今、想うこと
65歳で定年退職し66歳で作家デビューした老人が、今想うことを気の向くままに書き連ねています。好かったら気楽に見てください。
歳も歳ですので定期連載とはいきませんが、想い付くまま自由に書きたいと思っています。
テーマは特に決めていませんし、歳も歳ですので定期連載とはいきませんが、世界情勢から趣味の事まで想い付くまま気儘に書いて行きたいと思っています。多少押しつけがましいし、面倒臭いと思われる方もお出でになるかも知れませんが、どうぞご勘弁下さい。来年喜寿を迎える爺(じじい)の、戯言(たわごと)或いは遺言(ゆいごん)として受け取って頂ければ幸いです。ご拝読の上、何かありましたら、どうぞ忌憚のないご意見を!
作 者 紹 介)
ペンネーム つまかわ うじきよ[本名 若松 恭司(わかまつ きょうじ)]
略 歴
1950年(昭和25年)5月28日 愛知県愛知郡鳴海町に誕生
1957年(昭和32年)4月 鳴海町立鳴海小学校入学
1963年(昭和38年)3月 鳴海町立鳴海小学校卒業
1963年(昭和38年)4月 名古屋市立鳴海中学校入学
1966年(昭和41年)4月 名古屋市立鳴海中学校卒業
1966年(昭和41年)4月 中京商業高校入学(翌年中京高校に校名変更)
1968年(昭和43年)3月 第40回選抜高校野球大会出場
1969年(昭和44年)3月 中京高校(現中京大中京)卒業
1969年 (昭和44年)4月 東京芝浦電気(株)府中工場に就職
(同工場硬式野球部入部)
1976年(昭和51年)7月 第47回都市対抗野球大会出場
2007年(平成19年)5月 東芝エレベータ(株)を定年退職
2015年(平成27年)5月 嘱託期間満了で同社上野原事業所退社
2016年(平成28年)12月 文芸社より『野武士軍団の詩(うた)』出版
その一 スポーツに付いて
その一 スポーツに付いて
(1)楽しいスポーツって何?
『スポーツは楽しむもの』とよく耳にしますよね。それって何でしょう?
『そんなの当り前だろ?』て思いますよね。
そもそもスポーツの根源は〝遊び”です。
プレイとは英語で『遊ぶ』と言う意味です。
従ってプレイヤーとは『遊び人!』
それで好いと思います。
そんな境地に達するには、競技そのものを心から楽しむのが一番です。
私が小学生の頃、もう60年以上も前の昭和真っ只中の話しですが、草野球でホームランでも打とうものなら、嬉しくて嬉しくて笑いが止まらないまま本塁まで駆け抜けたものでした。その気持ち、未だに忘れられません。勿論フェンスなど無い草ッ原です。
それが、中学・高校と進んで部活動と言うレベルになると一変、楽しいなんて言うのはどこかに吹き飛んで、鬼の様な指導者や先輩に囲まれて、今で言う“パワハラ”何てのは当たり前の毎日となって行きます。
勝ち負けへの異常な拘(勝利至上主義)。
『チームの為』と言う美辞麗句の下、個人を廃して過度に犠牲を強いる教え。
それでも続けられたのは野球が好きだったからだと思います。
でも好き=楽しいとはならず、たまに雨が降って練習が休みになると、やけに嬉しくなったのは何故でしょう?
♪雨降れ雨降れ練習は休みだ●●に行けば、可愛いあの子がニッコリ微笑んで・・・♪
なんて替え歌もあったくらいです。
最近では〝E・スポーツ“と言うジャンルがあって、ゲームを楽しむことで自分のパソコンやスマホのスキルUPするのが楽しくて、競技にはまって行くゲーマーと称する人達。
勝ち負けはその結果で、決してそれが目的ではないから大勢の人が好きになる。
これこそスポーツの原点では・・・⁉
では、スポーツを楽しむ為にはどうすれば良いのでしょう?
先ずは、自分で考えることの楽しさを覚えましょう。
これは何にも通じることですが、人から言われた事を鵜呑みにするんじゃなくて、自分で考える癖をつけましょう。
それは何故なの?そうする為には何処をどうしたらいいの?それは自分に合ってるの?
