夕食だし。

 年に1度は利用していた。ちょっと高いが落ち着ける。元々は父の法要後の会食に使っていた。友人とのランチにも。身内の親睦、孫のお宮参り、七五三など……歩いて行けるので酒も飲める。そして記念の写真を撮ってくれる。

 記念日のハガキにはしゃぶしゃぶだと、肉が1人前サービス。シャンパンかケーキもサービス。でも、2月だから、カニすきにした。本当はフグが食べたいのだがやっていなかった。

 久しぶりに化粧をして、髪にもドライヤーを当てボリュームを出す。セーターの上にスワロフスキーのロングのネックレス。久々の登場。孫が一緒だとつけられない。これは還暦のお祝いに夫がプレゼントしてくれたもの。ひとりで買いに行き、店員に選んでいただいたそうだ。1キャラのダイヤより価値がある? 
 内緒だけどブティック時代に買わざるを得なかったジュエリーがいくつかある。ロングのサンゴのネックレスは桁が違うけど……内緒。

 前菜、揚げもの、カニすき、雑炊、アイスクリーム……歳だからそんなに食べられるわけはないのに、網焼きステーキとマグロの寿司まで頼んだ。カニすきが始まる前に、すでにおなかはいっぱい。残すのはもったいないと思ってしまう歳だ。

 テレビがないと話題に困る……今までは梅酒サワー1杯で最後まで持ったのに、おととしから果実酒にはまり、梅酒作りは2年目。イチゴ、キュウイ、ネーブル、焼酎にブランデーまで。いくらか飲めるようになったのだ。梅酒をロックで。自作のとどちらがうまい? どうだろう? こんな少しで600円。ならば作る価値があるか……

 夫は燗酒。こういう店は食事代より、酒代がかかる。孫のお宮参りの時、集まったのは11人。あの時はすごかった。ワインにウイスキー。あの時は孫の出産のあと、息子がバイク事故で入院。落ち着いてからのお祝いだった。親がかけていた保険が降りたので大盤振る舞い。お嫁さんのおかあさんもほろ酔いで喜んで帰った。

 そんな思い出話をしていると、私の後ろの席で言い合いが始まった。
「いつもそうなんだから。恥ずかしいと思わないの?」
 客はまあまあの入り。和んだ雰囲気をぶち壊す女性の大声。男性の声はひとことも聞こえてこない。すぐ前の席の私は居心地が悪くなる。なにも、久々の記念日にやらかさなくても……従業員がメニューの説明をしている。なおも続く大声の罵り声。
「最低よね」
最低はどちらなの? 夫婦なのかなんなのか?

 しばらく居心地が悪かったが、聞こえないふりをして鍋をつつき、必死にカニを食べた。ぎっしり詰まったズワイガニ。スーパーで正月に買ったのは塩辛く痩せていた。満腹の後には雑炊も平らげた。デザートのあと、写真を撮っていただき、お会計。後ろの席はすでにいなかった。食べて帰ったのか? 最後まで男の声はしなかった。

 もう……喧嘩は嫌だ。喧嘩するくらいなら、うわべだけはうまくやる。うまくね……うわべだけだと思われないように。

60 不正

 若い頃、保険会社で働いていた。4年目は本社から小さな営業所に異動になった。1階の事務所には歳の近い女子が3人。朝礼の後、外交員さんも所長も出払う。気楽な職場だ。朝食抜きでパンを買ってきて食べたり、銀行に行った帰りに本屋に寄って雑誌を買ったり。
 外交員は集金に行く。まだ銀行引き落としは少ない時代。窓口に保険料を払いにくる客も数人いた。それを、古株の事務員と親しい外交員が集金に行ったことにする。
 入った集金手数料をその外交員さんが事務員に戻す。それが代々引き継がれていた悪習……不正、犯罪?
 途中から異動していった私には何も言えなかった。確か、1万数千円位を毎月お茶菓子代にしていた。異動の多い所長も知らないこと。

