あれやこれや 31〜40

あれやこれや 31〜40

31 父と娘

 心配な人がいる。同じマンションに住むお隣さん。空き缶集めをしているご主人。
 40年前、うちより数日遅く入居してきたときは4人家族だった。
「出前のメニューありますか?」
奥様と、小学校高学年くらいの息子さんとやってきた。新居で、自分の部屋もできるのであろう息子は明るかった。

 マンションにはあまり交流はない。その年、子供が産まれ、泣き声が迷惑にならないか? と心配した。住んでみれば、壁の薄いマンション。滅多に顔を合わせることもないお隣さんだった。
 少し経つと、奥様の怒鳴り声が頻繁に聞こえるようになってきた。娘を怒っている。不思議なことに隣なのによくわからない娘。エレベーターに乗り合わせなければ、顔を合わせることはない。
 奥様は働いていた。夕方帰りドアを開けるなり、
「M子、お米、といだ?」
と、大声が聞こえた。向こう隣の主婦が私に文句を言うほど、怒鳴る声は頻繁に聞こえた。
 ある日、夫がすぐそばで事故を目撃した。隣の娘が自転車を車にぶつけられ、救急車で運ばれた……隣はまだ帰っていなかった。私は紙に書いてドアに貼っておいた。
『娘さんが事故に遭い、S病院に運ばれました。隣の404号室T』

 奥様は帰ってくるなり、やってきた。夫が説明した。たいしたことはないと思うが……
「死んじゃったって、いいんだけどね」
その口調は今でも覚えている。動揺して口から出た言葉だ。
 
 ご主人はエレベーターで何度か会った。数年経ち、数回エレベーターで乗り合わせても、
「何階ですか?」
と聞かれた。
「4階です」(隣です。そんなに影が薄いですか?)
 ご主人は真面目に働いていた。1度焼肉屋で居合わせたことがある。仕事仲間と一緒だった。作業着で十数人、忘年会かなにかだったか? 私達夫婦を認識しただろうか?
 
 長い年月が過ぎ、さすがのご主人も子供が3人いる私たち家族を認識できるようになった。ある日、飼っていた猫がいなくなった。網戸が開いていた。娘はエアコンが切れると暑くて、確かめもせず窓を開けてしまったのだろう。猫はベランダに出て隣のご主人の部屋に上がり込んだ。朝になって慌てた私たち……ベランダで隣のご主人が猫を隙間から返してくれた。明け方お邪魔したネコを優しく預かっていてくださった。猫好きな方だった。それからは会うと少し話した。子供たちにも声をかけてくださった。

 奥様は乳癌だった。滅多に顔を合わせないが、うちが浴室をリフォームしているときに、廊下で会い立ち話をした。長話などしたことがないのに話した。
 リフォームしていることを羨ましがっていた。癌治療でお金がかかる。身内には仕事柄たくさん保険に入れたが、自分にはあまり掛けていなかった……
 新聞を床に広げて読むときに違和感を感じた。検査したらすでにステージ4。

 マンションでは、亡くなってもお知らせはない。亡くなったことさえわからないこともある。しばらくして、ご主人に外で会った。奥様は亡くなり葬儀も済ませていた。家に入ったこともないので線香をあげに行くのは躊躇した。向こう隣の奥様は、教えてもなにもしなかった。私は、仕事の関係でたくさん買っていたパックのご飯をひと箱持って隣へ行った。奥様を亡くし家事も大変だろうから、食べてください、と渡した。
 数日後、律儀なご主人は缶ビールをお返しに持ってきた。それ以来、心配はしていたのだ。私の父は母を亡くしてから酒浸りで仕事まで失っていたから。

 ご主人は元気だった。年月が経ち今ではおそらく80歳前後、この間まで空き缶集めをしていた。なぜ空き缶集めなど? 息子さんは結婚したのか家にはいない。いるのは、おそらく独り者の娘。この娘とはまともに顔を合わせたことも話したこともない。玄関ドアを同時に開ければ、エレベーターに乗らず、向こうの階段を降りていく。1度は家を出た娘が母親が亡くなって戻ってきたようだった。今では50歳くらいか?