言われた事は解るけど、それが出来ないのは何故等々・・・?
そんな作業が習慣付けされて、それが楽しくなってきたら、もう大丈夫‼。
自分の事は自分が一番解っている筈、体力的な原因ならそれを強化或いは矯正するしかないし、技術的問題なら繰返しの練習しかありません。
好きな事に付いてとことん追求して、自己の長所・短所を把握した上で修正し、更なるスキルアップができた時の喜びを知る‼。
そんな体験を沢山すれば、どんどんその競技にハマって行くと思います。
特に子供たちの指導者は、勝ち負けに拘わらず各人の技能レベルをしっかり把握して、その技量向上に主眼を置いたコーチングに努めるべきです。
小・中学~高校時代は、身体も心も一番成長する時期で、そこをどう過ごすかで全く違ったスポーツ人生が有るだろうし、人間形成に於いても大きな影響が出ると思います。
今現在、日の目を見ていない子供達。全然大丈夫‼。小・中学生の頃とても上手で将来を嘱望されてた選手が、後から急成長した君たちの様な同級生にあっさり追い抜かれるのを、沢山見てきました。
逆に、絶好調で只今チームの中心選手である君。油断大敵‼、努力を怠るとあっという間に追い抜かれますよ。
それともう一つ、他者と比べることの無意味さに付いて知って欲しいと思います。
『他人(ひと)に勝つより自分に勝て』と言う言葉をよく聞きます。
誰かと比較しても、自分の力が無ければその誰かに勝つことは出来ない。昨日より今日、今日より明日、自分との勝負に勝ったり負けたりしながら地道に自分の技量を向上させていくしかない。他人と比べても意味がないという意味です。
確かに『人の振り見て我が振り直せ』と諺(ことわざ)にもあるように自他の長所や欠点を参考にしてスキルアップの参考にすることは必要です。然し、スポーツに於いての一番の喜びは、各々の技量向上であり、それこそがチーム力向上に対する最大の貢献だということを知って下さい。
(2)脱力と集中力そして“声”の出し方に付いて
私もこれまで様々なスポーツを観てきましたが、各競技で名人・上手と言われる選手のプレイは、例外なく力が入っていません。
どちらかと言うと、やる気ない?くらいに見える程に力が抜けている選手の方が、肝心な場面で力を発揮する場合が多い気がします。
どんな動作も、肝心なインパクトの瞬間には、放っておいても自然に力が入る様に、身体は出来ているとお思います。
もっと自然の力を信じて、地球の引力に身を任せるくらいの感覚で力を抜くことを覚えましょう。
力を入れた途端にスピードが落ちて、肝心なインパクト時にパワーが伝わらない事を感じて下さい。
基本的には、投球から守備・打撃まで全てに於いて、上体の力を抜いて下半身から、極端に言えば足の裏から順繰りに下から上へ力を伝えていって、インパクト或いはリリースの瞬間に一気に力を爆発させるイメージで始動させることを身体に覚えさせましょう。
そう言った意味からも″下半身強化“は最優先です。
投げるも打つも走るも蹴るも、力を抜いて振り抜くイメージでやってみましょう。
それを繰り返し繰り返し練習して、自分なりのリズム・タイミング&ポイントを修得するしかありません。
天才と呼ばれる人達には類稀(たぐいまれ)なる努力の才能があるみたいで、その内の誰かが『これほどの努力を他人(ひと)は才(さい)と呼ぶ』と言うのを聞いたことがあります。恐らく彼らは、その修練を苦行と感じることはなく、唯々自分の技量を高める事に喜びを見い出し、更なるレベルアップに繋げていったのではないか?と凡人の私は想像します。
『天才は早熟』とはよく言われる言葉ですが、恐らく彼等は若い頃からこれらの事に気付いていたんじゃないでしょうか?