 ある年の暮れの大掃除。長年動かさないロッカーの裏を掃除した。出てきた埃だらけの集金袋。中には数万円が。なぜロッカーの裏に? 古株の事務員が思い出した。何年か前に集金袋をなくした職員がいた……
 それがなぜ事務員のロッカーの後ろに? ロッカーの高さは身長よりあったはず。外交員さんが出入りする場所ではない。誰かが故意に置いた? 落とした? なくした職員は弁償したのだろう。すでに辞めていた。大勢の外交員が入れ替わっていた。所長も変わっている。今更……蒸し返すのもなんだしね……というわけで3人で山分けしてしまいました。40年以上前のことだ。
 
 父の給料日。まだ現金でいただいていた時代。自転車置き場で隣の荷台にカバンを置き、そのまま家まで帰ってきてしまった。慌てて戻るとすでに消えていた。交番へ届けると、
「あんた、家に帰れるのか?」
と言われたらしい。家に戻り、酒を1杯飲み、打ち明けた父を母は責めなかった。もちろん戻ってこなかったが。酔うと父は言った。
「ロクな死に方はしない」

 子供会の廃品回収の係は順番に回ってきた。毎月1回、業者が来ると廃品を積む手伝いをする。廃品の量を記入して役所に提出すると、補助金が出る。年間万単位の金をいただいた。それを子供会の行事の足しにした。
 それが、申し送りで2割増しになっていた。業者が言う。2割増しで記入しろ、と。何年続いたのだろう? どこかで誰かが言っただろうか? できません、と。そういう年もあったのだろうか? 廃品回収はいまだに続いているようだが。

 夫の若い頃の話だ。酔うと話す。働いていた飲食店。飲み物代はレジ打ちしないで別に入れておく。それで毎晩飲みに行った。付いて行った。

 そのあとは転職し真面目に働いた。尊敬していた上司がいた。小さな会社の経理を任され、マンションを買う時には相談にのってくれ、会社から金を借りた時も手続きしてくれた。礼もした。毎年中元と歳暮を送った。
 その頃は給料もボーナスも現金でいただいていた。私はノートにきちんと付けていた。毎月の収入、引かれる金額、それを1年集計する。それが源泉徴収の金額と合わない。20万以上余計にもらっていることになっていた。特別賞与でも出たのか? 当時は年末調整などは別の封筒でもらってきていた。それさえ、正直にきちんと妻に寄越したのに……
 責められるような夫婦関係ではなかった。生活は豊かではなく、いろいろあった時代。喧嘩はしたくない。
 黙っていた。私が質素にやりくりをしているのに……言えば喧嘩になる。黙っていた。数年の間。金額は20万から40万に。まあ、ボーナスは多い方だった。残業も多かった。ある時、社長の奥さんに会ったので聞いてみた。仲人をしてくださった方だ。
「特別賞与出たんですか?」
 微妙な質問。出てないわよ、と答えるには、夫婦間で何かあると思ったのだろう、微妙に誤魔化した。
 それでわかったわけではあるまいが、しばらくして、経理を任されていた方がクビになった。帳簿を誤魔化していた。会社から借りた金は返し終わっていたから15年は経っていた。
 その頃従業員は十数人、その年収を誤魔化していた。現金の時代だ。ひとりから年に20万としても3、4百万。それが何年? 誤魔化したのはそれだけではないのだろう。発覚した。そういえば、釣りが好きで、釣り小屋を買ったとかいう話を聞いていた。信頼していた夫はショックを受けていた。私は数年の間、夫不信だったのに……

 ブティックで働いていた時、バーゲンになると割引になる。店長は客に正規の値段で売りレシートを渡し、そのあとレジマイナスをして割り引いた分の金を浮かしていた。
「販促費出ないんだから。売ってるのは私だけなんだから」
絶対店長制。文句が言えるわけがない。コソコソとレジ操作をし、終いにはレジが合わなくなっていた。

あれやこれや 51〜60

あれやこれや 51〜60

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 51 海
  2. 52 上から見ないで
  3. 53 体にガタがきた
  4. 54 男でも女でも
  5. 55 介護は大変
  6. 56 歳のせいにしてはいけない
  7. 57 面白いおねえさん
  8. 58 骨になっても
  9. 59 久々の外食なのに
  10. 60 不正