 このごろ、私が眠りにつく頃、10時を過ぎた頃に頻繁に怒鳴り合う。父親は耳が遠い。もう、会っても会話にはならない。大声を張り上げなければ聞こえない。空き缶集めをするようになっていた父親は、駐車場の自分の車に大量の空き缶を保管していた。高齢になり車を手放すと、マンションの自転車置き場の隅にビニール袋に入った空き缶を置いておくようになった。苦情が出たのだろう。それからは大量の空き缶をエレベーターで自分の部屋に運んでいた。エレベーターにも廊下にも汁が垂れる。その苦情でもあったのだろうか? 大量の空き缶を何袋も置かれたのではたまらない。娘は怒鳴る。聞こえない父親に大声で夜半に。かつて自分が母親に怒鳴られたように。
「コロナなの。コロナなの」
コロナ禍でマスクもせずに、真夏の暑い中自転車で空き缶集めをしていた。言い合いをし、娘は諭すように話すのだが大声になる。終いには父親も
「親をバカにしているのか?」
と怒鳴った。

 秋になり怒鳴り合う声は頻繁になってきた。
「言ったよね、聞いてよ、だから、聞いてよ、聞いてよ」
なにかを叩く音もする。父親にはよく聞こえてないのだろう? 
「もう、迎えに行かないからね」
??
 足腰の強い父親。自転車で遠くの空き缶交換所まで日に何度も往復していたが、もしや、認知症? 保護されて迎えに行った? まったくの想像だが。

 自分の父親を思い出す。妻に先立たれた男は情けなかった。酒に逃げひどかった。真夏に酒を買いに行き、帰り道がわからなくなり保護された。早く死んでくれ、と何度思っただろう。悩みの大半が父親のことだった。いまだに思い出すのも嫌だ。

 隣のご主人は酒に逃げてはいない。ついこの間までベランダで洗濯物を干していた。空き缶が落ちていれば自転車を止め拾っていた。しかし、足腰の丈夫な人が認知症になると厄介だ。
 施設でも4ユニットを元気に歩き回る方がいた。
「息子に電話してくれない? 迎えに来てって電話して。息子に死ねって言われたの」

 娘さんの心情を思うとせつない。息子はどうしているのだろう? 

32 ゴルフ 2

 ゴルフを習って1年4ヶ月、8度目のラウンドは最悪のコンディションだった。10日前に仕事で腰を痛めた。背の低い女性を浴槽から出すときにやってしまった。しかし痛みはこなかったのだ。翌日も平気でゴルフのレッスンに行き、たくさん打っても大丈夫だった。痛みは1日置いてきた。次の週にはコースに出るのに。

 仕事は休まなかった。以前、もっとひどい腰痛のとき、朝起きたら絶対仕事には行けない、と思ったがロキソニンを飲むと動けてしまった。現場では腰痛持ちは当たり前。それで辞めていく者も多い。腰を痛めた、などと言っても、私も痛み止め飲んで来てるんですよ、と言われてしまえば甘えることはできない。

 ラウンドの数日前に夫に、キャンセルしてと言ったら、カートに乗っていればいい、という答え。ずいぶん痛みも引いたので、様子を見ながら、全部できなくても、前半だけでも、休み休みでも、パターだけでも……なんて、まるきり自信がなかった。

 当日、夫は早々と起き出し、前日買ってきてくれていたサンドウィッチとカップのコーンスープを用意して私を起こした。この男、次の日も連日でゴルフなのだ。何年経っても100を切れない。

 初めての河川敷。いつも行くところは高低差のある恐ろしいコースだった。なのに人気がある。初心者の私はほとんどカートに乗れないので息が切れた。そのために毎日ウォーキングをして体力を付けていたのだが、10日ほど歩いていない。腰の痛みよりも体力が落ちたのではないか、と心配した。

 河川敷は平らだった。全面見渡せる。簡単そう……始めると、不思議なことに腰は全然痛くなかった。気が張っているからか? 我ながらすごい精神力。カート乗り入れができる。いつもはドライバーのあとはカートに乗るが、そのあとは小走り。グリーンに行くまでが長いのだ。打数も多い。力が入りすぎるので腕も痛くなる。強く握りすぎるので指も痛くなる……が、腕の振りを小さくした。途中棄権でしかたがないと思っていた。スコアは……言えないが、内容は今までで1番良かった。平らだから楽だった。半分はカート乗り入れできたし、歩けたし小走りも平気だった。平らだとこんなに楽なんだ……いつもより疲れなかった。
 逆に、動いていた方がいいのか? この腰は?