私は、こんな事に気付くのに60年以上掛かりました。
楽しくチームメイトと笑い合ってやっていれば、必然的に力は抜けると思います。
その手助けとしての呼吸法もあって、ふーっと一息吐いてから動作に入るとリラックスしやすいようです。
呼吸と言うの字の成り立ちの通り〝呼(吐く)”が先で、息を吐くことを意識すれば〝吸(吸う)“は、自然に付いてきます。
更に、呼吸に気を取られることで雑念が無くなり、集中力が上がるとも言われています。
空手家が瓦割りの演武の時、『かー!』と息を吐いてから始動するのもこれに通ずるかも知れないですね。
その意味からも〝声を出す〟と言う行為は、効果大で、理に適っていると思います。
〝声”の話しが出たところで、スポーツに於ける〝声”に付いてお伝えたいと思います。
皆さんは、スポーツに於ける〝声”の意味に付いて考えたことはありますか?
先ず解って欲しいのは、元気な声と活気のある声は違うと言う事。
よくあるのは、〝元気”は有るが〝活気”が無いというパターン。
監督・コーチや怖い先輩から『声を出せ‼』と怒鳴られ、意味もなくワーワー声を出している光景をよく見ますが、それがそうです。
では〝元気”と〝活気”の違いって何?
昔の剣豪・剣聖と呼ばれる方の著書によく出で来る言葉で〝殺人剣・活人剣”と言うのがありますが、それに近いと思います。
誰かに『元気出せ』って言われて、只々意味もなく『ワーワー』言うのは、各個人の意思は全く存在しない所謂〝個性殺し(殺人剣)〟ですね。
〝活気(活人剣)”を産み出すには〝個人の意思や個性を活かす“と言うのが肝です。
以下にその要旨を記述します。
これはスポーツ全てに当てはまります。
先ず一番目は〝自分の意志を伝える〟。
二人の間にボールが飛んだ時〝自分が捕る”という意味の『オーライ』、相手に取って欲しい時の『任せた』等がそれで、その為の練習が、野球の場合ノック前のボール回しです。自分の投げたい所、例えば『サード!』と言って自分の意志を示し、受ける方も『さあ来い!』と受け取る意思を明らかにする。こういった問い掛けと受け答えがスポーツの〝声”の原点だと言う事を忘れないで下さい。
二番目は味方に危険を知らせる、〝警告”、英語で言えば〝アラーム“の声。
普通によく出る『危ない!』の声。
二人が同じように捕れそうな球を必死で追いかけている時に、周りの誰かがどちらが捕るか指示する声やランナーコーチの指示がそれ。そもそも、ランナーコーチの存在そのものが、味方のランナーに危険を知らせる為のものだから、その声はほぼそれに該当します。
三番目に『状況確認の声』
アウトカウントの確認の『ワンナウト! ワンナウト!』とか、回数、塁上のランナーや点差の確認等がこれで、次のプレイに備える確認の為の声です。
この三つを常に頭に入れて練習をすれば、きっと練習にも活気が出て、チームの一体感も高まると言うこと。
その上で最も大事なことは、声を掛けられたら確認の意味で必ず応えること! それがないと意味をなさない。そして、それがチームワークに繋がっていくと言うことです。
(3)野球の基本技術に付いて
①キャッチボール
キャッチボールに付いては(2)脱力と集中力…の項での記述通り、上体の力を抜いて足下(あしもと)から順繰りに力を伝えてリリースの瞬間に力を集中させるイメージですが、それに加えて〝両肩のラインと地平面の平行”を意識することに気を配って下さい。遠くへ投げようとして、前側の肩を必要以上に上げてしまう場面をよく見かけますが、それは顔も身体も上下動してバランスが崩れ、コントロールを乱す要因になります。特に眼の上下動は、全てのプレイに悪影響を及ぼします。投げる時だけではなく打撃や守備の時も、“両肩のラインと地平面の平行”を意識してください。それに加えて前側の肩が上がることで投げる方の肘が下がり、それを引き上げる為に肩の負担が大きくなって故障の原因にもなりかねません。
これらの事、よく覚えておいてください。
②トスバッティングの重要性
正しい投げ方で、思うところに投げ、打つ方はそのボールを正しいポイントで捉えて、投げた相手に打ち返し、捕る方は、フットワークを使って正しい位置で捕球し、直ちに送球し、打つ方はまた打ち返す。その繰り返しで〝投げる・打つ・捕る”の基本練習が全て出来てしまう。それさえ毎日真面目にやっていれば、他の練習は要らないと言っても過言ではないくらい大事な練習だということを忘れないでください。
そして、これが二人一組でほぼ永久に出来なければ、野球選手とは呼ばれないことを肝に銘じて練習しましょう。
③バッテイングに付いて
基本は(2)脱力と集中力…の項目での記述通り、上体の力を抜いて足下から順繰りに力を伝えてインパクトの瞬間に力を集中させるイメージですが、タイミングとポイントに付いては各々練習を重ねて自分で修得するしかありません。
それでも何かヒントは与えられるかも…?