 昼食は私の好物の酢豚があった。酢豚は最後の晩餐に選びたいくらい好き。あとはアップルパイ。それはなかったが。時間があったので温かい紅茶を飲んだ。いつも水分不足なのか、帰りの車の中で足がつる。猛烈に足がつる。

 後半も順調だった。夫は相変わらずボール探し、距離は出るが方向が良くないし、グリーンを越える。ボールをなくす。私は飛距離は出ないが、比較的まっすぐ行く。パー5を4打で乗せた。飛ばないのが悩みだが方向音痴よりは全然いい。パターは、まだまだだけど。

 ひとつ失敗した。紅茶を飲んだのが良くなかった。途中トイレがあり、ハイボールを飲んでいた夫は入った。私は躊躇した。腰ベルトもしているし次のホール、間に合わないかも……なんて考えていたら男性が3人走ってきて飛び込んだので、諦めて我慢。

 男は休憩にビールを飲む。夫もハイボールをお代わりしようとしたが止めた。帰り運転する人はアルコールが残るだろう。プレーして、風呂に入れば基準値以下に下がるのか? 後ろの席のカップルはボトルをキープしていた。
「お酒飲んでトイレが間に合わなかったらどうするの?」
夫は指さした。それは軽犯罪。公衆の場かどうかは微妙だが、罰金を課せられることも。紳士のスポーツだよ。まれに女性もいるらしい。
 イギリスでは女性を排除するために、わざとトイレを設けないところがあるらしい。

 それから、ロストボールは持ち帰っては行けません。ロストボールはゴルフ場のもの。窃盗罪に当たるそうです。

33 父と娘 2

 マンションのお隣さんの『父と娘』に進展があった。
 水曜日、ゴミを捨てに玄関を開けたら、隣のご主人にぶつけてしまった。女性ふたりと出かけるところだった。ピンときた。介護に携わっている方。デイケアか、施設入所か? 娘さんは、ひとりでかかえていないで相談をしたのだろう。
 旦那さんは、わけわからず連れて行かれ戸惑っていた。
「行ってらっしゃい。〇〇さん」
声をかけて車に乗るのを見届けた。ひとりの女性は残ったので話をした。ケアマネージャーさんだった。
 デイケアは4度目。拒否されるのでふたりで迎えに来た。娘さんは平日は仕事でいない。ドアの鍵は開けてある。とりあえず週に2度。土曜日は娘さんが送り出す……

 自分の父を思い出す。母に死なれ、私が結婚して家を出ると、酒浸りになり仕事もなくした。ある日、幼い子をふたり連れて様子を見に行くと、呼吸がおかしかった。酒だけ飲んでいて栄養失調。姉はフルタイムで働いていた。その後の入院。手続き、面倒は私に……

 隣の娘もそうなのだろうか? 兄か弟がいるはずだ。とうに家を出た男は力になっているのだろうか? 
 週に2度でもデイケアは助かる。入浴させてくれるから。父は風呂に入るのを嫌がった。男やもめにうじがわく。当時の私の悩みといえば90パーセントは父のことだった。姉妹の負担は平等ではない。隣の娘もフルタイムで働いているようだ。日中、父親はひとりで過ごす。このあいだも自転車に乗っていた。止まってはゴミを拾う。街をきれいにしている意識があるのだそうだ。空き缶集めもそれがきっかけだったのだろうか? デイケアが日課になってくれるといいが。

 私の父は姉が引き取った。夫婦ふたりの小さな家だ。階下の部屋をフローリングにし、押入れを改造しポータブルトイレを置いた。子供のいない夫婦は日中は働いていている。私もパートをしていたが、週2日のデイケアの日は支度をしに行き、帰りは出迎えた。他の日には土日以外は午前と午後、ヘルパーさんに来てもらった。
 それでも姉夫婦の間は険悪になっていくのがわかった。義兄が早期退職し、姉は出勤。広くはない家での同居、そこに他人が入る。義兄には耐えられなくなった。

 やがて施設に入れた。父の年金だけでは足りない。足りない分は姉と折半。それがいつまで続くのか? 我が家に余裕はないのに。
 しかし、施設は楽だった。洗濯もしてくれる。何もしなくていいのだ。金さえ払っていれば。面会はしばらく行かなくても、父にはもう時間の概念はない。戦争が終わって帰ってきたばかりなのだ。
 

34 無知は罪なり

 ある作品を読んで、とうに忘れていたことを思い出した。高校2年のことだったと思う。夏休み明けのことだった。教室へ行く階段で、すれ違った女子が泣いていた。教室に入ると登校していた生徒数人が泣いていた。

 クラスの男子が自殺した。同じ姓の男子がふたりいたので、Y君と呼ばれていた。

 1年から同じクラスにいながら、話をしたことのない男子だった。髪は長く直毛ではなかった。新聞部に所属していた。話したことはほとんどない。真面目な生徒、あの学校には真面目な生徒しかいなかった。

 家庭の事情、ということだった。集会では、生活指導の怖い先生が、どんなに楽しそうに見えても悩んでいる生徒がいる。家庭ではいろいろな事情があるんだ……そんな話をした。
 クラスメイトは告別式に全員参加することになった。
 私たち4人グループの女子のRが、その前にお線香をあげに行こう、と言い出した。リーダー的存在のしっかりした女子だった。活発で男子とも臆することなく話し、ふざけていた。亡くなったY君ともそうだったのだろう。

 4人で午後、家を訪ねた。牛乳屋だった。その時応対したのは父親だけだった。父親は何も知らない私たちに話した。学校のせいだと。新聞部のY君は日教組のことを書き、先生側と何かあったらしい。
 感電死? どうやって? 無知な私は聞いているばかりだった。遺書を見せてくれた。

『私が死んでも悲しまないでください。悲しみは一時的なものです』

 供養だから、と言われバナナを食べた。息子の好きだったレコードをもらってくれ、と言われチェイスの『黒い炎』のLPをいただいた。

 当時の私には理解できないことばかりだった。感電死がわからない。日教組も知らなかった。
 
 告別式は雨が強かった。
 
 何があったのか、数日後の朝、校門の前で男が印刷物を配っていた。先生はそれを止めることもできずに見ていた。書かれた内容は当時の私にはよくわからなかったが、学校側を責めていた。真面目な生徒ばかりの学校。誰も何も言わなかった。親しかった男子はいただろうに。

 グループのリーダーのRが私たち3人を引き連れ、職員室に乗り込んだ。彼女は担任に、Y君の父親から聞いた話をした。事実はどうなのか? と。担任はタバコを取り出し吸った。間を置いたのはわかった。当時はそれができたのだ。生徒の前でタバコを吸うことが。
 私はそこにいただけだ。なにが起きているのかわからなかった。表面上は穏やかだった。印刷物を配る男も数日するといなくなった。

 落ち着いた頃、私達4人の女子は警察署に呼ばれた。それぞれ別々の部屋で調書を取られ拇印を取られた。Y君の父親と何を話したのかを聞かれた。確か日当も出たと思う。

 あれはなんだったのだろう? 自殺の原因が学校側の数人の先生にあると、父親が訴えたのだろうか? 私たちの名は誰が出したのだろう? 
 無知な私は無知なまま過ぎてしまった。今さっきまで。

1973/9/3
自宅で、××高校のY・Yくん(高2・16)が感電自殺。
6/8 Yくんは、日教組批判の新聞記事を学校新聞に掲載しようとして、担任教師や新聞部 の先輩に見つかり、集団リンチを受けた。顔や背中に大けがをし、11日間の入院。それ以降登校していなかった。 遺書には「体育館で記事について責められ逃げ場がなくなった。助けてくれと叫んでも助けて くれるものはいなかった。死ねばみんなが喜んでくれるだろう」と書いていた。 学校や日教組は、リンチなどの暴力沙汰を否定。
10/11 被疑者不詳のまま、傷害罪で告発。  
   (指導死一覧より抜粋)

 検索したらヒットした。そういえば急性肺炎で入院していた。

35 青春は……

 入学式の場面の来賓の言葉を検索して見つけた。 

 金縷(きんる)の衣は再び()べし、青春は再び()べからず
王粲(おうさん) 中国三国時代の詩人)

 どんなに高価な服もお金さえあれば手に入れることができる。
だが、1度過ぎ去ってしまった青春は、2度と取り戻すことはできない。青春の可能性と大切さを述べた言葉。

 さらに調べたら、漢詩『金縷衣』作者不明の民間歌謡を杜秋娘(としゅうじょう)という女性が歌い広めた、
 
 君に勧む  惜しむ(なか)れ 金縷(きんる)の衣を

 君に勧む  惜しみ取れ 少年の時を 
 
花開き 折るに堪へなば 直ちに (すべから)く 折るべし

 花 無きを待ちて 空しく 枝を折ること(なか)
 
 あなたに申し上げるが、金縷の衣装などは惜しむに足りない。
 生涯に1度しかない青春の時期を、他の何にもまして大切にしよう。
 花が咲いて見ごろになったら、すぐに折り取るがよい。
 花が散り終わった後に枝だけを折るようなヘマなことをしてはならない。

 これは何度も観た中国ドラマ『宮廷の諍い女(いさかいめ)』の中で皇帝の前で、まだ夜伽に召されていない側室が歌う。
「私を折り取って! すぐに!」

 召されるときはなにも着ずに、布団にくるくる巻かれ皇帝の元へ抱えられていく。皇帝を傷つけるものを持ち込めないように。

 若い盛りの時に愛してくださいという、なまめかしい愛の歌?
 若いうちは短いから、年老いて悲しまぬように努力せよ、と?
 それとも、若い時こそ悔いなく遊べ、楽しめと?