例えば、変化球の打ち方で極めて具体的且つ実践的な「目で溜める」と言う言葉が有ります。
それに付いては幣著『野武士軍団の詩(うた)』にその描写が有りますので、以下に一部掲載します。
【その指導法は、コーチが矢継ぎ早)にトスを上げ、打者がそれをネットに向かって打つ「ティーバッティング」と言われる練習の時、一定のリズムの中で時々タイミングをずらしてトスを上げると、十中八九打者はリズムを崩し、的確にボールの芯を捉えられなくなる。具体的には、上体が前のめりになって下半身が使えず、充分にバットに力が伝えられなくなるという状態になってしまうのだ。
そしてその後、鈴木コーチはこう言った。「いいか、俺がトスを上げる時、手に持ったボールを最初から最後まで、要するに身体でタイミングだけ合わせるのではなくて、モーションを起こしてからバットに当たるまで、ずーっと見続けるんだ。」
するとどうだろう、それまでタイミングを狂わせて前のめりになっていた打者が、しっかりバットを溜めて、後足に体重を乗せ、ボールの芯をしっかり捉えているではないか。
これが、「目で溜める」ということである。
これは具体的に効果が出る練習で、その後も練習に取り入れてやっていたが、この練習で、最初からこのタイミングずらしについていくことができる打者はほとんどいなかった。
ただ、後に合田博之だけは、苦もなくこなしていたのを思い出す。
好打者に「いい目」はつきものなのだ。】
この合田博之と言うのが、後の三冠王・落合博満の、この著書内での偽名である。
(4)最後に身体のケアに付いて一言。
長くスポーツを続けるには、身体中の関節を柔らかく保ってその可動域を確保することがとても大事です。
力を抜いて身体全体を鞭のようにしならせ、最終段階であるリリース或いはヒット・ポイントに力を集中させる為には関節の柔軟性が不可欠です。野球に於いては、特に肩甲骨・股関節・膝の柔軟性が、そのプレイに即した可動域をもたらすようです。
大谷やダルビッシュに代表される好投手の肩甲骨や、イチロー等の一流野手の股関節や膝柔らかさを、その準備運動やストレッチ体操で観たことあると思います。
その柔軟性が、投球・打撃・守備・走塁の全てに於いて “あと一歩・半歩”、或いは“ボール一球・半球”の違いを必ず産み出すことを信じ、ストレッチ運動を継続して欲しいと思います。
好い所はどんどんマネしていきましょう。
色々長々と記述しましたが、長年携)わって来た野球やソフトボールに関して、私の知る限りを皆さんにお伝えしたい一心で筆を執りました。
間もなく喜寿を迎える爺いの、戯言或いは遺言として受け取って頂ければ幸いです。
その二 戦争・宗教・政治に付いて
その二 戦争・宗教・政治に付いて
有史以来、人類は争いを繰り返してきた。
人類の歴史は戦争の歴史で、太古より人は、三人寄れば派閥が出来、それぞれの正義を振り翳して争いが始まり、『人民の為』『人々を貧困から救う』等々の美辞麗句の中で争いと殺戮が繰り広げられ、勝った方が英雄に負けた方が悪者となって歴史は綴られて行く。
日本には『勝てば官軍負ければ賊軍』と言う諺があるが、人類史の英雄たちの殆どがその該当者で、其々が希代の殺戮者だと言うことを忘れないで欲しい。
要は全てが権力争い。その構図は、何千年何万年経っても変わらないのだろうか⁈
現代でも未だに続く宗教戦争。
歴史上の戦争の殆どがそれで、一神教では他教の教えは一切認めず、『主イエスの為』或いは『アラーの為』と唱てその教えに反する人間を〝悪魔“と称して殺戮を繰り返す。
何という愚かさ‼。
そもそも彼等の教祖様は本当に悟りを開いて人生ややこの宇宙の真理に辿り着いたのだろうか? 答えは『否(いな)!』である。
彼等はその人生の中で悩み苦しみ、真剣に修行して宗教家としての一定の悟りの境地に達し、その時点での自分なりの信教書を認(したた)め書物化し、恐らくその後も死ぬまで勉強し続けて、その考え方は進化していったのではないか?