佐藤春夫の訳 (車塵集(しゃじんしゅう)より)

 綾にしき 何をか惜しむ 
 惜しめただ 君若き日を
 いざや折れ 花よかりせば
 ためらはば 折りて花なし

『宮廷の諍い女』は元々は中国のネット小説。読まれた回数はスケールが違う。架空の時代のネット小説が、清の雍正帝(ようせいてい)時代に置き換えられ、とんでもないドラマになった。

 2012年、中国をはじめ台湾・香港で一大社会現象を巻き起こし空前の大ヒット! これぞ中国版「大奥」の真骨頂。
 

36 穏やかな日はいつまで

 職場に出勤してきた50代の女性が目を赤くしていた。入院しているおかあさんが具合が悪く連絡待ち。そんなときになぜ仕事に? ベテランさんだが、うちの施設に来てからはまだ間がない。ようやく夜勤もひとりで任されるようになったばかり。休むのは抵抗があるのだろう。お子さんは3人。皆社会人。旦那さんの話は聞かない。姓が変わった、という噂も。

 1日おいてまた会った。ようやくおかあさんに面会できた。4ヶ月前に、この方のおねえさんが中古マンションを買い両親と住み始めたばかり。なのに突然の母親の認知症。おねえさんが夜勤明けで帰ると、トースターになにか(?)入れて火が出ていたとか。そんなことが度重なった。耳の遠いおとうさんは、
「ダメだな、ありぁ」
と言うばかりで、姉妹による施設探しが始まったらしい。
 まだ介護度も決まっていなかった。引越しして4ヶ月。認知症になるとは思いもしなかった。80台前半だが。

 ようやく預かってくれる施設があったが、血栓ができ、あたふたアタフタ。ナース室の前にベッドを置かれ、拘束されている。
 あそこはね、私の父もお世話になったけど、脱税で、ちょっとね。ショートステイはひどかった。食事介助が。もう10年以上前だけれど、変わっていればいいけれど。  

 今、私の周りでは親の介護で苦労している人が多い。職場の男性もひとりで両親を看ていた。大変すぎて笑っていた。いくら本業とはいえかわいそうだった。弟さんは遠くの県。嫁が来てもなんの役にも立たない、どころか、帰りの交通費まで出してやるとか。
 幸いにも施設に入ったが、おかあさんはコロナ禍でほとんど面会できずに亡くなった。そんな大変な状況でも仕事に穴を開けると、周りに迷惑がかかる。

 友人はおかあさんを胃瘻にすべきか悩んでいた。幸いにも口から食べられるようになって戻ったが。
 隣のご主人も、夜中に起きている。耳が悪いから発する声も大きいのだ。娘の怒鳴り声がする。
「寝てよ、寝てよ、明日、仕事なんだから」

 どこまで続く介護の道。赤ちゃんが成人するより長いかも。

 自分たちがそうなったときに今の介護制度はどうなっている? 破綻する?
 先日保険屋さんが1年に1度の挨拶に来た。すでに保険は整理してある。新しく入るつもりも余裕もないが……大昔、事務で働いていた保険会社。かつての景気の良い時代のことを話した。若い男性の所長は、廊下に敷いてあるパターのマットを見て話題にした。しばしゴルフの話を気持ちよく聞いてくれたあと、出したのは介護保険の設計書。
 終身の、ほとんど掛け捨て。介護状態にならなければ損をする保険。掛け金は安い。補償も高くはないが。100まで生きるかもしれないし。子供達のことを考えたら……入ってしまいましたの。保険は相互扶助。

 いつまで穏やかに暮らせるだろう? 掛け捨てでありますように。

37 親友

 互いに地方から出てきた。河辺は東北、八女(やめ)は九州。気が合った。八女はコックだった。河辺はその店でバイトしていた。
 八女が愛した女に振られた時、電話が来たそうだ。
「あいつを殺して俺も死ぬ」
河辺は飛んで行ったそうだ。八女は部屋で酒を飲んでいた。何十年も経つと、再会するたび、酒を飲むたび思い出す笑い話だ。
 八女はその女に未練が。辛くて辛くて、なぜか競馬で借金を作った。

 (みやこ)が河辺と知り合った頃、八女を1番に紹介された。親友だと。大事にしろと。バカをやっていた時代の親友。コックだから話題はある。遊びに来ると、コック相手に都は料理を作りご馳走した。アドバイスしてくれ褒めてくれた。

 そのうち八女は年上の彼女と同棲したから、お祝い持って遊びに行った。10も年上の彼女。八女が借金返すために、バイトしていたスナックで働いていた女性……ふたりは酒を飲むと下ネタばかり。
 その彼女から河辺に電話が来た。金を貸してくれ、と。八女は彼女がスナックで働くのを嫌がる……八女に内緒で貸してくれ、と。河辺は了解した。了解したが金はない。給料日前だったのだろう。彼は都に頼んだ。都は質素だったから5万くらいはある。駅まで届けた。八女の彼女は瞼を青くしていた。殴られているようだ。金を渡して帰ってきた。
 そのうち別れた。別れる時に金を借りたことを話したそうだ。迷惑をかけた、と八女は謝ったが返しはしない。河辺も返せ、とは言わない。

 八女は某ホテルで働いていたので、河辺と都の結婚式はそこで挙げた。かの有名な○○ステーションホテル。今では無理だ。手が届かない。
 安くしてくれた。借金帳消し、お釣りがたくさん……挨拶をしてくれ、皆の前でキスさせられた。八女は鳳凰の氷の彫刻を彫ってくれた。皆褒めていた。

 結婚式で都の親友と親しくなった。ふたりで新居のアパートに来た。狭いアパートに泊まっていった。うまくいくかと思ったがダメだった。彼女の父親が反対して……ダメだった。
 八女はよく泊まりに来た。新婚の狭いアパートに。手ぶらで来て、ビールは飲み放題。うんざりした。都の親友は高嶺の花だったと、未練たらたら。

 それでも仕事は真面目にやり、借金も地道に返し、中古の小さなマンションを買った。
 勤め先をよく変わった。沖縄の女性と結婚した。マンションがバブルの頃で高く売れた。河辺の家の近くに3LDKのマンションを買った。男の子がふたり生まれ、近いので奥さんも遊びに来た。花見もした。八女は出版社の社員食堂に移り、腕を振るった。待遇は良かった。サラリーマン。福利厚生その他、妻にしてみればずっとそこで働いて欲しかった。しかし八女には物足りない。

 河辺の娘が先天性の病気で手術のため入院していたときだ。八女の奥さんから、夜遅く家に電話が来た。息子が熱を出した。八女は帰っていない。河辺は車で病院に連れて行った。
 その後、奥さんから何度も電話が来た。八女とうまくいってない。夜中の時もあった。八女の愚痴を。暗い声で延々と。ノイローゼ気味だったのだろう。
 そして奥さんは子供ふたり連れて沖縄に帰った。

 八女は友人と店を出した。なぜか、たこ焼き屋。フランス風のたこ焼き。お祝い持って食べにいった。おいしかったが、清潔感に欠ける店だと思った。
 次に電話があったのはサハリンのホテルで働く時。1年いれば1千万円稼げるからと……しかし途中で帰ってきた。

 しばらく連絡は年賀状だけ。50歳も過ぎた頃、再婚したと書いてあった。焼肉屋で久しぶりに会った。紹介されたのは年上の奥さん。八女はタンカーに乗っていた。乗組員の食事を作る。収入はいいらしい。ずいぶんいいらしい。何ヶ月も船の上。
 鯵を釣って刺身にした、食費が余った時は豪華なステーキを焼いてやる…… 乗組員は皆喜ぶ。自慢げに話す。
 ではここの会計は? なぜ、都が? 再婚祝いか。

 もう互いに60半ば。この間電話があったそうだ。そろそろ故郷に帰る。田舎で1日1組のレストランをやる。遊びに来い、と。ずいぶん貯金ができた。マンションは? 八女が買ったマンションの近くに駅ができていた。高く売れたそうだ。運のいいやつ。

38 遺伝ですから

 夫が毎月歯医者に行く。えらいと思う。毎月1度の検診と歯石とりをここ数年欠かさない。こうなるまでにはいろいろあった。

 物心ついた頃から歯が痛かった。反対咬合で噛み合わせが悪かった。知り合って結婚した時には諦めていた。40歳くらいで入れ歯になると。そのほうが楽だ。
「おう、洗っておけ」
妻に洗わせるつもりだった。