今もそうであるが、本気の研究者は生涯突き詰めていくものである。
現代では、アインシュタインを始めとする錚々たる物理学者達が宇宙創成や宇宙の果てに付いてビッグバンやらブラックホール、相対性理論等、説いてはいるが、全ては仮説。
時間にも空間にも、尺度を変えて見れば全く違った世界、所謂〝パラレル・ワールド〟が存在する可能性は否定出来ない。
例えば空中を漂う塵や埃の中、或いは我々の細胞の中にも無限の宇宙は存在するかも知れないし、よく聞く例え話だが、私達の宇宙はとてつもない巨人の肩に付いた埃で、ある日そいつがポンと肩を払えば、一瞬にして消滅してしまうのかも知れない。
時間に付いても、我々にとって一瞬と思える露の滴りの間に悠久の時が存在すると言うことも考えられる。『次元が違う』ってやつで、次元を時限と書き換(か)えてもいいかも?
豊臣秀吉の辞世の句に『露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢』と言うのがあるが、秀吉も死の間際にチラッと、そんなことを想ったのかも知れない。
要は時間も空間も絶対的なものではなく、尺度を変えれば無限の可能性が有るってこと。
あれ?、もしかして相対性理論ってこういうこと言ってるのかな・・・?
この件の結論としては、この世の真理を知る者など、この宇宙、ましてや地球の中に存在することなどは有り得ないと言う事である。
私自身、特に博識でもないし、普通以上に読書家と言ったこともない、ごく一般的な高卒・定年後の年金生活者だが、そう言う観点から、神や仏にかこつけて善良な一般市民を、宗教に引き込んで洗脳し、信者を私物化する宗教家が許せないのだ。
このやり方は、戦前の大日本帝国に於ける天皇制での教育や、北朝鮮の絶対君主制、プーチン政権下のロシアも、そして中国も同じであることを解ってほしい。
百年以上昔、資本主義の不平等を訴え人民の平等を唱えた〝マルクス・レーニン主義〟
その思想に基いた〝社会主義国家”であるロシア・中国・北朝鮮の三国が、宗教で言う処の〝一神教”と同様に他の思想を受け入れず、現代の独裁者を産み出している事実も忘れてはいけない。
それに加えて米国・トランプ大統領。
そもそも彼は何をしたいのだろう・・・?
米国は、民主主義国家ではないのか?
自分に反対する人間は排除し、お気に入りのメンバーを周りに侍らせる。
これって〝独裁政権”のやり方で、根本的にはプーチンや北朝鮮と変わらない。現代の“裸の王様”状態ってこと。
権力者達は、自分の面子や権力維持為に一般人民に殺し合いをさせる愚に、何故気付かないのだろう・・・⁈
その所為で一兵士として死んで行く人々。
人生の時間とか中身は違うけど、其々の人生では誰もが主人公で、映画の様に脇役や悪役ましてや切られ役等の端役は絶対に居ない。.彼等一人一人の人生が有って、その中では各々が主人公で、当然その家族や友人がいる事に想いを馳せて欲しい。
こんな風に想うのは私だけ?
まあ、解っていればこんな愚行はないか?
今、想うこと