 歯に関する本をよく買ってきた。歯医者で勧められれば電動歯ブラシ、高い歯磨き粉もいろいろ買ってきた。
 しっかり磨かねば、という気持ちはあるのだが、酒を飲めば磨かずに寝てしまう。朝起きて反省。
 歯医者も遠のく。歯茎が腫れて痛くなれば、また違う歯医者に。そんなことの繰り返し。

 数年前に近所のかかりつけ内科のそばに歯科医ができた。そこに変えてから毎月予約を入れてくる。治療時間は短い。歯石とりを上下順番に。 
 予防は大事だ。早くに抜けると覚悟していた歯で、まだしっかり噛めている。食事を楽しんでいる。子供たちが来れば自慢して、歯医者に行け、と勧めている。

 お口の中は人それぞれ。生まれ持ったものもある。父は、50歳前に入れ歯だった。母はタバコを吸っていたが、歯は丈夫だった。長女は学校では表彰された。今でも歯医者に行けば褒められるが……3歳の孫が……
  先天性欠損歯(歯の数が生まれつき足りない)
 かなりショックを受けていた。10人に1人くらいいるらしい。
 
 次女は歯科検診で言われた。
 反対咬合です。遺伝ですね。治りません。
 小学校に入った頃から矯正を。ヘッドギアで矯正?
 ショックを受けて調べた。かかる金額。そんな金は……

 遺伝ですね。治りません……
 次女の友人も反対咬合だった。彼女の母は自然に任せた。

 私は調べて食べさせた。硬いもの。フランスパンに焼いたスルメ。とにかくおやつは硬いもの。なんだか、みんなで食べてたな。

 遺伝です。治りません……
 治りましたよ。きれいな歯並びになりましたが……
 親の執念で治しました。

 検索してみた。
 乳歯のときに反対咬合でも永久歯に生え変わる時に治るケースは、ままあります。
 
 次女は、歯に敏感だ。上の前歯の隙間が空いてきたと悩んでいる。言われなければ気が付かない。歯医者に相談したら、削って被せるのは勿体ないと言われたそうだ。良心的な歯医者だと思う。

39 団塊の世代の子供を育てた昭和の母親たち

 先日読んだ小説。昭和の貧しい時代の母と兄妹の物語。父親は……いなくてもいい。
 母と兄妹。貧しい時代、中学生の息子は新聞配達をして母親に給料すべてを渡す。息子は出来がいい。中学を卒業すると就職しようとするが、先生に進学を勧められる。母は新聞配達の給料を貯金していてくれた。
 高校の修学旅行は諦めていた。小中学校も行かなかったが、友人が、友人たちが金を出してくれた。一緒に行きたい、思い出の中におまえがいなければ、と。
 息子は夜間の大学に通い、働きながら頑張った。結婚して、出世して孫の結婚式……母は認知症になっていた……

 いくつか、そんなエッセイを読んだ。息子を育てた母親が認知症になる。息子と認知症の母の話は多いようだ。
 
 実は、夫も酔うと話す。団塊の世代より若いが。中学の3年間、朝学校へ行く前に新聞配達をしていたと。だから、大きな犬は苦手だ。吠えられたから。吠えられたけど、その犬は河原で射殺された。狂犬病だったのか? またその話? と娘たち。
 夫が熱を出した日はおかあさんが代わりに配達したという。夫は母を語る。田舎の町から出たこともない。畑仕事に家の事、母はいつでも起きていた。祖父にいじめられていた、祖父は時々暴れた。自分はかわいがられていたので、母を庇い祖父に食ってかかったと。
 母は60歳前に病気で亡くなった。親孝行はこれからだったのに。

 さて、団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)の子供を育てた母親はどうしているか? 生きていれば95歳前後か。
 私は短時間の資格なしのパートだが、介護施設で働いている。90歳過ぎている方はザラだ。女性の比率は高い。8割が女性だ。昭和一桁生まれ。大正生まれの方もいる。
 その母親たちの息子はどうしているか? コロナ禍だから今は面会に来られない。
 ある女性は胃瘻(いろう)になった。決断を迫られた時に息子さんは、自然に看取るということを選ばなかった。コロナ禍で面会できなくてよかった。母親はずっと目を閉じて口を開けている。日に2回、栄養剤を注入される。起こされるのはその前後だけだ。
 部屋では童謡をかけている。

 大変な時代に子供たちを育てた母親たちが、共同生活をしている。介護される期間は、息子を育てた期間よりも長いかもしれない。
 リビングではテレビが大音量でかかっている。ずっとわめき続けている方がいる。学生時代に戻った方もいる。よそのユニットの女性が車椅子を自走して何度もやってくる。
「私、泥棒なんかしません」
真顔で言う。しっかりした女性に見える。以前来客用のエレベーターが開いたときに、下に降りて出ていってしまった。大変なことになったが、かなり離れたコンビニで保護された。

 職員は半袖のユニフォームの下に長袖のTシャツを着ている。臥床、離床させるときに、引っかかれるようになった、アザが絶えないという。
 優しい女性の職員だ。穏やかな口調で接している。独身で、すでにマンションも購入済み。遠方だが……おかあさんがワクチンを打って血栓ができた。半年入院しているが在宅介護になる。面倒を見ている姉にも仕事がある。彼女は2ヶ月休暇を取り実家に帰ることになった。

 代わりの職員はこないだろう。コロナ禍でも人手不足。また超勤が続くのか? 私には影響はないが。
 過酷な介護現場。パワハラで関連施設の長が処分された。
 
 また介護施設で殺人が?
 
 夜になると帰宅願望の女性が立ち上がろうとする。夕食前。車椅子の方だ。立ち上がれば危険だ。若い男性職員がそれを宥める。何度も同じことの繰り返し。向こうでブツブツ不満の声が。配膳が遅くなる。
「なまじ立ち上がれるからタチが悪いね」
聞こえるように女性入居者から陰口が。
「うるせえなッ」
男性の入居者が怒鳴る。若い職員はムッとした。怒鳴りたいのはこっちだよ。しかし、敬意を忘れてはならない。人生の先輩だ。

40 辛辣な娘

 長女が厳しい。この娘と会う時には少し手を入れる。化粧をする。すでにファンデーションなるものは持っていない。CCクリームにパウダー、アイシャドーに頬紅に口紅……恐ろしい。何年前のもの? ブティックで働いていた時の毒々しい濃いピンク……はさすがに無理だが、ここ数年、化粧品を買っていない。
 基礎化粧品はオールインワンスキンケア売り上げNo1のクリームひとつだけ……なんて、使ってみればやはりこれひとつで済むわけがない。化粧水も欲しい。結局、仕事に行く時もそのふたつだけ。化粧水とクリーム。それに日焼け止めクリームだけ。

 入浴介助は湿気で化粧しても落ちる。髪もぺたんこに。最初はきちんと化粧して行ったのだ。ブティックの頃は朝、髪を濡らしムースを。店では5枚の姿見が容赦なく待っている。店長の目は厳しい。
「◯◯さん、その服似合わない!」
辛辣だ。
「これがいいわ、これ」
「はい、買います……今日、入金します……」

 その頃は表情筋の体操もした。エステも通った。お客様がいたから売り上げはお互い様。炭酸美顔器、とかも買わされ……買いました。

 ここ数年、特にマスクをするようになり構わなくなってしまった。
「おかあさん、その格好で来たの?」
「おかあさん……おばあちゃん……」
娘は容赦ない。しかし……娘を恨んではいけない。反省せねば。しかしなんと辛辣な。
「おかあさん、眉毛書いてるの? おかしいよ」
せっかく化粧して行ったのに。だって、書かないと老けて見えるんだもの……髪だって今染めれば正月明けにはちらほら白くなるから、ちゃんと計算しているのに。
「もう、染めるのやめれば?」

 姉は素敵なグレイ・ヘアだ。そうなるまでに時間がかかる。きれいに保つには美容院で小まめに手入れをしている。しかしグレイ・ヘアにはまだまだ抵抗が。
「だんだん明るくしていけば?」
 最後は白髪頭。姉はグレイ・ヘア。私がやれば白髪頭。
 
 豪快な美容師さんに相談した。
「明るくしてみる? 白髪はオレンジに。だんだんメッシュみたいになっておしゃれよ」
はい、お任せします。おしゃれにしてなきゃ。マスクを外した時のことを考えねば。化粧品も処分して新しいのを買おう。
 ひたすら歳との戦いだ。

あれやこれや 31〜40

あれやこれや 31〜40

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-27

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  1. 31 父と娘
  2. 32 ゴルフ 2
  3. 33 父と娘 2
  4. 34 無知は罪なり
  5. 35 青春は……
  6. 36 穏やかな日はいつまで
  7. 37 親友
  8. 38 遺伝ですから
  9. 39 団塊の世代の子供を育てた昭和の母親たち
  10. 40 辛辣な娘